#具は平凡ながら
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなった���、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の���とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」��ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させ���ことであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。���からこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業���受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間��先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハ��レのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上って��こか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もう��ぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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fluid dynamical components for professional races
ーー以下、前回からの続きです。ーー
この疑問に関して、最初に考え始めた時には、自由度の高いエアロ パーツをプロのロード レースの世界へ導入するのは興行的な理由から難しいんじゃなかろうか…と思っていました。
無制限にエアロ パーツ使用を認めてしまうと、導入初期はパーツ形状の素早い最適化に成功する特定のチームに所属する選手たち、やがて高効率なエアロ パーツがコモディティ化する以降は、おそらく特定の選手しか勝てなくなる可能性が高いのではないかと思っていたのです。
最初はタイム トライアルで速い順、もう少し丁寧に表現すると、スタート直後の序盤から逃げて、そのままゴールまでもたせてしまえる様な選手は特に有利になるのかな…と考えていました。
その様なタイプの選手が現在よりも仮に10%くらい少ないエア ドラグで走って逃げると、今以上に集団に捕まりにくくなり、ステージ勝利数だけでなく、毎日のギャップ積立ても容易になるはずです。
単独、あるいは少数走行でのエア ドラグが小さくなるという事は、後方に流れる空気の乱れを減らせるという事でもあるので、接近して走る後続車のドラグはむしろ増大し、大きな集団になってもそれほどドラグの低減には繋がらなくなる、という事と同じ意味を持ちます。
言い換えると、エアロ パーツによるドラグの低減が進むほど、単独あるいは少数では楽になりますが、そもそも大きな集団になる事自体が既に大規模なエアロ パーツ化なので、単独での効果とは異なり、大集団では殆ど速度に変化が無いはずです。
そうなると、大集団での迫力のあるゴール スプリントだとか、山岳地帯で集団から少しづつ篩い落とされて強いクライマー選び抜かれるだとか、そういった場面になるずっと前、初日から数日の間に何度もスタート直後から長距離少数で逃げられる選手がいれば序盤で既に大量のタイム差を稼いでしまい、以降、逆転困難な状態が早々に作れてしまうのではないか…。
また、山岳ステージでも緩斜面エリアなど、同様にエアロ パーツの恩恵に与れる速度帯で走り続けられれば、クライマーより速い速度で逃げ続ける事ができるTTスペシャリストが目立つ様になり得るかも…。
もちろん、単独で走っても速く強い事が勝つ、あるいは好成績を得る為の条件である事には変わりはないですが、いろんなタイプの選手が活躍する場面を見られる機会は減りそうですし、序盤から総合順位が半ば固定されてしまう様な状態だと、興行的には商品価値を維持しにくくなるんじゃなかろうか…。
…と思っていたのですが、もう少し考えていて、ふと、タイプ別で分けた時に「平地で長距離を逃げるのが苦手な選手」ほど、エアロ ドラグの低減が有利に働きそうなのかなぁ、と思う様になりました。
重量出力比 w/kg (Power-to-Mass Ratio)という概念がありますが、それとは少し違う考え方で、表現を変えると、出力をサイクリストの体重ではなく、流体力学的な抵抗値で割った値(仮にPower-to-Drag Ratioとでも表現しましょうか)が小さくなる選手ほど、ドラグに出力を取られる事になっているので、そのドラグを減らす事によって得られる速度の上昇率がより大きくなり、"PDR"(抵抗出力比)が大きい選手は比較的速度の上昇率が小さいはずです。
但し、実際にはこの選手ごとの「流体力学的な抵抗値」を得るのが結構大変かもしれません。
具体的には乗車状態で風洞施設のトンネル内に一人づつ色々な姿勢で実際に走らせてリアルな抵抗値を計測する必要があります。
ただ、実際には体重と違って、選手毎に多少体の大きさが違っても、体重ほどの影響はあまり無い筈です。
体重が1.5倍になったとしても、エアロ ドラグまで1.5倍になる為にはとんでもなく体積が増える必要がありますが、実際には体格や車体も含めた前面投影面積、あるいは全体の表面積でも構いませんが、それらが出力や体重ほどには大きく変わらないからです。
粗雑な捉え方ですが、一般的に出力の大きな選手は、単純に言って「筋肉量が多い=体重が重たい」傾向があります。
ですが、実際にロード レース��はいつも高出力の選手が有利でもなく、コースの状態によっては、それほど出力が大きくない選手が有利になる事もあります。
そう言った比較的、出力の小さい選手は「筋肉量が少ない=体重が軽い」傾向があります。
仮にFTPのPMRが同じ6w/kgだとして、体重が75kgと50kgの選手がいるとすると、それぞれのFTP値は450wと300wになり、その差は150wになります。
平地主体のコースでは体重の重たさがそれ程抵抗にはなりませんが、登坂時には1.5倍、25kgの体重差がそのまま追加の錘となり、仕事量も斜度に応じて増える為、それが150wで賄うことができなくなれば、例え高出力でも体重の重たい選手が不利になる状況もあります。
この斜度や体重を平地でのエアロ ドラグに置き換えた場合、体重と違って1.5倍の差は無く、もっと公平に、ほぼ同等のドラグがかかると、単純に出力の小さい選手は不利で、集団の中などドラグの小さい環境に居なければ、ペースに付いて行くのも難しくなります。
これが現実の世界でクライマーが平地のスピードに付いて行きづらい主な理由で、この場合、300wで出せる速度のドラグにまで到達してしまうと、出力の小さな選手はそこから抜け出る事が困難になりますが、450wの出力があれば、そこから更に150w分の加速が可能です。
つまり、登坂時と違い、速度が上がれば上がるほど、出力がドラグに喰い潰される為、絶対的な出力の違いが影響してくるようになります。
この状況下で何か劇的にドラグを低減させる装備があれば、登坂時ほどでは無くても、小さな出力の選手にとっては、より有効に作用する可能性があります。
例えば、平地のステージで序盤に逃げを打つ小さなグループにクライマーが交ざり混む、と言うような新鮮な光景が見られたり、山岳でもないのに前走集団にブリッジをかけようとしたりするクライマーが現れるかもしれません。
ただ、そこから更に大集団でのゴール スプリントの中で先頭争いまでできる様になるかと言うと、流石に厳しいとは思います。
現実的にありそうなのは、山岳ステージでの下りの直線や高速区間で、ドラグに負けて失速する事で、上りで稼いだギャップを守って逃げるのが難しかったり、重たい選手に置いて行かれていたのは、いくらか改善できそうです。
特に日本の山間地域の様なカーブの多い峠道であれば、旋回速度自体は軽い方が有利なので、上りの強いクライマーがそのまま下りも逃げ切りやすくなる可能性は大きくなる筈です。
また、上りといってもちょっとした丘程度や、急勾配が始まる前の緩斜面で、ヒルクライムとは言いづらい様な比較的スピードの出る上りに入った時にもエアロ ドラグの低減は助かるかもしれません。
