#ショールーム見学
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現在絶賛設計中の神戸市西区『haus-curv』の建主Yさんが打合せに来られたので住居スペースを案内させていただきました♪
事務所のファサード工事がまだ未完ですが随時見学案内致します。ご希望の方はDMかお電話でご予約下さい。
RoomClipも見てね♪
ユーザー名:hausuma
このrehaus-syは私の自宅兼アトリエになります。
完成した暁には事務所はココの一階に移転となり、ショールームとしてオープンなスペースにしたいと思っています♪
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月24日(日曜日)
通巻第8065号
中国EVの王者=BYDがハンガリーに進出
他方、インドはBYD進出を正式に拒否した
*************************
BYDが日本に本格進出した。本社を横浜に置き、2025年までに販売拠点を100店に拡大し、年間三万台を当面の販売目標とする。現在,東京、札幌、京都、大阪のショールームなど33ヶ所に販売店を店開きした。
BYDは世界中の従業員は29万、売り上げは日本円で41兆円。CEOは劉学亨。
日本販売の第一弾は「ATTO 3」で価格が440万円(最大補助金が85万円)。バッテリー容量は約58キロワット、航続距離は485キロメートル。第二弾予定の『ドルフィン』は363万円で,補助金は最大65万円だ。BYDオートジャパンの東福寺厚樹社長はフォルクスワーゲンで辣腕を発揮したセールスのベテランとされ、「十分競争力を持っている」と語る。
12月22日、BYDは、ハンガリーのセゲドに新エネルギー車(NEV)の製造工場を建設すると発表した。BYDは既にハンガリーで2017年にバス工場を設立、2023年6月からはバッテリー製造拠点を確保している。ハンガリーのオルバン首相はのりきであり、10月に訪中した際に深センにも赴いて、BYD工場を見学しいている。最終的な詰めは、ハンガリー政府が幾ら出資するかにかかっていた。
ハンガリーの自動車産業は世界の自動車メーカー各社が入り乱れている。トップはスズキの合弁「マジャール・スズキ」で15%のシェアを誇る。二位はトヨタ。近年、ハンガリーはEV志向が目立つようになった(ちなみにマジャール人はチュルク系の遊牧民を祖先として全欧に散在する。ハンガリーでは最大部族。混血を繰り返したため白人である)。
旧東欧で自動車産業があるのはポーランド、チェコとハンガリーである。ハンガリーにはオペル、アウディも組み立て工場をもつ。韓国勢の現代、KIA���進出している。
中国の自動車メーカーの欧州進出の突破口となるか、どうか。電池メーカーのCATLはオランダに製造拠点を計画中だし、上海汽車は欧州に車両製造工場を設立するとした。
ところがインドはBYD進出を拒否した。インドの「メガ・エンジニアリング」(ハイデラバード)と提携してインドに10億ドル規模の工場を設立するというBYD提案をモディ政権は正式に拒否した。
騎虎の勢いにあるかに見えるEVだが、欧州では補助金制度が停止されたか,或いは削減方向にあり、EV普及率はノルウェイーの80%を例外として、英国、ドイツ、フランスの普及率がまだ10%台、スペイン、伊太利亜などは4%以下。ギリシアはEVに30%の割引をしているが3%台にとどまっている。
そのうえドイツは23年12月をもって補助金を停止、フランスもアジア生産のEVは補助の対象外とした。欧州は自動車市場で欧州製品を優先する政策を採っており、全廃を決めていたガソリン車の併存を静かに止めた。
EV世界一の中国も補助金に加え、十数社がひしめきあって割引合戦がすさましい。それゆえに株価は下落し、BYDは年初来24%安だ。NIOが25%、広州汽車が17%下落、反対に株価が上昇したのは理想汽車、重慶長安汽車など数社だけである。
理想汽車は8年の歴史しかないがSUVとPHV(プラグインハイブリッド)に特化した高級車を販売し、値引き合戦からは距離を取ったのが好業績に結びついた。
中国の自動車生産は2023年推計で3000万台(米国を抜いた。日本の六倍弱)。
このうち、EVは940万台(全体の31%)を生産したが、中国内需要は減速し,輸出が500万台前後と推定されている。
▼アンゴラとナイジェリアがOPECから脱退
EV競争とアンゴラ、ナイジェリアのOPEC脱退はいかなる相関関係になるだろうか?
