#コンビナートの朝
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電池切れ今日はここまで、多分10km1時間2分あたりはいったかな〜 #早朝マラソン #早朝ジョギング #スマホ電池切れ #四日市コンビナート #コンビナートの朝 (四日市ドーム) https://www.instagram.com/p/CpdxX73vb3j/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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1.電力 石川県で、約11,700戸の停電が発生。現在の停電は、送電線や変電所によるものはなく、配電設備の損傷によるもの。北陸エリアでの供給力は確保できている状況。 北陸電力では、災害対策本部を設置し、3,600人体制で、情報収集及び復旧に向けた作業を実施。また、中能登町以北において、他社応援部隊(関西、中部、東京、東北)を含め、現在、人員約1,000人、作業車両(電源車、高所作業車等)約630台で対応。 七尾市、志賀町は、ほぼ全域復旧済み。能登町、穴水町は、復旧工事が相当程度進展。一方、輪島市、珠洲市は、配電設備の被害が甚大であり、道路損壊により作業が難航。このため、停電の続く避難所を優先して、配電線復旧重点工事に加え、電源車での代替供給を開始済。6日から、能登町、穴水町、輪島市、珠洲市との電力供給に関するミーティングを開始し、現場のニーズを踏まえ、順次対応中。 北陸電力管内の七尾大田火力発電所(石炭、1号50万kW・2号70万kW)では、地震により稼働中であった1号・2号が停止。富山新港発電所(石炭、25万kW×2)の1号・2号の出力が50万kW���ら30万kWへ低下しているが、30万kWの運転を継続中。 ○東北電力管内 停電解消済 ○北陸電力管内 石川県 約11,700戸(輪島市 約5,600戸、珠洲市 約3,900戸、能登町 約1,700戸、穴水町 約410戸、志賀町 約10 戸、七尾市 10戸未満) 2.ガス 都市ガスについて、現時点で、ガス製造事業者、一般ガス導管事業の被害・供給支障については解消。 ガス小売事業(簡易ガス)の被害状況は以下のとおり。 ◆供給再開済 ・石川県金沢市1か所(39戸)※土砂崩れによる立入禁止場所の住宅を除く。 ◆地盤が悪いことが判明したため復旧作業停止中 ・石川県鳳珠郡能登町1か所(40戸) 熱供給事業については、現時点で、供給支障はなく、被害情報もなし。 LPガスについて、輸入基地である七尾基地の設備支障により出荷停止中。代替基地にて振替出荷可能。 3.高圧ガス・火薬類 高圧法及び石災法に係る設備について、現時点で、大きな被害情報なし。(LPガス・アンモニア等の高圧ガスの漏えい等が9件(富山県1件、石川県7件、岐阜県1件)、原油の微量漏洩が2件(新潟県2件)発生したが対処済み、コンビナート地域において小規模な火災が1件(新潟県1件)発生したが鎮火済み。いずれも人的被害及び場外への影響は生じていない。) 現時点で、鉱山及び火薬関係での被害情報なし。 4.製油所・油槽所、SS 油槽所については陸上出荷を再開済み。出荷再開の目処が立っていない油槽所1か所について、近隣油槽所からの応援配送を実施。 SSについて、現時点で確認されている情報は以下の通り。 (七尾市、志賀町、穴水町、輪島市、能登町、珠洲市) ◆営業可能(給油・配送可能):53件 ◆営業停止(給油・配送不可):16件 5.物資 被災地・避難所への物資の供給については、関係事業者・業界団体との連絡体制を構築し、毛布、携帯トイレ、消臭剤、カセットボンベなど、必要な物資を石川県の拠点に集積し、順次、トラックで輪島市・珠洲市・穴水町・能登町等の被災自治体へ発送。 防寒物資や燃料等の集積と避難所への供給を強化し、ジェットヒーターの供給も開始。 避難所の感染症対策として、消毒液等の衛生用品の発送も実施。 自衛隊と連携し、コンビニやスーパーの商品等の支援物資の避難所への輸送も実施。 6.工業用水 富山県の工業用水道事業において、漏水により 供給支障(受水企業1社)が発生しており、復旧検討中。 7.製造業、中小企業 石川県を中心とした北陸三県に加え新潟県などの幅広い地域における産業の主要な生産拠点を持つ企業と地場の企業、それらから影響を受けうるセットメーカーなどに対し被害情報等を収集。建物や設備の損傷等の被害が多数発生しているが、被災地域域外のサプライチェーンにも影響を及ぼしうる業種については、9割弱が生産を再開又は再開の目処が立っている状況である一方、繊維、工芸品、印刷製造業については、約3割の企業において生産再開の目処が立っていない状況。 1月11日(木曜日)、今回の能登半島地震が、地域を指定しない激甚災害「本激」に指定された。 災害救助法の適用を受けた新潟県、富山県、石川県及び福井県の県又は適用地域(47市町村)に対し、1月4日(木曜日)までに、(1)中小企業関係団体等による特別相談窓口の開設 (2)災害復旧貸付の実施 (3)セーフティネット保証4号の適用 (4)既往債務の返済条件緩和等への柔軟な対応の要請 (5)小規模企業共済災害貸付の適用等の初動措置 を発動。 <災害救助法の適用地域>(1月13日11:00時点) ・新潟県(14市町村) 新潟市、長岡市、三条市、柏崎市、加茂市、見附市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、佐渡市、南魚沼市、三島郡出雲崎町 ・富山県(13市町村) 富山市、高岡市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、南砺市、射水市、中新川郡舟橋村、中新川郡上市町、中新川郡立山町、下新川郡朝日町 ・石川県(17市町村) 金沢市、七尾市、小松市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市、河北郡津幡町、河北郡内灘町、羽咋郡志賀町、羽咋郡宝達志水町、鹿島郡中能登町、鳳珠郡穴水町、鳳珠郡能登町 ・福井県(3市町村) 福井市、あわら市、坂井市 8.その他 経済産業省では、1月1日(月曜日)16:10に災害連絡室を設置。 1月1日(月曜日)23:22に経済産業省非常災害対策本部を設置。1月2日(火曜日)以降、1月12日(金曜日)までに、計8回の本部会議を開催。 1月2日(火曜日)以降、経済産業省、経済産業局及び産業保安監督部の職員を、石川県庁及び被災自治体等へ派遣。1月11日(木曜日)26名派遣済み。 担当 大臣官房広報室長 加賀 担当:栗原、山岡、小西、佐々木、隈江 電話:03-3501-1511(内線 2276) メール:bzl-kokunai-houdou★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。
令和6年能登半島地震に伴う被害について(1月13日(土曜日)11:00時点) (METI/経済産業省)
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10年。
20210311
10年って、なんなんだろうな?と今日1日朝からずーっと思っていた気がするけど、羽生結弦選手のコメントがすごく心にすとんっとおりてきた。なんにも、なくなったものなんてないんだろうなあ、ほんとうは。
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10年前の記憶を��くか普通に今日の日記を書くか、結構迷っていて、どうしようかと思ったのだけれど、覚えていようにも年々記憶も細部が朧気になっている気がするし、だから今思い出せる10年前のことを、とりあえずここに書いておこうと思う。
10年前、2011年の3月11日は私は遅番の(確か)13時からの勤務で、なんと言っても、当時ハマっていた落乱のキャラブック(!)が発売した日だった。確か、当日だったか次の日だったか、映画も封切りだったと思う。私はそのキャラブックを出勤前にジュンク堂で買って、昼休みに読むつもりでいた。
