#九段下喫茶店
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2024. Nov. 13th at Gekkasha
Asuka j.Presents 「Hay una fiesta」 in Gekkasha 月花舎
美味しいお飲み物とDJタイム
ゲストパフォーマンスあり★
Shall we dance?
ようこそ ダンスパーティーへ! 普段よく踊る人も そうでない方も 素敵な書房喫茶 月花舎に遊びにきてください.
お気に入りの曲で踊ってみてもよし
お飲み物を片手におしゃべりもよし
個性的なゲストパフォーマンスに酔いしれるもよし
自由な過ごし方で一緒にたのしみませんか. どなた様もお気軽にどうぞ✨
::::::::::::::
2024/11/13(水)
19:30-21:30 喫茶店営業は22:30まで
¥2,000 (学生証提示で ¥1,800、小学生以下無料)
場所:月花舎gekkasha http://gekkasha.modalbeats.com
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-5 ニュー徳栄ビル 1F
お飲み物の販売ございます:¥500
こっそり持ち込み飲み、スナックOK!(ゴミはお持ち帰りください)
・都営地下鉄新宿線/三田線、東京メトロ半蔵門線「神保町駅」A1地上出口から徒歩5分
・東京メトロ東西線/半蔵門線、都営地下鉄新宿線「九段下駅」6番地上出口から徒歩5分
Guest::::::::
Tojo(afrontier) DJ
小森慶子 Keiko Komori クラリネット&サックス ほか
都和子 Towako パフォーマンス
坂田有妃子 Yukiko Sakata ダンス
板垣あすか Asuka Itagaki ダンス
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ご予約フォームこちらです↓ https://forms.gle/yMe3ATUCHCxtcT2F7
イベントページ(Facebook)↓
https://fb.me/e/8gBRIwodQ
※イベント内容等に変更ございます場合には、「その他」をクリック、ディスカッションにて、ご案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
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Asuka j.Presents 「Hay una fiesta」 in Gekkasha 月花舎
Delicious drinks and DJ time
with guest performances ★
Shall We Dance?
Welcome to a dance party!
For people who dance,
for people who don't dance,
please come to the nice Book Cafe Gekkasha.
You can dance with your favorite song.
You can talk with a drink in one hand.
You can get intoxicated with a unique guest performance.
Come and enjoy the evening.
Please feel free, everyone.
19: 30-21: 30 Cafe store business until 22:30
¥ 2,000 (¥ 1,800 for student ID presentation, free elementary school student or younger)
All Drink: Sales of drinks: ¥ 500
Sneak and drink, snack OK! (Please take the trash home)
Guest
TOJO (AFRONTIER) DJ
Keiko Komori Clarinet & Sax and others
TOWAKO Performance
Yukiko Sakata dance
Asuka Itagaki dance
Click here for the reservation form ↓
https://forms.gle/yme3atchctct2f7
Event page (Facebook) ↓
https://fb.me/e/8GBRIWODQ
* If there is a change to the content of the event, etc., we will click "Others" and in a discussion.
Thank you for your cooperation.
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「虚無への供物」中井英夫 1111
第一章
11第一の死者 01
よいよというか、やっと、第一章の始まりです。
喫茶店でしょうか? “泉”で、亜利夫と久生が会話してる場面です。 ここに出てくるので、実際にあった店なのかもしれません。
その前に、事件の概略が差し込まれています。
1954年12月22日水曜���の夜。 目白の氷沼家での出来事です。
それも、亜利夫は事件というより事故だと主張します。 そう、病死以外考えられないと言うのです。 根拠の一つは、完全な密室だからです。 まあ、完全な密室なんてないでしょうから、これからどう暴かれていくのか楽しみですね。
で、その状況というのが、
紅司が風呂に鍵をかけたままで返事がない。 ガラスを破って入ってみるとタイルの上にうつぶせに死んでいた。 主治医の嶺田博士の診断で持病の心臓が急激に悪化したと考えられる。 風呂場は厳重な密室で何者かが忍び込むことはまったく不可能。 26日には“急性冠動脈障害”による心臓衰弱という診断書で埋葬された。
と、こうです。 久生は納得できないみたいですね。 嶺田博士を訴えると息巻いてますね。
密室殺人(ロックドマーダー)と表現していますが、あまり聞いたことない表現ですね。 造語なんでしょうか?
ここで、藤木田の登場です。 新潟からきた氷沼家のお目付け役みたいな人だと表現されています。 で、その藤木田も含めて、 その場にいたのは、亜利夫、藍ちゃん、橙二郎、爺やの五人です。
主要な登場人物である蒼司は、九段の八田皓吉のところに行ってました。 しかも、本来なら亜利夫と新宿駅で待ち合わせて気晴らしをすることになっていたのに、 すれ違いで、九段の八田皓吉のところに行ったのと言うのです。 どうなんでしょうね。このあたり。
ところで、 蒼司がしかたなく一人で、 アメリカ版ゴジラ映画「原子怪獣現る」を見てました。 この映画、この年の10月頃に封切られていました。 特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼン初の長編作で『キング・コング』と並ぶ古典的SFX映画の名作。 原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』(The Fog Horn)です。
興味が湧いたので見てみました。
むちゃくちゃ面白かったです。 現在のものさしに当てはめれば、滑稽さも目立ちますが、その当時ならワクワクできたでしょうね。 タコとサメが戦うシーンとかいいです。よくできてます。 ただ、思ったほど大きくないかな。 しかも、やっつける方法が“放射性アイソトープ ”とは。 放射能撒き散らすことにならないんだろうかと不安です。
で、蒼司が藤木田をわざわざ新潟から呼び寄せてます。 やっぱりこのあたり何かありそうです。
この藤木田誠(ふじきだまこと)について書かれます。 この人も重要人物なんですね。
氷沼家との血縁関係はない。 現在は、引退して郷里の新潟在住。 年齢は60過ぎで銀髪、血色のいい日本人離れのした押し出しの巨漢で、 祖父の光太郎と同業でいつも一緒に世界各国を渡りあるいたというだけに、渋いツイードを着こなしている。
事件が起こる直前、 橙二郎は二階の書斎に 爺やは玄関わきの自室に 茶の間の掘りごたつには、 床屋へ行ったばかりで若々しい顔つきの紅司と藍ちゃんそれから亜利夫、藤木田老人がいた。
そこでの話題として、 松沢病院での事件を上げてますが、 藤木田老人は、そんな事件ではなくて不可能犯罪なら謎を解いてみせるといいます。 どうやら壮大な前フリみたいです。
ところで、 松沢病院という病院が今でも東京にありますね。 まさかと思いますが、 話題にあがっているのは、ここでの事件でしょうか?
今度は、 藍ちゃんもそれに加わって、 “密室の中の他殺”ぐらい無意味なものはないという話になります。 密室殺人を真っ向から否定するとは、この小説は何を書きたいのか? もしかすると、これからとんでもない密室殺人を、 これまで見たこともない前代未聞の小説を書くということなんでしょうか?
で、 紅司がこれから書こうとしている『凶鳥の黒影』はどうなのか訪ねます。 それに答えて、紅司は、
PAeμ(θA-θB)=PB
という平衡式を書いてみせます。 藤木田老人もその数式をみながら、 「何かが何かにイコールというわけだな」 と、いってます。 平衡は、 物体が力学的につり合いの状態にあることですから、たいていイコールでつなげてあれば平衡式ですね。 それを数学の先生に書いてもらったと言うことが、果たしてどういうことなのでしょうか?
発見者がちょっとでも死体を動かしたら最後トリックの痕跡はあとかたもなく消滅するという仕掛けだと、 具体的な内容を紅司は言いだそうとします。
と、いいいタイミングで二階から橙二郎の降りてくる気配がします。 というのも、例の階段が低く鳴ってるからです。 二階にいたのは、橙二郎だけですから、これを皆橙二郎だと思いますね。 はっきり、橙二郎だと書いてないところが怪しい。
そこで、紅司は話を切り上げ、麻雀でもということになります。
その後、橙二郎が皆のもとを訪れます。 やはり二階から降りたのは橙二郎だったのでしょうか。
その橙二郎が皆に風呂に入ったか確認しますが、 誰も入ってないみたいです。 そこを紅司は遮るように「もう十時すぎた」といいますね。 このあたりもわざとらしいのですが。 しかも、紅司は普段、決して自分の部屋に人を入れないのですが、 今日は、どういうわけか、藍司、亜利夫、藤木田の三人を自分の部屋に誘います。
おかしいですね。 まあ、いずれわかるのでしょうが。
二階へ行く途中、亜利夫は蒼司に電話してみます。 九段の八田皓吉のところで、冬至の柚子湯をに入るということです。
その電話を聞きつけた紅司が、 「兄貴たまげるだろうな」とつぶやきます。 これは、かなり意味深です。 でも、他人の家の風呂に入ってくるというのは、どうなんでしょうね。 1954年12月22日は、確かに 冬至ですから、その話自体は自然な流れなのかもしれませんけど。
で、八田皓吉のことが少しだけ書かれます。 外国式のやり方だといって、 彼自身がその売り家に住み込んで注文通りの凝った改装をしてから買い手に引き渡すという家屋ブローカーをしています。
その後、 人を自分の部屋にさそっておいて、紅司は風呂にははいります。 三人は、二階の紅司の部屋に、橙二郎は書斎に向かいます。 途中、不意なった電話を橙二郎が取り上げますが、それは、どうやら間違い電話らしいです。 なんか変な感じですね。
それから三十分階下から物音も聞こえてこなかったし、 二階からも誰も降りたものはいないというのです。 しかも、二階の部屋の窓には鉄格子がついているし、 藍ちゃんの部屋の外の踊り場に非常梯子があるが、それを使うとも思えないと、こうです。
で、 紅司部屋の様子が「赤のシンフォニー」とでもいうような、赤色で調和が取れていると書かれます。
床に厚手な深紅の絨毯、 カーテンはほとんど黒にちかい赤色の古風な天鵞絨(びろうど)、 電気スタンドは眠たいような淡い鮭(しゃけ)色、 ディヴァンには深緋(しんぴ)の繻子(しゅす)とです。 これで、本当に調和が取れているのでしょうか。
天鵞絨(びろうど)はベルベットのことですね。 わざわざ書くということは、この当時は、高価だたのでしょうか? ディヴァンにかかっている光沢が強い織物は紫みの暗い赤色ですね。
で、 紅司部屋の蔵書についても書かれます。 36部限定の局紙本の揃いで日夏耿之介の遊牧記(ゆうぼくき)が五冊と��眠堂(こうみんどう)主人訳になる「院曲撤羅米(さろめ)」の大型本です。
遊牧記については、詳細が見つかりませんでした。 ただ、 日夏の個人誌としての『游牧記』に石川道雄等が参加したとありますから、 自費出版に近いのでしょうか?
