#全集中の呼吸が使える人と繋がりたい
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fluid dynamical components for professional races
ーー以下、前回からの続きです。ーー
この疑問に関して、最初に考え始めた時には、自由度の高いエアロ パーツをプロのロード レースの世界へ導入するのは興行的な理由から難しいんじゃなかろうか…と思っていました。
無制限にエアロ パーツ使用を認めてしまうと、導入初期はパーツ形状の素早い最適化に成功する特定のチームに所属する選手たち、やがて高効率なエアロ パーツがコモディティ化する以降は、おそらく特定の選手しか勝てなくなる可能性が高いのではないかと思っていたのです。
最初はタイム トライアルで速い順、もう少し丁寧に表現すると、スタート直後の序盤から逃げて、そのままゴールまでもたせてしまえる様な選手は特に有利になるのかな…と考えていました。
その様なタイプの選手が現在よりも仮に10%くらい少ないエア ドラグで走って逃げると、今以上に集団に捕まりにくくなり、ステージ勝利数だけでなく、毎日のギャップ積立ても容易になるはずです。
単独、あるいは少数走行でのエア ドラグが小さくなるという事は、後方に流れる空気の乱れを減らせるという事でもあるので、接近して走る後続車のドラグはむしろ増大し、大きな集団になってもそれほどドラグの低減には繋がらなくなる、という事と同じ意味を持ちます。
言い換えると、エアロ パーツによるドラグの低減が進むほど、単独あるいは少数では楽になりますが、そもそも大きな集団になる事自体が既に大規模なエアロ パーツ化なので、単独での効果とは異なり、大集団では殆ど速度に変化が無いはずです。
そうなると、大集団での迫力のあるゴール スプリントだとか、山岳地帯で集団から少しづつ篩い落とされて強いクライマー選び抜かれるだとか、そういった場面になるずっと前、初日から数日の間に何度もスタート直後から長距離少数で逃げられる選手がいれば序盤で既に大量のタイム差を稼いでしまい、以降、逆転困難な状態が早��に作れてしまうのではないか…。
また、山岳ステージでも緩斜面エリアなど、同様にエアロ パーツの恩恵に与れる速度帯で走り続けられれば、クライマーより速い速度で逃げ続ける事ができるTTスペシャリストが目立つ様になり得るかも…。
もちろん、単独で走っても速く強い事が勝つ、あるいは好成績を得る為の条件である事には変わりはないですが、いろんなタイプの選手が活躍する場面を見られる機会は減りそうですし、序盤から総合順位が半ば固定されてしまう様な状態だと、興行的には商品価値を維持しにくくなるんじゃなかろうか…。
…と思っていたのですが、もう少し考えていて、ふと、タイプ別で分けた時に「平地で長距離を逃げるのが苦手な選手」ほど、エアロ ドラグの低減が有利に働きそうなのかなぁ、と思う様になりました。
重量出力比 w/kg (Power-to-Mass Ratio)という概念がありますが、それとは少し違う考え方で、表現を変えると、出力をサイクリストの体重ではなく、流体力学的な抵抗値で割った値(仮にPower-to-Drag Ratioとでも表現しましょうか)が小さくなる選手ほど、ドラグに出力を取られる事になっているので、そのドラグを減らす事によって得られる速度の上昇率がより大きくなり、"PDR"(抵抗出力比)が大きい選手は比較的速度の上昇率が小さいはずです。
但し、実際にはこの選手ごとの「流体力学的な抵抗値」を得るのが結構大変かもしれません。
具体的には乗車状態で風洞施設のトンネル内に一人づつ色々な姿勢で実際に走らせてリアルな抵抗値を計測する必要があります。
ただ、実際には体重と違って、選手毎に多少体の大きさが違っても、体重ほどの影響はあまり無い筈です。
体重が1.5倍になったとしても、エアロ ドラグまで1.5倍になる為にはとんでもなく体積が増える必要がありますが、実際には体格や車体も含めた前面投影面積、あるいは全体の表面積でも構いませんが、それらが出力や体重ほどには大きく変わらないからです。
粗雑な捉え方ですが、一般的に出力の大きな選手は、単純に言って「筋肉量が多い=体重が重たい」傾向があります。
ですが、実際にロード レースではいつも高出力の選手が有利でもなく、コースの状態によっては、それほど出力が大きくない選手が有利になる事もあります。
そう言った比較的、出力の小さい選手は「筋肉量が少ない=体重が軽い」傾向があります。
仮にFTPのPMRが同じ6w/kgだとして、体重が75kgと50kgの選手がいるとすると、それぞれのFTP値は450wと300wになり、その差は150wになります。
平地主体のコースでは体重の重たさがそれ程抵抗にはなりませんが、登坂時には1.5倍、25kgの体重差がそのまま追加の錘となり、仕事量も斜度に応じて増える為、それが150wで賄うことができなくなれば、例え高出力��も体重の重たい選手が不利になる状況もあります。
この斜度や体重を平地でのエアロ ドラグに置き換えた場合、体重と違って1.5倍の差は無く、もっと公平に、ほぼ同等のドラグがかかると、単純に出力の小さい選手は不利で、集団の中などドラグの小さい環境に居なければ、ペースに付いて行くのも難しくなります。
これが現実の世界でクライマーが平地のスピードに付いて行きづらい主な理由で、この場合、300wで出せる速度のドラグにまで到達してしまうと、出力の小さな選手はそこから抜け出る事が困難になりますが、450wの出力があれば、そこから更に150w分の加速が可能です。
つまり、登坂時と違い、速度が上がれば上がるほど、出力がドラグに喰い潰される為、絶対的な出力の違いが影響してくるようになります。
この状況下で何か劇的にドラグを低減させる装備があれば、登坂時ほどでは無くても、小さな出力の選手にとっては、より有効に作用する可能性があります。
例えば、平地のステージで序盤に逃げを打つ小さなグループにクライマーが交ざり混む、と言うような新鮮な光景が見られたり、山岳でもないのに前走集団にブリッジをかけようとしたりするクライマーが現れるかもしれません。
ただ、そこから更に大集団でのゴール スプリントの中で先頭争いまでできる様になるかと言うと、流石に厳しいとは思います。
現実的にありそうなのは、山岳ステージでの下りの直線や高速区間で、ドラグに負けて失速する事で、上りで稼いだギャップを守って逃げるのが難しかったり、重たい選手に置いて行かれていたのは、いくらか改善できそうです。
特に日本の山間地域の様なカーブの多い峠道であれば、旋回速度自体は軽い方が有利なので、上りの強いクライマーがそのまま下りも逃げ切りやすくなる可能性は大きくなる筈です。
また、上りといってもちょっとした丘程度や、急勾配が始まる前の緩斜面で、ヒルクライムとは言いづらい様な比較的スピードの出る上りに入った時にもエアロ ドラグの低減は助かるかもしれません。
本来であれば、エアロ ドラグに喰われる筈の出力を登坂に振る事ができれば、より早い段階から強みである登坂力を発揮させる事に繋がるからです。
これに似た実際の状況は既に存在していて、メジャー レースなどの山岳ステージには2000mを超える様な標高を走る事がありますが、そういった高地では平野部に比べると、大気圧が低く、空気の密度も小さくなる為、ドラグも同様に小さくなっています。
例えば、平地での速度が48km/h.だとして、上り区間ではそれが32km/h.まで落ちる場合、エアロ ドラグは半分未満になりますが、高地では大気密度の低下から更にそのドラグが減る事になり、平地での48km/h.走行時と、高地での32km/h.走行時を比べると、ドラグは凡そ1/3程度まで減ります。
空気の密度が低いという事は、呼吸気中に含まれる酸素量も少なくなっているので、出力(と体格も)の大きい選手はその出力を出しきるのが難しくなる事もありますが、出力が小さい選手はドラグに喰い潰される出力が減る分、更に登坂に回せる様になり、クライマー��しての特性を発揮しやすくなります。
これに似た状況をエアロ パーツによって緩斜面でも発揮できる様になる可能性があります。
…とは言ったものの、これらは全て妄想であり、現実にはプロのロードレースにどんな変化をもたらすのかは全然分かりません。
実際にどうなるのかは「規制緩和」をして数シーズンの経過を観察する必要があります。
但し、レース中の痛ましい事故への懸念が無くならなければ、こう言った競技速度の向上に直接繋がる様な規制緩和の実現は難しいのかもしれません。
本来の優先順位で考えると、まず先により高い安全性と快適性を両立したプロテクター類や、車体構成部材の衝撃吸収構造の研究などを優先すべきではないか、という気もしています。
アスリート達がプロとして仕事で走る為には命を懸けなくても良い環境を優先して確保する必要があります。
それとは別に、これらのエアロ パーツ類によってホビーサイクリストの多くが「より小さな力」でも効率的に移動出来る様になる可能性もあります。
極限のスピードやタイムの削減を追求するのではなく、より小さな力でも楽しく遠くまでサイクリングが実現できる様になるのであれば、UCIの規定だとか認可だとかとは無関係に開発が進むと面白そうな領域なんじゃなかろうかとも考えています。
一般公道を走って楽しむのに、自動車だってFormula1等の純粋なレーシング カーである必要は無いのと同様に、「普通の人が一般公道でサイクリングを楽しむ」のに「職業競技者用規格のロード レーサー」である必要はあるのでしょうか。
天井知らずの昨今の車体の高価格化の原因もそこが大きな理由になっている可能性が高いです。
そろそろロード バイクの世界にも競技目的ではない楽しみ方や機材の開発に目が向けられてもいいんじゃないかと。(^_-)d
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【9話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・後編【大麻取り締まられレポ】
朝8時になると、200冊ほどの書籍が並んでいるキャスター付きの本棚が運ばれてくる。この本は官本と呼ばれ、収容者が借りることのできる本なのだが、借りられる機会は1日1回、1人3冊までなので、慎重に選ぶ必要があるらしい。
留置官は先に隣のベトナム人を居室から出すと、ベトナム人は『世界の絶景』みたいなタイトルの大型本を1冊手に取り、居室の中へ戻っていく。
続いて僕の番になる。官本のラインナップは、東野圭吾や筒井康隆などの著名なエンタメ小説をメインに、歴史小説や純文学、学習まんがなども置いてあり、案外退屈しなさそうであった。
僕がどの本にしようか悩んでいると、留置官が「あ、5番はこのあとすぐ新件だから、借りてもすぐに回収することになるよ」と言うので、結局何も借りずに檻の中に戻ると、本当にその後すぐに点呼がかかった。ちなみに新件とは、最初の検事調べのことである。
僕は初めての検事調べにまだ心の準備ができていなかったが、点呼からすぐに居室から出され、手錠と腰縄をかけられると、地下の駐車場に連れて行かれたのち、ワゴン車の後部座席の中央に、留置官2人に挟まれた状態で座らされる。ワゴン車は、運転席との間に金網のフェンスがあり、運転席と後部座席は完全に区切られていた。
僕はてっきり護送車で送致されると思っていたのだが、今回は近辺で検察に送致される被疑者が少なかったため、護送車を出すほどではないという判断になったそうだ。
ワゴン車が出発すると、僕は次第に不安になってきたので、隣の留置官に「大麻は持っていたんですけど、黙秘すれば不起訴いけるかなあと思ってるんですが、どう思います?」などと、留置官が捜査には関与しないのをいいことに、正直な悩みを打ち明けてみる。
左隣のニューヨーク嶋佐似の留置官は「持ってたなら正直に話すべきだろ。自分から正直に話したら心証がよくなって罪も軽くなるだろうし」などと想定通りのことを言うので、僕は「でも黙秘してたらそもそも無罪で済むかもしれないんですよ」と反論すると、嶋佐は「それで上手くいったとしても、一生、嘘をついたっていう罪の意識を抱えて生きていくことになるんだぞ」などと感情論で反論してくる。
僕は「嘘はついてないですよ。何も喋っていませんから」と揚げ足をとると、嶋佐はムキになって「本当はやったのに何も言わないのは、嘘をついてるのと一緒だろう」などと言ってくるので、僕は「勝手に質問しといて、答えなかったら嘘つき呼ばわりされるのは意味が分からないです」などと屁理屈を言う。
僕は続けて「そもそも大麻を所持していたこと自体罪だと思ってないんですよ。むしろこうして拘束されていることに被害者意識を持ってるくらいなんで、黙秘をするっていうのは、大麻取締法違反で罰を与えてようとしてくる検察に対しての正当防衛だと思ってます」などともっともらしいことを言う。
嶋佐は平静を装っているが本心は苛立っている感じで「でも人を殺した人がそれと同じこと言ってたらおかしいだろ?」などと反論してくるが、僕は「殺人は被害者がいるんで、殺人だったら罪の意識を持つと思いますけど、大麻所持は被害者がいないんで罪の意識を持ちようがないです」と応える。
嶋佐は「いや…」ととりあえず口に出してから熟考して、「大麻は身体に悪影響だから犯罪になってるんだろ」と少し論点をずらして反論してくる。僕は嶋佐を言い負かすのがおもしろくなって「たとえ悪影響だとしても、自分の身体は自分のものですから、究極、自殺しようと自分の勝手だと思いますけど」などとわざと憎たらしく言ってみる。
すると嶋佐は「まあ5番が黙秘しても、これから証拠は出てくるだろうし、今のうちに自白しといた方が楽になると思うぞ」などと半ギレで議論を放棄してきたので、僕は「確実な証拠が出たら自白するか考えますけど、今は黙秘でいかせてもらいます」などと勝ち誇った感じで、留置官に言っても意味のない宣言をした。
留置官はこの議論に辟易とした様子で「まあ5番の人生だから5番の好きにしたら」と投げやりに言うので、僕は心中(その思想がまさに、自分の好きに大麻を吸わせてほしいという発想の根源なんだが)と思ったが、口に出すとさすがに空気が悪くなりそうだったので、口をつぐんでおいた。
僕は留置官相手に自分を正当化し、言語化する中で、黙秘がいかに賢明な選択であるかという理論を確立できたので、断固たる気持ちで黙秘しようと踏ん切りがつき、不安がなくなっていた。
そうこうしている内に地方検察庁に着き、留置官に連行されながら、被疑者用の出入り口から入って、迷路のようなルートを進んでいくと、待合室がいくつもある広い空間に出る。
待合室と事務室の間の廊下には、都内のいろんな留置場から集結した被疑者たちが30人くらい並んでいて、僕もその列に並ばされ、何分か経つと、地検に勤務している警備役の警官が点呼をとり、各被疑者を各待合室に振り分けていく。
留置場も異様な光景であったが、地検の待合室のある空間は、より緊張感が張り詰めていて、警官の態度や点呼の仕方は軍人のように厳格で威圧感があり、集められた被疑者たちは、容貌からいかにも半グレな人や大人しそうなおじさんから外国人までが全員グレーの上下スウェットを身につけているので、危うさとカオス感がある。
待合室は、鉄格子と金網の扉が一面についた、5人掛けの硬い木のベンチが部屋の両サイドにある、奥には衝立があるだけで隠れることのできないトイレと洗面が付いているだけの殺風景極まりない部屋で、入室前に警官に「他の人と会話をするな」とか「足を組むな」など厳しく注意された後、僕はキツく両手錠をされたまま待合室に入れられる。
待合室の定員は10名で、混んでいるときは満員になるそうだが、今回は運良く、詐欺で捕まってそうなチンピラ風の若者と、傷害で捕まってそうな腕を組んで足を広げて座る低身長ガチムチの若者2人のみだった。
10時頃から待機していて、おそらく1時間は経過したであろうが、時計がないので今何時かわからず、やることもなく、自由もなく、呼ばれる気配もないので、本当に時間が長く感じる。ガチムチの若者はイライラして貧乏ゆすりをし出し、僕はそれを見て苛立ちそうだったので、目を瞑って瞑想をする。
しかし、待合室のベンチは壁にぴったり取り付けられており、背もたれは90度に近く、硬く滑りやすい材質の木でできているので、浅く腰掛けて背もたれに寄りかかることができず、姿勢正しく座るのが最も疲れない造りになっていて、リラックスすることができないようになっているので、瞑想に集中するのも難しい。
待機から体感1時間半ほどが経過し、チンピラ風の若者が警官に呼ばれ、待合室を出て行ったが、それからは何も音沙汰がなく、ついに2時間が経過し、12時の昼食の時間になった。警官によって手錠を片側だけ外され、コッペパン2つと使い切りの個包装されたジャム2つにマーガリン1つ、棒状のチーズ1本、小さい紙パックのりんごジュースが支給される。
質素な食事ではあるが、僕は待つことに体力と精神力を奪われて疲弊していたので、夢中になって食べてしまう。それに、なにかやることがあるというのが嬉しい。
食べ終わったゴミが回収されると、再び両腕にきつく手錠がかけられ、地獄の待機時間が始まる。ガチムチの若者は食後に小便をするのだが、見ようと思えば見えるし、放尿の音は聞きたくなくても聞こえてくる。それはそうとさすがに腰が痛いし、この仕打ちは人権侵害だと思う。
1時30分頃、ようやく警官に呼ばれ、待合室を後にする。待機時間は人生で最も時間が長く感じた。���縄をつけられ、留置官に連れられてエレベーターに乗り、担当検事のいる執務室に入る。
執務室は待合室の4倍くらいはある広い部屋で、検事と検察補佐官がそれぞれ大きい机の前に座っていて、その前にパイプ椅子が置いてある。検事は50代後半くらいの男で、上等な眼鏡とスーツを着用し、姿勢がよく余裕のある雰囲気で、おもしろいくらいにエリート感が漂っており、先程まで見ていたワルたちとはちがう威圧感がある。
僕は執務室に入り挨拶をし、指示されるがままにパイプ椅子に腰掛けると、留置官によって手錠をパイプ椅子に繋がれる。検事は柔和な表情で「取調べの内容は録音させていただきますが、よろしいですか?」と聞いてくるので、僕は「はい」と応える。検察補佐官はノートPCで会話の内容を記録している。
検事は続けて、僕の口から自分の名前や生年月日などを言うよう指示してくるので、僕がそれに応えると、「被疑者〇〇は、大麻成分を含有する植物片13.8gをみだりに所持した疑いで…」などと僕が犯した罪状を読み上げたのち、「あなたには黙秘権があり、言いたくないことは言わなくていい権利があります」と告知してくるので、僕は元気に「わかりました」と応える。
検事は柔和な表情のまま「こちらの罪状を犯したことについては間違いないですか?」などと質問してきたので、僕は一呼吸を置いて「黙秘します」と言う。すると、検事は急に真顔になり、「わかりました」とだけ応える。
検事は真顔のまま「現場ではあなたも乗車していた車の中で大麻成分を含有する植物片が見つかっていますが、これはあなたのものですか?」と質問してくるが、僕は変わらず「黙秘します」と応えると、検事は少し怒ったように目を開いて「わかりました」と言う。
検事は続けて「一緒に同乗していた人はあなたとどうゆう関係ですか?」と質問してくるが、僕は頑なに「黙秘します」と応える。すると検事は再び柔和な表情に戻り、「わかりました。それでは取調べは以上になります。こちらの調書に問題がなければ捺印をお願いします」などと言って、白紙同等の調書を差し出してくる。
僕は「捺印はできません」と応えると、検事は再び真顔になり「わかりました。それではこれで終わりとなります。お疲れ様でした」と言い、補佐官とともに立ち上がって頭を下げていた。
・
つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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ポン。にゃにゃにゃ。ヒト紹介。
「息を吸う、吐く」
c( ᐢ⓿ᴥ⓿) ポン。
勝手に動物に例えて皆さんの頭に付けました。後半になるにつれて絵文字が無くなって困りました。時々脳がポン太に侵略されているかもしれないポン。
敬称略
🌻役者🌻
🐶舞原まひろ
ブランケットを持って座っている姿を見ると、私もぬくぬくしたくなりました。ケルベロスとの戦いがほっこり面白くて、お気に入りポイントです。脚本を細かく解いて動きをつけていく過程はとても難しそうだなぁと感じましたが、最後まで向き合って、舞美になっていました。
🦝園堂香莉
わたし。犬派。犬探し��よっか。
🦁海泥波波美
疲れたって言ってても誰よりも元気に振る舞っちゃう人。意識してるのかしてないのか分からない当たり前が人を寄せ集めている人。そういうところがみんなから愛されている。私より2年多く生きている分尊敬している。アサギが楽しめていたらたぶん世界は平和。この秋でたくさん関われて、なぽちゃんは嬉しいよ。アサちゃんも楽しかったら何より。感謝感激雨アサギ。
🐱黍
太郎も演補も照明も盛り沢山な秋公演。天才的な照明を作っていて私もあんな照明作れるようになりたいぜと思いました。ひとまず、チェイスとLEDは無限大だということと、木漏れ日は素敵だということを理解しました。まだお世話になってしまうかもしれませんが頑張りますのでよろしくお願いします。きびさんの猫語が良すぎたので作業用BGMにしたいです。
🐰坪井涼
なんだかとてもぴったりの役でした。というよりも、どんな役でもぴったりにする安定感が本当にすごいです。普段からボケているので違う風味を楽しめたかのようです。熱盛のSEをいってきマーライオンにして音響オペをしてほしかったものです。
(ドドン!!いってきマーライオンッ!!)
