#保坂耕司
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manabuhosaka · 1 year ago
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fukagawakaidan · 3 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に��げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです��その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き��げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな���主のあだ名である。  この白うるりという���前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いて���トトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大���辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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3 notes · View notes
foucault · 7 months ago
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今日まで「坂本創・松田健悟の仕事」展です。二人あわせて950点弱届いた仕事も50点弱。とはいえ、まだまだ瑞々しい二人の仕事をご用意しています。お立ち寄りくださいませ。
さて今日は、寄稿した書籍と、いただいた書籍について。
寄稿したのは、緑鮮やかな草原のような表紙の "CULTIVATE BIBLE"。新潟・燕において鎚起銅器を生業とする大橋保隆さん @tsuikisyokunin が興した会社「株式会社カルチベイト」から出版された本。社名の由来は太宰治「正義と微笑」において用られている一語とのことだが、その「カルチベイト」をテーマとして、太宰の当該小説と、六十人が考えるそれぞれの「カルチベイト」についてがおさめられた一冊。前回寄稿した『俗物』に続いて、大橋さんやツバメコーヒーの田中さん @tsubamecoffee といった新潟の方々には徹底して愚物として地場に生きようとする衝動があって、花を求めるよりも土を作っていきたい自分としては、こういった衝動に巻き込まれ���ことは割と快い。
隣の『余白』は東京工業大学・中島岳志研究室の佐々風太さん @sasa.sassa.sasa からいただきました。佐々さんが中心となって構成したであろう特集は「東工大と民藝」。東京高等工業学校/東京工業大学には、河井寬次郎・濱田庄司・芹沢銈介・島岡達三といった人々が在籍したわけで、なるほど納得です。佐々さんが濱田における「忘れること」の重要性を語っていることにも深く共感します。この数年、佐々さんから民藝誌に寄稿いただくたびに、優れた論考を示す若い方がいらっしゃるな、と感服していました。「わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」。ということで、自分のこれからの役割は、こういった若くて優れた人々が存分にその力を発揮できる場を整える、耕す、先の言葉に従うならば「カルチベイトする」ことなのだと考えています。
白い二冊は、輪島の拙考・張さん @sekkou_stillmind からいただいた、赤木明登+堀畑裕之『工藝とは何か』と、三谷龍二さん @ryumitani からいただいた、『うつわのその後』。こちらの感想は場をあらためて書くつもりですが、年初に京都の蛸長さんで三谷さん、安藤さんたちとご一緒した際に少し話した「アマチュアの工芸」論を広げていくつもりであることをここに備忘として置いておきます。
みなさま、ありがとうございました。
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oecsports · 1 month ago
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日籍網球教練團九度來臺授課 打造全新YONEX Vamos・J訓練營
YONEX Vamos・J 網球訓練營將於10月5日至6日展開,優乃克股份有限公司舉辦Vamos・J訓練營已邁入第九個年頭,今年外籍教練團將再度來臺授課,並帶來全新精彩的課程內容。
YONEX旗下贊助好手近年在國際網壇大放異彩,除了為人熟知的Stan Wawrinka、日本前世界球后大坂直美(Naomi Osaka)和Elena Rybakina等大滿貫得主之外,Jasmine Paolini和Jessica Pegula也先後在今年挺進大滿貫女單決賽。優乃克股份有限公司更長期深耕國內網壇,新生代好手葛藍喬安娜,過去也是Vamos・J訓練營畢業的優秀學員之一,近年也在職業賽場斬獲佳績。
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YONEX Vamos・J訓練營九度來臺舉辦
