#わたし虐待サバイバー
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no111bloom · 10 months ago
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父が亡くなってから
父は守り神になった。
素戔嗚みたいに厳しいけど
きっと守ってくれる。
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kennak · 7 months ago
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日本の芸能界の大物が長年にわたり性的虐待を続けていた問題で、被害者への補償業務を担うことになった人物は、このスキャンダルは当初思われていたよりさらに根深いものだと話した。 ジャニーズ事務所の解体後、故ジャニー喜多川氏に虐待された被害者への補償業務に専念するため、昨年秋に社名を変えて「SMILE-UP.」が設立された。その代表取締役社長、東山紀之氏はBBCの取材に対して、ほかに2人のジャニーズ事務所スタッフが少年タレントを性的に加害していたと聞いていると明らかにした。 この人物たちは現在も存命だと認識しているとも、東山氏は話した。 BBCによる2023年の調査報道以来、960人以上が喜多川氏による性的虐待を生き延びたサバイバーとして、名乗り出ている。 BBCによる単独インタビューで東山���長は、社内調査の結果、喜多川氏のほかにも2人の事務所スタッフがタレントを性的に虐待していたと認め、「僕がいま聞いているのは、2人と聞いています」と答えた。 しかしこれについて、BBCが今年2月にインタビューした時点では、SMILE-UP.は情報を警察に提供していないとも、東山氏は述べた。 Play video, "【単独取材】ジャニーズ解体のその後……SMILE-UP. 東山社長、BBCの多数の質問に答える", 所要時間 35,26 35:26 動画説明,【単独取材】ジャニーズ解体のその後……SMILE-UP. 東山社長、BBCの多数の質問に答える 「法的なことを考えると、僕らには権限がないと思いますので。その当事者の人たちがそれに対して刑事告訴をしたら、僕らとしては全面的に協力するということになるとは思います」と、東山氏はBBCに話した。 事務所スタッフ2人による性的虐待のサバイバーたちが刑事事件としての立件を希望するか、SMILE-UP.は本人たちに尋ねているのかBBCが質問したところ、「どなたなのか理解していない」と、東山氏は答えた。 Play video, "「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」(抜粋)  昨年の番組続編をBBCが放送", 所要時間 5,43 05:43 動画説明,「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」(抜粋)  昨年の番組続編をBBCが放送へ ジャニーズ事務所を立ち上げ、日本の少年アイドル全盛期を作り上げた喜多川氏は2019年に死去した。そして当時は、日本の大衆文化への貢献を大いにたたえられた。 しかしBBCのドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」が昨年3月に放送されたのをきっかけに、同事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」は調査の末、喜多川氏が60年にわたるキャリアにおいて数百人の少年や青年を虐待したと結論づけた。 これを受けてジャニーズ事務所は昨年10月、事務所の「解体」を発表。被害者への補償を担当する会社は社名を「SMILE-UP.」とするとした。さらに昨年12月には、タレントのマネージメントなどを行う新会社は、社名「STARTO ENTERTAINMENT」になると明らかにした。 SMILE-UP.は、補償手続きを取り仕切るため、元裁判官の弁護士3人で構成する「被害者救済委員会」を設置した。 ジャニーズ事務所と喜多川氏 東山氏はSMILE-UP.の社長に就任した。その東山氏についても、いじめや性的加害の疑惑が出ているが、東山氏はこれを否定している。 SMILE-UP.は、補償請求の手続きが不透明だと批判されている。そのほか、喜多川氏による加害のサバイバーとのやりとりが、後手後手に回って遅すぎるとも批判されている。サバイバーたちは補償手続きの仕組みが、明確な期限の定めがない、行き当たりばったりの仕組みに思えると話す。 BBCの取材に応じた元ジャニーズJr.の二本樹顕理氏 画像説明,BBCの取材に応じた元ジャニーズJr.の二本樹顕理氏 二本樹顕理氏は元ジャニーズJr.だ。スターを夢見て13歳の時、Jr.になった。 そして二本樹氏は昨年、喜多川氏に関する報道を知り、自分が受けた虐待の経験を公表した。二本樹氏は今回、「まだ隠されている問題があると思う」とBBCに話した。 二本樹氏をはじめとする大勢にとって、正義はまだほとんど実現されていない。喜多川氏による虐待のサバイバーたちを代表する弁護士は、SMILE-UP.の補償手続きを「まるでブラックボックスのようだ」と話す。 そしてSMILE-UP.が自ら、サバイバーたちの証言を疑問視している。会社設立から間もなく、同社は自社サイトで、「弊社は現在、被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており」と書いた。 虐待の経験を公表したサバイバーの中には、オンラインで大勢から非難され、いやがらせを繰り返された人たちもいる。 匿名を希望する女性は、自分の夫が喜多川氏から虐待されたと公表したため、殺害予告や誹謗(ひぼう)中傷の対象になったとBBCに話した。 「夫はすべてを明らかにしたかった。子供たちの未来が、同じような形で傷つけられるのは、いやだと思っていた」 この男性が名乗り出て被害を公表すると、その個人情報がオンラインにさらされる羽目になった。 やがてこの男性は妻にテキストを送った。自分は山に来たのだと。そしてこの人は、そこで自分の命を絶った。 「もう警察が3人ほど来ていて、登山の人が見つけてくれてて、『病院に連れていって下さい』って言ったけれども、もう遅かったようです」 東山氏は、このことについて承知していると話した。 「言論の自由もあると思うんですね。(中略)僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもありません。できることなら、本当にオンラインの誹謗中傷をなくしたい」 東山氏は、被害を申告した200人近くと、すでに面会して話をしたという。 「それによって少しでも心がいやされれば、それが僕の役割なのかなと思います」と、東山氏は説明した。 東山氏は、自分は性的虐待のサバイバーを支援するための、カウンセリングの正式な訓練は受けていないし、経験もないと認めた。 SMILE-UP.は、被害を申告する人たちに専門家によるカウンセリングを提供し、その費用を負担している。 「それは無期限にやろうと思っています」と、東山氏は述べた。 東山社長はアザー記者の数々の質問に答えた 画像説明,アザー記者は東山社長にサバイバーへの補償やオンラインでの誹謗中傷など、多岐にわたる質問をした BBCの昨年の報道を受けて、日本の大衆文化における喜多川氏の評価は国民の意識の中で、大きく変わった。 岸田文雄首相に対しては、性的虐待にかかわる法制を改革するよう、圧力が高まっている。 日本では昨年6月、性交同意年齢を引き上げる刑法改正案が成立した��2019年に、性犯罪で起訴された被告人に対する裁判所の無罪判決が相次ぎ、世間で怒りの���が噴出したことが、その原動力となった。 さらに昨年、喜多川氏の行動についての報道があり、国民的な議論が続いた結果、自分が受けた被害について多くの男性が公に語るようになった。 それでも虐待サバイバーの中には、自分が体験を証言したにもかかわらず、正義は依然としてなかなか実現されないと考える人もいる。 二本樹氏は、虐待サバイバーが区切りを得るための支援が必要だと考えている。そして、ジャニーズ事務所の後継会社SMILE-Up.は、まだこれを実現できていないと。 「責任をとってもらいたい。日本の戦後で、最大の性暴力事件だと思う。一時的な問題だったかのように、このまま薄れていくことなど、あってはならない。これは、日本の歴史の一部として刻み付けることが大事だ」 (英語記事 Two more abusers at J-pop predator's company)
ジャニーズ解体のその後……ほかにスタッフ2人がタレントに性的加害 - BBCニュース
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manganjiiji · 11 months ago
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日記書いてる場合である
