#一歳半検診
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kennak · 4 months ago
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・私は30代前半 女性 ・同い年の夫と結婚5年目 ・共働きで子無し ・私は155cm 54kg(結婚当初48kg前後) ・夫は174㎝ 53㎏(結婚前と変わらない) ・出会って半年程度で結婚した 太っているから離婚したいと言われた。 夫の意見 ・結婚時点で太っていると思っていたが、「ピルを飲んているから太っている」(←ピルを飲む前は47kgくらいだった)との説明で、ピルを辞めれば痩せるとし、信じて結婚した。 ・4年前くらいに「痩せてほしい」と言ったが、今日まで痩せず、太る一方。 ・「痩せてほしい・食べすぎじゃないか」と言うと、言い返されるから、怖くてしばらく言えなかった。 ・子どもが欲しくて結婚した→太っているから性行為をする気にならない→一向に痩せないから、子供ができる未来が見えない→離婚したい。 ・自分は学生時代太っていた。夕ご飯を抜く、野菜のみにするという、摂取カロリーを基礎代謝以下にするという生活を10年続け、痩せることができ、今の体型を維持している。 ・本気で痩せる気があれば、過去に言ったときに痩せたはず。それができないのは自分に問題がある。 ・基礎代謝>摂取カロリーにすれば太るわけがない。食べ過ぎ飲み過ぎだ。 ・太っていても気にしないという男性は世の中にいる。そういう人といた方がいいと思う。 私が伝えた・質問したことなど ・太っていることをそこまで深刻に捉えていると認識していなかった  →「丸くてかわいいね」と週2,3回言われていた。夫曰く「ペットのように思っていた」とのこと。 ・深刻なのが伝わったから、今日からダイエットをする。  →何年も痩せなかった 信じられない ・どんな体型が理想なのか  →一般的に女性は「ボンキュッボン」がいいとされている ああいう感じ ・体脂肪率はどのくらいのイメージか  →16%くらい 一応、今日の落としどころとしては、 ・毎日カロリー計算をする ・いつまでに何キロ痩せるという期日を決め、実行する として、話し合いを終えた。 基本的に夫はとても優しく、家事を分担(やや夫多め)してくれる、料理を作った時に綺麗にできた方を私にくれる。などの気遣いがとても心地よかった。 私が仕事で朝早い日は「一緒に食べたいから」という理由で合わせて早く起きてくれ、皿洗いをしてくれる優しい夫。 この人と結婚できてよかったなーといつも思っていた。 性行為こそないものの(年単位でレス)共働きで生活費は完全に折半、互いに生活費を払えば残りの給料は趣味などに使ってOK、休日は一緒に遊んだり別々で過ごしたりと自由。と、互いに楽しく暮らしていたと思う。 この互いの自由さもあり、「夫は子供がいらない(いらなくなった)のだろう」と、私は思っていた。 私は子どもに対する覚悟がなく、自由な生活が楽しかったため、自ら話題にしなかった。 夫は家にいることが多い人なので、実は不倫が、のようなことはないと思う。 本人も「不倫はしていない」と言っていたので、そこは信じることにしている。 夫を大切にしたいなら、痩せてほしいという気持ちに応えるべきだったが、そこまでの物とは思っていなかった。 いまは「ひとりにしてほしい」と言われ、それぞれの自室で好きに過ごしている。 「夕飯を作る気にならないから」と、近所のスーパーで私の分の夕飯も買ってきてくれた。 多分、本人も言いたいことが言えてある程度すっきりした気持ちはあるのだと思う。 私が思うこと ・今回痩せたとして、一生痩せ体型を求められることに耐えられるか ・こういう考えの人と子どもを作って、先々大丈夫なのか  →子どもが欲しいなら、ダイエットと同時並行でお互いブライダルチェックに行かない?と提案したが、「そんなモチベーションはない」とのこと ・子どもについては「子どもが欲しい」のみで、そのためにお金をどうするかなどは一切話し合えていないこと ・5年間生活してきた思い出や相手への信頼よりも、痩せていないから、という点に重点を置く価値観の違い 夫婦間において、今回&前から思っていたこと ・男が女が、みたいなのはありえない。と言われた(男が多く払うべきとか、婚約指輪を買ってあげるとか。思っていてもいいが、私に言うべき内容か?と疑問だった) ・年収の差は1.5倍程度だが、生活費を完全に半々にしている(夫は料理をしてくれるので、料理が苦手な私は自分の中でそこで折り合いをつけていた。比率を変えたいと言ったことはない) ・話し合いの場で大げさに言う(結婚してから毎日暗い気持ちだった、未来が見えない。など) ・太っているからその気になれない、の一点のみの主張で、「子どもができたらお金はどうする?」など、子育てに関する避けて通れないような議題についての話し合いをいままでしてこなかった ・100%夫が悪くても(嘘をついたなど)、謝らない ・不機嫌になるとそれを表に出し続ける(今回は上記の嘘の件で数日前に言い合いになる→翌日以降も不機嫌を貫く→「冷たくされるのは悲しい」と私が伝える→「今度話し合いたい」と言われ、話し合いの場が今日設けられた。今日まで不機嫌は継続) いい思い出がたくさんあり、優しくて大好きな夫。でも思想の違いが浮き彫りになることもたまにあり、今回はとても大きく違いが出た。 結婚して得られた幸せの中で一番大きいものが「孤独感がなくなった」という点だった。 「この人がいるから、ひとりぼっちだと思わなくなった。本当に結婚してよかった。」と思っていた。 離婚したらまた孤独になる(もちろん私にも友達はいるが、人生のパートナーという意味で)。それに耐えられる自信がない。 結婚を継続するためには、一生痩せ信仰に付き合うことになるだろう。それにも耐えられる自信がない。 この人との子どもを作って大丈夫なのだろうか。人生を変えるなら今なのだろうか。 離婚したら、また次のパートナーを見つけたい。そのためにはやはりダイエットは必要。痩せてから、離婚するかどうかを改めて決めたいと思う。 とりあえず来週末、パーソナルジムの体験に行く。 (8月20日 00:52追記) 昨夜、ひとりで抱えるのがつらすぎて、どこかに吐き出したくここに書きましたが、まさかこんなにコメントをもらえるとは思いませんでした。 全て読みました。色んな意見に触れることができ、救われた気持ちでした。ありがとうございます。 ・体脂肪率16%について 夫自身の体脂肪基準で答えたような感じがした。 私としては、夫の女性の身体に対する認識のおかしさが大きいと考えている。 過去に「生理は4週間周期できっちり来るものだと思っていた」と言われたことがあり、私の生理不順に驚いたことあった。 結婚する前に過去の恋愛を聞いたところ、私の前に一人いたのみで、その人は半年程度で別れたと言っていた。 女きょうだいもいなく、学生生活~社会人までずっと男性ばかりの環境にいたようなので、知識を得る本当に機会が欠損していたのだと思う。 私が説明しても「太っている言い訳」としか捉えてもらえなさそうなので、第三者(できれば医療機関など、権威のある施設)から教わってもらいたい。 ただ、痩せ信仰は本当に凄いとは思う。 「明日何もせず痩せられますと言われたら、痩せる選択を取るよね?だから痩せたい・痩せるべきだという気持ちはあるんだよね? でもダイエットとという行動に移せなかったのは、結局は太ったままの自分でいいと思っているからでしょ?」と言われた。 極論すぎると感じてしまい、なんて返せばいいかわからず、言葉が出なかった。 ・夫の体型に対する自己評価 痩せていることがすごく誇りなのだろうと、発言から感じることはある。 ただ、筋トレは筋トレで必要だと思っているようで、懸垂器具を部屋に設置し取り組んでいる様子は見られる。 ガン家系なので自ら検診に行くこともあり、健康そのものへの関心はかなり高い(だから、痩せに拘っている?)。 ・私が痩せなかったことについて 結婚前に「痩せてほしい」と言われ、痩せなかったことは、私が約束(夫からのお願い?)に応えられなかった。ということに尽きると思う。 言い訳になるが、前述��通り「そこまで深刻だと思っていなかった」という認識。 鏡の前で「私なんか太ったかなあ?」と言ったことが数回あるが、「そのままでいいんじゃない?」と言われていた(瘦せてほしいと言われた後の話)。 夫と夕飯を食べているときに「満腹になったから、よかったから残りを食べて」と言うと「もっと食べなよ」と言われる(じゃあ自分が食べるね、と言われたことがない)。 料理担当が夫である手前、「食べて」と言われたら、罪悪感から食べるようにしていた。 ・子どもについて 夫は「絶対に欲しいけど、何歳までにというのはない。別に遅くても全然いい」という考えのよう。 →妊娠の適正年齢という感覚が薄そう。私が痩せていたらすぐ作ったのか?という点は、確認したことがない。 痩せている=常に性的魅力を感じる=先送りでもOK 太っている=性的魅力を感じない=モチベーションが永遠に来ない、将来への絶望感という思考なのかな?と私は思っている(ここまで深く本人に聞いていないため、憶測) 私は「絶対に欲しい!という気持ちではない。夫とふたりの人生でもいい。産むなら産むで、お金のことなどを懸念をクリアにするなどしてから作りたい」と思っている。 ただ、ブライダルチェック含め、「産むならどうする?」という話が全くできていないので、「夫婦間で話題にならないし、現状気楽でいい」と先送りにしていた。 今年度から夫が数年間地方に転勤となり、辞令が出た際、最初は単身赴任にするとして話し合っていた。 結局「来てほしい」と言われ、私が完全テレワーク(私の勤め先の配慮)になる形で、正社員の共働きが継続しているが、 夫から単身赴任という選択肢が出た際に、「子どもはいらなくなったのか」と感じた。 これは「初産の妊活から単身赴任なんてありえない」という私の勝手な思い込みであったが、 今回の話し合いで「単身赴任案があったから、子どもいらなくなったと思ってた」と伝えたところ、夫としては「単身赴任で妊娠出産でも自分は良いと思う」とのことで、 売り言葉に買い言葉ならまだいいが、本心であればちょっと思想が違うかも…とは思った。 ただ、本当に子どものことは互いにちゃんと話し合っていなかったので、認識を合わせるためにも話し合っていきたいが、痩せないことには…という状態。 ・不倫されているのでは? 一緒に生活している身としては、無さそうだなと思う部分が多いが、ある証拠もない証拠もないので、何とも言えない。 ・太っている以外の不満があるのでは? 「離婚理由は他にあるの?」と聞いたところ、「あるにはあるけど、これが大きい」という回答。他の事は語らなかった。 私も夫のことを全肯定できるとは言えないので、そういう意味では「私も不満はあるにはある(ただ離婚には至るほどではない)」という感じで、気にはしていない。 本人が語らないのではわからないし、詰問するつもりもない。 ・離婚するか否か 現状、結論が出ない。 離婚します!とスパーンと言い切れるほど、自分の性格がドライではない。5年間の愛着のようなものは確実にある。 好き嫌いというよりも、「これからもこの人と一緒にいて大丈夫かな?」という懸念があるのは否定しないが、じゃあもう今週末離婚!みたいな思い切りはちょっとできない。 一旦ダイエットで時間稼ぎの方向で考えている。 夫婦としてカウンセリングを受けるべきというコメントは、本当にそうだと思った。 ただ夫が受診に同意してくれるか(痩せ信仰を揺るがすかもしれない場に行くことに納得できるか)がわからない。 ・謝らない、不機嫌を表に出す これは本当にどうにかならないのか…と頭を抱えている。 今朝「今週末パーソナルジム行く」と言ったのがよかったのか、職場で頭が冷えたのか、今日の帰宅以降の雰囲気はほぼいつも通りだった。 あんなトゲトゲしていたのはなんだったの?と私は拍子抜けしている状態。 しかし、また何かトラブルになったらあの態度を繰り返されるんだろうな…とは思っている。 ・夫側の意見も知りたい これは私も知りたい。本人の口から聞けた言葉以上のことは、わからない。 本当に「妻目線」の話でしかないので、都合のいいことしか書いていないだろう、と思われるのは当然だと思う。 もし夫がこの日記を読んだら「自分の考えとは程遠いことを書かれている」と感じるかもしれないが、会話としてのやりとり&自分の考えとしては、以上となる。
太っているから離婚したいと言われた
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indigolikeawa · 29 days ago
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2024年12月14日土曜日
ビートスイッチ
 文章を書く時に排除している言葉がある。意識的に、あるいは無意識的に。なぜ排除されるのか、というのには理由があって、簡単に言うと使いたくないからということになるのだが、更につぶさに理由を見て行った時にひとつ、ダサいから、というのがあると思う。人によってはそのダサいという言葉も使いたくないだろう。ダサいとは何か。定義は人それぞれにあると思う。私としては、詞の言葉、散文の言葉というものがそれぞれの人の中にあって、それにそぐわない言葉は使いたくない、みたいなことだと思っている。例えば、スマホとか。二郎系とか。オナホとか。アイウェアとか。ホ別とか。プーチンとか。トー横とか。手押しとか。デパコスとか。立ちバックとか。コロナ禍とか。マイナ保険証とか。Tinderとか。すた丼とか。メンエスとか。スタバとか。野菜とか。相席屋とか。安倍晋三とか。結束バンドとか。おまんことか。カラーボックスとか。トリキとか。闇バイトとか。高輪ゲートウェイとか。ネタニヤフとか。バイアグラとか。少し挙げてみたが、この中にも、むしろ使いたい、みたいに思う言葉もあるかもしれない。そもそも、私が使える使えないのボーダーライン上��あると思っているだけで、全部別に使えますけどという人もいるかもしれない。
 この辺りにある言葉に光を当てる、というのが、ラップのひとつの試みだと言う人もいるだろう。スカルプやSHEIN、いろはすなどそれまでの歌のなかではあまり聞かれなかった言葉を、優れたラッパーはラップする。そのラッパーの周りにはありふれているが、まるで歌の言葉にならなそうなものを、文脈や技術、押韻という必然性に見せかけたフィクションを使い、ラップしてみせる。
 私は何を書こうとしていたのだろう。ああ、そうだ。言葉を選ぶということはカッコつけるということである。排除された言葉を拾って使うということは、自分を曝け出すことでもある。ただ、曝け出す時にも、ただ差し出すだけでなく、やはりそれをうまく表現したい。それくらいのことは許されてもいいのではないか。だから少しずつ出来る方法で、それを詞や散文の中に取り入れていけたらいいと思う。
 私の運転するホンダのライフの助手席で、ケージに入ったトラちゃんがにゃーにゃー鳴いていた。保護猫を中心に去勢手術を行なっている診療所は、私の自宅から車で30分で、その間ずっと鳴いていたトラちゃんは、半分くらい来たところでおしっこを漏らしてしまった。出かける前に外に出たそうだったのだが、なんかどっか行っちゃいそうだったので、ゲージの中に入れて連れて来てしまったのだが、あれはおしっこに行きたかったのだなと思った。ごめんねトラちゃん。初めての外出なので、不安だったのもあると思う。
 診療所に着くと、電話で応対してくれた獣医さんがアイコスを吸いながら出迎えてくれて、なんかその感じがとても良かった。トラちゃんを預けたのが十時。去勢手術、検査、ワクチン接種、ノミ取りまでやってくれて、昼過ぎには返してくれるという。
 迎えに行くと、トラちゃんは見たことないほど、かなしそうな顔をしていた。お家に帰ったらCIAOちゅ〜るをあげようと思った。野良猫のトラちゃんがウチに来たのはいつだろう。iPhoneに入っている写真を振り返ると、一年前くらいに撮った写真が一番古かった。トラちゃんは喧嘩っぱやくて、人懐っこくて、とっても感情豊かな猫で、私たち家族全員が好きになってしまった。
 手術は無事に終わったと告げられ、続いて検査の結果が知らされた。トラちゃんは猫エイズと猫白血病が陽性という結果だった。知らなかったけれどトラちゃんは今だいたい三、四歳で、猫エイズというものはなんとなく発症しないままいったりすることもあるそうだが、猫白血病は、幼い頃にウイルスが感染していたとすると、かなり発症率が高く、生存率も低いようだった。ストレスを減らすようにして、ごはんも栄養のあるものをあげるように言われた。あと発症してしまったら治療としては延命に近いもの���なるので、そこも含めてよく考えるといいと思うと言われた。安倍さんが思う、猫ちゃんが幸せになるような方法を取ればいいと思うと言っていた。ワクチンは猫白血病ワクチンを除いた三種ワクチンを打っといたよと言われた。先生はとても優しいおじさんだった。めっちゃアイコス吸ってた。タバコおいしいよね。私やめちゃったけど。
 トラちゃんを家に連れて帰ると、仲良しのチャビ(のらねこ、女の子)が待っていたので、ご両猫にカリカリとちゅ〜るをあげた。車のシートとケージがおしっこで濡れてしまったので、掃除したり洗濯したりした。トラちゃんを抱きしめようと思ったが、さすがにケージに詰め込まれて手術やら注射やらを受けさせる建物に置いてけぼりにされてしまったということで、なかなか寄ってこなかったけど、撫でさせてはくれた。嬉しかった。私は掃除と洗濯が終わった後、何のやる気も出なくなって横になって寝てしまった。
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moderndays · 3 months ago
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日々のあれこれ、ヒトコト。
インスタやX、ブログを持ってません
気軽にヒトコト残せる「場所」をTumblrに作ってみました
新しいPCに合わせ、新年はマウスも新調した。見事なスケルトンで、マウスの中ってこんななのか、ふむふむ。ものすごく使いやすくて安価。BluetoothでPCにもタブレットにもスマホにもつなげました。USBで充電式。乾電池要らずだから軽い。イマドキだ、便利になったと感慨深い。
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年末にPCを新調。Winndows7→10にアップグレードし、メモリも4GBしかないボロボロPCから、16GBのWindows11へ。余計なソフトが入っていないDELL製です。ChromeもAcrobatReaderも入ってなかったけどwしかしながら、それはそれは快適で、少しはTumblerの更新頻度が上がるといいなと思う。スマホでもタブレットでもSNSの更新は出来る時代だけど、大事なものはやはりPCで向かいたい。
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年賀状の数こそ少ないが、メール・SNS・LINE等で、続々と新年のご挨拶が来る昨今。改めて人との縁を築き上げた2024年だったと思う。昨年末から、悪夢ではないが、面倒くさいなと思うような夢ばかり見て目が覚める。今年は頭であれこれ考えず、スッキリとした1年にしたい。今年も新たに公私ともに忙しくなるため、先日変えたばかりだが、また手帳のフォーマットを変更。凝りない。しかし、ライフスタイルが変わると、おのずと手帳の使い方も変わる。シンプルな生活スタイルならマンスリーがいいし、年間通してバタバタするならガンチャートがなければ見通しが立たないだろう。1日が忙しないなら、バーチカルとか。それにしても近年ライフログというものが流行っており、改めてアナログ回帰になっているらしいです。
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職場が外資系なため、クリスマス休暇なる公休がある。小さなお子さんがいるお宅ならいいが、大人は特別感はない。ということで、近代建築活動として公開間もない荻外荘見学。近衛文麿が自決した書斎は当時のまま。応接間の螺鈿細工のテーブルが見事だった。撮影は可能だが、食堂で流れる動画が映らないことが条件。
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日付を入れると更新頻度が気になるので、無しにしてみました。すっきり。ここはそんな所。
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怒号の忙しさの11月が過ぎ去り、12月も半ばとなった。年齢を重ねると時が経つのが早く感じる。どこかで聞いて以来いろんな方にお伝えしているのだが、時の感じ方は年齢を時速に当てはめたもの。つまり20歳なら時速20kmと感じ、70歳なら時速70kmと感じる。だから早いのだと。昨日、近代建築探訪仲間と納会をした。出会いはそれぞれ20年ちょっと前。昼は街歩きを楽しみ、夜は飲み会(できれば近代建築が飲食店になったもの)を年に数回楽しんでいた。メンバーは其々の人生に合わせて入れ替わりつつ、現在は5名ほどで定着。家族や仕事等の近況報告もするが、出会った時に生まれていなかった子供が成人したり、ご自身が定年や還暦を迎えたり、自分だって最年少だがいい歳になり、体調や病気も話題になる。酒量も減った。しかしながら、皆概ね人生を楽しみ奮闘し、たまに個別に建物見学をしたりして変わりなく頑張っている。大人になってからの友人の付き合いは楽しい。学生時代のように毎日つるまず、頻繁にも会うわけではないが、「楽しいことを、時間が合えばご一緒に」。大人のお付き合いが心地よいのだ。
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まだ年も明けていないのに、手帳を変えた。使い方で思う所があり、当初使用する予定だった来年のマンスリーをいったんよけて、わざわざ新調する忙しなさだ。手帳遍歴は長く、フォーマットをExcelで手作りして使うなど凝ったこともあったが、今はようやく自分の理想が見えてきた。仕事やライフスタイルによって必要な要素は変わると思う。昔はバーチカルタイプへガチガチに予定とTODOを組み込んでいた。しかしやがて、予定はマンスリーで管理できるだけという、ゆとりある生活を目指すようになる。実は今もそうしたいと思っている。昨今手帳好きが増えたためか、市場にたくさんの手帳タイプが展開し、今の私の最新手帳は「B6でマンスリー+上1/3がウィークリーで下2/3は方眼メモ」という、新しいタイプ。つまりメモやTODOが多い人が週間ダイアリーと同じページに書き込める。メモ部分が年の途中で足りなくなるのが怖くて、マンスリーとノートで同サイズ2冊使いをしていたが、本当は「コレひとつ」で管理したいタイプ。一元化が好きなのだ。新手帳には、予定とTODO・メモに加えて、新たにクレジットカード使用記録を書き込むようになり、ますます一元化が進んでいる。
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京都に行ってきた。毎年恒例、池坊旧七夕会に合わせた上洛である。行き帰りの車中では、いけばなの歴史本「1日5分いけばなの歴史」を読了。我ながら勉強熱心な1日なった。そこで初めて気がついたのだが、旧七夕「会」は、「かい」ではなく「え」と読むのだという。手習い初めて8年、どなたも指摘してくださらなかった…普段は京都花展とか言うからだろうか?それはされておき、1年ぶりの京都で気がついたことがもうひとつ。キャッシュレス化がかなり進んでいるが、電子マネー支払いはそれほどでもない。ちょっとした個人商店��も、PAYPAY系ならある。外国人観光客仕様だろうか。電子マネーユーザーな私は、少々戸惑った(現金は用意済み)。来年のよい教訓になった。日頃のお買物も、PAYPAYをもう少し利用してみようか。
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職場の上司のお嬢様とお会いする機会があった。小学校高学年ながら「母がいつもお世話になって…」とご挨拶いただき、礼儀正しさに感激。思わず「こちらこそいつもとてもお母様にはお世話になっておりまして…」と深々頭を下げてしまった。ちょっと引かれた気がする。気のせい?
