#まぐろのオランダ煮
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umedanakazaki · 2 years ago
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新年営業初日は、時短営業中も来店してくれていた常連さん達が時間差で続々来店。厨房を覗き込んで新年の挨拶をしてくれる方や、昼夜ともに来店した方、夜に2回も来店された方、3年前に初来店した若者が彼女を連れて、皆さんから笑顔の挨拶を頂いた。今年は良い年になりそう。ありがとうございます! 挨拶の「挨」も「拶」も、ほぼ他の言葉で使われない。それほど、挨拶というのは重要なこと。 さて、本日の日替わり弁当です。 #1月5日 #日替り弁当 おろしの風味であっさりと #いか天 #みぞれ煮 #特製和風だしで #食感も楽しい ご飯のおかずにもピッタリ 副菜は #小エビと若布のサラダ #きんぴら蓮根 ご飯の上に #まぐろのオランダ煮 まぐろの旨味たっぷり 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #挨拶 #新年 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CnAClzcy00E/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 1 year ago
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 さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」だけに伝わる限定的なものになりました。  オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で蘭学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧暦ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ正月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK!  ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」  キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関しては、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜け道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、何かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに���を表す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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tokyomariegold · 2 years ago
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2022/12/26〜
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12月26日 飛行機に乗って長崎へ来ている。 とにかく全てが未知で、それを楽しむ余裕はない…!と、寒さとかウイルスに怯えて出かけた。 飛行機の搭乗が思ったよりライトで、よく考えたら2時間弱で九州まで行けるなんてとっても身軽(?)!機内で年賀状を書いていたらあっという間だった。空港で万全に準備をした旅行帰りの娘夫婦とお母さん3人にすれ違う。すれ違う時に「あーごみ出ししなきゃ…」と言っていて、現実の生活に戻っていくんだな、と思った。年賀状はしらないまちのポストに入れて送った。
長崎空港からハウステンボスまでは、高速バスで海沿いをずっと走った。風景が、なんというか南の方の地形や町並みだな〜、という感じ。暖色系の風景。長崎ちゃんぽんリンガーハットを2軒見た(長崎にもあるんだ!)。 あと、老人ホームがたくさんあった。みんな最後に海を眺める日々を送りたいのかしら。
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ハウステンボスは突然現れる。 川(ほぼ海。河口?)を挟んで外側はすぐ民家。 瓦屋根と広い庭の家がある。河口へ降りる階段でずっとうずくまっている人がいて不安になる��電車を待��ている間に聴いていたハンドメイドホームが似合う風景。
ハウステンボスの内側は、行ったことないけどオランダみたいだった。オランダみたい、が詰め込まれていて、あまりオランダ的新発見はなく、程々に虚構で安全でのんびりしていた。オランダ要素が雑に置かれていて、大きい靴のオブジェや踊るチューリップのキャラクター、いろんなところにカステラのお土産屋さんがあった。 お目当てのナインチェショップとカフェもすぐ見つけられて、すぐ見終えた。 イルミネーションや夜景がメインなのか、昼間は園芸屋さんがお花を、電気屋さんが電飾をメンテナンスしていた。
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電車を30分待ち、長崎駅や新地方面へシーサイドライナーという電車で移動。2両編成だけれど車内はガラガラ。長崎って車社会なのかな?(自転車に乗れない人が多いのって長崎だった気がする…) 長崎を地図で見たときの、入り組んだ地形を縁取って走っているんだな〜と実感する海と土地の風景だった。
