#ジャポニスム2018
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My solo exhibition was approved as a participating project in the event "Japonism" which the Japanese government is conducting in Paris, France.
And it was published in the Associate Program.
Please refer to the following URL.
(English)
https://japonismes.org/en/associateprograms
(French)
https://japonismes.org/fr/associateprograms
(Japanese)
https://japonismes.org/associateprograms
from 8 October to 19 January
Colours of Japan – Hidenobu Suzuki Photo Exhibition
Photographer but also hair stylist, Hidenobu Suzuki lives in Toyohashi, Japan.
A spiritual soul, this artist proposes a journey through superb shots that display the beauty of the Japanese archipel throughout its seasons.
If his perspective of art is surprising, it is because he assimilates his photography to that of Japanese painting.
The result is prodigious: he feeds this concept, depicting landscapes in a flash, and elevates with mastery every nook and cranny of Japan.
Through both its sobriety and its explosion of colours, the photography of Hidenobu Suzuki immerses us in the beauty of the Land of the Rising Sun.
日本政府とフランス政府の両国が連携し、芸術の都パリを中心に日本文化の魅力を紹介する大規模な複合型文化芸術イベント「ジャポニスム」がパリで7月から始まっていますが、
私が行うパリでの初個展がジャポニスム参加企画として正式に承認され、ようやく公式のプログラムで紹介されました。
2018/10/08 - 2019/01/19の欄に掲載されています。
次のURLを参考にご確認ください。
https://japonismes.org/associateprograms
ジャポニスム概要について
https://japonismes.org/about#system
#Japonism#Japonism2018#Paris#France#photo#photography#Exhibition#japan#hidenobu suzuki#ジャポニスム2018#フランス#パリ#写真展#写真#鈴木秀総
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From July 2018 through February 2019, France is home to Japonismes 2018, a celebration of the 160th anniversary of diplomatic relations between France and Japan. A series of events and exhibitions in Paris and elsewhere showcases the creativity and aesthetics of Japan in all their diversity. Check out our KIJE Autumn/Winter 2018 issue, on shelves now! #japonismes2018 #france #paris #160th #celebration #eiffeltower #ジャポニスム2018 #フランス #パリ #160周年 https://www.instagram.com/p/BnU5FofFCbS/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=12o2n21hrme5o
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まだまだと思っていましたが、近づいてきました! 備前窖窯プロジェクト 2018 2018 年夏、備前窖窯プロジェクト 2018 をフランス パリのギャラリーハヤサキと協働で開催します。 ” 備前焼作家集団けらもす” からは、澁田寿昭、内田和彦が参加いたします。このプロジェクトは、 フランスで開催されるジャポニスム 2018 の参加企画とし て独��行政法人国際交流基金より認定されています。 今回は、過去の備前窖窯プロジェクトにおいて築窯された The Ecomuseum of the Tuilerie Pouligny の窖窯の焼成ワ ークショップを行い、その後パリのギャラリーハヤサキで 展覧会とワークショップを開催します。 #ジャポニスム2018 #備前窖窯プロジェクト2018 #france #bizen #japonismes2018 #anagama #woodfiring #workshop #kazuhikouchida #
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JAPONISM(ジャポニスム)の 「JN-638-Ⅰ」が在庫僅かになりました。
本日も話題のブランド「JAPONISM(ジャポニスム)」の 人気商品のご紹介をしていきます。 ドラマ「ハゲタカ」で鷲津雅彦役の綾野剛さんが着用 され、話題沸騰中の超人気モデル「JN-638-Ⅱ」の モデル違いのタイプ1のご紹介です。 (※スペシャルカラーは完売し生産未定。) レンズの形が違う共通モデル「JN-638-Ⅰ」は Ⅱに比べ、レンズの天地を抑えたスクエアシェイプは 顔立ちをシャープに見せます。 残りの在庫も僅かとなっています。 オンラインショップからご購入可能です。 (2018年9月28日更新) ↓↓↓↓↓ JN-638-Ⅰ COL.01(Titanium) https://bless-shop.jp/ca20/2143/p-r20-s/ JN-638-Ⅰ COL.02(Navy / Titanium) https://bless-shop.jp/ca20/2144/p-r20-s/ 完売後の入荷は未定となっておりますので、 ご注文される場合はお早めにお問い合わせください。