YONEX Vamos・J 網球訓練營宗旨為培育12至14歲的青少年未來之星,每年課程內容求新求變,訓練主題更著重在青少年網球發展的各項技術進行重點特訓。Vamos 在西班牙文中有向前衝、振作士氣的動作語意,J 意即Junior,連起來便是「鼓勵青少年向前邁進」之意,將來有機會接軌世界舞臺,加入頂尖好手的行列。
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中山芳德教練具有豐富執教經驗
本屆YONEX Vamos・J 訓練營的授課團隊陣容堅強,中山芳德曾任日本世界青年女子國家隊主教練,不僅實務經驗豐富,也曾多次來臺授課,讓他在安排臺灣青少年選手的訓練菜單上更加全面。臺籍教練團則由多年資歷的賴建豪和廖浤宇教練坐鎮,確保青少年好手與外籍教練團之間溝通無礙,更有效地學習課程內容。
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訓練營幫助青少年針對技術進行特訓
本次訓練營於高雄市陽明網球中心舉行,除了食宿、訓練費用由優乃克股份有限公司全部包辦,在課程核心訓練企劃則相當有系統性。本次訓練營的重點主題為「節奏的變化」,用意為鼓勵學員根據賽況的變化,調整自己所使用戰術與技巧,改變或中斷對手的優勢,最終掌握主導權,進而取得勝利。
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manabuhosaka · 1 year ago
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manabuhosaka · 1 year ago
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shintani24 · 8 months ago
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2024年3月21日
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新井直人選手 アルビレックス新潟より完全移籍加入のお知らせ
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【地震情報】 3月21日 9:08 震度5弱 震源:茨城県南部 M5.3 深さ約50km この地震による津波の心配はありません
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地震相次ぐ 関東で最大震度5弱 震度5弱以上はことし19回目 日頃から備えを(tenkijp)2024年3月21日
今日21日午前9時8分頃、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.3の地震が発生し、栃木県、埼玉県で最大震度5弱を観測しました。今年は元日に能登半島地震が発生してから、震度5弱以上の地震が全国各地で相次いで発生しています。日頃からできる備えを。
今朝 関東で最大震度5弱を観測
今日21日午前9時8分頃、栃木県、埼玉県で最大震度5弱を観測する地震が発生しました。
震源地は茨城県南部(北緯36.1度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
栃木県下野市と埼玉県加須市で最大震度5弱を観測したほか、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県で震度4を観測した地域がありました。東京都千代田区など首都圏では広い範囲で震度3の地震を観測しました。
気象庁によりますと、栃木県で震度5弱が観測されたのは2022年3月16日以来、埼玉県では2021年10月7日以来です
相次ぐ地震 震度5弱以上は今年19回目
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今年は元日に大きな地震が発生して以来、全国各地で地震が相次いでいます。
1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、石川県志賀町では最大震度7を観測しました。気象庁はこの地震について「令和6年能登半島地震」と名付けました。
1月1日以降、全国で最大震度5弱以上の地震が観測された回数は、今朝の地震でことし19回目となりました。
能登半島の周辺だけでなく、2月下旬以降は千葉県東方沖やその周辺にあたる関東で、地震が頻繁に発生しています。今朝は、栃木県、埼玉県で最大震度5弱が観測され、関東では、今年に入って最大震度を観測したことになります。
地震はいつどこで発生するのか、予想ができないため、できる限り早めの対策や備えが必要です。大きな地震があった際にとるべき行動ポイントを事前に抑えておくと安心です。
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140年余の歴史に幕を下ろす「目視観測」 広島地方気象台にワケを聞いてみた(広島テレビ)2024年3月21日
気象台はさまざまな観測機器を使って天候を観測していますが、その内のひとつで間もなくなくなるのが「目視観測」です。
「目視観測」とは、担当者が実際に屋外に出て肉眼で観測して判断すること。明治時代から続けてきましたが、間もなく終了します。「目視観測」の廃止で何が記録されなくなるかと言うと…。
広島地方気象台 坂原幹敏 技術専門官 「先ほど11時は2割ほど雲がありましたけど、今は1割を切っています。もう文句なしに誰が見ても快晴という雲です」
