#モリソン書庫
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今日はぶらっと六義園へ。 その後、存在を今日知った東洋文庫ミュージアムへ。 100万冊近くの蔵書があるそうで、館内の雰囲気はロビンの故郷の図書館のような… #全知の樹 #モリソン書庫 https://www.instagram.com/p/Cphbv8CJU3R/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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アタリを取ったままになっていた絵日記に色を入れました。
4月に行った #東洋文庫ミュージアム の #フローラとファウナ 展。
東西の動植物藤倉図譜の展示です。
展示品の中から蘭アルバム、諸蟹譜、和英通韻以呂波便覧、紅葉図譜を。
他にも描きたいものはありましたが、このサイズではちょっと描きにくく、また機会があればと。
ここは 大好きなミュージアム。
#モリソン書庫 は1日中観ていられる気がします。
本をイラストに描くのはとっても楽しい。
#art #coloredpencil #fabercastell #polychromos #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #1日1絵 #イラストグラム #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #トラベラーズノート #travelersnotebook #pensketch #ペンスケッチ #sketchjournal #スケッチジャーナル
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「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」展
東洋文庫ミュージアムで「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」展を見る。
モリソン書庫の展示スペースにはシーボルト文献が並んでいた。
「フローラとファウナ」展の最初のセクションは、古代〜中世の東西の博物学に関する書物。西洋のほうは、たとえばアリストテレスの自然哲学関連の著作、薬理学・薬草学の父ディオスコリデスの薬物誌、プリニウスの博物誌。東洋からは神農本草経、本草和名、本草綱目、和漢三才図会など。
近世・近代ヨーロッパの博物学。
黎明期の日本の博物学。
東西はそれぞれ孤立しているわけではないので、当然ながら交流も生まれる。それが博物学をより豊かにしたであろうことは疑わないが、東洋は西洋に学び、西洋は東洋に好奇の目を向けるというような非対称的なものではあっただろうと思う。
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ランチの帰りにモリソン書庫へ。壮観である。 #仮面ライダーセイバー #モリソン書庫 (東洋文庫ミュージアム) https://www.instagram.com/p/CG4j8VbnccP/?igshid=tx6pncesauqh
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今日の背景は東洋文庫のモリソン書庫。説得力がすごい…!笑 #skype #背景 #東洋文庫 #モリソン書庫 https://www.instagram.com/p/CBsc2nyH-Ri/?igshid=1fwvtxjfdciwf
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#東洋文庫 #モリソン書庫 https://www.instagram.com/p/BzWPFwfDATN/?igshid=1clpbavgmfhci
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モリソン書庫
#いつかの写真#東京都#文京区#東洋文庫ミュージアム#モリソン書庫#nikond300#tokyo#bunkyo#toyobunkomuseum#morrisonsstacks#photography
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東洋文庫ミュージアムのモリソン書庫。こうやって背表紙を眺めているだけで幸せにな気分になる。
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“「モリソン書庫」は、東洋文庫の中で最も有名といわれているコレクション。総面積170平方メートルにも及ぶ巨大な本棚に、約24,000点もの書籍や絵画が収められています。 “ ( “日本一美しい本棚”にうっとり!「東洋文庫ミュージアム」で時空を超える屋内デート【Lets】レッツエンジョイ東京 )
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東洋文庫、モリソン書庫 #morrisonsstacks #toyobunkomuseum #toyobunkolibrary #library #architecture #komagome #tokyo https://instagr.am/p/CkiDlP7P_SD/
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20220507