一方、院曲撤羅米(さろめ)は、 日夏耿之介の号のひとつである黄眠堂(こうみんどう)主人の訳で、 昭和三年「近代劇全集」中の一篇として発表され、昭和十三年六月蘭台山房より定本として大型豪華版が刊行されました。 ちなみに、 三島由紀夫は『サロメ』の演出、上演にあたり日夏訳『院曲散羅米』を選んだそうです。
ちらりと、挿入されている挿絵を見ましたが、 これは、問題がありですね。
で、最後にちょっとした驚きがあります。 なんと、藤木田老人がバア“アラビク”に行ってて、 久生のことを知ってたのです。
この藤木田という人物もなんとなく油断ならないですね。
つづく。
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2022/12/26〜
12月26日 飛行機に乗って長崎へ来ている。 とにかく全てが未知で、それを楽しむ余裕はない…!と、寒さとかウイルスに怯えて出かけた。 飛行機の搭乗が思ったよりライトで、よく考えたら2時間弱で九州まで行けるなんてとっても身軽(?)!機内で年賀状を書いていたらあっという間だった。空港で万全に準備をした旅行帰りの娘夫婦とお母さん3人にすれ違う。すれ違う時に「あーごみ出ししなきゃ…」と言っていて、現実の生活に戻っていくんだな、と思った。年賀状はしらないまちのポストに入れて送った。
長崎空港からハウステンボスまでは、高速バスで海沿いをずっと走った。風景が、なんというか南の方の地形や町並みだな〜、という感じ。暖色系の風景。長崎ちゃんぽんリンガーハットを2軒見た(長崎にもあるんだ!)。 あと、老人ホームがたくさんあった。みんな最後に海を眺める日々を送りたいのかしら。
ハウステンボスは突然現れる。 川(ほぼ海。河口?)を挟んで外側はすぐ民家。 瓦屋根と広い庭の家がある。河口へ降りる階段でずっとうずくまっている人がいて不安になる。電車を待っている間に聴いていたハンドメイドホームが似合う風景。
ハウステンボスの内側は、行ったことないけどオランダみたいだった。オランダみたい、が詰め込まれていて、あまりオランダ的新発見はなく、程々に虚構で安全でのんびりしていた。オランダ要素が雑に置かれていて、大きい靴のオブジェや踊るチューリップのキャラクター、いろんなところにカステラのお土産屋さんがあった。 お目当てのナインチェショップとカフェもすぐ見つけられて、すぐ見終えた。 イルミネーションや夜景がメインなのか、昼間は園芸屋さんがお花を、電気屋さんが電飾をメンテナンスしていた。
電車を30分待ち、長崎駅や新地方面へシーサイドライナーという電車で移動。2両編成だけれど車内はガラガラ。長崎って車社会なのかな?(自転車に乗れない人が多いのって長崎だった気がする…) 長崎を地図で見たときの、入り組んだ地形を縁取って走っているんだな〜と実感す��海と土地の風景だった。
駅からホテルまでバスに乗ったけれど、思っていたバス停には止まらず、でも近くまで行くよ、と言われてそのままそのバスに乗った。でも、ちょっと運転手さんとぎくしょくしてしまい途中のバス停で下りてしまった。 出島を歩いたり路面電車や坂の風景を見て元気を出す。やっぱり知らない町の都会(中心地)が好き。ホテルに荷物を置いてからもう一度町を歩いた。
中華街は神戸よりも小さくて、近くの商店街よりも小さい。こじんまりというより少しわびしい雰囲気。そして歩くと至る所に角煮まんのお店がある。
飲食店や商店(八百屋さんやお花屋さん)が充実していて、チェーン店もあるけれど、おしゃれな個人店がちゃんとたくさんあって楽しい。
そういえば空港からの高速バスの途中で見かけた“四次元喫茶”と謳っていた喫茶店が気になる感じだった。
12月27日 朝起きて、もう7時で、でもまだ外が暗くて西日本だ〜、と思った。 山口の祖母の家で、��つも、いつまでも朝が明るくならないの、特に冬はずー���と暗くて不安になったのを思い出した。
8時から10時まで港や駅をお散歩した。 港の風景とても良かった。浜のある海と違って「ポー」っと船の音が聞こえたり、対岸の山に並ぶ家や工場のクレーンが動くのを見るのが楽しい。税関のある町は港町なので、神戸も横浜も長崎もお散歩が捗る。次は名古屋税関と名古屋の港に行きたい。
港を歩いて海鮮丼のお店を見つける。 あまり長崎って海鮮のイメージがない。カステラとびわと牛以外のお土産ってなんだろう?市場みたいな商店街でもかまぼこは見かけたけれど、お魚は見なかった。
長崎美術館を外から眺めて税関へ行った。 美術館は川(河口?)を跨いで建てられていて、海近くなので流れもなく運河のようで、昨日のハウステンボスよりずっと生きた都市としてのオランダみたい!と思った。
メットライフに出勤する方々に逆行して長崎税関へ行くと、入口にも��カスタムくん! だいぶ愛らしいビジュアル! 税関は、昔は神戸と同じような船を模した近代建築だったらしいけれど、昭和40年ごろに今の、いわゆる庁舎っぽい四角い建物になってしまったそう。 カステラカスタムくんとちゃんぽんカスタムくんも可愛い。
出島の周りには隠れてミッフィーがいて“長崎はまちにもミッフィーがいてかわいいよ”と、友人にメッセージを送った。
眼鏡橋へ行くと、あ、ここは来たことがあるかも!と思います。連れてきてもらって、そのあとおすすめのカステラ屋さんにも連れて行ってもらって、でも人任せすぎて全然覚えていなかった。せっかくならそのカステラ屋さんでお土産を買いたかったけれど、文明堂でカットカステラを購入。あと、事前に調べたお店で桃カステラを買った。ホールケーキくらい大きい桃のカステラだったので、こもも(ミニサイズ)を実家へ配送してもらった。
ホテルへ戻り、チェックアウトまで年賀状を書いた。
かなり早く空港へ着いたので、お土産物を見てみる。何という買っても買わなくても同じ的なお菓子のお土産ってどこにでもある。
帰りは窓側だったのでうとうとしながら、雲とか地形とかを眺めた。この2日間眺めることばかりをしていて、集中して見ることができなくなっていそう。でもちゃんと1人で飛行機に乗って帰ってこられたのでえらい!という充実感もありつつ、羽田からの帰路に着いた。
東京に着いて年末だった事を思い出す。 知らない町のの年末はやっぱり知らないでいられるけれど、東京のやけに空いた電車で大きな荷物の人を見ると、年を越さないとな〜という気分になった。
帰宅して儀式的にたくさん消毒して、年末に売るものや洗うもののこととかをもう考えていて、さっきまで港にいたのに、今はいつものスーパーで(やっぱりやけに空いていた)いつもの食材を買っていて、長い長い1日だった。
明日を出勤日にした事を少し悔やみつつ、ちゃんと起きれたら行こう、くらいのマインドで、職場へのお土産をセットした。
今回は鏡の多いホテルだったのに、フィルムカメラで自撮りをしなかったかもしれない。
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#saturdaycafe #cafemiel #tokyocafe #九段下カフェ #カフェミエル #東京の喫茶店 (at カフェ ミエル(Cafe miel)) https://www.instagram.com/p/CfOAeAbvYJI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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123と私 ・ 加藤一二三さんという将棋の棋士がおりますが、現在の段数が九段らしいので一二三九段と表記すると何だかややこしい感じになりますね。 ・ 以前カレッタ汐留に入っていた「いちにいさん」という鹿児島の黒豚専門店が好きでしたが今は無くなってしまったので銀座まで足を伸ばす必要があります。 ・ あとは「いちにいサンガリア」と言うCMソングも耳に残っておりますが、日本で一番メジャーな1、2、3と言えばアントニオ猪木さんでしょうね。 ・ と言うわけで本日のモーニングは #ダカフェ #ダカフェ恵比寿店 です。平日休みが取れたので、たまには気分が上がるモーニングを求めてやってきました。 ・ 頼んだのは #小倉フルーツトースト と #ホットコーヒー です。出来たら呼び出してくれるようで、名前を聞かれてa2cgですと告げます。 ・ ホテル内に併設された #カフェ らしく明るくて広々としていておしゃれな空間です。宿泊客以外にもリモートワーカーも利用しているようです。 ・ 5分ほどして呼ばれて取りに行きます。色とりどりの季節の #フルーツ が乗った #トースト は見ただけで美味しそうです。 ・ まずは #パイナップル を頂きます。完熟なのでしょうか?びっくりするくらい甘くて、その下にある #生クリーム と #あんこ との組み合わせは最高です。 ・ 続いて #いちご も頂きます。これまた素材だけで十分な甘さを感じられますが #クリーム と #小倉あん とが合わさると更に後を引く美味しさになります。 ・ #キウイフルーツ は、程よい��味でむしろ甘さが勝っている感じ。最後の一つは #焼き芋 で朝から極上の #スイーツ をたっぷり頂けて大満足です。 ・ で、油断していたのですが #コーヒー がビックリするくらい香りが良く、程よい苦味があって深い味わいで甘いトーストとの対比がいい感じでした。 ・ 他のフルーツサンドやいわゆるモーニングもあったので、色々と楽しんで見たいなと思います。 ・ #恵比寿モーニング #恵比寿朝食 #恵比寿グルメ #恵比寿カフェ #恵比寿喫茶店 #とa2cg (ダカフェ恵比寿) https://www.instagram.com/a2cg/p/CZIOvq7hQR1/?utm_medium=tumblr
#ダカフェ#ダカフェ恵比寿店#小倉フルーツトースト#ホットコーヒー#カフェ#フルーツ#トースト#パイナップル#生クリーム#あんこ#いちご#クリーム#小倉あん#キウイフルーツ#焼き芋#スイーツ#コーヒー#恵比寿モーニング#恵比寿朝食#恵比寿グルメ#恵比寿カフェ#恵比寿喫茶店#とa2cg
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白昼の死角 長ねぎが消えた
来月初旬に、とうと��57歳になる。”オリンピックまであと〇〇日”みたいに、いよいよ還暦が、カウントダウンに入った。東京五輪は延期になったが、年齢にそれはない。
今年はベートーベンの生誕250年にあたるので、クラシック番組でよく取り上げられている。かつて愛聴した作曲家のひとりである。気になって調べたら、かのベーやんは、56歳で亡くなっていた。
ちょっと、ドキッとした。九つの交響曲をはじめ、数々の名曲をつくった楽聖。それに比べてオレは・・・。まあ、ジャンルも時代も違うから、問題はない(そういう話かよ!)。
57という数字は、50代半ばのギリギリだ。58は、間違いなく後半である。あと1年間は、思いっきり”半ば”を満喫しようと思う(何をや!)。
◎57◎57◎57◎
自分の年齢に、あまり実感はない。若いと言うにはとうが立っているが、老いてはいないつもりだ。けれども肉体は正直で、間違いなく衰えている。まずは視覚だ。
加齢による視力の衰え=老眼は、すでに持病の域に達している。こいつは王様気取りで読書の邪魔をする。すっかり臣下は、二段組や極小文字の本を敬遠するようになった。とはいえ、大きな活字のスカスカ本は、いかにも内容がなさそうで買う気になれない。難しい年頃(性格?)である。
今のところ、デジタル読書を試すつもりはない。老いてなお、正真正銘の紙の本好きなのである。その私が、インターネット上にブログを書いているのも、変な話ではあるが。
老眼で一番困るのは、パスタの茹で時間問題である。外国製とくにイタリアのそれは、袋に書いてある茹で時間の字が、異様に小さい。というか、どこに書いてあるのかさえわからない。探すのに往生する。パスタを茹でるのは、元気ハツラツの若者だけじゃないぞ!と、極東から声を大にして言いたい。
視力だけではない。視野も狭くなっている。広い範囲でものを見ることができないことに加え、奥行きがわかりにくくなっている。茶碗に米飯が残っていることがある。手前の米が、死角になって見えていない。そんなことは、かつてはなかった。神に誓って。
◎57◎57◎57◎
原付バイクに乗って、よく買い物にでかける。長ねぎが、ビニール製の買い物袋からはみ出ていることがままある。店によっては切ってくれるところもあるが、スーパーなどではそのままだ。
袋から半分くらい顔をのぞかせたそいつを、バイクの胴体のフックに引っ掛ける。長ねぎを両足ではさむ感じで(触れてはいない)出発進行。しばらく走り、赤信号で停車する。
ふと見ると、長ねぎが袋から消えているではないか。風か振動で、袋から飛び出したのだ。泳げ!たいやきくんみたいに・・・。
所有者の私は、落としたことに気づいていない。視野が狭いため、出奔した瞬間が目撃できていない。まさに、白昼の死角である。そんなことは、これまでになかった。神に誓って(もうええか)。
長ねぎくんのいない袋をしばし見つめる私。今来た道を引き返し、長ねぎを探す旅に出るかどうか、迷う。いや待てよ、交通量が多い幹線道路だから、落ちた長ねぎは、間違いなく車に轢かれている。かわいそうな長ねぎよ。いやいや、いち早く探せば、車の犠牲にはなっていないかもしれない・・・。
でも、探しまわって、見つからなかったらどうする? 警察に届け出るか?
「どうしたんですか?」
「な、長ねぎを・・・落としてしまったんです」
「あ~ん???」
間違いなく、不審者に見られる。あの長ねぎには、縁がなかったんや。そう自分に言い聞かせ、エンジンをふかす。もう、後ろは振り向かない。
◎57◎57◎57◎
握力も驚くほどなくなっている。加齢に加えて、パソコンが大きく影響していると思う。一日中マウスを握っていると、力が入らなくなるのだ。
以前めちゃくちゃ忙しかったとき、右手の握力がほとんどなくなっているのに気づき(私は右利き)、何かの病気にでもかかったのではないかと、本気で心配した。五指に力が入らないのである。繁忙期を過ぎると、徐々に持ち直した。意外に”ミッキー”が下手人だったとは。まさに、死角である。
ビンの蓋も開けにくくなった。若いころ、祖母によく助けを求められた(私10代、祖母60代)。私が試すと、難なく蓋は開いた。老人はなんて力がないんだろうと思った。それが今は、すっかり私は祖母みたいになっている。
「おばあちゃん・・・」
鏡の中の自分に呼びかけてみる。
菓子などのビニールの袋類も、開けにくくなった。特にペットフード。どれだけ引っ張っても開かない。そもそも人力では無理なのかもしれない、と思うようにしている。
二の腕も細くなったので、最近は腕立て伏せを何十年かぶりで始めた。30回が精いっぱいである。憧れのプロ野球選手になるのは、もう無理かもしれない。
◎57◎57◎57◎
五十代半ばともなると(まだ言えるぞ!)、時間感覚が伸びたゴムみたいにゆるゆるになっている。二十歳は20年しか生きていないので記憶は鮮明で、ある出来事が何年前にあったかを言い当てるのに、大して誤差はないはずだ。
ところがわれわれ高齢者予備軍は、ある事柄が2年前だったのか、3年前だったのか、それとももっと前なのか、思い出せないことがよくある(私だけか?)。
4月のBSプレミアムシネマで『卒業』(監督:マイク・ニコルズ 主演:ダスティン・ホフマン)を放映していた。1967年に公開されたアメリカン・ニューシネマの名作である。かなり昔に観た覚えがあるが(ほら、もう忘れている)、久しぶりに見直したら、やっぱり面白かった。脚本がいいし、カットが凝っている。
真面目な大学生のダスティン・ホフマンが、けっこう年上の人妻と恋に落ちる。その娘とも恋仲になって最後は・・・。まだ観ていない人のために、口にチャック!
アン・バンクロフト扮する人妻が、なんともエロいのである。観ながら思った。この人、2~3年前に亡くなったのを新聞で読んだ覚えがあるーー。あとで確めたら、天に召されたのは、15年も前だった! ぜんぜん違うやん。ゴム、伸び切ってるやん!