駅からホテルまでバスに乗ったけれど、思っていたバス停には止まらず、でも近くまで行くよ、と言われてそのままそのバスに乗った。でも、ちょっと運転手さんとぎくしょくしてしまい途中のバス停で下りてしまった。 出島を歩いたり路面電車や坂の風景を見て元気を出す。やっぱり知らない町の都会(中心地)が好き。ホテルに荷物を置いてからもう一度町を歩いた。
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中華街は神戸よりも小さくて、近くの商店街よりも小さい。こじんまりというより少しわびしい雰囲気。そして歩くと至る所に角煮まんのお店がある。
飲食店や商店(八百屋さんやお花屋さん)が充実していて、チェーン店もあるけれど、おしゃれな個人店がちゃんとたくさんあって楽しい。
そういえば空港からの高速バスの途中で見かけた“四次元喫茶”と謳っていた喫茶店が気になる感じだった。
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12月27日 朝起きて、もう7時で、でもまだ外が暗くて西日本だ〜、と思った。 山口の祖母の家で、いつも、いつまでも朝が明るくならないの、特に冬はずーっと暗くて不安になったのを思い出した。
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8時から10時まで港や駅をお散歩した。 港の風景とても良かった。浜のある海と違って「ポー」っと船の音が聞こえたり、対岸の山に並ぶ家や工場のクレーンが動くのを見るのが楽しい。税関のある町は港町なので、神戸も横浜も長崎もお散歩が捗る。次は名古屋税関と名古屋の港に行きたい。
港を歩いて海鮮丼のお店を見つける。 あまり長崎って海鮮のイメージがない。カステラとびわと牛以外のお土産ってなんだろう?市場みたいな商店街でもかまぼこは見かけたけれど、お魚は見なかった。
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長崎美術館を外から眺めて税関へ行った。 美術館は川(河口?)を跨いで建てられていて、海近くなので流れもなく運河のようで、昨日のハウステンボスよりずっと生きた都市としてのオランダみたい!と思った。
メットライフに出勤する方々に逆行して長崎税関へ行くと、入口にもうカスタムくん! だいぶ愛らしいビジュアル! 税関は、昔は神戸と同じような船を模した近代建築だったらしいけれど、昭和40年ごろに今の、いわゆる庁舎っぽい四角い建物になってしまったそう。 カステラカスタムくんとちゃんぽんカスタムくんも可愛い。
出島の周りには隠れてミッフィーがいて“長崎はまちにもミッフィーがいてかわいいよ”と、友人にメッセージを送った。
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眼鏡橋へ行くと、あ、ここは来たことがあるかも!と思います。連れてきてもらって、そのあとおすすめのカステラ屋さんにも連れて行ってもらって、でも人任せすぎて全然覚えていなかった。せっかくならそのカステラ屋さんでお土産を買いたかったけれど、文明堂でカットカステラを購入。あと、事前に調べたお店で桃カステラを買った。ホールケーキくらい大きい桃のカステラだったので、こもも(ミニサイズ)を実家へ配送してもらった。
ホテルへ戻り、チェックアウトまで年賀状を書いた。
かなり早く空港へ着いたので、お土産物を見てみる。何という買っても買わなくても同じ的なお菓子のお土産ってどこにでもある。
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帰りは窓側だったのでうとうとしながら、雲とか地形とかを眺めた。この2日間眺めることばかりをしていて、集中して見ることができなくなっていそう。でもちゃんと1人で飛行機に乗って帰ってこられたのでえらい!という充実感もありつつ、羽田からの帰路に着いた。
東京に着いて年末だった事を思い出す。 知らない町のの年末はやっぱり知らないでいられるけれど、東京のやけに空いた電車で大きな荷物の人を見ると、年を越さないとな〜という気分になった。
帰宅して儀式的にたくさん消毒して、年末に売るものや洗うもののこととかをもう考えていて、さっきまで港にいたのに、今はいつものスーパーで(やっぱりやけに空いていた)いつもの食材を買っていて、長い長い1日だった。
明日を出勤日にした事を少し悔やみつつ、ちゃんと起きれたら行こう、くらいのマインドで、職場へのお土産をセットした。
今回は鏡の多いホテルだったのに、フィルムカメラで自撮りをしなかったかもしれない。
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binchan-in-ams · 3 years ago
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Leiden
今日はオランダ来てから初めての遠征で
「ライデン」という町に行ってきました!
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アムステルダムから特急電車で約30分ほどの場所で、
Rちゃんがライデンにある大学院の見学をしに行くというので
私も着いて行かせてもらうことに。
先日、Rちゃんにブログのことを教えてから、
事あるごとに(ありがたいことに)
ブログ用の写真を撮ってくれるようになったのですwww
感謝!
なので、今回のブログでも、
たくさんの写真と共にお届けさせていただきまぁす。
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ライデン駅に、到着〜〜
オー��ンキャンパスは午後からだったので、
早めに行って町を少し散策することに。
まずはライデン駅から出てすぐ、
アムステルダムにいるとなかなかお目にかかれない.....