午後の2時46分頃はちょうど昼休みがそろそろ終わるかしらという時で、私は家にいる母と直近までメールのやり取りをしていた。まだガラケーだった頃だ。私は休憩室の椅子に座っていて、お昼を食べ終わり、件のキャラブックを読んでいたように思う。確かヒーターをつけていた気がする。3月に似合わせない、だいぶ寒い日だったから。母は「今夜の夕飯は蛸の刺身とひじきの煮物なのだけど、あと1品くらいあった方がいいのかな?」 と言う。私は「いや、それで十分じゃないか」と言う。
そんなメールをして、私はキャラブックを読んで、すぐの事だった。
マナーモードにしていたケータイがぴかぴか光って(思えばあれがエリアメールなのだった。2021年の今では、電源を切っていようがマナーモードにしていようが、とにかくエリアメールだけは警告音付きで受信されるようになっている)、 あれ、お母さんまたなにかメール寄越したのかな、と思っているうちに、床が強く揺れ始めた。
当時の職場の休憩室は3階だった。当然すごく揺れる。とりあえずヒーターの電源を止めてと電気ポットのコンセントを抜いて、どうしようかと思いながら、ひとまず近くにあった食器棚(がある休憩室だったのです)を押さえた。飲んでいたインスタントコーヒーが勢いよくテーブルの上に零れた。お気に入りだったいちごの柄のタオルハンカチで、咄嗟に液体を吸わせた。
揺れがいちおうおさまったあたりに内線が鳴って(今思うと停電してたのになんで鳴ったのか)、下の階からの業務連絡だった。いちおう降りておいでとの事だったので、余震や倒れたもの(休憩室は倉庫を通った先にあったので、モノが散乱していた)に気をつけながら1階に降りた。
当然のように停電していたので、あたりは薄暗かった。空は曇っていて、寒かったのだ。3月にしては、冬の始まりのような寒さだった。外は小雪が舞っているのが見えた。
もちろんレジも何も使えなかったので(当時の職場は小売店でした)、上司が今後の対応を練っているのを聞きながら家に電話する。今から思えば、当然のように繋がらない。店の外に出てみると、街はすっかり大騒ぎで、というか何より信号機が停電によって止まっているので、近所にある警察署のお巡りさんが手信号で一生懸命交通整理をしていた。隣にあるカラオケ店の店長と、どういうことかを色々と話をする。岩手日報の記者がカメラを手に駆けずり回っていた。寒いですねと近隣の商店の方と話をしていると、英会話教室の受付のお姉さんが電気ポットに入っていたという暖かいお湯を紙コップに入れて持ってきてくださった。ありがたく飲む。
何故かケータイに着信がある。出てみると、当時トラック野郎をしていた父からだった。安否の電話だ。少し話をして、電話を切ったあと、今日はもう職場は解散との事だったので、とりあえずいつものバス停に向かう。バス停には人が溢れていた。その場にいたみんなでワンセグを見ながら、現在の様子を必死に辿った。大きな火事のニュースを流していた。あとから知ったことだが、石巻の石油コンビナートが燃えていた。
今思えば、ちゃんとバスが出ていたのが不思議でしかないのだけれど、予定の時間よりもだいぶ遅れて、バスが停留所にやってきた。私は飛び乗って、車や人々でごった返す道を、時間をかけながら、家へと帰った。
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あれからあっという間に10年が経った。10年ってなんなんだろうな、と漠然と時間を眺望するだけじゃなくて、これからはもっと、時間とともに歩んで行けるような日々を送りたいと思う。
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一章
1992年12月20日、バブルが崩壊した3ヶ月後、私は祝福ムードの中、四日市市の病院で生を受ける。四日市は工業地帯として知られていて、四日市ぜんそくという公害問題を発生させており、空気の悪い街だと思われるが、私が育った町は鈴鹿山脈近くにある小さな町で、さらに伊勢茶を作る農業を生業とする人が多数いる茶畑に囲まれた緑が豊かすぎる地域だった。港近くの小学校では石油コンビナートが発生させる光化学スモッグにより警報が出て、窓を閉めなければいけない状況の中、私達は春には新茶の匂い嗅ぎながら鈴鹿山脈を見上げ校庭を走り回っていた。コンビナートもコンビニもないこの小さな小さな田舎町の駄菓子屋で友人と塩辛いイカの燻製を噛み、くせーくせーとクサいのを笑い合いながら、秘密の場所を作りに街を歩き回る。秘密の場所、親も近所の大人もクラスの連中も少し年上のお兄さん、お姉さん達も誰も知らない俺とお前しかしらない秘密基地を探しに日々誰も寄り付かなそうな場所をディグをしていた。廃家は俺たちの中では無しだった。俺たちはそれを誰かが所有していて誰かの管理下にあるのを何となくわかっていて、見つかったら殺されると思っていた。初めての性体験、幼稚園、好きな子の裸を見てチンチンが大きくなったあの日。あの日の情熱で秘密基地を探していた。近くの池の側にあった木に囲まれた墓の跡地のような小さなスペースに宝物を持ち寄りそこに隠してそう。そう言って友人と竜の剣のキーホルダーを土に埋めた。結局その場所は大人にバレ、立ち去るように言われ、立ち退いた。そもそも友人が別の友人にその秘密の場所のことを話してしまったので遅かれ早かれその場所は使えなくなっていた。最早秘密でもなんでもないが俺たちは俺の家の一角を使って家を作らないか?と話し合い、親の寝室の一角(なんと大胆なチョイスだろう)にマットレスで屋根を、段ボールで壁を作り、中に懐中電灯を置き、好きな漫画やおもちゃを持ち寄って、その中で特に何をするわけでもなく、何かに熱狂していた。親の寝室に建てれた城は夜には見事に解体され、マットレスは寝具に変わり、段ボールが捨てられて、漫画本は本棚に返された。それが凄く悲しかったのを覚えている。自分には家や寝室以外にプレイベート空間が必要だった。それからは友達との秘密の場所から、自分1人の場所として基地を作るようになった。齢6才や7才でプレイベート空間を求めるような弱い人間だった。常に不安感を抱き、この頃は最も吃りが酷い時期で親の前でも緊張していて、おねしょで朝起き、給食は喉を通らず全て吐いて、先生や親は理解できず不満がっていた。大人たちも友達も皆「お前は恵まれている」と言った。自分にはその意味がわからず「辛い」という気持ちを言語化できず、それを伝えられずにいた。その辛さは15才の時ロックンロールに改宗した時に全て呪詛と涙と言葉の暴力で表現するようになるがそれは10年後の話。周りの友達同じように話せない、ご飯すらちゃんと食べれない、そんな自分恵まれている‥ 俺はそんな矛盾を検証しようとせず、特撮、テレビドラマやポップ音楽に寄りかかった。特撮ではゴジラ、ウルトラマン、戦隊ヒーロー、仮面ライダー、どれが1番好きと言えるまでの熱量は無かったのでわからないが、特撮に惹かれてたのは怪獣、怪人の造形美だった。醜悪でもどこか美しい悪者達が、��てを与えられたようなナイスガイ達を蹂躙していく‥ その様が爽快だった。ウルトラヒーローシリーズにでてきた「ガタノゾーア」という怪獣は衝撃的で、顔が逆向きについてい非常に醜悪でカオス極まれりといった具合の造形でゾクゾクしのを覚えている。そいつがお決まりのウルトラ光線で逝った時の虚しさったらなかった。好きな怪獣達は引き分け、同時死になる事なく必ず負けて、爆破され灰になる。ガタノゾーアの造形を超えるナイスガイに会える事もなくなり特撮からは遠ざかった。小学3、4になりそれからはコメディドラマを好んで観るようになる。現実とは違う、軽快で底の底までシリアスにならないタッチが不安な心を軽くしてくれた。ムコ殿というドラマが特に好きで松任谷由美の7 TRUTHS 7 LIES〜ヴァージンロードの彼方でのメロディには衝撃を受けた。(これは高2で聴いたmy bloody valentineの衝撃に近い‥ )それからドラマやアニメから音楽を知るようになり、音楽も心を癒してくれるように重要なものになった。ロングラブレターの山下達郎/Loveland irand ちびまる子ちゃんのカヒミ・カリィ/ハミングがきこえる(もうすでに小山田圭吾から啓示を受けていたのだ)広瀬香美が歌うカードキャプターさくらのOP、ED、人にやさしくのthe blue herts/夢(ロックンロールの洗礼はまだ受けていない)ナースのお仕事のOPナンバー、ポンキッキーズの楽曲、などポップなものが多かった。