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1日が24時間では足りない。仕事やいけばなだけではない。何かとやること・考えることに追われてる。そんな私の相棒はスマホと手帳の2本立て。スマホはスケジュールとリマインダー。手帳はスケジュールとTODOリスト。似たような事をダブってやっているようだが、求める要素や使用場面に各々適材適所があり、どちらも欠かせない。スケジュールはどちらも同期を取っているが、スマホを見ながら先々の予定を検討するのと、手帳を見ながらでは、考えの広がりが全く違う。そういうことなのだ。最近、マンスリーのRollbahn手帳をもう1冊追加した。クレジットカードの使用歴や、いけばなでかかる費用(花も高くなりました。。)など、特定の支出を記録するためだ。実は資産管理もスマホでやっている。これも手放せないくらい愛用しているのだが、やはり見えない支出は手帳で見える化すると、把握度がアガるのだ。そういうことなのだ!
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有給休暇を取って、年に一度の健康診断に行ってきた。日頃の(間近の?)努力が実り、ベストスコアではないが体重は昨年と変わらず、視力に至ってはコンタクトレンズ使用で1.0→1.5を叩き出した。あとは血液検査でコレステロール値の結果を残すのみ…。いつも同じ検診センターで受診するのだが、検診前の連絡がきめ細かすぎて、妙なプレッシャーがかかる。やれ問診票を先に入力してだの、検診内容を再度ご確認などの一般的なご連絡から、受診一週間前・3日前・前日とカウトダウンのようにリマインドメールをいただく。恒例行事が終わった安堵と、絶対受診に来てよね的な圧からの解放で、本日はもう店じまいな気分。
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秋の三連休が終わろうとしている。あえて遠出をせず日々行ったおうち作業は、冬服のクリーニングや新調などの冬支度と、今までのお稽古記録写真(データ)をまとめる作業。2023年10月までお世話になった師匠の元では、整理しても190枚もの写真データがあった。Webフォトアルバムにまとめ、DVD-R等に保管する為の前作業だ。今のお教室では簡易スタジオセットがあるが、前のお教室では暗めの蛍光灯に、白色だが経年劣化が残る壁がバック。壁紙がボコボコとした質感で、最新のスマホカメラでさえも明るく綺麗に撮影が難しく、大半は暗めの写真。加工で明るくビビットにするのは簡単だが、やり過ぎると光が飛んで不自然になるのは、自撮りのやり過ぎ加工と同じだ。Tumblrではお稽古作品を随時アップしているが、明るさ調整の加工だけはしていると予め言っておきます(やってません的な嘘はつかない)。
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月の初めだから?やたらとあちこちからDM含めてメールが届く(NOT仕事)。今の自分に不要なものは秒で削除だが、11月が誕生日月の私には、お誕生日特典のメールも混ざっているので要注意。いつになく、やることタスクも買物リストも豊作な1日。最後に、某建物見学会の予約が取れた。大歓喜。
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いつもより混雑した車内で、年配男性が同年代くらいの男性に、混んでるのにモタモタするなとイチャモンつけていた。言われた男性は年の功か、聞き流しつつも、わかりました静かにしましょうと一言。その言葉には激さなかったが、危うく乗り損ねそう?になった年配男性は文句止まらず。二駅到着後、今日は急いでるからこれくらいにする、次から気をつけなさいと命令口調で降車。今日のところは許してやるよってとこだろうか。幸いにも自分の身に降りかかったことはないが、こういう時は目的地でなくとも、さっさと降りて離れるが勝ちだと思う。ちなみに、第三者側にいても不快な時は、関係なくても降りて離れる。今朝は出社優先で、つい同じ空間を共にしてしまった。お陰様で1日気分が悪い。
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只今、東京宝塚劇場では星組公演・政界コメディ『記憶にございません!』-トップ・シークレット-が公演中だ。憲政史上最低の支持率を叩き出し、不倫汚職暴言全部やってる総理大臣が、アクシデントで記憶を無くし、ドタバタの挙句に政治家としての信頼と家族愛を取り戻し立て直すストーリーだ。その中で「総理は国民に雇われている」という名台詞がある。この総理は記憶を無くし、その後記憶が戻っても信頼回復に誠心誠意努め、生まれ変わろうとしている。日本の政治家は、失った記憶は失った設定のまま。今からチケットは取れないが、12/1に千秋楽LIVE配信がある。今回、議席を獲得した方もそうでない方も、是非ご覧いただきたい。
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あんなに暑かったが、きちんと秋がきた。いけばなをしていると、季節を先取りする。特に桜。旬の花は、遅れて触れるより先取りが粋なのだ。今なら一足早めの紅葉。ピンクのかわいい実がつくヒペリカムが大きく育ったものを、今季は枝ものとして花材に使用。葉が紅葉している。
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少し前、某推しが(not宝塚)、「俺、アホなやつ嫌いなんですよ」と言っていた。天然とかそんなの関係ないから、ちゃんとしようよ!と。激しく同意してしまった。きっちりしてないことが嫌い。自分も周りも仕事も、できればそうでありたい。生真面目・ストイックの裏返しかもしれない。効率最優先主義ではないのだが、要はやることに意味を持たせたいのだ。「何となくやってみた」が一番嫌い。
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「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン(UNITED COLORS OF BENETTON.)」が10月23日、日本市場から撤退すると公式インスタグラムで発表したそうだ。ベネトンが流行ったとき、私は20代。好きだったな〜バッグや小物、服も持っていたかな。思い返すとブランド物を一番よく使っていたのは20代。一周回ってノーブランドでもコスパがよく、堅実でニーズに合うものを選ぶようになった。
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1週間ほど前、数年前から悩んでいた手帳カバーを購入した。お気に入りの文具セレクトショップTouch&Flowの革カバー。10年は全然もちますよ〜とのことで、覚悟を決めてもとめてみたが、一昨日の晩に留め具のボタンが取れた。接着剤で事なきを得ているが、こうやって味が出てくるんだろうな…(前向き)。
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ミミズが足元に大量にいる夢を見て飛び起きた。夢占いによると、疲労や体調不良などを示唆しているだという。そうか、私は疲れているのか…
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neoshogunate · 7 months ago
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸���移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認め���
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種��有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権���造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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manganjiiji · 8 months ago
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そ���お金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小���の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその���期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけ���い子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる��だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡��移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照���酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱��弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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yfxif · 1 month ago
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2023年の日記
2023.7.19
久々に日記を書く。次いつ書くことになるかわからないからひとまず最近あったことを羅列していこうかな。前回の日記は猫の病気の話をしているから、そのせいでなんでもない日記を書きづらくなってしまったのだろう。 
◯アイドリッシュセブン  最近ずっとこれ。(人)からすすめられ、ちょうど映画もやっているのでストーリーを読み始めた。現在4章5話、4章はみんなが泣くから話の進みが遅いと聞いている。冷たい感想。わたしはボイスを最後まで聞かないからわりと早く読める���もしれない。  もともとキャラクターアイドルという、現実世界の人間にサービスする設定を背負わされた虚構の存在にかなり強い思い入れがある。アニメキャラクターを好きだと少なからず二次創作やファンアートを目にする機会があり、キャラクターの生活、性格やセクシュアリティまでも事細かく読者好みに調理され、暴かれるさまに触れざるをえない。そうした現代の文化があるなか、アニメキャラクターでありかつアイドルであるかれらは、その身に本人の意志という本人に抗うことのできない設定を縫いつけられ、わたしたちに存在までも差し出す。
世界で一番 永遠に近い 青い青い 空の果ての太陽  僕らはひとときに過ぎない存在 でも  輝く星のように  うねりは想像を超えて  時代と思いを 繋げてく  此処にあった眩しさは希望 春夏秋冬 翳らぬ太陽 僕らはひとときを駆け抜けるだろう あらゆる屈託を 壊して創造をしたい 明日と君を 連れながら それが出会った意味になるように
IDOLiSH7 TRIGGER  Re:vale  ZOOL『Pieces of The World』
物語のおわりはキャラクターアイドルの死を意味しない。キャラクターアイドルに明確な終わりはなく、別れを告げるのはほとんどの場合観客である。  それでも愛したキャラクターと生きるひとときに、彼らと触れ合った観客は虚構から届く力で現実の明日を迎えることがある。背中を押される瞬間がひとつでもあるなら、きっと出会った意味になる。そうなるようにと、いつか記憶の間隙のふかふかのベッドのうえ、大切にリボンを掛けてしまい込まれるキャラクターアイドルらが観客=わたしたちに願っている。  映画が終わり会場が明るくなったあと、隣の席の観客が「今日が終わっちゃった〜」と言い立ち上がっていた。今日が終わればたいていの場合は明日が来て、その境界をキャラクターが成していることが歌詞の通りで、とても素敵な光景だった。
◯ピアノ買った!  今まで使っていた電子キーボードが壊れてしまったので、電子ピアノを買った。購入じたいキーボードの壊れる前からずっと悩んでいたのだけど、しいたけ占いで7.8月の牡羊座はなにごとも成すが吉であること、キーボードが壊れてしまったこと、ボーナスが入ったこと、顔が変わったこと(後述)をきっかけに気分が上向きになり、7月の半ばには購入を決意していた。  7月17日に近くの家電店へ行く。とても暑かった。関西なまりのまつげのあがった店員にとても暑い中来て偉いです、と褒められ、いい気になった。  電子ピアノを購入する��当たり、こだわる箇所はいくつかあるようだけれど、すすめられるまま比較的安価でひとまず88鍵あり、256音出せるものを購入。弾きたい曲は小瀬村晶の曲ばかりなので、そんなに同時に音を鳴らすことはなさそう。スピーカーが4つ付いているのはたのしいかもしれない。  色は白。茶色と迷い、直前になって白に変えてもらう。部屋が明るくなると思います、おすすめです、と畳み掛けられる。  届くのは来週の火曜日で、火曜日は出社しているので帰宅したらピアノがあるということ。とっても楽しみ。
 良いキリなので、今弾ける数少ない曲をリストアップしておく。 ・ligth dance/小瀬村晶 ・dear gogh/小瀬村晶 ・the eighth day/小瀬村晶 ・odoriko/hideyuki hasimoto ・soffia la notte/fabrizio paterlini ・skye/lambert
楽譜が読めないので曲を覚えたあとは暗譜になってしまう。今後はなるべく楽譜を印刷したり、覚えたあとも手元に残しておく必要がある。
◯手術  眼瞼下垂の手術をした。仕事をするようになってから長時間目を開けるのが辛くなってきたことと、改めて自分の一重を見て、ずっと顔に悩んでいた頃の記憶が蘇ったことがきっかけだった。結果として保険適応手術のため総額5万もかかっていないだろう。それまでいくつか美容整形のカウンセリングに行ったけれど、金額に怖気づいて諦めていた。今回手術できたことも、金額のことが大きい。以下時系列で振り返り。  初回に担当医から眼瞼下垂の保険適応内の症状だと診断を受ける。このさい美容に関して期待していることがあっても多くは受け入れられませんと伝えられる。ざっくりしたシミュレーションをし、ここまでしか(二重幅を)広げられないよと言われ、顔を変えたくないので幅はもっと少なくて良いと伝え驚かれる。6月に手術の予約をし、血液検査をして帰宅。  6月の手術が仕事で難しくなり延期。七夕の日に手術が変更になる。運命だ!と思う。  7月、ちょうど夏季休暇を取得できたので、6月の予定より多く休むことができた。麻酔が痛いこと、目の奥がじんわり痛んだ感覚があり恐怖したこと、笑気麻酔を楽しみにしていたけれどなかったこと、アシタカせっ記が流れていたことなどを覚えている。術前は今後の人生について考えかなり不安だったけれど、術中は恐怖一色で生きて帰ることしか考えられなかった。帰りは目の中に入れる軟膏が眼球に広がり、サングラスもあいまって視界がままならなかった。  翌日テープを外してもらい、顔変わっちゃったけど大丈夫?と担当医に言われる。腫れは想定内だったのでショックをうけることはなかったけれど、鏡をみて二重の自分に思わず笑みがこぼれ、その顔��ほんとうに嬉しそうだったので泣きかけてしまった。とっくに諦めていたと思ったけれど、わたしって顔が可愛くなるとまだうれしいんだという気づきと、切なさがあった。診察室でも自撮りをしていた。  学生の頃長時間鏡を見てアイプチに苦戦し、その様子や出来栄えを二重の妹に日記で”水沢アリー”と揶揄されていたこと。20歳の頃まで自分の顔が嫌いで、このような顔にうまれた自分が幸福なことが許せない、申し訳ない、という過激さで熱烈に自分を嫌悪していたこと。そうしたことを振り返りながら、高校生の時好きだったpasspoのGrowing upを聞いていたら電車の中で泣いてしまった。増井みおちゃんも二重で、可愛くてだいすきだった。  わたしはこれ以上自分の顔を変えることはないだろう。その線引がもう自分にはある。見栄え以上に価値があるものを信じられるようになり、そのうえで今回のような選択ができたことはひじょうにうれしい。勇気がある。自分のことだいすきになる。こんなふうに自分に納得する日が来ると思わなかった。手術するタイミングが今で良かった。人生の伏線回収をしているようで、わたしを生きていて良かったと思った。  2周間ほど経ち、腫れはかなり引いているが顔は変わったままだ。左右差がちょっとあり、部類としてはハム目というのだろう。担当医からも恐らく変わったと言われるが、まつげの生え際がかわいいのでよしとしている。朝むくみで目が開かないこともない。ただ、前の顔の写真ももっとたくさん取っておけば良かった。社会的にも実用的にも不便だったけれど、一重の顔もさいきんは気に入っていた。