本来であれば、エアロ ドラグに喰われる筈の出力を登坂に振る事ができれば、より早い段階から強みである登坂力を発揮させる事に繋がるからです。
これに似た実際の状況は既に存在していて、メジャー レースなどの山岳ステージには2000mを超える様な標高を走る事がありますが、そういった高地では平野部に比べると、大気圧が低く、空気の密度も小さくなる為、ドラグも同様に小さくなっています。
例えば、平地での速度が48km/h.だとして、上り区間ではそれが32km/h.まで落ちる場合、エアロ ドラグは半分未満になりますが、高地では大気密度の低下から更にそのドラグが減る事になり、平地での48km/h.走行時と、高地での32km/h.走行時を比べると、ドラグは凡そ1/3程度まで減ります。
空気の密度が低いという事は、呼吸気中に含まれる酸素量も少なくなっているので、出力(と体格も)の大きい選手はその出力を出しきるのが難しくなる事もありますが、出力が小さい選手はドラグに喰い潰される出力が減る分、更に登坂に回せる様になり、クライマーとしての特性を発揮しやすくなります。
これに似た状況をエアロ パーツによって緩斜面でも発揮できる様になる可能性があります。
…とは言ったものの、これらは全て妄想であり、現実にはプロのロードレースにどんな変化をもたらすのかは全然分かりません。
実際にどうなるのかは「規制緩和」をして数シーズンの経過を観察する必要があります。
但し、レース中の痛ましい事故への懸念が無くならなければ、こう言った競技速度の向上に直接繋がる様な規制緩和の実現は難しいのかもしれません。
本来の優先順位で考えると、まず先により高い安全性と快適性を両立したプロテクター類や、車体構成部材の衝撃吸収構造の研究などを優先すべきではないか、という気もしています。
アスリート達がプロとして仕事で走る為には命を懸けなくても良い環境を優先して確保する必要があります。
それとは別に、これらのエアロ パーツ類によってホビーサイクリストの多くが「より小さな力」でも効率的に移動出来る様になる可能性もあります。
極限のスピードやタイムの削減を追求するのではなく、より小さな力でも楽しく遠くまでサイクリングが実現できる様になるのであれば、UCIの規定だとか認可だとかとは無関係に開発が進むと面白そうな領域なんじゃなかろうかとも考えています。
一般公道を走って楽しむのに、自動車だってFormula1等の純粋なレーシング カーである必要は無いのと同様に、「普通の人が一般公道でサイクリングを楽しむ」のに「職業競技者用規格のロード レーサー」である必要はあるのでしょうか。
天井知らずの昨今の車体の高価格化の原因もそこが大きな理由になっている可能性が高いです。
そろそろロード バイクの世界にも競技目的ではない楽しみ方や機材の開発に目が向けられてもいいんじゃないかと。(^_-)d
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念仏宗総本山 佛教之王堂 山門上層 桟唐戸
世界最大の山門〜迷える衆生を佛道へ招き入れる門
高さ35.6m(基壇、棟飾り込) 桁行(幅)34.5m、梁間(奥行き)13.8m 壁面を覆う龍の彫刻が、この門が登龍門であることを示しています。登龍門は、中国の黄河上流にある急流で、鯉が登って龍に変じるといわれ、煩悩にまみれた泥凡夫が、この門をくぐって浄らかな浄土へ到るのであります。 上段は日本建築史上初の六手先総詰組���式、下段は四手先総詰組様式です。正面の山号額は、高さ5.25m、幅3.15mで、本畳に換算して10.2畳という日本一の大きさです。また、山門の両脇には、世界最大級の総漆塗りで中華人民共和国工芸美術大師(人間国宝)佘國平佛師制作の阿形・吽形の仁王像が配されています。仁王像は、世界最大級にして総漆塗り。山門の両脇から俗界を見渡し、悪を断じ善をすすめます。 山門上層には中華人民共和国工芸美術大師、黄文寿氏制作になる、「観経発起」の情景を彷彿させる、阿難尊者と目連尊者を従える釈尊像が安置されています。「観経発起」とは、釈尊が、王舎城の王妃韋提希夫人が我が子阿闍世により王宮の奥殿に幽閉されて救いを求める声を聞かれ、『法華経』の会座を中断、耆闍崛山から王宮に降臨され、教えを説かれて韋提希夫人を救われた故事です。 天井には、三阪雅彦画伯制作になる吽形の老龍及び瑞鳥の鳳と凰が描かれ、周囲は、佛法が伝来した古の時代に百済の文化をもって色とりどりに染められた奈良の都を彷彿させるが如く、韓国に一千四百年の長きにわたり伝えられてきた丹青技法保持者である韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の彩色で彩られています。 (落慶時プレスリリースより)
YouTube 山門 天井画 極彩色 https://youtu.be/-Qr3qSwBJTY 仁王像 https://youtu.be/Rc0bpsT93kU 山号額 https://youtu.be/EBcMV2ONf2E
飾金具 製作 https://youtu.be/nw_f1oXZpTM 桟唐戸彫刻 製作 https://youtu.be/FL-JiDcGn_Y
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わたしはどこからきたのか
夢がかさなる、歌が生まれる。あんさんぶるスターズ!!(およびあんさんぶるスターズ!)の主題歌「BRAND NEW STARS!!」の冒頭の、そして作品の核となるフレーズだ。
子供じみた憧れはもう
人生を変えるような
Ensemble Stars!!
どこまでも追いかけて
まだ誰も見たことない
伝説の先を
描こう
この歌詞に、きのう、驚愕した。昨日、あんさんぶるスターズ!!の声優さんたちが踊って歌う、有明アリーナでのライブに行ってきて、さまざまなことに感銘を受けたのだが、この主題歌(当然、アンコールの最後の曲となる)の歌詞を初めてきちんと追ってみて、あまりにも感動し、帰りの電車でずっとこの曲だけを聴いていた。
そして電車を降りた後、徒歩で家に向かう途中、「子供じみた憧れはもう」の部分で、はっとした。というか、かなり、「そうだ」と思った。子供じみた憧れはもう、とっくの昔に「今」になってしまい、さらにこの先の未来は、夢などという生温いものでさえなく、歌詞の中では伝説となっているが、自分の人生として、「自分の仕事」をしていかなければならないのだ。その仕事は、自分の人生を振り返った時に、どんな人でもきっと、平凡や���りきたりを超えて、なにか自分の力だけでは到底なし得なかったような、自分にとっての伝説と感じられるのではないだろうか。つまり、私も「やった」という実感が欲しい。死ぬ時に、「でも『これ』は出来たな」と思って死にたい。
もうこの人生は「子供じみた憧れ」を語っている場合ではないのだ、ということを昨日の帰途つよく感じた。じゃあ何ができるんだろう。私はここまでで30年以上かなり長く生きているが、「できた」と思うとしたら、今まで積み上げてきたものの上、延長線上にあるものだろうと思う。ここで新しく何かを始めるのもいいだろうが、それで始めた何かが、「仕事」として結実しなければ意味がない。実現可能な職を具体的に思い描きそれに向かっていかなければ、時間を空費する。子供じみた憧れではなく、夢のその先の「今」を確かなものにするためには、私は何をすればいいのだろう。正直、何も分からない。何をしたいのか分からないというより、何もできる気がしない。突然就活中の大学生みたいな感慨に襲われている。もう、疲れすぎて、どんな仕事もできる気がしないのだった。フルタイムで働ける体力がないので、そもそも私に何らかの実績を残すことが、この社会では難しいのではないかと思う。フルタイムで働ける体力がつけばかなり話に希望も見えるが、今のところ1日4時間働いただけで、一日半寝たきりになっている。いや、起きろよ。という感じだが、起きれるなら起きるのである。私の性質上、基本的に常に動いていたいし働いていたいし人と関わっていたいしインプットかアウトプットの何かしらをしていたいのだが、それが全くできないくらいに体中が疲労感と痛みで満たされ、脳の「動け」という命令が身体まで届かない。一人でいたい時間などない。眠りたい、二度寝したい、だらだらしたい、そういう欲求はない。ただ、寝ないと体に不調が出るので仕方なく寝る。