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Iggy Pop【Nightclubbing】和訳 解説 イギー・ポップは不滅だ Iggy Pop is Immortal
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Happy Birthday Iggy Pop! 毎年恒例イギー・ポップのBirthdayにLyraがIggy の曲を和訳解説して皆んなでお祝いしましょうの日が来ました。77歳にしてこのパワー!未だにワイルドなステージを繰り広げ、Iggy Popは丸裸な曲を書き殴ったかのような赤裸々歌詞を乗せて爆走中。 こんな素敵な人いない。自分らしくあり続ける。私はそんなIggy Popを尊敬し続けます。これからも長生きしてね。 さあ、お祝いしよう! Continue reading Iggy Pop【Nightclubbing】和訳 解説 イギー・ポップは不滅だ Iggy Pop is Immortal
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プリーズ・キル・ミー 1
ずっとずっと欲しい物リストに入れていたこの本やっと買いました。こういう本を買う時というのは自分に気合いを入れたい時であり、自分のやってきたことはまちがってないと信じたい時です。まさに今いろんな理由でそのような状態になっているので、いつまでも欲しい物リストを温めていてもしょうがないんじゃない、ポチるとき来たんじゃないと思いました。
そして早速、今週はやることいろいろあるのですがずーっと読んじゃってます。私は読むの結構早いのです。全部読んでから感想をまとめるのは大変なのでやめにして、読みながら、かつ写真がないのでググりながら書いていきます。
プロローグ:
60年代ファクトリーマニアの私には実家のような、アンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドラグ・クイーンたちによるアンダーグラウンド演劇のエピソード。この本はあくまで音楽としてのパンクの歴史を辿るものなので、ミュージシャンでもなければパンク的な思考でもないイーディ・セジウィックの扱いは悪い!そのかわり、ニコは神話から抜け出てきたような絶世の美女として崇められています。人柄は褒められたものではないけど、とにかくいるだけで空気が変わりみんなが注目し…といった絶賛ぶり。この本のインタビューは80〜90年代に行われたもののようですが、ポール・モリッシーの崇拝ぶり60年代から変わってないじゃん…実際にニコと暮らしたロニー・カトロンは彼女にはうんざり、という感じでしたが、基本的に一緒に暮らしたりしなければ崇拝し続けられるんだなと思いました。性病持ってるし…
そしてほとんどの人からいつも、どんな映画や本でもその人柄を悪く言われているルー・リードはここでも嫉妬深いだの意地悪だのなんだのと見た目と才能以外は散々ですが、贔屓目に見て性格は悪くて気難しくても、ルーの言うことはまちがってないと私は思いました。それとウルト���・ヴァイオレットが自分はフェミニストじゃないけど、と言いつつヴァレリー・ソラニスの主張にも一理あると言っていたのがなんかちょっと嬉しかった。ウルトラはやっぱりいいな。
エド・サンダースという人のコメントが気に入りました。小金持ちは家に帰ることができるけど、そうじゃない者たちがパンクになるという話。
第一部 I wanna be your dog:
文学的なロックとしてヴェルヴェッツよりも商業的に成功したドアーズのエピソードから始まりますが、ジム・モリソンのひどい言われよう。私はドアーズが特に好きでも嫌いでもないのですが、そこまで言ってやるなよジムはもう反論できないのだから。と思ってしまいました。
その後、舞台はデトロイトに移ります。ストゥージズとMC5の出会い〜結成〜などが書かれているのですが、私はどちらのバンドもあんまり好きじゃないのでちょっとダルかった。それでもイギーの発言にはキラリと光るユーモアがあり、彼を好きだと思う人がいるのもわかる程度にはなりました。イギーの近所に住むチンピラ兄弟アシュトン家の人々はイギーにふりまわされつつ、「んも〜!」とイギーについて行ってしまうような根っからのサポート気質で、とくに兄のロン・アシュトンにはだんだん愛着が湧いてきます。こういう人がいなければ物事は回らないんだな〜。