◎57◎57◎57◎
映画の話をもうひとつ。今月18日のWOWOWシネマで『ラヂオの時間』(監督:三谷幸喜、出演:唐沢寿明・鈴木京香・西村雅彦ら、97年)を放送していた。三谷の初監督作品である。彼は以後、大作を数多く手がけていくが、演劇的要素がうまく凝縮したこの作品は、私の中ではベストワンである。
作中、梅野泰晴が演じる、演歌歌手のマネージャーが出てくる。その場その場で強者に調子を合わせる軽い人間をうまく演じている。一緒に観ていた北川景子は「こういうやつ、おるわ~!」と何度もうなずいていた。
観たあとの私たちの会話。
「梅野泰晴って、何年か前に亡くなったよな」
私が言うと、すぐに北川がスマホで検索した。
「まだ生きてはる! 87歳や!」
60年近く生きていると、誰が亡くなったのか、はたまた生存しているのか、わからなくなってくる。
この作品の出演者では、藤村俊二、細川俊之がすでに旅立っている(ふたりの演技も良かった)。彼らと混同したのか、それとも別の人と勘違いしたのか、それさえわからない。
どちらにしても、私の頭の中の記憶のゴム(消しゴムではない)は、やっぱり完全に伸びきっている。
◎57◎57◎57◎
平均寿命が延びることで、人類は人生で得られた知識や経験を後輩たちにより多く伝えることができるようになったーーそのような内容をむかし本で読んだ記憶がある。
私に限って言えば、その一方で記憶もどんどん失われている。したがって、伝えているのは、あやふやでどうでもいいことが少なくない。
ん? この原稿が、それ? ・・・確かに。<2020・7・22>
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「喫茶店にて」についての断片(この文章はいづれ改稿されて紙に印刷される)
「喫茶店にて」という萩原朔太郎の短い文章がある。文字数にして千字にも満たない。非常に好きな文章なのでこれまで事あるごとに読み返してきた。そのたびにこの文章に関する文章や、慎ましい冊子を作りたいと思っていた。けれど作り始めないまま数ヶ月が過ぎた。そのためよう��くこうして書き始めることができたことがひとまず、嬉しい。アリストテレスはやり始めた時点で全体の半分は済んだ、という言葉を残したらしいが強く同意できる。ところで、この「喫茶店にて」という文章について大まかに説明しておこう。商人の町・大阪から上京した友人に萩原は東京(都会)らしい場所をみせてやろうと銀座の有名な喫茶店に連れていく。友人はそこで暇そうに寛いでいる人々をみてとても不思議がる。萩原は忙しく働くことは俗悪だとするニーチェの言葉を引用しながら、昔の江戸時代ほどののんびりはなくとも、せめてパリやロンドンくらいのレベルまで有閑を享受できる心の余裕を日本も持ってほしいと願う。それが成熟し伝統を持つ都市、生活だという。この文章をはじめて読んだのは修士論文の発表が終わって間もなくのことだった。自分はすでに博士課程に進学することが決まっていて、毎日映画を見たりレコードを買ったり、本を読んで一日を過ごしていた。つまり呑気に悠々とした生活を送っていた。同じ頃、同い年の友人たちの中には仕事が嫌になってやつれていく人が増えていた。そうした時期とも重なりこの文章は強く自分に影響を与えた。萩原朔太郎の文章はほとんど読んだことはない。高校生のころ国語便覧で萩原はマンドリン奏者でもあったという記述を覚えているくらいでそれ以外の印象はない。それどころかこの「喫茶店にて」の文章を読んだあとでさえ、彼の他の文章は読んでいない。何をしていたかといえば、それも具体的には思い出せない。音楽を聞いたり、本を読んだり、映画を見たりしてのんびりと生活していたことしか、思い出すことができない。
のんびりと過ごしていたい、といえば思い出すことがある。それは子供のころから今に至るまで、出入り口というものに関心を持っていること。部屋に入る人や、部屋から出ていく人、部屋にいる人たちを特定の場所から眺めていると妙に落ち着くのだ。一時期はホテルのドアマンになりたいと真剣に考えていたこともある。そんなとき、テレビのプログラムで家電品の特集をしているのを観た。その番組の出演者が空気洗浄機について以下のようなことを言っていた。空気清浄機は部屋の出入口付近に置くのが最も効果的である、なぜならドアの開閉による風で部屋の空気の循環をよくするから。それを観て自分は笑った。自分は空気洗浄機になりたかったのだと同居人に冗談を言ってやろうかとさえ思った。そして口を開く寸前に、自分は青ざめた。空気洗浄機の足を引っ張っているのではないかという思いが頭をかすめた為である。これには案外、見逃せない問題があった。仮に空気清浄機の代わりに自分がそこに居座るのであれば、空気清浄機に代わる仕事ができれば問題ない。けれど自分には空気中の花粉やホコリを濾過することはおろか、だまって仕事を続けるということ(考えるまでもなくそれは大変な能力である)さえままならない。空気清浄機のみならずすべての機械というものに対して申し訳ない気持ちになった。いっそ、死のうと思った。けれどその頃合いになって先哲の金言が思い起こされた。およそ、人間の本分は生産ではなく消費である。自分は縄に首を掛けるのを止めた。そうかそうか。何もかも消費をしてしまえばいいのだ。脂っこいものを食ってがぶがぶ水を飲み、美しい早春の一日に部屋でごろごろ寛いでやればよいのだ。電気もつけっぱなしで煙草のけむりで部屋を真っ黒にしてやればよいのだ。これで機械という奴らとの差別化ができた、とようやく自分の居場所を見つける事ができた。ほくほく顔で出入り口に居座ってやろうとしたら足の小指に激痛が走った。何かにぶつけてしまった。見ると立派な空気清浄機がそこにはあった。衝撃が思いの外に強かったのかゴロゴロという異音が鳴りはじめ、とうとう黒い煙を吐き出した。どういうわけかコンセントのあたりからはパチパチと火花が散っている。これは火事になる、と慌てて消火器を持ってきて吹きかけた。空気清浄機の周辺が真っ白になり、すべて落ち着いた。まったく……余計な手間を掛けさせる奴だと思ったと同時に、頭の中で何かが壊れた音がした。ラララ。そうである。空気清浄機は電気を消費し、場所を占有し、故障の果てに黒煙を吐いた。自分及び人間としての存在理由であった部屋を汚すという行為さえ機械に奪われ、それどころかその後始末までさせられた。この空気清浄機は自分よりも資源を消費している。しばらく呆然としていた私の左手には、いつの間にだろう、大きなトンカチが握られていた。日本の元号は変わり、世界は度重なる分断を越えようとしている時代の中、自分だけがラッダイト運動の時代に取り残されている。時代は繰り返す。けれど皮肉なことにそれは違う姿をしているから気付くことが出来ない。いっそ空気中のホコリのように自分のことも濾過してくれれば、と目の前の故障した空気洗浄機に祈った。その時部屋の扉が開いて肩にぶつかった。激痛。扉を開けた若い女性は慌てて私に謝ったが、その顔は明らかに迷惑そうにしていた。しかし自分にとって、それは却って救いであった。
近所のホームセンターに行ったはなし。十一月になるというのに少し自転車を漕げば汗ばんだ。毎年のように今年は異常気象だ、という年配者の話をいい加減無視できない、と考えていたら目の前を走る自転車が急停車し危うく衝突しそうになった。老婆だった。老婆の自転車のハンドルには鍋つかみのような防寒具が取り付けられており、前後のカゴには相当な量の野菜や惣菜が入っていた。夫婦で食べるとしても多いだろうと思うほどの量。一人であればなおさら。ホームセンターの前に自転車を停め、店に入ったところで何を買いに来たか忘れる。棚を眺めていたら思い出すだろうと歩いていたら程なくして電球のソケットを買いに来たことを思い出す。電球のコーナーは美しい。大小さまざま色彩もさまざまな電球や蛍光灯が輝き、ただでさえ明るい店内でその売り場をより一層明るくしている。ろくに調べていないので自分の求めているものがあるのかは探してみなければわからない。一般的な電球を取り付けることができ、スイッチで電源のオンオフができる(できれば)電池式のソケット。そんなもの何のために必要なのかと言われても困る。なんとなくそんな代物が欲しくなっただけで、使い道は手に入れたあとに思い付くだろうから。二十分ほど念入りに探したところでそれに見合う商品がないことが分かった。最も近いものは天井から吊るすタイプのソケットであったがそれは実物を見ても欲しくならなかった。そうとわかれば急に家に帰りたくなり店を出た。自転車の鍵を開けたとき隣に鍋つかみのついた自転車が止まった。老婆だった。けれど先ほど急停車した老婆とはちがう老婆だった。いや、よくみると極めて老婆のような老いた男だった。この老人も先の老婆と同様に前後のカゴに買い物袋を入れていた。けれど外から見える品物は酒やスナック菓子ばかりだった。老人は買い物袋そのままに、自転車に鍵もかけずホームセンターに入っていった。私は羽織っていたカーディガンを自転車の前カゴに入れ、少し遠回りして帰った。
一見不安定に見える状態が実はもっとも安定した状態である、という現象は比喩でなく実際に起こりうる。物理の世界でも対人交流においても同様である。ヤジロベエの原理のように実は一つの支点を軸に調整をしているだけに過ぎないことは少なくない。二〇一八年の内閣府の調査では所属コミュニティの多い人ほど日々の生活が充実しているという結果だったらしい(内閣府調査 平成二九年版 子供・若者白書「特集 若者にとっての人とのつながり」)。と同様の内容を、喫茶店で年下の友人相手に自慢げに話していたら隣のテーブルの声がやたらと聞こえくることに気付いた。隣のテーブルには大学生だろうか、若い四人の女がああでもないこうでもないと話している。そしてそのうちの一人の声が明らかに必要以上のボリュームなのである。店内の他の客はそれとはなしにそのテーブルに対して迷惑そうにしていることもわ��った。聞きたくもない話が明瞭に頭に流れ込んでいる。その話というのは声の大きな女が好意を寄せていた男に女ができた。その女は極めてきれいな顔立ちをしており、スタイルも抜群であるが性格の悪さについては誰もが知るところで、きっとその男もすぐに見放すだろう、ということ。そして気になったのはその会話の中で何度も「美人は三日で飽きる」という言葉が使われていることだった。トイレから帰るときにその女たちの顔を見たが、みな例外なく不健康に太っていて肌が荒れていることに驚いた。声だけを聞いていたときはもっと溌剌とした容姿を想像していたがそれは若さによるものだった。そしてその若さも彼女らは次第に失っていくのか、と他人事のように思っていたら、向かいに座っていた友人にズボンのチャックが開いていることを指摘された。居心地が良くないので違う喫茶店に行こうと友人を誘い、友人もその方がいいといって店を出た。次の店までアーケイドを歩きながら友人が言ってきた。いわく、今やっと「美人は三日で飽きる」という言葉の意味が分かったという。というのも友人はこの言葉についてこれまでずっと疑問を持っていた。なぜなら美人は何日たっても素晴らしいから。毎日違う側面を見せてくれて、この世界に存在する様々なものに彩りを与え続けてくれるという経験をしていたからである。友人は「美人は三日で飽きる」というのは美人でない人間に対する救済なのだと言った。嫉妬や当て付けではなく救済。この言葉が広く敷衍して、もはやクリシェと化しているのはつまり「南無阿弥陀仏」と変わらない普遍性を持っているからなのだ。君もついに空也上人の領域までたどり着いたんだねと、私は友人に笑い掛けたがその実、その友人の統合力に感心していた。そしてその話を私は今、自慢げにここに書いている。
映画館で眠ることやコンサートの最中に眠ることを贅沢なことだと思い込むようになったのは高校生くらいだった。その頃は不思議なことに誘われる催し中は決まってひどい睡魔に襲われた。理由はわからない。夜更かしをすることもまれだったし、体も健康だった。ただ眠たくなる。始めの頃は演者や誘ってくれた友人たちに申し訳ない気持ちで可能な限り眠らないよう努めていたが、次第に諦めていった。むしろ開演から早めに眠りに落ちてそしてできるだけ早く目を覚ますことを目指し始めた。一度眠ってしまえばあとは意識清明になっていたからである。それから数年経ち、今では眠くなることはほぼなくなった。最近、とあるライブに行った。広島のヲルガン座で行われたフリーダムというイベント。東京からのゲスト、ノラオンナさんを招いたイベントだった。ウクレレの弾き語りと、うた。MCは無し。アルバムと同じ構成で四〇分ほど休みなく続くライブ。そのはじめ、彼女は控え��に、寝てしまうかもしれません、と客に言った。けれど心地よくなって寝るというのはとてもいいことなので、とも言った。ただ、いびきだけはかかないでください、とも。自分はその言葉に、数年前の心地まで軽くなるのを感じた。ライブは物語性に富み、非常に素晴らしかった。私は寝なかったし、一度も眠くならなかった。
月曜日に限って美術館に行きたくなる。そんな時期がある程度続いたことがあった。月曜日、街にある美術館のほぼ全ては休館日であり、その近くにある図書館も当然休みだった。明日は必ず、という気持ちで火曜日を迎えると、きまってもう衝動は消えてしまって、外出さえも億劫になる。水曜から金曜までは美術館のことなど一瞬も頭に浮かぶことなく過ごし、土曜日に少し思い出し、運が良ければ日曜日に美術館まで行く。けれど人が多くてすぐに出てしまう。おそらく、決まった仕事をしていない人間にとって、それも普段は美術に対して強い関心を持っていない人間にとって、月曜日ほど美術館に適した一日はない。仕事をしていないからといって、社会から隔絶されているわけではない。月曜日の朝には社会が何かしらの動きを始めたような気配だけはしっかりと感じることができる。そしてその気配が妙な圧力をこちらにかけてきて、せめてもの罪滅ぼしに何かをしようと考える。できれば文化的な行動が喜ばしいな、と勝手に自分で判断し脳の中で選択肢を絞る。そして弾き出される計算結果は決まって「美術館に行く」というもの。しかし美術館は休み。またか、と思う。そして気が付いたら日が暮れている。けれど最後のあがきとして一、二時間ほど自転車で街をうろつく。そうして何かをした気持ちになって家に帰る。最近は月曜日以外も美術館に行きたいと思うようになった。けれどあまり行ってはいない。本棚にあるつげ義春の「無能の人」の背表紙が妙に目立って見える。
透明の黒電話。
七万円の使いみち。金座街にある古本屋の店先には安部公房全集がある。
タクシードライバー。
ヴラマンクの雪の絵について。
先程、萩原朔太郎の文章はほとんど読んだことがない、と書いたがひとつ思い出した文章がある。頭のなかでなぜか太宰治の文章だと勝手な処理がされていたが、いま確認し���みたら萩原朔太郎のものだった。僕の孤独癖について、という文章である。その中の「人間は元来社交動物に出来てるのだ。人は孤独で居れば居るほど、夜毎に宴会の夢を見るようになり、日毎に群衆の中を歩きたくなる。それ故に孤独者は常に最も饒舌の者である」という文章はまるで──。
複雑なものを複雑なまま楽しむことについて。
ノンアルコールビールについて。酒を飲むこと、というよりも酔うことが嫌になった。これまでもそういった時期はあったが、今回も一時的なものかもしれない。けれどこれまでと異なるのはノンアルコールビールというものに関心を持ち始めたことである。
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WAREHOUSE&CO. / Lot 3104 FLANNEL SHIRTS 《Pattern-B》
Size:36(S),38(M),40(L),42(XL)
Color:RED、BLUE
Price:<OW>¥20,000-(+TAX)
とても”秋雨”とは思えない大雨が断続的に降り続けていた北部九州ですが、現在のところ、福岡市付近では降雨はなく、落ち着いた週末となっております。しかしながら、ここ数日の凄まじい降雨量で地盤が緩んでいる所があるはずです。普段は何ともないところであっても、突然、崩落する危険性が十分に考えられます。興味本位では絶対に近付かないで下さいね。そして、最新の気象予報もしっかりチェックしましょう。
さて、先日ご紹介したA柄のネルシャツを皮切りに、近年稀にみる異例の速さでB柄も入荷して参りましたっ!!