失礼いたしました、マーライオンが出てしまいました。
🐻織田舞里
パフォに追われていました。でもとっても良いものになりました。さすがの深夜作業です。いつ見ても各部署の仕事をしているイメージがありますが、それは言い換えれば、なんでもできる先輩だということです。尊敬しすぎて豆助をわしゃわしゃしてくるくるしてぎゅってしちゃいそうですね。
🦉児
チャラチャラ似合います。動きがじょうずで身体の使い方がしなやかなチャラです。表情筋までしなやかです。わかりやすい、かつ自然な形を作り出すチャラは今公演で殺陣監督としても活躍していました。そしてなんと言っても唯一のポン太の目撃者でもあります。見られちゃったにゃー。
🐨黒井白子
なんでもやっているチャラです。なんでもできます。キャスパを楽しんで全力で踊っとる人です。稽古では一緒にゆきのひまわりを咲かせる道を悩んでくれました。一方、ゾンビが上手すぎてポン太は居場所を失いました。なんだあの動き。真似のしようがなくて力の差を感じました。にゃー...。
🦦握飯子
通しの日にワンピースが信じられないほど濡れていました。不思議でした。のほほんとしていて毎日を懸命に生きているイメージがあります。おもしろエピソードはいったい何個あるんでしょうか。枯れることの無い泉だと思います。きっとこれからも伝説が語り継がれることでしょう。
🦙冊まいも
すらりとしています。映画館に3回しか行ったことがない人です。みそかを見ていると発声も役作りも、積み重ねだと気づかされます。普段同じ授業を受けている時、みそかが線形代数と戦っている横で、いつも私はお絵描きをしています。2人とも授業聞けや、という言葉は喉の奥にしまってください。
🐯鴨兎春
鴨でも兎でもなく虎です。マジツヨスなので、虎だと思いました。らびがよく着ている舞美服も虎っぽいなぁと思いました。マジツヨスも好きだけど、ひかるちゃんが生姜焼きをはむはむして、最後に投げ捨てていくシーンも好きです。いつも通り本チラも天才でした。35期の頼れるねーさんです。
🦊岡崎仁美
一緒に立て看を制作した母です。かなりいい感じの立て看ができました。カメムシとダンス部と戦いながら作りました。ダンス部にやられたカヌレさんがぐったりしすぎていてびっくりしました。そんな時は、彼女たちに大量のゆで卵をプレゼントしてあげましょう。きっと固ゆでにして食べてくれるでしょう。
🐻❄️縦縞コリー
優しそうなお父さんでした。「みんなで、食べような」から優しさがあふれ出ていてぽかぽかしたので好きなセリフです。そして魔法警察も当たり前のように上手かったです。こりも安定感が凄まじい役者なので困った時はみんなが度々お世話になります。阪神勝って良かったね、こりのとびきりの笑顔を見たいよ。
🐹大福小餅
仕込み週でも真面目に居残り練習をしていてさすが我らのこふくだと思いました。魔女様は言い方も動きもめっちゃ研究されていました。みんなが麻雀している横で衣装もしっかり完成させる、そんなしっかりもののこふくに、35期はみんな助けられています。これからもお世話になります。
🐿アリリ・オルタネイト
教授(巨人)とどういう関係なのか非常に気になりました。ちゃんと教授を立ててあげてるのかなと思う日もあれば、テキトーに話してるだけか、と思う日もあって永遠に謎でした。なんも考えずに見るべきですね。平和な世界です。大変だったと思いますが、最後までやりきったイルルさん、かっこよかったです。
🐺君安飛那太
主人公が似合う人です。たまに、なんでもない時間に小躍りしているときがあります。その小躍りの積み重ねが、かっこいいキャスパに繋がっているのかもしれません。ちなみに小躍りはかわいめの小躍りです。そんなかわいい面が、ファンを作るのでしょう。コルクさんのセルフBGも、名残惜しいです。
🐵えどいん
えどさんにしか作り出せない雰囲気があります。アサギもそうなので、今回はそれがなおやとガヴェインの違いを生み出していたのかもしれません。そこをすり合わせていく作業が大変そうでした。ポン太はガウェインに斬られて光栄です。���どさんがいないちゃうかをほぼ見てこなかったので、寂しくなる予感です。
🦥あろハム権左衛門
マイムうまっ。稽古では生姜焼きエチュードをみんなで練習したのがけっこう楽しかった思い出。ベジさんに付けてもらった名前、みんなに色々言われてるけど本人は普通に気に入ってるの草。声大きくなったって褒めてくれた時、嬉しくて変な顔になりそうだったから我慢した。進撃の最終話見たら語ろう。
🦔ミル鍋
ゆにベロス可愛すぎました。全人類から愛されています。百鬼夜行の時にキラキラしたものの明かりをつけるために、ゆにベロスを1体脱がないといけないのが地味に大変そうでした。でも、それを準備する姿も可愛かった。演技するとかっこよくなるから、かっこかわいい。
🌻オペ🌻
🦄たぴおか太郎
幕や衣装の仕事もあって、役者もやってオペもやって、当たり前のようにしていましたが普通にすごすぎです。音響で舞台が電車になったとき感動しました。
🐆衿君
映像が素晴らしいことはみんなわかっています。オタ芸が素晴らしいことも。エリックと最初に出会った時とはだいぶイメージが変わっています。すごい人。
🦜まろん
照明オペ仲間。オペ難しそうだった。呼吸の照明が天才的に良いのは、まろんの力があったからです。本当にお疲れ様、そしてありがとう。
🌻演出🌻
🐑田中かほ
もふもふでふわふわです。ヒトらしさがとても溢れている人で、とてもヒトです。私は今回役者を経験して、自分がどういう人間なのかを改めて教えてもらったような気がします。とっても大きくて大切な種をもらいました。これから大事に育てていこうと思います。ほんとうにありがとうございました。
ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
この2ヶ月弱、心に大きめの雲ができていましたが、秋公と過ごして、快晴とまではいかなくても晴れました。ちゃうかってすごいや。ケジメがついた私の心の中に、ひまわりは2本くらい咲いていそうです。太陽みたいな全ての皆さんに感謝します。初舞台楽しかったです、にゃ。
園堂香莉/なぽり
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インタビュー:ロビン・カイザー
僕たちはみんな、同じチケットを予約している:
“人間を経験すること”
インタビューア:プリスカ=マリア・ブリョーゼ
オリジナル動画:https://youtu.be/tXpOrZiMDZA
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
プリスカ:あなたにとって新地球とは?
ロビン: 最終的には意識の状態、時空間に定着されたものではないんだ。
我々は記憶を取り戻した時 自分たちの内部に 創り上げる意識の状態。
記憶というのは自分たちがどこから来たのか、 霊的精神的に自分たちがどのような存在なのか、ということ。
心の奥底でそれが確信として自己の中で目を覚ました感覚、忘れることのない感覚が起きる。すると、この肉体としての自己認識には陥らない。
その時、自分はこの地球の源であると言う自覚が起きる。
プリスカ:あなたの本には「新しい私たち」というのがあるけど、これはどのようなもの?
ロビン: 君が引用したのは「宇宙的観点からの私たち」で、これは新地球を改めて構築していく時の、互いのあり方とはあまり関係はない。
「新時代の私たち」には、新しいコミュニケーション文化、交信のための新しい言語を学ぶことなどが挙げられる。
我々の言語は、人類の分断が根底要素となっていて、主語・目的語といった区別は、如何なる文章でも相手(対象物)は自分以外の存在だと宣言している。新言語で新しい互いのあり方を表現することで、何が開かれるのか見えてくるだろう。
「愛を以て行動せよ」これを掲げたい。何にせよこの“材料”さえ入っていれば、何をしようと「ことは丸く片付く」。人生のどの分野であろうと、この“材料”が欠けていれば、いつの日か歪みとなって自己破壊に繋がるだろう。
プリスカ:新しいコミュニケーションの形態とは、どのようなものになるのか、イメージ、直感はある?
ロビン: 学校教育では合理的・論理的思考、と主に左脳が鍛えられる。
基本のコミュニケーションはしかし、芸術的なもの、例えば踊り(舞)はイメージとして隠喩的・芸術的な音響言語となり、自分の中の全く違った層で表現・伝達し合うことになる。
多くの人は自己表現ができないという感覚に陥っており、従って自分の存在は気付いてもらえないと感じている。なぜかというと、こうした“言語”という道具を使っても、人は自分の奥底にある内面を表現することが出来ないから。
そこで���僕たちはもっとクリエイティブにならねば」と思うわけ。
言語というものだけでなく、思考にも結び付けられているアイデンティティというものに、自分たちがどれほど奴隷化されているのか、そのことを芯から自覚すること。
つまり、「自分」と「自分が想っている自分」とを同一化してしまっていて、ここから分離化された存在への道を進んでしまうんです。
プリスカ:私には先日、イメージが浮かんで、その中では我々の精神がどんどん…この何千年の間なのかわからないけど、「自分・私(エゴ)」にばかりフォーカスするようになって行った。
今のあなたの話で思い出しました。
私たちは再び、自らの精神を宇宙というか創造的な方向へ向けていくとどうなるのかしら?
ロビン: (笑) この「自分・私」という“島”はまるで、広い大海に浮かぶナッツの殻のようなもので… 僕らの存在がそんなものだったためしなんかないのに。これがパラドックスで、僕らは「自分は自分が思ってるような自分」だと信じている… ひとつの意識層だけに存在感が与えられてしまっているけど、その横でパラレルに存在する多くの他の層で全く違った自覚の中にある。
一方では、“body-mind-identity(肉体=精神=同一性)”が肉体に繋げられた意識としてここにあって、僕らは「これが境界線(この線で終わる)」だと思っている。つまり、時空間を経験していると思い込んでいる。
しかしこれを超越して、認識を改めて見ると、「自分の意識は永遠」だということ、「“自分”には生まれ出た瞬間がない」ことに気づく。
これは…言葉では表現できない。ここには直接的な経験が必要になる。
その経験は、自分たちが行動を起こしている現実世界で疑問を掲げるようになって、そのうち行き着いた底を引っ掻くことになる日が来るまで、出来ない。
プリスカ:そうしたら、どうなるの?
その“底”を引っ掻けば、すべてが解ける?(笑)
ロビン: 実際には、切り離された現実からは、新しい我が家へは何も持って帰れないんだよ。
僕らは多くの妥協を決意して、古い世界にある手段を使って新しい何かを創造しようするのだけれど、それは当然うまく行かない。
切り離された世界において、自分の精神や思考や想像で構築してきたものを完全に“洗い流す”ことを、本当に徹底して学ばねばならないと思う。するといつの日か、“新たなるもの”に出会える。
でも、これは単なるプロセスであって、プレッシャーを掛けても効果はない。つまり、成長を先取って歩むことは出来なくて、新時代の成長に向けた選択の手段とは力を込めたり圧力をかけるのではなくて、手放して委ねていくこと。全く違った進み方なんだ。
プリスカ:…その「手放して委ねること」というところに、自然な磁力の影響が実現されるのかしら?
ロビン: その通り。切り離されたアイデンティティからは常に、「私はAからBに移動して、目的に至る」ことが「常に自分の意思で起こる」ことになる。
新しい現実では、自分の意思というものは丸ごと手放して、宇宙の磁力に自分の運命・宿命が自分を引き寄せる現実へと導いてもらうんだ。
プリスカ:あなたがセミナーなどで寄り添っている多くの人たちには、その新しい意識に心を開くために、どんなことを勧めていますか?
ロビン: (笑)…つまり君には君の道があって、他の人にもそれぞれ、その人に道がある。これは何か「本質的」と言えるもの。非常に個人的なもの。
そして、いつの日か、僕らがその道を歩んでいった時に、どんどん互いに近づき合うように導かれる。切り離された現実では、僕らは「自分のバブル(泡)の中にいて、他人と互換性がない。僕らはある言語を話し、互いにすれ違い、それぞれの道は交わることがない。
しかし、徹底して内面の方向性従うようになっていけば、個々の人が歩む道は集まっていき、それは力強い大きな流れとなる。
そして、エネルギー的に地球上でそれが起これば、もう何もそれを止めることが出来ない(にっこり)。
プリスカ:果てしなく大きく広がっていくような感じね。
私たちが、もしくは一定の人数の人々が、そのような意識状態に至れば、この地球上で顕現される世界に、大きい変化が起きるのかしら?
ロビン: (笑) 類比論法で描写してみると、そこにはあるバッタの種族がいて、皆が後ろ足を抱え込みあえば、一定の数を超えるとひとつの生物体へと変容する。そのように、僕らも皆で手を取り合えば、個人の意識は「我々」という意識へと変化し始める。実はそういう場所、つまり部族文化がある場所から来て、氏族意識をもっていた。個人の意識というのはそれほど無かった。これは遅かれ早かれ、我々に開かれていかざるを得なくなる。なんでかって、個人にとって分離という道には先がもう無いからだ。僕達はもう最終点まで味わい尽くした。この一本道にはもう、自己破壊しか残っていない。
そして、僕達が人間としての集団社会にあって、この道を選ばないならば、路線変更をしないといけなくなる。
ある程度は、誰もが責任をもって自分なりの貢献をするんだけど、上部に位置する創造レベルには…謂わば「シナリオ」が存在していて、それは人類の運命のようなもの。この話は別の文脈で話したことがあるけれど。
人々が、そのより大きい年代記というか、人類の運命的な流れに繋がった時、おそらく僕らは人として改めて自己破壊へ向かうような運命にはないだろう。
僕らはこれを経験してきた。この惑星で、僕らがいにしえのトラウマを再演出したことで、何度もそういうことがあった。最後にそういうことがあったのがアトランティス。この記憶を持っている人たちは、今この時代に沢山いる。なぜかというと、今日の時間質(タイムクウォリティ)が当時と同じだからだ。今、全く同じ状態が示されているんだけど、どうやら今回は上手くカーブを越せるようだ。それには異なった要素が関わってきている。集団意識性のクリティカルマス(急激に何かが激昂する分岐点)というものもある。これに達する時、高い意識を持った少数派が、普通の意識状態だった大衆を一緒に引き上げる。歴史上、大衆が世界の成り行きを統御したことはない。それはいつも少数派だった。…しかし、今までは分離の方向へと進んできた。
しかし、本当に「高い振動を保ちながら地球上で貢献している」と僕が呼んでいる人々の割合が一定のパーセンテージを超えたなら − 裏ではそれを起こすために多くの力が働いているんだけど − そのとき、新しい意識というのはまるで、地球を包む格子網のように張り巡らされ、そして… 無意識でも分離のアジェンダに従ってた者は、非常にそ~っと、そしてどの程度の抵抗があるかによってはちょっと辿々しく、その新しい意識に吸入されていく。
プリスカ:数年前にも聞いたことのある、その張り巡らされた金色の格子網のお話、好きです。
私が繰り返し体験しているのは、人々は意識発展の道にあって、反省とかしているんだけど、そこでも分離というのが、ジャッジによってあまりにも多く起こっていて…「ああ、この人はまだそういう意識状態じゃないのね」みたいなジャッジ。
(二人して笑う)
あなたはそういうのにどう反応するの?
ロビン: まぁね…『この人についてなんと言おう』ってやつだけど。
もし、僕が君について何かを陳述すれば、その時僕は「君について」だけでなく「自分について」も陳述していることになる。
だって、それは「君について」思っている僕の考え、ジャッジなわけだから。それをジャッジしている僕の精神について語っていることになるので、陳述したのは君のことではなくて、僕について、ということになる。だから、「誰もが鏡の間の中にいる」ということを、人は至るところで見かけることになる。
もし、誰かが「分離(別れ)」を口にしたならば、その人は「分離の意識」の中にあることになる。
それで、それとどう付き合っていけば良いのか、僕を助けてくれた大切な鍵となったのは、あらゆる総てに存在する権利がある、という認識。つまり、ちっぽけな虫から、この惑星上の最も偉大な意識体に至るまで、総てが己の存在の層で、大切な貢献をしており、そのちっぽけな砂粒がもし、掛けていたとすれば、大きな全体というのは完全ではなくなる、ということ。
この、存在の権利というのは、最も暗い闇の存在にも与えられている。消去しなければいけないものなど、何もない。そうではなくて、そこにあるのは我々が包容すべきもの、統合させてもらえるもの、自己の中にあるものに気付かせてくれるもの。それが出来れば溶かすことができるので。
プリスカ:ひとつになる、ということね? 素敵。
ロビン: ひとつになる、というのはもちろん素敵なこと。それは意識であって、そこにハマってしまえば、誰が何を言うのかなんて、もうどうでも良くなる。
僕らは皆、自分のフィルターを使って自分なりのベストを尽くし、それをや��うと思って着任したことを成し遂げようとしているんだけど、僕らがみんな「同じこと」のために着任したことは、明らかでしょ?
上部の位置から眺めた方向性、ミッションというのは、ねえ、みんな同じことを望んでいるんでしょ?
そう、これを…もう一度思い起こすことだよね。
そうした道の上を歩いていない者、無意識の道に変えてしまった者でさえ、望んでいるのは僕達が望むものと同じなんだ。ただ、彼らはそれを知らないだけ、別の層に納められてしまっているだけ、隠されているだけなんだ。
プリスカ:これまでも何度か聞かせてもらってきたけれど、私たちがワンネスの状態に在るようになれば、そこにはもう死はないわけで…私のマイクロビオーム(微生物叢・細菌フローラ)でさえ消滅したりはしない。つまり死ぬことはなく、そこらにある植物と一体化するのよね? (笑)
ロビン: 当然。
プリスカ:そうしたイメージだけでも、すごく美しいし、人々にとっても世界は広がると思う。だって、分離という精神・思考世界では、常に死への恐怖があるから。死、この世を去ることについて、あなたの考えを改めて聞かせて。
ロビン: 文明というものがどのような意識状態に在るのかを測るためには、実際には2つの基準があって、ひとつは「誕生」をどう扱うのか。もうひとつは「死」をどう扱うのか。
僕らはこの2つを非常に歪めてしまい、そこから酷く遠ざかっている。「死」は社会から排除しようとし、できるだけ意識しないようにしている。もうひとつの方はここでは深く述べないけれど、このことについて素晴らしい考察を書いている人が居る。
「死」というのは信じがたいほどの師匠・マスターなんだ。
「無常(全てがいつかは過ぎ去ること)」というものは、三つの大きな原理のひとつで、神の「三位一体」には、構築する原理、維持する原理、破壊する原理が存在する。この「破壊する原理」とは死、つまり「無常であること」。手放すことなんだ。
そして僕らの居るこの社会では、完全に、あらゆるものが「構築する原理」の中にある。
多くの人が、「維持する原理」と「破壊する原理」を文明から除外しようとしている。それは全てを「構築中」にしておくため。拡張、成長の加速。成長、成長、成長。だから、こんなに沢山の癌疾患が出てきている。だって、「構築の原理」のみに定着しているから。文化として、意識の中で。
対極となる原理が欠けている。僕に言わせると「破壊の原理・溶解の原理」だ。
インドでは調和というものがもっと強く存在していて、破壊の原理の象徴としてのシヴァ神がいる。
そう、「死」というのは意識の原理からいうと、実際には僕らが「移行」する時にまさに必要となるものなんだ。なぜなら、僕らは今この意識というものに、随分と長い間留まっていたわけで、その間ずっと「死」を排除しようとしてきた。
そして…分離されていたものを、どうやってひとつのものに戻して統合させるのだろうか?統合は常に溶解によって起こる。
僕らは謂わば「死ぬことのない(溶解せず、統合することがない)」ものとして凍結してしまっている。
「死」を排除しようとすることで、僕らは��ジタル的なものに変容��てしまった。保存したい、手放したくない、そういった意識から、今自分たちがはまり込んでいる時間のループがリピートされてしまう。
神の「三位一体」の基本的な側面を排除しようとしたことで、僕らはいつまでも同じループの中を繰り返しているんだ。
プリスカ:それは今、人類に反映されていますよね。
人類が自己破壊へと進んでいるのは、最終的に自分自身の肉体の組織を破壊することに顕れている。
以前もあなたが述べていたのは、この道から飛び出して統合…というより、この道へ踏み込んで統合へ向かえといいうことで…そうやって自己破壊へ進む人に、あなたはどう助言するのかしら?もちろん、その人によって違うし、ただ、その人が選んだ道が本人にとって本当に意義深いものになるように?
