#ゆる鉄旅
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happymiko · 7 months ago
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近江鉄道/鳥居本駅
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shunya-wisteria · 2 months ago
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしません��、写真も何枚か。
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1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
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2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
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3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
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1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
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3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
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日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感��違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
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訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
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ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
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ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
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終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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sasasatumblogbackyard · 6 months ago
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カレンダー撮影後記 8月は海 笹川流れの羽越貨物です。 二点間を結ぶ鉄路は一直線でこそ効率が良くて、あらゆる面で理想的なのでしょうけど、カーブの線形(路線の形)とそこを走る車両は、乗っていても眺めていても魅力的なのですよね。
羽越線は海岸線を縫う様な、美しい線形が多くて、その中でも自分が一番好きなのはここホーヤ浜(の海岸線に沿って走るカーブ)の線形です。
このカーブした線形を引き立てるのはやはり長編成列車なのですが、旅客列車は年々短くなっています(折りしも昨日7月31日、羽越本線全線開通100周年を記念して走った特急いなほ号はたった4両の短い編成でした)
でもこの日本海縦貫線は長いコンテナ車を従えた貨物列車が多く行き来します。
一つも欠くこと無くコンテナを満載した車列のシルエットは、それ自体が何かのオブジェの様で、逆光に輝く海岸線にも負けない存在感を放っていました。
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cctrain0722 · 25 days ago
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新年恒例の塔ノ岳登山!そして小田原・熱海巡りの旅、行ってきました。
冬の太平洋側らしいカラッとした晴れ。今回は大倉発鍋割山経由塔ノ岳往復を歩きましたが…道は長く、そして標高差もなかなか! お正月に食べ過ぎた身体にはいい運動になりました。
非常に久しぶりである小田原-熱海巡りは、幼少期に見た景色がじんわりと思い出され、懐かしい気持ちに。
あらためてゆっくりと鉄道旅をするのも…いいかもしれませんね。
一枚目【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/1000【F値】/5.6 二枚目【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/2000【F値】/1.8 三段目左【焦点距離】135mm【ISO】90【SS】1/640【F値】/1.8 三段目中【焦点距離】40mm【ISO】90【SS】1/8000【F値】/2 三段目右【焦点距離】40mm【ISO】800【SS】1/500【F値】/2 六枚目【焦点距離】40mm【ISO】200【SS】1/8000【F値】/3.2 五段目左【焦点距離】14mm【ISO】640【SS】1/8000【F値】/8 五段目右【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/1600【F値】/2.8 九枚目【焦点距離】14mm【ISO】64【SS】1/500【F値】/8
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samantha-dan564 · 2 months ago
