#二線路通り
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラ��ックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構��を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラス��ラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。���つの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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カレンダー撮影後記 8月は海 笹川流れの羽越貨物です。 二点間を結ぶ鉄路は一直線でこそ効率が良くて、あらゆる面で理想的なのでしょうけど、カーブの線形(路線の形)とそこを走る車両は、乗っていても眺めていても魅力的なのですよね。
羽越線は海岸線を縫う様な、美しい線形が多くて、その中でも自分が一番好きなのはここホーヤ浜(の海岸線に沿って走るカーブ)の線形です。
このカーブした線形を引き立てるのはやはり長編成列車なのですが、旅客列車は年々短くなっています(折りしも昨日7月31日、羽越本線全線開通100周年を記念して走った特急いなほ号はたった4両の短い編成でした)
でもこの日本海縦貫線は長いコンテナ車を従えた貨物列車が多く行き来します。
一つも欠くこと無くコンテナを満載した���列のシルエットは、それ自体が何かのオブジェの様で、逆光に輝く海岸線にも負けない存在感を放っていました。
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519: ↓名無し:24/10/07(月) 15:17:40 ID:oo.dh.L1 20代の頃に友達と卒業旅行で神戸に行ったんだけど、 同じホテルに2泊して観光する予定の2日目に友人と喧嘩になったのね。 喧嘩の原因はつまんないことで、お昼ごはんと食べるつもりで楽しみにしてたお店があったんだけど お互いが相手が予約してるものと思い込んでて予約が出来ていなかった。 大人��の店だったから当然入れなくて、どっちが予約するって言った言わないになって空気が悪かったところに 段差のあるところで友人が派手に転んで、手を貸そうと前かがみになったところで 後からおばさんがぶつかってきて私も転んで、二人そろって軽いけど怪我をしてしまった。 それで早めにホテルに戻ったんだけど、ふたりともテンションダダ下がりで楽しく無くなっちゃって。 ホテルに戻ってからもつまんない旅行になったのはお互いに相手のせいって感じになって もう帰ろう帰ろう!って。 まだ最終の新幹線があったので、友達はそれで。 私は一度乗ってみたかった夜行バスにした。行動を一緒にしたくなくて。 翌朝帰宅したら両親が真っ青で、私の顔を見たとたんに父は崩れ落ちて泣き出して、母が痛いぐらい抱きしめてきて泣いた。 私たちが神戸を後にした翌朝、阪神淡路大震災があった。 当時は携帯も持ってなかったし連絡の取りようがなくて、両親は絶望してたらしい。 だって大きなビルなんかグチャグチャに崩れちゃってたし、時間が時間だから建物の中にいるだろうから。 すぐに友人と連絡とりあって、奇跡に涙した。 あの時、予約忘れがなく普通にあの店でランチを食べてもう1泊してたら今の私はいなかったかもしれない。 その後、友人とはお互いに相手のおかげで生き延びたと思ってる。
520: 名無し:24/10/07(月) 19:04:18 ID:4S.ox.L16 >>519 喧嘩しても残りの旅費(ホテルの予約残りとか)を惜しんで日程を消化する人もいるし 相手が帰るなら一人で楽しんでくるわ!って人もいるから 帰る決断をするタイプの二人でよかったねって思った
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服を脱いでいると、隣で、すみません、と、今来たばかりの男がロッカーを開ける。お互いに視線を交わす。目を逸らされた。俺はイけるのにな。その男も何も言わずに脱いでいく。タイプの体つきだ。あそこはどうだ?後ろを向いていて、よく見えない。先に準備ができた男はシャワーへ向かう。
俺もシャワーを終え、男たちが並ぶ通路を通り、店の奥へと向かう。あ、さっきの男だ。近付いてみるが、今度はよける様子がない。OKなのか?そこに手を伸ばす………デカッ!長っ!こっちを見ている。そっと乳首に舌を這わせ、ゆっくりシゴき始める。
「おぉ…」
そこにしゃがむと、少しずつ硬くなり始めたモノを、先から銜え込み、茎をわたり、玉へ進む。また先頭に戻り、今度は喉奥まで使って、じっくりと味わう。あぁ、何か出てきた。雄の匂いだ。あぁマジでうめぇ。
「欲しいんか…?」
そのままうなずく。体を起こされ、個室へ連れ込まれる。再び頭を押さえ付けられ、そこに導かれる。頭を前後させながら、両乳首にも手を伸ばし、気持ちよくなっていただきたい。
「あぁ…」
男は、ゆっくり腰を動かし始める。興奮してくださるのが嬉しい。応えるように、喉奥まで拡げ、ご奉仕もより真剣になる。
ぬちゃ。男の手が、俺の穴に伸びてくる。一本…二本…三本、と少し乱暴に解してくる。思わず声を洩らしそうになるが、その体勢のまま、自分のに手をやる。男の指が抜かれ、今度は自分で続きを行う。
一旦、口から外されると、寝転がらされ、腰の下に枕を敷いてくださる。両足を抱えさせられ、腰を上げる。もう一度ローションを双方に塗ると、デカい先をあてがう。あっ……ナマや…気持ちいい…おぉ…広がって…くる…あぁぁぁぁ…やべぇ…でけぇ…おぅっ!銜え込んだ!おぉ…ぉ…おぉぉぉ…あぁぁぁ…すげぇ…ぇ…たまんねぇ…
「おぉ、全部入った」
中の感触から、その形が想像できる。入ってるだけでゾクゾクするほど気持ちいい。頭の中まで嵌められた気分だ。両乳首に手を伸ばす。あ、中でビクンと反応がある。おぉ…腰の動きが始まった。あぁ、えぐられる感覚がたまらない。
すると、嵌めたまま、腰の下の枕を外すと、そこを中心に体を回転させられ、覆い被さってくる。おぉ…さっきより奥まで入る…ってか、良いところが擦られる。
「おぉ、ちょうど形が合うなぁ」
密着感が増している。つい絡みつかせにいってしまう。動きに合わせて、自分の腰を上下させる。だが、それを制するように、奥へ奥へとねじ込んでくださる。
「トロトロで、たまんねぇなぁ」
両手を両手で、両足を両足で、身動きがとれないように押さえ込まれ、ゆっくり犯し始める。そのストロークがあらためてデカさを物語る。引き抜かれそうになるたび、穴で追いかけてしまい、再び入ってくるのを、余計に奥まで銜え込む。おぉぉぉぉぉ………!
「おぉ…すげぇ…どんどん蕩けてくる」
耳元で囁かれ、益々力が抜けてゆく。穴の奥で感じる雄だけが確かだ。もっと気持ちよくなっていただきたい。
「あぁ…トロマンやべ…やべ…出すぞ…おぉぉぉぉ…出る出る…出る出る出る…!」
あぁ…熱い…あぁやべ…俺も出…るっ……………!