【★商品名★】 JAPONISM(ジャポニスム) JN-638-Ⅰ COL.01(Titanium) サイズ 片レンズ横幅 54mm 片レンズ縦幅 30mm ブリッジ幅 17mm テンプル長さ 141mm 価格:¥42,000 +【税】 オンラインショップからご購入可能です。 (2018年9月28日更新) ↓↓↓↓↓ https://bless-shop.jp/ca20/2143/p-r20-s/
【★商品名★】 JAPONISM(ジャポニスム) JN-638-Ⅰ COL.02(Navy / Titanium) サイズ 片レンズ横幅 54mm 片レンズ縦幅 30mm ブリッジ幅 17mm テンプル長さ 141mm 価格:¥42,000 +【税】 オンラインショップからご購入可能です。 (2018年9月28日更新) ↓↓↓↓↓ https://bless-shop.jp/ca20/2144/p-r20-s/
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Kimono Refashioned 「モードのジャポニスム」、「Future Beauty」を踏まえ、きものが現代のファッションを刺激し、新たな創造を促している点にスポットをあてた「Kimono Refashioned」展が巡回されます。 ・ニューアーク美術館(2018 年 10 月 13 日-2019 年1月 6 日) ・サンフランシスコ・アジア美術館(2019 年 2 月 8 日-5 月 5 日) ・シンシナティ美術館(2019 年 6 月 28 日-9 月 15 日) なかで、ひなや「mitasu+ ANREALAGE」も展示されます。 お近くに行かれる機会がございましたら、是非ご覧ください。
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【劇評】夢幻的光景のなかで提示されるリアリズムのねじれ
リシャール・ブリュネル演出『海を見たことがなかった女もいた』(ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』より)@アヴィニョン演劇祭
片山 幹生
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
1.日系アメリカ女性移民の叙事詩的文学の舞台化
日系アメリカ人女性作家のジュリー・オオツカの小説『屋根裏の仏さま』が、フランスで演劇化され、今年のアヴィニョン演劇祭で上演された。
20世紀初頭にアメリカに「写真花嫁」として移住した日本人女性たちの苦難を叙述したこの小説は、2011年にアメリカで公刊された翌年にフランス訳が出版され、フランスではフェミナ賞外国小説賞を受賞している。ちなみに日本語訳は新潮社から2016年に刊行��れている。
フランス語版のタイトルは『海を見たかったことがなかった女もいた』(Certaines n'avaient jamais vu la mer)で、舞台版の翻案・演出を行ったのは南仏の都市ヴァランスの国立センター、コメディ・ド・ヴァランスの芸術監督、リシャール・ビュルネルだ。この作品はビュルネルにとっては、はじめてのアヴィニョン演劇祭の公式招聘作品(「イン」と呼ばれる)となった。
『海を見たかったことがなかった女もいた』には12人の俳優が出演するが、その中には別稿でインタビューを掲載している二人の日本人女優、外間結香と竹中香子が含まれている。日本人女優がフランスの国立劇場制作の作品のキャストに選抜され、アヴィニョン演劇祭のインの演目に出演するというのは、画期的な事件ではないだろうか。作品は修道院教会の回廊であるカルム回廊中庭で上演され、多くの現地メディアから絶賛された。
本稿では、この作品のアヴィニョン演劇祭公演について、現地評を参照しつつ、記述していきたい。
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
2.コロス的演劇、流動性の高い美しい夢幻的スペクタクル
『ル・モンド』、『フィガロ』などフランスを代表する一般紙に掲載された劇評を含め、16の劇評を私は確認することができた。私が参照した16の評のうち、否定的な評は一つだけで、残りの評は概ね肯定的な評価だった。アヴィニョン演劇祭での『海を見たことがなかった女もいた』の公演は、現地の批評家、観客たちから支持されたとみていいだろう。
『海を見たことがなかった女もいた』はほぼ原作小説の構成を蹈襲している。「写真花嫁」たちが経験したいくつかの主題・出来事にもとづく複数の断片的証言が「わたしたち」という主語とともに提示される。特権的な主人公はいない。多数の無名の女たちの語りは、「わたしたち」を主語とする文章で並列され、一つの総合的な語りへと集約されている。語られるのは個別的で具体的なエピソードでありながら、その一人称複数による文体の無名性と多数性ゆえに、原作小説の叙述は高い抽象性・象徴性を持つ叙事詩的次元に到達している。
まず厳しい評から紹介しよう。マルティニークの文芸批評マガジン、Mandinin'artのセリム・ランダーは、『海を見たことがなかった女もいた』の舞台は原作小説の「単なる説明の段階を超えるものではなく、原著の読書がもたらした衝撃にははるかに及ばない」、「原文に含まれる暴力も優しさも満足いくような表現に到達していない」と否定的な評価を下している。
「わたしたち」によって語られる単一性と集合性を舞台上に移し替えるために、演出のブリュネルはギリシア悲劇のコロス的手法を用いた。このコロスの用い方を高く評価する評は多かった。『ル・モンド』紙のファビエンヌ・ダルジュの評から引用しておこう。演出家のブリュネルの演出は「原作の持っていたあらゆる感情的な次元と繊細さを演劇的なかたちで見事に再構築することに成功」しており、「コロスという形式が、痛ましい響きの朗唱のなかで、女たちの声の複数性を聞かせてくれる」。
批評サイト、L'Insenséの評者アルノー・マイゼッティ は、さまざまな主題が拡散していくなかで、この舞台は「個別性を乗り越えることができるようなコロスを作り上げることで、個人的な体験から共有されうるものを立ち上げようとする意志を感じとることができる」と記している。
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
舞台の視覚的美しさについては多くの評が言及し、絶賛していた。薄くて白い布のカーテンが舞台の周囲でゆらめき、そのなかには実に多くのオブジェが入れ替わり立ち替わり現れる。背景のカーテンや移動する白い「衝立」はスクリーンとなり、そこには「写真花嫁」たちのポートレートをはじめ、さまざまな感覚的な映像が映し出される。その映像表現は舞台上の女たちの不安や恐怖を敏感に映し出す。
舞台上で語られるのは断片的なエピソードだ。その断片とともに舞台上の風景が次々と変容し、移り変わっていく。滑らかな流動性が視覚に与える快感はこの舞台の特筆すべき美点の一つだ。エピソードの羅列がもたら��単調さと反復は、演者たちの優雅で舞踊的な動きと結びつくことによって、視覚的な詩を作り出していた。CULTUREBOX に掲載された評の一節を引用しておこう。
