#上吊りレール交換
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金土で瀬谷某高校出張上吊りレール交換工事🔥 2日目は2開口吊り込み 100vで頑張りました。 実際ブレーカーは15aだと辛いです🔥 カバーをつけて 工事は無事完了デス🔥 続 #有限会社川﨑製作所#瀬谷区#某高校#高校#上吊りレール交換#出張溶接工事#現場工事#現場溶接工事#プラズマカット#smaw#200v#三相200v#ダイデン#マイト工業#ダイヘン#tig#mig#sitework#welding#repair#出張修理#レール交換#三鷹市#横浜#年度末工事 (Hodogaya-ku, Yokohama) https://www.instagram.com/p/CNC7f-NDL4w/?igshid=10nvbp76ku78c
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The Meaning of “Two Neighboring Metals/Their Family Air/Their Molecular Atomic Composition" in Glider Containing a Water Mill in Neighboring Metals by Marcel Duchamp (Masahide Kobayashi, 9/3/2018)
マルセル・デュシャンの<隣金属製の水車のある滑溝>における「二つの隣り合った金属/その同族性/その分子原子構造」の意味(小林正秀:9/3/2018)
De "Le Grand Ver de Terre" à "Le Grand Verre"
––– Marcel Duchamp’s The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even was born from Raymond Roussel’s The Earthworm Zither Player–––
(Masahide Kobayashi : 9/3/2018)
"大ミミズ" から "大ガラス" へ
––––マルセル・デュシャンの<花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも>は、レーモン・ルーセルの「ミミズのチター弾き」から生まれた–––––
(小林正秀:9/3/2018)
拙作 <マルセル・デュシャンの水準器–––水車と滑溝>(1)は、初
めはジョゼフ・コーネルの水準器として構想された。
敬愛する作家の人柄や作風を、想像上の架空の道具で表す“オマージュ・シミュレーション”としての<コーネルの水準器>(2)を私は既
に一つ造っていたが、それはコーネルの作品の中の「鳩小屋」のタイプ(3)を模擬(シミュレート)したものだった。
しかし、周知のようにコーネルの作品の中には、横長の箱の高さ3分の2ほどのところに二本の金属棒をレールのように平行させて箱の横幅いっぱいに差し渡し、その上に乗せた球がそこを水平に転がって行ける(4) “一種の水準器” が組み込まれた一群がある (それらには多く共通して天体や天文に因む––––例えば<カシオペア 第1番><鳥たちの天空航法><シャボン玉セット (月の虹:宇宙のオブジェ)>といった––––題が賦されている)。 つまり、このタイプのものも造ってみよう……と思い立ったわけだが、同じ二本の平行棒では能がないので、他の素材や方法はないかと探していた時、ちょうど平行して何かの作品に使えぬものかと思案中だった細長い直方体の箱……の、その向かい合う二つの長辺の上縁をレールの代わりにするというアイディアが浮かんだ。しかし、いろいろな大きさや材質の箱と球の組み合わせを試みたものの、どれもピンと来ない。球の直径が箱の短辺の内法よりも長ければ縁の上に乗り、短ければ箱の底に沈むわけだが、この後者に関しては、既に<ウッチェッロの水準器>(5)で試みていたことでもあ
り、また後者の中でも特に直径と短辺の内法が等しいものに関してはウォルター・デ・マリアの素晴らしい作品(6)を知って以後は創作への意欲が減退してしまい、結局、球の使用それ自体を諦めてしまった。
(6) Walter de Maria (1935–2013), Instrument for LaMonte Young, 1966
球に代わる現状の、手巻きのゼンマイ振り子式掛け時計の風切車と歯車を取り付けた軸棒をレールに跨がせて転がすというアイディアをどうして思い付いたのかは記憶が定かでない。ひょっとすると、細長の直方体の箱 (キューブ) を眺めているうちに意識下で、直方体の箱は直角に接合された板材/平面材の構成物なのだから、むしろ球のような量塊性や重量感を持つものよりも、同じ板材/平面材である風切車の羽根と歯車の円盤(に線材としての軸棒を直交させた構成物)の方が合っているのではないかという “キュービズム的直観” が働いたのかもしれない(7)。 或いはまた、その黒々とした箱の内側の虚空間を金色の光の羽根で掘削・撹拌し、溝の闇をキラキラ/ヒラヒラと活性化させたかったのかもしれない。––––実際、風切車の二枚羽根に辿り着く前の段階で、4箇所に切り込みを入れたゴム栓にステンレスの薄板を差し込んだ即席手作りの水車を転がしてもみていたが、これもしっくり来なかったので没にしてもいたのである。 コーネルの “素材箱”(8)のように、私も雑多なファウンド・オブジェクトの類を箱毎に分けて蔵っているが、以前に解体した振り子式掛け時計の部品––––その殆どは既にこれまで拙作で使ってきた(9)––––の中に、未だに使い切れずに残って��た曲者として、この特徴的な風切羽根車があることは、頭の片隅の記憶の素材箱に蔵われていたのである。 こうして出来上がった最終形が、これから俎上に載せるあのデュシャンの<水車と滑溝>に似ていることに気付いたのは、やはりこの風切羽根車の仕掛けを箱の上縁に乗せて、更に、普通は長辺を正面にして見る水準器を、短辺を正面にして、且つ、斜め右上45°から
短縮法的 (透視図法的) に見下ろした時……からのことのように思う。つまり箱のみの段階で(それだけで、いきなり)デュシャンの<水車と滑溝>のイメージが思い浮かび (画像に思い当たり/思い至り)、そこから風切車を思い出して羽根車の仕掛けを造ったのではない……そう推論した方が論理的に無理がないようである。制作時からそれほど時間が経っていないにも拘らず、このようにこの決定的な分水嶺の記憶が曖昧なのは不思議なのだが、本来感覚的/無意識的で且つ非–単一直線的 (多線的/曲線的/面的) である霧中/夢中の造形思考とはそんなものなのかもしれない。このことは、この後の本稿の主旨にも関わることなので、少しこだわって思い出してみた。
さて、問題のデュシャンの<水車と滑溝>だが、このモチーフは、一つは1915年から1923年にかけて制作され––––以後、未完のまま放棄され––––たフィラデルフィア美術館 (以下「フィラ美」と略) 所蔵の通称<大ガラス>(10)の下半部左側と、もう一つ、その試作/
習作として1913年から1915にかけて制作され––––結果として彼のガラス作品の中で (最初に制作されて) 唯一割れなかっ––––た同じフィラ美所蔵の半円形のガラス(11)の二つに登場する。デュシャン自身が後者に付した原題は<Glissière contenant un moulin eau (en métaux voisins)>、英訳では <Glider Containing a Water Mill in Neighboring Metals>、色々ある邦訳を並べて繋ぎ合わせると「
隣 (りあう)/隣接 (する)–金属–製の/で作られた–水車–のある/が中にある/を持つ–滑 (り) 溝/滑り台/橇/誘導装置」である。
