#世界人類がみな平等でありますように(私の金は私のものだけ���)
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moko1590m · 28 days ago
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人は、他人の不幸には目をつぶるものです
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ryotarox · 9 months ago
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万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳) | デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井隆史 |本 | 通販 | Amazon
カスタマーレビュー
西欧史観への異議 人類の「先史」については文字記録がないこともあり、様々に書かれてる。 特に近年は、 歴史学者YNハラリ「サピエンス全史」「ホモデウス」、 進化心理学者Sピンカー「暴力の人類史」、 進化生物学者ジャレドダイアモンド「昨日までの世界」「銃・病原菌・鉄」 などが人気だ。 こうしたいわば「ビッグヒストリー」に(僕自身を含め)心踊らされた読者も多く、ブームと言っても良いほどだ。しかしグレイバーらは、本当にそうなのか、根拠が薄いのではないかと厳しく批判する。 そして、経済学者アダムスミスの「国富論」(1776)、政治学者ホッブズの「リヴァイアサン」(1651)、ルソー「人間不平等起源論」(1755)などの古典まで批判の射程は及ぶ。 アダムスミスに対しては「商品貨幣説」(物々交換が携帯可能な貴金属が貨幣へと発展した)に対してグレーバーの前著「負債論」で文化人類学の知見を以て否定している。 また「不平等の起源」についても、ホッブスが主張する「万人による万人との闘争状態」が、行政・国家といった機構により回避できるよう進化したという説(右派に好まれるという)、その対極のルソーの主張「かつて狩猟採集の民は上下なく平和に暮らしていたが、農耕牧畜による土地の囲い込み・土地私有・国家の領土争い、国民の社会的格差という不自由な状況が生れた」という説(左派に好まれるという)の両極またはその中間に人類の進化の歴史が位置づけられることが多いという。 これらに対しても、それらの根拠の脆弱性について(つまり「物語」に過ぎないのではないかと)指摘する。
こうした「先史への理解」はそもそもなぜ形成されてきたのか。そしてその「物語」はエビデンスに基づいているのだろうか。ハラリ、ピンカー、ダイアモンド、アダムスミス、ルソー、ホッブスらは、人類学者でも考古学者でもなく、先史をピックアップした歴史のトピックと持ち前の想像力で描いたのである。その歴史観(物語)はそれぞれに違いがあるものの大方共通する。つまり、
万物の黎明 デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史/訳 | ノンフィクション、学芸 | 光文社
凄い本だ。人類史に関しては『サピエンス全史』が先例だが、専門家による人類史再検討書・素描書が『万物の黎明』の話→興味津々の声が集まる - Togetter
今後数十年は本書が人類史に関する議論の土台になるだろう。ビッグ・ヒストリーは万人にウケる。『サピエンス全史』もその先例だが、著者のハラリは専門家ではない。一方で、本書は専門家による人類史再検討書・素描書である。この本を読めば、『サピエンス全史』のヤバさがよくわかる。
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ari0921 · 10 months ago
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【美しき勁き国へ】国益反する再エネ投資
 櫻井よし子
 産経新聞令和6年4月1日
 河野太郎デジタル相が内閣府で主導した再生可能エネルギーに関するタスクフォース(TF)の会議で事件が起きた。河野氏の推薦でTFに加わった「自然エネルギー財団」事業局長大林ミカ氏が中国の国営電力会社「国家電網公司」のロゴ入り資料を正式に提出していた。わが国のエネルギー政策を議論する政府中枢で中国の資料が使われていた。ここまで浸透されていたかと驚愕(きょうがく)したのは私だけではないだろう。
 河野氏肝煎りのTFは構成員4人のうち、大林氏と高橋洋氏の2人が自然エネルギー財団関係者で大林氏はすぐに辞任した。が、トカゲの尻尾切りのような終わり方で済む問題なのか。
 2011年に孫正義氏が創設した同財団は中国を中心に広くアジア諸国にまたがるエネルギー供給網「アジアスーパーグリッド(ASG)」の実現を目指す。ASGに組み込まれる国は民生、産業、国防、全分野でエネルギー供給の安定を必然的に中国に頼ることになる。国家の首根っこを中国に押さえられるに等しいASGを孫氏らが目指すのは自由だ。しかしなぜ、河野氏はそうした人々を重用するのだろうか。
 気になることを国民民主党幹事長の榛葉賀津也参院議員が指摘した。
 「河野氏が外相当時、気候変動の有識者会合を設置しました。その異常な人選と内容をわが党議員が国会でただした。有識者各氏は意見書で化石燃料由来の発電は中止、石炭火力発電の段階的廃止計画を明示せよなどと再生可能エネルギーを強く推していました」
 平成30年3月23日、参院経済産業委員会で同党の浜野喜史議員がただした。
 「今年2月、外務省は気候変動に関する有識者会合で、エネルギーに関する提言を取りまとめています。これは外務省の見解を示したものですか」
 外務省側は「あくまでも有識者の現状に対する危機感の表明」で、それが「外相(河野氏)に対して提出された」(だけ)と答えた。外務省見解ではないということだ。浜野氏はさらに、有識者9人のうち3人が孫氏の財団の執行メンバーだと指摘した。前述のように今回のTFでは4人中2人が財団関係者だった。
 この人選の偏りは何を示すのか。著名な政治家が主催する会議の結論はおのずと大きな影響力を発揮する。河野氏が再エネ推進で影響を及ぼそうとしているのは明らかだ。動機は何か。氏の自然再生エネルギーへの肩入れ、化石燃料否定はわが国の国益にどう合致するのか。この疑念に関して河野氏はきちんと説明すべきだ。
 政府は、温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」に基づく温室効果ガスの削減目標の達成に向け、脱炭素化に10年で官民合わせ150兆円超の投資が必要だと想定し、うち20兆円を支援する方針だ。専門家らはわが国のエネルギーを再エネで賄おうとすると、この額はやがて何倍にも膨らんでいき、日本経済を押し潰すと危惧する。
 いま莫大(ばくだい)な資金を風力発電などに注入することが正しいとは思えないのだ。それがわが国の産業を下支えし、国民生活を豊かにするとも思えないのである。加えて風力発電に関しては設備のほとんどが中国からの輸入だ。利益は中国に吸い取られる。さらなる再エネ賦課金で、ただでさえ国際的に高額なわが国の電気料金は高騰する。国民負担も国内産業への負担も尋常ではない。
 河野太郎氏や自民党の小泉進次郎衆院議員は再エネに莫大な資金を投入し電気自動車(EV)をふやすという。しかし、日米欧のどこでも政府が補助金を出してもEVは消費者から敬遠され始めた。
 EVに熱心だったドイツ政府はEVへの補助金を前倒しで停止した。中国はEVで最先端を走っていたが、今や中国のEV大手、比亜迪(BYD)さえも方向転換してハイブリッド車などに傾いている。にもかかわらず、わが国はまだEVへの補助をやめない。
 再生エネルギー全体に関して国際社会は大きな揺り戻しの中にある。2050年までに二酸化炭素(CO2)排出ゼロを目指し、気温の上昇を1・5度までにおさえるとしたパリ協定への各国政府の姿勢が変化しているのである。
 パリ協定の目標数値に縛られているのは主に先進国であり、ロシアやグローバルサウスの国々には有利な条件が与えられている。先進国が年間5兆ドル(約750兆円)を温暖化対策費用として途上国に払うとき、はじめて彼らも先進国同様のCO2削減の努力をするという条件だ。
 中国がインドとともに途上国に分類されているのは周知の通りだ。そうした中で日本がCO2ゼロに向けて、巨額を支出するのは愚策である。
 ドイツは30年までに石炭から脱出する方針を延期する可能性がでてきた。英国はCO2ゼロの実現よりもエネルギー安全保障の方が重要だとして、化石燃料の段階的廃止に距離をおいた。
 キャノングローバル研究所の杉山大志研究主幹が紹介する「脱炭素からの撤退が始まった」(ロス・クラーク著)には、パリ協定崩壊を示す事例が満載だ。たとえば昨年12月にドバイで開催した国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)では、議長を務めたアブダビ国営石油公社の会長が3年で石油生産量を約50%増やすと発表した。ブラジルとカナダが石油生産量の拡大を決定した。インドは30年までに石炭生産量を60%拡大する。そして中国だ。21年までの2年間に新規石炭発電所127基の建設を承認し、
その後の2年で承認数は182基まで増えた。
 繰り返す。パリ協定は破綻した。再エネへの巨額の支援、投資はやめるのが国益だ。広く世界���見つめて、日本だけが世界の潮流に取り残され、国力を衰退させる事態は防がなければならない。エネルギー分野でわが国が中国の影響下に置かれることも回避しなければならない。一般常識から見れば奇々怪々の動きを見せてきた河野氏だからこそ、その行動の意味と意図を国民に説明する責任がある。
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gupaooooon · 2 years ago
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみ���す。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず���戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の��兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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takahashicleaning · 11 months ago
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TEDにて
ロバート・パーマー:「パナマ文書」が暴いた世界的大問題 — 次にすべきことは何か?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
2016年4月3日、歴史上最大のデータ流出事件が発生しました。
この「パナマ文書」により、金持ちや権力者がオフショア(租税回避地)口座に隠し持つ巨額の資産が明るみに出たのです。
これにはどういう意味があるのでしょうか? グローバル・ウィットネスのロバート・パーマーに話を聞いてみました。
2016年4月3日。歴史上最大のデータ流出が起こりました。「パナマ文書」により金持ちや権力者が。オフショア(租税回避地)に隠し持つ莫大な資金が表沙汰になりました。これは何を意味するのでしょうか?グローバル・ウィットネスのロバート・パーマーに聞いてみました。
今週、おびただしい数のニュースが取り沙汰されています。1,100万件にも及ぶ文書の流出によるもので出処はパナマを拠点とする法律事務所モサック・フォンセカです。これらパナマ発の文書の流出で秘密主義的なオフショア世界の姿がほんの一部ですが露見しました。
これで判明したのが、銀行や弁護士などの顧客がモサック・フォンセカのような会社に「匿名の会社が欲しいので作ってください」と依頼する実態です。実際にやり取りされたメールの内容を読むことができ、その仕組みや運用のされ方がわかります。
既にこの流出事件の波紋が一気に広がり始めています。アイスランドの首相が辞職。他にも残虐なシリアの独裁者。バシャール・アル=アサド大統領の協力者もオフショア法人を持っていると報道されています。
世界中の金持ちの中には新たな一連のニュースや新たな文書流出にビクビクしている人々がまだまだいることでしょう。
私の組織グローバル・ウィットネスにとって、今回の暴露はものすごい朗報でした。今、世界のメディアや政治リーダーが個人によるオフショア秘密管区を利用した資産の隠匿について取り上げていますが、これは、私の組織が10年に渡り、世に訴え暴いてきたことです。
グローバル・ウィットネスでは、オフショア取引の実態がどうなっているのか?どうやって機能しているのか?知りたいと思いました。そこで私たちは、マンハッタンにある13の法律事務所に覆面調査員を送りました。調査員はアフリカの公使を装いました。
不審な金をアメリカに移動し、家やヨット、飛行機の購入を考えているという設定です。
非常にショックなことに調査員した法律事務所のうち1つを除いて1つを除いてすべてが調査員に対し、この不審な金の移動方法を提案したのです。すべて初回の相談での話です。どの法律事務所とも取引は始まりませんでしたし、動いた資金もありませんでしたが制度における問題点が露見しました。
もう1つ大事なことは、これを単独の事件に過ぎないなどと考えないことです。
うちの覆面調査員にアドバイスを与えた個別の法律事務所だけの話ではありません。今、スキャンダルの渦中にいる特定の大物政治家だけの話ではありません。制度の仕組み自体が問題なのです。
汚職、租税回避、貧困や政情不安定の温床だからです。この問題に取り組むには、ゲーム自体を変える必要があります。ゲームのルールを変えて不正をしにくくする必要があります。
我々、グローバル・ウィットネスは今が変革を起こす時だと考えます。民衆は怒るべきです。匿名の会社を盾に身元を隠している 輩に対して憤るべきです。
ビジネスリーダーは立ち上がり、こういった秘密主義はビジネスにあるまじきことだと明言すべきです。政治リーダーはこの問題に向き合い秘密の開示につながる法改正を公約すべきです。
なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。���して、もう既に権力者です。もう一度言います!テレビ局も今では権力者!再び、過ちを繰り返すかもしれません!
自らが権力者であることを発信せず視聴者を混乱させ、それに便乗して権力乱用する日本の民法テレビ局。同じことを繰り返さないようにみんなで見守っていくことだ。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュ��ルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
バイデン大統領は2021年、財務長官にイエレン就任した際の経済対策の一環
「世界が相互に結びついたことのもう一つの結果が30年に及ぶ法人税率の引き下げ競争だった」
というマクロ経済学の結果を明示した前提で各国の多年の法人税引き下げ競争を終わらせ、20カ国・地域(G20)で協力して共通の最低税率を設ける国際的な取り組み
法人税に世界的な「最低税率」を設定することで合意するよう調整していると言います。
実現が遠い世界的なデジタル課税よりも現行法の範囲での現実的な提案をしたかもしれない!
そして
複雑性の研究からも、個人の才覚に関係なく貧富の差は生じる。
超裕福層に集中するとマネーに渋滞が生じるため、税金をかけることと現象が似ている。
こうすると平等性が増すと結果も出ている。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
課税は、ネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義ということも、複雑性の研究からデータで明らかになっています。
日本は、消費税の運用など。課税は、強制的な交換の一形態。この知見は、MMT(現代貨幣理論)にも導入されてる。
複雑性の研究から産まれた従来とは異なる新しいマクロ経済学です。テーラワーダ仏教概念にもある欲を中和するツールとも言えます。
幸田露伴?分福?