「変化する舞台装置、素晴らしい衣装、俳優たちのダンス。さまざまオブジェが舞台上を滑り移動する。経過する時代にふさわしい場面が現れ、この苛酷なドラマに豊かさをもたらしている」。『テアトラル・マガジン』は「断片的な語りで構成された形式は、Anouk Dell'Aieraによって制御された舞台美術とバレエによってダイナミックな活力を獲得していた」と評している。
フランスの文化芸術の批評サイトNONFICTIONの記述は以下の通りである。「とても美しい舞台美術は、自然主義的の要素が強い。衣装と装飾品はできるだけ考証をふまえた���のが用いられていた。移民たちが働くテンサイ畑、織物工場、アメリカのブルジョワ家庭の屋内についてもそうだ。しかしこれらの自然主義的要素は、多彩な照明、古い肖像写真やビデオ映像のポートレイトが映し出されるスクリーン、裸の空間のあいだの舞台全体に散りばめられた実物の小道具の数々によって、緩和されていた」。
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
「写真花嫁」の歴史と物語は20世紀初頭にはじまり、太平洋戦争開戦とともに終わる。長きにわたる苦難の連続のあとようやくアメリカ社会に居場所を確保しようとしていた日系移民たちは、日米開戦とともに生活の場を追われ、収容所に入れられてしまう。
『海を見たことがなかった女もいた』の舞台の構成は原作小説と同じく二部にはっきり分かれていて、最後の1/4の部分は日本人がいなくなった町で消えた日本人について語るアメリカ人ブルジョワ婦人の一人語りに託される。それまでは7人の女優と4人の男性俳優によってコロスのかたちで場面が展開していくのだが、最後の場面はナタリー・デセーのモノローグとな��。
デセーはその優れた歌唱力のみならず、卓越した演技力でも知られた世界的なオペラ歌手だったが、数年前にオペラ歌手を引退し、俳優として活動を始めている。『海を見たことがなかった女もいた』はデセーが俳優として本格的な舞台に出演することでも注目されていた。
集団的コロスによる舞踊的演出が行われていた前半とデセーのモノローグ劇となる後半は、どちらも「わたしたち」という一人称複数によって語られるとはいえ、表現として際だったコントラストをなしていた。この表現上の対照は、物語の内容にも対応した優れたアイディアだ。デセーはごく短い歌を一回歌うだけで、抑制された静かな芝居を行う。オペラの演出を変えてしまったと言われるぐらいオペラ歌手としてのデセーの作品解釈と演技は優れたものであるが、そのセンスのよさは今回のような語りの芝居でも発揮されていた。
私が見た7/20(金)の公演では、このデセーの出演場面が始まる頃から空に雷光がきらめき、強い風で舞台をとり囲む白い布が激しくゆれ動いた。時間が進むにつれ、ごろごろと不穏な雷鳴がとどろきはじめ、終演直前には雨が降り始めた。そしてカーテンコールのあとに、土砂降りとなった。
こうした予想外の天候の急変は、日本人が去った町の不安と空虚さを語るモノローグの内容に呼応する不穏な雰囲気を作りだし、結果的に見事な演劇的な時空を作り出した。しかし劇全体から考えると、デセーのモノローグ劇の時間は長く取られすぎてバランスが悪い。大スターであるデセーを起用する以上、それにふさわしい場を用意する必要があったのかもしれないが、この芝居ではデセーのキャスティングは中途半端で、せっかくの大スターを無駄遣いしている感があった。
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
3.フランスの舞台作品で、フランス語によって日本人が演じられることへの違和感
別稿のインタビュー記事のなかで出演者の竹中香子が話していることだが、このプロダクションの画期的なところの一つは、これまでフランスの舞台ではあまり活躍の場がなかったアジア系の俳優が多数出演していることだ。移民問題は現在のヨーロッパ演劇では重要なテーマであり、フランスの演劇界でも民族多様性が問われるようなっていると言う。結果的には、日本人俳優は竹中香子と外間結香の二人で、他は中国系、ヴェトナム系、韓国系といったアジア系俳優以外に、白人の俳優もキャスティングされた混成的編成となった。
原作は英語で書かれてい���が、ブリュネルの舞台用翻案では台詞は当然フランス語がベースになっている。しかしフランス語だけが舞台言語として使用されているわけではない。映像には日本語が映し出されるし、劇中で歌われる歌の歌詞は日本語だ。俳優が話す台詞にも時折日本語と英語が混じる。
『海を見たことがなかった女もいた』のキャストの多民族性、舞台言語の多言語性は、フランスの批評家や観客は違和感を覚えることがなく、むしろ肯定的に捉えていた感がある。L'Insenséの評者は次のように記している。この作品で、観客は様々な出自の俳優の身体と言語を受け取る。作品は「複数の異なる言語、異なる訛り、そして異なる抑揚を聞く機会でもあった。こうした機会はフランスの舞台ではほとんどない」。
『ラ・クロワ』紙の評は、「日本人、韓国人、中国人、フランス人の女優たちはいずれもすばらしい。それぞれが自分の特性を示しながら、同時に一つに溶け合っていく。彼女たちの長台詞は、それぞれの生の複数性を伝えながら、共通の運命を描き出す」と記している。『レ・ゼコー』紙では「繊細でときおり過剰に思えるほど抑制された雰囲気のなかで、日本、韓国、中国、フランスの8人の女優たちは、共同の建造物を作るために、それぞれが持っている石を積み上げた」とあった。
竹中香子と外間結香はいずれも、この作品に参加するにあたって、自分の日本人性を特に意識することはなかったとインタビューで語っている。そして竹中が言うように、私がこの舞台を見て感じた違和感やねじれは、私が日本人観客であることに起因するものであることは間違いない。
『海を見たことがなかった女もいた』はコロス的演出、舞踊的表現の導入、そして流動性の高い舞台装置によって幻想的な舞台空間を創り出す一方、個々の俳優の表現のディテイルにはリアリズム表現へのこだわりがあった。またキャストのなかになまじ日本人女優が2名入っているから余計に、他の日本人ではない俳優の非日本人的なアクセントや動きがノイズ���してひっかかってしまったというのもあるだろう。
〔Certaines n'avaient jamais vu la mer ©Jean-Louis Fernandez〕
原作はフィクションとはいえ、20世紀初めの現実の歴史を取材したものであり、そこではアメリカ移民女性の悲痛な体験が生々しく語られている。『蝶々夫人』ならば、そこで描き出される「日本」がどれほど異様なデフォルメをされていても、西洋のジャポニスムのなかで生成・発展したファンタジーとしての「日本」として私は受けとめることが可能だが、「写真花嫁」の悲壮な運命を叙事詩的に描くこの作品では、彼女たちの「日本人性」から離れて彼女たちと向き合うことは難しい。アジア系移民あるいは移民の象徴的存在として彼女たちを認識するには、彼女たちの歴史・物語は私にとってはあまりにも生々しく感じられ、日本人以外の俳優がフランス語で演じる日本人女性に違和感を覚えてしまったのだ。この違和感は、生身の人間が目の前で他の人間を表象するという舞台芸術の特性によって強調された。フランス語で書かれた劇評には、私が感じたこうした抵抗感について言及しているものは一つも無かった。