◯残業 大人の事情で6時間残業してくださいと言われ、2日で4時間残業している。それまでずっと残業をしていなかったので、つらい。仕事が20時に終わり、いつも家にいる時間に家からとおいコンクリートの坂を下っているときの虚しさをもう味わいたくない。残業はあと2.5時間残っている。すでに虚しい。
2023.7.24
 クーラーの真下で日記を書いている。解約方法を調べて今月中に解約しようとカートの中を最小限にしていたBASE BREADが届いてしまった。今月はおにぎりを作らなくて済むものの、電子ピアノを買ったので一銭もクレジットカードから引き落としたくなかった。もっと早くに解約しておけばよかった。
 明日、電子ピアノが届く。業者に半円状に折れている家の階段を相談したところ、解体して運ぶため人間が通るぶんに問題が無ければ設置できるとのこと。在宅勤務の日でなくてよかった。  電子ピアノを購入する際、UNEXTとDisney+に申し込むと3000円引きされると営業され��時間をみて断ったのだった。のちのち3000円だって大切なお金だと後悔していたのだけれど、今日届いたパンを見るに契約しないのが正解だった。    在宅勤務なので、微弱な風を浴びながら仕事をしている。途中野上弥生子『迷路(上)』を読む。『知と愛』も早く読み終えたい。日記とかも書いてる。
 昨日は父と口論になり、そのあと母にフォローされた。父はもともと雑談がとても下手だったけれど、そのことを忘れていた。雑談のうち少しが情報伝達、ほとんどが相手への所謂イジリで、この本人にとって陽気なイジリがただの嫌味なことは良く知っていた。口論の内容はピアノが階段を通るのかという話で、幅141㎝のことを伝えたら、「そんなものは扉を通るわけがない」からはじまり、結局彼の言う幅とは奥行きを指していて、「細かい言葉のことはわからないけど、その幅のことを言われてもどうしようもないってわからないかなあ」と続いた。  そもそも父は何かにつけて着眼点の提示をするものの基準の相談までは受け付けないので、購入している以上何を話しても無駄なのに頭に来て口論になった。25歳なのにばかみたい。最終的に「そうですね、そんなにたくさん調べたら大丈夫なんじゃないですか。沢山準備して偉いですねえ。知らないけど」「あらどうも。知らないのに相談に乗ってくれてどうもありがとう」でおしまい。小説になるくらいばかげている。
「そうですか、はいはいはい、いつも親のせいですか」 父はハンドルを切りながら言った。母が悲鳴まじりにやめてと言った。「黙りなよ」かんこも言った。「自分が何言ってるかわかってんの。どういうことなのかわかってんの今」 「はい、わかってますけども」父は丁寧語をつかった。何かが父の中で切り替わり、とまらなくなっているのがわかった。
宇佐見りん『くるまの娘』119P
  そういえばくるまの娘でも父親が敬語を使って怒りながら、それをごまかすために、言葉と距離を取るために敬語を使っていた。父もそうして、私もそれに倣った。いまふりかえると、これは恐ろしいことだった。  その日母とショッピングに行き、彼女は帰りの車のなかで、この父の言動に随分苦しめられたのだと思い出話のように話した。昼間父の嫌味を思い出しては悔しさに泣き、自殺を考えていた、もうおかしくなっていたんだと言った。聞くとその時期は母の過干渉が最もひどく、わたしのトラウマにもなっている時期と重なり、こんな何でもない日に謎がとけなくてもよいだろうに、すべてが繋がってしまった。  当時の母は小学校まで車で迎えに来て、勉強するときは私の背中にぴったり張り付いて、時間割を作ってストップウォッチで時間を管理した。息抜きにそれしかすることができず指先をいじって遊んでいるとすぐに注意され、うるさいなあと思っていると「睨んだ、睨んだ」とヒステリックに激怒した。たびたび「どうしよう、いらいらしてきちゃった、どうしよう」と叫んで寝室に籠り、壁を殴る音が続いた。数年前まで楽しそうに開いていた志望校一覧の雑誌もあるとき彼女が破いて捨てた。自殺すると言って風呂場の鍵を掛け、無理矢理鍵を開けると死なないから開けないでと言って泣いた。  わたしの成績が上がることで母の教育の正しさが証明され、遠回しに父への復讐になると考えていたのか、もしくは頭の中に勝手に浮かぶ(というのは昨日の母の言葉の引用)父の言葉から身を守るために教育で視界を狭めていたのかもしれない。全ては憶測だけれど、できごとだけを羅列してもいい迷惑だ。苦しかった。  ただすべては母の無償の愛で、受け入れられないわたしが異常で、異常な娘で申し訳ないと思っていたところに、当時とうにおかしくなっていた母の話を聞いて、ほっとした。
 わたしはわたしのことをくるまの娘だと思う瞬間があり、それほどではないと思う瞬間もあり、またその傾向を自覚しているうちは大丈夫と金銭的な依存や癒着を侮っている。  けれどいまのところ自分には、癒着した関係から引き剥がされる痛みを恐れる人々に共感することを許さないでいる。
2023.08.07
勤務先の空調の故障のため在宅勤務が続いている。とくに大きなトラブルも無いためずっと在宅勤務がいい。
 中学生の頃からどこにも提出する気の無い小説を自分しか見ることのできないサイトで細々と連載していて、昨日サイトのサービスが終了したら記録がなくなってしまう!と思いつきPCのテキストにコピーし始めている。サイトも時期によってつくり直したりして3つほどあり先は長い。なくなったら悲しいけどかなり面倒。  小説を書き始めたのは中学生2~3年くらいからで、授業中にプロットと脈絡のないセリフをブロック積みみたいに羅列して、休みの日はその点同士を繋げるために一日中小説を書いていた。(適当なゲーム音楽を作業BGMにすることを習慣にしたのもこの時期だった、それが今の音楽の好みに引き継がれていると思うと感慨深い。)思えば中学生の頃は体育や部活のたびに、「この時間があれば小説を書けるのに……」と思っていた。そんなに小説を書きたかった記憶ばかりがあるのに、数えると当時作った長編は2作、8万字と5万字しかなかった。この時期が一番熱意にあふれていたはずなのに。  そういえば高校生の頃は書いていない。この時期は受験勉強で要約の機会が多く、俯瞰し練り上げるという欲求が満たされていたのかもしれない。当時の時期に更新された3000~10000字の短編はいくつかみられるけれど、時間をかけた記憶はない。  大学生以降は書きたいシーンより文体を重要視しており、在学中の作品は合わせると40万字あった。読み直すたびに形を整えるのと、プロットに興味がなくなったぶんあまりよく考えずに音の響きで文章を作っていくため字数が増えたみたい。小説を書くにあたり下書きは余分に書き、主張を含めた半分を削れという作家術を聞いたことがある。きっと書いた言葉の多くは冗長だろうけれど、私以外は誰も読まないし、私はすべて読むので関係ない。ただこのころからストーリーの組み立てを���棄したために、書いたものが小説的傾向を失ってしまったことは残念に思う。   社会人以降は在宅勤務のたびに書くことはあれど、小説から離れて散文を書いてみたり、詩の形にしてみたり、こうして日記を書いてみたりエネルギーが分散している。そもそも在宅勤務でない日の出退勤がひじょうにつかれるため元気が余らない。今は4万字/1万字みたい。格納しやすくたすかった。    小説を書く(今は「書く」より、「文字を打つ」という感覚が近い)のは文章を作ることが好きという理由のみで、人間にも関係にも構造にも興味はない。これはじっさい、音楽(リズム/旋律)が好きなだけなのだろう。  ただ自分の書いた文章が時間をかけて遠ざかってゆくのが好きだし、親しみ深くくたくたの毛布のように触っていると心地いい。そのぶんひっかかりにも気づきやすく、なおして読み通すと、ただ作るより満足する。たまにフォルダのどこかから完成し読まなくなった文章が見つかると、推敲だけでこの文章はここまで遠くへいったのだと驚く。  最近「だれに見せることなくモチベーションを保って創作を続けられる人はすごい」という意見を目にしたが、私はまったく逆で、ひとに見られることによって書く気が失せてしまう。ひとの目に触れたところから自分の世界に穴が開き、その穴から書くべきことがどんどん流れ出て失われていく感覚がする。そのうえ、おそらく書くことへの興味が失われることを自分に簡単に許すだろう。  それほど私にとって文章を書くことは必要と不要の境のにある閉じられた行為で、作業場に穴が開く程度で興味は薄らぐしぽっきり諦められる。
 書いたものについて、年齢に従いテーマが摩擦から摩擦への欲望へと変化していったのも興味深かった。例えば中学生の時の作品は「別の星で生まれた生前の記憶があるせいでいま同じ星を生きる文化に馴染めない」という摩擦そのものを担う存在がいたけれど、大学生以降のお話は「人間の身長ひとり分宙に浮いているひとはだれともぶつからない」と摩擦の側から拒まれていた。そのあとは無力感がいちおしで、「海のきれはしがひとを飲む姿に(敗北を感じ)生きることを諦める獅子」が出てくる。かわいい。  こういうことを読み比べられるので、記録がひとところに長くあって良かった。
2023.12.18
3時に1度目が覚めもう眠れないかもしれないと途中で読むのをやめていた『うたかたの日々』を読んだりしたが、最初の方は読んだことがあったのでだれた。スケート行くところくらいまでは読んでいた気がする。
クリスマスということで魔法使いの約束のピックアップストーリーが3つ解放されているので読みたいけれど読めるだろうか。最近のイベストも読んでいないのにクリスマスイベントもはじまりいつものことだが全然まにあわない。
『詩人の訪れ』の描写は詩的だがひじょうに現実的で、眼の前のものを感じたまま正確に書こうという気概が感じられ(土地を楽園としての描写と読みとった)、この2つを両立させるのはすごい。詩的という点では満足だが(とくに最後の集落から遠ざかり、音と光のとおのく場面の描写は今年一番見事だった)、もっと読み手が理解できない抽象的な文章がすきなのであとすこしなのにこちらもだれてしまう。『存在証明』のとおり迂回しない描写、あるものをあるように書く点につよいこだわりがあるようなので、しかもたしか抽象のことをこき下ろしていたのでもう根本的に好みとずれてきてしまっているけれどあと少しだから今月中には読み終えるとおもう。キニャールの『死に至る思惟』もずいぶんながいことよんでいたが、『詩人の訪れ』もおなじくらい鞄に入れ続けていたきがする。
プリキュア展に向け3日間でデリシャスパーティプリキュアをみおえる。デリシャスパーティプリキュアは敵が「お腹いっぱい」になると敵意を失い「ごちそうさまでした」と戦いが終わるのだけど、その文脈で終盤最後の敵が動機として師匠の愛に飢え涙を流すさまに思わず泣いてしまった。次はトロピカルージュプリキュア。
2023.12.23
病院で血液検査の結果をもらう。膵臓の値だけちょっと悪く、念の為次の検査をするらしい。待合室では宙船のオルゴールverがかかっていた。
「きみを私の弟子に加えることになるとは思えない」 長い沈黙のあと、青年の顔がわなわなと震えた。そして突然、しゃがれ声で叫んだ。 「せめて、そのわけを言ってください!」 「君はたしかに音楽を演奏する。たが音楽家ではない」
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
プリキュアの1番くじをやりにローソンへ行ったが、店になにもなく、かなり勇気を出して1番くじのことを聞くと「午前で終わりました」と言われ、へなへなになった。欲しかったキーホルダーはばんばんくじを回され、ばんばんメルカリに出店されていた。やるせない。
2023.12.27
rta in japan が始まり観る。本当はここまでにトロピカルージュプリキュアを観終えたかったけど無理だった。
『世界のすべての朝は』読み終える。本棚をうろうろ見てたら『文学概論』とか『メランコリーの水脈』がとか出てきたので、ロンギノス『崇高について』と併読してもいいかもしれない。ちょっと説明的すぎるから『魂の不滅なる白い砂漠』と重松清のなんらかを息抜きにするかも。
「ところで何を求めているのかな、音楽に?」 「悔恨と涙です」 すると小屋の戸がすべて開かれた。サント・コロンブはよろよろと立ち上がり、入ってきたマレに丁重に挨拶した。まずは沈黙が流れた。サント・コロンブは椅子に腰掛け、マレに言った。 「おかけなさい!」 (中略) 「むずかしいものだよ。音楽はまず、言葉では語れぬものを語るためにある。その意味でまったく人の業ではない。ところでき��は、それが王のためにあるのではないということは悟ったのかね?」 (中略) 「もうわかりません。先生。死者に残しておくべき一杯の水とか……」 「惜しい」 「言葉から見放された人々のための小さな水桶。子供たちの霊のために。靴屋の槌音のために。幼年期よりもさらにさかのぼるあのころのために。息をしていなかったころ。光もなかったころ」
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
「あのひとは靴屋になりたくなかっただけなんだ」 彼女はこの言葉を何度も繰り返した。
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
このあとマドレーヌは自殺する。
2023/12/28
なんとか仕事を納める。  電車の行き帰りで『ボルヘス エッセイ集』を読む。最後の挨拶をしましょうと言った上司はけっきょく別作業のため会えず、���とりで仕事をしたがとくにおだやかというわけでもなかった。  仕事終わりにARCHIVESで安くなっていた可愛い服を大量に買い込み、さいごに現代詩手帖1月号(買うつもりなかった……)を買って帰る。現代詩手帖を買いながら左川ちか全集を渋っているのはフェイクとおもうから積読さくっと読んでさくっと買うだろう。  まほやくはまた大量にイベストをピックアップしていて、ひとまず解放済みのパラロイの最終話だけ読んだらやっぱり泣いてしまった。オートマタとの世界を通しなまの人間のめざすもの、そのありかたを提示した物語の逆説的な構図、なまの人間がするはじめての生を肯定する自由としての「嫌。」などを考えたが結局まとまらず寝てしまった(例により、次の日に日記を書いている)。  生きて、生きつづけることに比べたら労働なんてよっぽど虚構だ。
「あああやっぱりダメだ。父さん母さん、先立つ不幸をお許しください」 てんしもかわ「命を粗末にしちゃダメ〜〜〜ッ!」 「てんしもかわちゃん!」 てんしもかわ「あなたが死ぬと因果律が狂うの!」 「う〜む 人権が消し飛び人生だけが取り残された気分だ」 てんしもかわ「キモいこと言ってんじゃないの!さあ美しいものを想起するわよ!いい?人生に対抗するの!」 「でも泡沫の夢じゃないか」 てんしもかわ「関係ないわ!アウフヘーベンよ!」 「アウフヘーベンか!」 「そう!関係ないでやんすよ」 「カンケイ ナイヨ」 「ワンワンワオーン!」 「「おれたちもいるぜ!」」 「「みんな……来てくれたのかッッ!」」 よし歌おう「「歌うんだ!」」「歌って!」 みんなで力を合わせて さんのーがーはい たとえば映画 たとえば漫画 たとえば星座 たとえば瞬間 たとえば永遠 たとえば憂鬱 たとえば成長 たとえば青春 たとえば恋愛 たとえば官能 たとえば交感 たとえば喪失 たとえば過去 たとえば未来 たとえば現在 たとえば音楽
挫・人間『ソモサン・セッパ』
2023/12/29
あなたたちが一度経験したからって、知った顔をしないでよ。僕の世界に足跡をつけた振りをしないで。
魔法使いの約束『パラドック��ロイド』
 ボルヘスエッセイ集読み終える。rta in japan で『風のクロノア2 アンコール』を見る。走者がrtaもイラストを描くことと同じように愛情表現の一部だと話していたのが印象深い。ほんとうはポポロクロイスを観る予定だったけれど翌日から祖母の家にいかなくてはならないから諦めて寝た。(例により……)
 寝る前に魔法使いの約束『夕陽笑む温室のラプソディ~東の国&中央の国~』を読む。別れた数々との再会がほんとうにあったらいい。
2023/12/30
祖母の家につき画家の図録がたくさんあるのでとりあえず読む。
だから彼の人柄については、(中略)「非常に誠実で単純で、分別ある人になろうとできるだけのことをやっているが、不幸にして生まれつきロマン主義の殻をくっつけている」(ボードレール)
現代美術全集1 マネ
ボードレールってマネのこと褒めたり慰めたりいいひとだなと読んでいたら、マネが最もつらい時期に亡くなってしまった。その後マネは10歳年下のマルラメと友人になる。
マネは冒険を恐れた.《ル·ボン·ボック》の成功がサロンにおける輝かしい未来を幻想させたのであろう.しかしマネが彼らと同調し得なかったのは、単に臆病で名誉欲にとりつかれたためではない.(中略)彼の言葉に従えば、人が自分の才能をはっきりみさだめるべきサロンという「真の戦場」で「自分自身を立てたり倒したりする」方を好んだのである.