ロビン: 僕は…以前、もっと心理学的な世界観から実行者や変革者を軸に考えていたときは、「よし、さあこれに働きかけよう」って感じだった。しかし、僕は慎重になった。まずは、本当に高次の層から自分の内面に問いかけるんだ。「自分に変化をもたらすべき所に、そもそも至っているのか?それとも、変化することで、僕は何らかの運命的な経緯に介入してしまうだろうか?」と。だって、君の運命を信じないなんて、僕は何者なんだろうか?そして、君の運命を信じる方が難しいときがある。その時僕が、君が自己破壊の方向へ行こうとするのを目にしたならばね。大抵の人は、誰かが苦しんでいたら走り寄って支え、ヒントや助言を与えて状況を変えようと努めるだろう。しかしこの人たちは何を問題に感じているのだろう?この人たちは当人が自己破壊へ走って苦しむのに耐えられない。なぜかというと、それを見過ごして苦しむ自分に耐えられないからだ。しかし、自己の苦しみを受け入れていれば、目の前の人々が自分の運命を生きることに任せることが出来るはず。
ここで問いかけるべきことは、「愛に満ちた行為」とは何なんだろう、ということ。
誰かがやってきて、心底助けを求めたとする。これは別の問題だ。こういうときは、高次の層と申し合わせながら様子をみて、その人に「いいかい、君がその道を進んでいけば何が待っているのか前もって見せてあげる」と言える。
「自分は現時点で、どのどのタイムラインにいるのか」ということと、「このタイムラインを5年・10年と拡張させていくと、自分の人生はどのようになっているだろうか」、この2つの自問はどんなときでも役に立つ。
なぜかというと、小さなミクロの動きを起こす「時間」を今この場所で吹き込んだことで10年後がでっかく変化する。
小さなレーザーポインターをちょっと左にずらせば、10メートル向こうは大きく動いてしまう。これを聞けば、自分の人生において決断を下すということは、この光線を拡張させることであり、それがどういうことなのか明らかになるだろうし、自分の道のどの辺りで、いわゆる微調整をすべきなのかもわかると思う。
プリスカ:その話であなたが以前、「僕らは神の手の平よりも深く堕ちることはない」と言ったのを思い出したわ。私はこのイメージが大好きで。真実味という��、率直で…自然なことだと感じるの。
ロビン: そうだよ、僕らは認識し直さないといけない。僕らは一体何処に居るんだ?このゲームは何のゲームなんだ?
僕らは「人間という経験」ってのをブッキングしたんだ。宇宙の旅行代理店へ行ってね、「僕はこの惑星で“人間”という経験がしたいんですけど」って頼んだんだ。この旅行を自分でブッキングして、旅を始めた。みんな、ブッキングしたんだよ。いいかい?この宇宙のゲームはある特定の意識層で開催されて、その他の君の意識層は、僕らがここで何を体験しようがほんの少しも変化はしない。僕らが何者であるのか、という真実は変わったりしない。
どんな体験をしようとも、最も酷く暗い経験から最高の有頂天まで、僕らがこの意識層というスペクトル全体で味わう体験は、何一つとして本来の自分を変化させたりしない。
これを繰り返し認識し直すんだ。単に頭で理解するんじゃない、内面的な確信として識る。
僕らは深みに堕ちることは無いわけで、だったら何でそんなに必死になっているんだ?となる。
プリスカ:それが、先程あなたが言っていた「手放すこと」と「委ねること」に繋がっていくのね。
献身、手放し、統合、神の三位一体にある「破壊の原理」、これらをあなたとの話のまとめとして持ち帰りたいのだけど… 私たちは新地球でどのように「愛する」のかしら、あなたはどう感じている?
ロビン: (笑って暫く沈黙)…うん…愛するために特別に何かをしたりはしない。僕達は愛そのものなので、それ以外にどうしようもなくなる...自分が何者であるのか、というのを表現する以外のことはできないんだ。あらゆる言葉、あらゆる仕草、どんなかかわり合いにおいても、異なった層で愛を交わし合う。これは頑張ったりすることではなくて、単に愛の交換とは自由に流れる自然なんだ。僕らの道から僕らを隔てていたものが一掃されれば、ごく自然に、自ずとそうなっていく。だって、僕らの存在自体は依然として変わっていない。つまり、これまで条件付けによって学習させられていた層の下に、真に愛する心の鼓動があった。神的現実、つまり神によるマトリックスは今でも完全に健在だ。我々はそれを、イメージ・思考、想像など、条件付けによって構築した現実で覆って閉まっていただけで。
でも、僕らが内省し、意識に集中し、溶解へと努力していくことで、ここを通り抜けることになり、「永遠の存在」は僕らの中、そしてありとあらゆるものの中に簡単に顕れてくる。
プリスカ:あなたが先程言ったように、私の中でも「これはただのゲームだ」って感じるの。私の子どもたちはとても良い先生なのよ。彼らは重く考えない「おや、そうなの?ではそうなのね」って感じ。遊び感覚で気楽なのよ。何時でもそんなに深刻にならなくてもいいわよね。
ロビン:僕らはこのゲームの中で、何かを失うんじゃないかって思っているんだ。なぜかというと、このゲームの中で何か特別のものを勝ち取れるんじゃないかって思っているからなんだ。でも、結局は僕らは僕らでしか無い。いつもそうだったし、これからもそうだ。このゲームで勝ち取るものなんかない。これがパラ��クスなんだ。このゲームで勝ち取るものがあるっていうのは、とある層では何かを更に学ぶという点で、確かに正しい。それは相対的な面。でも絶対的な面では僕らは単に、自分に戻るだけなんだ。これまでも、これからもそうであることに変わりはない。
つまり、ここで達成出来るものなんかない。達成すべき目標がないんだから。「これが最終ゴール」ってところへ走りきったら人生トロフィーがもらえるなんてことしているわけじゃない。「ゴール」だと思う所に行き着くたびに、君は気づくんだ。「これじゃなかった」って。それがずっと続く。いつの日か、「おや、始めたところからまた始めるのか」となる。全ての存在の源でね。
(二人して高笑い)
プリスカ:あなたにとって、新地球での子供の役割は?
ロビン: その質問をありがとう。
子どもたちは、新地球にとって絶対的に本質的な鍵となる。
なぜなら、僕達が歩んできた道では、特定の条件付けが否応なしになされてきたからね。でも、次の世代がもっと自由に自分の人生を歩めるようになれば、つまり、常に煽られて条件付けられる、ということに触れることなくやってこれたなら... 僕達は自分たちの偉大さをよく識らないので、ソースをその目で見てきたばかりの今の子どもたちが、そうした認識を持って来てくれれば、僕達も少しはそれを思い出せるかもしれない、と僕は思うんだ。
実際、まさにこの移行期には宇宙の至るところから重要な役割を担っている多くの魂がサポートのためにこのに来ているんだけど、それは単純に、人類の目の前に「鏡」を突きつけるためなんだ。
僕らは過去何世紀かの長い間、強烈に「分離」の種を蒔き続けてきた。僕らがまだ理解出来ていないのは、それによってどんな収穫を得ることになるのかということ。「膨大な収穫」について語っているチャンネルもる。
この意識の意識化(そういう意識だと気づくこと)は、もしもずっと人為的・デジタル化された構築プロセスの中にあって、神の三位一体の3つ目である「破壊の原理」を意識に含めないならば、それなりの結果をもたらすだろう、それ以外はあり得ない、と僕は思ってる。それは恐れるべきものではなくて、単純に宇宙はバランスを取り戻すという、起こるべくして起こることなんだ。
これは、根底からして価値のあること、神聖なこと。
プリスカ:最後に、振動・周波数についてひと言、何か見つかります?
ロビン: うん…何が出てくるかな。
(目を閉じて、深く呼吸し、集中)
これについて出回っている情報は沢山あるよね。多くは矛盾しあっていたりして、「一体何が真実なんだ?」と不安を巻き起こしていたりもする。その意味で“理解”とは、という話になる。この「整理プロセス」を辿っても、僕らは先には進めない。必要なのは「直感の明確さ」なんだ。
変容プロセスはメンタリティから来るものではなく、父権制から女性的な能力とパワーへと引っ張られていく革命・進化という形で、バランスが取り戻されていくことにある。
これは、革命(Revolution “再展開”)か、進化(Evolution "伸展開")なのか…本当はInvolution"内展開"なんだけどね。だって内側へ展開していくことになるんだから。
これはどういうことか…避けられない、と僕は思ってる。
人類として我々は本当に、余りにもある極端さを極め切ってしまったような感じで、そこから戻る道のり(ラテン語で religio 、巻き戻すために統御する、というような意味。『宗教(religion)』の語源となる)を、僕たちは自ら進んで歩むのか、それとも否応なく歩まされるのか。否応なく、というのは溶解のプロセスが起こることでそうなる。
プリスカ:それは「神の三位一体(トリニティ)」を取り戻すためなのね?
ロビン: まさにその通り。
プリスカ:親愛なるロビン。あなたの言葉、それと共にあなたが運んできてくれる振動に、深く感銘を受けています。
私たちの活動やイニシアチブにおいて、意識というのは我々にとって土壌である地球…私達を養うものであり、これらが決定的なのだということ。私達を新世界に導いてくれるものなのよね…
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塩田千春(アーティスト)x岡部あおみ
日時:2009年5月10日 場所:銀座資生堂ビル(資生堂ギャラリーで開催された第六次「椿会」展「Trans-Figurative」4月7日から6月21日の会期中に行われたトーク)
『無意識の不安』「椿会展2009 Trans-Figurative」 資生堂ギャラリー(東京)photo: Sunhi Mang
岡部:私が塩田さんの作品を初めて見たのは横浜トリエンナーレで、会場の奥にバーンと巨大な『皮膚からの記憶』があり、塩田さんの作品���ある意味、商業的な催しに使われてきたその空間をどういう風に打ち壊せるか、それとは異なる自分の造形言語を打ち立てることができるかに挑戦した作品だと感じて、とても感動しました。その時までは塩田さんにお会いしたこともなかったし、話した事もなかったのですが、会場のディスプレイを建築家の私の夫が担当していたものですから、塩田さんのいる時間を聞いて会いに行ったんです。その時はじめて少し話もしたのですが、彼女はとても素直で、自分の作品に対する想いも、ほんとにちょっとしか話さなかったのですけど伝わって来ました。 その後、飯田橋の日仏学院で私自身のキュレーションで展覧会を開く機会があり、その時に塩田さんのビデオの作品ですが、『マイ ストマックエッグ』をお借りする事になり、初めて直接コンタクトを取らせて頂きました。それ以後、ベルリンに何回か行った時も塩田さんのアトリエにお邪魔したりして、当時のアトリエにもうかがいました。アトリエには70年代の頃からの古新聞ですとかさまざまな日用品が残っていて、それ自体が作品のイメージがあり、都市の記憶が蓄積された、ある意味納屋みたいな、光もあまり入ってこない薄暗い場所ですが、そこで塩田さんは錬金術のように自分の作品を考えながら一つひとつ生み出してきたのだということを感じさせる場所でした。このアトリエを見つけて使用できるようになったのは、随分あとのことでしょうか。住んでいらしたアパートのすぐ前にあった空間だったわけですが。
『皮膚からの記憶』 インスタレーション 2001年 横浜トリエンナーレ2001 photo: Sunhi Mang
『マイ ストマックエッグ』 ヴィデオ 2001年 photo: Sunhi Mang
塩田:99年からこのアトリエの向かい側に住んでいたのですが、開かずの扉が前にずっとあり、その扉の奥を知りたくてある日、大家さんに訊いて開けてもらいました。開けると20年ほど昔の、いやもっと長い期間、誰も入らなかったような、不思議な空間が目の前に広がっているのを見て、この場所をアトリエにしたいと、その場で大家さんに頼みました。許可を頂き、それから埃だらけの部屋を清掃し、その場にあったガラクタやDDR時代の新聞もそのままにして、スペースを少しだけ空けて、アトリエとして使い制作をしました。夏は暑く、冬は寒い、とても使い難いアトリエでしたがいつのまにか、私にとって、このアトリエは、秘密の場所として、まるで共存しているかような空間となったのです。展覧会でよくベルリンを離れる事が多いのですが、どこに行ってもこのアトリエで自分が制作しているようなイメージが頭から離れず、そしてベルリンに帰ってアトリエの扉を開けるたびに、「帰って来た。」と大きく深呼吸できる場所になりました。何も制作できない時も多かったのですが、ただこのアトリエに入り、座ってその何も出来ない時間やぐずぐずした気持ちなどを、共有する。そんなアトリエでしたが、2007年から、その住んでいた建物も改装工事が始まり、立ち退かなければならなくなり、今はもうこのアトリエは使っていません。
岡部:バスタブの中で泥を被る作品も、あのアパートの作品ですか?引っ越しを何度もしていらっしゃるから、それともそれ以前のアパートですか。
『Bathroom』 ヴィデオ、1999年 photo: Sunhi Mang
01 ベルリンのアトリエの思い出
塩田:その同じアパートです。ドイツに行って3年間に9回も引っ越しました。そして最後にやっと落ち着けたアパートが向かい側にアトリエがあり、お風呂場でも作品を作ったアパートです。その後、引越しはなく、立ち退きまでの8年間同じ場所にいました。 引越しを繰り返していた当時は段ボールに自分の荷物を詰めては、また段ボールを開けずにそのまま次の引っ越しをすることが多く、ベルリンのミッテ地区にこのアパートを見つけたときは、すごく嬉しかったのですが、お風呂がなかったので、水道工事のできる知り合いに頼んでお風呂を作ってもらい、それがまた嬉しくて、それだけが理由ではないのですが、お風呂場で作品を作りました。
岡部:でも新品のバスタブで泥をかぶったりして、排水溝がパフォーマンスの後で詰まったりしませんでしたか(笑)。
塩田:風呂の栓は詰めてパフォーマンスをしていたので大丈夫でした。泥水もたらいで掬って、パフォーマンスの後、屋根裏部屋から地下までその泥水を運び捨てに行ったのでそれは大変でしが、幸い詰まることはなかったです。一番始めはただ泥を被るだけのパフォーマンスがしたかったので、お風呂場ではなくて、ベルリンにある湖へ行って、その池で泥を被ってパフォーマンスをしたのですが、作品にならなくって困りはてて最終的にお風呂場で作ったわけですが苦労しました。
岡部:その時は洋服を着ていたわけですね。
塩田:着てました。その後、最終的に自分の部屋で泥を被って作品にしたのですが、なかなかいい映像ができなくて、泥を被っても、イメージと全く繋がらないんです。そこでもうこの作品はできないと諦めたんです。でも諦めて作品を作らなければという力が抜けたとき、本当に自分が表現したかった映像がやっと完成しました。それを編集した5分間の映像作品が「バスルーム」です。
岡部:いま、公園で着衣の上から泥を被った話を初めてお聞きしたのですけど、それで解ったのが、その後で手掛けられる泥で汚れた巨大な服をインスタレーションする『皮膚からの記憶』です。最初の展示作品は横浜トリエンナーレ程の大きさではないけれど、最初の展示のときも泥のついた服に、泥水を、あるいは水かけていたんでしたっけ。
塩田:水でした。泥にまみれた洋服に水をかけていました。
岡部:公園で自分自身が服を着ていたところに泥水をかけたというパフォーマンスと、泥まみれの服をきれいにするために水をかけるインスタレーションには自然な繋がりがあるかもしれませんね。後者は自分の肉体は存在しないけれど、泥の掛かっている服だけを展示し、水をかける。泥水をかけるのもありませんでしたか。
塩田:水を巡回させているので、最初はきれいな水でも最終的には服についた泥が流れて泥水になってしまうのです。
岡部:服についていた泥がしみ出していくんですね。横浜トリエンナーレの作品を見た時は、作者は日本人だけれどもドイツに大分長く住んでいて、異文化を皮膚から、空気の中から取り入れる異化してゆく自分がいて、そうした自分自身がどんなことをしてもそれ以前の自分には戻れない、そんなイメージをもったのですが、そうした異文化と同化、��化しきれない何かといったことと関係していましたか。
塩田:自分のバスルームで泥を被りながら自分自身の呼吸を取り戻す、その呼吸を聴く思いでやっていたのですが、泥を被ったパフォーマンスのあと、普通のシャワーを浴びるときも自分自身の泥というか、皮膚からの記憶は落ちていく気がしなくて、自分の中にわだかまりみたいなものがいつまでも残り、このわだかまりは一体何だろうと気持ちになりました。この皮膚に対するこだわりは、私がドイツに住み多国籍の人の中で生活することで生まれてきたように思います。日本にいる時は自分が外国人として生活することがなかったので、自分の皮膚の中にある記憶など考えたことがありませんでした。そしてこのコンセプトは横浜トリエンナーレの作品につながりました。
02 厳しいマリーナ・アブラモヴィッチの指導
岡部:身体を使ったアクション、パフォーマンスをいくつかやっていらっしゃるんですけども、身体と自分自身の作品との関わりには、若い頃にドイツの大学で指導を受けたマリーナ・アブラモヴィッチからの��激もあったのでしょうか。
塩田:あったと思います。一番最初はマグダレーナ・アバカノヴィッチに習いたくて手紙を書きました。彼女の個展を19歳の時に日本で観てすごく感動したのです。この先生のもとで勉強したいと思い、資料を送ったら、返事が来たのが マリーナ ・アブラモヴィッチだったんです。という偶然から、マリーナ・アブラモヴィッチの元で勉強することになったのです。結局それ以来ドイツに13年滞在していて、今もコンタクトはありますが、マリーナのところで勉強したのは約2年ぐらいでした。
岡部:最初にご覧になったマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品は、石炭とかを詰める麻袋みたいなものを人体の型にして、インスタレーションするようなものですよね。旧東欧特有のかなり強烈なイメージがあったと思いますし、そういう意味では、服を使った塩田さんのインスタレーションは、アブラモヴィッチよりアバカノヴィッチに通じる面があります。物質、人間の身体性、循環、再生といった概念に、非常に近い部分が感じられます。もしアバカノヴィッチのもとで勉強していたら、逆にあまりにも近い素質があって、優れた先生に近過ぎる要素があると、自分自身の輪郭が見えにくいことがあるので、かえって良かったかもしれませんね。マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチは、名前が似ているので、間違える人も多いんですけど、そういう意味で塩田さんの場合、間違えたのはラッキーだったのではないでしょうか。マリーナはパフォーマンスと映像作品で著名な作家ですが、彼女自身も身体を限界まで持って行く厳しいパフォーマンスが多いので、彼女のもとで勉強すると、その学習自体もものすごく厳しいと聞いています。
塩田:日本では考えられないと思うのですけど、断食修行がありました。断食自体は一週間くらいですけど、3ヶ月くらい前から断食の準備が始まるんです。授業全体がヨガのコースになり、肉を食べてはいけないなど食事制限もありました。フランスの12月の寒い時期にカルゲナールというお城に行って、15人ぐらいの学生が断食をしながら毎日何をしてるかというと、自分の名前を3時間かけて書いたり、大きな湖をまる一日かけて回る。その次の日に目隠しをして昨日回った湖の周りを一周する。でも、一周できないんですよ。昨日何時間もかけて何十周した湖でも、目が見えない状態だと、すごく難しい。12月の寒い中、方向感覚を失い湖に落ちてしまう学生もいました。毎日の普段の生活とはかけ離れた行為をするすごく貴重な授業でした。ちょうど7日目の朝、真っ暗だったんで何時か解らなかったんですけど明け方に彼女が枕元にやってきて「なんでもいいから一言書きなさい」と鉛筆と紙を渡すのです。私は7日間も食事をしていないうえ、凄く朦朧としていて何も書けなくて、ただ思い浮かんだのが「Japan」だったんです。その後、彼女に「これは、あなたの中から出て来た言葉だからこれが何なのか考えること、そして、これは作品を作る上で重要なテーマになるだろう。」と言われました。
岡部:崖みたいなところに穴を掘ってヌードで横たわって、ゴロゴロッと落ちてまた這い上がってゴロゴロっとまた落ちるパフォーマンスは、その時のワークショップの作品でしたね。
塩田:そうです。今度はその言葉についての作品をつくる課題が出されました。私は「Japan」と書いてしまったので、その時は何故「Japan」という言葉が出て来たのか解らなかったのですが、そのときの日本に対する気持ちを作品にしました。崖に穴を掘って裸で横たわってゴロゴロっと転げ落ちながら、でも転げ落ちるとまた穴が恋しくなってその穴に戻ろうとする。海外に住んでドイツで生活していると日本がすごく恋しくなるときがあるのです。でも恋しいのは日本食であったり、友達だったり、両親だったり、と漠然と形にならないものですが、実際の日本に帰って見るとその恋しかったものが、あれ?こんな感じだったかしらと思うことがあり、それがどこにもないような気持ちにさせられるのです。実家に帰り、昔小学校の時に通っていた道をふたたび通ってもどこか違う。旧友に会っても何かが違う、両親や兄弟までも自分の懐かしさと違うような感じがするのです。そこまで来ると私は一体何が懐かしかったのだろうと、そのギャップに戸惑ってしまうのです。 昔の靴が足のサイズが一緒なのに合わなくなったような感じです。その靴の感覚が、大阪の国立国際での靴の作品に繋がりました。大阪では展示のために一般の人から、要らなくなった靴にメッセージや思い出などを添えて送ってくださいと、広告、ラジオ、インターネットなどで、美術館から募集して2000足の靴を集めた作品です。
『大陸を越えて』 インスタレーション 2008年 国立国際美術館(大阪) photo: Sunhi Mang
岡部:故郷に戻れないという意味で作られたパフォーマンスは、お腹が空いていて絶食している時にヌードになってゴロゴロ転がったわけで、そうとう大変でしたね(笑)。学生みんなにいわば死を覚悟させるというか、限界状況で作品を作らせる、そういうスタンスの先生なのですね。
塩田:毎朝6時に彼女がおたまとお鍋を持ってカンカンカンってやって来るんです。それで「起きなさい!みんな起きなさーい!」と言って、みんな外に出て何をするかと思ったら雪のなか裸になってで���ャンプするのです(笑)。しかも叫びながら。そんな授業で、究極のところまで行かせて、その中で自分の中から何が出て来るか、本質的に突き止めるのが、彼女の授業でした。彼女自身の制作の上での問題を学生に直接伝えていたのだと思います。今でも本気でつきあってくれるいい先生です。
岡部:例えばそういう経験は、自分自身の生存のコンディションを知ったり、ギリギリまで追いつめられた身体のすごく微妙なレベルの感覚を把握するきっかけになったかもしれませんね。本当にささやかなことで、日常的に誰しもが感じていること、それをもう一歩深く考えてみるひとつの訓練になったかもしれない。昔の靴がどこか合わないという感覚は誰でももつ可能性があるけれど、べつに拘って考えたりしないわけですが、それを塩田さんは繊細な感覚で作品にする。靴の作品にも、ヴァラエティに富んだインスタレーションがありますが、インスタレーション作品の素材で、一番最初に使い始めたのが、今資生堂の「椿会」展でも使用している毛糸ですね。糸を使い始めてから服が現れ、その後が靴と窓枠が来ますが、どちらが先でしょうか。