私が読んだもののなかでは、アメリカの媒体であるBROADWAY WORLDに掲載されたウェスリー・ドゥセットの評は、キャストの多民族性がもたらす問題について言及した唯一の劇評だった。彼は「文化的盗用」と言うわけではないが、身体の政治性、とりわけ日本人という身体の持つ政治性が問題になっているこの作品に白人俳優を入れることは、当時の社会的現実の認識を歪め、作品の持つ政治的意図を損なう危険性があるのではないかという重要な指摘をしている。ただしドゥセットも白人の俳優だけを問題にしているわけで、アジア系俳優についてはひとかたまりに同じ属性の身体を持つものと見ている点では、フランスの批評家、観客と変わりはない。
ドゥセットの指摘は私が『海を見たことがなかった女もいた』を見たときに感じた居心地の悪さの本質的理由を説明するものだ。少なくともジュリー・オオツカの原作では、彼女たちが「日本人女性である」という属性が重要である。移民が一般的に抱えうる普遍的な苦難も語られてはいるのだけれど、物語の最後で彼女たちが町から消えてしまったのは、ドゥセットの書くように、彼女たちの身体の政治性が問題になったからである。日本人俳優を含む混成的キャストでは、その特異性がぼやけてしまう。
『ル・モンド』紙の評者は、「日本人��ほか、朝鮮人、中国人、フランス人がいたが、アジアとの強い絆を保持していた」と書いているが、果たしてわれわれ東アジアの人間が、ヨーロッパ人のように、あるいはアフリカ人のように、アジア人としての共通の歴史や感性を共有していると言うことはできるだろうか。東アジアを一つの文化圏としてまとめて捉えることが可能だという考え方自体が、ヨーロッパのごう慢と無知であり、粗雑なオリエンタリズムというべきものではないか。そうした西洋のナイーブなオリエンタリズムを、われわれが内面化して受け入れることは問題ではないだろうか。
日系アメリカ人によって英語で書かれた日本人女性についての物語を、フランスの劇場と演出家が取り上げ、多民族キャストがフランス語で、フランス人の観客の前で演じる。『海を見たことがなかった女もいた』公演が内包する複合的なねじれは、オリエンタリズムについて私が抱えている問題意識を刺激するものになった。
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
公演情報:『海を見たことがなかった女もいた』Certaines n’avaient jamais vu la mer
URL :http://www.festival-avignon.com/fr/spectacles/2018/certaines-n-avaient-jamais-vu-la-mer
出演:Simon Alopé, Mélanie Bourgeois, Youjin Choi, Natalie Dessay, Yuika Hokama, Mike Nguyen, Ely Penh, Linh-Dan Pham, Chloé Réjon, Alyzée Soudet, Kyoko Takenaka, Haïni Wang
原作:Julie Otsuka, Certaines n'avaient jamais vu la mer
翻訳:Traduction Carine Chichereau
翻案・演出:Richard Brunel
ドラマトゥルク:Catherine Ailloud-Nicolas
舞台美術: Anouk Dell'Aiera
衣装:Benjamin Moreau
音響:Antoine Richard
照明:Laurent Castaingt
映像:Jérémie Scheidler
演出助手:Pauline Ringeade
上演会場:アヴィニョン、Cloître des Carmes
上演日時:2018/07/19(木)〜24(水)22時より(22は休演)
上演時間:2時間
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複合文化芸術イベント「ジャポニズム2018」にて上映
日本とフランスの両国が連携し、芸術の都フランス・パリを中心に“世界にまだ知られていない日本文化の魅力”を紹介する大規模な複合文化芸術イベント、『ジャポニズム2018』の開会式に先立って、河瀨直美監督『Vision』の海外初上映となる上映会が行われたほか、開会式の後には河野外務大臣とジャポニスム2018関係者との夕食会が開催されました。
現地時間7月12日(木)、午後2時55分から約2時間半、フランス・パリを訪問中の河野太郎外務大臣は「『ジャポニスム2018』の開幕及びそのオープニング企画として実施され、海外初上映となる『Vision』上映会について紹介するとともに、『Vision』が日仏の架け橋となり、今後も素晴らしい映画が日仏両国で作られていくことを期待する」と挨拶を行いました。上映前に、河瀨直美監督及び『Vision』主演女優のジュリエット・ビノシュが挨拶、シネマテーク・フランセーズの大ホール(アンリ・ラングロワ)の約400名の招待者は最後まで本作の世界に深く感銘を受けていました。
ジャポニズム2018:https://japonismes.org/ 外務省HP:https://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/ca_opr/page4_004203.html
©Laurent Campus
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第1回 勉強会れぽ 2018年3月31日
(会場となった京都市立芸術大学 芸術資料研究センター)
毎月第1日曜日(もしくは土曜日)に京都市立芸術大学で開催する、勉強会。みんなで「ものしり」になることを目標に、ゆるっとおこなっています。
今回のれぽ担当者は佐々木です。(出席者:岡本、大槻、豊増、西原、佐々木)
——テーマについて
第1回目は「富岡鉄斎」がテーマでした。
2月の作品展で主催の岡本さんの作品を見て、橋本関雪や富岡鉄斎がおもしろいのではないかと教えてくださった方がいらっしゃったことがきっかけとなり、今回の勉強会の開催にいたりました。
富岡鉄斎(とみおかてっさい、1837-1924年)について、簡単に説明します。
『日本美術館』(小学館、1997年)を参照すると、 「新しい概念や制度から距離を保ちつづけた最後の文人」 と書かれています。
鉄斎の作品についてはこちら
近代の絵画では南画・文人画はあまり好まれず、制度的にも冷遇されるようになりました。
そのような時代のなかで、鉄斎は「詩書画三絶(漢詩、書、画、いずれも超絶していること)」の書画を描き、美術団体からは距離を置いて、徳を高める生活をおくっていました。
鉄斎は西洋のセザンヌに匹敵するほどの役割を果たした最後の文人画家であったそうです!
