#ビーツの部屋
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【話題の鶏白湯らぁ麺に初挑戦】 幻の地鶏「天草大王」が堪能できる、鶏白湯らぁ麺が新宿御苑に開店しました。 ランチ時に訪問しました。4名程度並んでましたが、すぐに入ることができました。その後は長蛇の列でしたので、ラッキーだったと思います。 このお店は、東横線「祐天寺」駅か���10数分の位置にある「Ramen Break Beats」の2号店。なんです。ここも結構な行列らしいです。「Ramen Break Beats」は昨年1月新規オープン後、すぐに食べログラーメンtokyo百名店に。すごい勢いのラーメン店なんです。 「Ramen Break Beats」は清湯系の「醤油」と「塩」が選ぶことができましたが、こちらのお店は、なんと「鶏白湯」だけで勝負されています。これは驚きですね。 列がある程度進むと、スタッフさんより食券購入を促されますのでそれまで待ちましょう。 メニューは ●「地鶏白湯らぁ麺 1,200円」 ●「味玉地鶏白湯らぁ麺 1,400円」 ●「特上鶏白湯らぁ麺 1,650円」 から3品から選択が可能です。 トッピングは ●「チャーシュー2PC、4PC」 ●「味玉」 ●「くずれ味玉」 が選ぶことが可能です。 店内は横一列のとてもきれいなカウンターが12席あります。 ●「地鶏白湯らぁ麺 1,200円」と ●「くずれ味玉」130円だったかな?を頼みました。 スープは、店主さんの地元福岡の郷土料理「博多水炊き」からの熊本の幻の地鶏「天草大王」を贅沢に使用したスープです。とてもクリーミーな白湯スープでした。特製にはトッピングされる、”ボテトエスプーマの泡”がおいしそうでした。 これは次回挑戦したいですね。麺は、三河屋製麺謹製の中太でとてもおいしいですね。 豚バラチャーシューと肩ロースチャーシューもおいしいです。味玉は濃厚でした。すばらしいです。ここはおすすめですね。少し高いけどw。 ●店名 ラーメン アフロ ビーツ(Ramen Afro Beats) ●住所 東京都新宿区新宿1-16-10 ●交通手段 新宿御苑前駅から152m ●営業時間 [火~土] 11:30~15:00 18:00~20:00 [日] 11:30~16:00 日曜営業 #東京美食 #東京ランチボックス #love #photooftheday #happy #followme #follow #food #likeforlike #foodporn #新宿御苑ランチ #新宿御苑 #新宿御苑おいしい店 #新宿御苑ラーメン #おいしい店 #新宿御苑ディナー #新宿御苑グルメ #ラーメンアフロビーツ #RamenAfroBeats #ラーメン #新宿 #ラーメン好きな人と繋がりたい #ラーメンインスタグラマー #ラーメン部 #ラーメンパトロール #ラーメン倶楽部 #ラーメンインスタグラム #ラーメン女子 https://www.instagram.com/p/CqedoGlrcaN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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特殊支援部隊『山ん』。
皆さん、おはるかです。暑サニ負ケズまめったくやっておりますでしょうか?
先日、能登で復興支援活動をしている人達のお手伝いに行ってきたので、その時見てきたものをシェアしようと思い、久々にPCを立ち上げてブログを書こうと思ったら久々すぎてログインするのに苦労したっていう事は内緒にしておいて、いってみましょー!
の前にちと近況報告。春になり、とっくに屋根屋に復帰してると見せかけて、自宅の屋根の葺き替えをしてました。九年目にして遂にファイナルシーズンです。皆様のご協力のおかげもあり遂にここまできました。おしょっ様です。後ちょっと。ばんがるぞ!
しかし、そろそろ、会社も忙しそうだし、蓄えも寂しくなってきたのでこの先は仕事をしつつ直していこうかと思ったところ、その前にどうしてもやっておきたい事がありました。
それが今年の元日に起きた能登の震災のボランティアです。石川にはヨコノリ友達も、ウチに来てくれるお客さんもいるので、少しだけでもなんか手伝いたいなと前々から思っていましたが、なかなかタイミングがなく行けずにいたので、仕事に復帰する前の今しかねえ!っつー事でつっこむ事にしました。
つってもどこへ行けばいいかな〜なんて考えていたところ、ちょっと前にボランティアに行ったPOWのショータローに、どっか紹介してっていうとすぐに二つの団体を紹介してくれました。一つはしっかりとした災害救助NGO団体。そして、もう一つが金沢のヨコノリスト達がやっている特殊支援部隊『山ん』なるグループ。もう名前で山んに決めました。
目指すは能登の先っちょ、珠洲市。ナビで調べるとなんと五時間!ウヒョー!早朝、白馬をデッパツして車をぶっ放します。
氷見辺りからブルーシートの屋根が目立ってきて、さらに進んで七尾の辺りに来るとひしゃげた家が目に入るようになってきました。
しかし、この先がもっと酷いということで既に今回の震災の被害の甚大さが窺い知れました。
能登の道は市���地以外は比較的スピードの出し易い広い道が多いのですが油断大敵。地震で出来た亀裂を修復したところに段差ができてるのでいいスピードで突っ込むと大変なことになります。
道中パトカーを多く見かけ、車の列の先頭をゆっくり走っていましたが恐らくこういう道での事故を抑える為でしょうか。
珠洲に入るといよいよ被害は深刻でそこら中の家が潰れていました。
半年経った今でも全然片付いている雰囲気ではありません。
教えてもらった住所はこのすぐ先なのですが、建物などは大丈夫なのでしょうか?
程なくして特殊支援部隊山んが運営する被災者無料商店、みんなの家に到着しました。山んの代表、マコ君が出迎えてくれました。
マコ君達、山んは地震直後から全国の友人らに支援物資の提供を呼びかけ、支援の手が及びづらい孤立集落や自主避難所に向けて届けてきたそうです。
1月中旬に無料商店の1号店を中能登町に開設。2月下旬に珠洲市に民家を借りて2号店を開き、水や食料、洋服、生活用品、学用品などが並び、被災者が必要な物資を自由に選んで持ち帰る形です。メンバーが寝泊まりして交代で店番を務めているそうなので、こうして俺みたいのがヒョコッと顔出して店番するだけでも(店番と言っても無料商店なので基本やることはない)彼らが作業できて助かるそうです(彼らはやることが山積み)。
行政がやると色々な手続きやら管理やらで膨大な人数で無駄に時間がかかるところを彼らは少人数でシンプルにスムー���に行っているそうです。
あ、そういえばさっきまで潰れた家ばかりだったのに、このみんなの家がある小泊地区に入った途端、嘘のように無傷(実際は少しダメージは受けていますが)な家が立ち並んでいました。なんでもこの地区だけは地盤が固いらしく被害が少なく奇跡の2kmと呼ばれているとか。
小泊では既に電気は復旧しているそうですが彼らはあえてまだオフグリッドで生活しているそうです。もし再び電気が止まるようなことになってもへっちゃらです。そんな事は起こらないことを切に願いますが。
更に裏庭にある奇怪な建物に案内してくれました。なんすかこれ?
中に入るとこんな感じ。どこぞの大学の先生が考案した建物らしいですが、外側のテントを膨らませて内側をウレタン(なのかな?)で吹き付けたらはい出来上がり。5.,6人は楽に寝るスペースで一度立てれば三年ほど持つそうです。ポイポイ��プセルやん!
複数人で手伝いに来てくれた人に泊まってもらってるそうで。
なんてやっていると、タートルアイランドのTシャツを着た富山からきたおねーちゃんが、普通車にパンパンの水を積み、送り届けに来てくれました。日々、こうして救援物資が送られてくるそうです。
ヨコノリだけでなく音楽の繋がりからの支援もあるみたいですね。ヤーマン。
店番や不要材などの片付けをして、この日の任務は終了。
更に北の方の様子を見に行きましょう、ということでマコ君の相方のユージ君が案内してくれました。
今回の震災では地震だけでなく津波の被害も局所的に甚大だったようです。局所的というのは能登半島の北側ではそれほどでもなく被害は珠洲市や能登町の東側に集中したそうです。というのも、北側の方では地盤が隆起して(最大で4m!)防波堤の役割をしたそうです。
対して東側の地域では隆起はほとんどなく、且つ、富山湾沖合の水深が深くなっていて、水深が深くなると早くなる津波の性質もあり地震直後わずか1分で津波が到達し、その後何度も押し寄せてきたそうです。津波の被害のあったところは地震の壊れ方とはまた違い、ものが散乱していて津波の威力の凄まじさがわかります。
こちらは北側の海岸のかつてビーチだった場所。後に見える白い岩盤は元々水の中だったそう。
ユージくんも地震後初めて訪れたそうで、変わり果てた姿に唖然としていました。
ユージ君の完璧なタイムスケジュールで最後は能登の最北端、禄剛埼灯台の夕日に連れてってくれました。この灯台は朝日も夕日も拝める素敵な場所です。
この日は散々自然の脅威を感じていましたが、最後に美しい一面を見せてくれました。
翌朝、早起きして佐渡島から昇る朝日を拝む。
今度は南に降り、珠洲の蛸島の方の様子を見に行ってきました。こちらも家が密集したところで悲惨な状況でした。半年経ってもまだこのような状況です。
現在、公費解体を行っているのは道路からはみ出した家が優先だそうです。それ以外の家は11月から始まるそうです。11月…。一年近く経とうとしても家の解体すらも終わらないのが現状です。
さて、山んに戻り朝の涼しいウチに草刈り作業の手伝いをしました。彼らは農地を使わせてもらえるようになったので、畑をできる状態にして小泊に新たな需要を産み出したいそうです。誰かやりたい農家さんいませんか?何年も放っておいた荒地の草はしぶてえぜ。
自分達で食べる野菜も作っています。
というわけで、朝採れのビーツを使った味噌汁をいただきました。うんめえ〜!!
ご飯を食べてる間もちょこちょこと被災者の方達が物資を取りに来ていました。毎日、だいたい30~40人程の方達が来るようです。マコ君達は来る方に気さくに流暢な金沢弁(能登弁?)で話しかけていて、みんなに愛され頼りにされている感じでした。
若い人たちはインスタを見て開店時間の10時頃から来るそうですが、口コミでくるじーさん、ばーさん達は朝8時頃からバンバン来るそうです。
今日の作業は店も見つつ、他の家の片付け。実はマコ君、みんなの家の近くの二軒の家も使えるようになったそうで、そこの家を活用して飲食店か何か、さっきの農業に話もそうですが、この地区で雇用をうむ仕組みを作りたいと考えているそうです。
そのためにやる事はいっぱい!!
でもなんかワクワクしますね!
この日はみんなの家の隣の神社でお祭り(お祭りと言っても祝詞をあげる神事的なものだったそう)があるという事でマコ君とユージ君が行ってる間、俺は店番。
能登の祭りといえばこのキリコ祭りというど長え灯籠で練り歩くっていうド派手な秋祭りがあるそうです。
今年の開催状況はこちらに詳しいです。
帰ってきて腹がペコリンちょだったので、禄剛埼灯台の麓の狼煙地区の『いかなてて』という最果てのカレー屋さんに連れてってくれました!
無茶苦茶美味いカレーでした!
更にこの店、レコード屋も併設してるというたまらん造り。俺は井上陽水の二色の独楽というドープなアルバムをゲット!
そんなこんなで一泊二日の山ん潜入記はこれにて終了。
能登の先端、被災地最前線で必死になって生きている被災者の方々を必死になって(まあ、ヤーマンなんでゆるいところもありますが)支援している山ん。正直その姿勢は、無茶苦茶かっこ良くて心打たれました。今でこそ、ちょっと落ち着いてきたと思いますが、発生直後のこれから冬が始まるというタイミング(スノーボーダー的には一番ワクワクしている時期でもあるにも関わらず!)ですぐに被災地に潜入し活動した時の苦労や恐怖は想像に難くありません。ナフリスペクト!
ちょうど半年ということで、少しメディアにも取り上げられてましたがまだまだまだまだ復興には程遠いといった印象です。引き続き、皆さんの支援は必要だと思います。ボランティアに参加するもよし、山んに物資を送ったり(水に加えて、カップラーメンも喜ばれますよ!)手伝いに行くもよし、いかなててへ行ってカレー食って観光するもよし、支援の仕方もそれぞれでいいと思います。ただこの先も能登から目を離さずに生活していきたいなと思うのでありました。
P.S. 今度の土曜6日は前述の禄剛埼灯台台地にて復興祈願LIVEがあるそうですよ。山んのmalichanのバックバンドで参加するそうです。いかがでしょ?
P.S.2 マコ君にPRAY FOR NOTOのTシャツと、無茶苦茶ハイセンスなキャップをもらいました。
ヤーマン。おしょっさまでした!