人工的な課税をしないと、この歪みがエネルギーとして形態が相転移するので、超裕福層一族たちの幸福感が変質して心の歪みに転換していく。
人間が、一日に扱える時空間は、限定的に対して、お金はマルチバースでエネルギーが交換されるので、人間の一日で扱える許容量を超えてしまう。
ナポレオンヒル?エンスージアズム?そこには引き返せない一線というか?境界線があって、耐えられれば良いが、知らない方が幸せな場合も多々あります。
日本には古来から同様の概念があり、成金や悪徳商人とも言われる場合もある。
600万円以下に貨幣の再分配、事前分配することで社会システムの安定が強化される。
ダニエルカーネマン。詳しくは、論文を見ていただいて、日本の実情を深く考えた年収として記載しています。
直訳を指摘しても、未来を描けない人々なので、みんなは心の中で、あぁ残念な人なんだと軽蔑して下さい。
メリトクラシー至上主義、競争主義社会システム新自由主義を古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
意図して均衡させて、奸雄は排除していくことが鉄則。カントの永遠平和を実現が重要に。
つまり、IT産業長者は、乱世の奸雄。テロ抑止にもなる現代では、競争時代の奸雄を排除することと同様の概念になります。
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個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
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kennak · 2 years ago
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https://anond.hatelabo.jp/20230503204955この増田も言及しているが、富山から若い女性が流出しているというニュースで地元が炎上している。ネット上で憶測が憶測を呼びとんでもないことになってやがるので、当事者として事実を書こうと思う。以下、大変不名誉なことに例の記事で「問題のある層」として紹介されてしまった「富山から出た20代女」として書きます。とりあえず、自分の実体験を踏まえて誤解は誤解、合っている部分は合っていると説明する。0歳から18歳になるまで富山の中心地富山市で見聞きしたことですが、地域によって違いはあると思う。富山を出た理由はい、まずこれですね。ご期待に沿った回答でなくて申し訳ないが、私の場合は「都会の企業より待遇・条件のいい企業がないから」です。私は大学進学で富山を出て、そこから新卒で就職した。国内外でそれなりに知��度のある大企業の専門職で働いており、ハッキリ言って内定が出た都会の企業以上の待遇が期待できる会社は富山にはなかった。海外赴任したいし。仮に私が男性でも、それは変わらなかったと思う。「女はお洒落でキラキラした都会に憧れるから」とか「いい男を捕まえるために都会で遊びたいんだろ」とか的外れな女性蔑視考察をしていた方々!超地味〜な理由で申し訳ない!と私の場合はそうなんですが、実際に皆様が指摘されている「若い女性の扱いが酷いから」「陰湿な県民性だから」というのも正直富山を出る理由の一つにはなると思います。それについてこれから書きますね。男尊女卑についてこれは間違いなくある。あちこちで言われている「富山は共働き率が高いが家事・育児は全て女負担」「専業主婦は遊んでいると言われる」は残念ながら私の周りでは事実です。冬は雪かきもあるけど、それも女の仕事。【捕捉】私の周りでは女が雪かきしていたが、冒頭にも書いたように地域によって違いはあると思う。あと、富山市の場合は、余程狭い道じゃない限り除雪車がまとめて雪をどけて道を作っていた。うちの家庭の話をする。私の母は富山では珍しく管理職で社会的地位が高い。収入も父より上だ。しかし家庭内での家事や育児は、ほぼ全て母か私が負担していた。私は小学生の頃から事あるごとに父から家事労働や弟の面倒を見ること、祖母(父の母)の介護をすることを求められてきた。理由を聞くと毎回「女の子なんだから」「長女として」という言葉が出てきた。今問題視されている「ヤングケアラー」扱いされてきた。そして母より稼ぎが少なく家事・育児をしない父は、仕事以外では家でゴロゴロしているか遊び歩くかしていた。それでも一族の扱いは「一家の大黒柱」。このように、女性であることを理由に理不尽に家庭内労働を押し付けられる文化は今でも根強くある。でも男性は男性で、一人立ち後や結婚後も仕送りして親や兄弟を養って当然という空気もあるため、問題は「男尊女卑」というより「性差別的な価値観」「性的役割の押し付け」な気もする。県民性について県民性をまとめるなら下記の3つだと思う。年齢や性別、職業に関係なく、富山では下記が「普通の人」として扱われていた。無論まともな富山県民もいるが、あくまでも富山のマジョリティは下記なのだと思う。⚫︎差別意識が強い⚫︎集団で束になり個人を虐げる⚫︎嘘をつく⚫︎差別意識が強い地方だから…と一括りにするつもりはないが、全体的に差別意識が強い。また、息をするように人権侵害レベルのことをする人がかなり多い。陰湿な村社会のようなコミュニティがあちこちにある感じ。これは性差別だけでない。県外から来た人や外国人等、周りとは違う人に対する差別が本当にひどい。実際、国外や県外から来た人が口を揃えてそれを指摘し「富山にはもう2度と住みたくない」「陰湿な人が多すぎて暮らせない」と言っている。⚫︎集団で束になり個人を虐げる学校や会社で束になり村ぐるみで追い込んで組織から追い出した、という話は頻繁に聞く。また驚くことに、ほとんどの人がそれを酷い事、恥ずかしい事だと思っていないため、加害者側の人たちが笑いながら話しているのをよく見る。「集団とは違う存在を皆で一致団結して追い出す。」彼らはそれこそが「正義」だと疑ってない空気すらある。法律や倫理観なんぞより、自分たちの村の平穏を維持することが大事なのだ。⚫︎嘘をつく「嘘も方便」のような嘘ではなく、自分の利益のため息をするように人を騙す詐欺師タイプの人が当たり前にいた。というより、富山ではそういう人が「普通の大人」だった。医者・歯科医が患者に「ここを治す必要がある」と嘘をつき多額の金を巻き上げる。営業や店員が商品の説明の際に「こんな機能がある(実際にはない)」と客を騙して買わせる。中学や高校の教職員が生徒に「個人スマホからのネットの閲覧履歴や書き込み履歴は全て学校側が把握しているから余計なことをすれば分かる」等の嘘を教え従わせる。全て身近で目にしたことだ。富山市の進学校付近でこれなので、自分の周りが特別治安が悪かったわけではないと思う。都会に出てみると、自分にメリットがあろうがなかろうが関係なく嘘をつかず誠実に対応するのが当たり前という人ばかりで本当に驚いた。個人的には一番富山とのギャップがあり驚いたことである。【余談】「少子化対策のため未婚化を阻止」のグロさスルーしてる人が多いのだが、個人的にこのニュースで一番問題だと思ったのはここ。つい最近、国連が下記の提言をしたにもかかわらず、真逆のことを当然のように行っていて頭を抱えた。富山県民はあまりにも人権意識が低すぎると言われても、私は反論できない。「出生率押し上げより男女平等を」 国連人口基金が提言国連人口基金(UNFPA)は19日、2023年の世界人口白書を公表した。人口が減少に転じる国もあるなか、出生率を政策で操作しようとする国が増えており、女性に悪影響が及ぶと懸念を示した。出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべきだと提言した。(2023年4月19日 日本経済新聞の記事より)●少子化対策まず、富山県民に限らずこれを言う人は「健康で生活保護等を受ける事なく働いて納税し社会を支える人がほしい」という意味で言ってるんだと思う。逆に言えば、その「増やすべき人間」に中に納税奴隷にならない人や障害者年金を得て暮らす障害者、生活保護を受けなければ生きられない人は入っていない。また、病気や性的指向等で子供を作れない、またはなから作る気のない人たちもその中には入らない。つまるところ、「少子化対策」とは優生思想に基づいて、人間を生産性だけで見ているからこそ出る言葉だと思う。そもそも、妊娠・出産は女性の体や脳にとんでもない負荷をかけ、最悪後遺症が残ったり死ぬこともある重大事項だ。それをやる・やらないを決める権利は本人にしかない。「妊娠から出産後に至るまで死ぬほど苦しむし、マミーブレインで頭悪くなるし、結構な確率で後遺症残ったり死ぬけど子供産んでくれない?」と他人が推奨できる類のものではない。子作りを推奨する側は、男女問わず子供さえ作ってくれれば相手の体なんぞどうでも良いと言わんばかりにそのマイナスな医学的事実を伏せたまま妊娠・出産は「幸福なこと」だと喧伝する。また、Twitterで散々言われていたように子供を本人の同意をなくこの世に生み出し、義務だからと強制的に労働させるのは倫理的に考えても利己的でグロテスクだと反出生主義的な指摘をされても仕方ないだろう。●未婚化を阻止はい、言うまでもなく人権侵害の極みですね。男女を結婚させ出生率を上げるという発想自体、女性を産む機械、男性を産ませる機械として見ている。人間には結婚する・しない、子供を作る・作らないを決める権利がある。また、結婚するにしてもその性別は当然異性である必要はない。長々と批判ばかりしてないで富山のいいところも言え・魚が美味い!・米が美味い!・家賃が安い!以上、今絶賛問題児扱いされてる富山を出た20代女でした!
富山を出た20代女だけど、地元の炎上について言いたいことがある
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shingoiwasaki-blog-blog · 10 months ago
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カンカン、カクン、カクン、この子の、右足に、ご注目。バックの、音と、リンクしてるから。
Facebookさ、実は、金で😂幼児レイプしてるのよ😂だからさ、それが、ひっかかって、神に、捧げることが、できんで、俺の、動画、削除したり、動画おくらせたり、してきてるのよ😂で、今さ、すでに、子供、純粋な子供に、霊的能力、多少元々、みんな、あったんやけど、剥奪されるのよ、😂つまり、それが、大人に、なるってことなんよ😂でさ、これ、重要なんやけど、すでに、今の、地球の、子供たちの、霊的能力、本人ら、気づいてないだけで、メチャクチャ上げられてるのよ😂ただ���、テレビに、今、出てる、子役たちには、😂与えられてない、ただの、凡人ちゃんたちなんよ😂
でさ、😂祐実、この子の、動画、だいぶ前から、俺、投稿、繰り返してるよな😂で、家なき子に、出た、エリカ、似てるじゃん😂つまり、これはさ、爺ちゃん【仏様🦠】は、anoが、お前の、元旦那、芸人、あまーい、に、似た男を、anoが、You Tube投稿すること、このときから、知ってたんよ😂
カンカン、カクン、カクン、女の子の、右足に、ご注目👀メチャクチャ、コエーから👀
私の嫌いな人という、ただ、純粋に、それだけの共通の、集団、=永久地獄=永久成長地獄
一般人だろうが、芸能人だろうが、そこは、関係なく、今日、私の、こさえた永久地獄が、私の嫌う人々全てに、平等に、ゆきわたり、永久地獄が、永久【とこしえ】成長しますように、ここに、祈りを、ささげます。
私の、ひな形ロボットの、永久【とこしえ】成長
そして、いつの日か、私が、無に、帰れますように、そのための、私の、ひな形ロボットを、残し、永久地獄運動が、さらに、永久【とこしえ】までに、昇進が、繰り返されますように、ここに、お祈りを、捧げます。
顔面、三角、没落貫通くり抜き、地獄、永久、連発、毎秒、永久秒、成りて☹️💬
🍎、この人ね、イルカに、パフォーマンスを、するたびに、餌を、与え続けて、ある時から、一切、与えないで、いると、イルカが、新しい、パフォーマンスを、発案、生み出すっていう、実験の、話しを書いた人は。で、精神科医の、斎藤学先生は、彼の、本に、興味を、持っておられて、自分の、精神医学の話しの中に、彼の本の、内容を、盛り込まれたって言う話しは。
そして、何故❓そんな、君たちが、未だに、生きているか❓は、私よりも、はるかに、爺ちゃん【仏様🦠】のほうが、したたかで、残酷だからだよ。
そして、そんな、私を、産み出したのは、なにをかくそう、キミたち、人類、なのだから。つまり、キミたちは、自殺するのだ。【殺される】ことも、含めて。そう、自分で、自分の、永久地獄をこさえてしまったのだ。カルマ🚗によって、毎秒、永久秒の、スピードで、自分の、向かう、永久地獄を、生産しているのだ。生きている限り、こさえ続けているのだよ。そう、生きている時間が、長ければ、長いほど、葬られる、自分の、永久【えいきゅう】永久【とわ】地獄の、残虐性は、増す、一方なのだよ。
私は、皆を、指導したいなどと、これぽちも、微塵にも、考えて、いない。そう、私の、崇高なる望み、渇望することは、そう、ただ、ただ、純粋に、私が、嫌う人間が、永久に、どれだけキツイ地獄で、苦しめることが、できるのか❓そう、ただ、ただ、日々、私は、考えて、生きている。そう、私の、考えつく、総最大の、努力を、捧げ、私の、嫌う人類が、永久に、永久なる、地獄で、もがき苦しむさまを、望むだけなのである。
牛傳【ぎゅうてん】大魔王【ライマホウ】の、出現。
致知【チチ】、蘭蘭と、光り、輝く、黄金太陽【オウコン、タイヨホ】に、廊喝【ロウカツ】な、前歯を、持って【モツテ】遮二無二【シャにむに】喰らひつく、大型の、捕食者、爬虫類
そうさ、俺は、無からは、何も、生み出せないけど、こういうヒントが、あれば、いくつでも、芸術地獄を、こさえる、ことが、できるのさ、
あの、コイツを、熱々の、白ごはんの、上に、のっけてさ、今日の、朝飯に、しろよ🤣🗯️
中園こうじの、絵。彼の、絵も、私の、snsや、描く、絵、文章同様に、未来、起こることを、神の、導きによって、描かれた絵だ。そして、彼は、神から、人類への、メッセージの、絵を、描き終わったころ、海に、命を、とられ、あの世に、旅立った。
ねじまき鳥クロニクルに、出てくる、クミコ = 主人公の妻は、霊界に、存在させた。彼女は、海ではない、雨 = 水の精霊として、ある日、私の、前に、現れた。去年、夏の終わり頃、早良区有田付近の、飲み屋、【月の雫しずく】という、飲み屋に、亡霊の、anoと、合体している私は、二人で、その、店に入り、カウンターで、飲んだのだ。飲み屋の、ママさんと、従業員の、女性と話していたら、anoの、機嫌が、悪くなり、気まずくなった私は、会話に、困った。すると、突然、ねじまき鳥クロニクルの、クミコ、と、言っても、主人公と、一緒に暮らしているほうの、クミコではなく、メタファーてきな、クミコが、突如、俺に、話しかけて、きたのだ。そう、主人公の妻が、仕事に行っている、間に、ちょくちょく、主人公に、セクシーな声で、テレフォンセックスを、望んでくる、ほうの、顔のない、実態のない、クミコが、突如、anoと、私の前に、あらわれ、話しかけてきたのだ。そう、私は、いつも、ギリギリに、切羽詰まった状態のときにだけ、新しい、なにか❓を、存在させることが、できる、性質なのだ。爺ちゃん【仏様🦠】は、私の、その、性質を、よく、見抜いていたから、なるべく、私が、助けを、欲しいときも、じっと見守るだけにして、限界にきた、私が、なにやら、奇妙なことを、やらかしたり、新しい、宇宙、新しい、霊体を、無からではなく、私が、生前、読んだ書物、観た、映画、聴いた音楽、読んだ、アニメ漫画、などを、ヒントに、創り出す、ことに、いつも、期待しているのだ。ちなみに、クミコは、とても、優秀で、冷徹で、冷静な、霊体だ。木🌲の、精霊に、驚くほど、似ているが、よく、耳を傾けていると、やはり、違う。木🌲の、精霊のほうが、優しく、温厚だ。
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newyorkdiary7th · 2 days ago
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prologue
EOY trip : 21st Dec
Hi there. 今は1月29日のお昼。1時間以上散歩をして来た素敵なカフェで残り25%の電池のパソコンに向かっている。昨夜はミントチキンカレーにした。例の使われなかったミントで。久しぶりに作ったミントチキンカレーはパプリカパウダーの持ち合わせがなかったので、赤いからという理由でサフランを使ってみたのですが、かなり美味しくできましたとさ。さて、急がないと。電池が切れちゃう前に、マインドを旅に引き戻して書けるところまで書きたい。
・・・
マインドを戻そうと写真を見返していたらパソコンの電池は残りあと15%。ひーん。
崇が運転をして、ヌヌ(おデブな柴、6歳くらい)を抱えたカレン(台湾名はヌヌ。妹の台湾名はニニ。だからわんこがヌヌ)が助手席に。私が左でラーメン(シャイな柴)を抱えたビアンカが右、という車旅。私とビアンカの間は荷物で埋まっている。日本だったら普通の乗用車だけど、アメリカではコンパクトとされるサイズのSUV、MAZDA。カレンがひと月ほど前に買った車で、車のない生活は半日だって持たないようなサンホゼで仕方なく買った車だという。カレンが買う車悩みをしている頃まだ私は崇とNYのカレンの家にいて、崇が “頼むからベンツとかボルボとか言うな”、と価値観の違いに悩んでいた。金持ちの中国人代表みたいになるからやめてくれと嘆いていた。でもカレンの趣向としては洋車(と言う言葉はあるのか?)が良いみたいだった。結局マツダに落ち着いたけれど、彼女としては致し方なく、だったらしい。マツダは台湾ではヤンキーが乗る車だから、とその説明を一通りし終わった時にビアンカが、「うちの家族マツダに乗ってるんだけど」と笑っていた。(ビアンカの家族は台湾にいて、カレンの家族はLAにいて妹はUCLA)
初めましてのラーメンはめちゃくちゃ可愛くて愛でたいんだけどめちゃくちゃシャイで全然振り向いてくれないので悶絶した。
崇とカレンとビアンカが一通りキャッチアップしているのを(知らない名前がたくさん出てくるので)聞くともなく聞きながら、ワクワクとうまくやっていけるのかと言う漠然とした思いの両方を実感しながらドライブが始まっていった。簡単に仕事の話になって、あ、違う、ESTA取れなくなった話しになってイラク出張が、みたいな話しになって、結局渡米の日程もズラして、みたいな話しをしたらビアンカが「That’s so cool」と言って、え、クールなんか?と思ったのにカレンも「その話し聞いた時私もなんてcoolなんだと思ったの~」と振り向いてきて、なんかこう世界の違いが際立った。で、ビアンカがアフリカには行ったのかとか中東ではどんなことをしているのかとか、聞いた後に「国連で働きたくはないの?」と言ってきて、「う~ん」みたいなフニャッとした反応を私がしていて、私は国連なんてそう簡単に私がたどり着ける先ではない、と言う趣旨をどう言うかと頭の中で英語を考えていたんだけど、その間に待ったなしのビアンカが、「NYに国連で働いている友達が二人いるから良かったら紹介する」と言って、私はあちゃ~すげ~う~ん、と言う感情で、崇が「チャンスじゃん~!」と盛り上がっていた。私は彼らのように上手には生きていけそうにない。自分のペースで頑張りましょう。と言う感じに、まぁNYで頑張っている裕福な家庭で育ったアジア人たちとの旅が始まった。だいたいみんな米国在住歴は10年前後。
