#催涙雨
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The cowherd and the weaver girl
The Chinese festival Palm mentioned in episode 4 Qi Xi Jie, also known as Chinese Valentine's Day, is also celebrated in Japan as Tanabata matsuri 七夕祭り on the 7th of July.
The Japanese version differs a bit from the story Palm has told:
The weaver girl 織姫 (symbolizing the star Vega) is the daughter of the Heaven Emperor 天帝 and was known for her beautiful weaving and her diligence. Since the cowherd 彦星 (symbolizing the star Altair) was also known for his hardworking nature, the Emperor allowed their marriage. Happily enjoying their married life the weaver girl and the cowherd started to neglect their respective work. Enraged after hearing complains from every one the emperor drew a river through the sky 天の川 (symbolizing the milky way) and separated them. After seeing his daughter grieving every day, the emperor allowed them to meet once a year, on the 7th of July. A bridge of magpies makes it possible to cross the river. However, if it rains on the day, the water level rises and the weaver girl can't cross the river and meet the cowherd. The rain 催涙雨 symbolises the tears the weaver girl and the cowherd shed.
On the 7th of July, you write your wish on a piece of paper and hang it on a small bamboo branch and eat cold noodles called そうめん Somen.
With how often Never let me go is referring to the legend of the weaver girl and the cowherd, e.g. the beach scene, I highly suspect that there is some kind of separation between Palm and Nueng, probably because Nueng drives Palm away to protect him, and then once a year they will meet at the beach, their safe zone, where they are just Palm and Nueng.
#never let me go#the cowherd and the weaver girl#tanabata#i'm late to the party#as always#thai bl#possible ending of nlmg#japanese culture
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2023/3/27〜
3月27日 思ったよりも桜がまだ残っている。 通勤の風景が桃色で春。昨日SNSでお誕生日を祝った方から、私が大阪で撮った写真が通勤の景色で今までとは違ったものに感じられるようになった、とメッセージをいただいて、写真とSNSをやっていて良かったと思える出来事で嬉しかった。
出勤して、私がよくわからず落ち込んだまま午後休んだ先週の金曜日、隣で上司は第一子が誕生していたことを知る。他人はどこまでも他人で他の星であることを実感。 予定日より2週間ほど早く生まれたとのことで、私も上司が育休に入る前に出産祝��を用意しようと、今週末あたりにでも〜と思���ていたので、早い!と驚いていた。
帰りに1期下の方と電車でお話をしながら帰った。なんと!髙島屋のモール展を知っていて、その前に開催されていた百貨店展も行って同じく図録も買ったとのことで、商業施設トークに花を咲かせてしまった。
薄着で出掛けて、帰り道が寒くて、お花見の帰りみたい。
3月28日 すっかり身体が冷えて昨日からずっとお腹が痛め。
昼までの雨が上がって夕方の桜のピンク色の色味が増して見える。
今日は来年度の座席へお引越しをして、いつもより違う景色で、単純だけれど気持ちが新鮮だった。 前の職場でお世話になった新しい上司が引き継ぎにいらしていて、声をかけてくださった。前の職場のときは、まだ感染症の状況下以前だったのでマスクのない姿しか知らない。それだからかマスク姿に一瞬どなたか迷ってしまった。 目から上の顔って似たり寄ったりで、鼻と口はグロい、と浅野いにおが言っていた。
3月29日 昨晩もう一回電気毛布を引っ張り出したので、今日は冷えが少しマシで、お腹の痛みもあまりない。 桜の花びらは、4割くらいお砂糖になってしまった気がする。
いろんな方のお知恵を借りて、上司への出産祝いを注文した!スタイってなに?と思ったら涎掛けのことらしい。
朝から少しざわざわする気持ちになり、みんなそれぞれの星で人生をしている。
お昼休みはB&Bの長島先生のトークイベント配信を聴いて、週末のレビューに備えて過ごす。ぎこちない会話への対応策、も図書館で借りて読み始めている。女性として、写真家として、確固たる意志を持って作品を作っていると思っていたけれど、少し印象が変わってきた。いろいろお話しさせてもらえるといいな。
職場に支給のあった科博の恐竜展のチケットがあみだくじであった! 誰を誘おうか考え中。何もなくともお茶をしてもらえる友人でない、なんだか久しぶりな人を誘ってみたい気持ち。
3月30日 フライングして送別のプレゼントを渡してしまおうかと考えて、ロッカールームと自席をうろうろ往復して、結局明日へ持ち越しになった。
帰り道、一期下の方と、私の謎のウォーキングコースにも巻き込んでバスと電車に乗って帰ってきた。お互いの妹の話や化石ハンター展のチベットケサイの話、2人とも異動はなくとも周りの異動��バタバタに巻き込まれてそわそわするね、と話したりした(お互いの上司が交換の人事異動)。
ばらまき用の選別のお菓子の大きな紙袋を持った人や、花束を持った人や、ディズニーランドに出かける人を電車で見かて春。年度を納めて気持ちが無、を今年はちゃんとやり遂げたい。
今日は桜と写真を撮った。
3月31日 年度を納めて気持ちが無、なんかじゃなくて、来年度の不安で気持ちが張り裂けそう! 今日までの方々との別れの涙ではなく、3日後からの不安でお手洗いで泣いてしまった。 泣き続けてしまう気がして、一期下の方を誘って一緒に帰ってもらう。
でもなんとなくお互い、年度末のバタバタで頭が冴え切っているけれど疲れていて、割と最後はだんまりで帰ってきた。
今日はお掃除もせず早めに眠ってしまいたい。
今はちょっとの冷たい態度やきびしい言葉にも泣いてしまうほど、年度を納めて落ち込んでいる。
母に今日でお仕事が一区切り(のはず)のお疲れ様メッセージを送って出勤。 もうこれで最後だからか、みんな不思議と機嫌が良さそうで毎日が今日で最後であればよくて、何かが続いてってしまうことの怖さとか虚しさを思ってしまう。
恐竜展に友人を誘ってみて、メッセージを送ってから友人の結婚相手(彼女も私の友人)に言っておいた方が良いのかな?と思った。 以前、彼女には科博の“化石ハンター展”のチケットをもらった時に一緒に行ってもらった。その会場で、今回誘った友人(旦那さんの方)が恐竜が好きだということを教えてもらったので誘ってみた次第だった。 彼ら2人とは、それぞれ仲良くしてもらっていて、お家にも遊びに行かせてもらったりしているけれど、2人同時に会うことがほとんどなく、それぞれを個人として関係できているのが心地よかった。なので、ふと、男性側の友人と私が遊ぶ時に、女性側の友人への根回しが必要なのかしら?と思った自分の思考回路にしょぼん、となった。
そんな感じで、年度を納めて気持ちが無。