ところで、この「隣 (り合う)/隣接 (する)-金属」だが、これが何を意味しているのかに関しては、日本のデュシャン研究の第一人者である東野芳明の『マルセル・デュシャン』(1977, 美術出版社,「10|塩売りの商法」p.349) に、以下のようなデュシャン自身による説明が翻訳引用されている(出典は同書での文献目録 No.46 : Schwarz, Arturo. The Complete Works of Marcel Duchamp. New york : Abrams,1969; 2nd rev. ed.,1970 だが、因みに私蔵のシュヴァルツ本は 3rd Rev. and Expanded Ed., 1997 で、当該箇所は p.136 ではなく、vol.1 The Text, p.132 である)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– ……「隣金属」という奇妙な表現について、デュシャンはこう語っている。 「<水車>は実際に二つの隣り合った金属(ひとつは他より少し暗い)からできています。それは、輪と水かき板の音調 (ママ) のちがいに見られるのです。さらに、この題名は、あまりに正確であることを避けるための詩的なやり方でした。私は金属の名前を明記したくなかった。むしろ、この二つの金属が同じ族に属することを強調したかったのです。なぜなら、分子構造に関する限り、金属はみな隣人同志ですからね。これだけでなく、〝隣金属〟という言葉は、とりわけフランス語では、たいへん詩的な含意コノテーションがあります。それは、ひとつの物を意味するのではなく、詩的なイメージであり、それがわたしは欲しかったのです」(46, p.136) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「音調」(“tonality”) は「色調」と訳した方が適 (?)……は措くとして、「分子構造」“molecular composition” という表現は、科学的には明らかな間違いである。何故ならば金属とは単原子であって、金属に分子はないからである。もしこれを科学的に正しく言い替えるとすれば「原子構造 “atomic composition” に関する限り、金属はみな隣りあった物同士ですからね」––––であろう。単刀直入に私見を言えば、デュシャンは「周���表」“The Periodic Table” (12)における
金属 (元素) 同士の位置関係を言いたかったのではなかろうか。 デュシャンが表向きに言っているこの–––– “隣の金属とは色味が違うもう一つの金属” と “隣の金属” という二種類の色合いの異なる金属の––––色の問題は、確かに、例えば、水車の水かき板の黒っぽい上塗りが剥げたその下に塗られている色を見ると、手前/下方の3枚と上方/奥側の5枚とで異なっていることからも理解される。––––前者、即ち手前/下方の3枚は、赤い銅色で、純銅か、または銅に3〜5%の金を加えた合金の赤銅か、或いは銅と亜鉛の合金である黄銅=真鍮の中でも亜鉛の含有割合が20%以下で赤みの強い丹銅の……三つの内のいずれかを表しているように見える。一方、後者の上方/奥側5枚は、滑溝の色と同じ黄色味の強い––––つまり亜鉛の含有割合が20%以上である––––普通の黄銅=真鍮色を表しているように見える。 実はデュシャンは、銅の色の別については、<不定詞で>と題された通称<ホワイト・ボックス>(13)の中のメモの一つで、次のようにしか––––つまり、合金のことは言わずに専ら表層/表面の色でしか––––記していない (以下引用、邦語は私訳)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– copper 銅 mat ツヤ消し red 赤 yellow 黄 polished ツヤ出し …………………………………………………………………………… copper yellow, red, black, white, raw Sienna
銅 黄、赤、黒、白、黄褐色 (焼いていないシエナの土の色)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
しかしデュシャンは、シュヴァルツに対しては明確に、単に同一の金属 (の色の明暗) ではなくて、「同じ族に属する」「二つの金属」(の色の明暗) と言っているのであり、従ってそのことを、このような表の色 (おもてのいろ) /「色表 (しきひょう) “Color Chart”」上ではなく、我が物質内部の「原子構造=周期表」上で言うとすれば、次のような言い方になるのである。 先ず、銅と亜鉛の合金である丹銅 (Red Brass) や黄銅=真鍮 (Brass) だが、周期表上では銅 (Cu) の原子番号が No.29 で亜鉛 (Zn) は No.30 ––––と、まさにこの「二つの金属は」元素��� (原子構造上) では横列の第4周期 (Period) 上で真横に隣接しているのである。また、銅と金との合金の赤銅 (Alloy of Copper and Gold) に関しては、金 (Au, No.79) は周期表上では銅が所属する縦列の第11族––––この「族」は英語では “Group” 又は “ Family” ! である––––に所属していて (横列では2列下)、まさにここで私もまたデュシャン同様「この二つの金属が同じ族に属すること (“their family air”) を強調」しておきたい。 (因みに拙作の白っぽい色の滑溝 (箱) も、亜鉛の含有割合が多いタイプの真鍮だと思うが、万一それが四分一/朧銀ならば、銅と銀 (Ag, No.47) で縦の直下に隣接しており (縦列は「同族」)、白銅であれば銅とニッケル (Ni, No.28) で銅の左に隣接し、洋銀/洋白であれば銅と亜鉛とニッケルで、銅を真ん中 (蝶番) にして左右横列の隣接なのである。また白目/白鑞/ピューターなら錫 (Sn, No.50)とアンチモン (Sb, No.51) もしくは鉛 (Pb, No.82) で、錫を蝶番にして横と縦の隣接である。なお、隣接しない複数の金属で作られる合金には、例えば横に2列も間が空いている銅と錫との青銅が挙げられる。) この推測に従って少し踏み込んでこの題名を訳せば、<周期表と色表上で隣接する二つの金属で作られた水車付き滑溝機>ということになろう。
他にも、この<水車付き滑溝機>を巡っては多々議論はあるが、私が最も注目したいのは、その動力源である。この滑溝機は、その始動部たる水車の回転運動によって、(画面には描かれてはいない/見えない地上に敷設されているはずの) 溝を滑って水平にピストン運動をするのだが、その直線往復運動に変換する回転円運動 (ガソリン自動車のエンジンとは逆) を起動させるものが––––<大ガラス>と一体の通称<グリーン・ボックス>(14)に収められたメモの一葉に記
された––––「水の落下。 男根状の鋳型の頭上を越えて、遠くの噴き出し口から半円軌道を描いて降り注ぐ竜巻形の水柱」(拙訳)––––なのである。
つまり、拙作の水準器 (もアルコール水準器も) 同様に、動きの原因は重力なのであり、また、付言すれば、この水の自重による落下は、周知のように、デュシャンの通称<遺作>の正式名称<与えられて : 1° 水の落下 2° ガス灯用ガス>(15)の第一与件にもなっているものである。
因みに<大ガラス>にも、今引用した「男根状の鋳型」にはガスが充填され、その頂部にはガス管が配備されているので、この<遺作>も<大ガラス>も共に、水とガスとが “セット” であるという点に拘るならば、確かに例の (パリのアパルトマンの看板文句だった) <各階水道ガス完備>(16)がその直接の発想源なのかもしれない。しかしそこから、<遺作>と<大ガラス>の……<遺作>のガス灯は除いてその他の……個々各々の具体的な形-態/体には、容易にイメージが繋がって行かないのである。––––つまり両作品とも、この<各階水道ガス完備>からは余りにも距離と飛躍がありすぎて、もっと別の何か具体的なイメージの源泉が他所にあるように思えてならないのである。––––私に言わせれば、(<遺作>の方は今は措いて) <大ガラス>に関する限りは、その源泉のことを、実はデュシャンはギリギリの所まで語っていて、ただ最後の決定的な分水嶺の記憶に基づく一言が欠けているにすぎないのである。