これが、気象台の職員が実際に目で見て天気を判断する「目視観測」です。観測員が、毎日3時間ごとに庁舎の屋上に上がり、天気のほか、ビルや山の霞み具合などから見通しのきく距離などを観測しています。
明治時代から140年以上にわたり続いてきましたが、3月25日で終了します。その背景を聞きました。
實重博司 主任技術専門官 「気象衛星や気象レーダーの高性能化ということで、いろいろな情報が細かく分かるようになってきた。目視観測の重要性がそれほど高くなくなってきたということです」
機械化の波は日進月歩です。全国の気象台では「目視観測」を既に廃止した所も多くあり、4月以降に続けるのは東京と大阪のみとなります。
機械化に伴い、今や天気の判別は気象衛星や計測器などによるものが大半… 見通しのきく距離は、気象台付近の水滴やちりの量などを元に計算しています。
實重 主任技術専門官 「目視観測で観測しているもののなかで、例えばひょうとか防災上重要なものもあるんですが、そういったものは例えばレーダーとかでとらえることが今できるようになってきています」
一方で「目視観測」には機械では補えない熟練の技術が受け継がれています。
坂原 技術専門官 「きょうなんかは下層の雲っていうんですが、大体見ると1000メーターから1500メーターくらいの間の雲ですね」
これまで、観測員は雲の種類や高度なども判断し記録してきました。更に、空に浮かぶ雲の量から、その日の天気が「快晴」か「晴れ」かを判別してきましたが、それらは機械の手には負えません。
そのため、特に災害の危険が迫るような時には、記録しなく��も職員による「目視観測」を続けるとしています。
坂原 技術専門官 「(雲の)形だけではなくてそういう高度とかでも判別できないと、要は災害に結びつくような顕著な雨とか判定するのはもう目で見ないとということなんですよね」
機械にもある限界…。だからこそ「目視観測」が残るものもあります。冬の訪れを告げる初霜・初氷・初冠雪の観測です。
實重 主任技術専門官 「季節の変わり目のシグナルとして結構ニュースにも取り上げていただいていますので、そういったニーズも考えて継続となっています」
観測機器の進化は続きますが、気象台は「目視観測の技術は継承し、守りたい」としています。
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過去30年の低金利に伴う「逸失金利収入」は600兆円=植田日銀総裁(ロイター)2024年3月21日
[東京 21日 ロイター] - 日銀の植田和男総裁は21日、参院財政金融委員会で、1993年から2022年までの間に低金利のために家計や企業が手にできなかった「逸失金利収入」は総額600兆円に上ると述べた。
ただ、利子所得の下押しで総需要にマイナスの影響が出た可能性があるものの、金融緩和で金利を低位に誘導することで経済環境の改善につながったと指摘。低金利が経済全体にどういう影響をもたらしたか総合的に考慮すべきだと述べた。
大塚耕平議員(民主)の質問に答えた。
日銀は19日の金融政策決定会合で大規模緩和の修正を決めたが、国債買い入れは続けていく。植田総裁は当面、国債の保有残高はおおむね横ばいで推移するとし、高水準の国債保有が金利の押し下げにつながる「ストック効果」は引き続き作用するが、このことをもって「量的・質的緩和政策」と呼ぶことは考えていないと述べた。
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mazelnakiken-1 · 8 months ago
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【杉並区のイベント情報】
一人ひとりが輝く男女共同参画をめざした社会づくりフォーラム
「すぎなみ超春トク区民まつり」が開催されます
主催: 青少年育成連絡協議会
こども 無料(対象年齢:0歳~)
S席 8,000円  A席 1,000円  B席 1,000円
新生活 にぴったりな歌手が盛りだくさん!
お知り合いの親子や親戚を誘って来てね〜!
日程:4月2日火曜
@高円寺無力無善寺  https://muzenji.web.fc2.com  杉並区高円寺南3-67-1    開場18時  開演18時5分 
料金:千円(ドリンク付き)
出演(あいうえお順): 及川耕碩+西平匠杜 和水・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬のコラボ
終末亭厄丁さんの枠 そにっくなーす 大河もん土 謎の超能力者戸田 ZOYO WAVWAV
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===時間割予定====
18:00開場 18:05~「終末亭厄丁」  18:45~転換 18:50 ~「謎の超能力者戸田」
 19:20~転換 19:25~「和水・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬・???」  19:50~転換 20:00~「WAVWAV」
 20:25~転換 20:35~「そにっくなーす」
 21:00~転換 21:10~「ZOYO」 
 21:35~転換 21:45~「及川耕碩+西平匠杜」
 22:10~転換 22:15~「大河もん土」
===出演者詳細===
18:05~「終末亭厄丁」
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”テレフォンドール @TelephoneDoll Dr?
/シ作/アマチュア占術師。四柱推命、姓名判断、
タロット等...鑑定の御依頼はDMにて承ります。
誕生日: 1998年7月10日
2019年11月からTwitterを利用しています”
(ゴキブリパラノイアくん曰く「終末亭楽太郎のほうがいい」
18:50 ~セミナー講師「謎の超能力者戸田」
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"謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。
催眠、気功、伝授できます。「催眠サークル人間失格」の代表
有料noteあります https://note.com/todatomoya111 ”
19:25~「和水(Kazumi)・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬・???」
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和水(Kazumi)
和水ソロ,the部族,幻想曲,LIFE,nossa casa,4971?, アイヌと沖縄の歌も歌う心眼ソングライター 牛チラハンター 祈り 太鼓&卓球パーカッション、踊り 水関連
「ゐ忌レ」
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ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
20:00~「WAVWAV」
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東京都荒川区結成! wavwav(ワブワブ)
Gt./Vo. ふぉにまる @phonnnny
Key./Vo. 展翅零 @attacusatla
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Gt. 95 @asrazng
Ba. 神宮司 @MJinguji
Pa. 仏陀 悟リラ @AIBuddhaGorilla
Dr. ぐっちょむ @gutchom
20:35~「そにっくなーす」
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ひのはらみめいです 代表作『グランジナースの死』
詩の朗読(詩人戦隊ポエーマンズ西日/詩歌坂48)弾き語り、
小説書き。生クリームが苦手 文鳥は永遠 文鳥は最高
アイコンはあらたようさん作
21:10~「ZOYO」 
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𝓛𝓘𝓥𝓘𝓝𝓖 𝓘𝓝 𝓞𝓛𝓓 𝓘𝓝𝓣𝓔𝓡𝓝𝓔𝓣
♡2003✩.*˚ ☆。.:WEB CUTE CORE
全員圧縮☆zipファイルに してゃる
21:45~「及川耕碩+西平匠杜」
及川耕碩
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Progressive Fastcore Band TERRO TERRO(Vo,Sax)
企画「東京Alien」「TERROIR」主催
Radiotalk 「本トの話 」 https://radiotalk.jp/program/62823
ライブオファーなどこちらへ[email protected]
西平匠杜
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空論city/ 依頼などはこちらへ: [email protected] (a.k.a.西平由美子)
22:15~「大河もん土」
昭和歌謡、シャンソン、明治大正の流行歌など
主に日本の古い歌を歌います 早稲田大学文構二年
O2(新宿ゴールデン街)金曜日どうぞご贔屓に!
区内外どなたでも大丈夫、 出入りも自由で予約もなしです
まだ空席あるそうです。 お近くの方ぜひ!
TEL090-9170-6967
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hosakakyodai · 9 months ago
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田舎暮らしのリアル:節約とミニマルライフの幻想 - 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)プロフィール https://hosakakyodai.themedia.jp/posts/51897837
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straycatboogie · 9 months ago
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2024/02/04
BGM: Susumu Hirasawa - Mermaid Song
この日記においてすでに書き記してきたのだけれど、今月15日に行うプレゼンテーションのための英語のメモを書きつけ始めている。事実を書き留めておく必要があるだろうと思い、ひたすらその記録につとめている。思い・思念が先走るだけじゃつらいかな、と思ってのことだ。たとえば、こうしたことは面白おかしくもないし魅力的でもないかもしれないけれど、どんな本を図書館で借りたかを書き記す。あるいはどんな音楽に心惹かれているか。イオンでいつお手洗いに行ったかまで書いてしまった(もちろん、これをそのまま発表するわけではないにせよ)。