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【能登半島地震から1年】雨の中で祈りと復興誓う輪島朝市の関係者たち
昨年の元日に発生した能登半島地震から1年が経過した1月1日、甚大な被害を受けた石川県輪島市の観光名所「輪島朝市」では、多くの市民が集まり、発生時刻の午後4時10分に現地で黙祷が捧げられた。激しい揺れや大規模な火災によって壊滅的な被害を受けたこの地域では、公費による建物の解体が進み、現在では広範囲に更地が広がっている。当日は午後になると雨が降り始め、発生時刻に近づくにつれてその雨が一層強まると、集まった人々の間から「涙雨だ」との声が漏れる場面もあった。 輪島市朝市組合の冨水長毅組合長(56)は、地震が地域全体に与えた深い影響について「能登全体が悲しんでいる」と心境を語った。同組合は、地震後も地域の復興を目指して活動を続けており、昨年7月からは市内の商業施設で「出張朝市」を開催するなど、朝市の復活に向けた取り組みを進めている。冨水組合長は黙祷の場で「この1年、復興に向けてさらに努力した…
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20241130 沈黙させられ、消し去られた香港の10年間の抗議は今や反抗的な記憶となっている テッサ・ウォン、グレース・ツォイ、ヴィッキー・ウォン、ジョイ・チャン BBCニュース 2019年11月12日、香港の香港中文大学(CUHK)で警察が催涙ガスを発射し、男性が拘束された。 香港では過去10年間に爆発的な民主化デモが起きたが、北京の弾圧を受けてより自���な都市への期待は薄れつつある。 ケネスさんが、かつ��香港の中国に対する抵抗の中心地であった香港のビクトリア公園を散歩していると、思い出が次々と甦ってきた。 子どもの頃、ケネスさんは毎年恒例の旧正月フェアで民主派の政治家から書道のポスターを買っていた。 それから、彼が10代の頃に参加した抗議デモは、いつもここから始まり、その後、市内を巡っていった。彼はまだ12歳のとき、天安門事件を追悼する大規模な公園での集会に参加し始めた。天安門事件は中国本土ではタブーだが、香港では公然と追悼されている。 こうした集会はもう終わった。フェアでの政治家のブースはなくなり、抗議活動は沈黙させられ、民主化運動家たちは投獄された。ケネスさんは、自分の政治的成熟、そして香港の成熟が消し去られつつあると感じている。 「人々はまだ生活を続けていますが、少しずつ変化を感じます」と、本名を明かすことを望まなかった元活動家は語った。 「私たちの街の特徴は消えつつあります。」 表面的には香港は以前と変わらないように見える。混雑した路面電車は依然としてにぎやかな通りをゴロゴロと走り、鮮やかなネオンに照らされた混沌は薄れていない。 しかし、よく見てみると、母国中国への歓喜の声で毎夜ライトアップされる高層ビル群から、香港固有の広東語とともに中国本土の北京語のおしゃべりがますます聞かれるようになったことまで、街が変化した兆候が見られる。 香港の700万人以上の住民のうち、どれだけの人が北京の統制を歓迎しているかを知ることは不可能だ。しかし、2014年に民主化運動が勃発して以来、過去10年間で何十万人もの人々が抗議活動に参加してきた。 誰もがこれを支持したわけではないが、北京がこれを潰したと主張する者はほとんどいないだろう。激動の10年が終わりに近づくにつれ、より自由な香港への希望は萎えてしまった。 中国は、不安定な香港を落ち着かせたとしている。包括的な国家安全維持法(NSL)のもとで何百人もが投獄され、逮捕を恐れたり逃亡した活動家を含む何千人もの幻滅し警戒心の強い香港人が国外に逃亡した。ケネスさんのように、香港に留まり目立たないようにしている人もいる。 しかし、彼らの多くは、より自由な香港の記憶を生きている。彼らは、北京による香港の再構築に抵抗し、その記憶を思い出すために戦っているのだ。 広告 ゲッティイメージズ 香港警察が催涙ガスを使用してデモ参加者を解散させ���から1か月後、数万人が主要な抗議活動会場に集まり、さまざまな色の傘を広げている(2014年10月28日、香港)。ゲッティイメージズ 2014年の抗議活動では数千人が香港の街を占拠し、雨傘運動やオキュパイ・セントラルと呼ばれた。 かつて英国植民地だった香港が1997年に中国に返還されたとき、言論の自由、集会の自由、法の支配など、いくつかの権利が50年間維持されるとの保証があった。しかし、北京の権力が強まるにつれ、香港の民主派陣営内の不安も高まった。 2014年9月、数万人の抗議者が香港の中心部で完全な民主選挙を要求して大規模な座り込みを始めた。この座り込みにより、当時17歳の学生だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏や大学教授の戴紅(ベニー・タイ)氏など、新世代の民主化運動家が台頭し、この運動を「オキュパイ・セントラル」と名付けた。 また、これは2019年に中国政府が香港住民を中国本土に引き渡す提案をきっかけに起きた、より爆発的な抗議活動の土壌にもなった。この計画は撤回されたが、さらなる民主化を求める声が高まるにつれ、抗議活動は数カ月にわたって激化し、香港における北京の権威に対する最も深刻な挑戦となった。 「戴英傑がいなければ、オキュパイ・セントラルは存在しなかっただろう」と、戴氏と朱耀明牧師とともにこの運動を立ち上げたチャン・キンマン氏は言う。 「彼は学者らしい気質を持ち、自分の考えを率直に述べました。だからこそ、大胆に変化を推し進め、大きなアイデアを考えることができたのです。歴史を変えるのはいつもこのような人々なのです。」 広告 ゲッティイメージズ 民主活動家のチュー・ヨウミン氏(左)、ベニー・タイ氏(中央)、チャン・キンマン氏(右)が、2014年9月14日に香港で行われたデモ行進の後、ステージ上で演説している。彼らは金色のリボンがピンで留められた黒いTシャツを着て、拳を空中に突き上げている。ゲッティイメージズ チュー、タイ(中央)、チャンは2014年のオキュパイ・セントラル運動の先頭に立った。 2013年、チャン・キンマン、チュー・��ーミン、チャン・キンマン、ベニー・タイが笑顔で「忍耐、平和、愛」と書かれた木彫りの誕生日プレゼントを掲げている。チャン・キンマン 2013年、3人はタイの誕生日を祝い、「忍耐、平和、愛」と書かれた木彫りの誕生日プレゼントを掲げた。 チャン氏とチュー牧師は現在、台湾に亡命している。チャン氏は、オキュパイ・セントラルで公衆迷惑行為を扇動した罪で11か月の懲役刑に服した後、2021年に台北に移住した。現在は地元の研究機関の研究員を務めている。 タイ氏は今も香港におり、今後10年間は刑務所で過ごすことになる。 今月初め、彼はウォン氏を含む40人以上の民主化運動家とともに国家転覆罪で禁錮刑を言い渡された。彼らの多くは2021年初頭の逮捕以来、投獄されている。ウォン氏は法廷を去る際、「私は香港を愛している」と叫んだ。 翌日、中国を激しく批判する76歳の億万長者ジミー・ライ氏が、外国勢力と共謀した疑いで裁判に証言した。彼は衰弱しながらも反抗的な態度で、現在は廃刊となった自身の新聞「アップル・デイリー」は香港の人々の価値観「民主主義と言論の自由の追求」を唱えただけだと法廷に語った。 裁判は、裁判に至る経緯とは全く対照的に、静かに進行した。法廷の外に立てられた小さな抗議のサインはすぐに封鎖され、息子の判決を嘆き悲しむ女性は警察に連行された。 中国政府は、裁判が行われているNSLを含む制限は安定のために不可欠であると主張している。西側諸国やその同盟国には、中国の法律やその適用方法に疑問を呈する権利はないと主張している。 しかし批評家たちは、中国が1997年に結んだ協定を破棄したと非難している。協定によって香港の裁判所が弱体化し、かつては香港で響き渡っていた民主主義を求める声が封じられたと彼らは言う。 BBC中国語 / ジョイ・チャン・チャンが台北を運転しているとき、車のミラーに眼鏡をかけた目が映っているBBC中国語 / ジョイ・チャン チャンさんは2021年から台北に住んでいる チャンさんは、これらの出来事が展開するのを、重い気持ちで遠くから見守ってきた。 2014年以降、まだ変化の可能性はあったと彼は語った。「今では多くのことが不可能になってしまった…香港は他の中国の都市と何ら変わりなくなってしまった」。 10年以上民主主義のために活動してきた後にこの現実に直面し、「私が人生でやってきたことはすべて失敗したと言ってもいい」と彼は苦笑いしながら語った。 しかし、彼はまだ頑張り続けている。中国社会についての授業のほかに、オキュパイ・セントラルについての本を執筆し、香港の抗議活動の記録用に品物を収集し、会議を企画し、民主主義と政治についてのオンライン講義を行っている。 こうした努力により、「私は香港を諦めたわけではないと感じています。香港を見捨てたとは思っていません」。 しかし、彼は去るという決断に葛藤する瞬間がある。台湾にいるほうが幸せだが、「喪失感」も感じている。 「私はまだ他の香港人と一緒にいて、彼らと同じ課題に直面しているのだろうか?」 ゲッティイメージズ 2024年11月9日、香港のノースポイント地区のメインストリートを走る路面電車の様子。歩道は人々で混雑している。