組み敷いたまま、肩で息をしつつも、ゆっくり腰を動かし、擦り込んでくださる。混ざった液体が音を立てている。いい音、いい匂いだ。あ…耳に舌が入ってきた。ビクンとして中を締めてしまうと、また一段こじ開けられる………。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月16日(土曜日)
通巻第8506号
トランプ次期政権にマルコ・ルビオ見参
「対中強硬派のエース」がアメリカの外交を司る
*************************
「対中強硬派のエース」がアメリカの外交を司る国務長官になる。
中国は対米制裁の第一号でルビオ上院議員を『入��禁止』としているから、米国務長官が外交交渉で北京に行けないことになる。
それほど中国にとっては衝撃の人事なのだ。
トランプ次期大統領のマルコ・ルビオ国務長官抜擢は、バイデン政権のような対中政策が関税と貿易重視路線を飛び超えて、米国最大の戦略的ライバルに対し、強硬な姿勢を取ることになるだろう。
ルビオは外交政策分野では豊富な経験を持つので閣僚討論の中心に据えられる。トランプ大統領は、中国の最恵国待遇を廃止し、中国からの輸入品に60%を超える関税を課すと約束している。ルビオは米国上院の外交委員会と情報委員会の上級委員を務め強固な反共産主義を掲げる。
またマイク・ウォルツ下院議員の国家安全保障問題担当大統領補佐官、ジョン・ラトクリフのCIA長官起用なども中国を動揺させてあまりある。
トランプ次期政権は台湾支援から米国のフェンタニル危機における中国の役割に至るまで、さまざまな問題で北京との「競争を管理する」というバイデン政権のアプローチを覆す。なにしろトランプはバイデ政権が中国に対して「融和的すぎる」と批判してきた。
ルビオは中国の人権問題でも強い制裁を提唱した。ウイグル人強制労働防止法案の共同提案者であり、中国国内のイスラム教徒少数派の権利侵害を懸念して米国政府に中国からの輸入を禁止させた政策の立役者であり、北京にとっては不愉快きわまりない事態だ。
世界に散った自由民主の諸団体、とくに香港の活動家たちは、2019年の香港人権・民主主義法案などを提出したマルコ・ルビオを自分たちの運動の擁護者とみなした。
ルビオはまた、米国内の香港経済貿易事務所の認証を国務長官が剥奪できるようにする法案も提案しており、議会で検討されている。中国の金融ハブ香港の独立性がほぼ失われているからである。
くわえてルビオは中国の産業用電池メーカーCATLをブラックリストに載せること、中国に投資する米国企業にはキャピタルゲイン税率を撤回、米国技術の中国への輸出規制を強化、そして中国から入荷される郵便小包(なかにはフェンタニルの原料となる化学物質)などの無税撤廃などを唱え続けてきた。
産業の利害関係を越えて、国家のあるべき姿を常に追求してきた政治家である。
▼マルコ・ルビオとは何者なのか?
ルビオは日本通でもあって、尖閣諸島は日本に帰属するとする議会決議の推進派である。安倍首相が訪日したバイデンに中国が一方的に設定した防空識別圏について日米共同声明を提唱すると、バイデンたるや、「日中間のホットライン設置ですむことだ」と取り合わなかった。
その直後にルビオは安倍首相を表敬訪問した。
ルビオが強烈な共産主義への反対を信念とするのは、キューバからの移民二世で、貧困の生活から這い上がり、学生ローンの返済にも苦労するほどの低所得者の苦しみを知っているからだ。全体主義がいかに人々を不幸にするか、そして独裁者が人民を搾取するかをキューバ難民の体験で知り抜いており、独裁を許せないという正義感が彼を突き動かした。
政治へののめり込みは有力政治家の助手として政界に関与してからで、フロリダ州議会では議長まだ上り詰め、上院へジャンプするにあたっては想定外の多方面から支援を受けた。前妻との間に四人の子供がいるが離婚、信仰はカトリックである。
ルビオは台湾擁護でも先頭に立っている
トランプ前期に米国の台湾への武器売却は180億ドル以上だったが、バイデン政権は小出しの宣伝は派手だが金額は77億ドルだった。
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Made books 2024
HOMMAGE 特別号 地味なひとり旅
HOMMAGE No.4 共通ラッピング車両
HOMMAGE No.5 山手線
HOMMAGE No.6 ドラえもん電車
東急8500系 2020系がいない日常
HOMMAGE No.7 行ってみたい駅
My Train No.1 京急1000形
My Train No.2 横浜
My Train No.3 上越線
大分発金沢経由上野行き
東急8500系 サークルKの終焉
My Train 総集編 目的地は駅(Kindle版)
2024年は12冊作成しました。
・HOMMAGE 特別号 地味なひとり旅
(発売開始:サンシャインクリエイション 2024spring)
目次:山中城跡公園 / URまちとくらしのミュージアム / NTT技術史料館 / 澤乃井(小澤酒造) 豆らく、きき酒処 / 旧伊藤博久金沢別邸 / 江戸東京たてもの園 前川國男邸 / 横浜市電保存館 / 京王れーるランド / 大崎公園・披露山公園
ひとりで巡った場所を厳選して紹介。テーマがニッチだったり、開館日が極めて限定的だったり、さらには美味しい日本酒を満喫したり。 話題にしても地味でパッとしない、でもそこでの学びや感動はひとりで行くからこそ味わえないかと。
・HOMMAGE No.4 共通ラッピング車両
(発売開始:COMIC1☆24)
目次:共通ラッピング車両ガイド(JR西日本323系 / 大阪メトロ30000系 / 京阪8000系 / 近鉄9820系・近鉄5820系 / 阪急1000系・1300系 / 阪神1000系 / 大阪モノレール2000系 / キャラクターを探して / 横浜市営バス「あかいくつ」)
増殖するキャラクターラッピング車両。大規模イベント開催前に、この一冊はいかが?
・HOMMAGE No.5 山手線
(発売開始:コミティア148)
目次:数字で知る山手線 / E235系 伝統のウグイス色を受け継ぐ / 影の薄い山手線の駅/駅そば、うどんの思い出 / 山手線横断~南と北の名所~ / New brand / Natirta Express E259 / N'EX From Hachioji
東京の中心を1周60分で走る山手線。東京に行けば必ず乗る路線だが、意外と知らないことも多かったり。 そんな山手線の気になること、一緒に探してみませんか。
・HOMMAGE No.6 ドラえもん電車
(発売開始:おもしろ同人誌バザール大崎)
目次:高岡市 藤子・F ・不二雄ふるさとギャラリー / ドラえもん電車に乗ろう(DORAEMON-GO!・DORAEMON TRAM・Wrapping train) / 小田急F-trainⅠ correction / 小田急F-trainⅡ 8 month diary / 川崎市 藤子・F ・不二雄ミュージアム
今や国内問わず海外でも人気な「ドラえもん」と電車のコラボを紹介。今も走るドラえもん電車や幻のF-trainなど、藤子・F・不二雄ファン必見な一冊。
・東急8500系 2020系がいない日常
(発売開始:コミックマーケット104)
目次:朝 / 偶然 / 四季
2013~2015年の東急8500系の写真を掲載。毎朝の始業光景から、偶然な一枚、そして四季と8500系。沿線住人にとっては懐かしい光景、それ以外の方も見たことがない鉄道のシーンを見てみませんか?