EVは原油の影響を受けないというのは嘘である。電力をつかってバッテリー充電をする以上、電気の需要はむしろ増える。そして火力発電は石炭と石油でなされている。中国へ景気減速にも拘わらず、日量1000万バーレルと輸入している。
ナイジェリアとアンゴラはOPEC脱退を発表した。原油価格を維持するための減産に反発し、「OPECに残れば、減産を強いられる」とした。
ナイジェリアとアンゴラはそれぞれ1971年、2007年にOPECに加盟した。
両国は非加盟国のロシアなどを加えた「OPECプラス」が23年11月に協調減産をめざす方針に反対した。
原油輸出量を維持することで、低迷する自国経済の立て直しを優先したいからである。
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20241231
皆さん、今日が何の日か知っていますか?そうです、毎月30日は美玲の日。いっけな~い、遅刻、遅刻。マジで遅刻。オバサーのおじが大急ぎで食パン��咥えながらブログを書きます。
思い出に残っている2024年オタクエピソードランキング。
1位。全ツで福島に行けた、≠MEを応援する中で出会えた友人と朝から路上で飲酒が出来た、有志の方が手配した凱旋サイネージと2S撮れた。福島の食べ物いっぱい食べられた。喜多方ラーメンが美味しかった。福島のコンビニで買って東京で飲んだ緑茶ハイ、めっちゃ美味しかった。(絶対アル中辞めないで。)
2位。年末最後のショールームでいっぱいギフト投げた(今さっき)。
今日以外のカラオケ配信もずっとずっと覚えている。全部私宛てだと勝手に思っている、そうですか。そうでないと辻褄合わないし。セトリも全部。美玲ちゃんは自分自身の言葉でファンに気持ちを伝えるけれど、それ以上に歌と踊りで自分の気持ちを伝えていることを私は知ってます。
いつかの配信で「出会ってしまった以上、もう他人じゃない」と美玲ちゃんは言っていました。一般的な既婚男性オタクが、通勤途中夏の強い日差しや冬の風の冷たさを。昼食時の空腹や帰り道の夜空の星座の位置を貴方のことを思い出しながら考えてしまっている。それはもう他人ではない、ってことなんだと思う。毎日に貴方が確かに居ました。きっと、来年もいます。
3位。オタクとの忘年会。ぶりしゃぶめっちゃ美味かった。もぎさんめっちゃ惚気てた。ゆきとさんと山手線始発からめっちゃ何週もした。△さんと何話したかマジ何も覚えてない。すいません。埋め合わせは2025年に是非とも。(LINEでやれ)また一緒にお酒飲みたい。
2024年の推しメンの話をします。
ラストチャンス、ラストダンスの美玲ちゃんが本当に綺麗でカッコ良くて好き。長身の恵まれた肢体をフルに活用したダンスも、歌詞を口ずみその世界観の登場人物になりきった表情も。
修学旅行@幕張(≠ME 全国ツアー追加公演2024「修学旅行、同じ班がいいな。」のことです。)のまほろばアスタリスクの美玲ちゃんを皆さん見ましたか?最後サ��の「星屑に混ざって想っている」で、ディスプレイに映された美玲ちゃんのその所作を皆さん見ましたか?