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連続乗車券はともかくとして往復乗車券も発売終了か。販売実績あまりなくなっちまったのかな
でも連続乗車券ってたとえば都区内→春日井とかのきっぷで名古屋駅で途中下車したいときなんかに結構使われる気がするんだけどな。旅客が意識しているかしないかは別にして
連続券だと都区内→名市内が連続1で発行されて、名古屋→春日井が連続2で発行されるんだけど、考えてみれば名古屋で途中下車するなら別に名古屋から乗るときに春日井までの普通乗車券を別途買えばいいだけだから影響はないのか。有効期間もこの距離なら変わらないから有効期間を通算できる連続券のメリットはないし
たとえば都区内から多治見までの切符を買って名古屋で途中下車すると弊害が出るのか。都区内~名古屋・名古屋~多治見の営業キロは402.2km。連続乗車券の有効期間は発売日共3日になるけど、これが都区内→名市内(有効2日)と名古屋→多治見(当日限り)になる。そして名古屋~多治見間での途中下車ができなくなるんだな。都区内~多治見の片道券なら金山~古虎渓間で途中下車できるけど、尾頭橋と名古屋では途中下車できない(分岐駅通過特例)
まあいろいろ考えてみたけど廃止によるデメリットはあまりないのかな
個人的には旅客営業規則がシンプルになるのは賛成なので今回の改定も販売実績が少ないきっぷの廃止くらいにしか思ってないけど、今後他社をまたぐような切符の販売はどんどん縮小していくんだろうね
個人的にはJR本州三社が目指す先は欧州の包括運賃制度なんじゃないかと思ってる。乗継割引廃止の時にそれは強く感じた
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ryotarox · 7 months ago
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みんなが好きな「『百年の孤独』みたいな大河小説」ベスト10|秋永真琴
『楡家の人びと』北杜夫
『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン
『大地』パール・バック
『千年の愉楽』中上健次
『べっぴんぢごく』岩井志麻子
『笛吹川』深沢七郎
『ルーツ』アレックス・ヘイリー
『アブサロム、アブサロム!』ウィ��アム・フォークナー
『永遠の都』加賀乙彦
『警官の血』佐々木譲
『天冥の標』小川一水
『紀ノ川』有吉佐和子
- - - - - - - - - - - - - - - - 「響け!ユーフォニアム」も部活の年代記なのかも。
(順不同)
『ときめきトゥナイト』池野恋
『精霊たちの家』イザベル・アシェンデ
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『炸裂志』エン・レンカ
『大聖堂』ケン・フォレット
『警察署長』スチュアート・ウッズ
『枯木灘』中上健次
『奇蹟』中上健次
『ワイルド・スワン』ユン・チアン
『邯鄲の島遥かなり』貫井徳郎
『平家物語』古川日出男/訳
『血脈』佐藤愛子
『源氏物語』紫式部
『奏で手のヌフレツン』酉島伝法
『俺の屍を越えてゆけ』桝田省治(ゲームデザイン)
『助左衛門四代記』有吉佐和子
『指輪物語』J・R・R・トールキン
『チグリスとユーフラテス』新井素子
『星へ行く船(他、コバルト文庫のシリーズ)』新井素子
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド
『火星夜想曲』イアン・マクドナルド
『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド
『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ
『ジョイ・ラック・クラブ』エィミ・タン
『ウォーリアーズ』エリン・ハンター
『異形の愛』キャサリン・ダン
『王朝四代記』ククリット・プラモート
『ベルリン三部作(1919・1933・1945)』クラウス・コルドン
『六道ヶ辻シリーズ』栗本薫
『鳥の歌いまは絶え』ケイト・ウィルヘルム
『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド
『征途』佐藤大輔
『あすなろ坂』里中満智子
『ケインとアベル』ジェフリー・アーチャー
『ゲームの達人』シドニィ・シェルダン
『氷と炎の歌』ジョージ・R・R・マーティン
『エデンの東』ジョン・スタインベック
『グリークス』ジョン・バートン/ケネス・カヴァンダー(編)
『リーマン・トリロジー』ステファノ・マッシーニ
『雪の練習生』多和田葉子
『鯨』チョン・ミョングァン
『火の山-山猿記』津島佑子
『レオポルトシュタット』トム・ストッパード
『地の果て至上の時』中上健次
『岬』中上健次
『彼女はマリウポリからやってきた』ナターシャ・ヴォーディン
『九時半の玉突き』ハインリヒ・ベル
『土地』パク・キョンニ
『レ・ミゼラブル』ビクトル・ユゴー
『棺のない埋葬』 ファン・ファン
『楊家将演義』作者不明
『デューン砂の惑星』フランク・ハーバート
『ゴッドファーザー』フランシス・フォード・コッポラ監督
『北京から来た男』ヘニング・マンケル
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』堀井雄二(ゲームデザイン)
『舟を編む』三浦しをん
『櫂』宮尾登美子
『孟夏の太陽』宮城谷昌光
『血族』山口瞳
『華麗なる一族』山崎豊子
『大奥』よしながふみ
『血脈 西武王国・堤兄弟の真実』レズリー・ダウナー
『シンセミア』阿部和重
『流離譚』安岡章太郎
『雲の都』加賀乙彦
『ロマンシングサ・ガ2』河津秋敏(ゲームデザイン)
『サガフロンティア2』河津秋敏(プロデューサー)
『颶風の王』河﨑秋子
『リア家の人々』橋本治
『アラビアの夜の種族』古川日出男
『聖家族』古川日出男
『白夜を旅する人々』三浦哲郎
『導きの星』小川一水
『地図と拳』小川哲
『機動戦士ガンダムAGE(小説版)』小太刀右京
『われ逝くもののごとく』森敦
『本格小説』水村美苗
『始まりの魔法使い』石之宮カント
『夜明け前』島崎藤村
『カムカム・エヴリバディ』藤本有紀(脚本)
『男樹』本宮ひろ志
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kyoto4 · 6 months ago