ゲッティイメージズ 香港の象徴的な路面電車は今も街中を走り続けています... ゲッティイメージズ 2024年11月18日、香港の自宅アパートの窓の外にある点灯したネオンサインの横に洗濯物を干す男性。ゲッティイメージズ そしてネオンに照らされた混沌は薄れずに残っている 「ここで空気を吸わなければ、何が起こっているのか本当には分から���い…ここで脈動を感じなければ、本当に死んでしまったということだ」とケネスさんはビクトリア公園を歩きながら語った。 ここ数年、友人たちがこぞってこの街を去っていったため、彼は送別会に何回出席したか忘れてしまった。それでも彼は留まることを主張する。「ここが私のルーツですから」 彼を苛立たせているのは、香港を去る人たちが、自分たちが知っていた香港は死んだと言っていることだ。「香港は存在し続けている。香港の人々はまだここにいる! なのにどうして香港は死んだと言えるのか?」 しかし、劇的な変化があったことは認めた。香港人は今や声に出して言うことについてよく考えなければならないとケネス氏は語った。 多くの人々が今や「監視の常態化」に適応しつつある。越えてはならない一線は存在するが、「それを見極めるのは非常に難しい」。 活動家たちは、公然と運動する代わりに、嘆願書を書いている。集会やデモ行進、抗議活動は絶対に禁止だと彼は付け加えた。しかし、ケネスのように、逮捕されるのを恐れて、どんな活動にも参加することに慎重な人も多い。 最近、 Tシャツ、ソーシャルメディアの投稿、絵本が法律に違反し、所有者が反逆罪で投獄された。 ゲッティイメージズ 2019年6月4日、中国香港のビクトリア公園で行われたキャンドルライト集会に参加した人々がキャンドルを手にしている。ゲッティイメージズ ビクトリア公園ではかつて天安門事件の犠牲者のための毎年の集会が開催されていた。 ゲッティイメージズ 2024年9月17日、中国香港の中秋節の休暇中、色とりどりのランタンがビクトリア公園を照らします。ゲッティイメージズ 公園で最近行われた中秋節の祝典は、中華人民共和国建国75周年を記念するものである。 最近、ケネスは外出する頻度が減った。「今は状況があまりにも劇的です。過去に何が起こったか思い出したくないんです。」 それでも、公園を出てアドミラルティ地区に向かうにつれ、さらに多くの思い出が浮かび上がってきた。 政府庁舎に近づくと、彼は2014年9月28日に初めて催涙ガスで窒息した場所を指さした。 その日、警察は非武装の抗議者らに催涙ガスを87発発射し、デモ参加者らを激怒させ、民主化運動を活性化させた。 抗議活動が激化し、催涙ガスが頻繁に使用されるようになると、多くの人が傘をさして身を守り、「雨傘運動」という新たな呼び名が生まれた。 ゲッティイメージズ 2014年9月28日(日曜日)、中国香港の中央政府庁舎近くで行われた抗議活動で、警察がデモ参加者に催涙ガスを発射した。ゲッティイメージズ ケネスは2014年9月28日、警察が抗議者に向けて催涙ガスを発射した際に窒息死した。 最後の訪問先は、彼の母校である香港理工大学(PolyU)だった。2019年のデモでは、デモ参加者が路上で警察と戦い、催涙ガスや放水砲、ゴム弾に対抗して物を投げつけた、重要な戦場となった。 5年経って、学生たちがレンガや火炎瓶で警察を撃退し激しい対決を繰り広げたポリテクニック大学の入り口は再建された。最も激しい衝突が見られた噴水は取り壊された。 香港の他の場所と同様に、このキャンパスも反抗的な過去を消し去られたようだ。ケネスさんは、それは大学が「人々に特定のことを思い出してほしくない」からだと考えている。 それから、彼は静かな隅へと急いで逃げた。茂みの下には、穴やコンクリートの塊が点在する低い壁があった。それが何なのかは見分けがつかなかった。しかし、ケネスは、これらは記憶の消去を逃れた戦いの痕跡だと考えている。 「私たちは起こったことを忘れないだろう」と彼は語った。「過去を忘れることは裏切りの一種だ」 BBC中国語 / 香港理工大学のLok Leeの穴だらけの壁BBC中国語 / ロック・リー ポリテクニック大学のトレードマークである赤レンガで作られた穴だらけの壁 BBC中国語 / Lok Lee 香港抗議運動の記念品の合成写真 - 黄色いヘルメットと木に彫られたスローガン。BBC中国語 / ロック・リー ケネスは抗議の記念品を秘密にコレクションしている 英国ワトフォードのテスコのカフェで、カスミ・ローさんは昔の故郷の懐かしい思い出を思い出した。 「香港の海がこんなに好きになるとは思ってもいませんでした。英国に到着して初めて気づきました」と彼女はフルイングリッシュブレックファーストを頬張りながら語った。英国を囲む冷たく暗い海と違い、「香港の海は建物がたくさんあるのでとても輝いています…私たちの街がこんなに美しいとは思いませんでした」。 カスミさんが夫と幼い娘とともに英国に移住することを決めたのは、過去10年間に彼女に忍び寄ってきた不安からだった。オキュパイ・セントラル運動は、2014年に娘が生まれてからわずか数か月後に始まった。 その後数年間、北京の統制が強まるにつれ(学生運動家は投獄され、書店は姿を消すなど)、かすみさんの不快感は増していった。 「香港に滞在するのは危険だとは言いません」と彼女は言う。「でも、毎日少しずつ、何かがおかしいと感じるようになりました。」 そして2019年、香港で再び抗議活動が勃発した。北京が取り締まりを強化する中、英国は1997年の香港返還前に生まれた香港人に対するビザ制度を提案し、かすみさんと夫は娘のためにも今が出発の時だと同意した。 二人はロンドン近郊のワトフォードという町に定住し、そこで夫はIT関係の仕事を見つけ、かすみさんは専業主婦になった。 しかし、彼女はこれまで海外に住んだことがなく、強いホームシックに悩まされていた。彼女はその様子をユーチューブの感情的なビデオ日記に記録していた。その中の1つは昨年、ネット上で話題となり、香港人の一部の共感を呼んだが、一方で彼女が移住を選んだことを批判する者もいた。 カスミ・ロー 香港のラマ島で犬たちと笑うカスミかすみ法律事務所 カスミの最も幸せな思い出の一つは、香港のラマ島で愛犬のグローリーと遊んだことだ。 Youtube / Kasumi Law 彼女が車の中で泣きながら座っている様子が映っている、Kasumi Law の Youtube 動画のスクリーンショット。Youtube / かすみロー 英国での生活に適応する難しさを語るかすみさんの話題の動画のスクリーンショット ついに耐えられなくなり、彼女は昨年香港を再訪した。2か月間、彼女はテーマパークや科学博物館など子どものころよく訪れた場所を訪れ、母が作ったふわふわのメロンと春雨、炒めたアサリを平らげ、エッグタルトやメロン味の豆乳など、おなじみのおいしい食べ物を堪能した。 しかし、彼女の記憶にある香港も変わってしまった。母は老けて見えた。女人街のお気に入りの店は閉店していた。 ある夜、尖沙咀の港のそばに座りながら、彼女は、恋しかったきらめく海との再会を喜びました。そのとき、彼女は、周りのほとんどの人が中国語を話していることに気付きました。 彼女の頬には涙が流れ落ちた。「海を眺めると見慣れた光景に見えましたが、周りの人々を見ると不思議な感じがしました。」 カスミさんは、次にいつ訪れるか考えている。今年、安全保障関連法第23条が可決されたため、友人たちは、再び訪れる前に過去の抗議活動に関するソーシャルメディアの投稿を削除するようアドバイスしている。 これは、2019年に娘を連れて抗議活動に参加し、何千人もの人々とともに団結して反抗的な態度で路上を行進した時の彼女の記憶にある勇敢さとは程遠いものだ。 ゲッティイメージズ 2020年1月1日、香港で民主化を求めるデモに参加する人々ゲッティイメージズ 2019年の抗議活動ではおなじみの光景:デモ参加者が両手を挙げ、5つの要求を象徴している 「引き返すには遅すぎます」と彼女は言う。「正直に言うと、香港に戻ってもそこでの生活に慣れないかもしれない気がします。」 「娘はここで幸せです。彼女を見ると、ここに来て良かったと思います。彼女の世界がもっと広くなるように願っています。」 カスミの世界も広がった。彼女は仕事を見つけ、新しい友達もできた。しかし、英国で新しい生活を築きながらも、彼女は自分と子供の中にある香港人としての部分を守り続ける決意を固めている。 カスミさんと夫は娘に広東語でしか話さず、家族で一緒に広東語の映画を見ることもよくある。娘はまだ、自分が参加した2019年の抗議活動や、自分が生まれた2014年に始まった運動の意味を理解していない。しかしカスミさんは、もっと大きくなったら説明するつもりだ。 カスミさんが蒔いた種はすでに根付き始めている。カスミさんは、娘が自分を中国人と呼ぶ人たちに反応する様子を特に誇りに思っている。「娘は怒って、彼らと口論するんです」とカスミさんは笑顔で語った。 「彼女はいつも人々に『私は中国人ではない、香港人だ』と言っています。」 9:05 香港の抗議活動:都市のアイデンティティ危機 香港についてもっと読む 香港最大の国家安全保障事件に関与する47人の香港活動家 反抗的な大物実業家の裁判が香港について何を語るか 香港の7つの激しい感情の1年 香港の反政府抗議 中国 2014年の香港抗議運動 香港国家安全法 香港 関連している 香港最大の国家安全保障裁判で投獄された活動家は誰ですか? 