#予祝グランプリ
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昨夜は20名の方を ホロスコープ×アロマ起業応援させていただきました❤️ ありがとうございます✨ #アロマ起業コンサルタント#あなただけの才能を輝かせて成功に導きます#夢を叶える星よみアロマ #宇宙からのおくりもの #エッセンシャルオイル #地球からのおくりもの #自然#五感#大切な人へ #dōTERRA #ダイヤモンドクラブ1位 #予祝グランプリ #津村 美乃里 #愛 #ホロスコープ #潜在意識 #人生は思いどおり #We help the world Heal 🌎(#地球を癒す) #dōTERRA#エッセンシャルオイル#自然 #五感 #地球からのおくりもの #宇宙からのおくりもの #出逢えてよかった #生まれてよかった #わたしは命 #これからもこの地球が美しくあり続けますように🌷🌏✨ #dōTERRA #ダイヤモンドクラブ1位 #津村美乃里 #夢を叶える星よみアロマ #植物系ミネラル #エッセンシャルオイル #潜在意識 #ビジョン心理学 #ヒーリング #チームワーク #ありがとうございます https://www.instagram.com/p/CoysnDBLvYU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2023/2/24〜
2月24日 お部屋の正解がわからなくなって、机やベッドを移動させながら掃除をした夜。 昼間は何とか出勤して、やっぱり心は大阪のベローチェで川を眺めた時や、観覧車からの景色を思っていて、何となくお仕事をした。
お土産の花ランゲというお菓子を職場の方へ渡したら、神戸出身の方はこのお菓子をご存知だったらしく、CMソングを歌ってくれた。
明日は入試なので会場の下見の親子連れがたくさんいた職場の構内。そういえば昨日の新幹線には、反対側の窓側の席に、東大英単語のテキストを持った男性がいた。
イヴではなくロキソニンに変え��ら、胃の不快感がなくなった。さらに癖になって痛み止めを飲み続けてしまいそう。
正解を探しに明日はIKEAへいこうかな、ボードリヤール先生。
2月25日 あまり使ったことのない町のカメラのキタムラへ現像を出しに行った。 いまの家から程近いけれど、あまり行く気になれない町。 駅のどっち口にも生活に困らない商業施設と行政・保険・郵便・不動産などサービスが整っていた。 引越し先の候補地であるけれど、住んだらサービスエリアの近くの町って感じで、お部屋でそれに気がついて泣いちゃんうんだろうな。 こないだちーちゃんが来て一緒にこの沿線の町を眺めながら「美術館や図書館や文化的なものはないんですか?」と訊かれて、本当にその通りで、みんなイオンモールに行っているミュータントなんだよね、と思った。 だから今日は、なるべく生活に関するパニックを起こさないように現像を出すだけにして、その足で、どうしてもamazonでは間に合わない日用品をドラッグストアで買って、夕方スーパーに行くと一日の疲れで何も考えられず途方に暮れるので昼間に買い物を済ませてみた。 通院を再開するかもしれないところで、わりと体調が大丈夫になってきてしまって、でもそうなるとダメな方へ持って行こうとする思考回路がある。昨日の夜中に“認知の歪み”とGoogle検索をした。
大阪でお茶をした友人からメッセージが届いていた。仕事が虚無で生きている意味がない、と泣いていた頃の話をしたら、少し救われた、と言ってくれていて、むしろ当時泣いていた私を救ってくれてた。 本当に毎日消えようとしていたから。 奈良は、ならまちが雑司ヶ谷みたいだと教えてくれた。俄然行きたい気持ちが高まったので、とりあえずホテルの予約だけしようかな。
2月26日 友人からお花をもらってグランプリとお誕生日のお祝いをしてもらった! そしてお茶をして、人生やってるな〜、なった。
安定した仕事に就いている友人が、転職を考えたり、復学を考えたりしている話をきいて、今の人生に満足している人っているのかしら?と思う。忙しさに紛れたりしているだけで、我に返らなければ大丈夫なのに、そんなに馬鹿じゃないからみんな大変だ。
昨晩聴いた文月さんのラジオで、中学生の時にいま感じていることや体験が、大人になった自分が忘れてしまうのではないか?と怖くなって日記を書き始めた、と言っていた。 自分の場合は、余計なこともたくさん覚えすぎているけれど、確かに日記を読み返して、1ヶ月前のことでも他人事のようなことがたくさんある。
メゾンエルメスで展示を鑑賞。
夢ではちーちゃんが、いまの業界で混じり合った良き理解者のような人と結婚することを知って、なぜかとてもショックで、起きてからこないだ撮った彼女の写真を、ちーちゃんに送った。
帰り道、とてつもなく頭と目が痛くなり、やっぱりロキソニンを2錠飲んで、心身ともにふわっふわです。 久しぶりに“死んでしまう系のぼくらに”を読んで、これを泣きながら京都からの帰りの新幹線で読んだことや、その時の窓の外の風景を思い出した。そして、最果タヒのあとがきをひたすら読み続けたい。
友人が今日間に合わなかったけど、とフォトブックを作っている話をしてくれた。人の写真を、いいね、って言えるようになりたい。自分のことばかりで手いっぱいで、ちゃんと感想を言えるようになりたい。 とにかく頭が痛いけれど、人と話したり、写真を撮ったり、SNSをしたり、詩を少し読んだり、生活以外でもう少し満たしたい。
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㊗️2023年の受賞記録🏆
↑これは職場で手作り感謝状を頂戴した時の📷
今年は3件!
①第35回ムーシケピアノコンクール
専門コース部門 【銀賞】
15分以内の自由曲でしたので、
Poulenc:Theme varié FP.151
全曲持っていきました。
とにかく8月中に、フランス音楽コンクールに持っていく曲を舞台に1度上げておきたく、必死にやりました。
「必ず」、「死ぬ」と書いて「必死」です。
直前に画集用の動画収録もあり、
そして仕事も忙しく、
プライベートも色々大変で、
ほんとに召されるかと思いました。
体壊さなくて良かった。
演奏はなんやかんや楽しいし、
1回舞台に上げて、安心感と課題を得ることができましたので、死にかけつつも良い機会になりました。
きっと夏休み中頑張って練習したのであろう中高生のみなさんの演奏を拝聴できたことも、すごく元気が出て良かったです。
②第53回 フランス音楽コンクール
ピアノ部門 【入賞3位 山田忍記念賞】
昨年、一念発起して参加、入賞したため今年は予選免除で本選から参加しました。
2023年最大の挑戦…!!!でしたが、
本当にリラックスして弾けていて、普通に楽しんできてしまいました。それが良かったのかも。
演奏曲は
Fauré:4ème Barcarolle
Debussy:Reflets dans l'eau (Images Ⅰ)
Poulenc:Theme varié FP.151 (時間制限のため抜粋)
調がうまーいこと合っていて、3曲のつながりがとても綺麗なプログラムになりました。
フォーレのピアノ曲ってなかなか演奏会に乗せる機会が少ないのですが、和音から出汁が際限なく出てくる、旨味たっぷりな曲が多い気がします。もっと旨味を引き出したーい!
ドビュッシーは進路に悩む高校3年生の時に先生から出された宿題だったため、高校時代のことを色々思い出しながら練習していました。
プーランクは、「Messiaen, Dutilleux, Boulez, Poulencの作品から10分以内の演奏」ということで、色々見てみましたが、(自分が)何回聞いても飽きない変奏曲にしてみました。
フランス音楽コンクールは、事務局の皆様がフランス音楽愛に溢れた温かい方ばかり、という点でも参加する意義があります。昨年もでしたが、お話しているとすごくやる気と勇気が湧いてきます😭
フランス音楽の普及のため、ますます精進いたします💪
会場もすごく素敵でした。
近鉄特急&南海電鉄の旅も面白かったなー🚃🚃🚃
③第1回ストリートピアノコンテスト
グランプリ
地元民として盛り上げに行こうと、地元愛を詰め込んだメドレー作って持っていったら、大変ありがたいことにグランプリを頂けました🙏
小さい頃からウロチョロしていた地域で、再開発が進んでいる中、ピアノで賑やかしができるということが本当に本当に嬉しかったです。
柳ケ瀬に!ピアノを聞きに人が集まっている!!
感動😭😭😭
ストリートピアノなので、普段の仕事してる格好がいいのかなぁと思い、古いスタッフジャンパーに社員証下げて弾きました。
屋外で寒かったので丁度良かったです。
トロフィー頂けたの嬉しすぎて、玄関に飾りました。
毛蟹は以前披露宴で当てたもので、副賞ではありません🙏
毛蟹好きなので…パネル捨てられなくて…。
この大きいトロフィーは表彰式用とのことで、これから歴代グランプリの名前が追加されていくそうです。
既に第2回の開催が決まっているとのことで、ピアノを使って益々柳ケ瀬商店街が盛り上がっていくことを心からお祈り申し上げます🙏
SALON DE MARUICHIさんでお祝いして頂きました。
お茶もケーキも美味しかった…。
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2023年3月4日
グリーンカレー&国語教室M(@greencurryM)さん https://twitter.com/greencurryM
“即完”必至のワイン「Y by YOSHIKI」新ヴィンテージが発売 YOSHIKIに聞くヒットの理由:5900円から(1/2 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2303/02/news059.html
KISAKI、30周年企画でアルバム3ヶ月連続リリース。V系シーンの同志多数参加 | BARKS https://www.barks.jp/news/?id=1000230568
ソニーミュージック洋楽さん「#マネスキン の最新アルバム『RUSH!』に各界の著名人から推薦のコメントが到着💬 昨年の来日時に対面も果たしたミュージシャンの #SUGIZO さんからも熱いメッセージを頂きました🔥 #Måneskin @SUGIZOofficial 🎧アルバム特設ページをチェック▼」 https://twitter.com/INTSonyMusicJP/status/1630765006638940161
布袋寅泰さん「豊川悦司くんと久しぶりの再会。お互い60代を迎えたものの、語り合えばまだ攻めていきたい、と心が響き合う。役者とミュージシャン、生きる世界は違えど、会えばホッとする大切な友。いつか世界のどこかへ男二人旅したいね。 #豊川悦司 #布袋寅泰」 https://twitter.com/Official_Hotei/status/1630662155581136897
「一度当選するとずっと無投票」都道府県議選1人区、自民の基盤に [統一地方選挙2023]:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/sp/articles/ASR345QPBR2XOXIE01Y.html
京都の古寺で横になった「花子」 12メートルのこけしアート登場:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/sp/articles/ASR344RP0R33PQIP00V.html
即完売も今や珍しくない…人気が高まり続けるクッキー缶 ひとり用のご褒美化進む|まいどなニュース https://maidonanews.jp/article/14852211
田津原理音が「R-1グランプリ2023」優勝 - お笑いナタリー https://amp.natalie.mu/owarai/news/515343
広瀬アリス「ENGEIグランドスラム」で���代役MC 松岡茉優の体調不良で R―1に続き生番組4時間― スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/03/04/kiji/20230304s00041000761000c.html
道端アンジェリカ、再婚を報告! https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20230304_140.html?display=full おめでとうございます!
【人気投票 1~54位】医療ドラマランキング!医者・医師・病院ドラマのおすすめは? | みんなのランキング https://ranking.net/rankings/best-medical-dramas
ポテチにすしのこを混ぜるとビネガー味になる?話題のレシピ再現してみた | おたくま経済新聞 https://otakei.otakuma.net/archives/2023030403.html
世界で最も寝ていないのは日本の女性? 睡眠時間のデータが示す実情:朝日新聞デジタルhttps://www.asahi.com/sp/articles/ASR325V6WR32DIFI00R.html
LADIESROOMさん「THE LADIESROOM SHOW !! Re-START TOUR FINAL ★3/10(金)新宿BLAZE OPEN18:00 START19:00 VIPは残り僅か! TIGET↓ https://t.co/OWvpdECoyB イープラス↓ https://t.co/7dkR0f6Car #LADIESROOM https://t.co/Mb4R4PI1Yh」https://twitter.com/LADIESROOM_Info/status/1630915444873007105
ぶっ殺すぞ!けんchan(KENZI)dps3・5浦和ナルシス/アンチフェミニズム11長野Venueさん「アナ-キスト集結! 長野に集まろう!! チケット予約はこちらから。 https://t.co/38p11bG2KZ https://t.co/srdgOEyx5N」https://twitter.com/Antikenzi2000/status/1631196284727234561
しょう₢@色々と準備期間に入りますさん「俺が格闘技や喧嘩物大好きな流れから… 大好きな那須川天心の登場曲でもある矢沢永吉のこの曲をやりたくて… 由紀さんに頼んで…今回やらせてもらった😌✨✨✨」https://twitter.com/QGtTeLKxwJz9zlf/status/1631155131944415232
伊藤かずさん「L-POINTサイトに僕が台本を描いた 貞子の怨念タイアップVRが VRの操作案内と掲載されました #vr #貞子の怨念 #貞子 https://t.co/9mYmiuUfVp」https://twitter.com/kazuhiro898989/status/1631202322578800640
Mizki【ミカヅキ】3/5 四谷OUTBREAK!さん「本日25時からチバテレ放送「チアアップインディーズ」��てミカヅキも流れます故繋がる方はご覧あそばせ! チバテレの範囲外の方はこちらから https://t.co/dFcvhJYigT ご覧ください! ぜひお楽しみ下さい! #チアアップインディーズ」https://twitter.com/mizki_mikazuki/status/1631192075483111425
轟春-goashun-🎸ベーシストさん「【RT】3月スケジュール【拡散希望】 ● Silent Tales @_SilentTales_ ・3/25(土) 巣鴨獅子王 バンドメンバー男性Vo/女性key募集中! ご応募お待ちしてます! https://t.co/XojmqiMbdA #ライブ告知 #バンドメンバー募集 #拡散希望 https://t.co/xKOMCTBfQg」https://twitter.com/GOASHUN_bass/status/1630857779891290113
ミカヅキさん「【ミカヅキ information】※訂正版 千葉テレビ&YouTubeにて 2023年2月19日に行われた Liveの模様が放送されます! 2023年3月2日25時に放送予定です! 我々ミカヅキも 出演させていただいております。 ぜひご覧ください。」https://twitter.com/mikazuki_unit/status/1630605171737899008
馨🌻KAORUさん「来月はレコーディング。 動画はスタジオで創作中の一部。 詳細はまた投稿します🕊 よいリリースになります様に。」https://twitter.com/KAORU_MamMalian/status/1630492863032348672
ジンリ ✝︎JNRI✝︎ じんたんさん「今度の土曜日は 池袋 手刀にて元ZOLGEのヨシヤマの還暦を祝うイベントです。 ZOLGE好きだった人は是非来て バースデーを祝おう🎂 内容はこの日限りのスペシャルな内容です。 3月4日(sat) [HIDEKI KANREKI SPECIAL ‼️] THE TRICKS 他 https://t.co/JGTukAFuMT」https://twitter.com/JNRI_JNRI_JNRI/status/1630938196304617475
MORRIEさん「明日は3月4日は毎年恒例の肉塊生誕記念祭です。配信もしますのでご覧になってください。少々実験的な配信になると思われ、どのようになるのか楽しみです。 https://t.co/FPOjg3H9Ad」https://twitter.com/nowherenobodygu/status/1631529264423264257
DEZERT SORAさん「本日こちらみやこさんと出演します! よろしくお願いします!」https://twitter.com/DEZERT_SORA/status/1631519231933296646
みく アンティック-珈琲店- / 【Lc5】さん「ニャッピーo(≧∀≦)o KISAKIさんの30周年アルバム第三弾目2023.6.21 リリースのPreuve d'etreにゲストボーカルとして参加させてもらいました。 自分自身、歌ったことない曲調で2000年初期のビジュアル系を彷彿させる感じがまさに僕にとってのまさに青春���した。是非手に取って聴いてくださいね! https://t.co/xjNbYhxvfu」https://twitter.com/mikuppy/status/1631292034559406081
mari hamada officialさん「浜田麻里Newアルバムより、リードトラックの先行配信が本日スタート! ご視聴はこちら→ https://t.co/h9gS9iiFRD 【streaming&download】 The lead track from Mari’s new album is available today! #浜田麻里 #Mari_Hamada #TomorrowNeverDies https://t.co/PUlarjXVXD」https://twitter.com/marihd_official/status/1631308407276998658
音楽と人さん「2014年に刊行された樋口豊(BUCK-TICK)の自伝が、増補改訂され、4月12日、新たに発売。タイトルも「ユータ -Dear My Wonderful Fellows-」となり、タワーレコード独占で販売されます。是非ご予約を! 詳細はこちらへ。 https://t.co/W18EUDeS8Z」https://twitter.com/ongaku_to_hito/status/1631107883336187905
Sakura 櫻澤泰徳 Yasunori Sakurazawaさん「NUL.のサポートをIKUOさんとで。 IKUOさんとの演奏は、ソリッド且つ、ダークなNUL.サウンドでは、Rayflower とは異なる感じなるのが面白い。 drum kitのレイアウトも異なっているしね。 NUL.の音楽的世界観はこうぶつですね。 #nul #sakurazawayasunori #pearldrms https://t.co/C3cXTTKoTY」https://twitter.com/sakurazawa/status/1631326248713560065
葉月/HAZUKIさん「20万再生!!! https://t.co/8NPj7TEzWp」https://twitter.com/hazuki_lynch/status/1631304467583729665
Sakura 櫻澤泰徳 Yasunori Sakurazawaさん「色々と手伝ってくれてありがとう。 凄く助かった。」https://twitter.com/sakurazawa/status/1631305095718801410
Sakura 櫻澤泰徳 Yasunori Sakurazawaさん「お疲れ様でした。 そして@hiz0302 誕生日おめでとうございました。 Sakuraさんじゃなくて、Sakuraなっ! なっ‼︎」https://twitter.com/sakurazawa/status/1631312354779762689
路地裏堂さん「【お知らせ】 2023.04.24リリース 唯 2nd MiNi ALBUM 【iroha】 収録曲 5曲目公開 【シャボン】 ■■お楽しみにお楽しみにお楽しみに■■ https://t.co/QhjLctM6yY」https://twitter.com/ROJIURADO/status/1631292155351146496
Suay@2/25(Sat)月の花/YouTube動画投稿しましたさん「noteのメイキング記事、まとめていますので近日公開します。 #note」https://twitter.com/Suay_official/status/1630881965959450624
Suay@2/25(Sat)月の花/YouTube動画投稿しましたさん「You Tube投稿、リツイートやいいねくださったみなさま、ありがとうございます!」https://twitter.com/Suay_official/status/1630881625616809984
藤原ナオヒロ / NO-GATEさん「【Midnight Desert第127回】 こんばんは🌃 2月は驚くほど早く終わってしまって、今日から3月🌸 東京は春らしい陽気に包まれていま��。 僕は年明けから続くNO-GATEのアルバムを制作中。 良いものができそうです。 お楽しみに。 #Spotify #podcast https://t.co/L8xzL7vEVo」https://twitter.com/naohiro_fuji/status/1630888765588901888
SONARたんさん「VSTプラグインの設定から、「起動時にVSTプラグインを検索」のチェックを外すと起動が速くなりますよ!」https://twitter.com/Bot_SONAR/status/1630624536730406912
HOLIDAY! RECORDS おすすめ音楽紹介 & CD屋さん「わたしのおすすめバンドたちです! TENDOUJI TIDAL CLUB ANORAK! w.o.d. DYGL No Buses 浪漫革命 井上杜和 くだらない1日 downt フリージアン ラッキーセベン THE HOLDENS シヴァネコ 幽体コミュニケーションズ Laura day romance Subway Daydream Sundae May Club kiss the gambler Nagakumo」https://twitter.com/holiday_distro/status/1630507711128559618
SONARたんさん「オーディオトラックのインプットモニターボタンをONにすると、インターフェースなどを通してSONARに入ってきた音をリアルタイムに聞くことができます!」https://twitter.com/Bot_SONAR/status/1630760485565132800
kazuya yamaguchiさん「なんか気持ち悪いサムネになってしまったw 【絶対やった方が良いギターの練習 5選!】 忙しくてもできるデイリートレーニングで 指が動きまくる! 難しいフレーズやコードを攻略するための 秘伝のフレーズをタメシビキ! 動画はこちら!👇 https://t.co/lnMB13qRpp https://t.co/sk3RbDm46X」https://twitter.com/kkkzzzyyy/status/1615619972964974592
kyy キー@歌い手・作詞作曲さん「あけましておめでとうございます😍 KICK BACKみんなで演奏してみました! 忌憚なきご意見お待ちしております✨✨ レストインピースまで行こうぜ✌️ https://t.co/0V50GDILhR covered by guitar : Insta→@yu12guitar bass : @taishowmio vocal : kyy #KICKBACK #米津玄師 #chainsawman #歌ってみた」https://twitter.com/music_kyy/status/1612050858971222016
kyy キー@歌い手・作詞作曲さん「KICK BACKみんなで演奏してみたのでよければ聴いてください😆 マキマさんかわいい💕恐れ多くも真似しちゃいました…💦 covered by guitar : Insta→@yu12guitar bass : @taishowmio vocal : kyy #KICKBACK #米津玄師 #chainsawman #歌ってみた #チェンソーマン #マキマ #推し不在さんおいで https://t.co/UeYU7CuiVf」https://twitter.com/music_kyy/status/1613838474632892416
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「押忍!こちら神従者type2023になります!販売中です! 神従者ジャケット type2023ver T-Shirt 4500 ロンT 5500 ��ーカー 7500 ��材が非常に良いです! https://t.co/7UvvYi1l4q こちらから是非! うん、これはキモい!みんなで着たら更にキモい!コスト掛かったな https://t.co/W3YgNgRp4K」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1631494621166710784
astra paradeさん「3rdソング「gypsophila」がAppleMusicやYoutubeMusicなどで配信開始されました!またJOYSOUNDでカラオケ配信も開始されています! https://t.co/ISgfT8X9L8 https://t.co/HQgfpTyP54」https://twitter.com/astra_parade/status/1629474508418727939
KING OFFICIALさん「【NEW OPEN】 海外在住の皆様向けSHOP開始 KING WEB SHOP 【WORLD SITE】 ※海外在住の皆様向け https://t.co/nezFlUv4aj 日本国内在住で、差し支えない皆様は 今まで通りKING WEB SHOPをご利用いただけますと幸いです KING WEB SHOP ※日本国内在住の皆様向け https://t.co/g0BFbTFms4 https://t.co/0rIotMJOSV」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1631505006557040640
SUPER BEAVERさん「【情 報 解 禁 !】 2023年7月30日(日) FUJI ROCK FESTIVAL'23 @新潟県 湯沢町 苗場スキー場 / SUPER BEAVER #フジロック 初 出 演 決 定!!💥 \ 最終日にオンステージ! よろしくお願い致します!! 詳細は▶︎https://t.co/pS9Od6CHqP #fujirock #SUPERBEAVER https://t.co/16b4bnokH0」https://twitter.com/super_beaver/status/1631489688656838657
SEXX GEORGEさん「アメブロを投稿しました。 『おはよう0303ひな祭り(^^)』 #アメブロ https://t.co/RUHAr1CCKQ 女性の日 女性全員��お姫様となります 女性に優しく! とミー太郎♀が申してる気がする 笑顔でガッツリ生きまくりやがりやがれや〜! https://t.co/0lREiPHYzZ」https://twitter.com/abikoshinonkai/status/1631466188743266304
Chirolynさん「いよいよ明日から🔥 Chirolyn Spring Tour 2023 ◆3/4(土)三重 鈴鹿EGG ◆3/5(日)京都 木屋町Bar 1218〜SOLD OUT 三重はまだチケット予約受付中‼️ ワクワクすっぞー😆楽しみでしかねぇ⤴️ 三重&京都で待ってるぜ💋 名古屋と下北沢もソールド間近❗️急げ💨 ◇チケット予約→https://t.co/aaWKHe79Js https://t.co/CLiETLzG3G」https://twitter.com/Chirolyn_1965/status/1631502968402108420
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【 御礼 】
本日(12月11日) 東京・八王子日本閣にて開催されました 【八王子ShortFilm映画祭】 出演作品 『最後の生活』(渡邉 高章監督)
グランプリ・観客賞のダブル受賞!
