#ソウル散歩
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https://music.apple.com/jp/album/%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB/1755083662?i=1755083673
Monday,Jul29,2024
一年半ぶりに福岡に帰る日だ。昨日の夜に久しぶりにしたパッキングはすぐに終わった。慣れている、夏の衣服は薄いからかさばらなくて楽だ。予定してた時間より二時間くらいはやく起きてコーヒー淹れて、野菜を冷蔵庫に残さないようにサラダにして食べる。片想いの新譜を聴いていなかった。「田園都市ソウル」、下北の440でも三月のWWWでも見た好きな曲。音源になっていて嬉しい、夏のアジアの音。一週間家を空けるのはあまりない。色んなコンセントを抜いて、20時間ある今年のプレイリストをダウンロー��して、換気扇を消して出た。シャッター、閉めてくればよかっただろうか。
山手線に乗りたくないから、中井まで行って大江戸線とモノレールの乗り継ぎ。モノレールで隣に座った男の子と、窓の外の港区の景色をぼうっと眺める。変な街。飛行機に乗るのもなんかあまりない。羽田から福岡空港にはすぐに着いた。隣の家族はずっと寝てた、寝てる窓際の人の代わりに外の景色を見てあげたかった。関東から九州ってこんなに早く着いてしまっていいものだっけ?すこし拍子抜け。福岡空港を歩きながら、高校の修学旅行でみんなで空港に集まって北海道に行ったことを思い出した。みんな元気にしてるかな?
地下鉄空港線で中洲川端。福岡の地下鉄のマークひとつひとつはかわいい。稲吉さんともこの前話した(稲吉さんは祇園のマークが好き)。行きたかった店は並びすぎててすぐに諦めた、炎天下の中でスーツケースを引いて近くの喫茶店に入る。コーヒーしかないお店。かわいいおじいちゃんに「旅行ですか?」と聞かれて、「帰ってきました」と答えた(逆でしたね、と言われて二人で笑う)。帰ってきました、と自分の声で発音してから帰ってきたことに気づいた。またスーツケース引いて天神の地下街を歩く。福岡って意外と都会だな。
天神から電車で20分くらいで最寄りに着く。相変わらず実家の前にある私立高校の学生しかいない。駅前の畑はなくなっていて、たくさんのトラクターが止まっていた。インターホンも押さずに鍵を開けて実家の扉を開けたら、親は拍子抜けしてた。冷やしぜんざいに白玉を入れたやつを出してくれて、冷たいお茶と食べた。実家は相変わらず清潔なにおいがする。五年前とほぼ何も変わらない自分の部屋で、見たことがない自分の小さい頃の写真を見た。若い姉と両親がいた、写真の中の自分はよくわからなかった。ここまで来たことの証拠だった、不思議だった。
夕方は地元の温泉街(わたしの中の星野源の「季節」の景色)でごはんたべて、温泉入った。ひとりで暗い道を散歩して、コンビニでスコール買って飲みながら帰った。
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https://music.apple.com/jp/album/summer-we-know/1740508536?i=1740508646
Tuesday,Jul30,2024
朝起きるサイクルができてきつつある。起きてパン食べてコーヒー飲んで、近所の散歩。ありえないくらい蝉が鳴いている。近所の大きな公園への行き方を忘れていた、住宅街の同じ場所を何度もぐるぐるする。平日の朝なのに人と全くすれ違わない。高台から見える実家のマンションは巨大で異様だった。昔はこの場所から見えるこのマンションがなんとなく怖かった。
汗だくで帰って車乗る。柳川に行く。うなぎのせいろ蒸しおいしかった。なんか穏やかすぎて、また今の生活のこと全部忘れそう。柳川は異様に暑すぎる。暑すぎて、ほぼ記憶がない。昔のお金持ちの人の家を見学して、開け放されたでっかい和室の縁側で寝た。父親も寝てた。
熊本の滝に行く。後部座席でいつの間にか寝てた。久しぶりに子どもだ、子どもをやった(自分がシャッフルで流してたテレビ大陸音頭に異常を感じて起きた)。両親におニャン子クラブの岩井さん(ゆうゆ)を布教した。温泉も入った。パワフルなおばあちゃんたちの熊本の言葉が飛び交う脱衣所で、わたしは完全によそ者として存在していた。「ここ涼しいなあ���!」と勢いよく入ってくる地元の顔なじみだろう少年、輝いてた。なんかうらやましかった。
帰りの車では、19:30を過ぎても明るい外の景色に驚いた。あとは久しぶりに見た広大な段々畑、サマーウォーズの屋敷みたいな家が立ち並ぶ景色。こういう景色を知っている、東京のみんなは本当に知らないのかな。こういう場所で住むってどういうことなんだろうと思っていたらまた寝てた。ラーメン食べて、中学校から知っている友だちと少しだけ散歩する。父親がたまに二人だけの時連れて行ってくれた、汚くて暑い中華料理屋はまだあった。変わってないよ、と言われることには安心する。自分でも、変わったけど変わってないと思う(というかもうあまり地元にいた時の自分のことが思い出せない)。友だちはもう四年も会っていなかったのに、「那珂川の温泉がよかったから連れていこうと思ってた」「(わたしの)日記も読んでる、小説読んでるみたいでたのしい」と言っていて、そんなことあるのかと思った。友だちはなんにもない商店街にひとりで住んでる。自転車で20分の、大きいショッピングモールの近くで働いているらしい。友だちは「わたしは平坦でもいいから同じ場所で平穏に暮らしてたい」みたいなこと言っていた。わたしは正直全然わからなかったけど、別にもうそういうのは悲しくなかった。もうこういう場所では暮らせないんだろうなと思いながらも、ニュートラルに移動できていたい(どこにいても自分を見失いたくはないな)と思った日。
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https://music.apple.com/jp/album/i-want-you/1537148471?i=1537148482
Wednesday,Jul31,2024
もうあんまり寝てないけどなんかフル回転で動ける。朝は父親が走りから帰ってきたらコーヒーを淹れてくれる。ロールケーキ食べた。居間で化粧して、日傘を掴んでひとりで中洲川端に向かう。福岡の電車は空いている、地下鉄の一日乗車券を買った。高校の頃はまったく乗れなかった地下鉄が簡単で仕方がない。東京で暮らすと大体どこでも移動できるようになると思う。
一日目に諦めた鈴懸本店で30分くらい待ってランチ食べられた。待ってる間に二日分の日記を書いた、ベビーカーで泣いていた子どもと見つめ合う。アジア美術館に行った。東京で逃したエルマー展、福岡の地下鉄の広告で見てちょうど開催されてたから行こうと思ってた。本当に人が少なくてよかった。ぬいぐるみを抱いて自宅の庭で写真撮影しているルース・スタイルス・ガネット、素敵だ。ああなりたい。エルマーの冒険した島々の地図が描かれた薄いハンカチを買った。東京の家���帰ったら壁に飾る。
また地下鉄に乗って箱崎。誰もいない筥崎宮を歩く。暑すぎて鳩が水浴びしてた。暑い、と何度も独りごと言いながらブックスキューブリックに行く。いい本屋、(タトゥーを入れるにあたって知っておく必要があると思ったから)ディック・ブルーナの本、茨木のり子詩集、和田誠と平野レミの旅行記を買った。旅行してる時に他人の旅行記読みたい。ナガタパンに寄って、夜に会う友だち家族へのパンをお土産で買う。昔その友だちと、いつか一緒に行けたらいいねと言ってたお店。福岡の地下鉄沿線に住むのってすごくちょうどいいかもしれない。
天神で乗り換えたからついでに大名も見てきた。10代のわたしたちがなぜか足繁く通った、何にもない遊び場。高校の時にかなり高かった記憶のある古着屋に訪れたら、店員のお姉さんに捕まって、東京の古着屋と福岡の古着屋の違いを力説される。途中めんどくさくなって逃げた、しかもやっぱり社会人になって訪れても、東京より全然高かったし。
