#佳子内親王殿下お誕生日
Explore tagged Tumblr posts
Text
【令和7年2月23日】天皇陛下65歳の誕生日一般参賀を2万3千人が祝福:コロナ対策を徹底した「宴会の儀」が5年ぶりに復活、120人規模で開催
一般参賀が皇居・宮殿東庭で開催 令和7年2月23日、天皇陛下の65歳の誕生日を祝う一般参賀が皇居・宮殿東庭で実施されました。 この行事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で一時中断されていましたが、5年ぶりの再開となり、皇室行事の復活を象徴する重要な機会となりました。 全国各地から集まった約2万3千人の参賀者は、皇族方との直接的な交流を通じて祝意を示しました。 特に今年は戦後80年という節目を迎える年であることから、皇室が果たす平和と国民の結束への貢献が改めて注目されています。 一般参賀の実施概要 午前9時30分に皇居正門から始まった一般参賀では、天皇皇后両陛下を中心に、愛子内親王殿下や秋篠宮皇嗣同妃両殿下、佳子内親王殿下が長和殿のベランダにお出ましになりました。 3回にわたり姿を見せられた皇族方は、東庭に集まった参賀者に笑顔で手を振りながら応えられ、多くの人々に感動を与えました。 参賀…
0 notes
Photo

. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月29日(木) #赤口(丙辰) 旧暦 12/7 月齢 5.7 年始から363日目(閏年では364日目)にあたり、年末まであと2日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日は定時に仕事納めして帰京。 阿蘇熊本空港を19時5分のフライト🛫 全日に大雪の恐れがあると脅し が、ありましたがなんにもあり ませんよね✋阿蘇山では雪が☃ が降ってたらしいけど下界では 大丈夫でしたが、そのせいで雲 が多く珍しく早く日が沈み暗く 寒かったですが、航空機の中が 蒸し風呂の様に暑く辛い時間⤵️ 増して真ん中の席って肘掛が あるのですが両隣に奪われると 酷いもんです😅💦尚、狭くて 息苦しい上にマスクしろってんだ から拷問ですψ(`∇´)ψケッ! (o゚д゚)マジスカ?\(__ )マジデス。 デッ!上着を脱ごうにも動きが 取れぬから地獄を垣間見る思い でしたわ🤣😆🤣それで東京🗼 に着いたら凄く暖かで大汗😅💦 家路に着き📆の暦を見ると👀 10月11日(火)になってたので 80日ぶりの帰京になりますわ💦 今朝は二度寝でこんな時間⤵️ 案の定にバイクのバッテリーが上が ってエンジンがかかりません⤵️⤵️ . 今日一日��なた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #東京大賞典開催日(第68回). 一年の総決算として行われる年の瀬のビッグイベント。 2011年から地方競馬初となる国際GIに格上げとなり国際競走として実施されています。 日本全国から集結したダートグレード戦線の実績馬に加え、海外で活躍する実力馬が参戦可能になりました。 その年のダートNO.1を決める真のグランプリレースです。 2022(令和4)年12/29(木) 15:40 大井競馬場 第68回東京大賞典(GI) . https://nar.netkeiba.com/special/index.html?id=0051 . . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごとでは次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。 この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #八専間日(ハッセンマビ). 干と支の性質が同じ組み合わせの多い期間のことですが、八専間日は八専の期間中に干と支の性質の組み合わせが同じでない日。 八専は凶日ですが、間日は凶日ではないとされています。 . . #阪堺鉄道営業開始. 1885(明治18)年12月29日(水)、日本では日本鉄道と東京馬車鉄道に次ぎ、3番目の民営鉄道業者が営業を開始しました。 阪堺鉄道(現在の南海本線《南海電気鉄道》)難波(ナンバ)~大和川(ヤマトガワ)27.3キロが開通しました。 日本鉄道は政府の介入が強い半官半民会社、東京馬車鉄道は名前の通り市街交通としての馬車鉄道を運営していた会社であった。 この事から、文献によっては阪堺鉄道を(純民間資本による)日本最初の私鉄とも云われて居る。 . #佳子内親王殿下お誕生日. 1994(平成6)年12月29日(木)ご生誕(27歳) 皇族,秋篠宮文仁親王の第二女子 お印はゆうな。 勲等は宝冠大綬章。 . #福の日. . #シャンソンの日. . #清水トンネル貫通記念日. . . #ふくの日 (毎月29日). . #Piknikの日 (毎月29日). . #クレープの日(毎月9が付く日). . . ■今日のつぶやき■. #歳歳年年人同じからず(ネンネンサイサイヒトオナジカラズ). 【解説】 毎年、花は同じように咲くが、人の世は死ぬ者があれば生まれる者があり、年とともに変わってゆく。 人の世の儚い事に例える。 . . 1971(昭和46)年12月29日(水)仏滅. #渡部遼介 (#わたべりょうすけ) 【俳優】 〔東京都〕. . . (学芸大附��中小前) https://www.instagram.com/p/Cmu3Dj4yhglC_qD8n5k0UOeNLseYUykIGKhHIQ0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#赤口#東京大賞典開催日#大明日#八専間日#阪堺鉄道営業開始#佳子内親王殿下お誕生日#福の日#シャンソンの日#清水トンネル貫通記念日#ふくの日#piknikの日#クレープの日#歳歳年年人同じからず#渡部遼介#わたべりょうすけ
0 notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄���計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝��資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕��盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷���駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
9 notes
·
View notes
Text
天皇皇后両陛下,愛子内親王殿下,佳子内親王殿下が長和殿ベランダにお出ましになる宮殿東庭での参賀の生中継をニコニコ生放送視聴中→ニコニコニュース公式【2月23日 天皇誕生日】皇居 一般参賀 ライブ配信 / ニコ生ライブ中継
0 notes
Quote