逆に暗いマイナー調のフォークやシリアスで真面目で建設的なバラードには拒否反応を示していた。大袈裟で心を不安にさせる音楽だと嫌っていた。親のカーステで聴いたSMAPのポップな曲達は今でも忘れられない。リアルタイムで大流行りしていたらいおんハート夜空ノムコウにより80s昭和アイドル路線、お花畑で能天気なムードに心を置いていた。また、90sに入ってからのサウンド、スタイルカウンシルズ〜渋谷系直撃な小洒落たサウンドも大好きだった。シェイクは今でもアガし、しようよには良質なグルーヴがありノレる。キリンジ作曲の恋の灯には心を大変苦しくさせられた。初恋の感覚それと同じ、いやそれ以上の甘苦しさ‥ SMAPは今の自分のポップスの物差しの重要な一部なっており俺の偉大なるルーツだった。その時のリアルタイムがドリンクSMAPというアルバムで(ナンバーワンより特別なオンリーワン収録)00年代を象徴する80年アイドルソング的能天気さとは違う、いかにもお涙頂戴的で安い感動や、紋切り型のポジティブを歌う不気味な能天気さは俺の心を暗くした。その年友達の家族と自分の親とSMAPのコンサートに行ったのは忘れられない‥ライブの原体験、心の底から楽しかった。小学4、5年になるとテレビから流れる音楽、ドラマは好みものが減ってきて距離が遠くなった。松浦亜弥は好きだった。底抜けにポップだったから。この頃は友達と同じゲームをして、同じおもちゃで遊び、普通の小学生を真っ当していた。真っ当していたが心は貧しかった。ゲームはレベル上げで友達より優位に立ち、承認欲求を満たせた。そしてそのレベル上げという地道な作業は鬱を忘れさせた。ゲームは心を豊かにさせるものではなく周りとのコミュニケーションツールに過ぎなかったのかもしれない。この頃の鬱とと言えば、大きく2つ、進学校に入学するための進学塾入学とサッカー少年団入団、この2つだ。進学校行きは親が決め、サッカーは友達がやっているゲームと同じゲームをするのと同じ感覚で自分から始めた。まず進学塾の授業長さと内容の難しさに驚いた。水曜の放課後バスで1時間かけ街まで行き、17時から20時まで授業受け、また1時間かけ21時に家に帰る‥ そして土曜は12時から18時までという殺人的な長さ、小学生には無限のような時間、さらに学校の成績の悪い自分には恐ろしく難解な授業、これによ「時間」という概念がぶっ壊れ、時間=なんとくなく過ぎ去っていくものだったのが、苦痛で永遠のような時間という種類が存在し、それに耐え、やり過ごさなければならないという問題直面する。同時に初めサッカーだったが、これにも問題があった。単刀直入に全くセンスがなかった。体が硬く、不器用で球技のセンスがなかったのと、体と体で思いっきりぶつかり合う攻撃的な部分にも繊細で鬱気味なメンタルの自分には全くハマらなかった。仲のいい友達が皆同じチームに入っていたので、やっぱり辞めたと言い出せずしぶしぶ続けていた。昨日のあれはいい試合だったねと友達が言って「すごく良かった」と返したが、俺がサッカーで興奮したことは人生で1秒も無い。ある日、練習試合があり、相手チームのやつらが自分の持っているボールめがけて突進してくる。俺は頭が真っ白になり、脱力し、退場した。この時辞めておけばよかったんだ。時間の無駄をした。進学塾ではテストがある度順位が張り出され、それによってクラス分けをされ、自分は最下層の「Sクラス」��いた親から叱られ、自分は親の機嫌を伺い、必死で言い訳を考えた。「今日は調子が特別悪かった、今度はうまくやれる」 それによってどんどん精神がすり減った。今ではお馴染みの精神的苦痛。また同時に肉体的にもやられていた。炎天下で行われる坂道ダッシュ、タイヤ轢き‥ 週の半分が地獄のような時間でついに心がぶっ壊れた。自分より楽しそうなやつを見ると嫉妬したし、そんな自分の事を「恵まれている」という風に言ったやつの喉を裂いてやりたかった。疑心暗鬼にもなり友達は俺を蹴落としにくる(これは人は何時でも足元も見てくるという母親からの教えの影響もあった)と思い込み、ついに緑の田舎町の景色がモノクロに変わった。この時点でもう誰のことも信用しておらず、母親ですら自分を不安にする悪役的な存在だと思い込み、家庭内政治に参加ぜず家にすらいない父親は眼中になく、もうコイツらだめだと思い、自分で自分を守るという人生初めてのモードに切り替わる。汚い言葉で武装して相手を罵り、頭の中で計画する殺人、悪意を持ってありとあらゆる嘘をつき、全員を傷つけた。親の機嫌を伺い媚びるのが嫌になり、テストではカンニングも用いてトップクラスに行き、泣いてる親の顔を見てそれが凄く滑稽で自分は勝ったみたいに満たされた。俺は親を出し抜いた!初めての反抗だった。やり方は卑怯であったが、そんなの関係なかった。理不尽では理不尽でやり返す。友達にも同じような事をしていた、嘘をつき、友達と友達を喧嘩させ、
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✨ 倉敷【あちてらす】in魂の女子会🙋♀️🌿🌈 こんなところがあるんよ、と連れて行ってもらいました。あちてらす💖 ホテル、マンション、商業施設がmixされた施設で昨年10月オープン タニタカフェでヘルシーなランチしたら、なんと管理栄養士が常駐する健康測定ブースで無料測定してくれるって💖キャー⭕️ 岡山県内はここしかありません👍 好きな計測2機種��無料❗️ 体組成計、体内AGE,s測定装置、骨健康度測定器、血管年齢測定器、脳年齢測定器など 私は、体組成計で、体脂肪率・脂肪量・筋肉量など、体の中の分かりにくい数値を可視化してもらいました。 もう一つは、骨密度測定器でチェック🌈 意外とまともだった私のカラダ💖気まぐれウォーキング🚶&毎朝のストレッチのたまものか⁉️ お茶は移動して Club&Restaurant「KOMBINĀT」コンビナートさんへ 水島コンビナートがモチーフだそうです。 国内初、完全セルフ型モバイルオーダーシステムを導入していて卓上にはメニュー表なし、QRコード読み取って注文、お支払いはキャッシュレスのみ💰 これまた、お初にお目にかかりました 私的には、ハワイのハードロックカフェのジャパネスク版か⁉️と思ってしまった。懐かしいなぁって その日は 自分の中に潜在しているものが仲間を通して溢れ出す体験をしました😊 久々にワクワクの不思議体験✨ 安心安全な仲間だからだな、きっと💖 みんなありがと💖 https://www.instagram.com/p/Cew1GO5hZxI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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RDR2:19:西部生活
あれこれやってきたおかげで、やっとこさ、ジョンからのミッションが発生しました! これが出れば釣りミッションまではあと少し!!(←そこかよ この話してるときのアーサー、相変わらずジョンに「狼に脳みそ半分かじられたおかげで少しは賢くなったんじゃないか」とか言ってますけど、ジョンが提案した方法聞いたときに「おっ」と素直に驚いて嬉しそうな顔してるんですよねぇ。 なんのかんの言ってもアーサーは弟分で、成長が嬉しいんだろうなぁ(´ω`*)
チャールズと狩りに行くイベントがある!!Σ( ゚д゚ ) これって彼がキャンプにいる間だったら定期的に出るのかなぁ。とりあえず今日は、やろうと決めてることがあるから、また今度な、チャールズ。 って、戻ってきたら消えてたらどうしよう:( •ᾥ•):
出かける前になんとなく見かけた光景。ホゼアおじいちゃん(´ω`*) けっこう小綺麗な身なりさせられてますが、勉強なんか嫌いなジャック��できないよ、と言うのに、できるのにやらないだけでしょ、と教育ママなアビゲイル。読み書きくらいできないとギャングにしかなれないし、こんな環境だからこそ必死なのは分かるけど、なんかアビゲイルの嫌なところばかり強調されるシーンが多いなぁ( ತಎತ)フウフゲンカ トカサ 「僕はギャングになるんだもん」みたいなジャックに、「あなたは弁護士になるのよ! 吊るされる側じゃなく吊るす側!!」て、ホントそこにいる人の気持ち考えない女( ・ὢ・ ) RDR2でどの女が一番嫌か、みたいな話題になってるスレ見たことありますが、スーザン、アビゲイルが2強のような。 ホゼアは根気よく付き合い、褒めてやり……あんたなんでギャングやってんだホント……。