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【3413目】2022-05-22 父と息子の親子三代で念願の墓参り。の前に、ちょっと寄り道、富山県へ。 LANKA KAEMA KULU BADU ランカキャーマ クルバドゥ ____________________________________ 若い青年がワンオペで頑張っているスリランカ料理店。店先のカラピンチャは元気に生い茂り、内装はスリランカ現地のものばかり。この料理人はただものではなさそうだな。そもそも、人に覚えてもらう気ゼロの店名ってところがいい。 とはいえ、富山県高岡市というお土地柄、どれくらいのスリランカ純度なんだろうとドキドキしながら、待っていました。 "Rice & Curry" *ポルサンボル *キノコノテルダーラ *ビーツのキラタ *パパダム *ケール?のサンボル *人参のココナッツとなんだろう *豆のカリー *インゲンのおいしい何か *海老のカリー *ワタラッパン にわかには信じられない。めちゃくちゃ美味しい。妻もすぐに感じ取った様子でした。 野菜の切り方ひとつとっても、海の向こうで見てきていることが分かる。そして、ひとつひとつも、全部混ぜても、もちろんおいしい。高岡市、こんな遠いところで…… 青年「食べ方分かりますよね?」 福岡(あれ?僕がバレてる?) 会計時に 福岡「もしかしてどこかでお会いしましたっけ?」 青年「以前、HANDI(千葉県野田市)で…」 あっ!!ジョーくん! すごいこんなところで再会!!富山在住だったもんね。雰囲気変わってて?分からずごめんなさい! 名古屋のパハナで修行。結婚して?スリランカへ移住。そして、帰国してお店を出していたなんて。SNSを追いかけ切れてなくて申し訳ない。そしてそして、驚くべき美味しさ。 スリランカへの強い愛情と日本人ならでは繊細さから、食べてるときに水戸のコジコジを思い出しました。誤解を恐れずに言えば、北日本のコジコジだわ。 食事に保守的な父も、最後まで残さず食べてくれました。 そうだよね。美味しいもんね。 ありがとう。ごちそうさま。会えてよかった。 富山県は、カレーの偏差値が高いなぁ。 ____________________________________ 🇱🇰 #srilanka #srilankanfood #lunch #foodpic #foodstagram #asia #asianfood #tasty #spice #curry #currystagram #APEKADE #富山 #高岡 #スリランカ #スリランカカレー #クルバドゥ #アジア料理 #スリランカ料理 #スパイス #カレー #カレースタグラム #カレー好きな人と繋がりたい #フクドローン #ふくすたぐらむ ↓ランカキャーマクルバドゥ @lanka_kaema_kulubadu (ランカキャーマ クルバドゥ) https://www.instagram.com/p/CeTcATIrAxV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#srilanka#srilankanfood#lunch#foodpic#foodstagram#asia#asianfood#tasty#spice#curry#currystagram#apekade#富山#高岡#スリランカ#スリランカカレー#クルバドゥ#アジア料理#スリランカ料理#スパイス#カレー#カレースタグラム#カレー好きな人と繋がりたい#フクドローン#ふくすたぐらむ
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結婚したら…
厳しい注意をし、それを直すように言ったあと、勇利は確かによくなかった点を修正し、さらに、ヴィクトルが期待したり想像したりした以上の出来映えですべって見せた。ひとみをきらきらと輝かせ、はしゃいだように戻ってきた彼は、「どうだった!?」と声をはずませて尋ねた。 「よかったよ、勇利! すばらしかった! おまえは最高だ!」 ヴィクトルは勇利を抱きしめ、感嘆の吐息をついた。 「いまの感覚を忘れないようにね。誰もを惹きつける、魅惑的な演技だったよ」 「ほんとに? ヴィクトルのことも?」 「もちろんさ。俺がいちばんとりこになるんだよ」 ヴィクトルは勇利の額にキスし、それからつややかな黒髪をいいこいいこと撫でてやった。勇利は頬を紅潮させ、うれしそうににこにこした。 「もう一回すべってきていい? いまのを身体にしみこませるから」 「いいとも。すてきな勇利をたくさん見せてくれ」 勇利は注意されたこともそれで上手くいった演技も忘れることなく、練習時間が終わるまで充実したすべりを見せた。ヴィクトルは更衣室で着替えるときも勇利を褒め、引き寄せて髪に頬を寄せた。 「どんどんよくなってきてるね、勇利。俺は鼻が高いよ」 「試合のときもそう言われるようがんばるよ」 勇利が更衣室から出ようとしたので、ヴィクトルは引き止めて彼と向かいあった。 「ちゃんとしなくちゃだめだ」 ヴィクトルは適当にぐるっと巻いただけだった勇利のマフラーをぐるぐる巻き直して、隙間ができないように工夫した。ヴィクトルにはなんともないけれど、ロシアは寒いので、勇利にはつらいだろうと思ったのだ。ニット帽も耳がきちんと隠れるようにひっぱってやり、眼鏡が曇らないために気遣ってマスクの位置も変えた。 「勇利のかわいい顔が見えなくなるのはさびしいけど、仕方ないね」 「なに言ってるの?」 勇利は本気にしていないようで、楽しそうに笑うばかりだった。勇利に��中のヴィクトルは本気で言っているのだった。 「それから手袋も……、勇利、なんてことだ、手がつめたいじゃないか」 「えっ、そう? 感覚としてはあったかいんだよ。たくさん動いたから」 「でもふれるとつめたい」 ヴィクトルは大きな手で勇利の手を包みこみ、丁寧にあたためてやった。 「いいよ、そこまでしなくて」 「俺がしたいんだ。おとなしくしておいで」 「ヴィクトルは過保護なんだよ」 「こんな手をしておいて何を言ってるんだ?」 「だから、ぼくとしてはつめたくないんだってば……」 「油断はいけない」 「油断じゃないよ。事実」 「すこしは俺の言うことも聞いてくれ」 「聞いてるよ。いつも」 「いつも……?」 「いつもじゃん」 拗ねて頬をふくらませる勇利が、たまらなくいとおしかった。ヴィクトルは自分の満足がゆくまで勇利の手をあたため、それからふたりでクラブを出た。 「夕食の材料を買って帰ろう」 「ぼくあれ食べたい。ビーツが入った……」 「いいとも」 ヴィクトルは勇利が希望したスープの材料をたっぷりと買いこみ、勇利と連れだって帰宅した。こうして勇利と買い物をして歩くのは、ヴィクトルのもっとも好きな勇利との行動のうちのひとつだ。ヴィクトルは勇利とすることはなんでも好きなので、「もっとも」も何もないのだけれど。 「着替えたら居間でのんびりしているといい」 「ぼくもつくるよ」 「いいんだ。勇利はマッカチンと遊んでてくれ。さびしかっただろうからね」 「うん……」 ヴィクトルが忙しい時期は勇利が毎日食事をつくっていた。それ以外にも家のことをすべてこなして、ヴィクトルの生活がとどこおりないようにしてくれていた。だからヴィクトルは、自分に時間があるときは、できるだけのことをしたいのだった。勇利が来るまで料理なんてしたいと思ったことはなかったし、そうしようという発想すら持っていなかったけれど、いまはちがう。勇利との暮らしをいとなむためならどんなことでも楽しい。 「さあできたよ。こっちへおいで」 「お皿並べる」 「いいよ。席について」 「並べる!」 そう言い張って手伝う勇利があまりにもかわゆく、ヴィクトルはきゅんとして胸を押さえた。かわいい俺の勇利……。 ヴィクトルのスープを、勇利は「フクースナだよ」と言って食べてくれた。そう言うときの笑顔の可憐なことといったら……。 「それはよかった」 「でも、ここのところずっとヴィクトルにつくってもらってる。明日はぼくがやるよ」 「いいんだ。好きでやってるんだ」 「ヴィクトルって料理好きだったの?」 新しいことを知った、と勇利はにこにこした。ヴィクトルにあこがれているあいだに彼が得た情報では、料理好きなんていう項目はなかったらしい。当然だろう。 「好きだよ。日夜研究に励んでいる」 ヴィクトルは胸を張った。そっかー、と勇利は笑った。「そっかー」という発音がかわいいといったらなかった。 入浴はふたりでするようにしている。「温泉とはちがう」と勇利も最初は抵抗したけれど、度重なると慣れたらしく、何も言わなくなった。 「今日も一緒に入るの?」 「入るよ。当たり前だろう」 「はいはい」 初め、身体を洗ってあげるということを提案したのだけれど、それだけはいやだ��勇利は激しく反対し、結局、ヴィクトルが彼の髪を洗うということで落ち着いた。ヴィクトルはなぜだめなのかわからなかった。 「そんなに気にすることじゃないだろう」 「気にすることだよ……どういう考え方してるの……」 「俺は洗ってあげたいけどな」 「けっこうです」 ずいぶん前、そんな会話をしたのをおぼえている。 今夜も勇利は身体は自分で洗い、そのあとちいさな椅子に座ってヴィクトルに背を向け、ヴィクトルのしたいようにさせていた。勇利の髪を洗っていると、ヴィクトルは、これがあのさらりとしたつややかな髪か、とときめかしさで胸がいっぱいになる。使うのはもちろんヴィクトルの選んだシャンプーだ。勇利の髪質を考え、いろいろなものをためした結果、これにきまった。勇利はヴィクトルがたくさんのシャンプーの中から選んだことを知らない。一度、シャンプーが切れそうだと言ったとき、彼が「じゃあこれ」と自分で買おうとしたことがある。ヴィクトルからするとそれを使うなんてとんでもないという代物だった。急いで大反対し、俺が買うと主張してシャンプー選びから手を引かせた。勇利は、どれでも同じなのに、という顔つきだった。 「勇利、もうすこし頭を上げてくれ」 「んー……」 ヴィクトルが丁寧に撫でるようにしながら頭皮を指先でこすっていると、勇利が眠そうな声を上げた。ヴィクトルはふわふわした泡を勇利の髪からすくい上げた。 「眠いかい?」 「ヴィクトルのシャンプー眠くなるんだよね……気持ちよすぎて……」 「それは光栄だね」 「ん、口が半開き……」 ヴィクトルは笑いながら、勇利の耳の後ろをそっと掻き上げた。そのついでに、耳のかたちもなぞって綺麗にしておく。 「あ、それ好き」 「そうかい?」 「うん。ヴィクトルに耳さわられるの好き」 「どきっとするせりふだね」 「どうして?」 ヴィクトルはちょうどよい温度でシャワーを使い、「洗い流すから目を閉じて」と注意した。 「はーい」 「口も閉じて」 「よだれは出してないんだよ」 ふくれて言う勇利を抱きしめて髪に頬ずりしたい。泡だらけでもかまうものか。 しかしヴィクトルはその誘惑に耐え、勇利の髪を綺麗に洗い流した。 「さあ、終わりだよ。あとはゆっくりつかってあたたまろう」 浴槽に入るときは、ヴィクトルが後ろから勇利を抱く姿勢だ。勇利はヴィクトルの胸にもたれかかってよい気持ちそうにする。これもヴィクトルがしあわせを感じる瞬間だった。 「もっと脚を伸ばして。身体をこっちへ」 「あんまりもたれると重いかと思って。こぶただからね」 勇利はヴィクトルが「こぶたちゃん」と言うことをいつまでも恨みに思っているのだった。こころのこもった愛称なのだけれど、彼にはわかってもらえない。 「俺は勇利をリフトできる男だよ。勇利は羽のようにかるい。いや、勇利には羽が生えているのかもしれない。なにしろ天使だからね」 「何を言ってるのかわからない」 「いや……、天使以上にかわいいから天使ではないな……そんなものではない。もっと……」 「何を言ってるのかわからない」 ��ヴィクトルが引き寄せると勇利は素直にもたれかかり、完全に身体をあずけた。ヴィクトルは彼のすらっとした痩身を抱き、ちいさな顔に頬を寄せ��まぶたを閉じた。なんてしあわせなんだ……。ヴィクトルは、勇利といつか結婚するということを考えた。 風呂から上がると、勇利は寝巻を着、簡単に髪を拭いただけで部屋へ引き取ろうとした。 「勇利!」 ヴィクトルは呼び止めて居間へ連れていった。勇利はいつもそうなのだ。こんなことをして平然としている。 「ちゃんと乾かさないとだめだ」 「大丈夫だよ。ほうっておけばすぐ乾くから。ロシアはいつだって部屋の中はあたたかいじゃない」 「それでもだめだ。風邪をひくかもしれないし、髪だって傷むんだよ」 「傷まないよ。そうだとしても気になるほどじゃない」 「だめだ! きみはいつもそうだ。俺の言うことを聞くんだ」 「わかったよ……」 ヴィクトルが叱りつけるようにとがめると、勇利はしおらしくうなずいた。しかし内心ではめんどうだと思っているにきまっている。ヴィクトルがいろいろ言うので反省したふりをしているだけだ。 「おいで。俺がやってあげる」 「自分でするよ」 「勇利は信用できない」 「ヴィクトルがぼくを信じないなんて」 「勇利のこういうことに関してはすべて疑ってかかるよ俺は」 ヴィクトルは勇利をソファに座らせ、ドライヤーで丁寧に髪を乾かした。勇利はヴィクトルの手がふれるあいだ、よい気持ちそうに目を閉じてじっとしていた。きっと髪を洗ってやっているときもこんな顔をしているのにちがいない。言うことを聞かない大変な子だけれど、このあどけない表情を見ているだけでヴィクトルは幸福を感じるのだった。 「かわいいな……」 「んー……? なに……?」 「なんでもないよ。すこし髪が伸びたね」 「へん?」 「いや、綺麗だ。勇利はいつも魅力的だよ」 勇利が笑いだした。どうやら冗談だと思っているらしい。 「さあ、これでいい」 ヴィクトルは納得してうなずくと、ついでに自分の髪もさっと乾かした。勇利はそのあいだぼんやりとテレビを眺めていたけれど、ヴィクトルがドライヤーを止めたところで立ち上がって、「じゃあ寝ようかな……」とつぶやいた。 「何を言ってる。まだすることがあるだろう」 「なんだっけ」 「毎日やってるのに勇利はおぼえていない」 「眠いんだよ」 確かに、あれほど練習しているのだから、疲れて眠りたくもなるだろう。