#プラタナス
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すっかり秋
2023.11.02
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プラタナスの並木道もすっかり秋の風景に🍂
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今日は暖かくて、ベンチでゆっくりお祈りして聖書を読んで過ごしました。
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神さまの愛を深く感じた一日でした。
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感謝します😆
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黄葉 #プラタナス #神保町逍遥2022 SONYa7R #alpha_newgeneration #Leicalens #SUMMITAR location 東京都千代田区神田神保町 #お写んぽ #東京散歩 #神保町散歩 #oldlens_tokyo #ライカ好きな人と繋がりたい #ライカのある生活 #じゃびふる #誰かの記憶の片隅に #j_world_jp #love_camera_club #spicollective #fromstreetswithlove #streetclassics #streetphotography #streetphotographyjapan #街角スナップ #街撮り #ファインダー越しの私の世界 #写真好きな人と繋がりたい #japan_daytime_view #team_jp_flower #みんすと #紅葉 #黄葉 #鈴懸 (神保町本屋街) https://www.instagram.com/p/Cl-SnmTPmGY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。 原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供) 「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」 米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。 「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」 リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供) 古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。 半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。 「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。 <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で) 被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」 1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。 何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。 あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだ��で歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。 それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙 古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました> しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。 古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。 以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」 コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。 2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。 後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」 翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。 まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」 4日間密着し��映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影) 2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。 後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。 2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。 「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で) 後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。 昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影 7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。 「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。 後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。 核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。 ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ ���年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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大学をぐるりと一周するように続く環状道路を北に進んでいくと並木はプラタナスから欅、楓へと移り変わり最後はメタセコイアとなって爽やかな淡い緑いろをした細かな葉が二枚ずつ対となって生えた枝が幾重にも折り重なって天蓋を覆い尽くし、砕け散った鏡のように路面の上に散乱している木洩れ日までもが爽やかな淡い透き通った緑いろをかすかに帯びているかのようで、アルミニウム製の銀いろの車輪を回転させてメタセコイアの木洩れ日のただなかを勢いよく通り過ぎていくとまるで光と影が交錯し入り乱れる水いろのプールの底を息継ぎもせずになめらかにすべり抜けていくときのような感じがする。