さて出かけるか……って、虹だ! しかもかなり近い!! 見ろケンタ、虹だぞ(´ω`*)キレイダナァ
てくてく行くと、空気もなんだか雨上がりっぽくてすごかったです。スクショでは伝わらない気もするけれど、こういう自然環境の中での雨上がり独特の湿度、光の加減、すげーそれが出てる気がしました。
ちなみに目的その1。ダブルアクションリボルバー。(↑入手後、拭いた後のスクショ) GTA5でのチャレンジをこなしておくと、金の同銃が手に入るそうですね。それやってないorGTA5自体をやってなくても、ここで普通のが拾えるぞと聞いてやってきました。 ちなみに中には無法者がたむろしてるので、押し入ってみなころころするか、しばらく様子を見るかです。 無法者ころころするだけなら、人に見られないかぎり通報はされないし、名誉レベルも下がらないみたいですが(「見知らぬ人」はそいつが悪党っぽいことしててもダメ。ころころしたりすれば名誉レベルダウン)、何人いるかはっきりしないし、それで狭い小屋の中で戦闘になったら勝てる気がしなかったので、近くでキャンプしてちょっと時間を送ってみました。 到着したばかりの一度目、飲んで騒いでる → 少し時間経過させて行く → ���いつぶれてみんな寝てる。家探しチャンス!? こそこそ……もそもそ……やべっ見つかった!! からの、0(:3 )~ =͟͟͞͞(’、3)_ヽ)_……。 まあいい、150$ほどなくしてすぐ近くからスタートだ。 どうしようかなぁと思いつつ小屋に近づいてみると……あれ? 今度はもう誰もいない……ラッキー٩(ˊᗜˋ*)و
というわけで、ベッドの下の箱から無事にゲットです。150$で買ったような有り様ですが気にしません。そもそも大金持ってるからそれだけ落とすだけだしな。 せっかくだから強化もしたいんだけど、銃砲店っていうと、このへんはローズかサンドニ? でもどうせなら……
ヴァンホーンとアンスバーグに行ってみることにしました。 レーダーマップ出てるし、マップも見られるし、なにより案内板の数が少なくて頼りないので、案内板を頼りに旅するってのは難しいのが残念。かといってスカイリムのmodみたいに、数増やして便利にすればいいかって言えば、それはそれで「リアルな世界観」が台無しになるしな。
やってきたヴァンホーンの町。なんか小さくて汚いところだな……。 酒場っぽいとこに「?」があったので入ってみると、なんかちょっとフリークスっぽい大男を、おば……おねーちゃんがあれこれ叱りつけてる場面に出くわしました。 なんとかっていう誰かが逃げ出したらしく、その居場所を教えなさい、と叱っている模様。 話しかけてみると、彼等はサーカスとか芸人の一座で、その中の手品師が逃げ出してしまい、その行き先をこの大男は知っているみたい。
ところであんた、おい、ちょっと待った、あの男が、おい、まずくないか、なああんた、ちょっと……あっ。 みたいなアーサーがめっちゃ面白いイベントでした(´ω`*)
これ以上は酒を出せないぞ、ぽい店主に掴みかかった男を止めて殴り合いに。
ダウンさせておとなしくさせると、話が進みます。なだめすかして逃亡者の行き先を聞き出したマージョリー女史。店主とアーサーが、やれやれもう……みたいな感じで、後片付けしたり様子見てるしw
あんた、酒を出す相手は選べよな、みたいなこと言うアーサー。ちなみに自分が一本飲んでるお金はちゃんと払うシーンがあったりしますが、所持金は減ってないみたい。イベントだからかな。 なんだろう……妙にくすくすできる面白いイベントでした。マグニフィコ? だっけ。奇術師の居場所見つけたら騒ぎを起こせばいい、みたいな話です。続きも面白そうなので、近いうちにやりたいな(´ω`*)
アンスバーグに向かう途中に、助けてくれという悲鳴が。駆けつけてみると、狩猟用の罠に足を挟まれた人がいました。って、すげぇ血出てるぞ……あんた大丈夫かこれ:( •ᾥ•): 待ってろ、今はずしてやる! くらいでスムーズに人助け。「命の恩人だ。バッグの中にあるものは好きに持っていってくれ」という流れになりましたが、あるのは拳銃の弾くらいかな。別にそんなものもらわないといけないほど金に困ってないし、ていうかあんた、ウィスキーやるから飲め、と更に気を遣ってあげるアーサーになっときます。 近くに馬がいるからそれで帰れるようだけど、なんだったら乗せて帰ってやっても……と思ったのですが、それは発生しなかったので、彼が無事に町(ヴァンホーンかアンスバーグかな)に戻れるように祈っておきましょう。 もしかすると後日また、「あんたあのときの」でなにかあるのかもしれないし、なにもないのかもしれませんな。
アンスバーグ到着~。工場みたいなのが近くにあるけど、町としては小規模。ここに銃砲店がありました。
科学者が演説しとる……。誰も相手にしてないけど、後の20世紀、21世紀を知ってるプレイヤーとしては、この科学者の言ってることは間違ってないと分かります。 話しかけたら本をもらうことができました。 キャンプでは、ホゼアが好きそうな小説探してこい、みたいなのもあったし、誰かにあげることができるようになるのかも。暇なときに自分も読んでみたいけど、きっちり時間が経過するからなぁ。 スマホのアプリのほうで日記が読めるように、こういう読み物系も読めたらいいのに。 Wアクションリボルバーは全体的に銀色にし、彫刻も施し、ちょっとオサレにしてみました。
アンスバーグにホテルはなかったので、ヴァンホーンに戻るか、まだ回ってないところを回ってキャンプするかで、後者を選択。のんびりとマップを埋めつついい時間になるのを待ちます。
そしてキャンプしてたら、なんか来た!! 地元のギャンググループですね。襲われるのかなと思ったら、警告だけでした。淡々と「ここは自由の国だろ(だから俺がどこでキャンプしてても関係ないだろ)」と対応するアーサーかっこいいな(´ω`*)
翌朝、てくてくとバレンタインの近くまで戻ってきたアーサー。なんかあのへんの岩山とか、もらった宝の地図に似てる気がしなくもないんだが……。でもちょっと町からは遠いんだよなぁ。 あの三角系の道がこれだとして……とかやってたら、ハビア? ビルが賞金稼ぎに捕まったから助けに行こう、と言われました。承知するかどうかは選べますが、仲間を見捨てるわけにはいかない! ビルは助けられても不機嫌だろうな、とか言いますが、だからって見捨てるわけにはいかないし。 ハビアとともにバレンタインの南東あたりへ。ポジションを選べ、と言うので、もちろん狙撃スタイルですがなにか? 先制ヘッドショットで確実に一人減らせるし、相手の弾は当たらないか、当たってもほとんどダメージにならない、それが狙撃の利点。 ていうかわしゃあここでも狙撃スタイルか。 ちなみにハビアとアーサーが、ダッチギャングでの戦闘能力2トップだとか。冷静さなんかの総合戦闘力ってことだと思いますが(あと主人公補正)、そんな二人に奪還襲撃された賞金稼ぎこそ憐れだな。 ビルは無事助け出し……なんだ、案外普通に「助かったぜ」くらいで済んだじゃん。
とかうろうろしてたらすっかり夕方に。 ちなみにこのへん(どのへんだよ)に来てるのは、ジョンと一緒にやる列車強盗の仕込み用に、馬車を奪うため。 コンビナートみたいなところの馬車はガードが固くて、戦闘なしでは持ち出せそうにないし、かと言って夜まで待ってみるのもなぁ。それならもう一台のほう、バレンタインに向かったヤツを移動時に道で狙おうか。 と思ってたけどそっちも町の中からなかなか動かないし。その様子を(マップ上のアイコンで)うかがいながら、宝の地図に該当する場所ないかなと探していました。 しかしどうしても馬車は町の入り口あたりから動く気配がない……。 一度見に行ってみるか、と近寄ってみると、……無人だな、これ。ってことは今のうちにさっと乗り逃げすれば、戦わず逃げるだけでいいだろうし、ちょっと名誉レベル下がる程度でいけるんちゃうか?