<MODEL:175㎝/65㎏ Size40(L)着用>
3色使いのシンプルなブロックチェックパターンは、意外にも!?お久しぶりのリリースではないでしょうか。(私の記憶が正しければ・・・)
<MODEL:169㎝/70㎏ Size40(L)着用>
カラーは、『これぞネルシャツっ!!』と言った王道の<RED>と<BLUE>の2色展開。
シンプルにTシャツの上に羽織ったり、レイヤードスタイルでコーディネートの幅を広げてみるのもイイんじゃないでしょうか~
先日入荷したRED WINGとの相性もバッチリですねっ!!
ご一緒にどうぞ~
さてさて、『FCB日記(フクオカシティーボーイ日記)』の時間です。
最近、FCBが秘かにハマっている”ナポリタン”スパゲッティ。
主に、『喫茶店』で供されるものを探し求めており、お店によって提供の仕方は様々。中でも、熱々の鉄板の上で”ジュウ~ジュウ~”と音を立てながらテーブルに運ばれてくる様は、食のエンターテインメントっ!!
大分県日田市『レストラン ダイヤル』のナポリタン&ハンバーグ
ん~夢の共演。ナポリタンの上に乗せられた生卵を割り、鉄板の上ですばやく麺と絡める。味は・・・ご想像にお任せしますね。年季の入った鉄板もまた雰囲気を盛り上げるスパイスです。
『ミルクセーキ』
全国的には”飲む”ミルクセーキが一般的かもしれませんが、長崎県を発祥とする”食べる”ミルクセーキ。コレもまた旨し。火照った体にひんやりと染み渡ります。
『昭和感が半端ないウィンドウ』
これから先、どんなに元号が変わったとしても後世に残したい風景のひとつです。このワクワク感はいくつになってもイイものですね。
次回訪問時は、”ミートソース”か?それとも、”チキンカツ”か?
乞うご期待。
☝~9/16(月)までウエアハウス東京店、名古屋店、福岡店にて開催中ですっ!!是非ご利用下さいねっ!!
それでは、皆様のご来店をお待ちしておりま~す
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tofubeats RUN 制作日誌
tofubeats - RUN 初回プレス分に封入 2018/10
CDを購入 https://amzn.to/2RjjdPM iTunes Store/Apple Music LISTEN NOW Spotify LISTEN NOW
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まず最初に「寝ても覚めても」の脚本を読んで、とても戸惑った。世間体に囚われず自分の思うままに動く主人公、朝子の気持ちがあまり理解できなかったからだ。ただそういった理屈じゃないところに人間らしさというものがあるというのもよくわかる。まずは映画が終わったあとに見ている方々が朝子のことを嫌いにならないような曲にしたいな、というようなことをボンヤリ考えた。 ���回の映画の鍵になるのは淀川らしい。我々関西人には馴染み深い川だ。淀川~音楽と聞くと上田正樹「悲しい色やね」しか出てこない。実際脚本を読んでからこの曲を聴くとそれなりにハマるのだ。ただ残念ながらああいうソウルフルなボーカルは自分にはできないので、まずは川についての認識を改めよう。脚本を読み込んだあと、書店に行き、ブルーバックスの棚から「川はどうしてできるのか」を購入することからこの 曲の制作は始まった。こういう本を読んでいると日能研に通っていたころを思い出す(きっと最後に真面目 に勉強していたのがその頃だったからだろう)。読み始めて早々に「河川の3作用」という懐かしい項目にぶつかった。皆さんは覚えているだろうか、侵食、運搬、そして堆積。なんだかこれで曲ができそうな気がしてきた。こういう予感は当たる時の方が少ないのだが、RIVERはそんなアイデアをもとに叩きが仕上がった。 1箇所を除いてほとんど最初に書いた歌詞が採用された。
8月某日、主題歌がひとまず仕上がりサントラに取り掛かっている最中、映画のロケが神戸でも行われるということで見学に行ってきた。その場所は六甲アイランドという埋立地で、独特の雰囲気がある人工都市だ。行きしに昔よく行っていた御影クラッセで差し入れを買う。きっと映画のスタッフはさぞ大人数なこと だろう。普段は買わない大きなサイズを買ってみる。早めについたアイランドセンター駅の周りは閑散とし ており、夏の空気がじんわり漂っていた。少し辺りを所在無さげにうろついているとスタッフの方に見つかる。本来は閉館中の美術館に裏口から入れてもらうさなか、本当にこの中で映画のロケなんてしているのだろうかと不安になった。 中に入ると撮影真っ只中。まだ知り合う前の主人公2人が美術館の中ですれ違うシーンが何度も別アングルから撮影されていた。大阪の国立国際美術館周辺から移動してきてここ神戸で美術館の内観を撮影する、というスケジュールだったようだが、話を聞けばこの日はセリフがあるシーンはほぼ撮らないという。2人 の足音と東出さん扮する麦が歌う鼻歌だけがひっそりと響いていた。映画を撮るというのは音楽を作るよりも遥かに大変だな、となんとなく撮影を眺めているとひと段落したタイミングで「トーフビーツさんからバー ムクーヘンの差し入れで~す!」とスタッフの声。映画の現場ではこうして差し入れを周知させるという慣習を知らなかったのでめちゃくちゃ驚いた。ちゃんと差し入れを持って行っておいてよかったと胸を撫で下ろす。 のほほんと見学している自分以外の皆様は仕事中。監督や主演のお二人への挨拶もそこそこに車に乗って家路につく。美術館を出るともう見慣れた景色に逆戻りで、あんなに画になるふたりを神戸で暮らしていて 見ることなんて無いので変な気分だった(だが、後に唐田さんとビデオで共演させていただくことになってしまい、さらに時空は捻じ曲がる)。車に乗り込み、ちょうど本土に向かう橋の手前でロケバスと隣り合わ せになった。きっと映画のスタッフの皆様が乗っているのであろう。一方でひとり家路につく自分の仕事は つくづく小編成だなと思いながらハンドルをロケバスと逆の方向に切った。湾岸から本土への橋を走っている時は、光の中に飛び込むようで気持ちが良い。家に帰ればまだまだサントラの制作が待っている。
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神戸某所の洒落たカフェでジャンプのお色気枠の漫画をipadで読むのが仕事になるとは思っていなかったが、以前にもカドカワのお色気映画の主題歌を書いたことがあった。こう言った類のラブコメと縁がある人生、オタク冥利に尽きますね。「電影少女」を全巻読むところから始まったこの仕事、RIVERといい資料に向き合う作曲が今夏は多い。漫画と脚本を行き来して要素を書き出していく。ドラマの要素、漫画の要素、そして西野さん(劇中で西野七瀬さん扮するアイちゃんが歌うということは最初から決まっていた)。こうして曲のデモが出来上がってから同じカフェで3日くらいかけて仕上げたのがふめつのこころの歌詞だ。TVサ イズの制約や歌唱キーのこともあり、いろいろと縛りの多い中で展開させるためテンポもこれまでのシング ルで一番早いし、イントロもほとんど無い、自分としては珍しい曲ができた。 ちなみにここでいう「こころ」というのは自我、とか意思というものに近い、と当時の走り書きに書いてある。ビデオガールは恋をしてはいけないし、主人公の翔も自分から行動するのが苦手だ。自ら扉を叩くというのは簡単なことではないのだが、だからこそそういう「こころ」を持って欲しい、というテーマに最後は収まった。きっとそういったことを皆に気づかせるためにアイは降臨したはずなのだ。前のアルバムの若林さんによるライナーノートやその時読んでた本もヒントになったかもしれない。
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先ほども書いたがふめつのこころは西野さんによって歌われることがあらかじめ決まっていた曲だ。レコーディングは師走真っ只中、電影少女の撮影の合間を縫って行われた。テレビ東京に到着するとちょうどアイ がふめつのこころに合わせて踊っているビデオの撮影最中。いつのまにか可愛らしい振り付けが付いていて驚いた。しかし流れているのは自分の仮歌だ。これももう少しすれば目の前にいるアイに吹きかえられる。 まだまだ大量の撮影を控えている西野さんはアイの格好のままスタジオにやってきた。簡単な挨拶を済ませてから、話もそこそこにレコーディングへ。いつもグループで多忙なアイ、いや西野さんはソロでのがっつりしたレコーディングは初めてだという。歌は上手なのだが控えめな声量で、少々珍しい設定で録りが始まる。前回のアルバムのレコーディングで逆に自分の声がバカでかくて逆方向に珍しい設定になっていたこ とを思い出す。 ところどころグッと張ったときに魅力的な声を出す人ですね、などエンジニアの方と話しながらレコーディ ングは進行。メインのメロディを録り終えてから次はハモ、というところで、「実は一人でハモりを録ったことないんです」と西野さん。慣れない作業かもしれませんが頑張ってみましょう、とキューを返して録り始めるが、とくに大きな躓きもなく終了。西野さんは同じくアイの格好のまますぐに撮影のスケジュールに戻っていった。トップアイドルの過密スケジュールは大変だなあ(それに加担しているのだが)と西野さんを見送り、ハウスエンジニアの方が素材を整理するさまをコーヒーを飲みつつ眺めていた。我々の希望に反して残念ながらアイ歌唱のバージョンは音源としてリリースされることはなさそうだが、この曲はこのバージョンのために書き下ろしたことをここにメモしておく。そういえば今作はもう1曲お蔵入りになった曲がある。 現場でよくプレイしているがサンプリングの許可が降りなかった。FANTASY CLUBの海外版に「BABY」 が収録できなかった件もそういった事情なのだが、なかなか日本の権利元からサンプリングに対する理解を得るのは難しい。などと言っている間に平成が終わる。
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年明け、初めて母校の高校で講演をするというオファーがあり、高校2年生向けに自分の仕事について話 す機会があった。高校時代からそこまで世間とソリが合っていたわけでもない上に今や10個の年齢差、共学化までしている母校はもはや別の学校だった。あんなにザルだった入り口で守衛さんに「何か御用ですか」 と止められる。ミュージシャンとしては地味な部類なので忘れがちだがもうジャケットを羽織ったくらいで はこの胡散臭さは隠しきれない。 2コマの講演は概ね好評で胸をなで下ろすも非常に気疲れする現場だった。終了後すこし不思議なキャラで人気だったかつての担任が何人か将来音楽の仕事や舞台の仕事がしたいという子を連れてきてくれた。宝塚の受験を頑張っている子などがいるのは本当に自分のいたころの母校と違いすぎて驚いたが、大体の人は何か一つに傾倒しなければいけない!と肩肘を張りすぎている気がする。自分は高校の時はそれなりに音楽に打ち込んでいたが将来音楽関係の仕事をしたいとは思っていなかった。好きなことや凝れることがあると人生は楽しくなると思うが、それをどう仕事と絡めていくかというのは別の難しい問題。そんな話をしていると噂を聞きつけた3年生が数名、教室へ飛び込んできた。2年生より彼らは自分のことを知ってくれているようで、聞いてみると乃木坂のファンでもあるという。ちょうど年始にOAが始まった電影少女のラブシーンにドギマギしているそうだ。そんな高校生の姿を見てなんだか無性に嬉しくなった。 もうドラマのOAは始まっているが後半のエピソード用のサントラの作業はまだ少しの修正を残していた。 午後は高校の隣にある同じく母校の大学に通うLe Makeup君と合流し修正作業。長めにかかるかなと思っていた作業はあっけなく終了。作業をした部室はまだ自分が卒業した時と大差無く、自分が部室に持ち込んだゲーム機や椅子もまだそのままで、後輩たちのサボりの一助になっている模様で一安心。
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RIVERを書き下ろしてから約半年、バレンタインデーの頃に「寝ても覚めても」の初号試写があった。自分にとっては作った主題歌、そしてサントラを初めて劇場で体感する日である。タクシーに乗ってもよか���たのだが気持ちを整理したくなり、歩いて撮影所に向かう。会場に到着するとすぐに試写は始まった。 映画自体、何度もラッシュを見て曲をつけていたのに映画館で改めてそれらを見るのは本当に緊張した。 正直映画自体のことよりも音楽がちゃんと映像を引き立てられているか心配で仕方がなく、エンドロールで RIVERが流れ出したときなどもこちらは気が気でなかった。 ひとまず映画は終わり、大きく息を吐いたところで明かりがついた。横を見てみると、同じ列の少し向こうに唐田さんが座っていて驚いた。何主演の近くの席で見とるねん俺は、と思ったがそんなことにも気づかないくらい曲のことで頭がいっぱいだったようだ。唐田さんは初ヒロイン仕事がようやく一息ついたのだろう、涙を拭いつつ近くの席の方と労をねぎらいあっていた。世間の評価を一手に引き受ける俳優の方々の重 圧たるや自分には想像もつかないものだ。 ロビーに出るとスタッフの方々に当日来ていた俳優の方々を紹介される。同世代の俳優さんたちが頑張ってらっしゃる姿は刺激になった、と伝える。瀬戸康史さんは楽曲を聞いてくださってると言ってくださり嬉しかった。TVで見ている方々とこうしてご挨拶させていただくのはデビューして結構経つがまだ不思議な感覚になる。俳優陣が談笑するのを遠目に眺めながら大勢で���事をした経験が自分には無いな、もしそんなことがあったとしても雰囲気良くできる自信は無いな、と思う。 挨拶もそこそこにレーベルのスタッフとタクシーを拾おうと駐車場に出ると瀬戸さんが車に乗り込んだところだったようで、流していたカーステの音量を上げてくださった。なんと流れていたのは自分の曲 「BABY」。顔も中身もイケメンや...と思いつつ、お礼をして外に出た。後ろからうっすら自分の歌が聞こ える。映画にも、瀬戸さんのドライブにも自分の曲が何かを添えられているのだとすれば良いのだけど。自分にとって音楽はいつも最初の方の順番にあるものだが、他人や社会にとってはそんなことない、というのはなかなか外に出ないと気づけない。
