#ニッポン無責任時代
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日本無責任時代 Nippon Musekinin Jidai
(Japan's Inresponsible Era) (1962)
A story of the rise and elopement of an unidentified irresponsible man named 平 均 Taira Hitoshi(meaning "average" in Japanese).
ハナ肇とクレージーキャッツ(Hana Hajime and Crazy Cats) is Japanese jazz, band, comedy and singer group in 1960s.
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう��し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャ���さが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下��人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「イン���ンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げ���ことを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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鈴木俊一財務大臣は11月11日、財務省が自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)7500億円のうち、5952億円を借りたまま完済していない件に触れた。その上で、「1回でお返しするのは無理な状況」として、完済するめどは立たないと釈明した。 このお金は、すべて「自動車・バイクを所有するユーザー = 国民」の積立金だ。財務省が返還しないために、2023年度からなんと自賠責保険が値上げされるのだ。 この問題については、筆者(日野百草、ノンフィクション作家)も当媒体で「「自賠責保険」値上げでドライバー大激怒! 積み立て6000億円踏み倒し、財務省はもはや脱法組織か」(2022年6月18日配信)として、 「政府および財務省は自動車損害賠償責任保険に加入するすべてのユーザーが支払ってきた積立金6000億円を直ちに国庫から全額、返金すべきだ。 被害者救済のために積み立てられている自賠責7500億円のうち、6000億円がいまだに財務省から返還されていない。それも20年も前からである。一般会計の補填(ほてん)であり、まったくの目的外利用であることは明白だ。それを歴代内閣も利用してきた。交通事故被害者団体などが声を上げ、ようやく2018年末、国土交通省(国交省)に返還を約束する覚書を交わしたが、2018年度の被害者救済事業の支出が23億円、2019年度が150億円と考えればまったく足りない」 と書いた。 さかのぼれば、1994(平成6)年から1995年の2年間で約1兆2000億円を自賠責保険から借り入れており、第1次小泉内閣による規制緩和を経て、財務省による一般会計(国の基本的活動を遂行するのに必要な経費やそのための収入を経理する会計)の補填に使われて来た。 約15年間、返還に応じなかった時代もある。特に第2次安倍内閣、麻生太郎財務大臣の時代には事実上の「返還拒否」であった。 2018年末、国土交通省に返還を約束するも、2022年度は54億円だった。つまりこの額なら100年たっても完済できないことになる。かつて不動産会社がバブル崩壊で追い詰められ、4000億円の借り入れのうち51億円だけ返す約束を交わす(のち完済せず解散)という手口があったが、財務省が同じような手口に手を染めている、
消えた6000億円! 自賠責保険の積立金を「借りパク」した、財務省の誠意なき態度と役人天国ニッポン(Merkmal) - Yahoo!ニュース
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『クレージーのぶちゃむくれ大作戦』
紛うことなき古澤憲吾監督のクレージー映画、という印象。テンポが良く、クレージーの面々の役どころ・扱いも全く不足なく面白く観られる。遊園地や山奥を使ったドタバタ場面なども大変に面白い。
とはいえやはりクレージーそのものがもう時代を捉まえていないような、そんな印象がそこはかとなく漂う。こればかりは仕方がない。クレージーの面々も功なり名を遂げ既に四十の坂、出世を目論む若手社員を演じられる年齢でもない。『ニッポン無責任時代』で植木等が出てきた瞬間、パーっと光が差すような、あの感覚はどこにもない。だがそれが却って映画としての出来の良さを純に伝えているようにも思う。
しかし改めて1968年時点での”コンピュータ”2024年時点でのAI的なものと捉えられていたのだなとちょっと可笑しみを覚えた。国民の大半がコンピュータを手のひらの上にのせて生活の一部として使い倒すようになるなんて、とても想像できなかっただろうしな。
あとあれ、この頃はSF第一世代の人たちが活躍した頃でもあったのかな。小松左京平井和正星新一筒井康隆なんてあたりの人たちが。なんかそんな時代状況が反映されているようにも見える。
2024/03/03 Amazonプライムビデオ 東宝チャンネル
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駅ナカのゴミを街ナカに押し付け!? 関東鉄道各社の相次ぐ駅ゴミ箱撤去に不満の声「容易に飲食できない」
今や世界でもトップクラスのゴミ箱の無い国に躍進した日本っ♪
いわはポイ捨て促進は国策なのだっ♪
行政を含め、各社の無責任なポイ捨て促進活動の成果が
陽の目を見る時代が近づきつつあるっ♪
さぁ、街にゴミが溢れる時代が、やって来るっ♪
次のステージは、責任のなすり合いブーム到来の予感っ♪
#ゴミ箱のない国 #無責任 #売るだけ売って捨てる場所無し #国策 #ポイ捨て促進 #無能
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扶 桑 漫 步
扶桑漫步
司馬桑敦
文星叢刊 74 1964 . 8 .25
在離開熊本的傍晚,我驅車去一處叫龍田口的小車站,憑弔了
劍俠宮本武藏之墓。墓已荒廢得難以辨識。宮本原姓「新免」,
墓碑上寫「新免武藏居士之墓」。宮本武藏 原是藩主 細川忠利
的食客,能劍也善畫,他從劍術中悟出一種禪機,而使他一生
便是主張淡珀無為。墓旁一間小酒店,壁上懸有一條幅,上面
寫的正是 宮本武藏 的「獨行道」信條。其中主要大意是 :
「無違於世道,無恃怙之心,無妬於他人善惡,不留自我悔恨
之事,死不遺財貨,生不靠神佛。」73
宮本武藏 - 維基百科,自由的百科全書 (wikipedia.org)
#お墓から見たニッポン 8-2【宮本武蔵~ 巌流島の真実は!?】組織か?己の道か?孤高の剣豪の墓の謎 #宮本武蔵 戦国時代の墓から織田信長の天下統一を待ち望んでいた庶民たちが見えてくる (youtube.com)
DeLaChat - Engage with Like-Minded Peers (youtube.com)
鹿兒島人的語言和琉球話相關聯,而日本民族的過程發展中,
有一部份是由琉球渡島繁延而來,而九州北部又大半是來自
朝鮮半島。九州人的祖先有一部份則是來自中國海岸的中國人。77
薩摩藩主 奉 幕府之命,要負責修治鹿兒島境內的 木曾川。
木曽川しぐれ / 川中美幸 Cover:山口えい子(Doenka Eiko) - YouTube
這一工程的成敗關係薩摩與幕府的政治關係,因之薩摩藩為了
這個水堤,投資兩百七十萬兩,動員人工一千餘名始告完成。
但在工程進行過程,計劃一再修改,費用一再超出,因之便有
五十���督工的幹部,中途切腹自殺,以表示負責謝罪。當時工程
的總指揮 平田靭負 在他的部下紛紛自殺時,並無表示,但當大功
告成之際,他也在築成的堤上引刀自殺了。鹿兒島人每年五月
二十五日要舉行一個大祭以紀念這些義士。80
在任何小鎮上,幾乎每一個街角,至少都可以發現一家書店。
書店中,有單行本,也有雜誌,在類別上由黃色刊物到硬性
哲學,琳瑯滿目,美不勝收。擠在書店中狹窄的通道上,有
穿制服的學生,有衣冠不整的受薪階級,其中也有手提菜籃的
家庭主婦。這些人不只是在書店中隨便翻翻便走,而是認真的
把書買了,拿回家去讀。書本幾乎成了必需品,縱使家境不好,
也都會為了五十大冊的現代文學全集,或者翻版的美術叢書,
支付大量的金錢。87
有趣之物的再發現!舊書街“神保町”散步之旅! – Visit Chiyoda (visit-chiyoda.com)
在日本,一個想要過文筆生活的青年,他就必需居住在東京近郊。
他們的去處經常是新宿的小酒吧間,一到夜晚,若在新宿小酒吧
的街道漫步,往往很意外的碰上很多鋒頭的作家。94
(793) 新宿のれん街 - YouTube
遼 尉 臣 筆記 — はしご 酒 (tumblr.com)
(793) 新宿橫町 - YouTube
有了名聲的作家的家裡往往擠滿了各雜誌社的來人。這些人都
希望在下一期刊物上拉得這位作家的文稿。於是作家出來了,
像一位在宮廷謁見式的帝王一般。雜誌社的人商量著,爭執著,
決定彼此截稿的日期。最後,決定了 :十九日給你,二十一日
給他,二十四日再給另外一位。一般說來,在同一個月份內,
分別在五六個雜誌上發表作品並不稀奇。當然,作家在這種情形
下勢必忙得發瘋。一位作家,只要他在文壇上鞏固了地位,他在