映画祭運営のみなさま、(ここには書ききれない)関係者のみなさま、ご来場、ご高覧、ご投票いただきましたみなさまに厚く御礼申しあげます。
八王子には親戚がいます。親戚も配信で観ていただいていて、ダブル受賞を喜んでくださいました。 なんと、劇中で親戚が住んでいるマンションがちょこっと映っていたよ! とお伝えいただき、映画が起こした奇跡がひとつ。
そして、映画には映らないお話を少し長くなりますが、よろしければお付き合い(お読み)いただきましたら幸いです。
『サヨナラ、いっさい』の帆貴くんとのふたりでのメインは7年ぶり? 帆貴くんも立派な少年となっていました。 キャストには『川を見に来た』でご一緒した滝沢めぐみさん、本庄司さん、岡田深さん、北林佑基さん、松井美帆さん、『I Forget』でご一緒した笈川健太さん、はじめましての宇佐美紗麗さん、井神紗恵さん。
音楽にはおなじみ押谷沙樹さん。
劇中の小説の表紙写真は『土手と夫婦と幽霊』でもスチールでお世話になった田畑友子さん。
衣装・スタイリングにはこちらも渡邉監督のザンパノシアターにはたびたびお世話になっている鹿児島の古着屋店主のカミフクモトジュンさん。
撮影は今回スチールも担当していて、近作はずっと渡邉さんとタッグを組んでいるアベトモユキさん。
渡邉さんの作品は基本的には馴染みの方が多く、あまりはじめましての方は少ない。 個人的に今回は『川を見に来た』で自分がキャスティングでお願いした方々とこうして再会、共演がうれしかったし、長年の付き合いをたいせつに映画を作る渡邉さんのスタイルが好きだ。 そして、全員と今回お芝居するのは楽しくもあり、緊張もしました。
撮影は主演の帆貴くんの気持ちが途切れてしまうことがあり、正直、難航したことが多々ありました。 限られた時間の中で、もしかしたら撮影が止まり、作品自体が作られず、映画祭への出品ができなくなるかもしれないという予感が強くなっていった。 それでも監督の渡邉さん、美帆さんたちとキャスト、スタッフが一丸となって、少しずつ困難を乗り越えて演じる帆貴くんを見守りました。
クランクアップした時は、いろんな感情が込み上げてきて泣いてしまった。
これはもちろん帆貴くん自身がとても頑張ったのもあるけど、長年の積み重ねがあってのことで、作品が無事に仕上がり、結果、こうして受賞できてうれしかった。
そして、日頃お世話になっている方々や、撮影中だったり、舞台やイベントなどで多忙なときに関わらず、グランプリ・観客賞のダブル受賞を知って、僕に祝福の言葉を贈ってくださった方々、普段はライバルなんだけど、そういうの本当にうれしいです。
審査員のひとりである『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督から表彰されている渡邉監督を画像や動画でいただき、金沢で喜ぶも、 満員の会場、最高の素晴らしい景色をその場で見れずに、それだけは悔やまれました。
今まで地方で細々と活動する俳優として、その前に人として雑な扱いをうけることも多かったし、悔しい思いにつぶされそうなときもありましたが、続けていてよかったと思いました。
あらためて、関係者のみなさま、お世話になったみなさま、この長文を読んでいただきましたみなさまに厚く御礼申しあげます。
そして、帆貴くん、また会おうね。
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【年に1度のユーザー集合イベント!】タイムチケットアワード2023のお知らせ
年に一度、 タイムチケットユーザーの皆様が大集合するイベント 「タイムチケットアワード」が9月2日(土)に開催されます!
全国のユーザーの皆様にご参加いただくため、 今年もオンライン(zoom)開催! 3部構成のイベントを準備しております。
第1部では、 2022年度の販売実績を元に、 成績優秀者100名の皆様を表彰いたします。 タイムチケットのカテゴリー別の優秀者、 さらにその中からグランプリと準グランプリを発表します。 オンラインではありますが、 受賞者の皆様を盛大にお祝いしましょう! タイムチケットで活躍されている方を知ることで、 ご自身の活動のヒントを見つけてみてください。
第2部は、 「運営からの情報共有」。 現在運営が目指していること、 この1年の新しい取り組みについてなどお伝えする予定です。 質疑応答の時間も設けますので、気になることがある方は この機会にぜひ質問してみてください!
そして、第3部として オンライン交流会を実施します。 「参加者同士��話したい、繋がりたい」 「運営に話を聞きたい、意見を伝えたい」 「タイムチケットの使い方を知りたい」 の3つの目的ごとに交流できる場を作ります。 気になる部屋に、自由に参加してみましょう!
年に一度、多くのユーザーの皆様が参加するイベントですので ぜひ奮ってご参加ください!!
イベント詳細
主催:タイムチケット( https://www.timeticket.jp ) 日時:2023年9月2日(土)13:00 - 16:00 オンライン開催 ※途中参加、退場可能 場所:https://zoom.us/j/98376869885?pwd=eHdQUFkrQzE1OENEV3VtYjNqWnBqUT09 (パスコードを求められたら、572490を入力してください) 定員:100名予定 参加費:無料 その他:zoomの使い方マニュアル テックサポートチケットを出している佐藤祐一さんに作成していただきました!
タイムスケジュール
<第一部> 成績優秀者表彰式 13:00 開催挨拶、タイムチケット及び表彰制度の説明 13:10 グランプリ及びカテゴリ別表彰 13:58 今後についてのアナウンス 14:00 休憩
<第二部> 運営からの情報共有 14:10 タイムチケット今後の展開について 14:20 ライバー事務所について 14:30 占い/スピリチュアルカテゴリーについて 14:40 質疑応答 14:50 締めの挨拶 14:52 交流会進め方説明 14:54 休憩
<第三部>交流会 15:00 オンライン交流会 16:00 交流会終了
※やむを得ぬ事情によりスケジュールや内容は変更する可能性がございます。
こんな方にオススメ
タイムチケットで活躍するユーザーについて知りたい方
タイムチケットユーザーとの横のつながりを作りたい方
タイムチケットにチケットを出品しているが、販売数の伸ばし方に悩んでいる方
タイムチケット運営メンバーと話してみたい方
タイムチケットに興味がある方
副業/スキルシェア/起業/フリーランスに興味がある方
注意事項・よくある質問
注意事項
途中参加、途中退場は可能です。
ネットワークビジネスなど勧誘行為を目的の方の参加は禁止させていただきます。当日勧誘行為を発見した場合は、強制退場していただきます。
チケットの内容によって、プレゼン大会に参加できない可能性がございます。予めご了承ください。
よくある質問
Q. 受賞者ではないのですが、参加は可能ですか? A. 可能です。ぜひこの機会にいろんな方と交流してください。
Q.タイムチケットを使ったことがないのですが、参加は可能ですか? A. 可能です。タイムチケットのユーザーさんがたくさん集まるイベントですので、サービスのことなどいろいろ聞いてみてください。
Q.プレゼン大会に参加できないの��どんな時でしょうか? A. チケット内容、過去の活動状況を鑑み、判断させていただきます。
当日は皆様とお会いできることを心より楽しみにしております。ご参加お待ちしております!
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📛 1404 「Idoly Pride」 #1カラ3。
帰宅に滑り込んで 「アイドリープライド」 を観ています。はじめは 「この一歩から (第1話)」 というお話です。5年前、星見高等学校の 眼鏡男子 (学ラン) 牧野航平は、同級生で席が隣同士の 長瀬麻奈 (セーラー服) にアイドルになりたいって相談を受けて “Venusプログラム” がどうのこうという説明を受けながら 社長から アルバイト採用されます。あっという間に時は過ぎ、高校の卒業式を迎え、星見プロに正式に入社した牧野は “第14回 Venusグランプリ” を勝ち上がり、記念すべき決勝戦に挑む 長瀬麻奈を見送るのですけれと、タクシーで会場へ向かう途中、彼女は交通事故に巻き込まれて 星見総合病院に救急搬送されます。
つづいて
この週も滑り込んで 「アイドリープライド」 を観ています。今回は 「ここに立つその理由 (第2話)」 というお話です。前回の終わり、胸がドキドキした 川咲さくらさんは、なんだか格好良い感じのひとと 星見プロダクションの入り口でぶつかります。その娘は 4番の長瀬琴乃さん (長瀬麻奈の妹) でした。ふたりの面接官の前で面接をはじめる 4番の長瀬琴乃さん。前回、牧野航平に取り憑いた 長瀬麻奈は ヒュルルンとどこかへ逃げて行きます。面接の中で “星見プロ 新人発掘オーディション” というプロジェクトを A計劃しているという説明をする牧野。その辺の ぞろぞろとしたアイドルグループではなく ソロを希望する琴乃さん。そんなところへ 「わたしもオーディション受けていいですか!」 と ハルコさんを道連れに 面接部屋に ズガッと飛び込む さくらさん。「この胸が わたしにアイドルになれっていっている」 と、仮面ライダーストロンガーふうな決め台詞を決める さくらさん。そんなさくらさんに ふざけてると琴乃さん。"Venusプログラム" で アイドルとしてのどうのこうのが数値化する世界でアイドルとして��きていくのは スフィアクラブよりも ほんと大変だけれども 「君には何ができる?」 と さくらさんに問う牧野。「うたがうたえますっ」 とさくらさんは アカペラで ♪らららっとうたいだして、周りにいた人々すべてに まるで麻奈ちゃん (姉) が歌ってるみたいだって思わせます。「麻奈の妹と麻奈の歌声を持つ少女か」 と、小山力也さん似の声を持つ 星見プロ社長。翌る日以降の翌る日、星見プロから合格通知書が届いたふたりは とりあえずお知らせに入って貰ってから行動に移ります。お知らせが明け 「琴乃ちゃんのお姉さんってもしかして!」 と さくらさん。そのことについて��� 僕からあとで話すと牧野。それより何より 「君の身体のことでご両親から」 と牧野。さくらさんの身に 何か “三杉淳的” な何かがありさうな そんな予感がしますけれど 「あの時感じた胸の高鳴りを信じているから」 と さくらさん。牧野から お姉さんがアイドルだったことを聞かされて 「アイドルに詳しくなくてもその名前を知っている」 とさくらさん。帰り道、お姉ちゃんを想い 少し長めに回想する琴乃さん。翌る日は “野外トレーニング” ��いうことで こんな場所 (星見駅前) で 歌わさせられます。そこは お姉さんが練習していた場所らしく、すぐさま 通りすがりの人々が 何だなんだと近づいて来ます。そんなところに 「琴乃ちゃん!」 と渚さん。「さくらの歌声、やっぱり似てる」 と琴乃さん。場面は変わり 「前は何かの保養施設だったらしい」 と (星見プロの所属アイドルは 寮生活とのことで) 寮を案内する牧野。案内された さくらさんと琴乃さんは 先に寮生活をされている娘さんたちに出会います。白石姉妹、すずさんと、一人一人の自己紹介ののち 「ひょうどうしずく」 と 兵藤雫さん。「似てるぅ」 と兵藤雫さん。「うーん」 と兵藤雫さん。物置に移された牧野は置いておいて 楽しい寮生活が始まりさうです。
つづけて
滑り込んで 「アイドリープライド」 を観ています。今回は 「誰もが答えを探してる (第3話)」 というお話です。前回の終わり、事務所の寮生活が始まった 長瀬琴乃さんは 「いってきます」 と言って 朝練に向かって帰って来ると テレビの中では、若い女性の間で大人気のアイドル “リズノワール (LizNoir)” を特集しているやうです。そんな中で さくらさんとサキちゃんが 朝食を どうする?って琴乃さんに尋ねます。「どちらでもいい」 と琴乃さんは “さういうの” が とても苦手なやうです。そんな会話の横で テーブルについているふたり、すずちゃんと雫ちゃんは 「あと2時間」 と ぶっ倒れています。眼鏡女子の雫ちゃん。起こされるふたり。場面は変わり 「グループはバランスだ、少しでもぐらつけば あっと言う間に崩壊するぞ」 と 小山力也さん似の社長と牧野が話をしているところに ガチャっと入ってくる若手アイドルたちは レッスンがままならないと牧野にぐらついてきます。「まだ うたもない」 と���野。「それ、わたしも言った」 と雫さん。「うん」 と雫さん。「課題曲は明日までに考えとくよ」 と牧野は若手アイドルらを散会させます。帰り道、親睦会も兼ねてお食事会をしませうかとさくらさん。「う、うう」 と雫さん。「ごめん、まだやることあるから、みんなは楽しんできて」 って行っちゃった琴乃さんは まだやることがあった “自主練” 中に “こんな時間まで” とばったり会った牧野に言われ、その場で話し込みます。「どうしてグループなんですか?」 とストレートに牧野に問う琴乃さん。「Venusプログラムの上位のほとんどがグループ」 と牧野。「3年間見てきてわかった」 と牧野。色々な個性が混じり合って大きな魅力に変わるとかどうとかと言ったあとに、明日から合流する新メンバーがどうのと、さらにグループの人数を増やす気な牧野に あわあわしながら牧野にさよならをして逃げ去る琴乃さん。翌る日、琴乃さんが 「えっ」 って感じの新メンバーは 伊吹渚さんでした。「ないしょで応募した」 と渚さん。「琴乃ちゃんのあんな顔はじめてね」 ってサキさん。「よいしょ」 な雫さんとともに お知らせに入ります。お知らせが明け、渚ちゃんの合流を祝して お菓子とジュースで乾杯した7人は どうして なんてったってアイドルになりたいのか?といった質問にそれぞれが それぞれに答えています。「アイドル、好きだから」 と照れ照れな雫さん。"星降る奇跡" と呼ばれていた姉を持つ妹の話に 「今更」 と雫さん。"マナさまのサイン(額入り)“ を、部屋に取りに行って 皆に見せつける すずさん。「黙っとこ」 っと 大人な雫さんは ケータイの中のマナさまサインをこっそり隠します。「すずちゃんんん」 と雫さん。「琴乃ちゃんは昔から不器用なんだ」 と渚さん。「わたしは さういう性格好きだけどな」 と、さくらさん。翌る日。レッスンの合間、タオルで顔をさっと拭いて ケータイを眺める雫さんらの部屋のおとなりに いきなりのリズノワのふたりが登場します。「さういえば似てる」 と、そんな部屋に飛び込んでしまった 琴乃さんを見ながら 葵さんらは 、どれどれと若手アイドルらのレッスンを見に行きます。「大変なことに!」 とハルコさん。「一度、ぼくと莉央で踊ってみてもいいかな」 と葵さん。「たぶん、できる。リズノワは本物。マナさんとずっと競い合っていたアイドルだから」 と雫さんの言う通り、格好良過ぎて周りを痺れさせるリズノワのふたり。たぶんちゃっかりケータイで撮影してるっぽい、抜かりはない雫さん。「これが、アイドル」 と さくらさん。「これが、アイドル」 と琴乃さん。「んっ」 と帰る葵さん。「あれを超えなきゃトップにはなれない」 とリズノワを "あれ” 呼ばわりな牧野。「えっ!」 「撮った、そのあとのレッスン」 と やはりしっかりばっちり撮っていた 雫さんのケータイを皆で見ながら反省会をはじめます。エンディングは リズノワのうた (“The Last Chance”) でした。
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7/25(日)マルセイユ国際映画祭最終日
私が25日の日記を書き始めようとしてる隣で槻舘さんがどういう流れの日だったかを語り始めて脳内で二重音声みたいになってる。
朝9時にホテル前に集合して川村さん、荒木さんと3人でマルセイユで最後のPCR検査へ。荒木さんも私も上映初日に着たのと同じ服装。前日の3回目の舞台挨拶だけ落ち着いた色味の服にしたり、洗濯も考えての服のローテーションの組み方が一緒。
PCR検査の判定によっては閉会式に出席できなくなるのでやっぱり緊張する。無事に全員陰性でほっとする。荒木さんは3回とも同じ���から検査を受けた。私は毎回ちがう人。長い何かの鼻への挿し入れ方にそれぞれ特徴があって、最後の人は痛みを感じなかった。川村さんは毎回一番ダメージを受けてて心配になる。終えてそのまま今回の会場の中で一番遠いところにある劇場へ。上りの坂道がハードで川村さんが少しずつ遅れていく。振り返って様子を確認しながら進む。前夜に『春原さんのうた』を見てくれた地元フランスのパスカルさんが監督したフレンチ・コンペティション部門の作品を鑑賞。自分の作品を見にきてくれた人の作品はお返しに見にいくという当たり前の礼儀を持つことを槻舘さんは徹底していて、どの人の作品がいつどこでやるかを把握して必ずスケジュールに組み込んでくれる。ありがたい。私はマルセイユ国際映画祭への出品が決まった時点で槻舘さんに現地コーディネーターとしての仕事を依頼してる。カンヌ国際映画祭から直接現地入りしてホテルのチェックインから一緒にいてくれてる。本当に色々助けてくれるので思わずその都度お礼を伝えるけれど、その度に、いえ仕えてますから、雇用されてますからと淡々と返される。その淡々とした返事がかっこいい。パスカルさんの作品は今回の映画祭ではめずらしくカット割りを細かく積み重ねて芝居を見せていく映画だった。フランス語による上映後のQ&Aは聞いてもわからないので退出。川村さんは槻舘さんが紹介する人と会うために一旦別れる。荒木さんと私は劇場前のカフェでそれぞれレモネードとエスプレッソ。フランス語ではレモネードをレモナードと発音する。日曜日は多くのカフェやレストランが休みかドリンクオーダーだけになるとのことで、昼食を食べる場所を探すために海の方に移動する。メリーゴーランドのそばにあるレストランが食事も出してるみたいだったのでテラス席に座る。店主らしき年配の女性がやさしく話しかけてくれる。ワクチン接種はもう済んだのかと聞かれてまだだと答えたら、まじか? 大丈夫か? みたいな顔をした。食事の時はマスクを外すのでレストランやカフェでは必ずテラス席に座ってる。このレストランではめずらしくメニューに英語表記もあったので助かった。荒木さんはステーキ、私はサーモンのクリームパスタを注文。槻舘さんがいつもお店をちゃんと考えてくれてるのが改めてわかる味だった。お互いに塩を自分で振りながら食べた。
ホテルに戻って次の映画の鑑賞の時間までそれぞれ休むことにする。1時間後にホテル前に4人で待ち合わせて先ほどと同じ遠い場所にある劇場へ。フランスで人気のある若手の監督の作品を鑑賞する。マルセイユ国際映画祭に出品されてる映画にはフィルム作品が多い。どうしてフィルムで撮らないのかと聞かれることもある。こういうことがわかるだけでも外に出るのはいいなと思う。今回の映画鑑賞の予定をすべて終える。あとは閉会式だけ。それまでしばらく時間がある。夕飯は何がいいですかと槻舘さんが荒木さんに尋ねる。悩みながら荒木さんが海鮮を希望する。海沿いのブイヤベースで有名なお店まで行くことになる。出てきたブイヤベースはスープだけで十分なくらいにおいしい。パンにバターを塗ってスープに浸して食べるのを薦められてやったらもう本当においしい。大量の生牡蠣や名前のわからない貝や魚やカニやにんじんとじゃがいもの塊がどどんと前に置かれて圧倒される。これは値段がとんでもないことになるのではと思いつつ、最後だからいいと思う。荒木さんのおいしーは正確に発音すると「おい」と「しー」の間に聞こえないくらいの「っ」が入る。「し」もどちらかと言うと「すぃー」。文字表記だけでは再現できないおいしー。閉会式が始まる時間を確認しながら食べつづける。食べきれない。私は胃腸が強くないのでこれまで機会があっても生牡蠣は食べないようにしてたけれど、この日ばかりは食べてみた。閉会式直前のタイミングだけれど覚悟した。こんなにおいしいのか、だからみんな食べるのかとわかった。ビールもワインも飲んですでに酔っ払ってる。マルセイユにいる間は酔っ払ってばかり。閉会式の会場までは歩いて10分だったので、15分前くらいに会計をお願いした。値段はやっぱりすごかった。川村さんがご馳走してくれることになった。これはさすがにすごいのでまた改めてお返しをしないとと思う。お店の人が川村さんのクレジットカードを読み取りの機械に入れて色々といじってるけれど不具合が起きる。カードではなく機械の不具合だと謝りながら別の機械を持ってきて試すけれどうまく処理されない。ちょっとしたトラブルだと思ったら、これはもしかしたらしばらく解決しないかもとわかる。その時点で閉会式開始の7分前。遅刻確定。グロリアさんから槻舘さんに様子を確認するメッセージが届く。会計のことは川村さんと槻舘さんにお任せすることにして荒木さんと私だけ先に向かうことにする。荒木さんがカバンに入れておいた閉会式用の靴にナイキのサンダルから履き替える。小走りと早歩きを組み合わせて向かう。途中、足が痛くなってしまったようで、荒木さんが靴の履き替えのタイミングを間違えたと言ってる。心配になる。汗をかきつつ会場のオデオン座に到着。スタッフの皆さんがこっちだよと案内してくれる。遅刻してごめんなさいと思う。