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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iamnothizanourahayao · 7 days ago
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ザーヒーのいちばん長い日~ハムちゃんはもっと長かった日~
 令和七年のはじめ、小春日和の陽気が消えようとしている夕方に息子(ハード上男児であるため、特段上の理由がない限り、以降もそう表記する。なお、この文章の時間軸上においては胎児として存在している場合も同様に表記する)が生まれた。
 あっけなくすとんと、というわけには全然いかなかったので、ひとりの新米父親として、ざっとレポートしようと思う。
 まず、いくつか、前提としてここまでのハムちゃんの情報を書いておく必要がある。
 ハムちゃんは結局37週に入って妊娠高血圧で入院し、そのまま2週間近く入院していた。入院時に子宮口が1センチ開いていたが、そこからあまり伸びず、2週間かかってようやく3センチ弱だったので、ラミナリアという棒状の海綿のようなものを挿入され、子宮口を拡げる処置をされた。そういう処置があるかもしれないとは最初に説明があったものの、いつまでにどういう条件だったらそうなるのかがわからないまま突然処置をされ、ハムちゃんはたいそうショックを受けたし、実のところおれも病院の説明体制にかなり疑問を持ったところだった。
 ただ、結局その処置によってその日の深夜に子宮口5センチまで拡がったため、ラミナリアを抜いて、LDRという陣痛を耐えて分娩を行う部屋に通された。ちなみに、ここに入れる部外者は立ち会い研修を受けた配偶者、つまり夫であるおれだけである。
 そういうわけでハムちゃん本人からLDRに向かうよう指示されたわけだが、時刻はちょうど零時をまわったところで、ハムちゃんのい���病院までの交通機関などあるわけがなく、タクシーを使わざるを得なかった。さすがのおれも歩いて1時間以上かけて向かうほどの無鉄砲なことをやっている場合じゃないと思ったので、必要そうな装備(ゼリー飲料とか、カロリーメイトとか)をあらかたそろえてアプリでタクシーを呼んだ。
 タクシーの運転手はかなり若いギャルっぽい人で、5人乗りのでかめのタクシーを軽々と乗りこなしながら、病院まで淡々と乗せてくれた。実を言うと、身近でよしおより運転が巧いひとを知らないし、運転技術で言えばよしおはたいていのタクシードライバーにもひけをとらないだろうと思ってはいるが、さすがにこのギャルドライバーはよしおより巧いんじゃないかと思った。ごく普通のタクシー用ワゴンでよしお号と同レベルの乗り心地なのかなりすげえと思うんだよな。そんなわけでアプリでチップを送ってあげた。
 LDRに到着するとハムちゃんは分娩用の病院着になっていて、分娩台もかねるベッドに寝かされていた。すでに陣痛は来始めていてしんどそうだった。ブレスを深く吐いて陣痛を逃がそうとしていた。ハムちゃんいわく、寝れはしないけど知らない痛みじゃないし、全然耐えられるとのこと。おれはそこで少し安心したのを覚えている。
 なお、おれたちは、このときのハムちゃんの痛みが「陣痛」ではなく、いわゆる前駆陣痛の大きいやつ程度のものであったことをあとで知ることになるわけだが、もちろん今、この時点ではそんなことは知るよしもなかった旨付け加えておく。
 どちらにせよ、子宮口が全開、つまり10センチ開大しないことには分娩ができないので、それまでは子宮口を拡げるためにどうにか陣痛を耐えていかなければならず、このLDRという部屋はまさに「赤ちゃんが出てくるまで出られない部屋」そのものであった。
 もっとも、おれは医療的な管理が全く必要のない、いわゆる面会者扱いの人間なので、例えば病院の中にある売店とかでおにぎりやお茶を買うことはふつうにできる。明け方くらいまでは陣痛は5分おきから10分おきを前後しており、かなり余裕があったので、隙を見て売店に行ったり、トイレにいったりできた。また、翌朝の診察で子宮口の進捗がいまひとつであった場合、陣痛誘発剤を打っていくという説明も受けていたので、陣痛タイマーでその間隔をつぶさに観測していた。
 ハムちゃんが臨月にさしかかる頃から、なんとなく、おれは「息子が異次元空間から自分でロケットを組み立てて、それに乗って脱出することでこの世に登場する」ようなイメージをもっていた。ロケットに点火され、強烈な噴射とともに、(概念上の)息子が生きていた次元から離れた状��がハムちゃんに陣痛を起こさせているようなイメージである。オンラインの両親セミナーで、「赤ちゃんも頭蓋骨を折り畳んだりして狭い中出てくるから、赤ちゃんも相当頑張っているんですよ」みたいな話を聞いたときから、なんとなく頭に浮かんでいた。ロケットの推進力に身体を押されるような理不尽な苦しみを受けながら、ようやく住み慣れた異次元空間を旅立つ息子の心細さを思った結果のように思う。
 しかし、この陣痛(正確に言えば前駆陣痛であるがおれたちにとってはどっちも陣痛だと思っているので以降同様に表記する)に耐えるため、ハムちゃんの腰をさすったり、痛いところを懐炉を包んだ手ぬぐいで温めてあげたりしながら、イメージがちょっとずつ変わってきた。ロケットはどうにも始まりが急で、しかも着地点がわかっているような感じがする。今のこれは予想していたものよりもずっとおだやかで(もっとも、これは本陣痛ではなく、あくまで前駆陣痛の域を出ないものだったのでおだやかなのは当たり前なのだが)、ただ波が無数に来ていて、終わりが確実にあるのはわかっているが、肝心のそれがいつ、どのような形でくるのかわからない。さらにいえば、ハムちゃんはそういった「終わりがわからない」ものに対して非常にネガティブな感情を抱きやすく、実際に朝の時点ですでにその際限のなさに心が折れかけていた。ハムちゃんの子宮に息子が宿ってから、実際に出てくるまでおれができることは、ハムちゃんが無事に息子を産みだすために支えつづけることだけなので、少しイメージを変えてみようと思った。息子が会いに来るわけではなくて、おれたちが息子に会いに行くと考えよう。おれたちが鈍行列車に乗って、息子のいる終点まで迎えにいく。例えば、熱海から浜松までを走っている東海道線の鈍行を想像する。青春18きっぱーたちにはおなじみであるが、鈍行列車で東海道・山陽本線を移動するとき、乗っている列車がどこまで行くのかいちばんわからなくなるのがその辺で、とにかくそれなりの間隔で駅がある割に長距離なので、どこまで走るのかが全くわからないが、ずっと乗っていればいつかは終点にたどり着くだろうと思って乗っている、あの感覚を思い出したかったし、ハムちゃんに伝えたかった。つまり、「今を耐えて次の駅に向かいつづければ、必ず終点にたどり着く」というイメージを共有したかったのである。ハムちゃんはおれが鉄道好きだということを知っているから、そういうことにしようと言ってくれた。