——課題図書について
さて、今回の課題図書は、戦暁梅『富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 : 鉄斎画の賛文研究を通じて』です。
戦暁梅『富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 : 鉄斎画の賛文研究を通じて』
鉄斎に関する文献は多くありますが、この本は鉄斎の絵画論に注目しているのが特徴的です。
作品の画と賛文とを分けて論じてきたこれまでの研究に対して、鉄斎の「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」という発言をとりあげて、画と賛文をともに読み解く試みがなされています。
第一章では、文人画家である鉄斎の生涯とその陽明学の思想が整理されており、鉄斎の性格や生き方が読み取ることができます。
第二章からは具体的な作品をとりあげて、画題と賛文の関係を探っています。
ところどころに日本と中国の文人画の紹介があり、興味を広げやすいテキストでした。
——文人画について
文人の余技として芽生えた文人画は、北宗と南宗とで系譜が分かれていきます。
詳細にいうと、まず、山水画には清時代まで大きく二つの流派がありました。 華北系・李郭(りかく)派と江南系・董巨(とうきょ)派です。 江南系・董巨(とうきょ)派から生じた文人画は、明中期から盛んになります。 さらに明末期に董其昌(とうきしょう)が南宗を高く評価したことがきっかけとなり、北宗=職業画家に連なる系譜、南宗=文人画家(董源・巨然から元末四大家)に連なる系譜という図式ができます。 元末四大家の作品はこちら
これらが日本に伝わり、日本では「南画」として発展します。
日本文人画としては富岡鉄斎が最後の巨匠となり、その後は南画においては伝統技法が継承されてきたようです。
——鉄斎の評価について
海外での評価について、まず、鉄斎はアメリカ、ヨーロッパどちらで先に評価されたのでしょうか。
1957年に開催された「アメリカの鉄斎展」では、 批評家が鉄斎と「抽象的表現主義」との関係性を示しています。
以下、引用 そして最近日本から帰ってきたメトロポリタン美術館極東美術部長のアラン・プリーストの言によれば、「鐡斎の美術史的位置がセザンヌのそれに相応することは、日本人も西洋人もともに認めるところである。 ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の美術批評家、エミリー・ヂェナウァー——『東洋の藝術家の古典的理念であるところの「典雅なる精神の表現」が、鐡斎の真骨頂で、しかも、鐡斎の精神は、典雅なるのみならず、陽気で愉快であり、そこに鐡斎の魅力がある。』更に、ヂェナウァーは、三人の賢者が同じ舟に乗っている「聖者舟遊図」や、儒・道・佛の三宗教の代表者を示した面白い「三老吸酢図」を例にとって、鐡斎の魅力の根拠としての「フモール」について述べた。 ニューヨーク・タイムズ紙美術批評家のハワード・デヴリー——『鐡斎展について言えば、遠い中国絵画の伝統の趣を留めながらも、その個性と熱情との力により、例えば風景画に於けるボカシの仕方など、今日の表現主義的手法に近い感がある。いや、あちこちにフォーヴ的筆致もある。色彩は豊富ではない��、有効にアクセントを与え、空間処理と本質的に抽象的な形体の把握とは驚くべき完璧度に達している。タイム誌は『聖者周遊図』を掲げ、『鐡斎の作品は、日本画の精緻優雅な伝統から、大胆にも抜けだして、荒々しくも衝動的な筆遣いを用い、もはや東洋的といわんよりは西洋的な感じを起こさせる。…その筆力のほとばしる所、今日西洋で「抽象的表現主義」と呼ばれている、あの近代絵画の原型を、誇らかに示すのである』* (本文、7頁より) (*は レスリ・J・ポートナー氏「アメリカの鐡斎展」『藝術新潮』第8巻第7号、1957年7月より)
1957年ごろといえば、ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning, 1904-1997年)の『女』シリーズがすでに発表されていた時期です。
たしかに鉄斎の晩年の力強い筆跡には、共通点が見られるかもしれません。
一方、鉄斎の画風からの繋がりで考えると、 アンドレ・ドラン(Andre Derain, 1880-1954年)に代表されるような フォーヴィスムを連想することもできます。
(勉強会の様子) 具体的なものを立体物として写実的に描くのではなく、 むしろ光との関係といった見え方の本質を捉えた表現を追求した点に、 鉄斎との類似性があるのではないかと考えました。
日本においては、岡本太郎をはじめとする画家たちに一定の評価を得ている点も鉄斎の高評価の理由です。
——鉄斎の人間性について
第一章では鉄斎と陽明学との関係がくわしく述べられています。
陽明学は朱子学から発展したものですが、より人間の心や情を重視しました。
王陽明は、あるべき姿である「理」と、人間的な「心」は相反するものではなく、むしろ、人間的な「心」こそ規範となるべきであると説きます。
人間の直感感覚を肯定しており、人間の情の側面を重視する態度がみられます。
もともと鉄斎は「石門心学」という学問を学んでいたのですが、 その思想は、人間の本質に関わる部分においては陽明学ととても似ていました。
そのため、鉄斎は若い頃に陽明学に傾倒します。
鉄斎は生涯において「言行一致」「知行合一」を追求しました。
さまざまな相反するような思想をも自身のなかに取り入れ、吸収していく器の大きい性格だったことがうかがえます。
社会活動に熱心で国粋主義的な一面もあったことは、自由な制作活動を展開する鉄斎のイメージとはまたちがった印象を受けます。
もちろん、時代の波があり、作風も年代に沿って変化していく様子がみられます。