しかし、だからといってじゃあおやすみと譲れるものではない。 「こっちへおいで。ここへ座るんだ」 ヴィクトルはソファの上であぐらをかき、膝を叩いた。 「やだよ、もう、そんなの……」 「何を恥ずかしがってる? 毎日裸だって見てるのに」 「変な言い方しないでよ。お風呂に一緒に入ってるだけじゃん」 「それでも裸を見てる」 「いちいち言い方が誤解を招くんだよ、もう……」 勇利はぶつぶつ言いながらヴィクトルのあぐらの上に横向きに座った。ヴィクトルは彼を自分に寄りかからせ、ほっそりした手を取って引き寄せた。この手が演技のときしなやかに動くのが、どれほど可憐でうつくしいことか。 「ほら、もっと手を出して……」 「くすぐったいよ」 「勇利が抵抗するからくすぐったいんだ」 ヴィクトルはききめのあるハンドクリームをすくい、それを勇利の手に伸ばして両手で包みこんだ。優しく、静かに揉むようにすると、くすぐったがっていた勇利がぴたりと黙った。 「痛くないかい」 「うん……」 「指先まで綺麗に……」 「こんなことしなくてもいいよ」 「だめだ。勇利は自分に無頓着すぎる」 「ヴィクトルがこ��わりすぎなんだと思う」 「おまえはほうっておいたら何もしない」 勇利は溜息をつき、どうでもいいというようにヴィクトルにもたれかかって無抵抗だった。もっと自分のうつくしさについて考えればよいのにとヴィクトルは思った。もっとも、何も考えていなくても勇利は綺麗でかわいい。それに、こうしてなにくれとなく彼の面倒を見るのがヴィクトルは好きだった。可憐な勇利を、さらにうつくしくするのだ。 「もういい?」 「まだだ。片手しか終わってないだろう」 「ぼく、左手は何もしなくても大丈夫なんだ」 「何をわけのわからないことを言ってるんだ」 「ヴィクトルにわけわからないって言われたらおしまいだね……」 「俺こそ勇利にそう言われたらおしまいだ」 ヴィクトルは眠いとぐずる勇利をなだめすかして保湿をした。彼が黒髪やこめかみにキスすると、勇利は「そういうので騙されないから」などとかわゆいことを言った。 「勇利は俺をなんだと思ってるんだ」 「少なくとも、こんなにいろいろ言ってくるひとだとは思ってなかった」 勇利にだから言うのだし、世話を焼くのだけれど、この妙な子はそれをわかっているのだろうか。ヴィクトルは甚だ疑問だった。 「さあできた。勇利、もういいよ」 満足してヴィクトルがクリームのふたを閉じたとき、勇利はヴィクトルにもたれかかったまま動きもしなかった。 「勇利?」 顔をのぞきこむと、彼はすうすうと子どものような寝息をたてて眠っていた。ヴィクトルはほほえんだ。 「おいで、マッカチン」 ヴィクトルはあかりを消し、勇利を抱き上げて寝室へ行った。そして彼を慎重にベッドに横たえ、自分も隣に落ち着くと、優しく抱き寄せて髪を撫でた。 「んー……終わったの……?」 「ああ、終わったよ。もうベッドだ。寝ていいよ」 「そっか……おやすみ……」 勇利は深い眠りに落ちたようだった。ヴィクトルは彼を守るように抱きしめ、鼻先に接吻して目を閉じた。 「ジャージで行くの?」 「ううん、今回はスーツ」 勇利の全日本選手権に付き添ったヴィクトルは、滑走順抽選に向かう勇利がスーツの覆いを取るのを見て溜息をついた。 「俺が贈ったやつにしなさいと言っただろう」 「あんな高価なの、普段遣いにできないよ」 「普段遣いにするために買ったんだ」 勇利は何もわかっていない。しかも彼は、自分で以前から持っている、ヴィクトルには信じられない型のスーツを手に取って気楽そうだ。 「勇利、だめだ」 ヴィクトルは注意をうながした。 「だめだっていっても、これしか持ってきてないんだから」 「そうじゃない。スーツはもう仕方ない。俺はゆるせないけど、いまから買いに行くわけにもいかないしね」 「当たり前じゃん」 「バンケットの前に考えよう」 「バンケットのスーツもこれだよ!」 「とんでもないしろものだ」 「失礼なんだよ」 「ネクタイはちゃんと結ぶんだ」 「結んでる」 「勇利はいつもすこし斜めになる」 「だってこうなるんだよ」 「きちんと丁寧に結べばそうならない。来てごらん」 「ヴィクトル、ぼく時間ないから」 「まだ三十分ある。予定表を見てちゃんと知ってるぞ」 勇利は頬をふくらませた。彼は、いつも予定なんて考えないヴィクトルなのに、とぶつぶつ言った。 「勇利のことではこまやかになる」 「無理しないほうがいいよ」 「好きでやってるんだ」 ヴィクトルは後ろから勇利を抱きこみ、彼のネクタイをゆっくりと結んでやった。勇利はうつむいておとなしくしていた。 「あの、抱きしめ���いとできないの?」 「勇利、前からネクタイを結べるかい?」 勇利はしばらく思案し、「できないね」と素直に答えた。 「そうだろう」 ヴィクトルはきちんとしたかたちをつくって結び終えると、優しく上着を着せかけ、すぐ前の鏡を示した。 「ほら、見てごらん。うつくしいだろう」 勇利はよくよく自分の姿を観察し、「確かに、ネクタイはいつもより綺麗だね」と同意した。 「俺が言ってるのは勇利自身もふくめてだ。さあ、もういいよ。そんなに時間が気になるなら行っておいで。迷子になりそうならついていこうか?」 勇利は何か言いたげな表情でヴィクトルをじっと見た。 「なんだい?」 「……ヴィクトルってさ……」 「うん?」 勇利は彼独特のうつくしい澄んだ目でヴィクトルをしばらく眺めたあと、「なんでもない」とつぶやいて部屋を出ていった。おかしな子だ。もっとも、勇利はいつでもおかしいけれど。 試合当日も、ヴィクトルは勇利の支度をいろいろと気にした。 「そろそろ着替えるかい?」 「うん。更衣室へ行ってくるよ」 「俺も行こう」 「ひとりで大丈夫だよ。迷子にもならない」 「そういうことを心配してるんじゃない。いつだってそうしているだろう?」 ヴィクトルは更衣室で勇利の着替えを手伝った。彼の後ろから衣装のファスナーを上げてやるとき、つややかな肩がキスしたいくらい綺麗だといつも思うのだ。しかしそうはしなかった。それは演技のあとにとっておこう。 「どこも窮屈じゃないかい」 「うん」 「じゃあこっちへおいで。髪をやってあげよう」 勇利はもう何も言わず、ヴィクトルの言うとおりにした。ヴィクトルは鏡の前に座る彼の背後に立ち、勇利の朱塗りの櫛で髪を梳き上げた。これは���るでおごそかな儀式のようで、ヴィクトルはこうすることをたいへん気に入っていた。勇利もこのときこころを研ぎ澄まし、演技のためにととのえているようだ。ヴィクトルは満足すると、勇利の頬を両手で包んで前を向かせ、彼と一緒に鏡をのぞきこんだ。 「うつくしいよ、勇利」 「そう……」 衣装を身にまとい、こうして戦うための姿になった勇利は、本当に凛々しく綺麗なのだ。 「これからおまえはすてきな演技をするよ。俺を魅了し、勇利自身もどきどきする演技をね。俺にはわかってる。勇利は俺の生徒だ。そして俺の誇りだ。俺のかわいい子だ。愛してるよ、勇利」 ヴィクトルはそう言って勇利を氷の上へ送り出した。 ヴィクトルの予言どおり、勇利はすばらしいプログラムを演じ、ショートプログラムもフリースケーティングも終えた。ヴィクトルは自分のもとへ戻ってきた彼を抱きしめ、頬ずりをしてささやいた。 「すばらしかった。アメージングだよ、勇利。おまえは最高だ! 勇利、俺の勇利。俺はおまえに夢中なんだ……」 勇利が汗にひかるちいさなおもてを上げたので、ヴィクトルは彼の顔じゅうにせわしなく接吻した。勇利が笑いだした。 「みんなが見てるのに……」 「かまうものか」 「カメラもいるよ」 「知ってるよ」 ヴィクトルは勇利にジャージを紳士的に着せかけ、ひざまずいてエッジカバーを左右ひとつずつつけてやった。それからキスアンドクライで膝にマッカチンのティッシュボックスを置いてやり、ファンから贈られたぬいぐるみをまわりに丁寧に並べた。さらに、勇利が飲み物を飲みたそうにしたので、キャップを外して渡した。彼が飲み終えるのを待って、ひとつまだ持っていたおむす��のぬいぐるみを腕に抱かせた。 「大丈夫だったかな。点数悪くない?」 「あんな演技をしておいて何を言ってる?」 「ちゃんとできたつもりだけど不安で。自分でわかってない失敗があったかも」 「何もおそれることはない」 ヴィクトルは勇利を引き寄せ、髪にキスして優しく撫でた。勇利は笑い、それから輝くひとみでヴィクトルをみつめた。 「なんだい?」 「ヴィクトルってさ……」 ヴィクトルは勇利の言葉を聞き逃さないよう、彼の口元に耳を寄せた。そのとき、得点が出、歓声が上がって、勇利がうれしそうに白い歯を見せた。 あのひどいスーツにもかかわらず、バンケットのために着飾った勇利はひどくうつくしかった。ヴィクトルはこのときも勇利のために髪を梳いてやり、すらっとした彼の姿勢と装いに陶酔したように見蕩れた。 「綺麗だよ、勇利」 「ありがとう」 「さあ行こう」 ヴィクトルは会場で勇利をエスコートし、影のように寄り添って離れなかった。勇利はヴィクトルの腕に指をかけ、ほかの選手に話しかけられるとひかえめに返事をした。 「みんな、勇利に声をかけてもらいたいんだね。何か自分から言ってあげればいいのに」 「人が寄ってくるのはヴィクトルがいるからだよ」 「勇利……おまえは何もわかっていない」 「なんのこと?」 「何か食べるかい? 取ってあげよう」 勇利はすこし緊張しているようだ。食べさせないと、自分では何も取ろうとしないだろう。立食形式なので、自分で好きに食べ物を選んでよい。ヴィクトルは勇利が気にしたものをひとつひとつ皿に取り、甲斐甲斐しく彼に差し出した。 「美味しいかい?」 「うん」 勇利は口をもぐもぐさせながらこくっとうなずいた。そのいとけなく愛らしいしぐさにヴィクトルはたまらない気持ちになった。早くこのかわいい子と結婚したいものだ。今回は日本の大会だったけれど、いずれ世界大会で彼が金メダルを獲れたなら……。 「食べてばかりじゃ喉が渇くだろう」 ヴィクトルは水のグラスを取り、勇利に差し出した。勇利は礼を述べてそれを受け取ると、大きな目をぱちりと瞬いてヴィクトルに向けた。 「ヴィクトルってさ……」 「なんだい?」 そのとき、「勇利くん!」とやってきた後輩があったので、勇利はふしぎそうにそちらを向いた。声をかけられてふしぎそうにするのは勇利くらいのものだとヴィクトルは思った。 時間が経つと、勇利がふうと息をついてつぶやいた。 「なんか酔ってきた」 「勇利、飲んだのかい?」 「水だけだよ。でも人いきれで……」 「もう引き上げよう。じゅうぶんだろう。帰ってる人もいるみたいだ」 「うん……」 勇利の頬がほてっている。ヴィクトルは彼を外へ連れ出し、庭をすこし散策することにした。 「風が気持ちいい」 月明かりを浴びた勇利はうつくしかった。ヴィクトルは彼に見蕩れていたけれど、どこからか話し声が聞こえてきたので、ほっそりした腰を抱いて奥の道へと導いた。こんなとき勇利は人に会いたがらない。 「こっちへおいで。静かだよ」 「うん……、ヴィクトルってさ」 勇利はぱちぱちと瞬いて言った。 「優しいよね」 「突然なんだい?」 「すごく親切だなあって……。もともとファンに優しい人だから当たり前なのかもしれないけど、それだけじゃなくて……。生徒にこんなに優しいなら……ヴィクトル……」 勇利はくすっといたずらっぽく笑った。 「結婚したらどうなっちゃうの?」 ヴィクトルはほほえんだ。もちろん、ずっと、もっともっと勇利に優しくするのさ。そう答えようとした彼に勇利は言った。 「相手��人、びっくりするだろうね」 「……え?」 「ヴィクトルにこんなに優しくされたら舞い上がっちゃうだろうな。生徒にこうなんだから、結婚相手にはもっとでしょ? どんなふうにするの? 想像もつかない……。いったいどうなるんだろ?」 ヴィクトルはぽかんとした。勇利の言う意味がわからなかった。もしかして彼は、生徒だからヴィクトルがこんなに優しくしていると思っているのだろうか? 結婚相手にはそれ以上のことをすると? まさか──。 冗談じゃない! 「結婚相手はおまえだよ!」 ヴィクトルは叫んだ。突然大きな声を出した彼に、勇利は驚いたように目をまるくした。 「え?」 「俺はおまえと婚約してるつもりだし、愛してるからそんなふうに接してるんだ!」 「え……えっ……?」 「結婚したら優しくするよ! もっと別のことでもね!」 「うそ……えっ……ほ、ほんとに……?」 勇利は口元を押さえ、信じられないというように瞬いた。つめたい風でおさまりかけていた彼の頬が、また赤く紅潮した。まったく……自覚のない子だと思ってはいたけれど、まさかこんなことさえわかっていなかったとは……。 「え……うそ……やだ……そうなの……?」 「いや!? 俺と結婚するのがいやなのか!?」 「これ以上優しくされたら……」 勇利はひとみを大きくみひらき、ほのかにきらめかせてつぶやいた。 「ぼく堕落しちゃうじゃない……どうしたらいいの?」 ヴィクトルは驚いた。こんなことを言われるとは思わなかった。さっきから勇利はびっくりさせることばかり言う。 ヴィクトルは笑いだした。 「ヴィクトル、ぼくのこと好きなの?」 「言葉でも態度でもあらわしてたつもりなんだけどね」 「やだ……もう……」 「何がいやなんだ」 勇利はまっかになって両手で口元を覆った。 「そんなの……、照れるよ!」 世界選手権でクリストフに会ったとき、「ヴィクトルは勇利をうつくしくするのに余念がないね」とからかわれた。ヴィクトルは笑い、勇利は頬をうすあかくして答えた。 「このひと、ぼくのこと愛してるんだって……だからこんなふうなんだって。結婚したら別のことでも優しくしてくれるつもりらしいよ」
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G 7/28
怒涛の更新、ノリに乗っています。これ、時系列でやっているけれどページになると遡る感じになってしまうのが申し訳ない。
朝、鳥の鳴き声が聞こえて起床。ホテルだとなかなか寝付けないのに、友達の家のベッドならいくらでも寝れる不思議。
この日の朝は黙ってパンにバターを塗りたくる。
雑にものをおいて並べただけの食卓が何故美しいのだろう。
ビーツのペーストを塗ってみると、思わぬビーツの匂いの強さに衝撃。こんなに香るものだっけか!