というわけで無事奪取! 荷馬のいななきというか鼻息、かなりうるさいなw ちなみにケンタは追従させてます。 人を殺したりはしなくても、ちょっとした悪事でも、名誉レベルはきっちり低下。でもこれくらいなら、挨拶したり拠点に寄付して雑用してるだけで元に戻るしな。 しかしそこから先にはなかなか上がらず、MAX良い人への道は遠そうです。こういう仲間とのミッションやイベントもあるし。 ともあれ馬車は隠し場所まで運んで、また夜なのでキャンプで一泊。 明日はなにをしようかなぁ。列車強盗進めようか、それともまたどこかふらっと旅してこようか……(´ω`*)
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虹色染めのカーネーション「パステルレインボー」 岡田さんの品物、いつも綺麗です。 昨日はやってしまいました。残業終わってご飯食べたらそのまま寝落ち。朝まで目が覚めませんでした。夜中のうちにやることあったのに。。。さすがに三月も大詰め、けっこうキテマス😅 もう相場もハチャメチャだし、ボディーくらって肋骨もってかれても左のクロスが当たれば相手倒れる、的な戦い方になってのは反省材料。こんなことなら26時からのFP2見たかった。。 今日はサウジの予選、すぐ近くのコンビナートで爆破テロがあったのに開催続行してくれるFIAには感謝。サウジのコースは評判とは違って自分はけっこう好み。17、23の踏んでいくところとか気持ちいいし13、27もチャレンジングで面白い。まぁ実際に走るとなると、これ市街地コースというのがクレイジーだけど。 何にしても楽しみです。がんばれマックス😆#大森 #花屋 #大森の花屋 #大田区の花屋 #大花園 #だいかえん #花シェルジュ #母の日 (大花園(だいかえん)) https://www.instagram.com/p/CbjgWM5LHVJ/?utm_medium=tumblr
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夜一人でラーメン食べたり出来るようになりたい。
無理。カレーでギリ。さみしさ。
せっかく開放されている施設には
とりあえず行ってみたい。
知らないことを減らしていく旅。
夜のコンビナートを
三重まで見に行くバスツアーのチラシ。
よく見たら夜中に変なところで降ろされるっぽくて
謎のストロングスタイル。
朝まで付き合ってよ。
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朝早起きしてしまった時はぁ〜今日は雨予報なんで、その前に走れたのは、得した気分です #早朝ジョギング #ジョギング中の風景 #マラソン #コンビナートの朝 #コンビナートの風景 (四日市ドーム) https://www.instagram.com/p/CjfQEdgJUso/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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1.電力 石川県で、約12,600戸の停電が発生。現在の停電は、送電線や変電所によるものはなく、配電設備の損傷によるもの。北陸エリアでの供給力は確保できている状況。 北陸電力では、災害対策本部を設置し、3,600人体制で、情報収集及び復旧に向けた作業を実施しており、特に、中能登町以北において、他社応援部隊(関西、中部、東京、東北)を含め、現在、人員約1,000人、作業車両(電源車、高所作業車等)約630台で対応。 七尾市は、ほぼ全域復旧済み。能登町、穴水町は、復旧工事が相当程度進展。一方、輪島市、珠洲市は、配電設備の被害が甚大であり、道路損壊により作業が難航。このため、停電の続く避難所を優先して、配電線復旧重点工事に加え、電源車での代替供給を開始済。6日から、能登町、穴水町、輪島市、珠洲市との電力供給に関するミーティングを開始し、現場のニーズを踏まえ、順次対応中。 北陸電力管内の七尾大田火力発電所(石炭、1号50万kW・2号70万kW)では、地震により稼働中であった1号・2号が停止。富山新港発電所(石炭、25万kW×2)の1号・2号の出力が50万kWから30万kWへ低下しているが、30万kWの運転を継続中。 ○東北電力管内 停電解消済 ○北陸電力管内 石川県 約12,600戸(輪島市 約5,700戸、珠洲市 約4,400戸、能登町 約1,700戸、穴水町 約760戸、志賀町 約10 戸、七尾市 10戸未満) 2.ガス 都市ガスについて、現時点で、ガス製造事業者、一般ガス導管事業の被害・供給支障については解消。 ガス小売事業(簡易ガス)の被害状況は以下のとおり。 ◆供給再開済 ・石川県金沢市1か所(39戸)※土砂崩れによる立入禁止場所の住宅を除く。 ◆地盤が悪いことが判明したため復旧作業停止中 ・石川県鳳珠郡能登町1か所(40戸) 熱供給事業については、現時点で、供給支障はなく、被害情報もなし。 LPガスについて、輸入基地である七尾基地の設備支障により出荷停止中。代替基地にて振替出荷可能。 3.高圧ガス・火薬類 高圧法及び石災法に係る設備について、現時点で、大きな被害情報なし。(LPガス・アンモニア等の高圧ガスの漏えい等が8件(富山県1件、石川県7件)、原油の微量漏洩が2件(新潟県2件)発生したが対処済み、コンビナート地域において小規模な火災が1件(新潟県1件)発生したが鎮火済み。いずれも人的被害及び場外への影響は生じていない。) 現時点で、鉱山及び火薬関係での被害情報なし。 4.製油所・油槽所、SS 油槽所については陸上出荷を再開済み。出荷再開の目処が立っていない油槽所1カ所について、近隣油槽所からの応援配送を実施。 SSについて、現時点で確認されている情報は以下の通り。 (七尾市、志賀町、穴水町、輪島市、能登町、珠洲市) ◆営業可能(給油・配送可能):52件 ◆営業停止(給油・配送不可):17件 5.物資 被災地・避難所への物資の供給については、関係事業者・業界団体との連絡体制を構築し、毛布、携帯トイレ、消臭剤、カセットボンベなど、必要な物資を石川県の拠点に集積し、順次、トラックで輪島市・珠洲市・穴水町・能登町等の被災自治体へ発送。 防寒物資や燃料等の集積と避難所への供給を強化し、ジェットヒーターの供給も開始。 避難所の感染症対策として、消毒液等の衛生用品の発送も実施。 自衛隊と連携し、コンビニやスーパーの商品等の支援物資の避難所への輸送も実施。 6.工業用水 富山県の工業用水道事業において、漏水により 供給支障(受水企業1社)が発生しており、復旧検討中。 7.製造業、中小企業 石川県を中心とした北陸三県に加え新潟県などの幅広い地域における産業の主要な生産拠点を持つ企業と地場の企業、それらから影響を受けうるセットメーカーなどに対し被害情報等を収集。建物や設備の損傷等の被害が多数発生しているが、被災地域域外のサプライチェーンにも影響を及ぼしうる業種については、9割弱が生産を再開又は再開の目処が立っている状況である一方、繊維、工芸品、印刷製造業については、約3割の企業において生産再開の目処が立っていない状況。 1月11日(木曜日)、今回の能登半島地震が、地域を指定しない激甚災害「本激」に指定された。 災害救助法の適用を受けた新潟県、富山県、石川県及び福井県の県又は適用地域(47市町村)に対し、1月4日(木曜日)までに、(1)中小企業関係団体等による特別相談窓口の開設 (2)災害復旧貸付の実施 (3)セーフティネット保証4号の適用 (4)既往債務の返済条件緩和等への柔軟な対応の要請 (5)小規模企業共済災害貸付の適用等の初動措置 を発動。 <災害救助法の適用地域>(1月12日6:40時点) ・新潟県(14市町村) 新潟市、長岡市、三条市、柏崎市、加茂市、見附市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、佐渡市、南魚沼市、三島郡出雲崎町 ・富山県(13市町村) 富山市、高岡市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、南砺市、射水市、中新川郡舟橋村、中新川郡上市町、中新川郡立山町、下新川郡朝日町 ・石川県(17市町村) 金沢市、七尾市、小松市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市、河北郡津幡町、河北郡内灘町、羽咋郡志賀町、羽咋郡宝達志水町、鹿島郡中能登町、鳳珠郡穴水町、鳳珠郡能登町 ・福井県(3市町村) 福井市、あわら市、坂井市 8.その他 経済産業省では、1月1日(月曜日)16:10に災害連絡室を設置。 1月1日(月曜日)23:22に経済産業省非常災害対策本部を設置。1月2日(火曜日)以降、1月12日(金曜日)までに、計8回の本部会議を開催。 1月2日(火曜日)以降、経済産業省、経済産業局及び産業保安監督部の職員を、石川県庁及び被災自治体等へ派遣。1月11日(木曜日)時点で、26名派遣済み。 担当 大臣官房広報室長 加賀 担当:栗原、山岡、小西、佐々木、隈江 電話:03-3501-1511(内線 2276) メール:bzl-kokunai-houdou★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。