崇のコロンビア院時代の(金銭の)話を聞いているタイミングに、自分は自分で(未来の)子育てについて考え込んでいたタイミングだったので、その後にこうも裕福な家庭で育って来た人たちばかりを前にすると結構絶望する。
ところで私はNYで携帯電話の電波を繋いでいない。そこまでケチらなくて良いとも思いつつ、無いならないで結構清々しいし、誰かとの待ち合わせ以外で困ることも特にない。と言うことで車では携帯でできることも特にない。ビアンカが携帯をいじっていてそう気がついた。
あ、別のどこかで書いたけれど、出発後はまずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って食材を買い込んだ。アサヒビール12缶ケースも。年確が厳しくてアメリカって感じだった。
Rio Nidoの家に着いたのは16時過ぎ。最高の家だったー。ここまで広くなくてもよかったのでは、、、と思わずにはいられない広さの家。この家を探して決めたのは私がNY着いて一番最初にやった��と。10月31日だったっけ、そこら辺。カレンの家から歩いて5分の、トワイライトのサントラがかかっているとても良いカフェ(Dear Mama)で崇は仕事してて私とカレンでAirbnb探しをした。大人6人と犬2匹、と言う条件で探すのでまぁ豪邸になる。カレンは金額気にせず超がつくほどファンシーな家ばかりリストに追加するので、やんわりと否定する家ばかりを私が追加した。懐かしー!6人で割ればすごい安いよね、と言うことで私からすると大層な豪邸に決まった。そこに、着いた12月21日。時間の流れをとてもしっかりと味わう感覚が好きだった。車でメインの車道から逸れて林道に入り、ナビが間もなく、と指している中ソワソワと一軒一軒注意して、ようやく目的地を見つけた時、あの日予約した家にワープした感覚が新鮮で、面白くて、楽しみになった。
玄関コードが最初は開かなくてわちゃわちゃしたけれど、なんとか開いて入ると、余裕を感じる階段が迎え入れてくる構造。玄関を入ると階段があって、それを登り切るとリビング、と言う半分吹き抜けの構図。モロッコのマリヤム(提携団体のCEO)の豪邸を思い出した。階段の全段に置き物がある。ぜっっっったいに傷つけたり落としたりしたくない類の置き物がずらり。階段の踊り場を靴脱ぎ場にした。
ラーメンはシャイだけど脱走癖のあるヤンチャボーイでもあるのでビアンカは一目散にラーメンを連れて部屋に閉じ込めに行った。私と崇で大量の荷物を車から家に運び込んだ。私は子供の頃から車で移動が多く、毎週末、週末分の荷物を持って車で移動して荷物の出し入れをしていたので、こう言う事をするたびにふとノスタルジーが込み上げる。こんなにも想像していなかったような状況でもその感情はやはり現れた。
車から荷物を下ろし終わってリビングに行くとビアンカがテキパキテキパキと食材を冷蔵庫にしまっていた。トイレバスも2カ所にあった。戸棚にカクテルの教科書みたいな本と一通りのカクテルグッズがあって、あちゃー!リキュール欲しいー!となった。BOSEのスピーカーもあった。なんかキッチン?も2カ所にあって、裏のキッチンにはコーヒーメーカーとトースター(パンが飛び出してくるやつ)があった。お手伝いさんのスペースなのかな?とか言い合った。電気や空調のスイッチが未来感あった、テクノロジー!って感じのスイッチで崇と二人でガチャガチャ回しまくってお子様になった。
でも。食器が微妙にピカピカじゃ無いのはなんかアメリカンだった。ウェーっと拒否反応を示した崇とビアンカが一通り食洗機をかける。食洗機用の洗剤がなくて皿洗いのソープをダラダラと入れて回した。すっかり記憶のザルから落ちていたこのシーンを、最近ビアンカ邸で食洗機を崇と回している時に思い出した。
とりあえずみんな荷物の整理とかをし終わって、ぼちぼち夕食の下拵えとか始めようかという感じになって、ビアンカはラーメンの散歩に出かけた。
話し飛ぶんだけどこの前の日曜日(1/26)の夜にタクオミを家(ビアンカ邸)に呼んでラザニアナイトをして話していた中で、「こんだけ一緒にいて嫌だと思うところないの?」って言う話しになって、「この人、水回りが酷いの」と私が崇を告発した。崇は料理好きでキッチンに立つことは本当にしょっちゅうあるんだけど、そこいら中に水が、、、。水の出し方も激しいんだが、手拭きの文化がないアメリカでは濡れた手で歩いてキッチンペーパーを取りに行ったり、拭かない食器を移動させたり起きっぱなしにするのでもう床がびっしゃびしゃで、、、。崇はゴムのサンダルを履いているので平気なんだが私は布のスリッパなので踏んだらもう最悪で。勘弁して、とはよく言うけど、治るものでもない。そしてこの間柄のすごいところは、それでも嫌いにならないところ。あぁもう、洗い物は私にさせて、とか思ったり、あぁもう勘弁して、と思いながら床を拭く。
で、カレンの家の床も、キッチンの使い方(食器は基本しまわないで洗った後のラックに放置しておくもの。私は収納したい派なのですぐ拭いて片付けてしまう。ある時カレンが「フォークは全部どこに行っちゃったの?」と言っていてびっくり。しまうという概念がないと言うことを知った。フォークというか全ての在処はラックの上なのだ。)も、全く自分のスタイルではないけれどお世話になっている身なので極限まで合わせて生活していた。
でもRio Nidoの生活が4人で始って自分の中で芽生えた感情で面白かったのが、“ここでは平等”というもの。カレンの家ではキッチンの水浸しは頑張って放っておくか耐えられなければ自分で拭いていた。でもこのAirbnbでは「拭いて」と言った。まぁ言ってもそんなに変わらないので結局こっちが拭くんだけど、ここから大きく違ったのがビアンカが完全に私派だったこと。
関係値の違いなのかわたしとビアンカの性格の違いなのかもう少し分析が必要だけれど、ビアンカは「拭いて」とか、「ゴミはちゃんと捨てて」とか私みたいにうるさいのではなくて、何も言わずに全部自分で片付けていた。その姿を目の当たりにした私は、まだまだだな自分、という大きな大きな気付きに見舞われた。彼女を見ていて、自分の器の小ささに気づく。そして初日からずっと思っているのが、この人とても素敵な母になるんだろうなぁ、という感情だった。一度も誰にも言わなかったけど。
うるさい、とは書いたけど、多分言ったのは1回ずつでその他は100回ずつくらい胸の内で言っていた。胸の内で言って、最初の方は自分で手を動かさなかった。崇とカレンが自分たちのタイミングで片付けたくなるのに任せよう、と頑張って放っておいた。でも結局ビアンカが全部片付ける。そう気づいて結局私も彼らに任せるのではなくて自分でやる事にした。
おもろ。こんなに掘れるエピソードだったんだこのこと。関係性を穏便に進める事に私はおそらく自分で思っている以上に神経使っているんだろうなあ。
かと言ってそれがストレスになるタイプではない。他の部分でその人の事が尊敬できる場合は、ちっともこうした習慣の違いでその人を嫌いになるような事はない。夫婦目指しているわけではないのでね。
ぼちぼちみんなが部屋に引き上げる時に、「私物は共有スペースに放置しません。」と崇に言う私。苦笑いしながら自分とカレンの散乱しているジャケットや置きっぱなしの飲みかけのスタバカップなどを片付ける崇。
ともかく。ビアンカの性分にすごく救われる時間が多かった。共有スペースに私とビアンカのものは寝る前には皆無で、他2人のパソコンとかがいつも広がっていた。面白かったなあ。飲みかけのカップとか空のビールの缶とかは耐えられなくて片付けてしまうわたしたち。
救われるというか好み合う~の場面も多かった。最初に起きたのはバター。
ビアンカがおフランスのたっかいバターを旅に持ってきてくれた。LAでひと月に一回だけ輸入されるバターがあって(この期に及んで名前忘れた)それをはるばる運んできてくれた。
幸福論になると『女2人暮らしてます』の美味しいパンと美味しいバターがあれば幸せに生きていける、というくだりを必ず引き合いに出す私は、バターを語るビアンカとは仲良くなれそうだと早々に思った。
出来れば美味しいパンを買いたかったけれどカリフォルニアの田舎にそれはどだい求められずトレジョでましそうなバゲットを買って行ったわたしたち。
エアビーの冷蔵庫にもバターがあったので、ブラインドバターをした。朝食はブラインドバター大会。
あ、朝食の前に私はみんなが寝ているうち(と言っても7時頃とか)にバナナとみかんを持って散歩に出かけ、帰りがけにビアンカとラーメンに会った。ヌヌは散歩に行ってなかったけどまあなんとかなるのでしょう。
フレンチプレスでトレジョのコーヒーを淹れ、ベリーを皿に盛り、ブラインドバター大会。かわいいクリスマス柄のナプキンを持ってきてくれていたビアンカが、「これはこの旅(エアビー)の間に使い切らなきゃだからみんなたくさん使ってね」と何度も言っていた。可愛すぎてあんまりどかどか使えなかった笑
EOY trip : 22nd Dec
さて、本当に容易に想像できていた事なのですが、出発予定時刻はやはり過ぎた。笑
カレンさんはすごく気が散るタイプで、いろんなことを同時多発的にやっているので、予定時間はあってない。崇によるとカレンとカレンの友達の待ち合わせなどは1時間遅れが平常運転らしい。
それを知っている私と崇は前日の晩御飯で明日の予定の話になった時、既に余裕をみた出発時間を設定していた。
みんなで車移動をする時は決まって私とビアンカが車で待ちぼうけをして崇とカレンが来るのを待っていた。何度も言うけどそれがストレスになるとかそう言う感じはなかった。仕事じゃなくてホリデーだったからかもなあ。まあ好きにして~と言う感覚だった。
本日は、ワイナリー巡りです!!!
まずはJoseph Phelpsに11時am。なんだけど。その前に。電動歯ブラシを家に忘れてきたカレンが歯ブラシを買いたいのでスーパーに寄る。歯ブラシとホッカイロ(RV用にホッカイロ、と言っている台湾人2人)を買いにカレンとビアンカがスーパーに行って、私と崇は車で待つ。待てど暮らせど帰ってこない。たかちゃん(クラスメイトの内ではその昔崇はたかちゃんと呼ばれていた。今でもたまに使う。)はイライラし出す。「なんで歯ブラシ買うだけでこんなに時間かかるんだよお~」「オンタイム(早く出るはずが出れなくて結局オンタイムになった)だったのにもう遅刻だよお~」「も~~」と言っていた。私は心のうちで “全然いつものことじゃーん” と思っていた。
天気は曇り。「トワイライトは観た?」と私。「似てるよね~」とビアンカ。すぐ伝わった。「昨日来た時から感じてたんだけど、ベラの家のあたりの雰囲気に物凄く似てるよね。あとこのエアビーを崇とカレンと探していた時にいたモーニングハイツのカフェではあの日ずっとトワイライトのサントラが流れてたんだよ」と私。
その後はカレンがトワイライトを観ていた時代の話しをしてくれて、いかに彼女がお嬢様学校に通っていたのかが分かってきた。寄宿学校でとても校則が厳しくて色んな禁じられていたエンタメをいかに友達たちと掻い潜っていたのか話してくれた。
私と崇の学校も変わってたね、と言う話に繋がって、崇がいかに親に隠れてPSPにハマっていたかと幼少期について話しているのをぼんやり聞いていた。私はその話しの情景の全てを知っていて映像的にも思い出せて、カレンやビアンカからするとそれは崇の昔話なのであって。
ものすごいたくさんの時間を一緒にいたから、いつどこでの会話だったかはもうあやふやだけれど、ビアンカの過去もすごかった。フィルムカメラの話になった時に(フィルムカメラといえば先日LAで戸田さんがフィルムカメラの概念を知らなかったシーンもあったな)、昔自分で現像していた頃があって、と言う話をはじめて、お~~アート系なライフの時代があった人なんだ~と思って聞いていたのにおったまげ、会話の最後にそれは何歳くらいの頃のことなのと聞いたらまさかの15歳くらいだった。なんなん、中学生でフィルムの現像をする子供時代って。そう思った数日後にまたこの話しが繋がって、「フィルムの現像もそうなんだけど、中学生の時サマーキャンプに毎年行ってて、ある時はフィルムの現像をしたけど、違う年に(事件の)現場検証の体験があって」と繋がった。その話しは、なんでアメリカに出る事にしたのかと言う話しから始まって、子供の頃FBIになりたいと思っていたから、との事だった。それはなぜかといえばそのサマーキャンプでやった現場検証の体験がものすごく楽しかったから、とのこと。ちなみにその時代にフランス語を習っていた。お家柄が伺えちゃう感じよね、節々から。
JPには5分遅れくらいに着いた。どっひゃー!と言う感じのラグジュアリーな施設だった。
もう受付がカッコ良いのなんのってね。
まずは建物の外の受付で名前を言って、建物に入るとウェルカムシャンパンが待ち受けている。なぜか急に思い出したのだけれど、この日は犬たちは家に置き去りで、出る時にビアンカがラーメンに「byeeeee Mummy’s gonna drink today sorryyy but I love you!」って言ってておかしかった。そういえばこの日犬がいなかったなと思い出して、そのシーンも思い出した。
ウェルカムシャンパン飲みながらどっひゃーな館内を案内人について進んでいく。えらいことになってしまったわという気持ちで。
ついたテーブルのかっこよさがこれまたね~
ハイチェアの丸テーブルで、ぎっっっしりとグラスが溢れかえっていた。6グラス×4人、24グラス!?
テーブルには重厚な革のバインダーに挟まれた上質な紙に、4人の名前が印字されていて、「だから予約の時に全員の名前聞かれたのかー!」と崇。お品書きがずらりっ。
さてさて、私たちのテーブルを担当してくれたおばちゃんが最高だった。あーあ、もう名前忘れちゃった。スーザンとかだったっけ。
短髪で元気はつらつのおばちゃん。セーターの前面にクリスマスツリーの刺繍があって、そのツリーをコルクが飾っているの。10数個くらいのコルクが賑わっているセーター。コルクとあと電飾。ピカピカと光っているライトがコルクと共に縫いつけられているセーター。それを完全に着こなせちゃう感じのハッピー系なおばちゃん。一際愛するワインのコルクたちだそう。
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ところで今はパソコンの電池が切れたのでしばらくiPhoneでちこちこ書いているのだけれど、崇からLINEが来てアパートがついに決まったそうです。おめでとう。2ヶ月くらいに渡るアパート探しついに決着。ビアンカの家がどうひっくりかえってもありえないような豪邸だったから、結構苦しんでいた。こんなに良い家に住みながら現実問題住めるアパートを探すのは大変そうだった。ちなみに月50万くらい。NYってそう言う場所なのよね。
ビアンカは金持ち台湾人が経営するタウンハウスの一室にありえないほど安く(月35万)他の2人と住んでいる。そこにさらに友達価格で25万ほどで住ませてもらうわたしたち。普通にこのクラスの部屋に住もうとしたら相場は100万くらいのところ。結局世の中は人の繋がりですねっていう事になった。その話しはまたいつか。ちなみにJimさんが今タウンハウスに居るって聞いておったまげてた。ゼイタクネェ~!って。
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Hello hello, 今日(1/30)も今日とてカフェに来ました。今日は近所のカフェ。イタリア訛りのお姉さんが素敵なカフェ。崇くんは新生活が始まるワクワクでいっぱいです。仕事してるのかと思ったら家具探してる。パソコンのバッテリーは90%あるので今日は落ち着いて続きを書けるかしら。
Joseph Phelps ではカレンは飲まなくて、他の3人がテイスティング。スナックが信じられないほどの美味しさだった。そりゃもちろん買いたいワインにたくさん出会ったんだけど、そもそもCA→NYの移動も大変な上に、どうやって日本に持ち帰るんだという苦労が目に見えすぎたこと、そして価格が恐ろしかった事、によりなんとかその場の空気に飲まれないように踏ん張った。さらにはこの日、まだ後2件行くので、1件目で買ってしまうのもな、という判断だった。崇とビアンカは余裕のあるニューヨーカーズなのでバチバチに買っていた。「この為に仕事しているんだもの」by Bianca.
でも結局結論から言うと、Joseph Phelpsがこの旅で一番レベルの高い世界だった。いつかまた絶対に行きたい。崇もビアンカも既に何度もナパバレーに来ていていろんなワイナリーを経験しているのだけれど、ここはすごい、やっぱりお金かけると世界が違う、と言っていた。
一番びっくりしたのはデビッドホックニーの原画が私たちのテーブルのそばにかかっていたことね。カッコ良い絵があるな~とずっと気に入っていたのだけれど、ふとよく見たらデビッドホックニーと書いてあってびっくり。デビッドホックニーってあのデビッドホックニーかな!?!?と言い合って、スーザンに聞いたら。Joseph Phelpsの親戚がデビッドホックニーの知り合いだったので、Joseph Phelpsを描いてもらった、と言う話だった。おったまげ~。
大満喫をしてバーガーに向かった話しを続けようとしてふと思い出したのだけれど、この日Joseph Phelpsまで運転したの私だったわ。時の風化ってすごい。ナパバレー運転している~と喜んでいたことを、こんな風に忘れていられるくらい、今日までにいろんな事があったわね。だから、どれだけ適当でも良いから、その場その場で書く日記が好きなんだよな~。まぁ良いや、ふと思い出したけれどJoseph Phelpsまでは私が運転したんだった。山道というよりは丘を上がって下がってと進んで、雲が丘をところどころ覆っていて、あたり一面葡萄畑だった、冬の、枯れた葡萄畑。
てことで、Joseph Phelpsに感服しきった私たちは、ウォークインを予定していた一件はスキップすることに決めた。もう一件の予約が16時とかだったので、昼間にもう一件挟むのはやめよう、と。St. Helenaと言うナパバレーにある小さな町がとても可愛らしいので、そこの散策でもしようよ、食事どうする?と言うやりとりの中で、ビアンカがバーガー屋を勧めてくれていざ。めちゃくちゃ良いバーガーエクスペリエンスだったなぁ。ナパ名物の汽車が走っていく景色を見ながら、賑わうテラス席で食べた美味しいバーガー。普段ハンバーガーって全然食べなのでアメリカで食べた一番美味しいバーガーだったわ。アメリカでハンバーガー食べてるわ自分~と言う感情だった。そう、NYにいるとアメリカにいるという感情にほとんどならない。カリフォルニアではいつもアメリカを体感していた。私はこの頃はまだ日頃の節約モードが辛うじて残っていた頃なので小さなバーガーのみでポテトとかつけなかった。みんなはでかい飲み物にポテトにでかいバーガーに、と頼んでいたのに、みんな残して持って帰っていた。いやいやいや、みんな経済回しすぎとちゃうか?