・HOMMAGE No.7 行ってみたい駅
(発売開始:コミティア149)
目次:3駅連続 スノーシェルターの駅 / 首都圏のご当地発車メロディのすすめ / 旅先の変わった駅 / 食べたかった駅弁 / 復活?80年代の歌姫 / ひと夏の思い出 小田急ロマンスカーLSE
駅は旅の経由地ではなく目的地。そんな行きたくなる駅を紹介。あなたの地元の駅もあったりして。
・My Train No.1 京急1000形
(発売開始:おもしろ同人誌バザール神保町)
目次:空増結 金沢文庫 / 車体別車両図鑑 / 1000形(アルミ) 2100形 600形 同じじゃないですか!? / 体感快特!?普通浦賀行き / イエローハッピーターントレイン
総製造数500 両を越えた京急1000 形。600 形、2100 形から受け継いだ車両は、確立した技術をもとに今も進化を続けている。今回は20年以上同じ形式をつくり続けた京急のスタンダードを見ていく。
・My Train No.2 横浜
(発売開始:コミティア150)
目次:歩き鉄 汽車道・山下臨港線プロムナード / 濱の鉄道ヒストリー / リバイブ横浜市電 横浜市営バスで辿る横浜市電の旅 / SOTETSU NAVY BLUE / Seaside Line シーサイドライン / 南町田グランベリーパーク号
1872年10月14日、横浜~ 新橋に日本初の鉄道が開業した。その後もネットワークを広げ新たな鉄道が誕生したり、時代と共に消えた鉄道もあった。発祥の地で歴史を変えた鉄道を訪れる。
・My Train No.3 上越線
(発売開始:文学フリマ東京39)
目次:繁栄期の歴史 1962-1982 / 明日使える?上越線の小ネタ / 新清水トンネルの駅 土合駅・湯檜曽駅 / 過去の栄光を残す 石打駅 / SLを支えた車両の最後 DLぐんま4fine / 最後のひととき 特急ときの振り回された転属劇 / 群馬デスティネーションキャンペーンラッピング車両
上越線と言われて雪国(作 川端康成)を浮かぶ人は多いだろう。群馬と新潟を結ぶ重要な路線は、東京発着の特急が行き交っていた。時代の流れで変わってしまった路線だが、そんなかつての繁栄を探した。
・大分発金沢経由上野行き
(発売開始:文学フリマ東京39)
目次:はじまり / 大分発金沢経由上野行き / コラム 鉄道博物館で図書を読む / あとがき
昭和45年10月1日ダイヤ改正の運用表から気になる列車を見つけた。今では考えられない大分から大阪、金沢さらには上野と広範囲で運転を行っていた。なぜこの運用が出来たのか、当時を知らないからこそ気になる疑問が出て来る。新幹線のネットワークにより、縮小する在来線特急列車。今とは違う特急列車の存在を探ってみる。
・東急8500系 サークルKの終焉
(発売開始:コミックマーケット105)
目次:新生 / 大井車 / 非直車 / 幕車終焉
東急8500系写真集第三弾。2020系の導入により、変化するサークルKを中心に取り上げる。
・My Train 総集編 No.1 目的地は駅 (us / uk)
(e-book 発売開始:12/26 Thu)
目次:3駅連続 スノーシェルターの駅 / 美佐島 / 分割増結 / 復活?80年代の歌姫 / #八景シリーズ Best shot No.468 秩父八景-私鉄貨物
駅は旅の経由地ではなく目的地。そんな目的地として行きたくなる駅を紹介。意外と近くの駅があったりして。
★Can buy
メロンブックス / フロマージュブックス
★Link
Made books 2023
About(2024.10) Post:10.10 2024
Work Post:9.13 2024
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉��て言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西��隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナの��ーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結���外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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#日常
「ラストマイル」観てきました。
元々はMIUの二人組目当てというのが動機でしたが、それ抜きでも観に来て良かった!面白かったです!これ書いたらネタバレになるかな〜〜などと考えてると、感想は「面白かったです!」の一言に落ち着くんですね。ほんと…しみじみ良かった……。
勧善懲悪でスッキリする部分もあり、反面全てがめでたしめでたしで終わるわけではない���で(救われないところはほんとに救われない)、彼らの明日を、今後を、かき乱されながらも考えてしまいます。問題提起されている部分がほんとに今この社会でのリアルな課題の部分でもあるので、リアリティがありすぎて現実と物語の境目が曖昧になってくるような感覚。つらい。
でも、観終わって絶望に叩き落されるとかそんな感じではなく、走り抜けた後の気持ちよさみたいなものはあるのです。それなりに気持ちよさを感じた後に、いやでもそういえば?と立ち止まって考えた時に、周囲に暗闇がいくつも口を開けて待っているさまが見えてしまって呆然とする、という感じでしょうか……。例えが下手だな。これだったら海苔弁が唐揚げ弁当に変わる方が上手いってもんよ!
ただまあ、観終わって最初に思ったことが「……明日も頑張るか」だったので、そう思う私はとても単純なんでしょうか。でもそう思わせる力があるってすごいことだよなぁと思うのです。
あとは、纏まらないけど思ったことをちらほらと。初見の感想なので何も煮詰まってないです。思いつくまま箇条書き。
▼すべてはお客様のために、ね……。ほんとにこれ、魔法の言葉でもあり呪いの言葉であるわけで。考えてみれば、私のいるところだってもうひとつの「ラストマイル」ならぬ末端であるわけで、何だかなぁ、そうなんだよなぁ……皆様の尽きぬ欲望の何千億?何兆億分のいくつかを受け止めているんだよなぁ。しかしその欲望なしには何も動かぬこの世界。欲望あっての我々でございます。
何度も出てくるこの「want」、消費者側である私たちに問いかけてきているのでしょうね。What do you want? あなたの欲しいものは何ですか?
あなたの本当に欲しいものは……?