今日、また図書館に行って何冊か本を借りてしまった。2冊本を借りるつもりだったのだけど(三島由紀夫『春の雪』を再読したかったのでこの本も借りたかった)、そこで司書の方がぼくに過去に予約していたクロード・シモンの古典小説『農耕詩』が用意できているとおっしゃったのでそれも借りた。グループホームに戻り昼寝を楽しんだあと、別段用もなかったしせっかくの自由時間をなんにもしないでのんびり心地よく過ごしてもよかったのだけれど、落ち着かずモゾモゾしてしまいじっとしていられなかった(という落ち着きのなさこそ、ぼくが発達障害者であるゆえんだろう)。だからまた外に出てしまった。
イオンに行き、くだらないことをあれこれ頭の中でもてあそんだ。たとえば、あのジョンとポールはビートルズの名曲群を演奏している間どんなことを考えたのかなあ、と(エバーグリーンなラブソングを演奏している間、曲の内容についてではなく「あいつ、ミスしやがった」なんて考えたのかなとか)。そして、面白い本を読んだりもした。読書中、ぼくはいずれ死がぼくのところにやってくるんだろうなと思った。いずれ死ぬ……なんて。この本、保坂和志『もうひとつの季節』はたしかにそんなふうにして死の神秘や世界がいかにすばらしいところであるか教えているように思われた。保坂の哲学的なアイデア、イマジネーション(想像力)にあこがれを抱いたことを思い出す。猿真似すらしたものだ。
大量飲酒にふけっていた頃、本なんてめったに読まなかった。いや、呑まれつつもたしかにぼくは酒を断つ意志を持っていた。もういっさい、この瞬間から酒を止めてしまおう、と。でも、そんなアホな行い・ふるまいを断つことなんてできなかった。いまになって、気が狂いそうな退屈に耐えてやり過ごすのが厄介ということこそあるものの、落ち着いた心で読書を堪能できるーーそんな感じで人生というものはフェアにできているのかなあ、とも思う。
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kachoushi · 1 year ago
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各地句会報
花鳥誌 令和5年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年4月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 春昼や質屋の硝子なないろに 小鳥 伊勢屋質店今生の花とほく 光子 菊坂に豆煎る音や花の昼 和子 一葉の質屋は鎖して春の闇 はるか 本郷の亀を鳴かせて露地住ひ 順子 おかめ蕎麦小声で頼み万愚節 いづみ 文士らの騒めきとすれ違ふ春 三郎 一葉を待つ一滴の春の水 光子 物干に如雨露干したり路地の春 和子
岡田順子選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 金魚坂狭め遅日の笊洗ふ 千種 菊坂の底ひの春の空小さし 光子 坂の名のみな懐かしき日永かな 要 赤貧の欠片も少し春の土 いづみ 本郷の間借りの部屋の猫の妻 同 質店の中より子規の春の咳 俊樹 止宿者の碑のみ残すや蝶の舞 眞理子 本郷の北窓開く古本屋 きみよ かぎろひの街をはみ出す観覧車 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花冷の背後より声掛けらるる 美穂 幾年も陽炎追ひて遊びけり 散太郎 濃きほどに影のやうなる菫かな 睦子 化粧水ほどの湿りや春の土 成子 画布を抱き春の時雨を戻りけり かおり 昼月は遠く遠くへ花満開 愛 シャボン玉の吹雪や少女手妻めく 勝利 麗かや砂金三つ四つ指の先 睦子 成り行きの人生かとも半仙戯 朝子 鞦韆の羽ばたかずまた留まらず 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
花吹雪卍色と云ふが今 雪 花冷に後姿の観世音 同 ��ぼ降りてひと夜の契り花の雨 笑 観世音御手にこぼるる花の寺 同 お精舎やこの世忘れて糸桜 啓子 逝きし友逢へないままに朦月 同 裏木戸を開ければそこに花吹雪 泰俊 御仏と咲き満つ花の句座に入る 希 愛子忌や墓にたむけの落椿 匠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
縋りつく女心や桃の花 世詩明 肌寒く母の手紙はひらがなぞ 同 啓蟄や鍬突き立てし小百姓 同 日野河原菜花の香る祭りかな ただし 菜の花や石田渡しの蘇る 同 雛祭ちらしずしそへ甘納豆 輝一 ぽつたりと落ちて音なき大椿 清女 花吹雪路面電車の停車駅 同 大拙館椿一輪のみの床 洋子 花の山遠く越前富士を抱く 同 吉野山日は傾きて夕桜 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花の下天をを仰げば独り占め さとみ 春陰やおのが心のうつろひも 都 春耕や眠りたる物掘り起す 同 左手の指輪のくびれ花の冷え 同 園児等のお唄そろはず山笑ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