令和6年能登半島地震に伴う被害について(1月12日(金曜日)13:00時点) (METI/経済産業省)
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6月後半のゲストも藤本僚さんをお迎えして番組をお送りしてまいります。 前回の放送とは違う曲を弾き語りしていただいておりますのでぜひお楽しみに。 インターネットラジオ ゆめのたね 東日本第二チャンネル 日曜 朝10:00〜10:30 「サンシャイン!!」 https://www.yumenotane.jp/ https://www.yumenotane.jp/sunshine 藤本僚 動画 https://youtu.be/nuVUTeMd3k4 https://youtu.be/DQndKB-NSkQ https://youtu.be/OlDIaKBrvdk #藤本僚 #ONE #インスタライブ #浜田省吾 #生ライブ #弾き語り #今後が楽しみ #ゲスト募集 #ゆめのたね #ラジオ #音楽 #花の虜 #ゲスト #ゆめのたね岐阜スタジオ #ライブ #金子哲也 #NEW昭和ロックシンガー #抱いてしまいたい #コンビナート #カリフォルニア (X market) https://www.instagram.com/p/CQSA9EHJ4wuz6NdO5nCt21QefJENv3HBUo4guo0/?utm_medium=tumblr
#藤本僚#one#インスタライブ#浜田省吾#生ライブ#弾き語り#今後が楽しみ#ゲスト募集#ゆめのたね#ラジオ#音楽#花の虜#ゲスト#ゆめのたね岐阜スタジオ#ライブ#金子哲也#new昭和ロックシンガー#抱いてしまいたい#コンビナート#カリフォルニア
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて���どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込��ほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけ��の、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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[2]
成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あ��り次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。い���れも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回��たあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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2011年3月11日14時46分。日本はこの時を皮切りに数え切れないほど多くの不幸が起こりました。
幸い家族や親戚は無事だしそれ以外も大きな被害を受けることも無かったので、東北地方で被災された方なんかより何千倍何万倍も幸せな状況であることは間違いないです。
それでも、あの時個人的に体験したことは強烈で今でも鮮明に思い出せるので、書き残してみようかと思います。
当時18歳、高校3年生だった私は国立大学の前期試験を不合格になり後期試験を受けようとしていました。
試験日は3月12日、遠方の大学のため前泊をして試験に臨もうとしていました。
栃木の実家から東京は北千住駅まで到着し、日比谷線に乗り換えようとしていたところ。
今でもよく覚えているのは、駅のホームへの階段を登っている途中に電光掲示板を見上げ、少し急げば14時45分発の電車に間に合うと思い小走りで電車に駆け込んだことです。
電車は定刻に駅を出発、そこまでは予定通りでした。
しかし、ほんの少し進んだところで電車は急ブレーキで止まり、隅田川にかかる橋の上で停車。
少し車内がざわついたところで大きな揺れがきました。
電車の客室は走行中の揺れを抑制するために左右にある程度動けるようになっていますが、逆にその仕組みのせいで地震の揺れが増幅され、立っていられないほど大きく大きく揺れました。
電車はその場で停止したまま。当時はガラケー全盛期、情報も今ほど早く入って来ないため、何が起こったのかもわからないまま車内に閉じ込められ、暫く経った頃。
偶々隣に居たスーツ姿のサラリーマンがワンセグでテレビのニュースを見せてくれて、千葉の石油コンビナートが燃えている映像を目にしました。
地震の情報も併せて入ってきて、何かとてつもなく大変なことが起きているんじゃないかという感覚が沸々と湧いてきたのを覚えています。
そのうち電車は人間が歩く程度のスピードで動き出し、南千住駅に到着。
駅に着いてからも大きな余震が何度も続き、駅の壁にある鉄の筋交いが大きな音をたてながら壁に打ち付けられていました。
そんな中、駅のアナウンスが「駅構内��安全が確保出来ないため速やかに退出してください」とのこと。
ゾロゾロと出口へ向かう人の波に流されながら改札を抜け、南千住という全く知らない街に降り立ちました。
困って駅の入り口で立ち尽くしていると、そんなことはお構い無しに駅員が駅を封鎖。宿泊予定のホテルへ進むことも栃木の実家に戻ることも出来なくなりました。いわゆる"帰宅難民"です。
その日はまだ冬の天気で寒かったのですが、寄り道せずホテルへ直行しようと考えていたのであまり厚着をしておらず、段々と冷える身体。
まずいと思い、駅の近くのファミレスやファーストフード店を回るもどこも閉店しており、いよいよ追い詰められました。
田舎の普通の高校生だった私はそんな状況にどうしようもない心細さと孤独感と絶望を感じ、焦りと不安で頭の中がいっぱいだったことを今でもよく思い出せます。
それでもなんとか冷静になり、ひとまず食べ物を確保しようとコンビニへ駆け込み、空になった棚を見て更に絶望しつつもチルドのエビグラタンが辛うじて残っていたのでそれを購入
エビグラタンを片手に再び知らない街をフラフラと歩き回ると、公民館を発見。
係員に話を聞くと、帰れなくなった人の一時待機所として開放中とのこと。
やっと落ち着いて暖を取れる場所が出来たと心の底から安堵しました。
腰を落ち着けたことでようやく情報収集と家族への連絡を開始。どうやら関東圏の電車は全てストップ。家族も心配していましたが、ひとまず無事なことを報告。
その頃にはかつてない規模の大きな地震が起きたこと、津波で東北太平洋沿いが壊滅状態になったことが情報として入ってきており、自分の身の上のことよりも世界が崩壊してしまった感覚に囚われ、不安はさらに大きくなりました。
そんな中、コンセントの近くに陣取り携帯を充電しながら操作していると、申し訳なさそうな顔で「すみません、携帯の充電器貸してくれませんか?」と言う若い男性が来ました。
快く貸そうとしましたが私とその男性で使うキャリアが異なっており、貸すことが出来ませんでした。
当時はdocomo、au、SoftBankで充電端子が異なったのです。有事の際に助け合うことが出来なかったことから、独自規格というものが今でもあまり好きではありません(Lightningケーブルとか)。
しばらくした後、日が暮れてきた頃に冷えたエビグラタンを食べながら公民館の窓から外を見ると��クシーの乗車場にはテーマパークのアトラクションのような行列が出来ていました。
今なら自分もその行列に加わることも吝かではありませんが、高校生の自分はタクシーで東京から栃木へ帰ることなんて有事であるこの状況的にも金銭的にも出来ないと変な遠慮をし、これからどうしようと考え始めました。