本当に凄かった。
対面にも久しぶりに参加した。
これは一般的なキモオタクの戯言なんですけど、美玲ちゃんと見つめ合っていたらこの時間の為に私は生まれてきたのかも、と思ったんですよね。既婚者なのに何を言っているんだ。氷のように凍っていた時間が一気に溶け出したような感じがして、すごく嬉しかった。
「みんなが応援してくれるから私はアイドルで居られる」と美玲ちゃんは度々口にします。
半分合っていて、半分違う。
美玲ちゃんが優しくて可愛くて目の前の人を全力で楽しませようとするから、歌って踊る姿がめちゃくちゃにカッコ良くて最高にキュートだから。半分ぐらいはファンのおかげかもしれないけど、それ以外は美玲ちゃんが今までやってきたことと、これからやっていくことのおかげなんだよって言いたい。まほろばアスタリスクの美玲ちゃん、本当に良かったんだもん。
こんな私でさえも、応援するのを許してくれてありがとう。
書いている途中で2025年になっちゃった。
皆様、良いお年をお迎えください。私も良い年にできたらなと思います。
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キリンの飲料倉庫で動き出す、三菱重工の自動ピッキングシステムを見てきた 掲載日 2024/12/12 17:00
著者:庄司亮一
キリンビバレッジの東日本エリアの物流拠点である「海老名物流センター」(神奈川・海老名市)に、三菱重工による飲料倉庫向け自動ピッキングソリューションが導入され、12月から稼働を開始。2025年1月から段階的にこの設備による出荷量が増えていくという。この拠点で同月12日、報道関係者向けの稼働セレモニーが開催され、現場を見ることができた。
���リンビバレッジの海老名物流センター(飲料倉庫)で、三菱重工の自動ピッキングシステムが稼働開始
キリンの飲料製品が入った段ボールをすばやく運んでいく無人搬送車(AGV:Automated Guided Vehicle)
稼働セレモニーの様子
両者が報道陣向けに今回披露したのは、飲料倉庫内にある有人ピッキング作業エリアの一部に設けた「自動ピッキングソリューション」。三菱重工業と、三菱重工グループの三菱ロジスネクストが、キリンビバレッジとキリングループロジスティクスから受注したもので、機械システムの知能化により最適運用を実現する技術を集約し、多様な機械システムを同調・協調させる、三菱重工の標準プラットフォーム「ΣSynX」(シグマシンクス)を活用しているのが特徴だ。
三菱重工によると、こうしたシステム稼働は今回が国内初の事例とのこと。またキリンの担当者は今回、海老名の拠点を選んだ理由として、荷扱いの多さや効率化評価のしやすさ、三菱重工のサポートを受けやすい立地にあることなどを挙げている。
キリングループロジスティクス東日本支社湘南支店 海老名物流センターの外観
三菱重工グループの自動ピッキングソリューションでは、これまで物流現場で作業者がみずから考えながら行っていた効率的なピッキング作業(パレット上に段ボールを積み付ける作業)を、自社開発のΣSynXによって自動化・知能化。
独自の最適化エンジンや統合制御システムにより、複数の無人搬送車(AGV:Automated Guided Vehicle)や、無人フォークリフト(AGF:Automated Guided Forklift)、「パレタイザー」と呼ばれる、飲料ケースなどの製品を自動で整列させてパレット上に積み付けるピッキングロボットを効率的に連携させることで、搬送・ピッキング回数の削減を図り、ピッキング工程の最適化と処理能力(スループット)の向上をめざしている。
また、こうした仕組みによって従来のコンベヤーなどの固定設備が不要となり、倉庫のレイアウトや拡張などの汎用性が高いのも特徴だという。なお、自動ピッキングソリューションはロボットで搬送可能なケースであれば原則として完全自動化に切り替え可能だが、今回は停電・自然災害などによるBCP(事業継続計画)も考慮し、有事の際は人による作業も可能なハイブリッドオペレーション設計としている。
ピッキング作業の流れのイメージ。上が従来の人手を介するフロー、下が自動化したフロー
三菱重工の自動ピッキングソリューションの概要と主な特徴。最小の手数で製品を出荷でき、AGVの渋滞回避や、AGFのアイドルタイム低減も追求している
キリンと三菱重工では、2022年11月から2023年6月の間に共同実証を行っており、ピッキングソリューションによる生産性が実証前と比べて42%向上したとのこと。自動化・知能化によって最小の手数で作業できるよう改���し、庫内の搬送機渋滞削減、オーダー処理順の最適化につなげた。
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報道関係者向けのデモ稼働の様子。30m×50mほどの広さのエリアを自動化しており、商品の入った段ボールをパレタイザー1台でパレットへと積み付けていく