▼しかし物流センター、この映画の中のシステムがどれだけ現実と一致しているのかは分からないけど、まるでボールコースター(正式名称が分からないけど、レールの上をボールが延々と転がっていくやつ。名古屋市科学館の中にあるのは見たことがある)を見ているような気分。一日でもずっと見ていられそう。
ぐるぐるぐるぐる回って止まらないボールのように、永遠に止まらない物流の世界。それこそ、人が命を絶とうとしても……。
そんな血の通っていないローラーコンベアと、末端の人力とアナログの世界の非情なまでの対比が印象に残りました。
本社側(それこそ米国側)の人々にとって、羊運送やラストマイルのあの佐野運送の親子などの人たちは、きっとローラーコンベアと同じようなものに見えているんだろうなと。
そういえば途中エレナが「FAX〜〜〜〜!!??」と叫ぶシーン���あるんですが、そうなんですよ!!末端はまだろくなシステムが構築されてないのでFAX大活躍の世界線なんですわ(使う側の高齢化もあり)。
「稼働率」の世界とアナログの世界で挟まれるヒツジ急便のヤギさん……なんかもう、わかるぅ……投げ出したくなるよねぇ……と、ある意味あれは涙なしには見れない部分だわ。血と汗と涙的な意味の涙ですが……。
ところでボールコースターの話を出したら、志摩のピタゴラ装置を思い出してしまいました。MIUではあのピタゴラ装置が結構重要な視点になってきていたけれど、それはラストマイルとリンクしているのだろうか……?
▼それにしても、伏線のように思われる箇所が大量に出てきて、1回ではとても推理しきれないところばかりでした。
※※この辺りからかなりネタバレが多くなってくるので、回避される方は薄目でスクロール推奨します※※
・12個の爆弾は全て見つかっている、という理解で間違ってないですよね??サラに向かってエレナが最後に言い放った「爆弾はまだある!」の爆弾は、飛び降り事件の隠蔽?の件や、物流業界での問題がまだ山積していること(またいつ爆発するか分からない)への比喩かなと思ったのですが、本物の爆弾がまだ残っていると考察される方もいて、どっちなんでしょ??
・事務所に泊まっている時にエレナが電話していた相手は恐らくサラだろうなと思うんですが、最後の「私はどっちだと思う?」の意味がまだ掴み切れない……。
考察動画で、メケメケフェレットが出てきた時点でもう私は「すごい……」としか言えなくなったのですが、まさかここでまたメケメケフェレット(伊吹語)を考えることになるとは……!しかし私の知識が非常に不足しているために、このメケメケフェレットの部分は考察し切れない……何故��ら私がよく分かっていないから。勉強は何のためにするのか見失っている学生の皆さん、勉強や知識とは、こうやってお話をより深く楽しむために必要なのですよ。知らないということは、表面的なところだけ観て分かったような分からんような気分で悔しがる私みたいになるということだからな!!なんというか、学生時代にもっと名作と呼ばれるものにしっかり触れておけばよかったと、最近とみに反省している私なのでした。
・最初にも書いた「爆弾とは?」と思うものの、エレナがサラに最後言い捨てたシーンはめちゃくちゃスカッとして良かったです。
しかし、何かイレギュラーな事態が起こった時、あれだけ大胆に判断を下していけたらさぞかし気持ち良いだろうなぁ……。ここまで至る間の、アメリカ時代のエレナも見てみたい。
それこそピタゴラ装置じゃないですけど、誰と出会うか、出会わなかったか。五十嵐の下���働いていた山崎が嵌まってしまった袋小路、もしかしたらそれは、3年目のエレナだったかもしれないし、エレナと出会わなかった世界線の孔だったかもしれない。
そこで一つ救われるのは、エレナと出会ったことで、孔の分岐点は変わっただろうなと。この話の中で、それでも変わらない無情というものも描かれる中、明らかに変わっただろうな、と確信できる部分でした。ただ、だからといって孔の未来が光に満ちているかというと全然そうではなく、立場が変わり、その先には更に分岐点がいくつも待っているのでしょうが。
・例のあの暗号なんですが、見たままの意味だけではなくて、まだ何かあるの?か?最後のシーンで五十嵐が血相変えてロッカーを確認するシーンや、孔の最後のロッカーでのシーンがまだ咀嚼しきれておらず。この辺りは自分の中でもっと噛み砕くことができてから文にしたいと思います。一度では到底無理だわ……。
あと、MIUの音楽が流れた瞬間に沸き上がる血よ。これ多分たくさんの方と共有できそうなんですが、あれですあれです。……と書いといて、アレ?流れたのってMIUのテーマだっけ?伊吹のテーマのメロディーラインでしたっけ?特徴的なあのメロディーライン、イーリアンパイプという楽器の音らしいですね。MIUのテーマの方では、そこからバイオリンが入ってくる辺りの上がり方がもうね、大好きです。この曲流れると自動でスイッチ入るんですけど、多分これきっと私だけじゃない。滾るよな……!
数年越しにMIUのサントラ入手するかどうかを本気で考えている本日でございます。
・今回佐野運送の息子役を演じてらした宇野祥平さんという役者さん、私は以前「罪の声」(これも野木さん脚本でとても良かった)を観た時に、そのじんわり沁みるお芝居に良いなぁすごいなぁと思ったのですが、今回ので確信しました。良い……!
日ノ本電機のくだりはとても…とても良かったです。胸を張ってものづくりをしてきた人。会社はなくなっても、良いものを作ったのだという矜持が伝わってきて、じんわりくるシーンでした。
あと毛利刈谷おじさんバディ組も良き。何ででしょう刈谷さん実際に近くにいたらめちゃくちゃ鬱陶しいオッサンだと思うんですが、MIUの世界の中だと何だか憎めないんだなぁ。
▼そして最後に流れる、米津さんの 「がらくた」 。
MIUの「感電」が志摩と伊吹ソングだったし、「Lemon」は中堂さんと亡くなった彼女の歌。となると今回はエレナと孔に焦点が当てられているのかな?と何の根拠もなくそう思っていたのですが、映画鑑賞後は呆然としていてそれどころではなかったので、歌詞まで深く聴くことはできず。そして家に帰ってきて改めて歌詞をじっくり読んでみたのですが……。
これは……エレナと孔のことを歌ったものではなく、もしや…………。
作中で深く描かれる���とがなかった部分がこれだとしたら。切なさ大爆発で、観てから2日経った今、がらくたをリピート再生してはしょぼくれているところです。これは何というか……遅効性の毒みたいに効いてくるな……。
※※ネタバレ区間おしまい※※
というわけで、2日かけて仕事終わりにちまちまと書きためた初見の呟きです。とりあえず今は、職場で仲良い人たちに「み゛て゛!」と言い回る妖怪みたいになっているところです。み゛て゛!!!!