現代美術全集1 マネ
C·F·ラミュールもかれのうまれた土地を引き継ぐ話し言葉で小説をつくりながら、それを第三者がただしく品評するよう『ベルナール·グラッセへの手紙』で頼んでいた。根無し草の作家が、求める真なる芸術と社会との径庭を自覚するさい、それを認識したいという欲望は切実だろう。
2023/12/31
2023年まとめ
■月ごと
1月  いろんな課の新年会でる。一週間連続でおすしたべる。 2月  記憶なし 3月  自分の詩をAIに読ませて作家分析させた。 4月  25歳になる。 5月  記憶なし 6月  現場配属。浮遊の読みがうゆうかふゆうか聞かれ、無視する。 7月   アイドリッシュセブンを読み始める。beyound the period 観る。眼瞼下垂の手術する。人生初ボーナスで電子ピアノを購入。逆転裁判済。りゅうちぇるが亡くなりショックを受ける。 8月  Switchのジョイコンが壊れ、ひたすらごめん!と謝られる。花火大会。家のベランダからも花火を見る。 9月  RTAイベントをチェックし始め、ほぼ毎日ゲーム配信を観るようになる。キングダムハーツ済。はじめて縮毛矯正。カラオケでいーあるふぁんくらぶを歌い、ハモる。ブレワイはじめる。 10月  叔母とデート2回。 11月  映画プリキュアオールスターズF2回���。美味しいカツも食べる。 12月  体調を崩し膵臓の値が悪いと知る。頑張ってソシャゲもやる。
◯よかった
■読書 『銀の炎の国』 神沢利子 『たましひの薄衣』菅原百合絵 『現代美術全集 マネ』 『詩人の訪れ 他三篇 』シャルル・フェルディナン・ラミュ 『死に出会う思惟 (パスカル・キニャール・コレクション〈最後の王国〉 9)』パスカル・キニャール 『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』 ペ·スア 『知と愛』 ヘッセ 『ざんねんなスパイ』 一條次郎 伊坂幸太郎との対談もふくめ 『架空の犬と嘘をつく猫 』寺地 はるな 『しずかな日々』 椰月美智子 『ことり』 小川洋子 (再読) 友人に貸すために読みながら貼った付箋を剥がす体験もふくめ 『ブラームスはお好き』 サガン 『アイドリッシュセブン TRIGGER -before The Radiant Glory- (花とゆめCOMICSスペシャル)』種村有菜 『アイドリッシュセブン Re:member 1 (花とゆめCOMICSスペシャル)』種村有菜,都志見文太 『真鶴』 川上弘美 『世界のすべての朝は』パスカル・キニャール
■ゲーム
『大神』 『逆転裁判123』 『牧場物語 再会のミネラルタウン』 『ドラゴンクエスト11』 未 『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』 『LIVEALIVE』 『ドラゴンクエスト1』 ドラゴンクエスト2』 『ドラゴンクエスト3』
■映像 映画プリキュアオールスターズF 『劇場版アイドリッシュセブンLIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』<DAY1>・<DAY2> デリシャスパーティ♡プリキュア アイドリッシュセブン ひろがるスカイ!プリキュア
祖母の家Wi-Fiないのでほぼ何もできず全集読んだり友人とラインしたりするしかなくつらい。
2023年はほぼ愛のことを考えずにすんだ。
わたしよずっと盲目でいて ずっと歌を歌っていようね みくびられてもそれを忘れて わたしのうたのために
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sftt · 2 months ago
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23rd Nov
寒い季節には懐かしいJ-POPが沁みる
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アメリカのジョー・バイデン大統領は17日、ウクライナがアメリカから供給された長距離ミサイルを使用してロシアを攻撃することを許可した。米メディアなどが報じた。この前日にはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が国内メディアに、ドナルド・トランプ次期大統領の政権になれば戦争は「より素早く終わる」だろうと話していた。
月曜日にこのニュースを見たその矢先
国営タス通信によると、同氏は発表文で「ロシアは新型の中距離ミサイルでウクライナを攻撃した」と認め、「西側兵器の使用がウクライナ戦争に影響することはない。ロシアの新型ミサイルに対抗できるシステムはない」と言い放った。ウクライナは最近、米国製地対地ミサイル「ATACMS」、英国製長距離ミサイル「ストームシャドー」でロシアを攻撃した。
この報道見てもう今週は文字書く気失せたな〜。失せたというか、こういう局面と対立した時に、個人ができることが小さく、そして少なく、無力感を感じている。
三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は22日、傘下の三菱UFJ銀行の元行員が、東京都内の複数の支店で貸金庫から顧客の資産を着服していたと発表した。被害額は時価で十数億円に上るとしている。   発表によると、元行員は支店の店頭業務責任者だった。練馬支店(旧江古��支店含む)、玉川支店の2支店で、2020年4月から24年10月の約4年半にわたり、貸金庫契約者約60人の資産を盗んでいたとしている。
最近、一見真面目そうな人が実はやらかしていたニュースが多い。先月も野村證券の元社員が、顧客の家からお金盗んで最終的に家燃やしたっていう、とんでもないことあったよね。現在無気力なので、何も言えない。
来年は巳(へび)年だから、蛇口から水が湧き出るように水面下で動いていたことが全て露わになる年だと言われている。こういうニュース見ると、予兆なのかなと思ったりする。
自民党税制調査会は21日午前、宮沢税制調査会長や森山幹事長、後藤元経済再生担当大臣ら幹部が会合を開きました。 この中では、20日、自民・公明両党と国民民主党の3党が、新たな経済対策をめぐり税負担に関わる「103万円の壁」を見直すことやガソリン減税を検討することなどで合意したことを受けて、宮沢氏が税制に関わる合意内容について説明しました。
最後にちょっとポジティブなニュース。今まで変わらなかったこと、めっちゃ進むの早くない?18歳くらいから政治を意識するようになってもう6年経ちそうだが、与党が嫌いそうな分野で劇的な快進撃を見せていくの初めてかも。
正直、都内一人暮らしを自身で賄う必要のある私には103万の壁ってあまり関係ないのだけど、でもよ、今一番必要な少子化対策の一助になる。自分のことだけを考える人じゃ、この政策を打診して、進めることはなかっただろう。子の親が、またはこれから親になる人々が、この改革によって暮らしやすくなり、未来を安心して待ち望めることを祈っています。それが本来あるべき民主主義の姿だからね。
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kaarijajpn · 2 months ago
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Käärijäと病気
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photo from paidatonriehuja instagram
最近ファンになった方はもしかすると詳しいことはご存じないかもしれませんが、カーリヤはかつて、潰瘍性大腸炎という病気(故安倍晋三氏の告白で病名を知った方も多いかも?)で生死の境をさまよったことがあります。 上半身裸のパフォーマンスが芸風の彼ですが、同じ病気で苦しむ人に少しでも勇気を与えたいと、手術の痕やストーマ(人工肛門)の痕を隠さずステージに立ち続けています。 だいぶ前に、彼が病気のことについてポッドキャストで語った内容を英訳してくださった方がおり、それを和訳していたのですが、あまり共有していなかったので、改めてこちらに掲載をしたいと思います。 内容は、2023年4月19日に放送されたKolme Käännekohtaa Podcast の英訳より、病気に関わる部分を抜粋したものです。 英訳は下記URLからご覧いただけます。
以下日本語訳です。 ※フィンランド語→英語→日本語の訳なので、正確性に欠ける部分があります。 ※出血や嘔吐、糞便への言及があります。 ※病気に関する専門的な情報ではありません。より正しい情報へはご自身で信頼できる専門家・専門機関まで。
【カーリヤと病気】
Käärijä(以下K): それが始まったのは僕が14,5歳の頃、ペルトラ中学校に通っていたときです。突然下血したのです。家庭科の授業で調理実習をしていたときのことです。なにか変なものが出たように感じて便器を見たら、血だらけになっていました。 僕が教室に戻ってそのことを友達に話すと、笑っているやつもいれば、マジで?と困惑してるやつもいました。僕自身も、そんな話は聞いたことありませんでした。 変だなとは思いましたが、恥ずかしくて、家に帰っても両親には言いませんでした。僕たちはちょうど休暇で、北の方に住んでいるいとこの家に家族で行く予定でした。そこで僕は、親にこのことを言わなければいけないと気づいたんです。もしこれが深刻な症状で、旅行中に何かあったらまずい。そこで次の日両親に打ち明けると、大丈夫、内視鏡検査の予約を取ろう、という話になりました。
いとこの家には行きましたが、体調は悪化しました。痙攣を起こし、四六時中トイレに行っていたのです。その後メヒライネンのプライベートクリニックで内視鏡検査を受け、直腸の感染症と診断されました。その時点ではそこまで深刻でもひどくもなく、ただ下血したというだけだったんです。 治療と内服薬は効果がありました。ある時点では必要を感じなくなり、薬を飲むのもやめたほどです。しばらくは薬なしで過ごすことができたのです。 MC:なぜ?(笑)副作用でもあったの?というかなんで下血したときにすぐ救急車を呼ばなかったの? K:(笑)それが僕なんです、変わったやつなんです、なんと説明したらいいかわからないんですが… とにかく、しばらくは服薬していましたが、ある時点でやめました。両親は、何がこの症状を引き起こした原因なのか必死に、熱心に調査していました。息子を助けたかったのです、無理もありません。 両親はヘルシンキでいわゆる食事療法の専門家を見つけました。そこで問診を受けて、これとこれをドイツから取り寄せなさいというようなことを指示され、そのとおりの食事を1年続けた結果、症状はすべて消えたんです。 もちろん、誰にでもこれを勧めることはできません。つまり、製薬業界ではそれを推奨していないし…ただ、これは僕の話で、僕の場合は効果があったんです。 MC:つまり…君はヘビの油(*日本で言うがまの油のような意)みたいな治療を受けたということ? K:まぁ、そんなところです MC:もう少し詳しく教えて?食生活を変えたら効果があったっていうのは科学的にも合理的だと思うけど、なぜヘビの油のようなものだと? K:僕にとってはそうではなかったですが、僕がそういう、いわゆる「くだらない治療法(*民間療法)」に触れると、何かへの反対活動をしてるととらえる人がいるかもしれないので。簡単に言うと、砂糖とでん粉、食品添加物を摂取しないようにしたんです。それから、いいビタミン剤をヨーロッパ中から取り寄せました。フィンランドでは手に入らないので。それを摂取して、専門家の提示する療法に従って1週間すると、症状がすべて消えたんです。 それから少しずつ、刺激がないかどうか確認しながら食べ物を増やしていきましたが、僕にはどれも合いませんでした。そこで一番軽いオーツ麦から試したんです。最初は壊滅的でしたが、少しずつ改善していきました。これは僕が17歳のときの出来事で、ヴァッリラの専門学校に通っていたんですが、優しい食堂のスタッフが、僕のための昼食を作ってくれました。食事療法を真剣に受け止めてくれた彼らにはとても感謝しています。食事は美味しく、すべては順調でした…18歳の誕生日が近づくまでは。つまり、初めてお酒を飲み始めるまでは。
初めてお酒をまともに飲んだのは17歳と半年くらいのときです。もちろん、15歳くらいになれば、ロングドリンク(カクテル)くらいは嗜むでしょうが、一口とかその程度です。そうして初めてまともに飲酒してから、その習慣は続くようになりました。お酒はそれほど定期的に飲まなきゃという感じではなかったですが、悪習慣が戻ってきてしまいました。マクドナルドに行ったり、お菓子を食べたり。食事療法を実践する前の僕に戻ってしまったんです。 本当に最悪の食習慣でしたね。学校が休みになると、1日3回はマックに行っていたかもしれない。僕の腸にとってタフな時間だったことは間違いありません。そして、18歳の誕生日を迎えると、また便器が血で染まったんです。「くそったれ」と思いましたね。そこからどんどん事態は悪化していきました。
それからというもの、あらゆる治療を試しました。ですが、もはや薬でさえも役に立ちませんでした。がん治療の…なんて言ったかな、そういうところにも行って、毎月か、2週間に1回、がん治療に使われるのと同じ点滴も受けましたが、まったく効果はありませんでした。体は倒れそうになるくらいぼろぼろで、下血も続いていました。ヘモグロビンの値(*血清鉄のことか?)は54〜56を彷徨っていました。 ある日血液検査のためにカンピまで歩いていったのですが、その日のうちに「これは少し急いだほうがいい」と電話が来ました。その日は兄とパブでヨケリット(*ヘルシンキのプロホッケーチーム)の試合を見ていて、その後家に帰って父と兄と一緒にテレビでリーグ戦を見るつもりでした。電話を受けた父に、はやく行くぞ、と言われ、僕は「もう病院には行きたくない!」と泣き出してしまいました。もう治療を受けたんだから、と。でもついにこのときがやってきてしまったのです。 僕は歩き出しましたが、めまいがしていました。当時僕はいつも倒れそうな状態でした。体重は49kgしかなく、もはや自分の中には何も残っていないような感じがしていました。顔も蒼白というか、真っ白でした。父はザ・シンプソンズのDVDと僕の枕とノートパソコンを荷物に詰め込んで、「今すぐ行くぞ、このままじゃいられないんだから」と力づくで僕を車に押し込みました。
時々、すべてを諦め終わらせたくなる瞬間がありました。一時強力な薬(*オピオイド系の強い鎮痛剤)を処方されていた時期があり、その薬のせいで錯乱状態だったんだと思います。色々な考えが頭をよぎりました。幸運にも、僕は自分自身を傷つけたりせずにすみました。本当によかった。入院中、あと1週間か2週間でも来るのが遅かったら君はここにはいなかった、と医師に言われました。もう少し遅かったら感染は大腸から内臓にひろがり、そうなるともう治療法がないからです。幸運にも、そんな事態にはならずに済みました。
僕は緊急手術を受け、大腸を摘出し、代わりにストーマ(人工肛門)が一時的に設置されました。最初はストーマになることを恐れていたし、すごく怖かった。目が覚めて初めて検査したときはもう、最悪だ、ついにストーマになったと思いました。心身とも打ちのめされて横になっていましたが、でも、「少なくとも俺は生きてる」と考えました。それはとても素晴らしい感覚でした。麻酔をされて突然意識を失い、なんの記憶もなく、目覚めたらストーマがついていたんです。 MC:知らない人のために、ストーマについて説明してくれる? K:ストーマは、お腹の右側か左側に、ちょっとどっちがどうという関係はわからないですが、僕の場合は右側に設置されました。小腸がストーマの中を通り、きれいに折りたたまれるんです。見た目はちょっと汚くて、便や体液がストーマを通じて袋にたまり、必要に応じて袋の中身を捨てる必要があります。接着剤が劣化してきたら、ときどき交換しなくてはいけません。 僕はこの事実を受け入れました。僕は驚くほどすぐに病院のベッドから起き上がったんです。「クソ、はやくここから出るぞ、立ち直ってやる」という想いでした。ベッドの中で、僕は作詞を始めました。音楽で生きていきたいという決意を固めたのです。何かを成し遂げられる保証はありませんでしたが、なにかやってやろうというのが僕の決断でした。僕はいつも、フェスのステージのような場所でパフォーマンスをすることを夢見ていました。その夢に向かって一歩を踏み出したんです。退院後すぐに僕はスタジオに向かいました。そこで僕たちは"Urheilujätkä"という曲を作ったんです。 
とはいえ、僕は自分の身に起こったすべてのことに感謝しているんです。ストーマは4〜5ヶ月くらいつけていました。手術を受けたのはクリスマスの時期だったのですが、幸運なことに、クリスマスには退院して家に帰ることができました。タクシーに乗って帰路についたときは、本当に最高の気分でしたね。母がクリスマスツリーを飾ってくれていて、家の中はクリスマスの雰囲気に満ちていました。母と僕だけ、ふたりきりで…あの日は僕の人生の中で最高の一日のひとつでした。生きていることを実感して、めちゃくちゃ気持ちよかったんです。
体調も良くなり、ストーマのお陰でよく動けるようになりました。僕はすぐにジョギングのような運動を始めました。体重や筋肉も少しずつ戻ってきました。メンタル面では気分も上向き、非常にはやく回復できました。 医師は、小さい頃からずっとスポーツをしていたことが回復に役立っているのだろうと言っていました。長いこと深刻な病状だったにも関わらず、僕の体は思ったよりずっとはやく回復していったんです。 メーデー(5月1日)にはバイパス手術を受け、ストーマを取り外しました。手術では、小腸からJパウチというものを作ってもらいました。J字型で、縫い合わせられて袋状になっているものです。アーチの部分に便がたまり、大腸のような働きをするんです。まったく一緒というわけではありませんが、便や体液を吸収してくれます。
 本当におもしろい、いや、おもしろくはないですが、奇妙な体験でした。後ろの穴からも前の穴からも、腕からも脇腹からも…僕はチューブだらけでした。1週間半、縛り上げられたミイラみたいな姿で、病院の廊下を歩いていたんです。 メーデーの日、窓の外を見ながら、ヨンネ・アーロンの”Yksin”や、Vili Kasperの”Varas”を聴いていました。この2曲は当時よく聴いていた歌です。他の人がバルーンやシャンパングラスを手に騒いでいるのを、この曲を聞きながら見ていました。 なんというか…変な気分でした。他の人が騒いで楽しんでいるのを、自分は壁の中に閉じ込められながら見ているだけなんですから。外の世界は僕にとってまるで未知の世界でした。なんというか、すごくかけ離れたもののように感じたのです。外の世界と隔てられてから随分と時間がたっていたから。それに、どこかに出かけるというのはハードルが高かったので、長い間僕はどこにも行くことができなかったんです。少し外に出られるようになったときは、空気の新鮮さをじっくり味わいました。そして木だとか家だとか、そういうものに触れたとき、本当にすばらしい気持ちになったんです。
とにかく、僕は1週間半入院しました。僕は本当に驚くほどはやく回復したんです。普通の人ならもっと長くかかるんです、たとえば、同じ状態で入院していたとある人は、退院するまで数ヶ月かかっていました。1週間半たったとき、医師が来て、すべて大丈夫、退院できるよ、と言ってくれました。ところが、医師がいなくなったあとすぐ、僕は具合が悪くなり、腸が詰まっていることに気づいたんです。肉を食べるとそういう症状が起こると言われているのに、病院の食事には肉が使われていたんです、ばかみたいでしょう?(笑)僕は慌ててトイレに駆け込んで、ウンコをしながら吐いていました。
僕はトイレで嘔吐と下痢に同時に襲われていましたが、絶対医者には言うつもりはありませんでした。そんなことを言えば入院が長引いてしまうし、絶対酸素チューブを付けられると思ったからです。本当にそうはなりたくなかった。とにかく、荷物をまとめて、親友が迎えに来てくれるのを待つはずだったんですが、彼が仕事の都合でこられなくなったんです。最悪でしたよ、こっちはおむつを履いてウンコを垂れ流してるっていうのに(笑)。
