2023 first half
2023年の上半期を振り返ってみる。
1月
せっかく地元に帰ったのに、元旦に弾丸で県外にドライブ。ついでに弾丸でアウトレット行って全然今必要じゃない夏物を買う。
2月
目標月収を達成。吸い取られる税金に泣く。
ついに最後の親知らずを抜歯。過去イチで痛い。これが最初の1本じゃなくて本当によかったと思う。
地元の友達が、半日かけて熊本に遊びに来てくれる。草千里をご案内
3月
人生初のいちご狩り。美味しかったけど3月なのに暑くていちごがぬるい。
初めての天草!一人ドライブ。海がきれい。ドーナツに衝撃を受ける。今まで食べた中で一番おいしい。
4月
東京出張でオフィスに2回目の出社。楽しかったけど思いきり体調を崩す。1週間後に控えている沖縄に向けて死ぬ気で治す。
同僚と1週間の沖縄ワーケーション。airnb初利用。沖縄の虫は大きい。マンゴーパフェが美味しすぎたのでもう1回食べたい。
熊本に来て1周年を迎える。
5月
人生で2人目のカメラマンさんとのポートレート撮影。写真の空気感ドンピシャで好き〜!(記事サムネイル)
ミッフィー好きな友達がはるばる遊びに来てくれたのでハウステンボスのミッフィーコラボカフェに行く。うっかりミッフィーが好きになる。
絶対似合わないと思っていたワイドバングに挑戦してそこそこ好評を得る。
仕事で思い悩むことが多すぎて本格的に精神が参る。周りがいい人すぎるから逆に困る。
6月
福岡日帰り旅行の帰りに駐車場が故障し、1時間半閉じ込められる。檻と化した駐車場の中から、パチンコ店に違反駐車している人たちの帰路を10人近く見送る。
紫陽花とポートレート撮影。花×人はやっぱり素敵だ。
宮崎初上陸!残り九州は鹿児島だけ!
同居人の誕生日にリファのシャワーヘッドを買う。自分もちゃっかり恩恵に預かる。
撮影会にモデル&カメラマンとして初参加。友達以外のポートレート撮影は初めてで、大いに刺激を受ける。
撮影会の1週間後くらいに勢いに任せて初フルサイズに手を出す。もう直ぐ届くはず…
下半期に向けて
タイ旅行に行く。
好きな髪型を見つける。
もっと身体しぼっていく。
UIUXもっと勉強する。
好みのカメラストラップとカメラバッグを買う。
撮影・被写体どちらでも自分の好きな表現を創り上げていく。
最低もう1回モデルの撮影をする。
レタッチのスキルをあげる。
55mmの単焦点をひたすら使い倒して作例をnoteにまとめる。
構築中の写真の作品サイトを公開まで繋げる。
ジップスライドに乗る。
ここで総評。
なんだかんだ、「はじめてだな〜」みたいなことにチャレンジする半年だった気がする。熊本にきてから知り合いが特にいないので、ポートレートのカメラマンは全然やっていなかったけど、ひさびさにやったらやっぱりめちゃくちゃ面白かったしもっともっとやりたくなっちゃった。
仕事については、実力以上のことが求められたり、入社してからというもの「やったことないことしかやっていない」という毎日なので、ぜんぶ伸び代〜〜!という気持ちはありつつもしんどいのは間違いない。何がしんどいのかもう少し分解すると「私のこれまでの経験をフルに活かせます!」といえないこと。私もわからないのでとりあえずやってみるしかない。聞かれたってわからないから全部調べる。とにかく時間がかかる。脳死でできる仕事がない。笑
周りにいる人たちは本当にすごくて、「自分が力が及ばない」ことに申し訳ない気持ちになるばかりだけど、でも胸を張っていえることは、一年前より明らかに成長しているってこと。知識も、使えるものも、どんどん増えているのが振り返ってみた時に気づ���た。
そのときすこし気持ちが楽になった。昔の自分よりは確実に成長している。だからこのまま頑張っていこう。
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今井祝雄を見て"amachi."を想う
こんばんは。
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電車に揺られて、当初は神戸市立博物館で開催中の「デ・キリコ展」でも見に行こうかと思っていたのだけど、綺麗な青空を車窓から見ていたら、なんとなく芦屋市立美術博物館に行きたくなった。
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車内アナウンスで「芦屋」の案内が流れると、一瞬悩んだものの思い切って席を立った。
「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」が9/14から11/17まで、芦屋市立美術博物館で開催されている。
興味があって、チェックはしていたもののまさか、こんな軽いノリでくることになるとは思っていなかった。
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僕が前回、芦屋市立美術博物館を訪れたのは2016年の春のこと。
「美術と音楽の1日」という企画で、コンサートと美術展が開催された展示以来となる。
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気持ちの良い音と、時間が経過することで表情を変える天井からの光が美しかったことを思い出して、こんな気持ちよく晴れた日にはぴったりな美術館ではないだろうか。
8年前の記憶を辿って訪れることにした。
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芦屋市立美術博物館は、ひっそりと閑静な住宅街の中にあるものの、海の気配を感じるような気持ちの良い場所だ。