そんなタイミングで公民館はもうじき閉館するとアナウンスがあり再び絶望。しかし、代わりに近隣の中学校を開放するとのことで再燃した絶望が消えつつ、そちらに移動することに。
全く知らない中学校の会議室に通され、防災用の毛布1枚と乾パンを渡されました。会議室の壁際に椅子を出し、そこで一夜を明かす覚悟を決めました。
夜になり、会議室はお互い顔も知らない人が沢山いて、皆暗い顔で俯きながら黙って時が経つのを待っていました。
居ても立っても居られなくなった私は、会議室を出て地元の友人と電話しました。長電話に付き合ってもらい、かなり気持ちが楽になりました。その友人には今でも感謝をしています。
その後、電話を終えた後は慣れない状況ではなかなか寝付けず、ほぼ徹夜で夜を明かしました。
朝、電車の運行状況を見ると辛うじて動くものがあるとの情報。
自然と入試に行くことを諦め、浪人する覚悟が出来たため、家に帰ろうとしました。
最寄駅発の電車は確か6:30頃だったと記憶しています。
それに合わせて駅に向かうと、ホームは人の山。その日も相変わらず気温は低く、窮屈で寒い思いをしながら待っていました。
しかし、予定の時刻を過ぎても電車は来ず、睡眠不足による体力の低下と寒さで身体が限界に近づいた頃、30分ほど遅れて電車が来ました。やっと帰れる、と肩の力が抜けました。
そして、この頃に後期試験が中止になると発表されました。
その後は動いてる電車を乗り継いで埼玉の東武動物公園駅まで来ました。
しかし、電車はそこから先は動いておらず、また足止め。父親に電話で状況を説明すると、車で迎えに来てくれるとのこと。
それまでの待ち時間、駅の近くにあったDOUTORが開いていたのでそこに入り、ホットの紅茶を注文。
それまで寒くて凍えていても何も対処ができない状況でしたが、久しぶりに温かい物を口にし、生き返るような心地だったのは今でも忘れません。それから今に至るまで、全国チェーンのカフェで1番好きなのはDOUTORになりました。
1時間ほどして父親が到着。これまでの話をしながら家路につき、1日ぶりに家に帰れたのでした。
翌日には風邪をひいて少し寝込み、体調が回復した頃にセンター試験の結果のみで判定される手筈となった大学から不合格の通知��届き、浪人が正式に決定したのでした。
これが、私が体験した3.11です。
重ねて言いますが、自分より大変なことが起こった人が沢山居ることは重々理解していて、自分が特別に不幸だったとは思っていません。
それでも、当時の世間知らずな普通の高校生だった自分からしてみれば十分に辛かった体験ですし、結果浪人することになって人生初とも言える大きな挫折を味わうことにもなりました。
後期試験を受けたところで大学に合格出来たかは正直怪しいところではありますが、試験が無くなり巻き返すチャンスを失ったことで現役合格という可能性が消えてしまったこともまた事実です。
もし、地震が起こらずに試験を受けられ、合格していれば、今頃全く違う人生を歩んでいたことは想像に難くないです。
今の人生を後悔しているわけではありませんが、"もし"を考えると確実に自分の中に傷として残っていますし、自分の人生を大きく変えてしまった地震というものの恐ろしさを改めて実感します。
日本は災害の多い国です。常にその脅威は背後に潜んでいて、不意をついて人々を不幸に陥れようとしています。そして、その力の前に人間は全くの無力です。人生なんか簡単に変えてしまうし、命すらあっという間に奪ってしまいます。
あれから10年経ち、自分の中でも記憶が薄れ、これを書くまではそんな認識も忘れかけていました。
いつ起こるかわからないからこそ、常にそれに備え、少しでも傷を浅くする努力が必要なんだと思います。
それは明日、もしかしたらこの後すぐに起こるかもしれないです。だから、その時に後悔しないように生きていけるようにしたいと思います。
最後に、地震によって奪われた命にご冥福をお祈りします。
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旅先から修羅場まで...みんなの野宿エピソードが面白すぎた
集計期間:2020年12月20日~12月22日 回答数:17115
突然ですが、皆さんは「野宿」をしたことがありますか?
筆者は遠い昔、家族が寝静まった深夜に帰宅するも鍵を紛失しており、実家の敷地内で野宿をしたことがあります…
そこで今回は「やむを得ず野宿をした経験はある?」というテーマで調査してみました。
やむを得ず野宿をした経験はある?
回答者17115名のうち、やむを得ず野宿をした経験が「ある」人は全体の約14.8%、「ない」人は約85.2%という結果でした。
ここからは、やむを得ず野宿をした皆さんから寄せられた貴重なエピソードを見ていきましょう。
<旅先で>
・北海道でのツーリング中でガス欠して。
・夏の北海道で。その日は、夜の宿を予約しておらず、まぁ、銭湯にでも行こうと思っていたのですが、とても暖かく、夜風にあたりながら、そのまま。
・野宿と言ってよいかどうかわかりませんが、50年近く前の学生時代に北海道旅行した時、金がないので札幌駅前の芝生(?)で寝たことがあります。今はどうかわかりませんが、当時は問題なく過ごせました。ただ、熱くて寝苦しかったのを覚えています。
・高校卒業旅行で弾丸で和歌山へ車で出かけて宿をとっていなく、浜辺で寝た
・学生の頃、四国へ青春18切符を利用した旅行した際、予定の目的地に間に合わず、野宿する
・学生の頃、東北三大祭りの一つ「ねぶた祭り」を見に行ったら宿に空きがまったくなく、仕方なしに公園にたまたまあった土管の中で一晩過ごしたことがある。
・高尾山付近で山小屋で新聞紙を体に巻いて一夜を過ごしました。下山後駅前での食事が美味しかった事この上ありませんでした。
・1人旅の途中に散歩がてら徒歩で山の景色を楽しんだら迷子になり宿泊先に戻れず1晩と野宿するはめになった。
・山を越えて日本海へ!と友人と車で出掛けてみたが、道に迷い途中でガス欠寸前に。ガソリンスタンドが開くまで動かずにいようと朝まで待ちました。
・無計画な旅行で、夏場だったので、公園で朝を迎えた事がありましたよ!朝陽を浴びて、とても清々しい気持ちになりました。
・宿がなければ駅に止まればいいと思い旅行に出たが駅を24時に締め出され野宿した
<グローバル野宿>
・東南アジア旅行した時に、タイやインドで駅の中で野宿した
・グアムで初日ホテルとってなくて、しょうがなく
・海外にて予約していたはずのホテルに業者のミスで予約が入っておらず、折悪く周辺ホテルも満室で止むなく教会の敷地内に野宿した。今思いだしても、あれはないわ。。。
・イギリス旅行した時に、公園のベンチで一晩過ごしました。今よりズッと治安も良かった気がします。
・オーストラリアでメルボルンからエアーズロックまで車で行こうと思ったが日本の距離感が全く会わずに砂漠で野宿しました。満点の星空に感激しました。
・フィリピンでパナツボ火山に登った時に日が暮れてしまって火山灰の上に野宿
<天災や事故で大変でした>
・大震災の次の夜、知り合いも避難であてにならず、車移動の途中で道路脇で一夜を明かした
・東日本大震災のとき、避難先の小学校の屋上で一晩過ごしました。近くのコンビナートで火災があったため、迫りくる炎の中での野宿は翌日ヘリで救助されるまで生きた心地がしませんでした。
・昔、東北の峠越えの最中に雪で脱輪落下。明るくなるまで、車内で野宿。
・大雪ので道路が通行止めになって、コンビニの駐車場で野宿した。食べ物とトイレはコンビニで済ませて助かった。
・ドカ雪が降り家まで帰るに帰れず車中ですが野宿しました寒さと恐怖で寝るに寝れなかった
・台風で道路が通行止めになり仕方なく駅で寝たことがある
・真夏の海沿いで、渋滞にハマり、帰宅までの時間が見通しつかずに、仕方なく翌日の朝に帰るようにと思い、海沿いにあった灯台の駐車場で野宿。が、真夏、海ということもあったせいか、ヤブ蚊の餌食になった。車に入ってきた、数、21匹。主人ともども、無数、刺されまくった、、、最悪だった。
<家出>
・学生時代に家出して一晩野宿しました。冬ではなかったのでなんとか……。
・高校生の頃家出をして…田舎なので国道沿いの山奥で朝まで隠れてたことがある。
・中学生の頃家出して、泊まる所がなくトラックの荷台で野宿した事がある。
・野宿と言うか、車中泊だったんだけど。社会人になって間もない若かりしある日、仕事から帰って母親の作ったご飯を食べようとした瞬間、母親が「さっさと家を出ていけ」と言ったことに対し、仕事も上手くいっていなかったせいもあってカッとなり「今すぐ出ていったるよ!」とカバンだけ持って自家用車で行く宛もなく出ていき車中泊した。
・ガキの頃親と喧嘩して、うちを飛び出したのだが行くあてもなく河原の土手で一晩過ごした!