僕は雨が降るなか、外に出て、家電ショップでXboxのコントローラーを買おうと思いました。アラビアンランタの自宅に帰って、ゲームでもしようとね。僕はバスに乗って、席に座ってヘッドホンを付けましたが、ウンコはまだ漏れ続けてて、くそ、これからずっとこうなのかよ、と考えてしまいました。家電ショップについたら、僕はまっさきにトイレに行きました。しかも個室の鍵をかけ忘れてたので、きばってるときに建設作業員みたいな人たちがドアをあけてしまったんです(笑)。彼らが笑い出したので、僕はぶっ飛ばすぞクソ野郎、みたいな顔で睨みつけたんですが…… でもその時、自分がもう何も気にしていないことに気づいたんです。そう、本当に、全然気にならなかった。そこで当初の目的どおりXboxのコントロ-ラーを買って、アラビアンランタ行のバスに乗りました。あまり食欲はありませんでしたが、何か食べないといけないことはわかっていたので、スーパーにも行きました。そして肉売り場でソーセージを買ったんです。 MC:マジで?!(爆笑) K:(爆笑)ソーセージとマッシュポテトをね。そして自分のアパートについたとき、鍵を持っていないことに気づいたんです。鍵は元カノが持っていたんですが、彼女からは連絡がなかったし、その時彼女は仕事中でした。一体どこに行ったらいいのか、途方にくれましたね。 まあ、とにかく、母は家にいるだろうと思いつきました。 そこで母に電話すると、やはりヴァンターの実家にいました。僕はまたバスに乗って、1時間かけて実家に帰りました。そして母と話したりしているうちに、疑問に思い始めたんです。おい、俺、また何回もトイレにいってるし、実家の部屋で横になって休んでんじゃん、って。 MC:疑問に思い始めた?!(笑)「なんでこうなってるんだろう、俺何回もトイレにいってるし、何回も何週間も俺を病院にぶちこんだのと同じ症状だし…前回は…待て、今日パンツにウンコ漏らしたぞ、このこととなんか関係あるのかな?まあいいや、プレステで遊ぼう」ってかんじ?あ、ごめん、Xboxだっけ(笑) K: そうそう(笑)まあ実際ゲームはできなかったけど…Xboxはアラビアンランタの家にあったので。まあそんな感じで、僕は実家で横になって休んでいました。母は僕のためにマットレスを持ってきてくれました。あまりに何回もトイレに行くので、僕は母に、何もかもよくなってない、と打ち明けました。母も、「なんで?手術は全部終わったのに、こんなふうになるはずがない!」という感じでした。僕はほんとうに四六時中トイレに行っていました。腸のつまりが原因だろうということはわかっていたので、ネットで本当にそうかどうか検索までしました。
母は、きっと病院に連れ戻される、と思っていたようですが、僕は二度と病院には戻りたくありませんでした。それで…確か、深夜の1時か2時ころだったと思います。もうこんなくだらないことは終わりにしてやる、と思い立った僕は、リビングに行って、コーラのボトルに水と塩を入れて、一気飲みしたんです。俺の腸を正常に戻してやる、っていって、全部飲みました(笑)。お腹は27針縫っていましたが、その傷を押さえながら近所を走り回ったりもしました。胃がもう一度きちんと働くようにね(笑)走ってる間、近所の家の庭でウンコもしました(爆笑)。そうしているうちに母も外に出てきました。家の明かりがついたとき、母が「イェレ、あんた何してんの?!」って叫んでるのが見えました。 MC:信じられない…(笑) K:「今すぐ戻ってきなさい!!」ってね。でも僕はこう叫び返したんです「絶対ヤだね!俺の腸をマトモに戻すんだ!」って。 MC:こりゃ医学的なアドバイスじゃないね K:これは…今話したことは、誰もやろうとしないと思いますよ MC:あー、そうだねカーリヤ、その危険はないと思う。 K:そうですね、こんな頭のおかしい人間は世界で一人だけ、僕だけです。それでまあ、家に戻りましたが、数日経つと少しずつ、肉のかたまりが排出され始めたんです。 MC:これは僕がこの番組で聞いた中でも最も素晴らしい「人生のターニングポイント」だと思うよ K:肉が排出されて、詰まりが改善されたと気づいたときの喜びの大きさといったら!それから少しずつ、僕の腸は正常に動くようになりました。そして2~3週間たつと、もうおむつも必要なくなり、我慢ができるようになったんです。日常生活が徐々に戻ってきました。 今でも人より多くトイレに行く必要はありますが、それはもう僕にとっては当たり前の日常になっているし、悪いことだとはまったく思っていません。そういうこととうまくやっていきながら、今ここに至っているわけですから。 僕は、物事は突然起こり、そして人生は一瞬で終わってしまうかもしれないものなんだということを学びました。だから、自分が楽しいと思うことをして、前に進んでいくことが大切なんです。 MC:(笑)すごく…感動的な…つまり、この文字通り「糞みたいな」話…勘違いしないで、この近所の家の庭でウンコをしたっていうエピソードのことだよ、この話を、「教訓としては、自分にとって大切だと思うものに向かって前進すべきだ」という、こんな感動的な言葉で終わらせることができるなんて! K:まさにその通り(笑)そして、僕はこの考えを変えるつもりもありません。この体験のおかげで今の僕があるからです。 もちろん、日々の暮らしの中で何かが起こったり、何かをしているうちに、この出来事を忘れることもありますが、そういうときは一旦立ち止まって、10年前自分がどんな状態だったかを思い出すんです。病院の窓から外を眺め、いつか外に出たいと願っていたあの日々を。そうすると気分が良くなり、今ここですべてがうまく行っているということに気づけるんです。 人間関係や友情、金銭的なトラブルなど、何か問題が起こったとしても、あのときに比べれば大したことじゃない、と思えるんです。
<終>
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inuwaarudo · 7 months ago
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kennak · 3 months ago
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官��他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考���たい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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saintdesire · 8 months ago
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です。収録している。今日は4月26日水曜日です。またね、露骨に風の人の声になってますけど、子供がね、幼稚園から、また風邪をもらってきまして、私にうつっております。
なんかね、トラブルが多くて、昨日、昨日、一昨日か、一昨日ですね、コンタクトを、なんかこう、コンタクトなんですけど、私、目めっちゃ悪くて、コンタクトないと生活できないみたいな感じなんですけど、
なんか子供のお風呂上がりに、目をさ、なんか痒く��って、自分の目をね、コンタクト置いたまま、なんかカシカシカシってこすっちゃったんですよね。普段そんなに激しくこすんないんですけど、なんかついやっちゃって、そしたらコンタクトがずれて、行方不明になったんですよ。
行方不明っていうか、明らかに、なんかちょっと怖い怖い。苦手な人、ちょっと飛ばしてほしいんですけど、なんか見えないとこに入っていっちゃったみたいな感じになって、すごい上まぶたの上側に違和感があるけど、一切姿が見えないっていう状態になって。最初は入ってるっていう
前提で探したんですけど、探したって、すごい目の中をよく見ようとしたんですけど、なんか周りを見ても、その目には入ってないし、でも、床に落ちてるかっていうとね、ポロっとこすった時に、ポロっと行っちゃったのかもしれないと思ったけど、床にもない。これは一体。っていう感じになっちゃって。しかもその時8時過ぎだったんですよね。夜の。
いけないじゃないですか。当然、夜間診療ガンカンとかで検索したんですけど、検索でちょっと出てさお、行けるんじゃね。と思ったけど、なんか7時半締め切りとか7時締め切りとか、そんなんばっかりで、
全然、やっぱほっぱ、8時過ぎてから見てくれるかななんてほとんどないんですよね。すいません、ちょっと地域によってあるかもしれないので、同じトラブルにあった時はちょっとご自で確認してほしいんですけど、私の地域ではなくて、もうなんか血の気が引いたって言いますか、 眼科に、明日眼科が開くまで、このソフトコンタクトをずっと目に入れたまま、パリパリのやつを目に入れたままじゃなきゃいけないんじゃな、
恐怖でね、すごい焦ってきたんですよ。で、夫は私のその姿を見て、もう絶対コンタクトに僕はしないって言ってましたね。すごい、結構目悪いんですけど、なんか眼鏡どなんで、生きてるんですよ、彼はね。それで、でも、あまりに目に ないからさ、出てこないし、その、ネットで検索してさ、色々、なんか、まぶたを閉じて、上から押さえたままくるくるくる動かし、目とかそういうのやっても、全然出てこないから、もう床に落ちたってことにしようと思っても、できることは全てやったから、もう目の中には入っていないと思って、でも、明日一応さに行こうっていう気持ちにも切り替えて、
もうその子供も夫が寝かしつけて、さあ、私はこれから歯磨きして、風呂入って寝ようみたいな感じで、ヒカキンさんのね、マイクラ動画を、マイクラ実況見始めて、1本見たらさ、 1本見て、お風呂入ろうと思って、すってお風呂の鏡見たらさ、コンタクトが降りてきてたんですよ。その、何をやっても出てこなかったコンタクトが、目の中でさ、すごい目の付け根のとこに降りてきてて、あ。って、これ 思いましたよね。もう、なんか、ヒカキンがすごいと思いましたね。なんか、人は、こういう時に、地蔵とか立てちゃうんだなって。
峠抜き地蔵。峠抜き地蔵に祈ったことないけど、峠抜き地蔵って、つまりそういうことかなって。なんか、これやったら、なんか取れたから、地蔵立てよ。みたいなさ。
私の場合だと、ヒカキン地蔵が立つみたいな感じですよ。ヒカキンさんのおかげで、コンタクト取れました。
なんか、思わず書き込みそうになったんですけど、でも、なんか、それでね、幼き子供たちがさ、本当にさ、それが、ネットの事情とかしてさ、ここ、この動画を見ると、なぜかhikakinのマイクラ動画の、ここの回を見ると、コンタクトが
取れるみたいになっちゃったらさ、それ、私になんか医療的責任が生じるから、ちょっとそれは良くないなと思って、なんかコメントでお礼を言うのは避けたんですけど、この中で、めっちゃね、ヒカキンさん、ありがとうってお礼言いました。
すいません。こんな長いただのコンタクトトラブの話なのに、長い。
今日はテーマっていうか、お便りいただいた天下喋りたいと思います。いつお頼り。先にお読みします。ラジオネームハルさんからです。三宅香帆さんのtwitterで豊島さんが成瀬は天下を取りに行くの話をスポティファイでしていると知って、またトシさんのラジオ聞けて嬉しかったです。
三宅香帆さん、諸評価の方ですね。で、バリバリにご活躍の若き女評価の方です。言及してくださってたんですね、twitterで。私、twitterで決してエゴサをしないので知らなかったんですけど、ありがたきことです。
え。ハさん。三宅様、ありがとうございます。ラジオで読み上げていただくのは全く構わないのですが、字として残るのが恥ずかしいので非公開でお送りします。
これ、読んじゃっていいんですよね。読んじゃっていいけど、今んとこそのマシュマロのシステムでは、回答するとあれなんですよ、そこに載っちゃうんですよね。一覧表表っていうか、私のラジオの一覧があって、そこに今まで読んだお便りは全部載ってるっていう形なんですよ。多分ハルさんはそれを避けたいっていうことなんですね。了解しました。
まだ全部聞けていないのですが。理解あるか君の正体の回で3回目ぐらいですね、平行世界の話をされていたのが好きでした。
ちょっとこの平行世界、平行世界っていう言葉だけ問い出すと、すごいスピーチある話をしたのか。みたいな感じになっちゃうけど、そうじゃなくて、理解あるかくんっていう会で、理解あるかくんみたいな感じの夫とであってよかったけれど、なんかそれは自分の努力とかでそうなったんじゃなくて、もうたまたまでしかなくって、 今も平行世界の自分はなんか結婚せず1人で生きてるんじゃないかなっていうことを忘れないようにしたいと思っているみたいな話をしたんですよ。そこからのお話ですね。続きます。私は40歳の独身で、恋人がいたことがありません。
友達はかいて、2人で海外旅行に行ったり、結婚式に呼んでもらったり、出産祝いを渡せたりしたんですが、もう何年もやり取りしていません。
他の友達もみんな結婚、出産して疎遠になりました。もう2度と会わない可能性も全然あるなと思っていますが、そのことを嘆いてはいなくて、幸運流水的に捉えています。幸運流水なんか流れゆく形の定まらないものであるということですね。
彼女たちへの気持ちとしては、一時期でも私と友達でいてくれてありがとうにつきます。今のトシさんがママじゃない友達かっこ区切ることは本意ではないのですが、今回はあえて、かっことじについて、何か思いがあれば教えてください。すでにラジオで触れられていたら申し訳ありませんというお便りだったんですね。どうも、はるさん、ありがとうございます。
自分が40歳で独身で、周りはみんな結婚して、なんだかそれになってしまったなっていう話ですね。それで、あ、私、結婚した側から見て、
ママじゃない友達についてどう思っているかとか、その、友人関係がどうであるかっていうことについてね、思いがあれば教えてくださいっていうことでしたので、今回はね、ちょっとこの、ママじゃない友達っていうか、産後、自分が子供を生んだことによって、友人関係が変化があったかどうか、みたいな話を今回はしていきたいと思います。
で、ですね、でも、先にね、言ってしまうと、あんまりね、なんていうの、別に、ここ、こうです、こうなんですよ、そうすれば友情通過ですよみたいな話では当然今回ないわけですよね。
なんかすごい、多分、多分、何も、なんていうのかな、あんまり私の友人関係状態が今良くないんですよ、
なんか、しかも、良くないの、しようともしてないみたいな、なんか結構もやっとした会。なんか、ただの、ただの、こう、心情のと、みたいな会になっちゃうかなと思うんですけど、多分ハルさんも、なんていうのなん、なんかこうね、それこそ購入するって書いてありましたけど、 なんかポジティブな解決策が欲しいわけではなくて、その心情のとでもいいのかなって私は感じたので、そのようにさせていただきます。そんなんでもよければ、他の皆様もお付き合いいただければ幸いです。それでは始めましょう。第28回です。聖なる欲望ラジオ
すいません、今このタイトル��ールより。あとは便り読み上げて、タイトルゴールした後からはまたテイクツーです。これ なんか1回喋ったんですけど、すごい。50分ぐらいととと喋った挙げ句、すごい最終的に最高にかっこ悪い結論に落ち着いてて、 なんか自分でこれまずくない。と思って、なんか時間を置いてね、考えてみて、さっきは日中だったんですけど、今夜になってるんですけど、
やっぱあれを流してしまうのはねえなみたいな感じになっちゃって。今もう1回改めてね、話し直したいと思います。でも、結論が変わるわけじゃないんだけどさ、なんかその格好悪さに、せめて客観的になった感じでお送りしようかなと思って。
なんか本当、さっきも冒頭も喋ってたんですけど、あまり私は理想的な回答みたいなのをできないっていうのは間違いないですよね。この場合の、こう、理想って、なんか さあ、すごいかっこい人だったらさ、いや、私はなんか1人なんですけど、続いてる友達いますよとか言って、なんか
こう、やっぱ、立場違っても、一緒にやることあれば楽しいし、推しか友達なんですけど、とかって、こう、キャラからみたいな、なんかさ、なんか楽しく友達やってるよみたいな、立場とか関係ないじゃんっていうのが、なんかこう、最高にかっこいい。こう、産後の友情の保持の仕方っていうかさ、それで、それはでも、 理想的として、なんか理想じゃないとこで、そこそこ常識的な答えっていうか、ありうる範囲で、結構いいなっていう答えとしては、時間が取れないし、なかなかなかね、会えない。現実にはなかなか会えないんだけど、
うん、友達のことをいつも元は気にかけてて、でも、でも、なんか連絡取れないんだよね、みたいな、なんかちょっと切ない話に持ってくみたいなさ。
なんか、それだったら、まだいいかなっていう感じだったんですけど、私がさっきさ、午前中50分かけて喋ったことって、産後っていうか、今後ぐらいで、私、友情を全体的に諦めてるっていう話だったんですよね。
なんか、すごいすごい多彩っていうか、多分、その友達関係に、昔会った人とかも多少聞いてくれてるわけでさ、なんかもう、その人に顔向けできるのかどうなのかみたいな話でもあるんですけど、でも、本当ね、正直に言ってしまうと、
なんか私、結構、うん、その、友情の持続みたいなことを、 どっかでね、同じ人とのってことですね、同じ人との友情の継続に関���て、どっかで諦めてんですよね。
なんか、そういうね、ハルさんは、結婚して、友達が結婚して疎遠になったってさ、と書いてらっしゃるだけでしたけど、
うん、なんか、私の場合は、そういう立場の変化みたいのに、なんかこう、あれ、なかったですよね。
やっぱ、そこで、やっぱ相当踏ん張らないと友情が持続しない。友情ってちょっと友と苦しいから友人関係ぐらいにしといていいと思うけど、友人関係って持続しないと思うんですよね。
なんかさ、やっぱり結婚しただけでも結構私はフェースが変わったし、
まして出産してからもう生活リズムが全く変わって、自分の自由な時間ってのはすごいがっと減って。そんな中でね、前の友人とさ、連絡取っていこうと思ったら、やっぱよっぽどの、なんていうの、本当に前向きな気持ち、 絶対にこの子話さないぞみたいな気持ちがあるか、あとはマナチュラルにやっちゃう人もいるんだろうなと思うんですけど、そのナチュラルが最高。かっこいいね、あ、なんかええわなっていう感じだと思うんですけど、
なんか一般に持続しようと思えば結構頑張んなきゃいけないっていうのは本当のとこかなって思うんですよね。それはでも、結婚に限らずですね。結婚、出産に限らず。この間ね、私がよく毎週聞いてるね。前回もお便りで言及していただいたんですけど、アラサー女子の人間観察っていうポッドキャストがあって、
この間、その友情の持続について、そのままのタイトルじゃないと思うんですけど、やっぱ手をかけないと、手とか時間をかけないと、友達関係は続かないっていう話があって、本当にそうだよなと思ったんですよね。なんか大人になるとさ、それこそ、なんか自分のね、その、別に、その、パートナーのあるなしとか、子供あるなしだけで立場を買うわけじゃないじゃないですか。
なんか転職とかさ、そう、仕事の部署移動とかで忙しくなったりとかもするわけで、そういう時に、やっぱり前の友達と仲良くしていこうっていうのは、なんかこう、本当しっかりしてないとダメだと思うんですよね。しっかりしてるから、本当めっちゃ気合う友達ちか、どっちかだけかなって。
なんだろう、うん。ね、楽。いや、でも、友達関係が1番楽なんだよねっていう、ここが私の安らぎなんだよねっていうのが理想だけど。うん、そういう関係ってやっぱ貴重すぎる。人生に 一回あるかなきかなって私は思いますね。うん。だから、要するに、私はその変化の波に負けたよねっていうことなんですけど。
あと、前の、その、午前中喋った時に言っちゃったのは、やっぱりその立場が違うと相手が羨ましく見えてしまうっていうことを言っちゃったんですよね。
そうです。それ、なんかさっきね、なんか他の人が見てどうなんかなと思って調べてみたら、もうそれはもう最悪っていうことをさ、書いてる場所があって、隣の芝生が青く見えるってやつですね。なんかそういうことは、現代においては最悪とされてるんですよね。なんかね、
なかでも、うん、ちょっと正直、私、そういうとこあって、なんかね、若い時は自分はないって思ってたけど、自分が、相手が結婚していく立場の時、友達が結婚して子供がいて、みたいな時に、なんか羨ましいとかいう気持ち全然ないんだよね、みたいな、なんかこう、いや、友達は友達じゃんみたいな感じだったのに、なんか逆になるとさ、 なんか、めっちゃ、なんていうの、結構、立場の違いっていうのをね、ぶっちゃけレベルの話ですけど、ぶっちゃけ結構不に感じてるとこがあるんですよね。