閉会式の場内に入るとたくさんの人。換気を優先してるためエ��コンの効きが弱くとても暑い。入口からすぐの席にグロリアさんが座っててアイコンタクトを交わす。汗もかいてるし息も切れてるので迷惑をかけないようにと思い一番後ろの方へ。ナタンさんがいたのでその後ろに座る。閉会式がスタート。槻舘さんが一緒にいないからフランス語のスピーチがわからずに場内をただ見渡してる。その後、槻舘さんと川村さんが無事に到着した様子が遠目に見えてほっとする。二人が前方の端の方の席に座るのを確認した。記憶が曖昧だけれど、多分そのタイミング��らいでスクリーンに『春原さんのうた』のスチールとタイトルが大きく映し出される。拍手が起きる。これはどういうこと? と思う。ナタンさんもこちらを振り返って拍手してる。これは? 前に? 出る? ということ? と聞くとそうだとナタンさんが教えてくれる。立ち上がって階段を降りる。ナタンさんも一緒に来てくれる。みんな拍手してくれてる。途中でそれがエールフランス賞(観客賞)だということを何となく把握する。マイクの前に立って私は何を話しただろうか。覚えてるのはまず総合ディレクターのジャン=ピエール・レムさんへのお礼と映画祭スタッフの皆さんへのお礼、あと通訳が本業じゃないのに通訳してくれてるナタンさんへのお礼、その��と『春原さんのうた』メンバーの皆さんへのお礼と、いますぐにこのことを知らせたいけれど日本は深夜の時間で起きちゃうから電話するのは控えるということ、荒木さんの座る方を指し示しながら荒木さんのこと。たぶんちゃんと挨拶できたと思う。賞状を受け取る。受け取ったあとどうすればいいかわからず、様子を見ながら壇上から降りる。席に戻ると槻舘さんと川村さんも後方の席に移動してくれてる。荒木さんに賞状を持ってもらって写真を撮ってすぐに春原さんのグループLINEに送る。そのとき日本では深夜の3時半。プロデューサーの髭野純さん、宣伝の平井万里子さん、キノコヤ店主の黒川由美子さん、スチールの鈴木理絵さんがかろうじて起きてたようで喜んでくれてる。このあとその皆さんも睡眠に入ったと思う。後になって、どうして荒木さんも連れて壇上に行かなかったのかと後悔した。いきなりすぎて焦ってしまった。もし次があったら一緒に行こうと思う。ここからが長かった。高校生が選んだ賞、マルセイユ市民の人たちが選んだ賞、受刑者の人たちが選んだ賞、短編部門の賞、フレンチ・コンペティションの賞の発表がつづく。すごく丁寧に皆さん挨拶するからインターナショナル・コンペティションの賞の発表まで2時間かかった。国際映画祭でもあるけれど、ちゃんと街の映画祭でもある。市民の人たちがうれしそうに壇上で挨拶をする姿を見て気持ちも和んだ。その待っている間のことを少し。
と書いたところで日記の執筆を中断。実はマルセイユ国際映画祭で受賞をしてから、いろんな国の映画関係の人から連絡が届いていて、その返事や状況の整理などに時間がかかってる。『春原さんのうた』に関しては、国内のことはプロデューサーの髭野さん、国外のことは私が担当という役割分担でやってきてる。マルセイユのような映画祭で受賞するとこんなに状況が変わるのかということを実感してる。今はメキシコの人への返事とブラジルの人への相談のメールを送ったところ。この数日で世界中の人たちとメールのやりとりをしてる。事務処理能力を上げたい。
日記再開。待っている間のこと。ホール内が暑いことと、観客賞を受賞したことのうれしさと、これからまだ賞が発表されていくことへの緊張などもあって椅子にただ座ってるのが少し大変になる。槻舘さんが外に行って水を持ってきてくれた。感謝。荒木さんは隣で受け取ったペットボトルの水を一気に飲んでいる。ゆっくり息を吸いたくてホールを出��いくと、後から槻舘さんが追いかけてくる。聞けば、ディレクターのジャン=ピエールさんが、あいつはどこに行ったんだと焦ってたから呼びにきたとのこと。思えばジャン=ピエールさんは場内にいる間も後方の席に座ってこちらをチラチラと見ている。槻舘さんは観客賞を受賞したタイミングで、まずは観客賞を受賞とツイートしている。まずは? と思う。ジャン=ピエールさんはそのあと席を移動するときになぜか川村さんや槻舘さんの肩をグッと抑えたりしたみたい。俳優賞の発表が近づいたタイミングで、水を飲みすぎた荒木さんがどうしてもトイレに行きたくなったとのことで、槻舘さんと一緒に会場を出て行くと、やっぱりジャン=ピエールさんがガタッと席から立ち上がるのが遠くに見えた。これは何か獲るなと感じない方がおかしいくらいの雰囲気があった。でもなるべく考えないようにする。
俳優賞の発表が始まる。私たちも好きだった『JOJO』の主演の男の子が呼ばれて壇上で挨拶。続けて荒木さんの名前が呼ばれた。うれしい。私も後からついていって写真を撮った。槻舘さんも写真を撮ってくれてる。川村さんは動画担当。川村さんは『ドライブ・マイ・カー』のプロデューサーなのに、この期間ですっかり『春原さんのうた』のプロデューサーでもあるんじゃないかと思えるくらいに一緒にいてくれてる。荒木さんは舞台挨拶の時もそうだったけれど、笑顔が溢れてて、荒木さんが話すと場内の空気があたたかくなる。賞状を受け取った荒木さんと一緒にまた席に戻る。続けてインターナショナル・コンペティションのスペシャル・メンションと準グランプリの発表。どちらもこれは好きだなーと思った作品だった。最後にグランプリの発表。審査員長のラヴ・ディアス監督が映画のタイトルを言う前に作品へのコメントを話し始める。その中にジャパニーズ何とかという言葉が聞こえる。それはもう『春原さんのうた』のことでしょう。ああ、本当に獲ったんだと思う。名前を呼ばれて荒木さんと二人で壇上に向かった。ラヴ・ディアス監督がとてもつよくハグしてくれた。他の審査員の方ともハグした。スクリーンに大きく出ているスチールは写真家で私の妻でもある鈴木理絵さんが撮ってくれたものだったので、まずは理絵さんの紹介とお礼への言葉から挨拶を始めた。2時間を超える閉会式で皆さんも疲れてると思ったので、なるべく短く話そうと思った。改めて映画祭スタッフと作品のメンバーの皆さん、これまで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを伝えた。あと恩師の如月小春さんの話もした。
閉会式が終了した。長丁場だったこともあってみんなあっという間に会場を後にした。いくつかある賞のうちの3つも私たちがもらってしまって申し訳ない気持ちもあり、やっぱりうれしい気持ちもあり、今日ばかりは許してと思う。だって、こんなこと初めてだもの。受け取った賞状3枚を荒木さんと二人で持って記念写真を撮ってもらった。槻舘さんは笑顔でこれくらい獲ると思ってましたよと言う。川村さんはこれまで見たことないくらいの笑顔でうれしい、うれしいですね、いやー本当にうれしいと何度も言ってくれてる。ナタンさんとグロリアさんも笑顔。劇場の外に出るといろんな人たちがお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のベン・ラッセル監督も肩を叩いてコングラッチレーションと伝えてくれた。
いつものDJブースのあるパーティー会場へ。やっぱりいろんな人がお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のSantiago Mohar Volkow監督が、また別の映画祭で一緒になろうね、そこでもう一度競いましょうと伝えてくれた。かっこいい。ジャン=ピエールさんを探して、このさき映画を作るたびにあなたのことを思い出します、ありがとうございましたと伝えた。ラヴ・ディアス監督を探して話しかけた。独特の英語で全部はちゃんと聞き取れなかったけれど、あなたの映画は本当にアメイジングだと伝えてくれた。ヒューマニティに溢れてるとも。このさき何があっても、誰にどんなことを言われても、あなたが思うシネマを作って作って作りつづけるんだと繰り返し伝えてくれた。ここまで人から励まされることがあるだろうかと思った。
途中、端っこにいって一息ついたりもした。髭野さんと平井さんから連絡があって、リリースを出すので受賞のコメントを送ってほしいとのこと。30分後が締め切り。こんなときに鬼ですみませんと書いてある。なんとかiPhoneで書こうとするけれど、その間もいろんな人が話しかけてくる。急いで書いて、客観視点をもらうために槻舘さんと荒木さんに読んでもらって、ゴーサインを受けてから送信した。荒木さんはまたダンスの輪の中に入っていった。楽しそうに踊ってる。帰り際にまた一人一人を探して挨拶。フランスの俳優でありプロデューサーでもあるオリヴィエさん。荒木さんがよく一緒に踊ってたおじさん。スピーチをするときに度々一時停止する私の物真似がとても上手。そのオリヴィエさんがプロデュースした作品の監督のギョームさん。讃えあった。ナタンさんとグロリアさんに最後の挨拶。また会いましょうと伝え合う。
荒木さん、槻舘さん、川村さんと私の4人でホテルに戻る。槻舘さんと川村さんは4階、私は6階、荒木さんは8階。エレベーターの扉が開くたびに今日の終わりの挨拶をして別れた。一人になった。たぶん歯磨きだけしてそのまま眠った。
このマルセイユ滞在の間にたくさんの写真を撮った。一番好きな一枚をこの日の日記の最後に。
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📛 104 「Idoly Pride」 #8。
天気予報を気にし過ぎて、傘やらレインコートやらを使わずに持ち帰りしながら ささっと帰宅して 「アイドリープライド」 を観ています。今回は 「君は君のままでいい (第8話)」 というお話です。月のテンペストの披露が終わり、サニピの出番です。「まだ連絡は来ないんですの?」 とすずさん。「ポイントは結構ゲットした、、はず。結果は発表されるまで わからない」 と雫さん。月のもサニピも 「本戦出場決定だ!」 と牧野。そんな頃、TrinityaileとLiznoirがいっしょに記者会見を開いています。「お互い頑張りませう」 と すみれさん。「楽しみにしているよ」 と葵さん。そんなころ 「今度病院の定期検診に付き合って貰えませんか?」 と 牧野に尋ねるさくらさん。と そんなところに「Liznoir!」 と雫さん。琴乃さんに「あなたはナガセマナによく似ているだけ。今のあなたは マナの劣化コピーでしかない」 と いきなりズバッと言い放つ、いつでもどこでもクールなリオリオ。「こっちの話は終わったよ、早く練習しやう」 と葵さん。場面は変わり、ある日の病院、検査を受けるさくらさん。付き添う牧野。地縛霊も来ています。診察室3番へ行く牧野。「今のところ問題はないですね」 と先生。「さくらの心臓なんですけど」 とドナーについて尋ねる牧野。ララァ・スンの導きのやうに、マナが導いてくれたやうな気がすると牧野。お知らせが明け、本戦出場を祝う若手アイドルたち。17才はワインで酔っています。すずさんは お給金をすべて使い果たしてしまったみたいです。牧野のおごりなご馳走を 皆で平らげる若手アイドル。眠ってしまった 17才。そんな17才を寝かせたままにするサニピ娘たち。 「エゴサ中。すずちゃんは特にない」 と雫さん。あ、えっと、とファンの評価を見て黙り込むサニピ娘たち。そんな頃 「これからのスケジュールを組んでみました」 と白石姉。ハード&ヘビーなスケジュールにたじろぐ4人。そんな中、歌声が聞こえて来ます。「たしかに マナさんっぽくは なかった」 と雫さん。「歌い方を変えて見た」 さくらさんに 「少しだけふたりで話をさせて」 と琴乃さん。「いきなり変えてうまくいくの?」 と琴乃さん。「わたしには お姉ちゃんの声は出ない」 と琴乃さん。夜になり 「ちょっと話さない?さくらちゃんと何かあった?」 と渚さん。うつむいた琴乃さんに 「琴乃ちゃんがしたいやうにすればいいと思うよ」 と渚さん。そんなふたりの後ろから こっそり現れる月の三人組。みんなのため、自分たちのためにグランプリを目指すと 月のテンペスターたち。「ありがとう」 と琴乃さん。「わたし、優勝を目指す」 と琴乃さん。月の光をビカビカと浴びる5人。翌る日なのかいつなのか ステージでは "月のテンペスト対クリスタル" の戦いが始まりました。月のテンペストが勝利しました。エンディング曲は 「Daytime Moon」 でした。
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happy Valentine💝は... ❤️児童労働、子どもたちのことを知る ❤️「バレンタイン一揆」映画を見る ❤️チョコ募金をする こどもたちがしあわせになる大きな一歩にする❤️ 💝ACE バレンタインキャンペーン2023👭 https://valentine.acejapan.org 💝 ブラックサンダー(ユーラク)は児童労働をなくす活動に取り組んでつくられてます👭 https://www.yurakuseika.co.jp/shfc/ チョコの裏側にいる 遠い国の子どもたち バレンタインは”搾取”じゃなくて ”サンクス”を贈ろう❤️◡̈♥︎ ☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳ ガーナのカカオ生産地では、77万人もの子どもが過酷な児童労働を強いられています (2020年、シカゴ大学調べ) チョコ募金では、ガーナ・カカオ生産地の子どもたちを危険で有害な児童労働から守り、 学校へ通えるように、 家庭やコミュニティを支援することができます◡̈♥︎ #夢を叶える星よみアロマ #宇宙からのおくりもの #エッセンシャルオイル #地球からのおくりもの #自然#五感#大切な人へ #dōTERRA #ダイヤモンドクラブ1位 #予祝グランプリ #津村 美乃里 #愛 #ホロスコープ #潜在意識 #児童支援#社会貢献 #バレンタイン #チョコ#児童労働#映画#募金 https://www.instagram.com/p/CopCt5DS3rD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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9/22(日)「祝!矢野絢子4タイトル連続release!」
2019/9/22((日))
開場18:00/開演19:00
予約3000円/当日3500円(共に1ドリンク別)
出演:矢野絢子
<矢野絢子>
ピアノとうた。 1979年高知県生まれ。現在も高知在住。 1997年よりライヴオリジナル楽曲をかき、ライヴ活動を始める。 1999年、「ライヴハウス歌小屋の2階」をミュージシャン仲間と共に立ち上げ、 レギュラーミュージシャンとしてライヴ活動 を続ける。
2003年第1回軽井沢ラヴソングアウォードに出場し、グランプリ獲得、 2004年メジャーデビュー。 2004年度ゴールドディ スク新人賞受賞。 2006年に移転オープンした「劇場 歌小屋の2階」を拠点に、全国各地で自由奔放にライヴ活動を行う。
2015年松山を拠点に活動するコンテンポラリーダンスカンパニー「星屑ロケッターズ」とのコラボ「星絢ロケッターズ」 結成。 矢野絢子の歌とピアノに星屑ロケッターズのダンスが融合。愛媛を中心に各地で公演を重ねいずれも盛況を収める。
2016年予てから親睦の深いバンド、ブルームーンカルテットの富永寛之氏g、黄啓傑氏tpとのトリオ「PETER PAUL& 絢子」 を結成。 初の洋楽日本語カバー「SINGS1」をリリース。 自作の詩を乗せて歌う洋楽カバーはライヴでも定評がある。
歌うたい歴20周年を迎えた2017年、 11枚目のオリジナルフルアルバム「ミチスガラ」をリリース。
「うまれた場所でしんでゆく、 そんな草木のような、 当たり前に寄り添えるうたを残したい。」
http://yanojunko.net/
youtube
<予約>
http://esquerita68.jimdo.com/ticket-mail-form/
3日以内にメール返信のない場合は、
電話053-485-9968(14:00~18:00:店休日を除く)にてご確認願います。
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(注)、これは、本編となる別途作成予定ファイルの資料編です。1952年5月1日のメーデー事件から50年以上経った現在も、人民広場における戦闘状況、その前後の様子は、「藪の中」にあります。このファイルは、その真実解明のための第一次資料7篇と解説です。添付地図は4枚とも、『メーデー事件裁判闘争史』にあります。写真9枚は、『昭和史14』(毎日新聞社、1984年、絶版)、『グラフィック昭和史11』(研秀出版、1960年、絶版)、『メーデー事件写真集』(メーデー事件被告団、1967年、絶版)からの複写です。
〔目次〕
1、解説(宮地)
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』 人民広場地図
3、広場の七人が語る〔真相〕
2、資料編
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(関連ファイル) 健一MENUに戻る
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
1、解説(宮地)
〔小目次〕
1、芥川竜之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』
3、広場の七人が語る〔真相〕
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
この小説と、それを原作とした映画は、平安の乱世、都に近い山科の藪の中で、旅の武士が殺された事件をめぐるストーリーです。そして、その経過をめぐって、7人または4人が、それぞれの視点で語る〔真相〕をそのまま描いて、結論を出さないというユニークな構成になっています。
『藪の中』の7人が語る〔真相〕 登場人物は、木樵り(きこり)、旅法師、放免、媼(おうな)、多襄丸(たじょうまる)の白状、清水寺に来れる女の懺悔、巫女の口を借りたる死霊です。
『羅生門』の4人が語る〔真相〕 映画のシナリオは、それらを、多襄丸(三船敏郎)、真砂(京マチ子)、巫女の口を借りた武士(森雅之)、杣売り(そまうり、志村喬)に絞っています
いずれも、一つの事件について、関係者めいめいが主張する〔真相〕通りに、繰り返し描いています。しかし、かんじんなところでは、全員が食い違っています。人間、誰でも自分をかばうエゴイズムから、どこかで嘘をつき、結局、真実はわかりません。私(宮地)は、気に入った映画を繰り返し観るのがくせで、一番多いのは、エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』の7回ですが、『羅生門』も5回観ました。黒澤明のダイナミックな演出や、宮川一夫の微妙な光と影を写し撮る撮影技術には、その都度引き込まれます。
1952年5月1日、サンフランシスコ講和条約発効から3日目、米軍占領終結後初の首都メーデー中央集会が、神宮外苑で開かれました。そこから5つのコースでデモ隊が出発しました。そのうち、日比谷公園で流れ解散する予定の中部・南部コースのデモ隊が、人民広場と呼ばれる皇居前広場に入りました。その広場で起きた事件が、メーデー事件です。
このメーデー事件の〔真相〕については、数百の記事、証言が語ってきました。このファイルは、資料編と解説であり、広場の7人が語る〔真相1~7〕を、結論を出さずに提出します。
2、資料編題名『広場における戦闘』
ただ、資料7篇とはいえ、それらの資料選択をした私(宮地)の価値判断をまったく出さずにおくわけにもいかないので、ここに、本編の骨子一部のみを書きます。この内容は、��ーデー事件の全体像・真実を描くんだとする、大それた意図に基づくものではなく、私が50年後に主張する〔真相8〕に該当します。私自身を、『藪の中』の8人目として登場させるわけです。その視点は、ソ連崩壊後に発掘された朝鮮戦争をめぐるスターリン・毛沢東・金日成らの膨大な秘密暗号電報・公文書(アルヒーフ)データや、50年間で判明してきた後方基地武力かく乱戦争行動実態資料から、メーデー事件を、ソ連共産党・中国共産党の朝鮮戦争参戦軍事命令に完全従属していた日本共産党の広場突入軍事行動という一側面から捉え直すことです。ソ中両党の思惑とアメリカ「軍」・GHQの動向とを合わせて、国際的視野から、メーデー事件を位置づけることです。その詳細は、本編で分析します。
それを分析する上で、まず、メーデー・吹田・大須事件などの武装闘争を実践した主体は、徳田・野坂分派という分裂した共産党の一部なのか、それとも、“統一回復”をした日本共産党そのものなのかを、明確にしておく必要があります。1951年10月初旬、宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」との裁定に屈服しました。国際派とは、スターリン直筆の「コミンフォルム批判」の即時無条件受諾=暴力革命路線への転換と武装闘争即時遂行を強烈に主張したスターリン盲従派だったのです。その国際的隷従体質が、国際派と呼ばれる所以(ゆえん)です。なかでも、宮本顕治のスターリン盲従・崇拝度は、あまりにも極端だったので、中央委員の80%、専従の70%、党員の90%が、彼に反発を抱き、国際派は、まったくの少数分派に転落していました。スターリンは、日本共産党を朝鮮戦争に参戦させ、後方基地武力かく乱戦争行動を展開させるために、もっとも熱烈に自分を信奉してくれている“愛すべき”宮本顕治ら10%少数派を切り捨て、ソ連NKVDスパイ野坂参三と徳田球一らの主流派に軍配を上げたのです。
スターリン崇拝者・宮本顕治は、やむなく、自分の少数分派=全国統一会議を解散し、主流派・軍事委員長の志田重男に、「新綱領(スターリンが直接書いた51年綱領)を認める」との自己批判書を提出しました。彼の屈服により、反徳田5分派はすべて主流派に屈服・復帰し、日本共産党は、“統一回復”をしました。
宮本屈服数日後の1951年10月16日、五全協は、軍事方針をさらに具体化し、武装闘争の実践に踏み出しました。それ以後、1953年7月26日の朝鮮戦争休戦協定成立日までの1年9カ月間の武装闘争とは、まさに、ソ中両党の軍事命令に隷従した“統一回復”日本共産党が、朝鮮戦争に参戦した後方基地武力かく乱戦争行動でした。
『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの動向、宮本顕治のスターリン盲従度
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』たった8字の宮本顕治の自己批判書
人民広場とは、皇居前広場のことで、日本国民は、米軍占領下でも、メーデーなどに40数回使っていました。ところが、吉田内閣とGHQリッジウェイ最高司令官は、スターリン・毛沢東・金日成ら3カ国共産党・労働党が仕掛けた朝鮮侵略戦争が勃発すると、その10カ月後の1951年4月27日、その兵站補給後方基地日本における治安維持のために、人民広場のメーデー使用を禁止しました。よって、それ以来、「人民広場奪還」スローガンは、東京・関東地方における正当な国民的要求になっていたのでした。