我々が探し求めていた........
ザ・オランダのシンボル............
風車....!
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風車見れただけで既にテンション爆上げ状態なのですが、
���愛い街並みに終始心おどる私たち、
5分に一度は写真を撮ってはしゃいでましたw
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なんとなくブライトン��思い出します
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もはや���ハムチーズのクロワッサンでさえ輝いて見えた
魔法の世界、ライデンwww
そして、なんとロマンチックなことに、
ライデンの町の壁には
世界中の詩人たちの言葉が描かれているのです。
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1992年に現地のオランダ人アーティストたちが
10年以上かけて手がけたプロジェクトらしく、
英語からフランス語、ス���イン語等の詩が110個以上残されているそうです。
そして日本語のも発見!!!
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我が国誇る芭蕉様の「奥のほそ道」を代表する名句
(らしい。後で調べました)
実はライデンは日本との繋がりも深いらしく、
Rちゃんが今回見学しに行ったライデン大学は、
オランダ唯一の、そしてヨーロッパ最大規模の
日本学研究の拠点でもあるそうです。
その他にも、ライデンには「シーボルトハウス」という、
日本近代医学の父シーボルトが日本で集めた工芸品等の
コレクション展示もされてます。
Rちゃんが真面目にオープンキャンパス行ってる間に
少し覗いてみてきました。
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https://www.sieboldhuis.org/ja より引用
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案内の言語が全て英語・オランダ語・日本語という、
まさかオランダの田舎町でこんなに日本文化に触れると思っていなかったので、
少し不思議な気持ちになりました。
シーボルトハウスの後は、
ライデン大学内にある植物園をお散歩しました。
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ここにも、シーボルトゆかりの日本庭園コーナーありましたw
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この後、オープンキャンパス終了したRちゃんと大学内で合流することに。
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学生たちに紛れて食堂でケータイの充電させてもらってました(すみません)
少し早いですが(5時半ごろw)
せっかくなので晩御飯をいただくことに〜
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まずは、「ビターボーレン」という
オランダ名物らしきものを頼んでみました。
ボール型のクリームコロッケです。
マスタードにつけていただくそう。美味しかった!
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あとは、シャクシューカという、
中東料理ぽいものをいただきました。
ふわふわの卵とトマトソースの煮込み?
スパイスが効いててこれも美味しかったです!!!
お店入った時にお腹空きすぎて、
ハンバーガーも頼んでたのですが、、、😂
案外お腹が膨れてしまい、キャンセルしようとしたら
もう出来上がったとのことで、
半分に切ってお持ち帰りさせてもらいました(笑)
という分で、ライデンでの充実した1日は、
二人で片方ずつのバーガーを持ちながら終えました〜
とてもとても楽しい1日🧡
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wasite · 2 years ago