余談ですが、年齢による作風の変化というものはやはりあって、花鳥画のように繊細な絵になると、年をとるにつれて描きにくくなると一般的に言われています。
禅の作品などに共通して見られるゆるやかな曲線などは、年齢を重ねた身体の変化によるものでもあったのだろうかと考えさせられます。
——セザンヌとの比較
さきほど、新印象主義との関連性を述べましたが、テキストでは鉄斎とセザンヌとの関係性について、「輪郭を無くした混沌味」と「鮮やかな色彩」が共通点としてあげられています。(本文、8頁)
「輪郭を無くした混沌味」とは、たとえば作品《浮島原晴景》において、境界線は明示されず、色彩の明度によって対象の立体感を表しているが、その境界はぼかされ、細部は見えなくなり、全体の統一感が重視される様子と言うことができるでしょうか。
とはいえ、鉄斎の作品では部分のモチーフがある程度確認できるため、平面性が見られる点において、セザンヌのとの類似性が指摘できます。
また、鉄斎の作品においては、細かな線によってびっしりと画面が埋め尽くされるように描かれていることも特徴的です。
——《三聖吸酢図》(50代)について
さて、第二章からは、具体的に画と賛文を同時に見ることで、作品の解釈をおこなっています。
気になったのは、鉄斎50代のころの作品《三聖吸酢図》についての部分。(本文、41,42頁)
この「三聖吸酢図」の画題は鉄斎が40代から80代にいたるまで描きつづけたものでした。
三聖とは、道教の黄山谷、儒教の蘇東坡、仏教の佛印のことです。
佛印が訪れた黄山谷と蘇東坡に、上等な桃花酸(お酢)を差し出し、味見しようと誘います。
そのとき3人がそのお酢を味見して、3人ともそのお酢によって眉をしかめたことから、三教の説くところは異なるけれども、起源は同じだということを意味します。
賛文には以下のような意味が書かれています。
老子は、好んで清らかにして虚しきものを談じ、釈迦は専ら舎利を説く。孔子がこれを聞いて笑いこけている。(本文、41頁)
これまでの指摘では、「三聖吸酢図」についての内容ではないため、画と賛文が一致しないと考えられてきました。
ここで、筆者は画に注目し、「三聖吸酢図」ではありつつも、そのなかでも桃花酸(お酢)に興味を示している場面を描いているとし、 そのため、一見賛文は異なる内容を書いているようには思えるが、好奇心や面白みといった内容から考えると、同じことを追求していると述べます。
この面白みというのは難しく、主観的な意見であり、話し合いでは完全には納得できなかった部分です。
もともと画賛は画家本人ではなく、別の人が書くものでした。画と賛文の関係も興味が尽きない題材です。
——広がりとして
話し合いの結果、持ち帰って、 今後調べていくことになったのは以下の2つです。
①文人画 テキスト中には、中国文人画の「京派」「海上派」「嶺南派」が取り上げ���れていました。
そもそも文人画とはということを、遡って学びたいと思います。
②「写意」 テキストに「写意」という言葉が出てきたのですが、 これは家に帰って、
蘇軾 「形似」に対する「写意」(西洋の抽象表現主義に相当)
(中国絵画史ノート 宋時代 北宋花鳥画の革新 文人画の芽生え、http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/china9.html、2018年4月2日アクセス)
というものを知りました。
勉強会中では、この「写意」とは、たとえば岸田劉生がいう「質の実感」こそむしろ「写実の美」と考える思想のことだと考えていました。
(ちなみに岸田の思想は以下を参照 物体の正面から光線を与えて、影を作らぬと、その物体は厳しい写実的画境を与えられる。それに反し、そ��に多くの影を造るときはそこには厳しさのかわりにロマンチックな感じが生じる。
西洋の美術が多く、美を厳粛なる写実境に見出せず、ロマンチックなところに求めたのは、その材料が皮想の如実感を出すに適し過ぎたが為ともう一つはその民族の科学的気凛に基するものという事が出来る。
(岸田劉生「東西の美術を論じて宋元の写生画に及ぶ」『岸田劉生美術思想集成 うごく劉生、西へ東へ 後編・「でろり」の味へ』書肆心水、2010年、190頁)
この文では岸田は、西洋の美術のように陰影をしっかりと描き、あたかも3次元空間に立っているかのように描くものは、ロマンチックな感じが生じると述べています。
しかし、東洋画では陰影を描かず、厳しい写実的画境を描き出します。
そこでは、形を超えた精神を描き出していると言えます。
質の実感も無論、形を超えたものである。美である以上それは形ではない。只心に影ずる時も、又それが表現される時も、形に宿るだけである。畢竟美とは形に宿る形以上の形である。かくて質の美は質の与える美的精神的感動である点で更に深きものと同じく無形である。しかし、更に深き美術の域の美的感動はその感じに於ては形に即さない。[中略]つまり、何が美しいというのではない。物の美ではない。作に籠る精神、又は画因に宿る精神と言うてもよい。
(岸田劉生「写実論」『岸田劉生美術思想集成 うごく劉生、西へ東へ 前編・異端の天才』書肆心水、2010年、227頁)
そのようなわけで、この「写意」については、「蘇軾 「形似」に対する「写意」(西洋の抽象表現主義に相当)」という意味があることを知り、これについては今後もくわしく調べていきたいと思います。
——余談
これから読みたい本
戦暁梅『鉄斎の陽明学』 (今回のテキストの同著者の本。興味が広がる)
岡﨑乾二郎『抽象の力』 (「写意」つながりで) 東田雅博『シノワズリーか、ジャポニスムか : 西洋世界に与えた衝撃』 (この図書自体が受けている影響について理知的に考えるため)
村山斉『宇宙は何でできているか』 (参加メンバーのおすすめ���ダークマターについて。鉄斎とは特に関係はない)