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ES Japanese Transcription
And it starts. This ended up breaking my family's scanner so I bought my own. These are probably going to trickle out sorta slowly because of how much time it takes me to transcribe one of these. Not to mention I'll be doing edited and unedited versions of Yuno's T1 to fix an error and both of Mikoto's for clarity. Anyways, the PDF will be out soon. I've only scanned T1 right now so both books will have it's own page on archive.org.
Feel free to use this how you like with no credit to me required. Credit should go to Yamanaka.
エス: Es
ジャッカ: Jackalope
1 | ミルグラム監獄内 エスの部屋
薄暗いエスの部屋。
深く椅子に座っているエスと、その膝の上に乗っているジャッカロープ。
ジャッカ 「わかったな…...お、 そろそろ囚人どもが気づく時間だな。準備はできてるな?」
ジャッカ 「ミルグラム第1審開始だ」
ジャッカ 「……ってな。さぁ、行くぞエス」
ぴょんとエスの膝から飛び降りるぽふっと間抜けな足音。
エス 「……どこへ?」
まだ少しうつろなエス。
ジャッカ 「『パノプティコン』。囚人共の部屋を一望できる場所だ」
エス 「パノプティコン......」
ジャッカ 「記憶が曖昧なんだろ?道案内がてら色々説明してやるよ」
エス 「あぁ、頭に霞がかかっているようだ。......すまない」
ジャッカ 「良いってことよ。いつもそうなんだ」
エス 「……?大丈夫だ。仕事に支障はない」
ジャッカ 「オッケー。じゃあいくぜ」
エス 「あぁ」
顎でドアの方を示すジャッカロープ。
ジャッカ 「……ん」
エス 「…...どうした?」
更に顎でドアの方を示すジャッカロープ。
ジャッカ 「……ん!!」
エス 「撫でればいいのか?」
ジャッカ 「チゲぇよ!開けろよドア!見りゃあわかんだろ!」
気づき納得するエス。
エス 「あぁ……」
ドアに手をかけるも途中で止まるエス。
エス 「疑問なんだが······ひとりでドアも開けられないのになんでそんなに偉そうなんだ?」
ジャッカ 「うるっせぇなぁ。開けられないのはオマエの寝室だけだ。他の部屋は俺様用の小さい入口があんだよ……誰が小さいんだコラァ!」
エス 「僕は何も言ってない」
エスがドアを開ける音。
2 | ミルグラム監獄内 通路 エスの部屋前
通路に出た2人。
長くて暗い通路が続いている。
エス 「…...長い通路だな」
ジャッカ 「ここ、お前の寝室が通路の端っこだ。この通路を挟むようにしていろんな部屋と施設があるわけ。全部説明してたキリがねぇから、今日ははぶくけどな」
真正面の小さな扉を見て問うエス。
エス 「僕の部屋の向かいは何だ?」
ジャッカ 「俺様の部屋だな。許可なく入んじゃねぇぞぉ」
エス 「予定��ないから大丈夫。それに、見たところ人間が通れる大きさの扉がない」
ジャッカ 「ふん、それもそうだ」
通路を歩き始める2人。
コツコツとエスの足音が響く中会話をする。
3 | ミルグラム監獄内 通路
先を行くジャッカロープが部屋を紹介していく。あるきながら会話。
ジャッカ 「ここが囚人用のシャワー室。向かい側が倉庫。必要な備品はたいていココ」
エス 「囚人用......この通路は囚人も出入りするんだな」
ジャッカ 「あぁ。通行を許可する時間やら、シャワーを男女別にするかどうかやら細かい生活のルールはオマエが後で決めりゃあいい」
エス 「僕が決めるのか?」
ジャッカ 「おう、このミルグラムをどう管理・運営していくかオマエに全部任せてる。地獄にするも天国にするもオマエ次第よ」
ジャッカロープの言葉に何の気無しにうなずくエス。
エス 「……わかった」
ジャッカ 「なんでか?とは聞かねぇんだな」
エス 「そういうものなんだろう。僕にはこの監獄を管理する義務ある。不完全な記憶の中でも、それだけは覚えている」
その言葉に満足そうに微笑むジャッカロープ。
ジャッカ 「......上出来だ」
エス 「……なぁ、ジャッカロープ」
ジャッカ 「あんだよ」
エス 「……もっと早く歩いてくれないと踏んでしまう」
ジャッカ 「体のサイズ考えろ!人間様がウサギに合わせろや!!!……誰がウサギだコラァ!!」
エス 「僕は何も言っていない」
ジャッカ 「ったくよぉ……。あ、ここが食堂な」
工ス 「……そういえば誰が食事を用意するんだ?ここに僕とお前以外に管理人がいるのか?」
ジャッカ 「オレ様が作ってんだよ」
エス 「なるほど。……ん?なるほど?」
予想外の答えに若干うろたえるエス。
ジャッカ 「実はオレ様はこの監獄の料理長でもある。和・洋・中なんでもござれさ」
エス 「……ちょっとした疑問なんだがその手でフライパンやら、包丁やら持てるのか?」
ジャッカ 「ぐっっと気合を入れたら持てる」
エス 「持てるのか……。その、毛とか入らないのか」
ジャッカ 「毛の生え変わり時期はすごく入る」
エス 「すごく入るのか……」
話している間に通路の突き当り、大きな扉の前にたどり着いている。
ジャッカ 「おら、馬鹿言ってる間についたぞ。その扉を開ければ、ミルグラムの中心部パノプティコンだ」
扉を開けるエス。ギギギと重い扉が開く音。
4 | ミルグラム監獄内 パノプティコン
円形のホールのような空間。
等間隔で扉が存在している。
エス 「これがパノプティコン。ドーム状になっているんだな」
ジャッカ 「おう。今オレ様たちはこの丸い部屋の北側、22時の位置にある扉から入ってきたことになる」
エス 「それぞれの扉が囚人の部屋か?」
ジャッカ 「そういうこった。この部屋を時計に見立てると、囚人番号と時刻が一致してるってわけよ。覚えやすくていいだろ?」
エス 「なるほどね」
壁にかかっている時計をチラッと見やるジャッカロープ。
ジャッカ 「ふむ。まだもうちょっと時間があるな。軽く囚人どもの紹介をしといてやるよ。つってもオレ様もツラしか���てねぇんだけどな」
こつこつと円形の部屋を時計回りに一周しはじめるエスとジャッカロープ
1時の部屋で足を止める二人。
ジャッカ 「まず、1時の位置の部屋。囚人番号1番サクライハルカ。ややこしい名前だが、男だ」
エス 「サクライ......ハルカ......」
ジャッカ 「根暗そうな顔してやがったな。ま、うまいこと心開かせて色々聞き出してくれや」
エス 「ただ、その顔すら本当かはわからないのだろう?」
ジャッカ 「フン、よくわかってんじゃねぇか。オレ様たちをあざむく擬態かもしれねぇ。ニンゲンは嘘をつく生き物だからな」
エス 「…...覚えておく」