 結果的に、子宮口はそこからあまり開かず、朝9時ごろから誘発剤の点滴が始まった。徐々に点滴量を多くしていき、量を調節していくとのことで、NSTという、子宮の張り具合や息子の心拍を確認するためのモニターをつながれ、ハムちゃんはだいぶ身体の自由度が下がった。許可なく分娩台からは降りられず、トイレに行くのもナースコールが必要になった。
 誘発剤を投与しても、陣痛の波はあまり安定せ��、10分おきになることもあれば、3分くらいでやってくることもあった。ただ、おれから見ると、ハムちゃんは徐々に苦しそうな仕草をすることが増えてきたので、おそらくではあるが痛みは増えてきているだろうと思った。
 陣痛というものは波があって、非常に痛い時間と、痛みが引く時間が交互にくるのが正常な陣痛らしい。ただ、おそらくは誘発剤の影響か、昼に近づくにつれて痛みは増え、その波もかなり不規則になってきていた。ひどいときには波がきて、その痛みが引ききらないうちに次の波がくるような、痛みの無間地獄のような時間もあり、ハムちゃんはかなり消耗していった。誘発剤の量もそういった経緯をたどり増やしたり減らしたりしながら調整していったが、肝心の子宮口が5センチから進んでおらず(診断としては非常にゆっくり進んではいる、とのことではあったが)、結果だけみるとおれが入ってから12時間で、子宮口は1センチ程度しか拡がらなかった。
 この時点でおれは、自分の予想がいかに軽いものであったかを痛感し始めていた。正直な話、ハムちゃんは、管理入院こそしてはいたものの、栄養管理やもともとの体質、これまでの検診の結果から考えてもお産のリスクが高いとは思えず、むしろ、陣痛さえきてしまえば意外とすぐに産まれるんじゃないかとすら思っていたのである。ハムちゃんはもとより、おれもかなり体力を消耗しはじめていた。なにしろ売店までモノを買いにいけるような暇はなく、ひたすらハムちゃんの背中をさすったり、臀部や会陰を圧迫したりしていきみ逃しをしたり、アクティブチェアという、陣痛を呼び込んだりするための椅子に座ってもらったり、いろいろな方法でとにかく痛みに耐えながら子宮口を開くための努力をし続けた。
 午後3時くらいになって、子宮口が7センチくらいまで拡がった頃、それはやってきた。
 ハムちゃんが「あああああああああああああ」と絶叫し始めた。もう叫ばないとやってられないくらいの痛みになっていて、息を長く吐くためにあえて声を使うことにしたらしい。
 いきみ逃しのために会陰を思い切り拳で圧迫したとき、明らかに息子の頭部であろうものと触れた。相当な力だった。元来腕の筋肉がつきにくく胴の割に異常に細い腕であることでおなじみのザーヒーくんであるが、まさか産まれる前の息子の頭にすら押し負けそうになるとは思わず、少し情けなくなった。また、この作業をすでに何十回何百回とくり返しているので二の腕が限界に近づいていた。その様子を見ていたハムちゃんが、別件で訪れた助産師さんに「夫が限界です」とこぼすくらいにおれの表情はひどかったらしい。助産師さんは笑いもせずビニール袋に包まれたテニスボールを差し出して「これで押して」と言って去った。出産なめてんじゃねえぞ、と言われた気分だったが、実際におれが出産をなめていたことは(残念ながら)事実であったし、なにしろ痛みに絶叫するハムちゃんが「押せえええええええええええ」というのだからやることはひとつである。��ニスボールを装備して押し込んでやるしかない。
 おれはハムちゃんの絶叫に負けじと「うおおおおおおおおおお」と声を張り上げ、ハムちゃんの会陰にテニスボールを押し込みつづけた。LDRの外にも響いていたかもしれないが、助産師さんに聞かれて恥じることはないと思っていた。おれとハムちゃんは大学の合唱団の先輩と後輩、もっといえばおれはベースの一番端でハムちゃんはソプラノの一番端という組み合わせである。現役時代共演した定期演奏会はたったの一度であるが、その一度の両翼を担った夫婦ということになる。だから一定の声量と呼吸の質を長時間維持することにかけてそこそこの自信があったし、なによりとにかく陣痛を耐えるためには息を長く吐き続けることが重要だと助産師さんたちから耳にたこができるほど聞かされていたので、声があろうがなかろうが息を吐き続けて耐えることが重要で、おれはハムちゃんがそうできるように積極的にアシストすることが最重要課題だったから、恥もへったくれもなかった。
 おれが、文字通り全身全霊で息子の頭と力(と体力)比べを重ねる様は端からみたら滑稽そのものかもしれないが、この時、たしかに、おれのなかに入っていた「父親になること」に対する、よどんだ邪念のようなものが消えた。出ようとしている「もの」はどう考えてもこれまでハムちゃんのおなかで動き回っていた「奴」そのものだったし、おれはどうやったってその父親であるのだ。その事実は、おれや息子がいつ何時どう思おうがもはや覆らない。であるならば、もうこいつを「息子」にしてやるほかないのだ。おれにとって最も大切なのは自分ではなくハムちゃんなのであるが、そのハムちゃんが今まさに産み出そうとしているこいつも、今まさにおれの「息子」として産み出されようとしていて、おそらくはハムちゃんの最も大切なものになろうとしている。そういう意味で、おれはふたりが今築こうとしている強固な関係性の中に入れないことを実感した。けれども、入れないからこそ、ここで踏ん張って二人を助けてやらねばならない。そんな思いがよぎった。ここでこいつに負けるということは、最悪の場合ハムちゃんの子宮が圧力に負けて裂けてしまい、ハムちゃんはもちろん息子も死んでしまう。だからおれは必死にテニスボールでハムちゃん越しにこいつの頭を押さえ続けた。
 こうして本物の陣痛と格闘していくうち、明確な波をお互い察知できるようになり、陣痛がおさまっている間にハムちゃんにペットボトルを渡し、ハムちゃんは力を抜ききって休むことに専念できるようになった。
 猛烈な陣痛の波をどれくらい超えたかわからないうち、ハムちゃんが「破水したかも」と叫んだ。確かにそれらしい液体が出てきていたので、ナースコールして確かめてもらった。医師は破水は間違いないと告げたが、それでも子宮口は全開になっていない旨も告げた。「もうすぐだから」と言われても、あとどれくらいで全開になるのかわからずほんの少し呆然とした。とはいえ実際は呆然としている暇などなく、陣痛が来ればさっきと同じようにテニスボールでやつを押さえ込むしかなかった。最初に腰が限界になった。立て膝で押し込んだ。次に腕が限界になった。おれは両手を使うことにした。