一方、アメリカは、日本を反共の永久的な不沈空母基地にするために、占領をやめ、独立させることのほうが上策との東アジア支配・米ソ冷戦戦略に転換しました。そこから、熱い朝鮮戦争最中にもかかわらず、1952年4月28日に向けて、単独講和条約締結の準備を進めました。その日本国内では、ソ中両党が出した朝鮮戦争参戦命令に盲従していた日本共産党の四全協・五全協による武装闘争・軍事方針とその遂行が勃発していました。それだけでなく、北朝鮮系在日朝鮮人45万人と、在日朝鮮人日本共産党員を中心とする祖国防衛隊(祖防隊)が、金日成らによる朝鮮侵略戦争を、祖国解放戦争ととらえて、総決起していました。当時、在日朝鮮人の活動家は、朝鮮労働党ではなく、日本共産党に入党し、共産党中央の民族対策部(民対)の指導下にありました。アメリカ「軍」は、朝鮮半島で、最終的にアメリカ兵3万4千人(アメリカ国防省発表数字)を戦死させる激戦を続けていました。片や、日本経済は、朝鮮戦争特需によって、急速に復興しつつありました。4月28日講和発効後の日本国内治安対策こそ、アメリカの日本占領「軍」と吉田内閣にとって、最重要課題の一つに浮上してきました。なぜなら、まさに、その3日後には、「人民広場奪還」をめざすメーデーが計画されていたからです。政府・警視庁とGHQは、日本共産党が、五全協軍事方針の最大の実践として広場突入軍事行動を決定し、3カ月前から周到に準備し、突入部隊の軍事訓練をしていることを、公安調査や中核自衛隊員・祖防隊員などの中から飼育したスパイ情報によって、刻々とつかんでいました。
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』北朝鮮系在日朝鮮人組織と運動の3段階
1952年4月末時点、朝鮮半島で、朝鮮侵略戦争を遂行しているマルクス主義前衛党「軍」は、朝鮮労働党人民軍10万人、中国共産党人民義勇軍のべ300万人、ソ連共産党空軍のべ1万数千人でした。後方基地にいるソ中両党従属下の日本共産党「軍」は、結成途上でした。それでも、都市部の中核自衛隊500隊1万人、独立遊撃隊、山村工作隊、在日朝鮮人の祖防隊数千人がいました。共産党の軍事指令が浸透する大衆団体には、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組、産別の金属労組、前進座、および、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)などがありました。
朝鮮侵略戦争を遂行中のソ中両党、および、その完全従属下にある日本共産党北京機関と中央軍事委員会にとっても、1952年メーデー「人民広場奪還」作戦こそは、6カ月前に決定した五全協の軍事方針を実行する最初で最大の後方基地武力かく乱戦争行動会戦に浮上したのでした。アメリカGHQ・吉田内閣・警視庁の7つの方面本部部隊数千人と、ソ中両党・徳田野坂の北京機関・日本共産党軍事委員会とは、それぞれ正反対の思惑を秘めて、五全協後の半年間、メーデー人民広場会戦に向けて、戦争作戦準備と戦闘体制を整え、5月1日、デモ隊鎮圧治安行動と広場突入行動とを激突させたのです。これら準備の詳細については、本編ファイルで分析します。
しかし、共産党の戦闘作戦は、敵=政府・警察軍と共産党「軍」だけによる人民広場会戦ではなく、メーデー参加の一般国民を、どれだけ、いかに巻き込むのか、それによって首都東京で革命的情勢をいかに人為的に醸成するのかという戦略目的を持つものでした。言い換えれば、共産党は、講和3日後に50万人が参加するメーデーこそ、共産党による一般人民利用の絶好の舞台であると設定したのです。なぜなら、共産党は、最初から、広場突入作戦を、自分たちの共産党「軍」だけでやり、警視庁の7つの方面本部部隊数千人との戦闘をやる意図・計画などをまるで持っていなかったからです。
5月1日の人民広場における戦闘の参加者と、その比率を確認します。
第一、共産党系大衆団体を合わせた日本共産党「軍」数千人
中核となる共産党員部隊は、中核自衛隊、独立遊撃隊、山村工作隊、祖防隊です。党中央軍事委員会が、馬場先門を突入入口とする中部デモ隊に配備した大衆団体は、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員、前進座などでした。そして、祝田橋を第2の突入入口とする南部デモ隊の先頭には、一般国民を広場突入に誘導する目的で、産別の金属労組、都学連一部、北朝鮮系在日朝鮮人組織の民戦2000人を配備しました。さらに、前進座には、陣太鼓10個以上を持ち込ませ、その鳴らし方で、広場突入または一時後退の合図とする指令を、各中核部隊に周知徹底させていました。前進座陣太鼓の後に設置した、広場突入指令のメーデー会場内秘密共産党本部には、東京都内5地区・三多摩地区軍事委員会から、各数名づつの軍事レポ要員(各戦闘部隊への連絡員)を配備しました。表にでる本部代表には、岩田英一を任命しました。
桜田門 二重橋
馬場先門
第二、人民広場に入った中部・南部コースのデモ一般参加者2万数千人
中央メーデー大会参加者は、50万人でした。デモ5コース中、日比谷公園で流れ解散予定の中部・南部コースのデモ一般参加者は、十数万人です。彼らは、東京地裁の使用許可決定が出ているのに、なお人民広場を使用させない政府の対応に怒りを持ち、人民広場奪還の要求を正当と認めつつも、大会実行委員会による抗議声明と広場進入をしないという決定に賛成していました。実力で、広場突入をすべきと考えた一般参加者は、日本共産党「軍」数千人を除けば、ほとんどいなかったでしょう。ましてや、彼らは、軍事委員会の広場突入作戦計画の存在などまったく知りませんでした。共産党の扇動・誘導部隊が突入したので、かつ、馬場先門・祝田橋において、警察が阻止行動を謀略的にほとんど行なわなかったので、自然発生的に人民広場に入ったというのが、一般参加者2万数千人の実態です。よって、警視庁の7つの方面本部予備隊が、警棒・催涙弾・ピストルで、3次にわたる違法な先制襲撃をしてくるなどとは、予想もしていませんでした。その激戦になることを予想し、準備していたのは、日本共産党「軍」数千人だけでした。ただ、違法な襲撃を受けた一般参加者が、それに怒って、投石・プラカードなどで反撃したのは、当然で、正当防衛の行為といえます。
第三、政府「軍」=警視庁7つの方面本部予備隊4100人
中部コースからの全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員が、馬場先門から突入しようとしたとき、馬場先門の阻止線に配備されていた警察隊は、450人でした。祝田橋阻止線の警察隊も120人でした。二重橋前の本部でも、210人でした。不思議なことに、馬場先門の警察隊長は、警視庁本部から「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通せ」との命令を受けていました。その裁判証言どおり、彼らは、若干の小競り合いを演技しただけで、さっと左右脇に引き下がって、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員らを、人民広場に“逆誘導”したのです。祝田橋でもほぼ同じでした。
中部コース隊が、人民広場に入っていった時点で、警視庁は、第3の桜田門から、続々と警視庁第2~第7方面本部予備隊を、広場に投入しました。全体で4千人以上の警視庁予備隊・約28個中隊は、警棒・催涙弾・ピストルなどで、完全武装していました。予備隊とは、現在の警察機動隊のことで、7つの方面本部は、この時すでに、その下に各4個中隊の首都治安維持・デモ鎮圧目的の機動隊を結成・配備していました。そして、警視庁本部の襲撃命令に基づいて、3次にわたる違法な先制攻撃という戦闘を遂行しました。そこでの攻撃対象は、日本共産党「軍」部隊と一般国民との区別をまるでしません。それは、まさに、警察側の全武器を使った無差別テロ襲撃でした。
政府・警視庁の意図・目的を露骨に示した証言があります。それは、田中栄一警視総監が、事件の翌日5月2日、東京都議会で行なった報告です(『メーデー事件裁判闘争史』闘争史編集委員会、1982年、P.173)。「各署それぞれ自己の勢力によって自衛体勢をとるということを建前にいたしまして、予備隊その他メーデーに直接関係のある、あるいは出発地、あるいは開催地などの署員を合算いたしまして、大体四千百名の勢力によってこの五つのメーデーを取締りするという計画を立てたのであります。そして皇居前広場にこれを導入いたしまして、やがてこの五つのメーデーが逐次解散をするとともに勢力を引き上げまして皇居広場にこれを注入いたしまして、そしてこの大集団を処理するという予定を立てておったのであります。ところがこのメーデーの行進がきわめて迅速であり、またそうしたために勢力を集中することが時間的に若干ずれが生じました」。
これは、政府・警視庁の意図と具体的な広場戦闘作戦が、「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通」し、「皇居前広場にこれを導入」し、「四千百名の勢力を、順��、皇居前広場に注入」し、「この大集団を処理するという予定」だったことを、翌日、誇らしげに報告したものです。彼らは、共産党「軍」の明白な朝鮮戦争後方基地武力かく乱戦争行動の目的とは別個に、講和条約発効3日後のメーデーにおいて、人民広場突入会戦を仕掛けた側を、わざと皇居前広場に導入しておいてから、完全武装の警視庁「軍」の3次にわたる先制攻撃によって、無差別の集団処理をし、それを通じて、日共の戦争犯罪を国民の前に暴露し、同時に、日本の治安体制を、独立3日目から一挙に打ち立てようという壮大な目的に基づく人民広場会戦にしたのです。
彼らは、警視庁本部に刻々と入る公安・スパイ情報を分析しながら、共産党「軍」が広場突入軍事作戦を決行してくれることを逆手にとり、首都の治安確立をし、かつ、警察予備隊=機動隊28個中隊に暴徒鎮圧大戦闘を初めて実体験させる上で、願ってもないような絶好のチャンス到来であるとして、待ち構えていたのでした。
さらにもう一歩踏み込んだ別の言い方をすれば、日本共産党「軍」は、広場突入会戦において、一枚上手の政府「軍」のわなに見事にひっかかったといえます。なぜなら、メーデー事件の全経過を見ると、政府・警視庁は、警視庁隊4100人を待ち伏せさせ、共産党「軍」を、2つの門の阻止線を空にして、人民広場に突入させるという逆誘導をしておいてから、解散警告なしに警棒を使った第一次先制襲撃をしたのです。そして、桜田門側から続々と注入した新武装部隊による催涙弾・ピストルを使った第二次包囲殲滅・広場追い出し襲撃に移行し、さらには広場外へも大追撃戦を展開して、大量逮捕の第三次掃討戦闘を遂行するという、3段階にわたる緻密な戦闘作戦を、事前に持っていたと推定できるからです。
それにたいして、志田ら共産党軍事委員会は、広場突入後の敵の出方、敵「軍」が3段階にわたって、日共「軍」殲滅作戦をするのではないかという想定をまるでしないままで、一般国民2万数千人を、“自分たちの戦争”の道連れにしたのではないかと推定できます。
戦争において、敵「軍」の侵略・突入作戦計画を事前に十分知りつつ、敵「軍」をして、先に戦争を仕掛けさせておき、国際・国内世論を味方につけ、それから、完璧な戦争システムで“正義の反撃戦争”に進むという手口は、アメリカ「軍」が得意とする常套手段です。第1のケースは、日本海軍によるパールハーバー突入・奇襲攻撃です。ルーズヴェルトが、日本「軍」の暗号電報解読などで事前に知っていて、突入をやらせ、「Remember Pearl harbor!」で、アメリカ世論を参戦に転換させる謀略作戦をとったということは、今や常識に近いでしょう。第2ケースは、スターリン・毛沢東・金日成の共謀による朝鮮人民「軍」10万人の38度線突破侵略戦争です。トルーマン・マッカーサーが事前にその情報を得ていて、先に侵略をやらせたことについては、萩原遼が『朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀』(文芸春秋社)で、アメリカ側データの分析により、完璧に論証しました。
メーデー事件当日は、朝鮮戦争の真っ最中であり、かつ、3日前まで、アメリカ「軍」が日本を軍事占領していました。吉田内閣・警視庁だけでなく、GHQも、アメリカ「軍」がたたかって、5万人ものアメリカ兵が最終的に戦死した激戦状況において、日本共産党「軍」の広場突入作戦が、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動であり、かつ、それは、ソ連共産党・中国共産党による日本共産党への軍事命令に基づく一大会戦の性格を持つことを認識していました。そもそも、敗戦後40数回も使用してきた人民広場を、朝鮮戦争勃発の10カ月後に、使用禁止の占領軍命令を出したのは、GHQです。GHQは、人民広場使用または突入の政治的軍事的意味を、もっとも正確に理解していました。したがって、このメーデー事件めぐる動向は、アメリカ「軍」の常套手段としての第3のケースになるというのが、国際的視野から見た私(宮地)の見解です。この事件の背景には、GHQと政府・警視庁トップらによる、朝鮮戦争がらみの共同謀議が、メーデー当日前に成立していたと判断できます。
占領・行政・反乱鎮圧体験を豊富に持つ米日権力「軍」にたいして、日本共産党「軍」は、ソ中両党の完全従属下にあり、敗戦7年後で戦争拒絶の国民意識を自主的に分析する能力に欠け、中国共産党「劉少奇テーゼ」という植民地型の人民解放戦争スタイルを、発達した資本主義国日本でやれとの毛沢東・劉少奇の軍事命令に盲従した軍事方針で立ち向かったのです。人民広場における武器量・武装力の違いだけでなく、広場突入会戦の戦略・事前作戦計画・相手方の情報収集戦の段階から、共産党「軍」は、敵の出方のわなにはめられていたといえます。メーデー事件に関するGHQレポートが、アメリカ政府・国防省に送られ、保管されているはずです。それが発掘されれば、『藪の中』の真実解明に一歩近づくでしょう。
3、広場の七人が語る〔真相〕
以下の七人(組織)以外に、マスコミ報道、映像、メーデー参加者の発言、裁判における検察側・弁護側証人の証言、第一審・二審判決文という資料が膨大にあります。それらの内容は、概況的なものから、各個人の断片的な体験記など、それぞれ数百人が語る〔真相〕です。その中から、このファイルでは、広場の七人が語る概況的な〔真相〕のみを、資料編として抽出します。
ただ、芥川龍之介も黒澤明も、各自が主張する〔真相〕のうち、いずれが「真実」なのかを結論づけず、多面的な視点をそのまま提出して、小説・映画を終えています。『羅生門』の視点は、日本国内上映当時、不評でした。それにもかかわらず、ヨーロッパ近代個人主義の風土において、1951年、ベニス国際映画祭グランプリをとったのは、各自が主張する〔真相〕と、事件の「真実」とは異なり、真実は『藪の中』にあり、そのいずれかを絶対的真理と断定することを拒絶するという相対化思考がありました。メーデー事件は、この受賞の8カ月後でした。
私(宮地)も、メーデー事件から50年以上を経過した現在、別ファイルの本編において、〔真相8〕宮地健一『メーデー事件における広場突入軍事行動―志田・宮本が隠蔽した裏側の真相』を書いて、藪の中の「真実」解明の一員に参加する予定です。
2、資料編
〔小目次〕
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他
(注とコメント)、これは、共産党中央委員会発行の非合法機関誌『国民評論40号』(1952年7月1日)に、軍事委員���ンバーが、ペンネーム大橋茂で発表した論文です。この全文を捜しましたが、私(宮地)の手元にまだありません。よって、大井廣介『左翼天皇制』(ぺりかん社、1976年、絶版)に載っている抜粋文(P.104~108)の全文を転載します。他1篇は、同じく、非合法機関誌『組織者11号』(1952年6月1日)に発表された論文の一部で、大井著書(P.108)にあります。この論文は、日本共産党が、広場突入を、まさに人民広場戦争と位置づけていたことを示す証拠文書であり、その内容は、共産党「軍」側が描いた広場突入会戦の生々しい戦記レポートといえます。
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『メーデー事件の軍事的教訓』 『国民評論40号』
中核自衛隊、行動隊による宣伝は会場内の空気を変え、全大衆を人民広場へみちびく雰囲気をつくりあげた。……このメーデー事件の全体をつうじて行動隊の宣伝活動がひじょうに大きな役割をはたしている。(中略)
○時四十分にデモがはじまった。中核自衛隊、行動隊等は大衆を人民広場へ導くために全力をつくした。日比谷にむかう南部、中部デモ隊のほかに、渋谷にむかう西部デモ隊は七千が渋谷へ、一万二千が人民広場へむかった。北部でも、愛労に指導され新宿にむかうものと人民広場へむかうものとに別れた。……デモ隊はアメ公帰れ、吉田を倒せ、戦争反対等のスローガンを叫び、自由党本部前では石を投げて攻撃し、パトロールカー、首相官邸前交番等へも石による攻撃を行い、革命的に行動した。(中略)
この大衆の人民広場への行動を弾圧するために、敵は周到な計画を立てていた。かれらは日比谷交叉点、GHQ前、丸ノ内署前に、丸ノ内署長の指揮する約三百名の警官を待機させ、馬場先門には三田署長の指揮する水上中隊、祝田橋入口には高輪中隊、桜田門には小田小隊等総数二百をあて、そのほか第一方面予備隊三箇中隊を出動させていた。それらの部隊ではデモ隊をそ止しえないことは明らかである。
かれらの計画は、この少数の警備隊によって、デモ隊を人民広場の中央にゆう動し、ここで包囲攻撃をすることにあった。かれらはそのために、第三方面予備隊四箇中隊、第四方面予備隊四箇中隊、第五方面予備隊四箇中隊、第六方面予備隊四箇中隊、第七方面予備隊三箇中隊を人民広場の周辺に待機させていた。しかも、これらの部隊には、ガス班長の指揮する約十名単位のガス班も数十組も組織していた。
デモ隊は、二時二十分頃日比谷交叉点および馬場先門で警官隊と小ぜりあいを行ない、この警官網を突破して馬場先門から二重橋前に到着した。ここで大衆は万歳を叫びアカハタをたてた。大衆は大会を開き、解散する準備をはじめていた。ところが、敵は皇居警護官約百名、第一方面予備隊三箇中隊、三田署部隊約二百名の他に、さらに第七方面三箇中隊を増強し、これを一つに集中した。かれらは乱暴にもコン棒をふるって攻撃を開始した。大衆はこれを二重橋前に押しつめた。敵と味方の間隔は数米しかない状態だった。
この対峠したなかで、デモ隊から「さがれ」という号令を叫ぶものがあった。大衆はうねるようにしてさがった。官憲は前進してきた。すると大衆は、これを引きずりこみ、プラカード等で攻撃を加えた。あわてた敵の指揮官は「警官隊さがれ」と叫ぶ、敵が後退する。デモ隊はふたたび包囲環を縮めた。このような前進と後退が数回くり返された。そのたびに敵は打撃を受けた。これはまったく創意的な戦術だった。
しかし、この時期は戦術的にはもっとも重要な時だった。敵の兵力は約九百、味方の行動実勢力は約五千とみられる。しかも敵は動揺し、味方の志気はたかかった。したがって、ここで集中した敵の力を分散させ、これを個別的に攻撃することは可能だった。ところが、この有利な条件を戦術的に運用することがなされなかった。弱い敵の集中にたいし、味方の体制も密集体形から変化させることができなかった。この結果敵はだいたい八十名よりなる一箇中隊を単位に最後まで組織的に行動することができた。かれらは全滅する条件にさらされ、指揮官自身があわてて発砲するようななかで、部隊として大きな被害を受けなかったのである。
いま一つ味方の弱点は、全体がデモ隊のなかに解消し、予備行動のための強固な��撃部隊を組織していなかったことである。このために、敵の弱点を機動的に集中的に攻撃することができず、また敵の増強部隊にたいしてそなえることができなかった。
包囲された敵は、不法にも拳銃を発射し、ガス弾を使用した。第一方面の長岡第二、永井第四部隊が攻撃の主力になっていた。かれらはこの時五十発のピストルと六十八個のガス弾を使っている。デモ隊は勇敢にもガス弾を投げ返し、敵に損害をあたえたが、全体としては相当の犠牲を受け後退した。この後退した場合も敵を引きこみ、包囲することは可能だったが、密集体形のまま祝田橋通りを挟んで敵と対時した。この戦闘において味方の弱点は味方の部隊を大きく動員し、敵を包囲する体制に指揮することができなかったことである。
この対峠したなかで、デモ隊は敵にたいして、「お前達は何しに来たのか」「泥棒をつかまえろ」「アメ公の番犬」「どちらが悪いか考えてみろ」「税金つぶし」などと叫んで攻撃を加え、敵にたいする憎しみをバク発させていた。敵がコン棒を振るとデモ隊は石を投げて攻撃した。敵のなかからも「片っぱしからつかまえろ」「あいつをやれ」など号令をかけてきた。とくに、四十歳位の頭髪の薄い指揮官が六尺棒を振って大衆をなぐりながら指揮していた。見物している者もこの官憲の残酷さにあきれ、全体がデモ隊を支持していた。見物の大衆のなかから官憲にたいしてバ声や石つぶてが飛んでいた。先遣デモ隊は人民広場に入ってからこの時まで約一時間にわたって勇敢に闘い抜いたのである。このことは国民武装の可能性を事実によって示した。(中略)
先遣デモ隊がガス弾ピストルの攻撃を受け、祝田橋通りへ後退しつつある時、中核自衛隊の一部は後続デモ隊に急を知らせるために走った。後続デモ隊でも「人民広場へ」「仲間を孤立させるな」が大衆の声となった。社会民主主義者はこの大衆を押え先頭の速力をおとして先遣デモ隊を孤立させようとした。しかし大衆はかれらをツルシあげながら三時二十五分頃から続々と祝田橋を渡り人民広場へ入った。広場の大衆は熱狂してこれをむかえた。新しい部隊を加えてデモ隊は馬場先門通りをはさんで大きく二つの群に別れた。この時、敵もまた増強しつつあった。先ず第六、第七、第三各方面予備隊七箇中隊が桜田門より入り、第一方面予備隊と合流した。大衆は再び体勢を整え、風上へ風上へと向いながら二つの群が一つとなり敵を二重橋前に圧迫した。これによってデモ隊は第二の勝利をかちとった。この闘争の中で最も重要と思われる時機をつかんだのである。しかし、誰も敵を圧迫した重要なこの時に更に何を行なうべきかを大衆に示すことが出来なかった。デモ隊を指揮していた人々も、この瞬間に何をやるのか決断がつかず躊躇した。従って、大衆の意志と行動を一つの方向にむけることができなかった。この結果大きな戦術的な行動を組織する機会はにげ去ってしまったのである。
