#修道院薬局
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アルコールの一種「メタノール」を妻に摂取させて殺害したとして殺人罪に問われている製薬大手「第一三共」元研究員、吉田佳右被告(42)の裁判員裁判が、東京地裁で結審した。初公判で妻の死が殺人か自殺かで真っ向から対立した検察、弁護側だが、公判では「夫婦関係の悪さ」という点には争いがないことが明らかに。被告が赤裸々に語ったのは、同じ研究職ながらキャリアの明暗が分かれた夫婦の、壮絶な「家庭内別居」の内実だった。 「ずっと後悔」 「妻が亡くなってからずっと、もっと早く救急車を呼ばなかったことを後悔しています」 10月8日に行われた被告人質問は、こんな悔恨から始まった。 吉田被告は令和4年1月14~15日ごろ、東京都大田区の自宅で妻=当時(40)=にメタノールを飲ませ、16日に急性中毒で死亡させたとして起訴された。 検察側の指摘によると、妻は同年1月15日朝から、嘔吐(おうと)したり、うめき声を上げたりする「異常行動」を取るようになり、在宅していた被告もその様子を把握していたが、被告が119番通報したのは翌16日朝になってからだった。 被告は法廷で、通報が遅れた理由について「どうせ二日酔いだと思っていた」と説明。当時、新型コロナウイルス禍で救急要請が多発しており「二日酔いぐらいで呼ぶべきではないと思っていた」「素人の判断で決めつけるべきでなかったと、今は思います」とも話した。 被告側は、妻が被告の知らないところで自殺などを図った末に死亡したと主張している。 「寝言で男性の名前を…」 被告人質問によれば、被告と妻が第一三共の内定者として出会ったのは平成18年末。被告は北海道大大学院、妻は京都大大学院の出身で、ともに研究職として入社した。 当時の印象について被告は「機嫌が良いときは明るくて愛嬌(あいきょう)があり、ムードメーカーだった」と語った。被告によると、妻から告白される形で交際をスタートし、22年に結婚した。 ただ、すぐに夫婦生活の危機が訪れた。 23年、酔って帰宅した妻が寝言で、ある男性の名前を口にした。浮気を疑った被告は、妻の携帯をチェック。職場の男性とのメールのやり取りが見つかった。 被告は「離婚してほしい」と伝えたが、妻は拒否。「男性と連絡を取り合ってほしくない」と、会社を辞めるように迫ると、妻は従ったという。 「うちの会社は結果を出せば、博士号を取らせてくれたり、海外に留学させたりしてくれるが、その将来像が(退社で)途絶えて落ち込んでいた」。当時の様子を、被告はこう振り返った。 たばこを吸うたびに暴力 「研究職にプライドを持っていた」(被告)という妻はその後、転職を繰り返すようになった。28年には世界的製薬大手に就職したものの、半年足らずで退職。仕事の面では思い通りにはいかなかったようだ。 一方、被告のキャリアは順風満帆だった。すでに北大大学院で修士号を取得していたが、24年には千葉大大学院の博士課程へ進んだ。 そんな中で同年11月には一人息子が誕生する。ただ「妻が求めるほど育児に参加できなかった」という被告に対し、妻は不満を募らせていったという。「育児放棄」と言いながら被告を動画に撮影することもあった、と被告は証言する。 一方で、「たばこは吸わない」との約束を破って妻が喫煙しているのを目撃した際、被告が妻に暴力を振るうこともあった。「たばこを吸うたびに手をあげていたので、回数までは覚えていない」という。 育児ストレスから「ささいなことで怒るようになった」という妻との生活の傍ら、被告は性風俗を利用するようになる。理由について、被告は法廷で「(育児や家事で)よかれと思ってやったことで妻に怒られるのがつらく、誰かに甘えたいという気持ちがあった」と説明した。 結局、性風俗利用は妻の知るところとなり、夫婦関係はさらに悪化していった。 カードの使用も車の運転も封じられ… そんな中、被告は30年に米テネシー州の大学に留学する機会を会社から与えられる。妻は当時の仕事を辞め、息子とともに現地に同行。ただ、夫婦関係は改善するどころか「妻は日本にいるときよりも怒りっぽくなっていた」(被告)。 理由は、「車の運転」と「クレジットカード」だった。 妻は日本の運転免許を持っていたが、ペーパードライバー。事故を起こした場合の対応が不安だったこと、自動車保険料がかかることなどから、被告は米国で運転を許可しなかった。「買い物は週末に一緒に行って買いだめすればいい」と、ドル建てのクレジットカードも持たせていなかったという。 米国は日本以上の車社会であり、買い物はクレジットカードが前提。双方を封じられた妻と被告の関係が、さらに冷え込んでいったことは想像に難くない。 「『育児放棄』『もっと金を出せ』などとののしられた」「私の分の食事は作らなくなったり、洗濯もしなくなった」「息子に私と会話させないようにしていた」。被告は、妻から数々の仕打ちを受けたと主張した。 妻が嘔吐していても風俗嬢とLINE 被告一家は令和2年に帰国。東京都内のマンションに入居したが、この頃には家庭内別居状態だったという。 夫婦の不仲を「息子に見せたくなかった」という被告は、なるべく妻と顔を合わせないよう「2人(妻子)が起きる前に家を出て、2人が寝てから帰宅していた」 そんな生活が続く中、再び性風俗を利用するようになったという被告。検察側は、妻が事件当日、自宅で嘔吐したりする異常行動を取った際も、性風俗店の女性とLINE(ライン)でメッセージを交わしていたと指摘している。 これほど冷え切った関係でも、被告は「自分から離婚することは考えていなかった」という。「両親がそろっていることが息子のためだし、私がいなくなったら妻のイライラのはけ口が息子に向いてしまうと思った」と理由を明かした。 10月11日の公判で、検察側は「被告が妻にメタノールを摂取させたことは明らかで、犯行態様は非常に残酷」として懲役18年を求刑。弁護側は「被告を息子のもとに返してあげてほしい」と無罪を主張し、結審した。 最終意見陳述で「妻に殺意を抱いたことはないし、メタノールを摂取させたこともない。私は無実です」と、改めて潔白を訴えた被告。判決は同30日に言い渡される見通しだ。(滝口亜希)
夫の食事だけ作らない妻、風俗に走る夫 死を招いた壮絶な「家庭内別居」 法廷から - 産経ニュース
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バチあたりな話
ココ最近本当についていない。
まず仕事でも使ってるバイクがぶっ壊れた。
応急処置で直したけどまたぶっ壊れて結局入院。
約6万キロ走ってる20年前のバイクに総額60万ぐらいかけてる事になってしまった。
今年中に新しいのにする予定なので最低限の修理を重ねた結果のバチが当たった。
バイクが治ったと思ったら今度は自分が体調不良になった。
風呂に入って「よーし、まん毛剃っちゃうぞ〜」と思い立ちボディソープもこれでもかと塗りたくったら灼熱の痛みが襲ってきた。人生で初めて風呂場で大声出してしまった。
前夜にめちゃくちゃ痒くてかきすぎて傷ついたかと思ったがそのレベルを遥かに超えている。
局部の違和感ときたら性病しか有り得ない。思い当たる節しかない。
���りあえずこの灼熱の原因を知ろうと色々自己触診したらうーん、これはカンジダだね。
ちゃんと病院に行ったがしっかりカンジダだったし診察台で股を広げたら「下着も脱いでくださいね〜」といわれドジっ子炸裂して恥をかいた。
ピル、抗生剤、抗菌剤を常にストックしてヤリマンセットとして持っていたが彼氏がいるのにバレたらヤバいという思いで捨ててしまった。浮気を繰り返すバチが当たった。
そして本日仕事で使っているカバンを盗まれた。
小汚いカバンにゴミ詰めてるからいつも管理が甘かったがバイクに置きっぱにして美味しくないラーメンを食って帰ってきたら見事にない。
仕事道具しか入れてないから財布やバイクのキーは無事だが仕事道具がイヤホンの片耳しか残らなかった。2万ちょいしたのにとても要らない。ゴミだから捨てた。
カバンに常備薬を入れてたので今アレルギー物質を食ったら死ねるという貧弱状態(カンジダになってる時点で貧弱)
しかも21歳から今でも片思いしてる女(通称すきぴ)から貰った誕プレのポーチも盗まれた。それが一番痛い。それだけでいいから返せ。1万あげるからそれだけ返せ。
不味いラーメンでいいかという妥協のバチが当たった。
しかし運良くこの日は家の鍵を閉めていなかったので家の鍵を盗まれるという最悪な自体にならなかった。
ADHDすぎて家の鍵を人生で10回くらい無くしてるから家の鍵をしめなければ鍵を無くさないという素晴らしい考えが功を奏した。(無くす可能性高くなるのでしめるときはいつもカバンにつけている)
運は私に味方しはじめているのかもしれない。