腹ごしらえが済んでからSt Helena 散策!ここら辺から本格的に崇・カレン&ビアンカ・葉月、のリズムが克明になり出した。寄り道するお店、物色のスピード、などなど。気づくと周りに崇・カレンがいなくて、ビアンカとふらふらしてた。特に何を話すわけでもないけど、なんかリズムが合ってた。
車に集合して今度はClos du Valへ向かう~。正直一件目で結構ちゃんとアルコール摂取した感あって、昼間からふわふわしていた。からの2件目。エントランスとか受付の感じとか、全然違って違いが楽しい。ブロンドで高い声の若いお姉さんが席まで案内してくた。担当は40くらいに見える男性だった。ものすんごい喋る男性。ものすんごい。4人全員沈黙してしまった。私はもともとほとんど喋りませんが。いわゆるオタク感というか、もうワイン愛、Clos du Valを崇め奉る感が凄まじくて圧倒された。彼が去るとみんなでちょっとすごいね、みたいなこと言い合った。
でも結局、1時間半くらいだったろうか、彼の捲し立てる情報を浴びながら一杯また一杯と体験していくうちに、みんな彼の事を気に入った。ちょっと最初は引くほどの熱量だったけど、結局彼は純粋に熱い男で、崇なんか終わる頃にはノリノリで彼と話してた。20年ものなどが眠っているセラーの中を見せてもらったり、樽の倉庫を見学したり、今年の樽から直接スポイトで汲んだものを飲ませてもらったり、サービス精神が溢れかえっているナイスガイだった。
カレンはあまり強くないので最後は寝てた。カレンの分も飲んだり、ナイスガイがサービスたくさんしてくれたりで、外が暗くなる頃に、身体はもうほっかほかだった。あ、ここのスナックも最高だった。クリームチーズをちょっとホイップしたものとザクロの実のディップ。
さて、ここではヴィンテージワインのなんたるかを教わった。2014年と2024年を飲んでおったまげた。そして30年がベストとされるボトルが今年詰められたと言う。崇とビアンカが30年寝かせる、と言って買っていた。30年後にも会わなきゃねって話してた。面白い~~~
ビアンカはLA以外で運転できない免許で、カレンは絶対に運転はできない泥酔状態で、私と崇どっちにするってなりながら崇が運転した。まりさんが絶対行きなとおすすめしてくれていた老舗ブリュアリーに寄ってビールを買って帰ることに。お店の感じすごい良かったので食べるチャンスなくて残念。でも持ち帰り可能なビールの形態が最高だった。1/2ガロン(1.89271 liter)の���瓶。growlerというようですね、wiki情報。その瓶しか持ち帰りで売ってくれるビールがなかったのでそれを買って帰宅。真っ暗だった。
タイワニーズ二人が犬の散歩に出て、ジャパニーズ二人はご飯の支度でもしたのかしら。この日は何を食べたんだろうと携帯電話の写真を見ないといけないくらい、朧げだ。同じ鍋食べてた。具材余ってる的な流れだったんだったかな。あー!違うー!思い出した!鍋じゃなくて、おでんだ。
もうよくない、一食くらい抜いても?と言いたくなるくらい、ご飯どうする?って話しずっとしてる人たちだったわ。サンフランシスコの日本食スーパーで冷凍のおでんセットを買っていた。こんだけ飲んで帰っておでんとか最高だねってなって帰ったんだった。写真を見たら前夜と同じ鍋使ってて色味も似てて鍋かと思った。おでんだったわ。あースッキリ。
前日の夜はスターウォーズを見た事がない崇が強制的にスターウォーズ鑑賞をさせられていて、私はスターウォーズの音を聞きながらビール飲んだ後の脳みそで仕事していた。酷い。。。今夜はいくらなんでも仕事にならないわと最低限の打ち返しだけして翌朝に回すつもりが、何してたんだか忘れたけどなかなかパソコンから離れられなくて、ご飯の後片付けとかも全部任せて、ビアンカのポーカーデビューをみんなで遊ぼうって言ってたのにまだ終わらなくて、崇がちょいちょい「まだ~」とちょっかいを出してきてカレンが怒こってた。「仕事してる人を邪魔しないで!」とプンスカしてて可愛かった。「誰もあなたが仕事している時に邪魔する人いないのに、なんでそんなこと言うの!」って怒ってた。懐かしい。カレンに怒られてからちょっかい出さなくなってこっちは逆に寂しかった笑 みんなの遊んでる音声を聞きながらそばで何かに取り組んでいた。全然思い出せない、何がそんなに急ぎの仕事だったんだろう。
後半少しだけポーカーに混ざって、カレンも見かけによらず強かで、ビアンカは見かけ通り感覚を掴むのが早かった。ポーカーは本当に面白い、人の心理を駆け引きしあうゲーム。崇はとってもevilなタイプなので腹立たしい。負けず嫌いともまた違う損をしない動きをするタイプかなぁ。NYで崇の友達二人と、合わせて4人でポーカーをした日が私のポーカーデビューだったのですが、25ドル勝った。ひと月後とかそれくらいに自転車のパンク修理に25ドルかかった。まぁ許容範囲の金額での遊び。現金が絡むか否かで、本当にゲームへの向き合い方が変わる。崇はevilなので、じゃあ、そろそろ慣れてきたから本当にお金かけてやる?ってニタニタと引き込みに入った。ビアンカがピシャリと、お金は絶対かけない、と言ってぐうの音も出ない空気感に一瞬にして包まれた。お金をかけなくても私は十二分に楽しいのだけれど、男子という生き物はちょっと物足りないらしい。あ、かけても楽しいのが私だけど!
EOY trip : 23rd Dec
この日の朝ごはんが思い出せない。致し方ないわね。
海辺に遊びにでも行こうか、みたいな余白の1日だったのだけれど、天気とかの兼ね合いでなんとなく海辺案は無くなったのが前夜。今からでも予約のできるワイナリーに行こうっていう運びになったのも前夜。RIDGEというワイナリーへ。気さくな雰囲気がすごく居心地の良いテイスティングだった。面白かったのは昨日の味の感想は基本的に大体崇とビアンカと合致していたのに、今日は合わない事が多かった。多分、彼らは切り捨てる事が潔い。あ、これは違うわ、と思ったら容赦ない。社会的強者という感じだわ。私は、彼らの評価もわからなくはないけれど、その中での良さ、その中での面白さに、まだまだ遊びに行く。二人は、あぁ、違うね、と言って終わりだったけど、私は昨日までとはもちろん違うのだけれど、もうちょい続けてみなよ、繰り返しているうちに発見があるやらないやら面白いけど?という感じだった。面白かったな、そういう違いもまた。さらに、結局みんな買いたいと思ったワインは一緒で、全員で同じ白を6本、箱で買った。
その後はタコスへ。フードトラックのタコス屋さんに。めちゃくちゃ美味しかったし、路駐した車のトランクを開けて、ワインの箱を台にしてつまんだタコスの思い出良き良き。そして崇がクレジットカードを無くしたという騒動。おそらく昨夜のビール屋さんだ、ということになり、30分くらいかけてまたビール屋さんに戻る。崇は一人で行ってくる、と言って、みんなが別に良いよみんなで行こうよ、となってドライブドライブ。ところでこの日は犬連れ。
帰りにまたしてもアジアンスーパーへ行く。どうしてそんなにもアジア食が好きなのやら分からぬ。田舎にもアジアンスーパーって必ずあるものなのねぇ。アメリカってそういうところなんだなと学ぶ日々。ちょっと寂れてて怖い感じの駐車場に停めて、あれ、そういえばこの日私運転してるわ、アジアンスーパーに駐車した記憶がある。アジアンスーパーではルーロウ飯に必要なスパイスを買う、ということだった。いつどこからどうやってルーロウ飯案が出てきたのやらだけどなんでも良きです~という感じでついて行った。言語のベースが、英語でありなら2対2で台湾語と日本語のシーンも多々あって、ピンからキリまで通じ合っているのでもなかった。
アジアンスーパーでは日本人対台湾人の構図で、あんなに食糧で溢れている家があるのにこれ以上何を買うというのでしょうね、という雰囲気をヒソヒソと話していた。立派な梨の箱を買って帰って、喉に良いという梨の氷砂糖煮をビアンカが作っていた、夜に。梨高かった~。ここまできてから思い出している異文化体験の話が、どこかでは書いた冬至の中国の決まりで団子を食べた夜。梨の氷砂糖煮もすごく新しかった。これが台湾のものなのかビアンカの家庭のものなのか細かい話にはならなかったけど、崇とビアンカが少し(喉の)調子が悪くて、調子悪い時にはうちでは必ずこれを食べるんだと言っていた。梨が煮込まれていく景色が新鮮で、違う文化を持っている人と旅をする楽しさでいっぱいだった。ルーロウ飯の下拵えと梨を煮ることを同時進行していたビアンカが、キリの良いところでラーメンの散歩に出ることになって、「Hazuki, 梨の火加減を注意しといてくれる?」と言い残して散歩に出かけたんだけど、しばらくしてから、梨の火加減私ワカラナイ!となった。とりあえず言われた通り、吹きそうになったら弱火にして放置した。
この日は白米を炊くというイベントがあった。みんな炊飯器でしか炊いた事がなくてどうやって炊くのか分からない、とすごい一大事みたいに言っていて、なんやねんとなった。私も鍋で炊くことはほぼないけど、山で炊いた事があるのでなんとかなるっしょという感じでトライした。なんとかなった。そしてルーロウ飯、すごく美味しかった。ビアンカは肉がルーロウ飯用の部位をゲットできなかった、と言っていたけれど、ルーロウ飯を日頃から食べるタイプではないので、味だけで十分美味しかった。あ、もう文脈もへったくれもないモードでひたすら思い出しながら買いているのだけれど、崇のクレジットカードは無事見つかった。本当にビール屋さんにあった。
さて、この晩はモノポリーナイト。このAirbnbにはゲームがたくさん詰まっている戸棚があって、モノポリーは二種もあった。あ、そういえばこの日か前日の午後くらいから、音楽がかかるようになっていて、Spotifyの素晴らしい機能に出会った。崇の携帯をApple Car Shareに繋いでいるので音楽も必然的に崇のSpotifyでかける。そしてビアンカが気づく、なぜか勝手にビアンカのSpotifyも起動していたということに。Spotifyのドライブシェアモードすごい!となった。一生サブスクから逃げている私だけど、この機能には大変感動してSpotify入るかーとなった。(入っていない)。ということで、崇のiPhoneが車につながっているのに、ビアンカが自分のSpotifyから崇のSpotifyに繋ぐ事ができて、DJをするに至った。ビアンカの選曲は素晴らしくてシャザムの出来ない自分のネット制限がこの時ばかりは残念だった。あ、でも大概1日の半分くらいはクリスマスソングをメドレーさせてもいた。それがまたなんとも楽しかった。クリスマスソングのドライブと、ナパバレーの風景が、いつか思い出すことになるんだろうなぁ、と思いながら過ぎていった。
はい、モノポリーに戻ると、結構なボリュームで音楽をかけながらやったモノポリー、楽しかった。みんな10年以上ぶりのモノポリー。カレンがどかどかと買いまくって大笑い。買えるだけ全部買うと言って破産寸前までむやみやたらと買いまくる。私とビアンカは運がない始まりであんまり買えない。崇はevilなので最初から上手に攻めていった。崇の運の良さは怖いくらいだった。運の良さに頭の良さというかevil精神が重なってもう怖い。交渉の持ちかけ方も超怖い。こんな真剣に生き残りをかけたモノポリーやったことない。モノポリーってもっとわちゃわちゃ楽しむゲームじゃなかったの、という感じの真剣な交渉というか破産しないための遊びは、新感覚であった。最終的に刑務所に入れると天国、という恐ろしいゲームになって、カレンが破産して終わった。楽しかったですねぇ、10数年ぶりのモノポリー。ビアンカは刑務所で悠々と歌って、ドラッグディーラーをやっていた。
EOY trip : 24th Dec
本日は移動日。荷造りをしていて、とんでもない量の食糧だねとなった。来る時に既に荷物で溢れかえっていたのに、12本のワインがすごい幅を占めていた。
今日までずっと曇りかしとしとと雨が降っていたのだけれど、この最終日だけは晴れたのがとてもとても印象深かった。針葉樹の濡れた森に光が刺す朝の時間がとても好きだった。もっとずっとこの家にいたいと思える家に来れたことと、でも確か次の家の様子もすごかったんだよねというのと、未知すぎるこの後待ち受けているRV tripへの感情と、なんか思い出すなぁ、この移動日の朝のこと。
移動は3時間くらい、なかなかの距離だったのだけれど、とても記憶に濃いのはコストコに寄った時間。ランチどうする話をしていて、どんな流れだったのか忘れたけどコストコのジャンクフードランチにしようよ~!と台湾人2人が盛り上がっていて、アメリカンやなぁと思った。食へのこだわりを持ちつつも、ジャンクフードも好き~と言っているあたり、アメリカに染まっているんだなという感想を覚えた。正しいものの見方なのかどうかは知らぬ。
コストコは素通りして何も買わず、トイレだけ使って、食事コーナーへ。衝撃的なピザ製作マシンをみんなで動画撮った。巨大なピザ生地がくるくる回っていて、トマトソースが注入されていた。大笑いだった。
ありえないほどに安いホットドックと0ドルの飲み物を持って車へ。アメリカンロードトリップって感じですねと楽しんでいた、食べるまでは。食べてからは、乗りきれなかった。vivesだけではついていけない味の無さに直面した時間だった。食べ物というよりは、空腹満たしのために物質を腹に詰め込んでいる、という感じだった。でもカリフォルニアの光とペプシのロゴとコストコの巨大な空間とは、本の中で知っていた西海岸な感じで、そういう感覚的な体感はすごく楽しかった。その昔アメリカ現代写真を学問としてかじっていた頃のことを幾度となく思い出していた。あの頃見ていた本の中に写っていた映像の質感が、今自分の現実としてある、という体感があった。
コストコでガスを入れて再出発。空がとても印象的な駐車場だった。
途中、湖や湿地帯を抜けるような道が良かった。
渋滞もあった。
わんこ達が同じ方向を向いて外を見ていて可愛かった。
この日も多分クリスマスソングはかけていた。
この車中の会話だったか定かではないけれど、車中の会話で、カレンもビアンカも、祖父が日本占領時代の家系で、そのふた家庭の日本の見方などの話が印象深かった。最終的に日本が好きになった家系と、一生死ぬまで日本を憎んだままの祖父を支えた祖母の胸の内や、日本の文化がどう台湾に、台湾の家系に染み込んでいるのか、新鮮だった。カレンが歴史が好きなのもあって、中国、台湾、日本、の近代史の話にはちょくちょくなった。その度出てくる祖父母時代の話し。かと思いきやそれぞれボルドーのワイナリー巡りをした話しになるやらヨーロッパ旅行に明け暮れている両親の話しにもなる。近現代史をまざまざと目撃する気分だった。時はトランプ2度目の就任目前なり。ちなみに3人が通っていたコロンビアはパレスチナデモが激し過ぎてしばらく休講だったというタイミングに学生だった人たち。
さてさて、お次の家はPollock PinesというEldorado National Forestの側の小さな山の中の街。エアビー探しをしていた頃は���まっっっっったくどんな雰囲気かわからないままに、とにかく山の中の家探そうみたいた事しか当てがなかった。実際に来てみたら思ったよりも山の中ではなくて、というかやっぱりアメリカは道路が広いから、道がある限りはそれなりに人の気配がある。そんなに隔絶された環境では、全然なかった。ガススタもスーパーも、普通にアクセスのあるPollock Pinesのエアビー。近所のスーパーに寄ってビール買い足して、あー!コストコになんで寄ったのか思い出したー!クリスマスの肉が良いのあれば買おうって話しだったんだそもそも。でも結局良さそうな肉はなくて、ただただ素通りしてランチしたんだった。思い出したわ。で、目的地に近いトレジョに寄って、ホットワイン(モルドワイン)用のワインや試食していたチーズが美味しくてチーズとクラッカーなどを買って、さらにPollock Pinesの近所のスーパーでクリスマス用のリブを購入してから家へ。すっかり日が暮れた。大移動日だった。綺麗な虹を2回見た。
ハイウェイの後半が結構雰囲気が変わって、明らかに森の様相になってくるのがとてもワクワクした。家は、傾斜の大地に建っている家だった。玄関を入ると今度は階段が下に向かってある。今回もバスシャワーは二つ。階下を崇・カレン・ヌヌ、グランドフロアの2部屋が私とビアンカ・ラーメン。大量のワインも一回車から降ろした。
この日は餃子パーチー。私はちょいとばかし仕事に明け暮れ、崇は暖炉の火をつけることに集中。ビアンカはフランス語のクラスがあると言ってリビングでクラスに入っていった。なんだか好きな時間だった。みんな悠々自適に好きなことしているけど、リビングが大き過ぎて過ごしやすい。暖炉の火がつくと崇は日課であるアパート探し、カレンはNYの仕事探し、私は仕事、みんなビアンカのフランス語クラスを邪魔しないようにヒソヒソ話ししてるのがなんとも面白かった。
ちなみにビアンカはそのフランス語のクラスは取り始めてまだ数回目らしい。前のクラスの先生がトランプ支持者と分かった時に大喧嘩になって最低な別れ方をしたと言っていた。それで探していた新しい先生に出会えてまだ数回しか受けていないクラスを、旅先から受けていた。宿題が間に合わない~と言って家に到着するなりごめんと言い残してフランス語の宿題をしていた。
餃子の餡が出来上がった頃にパソコンを離れてみんなで餃子を包んだ。ご飯と一緒に餃子を食べるという習慣がどうしても受け入れられない台湾人達とひたすら言い合いを続けた。日本の食卓では餃子パーティーでは白米を炊くもの、どうして餃子とご飯を一緒にしてしまうのか、餃子はメインであって、ご飯は邪魔。ご飯は汁物と一緒に食べるものであって餃子では筋が通らない。どうしてって言われても餃子と白米はセットなんだってば!という両者絶対に譲らない平行線の会話は、年を越すまでずっと続いた。まぁ良いわ、合わせてみるわ、と言って白米を炊くのは好きにさせてもらったけれど、食卓についてもずっとずっと笑ってた、どうしても餃子を食べるのにご飯があるテーブルが理解できない、と言って。写真見て思い出したのだけれど、サンフランシスの日本食屋で明太子を見つけたビアンカが嬉々として買った明太子をようやくこの日に食べた。
この日の夜はまだもう一つイベントがあるので、一旦切り上げよう。
今夜(1/30)わたくしはカーネギーホールのコンサートに参ります。楽しみだぁ。
Hi hi, 今は1月31日の午後13時57分。たまらなく満足度の高いランチを食べながら悶絶しているところです。と書いて食べに戻り、食べ終わったので食器を���付けてきます。(いつの誰になんの報告をしているんだ。。。)