塩田:靴ですね。
03 服・毛糸・靴 新たな手法へ
岡部:ではもっとも新しい素材が、今手掛けている窓ですね。実際の作品には日用品や日常の素材を使ったインスタレーションが多いのですが、本当は絵を描くところから出発されているんですよね。でも結局自分自身が絵になる、赤いエナメルを頭から被るパフォーマンスで絵とはいったん決着をつける。この時使ったエナメルって皮膚の穴を埋めてしまう力があるので、すごく美容に悪くて、とても大変だったんですよね(笑)。
塩田:エナメル塗料は毒性をもっていて、皮膚の呼吸を止めてしまう塗料です。このパフォーマンスをした時は交換留学生としてオーストラリアに行っていました。その時は絵画科に入り、他の学生は絵を描いていたわけですが、私は絵をどうしても描けなかったのです。絵の中での色の構成で作品ができていくのではなくて、自分自身にもっと近い素材に触れてみたい、キャンバスから離れたい。でも、どうしていいか解らず悩む日が続きました。その時に、自分が絵になる夢をみました。その絵の中で自分はどう動けばいいんだろう、どうすればこの絵はよくなるのだろうって考えているのです。考えている内に絵の具はボタボタと床に落ちて、また平面の中で息が苦しくなってどうにもならない自分がいました。その夢をそのままパフォーマンスとして打ち明けた作品です。
岡部:塩田さんにとって、重要な4つの素材がありますね。たとえば毛糸、ずっと長い時間手がけている素材で、今やっている「椿会」展でも、空間を編むといったインスタレーションですけど、毛糸を使って空間を表現することを考えた時に、まずどういう方法をとるのかは、マニュアルや既存のよく知られた前例があるわけではないので、一回一回、ご自分の経験の中から編み出して方法論を構築して行ったのだと思うんです。それとは逆に、絵の具を使って絵を描く行為は従来の伝統技法が存在し、手法は油彩からアクリルへと変化��る中で、勿論多少は変わるけれども、基本的なところは学習し覚えた上で表現しなくてはいけない部分がかなりあります。塩田さんは絵の具のような伝統的な素材の代わりに別のものを使いますよね。ひとつの新たな素材を選んでも、それを使いこなすのに、あるいは自分自身で納得のいく仕上がりや、完成度までもっていくには、表現と同時にまず技法的な問題があると思うんです。勿論、アトリエで考案し、やり方もじっくり考えられてから実践しても、与えられたある一つの空間の中、あるいは現場の中で、一回一回暗中模索でトライし、実験していきながら、自分自身が経験していく、あるいは体で覚えていくなかで、独自な手法が編み出されていくという時空間にかかわるプロセスがあるのではないかと感じます。そういう意味で最終的な完成までに時間がかかる。もっともひとつの空間インスタレーションにも数週間といった時間がかかることがありますが、同じ素材を使っても一回毎に異なるそうした挑戦を何度も積み重ね展開していって、自分が本当に納得がいく表現を編み出せるまでに、その素材を使いこなせるまでに、何年も掛かるように思います。同じ素材でも何度も展開せずにはいられないのは、まず技法的な問題があるためではないかと思うのですがどうでしょうか、そういう風に考えられた事はないでしょうか。
塩田:そうゆうふうに考えたことはなかったのですが、一番最初にこうした作品を作りたいというのがだいたい頭の中にあっても、私の場合スケッチなどはしません。長い間、心の中に暖めておいて、最初は我慢します。そしていろんな展覧会場をみながら、この展覧会のテーマでは、こういった作品のアイデアが良いと引き出しから出してこれをしたいと、実現させてゆく。大体一番最初のインスタレーションでは失敗することが多くて、失敗した後に反省ばかりしています(笑)。岡部さんが言われたように、新しい素材に触れるとき、それを使いこなせて自分の思い通りに作品ができるまで、最近わかったのですが、5年位かかっています。だから実際の作品の数はすごく少なくて、今、金沢21世紀美術館の窓の作品も一番最初に展示したのは2004年の時で、窓という素材を使いこなすまで、構成を変え、さまざまな展示会場でやはり完成まで時間がかかっていますね。
岡部:私は塩田さんが海外で発表した作品やインスタレーションもかなり観ています。フランスのリールがヨーロッパ都市という催しの中心になった年でしたが、リールに何人かの作家を招待して、現地で展覧会やさまざまなインスタレーションをしてもらった中で、塩田さんはものすごく大きな教会で糸とベッドを使った迫力のあるインスタレーションを実現していました。当時もう使われてなかった教会でしたよね。
塩田:その教会は当時、もう使われていなかったと思います。
岡部:もの凄いスケールでドームの天上の上から床まで、一体どうやって糸を張り巡らせることができたのか、技術的な部分だけでも圧倒されるわけです。すでにあの頃には毛糸に関してはある程度納得出来る作品になって、何処ででも自由に表現可能になったという段階に達していたわけでしょうか。
塩田:試行錯誤しながら作っていって、ある段階からはもうこの作品は出来た、と思う時期があります。糸の作品に関しては何処ででも自由に表現可能という状態でした。どういう規定でこれは完成したと自分で思うのかは解らないのですが、ある時急に、この作品はもう完成したなと思うのです。それからはどんな場所でも、その素材を使うのは怖くありません。あの時は10mの高さからずっと糸を張って紡いで編んでいきました。教会は人の懺悔と祈りが含まれた場所なのでホワイトキューブに比べて、取っ掛かりをつかみやすかったです。そこでは、糸を張り巡らし、ベッドを30台並べて、実際30人の女性がオープニングの時に寝ました。
岡部:その時のベッドは病院のベッド?それとも軍隊用ですか。
塩田:病院のベッドです。だいたい病院のベッドが多いですね。
岡部:その病院のベッドは、いらなくなって病院から放出されるとか、手に入り易いためなのでしょうか。
塩田:いつもだいたい作品を実現する現地でマテリアルは調達するのですが、ベッドは意外と入手し安いです。形が段々変わって行き、モーター付きの新型などが出て、旧型がいらなくなる。私が作品で使うベッドは旧型なので、なんとかいつも集まります。精神病院のベッドや外科のベッドなどが入手でき、展覧会の期間だけ借りるときもあれば、破棄する時もあります。精神病院のベッドを使ったとき、糸を張り巡らしていると、ベッドの後ろに薬が張り付いてるのがあって、患者が飲みたくなくて貼付けたのかと思うと、その生々しい現状に衝撃を受ける事もありました。病院のベッドだと、このベッドで何人かはそこで亡くなったのかもしれないという事を考えながら作るときもありますね。
岡部:テーマのひとつはやはり「不在」ですね。病院のベッドだと、患者さんがそこにいるのが普通なわけですが、塩田さんがインスタレーションで使う時には、パフォーマンスで誰かが寝たりしている時以外は、誰もいず不在で、ただベッドの存在感だけが、かつてそのベッドにいたはずの人や亡くなった方の記憶を喚起するわけで、教会におかれたベッドには、かなり凄みがありました。あの時は毛糸の網目がスパイラルのようになっていて、グルリとベッドの近くまで入れるように設置され、怖い感じでもあったのですが歩いて回りました。教会が持っている象徴性には、訪れる人々が懺悔する、魂が浄化される空間という意味があるのですが、塩田さんの作品にはある種のそれとは違った意味での浄化作用がある気がしました。場所が場所ですから、浄化という意味は、ご自分でも意識されていたんでしょうか。同じ素材のインスタレーションでも、そのつどご自分の込める気持ちは違うんでしょうね。
塩田:違いますね。ベッドに寝るといったパフォーマンスの後では、その時使ったシーツはそのままにしておいてくださいと頼みます。人が使ったシーツは、その人が不在であればあるほど、その跡で人の存在がよく見える。誰もいなくなったベッドの中にある存在は、ある意味、一人の人間以上の存在をあらわしていて、さらに得体が知れない。凄く重くて、大きい、何かの存在、それを表現したくて制作しているような気がします。富山の発電所美術館で2009年夏に発表する予定のインスタレーションは、何台もの泥のついたベッドを天井から吊し、水を流すもので、社会の熱病を醒ますメタファーをもっている作品を今、考えています。
『流れる水』 インスタレーション 2009年 発電所美術館(富山) photo: Sunhi Mang
04 旧東ベルリンの窓枠を探して
岡部:リールの作品と同じ年にセビリアで第一回ビエンナーレがあり、塩田さんから初めて窓枠を使う作品を発表するという話を聞いていたし、ハラルド・ゼーマンという私が注目しているキュレーターのディレクションだったので見に行きました。ベッドから窓枠へと素材が移る最初のトランジションの時に作られた作品だったという気がしました。セビリアは南スペインの都市ですから、真夏でしたし、陽が燦々とふりそそぐ場所です。窓枠が壁のようになっている中にベッドが置かれているのですが、その窓枠の上には樹木や植物が青青と茂っていました。室内のインスタレーションを見慣れていて、自然光とのかかわりも始めてでしたが、今までの塩田さんの作品はどちらかというと内面の闇とか、記憶の闇、歴史の闇といった薄暗さと関係していたので、セビリアに来た途端に急に光り輝くものになってしまって、これはこれで私には意外で面白い作品になったと思ったのですが、後で塩田さんと話しをしたら、あれはまったく自分では失敗だと思ったとおっしゃってましたね。その辺の理由を話して頂きたいです。
塩田:あの時始めて窓を使った作品を発表したのですが、ゼーマンとのやり取りの中でスペース的にも600枚の窓が必要になってきました。でもベルリンの工事現場で集めてもそれほど窓は集まりませんでした。作品を作ることよりも窓集めに必死になりすぎて、作ることに力が入らなくなったのかもしれません。結果的にこのセビリアで展示された窓の作品を見てみると、ベルリンの窓をわざわざ使う必要はなかったと思ったのです。これならセビリアの窓でも良かった。何も歴史のある、人の思いがこもった旧東ベルリンの窓でなくてもいいと思ったのです。このベルリンの窓を使いこなせなかったのがすごく後に残っていて、では、どうやってこの窓を使って、どういう作品を作っていけば自分のイメージに近づくかは、そのあとの課題になりました。
岡部:セビリアでこの作品を観た時、その頃塩田さんには言わなかったのですが、私自身も窓を集めたことがあって、集めたというより若い頃にモロッコを旅行した機会に1個で買っただけですが、私は都会生まれの都会育ちで、砂漠に生きるモロッコの人々の生活を見ていて、悠久の時間の流れや暗い室内で食事を作っている女性たちのこととかが窓に象徴されている気がしたんですね。モロッコの���場の蚤の市みたいなところにお土産を買いに行った時に、なぜか本物の古びた窓が売っていて、実際の家で使っているのと同じ木枠に、モチーフのある錆びた鉄の模様の格子が嵌まっている。だけどすごく重くて、たった1個、パリに買って持って来るだけで苦労しました(笑)。今でももっていますが、そういう思い出をセビリアで陽が燦々と降り注ぐ塩田さんの窓のインスタレーションを見て思い出したんです。窓って1個1個が素材としてすごく重いし、使う時、使いこなすのは非常に難しいのではないかと思いますが。
塩田:窓を集め始めた時、窓自体に思い入れがあったので窓ひとつですでに何もしなくても作品になるかと思いました。それが1枚が100枚になり、300枚になり、300枚集めても形にならない。ゼーマンとのやり取りで600枚の窓が必要になった時は窓に取り付かれた生活が始まりました。やっとの思いで600枚の窓を集めて、セビリアに送って実現しましたが、やはり形にならない。さらにベルリンのこの窓をどう使って作品にしていいかわからないまま、この窓の作品を何とか完成させたいと考え、またベルリンに帰り窓の収集が始まりました。 朝起きて、いつも何処に行けば窓が集まるだろうかと考える毎日が続きます。工事現場を一日20件くらい自転車で回りながら「すみません、窓はありませんか。」と聴いて回り、集まったところで車を手配しては運ぶ。当時は倉庫を持っていませんでしたが、ベルリンのアパートは必ずケラーといわれる地下室があるので、とりあえずそこに入れるだけ入れました。 集めてきた窓を並べながら、内でもない外でもない、狭間をつくるその窓をみて、まるで私の生活を見ているような気がしました。ドイツでもない日本でもない、何処でもないその狭間に自分が立っているような気がして、その窓自体がある皮膚のようにも感じました。正確には1500枚くらい窓を集めて、展覧会ごとに3回に分けて日本に送りました。物量にさすがに嫌がられましたが。(笑)
岡部:物量が凄いですからね(笑)。作品毎に皮膚に対する感覚が研ぎすまされて行くようですね。私も海外生活が長かったので、皮膚の色の違いとか異文化との出会いによる内外からの視線に敏感になった経験があります。ドイツでずっと生活してきた中で、戦争中にナチズムなどの歴史の闇を背負った国ですし、そこでの異邦人の生活という意味での境界線を感じるとか、あるいはドイツと日本は同じ敗戦国なので近い部分があるとか、ドイツで活動していくことで、塩田さんの作品に大きな影響を与えている要素はあるのでしょうか。
塩田:私の場合ドイツで生活したいという欲求が元々あったわけではなく、名前は間違えたけれども、マグダレーナ・アバカノヴィッチに学びたいという理由でポーランドではなく、たまたまドイツでの生活が始まり、その後13年間も異文化で暮らしてきました。ドイツにいると日本では見えなかった自分がもっと見えてくるような気がするのです。たとえば塩水をお皿の上においていると、蒸発して塩だけが残ってくる。塩水では、見えなかったその塩が見え今度は結晶になっていく。日本にいる時は自分は個としては見えてこなかった。水の中で自分がどういう存在なのか、何をやりたいのか、何が必要なのかがわかりにくかったのがドイツに来て個となり結晶となり、初めて見えて来たように思います。そんなことを考えると作家として���イツで制作することは私にとってはとてもやり易いことでした。
岡部:塩田さんの作品の中にある一種の浄化作用はドイツの人にとっては有り難いというか、日本人とは違って、より直接的に感じる面があるのではないでしょうか。もちろん観客の反応はさまざまだし、なかなか解りにくいものですが。
塩田:ベルリンはアーティストや外国人がたくさん住んでいる街なので観客もドイツ人だけではないという面がありますが、表面的に着飾ることを好まないベルリン人には、私の作品は入りやすいのかもしれませんね。
岡部:窓枠の話に戻りますと、金沢21世紀美術館で開催されている『愛についての100の物語』という展覧会に展示されている1000枚の窓枠を使ったインスタレーション作品を購入し、今も展示しているんですね。それ以外の残りの200個の枠は、現在新国立劇場の小劇場で、今週から岡田利規さんという劇団チェルフィッシュのリーダーの方ですけど、彼の演出で『タトゥー』という演劇が始まり、そこの舞台美術に使用されていると伺いました。その展示がほぼ終わったところだそうですが、日本での舞台美術は初めてだと思いますが、いかがでしたか。
『記憶の部屋』インスタレーション 2008-09年 金沢21世紀美術館(金沢)photo: Sunhi Mang
塩田:岡田さんから舞台美術の話がきたのは2007年の12月でした。岡田さんが横浜の県民ホールで私の個展をご覧になり、この新国立劇場での『タトゥー』の仕事が入ってきました。 彼は私と同世代ということもあって共感できる部分も多く、仕事もやりやすく楽しくやらしていただいています。今回の『タトゥー』の脚本の原作者はディア・ローラーというドイツ人で、しかもベルリンに住んでいます。その共通点も面白いですが、内容は重く暗いストリーで近親相姦の話です。家族を守ろうとすればするほど家族が壊れていく話、家族以外のよそ者をいれたくないがために娘と肉体関係を持つ父親。台本にはリズムがあり最後までそのリズムに合わせて読みきってしまうのですが、チェルフィッチュの岡田さんが演出家になるとそうは行かないのです。舞台の台本読みの段階から、参加させていただいたのですが、役者にとにかく「演技するな、言葉にたよるな」、「持っているものがあるから、その言葉の含みを考えてほしい」というようなことを言います。最初は彼の言うことが私もわからなかったのですけど、だんだん舞台が作られていくときに、彼の世界がわかり始め、本当に最低限度のマテリアルで演じようとこの舞台をつくりあげようとしているのだとわかった時には感動しました。演劇は演じれば演じるほど嘘っぽくなり、かえって観客との距離がでてきてしまう。つくりもののお芝居で、できる限り本物に近づくことでリアリティーに迫ろうとする。 今回の舞台で窓枠を家の形に空中につってみました。岡田さんの作品のなかで、よく身体と言葉のズレがテーマに出てくるのですが、それは、たとえば私が今こうして話している言葉と手の動きには全く関係ないことがある。それをあえて舞台の上で動作と言葉を合わせて演じることによって故意に垣���見せてしまう。あえて身体と言葉をずらしたまま自然に演技をする。 私の作品は不在の中の存在感を特にテーマにしているので、役者という存在がいると不在になりえないわけなのです。そこでどのようしてこの舞台美術を完成しようかと悩みました。悩みながら、彼がやっている言葉と演技のズレは、私が作品を作る上でもとても重要な要素なのだと気が付いたのです。今回の「椿会」展の作品で、ミシンを糸で巻いて空間を編んでいく行為もその中心部分をずらしながら線を空気に描く行為そのものなのです。 岡田さんと私の仕事は両極端に見えながらも、求めていることは、実は同じなのではないかと思えてきました。
05 岡田利規の演出による『タトゥー』の舞台美術
『Tattoo』の為の舞台美術 2009年 新国立劇場(東京) photo: Sunhi Mang
岡部:岡田さんのチェルフィッシュの劇団の『フリータイム』という作品を六本木で一度観た事があり、そのあと彼の小説なども読ませて頂いていて非常に才能豊かな面白い人だなと思っています。実際に彼らのパフォーマンスを観ていると、ごく普通に出来てしまった、という感じに見えるんですね。現代人が抱えている不条理感が自然に出ている気がする。でもきっとあそこまで出来るには彼の中に何かとてもストイックなルールがあるのではないかとも思っていました。実際に一緒に仕事をされた塩田さんにお聞きしたら、やはりそういった面があるようですね。塩田さんが話されたズレの間には不在感がありますし。彼を面白いと思える要素には空間や時間の不在感があり、そこに疎外感も感じられて、それは塩田さんにも通じるなと私は思っていました。
塩田:仕事をしていて思ったんですけど、彼の作品は螺旋階段の周りを登ったり降りたりしている作品だと思いました。真ん中に自分が表現したい真実という中心があり、その周りを行ったり来たりしているのです。登ったり降りたり何度も繰り返しながら確実に真実に近づいていく。しかもズレながら。私は美術でそれを表現しようとしていますが、結局のところ、美術も演劇も音楽も文学も、表現方法は違っても求める世界は一緒なのですね。
岡部:彼も現在、既存の舞台言語を0にするところから出発している感じがします。今まで学んで来たことを一度はまず捨てて表現しなさいと言うんだけど、これはなかなか難しい。みんな普通は一度構築したものにまたさらに新しいものを重ねようとやっていきますから、いきなりそれを全部壊すのは怖いしできない。塩田さんの作品を見ていて、素材に対して一つひとつ丁寧に新たな造形言語を作っていく手法が彼とは逆でもかなり近いと感じますね。
塩田:マテリアルについては、できるだけ作ったり虚飾したくないですね。窓も本物でなければいけない。30年間も分断されていた東西のベルリンを眺めて来た窓枠じゃなければ意味が無い。たん��る新しい窓枠ならいくらでも作れるし、それならわざわざ工事現場を一日20件も回らずに済む。靴に関しても同じ事が言えます。新しく大量に靴を買って展示するのでは意味がないのです。その人が使っていたもので、その人の存在が見えないのだけれど、見えてくる素材に惹かれるのです。何かを作ること、表現することを職業としている中で、一番できないのがわざと作ったり着飾ったり、そういう仕事をしていると嘘を付いているような気がして、またそういう作品を見ると嘘をつかれたような気がして面白くない。そこもまた岡田さんと共通する部分だと思います。また今回の『タトゥー』の原作者、ディア・ローラーさんも言語にはとても厳しく表現を最小限に託して戯曲を書く人で、戯曲家という全く違う分野で活動する方なのに、どうしてみんな、作品の作り方がこんなに似ているんだろうと思いました。
岡部:塩田さんの作品にも、根源的なものを突き止める姿勢を感じるのですが、焼いたピアノを使う作品もあり、自然の中の四大元素、つまり火・水・土、そして空気、この4つの元素がご自分の作品では、ある種の根源となっている気がしているんですけど、どうでしょうか。
塩田:自分自身ではあまり思ったことはないんですが、芸術の核になるものと宇宙のからくりは似ているかも知れません。突き詰めていくと、その4つの元素が残るのかも知れないですね。
岡部:それと私が感じることは、人が使った物でなければ作品の素材にならないのは、人と人とのコミュニケーションではないでしょうか。靴もベッドも人が生きてきた跡があり、それがご自分の記憶と造形世界とコミュニケーションをもちつつフォルムを形づける。制作する場所との対話がフォルムを生みだすケースが多いとは思うんですが、そういった世界が観る者にも根源的な問題を喚起させるのだと思います。いわゆる現代アートには既存の文脈を脱構築することで進展して来たものが多いのですが、塩田さんの作品はそうした文脈などを全然知らなくても、何か響くものを感じることが出来る。そうした意味では、アートの文脈や流行や傾向などを、塩田さんはあまり気にされていないように感じるのですが、そのへんはどうでしょうか。
塩田:その時のブームを取り扱った展覧会に招待されることはよくありますが、そのときのブームに合わせて作品を作ろうと思ったことはありませんね。ドイツに住んでいる日本人は珍しいのでその背景からグローバリズムの展覧会に誘われることが時々あります。 招待されるとどうしても日本人ということが背景にある時は、作品が作りにくい。結局、グローバリズムを意図した展覧会のほとんどはナショナリズム的なことを求めてくる展覧会が多いような気がします。私であるから招待されたのか、ベルリンに住む日本人だから招待されたのかは、作品を作るものにとっては大きな疑問です。でもそれも海外に住んで初めてわかったことですが。
岡部:私の方からの質問は以上です。ありがとうございました。
(文字起こしと編集:青田真由子)
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって、弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけど、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八潮PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。
⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o
穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。
神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のものは「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!