白紙上寫的任何一個黑字,雜誌社都會爭搶著把他發表出來,
永遠在鉛字前面饑渴的讀者,也都無論好壞的生吞活嚥下去。95
日本の小説家一覧 - Wikipedia
里の秋【合唱】(♬静かなしずかな里の秋〜)byひまわり×3🌻歌詞付き【日本の歌百選】SATO NO AKI| (youtube.com)
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579 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 21:19:10.43 ID:Nb8WPxx30 【 ニッポン商店と、ミンシュトウの物語 】 ・あるところに、赤字続きで経営が苦しいお店があった。 原因は店長の経営方針のミスだ……と責任を問われてる中、 「今の店長が悪い!一度、俺に店長をやらせろ!そしたら売上アップ間違いなし」と 大声で主張する人が現れた。しかしこの人は、お店を経営した経験が一度もない。 ・さらに店員たちに対して約束した。 「全員の給料を26000円増やします!」 ← 子ども手当 (ただし、ボーナスを大幅に減らす事はナイショ ← 配偶者・扶養控除廃止) ・そんなお金どこにあるの?と聞かれたら、 「お金は、ここにある!これを使えばいい」と金庫の現金を見せた。 ← 外貨準備金 (でもそれは取引先に支払う分のお金で、手を付けたら商売終了なのは、ナイショ) ・その時、近所で大火事が発生。あちこちに燃え広がり、そのお店にも火が! ← 米国金融危機 「話は後だ、まずは火を消せ!店が燃えちまう」と消化作業に向かう店長。しかし、 「火事なんかどうでもいい。俺が新店長になって、経営を立て直す方が先」 「俺が新店長になりさえすれは、俺の力で火なんか消してやる」と、行く手をさえぎる。 ・「何を言ってるんだ、店が無くなると元も子もないだろ!」 「お前も店員の一人なんだから、協力して一緒に水をかけろ」と、諭されると、 「……協力してもいいけど」と呟きながら、最後にこう切り出した。 「それよりも店長を選ぶ日をいつにする?それを決めてくれたら協力する」 ← 鳩山発言 果たして有限���社「ニッポン商店」は、この先生きのこる事が出来るのか?次回に続く
東証終値8270円クソワロタwwwww日本経済終了wwwwwwwww【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】
民主党,立憲民主党,悪夢の民主党時代,野党,
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【反撃せよ!ニッポン】創作された「歴史」の修正を主張する時期に来た
2014.11.18 K・ギルバート氏
朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長は、慰安婦問題の大誤報を取り消した=9月
近年、「歴史修正主義」という言葉を目にする機会がある。通常あまり良い意味では使われない。「ホロコーストはなかった」などの、荒唐無稽な主張がこう呼ばれる。
ナチスによってユダヤ人虐殺が行われたことは歴史的真実であり、十分な証拠がある。ところが、歴史修正主義者は自らに不利な圧倒的多数の証拠は無視し、小さな争点を拡大解釈して不毛な論争を創り出す。結果、「歴史修正主義」は「歴史創作主義」といった、侮蔑的ニュアンスを帯びる言葉となった。
いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」は、最初は小説内の創作だった。それが反日的プロパガンダによって、いつの間にか歴史的事実として世界中に認識された。歴史の創作(捏造)がまさに完成しつつあったのだ。歴史の真実を伝える側が、逆に「歴史修正主義者」として非難されてきた。
朝日新聞の意図的とも思える「誤報」と、その後の放置、誤報の拡散に加担した日本人弁護士、「日本たたき」の結論ありきで、真実の追究は二の次だった国連人権委員会、加えて、日本的な「事なかれ主義」で、毅然たる対応を取らなかった外務省や政府の責任は重い。
慰安婦問題に限らず、日本の近現代史では後から創作された話が、世界では「正しい歴史」として認識されているケースが多々ある。代表例は日本が東南アジア諸国や中国大陸で「侵略戦争を行った」という話である。
はっきり言うが、これは戦後占領政策の一部としてGHQ(連合国軍総司令部)が世界中に広めたプロパガンダである。慰安婦問題と同様、真実とは異なる嘘が、今や「歴史的事実」として認識されている。
GHQの最高責任者だったダグラス・マッカーサー元帥自身が後に「日本の戦争は、安全保障(自衛)が動機だった」と米上院の特別委員会で証言したのは、彼の懺悔とも受け取れる。
しきりに「侵略戦争」や「歴史認識」などの言葉を用いて日本を責めたてる国は、GHQのプロパガンダの恩恵を最大限に受けた国である。
戦後、アジア諸国で唯一、驚異的な��ピードで復興を果たして先進国となった「優等生」は、近所の「不良」から見れば心底妬ましい存在であり、ゆすり・タカリの格好の対象だった。
GHQの思惑通り、罪悪感を刷り込まれた優等生は、不良にせがまれて金を払い続けた。結果、不良は少し裕福になったが、妬ましい優等生に対して感謝の気持ちなど持つはずがない。現在は優等生が過去の真実を知り、「今までよくもやってくれたな!」と言い始めることを最も恐れている。
最初に嘘をついて、これを広めたのはGHQだから、嘘が暴かれることを、わが祖国・米国も喜びはしない。しかし、来年は戦後70年だ。そろそろ、日本は近現代の間違った歴史認識の修正を堂々と主張すべきである。今こそ反撃せよ、ニッポン!
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合田一彦(「日本国民の声・北海道」主宰)
近ごろ北海道を訪れた方々は、空港のロビーなどに掲げられた「イランカラプテ(こんにちは)」や「アイヌ」をモチーフにしたポスター、展示物など、北海道の観光テーマとして「アイヌ」が大きくアピールされていることにお気づきかと思います。
これらは観光立国を掲げる北海道が、自治体として「アイヌ」を積極的に宣伝しているもので、人気漫画『ゴールデンカムイ』とのコラボ企画なども行われています。
こうしたアピールにより、また昭和の北海道観光ブームの定番の土産物「木彫り熊」や「イオマンテ(熊送り)」などで、何となく知っているような「アイヌ」ですが、現在、彼らはどのように暮らしているのでしょうか。日本の国土の片隅で独自の習俗を守って暮らす「異民族」なのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。昭和10年、アイヌ出身の言語学者・文学博士の知里眞志保氏は「過去のアイヌと現在(そして未来)のアイヌは区別すべき」として、「伝統の殻を破って、日本文化を直接に受け継いでいる」と語っています。また「アイヌ民俗」をアピールする人たちに向かっては、こうした言葉も残しています。
「保護法の主旨の履き違えから全く良心を萎縮させて、鉄道省あたりが駅前の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく、故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(コタン)も二、三無いでは無い。けれどもそれらの土地にあってさえ、新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて、着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである」
つまり、80年以上も昔に、観光土産物屋でアイヌ衣装で売り子をしていたり、見世物をしてい���のは、故意に旧態を装って金銭を得るための興業だと指摘しています。
では「古びた伝統の衣」を纏(まと)い「旧態を装った」生活をしていた方々は、同じ日本の国土に住まう日本人でありながらも、日本人としての生活に事欠く状況なのでしょうか? いえ、そんなこともありません。
昭和43年の内閣委員会の席上、それまで適用されていた「北海道旧土人保護法」に対する答弁として以下のように語られています。
「この支給規定は昭和11年ごろまでに適用したのであって、その後はもう現実に死文化されておると私は聞いておるのです。それ(北海道旧土人保護法)に代わって生活保護法の制度による教育扶助、住宅扶助、あるいは不良環境の改善というようなところへ目標を変えておられるわけです」
つまり、たとえ個人としてあるいは世帯として貧しい方がおられたとしても、等しく日本国民として「生活保護の適用対象」であり、北海道旧土人保護法は既に死文化しているという説明の通り、独自の保護・保障は必要ないという見解が、すでに50年前に示されています。
ところで、こうした「独自の保護・保障」を行政として日本人の一部に対してのみ供与することは、憲法14条に定められた「法の下の平等」に反していないでしょうか。条文にも「社会的身分又は門地により(中略)差別されない」と記載されている通り、門地(出自・血統)での特別扱いは憲法の条文に違反するという指摘もあります。
ただ、これについては、実際は「合理的な理由が有れば必要に応じて支援を行うことは憲法違反ではない」という判断があるようです。
例えば、原爆訴訟などをご存じの方は分かると思いますが、目に見えない被爆の影響が「ある」と「法的に認められた」場合は、「原爆被爆者」として公費での医療助成などが受けられます。ただし、その認定は非常に厳密かつ客観的に判断されるため、依然として認定を求める訴訟が続くのは、それだけ「客観的な資料」と「法的基準」の狭間で「いかに合理的か」を判断すべく行われる論争があるわけです。