 「出る出る出る出る!」
 ハムちゃんが叫んだ。今にも出てきそうだという。これは抑えるのは無理だと。すぐさまナースコールをして見てもらうと、全開になっていたらしく、すぐに分娩の準備が始まった。今まで1、2名くらいしか入室していなかったのが、4、5名の助産師、医師が入れ替わりたちかわり入ってきて、めいめいにガウンを着てビニールシートなどを用意していく。午後四時を過ぎ外が薄暗くなってきたので部屋の照明がつけられ眩しかった。これならわかる。終点が近づいてきたことが。
 分娩台と化したベッドで両足を開き、分娩の態勢にしてもらった。おれは急に役目を終えてしまったのと、終点が近づいたことがわかったこと、急に眩しくなったことで涙がにじみ、全く前が見えなくなった。さりとて、ただ突っ立っているだけでは立ち会っている意味がない。おれはハムちゃんの頭に近づいて、扇風機をあててあげた。お産は医師や助産師といったプロが淡々と準備を進めていっているので何もする必要がないし、素人はかえって邪魔になるような雰囲気だった。
 扇風機とペットボトルの麦茶、タオルをもって、常に扇風機の風をあて、喉が渇いてきたら麦茶を飲ませ、汗がにじめばタオルで拭いた。本当にそれくらいしかやることがなかった。
 すぐ隣のLDRでは一足先にお産が進んでいて、遠くで新生児の産声があがった。元気そうだった。息子もそうなるといいな、と思ったことをよく覚えている。
 何度か検診でお世話になった、若い産婦人科医がガウンを着て現れた。この病棟ではたぶん一番若い医者で、最初見たとき、多分おれより年下なんじゃねえかと思うような感じだったが、この時ばかりはそこそこの貫禄があるように思えた。ちなみにこの病院の産婦人科医は全員女性であるし、助産師も当然に全員女性であるうえ、なぜか若い人が多いものだから入る度におれは少しだけ居づらさを感じることがあった。
 ハムちゃんは順調にいきみ続け、助産師にいいですよその調子と褒められながらお産を進めた。モニターを見ていた助産師がなんだか心配そうな表情で医師に耳打ちしているのが気になった。しばらくして、酸素配管とマスクが据え付けられた。どうやら、息子の心拍が落ち気味で、臍帯から酸素が十分にいっておらず、酸欠になっている可能性があるから、高濃度の酸素を吸入してもらって息子に酸素を送って欲しいとのことだった。ゆっくり深呼吸してくださいね、とマスクをはめた助産師が言った。ちょうどこの時、すぐ横を見慣れない男性医師が通り過ぎた。少し後に小児科医であることがわかった。この時点でおれは、どうもこのお産に「万一のこと」が起きる可能性があるらしいということを察知していたが、そんなことをハムちゃんに言えば、不安でお産が進ま���くなってしまう(現に、この場の全員がそれをしていない)し、それをおれが「考えること」自体に、そうなる可能性を大きくしてしまう要素があるような気がして、考えないことにした。
 ここまで読んでいただけばおわかりの通り、陣痛を耐え、分娩が始まったLDRは、これまでとはうってかわって相当数の人間が出入りしており、非常に混沌とした場になっていた。とにかく多くの医療者がいれかわりたちかわりおれたちの様子を見ていく。その中に、痩せぎすで赤い服を着たボブカットの医師がいた。産婦人科医たちのリーダーとなっている医師であり、明晰だが人間味が少し欠けたような言動が印象的で、おれたちは陰で「ボス」と呼んでいた医師である。ボスは担当医と二、三言会話すると別の現場へ行ったが、モニターとハムちゃんを少し注視したような気がした。いやな予感が頭をよぎった。
 おれの予感とは逆に、ハムちゃんのお産は順調に進んでいるように思えた。ただ、徐々に現場の人数が増えていっており、最後には助産師が5、6人になっていた。いよいよというところで、ひとり恰幅のいい助産師が「もうちょっとだからお手伝いしますね」と言って、ハムちゃんのお腹を大きく押した。頭出ました、いきまなくていいですよ、と声が聞こえ、担当医が何かを引き上げた。この時、おれは現実に息子と対面した。担当医、助産師、小児科医がくちぐちに「でか」とぼやいた。確かに思っていたよりも大きかった。
 この時、息子は産声をあげることなく身体が紫色で、おれが「予習」していた新生児の姿とは少し異なっていた。しかし、事前に別の(転院前の)クリニックで見せてもらった4Dエコーの顔そのものだったことに少し驚いた。ただ、とにかく息子に何らかの異変が起きていることは明らかで、おれは対面したことよりもそちらに感情が引っ張られてしまった。
 小児科医は息子を用意していた装置に寝かせ、長い管を口に挿入し、液体をかきだしていた。おそらく羊水だろうと思った。それにより息子はようやく産声をあげた。隣で聞いたものよりずっとか細く、余計に心配になった。
 心配といえば、ハムちゃんの方も、担当医が「ちょっと傷が出てきて出血が多いから縫合します」と言ってずっと糸で縫っているのも気になった。かなり長い。最初麻酔なしだったのが、痛み止めの点滴が入り、局所麻酔が入り、と規模が大きくなってきて、気がついた時には担当医の隣にボスがいて、ふたりがかりでハムちゃんの股を縫っていた。どうも出血している部分が非常に多かったようだ。
 息子は徐々に血色を取りもどしていった。泣き声もだんだん大きくなり、ふつうの赤ちゃんになっていった。小児科医は口や鼻に小さな管を入れて何かを吸引したり、マスクを当てて口に何かを 吹き込んだりをくり返していた。そういった地道な処置によって、息子はようやく赤ちゃんたりえるようになるのか、と思った。
 あとからわかったことだが、息子は3200グラム余りくらいの体重で産まれてきたが、これ自体はそこまで大きな身体ではなかったにせよ、医師��ちの事前診断とかなり異なっており(これがぼやきの理由と思われる)、またハムちゃんの体格や初産婦であることを考えるとかなり「立派」な大きさであったことから、ハムちゃんの産道に想定以上に大きな負荷がかかり、ずたずたになっていたようだった。実際、ハムちゃんを縫っている時、ボスは「ずいぶん産道が狭いね、こりゃ大変だ」とぼやいていた。
 息子の側に立てば、誘発剤でいきなり子宮を追い出されたかと思ったら狭い産道を通り抜けざるを得ず、ハムちゃんの懸命ないきみにもかかわらず、それでもなかなか酸素が行き渡らなくて苦しかったのだろうと思う。