寝ることも食べることも全然好きではなくて、これ無しに生きられればいいのにと思っている。ゆっくりすることは時間の無駄!と思うくらい、同時に2〜3個のことを進めていないと気が済まない。そうやって過活動なため、反動ですぐに倒れるのだろうが、これは性質なのでまあいいと思う。体力さえあればな、と思うが、たぶん体力のある人間ほど、睡眠や食事や休養を大切にしている。体力のない私には、その理屈が全然理解できていない。一人になると狂うので、一人の時間が恐ろしい。Twitterを見て誰かのつぶやきを「聞いて」いるか、こうして自分が何かを「言って」いるかしないと、すぐに狂ってしまいそうになる。狂���のが怖いのでとにかくTwitterを開く。「他人」の存在を思い出せれば思考が「対象」に向かって逸れていくのだが、今この脳内に「自分」しかいないとなると、途端にパニックになる。自分が何人もいることに耐えられない。自分が自分を見て、感じて、評価していること(メタ認知?)に対して、永遠のあわせ鏡になって��まい恐怖に支配される。これは身体反応として脂汗がでて心拍数があがり、このままでは確実に発狂する、という予感を伴うものである。こわいね。だいぶん話がそれました。ともかく、1人でいたくない、常にインプット(他人からの情報)かアウトプット(他人への情報)していないと狂う。他人を介さないと狂う。純粋な自分、自意識と向き合うことがかなり難しい。この文章もかなりの危険を冒しながら書いている。胃のあたりが圧迫され始めている。この「狂いの前段階」に、入ろうと思えばいつでも入れる。自分を見つめる自分を見つめる自分を見つめる自分…を意識すればいいのだ。意識しても狂うだけなのでいいことはない。狂いたくない。他人を介して思考しないと狂う。他人を介して自分を見ないと狂う。私の「おかしさ」はこれは生まれつきのものだと思う。寂しさとは違う、ただただ恐怖だ。
まあそんなことは今はよくて、私は何がしたいのだろうという話である。就活本や業界研究の書籍のコーナーを見ていて、ああ、人生のこういう段階で、自分のやりたいように自由に振る舞えるような環境にあったなら、私は何になったんだろうと考えたりした。というのは今日の話で、なぜ唐突にこんなことを…と思ったが、昨日のBRAND NEW STARS!!の歌詞についての考えが、夜によみがえってきたのだ。そこで思ったのだが、私にはやりたいことがないかもしれない。やりたかった夢は破れ(挑戦することさえできずに終わり)、それならば、と希望した職種でずっとアルバイトしており、こちらの夢は叶った。もう叶ったから、正直、いいな。と思う。もう、別に、やりたいことがないな。と。ただ、勉強したいな、という思いはまだあるかもしれない。やるべき勉強や仕事に対しては、正直全然まったく胸がときめかない。使命感のみでやるつもりだから。自分のやりたい勉強に対してはわくわくするかもしれない。しかし、それが仕事に繋がるかといえばNOだ。
いつの間にか寝ていた。あまりにも眠いのでここまでで終わり。何もまとまりませんでした。
2024.2.11
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「目的」というドクサ
理由探し
人は「理由」を求める。
ある事象が起きたとき、人はそのことの理由とは何かと思考する。そのことは自然だ。理由を知ればより適切で根本的な「対処/対応」が可能になる。
何かを「知る」目的は、もちろんその事態に適切に「対処」するためであり、「適切な対処」は自らの生存に有利に働く。つまり自分(たち)が生き延びるために、ある事態を理由も含めて知ることはとても役に立つ。
時間的にいえば理由は過去に属するものだが、それを知るのは未来の事態への対処のためである、というパースペクティブを持っている。
ホモサピエンスは、この戦略を突き詰めていったが、そのときの最大の武器が言葉だった。
理由探しとは「因果関係」を追求すること。
問いの非凡さ
林檎は樹から落ちてくるのに、月は落ちてこないということは誰でも知っている。でもそれはなぜか? と問うニュートンのその問いは非凡だ。
問いの発見とはすなわち視点の発見である。視点の発見(ときに視点の発明)のなかにこそ、創造性/クリエーティビティと天才性が宿っている。創造性は「作り出すこと」よりもむしろ「視ること」に関わっている。
理由の連鎖
すべての質量あるものは引き合っている(距離の平方の逆数と重さに見合った力で)。月が落ちてこないのは、月が地球の周りを回っていてその遠心力と引力が釣り合っているから。
ではなぜ、重力子(graviton)が引き合うように働くのか、どうやって引っ張っているのか、そもそも物を隔てる空間とは何か、その理由は今はまだ完全には知られていない。
理由の連鎖は、どこかで「あるものがそういう性質を帯びている」というところで止まらざるを得ない、ということではある。これはある事象の「振る舞い」に着目したときの着地点である。
しかしその後ろで、ではそれはどうしてそうなったのか、何と何がどういう影響を与え合ってそういう性質を獲得したのか、という時間的な経緯という理由探しの問いが始まる。
ビッグバンが醸し出す不思議さはそこから発している。ビッグバンはまるで時間とともに理由をそこで断ち切っているように見える。ビッグバンの真相や「それ以前」については現在も究明中だが、その結果がどうであれ、理由探しは結局留まるところをしらない。
目的という理由探し
もう一つ「目的」という視点での理由探しがある。
正確にいうと、自然界には「目的」という理由は存在しない(と自分は信じている/つまり神はいないと、暫定的に)が、人は自分自身の行為を理解の雛形/モデルとして、なんらかの「目的」をそこに持ち込んだ。
人自身の行為(振る舞い)は、自らの欲求なり意志なりなんらかの志向性の中で為される。そこに特徴がある。
これは「人」よりもっと広く、「生命」のレベルで帯びている振る舞いの傾向なのだろう。生命の第一ミッションは「自己の継続」である。そこから「目的」が発生している。
自己継続の理由
生命の不思議さは、なぜそういう振る舞いの傾向を帯びたのか、に集約されると思う。
あえてその理由(の一つ?)を述べれば、生命の中の、細胞や個体や種について、自己継続の振る舞いをしないものもたくさんあっただろうし、今も随時そういう個体は生まれているのだろう。しかしそういう継続という振る舞いを止めた個体はそこで終わる。継続を止めなかった個体だけが生き残り、その振る舞いの傾向はじょじょに「濃く」なっていった、そういうことなのだろう。
冒頭に「ホモサピエンスの戦略」と書いたが、それは目的論的な視線で「自然」を捉えようとすることで、それは正しくない。「戦略」というとはじめにそうなろうとする「意志」が存在していていて、それを「目的」に掲げてそうなっていったととれる、が事実はそういうことではない。
思考の道具としての「目的」
「目的」というのは、人が科学的な思考を洗練させるはるか以前に獲得した思考方法ないし「思考の道具」であったのだと思う。あるいは理解や説明のための「お話し/モデル」として「目的」という観念を抱いた。そしてその道具はそれなりの効果があり、実質的によく働いたのだろう。
人は自らの振る舞いを内省して「目的」という思考概念を発見した。これをする(目的の)ために、あれをするし、それもする。その底には意思や欲求があった。
自分の生の目的
その思考を押し広げて、周囲の動物や植物や自然を理解していった。そしてさらに自分自身という存在にもそれを当てはめた。自分は何のために生きているのか? 自分の生の目的とは何か? そう問うた。
その設問自体は馬鹿げたものかもしれないが、それが自分の生き方(=自己継続の仕方)を洗練させたと思う。たとえばその枝の先に実った果実が哲学であり宗教であり芸術でもあるのだろう。
一言でいいとか悪いとかは言えないが、「目的」が憶見、思い込み、ドクサであることはまちがいないと自分は思う。
そのことの「よき効果」と、そのことがドクサであるという事実はともに念頭から外さないように考えていきたいと思う。
220827