・両親と喧嘩して、お互い頭に血が上ってて、出てけって言われたから荷物とか大量に詰めて出ていったが、携帯は持っていくなと言われ誰にも連絡つかなくてしょうがないから近所の公園で一晩過ごした。
・10代の秋頃に友達と2人で家出中、行く所が無くなり寒くて風を凌ぐためにマンションのエントランスに入って野宿した事がある
・中学生の頃に家出をして、祖父の山に野宿した。夏場だったが寒く枯れ草を集めて暖を取り、火を焚いて蚊を追い払い、夜空の星を見上げていたらこの世界で自分は何でも出来るのだと思った。2日も経たないうちに、お腹が空いて帰り怒られた。
<ライブで興奮>
・ライブ終わり興奮しすぎて高速バス乗り過ごした
・つま恋の拓郎&かぐや姫のライブに前日から行き友人とここで寝るしか無いと暗闇の中寝た。朝起きたらすぐ横を走るトラックの音で起きびっくりした。道の端で寝ていた!
・19歳で好きなバンドのツアーで初めて千葉から名古屋まで行き、金銭面でもそうだけどホテルさえ手配していなくてバンドの人達の出待ちをして、電車も終電なくなり当時は改札からホームは閉鎖していたけど改札入る前の駅自体は閉鎖されていなかったから駅構内で野宿をしました
・他県のライブに行った際、終電を逃して友達とずっと公園で話していた。
<終電よ行かないで>
・電車で最終で寝込んで終点まで行きお金なく公園で野宿した
・終電を逃した時に限ってホテル満室のため、駅の待合室で1泊した。
・列車の旅をして終電乗る過ごして野宿した
・田舎のローカル線で21時頃の終電を逃して駅前の公園のベンチで朝6時頃の始発まで野宿
・終電で寝過ごして帰れなくなったときに横浜のランドマークタワーの下でダンボールにくるまって寝た
・残業で終電がなくなったが、職場からは追い出された。始発まで公園のベンチにいた。
・終電で寝過ごし、知らない駅で降ろされ、二人先の方でタクシーが出払い、待っていてもタクシーが来ず、駅から歩き出すも方向が判らず結局、駅から1時間強くらい歩いた河川に掛かる大きな橋の下に泊まることに・・・。翌朝起きると地元ではなく、隣の新潟県でした・・・。
<酔っ払い>
・酔っていて外で寝てしまった
・若い頃結果的に酔っ払って数回した事がある。
・野宿とは意味合いが違うけど酔って建物の軒下で寝たことが何回かある
・呑みに行き、終電で帰路に就いたが開発中の終着駅にて…ショッピングモールもホテルも建造中でタクシーすら通らずで
・飲みすぎて路上で寝てしまい荷物を全てなくしてしまい一晩屋外で過ごしたことがあります。翌朝知人に会うことができ、電車賃を借り帰ることが出来ました。
・大学生の時にお酒を飲んで終電を逃した。翌日1限からだったので大学の実験棟外階段で野宿をした。朝7時に部室棟が空き部室で寝たが2限も寝坊した。
・酔っ払って財布を見たら1000円しか無く周りに何も無くしばらく歩いて会社の最寄駅まで行き(定期が使えるので)風を凌げる所のベンチで始発まで寝た酷い二日酔いだった
・ありがちなのですが、飲み会で飲みすぎて、終電逃しタクシーで最寄り駅まで着いたのは、いいのですが、歩いて5分の自宅の方へは、なぜか行かず、駅のバス亭の、ベンチへ、気がつけば朝日が昇っております。結果、一晩ベンチで野宿しました。因みに、私は、おんなです。
・飲み過ぎて今どこにいるのか分からなくなり、財布と眼鏡も盗られたのか落としたのか何処かで失くし、仕方がないので公園のベンチで朝まで寝ました。(8月で良かった)
・友達のアパートへ3人程で一晩お世話になるつもりが、酒を飲んだ後酒を飲まない自分の車でコンビニに買い物に出かけた後、締め出しにあった。本人曰く眠ってしまったらしいが…。仕方なく車の中で3人で一晩過ごした。今思うと夏だったから良かったけど、冬なら無理と思う環境だった。
<お金がない>
・大学生の時。金がなくて。仕方なく。夏だからできたし、若かったからね。おかげさまでお金のありがたみがよく分かりました。
・日雇いの仕事で一日の予定が、明日も予定が入って電車の金がないから仕方なく。
・乗り過ごし真冬に山梨県大月駅で終電で降りてホテルに泊まる金も無く、始発迄、寝たら凍死するかもと思うくらい寒い中で野宿した事が有る
・長距離バイクツーリング時に、昼食後うっかり財布を鞄ではなくポケットに入れてしまい、給油の時に財布を落としていることに気づき、やむを得ず野宿しました。
・コロナがはじまって仕事が無くなり職も住まいも無くして知人のお宅にお世話になるまでこの寒空に1週間野宿をした。こんなに困ってる国民がいるのに国は助けてくれない!もう一度給付金が出れば助かるのに…生まれ変わったら必ず国会議員になる!とつくづく思う。
・コロナで、家賃が払えなくなり、ミニミニに追い出されて野宿しました。
<鍵がない>
・帰るのが遅くなり鍵を持ってなかったので家の前で寝る羽目になった。
・家の鍵を会社のロッカーに忘れてしまった。
・家の鍵を無くし、携帯の電源が切れ、朝まで家近くをウロウロしたり、べんちに座ったり、夜が明けて実家に行きました。
・夜遅くまで飲んでいてタクシーで帰ったのですが、玄関前で鍵を家に忘れていることに気づき一緒に住んでいた彼女は寝てて起きなかった
<ガチ勢>
・寝袋はかならず持っていて何処でも寝られる体制にしている
・子供の頃はしょっちゅう。それこそ公園のベンチ、お寺の境内、コインランドーリ、夏場は、公園の噴水で体を洗ったこともある。
・しょっちゅうしてる
・昔ホームレスやったし
・寝るのは学校の階段下がいいよ
<修羅場>
・小さい頃、家のカギが閉まったままで中に入れず一晩犬小屋にいる犬にくっついて寝たことがある。父は出張、母親は違う男の人と一緒にいたみたいだった。シロがそばに居てくれた事を今���忘れない。
・母親が酒乱だった。夜中に酒を飲んで帰ってきて、寝ていた私を起こして「今すぐこの家から出ていけ」と着の身着のまま追い出された。その日は2月の氷点下まで気温が下がった午前1時半。追い出されたけど行くあてもなく(当時16才)仕方が無いから公園で夜を明かした。
・中学生のころ、父が自宅で酔っていた夜に日付が変わっても乱暴な音や暴力的な独り言が止まず怖かったので、勝手口から抜け出して明け方まで近所の公園の東屋にいました。屋根のある「家」があるありがたみをひしひしと感じました。
・家から締め出されて近くの公園で野宿しました。女です。まだ10代でした。信じられない。
・東京に上京した時に渋谷駅のハチ公前で寝ていたら寝ている間に財布を盗まれました。
・当時付き合ってた彼女に知らない場所に捨てられて真冬の中公園で野宿して死にかけた
・明け方に職務質問されました
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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#Repost @re.i_am • • • • • . . 次鹿島コンビナートに来ることがあったら、 絶対寄りたいと思ってたとこ😋✨ . 凄く凄く、好みの空間でした☺ . . . 今日は朝からずっと飲んでる…… 今日は、って言うか、最近 アルコール依存症かも🙄💦 . シラフの時はあまり感情が動かないけど 酔うと普段抑えてる気持ちが溢れて ついでに沢山泣けたりもして デトックス効果あるのかも😂 . . 人生もそろそろ折り返し地点で 取捨選択ももう冒険できなくなって 間違いを拾う事が怖くて とりあえず何でもかんでも捨ててってる 今の私…… . それでもきっと、 大切なものはちゃんと残って…… 私の手の中からは失くならないんだと 信じてたい☺️ . . ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ( 'ω'o[ メンバータグ ]o #dpj_member #special_spot_member #whim_member #i_c_part_member #vivid_impact_member ✎︎___________ #art_of_japan_ #Team_jp_ #instagramJapan #moodygrams #bestjapanpics #IG_PHOS #Lines_and_Points #hubsplanet #longexposure_Japan #Lovers_Nippon_Artistic #tokyocameraclub #Rox_captures #Japantravelphoto #photo_travelers #colore_de_saison #japan_daytime_view #鹿島神宮 #茨城 #鳥居 #ジブリ感 https://www.instagram.com/p/B2vu4wQAyc1/?igshid=1i6vtwarn1snv
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