そのデュシャンの語りとは、一つはジェームズ・ジョンソン・スウィニーによるデュシャンへのインタビュー(17)の中のそれであり、もう一つはピエール・カバンヌとの対話––––(マルセル・デュシャン/ピエール・カバンヌ/岩佐鉄男 小林康夫 訳『デュシャンは語る』1999, 筑摩書房–ちくま学芸文庫, p.61)––––の中のそれだが、ここには、この二つを繋いで、且つ、その源泉を言い当てるギリギリの所まで述べている(しかし寸前で口を噤んでいる)ジャニス・ミンク著/キョーコ・ハセガワ訳『マルセル・デュシャン 反芸術としての芸術』(1996, TASCHEN, pp.29-33, 註11-15 は p.95) から引用してみよう。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 1911年10月、デュシャンは…フランシス・ピカビアと知り合った。……ピカビアは生涯を通してデュシャンの良き友となった。……1912年6月、彼はピカビアとその妻…、そしてアポリネールと共に芝居を見た。この経験は、その後の彼の芸術を決定的に変えてしまうものだった。これはレーモン・ルッセルの小説『アフリカの印象』(Impressions d’Afrique, 1910年初版) を舞台化したもので、これについて数年後、ジェームズ・ジョンソン・スウィニーとの重要なインタビューのなかで、デュシャンは次のように述べている。 「ルッセルは、初期の頃、私が熱中した人物の一人だ。彼の素晴らしさは、今まで見たこともないものを創り出す力だ。…… 私のガラス作品《…独身者…花嫁…》…が生まれた背景には、根本的にルッセルの影響があるといえる。彼の『アフリカの印象』から基本構想が生まれたのだ。アポリネールと一緒に見た彼の芝居が、私の表現力の一翼を担うこととなった。…… 私の理想とする図書館には、ルッセルの全著作が収められている。……」11 …………この時代の演劇関係の出版物に、『アフリカの印象』第3幕の役者たちの写真がある。彼らはテーブルの上のガラスの籠を囲んでいる。写真には、韻を踏んだ次のような解説がある。“Le ver de terre joueur de Cithare”13 (「ミミズのツィター弾き」…)。……気紛れでたわいない発想だが、音声面つまり音韻の面から見れば、理にかなっている。もちろん、フランス語で「地球」(terre)、「演奏者」(joueur)、「チター」(Cithare) が韻を踏まなければ、まずそのイメージすら浮かんでこない。ガラスの籠の中にいるのはミミズではなくて、蛇かもしれない。少なくとも、デュシャンは蛇を想像した。「舞台の上にあったのはウィンドウに飾るマネキンと、ゆっくり動く蛇だった。あれはとてつもなく奇妙だった。」14「愉快な絵のための総括的ノート」と題する《大ガラス》のためのデュシャンのノートには「花嫁を丸ごとガラスのケースあるいは透明な籠に入れる」15 とある。この芝居を見て、花嫁と独身者たちをどのような配置にするかが、ゆっくりと心に浮かび始めたのである。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– この引用部分の主旨を、私の結論も先取りして組み込んで敷衍すれば、以下のようになる。 Ⅰ. デュシャンの<大ガラス>の基本構想は、ルーセルの『アフリカの印象』の舞台で見た「ミミズのチター弾き」から得た。 Ⅱ. 上半部の花嫁は、板ガラス製と思われる底板の無い飼葉槽形の狭間の底で尺取り虫のように動き、そうやって空けた身と底の隙間から、身の上に貯められた水を一滴ずつ零してゆく奇妙なミミズから変態させた。 Ⅲ. この花嫁としてのミミズが身悶えして垂らす一滴が、下の––––ちょうど前註(10)の「14. チョコレート轢き器 a. ルイ15世様式の台座」の猫脚を高く伸ばして天板を円形から長方形にしたような––––小卓の上に横たえられたチターの一弦の上に落ち、叩かれた一弦が一音を発し、それらが繋がって一曲が奏でられる “音–楽器–械” が、下半部の独身者–機械へと改造されて行った。
(18) The Earthworm Zither Player on the “Louis XV chassis"
このミンクが言及した舞台写真(18)に関しては、J. ゴールディング著/東野芳明訳『デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁, さえも』(1981, みすず書房 <アート・イン・コンテクスト 8>, p.51) にもトリミングされて掲載されている。にも拘らず、ゴールディング自身は、初めは––––「デュシャンの芸術を念頭に置いてルッセルの作品を読むと, この二人の作品には驚くほど多くの図像上や技術上の類似がある」(p.50) ––––として、例えば「人間–機械というアナロジーへの強い執着」(p.50) や「透明で, なめらかな, ゼラチン状の物質への偏執」(p.51)といった例を挙げながらも、しかし最後は結局––––「デュシャンはのちに, ルッセルが彼にとり重要なのは……態度…であって, ……有形の, または, 視覚的にはっきりと示せる影響のせいではない, と強調した. デュシャンは正しかったのである」(p.53)––––として、この「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」の重要性を否定してしまうのである。 出典が示されていないこのデュシャンの「のち」の「強調」とは、上掲のカバンヌへの次の返答––––「読書や芝居を通して彼に触れるだけで、私が考えをめぐらすには十分だったのです。彼と親交を結ぶ必要は感じなかった。重要なのは態度なのです。影響なんていうことよりずっと以上に。つまり彼がそれらすべてをどんな風にやったか、どんな理由で……」(上掲『デュシャンは語る』p. 62)––––を指している。しかしこの言葉の意味は、産み出された成果そのものをそのまま頂く (影響) のではなく、その成果を生み出した方法 (態度) の方を (方から) こそ学ぶべきで、その方が重要なのだということである。勿論この普遍的な創作原理を私も何ら否定するものではないわけだが、しかし今ここで取り敢えずはっきりさせておかねばならない ( おきたい) ことは、私 (たち) にとり重要なのは、この「図像上…の類似」や「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」の存在そのものであり、しかもそれは、どうやらデュシャンもゴールディングも共に確り有ると認めているということなのである。 では、それら「図像上…の類似」や「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」が一体どのようなものなのか……。私の分析を述べる前に先ず、このゴールディングの著書を訳し、「隣金属」の件でも引用した東野芳明『マルセル・デュシャン』(1977, 美術出版社,「9|ルッセルとデュシャン」p.294) の指摘を以下に引用しておこう。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– (上には半透明の雲母の容器をはいまわる虫、下には、しずくの落下で音を発するツィターという楽器=機械……こういえば、どうしても、デュシャンの「大ガラス」を思わずにはいられない。そこでも半透明の––––カルージュにいわせれば、カフカの『変身』の虫そっくりの––––「銀河」や「花嫁」が、ガラスの上に吊り下がり、下の「独身者の機械」の部分は、目に見えない「水の落下」によって動き、「水車」は「連禱」の悲しいメロディーをとなえつづけるのである)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 基本的なことは触れられているのだが(触れられているにも拘らず)、東野もまたゴールディング同様、結局は「前にぼくが思いつくままに指摘した……類似…も、…単なる影響の有無の詮索よりも、カルージュ風に『独身者の機械』という神話の観点から、同じ精神の傾向としてとらえるべき事柄なのかもしれない」(同上, pp.306-307) と、例の「態度」重視に戻ってしまうのである。従って私のような、飽くまで「類似」と「影響」に拘り徹するアプローチも多少の意義は有るやもしれぬと思い、以下に––––<大ガラス>本体 (その各部名称は前註(10)のフィラ美の図表の番号と拙訳) と、<グリーン・ボックス>のメモ (以下<メモ>と略し、引用は前註(13)-❶=拙訳/❷=北山訳/❸=滝口訳) の記述と、<ミミズのチター弾き> (以下<ミミズ・チター>と略し、引用は岡谷公二訳(19)) の––––三者を具体的に照らし合わせ、改めて私なりに比較検討してみよう。