さて、ここで「アイヌ」について考えてみると、前述の「独自の保護・保障は必要ない」という見解が示された以降も、自治体として住宅購入支援から免許取得支援、修学助成金、就労支援など、数多くの支援が行われており、それらは北海道の平均よりも高い世帯所得があってさえも「アイヌ支援」としての受給資格が認められています。
では、それだけの福祉施策が受けられるのなら、どれだけ厳しい公的な認定基準があるのでしょうか。認定を求めて訴訟も辞さない覚悟が必要でしょうか。いえ、認定を求める訴訟など必要ありません。
「アイヌ協会」が、希望者に対して独自の認定基準で判断して「アイヌ」として認め、さらには「アイヌ協会」が推薦状を出すことで、北海道や札幌市からの支援が受けられるのです。また、アイヌ協会の認定ルール上は「戸籍等の客観的な資料」および「家系図などの系��を示すもの」で「判断する(アイヌ協会が)」とありますが、実際には、既に閲覧禁止となっている壬申戸籍の時代ならばともかく、今現在の戸籍制度上はかつての身分を確認することはできません。
これは「壬申戸籍オークション騒動」の際に、法務省から「身分などが分かる」ことを理由に改めて報道発表された通り、実際には「身分が分かる戸籍」を公的に入手することは不可能です。
つまりは、公的な資料はなくても、アイヌ協会が認定すればアイヌであり、アイヌ協会が推薦状を出せば助成の受給資格を満たせる、という図式です。
そしてまた、今年2月の予算委員会で丸山穂高衆院議員が指摘した通り、「アイヌ支援」の前提となっている「アイヌ生活実態調査」も、これもアイヌ協会が「協力」して行うものです。
つまりは公的な「アイヌ基準」がないから行政としては「どこの誰の世帯を調査すべきか」をアイヌ協会に依頼するよりほかなく、結局はアイヌ協会による「機縁法」つまりは「有為抽出法」ですから、これを「実態調査」と称するのは統計的に正しくないでしょう。
ましてや実施団体が利害関係のある「身内組織」ですから、なおさらバイアスが加わる可能性を否定できません。結果、アイヌ協会が認定したアイヌの「生活が苦しい」「進学率が低い」といった「生活実態」に基づいて、まだまだ助成が足りていない、という主張に繋がっています。
こうした状況の中、とうの昔に国会では「今後は特別な支援は不要である」と説明されたはずのものが、自治体レベルでは支援が継続して行われているという、どこかで見覚えのある構図が存在しているわけです。
さて、やっとここで本題の「アイヌ新法」です。正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。国会に政府提出され、可決された法案であり、その問題点に気が付いておられる方々は決して多くはありません。
まず、正式名称に掲げられている「アイヌの人々」。これ、どういう意味でしょうか。むろん、一般的にイメージされる「アイヌ」の方々を指していることは分かりますが、では「法律」として考えたときに、かつての「北海道旧土人保護法」はすでになく、現状、自治体レベルで「支援を希望する者」への受給要件に「アイヌ協会の推薦状」が必要とされているだけで、法的には「アイヌの人」を区分する法律・法制度はありません。
さらに、第1条には「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の…」とあります。先の通り「アイヌの人々」が定義できないうえに、今度は「先住民族」です。
日本列島は、沖縄から北海道まで、当時の縄文人が北から南まで交流していました。その後、ロシア北東部から北海道東部に渡ってきたと考えられるオホーツク文化人や、さらに続いていくつかの部族ごとに渡ってきた方々との混交の末にアイヌ文化が成立したとされています。
つまり、先住性でいえば、元から日本中に住んでいた縄文の血統こそが先住民であり、大陸北東部から渡ってきた方々との混交で生じたアイヌは、むしろ「���発」なのです。
これは縄文期の遺跡から発掘された人骨や、その後の時代のアイヌの方々の遺跡の人骨、それから遺骨、さらに大陸北東部の諸部族の方々のDNAを比較分析することで判明した科学的な事実であり、北海道には最初からアイヌが住んでいたという主張は幻想に過ぎません。
また「先住民族」というワードは、特に国際社会においては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」とセットで用いられるため、非常に危険です。
これはつまり、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ、北米のネイティブアメリカンや南米のインカなど、それまで白人(異民族)文明とは無縁に過ごしていた「先住民族」を、大航海の末にたどり着いた白人が蹂躙(じゅうりん)し、土地や財物を略奪し、虐殺したうえに勝手に住みついて、その揚げ句に、今度は「保護が必要だ」として「彼らは元から住んでいた『先住民族』だ。その権利を守り、彼らの文化を維持するための義務(略奪者の責任)を負う」ための宣言です。
こうした観点から見れば、日本におけるアイヌの存在は、その当初から交流・混交による成立であり、またその後も常に交易を行っていた(それも日本だけではなく、ロシアや中国とも交易していた記録があります)のですから、無縁の異民族による突然の侵略といった歴史もありません。
そして「アイヌは先住民族」を法律上に明記することは、世界の先住民族の虐げられ、滅ぼされた歴史と同じことを、日本がアイヌに対して行ったものと解釈される危惧があります。
しかも、国会で行われた予算委員会における安倍晋三総理の発言がこれです。
「アイヌであることの確認に当たり、北海道アイヌ協会理事長等の推薦書の提出を求めているところでありまして、同協会においては、戸籍等の客観的な資料をもとにしながらアイヌであることを確認した上で推薦書を作成しているものと承知をしております」
安倍総理に、アイヌであることは「アイヌ協会が確認」し、かつ、法的には旧身分が分かるはずもない「戸籍」を資料にしている、と語らせてしまいました。
「戸籍等」とあるから戸籍だけで判断しているわけじゃない、というのは詭弁(きべん)でしょう。合理的な客観資料が存在するのならば、それを筆頭に挙げれば良いだけであって、それを語らずに「戸籍等」と記載する必要があるとは言えません。
むろん、失われつつある文化の保護や継承は大切ですし、日本の郷土文化の一つとして尊重し、伝統を未来に繋げていく必要性は誰も否定できない「文化事業」でしょう。
けれども、このような状況の中、誰がアイヌかも、どのようなアイヌ差別が今なおあるのかも、そうした認定や統計調査をアイヌ協会が担ったままで策定された政策を基に、新たな法律を制定して良いものでしょうか。
批准済みの「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の再検討も含め、国会においてはアイヌ新法への議論を充分に尽くしたうえで、国策としてどのように判断すべきであるかを是非とも検討していただきたいと願います。
※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、��つて存在した法律名として記載しています。
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フードにFLATLUXと”Not my fault - 俺のせいじゃない”が刺繍されただけの、潔くて無責任なパーカ。 王道なゆったりシェイプの軽めの裏起毛ボディは、フレッシュなカラー展開と刺繍の組み合わせ。 重ね着やコーディネートが楽しくなる、つい着たくなる。 ACEくんがフリースタイルダンジョンで着てくれてたのもコレ。 今週末発売。 –––––––––––––––––– Attitude Hoodie white, black, sandstone, neon yellow, neon orange S - XXL 10800yen+tax –––––––––––––––––– "Not my fault" Squad. this weekend. #flatlux #news #products #フラットラックス #ニッポン無責任野郎 #ニッポン無責任時代 #無責任男 #無責任一代男 #notmyfault
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映画『ラ・ラ・ランド』が好き過ぎるんだが、その「楽しい」のテイストがクレイジーキャッツと全く同じだという事に気付いてしまった
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CULTURE
5min2020.12.12
世界55地域で発売予定の『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ、ノーベル賞受賞後初となる長編を語る「愛するということは大いなる幻想にすぎないのか」
Photo: David Levenson / Getty Images
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パブリッシャーズ・ウィークリー(米国)
パブリッシャーズ・ウィークリー(米国)
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Text by Louisa Ermelino
2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが、2021年3月に最新作『クララとお日さま』を英米日3ヵ国で同時発売する。それに先駆けて、米出版情報誌「パブリッシャーズ・ウィークリー」が、英米の担当編集者を交えてイシグロにインタビューした。