この日記……途端に無意味に思えてきた!日記本にするほどの内容でもないし、日記本にする必要がないのなら、その日記、なんか意味あるのかな……みたいな、日記本至上主義みたいな思想になってしまっており我ながら笑った。日記祭での衝撃が大きく、まだ尾を引いているようだ。日記本は面白いし素晴らしいこころみだと思うが、別にみんな日記を本にするために書いているわけじゃない(勿論するために書いている人もいる)。この日記はなにをもって始まったのかというと、Twitter上で私生活のあれこれ全てを呟くことをやめるかわりに、生活のことはこちらにまとめて書き、見たい人はそれでワンクッションになるように、みたいな考えであった。当時の私はTwitter上で行動全てを報告しないと頭がおかしくなるというつい廃だったので、まずそれをやめてもう少しクールなアカウントになろう、という気持ちがあったと思う。この日記に一日の私生活をまとめて書けば、Twitter上ではジャンルやカップリングのことを言うだけですむのではないか?または、緊急性の高い拡散や共有のみに絞れるのではないか?という目論見だ。実際にそれはある程度はそう機能したが、最近はもうどこまで日記でどこからをTwitterで言うかがだんだんゆるゆるになってきた気がします。というかまたTwitterで全ての行動を報告しているのでは…という日がよくある。フォロワー数が少ないので気が緩んでいるのもあると思うが、せっかく日記に私生活を分けているのだから、改めて少し自制したほうがいいなと感じる。tumblrだけ見てくださっている方には「はてな」という感じになる書き方をしていることがあるのは、この日記は基本的にTwitterを見てくださる方が、補助情報として使うためのものだからです。Twitterを見てくださっている方への付録みたいな感じで書いているので、基本情報や重大情報はそもそもTwitterで発信しており、そちらは日記に書いていないことがある。予想外だったのはtumblrにも日記文化があり、ここでのみ繋がっている関係(相互フォローの方など)が幾つかある事だ。これはこれでおもしろいなと感じている。Twitter上の私というのは、つまり「BL二次創作小説を書く私」であって、それは当たり前すぎるので日記ではわざわざ書かないが、その空白をなんとなく察してこの日記が読まれていることもあるのかと思うと、かなり不思議な感じがする。この日記はTwitterの補助装置なので、メインコンピュータの姿を知らないまま、このバックアップというか補完的なサブコンピュータのメモリを見られているのかなと思うと楽しい。もちろんTwitterも見て下さって全く構わないのですが(IDは@manganji_ です)。ここに殆どリンクを貼らないのは、リンク系は全てTwitterでの告知などで完結しているから。共有も拡散も、いや、言うなら貼れや、URLを、と思われることもあるかもしれないのだが、だいたいTwitterのほうですでに言及しているので、ここに例えば書籍情報のURLを貼るとか、別のサービス(プラットフォーム)のリンクを貼るとかは、ないなあ、と思った。tumblrびとたちは、この閉じた感じも含めて愛している感じもある。この日記に対しての自己言及にここまで文字数を使えるのもすごいと思う。つくづく私は話が長い人間だ。同じことを言葉を変えて何回も言うし。(これに関しては悪いと思っていない。二つの言い回しで表現して初めて伝わる、内容の「位置」があると思うから)
朝4時に起きて、何度かあんスタを叩き、5時を過ぎたところで、簡易的なPC用デスクとプリンターを買った。この部屋とは長い付き合いになると思うので、家の中をもう少し整備して、やりやすいように変えていっていいのではないかと思った。大学の編入学試験を受けた際、面接で先行研究にとにかくもっと当たれと言われたので(その通りである)、別にまた編入学試験を受けるわけではないのだが、先行研究の論文を印刷しまくりたい、という欲が湧いた。ついでに、PCもいちいち書き物机に引っ張り出してくることをしていると全然使わなくなってしまうので、専用の机に定置し、いつでも印刷できる状態にしようと思う。書き物机というか、私の机は食卓でもありドレッサーでもあるので、ご飯を食べたり化粧をしたり、ノートや参考書を開いて勉強したりあんスタを叩いたり、とにかく役割が多いので、それに関連した物も多く、どんどん利用できる面積が狭くなってきている。そのうちまた机の上を断捨離して面積を増やさなくては、と思うが、今のところ化粧品とあんスタのグッズ、文房具がどんどん机の上に進出している。それでもまだ勉強する面積は確保できているので、この机にして本当に良かったと思っている。
まず印刷してファイリングしておきたい先行研究、論文、記事については、今日すでに検索して目星をつけてある。でも正直あまり、まさにこ��!という研究や記事は数本あったが、あとは「まさにこれじゃない、まさに、こういうことを書いている無駄な論文が多すぎる」みたいな感想をいだき、つまんね〜気持ちになった。とくに厚労省関連。クソがよ。そういうことじゃねえんだよ、というか………お前らがやれよ、仕事を……なんで、NPOに頼ってんだよ……おい……というむかつきを最大限感じた。もちろん行��のなかにも動きを作ろうとしている方がたくさんいるのはわかっているが、それはまだまだ表面化していない。論文や記事を読んでいく中で、だんだん「私は何がしたいのだろう」ということがよくわからなくなってきた。そもそも福祉社会学でいいのか?ということもわからなくなってきた。でもまあ、社会学の先生に「それは福祉社会学の領域であってうちよりもっと研究が進んでる大学なり研究機関がある」と呆れ気味に言われたので(ありがとう先生、無知ですみませんでした)、今のところ福祉社会学という方向を体が向いている。うーん。たぶん私のしたいことは、支援の方向性としては、虐待を生き延びた人々おもに若年層が、精神疾患を治癒しつつ、就労できるまでの活動をサポートしたいということだと思う。そしてもうひとつは、たぶんこちらが主目的なのだが、虐待を生き延びた人達の苦しみはそこで終わらず、かなりの年数を重い精神疾患とともに、貧困や、自分ではハンドリングできない苦しい生活の中で暮らす困難に陥ってしまう、ということ、その人たちのための支援が必要なことを世間に広く知ってほしい。もちろん知られていることは多いが(虐待サバイバー当事者の本やルポなども出ている)、ニュースで虐待死事件が報じられた時に、どうしても「虐待されても死ななかったやつはマシ。死ななかったんだから生きていけるでしょ」的な圧を感じてしまう。しかし、虐待を生き延びても、精神疾患やトラウマのために就労がうまくできず貧困に苦しむなど、第2第3の苦難が待っている。何よりもつらいのは、「虐待を受けずに育った人と同じ土俵で戦わなくてはならない」というシンプルで残酷な現実だ。虐待を受けていくら教育が自分から抜け落ちているとしても、体力や栄養が落ちているとしても、病気だとしても、そんなこと誰にも言えない。なぜなら、誰も「そんな話は聞きたくない」からである。誰だって親(家族)との確執くらいあるでしょ、虐待とか言って大袈裟に傷ついて、こっちだって「何も無い」わけじゃないっつーの、と思われて終わるだけなのが手に取るように想像できる(これはもう恐怖という名の偏見が濃いが)。ちなみに、虐待を受けても、それをあまり苦とせず精神疾患にも陥らず、普通に生きていける人ももちろん多数いる。そういう人は別に支援を必要としていないのでいいのだが、支援を必要としている人にはまだまだそれが行き渡っていない。うつ病を始めとする精神疾患、発達障害、その��いろいろ、社会生活上または、就労の場所においてハンデを抱えている人というのは、健康な人、健常者にとっては「めんどくさい、なんなら給料泥棒」な存在である。明らかに健常で優秀な人のほうが仕事量が多いだろうし、うまくできない人の尻拭いもそういう人達が結局はやらされている。いわゆる「仕事の出来ない人、すぐ休む人」の全員に疾患や障害があるかと言われればそうではないと思うし、虐待を受けていたのかと言われればそうではないと思う。でも頑張って工夫して自分なりに最大限努力してみても、どうしても、健常者の働きぶりに追いつけない、そんな自分を責め続けてしまう、そういう虐待サバイバーが、苦しんだまま、トラウマ治療も精神疾患の治療も受けずに孤立しているのではないかと思うと、もう気が気でない。世間の人というか体も心も強く生まれついた人は、かなり冷酷である。これははっきり言うが、まじで冷酷であるし、邪悪とも言えるケースさえある。自分の体や感覚がベースだから、他の人も当然自分と同じくらいのことはできる、努力の問題だと思っている。んなわけねえだろ。てめーーーーーーみてえに恵まれた体も生育環境も持ち得てねえんだよこっちは💢💢💢💢💢💢💢💢という呪詛が全国の虐待サバイバーから発せられていると思う。それでももちろんそんなことは口に出さない。誰もそんな話は「聞きたくない」からである!あー!むかついてきた!今までの上司も社員もあいつもあいつもあいつもあいつも!ああーーー!!良かったですね健康に生まれ育って他人を踏みにじることで勝ち上がっていけて!!!!!!私怨で荒ぶってしまった。まあこういう問題はACEサバイバーだけではなく、障害者問題やジェンダー平等問題にも通じてくると思う。全ての人が健康な成人男性として仮定された日本の就業システムの根幹的な問題だ。そもそも8時間労働は長いし、週に5日は多い。でもそこまで人員を稼働させて、敗戦という傷を工業国として立ち直ることでどうにかこの国は国際社会での立ち位置を固めることができた。つまり、日本から「仕事」を取ったら何も残らない、という恐怖があるのだと思う。他の国より多く長くよりプレッシャーをかけられて働いて、それは高品質で安いものがたくさん作れるに決まっている。しかしもうそれをやっても勝てないし追いつけないのだから、人間を守る方向で、一人一人が歯車ではなく人間として生きる方向で、産業の衰退を「推し進めて」いかなければならないと思う。マイナス成長でどうやって生きていくねん、と思うが、もう何をどうやっても生きていけない人達がいることを認めるしかない。正直今の60代以上が全員鬼籍に入れば、こんなに苦しい社会は終わると思う。こんなに少ない人数でこんなに大勢の高齢者を生かすことは、現役世代にかなりの貧困を強いる。あと30年すれば、そして成長を前提とした年金モデルをやめれば、どうにかこうにかもう少し人間らしい社会になると思う���そのためには今から徹底的に、いわゆる「弱者」と呼ばれる側の人々への支援を充実し、そもそもの競争社会的な思想を破壊しておかなければならない。生まれ育ちや障害やジェンダーに関係なく、お互いを尊敬・信頼しあって仕事ができるような仕組み作りをしていかなければいけない。福祉を充実させ、仕事ができる人、健康で優秀な人は高い給料をもらい、そこまでできない人はできないなりの給料をもらい、それで生活していけるようなインフラや、なにより思想を私たちが持たなければならない。虐待を生き抜いてなお苦しむ人々のケアや支援を充実させるのがまず最初だが、虐待が起きない社会がいちばんいいに決まっている(ただ、どこまで社会がよくなったとしても、子供を虐める親や養育者は絶対にいなくならない)。虐待が起きないためには、子供を産み育てる大人がきちんと成熟し、満足感をもって子育てできることが大切だと思う。児童虐待の発生の防止、というのは結局「弱いものいじめをする人を少なくする」ために社会をどう変えて、人間の考え方をどう鍛えていけばいいか、という大きな、結局は哲学や倫理の話になってくるのだと思う。