秋篠宮さまの53歳の誕生日にあたり、今月22日にご夫妻で臨まれた記者会見は次の通り。 (質問1)殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い、皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせください。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ、殿下がどのようにお考えになられているのか、あわせてお聞かせください。 秋篠宮さま 最初の抱負ということについてですけれども、私は今まであまり抱負ということは、語ることは、口に出して言うことはありません。ただ、何かの節目というよりも、折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。これは、抱負になるのかどうかは分かりませんけれども、これからも様々な公的な仕事をする機会があります。時として、例えば毎年のように行われているものなどについては、どうしても、前年度とか、その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。これは私自身もそうなんですけれども、やはり、それら一つ一つを、その都度その都度考えながら、自分の仕事、若しくは務めを、進めていくようにしたいと思っています。あと、公務そのものについては、これは、例えば、天皇が海外、外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。私は今までそれをしたことがありません。今の皇太子殿下は、昭和時代に1度その経験があるわけです。私はしたことがありませんけれども。今後はそういう機会は、必ず出てまいります。一方、公的な活動について、来年の5月以降、今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが、今度は天皇になられると、それを併せてするということはできなくなります。一方、これは昨年のこの場でもお話をしましたが、私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。それらをそっくり誰かに今度は譲る、引き渡すということ、これも、それを受ける先はありません。そのようなことから、今、宮内庁として考えていることは、一旦全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って、それを整理をして、それで次に私がどのものをその後行っていくか、というのを検討しているところです。おそらくそれはそう遠くないうちに、発表されるのではないかと思っています。また、在り方については、公的な活動については、今お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取った、ということです。在り方というものについては、恐らく、今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども、分担というか、今の皇太子殿下と私のものというのは、ある程度こう今お話ししたように分かれるわけですが、例えば宮中で行われる行事等については、それは平成の時代にも、行い方が変わったり、今の両陛下が変えられたものもあるわけです。そういうものについては随時話し合いを���既にしているものもありますが、(今後も)していく必要があろうかと考えています。 (質問2)殿下にお伺いします。天皇陛下の退位まで5か月となりました。この30年を振り返り、平成とはどのような時代であったと考え、象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまには、どのような思いを抱かれているのでしょうか。 秋篠宮さま 平成も30年、かなり長い期間になります。それをこう振り返って総括するというのは、なかなか私にはできません。例えば平成の初めの頃、私も日本にいなかった時期もありますし、例えばそういう時に、ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか、そういうものを見て、驚いたことはあるわけですが、平成ということですので、日本のことになろうかと思います。そうすると、いくつか思い浮かびますけれど、例えば、バブルが崩壊して、経済の低迷といいますか、失われた10年とか、その後も含めて20年とか言われますけれども、ちょうどそのバブルの頃、それからその後でもって、人々の生活のパターンというのが変わったなというのは、私なりに何となく感じております。また、これは大変残念なことではありますけれども、自然災害が非常に多かった。震災もありました。そしてまた近年は、豪雨であったり豪雪もあります、台風などでも大きな被害が出ています。そういう自然災害が、非常に多い時代だったなという印象があります。あとこれは、恐らく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが、企業であるとか、もちろん自治体もそうですね、それから個人が、非常に環境というものに関心を持つようになり、それぞれが、環境に対してどういうことができるかというのを、真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。そして、いろいろなITの発達、これは、それこそ私などは、昭和時代はワードプロセッサですね、昭和の終わりぐらいですよね、で文章を作っていた。それがいつの間にか、もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する、そしてさらに、スマートフォンだいろいろと出てきました。以前では考えられないぐらい、情報が入ってくるようになり、それからまた、海外と連絡する際も、極めて迅速に、それが行えるようになり、また例えば、海外の事情なども、容易に知ることができるようになる。ある意味では、国の国境がボーダレスの時代になったなという印象があります。私自身はまだ、追い付いていかないところが少しありますけれども、そういう時代だったなと思います。そして、もう一つ挙げるとするならば、日本人が学術や芸術、それからスポーツなど様々な分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。 その次の両陛下のことについてですが、天皇陛下は即位以来、象徴とはどのようにあるべきかという、その象徴としての在り方について、常に模索し考えてこられ、そして、一昨年の8月に、今のお気持ちというものを表明されましたが、その中に全身全霊という���葉がありました。まさしく、その全身全霊でお務めを果たしてこられたと、私は思います。そして皇后陛下は、その陛下のお務め、それから立場を重んじ、更に宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら、ご結婚以来、非常に長い期間、60年近くにわたって陛下を支えてこられました。これはなかなかできることではないと私は思い、お二方に深く敬意を表するところです。そして、これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども、息子の立場として言わせていただければ、私は、二十何年、一緒に過ごしていましたからですけれども、常に笑いのある、そういう温かい家庭を築いてくださいました。そのことに感謝したいと思います。 (質問3)両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家を巡るさまざまな報道もありますが、小室さんからどのように聞き、どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください。 秋篠宮さま 小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に1度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります。娘の、長女の様子についてですが、(妃殿下をご覧になって)どうでしょうか。 紀子さま (殿下を振り向かれて)私は後でお話ししても。今でよろしいでしょうか(殿下に確かめられる)。 記者 眞子さまのご様子についても、ぜひ殿下から。 秋篠宮さま 私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりませんけれども、公の依頼されている仕事、それは極めて真面目に取り組み、一所懸命行っていると思います。