自転車に乗り、公園を通って川を渡り、ポツダムの中心部へ。木陰に包まれたワイドな道を駆け抜ける。途中、お祈り中の教会へ入って挨拶。
ポツダムにも、ベルリンと同じくブランデブルク門と呼ばれる門が存在します。大きさは違いますが、これまた立派で、下を通るのがなんだか恐れ入る感じ。その向かいの道路にて、お馬様のお通り。タ、タイムスリップしたのか。
門の近くの路地を行くと、公園への門が出てきます。みんな、人が二人分通れるくらいに開いた門から譲り合って出入りしていて、自転車はそのまま入っていく人が多い中、そんな狭い道は速度落としても通れない私・わざわざ降りる・それでも自転車が門にぶつかる・恥ずかしかった。
木々に囲まれた一本道、抜けた先に見えるのはサンスーシ宮殿。庭園自体が素晴らしい、その奥にそびえ立っているので、漕ぐスピードは自然に速くなります。噴水の前までつくと、自転車は置いて歩きでの散策です。
蔓で覆われた階段、と思いきや。
全てがこのように、窓や扉を彷彿とさせる作りになっています。階段状の温室と言われています。フリードリヒ大王の夏の離宮、それがこの宮殿。こじんまりしていると思いきや、夏の離宮、という言葉がまさにぴったりな場所。
宮殿の裏にある空間。中に入らずとも、周りをゆっくり一周して見学できます。ここでも歴史の先生が隣にいました。なんでそんなに物知りなんだ、と思いましたが、自分の国の歴史について胸を張って語れることはとても尊敬してしまう。
また自転車に乗って、すぐ脇道の緑道なるところを通る。公園のようなのに、誰かの広大な別荘に迷い込んでしまったかのような感覚。ちょくちょく建物がある。私の大好きな Lykee Li のI Follow riversを鼻歌していたら自然とハモってくれて、何とも爽やかで幸せなサイクリング。アヌシー湖でのサイクリングといい、人生でも指折りで、生きてるって幸せだな、と感じた瞬間。漕いでる間は写真が撮れないのが残念だけれど、あの美しい風景は私の目に焼き付けました。今も思い出す度に鮮明な、煌めいた緑が見えます。
そのままサイクリングで向かった先は、近くの大学。とても敷地が広い。こんなにクラシカルな建物で学びが受けれる環境、憧れがますます強くなる。
家に帰る前に、近くの湖でスイミング。丁度汗が滴ってきたので、一刻も早く冷たい水の中に入りたい。湖の周りの芝生に各々タオルを敷いて、手荷物やら自転車やたスクーターは放ったまま、湖までまっしぐら。草むらを進むとこじんまりと、それでも綺麗な水が目の前に広がる。何度も同じことを言うけれど、私は泳げないので、浅瀬でひたすら水遊び。ちょっと泳いで来るね、とAdrianが向こう岸までスルスルと泳ぐ間、お一人様で犬泳ぎや水中潜りで夏を堪能していました。湖の真ん中に行くにつれ、次第に足元がぬめぬめしてきて不思議に思うと、水面から大量の海藻が見える。ゆるりと海藻が水中で揺れて、しばらく立ったまま足裏の感覚を楽しむ。すると戻ってきたAdrianが、ちょっと顔!!といってくる。メイクしていたことをすっかり忘れていて、どうやらマスカラが大胆に落ちていたらしい。二人で爆笑しながら水でゴシゴシ拭くも広がるだけのようで、ヤケになりながら水中に潜りました。芝生に戻ったら、広がりすぎてタレ目みたいに、黒いチークをつけてるかのような顔面、こりゃ恥ずかしい。子供も寄ってこないわ。
水着を乾かしがてら自転車を飛ばし、お昼ごろに帰宅。こ��日のランチは、南ドイツの名物料理、シュペッツレを作ります。超濃いチーズと、炒めたオニオン、味付けは塩と胡椒、粉から自分たちで作った麺と絡めて完成。流石ヨーロッパ、戸棚からパスタを作る道具が出て来る出て来る。パスタの大きさは一口大くらいでちぢれているような形。自分で作ったというのもあるけれど、これがすっっごく美味しかった。こってりしすぎてるのではと不安だったものの、チーズ本来の美味しさと、オニオンがポイントで凄くマッチして感動的な美味しさ!テラスで音楽を流しながら至福のひととき。
午後は、初日に断念したCMBYNの鑑賞会にチャレンジしよう!と思っていたのですが、リビングのBlu-ray対応テレビでも、日本のDVDだからなのか再生できず意気消沈。スイカと大量の焼き菓子で機嫌を取り直しました。時間が経つと眠くなってしまい、夕方まで目を閉じる。
夕飯、何食べたかまたすっかり忘れてしまった。写真もない。え、食べたんかな。
夜になってまた部屋で爆音ダンスを繰り広げていたところ、Adrianの親友ちゃんが家に来る!と言うことで、3人でテラスでお茶会。ドイツの印象として、英語が堪能な人が多い気がする。少なくともコミュニケーションが容易くとれて嬉しい。また時間が過ぎると、大抵夜にいつも集まっている公園で、友達たちが呼んでいるらしい。せっかくだからみんなに会って!ということで、これは夢に見た海外の仲間内でわいわいする系パーティーに私も参加...?と心の中で焦り出す。急いでパーカーに着替えて、近くのパーティーパーク(みんな知り合いが集まりすぎてそう呼び始めたらしい)まで自転車で走る。ところがどっこい、本当に運のない私、乗っていた自転車が途中でパンク。キューキューと言いながらタイヤが回らなくなりました。急遽そのへんの木にロックして、後ろに乗らせてもらう。夜の住宅街でオレンジ色の街灯だけに照らされた中、ドイツ語講座をしてもらう。あまりに楽しい。
公園に着くと、森の中のような道をずんずん進み、湖のそばの広場に到着。確かに何グループかの話し声と、いろんなジャンルの音楽が聞こえる。合流した先には4人ほどのガールズがいて、暗闇の中、はじましての挨拶。みんな年下だったけど恐らく私が一番年下に見られていた。今日人少なくない!?と驚く二人。いつもはもっとはちゃめちゃなんだよ〜見て欲しかった!と残念がられる。いや見たかったーーーー!!!!!
携帯のライトだけなのに課題をやってる子がいたり、誰に向けてかはわからないが永遠に喋っている子がいたり、とても自由。Kokoがいるからみんな今日は英語ね、とAdrianの親友ちゃんが声をかけてくれるとみんな瞬時に英語で話しかけてくれる。なんて優しくも賢い子達なんだと終始感動していました。やっぱりこういう時に話す話題は、日本とドイツの文化の違いについて。ドイツではこうなのに!えー、日本ではこんなんだよ、と色んな発見がある。近くにいた別グループの子たちとも知り合いなのか、気付いたら十数人で円になっていた。これが私の最近のお気に入りなんだ、と友達の一人がSpotifyからランダムで曲を流す。聞こえてきたのがテクノだったので、この前一緒にやったじゃん!と腕を引っ張られて突然のテクノダンス発表会。日は落ちてるし!!と覚えていた限りで踊ると、Woahの声がたくさん聞こえてまたも照れ臭い。みんな盛り上がってきた頃、湖行って来るわ!!!と何人かの人影が湖へ走って行った。その頃私はというと、昼間の疲れからなかなかの眠気に襲われていて、結局日付が変わる前くらいに離脱。もう会えないの!と驚かれけれど、最後はみんなとハグをしてお別れ。たった数時間前の出会いなのに、心がぽかぽか温かい。
お家に帰って、また軽く紅茶を飲んでから就寝。夢は見たのかなあ。
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ウズベキスタン旅行2018 - Part 3
実質的なウズベキスタン旅行の1日目ですが、まだ終わってないっていうね。Part 3で絶対終わらせたい!ここまでのPartがまだの方は、是非前の部分から見てやってください。
ウズベキスタン旅行2018 - Part 1 ← サマルカンド編(1日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 2 ← サマルカンド編(1日目)
さて、まだまだサマルカンド1日目。レギスタン広場を後にして、次に向かったのはシャーヒズィンダ廟群。サマルカンド有数の聖地で、ティムールさんゆかりの人々の霊廟が建ち並んでいます。
そこはもう、まさに青の世界。ティムールさんとは一緒に葬られることが出来なかった、奥さんや部下やらのお墓です。
タイルの装飾が凄すぎる。どうやら、当時のタイル屋さんの、見本カタログのような役割もあったそうです。出来る限りの装飾をこれでもか!と並べているのはそのためなんだとか。多分、快晴の日に見たら、とにかく“サマルカンド・ブルー”に圧倒されそうな気がします。細やかで美しい。
いやはや、サマルカンド1日目にして、もう圧倒されっぱなし。この日は、この後ホテルに戻り、ちょっとゆっくりした後、夕食へ。
前菜は野菜のローストとパン。ウズベキスタンと言えばナンですが、かつてはソ連だったこともあり、ロシアの黒パンもポピュラー。
黒パンを揚げたものにチーズがかかってます。サクサクのかりんとうみたいな感じ。ニンニク風味のきいたソースが美味しかった。
ビーツのサラダ。これも色んなところでよく食べました。
酸味のある葉野菜が入ったスープ。
マッシュルームとチキンのクリーム煮みたいなの。米つき。
デザートのケーキ。甘すぎず、ベリーソースの酸味がGood。で、お腹いっぱいでホテルに戻り、この日は終了です。
はいっ!
サマルカンド2日目。起きて、着替えて、ホテルの朝食はビュッフェスタイル。
フルーツ、ソーセージ類、お菓子、パンなど、種類豊富。コーヒーは残念ながら、どこに行ってもインスタント。元々コーヒーを飲む習慣がある国ではないようで、紅茶や緑茶がポピュラーです。
この日は、観光スタートの時間が遅めだったので、朝食後の腹ごなしにホテル周辺を散歩してみました。で、どうでも良い話なのですが、私、Stravaというアプリを使っております。これ、ランニングやサイクリングなど、スポーツ系のアクティビティを記録してデータ分析なんかをしてくれるアプリなんですね。で、このStravaを使ってウォーキングの記録を取ると、旅先で自分が歩いた場所が、後から分かることに気づいた!(←当たり前かwww)で、朝の散歩のときにやってみました。
こんな感じ。上の写真はスクショなので、このままで固定ですが、自分の記録のページに行けば、倍率も変えられる。「そうそう、ここだよ!」なんて色々見る事ができるわけですよ。地図好きにはたまらんね( *´艸`)
というわけで、私がこの日歩いたのは、Universitet bulvari(ウニヴェルスィチェッティ大通り)だということが分かる。サマルカンドの目抜き通りの一つ。この大通りの真ん中が遊歩道のようになっているので、まずはそこへ向かうことに。
向かうまでの歩道のトラップ感、ヤバい。
うんともすんとも言わない、歩行者用信号機、ヤバい。まぁまぁ車が行き交っているので、とにかく地元の人たちについて渡るしかない。
ついていく!!!
遊歩道は広くて歩きやすくて良い感じ。
雨上がり、落ち葉を集めている方がちらほら。この時期、掃いても掃いても落ちてくるだろうね。
なんか色々いておもしろい。
通りの一番端、街の中心部に近いところには、玉座に座るティムールさんの像が堂々と。サイズ感、分かりにくいですが、結構な大きさです。
い、椅子か?積み過ぎじゃねえか?
白と黄色の四角が並んでいるのが横断歩道。手前、ビニール袋が落ちているところが歩道。そして横断歩道と歩道の間には溝トラップ。ヤバい。バリアフリーならぬ、フルオブバリア。
コンビニ、というよりはキオスクっぽいお店が歩道上にちらほら。
右側、歩道。左側が歩道沿いに並ぶ商店と商店前の通路みたいなところ。当然ここにもトラップ。もうなんだか、歩くのが楽しすぎる。
色々と面白いこと満載ですが、こうして木がたくさん植えられていて、歩くには気持ち良いんですよね。
ボコボコ具合や、溝トラップがたくさんあって、お年寄りは大変なんじゃないかと思ったのですが、あたりを見回すと、全体的に若い人が多いんです。それもそのはず、ウズベキスタンの人口ピラミッドは、若者が多く、老人が少ないピラミッド型に近い。なるほど、若者なら、これくらいのボコボコ、なんともないか、と。(←そういうことでは、ないはずw)
因みに、今回一緒に旅をした私の父は70になりますが、幸い足腰もまだまだ元気。ウズベキスタンで年齢を言うと、ま~、いろんな人に驚かれていました。ガイドさん曰く、ウズベキスタンで70歳だったら、もうみんな、家でじっとしています、と。50代くらいに見えます!と。それを聞いて、父はルンルン♪、日本に帰ってからの自慢ネタが出来たと、喜んでおりました(爆)。いや、おとんと同世代のお友だちみんな、ウズベキスタンに行ったら50代って言われるってwww
というわけで、Part 3はここまで。次回は、サマルカンド2日目の観光スタートから!
ウズベキスタン旅行2018 - Part 4 サマルカンド編(2日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 5 サマルカンド編(2日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 6 サマルカンド編(2日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 7 サマルカンド/ブハラ編(2~3日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 8 ブハラ編(3日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 9 ブハラ編(3~4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 10 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 11 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 12 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 13 ブハラ~ヒヴァ移動編(5日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 14 ヒヴァ編(6日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 15 ヒヴァ編(6日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 16 ヒヴァ編(6日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 17 ヒヴァ/タシュケント編(7日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 18 タシュケント編(7日目)
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Favorite tweets: 以前近江屋洋菓子店でもボルシチをご提供させて頂いておりました。 その際のレシピを公開させて頂きます。 ・水 400cc ・牛肉 150g ・ニンジン 30g ・キャベツ 50g ・トマト 100g ・生ビーツ 150g(缶詰でも代用可) ・塩 5g ・コンソメ 3g 基本的に全部合わせて煮込むだけです! — 神田近江屋洋菓子店 (@omiyayogashiten) Mar 3, 2022
http://twitter.com/omiyayogashiten
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2010/09/29 DINARY DELTA FORCE “SOUNDTRACK TO THE BEDTOWN” Interview
そのドープなスタイルにヤラれているヘッズが急増中のDINARY DELTA FORCEが登場!王道のブームバップなHIP HOPが好きな人なら彼らのスタイルに共感できる筈。神奈川県藤沢市a.k.a. “MOSS VILLAGE”をレップし続けた彼らが、1stアルバム「SOUNDTRACK TO THE BEDTOWN」でついに全国区にエントリー!
「この“王道”って言われるスタイルを崩さないでやり続けて、いろんな音楽のヤツらに聴かせたい。他のジャンルに伝えたいために他のジャンルに合わせるんじゃなくて、このスタイルのままいろんなヤツらに伝えたいです」——N.I.K.E.