10連休も終盤に差し掛かった。これだけ長い休みになると何をしてたか詳細に思い出せない。友人と会う約束はしなかった。4月があまりにも忙しくて、人と連絡を取る余裕がなかった。tumblrを読み返すといつもいつも忙しいって書いてる。やな気持ちになるね。4月は具体的に何が忙しかったかというと、稼働日の7割近くが出張で前日に決まったりすることが多かった。すると移動に時間と体力、気力を取られ、書類仕事を腰を据えてこなせなくなり、フラストレーションが溜まる。5月も既に出張が何件か入ってるけど、あんまりもう増やしたくないなあ。第一、北陸、関西、四国、九州が担当エリアって広すぎる。
で、ずっと夫とは一緒に過ごしていて、序盤は東洋文庫ミュージアムに行った。夫が無料のチケットをもらってきてくれたから。初めて見るモリソン文庫には圧倒された。かっ��よかった。燃えずに今までいてくれてありがとう。展示も中央アジアや中東が多くてペルシア語専攻出身としてはとっても楽しかった。中国の文献を見ながら夫と「やっぱり中国語って雰囲気で読めるところあるね。ちゃんと勉強してみたいね」って話した。それから東洋文庫ミュージアムの隣にある青いカバという書店に寄って古本を2冊買い、大塚まで散歩した。ビール屋に寄って私はジンジャーエールを飲んだ。こんな味だったけな(©︎くるり)。夫の体調が悪くなり、それからすぐ帰宅。帰宅してから家で書類の整理をしてたら、大学時代のレジュメが沢山出てきた。その中からソグド語についてペルシア語で書かれたものが出て来て、今日東洋文庫で見た!と感動した。イラン人の先生が受け持ってた言語の授業が懐かしい。また勉強がしたい。
家がもうすぐ決まりそうで、GoodNotesに間取り図を広げて家具の配置を夫と二人で考えたりした。やっとやっと引っ越せそう。新しい家が決まる。ミニマリストを小馬鹿にするところが私には元々あった(好きなものに沢山囲まれて暮らしたい!という思想のもと……ね)けど、この引越しを機に持ち物を減らそうと思った。なぜならレイアウトを考えていると収納の限界というものを感じざるを得なかったから……。自分一人の家ではないし。部屋作りはゆっくりしていく。
実家のある大阪にも夫を連れて帰った。コロナ時代の結婚なので(?)なんと入籍後に初めて両親と顔合わせという。一年前はまさか結婚するなんて思ってなかったなとしみじみする。夫も普通に馴染んでて、結婚ってこんなにするっとしたものなんかと拍子抜けした(うちがフランクすぎ適当すぎというのもあるのかもしれない。あと私は昔から「結婚なんてする気ありませんから」と宣言し続けていたせいで諸々のハードルが下がっていたのもあるかも)。私の家族と家具屋に行ったり、叔父にも会ってもらったり、コストコに行ったり、夫に手料理を作ってもらってそれを一緒にみんなで食べたり、おばあの家に泊まって3人で朝ご飯を食べたり、おじいの仏壇にも挨拶したり(もしおじいの霊がどこかに存在するとするならこの結婚を喜んでくれているかな)、二人で大阪市内を散策したり、4日間色々あった。総じて楽しかった。
休みの間に話題の『ゴールデンカムイ』を一気読みした。実は2巻くらいまでは電子書籍で持ってるからこれからちまちま買い足そうと思う。一気読みすると先に進むことが優先されてあんまり咀嚼する時間がなくて良くない。一気読みしといてなんやけど。最終回は賛否両論ありそうと思ってTwitter検索したら案の定だった。谷垣、白石、門倉、鯉登あたりが好き。牛山も(チンポ先生!また会ったなお嬢!)。この連休中でおトイレに行くときは夫に「オソマ!」って言うようになった(女子キャラならオソマちゃんがダントツ)。
休み明けの仕事のことを、押し寄せてくるタスクのことを思うと少し憂鬱。休み中も少し仕事したけれど。休み明け初日も出張なのです。新幹線もマイルみたいなの作ってほしい。残り少ない休日はゆるゆる過ごす。
長文日記になった。たぶんまたしばらく更新しないと思う。
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a letter of sorts vol. 17 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の散文)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
サチュロスのダンス! すべての奇形が舞い上がる ケンタウロスに リードされ 乱舞する音だけのコトバ ガートルード スタインの作品--しかし ただのおふざけで 芸術家に なれるわけはない 夢は 追い求める! (「画家たちに捧げる」ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、原成吉訳)
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回想からはじまる話だ。回想は第164回芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読み終えたことでひき起こされた。面白かった。よくいわれている表現の巧みさ見事さもさることながら、構成が非常によくできていた。とりわけ「書かない」部分の選択に舌を巻く。書く部分を緻密に描いて、書かない部分、読者に想像力を使ってもらう箇所の選び方も緻密で、周到だった。その筆頭にあげられるのは「推し」である彼の苗字に(この字からいってきわめて自然な読み方である)ルビがふられているのに名前の読み方はわからない点だが、他にも姉との関係性、たとえば小さい頃のテレビなどの「推し」につながる思考の部分や、どんなテレビ番組を一緒に見てきたかも全く描かれないので想像するしかない。あと、主人公の背丈。これを書かないことで似たような体験を持つ女の子たちはみな感情移入しやすくなる。これが少しでもヒントになることが書かれていればぐっと感情移入の母数は限定されてしまう。とても緻密な構成に唸らされた次第である。