うん、すごい想像力を働かせなきゃいけないっていうか。なんでなんでしょうね。これね、気質的には。私、やっぱ気質的には独身気質なのかな。
なんかそれで、だから、前は結婚してる子たちが羨ましくなかったけど、逆の立場になると羨ましさとか、なんか引け目みたいのが出てしまうっていうことなんですかね。
ね、本当なんかさっきまでさっきは、さっきはさっきはって言っててすいません。私1人しか知らない話なのにさ、さっきはしょうもない話してしまってさ、なんか、 やっぱり、自分のためにさ、堂々とお金を使える人たちと会うと、自分だけ見、素晴らしい格好だとかさ、私だけ全身に苦労だと考えるだけでも、みたいなこととかさ、言っちゃってさ、もうさ、ださ、と思って、なんか、でも、なんか、本当のことなんだけど、客観的に見ると、ダサみたいな
感じですよね。なんか、友達と会うのに、そんな服なんて気にしてんの。みたいな。それがまずダサいみたいなこともあるし、でも、なんか、でも、そうツッコミを入れて自分がいても、なんか、でも、でもさ、無理だよっていう自分もいるわけでさ。
ね、なんでしょうね、これね、 私は、本当ね、ちょっと最初の話に戻りますけど、結婚した後も、夫とね、正直すごい気が合うっていうのもあって、こういうの、人にもよると思うんですけど、私はもう、夫が親友みたいな感じにさ、特に新婚の時とか、テンション高くて、もう毎日が修学旅行の夜みたいな状態になっちゃって、
なんかもう、もう、毎日キャッキャしすぎて、なんか修学旅行ごことかしてたぐらい、なんか意味わかんないですけど、そこで、なんかこう、友情欲が満たされてるのもあって、なんかこう、あえてこう、外に出ていって、友達とね、関係を頑張って継続していこうみたいな風になんなかったんですよね。
それで、その後も、なんていうのかな、 そうしてるうちに友達が減っていって、減っていっていくっていうか。別にどっかで友達がなくなったりとかっていうケースがそんなにあったわけじゃないけど、ただ、疎遠っていうか、疎遠なっちゃった。疎遠疎遠っていうことなんだと思うんですけど。でも、そうやって疎遠な関係に
なっていくのを、自分でなんか歯止めをかけるのは、うん、なんか結局1番家が楽だから、この夫というのはさ。そこに甘んじているうちに、 あれ。友達いないか。みたいな、なんか全然何かに支える友達いないっていう感じになってて、それ、もう、子供産むより前かな。私、子供産むまでの時間も結構長かったので、なかなか子供ができなかったりもしたので、
なんか、そういう、その時間のうちに、3年ぐらいの時間の、2年か、2年ぐらいの時間のうちに、もう、気楽にやる友達っていうのは、全くいなくなって、なんか、でも、それをどうこうしようとも思わなかったんですよね。そん時はね、なんか、頭の中、まだ2年経ってもお花畑だからさ、ふぁーって。
うん、それで、でも、どっからかな、どっからか、私、友達いなすぎて、やばいって思い始めたんですよ。
なんか、本当、我が家のさ、家族会議、若やって言っても、私と大人っていうことですけど、家族会議で議題に上がってたのが、1番今まで最大回数会議に上がってるのが、
友達いない。どうする。っていう話なんですよね。なんかお互いね、夫もね、友達いないんですよ。夫に友達がいない理由と、私に友達がいない理由、多分違うかなっていう気もしてるんですけど。
私がね、30過ぎぐらいまではいたからさ、もはもっと早い段階でいなくなってるから、なんか理由が違うとは思うんですけど、でもやっぱさ、なんか友達、 友達いない、友達欲しいってどっかでなっちゃったんですよね、私は。うん、子供が2歳ぐらいになったあたりなのかな。そっからかな。なんでなんでしょうね。やっぱりこう、あまりにもこう、
生活にさ、新しい風が吹き込まなくて、友達、友達が欲しいなって本当に思ったんですよね。
ね。で、夫がさ、昔の友達に連絡とれば。とかって言ってくるわけですよ。当然。でも、なんかそれはできねえって思うんですよね。私、こっちで母親をやってる 友達が、少なくとも近距離には全くいないんですよね。で、どんなに昔の友人までたどってもいないかな。
やっぱこっちに来てからの友達は最近すごい感じるんですけど、友人関係ってやっぱ結構元から狭い。自分と似たような環境の人と友達になってる。私、田舎から上京したから、 やっぱ上京組の友人が多いんですよ。その、元から東京に住んでるっていうこと、全然縁がなくって、その、ママ友関係みたいな、まともじゃないですけど、その幼稚園ママ関係とかを除くと、
そのみんなが状況組ほとんどね。で、そうすると、そういう子たちって、やっぱ結婚遅いとかしないとかっていう子が多いから、そういう早いタイプであれば、やっぱ早いタイプの子って地元をあんまり離れない傾向にあるから、なんかこう、似たような、せ、なんていうの、人生イサイクルっていうかさ、そういう感じで歩んでて、 30過ぎて独身の子っていうのは非常に多かったんですね。そういう中で、やっぱり生きてる知らず知らずのうち
でも、なんか、そ、外の世界ってあるんですよね。なんか、自分の人間関係しか見えてないから、私、東京にいる人たちって、みんな上京してきたぐらいにさ、見えちゃってたんですよ。なんか、東京の女の子は、私たちがこう移動するように、なんか四国とか九州とかに移動してんだろうなって思ってたんですけど、 何それ。って感じですよね。なんか、人間は移動する生き物みたいなく思ってたけど、なんか、その子供の幼稚園のお母さんたちのバックグラウンドを聞くと、なんか地元の人とか普通にいるんですよね。
なんか私は自分を平均としてどうしても考えてしまって、この辺に住んでる人たち結構みんな結構さそうで、ここで生んだ時35とか多分平均ぐらいだし、幼稚園入ったら40代にかかってくるってのは普通だよねって思ってたら、全然違くて。
だからみんな地元の人だし、みんなじゃないけど地元の人結構いるし、結婚ももうちょっと手前で、自分が一般的な人間では全然なかったんですよね。
なんでしたっけ、そういう、なんか、だからこっちで、だから似たような環境にある今、その昔の人間関係を辿っても、ママ友みたいなのができる感じではない。
忙しいの子はいますけど、結構遠くに分布してて、なんかその辺ではいって会える感じじゃないっていうね、感じでして。
なんかそしたら新しい友達欲しいみたいな感じになって。なんか、どうするどうするって、ずっとね、夫と話し合うんですけど、なんか夫側が友達欲しいって言ってるターンもあるんですよ。で、どうするどうするって、こうしたら、こうやってみたら。みたいな出て、なんかでもそう、だんだん溶けて終わっていくっていう。なんで、なんで溶けるのか、いつものパターンなんですよね。
なんか、そこで、そのままじゃない友達の方にもう1回会ってみようっていう話になってもおかしくないと思うんですけど、一般的にはね、
なんか、でも、そこが私のすごいダサいとこで、さっき話したダサいとこで、なんかそこにどうしても立場の違いに対して負荷を感じちゃう。
本当ね、今時ね、このハルさんも書いてたけど、そのママとママの友達とママじゃないと、もう本当は分けたくない、分けることはそうではないって書いてたのは、そういう意味かなって私は受け取ったんですけど、なんか、今それを分けるのは多分世の中的にダサい。
なんかそれは分断だよって言ってさ、そんなことないなんていうの。その立場が違うから分かり合えないんじゃない。私たちは繋がっていこうよっていうのが現代のあるべき考え方じゃないですか。
立場が違うからって、そういうお互い想像力を失ったダメだよって、分かり合えなくはないよっていうのはね、かっこいい答えだなって思うんですけど、 私、やっぱそこにさ、そこで��んやりしてる、その手前ですごいぐんやりしてる人間なんですよね。
そしてね、前の会で、ママ友もみたいな会で言ってますけど、幼稚園ママとも友達になれず、私は結局こう、ぼっちで過ごしていくっていう。
だから、私の友人関係は全体的に失敗しているんですよね。今、全面的、全面的にまずい。
ま、まずすぎて、今ここで喋ってるっていうことなんですよ。なんかこのポッドキャスト初めて。私はすごい。そのさ、友人が欲しいって言ってた時の赤幕として、ここ、なんかこう、なんかはいつも、はい、そことなく頼りない感じっていうのがさ、正直なくなったんですよね。
うん、なんか喋り足りないことっていうのがあったのかな。誰かとすごいたわいない話をしたいって、その時言ってたかもしんないですね。友達欲しいっていう時に、
なんかもっとさ、たわいない話をしたいんだよって。別に夫ともしてますけど、夫とはなんかしつくした感が人生の全てをさ前半生を交換済みであるっていう感じがするから、なんかもうちょっと ね、さらに話を別の誰かにしたいんだよと思って。でも、こうやって一方的に話すので満たされてるあたり、私がこうやって1人でべらべらって喋ってるので満たされてるあたり、私のやっぱ人間関係に対するスタンスって歪んでるなって思うんですけど、 なんかその相手のことを分かりたいみたいな気持ちないんかっていう、どこまで自己中なのって思ってはいるんですけど、そういうツッコミは成立するんですけど、自己中なのかもしれないって思っちゃいますね。
なんかさっき、ちょっと、さっきさ、羨ましいと思ってしまう時があるっていう話を、そのままじゃない友達をね、ちらっとしましたけど、 なんか、私が普段、別の分野でさ、全然違うジャンルで思ってんのは、やっぱ羨ましいって思ってしまったら、人間関係は終わりだよっていうことを思ってんですよね。その、誰かのことをさ、 羨むっていうのは、もうその人の苦労っていうのはないことになってないとか、自分より極端に少ないっていうことになってて、
その子の、その子ってか、その友人関係じゃなくても、相手の個人のいろんな心情とか、その経験とか、細やかなとこに目を向けないで、あんたはこうやってるからいいよねみたくなるのはさ、なんかもう、本当、 経済格差とかの話だと難しいですけどね。なんか、そうなるのも仕方ないっていうメモありつつ、なんか、そうやって、相手をさ、羨ましいって思ってしまったら、もうそれ以上、その人のことは想像しないっていうことだから、 すごい良くないなっていう風に思ってたんですけど、でも、自分がそうさ、感じる側に回ってしまってんなと思って。私はすごい時間に対してケチなんですよね。
これ昔からだと思うんですけど、3の性格が変わったとかじゃなくて、多分昔から結構あったと思うんですけど、やっぱすごい自分1人で勝手に使ってる時間が好きなんですよね。
なんかこれもうなんか人としてなんか最低のこと言ってる感じするんですけど。なんかね、本当はさ、人と分け合ってる時間が好きとか、人のためにしてる時間が好きとか言った方が絶対かっこいいのに、自分のために使ってる時間が好き。
しかもなんかだらだらしてる時間が好きなんですよ。なんか自分を向上させる時間がとか、なんかこう、ネイルをつけている時間がとか、そういうことでもなくてさ、なんかもう、ただこう、むさぼってる時間がすごい好きなんですよね。もうそれがね、今もう欲しくて欲しくてしょうがないんですよ。
だから、なんかそういう時間が取れるっていうこともさ、自動的に羨ましいと思っちゃって。別に取れなくないですよ。私も結局最近ゲームやってる人めっちゃめっちゃマクラフトしてるし。
でも時間無限にあったら、私今youtubeで実況とかするのいいなって思うんですよね。なんだその欲求はっていう感じですけど、ちょっと思うんですよね。なんで、私の自由な時間ね、なんか、 あと6時間ぐらい、日に6時間ぐらいあったら、実況チャンネル作んなけどなって、そんなことがしたいんかっていう、41にもなって、って思うんですけど、本当、そうなんですよね。うん、だって、そうやって、
そうやって、そう、時間けちんぼみたいな、時間が欲しいみたいな感じで生きてるから、そういう時間っていうものを持ってるとか、あるいは持ってないかもしれない、持ってそうな人に対して、羨ましいっていう気持ちが先にバンってきちゃって、なんか、個別の事情みたいなのを想像できなくなっちゃう。
うん ね、本当、ダメですよね。でもさ、もっと深堀りしてしまうと、さらにこう、さらに自分の気持ちを掘ってしまうと、でも、友達って、友情ってさ、人に見せるためにあるわけじゃないし、っていう
気持ちもあんですよね。なんかさっきから、かっこいいとか、かっこ悪いとか言ってるけど、なんかさ、そのかっこいい人間関係を、自分が気付かなきゃいけないわけではないよね。
なんか、自分の限界、限界がそこだったら、もうしょうがない。その立場の違う人に対して、羨ましいと感じてしまったり。そして、相手のことをね、本当の意味で思いやらなくなったりとか っていうのも、そこが自分の限界かなっていうことを思ってしまいますね。諦めすぎかな。もうちょっと自分を高く、志を高く持った方がいいんかな。
なんか本当いいのはさ、いくら羨ましさみたいなのがあっても、それでもね、結局みんな同じ苦労どっかではね、してんだよと思って。そういう立場で人を分けないで、 私の好きなあの子は最近元気かな。どうかなって気遣う気持ちの方がね、前に出てきたら、やっぱそれは素晴らしいことだなって思うけどね、自分にはそれがないみたいな。ちがっかり現状ですよね。
学会伝統だよ。ちょっとがっかりのまま話が終わるとまずいので、なんかそうじゃなかった時の話、私が逆の立場だった時の話をしたいんですけど、
1人すごく早く結婚した子がいて、二十歳で結婚。2歳になる前かな。19だったかな。すごい結婚しても、私が大学生だった時に、ぎ、大学4年ぐらいだったかな。で、子供を産んだ子がいて、でもその子との友人関係が全然変わんなかったんですよね。
なんか今思うと、その出産した立場になって思うと、逆にいや、気使えよっていう、その当時の私に気遣えよって言いたくなる気持ちめっちゃあるんですけど、何も変わんない友人関係で、なんか、向こうに泊まりに行ったりとか、してたんですよね。
なんか、結婚した時点でさ、なんとかちゃんち、泊まりに行ってきたよとかって、おい、親に言うとさ、あんた、やめなさいよ。新婚さんのうちに泊まりに行くなんて、何考えてんの。って言われてたんですけど。
で、赤ちゃんがいるうちに泊まりに行くなんて、何考えてんの。みたいな感じもするんですよね。なんか、それもさ、全然さ、なんか、すごい、
なんか、タッパーいっぱいのさ、おかずとか、栄養あるおかずを持って、3日分ぐらいのおかずをさ、もうすごい保存できるやつを、手作りの栄養たりのやつを持ってさ、行くとかだったらまだし、もうなんかふと、自分が寝る布団1枚だけ持って、なんかパンパンのさ、なんか丸いの袋とかに入れてさ、なんか久しぶりみたいな感じで行くみたいな、なんか何もしないでさ、育児を手伝うこともなく、 なんか友達がべビーカー押してて、なんか待ち合わせ、駅前で待ち合わせした。ベビーカー押してて、ちょっと歩かなきゃいけないから、妄想だなと思って、
重いでしょ。ちょっと押せよって言ったんですよ。でも本当にすげえ重くて、なんか100メートルぐらいあったら、重い重い、もう無理もう無理ってなって、なんかもう無理とか言ってたんですよね。バカなの。っていうさ、何しに来てんお前っていう 感じなんですけど、そういう調子で付き合ってた子がいて、その赤ちゃん連れてさ、カラオケ行って、あれですよ、社内に置いてってないですけど、そういう悪いことはしてないんですけど、カラオケの部屋にも連れてって、歌って、
回転寿司に行って、テロとか食って、なんなら確かボーリングとかも言ったような気がする。なんかもうさ、子供を連れたまま外出してね、別に何もやましいことじゃないんですけどね、育児情やましいことではないんだけど、 それをに普通に楽しんでる当時の私の方がええ歌っていう、いいのかそれでっていう疑問があるだけなんですけど。
そうやってさ、すごい私もアパでさ、なんか友達が作ってくれたご飯とかさ、な、このもやしなうめえとか言ってって、これ何入ってんの。こんなんできんの。って、すげえななんとかちゃんすげえなみたいなこと言いながらさ、食べて、滞在してさ、
そうやって付き合ってた子がいて、なんで付き合いって続いたのかなって思ったんですけど、私がそういう気遣いができないくらいアホっていうさ、あまりにもkyっていうことも結構関係してるかもしれないんですけど、 なんか、飲みなてさ、多分、友達がそれを必要としてたんですよね。なんか、私の方から、そんなこと言ったら、すごい厚かましいんだけど、 なんか、私を好きで、元気かな。一緒に遊びたいなって思ってるとかっていうよりも、それもあったかもしれないですけど、
やっぱ、その子自身が、遊びたくて、カラオケ行きたくて、友達と行ってさ、赤ちゃん連れても、 車高の低い車で、どんどんって話しながら、こう、なんか、どっかにさ、友達と一緒に外出したかったんだろうなっていうことなんですよね。多分、若すぎてさ、同じ境遇のママ友っていうのは逆に作りようがなかったんか。なんて。今になると 思いますね。そういう友達がいればさ、工藤を分かち合う子がいればそれに越したことはないけど、そういう人が周りにできそうにもなかったんでしょうね。結構。やっぱ産んだ人はもうちょっと上の人たちが多かったんでしょうね。
そんな予想から言ってるしね。その地元の地元の人じゃないからさ。だから、本当に必要と思ってたら、 その後も友人関係は続くんだろうなって思います。なんか、でもこれはそ、なんか本当に必要ではなかったっていうことになっちゃう。なんか、私の周りの友人関係も、ハルさんのご友人の方の友人関係もそうなってしまうけど、 そんな寂しい結論でいいのか。っていうことになりそうだけど。うん。
でも、ハルさん自身も幸運流水的に捉えてい���す。っていうことだから、そういう友達の時期があっただけでも楽しかったなっていうのは変わんないっていうことですよね。
うん。それは私も思うかな。なんか、その、連絡取ってないけど、当たり前だけど、そういうさ、楽しい時間があったことは、いい思い出みたいな、思い出みたいな風になってていのかな。
うんね。本当、すっきりしなくてすいません。今回ね、めっちゃね、ただダサい話をしてるだけの会だからな。なんかもうちょっと気遣うさ、余裕があればいいんですけどね、きっと。
余裕とか言ったけど、余裕っていうか、もうあれかもね、気持ちかもね。
余裕は別にみんなない中で、気持ちがあるから気遣ってるのかもしれない。うん、どうしよう。本当に何の結論も出なくてすいません。なんか、でも思うところっていうのは喋ったかなと思います。私、本当はなんか色々すごい ね、どうなの。っていう発言、人としてどうなの。っていう発言いっぱいしてるけど、来月あれなんですよね。それこそ、なんかその、疎遠な友達と会う予定が入ってるんですよね。それでこの話をしていいのかっていう感じなんですけど、
仕方ない。こんな全く結論が出ない会があってもいいでしょうかね。なんか、でも、すごい友情が継続してる人かみたい。なんなんだみたいな感じなんでしょうね。全然違う世界を生きてるんだろうな。
なんかこんなグダグダだけど、本当本当、人として最低な感じで、今回はね、申し訳ないんですけど、こんな私もどっかでもう1回友達できることあるんでしょうかね。
なんか継続する友人関係みたいなのができることはあるのかな。ないかもしんない。うん。その友達にさ、一生会わないかもしれないってね、はるさん書いてらっしゃいましたけど、私も正直それ
思うんですよね。去年、私はyoutubeの配信してたんですけど、 それってなんか始める時ちょっと思った。それが別に主な目的じゃないけど、ちょっと思ったのは、なんかいろんな人と会ったけど、大概の人は2度と会わずに私死ぬんだろうなって思って。やっぱ40過ぎたよね。
なんか大体の人とはもう再会することはなく死んでいくんだなって思って。なんか、でも、思い出した時にさ、
あの人とあいつどうしてるのかなぐらいのさ、本当、別に気遣ってるとかさ、思い合ってるとかじゃなくて、なんか、なんなら私を嫌いな人でもさ、なんか私に対してすごい憎しみを持ってる人とかでも、なんか、どうしてんのかな、なんか顔見てやろうかなっていうさ、憎しみを持ってでも見ようと思った時にさ、そこに動画があるっていうのは、 なんかいいかなと思って。ちょ、意味わかんないと思うんですけど、これ。この感じ、あんまり人にわかってもらえる感じがしないんですけどね、なんか一生合わないって考えると、結構何もかも寂しいものだなと思って、なんか残したいなってちょっと思ったんですよね。