先ず大まかな構造だが、両者はいずれも縦に上下二層……ではなく、上中下の三層に分けられていて、その内の中層は、<大ガラス>では、無限遠方で地面と空とが行き行きて尽き果て接し合う「7. 地/水–平線」である (ここは同時に「5. 花嫁の衣装」と「6. 放熱襞付き冷却機 (遮熱板) の領域」、そして「25. 水滴の彫刻の領域」でもある)。 一方<ミミズ・チター>の中層は、上の水槽の水平な下縁と、下の台に横たえて置かれたチターの弦が作り出す水平面と、そして水槽を支える左右の垂直の「二本の金属製の支柱」(岡谷訳 p.282) とに囲まれた長方形の虚空間である。しかし、この何もない空間は、それが舞台上で最も輝く主役となる演奏中には、上からの “水の落下”/“水滴” が作り出す垂直面の瀑布 (水のカーテン/水の玉簾) で塞がれるのであり、その時、この水の幕/簾は、まさに「6. 放熱襞付き冷却機 」や「25. 水滴の彫刻」に喩えられなくもないのである。 つまり、前者の「6. …冷却機 」に関しては、正に<メモ>の一つに書かれている通り––––「独身者–機械の最終部たる欲望–発動機は、花嫁との間に空気 (または水) 冷却機を挟んで、直かには触れずに離れている」(❶=拙訳 p.18)––––のであり、また、後者の「25. 水滴の彫刻」に関しても、確かに<大ガラス>では水滴の数/量も僅微で、方向も重力とは真逆の上への跳ね上がりだが、「水滴の彫刻」であることには何ら変わりはないのである。 また、ミミズが我が身に纏わり付いた水を身をくねらせて垂らす姿は、花嫁が己が身に纏わり付いた衣装を滑らせる「脱衣」(❸=滝口訳 p.31, pp.33-34) に喩えられなくもなく、従ってまさにこの垂れ落ちてゆく水の間は、同時に脱げ落ちて行く「花嫁の衣装」の間でもあるのである。 次に、上層は、<大ガラス>では「花嫁の領地(20)」だが、ここで最も目を引く最大の形態が、画面上方三分の一を占めてモヤモヤと水平に滲み広がる「2. ……乳濁する天の川銀河 (映画的な暈し/溶明)」で、その左側には「1. 花嫁 (タロット・カードの「吊るされた男」の女版、樹枝–型) 」がぶら下がっている。この両者は共に輪郭線の内側に濃淡/明暗のニュアンスが施された有機的絵画的表現で統一されている。––––ちょうど、下層の「独身者–器械」群の、あのシャープな輪郭線の内側をベタ塗りした不透明で硬い金属質の無機的製図的表現とは対照的に。そしてそれはまさしく、先のゴールディングの言にあったような「透明で, なめらかな, ゼラチン状の物質」––––即ち、(白黒) 映画や写真のフィルムの感光/乳化剤に見られる暈し––––の効果と質感に似ているのである。 ところで、この「天の川銀河」に関しては、「その形態がどんな方法で得られたかがほとんどわからない…『大ガラス』の七不思議のひとつ」(東野, 前掲書「5|雌の縊死体テンマツ記」p.197) とされているが、その諸説ある内の一つに、瀧口修造から聞いたという話を東野が紹介している。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「瀧口修造は、はじめて図版を見たとき、ここに、皮をはがれて吊るされている肉片のようなものを思った、という意味のことを語ったことがある [3]。」(同上 pp.196-197) 「3––––なお、瀧口修造氏から、天文学の方で銀河系の模型というものがあり、たいへん奇妙なものだということをうかがった。もちろん、デュシャンの『銀河』とは直接には関係があるわけではないが、不思議な話である。」(同上 p.209) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 私にとって不思議なのは、むしろ関係なしと一蹴してそこで話が終わってしまっていることであり、私に言わせれば、この瀧口が言った「銀河系の模型」とは、1785年にウィリアム・ハーシェル (William Herschel) が世に問うた銀河断面図 ( https://prints.royalsociety.org/products/structure-of-the-milky-way-galaxy-rs-9810 ) に他ならない。
その左側が二股にわかれている点を除けば、中央が太くて両端がすぼまっている紡錘形の全体的な類似から、これ��そがまさにデュシャンが名付けた通りの「天の川銀河」の “名称 ≒ 形態の起源” =「影響」元––––の (少なくとも幾つかあったかもしれぬ源泉の内の) 有力な一つ––––と思われるのである。東野はまた、「デュシャンの数学への関心について、瀧口修造氏が、デュシャンの使う言葉が当時のポアンカレなどの数学者の言葉と関係がある、と示唆してくださったことがあった」(同書「1|伝説の崩壊」p.58–註6) とも記していて、その点も考慮に入れると、デュシャンが先の「周期表」同様、この科学史上の知見も有していた可能性は充分に推測できるのではないだろうか。 さて、この「天の川銀河」の “名称 ≒ 形態の起源”としての「銀河系の模型」に関しては私は東野に反問したわけだが、しかし以下に引用するその作画法や作画過程や素材についての推測に関しては、一部共感するところがある。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「デュシャンは、歯磨きクリームか、…コールド・クリームか、髭剃り用石鹸のようなものを、二枚のガラスの間に挟んで、左右に動かして、あの『銀河』の形態を得たのではないだろうか……。もっと考えれば、この試みを、小さいガラス板の上で行ない、これを写真的な処理で拡大して、その輪郭だけを『大ガラス』に転写したのではなかろうか。…………『ガラスノ上ニ透明ナ層』…臭化銀で処理された部分…から『三ツノ弁』の歪んだ四角形だけを削り落とし、その上にクリームを使ってデカルコマニーの手法で作った形態の写真の『引キ伸シノネガ』を直接焼き付け ……そして『三つの換気弁』の部分を残した、残りの地帯を油絵具で『不均等ノ密度デ』塗り込めたのではなかろうか。」(同書「5|雌の縊死体テンマツ記」p.201) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– <大ガラス>の上層が「ミミズ (蚯蚓) の変態」だと思いついて以後の私が、 (この両端が盲腸から垂れ下がる文字通りの「虫」–垂/「虫」–状突起のように見える)「図版を見たとき、ここに……思った」のは、“少し太めにさせられた”–––– どのようにかと言うと (あまり想像はしたくないのだが) ガラス板の上にその屍体を載せ、上にもう一枚のガラス板を被せて圧し潰したプレパラート標本の––––ミミズである。この (ミミズのピンクの肌にも似た)「白人の肌の色の……肉のような」(❶=拙訳 p.34) 片暈し/隈取り風の輪郭際は、二枚のガラス板の狭間で圧し潰されて外側に押しやられた皮であり、内側に広がる “宗達の「垂らし込み」風” の滲み叢は、身のコロイド/エマルジョンのように、私には見えるのである。 私が 先に “2. ……blossoming” を、敢えて多くの訳者と同じ「開花」ではなく、「暈し」(/溶明=フェードイン “fade-in” ) と訳して、東野の言う「クリーム」や「石鹸」と同じコロイド/エマルジョンとしての “感光/乳化剤” の効果と質感に例えたのも、一つにはこのような見え方の所為であった。また、同様に「天の川銀河」の前に (これも敢えてだが)「乳濁する」を付け加えたのも、この日本語 (中国語起源) の「天の川/銀河」だけでは、西洋の “Milky Way”(E.)/“Voie Lactée”(F.)/“Kyklos Galakticos”(Gk.「乳の輪」) の「乳」の (エジプト/ギリシャ神話を含む) イメージ/シンボル群とその質感とが抜け落ちてしまうように思ったからに他ならない。 さて、話を<大ガラス>と<ミミズ・チター>の比較に戻すと……後者の方の上層は、既にこれまでにも色々と言い表してきたように、ミミズと水が入った底板の無い飼葉槽形の透明な容器であって、これは小説では「小川の岩から四枚の丈夫で透明な雲母板を…切って、粘土で接合し…た……雲母の容器」(岡谷訳 p.281) だが、無論、舞台ではガラスの容器に––––ミンクが引用したデュシャンの<メモ>のように「花嫁全体をガラスのケースで覆うか、透明な檻に容れる」(❶=拙訳 p.88) 仕儀に––––なったのであろう。 同様にミミズもまた、小説では大人の男の手首から肘にかけての「裸の腕を六重にとりま」(岡谷訳 p.58) くほどの「巨大なみみず」(同 p.279) だが、舞台では勿論、作り物で代替したものと思われる。
最後の下層––––「独身者の器械」と「チター」––––で私が最も強調したいことは、前者の「11. 制服と御仕着せの共同墓地を形作っている九體の男根状の鋳型 (または勃起の母型)」と、後者の “男根状の突起” とも言える糸巻き (チューニング・ピン) (21)との「図像上…の類似」である。