といっても、ニューヨークのヴェルヴェッツが演奏スタイル、ステージの演出、ダーティで文学的な歌詞などで注目を集めたのに対して、ストゥージズとMC5は派手で暴力的でトチ狂ったパフォーマンスで評価を受けるというよりは、アメリカ中西部の体力の有り余ったロクデナシに暴れる場所を提供しただけのようにも見えて、申し訳ないけどニューヨークとデトロイトはやっぱちょっとちがうねと思ってしまいました。
ひたすら過激なパフォーマンスや政治的なメッセージをぶちまけること、それらから引き出される観客の興奮や高揚というよりは暴動、暴動、また暴動。デトロイトは治安も悪く街全体が行き詰まってる感じ。MC5にはジョン・シンクレアといううさんくさい活動家兼詩人がついていて、バンドと彼らは共に暮らし共同体を目指します。男は武装、女はスカートも着られず家事にあけくれる毎日。こわ!MC5てこんなバンドだったんだ〜それは、私のアンテナに引っかからないわけだわぁ。というかそもそも、MC5を聞いてみた時ボーカルの声が好きじゃないなーと思ったのでスタイルとか抜きに向いてないのですが。どんな伝説のバンド・名曲・名盤と言われようと声が好きじゃないとどうにもならないのです。そののち、MC5はなんでジョン・シンクレア��言うこときいてたんだろ?と目が覚めるのですが、政治的なことはともかく彼らは田舎者という感じで好きになれませんでした。
この2バンドはとにかく暴れまくったエピソードばっかりであまり面白くなかった。イギー・ポップは存在感がありエネルギーの塊で、最高のクソッタレだ!(ロックとかパンクの話になるとこういう「奴はクソだよ。でも最高のクソだ。」みたいなセリフがよく出てくるのですが、ちょっと気恥ずかしくなります。私のボキャブラリーにはない言い回しだなと思います。たとえば私がルー・リードのような人を褒めようと思ったときに、こういう言い方はできないからです。)みたいな証言が続くのですが、ネグリジェに白塗りに割れたガラスの上を転がりまわって流血とかいった、ただただ奇抜なだけだとかドラッグの力を借りた奇行に私は何の価値もないと思います。イギーは一昔前に見かけた時、ライヴかフェスで観客を何十人もステージに上げて踊らせるという演出をしていました。私はこれを見るたびに自分の体力の消耗を最小限に抑えつつ、最大限に盛り上がってるように見せる姑息な手段だと思っていました。人数を増やせばイギーはそれほど派手に動かなくてすむしステージに上が��たファンは嬉しいだろうし、まさに一挙両得なのですが、彼のことが好きではない、またフジロックの信者のようなタイプの人間が好きではない私にとっては俗にいうチベスナ顔になってしまうシーンでした。まだやってんのかなあれ。ハライチの澤部がまんまとあれを絶賛してたけど、私はハライチが好きじゃないのでやっぱりなーと思いました。この人好きじゃないなって思う人って、だいたい私の嫌いなものを好きだから、こういうのって99.9%当たるのです。多分みんなそうだと思います。なかには、パンクバンドなら全部好き、お笑い芸人なら全部認める、みたいな人もいますが、そういう人って心が広いっすね。パンクとかお笑いが好きというのは、それこそ多様性というかネガティヴな感情も持って当たり前だという、何かに対して嫌悪を持つことへの肯定、否定することへの肯定であると私は思うのですが、最近はパンクやお笑いでさえもラブアンドピース、エモい尊いといった感じなので、この本に書かれている時代から後退しているような気がします。この本の登場人物たちがさんざん、ヒッピーうざいと言って行動を起こしたのにもかかわらず。
(つづく)
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About "Ian Curtis"
冴えない身なりの元公務員が、まるで電気ショック療法を受けたかのように、痙攣ダンスに観たものを興奮させた。 彼の名は、Ian Curtis。