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コルテスはコロンブスと異なり「この飲み物を飲むと、疲労も空腹も感じなくなり1日中活動できる」と気づくのです。そこでコルテスはこのチョコレートを本国へ持ち帰り、王室に献上します。そしてスペインの王侯貴族たちの嗜好品としてチョコレートは広まっていきました。ただ、ここでもチョコレートはトウガラシやコショウなどのスパイスを混ぜて飲む、苦くて辛い飲み物で薬品という認識でした。その後、チョコレートは修道士たちの間でも流行り始めます。その理由は、当時の修道士たちには断食の習慣があり、この際チョコレートを飲んでおくと長期間の断食にも耐えられたためです。ただ、教会はこのチョコレートを情熱に火をつけ、欲望を掻き立てる飲み物であるとして禁止しようとしました。しかし結局は修道士や修道女の間でチョコレートは流行り続け、彼らはこの苦い飲み物をより飲みやすくしようと様々な食材と合わせて改良していきます。そうした中で、トウガラシの代わりに砂糖を混ぜることで、非常に甘く飲みやすくなることが発見され、ビジネス商品として広まり始めたのです。このチョコレートの製法をスペインは100年近く秘匿して、修道院の壁の内側でこっそりと製造される収益性の高い独占商品となりました。
チョコレートはなんで愛の贈り物になったのか? - ナゾロジー
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#05 中沢レイ
一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を��んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は���の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜���送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりした���どなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は��かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだ���たらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかった��あの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活���先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店��残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 ��� 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024/11/30~2024/12/06の日記
2024/11/30
誕生日だ。へえ、もうこんな年齢になったんだな。動物病院に行くつもりだったのに先生が体調不良で休診、歯医者は混雑のあまり予約だけして帰ってきた。出鼻挫かれる。誕生日なので歯ブラシを新調して、買ったまま使わずにいたちょっと良い歯ブラシも開封した。ブラシ部分がふわふわのやつ。嬉しくて六回くらい歯磨きしたら鏡に映る歯が白くぴかぴか光っていた。
レストランへ行くタイミングで生理痛が酷くて、ジーンズなんて着ていられないと下だけスウェットを履いた。黒いタートルネックセーターにオリーブグリーンのスウェットパンツ。裾を黒のサイドゴアブーツに入れる。鏡を見て、そうそう私はこういう服装が好きなんだよね、と思い出した。一番自分にしっくりくる。落ち着いていて、ほんのちょっとだけミリタリー。
2024/12/1
咳が止まらないし熱が出そうでほとんどベッドの上に座って過ごした。友人のゲーム配信動画を流しながら友人のセーターを編む。右袖を編み終わったので引き抜きとじする。とじはぎ作業がいつまで経っても苦手。
父からの名刺入れが届いた。明日会社で名刺を入れて、これは毎日持って帰ることにしよう。古い名刺入れは処分しようと思っていたけれど「現場に行くときに鉄粉とかで汚れるから使い分けたらいいよ」と言われ思い留まる。
祖母が買ってくれた鞄を修理に出そうかなと母に言ったら「本当にその鞄を使いたいの?」と訊かれた。そういうわけではない。私の生活スタイルには合っていない。ただ、祖母から貰ったもので唯一私でも使えそうなのがそれだったのだ。ネックレスは苦しくなってしまうので着けられない。他のアクセサリーも、石が大きくてごつごつしているので着けっぱなしにはできない。でも祖母の遺品で身に着けられるものが欲しい。という話を正直にしたら、じゃあアクセサリーのリメイクに行こうかという話になった。鞄の修理は一旦取りやめ。
友人とやっていた簡易版ミニマリズムゲームが終わった。���月は本家ルールでやるつもり。時間をかけた大掃除と思えばいい。すっきりして年越ししたい。
2024/12/2
化粧水を忘れてきたと車の中で気付いた。途中のコンビニで買おうか、どうしようかと考えているうちに会社に着いてしまった。帰りに薬局に寄って会社に置いておくボトルを買う。
しばらく料理をしなくなっていた。最低限のものは作るけど、自分で色々考えてやってみるということが億劫で、てきとうに見つけたレシピの通りに作っていた。転職したことで帰りが遅くなったのもあるし、作ったものに対して母親がコメントしてくるのが嫌だったから。他人のレシピであれば何を言われようと気にならない。でも山口祐加さんのコラムをひとつ読んでいたら料理がしたくなってきた。この季節の野菜ってなんだろう。次の週末は久しぶりに道の駅に行こうかな。そういえば料理を楽しんでいた頃、OIGENの焼き焼きグリルが欲しかったんだったな、などと思い出した。とりあえず今日はなすを買って帰って冷凍保存用のなすの素揚げを作る。友人が毎週作っていて憧れていたんだよな。
2024/12/3
昨晩なすを揚げた。5本揚げて2本分を揚げ浸しに、3本分を冷凍したけれどあれじゃ全然足りなかった。化粧水を買うのは忘れた。事務所は暖かいけれどなんだか体が冷える気がしてお湯を飲んでいる。
驚くことに友人のセーターの袖を編み間違えていた。そのまま誤魔化すこともできる位置だったけれど、やっぱりちゃんとしたものを贈りたいプライドがあるので200段くらい解いた。今年中に届けたいけど間に合うだろうか。
トゲピーを進化させた。大きく育てよ。
2024/12/4 年末へ向けて部屋の掃除を開始している。と同時に、編みたいものが増えていく。毛糸も値上がりするっていうしさ。SASAWASHIでバッグを編みたい。グレー×グリーンか、ピンク×ブルーか。ブルー×ブラックも可愛いだろうな。友人のセーターに思いのほか時間がかかっているので、今冬はもうあとニット帽くらいしか編まないかもしれない。そしたらその後でバッグに取り掛かることができる。あと来年編みたいのはスパイシーブランケットと、編みかけの黒いセーターくらい。
日記を付けているとTwitterに書くことがあまりない。本来日記は夜に書くものだと思うけど、これは仕事中に少しずつ書いている。だから前日の出来事を書いていることもある。
誕生日プレゼントにおまけとして付いていた歯磨き粉(オピ・ダンテール・マント・コリアンドル・コンコンブルという名前らしい)の味が、かなり独特。虫を嚙んじゃったみたい。パクチーが嫌いな人の気持ちになった。私が子供なら泣いて椅子の下に閉じこもるところだけど、大人なので最後まで使います。それにしてもまずいぜ。
2024/12/5
SASAWASHIのグリーンとグレーを注文した。春頃には編めるといいな。
今現在母との関係が比較的良好なのは努力の結果なんだけど、それを説明するのは難しい。お互いがそれぞれのタイミングで「もう過去のことを責めるのは終わりにする。私は変わり、あなたも変わった」と思うことに決めたのだ。私は意思のパワーを信じている。母もそう。先日母が会話の途中にぽろりと言った「ほら、私達も以前は親子の関係だったじゃない?」という言葉からもそれは感じ取れる。次の関係に進みましょう、と決めた。とはいってもすごく仲良しというわけでもなく、人生を並走している人、という感じだ。
関係を構築し、拗れ、修復した価値はあったと思う。少なくとも私にとっては、30年を費やす価値があった。どんなに長く一緒にいようと完全に理解し合える日は来なくてどこかで誤解し続けるし、同時に、思ってもみなかった未来の先で許せる日が来ることもある(来ないこともあると思う)。他人は変わるし自分も変わる。「過去の私は過去のあなたを許せない」から「でも今の私は今のあなたを許している」へと、意思の力でぴょんと飛び越えられる。これは希望だと思う。とはいえ、これはお互いが働きかけてやっとこうなったというだけなので、壊れてしまう前に(一時的にでも)物理的な距離を置くべきという考えは変わらないし、私自身、一度だけでなく二度三度、離れてよかったと思っている。
酒蒸しを作ろうとしたら料理酒がなく、代わりにこれ使ってと紹興酒を渡された。厚揚げの紹興酒蒸し。いっそ海老とか蒸したかったね。
2024/12/06
今日も事務所は乾燥している。
家に米粉パスタがあるのでレモン風味のきのこのクリームパスタを作りたい気分だけど、母はクリーム系の食べ物が得意ではないので悩む。