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街にある大きな美術館とは違い、街に溶け込むようにひっそりと佇む美術館だ。
今回の企画、「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」は、今井祝雄のこれまでの活動を「現在」・「70年〜80年代」・「60年〜70年代」と過去へと遡り、振り返る展示だ。
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具体のメンバーとして活動を始めた今井。
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを軸に制作を行う作家の姿勢や眼差しを、過去へと遡りながら振り返ることで、今井の作品の根幹へと繋がる展示構造が刺激的だった。
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また、作品の横には、今井が掲載された雑誌などのインタビューも抜粋されて掲示されることで、一層作品を楽しむことができる。
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「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを軸に作品を制作するということを先ほどお話ししたけど、今回の展示を通じて制作のプロセスの中で生じる「現象」の可視化、「時間」の堆積といった点を感じることができた。
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「作品とは完成を目的としない思考と行為の副産物であるという考えは。70年代から変わらないものとあらためて思います」
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そのように話す今井。
つまり、制作プロセスの可視化が作品となる。
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」に対するアプローチ、その結果が作品となっているに過ぎないのだ。
瀑布 - ビデオの時代 (2024年)
VHSのテープが滝のように上から落ち、下に堆積する。
録画し、記録した時間の堆積を感じることができる。
デイリーポートレート (1979年〜)
1979年から続ける、自身のポートレート。
前日に撮った自身のポートレートを手にして撮影をすることで、過去と現在を繋ぐ。
時間の堆積、ポートレートを撮影するという行為の可視化とも言える。
タイムコレクション (1981年)
ブラウン管に映し出される様々なテレビ映像を、一定時間シャッターを開放して撮影した作品。
数秒単位で変わる画像の積み重ねは何を示すのか分からなくなり、テレビ画面に変わらず存在する時間表示だけが読み取れる。
時間の風景 / 阿倍野筋 (1977年)
信号の赤と青に塗りつぶし、走る車と歩く人を二重に写した作品。
空間は定点でありながら、その空間に流れる時間の差異を一つの画面に同居させた。
Red Light (1976年〜1977年)
赤信号になった瞬間にシャッターを押すことで生まれる、偶然性によって生まれた風景写真とも考えられる。
SQUARE - glass/grass (1970年 / 2013年)
夏のある日。草の上に透明のガラス板を置き、その空間における現象の変化を記録した作品。
左:白のセレモニー ・90度 (1967年 / 2013年)
右:白のセレモニー HOLES 3 (1966年)
空間に落ちる影や光も作品の一部であるという考えから、空間そのものを作品として提示した。
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このように、今井の一貫した「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを、多くの作品を通じて感じることができる展示だった。
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」というテーマは、どの時においても誰しもに、平等に与えられているものである。
そんなテーマを扱った作品に触れることで、私たちも「空間」・「時間」・「現象」・「存在」に対してこれまでと異なった眼差しを向けてしまうのだ。
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また、今井のこのような作品に触れることで、「偶発性」という言葉も合わせて紹介したい。
作家の制作プロセスの可視化は、そこに映し出される風景は作家の支配下を離れ、偶然映し出された風景であったり、時間であったり、現象である。
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ここ数年、僕自身がそういった偶発的というか、自分のコントロールを離れる環境に、出来る限り身を置く時間を作るようにしている。
行き先をルーレットで決めてみたり、事前の下調べを最低限に留めて、出会いをその時に委ねたり。
もっと身近なことで言えば、晩御飯の買い出しをその日の特売を見て決めたり。
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インターネットやガジェットの普及によって、無数の情報にアクセスが可能となった社会において、SNSやサブスクリプションといったサービスは自分の思考や行動を、ある方向へと強めていると考える。