2024年11月19日 アジア 「���体主義国家になりつつある」:英国判事が香港裁判所を辞任した理由を語る 2024年6月11日 アジア 香港、14人の活動家を転覆罪で有罪判決 2024年5月31日 アジア もっと 2日前 バナナを食べるジャスティン・サン 暗号通貨起業家が620万ドルで購入したバナナアートを食べる ジャスティン・サンは、マウリツィオ・カテランの悪名高い2019年の作品を「他のバナナよりもはるかに優れている」と評した。 アジア 2日前 デンマーク沖のカテガット海峡に停泊中の中国船「易鵬三号」。黒い船体で貨物船なので船体は長く低い��� スウェーデン、切断されたケーブル問題で中国に協力要請 スウェーデンとリトアニア、フィンランドとドイツを結ぶバルト海のケーブル2本が損傷した。 世界 2日前 カメラに向かってポーズをとる董玉宇 中国、スパイ容疑でジャーナリストに実刑判決 光明日報の上級スタッフであり、ハーバード大学ニーマンフェローでもある董玉宇氏は、2022年から拘留されている。 アジア 3日前 2024年11月5日、ワシントンDCのホワイトハウスが見える 米国と中国、捕虜3人を交換 この交換は数か月かけて準備されたと伝えられており、米国で拘留されている少なくとも1人の中国人の解放も含まれていた。 世界 3日前 工場の生理用ナプキンの生産ラインで働く従業員 中国企業、生理用ナプキンの「縮み」について謝罪 中国の女性たちは、生理用ナプキンの長さが宣伝されている長さより劣っていることが多いことを自ら証明しようとした。 アジア 家 ニュース スポーツ 仕事 革新 文化 芸術 旅行 地球 ビデオ ライブ オーディオ 天気 BBCショップ 他の言語のBBC BBCをフォロー: 利用規約 BBCについて プライバシーポリシー クッキー アクセシビリティヘルプ BBCに連絡する 広告掲載について 私の情報を共有または販売しないでください テクニカルサポートにお問い合わせください Copyright 2024 BBC. 無断転載禁止。BBC は外部サイトのコンテンツについて責任を負いません。外部リンクに対する BBC のアプローチについてはこちらをご覧ください。
香港:10年間の抗議活動は今や反抗的な記憶となっている
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きんようび通信No.720📚
2024年10月4日
▲「気の毒やな。つらいやろな」と、元旦の地震に続き豪雨災害のあった奥能登地域の状況を伝えるニュースを観ながら母親が呟きました。7人の方が亡くなり、仮設住宅の浸水で再び避難所に戻らざるを得ない人・お店の再開を断念した人など、どの状況も言葉を失ってしまいます
▲先日開催��た「能登半島地震支援活動・帰任者学習会」。現地で活動した人10名・これから参加予定の人6名・法人担当者など約30名が参加。初めに、JDFセンター・スタッフマネージャー・塩田さんから、支援活動の特徴と課題・豪雨災害の実態を話してもらいました
▲次に武庫川女子大・大岡先生から「トラウマ反応・惨事ストレス・2次受傷」等について、セルフケアの具体的手法を交えながら講演がありました。その後帰任者から、活動の感想や現在感じていることについて発言してもらいました。豪雨災害直近活動の人は涙ぐんでいました
▲災害支援活動の中で大切なのは、困難な状況にある人の今と将来に寄り添いながら支援者を大事にすることだと思います。また支援者にある様々な力を合わせて、チーム力で対応することが継続した支援につながっていきます。様々な災害支援で積み上げてきたことを実感した学習会でした
▲さて、新政権がスタートしました。発足前から総選挙投開票に言及するなど、主権者が望む裏金問題の解明などと真逆に進もうとしているのは明らか。「手のひら返し」とマスコミでも指摘されていますが投票で意思表明することが重要です。私は、今の政治の根本的見直しを求めています
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🥃🍺🍶川柳
ウソはだめ
それは誰でも
知ってるよ
(I破さん、聞いていますか)
【今週の歌🎸】
・ハンバート・ハンバート…ぼくのお日さま
ハンバート×2の10年前の作品。この曲から発想された映画が、現在公開中。主題歌はもちろんハンバート×2で、音楽を佐藤良正さんが担当しています。11月27日にニューアルバムが発売されるとのこと(レコ発ライブ・大阪は、来年2月28日・オリック劇場)。楽しみですね。
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・田中そば店蒲田店…JR蒲田駅より徒歩1分
きょうされん全国総会に参加する前に訪問しました。あっさり飲める優しい味のスープに相性のよい麺。なかなか美味しかったです🍜
【追記📝】
明日(10月5日)、「おおはま障害者作���所」のイベントで15分歌います(出演は12時45分から)。ぜひお越しください。また、各種イベントでの出演依頼も受け付けています。良ければお声かけ下さい😊
10月27日が投開票日の予定です。みなさん投票に行きましょうね🤔😌
#きんようび通信 #能登半島地震 #奥能登 #トラウマ #惨事ストレス #2次受傷 #セルフケア #解散総選挙
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昨日はITAMI GREENJAM'24へ!!
お目当ては去年と同じくドミコ!!!
去年も最高に温かくってたぬしフェスやったので今年はおとむだちも誘って行ってきたよー!
やぱし直通バスはDJのお兄さん付きのOMATSURI BUS!
行き先は「昆陽池公園前(=楽園)」て書いてたの見逃さんかったよ!そう、楽園行きのバスに乗ったんやよ!
バスに乗るちょっと前から雨が降り出して、楽園は雨。
昨日書いたみたいに雨の中カレを食べてからサポータパス限定エリアへ。
もうむっちゃくちゃ並んでて、ミラクルひかるさんでいっちゃん観たかった工藤静香観れんかったー涙 声だけはしっかり並びながら聴いたよ◎
途中からは観れたし、おもしろかったー!!すき!
そして田島貴男さん!
えげつなくうたうまくてリズム感もヤベ!!
すっごい盛り上がったー!接吻も聴けたよ◎
その後お隣のステジのGEZAN!
歌声聴いた時にあれ?ってやっと気づいた!
映画「街の上で」で下北沢THREEで弾き語りライブしてた方やん!
私今回東京行った時に「街の上で」の聖地巡り?的なのもしてきたとこやったし、なんかタイムリでびっくりしちゃった!(それもまた書かして!)
そしてむちゃくちゃにかっこいバンドやったー!!ノンリノリなった!
ほんでからお目当てのドミコ!最前!!ヤター!!!
前日は夜ダン最前、昨日はドミコ最前やった!えーん!!ひかるくんのかわい靴下の色まで見えた!
リハから最高!
記憶はすぐ飛んじゃうから検索かけてどなたかが書いてくれてたセトリ確認した◎
フェスでの「まどろまない」と「なんて日々だっけ?」には勝手に思い入れがあるから聴けて最高にうれやった!
ひかるくんのギタ、そして急なシャウト最高すぎる。
長谷川さんのドラムは観てるだけで体温むちゃくちゃに上がる!!だいぶ熱くてニヤニヤしちゃった!
そしてひかるくんと言えばスカジャン似合う男No.1だので、その姿を観れたんもうれしかったなー◎
ドミコ終わり、フルツスムジsmileさんのイチゴの台湾かき氷食べたよ、おいしすぎて毎日食べたかった!
そしたらさ、そこのエリアのステジで奥村兄弟の由希ちゃん歌ってたよ!こっそり観ちゃってごめん!むっちゃステキやったー◎
そっからドミコTシャツ買いに物販へ。
なんの柄なんかずっと気になってたのでお兄さんに確認してから購入。なんと最後の1枚やった!セフ!
すっかし雨も上がったし、おとむだちのポテト食べながら、ぼちぼち帰ったよ、
今年もステジとかね、めっちゃかわいかったなー◎2日間とも無��開催されてほんとによかった!!
来年も愛ある楽園開催されますように◎
KUZU
2024.9.23分 4:52
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ユートピアを考えていた。
