#オナム
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✿ サディヤ | Sadhya ・インド・ケーララ州の伝統的な収穫祭 「オナム」 の料理。 このお祭りは、インド神話に登場するマハーバリ王を称える行事で、例年8月~9月頃の10日間にわたってボートレースや伝統舞踊などが行われます。この期間、オオバコの葉の上に様々な菜食のおかずやごはんが載せられた「サディヤ」が振舞われます。
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ドラマ感想『マスクガール』
!ネタバレあり��す。
Netflixドラマ『マスクガール』公式 https://www.netflix.com/title/81516491
とにかく気分をどん底にぶち落としたい時に見るドラマだと思います。<マスクガールおよび、彼女が起こした事件>を中心とし、様々な登場人物による視点から描かれる群像劇的作品だと思います。 反対を言うと、落ち込んでしまう時には無理をしてみないという選択も重要になると思います。ご注意を。
元はメミ/ヒセによる韓国のウェブトゥーン。原作は少し読みましたが、物語が展開する部分までは未読のため、原作の内容には触れていません。
【あらすじ】 キム・モミは芸能人になりたかった女の子。幼い頃は誰にでも褒められたが、年齢を重ねるにつれ心無い言葉で容姿を揶揄されるようになる。モミはOLとなり、とある企業に勤め、夜はBJ(Broadcasting Jockey/日本で言う生主、配信者のような言葉にあたる)のマスクガールとして人気を博す。勤め先のハンサムな部長に恋をするモミだったが、部長と社内でも話題の女子社員との不倫を発見し…。
最初に、様々な暴力描かれる作品であることに注意です。
■恨むなら母を 最初に“二人の母”の話をしたいのですが、息子オナムの行方がわからなくなり、オナムを探す母キョンジャと、モミに現実を突きつけ厳しくしつける母ヨンヒ、最初からこの二人の対比の構図がありました。とても言いやすい言葉で言い換えると<わきまえない女・キョンジャ>と<わきまえる女・ヨンヒ>の対比があります。キョンジャは離婚、ヨンヒは自殺でそれぞれ夫を失っています。 いじめに遭い、姿を消してなんとか生きているがそれでも母から心配され、褒められ、干渉されるオナムと、会社の男性たちには露骨な容姿差別を受け、母からも厳しく躾けられ、BJ活動で自尊心を満たすモミ、物語はオナムがモミのBJ活動を知り、恐怖のメールを送り付けるところから転落が始まっていきます。
■救いは父を ドラマの中でキョンジャを始めとした「救い」を求める人々は神に祈る、ラストのつぶやきで明かされるが、救いの神はどうやら<男>らしい。恨むなら母、救うのは男、明確にジェンダーが別れている。 一方、ミモを救いに行ったのはモミでもあり、ミモの祖母・モミの母ヨンヒだし、ミモの同級生。そしてまた、その同級生を救うミモが居て、モミが熱を出している時に助けに行くチュネが居て、チュネがDVを受けている時に救いに行くモミが居て……。 最初にモミを救いにきたオナムの救い方をはじめとして、本当にそれは救いなのでしょうか、父なる神。
「お前からは誕生日も祝われたことがない」と近所の医者の息子などと比較しオナムに言うキョンジャなのですが、ミモがチョコパイのケーキでキョンジャの誕生日を祝うシーンに、思い込みで良心が揺がないほど美化された息子の偶像を信じているシーンなどはなんというか、ある意味この親子似てるなと思ったりなど。
ラストの戦いは女性しか出てこないが、真の意味で「バイオレンス」が描かれている。女性同士の闘いは<キャット・ファイト>になりがちで、魅せ方や演出が生ぬるいと感じる作品がウンザリするほどあったりもするのですが、この作品はガチ。ガタイのいい見張りも出てくるのですが、追いかけはするけれども戦うことはなく、体の細い老女性二人が奪いたいもの守りたいもののために体を張って戦うシーンは、私では本当に初めての「女対女の暴力演出」に感じました。
■神となるマスクガール ここからは現代的な問題について少し思ったことなのですが、新たに入所してきた受刑者の中に、マスクガール信奉者ともいえる女性が混ざっています。マスクガールは二人の男をズタズタにして殺した(ドラマをご覧になった方はわかると思うのですが、誤りです)、自分は男性器だけ。 少し、現実に吹き荒れる「男性社会がキライ」なのか「男性がキライ」なのか、それとも「男性器(妊娠させる能力)がキライ」なのか、それとも「全部」……? この辺、なかなかフェミニズムでも話せていない「男ギライについて」と、「女性による性器の話できないよね問題(自分の体について落ち着いて話せない問題)」はあるとうっすら思うのです。
もう一つ、日本の場合ですけれど、女性が参政権を得てから77年、性暴力に関する刑法が2017年110年ぶりに改正されたことなど考えた時、<法律から零れ落ちる理不尽>に直面した時、私たちはどうすればよいのか、ということも何とはなくぼんやりと考えました。フラワーデモなど、当事者運動が身近に在って関われる人と、そうではない人の差をとても感じていて、私は関われない・関わ��にくい側の地方に住んでいるので余計に何と言うか…。 そうした「零れ落ちる瞬間」に発生する事件や暴力について、特に最近は孤立出産とか、なんかもう、マスクガールを離れていろいろ思ってしまいます。マスクガールの物語の切欠はルッキズム(外見至上主義)がありましたが、そうした自尊心を削る言葉や行動が入口として、私たちは常に削られて生きているともいえるので、そういった、「こういうことが起こる社会は嫌」から見て、考えさせられるドラマでもあったのかな、と思います。
『82年生まれ、キム・ジヨン』でジヨンを助けてくれた<スカーフの女性>を演じたヨム・ヘランさんが執拗にモミを追う母親ことキョンジャとして出演されており、それがとても怖い。同時に、ヨム・ヘランという女優の凄みも感じられます。 ヨム・ヘランさんは結構いい作品にいっぱい出ているので、ぜひ『ガール・コップス』も見て♡
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