地下鉄乗って赤坂。前に高校の友だちが教えてくれた喫茶店に行ったらピンポイントで昼休みだった。大人しく地下鉄の椅子に座って一旦休み、開店したお店に行く。すごくいい場所だった。冷たい飲み物を頼んだはずがアツアツのものが出てきたけど。マスターの荘厳なおじいちゃんはパイプを吸いながら「男はつらいよ」を見てて、かなり九州のイケてる老人だと思った。カウンターでさっき買った本読んだ。ブルーナ、素敵な人。
ひと駅も歩けずに電車で大濠公園。ちょくちょく休みながらだらだら歩いてたら一周してた。本当にいい公園。あんまり人がいなくて、気を抜いていても全然大丈夫。井の頭公園も大好きだけど、公園って本来こういうものなのかも。ひとりで福岡を遊び、目が覚めるような気分だった。福岡にいた10代までの自分は、どこに行くにも人の目が気になってうまく街を歩けなかったのに。ここ五年間でだいぶ、かなり自由になったと思う。歳を重ねていいことは、よくも悪くもどんどん図々しくなっていくことだと思う。これからだってどんどん自由になりたい。
赤坂でいちばん長い付き合いの友だちと合流する。2022年〜2023年にかけての一日を一緒に過ごしたっきり会ってなかった(連絡も、別に取ってない)。誰とも久しぶりな感じがしない。取り立てて昔の話も別にあんまりしない。連れて行ってくれたお店、居心地がよかった。博多から帰った。博多駅はいつまでもラーメンとクロワッサンのにおい。生ぬるい風を浴びた。コンビニで友だちがアイスを買ってくれて、話しながらわたしの家まで帰った。中学生の時なんであんなに一緒にいたのか、何を話していたのか、わたしたちは二人とも何も思い出せなかった。最近のこともあんまり知らないし、何を考えてるのかもあんまり知らない。だけどなんかこれからもたまに会っている気がする。友だちが車から手を振ってくれて別れた。だいじな友だち。
なんかあっという間の福岡だった。東京でのこともちょっと遠くなった、楽だったな(関東は豪雨だったみたいだけど、わたしはなんの関係もない気持ちだった。距離はやっぱり自然に無関心を生むんだよね)。ただぼんやりしたり、歩いたり寝たり食べたりしてた。実家のベランダからの夕暮れを見忘れた、また行く。
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご���屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に��込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番ら��い。個人的にはデジクッパより好みだった。
(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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Special TY in Bangkok 2023 October
ペンミの話は別スロットに書く(予定は未定)
コロナ後3回目のバンコクへ行って来た。メインはテギョンのファンミーティング。マイレージだったからなんとか予約出来た2日も前の木曜にバンコク入り。超早朝着であっという間にイミグレ出れた。空港で両替屋が開くのを待ち、エリアリンクの始発5時15分位ので市街地へ。車窓に広がるバンコクの街がだんだん目覚めて行く。今回は久しぶりにシーロムに泊まる。シーロムはHouse Partyのプレスコンファレンスが行われた、今は無いDusit Tani ホテルがあった所。ニックンのウギョルの撮影も行われた由緒あるホテルがあった地区。今は建て替え中。
予約したのは繁華街のタニヤ通りから程近いホステル。アーリーチェックインを前もって頼んでおいたら快諾。ところが行ってみたら誰もいなくて、オートロックで入れない。仕方なくホステルの前のベンチで待つこと30分。チェックアウトのタイ人男女グループが出てきたので、その隙にちゃっかり中に入り込んだ私は泥棒か?エアコンが効いたロビーで充電しながら待ってるとようやく従業員がやってきた。今日から宿泊予定で、アーリーチェックインを頼んである、と伝えるが、全く英語はダメらしく、スマホの翻訳機を示された。なんとか交渉し、掃除する彼女を待ち、8時には部屋に入れた。部屋はこんな感じ。清潔だし広さ十分。これで4泊で2万円切る。
到着日のランチはタイのハレスとシーロム近くで約束してたから、それまで部屋でまったり過ごす。
ランチはやっぱりタイ料理。4ヶ月ぶりの現地タイ料理が安くてなんと美味しいこと。そこでテギョンが今夜来ると情報ゲット。一旦彼女と別れ、また夜に空港で落ち合うことにする。
空港では懐かしい面々に再会。お迎えはKhunチームとテギョンチームで何故か左右に分かれる。別に両チーム仲がいいのに(笑)お迎えも見送りもコンバインした動画がこちら。日本人は私しかいなかったかも〜
帰りは明日も遠出に連れてってくれるタイペンチングがホステル近くまで送ってくれる。
金曜はタイは祝日。3連休の週末はバンコクから脱出する人が多いらしく、道が空いているからと(確かに渋滞もなくスイスイ。おまけに祝日は高速料金無料らしい)、郊外のミシュランレストランでランチ。そのお店がこちら。
外装も内装もお味も全て合格のレストラン。過去にミシュラン⭐️を5回も獲得してるだけあり、珍しい美味しい料理を堪能しました。ここは味を守るためか、あまり支店は多くなく、本店はチェンマイのニマンヘミンにあるらしい。ニマンヘミンと言えばKhunJun.K ハネムーンカップルがカフェを訪れた通り。チェンマイにはまたゆっくり行きたい。
ランチ後はここから車で15分ほどの、ニューヨークへ(笑)ニックンがFinding The Rainbow 🌈 を撮影したニューヨークのカフェがバンコク郊外にあったとは😂確かに雰囲気はニューヨークだった🇺🇸クルー総勢でのクランクアップの写真もこの前で撮影したのは間違いなさそう。
https://davincafethailand.com/
翌日土曜日はいよいよテギョンFM。これまたホステルまで、別のKhunペンが迎えに来てくれる。ペンミ会場はリノベ中で店がほとんど空いてないからと、行く道すがら、クイッティオ屋(麺屋)さんで腹ごしらえ。
皆んな最初から2杯ずつオーダーしてたけど、食べきれるのかわからなかった私はとりあえず汁なしを1杯だけ注文。細いの太いの平たいのと麺の種類も選ぶのがタイスタイル。これが美味しいのなんの😋タイチングがテーブルにあったドライ魚を千切って入れてくれたのも美味だった。ペロッと平らげ、結局私も2杯目に。2品目はスコータイ風餃子スープにする。私が注文したら、それKhunママの得意料理よ、と言われた。私には作れないw
途中、私のお気に入りのタイのお菓子屋さんにも立ち寄ってくれた。
会場は結構遠かった。地図見てどっかの駅から歩いて行けるかなと思った私は浅はか。交通の便が悪く、噂通り廃墟のような(←タイ人も言ってるw)ショッピングモール。帰りはまた車で送ってくれたタイチングと打ち上げ。おこわご飯とコーンソムタムを早くもこの旅で2回目食べる私。
日曜はこれまたちょっと郊外の駅で待ち合わせ。ニックンとベクホが撮影したレストランに車で連れてってもらう。ランチタイムは家族連れで大盛況。なんとか窓側席を確保し、ニックンが注文した料理をいくつか注文する。ニックンは注文してないけど、私が大好きな白身魚の丸ごとディープフライปลาย่างราดพริกにもようやくありつけた。これが日本じゃなかなか食べれないんだよな。
ご飯の後はスーパーでラムヤイやらソムタム用ココナッツ砂糖、カバオソースやら例によって買い込む。ラムヤイはどうしても食べたくて、もっと少ないロットの袋を作ってくれるよう、友達がスーパーの店員さんに頼んでくれたら、店内一周してる間に用意してくれてた。なお今回一番買いたかったのはソムタム用スライサー。帰国してさっそく使ったけど、大根サラダにも使える👍