話が壮大に逸れたが、目の前の課題としては、資金の潤沢なNPOを作りまくって、国からの補助をどんどん取り付けることだと思う。行政が一律に悪いとは言わないが、行政というのは貧乏で、事務員であり、福祉を担当するのにはかなり限界のある組織だと私は思う(家系に地方公務員が多いので、肌感)。福祉には金がいるし、事務能力ではなくてもっと他の、端的に言えば「助けたいという気持ち」がいる。現状、公務員がいくら助けたいと思っても、お金や時間の制約によりそれが成らず、気持ちのある人はどんどん心を病んでやめていくのが、市役所や町役場の福祉課という場所になっている。とにかく国が金を出さないなら民間で金を作りまくるしかない、最悪だがもう、自助になる。儲かっている企業は税金を多く取られていて、その多くは高齢者福祉に行ってしまうのなら、税金で取られる前の金を、直接児童・若者や貧困者の支援団体に寄付してもらうか、企業が後ろ盾となって財団を作ってもらうしかない。どんなに選挙をしたって、あと30年はこの状況は変わらないのだから、NPOを作りまくって、国からの認可を受けつつ、金の補助は企業や投資家を宛にすればいいと思う。投資家というのは、金が余って余って仕方がない、これ以上使い道がわからない、という人が結構いるのだ。じゃあ寄付しろよ、と思うが、彼らは競争に敗けた「努力の足りない」人間たちにお金は落とさない。というのは言い過ぎで、中には絶対慈善事業に興味のある人がいると思う。別にキリスト教圏、プロテスタントの国ではないから寄付文化が育たないとか、そんなことはないと思う。変えなければいけないのはエリート達の頭の中身であって、この競争社会と思い��まされている階層社会という真実を各々が認識することだと思う。
人間は自分の利益を最大化するために生きている。らしい。どうやら多くの人は。私はちょっと違うようなのだが、これは生まれつきでたぶん決まっている。この、自分のために生きるという理論でみんなが動いていることを、私は20年以上理解できていなかった。そしてもちろん、人間は自分の利益を最大化するために生きていい。そうしなくてもいい。それは自由だが、自己利益増大のために生きる人がたぶんこの世では圧倒的多数である。そうした人達が、どうやったら「他人のため」に気持ちよくお金を出してくれるのか、その方法を考えなければならない。圧倒的少数の「生まれつき利他」はだいたい、利他的なのでそもそも自分の財産をあまりもっていないし、そういう人は身近な生活のなかでどんどん他人に施してしまっている。だからお金は貯まらないし、貯まったらだいたいNPOを立ち上げる。つまり、NPOを立ち上げないタイプの、自分の金は自分のためにしか使いたくない、でも正直金は余ってる、という人からどうやって、支援のための金を引き出せるのか?いちばん手っ取り早いのは「税金」という仕組みだが、まじで本当にもう政府はだめだ、という印象しかない。なんでこうなってしまったんだ。老人だけで政治をするのをやめろ。もしくはもう少し利他的な考え方で政治をやってくれ。自己利益増大のためではなく、国民の生活を良くするために政治をやってくれ。しかしエリート層は基本的に資産家で、それが何代も続けばエリートの世界の中で人生が完結していく。エリートは自分より下の階層の人々の生活や命なんてどうだっていいし、そもそも感知していない。それが自己利益の最大化ということだ。でも、じゃあ「公」ってなんなのか、と思う。私費を増やしたいなら民間で企業を興せばいい。政治家をやっている以上は、公のものとして、ちゃんと社会に利するように動いてほしい。それが嫌なら政治家やめろ。世襲とか周りの圧力とかそういうの本当にばかばかしい。やりたいことがあるならやればいいし、やりたいと思って政治家になった以上は、まじで民のために生きろよ、と思う。明治維新を思い出せよ。お前らは明治のあの人たちの正統的な末裔なんだぞ。あの人たちがどれだけ国民のためを思って革命起こしたか、忘れてんじゃねえぞ。明治維新と同じことができる志がないなら政治家やめろ。プライドもって国家の行く末考えられねえなら今すぐやめろ。
ただ単に政治家への悪口になってしまいました、失礼いたしました。まあとにかく今の政治家はよくないですね。というか、国防と高齢者福祉に圧殺されて、その他に全然手が回ってないですね。だからまあ、政府がその状態であるうちは民間で「自助」して、人々の思想を少しでも、前に押し進めるしかないんじゃないかなあと思います。
おなかすいてきた。7時です。
2023.12.13
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dakinyasworld · 9 months ago
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ベイビーを着ないともう、呼吸困難の息が、
息が心で出来ない。
心臓が破裂しそうに痛む、圧迫されて。
腫瘍が涙を流し続けている。
ロリータ服は私の魂のインナーチャイルド療法だ。
虐待をし続けて来た汚く醜い家禽、汚いゴミ、
ゴミの屑、要らない生命を
白鳥と天使と如来や菩薩に
戻す為の衣服だ。
虐待サバイバーである事を自慢するつもりはない。
同情はマーチンのブーツで踵落としするし、
そんなもの��は何の力もない。
パンクス舐めるなよ。
病気も死も怖くない。
怖くないから入って行ける。
バタイユですよ。
本当ならロリータの服に
ロリータの服に一番合わせたい靴。
アレキサンダー・マックイーン
亡くなる間際のコレクション
天使の靴。
天使に戻れるワンピースが来たから、
オークション復活してやっと買えた、
お姫様に戻れるカーディガン。
お姫様って何だろう。
新興宗教に入れ込んでいた祖母の、教団の占い屋が
前世は平家の姫だと言ったらしい。
苦しんで生き、
神仏の絵を描くと言った。
私が生まれた時に。
3歳から天使の絵を描いている。
近年は神社で見る会う、神様の絵を描いている。
魂が癒せるロリータの服を着て残りの命を生きられるなら、
物理的な命は惜しくない、
もう生き飽きた。
治療は一応受けるが、
治療費など無視して服を買っている。
残りの命を命懸けで生きる為に。
残りの命を命懸けで生きる為に必要な日常着を。
来週から検査入院、
腫瘍の細胞を取って詳細を調べる。
今のところの見立てはリンパ腺。
とにかく胸にでかい腫瘍が出来て心臓を圧迫して、
腫瘍から水が出て、体内に水が溜まり、
その水も臓器を圧迫している。
咳が激しく出て呼吸が苦しい。
科は呼吸器外科。
��に関わるらしい。
「まだ若いんだから(治療しなさい)」
と言われた。
若くない。
この体はもう使い古している。
若くないから飽きた壊れた玩具として捨てられた。
若くない。
両親は10歳近く歳下の兄の美しい才女の嫁を見つけて、娘と言う人形は兄嫁に乗り換え、
自慢の息子と娘を手に入れて、
下水道管が基礎から壊れて水回りから水漏れする廃墟廃屋の実家に私を閉じ込めたから、
今住んでいる部屋に逃げ出して来た。
今までの人生は哀しかった。
腫瘍はとうとうその悲しみが肉化してしまった。
何と言う可哀想な腫瘍だろうか、
涙を流し続けながら心臓を圧迫して死のうとしている「死の欲動」である。
だって腫瘍は私の体の一部なのだから、
愛しているに決まっている。
可哀想で堪らない。
ずっと我慢して来た感情が、
肉体に物質化してしまったのだ。
心と身体は絶対に繋がっている。
三島由紀夫さん、あなたの言う通りで、人間はマイホームの為に死ねない。
美学の為にしか生きられないし死ねない。
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k-kobori-jp · 11 months ago
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私と一緒だ…。(泣) 私の場合は記事ほどの虐待は受けなかったけど、「テストで100点取れなかった」といって怒られた(その時のテストは一問間違っただけの90点台、と記憶している)のは全く一緒。私が最初に受診した精神科医も、親からの虐待を指摘していたので、私が現在いろいろと精神的問題を抱えているのは、(全部とは言わないけど)その子供の頃の経験が原因、と言えるのだろう…。(泣)
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junchan-mtf · 2 years ago
