『テクノロジーとロシアとファシズムの関係』
ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder 歴史家)
インタビュー・編 吉成真由美
ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder 歴史家)イエール大学教授(中東欧史、ホロコースト史)。著書に『ブラッドランド』『ブラックアース』『The Road to Unfreedom』(未翻訳)『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』など。ハンナ・アーレント賞他受賞。
「最大の暴力は『考える』ことをせずに素直に指示に従ってしまう善良な一般人によって行われる」──ハンナ・アーレント(1906 - 1975 政治理論家)
人間は多種多様であるという事実を受け入れなければならない。人間であるためには、いろんなやり方があるものだ。完全なる独立を求めず、「快い相互依存」をしよう。完全なる独立には、幸福ではなく無意味な人生と想像を超えた退屈だけが待っている。──ジグムント・バウマン(ポーランド出身の社会学者)
ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド──ヒトラーとスターリン、大虐殺の真実(上・下)』(2010年)と『ブラックアース──ホロコーストの歴史と警告(上・下)』(2015年)は、冷戦時代に「鉄のカーテン」でブロックされていた東欧側の膨大な資料に基づいて書かれたもので、世界中に衝撃を与えた。それによると1400万人に上る犠牲者を出したホロコースト(大虐殺)は、ドイツ国内でドイツ人によって行われたのではなく、ドイツ人が侵略する以前にソ連によって国家破壊が行われた東欧で、「市民権を失った人々」が殺され、しかも、ソ連のNKVD(スターリンの下でソ連の秘密警察や諜報機関を統括していた内務人民委員部)やドイツのSS(ヒトラー率いるナチ政権の武装親衛隊)のみならず、多くの地域住民によって大量殺戮が実行されたのだった。
そしてファシズムは、1920年代に当時のグローバル資本主義と共産主義へのアンチテーゼとして、イタリアで誕生したが、今日再び、世界各地でポピュリズムや極右政党の台頭が見られる。今後グローバリゼーションによって引き起こされた富の格差問題や難民問題を解決するため、そして福祉国家を建設するためという、当時とまったく同じ理由によって、ファシズムが台頭する可能性が大いにありはしないか。
スナイダーは、情報寡占大企業が支配するインターネットが、ファシズムや暴政の温床になりつつあることを指摘して現代社会に警鐘を鳴らすとともに、リベラル派がとってきた「すべては意見の違い」で片づけてしまおうとする態度も鋭く批判し、民主主義を守り暴政を避けるための具体的な20のレッスンを提示している。
民主主義とは多数決のことかと思っていた、というような人も少なからずいるわけで、スナイダーは、民主主義の本質とは何か、私たちにとって大切なこと、重要なこととは一体なんなのか、という基本的な部分を、実にわかりやすく説明する。民主主義とは、「法の支配」のもと、何度も間違いを犯すことを可能にする制度であり、国家が「時間」を稼ぐためのシステムだからこそ、不完全であることを許容し、多様性を内包できて、社会が次第に安定していくのだと。
そして、全体主義やファシズムに流されないためには、基本的な考え方ができていればいいのであって、個々人の小さな踏みとどまる意志や真実を大事にしようとする小さな抵抗が、結果として大きな力をもつのだということを、期待させてもくれる。
インタビューは、オーストリアの、街中に音楽があふれるウィーン市にある「人間科学研究所 Das Institute fur die Wissenschaften vom Menschen (IWM)」の所長室で行われた。この研究所は、人文科学および社会科学の独立した高等研究所で、もともと東欧と西欧の学術交流、学術分野と社会との交流、ならびに学術的な研究などを目指して、オーストリア政府、ウィーン市、ポーランド政府、チェコ政府からの基金により、1982年に設立された。近年はヨーロッパやアメリカのみならず、アジアやグローバルサウス(南半球の発展途上国)へもその研究領域を広げてきており、毎年のべ100人くらいの研究者たちがここで研究に勤しんでいる、(2018年10月収録)
「テクノロジーとロシアとファシズムの関係」
●格差問題是正がファシズムにつながる理由
──ファシズムはしばしば他の権威主義と関連して認識されています。たとえば全体主義や、ナチズム、国粋主義、民族主義などですね。あなたはファシズムをどのようにとらえておられますか。
スナイダー ファシズムというのは基本的に、われわれは個々の人間ではなく、グループであり、一族であり、民族であり、種族であると考えます。ファシズムにおける政治は、「われわれには何が共通しているか」から始まるのではなく、「敵を選ぶ」というところから始まるのです。まず敵が誰であるかを認識するところから始まる。
さらにファシズムは、世界の現状やグローバリゼーションの影響などを見て、そこに「問題や課題がある」の考えるのではなく、誰かによる「陰謀の結果だ」のいうふうに考えます。政策によって解決すべき問題だととらえるのではなく、特定のグループによる攻撃の結果だととらえる。ファシズムとは政治形態の一つであり、グローバリゼーションへの対処の一方法でもあります。
そしてファシズムの基本には「神話」があります。「われわれの良識」と「世界の現実」を脇におしのけて、そこにできた空間に「神話」を押し込むのです。「われわれはグループとして互いによく似ていて、リーダーと神秘的な関係を結んでおり、われわれが『神話』を作り、それを変えていくことをリーダーが指導する」というストーリーですね。
──ファシズムは、1920年代にグローバル資本主義と共産主義へのアンチテーゼとしてイタリアで生まれたわけですが、そもそもイタリアのファシズムは、民族主義的なナチズムとは大きく異なっていて、強い政府の統制のもと、当時のグローバリゼーションによって引き起こされた富の格差を解消すべく、福祉国家の建設を目指して誕生したというふうに理解しています。
そうだとすると、今日の世界でも、「グローバリゼーションによって引き起こされた富の格差問題を解消するため」、そして「福祉国家を建設するため」というまったく同じ理由によって、ファシズムが台頭する可能性が大いにあるということになりませんか。
スナイダー それは実に興味深い質問です。イタリアをはじめとしてファシズムは、「富の再分配」を主眼に置いていました。ファシストたちが言ったのは、格差があるのはマイノリティのせいだ、ユダヤ人のせいだと。だから再分配のための最良策は、国家による産業を立ち上げると同時に、他の人たちから富を奪うことだと。ファシズムには確かに「再分配」の概念が含まれていますし、資本主義の失敗もファシズム台頭の理由の一つです。
2008年(世界的な経済破綻)以降、確かに一般的に収入格差が広がって、人々は「自分の問題はメキシコ人や中国人やユダヤ人たちによって引き起こされたんだ」といった言説に惑わされてしまう傾向にあります。トランプ氏のような政治家は、こういった状況を都合よく利用して、たとえば「グローバリゼーションはプロセスの問題ではなく、人々の問題だ」と言うわけです。グローバリゼーションには顔があって、われわれはその顔をブーツで踏みつぶしてやるんだ、と。これが彼の政治観です。
トランプ氏もプーチン氏も1920年代、30年代のアイディアや手法、つまり嘘をばらまいたり「神話」を繰り返し唱えたりといった手法をとり入れていますが、違いは、彼らは「再分配」にはまったく興味がないということですね。この点は大きな違いです。プーチン氏やトランプ氏は、彼ら自身がオリガーク(寡頭財閥人)で、彼ら自身が大金持ちだということです。プーチン氏は本当の大金持ちですし、トランプ氏は大金持ちになりたい人です。彼らは「再分配」したい人たちではないし、するつもりもまったくない。そこが大きな違いですね。