この時敵の兵力は、予備隊十五箇中隊を主力とする約千五百、味方は敢闘して結集しているもの約一万、同調的なもの約二万合計三万とみられる。従ってここで開いながら革命的な大会を持ち、解散することも不可能でないし、これを妨害し、攻撃する敵を第一回に敵を圧迫した時と同じように分断して攻撃することも可能であった。ところがこの大きな機会を失ない味方を守勢に立たす危険に陥ったのである。この闘争全体を通じてこの高揚した大衆を指導する能力と体制に欠けていた。これが決定的な弱点であった。この弱点をすくったのは、大衆の革命的な行動であった。敵は、再びガス弾とピストルでもって攻撃を開始した。中核自衛隊を中心とする大衆は、この攻撃に勇敢に抵抗した。石、プラカード、旗竿等を武器にして、敵を引きこんではこれを打ちのめし、反撃しては敵に打撃を与えた。敵も味方もここで大きな犠牲を出した。この闘いの中で見物に集まった大衆の数は数万に及び、益々増えつつあった。この大衆もデモ隊に声援を送った。
敵は祝田橋を占拠し、大衆とデモ隊を断ち切り、デモ隊を包囲する作戦であった。そのための行動が数回にわたってくり返された。しかし、これは成功しなかった。この包囲をゆるさなかったのは、デモ隊の勇敢な攻撃力と祝田橋から馬場先門に及ぶ見物している大衆の圧力であった。デモ隊は敵のピストルと闘いながら祝田橋通りを通り抜けようとする占領軍の車輌にもしばしば攻撃を加えた。味方は一つの密集部隊として攻撃しているのに対して敵は一箇中隊を単位として行動していた。このことは敵の弱勢を補った。この戦闘中に敵は更に第三方面四箇中隊、第四方面四箇中隊、第五方面四箇中隊、その他参議院警備中の予備隊等約十三箇中隊を増強した。その他四時過ぎには、各署から召集されたもの約二千名が加わった。この部隊を大きく横隊に組み両翼と中央の三方面から圧迫を加えてきた。大衆は、これを三回はね返した。
四時十五分頃デモ隊から流れでた一部が、日比谷公園側で占領軍の乗用車を襲い、これに火をつけた。これは、人民広場事件の政治的な性格を最もあざやかに示したものであり、大きな意義ある出来事だった。しかもこれは人民広場の中で闘っているデモ隊にとって行動の新しい方向を示したことになった。敵の圧迫によって、デモ隊の一部は祝田橋から電車通りへ退却した。これに続いて全デモ隊が見物の大衆に擁護されながら馬場先門と祝田橋から街頭に流れ出た。敵は残虐にもこの後退するデモ隊を背後からねらい打ちにした。特に見物の少い馬場先門寄りで最も残虐な攻撃を加えた。このためデモ隊には多くの犠牲者が出た。
占領軍の乗用車を焼きはらった経験は、すぐ一般化した。大衆は十五人位が一組にたり、次々と車を倒し、流れるガソリンに火をつけた。このため祝田橋から日比谷までの間に、米軍の自動車十三輌、警察の白バイ一台が焼きはらわれた。この事件の全体で八十三輌の事輌を襲撃している。もえあがる車輌を消火するために、丸ノ内、有楽町、永田町をはじめ各消防署から二十台の消防車と米国消防隊三隊が出動した。しかし大衆はこれを妨害し、ほとんど到着させなかった。デモ隊は丸ノ内一八二中隊の消防車を破壊し、中崎署長、長井司令補等十名をた��きのめした。有楽町一八二中隊のホースはほりに投げこみ、五中隊のホースは切断した。
この人民広場の事件で、敵は危篤四名・重傷七三名・軽傷七四三名・占領軍の負傷者四名と発表している。味方の死者、負傷者等正確な数字はわからないが千名近くにおよんでいる。この大闘争の中で国民救援会は大きな役割を果した。救援会救護班のトラックは、プラカードを立てて、ガス弾とピストルの飛ぶ中で負傷者を収容し、病院にはこんだ。見物の大衆は、カンパを行なってこの救援活動を援けた。
街頭に流れ出たデモ隊の一部は、日比谷公園や三信ビルの横に結集し、ここで小さなしかし鋭い闘いをくり返した。それは夜八時過ぎまでつづいた。(中略)
米帝と吉田の一味共は、この事件によって新しい敗北をなめた。これは全世界の平和勢力を勇気づけ、新しい国際的な実力闘争のノロシになろうとしている。日本の労働者階級は、この闘争によって、勝利の確信を固め、武装行動を目指す実力闘争を前進させつつある。この実力闘争、武装行動に守られ、広汎な国民の民族解放民主統一戦線は前進しつつある。われわれは、この闘争をいろんな角度から分析し、戦術的にも幾多の教訓をくみださねばならない。それによって発展しつつある闘争に役立てることが必要である。
『人民広場を血で染めた偉大なる愛国闘争について』 『組織者11号』
日比谷公園の市街遊撃戦は前後三時間に亘って行われた。敵はジリジリと押してき、遂にその一角をすて日比谷映画附近から有楽町に至り、解散後も全都的に行われたものである。この闘争では、完全に敵をホンローした。敵はつかめないデモ隊に極度に神経を疲らせ、日比谷では映画見物帰りのアベック二組がなぐり倒され、中年婦人が意識不明に陥り、大衆の罵倒の的となった。(中略)
当夜デモ隊側でつかんだ彼我の損害は次の通り、
警官死亡三(うち一名は丸の内久保次席)重傷二八、負傷五三。堀へ投げこまれたもの六。ブル新カメラマン一名のばさる。
アメ兵、水兵二名、GI一、ガード一、堀へ投げこまる。高級車炎上十台、日比谷~馬場先門~都庁前のもの軒なみガラス破カイ。アメ公大型バスガラス破カイ(三台)。
自由党本部、明治ビルガラス破カイ。
デモ隊側死亡-都庁高橋正夫氏、東大一、法大一、をふくむ五名。うち一名はMPに射殺(当夜国救しらべ)。負傷者約三〇〇名(重傷多数を含む)。
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他
(注とコメント)、これは、警察庁警備局『戦後主要左翼事件・回想』(1967年、絶版)に載っている17事件の一つの「メーデー事件の概要」全文(P.132~134)です。別に、回想として、警察官3人の手記があります。それらの内容は、広場にいた警察官側からのメーデー事件です。共産党「軍」側から見れば、警視庁「軍」は敵であり、警察側から見れば、共産党「軍」と一般参加者は暴徒となります。他一篇は、警察文化協会『戦後事件史』(1982年、絶版)第7章「日本の独立―破防法の成立」にある「血のメーデー・検察側の見解」(P.362~367)です。
ただ、警視庁・東京地検側の『メーデー騒擾事件の総括』に関する極秘文書があり、そこには、メーデー事件裁判でも隠蔽した詳細なデータや、公安・スパイ情報が含まれているはずですが、現在まで、外部に漏れていません。これが、発見されれば、『藪の中』の「真実」にぐっと近づくのですが。というのも、『吹田・枚方事件の総括』に関する大阪府警・大阪地検の極秘文書が漏れ出て、枚方事件被告の脇田憲一が入手し、その秘密データも含めて、『吹田・枚方事件』を執筆・出版する予定になっているからです。
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『皇居前メーデー騒擾事件』
昭和二十七年のメーデーは、日米講和条約発効後初めてのメーデーであったが、当時は、破壊活動防止法反対闘争直後のことであり、また、朝鮮人団体は出入国管理法実に強く反対していたなどの情勢に加えて、厚生省が皇居前広場の使用を禁止したことなどもあって、革新系諸団体の気勢が大いにあがっていた。
大会は、午前十時三十分より明治神宮外苑において約一五万が参加して行なわれ、午後零時十分閉会、ついで五コースに分かれて会場を出発し、デモ行進に移った。当初、北部コースに編入されていた日本共産党員、学生、朝鮮人ら約三、〇〇〇人は、デモ出発の直前、急にコースを変更し、日比谷を解散地とする中部コースに加わってその先頭に立ち、途中、各所で投石やジグザグ行進などを行なって日比谷公園にはいった。
その後、この梯団は、気勢をあげながら皇居前広場をめざして不法デモに移り、これを阻止しようとした警察部隊に対し、竹槍(やり)、こん棒をふるって阻止線を突破し、さらにGHQ(連合軍総司令部)前で自動車一九台を破壊するなど、暴徒と化し、一気に皇居前広場に殺到した。さらに、三々五々、皇居前広場にはいった者もこれに合流し、暴徒の数は約四、〇〇〇人に達した。
午後二時三十五分ごろ、各所に配備されていた警察部隊は、急拠、二重橋前に転進集結し排除に当たったが、暴徒は、激しい投石を浴びせ、竹槍、こん棒などをふるって部隊に突入し、ついにけん銃を強奪するという事件にまで発展した。このような状況から警察側は、催涙ガスを使用するなどしてこれが鎮圧に当たり、遭遇戦さながらの状況を呈するに至ったが、暴徒の圧倒的勢力に押され、警察官に多数の重傷者が続出したため、やむを得ずけん銃を発射してこれを威嚇し、午後二時五十五分ごろ、一応、祝田橋通りまで制圧した。
一方、同時刻ごろ、南部コースの先頭梯団にいた朝鮮人約二、〇〇〇人が、日比谷公園から皇居前広場へ向って殺到し、祝田橋でこれが阻止に当たった警察部隊四八人全員に重軽傷を負わせてこれを突破し、さきの暴徒と合流した。このため、暴徒の数は七、〇〇〇から八、〇〇〇人となった。膨張した暴徒は、ますます気勢をあげ、竹槍を構えた朝鮮人約二〇〇〇人を先頭に激しく投石を加えながら攻撃をかけてきたので、警察部隊は、再度、催涙ガスを使用して、一せいに前進、制圧を加え、彼我(ひが)入り乱れて激しい攻防を展開し、ついに午後四時十五分ごろ暴徒を皇居前広場から排除した。
排除された暴徒は、付近に駐車中の外国自動車および警���車両十数台を次々に破壊、または放火炎上させ、日比谷公園内外および有楽町駅付近、馬場先門外等の各所において小部隊の警察官を襲い、重軽傷を負わせるなどの残忍な暴力を振るい荒れ狂ったが、午後七時ごろに至ってようやく平穏に復した。
メーデー騒擾事件における被疑者の逮捕は六九三人にのぼったが、一方、警察官も八三二人が負傷(生命危篤八、重傷七一、軽傷七五三)したのである。
『血のメーデー』 検察側の見解
計画的に会場から 先鋭分子が誘導 秘密会議で決定
皇居前事件について佐藤検事総長は、「デモ隊がコン棒その他をもっていた点などからみて、一部のものの計画的犯行だと思う」むねを語っているが、検察当局はこの事件を左翼先鋭分子の仕組んだ“計画的暴行事件”の色彩が強いとみている。ではデモ隊の一部はどのようにして“デモ終点”の日比谷公園から皇居前広場へ誘導されたか――以下は当局の調べ、目撃者の話などから総合したそのいきさつである。
○警視庁の情報では、今回の事件は去る二十九日、東京工大内で日共系先鋭分子により秘密のうちに決定された予定の行動だという。それによると、同日午前十一時から午後六時の間に同大地下食堂で日共系青年祖国戦線の主催により「反戦権利擁護労働青年全国会議」が開かれ全学連、祖防隊、民青など四十四団隊、七十五名が集って「人民広場を労働者の実力をもって奪取しよう」との決議を行い、全国の日共系先鋭組合と各種団体に指令したという。
○この指令を裏書きするように、この日、外苑の中央会場では午前十一時半すぎ、組合代表の演説が後二、三人で終ろうとするころ、共産系組合員、全学連、日傭労務者とみられる一群の約二百名が中央ステージに殺到「人民広場へ行こう」と騒ぎはじめた。重盛議長が「この度は統一メーデーだから統一的行動をしよう」と説得に努めたが、聞き入れられず、演壇は一時、この一群の人たちに奪われ混乱した。しかし、日共幹部の岩田英一氏が両者の間に入って代表に一席演説させることで混乱は収まり、式は終了した。
○かくて〇時二十分、デモ行進に移ったが、この時に学生、朝連系団体とみられる一群は、外苑の道路にピケラインを張って「人民広場へ行こう」とアジリはじめた。渋谷コースを行進していた西部デモ隊のうち学生を主力とする約二百名の一団は、これと呼応するように、青山四丁目角に差しかかると隊列をはなれ、日比谷の方向へ転進、日比谷コースを進んでいた中部デモ隊も赤坂表町付近にさしかかったころ、全学連の約五千名がデモ隊の先頭を追い越して口々に「人民広場へ行こう」と叫んだので、デモ隊の足並みは乱れてきた。
○虎の門コースを進んでいた南部デモ隊も文部省にさしかかった午後一時半ごろ金日成氏の肖像をプラカードにかかげていた北鮮の一隊が「人民広場へ」と叫びつつジグザ��行進に移り、警官隊と小ぜり合いを演じ、外人乗用車に石を投げたりしはじめた。このころ中部デモ隊も永田町付近で自由党本部に小石を投げ、正面窓ガラスを破ったが、先鋭分子ははじめから小石をポケットに相当用意していたと見られるという。
○赤坂表町付近で行進の先頭に抜けがけして行進のイニシアチブを握った都学連、北鮮人、日傭労働者などの一群は、二時ごろ日比谷公園に入ると一応音楽堂付近に集った。この時十五、六のグループに分れて整列していた全学連の五、六番目に並んでいた「民主青年西部地区」というプラカードの一隊が「人民広場へ行こう」という叫びをあげた。これをキッカケに、デモ隊はドッと公園外に流れ出し、馬場先門方面へと濁流のように押して行き、これが時間の経過とともに、ふくれ上がって行ったのである。
正しく血のメーデーとなってしまった。働く者の祭典であるはずが、暴行集団となってしまったことは、世界中の電波に乗った。中でもアメリカ人にすれば恩を仇で返される思いがしたことであろう。メーデーの歴史を汚した事件として記録されている。
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』
(注とコメント)、これは、メーデー事件裁判闘争史編集委員会編の822ページの大著(白石書店、1982年、絶版)から、事件の概要を書いた「序章」(P.12~16)の全文転載です。事件・裁判記録については、被告団長岡本光雄『メーデー事件―昭和史の発掘』(白石書店、1977年、絶版)があり、そちらでも事件概要を詳しく書いています。いずれも、被告・弁護団側からのメーデー事件と裁判闘争史です。検挙1232人、騒擾罪起訴被告261人でした。上記の解説でのべましたが、さらに区別すれば、これは、4種類の被告からなっています。
第一、広場突入軍事命令を遂行した日本共産党「軍」メンバーです。広場に入った3万人中、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・山村工作隊員・日本共産党員である北朝鮮系祖防隊員や、それらが突入の指導をした大衆団体は、数千人います。しかし、被告261人において、彼らが何人いるのかは、共産党が公表しないので、分かりません。日本共産党は、広場突入軍事作戦計画の存在を、裁判開始時も、六全協後も、全面否認しました。日本共産党は、共産党員被告だけのグループ会議を秘密に開き、否認を指令しました。共産党「軍」の被告も、その軍事方針については、党中央命令に従って、完全黙秘しました。よって、広場突入軍事命令を出した党中央軍事委員は、誰一人逮捕も、起訴もされていません。
第二、共産党「軍」以外の共産党員で、たまたま人民広場に付いて行き、警視庁「軍」の3次にわたる違法襲撃に怒って、反撃し、逮捕・起訴された被告です。共産党中央委員会は、第一と第二の比率を当然知っています。なぜなら、共産党中央委員会・党中央法規対策部は、共産党員被告の秘密グループ会議を、20年7カ月間の裁判過程で、何回も招集しているからです。もちろん、被告団の共産党細胞指導部(LC=Leader Class)も、党中央法規対策部員と共産党員弁護士・国民救援会細胞とを合わせて、結成し、裁判対策を、一般被告団会議の前に決定していました。この裁判グループ細胞結成は、吹田事件・大須事件においても、常識です。
第三、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)2000人と祖国防衛隊員(祖防隊員)たちで、逮捕された131人の内、起訴された日本共産党員です。彼らは、金日成らが仕掛けた朝鮮侵略戦争を祖国解放戦争ととらえ、朝鮮民主主義人民共和国国旗を先頭に、人民旗数百と金日成の写真プラカードを掲げ、第2の広場入口である祝田橋の先頭部隊の一つとして突入しました。彼らは、1955年の六全協まで、日本共産党員でした。同時期に、民戦は、朝鮮総連に組織転換し、それとともに、在日朝鮮人日本共産党員は、離党し、朝鮮労働党に入党し直しました。日本における朝鮮労働党組織は、学習組(がくしゅうそ)になりました。朝鮮総連も学習組も、本国の朝鮮労働党の直接指令を受けます。よって、1955年以降、メーデー事件裁判被告団は、その中に、朝鮮労働党員被告を含み、彼らは、朝鮮労働党の指導下で行動しました。
第四、共産党の広場突入「軍」に扇動・誘導されて、人民広場に自然発生的に入り、警視庁「軍」の3次にわたる無差別襲撃を受け、それに怒って反撃したが、広場突入作戦などまるで知らなかった一般参加者2万数千人の中で、逮捕・起訴された被告です。261人中、これら4種類の被告の比率は、共産党軍事委員会と六全協後の野坂・志田・宮本らごく一部幹部だけが知っています。メーデー事件の大弁護団も、グループ会議に参加する一部の共産党員弁護士以外は、これらの比率を知らされていないでしょう。
被告・弁護団の裁判闘争方針は、共産党「軍」の広場突入戦争作戦が現実に遂行されたのにもかかわらず、その存在を否認しつつ、騒擾罪無罪のたたかいをすることを強いられました。そこには、かなり無理がありました。なぜなら、メーデー人民広場突入事件の裏側の一側面は、政府・警視庁「軍」4100人の違法な先制襲撃という面だけでなく、ソ中両党の軍事命令に盲従した日本共産党「軍」が、まさに、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動として行なった最初の大会戦そのものだったからです。2つの『裁判闘争史』を読むと、その苦渋、停滞、被告団内の対立がにじみでています。共産党員以外の第四の被告たちは、警視庁「軍」の襲撃に怒るとともに、共産党「軍」の広場突入戦争作戦の存在と実態を明らかにせよと、共産党に強烈な批判と要求とを突き付けました。
私(宮地)の立場は、『裁判闘争史』の内容について、共産党の広場突入会戦遂行の諸事実問題とそれに関する記述以外では、『裁判闘争史』の見解と、騒擾罪無罪の判決内容を支持するものです。ただ、被告弁護団側が、4種類の被告を抱えて、被告団の統一を維持していくためには、「メーデー事件は、極左冒険主義の実践ケースではない」とする立場を貫かざるをえなかったことを理解します。といっても、それは、共産党が、広場突入軍事行動に関して、具体的な総括をし、それを公表すべきであるという前衛政党としての結果責任の取り方とは、別問題です。その結果責任には、“統一回復”共産党が、自分たちの朝鮮侵略戦争参戦のために、一般国民2万数千人を利用し、道連れにし、被告216人中の何人かを、20年7カ月間メーデー事件裁判の第四の被告にしたという道義的責任も含みます。これは、警察・検察側による弾圧、でっち上げ裁判という問題とは異なる、かつ、それに解消させることのできない共産党側の政治的道義的問題です。
私は、名古屋市生れ育ちで、大須事件の現場を熟知しています。また、愛知県の民青・共産党専従15年間において、大須事件の被告たち十数人を個人的に知り、話を聞いています。その裁判闘争においても、4種類の被告を含み、同様な問題が発生していました。大須事件検挙者は、日本人119人、在日朝鮮人150人でした。実刑判決確定で下獄した3人中、1人は在日朝鮮人でした。大須事件の共産党員被告だけのグループ会議が、私の共産党専従時代、所属する名古屋中北地区・愛知県委員会事務所の3階会議室で開かれるのを、私は何度も目撃しました。私は、騒擾罪判決が唯一確定した7・7大須事件も、5・1メーデー事件と6・25吹田事件と同じく、騒擾罪無罪であると確信しています。それだけでなく、3番目の事件として、警察・検察側による騒擾罪でっち上げの謀略性という面では、大須事件がもっとも悪質だと判断しています。大須事件の一端については、HPファイル『「武装闘争責任論」の盲点』で分析してあります。なお、下記文中の太字は、私(宮地)がつけました。
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一九五二年(昭和二十七年)五月一日――首都の労働者は第二十三回メーデーを迎えた。明治神宮外苑のメーデー会場から五つのコースに分れてデモが出発した。中部・南部二つのコースは日比谷公園を解散予定地としていた。いくつものデモ隊がそのまま日比谷公園を通り過ぎ、人民広場(皇居外苑広場)へ向かって進んだ。シュプレヒコールが湧きあがった。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
三日前の四月二十八日、「単独講和」と呼ばれ、その賛否をめぐって世論を二分した「平和」条約が発効した。七年に及ぶ占領は終った。だがアメリカ軍は帰らなかった。朝鮮戦争が続いていた。占領時代の抑圧政策もそのまま引きつがれていた。メーデー会場に人民広場を使うことは許されなかった。「独立」後最初のメーデー――禁じられていた言葉、いや「占領政策違反」という「犯罪」でさえあった、人民の叫びがほとばしり出た。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
午後二時二十分過ぎごろ、先頭のデモ隊が馬場先門に到着した。
この時馬場先門には約四百五十名の警官隊が配置されていた。二重橋へ向かう車道入口に阻止線を張った、わずか一個小隊三十数名の警察官もなぜか左右に開いた。デモ隊の前に人民広場への道がまっすぐに通じていた。車道一杯に広がり、スクラムを組んで広場へ入ったデモ隊は、広場へ入ったというその喜びのおもむくまま、やがて駈け足に変って行った。
二重橋前の砂利敷広場は、たちまち、万歳の声と打ち振られる赤旗、そして笑顔、握手、踊りの人波で埋まった。人びとは、二年間禁じら���ていたこの広場の土をその足で踏んだ。誇らかな満足感、解放感、ほっとした安ど感、疲労感。それぞれにかみしめながら、談笑し、歌い、あるいはひと息入れて、人びとは集っていた。
午後二時四十分。事態は急変した。