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おはようございます☕🥐  昨日の夕方、カウンセリング勉強会で久々にアメノチハレ3役揃いました😃そこにおともだち(おかあさん)も来てくるて嬉しかった☺️コロナ規制の影響は図りしれず私も久々の再会を喜びました🎉  個別にやりとりしてたので状況もわかっていたが、先生同席だったので詳しくお話伺ったが、事態はかなり深刻😭  私も昨日、怒り?こもってたかな?以下の書き込み(リンク先参照願います) https://linevoom.line.me/post/_dfOgJiJxpDOeESW0-23H21giOsICMwzmXjU-NG0/1167874984309567694 してます。  嫌い、受け入れられないならスルーが一番いいと。  特に修羅場くぐって命まで狙われる事態(脅迫の愉快犯でしょうけど)もあったし、過去にはいじめ、虐待も経験したサバイバーなんです😭いくら、警戒するいっても、人間不信に陥ったらアメノチハレ作った意味も我々が世に出していく価値も無に帰してしまう😭  だからこそ四面楚歌であろうがなんだろうが正面突破するんです。絶対にこそこそなんかしない😂いくら私がトランスジェンダーMTFだろうとなんだろうと道なき道を切り開くだけ😂なんでも、、私は道なき道を開くパイオニアだと🌈だからこそ、後に連なる、隣にいてくれる人材、ブレーンを求めるんだろうな🏳️‍🌈  たったひとりの限界感じたところにうちの娘(副代表)が来てくれて狂気のアメノチハレやってる😂やりたいことを好きにやる🌈  法令とコンプライアンス遵守ですが、理不尽には私自ら噛みつく😂まぁ、そんな事態にならないことを願うばかり☺️  我慢足らず言われたってキャパオーバーしたらね😂それでも、アメノチハレの産み出す価値を世に問い続ける🏳️‍🌈🏳️‍⚧️🏴‍☠️  当然、一緒に活動してくれる仲間はほしいからメン募します😂 メンバー募集中(^-^)  雪どけも進み、アメノチハレでは令和5年度の数々のイベントに向けて動き出してます🌈  3月26日、雪どけ後のアメノチハレクリーンアップを行います🎉  朝9時弘前駅前りんご広場集合でお��除しながら、朝の澄んだ空気を堪能しませんか?  令和5年4月2日からは同時刻、同じ場所スタートで毎週日曜日(雨天、会議時、体調不良による順延あり)  アメノチハレ弘前レインボープライド5thwith HEVENS✩CLUB(アメノチハレプライドパレード)〈10月開催予定〉に向けてです。  他にもアメノチハレ企画でイベント、交流会をやりたいので企画段階から参画出来る中核メンバー募集中です(^-^)弘前市まちづくり1%システムも該当するためにも一緒にやりませんか?アイデア持ち寄ったら実行に移そうよ😄  無理なくですが、週一回?月一回でも定例会を開いてみんなで企画立てて決めてみんなの街そのものを元気にしたいです。小道具作りなんかもやりたい♂️♀️⚧️  ちなみにアメノチハレ代表とうちの娘(副代表)は平日はほぼ毎日詰めてます😂だいたい夕方4時半くらいからいます。ヒロロ3階市民参画センターでわちゃわちゃやっておりますが、参画センターの終了時間までやることも可能です。土曜日はうちの娘(副代表)都合に参画される皆様のご都合に合わせます。(代表通院日あり)  誰か一緒にアメノチハレやろうよ(もれなく役職付きそうな勢いなんですが無理なく楽しく笑って笑って活動しようよ)  条件は、無理なく参画出来る方(笑)  代表のじゅんちゃん絡み倒したい方(笑)  属性気にしない方🏳️‍🌈🏳️‍⚧️🏴‍☠️  ちなみに中核メンバーさんにはボランティアスタッフ公募で集った場合は、やはりまとめ役はお願いしたいなぁ🤗    まぁ、私を見かけたらお話しましょう🌈   合言葉は「アメノチハレ」やりたい❤️で😂  アメノチハレ副代表のInstagramです。傾聴アカウントです。 詳細はリンク先でお願いいたします https://www.instagram.com/tv/CoQq4aAAW8Z/?igshid=MDJmNzVkMjY= (弘前駅) https://www.instagram.com/p/CpybmTRPsvL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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genparo · 3 years ago
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現パロ設定まとめ
れじな(源氏名:めい・ナツメ)
28歳限界デリヘル嬢・現役JD。本強ガシマン許さない。帝都大学文科Ⅲ類哲学専攻、西洋哲学科。中国哲学を選択科目に取っている。宗教哲学が主。卒業後はイタリアの大学に留学し神学を学んだ後、英語・イタリア語・日本語の三ヶ国語で児童書の翻訳をするのが夢。
没落豪農の祖父、武家のおひいさまの祖母の家で育ち名ばかりの英才教育を施されるが全部途中で投げ出し逃げ出した。実母に暴力を振るわれ勘当済。11歳の時に実父に犯されており、あらゆる虐待を網羅してしまったサバイバーだが被害者意識のようなものは薄く、寧ろ世界と血縁を憎み倒している。男に生まれていればあらゆることが上手く行ったのにと信じ切っており、男だというだけで自分を支配したり上から抑えつけて来る奴らを全員殺してやりたい。
レズビアン寄りのバイセクシャル。自己肯定感を性関連のものに一任しているため性欲とは少し違う部分で恋人だろうと客であろうと肉体を求められないと気が済まない。リ��ロマンティックの傾向があり、自分の認めた高嶺の花を追いかけている時だけ輝いているが、いざその高嶺が振り向いて自分を求めてきたり多くの人間に理解されてしまうと一気に興味を失い容赦なく捨てる。「高嶺の花の花盗人」だの「光物大好きなカラス」だの散々なことを言われている。今の処高嶺センサーに引っかかっているのは魈と鍾離。魈とは事実上の恋人だが、珍しく彼がこちらを向いて執着しても逃げようとしていない。が、いつまでそれも続くのやら…。
前髪はセンター分け、胸下まであるロングの黒髪に薄いピンクのインナーカラーを入れている。ピアスは左耳と右耳軟骨、右の耳朶には空けていない。タトゥーは肩甲骨に一対の黒い悪魔の羽(勘当された時に自ら望んで入れた)、右腕の内側にリスカ痕を隠すように緑色の細い線で金翼鵬王座が入っているが、此方は入れた時の記憶があまり無い。163㎝、カップ数I85。山羊座のAB型。
適応障害と重度のPTSDを患っており、物心ついた時から不眠症。母親に関連する出来事と相対すると過呼吸になり動けなくなる。比較的病状は安定しているがそれでも薬は手放せない上に、唐突にODをして卒倒している日もあるが、大抵そういう時は魈にばれて世話をされる。
魈とはセフレののちに友達以上恋人未満を続けているが、ずぶずぶ泥沼に嵌まってなんとなく依存されている気は感じ取った上で傍に居る。彼がなんとなく自分と大体同じ地獄の更に深く暗い場所を歩んでることには気づいており、其処にはきっと人の命が絡んでいることも分かっている。その上でどうか自分に出来ることがあれば何でもしてあげたい。なりゆきで風俗の黒服にしてしまったことは申し訳なく思っているものの彼はそれなりに楽しそうに仕事をしているのでほっとしている。が、4nemoの収録部屋に彼の部屋が使われていることは本当に勘弁してほしい。何故ならカズハ担カズショウ推しなので。ナチュラルにわたしに皆の分の食事を作ることを頼まないで欲しい顔が良すぎて気後れするので。
タルタリヤは滅茶苦茶良い客だがやべー男だとしか思えないので若干苦手。でも彼の誕生日、あまりにも彼が母性を擽るから成り行きで金を貰わず本番込みのセックスをしてしまった。そこそこ後悔しないこともないが、それでも彼のことは放っておけず、たとえ自分が愛したかつての思い出を踏み躙る国の犬だったとしてもそれは彼という個とは関係が無いので、精々野垂れ死ぬまで傍にいてやりたいと思っている。
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pjtmtmw · 3 years ago
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27.マルトリートメント症候群の長期予後
子ども虐待は、たとえそれが死に至らない場合であっても、その子どもの心と脳に大きな傷跡を残し、
青年期、成人期になってからも精神的後遺症となって残り、精神障害や人格障害、行動面の問題等を
引き起こしかねません。
幼少時期に安心して生活することができず、いつも不安や恐怖に脅え、自分を大切な存在であると
感じることができずに育ってしまったことで、自己尊重感が築けず、対人関係の築き方にも障害を来たし
てしまいがちです。そのため、何とか青年期 ・成人期まで生きてきたとしても、抑 うつに陥りやすかった
り、ささいなことで不安を強めたり、無気力や自己嫌悪から自傷、自殺企図などを示す場合があります。
かつての外傷体験の影響を心身に色濃く残し、不眠や悪夢、パニック発作、解離性障害や身体化障
害、独特の対人関係の問題、薬物 ・アルコール依存等の嗜癖行動等の情緒的、行動的問題を抱えて
いることは少なくありません。
もちろん、子ども時代に受けた被虐待体験を克服し、人生を肯定的に生きているサバイバーは沢山
います。しかし、そこには多くの内的葛藤や怒りを乗り越えるための並々ならぬ勇気と努力が必要だっ
たこと、また家庭内外の第三者による助けに恵まれなければならなかっただろうことは想像に難くありま
せん。いずれにせよ、私たちは、虐待の被害は、子ども時代だけではなく、大人になってからも精神的後
遺症となって残り、後々の人生にも色濃く影響を残す可能性があるということを忘れてはいけないので