RHYME BOYA/N.I.K.E./CALIMERO/祭SPの4MCからなるDINARY DELTA FORCEは、これまで日本のHIP HOPマップ上ではなかなか脚光を浴びることのなかった街:神奈川県藤沢市(通称“MOSS VILLAGE”)を拠点に活動を続けるグループだ。全員20代中盤ということで、年齢的には“若手”と括られる世代なのだろうが、その音楽性は埃っぽいシンプルなサンプリング・ループ/ビーツの上に、辛辣な業界/同業者批判や地元愛を綴るラップが乗り、ライヴもフーディ/軍パン/ティンバーランドを身にまとい、集団で激しく掛け合いスピットしていくというスタイル。一見/一聴した人は皆「90年代のNYサウンドが好きなんだな」という感想を持つことだろうが、実際はそれほど強く90年代回帰思想を持っている人たちではないようで、彼らなりのフッド・ミュージックを追求した結果がこのスタイルなのだろう。メンバーのRHYME BOYAも今年の『ULTIMATE MC BATTLE』横浜代表に決まったこともあり、今後ますます注目を集めることは必至だ。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)
■DINARYはどうやって結成されたの? RHYME BOYA(以下R)「ある日を境にみんなHIP HOPに触れ始めて、そこからすぐにライムを書いたりとか歌ったりとかって感じじゃなかったけど、気付いたら『俺らもラップできるんじゃない?』ってことになって」
■じゃあ、ラップ始める前からみんな友達だったんだね。 N.I.K.E. a.k.a. DUSTY HUSKY(以下N)「そうですね、祭SP以外は小学校から一緒です」
■誰がきっかけでみんなの間でHIP HOPが広まっていったの? N「それはボーヤじゃないの?」 R「当時の日本語ラップに最初ドップリハマって友達とかに聴かせたりしてましたね。あと、黒人が経営してたショップって結構あったじゃないですか。ああいうところでかかってるのはHIP HOPなんだ、って気付いて、掘ってみようって自分で思うようになりました。多分97〜98年頃ですね。詳しい先輩に教わってとか、そういうのもなかったんで、気付いたら自分たちから進んで聴くようになりましたね」
■当時の藤沢はHIP HOP的にはどんな感じだったの? N「HIP HOPはなにもなかったですね。不良とかも多くて、結構いなたい街でした。駅の北口にサンパール広場っていうのがあるんですけど、そこはジャンキーとか多くて結構危なかったですね」 R「だから、17〜18歳の頃は宇田川町によく通って、ミックステープとか買ってました」 N「16くらいからラップを始めてたんで、宇田川町に通い始めた頃にはもうラップしてましたね」
■それが2001年頃なんだよね? N「(グループが出来た)きっかけっていうのはホントになにもなくて、ずっとこの4人で一緒にいたんですよね。当時茅ヶ崎にTINGER LINGっていうハコがあって、そこを自分たちで借りてライヴをやったのが最初です。そのときはソロ曲メインでしたけどね。ソロ曲だけで何十曲とかあって、クラブでやるライヴの基本がどんな感じかまだ分かってなかったから、初めてのライヴなのに1時間半やったりして(笑)」
■ちなみに、DINARY DELTA FORCEっていう名前の由来は? N「ボーヤがDINARYっていうのを出してきて。数学の“大なり”(>)俺らは誰よりも大きくなる、っていう。DELTA FORCEは祭が後から付けて」
■2001年頃に流行ってたHIP HOPっていうと、今に繋がるメインストリーム・サウンドが確立していった時期だと思うし、日本語ラップでもメジャー志向の音が増えてきた時期だと思うんだけど、なんでDINARYのみんなはこんなローファイな音に行き着いたの(笑)? N「まあ、でも当時新譜で2枚買いとかしてたのがWU-TANG CLANの“UZI (PINKY RING)”だったりとかしたんで、逆にNEPTUNESとかそういうのはまったく通ってないんですよね」
■なるほど、その頃聴いてた新譜も“そういう”サウンドだったわけだ。 CALIMERO(以下C)「俺はTIMBALAND & MAGOOとか聴いてましたけどね。だけど、自分たちがやりたい音とはまたちょっと違ってましたね」 R「俺とかはその頃新譜はかなりチェックしてました。TIMBALANDとかSWIZZ BEATSとかも聴いてたし。だけど、自分たちがそのトラックの上にラップをしようとは思わなくて、もっと俺たちに合う音はあるんじゃないか、って。昔から4人の思ってる“カッコ良い”が近かったんで、必然的ですね」
■じゃあ、極端に今っぽいモノに関するアレルギーがあったりはしないんだね。 N「むしろ今も新譜とかメインに聴きますね.MARCO POLOとかTERMANOLOGYとかRUSTE JUXXとか……」
■やっぱり“そっち”の方じゃんか(笑)。 N「まあ、やっぱりNY(のアンダーグラウンドHIP HOP)になっちゃいますよね」
■資料によると、度々メンバーでNYに遊びに行ってるみたいだね。 N「結構、アルバムで使ってるトラックのネタとかはNYで買ってきたレコードばっかりですね。アルバムに入ってるBUCKSHOTやGHOSTFACEのシャウトも向こうで録ったものです。街全体がHIP HOPしてるから行くだけでヴァイブスが 上がりますよね」 C「普通に地下鉄のホームとか電車の中で演奏して金を稼ぐのとかあるじゃないですか。そういう路上で勝手に店出してレコード売っちゃうみたいなハングリーさとか、それがあればみんな頑張るよな、って」 N「俺らも地下鉄で演奏して金もらうスタイルを、日本に帰ってから速攻小田急線でやろうと思ったんですけど、日本のヴァイブスにヤラれてやめました(笑)」
■今作の前に手売りで二枚作品が出てるみたいだけど、これらの作品はどういう内容だったの? N「青いヤツ(BLACK LIST POSSE『FLIPPIN' DA STAGE & PAGE』)は300枚限定で作って、JERU THA DAMAJAとBEATNUTSとライヴやったときに、ケジメという感じで作って。赤い方(『FUJISAWA TIMES JPN TO NYC』)はNYに持って行った非売品のプロモですね。レコ屋とかも全部廻って渡して、アーティストだとRZAとかDJ PREMIER、EVIL Dに渡して。EVIL DはそのときSCRATCH LIVE持ってて『ヤベェ、かけてくれるかも』って思ったら普通にPCの横に置いただけだった(笑)」
■オフィシャルなアルバムとしては今回が初になるけど、どういうアルバムを目指したの? N「ゴールは決めてなくて、16曲本気でやろう、って。16曲作るっていう方が先に決まって。当時“16丁目アンダーグラウンド”ってライムしてたりして、俺たちの住処の丁目を全員足すと16になるから、俺たち的に縁起の良い数字なんですよ」
■音源で聴くと、個々のスキルの高さが改めて伝わってきたんだけど、どういう風にしてそのスキルを磨いていったの?というのも、みんな結構MCバトルにも出てるからそういうところも関係してるのかな、って。 N「バトルに出てる回数よりもライヴの回数の方が断トツに多いんで、ライヴがスキルアップに繋がってるのかもしれないですね」 R「練習みたいなことはしたことがないんですけど」 N「ライヴの積み重ねで。9年間で相当場数踏みましたからね。最初の頃は年間100本は余裕で超えてましたね」 R「10代のときに人前でラップ・ショウをやるっていうのをいっぱい経験してたんで、強いて言うならそれが今に繋がってるのかな、って」
■アルバムを聴いて初めてDINARYを知る人は、まずその音の圧倒的なまでの“90年代感”に驚かされると思うんだけど、話を訊く感じだとそこまで“90年代回帰”を意識してるわけではないっぽいね。 N「そうですね。そういう感じで曲はまったく書いてないですね。聴いてる音楽がそこら辺の音が多いし、でもリリックは今書いてるわけだから90年代にはならないし、そこがなんか気持ち良い」 R「今までいろんなトラックに俺らのラップを乗せてきたけど、こういうトラックが一番しっくり来たんですよね。だから狙ってるわけではなくて、一番自分たちの味を引き出してくれるのがこういうロウなビートだったっていう」
■30代以上の人だと、若い頃に体感したトラウマが懐古的な音楽性に直結するというのはよくあると思うけど、DINARYみたいな世代がここまでこういう音楽性なのがなんか面白いな、って。 N「トラウマっちゃあトラウマなのかもしれないですけどね。RHYME BOYAだったらMICROPHONE PAGERだったり、俺だったらGANG STARRとかBUDDHA BRANDの1stとか……」 R「そう考えるとトラウマなのかな、って(笑)」 N「新譜にヤラれてラップを始めてないのは確かですからね」
■70年代のファンクを聴いて今ファンク・バンドをやるようなモノなのかな(笑)。で、そのDINARYの特徴的な音を支えてるのがトラック・メイカーのNAGMATICだよね。 N「奴はDINARYのメンバーではないんですけど、横浜の本牧のヤツで、D.L.I.P.(DISH LABEL IN POSSHI)というDINARYを含めたクルーに所属してます。奴の周辺はそれこそ90年代中盤雰囲気以外なにも持ってないような、王道のトチ狂ったヤツらですね、DJ R-MANとか。ヤツらとの出会いがデカいかもしれないです」
■あと、歌っている内容も凄く90年代的というか。セルアウトを叩き、アンダーグラウンドなスタンスを讃えるというのが基本姿勢だよね。 N「意志の主張というか、『自分たちはここにいる』っていうのを伝えたいというか。結成当時からあるんですけど、取り敢えず全部自分たちでやりたいんですよね。ラップ以外でも泡立つ(金が回る)ような現状にしたいとか。オイシイ話とかもらったりしても俺たちは『自分たちでやっていくんで』ってハナから括っちゃって結構遠回りしてきたんですけど、だからこそ自分たちでやりたいな、って。そういうヴァイブスが結構前に出てるんじゃないですかね。『藤沢は藤沢のHIP HOPがあるぜ』っていう」 R「まだまだ現状に満足してないっていうのがずっとあると思います」
■現状っていうのは自分たちの?それとも日本のHIP HOPシーンの? R「というか日本の音楽業界ですね。俺は純度が低い音楽がスゲェいっぱい出てるような気がして。もちろん中には面白いものがあるとも思うけど……俺たちはその“面白い音楽”を作ってる側の人間だと思うんですね。『俺たちもどんどん刺激与えに行くからそっちもどんどん刺激させてくれよ』みたいな土台を作りたいとはずっと思ってます。現状にまだまだ満足してないっていうのがずっと根底にあるからこそ、必然的に16小節書いてもあれだけトゲのあるライムになるんじゃないかな、って。時々言われますね『凄いストレートに言うよね』って。分かりやすくしたいっていうのもあるんですけどね。遠回しに言っても意味深なだけで伝わらなかったら意味がないし。他のメンバーは分からないけど俺はそういうスタイルですね」
■あと、これは90年代的とかじゃないんだけど、藤沢に対する愛着も相当ありそうだよね。やっぱり自分たちの音が藤沢という土地を体現していると思う? N「“SEGA FRONT”って曲とかは、夏の典型的な俺らの街のことを歌った曲だし、一年を通した藤沢の雰囲気は凄い出てると思います。“BED TOWN ANTHEM”とかはホント真冬の雰囲気ですね。冬はホントに人がいなくて。海にも本物以外はいなくなるし。夏は一瞬ワッとした感じになるけど、冬はみんな閉じこもる感じだから、そういう雰囲気を全部書きたかったですね。藤沢は若いヤツが多いんですよね。やっぱサーファーの街なんですよ」 R「まあ、マイペースな人が多いよね」 N「朝方とか起きてコンビニとか行ってもスーツ姿の人がいないんですよね。ウェットスーツの人しかいない(笑)。街自体も、通勤ラッシュとかそういう雰囲気でもないから、都内に出て行くって感じでもなくて、それが自分たちの音楽性にも出てるのかもしれないです。『東京とは違う』じゃないけど、俺らの街、みたいな。だから、敢えて俺たちも東京は意識しないで自分たちだけでやるっていう」
■やっぱり藤沢という街で音楽をやり続けることに意味を感じてる? N「そうですね。藤沢から音楽を発信して北海道とか九州とか、もっと世界まで響かせたいですね」 R「これからいろんなところでライヴやる機会があったりするんですけど、地方とか行っても藤沢っていう、戻るところがあるというか。だから、絶対藤沢でライヴをやり続けたいっていうのはありますね」
■藤沢シーンの現状は? N「今は結構なにかしらやってるヤツらが増えてきてますね。若いヤツらも多い。BLAHRMYもそうだし、MCバトルにもよく出てる丸とか、ZZのDEEP SAWERとか」 R「二人組のTHROBとか」 N「下の世代はけっこう“西”の音が多いですかね。こういう雰囲気出てるのは俺たちの世代かもしれないです」 R「あとはhaiiro de rossiとか」 N「クラブは藤沢に一箇所、江ノ島に二箇所あるから、少ないっていう感じではないですね」
■最終的にDINARYはどういうところを目指している? N「背景に藤沢が見えてるアーティストでいたいです。この街で勝ち上がった最初のアーティスト/伝説かな。俺たちの地元で泡立てれるようになって藤沢だけで潤うような手助けが出来れば、って俺個人はそう思ってます」 R「HIP HOPを聴く以外の、他のジャンルの人たちからも支持されるようなショウケースができるようなアーティストになりたいですね」 C「定期的に世界ツアーが組めるぐらいになりたいですね(笑)。『世界が動く』ぐらいな。結局ライヴじゃないですか。家で爆音で聴いてるより、動いてるモノを観ながら聴いた方が楽しいじゃないですか。だから、現場に来てほしいですね」 祭SP「藤沢のレ��ェンドな存在に……」 C「死ねば明日にでも伝説になれるぞ(笑)」 N「この“王道”って言われるスタイルを崩さないでやり続けて、いろんな音楽のヤツらに聴かせたい。他のジャンルに伝えたいために他のジャンルに合わせるんじゃなくて、このスタイルのままいろんなヤツらに伝えたいです」
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2021.12.4.新月
中世の薬草料理と古楽
900年前、ヒルデガルトが生きた時代の
音楽と食事.
ヒルデガルトのレシピに基づき、
皆様にお料理をお出ししました
新月のハーブティーも.
.
本当に素敵な時間
素敵な演奏と歌を歌ってくれた
sally さんありがとう
.
#Repost @anonymous.medieval
・・・
妖精の食卓
中世の薬草料理と古楽
100年のときを重ねた白亜荘のお部屋で
皆様と一緒にあたたかな時間を
楽しく過ごすことができました。
ありがとうございました。
ヒルデガルトのレシピに基づいたお料理
薬草と食材の組み合わせで変化する気質
ソウフィルさんのお料理の魔法を
教会旋法と対応させてゆく
いろいろ難しいところもありますが
そのブロセスは奥深く、興味深く
また今後もソウフィルさん
探求してゆけたら嬉しいです。
そしてまさか、本当に中世のパンのお皿を
再現してくれるとは👀
当時のように、カトラリーを使わず
手づかみで食べてくださる方も。
なかなか核心に迫る食卓。
床に座る形式の食卓は
ふとイランなどの食事風景を思い起こしたり
中世スタイルのテーブルに直置きのパンは
とても古い時代のころの
大切な儀式の食卓にも見えたり
取り分けや乾杯のふとしたことが
なんだか懐かしく
食卓の民族性、国を超えた共通性も
ふと感じる瞬間でした。
栗のスープ
ビーツとりんご
野菜のキッシュ
ブロッコリーとチーズ
鶏肉の煮込み
スペルト小麦やライ麦を使い
すべてにさまざまなハーブスパイスが
ふんだんに散りばめ隠されている
丸い十字パンは、スペルト小麦で
ジェニーさんが焼いてくださったもの
新月のハーブティーは、
湧水で出されたもの
びっくりするくらい美味しく
それはそれは幸せなお料理
音楽は
モンセラート写本の聖歌
レバノンの聖歌
ヒルデガルトの聖歌
愚者祭のロバの歌
などなど
教会の寄宿舎として、このお部屋は
食堂に使われていたとのこと
もしかしたら、修道士たちが食卓を囲み
祈りを捧げていたこともあったのでしょうか。
妖精たちにまざって、中世の修道士や修道女
放浪楽師たちなんかも一緒に楽しんでいたかも
しれません
@sou.fil.__
@lunn_sally
.
specialthanks
スペルト小麦のパン @jenny.nv
ヤドリギ @tito.flower_botanical_life
.