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WASITE.store 2022/11/07 now OPEN 今日の海 今日は「鍋の日」! 寒くなってきましたね〜。 お鍋が美味しい季節。 沖縄でもねw 鍋のうんちくは あちこち見ると思いますので、 私も初見の「鍋」にまつわる 日本語の数々を。 まずはスタンダード・定番は 「鍋奉行」なべぶぎょう いるよね。 なんでも仕切る人。 でもね、さらに権力があって 絶対に逆らえない人を今は 「鍋将軍」 っていうらしい。 そんでもって、鍋には出るじゃん 「灰汁・あく」 それをすくい取る担当を 「アク代官」 だってさw そんで鍋がいい感じ仕上がって じゃあ皆の者、食べなさい、 って言われるまでじっと待つ人を 「待ち奉行」・「待ち娘」 と呼ばれ、美味しくできた鍋を たただた楽しむ! いつの間にそんな鍋の新しい役職が!? そんなこんなも 鍋を囲む人たちの"人間関係"があるから! 人間関係がある、っていうのは、 集団の中の"自分"という「個」があることで 初めて発生するもんです。 人間関係で悩むのも「自己」があるからで 「自己」がなければ人間関係悩みません。 あぁ、俺はこの集団(のひとり)なんだ。。。 ってだけ。 じゃあ、人間に「自己」が なんで出来たのかっていうと、 およそ25万年前ごろのこと。 人の集団の規模が大きくなって、 それまで小さい集団だったら 食料の分け前なんかは自然に回ってきた。 が! 大きい集団になれば、 自分の食料を確保するために、 それまでと違った挙動をしなきゃいけない。 それが、 (食料をくれる)人に気に入られなければ。 または、 「誰かが俺のことを嫌ってる?」 そういう"人間関係"に機微を働かせる。 人の顔色を伺い、 他人と自分の関係性を定義し、 相手の気持ちを察し、 ちょっとでも好かれたい。 そうしないと生きていけないから。 そうして人間に「自己」というものが 出来上がってきたといいます。 そこで「鍋」はどうでしょう? オラオラな個性を持つ食材が入っていても、 煮込んでダシにしちゃう。 合う合わないはあるけれど、 だいたい鍋で煮込めば あとは 「ポン酢」 があったら、だいたいいけるw ポン酢の語源はオランダ語のカクテルの名前。 "PONS" さわやか柑橘のフレーバーが特徴の一杯だが、 現代オランダでは それはもうすでにない言葉。 いつまでも、PONS =ポン酢は 鍋とともに日本で生き続けるぜ。 人間関係も、 いつまでも ぐつぐつの熱々を さわやかでありたい。 若干の雑さは気になりますが、 鍋もまぁ上手にやるってより、 気のおけない人間関係で ギャーギャー言いながら やるのが楽しいでしょ。 ��うぞ、いい鍋、いい人間関係を というわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! 今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CkpVSAnvGun/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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makikoakiyama710 · 4 years ago
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ハンドメダルプロジェクト:ジュエリーの分際を考える
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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)
2020年はコロナの1年といっても過言ではなかった。あれよあれよという間に世界で感染が広がり、ようやくワクチン投与がはじまったものの、2021年に入って2か月を経た今もまだ戦いはつづいている。そしてその戦いの最前線にいるのが医療従事者である。日本でも、彼らへの感謝とねぎらいとして、寄付金の呼びかけからシェフによる料理のケータリングまで、さまざまな支援プロジェクトが展開されてきた。
ジュエリーの世界でも、医療従事者を支援するためのプロジェクトが立ち上げられた。2020年4月にアメリカ在住のイリス・アイヒェンバーグとアルゼンチン在住のヒメナ・リオスが始めたハンドメダルプロジェクトである。イリス・アイヒェンバーグはドイツ出身のアーティストだが、看護師としてのキャリアを経てからジュエリーの道にすすんだという異色の経歴の持ち主で、オランダでジュエリーを学び、アーティスト・教育者として活動したのち渡米。現在も教職に就きながら、ジュエリーのほかに大型の作品も発表している。ヒメナ・リオスはアルゼンチン出身。スペインとイタリアでジュエリーを学び、帰国したあとは、Taller Eloiという工房を構えてジュエリーを教えたり、ワークショップを企画して国内外でレクチャーも行っている。
このふたりが立ち上げたハンドメダルプロジェクトは、医療従事者に手の形のメダルを贈ることで、彼らの貢献を称え感謝の意を示そうという企画であり、主にSNSをつうじて世界中に参加が呼びかけられた。このプロジェクトには、医療従事者のほかに3つの立場の人たちがたずさわる。第一にメダルの制作者、第二にできあがったメダルを預かる「ハンドキーパー」、第三にハンドキーパーからメダルを受けとり、それを医療現場の人たちにくばる「ハンドギバー」だ。