全く突如、警官隊が襲いかかったのである。馬場先門からデモ隊を追尾してきた警官隊が、デモ隊の先頭に回り込むやいなや、全体を二重橋側の堀際に押しつめるように、警棒をふりかざして殴り込んだ。一瞬にして起こる大混乱。警棒で頭を割られ倒れろ者、眼前に迫る警察官の形相におびえて後退する者、つまずき倒れる者。逃げまどう者の頭に、背にめった打ちされる警棒、傷つき倒れる者をさらに踏みにじる泥靴。
混乱するデモ隊の中に、二分後催涙ガス弾が、五分後拳銃弾が撃ち込まれた。数千のデモ隊は、多くの負傷者をかかえて、銀杏台上の島から楠公銅像島へ後退した(第一段階)。法政大の学生近藤巨士は、この時警察官に後頭部を強打された。五月���日未明、慈恵医大東京病院で、彼は二十二歳の生涯を閉じた。
午後三時過ぎごろ、新しいデモ隊が祝田橋から人民広場へ入った。中部コースの後続隊と、つづいて南部コースを行進してきたデモ隊である。
祝田橋上には約百二十名の警官隊がいた。一応阻止の隊形をとった警官隊と、デモ隊の先頭のごく一部との間で小ぜり合いがあった。だが、警官隊はすぐ広場の中へ引きあげてしまい、デモ隊の大半はなんの抵抗もなく祝田橋を渡った。中部コース後続のデモ隊の多くは、祝田橋を入ってすぐ右手の芝生、楠公銅像島に上がった。そこには、二重橋前で警官隊の襲撃に会い、追い散らされてきた人びとがいた。
そのころ、楠公銅像島上のデモ隊に対峠(じ)する形で、中央自動車道路をはさむ反対側の芝生、銀杏台上の島には、三個中隊約三百名の警官隊が隊列を整え、警戒配置についていた。つづいて祝田橋から入った南部コースのデモ隊は、この警官隊の前を通って中央自動車道路をまっすぐ行進し、やがて左折中央自動車道路に面した楠公銅像島上のデモ隊に対峙していた警官隊は、この時いっせいに引きあげ始め、二重橋前の砂利敷十字路付近に移動した。二重橋前砂利敷十字路……一九四六年(昭和二十一年)の第十七回メーデー以来、そこが大きな大衆集会の会場となった。つまり人民広場の中心であった。
楠公銅像島にいたデモ隊の中で、警官隊のいなくなった銀否台上の島へと移って行く動きが起こった。「解散集会だ。」「集会に集まろう。」呼びかけが伝わった。銀杏台の島に上がったデモ隊の一部も、銀杏台上の島の方へ移動し始めた。人びとは、この日人民広場へ入ることができたというだけで、満足だった。禁じられていた場所をとり戻した、という勝利感でもあった。目的はもうすぐ達せられる。しめくくりの解散集会だけが残っていた。
その期待で、デモ隊は、二重橋前砂利敷十字路をなかばとり囲むように、銀杏台上の島を中心に、右は銀杏台の島へ、左は桜田濠沿い砂利敷路面へと延びる形で、結集していった。祝田橋から人民広場へと入るデモ隊は、まだあとを絶たなかった。広場にはもう三万を越えるデモ隊の人びとがいた。一方、警官隊も続続と増強されていた。
三つの方面予備隊(当時、全都を七つの方面に分け、それぞれに警備実施を主任務とする予備隊がおかれていた。いまの警視庁機動隊にあたる)から動員された八個中隊約八百五十名が、二重橋前砂利敷十字路に横隊で整列し、その三分の一は桜田門方向に、三分の二は馬場先門方向に面する形をとった。L字型隊形である。後方二重橋の前に二個中隊約二百名が控えた。
二重橋砂利敷十字路に展開 ―→ 警官隊の攻撃開始 ―→ 警官隊の攻撃と
した警官隊のL字型隊形 とデモ隊の崩壊 デモ隊の抵抗
(これら3地図は、『メーデー事件裁判闘争史』P.193、195、199に掲載されたもの)
午後三時二十五分ごろ、再び警官隊の襲撃が始まった。警官隊の前に立った指揮官が、高くかかげた警棒を前に打ち振り、「進め」と号令した。L字型隊形のうち桜田門方向に向かっていた警官隊が、まず前面のデモ隊に殺到した。解散集会をめざして集まりつつあったデモ隊にとって、それは突如始まり、そして全く一方的なものであった。桜田濠沿いの砂利敷にいて、この突然の攻撃を受けたデモ隊は、たちまち蹴散らされた。理不尽な暴挙をまのあたりにしたデモ隊の一部は、警官隊に向かって進み、抵抗した。
だが、この時、密集するデモ隊の中へ催涙ガス弾が撃ち込まれた。攻撃開始前ガス班があらかじめ桜田濠に沿って進み、デモ隊の後方に回っていたのである。催涙ガスが急速にデモ隊の上をおおった。全警官隊がいっせいに警棒を振りかざして突進した。あちこちで拳銃も発射された。
デモ隊全体はまたたくまに総崩れとなり、潰走した。逃げまどう人びとの頭を割り、肩といわず腰といわず、全身を打ちのめす警棒。目をのどを痛めつける催涙ガス。誰かれかまわずに突きつけられ、そして発射される拳銃。倒れる人びとを踏みつけて、警官隊は進んだ。デモ隊の多くは再び楠公銅像島に逃げた。芝生の上のいたる所に負傷者が横たわり、これを介抱する人や、互いにかばいあう人たちの群れがあった。祝田橋から広場を出た人も少なくない。警官隊は銀杏台上の島を猛進し、中央自動車道路の線で停止し、再び隊列を整え直した。この間十数分である(第二段階)。
午後三時四十四分ごろ、日比谷公園に沿う都電通りの祝田橋近くで、一条の黒煙がのぼった。アメリカ軍人の自動車に火がつけられたのである。警官隊の攻撃を受け、広場から逃れ出た人たちのうちごく少数の者が、怒りのおもむくがままにとった行動でもあろうか。しばらくあとのことになるが、都電通りのもっと日比谷交差点寄りに駐車してあった十台近くの自動車が、同様ごく少数の人たちによって、ひっくり返され、火を放たれた。どれもアメリカ軍人の乗用車である。こうしたできごとの中でも、広場内への警官隊の増強がつづいていた。
午後四時。広場の中では、さらに残虐な警官隊の総攻撃が、いっせいに開始された。新たに広場に投入された二つの方面予備隊七個中隊六百名余を加え、警官隊は徹底した暴力で、デモ隊を一人残らず広場から追い出そうとしたのである。二度にわたる警官隊の先制攻撃は、非道な暴力に抵抗する力をさえ、デモ隊から奪っていた。デモ隊はもはやちりぢりにされた群衆であった。
警官隊は、ほんの数分間で、楠公銅像島の群衆を一掃し、その大半を日比谷濠土手に押しあげ、追いつめた。狭く逃げ場もない土手の上で、人びとは混乱し、警棒の乱打を浴び、無気味に向けられる銃口で脅かされながら、やがて最後に、警察官の悪ばを背に馬場先門から追い払われた。それは、文字どおり袋のねずみを追うむごたらしさであった(「掃討戦」)。
この総攻撃開始の直後、東京都の職員高橋正夫は、背後から拳銃弾で心臓を射ち抜かれ、即死した。二十三歳である。
警官隊は、広場から追い立てられ逃げ散った群衆を追って、組織的暴力を市街地にまで拡大した。ただの通行人も、アベックも、老人も、婦女子も、見さかいのない暴力の対象であった。警官隊の暴行脅迫は、日比谷公園、有楽町一帯、丸の内から東京駅付近に及び、午後六時ごろようやく終わった。
この日、警官隊が発射した拳銃弾七十発、投じた催涙ガス弾七十三発。デモ隊側のぎせい、死者二名、重軽傷千数百名である。一九五二年五月一日人民広場の内外で起こったできごと――メーデー事件そのものがまぎれもない政治的弾圧である。
そして、メーデー裁判は政治的弾圧の継続である。その日午後三時四十分ごろ、警視庁と東京地方検察庁は、デモ隊側の計画的集団犯罪として、この事件に騒擾(じょう)罪を適用すると決めた。人民広場の中で警官隊の組織的暴力がまだつづいている、その時である。疾風のように大量検挙が始まった。警官隊がその手で加えた傷害こそ、まずなによりの目印とされた。二週間で逮捕者は八百三十八名にものぼった。総検挙者数千二百三十二名。東京地方検察庁が騒擾罪で公訴を提起した被告人の総数二百六十一名である。
第一審・・・・・
東京地方裁判所は、当初、八合議部による分割審理方式を提示した。被告・弁護団はまずこれとたたかわなければならなかった。獄中被告の出廷拒否、合同面会など新しい経験を重ねながら、ともあれ刑事第十一部による統一審理方式がかちとられた(もつとも不幸ながら「分離組」と呼ばれる人たち二十余名がいた)。
第一回公判一九五三年(昭和二十八年)二月四日。判決まで実に十七年。その間公判を開くこと千七百九十二回。取調べた証人は、検察側五百四十九名(総論関係二百四十四名、各論関係三百五名)、被告・弁護側三百四十四名(総論関係二百七十一名、各論関係七十三名)、合計八百九十三名(延べ千三百二名)に達している。そして、十四人の被告たちが世を去っていた。判決言渡し一九七〇年(昭和四十五年)一月二十八日(「分離組」は二月十三日)。
判決は、二重橋前の第一段階における警官隊の実力行使を違法としたが、第二段階以降についてはデモ隊側に騒擾罪の成立を認めた。無罪百二十名。有罪百十七名(ただし十五名は騒擾罪以外で有罪)。一月二十八日統一して判決を受けたうちの有罪被告は、全員控訴を申立てた。その日の被告団総会は、無罪となった者もそのまま被告団にとどまり、ともにたたかうことを誓い合った。「分離組」で有罪となった中から三名の人たちが控訴を申立て、この被告団に加わった。控訴審における被告人は、結局百名になった。
第二審・・・・・
一九七一年(昭和四十六年)九月三十日東京高等裁判所第六刑事部に控訴趣意書が提出された。第一回公判同年十二月十四日。審理はかなり迅速に進んだ。公判回数二十二回。取調べた証人は、被告・弁寺側の請求した二十六名である。判決言渡し一九七二年(昭和四十七年)十一月二十一日。判決は、第二段階における警官隊の実力行使をも違法と断定し、騒擾罪の成立を全面的に否定し、騒擾罪については全員に無罪を言渡した(公務執行妨害罪などで十六名が有罪となった)。一九七二年十二月五日――騒擾罪全員無罪の判決は確定した。検察官が上告を断念したのである。
二十年七か月――たたかって、たたかい抜いてかちとった勝利である。被告・弁護団が一貫して主張したこと、それは「つくられた騒擾罪」ということである。本書は、「つくられた騒擾罪」とのたたかいの歴史である。
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
(注とコメント)、総評常任幹事会声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.20)にあります。労働界を二分する意見の分裂内容は、増山太助『血のメーデー』に書かれています。これは、〔真相6〕増山太助ファイルから抜粋しました。
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総評常任幹事会声明 1952年5月2日
五月二日総評は常任幹事会を開いて声明を発表した。その政治部長島上善五郎は第二十三回中央メーデー実行委員長であった。
「(一)第二十三回メーデーは、平和と民主主義を守る国民的行事として全国労働都市において未曽有の大動員をえて、日本民主化の主柱がいよいよ強大となったことを示した。
(二)しかるに中央メーデー行事解散ののち日本共産党分子がおこなった集団的暴力行為は遂に流血の惨事をまきおこした。このことについては総評労闘が何ら関知するところではないが、民主的労働組合の責任において甚だいかんにたえない。
(三)今次事件は民主的労働組合が営々としてつみあげてきた民主主義をいっきょ後退させ、反動ファッショ勢力を誘発するに至る危険があり、明らかに階級的裏切り行為と断ぜざるをえない。われわれは極左極右のいずれをとわず、かかる一切の暴力行為にたいし厳正���批判を加え、断固排撃するものである。
(四)わが総評は今日まで反動資本と共産党支配とに抗争する民主的統一戦線を強化拡大し、破防法案、労働法改惑などにあらわれた吉田政府の逆コースに対して整々たる三〇〇万の労闘ストをもってたたかってきたが、その間共産党勢力のシュン動を許さずいよいよ全国民の信頼をかちえてきたところである。
(五)しかして吉田政府は、必ずや破防法の必須を訴えるであろうが、すでに本事件はソウジョウ罪をもって対処しているのであって、みづから破防法の不要を証明しているではないか。
(六)いまや今次事件を口実として破防法案、労働法改悪等をもつて基本的人権をじゅうりんし総評の打ちだす労働運動を弾圧しようとするならば、いよいよ内外与論に訴え、さらに頑強な実力行使をもつて、これらを阻止するところまでたたかい、吉田政府の反動政策をあくまで追及し対決するであろう。
一九五二年五月二日 日本労働組合総評議会」
労働界を二分する意見の分裂
記者団に囲まれたメーデーの実行委員長、総評政治部長の島上善五郎は、「この事件はメーデー行事が終った後に共産党系分子と、その影響下にあると思われる一団によって行われた不祥事で、実行委員会としては関知しない。これは反労働者的行為である」「しかし、政府が、破防法をはじめとする露骨な弾圧政策をとり、とくに皇居前広場の会場問題について裁判決定を無視した態度は暴力行動に絶好の条件をあたえたもので、さらに警察の発砲、催涙弾の乱射は事態を激化させたもので、政府の反動政策強行には断乎反対する」と語った。なお、総評の高野事務局長は沈黙を守り、「民族感情の爆発だ」といった副議長の太田薫にたいし、炭労の諸富義高は、「予定した共産党の暴動演習だ」とくってかかったのが、労働界を二分する代表的な意見であり、民労連はもちろん、新産別も後者の意見に組した。
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
(注とコメント)、3つの資料を載せます。いずれも、日本共産党中央軍事委員会が準備・計画し、広場突入指令を出した事実について、完璧に隠蔽しています。そして、軍事委員会作戦・広場突入命令を、下記にある「一部の人」にすりかえる詭弁を使っています。
第一、日本共産党国会議員団声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.21)にあります。議員団の中に、党中央軍事委員会メンバーはいなかったので、彼らは、広場突入作戦を、事前に知らされていなかった可能性があります。
第二、メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会、その内容は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.285)に載っています。懇談会に出席した野坂参三答弁は、軍事作戦発令者による真っ赤なウソです。というのも、朝鮮戦争2年目の真っ只中において、後方基地武力かく乱戦争行動の最初で最大の戦闘となる広場突入会戦は、少なくとも3カ月前に決定されており、その最終的作戦計画決定権者は、志田重男一人であるはずがありません。朝鮮半島における激戦を指揮しているソ中両党のスターリン・毛沢東・劉少奇と、北京機関の徳田・野坂、日本国内軍事委員長志田らによる戦争作戦計画だったからです。しかも、この当時、暴露されていませんでしたが、野坂参三は、1945年以来のソ連共産党NKVDのスパイでした。野坂共産党第1書記・軍事委員長志田・指導部復帰者宮本顕治らは、フルシチョフ・スースロフ・毛沢東・劉少奇らから、「六全協で、武装闘争の具体的総括をすることを禁止する。極左冒険主義と抽象的に誤りを認めることだけは許す」との命令に屈服していました。スパイ野坂第1書記は、当然のように、ソ中両党の利益・命令を上に置き、メーデー事件被告・家族をあざむいたのです。
第三、共産党の公認党史である『日本共産党の65年、70年、80年』(80年は、P.120)は、いずれも、この分量しか記述していません。しかも、メーデー事件と広場突入作戦との関連を隠蔽しています。そこから、まったくの第三者的で、広場突入会戦の戦争責任を放棄した書き方になっています。〔真相7〕石田雄ファイルにあるように、丸山眞男が、この事件を念頭に置いて、『戦争責任論の盲点』を書き、日本共産党が、戦前だけでなく、メーデー事件についても具体的な総括を公表して、前衛政党としての結果責任を果すべきと批判したという石田雄の推論は、さもありなんという説得力を持っています。
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日本共産党国会議員団声明 1952年5月1日
日本共産党国会議員団は、即日「本日の事件は人民広場の使用を吉田内閣が不法にも禁止したことから起こったもので事件の一切は吉田内閣が負うべきものである。今日の弾圧こそ破壊活動防止法案をすでに実行に移したもので、わが党は日本国民の自由の名において厳重に抗議する」旨の声明を発表した。
メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会 1955年10月24日
十月二十四日夜メーデー事件被告、家族と共産党との懇談会が産別会館講堂で開かれた。日本共産党から第一書記の野坂参三のほか松本三益、長谷川浩が出席した。
懇談会は、その名に比してはかなり激しく、メーデー事件の評価に関する意見、疑問、共産党に対する批判、不満が交わされる場となった。党員被告を名指しで非難したり、被告同士で論争する場面も見られた。二、三の人から、敵の挑発というだけでは納得出来ない、あの日のメーデーに極左冒険主義の方針があったのではないか、という疑問が出た。野坂らはこう強調した。メーデーに対する党の方針とメーデー事件と呼ばれているものとは客観的に区別して評価すべきである。党が騒擾事件を計画、指導したことは断じてない。「人民広場へ行こう」というのは広範な人びとの当然の要求であった。問題は、これを全体的行動に組織するという観点に立つのでなく、一部の人たちの行動に頼ろうとしたところにあり、極左冒険主義の誤りの影響と言ってよい。権力はこの弱点を利用し、挑発・弾圧を加えた。人民広場へのデモの正当性とともに、警官隊の攻撃に抵抗した行動の正しさも消えるものではない。
日本共産党中央委員会『日本共産党の80年』 2003年1月20日
(メーデー事件に関する全文)……六全協後における唯一の公的な事件評価記述
この闘争のさなかの五二年五月、いわゆる「血のメーデー」事件がおこりました。占領軍と吉田内閣は、五〇年六月いらい、「人民広場」とよばれた会場(皇居前広場)をメーデーその他の集会に使用することを禁止していました。この日、中央メーデーに参加したデモ隊の一部が、この不法な措置に抗議しながら、「広場」に行進しました。警察当局は、デモ隊を「広場」内に誘導したうえで、数千の武装警官隊をもって攻撃し、警官隊のピストルなどで二人が殺害され、千人をこえる重軽傷者がでました。
(『日本共産党の65年、70年』の上記同一記述から削除した文) ……削除の理由は不明
この事件は、占領支配と単独講和にたいする大衆的な怒りと抗議の一つの反映であった。
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
(注とコメント)、ここには、4つの資料を載せます。増山太助は、入党後、党中央文化オルグ・全国オルグを経て、関東地方委員、1950年初頭から東京都委員、「50年分裂」のときには、主流派内の東京都ビューロー幹部であったが、裏側で、武装闘争反対の活動を行なっていました。
第一、彼は、主流派に所属しつつも、当時の日本の情勢、労働運動の状況、国民の意識実態から、武装闘争を遂行することは誤りであると考え、ビューロー幹部5人を中心として、主流派非公然ビューロー内における非公然グループを作り、武装闘争実践を骨抜きにする面従腹背行動を組織し、展開していました。その組織・行動内容については、『武装闘争責任論の盲点』の「2派1グループの実態」で分析しました。
第二、武装闘争を行なった幹部たちについて、8人の人士群像を描きました。これは、HPに転載してあります。
第三、メーデー事件の概況を『血のメーデー』で描きました。これも、HPに転載しました。
第四、増山太助は、メーデー前日の東京都ビューロー会議にも出席して、人民広場突入作戦に猛反対しました。東京生え抜きのビューロー員も、全員が反対しました。激論の末、結局、他のビューロー員も含め、突入方針は否決され、人民広場使用不許可にたいする抗議だけにすることが全員一致で決定されました。その決定を裏切って、志田軍事委員長は、その深夜から5月1日早朝にかけ、規定方針どおり広場突入せよとの軍事委員会命令を徹底させたのです。当時の共産党組織は、4つに分かれていました。(1)北京機関と自由日本放送、(2)合法の臨時中央指導部(臨中)、(3)非合法の地下政治指導部ビューロー、(4)非合法の地下軍事委員会Yです。
非合法地下の都ビューロー会議で、広場突入軍事行動が否決されたのに、志田軍事委員長→非合法地下の東京都軍事委員会Yというルートで、広場突入軍事方針が決行されました。増山証言は、共産党が広場突入軍事行動を行なったことを証明する重要なデータの一つです。この資料は、増山太助『五〇年問題覚書(下の二)、―「柴又事件」の前後から「血のメーデー」へ―』(『運動史研究8』、三一書房、1981年、P.100~125)の内、「五」(P.120~125)を、一部中略して、ほぼ全文を転載したものです。このHPへの転載については、増山太助氏の了解をいただいてあります。
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第一、『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの実態=増山太助らの武装闘争反対グループ
第二、増山太助『日本共産党の軍事闘争』軍事闘争の先頭に立ち、指導した8人の群像
第三、増山太助『血のメーデー』メーデー事件の概況
第四、増山太助『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
ところで、五二年という年は、年頭から荒れ模様の情勢となった。スターリンは、元旦のメッセージで、日本人民の総決起をうながし、臨中は、これにこたえる声明を発表して呼応した。一方、占領軍と日本の支配階級は、四月二八日に予定された、単独講和・安保両条約の発効と、それにともなう総司令部(GHQ)の廃止にそなえて、つぎつぎと積極的な手をうってきた。労働者階級は、年末闘争にひきつづき、“占領終決”という画期を前にして、いよいよ“不屈な面魂”をもって決起しはじめた。一月一六日、賃金共闘は、弾圧法規反対で、総評と統一行動をとることを決定し、一八日には、労働法規改悪反対闘争委員会が代表者会議をひらいて、当面する情勢の分析と戦術をねった。