す。
(1) 被虐待による認知機能や脳とこころの発達に及ぼす影響
小児期の虐待で受けた身体的な傷がたとえ治癒したとしても、発達過程に負った傷は簡単には癒さ
れないことがわかってきました。児童虐待が認知面 ・情緒面の発達に及ぼす影響は、心理的なものの
みならず、発達している最中の脳自体の機能や精神構造に永続的なダメージを与えてしまうことからも
生じるということが、近年の研究で明らかにされつつあります。虐待を受けることで、子どもの脳では分
子レベルの神経生物学的な反応がいくつも起こり、それが神経の発達に不可逆的な影響を及ぼしてし
まうというのです。
虐待のストレスによって、認知機能の発達が阻害され、知的障害・学習障害のような様相を示していく
ことがありますし、記憶や情動を適切に制御する力が損なわれ、落ち着きのなさや多動傾向 ・衝動的な
傾向を示したり、フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり記憶が欠落するといったような解離症状を示す
こともあります。怒りや恐怖などの感情をコントロールすることができず、不適切なところで急に爆発させ
てパニックになったり、衝動的、攻撃的な行動に至ってしまうこともあります。
そうなると、対等な対人関係を築いたり円滑な集団生活を送るためのルールを身に付けることも困難
となり、年齢相応の社会性を伸ばすこともできなくなります。虐待を受け、周りとの快適で安心できる関
係を経験することなく育ってしまうと、良好な自己像を形成することも難しくなります。「自分は愛される
価値のないだめな人間だ」という感覚を持ち、自己尊重感が育ちません。そうなると、ますます周りとの
対人関係や社会適応が困難なものとなり、社会性の発達は阻害されてしまいます。
虐待は、さまざまなレベルで、子どもの心身の健やかな発達を阻害してしまうのです。
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blogmikimon · 2 years ago
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虐待とテロ7
こんにちは☀️
今日も書き続けている虐待とテロの続きです。(虐待とテロ1、2、3、4、5、6#過去の記事)
重たい話なので、今つらい方は今日はこのブログではなく、住み慣れた〜我が家に♪ を見に行かれるのがおすすめです✊いつもありがとうございます🙏
参考・引用元を ※ として最後にまとめてありますが、全ては網羅できず、また私の考えが足りないところや、間違いも含まれうることをご理解くださいませ🙇‍♂️
では前回はヴァン・デア・コーク先生の本から治療に関する引用をしましたが、今度は日本の精神科医の先生が書かれた本より、虐待後の症状の治療について引用いたします。
長いですが言いたいことは同じで、治療が難しそう!ということが伝われば…
ではさっそく↓
精神科医、高橋和巳先生の “消えたい”より。(高橋先生は虐待後の症状を被虐うつ病と呼んでいます。)
彼らのうつ病にも同様に薬は効かない。その理由は、彼らが人生の最愛の人を失ったからではない。逆に、彼らは生まれてから一度も最愛の人と出会ったことがないからだ。
歪みに気づけるということは、歪んでいない認知を持っているということである。
虐待を受けて育った人にとっては、ある人間関係ではうまくいくけど、違うところではうまくいかないということはない。
彼らはあらゆる人間関係で孤立し、ネガティブで、被害的である。だから、認知療法を受けても認知の歪みに気づけない。
内観療法の実施法には、「親から虐待され、迷惑をかけられた経験の多い人には適応しない」と明示されている。 
ところが、被虐待者は自分が虐待されていたと自覚していないことが多いし、自覚していても自分からその体験を語ることは少ない。だから、気づかれないままにこの療法を受けている場合もある。※1
“消えたい” は、初回に紹介した渡邊博史さん(黒子のバスケ事件の犯人)が、拘置所に差し入れられたこの本を読んで、自分が虐待されていたことに気がついた!という当事者の心理を丁寧に描写した強烈な本です。
読めないという感想も多く寄せられているそうで、辛く感じたら読むのはやめた方がいいかもしれません。
こちらは精神科医、水島広子先生の ”対人療法でなおすトラウマ・PTSD” より↓
ウメノさん(私注:虐待サバイバー)のようなケースの治療には、それなりに長い時間が必要となります。小さいころから1度も 「自分への信頼感」 を持てたことがなく、それを 「取り戻す」 というよりも、「初めて育てる」 形になるからです。
人を信頼するなど、本来は発達上ふさわしい年齢で達成しておくべきであった課題でも、後から取り組むことは可能です。※2
これらを読んで思ったのは、PTSD自体治療が難しそうなのに、虐待によるPTSDはさらに難しそうだということです。
それは上にもあるように、PTSD治療が元の良かった状態に戻す性質のものであり、虐待サバイバーには”元の良かった状態” がないからです。
親の助けを借りて子供時代に育てるはずだったものを、遅れて自力で育てなければならない。虐待の大きな犠牲に心が痛みます。
最後に身体は “トラウマを記録する” の後書きより浜松医科大学の特任教授、杉山登志郎先生の解説を引用いたします↓
これら(私注:米国でトラウマに関する適切な治療がなされてないこと)がまた我が国においても全く同様の状況が生じているのである。
無効な治療法を延々と行っていることも、薬の処方のみに頼り、その結果、多剤大量処方が社会的な非難をあびるまでに至っていることも。
さらにはトラウマに起因する精神症状に関しては誤診の山である。精神科できちんとした診断や対応が全くといって良いほどなされていない。※3
あんまり日本の治療もうまくいってないようですが、どうなんでしょうか…
では続きはまた今度書こうと思うのですが、なんと次回!やっとヨガが出てきます😭
お前は何ポジで語ってるんだ?と思われてた皆様すみません💦
次回はちゃんとヨガに触れますのでお楽しみに〜🙏
ではではお読みいただきありがとうございました🙇‍♂️
→虐待とテロ8
〈引用〉
※1 高橋 和巳
消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ
※2 水島 広子
対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD
※3 べッセル・ヴァン・デア・コーク 他1名
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
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kennak · 1 year ago
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虐待サバイバーが加虐者の非を負わされて矢面に立ってんのグロすぎるんだがそのうえまるで加虐者みたいに語られるの終わってません? 神経やられそう 人権後進国すぎるでしょ
Xユーザーの斧田小夜(ONODA, Sayo)さん
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manganjiiji · 11 months ago
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ペンを取れれば勝ちまくり
10時半に寝て、2時に起きてしまった。目が痛い(画面を見ているため)。『ルポ 消えた子どもたち』(NHKスペシャル取材班)の一章を読む。児童虐待の「その後」を明らかにするにあたって、出版されている一般書籍を目につく範囲で購入した。Amazonで(物流が悲鳴をあげているらしいと聞くので申し訳ないと思いながら)注文し、夜届いた。他に『誰もボクを見ていない』『わたし、虐待サバイバー』が届き、『ルポ 虐待サバイバー』が明日届く予定である。今のところ、聞き取り取材、ルポライター、自伝が中心で、学術的な書籍はまだ調べていない。というか、『ACEサバイバー』『子どもの脳を傷つける親たち』以外に見つけられていない(この2冊は購入済で、どちらも2/3程読んだところ)。あとは研究論文(心理学のものが多い気がする)の注釈から専門書を調べて、取り寄せたいと思っている。ざっと見た感じでは、書籍よりも論文からの引用が多く、書籍にまとまった学術書はまだ少ないと思われる。とくに、社会学者がこの問題を取り上げているケースは、少ない。でもなんか私は社会学の方向からこの問題を提起していくべきだと思う。心理学や精神科医の論文は治療のため、ケアのためのものであって、社会問題として世間に訴える役割ではないと思えるから。福祉社会学における先行研究が今ひとつ目に入ってこない。探し方が悪いのだと思う。PCとプリンタ(明日届く)を繋いだら本格的に探して印刷しておきたい。とにかく記憶力が悪いので、何事も紙にしてラインを引いて自分の手でまとめ直さないと頭に入らない。それをしてさえなかなか覚えていられないのだが、とにかく紙に印字された情報を手元に置いておけるのはかなりの安心感がある。電子だとどこにどの情報があるのか、それらをまとめるツールを使わなければならないのだが、��ういうのがかなり面倒くさく感じる。これはPCを使っていないからだと思う。PCの起動が基本的に重く、動作も早くないので、せっかちな私はかなりPCとの相性が悪い。軽量化して起動もできるだけ短縮しているはずだし、データも全てUSBメモリに移しており、そんなに本体にデータもないはずなのに、iCloudのような何ものかが無駄に写真を保管していたりして、しかしもはや消し方がわからない。iCloud自体をアンインストールすればいいのか。あとはiTunesに入っている楽曲が重いのではないかと思っている。しかしiTunesは消すわけにはいかない。iTunes内のデータはCドライブにいるような気がするのだが、これは他のドライブに移せるのだろうか。明日調べてみようと思う(毎回調べては挫折している気がする)。