また平日は、博物館の方で仕事をしつつ、自分の関心、研究テーマを深めていっているのだろうと思っております。 記者 質問の中でございました、様々な報道に関して、小室さんからどのように聞いていらっしゃるかということについてはいかがでしょうか。 秋篠宮さま 小室さんから、報道について、その報道についてうんぬんという、それ自体について、私は聞いておりません。もちろん、ただその中に、今までにあった中で、これは事実とは違うことだ、ということについて説明があったということはあります。ただそれについて、じゃあ何か行動を今するのかどうか、その様子については、連絡からうかがうことは、知ることは私はできておりません。 記者 同じ質問になりますけれども、妃殿下いかがでしょうか。 紀子さま 今、宮様から質問に対して具体的にお話をされているところもございますので、もしできましたら私は母親としてどのように受け止めたか、また、娘の様子、そして、どのように感じているかについてお話をしたいと思いますが、よろしいでしょうか(記者にお尋ねになり、確認される)。 紀子さま 昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話し合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。 しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。今年の7月には、公的な訪問、ブラジルへ行きました。それは、日本人のブラジル移住110周年の行事に出席するためでした。(殿下を振り向かれて)私たち自身も、以前にブラジルへ仕事で行きましたが、その時よりも長い距離を移動し、大変な日程であったと思いますが、日本人の移住地でもある所も含めて14都市を回り、多くの人々と交流を深められました。それからも、都内や地方での幾つもの行事に出席し、それを一つ一つ心を込めて大切に全力で務めてきたように私は思います。私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております。 長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。小さい時から、このように一緒に芸術にふれたり、語り合ったりする時間を持ってきましたが、今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。 家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。 記者 殿下から添えられることは、お言葉はございますか。 秋篠宮さま 今、妻が話しましたように、先ほどの私の抱負ではありませんけれども、本当に一つ一つ丁寧に仕事をしている印象は私もあります。 (質問4)両殿下にお伺いします。佳子さまの最近のご様子や大学卒業後のご活動、ご結婚についてどのようにお考えかをお聞かせください。皇位継承順位第2位となられる悠仁さまは今年広島を訪問するなど戦争の歴史と向き合う機会を多く持たれましたが、成長をどのように感じていらっしゃいますでしょうか。今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてのお考えもあわせてお聞かせください。 秋篠宮さま 最初に次女のことですけれども、今大学の4年生になりまして、現在は卒業論文の作成に忙しくしているところのようです。私は細かいことは知りませんけれども、夜遅くまでそれについての作業をしている様子がうかがえます。それから……(妃殿下をご覧になる)。 紀子さま (殿下を振り向かれて、確認されて)ふり返りますと、次女の佳子は、今年の6月に英国から元気に帰国しました。約9か月だったと思います。英国の滞在生活では大学で幅広い分野の講義を受けたり、また休みのときには海外、英国も海外ですが、近くの行きたいと思っていた国、スペインやポルトガルへ友人と一緒に旅行したり、様々な経験をしました。それを通して、次女は自分の視野を広げたり、また、自分の考えを深めたりする貴重な機会となったと思います。 この数か月をふり返りますと、次女も幾つかの公的な行事に携わりました。9月には国際情報オリンピックの開会式、その後に手話パフォーマンス甲子園の行事に出席し、そして今月は中学生たちが自分たちの経験を語る少年の主張の発表を聴きました。大学を卒業してからは、宮中行事に出席することも多くなると思います。これからも、公的な仕事を心を込めて大切に果たしていけるように願っております。 秋篠宮さま 少しダブってしまいますけれども、大学卒業後はですね、次女にもいろいろな公的な仕事の依頼が来ることが予想されます。長女がそうしているように、次女にも一つ一つ大切に思いながらそれらに取り組んでいってほしいと思います。もう一つ、これは既にそういうことがあるのかもしれませんし、私は知りませんけれども。大学卒業後に大学院への進学の希望を持っているかどうかも私は存じませんけれども、公的私的は別にしてですね、何かこう、ライフワークになるようなもの、それを持ってもらいたいなと思っています。結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。 紀子さま 結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話し合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。 秋篠宮さま (記者に質問を確認されて)その次は、長男のことでしたかね。長男の成長。 記者 広島を訪問されたり、戦争の歴史と向き合っていかれたりとか、いろいろありましたので。その成長をどのように感じていらっしゃるのかという点と今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてお聞かせください。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって、悠仁親王殿下のことをお尋ねになって)今年、学校であれですか。戦争のことについて。 紀子さま (殿下を振り向かれて)夏休みの社会の宿題で、歴史について調べたときだと思います。 秋篠宮さま それで、今まで長男は沖縄、長崎、小笠原に行っていますけれども、広島には今まで行ったことがなかったんですね。そういう何かまとめるに当たって、本人自身がぜひ広島に行きたいという希望を持って、それで、家内と一緒に行ったわけですね。そのように、かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし、自分の意見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります。一方、自分の主張だけをどんどんするのではなくて、人の話にもきちんと耳を傾けるようになってきたなと思います。その延長線上にあるのかもしれませんが、人のことを思いやる気持ちというのは、以前よりも増してきたなと思います。私が非常におおざっぱではありますけれども、感じる成長というのはそのようなところですね(妃殿下をご覧になって)。 紀子さま (記者に質問を確認されて)成長についてでしょうか。 先ほど宮様がお話をされていましたように、学習に対しての取り組みがとても熱心だと感じています。小学校の6年生でも夏休みの宿題・課題が多く出され、それは7月に入ってからでしょうか、(長男は)この課題をどのように進めていこうかと、自分で考え、広島はいつか機会があったときに家族で訪れることを考えておりましたが、今年の夏ということは特に予定しておりませんでしたが、長男が、できれば(この夏に)広島を訪れて、資料館や関係者から話を聞いてみたいとのことだったので、参りました。他にも理科の課題も出まして、火山、地震、防災がテーマだったのですが、それに関わる幾つかの場所にも出かけました。