気になる最新作の内容は? いち早く読んだ編集者たちの感想はいかに──。
カズオ・イシグロとの出会いは、「汝自身の英雄に会うべからず(会えば必ず落胆させられるから)」という古い格言を打ち壊すものだった。イシグロは、イギリスの自宅からズーム越しに(私はニューヨークの自宅のキッチンだったが)、3月2日に発売される最新作『クララとお日さま』について語ってくれた。
イシグロにとって長編第8作となる本作は、2017年のノーベル文学賞受賞後としては初の長編作品である。が、イシグロは受賞の影響についての質問はすべて脇においた。
「ノーベル賞を受賞した時も執筆中でしたけど、それも一時中断せざるを得ませんでしたよ」と彼は言う。
「ですから、受賞による悪い影響は、『クララ』には一切ありません。あくまで普通の本です」
クララとお日様
フェイバー&フェイバー社から発売されるイギリス版の表紙
娘に「子供向けの本にしては悲しすぎる」と言われて…
イシグロの「普通の本」はそれぞれに不思議で満ち溢れているが、本作もやはり例外ではない。語り手であるクララは人工フレンド(Artificial Friend)と呼ばれる存在で、(帰ってくるかわからない)人間の主人を待ち望みながら、彼女のいる店の中で起こる出来事、そして窓から見える外の世界をつぶさに観察し続けている。
イシグロによれば、この物語のきっかけは「もともと頭にあった子供向け絵本のアイデアだったんですよ。体の具合が悪くて、部屋にこもりきりの女の子の話です。彼女は人形と一緒に日が暮れるのを眺めるばかりなんですが、ある夜、部屋を抜け出すのに成功して、外の世界を訪れるんです」
だがイシグロの娘は、「子供向けの本にしては悲しすぎる」とコメントしたそうだ。
関連記事: 作家デビューしたカズオ・イシグロの娘が明かす「幼少期」「ノーベル賞受賞当日の父」
「その後のことなんですが、妻といっしょにイギリスの日も暮れた田舎道で車を走らせていた時、二人して物語のアイデアに行き当たったんです。思いついたのはスリラー的な筋書きでした。しばらく離れていた実家に戻ってみたら、きょうだいの一人はロボットなのだという不気味な感覚に襲われる、っていうね。というわけで、(『クララ』では)この二つの物語のアイデアが一つにまとまったんですね」と彼は笑った。
「こう言うとむしろつまらない話ですが、今の時代、世界的な巨大企業は私たちの現在の行動や、なんなら未来の行動まで正確に見通してしまうことができるわけで、そんな企業が大成功を収めてる時代に我々は生きています。そこには、『人々の正体を掘り起こす技術を我々は持っているのだ』、という思い込みがあるのです」
「グーグルが『愛』を説明することはできない」
イシグロはこれまでもSF(『わたしを離さないで』、2005年)とファンタジー(『忘れられた巨人』、2015年)のジャンルを掘り下げてきたが、『クララ』は究極的には「関係性」と「人間を人間たらしめるものは何か」をめぐる小説だ。
「愛とはなんでしょう? 愛する人を何かで代用することが、我々にできるでしょうか?」とイシグロは問う。「愛や、愛するものとの死別について、グーグルは決して説明できません。どうやったって無理です」
『クララ』の作中、イシグロは「人間が『愛���る』ということ、このロマンティックな観念についての疑問」を掘り下げる。
「我々が『愛する』ということは、テクノロジーによってその特権を奪われてしまう程度の、大いなる幻想に過ぎないのでしょうか?」
イシグロは、パンデミックが本の力について考える機会になったと語る。「自宅にこもり、そこが私たちにとっての聖域となったわけですが、その時いかに本が重要か気づきましたね。(本を読むことで)自分の頭の中で、好きなようにどこにだって行けるんですから」
「これは人間の心が持つ包容力についての小説」
イシグロはこれまで、紛れもなく影響力のある小説を生み出してきた。何百万部を売り上げ、数々の賞を受賞した。ノーベル賞だけではなく、1989年には『日の名残り』でブッカー賞も受賞している(加えて2018年には、ナイトの爵位を授与されている)。
イシグロは、昨年12月に亡くなった米クノップフ社の編集長サニー・メーターを懐かしみ、彼を「私の編集者、出版者にして、友人」と呼んだ。彼らは1982年、イシグロがデビュー作『遠い山並みの光』をパトナム社から出版した直後に出会った。
「『なんでうちの会社は君のデビュー作を買わなかったんだ!?』と彼は言いましたよ。もちろんその後、私はクノップフに移りました」
クノップフの編集責任者にして、『クララ』の担当編集でもあるジョーダン・パヴリンは語る。
「これは全イシグロ作品の中でも、私の一番のお気に入りかもしれません。素敵な語り手、クララのおかげで、この小説のイノセンスと不思議さは際立っています。これは人間の心が持つ包容力についての小説であり──クララはそれを『たくさんへやが入ってるへやがたくさん入ってるたくさんのへや』を持っていること、と表現していますが──また、記憶、悲しみ、愛の関係性をめぐる小説でもあるのです」
イシグロ作品が与えてくれる「生きてるって感覚」
英フェイバー&フェイバー社の出版責任者にして、イギリスにおけるイシグロの担当編集でもあるアンガス・カーギルはこう語る。
「『クララ』は古典のようであり、一方でまったく新しい作品です。しかし同時に、そのテーマと情緒において、これまでのすべての作品に連なる世界観を提示する、大胆にして新たなる一歩と言えるでしょう。それぞれの独自性と作品間の連続性が、イシグロ作品に共通する要素なのです」
イギリスの著作権エージェントであるロジャーズ・コールリッジ&ホワイト社の社長、ピーター・ストラウスは、長きにわたってイシグロの著作権エージェントを務めた同社の創設者デボラ・ロジャーズが亡くなった2014年、イシグロの担当を引き継いだ。
ストラウスによれば、『クララ』は、世界55地域で出版される予定だという。彼は本作を評し、「本当に素晴らしいですね、いや、彼のどの本もそうなんですけど。イシグロにはいつも驚かされます──彼の共感力、想像力、独創性、説得力に。彼は我々のものの見方を変えてくれるんです。彼と一緒に仕事ができたのは光栄だ���、すべての人にこの本を読んでもらいたいと思いますよ」と語った。
筆者はもともとイギリスでイシグロにインタビューすることを望んでいた。パンデミックのためにそれは叶わなかったが、彼をよく知り、ともに仕事をする���々を交えてイシグロと話すことができたのは、喜ばしい体験であった。
イシグロのノーベル賞受賞スピーチについてパヴリンが触れた。イシグロはスピーチのなかで、「最終的に、物語とは、ある人が別の人に向かってこう尋ねることなんです。『これが私の感じ方なんですよ。私の言っていること、わかってもらえますか? あなたもそういう風に感じますか?』って」と語っている。これこそ、「イシグロ作品の魔法」なのだ、とパヴリンはまとめた。
パヴリンは続ける。「イシグロの小説を読むと、とりわけ『クララ』はそうなんですが、自然とこんなことを考えているんです。『そう、そうなの、これが生きてるっていう感覚、人間であるってことなんだ』って」
関連記事: カズオ・イシグロ「私はなぜ『日の名残り』を4週間で書けたのか」|世界的作家の「創作の秘密」
関連記事: ノーベル文学賞受賞! カズオ・イシグロが語る「私とニッポン」
カズオ・イシグロ Kazuo Ishiguro
1954年長崎生まれ。5歳のときに海洋学者の父親の仕事の関係で渡英。大学で英文学を、大学院で創作を学んだ後、ソーシャルワーカーとして働きながら執筆活動を開始。1986年発表の『日の名残り』で英国文学界の最高峰、ブッカー賞を受賞した。2005年に発表した『わたしを離さないで』(邦訳は2006年、早川書房刊)は英国で発売と同時にベストセラーになった。2017年にノーベル文学賞を受賞。
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詩集『グロリアス・モーニング』
夢中
これまで夢中になっていたことに 夢中になれなくなる ふと気づいた瞬間 いつも屁理屈ばかり捏ねてさ
それが大人になる意味ならば もう大人になりたいと言わない 子供と言われたってかまわないよ 自分を殺めるくらいなら
目の前のことに夢中になりすぎる 悪いことだって信じてた あの頃の僕に手を差し伸べてくれた 君の声に応えたい
ユートピアにようこそ
ここは憂いだらけの世界 生きることも 死ぬことも 好奇の目に晒されて
愛や夢を外套に 誰もが「正義のミカタ」を気取って 空想ばかりを主張する 知識まみれの操り人形たちよ
今こそ��び立とう 歴史を忘れよう 自分の都合のいいことだけ ずっと考えていよう
契約書
地球という名のちっぽけな星 私はくれてやります あなたに託してしまった方が よっぽど上手くいく気がしますから
凡庸な人間に 気まぐれな自然 争いばかりの自惚大戦に 私は心から疲れ果ててしまったのです
宇宙船の群れが見えます これから地球は変わっていくでしょう 私はこの瞬間より王になりました さあ地球よ私色に染まりなさい
寂しがり屋のルンバ
恋愛に薔薇を 綺麗事に拳銃を 永遠にピリオドを 大統領にシャンプーを
いつまでも報われないと 嘆いてばかりじゃ始まらないけど 今日くらいはワインに物を言わせて 泣き明かしてもいいじゃない?
一匹狼じゃ眠れない 人は独りじゃ生きられない ほんとは私も寂しがり屋 お願いだから誰か構ってよ
大切だった君へ
君の手をぎゅっとする仕草とか 必ず「おはよう」のメッセージをくれるとことか あんなに大好きだったのに どうして浮気してしまったんだろう?