餃子パーティーのイブのその先を書き終えたいのだけれど、その前に今のランチの話しをメモらずにはおられぬ。その前に昨夜の超適当パスタが絶品だった話もしようかなぁ。昨夜は明太子を食べたところまで書いて、こんなにどっぷり書き進めたのにまだ旅の序盤すら書き終わっていないという事の膨大さを味わいながら帰宅して、コンサート前に食事を済ませたかったので冷蔵庫にあるものでパスタにした。レモンとミントが使いたくてものすごく適当にゴロゴロ野菜のスパゲッティにしたらすごく絶品になった。適当に進め過ぎて再現できそうになくて残念。でもようやくミントのパックが使い終わった。ミントって思っていたよりも全然どんな形でも寄り添えるということを学んだ。なんかもっと主張の激しい、使い方に悩む存在だと勘違いしていたけれど、この度ブルックリンライフを機に印象を改めました。
はて、今朝は(結局食事だけじゃなくて今日の日記も書くんかい)調子の良いジョギングをした。ようやく、ようやく、身体が動くようになってきた。家を出て地面を蹴り出した時に、すごく軽くて心地よかった。雨が降った後の色素を落とした冬のブルックリンの風景が愛おしかった。
昼に、一昨日契約完了した崇のアパートの鍵の受け取りについていった。次にNYに遊びにくる時にはこのアパートに来るのかね、とか言いながら、初めて自分の家に入る崇を撮影した。素敵な家だった。というかそもそもそこは11月に一緒に散歩をしていた日にまさに歩いていた通りで、この辺とか住めたら良いな、などと言ってた場所なのだった。すごいなー。ビアンカ邸で生活していなかったらこんな風にブルックリンで家探しはできていなかったのだから、運命は面白いねってなった。で、その界隈にある行列のできる有名なクロワッサン屋さんに寄ってクロワッサンを買って帰った。最寄駅Grand Army Plazaを降りると、帰ってきたなという感情が腹に来る。Unionに寄って立派なソーセージとアボカドを買って帰って一目散にソーセージをフライパンに放り、コーヒーの準備をする。アボカドは伊丹式(伊丹十三『退屈日記』参照)で。崇はmtgに入り、手をつけられないままランチプレートがそばにある。私は一人悶絶しながら食べ終えたことを書き終えるくらい時間が過ぎた。クロワッサンはとってもビッグ!大きい!ものすんごくおいしかった。けど多分私はあと少しバターを減らしたい。勝手なこと言ってみる。クロワッサンのリッチな感じと、バターの多過ぎない感じの黄金比は少なくとも今回のクロワッサンではなかった。あれ?否定から入っている?いや途方もなく美味しかったのですよ。そしてアボカド。たまらぬ、なんだこの完成品は。最初に掴んだアボカドがものすごくぶよぶよだったので掴み直したアボカドさん、完璧すぎた、ようこそ私の2025/1/31の腹の中へ。そしてソーセージ。こちらも最高。今夜は外食なので昼間にガッツリ調理したご飯とか食べなくて良いや、というのがこのランチ案の発端だったのだけれど、気軽に用意したつもりが途方もなく満足度の高いランチだった。これは日本でも実現できるな~と思いながら、昔、谷口さんが駐在生活を終えて日本に住みたいと思うようになった根っこの部分は、今こうして飲んでいるみたいに一杯のコーヒーのクオリティに満足できる都市に住みたいと思ったからです、と事務所最寄りのコーヒースタンドでランチ後にコーヒー飲みながら言っていたのを思い出した。
幸せの絶対条件っていつまでたっても決めるの難しい。こうしてつらつらしたくなるくらい、食べることも飲むことも(毎日最低ボトル一本空けている日々)大好きだけれど、なくても幸せに生きていくことは結構できる。一生そこで暮らしますか、というと悩むけど、多分そもそも一生同じ場所で、という覚悟の仕方がおかしい。?やめやめ、こんな話し出したらイブの星空の話しにいつまで経っても辿り着かない!!!あ、たかちゃんのmtg終わった。私も無駄話終えよう。
「今日も書いてる~?(EOY tripの日記)」と温め直したソーセージを切りながら聞く崇。
「書いてるけどランチの話ししてエアビーの話しが全然進んでない」私。
Mtgが終わった崇と巡り巡ってなぜかNISAの話しをして時間が過ぎた。ライフハッカー崇は今日も今日とて銀行に行ったので私はいい加減書き進めましょう。
2024年のクリスマスイブ at Pollock Pines。荷解きをしていたらカレンが持ってきたサンタハットが出てきて、被った。被り物とかと無縁な人生を送ってきた私だけど、楽しい。被り続けているとちょっと蒸してくる。サンタハット被りながらみんなで餃子包んで、せっせと焼いた私。合うフライパンが無くてとっても難しかったのを思い出した。崇とギネスを買ったんだけど、ビアンカがギネスは嫌いだと家についてから言って、ごめーん!となった晩。残りのアサヒで凌いでもらった。
23時頃に防寒対策をして出かける。星を見に。車で20分ほどの山の奥に、天体観測のできる駐車場があるという情報を昨夜見つけていて、行ってみよう、という事に。真っ暗で、車のライト以外何も見えなくて、すごかった。
ねぇもしかして雪? と進んでいくうちに何やら雪っぽいものに気が付く4人。進めば進むだけ木につく雪が増えていって、しまいには路面が白くなった。アメリカにスタッドレスタイヤの文化がないのかはよくわからないけれど、ともかくノーマルタイヤの車だということが私はこの上なく怖かった。ちなみに今更の情報なのだけれど、崇とカレンはものすごく運転が荒い。なんと言っても崇は教習所に行ったことがない。アメリカって教習所行かなくても免許取れるらしい。君たちはなんだ、ドバイで運転でもしていたのか、というほど急発進急ブレーキの運転スタイル。ちなみにちなむと私はものすごいスピード狂。でも急発進急ブレーキはしない。アクセルを3以上に踏むことはまずない。1~2で温めて、2の後半でスピードを上げていくのが楽しい。崇とカレンは青信号になったら秒で3~5みたいな感じの人たち。日本でもなんて荒い運転なんだと思ったけど、レンタカーだったから何にも言わなかった。今回もカレンの車なので何も言わなかった。
雪の上では急に身の危険を感じたのでめちゃくちゃうるさくなった。絶対急ブレーキしないで!とうるさい私。わかってるわかってるって。という例のやりとり。ちなみにあたりは既に山道で、スリップでもした日にゃ崖からゴロリです。
そうこうしてついた目的地。駐車場は雪で埋もれていて侵入できなかったので路肩に。車を降りると靴が半分埋もれるくらいの雪だった。
凄まじい星空だった。
感動的な星空を体験すると、言葉に詰まるなぁ。写真で撮れないのと同じように、言葉でも追いつかない気持ちに書く前からなるから、やや諦めの体勢なのかもしれない。
30分くらい車のライトも消してその場を散策していたと思う。5分もすればどんどん瞳孔が開いていって、驚くほど見えてくる。最初は当たりが何も見えなかったのに、すっかり森の様子が見えてきた。当然、見える星の量も格段に増える。流れ星も心なしかゆっくりと流れていく気がした。
カレンは靴がどうにも雪の耐性がなくて早々に車に引き上げる。
ビアンカが星座のアプリをかざして星座講義。
シリウスに心惹かれて仕方なかった崇。
山の麓の街の明かりが、ほんのりと疼いていて、素敵な景色だった。
いつまででも居れる本当に素敵な星空だった。ここでこんなにすごかったら、キャンピングカーで行った先はどれほどだろうねと話したりもした。
日付を超えて、メリークリスマス。
帰り道は驚くほど道が見える。瞳孔が覚醒しまくっていた。そしてびっくりするほど雪道だった。見えてなかったからこれたようなものの、ここノーマルタイヤで登ってきていたって怖過ぎる。
帰宅して、ビアンカは早々に寝て、私と崇は少しウィスキーを舐める。カレンはパソコンをいじっていた。カレンはNYでの職探しを頑張っていて、年明けにアプライしたいところがあるんだけど、キャンピングカーに書類系を持ち込みたくない、ということで色々頑張っているところだった。
さてさて、一回アップしよう。Pollock Pinesで2泊、サンフランシスコに戻ってRV(キャンピングカー)旅。まだまだ続きは長い。
仕事中の崇さんがニコニコしながらこっちを見てきて(ビアンカ邸のひろーいひろーーーーいダイニングのおおきーーーーなテーブルで差し向かいに座っている)
「ビールとかあったら気持ちよくレストラン行けたね」と若干意味不明なことを言ってきたので、すぐさま買いに飛び出してきた私なのでした。瓶ビールを2本買って帰ってきて、「It’s fridayyyy」と2025/1/31(金)16:00に盛り上がっているお調子者たちの冬休みはまだまだ続くとさ。
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オゾンの日
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※画像引用元 国立研究開発法人 国立環境研究所 対流圏オゾンの増加─良いオゾンと悪いオゾン─ https://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/67/column1.html
もう過ぎましたが、11月3日はオゾンの日でした。オゾンは殺菌、消毒、脱臭、脱色、空気清浄などに優れた効果を発揮する物質で、化学式は O3 です。人間の生活や地球環境に貢献している物質の1つであり、良いオゾンという語呂合わせで11月3日がオゾンの日に制定されました。
オゾンホールという言葉をご存じの方は多いと思います。地球を取り巻くように成層圏に存在しているオゾンは、エアコンなどに使われていたフロンガスの放出等により、分解され、オゾンの膜に穴が開きました。これがオゾンホールと呼ばれるもので、南極の上空で発見されたのは1982年のことでした。南極の昭和基地で日本の観測隊が発見したのですが、これは、国際地球観測年とされた1957年に、南極基地でオゾンの観測を開始したことがその起源でした。これに関して、次のような指摘があります。
1981年、アイルランドの化学者ハートレー(W.N.Hartley)は、オゾンが波長200ナノメートルから300ナノメートルの紫外線を吸収してしまう性質を持っていることを発見しました。さらに1896年、イギリスの天文学者ハギンス(W,Huggins)は、シリウスから届く光を使って、オゾンには300~340ナノメートルの紫外線を吸収する性質もあることを見つけました。 ハートレーは、太陽を出発したばかりの光には紫外線も含まれているのに、私たちの住む地球上で太陽の光を調べると、紫外線がないことに注目しました。そして、その原因として、「上空にはたくさんのオゾンがあって、紫外線を吸収しているからに違いない」と考えたのです。気球を打ち上げて、上空にオゾンがあるかを確かめてみる実験も行われましたが、気球がオゾン層の高さまで届きませんでした。 約80年の時が流れ、1940年代。ようやくロケットを使った観測ができるようになり、成層圏にオゾンがあることが確かめられたのです。ハートレーがすでに亡くなってからのことです。上空にオゾンがあることが確かめられた後、オゾンが地球の上空にどのように分布しているのか、どこで作られているのかなど、多くの研究へと発展していきます。1957年には、国際地球観測年のプログラムの1つとして、南極基地でオゾンの観測が始まりました。この観測が、やがてオゾンホールの発見につながっていくことは、当時はだれにも予想できなかったことでしょう。 一方、オゾンが紫外線を吸収するという性質に注目して、私たち人間を含む陸上の生物の多くが安全に繁栄できるのは、オゾン層のおかげであるという研究も進みました。これらの研究の足がかりとなったのは、ハートレーを始めとする世界中の研究者がオゾンという化学物質に興味をもってくれたからこそ、といえます。
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※画像および記事引用元 名古屋大学 宇宙地球環境研究所 「50のなぜ?」を見てみよう https://www.isee.nagoya-u.ac.jp/hscontent/books.html 「…ってなんだ!?」シリーズ - オゾンってなんだ?! https://www.isee.nagoya-u.ac.jp/pub/nanda/ozone_j.pdf
冒頭の画像にもありますが、オゾンは、成層圏だけでなく、私たちが生活している対流圏の空間にも存在しており、対流圏のオゾンは、窒素酸化物(NOx)と紫外線が反応することで生み出されるとされます。工場や自動車から排出される二酸化窒素はその原因物質の1つとされ、いわゆる光化学スモッグの発生とも密接に関連しています。
そして皆さんご承知のとおり、オゾン層保護の必要性からフロンの排出は規制され、現在は代替フロンへの置き換えが進んでいます。エアコンで使われていたフロンは、平成16年に制定されたモントリオール議定書に基づいて世界的に規制が進み、2020年には実質的に全廃されたとされます。ちなみに、地球規模のオゾンの全量が、1960年(人為起源のオゾン層破壊物質による大規模なオゾン層破壊が起こる前)レベルまで回復する時期は、北半球の中・高緯度域で2030年頃、また南半球中緯度では2055年頃と予測されています。
※参考サイト 名古屋市 公式HP 光化学スモッグについて https://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/7-19-2-0-0-0-0-0-0-0.html
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※画像引用元 半田市 公式HP 光化学スモッグ緊急時対策 https://www.city.handa.lg.jp/machi/kankyo/1003025/1005362.html
ところで、オゾンの日から2日後の2024年11月5日、京都大学と住友林業が共同開発した世界初の木造人工衛星「LignoSat」が、SpaceXのロケットによって打ち上げられました。ニュースでご存じの方も多いと思いますが、この木造人工衛星は、まず国際宇宙ステーション(ISS)に届けられ、その後、ISSから宇宙空間へ放出される予定となっています。そして、展開されたLignoSatは衛星軌道上に6カ月間とどまり、宇宙の極端な環境に木造人工衛星がど���ように耐えるのかを測定する予定となっています。
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※画像引用元 京都大学宇宙木材研究室 X 京大宇宙木材プロジェクト https://x.com/spaceKUwood/status/1853634018207785044
木造衛星の開発は、環境負荷の低減というコンセプトからスタートしています。現在、地球の衛星軌道上に打ち上げられ運用されている人口衛星は約9000基とされ、その筐体は金属で作られています。そして、運用を終えた衛星の扱いについて、次のような指摘があります。
人類初の人工衛星は、1957年にソビエト連邦が打ち上げたスプートニク1号である。2024年4月時点で約9000基が運用されており、2022年だけで2368基が打ち上げられた。運用を終えた多数の人工衛星は墓場軌道への移動させられたり、大気圏再突入により消失させられたりしたほか、一部はスペースデブリ化している。 ※記事引用元 人工衛星 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E8%A1%9B%E6%98%9F
多くの衛星は大気圏へ再突入され、燃え尽きることで処理されるのですが、大気圏突入の際、酸化アルミニウムの細かな微粒子が対流圏へ放出されます。そしてこの微粒子が、長い時間をかけて成層圏に到達し、オゾン層を破壊するのではないかという研究が2024年6月に発表されています。
※参考文献 Geophysical Research Letters Potential Ozone Depletion From Satellite Demise During Atmospheric Reentry in the Era of Mega-Constellations José P. Ferreira, Ziyu Huang, Ken-ichi Nomura, Joseph Wang First published: 11 June 2024 https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1029/2024GL109280
研究では、例えば次のような指摘がなされています。
研究チームは、人工衛星を構成する物質の化学組成と結合をモデル化し、大気圏再突入時にどのような汚染が生じるのかを調査しました。その結果、質量の30%がアルミニウムである典型的な250kgの人工衛星が大気圏再突入で燃え尽きると、約30kgの酸化アルミニウムのナノ粒子が生成されることがわかりました。酸化アルミニウムのナノ粒子はほとんどが地表から50~85kmの中間圏で生成され、オゾン層の90%が位置する成層圏まで最大30年かけて到達すると推定されています。 2022年には合計約17トンの酸化アルミニウムのナノ粒子が、燃え尽きた人工衛星によって生成されたとのこと。また、計画中の人工衛星がすべて展開されるとその量は年間360トンに達し、大気中の酸化アルミニウムの量は自然のレベルより646%増加するとみられています。 酸化アルミニウムはそれ自体がオゾン分子と化学的に反応するわけではありませんが、オゾンと塩素間の破壊的な反応を引き起こします。酸化アルミニウムはこれらの化学反応によって消費されないため、成層圏を漂うオゾン分子を数十年にわたり破壊し続けるとのこと。これらの点から研究チームは、人工衛星の増加が重大なオゾン層破壊を引き起こす懸念があると警告しています。 ※記事引用元 2024年06月20日 21時00分 SpaceXの衛星インターネット「Starlink」などの人工衛星が急増すると地球を守るオゾン層が破壊されてしまう可能性 https://gigazine.net/news/20240620-satellite-constellations-destroy-ozone-layer/
この問題のやっかいなところは、大気圏突入で生み出される酸化アルミニウムが、オゾン分子を破壊する触媒として作用するという点です。酸化アルミニウム自体が化学反応で結合や分解されるのではなく、化学反応を橋渡しする触媒としての作用なので、一連の化学反応が終わっても、酸化アルミニウムは長期間にわたり残り続けます。そこに、次々と新たな人工衛星が投入されると、モントリオール議定書以来続けられてきたオゾン層の保護・回復に支障が出るのではないかと懸念されているのです。