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韓国の情報機関・国家情報院(国情院)は23日、国会情報委員会で、北朝鮮が21日に行った軍事偵察衛星の3回目打ち上げについて、「打ち上げは成功し、軌道に進入したと把握している」と報告した。 同委員会の幹事を務める与党「国民の力」の劉相凡(ユ・サンボム)議員と最大野党「共に民主党」の尹建永(ユン・ゴンヨン)議員が記者団に伝えた。 国情院は「ロシアの支援があったと判断している」とも報告。9月のロ朝首脳会談後、北朝鮮が設計図や1回目と2回目の打ち上げに関するデータをロシアに渡し、ロシアが分析結果を北朝鮮に提供した状況が確認されたと明らかにした。ただ、それ以外に「具体的に確認されたことはない」と説明した。 また、2回目の偵察衛星の打ち上げが失敗した際に回収した衛星の残骸を分析した結果、当時搭載された衛星は偵察衛星として価値のあるサブメーター級に及ばないとした。そのうえで、新たな衛星の開発には通常約3年がかかり、北朝鮮が撮影したという太平洋の米領グアムの画像を公開しない限り、衛星の能力を把握できる状況ではないと報告。年内に偵察衛星を追加で打ち上げることは難しいとみられるが、来年の打ち上げは可能性があるとの見通しを示した。 北朝鮮の固体燃料エンジンの発射技術に関しては、「大陸間弾道ミサイル(ICBM)の場合は開発の初期段階だと把握している」と明らかにした。 北朝鮮の7回目の核実験については、「差し迫った兆候は捉えられていない。(核実験場がある)豊渓里でも(実験の)兆候は捉えられていない」とした上で、「ただ、核実験は北の最高指導者の決心による事案」との見方を示した。また、2023年には核実験の可能性は高くないが、24年になると金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党総書記)の決定次第でいつでも核実験を行う可能性があると分析した。
北朝鮮は衛星発射に成功 ロシアの支援あったと判断=韓国情報機関 - ライブドアニュース
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【LUIRE】2002.7
最近のdoubleを知るための40の質問
1 「Driving All Night」のコンセプト ▷ 夜のドライブ。真夜中に東京の高速道路を1人で走ってるイメージ。
2 どんなときにドライブしたい? ▷ 息が詰まりそうなときかな。風に当たったりして、開放感に身を委ねる。
3 乗ってみたい車 ▷ スタイリッシュなオープンカー。ボディカラ は、深みのあるメタリック系がいい。
4 ドライブのときに聴きたいCD ▷ 西海岸のヒップホップ。
5 どんな男性の車に乗りたい? ▷ 女性に「キレイだね」って言えちゃう人。だけど、アンパンマンみたいに優しい人。見た目は、 超カッコ良い人(笑)。
6 どんな車の助手席に乗りたい? ▷ 車は何でもいいかな。
7 カップリング 「You Got to」 について ▷ワタライさんのヒップホップトラックがすごくアグレッシブな感じ。
8 GTS feat.double 【I Miss You】 ▷ジャンルは違うけど、音楽ってところで理解し合ってる感覚だったから面白かった。
9 リミックスアルバム 「Gee (GTS)Presents double Greatest Remix] ▷ 新鮮。 中でも 「Uh Huh」 のリミックスがびっくりした。
10 作詞作曲 ▷ 曲を作る段階で、書き始める。詞とメロディが同時に浮かんでくることが多い。
11 プロデュース ▷ 自分がいちファンだったらこう見えてくれるとうれしいなっていうことを、反映させているかな。
12 今井了介 ▷ 一緒にやり始めてから長いので、コミュニケションも取りやすくて、楽しいレコーデイングをさせてくれる。
13 DJ WATARAI ▷ サウンドとは対照的で、とても穏やかな感じの人。
14 S-WORD について ▷ とてもカッコ良いラップを入れてもらって、光栄です。
15 最近ハマってるCD ▷ モンテル・ジョーダンの 「Montell Jordan」
16 気になるアーティスト ▷ アリシア・キーズ。 この前ライブを見たんだけど、彼女があそこまでワルだとは思わなかった。すごくヒップホップでストリー トなライブだった。あとはアシャンティ
17 最近、感動したライブ ▷ アリシアとメアリー・ブライジ。メアリーは、想像以上にスゴかった。
18 最近感動したPV ▷ ジョージ・マイケルの「Freak」。
19 2001年のベストディスクは? ▷ アッシャー 「8701」。
20 ヒップホップ/R&B以外でのフェイバリットミュージック。 ▷ 特にないかな。
21よく行くCDショップ ▷ 決まってないけど、渋谷のHMVが多い。
22 よくチェックしてる雑誌 ▷ あんまりないけど、 「LUIRE」 (笑)。私、ラジオとかでも言ってるんですよ。あとは「Black Hair」 とかの洋雑誌。
23 最近読んだ本 ▷ 収納のかな。 それにマンガ。「稲中卓球部」とかのギャグマンガが好き。
24 最近観た映画 ▷ DVDだけど、「ニュー・シネマ・パラダイス」の完全版。
25 好きなブランド ▷ ガルシア、マルケス。ディオール、シャネルも好き。
26 アーティスト、double のファッション ▷ 人に見られるってことを、ちゃんと考える。それに、普段できないような格好をするのがいいかな。
27 プライベート double のファッション ▷ プライベートでは他人にどう思われようと、 着たいものを気分で着るかな。
28 どこでショッピングを? ▷ 青山、代官山が多い。
29 チャレンジしてみたいファッション ▷ 露出系。向こうのアーティストと比べれば、まだまだだからね。
30 最近買った化粧品 ▷ シャネル。 色ものやキラキラ系のチーク。
31 好きな香水 ▷ シャネル。
32 美容の秘訣 ▷ 逆立ち!
33 ストレス発散法 ▷ ゲーム(プレステ2)。特にハマってるのは「バーチャファイター4」。
34 大好物 ▷ 和食。 幼いころは、ハンバーグと海老フライが大好きだったのに。
35 好きな酒 ▷ ディタ・グレープ。
36 好きなドリンク ▷ まろ茶。
37 今、一番やりたいこと ▷ 海外旅行。パリ、イタリアに行きたい。 好きな家具もイタリア製が多いので、いろいろと見たい。
38 今一番欲しいもの ▷ 持ち家。 ロケーションも良くて、天井も高くて、すごく広い 100平米くらいの家。家族で住みたい。 それに犬を買いたいなあ。 チワワをね。
39 結婚願望は? ▷ したくないんだけど、したい。 平凡な家庭を築きたい。
40 最後に、次作はどんなアルバムになりそう? ▷ バラエティに富んだアルバムになると思いますね。
#LUIRE#200207#DOUBLE#ダブル#Double_Japan#DoubleSACHIKO#SACHIKO#サチコ#DoubleTAKAKO#TAKAKO#タカコ#SuperSister#J_RandB#JRnB#RandB#QUEENofRandB#WeRandB#y2k#2000s#00s#雑誌#2002
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【映画】暴太郎戦隊ドンブラザーズvsゼンカイジャー
面白かった!! まさかのキングオージャーと葬式被りすな
………
「なお、このラーメンは自動的に消滅する」ってなんなんだよ!!!
死んだタロウの顔を見に一人教会を歩くソノイ耽美〜! って思ってたらいきなりゲロ吐き出してぎょっとした。今作ソノイが孤独でよかったですね、なんか。タロウが記憶喪失になり、ジロウからは罷免され、ほそぼそとおでん屋さんをしていて。これが故郷を裏切ってまで人間になった男の末路なのか。タロウが帰ってきたときの顔��すごく良かった。人知れず息絶えるのも美しかった。さすが敏樹のオキニだよ。
雉野と夏美が仲良さそうで嬉しい。犬塚はやっぱぶっ飛んでるからソノニくらいぶっ飛んでる女じゃないとだめだったんだな。夏美はぶっ飛んでそうに見えて平凡に暮らしたい女だから…。
ジロウがんばってたね! カリスマが足りない分、いろいろ手を回してフォローするのは間違ってないと思うんだが、ドンブラザーズだからな…。てか最終戦でジロウまでやられてるのなんでだよ。ヒーローだぞ。ルミちゃん(別人)にまた会えて良かったね。幻には参考元があったのかも? 他の友達のそっくりさんもいるのかもね。
ゼンカイジャーパートが「前回のゼンカイジャーは!?」から始まったの最高だった。これだよこれ! 闇柏餅ってなんだよ!!