その後、仏教公園までドライブ。ここはワットではなく、公園。日曜とあり、近所の家族がハンモック張ったり、ピクニックしたり、散歩してたり思い思い楽しんでた。
立派な仏陀像があり、僧侶の会合とか開かれるホールも敷地内にある。広々としてて緑がいっぱいで実に気持ちがいい。タイの国土の広さを実感。あまりの広さにここで運転の練習する人がいるらしく、「ドライブ練習禁止」って看板が出てた(笑)
彼女に駅まで送ってもらいBTSでシーロムに戻り、ネイル屋さんに直行。実は朝も立ち寄ったけど、日曜朝は激混みだった。夕方のこの時間は空いてた。イケメンのお兄さんに、1日歩き回った(ほとんど車内だったとは言え)汚い足を洗ってもらってごめんね🙏マニュキアとセットなら50バーツ追加の550バーツで済むよ、と言われたけど、ペディキュアのみでお願いする。眼下でずっとイケメンのお兄さんが施術してるから、スマホばっか見てた私😅
無事ペディキュアを���え、ホステルでひと休みした後、夜はまたテギョンお見送りに空港へ。4泊5日で3回も空港往復する筋金入りハレスは私です。またも日本人は私だけだったかも。深追いはタイハレスに任せて、私は軽く済ませる(笑)帰りはすっかり深夜。また車で送ってもらう。空港の駐車場に行くと、彼女の車が出れない場所に別の車が停めてある。タイあるある。そこで始まりました。噂には聞いてたけど、実際見るのは初めての車人力押し。私は傍観者で🙏4人で押しのけ、無事車を出せました。5人乗りに6人乗って、途中、ハイウェイで土砂降りの大雨に雷。めちゃスリリングなドライブだった😆
翌月曜日はいよいよ帰国。当初は朝便に乗る予定だったけど、夜便が空いたのを見てすかさず変更。マイレージだから出来る技。今回シーロムに泊まることにしたのは、To Do Listミッションクリアのため。それはニックンが撮影で走ったルンピニー公園ジョギング。ルンピニー自体は行ったことあるけど、一度は走らなきゃ!が、ちょい寝坊し、既に暑くなりかけ。なんとか軽く一周駆け抜けた。軽くなのに汗びっしょり。テギョンタオルが役に立った💚
最終日、私にはもう1人会わなきゃいけない10年来の大事なチングがいる。有名大学を休学し、アイドル修行をソウルで頑張ったFちゃん。その夢をタイに帰国して叶えた。今はグループ解散しちゃったけど、たまにYouTubeアップしたり、元メンバーをサポートしたりしてる。透き通る歌声。もったいないから、これからもやめないで活動してね。その彼女、タ��語、韓国語、英語はもちろんのこと、日本語まで話せる。日本語の歌もご覧の通り。
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彼女が探してくれた洒落たタイ料理屋さんで美味しいランチを食べた後、2人でマッサージ屋さんへ向かう。彼女はタイ式、私はオイルマッサージを予約してもらってた。たっぷり2時間。オイルマッサージなのに、なんかガッツリ揉まれた😆SASUGAタイマッサージ!
と、完璧な帰国日のスケジュールを終え、最後は空港まで車で送ってくれた。出会った時は高校生だったのに、すっかり素敵な大人の女性になり、私も感無量。今回はママにお会い出来なかったのが残念でしたが、また会いにタイに来ます!
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TWICEのMOMOにインタビュー
10年後、どんな自分でいたい?
01 Dec 2024
しなやかなダンスとチャーミングな人柄で世界中を虜にしているTWICEのMOMO。 2025年にはデビュー10周年を迎える彼女が、常に新しいことに挑戦したいと思う原動���は?
ソウル市内のスタジオに、愛犬ブーを伴って現れたMOMO。〈ミュウミュウ〉の日本アンバサダーを務める彼女だが、聞けば以前から同ブランドのファンでもあるそう。よく見ればブーの首元に輝くのは、〈ミュウミュウ〉のロゴが刻印された首輪。毎日の散歩にも必ず身につけているほどお気に入りなんだとか。
「私にとって〈ミュウミュウ〉はクールでシック、モダンなイメージだけれど、着る人によって印象が違って見えるところが魅力ですね。さらりとシンプルに着こなす人もいれば、ふんわりやわらかいコーディネートを好む人もいて。逆に、何をどう着るかでその人自身の見え方も変えてくれる。〈ミュウミュウ〉にはそんな力があると思います」
──今回の撮影で着用した衣装はMOMOさん自身が新作ホリデーコレクションよりセレクトした、「ミュウミュウ セレクト コレクション」ですが、これらのルックを選んだ理由は?
「私が好きなネイビーに、ホリデーを意識した緑と赤を組み合わせて、全体的にクラシカルにまとめてみました。もこもこのニット帽は見た瞬間にときめいて、実際にかぶってみたら想像以上に可愛かったです!ニット素材のジャケットとセーターに重ねたネイビーのポロシャツが一番しっくりきました。身につける前からきっと似合うだろうなと思っていたんですけど、着てみたら私の顔色をより綺麗に引き立ててくれて、もっと好きになりました」
みんなの喜ぶ顔が見たくて メンバーにパジャマをプレゼント!
──撮影では、さまざまなルックを素敵に着こなしていましたが、普段はどんなファッションを選ぶことが多いですか?
「ステージではピッタリした衣装を身につけることが多いので、仕事の行き帰りはオーバーサイズの服を選びます。ラクだし、終わった後の開放感が味わえるから(笑)。最近は、今日私服で着てきた〈ミュウミュウ〉のボーダーTシャツにハマっていてよく手に取りますね。プライベートで出かける時は場所と雰囲気に合わせてコーディネートを考えます。例えば先日、家族でタイに行った時は南国っぽさを意識しつつ、リラックスした服をたくさん持っていきました。私のクローゼットの中は本当にジャンルレスですよ。パンツスタイルからワンピース、ボーイッシュなものまでそろっていて。お店を覗く時はメンズも欠かさずチェックします」
──大人になるにつれて、服の好みやスタイルは変わりましたか?
「ネイビーをはじめ青��の色と黒は昔から好きでしたが、少し前からバーガンディーが気になりだして、去年は〈ミュウミュウ〉のジャケットを一着購入しました。それに合わせてネイルも同じ色にしてみたり……。最近、金髪にしたのですが、黒の服を合わせると印象が強くなりすぎてしまうので、あえて白など明るい色を選ぶようになりました。年齢もそうですが、髪色などヘアスタイルによって似合うものはこんなにも変わるんだ、ということを実感しています」
──最近、お買い物したものは?
「〈ミュウミ��ウ〉のハイネックのジップアップ!グレーのもこもこ素材(ウール)で、オーバーサイズなジャケットなのですが、欲しくなって買ってしまいました」
──TWICEのメンバーと一緒に、買い物に出かけることはありますか?
「ワールドツアーで海外に行くと、SANAちゃんやNAYEONちゃんとショッピングによく出かけます。メンバーとはセレクトショップを訪れることが多いです。みんな好みがバラバラだから、お店に入った瞬間、別行動になるけど(笑)。でも気に入ったアイテムを見つけたら似合うかどうかメンバーに聞いてみたり、逆に好きそうなものを見つけたら教えてあげたりもします。3人で買い物した後、火鍋を食べに行くのがお決まりのコース。今年訪れたラスベガスは、街全体が遊園地みたいで、歩いているだけで楽しかったです」
──メンバーにホリデーギフトをあげたことはありますか?
「たまたまよさそうなパジャマを見つけて、全員でそろえたら可愛いだろうなと思ってみんなに贈ったことがあります。その時は箱も手作りしたんですよ。顔写真やシールを貼ったボックスにセットアップのパジャマを入れて。みんな、いまだに箱ごと大事にしてくれているみたいです。私はショッピングをする時、デザインや色違いもそろえたいタイプ。でも全てを着ることはできないから、そういう時はメンバーに代わりに着てもらうんです(笑)。そんな感じで、普段から思いついたら、家族やメンバーにプレゼントしていますね。みんなの喜ぶ顔を見るのがうれしいんです」
──最近、ハマっているものはありますか?