●ポピュリズムは「法」や「体制」をなし崩しにする
──では、ポーランドやハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてアメリカでも、ポピュリズムや極右政党の台頭が見られます。これはファシズムにつながる現象ととらえて心配すべきなのでしょうか。
スナイダー 民主主義を大切にしたいから心配すべきですが、それよりも根本問題は、「一体われわれは何を望んでいるのか、何がなくなることを心配しているのか」という内容のほうです。
私自身は「法の支配」や「民主主義」「個人の権利」が摩減していくことを心配しています。ポピュリズムや権威主義、ファシズムは、これらの素晴らしいものをわれわれから奪ってしまうという理由で、大きな懸念材料です。
問題は、脅威や懸念材料については大いに話題にされるけれども、一体何が素晴らしいもので、何をわれわれは望んでいるのか、なぜそれらが素晴らしいのかという肝心な事柄について、深く議論したり考察したりしないというところにあります。
「ポピュリズム」が、人々に声を与えるという意味であれば、それはOKですが、「ポピュリズム」が、人々に嘘をばらまくことを意味するなら問題ですし、「ポピュリズム」が、「人々」という名のもとにシステムのルールを破壊することを意味するのであれば、最悪です。このことを私は心配しています。
ポピュリズムによって出てきたある人物が、「自分は人々の声の体現者である」と言いつのることによって、その人と人々との間にある「法」や「体制」といったものが意味不明を失っていき、それらは単なる障害物と化してしまって、それらが払拭されることにつながっていってしまう。これこそが危険であると思いますし、こうしてポピュリズムはある種のファシズムに変化していくのだと考えています。
──グローバル企業をコントロールして富の再分配をするためには、世界政府を作って制御していく必要があると考える経済学者たちもいます。それは人々にとって新たな脅威となる可能性も大きいわけで、それならむしろグローバル企業による寡頭支配のほうがまだましなのではないかという気もしてしまうのですが。
スナイダー 世界政府でもなくグローバル企業による寡頭支配でもない、別の方法はどうですか(笑)。
一つの解決法としては、「法」や「市場」を真剣にとらえるということです。
プーチン氏やトランプ氏が支配する世界では、市場は「法の支配」を免れますし、市場が「法の支配」をまったく受けないゾーンがいつくも存在します。オフショア(規則のみゆるい海外)の銀行口座やオフショアの企業、匿名の取引、といったものがトランプ氏を作ったのです。「作った」というのは、彼が金儲けをすることを可能にしたという意味であり、彼の世界観を形成したという意味でもあります。つまり「法」は冗談であり、金や権力のみが重要であるという考え方ですね。これはトランプ氏とプーチン氏に共通するもので、プーチン氏もそのように考えています。ロシア全体が、アメリカ資本主義の末端にあるグレーゾーン(合法か違法かスレスレの領域)部分に匹敵すると言ってもいいでしょう。
たとえばグローバル企業が、税金逃れをせずに、タックスヘイブン(租税回避値)を避けて、匿名の取引も行わない、という真っ当なやり方だってあるわけです。これは世界政府という方向ではありませんが、こうすることでオリガーキー(寡頭財閥)を制御することにもなる。なぜなら真の問題は、オリガーク(寡頭財閥人)たちが国の力を逃れていることにあるからです。そして、彼らが国の力を手にした場合、今度は自分たちが国の力から逃れられるようにもっていくために、その力を利用する。
プーチン氏はロシアの国をコントロールしていますが、それを何に使っているかというと、たとえば自分の友だちのチェロ奏者に20億ドルあげるために使っている。これは国のコントロールを逃れたものです。トランプ氏は国の力を手にしていますが、それを何に使っているかというと、自分が世界中にホテルを作るための資金調達に使っている。国の力から逃れるために国の力を利用している。ですから、問題の核心は、国々がどうやってこれを制御していくかということになります。
ロシアと中国問題
●ロシアは「前近代的」国家だ
──そのロシアですが、以前ロシアを「マフィア国家」だと言っておられましたが、ロシアはどういう観点から見てマフィア国家のなのでしょうか。
スナイダー 多くの人がそのフレーズを使ってきていますが、私自身はどちらかというと「オリガーキー(財閥による寡頭制)」というフレーズを使いたい。そのほうがギリシャ時代にさかのぼる歴史的な意味合いが含まれますから。古代の民主主義の議論では、オリガーキーというのは民主主義がうまく機能しなくなると台頭してきます。アリストテレスは、民主主義のリスクの一つとして、金持ちがそうでない階級を欺くために民主主義を使うこともあると言っていますが、現実にもそっくりそのまま当てはまりますね、
ロシアの特徴は、富が限られた人々に集中していて動かないという点にあります。そのために、ロシアには従来の意味での「法の支配」というものがありません。そのことをもって「マフィア国家」と表現するのであれば、そのとおりです。「法」が機能しないことと、社会的な流動性がないことが、ロシアの大きな特徴になります。
この場合、権力を握っている人々は、このやり方が唯一の方法なのだと市民を説得することでのみ、自分たちがサバイブしていくことができる。この部分が、マフィアという比喩では十分でなくなります。マフィアは、「他のやり方はない」というような説得はしませんね。ロシアのような国家は、他の選択肢はないと主張するわけです。力のある者が統治し、富める者が統治する。他のどこの国でもこれが自然の成り行きというものなのだから、現状に満足しなさいと説得するわけです。
──さらにリーダーは常に自分に対する「忠誠」を要求しますよね。
スナイダー まったくそのとおりです。「忠誠」の要求はトランプ氏とプーチン氏の大きな特徴でもあります。大事なのは「ルール(法)」ではなく個人的な「忠誠」であると。その点では確かにマフィアですが、一歩下がって見てみると、彼らのやり方は「前近代的」だという見方もできます。国家ができる以前の状態ですね。
国家ができる前は、一族というものがあった。一族の中では、特定個人に忠誠を誓うことが大事だったし、忠誠を誓った人たちは、さまざまな報酬が配られた。プーチン氏やトランプ氏には、こういうモデルが最もしっくりくるんですね。
しかし近代政治の歴史は、人々がこのモデルから抜け出すために努力して作り上げられてきたのです。一族のリーダーに忠誠を誓わなくともいいように、政治的にも経済的にも人々が自由に移動することができるようなプリンシプル(原理原則)を作り上げてきたのです。
──ちなみになぜロシアでは、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)の話題が大きな問題として取ませんとり上げられるのでしょうか。イワン・イリン(プーチンが信奉するロシア出身の哲学者、1883 - 1954)のファシスト的な哲学の影響があるからですか。
スナイダー イワン・イリンの影響はそれほど大きくないと思います。むしろ自分たちと彼らとを区別するいい方法だからでしょう。腐敗しているのは彼らのほうで、われわれは清く正しいということを強調するための方便ですね。もちろんファシズムとも関連しています。ファシズムは非常にはっきりとした男女の役割を提示しますから、とくに現代ロシアの男性的なものに対する崇拝という気運ともしっくり合っているからですね。
●ロシアにとっての本当の威厳は中国だ
──プーチン氏の「ユーラシア経済連合」構想は、ロシアがユーラシア全体のリーダーとなり、中心となるべきだと提案しています。ロシアの「ユーラシア経済連合」構想と中国の「一帯一路」構想とは、双方ともスケールの大きなものですが、どのように対照して見ておられますか。