そういえばちょっとSNSでは「推し」をどう訳すかが話題となったが、たとえば「推し」の彼の下の名前の読みは、当然のことながら表意文字であらわされる言語では翻訳家が音を「定義」しなければならない。これはなかなか難儀な作業に思える。 主人公の進路がどんどん苦境に陥ってきて姉と妹の口論の描写が増えていくところで、ふとイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』を思い出した。ベルイマンで姉妹の出てくる映画といえば『沈黙』だけど、ぞっとするような静けさではなく激しさが伴ってるから、『ペルソナ』のビビ・アンデションとリブ・ウルマンの論争にならない口論。きつい陽射しに映される口論。『推し、燃ゆ』読み終えてこれも『ペルソナ』と同じだ、炎上ではじまり日に照らされて終わる点では同じだ、と思った。死ぬほど虚しい陽光に照らされて。 物語を書かれた宇佐見りんさんとはまるで世代が異なるのだから当然だが当方には「推し」が何を以て「推し」とするかなんて考えたことなかったし思ったこともなかった。それがふと考えざるを得なくなったのは『推し、燃ゆ』を読み終えて数日後にあなた真空管を見ていた時だ。 あなた真空管。いまこの文をお読みになっている方で真空管を見たことある人はどのくらいいるのだろうか。自分がものごころついたとき、さすがにラジオやステレオには入っていなかったがテレビは1台真空管を使ったものが現役だった。19型の家具調カラーテレビだった。「家具調」テレビというのものに対しても説明が要るけれどももう説明もしんどいし検索すればわかるだろうから省く、ともかく真空管を使っていた。真空管は寿命が短くてすぐ切れた。切れるたびにテレビを動かし裏側を表に出してくっついてるボール紙をネジ廻しで外して新しいのと替えていた。50年かそこら前までテレビの裏側というのは必要上簡単に開くようにできていたのだ。いま自分のすぐ手元にある、洋書屋で立ち読みを何度もされて表紙から数ページがパカパカになってバーゲン品として売られていたものを愛用してる英語辞典「長男」でtubeと引いてももはや真空管のことは載ってない。かわりに(?)8番目の意味として載ってるのは technical: the part of a television that produces the picture on the screen とあって、これはどう考えてもブラウン管のことであるが今の十代いや二十代でも若い方はブラウン管もわからないかもしれないだろうがやはりここで説明は面倒なので話を先に進める。そのときPCをひらいてあなた真空管で音楽の動画を検索しそして見ていたのだ。洋楽のライヴ映像だったが1980年代の洋楽ではなくもう少しあとの頃のだった。横の、いわゆる「この動画をご覧になる方次はこちらはいかがでしょうか」の候補の一覧にそのバンドは挙がってきたのだった。曲目はそのバンドの曲ではない。そのバンドの活動時期からほぼ15年前のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル(CCR)の曲をカヴァーしているものであり、このカヴァーは聴いたことなかった。この曲はアメリカがベトナム戦争参戦時に書かれた、作者であるCCRのジョン・フォガティにとって切っても切れない曲でもある。その、サムネイルといわれてるが足の親指というより幕の内弁当のスミッコにある栗きんとん1個分の大きさくらいのリンクにカーソルをもっていってどんっとタップした。 このバンドはアルバム2枚出して解散した。幸か不幸か、1枚めのあとに「推し」だった人以外全員当時その人のプロデューサー兼マネージャーだった男がメンバーを入れ替え、というかクビにして2枚めが作られたのですぐこの映像は1stアルバムの頃だとわかる。いまから36年前、1985年のライヴ。このバンドの映像は以前も検索したことがあるが、見始めると明らかに以前にみたときとは違う思いがあった。率直に言うと何かが弾け飛んだような感じがした。何故かはわからない。『推し、燃ゆ』の終盤のライヴのシーンを思い出したからかもしれない。「推し」だった人のバンドの来日公演はなかったので観ることはかなわなかったし、恥ずかしながらこの人が来日した直近の、8年前の公演にも行けなかった。ソロになってから来日したとき、たしか27年前の2月末に一度行ったきりだ。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 2021年2月13日夜の地震、専門家のあいだでは東日本大震災の余震という見解の多い大きな横揺れが自分の部屋にも来た。読書が好きな方は積んだ本が、音楽が好きな方は積んだコンパクトディスクが倒れて落ちてきた、という方々も多いのではないか。それはある年代以上の人だろうか。10年前の震災のときはラックからたくさんCDが落ちてケースが割れたりした。今回の大きな揺れでは積んだCDは落ちなかった。CDを最近聴いてなくて、周囲に要塞のように買った本が積まれてしまっているからだ。要塞というより、事故のあとの建屋のほうがイメージは近いかもしれない。つまりコンクリートで固めているように外から本で中のCDを囲んでいる。流れでそうなってしまったのだ。 揺れが続いて文庫本が落石���はじまりのような音で2冊落ち、3冊8冊14冊って落ちてきた。おさまったかな、余震くるんじゃないかなと思ってそのままにしていて、多分1時間後くらいだ、落ちてきた文庫本の中でいちばん上にあった一冊を拾いあげた。そのときはもう、前の段落にしるした一件があってから一週間は経っていて、「何をみてもその人を思い出す」、のべつかつて「推し」だった人のことを考えている状態になっていた。 その一冊の、以前自分が、いわゆる独立系zineのひとつから文章の依頼を受けたとき、このエッセー集の中から引用させていただいた、その文を開いた。引用したのは「B子ちゃん」が出てくる箇所だった。