TWICEの存在がいつまでも たくさんの人々の心に残りますように……
MOMOさんが所属するTWICEは、来年デビュー10周年を迎える。それだけ長く活動してきた中で、彼女自身に訪れた変化について尋ねてみた。
──デビューから今までTWICEとして活動してきた中で、一番の原動力はなんですか?
「それはやっぱりこのメンバーがいてくれたからだと思います。メンバーとは家族みたいに何でも相談できる仲ですし、この9人だったからこそ今のTWICEがあると確信しています。そして私たちがいつも新しいことに挑戦し続けてこられたのは私たちのファン、ONCEのみなさんのおかげです。みなさんがいるから毎回よりよいものを届けたいと考えるし、期待に応えたいとも思う。だから次はどんな新しいことをしようかと考えてワクワクするんです」
──TWICEとして活動してきたこの9年の間に、MOMOさん自身が一番変わったと感じる部分はなんですか?
「自分の意見をはっきり言えるようになったことですね。以前の私は、自分の考えを表明するのが苦手だったんです。でも他のメンバーたちは会社の提案に対しても違うと思ったことには違うと言うし、自分を出すのを恐れない。これってすごく大事なことなんですよね。私もメンバーのそういうところを見習って、この9年で徐々にできるようになりました。それに、自分の意見を言うようになったら、みんなちゃんと私のことを受け止めてくれるんだということがわかったんです。そういう環境に感謝していて、それ以降、より自分らしさを出せるようになった気がします」
──どんな作品にMOMOさんの意見が反映されていますか?
「MISAMOの2ndアルバムのジャケットで3人そろいの髪型にしているのも私たちの意見ですし、衣装も私がいろんな資料を集めて事務所に提案したんです。3人の衣装を00年代、10年代、20年代というふうに分けたら、その時代ごとの雰囲気が出て面白いのではと。実は、昨日もツアーの打ち合わせをしていて、ステージの演出をどうするか話し合いました」
──ブロンドのボブヘアもお似合いです。
「ここしばらく黒髪だったので、年内に金髪にしたかったんですよ。それでMISAMOのティーザー撮影のタイミングでひとまず色を抜いて、長い髪をくるんと巻いてショート風にしてみたんです。意外に好評ではあったんですが、その時は切ろうとまでは思っていなかったんですよね。なのにミュージックビデオ撮影の3日目に急にバッサリいきたくなって、スペインのホテルでヘアメイクさんにお願いして、ほとんどノリで切ってもらったという(笑)。ずっと黒髪だったから、せっかく変えるなら思いっきりやりたかったし、いい気分転換になりましたね」
──今年はTWICEとして日本でスタジアムツアーも実現しました。大きな目標を成し遂げた今、次のステップはなんですか?
「スタジアムのステージに立つのは私たち9人にとっても大きな夢だったので叶え���ことができて幸せでしたし、コンサート中は感動しっぱなしでした。ここまでがんばってきてよかったなと思えたツアーでしたね。次はMISAMOのツアーを成功させることが当面の目標です。私たち3人でのコンサートはこれが初めてなので、まずはMISAMOらしいステージをお届けしたいという気持ちでいっぱいです。たぶんセットリストの半分くらいはみなさんが初めて聴く曲になると思います。その分、準備も大変ですし、正直に言うと心配でもありますが、初めてだからこそステージを観た時のみなさんの反応も楽しみなんですよね」
──韓国をはじめ日本など多くの国々で大きなステージに立ちグローバルに活躍しているMOMOさん。夢を叶える秘訣はなんですか?
「私は子どもの頃からアーティストになりたい、人前に立ちたいと思い続けてきました。本当に幼い時からそれだけを願ってきたし、挫けそうになることも数え切れないくらいあったけど、それでもとにかく思い続けてきました。夢を叶えた今になって感じるのは、自分が望んだことを願い続けて行動したら、いつかは絶対に叶うということ。だから、まずは自分がやりたいことを見つけてください」
──MISAMOで安室奈美恵さんの「NEW LOOK」をカバーしました。安室さんのファンであることを公言しているMOMOさんとしては感慨深かったのでは?
「私は安室奈美恵さんに憧れてアーティストを目指すようになったんですよ。安室さんのコンサートを観に行っていましたし、今も大好きです。だからこそプレッシャーはとても大きくて……。安室さんの素晴らしさは身にしみて知っているし、こんなに素敵な曲を私たちが台無しにするわけにはいかないから。でも、私たちなりの『NEW LOOK』をお見せしたいという気持ちでカバーさせていただきました」
──10年後、どんな自分でいたいですか?
「その頃、何がどうなっているかわからないから具体的に考えたことはないんですけど……。ただ、TWICE全員が幸せであってほしいですね。正直に言うと、今まで大変だったことも辛かったこともたくさん経験してきました。いろんなことを乗り越えてきた私たちだから、10年後にはみんながやりたいことをやっていてほしいし、自分もそうなっていたいです。アーティストとしての未来は本当に想像がつかないというか……。(じっくり考えてから)ただ、今の私たちを多くの人たちがずっと心の中に留めておいてくれたらうれしいです。TWICEの曲を聴いたらその当時のことが浮かぶような、この時代を思い出せるきっかけになったらいいなと。最近、TWICEが日本の教科書に載ったという話を聞いて驚いたんですよ。ファンの方が『今日、学校の教科書にTWICEが出てきた』って教えてくれたんです。それがすごくうれしくて!私たちが歴史に残る存在になったら、こんなに幸せなことはありませんし、そうなることを心から願っています」
🗣️
MOMO
モモ>> 1996年11月9日生まれ。京都府出身。2015年にTWICEとしてデビュー。日本人メンバーで結成したユニット、MISAMOとして2024年11月に2ndミニ���ルバム『HAUTE COUTURE』をリリース、日本での単独ドーム公演も決定している。
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予想通りユン・ソンニョルの拘束令状が発行された。即時といってよいスピードで。極右以外の韓国の全ての勢力がユン・ソンニョルを見限った事を示している。それに反発した極右達がソウル西部地裁で暴動を起こし、警察に鎮圧された。まるで内戦だ。 けっこう若い連中が多いが、「新天地教会」などのカルトや「新男性連帯」などの極右団体のメンバーだろう。金目当ての教祖やユーチューバーに扇動された連中は、これだけの事をしでかした代価を今後の人生で支払うはめになる。 韓国人「大変なことになった。こんなことでは法治と社会秩序が崩壊する。厳罰が必要だ」 日本人「そうそう。従北勢力の野党の陰謀で、もう韓国は法治国家じゃなくなった」 韓国人「えっ?」 日本人「えっ?」 関連ポスト:暴動を扇動している韓国の極右https://x.com/nageune31/status/1733320597286031442
ユン・ソンニョルのニュース、動きがあるたびにヤフーのトップに上がるのを見ると、日本で関心が高いことは高いんだな。普通の日本人、今まで韓国の政治になんか全く興味なかったのに。しかし国力寄りの偏向報道なのはまあ予想通りだけど、そもそも情報の精度と分析力自体が低い。各紙各局、本当に韓国に特派員がいるの? ユン・ソンニョルの拘束令状なんかほぼ100パーセント発行されるに決まってるだろうに。ユンも弁護団も内心、���劾罷免されて内乱罪と外患誘致罪で終身刑がもはや決定済みなのは覚悟してるって。 憲法裁判所の裁判官に数名保守傾向の裁判官がいるのも、大勢にはもう影響がない。戒厳令宣布時、軍に下命した「逮捕(殺害)者名簿」にイ・ジェミョンの無罪判決を出した裁判官を含めていたことがバレて、司法界全体を敵に回したからだ。下手したら死刑だ。 ユンの唯一の希望は数年後の恩赦だ。 ここからは私の個人的予測だが、ユンに恩赦は出ないだろう。民主党がわざわざ今回の事件には恩赦が出せないようにする法案を発議したし、事件の重大性から考えて民主党の大統領が内乱罪罪人のユンに恩赦を出したら政治的自殺だ。キム・デジュンがチョン・ドゥファンに、ムン・ジェインがパク・クネに恩赦を出した時とは状況が違う。 かといって国民の力党が再び大統領を出すことは永遠にない。極右が結集して支持率がちょっと上がっても、来週以降にミョン・テギュンゲートが本格的に開かれるから重鎮議員達はほぼ全員壊滅。 次の民主党政権下で極右の地域政党に転落、もしくは内乱の共謀で統合進歩党のように強制解散される運命だろう。
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2024/12/12 7:00:18現在のニュース