本当、一生会わないっていうことあるんだろうな。なんかそれでいいのかな。なんかもうちょっと年いった人たちは、そういう時は頑張って会いなよってね。今元気なの今だけかもしれないからねって言ってくれるんですけど、なんかそういうさ、久々に声かける時の負荷とかさ、一緒に会って何を話せばいんだっていうさ、考え事とか、 そういうのをさ、通り抜けて、しっかり人に会いたいって思える日が来るのかね。あと10年ぐらいしたらね。なんかこの10年ぐらいしたらねってつぶやきに、今すごい逃げが見て取れますね。
なんか、会いたいな、どうしてんのかなって人に対して思うことあるし、なんか人が思い出してくれるのってすごく嬉しかったりするんですけど、なんかね、去年の春ぐらいにね、中学の同級生が うちに仕事で来た時に、なんか前から来てたらしいんですけど、その祖母の苗字で契約してたから、気づかなかったみたいで。それが、なんか、その祖母が死んで、苗字が、家の、その、払う人の、支払う人の苗字が変わった時に、あ。って思ったらしくて。
私、前回、すごいそのペンネームの会で、すごい地味な名字だっていう話をしてますけど、地味だけど、そんなに件数いるわけじゃないんですよ。町の中に、たまたまね。たまたまうちの街は少ないみたいな。それで、同級生のあの子も嫌なんだなって思い出してくれて、母にそれを言ってくれた。そうなんですよね。もしかしてなんとかさんのお家ですか。って。僕、中1の時同級生だった。
それさ、すごい言ってもらって嬉しかったんだよね。そんなさ、同級生でまだ私のこと覚えてくれてる人いるんだと思って。
だからこう、人に覚えてもらっていたりすることってすごい嬉しいのにね。嬉しいはずなのに、どうしてそこに積極的になれないんでしょくね。やっぱ何かの欠如、勇気の欠如、努力の欠如みたいな感じなのかな。
そんな感じで、今回はね、なんか自分の欠如みたいなの確認しただけの会になっちゃって、なんか、はるさん、この答えで納得してくれるのかなって不安はあるんですけど、この辺で終わりにしたいと思います。はるさん、お互いどうもね、考えるきっかけをくださってありがとうございました。
今日はもう一通、お便りお読みしたいと思います。匿名の方からです。としまさん、こんにちは。何度かお便り寄せたものです。
筆名の件、計略的で笑ってしまいました。前回のご感想ですね。私もペンネームをつける機会が何度もありました。自意識に押しつぶされてつけられないなと思って、一時期本名で出していたのですが、これね、私も言いましたよね。なんかそういう方もいるみたいっていう風に言いました。最近は小説に出てきた登場人物がそのまま取ったりしています。
なんかしょうじかおるみたい。赤ずきんちゃん気をつけての なんか随分昔の作家ですけど、でもまだ決めかねています。他の作家の方ってどうやって決めてるんでしょうね。っていうことでしたね。短いけど、前回のことにお便りいただけて嬉しかったです。ありがとうございます。
ペンネーム。なんか私がさ、デビューしたぐらいの時期に、ペンネームの由来をなんかインタビューで目にすると、全てネット上に書き留めてる人がいて、
ペンネームの由来辞典みたいな、なんかそういうサイト名だったと思うんですけど、本当にさ、私も、私自身がそこに載ってたんですよ。そんな、本当、ペーペーの時に出して喋ったのそのままそこに載ってて、すごいと思って、この人どんだけ細かいインタビューまで読んでんだっと思ったんですけど、 なんか、それで、そのサイトまだ残ってないかなって調べてみたんですけど、残ってなかったですね。あったらすごい。本当に今活躍してる人も、今って、その時の今だけど、その昔の双葉停止名とか、その有名なやつだけじゃなくて、その最近の人まで乗ってて、すごいなと思ったから、それ見ていただきたかったんですけど、ないですね。
なんか、でも、代わりにそういう本がね、2、3冊あるみたいでした。フェネルの由来辞典みたいな名前の本ね、読んでみるといいかもしれないですね。
それからですね、あともう1通お便りをいただいてるんですけど、今日、4月26日に送ってくださった方ですね、 この方、非公開にしたいっていうことでね、ハさんのダイと似てるけど、そっちは多分読み上げないでほしいっていう意味だと受け取ったのでね、受け取りました。読みましたっていうだけの返事にしたいと思います。ありがとうございました。そちらもね、以前の会にご感想をいただけて
ね、あと、こう、非公開にしたいという事情もわかりましたので、それぐらいの意味があるものだったので、ここでは読まないんですけど、ありがとうございましたということだけお伝えしたいと思います。
急に曲紹介コーナーに入るんですけども、この番組ではspotifyのmusicplstocという機能を使って、jpop大好きな私がテーマにまつわる曲を選び、番組の終わりに流すということをしています。spotifyで番組を聞いている方以外も、曲紹介までお気軽にお付き合いいただけますと幸いです。今日の曲紹介なんですけど、
素って言っちゃいましたけど、あれですよね、トフスキーのトモフスキーの疎遠があるといいですよね。なんかね、結構聞いてる人たちで知ってる人も多いと思うんですけど、アフターシックスジャンクションtvラジオの番組で 疎遠っていうコーナーがあって、その友達、あくまで友人関係に限って、その仲が良かったけど疎遠になってしまったっていうその気持ちとか事情とかを ただ通すっていうコーナーがあって、私めちゃめちゃ好きだったんですよね。その後聞いてたの、結構昔のさ、子供が流れてる音声に言わなかったこと限定の話なんで、今もう最近聞けてないんですけど、
その頃は本当そのコーナー楽しみで。私の人生、素の嵐ですから。その、サンゴだけじゃなくてさ、いろんな疎遠がありましたから。もう自分が結構やらかしだからさ、人間関係のさ。でも聞いてて、なんか私みたいにここまで疎遠の嵐のやついねえだろうなって思いつつ。
そこでかかってた曲がトフスキーさんの奏遠っていう曲でね、それもすごいいいんですけど、spotifyには音源ないんですよね。またね、モームスに続いてなので、今回は別の曲で行きたいと思います。
これはもうね、最近の曲で、皆さんもうもれなく皆さん聞いたよ、聞きたくない、当時は聞いたよっていう曲だと思うんですけど、kingdoの白日でいきたいと思います。友達に対する歌なんですよね。
これは確かあれですよね、自ら人生おしてしまった友人に対する3軒の歌だって聞いたことあるんですけど、ちょっとまた聞きで言ったダメなのかな。でも結構有名な話じゃないかな。
そういう事情で非常に後悔している友人関係に対する歌なんですよね。
そういうことは、私の人生の中で同じことがあったと。あったと認識しているっていうことはないんですけど、もしかしたら自分の知らないことで、そういうことはないとは全然言い切れないから、ちょっとないとは言えないんですけど。認識してる限りではないんですけど、でも、 あとさ、そういう自分だけがやらかした一方的な疎遠だけでもないんですけど、でも概ねさ、なんかこの曲を私、結構何回も聞いたんですよね。すごい語ってると長くなりそう。なんかそこでも語った方がいいのかなと思いつつ、ちょっと本編でだいぶ語ったか。この辺はいいかな。ちょっとね、歌詞によく
ね、皆さんでも知ってるよね、これ。つい歌詞を聞いちゃう歌だよね。はっきりと聞こえますよね。なんか違う方から喋ってみよう。やたらさ、その、結構j-popってさん。なん。なんて言った。みたいな、なんかよくわかんなかったっていうの多いと思うんですけど、 お、めっちゃはっきり聞こえる。歌詞カード見たことないのにさ。で、結構複雑な曲調で、複雑なメロディーに、
結構1技でさ、すごい載せ方で、言葉が載ってるのに無理があることがなくて、こう、すっと心に入ってきますよね。私、kinggnuのことに詳しいかって言われると全然詳しくないんですけど、この曲は本当はやっぱ自分に思うところがあってかなり聞いたし、この曲がヒットしたっていうことは、みんな少なからず そういう思いを抱えて生きているのかなっていう風に。そうやって自分の罪を軽くしようとしてるのはよくないですけど、でもそういう思いをしてる人もいるのかなと思いながら聞きました。じゃあ、spotifyでお聞きの方はこの後曲が流れますが、また明日ここでお別れになります。最後までお聞きくださりありがとうございました。
なんかこんな会でしたけど、こりずにまた聞いていただけますと非常に幸いでございます。それでは聞いてください。kingnuで白日。
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shintani24 · 9 months ago
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2024年4月19日
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コロナワクチン用冷凍庫、どこへ 全国約2万台 処分に動く自治体(朝日新聞)2024年4月19日
埼玉県白岡市が新型コロナウイルスのワクチン保管用に国から無償譲渡されていた冷凍庫。すぐに引き取り先が見つかった=2024年4月10日、埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」、佐藤純撮影
新型コロナウイルスのワクチン接種を全額公費でまかなう「特例臨時接種」が3月末で終わり、国から自治体へワクチン保管用に無償譲渡された冷凍庫も役目を終えた。マイナス60~85度の超低温を保てる特殊な機種が含まれており、家庭用には向かない。自治体は譲り先や売却先を探すなど、一斉に処分に動き出した。
埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」の廊下に9日、4台の冷凍庫がズラリと並んだ。接種を担う市内の医療機関に置かれていたが、この日、市の担当者が回収してきた。
センター内の別の場所などにある3台と合わせ、計7台が2021年度に国から譲渡された。健康増進課によると、3月までに接種を受けた市民は延べ約19万5千人。市外で接種を受けた人が一部含まれているが、ほとんどの人たちはこれらの冷凍庫で保管されていたワクチンを接種された。
特例臨時接種の終了を前にした昨年12月、厚生労働省は全国の自治体に事務連絡を出した。冷凍庫の譲渡や売却などでの有効活用を求めつつ、廃棄も認める内容だった。
市はこれを受けて、医療機関に打診したり、4月初めからホームページで引き取り先を募ったりした。その結果、冷凍庫を置いていた医療機関が1台をそのまま引き取るほか、市の農産物販売施設「しらおか味彩センター」の指定管理者や県外の動物病院などに5台を譲ることに。残り1台は、災害時の医薬品保管を念頭に市が引き続き保有する。
大瀧明志・市健康増進課長は「無事に有効活用してくれる先が見つかり、ほっとした」と胸をなで下ろした。
厚労省によると、ファイザー社のワクチン向けの超低温冷凍庫9900台、モデルナ社のワクチン向けの低温冷凍庫1万2千台を計90億円余りで調達した。全国の自治体の希望に応じて計約1万4700台を無償譲渡したほか、国が7千台余りを保有して職域接種をする企業などに貸した。耐用年数は6~10年程度。同省も国保有分の処分方法を検討している。
県のまとめでは、県内63市町村のうち、横瀬町を除く62市町村と県に、計788台が無償譲渡された。最も多かったのはさいたま市の108台。川越市45台、川口市39台と続いた。
さいたま市は、ワクチンの配送を委託した業者の倉庫に108台をまとめて置かせてもらっていた。2月に業者から見積もりを取り、川口市の中古機器業者に約58万円で売却することを決めた。4月早々に引き渡した。
県は譲渡された13台のうち1台を県衛生研究所で活用するが、12台は引き取り先が見つからず、すでに14万円余りかけて廃棄したという。8台使っていた八潮市は、市内外の研究機関や医療機関に無償譲渡する。4月中に引き渡す予定。
蓮田市は3月、ホームページで譲渡された6台の引き取り先を募った。21件の応募があり、市内の医療機関2施設に1台ずつ、県内の大学2校に2台ずつ譲ることにした。
市によると、6台中2台は一度も使わなかった。当初4台で対応していたが、故障した場合に備えて、追加で確保したのだという。担当者は「無事に接種をするために必要だったと考えている」と説明する。
さいたま市でも108台のうち数台を使わなかったという。
厚労省予防接種課は「当初、冷凍庫が壊れてワクチンが使えなくなり問題になった例があったので、貴重なワクチンを大事に使うため、自治体の工夫で予備を確保したとしても、否定的にとらえていない」としている。(佐藤純)
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744自治体、消滅可能性 4割超、30年間で女性半減(共同通信)2024年4月19日
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「人口戦略会議」がまとめた報告書概要のポイント
人口減少問題への関心を高めるため、民間組織「人口戦略会議」がまとめた報告書の概要が19日判明した。2020~50年の30年間で、子どもを産む中心の年代となる20~39歳の女性が半数以下となる自治体は「消滅可能性」があるとした上で、全体の40%超の744自治体が該当すると分析している。24日に公表予定で、自治体に地域の実情に応じた対策の充実を呼びかける。
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【一覧】全国市区町村別の人口増減率
人口減少を巡っては、別の民間組織「日本創成会議」が14年に報告書を公表した。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の地域別将来推計人口を基に独自にデータ処理した結果、896自治体は10~40年に20~39歳の女性が半数以下となり、消滅の可能性があるとした。896自治体のリストも公表した。
10年ぶりの今回は、独自のデータ処理をせず最新の社人研推計をそのまま当てはめた。見かけ上は、該当自治体数は10年で150程度の減少となった格好だ。人口戦略会議は外国人住民の増加が要因で、少子化自体には歯止めがかかっていないとみている。
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湖の底に武田信玄の墓? 子どもの頃に聞いた昭和の謎「捜索」、社長が追う歴史ロマン かつて騒がれたひし形の巨大構造物は…(信濃毎日新聞)
長野県の諏訪湖、ダイバーや水中ドローンで「解明」試みる
諏訪湖底の構造物を調査
湖底に眠るは「武田菱(びし)」か否か―。長野県の諏訪湖で、1980年代に国土地理院の調査で存在するとされた湖底の構造物に迫ろうとする調査が行われた。諏訪湖に戦国武将・武田信玄の「水中墓」がある―と聞いて育ち、謎に憧れ続けた京都市の出版社社長宮下玄覇(はるまさ)さん(50)が、信州大諏訪臨湖実験所(長野県諏訪市)の元所長で調査経験のある信州大名誉教授の沖野外輝夫さん(87)=諏訪市=に協力を依頼。ダイバーや水中ドローンによって「解明」を試みた。
【動画】水中ドローンも駆使して湖底に眠る「信玄の墓」を捜索
信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝え
87年、旧建設省国土地理院の地形調査で水中音波探知機が湖底を調べたところ、一辺25メートルのひし形の構造物があることが判明。地元ではコイの網いけすの残骸と考えられた一方、信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝えがあり、構造物の形が武田家の家紋「武田菱」に似ていたことなども人々の想像力を刺激、信玄の水中墓では―といった見方も出た。
88年、諏訪臨湖実験所が調査し、その後もテレビ局が大規模調査を行ったが構造物は見つからず、近年は調査は絶えていた。
「諏訪湖には信玄の遺骸が眠っている」。宮下社長は幼いころから諏訪市出身の母からそう聞いて育ち、調査を特集するテレビ番組なども見た。ロマンを長年温め、数年前から沖野さんに接触しようやく実現にこぎつけた。
沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査
14日の調査は宮下さんや出版社の社員、沖野さん以外に、関心を持った県内外のダイバー6人がボランティアで協力。諏訪市豊田からボートを出し、下諏訪町の諏訪湖博物館の沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査した。
ロープに沿って並んで潜るなどしたものの、水の濁りなどに阻まれて視界が悪い。水中ドローンも駆使したが、かつての調査で目印とされたドラム缶も発見できなかった。
宮下社長は「このままでは終われない。次は金属探知機を使って調べたい」と再挑戦を誓った。ダイバーとして参加した塩尻市のダイビングショップ代表の清沢康成さん(50)は「何か見つかれば地域も盛り上がるし、わくわくする」。調査地点の案内などに助言した沖野さんは「また(調査の)光景が見られるとは思わなかった」と感慨深げだった。宮下さんは調査の経緯などを本にまとめ、今後出版を予定しているという。
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2024.1.17wed_tokyo
昨晩は、わりとよく眠れた。 鼻詰まりが随分ましになったのが嬉しい。それまでは鼻をどれだけかんでも一向に空気の通り道が出来なかったのに、今では呼吸をするたびに鼻の奥に冷気を感じることができる。鼻呼吸ができないと、寝てる間にもしや呼吸困難に陥るんじゃないかと妙な心配をしてしまう。
熱を出すような風邪は4年ぶりです。 SUNNY BOY BOOKSさんでの個展を終えて、一息ついたらこれである。まあ、作家が個展のあとに調子を崩すのはよくあることかもしれない。 もしやコロナでは、と検査キットを試してみたけど幸い陰性でした。
たとえコロナでなくとも、辛いものは辛い。ふと寝起きの妻を見ると、どうやら彼女も調子が悪いらしく、今日は在宅の手続きを取ったそうだ。自分の風邪がうつったんじゃないかとヒヤヒヤする。 首から上だけプールの水に没んでるような、じんじんとした不快さを感じながら1階に降りると、柴犬のひるねは階段の下で尻尾を振って待っていた。早く散歩に行きたいのだ。風邪をひいたせいでここ数日の散歩はショートコースばかりだった。今日はノーマルコースにしよう。(ひるねのお散歩コースは、ショートコース、ノーマルコース、スペシャルコース、プラチナコースがあります)
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昨日の夕方の強風で凍える思いをしたので、念のため厚着で外に出ると、今日はそれほどでもない。ひるねも待ってましたと言わんばかりに、軽やかなステップで歩いてゆく。
体調が優れてなくとも、ひるねとの散歩は気持ちの良いものです。 僕が住んでいる町田市の玉川学園は、知る人ぞ知る坂の多い学園都市で、どこへ行くにも坂を上らなければならない。最寄りの小学校までは郵便局のある長い坂を歩いていかなければならないので、この町で健脚を鍛えた子どもたちは全国のマラソン大会でもなかなか良いところまで行くんだとかなんとか。真偽のほどはわからないけど。 とにかく、犬の散歩をするのにだって、それなりに坂を上ったり下ったりしなくちゃならないのだけど、おかげで見える景色にも変化があって楽しい。 家から南に曲がりくねった住宅地を歩いていくと、ゆっくりと標高が高くなっていく。断崖にそって左に大きくカーブしているので、そこからの見晴らしはなかなか良い。見晴らしと言っても見えるのは町田の街並みで、それは別にとくべつ美しいと言えるものではないのだけど(町田市民は怒るかもしれないけど)、「暮らし」を感じるにはこの上ない好スポットだと思う。夕暮れ時にここを通ると、ときどき中学生か高校生の女の子が、夕日を撮ろうとスマホを向けている。
犬と暮らすようになって、共に散歩をするようになると、そうでなかった頃には感じもしなかったことに気付くようになった。 たとえばポイ捨て。犬と散歩をすると自然と目は足元に行くわけで、道に転がるゴミの多さに辟易することがある。犬は食欲の権化と言っても過言ではないので(人間もそうかもしれませんが)おにぎりの包装フィルムとか、カップ麺の容器とか人が捨てたものに口を向けようとする。誤ってお菓子を包み袋ごと食べてしまった時は動物病院で吐かす処置をしなければならなかった。そういうことがあるから、散歩中にスマホなんてなかなか見れません。でもたまにいるんだよなぁ、スマホしか見ずに犬の散歩をしている人。もうなんならスマホに集中しすぎちゃって道の真ん中で直立不動になっちゃってるの。直立不動の飼い主にリードだけ繋がれちゃって、飼い主の周りをウロウロすることしかできない犬。なんですかあれは。
