#イタリアの窓からの朝
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窓からこんな景色が見えたら癒されるのにぃー🌟
#イタリアのテラス���ュー#街並みのテラス眺望#テラスの窓からのイタリア#テラスの眺めが素晴らしい#イタリアの窓辺の景色#テラスから見る美しい街#ロマンティックなイタリアのテラス#街のパノラマビュー#テラスから広がるイタリア風景#テラスの窓際に広がる街#イタリアの窓からの朝#テラスで楽しむイタリアの日常#街と一体となるテラスビュー
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#灯屋 #カフェ #モーニング
月替わりのフレンチトーストと、さらにアイスかスープのどちらかが選べるので、アイスにしてみました。アイスも月替りで、3月は黒胡麻の模様。
飲み物はコーヒー紅茶だけでも結構色んな種類があって、迷った末に結局ミルクティーを選択。カモミールのミルクティーなので、ほんのりハーブの香りです。ポットにたっぷり入っていてカップに2杯ぐらい飲めるのが嬉しい。
ところで紅茶やコーヒーが入っているカップが可愛いなと思って見ていたのですが、どうやら有名どころのカップっぽいです。
右のティーカップはヘレンドのものでした。ブランドに疎い私でも名前を聞いたことがあるぞ……?ハンガリーの陶磁器ブランドで、オースト���アなどの貴族御用達だとか。
左は母親のコーヒーが入っていたカップで、こちらはリチャードジノリ。こちらはイタリアのブランドだそうです。
中々ブランドもののカップでお茶を楽しむ機会ないよね、と言いながらすかさずお値段を検索する我々(ど庶民)。多分数万円のお品でございました。
こういう良い食器に憧れはあるけれど、我が家には母親というデストロイヤーが存在しているので迂闊に出しておくわけにいかず、でも食器棚の肥やしにしておくだけだと勿体無い……と、中々縁がありません。もちろん経済的にもあまり縁はないんですけど。
なので外でこうやって優雅に使わせてもらえるのは有り難いことです。しかしいくつも高級カップ揃えてるの凄いなぁ……。
外のテーブルにもたくさんの花が生けられていました。窓からこの花を眺めながら朝ご飯。優雅な時間です。
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寒くて目が覚めた。
窓を開けると風が刺すように冷たい。
昨晩残したままの洗い物を片付けながら、朝飯の準備をする。
ハムサンドである。
からしマヨネーズに、さらにあらびきマスタード。
塩もみしたきゅうり、レタス。
トマト買ってこないとなァ。
午前に掃除を始める。
台所を掃除していると家人が換気扇もやりたいというので始めてしまい、雛人形の片付けは明日に延期。
昼飯は「スパゲッティ アラ ペスカトーレ」である。
ワンパンで作るので楽でいい。
イタリア語で「漁師のスパゲッティ」の意味らしい。
売れ残りや雑魚をトマトで煮込んだソースということだが、うちはサラリーマンなのでシーフードミックスで。
夜は「ハンバーグ」である。
ハンバーグであるが、ウチにあったのが「豚ひき肉」なので豚ハンバーグである。
もう一品は「フライドポテト」
皮付きなのが好きであるから、ここはレンジと併用で火を通して作る。
腹一杯である。
ごちそうさん。
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youtube
以下引用
“言葉の壁”が大活躍 「切符いくら?」瞬時に翻訳…外国人観光客も称賛 西武新宿駅
■同時翻訳ディスプレー 12カ国語に対応
外国人観光客が、ガラス越しに駅員に話し掛けます。 イタリアからの観光客:「How much is a ticket to Harajuku?」 「原宿までの切符はいくらですか?」という英語での問い掛けに対し、駅員は…。 駅員:「原宿までは、まず西武線で高田馬場まで行っていただいて…」 両者の間に挟まれた半透明のボードを見ると、外国人観光客が話した英語が日本語に、駅員が話した日本語は英語に翻訳されて表示されています。 これは、西武鉄道が先月から西武新宿駅の窓口に試験的に導入している同時翻訳ディスプレーです。英語や中国語など12カ国語に対応しています。 イタリアからの観光客:「携帯電話の翻訳機能に入力して示すのは誤解も生じやすいが、これははるかに早いし、画面上ではっきりと見えて、本当に素晴らしい」 使い方も簡単です。 西武鉄道 インバウンド担当 矢島綾乃課長補佐:「電源を入れて、マイクボタンを押すだけで翻訳が始まります」「(Q.これで言語を選ぶ?)そうです。お客様の言語がこちらで、(駅員側に)日本語が表示されます」 6月に日本を訪れた観光客は200万人以上。2020年2月以降、最多を記録しました。 一日およそ13万5000人の乗客が利用する西武新宿駅でも連日、道順や地域情報など、より複雑な外国人観光客からの質問に答えることが求められています。 フランスからの観光客は、新幹線に乗りたいそうで…。 駅員:「JR線はあちらの階段を下りて、まっすぐ行くとあります」 フランスからの観光客:「初の日本旅行で、今着いたばかりの私たちにとって、初めての驚きでした。道に迷った人でもここに来れば、この珍しい体験ができそうですね」「とても日本的ですね」 西武鉄道では、このシステムを来月末まで運用して効果を検証したうえで、秋からの本格的な導入を目指しています。 矢島課長補佐:「外国人のお客様が“言葉の壁”というもの���感じることなく、西武鉄道沿線での旅を楽しんでいただきたい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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終わった挑戦と、始まった夏
コンスタントに月1で続けてきた日記(月報?)の更新が、4月で途絶えてしまった。
記録を綴るのも難しいくらい、5、6月はいっぱいいっぱいで、気づけば渡独1年記念日も、自分の誕生日もあっさりと過ぎてしまい、7月も後半である。
さて、何がそんなに大変だったのかというと、一言、大学受験である。志望校からの課題発表が4月末、提出期限が5月末、結果発表が6月末、というスケジュールの中、どのように課題に取り組むべきか、わからないなりに考えまくるしかなく、提出後は死刑宣告日を待つ死刑囚のような(←良くない例えだが他に言いようがない)、何も手につかないような日々が過ぎていった。
そして、結果を言うと、不合格。今年はいい結果は受け取れませんでした。
ダメだったとわかったのは金曜日で、バイト中で、その瞬間は何事もなかったかのように仕事を続け、その日はさっさと家に帰り、次の日どんな気持ちで朝を迎えるのだろうと思いながら早く眠った。
土曜日の朝(正確に言うと昼すぎ)、私は意外にもすっきりとした気持ちで起床した。
「あー、あれじゃあダメだったか」という気持ちもあったが、この1年でやれることは全部やった自負はあった。新しい生活、こっちでの仕事と、ほぼ0からの語学、手探りの受験準備。
手探りだったからこそ、これで受かればラッキーだったし、受からなければ軌道修正が必要ということである。
大学合格という目標自体を修正することも視野に入れたが、合格のために「去年はできなかったけど、今年ならやれること」がまだあるなと思ったので、とりあえず目標はこのままに、美大予備校に通ってガッツリ「ドイツ流」の作品制作を体験してみることに。
本当いうと、去年も予備校には通いたいなとは思っていた。ただ、バイトのシフトと、語学学校に払う学費を考えるとそれは無理だったので、今年だからこそできる選択だと言える。
=====
5月に入ったあたりから、ベルリンは一気に気候が変わり、夏の始まりを全力で伝えてくる。抜けるような青空、いつまでも沈まない太陽、スカスカだった街路樹は緑に茂り、花屋には色とりどりの花が瑞々しく咲い��いる。
ふと、久しぶりに「君の名前で僕を呼んで(Call me by your name)」を観たくなり、ネットフリックスを再契約してみた。
舞台は80年代、真夏の北イタリア。
両親と共に避暑地の別邸で過ごす17歳のエリオと、大学教授であるエリオの父をアメリカから訪ねてきた大学院生オリバーとの邂逅を描いた、ルカ・ガダニーノ監督による、2018年公開の作品である。
スクリーンから溢れる、燦々と輝くイタリアの太陽と、建てられてから時代が止まったような建築、まばゆい緑の組み合わせは、2024年のベルリンの景色とはだいぶ違うにしろ、それでも私に「ヨーロッパの夏を生きているんだなぁ」と気づかせてくれた。
私が今住んでいるアパートは築100年くらいの石造りで、天井が4mくらいあり、内装はほとんど原型を留めたままドアも窓枠も床材も木製で、エリオの家と国も時代も違いはするが、近しいものを感じた。
公開当時、この作品は何度か劇場に観に行った気がする。当時の自分に、今の自分が見ている景色を見せたら何と言うだろう。あの頃の自分が見ていた景色を思い出すと、今の自分が見ている景色を噛み締めないわけにはいかない。くぅ〜!私もスーパーに桃を買いに走るよ(流石に中庭に桃の木が生えてたりはしないので)。
ルカ監督とティモシー主演の組み合わせは、2023年公開の「ボーンズ&オール」が最新作で、これまた大好きになった作品なので、今度どこかで話すとして、、、
▲Bones&All オフショットからして最&高!(←もうこの表現使ってる人いないよね)
Call me〜を再見して、ティモシー付いた私は、Youtubeで彼の過去のインタビュー映像やら出演番組やらを見漁っていたのだが(最新作のDune2は劇場で見たよ)、彼は、トム・ホランド主演の「スパイダーマン ホームカミング」の最終オーディションまで残ったものの、結局は選ばれなかったし、というか call me以前はオーディション落ちまくっていたらしい、とか、憧れの監督に選ばれたと喜び勇んで臨んだ作品も、劇場公開されて観に行ったら、自分の出番はカットされまくってて一瞬しかなく、悔しくて帰って泣いてしまった、などというエピソードを知り、衝撃。数多の失敗と挫折があるからこそ、今の成功が輝くのね、、、!