 縫合と息子の処置にだいぶ時間がかかり、息子が産まれてきたのは午後6時すぎだったが、息子がハムちゃんの胸に抱かれ初乳をあげる頃には午後8時を回っていた。
 出てきた当初から感じていたが、息子の顔には「我が一族」の人間という面影が強くでている。どうやらみんなそう思うらしく、ここにいた助産師さんや何人かの友人はもとより、ハムちゃんやハリネズミ先生(注:ハムちゃんの母親。つまり義母)ですら父親(つまり、おれ)に似ていると評していた。もちろん、すべてがおれに似ているわけではなく、たとえば口元なんかはハムちゃんそっくりなわけであるが、全体としてやはり「我が一族」の風貌があるというのが不思議でしょうがなかった。
 そこから夕食をとって片付けを始めて、これからのスケジュールの説明などを受け、LDRを出ることが出来たのは午後11時ごろであった。丸一日近くこの部屋にいたことにおれは驚いた。しかも、助産師さんたちいわく「相当な安産」の範疇に入るということにさらに驚かされた。
 これで、おれのいちばん長い日は終わりである。いや、本当にいちばん長い日だったのかどうかはまだわからないが、少なくとも、この日がおれにとってそういう日であったことをここに書き記す。
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chibiutsubo · 1 year ago
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#おでかけ #小浜
京都との繋がりが深い土地だからか(海産物の出荷とかだろうか?)町並みもどこか京都っぽい。京都は多分観光客まみれなんだろうけど、ここならゆっくりと歴史的な町並みを散策できます。
町並みの保存地区ではあるけれどがっつり観光地でもないので、これらの家々には普通に生活している方が住んでいて、日常と非日常の入り混じる感じが面白い。江戸時代の建物の横に現代の車が停まっていたり、園芸用ホースが置いてあったり。保存地区を抜けると急に新築の今風のお家があったりと、私は今何時代を歩いているんだろうか、という不思議な感覚になります。
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決して見慣れた景色ではないはずなのに妙に落ち着くこの感じ。
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小浜線の橋梁を発見。小浜線もゆっくり乗り鉄旅をしたい路線のひとつなんだよなぁ。
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shunya-wisteria · 2 years ago
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初夏に旅する上越・北信濃 - 高田
初夏の上越地域 高田の城下町を散策してみた。
そろそろまた旅に出たい欲求が高まり始めた今日この頃。ちょっとそこまで感覚で長野に行こうかな、と思った際、そういえばまだ一度も新潟を散策していないことに気づき。最初の目的地を高田に設定してみた。
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北陸新幹線 上越妙高から、えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン にて2駅、高田に到着。まずは高田城へ。徳川家康の六男 松平忠輝の居城として天下普請の下、築城された高田城とその城下町。ランドマーク 三重櫓と見頃の紫陽花の組み合わせを写真に。紫陽花はちょうど見頃、蓮はまだだいぶ早かった。。。三重櫓の内部にて高田の歴史を知ることのできる展示を眺めたのち、城下町へ歩を進めます。
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城下には、雪深い冬季の通路を確保するための庇 雁木が今も残る雁木通り、古い町家を活用した町屋交流館 高田小町等、趣のあるエリアも点在。作り物感のない色褪せた空間、観光地の俗っぽさのないところが、古い街並み好きにはポイント高め。
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ゆったりとした時の流れる休日でした。気分爽快、やっぱり遠出はいいものだね。
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kennak · 9 months ago
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昨年、数年ぶりに中国に行きましたが、コロナ禍の間に観光地の入場や高速鉄道の予約などあらゆることがアプリを通じた実名かつキャッシュレス決済になっており、中国の口座を持っていないと使えませんでした。外国人旅行者にとってはかなり高いハードルで、その後、アプリが国際クレジットカードと連携できるようになったりはしていますが、現地の決済手段が浸透しすぎて、国際クレジットカードを直接使える店が少ないなど、外国人旅行者には相変わらず不便です。 ビザの相互免除は記事にある通り進んでおり、隣国である日本は相変わらずビザ必須。ビザ取得にお金と時間がかかるので、なかなか行きづらい状況です。
中国、戻らぬ海外客 日本人はビザが足かせに(時事通信)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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cctrain0722 · 1 year ago
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初めての道南めぐり!行ってきました。
納車されたエクストレイルを拠点とし、車中泊しながら今まで行ったことのない道南周辺を探索してきました。
見たことのなかった駒ヶ岳の美しさに感動!植物や鉄道遺構、地形が今まで見てきた景色とは違って新鮮で面白いのです。 地形図を見て「昔はこうだったのかも?」「この場所からだとこれが楽しめるのでは?」と考えながらファットバイクでゆっくり走る。これが【たまらん】のです。
ふと見つけた山に登り、そして海を眺める…水平線上に見える本州がまるで別の国のように思えました。
車中泊のノウハウを得て、かつファットバイクとの組み合わせが非常にマッチしていたことを感じた今回の旅。 来年は更に活動の選択肢が広がったと確信しました!