関西から瀬戸内周遊、100年前に端緒 大阪万博で再脚光 掘り下げ!関西白書 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:55:03) 目の寿命を左右する「10の危険なサイン」 放置は危険 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 「寅さん」山田洋次監督の評伝 クロード・ルブランさん フォーカス - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 温水洗浄便座、経年劣化で事故リスク 発火の恐れも - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) ソウル、観光客減少に焦り 市長が「安全」呼びかけ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 東京・佃の「鰹塚」 魚河岸で栄えた歴史を象徴 気になるスポット - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 香川の日本酒「川鶴」 革新と伝統で時代と歩む 酒紀行 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 長野県商工会議所連合会、女性が働きやすい職場作り提言 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 長野県企業の景況感、2期ぶりにマイナス 10〜12月期 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 景況感、2期連続プラス 関東財務局 1都9県の10〜12月 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 長野・鹿島槍スキー場、ポケモンスリープとコラボ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) マルコメ、米糀の「植物性ミルク」で業務用 ラテアートも - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/12 6:48:29) 「人生は負けても次があるリーグ戦、野球だって」 指導者が集う理念(朝日新聞, 2024/12/12 6:44:12) アイスランド、捕鯨反対の新政権になる前に「駆け込み」で捕獲を許可(毎日新聞, 2024/12/12 6:37:56) 衆院選大敗の首相、「辞任の必要ない」が多い理由 毎日新聞世論調査(毎日新聞, 2024/12/12 6:37:56) 国民民主、補正賛成も178万実現は不透明 「自公が顔立てた」声も | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/12/12 6:30:34) ドイツ首相、信任投票を要請 否決見通し、2月解散総選挙 ��立政権が崩壊([B!]産経新聞, 2024/12/12 6:30:23)
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日本旅行6目日
今日は日本旅行の最後の日であった。昨日がとても大変であったので、シャワーをしないし早く寝た。なので、今日は7時ぐらい起きて暖かい水で体を温めた。友達が起きを少し待って、私達は朝食を食べに行った。朝食はホテルが提供したんだけど、メニューが簡単であったので、少しだけ食べた。
私達は、原爆ドームという広島に有名な場所に行った。原爆ドームは、日本の痛い歴史がある場所なのに、思ったより近く所が綺麗だったから、散歩をやりが良かった。
日本での最後の散歩を終えるし、ホテルに帰った。私達は広島空港に行くバスに乗るために広島駅まで歩いた。荷物があったので、少し大変であったが、これが日本での最後の思い出と思えば、物足りない気がし��。
広島空港に到着した後、私達は昼ごはんを食べた。メニューはハンバグであった。価格は少し高かったけれど、思ったより美味しかったので、満足した。
ソウルに行く航空機を待ちながら、家族のためにプレゼントを買った。でも、広島空港が小さかったから簡単なお菓子を買った。航空機に乗りながら、特別な問題なし旅行が終わったと思いながら安心した。緊張が解けていてそうか、眠かった。約1時間を寝た後、仁川空港に到着した。家に帰るバスを待って友達と別れた。
今度の旅行は期待以上で、楽しかった。私達は今度の旅行を���初から計画したし、素晴らしく終えた。これから、日本語をもっと頑張って勉強して、日本旅行を楽しみたいのだ。
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プリント担当しています、川島小鳥さんの写真展が本日より開催されます。
冬の韓国の光と臼田さんと小鳥さんが作りだす柔らかな空気をぜひ感じていただければと思います💫
#Repost @kotori_kawashima
・・・
💙
臼田あさ美と川島小鳥によって韓国・ソウルを舞台に撮影された写真集「ソウルメイト」を発表します。ふたりのフォト・セッションは2023年12月/2024年1月/3月の3回にわたり、冬のソウルの澄んだ空気のもと行われました。
旅先で、いつもの日常から切り離された場所をあてどもなく歩くとき、私たちはそこに何を見てきたでしょうか。ターニングポイントともなりうる時期を目前にした臼田あさ美が抱える不安や期待、諦念や覚悟のようなものが、同じくキャリアの転換期を迎えつつある同志、写真家・川島小鳥の透徹な眼差しによって、柔らかく写しだされています。
ふたりが敬愛するシンガーソングライター・カネコアヤノによる散文とともに綴じられた一冊をぜひご覧ください。
【写真集】
著者:川島小鳥 臼田あさ美
寄稿:カネコアヤノ
装丁:米山菜津子
発行:YYY PRESS
仕様:並製 ホローバック、178頁
サイズ:W128mm × H190mm
価格:本体3000円+税
ISBN 978-4-908254-12-3 C0072
発売:10月下旬
【写真展】
2024年10月26日(土)ー11月24日(日)
水ー日|11:00 - 19:00 休み|月曜・火曜
GALLERY MoMo Ryogoku(両国)にて
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Trip to Bangkok, September 2024 - Day 3: YOLO Craft Beer Bar
After taking my time to look around Wat Pho, I realized it was already 6:00 p.m. I was hungry and hadn't had anything to drink yet today, so I headed to the craft beer shop I had been aiming for.
ワット・ポーをじっくり見回っていたら、気づけばもう18:00。お腹も空いたし、今日はまだ何も飲んでないし、ということで、狙っていたクラフトビール屋さんに向かいます。
👉🇹🇭 バンコク旅(#Bangkok2024September)はこちら
「ワット・ポーの周辺のトゥクトゥクは観光客向けのぼったくりが多いので乗らないで!」という注意を見て、ふふふ、私には強力なアプリがあるのでトゥクトゥクに乗れるのだ!と。いでよMuvMi!🛺❤️
ワット・ポーの入口の乗り場に配車をかけて、ビアバーの近くの「プラスメン要塞」の停車場まで移動します。思っていたよりも早く来てくれたので助かる〜!
大量のタクシーを横目に、トゥクトゥクで爆走!
ワット・ポーから目的地までは、車で6分、歩いて30分。まあまあな大通りも構わず爆速で参ります。(トゥクトゥクって、速度制限とか無いのかな...?って思うくらい速かった)
◾️YOLO Craft Beer Bar
📍140 Phra Sumen Rd, Khwaeng Chana Songkhram, Phra Nakhon, Bangkok 10200 タイ
前回バンコクに来た時から、無くなったビアバーもあれば、新しくできたビアバーもたくさん。どこに行こうか悩んでいた中、UNTAPPDでタイNo.1のブルワリーを調べて、それが飲まれているビアバーをチェックして、こちらへ。
残念ながら、狙っていたブルワリーのビールはなかったので、「タイのクラフトビールが飲みたぁい」とお店のおねえさんに相談したら、おすすめいただいたこちらをいただきます。
🍺 REVIVER: Pilsner - Czech, 5,4% / Brainfall Brewing
チェコピルス、なのに、かなりダンク!しっかりトロピカルです。 UNTAPPDには「Czech Pilsner」で登録されてるけど、ラベルには「Czech Premium Pale Lager」て書いてあるな。まあどちらにせよラガービールです。
UNTAPPDには「5.4%」で登録されてるけど、ラベルには「5.1%」って書いてあるぞ...?謎w
Brainfall Brewingは初めて聞いたブルワリーなのですが、創業から6年目のブルワリーらしい。(サイトはfacebookしかなかった)2018年スタートってことは、前回のバンコク旅のときにはもう出来ているはずなんだけど、知らなかったなあ。
お店のおにいさんに「どこから来たの?」と聞かれ、「日本だよ」と言ったら嬉しそうに「俺、日本のアニメまじ好きなんだよね、特にAKIRAと攻殻機動隊。」とテンション高。すまない、私はそこまで詳しくないのだ......ということで話を変えて、おにいさんの好きなビール飲みたいなということで、おすすめいただいたお次はこちら。
🍺5 STEPS HAZY IPA: New England IPA, 6% ABV/ Lollihops Brewing
シトラ・ネルソン・モトゥエカ・ギャラクシー・モザイクの5種類のホップを使ったHazy IPA。色も濁りも綺麗だし、ジューシーで美味しかったです。
まだもうちょっと楽しみたかったので、最後にこちら。
🍺 Berry Passion Fruit Sour: Fruited Sour SATO, 5.8% ABV / DEVANOM
サワービールっぽい見た目だったので、「これどこのブルワリーのサワービール?」と聞いたところ、これは「SATO」だとのこと。
SATO?