ていうか、ティモシー、ほぼ同い年だったことにびっくり。もっと年下かと思っていた。
(そんで、だからこそ、アメリカのバラエティー番組SNLで、ガザの状況を揶揄した笑えないジョークのセリフを口にしたことは、ファンとしてはただただ悲しい、、、あれは演者というより番組側の問題ではあると思うけど、、、、、、)
=====
とにかく、一年目の挑戦が終わり、夏が始まり、ヨーロッパの夏はシンプルに素晴らしく、教会横の広場で夜中に行われる映画の野外上映とか、森の中で密やかに行われる無許可レイヴとかを楽しみながら、次の挑戦プランを練っている。
秋から通う美大予備校というか制作スタジオ?の見学にも行ったんだけど、大量の絵の具から陶芸の窯まで完備されてる地下壕みたいなと��ろで、ここで製作できるだけでもう楽しみ!って感じなので、それまで労働&ドイツ語レベル上げ頑張るのみ。
Von nichts kommt nichts.
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アムステルダムの美術館巡ろう
元気に朝ごはんをもぐもぐし、結局歩いてもメトロでもトラムでも所要時間が変わらないことが判明したため、歩いて本日1件目、行きます。
…
朝一で予約してたライクスことアムステルダム国立美術館!
真っ先に夜警ゾーンに行ってもよかったんですが(笑)、まぁどうせ全部行くからいっか!ってなわけで、グランドフロアから部屋の番号順に回りました。
ザ・ネーデルないつもの黒いやつとか(笑)、ミニチュアから陶磁器から、一応一部東洋美術とかもあります。
まぁほら、東インド会社のお膝元なので、船とか出島とかもあるよ。
ちらっと日本の鎖国貿易ゾーンがあるんですわ( ˘ω˘ )
ちなみに夜警は大絶賛修復中でございます( ˘ω˘ )
まぁフェルメールとか他のレンブラントとか写真撮り放題っていう日本じゃ考えられん入場者特典だから許してあげよう…。
ちなみにインターシティーの車窓(17世紀)がいっぱい展示されてて「今2023年だった気がしてたのは私だけか…?」ってなったのは秘密( ˘ω˘ )
…
で、エルミタージュ・アムステルダムに行ったんですけど、開催中の展示が、まさかの
/カエサルやで!\
いや、だからここアムステルダム(2回目)。
10年ぐらい前に行ったイタリア旅行、復習してきました( ˘ω˘ )
…
で、隣の
アウトサイダーアートミュージアム。
無料でオーディオガイドが借りられます。
日本語はないので、英語もオランダ語もわかんない人は諦めるしかないですw
いやだから、展示位置もうちょい何かあるんちゃう?っていう高さ( ˘ω˘ )
…
植物園、ARTISに行こうかとも思ったんですが、時間的に結構カツカツだったので、諦めてやってきたVan Loon美術館です。
雨は降るし寒いし遠いしで、せっかく途中に通った跳ね橋の写真は撮り忘れました( ˘ω˘ )←
天気悪いとロクなことがない・
2階は大絶賛工事中だったので、それ以外の部屋をちょろちょろ見て回りました。
てか赤い部屋とか羊の部屋とか壁紙由来の名前の部屋が多かった気がしますw
…
晴れてるように見えて普通に雨が降っているレンブラント広場のレンブラントさんとちょっと燃えてたブッキングドットコム( ˘ω˘ )
…
でもってレンブラントハウス。
ここはオーディオガイドに日本語あります(笑)。
入り口のおっちゃんが渡してくれる形式なんですけど
わい「日本語ないよね?」
おっちゃん「あるで!」
わい「なら日本語でよろ」
おっちゃん「英語でも行けそうやけどな!」
「「ははは」日本語で(笑)。」
てな感じでした( ˘ω˘ )
レンブラントおいちゃんのコレクション。
アトリエ。
借金が膨れ上がって、今でいうところの資産差し押さえに遭ったお陰で残ってた各部屋の収蔵品リストだそうです。
良くも悪くもリストが作られたおかげで再現できた美術館だそうで…怪我の功名すぎやんか…?
版画資料部屋で私の好きな風車のやつありましたわ。
…
というわけで、大体17時、レンブラントハウスは18時には閉館してしまうので時間切れです。
結局路線と位置が中途半端過ぎて、アムステルダムは歩き通しましたね…。
…
一旦ホテルに戻って、帰国前にして洗濯を回しにコインランドリーへ行ったんですけど、まさかのコインランドリーではありませんでしたwww
どう見ても写真はコインランドリーだったんですけど、実際は洗濯物を計量してお預け方式のところでした。
ちょっと予定は狂いましたが、とりあえず明日朝8時オープンで8時半ぐらいには確実に大丈夫、と言われたので、5㎏未満の一番お安い洗濯乾燥そのまま袋詰めコース(仮)でお願いしました。
でもって、ホテルに戻る前に、アムステルダム駅といつものホテル横のAHでお土産と夕食のおかずをGETし(笑)、無事今日も終了です。
ちなみにサラダは食べた中で一番美味しかったケバブにしました( ˘ω˘ )
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2023
銀の蝶(KPレス) 爛爛(HO1) VOID(HO1) ゴースト刑事(HO:刑事) 君のためのヒポクリシー 名探偵の語り方 同窓会 ティンダロスより ドロップアウトディスパイア 地獄の沙汰も飲み込んで 幸せの在り処 シルバーバレットは不死の夢を見るか?(HO:狩人) 福禍街(HO:用心棒) 旅館の捕食者(HO1:ジャーナリスト) ウィンチェスター黙示録 (第三話) toy toy toy SHOWTIME 7匹のもちもち神話 片鱗 蹂躙するは我が手にて(HO:B国の将軍) 徒花と芥 私たちキャトられました! She Wore a Yellow Ribon 大正グロテスキズム ウィンチェスター黙示録 (第四話) 君と奏でるカデンツァ カエラズノケン(HO2) 全室事故物件!樹海の悪霊マンションにお前らがくる! 箱 街灯アンケェト 爛爛LO とける みっともないよミッドナイト テセウス 忘却マリナー あなた方は御曹司です、金にモノを言わせてイタリアまでオペラを聴きにきました 罪を孕みし堕落の子ら(在校生) MACABRO Life Goes On 忘れじの理想郷 阿呆に法なし パーフェクト・パルフェ ビスポークランドでなにがあった?(HO2) 餃子パーティ以外にすることある? 来し方行く末を共に ききしにまさる BUD×Queen 侃侃ひらりと踊るる蝶 静かなるテロリスタ 終末旅考 帰らじの理想郷 実験身体δ ステガノグラフィ 若鷲の双眸 悪辣 糸目の大阪弁には糸目京都弁をぶつければいいってばっちゃが言ってた 駕籠目 夏に逃げ水 孤独のアダム 唸れ!暁コメディショー! 花肌創造しい 発狂心中 DRAWING・UR・PARK 吠日怪界 のみくらべnight 肋骨性感帯 bye bye summer days サイレン清掃株式会 B'ASH 異能警察は英雄じゃない 未知なるCPに夢を求めて やさしい朝をくださいね 式日と回帰 Mr.アンラッキー&Missグッドラック ピースマイヒーロー ただ部屋から出たいだけなんです! えっ!?たったの3日で運転免許を取れる合宿があるって本当ですか!? 勝手に死んでろ 絶対に君を死なせる