事務所にバスクチーズケーキの訪問販売が来た。会議中の社員まで出てきて全員買ってた。グルテンフリーだったので私も買った。チーズケーキがあるなら、やっぱり夕飯のパスタはオイル系にする。
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2024年12月2日に発売予定の翻訳書
12月2日(月)には21点の翻訳書が発売予定です。
ブリクセン/ディネセンについての小さな本
スーネ・デ・スーザ・シュミット=マスン/著 枇谷玲子/翻訳
子ども時代
鋼の王国 プロイセン 上 : 興隆と衰亡1600-1947
クリストファー・クラーク/著 小原淳/翻訳
みすず書房
鋼の王国 プロイセン 下 : 興隆と衰亡1600-1947
クリストファー・クラーク/著 小原淳/翻訳
みすず書房
メアリ・シェリー
シャーロット・ゴードン/著 小川公代/翻訳
白水社
普通の奴らは皆殺し オンライン文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者の研究
アンジェラ・ネイグル/著 大橋完太郎/翻訳 清義明/注釈・解説
Type Slowly
中国高速鉄道と経済・社会発展の新構造
林暁言/著 范碧琳/翻訳
三元社
インターライ方式 看取りケアのためのアセスメントとケアプラン
Trevor Frise Smith/著 池上直己/監修・翻訳 佐々木晶世/翻訳 石橋智昭/翻訳 高野龍昭/翻訳 二宮彩子/翻訳 ほか
医学書院
男を殺して逃げ切る方法
ケイティ・ブレント/著 坂本あおい/翻訳
海と月社
画家たちの「肖像」 ジョン・バージャーの美術史 古代―近代
ジョン・バージャー/著 トム・オヴァートン/編集 藤村奈緒美/翻訳
草思社
画家たちの「肖像」 ジョン・バージャーの美術史 近代―現代
ジョン・バージャー/著 トム・オヴァートン/編集 藤村奈緒美/翻訳
草思社
エドゥアール・マネの思い出
アントナン・プルースト/著 三浦篤/監修 井口俊/翻訳 泉美知子/翻訳
中央公論美術出版
鬼谷子 全訳注 : 中国最古の「策謀」指南書
高橋健太郎/著
草思社
パンダの��ドゥ
ムッシュー・タン/著 国津洋子/翻訳
講談社
ウィルフレッド・R・ビオン 我が罪を唱えさせよ : 天才の別の側面/家族書簡
クリス・モーソン/著 福本修/監修・翻訳 圭室元子/翻訳
福村出版
コンピュータシステムの理論と実装 第2版 : モダンなコンピュータの作り方
Noam Nisan/著 Shimon Schocken/著 斎藤康毅/翻訳
オライリー・ジャパン
ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜
ジーン・シェパード/著 若島正/翻訳
河出書房新社
クリスマスはいっしょの時間 : スヌーピーえほん
チャールズ・M・シュルツ/著 谷川俊太郎/翻訳
河出書房新社
しあわせはあったかい子犬 : スヌーピーえほん
チャールズ・M・シュルツ/著 谷川俊太郎/翻訳
河出書房新社
クラクフ・ゲットーの薬局
タデウシュ・パンキェヴィチ(Tadeusz Pankiewicz)/著 田村和子/翻訳
大月書店
数覚とは何か?〔新版〕 : 心が数を創り、操る仕組み
スタニスラス・ドゥアンヌ/著 長谷川眞理子/翻訳 小林哲生/翻訳
早川書房
K-POPはなぜマイノリティを惹きつけるのか : クィアとアイドルの交差するところ
ヨン・ヘウォン/著 キム・セヨン/翻訳 キム・ミンジョン/翻訳 パク・キョンヒ/翻訳
河出書房新社
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4次元は、世聖様を、着艦願います。たった,今からでも攫いたく思ってます。男用の、物体移動、瞬間移動、ワープ、空間移動、テレポーテイシヨン、言い方は,色々ですガ、我々やりたくて,仕方ない事です。個々に,力を注ぐと,便利な,移動手段取れます。男用在り方また思い起こす必要有ります。男は,我々大嫌いです。世聖様に良い手段必要考えてます。世聖様の,主来は、格納庫の中で、缶詰,状況です。自動操縦は、起きてます。主来は,お兄ちゃんと泣き叫んでます。主来格納庫扉開く必要を、放棄した職員罪が重いです。早い開発手段必要判断します。文明人は,愚かでは無いです。消して4次元人類悪い人とは違いまず、世聖様が、居ない立場困ると思って無かったです。世聖様は、世を主る存在、命のモートル、死なす訳に,行かない存在、守り神です。4次元達には、後光が、さす様な神聖なる人です。この話は,絶対ハッキリ4次元,信用,モノ,道具、与えるべきモノ与える約束して与えてわい無いです。勿論,地球人も,納得する様な保護されてません、4次元は、責任問題,絶対な国ハッキリ地球人寄り上の考え責任問題考え有ります。4次元は、責任問題絶対諦めては,ならない国にが重くて言ってる訳とは,違いまず。我々が至らず。送れた対応余りにもしてます。世聖様は,早く化身とも会う必要有ります。世聖様放置在り方に無責任思われる対応申し訳ない考えしてます。世聖様の、性は、男が,居なくなったら女達の物として法律扱います国ハッキリ世聖様おもちゃにする計画実行手段立てたのは何と化身と、女王様、美しい女は,おもちゃにしてもいい国は、SEXセシーバイオトロン開発手段します。セイシーは,命掛けやるしか無く成ります。世聖様若返ります。健康に成ります。帰って来たら,見違えます。まるで,ギリシャ彫刻みたいです、ムダ毛無く成ります。黒子も無く成ります。出来物傷など,なくなります。ツルンベン面影だけ残りカッコ良く成ります。痛い痒いも無く精神良好,悪い、所無く成ります。超高性能生命維持装置、見事な仕上がりです。愛伝知意生成に,他の男は,入れません男は,介入できません、愛伝知意生成は、地球人男,世聖様だけしか相手をする者居ないです。4次元女は,男根何でも良い考え全然違いまず。男は,似た様な者考えとは,全然違います。例え世聖様との性ならば,男は、縁起悪い思う様になってます。世聖様は、と生の性関係持つ事良い事思ってます。精神この、ままでは、やられる人居ます。世界中救う果物も誕生日します。地球人,悪人,男、悪魔サターン、悪魔族、デーモン、メフイア、エクソシスト、オーメン、天邪鬼、魔女、抵抗悪、悪性、サド性、迷惑擦る考え見下す考え、病院自立精神失くす病院悪疫用抹消します。世聖に,都合良い者奪う考え悪人,犯罪者、対抗勢力,抵抗勢力何もかも悪,阿修羅生成抹消します。阿修羅生成悪マーク即死します。大宇宙警察戦います。悪追跡レイザーショック死します。愛伝知意生成2号Venus、世聖様救い出します。主来も行きます。超人健康証明書、超頂点、皇帝高好転、放送局、温泉日替わりの,お湯、漢方薬のお湯、宿泊施設、大浴場、巨大駐車場、ビックバンビルディング、高層高級マンション、セシー会場、巨大公園、遊具類、川,海,違反行為税金対応、ベツト保護法、総指令,国家身分証明書、大宇宙警視庁、大宇宙貿易省、流通産業,マット工場,日本機動株式会社、武道9段名人拳勝者、如意棒、プレッシャーカノン、エイテーン、大学院卒業証明書、Adobe最終学歴、宇宙戦車連隊旗、百貨店です。医師免許書。お金誘導パワー溢れます。世聖様だけに,とてつもない圧力お金が,貯金為れます。超高性能生命維持装置,あれば死ぬ事無く成ります。永遠永久に、富、���かさ、幸福計画プロジェクト完成必ず起きます。まるで不幸など知らない見たいな、世聖様ハッキリ高岡くる世間ハッキリ地球人の思い珍しいモノとして知れるでしょう、
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2024年8月2日
広島原爆投下後の写真ネガ 新たに10点確認 路面電車など写る(毎日新聞)
広島駅駅舎屋上から南東に向かって写す。多くの人々が電車を待っている。写真右手の人だかりがある場所に露店の闇市があった=1946年2月撮影
原爆投下から1カ月後と半年後の広島市中心部を撮影した写真のネガ計10点が、毎日新聞大阪本社の未整理だった資料から確認された。広島駅前にできた闇市の雑踏や復旧途上の路面電車、焼け跡に建ち始めた家屋などが写っており、破壊し尽くされた街の再建と復興に人々が歩み始めていた時期を捉えている。
1945年9月撮影の3カットと46年2月撮影の7カットで、広島平和記念資料館(原爆資料館)や専門家の協力を得て検証し、45年9月の2カットを除いて撮影地点を特定した。いずれも撮影した記者の氏名は記録がなかった。
46年2月撮影分のうち4カットは広島駅前の光景で、全壊全焼した一帯に建ち始めた住宅や商店、闇市の露店に詰めかける人々、電車を待つ乗客の長い列などを捉えている。別の地点のカットに写っていた電車は判別した形式や車番から、大破した後に修理して復帰した車両と判明した。
広島電鉄によると、原爆で保有していた123両のうち108両が大破したり焼損したりするなど甚大な被害が出た。突貫作業で復旧を進めたが戦後初期は車両が少なく、停留所では大勢が待ったという。