サト(Wikipediaより) サト(タイ語: สาโท、英: sato)は、タイのライスワイン(米を原料とした醸造酒)。ナム・カオ(タイ語: น้ำข้าว、nam khaao、namは水、khaaoは米)とも呼ばれる。同国東北部の農村で広く造られている。 原料となるもち米を洗い3 - 10時間ほど浸水させる。水を切って30 - 60分ほどかけて蒸し煮を行い、室温で放冷する。米飯をざるや網袋に入れて川や井戸の水で洗い、粘りを流す。米3kgに対して20gほどの比率でルクパンという餅麹の粉末を散布し、土器の壺に移す。 壺の口にバナナの葉や布で蓋をし、4 - 7日ほどかけて発酵させる。液化が進んだ段階で加水して、さらに数日発酵させる場合もある。丁寧に造れば失敗が少ないため、稲作の盛んなタイ東北部では広く飲まれている。
💡あたらしい おさけを おぼえた!!
おみやげ用にクラフトビールを買って帰ろうと思っていたのですが、さっき飲んだDEVANOMのCRAFT SATOがめちゃくちゃ美味しかったので、スタンダードな「CRAFT SATO」と、飲んでない方のフルーツ系「Citrusy Sato」を購入。
お店には日本のビールもいくつかありました。
伊勢角のねこにひき、Far Yeatsのとまちぇら、West Coast Brewingのビールも。とまちぇらでTHB275(=¥1,237)なので、めちゃくちゃ高いな...!!
雨がすごかったですが、満喫しました。
【2024年9月 バンコクの旅】 ・Day 1 └ 東京〜ソウル: air premia プレミアムエコノミー └ ソウル〜バンコク: air premia エコノミー └ แตงโม Watermelon └ <HOTEL> Hotel Ordinary Bangkok ・Day 2 └ Baiyoke Tower II └ ゴーアン カオマンガイ プラトゥーナム(ピンクのカオマンガイ) └ クワンヘン・ガイトーン・プラトゥナーム(緑のカオマンガイ) └ <HOTEL> Akara Hotel Bangkok └ Iron Balls Distillery & Bar └ Iron Balls - The Parlour └ Hair of the Dog Craft Beer and Gin Experience Phrom Phong ・Day 3 └ ワット・アルン(暁の寺) └ ワット・ポー(涅槃寺) └ YOLO Craft Beer Bar 👈THIS ・Shopping in Bangkok ・Day 4
+α バンコク旅行で便利なアプリ: MuvMi
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
初めまして、中谷研究室学部4年の碓氷です!
韓国千年村調査4日目(8月24日)
の動向をお知らせいたします、よろしくお願いします!
―――――――――――――――――――――――――――――――
7時半に起床したとき部屋はすでに明るく、早朝に新しく印刷した集落調査資料の補足版を、先輩方がホッチキスで留めている最中でした。
あわただしい朝。
すぐにチェックアウトを済ませられるようにスーツケースを持って、少し遅れて朝食に向かうと、ビュッフェ会場は多くの人でにぎわっていました。
スクランブルエッグ、 プルコギ、 キムチ …etc. 韓国のコーンフレークはやけにカラフル 中谷先生に、「朝は沢山飲みものをおなかに入れた方がいい」と言われたので、水とオレンジジュースとコーヒーとスープを飲むことにしました。飲みすぎて苦しい…。
今日も盛りだくさんな一日です。スケジュールは以下の通りです!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<8月24日のスケジュール>
9:30 扶蘇山城の見学 10:30 定林寺址の見学 11:00 嘉林郡集落の調査(郷校、官衙のある部分) 12:00 昼食は焼き魚とチヂミ、お肉の定食! 13:30 嘉林郡集落の調査(微高地集落のある部分) 15:00 弥勒寺および弥勒寺博物館の見学
~バス移動および地下鉄移動~
20:00 ホテルに到着 チェックイン! 21:00 夕食にサムギョプサルを食べました!(^^)! 0:00 明日に向けての作業 1:30 入浴、就寝
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9:30 扶蘇山城― 8時半にはバスに乗車し、扶蘇山へと向かいました。扶蘇山は昔々百済の都であった扶餘郡に位置する山城で、
大河と山に囲まれた背山臨水の地形を一望できる最高の景観
を持っています。展望台は、赤く塗られた柱と緑に彩られた梁や垂木の色鮮やかな建物です(図1)。
図1.扶餘山城の色鮮やかな展望台(撮影:2024/08/24 碓井颯)
梯子を昇り扶餘を俯瞰すると、霞がかった空気の中で錦江がゆったりと右手側に流れています。遠くには山々、近くには多くの建造物によって奥行きが生まれています(図2)。
図2.扶餘山城の展望台からの眺め(撮影:2024/08/24 碓井颯)
千年村の集落調査では、山間部や都心から離れた僻地を巡るイメージを持ってしまうことが多いですが、
都市もまた集落のように住みやすい処に展開されるのだな~と
ここに住もうと決める集落住民と景観の美的・合理的豊かさから都を決定する王の心境は本質的に同じだったのではないか。
今昔一貫する地理的条件を感受する普遍的な人類の立場に立てた気がして少し嬉しかったです!
扶餘山城址には同時に竪穴式住居の遺跡も残っており、資料館も見学することができました。日本の竪穴式住居より堀が深く、大きな柱径が特徴です(図3)。
図3.韓国の竪穴式住居(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
山城見学に同行していただいた富井先生にこの理由を解説していただいたところによると、
寒さが厳しい韓国ならではの土を利用した断熱機構
であるようで、空気中に熱が逃げることを防ぐため、内部空間をなるべく土に触れるように工夫したものだと言います。韓国住宅によく見られるオンドルは、当初かまどから発生する熱を利用した暖房器具であり、その端緒は竪穴式住居にも見られるようです。
10:30 定林寺址― バスで少し移動し10時半頃、定林寺址に到着しました。滞在時間が短く急がなければいけないということで、
「全体重をかけて」
見学すべく駐車場からスマホだけを持って足早に(図4)。
図4.定林寺の石塔(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
中谷先生から定林寺と法隆寺の比較についてお話を伺いました。そもそも定林寺は百済の聖王が仏教熱心であった所以完成した寺院であり、
その影響は飛鳥時代の日本に多く及んでいるのですが、
大きく異なるのはその伽藍配置です。
講堂を含む回廊によって、金堂と塔が一直線に貫かれている定林寺に対し、法隆寺では講堂を離し金堂と塔を並列しています。
この故が敷地の広さや環境に起因するものなのか、国ごとの考え方の違いによるかは難しいところですが、類似点と相違点という観点から比較できたのは良いことです…(図5-9)
図5.定林寺の平面図(出典:「韓国の建築」,金奉烈著, 学芸出版社, 111ページ)
図6.法隆寺の平面図(出典:同朋舎出版刊文化庁文化財保護研究会監修「図説 日本の史跡 第五巻」)
図7,8,9.定林寺の様子(撮影:2024/08/24 口石直道)
11:00 嘉林郡集落の調査― 昼からは、昼食をはさんで前後で嘉林郡と呼ばれる集落を巡りました。今回、調査班では二か所をピックアップしてめぐることにしました。
図10.嘉林郡の官衙の入り口を示す門(撮影:2024/08/24 安藤優花)
前半に訪問した場所は、
大きな郷校(科挙を受ける人々が通う学校)を持つ昔からの集落の中心地
と考えられます。郷校の存在を示す門を潜り抜けて集落に入っていきます(図10)。山の麓に位置する郷校付近では、細い路地を挟んで立派な邸宅が並んでいました。色鮮やかに葺かれた赤青の屋根スレートをあちらこちら横目に、ぐるぐると歩き回りました(図11)。
河川付近にも川を覆うようにスラブが敷かれ、RC造の住宅地が展開されていました。
川に臨むところには東屋が置かれ、なんとも快適で落ち着く場所でした~ 日本の夏にも似ていますが、やはり大きな違いは散見されるハングルです…!