▼通過予定 花に嵐であるものか ポラリス落つ 獣性 the back rooms ロトカ・ヴォルテラの愛堕討ち リバース・リバース・リバース 密室のパスト ルベライトジャンム 1945-RAGNAROK 女神は君に微笑まない レプリケーションアンサー 君隠れし誰そ彼刻 びいどろの国 累卵 世界樹の中庭 風雲児たちへ
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��んなに青空の日もたまにある。昨日は一日、雨とアラレの寒い日だったが、今日は青空。最高気温20度。肌寒い位で快適。
ロンドン、ヒースローの管制塔が機能不全に陥り、一昨日はヨーロッパの空港は大変。特にシャトル便を飛ばしていたり、ロンドンを含めた周遊便の飛行機の都合で延着遅延だらけ。それでも、午後2時頃には帰宅できた。
お買い物に行って、機内食とラウンジ食には出てこない野菜を買い求める。ジンバブエ産の絹さやの花椒炒めと、ロメインレタスサラダ、凍らせて保存してあった豆腐と買い求めたシイタケで春雨の煮込みを作る。
昨日は寒いし、家にこもってお仕事。昼食はスエーデンのクラッカーにイタリアのブルーチーズを載せて、ロメインレタスサラダを食べる。その後、Springer社からやっと出版される事になった情についての論文の最終校正をする。意外に時間がかかる地味な作業。今どき、ケンブリッジ出版もSpringerも校正はインドに外注。インド人のいい加減さには呆れるし、やれやれという感じ。中国がピークアウトしていく先にはインドがありますよ。手強いインドの知識層は面倒臭いなぁと、改めて思う。仕事しないで偉そうにしていたいだけなんだけど、それがインド国内では、カースト制度で補償されている国ですからなぁ。まだ階級制度のある、中世、近世を引きずっているんですよね、あの国は。
外が明るいので気付かなかったのもあるが、仕事を終えて時計を見ると夜の8時前。先学期の授業を履修してくれた学生からのアンケート結果に対する所感を書かなくてはならないのだが、私の授業は実に楽しかったらしい、と安堵しつつ、どおりで所感書きながら、お腹空いてたわと、慌てて食事を作る。凍らせて保存してあった豆腐、トマトやネギ、ニンニクにショウガで炒り豆腐。それに絹さやの残りを、やはり炒めものにして、御飯を炊いて、人参の糠漬けを添える。悶絶するほどの美味しさ。
今日は朝から、未来哲学研のシンポジウムに参加。シンポジウムを聞きながら、なんとなく思ったことを下に記す。ちなみにシンポジウムでは、AIは悟れるかとか、統合学問の可能性とか、人間と自然の二項対立構造の限界とか、哲学とは概念変化を促す学問とかいうことが話題になっていた。私は彼らの話しに耳を貸しながら、全く違う事を考えていた。
宗教と国家だった前近代から、科学と国家だった近代社会と全体主義。日本がドイツみたいになれなかったのは、ある意味で天皇性のお陰でもある。つまり、神道は白も黒も並列的価値と見る。キリスト教は白のために黒を排斥する。それがダーウィンの進化論をベースにしたヘーゲル的な進歩史観と弁証法で合理化された時、ナチがとったような極端な優生思想になってしまう。科学的なという言葉の危険性は、マルクス主義にも当てはまる。マルクスはヘーゲル史観を受け継いでいるし、科学的であることを��拠にマルクスレーニン主義は台頭していく。ソビエト連邦の科学とは軍事産業でもあったし、それはパワーに直結する。
日本は、科学立国だったかもしれないが、そこに理念や思想は無く、ただ楽しいから追求するというゆるゆるな感じが、救いとして働いていることを思う。何事も、良い意味に働くことも、悪い意味に働くこともある。中庸でバランスを取り、極論に陥らない事。極論は疑うことが重要だが、今どきは、無教養な人々が多く、何が極論かを見極める能力が、そもそも論として欠落しているようにも見える。だから、誰にでも分かるように、数値という記号が多様され、数値化できれば科学的であるとしてしまうのが現代教育産物。数値もバイアスが入っていることが見逃され、数値化された時点で色が無いように思われる。何故なら記号だからだ。
日本では少子化は止まらないし、子供や親に金をばらまいても無意味。もっと教育に力を入れるべきと思うが、教員とは日本の未来に夢を託せない人間が就くべき職業ではない事も周知すべきと思う。アホが先生と呼ばれたいだけなのか、手の届く範囲の安定した職業が教員だったのか。。。教員らしい教員があまり見当たらない中、塾高野球部の監督、森林さんが幼稚舎の先生であることに、少しだけ救いを感じた。やはり教育は金をかけないとダメかな。Yaleのサルヴォイ学長が来年退任したいと宣言したらしい。私は教育者に戻りたいと。教育とは未来に触れる事。それはなんて素敵な事だろう。
などと、シンポジウムが終わった後、つらつら思いつつ、窓外の雲がゆったりと流れ行くのをぼんやり見ていた午後でした。今晩はカレーにしよっかな。寒いしね。
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エナジーUP (22 May 2013)
早朝起きてセブンイレブンへ3往復。
ZINE制作の為の模索をする。
そして"光"が見えて来た。
水道橋の朝は、静かだ。
学校へ。
掃除と教室の環境作りは、5〜6分で済む。
気持ちよく授業が出来る。
ZINE制作も終盤になって来た。
13:30に新宿駅で待ち合わせ。CとK。
Kは、家の不幸もあった為に何と言葉を伝えたらいいか分からなかったが彼女の笑顔があり元気そうで良かった。Cは、たまたま(シンクロ)白い服を着ていて写真を撮った。彼女が喜んで��た。
近くのカフェで3時間強おしゃべりをした。
Cがエキサイトしていた。話している途中テーブルの上の水の入ったコップを倒してこぼしてしまいお店に迷惑を掛けた。そのケアをしてくれたウェイトレスが可愛くて声をかけたくなったが諦めた。Cは、高校に進学した娘が学校で不条理なことに遭遇していて悩んでいた。
Kは、僕の坐禅に興味を持っている。となると宗教の話になり3人がそれぞれ意見を言い合った。その様は、正にディベート状態で喧嘩している様にも見えるがまったくそんな感情はない。日本人同士だと意見を言い合うのは難しい。Cは、ブラジル人、Kは、日本人だが長くイタリアに住んでいる。
僕は、日本にいる放浪者ってところか。僕らの仲は、16年にくらいになる。
2002年だったか、仕事でイタリアのローマに行った時、モデルとなるタレントが仕事後にマッサージをホテルに呼んだ。そしたらホテルのロビーにKがやって来て僕は、Kと何年ぶりかでローマで再会(シンクロ)したことがあった。あの時は、ビックリした。
昨日の1年生の講演である生徒が『今までで一番凄かったシンクロニシティは?』と尋ねて来た。僕は、すぐに思いつかなかったし、特にこれは凄い!と意識したことはあまりないと答えた。代わりに母のシンクロニシティの話をした。
Kとローマで再会した時は、本当にビックリしたなと改めて思う。もしかして昨日今日の繋がりで考えるとこれもシンクロニシティかもしれない。
僕とKは、その場(ホテルのロビー)で再会を祝してハグをタレントやスタッフの前でしたが、あんたたちどういう関係?という顔で不審がられたのを覚えている。日本人ってめんどくさいな。
5時、バスの車窓から夕日を見ながら静岡に帰った。いい時間だった。
そして昨日今日の日記を書き上げている。
疲れているがエナジーがUPしていると感じている。
さて、温泉へ行こう!