プリンタとPC机(簡易)が届くのを前にして、やっと客用布団をクローゼットにしまうことができた。部屋の半分くらいしかつかっていないので(居室は6畳のはずだがそれより広いと思う)、かなりすっきりというか、がらんとして、寒々しい。机が届いたらまた雰囲気も変わるだろうし、ものが増えて散らかっていくんだろうなあと思う。客用に毛布(として使っているふわふわの敷きパッド)を1枚布団に挟みっぱなしにしていたのを、改めて自分のベッドに移動させたらめちゃくちゃ暖かくて、これなら寝てる間に暖房がいらないなと思う。布団だと暑すぎるので、毛布2枚と敷きパッドで調節している。とにかくふわふわの中に挟まれて寝るのが好きなので、敷きパッドあるいはシーツの代わりに無印良品の毛布を敷き、ニトリのNウォームの毛布をかけ、その上から古くて重い(母からもらった昔の)毛布やふわふわの敷きパッドを乗せ、ベッドを密封している。かなり自分の巣という感じがしていい。寝具を好みに整えることは、安心して暮らせることの第一条件だと思う。実家での私の睡眠環境は最悪だったが、そのことは家を出るまで気づかなかった。折りたたみのパイプベッドに薄い布団を敷いて寝ていたので、どう考えても体が痛かったと思う。そのことを踏まえて、実家に戻った時に(成人してかなり経ってから)パイプベッドの上にマットレスを敷き、それでようやく人間が寝るベッドらしくなった。なぜ私だけ簡易的なパイプベッドを使わされ続け、ベッドを買ってもらえなかったのかはわからない。私が19歳まであの硬いベッドで寝ながら苦しんでいるあいだ、父母兄はマットレスのしっかりした、でかくて高いベッドで寝ていたのだ。糞が。まあベッドが与えられて布団や毛布があり、横になって眠れるだけでかなり恵まれていると今はわかっているので、あまりこういうことを言ってはいけない。親がすること/しないことに関して、特に深い意味はない。大人として、子供の養育に興味がないのだから、子供のベッドを買うという��とを思いつかなくても全く不思議はない。パイプベッドの硬い骨組みの上で、私が肩こりと頭痛と不眠に苦しんでいても、親には関係のない出来事だった。今はそんなことは遠い記憶なので本当によかったと思う。
日記を書いていたら本格的にお腹がすいてきてしまった。今日は人生2度目の水炊きだった。今日も美味しかった。今から冷凍ご飯に卵をかけて食べればいい気がする。
今日の日記としては、まだやや体が重かったが、風呂に入らずドライシャンプーだけして、Seriaとタリーズに行った。Seriaでまた無駄にあんスタのメタリックカードとクリアカードを買ってしまう。ガチャやブラインドは射幸心を煽り無駄に金を使わせる悪しき風習だ。こんな悪魔みたいな商法を考えついたのは一体誰なんだ。ギャンブルじゃねーか。タリーズではとち狂って苺のミルフィーユロイヤルミルクティーなる激甘かつクリームのせのせのものを注文してしまった。『資本主義の〈その先〉へ』を2ヶ月ぶりに開いた。自分で資本主義とは何で、問題点はどこで、今後社会はどう展望されるのか、説明できるようになるまで、資本主義の勉強は頑張ろうと思う。とにかく「説明できる」というのが大切だ。それはつまり記憶しているということだ。英検用の教材も一応持っていったが、今日は結局勉強しなかった。勉強再開1日目としては、これくらいの出来なさでもまあ仕方がないかと思えた。帰路、とにかく体が重かった。郵便局とスーパーに寄ることができた。また太ったのだろうなと思う。なんだか疲れは取れないがとりあえず動いていたという1日だった。風呂に入るべきだと思う。
2023.12.14
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toshihikokuroda · 3 years ago
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シリーズ ジェンダー平等求めて ロシアのウクライナ侵略
室蘭工業大学教授(憲法学) 清末愛砂さんに聞く
2022年4月12日【政治総合】
ジェンダーの視点 連帯支援に不可欠
 病院や学校、避難所への攻撃が繰り返され、人道危機が深刻化しているロシアのウクライナ侵略。「ロシアは撤退せよ」の声が世界中で上がっています。国外避難者は400万人に上り、その多くが女性と子どもと言われています。性暴力や差別に苦しむアフガニスタンの女性たちへの��援を続ける清末愛砂・室蘭工業大学教授(憲法学)は、社会的につくられた差別の助長を許さない「ジェンダー視点」が、支援などの際に欠かせないと話します。(聞き手・日隈広志)
侵略の現状をどう見るか?
 首都キーウや南部都市マリウポリをはじめ、ロシアの軍事侵略が多数の市民を虐殺し、生活空間を破壊していることに引き裂かれる思いです。ロシアはただちに攻撃をやめ、撤退すべきです。核兵器の先制使用を口にするなどもってのほかです。
 ロシアの侵略は、主権国家のウクライナの領土の一体性を武力で一方的に侵害する国際法違反で、紛争の解決での武力の行使を原則禁じた国連憲章違反であることは明白です。さらにジュネーブ条約などで禁じられた病院や学校などへの攻撃は明確な「戦争犯罪」です。どんな理由があっても許されません。
 いま重要なのは、世界の市民社会があらゆる形で抗議の声を上げ続けることです。避難すら困難な状況のもと、さらに女性や子ども、障害者、高齢者ら脆弱(ぜいじゃく)な立場の人々はより困難な状況に追い込まれています。ジェンダー視点が欠かせません。
懸念することは何でしょうか?
 人道に対する犯罪にあたる戦時性暴力です。すでに国連でのウクライナ代表や国際人権団体からロシア兵による性暴力を指摘する声が相次いでいます。国外避難する女性が国境付近で性的人身売買の被害にあっているとの報道もあります。
 旧日本軍による性奴隷被害をはじめ戦争・紛争の歴史では、軍関与の集団強姦(ごうかん)や性暴力被害が常に起きています。市民社会が監視の目を緩めてはなりません。
 性暴力の防止には何よりロシア軍の撤退が第一です。性暴力のサバイバー(当事者)はトラウマを含め被害とともに生きなければならず、専門家による長期スパンでのケアが必要です。
 侵略の社会混乱が続けば、ケアは困難になります。1979年に旧ソ連の侵攻を受けたアフガニスタンでは、親ソ政権後の92年に誕生したムジャヒディン政権で激しい内戦に陥り、敵対勢力による強姦が多数発生し、女性は一人で出歩くことすら恐れました。性被害当事者は沈黙を強いられ、国際的な人道支援も困難を極めました。家族の名誉を傷つけたとして、被害者が家族に殺されること(名誉殺人)も起きています。現在の女性の人権抑圧の問題につながっています。
求められている連帯・支援は?
 日本国憲法の前文や第9条で示された精神に基づく支援です。
 憲法前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と��て平和的生存権を要請しています。
 日本政府には、避難者が安心して戦禍が終わるのを待てるように日本に受け入れるなど民生支援に力を尽くすと同時に、戦争被爆国として9条に基づく平和外交で、核使用を許さない即時停戦を求める国際世論を広げることに力を尽くすべきです。
 加えて、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を掲げる憲法24条が重要だと考えます。同条は家族内の支配関係や性別役割分担を問題視し、非暴力社会の実現に向け、家庭内や個人間で発生する「暴力」の根絶を要請するものです。
 女性は平時からドメスティックバイオレンス(DV)や性暴力などジェンダー差別に基づく暴力にさらされてきました。戦争は究極の暴力の形態です。世界各地で、戦後も社会混乱の中で女性差別が再生産され、ジェンダー暴力が増幅されてきました。
 そのため、世界の多くの女性運動が女性の解放とともに、反戦を訴えてきたのです。3月8日の「国際女性デー」も「パンと平和」を掲げて第1次世界大戦をはじめ、反戦平和の世論を広げてきた役割を担っています。
 ロシアでは女性たちが、プーチン政権が国内の反戦行動に対する言論弾圧を強める中でもさまざまな形で抗議の声を上げています。
 いま憲法とりわけ前文の精神に基づき、日本でロシアの侵略に抗議の声を上げ、戦時性暴力を許さないとの声を大きくすることは、ロシア国内での反戦運動への連帯にもなるものです。
 きよすえ・あいさ 1972年生まれ。室蘭工業大学教授。専門は憲法学、ジェンダー法学。『北海道で考える〈平和〉―歴史的視点から現代と未来を探る』『自衛隊の変貌と平和憲法』『平和とジェンダー正義を求めて』(ともに共編著)など。
(しんぶん赤旗)
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ikuikubyousenyou · 3 years ago
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あれ、タゲられる私もクズじゃね?
※これはイクイク病と関係無い記事なので読み飛ばして大丈夫です。
☆3点要約(今北産業)
・人を呪わば穴二つ(訳 : 自分が人にした仕打ちはいつか自分に返ってくる)
・情けは人の為ならず(訳 : 人に親切にすると良いことあるかも)
・やなことは忘れて楽しいことしよう!