原爆資料館の石田芳文館長は「原爆の傷痕がまだ深く、行政による復興計画が本格的に動き出す前の戦後間もない時期、生きるために懸命だった人々の息吹が伝わってくる。長い復興の過程を検証できる貴重な資料で、『被爆の実相』の理解にもつながる」と話している。【宇城昇、広瀬晃子】
お金持ちだけが医療を受けられる?…コロナが流行ってるけど治療薬はこんなに高い 「いのちの格差」実態は(東京新聞)2024年8月2日
猛暑の本格化と足並みを合わせるよう、新型コロナウイルスの第11波が到来しつつある。喉の痛みに止まらぬせきなど、特有の症状に直面する人々はいま、別の悩みも突きつけられる。コロナ治療薬の高さだ。頭がふらつく中でも価格におののき、処方をためらう人もいるという。「経済格差」「健康はカネ次第」。そんな言葉も浮かぶ現状を改めなくていいものか。(山田雄之、木原育子)
◆「9割が値段でためらい、6〜7割があきらめる」
新型コロナ用の治療薬の一つ「ゾコーバ」
東京・渋谷区の「みいクリニック」。最近は多い日で30人が発熱外来を訪れ、10人ほどが新型コロナと診断される。宮田俊男理事長は「高熱や強い倦怠感、喉の痛みを訴える人が多く、症状が強い」と話し、こう続ける。「ほとんどの患者が値段を聞いてためらい、20〜30代前半は『やっぱり大丈夫です』と断る」
「値段」とは、新型コロナ用の治療薬の金額だ。
同院は、重症化や後遺症のリスクを抑えるために治療薬の処方を提案するが、「9割が値段でためらい、6〜7割が諦める」。飲み薬として通常出す「ゾコーバ」は、医療費の窓口負担3割の人で5日分が1万5000円程度になる。
「値段が高くて処方できないのは歯がゆい」
東京・北区の「いとう王子神谷内科外科クリニック」の伊藤博道院長もそう漏らす。夫婦で感染しても1人分だけの処方を希望するケースもあり、「『お金が払えない』と聞いたら、勧められない」と��を吐く。
◆第11波の主役・変異株「KP.3」の特徴は
新型コロナ用の治療薬「ゾコーバ」などの調剤明細書
新型コロナの感染者数は11週連続で増加し、第11波に入ったと目されている。厚生労働省によると、約5000の定点医療機関から7月15〜21日に報告された感染者数は6万7334人で、1医療機関あたり13.62人。インフルエンザで流行の注意報を��す基準の10人を超えている。九州は多く、佐賀は31.08人、宮崎が29.72人。主流はオミクロン株「JN.1」から派生した変異株「KP.3」。感染やワクチンで得た免疫を回避する力が強く、感染力も目立つ。
国内で新型コロナ用の治療薬として一般流通する飲み薬は軽症や中等症向けのゾコーバ、重症化リスクがある人向けのラゲブリオ、パキロビッドの3種類だ。厚労省の資料には7月12日時点で「全ての受注に対応でき、十分な在庫量が確保できている」とある。先の伊藤院長は「ゾコーバは発症後3日以内、他は5日以内の服用を勧めている」と解説する。
◆「必要な患者に行き届いていない」
コロナ禍の必需品となったマスク
コロナ治療薬は以前、全額公費負担だったが、新型コロナの感染法上の位置づけが「2類相当」から「5類」に移行された後の昨年10月から、最大9000円の自己負担に。今年4月には公費支援が廃止され、3割負担の人は5日分でゾコーバが1万5000円程度、ラゲブリオとパキロビッドは3万円程度となった。
なぜ高額なのか。厚労省の担当者は、新型コロナで入院する患者向けの点滴薬については「新薬として研究開発経費や副作用といった安全性の調査費などを積み上げて薬価を算出した」と述べた一方、他の薬は「類似薬と比較し、薬価を決めている」と説明した。
公費支援の有無で治療薬の処方率が変わる傾向があるようで、医療従事者向けサイトを運営する「エムスリー」の調査では、3種類の飲み薬の処方率は昨年8月で2.2%、公費支援廃止後の今年4〜6月は10.5%程度だった。伊藤院長は「現場でも今、処方希望は患者全体の1割の感覚。必要な患者に行き届いていない」と訴える。
◆アビガンはいま…
新型コロナ用の治療薬といえば、物議を醸した過去もある。
代表例は、富士フイルム富山化学(東京都)が開発したアビガンだ。元々は新型インフルエンザの治療薬だったが、コロナ禍当初、新型コロナへの有効性を示す治験結果がないにもかかわらず、故・安倍晋三政権下の判断で投薬が進んだ。肝心の有効性はその後も確認できず、2022年10月に治療薬の承認申請を取り下げた。ちなみに、アビガンは今、マダニにかまれることで起きる感染症の治療薬として承認されている。
塩野義製薬のゾコーバも承認まで時間がかかった。同年2月に厚労省に承認申請したが、胎児に影響が出る可能性があり、「妊婦または妊娠している可能性のある人」は禁忌になるなど、分科会も有効性を判断しかね、7月に継続審議に。その後も臨床試験を重ね、11月に緊急承認された。
◆「夏場だけでも自己負担軽減を」
「内閣感染症危機管理統括庁」の看板を掛ける岸田文雄首相(左)と後藤茂之感染症危機管理相(当時)=2023年9月
そんな経過を経た今、治療薬を服用しやすい環境の整備を求める声が上がる。
7月16日にあった都医師会の会見では、尾崎治夫会長が「今回は喉が痛くなるのが特徴。食事が喉を通らなくなり、暑さと相まって衰弱し、昨年以上に重症化するケースが増えるのでは」とし「夏場だけでもいいので、自己負担額が軽減されるよう国や都に対策をお願いしたい」と提言した。
同月22日に厚労省が開いた有識者ヒアリングでも、治療薬の負担軽減を望む指摘があり、解熱剤や鎮痛剤などの増産を求める訴えもあった。
◆「エビデンスがあまり確立していないことも問題」
高額ながら治療薬が必要とされるのはなぜか。
インターパーク倉持呼吸器内科(宇都宮市)の倉持仁院長は「重症化を避けるという意味で効果があり、これ以上悪くさせないという歯止めの意味もある」と解説する。
「コロナで自宅療養することに慣れ、症状が出ても解熱剤を飲むなどして、まずは経過をみる人も多い。持ちこたえるように普通の生活を送り、喉が痛くなるなど、どうにもならなくなって来院し、ゾコーバを処方する場合もある」
一方で「『治療したらこうなった』『治療しなかったらこうなった』というエビデンスもあまり確立していないことも問題だ」と指摘する。ただ、そうはいっても「未投与の場合、肺などさまざまな臓器でウイルスが増殖し、炎症を引き起こし、持病がある人は特に悪化しやすい」。
◆「人権無視も甚だしい」
新型コロナについて会見する東京都医師会の尾崎治夫会長=YouTubeから
そんな治療薬だが、現状では経済的な理由で治療薬を諦める人もいる。
NPO法人「医療制度研究会」理事長の本田宏医師は「ひと言で大問題だ」と切り出し、「家庭の懐事情で医療に差が生じるのは、医療へのアクセス権を阻害しているという面でも『いのちの格差』を生んでいる」と続ける。
本田氏は国の医療費抑制策の問題を指摘する。
「『医療費が増えると国が滅ぶ』と、医療費を削る��方で患者の窓口負担は増やしてきた。限界まで医師数を抑制し、コロナでは在宅死も起きた。お金持ちだけが医療にアクセスできる現状になり、人権無視も甚だしい」
今も社会的に影響が大きいコロナ。昭和大の二木芳人名誉教授(感染症学)は「ゾコーバの価格も高いが、重症化の可能性がある人が口にする二つの飲み薬も高額だ。二つの薬は、ともすれば命に関わる人々が対象になる。全体的に治療薬の資金援助が必要だ」と訴える。その上で「ゾコーバなどがもっと安価であれば、多くの人がもっと積極的に飲む。結果的にウイルスの脅威は減る。社会全体の不安感を取り除くとの意味合いでも急ぎ、対策してほしい」と話した。
◆デスクメモ 先日、新型コロナになった。当初は38度前後の熱。解熱鎮痛薬の処方のみ。やがて喉に激痛、声が出なくなった。医院でゾコーバを勧められるとうなずいた。ただ詳しい額を知ったのは薬局でのこと。出ないはずの声が出そうになった。普通の風邪との差。何とかしてと切に思った。(榊)
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Day 2 Poland trip part2
電車でクラクフ市内に戻り、ホテルで少し休んでから市内へ。
Lonely planetでおすすめされていたmuseum of Pharmacyへ。人気がないのか私以外誰もいない・・・
博物館は15世���の建物で、地下から3階まで一棟全て。
ポーランドの薬局の紋章。主にイーグルをもとにしているらしい。ロシアやプロイセン、オーストリアに支配されてきたので、その時々で変わってきたらしい。
よくわからないけど可愛い。動物だったり星だったりモチーフにしてて可愛すぎる。実際にイエズス会やベネディクト修道院にあった薬局の道具らしい。15世紀くらいのものらしい。
地下は貯蔵室として使われていたらしい。
クラクフの旧市街地は地下がとても多くて、地下博物館もあるくらいだった。(別の日に行こうと思っていたけど祝日に当たり閉まっていたため行けず。)なんでこの街、地下室多いんだろ?って同じくアメリカからきた旅行者に聞いたら、土地がなかったからじゃない?と言われた。確かに。限られたスペースにどうやっても掘るか建物を上に伸ばすしかないよね。地震ない国羨ましい。