膝をまだ崩せずにをり桜餅 秋尚 登り来て本丸跡や花は葉に 百合子 葉脈のかをり弾けて桜餅 同 桜餅祖母の遺せし会津塗り ゆう子 売り声も色つややかに桜餅 幸子 木洩日の濡れてゐるやう柿若葉 三無 春愁や集ふふる里母忌日 多美女 伍しゐても古草の彩くすみをり 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
心経をとなへ毛虫に火をはなつ 昭子 マンホール蓋の窪みに花の屑 昭子 栄螺売潮の香りを置いてゆく 三四郎 金の蕊光る夕月てふ椿 時江 禅寺の読経流るる花筏 ただし 若者の髭に勢や麦青む みす枝 龍が吐く長命水の春を汲む 三四郎 花吹雪受けんと子等の手足舞ふ みす枝 土器の瓢の町や陽炎へり ただし 海遠く茜空背に鳥帰る 三四郎 紅梅のことほぐやうに枝広げ 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
片棒を担いでをりぬ四月馬鹿 三無 薬草園とふ門古りて松の花 和魚 だんだんと声ふくらみて四月馬鹿 美貴 四月馬鹿言つて言はれて生きてをり 和魚 松の花表札今も夫の居て 三無 白状は昼過ぎからや四月馬鹿 のりこ 一の鳥居までの大路や松の花 秋尚 松の花昏き玄関応へなく 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月11日 萩花鳥会
京よりの生麸草餅薄茶席 祐 不帰のヘリ御霊をおくる花筏 健雄 ただ一本ミドリヨシノの世界あり 恒雄 堂々と桜見下ろす二層門 俊文 猫に愚痴聞かせて淋し春の宵 ゆかり 杵つきの草餅が好きばあちやん子 美惠子
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令和5年4月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
便り待つポストをリラの房覆ふ 栄子 畑打つや鍬を担ひし西明り 宇太郎 軒下の汚れし朝や燕来る 都 桜蕊降る藩廟の染まるまで 美智子 桜蕊降るももいろの雨が降る 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
何氣なく来て何気なく咲く花に 雪 神御座す杜の新樹に聞く鳥語 かづを 老の踏むひとりの音や落椿 ただし 野辺送り喪服の背に花の蕊 嘉和 夜ざくらのぼんぼり明り水あかり 賢一 喝采の微風を受けて花は葉に 真喜栄 生きる恋はぜる恋ととや猫の妻 世詩明 葉ざくらに隠されてゐる忠魂碑 同 眩しさを残して花は葉となれり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
極大と極小としやぼん玉宙へ 要 穴出でし蟻の列追ふ園児どち 経彦 頰􄼺をつく石仏の春愁 貴薫 酸模を噛む少年の今は無く 要 稲毛山廣福密寺百千鳥 同 瑠璃色を散らし胡蝶の羽ばたきぬ 久 春陰の如意輪仏へ女坂 慶月 棕櫚の花年尾の句碑に問ひかくる 幸風 朴の花仏顔して天にあり 三無
栗林圭魚選 特選句
蝌蚪の群突くひとさし指の影 千種 峠道囀り交はす声響き ます江 美術館三角屋根に藤懸かる 久子 こんもりと句碑へ映るも若葉かな 慶月 微かなる香りや雨後の八重桜 貴薫 朝の日に濃淡重ね若楓 秋尚 落ちてなほ紅色失せぬ藪椿 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
通勤のバスから見ゆる日々の花 あけみ 花馬酔木白き房揺れ兄の家 令子 亡き鳥をチューリップ添へ送りけり 光子 偲ぶ日の重く出たるや春の月 令子 あの頃の記憶辿って桜散る 美加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
矢車の音きしみ合ふ幟竿 世詩明 風よりも大きく揺れて糸柳 啓子 花万朶この世忘れて花の下 同 あたたかやお守りはねるランドセル 同 甘き香の女ごころや桜餅 千加江 春場所や贔屓の力士背に砂 令子 落椿掃きゐてふつと愛子忌と 清女 春の虹待ちて河口に愛子の忌 笑子 散りそめし花の余韻も愛子の忌 同 城の濠指呼の先には花の渦 和子 花筏哲学の道清めたる 隆司 ���郷の深き眠りや花の雨 泰俊 山道の明るさを増す百千鳥 同 ほころびて色つぽくなり紫木蓮 数幸 花桃に出迎へられて左内像 同 瞬きは空の青さよ犬ふぐり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
忠直郷ゆかりの鬱金桜とぞ 雪 椿てふ呪縛の解けて落つ椿 同 春愁や言葉一つを呑み込んで 同 御襁褓取り駈け出す嬰や麦は穂に みす枝 鶯の機嫌良き日や鍬高く 同 ただならぬ人の世よそに蝌蚪の国 一涓 あの角を曲つてみたき春の宵 日登美 春の果次も女に生れたし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 さきたま花鳥句会(四月二十一日)
清冽な水は山葵を磨き上げ 月惑 連写して柳絮の舞ふを収めけり 八草 天守閉ぢ黙す鯱鉾朧月 裕章 行き先は行きつく所柳絮飛ぶ 紀花 南無大師遍照金剛春の風 孝江 揚浜に春の虹立つ製塩所 とし江 柳絮飛ぶ二匹の亀の不動なり ふじ穂 筍堀り父編むいじこ背負ひ来て 康子 花吹雪ひと固まりの風の道 恵美子 満天星の花揺らしつつ風過ぎる 彩香 夢叶へ入学の地へ夜行バス 静子 啓蟄やピンポンパンの歌聞こゆ 良江