灰色がかった茶いろの古い樹皮がおのずから鱗状にめくれ上がり次第に剥がれ落ちてその下から傷口にも似た赤褐色の新しい樹皮が現れる幹は細長く縦に引き伸ばされた円錐にいくつもの深い溝が刻み込まれた形状をしていて、直径一メートル超、高さ二、三十メートルはある幹が左右にえんえんと連なっている環状道路を歩いているとまるで巨人の国にさまよい込んでしまったかのようにだんだん遠近感がおかしくなってくるのだけれど、メタセコイアといえば最も印象深いのは(すくなくともわたしにとっては)その紅葉で、晩秋になるとさわやかな淡い透き通った緑いろをした葉が一斉に黄から橙、赤、褐色へと移り変わりやがては柔らかな明るい色合いの絨毯となって路面の上に敷きつめられてその風景のただなかをくぐり抜けていくと大げさではなくほんとうに時がその歩みを止めて無時間あるいは永遠(いずれにしても同じことだけれど)が現前したかのような甘美な嘔吐感が背筋を走り抜けてわたしをぞくぞくさせる。砕け散った鏡のような木洩れ日までもがさわやかな淡い甘酸っぱい緑いろをかすかに帯びて音もなくゆれているメタセコイアの並木があざやかな印象を残すあたりは一の矢といって学生宿舎が乱立しその中央にコンビニと銭湯と食堂と理髪店と事務室が入った共用棟が設置された大学内居住区域になっていて、大学一年生の頃、わたしはこの一の矢という地域にある学生宿舎のうちの一棟に住んでいたのだが、なにしろ北の端から南の端まで四キロメートルはある大学の敷地の、その最も北にあたる地域なので、大学の中で寝起きしているといっても講義を行う教室との行き来はお世辞にも楽とは言えず、毎朝街を南北に真っ直ぐ貫いて街の背骨のように長く続くペデストリアンデッキ(通称ペデ)を南下しなくてはならないのだけれど、ペデはいつも大量の自転車で渋滞していてちっとも前に進めないし、陸橋がいくつもあるおかげで横断歩道を渡らなくて済む代わりにその数だけゆるやかそうに見えて意外ときつい傾斜を上り下りしなくてはならなくて、そのたびにわたしを心の底からうんざりさせる。
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【ダン石田とニューブリッコ11月公演】 ◆日時 令和5年11月25日(土)15:30開場16:00開演(18:00頃終演) ◆場所 アクロス福岡 円形ホール(福岡市中央区天神) ◆入場料 一般前売り2,000円 中学生以下前売り500円 ◆チケットぴあ取扱い(セブンイレブンで購入可) Pコード:254-412(11月4日(土)AM10:00から発券開始) ・・・・・・ 今公演のサブテーマは「晩秋のプラタナス…ウ…ウ」。 出演シンガーは、渚、明希、のん子、南、安奈、るるのレギュラー陣6名。恒例の「経験コーナー」も準備していますよ。 今年最後のニューブリッコ、お買い物やデートの合い間に是非アクロス福岡円形ホールへ ①公演中止の場合など、万が一の情報は公式ホームページ(newbricco.com)で告知します。 ②都合により出演シンガーが変更になることがあります。
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成長
暮れなずむ薄紫の中を家へと走っていると、視界の片隅に黒々と大きなシルエットが飛び込んできた。
母校の校庭に生えている、一本の木だ。
いつもそばを通っているはずなのに、今日はなぜか、その存在感が強烈に際立って感じられた。
ずいぶんデカくなったな、と思った。
イチョウだった気もするし、ポプラだったような気もする。
でも実がふさふさしていたので、プラタナスだったかもしれない。秋になると落ちた実をむしっていた記憶がある。
田園地帯に囲まれた学校のその木は、周囲一帯のシンボルのようでもあった。
校庭に暗く浮かび上がった木は、どうやら校舎の屋上と同じぐらいの高さにまで伸びているようだった。
正直、記憶の中にある姿よりもかなり大きくなっている気がする。
大人になるにつれて世界がどんどん小さくなっていく中で、こんな大きくなったものってあんまりないな、と思った。
また今度、木のそばまで行って見てみよう。
あまりジロジロ見ていると不審者になっちゃうかもしれないから、ほんのちょっとだけね。
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2023.4.22-23 今週も2日間、各地からご来場いただきまして、誠にありがとうございました。
思えば2021年の個展は、緊急事態宣言が出される中、こっそりと開催したのでした。皆様に足を運んでいただけること、お会いできること、改めて、大変有り難く貴重なことなのだと、感じております。
初日にいただいたお花の中のバラがとでも綺麗だったので、ドライフラワーにしました。写真、もう一つは、グラウンドにある大きなプラタナスから落ちたと思われる実。
2つとも会場に置いておきました。
来週も土日オープン致します。
お会いできるのを楽しみにしております。
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16日、娘が卒業式だった。 娘は進路について大きな決断をした。 そのことについては、妻も私も、特に 妻は心労を重ねるほどに悩んでいた。 しかし最後はサッパリと娘は決断をした。 彼女も本当はとても悩んだのだと思う。 まわりの声も聞きながら、彼女自身が悩み考え、それで答えを出したんだから、彼女の描いている未来になるべく近づけるように私も妻も前を向き娘のささえになれたらと思う。 18日夕方から 新宿 ニコンサロンでOHO KANAKOさんの写真展「プラタナスの光」を拝見してきた。 OHOさん、ハマチャン、させん子さんのトークイベントにも参加して、いろんなお話も聞くことができた。 選択。というキーワードを持った写真展。 OHOさん自身もある人生の選択に揺れていた時期に撮影された作品らしい。 展示でのOHOさんの撮られたモノクロ写真は自身のお子さんたちや日常の風景からとても良い光をキャッチされていて、選択からの希望を感じた。 外に出ると雨があがっていた。 写真展「プラタナスの光」は3月27日(月)まで、ニコンサロンで。素晴らしいです! 限定50部の写真集も素晴らしいです。 宇都宮からニコンサロンに行くのに、新宿を通り越して恵比寿で降りて。 「あ、ここじゃねーや」と新宿に行ったのは、「選択」ではなく「勘違い」である。 ぼーっと生きていては希望の光はそそがれない。 (ニコンサロン新宿 Nikon Salon Shinjuku) https://www.instagram.com/p/Cp8tMr3vNrH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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小さな祈りにも
2023.05.18
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今、マンションの工事をしているので、結構すごい音が聞こえてくるのと、やっぱり窓のすぐ外で工事の方たちが作業しておられるのでなんか落ち着いて祈れない…。
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いつもの公園に行って祈ろうと思ったのですが、今日は30度超えの予報、先々週公園に行った時は陽当たりが良すぎて暑く、祈れなかったのです。
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朝、今日、涼しくて集中して祈れる場所が与えられますようにと祈りました。
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どこに行くか…と考えたのですが、思いつかず、結局、いつもの公園に出かけてみることに。
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するとどうでしょう、いつも座っているベンチのところにはプラタナスの木があるのですが、先々週よりも葉が成長し生い茂っていて、ベンチがちょうど木陰になっていました。
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そして心地よい風が吹く中、涼しく神さまと深く交わり、お祈りすることができました!