時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個人で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎ��っとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。
子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。
い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺
ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウ��ロン茶の2択)が配られました。
司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行されたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕
蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめについじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出先で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つかるまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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2022/11/12〜
11月12日 たぶん最後のギンレイホールへ行った。 アルバイトをしていた時、地下鉄の出口の案内をさんざんしていたのに、B4のbだったかB3のbだったか分からず、B3で地上へ出ると一つ道を間違えていた。やっぱり紀の善は閉店していて、細い道を通ってギンレイホールへ到着。 お世話になった社員さんへご挨拶をした。 「君、意外とよく来るな!」と言ってくれた。 今回の閉館のことは突然決まったことらしく、次の場所の目処は立っていないらしい。社員さん方もほとんどこれで退社されるとのこと。 久しぶりにロビーの内側から、ガラス扉越しに犬を連れた人々が通り過ぎるのを見ながらお話をした。 グッズの缶バッチをいただいて、あ、もう会えないんだろうな、と思いながら「お元気で」と言い合って別れた。
ギンレイのみなさんに差し入れを、と、近江屋洋菓子店でお菓子の詰め合わせを購入。いちごのケーキがたくさん並んでいてかわいい。いちごのショートケーキは日本人が作った可愛さがある。
ガーディアン・ガーデンで写真の1wall 展を鑑賞。最後の1wall 展で、今日は最後が多い日。 いわゆる家族、を、冷静に観察させてくれる展示だった。 取り留めのない会話が流れる居間。 私の祖母は物静かだったので、ひとりでに語り始めることはなかったし、母も余計なことをあまりたらたら話すことはなかったので、適当に何か会話が生まれている、いわゆる居間っぽい感じは、少し羨ましいかもしれない。
gggではデザイン対象の展示を鑑賞。 キコフの器がかわいい。 年賀状を作り始めたところだったので、いろいろなパッケージデザインを観て、あれで良いのかな…と、悩み始めた。
4ヶ月ぶりに髪を切って染めた! こんな場所にも安心感がある美容室ってあるのね〜、とフランクでおしゃれでヤスミノさんのヴィジュアルっぽいお店だった。 髪色を白っぽくしたい!と伝えていて、頑張って座り続けて、出来上がりがピンクっぽくて、あれ?でもかわい〜、となった。 自分が白って言ってなかったことにしていたら、色が抜けると白っぽくなるとのこと。なるほど。 年末年始金髪計画も相談させてもらった。(もったいないという結論。)
初めて“おうちクリーニング”モードで洗濯してみる。ヒートテックなんてクリーニングモードでなくて良いのにね〜、と干してみるとカイロを貼ったまま洗濯していて残念な気持ち。
11月13日 ギンレイホールの支配人からお礼のショートメールが入っていた。いつまでもお世話になってしまって、でも、アルバイトを辞めても少しだけ繋がりを持たせてもらえて幸せ。 来週、ハロウィンのキャンディを持って、研究室にもう一度行って、ちゃんと挨拶しようと思えた。
気圧がだめっぽい感じは当たっていて、湿度が高くて呼吸がしづらい。
フィルム現像を出したデパートの、物産展かいつまみ食材売り場みたいなところに、マンスーンさんがラジオでおすすめしていたとり野菜みそがあった。パッケージの金髪お母さんキャラもちゃんといる。参考書でワンポイントアドバイスをくれるキャラみたい。
年賀状はやっぱり指向を変えて“ポップをはかる年賀状”にしようかな。年末年始も開館している図書館でお正月を過ごしたい。
今日は何もなかった。
11月14日 実家の忘れ物を送ってもらって、実家と関わりを持ったことで何かざらざらした気持ちになる。“ありがたい小包”が届いた。
とても忙しなく1日を過ごして帰宅した今も息が上がっていて呼吸が不自然。 昨日届いた新しいルームフレグランスがいい香り。
朝のバス停に何かのカードが裏返しで2枚落ちていた。 発車したバスの車内で、ずっとリュックの全てのポケットを探ったり、荷物の中身を取り出してはしまっている人がいて、あ!と思った。さっきのカードは、バスの乗車証も兼ねている職員証だったのかも知れない…特段拾い上げもせずに見過ごしたこと、何か悪いことをしてしまった人でなしの気分になった。
2023年ポップをはかる年賀状をつくる…
11月15日 久しぶりにmoney treeを開いて、もうダメ。お金がない、というより、電気代がとっても値上がりしていたり、カードの引き落とし額が増えていたりで少し落ち込む。お金を使い果たす豊かさを知りたいです、バタイユ先生。 でも、今のところ節約すべきポイントがないのでこのままずるずるまたmoney treeをアインストールする日々を送ってみる。
前の職場でとってもお世話になった上司へメッセージを送る。近々お会いできるかもしれないので、その旨を連絡してみた。 今の職場の上司から、奥さんが4月に出産予定である報告を受け、育休をとるつもりであることを相談してくれた。男性が育休を取るには、証明書類が必要で手続きが少し面倒らしい。でも、出産とか子育てってそれに比べられない大変さがありそうで、その手伝いを友人や他人がもっとライトにできるシステムってあるのかな?身内で���んな手続きが必要なら、他人ならどうなるのかしら。考えながら、昔、都写美のトークイベントで志賀理江子がぬらりひょんみたいにそんなことを言っていたのを思い出した。
来週予定されている職場の食事会の件で、私は人前で食事が取れないことを伝えてみると「ちょうど良かった!今回はやっぱりバルにしたので、みんなで取り分ける感じで残す心配をしなくても大丈夫ですよ。」と言ってくれた。 自分の食事のことは、自分でももうどうにもできないので、人に伝えることをあきらめていた(理解してもらえはしなくても、それ以上に距離を置かれることしかないと思っていた)。 初めて社会の場で伝えてみて、その相手がこの方でよかっ���。
11月16日 乗り換え駅で忙しなく乗り換えの道を歩んでいたら「あ!ちょっと!!」 みたいな感じでおじさんが正面から声をかけてきて、反射的に立ち止まらず視線を向けずまっすぐ通り抜けてしまった。よく街でいたずらに声をかけられる事があるので、自分のペースを崩さないで歩く癖がついている。たぶん今回もからかいっぽさがあったので正解だったと思うけれど、朝の通勤時間帯になんだったんだ…と、私に何を伝えたかったのか後々気にしている。
国宝展のチケットの予約をすっかり忘れていたことを、相手からの“忘れていてごめんなさい”メッセージで思い出す。 よくない感じで仕事の忙しさに、(文化的)生活が壊されている!
2期下の方のデスクにかわいいマスコットがいるのが気になっていて、今日やっとそのことを話せた。 バイエルみたいな名前(忘れてしまった)の水属性のポケモンらしい。イグアナがモチーフとか。クリスマス仕様で白のふわふわのマフラーを巻いていてかわいい。私が知る限りだと、その方が退勤した後はデスクからいなくなっているので、持ってきて持ち帰っているという、とても愛な感じ。
ネコのチーズケーキが再販されていた! コンビニご飯は心が枯れるけれど、でも、アイテムとして買ってしまうこともあるよね。
11月17日 乗り換え駅にちいかわのガチャガチャが入ったと思ったら、売り切れて、今日はもう他のキャラクターのガチャガチャが入っていた。
ポケモンって動物の野生の要素を残しつつキャラ化しているので、変に平面化されたり擬人化されていなくてかわいいかも。ちいかわは人間社会の世知辛さをやってる感じが受けていると思っていて、それ以外で純粋に外面だけで愛でている人もいるのかな。
髪をすかれすぎて悲しかったけれど、すぐ乾かせる様になった。あとカラーシャンプーに戻したらきしまなくなった。
せっかくバラを買ったのに、それを楽しむ余裕がないほど何かに呑まれている1週間。 ポップをはかる年賀状を作りながら、全くポップじゃなかったな〜2022年、と反省している。
空腹を紛らわすためにナイアシンフラッシュして、ナイアシンフラッシュで頭痛を起こし、イヴを飲んで胃が痛くなって胃腸薬を飲む訳の分からないループをしている。
11月18日 疲れすぎたので今日は日記お休みです!と、するつもりだったけれどちゃんと今書いている。 掃除もしてしまったし、ウォークインクローゼットの中のいらないものを少し捨てた!えらい!
大人の防災訓練は、ここぞとばかりにみんな喋りまくっていてその相槌で忙しかった。こうゆうとき思ったもの見えたものをフィルター通さずぱっかりみんな喋り始めて、社会人じゃなくなって、でも社会をするために集められた人達なので、本当に何も生まれない会話がずーっと同時多発的に発生していてすごかったし、私も海外旅行でカップ麺と非常食(まずい)を交換させられた話などをした。
保存食の配給を無視して受け取らないでいたら「何で!?持って帰ろうよ!どうしてそんなことするの?」と少し怒られ口調も入れて問いただされてしまう。食べ物のストックは大切!と力説された。私はそうゆうものを、あ!!と、なって一気に捨てたことが何度もある。
午後休みをとって表参道でネイルをしてもらって、町が平日にも存在していて、帰りに混んだ電車で暖房を浴びて、とっても疲れてしまった22時。これから今日の一食目。
仮囲いの中のクリスマスツリーが、今日のポップ。
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【感想】ASTRO BOTクリアしました
アストロボットをクリア
ネタバレがあります
プレイ時間20時間くらい
プラチナトロフィーの取得率の高さから難易度はそんなに高くないな?と思い立ち、幾つかググりながら最終的にトロコンしました
自分はあまりトロコンまで遊び尽くすタイプのゲームユーザーではないんですが、このゲームにはそこまで熱中させるだけの魅力が沢山あって、めちゃくちゃ面白かったです
正直この手のアクションアドベンチャーはあんまり経験が無く、通ったゲームだと3Dマリオくらい……?だと思う
購入の経緯は、アストロボットの発表があった時に「そういえば前作?のアストロプレイルームがPS5にプリインストールされてるんだっけ……」とおもむろに始めてめちゃくちゃ面白かったので続編も買っちゃおうみたいなのがありまして……
アストロプレイルーム、音づくりの臨場感とデザインまわりの可愛さ、それに対して歯応えのある難易度のアクションがうお〜おもしれ〜とどんどんのめり込んだのを覚えている
限定デザインのデュアルセンスコントローラーも同時発売されるとの情報もあり、居ても立っても居られず……
買いました 白と青の組み合わせはヒロイックでいいね 青のラメ感が印象的 主人公のアストロくんを表現するのにとても効果的に使われていてすごい
【ストーリーとアクション】
このゲームの目的は惑星に散らばってしまった仲間のボットたちの捜索、そして宇宙の敵に奪われてしまった母船のパーツを修復のために取り戻す、というもの
主人公のアストロは目的を遂行するため未知の惑星へ冒険することになる
ボットを救い出した数で各ボスステージがアンロックされつつ物語が進行していくため、捜索に対するステージの寄り道を要求される その辺りの設計が親切で、取り逃がしのヒントを教えてくれる要素もある(メガテン5のミマン探しにおけるマッカを要求するチロンヌプみたいなやつ)救済措置がやさしい
自分が感動した要素のひとつに、各ステージの世界観の作り込みが尋常じゃないところがある
汚れた砂浜を掃除しながら亀たちの感謝を感じる優しさ、歌う大樹と自然たち、ブラザーと呼ばれる巨大なロボットに導かれながら天空を進む、ドデカヒトデロボを救出するため海底を泳ぎ回る……上げ出したらキリがない 多種多様なステージ群はめくるめく旅へ誘ってくれると同時に、飽きという感情を生み出させないままにクリアまで導いてくれる
またそれぞれのステージには固有のアクションができるようになるアイテムがある
好きなギミックアイテム
・ネズミ(スモールライトみたく自身をちっちゃくする、元の大きさの姿では通れない道や穴を進めたりできるようになる)
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見える世界が変わる瞬間になんとも言えないワクワク感を覚える
・タイマー(ザ・ワールドみたいに時を止められる いやこれ無敵じゃん!?と興奮した覚えがある 規則的な動きの物体を止めて足場に活用できたりする)
・スポンジになるやつ(水を吸い込んで巨大化する、巨大化すると周りのオブジェクトや敵をなぎ倒したりできる、水をかけて消火したり、別のスポンジを膨らませて足場を作り出したりする)
まるっこいのにかくかくしたビジュアルが��かわいい
ボット捜索のための寄り道には、こっちになにかあるんじゃないかというアンテナを働かせることが非常に重要になってくるが、このゲームは「やっぱりここにあった」と「こりゃわかんないよ~」のバランス感覚が自分に合っていてたのしかった 謎解きが簡単すぎてもつまらないし難しすぎても気持ちが萎えていくだけなので・・・
進んだ先にはボット、あるいはコインや収集要素のピースなど報酬が待っている、プレイヤーを気持ちよくさせる心得ができていてすごい
またグラフィックのリアル感も没入感をくれる
自由に観光している気分にもなる、これは発見の旅だ
あとムービーで一番好きな場面があって最終戦闘後のアストロの自己犠牲、ボットとプレイヤー含めアストロを救おうとするところ すごくよかった、、、
また、上記がストーリー性のあるメインステージとするなら、骨太にアクション性を追求した高難度ステージも各所に点在している こちらは寄り道なし一本道の硬派なステージで、ある意味純粋なトライアンドエラーを要求されるものになっている 足場をジャンプした先に敵の攻撃がちょうど当たるような着地点があったり、イライラ棒のように避けていく操作を求められたり……ミスれるポイントを全部ミスして、それでも諦めず通過して、今までミスしてきた箇所をスムーズに進めるようになってる自分に成長を感じて嬉しくなったり
自分は前述した通りデフォルメ調の3Dアクションアドベンチャーをあまり通っておらず、(そもそもアクションゲームの腕前もそんなに、、、と自覚しているくらい……)着地の尺度を見誤ったり、カメラと進行方向の角度調整が微妙にうまくいかず、この高難度ステージはかなり苦戦した
進行方向、進行速度、ジャンプの長さ、ジャンプの大小、カメラ方向��攻撃アクション、それらを適切なタイミングで入力することが求められる
正解を入力し続けることがクリアの条件であることに気付かされるのであった
スムーズに進行できている時の自分がまるでコンピューターになったような感覚がわかるか?アストロくんに近づくことができて嬉しいよ(何?)