そして、その前の「A子ちゃん」の箇所に目が入った。くりかえしになるが、何をみても「推し」だった人を思い出す状態になっていたときだ。 A子ちゃんはふとって、髪がたくさんあって、いい顔立で、しかし眉根がちょっと悲しげに寄っていて、おとなしい子だった。 (幸田文「こども」) あらまぁ。そっくりじゃないか。「おとなしい子」以外おしなべてそっくり、自分が高校の頃「推し」だった人、その人がハイティーンを過ぎた頃にそっくりじゃないか。 ここに気づいてから、気づいた自分を省みた。そしてちょっと恥ずかしくなった。海外にも日本にも、何年もゴシップにあがりつづける人から今なにしてるのかわかんない人まで好きなミュージシャンはたくさんいる。が、どういうわけか、まったく客観視できない人はひとりだけだ。そもそも『推し、燃ゆ』を読み終え、誰が自分の「推し」といえる人だったのか中学高校の頃を思い返し考えたとき。なんでこの人しか思い出さなかったのだろう。 ソロになってからのこの人のアルバムははいつも発売日に買ってた記憶がある。でもバンドの頃はレンタルで借りて、あとから輸入盤を買ってた。だからその当時、少なくともアティテュード、こちらの態度面ではいちばん好きなバンドだったとはいえない。 いちばん歌をうたうのがうまい人だと今でも思ってるからだろうか。高校に入って洋楽を聴きはじめたときにできた雑誌の創刊号の新人特集に載ってて、バンドのデビューからずっと知ってるからだろうか。バンドが売れなかったからだろうか。ソロになってから大ヒット曲があるがその前から知ってるぞという所謂オタク心からだろうか。 どれもそうである気もする。しかし決定打ともなりえない。 『推し、燃ゆ』の主人公が推しの情報をルーズリーフに書き込む、あの一文に反応した気がする。 この人のバンドだけ他と違うのは、ノートを持っていたことだ。 それには理由があった。 僕の姉もノートを持ってつけているバンドがあった。ビートルズだった。姉がノートを書いていたとき、ビートルズはすでに解散してた。 姉のつけてたノートもさすがにそうだろうけど、自分のも引っ越しのときに捨ててしまったはずだ。いまは記憶を頼るしかない。 僕のノートは姉のと違って、バンドは現役の若手バンドだった。 ノートにつけていたのは日本語の歌詞だった。 「何をみてもその人を思い出す」話にも���る。たとえば、自分の「推し」だった人は、21歳か22歳の頃、こんな歌詞を書いてる。歌の中の人が、要するに「何をみてもその人を思い出す」心になっているときの曲のなかの一節。 Every trace, every vision Brings my emotions to collision この曲をはじめて聴いたのは17歳のときだ、だらしない高校生だった。そりゃそのときはこれがどれだけ詩的に優れた表現かなんてわからない。申し訳ないけどそこから34年たって、やっとわかることである。 この人はライヴの人だ。それはこのバンドやこの人のファンには誰でもわかっていることだ。ライヴの映像だけでなくテレビ出演の映像でもすべて生で唄っている。当時の洋楽ミュージシャンとして、これは珍しいことである。そして34~35年前はお金払ってでも観たかったライヴの映像が簡単にみられる。この人のファンには根強くて熱心な人が(やっぱり)いてたくさん投稿されてる。好きな曲を検索すると関連を察してくれて他のライヴもひっぱりだしてきてくれる。歩いていくと果物畑はどんどん広がっていって、バンドのものもソロになってからのものも38年前の実も31年前の果物も27年前のも12年前のも6年前のもバスケットに投げ入れていってそして味わう。 ソロになってからは正直いってそんなに聴いていない。でもバンドの曲はどれも唄える。いっしょに唄える。なんというか、こういういいかたも恥ずかしいが余裕をもって唄える。唄いながら、ノートに書いた歌詞を思い出してる。日本語のほうの歌詞。 34年前。1987年の2月か3月だった記憶がある。たしかTV雑誌のスミッコにあった新譜紹介欄で、このバンドのライヴのVHSソフトが発売されるのを知った。発売日に買った。それは輸入盤の表に日本語のシールをつけていただけのものだった(当時のことを知っている方はわかると思いますが、特に音楽関連のビデオソフトは日本盤はテープを包むようなプラスチックケースに入っていて、輸入物は簡易版というか、テープを差し込む紙ケースに入って売ってるものがほとんどだった)。解説も入っていなかった。これを夜家族がみんな寝てから、お湯を沸かして紅茶を淹れたり冷蔵庫からジュース持ってきたりして、誰もいない応接間のテレビでくりかえし観ていた。テレビにソニーのヘッドホンを挿して。まだ密閉型のヘッドホンなんて家庭用にはなかった(まだ費用をかけずに軽くする技術がなかったから。密閉型は重かったのだ)。たしかいちばん軽いヘッドホンのひとつだったはずだ。それをかけて60分近いヴィデオを通しで観ていた。7曲あるうち、2曲目に入っていたバンドのデビュー曲でブリッジ(サビ)のあと、3番からやたら客席が盛り上がるのが大好きだった。画面の中からはなんでそこまで盛り上がるのか全くわからない。でもそこが好きだった。なにしろあれだけ湧くんだからそんなフンイキ自体があったんだろう。そしてこっちも盛り上がってコードがひっぱられてヘッドホンがカサブタが取れるみたいに頭から抜けたりなんてことが���くあった。それを季節がかわっても何度も観ていた。 34年経って、その7曲は1曲ずつ分かれて、先述の「あなた真空管」にアップされている。自分の狭い部屋で、机にウィスキーのお湯割りをもってきて、PCに100円均一の店で買ったイヤホンを挿して、あなた真空管にアクセスした。どれか聴いてみようかと思って、最初に2曲目を聴いた。そしてブリッジのあと、歓声が盛り上がるところでお湯割りを吹いた。 盛りすぎだ。 浮いてる。