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小さな出来事、小さな祈りだったのですが、神さまはいつも祈りにこたえ、私たちの喜ぶようなことをしてくださる方だなぁー、と再確認しました。
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今日の祝福を感謝します!
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「松ぼっくり大臣」
大王松の松ぼっくりがお気に入りのご様子
博士のコレクション
プラタナスの落ち葉🍂
冬には冬の美しさ
これも自然の流れ
左下の蜻蛉以外、博士が幼稚園で描いた絵画
「月食とオニヤンマ」
感動した景色を描いたようです
丸いたくさんの月
真ん中にユニークなオニヤンマ
しばらく会えていないので
嬉しい便り
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Daisy は素晴らしいが、映画化の意義はぬかるんだ泥の足跡のように流されそうだ。
Where the Crawdads Sing @ 3000 Pictures 他
directed by Olivia Newman
本作の原作小説を読んだとき、こうやって自然の動物に興味を持っていくんだと理解できた。彼らを身近に感じ、観察して、その美しさに目を奪われる。そこには無限の可能性が広がっていて、もっと知りたいと思うものなんだと。
だから作中で出てくる動物や植物の名称をググって見たものだ。 Kya をそんなにも夢中にさせる湿地帯に私も入っていきたいと思ったから。映像化の話を聞いた時、半分 National Geographic の番組みたいになるんじゃないかと思ったけれど望むところだった。この言い方は不適切かもしれないが、ある分野のオタク心をくすぐるものは、必ず他の人にも何か引っ掛かりを与える覇気を備えているものだ。結局読後に野生動物の世界にどハマりしたわけではない私だったが、小説で想像した雄大な野生の世界に、具体的な画が与えられることに期待が膨らんだ。
しかし、完成した映画は平凡な作品だったと言わざるを得ない。自然描写はそこそに、語り口もエッジーではなく丸い映画だった。
何よりも、ここでホワイトウォッシングの問題が浮上するのかもしれない。原作中彼女の人種についての明言は���かったように記憶しているが、ヒロイン Kya は肌の色が濃いことも差別される一因になっていた気がしたからだ。しかし、こ��レビューでヒロインのキャ��ティングを巡る人種問題に切り込むのはやめておく。まだ私は十分な量のレビューを読んでいないしその分野について勉強不足だ。そういう意味で本作の存在自体を断罪しないことが許されるのか分からないが、そこは私の宿題とした上で話を進めたい。
こんな長い言い訳を前置きしたのには理由がある。だって私は Daisy Edgar-Jones の本作における仕事を絶賛したいからだ! 'Normal People' で目が釘付けになった演技を本作ではスクリーンで観ることができた。私が感動したのは、 Taylor John Smith と初めて顔を合わせるシーン。木の向こう側からオーバーオール姿で、視線を下に向けながら恐る恐る出てくる彼女の姿を観たとき、彼女こそ Kya だ!と一目で納得できた。そして Edgar-Jones の本作へのヒロイン抜擢を疑った自分が間違っていたことを認めた。思えば知的な雰囲気あり、上流階級的な環境に身を置いてもどこか野生的感覚を研ぎ澄ましているように見える彼女の視線や仕草は、本作のヒロインにぴったりだ。