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前作FANTASY CLUBにとって大きな指針になったのは若林恵氏のWIRED巻頭言だった(ので、ライナーノートをお願いした)のだが、今回「RUN」のとっかかりになったのは「ニュータウンの社会史」という本である。おもしろかった本ほど読み終わったら人にあげてしまう癖があり、悲しいことにこのエッセイを書 いている今、手元にその本が無い。誰にあげたのかももう思い出せない。 日本で最大の新興住宅地、多摩ニュータウンを紐解く本書はもともと興味を持って関係書籍を読んでいた自分にとってもおもしろい読み物で、とくに開発初期における歪みの部分とそれらを対処しようとする住民、 といった関係性のあたりはなかなか興味深い記述が多かった。最初期の多摩ニュータウンでは住宅計画と交 通網の整備などに大きなズレが生まれており、道路網の不足による深刻な渋滞や鉄道の整備の遅れで住民は 多大な迷惑を被っていたという。 そんな多摩ニュータウンの最初期に生まれた「多摩交通問題実力突破委員会」という組織が面白い。交通 インフラが整備されていない最初期の状況を打破するため、ニュータウンの住民たち自ら組合的組織としてこれを発足。乗り合いバス的なものを独自に運営していたという。本組織についての記述はほんの1Pほどで あるが、郊外に新天地を求めた最初の人々のタフさというか、自分たちで寄り合って問題を解決しようとする姿勢、というのが新鮮で、今自分が思っているニュータウン観というものとは結構違う。今や静寂やある意味狂気の象徴として扱われることの多いニュータウンだが、最初は人口激増の末、都会から新しい住環境を求めた人々がやってきた場所であって、そのように考えると普段の風景もまた違って見えてくる。
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カンヌ映画祭に「寝ても覚めても」が出品されるそうだ。しかもコンペ部門。濱口監督の技量と映画界からの期待に驚いた。豪勢なドレスとスーツに身を包んだ主演お二人と監督の姿をネット中継で見ていると自分がこの作品に関わっていることなど忘れそうだ。そんな時に日本語っぽい音楽が急に流れてきたなあ、と 思ったらそれがRIVERだった。今この曲のボーカルは部屋で短パン姿、デスクに足を掛けてチョコを食べている。 少し間を置いて上映後の囲み取材も中継されていた。俳優陣2人と共に登壇した監督は言葉を選びながら回答する俳優陣とは対照的にひとり淀みなく次々と質問に答えていた。とくに朝子について聞かれ、「僕は彼女の判断を全面的に支持します」とハッキリ言っていたのは印象的だった。
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Pizzicato Oneの「わたくしの二十世紀」を聞いており(めちゃくちゃ素晴らしいアルバムだ)、小西氏の作詞で出てくるテレビ、映画、電話といった要素の二十世紀らしさみたいなことについて考えていた。これから自分たちは二十一世紀に音楽を作るにあたってこういった言葉の問題と向き合っていかなければならないと思う。レコードはSpotifyになり、映画はNetflixになり、YouTubeがあり。音楽も細分化と言われて久しいが、そんな中でどういった歌詞の音楽を作るのか。 そんなことについて考えながら大阪での仕事に向かっていたのだが、時間があったので少々寄り道することにする。大学を出る少し前から数年間住んでいた御影のあたりは今どうなっているだろう。言うても5~6 年なので大して変わっていないだろうと到着してみると見たことのない広大な空き地が広がっており絶句。 アパートの向かいはもともとゴルフの打ちっ放しになっており、静かな住宅街に時折球を打つ音が響くのが好きだった。横の駐車場だけはコインパーキングとして残っており、打ちっ放しはサッパリなくなったというわけだ。アパートは住んでた時のまんまだったけど。なんだかな~と思い近くにあったコンビニでコーヒーでも買おうと思ったらなんと最寄りのコンビニもなくなっており、洒落たコーヒー店ができていた。そんな気分ではないので車に戻る。 不完全燃焼な気持ちをなでつけるため、その後通る芦屋で洋菓子を買うことにした。生菓子がとても美味しそうだったがもう暑い時期なのでやめておく。ここのカヌレは常温で5日持つ。取材先と、マネージャーと、後日のためにもう何個か買っておく。お土産を持っていくのは大好きだ。こうやって物を選んでいる時や、それらを現地に持っていくまでの間は相手のことを考えており、あげる側のほうが満足度が高いことはしばしばある。結局コーヒーはセブンイレブンで買った。
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「RUN」のビデオを大急ぎで神戸で撮影して、数日ぶりの安眠だ、と床についたわずか数時間後の朝8時前、地震で叩き起こされた。関西では久々の大きな地震に大騒ぎ。一人暮らしなのに「ヤバいヤバい」と言いながら積んである荷物を抑えた。地震が収まってから作業部屋に出てみるとたいした被害はなかったのだがモニタースピーカーがコーンの方からズドンと落ちていてげんなり。通電し直してみると嫌な感じのノイズ。まあスピーカー1台くらいで済んでよかった。とてつもなく眠かったが家にいても仕方ないので町に出る。安全確認のためか電車が高架の途中で停車していた。神戸もほんの一部のエリアは停電していたようで、 電力会社の作業を眺めながらホームページに既にその停電情報が出ていたのを見て感心する。 喫茶店は通常通り営業していたが、交通機関の影響で何人かバイトが来られていないようだ。その後電車が止まって通勤の路が絶たれた父から連絡が来たので店を変えて茶をシバく。同じく通勤中だった妹は交通機関が動いていたのでそのまま出勤。眼前の父はニュースを見ながら会社の部下たちに休みの連絡を入れていた。上司かくあるべし。しかし会社勤めというのは大変だ。父と解散してから自宅に帰るもエレベーターは動いておらず、久々に階段を登って部屋に帰る。もうこんな感じだと仕事をする気にもならないので、も ともと翌日から行く予定だった香川に前ノリすることにした。神戸ではとくに重大な事故なども起きていな かったようだが、こういうことがあるとどうも気持ちが落ち着かなくなってしまい、音楽とか作っている気 分ではなくなってしまう。 香川では翌日会う予定だった小鉄さんが仕事終わりに合流してくださり、地元の洒落た喫茶店に連れて行ってくださった。モヤっとした気持ちがこうして人に会って取り払われるのは非常に助かる。深夜にコーヒーが飲める店があるのはいいなと思った。話は盛り上がり、2杯目の紅茶を飲み終えるくらいのところで地元の方に声を掛けられる。写真を撮影してサインを書き、なんだかもどかしくなり、店を出た。
わずかその半月後、今度は西日本を中心に激甚な豪雨が発生する。在来線も概ね止まりつつあった7/5に大阪でライブの出演予定があり、昼間駅に行ったらJRが止まっていたので帰宅して車で会場に向かい直した。 往路はそうでもなかったのだが、帰りの雨はひどく、ワイパーも意味がなくなるほどで、高速道路を徐行して帰った。翌日になるといよいよ冗談でないくらいの雨量。びしょ濡れになりながら向かった役所で用事を済ませたら家に帰るのが面倒になってしまい、そのまま東京出張に向かうことにした。USBでDJできる時代 でないとこうはいかない。新神戸駅についたら駅構内は過去見たことないような雨漏りでバケツだらけの状態となっており、新神戸から西側は運休となっていた。駅の裏手のいつも穏やかな川も濁流で、ホームには普段見ることの無いスタッフが代わる代わる様子を確認しに来ていた。新幹線はほぼ満席で、溜まっていたポイントでグリーン車のチケットをなんとか取って乗車。新大阪を過ぎたあたり��゙新幹線の字幕スーパーから新大阪以西の山陽新幹線エリアとの連絡運行中止が発表されていた。 タッチの差で到着した東京は穏やかな天気で、予定どおり夕方に家を出ていたら移動できずに今日のDJ飛ばしていたな...とホッとする。ただニュースを見ていると被害の状況が沢山流れてきて、この安堵というのはどういう安堵かと考えさせられた。定期的に会っている岡山の方々を案じるが、自分にできることは非常に限られている。DJ明けの翌日も新大阪以西、新幹線は運休の報せ。次の仕事まで都内に滞在することにする。あんまり曲を作る気にならないのでアルバムのために作っているプレイリストを再生していると 「RIVER」のデモが流れ出し、少々モヤっとする。
そんなことを書いていたら7月末の高知公演でも台風直撃に見舞われてしまい延泊を余儀なくされる。結果天気は穏やかなものだったがJR全線運休の発表をいいことにひろめ市場で高知の方とのんびり食事をいただく。あいにく胃腸の調子が悪くカツオを貪り食うことができず残念だったが。携帯を開くと見たことないような軌道で紀伊半島から九州に向かって西行する台風の天気図。体験したことのない天気の連続に変に2018年の未来に生きているな...と感じさせられた。
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パソコン音楽クラブのリリースパーティが大阪であり、遊びに行ってきた。彼らには「ふめつのこころ」 のリミックスやそもそもドラマ電影少女のサウンドトラック制作でもお世話になったが、そんな彼らが出した「DREAM WALK」は久々に身辺近しいところから出た決定作、という感じでとても嬉しい気持ちになっ た。別に音楽を作っている人たちは身辺にたくさんいるが、それらをきっちり自らの個性でパッケージングして流通に乗せるというのはなかなか簡単にできることではない。東京のリリパの日もたまたま横のビルで 「寝ても覚めても」の取材があり、イベントも終わりがけの頃、会場に入れてもらったが、両日ともに本当に良い雰囲気で、集まっている面々から寄せられている期待値の高さも大いに感じる現場だった。 自分は「lost decade」を最初にインディでリリースしてその後色々揉まれて今があるわけだが、彼らはいったいこれからどういうステップを踏んでいくのだろうか。権利のことやいろんなことで悩んだ末に今があるのだが、悩んだりしたことが糧になったとはあまり思いたくない。その間、良い気分で良い音楽が作れたか もしれないのに、機会損失も甚だしい。自分のことに精一杯なのはまだまだ続きそう���゙が、頑張って良い曲を作っている若手への不要な慣習の押し付けやそれによって生まれる損失はできる限り取り除いていかないと、こういっためでたい場面に会う機会が減ってしまうかもしれない。急なサマータイム導入案のニュースを見ながらなかなか世間も変わらないなと思う。こういった事柄を決裁してる人は過去に今の自分のような苦悩に苛まれなかったりしなかったのであろうか?と思うが、年を取ったり立場を得ると忘れてしまうのだろうか。そこまで偉くなったことはないのでわからないがそうだとすれば本当に恐ろしいことである。 パソコンに続いてアルバム製作中というin the blue shirt・有村くんに「新譜楽しみにしてるで」と軽めの挨拶をしてワイパさんや久々の友人と富士そばに行き、そのまま自分はDJを控えていたクラブへ歩いて向かう。ワイパさんもまた別の現場へ向かっていった。いつもゴミゴミしたところを通るのが嫌で代官山の方面から向かうことが多いのだが、久々に渋谷の街を歩く。ここの街並みには未だに慣れない。なぜここにはこんなに沢山人がいるのだろう。 1ヶ月分くらい人と会った1日だったが、昼の映画の取材でも夜のクラブの楽屋でも「当たり前のことを言ってくれる人が少ない」という話になった。不祥事も「無い」と言い切ってしまえば無いことになってしまうし、今日も数々のニュースが「声をあげたところで世の中は変わらない」、とフワっとした諦めを投げかけ てくる。その後またひとつテンションの上がらない話を楽屋で聞いてモヤっとした気持ちになる。最近こういう話しかしていない。そのうちの一人は実際にその後調子を崩されてしまったそうだ。一方押し付ける側の人間はそのまま今も仕事をしているはずだ。真面目にやっていくことのなんと難しいことか。胸が痛む。