ところがその三日後の二一日に、突如、北海道で白鳥警部射殺事件がおきた。そして、これが敵側に利用されて、いっそう弾圧体制が強化され、「新たな従属・支配体制」を強める契機となった。だが、労働者階級は前進しつづけ、二六日には、総評、労闘、官公労共催の弾圧法規反対労働者総決起集会がおこなわれ、三万人を結集した。吉田首相は、三一日に、警察予備隊を切りかえて、防衛隊をあらたに設置するという、威嚇的な方針を言明。二月一三日には、安保条約に基づく日米合同委員会の設置が本決りとな��た。そして、一五日から、日韓両国の正式会談が開始され、米・日・韓の防衛体制を強めながら、国内弾圧諸法規の整備に馬力をかけはじめたのであった。
一方、二〇日には、東大でいわゆるポポロ事件―ポポロ劇団発表会に私服警官が潜入―がおき、京大では第一次京大事件―小林多喜二祭に警官が潜入―が同時多発して、その摘発闘争・弾圧反対のたたかいが燃えあがった。さらに、翌二一日の反植民地闘争デーには、全国二六カ所で高揚した集会が決行され、激しいデモが敢行された。その結果、五七名もの検挙者を出したが、たたかいは持続する様相をしめした。なかでも、東京・南部の反植民地闘争デーの集会には、武器を持った労働者の集団が公然と姿をあらわし、一時、蒲田・椛谷地区を解放地区にした。政府は、二八日に、日米行政協定に調印、日米合同委員会を発足させた。二月末日現在、『アカハタ』弾圧以来の後継紙で発禁処分になった紙種が八一八に達した。まさに、彼我の攻防は目にみえてつばぜり合いの形になってきたのであった。
こうした状況のなかで、二月以降、五全協の「軍事方針」がつぎつぎと具体化され、下部に浸透していった。その代表的なものは、「中核自衛隊の組織と戦術」「軍事行動の前進のために」であり、「組織と戦術」のなかでは、「武力革命」の段階を三つに分け、第一段階では、軍事委員会の指導下に中核自衛隊を組織し、大衆闘争に武装行動の必要性を認めさせつつ、これを革命的闘争へひきあげていくこと。第二段階では、中核自衛隊の指導下に、広範な大衆を抵抗自衛組織に組織していくこと。第三段階では、大衆闘争を国民的規模にまで拡大し、抵抗自衛組織を人民軍に発展させ、武力革命に突入する、という構想をあきらかにしていた。そのために、『栄養分析表』で、(一)時限爆弾、(二)ラムネ弾、(三)火焔手榴弾、(四)タイヤパンク器、(五)速燃紙(硝化紙)などの構造や製法が、軍事委員会の単線指導で下部に流されていった。
前述したように、“単独”講和、「独立」ということは、軍事占領下にあって制約されていた政治的自由を、一定のカッコつきではあるが「国民のもの」にしなければならない、ということであるから、それ以前に、占領軍と日本政府は、革命勢力とその組織を出来るだけ弱体化させておかなければならない。そして、総司令部廃止後、かれらがいっきょに政治的進出をはかれないようにしておかなければならない。だから、この時期におこなわれた一連の弾圧措置は、朝鮮戦争前夜の軍事的予防措置とはことなり、「独立」を保持するための政治的予防措置であったわけだ。したがって、この措置のあとには、当然、党の合法的活動の拡大が予想されていたにもかかわらず、党中央は、むしろ、これを逆にみて、「サンフランシスコ体制と安保条約」による「占領制度の永久化・制度化」に「軍事行動」を対置して、突破しようとしたのであった。
三月に入ると、たたかいはにわかに激動した。一日、総評、労闘主催の弾圧法粉砕総決起大会が開催され、これには一〇万人の労働者が結集、全国的には延一千万人以上の労働者が、事実上ストライキをうって参加した。そして、わが国最大の政治的示威行動を展開した。これにたいし、政府は、二七日に、「治安維持法」の復活といわれた、破壊活動防止法案要綱を発表して対決し、また、これを撃って、翌二八日と三一日の両日、総評、労闘合同拡大戦術委員会が、破防法反対に、断固、ゼネストをもってたたかう方針を決定した。
こうした攻防のなかで、党の「軍事行動」は、いよいよ発動しはじめたのであった。関東地方では、神奈川県委員会が先頭を切り、三月一九日の未明、横浜の進駐軍物資集積所へ火焔ビンが投げ込まれ、二九日の夜八時には、吉河特審局長宅へ火焔ビン投入の襲撃がかけられた。これにたいし、国警は、二八日に、後継紙『平和と独立』の印刷所、配布所など、全国で一、八五〇カ所を捜査。二九日には、三多摩の山村工作隊にはじめて手入れがおこなわれた。これに反発して、三一日には、川崎の米軍資材置場、横浜市の「エリア・2」とよばれる進駐軍住宅付近に時限爆弾をしかける攻撃がおこなわれた。また、同日、総評、労闘は拡大戦術会議をひらき、破防法反対のゼネスト第一波を四月一二日、二波を一八日に決定して、対決の決意を表明した。
私は、この時期、宣伝・教育部門を担当していたが、破防法反対の宣伝活動に全力をあげ、このたたかいを広範な大衆自身のものにするために努力した。(中略)
しかし、四月から五月へかけて、私たちは、ビュー・ロー・キャップの枡井トメを中心に、連日、たたかいの指導に没頭していた。そして、四月一二日の破防法反対の第一波ゼネストには、三〇万人の労働者を結集、破防法案が国会に上程された翌日、一八日の第二波には、政府の恫喝をけって、一一〇万人がゼネストに参加するという、成果をおさめた。また同日、これに同調する都学連一五〇〇人の国会請願デモが組織され、全学連は二八日に破防法反対のストを決行した。いうまでもなく、この日、一九五二年四月二八日は、対日平和・安保両条約が発効した日であり、第二次世界大戦に敗北した日本が、七年間の占領から、沖縄を残して、一応とき放たれた日であった。だが、私たちは依然として潜行をつづけ、この二八日の前後には、メーデーの開催方法をめぐって、都ビューロー内部で深刻な討議をくり返していた。
五二年の中央メーデーは、前年同様分裂メーデーになったが、それだけではなく、会場も皇居前広場の使用が許可されず、結局、神宮外苑に押し込められてしまったことが、破防法反対闘争の高揚のなかで、戦闘的な労働者の憤激をよびおこした。そして、その怒りは、占領時代における軍事的・植民地的支配にたいする反抗のあらわれでもあり、同時に、日本が一応「独立国」になって、占領法規が効力を失った途端に、占領軍を肩代りして前面におどり出た、国家権力の暴力装置にたいする反抗でもあった。それだけではなく、その底流には、反革命戦争としての朝鮮戦争にたいするうっ積した怒り、とくに在日朝鮮人組織の抜きがたい不信と激怒があった。
中央メーデー準備委員会周辺の討論を反映して、都ビューローが討議をくり返した問題点は、戦後“革命期”に、“人民広場”と呼称されて、たたかう労働者・人民の“意志の確認”“決起”の場所となっていた皇居前広場を、「独立」を機に、実力で「奪還すべきだ」という意見にたいする賛否をめぐる問題であった。当初、キャップの枡井は、「占領下の制約はなくなった」「其のメーデーは人民広場で」の主張であり、組織部を担当していた浜武司や、労対の益子正教らもこれに同調していた。しかし、東京はえ抜きの他のビューロー・メンバーのほとんどが、これに反対する立場をとった。私は、メーデーの主力部隊である総評の意向を尊重すべきだと考えていたし、なかでも、「平和四原則」を守り、総評を“ニワトリからアヒル”に変えるために奮闘していた高野実ら左派の立場を強めることが、「独立」後の彼我の状況を有利に展開するポイントであると確信していたから、共産党が系列下の組合や全学連をつかって、「人民広場」に固執し、実力で“奪還”することには反対であった。これにたいし、枡井らは、「少なくとも、共産党の部隊は人民広場に入り、使用させなかったことの不当性を抗議すべきではないか」と主張しつづけた。
しかし、真剣な討論の末、しかもメーデーの前日に終日の討���をおこなった結果、全員の意見が完全に一致し、「人民広場には入らないこと」、「中央コースのデモ隊は、広場側を通過の際、シュプレッヒコールで人民広場使用不許可の不当性を訴えて、抗議の意思表示をおこなうこと」、「人民広場突入を強く主張する自労や学生部隊などをデモ隊の先頭に立たせず、後部に回し、市民を先頭に立てて、予想される敵の挑発から大衆を守るために、金属労働者や官公労の労働者たちによる統制を強めること」などを決定した。私たちは、この決定を生み出してホッとした。そして、「独立」後第一回のメーデーが、労働者、人民の血気さかんなメーデーになることを期待したのであった。
私は、メーデーの当日、会場にいけない無念さを晴らすために、メーデー終了後、妻と娘たちに会い、せめて家族水入らずの祝盃をあげる予定を組み、その連絡をとった。そして、その文面のなかに、「人民広場へは入らないことになった。僕の分もふくめて、先頭に立って堂々と行進して下さい」と書いた。ところが、周知のように、メーデーはいわゆる「軍事行動」を展開して、“血のメーデー”になった。先頭に立っていた妻と娘は、祝田橋よりはるか手前で警官に襲われ、妻は頭部を殴打されて三針ぬう重傷、娘は腰部を打たれて大きなアザをつくった。二人は通りがかりのひとに助けられ、傷の手当をして、私の友人の家に逃げ込み、かくまわれた。私がこのことを知ったのは、夕飯を食べないで待っていた夕刻近くであったが、私は、思いもよらない“血のメーデー”に驚き、家族がそれにまき込まれたことに愕然とした。同時に、「ついに、東京都委員会の決定は守られなかったのか」と残念に思い、ともかく現場近くまでいって情報をつかもうとした。そして、私が友人の家に駆けつけたときには、まだ、その周辺にも、この日の昂奮が無気味な余韻を残していた。みると、友人宅の戸棚のなかにかくれていた妻の顔は青ざめ、娘はおびえてふるえていた。私は二人を見守りながら、まんじりともせずに一夜を過したが、ひさしぶりに会う妻と娘に、こういう状態で会おうとは夢にも思わなかった。やたらと涙があふれ出て、複雑な怒りが全身に充満し、どうすることもできない感情にさいなまれつづけた。
翌日、東京都委員会は緊急ビューロー会議をひらき、善後策を協議した。まだ、現場の情報が十分収集できなかったが、何人かのビューロー員は、「あれほど慎重に討議して決めたのに……。なぜ、東京の党組織はああいう行動に出たのだろう」「これは、Yのひとり歩きではないか」と、Yを兼任していた枡井に、「おばさんだけは知っていたのではないか」と質問するひともいた。しかし、枡井も「知らなかった」といい、「ともかく、こうなったからには……、不当弾圧抗議の声明を出そう」ということになり、枡井が執筆することになった。その内容は、メーデーの日から放送を開始した、北京からの「自由日本放送」と趣旨が一致していたので、後日、枡井は得意気であった。この放送原稿は、NHKをレッド・パージになり、中国へ渡って「自由日本放送」の仕事にたずさわっていた藤井冠次の証言(『伊藤律と北京・徳田機関』)によると、伊藤律が書いたということであるから、枡井と伊藤律の評価は、だいたい一致していたことになる。
また、六全協後の東京都委員会の総括のなかで、私は、“血のメーデー”における「軍事行動」の責任を追及したが、そこであきらかになったことは、前日ひらかれた東京都委員会のビューロー会議終了後、浜武司が中央へよびつけられ、「人民広場へ突入せよ」と指示されたという。これを伝えたのは、志田の命をうけた沼田秀郷であることも、本人の証言によってあきらかになった。浜は、夜を徹して各地区を歩き、「中核自衛隊」の動員手配をおこない、「全く自分の責任で、当日の行動を組織した」と証言していた。
だから、私の推測では、中島誠が書いているような(『流動』一九七八年一一月号)「メーデーをきっかけに、『人民広場』を奪い返し、日本の首都のどまん中に一種の革命的状況をつくり出そうと計画し、動員を組織し、広場へのなだれ込みの順序、入り口の分担、隊列の組み方、そしてそこでの『戦闘』のやり方に至るまで何日も前から綿密に計画を練り、練習をも積み、『人民広場』での革命的状況をさらにどのようなものに展開してゆくかまで展望していた」というようなものではなかったと思う。もし、中央軍事委員会にそのような机上プランがあったとしても、“血のメーデー”は、党の「中核自衛隊」と党員を主力としてたたかわれたもので、大衆の蜂起を党が下から支えて、組織したものではなかった。だから、「革命的状況」を「展開」し、「展望」をきりひらくことは、全く不可能なことであった。
ついでに付記しておくと、この総括会議をおこなっていたときには、志田の「お竹事件」はまだ“闇”のかなたにあり、志田と官本顕治はアベックで全国の党大会に出席していた。したがって、この“協力体制”をくずさないために、「志田の政治的責任は追及すべきではない」というのが、反“主流派”のひとたちの共通した意見であった。つまり、このときには“分裂した一翼”の“極左冒険主義”について、“国際派”のひとたちも“関わらない”のではなく、“不問に付する”態度であった。
(中略) 血のメーデーにつづく「五・三〇事件」記念日の岩の坂、新宿、大阪吹田などの交番襲撃事件―火焔ビン闘争が多発して、���うやく盛りあがった大衆的な労働運動―破防法反対闘争に水をさす結果をもたらした。すなわち、破防法反対闘争の中心部隊を形成していた社会党や総評左派を動揺させ、右派単産幹部を狼狽させて、多数の部隊を脱落させた。(中略) こうして破防法は、七月四日の衆議院において可決成立し、二一日に公布され、同時に公安調査庁も発足したのであった。
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(注とコメント)、これも、HPに転載してあります。石田雄現東大名誉教授は、メーデー事件当日、東大職組の一員として、人民広場に入りました。警察は、東大職組の2人を逮捕しました。丸山眞男は、広場にいませんでしたが、東大法学部教授会として、その対応にあたりました。日本共産党宮本顕治は、丸山眞男の『戦争責任論の盲点』にたいして、異様なほどの丸山批判キャンペーンを13回も展開しました。宮本顕治は、それによって、その丸山論文だけでなく、共産党批判をする丸山眞男の全学問業績の否定とその社会的抹殺を謀ったというのが、私(宮地)の判断です。共産党の丸山批判キャンペーンの実態と本質については、2つのファイルで分析してあります。
石田雄論文は、丸山眞男論文の一背景に、メーデー事件に関する日本共産党批判があったとする証言です。
――――――――――――――――――――――――――――――
石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
『共産党の丸山批判・経過資料』13回の丸山批判キャンペーン
『志位報告と丸山批判詭弁術』1930年代のコミンテルンと日本支部
以上 健一MENUに戻る
(関連ファイル)
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
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雑誌『声優グランプリ』名物企画「LOVE♥MEGANE」をテーマにしたイベントが9月19日(月・祝)開催決定! メガネブランド「Zoff」とのコラボが実現! 人気女性声優がレアなメガネ姿で登場!
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雑誌『月刊声優グランプリ』の名物企画「LOVE♥MEGANE」が誌面を飛び出してイベント開催決定! 「LOVE♥MEGANE」は普段メガネを着用していない声優陣のレアな姿が見られる人気グラビア企画です。今回開催となるイベントには総勢6名の豪華女性声優陣が登場いたします。昼夜2部制での開催を予定しており〈昼の部〉には佐藤日向さん・紡木吏佐さん・降幡愛さんの3名、〈夜の部〉には川口莉奈さん・高槻かなこさん・山崎エリイさんの3名が出演。 雑誌『月刊声優グランプリ』の名物企画「LOVE♥MEGANE」が誌面を飛び出してイベント開催が決定! 「LOVE♥MEGANE」は普段メガネを着用していない声優陣のレアな姿が見られる人気グラビア企画です。今回開催となるイベントには総勢6名の豪華女性声優陣が登場。昼夜2部制での開催を予定しており〈昼の部〉には佐藤日向さん・紡木吏佐さん・降幡愛さんの3名、〈夜の…
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📛 1436 「Idoly Pride」 #7カラ9。
下ろしたてのレインコートを濡らしながら帰宅して 「アイドリープライド」 を観ています。今回は 「Shining Smile (第7話)」 というお話です。サニピが “ラジオフレッシュVinusステーション” というラジオ番組でせうか、にゲスト出演しています。DJに “Venusプログラム” の自信を尋ねられ 「うーん」 と答える雫さん。そんな “Venus プログラム” で “ろのChan” を倒したサニーピース。"Growing July" を倒した月のテンペスト。寮に戻るとサニピは皆ぐったりしています。すやすやと雫さん。翌る日、社長から報告があるとのことで整列する若手アイドルたち。"Next Venus グランプリ" にエントリーするとかどうとかと話している 社長と牧野。「新人アイドルの頂点を決める大会」 と雫さん。明日は 一日オフと牧野。娘たちは それぞれに それぞれの休日を楽しんでいるやうです。「おはよ」 と眼鏡女子で髪も下ろしている雫さん。「意外とやることがない」 と雫さん。「トレ着ででかけた」 とレイさんのゆくえも知っていたりする雫さんは 庭で 「おお、事務所の所有物?」 とミニプールを見つめる雫さん。「わたしの私物なの」 と17才。透かさず「準備万端!ちょっときつい」 と水鉄砲片手の雫さん。「シュート」 と雫さん。「プールで遊んでる」 と雫さん。「手術の痕、心臓のね」 ってさくらさん。縁側で素麺を頂いたアイドルたちは 食後は お昼寝しています。タケミヤまで買い出しにいく3人。バーベキューセット一式も 「わたしの私物なの」 っと17才。炭に うちわでパタパタと風をあてる雫さん。さくらさんの手術のことを尋ねる琴乃さん。「心配はしていない」 と言いながら 「俺も最新の注意を払ってる」 と 今さっきまで眼鏡男子でした牧野。食事中の皆に 「見せたい映像があるんだ」 とマナの楽屋の映像をプロジェクターで流す牧野。線香花火を楽しむ雫さん。明日から Next Venus グランプリに向けてのきびしい練習がはじまるさうです。おしまいの曲は 「Shining Days」 でした。
つづいて
天気予報を気にし過ぎて、傘やらレインコートやらを使わずに持ち帰りしながら ささっと帰宅して 「アイドリープライド」 を観��います。今回は 「君は君のままでいい (第8話)」 というお話です。月のテンペストの披露が終わり、サニピの出番です。「まだ連絡は来ないんですの?」 とすずさん。「ポイントは結構ゲットした、、はず。結果は発表されるまで わからない」 と雫さん。月のもサニピも 「本戦出場決定だ!」 と牧野。そんな頃、TrinityaileとLiznoirがいっしょに記者会見を開いています。「お互い頑張りませう」 と すみれさん。「楽しみにしているよ」 と葵さん。そんなころ 「今度病院の定期検診に付き合って貰えませんか?」 と 牧野に尋ねるさくらさん。と そんなところに「Liznoir!」 と雫さん。琴乃さんに「あなたはナガセマナによく似ているだけ。今のあなたは マナの劣化コピーでしかない」 と いきなりズバッと言い放つ、いつでもどこでもクールなリオリオ。「こっちの話は終わったよ、早く練習しやう」 と葵さん。場面は変わり、ある日の病院、検査を受けるさくらさん。付き添う牧野。地縛霊も来ています。診察室3番へ行く牧野。「今のところ問題はないですね」 と先生。「さくらの心臓なんですけど」 とドナーについて尋ねる牧野。ララァ・スンの導きのやうに、マナが導いてくれたやうな気がすると牧野。お知らせが明け、本戦出場を祝う若手アイドルたち。17才はワインで酔っています。すずさんは お給金をすべて使い果たしてしまったみたいです。牧野のおごりなご馳走を 皆で平らげる若手アイドル。眠ってしまった 17才。そんな17才を寝かせたままにするサニピ娘たち。 「エゴサ中。すずちゃんは特にない」 と雫さん。あ、えっと、とファンの評価を見て黙り込むサニピ娘たち。そんな頃 「これからのスケジュールを組んでみました」 と白石姉。ハード&ヘビーなスケジュールにたじろぐ4人。そんな中、歌声が聞こえて来ます。「たしかに マナさんっぽくは なかった」 と雫さん。「歌い方を変えて見た」 さくらさんに 「少しだけふたりで話をさせて」 と琴乃さん。「いきなり変えてうまくいくの?」 と琴乃さん。「わたしには お姉ちゃんの声は出ない」 と琴乃さん。夜になり 「ちょっと話さない?さくらちゃんと何かあった?」 と渚さん。うつむいた琴乃さんに 「琴乃ちゃんがしたいやうにすればいいと思うよ」 と渚さん。そんなふたりの後ろから こっそり現れる月の三人組。みんなのため、自分たちのためにグランプリを目指すと 月のテンペスターたち。「ありがとう」 と琴乃さん。「わたし、優勝を目指す」 と琴乃さん。月の光をビカビカと浴びる5人。翌る日なのかいつなのか ステージでは “月のテンペスト対クリスタル” の戦いが始まりました。月のテンペストが勝利しました。エンディング曲は 「Daytime Moon」 でした。
つづけて