図11.嘉林郡のくねくね道(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
後半は
広大な田んぼに囲まれた微高地集落です。
微高地(?)となるほどに丘は大きく盛り上がっていて、大小さまざまな住宅が余裕をもって配置されていました。
米もたくさん採れるから豊かな場所なんだろうと思いました。
上っていくと視界が開けました。
丘の頂上付近には、大きな樹が!
木の麓には椅子や無料で使える健康器具などが置かれ、集落民の憩いの場所となっているようです(図12)。この集落は錦江に囲まれてもいるのですが、錦江の堤防付近にも同様の樹と東屋があり、くつろいでいるおじいさん達に地域のお話を伺うことも出来ました。韓国の集落には気持ちの良いコミュニティスペースが集落単位でいくつも点在していて良いです!
図12.嘉林郡の大樹(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
12:00 弥勒寺― ��最後は弥勒寺を見学しました。弥勒寺では3つの回廊のセットが一つにまとめられた建物配置を持っています。それぞれの回廊が一つずつ、計三つの塔を持ち、中央の木造の塔を二つの石塔が挟んでいるのですが(図6)、現在では復元された石塔しか残っていません。二つの石塔に挟まれた弥勒山がその象徴性を増していますね!
大きく開けた平原に白光する二つの塔が映え、
日差しがジリジリと照りつける中で白・��・青の三色が鮮やかに焼き付きました
(図13-15)。
図13.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 小谷さくら)
図14,15.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 安藤優花、小谷さくら)
弥勒寺見学後は付属の博物館を見学しキラキラした装飾品や生活陶磁器などを見ました。当時の王族や人々の生活の様子について、説明を聞きながら思いを馳せました。一つの考古学品の発見が様々な文脈で意味を持ち、歴史的な発見がダイナミックに展開していく様を感じることが出来ました。
16:00 帰りのバス― その後ソウルへ向けて再びバスに乗車し、3時間ほど車窓を眺めました。
韓国は右車線通行のため、追い越し車線は向かって左側です。
もう少しで市街につくというとき、
真っ赤になった日が沈むところでした
(図16)
教会やモスクなどの多種多様な建物のシルエットが逆行で暗んで、
ノスタルジックなソウルに車内一同盛り上がっておりました。
図16.ソウルの夕焼け(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
地下鉄を乗り継いでホテルに着くころ、すっかりあたりは暗くなっていましたが、宿泊先は夜中まで明るくにぎやかな場所でした。ホテル近くのサムギョプサルの店で夕食を堪能し、一日を終えました。
以上が調査4日目(8月24日)の動きでした!いかがでしたでしょうか…?
明日は調査をまとめるポスターセッションを行います
25日の日記も乞うご期待!!
読んでいただきありがとうございました!!
#sennen#nakasemi
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韓国歩兵第一師団司令官が北の汚物風船飛来中の飲み会で解任 -- 過敏すぎる措置のようだけど中身がもし…
陸軍は8日、京畿道坡州市で前線を担当する歩兵第1師団の司令官を停職処分にしたと発表した。 軍によると、北朝鮮が汚物風船を南に噴射していた1日夜、第1師団長は部下と飲み会を開いた。統合参謀本部は、3月31日に南部に対して汚物気球を噴霧する可能性に備え、準備を強化するよう各級の部隊に指示していた。 これに対し、上級部隊である地上作戦司令部は前日、関連報告を受けており、査察を行うと述べた。 軍は、第1師団の司令官を職務から解任し、監察官の調査結果に基づいて人事措置と懲戒手続きを進めると述べた。
[출처] - 국민일보 [원본링크] - https://www.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=0020182318&code=61111911&stg=ws_real
先月から北の汚物風船が飛来して南で騒動になってましたけど、今月にも100個以上が飛来。落下したゴミ・汚物で下敷きになった車のウィンドウが破壊されてたりしましたが、その時に部下と飲み会をしていた歩兵第1師団の司令官が解任、停職処分となったとのこと。
想像以上に南の政府を刺激してピリピリしているようですし、北との軍事的合意は北の挑発で破棄されたと公言していましたから、正式に休戦状態に戻ったという政府のスタンスとしては、軍の司令官が緩んでいる事態は許されないというところでしょうか。
過敏すぎるように思えますけども、確実にソウルに風船を数百個レベルで飛ばせることが判明してて、たまたま今はゴミや汚物だけれど、それにしても空中で爆散させたら嫌がらせとしても相当なものだし、汚物が撒き散らされて健康被害が出たら南の政府としてはどういう報復措置ができるのか、どこまでがレッドラインなのか、なかなかに緊張する話ですね。
それに、何度もゴミを送り込み、またゴミか…と疲弊し鈍感になったところで吊るすものを爆発物に替えてソウル市内や周辺にパニックを引き起こしながら侵攻作戦やられたら韓国軍じゃ対応できそうもないですねぇ。そのための引き締めで司令官を解任したってことなら、有り得るし、やりかねないし。
北が過激な手段にうって出てユン政権の失策を演出しながらイ・ジェミョンの次期大統領選をアシストするなんてことも、ムン政権の誕生時期のことを思い出すとあり得る気もしますので、気が抜けないユン政権のピリピリも考えられますね。
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじ��で海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家��と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには��ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。 作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大��館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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「夏のこぼしもの」
今年は麦わら帽子をかぶってないなと思って、
昨日高田馬場でまめちゃんに会う時に被っていったのだった。
いつもより濃い口紅を塗っていったせいか
やけに彼女が私を褒めてくれる
照れる。
照れていた。
でもなんだか自分でもしっとりしていたいように思う。
穴場のデニーズ
夕方になってもさほど混まないデニーズ
一番いい席に案内してもらいました。
ワイン、ハイボールなどを飲む。
まだ公園では蚊に咬まれるんだってね
モスキート
モスキートーン
モヒート
今日は音痴ということもあり夕方に駅前のカラオケ屋さんで歌の練習。
声が大きく出るようになってる。3曲くらいならなんとか誤魔化してやれそう。
そのあと急遽、バスに乗って練馬に向かう。
ソウル出身のヨンちゃんとお散歩。
駐車場の隣にひまわりがあった。
そういえば今年はひまわりを見てなかった。
そんなことすら意識してなかった。
そばによってみる。
強い葉っぱと茎に触れる。
閉園してるけど牧野記念庭園に久しぶりに行く。
外から見ても立派な木がたくさん。名前を知らないよ。
さらに歩いてると民家の屋根に猫ちゃんがいる。
「助けて〜」というような鳴き声。
立ち止まる人々
近所の人2人が救出しようとするも怖がって寄ってこない。
もしかしてお隣さんの猫かも??