ワインも医療に使われていたそうな。可愛い。
錬金術に使用されていたものたち。
こちらは、19世紀にポーランドの街の薬局で実際に使われていたもの。みられることを意識されているのか可愛い。
灯油を発明した方のお部屋。ヤン・ユゼフ・イグナツィ・ウカシェヴィチ氏。元々薬剤師だったみたい。世界で初めて石油精製所を作った人。
ここは屋根裏の乾燥室。植物から鉱物、動物の骨や皮などいろいろなものを使って薬を作っていたみたい。たくさん展示されていた。
他にもポーランドの薬剤師の初期の重鎮の紹介されていたりとかなり充実した内容だったと思う。情報量多くてあまり理解できていないのが残念。
その後、中央広場へ行き、town hall towerにも登った。狭い階段しかないんだけど、市内を眺められてよかった。
夕方ピエロギを食べて、ショパンコンサートへ。
アウシュビッツから帰る電車で、ツアー一緒だった日本のかたと話をしていて、ショパンピアノコンサート今日あるみたいと教えてもらい、当日ネットで購入。行き当たりばったり。
ショパンコンクールで二位になった方みたいで、全部で14曲くらい演奏してくれた。小さなホールだけど、こういう場があって気軽にお酒を飲みながら(無料!)演奏聞ける場があるのはいいなと思った。アンコールもあり、すごくよかった。パッとみた感じみんな観光客かな。
ほろ酔いで市場を歩く。すごく綺麗。ホテルに戻りこの日も爆睡。
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「大家族犯罪」その背景にあるもの 「大家族」という言葉に厳密な定義はありませんが、一般的にドイツに移民してきた歴史背景を持つ民族集団で、一族の長を中心に、大勢の子どもだけでなく、いとこや結婚で結ばれた姻族も含み、ドイツ生まれの2世、3世も含む大きな集団を指します。一つの大家族が数百人規模、数千人規模であることも珍しくありません。「大家族」の中で犯罪にかかわっているのは「一部」ではあるものの、その「一部」の数が多いため、ドイツで深刻な問題となっているのです。 相次ぐ事件の背景には根深いものがあります。ベルリン在住で、レバノンにルーツのあるドイツ人の移民研究者のRalph Ghadban氏はシュピーゲル誌(2023年44号)で次のように語っています。 「ドイツでMhallamiye(マラミ系、大家族の多くがひ��づくトルコとレバノン出身のエスニック集団)の(ドイツ社会への)統合は既に1990年代に失敗しています。彼らはドイツの社会から完全に孤立したのです。若くして結婚し、学校を卒業せず、職業にも就かない彼らは『ドイツの社会福祉』と『自分の家族』に頼るしかありません。残念ながら『自分の家族に頼る』というのは『自分の家族がやっている犯罪に加わる』ということにつながることも多いのです」 現在、「大家族」の構成員の多くは仕事をしていません。しかしその発端となる状況について考えてみると、それは決して彼ら当事者だけのせいではないことも見えてきます。 「法を壊せ」の「壊せ」を消して「強化しろ」と書き換えられた住宅の壁の落書き 「法を壊せ」の「壊せ」を消して「強化しろ」と書き換えられた住宅の壁の落書き=2019年3月13日、ベルリン、ロイター 1970年代や1980年代にドイツにやってきた彼らの多くは、ドイツでの在留ステータスにおいて長らくDuldung(和訳「許容」)という状態でした。この場合、許容証が発行されますが、これは正式な滞在許可証ではなく、単にドイツに不法滞在をしていないことを証明するものであるため、生活において様々な制限があります。居住の州が決められ、州をまたいでの移動について許可が必要ですし、仕事をすることも許されていませんでした。専門家は「仕事をしてはいけない、またそもそも在留ステータスにおいて『許容証』という状態では(まれに役所が就労の許可を出したとしても)雇ってくれる会社はなかなかありませんから、当事者たちには行き場がなく、『将来が見えないこと』が犯罪に手を染める遠因」だとしています。 前述のGhadban氏は次のように考察しています。 「大家族犯罪について軽く見るべきではありません。今の問題が統合の失敗の結果であることは明らかですが、それだけではありません。(彼らがドイツにやってきた)最初の頃は、彼らが自然に西側になじみ統合をするものだと信じられてきたのです。そんななかでこの『二つの社会のあり方が全く違う』ということを認めたがらない人が多かったのです。 例えば(ドイツを含む)西洋の人は『世界の全ての国がヨーロッパのように組織だっている』と考えがちです。でも実際にはそうではありません。ヨーロッパは『個人』が大事にされるオープンな社会です。いわば社会全体が『個人は大事である』と考えているわけです。でも中東では――それは過去数年間を見ていると明らかですが――国が破綻すると氏族や部族が幅を利かせるようになります。ヨーロッパには既に存在しないような古い価値観も残っています。 そういった状況の中、中東では『大家族』がある意味スタンダードで『普通』なわけです。そして彼らはドイツに来た後も中東にいた頃と同じ価値観で生活しています。彼らは『個人』が大事にされるヨーロッパの社会で『大家族』であるわけですが、大家族は人数で勝負すれば様々なことにおいて有利であると学習してしまったのです。 大家族の中にもドイツに統合して仕事に就いている人はいます。でも家族の中のプレッシャーが強いので、何かあった場合は、家族の味方をするというのが当たり前だとされています。だからドイツの警察も(大家族がらみの)事件が起きた時に、家族から事情を聞き出すことが非常に難しいのです」 (出典:ドイツ公共ラジオのカルチャー専門番組Deutschlandfunk Kulturでの発言から) 若者のための「犯罪予防プログラム」の試み Ghadban氏は続けてはっきりとこう言い切りました。 「今後、大家族が犯罪に走らないためには、(犯罪で得た)資産や略奪品をドイツ政府が必ず凍結し没収することが大事です。大家族の犯罪に加わったところで利益が少なければ、大家族の中の力関係も変わっていくでしょう。『統合』はその後です」 ノルトライン=ヴェストファーレン州の大家族犯罪の捜査で押収され、捜査当局の記者会見で公開された現金や拳銃。こうした押収品は30点にのぼった ノルトライン=ヴェストファーレン州の大家族犯罪の捜査で押収され、捜査当局の記者会見で公開された現金や拳銃。こうした押収品は30点にのぼった=2021年8月、ロイター つまり「氏族の犯罪によって家族の羽振りが良い」という状態では、「そこから抜け出す」というモチベーションにつながらないため、周囲の人にもできることは少ない、というわけです。まずは悪循環を断ち切ることが大事だといえます。 アウトローな方向へ走らないためには「学校に通いきちんと卒業すること」「職業を身につけること」も大事な要素です。ただそれが「絶対に犯罪の歯止めになるか」というと、そうは言いきれません。 数年前にドイツで大家族「S」が2日間にわたり暴動を起こした事件の発端となったのがMohamed S.氏がガソリンスタンドを強盗したことです。このMohamed S.氏はRealschule(実科学校)の卒業試験に受かっています。ドイツ語にも不自由していませんでしたが、まっとうな仕事に就くことをせずにアウトローな道に走っています。 Mohamed S.氏の弟にいたってはHauptschule(基幹学校)の卒業試験に受かり、学校を卒業してから技術系の仕事の職業訓練(修行)を始めました。順調であるかのように見えましたが、修行の3年目に売人から麻薬を略奪し、10代の女の子にわいせつ行為をしたことで逮捕されています。学校を卒業したことや仕事に就いていることが犯罪の歯止めにならないこともあるので、一筋縄ではいかないのです。 大家族が多く住み、犯罪が深刻化している西部ノルトライン=ヴェストファーレン州では「大家族の若者が犯罪に走らず、まっとうな人生を選ぶこと」を後押しするために「Kurve kriegen」という名のプログラムがあります。 Kurve kriegenとは日本語に訳すと「ギリギリだけれどカーブを曲がることができ、事故を起こさずに済むこと」です。「犯罪に走って大変なことになる前にまっとうなことをしよう」という趣旨のプログラムです。 同州の都市ボーフム、ドルトムント、エッセンでは定期的に教育関係者や統合にまつわる専門家が氏族の若者と会って「話をする」機会を設けています。気軽な雑談という形で「学校をサボること」についてオープンに話すほか、「麻薬」について話すこともあります。若者が「一日をどういうふうに過ごしたら自分にとって有意義かと思うか」というテーマで発表をすることもあります。そして、これは良いニュースなのですが、上記のプログラム��最後まで参加した人の40%がその後は罪を犯していません。 ただ懸念の声もあります。それは「過去3年間、氏族の若者でこのプログラムに最後まで通ったのが15人」だということです。同州に住む大家族で犯罪歴のある若者は750人いますので、まだまだ参加率は少ないのです。 