(21) Tuning Pins of the Antique 1894 Zither
先ず、両者は共に垂直に屹立しており、また、いずれもそこから細い線––––即ち前者ではガス灯用ガスがそこを通って最初の「13. シノア/円錐形漉し器または日傘 (排水勾配付き)」に至る9本の「12. 毛細管」であり、後者ではピンにピーンと張られた多数の弦である––––が水平に突き出ている。勿論、前者の鋳型が皆それぞれ異なる形状であるのに対して、後者の糸巻は全て同じ形で数も多いことや、毛細管が鋳型の頭頂部から出ているのに対して、弦は糸巻の根元から出ている (根元に巻きつけられている) といった違いはある。 しかし、もう一つの重要な共通点として、チターの弦の上に、上層から中層を経て水が落ちてくるのに似て、この鋳型の墓地の上 (但しこれは重なりの奥行き関係にあっては背後/奥) にも「15. 水の落下の領域」があり––––無論この落ちる水は、第一義的には前述した滑溝機の水車の水かき板の上に、この鋳型の “��標” 群の頭上を越えて半円軌道を描いて飛んでくるのだが (だから前註(13)-❶の「横から見た」製図や-❷の「側面図」を見れば分かり易いように、実際にはこれらの鋳型は水はかぶらないのだが)、しかしそれを正面から透視すれば (つまり私たちが今こうやって<大ガラス>の前に立って鑑賞しているように眺めれば)––––これらの (糸巻と弦とに似た) 鋳型と “ガス管” は、この落ちてくる水=滝の裏側/向う側に在って、手前の水車に注ぎ立つ水柱の幕越しに、ゆらゆらと揺れながら、水に打たれているように見えるのである。
……こうして ここに 水の落下と ガス灯用ガス が与えられて……
以上、大雑把ではあるが要点はほぼ示せたように思う。言うまでもないことだが<大ガラス>の全てが<ミミズのチター弾き>から生まれたわけではない。当然ながらそこには、他の多くの発想/霊感-源や参考文献や参照図像群があり、それらが複雑に絡み合い、或るものは変形し、または他と混淆し、或いは勘違いされ、或いは忘れ去られて消えて行ったことだろう。しかし少なくとも<ミミズのチター弾き>の幾つかの独創的な特徴や要素は、<大ガラス>のそこかしこに、最後まで「アンフラマンス (極薄)」な態様で仄かに漂っていることだけは間違いないことのように思われる。
最後に、本稿の表題について一言述べておきたい。これは前掲の東野も言及していたミッシェル・カルージュ著/高山宏・森永徹訳『独身者の機械––––未来のイヴ、さえも……』(1991, ありな書房, pp.104-107) に記されている以下のような言葉遊びからの「影響」である。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– ルーセルの音韻的な手法がその答えを教えてくれる。『アフリカの印象』の中で……川から出てきた「巨大な虫」に出会う。……『ロクス・ソルス』…の………モルヌ・ヴェール ( Morne- Vert〔緑の丸山) 〕) ………は巨大な虫 (énorme ver) の綴り組み換えである。…………(「大きなガラス」〔verre énorme〕と言わないように) 「巨大なガラス (verre géante) の背の高い檻」……は、細い鉄の枠組みで支えられた大きなガラス板だけでつくられている。………………大きなガラスの檻をあとにして、ロクス・ソルス荘の中をさらに進むと、…緑 (vert) 、虫 (ver) とガラス (verre) などが 同時にさまざまなかたちに変身して姿をあらわす……。………虫 (ver) が緑 (vert) や、とりわけガラス (verre) に変身してしまう……のである。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
ここまで言いながら、しかしカルージュは、この<巨大なミミズ>をルーセルの中だけに留め、デュシャンの<大ガラス>にまでは変身させなかったのである。
(9/3/2018)
[ 註 ]
(1) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/170342057370/マルセルデュシャンの水準器水車と滑溝-1302018-小林正秀-作-65?is_highlighted_post=1 。
(2) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/169908655800/ジョゼフコーネルの水準器-1192018-小林正秀-作-13-h?is_highlighted_post=1 。
(3) 箱の内部を仕切り壁で格子状に分割してその一つ一つの小部屋に時として皆同じ物だったり/違う物だったりする小さな物品を入れたり/入れなかったりするタイプで、例えば全ての区画に皆同じものを入れるタイプには<二人のエミリーのための一つのイメージ> (『みづゑ』954, p.15, http://www.artnet.com/usernet/awc/awc_workdetail.asp?aid=425357754&gid=425357754&cid=130137&wid=425510920&page=11 ) があり、皆同じものだが空部屋があるタイプには<鳩小屋 アメリカン・ゴシック> ( http://www.artnet.com/artists/joseph-cornell/dovecote-american-gothic-MumtxjQY6TRrUmvtdVuuQA2 ) があり、全て違うものが全ての部屋に入っているタイプには<無題 (鳩小屋)> ( http://www.artnet.com/artists/joseph-cornell/untitled-dovecote-95Y9ElvkgMn1SxLDYNrIrw2 ) がある。
また、拙作(2)に似て仕切りが少なく (縦4段 × 横3列=12区画)、しかも平らに置いて上から覗き込む形の、本を刳り抜いた<無題 (マルグリット・ブラシャに)> ( http://www.museoreinasofia.es/en/collection/artwork/untitled-marguerite-blachas , https://americanart.si.edu/research/cornell ) や、これも平置きして上から覗き込む一種の水準器に他ならないコンパス––––それもフランス語で 「風の薔薇」“rose des vents” (ローズ・デ・ヴァン) と呼ばれる海図に描かれる星/花形のそれ––––を 20個嵌めた中蓋を持つ (その下は様々に異なる物品が全区画に入れられた仕切り箱である) <ソロモン諸島> ( http://www.artnet.com/usernet/awc/awc_thumbnail.asp?aid=425357754&gid=425357754&works_of_art=1&cid=129383&page=4 ) 等のヴァリエーションがある。 補足しておくが、上記の「風の薔薇」は、親交のあったフィリップ・スーポーの詩集のタイトル http://www.editions-irene.com/schedule.html でもあり––––余談だが彼はパオロ・ウッチェッロに関する一書も物している!––––やはりコンパスを使った作
品である<オブジェ (風の薔薇)> ( https://www.moma.org/collection/works/81694?locale=en ) は、このスーポーへのコーネルからのオマージュである ( http://onesurrealistaday.com/post/10501878150/roses-des-vents )。
(4) 私は実際に箱を傾けているところを見たことはないが、球が転がることは幾つかの同一作品の複数の写真図版間で球の位置が異なっていたり、また『ジョゼフ・コーネル展 カタログ』(1992, 読売新聞社、同展は1992年に鎌倉の神奈川県立近代美術館[本館]を皮切りに翌年の千葉の川村記念美術館で幕を閉じた)のサンドラ・レナード・スター「ジョゼフ・コーネル:黄金蜂ホテル」の中の記述 (pp.28-29) や、太田泰人/沼辺信一による作品解説 ( #35,#37,#38,#39 = pp.160-161) にもその旨が記されているので、やはり転がるのだろう。