スナイダー 私自身は中国よりもロシアについてよりよく知っていますが、両者の主な違いは、中国には、自国のパワーを広げていくための、影響力を増していくための、ある種のプランがあるように見えます。対してロシアには、自国のパワーを広げていくためのプランはないですね。ロシアのプランは、他国のパワーを下げることです。ヨーロッパを弱くすることで、ドイツやフランスの力を弱くすることです。自国を強くするより、西側の国々の力を現在よりも弱めたい。
両者の構想をつき合わせて見てみると、明らかなのは、ロシアがやろうとしているのは地政学的な自殺だということです。なぜなら、長期的にはロシアにとっての本当の���題は、フィンランドでもスイスでもスペインでもなくて、中国だからです。ロシアは、西欧の力を弱めようとしているわけで、いちばん自分たちの味方になる可能性がある国々を攻撃しようとしていることになります。
西欧の力を弱くするというのは、自分たちのエゴを満足させます。だからそうしているわけで、気分のいい派手な騒ぎを起こすことになるし、自分たちの権力を正当化させることになるし、自分たちに力があるように感じることができるし、市民に自分たちの力を宣伝することにもなる。シリアを爆撃したりウクライナを侵略したり、アメリカの大統領選挙を攪乱すれば、自分たちはスーパーパワーであると感じることもできる。しかし実際には、墓穴を掘っているようなものです。
ロシア国家がサバイブしていくためには、西欧と中国とのバランスをとることが必須になりますから、西欧を攻撃することは、このバランスを自ら崩すことになってしまいます。ロシアのやり方は、一人の終身独裁者のために短期的な勝利を求めている、ということですね。
中国のほうは、ある経済政策を展開して、長期的にはロシアを追い詰めることを狙っているとも言えるでしょうし、確実に彼らはそうするでしょうね。そこが大きな違いです。
──中国のどのような点が、ロシアにとって深刻な脅威なのでしょうか。
スナイダー むしろ中国がロシアにとって脅威でない点があるだろうか、というくらいですよね。
人口統計を見ても、ロシアの人口(約1億4400万人)に対して、中国は桁違いに多い(14億人)。投資額を見ても、中国のほうがロシアより��多くシベリアに投資しています。資源の点では、中国は天然ガスと水が必要ですし、将来的には食料も必要になるでしょう。ロシアにはそれらがすべてあります。現時点では、中国はロシアのエリートたちを買収することでこれらを手に入れていますが、将来的には中国は別の方法でこれらを入手することになるかもしれない。ロシアのエリートを買収するのか、直接奪取するのか、あるいはロシアの南側にある国々を中国側につけることによって入手するのかはわかりませんが、中国は確実に資源獲得に乗り出してくるわけです。
西欧はロシアにとって実際には、痛くもかゆくもないフェイクな敵であって、本当の脅威は中国なのです。
「テクノユートピア」と民主主義
●嘘は、人々から抵抗力を奪う
──カリフォルニア大学バークレー校の人類学者アレクセイ・ユルチャクは、1950年代から80年代の終わりにかけてのソ連社会の状況を、「ハイパー・ノーマリゼーション」と呼んでいます。システムが機能していないことを誰もが知っているにもかかわらず、代案を思いつかないので、政治家も市民もシステムが機能しているという嘘を信じるようになり、社会に嘘が蔓延して、人々が嘘に慣れてしまうという状況です。
社会に嘘が蔓延していると、一体何が本当で、何が嘘なのかがまったくわからなくなってしまうので、人々は抵抗する意欲そのものを失ってしまいます。この「嘘をばらまく」という手法は、ロシア政府がコントロール手法として、自国内のみならず世界中で実行しているやり方なのでしょうか。
スナイダー そのとおりです。しかも、おっしゃるように特定の嘘をばらまくだけではなく、すべての人々を常に不信感で満たすというやり方です。そして、確実な事柄なんてあるんだろうか、という疑いの気持ちを人々に植えつける。
不信感をぬぐえない場合、人々は家にこもる。私はこれを「カウチ(長椅子)ファシズム」と呼んでいます。旧来のファシズムでは、外に出て行進しなければならなかったけれども、プーチン氏もトランプ氏も人々に行進などしてもらいたくはない。
それよりもむしろ家にこもって、「ホントかどうかちょっとわからない。嘘かもしれない。だからテレビを見てみよう、インターネットを見てみよう」となる。そういう状況にもっていければ、彼らの勝ちです。
旧来のファシズムでは、真実を払拭して生まれた空間に「神話」を押し込むわけですが、この場合の「神話」とは、「この土地を侵略すべきだ」といったような具体的な行動を伴うものでした。現在のそれは、「何も真実ではない、だから何も行動すべきではない」というものに変わっています。われわれがすべてのお金を獲得して、われわれのやりたいようにやるから、あなた方は家にこもっていなさい、と。確かにこれは非常に効果的な策略で、使っているほうは、その効果を十分に承知しながら使っています。
では、これに対抗する唯一の方法は何か。それはつまり、
「知識は重要だ」
「確認できる事実はある」
「事実は大事だ」
という倫理的な立場をしっかり認識することです。
われわれは自己防衛のために消極的な態度をとってきていて、それは確実に権威主義を下支えすることになっています。すべては単なる意見の違いだとか、あなたの意見も私の意見も両方ともいい、と言ってしまう。地球は平らだ──いや丸い、チョコレートは甘い──いやレモンのようだ、など、(明らかに事実と違っていることでも)みんなさまざまな意見をもっているんだ、ということで放っておく。リベラルな人たちや左側の人たちは、現実の世界というものに無関心で、事実をしっかりと確認することから逃げてきた。一方で、金持ちやメディア操作に長けている人たちが、こういった態度を利用して、リベラルを攻撃することに用いてきたのです。
ですからここで今一度古いやり方に戻って、事実を見つめ、現実をしっかりと手中に取り戻さなければならないと考えています。
●完全な「透明さ」とは全体主義のこと
──これらを踏まえて、インターネットについて伺いたいと思います。
IT産業に携わっている人たちは、テクノロジーは個人の力を増して、分散型社会をもたらし、それによって世界はより安全に、より透明に、そしてより民主的になっていくと言います。「テクノユートピア」と呼ばれる考え方です。彼らによると、より多くの人々がソーシャル・ネットワークを使ってつながり合うことで、恐怖や、外国人恐怖症、偏見、差別といったことから解放されていくと言います。
しかし現実には、インターネットは個人ではなく、ますますもってごく少数の大規模情報企業やプラットフォーム会社によってコントロールされていますし、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者が行った大規模なツイッターアカウント追跡調査結果によると、インターネット上では、嘘は真実より70%もリツイートされる可能性が高く、6倍も速く広く深く伝わることが明らかにされました(Science, March 8, 2018)。
しかも、インターネットの普及率は2006年の20%から、2018年には50%まで上がっているのですが(Statista:Global internet access rate 2005-2018)、ポピュリズムの人気も2000年には8%だったものが2018年には25%まで上がっていて(Milken Institute Symposium, Europe: Past Tense, Future Perfect?, July, 2018, Yascha Mounk [ハーバード大学]の発言)、インターネットの普及が必ずしも民主主義を下支えすることになっていないわけです。
あなたは「情報の分野で成功した人たちは、むしろナイーブな世界観をもっている」(Big Think, Sept 18, 2018)とおっしゃっています。
スナイダー つまり「なぜ『ナイーブ』という表現を使って、『悪徳 sinister』という表現を使わなかったのか」という質問ですか(笑)?