体を震わすパフォーマンスに、バリトン・ヴォイスで自らの破壊を予告したことで知られている。 10代の頃、カーティスはダークで、退廃的な世界からの新書に聴き入り、音楽家か、作家のどちらかになって、芸術できた身を立てようと早くから決意する。 1976年、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたSex Pistolsの伝説的なライヴを目撃した。(ありとあらゆる人がその場に居合わせる)。同じ頃、Bernard SumnerとPeter Hookと出会う。3人で少しの間、Warsawという、洗練されないバンドとして活動した後、Stephen Morrisを加わり。
Ian Curtis(Vo)、Bernard Sumner(G)、Peter Hook(B)、Stephen Morris(D)の4人編成のJoy Division(三流のナチス小説『人形の家』から取った名前)を1976年に結成。
クラフトワークのリニアなマシーン・ビートに、カーティスのバリトン・ヴォイスからなる、列熱なポストパンクで、長い経済不況にあえいでいたイギリスの若者たちから大きな共感を得た。
イアン・カーティスの人間像はアーティスト気質というのか。漫画にでてきそうないかれた男というのだろうか。 ピーターフックによれば、「右翼的で、不評や泣き言ばかり垂れるロクデナシ」の境界線を行ったり来たりする激情しやすい男だった。
初期のギグで、カーティスは割れたビール・ジョッキの断片で脚を引き裂いたことき、「すげえ‼︎ うちのバンドにイギー・ポップがいる‼︎」って思ったくらいだったとまたフックの証言。 1995年に出版された、イアンの妻、Deborah Curtis(19歳の時に結婚)の感情的吐露の書『Touching From A Distance』によると、カーティスは「自分の歌詞を、生きるうえでの信条にしていた」ようだ。そして、Jim Morrison、Janis Joplin、James Deanといった若死にした者たちの運命にずっと憧れていたようだ。「20代前半までしか生きるつもりはない」と言われた時、デボラは話半分で聞き流してたたらしい。
ベルギーのギグで、カーティスはアニク・オノレと初めて出会い、付き合い始めたのだ。彼女はその後、ツアーに出る度に、カーティスにこっそり同伴。イアンとデボラの結婚生活はますます危うくなる。バンドを始めた頃から、デボラを無視し始めて元々関係が悪かったが。 1978年のクリスマス、フラストレーションのたまる結果になったロンドンのギグの帰りの中で、てんかんの発作を初めて経験。
その後、カーティスはてんかんと痙攣を処方されるが、痙攣は激しくなっていた。 そのうち、ステージ上でてんかんの発作に襲われらようになり、1980年4月、ロンドンのムーンライトクラブのギグの最中、ステージで倒れた。「バックステージで、イアンの発作は1時間も続いた。みんな交代で、イアンを押さえつけていたよ」と、モリスの証言。
それから数日後、カーティスはてんかんの処方薬の過剰摂取で自殺未遂を起こした。彼は病院にかつぎこまれ、胃洗浄を施された。次の日、ジョイ・ディヴィジョンは、���リーのライヴを取り止めせず決行した。カーティスはスローなナンバーを3曲歌っただけだった。
彼がステージを去った時、暴動が起こった。ステージにビール・ジョッキがいくつか投げ込まれたのをきっかけに、メンバーは、オーディエンスと掴みあいになった。この事件は、カーティスをひどく混乱させ、落ち込ませた。だが、数日後には、普段の彼に戻ったように見えたという。「いつも通りに振る舞うことによって、俺達から本心を隠していたんだ」と、フックは言う。
そして、1980年5月、ジョイ・ディヴィジョン初のアメリカツアー前、離婚の手続きを始めていたデボラに、彼女の家に泊まるよう頼みんだ。彼女は承諾した。彼女が去った後、Iggy Popの"The Idiot"をターンテーブルにかけながら、長い遺書を書いた。その中には、「死ねたらいいのに。もう耐えられない。」という文だった。そして、首を吊って自ら命を絶った。弱冠23歳だった。 カーティスはアイコンになること、神話に近い存在になること。彼は自分が望んでた願いを死んで叶えることができた。 そして、現代の音楽シーンにおいて、最も影響力を残した人物なのは間違いない。彼なしでは、多くの現代のブリティッシュバンドが誕生していなかったかもしれない。
彼のことを、これを見て興味を持ってくれたら嬉しいです。 最後に、80年代を代表する曲となった、「Love Will Tear Us Apart」。イアンが妻デボラと愛人のオノレとの三角関係に悩んでいた時の歌で締めます。
pete.