歩きはじめる2人。
2時の部屋の位置に。
ジャッカ 「次、2時の位置。囚人番号2番カシキユノ。若い女だった。高校生くらいじゃねぇかな」
エス 「高校生くらい?囚人の年齢もわからないのか?」
ジャッカ 「囚人のパーソナルなところに興味ねぇからな、オレ様。看守のオマエが把握しとけばいい
3時の部屋。
ジャッカ 「次、3時の位置。囚人番号3番カジヤマフウタ。てアホそうな男だ。オレ様こいつ嫌い」
エス 「……顔を見ただけなんだろう?」
ジャッカ 「ニンゲン、第一印象が9割だよ。俺様に投票権があったら迷わず有罪にしてるね」
エス 「そういうものかな」
4時の部屋。
扉に刻まれている文字を読むエス。
エス 「囚人番号4番はクスノキ、ムウ?女性か?」
ジャッカ 「おう。やたら美人の姉ちゃんだ。逆にこっちは無罪にするな。美しい遺伝子は残すべきだ」
足を止めるエス。
エス 「はぁ……。そんな欲にまみれた判断基準でいいのか?」
ジャッカ 「へっ…...じゃあ何を判断基準にするんだ?ただ法律に照らして裁くんだったらオマエである意味がない」
エス 「む……」
ジャッカ 「言ったろ、オマエ自身の基準で決めればいいって。それが性や愛でも文句は言わねぇよ。監獄内恋愛を禁止しやぁしねぇからよぉ」
いやらしくニヤつくジャッカロープ。
それを見て少し口をとがらせるエス。
エス 「……くだらないな。次は?」
ジャッカロープを置いて歩きはじめるエス。
追いかけるように歩くジャッカロープ。
ジャッカ 「へっ。今回の看守さんはウブだこと。囚人番号5番、キリサキシドウ。歳は三十くらいかな。こいつはオレ様に負けず劣らずの男前だな。......色恋目線でいくと、こういう奴が集団に波乱を巻き起こしたりするんだよなぁ」
エス 「…… (ため息)」
ジャッカロープを無視して歩き6時の位置に。
エス 「真南6時の位置。これで半分か」
ジャッカ 「ここは囚人番号6番、シイナマヒル。20代前半ってとこかな。……オレ様的にはこれくらいの女が一番好みだな」 下世話なジャッカロープにイラつき、足を止めるエス。
エス 「ジャッカロープ。遊びじゃないんだろ、この仕事は」
ジャッカ 「くっくっ…...遊びのつもりはねぇよ。この仕事の本質 は人間を見ることだ。オマエにもいずれわかる」
エス 「……ふん」
釈然としない様子のエス。歩きはじめる。
ジャッカ 「囚人番号7番。ムクハラカズイ。��っさんだ。今回の最年長じゃねぇかな。体格的にも、戦闘になったらこいつがナンバーワンだろうな」
エス 「……そうだ。囚人に襲われたらどうする?その、あまたらどうする?その、あまり言いたくはないが、僕の体格で抵抗できるとは思えない」
足を止め、後半少し恥ずかしげに言いよどむエス。
ジャッカ 「安心しな。囚人どもはオレ様たち管理者への攻撃はできない。そういう仕組みになってる」
エス 「『管理者へ』つまり囚人同士はそうではないと」
ジャッカ 「ふん、冴えてるじゃないか。そういうこともあるかもしれない。お前の判決次第じゃな」
歩きはじめ、8時の部屋。
ジャッカ 「さ、次は囚人番号8番モモセアマネ。聞いて驚け。なんとランドセル背負った女子小学生だ」
エス 「そんな小さな子まで…… "ヒトゴロシ" だというのか」
ジャッカ 「くっくっく、知らねぇけどよ。幼ければ純粋で、無垢で、善良で、ってのもまた思い込みなんだろうぜ。だからこそ……」
エス 「だからこそ」
ジャッカロープの説教をさえぎるように言葉をかぶせるエス。
エス 「それを見極めるのが看守の役目だというのだろう。まるで保護者だな、ジャッカロープ」
ジャッカ 「へぇへぇ。わかってんなら、構わねぇよ」
9時の部屋の位置。
ジャッカ 「次、囚人番号9番。カヤノミコト。男だ。特に特徴がなくて言うことねぇな。量産型ってかんじ」
エス 「逆に気になる」
ぼそりと小声でつぶやくエス。
10時の部屋の位置で足を止めるジャッカロープ。
ジャッカ 「最後が囚人番号10番、ユズリハコトコ。こいつは要注意だな。見るからに只者じゃなさそうな女だった」
エス 「これで10人か」
ジャッカ 「これで囚人紹介は終わりだな。ま。あとは実際話して確かめろよ」
なにかに気づいたエス。
エス 「ジャッカロープ」
ジャッカ 「ん?」
エス 「あそこは?11時の位置。あの部屋には囚人はいないのか?」
11時の部屋に歩いていくエス。
ついていかないジャッカロープ。
エス 「他の部屋の扉よりも古いな錆びついている……外側からの錠もない」
ジャッカ 「あぁ、そこはいい。何もない」
感情の乗らない返しをするそっけないジャッカロープ。
エス 「……それは」
エスの声を遮るようにゴーンと鐘のなる音。
パノプティコンの中に強く反響する。
エス 「何の音だ......」
ジャッカ 「時間だな。囚人共が目覚めるぞ。ついに顔合わせってわけだ」
うろたえるエスに向き直り、真剣なトーンで話すジャッカロープ。
ジャッカ 「いいか、オマエ自身が持つ不安や戸惑いや疑問はすべて殺せ。お前は看守なんだ。おそれるな。囚人共にとっての権威と恐怖であれ」
エス 「……言われるまでもないよ。ジャッカロープ。業はミルグラムの看守だ。僕にはそれしかない」
ジャッカロープに背を向けるエス。
エス 「それに、実は今少しだけ楽しみなんだ。ここに集められた囚人たちと出会うのが。そして彼らの罪を知るのが」
ジャッカ 「……」
エス 「お前の言う通り、僕は僕の意思で彼らの罪を暴こう。僕はどう感じるんだろう。赦したい、赦したくない、どう思うん��ろう」
自分の掌を見つめるエス。
エス 「僕は、彼らを通して、僕自身のことも知りたいんだ」
ジャッカ 「……エス」
エスの背中を見つめていたジャッカロープ。
顔を下げ、冷めた声色でつぶやく。
ジャッカ 「哀れなことだ」
突如ガシャンガシャンと囚人の部屋の錠が次々に開いていく。
ジャッカ 「……来るぞ。ぶちかましてやんな」
工ス 「あぁ。看守としての初仕事といこう」
それぞれのドアが開き、囚人たちがパノプティコンへ踏み込んでくる。
囚人たちの足音が響く。
エス 「ごきげんよう、囚人諸君。僕の名前はエス。この監獄の看守をしている」
エス 「ここは監獄ミルグラム。お前たち10人の罪を裁くために存在する」
エス 「僕がお前達について知っていることは少ない。知っているのは、お前たち全員『ヒトゴロシ』だということだけ」
#milgram#ミルグラム#milgram project#es milgram#milgram voice drama#jackalope milgram#milgram script book#milgram T1#milgram trial 1#milgram T1 script bok#milgram trial 1 script book
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羂索 Vs. 髙羽 戦まとめ
第一ラウンド
羂索:呪霊で先制攻撃 髙羽:事象書き換えにより攻撃結果をリセット 羂索:事象創造系の術式と判断 髙羽:羂索のコスチュームにアイテム追加 羂索:術者自身のイメージを具現化し他者にも強制する術式と分析
羂索:ギャグへのダメ出しによる精神攻撃で出力抑制を図る 髙羽:オーディション会場を創出し羂索のコスチュームもTVディレクターに変更(羂索のイメージを取り込んだ?髙羽自身のイメージ?) 羂索:通常攻撃が通るようになったのを確認し、術師のメンタルが術式発動に影響すると推論