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※画像引用元 京都大学新聞 世界初の木造衛星完成 金属製の環境負荷に一石 https://www.kyoto-up.org/archives/9246
一方で、多数の人工衛星の打ち上げにより構築される、SpaceX社のスターリンク(衛星ブロードバンド)は、大規模災害時などに活用できる通信手段として、世界的に注目されています。日本でも、能登半島地震でスターリンクが提供され、復旧支援活動で大きな役割を果たしたという指摘があります。
人工衛星は今後も増え続け、通信環境や気象を初めとした気球規模での観測に貢献するものであるからこそ、上述した木造衛星の研究は、今後、新たな人工衛星の開発に貢献する最初の一歩となるかもしれません。これに関して、次のような指摘があります。
京都大学と住友林業は2020年にスタートした「宇宙木材プロジェクト(LignoStella Project)」で、約4年かけて世界初の木造人工衛星「LignoSat」を開発し、2024年6月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)へ引き渡しました。他にも木造の人工衛星を研究するチームはあったものの、JAXAおよびNASAの安全審査を通過し、宇宙での木材活用が公式に認められたのはLignoSatが初めてとのこと。 LignoSatは1辺の長さが約10cmの立方体で、重さは約1kg。チームはISSの船外プラットフォームで行われた木材の宇宙暴露実験をはじめ、さまざまな物性試験で得られたデータを基に木造人工衛星の開発を進めました。最終的なLignoSatの実機には、住友林業紋別社有林で伐採されたホオノキが使われています。 (中略) 人工衛星の本体に木材を使うことで、大気圏突入時に燃え残る材料を極力減らすことができます。また、宇宙には木材の腐食を促す酸素や水がないため、地球上よりも宇宙空間で強い耐久性を発揮するとのこと。 (中略) 元宇宙飛行士としてスペースシャトルの搭乗経験もある京都大学大学院の土井隆夫特定教授は、「金属製の人工衛星は将来的に禁止されるかもしれません」「木材という自分たちで生産できる材料があれば、私たちは宇宙で永久に家を建てたり、生活したり、働いたりすることができます」とコメントしました。 ※記事引用元 京大と住友林業が開発した世界初の木造人工衛星「LignoSat」の打ち上げが成功 2024年11月07日 06時00分 https://gigazine.net/news/20241107-worlds-first-wooden-satellite-lignosat-launched/
(野村)
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moko1590m · 1 month ago
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職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に���臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
売春 - Wikipedia
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ari0921 · 10 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月29日(金曜日)
   通巻第8195号
トランプ前大統領のソーシャルメディアの時価総額、ソロスを凌駕
   93歳の極左「慈善事業家」、まだ健在にして米国の伝統を破壊中
*************************
ドナルド・トランプ前大統領のソーシャルメディア会社「トランプ・メディア&テクノロジー・グループ」の時価総額は64億ドルを突破した。ブルームバーグの世界富裕層ランキングで、トランプは純資産78億1000万ドル。ジョージ・ソロスは純資産71億6000万ドル。トランプがわずかに凌駕した。
 ワシントン・ポストは嘗てソロスを評し、「米国が支援するヨーロッパの政権転覆の公然たる工作員」と呼んだことがある。褒めたのか、貶��たのか、それほど有名人だった。
ソロスは左翼活動の胴元として知られ、保守陣営はながらくかれを敵視してきた。ソロスのグローバリズム信奉は、父親がエスペラント語のスペシャリストであり、「国境を越える」「人類の生来の無関心を克服する」ことに影響されている。ソロスはハンガリーで過ごした幼年時代からエスペラント語をたたき込まれた。
戦後、ソロスはロンドンに移り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでカール・ポパーに学んだ。1963 年にニューヨークに移り、1970 年にファンドを設立、1973 年には投資家のジム ロジャースと提携して「クォンタム・ファンド」を設立した。同ファンドは年率24%という空前のパフォーマンスを演じ、世界の金持ちが彼に財産を託した。
 ソロスが「謎の錬金術師」、「世界一の投機家」として名前が挙がったのは1992年だった。英国の景気後退を予測し、大胆に英ポンドを空売りし一晩で10億ドルの利益を上げて「ソロス神話」が形成された。
1997年、タイバーツを大量の空売り、アジア金融危機を引き起こした。マハティール(マレーシア首相=当時)は、アジア通貨危機はやつらの陰謀だと非難した。
ソロスはこうした投機によって得たあぶく銭を左翼運動に投下した。チェコスロバキア、クロアチア、ユーゴスラビアを含むヨーロッパ数十ヵ国の左翼活動家や団体に資金を提供した。リベラルな主張をする野党、出版社、独立系メディアに資金を注ぎ込み、多くの国は「民主化」した。「ビロード革命」「チューリップ革命」「薔薇革命」などカラー革命がドミノのように旧東欧で連鎖したが、背後にソロスの影があると言われた。かなり過大評価だが、ウクライナのマイダン革命は、明らかにソロスが関与した。
ソロスは次に米国に目を向けた。正常な感覚の持ち主から見ればソロスがやったことはアメリカ社会の破壊である。
「アメリカ社会正義研究所」なる団体の目的は「社会プログラムへの政府支出の増加を求めるロビー活動を通じて貧しいコミュニティを変革する」だ。
「ニュー アメリカ財団」の目的は「環境保護やグローバル ガバナンスなどのテーマについて世論に影響を与える」と唱う。
「移民政策研究所」の目的は「不法移民の第三国定住政策を実現し、不法移民に対する社会福祉給付を増やす」である。
 ▼ソロスが資金を注ぎ込んだのはすべて極左集団か議員だ
これらの社会擾乱の元凶となった団体にソロスは資金を注ぎ込んだが、選挙資金法を回避するために、タイズ財団、アメリカ進歩センター、民主主義同盟を含む多くの左翼団体を通じて資金を集めた。彼は民主党と、ジョー・バイデン、バラク・オバマ、ビル・クリントンやヒラリー・クリントンといった議員たちに巨額の寄付を行っている。
 2015年にミズーリ州ファーガソンとメリーランド州ボルティモアで発生した社会擾乱の元凶とされるBLM等に3,300万ドル以上を寄付した。
 ハンガリー生まれのユダヤ人ジョージ・ソロスを最も忌み嫌い、激しい批判が起きているのが、じつは母国ハンガリーである。ハンガリーはソロスの移民政策を強く批判して、「最後に笑うのはソロス氏であってはならない」とキャンペーンを展開した。
オルバン首相自ら、「ハンガリーとポーランドに関してのソロス発言には政治的側面がある。偶然の失言ではない。私たちが移民問題で危機に晒されている時に、ソロスのような発言が急増している。これらの背後にはジョージ・ソロスがいることは火を見るより明らかだ」と一貫して批判してきたのである。
 かれらのやっていることは「偽善」である。
 地球温暖化を訴え、環境保護でノーベル平和賞を貰ったのがアル・ゴア元副大統領である。ところがゴアのテネシー州の豪邸は年間の電気代だけで300万円、これはさすがにメディアも批判した。
 オバマ大統領は「清廉」の印象を振りまいたが、マサチューセッツの有名保養地マーサス・ビンヤード島に豪華別荘をたて(敷地11万8000平方キロ)、コロナ災禍で人々が外出を自粛している最中にお披露目パーティを開催し、スピルバーグ監督等700名を招待した。これもメディアは非難した。
 ビル&ヒラリー・クリントン夫妻となると夫婦揃って「守銭奴」。著作と講演で稼ぎまくり、退任後六年間で270億ドルを稼ぎ出した(『フォーブス』、2015年10月22日電子版)。
 BLM創設者のひとりパトリッッセ・カラーズはカリフォルニアに1・5億ドルの別荘など二軒。ほかにジョージア州にも豪邸を購入していたことが発覚し、BLM支援運動は突如沙汰止みとなった。
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gupaooooon · 1 year ago
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・Nagasaki Peace
「An atomic bomb exploded over Nagasaki on August 9, 1945, three days after the explosion of the first atomic bomb over Hiroshima. The bomb was assembled at Tinian Island on August 6. On August 8, Field Order No.17 issued from the 20th Air Force Headquarters on Guam called for its use the following day on either Kokura, the primary target, or Nagasaki, the secondary target. That same day, the Soviet Union declared war on Japan. The B-29 bomber "Bockscar" reached the sky over Kokura on the morning of August 9 but abandoned the primary target because of smoke cover and changed course for Nagasaki, the secondary target, and detonated the atomic bomb at 11:02 a.m.」
・NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM
「The nuclear weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki burned the victims to unrecognizable forms, and brought suffering from illness, poverty and discrimination unto the survivors. Nuclear weapons and humanity cannot coexist.
We want people around the world to know about the consequences of nuclear weapons, and the journey of the Hibakusha - the atomic bomb survivors. As Hibakusha of Hiroshima and Nagasaki, we have held exhibitions at the United Nations four times to date, at the timing of the NPT Review Conferences. As the risk of the use of nuclear weapons is today at its highest, we have decided to open this exhibition as an online museum.」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。」
・「長崎の原爆ドーム」なぜ解体されたのか? 浦上天主堂が幻の世界遺産になった理由【長崎原爆の日】(22/08/09)
「8月9日は「長崎原爆の日」。長崎市内への原爆投下で、1945年だけで7万人以上が亡くなった。長崎では平和祈念像が犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとして知られているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内に存在していた。爆心地からわず��500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)(20/08/06)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。」
・祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず(19/10/27)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
「長崎新聞の元論説委員長、高橋信雄さん(68)によると、浦上教会の主任司祭だった故川添猛神父は生前、高橋さんの取材に対して「私自身は平和祈念像の前には決して行かない」「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語っていたという。」
「北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。」
「祈念像の周りをぐるりと歩くと、像の裏には北村の言葉が刻まれ、こんなくだりもあった。「山の如き聖哲 それは逞(たくま)しい男性の健康美」。祈りとはかけ離れた異質なもの。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府(22/09/05)
「長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。」
「原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。 「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」 残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。」
「広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。」
「「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」」
・核廃絶専門委、長崎の被爆者落選 禁止条約に否定的な政府支援なく(23/07/23)
「【ニューヨーク共同】核兵器禁止条約の諮問機関「科学諮問グループ」の専門家委員に推薦された長崎の被爆者が落選していたことが23日、国連関係者への取材で分かった。核廃棄や被害者支援など「核なき世界」実現の方策を締約国に助言する「要」の機関。核実験の影響に苦しむカザフスタンが推したが、条約に否定的で非加盟の日本政府の支援は得られず、外交筋は落選への影響を指摘した。」
・NHK長崎放送局 WEB特集 原爆
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
ティム・バーナーズ=リー :オープンデータとマッシュアップで変わる世界
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TED2009で、ティム・バーナーズ=リーは、「生のデータを今すぐに」と呼びかけ、政府や科学者や各種機関に対してデータをWebで自由にアクセスできるようにすることを求めました。
当然、通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理は絶対必要です!また、これは日本では、憲法で保障されている通信の秘匿も重要です。
2010年のTED Universityで、彼はデータがつなぎ合わされたことによる興味深い結果の幾つかを紹介しています。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見��と危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジーサイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
政府におけるオープンデータもあります。200以上の地方、地域、国のオープンデータのカタログが、収集したデータの一部を配布するウェブサイトを作成している。これらのデータを源にして、マクロ経済学の統計分析にも活用できる。
また、国会の活動や立法プロセスをリアルタイムで全ての人が閲覧できるようにもなり、いま何が起ころうとしているのか?それから、それにかかわっている議員が誰なのかといった情報も得られるようにもなります。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
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情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他に���、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
ジャロン・ラニアー:インターネットをどう善の方向に作り変えるべきか!
ケイド・クロックフォード:顔認証による大衆監視について知る必要のあること!
ジーナップ・トゥフェッ���チー: ネット広告アルゴリズムの仕組みが拓くディストピアへの道
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
キャサリン・クランプ:あなたは危険なまでに警察に追尾されている!