竹浪遠 『唐宋山水画研究』 (京芸の愛すべき東洋美術史の先生の著書。今回扱った近代とは時代が離れているのが残り惜しい)
『中国近代絵画と日本』京都国立博物館 編 (「海派」と「京派」について書かれている。わかりやすい。別の記事で紹介します)
「石岡さんと本屋に行こう!」http://www.kaminotane.com/series/1386/ (こんなふうに本が読めるようになりたい)
西槇偉『中国文人画家の近代 ――豊子愷の西洋美術受容と日本』 (受容研究の参考になった本。とてもよい。なにがよいかというと、豊子愷の絵からは愛情しか感じない。目の保養になる。そんな図版がたくさん。それから、作品記述がまるで物語のよう。こんな記述ができるようになりたい)
(桜がきれいに咲いていました)
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Days 6/6 Makoto OFUNE solo exhibition "VOID" with Bumpei KUNIMOTO https://note.mu/biso_life/n/n4b683eafaf0d 「文平くんの背中から窓越しに見える夜の森が広がっているように見えた。今まで間接的な関係であった風景と身体が、直接つながっているように見えた」と、大舩真言さん。 9時間 ×6日間=54時間。その最後の53時間目の出来事だった。踊っていると急に頭にぐわんぐわん鳴り響いてきた。有象無象の何百という声たちが一様に話している。僕の頭の中で。「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」「子供たち、ありがとう!」声は重なり合い大きくなっていく。「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」「子供たち、ありがとう!!!」 声に誘われるように動めく身体。数分で声は消え、僕はやっとの思いで座り込んだ。 もう動けない。身体も心も空っぽ。胸がえぐれているような気さえする清々しさ。すっからかん。腕すら挙げられない。 その時の様子を後ろから見ていた真言さんは冒頭のように語った。 おじいちゃん、おばあちゃんの声か。ご先祖様たちの声か。神様の声か。それとも単なる僕の中の想いが現れただけか。 怖いというよりも、気持ちが幸福感に満たされて、心の深いわだかまりが溶けていくような感覚。 なんでその言葉だったかはわからないけれども、深い感謝に満たされて充実した気持ちで、54時間を踊り終えた。 や。。。ったーー。 ��しいのは、この2作品しかない展示を2時間も3時間も4時間も堪能してくださる方がたくさんいて、みなさんが清々しい良い顔でお帰りになってくれたこと。それが一番嬉しい。 また空間を共にした方同士が会釈を交わして帰ることもしばしば。何かの交流が全ての人の間で起こっていた。 大舩真言の絵画は、絵画であることを超え、私はこの個人の國本 文平というものを越えようとして、その存在と存在が見てくださる方の心の内で交じり合い、さらにその方が空間に没入していくことで、忘れがたい強烈な体験を生み出すことに成功した。 1日1日が、言葉は使わないけれども、多くの人と深い交流があり満たされてた。僕にとっても、ダンスの考え方にとどまらず、どこか人生観も変わった気がする。 たくさんのものごとを交流させてもらったお客さんに感謝。 そして、大舩真言さんと應典院、またスタッフの皆様に感謝です。 ありがとうございました!! 昨夜遅く広島に戻り、明日の朝、上海経由でParisへ飛びます。 今度はパリでリハーサルをして、来週末にイタリア・シシリア島で あるダンスフェスティバルに出演します。 ヨーロッパ編に続く!! 画像1 ______________________________________________________ 2019 年 10 月 23 日(水)- 28 日(月)午前 10 時 – 午後 7 時(入場無料) http://bit.do/fdSUe 浄土宗大蓮寺塔頭 應典院 おうてんいん〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27 今年3月のポンピドゥセンターでの公演の後、日本では凱旋公演になります。大阪9hours × 6days どうなる!? 國本 文平をインスタレーションとして展示する!? 世界初の展示会の試みです。昨年日仏友好 160 年を祝して開催された「ジャポニスム 2018」の一環として、パリ フィルハーモニーホールで森山開次さんと踊った大舩真言のあの作品と共に。ぜひ体感しにきてください。 ______________________________________________________ [ホームページより] http://bit.do/fdSUe このたび、広く国内外で活躍する美術家大舩真言(おおふね まこと)氏の展覧会を大阪下寺町の應典院で開催します。日本画古来の和紙と岩絵具、時に素地に岩石も用い、岩絵具の持つ色彩の繊細な発色と粒子の物質感を自在に駆使する作風は、時間と共に印象が変化する重層的で奥深い鑑賞体験をもたらし、その作品は平面絵画というより、鑑賞者をあたかも一つの磁場に引き込むような、場そのものを��ち上がらせる空間芸術として、文化���新進芸術家海外研修員に選ばれるなど、高い評価を得ています。 https://www.instagram.com/p/B4L0ZFoBa_y/?igshid=xcw5e8406o1
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北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃
2017年10月21日~2018年1月28日
国立西洋美術館