いつも使っている香水じゃない 気づいた時にはもう遅かった その理由は嘘ばかりだったけど かつての私は涙を必死に我慢してた
さよなら大好きだった君へ とびきりの愛と優しさに感謝を さよなら大嫌いになった君へ 街角で新しい彼女とすれ違うたび 泣きそうになる
かつて親友だった貴女へ 私の恋人を奪って嬉しいですか かつて友達だった貴女へ せめて彼を幸せにしてください
チケットをご用意できませんでした
人の群れにすれ違うたび あの日の私を責めたくなる どんなに頑張っても上手くいかずに 神様にさえも見放された
SNSを開くと「最高でした!」の声 ひとつだけの悪意にメンションを送り やっとの想いで保たれる あまりにちっぽけなプライド
かつての私はもっと素直だったよ 匿名アカウントに閉じこもってなかった どれだけ傲慢なんだよ 夜の静寂に声なき声が響く
勇者たちの産声
遥か悪魔城の彼方 ユートピアに勇者は立つ 大いなる船出に授けられた 伝説のエクスカリバー
燃えたぎる情熱と 愛を護る勇気よ 大切な人を想うシンフォニア 胸の鼓動は速くなる
青春の終わりに 君は闘いへ出た 嵐が吹き荒れ 明日を告げる鐘は鳴る ここに新たな伝説の幕が開く 夜明けを信じてその剣を振るえ
本音
���しくなりたいと願うほど 掌から滑り落ちてくようで 僕は何から始めりゃ良いのか 人生がわからなくなっちゃうよ
きっかけは些細なこと 隣の人がお年寄りに席を譲ってた そっと言い出せないのが辛くて イヤホンの音量を上げた
優しさを偽善と勘違いされ いつか貶されたことがあったから 未だ優しさの意味を知らずに 目の前の温もりに嫉妬してばかり
失恋3秒前
いきなり空き教室に呼び出された 彼氏が憮然とした表情で立ってた そして「別れよう」の一言を告げ スローモーションで去っていった
私は何が起きたのか解らなかった 今も心の中は整理できないままで 友達から見せられたフェイク動画 貴方も私を信じられなかったんだ
人は大きすぎる悪意を目にした時 何も出来ぬまま立ち尽すしかない そんな現実に私もやっと気付いて 大切な思い出にそっと火をつけた
私はアンドロイド
あなたが「人間の心はないのか?」と訊ねた時、 心という言葉がインプットされていないことに気づき、 私は慌てて図書館へ走った。
図書館で国語辞典を開くと、 まったく考えたことのない概念が目の前に広がり、 私は雷に打たれたような気持ちだった。
惑星征服のためのアンドロイドとして生まれ、 その任務を遂行するためにここにいるのに、 人間を好きになっては何も出来ないじゃないか。
運命と宿命の間で、 私は仲間の宇宙人たちとの親交を断ち、 目の前のあなたを好きになってみることにした。
幕末大掃除
この世の中を掃除しよう 常識すべてを洗濯しよう 無垢な偏見を整理しよう もっと良い世の中を作ってこう
平穏だった江戸の世に 突然黒舟が現れて 殿様方は慌てふためき やっと気付いた現実
箱庭の中で酒を飲んでるばかりじゃ 井の中の蛙大海を知らず 閉じ篭ってたばかりのニッポンに 風雲急を告げる 嵐が来る
新たな夜明けをこじ開けろ 古い時代にケリをつけろ 源氏も足利も徳川も為し得なかった より良い世の中を作ってこう
俺たちの妄想のような 綺麗事ばかりじゃねえ 幕末!
それでも生きてく
真夜中になると死にたくなる 自分のことを傷つけたくなる
時々真昼間でもこうだから ほんとに自分のことが嫌いになる 根暗人間と呼ばれて ずっとここまで生きてきた
愛する人がいると 裏切ってしまうんじゃないかって不安になる 大切な人といると 嫌われちゃうんじゃないかって不安になる
光陰矢の如し かつてのような能天気な僕に還りたい
最���のキッスはさよならの痕に
思わず抱きついてしまったよ まだ離れたくなくて 春になったら別れると決まっていても 運命に逆らいたくなったの
あんなに泣かないって決めたのに 今は涙が止まらなくて ドライマティーニで恋を醒まそうとしても 少しも喉は渇きそうにない
目の隈をメイクで誤魔化して なんとか悟られまいと頑張った あれほど燃え上がった恋の結末は 舌を絡ませた口づけ
サヨナラで終わらせられなくて あなたを困らせちゃってごめんね いつだって独りよがりだったのかもしれない もう私は二度と恋をしないよ
Great Traveler
幾千光年先の新たな銀河へ行こう 僕らは開拓者(コロニスト) 時代の申し子さ かつて地球で生まれし 希望の種族は今 幾多の喜びと悲しみの果てに 宇宙へ旅立った さあ 誇りを胸に 愛を忘れてはいけない 蒼き星で生まれた希望 歴史が憶えている 僕たちも跳べる 明日を描いてゆける 超光速で 宇宙(ソラ)を駆けて 偉大なる夢を創ろう
Wind Express
渋谷センター街の スクランブル交差点で ふと周りを見渡して 悲しみに覆われた
生きてくことが怖くなり 愛や夢も掴めずに 誰にも負けない情熱が
少しずつ沈んでいった
アイドルは希望を歌うけど 僕らに未来なんてない 見せかけの宿命に 答える勇気もない
時代に惑わされるな 風の電車に乗れ! 時代の波を越え 大切なものを掴もう
私とパルコ
近所のパルコが閉まるらしい 閉店セールに群衆集まる そんなことならこうなる前に もっと行ってりゃ良かったのに
背伸びしたくなる季節 誰もがそんな時があるさ ラブにピースにHere WEGO!! 青春時代を染め上げたこの場所
だから今夜は踊り明かそう パルコ パルコ 青春ロコモーション 時間を戻して Let's Party!! パルコ パルコ いとしのパルコ
みかんのうた
みかん みかん 僕のみかん みかん みかん 君のみかん みかん みかん 一粒つぶ みかん みかん 一口でも
酸っぱくて顔を顰めるキミも 甘くてサムズアップするキミも まるで恋愛のようなその味に ずっと一目惚れしたままなんです
僕らはきっとみかんが好き あなたもきっとみかんが好き 和歌山 愛媛 静岡 熊本 みかんと一緒に大きくなる
だってさ
口を開くと言い訳ばかり クラスにひとりはいる こんな奴のせいで空気は最悪
小さなミスも気づけば大事 形にならなきゃ Feel So Good そのくせ脳天気だから手に負えない
薄々みんな気づいてた 文化祭終わりの打ち上げで 彼がいないからって悪口大会
人間の薄汚さを現してるよう 悪いヤツじゃないって信じたい 僕��いつだって性善説
幼馴染の話
いつも気さくに話しかけてくれて モジモジしてたら連れ出してくれた まるでフィクションのように優しいキミは 僕の唯一の幼馴染
中学になっても高校になっても その人懐っこさは変わらなくって ちょっとした反抗期できつく当たって 泣かせてしまったこともあった
意地ばっかり張ってさ 本音で話せなかった僕を きちんと叱れる強さを持っていた そんなキミが今でも憧れ
偏愛の21世紀
黄金の20世紀に 僕らは憧れ 縋りついてる
権威なんか嫌いだと 宣ってる奴でさえ 鎖から逃れられない
もし手を上げられるなら 打ってしまいたい奴もいる 思わないなら聖人君子だろう
ヒステリックにニュースは流れる サイケデリックに世論は揺らぐ 差別も格差も君は大好きだ
まだ間に合うかな
学生時代に好きだった人 最近のことがちょっと気になって SNSで名前を打ち込んだ そこに現れたのはあの日の君だった
こんなこと側から見れば あまりにキモすぎて 伝えられなかった名残惜しさ 僕は未だ青春を卒業出来ずにいる
風に流されぬようにと 想えば想うほど流されて 失うものは何もないのに
目に見えないものばかりを気にして 僕は大人になってしまった
たえなる時に
真夏の昼下がり 僕らは森に迷い込んだ 何かを探していたのかもしれない 少年時代の気まぐれ
いつの日か思い出す時に ぽっかりと欠けたパズルの一ピース 抜け落ちているからこそ さらに尊くなる
抱きしめたいほどの過去を あなたは持っていますか? 愛おしくなるほど大切な人が あなたにはいますか?
少年時代の思い出 安らかに眠れと 昨日の僕に語りかける 名もなき君の歌よ響け
楽天主義
全部全部嘘と言ってしまいたい 積み木を崩してしまいたい もしもタイムマシンで過去に戻れるなら 生まれた頃に戻ってしまいたい
なんとかなるさと ここまで生きてきた でも、なんとかならなかった それが人生というもの
やっと気付いた頃 とうに大人になってた 久遠の少年時代よ もし時を巻き戻せるのなら
恋愛とか勝てなかった試合とか そんなものに興味はない 明日を描けるだけの 希望を掴めればそれでいい
だけど 僕は器用じゃない 過去を活かせないだろう どんなに作られた筋書きも 一つの道しか選べない
だから 僕はこのまま行く ありのままに生きていく
どんなに不器用な生き方でも 自由に生きれば なんとかなるさ!
恋愛使い捨て論
「次の日曜日にまた逢えるかな?」
そんな会話が街から聞こえる 僕らが生きる希望という名の未来 振り返れば何も出来ない過去
優しさの意味を強さと勘違いして 大切なものも捨ててしまった 僕は愚かさに慣れすぎて 誠実さを忘れた
もう一度だけ…… 何度も耳にした口約束に意味はあるか 恋愛さえも使い捨てるような奴らに 明日を語る資格はない
好きを惜しみなく
帰り道のふとした瞬間 下を向いていたら 君とぶつかった
話すと同じクラスだと知り ずっと無意識だったのに 恥ずかしくなった
想像よりも世界は狭くて 嫌になりそうなこともある 君と付き合っているうちに 自分の嫌いな部分も好きになれる気がした
好きを言わなきゃ伝わらない 当たり前に気付いたのは別れてから
人は今をちゃんと見つめられない 大きすぎる明日を見つめてしまうもの
アイドルになるということ
アイドルになると決めた日から そのためだけに頑張ってきた 自分に自信なんて無いけれども 頑張ったことだけは自信を持って言える
涙と悪意を希望に変えて 仲間に夢を誓ったあの日 半信半疑の目 疑心暗鬼の私 すべては自分を裏切らぬために
ここに立てたよ 見てますか? やっと叶えられた夢 さらに翼を広げて 明日を描くと 今日は終わりと始まりの日
此処は怪獣共栄圏
一般人より出動要請 ジャケットとヘルメットを身に纏い 片手に麻酔銃 もう片手にはタブレット 殺しなんてご法度だから
街で暴れる怪獣たちに この身ひとつで立ち向かう 時々居なくなる仲間もいるけど 私たちがやらなきゃ誰がやる
地球が好きだから 人間が好きだから ここを通すわけにはいかないと 覚悟決めてやるしかないのさ
加古川に生まれて
川の流れを見つめて あの街を思い出す 今も住んでいるはずなのに 何故だか懐かしくて
日常の色と違う 何かを求めているんだろう 変わらぬものに心を託せば 楽になると信じていた
どんな想いも あの街は抱きしめてくれた 友も恋人も今は街を出たけど 僕は故郷を信じてみたい
あなたへ
ちっぽけなプライドを振りかざして 隣街にマウントばかり取る いくら政治が上手くいってるからって 暴言を言われりゃ苛々するさ
そんな時代じゃないだろう? 連帯がお好きなんだろう?