#ヒルデガルト
#中世古楽
#ハーブティー #herbtea
#herbs #ハーブ #薬草 #植物のある暮らし #メディカルハーブ #ハーバルライフ #植物 #ハーブのある暮らし #ボタニカル #botanical #日々 #丁寧な暮らし #五感
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一年前日記48(2020年11月25日~12月1日)
11月25日 仕事の日。いろいろあって、ばたばたしていた。帰りに実家に寄る。お寿司をもらって帰る。晩ご飯は、お寿司、牛すじと大根のスープ、焼きブロッコリー、落花生。焼きブロッコリーが美味しかった。
11月26日 版画教室。6回の初心者コースの1回目。先生はかわいらしくて話しやすい感じの人だった。下絵を版木に写して彫りはじめるところまでやって今日はタイムリミット。一階のカフェで野菜のランチを食べ、ギャラリー島田へ。須飼秀和さんの個展を見たくて。小さな作品もたくさんあった。いつか欲しいなあ。どこかでお茶して帰ろうと思うが思いつかず電車に乗る。うとうとしてしまい、加古川まで行ってしまった。せっかくなので、行ってみたかったHOLTというカフェでスコーンとコーヒー。いろいろ削ぎ落とされた感じの雰囲気が良い。かぴまーとでいろいろ美味しそうなものを買って帰る。古い感じだけど、いいものがいろいろ置いてあってよいスーパーだと思った。晩ご飯は、おでん、ブロッコリーのナムル、焼きレタス。
11月27日 仕事の日。晩ご飯、おでん、間引き菜の卵焼き、きずし、茹で落花生。今日の夢。イベントで玉ねぎスープを売る派遣の仕事をすることになり、前日に派遣会社から大量の材料が届いて途方に暮れていた。なかなかリアルでこわかった。簡単な仕事って書いてあったのに。最近、恐い夢をよく見るのは脳の構成が変わってきたからなんじゃないだろうか。ため込むところにアクセスしやすくなってしたんじゃないか。そんな気がしている。
11月28日 突然、義理の弟が帰省してきたらしく、紅葉を見に行くとのことで夫も一緒に行くことになった。突然訪れたひとりの土曜日。読書と家のことを少しずつ片付けていく。晩ご飯は、チャーハン、おでん、エスニックもずく。
11月29日 朝、二人でモーニングに行く。近所の人がよく来るお店のよう。サラダとパンとゆで卵。ユニクロに行って、二人とも部屋着を買って帰宅。何か買って帰ろうかとも思ったが、家のもので何とかする。昼ご飯はセロリ牛丼、小松菜のバター和え、エスニックスープ。赤かぶをビーツだと思っていて、ボルシチを作るつもりだったがどうやら違うみたいなので、いろいろと予定変更する。夜はもつ鍋。前買ったときにまあまあ食べられたので冷凍のホルモンミックスを買ってみたが、いまいちだった。何か下処理が必要だったのかな。お腹もこわしてしまった。
11月30日 朝、鍼に行く。何となく昨日のお腹の不調のことは言えなかったけど、ばりばりといろんなことをしてくれて、いい感じになった。以前は施術中に話すのは苦手だったけど、最近話せるようになった。話せないのでメールのやり取りをしていたが、今はする気も起きない。まったく別人になってしまったなと思う。ここまでよく変われたなと思う。午後からはマイナンバーカードの受け取りに市役所へ。お昼を食べようと思っていたカフェが、定休日だったので少し足をのばして、欧風料理の店へ。ランチは、ポタージュスープ、サラダ、魚のグリル、コーヒー。カードの受け取りは予約していたのですぐに終わった。晩ご飯は、皿うどん、スープ。
12月1日 仕事の日。帰りに朔日餅を引き換えに行く。12月が誕生日の友人へのプレゼントも探す。黄色をテーマに探していて、前に見ていた食器がまだあればいいなと思っていたが、さっき売り切れたとのこと。どうしようかなーとさまよっていると、虎屋の来年の羊羹がすごくかわいくて。ふろしきもあったので、これにしようと決める。こっちだったってことだな。ぴしっと気持ちよく包んでもらった。晩ご飯は、白ネギと鶏肉のグラタン、キャベツのレモン蒸し、大根漬物。
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京都で唯一の野菜ソムリエ認定レストラン 『京都イタリアン欧食屋kappa』平部です! ‼️50品目以上のお野菜が 楽しめるコースがおすすめ‼️ おはようございます😁 本日はスープをご紹介致します❗ こちら 『ビーツと無農薬玉ねぎの豆乳冷製 ポタージュ』 でございます😊 綺麗なピンク色で色鮮やかな冷製ポタージュです❗ お野菜の旨味を最大限引き出しスープに仕上げております✨ 是非皆様に食べていただきたいです🥰 本日もご来店お待ちしております🙇♂️ 《ランチ》 11:30〜14:30 《カフェタイム》 14:30〜16:30(l.o.16:00) 《ディナー》 17:00〜21:00(l.o19:00) お酒類のご提供は20:30までとさせていただきます。 グループでのご利用は4名様まででお願い致します🙇♀️ ※こだわりノンアルコールカクテル🍸ソフトドリンクのご用意御座います✨ 🥦テイクアウト受け渡し 昼の部 11:30~13:00 夕方の部 16:00~18:00 🍅デリバリー 昼の部10:00~12:00 夕方の部 16:00~18:00 ※ ルート配達の為時間指定不可🙇♂️ 📞TEL075-708-6393 🍅🥬🥝🥦🧄🧅🫑🌶🌽🍑🍅🥑🍊🍓 #京都 #四条 #烏丸 #イタリアン #野菜ソムリエ認定レストラン #京野菜 #京都ランチ #京都ディナー #欧食屋kappa #vegetables #ファスティング #ビーガン #四条烏丸ランチ #四条ランチおすすめ #四条ごはん #四条烏丸ごはん #京都イタリアンランチ #四条イタリアン #四条烏丸イタリアン #京都イタリアン欧食屋kappa #京都ローストビーフ丼 #四条烏丸ローストビーフ丼 (欧食屋Kappa お弁当事業部) https://www.instagram.com/p/CRudT1HA6ot/?utm_medium=tumblr
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【2369日目①】2019-07-13 間借り営業から正式営業にステージアップして、なおチャレンジングなお店、とらや食堂の、とら飯祭り。自分史上最長?のメニュー数! . とらや食堂@西荻窪 _______________________________________________________ ・パイナップルサンバル ・ラッサム ・ダール ・林檎のトーレン ・キャベツのトーレン ・青バナナのマスタード風味炒め ・アンドラ風茄子のポリヤル ・ビーツのパチャディ ・オクラのキチャディ ・セロリのクートゥ ・南瓜のティーヤル ・青唐辛子とピーマンのカプシカムマサラ ・ゴーヤフライ ・緑豆スプラウトのメルクプラティ ・とうもろこしと打ち豆のオーラン ・トマトのカーラン ・大葉のワダ ・カレーリーフチャトニ ・パッティンガム ・パパド ・ライス ・タマリンドライス ・レモンピックル ・インジプリ ・生姜スライス レモン・岩塩風味 ・マンゴーパヤサム ・バナナ ・バナナチップ ・エリンギのアチャール ・マンゴーアチャール ・茗荷のパコラ ・イドゥリ . とら飯祭りを繰り返していくうちに、常連さんのリクエストの集合体になったというとんでもない規模のミールス。 とらさんにも、のりこさんにも、常連さんにも感謝です。 . 全部で32品、おかわりもたくさんしました。料理の種類がありすぎて、ぜんぶ食べたかどうかもよくわからなくなりました^^; . この品数を…アチャール以外は、すべて朝から作ったそうです。 とらさん、すごい。すごすぎる。。。 . 次のとら飯祭りは秋だそうです♪ _______________________________________________________ 🇮🇳 #south #india #indianfood #instafood #asianfood #asia #spice #foodpic #foodstagram #tasty #Kerala #Tamil #meals #curry #インド #南インド #ミールス #西荻窪 #とらや食堂 #カレー #カリー #毎日カレー #フクドローン #ふくすたぐらむ #隣の方にもしかしてフクさんですか?と聞かれて土器っとしました (とら屋食堂) https://www.instagram.com/p/Bz-25jKA5Gv/?igshid=deldsyap7itm
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今日は暖かくて過ごしやすかったです✨ 昨日無事に納品完了したので、今日は久しぶりにのんびりとした朝を過ごした後に、1年以上サボってしまった眼科と紹介してもらった膠原病のクリニックに。 眼科では眼底検査をして、やはり一部視野が欠けているので次回は視野検査。 膠原病内科の新しい先生は若いドクターで、やたら色んな薬を紹介してくるので、あまり安心できません。 薬は飲まなくて済むならその方が良い、とおっしゃっていた聖隷横浜病院のドクターが、安心できるという点では、今までの中では一番良かった…。 とりあえず末端の血流改善のために、ユベラNを1錠から2錠に変更して様子をみることになりました。 節税対策のふるさと納税の返礼品、ビーツが届いたのでの、早速玉ねぎとのポタージュに♪コロナで大変そうだな、と思って北海道に納税しました。寒い地方の特産品で寒さに強くなれるかな🔥(^^) #体に優しいごはん #レイノー症 #レイノー症候群 #健康管理 #ウェルネス #マインドフルネス #全身性強皮症 #逆流性食道炎 #緑内障 #膠原病 #qol向上 #口内環境 #ビーツ #ふるさと納税 #wellness #gerd #gerddiet #raynauds disease #scleroderma #glaucoma #体に優しいごはん #レイノー症 #レイノー症候群 #健康管理 #ウェルネス #マインドフルネス #全身性強皮症 #逆流性食道炎 #緑内障 #膠原病 #末端血流障害 #qol向上 #口内環境 #ビーツ #ふるさと納税 #中村農場のビーツ #ビーツの部屋 #wellness #gerd #gerddiet #raynaudsdisease #scleroderma #glaucoma #beetroot #vegansoup https://www.instagram.com/p/CJ-ppxXD0Qk/?igshid=uszxnen84yhs
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MAGAZINE - 2018.01.18
NEIL AND IRAIZAインタビュー
インタビュー、構成:与田太郎
2017年は90年代の音楽シーンをリードしてきたミュージシャン達が活動を再開したり、再結成ライブが行われた一年となった。そんな偶然のシンクロを喜んだ音楽ファンも多かったのではないだろうか。その2017年の年末、ニール・アンド・イライザの15年ぶりのアルバムが発売となった。松田岳二と堀江博久の二人もまたそれぞれに90年代以降の音楽シーンに様々な形で影響を与えてきたし、現在まで独自のスタンスで活動を続けている。彼らに共通しているのは自分の音楽を素直に追求してきたところだろう。そんな二人にこれまでの活動と新作について懐かしい話も交えながら聞いてみた。
ー鍵盤は子供の頃から習ってたんですか? 堀江:はい、5歳くらいの頃かな?ヤマハ音楽教室に通ってました。そこでエレクトーンを弾いたり、いろんな楽器に触れたりしていました。 ー入り口はクラシックということですか? 堀江:いや、クラシックは全く通っていなくて。歌謡曲、ポップスとかが多かったのかな。 ー堀江さんがミュージシャンとして活動を始めたのは92年ぐらいですか? 堀江:きっかけはなんだろう?大学が多摩美で、1年のときにザ・ピンチーズというR&Bのバンドをギターの塚本功と作って。それが89年でした。 ーネタンダーズの。 堀江:そう。そこからずっとつながってる感じですね。ザ・ピンチーズは学内のバンドだったんで卒業で解散になるんですけど、その解散ライブを新宿ジャムでやったんです。それが92年ぐらいです。たぶん、その前にマーチ・オブ・ザ・モッズに出たんじゃないかな。それで黒田マナブさんに出会ってThe I-Spy(アイ・スパイ)に誘われるという。ザ・ピンチーズはふだんは八王子や国立で練習したり、ライブしたりしていたんだけど、都内にいくきっかけはモッズのイベントでしたね。
新宿JAMでのピンチーズ解散ライブとMODS MAYDAY'92のフライヤー(1992)
ーなるほど。ちょうどクルーエル(Crue-L Records)やトランペット・トランペット(A Trumpet Trumpet Records)がスタートする時期ですね。 堀江:そう、クルーエルがコンピレーション・アルバム『Blow-Up』(1991)を出した頃なのかな。
Blow-Up/ V.A(1991)
ー僕ともどこかですれ違ってますよね(笑)。 堀江:そうかもしれないですね。でも当時家が横浜で、都内に来てもライブが終わると車でそのまま帰ってましたから。あんまり長居をせずに帰ってた気がします。 ーちょうど下北沢のクラブ、ZOOがSLITS(スリッツ)に名前が変わった頃ですよね? 堀江:この頃のアイ・スパイはマナブさんに反抗して、彼以外のメンバーでSTUDIO APES(スタジオ・エイプス)というバンドを始めます。そのバンドがよくSLITSや渋谷公会堂の前にあったDJバー・インクスティックに出ていました。
スタジオ・エイプス/ STUDIO APES(1994)
ーチャーベくんと会うのもこの頃ですか? 堀江:もう少し後だと思います。アイ・スパイは、当時インスト期で、サックスがいたり、エル・マロの柚木さん(柚木隆一郎)がゲストでトロンボーン吹いたりして、ウォーター・メロン・マンとか、ロニー・スミスのカバーとか、ジャズ・ファンクとかをやるバンドでした。
DAGGER TO FOOL / El-malo(1993)