途中の歓声だけ浮いてる。あとから付けたのがまるわかりである。歓声というよりもうこれは陥穽に近い。なんで昔はわからなかったのかわからない。これでこの7曲は振り返りづらくなった、ということだけは記しておく。どうしても盛ってるところで笑ってしまうのだ。ライヴ自体は変わらず昔を思い起こさせるのだが。いくら盛り上げたところでバンドは売れなかったね、という点も含め悲しささえおぼえる。 そして、もちろん34年経って歓声を盛ってるのがわかった理由は、自分の耳が良くなったからではない。あまたのデバイスの、種々の面における精度があがっただけのことである。 「あなた真空管」にあがっているその人のいくつかの(いくつもの)ライヴ映像や音声、そこにつけられたコメントを読んで感じるのは、とりわけバンド時代の記録へのコメントに対して、その人を単独の「ソロミュージシャン」としてより「バンドのフロントウーマン」としてもっと長いこと観ていたかったという気持ちが強く表れていることだ。 実際、いま当時のバンドのときのライヴを観るとこの人の当時のある種の「引き受け方」には、あの年ごろですごいなと素直に感心してしまう。その人は昨年、新譜を出したときに受けたインタビューで曲を書くときに若い頃の自分のヴィデオを何度も観たと言っている。自分のその時の気持ち、その時どうなりたかったかを思い出そうと。それをふりかえり「野生のエナジー」だったと言っている。これを読んだときは今もその人の、自分の大好きな部分は変わってないんだなと思ってうれしかった。そして、結果的にバンド時代の最後のシングル曲となってしまった歌の詞の一節を思い出す。 「どんな台風でも目のなかに入れば、そこには静かな夜がある」 34年前の、先ほど触れた頃より少し前。1987年になったばかりのときに自分がテレビを観てた話。日本のテレビでおそらく唯一、(さっき触れたライヴの一部がヴィデオクリップになっていたものを除けば)このバンドのライヴが、オーディエンスのいたライヴがOAされたとき(注1)。1987年1月1日の未明だった。それはMTVのライヴ特番だった。 先述のとおり高校生だった。いちおう中継先とこっちで時差があることくらいはわかっていた。わかっていたはずだ、自信はないが。でも日本とアメリカのどっちが先に新しい年を迎えるかなんてことは全くわかっていなかった。だから、あれは元日になって午前1時前後だったかもっと遅くだったか、テレビ朝日(当時、MTVの番組を流してた)の画面から「推し」だった人がHappy new yearって言ったときああ向こうも年が明��てるんだなと、今思い出したら恥ずかしさで笑うしかないような記憶も残っている。そして、あの中継、ライヴの中継自体を衛星生中継なんだと思っていた。うちにあるビデオデッキで録画はしていた。けれど3倍モードだった。テープに出費できるほどお金をもってなかったのだ。 最初に画面がステージに切り替わったときにその人が何か言っていたのだ。Happy new yearっていう前に。"Welcome to ...kon"。...の部分が日本のだらしない高校生の耳ではききとれない。会場はスタジオじゃなくてどこかのライヴハウスなんだろうか、そこの名前だろうか。なんて思っていた。先述のとおり、このバンドは2枚出したアルバムのメンバーがまったく違っていて、このときは86年にセカンドアルバムを出したときの5人である。5人が2曲(アルバムからの2つのシングルカット曲)つづけて披露し、中継は終わった。このとき複数のバンドが出演したが自分の好きなバンドはひとつだけだった。だから画面をみていてこのバンドが登場したことに気づいた時にスタンバイ状態から一時停止ボタンをはずして録画したはずだ。あとで録画したテープをかけてみると"Welcome to..."と言いだすところで始まっていた。これまた何度も、3倍モードのテープを観ていたのだ。34年前。 その映像もいま「あなた真空管」でみることができる。実は今回ほぼ35年ぶりに自分が観たライヴ映像はほとんどが10年前後まえに投稿されたものだ。だからほぼ25年ぶりにライヴの映像を見つけ耽溺する機会もあり得た。自分の怠慢なのかもしれない。ただ、笑われてもしょうがないが35年くらい経たないとわからないこともある。 いま見直すと、その人は、ここではっきりと、 「サテリコンへようこそ」と、言っている。 申し訳ないけれど、34年経ってやっとわかった。 satyrikonの訳。(中略)サテュロス劇は、ディオニューソスに従うコロスとして登場するサテュロス(Satylros)たちにちなんで、そのように呼ばれる。サテュロスは山野に住む精霊(ダイモーンdaimon)で、顔と姿は人間であるが、身体は毛におおわれ、馬の耳と尾、ときには馬の足をもつものとしてあらわされる(のちにはさらに山羊の要素をもつようになった)。 (「詩学」アリストテレース、松本仁助・岡道男訳より、「サテュロス劇的なもの」の注釈から) いまグーグルにsatyrikonと入力し検索すると「もしかして:satyricon」と表示され、フェリーニの映画の原作となった(伝ペトロニウス作の)物語が大きく出てきて、同時に映画のソフトを「おすすめ」される。前段の引用のような語義(?)は上位には出てこない。並記されるのならまだしも、ひとつしか出てこない。それはきっと、これでひとつ映画のソフトウェアが売れるかもしれないという具体的な「要素」、売り上げのための要素と結びついているからだろう。ここでいうsatyrikon (satyricon) は自分が捜している意味と違うと思うので、もうひとつ別の文献から引用する。 ディオニューソスの随伴者として、もっとも通例現われるのは、かの山羊脚をしたサティール(正しくはサテュロス)の群れである。しかし彼らは本来は特別にディオニューソスに縁故の者ではなくて、ただ山野に群れる生類の精にすぎない。