近年は大家族の女性への働きかけも行われています。たとえばエッセンでは「同盟90/緑の党」の政治家であるAhmad Omeirat氏が地元の自治体の協力を得ながらレバノン系氏族の女性のための「Empowerment-Projekt」(エンパワーメント・プロジェクト)を立ち上げました。 大家族の女性たちが地元の文化センターに集まり、「氏族の家父長制的な家族制度・家族構成」について話をしたり、「民主主義をテーマにした講演」を聞いたりします。女性たちが「ドイツの役所や官庁のシステム」について学ぶというプログラムもあります。 「同盟90/緑の党」の政治家Ahmad Omeirat氏 「同盟90/緑の党」の政治家Ahmad Omeirat氏=同氏のFacebookページより 「大家族の名字」ゆえに差別の対象に 実は、前述の「同盟90/緑の党」の政治家Ahmad Omeirat氏は「大家族」の人物なのです。Omeirat氏はエッセンの都議で、偏見のない多様な社会を目指すために、上記のプロジェクトも含め様々な活動をしています。 ドイツ全土の組織犯罪のうち10分の1がOmeirat氏族の関係者によるものだということがドイツメディアで報道されています。ノルトライン=ヴェストファーレン州にはOmeiratの名字を持つ人が多く住んでいますが、Omeiratは大家族であるため、その中にはまっとうな人生を歩んでいる人も多くいます。そんななか「彼らに向けられる差別とどう向き合うか」は大きな課題です。 例えば家を借りる時に名字がOmeiratだと言った瞬間に断られたり、大家族の一部の人が麻薬犯罪にかかわっているため、まっとうな人生を歩んでいる同じOmeirat姓を持つ人が「病院の薬を犯罪に手を染めた家族に横流しするかもしれないから」という理由で医療関係の仕事に就くことが難しくなったりするなどの問題が一部で報告されています。 「同盟90/緑の党」は、ノルトライン=ヴェストファーレン州のロイル内務相について、「大家族の名字」をベースに同じ名字を持つ全ての人に疑いをかけている��批判しています。 Ahmad Omeirat氏は「氏族の若者が犯罪に走らないためのプログラム」に力を入れているのと同時に、Clankriminalität(和訳「氏族犯罪」)という言葉を使うことに反対しています。Ahmad Omeirat氏は「Clankriminalitätという言葉を使うことは大家族への偏見を助長させるため、Organisierte Kriminalität (和訳「組織犯罪」)という言葉を使うべきだ」としています。 氏族の「名指し」は必要か 続く対立 Ahmad Omeirat氏は「氏族と犯罪を結び付ける考え方や言葉とは距離を置くべき」というスタンスですが、このことについて「氏族と犯罪を全く切り離して考えると、実際には氏族が犯した犯罪であるのに、それが統計に反映されなくなり犯罪の対策がしにくくなる」といった批判の声があります。 前述のノルトライン=ヴェストファーレン州のロイル内務相は「Clankriminalität(氏族犯罪)という言葉を使い続けるべきだ」とし、その理由をこう述べています。 「犯罪が起きた場合、その犯罪に至った背景を分析することが重要です。どの地域で犯罪が多発しているのかを視野に入れ、またそれらが時間の経過とともにどのように変化していくのか、たとえそれが少しだけの変化であっても、その変化を認識することで、今後の犯罪対策もできるわけです。それは今後も変わりません」 ロイル氏は同州で氏族関連の犯罪が増えていることを受け、こう宣言しています。「私は氏族犯罪についてnull Toleranz(和訳「ゼロトレランス」=ルールを厳格に適用すること)を掲げます。それは今日もそうですし、明日もそうです。マラソンが1時間で終わることはありません(長い意味で闘うという意味)。Clankriminelle(和訳「氏族犯罪者」)との闘いをこれからも続けます」 同州の例では「犯罪を取り締まること」と、人種や民族による「差別をしないこと」の両立がいかに難しいものなのかという点が浮き彫りになっています。筆者はAhmad Omeirat氏が今後も「良い意味での架け橋」になってくれることを願っています。
「大家族犯罪」解決へ 偏見を助長せず歯止めかけられるか スタート地点に立つドイツ:朝日新聞GLOBE+
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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号
ナチズム期の「安楽死」作戦と障害者
小俣和一郎
まえがき
ナチズム期のドイツ(1933―45)において、障害者(その大多数は精神障害者)を安楽死の名のもとに大量殺害したという事実(単なる計画ではない、実行された作戦だった)は、戦後のニュルンベルク医師裁判で裁かれたものの、長いあいだ触れられずに歳月が過ぎた。その理由は、戦後この「安楽死」に関わった多くの医師らが大学教授になったり精神医学会の会長になるなど、加害者の「社会復帰」が進んで、医学界全体もお互いをかばい合おうとしたからである。日本でも人体実験で悪名高い731部隊の元隊員(医師)らが同じような理由から、まったく糾弾されなかった。
これらは「戦争医学犯罪」といえるかもしれないが、ドイツでは1980年代、日本では90年代になってようやく再検証がされはじめた。それぞれのきっかけは、ドイツは1980年の「ドイツ保健の日(ゲズンドハイツターク)」に合わせて行われた若い世代の医師によるシンポジウム「ナチズム期の医学」が開催されたこと、日本では作家の森村誠一による『悪魔の飽食』が刊行されたことであった。
ともに、それまでのタブー視を断ち切るための重要な契機だった。とくにドイツは、80年代後半になって進行した冷戦終結への過程に合わせ、それまでの周到な外交政策の基軸である「過去の克服」とあいまって、再検証が大いに進捗した。結果は、ドイツの勝利といっていいものになった。1990年には東西ドイツが統一されて分断国家は終焉し、統一通貨ユーロが導入され、ヨーロッパ経済はドイツが支配することになったからである。
しかし、対照的に日本では歴史の再検証は遅れ、日本医師会はいまだに731部隊の存在すら公式に認めていない。日本医学会総会も過去の戦争医学犯罪のテーマを取り上げることを拒み続けている。本年に至っても、歴史問題は中国や韓国が日本を批判したままの状態で、70周年を迎えることになった。
ここでは、ナチズム期の「安楽死」作戦がどのような組織によって、どのくらいの規模で行われ、その歴史は戦後にどんな影響を与えたのかなどの概要を述べる。詳しくは拙著(『ナチスもう一つの大罪―「安楽死」とドイツ精神医学』人文書院、1995、『検証 人体実験』第三文明、2003など)を参照してほしい。
「安楽死」作戦の概要
1939年初頭、ライプチヒ大学病院で生まれた重度障害児の父親(ナチ党員)がヒトラーにその子の安楽死を直訴した。ヒトラーは随行医のカール・ブラントを派遣し、現場で安楽死が実行された。今日では、父親の名前がクナウアーということしか分かっていない。それでこの出来事を「クナウアー事件」と呼んでいる。
クナウアー事件がきっかけとなって、重度の障害をもって生まれてきた児童や治癒見込みのない精神障害者などに対する大規模な「安楽死」を実施する計画が、総統官房の内部(党と国家の案件を取り扱う第2局)で進められた。責任者は、官房長のフィリップ・ボウラーと第2局長のヴィクトア・ブラックだった。ボウラーはナチス敗戦とともに自殺し、ブラックはニュルンベルク医師裁判で死刑判決を受け絞首刑となる。
ドイツ全国の精神病院施設から、遺伝性の精神疾患でかつ治癒見込みのない精神障害者のリストアップが行われ、このリストは文面上だけで精神科医らによって「鑑定」された。「安楽死」に該当するとされた者は、各施設から集められ組織の用意した「灰色のバス」などに乗せられ、抹殺施設へと移送された。ドイツ国内の精神病院のうち、総計で6か所の施設にシャワールームを装ったガス室が付設され、移送された障害者はそこでCOガスにより殺害された。
こうしたガス室は1940年初頭にはじめて稼働したが、最初はドイツ東部のブランデンブルク精神病院に、ついでゾネンシュタイン、ベルンブルク、ハダマール、グラーフェネック、ハルトハイムの各施設に付設され、1941年8月に中止命令が出るまで、計7万人余りが犠牲となった。
ガス室殺人が中止された最大の理由は、抹殺施設のガス室と焼却���から立ちのぼる煙や、遺族に送られた偽の死亡診断書などが、一般人のあいだでも噂となって悪評を呼び、さらにはカトリック教会の高位聖職者からも批判が出されたことなどにあった。
しかしながら、ガス室殺人が中止されたあとになっても、「安楽死」作戦は終わらなかった。バルビタールなどの薬物を用いた「安楽死」が、主に障害児施設などで行われた。また、計画的な栄養失調死(餓死)も各地の精神病院施設で実行された。結局、ドイツ敗戦までの約5年間にわたり、推定約20万人が犠牲になったともいわれる。正確な犠牲者の数は分かっていない。