ハワード ラインゴールド: 個々のイノベーションをコラボレーションさせる
ティム・バーナーズ=リー:次のウェブを示す
ティム・バーナーズ=リー:ウェブのための大憲章(マグナカルタ)
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
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kennak · 1 year ago
Quote
誰もが平等な競争の場に立つ世界が必要だということです。すべての創造的な作品はある意味で保護されます。 私はただ、その保護を交渉するコストを根本的に下げたいだけなのです。 もし私たちがその保護を交渉するコストを徹底的に下げれば、最高の作品がより容易に表面化することになり、人々はその最高の作品を生み出す方法を見つけ出したことで報われることになるでしょう。 私があなたについて知っていることを知っているので、それは驚くべき視点だと言えます。 他の問題に対する別の解決策として、よくあることですが、著作権が介入することになると思いますか? 来歴: 「これが誰かによって作られたのか知りたいです。 今では、それが人間なのか AI なのかを教えてくれる連邦データベースがあり、著作権がこの情報を広める手段となるでしょう。」 著作権に該当する可能性があります。 これは実は、あなたが以前に尋ねた素晴らしい質問の別の部分に関連しているのですが、それを明確にしておくことが重要だと思います。 選挙に関連した AI について尋ねたとき、あらゆる種類の AI が存在するため、どうやってそれを制御するつもりですか...現在、OpenAI のようなプロプライエタリ AI はこう言いました。「このコンテンツを政治目的で使用することはできません」しかし、そのコンテンツを政治的演説に使用できるあらゆる種類のオープンソース モデルが世にあります。 1 つの質問は、「それについて何かできることはありますか?」です。 答えは完全に「アメリカのキャンペーンをコントロールできる」だ。 人々はそれを制御する方法について十分な創造性を持っていませんが、たとえば、すべてのキャンペーンのすべての会計担当者に、そのキャンペーンでAIが生成したコンテンツには一切のお金が費やされていないことを偽証の罰則で誓わせた場合、キャンペーンを閉鎖することができますしかし、それでも外国の影響に対して脆弱なままになってしまいます。 それは、それに対して私たちが何もすべきではない、そうすべきである、と言っているわけではありませんが、重要なのは、それは決して完了しないということです。 出自の問題も同様の点だと思います。 開発中の素晴らしいデータベース、ブロックチェーン データベースがたくさんあり、コンテンツの出所と所有権を特定できるようになります。 著作権局が認識できるように設定されていれば、それが双方にとって最善のことだと思います。 現在行われているような創造的な方法でそれを行う能力をどの政府機関も持たないだろうから、私たちは著作権局にそれをしてほしくないのですが、私たちはそれがより容易な場所に到達する必要があります、そして私は思います出所の主張に適用される著作権は執行が非常に困難になるため、市場は著作権訴訟よりも効果的に私たちをそこに導く可能性があります。
ハーバード大学のローレンス・レッシグ教授、AIとTikTokがインターネットに言論の自由の危機を引き起こす理由について語る - The Verge
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fantasticgoateecandy · 4 months ago
Text
不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.1)
私共は平成22(西暦2010)年9月7日~平成25(西暦2013)年8月23日まで合計10回の裁判を経験し、実質的に全敗致しました。然し、それ等は各裁判所・裁判官諸氏等が「本人等(=原告・被告・証人等)を出廷させて尋問する事も、証言させる事も無く、私共から提出済みの数多の証拠類も全て無視して精査する事も無く、更に裁判官諸氏等は一度も現場検証・確認に来る事も無く、全てが「正規の裁判手続を経ない侭、担当裁判官が恣意的独断的に行った裁判・下した判決」で、結局、私共は「これ等は余りにも不当裁判・不当判決である」と判断せざるを得ませんでした。そこで私共は「二度と斯かる不当裁判・不当判決を生ませない為に」との願いを込めて、此の事実を広く世間に公表したいと考え、一連の経緯を詳しく報告書に纏め上げました。そして「私共が書き上げた此の報告書が、決してガセネタではない」証拠として「今回の一連の全裁判の全記録・全証拠類」をDVDにも書き込み、これ等をマスコミ各社の御力を御借りして、内容を世間に公表して戴きたいと考え、此の「報告書+DVD」を1セットとし、此の各1セットをマスコミ各社に平成26(西��2014)年3月18日~6月19日に亘って順次お送り致しました。然し、いずれのマスコミ社でも御取り上げ戴けず、結局、私共の「悪あがき」は全くの徒労に終わりました。因みに私共が書き上げた報告書はA4版・200ページ近く、また添付DVDに書き込んだ資料も同じく600余ページにもなり、合計では800ページにもなって、多忙なマスコミ各社にしてみれば「こんなバカ長くてツマラナイ報告書など、読んで居るヒマは無い」とお考えだったのでしょう。私共の「報告書」には(全て本当の事実のみを書いてはありますが)「とても儲かりそうもない、取り上げる価値は全く無い」として各社から無視されてしまったのは当然でした。そこで私共は仕方なく、これ等の不当裁判・不当判決の全貌を私共だけの力で世間に公開しようと、此の拙いブログ「My First Blog---不当裁判・不当判決を告発します(No.1)~(No.13)」を平成26(西暦2014)年7月4日にJUGEM BLOGから立ち上げました。一方、世間ではその後に「STAP細胞は有りまーす」で有名な小保方晴子氏の「嘘まみれ」(スミマセン?)と思われる著書「あの日」が平成28(西暦2016)年1月29日に㈱講談社から発売され、好奇心をそそられた(?)読者諸氏には好評だったらしくベストセラーにもなって、出版社には多大な利益を齎しました。会社とは「営利を目的とする法人」ですから、これはこれで当然でしょう。 これに反して私共のBlogは公開してから現在まで、ほゞ10年を経過したにも拘らず、何等の進展も無く、一方、当Blogには裁判官諸氏以外の個人名など、殆どを仮名(アルファベットのイニシアル)で表示しましたが(但し添付のDVDには全て[実名]を記載してあります)、私共は現在に至るまで、当Blogに対して、何処からも誰からも([事実無根][名誉毀損][司法(裁判官諸氏・弁護士諸先生)に対する侮辱]など)と抗議・報復・訴訟を受ける事なく、無事に過ごして来ました。(尤も、これは当然でしょう、書いてある事は全て事実で、ウソなど一切書いて居りませんから。若し、先方が私共を告訴すべく裁判を申し立てて、逆に真相が明らかになってしまっては、却って御自分達のインチキ裁判・オソマツ判決が明らかとなり、御自分達のインチキ捏造証拠・ウソまみれの証言・裏切り振り等が暴かれ、却って御自分達が不利になってしまう事、全くミエミエだからです)。斯くなる上は[人の噂も75日]とか?[斯んなクダラナイBlogは徹底して無視するに限る]と言う訳でしょうか?(75日どころか)当Blogを初公開後、10年経過したにも拘らず、世間・世論には全く反応して戴けず、私共は「最早これまで!」と観念して、これ以上の抵抗を諦め、その間にスッカリ老いぼれました。そこで私共は、先日来、終活準備かたがた荷物の整理をして居た処、過去の訴訟資料など出て来て、懐かしさの余り、それ等を読み直して見ましたが、「私共に斯んなインチキ裁判・オソマツ判決を幾度も食らわせ、多大な金銭・時間を浪費させて屈辱を味わわせて置きながら、御自分達は何食わぬ顔でスマシて居られる天下のエリート(=裁判官諸氏)」に対し、私共は「とても許せない」今一度「最後の悪あがき」として、「今後は(JUGEM BLOGに加えて)多くの[ホームページ]および[BLOG]に、内容も(一部ですが)修正した上で『My First Blog (Newly Revised) 不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)』として新規に投稿する事にしました。 因みに私共が経験した第一審の担当裁判官は、当初、私共を弁護して下さった女性弁護士(K先生)によれば「奈良市内の弁護士仲間でも『有名な(問題ある)裁判官』で、『その為に迷惑を蒙った弁護士が数多く居るのですよ』」との事でしたが、実際に私共が(此のK先生と共に)裁判を進めて行くにつれ、「成程、これは全く『ドウシヨウモナイ(問題ある)裁判官』だ!」と呆れると共に、「斯んなインチキ裁判・オソマツ判決は、とても受け入れる事は出来ない」として二審、三審と進めました。然し、奈良地裁・大阪高裁は、いずれも「第一審は正しかった!」と身内のインチキ裁判・オソマツ判決を庇い続け、結局、私共は上述の如く10回も裁判を続けましたが、実質的に全敗させられました。なお第一審で私共にインチキ裁判・オソマツ判決を食らわせた担当裁判官は、その半年後に「依願退官」しました(させられた?)が、これは実質的には「クビ」でしょう?(少なくとも私共には、そのように思えるのですが…)。確かに世間では「誰もが身内には甘い」と言う風潮は有ります。「病院では医師諸先生・看護師諸氏等が組織ぐるみで医療過誤を隠蔽」「警察でも刑事・巡査諸氏等が組織ぐるみで誤認逮捕・冤罪を隠蔽」「学校では[いじめ問題]」「職場でも[パワハラ][セクハラ]などを組織ぐるみで隠蔽する」等の話題は、私共でも、新聞・テレビなどで(稀ですが)見聞しますが、法曹界でも斯んな事が有るのでしょうか?勿論、私共には詳しい事など全く分かりませんが…。 ただ今回の一連の「不当裁判・不当判決」は、桁外れにインチキ度・オソマツ度が過ぎて居り、私共は「何としても此の事実を(マスコミを通じて)世間に公表して戴きたい」と考えたのでしたが、結局、それは無駄でした。矢張り私共は[自分達だけの力で、これ等の不当裁判・不当判決を、出来るだけ多くのホームページ・ブログを通じて世間に公表・公開して行く以外に方法は無い]と言う事を此処に再認識いたしました。 以下の「本文(=経過報告書)」は、嘗て私共がマスコミ各社に御送りした「原文」から、冗長・余計な部分を削除し、漏れて居た画像・説明文等を追加する一方、私共が旧「経過報告書」に添付したDVDはソックリ元の侭で添付致しました。此のDVDも含めれば、余りにも長過ぎて恐縮ですが「本文(=経過報告書)」だけでも(それでも未だ長過ぎますが)閲読戴ければ、関係者諸氏等が如何に多くのウソを吐き、そして裁判官諸氏等も、私共から提出した数多の証拠類等を、無視・握り潰し、原告・被告・証人等の出廷は全て不許可、新たな証拠取得申請等をしても全て不許可、而も御自分達は一度も現場検証・確認に来られる事も無く、結局「一度も正規の裁判手続き」を経ない侭、私共を敗訴させ続けて来た実情を十分に認識して戴けると思います。 以下に、私共が嘗て「マスコミ各社(当初は29社、其の10年後には更に2社を追加、結局、合計で31社)に送付した明細を記しましたので参考までにご覧下さい。
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なお私共が四苦八苦して資料を収集・書き上げた、此の拙い記事は、結局、上記の通りマスコミ31社に完全無視・ボツにされてしまいましたので、私共は已むを得ず、下記のブログ16社に此の拙いブログを投稿し、取り上げて戴いて、世間に一般公開して戴こうと思いました。此の内、残念ながら[Amebaブログ社]のみは、これ等の記事の約半分を[公開停止]処分にされ、関連する画像も全てが公開停止されました。恐らく同社には、それなりの社内規定・御事情が御有りなのでしょう。私共が書いた、此の拙い記事は、全てが事実で、ウソなど一切書いては居りません。そして[公開停止]された部分(文章・画像とも)は、今回の一連のインチキ裁判・オソマツ判決、各当事者のウソまみれ・インチキ捏造証拠など数多く含まれて居り、これ等が[公開停止]されてしまっては、当ブログの価値は、全く無くなってしまいますが、幸いにも同社以外のブログ各社(15社)では、此の拙い記事を、原文(無修正)の侭で全文・全画像を公開して下さったので、若し、興味を持って戴ける方があれば、そちらから当ブログを検索・参照して戴ければ、([公開停止]された部分も含めて)全文・全画像を、簡単に御閲読戴けます。即ち、パソコンあるいはスマホの検索サイト([Yahoo Japan]とか[Google]など)の「検索欄」内に[My First Blog (Newly Revised)]あるいは[不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)]なる語句を入力して、然る後に[検索]ボタンをクリックするか、あるいは[Enter]キーを押せば、次画面に表示されて来る各種サイトの一覧から、先刻、パソコンあるいはスマホの[検索欄]内に入力したばかりの[My Frst Blog (Newly Revised)]あるいは[不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)]なるサイトを見付けて、これにカーソルを合わせてクリックして戴ければ、此の拙いブログが展開され、その内容を容易に閲読して戴く事が出来ます。序ですが以下に、私共が最近になってブログ各社に投稿した明細を記しましたので、参考までに御覧下さい。私共は今後も引き続き、その他のブログ社にも投稿を続けて、今回の一連の不当裁判・不当判決を広く世間に一般公開して戴きたい、と考えて居ります。                                  
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  はじめに
私共は平成21(西暦2009)年3月14日(以下「H.21.3.14.」と略記します)に、奈良市内の(中古の)小型分譲マンション「ローレルコートエスタ新大宮」(以下「当マンション」と言います)の401号室を、近鉄不動産㈱の仲介で、売主から3500万円で購入契約を締結、同日、当マンション代金の手付金350万円および仲介料の半額58万円を、それぞれ売主および仲介人に支払い、そしてH.21.3.26.には当マンションの残代金3,150万円および仲介料の残り半額58.55万円を、それぞれ支払って当マンションの引渡しを受けました。(以下、当マンションの売り手を[売主S氏](Sellerの"S")、買い手(=私共)を[買主B夫婦](Buyerの"B")と略称します)。然し、その後、私共宅401号室の真上にある501号室の住人宅から、階下401号室(私共宅)のベランダへ漏水被害が頻発して居る事実が判明致しました。(以下、上階501号室から階下401号室へ漏水被害を齎し続ける張本人を[水撒き人W氏](Watererの"W")と略称します)。若し、私共が此の漏水被害頻発の事実を本売買契約締結前に、予め売主S氏や仲介人(近鉄不動産㈱)から聞いて居れば、当然、私共は斯かる(欠陥ある)401号室を購入致しませんでした。そこで私共は「売主S氏と仲介人の両者に対し、『上階501号室(水撒き人W氏宅)から階下401号室(私共宅)へ漏水被害が頻発して居る事実』を私共に全く告知せず(隠した侭で)、売付けた事は信義に違反する」として「売買契約の白紙撤回」「売買代金・仲介料の返還」を求めて下記の通り提訴致しました。 ①売主S氏、仲介人(近鉄不動産㈱)の両者に対する第一審(奈良地裁) ②同控訴審(大阪高裁) 然し、奈良地裁・大阪高裁は共に、原告・被告・証人の出廷・尋問・証言を一切許さず、私共が提出した数多の証拠類を全て無視・握り潰し、更に両裁判所の裁判官諸氏等は一度も現場検証・確認に来られる事も無く、「漏水はたった1度きり」「売買契約を撤回する理由にはならない」と判決、私共の要求を棄却し、私共は敗訴しました。 私共は失望し、一旦は上告を決意しましたが、私共を弁護して下さって居る松村安之・南陽輔両弁護士先生から「こんな裁判は、上告するだけの理由は、勿論、十分にあるが、然し、たとえ上告しても、過去一連の判決が覆る可能性も、差し戻しになる可能性も、いずれもゼロだよ」と諭され、私共は止むを得ず上告を諦め、「此の侭で401号室を転売せざるを得ない」と判断しました。然し、転売するにしても、私共は(ウソばかり吐いて騙し続ける)近鉄不動産㈱には最早スッカリ懲りましたので、今度は同社以外の仲介業者(=住友不動産販売㈱)に転売仲介を依頼する事にし、先ずは当該物件の内見として住友不動産販売㈱の担当者・尾崎真実(おざき・まこと)氏に現場検証・確認に来て貰いました。そして私共は「(現在、私共が蒙りつつある上階501号室(W氏宅)からの漏水被害と(その漏水被害頻発の事実を告知した上で私共が401号室を転売するが為に、私共が蒙るであろう)転売差損との両損を合算した推定損害合計額を予め計算した上で、その損害賠償を水撒人W氏に求める為に、奈良地裁へ提訴致しました(これが➂です)。然し、その水撒き人W氏は「答弁書・準備書面」を全く提出せず、全く争う姿勢も見えず、これではサスガに奈良地裁も(原判決に反して仕方なく(?))自動的に私共の勝訴とせざるを得ませんでした。そこで私共は改めて(今度は自信を持って) ④売主S氏に対する再々審(奈良地裁) を提訴致しましたが、今回もやはり(①と同様に)奈良地裁は原告・被告・証人の出廷・尋問・証言を一切許さず、私共が提出した新規の証拠類もマタマタ全て無視・握り潰し、担当裁判官も一度も現場検証・確認に来られる事は無く、更に「新たな証拠を取得したい」との私共からの調査嘱託申請も全て不許可、マタゾロ「漏水はたった1度きり」「売買契約を撤回する理由にはならない」、更に「『W氏が裁判に出頭しなかった』からと言って、『漏水被害があった』とは言えない」「①の原判決は正しかった」と決め付けて三度び売主S氏が勝訴、私共が敗訴しました。 そこで私共は「こうなったら残された道は、漏水被害を現に齎し続けて居る張本人(水撒き人W氏)に対する損害賠償を急ぐしか、他に解決方法は無い」と考え、(一向に損害賠償する意思の無い)W氏から損害額を回収する為、水撒き人W氏の所有する501号室の強制競売手続を、(私共の弁護を担当されて居る)松村・南両弁護士先生を通じて、奈良地裁に進めて貰って居りましたが、今度はW氏の財産管理人である同氏の妹君・S子氏が③の判決後に大いに驚き、大慌てで病院に駆け込み、至急に「診断書」を発行して貰って「兄(W氏)は『統合失調症』(旧病名は『精神分裂病』)を患って居るので、訴訟能力を有して居ない」との理由で再審を求めました。奈良地裁は「大喜び(?)大歓迎(?)」して、勿論、これをスグに認めて⑤「強制執行停止」が決定されました。 ⑥そして妹君・S子氏から奈良地裁へ「再審を求める申請」が提出され、奈良地裁は、これまた「大喜び(?)大歓迎(?)」で、勿論、スグに認めて「再審を開始する」判決を下しました。