俊敏な動きで、飲料の入った重い段ボールをパレットにサクサク積み上げていく。なおパレット数は補充品棚が179、完成品棚が239とのこと
10m程離れた場所からデモの様子を撮影していたが、特に騒音が気になることもなかった
キリンはこのソリューションを導入することで、人の手を介して飲料の入った重い段ボールをピッキングする重筋作業や、フォークリフト搬送を自動化。作業環境の改善や、ピッキング人員の検品など他の作業への再配置を進められるとする。これによって物流センター全体の人手不足の解消、待機車両時間の短縮が可能になり、2024年問題の対応を加速することにもつながるとしている。
このエリアでは11台のAGVと、4台のAGFが稼働していた。写真は、AGVがパレットに載った商品群を運び、AGFに受け渡ししているところ
AGFが完成品棚へとパレットを運んでいく
パレットに載せられた商品は、行き先(お店など)によって組み合わせが大きく異なる。そうした多品種少量物流にも、自動化によって効率的に対応できているとのことだ
報道関係者向けの説明会では、キリンホールディングス 常務執行役員の岩崎昭良氏が、今回のプロジェクトの経緯や背景を説明。
キリンホールディングス 常務執行役員の岩崎昭良氏(右)
キリンでは、2018年から2019年にかけて天災や猛暑によって(製品を)運べないリスクが顕在化し、大きな経営課題となったことを受け、全体的なサプライチェーンネットワークの構築を進めてきた。
2021年には、将来の人手不足という社会課題に対する“物流自動化構想”をキリン側から三菱重工に依頼。2022年に横浜のラボ施設で、ピッキング作業の自動化の共同実証をスタートし、実効性を評価した後、2023年には海老名の物流センターへの設備導入が決定した。
岩崎氏は、この設備導入にはさまざまな試練や困難があったとしつつ、「物流課題である人手不足や、重筋作業の解決に非常に貢献できたと、私自身も非常に嬉しく思う。今回の成果は、グループの他の拠点にも展開していければと考えている」と述べた。
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ニュースリリース(キリンホールディングス) キリンホールディングス ニュースリリース(三菱重工業) 三菱重工業
(キリンの飲料倉庫で動き出す、三菱重工の自動ピッキングシステムを見てきた | TECH+(テックプラス)から)
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2024/12/5 5:00:10現在のニュース
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2023年 夏季休業のお知らせ
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蒜山高原と世界一小さなミーレカー。
【夏季休業のお知らせ】
(株)藤和-ミーレショップ岡山は下記の期間につきまして夏季休業とさせていただきます。
休業期間: 8/11(金)〜8/16(水)
休業中の緊急対応、ショールーム見学などについては各担当者に直接問い合わせ下さい。
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@miele_japan
#ミーレ #Miele #世界一小さなミーレカー #mielerepair #ガゲナウ #gaggenau #AEG #teka #ボッシュ #bosch #ミーレショップ岡山 #輸入家電 #mabe #岡山県玉野市 #藤和 #hyjet #mielevan #軽バン #ミーレカー
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LIXIL のショールーム見学
LIXILのショールームを見学してきました。今回はざっくり実物を見て回ろう、くらいだったので自由見学。LIXILってトイレくらいしか知らなかったんですが、キッチン、バス、洗面はもちろん、床、玄関ドア、窓、門と、住宅に関する設備は一通り扱ってたんですね(興味なさすぎ)。
バス、トイレは特にこだわりはなかったので、メインはキッチン。一番高額なシリーズがリシェルというキッチンで、名前からして小洒落てる。収納の引き出しを引っ張ると最後斜めになって取り出しやすい、とかちょっと気持ちいい。このギミックは廉価なシリーズにはなく、さほどキッチンには興味ないんですが欲しくなってきます。
また、カップボード(いわゆる食器棚?)も扉の開け方が格好いい!説明が難しいけどこんな感じ。
とはいえ、すごいお値段。定価だと新車が1台買えてしまいます。車が安すぎるのか?