【リスペクトを感じるボットたち】
なんでもこのゲーム、ps30周年を記念してくるらしく、ボットたちが登場する
ペルソナ5のジョーカーがカジノのステージにいたり、迷い込んだ箇所にもこだわりがみえるところが良いな〜と思ったり
自分が好きなゲームのモチーフボットが出てくるとかなりテンションが上がった、知らないゲームでもこんなキャラいるんだと新たな発見に繋がったりした
キャンプベースでガチャを引くと見られるようになる固有モーション、コミカルな姿がかわいすぎる
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これは変異体に違いない挙動
また、「アンチャーテッド」「ロコロコ」などモチーフとしたスペシャルなステージも存在する
どれもやったことなかったけど、各作品の空気感を存分に感じ取れてまたもや作り込みがすごい!!と語彙力をなくしていた
その中でも「ホライゾン」が気になった 自然的なのに機械的、ホログラムのような人(ボット)たちが何を意味しているんだろう
そもそものはなし、このゲーム自体プレイステーションをモチーフにしていて、セーブデータのスロットもメモリーカードだし、母船がPS5だし、アストロくんが乗る小型飛行機みたいなのもコントローラーだし、ゲームをゲームで作りあげてる趣があった
まとめ
ゲームが好きな人類みんなプレイしてほしいゲームでした、あといい意味で他のゲームがやりたくなる、そんなゲーム
アストロくんのかわいさも癒されるのでぜひ・・・・
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今、流行り(流行ってるのか?)のよくある、みんなの反応集的なサムネが作れる某サイトで作ってみたけど、絶対にもっといい写真があった筈なのにこの写真を選んだ事を反省はしてません。と言う事で!趣味は干し草の栽培、好きな料理は中華料理、特技はエラ呼吸と空を飛ぶ、何故��家に冷蔵庫が50台もある男。安田章大!誕生日!祝、40歳!!おめでとーう!!!!!まさか、今年もタンブラーを用意してくるとは思いもしなかっただろう。自分でも思ってなかったからなあ!?今年の誕生日はどうやって祝おうか…と悩みに悩んで三千里ぐらい過ぎてやっぱ俺にはタンブラーしかねえよ、なあ?樺地!って事で選ばれたのはタンブラーでした。三千里って現代の時間に換算したら何分ぐらいなんだろうな、素朴な疑問。きつくそあるある、言葉の意味は知らんけど単語の響きがカッコイイって理由だけで使いたがる。いよいよ40代突入かー。これで実質、俺と同い年って事になった訳だあああああ!!41歳なんて四捨五入したら40歳だからってばあちゃんが言ってたような言ってなかったような気がする。多分、言ってたわ。しかも今回はタンブラーだけじゃなくてちゃんとプレゼントも用意したからな?と言う訳でくらうがいい、古から伝わりし我が漆黒の右腕から解き放たれた、暗黒瘴気箱ーダークネスプレゼントボックスーだ!!!!!バーン!ドカーン!ボゲーン!!あ、プレゼントのお礼は冷蔵庫でいいよ。やっすんって1台ぐらい減ってても「あ、昨日そう言えば冷蔵庫ごと食べたんやっけ」って盗られた事にすら気付いて無さそうなイメージあるんだけど。(偏見)
俺とやっすんの共通点と言えば音楽!と言う事でね、プレイリストを作ってみた。スポポフォイで作ってて、いざ作り終わった時にあれ、そう言えば確かヤスエモンってりんごジュース派じゃん!?って気が付いて急いでアップルおっパイで作り直したってどうでもいい裏話。人生で初めてアップルティーに入ったわ。いよいよスポーンファイから乗り換える時代が俺にも来るのか…?!もしかしたら俺が前にオススメした曲とダブってたりするかも知れな��けど、詳しいって言うほど詳しくはない説明はプレイリストに書いてあるから暇な時にでも聴けば暇潰しにはなると思うよ。プレイリストの名前は特に意味はないよ。吉幾三と明治安田生命に怒られる日が来そうな予感……。
やっぱこの写真よすぎるな??青色が似合い過ぎてる問題。前に話したからか、青色って打ちたかったのに何回か青汁って打ってて笑った。青汁が似合う男って複雑だな…。青汁系アイドル。某ふなっ〇ーみたいに青汁ブシャーってかけてきそう。嫌すぎない?でも、もし、やっすんがゲームの世界に居たらめちゃくちゃ青に塗れてそうだよな。身に付けてる武器や装備もそうだし、何なら強敵ポジションも行けそう。魔界最強と呼ばれる水を司る紺碧の奏者的な、音すら武器にして来そう。40歳だから4000文字チャレンジに挑戦中だからって流石に何の話してんだ??今が何文字なのかも分かんない。チャレンジやる気あるのかコイツ…。よく使ってた文字数をカウントしてくれるサイトが最近潰れてぴえんこえてきっくんになりつつある。そんな言葉はないけど。多分、送ったポストとタンブラー合わせて4000文字にはなってる予定。もし、文字数足らなかったとしてもクレームは受け付けてません。おい、あと0.2文字足りんやんけボケって言われても知らんがな精神。
ここまで好き勝手に話して来たからここからは一ミリぐらい真面目に想い出トークでも語っちゃいますか。と言う事で始めまーす。無駄トーク〜咲き誇るのは希望の花編〜いや、何から話そうか悩むぐらいやっすんと過ごした時間ってとにかく思い出すだけで笑顔になれるような時間が多すぎて迷う。ディナーのあとになっても迷ってそう。でも、強いてどの時間がって語るよりも俺にとっては全ての時間が宝物だなって胸を張ってそう言い切れる。例え、この世界の全ての時間を忘れてしまう日が来たとしてもやっすんとの時間だけは忘れずに居られそうな気がする。ちょっと自分の話になるけどさ、休んだ時あったじゃん?あの時にさ、あーもうこのままこの世界やめるかって思って全部消したんだよ。お題箱とかさ、未練残したくねえなあって。それでよし、消すぞ!ってあと一歩ぐらいの所まで来て急に躊躇っちゃったんだよな。勿論、色んな理由が浮かんだけどこの世界を手放したらやっすんともう話せないって現実がめちゃくちゃ抉られたわ。話せない世界を想像しただけですげえ効いた。改めて俺の中でやっすんの存在の大きさを実感したってそれだけの話。でも、あの時やめなくて良かったなってすげえ実感してる。この青の宴はきっと色褪せないんだろうなって。これ言うの何回目だよって気もするけど出逢ってくれてありがとう。沢山の宝物をありがとう砂糖。この世界に価値を見出させてくれてありがとう黒糖。今日まで俺と繋がっていてくれてありがとうオリゴ糖。何より、生まれてきてくれてありがとう彫刻刀。またこうしてこの世界でやっすんの誕生日を祝える事がすげえ幸せだなって噛み締めてる。改めて誕生日おめでとう!大好きだぜえええええ!!!!!
これはしじみの味噌汁。しじみの味噌汁って飲むと何故か身も心もしみじみするよな。はっ、俺はとんでもない事実に気付いてしまったかもしれない。しみじみを略すと…。だからしじみって名前なのか。モヤッとボールを投げたくなるぐらいスッキリしたわ。最後にこれだけは言いたかった。昨日さ、やっすんがしみじみ、しじみ。とか何とか呟いてるのが流れて来て何なんだ、このあからさまに不自然なしじみは…!?って思って、実は2000回目を祝うポストと見せかけて今日でしじみの味噌汁を飲み始めて2000杯到達しましたアピールなのか…ッ?!とか、めちゃくちゃ考えてたんだけど、その呟きから数時間後に武道館ライブで新曲はSHIZIMIでーす!って発表して、まさか、あの意味深なしじみは武道館ライブの予知夢だったのか…?!って一人で笑ってた。しみじみ、チヂミ。
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TEDにて
ジョナサン・ロシター: 汚染物資を「食べる」ロボット
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
このトークでは、人間のように、汚物や汚水を飲み込む事で、自身を動かす為に必要な電気を生み出し、汚染物質を清掃するロボット「Row-bot」が紹介されています。
ロボット専門家、ジョナサン・ロシターは、微生物を使った燃料電池で藻類の過剰繁殖を防いだり、水面に流出した油膜を中和しながら、水中を泳ぐ特殊なマシンが登場。
どのようにして、生物分解型の、自動汚染除去ロボットの先駆けとなりうるか!!を説明しています。
こんにちは、私はエンジニアでロボットを製作しています。もちろん、皆さんはロボットがどんなものかお分かりですね。分からなければ検索してみるとはっきりします。
では、やってみます。検索するとこんな感じです。色んな種類のロボットがあるのですが、これらは主に構造上、人型ロボットになっています。
如何にもロボットという感じです。プラスチックや金属で出来ており、モーターやギア等を備えていますからね。中には結構、親しみの湧く物もあり、抱えて抱きしめたり出来そうです。
そうでないものもあり「ターミネーター」からそのまま出てきたようです。
実際「ターミネーター」そのものでしょう。このロボットでワクワクするような凄い事が沢山出来るのです。
しかし、私は、違う種類のロボットに着目し、そんな物を作ってみたいと思っています。そこで、私は、人ではなくある物から ヒントを得ました。
それは、自然の中に存在する生き物で、私達には出来ない実に凄い事をするのです。現在あるロボットにも出来ない事を色々な事。
床を這い回ったり、菜園に入り作物を食べたり、木に登ったり、水に出入りしたり、虫を捕まえて消化したりするのです。実に、興味深い事をします。
彼らは生き、呼吸をし、死に、自然の中にある物を食します。現存するロボットは実際、そんな事をしません。
こんな特性をいくらか未来のロボットに取り込めたら、大いに関心を集める課題を解決する手助けになるかもしれませんよね?現在の環境が抱える2つの問題を見てみましょう。
その環境の下では、これらの動植物から見出したテクノロジーや技術を使う事ができ、問題解決の為にはロボットが使えるのです。
2つの環境問題を検討してみましょう。両方共、私達が作り出した物で人が環境と関わる中で、かなり不快な事態を引き起こしたと言える物です。
1つ目は、人口の増加と関連しています。世界中の人口が急増する中で農家や農場は、より多くの作物の生産を求められるようになりました。その為に農家は、農地により多くの化学物質を使うようになりました。化学肥料や硝酸塩、殺虫剤等です。
それらは全て穀物の生育を促す物ですが悪影響もあります。その一例として、農地に化学肥料を与え過ぎるとその全てが作物には行き届かず、多くが土に留まり、雨が降ると肥料は地下水面に流れ込み、そして、地下水面から流水となって湖や川に流れ込み海へと流れて行くのです。
この化学肥料(硝酸塩)の全てが、そうした環境に流れ込むと、それに影響を受ける生物がいるのです。
例えば、藻類です。藻類は、硝酸塩や化学肥料が好物なので、そうした物質を取り込み、条件が整えば、繁殖し、大量の新しい藻類が増えるでしょう。
これをブルームと言います。困った事に藻類が、こうした形で繁殖すると水中の酸素が不足するのです。この事態に陥ると即座に他の水中の生物は生き残れなくなるのです。
では、私達は何をすべきでしょう?藻類を食べ、それを消費し、安全な物にするロボットを試作しています。
それが1つ目の問題です。
2つ目の問題もやはり人が生み出した物で、石油による汚染と関わりがあります。石油は、私達が使用するエンジンやボートから流出します。
時折、タンカーのオイルタンクから海中にドッと漏れ出し、石油が海に流れ込みます。油田からの汚染を食べてしまうロボットを使って、この問題を処理できれば良いですよね?
これが私達の仕事です。汚染物質を食べるロボットを作るのです。
実際、そのロボットを作る為に、2つの生物からヒントを得ました。右側にウバザメが見えます。ウバザメは、大きな体つきをしています。
肉食ではないので一緒に泳ぐ事が出来ます。ご覧の通りです。サメは口を大きく開けて水中を泳ぎ、プランクトンを集めています。
動き回り続ける為に、その体内でエネルギーを使っているのです。そんなロボットが私達に作れないものか?海を泳ぎながら汚染物質を食べ尽くす。
ウバザメのような?出来るかどうかやってみましょう。別の生物からもヒントを得ました。ここにマツモムシの写真があります。本当に可愛らしい虫です。水中で泳ぐ時、ぺダルのような脚で前に進みます。
私達は、これら2つの生物をヒントにして、その両方を繋げ、新種のロボットを作ったのです。実際、この虫からヒントを得て、作ったのでこのロボットは水面に浮かび、水面を漕ぎます「Row(漕��)- bot(ロボット)」という名前です。
漕ぐロボットなのです。どんなものでしょう?ここに何枚かRow-botの写真があります。お見せしましょう。最初に見たロボットとは、全く違っていますね。
グーグルは間違っています。ロボットは、むしろこんな感じです。
ここにRow-botを持って来ました。お見せしますね。大きさが分かるでしょうし、他のロボットとは違っていると分かるでしょう。これはプラスチックで出来ています。Row-botを構成しているパーツ。これが何故特別なのか?見てみましょう。
Row-botは、3つのパーツから出来ていて、それら3つは本当に生物の一部のようです。脳があり、体があり、胃があります。エネルギーを生み出す為には胃が必要なのです。どのRow-botにも、これら3つのパーツがありますが、それはどんな生物も同様です。
では、1つずつ見て行きましょう。プラスチックで出来た体があり、それは、水面に浮かぶのです。その側面に水かきがあります。動く手助けとなるオールです。
まるで、マツモムシのようです。体はプラスチックですが、ここには柔らかいゴム製の口が、こことここにあり、その口は2つです。
何故、口が2つあるのでしょう?1つは、食べ物を取り入れ、もう片方は、食べ物を排出するのです。つまり、口とお尻が、ある事が分かります。お尻と言うか。ロボットなので形は関係ありません。
物が出て行く場所で、正に本物の生物のようです。ウバザメにも似てきました。それは体です。
2つ目のパーツは、胃かもしれません。ロボットにエネルギーを供給し、汚染物質を処理する必要があるので、汚染物質が中に入り何かを行います。
真ん中のこの部分には、微生物燃料電池という電池があります。これを置いて燃料電池をお見せします。
これはバッテリーを装備する代わりとなり、従来の電力装置の代わりとなるものです。1つお見せしましょう。これは、ロボットの胃です。本当に胃の働きをします。
こちらの側から汚染物質という形で、エネルギーを入れる事が出来るからで、それが電気を生み出すのです。
これは何でしょう?微生物燃料電池と呼ばれるものです。少しだけ化学燃料電池に似ています。それを学校で見かけたかもしれないし、ニュースで見たかもしれません。
化学燃料電池は、水素と酸素を取り込み、反応させて電気を生み出します。技術は、十分に確立されたものでアポロ宇宙計画で使われました。
40〜50年前の事です。それより少しだけ新しいのが、微生物燃料電池です。原理は同じです。片側に酸素を入れますが、もう片側には、水素を入れる代わりにスープを少量入れます。
そのスープの中には、生きた微生物が入っています。少し有機物質を入れると、それは、廃棄物やサンドイッチの残りといった残飯かもしれませんが、そこに入れると微生物が、それを食べ、それが、電気に変わるのです。
そればかりか。適切な微生物を選べば、汚染物質を処理する為に微生物燃料電池が使えるのです。適切な微生物を選べば、微生物は藻類を食べます。
別の種類の微生物を選べば、石油溶剤や原油を食べるでしょう。この胃がどうやって汚染物質を処理する為に使われているか、だけでなく、どうやって汚染から電気を生み出すのに使われているかが分かるでしょう。
ロボットは、食べ物を胃の中に入れ、消化して電気を作り、自然環境の中で動き回る為に電気を使う行為を繰り返すのです。電気を使う行為を繰り返すのです。
Row-botを作動させると何が起こるか見てみましょう。水を漕ぐとどうなるか?ビデオを2つお見せします。最初にお見せするのは、開いた口です。
前方と後方の口が開き、十分に開ききるとロボットは前方に漕ぎ始めます。食べ物を取り込み、処理物を排出する為に水中をかき分けています。ひとしきり動き終えると止まり口を閉じます。
ゆっくりと口を閉じるのです。そして、そこに留まり食べ物を消化します。
もちろん。これは、微生物燃料電池で微生物を含んでいます。本当は出来るだけ早く、沢山のエネルギーを微生物から出したいのですが、微生物に無理は利かず、毎秒ミリワット又は、マイクロワットといったごく少量の電気しか作り出せません。これを分かりやすく説明すると
例えば、あなたのスマートフォンは、特に、新型のものでは、約1ワットが必要です。それは、微生物燃料電池と比較すると千倍、百万倍のエネルギーとなります。
それをどう使えるのでしょうか Row-botが消化を完了し、食べ物を取り入れるとすべての食物を消化するまでじっと待ちます。
それには、数時間。時には、数日かかります。典型的なRow-botのサイクルは次のようなものです。口を開け、動き、口を閉じ、その場にじっとして待つのです。
一旦、食べ物を消化すると再び同じ事をして動き回るのです。しかし、本当の生物のようだと思いませんか?
まるで私達が行なっている事のようです。土曜日の夜に外出して口を開け、腹を満たし、テレビの前に座って消化をします。十分消化したら同じ事を繰り返します。
このサイクルを繰り返すと最後には他の事が出来る程の余分なエネルギーが得られます。
最後には、他の事が出来る程の余分なエネルギーが得られます。例えば、メッセージを送ります。こんなメッセージです「最近これだけ汚染物質を食べたよ」とか「こんな食べ物に出くわしたよ」とか「僕はここにいるよ」とか。
「僕はここにいるよ」と位置情報メッセージを送る能力は、非常に重要なものです。以前、目にした油膜の事や藻類の過剰繁殖を考えると求められるのは、自然の中でRow-botを浮かべて、全ての汚染物質を食べ尽くし、その後、回収する事です。
何故でしょう?今のロボット。私がここに持って来たRow-botは、モーターやワイヤーがあり、それ自体が生物分解性でないパーツで出来ています。
現在のRow-botは、有害な電池のような物が付いています。それを自然の中に放置する事は出来ないので、それを探知する必要があり、仕事を終えてしまったら回収する必要があるのです。
従って使用出来るRow-botの数は制限されます。一方で、少しばかり生物のようなロボットであるなら、命の終焉となり朽ち果てます。だから、こんなロボットが、プラスチック製ではなく、そこらに捨てておくと生分解する別の素材で出来ていたら最高ですよね?
そうなったら、ロボットの使い方が変わります。10〜100個のロボットを自然に放ち、それらを追跡し、ロボットが生命維持活動を終えた時。
回収するのでなく、千、百万、十億個のロボットを自然環境に放つ事が出来ます。ばら撒くだけで良いのです。命の終わりには、ロボットが朽ち果てるのが分かっているので心配には及びません。
これは、ロボットに関する概念とその使い方を変えます。問題は、そんな事が可能かということです。可能だと私達は実証しました。
生物分解性のロボットを作る事は可能です。
実に、興味深い事にこのロボットを作るには、ありふれた素材が使えるのです。いくつかご紹介しましょう。驚きですよ。ゼリーからロボットが作れるのです。
現在あるモーターを付ける代わりに人工筋肉と呼ばれる物が使えるのです。人工筋肉は、スマート素材で電気をその素材に通すと収縮したり、曲がったり、捻れたりします。
本物の筋肉のようです。モーターを取り付ける代わりに、この人工筋肉を付けるのです。人工筋肉は、ゼリーから作れるのです。ゼリー少しと塩少々を用意し、少しばかり細工をすると人工筋肉が出来上がるのです。
先程、紙から微生物燃料電池の胃も作れると言いました。先程、紙から微生物燃料電池の胃も作れると言いました。生物分解性の素材からロボットの全体が出来るのです。
野外に放置するとその後、朽ち果てます。心の底からワクワクします。これは、私達のロボットに対する概念を全く変えてしまいそうです。それだけでなく、これらのロボットを使って出来る事への考え方が、実に、クリエイティブな物にもなるのです。
一例をご紹介しましょう。
ロボットを作るのにゼリーが使えたら。ゼリーを食べますよね?こんなものを作っては如何でしょう?グミベアー・ロボットです。ここにいくつか予め用意しておきました。
さあここにグミの小袋があります。レモン味です。グミベアーを食べます。この熊はロボットっぽくないですね?でもそういうふりをします。
1つ口の中に放り込みます。レモン味。美味いですね。あまり噛まないように気をつけます。ロボットですから嫌でしょうし、そして、飲み込みます。胃の中に入ります。
そこで、ロボットは動き、思考し、曲ったりくねったりします。何かをするのです。更に、腸の方まで移動して、潰瘍やがんが、あるかどうかを見極め、注射のような事をするかも知れません。
一旦、その仕事を終えたらロボットは胃で消化されたり、それを望まなければ、そのまま消化器官を通り、トイレに流され、環境の中で安全に分解されます。これは、又、私達のロボットへの概念を変えます。
はじめに汚染物質を食べるロボットをご紹介しました。次に、私達が食べられるロボットでした。これが、将来のロボットとの関わりのヒントを与えてくれると思います。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
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東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
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1078 放送用VTRとカメラ
テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。 日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。 世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。 当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。 テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。 レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。 プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。 画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。 その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB電子銃から信号が発射され高圧をかけた画面に叩きこみ発光させます。 TVカメラもかなり重量があり形状もデカい物でした。 それよりまだデカイのはVTRでした。 テープ幅が2インチ、 一インチが2.54センチですから5センチ以上のテープ幅。 テープには鉄粉が塗布され、一時間テープだとズッシリ重くこれを高速巻き戻しで制御、磁気面の粉塵も吸い取りするので巨大なシステムです。 アンペックス社製で宇宙の偵察機にも旅行トランク大のVR三千が搭載され、開発にNASAが関与したといわれております。 これまた値段が目玉が飛び出る値段。キー局といえども4台くらいしか持てません。 予備機も必要でニ式という事、昔の俳優なら局で収録時、VTR待ち時間は度々あり、キー局ですらVTRの数の確保が出来なかった。 2インチVTRは電子編集が出来ませんでした。 記録信号は5センチ幅のテープにワンフレーム単位で上から下に記録されます。 1秒間に30本、いわゆる30フレーム磁気が綺麗に並びます。 それを顕微鏡で見、カミソリで上から下に切断、いらない部分を切り捨て裏面を強烈なテープで張り合わせる繋ぎ編集で、熟練した編集人でないと高速で巻き戻し中あるいはストップ時にバサバサ切れ、切れる事を想定し送出には必ず予備機も回します。
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一端だけ書いては放り投げてた日記を完成させる もう8月も中旬なんですけど!