何故このことに拘るかというと、普通、私たちは静止した作品しか見ていないので兎角忘れがち/見落としがちになってしまうのだが、これらの作品は実際に手に持って動かして遊び楽しむ/動かせて遊べ楽しめるという点が不可欠の要素/魅力なのだと思うからである。 これは余談だが、私は嘗て砂時計型の作品の一つである<海ホテル (砂の泉)>( http://blog.livedoor.jp/masa5fantasist/archives/cat_10015386.html?p=2 , 上掲『ジョゼフ・コーネル展 カタログ』p.100, 及び『みづゑ』877, p.54)を傾け(というよりは逆さにし)ているところを見たことがある。昭和53 (1978) 年の3月22日から4月8日にかけて東京・日本橋の雅陶堂ギャラリーで開かれた『ジョゼフ・コーネル(による七つの箱)』展でのことである。私は購入した書籍類には日付を記入するのが常だが、この瀧口修造が事実上「デザイン全般の監修も」した(土渕信彦『瀧口修造の箱舟』 http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/2012-12-05.html 4-4. ) 美装で名高い小冊子 ( http://www.swallow-dale.jp/favorite121-130.html ) の最終42頁の太陽の顔の上には、4月1日と書き込んでい
る。エイプリル・フールの日だが、真実である。時刻までは記していないので私がどんな時間帯に行ったのかは分からないが、いつの間にか会場に画廊の関係者と思しき人物(画廊主の横田茂氏だったかどうかは存じ上げないので分からない)が居て、一緒に見ていた数名の観客を周りに呼び集めて箱を逆さにして下さったのである。青暗い会場の仄かな照明に照らされて、僅かな時間で砂は綺麗に一粒残らず壁の穴に吸い込まれ、再び箱を逆さにすると、今度はその穴から砂が流れ落ち、静寂が戻った。私は作品を所有することの幸福に想いを馳せた (この時の七つの箱は、後に全て上記の川村記念美術館に収められたわけである)。
(5) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/161113863800/ウッチェッロの水準器-5262017-小林正秀-作-5-h-14-w 。
(6) ウォルター・デ・マリアはジョン・ケージにもオマージュの立体を制作しているが、この<ラモンテ・ヤングのための楽器>がどんな音を出すのか ( https://www.artnet.com/auctions/artists/walter-de-maria/instrument-for-lamonte-young?utm_source=newsletter011018&utm_medium=email&utm_campaign=top&utm_content=from_ ) 聞いてみたいものである (多分ノイズ系だろうが……)。 因みに拙作の水車も、大きい歯車を差し込んだ方の側は、カナピン5本の「提灯歯車 (“Lantern Pinion”) 」が縁の上を転がるので、ピンが縁を次々に噛んでカタカタという音がする。 なお、最近知ったのだが、デュシャンが生まれる8年前の1879年にウィリアム・クルックスが行なった「真空管内での放電現象と羽根車の実験」というのがある。これは、両端に+と−の電極が仕込まれた横長の真空に近いガラス管の内部に二本のレールを作り、そこに薄い雲母板の羽根車の車軸を跨がせて放電すると、発生した陰極線 (電子ビーム) が羽根に衝突して熱を発生させ、その熱で僅かに残っていた管内の気体が膨張させられて羽を押し、羽根車がキラキラと転がって行くというものである ( https://www.youtube.com/watch?v=amHUiL3Qb-o 参照)。勿論、拙作の<水車と滑溝>も、デュシャンのそれも (序でに言えば<パリの空気>も !?)、この美しくて神秘的な密封ガラス管と熱風車とは何の影響関係も無い。
(7) ピカソのキュビスム時代の (特に1914年の金属薄板+針金製の)<ギター> ( https://www.moma.org/interactives/exhibitions/2011/picassoguitars/featured-works/36.php , https://www.youtube.com/watch?v=TD9pIzV751c ) は、そういう直角接合板材/平面材と、針金/線材のみで構成され、旧来の重さと量塊性で大地に縛りつけられていた彫刻を軽々と空中に解き放ち、浮上/飛翔させた作品である。
(8) https://artblart.com/tag/the-cornell-family/ 。
(9) 外箱と大型の歯車類は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135622894550/アトランティスの箱舟-772015-小林正秀-作-混合材-55-h に、文字盤は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/147303707345/直角定規と両脚規と-針の無い時計の文字盤-7122016-小林正秀-作-28 に、ゼンマイ機構部と時針・分針は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135623239600/時計職人-772015-小林正秀-作-23-h-23-w に、それぞれ使用した。
(10) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/54149.html?mulR=2012144793%7C3# → pl.2 [Diagram)]– No.16 [-a,-b] 。 ( → 二番目の図表の「独身者の器械 (ガラス下半部)」の「16. 滑走機 (二輪/四輪-車/橇/滑動体) a 水車の車輪 b 溝を滑走するもの」––––以上は拙訳である。)
(11) https://www.wikiart.org/en/marcel-duchamp/glider-containing-a-water-mill-in-neighboring-metals-1915 。 因みにこのデュシャンの「滑溝」は、この直方体の骨組み自体が、画面には描かれていない/見えない地上に敷設されているはずの「溝を–滑る」という意味だが、拙作の「滑溝」の方は、直方体の内側の溝の縁をガイド・レール (案内軌条) にして、水車が「滑る (正確には転がるのだが) –溝」 の意である。 従ってデュシャンの「滑溝」の方は正確には「滑溝機」と訳した方が的確だと考えるが、しかしこの「滑溝」という訳語は、恐らくは戦前の『みづゑ』(1936/10) 誌上の瀧口修造「調革の論理–––マルセル・デュシャン」……これは『ミノトール』(1935/冬期号) のアンドレ・ブルトン「マルセル・デュシャン 『花嫁』の灯台」を祖述したもので、『シュルレアリスムのために』せりか書房, 1968, pp.126-133 に再録されている…… に始まって、戦後の『みづゑ』(1963/8-9) の東野芳明「マルセル・デュシャンの方法敍説」や、本邦初の本格的な展覧会であり図録であった『デュシャン展 図録』(西武美術館/高輪美術館, 1981) の塩崎有隆による<隣金属製の水車のある滑溝>(n.e.26) の解説……へと踏襲されてきた由緒あるものであり、私としても拙作との類縁性を仄めかしたい意図もあり、これをそのまま採用している。