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今日は同行で新宿のショールームへ #新宿 #建材 #建材ショールーム #ショールーム #ショールーム見学 (Shinjuku Tokyo City) https://www.instagram.com/p/CHUd8v6gIRX/?igshid=1m6i6bwz3se9x
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トヨタにソファー発売して欲しい。あんな高品質で耐久性に優れた合皮を商売のネタにしないなんてもったいなすぎる。しかもディーラーに見本置くだけで、ほぼ全ての家具店を上回るショールームを設置できるというのに。あと、昔の名車のシートを再現!90万円!みたいなこじらせ方はしないで欲しい。
Willy 🌖米国大学教員さんはTwitterを使っています
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長野市「チーズ洋菓子店」チーズとの関わりと美味いチーズケーキ 場所 長野県長野市高田253 電話 不明 ジャンル 洋菓子店 バリアフリー ? URL https://cheesecake-nagano.com 好き嫌いがない、その概念ごとないと言い切ってよいと思う。この年齢になって、ぼくはなんでも食べられます!などと言いふらすのはあまり自慢にはならないが、ここは恥を忍んでカミングアウトすることにしよう。 もちろん食べたことのないものはたくさんある。東南アジア諸国のドリアンとか、スウェーデンのシュールストレミング、いや国外でなくとも鮒寿司なんてものも口にした経験はないから、いざそのものどもと相対した時にどのような反応を示すかわからない。たぶん慄きながらも食べてしまうだろうが。 「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」 というから、必ずしも経験せねばならぬという事でもなかろう。とはいえ経験しなければ可不可を語る事すら出来ない場合もある。そういった方針で50数年生きてきた。まぁ食い意地および好奇心が強いという事なのだが。 そういう『バカ舌アホ腹経験主義』の私だが、かつて嫌いとまではいかないが、「なんとなく口にしたくない」レベルの食べ物が一点だけあった、それはチーズ。わが生家にはそもそも牛乳文化がなかった。たまにパンにバターつけて食べる事はあっても生乳を飲む事はない。チーズなんて考えた事もない。だいたいプロセスチーズなんてものは石鹸ではないのか?ブ��ーチーズなんて化学薬品だよね。ピッツァやチーズケーキのチーズとは別物に違いない。 そのような偏見こそあったが食べられない事絶対にない。そんな状態は20歳代までは確実にあった。結婚して30過ぎたらまったく平気になってしまったが。精神的に図々しくなったのであろう。 そうだ、チーズケーキだ。 昔々子どもの頃はレアチーズケーキしかなかったのだ。そもそもチーズとはご縁なく育ってきたから当たり前なのだし、そもそもあのフニャララした食感がいやであまり口にしたことがない。高校のとき、東京 調布の某ケーキ店でベイクドチーズケーキと出会うまでは。あのハードさは洋菓子の範疇を超えた「男の料理」だった。 「チーズ洋菓子店」 長野市 高田というよりも昭和通りを乙妻より少し市役所寄り、もしくは新しくできたTOTOショールームの斜向かいといった方が通りがよいのではないか。通りがかりに『チーズケーキ専門店』なる幟を見つけ、これは行くしかないだろうと突撃した次第である。道端にポンと置かれたような小屋のような、というかこれはヨドコウか何かの物置を店舗に改装したのであろう。三尺ばかりの売り場の他は調理場なのであろうか。店先に人影はなく、呼び鈴をチンとならすと男性ひとりモッサリ登場(失礼な紹介だな)。今年2月にオープンしたばかりだというこちらのメニューは、なんとチーズケーキ2種のみであるという男らしさ。これには萌えてしまった。オーダーはもちろん 「オリジナルチーズケーキ」400円 詳細なレシピはわからないが、見た目はどこにでもあるベイクドチーズケーキでしかない。しかしとてつもなくトロトロ。店先に「当店のチーズケーキはとてもやわらかいです」と掲示されていたがまさしくそのまんま。ある程度冷えていなければ、持ち上げることすら難しいだろう。濃厚なチーズと品のよい甘味が凝縮された『飲むチーズケーキ』と表現してよいかもしれない。今までありそうでなかったタイプ?いや私が知らなかっただけか。それにしても美味だ。 「1人で始めたばかりなので手が回りません」 という店主はバカ正直にもほどがある、そんな風情の方だがだからこそよいのだ。今のところ15:00〜19:00の営業だが、なくなり次第閉店という潔さもよし。早々に抹茶のチーズケーキも食べに行ってみよう。 #長野 #長野県 #長野市 #スイーツ #スイーツ好きな人と繋がりたい #スイーツテロ #スイーツ部 #スイーツ好き #スイーツグラム #スイーツスタグラム #sweets #sweetstagram #sweetslover #sweetssweets #チーズ #ケーキ #チーズケーキ #チーズケーキ専門店 #チーズケーキ大好き #チーズケーキ好き #グルメな人と繋がりたい #グルメ好きな人と繋がりたい #食べるの好きな人と繋がりたい #飯 #飯スタグラム #飯テロ #美味し�� #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 http://araralunch.work (Nagano, Nagano) https://www.instagram.com/p/CCCDkGwg3_1/?igshid=142zxrn3jvvhh