ポットデウスがお茶くみしてたよね? キカイトピアの日常回ちょうだい。
ステイシーvsハカイザー、予告見たときはまたステイシーの曇らせやってる! と思ったけど、柏餅のために息子すら売る父親の手前だったので曇らせ度は低かった。共闘もめちゃめちゃ熱かった。良かったね、ステイシー!
「俺って双子だったの!?」って戦場で直接親に聞けるタイミングがあるのなんでだよ。戦場に親同伴ってあるんだ。ドンブラ介人はヒーローの象徴の形がたまたまドンブラザーズの世界では五色田介人の形をしてたんだろうなあ。
とーちゃんが道具なしで変身しててちょっと怖かった。か、改造されとる…。今も充電してるんだろうな。
猿原とブルーンの組合せわらった。相性悪そう。詠む俳句すべてに解説求められてくれ。
ゾックス謝れてえらいね〜。こいつやっぱ宇宙海賊なんだなゼンカイトピアは介人の縄張りだから荒らさないんだなこわいよ〜!
介人から寿司を口元に運ばれてそのまま食べるステイシー何。されるがままかよ。みんな介人に甘くて最高!
ゼンキラセンパイのときに狂ったダンスエンディングがあったので今回もあるものだと思っていたのになくてちょっと残念だった。あとはやっぱりパート分かれてるんじゃなく、いっしょにわいわいしてほしいので今度はドンブラザーズとゼンカイジャーで柏餅を食べきるまで出られない部屋に閉じ込められてくれ
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2023年1月7日
新年になりました。一応抱負というか目標みたいなものを書こうと思っていたけれど、何だろう、大きさに関わらず何かひとつ賞を取ること(書くものを有限化するために)と、偶然性や不確定性を増やすこと。あと、あまりにもベタだけどいくらかの理由があってインドとかに行きたくなった。もしくは精神世界をトリップすることでもいい。よくないかも。こうやって抱負を書いていると何だか今もうぜんぶ終わりたくなってくる。今のうちに読む本・見る映画やアニメのリストを作っておいて、それを目標にしてもいいかもしれない。 1,野菜生活を飲み続けるしかない 野菜生活を飲むばかりの生活をやっている。勉強とかをしていると、どうせすべてには等しく意味がないのに、成功しようと失敗しようと何がどうなるわけでもないのに、現実は(文字通りに)すべてフィクションなのにどうしてこんなことをしているんだろうな、という考えに邪魔をされる。でも、それならどうして意味なんてないのにダ、だらだらYoutubeを見たり音楽を聴いたり野菜生活飲んだりなんてしているんだろう。意味なんてないならその場ですぐ窓から飛び降りる、のは難しいにしても、意味がないのだから何もしなければいい。 とは思うけど事態は逆で、人は退屈に耐えられない。すべてに一切の意味がないからこそ、瞬間瞬間を何らかの行為で埋め続けないと、何かを見続けていないと、何かをやり続けていないと、その空虚さに耐えられなくなる、という直観。何をしても意味がないからこそ、その瞬間瞬間に何かをし続けないといけない。何もしていない状態だと、意味がないことに耐えられないのだから。野菜生活を飲み続けるしかない。 いずれにせよ、そのように身体的なものとして諸々のことをこなしていくしかない。退屈に耐えられない以上は。youtubeを見るように、音楽を聴くように、野菜生活を飲むように、勉強とかをして本を読んで、何かを書き続ける。たぶんこれからもずっと。あるいは他者なのかな。何らかの形で他者と接続されることでしか意味っぽいものは生まれてこない。 2,食い逃げと無垢 ある女の子の記憶。その子はいわゆる詩とか文学とかに関心があって、夜になっても、短歌について、小説について、漠然とした未来について喋っていた。そうしたら何となく、何かの流れで「食い逃げ」の話になって、その子は「食い逃げだったら、昔よくしてましたよ」と、にこっと笑いながら言った。友達と普通に食べてて、普通にそのまま出ていったらできたんですよね、と。その笑顔、その笑顔が記憶の中ではあまりに純粋で完璧で、善悪とか法とかそういうものを超えたもののようにも見えて、ときどき思い出す。「食い逃げって、意外と普通にできるんですよ」と言って笑うとき、何だか善悪を越えた無垢さがあるように感じてしまった。
3,柄谷行人『政治と思想』 柄谷行人『政治と思想 1960-2011』(平凡社ライブラリー)を読んでいた。具体的には第二章の「5、1989年からカントへ」 1989年というのはソ連が崩壊した年だし、昭和天皇が死んだ日でもある。柄谷行人によれば、80年代に風靡した「現代思想」が急激にリアリティを失ったのはソ連の崩壊によるところが大きい。デリダといえば二項対立の脱構築だけれど、それがリアリティを持ったのは、現実に、アメリカの資本主義とソ連の社会主義という二項対立があったから。 そして、理念(イデア)について。マルクスは強引に実現されるような設計的な理念を否定したものの、それは共産主義という理念そのものを否定することではない。そのことの説明として持ち出されるのがカントで、カントは「構成的理念」と「統整的理念」を区別した。構成的理念は、現実化されるべき理念であり、統整的理念は、けっして実現されないが、指標としてあって、それに向かって徐々に進むほかないような理念。マルクスが否定したのは、構成的な理念のほう。対して、ヘーゲルの場合は、理念が最終的に実現されるようになっているから、構成的理念と同じということになる。ソ連の社会主義とは、「理性の構成的使用」であり、理性の暴力となる。しかし、柄谷によれば、それを否定することと、「統整的理念」まで否定してしまうことは異なる。その筋でいくと、ポストモダニストとは、構成的理念を否定するあまり、あらゆる理念を否定するようになってしまった者たちのことになる。
〈ポストモダニストは、歴史のいっさいの理念を物語だといって否定した。つまり、理念は仮象だというわけです。しかし、それは別に新しい考えではない。そもそもカントは、理念は仮象だといっています。ただ、それは、感覚に由来するような仮象とはちがう。それなら、理性によって訂正できる。ところが、理性から生じる、理性に固有���仮象がある。たとえば、昨日の自分と今日の自分は同じ自分だと人は思う。しかし、ヒュームがいったように、同一の「自己」など仮象にすぎない。ところが、もしそのような幻想をもてないとどうなるか。統合失調症になるでしょう。だから、この種の仮象は不可欠であり、また不可避である。カントはこのような仮象をとくに「超越論的仮象」と呼びました。理念も超越論的仮象です。共産主義という理念も同じです〉
ここでいわれている「超越論的仮象」というのは、いわゆる「自由」「神」「魂の不死」であり、また、理性的な存在者としての連続され統一された「私」の存在でもある。カントは『純粋理性批判』で四つのアンチノミー(1,世界は無限か有限か 2,すべてのものは無限に分解されるのか、それとも最も単純なものが存在するのか 3,自由な意志は存在するのか 4,神は存在するのか)を提起したし、それは答えることのできない問いを提起する理念(イデア)である。
「そもそも理念とは、答えることのできない問題〔を提起するもの〕であるが、わたしたちはこの理念に対応する現実の対象が存在するかのように考えることを、どうしてもやめようとしないのである(『純粋理性批判5』、中山元訳、p148、第2章 純粋な理性の二律背反)