自分の夏休みの過ごし方を、長男が自分で早めにいろいろと計画を立てて見通しを持って行動する、そのようなことができるようになったと、感じました。 成長というのかどうか分かりませんが、すてきだなと感じていること、以前よりも変わったこととし��、学校で帰りの時間ですが、授業が終わった後の下校するまでの間の時間を使って、子どもたちと先生方がお互いのいいところに気づいて言葉にする、これは「いいとこ見つけ」というのでしょうか、をしています。そういうこともあるからでしょうか、家でも私たちのいいところに気づいて教えてくれたり、ちょっと困ったり、どうしようかなと考えているときには言葉をかけたり、助けたりしてくれることがあります。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって)さっきの人を思いやるところともつながるかもしれないですね。 紀子さま (殿下にうなずかれて)大事なときに言葉にすること、思うことも大事ですが、言葉にして相手に伝えることの大切さを私たちが学んでいるような気もいたします。後もう一つお話をしますと、長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め……(とお考えになる)。 秋篠宮さま (妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない? 紀子さま (殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。授業で学んだ料理や他にもいろいろな料理を作ってくれることが多くなりました。私たちも素直に、「とってもおいしい」、「これはどうやって作ったのかしら」と話しますと、長男は本当にうれしそうに、この食材とこの調味料を使って作ったんだよと……(そのときのことを思い起こされる)。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって)あと自家製の野菜も。 紀子さま (殿下とうなずかれて)野菜作りしていますので、そうした野菜を取り入れたり。私たちがリクエストをすると、それにけなげに応えてくれます。 いくつかお話をしましたが、学習の面、生活の面で様々な成長が今年も感じられました。 秋篠宮さま あと、進学先については、今もう11月の末になりますので、そう遠くないうちに発表されることと思います。それこそ進学先はいい教育をしてくれるところだといいなと、親としては思っています。 紀子さま 進学先についての考えということですが、進学先については4年生、5年生頃からでしょうか、少しずつ話し合って、長男自身の考えや希望などを聞くことがありました。 学校でも進路について、様々に考える機会を設けてくださいました。例えば、5年生のときにはお茶の水女子大学付属小学校の卒業生である大学生が小学校を訪ねて、そして自分たちが進路に対してどういう考えを持ったか、進んだ中学校、高校、大学でどういう生活をしていたか、そのように語る時間がありまして、そのときに子どもたちは、卒業生、自分たちの先輩にいろいろな質問をして、それにお兄さん、お姉さんたちが丁寧に答えてくださいました。小学校のこのような時間以外にも、いろいろな中学校があって、特徴があって、カリキュラムや課外活動があることも知る機会がありました。 こうした中で、長男が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました。中学校でどのようなことを学びたいか、どのような活動をしたいか、今、学校や家庭でどのように過ごしたいか、そのようなことを長男はいろいろと考え、その意見や希望を聞きつつ、話し合い、進学先について考えてきました。これからも長男の語る言葉に耳を傾けて、思いや気持ちを大事に受けとめられるよう、成長を見守っていきたいと思っています。 秋篠宮さま (記者に質問を確認されて)あとは期待? 記者 今後の成長への期待。 秋篠宮さま いろいろあると思いますし、なかなか期待というと本人にも重荷になることもあるので、どっちかというと、こうなってくれたらいいなと私が思っていることとして、その中の一つを挙げますと、どうしても何か物事を見るときに一面的に見がちなことがあると思います。やはり様々なことというのは、いろいろな視点を変えて見ると全然違うところというのが出てきます。私は長男には、何か物事を見るときに一面的ではなくて広い視野、多角的に見られるようになってほしいなという希望があります。 紀子さま 小学生から中学生へと、恐らく学習環境や生活環境が大きく変わるところ、また、心身面の成長でも変化が見られる時期でもあると思いますので、少しずつ新しい生活に慣れていけるよう、また、子どもの成長を支えていけるように努めたいと思っています。 (質問5)殿下にお伺いします。この1年を振り返り、印象に残る出来事とご感想をお聞かせください。 秋篠宮さま この1年もいろいろありました。まず先ほどと少し重なりますけれども、自然災害が非常に多い年でした。それは地震もありましたし、台風もありましたし、それから豪雨もあったわけですね。私自身はそれらの災害があった場所としては広島県に参りました。まず最初に驚いたといいますか、広島の空港を出て、それから行った場所が坂町になります。済生会病院ですけれども。高速に乗ったときにいろいろなところで土砂崩れ、大きい土砂崩れがあって、しかも道にも流されてきた木があって。こういう場所だということをですね、普段なにげなく広島の空港から街中に出るときに高速道路に乗っていますが、改めてその地形をそのときに認識しました。また、被害が大きかった小屋浦の方にも行きまして、そこで避難している人たちとも話をする機会がありました。やはり避難している人たちにとってもこれほどの大きい災害になるとは思ってもいなかったという声が、何人かの人からありました。確かに川の脇を歩いていると、その川の水量が上がって、しかも流木が流れてきたり、その他でもって大きい被害が出たわけですが、水の力というのがこれほどまでにすごいのかということを改めて私は認識しました。そして、今後どのようにして防災そして減災をしていくかというのを、今、日本中どこでもその可能性はあるわけですので、それを考えていかないといけないということを再度思いを新たにしました。 また、今年は日本人がハワイに移住して150年になります。私は今までハワイはホノルルの空港しか知りません。トランジットのため。ですから今回現地に行って、それから日系社会の人たちと話をし、その人たちが小さかった頃の話(を聞いたり)、それから(日系社会の人たちは)今8世までいるわけで、8世はまだ小さいお子さんでしょうけれども、いて、その人たちが日本について思っていることであったりとか、様々なことを聞く機会になるとともに、本当にホノルルの近辺だけですけれども、かなり音楽であったりとか、歌であったりとか、それから植物利用であったりとか、様々なことを私自身知ることができて大変良い機会だったと思います。いろいろその他ありますけれども、今年はノーベル生理学・医学賞、本庶佑さんの受賞が決まりました。最近は日本人で受賞する人も多くて、「今年も」ということになってくるんだと思いますが、もちろんそのいわゆる免疫チェックポイント阻害剤ですね、オプジーボ。まだまだおそらく課題はたくさんあると思いますけれども、今後の悪性新生物に対する一つの柱になっていくことが期待されるのではないかと思います。そして後は、先ほども日本人の活躍ということをお話ししましたが、若い世代の人が非常に活躍した年だったなと思います。少しだけ例を挙げれば将棋で藤井聡太さんもそうですし、15歳でしたかね。