このなだらかなスロープをのぼる体はだいぶ軋んでいた。皆が支える滑車は見事に装飾され様々な色合いを纏い蔦をおおく絡めている。そこのミチを抜けると断層にあたるから、低く照らし尽くした桟道はなんぼもなく、曲線に沿って地下を巡ってください。厳粛な門扉は硝子でできており遠くまで見渡��ていたが、ちょうど突きあたりの掉尾を飾るからなんてこともない、そこはゆるりとあればいい。 歩みだすときはどうせ坂道を転げるように自由を求める、いつかの雨晴れ。ひときれ振りまく苦笑いに流れるらしい わたしの日常は、腐った美術館だと畫けば、 fragileをのみこんでいった 無意識の傾げ、やわらかく暗がりを抱擁する低い空に神の皓さは具象する、湿っぽい賢者であろうと叩き壊した少々の本音はやはり馨り、あたりいちめんないような感覚と憂いたすべては酔彩、 (溜息、)羽とすれば咲くがいいか。 四六浮き積と漂う媒体、崩してむき出しに沈シンだ柔肌と、ちょうど上澄みの配列をいつかと散り敷かれる、 つまらない祝日がたどたどしく腰をおろして。 どうやら、読みかけの頁 と混じりあい 孤独を拐かしたように感じ、生身の体はまた地に湛む 一夜の姿を見せ/考える/ジオラマだと勝手、わらえばいいけど。しかしだよ。この雨はやまなかったが、あなたはやわらかなかおをして、たまにかがやいてみえる。 繊細は腐静仏と吸い寄せられ ひとつぶの常ジョウは物換星移 いま暁のことですから ハンドルNでは風刺画にもなりゃしないが そうだな これは焼けた砂浜の車をやめて、素足で降り立ち おんなはまた/猥りがましいから胎をさすって。ビーチハットを目深に被り、奥に統べるように干潟を浚い、この瞳もなにもみえやしないが。キャンバス上を、流れてゆく先々を想像したときに。――と、まあそんなしあわせがほしかった。そう、声なき声で。いつかの稚気をそぎおとした某名のひとつとして、 それともなにか適した通勤バスのなかは温室じみて、しばらく床に落ちた水加減が混じり、座席はテンプレートのように日差しが溶け込み、にわかにひっくりかえした特徴は天地に蒼くざわめいた。 決して。軽く蒸れ乾いた沈黙(額縁)を、のそのそと 這い出ると/おおごえで/振り向けば、主張がない/視覚を 片々な素材を塗り重ね、或いは くたくたな結び目の一方に火をいれたばかりのものは、枢ククリ地図を片手に押し開き、この状態を完璧なものだと、一途にあり。こわばる実を幾つか抱いた木々がまたヒトカズに入イる���独自な悪路にさしかかるワダツミの質感までがアサギと可溜り、珠海の鳳獄や銀竜草ユウレイタケと解き、あっちこっちに群生し、おどろくほど弱い罠だとひとつ摘みとり、瞬く間に枯れて、どうせまわりはおだやかに過ぎゆくのですから もはや風であれ繋がれ、ほつれ目からそれぞれの人相を窺う、あるべきところへ薪は焚べられたのです。 怖気とは苦しみで悲しみで飼い殺した未知不明の蛇行を挟んでここに、種を蒔く。 無遠慮な灌木が芽吹きはじめる。侘しさが降り注ぎ窓に並ぶ。例えるなら眼鏡ごしに平行線の感傷とする。なにを掴み取ればよいのか。なにより御承知のとおり 喜劇覚書など粛々と眠るまえに ――ここに、延ばして掻きとるだけの今とは、ただただ下る 生活と通過する故に、蝋燭を立てインクを溢すのだから。その質感とあれば消沈の舵は荒廃を取り分け旨は潮流をややこと更け、刻としてうつほと孕む一筋のひかりを掴もうと手を伸ばし、ぬくみだけが輪郭と繊細に沁みて ……行く先をはじまりとみようが、柔らかな陽が透きとおったリネンのカーテンから現にみちみちて。シンプルないたみばかりが喉元を絞めるから。目覚めているようでどこか夢の最中あり、秒針も忙しない鼓動が重ならずに呼び起こしただけ切り抜きなのです (ひたぶる視覚に沿って包まれていたと、おもわれる、堺はまたどこかで傷付いて、脳裏ではたくさんのオリが生まれては消えていくのだ) ではやがて十坪に満たない明日になったら、赫々たる尊びも、ね――もう褪せた夏の秘色を解いたばかりの、あれら連中(労働者)はハリツケの丘を一蹴する。タンパク質が絵にかいたようなifの夢 (同時に朝もやと書き置き、手繰り寄せた白湯を啜った) 沖から外を眺め見ることが叶うよう、彫り込まれた深い庇が一夜のように天赦し、ゆるくズレていくと 人生のにぎわいにあたる。のちに複製され、舌の先まで熱い手のひらの流れに、記憶の隅に複雑に追いやられてしまい、なにもないほど、あたりまえになる このおとこの口から、光沢のある眼球まで感覚を欠けて、斜めから錠を取り付け、(まったく大袈裟な微睡みだと咳き込んでさぁ) 順序よく咀嚼させたものです。 ぬるい愚直なれ、鬱蒼とある なんぼか くねくねと、 まんべんな��虚脱感を肉体に添えるからだと 些細な歴史と覗き込めば銀河の畔もなれはて、一朝の圧倒を縫ってそれほど充てる、澪標の跡は手のひらだけに催涙雨と成す しかし豊かな光や深い影が情け無いかも知れません。いまやあなたの芝居がかった振る舞いも幅広く、自然という退廃美と永久欠番の黒鍵と奏でる自白なども、いろを混ぜ合わせ、憐れみひとつも感じないから。膿んだほとぼりとはきっと反復する、ほんのつかのまの名画だとして ではループする7番線の占いは―― 「どうってことねえの。」 ――もしシーラカンスの脊柱は太い中空の管~左右を除する足音が発する。そうしたなかで皆それぞれに閉ざされていて、晴た口吻のまどかに手を付けた展望のあぶき、かろやかに伏し拝みしどき、受け皿を序す貽貝の毒はへばれども堅く。くどくどとそれを憔悴爆撃とすくんでも老いても あれらはどうであろう《多機能携帯端末と徘徊する》 、と―― 並んでいるところに立って おとこは むかっていた、 碑錆びた名残りとある廟のようでも。 天体観望会は、アンタレスだけ満たし、うららかな裏を反して。考える葦であればびくともしない性格で。悠長に眠っているくせに。月蝕のあいだじゅう表情が消える。 (あなたのネグリジェを、黄昏が、さりげなく梳いたという) にんげんは俯瞰してみれば限りなく小さく、日常の如何にのっぺらとしたことよ。あの手この手も、多少の変化にびくつきながら過ごす、懐かしさもちょっとしたありえない夢も、抄録コラージュしたばかりで 気づけば景観を彫像する箱庭であるのに、ほんのすこしかいま見る窓辺では霧のむこうにある、風景とはひやりとなみだしたり、肖像がほころびたりするけれども、春がまた濡れている あなただとして 〈枝と花で飾る、ことを。〉 おもいかえしては此等、あるがまま 〝恣意ている〟から ゆらぎ (尾ひれがつく。そう想われるのだ) すりつぶす星の粒が、ゆがんだ波が寄せては引いて、いつかの桜花を兆すまで闇が浮かび落ちる、わずかな影が同形な足で真直な選を追いたら、すくわれ続ける。うたかたの日は昇り、また沈み、一匹の貧相な観賞魚アナタをおもいえがく 爛れた流星痕とは口遊んだ野火だったから ���して、それからずっとひかりはリビングダイニングに処方箋を継ぎ足す。あなたから仕切られた曲線で、くすんだ指で 蝶尾がそこら中ともしらぬものを仄カタムけ、真っ白に潰されたひかりに値いし、天穹と深海をいずれも結ぼれるように反射した六畳一間に わたしと金魚鉢ひとつ、空蝉と置いてな(筆舌に尽くしがたい) 2024/07/27
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三日目は、カサブランカへ日帰り。うーむ。オーストラリアのキャンベラもそうだし、アメリカのDCもそうだが、近代に人工的に作られた首都とは、文化的には砂漠地帯ということ。実に無機質なのだ。首都とはそういうものなのだろう。
世界で3番目にでかい事を誇る王様が作ったハッサン二世モスクへ行く。無駄にデカいだけで、人生初モスクがイランでデビューのワシは、基本的にイランが基準値なので、何を見ても感動しない。イランは手の入れ方、丁寧さに繊細さが抜群で、絨毯にでさえワシは人の息吹を感じる。トルコでも、まぁハイ。。。って感じだったのは、父のおかげで、イランの手工芸を見ているからだろう。父、ありがとう。
それにしても、権威主義と権力の見せびらかしは、やるならもっと精緻にやれって感じ。折角、世界で三番目にデカイと誇りながら、モザイクのタイルのズレとか、そういうの、ワシはめちゃくちゃ気になる。大体、アホ丸出しの欧米人でもなけりゃ、こんなんで感動する奴はおらんやろ。まぁ首都だし、一応、見ておかんとねというだけのレベル。これに入場料取るのは、国家としては、もはや恥ずかしいレベルだが、アホな欧米人相手には良いのだろう。街中は、どこでも、植民地支配おフランスに対する反発か、イタリアンとアメリカンのレストランで溢れている。昼食も、イタリアンだったので、モロッコ仕様のマルゲリータを食す。
昼食は、親切なイギリス人の二組のカップルと共に取る。ワシの両親とあまり変わらないだろうと推測される年配の御夫婦は、御主人はBAに長年、整備士として働いていたらしい。整備士として、若い頃はガトイックから派遣され、ザイールや南アフリカの空港に駐在。そう。アフリカ便は、皆、昔はガトウィックだった。アフリカから帰ってからはヒースロー勤務。日本にも四回、整備士として長期出張して、日本の整備士の正確さに感動し、リタイアしてから、奥さんを連れて一番最初に訪れたのは日本だったらしい。父と同じで、少し長めに働き、リタイアしたのは2015年頃らしいので、まだ観光客でごった返していない日本を見たのだ。京都、大阪、東京、御殿場、芦ノ湖、新幹線から見た富士山など、御夫婦は日本滞在がとても楽しかったらしい。良く働いた人の手は、節くれて、彼の人懐こい笑いとブリティッシュイングリッシュをチャーミングなものにさせる。子供は五人、孫は十一人目が絶賛製造中と笑って、奥さんに怒られる。ザイールでは若いのに、何もやる事なかったから、子育てしたんだよと、それでもめげずに笑いながら話す。奥さんも、笑いながら、そうね。大変だったけど、今はいい思い出と、ザイール生活を懐かしんでいた。いや���、マジで大変だっただろうな。ザイール。
もう一組は、ワシより少し年上で、熟年再婚のカップル。嫁はケープタウン出身。旦那は教会の牧師らしい。牧師だけに、モロッコでは嬉しそうにはじけていた。教会も大変で、イギリス国教会の矛盾、次世代への継続性が無いこと、本来はコミュニティサービスなのに、そうした教会の本来の姿が忘却されている事など、色々と話していた。御苦労なこっちゃ。まぁでも、牧師も休暇でモロッコ来れる位に儲けているなら文句無いやろ、とも思う。