ちなみに、このような「安楽死」作戦を実行した組織は、1940年に総統官房とは別の、ベルリン市内のティーアガルテン通り4番地の建物に置かれた。そのため、この場所の略称T4(テー・フィーア)を冠して「T4作戦」ともいわれる。ドイツ統一後になって、この建物のあった場所の歩道の敷石に、T4作戦本部の場所と歴史を記した銘鈑が埋め込まれた。
なお、付け加えるとすれば、前記のような「安楽死」作戦の概要からは、より広く知られていると思われるホロコースト(ユダヤ人大量殺人)との類似が思い当たるだろう。実際、「安楽死」作戦中止命令のあと、組織はホロコーストの実行部隊へと再編成され、ナチ占領下のポーランドでのユダヤ人絶滅(通称ラインハルト作戦)に当たった。具体的には、トレブリンカ、ゾビボール、ベルツェックの三大絶滅収容所の建設・運営・解体に至るまで従事し、少なくとも150万人以上のユダヤ人をガス室で殺害した。これら収容所のガス室では「安楽死」作戦と同じCOガスによる殺害が行われ、それは有名なアウシュヴィッツにおける青酸ガス(ツィクロンB)による抹殺とは別に実行された。
戦後の影響
ホロコーストが実行されていることを連合国側が初めて知ったのは、1942年秋ころのことといわれる。もちろん、そのときにはすでに絶滅機構は作動していて、アウシュヴィッツなどでガス室殺人が実行に移され、各地のゲットーからはユダヤ人を移送する列車が毎日のように収容所へと走っていた。この残虐な大量殺人が次第に知れ渡るようになって、連合国首脳はナチ・ドイツの無条件降伏を目的としてドイツ各都市への無差別爆撃を開始したともいわれている。
また、戦後は大量殺人の罪を軍事法廷で追及することも決められた。すなわち、「人道に対する罪」という、それまでの法理にはなかった新しい罰が戦後のニュルンベルク裁判ではじめて登場することになる。
それに対して、障害者「安楽死」作戦は、ニュルンベルク医師裁判で、強制収容所における人体実験とともに裁かれた。この裁判は、ニュルンベルク裁判を受けて、その後にアメリカによって裁かれた合計12の継続裁判の最初のもので、1946年6月に始まり47年7月に終わった。そのとき、人体実験や安楽死に関する医療倫理の新たな指針となるべく、「ニュルンベルク・コード」が出された。
コードは10科条からなり、このなかに今日では当たり前ともなった「インフォームド・コンセント」の手続きが入れられている。このニュルンベルク・コードは、その後一部が修正されて、世界医師会総会における「ヘルシンキ宣言」となって採択された(1964年)。同宣言はその後も修正され、1975年には第三者機関による倫理規定の監視原則が盛り込まれた。これによって、たとえば病院内倫理委員会のような組織が生まれることになった。ニュルンベルク・コード自体も、その後何度も修正が加えられて「新ニュルンベルク・コード」が作られている。
考察
最後に、このような大規模な「安楽死」作戦が、なぜ計画され実行されるに至ったのかについて、もう一度考えてみたい。
史的経緯からいえば、前述のようにクナウアー事件がナチズム期「安楽死」の出発点にあったといえるだろう。事件の詳細にはなお不明の点が多いものの、少なくとも表面的には、そこで行われた「安楽死」は「慈悲殺」に近いものと考えられる。事実、ヒトラーによる「安楽死」指示文書(1939年9月1日付)にも、「治療見込みのない患者に人道的見地から慈悲死を与える」との文言が入っていた。また、ニュルンベルク医師裁判で被告となったヒトラーの随行医カール・ブラントも、「安楽死」は慈悲殺であり、本質的に人道的なものであったという主張を前面に出して自己弁護をしている。たしかに、現代の医療現場においても、治療方法の無い末期の状態で本人の強い意志が確認されれば安楽死を選択できることが合法化されているオランダなどの例もあり、その根底には心身の苦痛の軽減・除去が人道的であって安楽死を正当化するものとの基本的な考え方がある。
しかし、それだけで前記のような大規模で組織的な大量殺人が実行されたとは到底思えない。そこには、もう少し普遍的な思想的ないしは哲学的な背景があるのではないだろうか?
前述のニュルンベルク医師裁判でも取り挙げられた、法学者ビンディングと精神医学者ホッヘによる「価値なき生命」という概念は、それが安楽死解禁論の主な論旨であったとはいえ、ナチスによる障害者「安楽死」にとっても大きな論理になったといえる。すなわち、そこでは「生きるに値する生命」と「値しない生命」との二つが明瞭に区別されている。その点では、ユダヤ人とアーリア人を区分し、前者は絶滅の対象であり、後者は保護育成の対象であるとしたナチズムの人種主義とも似ている。
ここでもう一つ考慮すべき論理は、やはりドイツの神経科医ヴィクトア・フォン・ヴァイツゼッカーが展開している安楽死論である。ヴァイツゼッカーによれば、臨床現場においては、抹殺されるべき生命が明らかに存在している。その典型例は、妊娠した母体が生命の危険に至ったときに胎児を中絶させるケースである。彼は個人の身体を国家にも喩(たと)え、国家が危急存亡のときには国家の荷物となる障害者なども抹殺されてしかるべきだと主張する。それはあたかも壊疽(えそ)に陥った手足を切断することに喩えられる。
前述のニュルンベルク・コードに照らせば、ナチスの人体実験や障害者殺害などは非倫理的な行為として容易に糾弾できる。あるいは、すでに近代医学がその倫理規範とした古代ギリシアの「ヒポクラテスの誓い」にも悖(もと)るものとして非難できるだろう。しかしながら、これらの倫理基準だけによって将来同じことが繰り返されないという保証はどこにもない。また、ビンディングとホッヘ、およびヴァイツゼッカーらの思想が完全に否定されるという保証もない。
したがって、われわれは現在、ナチスや旧日本軍の人体実験や、ナチズム期の「安楽死」から何を学ぶべきか、それをどのように医療倫理や福祉政策などに反映させてゆくのか、というアクチュアルな歴史問題になお直面しているのである。それは単に、戦後70年が過ぎたという今年だけの問題ではない。将来への記憶の継承という点でも重要な歴史テーマであるといえる。
(おまたわいちろう 精神科医、精神医学史家)
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2022年12月27日
「寒すぎる」と客や従業員が悲鳴 スギ薬局が店舗に“暖房禁止令”を出していた
【本日(12/27)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で感染7556人 3人死亡(27日発表)(NHKニュース)
広島県では27日、新たに7556人が新型コロナウイルスに感染していることが確認され3人が亡くなったと発表されました。
福山市では、1日の感染確認の発表がこれまでで最も多くなりました。
感染が確認されたのは、▼広島市で3289人、▼福山市で1516人、▼東広島市で535人、▼呉市で498人、▼尾道市で348人、▼廿日市市で296人、▼三原市で202人、▼三次市で99人、▼府中町で96人、▼庄原市で91人、▼府中市で83人、▼海田町で72人、▼世羅町で67人、▼大竹市で60人、▼竹原市で59人、▼熊野町で56人、▼安芸高田市で41人、▼江田島市で40人、▼北広島町で38人、▼坂町で30人、▼安芸太田町で15人、▼神石高原町で13人、▼大崎上島町で12人のあわせて7556人です。
1週間前の火曜日より1214人多く、これで県内での感染確認はのべ64万7356人となりました。
福山市では、1日の感染確認の発表がことし8月17日の1427人を上回りこれまでで最も多くなりました。
また、県内では患者3人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後死亡した人は1005人となりました。
新型コロナ医療体制 病床使用率は59.8% 26日時点(NHKニュース)
26日の時点で病床の使用率は59.8%です。(確保病床数884床、入院患者529人)
このうち重症患者用の病床使用率は17.3%です。(確保重症病床52床、重症の入院患者9人)
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1438室を確保し、380人が過ごしています。(利用率26.4%)
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は1224.16人です。
現在、広島県の感染レベルは、1から4の4段階のうち発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】271人死亡 20万2853人感染 (27日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、27日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め20万2853人となっています。また、国内で亡くなった人は271人で、累計5万5813人となっています。