カントによれば、理念(イデア)とは答えることのできない問題であり、私たちの理性はその理念に対応する現実の対象(たとえば神や自由や自己)の存在を現実に存在するかのように考えてしまう。しかし、そのとき、そのような理念(イデア)は仮象である、と『純粋理性批判』では事実上断言される。しかし、同時にそれは理念そのものを全否定しているのではなく、統整的理念としては肯定される。つまり、けっして完全に実現されることはないが指標として存在するものとして。更に言えば、『実践理性批判』では自由という仮象(であるはずのもの)が事実上、全肯定されることになる。それらの理念は仮象であるけれど、必要不可欠な超越論的仮象として、つまりは必要不可欠なフィクションとしてある種の理想としてそこに据え置かれる。 *** また、柄谷の「ポストモダニストは、歴史のいっさいの理念を物語だといって否定した」という箇所について思ったのは、ドゥルーズの場合、たしかにあらゆる理念は仮象であることを(カントと同じく)認めるだろうけれど、むしろそのような仮象をこそ肯定するであろうこと。そして、そのときもちろん理念(イデア)というのはある単一の本質を表すものではなく、多様体として捉え直されている。理念とは増殖する問いであり、そのような増殖し続ける問いを抱えながら生き続けること、そして無数に存在する解の中から、ある特異な解を産出し続けることが目指されることになる。 *** 何だか全然まとまらないし、お風呂場でシャワーを浴びていると世界の現実感がどんどん失われていく。すべてがフィクションになっていく、けれど、またYoutubeで適当に動画とかを見ていたら、適当な意味の磁場が生じてきて、何かどうでもよくなってくる。そういえば、小学生の頃は現実に興味・関心がなさすぎて、通知表ではずっと興味・関心のところだけが低かった。はやく人生をダイジェストにして切り取ってほしい。30秒くらいで。
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これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこに���和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。��はやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハ��でさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもないんだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
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命名って困るよね
TLで探索者の名前の由来を語ってる人を見て、自分も半年ちょっと前から似たタグを放置していたのを思い出した。
#いいねされた数だけ探索者の名前の由来を書いていく
名前いつも悩んでるので私の参考のためにこれ見た人もやること
— ひさぎ/むりだな (@muridana323) March 12, 2024
この前後の話の流れで、フォロワーが名前の決め方に悩んでる~っていうのがあって、参考になればいいなと思ってタグをやろうと思ったことを覚えている。それで三日坊主なのは本当に良くない。ごめんなさい。
とはいえ大体の流れは
探索者/PCの詳細を決める→名前のイメージを絞る→候補を色々嵌めてみてしっくり来たのに決める
くらいにしか説明できない。なのでつれづれなるままに説明する。
例えば舐薬HO1の小野寺 純一(おのでら じゅんいち)。
彼はAPP18イケメン、身長190台ショタ、ハーフ元モデルと強者揃いのアイドルユニット中、一人だけドルオタ上がりの一般人というPCで、平凡な側面を強調したくなっ��ので結構ありきたりな名字・名前[^1]にすることをまず決めた。
名前は庭師HO2にして当時貴重な男性探索者だった恵一くんから「一」を貰い「純一」。名字はなんとなく文字数を3-2にしたかったので3文字の名字から普通っぽいのを探して小野寺に。
もっとイメージを突き通したのが愛罠蜂HO2の天海 白楓(あまみ しろっぷ)。
見て分かるようにキラキラネームをつけてみたかったので、彼女の名前を考えていた時期はスイーツ関係の単語をひたすら漢字で表そうとしていた。
結果的に、字面がいかつくないこと、ある程度文字の読みに従っていること、文字と名前にある程度意味の繋がりがあること[2]から今の名前に。
ここまで極端な名前は「生まれてきた時からそう育つって決まってたんかい」と感じてしまうので普段は避けるが、白楓は両親もパティシエ&シェフでお菓子大好きという設定をつけて無理矢理突破した。個人的に気に入ってる名前の一つ。
もうちょっとイメージを具体的に踏み込むと名前から起きたエピソードを考えることもあって、
例えば同窓会PCの愛沢 うらら(あいさわ -)は、五十音順で早いおかげでクラスの自己紹介トップバッターで目立って人気者に……みたいな妄想
エピソードから「あい」始まりの名字にした。 そして華やかさ、親しみやすさと"あい"に対して"う"から始まるということで名前は平仮名でうららに決めた。大体のPCが名前から決まる中、名字が先に決まった珍しい例。 この辺は秘匿絡み��ことも多いので語りづらい。一応Markdownは折りたたみ表示も使えるらしいので、また別の機会に書くかも。
後は他PCの名前に寄せたり合わせる例かな。 ドロディスHO1の綾瀬 朱莉(あやせ あかり)の場合は、相方は戸塚 帳(とつか とばり)。 なので名前は光的なイメージかつ、文字数と末尾が同じ「あかり」に。 名字は戸塚といえば神奈川、なら神奈川の地名で合わせにいこう[3]。さらに相方が名字、名前を「と」始まりで揃えてるので、「あ」から始まる神奈川の地名……綾瀬だな!でスムーズに決まった。
これも実際のところ「そんな都合よく名前が対にならないだろ!」と思わなくもないけど、お揃いって嬉しいんですよね。
余談だけど、逆張り精神のせいかあかりの朱莉みたいに、若干ベタな漢字を外しがちなところがあったりする。相沢→愛沢とか、長滝→永瀧(神任せHO4)とか。
ネタ切れなので今日はここまで。今日書いた名付け方は結構みな既に考えてることだと思うので、何か他の命名方法をしてる人がいれば参考にしたかったり。
田中太郎とかそういうのは個人的にはありきたり過ぎてそういう(日塔奈美的な)キャラ付けに思ってしまう。 ↩︎
メープルシロップ的な意味で。白の意味は……知らん。 ↩︎
もともと名字は困ったら地名から決めることが多い。 ↩︎
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「写真植字の百年」展
印刷博物館で「写真植字の百年」展を見る。日本で写真植字の特許が出願されたのが1924年。それから今年で100年。それを記念した企画展である。
まずはプロローグ的な展示。写真植字の基本的な仕組みなどの説明。
写真植字では、写真植字機で印画紙に文字を打ち出し、印画紙を切り貼りして版下を作る。下の写真は、アートディレクター杉浦康平が版下作成に用いた道具類(左)と、版下(右)。凝った組版のものだと、かなり細かい作業が要求される。
第1部「写真植字 はじまりとひろがり」では、写真植字の黎明期の事柄が取り上げられている。イギリスやアメリカで写真植字の研究が進められ、研究事例が日本の印刷業界誌等で紹介された。そういった情報を参考にしつつ、森澤信夫と石井茂吉の2人が協力して写植機を開発。しかし開発姿勢の相違から、彼らは別々の道へ進む。石井は写真植字機研究所(現在の写研)、森澤は写真植字機製作(現在のモリサワ)で、それぞれ写植機開発に取り組むこととなる。
海外の文献。
森澤が製作した、邦文写真植字機の発明模型。
印刷業界誌の写真植字機の記事。
写真植字で組版された、平凡社の『世界大百科事典』。
やはり写真植字を用いて作られた『大漢和辞典』(いわゆる諸橋大漢和)。石井がすべての文字制作を行なったとのこと。
第2部「しくみと機器開発」には、さまざまな写植機が並んでいる。
初期の実用機。写真植字機研究所のもの。
写真植字機研究所のSK-3RY型。背後の壁に「印刷精度が高いベストセラー」とある。
超ロングセラー機、モリサワ写真植字機製作所のMC-6。
写研の最後の手動写植機、PAVO-KY。