#長野#長野県#長野市#スイーツ#スイーツ好きな人と繋がりたい#スイーツテロ#スイーツ部#スイーツ好き#スイーツグラム#スイーツスタグラム#sweets#sweetstagram#sweetslover#sweetssweets#チーズ#ケーキ#チーズケーキ#チーズケーキ専門店#チーズケーキ大好き#チーズケーキ好き#グルメな人と繋がりたい#グルメ好きな人と繋がりたい#食べるの好きな人と繋がりたい#飯#飯スタグラム#飯テロ#美味しい#コロナに負けるな#좋아요_한국#좋아요_일본
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done is better than nothing
今日はチームのみんなでショールーム巡りでした。 月2回のこの日が楽しくてショールームにお邪魔してることを忘れて、ついはしゃいでしまう。最高。 実際に家具に触れながら仲間と話すことで新たな発見ができるし、 体感すると記憶に残りやすくて収穫の多い場なんです。 今日お邪魔したKnollもワーカーが自由な発想��働きやすいワークプレイスを作れる仕掛けがたくさんあって、いつまで居ても飽きない空間になってました。 あとは人の振る舞いに制限をかけないようになってて、 椅子一つとってもいろんな座り方ができる。 ソファも簡単にレイアウト変更できて座面部分だけじゃなくて、 背の部分に腰をかけたりして多方向でコミュニケーションが取れる。 デスクも敢えて取手のデザインを強調し視覚に訴えることで、机を動かしてレイアウトを変えようという気持ちにさせる、、とかとか。 その場所を使う人が居心地のいい空間を自分たちで作ることができるよう、どのアイテムも工夫が凝らされていて、あちこちからメンバーの「いいな〜」の声。 使ってて、そこに居て、純粋にいいな〜と思えるって大事だよね。 そういうプリミティブな感情が自然と湧き出るような場所を作ることができたらいいな〜。 ショールームの後は謎のセッション。 これがまた良かった。みんなの熱い思いや理想を語り合って、最後眠い〜で終わるの最高って思った。 みんなと話してるとあれやりたい!これやりたい!っていう気持ちがちゃんとあるのも良かった。 何かやりたい時って失敗したらどうしよう、達成できなかったらどうしようって守りに入っちゃうのが人間だけど、結果がどうであれやりたいことをやったあとの達成感だったり、失敗してもそこから学びがあるから、これまで散々失敗してきたのでまた失敗するつもりでやってみるのもありかな。 思い立ったが吉日で次のアクション起こします。 Daydream - The Aces
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◎ 新作のDUCK DINNING TABLE (ダック ダイニングテーブル) を「はしばめ」という技���でテーブルトップを構成してみました 北海道産タモ材の木目もいい感じになりました! ▶︎加藤淳一級建築士事務所さんが設計、Ag-工務店さんが施工した、新潟市秋葉区「畳リビングから二つの庭を愉しむ住まい」のオープンハウスにて、今回の新作テーブルを含む数点の家具を展示していただいています。 リビングのアーチ天井がやさしくて、和紙の壁のテクスチャーもすてきで居心地がよかったです! 28日29日30日と、お問い合わせの上、見学していただけるとのことです。 詳しくは、「加藤淳一級建築士事務所」さんのアカウントまで ↓ @katojun0826 ちなみに、29日(日)12:00〜17:00 は、ISANA FACTORYショールームもオープンしておりますので、同じ秋葉区でとても近いのでぜひハシゴしてみてください。 #woodworking #furniture #chairmaking#家具 #新潟新築 #新潟住宅 #オープンハウス #新潟設計事務所 #加藤淳一級建築士事務所 https://www.instagram.com/p/B-PGgJVnDXZ/?igshid=xjpr566hg5lv
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週末3日間はワールドフロンティア張さんのお誘いで中国大連へフローリングのショールーム&工場見学&大連観光に♪
大連は評判通り綺麗な街並みと美味しい料理で大満足、歴史をちゃんと勉強してからまた訪れたいところです。
フローリングのショールームで見つけた幅広のワイルドなヒッコリーはツボでした👌
と言う訳でフローリングは芦屋にあるワールドフロンティアさんで是非!