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新宿、午前五時、始発、各駅停車伊勢原行
Garanhead
俺は金曜の朝から新宿にいた。台風接近のニュースはあったが、どうしても教科書をつくる会社に行くつもりだった。先週、電話で内々内定をもらったはいいが、辞退する気でいたのだ。少なくとも先日の俺はそうだった。代々木八幡駅を通過する俺はそうだった。快速急行新宿行きでまどろむ俺は。夢の中で意気込んで気分を高揚させていた。 寝ぼけて固めた決意は、春の昼頃に見せられる夢のようにいともたやすく流れてしまう。溶けたことも分からない。その日の明け方に降った雪に混ざり、どこへ行ったのかも分からない。 ゴールデン街と言われればゴールデン街だし、そこは微妙にゴールデン街ではないと言われればゴールデン街ではない、そんな半端な場所に建つ居酒屋で夜通し飲んだのは安酒で長く居られたからだ。イタリア人が暴れていた。何もおかしくないのに俺はそいつを笑っていた。台風のせいにして俺は内々内定を蹴れなかった。
各駅停車で代々木八幡を去る俺は、少なくともアルコールではない何かにこっぴどく負けて、ひどい気分だった。 結局俺の未来はこの各駅停車にあった。一番のろいが、一番早くどこかに辿り着く電車に乗っているのがいい。伊勢原までは誰も俺には追いつけない。 昼も夜も景色の変わらぬ地下駅は東北沢。 誰かが降り席が一つ空いたので俺は座る。 人と人との間に挟まる形になるが、安酒で足腰がへろへろなので、座席があるだけでありがたい。 内々内定はありがたいのだ。これが欲しくて涙を飲んだ人がきっと何百人もいるだろう。とは言え、顔は一人として思い浮かばない。グループ面接の時のあの筋肉質の女の子も今はもうちっとも思い出さない。あの子とオフィスで働く夢まで見たのに。 あの子と下宿のベッドで目を覚ました時、俺は小田急ロマンスカーミュージアムに遊びに行く夢が頭から離れなかった。あの子とあの子の子供と俺で海老名に行き、小田急ロマンスカーミュージアムでジオラマを前に青木慶則の「セブンティ・ステイションズ」を聞きながらぼんやりしてもいい。 乳房をブラに詰め込む彼女をぼんやり見つめながら聞いた音は、竜巻インバーターの悲鳴だったろうか。
代々木上原で隣の席が空いた。ロングシートの端はオセロの端くらいに優先して取るべき場所だ。急いで尻を持ち上げようとしたが、そこに小さな影が滑り込んできて俺は席を取られる。 青いリュックを背負った少年だった。始発電車とは縁遠い、違和感のある存在だ。怪我しているのか三角巾で左腕を吊っていた。文句の一つも言いたくなるが、相手が幼い少年であるという事実と、負傷を抱えているという現実が、俺の口元で鬱陶しく飛び回っていた。 また電車が走り出す。すると、少年はリュックからPSPを取り出して遊び始めた。左腕は動かないが指は動くらしく、胸元に引き付けて手の平で機体を包み込むように持ち、アナログスティックを器用に摘んでいた。 もしやと思って覗き込むと、やはりモンハンだった。しかも俺が中学生の時にやり込んだ2ndGだ。何でいまさらこんな過去作を。今はニンテンドースイッチでもっと何バージョン先の未来のモンハンが出ているのに。 少年は癖のある立ち回りをしていた。俺の知らないモンハンの動きをしていた。周りに教えてくれる大人がいないのだろうか。日本の教育はどうなっているのか。 少年は低い声で「覗くなよ」と凄んできた。やけに貫禄のある言い方だった。俺は謝りもせずただ背筋を伸ばした。 が、やはり気になって、ちらちらとゲームを観察していると、少年が舌打ちをしてきた。お節介かもしれない。しかし、俺はこのゲームが粗雑にプレイされていると我慢ならないのだ。何かアドバイスでもと思ったが、ちょうど電車は豪徳寺に停まり、少年は歩きPSPをしながら下車していった。駅員よ、注意をしろよ。 ガンランスは砲を使わなければいけない。突いて下がるだけならランスを使えばいいのだ。そんな助言をするべきだったか。しかし、冷静になれば、俺も最初はガンランスを使い出した頃、似たような立ち回りをしていたのを思い出す。もし、あの過去で俺のような年長者が口を出してきたら、あの時の俺は従っていただろうか。いや、きっと同じように舌打ちをしていたはずだ。だからこれでいい。良かったのだ。 このまま始発に乗り続けていいのか。 引き返して内定を辞退するべきではないのか。 もし、この電車に未来の俺が乗り込んできて、俺の隣に座り、そう助言してきたらどう受け取るだろう。不快にはなるだろう。なるだろうが、一考はすると思う。一考はするけれどやはり確実な未来を選択する。このまま座席に居続けるだろう。わざわざ座った席を手放して、次にいつ座れるか分からない空席を待ちたくはない。 本当に? 次の経堂駅で男が乗ってきた。左腕にギブスを巻いていた。スーツ姿で俺よりも一回りは年上そうに見えた。俺はどきりとした。隣に座られて何か話しかけられたらどうしよう。どぎまぎしていたが、その男は窓際に立ったままスマホをいじり始めていた。 和泉多摩川で男はスマホをスーツのポケットにしまい、それから俺を凝視していた。まるで何か言いたそうに見えたのは錯覚だろう。が、だんだんと腹が立ってきた。心の中を見透かされているような気がして苛ついてくる。何でここまで不機嫌になってしまうのか。しかし、変に調子が狂うのだ。 やがて、登戸に到着して男は歩き出したが、降りる前に一度立ち止まった。俺の方を覗き見ていた。一秒だけ過去と未来の時を止めて、彼はそろりと下車する。何なんだ一体。俺は過ぎゆくホームを覗いた。あの男は改札口への階段に向かって歩き出していた。その背中はやけに憂鬱そうに見えた。 何かを言いたかったのだろうか。俺があの少年の雑なモンスターハンターを見るのと同じように、彼には俺がまずい人生の選択をしていると分かっていたのだが、「それを指摘するのはお節介だろう」と思って助言を控えたのではないか。
一年。もう一年。本当に人生を考える時間があってもいい。俺の心は右に左に忙しなく揺れ続ける。次の一年こそは乗る駅も降りる駅も間違えない。そんな乗客になる。 そのために親にもう一年学費を払ってもらい、俺はこの始発から降りて、��り返しの新宿行きに乗り換える。そんな選択肢も捨てがたくなってくる。 新百合ヶ丘を通過し、柿生に着くまでに、俺の心は「ここで下車してやろう」という信念で塗りたぐられていた。引き返そう。新宿へ戻ろう。 近しい未来を覗く度、俺は遠くの過去がかけがえなく思えた。この先の自分を考える時間なんていくらでもあったはずだ。でも、大学生が社会人の自分を想像するというのは、まるで自分の葬儀で流れる音楽を選ぶくらいに現実味のないテーマだった。 三駅先の景色なんて三駅先に行かなくては分からない。そういうものではないか。 でも、終点が近づくたびに俺たちは降りたホームからどう振る舞うかを決めなくてはいけない。 町田に列車が滑り込んだ。俺はふらつきながら降りていく。そして、ホームの券売機でそのまま次のロマンスカーの切符を買っていた。完全座席指定制で小田原まで行ける。伊勢原という未来を飛び越えようとひとまず決めた。その電車に果たして俺は乗っているだろうか。もしも乗っていなかったら、大人しく俺は小田原でまたロマンスカーに乗って、新宿まで折り返していこう。乗っていたら話しかけて、一緒に温泉にでもいこう。箱根湯本までは近いはずだ。 俺は券売機の上にある料金表を見ながら、竜巻インバーターの音を見送る。 その列車は、始発。午前五時に新宿を出発した伊勢原行。僕の未来が乗っているかも知れない列車であり、僕の過去が降りなかったかも知れない列車だ。 ロマンスカーのあのミュージックホーンが聞こえてくるまで、どうしていようか。 慌ただしくなる前の町田駅で俺は、購入した切符の匂いを嗅ぎながら考えていた。
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.86 (2022/7/20 + 7/27)