それから、オセロゲームも大幅に記録が更新されて11歳の福地啓介さんですか、が世界タイトルを取られたという、そしてテニスの大坂なおみさんが日本人としては初めてですかね、グランドスラムの全米のシングルス優勝、その他もろもろオリンピック・パラリンピックもありましたし、いろいろな分野で若い世代の人たちの活躍が目立ち、これはほんとに明るい話題だったと思います。 (関連質問1)殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について、いろいろ宮内庁の方でも発表があり、決まりつつありますが、先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが、即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。 秋篠宮さま 行事、そういう代替わりに伴う行事で、いわゆる国事行為で行われる行事、それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて、私が何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは、幾つかのものがあるわけですけれども、それについては、ある程度、例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています。 記者 具体的に。 秋篠宮さま 具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。整理の仕方としては、一つの代で1度きりのものであり、大切な儀式ということから、もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そ���できる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。 (関連質問2)眞子さまと小室さんのご結婚に関する質問のお答えの中で、「相応の対応」ということを仰られましたけれども、これは、お二人の結婚の意思が今も非常に堅くて、そのお気持ちを今後も支えていかれるというふうに受け止めてもよろしゅうございますでしょうか。 秋篠宮さま それとは少し違い、それを支えていくという意味でお話ししたのとは違います。あの時の質問は、恐らく小室さんについての報道のことと、それから連絡を受けてというそれについての私の答えでしたけれども、やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181129-OYT1T50081.html
1 note
·
View note
Text
あああああああああああああああああああああああああ
佳子内親王殿下、27歳のお誕生日まことにおめでとうございます。2022年も宮中行事や公務など御多忙の身かと存じますが、御自愛專一で御過ごしくださいませ。殿下の末永い御健勝と御多幸をお祈り申し上げます。そしておれも27歳になりました。佳子内親王殿下とまったく1994年12月29日に生を受けた肉のカタマリことおれです。そうです、毎年恒例のお誕生日記録です。実はこの記事の前に誕生日用ブログをひとつ書いたのですが内容がアレすぎて全ボツしました(おれに全ボツさせられる記事を書くおれはすごいと思います)。最近は就活に励んでいるのですが学歴と経歴がカスなので書類選考で落ちまくっています。「(面接で)話せば(おれの魅力が)わかる」のに、と気分はさながら犬養毅です。今年も実家には帰りません。コロナが落ち着いたようで落ち着いていない感じだからです。おれは地元が北海道の寒村であるゆえ、疫病が蔓延している今東京から人がやってくるだけで煙たがられるのです。万が一村でコロナ発症者が出れば、たとえキャリアになったのがおれではなくとも「おそらくあの家のクソ息子が持ちこんだのだろう」と村八分に遭うこと必至なのです。それを考えると村には帰れません。というか母親に「今年も帰省はひかえては」と言われたのでした。これで丸二年地元に帰らないことになります。おばあさまやおじいさまは元気でしょうか。おれは今年もなにも成し遂げることはなく、肉のカタマリのまま1年を終えようとしています。みなさんは知らないかと存じますが、年末生まれはなにかと損です。クリスマスと誕生日をいっしょにされることがままあります(おれはクリスマスに冷笑的な態度をとっている陰キャなわけですがそれでももらえるプレゼントが合併されてしまったときには損な気分にはなります)。また、年が明けると「ついこの前27歳になったけど、今年で28歳もなるんだよな」と否が応でも考えてしまうのです。���気に2歳年齢を重ねた気分になるのです。ちょっとなに言ってるかわからないという声が聞こえた気がしますが、マジで一気に2歳年齢を重ねた気分になるのです。これは年末生まれにしか伝わらないと思います。もしかしたら年末生まれの同志にも伝わらないかもしれません。27歳。才能のある奴は27歳で死ぬそうです。ブライアン・ジョーンズもジミ・ヘンドリックスもカート・コバーンも27歳で死にました。おれはどうなるでしょうか。ところでこの前死を覚悟した出来事が起きたのですが、「まあこれで死んでもいっか」と思ってしまった自分がいました。まあおれは才能がないのできっと28歳を無事に迎えると思います。
1 note
·
View note
Text
日本の「佳子内親王殿下」が26歳の誕生日!日本国民が「可愛い」と絶賛!【タイ人の反応】

12月29日に佳子内親王殿下が26歳の誕生日を迎えられたことがタイでも紹介されていました。誕生日に際して公開された「佳子内親王殿下のお誕生日に際してのご近影」...
from 海外の反応宇宙 https://ift.tt/38iLnCn
0 notes
Text
【卒業】眞子さまと婚約内定の小室圭さん、ニューヨークの大学を卒業
眞子内親王 における敬称は殿下。勲等は宝冠大綬章(旧勲等では勲1等宝冠章に相当)。お印は木香茨(もっこうばら)。 妹に佳子内親王、弟に悠仁親王、婚約内定者には小室圭がいる。現在、内親王では最年長。住居は、赤坂御用地内にある秋篠宮邸。 1991年(平成3年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この 24キロバイト (2,853 語) – 2019年5月20日 (月) 19:55

(出典 img.chess443.net) (出典 【皇室】眞子さまと婚約内定の小室圭さん、ニューヨークの大学を卒業★3) 1 記憶たどり。 ★ :2019/05/21(火) 12:39:46.30
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190521-00000005-ann-…
View On WordPress
0 notes
Text
安倍首相が元号発表で平成にはなかった「パフォーマンス会見」強行! 元号利用して皇太子に接近、私物化どこまで