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アルバムも締め切りに差し掛かった8月某日、「RIVER」のMV撮影が都内で行われた。映画の主題歌ということもあり「寝ても覚めても」主演の唐田えりかさんに主演をオファー。快諾していただき、馴染みの森監督は僕と唐田さんの生活がクロスオーバーするようなコンテを仕上げてくださった。最初は船の上でキーボードを弾きながらリップシンクするのをドローンで...とかだったので五反田の喫茶店で「それをお客さんに納得させる演技力が僕にはありません!」とアピールしたら普通に部屋でパソコンをいじる、みたいなやりやすい環境を用意してくださった。ほんと世の中に見えてる自分のビジュアルのほとんどはこのようにデ クノボウに気を使っていろいろやってくださる真のオシャレな人たちのおかげです。 唐田さんのシーンをふらっと覗くと化粧品のCMのような透明感で、しかも映画では東出さんの横に並んで居た唐田さんが自分の横に並ぶとは...と楽屋で遠い目になってしまった。その後、合間に唐田さんとマネー ジャーさんからご挨拶いただき、唐田さんがご自身で作ったというZINEを頂く。今、帰りの新幹線でペー ジをパラパラとめくりながらこうやって自分の作ったものを形にしているのはどのような形であれいいなあ、 と改めて思う。 MVの最後のシーンは隅田川に掛かる橋の上でRIVERを自分が弾き語るというシーンだった。橋の上に置かれた自分のパソコンとキーボードを見て違和感を隠しきれなかったが、外で鍵盤を触るなんて経験自分に は無かったので新鮮だった。夜風に吹かれて演奏するのも悪くない。ただ実際楽器はほとんどできないので運指は適当だ。キーボードを弾き終わり、立ち上がった自分はそのあとずっと別々に行動していたはずの唐田さんとすれ違う。人生はどこで交差するかわからない。
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前回のアルバムはマスタリングのことまで書けていたが、入稿の時点でアルバムが完成していたのは FANTASY CLUBが初めてだったと思う。2年にアルバム2枚をリリースするという昔ながらの契約も2周目、 今回はひるがえって厳しいスケジュールでの制作となっているのでアルバム制作を最後までこのエッセイで 記録しておくのは難しそうだ。前作から1年と少しの間に全曲自作のリミックス・アルバムと劇伴アルバム2 枚強分を制作した。あといくつかの外仕事。そうやってドタバタしているうちにゲストがゼロという本当に異例の作品が完成しようとしている。いつのまにかボーカリストみたいになっているし、顔もそれなりに差すようになってなかなか人生は思ったように進まないなと思う。 自分の中で本当に大変だ...というモードに達さず完成させることが初めてできたのがFANTASY CLUBだった(今当時のエッセイを見たらアウトロ作りに1週間もかけている!)のだが、そんな言い分が毎度通るほど まだ我々はイケてない。皆様にこの文章とともにちゃんとアルバムが発売日に届いていることを切に願う。 良いことなのか悪いことなのか、我々はずっと必死だし、それはまだしばらく続く。
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探究
診斷:
あなたは50分以内に801RTされなかったら、二人とも新人社会人の設定でほのぼの休日デートな一総の、漫画または小説を書きます。
我為著「社會新鮮人」這個背景已經改用龍宮少年的設定了,結果還是不怎麼甜,慘。
《龍宮少年》:轉生+現代+演藝圈趴囉。總士留著到Exodus為止的記憶,一騎什麼都不記得。
一身黑色長衣、留著短短黑髮的青年,站在夕暮的天空之下。高高拉起的衣領遮住了他的下半張臉,無從判讀真正的心思。每個行人從他面前經過時,都忍不住會多看一眼,將目光投向那雙即使印在巨幅海報上,也彷彿可以看穿一切的茶色眼睛──
「總士。」
「!」
柔和的男中音在耳畔響起,把皆城總士嚇得倒退一步,像隻受驚的貓咪。這實在不能怪他,畢竟一轉頭,距離二十公分,就立刻看到海報上那張臉,那個黑衣黑髮青年的臉──差別只在,眼前這張臉是活人不是海報上的照片,還有,他現在穿的是輕便的綠色夾克,不是黑色的長外套;頭上戴了鴨舌帽,把半張臉蓋在帽沿的陰影底下。總士的自制力只夠他在罵人的時候把音量降到最低:「真壁!你幹嘛!」
「我?我沒幹嘛啊?我準時在約定的時刻到約定的地點,看到總士就出聲喊了,有任何不對嗎?」
「…………我差點被你嚇出心臟病!」
「是嗎?」
眼看著對面那張臉一副完全沒有要反省的樣子,總士實在是很有握緊拳頭朝那個頭一拳捶下去的衝動,可惜他的自制力還是在最後的最後發揮功效──在車站前這種周圍超多人的公眾場合,實在不適合打打鬧鬧,尤其是對方是個二十二歲正開始嶄露頭角的年輕明星時,更應該保持低調。
完全沒有意識到總士複雜的心情,真壁一騎撥了一下鴨舌帽底下的黑髮,依然掛著笑容,伸手去拉總士的衣袖。
「總士,你在看什麼?啊,海報?」
車站前的百貨公司大樓外牆貼上了高約三層樓的巨幅海報,背景是夕暮的橙紅色天空,穿著一身黑色長衣的男主角孤身一人佇立於其中,靜靜注視著來往的行人。海報的下方以大字印著電影的片名,還有「主演 真壁一騎」的文字。被拍的本人微笑了一下:「你覺得這張劇照如何?」
「我?」
「我來的時候看你直挺挺站在這裡,一直在看這張海報。如何?你喜歡嗎?」
「呃……」
對總士而言,這個問題不太容易回答。
他從小就會做內容和性質很特殊的夢,內容隨著年齡增長逐漸變化,是他從很久以前,不知道多少年前的某一代人生帶下來的記憶。「真壁一騎」也是夢的一部分,打從四五歲時就開始常常出現在總士的夢裡。不過,一騎本人完全不曉得這件事,在他的靈魂上並未留下前世記憶的痕跡。
若是在平常,總士並不介意這一點,因為上輩子發生的事情,即使已經過了很久,就算只是在夢裡出現,都令人感到不寒而慄。就算這輩子重新相識、再度獲得特殊的關係,總士依然並不希望這輩子的一騎也要重新經歷那段過往。
可是今天站在那張海報的前面,總士疑惑了──翻遍了記憶,都沒見過一騎是海報上的那個樣子。不是服裝或是髮型的問題,而是那個表情──嚴肅、銳利、彷彿能夠看穿一切,但是眼神當中又存在著沒辦法忽視的一絲寂寞──記憶中的一騎,從來沒有出現過那樣的表情,完全陌生,並非自己所熟悉的模樣。
屬於前世的夢經常不自然地斷絕在某處,因此,總士並不知道那一輩子的最後發生什麼事情。
如果沒有印象,那是不是就意味著,在那段人生結束的時候,是自己先拋下他──
「總士?」
一騎的聲音再度將總士喚回現實。
「怎麼啦?」
總士思考了一秒,決定說實話:「怎麼說呢──我好像,沒看過你這個表情。」
「是嗎?那個角色的路線,我之前也沒試過,不是很好演,嗯──我覺得可能我得再長大個四、五歲才演得來,現在還太年輕了,演不出那個角色的歷練。」
「真意外,你竟然會說這種話。」
「什麼意思!」
「我聽堂馬製作人說,每個劇本遞到你眼前,你都二話不說就接下來,公司說你根本全能。」
「那是因為我還不夠老牌,對上門的劇本不能要求太多的關係!」
一騎非常無可奈何地聳聳肩,拉起總士的手就往反方向走:「走吧,難得休假,我可不想把寶貴的約會時間都浪費在這裡看海報。」
離開學校之後才是忙碌的開始──他們二人大學畢業之後,總士關在家裡寫稿的時數直線上升,一騎的戲約排得越來越滿,雖然兩個人還是常常見面,但十次裡有九次是在片場、劇本會議、了不起在休息室,或外景現場,附近總是有別人;就算一騎想要直接殺去皆城家,遇到總士閉關工作的時候照樣吃閉門羹,令一騎大為不滿,理由是「我跟總士明明是戀人,為什麼我要見他會變得這麼難」。大概三天內抱怨了十次之後,終於驚動兩位女神──乙姬和織姬──出面,選了一騎休假的日子將總士掃地出門,強制勒令他休息一天。織姬還特地傳訊息給一騎,寫著「天黑之前不准回來」。
「你確定真的可以嗎?」總士跟在一騎的背後,依然滿臉狐疑:「光明正大地跑出來……」
「為什麼不可以跑出來?」
「你可是狗仔的熱門跟拍對象。」
「那就讓他們拍。」
「真壁!」
一騎猛然轉過身,將總士整個人拉進懷裡。
「不要這樣叫我。」
「咦……」
「現在只有我們。總士,不要那樣喊我。」
「什麼叫做『只有我們』,周遭那麼多��,還不快放開我!」
「可以,只要你答應今天一天用正常的方法喊我,我就立刻放開你。」
「真壁,別任性了……」
「你再不改口,我就要當眾親你。」
一騎向來說到做到,而且一旦決定了什麼事情就絕對不改變心意,完全不聽人講話,這是總士用兩次的人生學到的。心想再這樣耗下去馬上就會變成眾人環視的焦點,被人拍下來傳到社群網站上那可不妙,總士只得乖乖聽話:「放開我,一騎。」
「這才對。」
一騎滿意地鬆了臂膀,牽起總士往前走,也不管總士滿臉要抗議的表情。與他們擦肩而過的路人,有幾個轉過頭來,目光停在一騎身上,一騎完全沒有反應,也沒露出絲毫動搖的樣子,逕自拉著總士穿過一個路口,來到僻靜而熟悉的小巷。喫茶「樂園」的大玻璃窗和紅色的遮陽棚就在眼前。隔著窗玻璃可以看到,店內一個人都沒有。
「今天包場。」
總士還沒開口,一騎先回答了他的疑問。
「包場?」
「對,我包的。」
「店長可以這樣公器私用嗎?」
「為什麼不行?」一騎將店門在總士背後關上,隨手落鎖;總士卸下外衣,正準備在在習慣的座位──靠近櫃檯的吧檯座位──坐下,被一騎阻止,直接帶到窗邊寬闊的四人座位上。
「我也想過去海邊或者爬山,不過想來想去還是決定帶你來這裡。至少可以不用管附近有沒有人。」
被刺中心中懸念的總士翻了個白眼:「我怎麼能不管,你可不能被八卦雜誌拍到。」
「是嗎,我倒覺得無所謂。」
「我有所謂。」
「是、是。」
一騎輕快地壓過總士不滿的咕噥,從開放式廚房裡端了兩個還冒著熱氣的盤子出來,獨特的辛香料氣味充滿整個空間。
「那是什麼,咖哩?」
「對。」一騎將盤子放在總士面前,跟著滑進他對面的座位。「最近通告太多,好一陣子沒煮了,希望沒有退步。」
舀起一匙咖哩,熟悉的香味迎面撲來──是從上輩子就銘刻在記憶當中的味道。
「怎樣?」
「完全沒問題。還是招牌的『一騎咖哩』的味道。」
無心之下衝口而出的一句話,才剛說出來總士就發現自己失言了:現在的「真壁一騎」雖然名義上仍是喫茶「樂園」的店長兼主廚,但並不是全職的,從十七歲時開始就只是利用上課跟拍戲的空檔在店裡,他大學畢業後通告數量翻倍,代價就是在店裡的時間變得很少,當然,菜單上從來就沒有出現過冠上主廚名字的招牌菜,對於沒有上輩子記憶的一騎而言,更是一個不僅沒有意義而且不順耳至極的名詞。
果不其然,這句失言令對面一騎的眼睛瞇了起來。
「我沒有聽過有這道菜。總士,你哪裡聽來的?」
「……」
「在夢裡看到的?」
總士先點頭,然後又後悔了──這個反射動作只是加深一騎的疑惑。一騎放下他自己的湯匙,伸出手越過桌子、抓住總士的手。
「我們從十七歲就認識,到現在也五年。這五年來你一直沒有回答過我──你究竟都在做些什麼夢?」
「我……」
「我經常看你晚上睡不安穩,或者突然哭泣,看起來好像是很痛苦的夢。」一騎將手握緊了些,把總士的手包在掌心裡:「我不能替你分攤嗎?」
望著對面那雙跟以前,跟上輩子一模一樣的茶色眼睛,有那麼一瞬間,總士很想對他把所有的事情和盤托出,包括從小到大所看見一切的以往。但是話到嘴邊,最後還是硬生生吞下去,只壓縮出一句「……對不起,我還是……沒辦法跟你說」。
「怎樣都不能嗎?」
「不能。」總士搖搖頭,然後很快地加上一句:「不過,不是你的問題。還有──」
「還有?」
「你說的沒錯,我看到的夢,大多都是很可怕、很痛苦的事情,但也有很溫暖、很和平的時候。而且,我也會夢到你。」
「我?」
「是的,你。」
「經常嗎?」
「經常。一騎,不管是在夢裡,或者在這裡,都一直有你在。我非常、非常感謝這一點。」
他說這句話的時候用的是很柔和的表情,而且雙頰還有點泛紅,對面的一騎狠狠地、非常刻意地嘖了一聲:「你這傢伙……!」
「一騎?」
「這樣我不就什麼都問不出來了嗎……!」
他很突兀地放開雙手,站起來,一個大步就繞過桌子,一把將總士拉進懷裡。
數天後,一個很長的包裹送到皆城家。
乙姬和織姬非常喜歡那張一騎穿著一身黑衣站在夕暮天空下的的大海報,嚷嚷著要貼在玄關進門的位置,而總士看著最新一期的八卦雜誌把他和一騎在「樂園」接吻的照片登在封面,配上聳動的標題,暗暗下決定下次再去絕對不坐窗邊。
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「こうじょう」と私 ・ 送別やお祝いのプレゼントを渡す時に、どういう願いを込めて選んだのかが非常に大事だと思っております。 ・ なぜならその品を渡す時に必ず「どうしてそれを選んだの?」って会に参加しているプレゼンターとは別の人が必ずツッコミが入るからです。 ・ その時に「えーっと、あのー、そのー」って言い淀んだりすると「あんまり考えてないのね」って残念な雰囲気に包まれるので必ず「口上」は用意しておいた方がいいですよね。 ・ 「こうじょう」と言えば夏目漱石の「こころ」という文学作品では「精神的に向上心のない者はばかだ」とKに言ったことがキッカケで自死に追いやった過激なワードでしたね。 ・ 同じ「工場」でも朝から美味しい #パン の焼いた香りに包まれたものと言えばこちらですね。と言うわけで本日のモーニングは #FACTORY #ファクトリー です。 ・ 月曜日に平日休みを頂けたのでちょっと遠目のモーニングをしに九段下までやって来ました。コ��クリート打ちっぱなしで木と鉄の家具がオシャレな店内が目を惹きます。 ・ 頼んだのは朝食メニューの中から #ジャンボンブラン #グリュイエールチーズ #安田養鶏場のたまごの目玉焼き #フレンチトースト セットにしました。 ・ 正直名前だけだと何が来るのかイメージできていませんでしたが厚めの #トースト に #目玉焼き が印象的な一皿です。 ・ まずパンにナイフを入れて驚くのは、そのザクザク食感の中に濃厚な #チーズ の味わい。さらに噛み締めるとフレンチトースト特有のふんわりしっとり食感。 ・ ジャンボンブランとは #ハム のことを指すようです。しっとりとしていてクセのない程よい味わいです。これに #目玉焼き の濃厚な味わいをソース代わりにつけるのが最高です。 ・ #レタス も新鮮でシャキッとしたアクセントになっていて、全体的にいいまとまりを感じます。 #珈琲 もスッキリとして香りがいい味わい。 ・ そして最後にデザートとして頂いた #ヨーグルト が驚くほど爽やかな口当たりでクリーミーで「なんだこれ」と驚きました。 #牧成舎 というところのもののようです。 ・ ランチメニューも気になったので、また休みの日にでもお邪魔したいと思いますが今は暑いので「荒城」の月が似合いそうな秋くらいがいいんですかね。 ・ #市ヶ谷モーニング #市ヶ谷朝食 #市ヶ谷カフェ #市ヶ谷喫茶店 #市ヶ谷パン #市ヶ谷グルメ #九段下モーニング #九段下朝食 #九段下カフェ #九段下喫茶店 #九段下パン #九段下グルメ (Factory) https://www.instagram.com/p/CRkHFLhg-O1/?utm_medium=tumblr