2022 20th + 27th july
M1 朝のひとしずく (金延幸子)
M2 アサガオ (さねよしいさ子) M3 pua mana (Na Leo)
M4 5/4 samba (Ann Sally) M5 water dance (Giovanni Allevi) M6 Dissonanze (Filippa Giordano) M7 23人の王が散歩している (Szaloki Agi) M8 サマタイム (キセル)
< 好日の素 …モビールをながめること >
モビール、なるものが どういうものか、ということを インテリアショップなどで 見かけたり プレゼントでいただいたりして なんとなくは知っていたけれど、 今回気になって 調べてみたらば… 「動く彫刻」なるワードが登場して なるほど!とうなずいたわたし。 北欧では昔から お部屋の装飾として 親しまれてきたそうで、 それなら…と ちいさなシュロの葉を編んでできた カタマリを、 旧宅の片付けで出てきたアレコレと共に モビールよろしくぶらさげてみたのです。 ちょっとのことで バランスが崩れてしまうところは 繊細というか、むずかしいのだけれど それだからこそ いい塩梅になったときの 謎の達成感があり(笑、 また 軽い素材なので 室内の空気の流れや 窓から吹いてくる風で ふわふわと揺れて 予想できない動きをするのが なんとも ユニークでたのしい! そういえば 赤ちゃんのベッドメリーも モビールの一種と思うと、 そのたのしさやおもしろさに 人生のずいぶんと早い段階で 触れているわけで、 それだからでしょうか、 どこかほっとする感じもあり ずっとながめていても 飽きないのです。 風鈴やカーテン、また木々の枝など 風で動くもので 視覚的に涼しさを感じたりもする季節。 わたしにとっては モビールもそんな 選択肢のひとつになりつつある、この頃です。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * < 日々是食べたい! …カポナータ>
夏になってうれしいことと言うと 洗濯物が早く乾くことと 夏野菜を堪能できること、でしょうか…。 毎年、夏のあいだに 一度はつくる、カポナータ。 イタリア生まれの煮込み料理です。 大好きな夏の定番料理なのに 今までこのコーナーで ご紹介していなかったとは!というわけで 今回ピックアップしました。 世界の料理が紹介されている本を読んで 初めてつくってみたのが このカポナータだったのですが、 夏野菜のトマト煮込みなら、 フランスのラタトゥイユと 同じなのかな…というのが 当初の印象でした。 しかし、いろいろと調べながら つくっていくうちに、 どうやら全く別の料理なんだ、ということが 分かってきました。 もともとのカポナータは ナスを素揚げして バルサミコ酢やワインビネガーを用いた 甘酢で煮たもの、だそう。 野菜だけでなく魚介を加えることもあるのだとか。 それを知ってからは、 今までつくってきた ラタトゥイユ的なカポナータに エクスキューズかもしれないと 思いながらも(笑、 バルサミコ酢を必ず加えることにしています。 それではわたしたちの知る、その ラタトゥイユ的なものは、というと トマトが加わったものは パレルモ風カポナータ、と呼ばれるそう。 夏なのに煮込み?と 思われるかもしれませんが、 冷やしたカポナータが これまたとてもおいしいのです。 ごはんにたっぷりかけて、 丼のようにしていただくことも。 暑くてごはんをつくる気にならないような日に 冷蔵庫にこれがあれば…という 救世主的な一面もある、 夏のおいしい、うれしい一品です。
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NEW YEARS IN ITALY パート①
みなさま、こんにちは
冬休みが明けて職場復帰2日目の今、
現実逃避を兼ねてイタリアでの旅行を振り返りたいと思います。
現在、人口半数以上がコロナに感染するだろうと言われているほど、
オミクロン爆増中の欧州。
同じEU圏でも国毎によって規制は異なりつつも、
今のところ、国間の移動自体は、
ワクチンパスさえ持っていれば自由に行き来できる状況なのです。
ですが、イタリアだけ、
冬休み直前に新たな入国制限が突然設けられて、
EU域内からでも入国時に陰性証明提示を義務づけられるようになりました。
(これに関して、イタリアの完全なる独断だったらしく、
他のEU諸国からすると「は、勝手に決めんなよ」と愚痴ってました)
まあそんなわけで、出発当日の朝も、空港向かう前に
はたまたPCRを受けに行かなきゃいけなかったのですが、
検査の行きしなの朝焼けがめちゃくちゃ綺麗でテンション上がったので、
PCR受けに行ってよかったなぁ、そして陰性でよかったなぁ。
って言う、3日前までインフル患ってた人(たぶん)と思えないほど、
ありがたさと幸せな気持ちいっぱいで当日を迎えることができました。
(そもそもこの状況で旅行するんかいって感じですが)
Rちゃんとはアムステルダム・スキポール空港で待ち合わせ、
コロナ規制で買えてなかったお土産も無事空港内のお店でゲットし、
イタリア便では珍しく時間通りにいざ出発!
窓の外覗くと延々に続くアルプス山脈
約2時間半の移動を終え、あっという間にイタリアはシチリアに到着。
着いてすぐさまコロナ検査場に案内されます。
検査受けた後は、番号が呼ばれるまで結果を待つのですが、
空港の施設なのに英語ではなくイタリア語でしか読み上げられないため、
何番が呼ばれているのかよくわからないwww
(ちなみに出発前に受けた陰性証明書は一切提示求められませんでした)
結果をもらって、お迎えに来てくれたVちゃんと合流!
この空の青さ!!!!!暖かい(20℃)!!!!!初めてのシチリアー!!!
空港はVちゃんの実家から車で1時間半ほど。
Vちゃんパパが運転してきてくれたとのことで、駐車場に行くと、
めちゃんこダンディなおっちゃんがビンテージのベンツの前に立ってお出迎え。
車から見える景色!!!海!!!夕焼け!!!!ダンディ!!!!!!
車に乗ってる時点からテンション爆上げ状態なのに、
家に着いたらVちゃんママがたくさんの料理を用意して待ってくれてて、
すでにシチリア最高ー!!!以外の言葉が出てきません。
大晦日ということもあり、
海鮮サラダ、メカジキのトマト煮込み、フリット、パスタ・・・
と次々とご馳走が運ばれてきて、
まるでフードファイターかのように一皿ずつ平らげていく私たち。
テーブルの席にはVちゃんママお手製のプレースカードが置かれてました(きゅん)
4皿目に出てきたパスタの後に、
さらに3皿分の料理が用意されていると聞き、さすがにここでギブw
ふと気になって、向かいに座っているRちゃんの顔を見上げてみると、
彼女も呆然とパスタを見つめてましたww
Vちゃんご両親はイタリア語しか喋れないと事前に伺っていたので、
イタリア来る前から、彼女に知っておくべきイタリア語は?と聞いたところ、
『オ・ファーメ』
(訳:お腹減った)
という答えが返ってくるほど、
イタリア人ママは食べ与えることで生き生きとされるらしいのです(笑)
お腹ははち切れそうだったものの、
だれかの手料理ってだけで最高なのに、どれも美味しくて感動、、。
イタリア版紅白のような音楽番組を背景に、
3時間くらいかけて食事をしながら、年明けのカウントダウンをしました。
音楽にノリノリなご両親
ちゃんと0時になるのを待って、新年を迎えてから
すぐに解散して寝室へ。w
旅の疲れもあってか、この日はベッドに寝転んだ瞬間、
布団も被らず携帯握りしめて爆睡(笑)
という感じで、シチリア初日を過ごしましたわけですが、
まだまだこれから一週間(シチリア4日、ローマ3日)の始まり。
これから少しずつ、イタリア旅行記を綴っていきたいと思います!
では、今日はここまで〜
チャオ!!