羂索:髙羽のギャグを独りよがりとダメ出しをした上で、より面白いギャグを披露 髙羽:羂索からの評価を否定して対抗しようとするも黄櫨の死体を見て動揺
※お笑い芸人としての原点を確認した髙羽が自己開示とコミュニケーションを諦めない意思表示
第二ラウンド
羂索:特級叛霊で先制攻撃 髙羽:トラックを具現化し呪霊を一撃破壊、羂索にもダメージ(おそらく通常は特級クラスにトラックが衝突してもノーダメージだが、「もったい付けて登場したバケモノが出オチ一発退場したら面白い」という髙羽の発想により世界観が押し付けられた)
羂索:警官コントから病院コントに誘導し、その流れで髙羽に電撃 髙羽:次のコントに移行しダメージリセット
羂索:看護婦コントで自身の肉体変容を確認 自分が仕掛けたコントのイメージもフィードバックにより具現化されるのを確認(クイズ番組への移行は髙羽が素で知らない「ハドロン」が出題されたので羂索の意志か?)
羂索:猫に変化し髙羽をタクシーに撥ね��せる 髙羽:そのままロケーションを海に変更したコントを続行しダメージリセット(水平線が見えるような広大な背景を現出、対戦相手を質量ともに変幻自在な生得領域に閉じ込めるという領域展開に等しいことをやっている)
※全てがコントの一幕として如何なるダメージも「なかったこと」にされる髙羽に対し、ダメージの蓄積により疲弊していく羂索(死者を出さない術式なので、おそらく羂索は呪力も体力も尽きた状態でも表面的には無傷に修復されて延々コントに付き合わされるはず)
第三ラウンド
羂索:髙羽を満足させることで術式を終了させる目論見でM-1の舞台をイメージし相方を務める(自分がボケ役を引き受けて舞台を主導) 髙羽:夢の舞台で相方と漫才を演じきって満足、術式終了
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感想戦
私は『呪術廻戦』という作品の良い読者ではなかったけれど、この羂索 Vs. 髙羽 戦というカードは能力バトルもの漫画の歴史に刻まれる傑作だったと思う。
ギャグ世界の住人が能力バトルに参加したらどうなる?という試みは作中でも引用されたフリーザVs.両津や『遊戯王』のトゥーン系カードとかでもやってるし、明確な下敷きであるボーボボのハジケバトルの構造がそういうものだ。 個人的には領域という自分の世界観を押しつける呪術バトルの中でギャグ世界の法則に巻き込むというのはTRPG『TORG』のカートゥーン・レルムを思い出した。カートゥーン・レルムは流石に実装したらGMの負担が大きすぎて扱いきれないのでエイプリルフール企画で終わったが、あれを真面目に実現したらどうなっていたかを突き詰めると「超人」術式になるわけだ。
初手から一切舐めプせずに必殺攻撃を放ち、コントに巻き込まれてダメージを負いながら試行錯誤して術式を分析し、遂に攻略法を発見する羂索の姿は、完全に「理不尽な強敵に蹂躙されながらも粘り強く戦って勝機を見出すチャレンジャー」であり、全力でぶつかり合った結果として強敵との間に友情が生まれちゃってるのも込みで、本作中では非常に珍しい「さわやかで熱い少年漫画バトル」の一戦になっている……いやまあ、そもそも羂索は準ラスボスで物語の黒幕なんですけど。
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「宿儺に全力を出させてやれなくて申し訳ない」&「孤独だが寂しくはない、生物として隔絶しているので他者に理解を求めない」という五条、���挑んできたものを返り討ちにするという形でしか他者との関りがもてなかった」カシモ、長生きし過ぎて友達がいなくなったせいで独り語りが増えた羂索という描写が重ねられた後に見ると、寂しさを認めて自己開示し、羂索を笑わせることを諦めないと宣言する髙羽はみっともなくも美しい(この戦いの裏では宿儺の「孤独を恐れぬゆえの強さ」を称える裏梅のバトルが繰り広げられていたりする)。
今際の際のヨロズが宿儺に対して「私のことを知っていてくれた」と喜んでいたように、相手の術式を真剣に解析して攻略するというのは相手の世界観を理解することなので、「俺のことを知ってほしい」がお笑いの原点である髙羽の本願は倒されてこそ成就するのだろう。
でも、羂索は全身全霊で髙羽に挑んで理解しようとしてくれたけど、髙羽の方は羂索のことを理解してないから、やっぱり「ひとりよがりな三流芸人」ではあるのだよな。
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すべてが終わり日常に帰った後、髙羽は「夢の舞台」を心にしまい込み、あえて「最高の相方・羂索」の幻を追わず、本来はツッコミ適正でありながら羂索を手本にして相方を幸せにできるボケを目指す……というあたりが健全な落としどころかなと思うけど、この漫画はあくまで「呪い」の物語ですからね……
アレはリカちゃん2号と同じ呪力によって再構築された仮想の羂索だと思うんだけど、だとすると適性のある観客にしか目視できないしTVにも映らないから漫才は成立しないはず。髙羽がピンで舞台に出ても、ノリによっては客前で収拾のつかない事態になるので芸人として詰んでいる。呪術師に転職して、自分の術式について自覚することで大幅に出力を落として制御するしかないか。いろんな意味で強烈な呪いを残していったな、��索。
髙羽の末路は物悲しくも恐ろしいけど、『破壊神マグちゃん』の単行本加筆版最終回の相似といえないこともない……か? あちらはひとりの人間の一生をかたわらでしっかりと見守り続けたからこそ、その記憶と権能によって非物質的な永遠の存在として再構築できたけど、髙羽は羂索のこと全然知らないからなぁ。少ない情報を元に作り上げた人形だと、「他者」ではなく作り手の可能性の域を出ない成果物になっちゃう。やっぱり羂索らしいエグい呪いですよ。
でもまあ、千年を生きたバケモノがその命の最期に「運命の人」と巡り合い、ほんの一瞬、心を通い合わせて死ぬという羂索の末路はやっぱりロマンティックで大好きなんだ。髙羽は気の毒だけど、古来から化生のモノに魅入られた人間は破滅すると相場が決まってるから、しょうがないね~~。
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するもの��ったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊���令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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環境原理主義者は化石燃料というだけで失神する 放射脳が放射線に過剰反応するのと同じだ 知恵が欠けている者の症状だ
日本はトータルで世界の二酸化炭素排出削減に大きく貢献しているのに、欧米の環境原理主義テロリストは日本に「化石賞」を押し付けて侮辱して喜んでいる あれは、環境を守れといいながらトレビの泉に染料流したりルーブルで世界的絵画にスプレーやトマトスープを浴びせたりするのと同じ種族 話が通じない