確かに初期のころは「ナイーブ」な人たちもいました。インターネットはできるだけ自由にしておいて、広告費で運営するという形でいいと無邪気に考えていたまじめな「リバタリアン(個人的な自由と経済的自由を求める、自由至上主義者)」たちがいたのも確かです。
ただ、ある時期を越えたら、たとえば最初の10億ドルを稼いだ後は、もはや無邪気であるとは言えませんね。若いころそのように考えていて、ソーシャル・プラットフォームを立ち上げ、世界で屈指の金持ちになったら、もはや「ナイーブ」とは言えない。その時点ですでに「悪徳」です。「善良さ」を偽った悪徳ですね。あるいは「オプティミスト(楽観主義者)」を装った「悪徳」です。
インターネットの問題としてあなたがあげたことはすべてそのとおりです。インターネットの根本問題は、「透明さ」が必ずしも良いとは限らないという点です。われわれが自由であるためには、自分の一部はプライベートでなければならない。(集団としてではない)自分自身の夢をもっていなければならないし、自分の行動や性質のパターンは自分のものでなければならないし、人間関係の一部は外から覗いただけでは理解できないようなものでなければならない。
完全な「透明さ」とはすなわち全体主義のことです。全体主義とは、パブリックな部分とプライベートな部分の区別がないという意味です。「自由」が存在するためには、プライベートとパブリックの区別が存在していなければならない。ですから、社会のすべてが、「透明になる」というのは恐ろしい予測です。ロシアのどこかにあるマシーンが私の脳の化学変化を分析するというのは、考えただかでも恐ろしいシナリオです。でもわれわれは他人のプライベートライフについては興味があるので、このシナリオに乗ってしまう。そうすると結局、自分たちのプライベートライフも、よく考えずに公開してしまうことになる。これが「透明になる」ということが意味するものです。
もう一つあなたがあげた「恐怖」は、重要なポイントです。ソーシャル・プラットフォームは、何がわれわれを不安にさせるのか、何がわれわれに恐怖を感じさせるのかということを探知するのに長けています。しかもそれを使って、ますますわれわれを不安や恐怖に陥れ、インターネットにより多くの時間を使って広告を目にするよう仕向ける。そうなるとわれわれは、ある意味で自分自身のパロディ(滑稽な分身)と化してしまうのです。
私の知っている人たちがそうなってしまったのを、この目で見ています。あなたもおそらくそういう人を身近に知っているでしょう。かなり複雑で深い世界観をもっていた人たちが、ある種の恐怖にからめとられてからは、それがますます重要なことになって、そればかり話題にするようになってしまった。それがインターネットがもたらす影響なのです。
さらに根本的なことを言えば、「インターネットは人間ではない」ということです(笑)。
インターネットはそのほとんどがアルゴリズム、つまりコンピューター・プログラムなわけですね。そしてこれは誰も言わないけれども、非常に本質的な点なのですが、「インターネットはわれわれのことを親身になって心配していない」ということです。全然、まったく(笑)。
インターネットは、海や宇宙がわれわれのことを心配してなどいないように、まったくもって気にかけていない。子猫や、子犬が画面に現れて、一見親しみやすそうに見えますが、プログラムはわれわれのことなどまったく無関心なわけです。
──確かに非常に興味深い点です。
●インターネットはスパイの温床になる
──では、インターネット上で行われている、サイバー戦争についてはどうですか。アメリカは2016年のサイバー戦争でロシアに完敗したということですが、その原因はテクノロジーと人々の生活の関係が変わったために、ロシアの諜報機関が得意とするいわゆる「積極工作 active measures(さまざまな心理操作やメディア操作により、敵を攪乱・分断・崩壊させることを目的とした諜報活動)」の活動員たちに、大きなアドバンテージを与えることになったからだというものです。でもこのやり方は、アメリカの諜報機関がずっと世界中で行ってきたことではないですか。なぜロシアにとくにアドバンテージがあるとお考えですか。
スナイダー まず言っておきたいのは、ロシアがアメリカの大統領選挙で勝利したという本を読んだからといって、それでわれわれ(アメリカ人)のほうは無実だと言いたいわけではありません。私自身が最も嫌うものの一つは、「自分たちは何も悪いことはしていない、相手がひどいことをしただけだ」というような「無実」についての主張や議論です。もちろんアメリカも他の国の選挙に干渉してきました。これはひどいことです。どこの国であろうと、他国のみ選挙に干渉するのは倫理的にやってはいけないことです。だから、アメリカが中南米の国々の選挙に干渉するのは、ひどいことですし、ロシアがアメリカの選挙に干渉するのも、ひどいことです。一市民として、これらは忌避すべきことであると考えています。
こう前置きしたうえで、2016年のアメリカ大統領選挙へのロシアの干渉についてですが、特筆すべきなのは、われわれのオープンかつナイーブなインターネットに対する態度というものが、おっしゃったような旧来の諜報活動メカニズムが働くための大きな通路をひらいたということです。
「積極工作」という旧来の手法は、まずあなたの心理についてよく研究して、それを今度はあなたを陥れるために利用する、というものです。一見良さそうに見えるけれども、よく考えてみたらあなたにとっては不利なことだったというような結果を招くわけです。
ただこの「積極工作」を、従来のように人間同士の間で実行するのは容易なことではありません。人間同士の関係性を築いて、最終的にはあなたが夢にも思わなかったようなことをあなたにさせるようにもっていく。非常に難しいことですね。ところがテクノロジーをもってすれば、これがかなり容易くなるのです。スケールを大きくすることでこれが実行できるようになってしまう。
もし現実世界で「積極工作」をあなたに仕掛けようとするなら、いろいろな周囲の人間関係を巻き込んで、さまざまなシナリオを築き上げなければならないわけで、それらをすべてが破綻しないようにもっていくのは至難の業です。
ところが、この「積極工作」の対象が、あなた個人ではなく1億4000万人(フェイスブックを通じてロシアのプロパガンダに接した人の数)以上のアメリカ人ということになると、このスケールの大きさを利用して、これらの人々に働きかけることになります。そうなると、すべての人々を説得する必要はまったくなくて、その中のごく一部の人々を説得して自分たちの望む方向に誘導すればいい。それだけで選挙結果を左右して、自分たちに都合のいい勝利をもたらすことができるのです。
そしてこれは重要な点ですが、その際彼らが私を「信用する」必要などまったくないのです。
従来の「積極工作」の場合、あなたが工作員を信用する必要があります。「あなたに自分の利益に反する行動をとらせる」という最終目的に達するまでのシナリオを、あなたがすべて信用しないことには成り立たないからです。
ところがコンピュータの場合、人々はなぜかコンピュータを信用してしまうんですね。
自分で作ったものでもないのに、自分のコンピュータだと思ってしまう。インターネットも自分のものだと勘違いしてしまう。しかも画面上に出てくるウェブサイトは、自分がそれを選択しているのだと錯覚する。実際には彼ら自身が選択したものではなくて、広告会社や宣伝目的で雇われたひとが、ユーザーの性向や嗜好をフォローして、あらかじめより分けて提供しているのです。
ロシアはフェイスブックを通して、あなたの好みを把握すると同時に、それらを使って人々をある方向に誘導し、社会を攪乱・分断させた。これが実際に起こったことです。
テクノロジーは、悪意をもってわれわれを操作しようとする人々の前に、われわれを容赦なく裸でさらしたのです。今後はこれを教訓として、国家のみならず個人のレベルでも、こういった操作に容易に引っかからないようになることを願っています。
──確かに私たちはインターネットに対して非常にナイーブで、もたらす結果の重要性をあまり考えずに、自分たちを簡単にネット上にオープンにしてしまいます。
スナイダー そうです。
すべての国は長所と短所を備えているわけで、アメリカはどちらかというと相手をすぐ信用する「高信用社会」ですね。アメリカ人がある領域で素晴らしい能力を発揮するのは、あるレベルの相手をすすんで信用するという性質があるから。ロシアとは異なります。ロシアは相手をなかなか信用しない「低信用社会」です。