………………………………………………………………
令和5年4月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
真榊はあをばの中に立つてをり いづみ 水の上の空のその上鳥の恋 順子 掌の中の春の蚊深き息を吐き 炳子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 春の闇より声掛けて写真館 順子 零戦機日永の昼の星狙ふ ゆう子
岡田順子選 特選句
玉砂利の音来て黒揚羽乱舞 和子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 風光る誰にも座られぬベンチ 緋路 緋鯉とて水陽炎の中に棲み 俊樹 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 蜂唸る神の園生に丸き井戸 炳子 佐保姫は夜に舞ひしか能舞台 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
つかまへし子亀に問へり亀鳴くか 美穂 亀鳴くや拷問石にある哀史 ちぐさ 亀鳴ける賓頭盧尊者撫でをれば 美穂 板の戸に志功の天女花朧 喜和 連子窓に卯の花腐し閉ぢ込めて かおり 大人へのふらここ一つ山の上 光子 ふらここや無心はたまた思ひつめ 同 ふらここや関門海峡見下ろして 同 さくら貝ひとつ拾ひて漕ぎ出しぬ かおり 午後一時直射にぬめる蜥蜴の背 勝利 花冷の全身かたき乳鋲かな 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落城の如く散りたる落椿 世詩明 三人の卒業生以て閉校す 同 双葉より学びし学舎卒業す 同 氏神の木椅子はぬくし梅の花 ただし 鳥帰る戦士の墓は北向きに 同 草引く手こんなですよと節くれて 清女 雛あられ生きとし生くる色やとも 洋子 官女雛一人は薄く口開けて やす香 露天湯肩へ風花ちらちらと 同
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manabuhosaka · 1 year ago
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oecsports · 2 years ago
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國際網球教練團八度訪臺 締造全新YONEX Vamos・J訓練營
YONEX Vamos・J 網球訓練營於5月5日至7日展開,優乃克股份有限公司舉辦Vamos・J訓練營已邁入第八個年頭,今年外籍教練團將再度訪臺,並帶來全新精彩的課程內容。
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YONEX Vamos・J訓練營目標培育12至14歲青少年潛力新秀
放眼國際網壇,YONEX旗下贊助好手除了日本前世界球后大坂なおみ(Naomi Osaka)外,哈薩克籍好手Elena Rybakina亦在這兩年間大放異彩,不僅勇奪去年溫網冠軍,今年更摘下澳網亞軍和印地安泉大師賽冠軍。
優乃克股份有限公司更長期深耕國內網壇,目前單打世界排名226位的「新臺灣一姊」葛藍喬安娜,過去也是Vamos・J訓練營畢業的優秀學員之一,不久前於ITF澳洲天鵝山站斬獲單打冠軍,更在職業賽場屢創佳績。
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YONEX Vamos・J訓練營每年帶來求新求變的課程內容
YONEX Vamos・J 網球訓練營宗旨為培育12至14歲的青少年未來之星,Vamos 在西班牙文中有砥礪前進的動作語意,J 意即Junior,連起來便是「激勵青少年前進」之意。
本屆YONEX Vamos・J 訓練營的授課團隊陣容堅強,除了訓練營創辦人兼計畫執行長二本松一先生睽違三年再度來臺,另首度加入YONEX團隊顧問、克羅埃西亞籍的技術教練Davor Jaic,將帶來求新求變的課程內容。
此外,教練團隊中的體能訓練師金子和宏同樣大有來頭,不僅是受到JTA日本國家級認證的官方體能訓練師,金子和宏過去曾有多次訪臺經驗,也讓他在安排臺灣青少年選手的訓練菜單上更加全面。
臺籍教練團則由多年資歷的廖浤宇教練坐鎮,確保青少年好手與外籍教練團之間溝通無礙,更有效地學習課程內容。
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YONEX Vamos・J訓練營執行長二本松一睽違三年再度來台授課
本次訓練營於臺南市立網球場舉行,除了食宿、訓練費用由優乃克股份有限公司全部包辦,在課程核心訓練企劃上,一點都不馬虎。
「有效的網球訓練與擊球策略於實際對戰中的運用」為本次訓練的一大重點,用意為選手開始比賽的第一分開始,藉由自身的生理狀況主導賽事節奏,並採取有效的得分方式,目標讓所有與會學員未來在國際賽場上,能更臻出彩。
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koji-hosaka · 3 years ago
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お散歩シリーズを配信してます。
暇人しかみないような構成でございます。
保坂耕司のFC2ブログのご紹介!