http://hokusai-japonisme.jp/index.html
国立西洋美術館で開催される「北斎とジャポニスム」展をご紹介します。日本の浮世絵が19世紀後半の西洋美術に影響を与えたことは多くの方がご存知かと思います。この現象を「ジャポニスム」と呼びますが、最も影響を与えた作家が葛飾北斎です。こういうお話をすると、「日本スゴイ!」という流れになりがちですが、本展は北斎に注目しつつも、北斎の作品を��化して自分たちのものにしていった西洋の画家たちに光を当てます。みどころはたくさんありますが、メアリー・カサットやカミーユ・クローデルなど女性アーティストたちの作品も展示されます。年末年始をまたぐ展覧会なので、お出かけになる際には休館日にご注意ください。
(吉良)
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RT @yoookd: ルーブル美術館と同じ建物にある地下のショッピングモールの一角で、香取慎吾さんの展覧会を見かけた。商業施設の規則ゆえなのか、壁を設置できなかったらしく大量のワイヤーを張って絵を展示していた。ファンらしき日本人の方々がたくさんいた。#ジャポニスム2018 #パリ旅行回想録 https://t.co/bnmNolvns2
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「Japan 2019」開催のお知らせ
#文楽 [PR TIMES]2018 年7月から2019年2月にかけて、日本政府がフランス政府と共同で取り組み、2月中旬現在で300万人に迫る動員数を記録している「ジャポニスム2018 ...
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2018年は両国の「魂が響き合う、ジャポニスム」でしたが、魂の一つの訳は「エスプリ」です。英語ではエスプリは「ウイット」ともいいますね。要するに、響き合う魂というのは、日仏のウイット(社会風刺も含む)のことです。教養と文化が大事にされている日仏両社会だからこそ、物事を風刺する文化が似ているのです。
ブラック・ユーモアを忘れた日本は付き合いにくい | フローラン・ダバディ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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【ハゲタカ最終章で鷲津雅彦役の綾野剛さん着用モデルのカラー違い】ジャポニスム JN-638-Ⅱ COL.02が入荷!
鯖江にある世界水準の生産技術を取り入れた 日本産メガネブランド「JAPONISM(ジャポニスム)」。 JAPONISM(ジャポニスム)のツーポイント(フチなし)の 人気モデル「JN-638-Ⅱ」です。 ドラマ「ハゲタカ」で鷲津雅彦役の綾野剛さんが着用 され、話題沸騰中の超人気モデル「JN-638-Ⅱ」の 別カラーとなります。(※スペシャルカラーは完売し入荷未定。) 【JN-638-Ⅱ】 立体感を強調した今までのデザインとは一線を画すリムレスフレーム。 シンプルで洗練されたデザインが新たな価値観を作ります。 約15gという総重量(ダミーレンズ含む)は、装着を忘れるほどの 軽い掛け心地を実現しています。βチタン製でフィット感を高めました。3 2mmと深めの天地は、より柔らかい印象を与えます。 ハゲタカで使用されたのは特注��製作されたスペシャルカラーです。 (フレームパーツ、チタンノーズパッドもゴールドの特別仕様) このCOL.02(Gold)はフレームの表面がツヤありゴールド、 裏面がツヤ無しのゴールドになっています。 ノーズパッドは通常のチタンカラーのノーズパッドになります。 スペシャルカラーに近いカラーになっています。 (※スペシャルカラーは完売し入荷未定。) オンラインショップからご購入可能です。 (2018年9月10日更新) ↓↓↓↓↓ https://bless-shop.jp/ca20/2423/p-r-s/ 生産の少ない商品となっておりますので、 ご注文される場合はお早めにお問い合わせください。
【★商品名★】 JAPONISM(ジャポニスム) JN-638-Ⅱ COL.02(Gold) サイズ 片レンズ横幅 55mm 片レンズ縦幅 32mm ブリッジ幅 17mm テンプル長さ 141mm 価格:¥42,000 +【税】 オンラインショップからご購入可能です。 (2018年9月10日更新) ↓↓↓↓↓ https://bless-shop.jp/ca20/2423/p-r-s/
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仏政府、能楽3氏に芸術文化勲章を授与
#能楽 #観世流 [NIKKEI]【パリ=小山雄嗣】フランス政府から芸術文化勲章を受ける能楽和泉流狂言方の野村萬、観世流シテ方の梅若実と浅見真州の3氏の叙勲式が10日、パリ市内で開かれた。3氏は仏で開催中の日本文化紹介イベント「ジャポニスム2018」で、同日まで能楽公演(日本 ...
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岐阜の伝統文化『地歌舞伎』が世界へ!「ジャポニスム2018」で堂々 ...
#歌舞伎 [と��まがニュース]岐阜県は、日仏友好160年を記念しフランスで開催された大規模な日本文化・芸術の祭典「ジャポニスム2018」の公式企画“地方の魅力-祭りと文化”において、日本の地方文化の代表として「岐阜の地歌舞伎」の公演を行いました。 画像1: https://ift.tt/1csvfhb ...
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