(12) http://www.gadgety.net/shin/trivia/ptable/ , https://en.wikipedia.org/wiki/Periodic_table 。 因みに、デュシャンが生まれる16年前の1871年には、既に今日の周期表と基本的に変わらぬ「メンデレーエフの第二周期表」( https://kotobank.jp/word/周期表-76835 –日本大百科全書−表9) が発表され、1895年には、ハンス・ペーター・イェルゲン・ユリウス・トムセンが「当時としては理想的といえる」(J.W. フォン スプロンセン著/島原健三訳『周期系の歴史 上巻』「章−6 周期系の発展に貢献した人びと (1871年〜現在) 6. 4 トムセン, 1895年」三共出版, 1978, pp.162-164) 表の作成に成功し、1905年には、アルフレート・ヴェルナーが「殆ど理想的ともいえる」 (同上「6. 5 ヴェルナー, 1905年」pp.164-164) 表を作成し、そして、この<隣金属製の水車のある滑溝>が制作され始めた1913 年には、「ボーアの原子模型……理論によって、元素は電子配置によって性質が左右し、その軌道が周期表の周期と対応していることが説明され」( https://ja.wikipedia.org/wiki/周期表 )、<大ガラス>が放棄される一年前の1922年には、ボーアが「単にトムセンの体系の現代版にすぎない」 (前掲スプロンセン「6. 6 ボーア, 1922年」pp.166-168) 表を発表するのである (上掲 https://kotobank.jp/word/周期表-76835 −日本大百科全書−表10の次の無番号の「トムセン−ボーア型周期表」参照)。……デュシャンが周期表を知っていた可能性は充分に推測される。 なお、前註(11)の本文の方で述べた「隣 (り合う)/隣接 (する)-金属」という訳に関してだが、実はこの他に唯一異色な訳として「同系統の金属」 (カルヴィン・トムキンズ『巨匠の世界 デュシャン 1887––1968』(タイム ライフ ブックス, 日本語版監修:東野芳明, 1973, p.91) という訳があるが、これが周期表の縦列に並ぶ「同族」の元素/原子のことを踏まえての訳なのかどうかは分からない (東野自身は、自分が執筆した著書/論文等では「隣金属」と訳している)。
(13) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/180370.html# 。このプレキシグラスの箱の蓋は見ての通り、全くの偶然だが、今��題にしている半円ガラスの<水車と滑溝>を「白い地の上に…シルクスクリーンで刷り込んである」(東野芳明「《ホワイト・ボックス》私注」『エピステーメー』1977/11, 朝日出版社, pp276-286, 引用 p.286) ––––瀟洒なデザインになっている。なお、これらのメモに関しては、北山研二の既訳=次註(14)-❷の pp.151-203 (当該箇所は pp.165-166) があり、また、英語の方は、次註(14)-❷の末尾にも記した https://ubutext.memoryoftheworld.org/Duchamp-Marcel-Essential-Writings-Marcel-Duchamp.pdf –pp.74-101 (当該箇所は p.81) で読むことができる。
(14) https://www.sfmoma.org/artwork/85.383.A-PPPP 。私たちが容易に購入/閲覧できる “普及版書籍” には以下のものがある。 -❶ The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even a typographic version by Richard Hamilton of MARCEL DUCHAMP’S Green Box, translated by George Heard Hamilton (1960, New York) Third publication 1976, in an edition of 2500 copies by Edition Hansjörg Mayer, Stuttgart, London, Reykjavik and Jaap Rietman Inc., New York 本書は、1966年に<大ガラス>の二つ目のレプリカ (デュシャンが確認した最後の複製) を制作したリチャード・ハミルトンが、この通称 “Green Box (緑色の箱)” に収められたデュシャンの手書を、文字部分は活版に–/線描部分は製図–して、加除修正の朱書や、強調太下線や一部文字の青書を加えて、赤青黒の3色で印刷+製本したもの (の英訳版) で、表紙も、オリジナルの「緑色のビロード製の蓋に、……文字が、デュシャン自身の手で、ビュランの先で穴をあけて書き込まれた」(東野芳明, 前註(13)に同じ) ––––印象的なデザインを印刷で摸している (但し題名はオリジナルの仏語ではなくて英語である)。 元来がバラバラな順不同の紙片ということで、本書には頁番号が打たれていないのだが、いま仮に大方の洋書のように見返し(遊び紙) を捲った次の右頁を p.1 とすると、本文の方で拙訳を示した当該英文は––––“Waterfall. A sort of waterspout coming from a distance in a half circle over the malic moulds” (p.40)––––である (因みに、文の下には「横から見た」製図が載っているが、これは後述する “滝の裏の鋳型” をイメージする際に概念図として役に立つ)。 -❷ マルセル・デュシャン著/ミシェル・サヌイエ (Michel Sanouillet) 編/北山研二訳『マルセル・デュシャン全著作 (DUCHAMP DU SIGNE, Ecrits)』未知谷, 1995, pp.53-146「第一章 花嫁のヴェール 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも (<グリーン・ボックス>)」。 本書では、当該箇所は「水車 水の落下 半––円を描いて遠くからやってくる一種の水の落下––––雄特有なものとしての鋳型を越えて」(p.129)と訳されている。因みに p.130 には、上述の「側面図」(但しこちらはデュシャンの手書き)である図27が掲載されている。 なお、この原書の旧版『塩の商人』の英語版は以下のサイトで読むことができる ( https://ubutext.memoryoftheworld.org/Duchamp-Marcel-Essential-Writings-Marcel-Duchamp.pdf )。 -❸ 『コレクション 瀧口修造 3 』みすず書房, 1996, pp.14-52「『マルセル・デュシャン語録』」中の「グリーン・ボックス」該当部分。 本書では、当該箇所は「水車 水の落下 雄の鋳型の上を––––遠くから半円をえがいて達する一種の噴水」(p.43) と訳されている。
(15) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/65633.html# 。以下の二つの動画には、掲げられたランプの向かって右側にキラキラ光りながら落ちる水 (滝) が写っている。 https://www.youtube.com/watch?v=-yhWxQnvoSo , https://www.youtube.com/watch?v=5ddinKcTODw 。
(16) http://www.boreasfineart.com/eau-et-gaz.html , https://vimeo.com/168419231 。
(17) ジェームズ・ジョンソン・スウィニーのインタビューの邦訳は二つあり、一つは笠原潔訳「知の網目、遠景としてのマルセル・デュシャン」『エピステーメー』1977/11, 朝日出版社, pp.153-158 (該当部分は p.157) で、もう一つは前註(13)-❷ 北山訳の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」中の「随想」(pp.259-265) である (該当部分は pp.264-265)。 なお、この原文は以下のサイトで読むことができる ( http://www.golob-gm.si/24e-Interview-with-Marcel-Duchamp.htm の二つ目の文書)。 因みに甚だ紛らわしいのだが、このサイトの一つ目の対話形式の方は、上掲北山訳書の「随想」の次に「対談…」という題名で収録されているもので、こちらの方には他にも前註(13)-❸の滝口訳も存在する (混同を避けるため、こちらの方の所載頁は記さないでおく)。