#パン#factory#ファクトリー#ジャンボンブラン#グリュイエールチーズ#安田養鶏場のたまごの目玉焼き#フレンチトースト#トースト#目玉焼き#チーズ#ハム#レタス#珈琲#ヨーグルト#牧成舎#市ヶ谷モーニング#市ヶ谷朝食#市ヶ谷カフェ#市ヶ谷喫茶店#市ヶ谷パン#市ヶ谷グルメ#九段下モーニング#九段下朝食#九段下カフェ#九段下喫茶店#九段下パン#九段下グルメ
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平成、ドトール
この土日はジビエ料理を食べて川沿いに設置したテントサウナに入るみたいなチルイベントが山梨の山奥の方であったので行ってきた。ド・過疎地域といった具合で、いわゆる観光資源みたいなものは山と川くらいしかなく、Uターンやiターンの人たちが村を繋いでいくためにどうやってお金を落とそうかみたいなことを真摯に考えている地域だった。
そのイベントに参加する前に奥多摩で小一時間くらい時間をつぶさないといけず、色々と見て回っていた。実は奥多摩には大学に入りたての頃、一瞬だけ所属していたバレーボールサークルの集まりで行ったことがあったのだけど、その頃はうらさびれた山奥、インキョ生活に使われるような土地だという印象しか持たなかったエリアだったのだが、久しぶりに行ってみるとイヤミのないデザインのオシャレなカフェとかブルワリーとか、今っぽい雰囲気の施設が駅前にいくつかできており、清潔感あふれる、それでいてこまっしゃくれているわけではない空間に変わっていて、若いアベックとか髭と丸メガネのapple愛用者的なオシャレメンズがこぞって集まるエリアになっていて、自分の住んでいるところにもこういうものがあったは過ごしやすいんだろうなと思って回っていた。
そういえばGW中に訪れた益子の町も同じように、古い町並みの中に感じのいい、今めかしいお店が点在していて近所のヤングはもちろん、おばあちゃんたちのコミュニティスペースになっていて住みやすそうだった。
こういった土地と比べて俺が18歳まで育った群馬県の麓の村は現代度でいうといささかローファイなよう。前者がサードウェーブ!だとするとうちの地元はドトールの様相である。ブルーボトルみたいにはなれないし、レトロ喫茶店に振り切っているわけでもない。両親やおばあちゃんなどの話を聞くと高崎の街の開発ぶりなどを引き合いに村の壮絶ディス大会が始まるわけであるのだが、自分としては上の洗練された雰囲気よりも、オシャレさではやや解像度の低い地元の村周辺のほうをわりかし好んでいるのである。
たしかに奥多摩とか益子とか高崎よりも薄暗くてこれといった面白みはない場所であるが決して居心地が悪いわけではない。ジメッと、ヌルッとした良さというとディスっているようであるが絶対そうではない。そこには明らかな良さがある。
実家にいた頃は深夜定期的に(部活ガチ勢だったのでおもにテスト期間中など朝を気にしなくて良いシーズン)村中を歩き回るという習慣があったのだけど、真っ暗でジメッとした空気の中で思春期が通りがちな、なぜ人が存在しているかとかおれは何者でどこへ向かうのかなど、若草みたいな悩みの道筋を辿っていたもの。一晩中歩き通して性根尽き果て、村に2つだけあったセブンイレブンの駐車場でコーラなどを買っていよいよ白み始める東の街のほうを見下ろした瞬間に突然光明見えたりという気持ちになった稲妻みたいな未明のこととか、まあそういうようなことの周りにいた空気感なので、ここにくるまでに俺には絶対になくてはならないものだったと確信している。
先日実家に帰ったときも、居心地が良くて村を2時間ほど散歩していたのだが、絶対に変わらんだろうと思っていた場所がなくなっていたりリニューアルなされていたりしてビックリした。高校生のときあたりから工事されていた大きな道路が開通したあたりからその開発の機運の高まりを感じてはいたのだが、いよいよその潮流が加速しつつある。大きくて綺麗なスーパーマーケットができていたり、古びた公園の遊具がまるごと淘汰されて、なにもないまっさらな芝生広場になっていたり、薄暗い街灯がナウなLEDのものになっていたり、など、など挙げればキリがないくらいじんわりと、しかし確実に平成末期の開発の手が及んでいることに気がついて、旧住民からするとほんのりと寂しさはある。あるけど今おれは村からすると既に外の人間であり、きわめて老害的な、無責任な寂しさなので決してそれは言ってはいけないものである。でもこのさびしさを老害的なものであるとするならば、世界中の老害と呼ばれている人たちの心中は似た��類のさびしさで溢れているはずだ。そう考えるとなんだか居た堪れない気持ちになる。そうこう考えていると思春期の頃に2,3回入った定食屋がなくなっていてもっと寂しくなった。寂しさのオンパレードや。
そんな寂しさを募らせていても麓の村の居心地の良さは変わらなくて、変わり続けるものの中に絶対に動かせないなにかにおれは思いを馳せていた。
今もあの湿った夜が誰かの人格になにかを与えているかもしれないことを考えると優しい気持ちになる。だから、というわけではないけど、再開発など、それはそれとして、俺の地元みたいな場所もちょっとは残って欲しいなと思う日々。
健康診断で体重がまた増えていたので今日から会社から九段下まで歩く日々。
そんでもってライフゴーズオンだぜ。
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十二月
今年の十二月は鞄の中が牛乳まみれになったことから始まった。ボストンバッグに入れていた瓶の蓋が、事もあろうに外れてしまっていたのである。そして、まず手洗いにでも駆け込むべきところを、そのまま列車に乗ってしまった。気が動転していた。しかししばらく時間の経つうちに平静を取り戻して、終わってしまったことはどうにもならないことに諦めがつき、仕事場についたときに鞄をまるごと捨てた。そのあと、仕事仲間に笑い草にして語った。その鞄は、このように牛乳塗れになるまでに、約十ヶ月のあいだわたしに担がれてきた。それは買い付けたときは安売りをしていて特段たいした痛手にはならなかったし、捨てた瞬間は厄介払いでもしたかのように清々しい気さえしたものだが、こういうことが積み重なると、さすがに心が弱ってくる。
ここ最近、二週間に一回は、牛乳塗れの鞄のような災難があるような気がしている。それを多いと捉えるのか、少ないと捉えるのかは、その人の人柄や性格などにも寄るのだろうが、わたしからしてみたら致命的に多かった。鍵を忘れて家族の帰宅する二十三時まで外に居なければならないとか、たった五分目を離した隙に自転車の盗難に遭うとか、些細なものだと、間違ったものを買ってきてしまうとか、ハンバーグに玉ねぎを多く入れすぎがためにただのひき肉炒めになってしまったことだとか。本当につまらない話だと思う。つまらない話は、積み重ねても積み重ねてもつまらない話でしかないが、それをたくさん乗せられた人は重さに耐え切れず死ぬんじゃないか知ら。 気丈なつもりでいたわたしも、いよいよ、押しつぶされそうになってしまったというわけである。
もうすっかり十二月だった。人生で十二月を迎えるのは、なんだかんだ言って二十五回目である。そのくせ、いつも初めて迎えるような気持ちになってしまう。人間は、生きるのに必要なこと以外は忘れるようにできている。 九月末に仕事場が移転した。企業拡大により、自分の部署だけが引っ越すことになった。列車の乗り換えも変わり、仕事場への道のりが少し長くなった。変わってからもう二ヶ月は経つのに、わたしの足は今でも稀に以前の乗り換えを目指そうとする。 仕事場では、毎日ちがう笑い話をする。愚痴を笑いに変えるのである。何も解決しないが、単に憂さ晴らしのためだった。でも、意外とこれが労力の要る作業なのかもしれない。強いふりをしているだけの人には。つまり、わたしである。
ハッピー・メリー・クリスマス! ケーキはいかがですか、お嬢さん。 樫の木でできた重厚なドアを開けると、店主が恥ずかしげもなくそう迎え入れてきた。わたしが店に入ってくるのが、硝子越しに見えたのだろう。その言葉は間違いなくわたしにだけ向けられたややおふざけ気味のものだった。 「ハッピー・ハッピー・メリー・クリスマス。楽しい時期ですね。」 「そんなしけた顔で言われちゃあね。」 店主は髪を無造作にかきあげて苦笑した。 「まあおれもそんなハッピーじゃないんだけどね。なにしろ十二月が誕生日だから、おれもいよいよ三十路なわけよ。」 わたしは、おめでとうございます、と言って、なるべくカウンターから離れた席に座った。 「いつもの?」店主でなく、カウンターの端っこに頬杖をついて座っていたノラが言った。わたしは黙って肯いて椅子に座る。ノラは、店主に「いつもの。」とそのまま伝えてまた雑誌を読み始めた。いつもの、といっても、そんなに格好いいものではない。カフェラテである。 わたしはこの店に繁く通う。なぜなら、いつ来ても席が空いているからである。広いわけではない。かといって、狭すぎるということもない。客足が思わしくないのは、駅前の道からやや外れたところにあるためだろう。しかし潰れる気配もない。それはわたしのような常連客が、まるで自分の家かのように通い詰めているからである。 ノラもまた常連だった。いつも同じ席に座っていた。人気のない席なのである。なにしろ、カウンターの端っこには雑貨が山盛りに置いてあるのでとても狭い。そして、しっかりした椅子ではなく、わりと簡易的な椅子が配置されている。ほとんどノラのために用意されたような席だった。 「随分と元気がないようで?」 ノラはくるっと振り返って、めずらしく機嫌よさそうにわたしに話しかけてきた。 「年の瀬は殺傷能力があるね。」わたしは無表情のままで言った。「物憂さだ。」 わたしの吐き出した言葉に彼は、ふうん、だか、へえ、だか、音で言い表せないような返事をして、また目線を雑誌に戻した。スウェットみたいなズボンの膝小僧を居心地悪そうに掻いて、息苦しかったのか薄いキャメルのセーターの胸の部分を軽く引っ張りおろした。ノラを一言でいうなら、近所のこぢんまりとした部屋に住む貧乏大学生といったところか。いつ来ても居るので、たしか学生だったとは思うのだが、授業に行っているのか否かはよくわからない。 店主はカウンターに座るご年配と話し込んでいる。景気良く世間話に花を咲かせながら、ほとんどノラのほうを見ずにカフェラテをカウンターの端に置いた。それを、ノラがわたしのいるテーブルに運んだ。 「もう半分、新年に足を入れているようなもんだ。」ノラが言う。 「どういう意味?」 「諦めと自棄みたいなもんですかね。」 口が止まらないのか、ノラはそのまま席へは戻らなかった。わたしの横へ細い身体をするりとくぐらせ、隣の席とわたしの席とのちょうど真ん中あたりに収まった。 「あの爺さん、ずっとマスターと話し込んでやがんだ。しかも、宝くじの話ですぜ? 当たりもしない紙切れのことを延々と。暇ったらありゃしないね。」 「そう? 夢があっていいと思うけれど。」 「おや。あなたはおれと同意見だと思ってましたけどね。」 「同意見といえば同意見だけどね。」 「なんと。嘘がお上手で。」 カラン、コロロン。ドアに取り付けてあるベルがのっそりとした揺れに躊躇いがちになると、二人目のご老人が杖をついて入ってきた。先にいた宝くじを夢見るご老人が元気に声を掛けるので、どうやら二人は知り合いらしい。 「単位は平気なの。」 何の気なしに、ノラに聞いてみた。彼は肩をすくめて見せる。「あなたに心配されるほどじゃありませんぜ。」
悲しみよこんにちはという言葉が似合うのは素敵な異国の十七歳の女の子だけであろう。 マリオンは艶めく赤みがかった髪をシャンパン・ゴールドを纏った指先で梳きながら「あーあ。ふたご座流星群見られなかったなあ。」と言い言いわたしの隣へ座ってきた。 それは冬のわりに暖かい日の一瞬のことであった。やたら風だけが強くて、わたしは何度も帽子を吹っ飛ばされた。そのくせ曇っていて、空の彼方で繰り広げられていたはずの流星群は沢山の人に待ち侘びられていたのに、ついに姿を見せることはなかったという。わたしは仕事に追い回されぐっすり眠っていたのでわからなかった。 マリオンはきらきらの爪を眺めて溜息をつく。星のことで頭がいっぱいなようだった。何も言わずとも、彼女の目の前にはココアが運ばれてきた。言わずもがな、ノラの手によって。 彼女は知らないだろうが、今日はとある旅客車の廃車日である。わたしは特に列車が好きなのではないけれど、仕事に行くのに乗っているだけでその情報はいつの間にか頭に刷り込まれていた。駅前はいつも通りの賑わいであった。 一昨日のことである。仕事帰りの列車で、大騒ぎをするスーツの群れが流れ込んできた。夜遅かったので、酒でも飲んでいたのだろう、良い歳をして、大きな声で喋っている。忘年会か、とぼんやり思った。きっと、自分の立場も年齢もマナーも、何もかも忘れてしまったのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは、わたしなぞが決めるようなことではない。 ただ、あらゆることを忘れて良い日というのは、なんだか素敵な響きを持っていると思える。