REQUALITY https://requalityharajuku.com/ 渋谷区神宮前4-15-16ジートルンク原宿206 0364389165 営業時間 金・土・日曜のみ。14-20時。
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I:Iggy and The StoogesのSearch and Destroy
暇な時に大好きな音楽についてアルファベット順に書き留めています。その時のお気に入りがその時の気持ちだったりするのです。僕のiTunesに入ってるIのアーティスト。
Iggy and The StoogesのSearch and Destroy
日本語に訳せば"探し出してぶっ壊す"と言った感じでしょうか?何とも恐ろしいタイトルです。この曲は、ベトナム戦争が起きていた頃に発表されたものらしく、その頃ジョン・レノンはLove&Peaceを叫んでいたようです。
イギー・ポップといえば、上半身裸で過激なパフォーマンスをする野獣のようなイメージですが、そんな姿もパンクのゴッドファーザーなんて呼ばれてる所以なのかもしれません。曲はギターの疾走感がたまらないパンクチューンです。曲の合間に出てくるギターリフや最後のギターソロもキマってます。イギーのボーカルも野性的で曲調にマッチしてる。
歌詞は狂暴な野獣と化した男が、"ぶっ壊してやる"なんて言いながらも、"誰か俺を救ってくれ、俺を爆破してくれ"なんて歌ってるみたいです。つまり、"怒れるパンクロッカー"イギーは当時の不穏な世界に中指を立てて反戦を叫んでいたんじゃないでしょうか? みんなで一緒にLove&Peaceを叫ぶのも悪くはないけど、一表現者としてのイギーの立ち振舞いもありだなって思います。
ちなみに、この曲にはレッチリバージョンも存在していて、そちらも、むしろそちらが超絶おすすめですよ。
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76. David Bowie/Rock ‘n’ Roll Suicide
「仲間を元気づけよう」
人の悩みや真剣な考えは、他人から見れば滑稽であったり、大したものには思えなかったりすることがあります。
けれども大事な仲間が沈んでいるように見えるとき、できることなら楽しく笑いあえる素敵な友人に戻って欲しいと願うのは、決して偽りではないはずです。
「きみはひとりぼっちじゃない」「きみは素晴らしい」と繰り返すデヴィッド・ボウイの「ロックンロール・スーサイド」は、そんな時にヒントになる言葉をくれる曲ではないかと思っています。
デヴィッド・ボウイとクリント・イーストウッドの違いがわからないあなたへ、デヴィッド・ボウイとは俳優業でも有名ではありますが、そもそも今から44年前、1964年に17歳でミュージシャンとしてデビューし、デヴィッド・ボウイとしての活動を始めた1967年にはもうチベットの難民救済を訴えたり、売れない頃には劇団に入りパントマイムを習得したり、ギターやピアノ、ドラムの他、琴だのチェロだのサックスだのまで演奏する、貪欲で行動的な凄い人です。
常に新しいものを取り入れ、その都度何らかの美学を構築してきたような革命的な人で、多くのミュージシャンに多大な影響を与えてきた上に、わたしはこの人の悪口を言う人に会ったことがありません。
1972年の[The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars]は、ジギー・スターダストという架空のロックスターの栄枯盛衰を辿ったコンセプ��・アルバムです。
ジギーというのは、デヴィッド・ボウイの���友だちのアメリカ人、イギー・ポップからとった名前のようですが、このアルバムの最後に収録されているのがこの「ロックンロール・スーサイド」なのです。
「きみはロックンロール・スーサイド(ロックンロールの自殺者)だね」というようにそもそもがロック・スターの歌ですから、ロックの趣味も無く、スーサイドする程でもなく給料が少ないとか彼女にフラれたとか浮気相手がしつこいとかいう悩みをもつ友人を元気づけるために与えるには少し大げさだと思われるかもしれません。
でも歌詞の一言一言に、人間的な愛と思いやりが含まれています。
「きみは失うには歳を取り過ぎ、選択するには若過ぎる」という言葉や、「きみが今まで何だったか、誰だったかなんてかまわない」
「きみがいつ、何を見てきたかなんて関係ない」そして「振り向いて。きみは独りじゃない」
「手を差し出してみて。きみは素晴らしいんだから」という部分などは、
ロックには興味が無くても、どんな世界に生きている人でも、言われてそれほど悪い気がしないまま、むしろそのうち自分がどこぞに出てくる繊細なヒーローのような気持ちにまで盛り上がってしまうのではないでしょうか。
「きみってロックだね」というのはある世代の人(スーサイドしそこなったロックンローラーたちの多い音楽業界のオトナとか)にとっては褒め言葉なのだな、と思うことがよくありますが、きっと若い人にこの曲を捧げて「きみってロックンロール・スーサイドだよね」と讃えても「いえ、ちがいますけど」と言われて終わると思います。
時と場合を人を選ぶのは仕方の無いことですが、友のピンチにこの曲を思い出してみれば、もしかしたら一生懸命なあたたかい言葉をかけてあげるのに役に立つかもしれない、と思うのです。