散歩から帰って、熱を測ると37.3分だった。これくらいの熱なんでもない筈なのに、なんなんだこの不快感は。 来週は勤め先の専門学校に必ず行かなければならないから、なんとしても治したい。学生は卒業制作の真っ只中で、その最終発表が来週なのだ。講師が風邪で不在なんて事態にするわけにはいかない。かかりつけのクリニックに予約を取ると、着込んで車で向かう。 いつも診てもらっている先生がお休みで、今日の先生は自分よりひとまわりは若そうな方だった。最近ではこういうことが増えた。今まではお世話になる人みんな自分よりも年上の方が多かったのに、気づけば同年代、今では年下の人にお世話になることが多い。アパレルの店員なんて、みんな年上のお姉さんって感じがしたけど。 若い先生は、緊張しているのか急いでいるのか、割と早口で、だけど丁寧に「まあ、風邪ですねえ」という話をしてくれた。
薬局で薬をもらうと、途中マクドナルドでテイクアウトして、家に戻った。ちょうど仕事の区切りがついた妻とまずはフライドポテトからむしゃむしゃ食べ始めた。
「マクドナルド美味しいな」つい、口に出た。マクドナルド美味しい。 「うん」妻が言う。
テレビをつけると、阪神・淡路大震災の追悼の様子を映していた。そう、今日は1月17日だ。29年前、私はまだ小学生でした。 会場の公園に設置された竹の灯籠で「ともに」の文字がかたどられている。当然、能登半島での被災者への思いを込めてのものだろう。 ここ数日は本当に寒い。北陸は凍てつく寒さだろう。避難所生活している方々を想うと本当に心が痛い。自分はなんだ、ちょっと風邪をひいたくらいで。暖かい部屋でハンバーガーを2個もたいらげているじゃないか。つい、そんなことを思っていると、切り替わったニュースで、与党が資金パーティの取りやめをどうするかで3時間会合を開きました、みたいなことを言っている。 どうかしている。さっさとやめれ、そんなこと。
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フツフツとテレビに対して怒っていると気分が悪くなるので、夕方まで眠ることにした。 ボフっと枕に頭を預けて、右を見たり、左を見たり、天井を見たりする。どっちを向いても鼻がツーンとして寝心地がよくない。 それで結局スマホをいじってしまったりするのだ。これは良くない。依存してるんだろうなぁ、スマホに。 どっかの誰かが言っていた。「朝起きて、パートナーにおはようを言う前にスマホをいじっているのなら、対策を考えたほうがいい」
そんな話の後だが、数時間後にスマホのメール通知で目を覚ました。新規の仕事の依頼メールだった。 児童文庫の装画の案件で、作者は誰もが知る素晴らしい児童作家だった。私も、彼の本は大好きだ。 パタパタと階段を降りて妻に報告する。妻も喜んでくれた。
16時になる頃に、もう一度ひるねのさんぽに行く。 手付かずの朝を歩くのも気持ち良いが、この時間の玉川学園も好きだ。街が頬を染めたような色に染まる。 ちょっと遠回りしたスペシャルコースをひるねと歩いて、何人かのご近所さんに挨拶をすると、例の見晴らしの良い曲がり角に差し掛かった。夕焼けの中で小田急電鉄がだんだん細くなる線路と共に、団地や無数の住宅の間を抜けて町田の市街地へ溶け込んでいく。
夕暮れが、家に帰る合図になればいい。暗くなる前に家に帰って、好きな人と過ごすのだ。夜になってからではちょっと遅い。夕暮れを一緒に過ごすのが良い。
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-プロフィール- 本田亮 40歳 東京都町田市 イラストレーター インスタ https://www.instagram.com/ryoillust/ ツイッター https://twitter.com/ryoillust
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yfxif · 1 month ago
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2021以前の日記
2019.07.21
ここ数日、高熱が出たり消えたりする。インフルエンザではないらしい。昨日は解熱後のめまいを残したまま大学の講義へ行き、帰りぎわ友人と会って、サイゼリヤで恋愛相談に乗った。彼は恋愛心理学の本をもとにLINEの文面を分析していて、「脈ありだよ」の言葉以外すべてに恋愛心理学をかざし反論するので、うんざりした。次の日ふたたび高熱をだし、サイゼリヤの空調を恨んだ。熱が出たはじめのころ、気の強そうな医者に診察してもらったのだけど、彼女は強そうで、またこちらもかなり弱っていたので、怖かった。いくつかのやりとりの間になにか外国の単語をカルテへ記入し、それを斜線で消し、同じ単語をもう一度書き直していた。
 それから薬で熱を下げる日々が続いている。熱が下がっても、頭がぼんやりして、耳がよく聞こえない。口内炎が増え、舌が痛くて油物はひりひりする。母親はここ数日、からあげやスパゲッティを作っている。一日に体温が二度も三度も上がったり下がったりする。試験も近い。全くどうしたらよいかわからない。三キロ落ちたが、顔がむくんできて可愛くない。二件目の医者に行ったときは、「これは、つらかったですね」といわれ、診察室を出た後にすこし泣いた。    追記 検査後肝臓の数値が異常で肝炎を疑われる。→ちがった。試験は延期、別室受験となった。回し食べをすると稀に罹るらしい。薬が合わず全身に発疹。完治まで一ヶ月かかった。
2020.1.06
ある教授の雑談を聞いていると吐き気がしてきて、もうこれ以上授業を聞くことができなくなった。なんとか適当に文字数だけを重ねて、本当にひどいレポートを書くつもりだったけれど、それすらもどうでもよくなった。
 父親のハーゲンダッツを盗み食いした次の日に母親がアイスを買ってきてくれた。それまでどんな悪事も重ねてやろうと思っていたのにだんたん気分が下がって自己嫌悪にさいなまれている。
髪の毛を切りたい。最後に髪を切ったのはまだ半袖の頃で、あとマスクが売り切れていたころだった。ホットペッパービューティーで前の日に予約をして、行った。肩上まで髪を切って、前髪を眉上で真っすぐに切りそろえてもらった。 ロングの金髪が綺麗な女性店員に何度も「こんな感じですか、大丈夫ですか」と聞かれたのである基準ではうつくしくない髪形をしようとしているのかと不安になったけれど、私には何となく可愛くなる予感があり、真っすぐに切ってもらった。結果的にかわいくはならなくて、たぶん切らないほうがよかった。でも楽しかった。
かれこれ引きこもっているうちに5カ月ほど経っているみたいで、そろそろ髪を切らないポリシーを持つ人の髪形になっている。そんなポリシーは無くはやめに髪を切りたい。
2020.5.2
現在11時。自室にいると、だいたい10時から14時くらいが、一日の中でもっとも穏やかに感じる。今日は昨日に続いてやや暖かいのでお水に氷を入れた。
 ずっと好きなひとの夢ばかりみてうんざりする日々が続く。もう三日も見た。毎日違う顔をしていて、でも同じ人だと分かってしまうことが悔しい。今日は高校のときみたいに、トイレで手を洗っているところに脇から手を差し込んで、後ろから抱きついて、その肩甲骨の間の平らなところにほっぺたをぎゅっとやって、えへへとか言っていた。痩せた肩甲骨は硬いのに男の人よりも硬いのになぜか柔らかく感じるから不思議だった。会話をし、もう一度抱きついて、夢はそこで終わった。
起きてみて、「いいんだ」と思ったけれど、そこは夢だし都合がよかったのかもしれない。
2020.09.13
11時に起床。プロテインに浮かれていたために糖質��足とPMSで最悪な二日間を過ごしていたので、思いのほか早く生理が来て安心した。けれど気分が安定するわけではない。朝からしっかり白米を食べた。17時までまったくお腹が空かない。運動も少しできた。この先もできるかぎり健康でいたい。どうしてもお腹がすいて納豆を一粒ずつ食べ、賞味期限が切れていることに気付く。調べると約二週間ほど賞味期限が過ぎていたとしても、風味の劣化こそすれ人体にそれほど悪影響はないらしい。
 『すばらしい新世界』を読み終わった。新作SF作品を読むような姿勢で呼んでくれたら幸いですとあとがきに書いてあったけれど、まさにそう読んだ。Bliile Eilish『when the party's over』のような無音の輪郭が際立つ曲を求めapple musicをサーフィンしていたけれどなかなか探すのは難しく、面倒くさくなってさいごはいつも通り小瀬村晶を流したままぼうっとした。ここ一週間くらい『ゼルダの伝説』シリーズのRTA字幕解説動画をみている。動画自体は無音、音楽は別で流している。視覚と聴覚の要望をいっぺんに満たせるから字幕実況動画はもっと増えてほしい。
2020.09.14
 7時起床。二度寝して15時にまた起床。人生で最も酷い生理痛に見舞われ、初めて貼るカイロを腰に貼った。本当に痛みが緩和した。  日がな『ゼルダの伝説』シリーズのRTA動画をみた。15時に起きると、一日のうちにできることは限られている。ユザワヤに行くこともできない。
 牛乳の風味は水で薄めてもあまり変わらないことに気付き、そのためプロテインは水と牛乳で割って飲んでいる。今日はそれを温めてみたけれど、甘い豆乳のような味がして美味しかった。母親の作った春巻きが美味しくてぱくぱく食べた(3本)。ホルモンバランスかなにかのせいで怒りのフラッシュバックが激しく、急に泣く。最近友人と酒でつまみを流し込むような雑な飲み会をして、その翌日に母親の料理を食べて気づいたのだけれど、手料理はおいしい。
 脂っこいものや濃すぎる味付けをすべて水で洗うようにしている。野菜や肉に味付けはいらないし、あっても塩が一番美味しい。(最近は塩も種類があって楽しい。ハーブ系と粒大きめが好き)複雑な味や過激な風味は苦手だから、いったん洗い流すとコンビニ惣菜も美味しく食べれる。今日はとにかく酷い生理痛というものを体験したのが初めてで、色々気づきがあった。
【メモ】摂取して大丈夫だったもの:春巻き(かなり脂っこかったけど平気)/ビタミンBMIX/鉄分/牛乳(温)/プロテイン(嬉しい!)/卵
2020.09.18
8時起床。いつもどこか出かけようと思うのに、結局朝ご飯を食べているうちにどうでもよくなる。何か手を動かす趣味が欲しいけれど、何も始めないことが結局一番お金がかからない。ネイルシールをはがして爪を切ったネイルシールを剥がすと爪の表面の層が剥がれ、爪が弱くなってしまったので切らざるを得なかった。暫くはネイルシールはできなそう。
登場人物が閉鎖的にインターネットを使っている作品は観る気が失せてしまう。インターネットをヒ素のように扱うの、もうやめればいいのに。ホラー小説は『真夜中の図書館』シリーズと乙一『死にぞこないの青』しか読んだことが無いのだけれど、『真夜中の図書館』は怖すぎて夢に出てくるのでトラウマだし、『死にぞこないの青』は生のみじめさが具体的すぎるので筆者の生い立ちが心配になってしまう。恩田陸『錆びた太陽』を読んでから娯楽としての読書を楽しめている。眼球が動く速度で情景を動かすことができるのは気持ちが良い。
ここ数日必要以上に、目の前にある食べ物を無く食べ続けてしまう。業務スーパーで見たことのない冷凍食品を買い込んでしまったのが原因で、どうしても食に関する好奇心に勝つことができない。スモークチキンはおいしい。が、温めたらひたひたになるまで油が出てきた。茶色の家に住むか、白の家に住むかをずっと考えている。
2021.01.08
記録の断捨離をしていたら三日だけ書いた日記を発掘したので、これを機会にまた三日ほど日記を付ける。本当は20年くらい続けたいのだけれど、続かないだろうな。紙の日記も12歳からまだ一冊目のものを使っている。
 布団の中で絶対ブックオフに行こうと思っていたけれど、15時になると行く気を失くしている。家を出るのはだいたい14時が限界で、15時はほとんど18時みたいなものなので夕方だし、夕方にわざわざ化粧をして着替えて電車に乗る気が起きない。もう寝て明日になって欲しい、一日は2時間半で十分らしい。
2021.01.22
アナログの記録とデジタルの記録は自分の中で出力としてどう違うのだろう。文体や長さに違いはあるのかな。試している。音楽を聴くことは自分のメンタルに悪影響を与えている気がする。気持ちが高揚することが結果的に自分の体力を削っている。これも気のせいかもしれない。
今日今までの日記を読み返していたら死にたがっていて可哀想になったけど今はそのときを鮮明に思い出せないし少しどうでもよく思っている。Twitterにも書いたけど、やるべきことを整理してみたら体感通り沢山あったけど、思ったより時間の余裕もあった。大抵の悩みはこんな感じで解決するんだろうと思うけれど、かといってそれを他人に諭されてもすんなり受け入れられないし、不安もやわらがない。何事も自分しか信じられない。
というわりに語尾が全て曖昧なので何も信じられなくなってしまいました。
2021.01.27
忘れられない素敵な日から一週間が経とうとしている。そういえ���何が素敵だったかもうまく思い出せない。気に入ったカーテンを選ぶことのできた日。好きなものがわかる日は調子が良い。明日から予定の上ではレポートを書くことになっていて、おそらくそれは現実になる。もうどうにでもなれという気持ちでレポートを書く。昨日は世界で一番大好きだった先輩の誕生日だった。毎年それとなくいいものを(自分の為に)買っていた気がするけど、今年はそんなことも意識しなかった。
2021.03.01
久々にノートを書くことにしたので、一桁の数字の前にゼロを入れていたか、入れていなかったか忘れてしまった。今日は家族でお寿司を食べに行ったけれど、ずっとぼうっとしてたらお腹が空かなくてあまり食べられなかった。空中を見つめているとき、おなかは減らない。それは姿勢を正しくしながら肩の力が抜けていることと関係があるのかもしれない。過去の日記に「信じられるのは自分だけと思ってたけど(文章の)語尾が全部曖昧で嫌になっちゃいました」みたいなことが書いてあったけれど、よく考えたらこのアカウントのIDだって「うーんどうしよっかなー」だし、もう全然だめじゃんと気づいてしまった。私ってもしかしていつもどうしよっかなーと思いながら生きてたのかな
最近おいしかったお寿司。一番はまぐろのおはぎ!とろたくと何が違うんだろうと思いながらとろたくを食べずに帰ってきてしまった。あとはほうじ茶の豆腐プリンがおいしい。ぜんぶで5皿くらい食べた気がするけど忘れたな。小さいときはイカがだいすきだったけれど、最近は食べてない。
2021.09.04
 今までの日記を読み返して、直近のものが最も記憶になかった。古いものはたくさん読み返すからだろうか。タンブラーやら、はてなブログやら、手紙やら、日記(紙)やら、たくさんのところに記録をしては忘れる癖がある。微熱が下がらない生活が続き、今日で一週間と一日になる。37度にも届かない熱がじんわり体を覆っていて、寝起きの倦怠感がつらい。最近は微熱そのものより、胸やけや胃痛、背中の痛みがひどく、解熱剤を諦めて胃薬を飲んでいる。味によって得られる快楽がすきだから、おいしい気持ちになれないと生活にうるおいが無く悲しい。
 肺炎になる病気が流行っているのに、久々に煙草を吸った。大学生のときは自殺したいときにだけ、自殺のつもりで一本吸っていたけれど。レポートのフィードバックを受けた。うまれて初めて大学教授から褒められる体験をしてうれしい。定期試験を頑張る理由が学生の頃からよくわかっていなかったのだけど、あの人達にとってはそれが自分を規定する術だったのかもしれない。石を投げて壁の存在を知るように、音の反射でものの形が分かるように、何かを出力した結果形作られる自己というものをもう少し信用してもよかったのかもしれない。
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harinezutaka · 1 year ago
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二年前日記52(2021年12/24〜12/31)
12月24日 昨日と打って変わって、今日はよく寝てくれた。助かるが寝過ぎなのもそれはそれで心配になる。さくさくとやることを片付けて、少しお昼寝もできてすっきり。晩ご飯は、夫が焼き鳥を買ってきてくれた。ちぎったキャベツ、白菜の漬物、焼き芋と共に食べる。今日の夜は夫が担当してくれることになった。わーい。寝れる。
12月25日 久々に夜起きることなく眠れて幸せ。日中は昨日と打って変わって、今日は全然寝てくれない。でも、前よりはどうしようという感じではなく、「寝ないねぇ、でもかわいいねぇ」と言いながら何とかやり過ごした。夕方、近所のスーパーに歩いて行く。久しぶりの外出。いつもはテンションあがらない近所のスーパーでさえ、ちょっと嬉しかった。晩ご飯は、作ろうと思っていたけど無理っぽかったので買ってきた。きゅうりとタコの酢の物、トマトソースのペンネ、カツ巻き寿司。クリスマスメニューが半額になっていた。
12月26日 やっぱり昼間はあまり寝てくれない。夜は寝すぎなのでトータルのミルクの量が少ないのかもしれない。寝てる間にと何かとテキパキ動けるようになってきた。並行で何かを進めたりすることも増えた。夫に年賀状で使うつもりだった写真を探してもらうように頼んでいたが、見あたらないよう。どうやら壊れたパソコンに入っていた様子。ショックだが仕方なし。ある写真で何とか完成させる。今年は住所の印刷も頼むことにした。届くのは30日らしい。晩ご飯は、野菜たっぷりのトマト鍋。
12月27日 近畿北部は記録的な大雪だそうだが、この辺りは降ってない。昨日も、夜5時間ぐらい寝ていて、起こせなかったので少し体重が心配。いつもは朝は母乳を飲んでもらうためにミルクを少なめにしているのだけど、今日はしっかり飲んでもらうことにする。明日は一ヶ月検診なので。昼間寝ないのにもだいぶ慣れてきた。3時間のうち、1時間は授乳、もう1時間はぐずぐすしたり甘えたり、最後の1時間、何とか寝るかなーという感じ。パンがなかったので買い物に行く。歩いて15分ぐらいのスーパーとコンビニへ。句具ネプリもプリントアウトした。お正月のお花も買う。晩ご飯は、かまどやのお弁当。私はカキフライ弁当、夫は幕の内。幕の内は月によって中身が少しずつ違うみたい。
12月28日 一か月検診の日。抱っこ要員で夫もついてきてくれる。母子ともに特に問題はなく子の体重も退院時より1キロぐらい増えていた。夕方、助産師Nさんから連絡があり、年明けにまた来てくれることになった。これから少しずつミルクを減らしていく計画。子の吸いっぷりもだいぶ良くなってきていて、母乳量も少しずつ増えている感じもする。一か月検診のあと、お風呂に入れるようになってから増える人も多いのだとか。血圧は妊娠中にあがったひとは歳とともに上がることが多いので引き続き気をつけるよう言われた。晩ご飯は鮭の湯葉あんかけ、牛肉ときのこの炒め物など)、カリフラワーと厚揚げのスープ。
12月29日 朝、注文していた年賀状が届いた。今年は住所も印刷してもらったので、投函するだけ。メッセージも省略した。手を抜けるところは抜いていく。夫は夜忘年会に行くそうなので、夜はひとり。子は12時ごろまでぐずぐすなかなか寝てくれなかった。乳をあげると腹が減り、腹を満たすと胸が張る。ただひたすらに欲求を主張するひとといると、段々と自分もシンプルになっていくな。晩ご飯は、生春巻き、砂ずり。
12月30日 昼から夫の実家へ。子のお披露目。行く前に疲れて横になっていたら夫だけで子を連れて行こうと準備していたが、なんとか自分も準備する。去年に引き続き、今年も餅つきは機械だった。3時間ほど滞在して切り上げる。晩ご飯は、お寿司を買ってきてもらった。
12月31日 夕方買い物に行く。売り切れているものも結構あり、値下げもそこまでされていないという中途半端な時間に行ってしまった。晩ご飯は、ステーキ、年越しそば。紅白をつけていたら子はわりとすやすや眠っていて、わりとゆっくりできた。
2022年からの日記はこちらで更新します
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