じゃ、なぜそういうバカ者需要が多いかっていうと、日本を叩くネタを探している人にとって格好だからだ 日本は環境を破壊している、賢いクジラを殺す野蛮な国だ!!って連呼しておけば日本人に色々侮辱行為をしても正義を嘯いていられる シーシェパード支援者と同じ
つまり、今や大手を振ってできなくなった人種差別を違う看板で思いっきりやれるから、その手のことをやりたい人にはたまらないのさ 欧米の一部の人らにとって、環境運動、反捕鯨運動は、人種差別の代替物でもある 人類はそう簡単に変わらない
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240225
朝、これまでどおりにドローイングから始める。 いつもとちがう質感がうまれる。りんかくがたっている。 最近、マンネリ化を感じていて何か変えようか、と思っていたけれど、何か変えようとしなくても、変わっていくものらしい。
一日中家にいたら、滞ったのか、気持ち悪くなってきたから、外を歩く。 当たり前に雪がある。 北海道に引っ越してから、ずっと車でしか移動していなかったから、自分の居場所が感覚として、一致していなかったのかもしれない。 雪を踏む。 雪と氷はちがう。
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240226
朝、せかいから取り残されたみたいな気がする。 月曜日になっても、わたしは仕事にいかない。 窓の外では雪が降っている。予報通り。 寒さの質が関東とはちがう、と思う。 数字で示されて受け取るしかない寒さ。
昨日からクッキーが食べたくて、でも外には出たくなったから、つくった。 時間があるって、すごい。なんでもできるんだ。 アイスボックスクッキーをつくった。 全卵にしたからか、硬くなってしまったけれど、それもよくて、ガシガシと食べた。
夜、雪は積もり積もって、道なんてなくなっていた。
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240227
朝、身体の頭の方、窓の方から音がする。 ごりごりといっている。 何の音かと思えば、誰かが雪かきをしている音だった。
駐車場のどの車も小さな雪山になっている。 雪はあれからさらに降ったらしい。 赤いスコップで、わたしも少しだけ雪かきをしてみる。 長靴と防水手袋を買おう、と思った。
前に2人で暮らしていた部屋は収納が多かった。 今、また2人で暮らし始めた部屋は収納が少ない。 ダンボールの中身を片付けようにもしまうところがなくなってしまった。 無印良品とニトリに行く。 商業施設に入っているわけではない店舗はのっぺりと広く、静か。 ゴミ箱とストッカーと、こまごまとした収納用品を買う。 部屋を選ぶって難しい。 収納が少ないだけで、収納を買うお金���必要になってしまった。 広くはない部屋なのに。
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240228
朝、気持ちが悪い。 二度寝して、ねすぎてしまった。 りんご、バナナ、パイナップル、キウイ、グレープフルーツ。 冷凍庫はフルーツでぱんぱん。 ひとり暮らしになっていた彼はスムージーをつくることにはまっていたらしい。 朝ごはんにつくってもらった。おいしい。
散歩にいく。 道路の全面が雪で白く覆われているから、白線もオレンジの線も、止まれもなくて、どこを歩いてもいいような気がした。 歩行者天国。 公園のベンチは埋もれていて、背もたれだけがふたつ並んでいる。 屋根のひさしとか、木の枝とか、ありとあらゆるものから、透明なつららが垂れている。 木には緑の葉があって、落葉樹ではないってこういうことか、と思った。深い緑とまぶしいくらいの白のコントラストが美しい。 絵本の中のクリスマスツリーみたいだった。 みるものすべてが新鮮で、よちよちと歩いた。
夜、線で絵を描いて、少しストレッチをして、ねた。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月25日(金曜日)弐
通巻第8477号
中国、パキスタン投資を抜本的に路線変更か
収まらないテロ、投資はすべて無駄になり砂漠の蜃気楼
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『サウスチャイナ・モーニングポスト』(10月25日)は、中国は習近平の目玉プロジェクト「一帯一路」のなかでも、最も巨額を投じた「中国パキスタン経済回廊(CPEC)」を抜本的に見直す方向で検討をしていると報じた。
第一にバロチスタン独立運動による中国人エンジニアを狙ったテロが繰り返されていても、パキスタン軍ならびに警察の警護体制では頼りにならないことが挙げられる。10月6日にもカラチ空港近くで自爆テロがあり、中国人エンジア二人が死亡した。
第二に中国の国内経済が火の車状態に陥っており、海外プロジェクト総ざらいが囁かれている。
中国輸出入銀行、中国開発銀行などは海外融資を中断し、国内向け融資に切り替えている。たとえば地方政府の特別債起債を許可し、当面は46兆円を目途に、工事中断物件の早期完成ならびに売れ残り不動産買い取りのための融資をさせて、地方銀行の不良債権率を低減させる。
つまり不動産購入者の保護ではなく銀行を守るのである。年末までに160兆円規模の融資が展開されるというが前向きのインフラ整備に投じた2008年の57兆円出動とはことなって総てが後ろ向きの不始末処理である。
第三に海外企業の直接投資をうながして不足する外貨を補う方針だが、いまも中国投資を増やしているのはドイツとシンガポールだけ。このささやかな動きを過大評価してIMFが「中国の24年下半期成長率を4・8%(7月の5%成長を下方修正)としているが、昨今、IMFの媚中路線には世界のエコノミストから批判があいついでいる。
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
*
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
*
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
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今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
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兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
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忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
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義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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