一枚目【焦点距離】85mm【ISO】125【SS】1/400【F値】/7.1 二枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/400【F値】/6.3 三段目左【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/500【F値】/3.2 三段目中【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/6400【F値】/2 三段目右【焦点距離】24mm【ISO】64【SS】1/1000【F値】/2.8 四段目左【焦点距離】40mm【ISO】1100【SS】1/160【F値】/2 四段目右【焦点距離】85mm【ISO】1600【SS】64【F値】/14 八枚目左【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/2500【F値】/4
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌��詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺���煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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blue-aotan · 3 months ago
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ハロー(´ー∀ー`)2024.10.25
【SAW X】を観に行きました。
映画「SAW」シリーズは1作目からずっと映画館へ足を運び追いかけてきたファンです。
(1〜8までDVDも購入済)
現実世界ではSAWが好きと公言すると
「えー?グロテスクなの好きなの?」
と引き気味に言われたり
「!?うわーあの映画好きって実際人殺したいとか思ってるんじゃないの?」
とか訴えていいレベルの発言された事もあるので、普段の生活では絶対に他人には公言しないと決めています←
趣味を語る事で不快になる世界って何だよって腹立たしくなるんですよね。
聞いたのお前だろ!ってなる←
で、そんな事はどうでもいいのですが。今回の新作を観るにあたり、もう一度1〜9を1週間ほどで見返して準備万端で挑みました。
1作目は2004年。20年も経ちましたが俳優さんは続投されております。感謝しかありません。
トビンベルさん、本当素敵なのよ。特に声が唯一無二だと私は思っているくらい好きなのです。
映画がスタートして30分くらい経った時に、突然気分が悪くなって(あ、これやばいやつだ)とトイレへ駆け込んで吐きました←
グロテスクとか映画の内容は全く関係がなく、突然謎の体調不良←
前日も当日朝もいつも通りの体調だったのに、何故吐気がきたのかはわからないまま。
帰ろうかともよぎりましたが、あんなに楽しみにしてたしお金勿体ない!!と気合いで座席に戻りました。
席を外した20分くらいで既に内容が分からなくなっていた←
そしてもう始まっていた惨いゲーム←
でもね、今回はそこまでハラハラドキドキ感はなかったんですよね。
時系列的には1と2の間の話で、アマンダも出てくるんだけどドラマ要素の方がやや強め。
シリーズ中1番退屈で、なんなら寝そうな…ジグソウのおじいちゃんが自分の腫瘍を治してもらう為にたどり着いた非認可の医療施設で治療を受けるんだけど結局は詐欺だったのね。
それでその詐欺グループに鉄槌を下す為にゲームをする話なんだけど、そこに至るまでも結構長いしゲーム自体も今までよりは迫力が下がってたと思うし詐欺グループのリーダーの女の人がそこまで罰が下ってない感じがしてモヤモヤして終わったんだよね。
何か違和感があったんだけど、多分それはゲームしてるすぐそばの部屋にジョンとアマンダが居て、ゲームの合間にやって来ては喋って…みたいなシーンが多々あって緊迫感が肝のゲームに水を差された感が否めなかったのですよね。
私としては目玉を吸引する装置に繋がれたやつが1番ワクワクしたんだけど(ワクワクすな)それはまさかのジグソウの妄想ゲームだったみたいな←
ガックシしちゃったよね。
あとはエンドロール後にホフマンも出てきて続編ありそうな雰囲気はありましたが、正当なシリーズとして続くのなら1作目の生存者ゴードン先生がジグソウの後継者になってるし(ファイナルで明かされた)、ホフマン刑事も早い段階で弟子になってたけど結局ジグソウとは方針が異なるただの人殺しで追われてはいるけど生存したままその後は行方知れずだもんね。
ゴードンvsホフマンになっていくのか?ようわからん映画になりそうですよね😂
スパイラルソウオールリセットは別物って感じだったけど、ストーリー繋げるとしたらスパイラルの犯人ウィリアムはジグソウの意志を継ぐ者なのかどうか?