午後は海辺に立つフォーシーズンズの横にあるモールへ連れて行かれる。モールかよ。。。資本主義である。ワシは海辺で座って海を眺め、波のゴーという音に耳を澄ませる。波の音は、ザブンチャプンじゃなくて、ひたすらゴーという感じだった。父がどこかで買い求めた巨大な貝殻に耳をつけて、聞いていた音を思い出す。貝は海を恋しがり、海の音を、陸に上がっても己と共に持っていると、子供の頃、何かで読んでから、ワシは貝殻を見つけるたびに耳を付けて耳を澄ませていたっけ。平貝なんてダメよ、空気の音なんだから、巻貝じゃないと。。。と笑う母。父は何故か、その会話を覚えていたのか何なのか定かではないが、ワシの貝へのお熱が冷めた途端から、出張先で大きな貝殻を求めては得意気に持ち帰り、ワシに、おいマキ、土産だ、といって渡していたっけ。
ワシは、ドイツに住んだ二年間、今までより一層に両親への感謝しかなくなった。若い両親も、悩んでいた事もあろう。今ほど将来不安は無い時代だったにせよ、子育てに伴う不安や思いの中で、父には実に贅沢をさせて貰ったし、母には守って導いてもらった。海を眺めながら、涙が頬を伝う。ドイツにでも来なければ、これ程までに、今の自分がある事の礎を、両親がしっかりと授けてくれていたことに気付けただろうか。勿論、ワシは残念ながら天才で、やっぱり常人と違う自分に気付かされる事多数。でも、その常人ではない稀人ぶりを、温かく見守り伸ばして貰えたのは、両親と白百合の伸び伸びした環境だった。感謝。感激。雨あられである。
夕食は、ホテルの近所のモロッコ料理屋で野菜のタジンでも食べようとふらりと入る。静かに盛り上がっているアジア人の三人組。ワシは彼らの隣の席で相席となる。最初は、日本語だと気付かなかった。ワシの脳味噌、完全にフランス語とスペイン語モード。彼らの料理が来てから、なんでさっきから意味が分かるような気がするんだろうと、真剣に悩む。あー。日本語で喋っているんだと気付けるまでに、相当時間がかかった。自分に笑える。
彼らはシェア旅というSNS上で見知らぬ旅仲間を集うプラットフォームをベースに集まった旅行者らしい。主催者の男の子は三十代。旅行会社に十年勤めて、自分が生きたい旅ができる自由な旅行に憧れて、でも一人旅はなかなか予定が合わないしできないという現代日本の悲しい社会的ニーズに応じる形で、仕事としてやっているらしい。三年やって、考えて、もう少しやろうと思っていると言っていた。ノマド的に、請負仕事をしながら、海外を気の赴くままにプラプラしつつ、行く先々での旅仲間募集をしているらしい。基本的には、各自で飛行機とって貰って現地集合、現地解散。集まっている時の現地でのホテルや交通費などは、彼が手配するらしい。明るく笑う彼。日本の若者にも、まだ夢がある。
彼と一緒にいたのが、三河出身の可愛らしい女の子。まだ二十代後半。結婚プレッシャーから逃れて旅に出るのが好きらしい。愛知の女の子は大変そう。。ワシの隣の席の男子は木場出身の27歳。生まれてからずっと下町、木場育ち。スペイン語専攻し、メキシコ留学し、今は社会人らしい。私が、ついこの間まで教えていた学部生達を思い出す。ワシの学生たちも、伸び伸びと、悩みながらも伸び伸びと生きているといいなぁ。
木場の子に、何気なく話していただけなのに、別れ際に、こんなに包容力のある人に、僕、人生で初めて出会いました。本当に会えて良かったです。このレストランに入って良かったです。ありがとうございました。と、深々と頭を下げてくれた。すると、他の二人も、会えて、お話できて良かったと、頭を下げてくれる。ワシ、言葉をうしなう。素敵な良い旅を、と。お元気で。としかいえなかった。
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茹だる
うだるような暑さが続いていた。うだる、を漢字で書くと茹だるらしい。茹でられながら家と会社の往復をしている毎日だった。仕事量も徐々にだけど増えていて、前部署にはなかったような残業時間。あっという間に周りが帰っていたころとは違い、さすが本社だな、と思う。出退勤をお知らせしている社内チャットツールには、「お疲れ様でした」と22時に近い投稿時間に慄いた。起床時間は実家に居た頃と変わらない。身だしなみのほかに、弁当作りと朝ご飯、皿洗いが追加された。2日に1回は洗濯物を干している。実家に居る弟曰く「お姉ちゃんがいなくなってから洗濯物の量が減った。」と言われた。そんな弟から珍しく「電話してもいい?」と連絡があった。ただ事じゃないなと思い、返事をし、電話をかけると、『仕事をやめていたのがバレた』とのことだった。いや、そもそも辞めていたなんて私も知らないし。昨年末に辞めてたなんて、あんた詐欺師になれるよ、なんて言ったりもした。そんな弟とは月末に、気晴らしにでもなるかなと、都内��開催されるCLAMP展にお誘いしていた。なんやかんやで、弟は両親には怒られず(もう立派な大人だし)、無事共に行くことができた。美術館までの移動中に、仕事について聞くと、「自分の自由時間がしっかりとれるところに行きたい」と役所系を目指すと言っていた。私も過去に役所に行けと言われ、結局最終面接で落ちて今に至るんだけど、私は弟に「向いていないんじゃないか」とも伝えた。元々勤めていたところも準お役所系な場所で、上司からひどく扱われ、見合わない給料に嘆いていたから。それでもって、休職をしていたのだから、もう同じような場所で働いて疲弊している姿を見ていたくない。とそれとなく伝えたが、囚われている気がした。LINEでほぼ毎日連絡はしているけれど、弟がどうしたら幸せになるのか考えているばかりで。私の考えすぎで、それでもって迷惑かもしれないけどね。ただ幸せになることはこれからも祈っていくよ。
お弁当を1人暮らしになっても持って行っている。実家の時は母に詰めてもらっていたが、大学時代とかでも、きちんと自分で作っていたよ!なんだか、私にとって、コンビニの弁当とか、はじめのうちはいいんだけど、どんどん好きじゃなくなって、しんどくなる。(個人的な意見です)なので、修論書いているときは、自分で作る時間もなく、他で買った弁当も食べたくなくて、みるみる痩せていった。不正出血もした。私の弁当道にはこだわりがあって冷食をいれないこと。いや、便利なんだけど、母も入れるし嫌いでもないんだけど、なんだか自分の作る弁当には嫌で、ずっと手作り。きっと人生のステージが変わる時が来ればそんなことないんだろうけど。恋人のお弁当も手作りで、毎日ゆで卵2つと肉を要求される。肉というよりタンパク質かな。ゆで卵は味付けを変えるだけだけど、毎日同じの作るのも嫌なので肉はアレンジしている。月々5,000円。高いというけど、材料費と愛情と手間暇にケチるな。ゆで卵を作るのが嫌になってきて、とうとうゆで卵メーカーを月末に導入した。もっと早く導入すれば良かったと思うくらいのぷりんぷりんのゆで卵。おすすめ。私は2段のものを買ってブロッコリーだったり、温野菜もした。
恋人がパーマをかけたらブロッコリーになった🥦私はそれを気に入ってイラストにしてロック画面にしている。2周年に、とブロッコリーの恋人イラストTシャツを送り付けることにした。3XLって聞いたことないけど。
実はゆで卵の殻を剥くのがしんどかった時がある。それこそ恐怖のアンパンマンスライサー事件。恋人と話していて悩む部分がありながら新品のスライサーで胡瓜をスッスッとしていたら親指もスパッといってしまった。ものすごく血が出てパニックで涙が出たけど、今はもう元通り。生命力ってすごいね。それこそ暫くはアンパンマンの食べかけの顔状態になっていた。
弟との話に戻るが母が食べたいと昔ねだったおはぎを買いに行った。茹だるような暑さの中、噴き出す汗に弟から「お姉ちゃん汗やばいよ」と言われながらも手に入れた。カラフルで美味しい『タケノとおはぎ』サボリーマン甘太郎から私も虜だった。私の分と家族の分2つ予約して買った。
私は和菓子にはどことなく目がなくておはぎもそうだけど、あんみつだって、おしるこだって、羊羹だって大好き。昔から祖母が手作りで餡を作っていたが故に大好きなんだと思う。ういろうも大好き。昔恋人の故郷で、虎屋のういろを一本食べた。死ぬ思いだった。恋人にホワイトデーのお返しの品が返ってきていない!と言い続けたら靴と虎屋のういろコラボバッグをもらった。「○○はいつも不思議なバッグを持ちますね」と言われるけれど、好きに包まれてるんだからいいでしょう?
この前投稿した大雨事件は、とても近くで止まってしまった。結局遠回りしてついたけど、翌日に荷物を頼んだ。頼んだら宅配ボックスに詰められて???となったけど、受け取れて良かった。実家の米。私は米を買ったことがない。米を入れる準備をしていると母親からFacetimeで電話がかかってきた。早く開けて!と言われるので何かと思ったら桃が入っていた。1日置かれた桃は熟していたけど丁度レタスとモッツァレラと生ハムがいたのでサラダに入れた。甘い桃だった。
髪をバッサリ切った。いつものように赤を入れてもらって。今度からは、半年とかじゃなくて定期的に来ますね、と言うと「お待ちしております半年後」と笑ってくれた。
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-④
■7/5ヘルシンキ市内到着~いよいよ初ライブへ…!