(18) http://www.andrebreton.fr/work/56600100903550 の八つ目の写真、または http://www.flickriver.com/photos/tags/raymondroussel/interesting/ の (ルーセルの全身肖像写真の次の) 二枚組の舞台写真の上の方の写真。この後者は、本文の「隣金属」に関する箇所で紹介した東野芳明の著書 (p.291) や、高橋士郎の資料図集 http://www.shiro1000.jp/IA/sitar/sitar.html にも (但しこちらは左右逆版で) 掲載されている (因みに、この高橋の図集には “ミミズ・チター” の色刷りのイメージ図もある)。 また、写真ではないが (写真を版画にしたからなのか左右逆版で) 芝居の呼び物としての12の場面をピック・アップした (当該場面は一番初めの左上に線描されている) 芝居のポスターがある ( http://chelsealouisegrant.blogspot.com/2007/02/impressions-dafrique-and-mechanized.html – pl.3。因みに、こちらの方も上掲の東野の著書 (p.289) や、利光哲夫「レーモン・ルーセルと栄光の演劇」『ユリイカ』1977/8, 青土社, pp.204-215, 図は p.211) にも掲載されている。
(19) レーモン・ルーセル著/岡谷公二訳『アフリカの印象 <新装版>』1993, 白水社。
(20) ここは天空であるにもかかわらず領-「地」と訳したのは、この “domain/-e” という言葉が––––① あのマグリットの絵の題名にも使われたポーの小説『アルンハイムの領地』の題名に用いられ、更にマン・レイが、この<大ガラス>の上に積もった埃を撮った写真(<埃の培養>)を発表した際に付した一文の中で、この「ナスカの地上絵」にも似た (とよく形容される) 広がりを「ローズ・セラヴィの領地」と喩えて用いたこと、––––② ここ以外の場所は全て “region” (こちらは「領域」と訳しておいた) を使っていること––––の二点を踏まえてのものである。(因みに①に関しては『カメラ毎日別冊 マン・レイ光の時代の革命者』1984, 毎日新聞社, p.15、及び “Aerial Imagery in Print, 1860 to Today” https://www.moma.org/d/pdfs/W1siZiIsIjIwMTYvMDYvMjQvMnZpZnNxdGRjc19BZXJpYWxfSW1hZ2VyeV9pbl9QcmludF9FeGhpYml0aW9uX2NoZWNrbGlzdC5wZGYiXV0/Aerial%20Imagery%20in%20Print-Exhibition%20checklist.pdf?sha=c424ecec5a4d8178 –p.4 参照。また、この話は拙作の <埃の培養–––増殖する赤い爆発 (原子爆弾)> に添えた詩の中にも出典は示さずに書いている [ https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/163925573065/埃の培養ー増殖する赤い爆発-原子爆弾 ])。
(21) このチターは1912年の<アフリカの印象>上演のかなり以前に製造されており、舞台でのチターをイメージする縁になる。右側の8枚の細部写真の内の最初のもの (左上) がピンがよく見えて分かり易い ( http://ancientpoint.com/inf/134976-antique_1894_guitar_zither_mandolin_vtg_lap_harp_autoharp_no___2_u___s___a____rare_.html )。 なお、ここで私は “pin” (糸巻) を “penis” (男根) に擬えたが、これは飽くまで形態上の類似からであって、言語的にはこの二語は異なるラテン語 (L.) を語源としている (前者は L. pinna=E. feather=J. 羽根、後者は L. penis=E. tail=J. 尻尾)。 因みに、これとの類比の対象にした “11. Nine Malic Molds (or Eros’s Matrix)”を私は「九體の男根状の鋳型 (または勃起の母型)」と訳したが、これはカルヴィン・トムキンズ著/木下哲夫訳『マルセル・デュシャン』(みすず書房, 2003, p.13) の以下の記述に基づいたものである。––––「デュシャンの造語…『雄な〔malic〕』……という形容詞…は『男性の』とは異なり、『男・のような』に近く、おそらくは花嫁の意地の悪さ〔malice〕と陽根〔phallic〕もかすかに響く。」––––この「花嫁の意地の悪さ」の方は措くとして、私も “malic” は “male” (男性/雄) と “phallus” ←Gk. “phallos” (男根) の形容詞 “phallic” (男根の) の合成語だと考える。 また、(13)-❷ 北山訳 (p.109) も-❸ 滝口訳 (p.39)も (或いは東野も含めて) 共に “Eros’s Matrix” を “Eros” は「エロス」のままに「エロスの母型」と訳しているが、拙訳は “Matrix” の「母型」は「母型」とそのまま踏襲しながら “Eros” の方を––––ギリシャ語源 (Gk.) も同じ “Eros” だから “phallos”とは脚韻を踏めるので––––日本語の「母型」と頭韻 (Bok-) を踏みながら意味的にも踏み込んで「勃起」とした。
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金土で瀬谷某高校出張上吊りレール交換工事🔥 解体のあとは新しいレールの加工 扉の加工 溶接 1日目は200vで作業。 続 #有限会社川﨑製作所#瀬谷区#某高校#高校#上吊りレール交換#出張溶接工事#現場工事#現場溶接工事#プラズマカット#smaw#200v#三相200v#ダイデン#マイト工業#ダイヘン#tig#mig#sitework#welding#repair#出張修理#レール交換#三鷹市#横浜#年度末工事 (Seya-ku, Yokohama) https://www.instagram.com/p/CNC7FXdDiM7/?igshid=16lx3tb2db75p
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金土で瀬谷某高校出張上吊りレール交換工事🔥 年度末と言うことで公共系の工事がドカッと… 通常3日の工程の工事を2日で😹 4Fにプラズ��入れてバリバリ解体。 新たに上吊りレールと戸車を交換し、扉も加工。 1日目はひたすらカット そして1開口扉つって雰囲気を確かめます。 といっても開口で歪んでたり高さが違ったりなので多少微調整は必要です。 そして、曲げピースが寸法が違う😹 寸法指定で曲げて持ってきたんですが寸法が違ってました😅 長かったのでカットでなんとかなりましたが、逆の場合は😲 2人でベーター無しの4fの荷上げの8sq垂らしての工事になりますが、結構大変です😹 続 #有限会社川﨑製作所#瀬谷区#某高校#高校#上吊りレール交換#出張溶接工事#現場工事#現場溶接工事#プラズマカット#smaw#200v#三相200v#ダイデン#マイト工業#ダイヘン#tig#mig#sitework#welding#repair#出張修理#レール交換#三鷹市#横浜#年度末工事 (Seya-ku, Yokohama) https://www.instagram.com/p/CNC6Z4wDPSK/?igshid=1szghi4o705hm
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本日は三月ラストの工事でした。 これにて三月の年度末工事は修理です。 上吊りレール交換、戸車交換。 予定していた工事内容とだいぶ変わってしまいましたが何とか完了しました👌 また車の中は半自動セットが満載のままなのでトレーラーにペンキセットも乗ったままなのでまたカプラーオンで現場へ。 現場は奥まった狭いクランク間口から50mぐらいバック。 重いので外さず入れ込みました❗️ 軽トレは真っ直ぐ下がるの大変です😓 現場の方はボルトオンで何とか収まり塗装して完成。 明日からまた長野行きです。 予定が狂い雨予報なので1日ずらして工事です。 4月は全て車の加工〜トレーラー 、キャリア、ヒッチメンバー系の製作で埋まりましたがコロナに負けないように頑張りましょう❗️ #カーゴトレーラー#現場工事#年度末工事#有限会社川﨑製作所#トレーラー#調色#塗装工事#戸車交換#平塚#三鷹#出張工事#nv350#神奈川県立 (平塚総合運動公園) https://www.instagram.com/p/B-ZXSKgAI5X/?igshid=x9qkna8fdeic
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