アメリカでは、自分とある程度似ている他の人を信用する傾向があって、それがビジネスに役立ってきたのです。ロシアはインターネット上に、アメリカ人が自分たちと似た人たちがいると錯覚するようなサイトをたくさんでっち上げた。もっぱらアメリカ人をターゲットにして、彼らの興味や嗜好に合わせて別々のサイトを用意しました。黒人用のサイト、白人至上主義者用のサイト、南部の人たち用のサイトをそれぞれ作って、彼らが自分たちと似たような人たちとコミュニケーションしているんだと錯覚するように操作した。だから人々はそれらに引っかかったのです。
これはバカだったとしか言いようがありません。アメリカ人にとっていちばん難しいのは、自分たちが騙されたことを正直に認めることです。誤りを犯した、インターネットに騙された、ロシア政府に一杯食わされた、と素直に認めるのが本当に難しい。だからそうする代わりに、これはロシアがやったことではなくて、自分がこれを信用して選んだんだ、というふうに自己納得させようとします。
これはアメリカ人に限ったことではありません。われわれは誰もが、インターネット上で騙された経験をもっているはずです。まずそれを認めることが重要です。
最悪の暴力と「良い不完全」
●市民ではなくなった時に、最悪の悲劇が起こる
──ご著書について少し質問させてください。
『ブラッドランド』と『ブラックアース』は、これまでのホロコースト観を大きく変えるインパクトをもたらしました。
まず「1933年から1945年の間に、バルト海と黒海の間そしてベルリンとモスクワとの間の地域で、約1400万人の人々が意図的に殺害された」わけですが、ご著書によると、次のような一般に知られていなかった点を指摘されています。
①「反ユダヤ主義」が戦争の主な原因ではなく、食料を確保するために農耕地を求めたことが主理由であって、当時の食料は現在の石油のような重要性をもっていた。
②ホロコーストは、ドイツ人国内でドイツ人によって行われたのではなく、むしろドイツ人が侵略する以前にソ連によって大規模な侵略殺害が行われた東ヨーロッパの地域でこそ、主に実行に移された。
③大量殺害は、ソ連のNKVDやドイツのSSによって行われたのみならず、多くの地域住民によって実行された。彼らは自らサバイバルを懸けて、ドイツのために働く以前はソ連のために働いていた。
これらを踏まえて、なぜある国々ではユダヤ人はほぼ生き残って、別の国々ではその多くが殺されてしまうことになったのか *1、お話しいただけますか。
*1 エストニアでは99%のユダヤ人が殺され、オランダでも75%のユダヤ人が殺されたが、デンマークでは親ナチ政権だったにもかかわらず99%のユダヤ人が生き残り、フランスでも75%のユダヤ人が生き残った。
スナイダー 『ブラッドランド』では、誰がどこで死んだのかを記録しようとしました。「ホロコースト」には地理部分が欠落していましたから、一体どこでユダヤ人たちが死んだのかを検証したわけです。そして、ユダヤ人たちが死んだ地域では、他の東たちも何百万という単位で死んでいった。その背景には理由があるはずだと考えたんですね。
たとえば、ドイツもソ連も(食料確保の目的のために)肥沃なウクライナに大いに関心があった。ウクライナには多くのユダヤ人が住んでいて、ドイツがウクライナに侵攻するには、さらに多くのユダヤ人たちが住んでいたポーランド領域を通る必要があった。
私の論点は、ヒトラーはユダヤ人を最終的な敵として見ていたけれども、実際に戦争を始めるまでは、彼らを殺害するには至らなかった。で、その戦争はウクライナの領地をめぐってのものでした。ですから二つの事柄が同時に起きたことになります。ドイツは食料確保のためにある他国の領地をコントロールしようとしたけれども、その領地にはたまたま多くのユダヤ人が住んでいた。戦争がひどくなっていくに従って、次第に領地のコントロールよりも、ユダヤ人殺害そのものが目的となっていった、ということです。
『ブラックアース』で言いたかったのは、人々を殺害するための条件を整えようとする場合、最初に行われるのは、インスティテューション(国家や組織といった体制)をとり除いてしまうことです。権威主義や国家主義と��うものは、それだけでは大量殺戮には直接つながらないということを言いたかった。大量殺戮とは、別の国がもっている権力を払拭することで、まず人々を一挙に脆弱にし、その後で国家権力を行使する形で行われるのです。
これは少し説明がいります。われわれは、強い国家権力はその市民を虐げると思いがちですね。それもそのとおりで、たとえば現在中国は、実際ウイグル人のイスラム教市民を抑圧し、彼らをキャンプに収容していますし、ミャンマーでも、イスラム教市民が抑圧されている。これらは強力な国家権力が、自国市民を抑圧している例です。ですから、そういうことも確かに起こります。
しかし最悪の暴力とは、ある国家が別の国家の領地に侵入していって、その領地そして国家を破壊したうえで行使される時のものです。このやり方がヨーロッパにおける帝国主義の全歴史です。ドイツが、ここにはポーランドは存在しない、ソ連も存在しない、だからこの土地にいる人々をどうしようとまったく構わないのだと宣言した、そういう条件がそろった状況で初めて、ユダヤ人の大量殺害が可能になったのです。
ある国はもはや存在しない、とドイツが宣言した地域においてはユダヤ人の大量殺戮が実行されたけれども、ドイツの同盟国では、多くのユダヤ人が生き残った。そういう国が、たとえ権威主義国家や、極右支配国家や、親ナチ国家だったとしても、国家権力が自国の市民を殺害するとなると、これは一挙に難しくなるからです。
つまり、国家がある国によって破壊されると、別の国がその地域を蹂躙してホロコーストを始めることを促進することになる。二度の侵略を受けた地域では、ユダヤ人は非常に高い確率で消滅していった一方、国家が存続していたところに住んでいたユダヤ人は、高い確率で生き残ったのです。
──ヒトラーとスターリンは、両者とも領地と食料を求めて戦争をしていたわけですが、どういった点が大きく異なっていたのでしょうか。
スナイダー 二人は似たところがありました。グローバリゼーションに対処するアイディアというものをもっていた点、一党独裁で国家を運営していくことが可能だと考えていた点、そして両者ともあらゆることを、つまり歴史や時間というものを加速度的に進めようとした点。
違いは、スターリンの敵は資本主義でしたが、ヒトラーは民族ということに焦点を絞っていて、ユダヤ人による陰謀ということを考えていた。とくに30~40年代、スターリンは大きな領域をコントロールしようとしたのに対し、ヒトラーは大きな領域を変えようとしていた。そしてスターリンは自国領の末端部分の人々を殺したけれども、ヒトラーはポーランドとソ連と戦争をしながら、その領域で主に殺戮を行ったわけです。
●「われわれ VS 彼ら」という対立構図を避けよう
──ナチ党の主要指導者の一人であったヘルマン・ゲーリングは、こう言っています。
「もちろん人々は誰も戦争などしたくはない。しかし、政策決定するのは国の指導者たちなのであって、それが民主主義だろうとファシスト独裁主義だろうと議会制だろうと共産主義独裁だろうとまったく関係なく、人々を(戦争に)同意させるのはいつも簡単なことなのだ。単に、われわれは攻撃されたんだと言いふらし、平和主義者たちを、国に危機をもたらす愛国心を欠いた卑怯者だと言って貶めればいいだけのことだ。どの国でもこの方法は必ずうまくいく」(Nuremberg Diary, Gustave Gilbert, 1947)
つまり、人々の「生き残り本能」を刺激すれば、彼らの意見や意志を変えることなど朝飯前だというわけです。確かに9・11後のアメリカで、2003年にイラク戦争を始める際には、この方法が効力を発揮しました。
このような落とし穴に落ちないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
スナイダー まず初めに、いかなる場合でも「われわれ VS 彼ら」という対立構図を作る政治のやり方は大いに危険であると、常に意識していることが大事ですね。確かにありとあらゆるシステムでこの(ゲーリングが指摘した)やり方が可能ですが、その効果には差があって、この方法が容易く実行できてしまうシステムと、そうでないシステムもあります。
市民権が弱く、報道機関が脆弱な国ほど、この手法が効果を発揮する。たとえば今日のアメリカでは、トランプ氏は、メキシコや中国への過激発言をすることで、かなり多くの人々を煽動することができますが、すべての人々を動かすことはできないし、明日メキシコを侵略するぞと宣言しても、すぐにそれに対する強力な不支持に突き当たることになります。
ですから、ゲーリングの言っていることはある程度正しいのですが、いつも必ず効力を発揮するとは限りません。肝心なのは、「われわれ VS 彼ら」という対立思考に代わるものとして、一体どのような考えを人々の中に広めていったらいいのか、という点ですね。これは先ほど話に出た「事実を探求すること」につながります。事実の探求は、「われわれ VS 彼ら」という単純な対立構図をずっと複雑なものにします。