7〜8月上旬
7/9
ない器官が漏れ出して、ない気道が錆びていて、ない頭がパンクしている 喉が膨れ上がっている 上半身の中身がゴロゴロとしている
要するに、頭痛
空腹なのか気圧なのかわからない
ギリギリまで頭痛薬を出し渋っていたので効くまでずっと体が傾いている 薬を飲む痛みに気づくまで遅い どうもできない
帰り道 波も風もなく、川が���だ静かに橋上の様子を映していた
7/11
用事が終わった後ソフトクリームのアフォガード
店頭にベンチで食べる まだ猛暑日と言うほど暑くもなく、風がたまに吹いてくる室内から出ても快適な天気だ
一口目はスプーンで掬うと反対側にこぼしてしまいそうなので口を持ってくる さくっとつまめた 固めのソフトクリームで積もった粉雪のように食べる瞬間にギチギチする しかし二段ほど食べるとぬるい空気に触れた外側はやわらかさをもつようになってしまった 普通のソフトクリームだ…… 美味しさは変わりないが、触感が楽しかったので残念
コーヒーが溢れてきた! おいし〜…… バニラと混じってしゃくしゃくするコーヒーの氷がたまに当たる それを舌で押しつぶし食べる
7/16
昼ご飯後、なるべく静かな場所に置かれたベンチを選び腰を落ち着かせる
次の講義まで数時間余裕があるので何もしないことが可能 やった〜
集中もなにもできないので耳に何か流そ〜と思ったが、思っていたより頭がぼやぼやしており、ひなたぼっこのみを行う 10数分ほど続けた ずっと考えが浮かんでは飛び散るを繰り返し無心になることすらできない 計画を黙って立て続けることもできない 落ち着きたいとき、体が外に触れている感覚と呼吸と音だけを追いかける擬似座禅をよくするのですがそれでも居心地の悪さが下らない
どうしようもないので移動する 図書館 体が熱を帯びていることに気づいた 内側がどくどくしている 汗をかくまではいかずとも、体温に蒸されている たまにあたる冷房の風が心地よいと感じてしまうほどには暑い
課題に手をつけられない ひとつでも完成させれば少しは上向きになるとそれすらできない うお〜 諦めて課題と全く関係のない本を読む 時間をただ流すだけで終わらせたくない謎の意地 文学作品のある2階にまで昇るのが億劫で雑誌類を手に取る 自身が基礎的な部分だけ知ってる分野を選んだので度々既知の知識と出会ってわ〜と手を振る気分になる 特に意味はない ちゃんと段階を見据えた構成があり、補足で隙が埋められたように感じる文章を読むと、その伝わりやすさですげ〜かっけ〜となる ミチミチに詰まった情報を飲み込む満足感
課題に手を出すのを渋ってるときにしか生まれない熱量と集中で、結局空き時間は雑誌を読むのに使ってしまった なんとも………… 時間に中身はあったが……
日時不明
あっっっつ 暑というか“湿度” 湿気のせいで匂いが苦しい
行きの時間がちょうど雨だったので歩いて帰る え? この中を? 日差しが強くて体が東側に傾きそう きつい
nakano4 聴く保冷剤 キューと締まる音 イヤホンの外から蝉の鳴き声が聞こえるのも良い その後アイオバーの陰陽師×unwelcomeが流れてきて汗だくになった アツすぎ
【今朝の夢】
血が繋がってるらしい人から右足を弓矢で刺される、増える複数人からの怒号、とにかく逃げる、部屋で落ち着いているときに家戸を強く叩く音にビビる、ひたすら隠れる
でも全部何事もなく過ぎていく
おい! わかりやすすぎ……
7/26
かび掃除
本棚の片側面にかびが薄ら付いてる 嫌…… 嫌………… 放っておくと広がるので拭く 乾いたシートをちょうど切らしてきたので、キッチンペーパーを使う アルコールで濡らした面が茶なり緑なりに染まり、あぁついてますね〜となる ついてますね〜……
床一帯も拭き、壁に近い本を避難させて終わる
元気になった
やはり運動が一番身体にいい
卯月の六周年雑談を聞きながら爪を塗る
元気なので
体が震える 心当たりのどれが当ってるのかわからない たぶんねむい ねた じとじとする
7/27
コンサートよ〜〜〜〜
予定があると特に何も考えずに動ける 今後ばんばん立てなさい
冷凍していた酢鶏を二本解凍し、味噌汁を飲む 意欲がある こんなにはやく生活の渦に入れるなんて
会場まで三十分足らずで行けるらしいので呑気にする
呑気にする
呑気にする
そろそろでないといけない
そろそろ
家を出て、途中昼食をとりながら会場を目指す
モスバーガー
落ち着いて考えたら全然余裕で間に合うことに気づく 開場時間だけを頭にいれていたので余裕しかない 開演を目安にするとダメなことはわかっていたので何分後の間があるのかも覚えていなかった 過去私、感謝
思っていたよりスムーズに公共機関まで移動ができる場所だったので苦しくなることなく腰をおろす
駅〜 でっかいガラス張りで眩しい なかなか見れない量の木々が生え盛っており視界の情報量が凄まじい ひぐらしの音も凄まじ 開放感のある風景で嬉しくなる
ホールに入る 時間が迫る感覚と会場の見慣れなさで思考が縮む 頭と体で優先する動きがめちゃめちゃになり、めちゃめちゃになった かむかむレモンと水 落ち着き
物販に寄ってから席につく
思っていたよりも前の方で嬉しい 演奏者の表情まで視認できる近さ ホールはよくわからん吊るし板がない造りでシンプルな印象 良 しかし上によくわからん長方形の箱が幾つも吊るしてありよくわからない 照明というわけではなさそうで、でも反響に役立つような見た目でもなくよくわからない
開演までパンフレットを読み潰す
山場の音圧が強くなる箇所で、外から音の壁を投げられたり一点で刺してきたり、内から這って響く音にえずきそうになったりと盛り上がりに種類があった すご…… 情緒がメロディーにしかなく音自体は単調な曲が、すべて情動的に組み立てられていて感情がグチャグチャ 揺れ揺れ揺れ動く 楽器との距離が近いので楽譜上の音だけでなく、鳴らしたことで出る木の音まで聞こえてきてコンサートだ〜〜〜〜〜となった ピアノの打撃音や弾かれた弦の音が場内に響いている
コンサート、考えることが多すぎる 音感がないのでこの音はこうで〜調がこれで〜などは全く推測などできないけど、それでも多いのだから音楽を専門としてる人の頭の構造って未知すぎと演奏を目の当たりにする度に思う ただ単に情報と情緒に気圧されている 耳で聞いたものを追ったり、今流れているものを振り分けたり どんどん厚みが追加されていく 全身が水に浸かり呼吸も手足も忙しく回ってるような状態 どんな姿勢で自分が聞いていたのか覚えていない
また、指揮者が愉快な方でところどころコミカルに動いていてよかった
アンケートをロビーのソファ上で書く もらった演奏を自分のなかでまだ落ち着かせられておらず、また内容を覚えるのに一杯一杯で「〇〇が〇〇でよかった」等をズラズラと続ける中身の薄い感想しか書けなく悔しい 感謝と称賛の筋肉がない
帰って物販で購入した品を開けて眺める 良い 良い…… 期待の何倍も素晴らしくキャッキャと喜ぶ
なぜか明日も予定があるのでさっさと寝るよう努める
7/31
ズッタズッタと飛び歩く子供 ぎこちないスキップのような動き
限りなく現実的な感情の夢 見たものは朧な光景すぎて全く記憶に残ってないが、自分らしき人が唸ってたものは自分のように思っていた
最後の講義だしな〜と気合いを入れて向かったが特に何も起こらず終わる それはそう あまり馴染まない構成の授業形態だったので、まあ終われてよかったんじゃないか? はあ……そう…………
疲れたのでお弁当を買って帰った 夜だし夏だし定休日だしで、好きなごはん屋にまで行くことができない 【求】はやめの秋
8/3
ひ、一筋の光〜〜
まあそんなわけでなんとなく将来とやらを描けたわけですが、就活ね…… 就活………… 誰か、わたくしに1から説明と型をつくってくれませんの? 就活の相談室にいこう
私ってまだ
8/8
本当は火曜日に終わらせるはずだった予定どもを終わらす マイナスの状態から動かないといけないので常に腰が重い ゼロになってくれ 善処します
まあいくら夏休みシーズンとはいえ、二・三日の間のどっか一席くらいは空いてるでしょ〜〜とたかをくくっていたら来週近くまで満席だった 本当なら数週間前に予約をとれるような人間だったんです、信じてくれ ギリギリでも大丈夫いけるいけるなんとかなるに甘んじて生きている 店長でなく森様をみて共感できるようになってください 来週はミチミチの質量のある夏休みにしてやるよ
本を買ってウキウキで帰る 夏がはじまる〜
きれいに月が弓状になっていて良い しかし撮るとふとったり、潰れたりする 写真より目で見たろうがきれいだが、後にアルバムを眺める等したら写真をきれいに思ってしまうんだろうな〜と両方の月を消さずに残した
8/10
荷造りをしよう
荷造りをしてない
最最最最最低限の家事だけ消化した
なんかまた眼鏡フレームが痛くなってきた フレームが原因なのか、他の心当たりで痛く思うのかわからない とりあえず荷造りをしよう
「そら、なるがちゃうんだろ」 ←大好き ロウアイキューさんの新作が見れて最高にHAPPY たくさん詰まっててHAPPYなクッキー缶だ 動画はもちろん、流れるコメントの雰囲気が好き かゆいところに手が届く
「卒業しましょう、先輩」 ←大好き よう言った これを真っ直ぐに伝えられるフォロー上手はあんたしかいないし、隣が別の人でいいわけない これが音頭ってことね…… デフォルト顔のこのシーン見て〜切り取ってくれ〜
雑記
最近プレイリストへの飽きが来ている 3つくらいのアプリでお気に入りの曲を詰める作業をしており、そのどれもに飽きを感じている 飽きというよりも強く聴きたいと思う曲を『次に再生』にピックアップできない
普段はシャッフル再生をかけて、2曲目以降に気分の曲をじゃかじゃか放り込み、あとはランダムに好きな曲が流れてくるのを聴いている この二番目の意欲があまり湧かなくなり、ただ順番待ちの曲を消去している
まだ追加していない好きな曲を大量に詰め入れるしかない
が、目も気も疲れるのでいいか〜となっている状態 なので、お気に入りの曲をつくっている好きな方のお気に入りの曲とそれをつくっている方のお気に入りのプレイリストを探すやつをします
そのうち
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繋がれた部屋 2/
いつまでも記憶に残る物語の多くは別の記憶に結びついている。生活のどこかに、過去の出来事に、または別の物語に記憶の類似があり、それらと比較して物語に結び付け、その類似点を面白かったと錯覚するのだ。多くの交点を集約したピントのボケたものが面白い物語ということになりそうだ。物語を作者とは別に擬人化するなら、物語の主体にとって多くの交点は必要としないだろう。それならば、擬人化した物語の主体から主体を摘んでしまったものが面白い物語なのかもしれない。私はこの物語に二箇所の記憶の類似点を見つけた。一つは落ち葉だ。物語を聞いていたとき黄の色をした落ち葉を眺めていたのだ。なので、同時的な記憶と言える。そのときそれをデジャビュのように感じた。もう一つは図書館で、この本は図書館から借りてきた本だった。物語の図書館にこの本が収められているところを想像して更なる循環を得た。図書館から図書館を渡り歩くようなその記憶と比較して、私は次の図書館の物語を聞いた。
*
それは建築家が書いたエッセイ風の物語だった。物語は四編あり、作者を思わせる建築家の主人公が全編を通して登場する。そこには、建築的な青写真を読み取ることができた。青写真が青写真に帰すような。そこに収まらない感触的な建築のブレのような。そうした個人的で取り止めない応急処置のようにして書かれていた。しかし、物語に登場する建築で、作者の代表的な建築に該当するものはない。興味が湧いて、彼が携わった建築を全て調べてみようと試みたが、足跡を辿ることはできなかった。
物語にはまず、ビューの定義がされている。主人公と主人公を取り巻く環境にそれはある。環境とは建築的環境で、それは立方体の家だった。そこには天井と床と壁がある。それらが立ち上るように擬人化して、ぎっしり目を敷き詰めたような視点を持っている。これは実験的な三人称のアプローチで、一人称の捉え方だろうと私は考えた。複眼となった環境に対応する主人公の複眼が、環境を配置として置き換えると、そこでようやく一人称の物語が始まるからだ。立方体の家に登場する主人公は子供で、作者の幼少期を思わせた。図面の隅に記された縮尺のようなものだろうか。子供は大人の縮図と、作者は言いたかったのかもしれない。
立方体の家の天井には梁が渡り、その一辺が示されていた、そこから何かぶら下がって、魚を思わせ��描写があったので囲炉裏があるのかもしれない。囲炉裏に向けて、梁から垂直を示したのだろう。座布団のようなものに囲まれる描写があり、四角いものを連想させた。立方体の中の四角。俯瞰すれば立体が消えるから、縮尺の言及かもしれない。床には木材の温もりを感じる描写がある。より集まるような木目を連想しながら、私は土間に下りた。土間には水を感じる描写があり、釜があるような火の感じも得られる。釜があると考えれば、五行思想の挿入かもしれない。五行思想は風水の発想を持っている。それなら風水を経て方位を示したのだろう。戸口の描写がないのでそう捉えても良さそうだ。戸口がないことから、子供は閉じ込められていると私は解釈した。しかし、床とともと思われる木の造りの壁には採光を感じた。そこからの連想で私は内側から蓋を押し開けるようにして、つっかえ棒をした。
縮尺のようなそれが作者の示した物語の単位で、一人称の捉え方、もしくは算出の仕方だった。そこから始まる一編目では、その単位に似た家を主人公は建築する。純然たる立方体の家だ。その家にはもちろん戸口がある。なので、それが作者が物語に示した単位の回答かもしれないと私は考えた。だとすれば、単位は問いなのか。竣工し、主人公がその戸口を閉めると、晴れ渡る空に鳥の鳴き声が響く。唯一ある、音の描写だ。建築における音の反響を示したのかもしれない。または、反響をあえて排除したのかもしれない。鳥の向こうには一本の筋のような雲が上限を示して伸びていたから。
二編目は、窪地の家だ。窪地の家だとはっきり書かれている。けれど、聞いている限りそれは竪穴式住居だった。何の前触れもなく、主人公がテントを張る場面があるのだが、主人公はそのテントの中を狭いと感じている。そのテントの場面を経て窪地の家の着工はある。窪地の家は、まるでテント内のスペースを下方に押し広げたような半地下の家だった。例えば、テントを一時的記号として、テントから二次的な空間を追加したとするなら、空間は変容を遂げる。しかし、一時的記号をフラットにすれば、下方に変容した空間は解放され、上方に重複する空間が示される。一編目に立方体が示されたことを考えれば、建築家である作者が示した屋根のあり方なのかもしれない。
三編目は、岩山の家とある。岩山を借景とした家とされているが、一編目で単位を示すために使われた、複眼的描写がここでも駆使されている。その複眼的な距離を収める描写において、家は岩山を借景とする配置となり岩山に内包される。二編目が竪穴式住居だとするなら、それは横穴式住居でしかない。だとすれば、竪穴式住居で押し広げた空間の変容との比較と考えられる。そこには屋根があった。どれだけ空間を押し広げたとしても屋根を対応させる限り、屋根という記号においては変容は変容でしかない。しかし岩山は、その岩山が続く限り、掘り進めることができる。そのように、空間における延長ないし拡張を示したかったのかもしれない。そして、この二編目の竪穴式住居と三編目の横穴式住居は、一編目で提示された問いと対する回答なのかもしれなかった。
四編目が図書館だった。その図書館は、そうは書いてはないが墓を思い起こさせた。それは、再生の装置のようでもある。確かに、図書はそのような時系列を持っている。作者が没し、時代が移り変わっても、多く図書は残る。残された図書は、読者があれば呼吸をはじめ、血を巡らせて脈うち、温かな鼓動をどちらともなく共にすることができる。主人公は施主から図書館と一緒に小箱を依頼される。最も古い図書を保管するための小箱だった。そして、物語の終わりに、施主は最も古い図書を小箱に保管する。この図書館の物語はエピローグへと続く。それによると、小箱に保管した最も古い図書が小箱の中で消えてしまう。それに気がついた施主は、また図書館の内で最も古い図書を探し、小箱にしまうのだ。私はそれを聞いて、単位である立方体の家に子供が閉じ込められているのを思い浮かべた。木の蓋を押し開けるようにして、つっかえ棒をする様を。
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6月9日
今日も感じ取ったことを綴ります。
ヒトは霊が止まる生き物(憑依)霊止でヒト
霊長類は大地と海と空の繋ぎ目に生きます。その繋ぎ目の3次元を象徴する存在、本来はホモサビエンスを含めオラウータンやゴリラ、ボノボなどの役目は環境の臨界点を意味し、空には鷲に鷹、海には鯨や鯱、陸には牛に虎、その繋ぎ目の臨界点のエネルギーが霊長類。
霊とは電波や音波で、それは気や意識、思想に考え、頭の中などとも呼ばれます、霊はいわば電気でありこの地球を含め天体は大きな電磁石で宇宙は磁気の海と捉えてください。
順を追ってまだまだ深く説明をしますが、今回の要点はその意識の流れにあります。
流行とはヒトの意識の流れ、私は巷の流行りのモノは嫌いです。世間がたとえ逆流しようと地獄に流れようとも、私は楽園の流れに乗って進むからです。流行とはすなわち正解ではなく誤解でもありません、何でも無いのです。
流行は無意識の津波です。
多くの人は何でも無い物に意識を奪われてしまいます、詐欺や誇張にハリボテ、戯れ事はいつになっても消えません、それがあなたが求めたものであれば良いと思いますが、猫も杓子も出てくるのが此の世でありまして、嫌気が刺したら諦めるのがよろしいということです。スマホにテレビやインターネットは別にあなたの為に何かをしている訳ではなく、あなたが選んで見ているに過ぎません、正しくも無いし間違ってもいない、その実は何でも無いんです。馬鹿と鋏は使いようでして、”どんな馬鹿でも上手く鋏を使えれば、見事な切り筋を作れます”。
何を求めるのか。
最近の鏡は汚れが目立ちます。📱📺
メディアや動画が虚栄と誇張の編集を繰り返し、無いものまで有るように見せてきます、本質の見えない方々、第3の目が悪い人は不憫ですが映し方でどんな汚い物でも綺麗な物のように見せてきます。今すぐ気を付けてください。
真実に編集は必要ない 🪞🪟
だから格の高い人々はレンズ越しでなく肉眼で見て物を捉える。写真が嫌いな訳は何も写真を否定しているということではないのです。
「曇りなき眼で見定める」
スタジオジブリの”もののけ姫”からの引用です
私ができる助言として、愚かな地獄行きの口は出まかせに言葉を放ちます、悲しいですが言葉とは裏腹にその人の動きを見るのが正解です。出鱈目に出る言葉は聞く必要もありません、何の意味も持たないからです。真実とは宇宙からの視点で見て、見たままにあなたが感じ捉えたものが真実であり、人間社会の視点から見て捉えては正誤の判断はできません、人間の視点では全てが捉えられないからです。
困ったり、悩んだ時は宇宙の視点で考える。
無理は如何なる時も禁物ですが、真実の幸せを求め向かうことが出来るならば辛抱と努力で幸せが訪れます。
ではここで私から真の瞑想を教えましょう。