http://world-frontier.com
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200210_それは本当に必要か
(展評:増田信吾+大坪克亘「それは本当に必要か。」@ギャラリー間)
建築展において一次的な作品(建築物)は美術館の外のどこか遠い土地に建っているため、作品自体を展示することはできない。そのため、作品評や作家評とは異なり、展覧会評では建築物およびその鑑賞体験に直接言及できないという困難がつきまとう。しかし、例えば過去のギャラリー間のいくつかの展示を思い返すと、建築物それ自体を展示できない代わりに、建築家の設計に対する姿勢がメタレベルで展示形式に反映されているものも見られる。2018年の藤村龍至「ちのかたち」展では、自身が「超線形設計プロセス」と名付けた設計過程の多くの模型群が所狭しと会場に並べられ、論理的なプロセスの果てに変態的な造形が生み出されるという藤村のユニークさが表現されていた。また2019年の中山英之「, and then」展は、中山の設計した建築物やその生活者をモチーフにした映画が上映される映画館とそのロビーという設定の展示(ロビーには模型やドローイングなどが並ぶ)で、中山が建築設計を通して思考してきた概念が映像という別のメディウムによって新たな輝きを見せていた。このように、建築展においては建築物とは違うメディウムを用いて展示という形で再構成せざるを得ないという前提のもと、展示形式に込められた作家の意図と、そこから見える作家の建築設計に対する態度について考えてみる。
増田大坪「それは本当に必要か。」展は、大きく3つのパートに分かれている。部分を詳細に表現した模型群と、周辺敷地も含めて表現した模型群と、実際の建築物の写真展示である(それぞれ、3階、4階、B1階に展示されている)。 まず3階を訪れると部分詳細模型がフロアに点々と置かれており、窓や基礎や軒といった建築のエレメント(部分)のレベルの発想や、慣習を見直すような細かな気付きが設計の端緒になっていることがうかがえる。例えば、《Valextra 伊勢丹新宿店ポップアップストア》の金色で楕円形の斜め材の部分模型は、傾斜をつけても摩擦で耐えられる角度の平面をディスプレイにするというマテリアルのレベルの発想が全体計画を考えるきっかけになったことを示している。 次に4階を訪れると周辺環境も含まれた敷地模型(3階の部分模型と対応)があり、建築設計において建てられる場所の性質を汲んでいること、(内装設計のみの作品であっても)周辺環境に対する構え方を意識して設計していることがうかがえる。また、性質の異なる場所がぶつかる境界にこそ読み取るべき条件が存在するということも示している。 最後にB1階のショールームに展示されている建築写真群は、(模型が抽象性を担保していたのに対して)実際に建てられた建築物の具体的な素材感の読み取りや、鑑賞体験に近い全体構成の読み取りを可能にし、3階と4階に分けられて展示されたスケールの異なる模型群が、それぞれの作品ごとにつながり、具体的な像を結んでいくように感じた。そしてエレメントのレベルの発想と周辺環境への応答が地続きであること(逆もまた然り)が明らかになった。
本展を訪れるまで、雑誌などで見た増田大坪の作品の印象としては、エレメントのレベルの最小限の手付きで空間の見え方を大きく変えてしまう(変態的なまでの)斬新な発想が見られるということだ。しかし、本展で展示されていたスケールの異なる模型群や建築写真群を目にし、あくまでプラクティカルな態度で条件に応えることで設計しているということに気づいた。普通なら見逃してしまいそうな条件を抽出していることや、その条件への対応が慣習を超えるほどの正攻法であることが、結果的に斬新な発想(と見なされ評価されること)につながっているのだ。「自分たちの思い描いたものをかたちづくるための設計はしていない」というステートメント文の一節にも納得する。
「それは本当に必要か。」と問い続けるプラクティカルで正直な態度は、逆説的にユニークな美学を生み出している。これはシンプルでありながら全体を通して強い印象をもたらす展示構成にも通底するものである。このような態度は建築設計における固定観念をずらしながら、様々なレベルでユニークな方法論を確立するであろう。
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TOTOショールーム見学会に行ってきましたよ! ++++++++++++++++++++ 新しい設備はいつ見てもステキです! #toto #ショールーム #ショールーム見学 #設備機器 #設備 #キッチン #ユニットバス #トイレ #洗面 #リフォーム #リノベーション #株式会社クラシックホーム (TOTO京都ショールーム)
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事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
明らかに、韓国は、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と��定し貶(おとし)めてきたのである。
私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとする、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のショールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたからだ。
こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語で話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあ���わすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノム」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつも���やいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年���人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。
慰安婦と同構造の原発報道
だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレ��キをかけてくださったのだ。
70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓��方の美点を兼ね備えておられた。
もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。
まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
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