ヘーシオドスも、「ロクでなしの、わけのわからない所業をするサテュロスたち」と呼んで、ニンフらや、クーレーテスの兄弟分にしている。(中略) その姿は通例山羊の角や耳、長い尾に、蹄(ひづめ)のついた脚をもち(アッティケー州では、馬の尾をつけ、馬的であるのが特徴)、毛ぶかく、鼻は低く、くちは大きく、しばしば興奮した男性器をもつ、ふつうは若い青年男性の精霊である。しかしその心性はもっと素朴に野性的で、遊戯をこのみ、色情的でとくにニンフたちをからかったり、ふざけたりして喜ぶ。要するに野育ちの自然児で、深いたくらみや強い力もなく、積極的な悪とは全然かかわりのない、愛すべきいたずら者、というのがギリシアの都会人の空想する、このサテュロスであった。 彼らは群れて、あるいはディオニューソスやその他の山野の神に伴って、跳ねまわり踊り狂う、そして笛や笙(しょう)をこのんで奏でる。このような姿と性徴とをもって、かれらは春ごとに悲劇と併せて上演される、サテュロス劇に舞唱団(コロス)となって現われた。 (『ギリシア神話』呉茂一) 自分が「推し」だと思ったその人はここで自分と自分のバンドをサテュロス、愛すべきいたずら者に譬えていたのだ。いま、とてもはっきりと聞こえた。 Welcome to satyricon. って。恥ずかしいけどいまから10年前ではわかっていなかったと思う。 その映像では4曲披露されてる。これは"MTV New Year's Eve R&R Bowl 1987"の映像なので、1986年12月31日のステージということになる。で、自分が34年前にテレビで見たのはここでの2曲目と4曲目(!)なので、あのときの映像は「2曲つづけて」ではなかった。何回も自分に笑ってしまうが、あの時点で最初から録画されたものを流していたことに、そのときは気づきもしなかった。この動画を投稿した人は几帳面な人なのか、3曲目の一部は途中でカットされてて(しかもいっしょけんめいつなぎを目立たなくさせている跡があって、それもつらい)、4曲目は途中で終わってる。当時のMTVの中継がこんな形で途中で切れちゃったとは思えないので録画してたテープが終わりになってしまったのか、もうテープがボロボロになっているので出すのを控えたのかどちらかだろう。あのときのテープを持っていればとも思うしあのとき標準モードで録画しておけば……と思ったりもして、なんにしても34年は長いものだと思う。 結果、自分の中で「推し」だった人の、"Welcome to satyricon."を反芻するだけだ。 同じ日の別の動画もみることができた。これはその時のアンコールだったのだろうか、「石鹸とスープと救いの歌」の映像だ。この歌は「推し」だった人の歌のうまさが最も感じられる歌であり自分には思い入れの強い歌だ。自分たちをサテュロスにたとえた人らしいいいライヴであり歌なんだけど、このステージのほぼ10年後にオランダのテレビでオンエアされたらしいドキュメンタリー(これも今回発見した)で彼女は「私のプロデューサー兼マネージャーは私をスプリングスティーンにしようとした」と言っていて、それを踏まえて見るとそれなりに悲痛でもある。(「すべてやってみた、やってみたけど……なんにもうまくいかなかった」。)途中でなにか別の歌を挟んでいる。なんかきいたことあるなと思って、やっとわかった。ヴァン・モリソンが作って自分のバンドで唄い、それをジム・モリソンがドアーズのステージで唄って、その形式に則ってパティ・スミスが唄いつづけているあの曲だ。自分の「推し」だった人は地縁(?)的にはドアーズの系譜を、表象としてはパティ・スミスの系譜を継ぐ人のようにも思える。 誰があの文を書いたのだろう。あの一文、レコードレビューの中の、最後の句点を入れれば25字の文。あれがなかったらその人は自分の唯一の「推し」と思える人にはなっていない。逆にいえばあの25文字のおかげでその人の歌と歌詞を知ることができて、その人が綴って唄う言葉から自分で気づかないうちにいろいろ影響されているんだな、と35年経ったいま思う。 1985年の暮れに「ザテレビジョン」の別冊が出た。そこにテレビの記事はほとんどなくて、洋楽ミュージシャンと音楽の話がほぼすべてを占めている、今ふりかえるとすごく80年代を現している増刊号だった。中ほどに見開きのレコードレビューのページがあった。いま手許にその号がないから思い返すしかないが30枚ほどの1985年にリリースされた洋楽の日本盤が紹介されていた記憶がある。XTCの「スカイラーキング」やトッド・ラングレンの「ア・カペラ」、それからフランク・ザッパの「奴らか?俺たちか?」、あとはなんだっけ。自分がその中に、はじめて日本盤リリースされた2枚目のアルバム、プリファブ・スプラウトというバンドの「スティーブ・マックイーン」が載っているということを知ったのは翌年はじめてそのバンドの曲を聴いてからだ。それはさておき、そこにその人のバンドのレコードレビューもあった。いま記憶にあるのは最後の一文だけである。そして、少なくとも日本語で書かれた記事ではその人がソロになる前、バンドのフロントウーマンだった頃にこういった言及はされていなかったはずだ。みんなその人のヴォーカルがいいとかいった話しかしていなかったはずだ。あと(わりと今でもアタマにくるけど)かわいいとか。 そのレビューの最後の一文、 詩作面におけるユニークな才能にも注目したいところ。 このバンドのデビューアルバムは日本盤のライナーノーツにも歌詞の日本語訳はついていなかった。レコード会社が不要と判断したのだろう。時間がなかったわけではないと思う。それはなにかの事情、ここからは自分の話。先ほど引用した25文字を見て��ら、コピーした歌詞カード(これも日本盤のために、聞きとりにより記述されたもの)をもとに、自分が持ってたマルマンの表紙の厚いノートに、小学館プログレッシブ英和辞典を引きながら歌詞を訳しはじめた。これが自分が思い返す当時の「作業フロー」である。 