外でも構いませんが自然の綺麗な場所、家なら掃除をしてから行います。靴下を脱いで、床が畳の人はあぐらではなく綺麗に正座をします、お腹が圧迫されないように姿勢を正してください、床がフローリングの方や慣れない人は仰向けで構いません、息を吐けなくなるまで吐いて、吸えなくなるまで吸う、呼吸の音が聞こえるようにゆっくりと深呼吸を繰り返します、落ち着いて行うので一時間は使ってください。深呼吸をしながら、肉体の中、自分のいる場所、空の彼方🧎➡️⇨🗾⇨🌏の順で意識を離して瞑想してください、地球の外から自分を客観視してください。🚀スペースシャトルに乗ったつもりで意識を練り上げて空に飛ばします。そして宇宙から地球星の日本列島にいる自分の肉体を見て、落ち着いて自分をハッキリと捉えることが出来たらあなたの悩みや困りごとの選択肢について想いを馳せてください、それが真の瞑想であり思考になります。
例えば、これからどう生きるか、他人とどう付き合い、信用するかしないか等の選択。頼らない訳ではなく信じる訳でもない、とてもちっぽけでどうでもいい気がしてくると思います。あなたはあなた自身を進化し向上させることで初めて他人に優しさや豊かさを分配出来ます。自分勝手な事は良くないですが、自分を大切にする事はとても大事です、あなたの肉体を守るのはあなただけであり、あなたの進化は流れであり目的。わざわざ他人を騙したり、痛めつける必要もなく、そんな悪だくみな事やズルいことを考える自分とは一体誰なのかという疑問に当たります。
中庸は真ん中であり真理に値します。
真実とは言葉通りに中真の果実に値し、植物でいえばそこには種が有ります、種とは次の新しい自分であり、種が無くとも果実はあなたの結果であり、瑞々しく美味しい果実を作るか、穢く不味く腐らせるかはあなたの選択によるものです、腐れば臭くなって虫が集って土の中に消えていくだけです。
そしてその土がまた果実を作り上げます。
今回はここまでです
ありがとうございました。
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説得力【知識の共有効果】
わたくしを滅し切ったところに、真理があります。
しかし人間は「わたくしを完全に滅する」ことが非常に難しい。そこで知の共有をすることにより、真理に近づこうとします。
他の意見を否定すると、真理には近づけない。しかしすべての意見を網羅しても近づけない。
意見の中には、欲もあれば欲のないものもある。欲は真理を歪めるが、すべてを否定すれば、やはり真理には近づけない。こういうジレンマが難しいところですが、ともかくコミュニケーションなしには、真理には近づけません。
仮の話をします。
真理の波紋——仮に、波紋の一部を切り取って
…—点A—点B―点C—…
この結びについて、説明します。
わたくしは点Bのことを知りませんでしたが、自分の持ちうる知識、点Aと点Cについて情報共有を行いました。これを受け取ったあなたは、既存のあなたの知識—点B(わたくしの知らない知識)と、わたくしの発した点Aや点Cとが、無関係ではないことに気が付きました。
さて、ここで選択肢が生まれます。
あなたはこの点Bについて、情報共有することもできますが、自分だけの発見として、内緒にすることもできます。
内緒にする理由としては、この発見が自分の利益に繋がる場合、そして情報共有することで自分の利益が減ってしまう可能性があることもあります。もしくは逆に、発することで自分の損失に繋がる場合。
ここでは内緒にすることを批判するわけではありませんので、ご安心ください。
わたくしが情報共有する理由は、ロジカル・バタフライ・ブーメランとして、最終的に大きくなって自分の利益としてかえってくることを、狙ったものでした。
もちろん、喋らない方が自分の利益に繋がるのであれば、伝える必要はありません。
より大きな利益を期待して、そちらの方が有利だと思えば、そちらを選択すればよいということになります。
もうひとつ伝えておくと、これもまた真理として「わたくしが発見したことは、どこかで誰かが発見する・もしくは発見している」「あなたが発見したことは、どこかで誰かが発見する・もしくは発見している」「人の口に戸は立てられぬ」といったことが挙げられます。
この見えない点と点を線でつなぐというシミュレーションを、具体例を使ってお見せします。
『他人軸—受動的—無意識的—疲れない選択』
『自分軸—能動的—意識的—疲れる選択』
自分の持ちうる知識、自分の経験、他人の経験といった物事を融合させ、わたくしが個人としてこの答えを導き出してみました。
このことが伝わった人数によって「ここに真理あり」と判断します。人間の判定なので誤りもありますが、基本的���は多数決判定を心がけるようにします。
また別の事柄にも触れておきます。
わたくしは個人的に、セオリーよりもロジックを重視しますが、これは上記に述べたことのほかに、ミクロ⇔マクロ間スライド、つまりオートフォーカス機能を含めて考えることに拠ります。
ミクロとマクロは両極ではなく、ミクロの点と点の集合が全体を造っている、という物理的法則に当てはめています。
本来は目に見えない物事を、脳の使い方として鍛えることで、真贋を見抜く目を養います。少しずつ丁寧に視野を広げてゆくことで、格段にちからが向上するはずです。
点と点の間には見えない線があります。この「線」事態を粒子の集合体とみます。
一つ一つの粒子が規則的に並んで円を描く。このことに似ているものがあります。
アニメーションは、複数の点の移動をさせることで、流動的に見せるようにする、きめ細やかな手法で根気がいる作業ですが、そのひとつひとつの積み重ねが、自然な動きを見せてくれます。結果的に、まるで本当に動いているかのような錯覚、感動を覚えます。もう少し、雑だけれどもわかりやすい例示としては「パラパラ漫画」があります。
これに因んで例え話をしてみます。
A点、B点、C点、D点の四つの点があり、A—B—C—Dが順に線で結ばれているとします。
それぞれの線の間には、実はさらに細かな目に見えない粒子が連なっており、A—B間にAa、Ab、Ac…というように、探すと点々が無数に規則正しく並んでいます。それぞれの点々の点(たとえばAaa、Babといった具合)が見えるかどうかは、データの蓄積の違いにより、見える人と見えない人がいます。
人の持つバイアス=欲は、見たいものだけが見えて都合の悪いものは見えなくなりがちですが、無我の境地を一時的にでも再現することができれば、この意味がだんだんと解ってます。
ここでは「今のあなた」に不必要なものを排除し、必要なものだけを残したいわば結晶のようなものを、わたくしなりに書き記しています。繰り返し体に沁み込ませてゆくことで、あなたの心身を組成する糧となってゆくように、工夫しました。余すことなく受け取って頂くことで、それはあなたの血となり肉となります。
文脈を理解する能力
ここに書いているそれぞれの事柄を全体を通して理解したひとは、誰よりもいち早く、一足飛びでこれらの知識を吸収して自分のものとして獲得し人生を大きく変えてきています。
そのためには「全体を通して文脈を理解する」能力が必要になります。
ではその能力は、どうやったら獲得できるのか。
それは幾重にも重なって、自分にかかっているこころのフィルターの一枚一枚に気づき、それらを丁寧に外してゆくことが必要です。
幾重にも重なったフィルターは、こころを守るために必要であったものであり、そのフィルターをつくった原因は“わたくし”も含めた「他人のせい」です。
この事実は変わりません。そのうえで、それでもなお「救われたい」と思うのならば、焦らず少しずつで良いので、自分にかかったフィルターの存在に気づき、丁寧にはがしてゆく作業が必要となります。
このことに芯(真)から気づくことができれば「文脈を理解する」ということがどういう意味なのか、理解=体感できるようになるでしょう。
体感を通して納得できなければ、どれほど文章を読んでも“理解”したことにはなりません。
燃料投下
たとえば、あなたが培った知識や経験というエッセンスを一滴、水面に垂らしたとします。するとそれはロジカルバタフライとなって、水面を揺らします。人間は飽くなき探求心という欲求を持っています。
波紋同士はぶつかり合って、様々な紋様を描きます。このシナジー効果を、知のビッグバンと呼びます。
労働者の皆さん、下請け、孫請けの皆さん。極めてロジカルに、皆さんの苦境の原因が解明されました。
怒りをまき散らすのは、あまり��マートなやり方ではありません。
我々は誇るべき民族として、極めて冷静に、論理的に、合法的に、スマートに、怒りを昇華させる方法を考えれば良いだけです。それが許されている社会に生きる者として、出来ることがあります。
その怒りは、悪い怒りではありません。この怒りを起点とした大きなうねりは、負のスパイラルからの大転換であり、天地逆転の真理でもあります。
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2024年4月28日
2024 明治安田J1リーグ 第10節 サンフレッチェ広島 2-2 川崎フロンターレ@エディオンピースウイング広島 26051人/38分 大橋 祐紀、65分 小林 悠、74分 山田 新、75分 加藤 陸次樹
加藤陸次樹選手/初得点でかなり安心。でも勝てなかった悔しさ。
……今季初得点。率直な気持ちは。
加藤●ほっとしていますね。自分で言うのも変ですけど、ゴールの瞬間はめっちゃ落ち着いていた。自分らしくないゴールだったかもしれないですね。いつもなら、初ゴールの時って思い切って振り抜いて決めたみたいな感じだったんすけど、今日はなんか落ち着いて、一呼吸置いて、ゴールできた。よかったです。
……満田選手のクロスに反応したピエロス ソティリウ選手と相手のDFが前にいましたね。
加藤●ピエロスが触るかなと思ったんですけど、触らないであろうっていう感覚で走り込み、足を出しました。
……本能的な感じなんだ。
加藤●そうですね。
……1点とれたっていうところで、安心感があるのでは。
加藤●いや、かなり安心してます(笑)。安心しているんですけど、勝てなかったんでね。それは、チームとしてはそんな良い状況ではない。でも次に勝てば、良い状況に一気に持っていけると思う。
……前半、あれだけボールを握って押し込んで、後半も途中まではチャンスが多かった。そういう時間帯で、もう1点取れてれば。
加藤●広島のサッカーってチャンスがめちゃくちゃ多い。だから、決められなかった時に、残念感がでかいというか。気持ち的にも、体力的にも、今日も危ないシーンはたくさんありました。でも、そこで決めきれれば、勝てると思う。そこはもう、こだわらなくちゃいけない。
……でも、あのポジションにいたってことは、ストライカーとしての力じゃないかなと思う。
加藤●そう言ってもらえると嬉しいですね。
……VARの確認に時間がかかった。
加藤●自分の考え的には「オフサイドは絶対にない」と思っていた、あり得ないと思いながら、待ってました(笑)。
……特に前半は、サイドに流れてのクロスも結構あったし、そこでチャンスが生まれた。チームとして点を取りたいという思いで?
加藤●マジでもう、吹っ切れていたんで。点が取れないなら、このチームのために何かできることはないか、そう考えていました。ホームだし勝利が(サポーターの)皆さんのためになると思ったので、それを意識してやってました。
……ゴールの瞬間は、冷静を通り越して無になった。
加藤●無でしたね。もう、喜ぶのも喜ばなかった。勝ちに行こう、みたいな感じでした。
……奈良戦での打撲が心配だったんだけど、痛みは吹っ飛びましたか。
加藤●吹っ飛びました。ピッチに入ればアドレナリン全開で、全然痛くないです。
……新潟戦が近いので、そこで連発といきましょうか?
加藤●そうっすね。得点とチームの勝利。そうすれば、また首位に返り咲けると思うんで。
……勝ち越されたすぐ後のゴールでした。っていうのは。気持ちは冷静でしたか。
加藤●広島のサッカーって、失点しても1人1人がびびらず、前にどんどんボールを運ぶ。それはいいことだと思いますし、チャンスを決め切れたのはよかったなと思います。
大橋祐紀
大迫敬介選手/次はチームを救いたい
……今日は、いいプレーも悔しいプレーも、どっちもあったと思うんだけど。
大迫●悔しいプレーの方が印象が強いっすね、僕の中では。やっぱり2失点に絡んでしまったので。
……二つのシーンを振り返ってもらいたい。一つ目はCKのところで、前に出て。
大迫●触れなかったですね。(クロスからの)シュートもあったので、まずそのシュートを撃たせないことを優先した中だったんですけど、少しボールの軌道が緩かったので(ボールに)食いついてしまった。2失点目に関しては、PAの中でボールを取るのか、前に出てプレーするのか、ちょっと迷いがあった。それが良くなかったですね。
……今思えば、2点目のところはステイしていた方がよかったのかな。
大迫●相手がどこまで来てるのか、自分の中で感覚がつかめてなかった。迷ってしまうと、ああいう感じになってしまう。いい課題が見つかったと思います。失点してしまっているので悔いは残りますけど、でも自分らしさをこれで失うと良さがなくなってしまう。うまく修正・改善するポイントを見極めながらやっていました。
……一方で相手が抜け出した1対1の場面、いずれもいいポジションを取って両足をつけて動かないことで相手のミスを誘った(72分のマルシーニョ選手のシーン)。46分の小林悠選手の時も、いいポジションどりでした。
大迫●一対一はすごく得意なので、ああいう場面でも焦りはなかった。マルシーニョ選手のシーンは、枠に来たら止められたと思います。距離を詰めるタイミングもわかってるし、シュートに対しての自分の姿勢も良かった。だからこそ、これを結果に繋げたかったですね。
……勝点1について。
大迫●勝点1を取ったというよりは、勝点2を落としたっていう感覚ですね。
……この1ポイント生かすためにも次は勝たなきゃいけない。
大迫●シーズンを戦ってれば、自分のプレーが原因で勝点を落とす試合も、あることはある。もちろんなくすのが一番ですけどね。こういった結果をうまく次に繋げて、自分が成長できれば、今日の試合が生きるのかなと思います。
……会見で「ケイスケだってミスをすることはある」と言っていました。
大迫●本当ですか(苦笑)。次はチームを救いたいと思います。
ミヒャエル スキッベ監督/加藤陸次樹は肩の荷をおろしてくれただろう
スキッベ監督●今日は両チームとも前に向かった素、Jリーグの中でも素晴らしい試合だったと思います。
前半、我々は試合を握って前に出た。後半になると割とオープンになって、行ったり来たりになりましたし、相手の早いカウンターも受けました。ただ自分たちの方が確実に、大きなチャンスがあったと思ってます。しかし、相手のGKが素晴らしいパフォーマンスを見せていましたし、彼の活躍によって相手はポイントを取った。そういう試合でした。
自分たちのチームのパフォーマンスに関しては非常に納得がいく。すごく強い川崎F相手に、素晴らしいプレーを見せたと思います。
……加藤陸次樹選手のゴールについて。
スキッベ監督●ムツキはここまで非常に苦労したけれど、少し肩の荷が落ちたと思います。これからゴールを量産する選手。ちょっと(初得点まで)時間かかりましたけれど、どんどんやってくれるのではないかと思います。
……今季初めての複数失点。
スキッベ監督●今日のDFラインや中盤の選手も含めて、守ることに関しては、非常に堅いパフォーマンスを見せてくれました。(大迫)ケイスケについては、彼の活躍これまで自分たちがどれだけポイントを集めてきたか。ただ彼は今日、ハイボールを見誤ってしまうシーンがありました。ただ、ケイスケだって、ミスをすると思っています。
……ピエロス ソティリウとマルコス ジュニオール。彼ら2人の今日のプレーについて。
スキッベ監督●2人とも数多くのチャンスを作り出したと思います。チームにとって非常に大きな選手が戻ってきた。もちろん、段階を追って、走力についてはやっていかないといけないと思っています。ただ高いクオリティのサッカーを今日は見せられました。
……負けていないとも言えるし、ここ3試合は勝ち切れていない。両面があると思いますが、どのように受け止められていらっしゃるのでしょうか。
スキッベ監督●Jリーグのレベルがすごく均衡している証拠だというふうに思います。
ホテルオープンに先がけ菓子店 広島県呉市で「シャトレーゼ」オープン(RCCニュース 4月28日)
広島県呉市の「グリーンピアせとうち」を購入した菓子製造販売のシャトレーゼは、ホテルオープンに先行して29日に売店の営業を始めます。
営業を始めるのは、ホテル「シャトレーゼ ガトーキングダムせとうち」の売店です。
ホテルは、菓子製造販売やリゾート事業を手がけるシャトレーゼホールディングスが去年、呉市から購入した「グリーンピアせとうち」を改修し、9月から営業します。
その第一段階として、ホテルの1階にある売店でおよそ200種類の洋菓子や和菓子などが販売されます。
全国の店舗に先駆けて先行販売される焼菓子「せとれもん」です。瀬戸内レモンを100パーセント使ったマドレーヌタイプのレモンケーキで、甘酸っぱく、さややかな香りに仕上がっています。
シャトレーゼホールディングス 齋藤貴子 社長 「お菓子がコアなビジネスなので、まずはここに来て、お菓子も召し上がっていただける新しい楽しみ方をご提供したい」
売店は、29日午前9時にオープンします。
広島の繁華街・流川で火事 男性1人搬送 ビル屋上で “BBQ・たき火” できる施設(RCCニュース)2024年4月28日
28日夕方、広島市の繁華街の屋上で、バーベキューやたき火などが体験できる施設を焼く火事があり、男性1人が病院に搬送されました。
消防によりますと、28日午後6時前、広島市中区流川町のビルで「屋上から炎が見える」と通行人から通報がありました。
消防車10台が出動して消火にあたり、火はおよそ1時間後に消し止められました。
この火事で30代の男性1人が病院に運ばれましたが、意識はあるということです。
現場は、ビルの屋上でバーベキューや焚き火などが体験できるグランピング施設で、警察と消防で出火原因を調べています。
赤いオブジェ、ポンプのモニュメント・・・ 広島市中心部のおしゃれな通りにあるアートは何?(中国新聞)2024年4月28日
おしゃれな店がたくさんある並木通り(広島市中区)。道沿いにある赤いフレームについて、詳しく知りたいとの声が寄せられた。由来や背景を探ってみた。
広島パルコから南へ。複数の長方形を組み合わせた高さ約3メートルのステンレス製のオブジェがある。近くを通る若者やお年寄りに聞いたが、「視界には入っているけど何か分からない」「通りがかって不思議に思っていた」といった反応だった。
並木通り商店街振興組合によると、中区のアーティスト鈴木たかしさん(76)の作品。1980年ごろ、当時の組合理事長が「若者が集まるおしゃれな街」を目指し、制作を依頼したそうだ。
鈴木さんを訪ねると「さらに南にある手押しポンプのモニュメントも、かつて川があったシンボルとして自分が作ったもの」と案内してくれた。これらのアート作品の存在もあり、88年にデザイン性の高い商業地区として全国表彰された。
並木通りが生まれ変わって40年余り。商店主や住民たちが今、木陰でのオープンカフェなど新たな活性化策を構想する。そのプロジェクト「並木コンソーシアム」の伊藤進事務局長(42)は「おしゃれな街と自然が共存する、居心地の良い通りにしたい」と力を込める。魅力的なストリートを目指す精神は、時代が移っても受け継がれていた。
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