⑦更に妹君・S子氏から奈良地裁へ「上記③の判決取消し」を求めて訴訟が提起され、此の際に初めて原告(W氏の代理人=S子氏)と私共B夫婦(今回は被告の立場)の出廷が許されましたが、今度はS子氏の(ウソまみれの(?))主張が全面的に受け入れられて③の判決は取消され、私共が敗訴しました。然し、上記の①②③では、奈良地裁・大阪高裁の両裁判所は共に「W氏は(自分が漏水被害を齎した事実を)謝罪し、(然し、実際には私共はW氏から直接に謝罪を受けた事などは一度も有りません。私共はW氏には一度も会った事は無いし、W氏がどんな人物か、どんな顔をして居るかも、全く知りません、それにも拘らず裁判所はどうして「W氏は漏水した事実を謝罪した」などと言えるのでしょうか?W氏は(恐らくは)当マンション管理人(岩井昭雄氏)に謝罪したのでしょうか?)更に裁判所は「以後、W氏は自宅(501号室)のベランダでの水撒きを自粛した」「従って階下401号室への漏水はたった一度きり」「売買契約を撤回するほどの理由は無い」と判決しました。然し、実際にはW氏宅(501号室)のベランダから階下401号室(私共宅)のベランダへの漏水被害は、(判決以前は勿論)判決以後も連日続発して居る事実は、添付の数多の大判(A4)証拠写真(および其の撮影日時を参照されたい)からも容易に判断できますが...。然るに裁判所は①➁④で、「水撒き人W氏は(管理人には(?)謝罪し、それ以後、漏水被害は無くなった)(実際には、W氏が私共に謝罪した事は一度も無く、判決以後もW氏宅から私宅への漏水被害はズッと続発して居るのですが…)だから訴訟能力(=良識・判断力)はあった」と裁判所が認めたからこそ、売主S氏および仲介人(近鉄不動産㈱)の両者を勝訴させた筈でしたが、今度の⑤⑥で奈良地裁は「W氏に訴訟能力は無い」と判断して再審を決定、結局、水撒き人W氏および妹君・S子氏側の希望通り③の判決は取消されたのでした。然し、その後の⑦では裁判官は(一度も現場検証・確認に来られる事も無く)「W氏からの水撒きに因り、階下401号室の住人B(私共)が蒙る被害は、生活に不都合を齎す程ではない」と判断され、これは水撒き人W氏の「統合失調症」を理由とした判決ではなく、恰も「W氏には、(矢張り)訴訟能力(=良識・判断力)あった」と判断されたようで、結局、マタゾロ私共が敗訴しました。(繰り返して言いますが)裁判官諸氏等は一度も現場検証・確認に来る事も無く、どうして「W氏からの漏水被害は、階下401号室住人の生活に不都合を齎す程の事は無い」などと判断できるのでしょうか? ⑧私共は上記一連の裁判・判決には承服できず、大阪高裁へ控訴すると共に、「過去一連の裁判では、何故、原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言を一切許されず、而も裁判官諸氏等は一度も現場検証・確認に来られる事も無く、更に私共からの証拠書類は徹底的に無視・握り潰され、更に「新たな証拠類を取得したい」との私共からの調査嘱託申請も全て不許可となり、結局、「正規の裁判手続きなどは一切執らずに、言わば『門前払い』の形で私共が敗訴させられたのか?」「私共は苦し紛れの『非常手段』として、今回の漏水被害の全貌と一連の裁判の全経過・全資料をマスコミ各社に提供し、広く世間に公表して貰って、世論に訴えたい」「法の番人であるべき裁判官諸氏が、今まで私共に下された一連の裁判・判決を、世間・世論は、どのように評価・判断して呉れるでしょうか?私共は人間として静かに聞いて見たい」「どうか公平・公正なる判決を賜りますように!」との陳述書を提出しました。これが大阪高裁の裁判官諸氏のプライドを著しく傷付け、心証を悪くしたのでしょうか?私共の陳述書は(恐らくは激怒されたであろう(?)裁判官諸氏等に)完全無視され、「漏水はたった一度きり」「売買契約を白紙撤回するほどの理由は無い」と決め付けて、相変わらずの『門前払い』で、私共敗訴の判決が下されました。つまり①②④では「水撒き人W氏に訴訟能力あり」と判断され、⑤⑥では「水撒き人W氏には訴訟能力は無い」と判断され、⑦⑧では再び「水撒き人W氏に訴訟能力あり」と判断された訳です。 ⑨そこで私共は今度��そ上告を決意し、松村・南両弁護士先生に、一旦は上告手続きを御願いしましたが、然し、現実には私共には最早これ以上、裁判を続けるだけの経済的余裕は無く、また松村・南両先生から「前回も言ったように、こんな裁判では上告するだけの理由は、勿論、十分にあるが、然し、たとえ上告しても、今回の一連の判決が最高裁で全て覆る可能性などは全くゼロだよ」との再アドヴァイスもあり、結局、私共は上告を諦め、これを取り下げざるを得ませんでした。決して上記一連の裁判・判決を納得して受け入れた訳ではありません。
⑩その後、水撒き人W氏に対する強制競売手続きは奈良地裁によって取り消され、全てが私共の完敗(全敗)に終わりました。 そこで私共は今回の漏水被害の全貌と過去一連の裁判・判決の全経過・全資料を纏めてマスコミに提供し、御取り上げ戴いて、これ等を広く世間に公表して戴き、世論に訴えると共に、世論・識者の評価・判断を聞いて見たいと考え、それを実行する事に致しました。(然し、いずれのマスコミ社でも御取り挙げ戴けなかった事は前述の通りです)。 以下の「経過報告書」は、上記全裁判の全経過および全関連資料の抜粋を、ほゞ日付順(但し、説明の都合上、必ずしも日付順ではない=つまり順序がテレコになって居る個所も多少ありますが)に忠実に書き記しました。そして各訴訟書類および調査資料中の該当箇所を忠実に抜粋・引用・組み入れながら作成し、また抜粋・引用した個所は「 」で括り、その後の( )内に私共のコメントを書き加えました。
なお以下には(私共が経験した)『過去の裁判・判決の一覧表を下記致しましたので、御参照下さい。(敬称は略しました)
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註(1):当初はK先生(=女性弁護士)が私共の弁護を引き受けて下さって居たが、H.22.6.18.にK先生は私共の弁護を降りてしまった。なおK先生は(本件とは直接関係は無いが)後日(H.25.3.21.)、日本弁護士連合会・奈良県弁護士会から「弁護士としての品位を失うべき非行に該当する」として懲戒処分を受けた。詳しくは後述する。 註(2):水撒き人W氏は裁判に出頭せず、準備書面等も提出せず、争う姿勢も見えず、私共が自動的に勝訴した。 註(3):私共は「これ以上は幾度裁判を繰り返しても『時間と費用の無駄だ』と判断、止むを得ずH.25.8.7.に上告を断念した。 以下、(No.2)へ続く
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shintani24 · 4 months ago
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2024年10月11日
広島電鉄の駅前大橋線、架線用の支柱を試験点灯 1列の明かりが新路線照らす 開通は夏ごろ
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10/11(金) 10:30配信
中国新聞デジタル
試験点灯した駅前大橋線の架線用の支柱
 JR広島駅(広島市南区)に高架で乗り入れる路面電車の駅前大橋線で、市と広島電鉄は10日、架線用の支柱を試験点灯した。軌道敷の中央に立てるセンターポール式を採用。駅前通りから建設中の新駅ビルに向け、1列に連なる明かりが新路線を照らした。
【動画】光の列、新広島駅ビルへ 広電駅前大橋線センターポール点灯
 支柱は高さ9・3メートル。広島駅と比治山町交差点(南区)を結ぶ約1・1キロに13本が並ぶ。この日は発電機を使って、先端部をともした。本格的に受電する16日から夜間の点灯を続ける。
 市によると、広電の既存路線の大半は道路の両側から軌道上に架線を引く方式で、センターポール式は相生橋(中区)など一部の区間だけ。駅前大橋線は中央分離帯だったスペースに支柱を立てた。建設と維持管理の費用を抑えられ、景観にも配慮したという。
 広島駅ビルは来年3月24日に開業し、駅前大橋線の開通は夏ごろの見通し。市交通施設整備部は「明かりを見て、完成後の路面電車の新路線をイメージしてほしい」としている。
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”元寇の船”3隻目を確認「まるでつい最近沈んだかのよう」な木材の色や形 短刀や指輪状の金属製品も(RKB毎日放送)
鎌倉時代にいわゆる「神風」で沈んだとされる「元寇の船」の3隻目が長崎県松浦市の鷹島沖の海底で確認されました。船の構造がしっかり残りこれまで見つかった2隻よりも保存状態が良いとみられています。
■水深18メートル「ワクワクするような調査」
松浦市 友田吉泰 市長 「限られた予算実施期間の中で3隻目の沈没船を確認するという最大限の成果を得ることができました」
長崎県松浦市は11日に会見を開き、鷹島沖で3隻目となる「元寇の船」が確認されたと発表しました。
10月1日から行われた今年の調査は去年見つかった木材が元寇の船のものであるのか確かめるものでした。
国学院大学 池田栄史 教授 「今度でしっかりと船であるということを確認する作業に入っていく。確認できれば、それこそ3隻目になるわけですね。そういう意味でこれまでの探すということに対しての方法論的な正しさがますますこれで証明できる。ワクワクするような調査。」
去年木材が見つかった場所から範囲を広げて発掘します。
■中国の船に特徴的な構造を確認
調査7日目、驚きの成果が出ていました。
RKB 今林隆史 記者 「水深18メートルです。細かく堆積した泥のその下に多くの木材が眠っていました。板が整然と並んでいて、立体的な構造が保たれています。木材の色や形は非常に綺麗で、たまるでつい最近沈んだかのようです」
船の内部を仕切る隔壁や船底など当時の中国の船に特徴的な構造を確認。1281年の「弘安の役」で襲来した「元寇の船」であることが確定しました。
国学院大学 池田栄史 教授 「もう完全に船ですね、木材の組み方木組みがもう船の木組みだっていうことがはっきりしてきているし、それからその木組みの特徴からどう考えても中国の南部の船だっていうこともはっきりしています。すごい。船底の形状がものすごくよく残っているので、だから本当は全体掘って見てみたいんだけど」
■「引き揚げの候補」保存状態が良い
発掘状況を確認した船舶考古学の専門家も驚きの発見だと話します。
東海大学 木村淳 准教授 「すごい。現位置保ったまま船の構造、残ったものをしっかり記録していく。そういった事例としては今回は中世の東アジアの中国船として初めてではないか」
これまでの2隻と比べて3隻目は保存状態が良いと見られています。
国学院大学 池田栄史 教授 「3号船は非常に残りがいいというふうに思っております。将来的にいろんな形で引き揚げるっていうことを考える際の一つの候補にはなっていくだろうというふうには思います」
■短刀・指輪状の金属製品なども発見
今回の調査ではさまざまな発見もありました。
松浦市 文化財課 早田晴樹 副主任 「指輪みたいな形をしているので指輪状と申しておりますが、実際何に使っていたのかというのは今後海外の資料ですとか成分の分析等を待たなければならない」
中国の陶磁器や短刀、指輪状の金属製品、墨で文字が書かれた板材なども見つかっています。
■保存する施設の整備を
こうした世界的な発見が相次ぐ鷹島ですが、大型の船などを引き揚げた後保存処理や展示を行う施設はありません。
松浦市 友田吉泰市長 「国民の皆さんにこの元寇の遺跡について注目をいただいてやはりこの大切な資料をもっともっと調査すべきだというですね、そういった応援団を増やせるように我々としてはさらに取り組まなければいけません」
今年の調査で発掘できたのは船体の一部だけで船の大きさなどは不明です。来年以降どのような調査をしてその成果を後世に伝えていくのか注目されます。
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3隻目の元寇沈没船と特定、長崎 鷹島沖の海底発掘で刀剣発見(共同通信)
長崎県松浦市の鷹島沖の海底で見つかった短刀のさや=5日(松浦市教育委員会提供)
長崎県松浦市は11日、同市鷹島沖の海底で昨秋見つけた木製構造物について、元寇の沈没船と特定したと発表した。2011年の初確認以降、3隻目となる。船体を形作る「外板材」とみられる木製構造物を昨年発見し、今年10月1日から10日間、詳細な発掘調査を実施していた。刀剣などの遺物も発見した。
市によると、沈没船は沖合約150メートル、水深約18メートルの海底を1メートル程度掘った場所にあり、昨年10月に発見した。今回は民間のダイバーや専門家らと木製構造物の周囲東西約6メートル、南北約3メートルの範囲を掘削した。
鷹島沖では、弘安4(1281)年の元軍による2度目の襲来「弘安の役」の際、約4400隻が停泊し、暴風雨に遭ったとされる。海域の一部は元寇の遺物発見を受け、2012年に海底遺跡としては日本初の国史跡「鷹島神崎遺跡」に指定されている。
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オスロで2024年10月11日、ノーベル平和賞を授与すると発表した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のロゴを掲げたノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長=ロイター
なぜいま被団協なのか ノーベル委員会トップ「彼らの声を聞くべき」(朝日新聞 核といのちを考える)
今年のノーベル平和賞が、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されることが決まった。11日に授賞を発表したノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長と、報道陣の一問一答は以下の通り。
 ――世界中で紛争が起きている。委員会として指導者や当事者に贈るメッセージは。
被爆者の体験談、証言は「核兵器の使用はどれほど受け入れられないものか」を思い起こさせてくれる重要なものです。彼らの声を聞くべきです。
そして、すべての指導者が、痛ましく、強烈な被爆者の話に耳を傾け、核兵器が決して使われてはならないと思い起こしてほしいと願っています。
 ――ほとんどの推測を裏切る形になった。なぜ今年、こうした授賞なのでしょうか。
世界で起きている動きや紛争を見ると、核兵器は二度と使われてはならないのだという規範を守るため、核兵器に対する「タブー」を維持することがいかに重要であるかがわかります。
この点において、日本の被爆者、被爆地は欠かせない存在です。
すべての国家は(核兵器の)不使用に対する責任を負っており、その意味で被爆者の体験談が重要になります。
 ――受賞者とは連絡を取ったのか。
残念ながら、今年はまだです。ただ、連絡がつくことを願っています。
 ――あなたは(事前のインタビューで)「あまりに大きな紛争が複数起きていて、今年は特別だ」と語っていました。
世界には、地平線上に暗い空を見ている人たちがたくさんいます。ただ、この賞をもって、私たちはそれ(視線)を引き上げたいと感じています。私たちはグローバルコミュニティー(地球規模の共同体)であり、核兵器の脅威は私たち全員に及ぶ可能性があるのです。
 ――ロシアによる核兵器に関する言動は授賞にどのような影響を与えたか。
核兵器使用の脅しが、国際的な規範、つまり核兵器使用の「タブー」に圧力をかけていることは明らかです。国際的で、強力な「タブー」は、人類にとって極めて重要であり、それを維持することが重要です。
 ――実際に紛争地で核兵器が使われる脅威が現実味を帯びてきた、という判断をしたのか。
核の「タブー」を減退させるようなすべての言動は、人類にとって危険です。今年の賞は、それを守る必要性を訴える賞であり、特に核保有国には道義的な責任があります。
 ――被爆者の数は時代とともに減り続けている。授賞により、どのような効果を期待しているか。
私たちノルウェー・ノーベル委員会は、日本の新しい世代が、1945年8月の出来事を語り継ぐ責任を担っていると認識しています。新しい世代が証人たちとともに、世界中の人びとを鼓舞、教育していくことが、核のタブーを維持するために極めて重要なのです。(ロンドン=藤原学思)
コメントプラス
大川千寿(神奈川大学法学部教授)【視点】 日本被団協のノーベル平和賞受賞。大変心動かされるニュースですが、ノーベル賞を受賞したから素晴らしいということではなく、被爆者の皆さんのこれまでの歩みが尊いからこそ、今回のノーベル平和賞があるということだと思います。その歩みは、日本人と日本政治、そして世界へと確実に影響を与え続けてきました。今日の世界情勢にあって、ノルウェー・ノーベル委員会委員長の「彼らの声を聞くべきです」という言葉を私も共有したいと思います。
困難にあっても、人類が理性と自由意思を正しく用いて核兵器を二度と使用することなく、最終的には核廃絶へとたどりつくことができるよう心から願い、これからも歩み続け、歩みを受け継いでいきたいものです。
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今年のノーベル平和賞は「該当者なし」に、国際平和研究所所長が提案(CNN)2024年10月11日
(CNN) 今年もノーベル平和賞の受賞者が11日にスウェーデンで発表される。その間にも、イスラエルやレバノンなど世界50カ国以上で武力衝突が続く。
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)所長ダン・スミス氏は、そうした衝突を抑える上での「世界秩序機関の無能ぶり」を見せつけるため、ノーベル委員会は今年の平和賞授与を見送るべきだとCNNに語った。
中東、ウクライナ、スーダン、西アフリカ、ハイチ、ミャンマーなど、世界各地で激しい紛争が起きているとスミス氏は述べ、「冷戦終結前以来、我々が経験したことのない規模で戦闘と殺人が続いている」と指摘。「我々はそこへもっと多くのエネルギーと関心を向ける必要がある」とした。
その上で「ささやかな提案」として、「現在の世界政治の欠陥」に脚光を浴びせるため、今年は平和賞授与を見送るべきだとの見解を示した。
ノーベル平和賞は第1次・第2次世界大戦中を含め、「該当者なし」���されたことが過去19回ある。しかし1972年からは毎年授与されてきた。
ふさわしい候補は多数存在するものの、「該当者なし」とすれば「非常に強いメッセージ」になるとスミス氏は話している。
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石破首相言及の核共有「間違っている」 被団協代表委員が怒り(毎日新聞 10月12日)
ノーベル平和賞に選ばれ、記者会見する日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳さん=東京都千代田区で2024年10月12日午後4時51分、和田大典撮影
ノーベル平和賞に選ばれた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が12日に東京都内で開いた記者会見で、代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)は石破茂首相と12日に電話で会話した内容を報告した。
田中さんによると、首相は冒頭「小学校6年の時に原爆の被害の写真を見せられた。怖くて夜も眠れないくらいだった。広島の資料館にも行き、核兵器は絶対になくさなくちゃいけないと私は確信した」と説明。一方で、「今の国際情勢を考えると、現実的な手段を取っていかざるを得ない」とも語っていた。そして、首相から「ぜひお会いしてゆっくり話したい」と申し出があったので、応じたという。
首相が言及している米国の核兵器を共同運用する「核共有」について、田中さんは「私は怒り心頭。核の恐ろしさを知っているなら本当に考えなさいと言いたい。会って徹底的に議論してあなたは間違っていると説得したい」と語気を強めた。【春増翔太、椋田佳代】
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広島の被爆者団体 “核兵器禁止条約に参加し保有国誘導を”(NHKニュース 10月18日)
日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会がことしのノーベル平和賞に選ばれたことを受けて、広島県内の7つの被爆者団体の代表などが会見を開き、「日本が核兵器禁止条約に参加し、核保有国を誘導する役割を果たさなければ、期待を裏切ることになる」とする声明を発表しました。
広島県内の7つの被爆者団体は、17日広島市役所で会見を開き、出席者を代表して広島被爆者団体連絡会議の田中聰司事務局長が声明を読み上げました。
声明では、ノーベル平和賞の受賞決定を「すべての被爆者とともに喜びたい」としたうえで、「偏見や差別にめげず、すべての核被害者援護の運動などに発展させてきたのは、国内外の多くの被爆者の団体や個々人の努力のたまものだ」としています。
一方、日本政府の対応については「核兵器禁止条約に参加し、核保有国を誘導する役割を果たさなければ、国際的な栄誉と期待を裏切ることになる」としています。
日本被団協の代表委員で広島県被団協の箕牧智之理事長は「原爆被害にあった人が訴えてきたことが、ノーベル平和賞に通じたと思う。被爆者が生きているうちに核兵器をなくしてほしい」と話していました。
もう1つの県被団協の佐久間邦彦理事長は「平和賞の重みを、うれしいだけで終わらせないことが重要だ」と話していました。
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