※前回のレポ③はこちら
レポ①で書いた通り、今回泊ったのはScandic Hakaniemiというホテル。ヘルシンキ中央駅とライブ会場のAllas Sea Poolとの位置関係はこんな感じ。
地図で見るとちょっと離れているように見えますが、トラム(路面電車)に乗れば中央駅から5分ちょっとで着く距離です。ホテル周辺を拡大した地図がこちら。
ホテルの目の前がトラムとバスの停留所、ホテルの隣のビルは地下鉄直結という大変便利な場所。近くにあるS-Marketは24時間営業なので、何かあったときも安心です。ちなみに右上のほうでちょっと文字が切れてる建物が観光地で有名なハカニエミ・マーケットです。行く時間なかったけど!涙
ということで、中央駅前の停留所からトラムに乗って、あっという間にホテルに到着。ちなみにフィンランドというかヘルシンキのトラム(だけでなく公共交通全般)は、めちゃくちゃ静かです。つまり、日本みたいに親切だけど長ーい車内放送がほとんどありません。次に止まる駅名も1回しか言ってくれないし、音量もすごいちっちゃい。笑 なので、車内の電光掲示板で降りる駅の名前を確認するようにしましょう!そして路線バスは結局乗らなかった��でわからないのですが、少なくともVRとトラムは、乗る時は自分でボタン押してドアを開けるシステムです(降りる人がいれば自動で開く)。また、トラムは降りるときは降車ボタンを押します。
今回は着いた日の夜にライブということで、体力を温存するため確実にアーリーチェックインできるよう、前の日(7/4)から1泊余計に宿を抑えており、事前にホテルにメールで念押しもしていたので、アーリーチェックインしたいのですがとフロントでバウチャーを見せたらすぐにお部屋に入れてもらえました。フロントの方もとても感じがよく親切で安心。(チェックインのときはパスポートの提示とパスポート番号の記入を求められるので、すぐに出せるようにしておきてください!)
事前情報で部屋がすごく狭いという口コミなどを見ていたので、どんなもんかな~と思ったのですが、いざ通されてみると全然広かった!
(写真はScandic Hakaniemi公式HP https://www.scandichotels.com/hotels/finland/helsinki/scandic-hakaniemi/rooms より)
こちらの部屋は「スーペリアベストビュー」というお部屋で、ポット(コーヒー・紅茶あり)・ミニバー(冷蔵庫)・ドライヤー付。クローゼットとアイロン台もありました。ちなみにフィンランドは日本と一緒で靴を脱ぐ文化があるようで、靴を脱ぐスペースがあり、床がフローリングなのでスリッパや裸足で過ごすことができました。ただユニットバスはシャワーのみで、洗面所と一続きの床は全部石のタイルなので、スリッパまたはクロックス(私は濡れてもいいようにクロックスを持って行った)があるといいと思います。シャワーブースとの仕切りはちゃんと床まであるガラスのドアだったので、結局床は全然濡れなくてよかった。 トイレはごくふつうのトイレです。当然日本のようにウォシュレットなどはついてませんが、便器の横にシャワーのようなのがついてて、それがビデのようです(使わなかったけど…)。 ほかのアメニティとしては、日本のように歯ブラシやヘアブラシなどはついてません。タオルはバスタオルと、ちょっと大きめのフェイスタオルみたいなやつ、足ふきマットはありました。歯磨き用のコップもついてます。 あとシャンプーとリンスはついていましたが、シャンプーがボディーソープ兼用みたいなやつで、手洗い用のソープも洗顔兼用みたいなやつだったので、ご自分の愛用のものを持って行ったほうがいいと思います。 ちなみにお水は日本と同じく軟水なので、水の違いで髪がごわごわ、ということもないし、なんと水道のお水は飲めます!ありがたや。シャワーの出は、温度を低めにしたり頻繁に止めたりすると出が悪いようでしたが、熱めのお湯をずっと出していると安定して問題なく使えました。というか全然写真をとっていなくて申し訳ないです…こちらのギャラリーが雰囲気の参考になると思います!
https://www.hotels-helsinki-fi.com/ja/property/cumulus-city-hakaniemi-helsinki.html#photo
さて、朝早いチェックインで、ちょうど朝食タイムが始まっていたので、さっそく朝食会場へ…
朝食、ふつうにおいしかった!
けっこう色んな口コミでフィン飯はいまいち…という評価が多かったのでこちらも期待値0で(すみません…)行ったから、というのもあるかもですが、ビュッフェメニューもそれなりに豊富だし、味も(薄味ですが)悪くなかった。パン類はちょっと甘い系が多いです。でも甘いの苦手な人も、グルテンフリーコーナー?のパンはそんなに甘くなかったし、ライムギパンのようなのもあったので大丈夫だと思います。 さすが食に対して色々配慮している国だな~と思ったのが、グルテンフリーのコーナーがすごく充実していたこと。あと野菜が新鮮だったのと、それから特筆すべきはベリーのおいしさ! ヨーグルトにたっぷりベリーソースをかけたのですが、ベリーごろごろ入ってるし甘酸っぱくてすっごくおいしかった!これは絶対食べるべきです👍それからカレリアパイも、日本で食べたときは薄味だな~と思ってましたが、本場で焼き立てパイを食べたら美味でした😋 宿泊中3回食事して、日本みたいにメニューが変わることはありませんでしたが、それでも十分満足できました。配膳のマダムがとても気さくに話しかけてくれて、日本から来たと言ったらご家族が日本人と結婚して日本に住んでいるという話をしてくれました!
朝ごはん��食べて満足したところで、シャワーを浴びて、今夜の本番に備えて仮眠。ベッドはぱっと見小さくないか…?って思いましたが、入ってみるとそこまで困るほど狭くもなく、カチカチというわけでもなく、快適に眠ることができました。枕元にコンセントもあって、スマホも充電できるし快適…おやすみなさい…
(仮眠とってる間にけっこう雨降ってたみたいですが、起きたら晴れてました。晴れ女パワー炸裂。笑)
さて、起きたら、朝中央駅の売店で買ったパン(ちょっと何のパンなのかわからなかったがおいしかった笑)を軽く食べて、さっそく出発の準備!
お手製ハッピも用意して、カーリヤTシャツも着て、準備万端! カーリヤへのプレゼント一式も持って、いざAllasへ! なお、個人的にはあんまりはやくから会場の外に並ぶのはどうかなーと思う派なのですが、今回会場や主催者が並ぶのを禁止していないこと、またせっかく12時間かけてきたので前の方で見たいし、カーリヤへのプレゼントをスタッフさんに確実に渡したいという想いがあったので、一緒に行ってくださった現地在住&イギリスからお越しのお友達と相談して、3時間前(開場が19時だから16時!)に会場に行くことに。 ただし、先に様子を見に行ったお友達からの報告で、すでに4時間前くらいから100人くらい並んでいるという情報が…カーリヤ人気、すごすぎる!😂
今回会場となるAllas Sea Poolは、その名の通りプールリゾートです。海の上に作られたプールと、サウナやレストラン、そして野外のライブステージが一体となった施設。近くに観覧車があるので目印になります。 施設の様子などはぜひ公式HPを確認してみてください。
行きはGoogle先生に聞いたルートで行ったらだいぶ遠いトラムの駅で降りちゃったのですが、おかげでエスプラナーディ通りをちょっと歩いていくことができました。HSLアプリで検索すれば、最適なルートを提示してくれるのでぜひ活用しましょう。 結局ヘルシンキ大聖堂近くのトラム駅で降りるのが一番近かったですが、とにかくどこかしらの駅から降りてまず目指すは、こちらも観光スポットである「カウッパトリ(マーケット広場)」。港に飲食やお土産のテントがずらーっと立ち並び、死ぬほどカモメが飛び交い(そしてごはん買った人を襲う。笑)、たくさんの人が行きかう活気ある場所です。
これ、夕方の4時の明るさ。まるで真昼間みたいでしょう? ちなみにどこからハッピを着るか、友人と協議した結果、このマーケットから着ていくことにしたんですが、着ていたら通りすがりのKäärijäファミリーが気付いて「Peliä!」(日本語で言うレッツゴーとかファイトみたいな意味と思われカーリヤがよく叫んでる。ライブ前の気合注入のときもみんな��ペリア!っていってる。笑)と声をかけてくれました。楽し~!
このマーケットを西から東へつっきってしばらく歩き、大きな観覧車のほうに向って歩いていくと、Allasの入り口が見えてきます!
↑これはGoogleストリートビューより。この入り口前にパーテがしてあって、みんな並びます。
快晴!昼間天気悪かったらしいのがうそのようで、日向にいると日差しがきつくて暑いくらい。でも海風があるので、そこまで汗だくになることはありませんでした。
みてください、この人の多さ!あと3時間もあるのに!笑
そして会場に着くと、今までTwitterでしか会話したことなかったフォロワーさんがたくさん…!ようやく会えたね(´;ω;`)
はやくから並んだ人には、トイレや水分補給で抜けても大丈夫なよう、有志の方が手の甲に番号を振ってくれました!これもTwitterで見たやつだ…! そしてこのブレスレットを見てください!Käärijäファンの皆さんが名前や曲名を入れたかわいいブレスレットをたくさん作っているのは知っていたのですが、本物をもらえたよ…! みんな山のようにブレスレットを作って持ってきていて、ファンどうしで交換してもりあがっていました。 それからファンアートを描いているフォロワーさんからは、ステッカーももらっちゃった!うれしすぎる!