(ジグソウと接点ないもんね
そして8作目のジグソウソウレガシーの犯人ローガンはおそらく1番始めの弟子なのか?初期の弟子なのは間違いないですよね。時系列が難しいのですが、ローガンも生存してるしジョンの意志を継ぐ最も近い存在な感じです。
となるとローガン&ゴードンvsホフマンになるのか🧐
ホフマンが逮捕されたとして、その後もゲームは続いていく訳だから世間的なジグソウのイメージとかその辺も予想しづらい。
(ホフマンの生き残れないゲームの全てもジグソウの仕業ってなるしただの連続殺人鬼だもんな
でも正直これで終わりでもいいかなとは思います。これだけシリーズが続いただけでも本当にすごいと思います。
あとは…5でホフマンが抱っこしてた女の子(3のジェフの娘)が成長してジグソウの後継者になる可能性もあるな、とかね。(アマンダに自分を助ける人を信用するなと言われていたし➡︎女の子の母親を殺したのはアマンダだしジェフも死んでるから天涯孤独な部分を考えると心が痛いよね
どんな続編だろうとファンはついていきます←
そして最近みた邦画・洋画の感想🔻
「陰陽師0」
友情と切ない恋愛物語でした。映像がすごくて美しい情景がたくさんありました。それ以外は特に感想がありません←
「キャドー湖の失踪」
シャマラン製作の映画。これは情報調べてなくて存在自体知りませんでした。
ジョシュハートネットが好きだし新作の「TRAP」が面白そうで観たいな…とは思っておりましたが、一つ前の作品「ザ・ウォッチャーズ」も観たい観たいと思いながら忘れ去っておりました←
主人公が2人いて、男の人の方は途中で「あれ…?メイズランナーの人だよね…大人になってるー」とか思ったよね←
キャドー湖の森で干ばつの時だけ過去と未来が繋がる場所があって、そこで繰り広げられるタイムリープスリラーというジャンルらしい←
湿地帯をずっと船で移動して生活するのは、最近みた「ザリガニの鳴くところ」にとても似てましたね。同じ場所では?ってなった。
時系列がかなり難しくて、2人の主人公がそれぞれの視点で同時進行しているんだけどこの2人の関係性は…?って考えながら見てて終盤で「え????待って…どゆこと?」って途中で一時停止して簡���に相関図を描いたんだよね←
私の頭の中では大混乱が繰り広げられていましたよぉー🤣
久々に自分の考察とあまりにもズレてて大パニックになりました←
そういう意味では観入ってしまいましたよね。結末は少し悲しかったですが、報われた部分もあってよかったな…ともなりました。
最後に。
今日はハロウィンジャンボの抽選日だぁぁぁぁ当たってるかなぁーーーーってワクワクしながらアプリ開いたら、宝くじ購入してなかった事が判明して膝から崩れ落ちたんだよね←
そんな事ある?ってなりました
まじで自分のポンコツさに震えました🫨
発売日に買った気でいたのですよね。
全く記憶がなくて、おそらく旅行の事で頭がいっぱいだったかもしくは認知症の始まりかもしれません。
人生で1番怖い瞬間でした←
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tokyomariegold · 3 months ago
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2024/5/3
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5月3日 昼過ぎまで関西にいて、うとうと時速300kmを過ごして、ちょうどよく富士山を横切るところで目を覚まして写真を撮って、夕方荷物の片付けやお土産の整理をしていたとは思えない程、すっかり生活に戻ってきている。 我ながら清々しいと思えるくらい、生活にシフトチェンジして、いつもの金曜日の掃除や片付けを3時間ほど終え、スーパーで買い物をして食事の用意や洗濯や日記をしている。
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朝起きて、昨晩も全くよく眠り続けられず、夜中に自分の病気のことを調べ出してしまうよくないモードに入った事に、落ち込まないけれど反省しつつ奈良駅のみどりの窓口へ向かった。 早い時間の新幹線に変更してもらいたさすぎて、昨晩このみどりの窓口の口コミを読んでいた。窓口は一つしかだけとのこと。あまりに並んでいたらやめよう、という感じで駅へ向かう。 そろそろゴールデンウィーク真っ只中で席の振替なんて効くのかしら?と期待せずに訪ねたけれど、着いてすぐ窓口へ案内してもらえて、乗車する列車の時間も変えてもらえた。 ブースの向こうには、昔父が職場の修学旅行の引率で行った奈良土産で買ってきた鹿のパペットぬいぐるみが3匹飾られていた。
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やったー!早く帰れる!と元気を少し取り戻して、京都までの近鉄線も指定席をとってしまい(これもとても快適で良かった)、足取り軽く歩いていると「忙しい?いそがしいよね?でも一枚撮ってくれない?」と、奈良駅がスタートのマラソン同好会(?)ご一行に集合写真の撮影を頼まれる。駅舎を背景に皆さんを撮影。 自分でもびっくりしちゃうくらい大きな声で「撮りまーす!はい!チーズ!」と言っていた。びっくりした。
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もう一度奈良ホテルでお土産を買って、泊まっていたホテルに戻りチェックアウトをした。 10時を過ぎるとお店も始まるので街に人が増えており、角の草餅屋さんはすでに大賑わいで、今回もあまり何の店だったのか実態をつかめず。実演販売もお目に掛かれなかった。
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京都は駅に人が多くてパニックだったけ���ど、四条で地上へ出ると案外人は少ない気がした。東京の1/6くらい? 全く時間がない中、分刻みスケジュールで京都芸術センターへ行った。今回の旅行は今まで行けていなかった展示スポットに行けたので、よく考えるととても充実している。体調が良い時にどこもリベンジしたい。
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芸術センターは古い学校を再利用した施設。 またゆっくり訪れたいと思う。一度場所を把握できれと、訪ねるハードルが下がるので、次回はふらっと行ける気がする。 泥や石の音を聞く展示を、京都の大学生6人グループと一緒に観て、駆け足で京都駅へ戻り新幹線に乗った。 今回隣の席がずっと空席で、他もちらほら空いていたので快適だった。 いつもだと今回の旅の反省モードで帰路に着くところだけれど、今日もずっとうとうとしっぱなしだった。
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帰ってきて、生活を取り戻して安心してしまっている。 これがしたくて遠出をしているの?万全に体調と生活が整って、心の底から旅本体を楽しめる日は来るの?別に来なくてもいいの?
スーパーに、まだいちごが並んでいた。 でも同じ並びにスイカも並んでいた。 スーパーと玄関ばかりで撮ったフィルムをちょうど撮り切ったので明日は現像に出しに行こう。
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asagaquru · 1 year ago
Note
GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェに行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノ��チが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような住所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公共機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださいね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園のベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。
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