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9/25 この日はほぼ眠れなかった。何度も寝ようと試みるも目蓋を閉じるとモリッシーが出てきてはThere is a light that never goes outをゆらゆらと歌うのだった。
荷造りをし空港へ向かったのは出発の5時間前。閑散とした成田空港のロビーはいつになく広く感じた。荷物を預け(小林さんという方には助けられた!)いよいよゲートをくぐるという時、不意に「まじか」と声が出た。イギリスに行く。なぜかいまこのタイングで。なぜかシンガポールを経由して。するすると出国の手順を踏んでいるこの状況がどこが他人事のように思えて妙な気分だった。
去年の春頃、緊急事態宣言真っ只中、衝動的に学校に電話をかけていた。いつかは行きたい、そうずっと思っていた。でもまさか今いくかね。飛び立つまでの数時間、怖いのと可笑しいのと寝てないのとで浮ついた自分を抑えるのに必死だった。
9/26 シンガポールエアラインで約6時間。最高に美味しい機内食とビール。いくつも映画を見てチャンギ空港に到着したのは深夜1時。案内されたロビーにはそこら中で人が横たわっては仮眠をとったり携帯をいじったりしていた。トランジットに慣れっこなのか寝袋で気持ちよく寝てる人もいた。ここで8時間のトランジットはきついかなと思いつつベンチのようなものに寄り掛かり目を閉じたとこまで覚えている。
拡声器のようなもので聞き覚えのある名前が呼ばれていて、そのあまりの音の大きさに目を開けると、時刻は出発前のゲートが閉まる数分前。危うく荷物だけが英国入りするところだった。
寝たり起きたりしながらの12時間。機内は満員だった。ヒースロー到着は15時頃。厳しいチェックが待ってると言われたいくつかの書類は一度も取り出すことがなく、自動改札にスイカをタッチするかのごとき見事なスムーズさでもってあっさり入国。近い将来パスポートは電話や時計の中に入るのだろうな。スタンプは少しほしかったぜ。
ブライトンに到着したのが夜9時頃。疲れが溜まっていたのか深く眠った。
9/27 隔離生活の始まり。ここからの8日間は一月たった今思うと奇妙な時間だった。朝と夕方に支給される大喜利のようなご飯、あれは一体なんだったのだろう。
9/28 ルームメイト(隔離?)のパク君とあれやこれや話す。日本のお笑いのこと、ラジオのこと、政治のこと。窓の外から見える悠然とした街並みはおそらくブライトンで、ころころ変わる天気は間違いなくイギリスなのだった。
9/29 朝と夕方の30分間、寮の庭に出ることが許される。昼間オンライン授業で一緒だったメンバーとそこでフィジカルに会うことができる。どこから来たとか気温はどうとかこの言葉はなんと言うとか、そういうやりとりをしていたらあっという間に過ぎる。この日も夜な夜なパクくんことスンくんと話す。
9/30 授業に着いていけず凹む。授業と授業の合間に同じフロアの隔離メンバーが次第に廊下で話すようになってきたのはこの日あたりから。イタリア人のダニエレ、韓国のミヌ、チリのコ二、サウジアラビアのモー。ワイファイのコンディションが非常に悪く、結局廊下で面と向かって話そうってなる。もう隔離とはなんなのか。必ず話すのが大喜利みたいなご飯についてだ。なんていうか発想が大胆なんだ。残さず美味しく食べるけどね。我慢できずウーバーイーツでハンバーガーを頼む。ちょっと生き返った。
10/1 朝夕の庭でする卓球だけが唯一の楽しみ。見上げた空は広く、塊のような雲はぐんぐんと流れカモメはすいすいと空を泳いでいる。果たしてここはどこで自分は一体何をしにきたのか。そんな思いが溜まり続ける。
この日の夜はハンバーガーでは飽き足らずみなでピザをちぎってコーラを飲んだ。サウジ、クエート、チリ、韓国、日本の男女がその暖かくて複雑な味わいにしばらくのあいだ沈黙。そして笑みがこぼれる。
10/2 この日はずっと雨だった。警報出てるんじゃないかというレベルの豪雨。授業の後に本を読んだり体を動かしたりし、カンパニーや劇場にメールを出したりしていた。自分の部屋は気づけば常時複数人が出入りする溜まり場のようになりつつあり、夜はメキシコから来たヒメナがホストファミリー用に持ってきたテキーラを振る舞い、普通に飲み会みたいになっていた。隔離。そしてなぜかフィルコリンズのターザンの歌をみんなで歌ったときには夜中の3時頃だったか。そこからまたスンくんと明け方まで話し寝たのはもはや朝で、雨はすっかりあがっていた。
10/3 陰性証明が出てる人はこの日あたりから外に出たりしてたが、自分は一向に結果が出ず。これがでないことには隔離が解けない。仕方なしにメールを出したり本を読んだり体を動かしたり。
昼間にさんぴんの会議をオンラインで。来年に行うタイトルが決まった。みんなゴリゴリと前に向かっている。自分はどうか。もちろん誰に言われたわけでもなく自らの選択でここに来た。衝動的ではあったけどずっと前から決めていたことだ。果たして自分は遊びに来たのか学びに来たのか挑戦しに来たのか。それとも単なる逃避行なのか。劇場やカンパニーからの返事ははたして来るのか来ないのか。選択した先に立ち並ぶいくつかの選択肢を前に目的を見失いそうになったところで一週目が終わる。
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頬杖をついたら
ああ、気付かなかっただけで毎年の街を彩るイルミネーションに季節感はすっかり助けられていたんだなと思い惚けてしまった、迫る師走の暮れに。まだ明かりの付いていない昼間の樹木を見ては窮屈な気持ちに共鳴していたものの、バスの窓から流れ見たそれらの正体は、空まで伸びるほどに健やかな、真っ黄色のイチョウだった。何だ、全然秋っぽいじゃんか。途端に首に巻いているマフラーが暑苦しくなる。
12月25日、枕元の大きな靴下はない。サンタさんが私の欲しいものをちゃんと分かってくれますようにと、ピンク色の折り紙に鉛筆で描いた思いは小学生の頃に窓から飛ばした。私の瞳には、遊園地で売られる風船のように自由な、そして優雅な風が手紙を運んでくれたと思っていたが、どうやらサンタは実際にいないらしいと友達が言う。じゃあ、桜の花びらのよ��に舞った私の手紙は、一体誰が受け取ってくれたのだろう。正直私はいまだにサンタさんを信じている。
それでも、メリークリスマス、はどうも似合わない。いつもより少し豪華なご飯とホールケーキが食べれる日、くらいに認識していたがばかりに、いつもの11ヶ月の中で時たま自分にご褒美を与えるようになってしまっては、連日お母さんが作ってくれる料理が果てしなく美味しいこと、そんな日々が通常運転だとすれば、寧ろ味気なかったりした。今年は何だか実感が湧かないね。せめてサンタさんがきちんと24日の夜に、白い吐息とヒゲを絡ませながらせっせと子供達の元に駆けつけてくれてればいいな、と他人任せな幸せを願った。毎日変な夢を見るのに、その夜、半開きの唇と共に熟睡した。
ある日お気に入りのホロスコープブレスレットが千切れた時、使いやすいようにと形に沿って切って溜めておいたタトゥーシールが乾燥して全滅した時、捨てれないショップバックがタンスから溢れ出した時、抜けた炭酸のような返信ばかりを送るマシーンになっていたと気付いた時、私は無性に喉が乾く。まるでその後泣くための水分を補給するかのように、いつもは乾かない喉が産声をあげる。浄水なのを確認したレバーをあげて、蛇口からぼとぼとと注がれる水がコップに溜まるのを待つ。急に温度設定を変えてしまった時にはバブルが渦巻いて白濁した水が出る。うげ、と思いながら無心で体内に流し込む。そうした後に、本当はオレンジジュースが飲みたかったのにな、と独りでに落ち込む仕様の無さが欠点だった。「待つ」ことが本当は苦手なのかもしれないと最近思っているのだけれど、そこのところどうだろう私。約束の時間の2分前に友達の既読がない時、そこからとぼとぼ改札を引き返して最寄駅に降り立ち、コンビニのコーヒーを電子決済で買って帰る自分を容易く想像できてしまう。せっかちと忍耐を持ち合わせているつもりが、いつの間にか自分の中でいろんなことへの期待が高まっては幻想に浸って、そのペースに現実が追いついていなかった。
誰にでもあるであろう落ち込みの側面を、隠しきれないくらいが人間らしくていい。何でもいいじゃん今日を過ごせるんだから。「それな」で終わらせてもいいじゃない、それも一つの感情なんだから。あまりに考えることがあって、何を振り返ろうにも脳内が砂嵐で塞ぎ込まれてしまう。あーあ今日も爪が可愛いなあ、くらいの人格設定で毎日を過ごしたい。ちなみにここ数ヶ月の私の爪は本当に可愛かった。自分で塗ったけど、家の花瓶に刺さっていた百合の花を握って爪を引き立てさせたくらいには。湧き出たトラッシュはほっぽり投げて、発酵中のパン生地のことだけを考えていたい。でもやっぱり、こんな冬でさえ、北イタリアのどこかにて、出会いたい。私はただ貴方とダンスがしたいし、これは私についての物語ではない。今日の夜はやっぱりシングストリートを観直そう。