ライブに行った人たちがブレスレットやステッカーの交換をしているのを見て、いいな~と思っていたのが、突然現実に…なんだかふわふわ夢みたい…と思いながら3時間、いろんな方とお話したり、途中水分補給したり、お菓子をもらって食べたりしながら(ちなみにAllasは飲食店でもあるので、野外と言えど施設内は飲食物持ち込み禁止ですので注意!必要なものは中で買いましょう)過ごしていたら、意外とあっという間に時間が過ぎていきました。
そして19時、いよいよ開場です!入り口ではまず手荷物検査があり、そのあとチケットを見せればいよいよ会場内へ!(レポ②で書いてたLippu.fiのアプリでチケット画面を表示すればOK。) 少しでもいい場所を確保するため、チケットチェックが終わったらみんなダッシュ!これが整理番号無の完全自由席の大変なところですね…笑
でもおかげでこんないい位置をゲット! そして確保した場所の死守を友人にお願いし、まわりを探すと…スタッフさんがちょうどステージの横にいたのを発見!さっそく彼にカーリヤへプレゼントを渡してほしいとお願いすると、快く引き取ってくださり、必ずカーリヤに渡します!と頼もしいお言葉…ほんとにフィンランドの人みんな親切…! ということで今日の大役は果たしたので、あとはもうライブに集中するのみ!
本物のイェッセだ…!(小学生みたいな感想。笑)
改めて写真を見ると、前から5列目くらいだったのかな。会場がこじんまりしてたこともあり、100人以上並んでた割にはかなり前にいけたのでよかったです。
ということで、次の投稿でようやく(笑)ライブレポです!
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7/13
何ヶ月かぶりに、恋人の家にいる。会うまではずっと心の底からこの人だけが心の支え、みたいな堅苦しくて重い気持ちを持っていたのだけど、会ってみるとそんなふうに重く寄りかかるような気持ちはなくなった。仕事から離れたからだろうか、よく分からない。いつ会っても想像の彼と実際の彼は少し違っていい。実際の彼の方がずっと、優しい顔で私を愛してくれるのだ。このことを本当に忘れないでいたい。そして私も、普段のどこか攻撃的な話し方や目線を、彼がほぐしてくれることを覚えていたい。会ってラーメン食べに行ったときはごめんね、という気持ち。恋人の後ろを漕いでいると心が和やかになった。
たまたま神社でお祭りがあったので寄った。小さい子たちが沢山参加してて良い催しだった。幼い頃に浴衣を着させてもらっていることに特大な愛だな、と少し涙が出そうになった。梅雨の湿気と暑さで恋人の首に滲んだ汗を指で拭った。そんな距離感にいる今この瞬間が愛おしかった。お寿司を食べに行って、暗くなったから公園の芝生で寝転んだ。気になっていた将来の子供の話を少しした。私の希望も聞いてくれたことが意外だったけれど、彼の未来に私がいるようでとても嬉しかった。やさしいハグをしてくれた。お酒を買って、映画を観て途中で眠くなって寝た。
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パンナコッタがメロンのスープ仕立てになりました
完熟したメロン
最低糖度のお砂糖を入れてもとっても甘いので
レモン果汁を加え、濃厚なスープを仕込みました
ちゅるんとした絶妙な凝固加減のパンナコッタと合わせます♪
甘いミルクのパンナコッタに透明感のあるメロンの味わいがよく合います
食後に重たいのはな〜、と言う方にもピッタリ◎
週末には息子の通う保育園で夏祭りがあり
生憎の雨模様で室内開催にはなってしまいましたが夫婦で参加してきました♪
楽しみにしていた年長児の開幕太鼓𖤐
元気いっぱいに力強く、でもちょっぴり緊張しながらも
一生懸命にたたいて取り組む姿になんだか成長したなあと嬉しさいっぱい
0歳から6年間通ってきた保育園
運動会も保育参観も心配になるくらい泣いてばかりの乳児期から
だんだんと、一歩一歩自分の足で歩けるようになり
お友だちと遊ぶことがとっても楽しくなって
共に泣き笑いしながら成長する子どもの姿には励まされることばかりです
預けて働く
言葉にすれば簡単なようで
でも、どのお母さんもとっても大変だと思います
葛藤しながらこれまでずっと、時に涙を堪えてやってきましたが
生まれてからはじめてのこの6年間が
実りある日々になりそうだな!と思えたこの夏祭り
先生やいろんな人の手を借りての子育て
感謝の気持ちでいっぱいになりました
この先もなんだか毎日楽しいな!と思えるように
ささやかな日々を積み重ね、親子共々頑張りたいなと思うばかりです( ◠‿◠ )
#anello_ホシノ #anelloホシノ
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21歳桑木志帆、悲願の初V「忘れ物を取りに来た」 1年前POで惜敗&号泣、今度は嬉し涙「頭が真っ白」 | THE ANSWER
lpga shiseido ladies golf tour champion,
kuwaki shiho wins with [b-limited B1LS]driver.
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初夏6月29日
二か月ごとの更新に毎回なっている。
ブログをやっている身で文を書かないのはどうなのだろうか。最近は文章が頭に浮かんでこない。思考を言語化するのが難しい。悩みは日々あるのだが、忙しさにかまけて浅くしか生きれていない気がする今日この頃。
二か月のうちにトビリシでは色々な出来事があった。新しい法案をめぐってのデモ隊と警察の衝突。
不謹慎だが毎日お祭り騒ぎで、内線ムードが漂っていた。パチモンのガスマスクを最近できた新しい中国の通販が宣伝していた。持ってたジョージア人曰く、ガンガン催涙ガスが入ってくるそうだ。
今回はまず消防車による放水と催涙ガスによる抑え込みだった。催涙ガスを持ち出すのが年々早くなる政府。 市民は徒党を組んで警察と乱闘騒ぎ。警察側も容赦なく、女だろうが子供だろうが殴りまくっていた。顔がぼこぼこになった女性は見なかった。
二週間以上に渡るデモ。主要な道路を塞ぎ、皆楽しそうだったし、血の気の多い若者は度胸試しに警察に向かっていきそんな若者はぼこぼこに締め上げられる。何人かの若い日本人はデモ隊に同情したのか、このきな臭い状況による興奮からか、自ら参加し皆の参加を促した。 自分はいまいちこの騒動に乗り切れなくて、参加できず常に外野だった。行った人から聞いた話だと、優しい雰囲気で平和ムードが流れていたとの事。市民にとっても外国人が参加してくれると嬉しいのか、どうか。
ロシア法と言われているが、取り締まる法案としては、スパイ法みたいな感じがしている。どのようにスパイ法なのかは具体的に説明できないが、要約すると、外国からお金をもらってる機関、団体はチェックするからねということなのではないだろうか。外国勢力は監視しておきたいということなのか。この法案が通った事によるネガティブな雰囲気暫くが街に漂っていたが今ではもう普通の日常が取り戻されたように思える。
トビリシの五月は梅雨で雨ばかりだった。そして明ければ茹る様な暑さ。最近はようやく落ち着いてきて、涼しい夜風が吹いている。UZUもだんだんと改造されている。屋根を取り付け、壁を切り抜き、地面を掘り返し、シアタールームを作ったり、カレー屋をスタートさせるべく、バーカウンターを設置したり。あといくつかの机と椅子があれば形にはなるだろうか。
五月の中旬、18日の朝九時頃にトビリシにおばあちゃんが日本から到着。DJの先輩が連れて帰ってきてくれた。ついた当日は少し休んだ後、木曜日だった為買い出しに中央駅市場へ連れていく。あくまで本人が望んだからだ。前日に部屋も作って、休める環境は作った。80歳にしては元気だと思う。体は健康そうだ。来てから一か月弱、毎朝腰が痛いと言い、ロキソニンを飲んでいたが、最近は調子が良いそうで飲んでいない。ゆっくりできているなら幸いだが、中々遊びにも連れ出せていないのが、気になるポイント。
こんなに暑いのに、わざわざ出歩かんでもいいでしょって話しているが、見せれるものは見せてあげたい。
一か月半住んでいるが、ジョージアというかUZUに慣れたように見受けられる。ジョージアに居るが、買い物や散歩は一人で行けるし、来てからスマホでマップと翻訳の使い方を教え、スーパーとかでも問題ないようだ。レジで値段を初めから知っているのにわざわざ小銭を手に出して取らせる事をやって、ジョージア人が噓をつかないかチェックしてると笑いながら言っている。二週間目ぐらいのときは、退屈に疲れたのかもう帰りたいと嘆いていた。韓国ドラマが見れなくなったことによる空き時間をどのように消費するのか戸惑っていたような気がする。UZUも基本的に木土以外はイベントもないし、無い日は改修工事で何かと忙しい。退屈や暇をどう潰すか、どう使うかと言った問題はいくつになっても訪れそうだ。終戦間際に生まれた祖母は時代が生んだ仕事人間なのか、昨年末まで働いていたし、仕事する事が好きだったと言っている。こんな孫を見てどう思っているのだろうか。
祖母が寝るのはだいたい十二時辺り、起きるのは朝八時とかで、その時間帯は自分たちは当たり前に起きていないので、一人で何かと色々やってくれる。ズボン縫ってもらったり、木曜日のイベントは仕切ってもらったり、ラーメンもよく手伝ってくれる。
ここにいる先輩達や友達も構ってくれるのでとてもありがたい。 来てからというもの、毎日おばあちゃんのご飯を食べれて幸せである、体重も増えた。
自分の話でいえば、自分はまだまだダメな人間だなと思い、修行中であると云う事を再認識するべきである。
まだまだ人に甘えているし、人に何かしてあげれる余裕もない、気を引き締めないと。
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみ���じに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマテ��ス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが��く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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