ピンポーン
お隣さん出てくる
「歯磨きしてるんでちょっとまってください」
いらっしゃる
うちのねこということ。
高いけど塀を登ってそっちにいくんです。大丈夫です。
救出しようとしていたお兄さんは朝になると屋根が暑くなるからと心配をしていた。
名前も知らない居合わせた私たちは猫ちゃんを心配して会話をした。
ちゃんと元に戻っていくからといわれて安心をした。
安心をして笑いながら「おやすみなさい」と別れた。
名前を知らないと呼び止めることもまた会うこともできないのかなぁなんて思う。
こういう出来事があると誰かと出会うことがすごく嬉しい。
駅前で友達と話す。
もう風は涼しく秋の虫が鳴いてる。
なにがあっても誠実でいたいと思う。それがすごく不器用で滑稽で汚くても。
でもそれが綺麗だとは思わない。
純粋なのがいいなんて思ったことない。
2023.8.29 22:56 yuna hoshino
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朝岡英輔 Asaoka Eisuke
1980年、大阪府八尾市生まれ。埼玉県浦和市(現さいたま市)で育つ。中央大学理工学部物理学科卒。松濤スタジオ勤務後、写真家・藤代冥砂のアシスタントを経て独立。
2023年、作品集「over」でTokyo International Foto Award 2023 の Gold in Book/Fine Artを受賞。
*
2012年より『朗読劇「銀河鉄道の夜」』(小説家・古川日出男、詩人・管啓次郎、翻訳家・柴田元幸、音楽家・小島ケイタニーラブ、映像作家・河合宏樹)にスチールで参加。
雑誌「SWITCH」(2015年5月号~16年3月号)で小島ケイタニーラブ、伊藤豊とともに、旅のフォトエッセイ『歌はどこだ』を連載。
作品集に『it’s a cry run.』(2016)、『over』(AMBI、2022) 共著に『花冠日乗』(著:野村喜和夫、音楽:小島ケイタニーラブ 白水社、2020)
Born in 1980 in Yao City, Osaka Prefecture. Raised in Urawa City (now Saitama City), Saitama Prefecture. Graduated from the Department of Physics, Faculty of Science and Engineering, Chuo University. After working at Shoto Studio, worked as an assistant to photographer Meisa Fujishiro before going independent.
In 2023, he won the Gold in Book/Fine Art at the Tokyo International Foto Award 2023 for his book “over”.
*
Since 2012, he has participated in "Night on the Galactic Railroad" (novelist Hideo Furukawa, poet Keijiro Suga, translator Motoyuki Shibata, musician Keitaney Love Kojima, and filmmaker Hiroki Kawai) as a still. He has published a series of travel photo essays, "Where's the Song?" with Keitaney Love Kojima and Yutaka Ito in the magazine "SWITCH" (May 2015-March 2016).
In 2016, he published a photo collection, "it's a cry run.", with music and travel as themes. In 2020, he published "KAKAN NICHIJYO" (text by Kiwao Nomura, music by Keitaney Love Kojima, photos by Eisuke Asaoka, published by Hakusuisha), which describes the initial shock of his encounter with COVID-19. In 2022, he published a photo collection, “over”.
作品集 2022 | 『over』 (装丁:緒方修一、AMBI) 2016 | 『it’s a cry run.』 (装丁: 樋口裕馬 (yumore.))
共著 2020 | 『花冠日乗』 (詩:野村喜和夫、音楽:小島ケイタニーラブ、装丁:奥定泰之、白水社)
単行本カバー写真 2023 | パク・ソルメ『未来散歩練習』 (斎藤真理子訳、白水社 装丁:緒方修一)
2021 | パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』 (斎藤真理子訳、白水社 装丁:緒方修一、装画:Rodney Moore)
2020 | 乗代雄介『最高の任務』 (講談社 装丁:宮古美智代)
2019 | 林奕含『房思琪の初恋の楽園』 (泉京鹿訳、白水社 装丁:緒方修一)
フレデリック・ルノワール『スピノザ よく生きるための哲学』 (田島葉子訳、ポプラ社 装丁:緒方修一)
2017 | 福田若之『自生地』 (東京四季出版 装丁:北野亜弓(calamar - http://calamar.jp/))
個展
2024 | “over” 3/30~4/26 梅屋敷・葉々社
2022 | “over” 12/23~25 渋谷CAST.APARTMENT 13F COMMON
2016 | “it’s a cry run.” 3/9~24 西麻布 Rainy Day Bookstore & Cafe 4/1~17 熊本 橙書店 (オレンジ)
2012 | 韓国 ソウル Curly Sol
グループ展 2019 | Light Boxes Group Exhibition 11/1〜10 Zakura Tokyo
2017 | “YASUDA PIERRE CURATION ‘PIERRE RECORDS’ GROUP SHOW” 5/17~6/5 池ノ上 QUIET NOISE 6/15~7/2 代官山 蔦屋書店 7/14~23 表参道 Midori SO2
2008 | 新宿ゴールデン街 FLAPPER
PERSONAL ANTHOLOGY 2022 | “over“ (AMBI, design: Shuichi Ogata) 2016 | “it’s a cry run.” (self-published, design: Yuma Higuchi (yumore.))
SOLO EXHIBITIONS
2024 | “over” Youyousha Books, Tokyo, Japan (Mar. 30th - Apr. 26th)
2022 | “over” Shibuya CAST.APARTMENT 13F COMMON, Tokyo, Japan (Dec. 23rd - 25th)
2016 | “it’s a cry run.” Rainy Day Bookstore & Cafe, Tokyo, Japan (Mar. 9th - 24th) Daidai Bookstore (Orange), Kumamoto, Japan (Apr. 1st - 17th)
2012 | Curly Sol, SEOUL, Korea
GROUP EXHIBITIONS 2019 | “Light Boxes Group Exhibition” Zakura Tokyo (Nov. 1st - 10th)
2017 | “YASUDA PIERRE CURATION ‘PIERRE RECORDS’ GROUP SHOW” QUIET NOISE, Tokyo, Japan (May 17th - Jun. 5th) TSUTAYA Daikanyama Bookstore, Tokyo, Japan (Jun. 15th - Jul. 2nd) Midori SO2, Tokyo, Japan (Jul. 14th - 23th)
2008 | FLAPPER, Shinjuku Golden Gai, Tokyo, Japan
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朝から駅頭活動した 腰を低くしてチラシを配り続ける作業、最初はしょげてたけどどんどんおもろくなってきた みんなきれいに一定の距離をとって歩こうとするから すごく申し訳無さそうに手を指しだし続けると取ってくれる かなり嬉しい みんなでやると楽しいらしい みんながポスティングに励んでいるあいだ、私は韓国についていた ホテルまで一人で行くか、大冒険だから迷ったけど電車乗ってソウル駅まで行けた 特急券で出口出られなくて焦ったけど まあたぶんよくない出口ででた でかスーパーでのりのお菓子と飲み物だけ買ってホテルの最寄りまでむかった めっちゃ都会、東京駅みたいで 周りに聞こえる言葉がわからないくらいの違いしかない気がしてきた チェックインのときに話す英語を反芻しながらホテルまで行った 意外とすんなり入れた 二人を待ちながら仮眠してたら5時間くらい寝てた 近くまでお散歩して開いてる店に適当に入った チャミスルを完全に頼みすぎている 本場のサムギョプサルというより冷麺が美味しかった
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【#2年前の今頃 】 一昨年投稿した写真がでてきた。 一昨年の黄金週間に二泊三日でソウルに行った時の写真。 仁川到着直後に投稿したんだと思う。 当時の渡航目的は、散歩(笑)。 今は思うように外出すらできないけど、早く色んな所に行けるようになるといいなぁ。 海外を散歩するのが、好き。散歩しながら、見付けた良さげな店(だいたいが飲食店)にフラッと入るのがいい。 今は何処にも行けないから、散歩コースを下調べして過ごしてる。行きたい所も食べたいモノも、たくさんある。 海外散歩に備えて、言葉の勉強もしておきたい。 #海外旅行 #海外旅行大好き #海外散歩 #海外散歩好き #ソウル旅行 #ソウル散歩 #韓国旅行 #鉄砲玉 #オトンが私のことを鉄砲玉と人様に紹介してた件 #否定できない #鉄砲玉娘 #travelgram #travelholic #travel #travellover #traveller #韓国料理大好き #韓国料理食べたい (at 인천공항 Incheon Airport) https://www.instagram.com/p/B_xWutJA-Ml/?igshid=diawj2wr6ked
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