それと、「ポジティブで倫理的な民主主義」とはどういうものかということを、積極的に考えてみることが大事です。民主主義とは、単にわれわれがもっている制度だというふうにとらえるのではなく、政党や労働組合やさまざまな組織を通じて人々を社会的につなげる制度であるととらえる。そうすることによって、状況は複雑になり、人々が「われわれ VS 彼ら」という単純な構図をとりにくくするわけです。もしメキシコ人が同じ労働組合や教会のメンバーだったら、それだけですでに、われわれが善いほうで彼らが悪いほうだという「われわれ VS 彼ら」という区別をするのを少しためらうでしょう。
加えて、権力の分散が重要です。トランプ氏は、もし彼自身が指さすだけで、ある国や地域を侵略することができるのだったら、大喜びでしょう。ホワイトハウスで働く人たちが証言していることですが、トランプ氏は、実際にそうしようとしたことがすでに何度もあるようですね。そうさせないよう彼を説得したと。権力の分散は、大統領でさえそれによって制約されることを意味します。メキシコの例に戻るならば、もしトランプ氏が実際にメキシコを侵略しようとしても、現在の分断した米国議会でさえ、(共和党と民主党が)そろって阻止しようとするでしょうし、他の公的機関も阻止するでしょう。
ゲーリングの言ったことはそのとおりです。これはいつの時代でも起こりうることですし、その傾向はいつの時代にもあります。大事なのは、われわれは、社会が多様性を包容できるようにもっていくことができるのか、社会がプロパガンダに対して懐疑的になるようにもっていくことができるのか、ということですね。
●国家はサイエンスに投資すべきだ
──『ブラックアース』の結論部分で、「ホロコーストを理解することは、おそらく人類存続のための最後のチャンスになるだろう。••••••国家というものは、将来について冷静に思考するためにサイエンスに投資すべきだ。時間が思考を支え、思考が時間を支える。構造が多様性を支え、多様性が構造を支える」と書かれていますが、「ホロコースト」はどのような新たなレッスン(教訓)を今日の世界に提供できるのでしょうか。また、国家はなぜサイエンスに投資するべきなのか、お話しいただけますか。
スナイダー あの本は2014年に書いたものですが、未来をわれわれ自身の手でなんとかしなければならないという強い思いがあって、将来、気候変動問題がさらに深刻化して、資源確保をめぐっての競争が激しくなり、食料や水、領地をめぐって、人々の恐怖意識と闘争意識が高まっていって、「われわれ VS 彼ら」という対立が際立ってくるだろうという危機感がありました。
未来を考えるにあたって、二つのやり方があります。まず、ヒトラーが言ったように未来とは「避けられない闘争」であると考えるのか、それとも「われわれ人間は理性的に世界をとらえて、道具を創造し、それらの道具が時間を生み出すことを可能にする。それによって将来の悪いシナリオを避けることが可能となり、2年、5年、10年、20年という時間がわれわれに与えられ、子どもを作って、その彼らにも未来があるのだと想像することを可能にする」と考えるのか、ということです。
これまであまり注意が払われてこなかったのですが、この本で指摘したかったのは、ヒトラーがサイエンスに反対していたという点です。ヒトラーは「サイエンスが未来を作るというのは、ユダヤ人が生み出した幻想だ。テクノロジーは使えるかもしれないが、それによって『われわれ人間は闘争する存在だ』という原理原則が揺らぐようなことはない」のだと言っていました。
サイエンスは重要です。それは歴史と同じく、原因と結果についての研究で、そこには過去と現在と未来という軸があります。サイエンスは、われわれ人間に未来というものを期待させてくれるから重要なのです。
もしサイエンスを支持するのであれば、そこには原因と結果があると認識することになる。現在の状況には過去の決断の影響があると認めることになり、現在のわれわれの決断が未来に影響を与えるということを認めることになります。サイエンスは多くの事柄の基本です。
現アメリカ大統領と行政府は、サイエンスと人文科学の両方に対して非常に敵対する態度をとっています。人文科学はどこに問題があるかを指摘し、サイエンスがそれをどのようにして解決するかを提示するのですが、現行政府は(問題を解決するどころか)次々と新たな問題を生み出しているというのが現状です。
●民主主義は時間を稼ぐ
──では、その大統領を選出した民主主義についてですが、「最も不完全な民主主義でも、最も完全な独裁主義よりまだはるかにましだ」と言う人もいますが、賛同されますか。
また、「民主主義とは、何度も間違いを犯すことを可能にする制度であり、国家が『時間』を稼ぐためのシステムだ」とおっしゃっていますが、なぜ繰り返しやり直すことができることがそれほど重要なのでしょうか。
スナイダー これは世界を基本的にどうとらえるかということと関係しています。
私自身は「完全(パーフェクト)な独裁主義」などありえないと考えます。なぜならパーフェクトな独裁者など存在しないからです。いちばんいい時でも、われわれは誰一人としてパーフェクトではありえない。完全な独裁主義がありえない理由は、世界全体を把握するアイディアというようなものは、決して作りえないからです。そのような完全さはありえない。
われわれに必要なのは、「良い不完全」というものです。あなたも私も、誰もがしばしば間違いを犯すのであって、あなたの倫理観と私のそれとは異なっていて、一致してはいないということを、オープンに言うことができるシステムです。どのようなシステムが、ひどい犠牲を払わずに「不完全」であることを許容できるのか。自分とは倫理観の異なる人たちを踏みつぶすことなく、自分の倫理観を表現できるのか。実はこれらこそ「民主主義」や「多元主義」が可能にしている事柄なのです。
これらのシステムでは、われわれは自分を表現することができて、勝つこともあれば負けることもあるし、自分の倫理観に基づいて投票することはできても、ほとんどの場合、自分の意見を他人に強要することはできません。世界が不完全だからこそ、「民主主義」が良いシステムなのです。
良い民主主義のもとでは、多様性というものが祝福されます。あなたと私とは常に異なる人格をもった人間だという認識、個人主義というものが祝福される。これはいいことです。ある特定の人物があなたや私を完全に代表することはできません。(たとえば国家といった)インスティテューションこそが、多様性を許し、表現の自由を許すのです。だから民主主義が良いシステムなのです。
そらから、神でない限り、いかなる独裁者も必ず死にます。そのことだけでも完全な独裁者というものが存在しないことは明白ですね。誰でも必ず老いて死ぬわけだから。そして老い際に、システム全体も道連れにして崩壊させることになります。独裁主義のもとでは、特定の個人そのものがシステムだからです。
民主主義はもっとカジュアルです。民主主義のもとでも、人々は病気になったりして死にますし、選挙に負けたりもする。それでも「手続き」というものが存在していて、その「手続き」が時間を稼ぐのです。そうすることで、たとえリーダーが亡くなっても(選挙によって代わりの人を立てることができるし、人が交替してもシステムそのものは機能しつづけるので)、続けて国家も一緒に崩壊してしまうのではないかと心配している人々がパニックを起こすようなことは避けられます。この点が重要なのです。
──ちょうど種の多様性の増大が、地球を安定化させてその耐性を高めてきたことと似ていますね。
スナイダー それはいい例です。
暴政を避けるためのレッスン
●忖度による服従をするな
──あなたの『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(2017年)は、とても身につまされ励まされるものでした。たとえば、
「言葉を大切に」は、貧しい言葉が全体主義を招くというジョージ・オーウェルの『1984年』の世界を思い起こさせますし、「真実を大切にせよ」と「よく調べよ」は、嘘を遠ざけて自由を守るためには必須の態度ですし、「職業倫理を忘れるな」と「できうる限り勇気を持て」、いずれも実行するのはそう簡単ではないですが、常に意識していないと、つい不本意なことに引きずられる結果となってしまいます。
で、まず第一にあなたがあげた「忖度による服従をするな」というレッスンについてですが、アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラム(1933ー1984)の実験 *2 を紹介していました。それによると、人々は、「命令に従うことが、社会をより良くするために自分が果たすべき責任である」と信じた場合、いかに残酷な命令であっても良心の呵責をまったく感ずることなくそれに従うことができる、と。