情報化社会において、私たちが目にする投稿であったり、広告というものは、そういった過去の検索履歴を元にして選ばれている情報になるのだ。
知らず知らずに私たちの思考や行動というものは、ある一定の方向へと導かれている。
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例えば、選挙において自分の主張や主義は、SNSで大数を占めているような錯覚に陥る。
しかし、いざ蓋を開けてみると、世間とは乖離しており、自分の投票した支持者が負けているなんてことはよく経験することだ。
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だからこそ、そんな情報化社会によって導かれる道から外れるために、自分の意図しない偶発的な出会いを求めている。
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「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」で、今井の作品に触れることで、「空間」・「時間」・「現象」・「存在」を通じた、作家のコントロールを離れた風景というものは、改めて僕自身にとても刺激を与える展示と作品だった。
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さて、僕はこの展示を見ながら、この展示に"amachi."の服を着て訪れれば良かったなんて思った。
今井と対象は異なるかもしれないが、"amachi."は自然の観察を通じて、作品へと落とし込む。
そして、時に、自然にデザインを委ねるような手法も取る。
ある種、"amachi."の発表する服というのは、"amachi."が行った自然の観察結果とも言える。
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雪が堆積したようなデザインのニットは、実際にデザイナーが雪の降る日に外に出て、服の上に雪が堆積した部分をトレースし、デザインへと昇華させている。
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また、実際に降ってきた雪の結晶を顕微鏡で観察し、そのまま刺繍に落とし込むといったアプローチをとったアイテムもある。
2つの天然染料を使って生み出したシャツの色は、1着ごとに色の入り方も異なり、色のムラが存在する。
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雨の降る日に外に出て、雨に濡れた部分をトレースしてニットの柄に落とし込んだこともある。
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多くを紹介すればキリがないことなのだが、確かにデザインはきちんと考えられているのだけど、自然に委ねる余白の面白さ。
自然という現象の可視化であり、偶然の積み重ねによって当店に到着しているのだ。
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目を向ける眼差しは全く異なるし、作品も全く異なるのだけど、僕は今井の作品を見ながら、"amachi."の服のことを思ってしまった。
この日、気持ちに任せて、ふと芦屋で降りたという行為もそれはコントロール不可の状態だったのかもしれない。
そんなことを思いながら美術館を後にした。
帰り道。
僕は、Googleマップを放棄し、気の向くままに歩いて帰路についた。
駅から10分ちょっとの美術館。
帰りは1時間かけて歩いて帰った。
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芦屋川の河口。
大阪湾の夕暮れ。
じめっとした潮風。
波の音。
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その全てが、そのまま駅へと向かえば出会いない風景であり、時間だった。
その気持ちよさを一層感じた1日となった。
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作者による展示作品解説
A, 『January 20, 2021』
Digital-C Print, 395X509mm 額装済み ¥38,500-(税込)
写真集『HOW MANY DAYS?』の表紙にもなっているこの写真は、雪景色のようにも、桜が舞っているようにも見える。しかし、晴天の青空に冬枯れの木立ということは、桜にはまだ早いだろうし、晴れているからおそらく雪でもないだろう、と想像していただけただろうか?
これは、ある場所に立って180度左右に体を回転させ2枚のイメージを撮影し、その場で即興的に1枚に重ねて生成させたものである。まず順光で木の枝を撮り、反対側を向いて常緑樹の木漏れ日を撮影している。2019年に制作した『SAME TIME NEXT YEAR』でも多重露光を用いているが、全自動フィルムカメラに任せた多重露光により自分でも想像のできない写真ができあがってくるというもの��った。今回のはデジタル画像をその場で確認しながら撮影しており、より絵を描く行為に近い。この手法によって最初にに撮った1枚がこの写真だったため、象徴的なイメージとして冒頭に飾った。2020年春にパンデミックが始まり、ぼんやりと、しかし強烈に死への恐怖と不安を感じながら暮らす中、風景にその時の意識を被せ、1枚のガラスを隔てて見るように抽象的に表現できればと考えた。