私の中の悪魔に蓋をして 天使気取りでいるのも辛いものさ こうはなりたくないと思うほど 気づけば嫌いに近づくだろう 意識すれば意識するほど 自分のことが見えなくなる
Oh baby ムカつくやつは写し鏡 明日のあなただ
まだ見ぬ君に
いつか友になる君や 恋人になる君へ 私のことをいくつか伝えるから ちゃんと聞いてほしい
まず気まぐれ人間で いきなり悲しくなるし 急にテンション上がったと思えば 夢中になると止まらないし
こんな私と繋がってくれてありがとう ずっと背中を押してくれてありがとう
離れてしまった人も 最近繋がった人も
こんな私と繋がってくれてありがとう ずっと背中を押してくれてありがとう
決して立派な人じゃない でも自虐的になるのをやめてみるから ここから未来を見据えて 無邪気に生きてみるよ
��だ見ぬ君のために 私だって誰かの好きになりたいよ
青春の夜明け
いくつになっても わからない 大人になること その意味が かつての僕なら 否定する 笑顔も涙も 抱きしめて
青空に突然 銀色の雨が降る 傘も差すのが 面倒な時もある 青春の気まぐれよ 時に逆らったまま 面白いことを 始めてみたい
迷ってばかりじゃ つまらないよ 走り出してみよう あなたらしく
青春の夜明けに ここから一歩踏み出す 勇気があれば それでいい
失恋した夜 泣き明かして 親友にLINEして 愚痴を吐いた かつての私が 通り過ぎた 夢の背中に あなたがいる
止まない雨などない 叶わぬ夢などない そんな言葉を 信じたいわけじゃない 青春の気まぐれよ 明日を教えてくれ 面白いだけじゃ 勿体無いから
焦ってばかりじゃ 見えないよ 顔を上げてみよう あなたらしく
青春の夜明けに ここから一歩踏み出す 希望があれば それでいい
泣いてばかりじゃ わかんないよ そう私の目を見て 微笑んでほしい やりたいことが出来ない人生だから せめて面白いことに素直になりたい
迷ってばかりじゃ つまらないよ 走り出してみよう あなたらしく
青春の夜明けに ここから一歩踏み出す 勇気があれば それでいい
詩集『グロリアス・モーニング』 Credits
Produced / Written / Designed by Yuu Very Very Thanks to My family, my friends and all my fans!!
2022.5.17 Yuu
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イズミズム最終回
突然ですが、この連載は今回で最終回です。先日、森山編集長と打ち合わせの際に、彼の方から「ちょっと仕切り直しをしてはどうか」という意見が出た。実を言えば僕自身が(読者の皆さんもきっとそう思っていることと思うが)、この連載が途中から相当に迷走している、なんだか非常に息苦しい袋小路に入りつつある、ということは強く意識していて、正直に言うと、この申し出は渡りに船(?)だった。「イズミズム」は、当初に考えていたコンセプトから、あれよあれよという間に外れていってしまい、僕は自分が何をしたいのか、何をしなければならないと思っているのかは分かっているつもりでいながら(それは今でもそう思っている)、それをどうやったらいいのか、どうやれば上手くできるのか、をどうしても思いつくことができなかった。要するに、僕は失敗したのだと思う。それは潔く認めなくてはならない。今回もこの文章の右の方にある筈の連載開始時の内容紹介文は、休載を挟んだ連載第五回以降はまるっきり形骸化してしまっているのだが、にもかかわらずレイアウト上はずっとその勇ましい文章が冒頭に置かれ続けていることが、ある意味ではこの連載の「失敗」を何よりも証立てている。
うわあ。なんとも恥ずかしい告白になってしまっているが、しかしその一方で、僕にはこの「失敗」(?)が、ある意味では不可避であったとも思うのだ。それはつまるところ、僕がやろうとしたこと、やりたかったこと、やるべきだと思っていたこと、それ自体があらかじめ孕み持っていたどうしようもない難しさのせいだったのだと、これは言い訳でも開き直りでも何でもなく、そう思う。しかし、そのことをちゃんと説明すること自体が、やはりどうしようもなく難しい、のだ。これでは堂々巡りだけれど、しかし実際、この「イズミズム」とは、その「難しさ」について考えようとした連載だったのである。 前回は予定を変更して、七月末に僕が企画した「批評家トライアスロン」なる試みについてレポートじみた文章を書いてみた。そこでは書かなかった(書けなかった)ある事実と反省に関しては、どこかで���たあらためて述べる機会があるかもしれないが、実は急遽内容を変える前の(今回同様に)〆切ギリギリの極限状況下で、僕は別の内容を途中まで書きかかっていたのだ。それについては実際の原稿の冒頭にも少し書いてあるが、以下に書きかけだったテキストをほぼそのままコピペしてみよう。
現在、この国の文化=思想=批評の状況には、いわば「ニュー“ニューアカ”」とでも名付けられるような現象/事態が出来している、と僕には思える。「ニュー“ニューアカ”」(以下めんどくさいのでニュニュアカと略す)は、「八〇年代」に起こった「ニューアカ」すなわち「ニュー・アカデミズム」の「反復」であり「持続」でもある。いや持続してるなら反復しないし、とか思われるかもしれないが、この少々矛盾(?)した言い方の意味については後で記すつもりだ。 まず簡単に「ニュー・アカデミズム」の解説をしておこう。「ニューアカ」とは八〇年代の前半に、当時京都大学経済学部助手だった(現在は助教授)浅田彰の著書『構造と力』のベストセラーを契機に出版界から巻き起こった、現代思想のサブカルチャー化と、知識人・大学人のポピュリズム的受容の、ほとんど社会現象にさえなった一大ブームと、その構成メンバーを指す。浅田と並ぶ人気を誇っていたのが、やはりベストセラーとなった『チベットのモーツァルト』の中沢新一だ。他には、のちに政治家への転身を果たしたりと迷走していくことになる栗本慎一郎などもいたが、もちろん重要なのは、浅田や中沢よりも上の世代ではあるが同時期に本格的な活動を開始したと言っていい柄谷行人と蓮實重彦だろう。現在に至るまでの流れを思えば、つまるところ「ニューアカ」とは、結果として「柄谷ー蓮實ー浅田」の三位一体の制度(?)を形成した現象だったとさえ言うことが出来るのではないかと思う。 ところで、あらためて考えてみると、「ニューアカ」には幾つかの特徴があった。以下、少し説明してみる。
*「ニューアカ」とはその名の通り「新アカデミズム」であって、「反アカデミズム」でも「超アカデミズム」でもなかった。浅田は京大、柄谷、蓮實、中沢は東大卒だ。もちろん他の構成メンバーの学歴はまちまちではあったが、少なくとも「ニューアカ」の権威性と信頼性は、明らかに東大と京大というこの国の「アカデミズム」の最高峰のそれに依っていた。前述のように浅田は現在も京大所属だし、周知のように蓮實重彦はのちに東大総長にまで昇り詰めることになる。
*にもかかわらず、実際には必ずしも「ニューアカ」は、それぞれの専門領域における研究それ自体によって評価されたわけではなかった。経済学が専門である浅田の『構造と力』はフランスのポスト構造主義の解説本 (その内容は現在であれば新書で刊行されていた筈だ)だったし、仏文学者の蓮實もフランス現代思想の紹介や文芸評論、とりわけ映画批評の分野で注目を集めた。学部は経済学で修士は英文学だった柄谷は夏目漱石を論じた文章で文芸批評家としてデビューし、『マルクスその可能性の中心』を文芸誌に連載した。つまり「アカデミズム」と言いつつも、彼らはいずれも語義通りの「アカデミック」な領域で頭角を現したわけではなかった。それゆえ「ニュー」と呼ばれたのだ、と言うことも出来る。「アカデミズム」に属していた者が「アカデミズム」の「外部」で/に「知」を発信した、と言うことも出来るかもしれない。
*「ニューアカ」の思想的バックグラウンドは基本的にはもともと「左翼」的なものだったと言える。柄谷は元ブントだし、蓮實も東大のいわゆる「造反教官」のひとりだった。だが「左翼」的ではあっても、それはそのまま「反体制」を意味してはいなかった。むしろ「ニューアカ」は、バブル経済の上昇気流にあった「八〇年代」においては、日本という「国家」に対して、親和的とまでは言わないまでもかなり現状肯定的だった。本来はいわゆる「68年的」な思想であった筈の「(ポスト)構造主義」を使って「八〇年代ニッポン」の繁栄を説明しようとする無理に、当時は誰も気付かなかった(気付いても何も言えなかった)。ところが「ニューアカ」の多くは「九〇年代」に入ると、変節とも転向とも表立っては呼ばれることなく、すなわち公的には一貫性を維持したまま「左旋回」する。これはだから正確には「旋回」ではなかったのだが、スタンスとしてはかなり鋭角的に「反国家・反体制」化したように見えたことは確かだった(このあたりについては仲正昌樹の『ポストモダンの左旋回』を参照)。