十二月の折でさえ初雪なんか降らなかった。昨年は天から鍋やフライパンさえ降ってきたというのにだ。風に乗って聴こえる歌は、 Gloria in excelsis deo という遠い国の言葉だった。 「ミサだ。」リュカさんが言う。「大聖堂でみんな練習してる。」 街の中には杉の木が点々と生えていたが、どれも等しく雪の衣を纏いはしなかった。不思議とさみしげな光景である。 リュカさんと昨年のストライキは大変だったねと話した。そうそう、鉄の塊が空から落ちてきたのは、さじを投げた料理人および主婦たちの怒りの声だったのだ。とはいえ鈍器が空から落ちてくる様は、今風の言葉を借りて言えば「普通に危ない」はた迷惑なものだったけれど、公安が一日で鎮めてくれて事なきを得た。その一連の流れを何をするでもなく眺めていたノラは、公安が一言漏らした「こんな事があってたまるか。」という真面目一徹の正統派の愚痴に一日中狂ったように笑い転げていた。あれから、一年経つのか。 「一年が早いです。リュカさん。」 「きみはまだ若いから分からないかもしれないけれど、ぼくほどになるともっと短く感じるよ。」 「そんなに歳変わらないじゃないですか。」 「きみの三倍は生きてる。」 「うそつき。」 リュカさんは学校に通っていた頃の二つ上の先輩である。 三倍、とは随分大きく出たものである。読書の量でいえば、わたしが一生読む文章の三倍は摂取しているのかもしれない。リュカさんは学生時代から図書館が友達だった。ヒトの友達がいないわけでもない。その教養の豊富さと人望から、リュカさんは何処へ行っても人に囲まれる性質の人物だった。 「知識の量とか、そういう意味でした?」 「んー。なんのこと?」 「なんでもありませんでした。」 わたしの三倍生きているリュカさんに、わたしの言葉足らずの疑問は届かなかったようである。
同じような不幸が訪れるのではない。人はそれぞれ毎日なにかしらの困難に立ち向かっている。「まただ。」そう思うときは、その類の不幸を貴方が乗り越えられていないでいるから、何度もぶつかっているように感じているだけだ。 これほど真理に近い言葉を耳にしたのは、そう、おそらく七歳ぶりである。
十二月二十七日。樫の木のドアを開けた。耳あたりの良い「カランコロン。」は今日は耳に届かない。おもわず上を見てやると、ベルが取り外されてしまっている。 「いらっしゃい。」店主はグラスを拭きながら言った。「今日は端へすわんないで、こっちへおいでよ。」 店主の手招く先には、ノラだけが居た。今は、ノラしか客が居ないようだ。ノラを客と言っていいものか、そういったところから議論する必要があるなら、頭が冴えるようにチョコレート・ココアをオーダーせねばならないだろう。 「今ね、一年は早かったねって、おれが言ったところ。」店主は人の良い笑みを浮かべた。 「おれは、早かったなんて思わないんですがね。」 ノラは、湯のみを持って緑茶を啜った。どう考えても、裏メニューとしか思えないシロモノである。 「お嬢さんはどう? 今年は過ぎるの早かったかな。」 「そうかもしれないと思ったこともあったけど、やっぱりそんなに変わらない気がします。去年も同じ早さで一年は過ぎていった。」 「ああそうなんだ。じゃあおれだけかあ、今年一年が早かったの。さすがだね、輝かしいね、二十代。」 「最後、三十路川柳みたい。」 「ださ。」 ノラの放った二文字で店主は笑いながら憤慨する。それを見たノラが、史上最高に面白いものを見たとでもいうような人の悪い笑みを浮かべる。まったくもって対象的な二人がゲラゲラと笑うさまをその横で見るような、そんな年の瀬を過ごすなんて、まるで今年の集大成だなあとわたしは残念な気持ちになった。
「リュカさんってすてき。」マリオンは瞳の中にうつる光彩をゆらゆらうっとりさせながら、両手を口の前であわせた。「あたしの三倍生きてるんだって。」 「騙されてるよ。」すかさずわたしは突っ込んだ。でも、マリオンはどうでもいいという風に首を大きく振った。そのたびにスモーキーピンクの髪が揺れ、甘いいちごの薫りがする。 「騙されたっていいわ。」
あした、きみは死ぬかもしれない。あさって、わたしは居なくなるかもしれない。
私小説を書かう。 と筆を持つまでして辞めたわけですよ。わかりますかね、お嬢さん。私小説なんかくだらない。不幸の積み重ねよりつまらない文の集まりですぜ。一つのことを言いたいがために、何百文字と捏造をでっち上げるなんて。酔っ払ったノラは、喉をひっかけひっかけそう言った。 本当にそうだと思った。 十二月二十七日。ドアベルの外された店の中で、流れに任せただけの忘年会が始まった。「おれたちは忘れる必要がある。」当然の権利のように、声高に叫ばれたのがそもそもの原因だった。この喫茶に酒のメニューはないが、店主とノラは家にあるだけの缶ビールを掻き集めて、ささやかな宴の幕を開いた。そして早速、ノラが酔っ払いに成り下がった。 酒に強いらしい店主は、冷蔵庫の奥からケーキを取り出してわたしに出してくれた。クリスマス用の材料が余ったからさあ、と明るく笑う。本当のことなんだか、どうなのだか。 わたしは、この場にリュカさんがいてくれたらなと思った。店主とノラの埃が舞いそうなほどの古臭い漫談には飽き飽きだった。なにせ、これはもう今年一年たっぷりと見ている。気乗りがしない。 じつは友人とけんかわかれをした。わたしがこの店へ来るほんの五分前ほどである。わたしが友人の集まりに顔を出さなかったことが原因だ。この手の不仲話は女子の中ではよくあることだった。 決定的なけんかがなくたって、友情というものはだんだんと色褪せていってしまう。今そばにある人が自分の今のすべてで、その先もその前も、何ひとつ同じものなどない。そうやって独り前に向かって歩くのだ。それが堪えないようにするために、人は飯を食らうのであろう。ケーキなどでは、なく。
さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ノラが言った。世にも奇妙な年越しケーキだよ。 いやいやいや。店主が言う。まだ二〇XX年だから。年越してないから。 ノー・ノー。もう半分二〇XY年に踏み入れているようなものさ。冬至を超えた瞬間から冬の本番っていうのは始まっていて、ある種、一年の始まりは真冬から始まるようなものなんだから、もう年越しと名乗ったって不思議じゃない。第一、三百六十五日あるうちの一日も十日も変わりゃしないんだから、そんな細かいところばかり気にするなんて、きみ、どだい時代遅れっていうものだぞ。ノラが言う。 店主はワイングラスをくっと傾けた(いつから缶ビールがなくなったのだろう)。「そういうの英語でなんて言うか知ってる?」 ノラは外国じみた身振りで首を傾げてみせた。 「GOOD GRIEF!」 そしてまた二人は大笑いをする。ノラは、意味をわかっているのだろうか。ちなみにわたしはよくわからなくて、その場ではただ苦笑いを穏やかな死海のボートのように浮かべているだけだった。家に帰ってキーボードを叩いて調べたら、画面に「ああ、呆れた。」という意訳が載っていた。
煉瓦を積み上げて渡した橋があって、その真中でリュカさんは時計を直していた。年末になると、人間が身勝手に区切った時間���と自然の時間に僅かな隙間が出来てしまって、放っておけばあっという間に昼夜が逆転してしまう。その一年分のズレを、ほとんど凍って水位の下がった川の上にある橋のところで、調節を施すというわけである。街中の時計も、この時期すでに来年に合わせたものもあれば、今年のままの時計もある。そのため、年末の待ち合わせはちょっとした騒ぎになることもある。 つじつまを合わせるために言っておくと、時計の針は年明け後の一秒から一年を均等に区切る速度で回っていないから、夏頃には結構ずれているのだそうだ。でも、一年の中で昼と夜の長さは引っ張り合って移ろいゆくため、人間は意外にもその科学的事実に気づかない。 客は随分とまだらだった。別の目的があって橋を渡る人が、小さな木の椅子に座ってドライバーを片手に腕時計をこじ開けるリュカさんを見て、もうこんな時期か、と気づいて、ついでに直してもらう、というくらいのものだった。年末の風物詩なのだ。 「ぼくからしてみたら、まだ二〇一三年の夏さ。」リュカさんはご婦人の華奢な腕時計を、結構乱暴に開けて、言い放った。ご婦人のうっとりとした表情を見る限り、彼が商品をずさんに取り扱っていることなんて微塵も気が付いていないのだろう。リュカさんは端正な顔立ちをしているので、人生がうまくいきすぎる。ご婦人は多めのチップをリュカさんの右手にしっかり握らせ、足取り軽く橋を渡って行った。 「電池を交換していないことをそんなに格好良く言えるものなんですね。」 「そうかな? お嬢さんも、詩でも勉強したらいい。」 リュカさんはドライバーをチェスターコートの大きなポケットに仕舞い込んで、椅子を肩に担ぎあげた。閉店の合図だ。 「そういえば、きみ、まだノラと会ったりしてるの。」 「会うっていうか、店に行ったらいつもいるので。」 「ふうん。そう。」 リュカさんはそれ以上何も言わなかった。これから何処へ行くのか訪ねると、市役所へ行くとの事だった。取られすぎた税金の帳尻合わせに行くんだとか。良かったら、それが終わった頃の、七時に待ち合わせをして、パスタでも食べに行きませんかと誘ってみた。 「それはもちろん、今年の時間のだね?」 リュカさんは、世界中のやさしさをかき集めたように穏やかに笑った。
待ち合わせの時間まで、いよいよ暇になってしまった。図書館は昨日で閉館してしまった。わたしはボンヤリ橋の上で、寒さも凍えも忘れて、頬杖をついてしまう。 色々あったな。今年も。小さな溜息をついた。 でも、そのほとんどを、もう忘れてしまっていた。きっと生きるのに不要だったのであろう。つまらない話は、必要がない。 わたしの時計は、今年の時間を刻み続けている。このまま刻んでいったら、わたしはみんなより遅く歩いていけるのだろうか。みんなの一度歩いた安全な道を、踏みしめられるのだろうか……これもつまらない話なので、明日には全部忘れてわたしは時計の針を来年に合わせていることだろう。 あと三日で、十二月が終わる。誰がどう思おうと、きっかり三日だ。そうしたら、今年のことは、いとしい過去になる。
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【神保町】ベトナムのストリートフードと言ったらやっぱりコレ!【BANH MI CAFE 117】
【神保町】ベトナムのストリートフードと言ったらやっぱりコレ!【BANH MI CAFE 117】 #バインミー #バインミーサンドイッチ #バインミーカフェ117 #ベトナム風サンドイッチ #パクチーたっぷり #神保町グルメ #神保町カフェ #神保町ランチ #いいなバインミー #117BanhMiCafe #大手町ランチ #大手町グルメ #九段下ランチ #九段下グルメ #ベトナムサンドイッチ #ベトナムコーヒー #カフェ喫茶 #top10streetfood #takeoutfood
皆さん、こんにちは。ブログを書いている大峯です。 皆さんは、ベトナムのストリートフードと言えば何を思い出しますか?そうです!皆さんご存じの「バインミー」や「フォー」ですね😊バインミーは、世界で最も美味しいストリートフードにトップ10入りしており、更にCNNが発表した「アジアで最も愛されているストリートフード50」の中には、この「バインミー」と「フォー」がランクインしております😮 今日は、2021年11月1日、神保町にグランドオープンしたベトナム人が作る本場ベトナムのストリートフードを堪能できるお店『BANH MI CAFE 117(バインミーカフェ いいな!)』さんを紹介します。数字の「117」は「良いな」のゴロ合わせだそうです🎶 アクセス 場所は、都営地下鉄三田線、新宿線、半蔵門線の神保町駅「A2」出口を出て、靖国通り沿いのすぐのところにあります。 BANH MI CAFE…
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#165_0518
オモコロ編集部がゆるゆる話している音声の心地よさに負けて行きも帰りもスペースのアーカイブを聞いている みんなが主体性を放棄しているのが良い 主体性ってなんだ というはなしが白熱した これこれ〜!ゼミは時にこういう神回があるので辞められない カントもデカルトもちゃんと歴史に学ばねばならない それを引き出したゼミ生も本当に素晴らしすぎ 主体性とは自己決定したという手応え、なのではとおもっています
ラビオリを追い求めて東京駅まで行き、大阪に住む友達とランチ お互い行き先が見えてきて急に立ち現れた 将来 にもどかしい
喫煙サラリーマンのたまり場である喫茶店でなかなかでないであろうクリームソーダー啜ってSMAPへの思い入れを思い出す 華麗なる逆襲のMVが素晴らしい話やココカラを聞きながら高校の通学中に泣いていた話など 最後のライブに行けてよかった いつでも太陽な友達 たくさん友達を紹介したい友達 これからたのしみ
いつもより遅く終わったゼミ後、急遽九段下の焼き鳥屋 いつもより元気のない友人を引き連れ、人生の先輩らの話を聞いた 私のメンターはいつだってメンターなのでありがたい 人生のメンター 彼が少し元気になっていてよかった エリート街道ではない他の道を示してくれる大人 もういまはない、社会に適合できない若者のたまり場だった四谷のバーの話を聞くたびにそういう場を作りたいと思う 10年後に面白がっていっしょに働ける関係性、そういうのやりたいですね
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