去年の1月と2月に私がPagesにまとめていたものは、あまりに直角的で、溶けた蝋のように頼り甲斐がなかった。3月以降の記録はない、三日坊主の表れだった。
この間、友達のZINEが完成した。テーマは "Youth"について、私も詩を一つ寄稿させてもらって、自分の詩の英訳と彼女の詩の邦訳も担った。キャッキャしながら朝から一つ一つの単語の意味を解読していった。そうだ、来年はもっと文章を書きたいし、恥じらいながらも読んで欲しいし、ウインクをするように雑に切り取った写真も宝箱だけに仕舞わないで、もっと広げられればいいな。こうして書き進める中で気持ちをまとめるタイプだって、誰かまだ察してくれていないかな。
私はグリーンでパープルで、信念のレッドと殻破りなティールブルーを抱えている。
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9/21(火)、9/22(水)サン・セバスチャン
出発の1時間前に起床。槻舘さんがコーヒーを淹れてくれて朝食。パンとヨーグルト。急いで荷造りと片付け。また後日戻ってくるのでパリで買ったお土産などは置いていって大丈夫と槻舘さんが言ってくれる。
スペインへの特急電車が出るモンパルナス駅まで乗り換えが1回。パリの地下鉄はバリアフリーが進んでなくて階段が多い。トランクを何度も持ち上げて移動する。乗り換え駅はホームが混んでて入ってくる電車も満員。山手線みたいなペースで電車がくるので2本やり過ごして乗車した。モンパルナス駅に到着したところで、昼食のテイクアウトを買うのにどんな店があるかを槻舘さんが調べてきてくれる。パン、サンドイッチ、寿司があるけどどれがいいかと訊かれて荒木さんが寿司と答える。トランクを引いてお店に向かう途中で衛生パスのチェックをしてる係りの人に声をかける。まだ私には衛生パスが届かないので紙の証明書を見せる。すぐに認めてくれて左腕にチェック済みの印になるリストバンドを付けてくれる。さらに進むとYo Sushi! という看板が見えてくる。寿司の大きな1パックを買って荒木さんと槻舘さんは分けることに。私はその隣の店でサンドイッチとエクレアを購入。荒木さんも食べたくなるかもと思いエクレアは2つ。改札を無事に通って乗車。
7月にマルセイユに向かった時の特急電車より車内が豪華。リクライニングが電動でテーブルは2種類で荷物置き場は安全な作り。荒木さんも私も感動してる。国境を越える特急だから違うのだろうとのこと。出発。サン・セバスチャン国際映画祭のチケットは朝7時から次の日の分のチケットを予約できるため、槻舘さんの指示を受けながらサイトを開いてトライするけれど希望のチケットを取るのがむずかしい。そのうち荒木さんが静かになってる。画面を見すぎて酔ったとのこと。荒木さんのiPhoneも借りて両手でチケット予約を進める。休憩。国境付近の乗り換えまでしばらくあるので日記を書こうとしたけれどなかなか進まない。前回もそうだった。移動中は文章が書けないのかもしれない。槻舘さんは記事の執筆などをいつも移動中に済ませてしまうとのこと。尊敬。昼食。荒木さんにエクレアも食べるか聞いてみた。二つとも自分で食べた。別の車両にカフェスペースもあると知ってドリンクを買ってくることに。映画ではよく見てきたけれど、実際に利用したのは初めてかもしれない。カウンターに並んだ。荒木さんに炭酸水、槻舘さんにラテ・マキアート、自分にアメリカーノを購入して戻る。終点の駅に到着。そこから別の電車に乗り継いでサン・セバスチャンに移動するのだけれど、事前に手元に届いた電子チケットを見てもその先のことがよくわからない。槻舘さんが窓口の人に聞いてくれて、これは普通に券売機で買えばいいのではということがわかり、3人分のチケットを購入。そこからは普通の路線電車。車窓から見える街並みの雰囲気が変わっていく。iPhoneの電波が一度無効になり、ほら国境越えたと槻舘さんが教えてくれる。ローミングをし直した。パスポートの提示も必要のない国境の移動は初めてだった。無事にスペインに入国。
サン・セバスチャン駅に映画祭の車両が迎えに来てくれることになってて、槻舘さん曰く途中のアマロという駅で降りて10分くらい歩いた方が早いとのことで、下車。少し歩いただけで街が穏やかなのがわかる。ずっと雨模様と聞いてたけれど晴れてて気持ちいい。サン・セバスチャン駅に到着。迎えの車がどこにいるのかをしばらく探す。向こうが見つけてくれて無事に合流。最新の車で、サイドミラーがミラーじゃなくてカメラと液晶画面だった。海沿いの道を走って中心街から離れたところのホテルに到着。槻舘さんが笑いながら陸の孤島に飛ばされたと言ってる。スペインでの配給会社も付いてないアジアのインディペンデント作品の扱いはこんなものだと教えてくれる。確かに遠い。チェックインをしたら映画祭のエコバッグを渡される。中身をざっと見たけれど、その後どうすればいいのかなどがわからない。大きい映画祭。あとは自分たちで何とかしろということなんじゃないかということで、ひとまず30分後にロビーで待ち合わせることに。エレベーターに乗りながら、もしバスタブがなかったらごめんねとお風呂好きの荒木さんに伝える。自分の部屋に入ってまず確認。バスタブがあった。ほっとした。広いテラスもあった。いい景色。遠くに海が見える。wi-fiについてどこにも書いてなかったので受付に電話した。パスワードを口頭で伝えてくれる。喋りが早いし文字数が多くて聞き取れないので直接行くことに。年配の受付の人がパスワードの書かれた紙を渡してくれる。朝食について尋ねたら色々答えてくれるけれど早くてうまく聞き取れない。時間を指定するとよさそうだったので7時でお願いした。部屋に戻ってメールを開くと映画祭のスタッフからの連絡。今からIDパスなどを持って挨拶に行くとのこと。放ってかれてるわけじゃなかった。槻舘さんと荒木さんに伝える。ロビーに降りたところですぐにスタッフの人が到着。IDをそれぞれ受け取りつつCovid-19についての誓約書にサイン。不織布のマスクを必ず付けること、鼻を出さないことなどが細かく書かれてる。映画祭の会場になる映画館が集まる中心街までは路線バスで移動するしかないみたいだった。槻舘さんがいてくれるおかげで一つ一つの判断が早くて本当に助けられてる。ホテルの近くのバス停から乗車。料金はクレジットカードを当てて支払うシステムだったのでスムーズに済んだ。中心街に到着。会場の映画館の場所を確認しておくために一つ一つ巡りつつ散策。槻舘さんが案内してくれる。気になるお店があったら教えてくださいねと言ってくれる。荒木さんがアヒルのオモチャだけが並んでるお店に入っていった。必要なメール連絡を終えて私も中へ。お土産に2つ購入。どの道も建物もすてきで、やってるお店はどこも賑わってて、元気のある街。途中、国際広報のグロリアさんから槻舘さんにメッセージ。この日は夜10時に濱口竜介さんと待ち合わせてみんなでご飯を食べることになってた。その前から会って軽く飲まないかとのこと。指定されたお店に行くとグロリアさんが先に着いててみんなで挨拶のハグ。ピンチョスが食べられるレストラン。賑わってるし、店の外まで人が並んでる。店頭で好きなピンチョスを選んだ。どれもおいしそうだけれど、まだ夕食の前だから2つに抑えておく。グロリアさんがイベリコ豚のハムをご馳走してくれた。輝いてた。荒木さんがグロリアさんにカードをプレゼントする。表にグロリアさんの名前のカタカナ、裏に東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』からグロリアさんのために選んだマヨネーズの一首が書かれてる。感激してた。短歌を訳してほしいと言われて槻舘さんがフランス語にして伝えたら戸惑いながら笑ってた。ピンチョスもハムも本当においしくてすぐに食べ終える。荒木さんもうれしそう。仲良しの槻舘さんとグロリアさんの掛け合いを見てるだけでたのしい。途中、グロリアさんが『春原さんのうた』についての思いを丁寧に伝えてくれた。それを聞いてたら泣いてしまいそうになった。槻舘さんとグロリアさんの友人で映画批評家のセドリックさんも合流。やっぱりやさしくてすてきな方。主にフランス語だけれど槻舘さんが要所要所で日本語に訳して何を話してるかを教えてくれる。荒木さんが眠そうに見えたから眠っても大丈夫だよと伝えたら、すっと眠った。