ーイギリスでアシッド・ジャズ、トーキン・ラウドが盛り上がる時期ですね。 堀江:そうです、92~93年です。エイプスでは、オリジナルの曲を作るようになって、僕も曲を書き始めて。ベースはキタダマキ、彼はその後、ホフ・ディランやSyrup 16gに参加します。パーカッションのおいちゃん(及川浩志)は、現サルサバンドのCENTRAL。その当時はエイプスと並行してアイゴン(會田茂一)とLOW IQ ICHIのACROBAT BUNCH(アクロバット・バンチ)のメンバーでもありました。僕もそこで鍵盤を弾いたりもしました。あと、小沢健二さんのバンドでもずっとプレイしていますね。ドラムのタクゾウ(和田卓造)さんは、数多くのモッズ・バンドを経て、今はWack Wack Rhythm Band(ワック・ワック・リズム・バンド)で叩いています。そういえばワック・ワックとの交流もこの頃からでした。そのうちギターを弾いていた山下くん(山下洋)が、Freedom Suite(フリーダム・スウィート)を立ち上げることになって、そこにいたメンバーがチャーベくん。
ACROBAT BUNCH(1993)
TOKYO SESSON/ WACK WACK RHYTHM BAND(1994)
ーSLITS周辺っていう感じですね。 堀江:チャーベくんは、SLITSの何かのイベントで初めて会ったか、存在を認識したと思うんです。クルーエルの瀧見さん(瀧見憲司)の『ラヴ・パレード』だったかな?ちょうど、瀧見さんとDJイベントをやっていた、フェイバリット・マリンの神田くん(神田朋樹)が93年にLIBRODISIA(リブロディジア)というソロ・プロジェクトを立ち上げて、エイプスでも神田くんがギターを弾くことになったりして、それで、クルーエルのみんなと近くなっていって。出会った順序がちょっとあやふやなんですけど(笑)。
Got To Be Real/ LIBRODISIA(1993)
LIBRODISIAとSTUDIO APESクアトロでのライブのフライヤー(1994)
ーNEIL AND IRAIZA(ニール・アンド・イライザ)はチャーベくんが堀江さんのデモを聴いて、形にしたいっていうことでスタートしたそうですね? 堀江:そうです。 ーそれが94年か95年? 堀江:たしか95年のフリーダム・スウィートのレコーディングの時だったような…、新宿御苑にあったバズーカ・スタジオの地下で。そこに神田くんとチャーベくんがいて、ミックスやってる間に「MIDDLE MAN」という20歳くらいに書いた1st『I♡NY』の2曲目に入ってる曲を聴かせたんですよ。
Something In The Air /Freedom Suite(1995)
MIDDLE MAN / NEIL AND IRAIZA 7inch(1996) ーそこからレコーディングをして、ニール・アンド・イライザが始まるんですね。ニールの活動がはじまってもキーボード・プレイヤーとしての活動も続いてましたよね? 堀江:そうですね、これは自分にとっては別腹というか、全く別の活動な感じで(笑)。初めて誘われたのは、プレイグスでした。その後GREAT3と出会うきっかけになります。93年かな?これはマナブさんがつなげてくれて、実は、ギター・ボーカルの深沼くん(深沼元昭)はニール・アンド・イライザの名付け親なんです。よく聞かれるんです、ニールがメインなのかキーボード・プレイヤーとしての活動がメインなのか。今でも、自分ではどちらかをあんまり意識してないんですけど。 ーコーネリアスは最初から参加してますよね? 堀江:はい、山下くんをはじめ、ワック・ワックのメンバーが参加していていいなって僕もやりたいと思って。当時ポリスターというレコード会社で働いていた、ドラマーでもある荒川くん(荒川康伸)が小山田くん(小山田圭吾)を連れてエイプスを見にきてくれて、その時に初めて会いました。たしか94年渋谷のクアトロでしたね。 ーフリッパーズ・ギターのライブは見てましたか? 堀江:それが、大学時代に塚本からバンド名は聞いたことはあったけど、どんな音楽をやっているのか知らなくて。コーネリアスは1stアルバムを出す前に、エイプスのおいちゃんが緑のロゴTシャツを着ていたことが、とても印象に残ってます。 ーニール・アンド・イライザはその後にはじまるんですよね? 堀江:そうですね。フリーダム・スウィートのレコーディングでアイデアが出て、チャーベくんと一緒に当時、渋谷の東急ハンズの近くにあった、ゼストというレコード屋にいたEscalator Records(エスカレーター・レコーズ)の仲くん(仲真史)にこういうアルバム作りたいんだけどって、デモが入ったカセット・テープを持って行ったのがきっかけです。それで、エスカレーターの『NEW ONE』(1996)のコンピレーションに収録された「MEDDLE」という曲を梅ケ丘のリンキー・ディンク・スタジオで録音して。これは、今でもずっとニールのレコーディングしてくれている及川さん(及川勉)にやってもらっています。
I♡NY/ NEIL AND IRAIZA(1996)
ー今回のアルバムもそうですけど、ニール・アンド・イライザっていい意味でのサンプリング感がありますよね。作られた曲のルーツが見えるというか、完成に至るまでのいろんな音楽の断片が見えるというか。僕もお二人とほぼ同世代なので、80年代後半から90年代のヒップホップが出てきて、ハウスやテクノが盛り上がってロックがそれを取り入れるというのを目の当たりにしてきたので、いろんなものがミックスされている感覚に違和感がないんですよね。 堀江:そうですね、当時は、ほんと洋楽と邦楽ぐらいでザックリしてましたよね。世界に自分の音が届くなんてとか。 ーいま20代のミュージシャンが音楽を作ろうとすると中心となるスタイルを決めてスタートすると思うんですが、ニール・アンド・イライザはそういう感じがまったくなくて自由ですよね。そういう意味では60年代のポップスから90年代のサンプリングを使ったサウンドまで聞こえてくる、いろんなものがミックスされていて面白いですね。 堀江:たしかに世代的にそういう雑食な感覚があるんじゃないかと思いますね。でもニールをはじめた頃のことを思い出してみると、その時期に渋谷のゼスト周辺で流行っていた音楽や80年代のネオ・アコースティックを僕はほとんど通ってないんです。大学生の頃は、横浜の馬車道にあったディスク・ユニオンで働いていた現Target Earthの中上くん(中上マサオ)に教えてもらったり、ロックの名盤やファンク、それこそスライとか、黒いモノをよく聴いてたんです。
ー高校生ぐらいの時はどうでした? 堀江:高校のころは、フラワー・ムーブメントさらにルーツ・ミュージック中心で、横浜の地元で、高円寺に行く前の相澤純一郎(アイザワンダー)や和太鼓奏者のヒダノ修一に出会って、それこそブルースだったりファンクだったり。もちろんフーやキンクスなんかのモッドなバンド、それとローリング・ストーンズは昔から大好きでした。 ーそうですね、高校時代にジャムやクラッシュを聴くと必然的に60年代のフーやキンクスを聴きますね。音楽を聴く上で、そういう文脈みたいなものは堀江さんの世代には濃厚にありますね。ひとつ好きな音楽に出会うとその背景にある音楽も聴いてしまうという。 堀江:そうですね。でも80年代後半から90年代前半でも、僕はマンチェ・ブームからも、抜け落ちてるんです。 ー僕はそこが起点になってるんです(笑)。僕にとっては自分の世代のムーブメントという意識も強かったんですが、あれは一種の60年代リヴァイヴァルという側面もあったんだと思います。 堀江:たしかにあの時期ヴィーナス・ペーターの「EVERY PLANETS SON」(1992)とか何曲かびっくりした曲がありました。あと、80年代後半は、じゃがたらとフールズ、ゴッドあたりも聴いてましたね。 松田岳二登場 ーいま堀江さんにいろいろ聞いていたところです。 堀江:いろいろ時代があやふやになってて(笑)。僕たちが初めて出会ったのは下北沢ということは覚えてるんだけど。 松田:僕が最初に堀江くんを認識したのはSLITSか…、その前にワック・ワックが出てた代々木公園で行われていたフレンドシップという野外イベントのセッションは? 堀江:いや、あれは冬でしょ。焚き火したもん。会ったの夏じゃな��った? 松田:最初に話したのはSLITSだったのはよく覚えている。いや、そのまえにフリーダム・スウィートのリハに堀江くんが来たことがあって。 堀江:いや、そうだっけ。クルーエルのコンピレーション『HELLO YOUNG LOVERS』(1993)が出た後くらいじゃないかな?
HELLO YOUNG LOVERS / V.A(1993)
松田:そうだっけ? 堀江:チャーベくんがゼストに入る前ぐらいだよ。 松田:当時僕は完全にお客さんでしたから。DJはやってたけど、バンドマンではなくて。ワック・ワックとかそういうのをよく見に行って、瀧見さんのDJに遊びに行って、火曜日に渋谷のクラブ、THE ROOMで瀧見さんと山下くんがパーティーを始めて、そこでパーカッションを叩くようになって、フリーダム・スウィートに参加するんです。
ニール結成前の頃の堀江と松田。フリーダムスイートライブ 心斎橋クアトロ(1995)
ー今回ニール・アンド・イライザひさしぶりの新作を聴いて、ものすごく90年代を感じたし、また二人のルーツが響いてくると思ったんです。今年はフリッパーズの二人がそれぞれ活動を再開したり、ペニー・アーケードやブリッジの再結成ライブがあったり、偶然いろんなことが重なってるじゃないですか。そのタイミングでまた新作を作ろうと思ったのはどうしてなんですか? 松田:そうですね。いろんなこと思い出して、あーこんな感じだったなみたいな。今回ニールは、FRONTIER BACKYARD(フロンティア・バックヤード)とのツアーに誘われて東京、大阪、名古屋の3箇所回ったんですけど、ドラムがMAGIC DRUM&LOVEのきんちゃん、ベースがロイジプシーのおかんと、2人女の子だったんで新鮮でもありました。実は今回のフロンティアのツアーには1年ぐらい前から誘われてて、堀江くんがやれるなら僕はいいですよって言ってて、いつもの通りに。 堀江:それで僕も久しぶりにやろうと決めて。 松田:なんやかんや言っても1年に一回ぐらいは、やってたんです。でも今回また同じように、ただライブをやるのもどうかなって思っていて。どうせならライブの物販で売るだけでもいいから、CDを作ってみない?というのが最初のきっかけなんです。それで堀江くんに曲書いてくれって頼んで。あれはいつごろだっけ? 堀江:去年2017年のスペシャルズの来日ライブの時じゃなかった?夏前ぐらいかな。その時に作ろうってことになって3曲ぐらい作って。 松田:それが全部良かったんで、がんばって歌詞を書いて、でもなかなかイメージが固まんなくて。ある日、1曲仕上がって、これは“時間“がテーマだなって思って。それで1曲できたらスルスルって、それを投げ返して完成していったんです。 ー話を聞いてると今回は15年ぶりに作るぞ、的な気負いもなかったんですね。 松田&堀江:ないですね(笑)。 松田:で、3曲入りのシングルを作るイメージだったんですけど、堀江くんが2003年ぐらいにも何曲か作りかけの曲あるよって言われて、スタジオにデータがあるか確認したらあったんですよ。
ーそうか、もうプロツールスの時代だから残ってたんですね。 松田:そう!ギリギリで。それで3曲送られてきて、それに歌詞を付けることができたらアルバムにできるなって。不思議な流れでしたよ、発掘された3曲僕は全然覚えてなくて。堀江くん覚えてた? 堀江:僕は自分が書いた曲は覚えてるよ。 松田:僕は2003年以降キュビ・ファイブ(CUBISMO GRAFICO FIVE)になっていくので全然覚えてなくて。聴いたら、このスクラッチみたいな音はなんだ?みたいな(笑)。
CINQ(four+one) / CUBISMO GRAFICO FIVE(2003)
ー今年は同世代のミュージシャンが元気だったじゃないですか?はからずもニール・アンド・イライザもシンクロして、しかも偶然。面白いですね。 松田:なんなんですかね?この感じ。 堀江:みんな時間に余裕ができたってことじゃない?久しぶりといえばこの前、ブリッジのライブでヒロちゃん(黒澤宏子)がドラムを叩くの見れてよかったな。 松田:雪解け(笑)? 堀江:それもあるね。ブリッジではステージで清水くん(清水ひろたか)もカジさん(カジヒデキ)も話してたね。(再結成は)みんなのタイミングがあったんだろうね。 ーブリッジはペニー・アーケードがライブをやるっていうこともきっかけなんだと思いますね。 松田:ペニー・アーケードはキリキリヴィラの再発がきっかけなんですか? ーそうなんですよ。最初はメンバーのみなさんも無理って感じだったんですけど。うれしかったですよ、ライブOKって聞いた時は(笑)。 松田:再発でも若い人にとっては新しい音楽ですもんね。 ーNOT WONKやCAR10聴いてる20代に20年前、30年前に日本にもこういうバンドがいたんだって、伝えたいという思いもありましたから。海外ってそういう循環というか、過去と現在を繋げて音楽を聴く流れがあるじゃないですか?再発もとても多いし。 松田:そうですね、そんな中でもニールは特殊なんですよ。僕らは現役というか、堀江くんは凄いミュージシャンとしてずっと一線で活躍してるじゃないですか、世界各国に行くし、多分知られてないことまで含めると凄い活動量で。僕はこの辺の地下で形を変えながらでもなにかやっていたい方だし(笑)。その感覚があるからわりとすぐに動けたんじゃないでしょうか? ーしかも二人でリズム隊が固定されてないじゃないですか。それって二人がヒップホップが出てきて、ハウスが出てきた時代をリアル・タイムで見てきてることとも関係してるんじゃないでしょうか?サンプリング世代の登場をみてきたっていう。ニールの独特なエディット感ってそういうところからきてるような気がします。 松田:僕らもそこまで生ドラムにこだわるわけじゃないし。 堀江:たぶんニールを作った当時は、僕もチャーベくんも20代半ばで、経験したことがないことが多くて、でも、やりたいことがいっぱいあって、それが、90年代半ばのタイミングで、良かったんじゃないかな。どっちが歌うかジャンケンで決めたり(笑)。お互い同じタイミングでシンセを買ったり、平塚にあった、海の近くのフリースタジオ湘南というレコーディングスタジオで、さんざん朝まで遊び倒して楽しかったな。そんな感じで作ったのが1st『I♡NY』(1996)なんだよね。
フリースタジオREC時(1997)
フリースタジオ夏(1997)
フリースタジオ冬(1997)
松田:そういう意味では90年代の音源は習作みたいな感じだよね、遊びながら練習してるみたいな。
ー楽しい時間ですよね。 堀江:もちろんその時期でも、僕は鍵盤弾きや作曲やアレンジャーとして、いろんなアーティストやバンドに参加したりしていて、それをニールの活動や自分のやりたいことと切り離しているつもりはないんだけど、同じ感覚でもなくて。思えば当時から自分の音楽活動が、周りから見て、捉えにくかったのかもしれませんね。チャーベくんはDJでもあったから、この当時も、いろんなアイデアが出てくるのは自然だったでしょ?