B,『October 27, 2022』
Digital-C Print, 242×242mm 額装済み ¥16,500-(税込)
コロナってなんだろう?と思い、2022年冬から2023年にかけて、実際に罹患した友人4名にインタビューを行った。その書き起こしテキストを本の最後に収録している。ある友人は、療養期間中あまりに暇だったため、木彫りのサバを作り始めた。しかしサバの造形は案外難しいことに気付き、途中からクジラに変更したという。その木彫り作品を撮影した写真。
※誠光社の展示では順番が前後し、最後に展示されている。
C,『August 8, 2020』
Digital-C Print, 394×509mm 額装済み ¥38,500-(税込)
コロナ禍では、電車やバスに乗る時間をなるべく減らすため車に乗る時間が増えた。車は外壁をまとったまま移動できるシェルターとしての役割もあった。これは、前方の横断歩道に近づきつつ、フロント窓から連写した中の1枚。『HOW MANY DAYS?』は車で移動しながら車窓を隔てて撮った写真が多く掲載されている。横断歩道は時に立ち入ってはいけない結界として機能するものだが、普段はそこまで意識することのない結界がはっきりと立ち上がって可視化されたような気がした瞬間である。また、フロントガラス越しに遠くに見える横断歩道を渡る人々は現実味が薄れ、死者たちようにも見えた。
D,『December 8, 2022』
Digital-C Print, 300×300mm 額装済み ¥33,000-(税込)
2022年の暮れに、久しぶりに古くからの知人に会った帰り道、近所の軒先に咲いていた花。
1枚にはピントを合わせ、もう1枚はピントを合わせずに多重露光で撮ったもの。もう二度と同じ写真は撮れないというのはあたりまえのことだが、この1枚は特に強くそう思っている。
E,『July 23, 2022』
非売品 Not for sale
2022年の春から『15歳と20歳のポートレート(仮)』という新プロジェクトを開始した。これは、前作『ワンピースのおんな』(2021、草思社)のコンセプトを部分的に踏襲した新作で、15歳もしくは16歳のこどもたちにいまいちばん好きな服を着てもらって撮影した後、5年後に再び、その時点で好きな服を着てもらって撮影するというもの。制作途上の作品から、誠光社の展示に2枚出展している。少女が着ているのは祖母に買ってもらったワンピース。
F,『April 10, 2020』
Digital-C Print, 242×242mm 額装済み ¥16,500-(税込)
2020年4月7日にCOVID-19流行に伴う初めての緊急事態宣言が発令され、家で食事を作る機会が強制的に増えた。近所の青果店で皮付きのたけのこが出ていたので買った際、いつもは写真を撮ろうなどとは考えないのだが、この時、初めてきちんと撮影してみようと思い至り、同時に本のタイトル『HOW MANY DAYS?』を思いついた。
G,『August 9, 2021』
Digital-C Print, 394×509mm 額装済み ¥38,500-(税込)
2021年8月8日に東京オリンピックの閉会式があり、その翌日に撮った写真。緊急事態宣言中の開催にはずっともやもやした気持ちで過ごし、終わった途端にどこかほっとしたのをおぼえている。真夏の幽霊たちがそぞろ歩きするイメージを思い浮かべながら、公園で通り過ぎる人々を眺め、多重露光で撮影した。
H,『July 23, 2022』
非売品 Not for sale
Eと同じ、制作中の『15歳と20歳のポートレート(仮)』シリーズからの1枚。この少女がいちばん好きな服はパジャマで、好きな場所は夜中のシャッターが降りた後の繁華街ということで、25時に待ち合わせ、散歩しながら撮影した。
I,『May 3, 2020』
Digital-C Print, 242×242mm 額装済み ¥16,500-(税込)
2020年の春に最初の緊急事態宣言が発令されて外出自粛の日々が続き、人が少ない夜に散歩しながらフラッシュを使用して撮影したツツジの花。夜にストロボで照らした花は昼の自然光で見るのとはまったく異なるが、夜中に人を避けて歩きフラッシュを光らせて撮影するという行為は、以前とは違い、何かを盗みとるような感覚があった。
J,『November 7, 2021』
Digital-C Print, 300×300mm 額装済み ¥33,000-(税込)
4度目の緊急事態宣言が明け、どこか遠くへ行きたいという気持ちが募っていた矢先、たまたま知った芸術祭を見るために長野県へ行った。その際に訪れたダムの貯水湖を撮影したものである。エメラルドブルーの水を見た瞬間、2007年に訪れた青森県恐山の山頂にある宇曽利山湖を思い出した。その湖は日々色が変化する。7月の快晴の日に見たのはまさにこのブルーだった。霊が帰っていく天国と位置づけられている宇曽利山湖は死者の湖だが、ダムの貯水湖もまた、死の湖である。そこに世界の果てを思った。
K,『August 18, 2020』
Digital-C Print, 242×242mm 額装済み ¥16,500-(税込)
2020年の春以降、対面で行う撮影が激減した。そんな中で、ある作家のポートレートを依頼され、撮影の帰りに遭遇した雲の写真である。その作家の作品を読むあいだ主人公の熱と熱狂を共有したような心境になり、赤く燃える雲はまるで小説の世界と繋がっているようだった。
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