例えばその人のポスターは探せば売ってたのかもしれないけど部屋に貼ってないし買ってない。その人のCDを発売日に買ったのはソロになってからで、バンドのときはレンタル屋で借りたのが最初だった。でもその人だけが「推し」に該当する人だ。それを辿ると、やはりあのノートしか思い浮かばないのである。その人はソロになって、キャリアを重ねるにつれてシンガーソングライターとして詩人として認められていった。だけどバンドの頃からその人の綴る歌詞は他のソングライターとはちょっと違っていて、そして際だっていた。 歌詞を訳しはじめてどうしても意味のわからない曲があった。石鹸とスープと救い、タイトルだけ訳せばそうなる。意味がつかめないのでちょっと英語の先生になりそこねた人に訊きにいく。 その頃、姉と自分が授業などで英語がわからないときに訊きにいく人がいた。その人は「英語の教師になりそこねた人」だった。
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(注1)実は、36年前デビューまもない頃バンドがプロモーション来日をしたときにTVK=テレビ神奈川の番組でスタジオライヴをやったのを見た記憶がなんとなくあるのだがよく覚えていない。その頃はまだそんなに注目していなかったし、なんか晩ゴハン食べながら不熱心に見ていた記憶しか自分に残っていない。 ※この話はまだまだ続きますが、ひと区切りとして載せておきます。※この話は事実にヒントを得て構成されたフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がないように読まれれば筆者は困惑します。
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2020年12月4日
テレビ東京「出川哲朗の充電させてくれませんか?」 出川さんと香取慎吾さんの目撃情報@呉市本通2丁目。12月3日は大崎下島を走っておられたそうです。
菅首相が記者会見 新型コロナ対策などまとめ
臨時国会が事実上閉会したことを受けて4日、菅首相が就任時以来初となる記者会見を開きました。
��飲食店時短の重要性強調
・ひとり親世帯に給付金
・飲食店などの支援に1.5兆円
・衆院解散・総選挙のタイミング
・マイナポイントの期限を半年間延長
全国の死者と重症者が過去最多 新型コロナ
国内では4日、新型コロナウイルスに感染し死亡した人が45人、重症者は505人確認され、いずれも過去最多となりました。また医療現場では、看護師不足が引き続き深刻な問題となっています。
コロナ警戒強化を宣言 広島県、新規感染者数など基準値超え PCR拠点5日開設(中国新聞)
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」(AERA dot. アエラドット)
京都のコロナ感染者、なぜ少ない? 混み合う観光地、府民は避けた?考えられる理由は… (京都新聞)
12月2日までの1週間合計で大阪府は2560人、兵庫県は845人の感染が確認されている。京都府は162人だった。人口千人当たりに換算すると大阪0.290人、兵庫0.155人、京都0.063人となり、現状では京都の感染は一定のところで抑えられているとも言える。
感染者をキャッチするPCR検査の件数は十分なのか。京都府は11月25日~12月1日の1週間平均で1日当たり641人件。同時期の大阪府は4257件、兵庫県が1460件だった。人口の違いを加味して比較すると、京都府の検査数は感染拡大が著しい大阪府に比べて2分の1の割合だが、兵庫県とは同程度で必ずしも少なくはない。
京都の繁華街は規模が小さい
感染リスクの高い接待を伴う飲食店などが多い大阪市のミナミ、キタや東京の歌舞伎町、札幌市のススキノに比べると、京都の繁華街は店舗の集中や規模が小さい。全国では繁華街などの会食で感染 → 同居する家族に広がるケースが多いとされる。しかし、事業者側の感染対策も広がる中、京都ではここ最近、繁華街を起点にした大規模な感染拡大は確認されていない。宿泊施設などでも同様だ。
混み合う観光地は府民が避けている
紅葉シーズンで京都の観光地は休日になるとにぎわっており、感染予防に欠かせない3密(密閉、密集、密接)の回避は難しく思える。ただ、観光客と地元住民が直接接触する機会はそれほど多くないと考えられる。また、人出が多いとリスクが高いことは周知されており、府内の医療関係者は「混み合う観光地は���民が避けているのではないか」と推測する。
保健所や医療従事者の奮闘
対策に当たっている人からは、保健所や医療従事者の奮闘を要因とする声もある。京都府内では10月22日~11月25日に4施設でクラスターが発生しているが、府の新型コロナ専門家会議長を務める松井道宣・府医師会長は「保健所の積極的疫学調査で感染者の囲い込みができており、2次感染、3次感染が抑えられている」と強調する。
府の担当者は、京都大や府立医科大などの感染症専門医らによるサポートチームの役割も重要とする。感染者が確認された医療・福祉施設に派遣され、感染が広がらないようにきめ細やかな指導を��っている。
京都市の担当者は急増する大阪について「感染者数が多くなって感染の連鎖を追いきれなくなり、悪循環に陥っているのでは」とみる。
国産ワクチン、22年以降 各社開発も、海外に遅れ―新型コロナ(時事ドットコム)
米製薬大手ファイザーなどが開発した新型コロナウイルスのワクチンが英国で承認され、来週にも接種が始まります。日本政府は同社などから供給を受ける一方、国内での開発を支援。しかし、実用化は遅れ、2022年以降になる可能性があります。
書店市場4年ぶり拡大 「鬼滅」特需が追い風(時事ドットコム)