そしてご存じのように、ハンナ・アーレントは『エルサレムのアイヒマン』の中で、アイヒマン個人は、「『反ユダヤ人』という考えをまったく持っておらず」「検察側のありとあらゆる努力にもかかわらず、誰の目似も明らかなのは、この男(アイヒマン)は『モンスター』などではまったくないということだ」と語っています。すなわち誰でもアイヒマンになる可能性があるのだと。
私たちには優れた想像力というものが備わっているので、ごく自然に他人が一体何を欲しているのかを知ろうとします。それは幼児や老人や病人の世話をする際には、とても素晴らしい働きをしますが、同時に「忖度による服従」というような行動を生むことにもなってしまうわけです。
一体どうやってこのごく自然な人間の性向というものに抵抗したらいいのでしょうか。
*2 アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラムによる「隷属行動の研究」実験は、一般市民が特定の命令のもとでは非常に残酷な行為を平気で行うことができることを証明するもの。教師の役を与えられた被検者は、壁の向こう側にいる生徒役の人物に簡単な単語問題を出し、生徒が間違えると生徒に電気ショックを与え���よう指示される。電圧は15Vから始まって最大450Vまで15Vずつ上げていくことができ、加圧量に従って、生徒に反応する声が聞こえるように設定してある。生徒役には実際の被害はないのだが、被検者にはそれがわからず、本物としか思えない声が聞こえてくる。実際生徒の、痛みを訴える声から、絶叫、そして苦悶の金切り声、失神して無反応になる、まで聞かされるのだが、指導者から静かにかつケンイテキニ実験継続を施されると、驚いたことに、生徒が絶叫して実験中止を懇願する300Vまでは、なんと100%の被検者が加圧し続け、最大の450Vまでスイッチを入れた者は65%にものぼった
スナイダー 今おっしゃったことの中にすでに答えがあります。市民であるということは、自分が置かれている状況がどのようなものなのかをしっかりと識別するということです。
たとえば街の会合(タウンミーティング)に行くとします。まず会場に入って椅子に座る。これは誰もがやっていることだから、そうすべきことですね。しかし数人が手をあげて、「町の工場が汚染された廃液を川に流しているけれども、それは許容範囲だ」というような発言をした場合、たとえ大勢の人が許容側であったとしても、「とんでもない、それは許容できない」と、しっかり反対意見を言うべきなのです。重要なのは、椅子に座るという皆と同調した行為と、肝心な時には反対意見を述べるという行為との違いを、はっきり認識するということです。
先ほどの「多様性」の話に戻りますが、たとえば野球を観にいくと、みんなと同じように声援を送りますが、時には他の観衆とはまったく反対の行為をすることもあるわけです(たとえばヤンキー・スタジアムで、並みいるヤンキースファンの中で、レッドソックスを応援するようなもの)。個人として自立するためには、これら両者の違いがわかる必要があります。
それこそがわれわれをして独立した個人たらしめるものです。この違いがわかるためには、繰り返し練習する必要があります。どこで線を引くのかということですが、誰もが同じところで線引きをする必要もありません。でも線を引くことができなければならない。だから第一レッスンが「忖度による服従をするな」ということなのです。
場合によっては、「これは今の私にとって普通(ノーマル)じゃない」と、しっかり言うことができなければならない。すべてのことをノーマルだと許容するのであれば、結果として権威主義を許容することになってしまうからです。
●組織や制度を守れ
──20のレッスンの中で、とてもユニークなものの一つは、「組織や制度を守れ」というものです。この「組織」の中には、いかなるサイズの組織も含まれるのでしょうか。たとえば宗教組織とか結婚なども。
スナイダー それは面白い点です。私が意味した「組織」とは、政府組織や、さまざまな非政府組織のことです。「ホロコースト」研究からみちびかれた結論は、これはちょっと保守的に聞こえるかもしれませんが、どんなに不十分な組織であっても、まったくないよりはましだということです。そして、うまく機能していない組織があった場合、それを壊してしまうよりは、改良して使えるようにするほうが望ましい。
たとえば、私自身はアメリカの最高裁判所が下した判決に対して大いに不満をもっていますが、だからといって憲法まで破棄してしまおうとは思わない。一般的に言って、国家の組織は、物事が急激に変わってしまうのを防ぐ役割を果たします。これによって体制が激変しないよう防御すると同時に、個人が孤立してしまうのを防ぐ役割も果たします。
アメリカでは現在人々が選挙に立候補していますが(2018年11月の中間選挙)、立候補することで彼らは「議会制度」を守っているのです。票を集めるために、他の人たちと一緒に活動することになるからです。非政府組織も同じです。労働組合でもボーイスカウトでもローカルな野球チームでも、そしておそらく結婚でも、それらの組織や制度は、人々が一人になってしまうことを防いでくれる。人間はまったく一人になってしまったら、完全に負けです。
アメリカにおける「自由」のコンセプトは誤解を招きやすいところがあります。たとえばよくアメリカ映画に出てくるのは、たった一人のヒーローが最後に世界を救うというようなストーリーで、宇宙からの敵を相手にするにしろ何にしろ、いつもたった一人のヒーローが救済するわけですが、実際には、たった一人になったヒーローは必ず負けてしまうのです。言い換えると、一人にしてしまえばその人を必ず敗北させることができるということでもあります。
組織は、われわれは一緒だということを自覚させてくれます。その中で初めて、個人が一人で何かをするということが可能になる。ですから国家組織と非国家組織の両方ですね。
──宗教組織もですか。
スナイダー (躊躇しつつ)一つ以上存在することを許すなら、ですね(笑)。
●相手の目を見て世間話をせよ
──もう一つのユニークなレッスンは、「相手の目を見なさい。そして世間話(スモールトーク)をしなさい」というものです。私たちはどちらかというと「世間話」というのはとるに足らないものだと教わってきましたし、インターネットを通じたコミュニケーションが増えることで、ますます相手の目を見つめる機会が少なくなってきています。なぜ相手の目を見ることと世間話をすることが重要なのでしょうか。
スナイダー このレッスンについては、ほとんどすべての人が質問してきます(笑)。
おそらくほとんどの人が、これは真実だと直感的にわかっているからでしょう。お互いに相手が人間であることを認識し合うことが大事だと知っているからだと思います。このレッスンの本質はここにあります。
コンピュータと目を見つめ合うことはできません。目線を向けることはできても、見つめ合うことはできない。コンピュータは見つめ返してくれません。動物たちと見つめ合うことはできるし、人間同士見つめ合うこともできます。見つめ合うということは、相手がそこにいることを認識することであり、エレベーターの中でも、バーにいても、誰かが目を見つめたら、必ずわかります。目を見つめられたら、それを無視することは非常に難しい。
なぜこのレッスンを入れたかというと、人々が分裂してしまうことや細分化してしまうことをできるだけ避けたいと思っているからです。現実の世界で実際に他の人たちと直接接触できる貴重な機会があった場合には、それらの人たちと一緒にいるということを実感したい。
目を見つめるということは、同時に肯定することも意味します。政治が悪いほうに傾いてきて、人々が孤独を感じたり抑圧されていると感じたりする場合、彼らの目を見つめることは、彼らを認識することにつながるわけです。「避けて通る」ことの逆が「目を見つめる」ということになります。
世間話をするのも、相手がリアルな存在だと受け入れることを意味します。現在アメリカでは世間話をするのはとても大事です。なぜなら、重要な話(ビッグトーク)はしにくい状況になっていますから(笑)。
自分とは異なる視点をもった人たちともつながろうとするなら、他のさまざまなトピックについても話ができなければならない。「真実でない事柄」を信じている人たちとコミュニケートするには、まずお互いに人間であると認め合うところから始める必要があります。直裁に「真実でない事柄」の部分から話を始めるわけにはいかないからです。
まず、その人たちが大切に思っていること、たとえば天候や食べ物や子どものことといった普通のことを、あなたも大切に思っているんだと伝えます。その後で、彼らとは異なる意見の部分を提示する。それでも彼らは同意するとは限りませんが、少なくともあなたを人間だと認めることになりますし、異なる意見をもった別の人間の存在を認識することでになります。