それから本作で魅力的だったのは、残念ながら少ないのだが影の主役といってもいい湿地帯を感じることができるショットだ。例えば、オープニングで湿地帯を飛び回る鳥の姿を追うことで観客に舞台紹介をしてくれるタイトルロゴ。海から湿地帯へ、豊かな自然が育まれている独特の環境が俯瞰できる。また、クロースアップした湿地帯の水面に太陽の光が反射しまるで抽象絵画や印象派絵画をトリミングしたような画がスクリーンいっぱいに広がる数秒間。あるいは、小説で読んで想像したほど美しい画にはなっていなかった笑が、風で舞い上がるプラタナスの落ち葉に包まれながらのキスシーンなどだ。反対に、 John Smith がボートで戯れている Edgar-Jones と Harris Dickinson を観て引き返すシーンなどは肩透かしだった。原作ではその直前、二人のボートが互いに旋回しながら接近しその姿はまるで求愛するワシのようだという表現が美しかったので、上方からの撮影を期待していたのに。
ストーリー的には穴があり物議をかもす物語だということも理解できる。それでも原作本が良かったのは、舞台となる自然、そして人が持つ自然や詩に対する知的好奇心を美しいものとして描いたからに他ならなかった。著者 Delia Owens が自然科学の分野における女性の活躍はいいものだと後進へ道標を示しているようでもあった。
光るところは見受けられたが、映画という表現にアダプトした意義を問われると、法定劇としても恋愛ものとしても月並みだ。彼女の描写はいわゆる古臭い Born Sexy Yesterday とも言えるし。厳しい言い方になってしまうが、全体として本作を評価すると忘れ去られていく類の映画だとは思う。
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大学会館の裏の展示スペースの、その淡い青みがかった透明なガラス張りの壁の、そのむこうに見える環状道路の、おそらくは十メートルはゆうに越えているだろうプラタナスの並木と、その枝から盛んに舞い落ちる小鳥ほどの大きさの枯葉と、その下を通り過ぎていく何台もの銀色の自転車を、今はもうその街を離れて故郷に帰り小さな会社で仕事をしていてその街との関わりなどもはや本当になにひとつもっていないはずなのに、ふと顔をあげた拍子に窓のむこうで上下にゆれている櫟の枝を目にした途端、まるで茶をそそぎ入れた瞬間に陶器の中でやおら開き始めてたちまち匂いやかに咲く水中花のように、わたしは思い出す、枝から盛んに小鳥ほどの大きさの枯れ葉を舞い散らせている巨大な丈高いプラタナスの並木がそびえ立つ環状道路は、その大学会館の裏の展示スペースのあたりで陸橋になっていて、それというのも秋になるたび黄金いろに燃える葉を空にむけて突き上げる公孫樹の並木がえんえんと続く東西に伸びて大学を横断する通りがそのあたりでちょうど環状道路と直角に交差するからなのだが、その陸橋を南に下りてすぐのところにある陸橋の下にぐるりと回り込む小さな道を進むとサークルの先輩が住むアパートがあってそのアパートで夜な夜な飲み会(その頃はまだ二十歳を過ぎたばかりでウイスキーというものがもの珍しかったものだからとにかくいろんな種類のウイスキーを飲んでみたい一心でわけもわからず片っ端から飲んでいった、ジョニーウォーカー、バランタイン、シーバスリーガル、ジャックダニエル、ワイルドターキー、フォアローゼス、カティサーク、ブッシュミルズ…… ウイスキーの固有名詞はわたしをふしぎと陸橋の下にぐるりと回り込む小さな道を進んだところにあるアパートの一室へとひき戻す)をしたものだったけれど、先輩の部屋は大学生向けのよくあるワンルームの八畳ほどの部屋で玄関のドアを開けるとすぐ左手がキッチンで右手が浴室とトイレのドアになっていてその間の細長い狭い空間を抜けると居室で、その居室は南が窓で西と東は天井まで続く大きな本棚になっていてその本棚にはぎっしりと本が収納してあって先輩これ全部読んだんですかとわたしが訊くとそんなわけないじゃないですかと先輩は言うのだったが、その先輩は普段は同期や後輩に対してはタメ口なのになにか皮肉めいたことを言うときだけ敬語になる癖があったからこの場合のそんなわけないじゃないですかはもちろん全部読んであるということなのだった(その先輩とはもう長いこと連絡を取っていなくてたしか最後に連絡を取ったのは今から五、六年前のことだったはずで、あの頃はあんなにも多くの本をあんなにも情熱的に読んでいたはずの先輩は結婚し公務員になっていて、ざまもなく脂下がった顔でいやあこの齢になると本を読む暇もなくてね、あの頃の本もみんな捨ててしまったよ、今から思えば本なんて読んでもなんの役にも立たなかった、あの時間を使って資格の勉強でもしておけばよかったと心から思う���云々とのたまってわたしを幻滅させた)、有名な建築家が建てたというコンクリート打ちっぱなしのおよそ飾り気というものがない塔は栓抜きの形によく似ているから栓抜きタワーと呼ばれていて、栓抜きタワーは松見公園というその名の通り松ばかりやたらと植えてある公園の池の中央に建っていたのだが、この公園には街を南北に真っ直ぐ貫いて街の背骨のように長く続くペデストリアンデッキが通っていたこともあって街の人々はいつもいやおうなくこの公園を通り過ぎなくてはならずしたがって自然と栓抜きタワーも毎日見ることになった、その栓抜きタワーのある松見公園と一本道を隔てた反対側はこの街唯一と言ってもいいだろう繁華街になっていてそのあたりは住所としては天久保一丁目で、もちろん繁華街といってもごくつつましやかなものでほんの何軒か風俗店やキャバクラがあるだけであとは居酒屋やバーやスナックやカラオケや中華料理屋があるくらいなのだが、鶏の骨がそのまま溶け込んでいるのではないかと思うほどに濃密などろりとした鶏白湯スープに整然と折り畳まれて盛りつけられた小麦の香りがにおい立つかのような中太麺、淡い桃いろがかった赤身と真っ白い脂身が幾重にも連なり地層を描く豚肉の叉焼の上におそらくは無塩バターとパセリとエシャロットとにんにくを混ぜ合わせて冷やし固めてから四角く切り出したのであろう黄いろがかったクリーム色にパセリのさわやかな緑いろが入り混じったエスカルゴバターが載せてある一風変わった拉麺が食べられる店は天久保一丁目の路地を少し入ったところにあってその拉麺を食べるためだけに幾度となくこのあたりまで足を運んだものだった、その拉麵屋の隣りのとなりはふくろうという美味い焼き鳥を出す居酒屋でその居酒屋も好きでよく訪れていたのだが、ペデストリアンデッキを南にむけてもう少し下ったところにある中央公園の一画は文化会館アルスという図書館と喫茶店とコンサートホールと展示場の複合施設になっていて、そのアルスで開かれていた大学院の卒業制作展で見た作品に感動し連絡を取ったところ意気投合し友達になったMさんとそのふくろうという居酒屋を訪れたら折あしくなにかの祝賀会と重なって店に入れなかったことがあって、そのときは松見公園に面した居酒屋というには小洒落ているがバーというには騒がしいなんだかよくわからない店に仕方なく入ったのだが、その店ではなぜかくり返し何度もディズニーの子どもむけのコメディ映画が流れていて、わたしとMさんはピーナッツをかじったりビールを飲んだりよしなしごとを話したりしながら夜が更けるまでそのコメディ映画をながめ続けていた。
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万博記念公園 西大路の #プラタナス 巨大でとても面白い形をしている。巨木を育てる方針で森の手入れをしているのだそうだ。 ちょうどNHKで「知られざる1970大阪万博」を観た���当時の建設労働者の慰霊塔や太陽の塔の背面にある黒い太陽のメッセージ、「華やかな国家事業は内側に影や闇を孕んでいる」「お祭りだから街を変えちゃおうではなく、未来に向けて様々な手を打っていく形にならないと日本は沈没、劣化、衰退する」など印象的な内容だった。 (万博記念公園) https://www.instagram.com/p/CXWKvOBvw4h/?utm_medium=tumblr
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