 前々回の記事から少し経って。
昔のことをたくさん思い出した。
改めて気づいたこと。
子供の頃から私めちゃめちゃクズだな。
☆思い出したこと(自分のクズ行為)
・幼少期は場面緘黙症っぽい症状のせいで挨拶ができず近所のおばさんに誤解された。��長するにつれどうにか挨拶できるようになったら悪口はあまり言われなくなった。
・小学生時代、人の足を踏んづけてしまった。どうしても声が出なくて謝れなかった。
・約束を忘れてた自分が悪いのに、そのことをクラスメイトから責められて泣いてしまった。約束を忘れていたのはおそらく発達障害によるもの。この時は自分が理不尽に攻撃されたと思い込んでいた。今思えば、私も悪かった。ここから「泣けば許してもらえる」と誤った学習の仕方をして事あるごとに泣くようになってしまった。それでクラスメイトから��計に嫌われた。こんな私のことを理解しようとしてくれる人もいた。
・高校生時代は前の席の人の机の足をうっかり蹴ってしまった。謝りたかったが声が出なくてどうしても謝れなかった。それでその人とその友人達から陰口を言われてしまった。これは私も悪いので反省している。蹴るつもりはなかった。足を伸ばしたら当たってしまったのだ。その人からすれば「自分がいじめられた」と感じただろう。私がその人の立場ならそう感じると思う。
 このように、私は自分の障害特性や場面緘黙症のような症状で周囲から誤解を受けやすく人間関係が悪化しやすい。「挨拶」と「謝罪」(ごめんなさい)と「お礼」(ありがとう)だけは徹底して言うように心がけたら人間関係がだいぶ良くなった。
いくらいじめられたからって発達障害や病気があるからってクズ行為が許されるわけではない。
そりゃ悪口や陰口を叩かれるしいじめられるわな。
タゲられまくるのも納得。
大人になってからは自分のクズな部分を直そうと努力して少しずつ改善していったら、私を応援してくれる仲間ができた。
今の私には、友人は1人、話し相手は家族と支援機関の人と病院の人しかいない。
私にとっては心が平穏であることのほうが最優先事項。
心が平穏ならそれでいいや。
 人はなりたくないものになってしまうもの。
私は知らず知らずのうちに、自分が大嫌いな自己愛やボダやサイコパスや自称Sのクズの人になっていたのだ。
あれだけ恋愛工学をバカにしといて心理学を人たらしの道具に使ったし。
自己愛にタゲられやすい人は自己愛と似たような性質を持っている人。
いじめられた人が別の誰かをいじめるように。
これ虐待サバイバーやDV被害者にもいえることなんだぜ。
みんながみんな、「自分がされて嫌なことは人にしない」良い人じゃない。
タゲられた人が自己愛化することなんてよくある。
戦争や紛争も貧困もだいたいこれ。
こうして負の連鎖は生まれる。
その負の連鎖を断ち切るにはどこかで終わらせなければならない。
確かに、なにも悪いことをしていないのに理不尽なことを言われたりいじめられることはある。
だが、自分がされて嫌なことを人にするのは自分の敵を増やすことであり長期的に見ればそれは賢くない。
自分で自分の首を絞めることだ。
あんまりネガティブなことや愚痴ばかり言ってるとヤバい人がやってくるからほどほどに。
自己愛にタゲられた人を自分を犠牲にしてまで助けるのはもうやめだ。
タゲられた人が必ずしも私の味方になってくれるわけじゃないし。
はっきりいって取り巻きは救いようがない。
自分で気づいてもらうしかないのだ。
人の心の隙につけ込むヤツが圧倒的に悪いので自己愛にタゲられた人はどうか自分を責めないでほしい。
私はこれからは自己愛の人と遭遇したら黙って距離を置くことにする。
もし私の勘違いだったら余計に人間関係が悪化するからね。
下手したら名誉毀損や誹謗中傷で訴えられる。
ああいうヤバい人間にだけはなりたくない。
私がメンヘラの人にやたらと好かれる理由がよくわかった。
共依存でメンタルが壊れるのだけは避けたい。
ポジティブなことばっかり言ってヤバい人が寄り付きにくくしてやる。
次回は私に親切にしてくれた人を列挙していく。
イクイク病になったのは私が成長するきっかけ。
こうなったのもきっと意味があるはず。
ここから私の大逆転劇が始まる。
自分の運命を変えてみせる!!
(2021/12/3時点)
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arsemard · 6 years ago
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ANOTHER TOKEN TANTRUM
このコラムを投稿すべきなのか私は何度も悩んだけど、結局投稿することに決めた、と思う。ファック、知るか。これはもしかしたら物議を醸すようなものだし、私を含めて人によってはきつい内容だと思う。これは性的暴行、��イプカルチャー、そしてコールアウトカルチャー(性的なハラメスメント等を告発すること)についての話。私は自分が身をもって経験してきたことからしか話すことができないし、性暴力のサバイバー全員を代弁するつもりは決してない。  
私は思うのは、パンク、クィアのサークル内において、過ちを犯した人達をあまりに早く見捨ててしまうことが多いということ。私達は人に"更生する見込みがないろくでなし"だとレッテルを貼ったり、そういう人間を追放したり、皆で一斉に叩いたり、またそういった場所で仲間を作ることに躍起になり過ぎているような気がする。それは私達が人を善か悪、安全もしくは危険な存在だと本当にそう思っているからではなく、クソなことをした人間と友達付き合いすることの社会的な悪影響を恐れるからだ。もしくは最悪そういうクソな人間(の仲間)なることを恐れているから。 私達が悪い行動(振る舞い)から距離を置きたがるのは、悪い行動というのは(性格や育ちの)悪い人間だけがするものだと教わってきたからだ。善人だろうと悪人だろうとやってしまうようなことではなくて。私はレイプや虐待、悪意のある行動をして、責任をとろうとせず、変わろうともせず、(問題が)発覚したあとでさえクソなことをし続けるような、真にクソったれな人間について話しているわけじゃない。そんな奴は町を追い出されて、公然と非難されて、バットでしばかれて当然だー私が言っているのはそういう状況における私的制裁についてのこと。 クィアサークルの中でよく使われる二つのフレーズがあるけど、私はそれが私達を危険に陥れているのではないかと思っている。それは『(加害者を)教育するのは私の仕事ではない』、そして『意図(のあるなし)は関係ない』というものだ。
 人生のある時点で近親相姦や言葉の上では”合法”的なレイプを経験してきたトランスウーマンとして、セックスの最中にからかわれたり恥ずかしい思いをさせられた経験がある身として言わせてもらうなら、そして誤って自分の境界線を超えてしまい、また他人の境界線も超えてしまったことが経験がある身として言わせてもらうなら、私達はこういった様々な体験を単純に性暴力という単一の体験に一緒くたにしてしまっていると思う。それぞれが体験したことは一人ひとり全く異なったものだから、話すには困難を伴うものだと感じるし、私は他のサバイバーを代弁するようなことはしたくない。それにどういうやり方であっても他人の体験を矮小化するようなことはしたくない。私はこのコラムを書くにあたって、この性暴力は”リアル”、これは違うという風に判断することには細心の注意を払って書いている。私ができることは自分の体験を他のサバイバーに向けて話すことだけだ。これは男性に意見とか”賛成”と言ってもらいたくて書いているわけじゃなくて…私がしようとしているのはサバイバー同士で性暴力をカテゴライズするやり方について議論すること、またそういうカテゴライズがいかに問題となりうるか、そういった繊細な議論のための場を作ることだ。
というわけで私について言えば、私がトランスになる以前の頃に相手からジョークのつもりで私がベッドで”クソ女っぽ過ぎる”と言われた時や、私が全然気持ちがのらない(からやめてほしい)と彼女に言ったのにやめてくれなかった時、もちろん最悪だったし本当にクソな気分になった。 それにそういうことがたびたび起きて私の精神に酷い影響も及ぼすことにもなった。 でも私にはそういったようなことと、誰かに同意なしに地面に押し倒されたり、首を絞められたり、私がまともに話したり動けないくらい泥酔しているときに”あんたこれが好きなんでしょクソホモ野郎”と言われながら(目の前で)オナニーされることが同じことだとは思えない。そういったことは子供の頃に家族から受けた性暴力ともまた違うものに感じられた。ベッドの中で”クソ女っぽ過ぎる”と私に言った人は何年も経ってからとても誠実な方法で心から謝ってくれたけど、それは私にとってすごく意味のあることだった。私達はみな毒された地獄のような環境の中で成長していくし、それによって形作られることで知識に反して自らの意志で有害な人間になっていく。誰にもお互いの扱い方について良い見本となるモデルを持っていないし、同意について学校で学ぶこともない。私達の大半は15歳くらいまでに学んできたことを捨て去り(unlearning)、治癒することに人生の大半を費やしている。良心を持つ善良で優しい人々だってクソなことはする。そしてもし私達が、クソなことをしてしまった人でも善良な人間になれると信じるのを拒絶するならー善良な人間とは本当に具体的に意味のある善良という意味でー、私達は性暴力からお互いを守ることに失敗してしまう。なぜなら私達が悪魔だとみなした人々の中にだけ脅威を見出そうとするからだ。
もしかすると許すこと(forgiveness)、意図、成長するということに関して私の中でしこりとなっている部分があるのは、私が人生で最初に性的暴行を受けたのは私が愛した人であり、私を愛してくれた人であり、その後も長年私が愛し続けている人という事実に根ざしているからなのかもしれない。この人は自責の念を行動で示し、誠実な方法で、解放された関係で、私にエモーショナルでむき出しの自分をさらけ出してくれた。なぜならたとえ過ちだったにせよ危害を加えたことに変わりはないから。でもこの人にはそうする責任があったと思うし、その上彼はその時私にしたことがどれだけ持続力を持ってダメージを与え続けているか、ちゃんとわかっていなかった。もし私が彼に入れ込んでいなくて同情する気持ちを持ち合わせていなかったら、もし一度に異なる真実を抱えてあがくことがなかったとしたら、(結果的にさらに)私も彼も苦しむことになっただろうし、それに加えて彼の人生で出会う誰か他の人が徹底的に苦しむことになっただろうと私は確信している。彼は成長することがなかっただろうし、私はもっと長期に渡って治癒のプロセスが難しくなっていただろう。