夕食を予定してるレストランに移動することに。外は土砂降り。びしょ濡れになりながらしばらく歩く。ミシュランの星が付いててすごくおいしいのに安くてしかも混んでないというセドリックさんお勧めのレストラン。サン・セバスチャンの名物のトルティーヤや牛肉をトマトで煮たものや名前のわからない様々な料理。信じられないくらいどれもおいしかった。なにこれとずっと言ってしまう。途中、セドリックさんと二人で外で話す時間があって、生まれ育った街がマルセイユであることなど教えてくれた。ブイヤベースが本当においしかったことを伝えたら、ああ食べたいと言ってた。今はイタリアに住んでて、次のクリスマスは母親と過ごすために帰るとのことだった。
前の予定から���けられそうにないらしく、合流できないかもしれないと濱口さんからグロリアに連絡。次の朝にはイタリアに発ってしまうため、会えずに残念。ニューヨークでは同じ日程で滞在予定だから、そこで会えますように。EU圏の人はアメリカへの入国が制限されてるためグロリアはニューヨークには行けず、やっぱり残念そうにしてる。
旅の疲れとお酒をたくさん飲んだのとご飯をいっぱい食べたのとで、またもや限界に。いつの間にか眠ってしまってた。目が覚めた頃に閉店時間。レストランを出てセドリックさんと別れる。グロリアさんはタクシーを見つけるまで付き合ってくれることに。荒木さんとグロリアさんが肩を組んで歩いてる。途中の道で盛大に転んだらみんながびっくりして笑いながら心配してくれた。私もびっくりした。痛かったけど痛くないふりをした。しばらく歩いたところで、たまたま通りかかった女性2人がタクシーの乗り場はあっちにあるよと教えてくれる。たどり着くと長蛇の列。近くにホテルのあるグロリアさんとはそこでお別れ。タクシーがなかなか来ない。こういうときでも槻舘さんは盛り上げてくれる。次の乗客が一人だけだと列も進まないからちゃんとがっかりする。たくさん乗る人がいるとよしよしいいぞーとうれしそうに拳を上げる。並んでる間に後ろにもどんどん人が並んでいく。1時間くらい経ってようやく乗車。ホテルに戻って解散。雨で濡れて体が冷えてたので、朦朧としながらもすぐにシャワーを浴びて温める。就寝。
22日。ハイライトで。
ホテルの朝食はシンプルだった。卵とベーコンはやっぱりおいしい。
映画祭のチケットを取るのにまたも苦戦。でも少しだけ取れた。
火曜日から大川景子さんが代わりに受け持ってくれてる女子美術大学でのオンライン集中授業に少しだけ参加。
槻舘さんが大好きな、ステーキがメインのおじさんが一人でやってるというバルに行ってランチ。お肉すごかった。肉汁たっぷり。トマトもししとうも何でこんなにおいしいのかと思う。荒木さんはちゃんと骨肉にもかぶりついて、店員のお兄さんにナイスと言われてた。グロリアさんも合流。
歩いてたら『偶然と想像』の演出部の高野徹さんと遭遇。槻舘さんのお知り合いみたい。バナナとスナック菓子を持って歩いてた。高野さんは前日まで濱口さんがいたことを知らなかった。
名誉賞の授与式があるこの日は近くにジョニー・デップがいるはずで、きっと彼も歩いただろうレッドカーペットを歩いて記念写真。
サン・セバスチャンの一番豪華なホテルの一階でグロリアさんが仕込んでくれた各媒体からのインタビューを一気に受ける。映画祭発行の新聞のために写真も撮影するとのことで、荒木さんと二人でポーズを取ったりもした。セドリックさんもインタビューしてくれてうれしかった。この日もおしゃれなセドリックさん。昔はモデルの仕事をしてたみたい。インタビューを終えてそのままカフェでケーキとコーヒー。荒木さんと槻舘さんは映画祭記念のケーキを食べてた。
移動中に通りかかった大型モニターにジョニー・デップの記者会見の様子が映ってた。荒木さんに立ってもらって2ショット写真の撮影。
海沿いにある一番大きい劇場でメイン部門の作品を鑑賞。コンサートホールみたい。3階席でもスクリーンがちゃんと見えた。上映前に観客が手拍子を鳴らして盛り上げたり。元気。終えて外に出たら夕焼けがきれい。同じ監督の前作がとてもよかったらしく、槻舘さんとグロリアさんががっかりしてる。
バルに移動して夕食。ピンチョス、トルティーヤ、トマト料理などを食べる。高野さんも合流した。
グロリアさんと高野さんと別れて駅前のタバカレラホールへ。『春原さんのうた』の最初の上映が同じホールになるので下見も兼ねて、同じ部門の別の作品を鑑賞。おもしろく見てたのにいつの間にか寝てた。
駅前でタクシーを待とうとしたら、前に並んでたお兄さんがタクシー会社に電話して私たちの分も呼んでくれた。待ってるだけでは来ない乗り場だったらしい。やさしい。
すぐにタクシーが来て、これまでで一番丁寧な運転手の人だった。無事にホテルに戻って就寝。
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10/3登山の日 誕生日/ #蛯原友里 #高城亜樹 #山口いづみ #石田ゆり子 #宮川大助 #星野知子 #石川優子 #安美錦 #八反安未果 #アンディウィリアムス 誕生日 1804年 タウンゼント・ハリス(米・外交官) 1867年 ピエール・ボナール(画家) 1884年 下村湖人(作家) 1897年 ルイ・アラゴン(作家) 1898年 レオ・マッケリー(映画監督) 1928年 花登筺(作家) 1928年 牟田悌三(俳優) 1930年 アンディ・ウィリアムス(歌手) Andy Williams -(Where Do I Begin?) Love Story (1971) ある愛の詩 https://www.youtube.com/embed/ad9SV2rb4Ns 1931年 木村光一(演出家) 1940年 三遊亭円窓(落語家) 1943年 山本耀司(デザイナー) 1946年 新谷のり子(歌手) 1950年 宮川大助(大助花子・漫才師) 1952年 白竜(歌手) 1954年 山口いづみ(女優) 1957年 星野知子(女優) 1957年 大沢誉志幸(歌手) そして僕は途方に暮れるhttps://youtu.be/Sskan-xW3r0 1958年 石川優子(歌手) ふたりの愛ランド 石川優子&チャゲhttps://youtu.be/9I7VTXUuK1c 1968年 木山裕策(歌手) 1969年 石田ゆり子(女優) 1972年 真木蔵人(俳優) 1975年 石嶺聡子(歌手) 1978年 安美錦竜児 (相撲) 1979年 蛯原友里(モデル・女優) 1980年 八反安未果(歌手) 1985年 SHOKICHI (ミュージシャン(EXILE/ヴォーカル,ダンサー)) 1990年 斎藤里奈(モデル) 1991年 高城亜樹 (タレント(AKB48)) 誕生花は ランタナ、花言葉は“協力” 誕生石は ダイヤモンド(diamond)、宝石言葉は“清浄無垢” 登山の日,山の日 日本アルパイン・ガイド協会の重野太肚二氏が発案し、同協会が1992(平成4)年に制定。「と(10)ざん(3)」の語呂合せ。 ドイツ統一の日 1990年のこの日、東西ドイツが45年ぶりに統一され、ドイツ連邦共和国が誕生した。 ベルリンの壁が崩壊してからわずか11箇月後だった。 交通戦争一日休戦の日 1971(昭和46)年、東京都八王子市で毎月水曜日に自家用車の利用自粛・公共交通機関の利用を呼びかける「ノーカー運動」が実施された。日本初の「ノーカーデー」であった。 その時のスローガンが「交通戦争一日休戦の日」だった。 開天節 [韓国] 韓国の4つの国慶日(国家の慶事を記念する日)の一つ。韓国の建国記念日。 紀元前2333年のこの日、檀君王倹が平壌城に都を定め、古朝鮮王国を建国した。古い文献には建国の日附は書かれていないが、1900年、檀君を信仰する大宗教が旧暦10月3日を建国の日として祝うようになったのが開天節の始りである。日本による韓国併合後、上海の亡命政府も開天節を祝うようになり、大韓民国後の1949年、新暦10月3日を開天節として祝日とした。 歴史・出来事 1629年 山田長政、徳川幕府から通商貿易の許可証、朱印状を許される 1935年 イタリア・エチオピア戦争 1952年 イギリス初の原爆実験 1964年 日本武道館開館 1968年 フジテレビで、渥美清主演のドラマ「男はつらいよ」の放送が始る。やがて松竹で映画化され前代未聞の人気シリーズ映画になる 1972年 初の自動車排気ガス規制が決まる 1990年 東西ドイツ統一 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CF3AkiHgNXF/?igshid=1kgez1m729nsj
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