JUILLET/ NEIL AND IRAIZA(1999)
松田:そうだね、ニールの時はこういうイメージでっていうのがあった。99年に堀江くんが書いた、カヒミさん(KAHIMI KARIE)とのデュエットの曲とか聴くと、ニールとはまた違うものになってて。堀江くんはニールの時はやっぱりニールって感じになる。人のところでやる時は、とても打点が高くて、ニールの時はもっとナチュラルでやさしくやってる感じで。
One Thousand 20th Century Chairs/ KAHIMI KARIE(1999)
堀江:僕は不器用だと思っていたから、ニールをやってる時も決めつけてるつもりはなかったんだけど、いま振り返って思うと、漫画や小説の連載みたいに、ニールにはニールのイメージで、って決めつけていたかもね(笑)。他でやる時は相手に合わせたモードがあって、ニールはこれだよねっていう二人の特別な共通点があって。自分的にも特殊なんだね。ニールは。チャーベくんもそうでしょ? ーニールには特別柔らかい感じありますよね。 堀江:でもナメられると攻撃的だったり(笑)。自分の中ではマクドナルド・アンド・ジャイルスっていうキング・クリムゾンを母体に出てきたユニットがモデルとしてあって。これは、クリムゾンから派生したユニットなんだけど、ジャケットも含めすごくいいアルバムで。それで~アンド~っていうグループがいいなって。漠然と。ホール・アンド・オーツとかサイモン・アンド・ガーファンクルとかもあるけどね(笑)。同じ世代で、水と油みたいな人たちが一緒にやるっていうデコボコなスタイルが良かったんですよ、それぞれにないものが出会うっていう。 松田:趣味全然違いますからね(笑)、キング・クリムゾンとかほとんど聴いてないですから(笑)。 堀江:あんまり影響されあってないけど、面白いと思うきっかけがあるとできるよね。レゲエのラバーズを聴かせてもらったら面白かったとか、そういうの結構ある。 松田:たとえば、ロッド・スチュワートが在籍していたイギリスのバンド、フェイセスを好きな理由は堀江くんと僕では違うんですよ。 ー聴いてる部分が違うんでしょうね。 松田:僕がDJでフェイセスのブレイク・ビーツの曲かけてたら、堀江くんがすっとんできて「なんでこれかけてるの!」言ったことがあって。 堀江:「Bad 'n' Ruin」っていうスワンプの曲で。 松田:僕は踊れるビートとしてかけてて、時々そういうことあるよね。 堀江:それはずっと変わらないね。 ー90年代のトラットリアやクルーエル、エスカレーターの人たちってほんとにレコード中���で、貪欲なまでに音を求めていくじゃないですか。お2人もそうですね。渋谷系という言葉がいいか悪いかは別として音楽を求める姿勢は一貫してますね。 松田:癖なんじゃないですか。今となっては「あれっぽくしよう」って思ってもすぐできちゃうじゃないですか。 ーそうですね。今回の作品でも曲ごとにモデルがあるっていうよりも、1曲の中にいろんな曲あつまっていると思いました。ちょっとしたアレンジの断片にいろんな音楽が聞こえてくるというか。二人が聴いてきた膨大な量の音楽が自然に醸造されてるようなイメージです、若い時だとできなかったことじゃないですか? 松田: ニールのアルバム、4th『NEW SCHOOL』(2002)には、マッドネスの「アワ・ハウス」をモチーフにした「アワ・ハウジング」って曲があって、ふざけてるんですけど、曲として似てるけど別ものなんですよ。 堀江:ラトルズの発想だよね。 松田:そうラトルズ。 堀江:「アワ・ハウス」もそうだし、ファイン・ヤング・カニバルズの「She Drives Me Crazy 」のリフも引用してる。(笑)。 松田:そうなんですよ、曲の中で、わりとふざけ倒してきてて(笑)。だから今回の5th『Timeless Melodies』(2017)はあまりふざけてなくて、ニールの中でも正統派の作品です(笑)。
Timeless Melodies/ NEIL AND IRAIZA(2017)
ーテーマも時間ですし。 松田:ひさしぶりーって、聴く人もそういう感じで。懐かしいって思う人もいるだろうし。今回はデザインをやってくれた関山(関山雄太)が引っ張ってくれたこともあって。 ー彼は高校生の頃にニールのコピー・バンドをやってたんですよね、最高ですね。 松田:まだアルバムが形になってない時期に彼が最初に作ってきたビジュアルが時計で。それで二人で会って話して、代々木公園まで行って時計を撮影したんです。そういう新しい人が参加してくれたことも刺激になりました。 堀江:昔からニールが動く時はなにかアイデアやテーマが重要で、1stの『I♡NY』 (1996)とかは、女子高校生とジャンキーに喜んでもらえる、チープでどこかサイケデリックな作品を目指したり。もちろんオレンジのジャケット・デザインもそうだし、言葉だとかテーマだとか拾えるものを拾って、無理難題の思いつきで、ほんとまとめるのが大変なんだけど、いつもニールのやり方は変わらない。 松田:堀江くんの思いつきが無理難題であればあるほど面白いし。 堀江:その拾い方が15年経ったと思えないぐらい、これまで通りな感じで(笑)。でもまとめ方が早くなったんですね、それはお互い成長したというか。チャーベくんの、その返しが早くなったことで今回アルバムがツアーに間に合ったんです。 松田:歌詞とかも思いついたら忘れないようにして。8月ぐらいに千駄ヶ谷のkit galleryに行く途中、代々木公園でパソコンひらいて歌詞書きましたから(笑)。途中で堀江くんがバンドのメンバーをドラムとベースを女の子にしたいって言い出して、これも難しいぞーって(笑)。 堀江:夏にいきなり思いついて、相談して。 松田:堀江くんのミュージシャンの繋がりってけっこうなプロの世界じゃないですか。ニールではそれじゃない感じで、これは野良を拾ってこようって(笑)。それでかわいい二人を見つけて。僕は、今、ラーナーズでもマネージャーっぽく動いてるじゃないですか、そういう無理難題を形にしていくのが癖になってるみたいで。 ーオーガナイザーですよね。 堀江:ほんと無茶振りは昔からで。当時、仲くんに対してのほうが、レコーディングとか、より無理難題は多かったかもしれないけど(笑)。 松田:そうだねー。 堀江:1st『I♡NY』(1996)の売れ行きが良かったんで、次はパリでレコーディングしたい、とかあったね。 ーフランスまで行ったんですもんね。 堀江:機材もスタジオも現地で全部おさえて。 松田:僕がちょうどインドネシアのバリから帰ってきたとこで。 堀江:チャーベくん、次、パリにいかないって?ひらめいて(笑)。自分もパリって行ったことなかったし。
パリREC HORIE(1997)
パリREC CHABE(1997)
松田:ロンドンとかニューヨークじゃあ普通だからつまらないって堀江くんが言い出して。オレ、パリならロック的に勝てそうな気がするって(笑)、ムチャクチャな理由だなと(笑)。 堀江:そうそう、思い出した。ロンドンやニューヨークだと僕らもひるんでしまうけど、パリならロック的に勝てるんじゃないかって言ったね。それで、アンテナとか、クレプスキュールの多くのレコーディングを手がけたジル・マーティンをベルギーから呼んで、『ソフト・ロック』と『NO EXISTENCE CALL』の2曲を1週間でレコーディングして。
パリREC(1997)
ーそれが実現できたっていうのも、いい時代ですね。 松田:そうですね、カジさんがシャルル・ドゴール空港からスタジオに直行してくれてコーラス入れてくれるとか。 堀江:それが96年。26~7歳のころですね。 松田:やっぱり仲くんがちゃんと受け止めてくれたんだなって、思いますね。ほんとムチャクチャだったんだって。普通そんな話無理じゃないですか。エスカレーター・レコーズってすごかったと思います。 ーほんとですね。 堀江:面白い時代でしたね。その後、今は無きニューヨークのレコード屋、OTHER MUSICに1st『I♡NY』が置かれて。 ーそれは国内盤を仕入れてくれたんですか? 堀江:そう、90年代終わり、当時マタドールがギター・ウルフやピチカート・ファイブ、コーネリアスを出したりして、日本の音楽が注目されたタイミングで。ニールもアザーのバイヤーの人が興味もってくれて。それを実際にニューヨークに行って自分で見つけた時はすごいことだと実感しました。 松田:それは嬉しいよね。 堀江:別に歌詞がどうとか、タイトルがとかでもなくて(笑)。2nd『ジョニー・マー?』(1997)とかも僕がまずタイトルを考えて。
Johnny Marr?/ NEIL AND IRAIZA (1997)
松田:堀江くん、あの時ジョニー・マー知らなかったんですよ。スミス(THE SMITHS)を通ってなくて。「ジョニー・マーって誰?」って言ってて(笑)。それが面白くて。コーネリアスの97年の武道館の時にはじめてスミス聴いたんだよね? 堀江:そうそう。「ディス・チャーミングマン」を日本武道館で大音量で聴いた。
NI各アルバムフライヤー
ー4th『NEW SCHOOL』(2002)のリリース後、なぜ活動が止まったんですか? 堀江:いや、ライブは毎年どこかでやってました。活動が止まるっていうより、それぞれが忙しくなったんじゃないかな。ラジオはやってたしね。 松田:インターネット・ラジオの“i-Radio killed radio star”というタイトルで。2008年ぐらいまでやってたかな。 堀江:今回の5th『TIMELESS MELODIES』に収録されている、後半の3曲は2003年ぐらいにスタジオで作業していて、なかなか形にならないので一度作業を止めて。そのあとコンピレーションに曲を提供とかはあったんですけど。そのあたりから、どんどんレコーディングから遠ざかっていったかな、そのあとも、2005年にフロンティアが東名阪のツアーに誘ってくれたりして。 松田:『NEO CLASSICAL』。そうだった。 堀江:お互い忙しくなって、チャーベくんもキュビズモを始めて。
TOUT/ CUBISMO GRAFICO(1999)
松田:当時堀江くんが本当に忙しくて、ニールを待ってるといつになるかわからなくてキュビズモを始めたんです。むしろニールの存在がプレッシャーになっても嫌だったし、僕もなにかを始めないといけないって思って。 堀江:リミックスやCMもはじめたよね。 松田:堀江くん、くるりに参加したのは何年ぐらい? 堀江:あれは2004年だったかな。アンテナの武道館公演の頃。それからSINGER SONGERっていうCOCCOとくるりのバンドが動いて。その後もPupaからtheHIATUSに繋がって。キーボード・プレ��ヤーとしていろんなとこで演奏しながらも、バンドのメンバーとしてもアルバム作ってやるっていうのが2005年ぐらいから始まって、とてもバタバタしてた。
ばらいろポップ/ SINGER SONGER(2005)
Floating PUPA/ PUPA(2008)
Trash We’d Love/ the HIATUS(2009)
ー堀江さんって難しいフロント・マンばかりとやってますね(笑)。 堀江:そうですね。たしかに制作している時、けっこう大変な時期もありました。でも、単なるプロジェクトとしてではなく、バンドとして自分の今まで持っていた最高な空気と感覚を普通にぶつけて、いいアルバムを作って。その中からヒット・ソングも生まれたし、結果うまくいったと思います。 ー『ウォーターボーイズ』のサントラをチャーベくんが手がけたのが2003年ぐらいですか? 松田:2001年です。
ウォーターボーイズ - オリジナル・サウンドトラック/V.A(2001)
ーちょうどその時期からそれぞれに次のレベルの活動に入っていった時期なんですね。 松田:そうだね。 堀江:2004年から2013年ぐらいまでそういう時期でしたね。
At Grand Gallery/ HORIE HIROHISA(2013)
LEARNERS/ LEARNERS(2015)
ーお話しを聞いてると、2人が自然にやろうって思えるタイミングが今回やってきたっていう感じなんですね。しかもニール・アンド・イライザって音楽的にこういうモノっていうよりも、2人でやるとなってしまうモノという感じなんですね。2人の状態というか。 松田:それはありますね。 ーニール・アンド・イライザでの思い出深いことってありますか? 松田:最初の頃、僕はレコーディングがつらかったですね。昔なんでレコーディングが長かったじゃないですか、合宿とかで。仲くんがいて、ゲンちゃんっていうドラムがいて、もう男子校ノリでしたね。堀江くんはレコーディング��なると結構ナーバスで、真剣になるんで。いつむちゃ振りがくるかと…。
ジュイエREC時(1999)
ジュイエREC時(1999)
ー合宿やりましたねー。 堀江:僕はやっぱりニールの音楽が、国内外問わずいろんな場所に届いたっていうのが嬉しかったですね。それで今でも大事に聴いてくれたり、最近でも映像作品や映画で流れたりとか。 ー海外の映画ですよね? 松田:ひとつはタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督です、今や世界的な監督なんですけど。 堀江:それとやっぱ、レコード屋に自分のアルバムが普通に置かれたことですかね。なんか大きな出来事がというより、小さな出会いやちょっとしたことがいつも続いてるっていうのがニールの面白いとこですね。
On Tour (1997)
15年ぶりのアルバム”TIMELESS MELODIES"を発表したNeil and Iraizaによるワンマンライブが決定!
FEELIN’ FELLOWS PRESENTS NEIL AND IRAIZA"TIMELESS MELODIES RELEASE SHOW” 2/13 新代田FEVER OPEN/START 19:30 ADV ¥3,000 (+1DRINK) DOOR ¥3,500 (+1DRINK) Live : NEIL AND IRAIZA DJ : HIDEKI KAJI
チケットはe+とFEVER店頭にて発売中
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『 ランチ 』
みなさん こんにちは。
結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
群馬県前橋市のけやきウォークそばの
「Bagaro PICCOLA PECORA」という
イタリアンのお店へ行きました。
ランチは組み合わせにより10種類位
ありましたが、今回は本日のパスタ又
は本日のピザにサラダ・スープバー、
前菜盛り合わせ、デザート、ドリンク
が付くセットを注文。
満席状態だったので、撮影は出来ません
でしたが店内はシックな落ち着いた感じ
で、隠れ家的な居心地の良い雰囲気です。
メニュー注文後、バーコーナーへ行くと
前橋の契約農家から仕入れているという
新鮮な野菜や、スープ、ビーツのリゾッ
ト、グリッシーニ、パンなどがありまし
た。
サラダを食べていると、種類豊富で食べ
るのが惜しくなるほど、きれいに盛り付
けられている前菜が運ばれてきました。
肉類や魚介類で調理された、全部で10
種類以上ある料理の説明を店員さんが
一品ずつ丁寧に説明してくださいました
が料理名は覚えていません。
いよいよ、パスタとピザが出来上が���
ました。パスタは牡蛎がたくさん入った
牡蛎とカリフラワーのパスタ、ピザは
定番のマルゲリータ。
食後、エスプレッソと一緒にいただいた
のは、チーズケーキ・ゆず風味のムース
・パウンドケーキ・金柑の甘露煮など。
どの料理も丁寧に調理されており、
とても美味しかったです。
店名のBagaroとは、気軽にお酒が
楽しめるベネチア名物の居酒屋さん
のようなお店の事なのだそうです。
こちらのお店にもたくさんの種類の
ワインなどのお酒があり、前橋駅
からも近いので、お酒を飲む方は
夜に電車で行くと良いと思います。
デートにもおすすめのお店です。
****************************************************************************************
結婚相談所 ハッピータイム桐生相生 婚活アドバイザー 金子 薫
http://www.happytime-en.com/local001_21.html
群馬県桐生市相生町5-536-1 ネプチューン2-A
電 話:0277-32-5314
連絡時間:午前10時から午後9時
定休日:年中無休
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:20191228 . 徳武さんの言う通り、部屋は思った以上に暑かった。外は氷点下なのに、こんなにも暖かいのには驚いた。寝ている間も、少しだけ窓を開けておいた。 . 夜ご飯は、デンマークの伝統料理「スモーブロー」をメインに、サラダやチーズ、スープなど、素材にこだわったメニューだった。 . 地方に行くと、「これはこの辺で採れた野菜を使っていてね、これはどこどこで作られた〜」と聞くことが多いけれど、オランダやドイツのチーズ、デンマークで作られたビーツの酢漬け、尾道で採れた野菜などを使っていて、「あ、そうか、別に地元のものを使うことが正義では無いよね」と目から鱗だった。 . 翌朝目覚めると、窓には霜が降りていた。それなのに部屋はほんのり暖かくて静かで、雪に反射する眩しい光が部屋に差していた。 . 昨晩の、落ち着きのあるゆったりとした雰囲気の空間とは打って変わって、日の光が差し込む空間は、爽やかで生き生きとして、それでいてちょっと輪郭がぼやけるような優しい印象だった。 . 朝ごはんもしっかりと頂いて、次の目的地新潟へ。 (Haluta hotels) https://www.instagram.com/p/B78PdnOlLDx/?igshid=104n2lkwzo57m
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