書店市場が4年ぶりに拡大する見通しです。ネット書店や電子書籍市場の台頭に押される「街の本屋」を救ったのは、「巣ごもり需要」と、一大ブームを巻き起こした漫画「鬼滅の刃」の特需。4日発売のシリーズ最終巻となる23巻は予約が殺到し、各地の書店が対応に追われています。
『鬼滅の刃』全国紙5紙に広告 最終巻発売を記念し
人気漫画『鬼滅の刃』のコミックス最終巻が発売されたことを記念し、4日付けの全国紙5紙(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞)の朝刊に、主要キャラクター15人が各紙に3人ずつ登場する広告が掲載されました。前日3日の夕刊にも広告が掲載されていて、それに続く仕掛けになっているということです。
「若者の車離れ」コロナで一変? 講習予約は数カ月待ち 若者が教習所に殺到したワケ(くるまのニュース)
ここ最近、都内の自動車教習所がどこも予約が取れないほど人気だといいます。なぜ今免許を取得する人が増えたのでしょうか。
豪中炎上のフェイク画像を作成した過激アーティストが中国の「国民的英雄」に(ニューズウィーク日本版)
新たな作品は「人殺し」を隠蔽するモリソン豪首相に、戦争犯罪を「謝罪せよ!」と迫るもの
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2万4000冊からなる「モリソン書庫」という空間、もともとは北京在住のロンドン・タイムスの記者、モリソンさんの蔵書だったそうです。文庫といっても、文庫本ではなくハードカバーです。やっぱ、愛蔵書はハードカバー版じゃないとダメっすね、と思いました pic.twitter.com/TfuhBTl4jA
— おびお (@cradiobio) July 16, 2020
July 16, 2020 at 08:02PM http://twitter.com/cradiobio/status/1283718678723231744
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「冷蔵庫(フリッジング)」について改めて簡単な説明。 男性主人公の成長や動機づけのために女性キャラクターが悲惨な目に遭う脚本を指す言葉で、 由来はコミック作家ゲイル・シモーネ氏を始めとしたフェミニストのコミック読者集団が1999年に開設したサイト「冷蔵庫の中の女たち(http://lby3.com/wir/ )」から因んだもの。コミックスにおいて男ヒーローの成長や動機付けのために悲惨な目に遭う女性キャラクターの多さを指摘し、それらを纏めた内容だった。 更にそのサイト名の由来を遡ると、1994年に描かれた当時グリーンランタン(カイル・レイナー)のヒロインがヴィランによって絞殺され、その死体を冷蔵庫に詰められるという悲惨なエピソード(というかオリジン)から取って名付けられた。 ぐらいが説明する際のド定番だと思うんですけど、 そもそも元ネタのグリーンランタンの冷蔵庫も、ストーリーの展開自体はスパイダーバースのベンおじさんを失ったピーターの話をなぞってアーロン叔父さんを失うマイルスみたいな一応そういう類の演出の下の話なんですよね。 前主人公ハルの身に降りかかった悲劇をカイルも味わう事で間接的にハルと痛みを共有するみたいな感じ。 ただ何が問題かと言うと、 やたらと惨いヒロイン殺害シーンに加え、新主人公カイルに巻き込まれた形で殺害された筈のヒロインがその後もの凄い速さで空気化し、カイルは死んだヒロインそっちのけで色んな女性に言い寄るわ、昔憧れていた元少女ヒーローの女性と付き合いだすわ、別れた後も今度は先輩の娘の別の女性ヒーローと付き合うわと「お前のオリジン何だったの?!」と突っ込まざるをえないプレイボーイ気質なキャラクターだったんですよね。(しかもその後上記の付き合った女性は色々あって死ぬ)(この辺はJLA誌でカイルの知名度向上に貢献したモリソンも批判してたりする) 要は悲劇を煽るための+α要素に加え、その後のフォローも最悪だったわけです。 冷蔵庫問題を語る際なにかと「女性が死ぬ」点を重点に置く方が多いですが、冷蔵庫問題の一番のポイントは女性キャラが"即席"の悲劇のアイコンにされる点であって、スパイダーマンのベンおじさんやバットマンの両親みたいにある種の神聖化がされないところだと思うんですよね。 特に前述したGLの殺されたヒロインは今でこそ取り上げられて有名ですが、一時は時折思い出したように言及される程度の空気のような存在でした。 正直冷蔵庫の話がしたかっただけの投稿ですみません。 「女が死んだら全部冷蔵庫なのか?」ンな訳ないだろ!!貴様はロンマーズGLの虚無を知っているのか?!という怒りの思いで書いたので…… ちなみにグリーンランタンの冷蔵庫回とその後の虚無展開を書いたロン・マーズ氏は現在はコミックスゲートと闘うフェミニストコミック作家である事はしっかり明記しておきたいです。
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東洋文庫の近くに……
こんどは朝日新聞の夕刊です。
街歩き連載のコーナーですが、そこに見覚えのある方が写真入りで載っていました。
青いカバの小国さんではないですか!
時々、あたしの勤務先にも顔を出してくれます。うちの書籍を贔屓にしてくれているようです。東洋文庫の近くにあるというのは知っているのですが、なかなか機会がなくてまだ訪問したことはないのですが、そのうち是非とも行ってみたいです。
実は東洋文庫も、学生時代から行こう、行こうと思いつつ行けていないのです。中国学をやっている以上、東洋文庫は必須の図書館ですが、なぜか行きそびれていまして……(汗)
そう言えば、あたしの勤務先から『北京のモリソン』という本を出しています。東洋文庫に興味をお持ちの方は是非!
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