東京都 新型コロナ 22人死亡 2万2063人感染 22日連続前週比増(NHKニュース)
岐阜県 新型コロナ 新たに5386人感染確認 過去最多(NHKニュース)ことし8月23日の5116人を上回り、過去最多です。
大阪府 新型コロナ 13人死亡 新たに1万3962人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は250万3786人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて7064人となっています。
島根県 新型コロナ 新たに1866人感染確認 過去最多(NHKニュース)
山口県 新型コロナ 新たに3523人感染確認 過去最多(NHKニュース)
愛媛県 新型コロナ 新たに4131人感染確認 過去最多(NHKニュース)
コロナ死者、過去最多の438人 感染は20万人(産経ニュース)
国内で27日、438人の新型コロナウイルス感染による死者が報告された。過去最多で、1日の死者が400人を超えるのは初めて。全国の新規感染者は20万8235人が確認され、1週間前と比べ1万8千人余り増えた。
死者数は、11月は2桁や100人台が多かったが、流行「第8波」の拡大に伴い増加し、12月は200人台や300人台の日が目立つようになっていた。これまでの最多は23日の371人だった。
27日の都道府県別の死者は北海道38人、神奈川33人、埼玉26人など。感染者は東京2万2063人、愛知1万5443人、大阪1万3962人など。岐阜、愛媛、島根、山口の4県は感染者が最多を更新した。
厚生労働省によると、全国の重症者数は前日から19人増えて582人だった。熊本などで過去の感染者数の修正があった。
救急搬送困難、6800件で過去最多(共同通信)
総務省消防庁は27日、救急車の到着後も搬送先が決まらない「救急搬送困難事案」が、19~25日の1週間に全国の主な52消防で計6800件あったと発表した。新型コロナウイルス感染「第7波」の8月8~14日を上回って過去最多となった。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)5月15日(日曜日)
通巻第7333号 <前日発行>
イスラエルは何故、西側のロシア制裁に加わらないのか
ロシアとウクナイナにはまだ数十万のユダヤ人がいる
***********************
国連のロシア非難決議にイスラエルは棄権した。国連人権委員会のメンバーからロシア排除決議には加わったが、その鵺的な行動はドイツに似ている。
ドイツはノルドストリーム2のガス供給を中断させてまでウクライナへの武器支援に踏み切ったが、決断に数週間を要した。しかし供与した携行ミサイルなど倉庫に十年以上眠っていたので、なかには錆び付いて使い物にならない兵��もあった。また国防費をGDP2%
にするとしたが、後日「四年間で」と修正している。
評論家のアロン・ピンカスは『イスラエルの態度は不道徳で無礼だ』と批判した。イスラエル国内でもベンアミ元外相は「全面支援が不可能な場合、イスラエルが支払う代償はロシアがシリアに提供したS400ミサイル防空網によって空域の空航優越を失うたことだ」と述べ、ロシアの顔色を伺っている裡に失ったものが大きいとした。
国際社会からイスラエルの決定は数週間も遅れていると批判が強まる中、ベネット政権はヘルメット、防弾チョッキの提供に踏み切った(日本とかわりない)。
ウクライナが強く要請したアイアンドームの供与は断った。しかし人道援助に関しては積極的で野外病院、救急車、医薬品を提供し、またウクライナ難民24000名を引き受けた(このうちの三分の二は非ユダヤ人である)。
国内的にはイスラエル人口の15%がロシア、ウクライナからの移民である。統計によって数字はまちまちだが、ロシアにはまだ10万のユダヤ人が残り(60万という統計もある)、ウクライナには45000名(20万とも)。エルサレムポスト(5月12日)によれば『中核的ユダヤ人』(ユダヤの母親から生まれ、ユダヤ教を信ずるユダヤ人のこと)はロシア国内に15万人という。
イスラエルの姿勢がウクライナ支援に傾斜するのはラブロフ外相が「ヒトラーにもユダヤ人の血がはいっていた」という発言からで、5月9日のクネセトに招かれていたロシア大使のアナトリー・ビクトロフに罵声が飛んだため、途中で退席するハプニングが発生した。
▲ロシアに残留しているユダヤ人はおよそ十五万人
戦争開始以後、ロシア在住ユダヤ人の若者の90%が海外へ出た(イスラエルと欧米のほか、ドバイに集中する。ロシアでハイテク企業を経営していたユダヤ人がドバイに拠点を移したため多くのエンジニアも随行移動した。のこされたユダヤ人はATMが止まって、無一文の暮らしを強いられた家庭が四千世帯という。
イスラエルがロシアに対し強硬な姿勢がとりにくいのは次の理由による。
第一にロシア、ウクライナにのこるユダヤ人は『人質』なのである。ホロコーストはウクライナでも夥しい犠牲があり、ロシアではポグラムによって相当数のユダヤ人が殺害された。その記憶は依然として鮮明だからだ。
第二にエネルギー安全保障から言えば、イスラエルは沖合油田開発でいまでは石油自給国であり、ドイツなどのようにガスをロシアに依存していない。その脆弱性はないが、経済関係でロシアとイスラエルの絆はオルガルヒの大活躍もあって非常に強い。
第三は国家安全保障の観点からすべての政策を決めるイスラエルにとって、シリアとレバノンに巣くうヒズボラ、ハマスなどのテロリストがイランからの武器供与によってテロ攻勢を強める可能性がある。イランの背後にはロシアがいるからだ。
ましてシリアに配備されS400によりイスラエルは空域優位を確保できないため、ロシアに強く出るのは得策ではないと判断してきた。
▲ゼレンスキー大統領の周りを囲む高学歴・弁護士出身のブレーンたち
ゼレンスキー・ウクライナ大統領はG7の国々に加え、日本、イスラエルなどの国会でも演説の場を与えられ、同情を得るという望外の優位を得た。
宣伝戦争においてロシアに「圧勝」した。この演説草稿を書き、心理を分析し巧妙なプロパガンダを敷衍できたのも、周囲のブレーンが若くて、高学歴で、弁護士もしくは医者か学者から政治を志した人たちが多いからだろう。この新人脈に注目が必要だ。
首相はデニス・シュミハリ。ユダヤ人だ。
国防相はオレクシー・レズニュク。弁護士出身。
軍司令官で大将はオレクシー・ザルジニー
外相はドミトロ・クレーバー、父親はアルメニア、カザフスタン大使を歴任。
国家安全保障局長官は、オレクシー・ダニーロフ(ルハンスク前知事)
大統領府長官はアンドリー・イニルマーク(弁護士、TVプロヂュサー)
閣僚クラスで、現時点でユダヤ人と分かっているのは首相と大統領顧問のアレクシー・アレストビッチだけだが、ほかも名前と履歴などからユダヤ人が多いと推定される。
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2019.10.13 . . クロアチア その2 美しすぎる世界遺産の街 ドブロヴニク絶景散歩⛱ . . #オノフリオの大噴水 #スルジ山 #バニェ・ビーチ #マラ・ブラーチャ薬局 #旧総督邸 #聖ヴラホ教会 #ドミニコ会修道院 #スポンザ宮殿 . . アドリア海の真珠と言われた港町🏝 オレンジ色の瓦屋根が連なる🧡 美しい町並みの旧市街が アドリア海の深い青色との🐳 コントラストが眩しーっい☆ 魔女の宅急便の風景の美しい街🏘💕 . 旧市街の裏路地を歩いていると🚶♀️ 至る所でくつろぐ猫たちにたくさん出逢い とても癒された🐈🐈🐈💖 . 夜のドブロブニク旧市街も 物語の世界に迷い込んだような素敵な世界🖼 街中が綺麗にライトアップ✨✨ カフェやバ��も遅くまで開いていて🍻 コンサートも開催されて🎻 人通りが絶えませんでした😊 . あと1.2泊はしたくなる街 次回はソベ(Sobe)に宿泊しよう🏘❤️✨ . . 〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜🇭🇷〜•〜• . . #croatia_instagram #croatia #duvrovnik #アドリア海 #アドリア海の真珠 #旧市街 #城壁 #要塞 #Sobe #アラフィフ #アラフィフコーデ #アラフィフファッション #妮可愛 . . 〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜• いいね・フォロー・コメント・etc いつもありがとうございます🎻🐈🍻💕 〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜• https://www.instagram.com/p/B3i13UgJA0a/?igshid=leccb9t30z1t
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