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xf-2 · 4 years ago
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1989年(平成元年)7月、韓国当局に対して、 韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を求めるという趣旨の要望書が、 当時の日本社会党、公明党、社会民主連合、無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。 日本社会党 衆議院 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄 参議院 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎 公明党 衆議院 小川新一郎、鳥居一雄、西中清 参議院 猪熊重二、塩出啓典、和田教美 社会民主連合 衆議院 江田五月、菅直人 参議院 田英夫 無所属 衆議院 安井吉典(社会党系) 参議院 青島幸男、宇都宮徳馬、喜屋武真栄、山田耕三郎 要望書の内容 私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層の主導権を発揮されることを期待しています。 在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。 1989年 大韓民国盧泰愚大統領貴下 日本国国会議員一同 北朝鮮工作員・辛光洙について、 原敕晁さん拉致容疑の主犯として、また横田めぐみさん等の拉致の実行犯。現在は北朝鮮で英雄としての待遇。 辛容疑者、関与4人目 めぐみさんも拉致 曽我さん証言 昭和五十二年の横田めぐみさん当時(13)拉致事件について、 帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、実行犯の一人は北朝鮮元工作員、 辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)警察庁が国際手配だと 関係者に証言していたことが五日、分かった。 辛容疑者が関与、もしくは関与の疑いが浮上した被害者は四人目。 これまでの捜査や被害者の証言などから一連の拉致事件の構図がより鮮明になってきた。 政府は改めて北朝鮮側に辛容疑者らの身柄引き渡しを求める方針。 めぐみさんの翌年に拉致された曽我さんは、めぐみさんと同じ招待所で暮らし始めた。 関係者によると、招待所で二人の朝鮮語や思想教育を担当したのが辛容疑者で、 曽我さんはその際、辛容疑者から直接、「横田めぐみを連れてきたのは私だ」と聞かされたという。 警察当局もこの情報を把握している。 辛容疑者は五十五年六月、大阪市の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん同(43)を拉致。 原さんに成りすまし、旅券を取得したとして、平成十四年七月に警視庁が旅券法違反容疑などで 逮捕状を取り、警察庁が国際手配した。 また、地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻が帰国後の福井県警の事情聴取に 「実行犯の一人は辛容疑者だった」と証言したことから 警察当局は国外移送目的略取容疑を視野に捜査している。 蓮池薫さん(48)、祐木子さん(49)夫妻は、警視庁が六十年三月に旅券法違反などの容疑で指名手配した 「朴」と名乗る極東地区工作員の写真を見て、実行犯の一人であることを指摘。 五十二年九月の久米裕さん同(52)拉致を指揮したのは 朝鮮労働党元幹部で工作員の金世鎬容疑者(76)だったことが判明している。 欧州で拉致された有本恵子さん同(23)ら三人の拉致には 「キム・ユーチョル」と名乗る工作員とよど号犯や妻の関与が指摘されている。 (産経新聞) - 2006年1月6日2時35分 日本の警察は2006年2月23日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで再度逮捕状を取得、 同3月3日、重ねて辛光洙を国際指名手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%89%E6%B4%99 http://nyt.trycomp.com/hokan/0025.html
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