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Måneskin+ Iggy Pop【I Wanna Be Your Slave】和訳 Måneskin Iggy Popとコラボ Måneskin Collaborate with Iggy Pop
Måneskin+Iggy Pop【I Wanna Be Your Slave】和訳 Måneskin Iggy Popとコラボ Måneskin Collaborate with Iggy Pop Lyraのブログへ #Måneskin #iggypop #iwannabeyourslave #TeatrodiraVol1 #maneskin #モーネスキン #thestooges #DamianoDavid #EthanTorchio #ThomasRaggi #VictoriaDeAngelis #godfather
愛しのダーリン Iggy PopがCiao Ciao言いながら話している相手は、日本でもやっと、話題になって来たMåneskin だ。 去年は、Lyraとスペイン語圏のフォロワーさんしか話題にしていなかったのが、この夏にいきなり日本でも話題になるように。(きっとTVに取り上げられたから?TVまだ威力ありますね) 今回ダーリンIggyとMåneskin がコラボレーションしたのです。 それも前に和訳したMåneskin を! 現在は便利な世界になったなあ〜とTwenty One Pilots (→【Heathens】 和訳 Intelligence meets Violence お利口さんがハメを外すと)の新曲を制作した時にも思いましたが、会わずとも音源さえあれば、デモじゃなくて普通のリリースまで出来ちゃうのですからね。 *【Twenty One Pilots/ Tear In My…
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77. Iggy Pop/The Passenger
「お前のものはオレのもの」
4月21日はイギー・ポップ(芸名)の誕生日です。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのボーカルでいつも裸のアンソニー・キーディスと見分けがつかないあなたへ、分かりやすいところで言えばまず二人は年齢が違います。
アンソニーは2008年で48歳、イギー・ポップは61歳になります。
その他詳しい情報はロックの専門家に任せるとして、先週取り上げたデヴィッド・ボウイによる架空のロックスター[ジギー・スターダスト]の「ジギー」の部分がイギー・ポップの名前から付けられたのだと知ったので、同じ歳のデヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、英国のジギー(架空)と米国のイギー(芸名)の共作アルバム[Lust for Life]を見てみることにしましょう。
1974年にイギー・ポップ & ザ・ストゥージーズが解散(最近再始動しています)してから、イギーのソロデビュー作[The Idiot]に続いてデヴィッド・ボウイがプロデュースした作品で、イギーのソロでの最高傑作だとも言われているそうです。
その中のシングルで、最近携帯電話のコマーシャルに使われていた[The Passenger]という曲が面白いと思いました。
日本で「イギポ」と呼ばれるキャッチーさはさておき、パンクのゴッドファーザーと言われるイギー・ポップはステージでは裸も同然で、若い頃には血みどろになったりゲロまみれになったりして、荒くれ者スタイルを貫いていたそうです。
そんなイメージでイギポの曲を聞くと、どれもこれも「お前らみんなデストロイ」と言っているような気がしてなりませんでした。
けれども「ララララー」というコーラスで有名なこの曲では[I am the passenger(オレは乗客)]と歌い、車に乗って街を通ったり、星が空から姿を現すのを窓から見たり、「全てがよく見える、ララララー」と、何となく暢気で楽し気な雰囲気を感じます。
イギー・ポップに歌わせると「ララララー」も何となくいかがわしいもののような気がしてくるのですが、昔「歌詞を書くのは、懺悔と似ている」というアリス・クーパーの言葉ともまた無関係に(当たり前)、特に何にも憤ったり引っかかったりしている様子もないイギポが、そこにいるのです。
明るい夜空や星、曲がりくねった海沿いの道など「全て」が「オレとお前のために作られた」と歌います。
「全てはオレたちのもの」と感じるのは、独裁的な権力を所有した人物では危険ですが、のんびりとした気分でいる穏やかな人(たぶん、イギポ)にとっては、とても素晴らしい一時でしょう。
そうだね、素晴らしい世界だね、と頷いて聴いていると、イギポは言い出します。
「全ては
オレたちのため
に作られた、
オレたちのもの
だね。さあ車に乗り込んで、何が
オレのもの
だか見に行こう」
���、オレのもの?
オレたちのものの中にある、オレのものを確かめに行くということですか?
それはもしかして「お前のものはオレのもの。オレのものもオレのもの」というジャイアンによる「ジャイアニズム」のようなものですか?
「やっぱり…」というような、期待を裏切られた喜びのような、おかしな気持ちになりました。
これだから、歌詞を深読みしてわくわくしたり、浅読みして驚きと遭遇したりするのをやめられません。
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