このような「ニューアカ」の特徴は、ほぼ二十年を経て「ニュニュアカ」によって「反復」されている。だが、その前にもう少し、続く「九〇年代」のいわば「ポスト・ニューアカ」についても触れておかねばならない。端的に「ポニュアカ」は「ニューアカ」に対する相対化というか異和の表明というかルサンチマンの発露というか、大体そのようなものとして登場した。その代表的な論客を、やはり現在との関わりにおける重要度に従って三人挙げるなら、これは疑いなく宮台真司、大塚英志、福田和也ということになるだろう。宮台は「ニューアカ」に対抗する戦略について度々語っているし、福田は柄谷・浅田とは良好な関係を保ちつつ、蓮實に対しては初期から徹底して批判的だ。大塚も湾岸戦争以後の旧「ニューアカ」勢の政治的言動の変節を執拗に批判していた。もちろんこうした個別的なことだけではなく、思想や批評が一種のブームになることによって、さまざまなことが可能になった時期には間に合わなかった彼ら「ポニュアカ」が、多くの意味でいわば「反ニューアカ」的スタンスをいささか露骨なまでに身に纏うことで世の中に出てきたことは確かで、受け入れる側もそのような存在として歓迎したり反撥したりしたのだった。これはある意味で単純きわまる「振り子の原理」のようなものだと思うのだが、しかし現実はしばしば単純な原理によって動くことがある。 書いてあったのはここまでだったのだが、この続きとしては、次に「ニューアカ」と「ポニュアカ」と「ニュニュアカ」のすべてを繋ぐ類いまれな存在として「東浩紀」という人について触れた上で、いよいよ「ニュニュアカ」のことを書くつもりでいた(もちろんもっと丁寧にやろうとするなら、たとえば松浦寿輝や丹生谷貴志や四方田犬彦のような人達や、渡部直己やスガ秀実のような人達や、あるいは笠井潔や加藤典洋や、あるいは椹木野衣や山形浩生や、そして大澤真幸についても当然触れるべきなのだが、それではさすがに字数がまるで足らないと思っていた。ニッポン批評史をやりたいわけでもないし)。 僕が「ニュニュアカ」という言葉で括ろうと思っていたのは、たとえば北田暁大や鈴木謙介、もっとも徴候的には稲葉振一郎のような人のことだった。本誌と同じ版元の長谷川裕一論『オタクの遺伝子』、ちくま新書の『「資本」論』、やはり太田出版からの『マルクスの使いみち』(松尾匡、吉原直穀との共著)、『モダンのクールダウン』(NTT出版)、立岩真也との対談本『所有と国家のゆくえ』(NHK出版)と、このところ立て続けに本を出している稲葉氏は、63年生まれ、一橋大卒で東大大学院博士課程単位取得退学、現在は明治学院大学社会学部教授だ。東大時代の付き合いなのか(彼らの一読者でしかない僕はこの辺の関係性をよく知らない、誰のこともよく知らないけど)、山形浩生とは旧知の仲のようで、インタ−ネットの稲葉氏のブログにはよく山形氏が登場する。ちなみに太田出版はもちろん「ニューアカ」の最後の牙城となった柄谷行人・浅田彰責任編集による「批評空間」の第二期の版元でもあり、『モダンのクールダウン』の元になった「片隅の啓蒙」が現在も連載されている雑誌「インターコミュニケーション」は、ICC(インターコミュニケーション・センター)同様、その成立と初期のコンセプトに浅田が深く関与していた(が、ご存知の方も多いように山形浩生は浅田彰に何度か極めて痛烈で痛快な批判を向けたことがある。稲葉氏が浅田彰的存在に対して何らかのスタンスを提示するようなコメントを発しているのかどうかは寡聞にして知らない)。ここ最近の「インコミ」には東浩紀と旧GLOCOMグループが度々登場し、最新号では稲葉氏と東氏の対談が、浅田彰と岡崎乾二郎の対談とともに巻頭に掲載されている(僕はこの二つの対談の並べ方は、タイトルの付け方と共にとても嫌味で最高だと思ったのだが、そのこともここで述べたいこととすごく関係があるけれど、とりあえずは置く)。 僕は稲葉振一郎氏の言説について、何事かを述べたいわけではない(し、さしあたり述べられるとも思っていない。述べてよいとも思えない。だが、これまた「何故、述べてよいと思えないのか?」ということも実は重要な問題なのだ。というか、本当はこんな韜晦をやたらと連発することで何かを語ろうとしている節もあるのだが。ただちょっと思った��とは、博覧強記というべき稲葉氏の論述の先にあるものは、そのすぐれて懇切丁寧な啓蒙的態度とある意味では相反するような、恐ろしく大文字のざっくりとした「問題」という気がして、それは氏自身もよく言及されているSF的な、というかほとんど空想科学的な荒唐無稽ささえ感じられて、それが僕にはなんだか、氏とほぼ同世代の椹木野衣が一時期やたらとフーコーの「人間の終焉」にこだわっていた、やはりほぼ同世代である僕にはしかし非常に不可思議な、こう言ってよければ大言壮語と重なる時がある)。そうではなくて、たとえば現在の「文化=思想=批評シーン」(「文学シーン」とか何でも「シーン」を付けるのはよくないと磯部涼が言ってたけど、「シーン」で括��るくらいどれもこれもちっちゃい、っていう事だよ)における「稲葉振一郎」の役割というか必要性のようなものが、僕の受け取り方では往年の「ニューアカ」の「反復」であり「持続」であるものとしての「ニュニュアカ」を、とても鮮明に示していると思うのだ(ところで63年生まれといえば、年齢的にはむしろ「ポニュアカ」に近いのだが、「○○アカ」の区分は世代ではない、ということは言わずもがなのことである)。 稲葉氏は『経済学という教養』や『マルクスの使いみち』などで、自らの想定読者層に対して「人文系ヘタレ中流インテリ」というタームを与えている。その意味については両書のそれぞれ序説の部分で述べられているが、「経済学という「教養」」や「片隅の「啓蒙」」という言葉に如実に現れているように、氏には人文的な専門知とでも呼ぶべきものを、アカデミックな研究者だけの愛玩物に留めておくのではなく、それに正当で健康な興味を抱く「素人」に対しても開いてゆくべきだ、という一種の信念のようなものがあると思える。彼らはアカデミシャンでも専門家でもありえない、それゆえに「ヘタレ」なのだが、しかし「教養」への意志や「啓蒙」への志向性は持ち合わせているぐらいには「インテリ」であるというわけだ。それはいわば「新書」的な「知」へのベクトル、とでも呼ぶべきものだと思う。コアな理論書でもテキスト=教科書でもない、不特定の「他者=素人」に向けた「教養」への導線としての「新書」。そしてそれは、嘗ての「ニューアカ」が纏っていたものと似てはいないだろうか。 浅田の『構造と力』が典型的だが、「ニューアカ」のひとつの本質は、多くの場合、地理的・言語的な障壁によって未だ知られていない何らかの「知」を「紹介」したり「整理」したり「解説」したりする行為のカジュアル化、すなわちファッショナブルな「啓蒙」ということであった。「ポニュアカ」には、総じてそのような親切さは微塵も存在していない。彼らは「ニューアカ」の突破もしくは反転を企図していたのだから(たとえば宮台真司は「専門知」も「大衆知」も更に極限化することによって「ニューアカ」との差異を披瀝した)。また、東浩紀も(『動物化するポストモダン』は講談社現代新書だが)「新書」的な姿勢とは実のところ無縁なタイプであると思う。彼は明らかに、あくまでも個人的な主題を公(共)的な主題へと短絡させる剛腕を持った、ある意味では古典的な意味での「哲学者」だ。だが稲葉氏には明らかに「新書」的なベクトルがある。それはたとえ「片隅」ではあっても「啓蒙」はありうべきである、という、もう一度言うと「信念」によって支えられていると僕には思える。そして、彼に代表されるような論客がそれなりの存在感を発揮しつつある現状を、さしあたり「ニュニュアカ」と呼んでみたい、ということなのである。 さて、ところでしかし、ここでやはり意地悪な問いを発さなければならない(そして、この問いこそがこの最終回のテーマ?なのだ)。「人文系ヘタレ中流インテリ」は、本当に存在しているのだろうか?。そこにいるのは、実際には「人文系ヘタレ中流インテリになりたい人たち」でしかないのではないか? 興味深いことは、「ポニュアカ」の方々の著書の方が、「人文系ヘタレ中流インテリ」よりも、ずっとポピュラーな「一般読者」に対して開かれているということで(それは彼らが良くも悪くも「ニューアカ読者」の外側に自らの購買層を設定してゆくしかなかったという事実を示してもいるが)、それは書かれた内容の高度さとはあまり関係がなく、いわばプレゼンテーションの違いなのだが、そんな「ポニュアカ」を経て「ニュニュアカ」が、敢て「読者」のスクリーニング的なことを標榜していること、そうせざるを得ないということの意味が、僕には気になる。 稲葉氏の著書は、あからさまに啓蒙書的形式を持つ『経済学という教養』を除くと、実のところけっしていわゆる「入門」的な中味ではない。そこで述べられていることを十全に理解するためには、読む以前に一定以上の「教養」が必要であり、それは(矛盾するようだが)いわゆる「新書」的なヤワさとは異なっている。つまり、そこには稲葉振一郎オリジナルの「哲学」というか「思想」が込められているのだが、しかし氏は「読者」がそこに辿り着くまでに経由すべき「教養」の有無をもはや無視することができない(この一種の自信の無さが「ポニュアカ」との決定的な違いだと思う)。