litera https://lite-ra.com/2019/03/post-4633.html 政府が4月1日の11時半ごろに新たな元号を公開すると発表した。当初、永田町周辺では、安倍首相が直接、新元号を公表するとの観測も流れていたが、平成への改元時と同様に内閣官房長官が記者会見で示すことに落ち着いたようだ。だが、元号を政治利用したい安倍首相の野望はいささかも揺るぎない。 報じられているように、4月1日の午前に菅義偉官房長官が新元号を公開した直後、安倍首相は正午に記者会見を開いて談話を発表。「新元号に込められた意義」を国民に語るらしいのだ。 周知のように、昭和から平成への改元では、当時の首相である竹下登は会見などしていない。官房長官だった小渕恵三が発表し、その際、小渕が竹下の短い談話を読み上げただけだった。それは、首相が前に出すぎることで、天皇の政治利用という批判を受けるのを避けたためだろう。 ところが、今回は安倍首相がわざわざ会見を開き、「〇〇という新しい元号には日本の繁栄と幸福を祈る気持ちが込められている」とか「2020年には東京五輪も控えている。新しい時代にふさわしい元号です」などと得意げに話すらしいのだ。 「安倍首相は当初、元号発表も自分でやる気でいた。それで、側近の官邸幹部や閣僚に『安倍さんに発表してもらったほうがいい』などと言わせていた。しかし、前例を崩すと、さすがに政治利用という批判が起きかねないので、別で会見を開くということに落ち着いたようです」(全国紙官邸担当記者) ようするに、安倍首相は自分が元号発表にコミットすれば、“新元号を最終決定した首相”として権威を誇示し、これまでの安倍政治を正当化することができると踏んだのだろう。本サイトはそもそも元号を廃止すべきという立場だが、天皇主義者や元号肯定派からみても、この安倍の行為は“私物化”としか言いようがない。 しかも、安倍首相の改元政治利用は、このパフォーマンスだけではない。新元号を巡って、水面下で様々な裏工作を行っている。その一つが、新たに天皇に即位する皇太子への接触だ。 昨日29日の午前、安倍首相は皇居を訪れて明仁天皇に内奏し、新元号公表の流れなどについて説明したという。だが、驚くことに、その午後には元赤坂の東宮御所へ向い、皇太子と面会したのである。 安倍首相は2月22日の午後にも、皇太子と面会している。総理大臣が天皇に国内外の情勢を報告する「内奏」は年に数回ほど行われているが、現役の首相が皇太子と一対一で面会をするのは異例のことだった。それを、安倍首相は約1カ月の間に二度も行ったのだ。これは、まさに異例中の異例と言っていい。 「今回も先月同様、皇位継承や新元号発表などに関して説明したと言われていますが、総理が二度も同じことを、しかも直接、皇太子殿下に話す必要があるとは思えない。安倍総理と今の天皇ご夫妻との関係に亀裂が入っていることは、いまや“公然の秘密”。新天皇となる皇太子に対してはわざわざ異例中の異例の対応をすることで取り込みたいという意図があるとしか思えません」(宮内庁担当記者) 天皇・皇后と対立してきた安倍首相が皇太子の取り込みコントロールを画策 たしかに、明仁天皇は節目節目で、安倍政権がゴリ押ししている改憲や沖縄いじめに釘をさすよう��発言をしてきた。明仁天皇と美智子皇后はリベラルな考えの持ち主とされるが、とりわけ昭和天皇のそばで日本の敗戦を体験した明仁天皇は、安倍首相がこだわる復古的な“明治日本=大日本帝国礼賛”を苦々しく思っているとも言われる。事実、昨年10月23日に行われた「明治150年」を記念する政府主催式典に、明仁天皇と美智子皇后は出席しなかった。べテランの皇室ジャーナリストが言葉をついで解説する。 「これはご学友や元側近たちも証言していることですが、そもそも天皇陛下は強い信念の持ち主で、『これはおかしい』と思ったら妥協しないし、一度『この人は信用できない』と違和感を持ったら、絶対に心を開かれることはない。そういう意味では、安倍首相が関係修復することは不可能だったんです。しかし、皇太子は生来、波風を立てるのがお嫌いな方で、ご自分の気持ちを強く出すことはされない。さらに、雅子さまは小和田恆元外務省事務次官の娘で自身も外務省出身ですから、政治的には安倍首相の考えに近い可能性もあります。いずれにしても、安倍首相からしてみれば、代替わりと改元は、今の天皇ご夫妻との“壊れた関係性”を刷新し、“政権と親和的な天皇”を構築するまたとないチャンスということになりますね」 実際、安倍首相のアプローチはすでに結実しつつあるかもしれない。先月、皇太子は誕生日に際した記者会見にのぞんだが、そこで記者から「大嘗祭のあり方」について質問を受け「今回政府が決定をした内容について、私がこの場で何か述べることは控えたいと思います」とコメントを避けたていた。これは昨年、弟の秋篠宮が「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」「身の丈にあった儀式にすればよいと思う」と踏み込んだ発言を行ったのとは対照的だろう。 新元号に「安」の文字は入るのか? かけめぐる情報の裏に… 再び、前出の宮内庁担当記者が語る。 「秋篠宮は天皇陛下と同じくらいリベラルな価値観を持っておられますが、実は、安倍首相は秋篠宮家に関しても切り崩しをはかっているのです。例の眞子さまと小室圭さんとのご婚約問題も、官邸は破談に持ち込もうと陰に陽に動いている。結果的に、この間のゴタゴタで秋篠宮殿下は疲弊しており、眞子さま、佳子さまとも心の溝が生じているとしきりに噂されますが、その背後で官邸が宮内庁を通じて様々なプレッシャーをかけつつ、マスコミの秋篠宮へのネガキャンを先導している節があります」 安倍首相は眞子内親王の結婚問題で秋篠宮に揺さぶりをかけ、一方では、異例中の異例で皇太子に短期間での面会を繰り返して“特別扱い”することで、皇室をコントロールしようという腹づもりなのだろう。ようするに、“安倍のための皇室”をつくろうとしていると言っても過言ではない。 周知のように、この間、新元号をめぐっては「安倍の“安”の字が入る」という情報が永田町を駆��巡り、巷間の新元号をめぐるアンケート等でも「安久」など、「安」のついた元号名が多数ランクインしているとの報道が連日メディアを賑わせている。 これについては、「さすがの安倍首相もそこまで露骨なことはやれないだろう」という見方と、「この間の情報拡散は、それこそ本当に“安”の文字を入れるための地ならしじゃないか」という見方の両方があり、実際のところは蓋を開けるまでわからない。しかし、多くの人々が「安倍首相なら“安”をねじ込むことをやりかねない」と思っているのはたしかだろう。しかも裸の王様に裸と言えないように、テレビなどでは、それが「安倍の“安”」であることを、わかっていながら誰も口にしないというのも薄気味悪い。 いずれにしても、安倍首相の元号と皇室“私物化”が本格化するのはこれからだ。新たな官邸と皇室の関係の変化に注意していく必要がある。 litera https://lite-ra.com/2019/03/post-4633.html
0 notes
Quote
運転していたのは宮内庁の40歳代の男性職員で、同日午後6時15分頃、千代田区の交差点を右折する際、右後輪が中央分離帯に接触したという。けが人はなかった。
眞子さまが乗られた乗用車、都内で物損事故
こういうやらかした職員てどうなんの? 切腹
眞子さま じゃねーよ、 殿下 をつけろよクソマスゴミが!(きちんと、まこしー殿下とお呼びしろ)
眞子内親王(まこないしんのう、1991年(平成3年)10月23日 - )
日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子。今上天皇の孫にあたる。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。成年に伴い、宝冠大綬章受章(旧勲等では勲1等宝冠章に相当)。学位はレスター大学修士(学術)(博物館学)。お印は木香茨(もっこうばら)。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。 1991年(平成3年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この時に今上天皇から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。同年10月29日、命名の儀が執り行われ、父の秋篠宮文仁親王により、「眞子」と名付けられる。この名は、「天性のものを失わず自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された。高校時代のあだ名は「まこしー」。
0 notes
Photo

. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月29日(水) #赤口(辛亥) 旧暦 11/26 月齢 24.8 年始から363日目(閏年では364日目)にあたり、年末まであと2日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 冬期10連休休暇の三日目です✋ なかなか片付けの方も普段やらな いから飽きちゃうんですね😅💦 . YouTubeのバズレシピを観てたら 無性に作りたくなってスーパーライフ に行き具材調達✋片付け中断し . て料理して��した🤣😆🤣 食べるのも好きですが料理も 好きで腕前もプロ級と自負💦 , 調味料やら鍋ってかフライパンも それに具材をレシピの倍にした ら5千円も吹っ飛んだ🤣😆🤣 . 「モツ煮」なのですが激うま に仕上がってます😅💦皆さん にも食べさせたいが残念デス⤵️ . 今朝は豆腐を追加して煮込み 「モツ煮丼(パンチ丼)」で デラ旨!オニ旨!至高のモツ煮💦 . 優勝デス㊗️🎊🍾🎉🎌🎯 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #阪堺鉄道営業開始. 1885(明治18)年12月29日(水)、日本では日本鉄道と東京馬車鉄道に次ぎ、3番目の民営鉄道業者が営業を開始しました。 阪堺鉄道(現在の南海本線《南海電気鉄道》)難波(ナンバ)~大和川(ヤマトガワ)27.3キロが開通しました。 日本鉄道は政府の介入が強い半官半民会社、東京馬車鉄道は名前の通り市街交通としての馬車鉄道を運営していた会社であった。 この事から、文献によっては阪堺鉄道を(純民間資本による)日本最初の私鉄とも云われて居る。 . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごとでは次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。 この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #天恩日(テンオンビ). 天の恩恵をすべての人が受ける日。 民間暦でいう吉日の一つ。 この日は天から恩沢が下り、任官・婚礼などの慶事を行なうのに大吉とされる。甲子(きのえね)、己卯(つちのとう)、己酉(つちのととり)から数えて各五日間、合わせて一五日間がこれにあたる。 一説に、正月は丑の日、二月は寅の日、三月は卯の日というようにして一二月は子の日がこれであるともいう。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ). 選日の1つであり、単に万倍とも言われます。 一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。 . 一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。 但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。 また同じ意味合いで、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費などもトラブルが倍増するので避けたほうがいいとされている。 . #佳子内親王殿下お誕生日. 1994(平成6)年12月29日(木)ご生誕(27歳) 皇族,秋篠宮文仁親王の第二女子 お印はゆうな。 勲等は宝冠大綬章。 . #福の日. . #シャンソンの日. . #清水トンネル貫通記念日. . #ふくの日 (毎月29日). . #Piknikの日 (毎月29日). . #クレープの日(毎月9が付く日). . #東京大賞典開催日(第67回). . . ■今日のつぶやき■. #一を聞いて十を知る(イチヲキイテジュウヲシル). 【意味】 物事の一端を聞いただけで全体を理解するという意味で、非常に賢く理解力がある事の例え。 「一を聞いて十を悟る」「一事を聞いて十事を知る」ともいう。 『尾張(大阪)いろはかるた』の一つ。 . . 1984(昭和59)年12月29日(土) #みちお (michio) 【コメディアン・お笑いコンビトム・ブラウンのメンバー】 〔北海道札幌市東区〕 《本名は、道音 雄太(みちおと ゆうた)》 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CYC41jThxx8oMGEWQg1PeAfvC5lHJysEjaOoNg0/?utm_medium=tumblr
#赤口#阪堺鉄道営業開始#大明日#神吉日#天恩日#一粒万倍日#佳子内親王殿下お誕生日#福の日#シャンソンの日#清水トンネル貫通記念日#ふくの日#piknikの日#クレープの日#東京大賞典開催日#一を聞いて十を知る#みちお
0 notes
Photo

. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月23日(土) #友引(甲辰) 旧暦 9/18 #霜降 月齢 16.7 年始から296日目(閏年では297日目)にあたり、年末まであと69日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 3週連続で「大寝坊の巻き」⤵️⤵️⤵️ もう緊迫感も何もどうでも良い 感じですね。。。_| ̄|○... 二度寝どころか三度寝シチャッタヨ😅💦 . もうそれは仕方ない諦めの境地w それより今日はスマホケース返品の為に クロネコヤマト営業所まで物を運ばなく てはならないのと、明日はiPhone . 下取りの為に集荷が来るんだけど AM8:00~PM12:00なんですよね✋ 午前中ってんだから12:00っての は変ですよね?だから私は11時マデ . にって、よく運送業者にはお願い するんですが、最近は出来ません。 とか、ぬかしやがるんです😅💦 しかも決まってギリギリの12時1分 . 前とかに来るんですよね⤵️⤵️⤵️ 「あなたの所だけじゃないの ですから...」って云われちゃう ので判りますがね😅💦 . 今朝は富士山が素晴らしく青空 に映えて観えますよ✋眞子内親王 様のお誕生日ですからね✋ おめでたい🗻なによりでゴザイマスw . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #眞子内親王ご生誕. 1991(平成3)年10月23日(水)、秋篠宮文仁親王の第一女子の眞子内親王が誕生、上皇明仁の初孫。 眞子内親王(マコナイシンノウ)は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下。お印は木香茨(モッコウバラ)。勲等は宝冠大綬章。 秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子で、徳仁(第126代天皇)は伯父にあたる。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。 2021年(令和3年)現在、内親王では最年長。 住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸で、改修工事に伴い、2022(令和4)年3月まで「御仮寓所(ゴカグウショ)」に仮住まいしている。 2021(令和3)年9月1日に年内に結婚されると発表がありました。 . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。 つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。 ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。 「友人を引き込む」とされている日とされている。 友引にの日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。 