モリサワのROBO 15XY III。手動写植機では初めて3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載。
写研とモリサワの2社に加え、リョービが写真植字機メーカーに加わった。このLEON MAX ZOOM1は、ズームレンズやメモリーカードといった従来の写植機になかった機能が採用されている。
写植機にセットする文字盤。これはモリサワのもの。
写研の文字盤。
リョービの文字盤。
第3部「新しい書体と新しい表現」では、金属活字を用いた活版印刷では不可能だったことを写真植字によって実現する、さまざまな試みが紹介される。
活字は彫って作るが、写真植字の文字は彫るのではなく描いて作る。左はモリサワの書体リュウミンの原図、右は石井茂吉が書体をデザインする際に用いた道具。
グラフィックデザイナー山城隆一の「森・林」。写真植字を用いて、文字をランダムな大きさ、配置でちりばめた印象的な作品。
山城による写真植字の紹介記事。本文書体をさまざまに変えてみせている。
会場のあちこちに映像資料も展示されており、写真植字の現場で仕事をしてきた人々のインタビューがめっぽうおもしろい。写真植字機の営業やカスタマーサービスの話をするモリサワ元社員、写真植字機の開発について話すリョービの中の人、石井茂吉に師事した書体設計士、写真植字を使って作品をつくるデザイナーといった顔ぶれで、今回の展示内容に合う的確な人選だと思った。
たっぷり楽しんだので、図録はもちろん買わざるを得ない。写植機の文字盤を模した表紙をはじめ、ちゃんとツボを心得た人がデザインしたのであろうことが推察される仕上がり。袋にはこの企画展のシールまで貼ってもらえて、とても満足した。
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2024年8月31日
「四半世紀前のギャルゲーなんてもう時代劇ですよね。スマホもないし。『ToHeart』は名作にしたいとかは全然考えてなくて、少女漫画の読み切り的なものを制作期間内に詰め込んだ感じです。」
「「あいつらの分のパイを削れば俺たちに廻って来る」じゃなくて「もっと大きいパイを焼こう」であって欲しいし、そんな小さいパイしか焼かれないのは何が悪いんだ? ってことを見通せるようになりたいしなって欲しいのだ」
「宿題が計画通りに進んでいない時、「進捗遅れを報告したら怒られた」ではなく「進捗遅れを報告したら、ちゃんと計画の見直しを一緒にしてもらえて上手く進んだ」という成功体験を積んでおけた方が将来的に有益だと思うんだ」
「昨日五輪の影響で急にランニングシューズ変えた方が良いんじゃないかと思って見に行ってなんと影響されやすい愚かな己であろうかと店員さんにこぼしたら「頑張っている人を見て頑張ろうと思わなくなったらもうおしまいですよ」とただのミーハーが受け止めるにはあまりに重い金言を頂戴した(笑)」
「>誰々は俺の嫁!ってのも聞かなくなったな 推し呼びが一般的になっても好きだけど推してはい��いな…ってなってなんか言いにくい面倒くさいオタクになった」
「ラノベの新人賞選考手伝ったときは「応募者はお客様だから審査は厳しくコメントは優しく」で頼まれたな…」
「家族の数が多ければ多いほど生活保護費は増えるので子供が100人いれば400万」
「銀座和光は楽しいぞ 高校生上がったばかりの子どもが親に連れられて七桁くらいする時計選んだりしてるの見て格差社会実感できる」
「どんな男もよく知っていくと「なんか子供みたいな人だな」に印象が収束するし、どんな女もよく知っていくと「意外と面倒だなこいつ」に印象が収束する」
「「こんなに謝ってるのに?」と言ってくる人を許すとマジでろくなことがない。」
「姉や兄の話といいどうしてわざわざ暴露するの…ノンケのサディストなの…」
「新しい家に引っ越した当日の晩に、これから「最寄りのスーパー」になるであろう、初めての店で買った惣菜を、家具のない部屋の床に広げて食べてるときの、あのワクワク感には中毒性がある」
「小説ってミクロな人間関係を切り取ってクローズアップするものだから、マクロな視点で全体から見下ろすとなにいってだこいつってなるのはどの作品においても共通することかもしれない」
「地元の祭りは三日間かけてやるんだけどその日だけは中学生も一升瓶ラッパ飲みとかしても許される 警察も見て見ぬ振り 昔は夜になったら茂みでお盛んだったけど今はどうなってるんだろうか」
「「人と人は基本的に理解し合えない」という前提の元でたまに理解し合える人と出会えるとラッキーという価値観で生活しているんだけど、「人と人は基本的に理解し合える」という前提の人と出会うとOSが違いすぎてバグった挙動を示してしまう。」
「アラン・ドロンさんの訃報に接し、「ハンサム」「二枚目」「美男子」という言葉がほぼ滅びたことにも想いを馳せる。 「イケメン」は違うんだよ。」
「強いオスが自分にだけ優しいとメスは好きになってしまうのだ」
「限りなく実在の友人をトレースしたキャラを出したら「人間味がない」と言われたことがあるので、思いの外世の中にはアンドロイドが潜伏しているっぽい。」
「オリエント工業。SONYのアイボの時みたく、ドールに対して本当の家族のような愛情を抱いているユーザーがメーカー消滅後にどうやってメンテナンスや修理をするのかちょっと気になる(なんとなく某ゲームのメイドロボなどを重ね合わせながら)」
「うまくいかなかった昨日の経験よ、血肉になれ、もしくはなかったことになれ。」
「最近、マ・ドンソクさんなどが出演されている韓国のヤクザ映画などが好きになってしまい、いろいろ観ているんだけど、おおむねお話の筋なんかは同じで、マ・ドンソクさんが拳で何もかも解決してしまうわけだが、飽きさせることもなく楽しくて、言ってみれば「殴る寅さん」みたいな安定感がありますね。」
「そいつを主役にしても物語が作れる悪役がベスト、みたいなことが創作指南本に書いてあったな」
「いつの間にか消え失せた夏祭りのざわめき。 虫の音だけが静かに響く、月明かりの境内。
幼馴染と恐る恐る、手さぐりのように初めての愛を交わした――
ことのあるエロゲ主人公は全員、礼拝所不敬罪に問われるということをたったいま知りましたですなう!」
「「人生で一度も滑ったことのない一発ギャグ"おしっこを限界まで我慢したHONDAアシモ"」を実際にこの目で見たい」
「いろんな事例をウォッチしてきた経験で考えると、プロジェクトが破綻する理由のほとんどが「決して合理的な判断とは言えないが、精神的な余裕がなくなって嫌気がさしたので他人の意見を聞きたくない」というモチベーション枯渇やパニック状態が原因になってた。(これは投資に失敗する人も同じ。ビビる
どんな過酷な状況でも平気な顔をして淡々と合理的な判断と最適解をするのが「強い」んだけど、人間味のある人はビビってしまうのでなんでそんなことをするんだ?!という破滅的な行動をやり出してしまい破綻していた(急に打ち合わせの場に来なくなるとか、全部を御破算にするとか)」
「仕事や芸術に高いレベルで打ち込んでいる人が「家族いらない」っていうのは感覚として全然理解できるのだよね。だけど、元ツイのような「学生時代や若手社会人時代の楽しみ」みたいなものでずっと幸せを感じ続けられるのは本当に才能。
これ自体は批判したり腹を立てるようなことはなくて、こうやって自分への投資や娯楽だけで生きていけるのは天賦の才のようなもので、通常凡人は「自分のためだけに生きていく」ということにはどこかで限界ができてしまい、家族の存在はその救いだったりもする」
「そういや以前「被虐願望のある未亡人とずっとその女に惚れてた加虐趣味の男」のロマンス小説読んだんだけど、両思いになるのは一瞬だったのに、エロに入る前に今後のプレイ内容確認・ルールの取り決め等合意形成のための理性的な話し合いが全体の40%超延々と続き「役所かお前は」と放り投げたことある」