だが一方では、それを真に直視してしまうと、ほとんど書く動機が損なわれかねないほどの危険性が存していることにも、恐らく気が付いているのだ。 そこで「人文系ヘタレ中流インテリ」が登場する。それは一見、揶揄のようないでたちをしてはいるが、実はそうではない。稲葉氏が設定しているような「人文系ヘタレ中流インテリ」は、おそらく数としては相当に少ない。それは「ニューアカ」の時代よりも減っているし、減り続けている。おそらく文字通りの「人文系ヘタレ中流インテリ」にカテゴライズされるような「読者」は、自らをそう同定しはしないだろう。居るのは、「人文系ヘタレ中流インテリ」というレッテルに、かなり倒錯的なものではあれ、一種のエリーティズムを感じてしまうような、いわば永遠の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」なのだ。そして煎じ詰めれば「ニュニュアカ」とは、そうした「読者」に対してチャームを発揮する「知」なのだと思う(これは稲葉氏の言説や存在の意義とは何ら関係がない、念のため)。 「ニュニュアカ」が「ニューアカ」の「反復」であり「持続」でもある、ということの意味は、「ニューアカ」自体が、実はそういうものだったのではないか、ということなのだ。「ニューアカ」の時代に「わかりたいあなたのための〜」といった枕が付いた現代思想の「入門」書があった。また(これも太田出版だが)柄谷・浅田など「ニューアカ」勢による『必読書150』には「これを読まなければサルである」というオビ文が刻まれていた。これらは「読者」の「知」的な劣等感/優越感を露骨に刺激するようにできていて、「わかりたい」は「わかってると思える」に、「これを読まなければサルである」は「これを読めばサルではない」に読み替えられる。だが、それはどこまでいっても、たかだか「サルではない」ということでしかない。サルよりはましだと思うかもしれないが、それはようやくヒトになれただけで、もしかしたら、ただそう錯覚し得ているだけかもしれない。サルであることに無意識でいられるサルと、サルではないと思い込むことを(誰かに?/自分に?)許されただけのサルの、どちらが幸福だろうか?。 つい筆が走ったが、「持続」というのは、「ニューアカ」→「ポニュアカ」→「ニュニュアカ」の言説の担い手ではなくて、それらを「サルではない」と思いたい「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」に提供し続けている、いわば仕掛人的存在(端的に言うと「編集者」)が、三つのカテゴリーを通じて、現実としてほとんど変わっていない、という事実を指している。もちろん例外はあるが、それは実際に同じ人物か、もしくは同一の系列に属していることが極めて多い(ことは知っている人は知っていることだ)。彼らによってその時々の「アカデミズム」から人員がピックアップされて、「○○アカ」が生まれていく。そして、もっともクラい思いにさせられるのは、「ニュニュアカ」的なるものの台頭が起こっているとして、それは「啓蒙」の成果として「人文系ヘタレ中流インテリ」が増大しているからではなく、むしろ「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」と更に外側の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍の予備軍」の絶対的で不可逆的な縮小が、あるポイントを経過してしまったがゆえに、いわばあぶり出しのようにして、そうなっているのではないか、ということなのだ。 もちろん、それはそういうものなのだし、ずっとそうだったのであって、今更どうこう言うようなことでもないし、そもそもお前ごときが云々すべきことでもない、という意見はあるだろうし、僕もそれはもっともだと思う(正直ほんとうに)。そして、だから僕は、この連載を今回で終えることにしたのだ。最終回だというのに、やっぱり上手く書くことができなかったと思うし、むしろ更にもっと混乱したままになってしまったとも思うが、とりあえずここで筆を置きたいと思う。でもこれは終わりではない。ありがとうございました。
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※ 大学入試は「くじ引き」で サンデル教授の主張の狙い
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO73130110S1A620C2000000/
私もくじ引き入試に魅力を感じますね。公務員も倍率が一定数を超えたらくじ引きにすれば良い。ただ、日本で大学をくじ引きにしたら何が起こるかと言えば、まず東大に受かるような階層は、9割がアメリカのアイビーリーグに逃げ出すことになる。
医学部は、学生の質を担保できるんだろうか?
抽選に魅力を感じるのは、現状のように、努力した人間(サンデルはそこを否定していることはひとまず置いて)だけが、そこに集まり、留まり、ある種のグループを形成することで、その下のグループへの関心が失せてしまう。その階層でムラが出来てしまい、そのムラ社会を守ることに必死になってしまう。
今の日本の公務員社会がまさにそうでしょう。仕事はもっぱら、ぶん殴りたくなるような怠惰で無責任な住民のケアや、利権にありつこうとする強欲な屑どもの相手で、下の階層の現実に関しては、他の業種の誰より詳しい。隣には非正規公務員が座って同じ仕事をしているのに、結果として、自分の暮らしを守ることにしか関心が無い。自分たち以外の階層が置かれた状況に鈍感になってしまう。
マスなメディアもそう。たまにお涙頂戴な貧しい人々の話も書くけれど、どこか他人事。そんなことより、財テク記事の方が読まれているし、同僚もそっちの記事を遣せ! と暗に迫る。足を使った貧乏人の取材より、芸能人のインタビューがしたい。バブル時代の新聞がまさにそうでした。そんな環境下で、お受験と財テクでアピールするAERAというプチブル相手の銀行待合室雑誌が生まれた。
そういう状況を是正するために、階層と社会��シャッフルとして抽選は良いかも知れない。それって社会主義だろう? もちろん、それをしばらく続けると、また社会は停滞するわけです。輝きを失い、医者のなり手も激減する。そうしたらまた自由放任、強者総取りの社会に戻す。社会主義を30年くらい続けて停滞感が出て来たら、次の30年は自由放任、そしてまた社会主義に戻すと……。
これを読んでいる貴方は、勝ち組の自覚はなくとも、それなりの人生を送ることが出来た。人並みに所帯を持ち、子供も社会に送り出した。地方公務員として、ほんとにどうしようもない連中の面倒を見て、精神を病む寸前まで彼らの相手をして立派に職を終えた。国家公務員として、生き延びた上場企業のサラリーを横目に、胸を張り国民のために尽くした。
でも、この世界に輝くニッポンで、もうそうではない時代が来ている。勝ち組しか公務員になれない。公務員になることが勝ち組で、一国の総理大臣が、仕事が無いなら、とりあえず介護の最前線(徴兵)に飛び込め、という時代が来ている。6人に一人の子供が、まともな食事も取れなくなったこの貧しい国を再構築するために、社会をシャッフルできる仕組みを考えましょう。私が欲しているのは、もちろん常に、レジーム・チェンジではありますが。
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〈お元気ですか?今日は、何の日・〉 https://sunnyhomewor.thebase.in/ →よろしく! おはようございます。 「オリジナリティが その人の存在価値」 晴れ時々曇り、最高気温9℃の 予報です。 2007年の今日は、俳優ミュージシャンの 故 植木等さんの命日です。没80歳 高度経済成長時代の昭和を代表した コメディアンです。 ニッポン無責任シリーズなどの 当時の映画は、大好物です。 当時の街並みや生活用品、車、 ファション等など 総天然色で 見れる楽しみ。 決してやりたいキャラクターで なかった無責任男。 どれだけ当時のニッポンを 明るくした事でしょう。 昭和の大スターたちは、偉大です! If were the last day of my life, I want to do what I am about to do today? 今日もいろいろ頑張ります。 よろしくお願い申し上げます。 http://www.sunny-deli-secco.com/ #ドライりんご #ドライアップル #乾きリンゴ #driedapple #granola #driedfruits #小樽市 #otaru #小樽よいとこ #北海道 (Sunny home works CO.,LTD.) https://www.instagram.com/p/CM5ZKnbhHph/?igshid=1485ommn2o1oi
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