験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。 六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #降霜. 二十四節気のひとつ。秋が一段と深まり、霜が降りることが多くなるので「霜降」。 気温が下がり冬の近づきを感じる頃。 . #津軽弁の日. . #家族写真の日. . #じゃがりこの日. . #電信電話記念日. . #不眠の日(毎月23日). . #国産小ねぎ消費拡大の日(毎月23日). . #乳酸菌の日(毎月23日). . #ハンガリー共和国宣言の日. #チュラーロンコーン大王記念日(#タイ). #モルの日(#アボガドロ定数). . . ■今日のつぶやき■. #親しき仲にも礼儀あり(シタシキナカニモレイギアリ) 【解説】 仲が良くとも、度が過ぎて礼を失するようなことがあってはいけないと云う戒め。 親しいことにより遠慮がなくなっていき、それが不和の元にもなると云う事。 「仲」は「中」とも書く。 「親しき仲に礼儀あり」ともいう。 どんなに親密な間柄であっても、守るべき礼儀があると云う事。 . . 1991年10月23日 #シン・ウォンホ (#SHIN WON HO) 【韓国の俳優、アイドル】 〔韓国ソウル〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CVWXV8RhmN3ZM8wkAIL3QwJZ-7kcKIJpPdOAmc0/?utm_medium=tumblr
#友引#霜降#眞子内親王ご生誕#大明日#降霜#津軽弁の日#家族写真の日#じゃがりこの日#電信電話��念日#不眠の日#国産小ねぎ消費拡大の日#乳酸菌の日#ハンガリー共和国宣言の日#チュラーロンコーン大王記念日#タイ#モルの日#アボガドロ定数#親しき仲にも礼儀あり#シン・ウォンホ#shin
1 note
·
View note
Text
25歳よハローわ〜苦
そんなわけで2019年12月29日をもって25歳になった。わたしはこの文章を北海道に向かう列車の中で書いている。iPadに接続したBluetoothのキーボードはpと「」のキーが死んでいて、文章を書くのになかなかに難儀する(「iPad」と入力するのも手間であった)。さいわい、日本語にはあまりpのつく言葉はないので、ギリギリやりすごせなくはないのだが、それはまあpは他の語に比べれば比較的使用頻度が少ないよねというだけで、使えないというのはなかなかにしんどい。買い替えるかどうか迷う微妙なラインである。このデバイスはiPadなのであって、画面で直接入力すればpは打てなくはないのだ。これがaやiだったら即買い替えなのだが、なにせpのみである。わたしが低所得者でなければすぐに新たなキーボードを購入したであろうに。貧乏人はキーボードも換えられず、帰省も鈍行列車乗り継ぎ旅なのだ(朝4時半に東京を出て地元には0時に着く)。
与太話が長くなった……とは言ったもののべつに本題があるわけではなく、というかすでに本題というか雑文というか、というかそもそもこのブログでまじめな話をしたことなど一度もないわ。世界への怨嗟や他人への嫉妬やら自らの社会的評価に対する不服などをわめきちらしたり、手慰みに書いた小説のできそこないみたいなものをこっそり載せたりしているだけだ。誕生日近くにブログを更新するのは毎年の恒例になっている。19歳からはじめたこのTumblr、25歳になった今でもしっかり使っているのはなんだか感慨深い。読み返してみるとわたしはどうしようもないくらい成長していないのがわかったし、なんならギラついていた昔の方がもっと愉快な人間だったまである。まったく成熟していないどころか脳や精神は退化しているらしく、誕生日当日にiPhoneを丸の内線の電車の座席に置き去りにしました(爆)。親切な方の手によってただちに駅員に届けられたらしく、すぐに手もとにもどってきた。ありがとう見知らぬ方。ジャパンって本当いい国だね。わたしはもっとしっかりしようね。
25歳。四捨五入すると30歳になる年齢に突入してしまった。代謝もみるみる落ちており、あれだけ馬鹿喰いしても太らなかったのにすぐに脂肪に変換され、しかもなかなか肉が落ちない体になってしまった。そしてあいかわらず音楽業でも文筆業でも地下世界に幽閉されたままである……ってまたアヤスミちゃんったら放っておいたらこういうネタしか書かないんだから。誕生日の日に「まーた才能をくすぶらせたまま歳を重ねた。そろそろ世界は俺様を発見するべき」という傲慢なセンテンスと風船が飛ぶTwitterのプロフィール画面のスクリーンショットを投稿したところ、なぜか50を超えるいいねとお祝いの言葉をいただいた。去年の倍以上の数字だった。こんなカス人間のわたしが、明治通りを歩いていたら通りすがりのおっさんに「穢多非人」と言われるようなわたしが、社会的評価を受けていないどころかまったく知名度すらないのに自尊心と自意識だけは人一倍なわたしが、人間様に祝われるなんて、お父さんお母さん本当にごめんなさいと思った。
わたしは佳子内親王殿下とまったく同じ日(1994年12月29日)に生まれである。殿下とわたしをならべて語るなんてはなはだナンセンスな話なのでもちろんしますまい。ただの余談である。ところで1994年生まれは本当に無気力なダメ人間の世代である気がしてならない(もちろん佳子内親王殿下のことではない)。前後の1993年生まれや1995年生まれとはまったく違う性質をもっている、気がする。他の世代より飛び抜けてみんな厭世しがちだし、無気力だし、とにかくまじめに働かない。仕事への情熱をもっている人間がとにかく少ない気がする。社会のためになにかをしようとか、社会のためにがんばろうとか、そういった気持ちの者も少ない気がする。しかし自尊心と自意識だけは人一倍、という最悪のクリーチャーたちが蔓延っている。これはわたしの周囲の1994年生まれも同じようなことを感じているらしく、よくこの話題で盛り上がる。わたしがこんな人間だから類はとも呼ぶゾーンが形成されているだけ……ではなく、確実に世代的なアレがアレしていると思われる(乱暴なセンテンス)。1994年生まれはすべての事柄がどうでもよく、しなしながらすべての事柄についてうっすら考えており、漠然とした将来への不安の中で生きている……って今の20〜30代の若者全員そうなのだろうが。わたしたちはいったいいつここから抜け出すことができるのだろう?
わたしはとりあえずあと数年は東京で放蕩するつもりである。長男なのに。妹は立派に働いているのに。親はこんなわたしを許しつづけている。誕生日が年末というのはつらい。クリスマスや正月などとまとめて祝われがちだからではない。年の瀬でみんな忙しくだれも直接は祝ってくれないからではい。年末に誕生日を迎えると、否が応でもその年��その歳における自己反省をすることになるのである。暗澹たる思考に苛まれながら地元に帰り、親の優しさにふれるのである。本当につらい。申し訳ない。
と、ここではやぶさが青函トンネルを抜けた。トンネルを抜けるとわたしが憎んでならない北の大地があった。ブラキストン線を、津軽海峡を越えると、蝦夷と本州では空気がまったく違うのがわかる。その空気を吸いこみつづけ、イケてない青春時代を過ごした結果、わたしというクリーチャーが爆誕してしまったというワケ。わたしは地元も地元に住んでいる人間も全員大嫌いである。でも恨むべき憎むべき地元があってよかったなとも思う。わたしの負の感情を背負ってくれてありがとう北海道。
来年はパーカッションの現場が急増したり、詩や演劇のアレコレも新たに頼まれたりと、諸々の元年になりそうである。そういえばもう東京五輪(だれにも望まれていない感じのクソイベ)なのかよ。本当に光陰isアロー。来年で26歳ということで、もうそろそろなんとかならなければならない歳になってきたので、本当に世界のみなさん、2020年のわたしをよろしくお願い申し上げます。
0 notes