「これは本当にそうで、人生学校も仕事も「俺はダメだ」と思わせられることの繰り返しで、その中で「能力を伸ばす方法はないか考えて実行する」「今の自分のできることを探してやりきる」「他の場所に可能性がないか探す」という選択肢を続けることが大切なんだなと思います。」
「イース1のTHE MORNING GROW、一旦闘いに決着はつくけれど、(ゆっくりパンナップしていくあのグラフィックと共に)次へと想いを馳せる感じが凄く好きなのです。メガゾーン23の負けて立ち上がるラストの「淋しくて眠れない」が一番好きなのと同じような感じというか。伝わるかしら…。」
「人間は自分のために犠牲になってくれる存在を「泣き」で消費する文化がある」
「ネガティブ極めてる人って、自販機の飲み物程度の額でも固辞するクセに、一緒に遊びに行った後に「楽しくなかったですよね?スミマセン」みたいに、こっちが相手を楽しませるために準備してた気持ちとかは平気でゴミ箱にダンクシュートかますんだよ。 そういうところが付き合っててしんどくなる。」
「高校の山月記の授業のとき、クラスの他の人が「李徴はプライドとか捨てて人と関わるべきだったんじゃないかと」みたいな穏当な感想を発表したら、国語の先生が「しかしプライドがない人はほんとうにクズになりやすいんですよ」と言って教室の空気が冷えたの良かったな」
「魂を削れば自動的にいい絵が描けるのならば、実はそんなに楽なことはなくて、芸術は単なる努力賞ではないからこそおそろしい。」
「「曲の作られ方」の話としての当方の説。かつてビデオゲームにおいて曲の作者というのは、同時に「内蔵音源の奏者」でもあった…それが「録音した曲を再生する」という形になった時点で喪われた。当方はこれを「ゲームミュージックは1995年くらいで一度死んだ」と以前から唱えている」
以上。
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早速頓挫した日記を思いつくままに再開させる。
デュオリンゴのアプリは1ヶ月程度は続いたけどレベルの調整が微妙でアプリのリマインド機能についてはいう事なしだけど、モチベーションがなくなり辞めてしまった。ただ、どれだけ放置しても帰ってくるようにしつこくあの緑のトリがピーピー言ってくるのでいつでも再開できそうなのが良い。
継続できてるものは「あすけん」
気がつけば、7月後半からずっとやれている。
初めは暇つぶしのつもりだったけれど、日々の食事の栄養素が可視化される事で意外にもゲーム性を見出すことができ、無事に一度体重が落ちて顔周りがスッとした。それと並行して開脚ストレッチと首周りのストレッチを実行することにしたら、ほぼほぼ日課レベルまでやれるようになった。
8月は裕太不在の日が多く、食事量を減らすことは容易だったんだけど、家に戻ってきてからは一緒に外食したり、ちょっと疲れてマックに行ったり、お土産の甘いものを食べたりして体重はちょっと戻りつつあるのだけど、ストレッチ効果か太ももの細さや顔周りの大きさ自体は痩せた形から大きく変化はない。
もしかすると筋肉量アップで体重が上がったのでは?という密かな期待と共に、引き続きあすけんは継続したい。タンパク質はプロテインと鶏肉、豆腐で気をつければ意外と目標値に届く。ビタミン類に関してはマルチビタミン剤がチートになっており、ほぼほぼそれでまかってはいけるんだけど、どうも食物繊維がうまく取れず、やはり野菜が一番の近道だなあと思う。
仕事を休職して、特に家事に力を入れるようになってから動いている間はわりとメンタルが落ち着くようになった。パニック障害っていう、通勤時に具合が悪くなるという症状のせいで休職をしているわけだけど、こないだ千葉に行った時も休み休み、薬を飲んで移動したらいけたし、人が多い場も(次の日は落ち込みmaxだったけど)乗り越えられたので、このまま9月末には復帰できないかな、と期待してる。
ただ、落ち込む時のタイミングが読めず(あんまりパニックの原因を探りすぎるのもよくないらしいのだが)ひどく落ち込んでしまったり、寂しくなったり悲しくなったりすると体調が一気に悪化することもあるので、なんとも言えないのが現状である。
家事の主なところは↓こんな感じ。
・洗濯(日常の衣服・布団類)
・料理(洗い物)
・部屋の掃除
・日用品の買い出し
仕事をしていない分、注力できるだけの体力があり、体調が悪ければ好きなだけ眠れる上に、眠れない時は気を紛らわすために掃除したりできるのでだいぶ生活の質が上がった。
自炊をすると栄養素のコントロールも容易いし、プロテインなども切れる前に購入する余力があって状態がいい時は「丁寧な生活」そのものだ。
運動に苦手意識があるにも関わらず、音楽を聴きコロッケを撫でながらできるストレッチは引きこもりがちな身にもかなり体力維持の面で役立っている気がする。
同じく休職しているひなこと頻繁に連絡が取りやすいのも心の安定に繋がっている。
先日、ひなことパセラの長時間パックでカラオケ、ハロプロ鑑賞、爆タバコ、爆飲酒をしたのも楽しかった。後日、見舞いを兼ねて家に遊びに行った時にジェルネイルの一式を譲ってもらった。
時間を持て余すわたしにはかなり嬉しいもので、ここ数日は爪をいじくり回している。
数年前までは原宿のサロンでお願いしていたけど、大好きなネイリストが引退してから他の人にお願いするのが嫌になりやめていたけど、携帯を触るときの親指の爪が煌めいていると、なんだか大事な心が返ってくる気持ちになる。
仕事をして、同じ日々の繰り返しを行うだけで私は人より疲弊している気がする。周囲が当たり前に努力してそれを行っているのはわかっているし、容易に比較してもいいものではないと思うが、不向きであると感じざるを得ない場面も多かった。
とはいえ、adhd症状による具体的な困り事が浮き彫りになってこない以上はそれに対する治療というのもあまり積極的に行うべきでもないかな、と思う。(多分グレーゾーンだし、投薬になると飲酒やらの制約も多いし、強い薬だから比較的高価だ)
平坦な感情を維持することは平和な暮らしへの近道のはずなのに、感情のジェットコースターに乗ることを少し楽しいと思ってしまっている自分もいる。
いっそのこと、会社員はやめて飲食とか、もっと日々がルーティンでない慌ただしい仕事に変えてしまおうかと思うこともあるけどプライドや長期的キャラアを考えると足踏みする。(そもそも休職によって、だいぶマイナスを踏んでいるのだが)
この悩みに直面するたびに過去の自分のブログを掘り返して読むようにしている。だいぶポエムみたいだが、わたしの言いたいことの本質はココに詰まっていると思う。
カネコアヤノの歌詞にも「自ら不幸にならない なろうとはしないで」とある。もう誰も裏切らない、裏切りはいけない、ってかなり自分に言い聞かせるような言い回しだならといつも思う。そして、わたしはそれができているかなって思う。
大切な人を大事にできているかなって考えてしまう。
こういう気持ちが少しでも残っているうちは軌道修正できるよね、って思いたい。
「丁寧な生活」というのは、小さなひとつひとつを丁寧に行うことで自分や他人との関係や生活を積もるように貯金していくようなもので、
乱暴に自暴自棄にしていると失ってしまうものを、無くさないようにしていくことだと思ってる。
大学生の頃はそれが分からず、他人を傷つけることで自分への愛を測っていた。無知で、傍若無人な振る舞いだったと静かに反省している。もう許してもらえなともわかっているけど、これからも生活は続く。
これから出会う人の数はそんなに多くないと思う。今ある友達、好きな人、好きな居場所のこと、簡単に壊したくなるけど、したくない。
大事にしていたいよ。
今日の夜は気分が乗って料理をたくさんした。
すぐ焼いたら食べられるように味付けした鶏を冷凍し、副菜としてピーマンとジャガイモを炒めた。
ほうれん草を茹でてストックし、主菜鶏巾着も作った。小さいけれど、自分の中の小さな約束を(ちょっと破ってしまっても、諦めずに)守っていきたい。
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