ささっと帰宅して 洗濯機をガタゴト回しながら 「アイドリープライド」 を観ています。今回は 「もらった勇気を抱きしめて (第9話)」 というお話です。"一回戦突破おめでたうございます" って記者会見中のサニピなさくらさん。場面は変わって夜、前に話した 3年前のお姉ちゃんとの話をさくらさんに話す琴乃さん。明日の決勝で初披露する予定だったと 歌われなかった うたの話をする琴乃さんは グランプリのステージでそのうたを歌ってほしいと さくらさんにお願いします。そんな日の夜、サニピ娘たちは さくらさんの心臓のうわさに戸惑います。翌る日のレッスンにて 「今歌うのは無理」 と雫さん。牧野と話すさくらさん。その日の夜、牧野は牧野ルームで 地縛霊に 心臓のゆくえを尋ねるのですけれど 「わたしに聞かれても」 と地縛霊。と、そんなところに バッと現れたさくらさんは 「この心臓はマナさんのものって 全部説明がつくんです」 と 牧野と霊の前ではっきり言います。偶然が偶然を呼んで そんな偶然がどこかのアニメーションみたいに偶然に起きていいものなのか、どうなんだ?」 と霊に尋ねる牧野。「もういい!メイ呼んでくる!」 っと地縛霊は お知らせの間にメイちゃんを引っ張って来ます。お知らせが明けると メイちゃん登場。4人で話をしています。霊と人とを繋ぐ 伝言板メイ。「マナちゃんがね、自分のうたを歌わなくていいって言ってる」 とメイちゃん。「全身全霊」 とさくらさん。ドキっとする牧野と霊。「この心臓には 本当にありがたうって思っています」 と さくらさん。そんなさくらさんに思いを伝える霊。ふたりが帰ったあと、玄関にバタッと倒れ込む霊。驚く牧野。翌る日、ステージ前に サニピは5人で記者会見を開きます。心臓移植の話をするさくらさん。時間の都合でせうか、エンディングとステージがひとつになった中で サニピは “Song For You” を披露します。結果、対戦した相手がよく分かりませんでしたけれど、勝者は サニーピースでした。
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ワクチン2回目完了、な8月(2021年8月の日記)
■2021/8/1 日曜日。いつものように娘の英会話をやったり朝食準備していっしょに食べたりしたあと、僕はひとりで出かけさせていただく。おそらく今年はじめての丸一日フリーに使える日。観たい芝居とかもあったのだけど、とりあえずもう気がすむまで映画を観ることににする。キノシネマ立川で『17歳の瞳に映る世界』『いとみち』『返校 言葉が消えた日』を鑑賞。ほぼインターバルなしで途中、ランチパックひとつをなんとか食べたのみであったけどがっつり映画を堪能。やっぱ映画館で映画観れるの楽しいな。東中野へ移動。「十番」で焼きそばと餃子を食べちゃう。KANGEKI 間隙 vol.13『LUGINSKY』鑑賞@ Space & Cafe ポレポレ坐。トーク込みで面白かった。イベント後haiena監督に、同回を観ていたイシヤマさんといっしょにご挨拶させていただく。『LUGINSKY』続編も作ってるとのことで大変楽しみ。イシヤマさんは車できてて、家まで送ってくれることに。ありがたい。実はイシヤマさんとは実際に会うのすらはじめてだったんですけど。車の中で『LUGINSKY』の感想や、他の映画の話もしつつ帰る。方向的にけっこう寄り道になってしまったと思いますがありがたかったです。娘の就寝前にも帰宅できました。ファイザー打ったところはもうほとんど痛くない。
■2021/8/2 月曜日。1時間近く寝坊してしまった。まぁ娘も夏休みだしいいでしょう。僕は普通に仕事ですが。娘は普段、彼女がかつて通っていた幼稚園がやっている英会話に週3で通っている。もちろん学校が終わってからである。この英会話が本当に素晴らしいので行ける限り続けてほしいと思っている。送迎のバスが家の近くまで来てくれるのでこれも助かるのだけど、まぁこの生き帰りに時間がかかってしまう。だから学校の宿題をする時間なども限定されるし夕食も遅くなる。なかなかかわいそうである。その英会話が、本日から約1ヵ月はZoom開催になるとのこと。あー楽だ。本人も楽だろうけど、限られた時間で勉強やらせたり食事をさせたりしているこっちも楽だ。生活に余裕ができてきます。夜はNetflixで『愛しい人からの最後の手紙』を見る。Diggin' Netflixのラロッカさんからのお題。ほぼ何も知らないで見る。フェリシティ・ジョーンズに似てる人が出てるな、と思ったらフェリシティ・ジョーンズだった。『ダイバージェント』の主演の人に似てる人が出てるな、と思ったら『ダイバージェント』の主演の人だった。たまっている古畑もちょっと見て寝る。
■2021/8/3 火曜日。昨日けっこう時間をかけて準備した資料、今日のMeetingにて5分間ぐらいで説明するためのもの。まぁこんなもんでしょう。娘は着々と夏休みの宿題を終わらせていてえらい。両親が「冷凍庫に入らないから」と冷凍マンゴーと冷凍パインを持ってきてくれた。ありがたいです。僕モテの原稿も送付完了。月初めなので特集号、ヨハン・ヨハンソン特集だ。『最後にして最初の人類』観れてないのが痛恨。夜、娘が寝たあとに1本映画を見ていたがどうしても眠くなってしまい寝る。
■2021/8/4 水曜日。うーむ仕事が大変。いろいろわかんないことがあるときに教えてもらっている会社の先輩が休んでいるのでその影響もある。つらい。その仕事の合間に買い物行ったり、娘の勉強を見たりする。余裕がない。夜は『シュシュシュの娘』インスタライブに根矢涼香さん登場。映画楽しみだー。Netflix『本当の僕を教えて』を見る。ずっしり。
■2021/8/5 木曜日。午後半休を取るので朝から仕事を頑張る。できるだけやる。あとは知らん。僕にも休みが必要である。渋谷へ。とりあえず「やしま」へ行くが並んでいるじゃないか。残念だがあきらめて「富士そば」で遅めのランチ。ユーロスペースで『名もなき歌』を観る。ペルー映画ってはじめて見たかも。と思ってすこし調べてみたらWOWOWで2013年に放送された『10月の奇跡』という映画を見ているらしい。ぜんぜん覚えていない。。階段でキノハウスをおりていったら試写準備をしている入江監督の姿がちらっと見えた。今度こそ「やしま」に行ったらすいてた。ざるうどんとちくわ天を食べる。ユーライブへ。『シュシュシュの娘』クラファンコレクター向け試写。パンフも早々に買えてうれしい。客席にはさっちゃんさんが。ちょっと話す。入江監督の挨拶のあと『シュシュシュの娘』鑑賞。会場を出ると次の回を観るチートイツさんやけんす君、まるゆさんと会う。キノハウス前でインタビューにこたえたり、入江監督に少し感想を話せたり。やっぱこういうの嬉しいですよね。さっちゃんさんと途中までいっしょに帰る。次はいつ会えるかな。帰宅して娘を寝かせる。U-NEXTで『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』を見る。久々に見たらけっこう面白い。北川景子かわいいな。真木よう子も一瞬出てた。
■2021/8/6 金曜日。午前中が通院なのでいつもより早起き。娘にも早く起きてもらった。通常よりちょっと早く英語の勉強をやってもらう。ごめんよ。病院で検査と診察。診察でなかなか衝撃的なことがあったのだけどちょっと書くのはやめておこう。来月の検査の予約などもする。書類作成にやたら時間がかかり11時までに帰宅できず。11時までに帰宅できれば午前半休も使わずフレックス扱いにするんですけど。午後から仕事。夜はYouTubeで「僕モテFRIDAY」。画伯の知識と記憶力ものすごいな。2021年にキョンシーで盛り上がる僕モテ。オンライン試写でも見れたので『シュシュシュの娘』、早くも再見。
■2021/8/7 土曜日。午前中から娘と吉祥寺の眼科へ。先月ちょっと落ちていた視力が回復していた何より。しかし眼科の待ち時間がかなり長かった。普段ちょこちょこと暇があったら読んでいたジャンプ+の『怪獣8号』と『ダンダダン』を最新回まで読んでしまった。娘の習い事に送ったらもうお昼。僕が映画を観る時間はもうないようだ。トホホ。娘を迎えに行くまでの時間��カフェで暇つぶししようと思ったらイヤホンを忘れていた。悔しいがコンビニでイヤホン購入。めずらしくお昼に配信された藤元監督の監督ラジオを聴く。さらにU-NEXT『ドゥーム・パトロール』S1E2を見る。Apple TV+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S2E3を見る。娘を迎えに行って帰宅。夜はブルーハーブの24時間配信YouTubeがはじまる。どうやらアーカイブがないのでできるだけ見る。これは大変だ。途中、『シュシュシュの娘』のインスタライブ見たり、YouTubeで「9時ゆる」見たり。大変だ。
■2021/8/8 日曜日。仮眠ぐらいの時間寝て、またブルーハーブの配信を見る。面白すぎるし貴重すぎる。お昼は両親と娘とスシローへ。前から食べたいと思っていたカレーうどんが終わってしまっていてショック。実家に泊まるので午後はのんびり過ごす。ブルーハーブのYouTubeをできるだけ見る。あとP.O.Pのワンマンも配信で見る。夜、23時からイシヤマさんとPodcast収録する約束をしていたのだが完全に寝てしまっていた。不覚。すいません!約束の時間を15分ほど過ぎて飛び起きる。イシヤマさんにゴメンナサイしてPodcast収録。完全に寝起きでしゃべりました。はー。
■2021/8/9 月曜日で祝日。実家で過ごす休日。U-NEXTで『ワイルド・スピード MAX』と『ワイルド・スピード MEGA MAX』を見る。お昼は裏庭でBBQ。午後、ちょっと娘を見ててもらいMOVIX昭島へ。『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』鑑賞。強風の中すぐに実家へ戻る。夕飯までご馳走になり帰宅。久々のJリーグをDAZNで見てたけどFC東京は敗戦。。あまりに眠くて娘と同じタイミングで寝る。
■2021/8/10 火曜日。早く寝たのにそのまま朝まで寝てしまった。小学生か。安くて2ヵ月契約していたスターチャンネルEXをちゃんと解約。こうゆうのは忘れない。午前中にひとつMeetingがあったが、参加した人みんなぼんやりしていた印象。3連休後だし。夏だし。夜、ラロッカさんとDiggin' Netflix収録。Amazon Prime Video『ブリタニー・ランズ・ア・マラソン』を見る。早めに寝る。
■2021/8/11 水曜日。午前中は仕事を頑張る。午後半休をもらって新宿へ。シネマカリテで『明日に向かって笑え!』鑑賞。ちょっと自分でもびっくりするぐらい久々のカリテ。おそらく2年ぶりぐらい。マジか。渋谷へ移動。やしまでうどんを食べる。早めにユーロスペースに向かう。キノハウスの入り口でチラシくばりをしていた春本���督に遭遇。挨拶。春本監督は赤いスニーカーをだいたいはいているので遠くからでもわかりやすい。さらにキノハウス入ったところで入江監督と遭遇。挨拶。ユーロスペースで『シュシュシュの娘』全国一斉プレミアム試写。ユーロにはチートイツさんやさっちゃんさんなど僕モテ読者、僕モテ執筆陣から伯周さん、名優、かめりさ、編集長が。ミヤカワさんもきてた。全国のミニシアターを繋ぐ舞台挨拶も楽しかったなぁ。イベント終わってから外で入江監督にまた感想を伝えたり。福田沙紀さんにサインをもらったり。チートイツさん、さっちゃんさんと途中までいっしょに帰る。一瞬だけコロナ前の日々が戻ったような感じ。
■2021/8/12 木曜日。午前半休で立川の病院へ。血液検査は異常なし。主治医の先生とちょっと世間話。でも午後からミーティングが複数入っているので急いで帰る。途中、処方箋薬局に寄る。いつも3ヵ月分出してもらっているカロナールの在庫が足りず、一部郵送になるとのこと。まぁいまはワクチンの副反応用でたくさん出てるんでしょうね。夜は藤元監督の監督ラジオを聴いたり。ラロッカさん、otokeiさんが声かけてくれたシネマクティフ関係者オンライン会に途中から参加。僕はMCUクイズを出してみたが難しすぎたかもしれない。難易度設定が難しい。Disney+『ホワット・イフ…?』S1E1を見る。
■2021/8/13 金曜日。もくもくと仕事。上司とのミーティング。9月から部分的にオフィスに復帰しようと予定していたやつは白紙に。とにかく緊急事態宣言が解除されてから再検討となりました。でしょうね。夜は恒例のYouTube「僕モテFRIDAY」を見る。明日使う車を実家に借りに行く。U-NEXT『ニア・ダーク』を見る。U-NEXT『異人たちとの夏』を見る。
■2021/8/14 土曜日。家族と奥さんの実家へ。なるべく行かないようにしていたのでお正月以来だ。お昼は鰻をご馳走になる。うまい。奥さんのみ一晩泊まるとのことで僕と娘のみ戻る。まぁ車を返しがてら僕の実家に行ってこちらでお泊りすることに。娘を寝かしつけつつ「9時ゆる」見ていたら寝落ち。。
■2021/8/15 日曜日。実家でのんびりする。昼からはTOHO立川立飛で『おしりたんてい』の映画を娘と観るか、と思って朝サイトを見たらもう完売している。完全に『おしりたんてい』をなめていた。予定変更、もう夕方まで実家でのんびりする。夜に帰宅。娘が寝てからイシヤマさんとDiggin' U-NEXT収録。
■2021/8/16 月曜日。なんだか急いで対応してくれ!みたいな仕事が多くて地味にイヤです。月曜からとても疲れた。定時で切り上げもう働きませんよ。夜、娘が寝たあとシネマクティフ関係者のお盆リモート会その2に参加。ラロッカさんの映画川柳回。今回は自分で問題を考えてみる、というのもやってみたけどとても難しい。Netflix『ミーシャと狼』を見る。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E7、E8を見る。これで完走。なかなか良いドラマ化。
■2021/8/17 火曜日。うーん眠い。朝に1時間ぐらい映画かドラマを見ようとしてるんだけど眠くて集中できず。そろそろ雨の日々も終わるかと思ったらまだ降っている。なんなんだ。WOWOWオンデマンド『マルモイ ことばあつめ』を見る。
■2021/8/18 水曜日。1ヵ月99円期間で契約していたSTARZPLAYとシネマコレクション by KADOKAWAを解約。こういうのは忘れない。夜中にキンザザPodcastの収録に参加。わいわい楽しい回です。U-NEXT『レット・ゼム・オール・トーク』を見る。
■2021/8/19 木曜日。仕事の合間に買い物行ったり、図書館行ったりで忙しい。夜は藤元監督の監督ラジオを聴いたり。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録終わってからMCUクイズやったらなんすけ君の指摘で僕の問題の誤りが発覚。しまった。。WOWOWオンデマンド『ハニーランド 永遠の谷』を見る。
■2021/8/20 金曜日。フジロックの配信とか見ながら仕事。夜は入江監督のインタビュー配信とかYouTube「僕モテFRIDAY」を見る。WOWOWオンデマンド『21世紀の資本』を見る。早めに寝る。
■2021/8/21 土曜日。なんと映画が3本観れるチャンス。インタバールがほぼなしになろうと観るしかない。シネマシティで『ザ・スーサイド・スクワッド "極"悪党、集結』と『ドント・ブリーズ2』を鑑賞。キノシネマ立川で『ドライブ・マイ・カー』を鑑賞。満足。夜はFC東京の試合をDAZNで見たり、「9時ゆる」見たり、フジロックのナンバーガールを見たり、またもキンザザPodcastの収録に参加したり。忙しくも楽しい1日でした。
■2021/8/22 日曜日。朝から娘とTOHO立川立飛へ。『映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ』『深海のサバイバル!』を観る。モスでお昼を買って帰宅。午後は娘の勉強を見たりしつつ夕方から出かける。ついにワクチン2回目です。ポカリをごくごく飲む。夜、フジロックの電気グルーヴを見ていたら寝落ちしてしまった。。
■2021/8/23 月曜日。フジロックのリピートで電気グルーヴをしっかり見る。とりあえず副反応を想定してこの月曜、火曜は休暇を取っている。娘の勉強などをいつもどーり見る。『お父さんはいつ具合が悪くなるかわからないから、早めにやって」と云ってやらせる。しかし体調はぜんぜん大丈夫なのでWOWOWオンデマンドで『ワイルド・ローズ』、『バッド・スパイ』と昼から2本も映画を見てしまう。夕方、つまりワクチン接種から24時間ほど経ってようやく37度台まで体温が上がった。でもそれ以上は上がらない。一応カロナールを飲む。ちなみに皆さんが飲むかどうかで迷っているカロナールですが、僕は腰痛の鎮痛剤として毎朝飲んでいます。なので飲むことにまったく抵抗がありません。娘を寝かせたあと、とりあえず早めに寝る。
■2021/8/24 火曜日。さすがにちょっとだるい。頭痛というか、眼精疲労のような感じ。いつも6時に起きて娘のことをいろいろやるのですが、今日は7時からにさせてもらった。とはいえ家で映画を見るぐらいなら問題なし。ハンブルク日本映画祭(オンライン)で『FRONTIER』を見る。WOWOWオンデマンド『ミッドナイトスワン』を見る。Netflix『足跡はかき消して』を見る。でもまぁまわりの人の話を聞いてる感じと比べると僕の副反応は軽かったな。そもそも日ごろから体調に問題なし、なんて日はまったくない。2014年の病気治療後からは腰痛があるし、筋力も落ちまくっている。そして2019年の手術後からはガクンといろいろなものがダウンしているのがわかる。頻繁に寝落ちしてしまうのもここからだ。だから自分の正常な状態、というのはもう死ぬまでこないという気はしているので他の人とあまり比較はできないのです。
■2021/8/25 水曜日。仕事に復帰。ミーティングと資料作成で忙しい。夜はDAZNでFC東京の試合を見る。U-NEXT『L.A.スクワッド』を見る。
■2021/8/26 木曜日。今日もミーティングの連発である。まだちょっと眼精疲労というか目が重い感じが残っている。夜はMCTOS『ミーシャと狼』回に参加。ドキュメンタリー映画回もなかなか良い。ラジオ「京浜ネバーランド」でおたよりが読まれて嬉しい。Netflix『うちうちの面達は。』『父の結婚』を見る。
■2021/8/27 金曜日。今日から娘の2学期が開始。コロナ心配ですけど。シネマクティフ東京支部の音声配信外伝『サマーフィルムにのって』回を聴きました、ということだけをここに書いておこう。なんでこんなことをわざわざ書いているかは是非本編を聴いて確かめてみてください。娘と夕飯食べてお風呂に入れて、自分もお風呂に入ったあとPCで映画でも見ようかと思っていたら杉田協士監督のスペースがはじまった。聴いていたらまたもスピーカーでちょっとだけ話すことに。でもマルセイユ国際映画祭グランプリおめでとうございます、という事と、日記がとても面白かったです、ということを伝えられたので嬉しかった。あとシャマランの話もできた。杉田監督に「(シャマラン監督作で)誰も言及しない作品が好きなんですよ。何だと思います?」と聞かれたので「『アフター・アース』ですか?」と答えたら当たってしまった。僕もけっこう好きです。あと某映画についてもいろいろ聴けたのですが「スペースで話した内容は内緒」とのことだったので書かないでおきます(シャマランの話は別に良いだろうと思って書いてしまっていますが)。YouTube「僕モテFRIDAY」には遅刻参加。後ほどアーカイブで最初から見ます。ついにJAIHOにお試し加入、『プティ・カンカン』を見る。U-NEXT『アイアンマン』を見る。『シャン・チー』に向けての準備がはじまった。
■2021/8/28 土曜日。朝から娘を習いごとに送る。カフェで1時間ほどくつろぐ。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E3を見たり、PFFのチケットを取ったり。今年のPFFは1本だけ購入です。シネマシティで『オールド』鑑賞。楽しい。シャマラン映画は誰かと話したくなりますね。娘を迎えに行って帰宅。夜はDAZNでFC東京の試合を見たり。「9時ゆる」見たり。ナツノカモさんのスペース聴いたり。ナツノカモさんのスペースは後半、音声がぶつ切りになってしまい残念。何が残念かというと配信中にナツノカモさんがそのことに気づいてなくて、後から知って物凄い恐縮してしまうだろうなぁと(実際にそうでした)。楽しかったしまたやってほしいですが。U-NEXT『クイーン&スリム』を見る。
■2021/8/29 日曜日。今日は1日外出OKの了解をもらっている。娘の朝のことだけやって新宿へ。テアトル新宿で『子供はわかってあげない』鑑賞。シネマート新宿で『クリーン、シェーブン』鑑賞。渋谷へ移動。LOFT9 Shibuyaで僕モテイベント、祝公開!『シュシュシュの娘』を監督の目の前で好き放題に語る会。僕モテの情報コーナーを担当することになって一番嬉しいのは、僕モテイベントに関係者で入れることです。早めに行って執筆陣の皆さんとご挨拶。この前のプレミアム先行でだいたい会っているので久々感はなかったですが、林先生だけお久しぶり。ちょっとプライベートのことを話す。僕は物販のお手伝いぐらいでしたが今回も楽しかったー。ロフトは出演者に飲み物をおごるシステムがあ���のですが、どなたかが僕にもジンジャーエールをおごってくれた(あとから確認したらチートイツさんだった、感謝!)。質疑応答のコーナーのみ客席側に行って、僕も聞きたかったポイントを質問。やはりリアルイベントは楽しいですね。イベント終わり、チートイツさん&さっちゃんさんを途中までいっしょに帰る。途中でバイクの炎上事件を目撃しびっくりした。道玄坂を歩くあたりで消防車とすれ違いました。Clubhouseを聴いたり、ちょっと喋ったりしながら帰る。帰宅したら娘がまだ起きていてすぐに寝かせる。もー。僕もシャワーを浴びて、途中だったDisney+『アイアンマン2』を見終え、早めに寝てしまった。
■2021/8/30 月曜日。昨夜のバイク炎上がまぁまぁニュースになっていた。報道されている内容と僕らが目撃した内容はちょっと違っていて、伝わる内容ってこの程度なんだなぁとかも思ったり。夜、根矢涼香さんのYouTubeラジオの最終回。ちょいちょいおたよりも送っていたラジオだったのでさみしい。最近は娘が寝る前に10分とか15分程度、部屋を暗くしてスマホで映画とかをいっしょに見ている。小分けに見ていたU-NEXT『映画おしりたんてい テントウムシいせきのなぞ』がやっと終わった。Netflix『欲張りだけの恋じゃなくて』を見る。
■2021/8/31 火曜日。イメフォフェスのラインナップ発表。観たいやつあるなー。検討しなきゃ。僕モテの原稿も送る。夜、che bunbunさんのスペースを聴く。いろいろメモる。JAIHO『プティ・カンカン2 クワンクワンと人間でないモノたち』を見る。状況が良くなる雰囲気はぜんぜん感じませんが、できる範囲で楽しいこと見つけていかないと身体がもちませんね。そんなことも思いつつ8月も終わりか。
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