私達が加害者を追放する時、本当は彼らを追放しているわけではない。 私達にそんなことはできない-不可能だ、たとえいくらそう望んだとしても。人々に価値がないと言われた人間は変わろうとすることはないだろう。そういう人達は自分に決定的に入れ込んではこないような人を探そうとするだろうし、より良い自分になろうと努力することもないだろう。もちろん、加害者を教育することはサバイバーの仕事じゃない。でももし私達が、サバイバーとして、他人に加わるかもしれない危害を抑えたいのなら、誰も彼らの行動を批判しない世界へ彼らを追放することは私にとって良いことだとは思えない。彼らはただ悪くなっていくだけだろう。私は”責任”(accountability=既に起こったことに対する責任という意)という言葉がたびたび架空の産物で、めったにない、難しくて、突き止めることが困難なものだ感じられることも理解しているけれど、 私達がクソな行為をした人の中に人間性を見ようとすることをやめてしまうとき、私達自身の人間性の一部も喪失してしまうと思う。これはなんだか寛大(liberal)なように感じるけどこれは真実だと私は思っている。もちろん、もし私達がそういう人にもう一度チャンスを与えても、彼らがどうしようもない存在だと証明するときは…そのときこそベースボールバットを持ってこよう。問答無用で。でも私は、加害者には怒りと同じくらい愛情や微妙なニュアンス、共感や思いやりといったものを許すアプローチをとりたいと思う、とはいえサバイバーのための安全な空間を作り維持すること、そしてまずは彼らサバイバーのニーズを満たすのが先決だ。私達があまりに早く人を見限り、彼らは本質的に悪い人間なのだと強く主張するとき、彼らはどうやって良くなろうとするモチベーションを見つけられるだろう?私達が彼らに存在する資格がないと言っているようなことが"善良"なことだというのなら、彼らは一体次に何をするだろう?
maximum rocknroll #392
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kotohogi · 4 years ago
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第五話がめちゃくちゃきつかった
虐待サバイバーがガンになったケースってこんな問題があるのか
というか虐待サバイバーそれを信じてもらえない問題ほんと……わかる
お義姉さんの最初の反応にこっちも読んでて苦しくなったけど、理解してからはてきぱき対応決めてて真のいいひとで本当によかった……
全体的にすごく読みやすくて好き
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blogmikimon · 2 years ago
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帰る家
こんにちは☀️
虐待とテロについて、ブログを書いている途中ですが、初回の虐待と関係のあるテロ事件のリスト内の、秋葉原通り魔事件の加藤さんが死刑執行されたので、彼の書いたラップをシェアしてみようと思います。
なぜラップの体裁をとったのかわかりませんが、心情がわかりやすくてリズムが良いです。
こちらは 「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」 死刑囚表現展の2018年応募作品とのことで、その中の加藤さんの部分だけ切り取ってアップしています。
では全文を↓
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加藤さんの虐待については、今までに報道されている通りです。
なお、ここに出てくる彼の弟はその後自殺しています。やった犯罪は許されるものでは無いですが、子供の頃に2人が受けたであろう仕打ちには、心が痛みます。
この中で特に気になったのはここです。
不満はない安い月収 気にしていない顔の美醜 望んだのは居場所の補修 ※1
彼は公判で以下のように述べています。
本音が出せるネット上の人間関係は家族同然。書き込みがあると、自分の部屋におしゃべりに来てくれるようで、一人じゃないと感じられた。自分が自分でいられる、自分が帰る場所だった ※2
↑の部分は、望んだのはお金や友人、恋愛ではなくただ居場所だった、という意味なのかなと思います。
基本的に虐待サバイバーは家が家じゃない(安心して帰れない)ので、弱った時に休める場所がありません。
この帰る家がないことは、人生に大きな影を落とすのではないかと思います。
こちらは虐待との関係はわかりませんが、自殺されたお二人の家についての引用です。
まず三浦春馬さんのWikipediaより↓
すべてに自信を失うほど精神的に参っていたという。「役者をやめて俺は農業の道に行こう」「とにかく今の状態から逃げ出したい、故郷へ戻りたい」 という一心だったという が、母親に説得され思い止まった(2012年2月5日放送『ホンネ日和』(TBS系)※3
こちらはスポニチより↓
親しい友人も 「当時お母さんは、役者をやめるべきではない理由を具体的に挙げながら強く引き留めたと聞いています」 と話しており、三浦さんにとって母親の存在がいかに大きかったかを物語っている。※4
限界が来た時に休めないと、病気になってしまいます。
こちらは竹内結子さんが書かれた1999年に発売された小説 『サーフ・スプラッシュ』(幻冬舎文庫)の巻末にある解説文です↓
帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのため��食事の支度をしている。晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。
殺風景な自分の部屋でため息をつく。
私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった。
私がもっと大人だったら、何でもうまくこなせたかもしれない。なじめない自分に対する嫌悪と、理由のよく分からない疎外感をいつも抱いていた。※5
子供の頃に、自分のために作られていない(と感じる)ご飯を食べるのは、どれだけ肩身が狭かったでしょうか。
弱った時に帰る家(生活から離れて休める場所、逃げ場所)がないと、心は脆くなってしまい、難題にチャレンジする勇気も出づらいでしょう。いくつになっても帰るお家は必要です!
前回まで書いていた宗教に関してもそうですが、居場所が無いと、人はそれを求めてなんでもやってしまうのかなぁと思います。(過激な政治活動、宗教、ネットワークビジネス、犯罪、ドラッグ等)
“愛されなくても別に” という小説に、過干渉な母から逃れて、スピリチュアルな集会に参加する木村という女子大生が出てきます。 
あぁ、これが木村のハマった理由か。(中略)ここでは誰も自分を傷付けない、誰も自分を拒絶しない。  
木村が執着しているのは、この場所そのものではなく、ここに存在するコミュニティだ。彼女にとってここは、実家から遠く離れた地でようやく確保できた居場所なのだ。大金を支払って、木村はこの場に存在する権利を得ている。
だが、そんなのは全部紛い物だ。ここにいる人間たちが皆同じ立場だとは、私には到底思えない。全員が自発的に奉仕していますという顔をしているが、この中の何人がサクラなのだろう。搾取する側とされる側。両者の違いを見極めるのは、私のような一般人には難しい。※6
多分こういうところが、日本中に、たくさんたくさんあるんだと思います。
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この小説には、
時間も金も、家族も友人も贅沢品だ。※6
という副題がついているのですが、そういうものはもう持ちづらい世の中になっているのかもしれません。
私もほぼ持ってません😭泣
疲れた時や落ち込んだ時に守ってくれる家族や友人がいれば(居場所があれば)、怪しい集会に行く必要なんかきっと無いのでしょう。
皆様は弱った時に帰るお家はありますか?
私はみんなの帰る家(もちろん1番は私の家)になる様なヨガクラスをしたいなぁといつも思っていて、今やっているクラスも私にとっては家です🏠
前にも書きましたがその家では私は、シスターであり、マザーあり、ドーターであり、みんなはヨガファミリーです👵🏻(ヨガファミリー#過去の記事)
特にお茶会をやってたクラスは家感が強かったので、ヨガお茶会もまたやりたい!
私がやってるクラスが怪しい可能性は否定できませんが…とりあえず大金は取ってません🙅‍♀️
居場所を求める方が気軽に行けるような素敵なコミュニティが日本中に溢れたらいいなぁと思います。そして、それらのコミュニティがなるべく健全でありますように。
秋葉原通り魔事件被害者の回復とご冥福、三浦春馬さん、竹内結子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ではでは、お読みいただきありがとうございました🙇‍♂️
〈引用・参考〉
※1 秋葉原通り魔、加藤智大の「人生ファイナルラップ」が公開される
※2 「損したと気付くのは、いつも辞めた後」 加藤死刑囚が明かした経歴
※3 三浦春馬 Wikipedia
※4 三浦春馬さん 切り離せない母親の存在 友人心配「悩んでいる様子だった」
※5 竹内結子さんが解説した小説家・桜井亜美語る「ヘビーな境遇のヒロインと重ね、自分をさらけ出し…」
※6 武田 綾乃 愛されなくても別に
(画像も上ページよりそれぞれ引用しました。)
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