●愛国者(パトリオット)は歓迎するが、国粋主義者(ナショナリスト)は願い下げ
──レッスンの一つは「愛国者であれ」というものですが、オルダス・ハクスリー(1849ー1963)は、「愛国心というものの最大の魅力の一つは、自分たち自身は深く善良であると感じながら、相手をいじめたり欺いたりするという、われわれの最悪の欲望をみたすことができるからだ」と言っていますし、バートランド・ラッセル(1872ー1970)も、「愛国心というものは、つまらない理由のために殺したり殺されたりする意志のことだ」と言っています。
あなたはどうやってハクスリーとラッセルを説得しますか。
スナイダー オスカー・ワイルド(1854ー1900)も「愛国心とは悪党の最後の砦だ」と言っていますし、リストはまだまだ続きます(笑)。
「原則」の問題と「実践」の問題を考えています。
まず原則について考えてみましょう。自分自身のアイデンティティが自分の外側に向かっていくことによって集団の原則となるわけです。「愛国心」と言った場合、自分の国が正しいとか誤っている、といったようなことを問題にしているのではないですね。私はある原則というものをもっていて、それは国家の原則でもあるべきだ、というふうに考えるのが「愛国者」です。
アメリカではたとえば「自由」がこの原則に当てはまります。そして愛国者は、個人だけでなく国家もこの原則に従うべきだと考える。この意味での愛国者は、決して満足するということはないですし、「リーダーがやることはなんでもOKで自分はそれに従う」などとも言いません。
アメリカの原則を「自由」だとするなら、愛国者だったら、国旗に対して敬礼をしなければならないと考えるのか、それとも(たとえば大統領の態度に反対して国旗に敬礼しないという態度をとるような)抵抗を示してもいいと考えるのか。もし原則が「自由」ならば、もちろん抵抗してもいいというふうに考えるはずですよね。抵抗することはむしろ歓迎されるべきことになるはずです。愛国者というのは、国をしてある方向に向かわせようと努力する人々のことだと理解しています。
これに対して「国粋主義者」のほうには、あなたがおっしゃった事柄がすべて当てはまります。国粋主義者は、リーダーの言うことにすべて従うことはOKで、これは私の国で、私の国は常に正しく、グループの名のもとに抑圧行為をしても許されると考えるのです。
原則として、万能な人間などいないですし、完全に純粋な人間も存在しません。可能なのは、自分が所属するグループをある共通するスタンダードにもっていこうと努力すること、これが愛国心です。「愛国者であれ」というのは、「国粋主義者にはなるな」という意味でもあります。
「実践」の問題としては、もし人々が自分の国について、つまり実際の政治が行われるところについて、そして愛国心というものについて、語り合うことを躊躇するならば、結果として国に対する良い感情を逆の側(極右側)に利用されることになります。これはまったくの愚策ですね。自分の国に対してなんらかの発言をすることを躊躇していると、極右側にいい口実を与えてしまうことになる。「左側や中道派の連中は自分の国を恥じているんだ」と極右側が主張するのを助けることになってしまいます。
私自身は、自分の国を恥じてはいないし、自分の国を愛していると、ハッキリ言えます。今よりずっとましな国であるべきだとは思いますが(笑)。
そしてそのために政治というものがあるのです。政治とは、「自分の国は瑕疵のない素晴らしい国だ」と言いまくることじゃない、それは政治ではなく怠慢です。
政治とは��「われわれはこれらの事柄を大事にしているし、この国を愛している。だからこの国にはこれらの良い制作やアイディアを採用してもらいたいし、この国に住むさまざまな人々にとって、そして次の世代にとって、より良い国になっていってもらいたい」というふうに言うことです。これが私がこのレッスンで意図したところです。
●歴史を学ぶことが未来を生み、民主主義を支える
──最後に、歴史を学ぶ重要性についてお話いただけますか。
スナイダー われわれには歴史が必要です。なぜならわれわれには「時間」というものが必要だからです。われわれの後ろには、これまで人類が営々と構築してきた大きな遺産があるということを意識する必要があります。われわれはこの瞬間にのみ生きているのではなくて、われわれの存在は海の波のようなものです。海の波がこの瞬間に打ち寄せるのは、それ以前に何千キロメートルにもわたる波の構築があるからですね。この波が打ち寄せるまで、ずーっとその波は続いてきたし、さまざまな周囲の影響があって初めて、この波はこの時この場所で打ち寄せるわけです。
われわれの現在というものは、この波のようなものです。われわれは、何かが起こると驚くわけですが、もし現在というものがこれまでの長い過去の蓄積の上にあると理解すれば、それほど驚くことにはならないでしょう。過去を知れば知るほど、現状に対して冷静に対処することができるようになります。
同時に、われわれには未来が必要だから、歴史が必要なのです。
「歴史の終わり」を宣言することの問題点は、そうすることで「未来の終わり」をも意味してしまうからです。実際に1989年(東欧革命:東欧の共産主義政権崩壊が起こり、アメリカの覇権が現実になった年)以降、西欧では「歴史の終わり」ということがさかんに言われた。やはり選択肢というものはないのだと。そういう見方の問題点は、いったん「過去」について考察することをやめてしまうと、つまり過去が現在とどのようにつながっているのかという流れを感じることができなくなると、「未来」についても考えることができなくなってしまうということです。考えられるのは「現在」だけになってしまう。そして想像できる未来像が貧弱になってしまい、想像できる未来とは、単なる現在の続きとしてのそれだけに限られてしまうのです。
インターネットが良い例です。インターネットの一体どこが未来的なのでしょうか。現在の最も重要なテクノロジーですが、これらがもたらしたことといえば、われわれを以前よりやや野蛮にしたということです。
そこには何も未来的な要素がありません。インターネットのことを話題にしている人々は、実際にどのような未来像をわれわれに提供しているのでしょうか。
彼らの描く未来像とは、太平洋に彼らだけのための人工島を作ったり、彼らだけが火星に移住したり、彼らだけが永遠の命を手にすることができたり、かくせんそうになったら彼らだけニュージーランドの核シェルターに入ることができたりするもので、これらを「未来」と呼ぶことはできません。
歴史を把握しないと、可能な未来像というものが見えなくなります。これはわれわれを圧倒的に品質にしてしまう。社会を貧弱にするのみならず、民主主義を困難にしてしまう。民主主義というのは未来に対する「賭け」であるべきだからです。ある候補者やある党に投票するのは、彼らが将来これらの政策を施行してくれる可能性がありそうだし、それは将来われわれにとっていいことだと思うからです。
もし現在にのみとらわれて、未来のことを考えないようになったら、権威主義者が勝利してしまいます。未来がないのであれば、権威主義者たちは、過去にあった脅威に焦点を当てたり現在の感情に焦点を当てることになるからで、「過去」と「現在」だけが政治の対象になったら、権威主義がはびこってしまいます。民主主義が残っていくためには、「未来」への展望がなければならない。
歴史こそが、未来に向かった考察というものを可能にするのです。歴史は、過去にどのような選択肢が可能だったのかを見せてくれますし、時間の流れる方向を示してくれます。未来は明確なものではないですが、少なくともわれわれが影響を及ぼすことのできる「未来」が存在する、ということを実感ささせてくれるのです。
歴史とは、人々が感じているよりもずっとじゅかな役割を果たしています。
歴史が重要でなくなることと民主主義の衰退とは強く関連していると思います。原因と結果という関係にあると。
「嘘と孤独とテクノロジー──知の巨人に聞く」
著者 吉成真由美(インタビュー・編)
(株)集英社インターナショナル
2020年4月12日発行(インターナショナル新書)第二章ティモシー・スナイダー「テクノロジーのロシアとファシズムの関係」より
吉成真由美(よしなりまゆみ)
サイエンスライター。マサチューセッツ工科大学卒業、ハーバード大学大学院修士課程修了。元NHKディレクター。著書に『知の逆転』『知の英断』『人間の未来AI、経済、民主主義』(インタビュー・編、すべてNHK出版新書)、『進化とは何か:リチャード・ドーキンス博士の特別講義』(編集・翻訳、早川書房)等。
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