参加希望者はメールで参加を表明。そののち作り手はメダルを作り、それを入れる封筒を印刷して期限である2020年10月中旬までにハンドキーパーにコンタクト��、そしてハンドキーパーは、11月中の指定された日にメダルを医療従事者に渡す、というのが全体の流れになっている。メダルのデザインはいたってシンプルで、プロジェクトのタイトルからもわかるとおり手の形をしている。制作者は、規定の型紙どおりに金属の板を切り出して適切な仕上げを施し、リボンとピンをつければできあがり。金属の種類、リボンの素材や色は作り手にまかされており、ピン金具も、市販品でもよいし自作してもよいようだ。各部にどうこだわるかで完成品はさまざまに表情を変えると同時に、ジュエリーメーキングの初心者でも作ることができる。また、メダルの裏には各制作者に割りふられた数字が刻まれており、ハンドメダルプロジェクトのウェブサイトにアクセスすると、どの番号のメダルをだれが作ったのかを照合して確認することができる。
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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)
主催者が当初から強調していたのは、このプロジェクトはあくまでも受けとり手である医療従事者のためのものであり、制作者が主役ではないという点だ。また、手のひらサイズの小さなものをつうじて献身や犠牲を称えるという発想の土台には「エクスヴォート=ex-voto」の風習があるという。言葉の意味としては「奉納物」だが、もう少しくわしく説明すると、エクスヴォートはキリスト教文化に紐づいており、神への感謝や願かけの意味を込めた捧げものとして、銀細工師が神と信者との仲介役を果たすかたちで制作する金属製の小さなオブジェクトで、その形に決まりはなく、聖人像やハート型、目の形などバリエーションに富んでいる。また、人目にさらされることを前提に作られており、聖人がどんな奇跡を起こしたか��エクスヴォートに文字で書いたり、その軌跡を象徴するシンボルを用いて、���からそれを見た人に情報を伝える役割を果たす。
イリスとヒメナは2019年、このエクスヴォートをコンテンポラリージュエリーの作り手が解釈したらどうなるか考察する展覧会を行った。エクスヴォートそれ自体はジュエリーではないが、サイズ感や素材、存在意義の面でジュエリーとの共通点が多いことに着目して、この企画を組んだという。そしてその直後のコロナ禍である。ふたりは、医療従事者の献身にエクスヴォートの精神で応えられないかと考え、ハンドメダルプロジェクトを立ち上げると、またたく間に賛同者が集まり、メダルの制作者は3000名超にものぼる。
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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)
わたし自身はこのプロジェクトに参加しなかった。そして、そのことを後悔している。別の言い方をすれば、わたしは大きな災害時におけるジュエリーの存在意義を信じられなかったから参加しなかったのであり、それを信じられなかったことを後悔しているということだ。ここから先は、その信頼回復の過程をつづっていく。
わたしが参加しなかった理由は単純で、コロナ禍における医療従事者の肉体的・精神的負担は想像するにあまりあり、激務に見合う報酬と十分な���息など、もっとほかに必要な支援があるのではないかと思われたのだ。おおきな災害が起きると定番の品として、感謝や慰労・祈りなどの意味を込めて当事者たちに千羽鶴が贈られる。だが大量の折り鶴をありがた迷惑と見る向きも少なからずあり、わたしもその意見に同感である。しかし人の思いに特化し、何の役にも立たない点はジュエリーも同じである(貴金属や宝石が使われていれば金銭的な足しにはなるが、それはジュエリーではなく素材の価値である)。わたしには、ハンドメダルプロジェクトが千羽鶴を贈る行為とかさなって見えた。そしてそれは、わたしが好きなジュエリーを否定し、敬愛する作り手(主催者も、このプロジェクトに賛同した参加者も)を否定することであるようにも思われた。
わたしが悶々としているあいだにも、ハンドメダルプロジェクトは着々と進行し、Instagramのフィードには、世界各地の参加者や主催者によって投稿されたさまざまなデザインのメダルが次々とアップされていった。その盛り上がりを見れば見るほど悶々とした気持ちは深まるいっぽうだった。千羽鶴を批判する人たちみたいに、真正面からこのプロジェクトを批判できればまだよかったが、それをするには自分にとってジュエリーは身近すぎたし、そのくせジュエリーが持つ力を信じきれない自分が嫌になった。
その煮えきらない考えを軌道修正するきっかけは思いがけない形で訪れた。ハンドメダルが医療従事者の手にとどけられてから1か月ほどたったある日、ツイッターを見ていたら、アメリカ在住の救命救急医のツイートが流れてきた。そのツイートは17回にわけて連投されたもので、この救急医の勤務中に起きたある出来事と、それにたいして彼が何を感じどう思ったかが順を追ってていねいに書かれていた。その内容を以下にまとめる。
コロナ患者の対応に追われるある日、この救命救急医のもとに、呼吸困難になった患者が運ばれてきた。院内着に着がえさせるためこの患者の服を脱がすと、そこにはナチスを象徴する鉤十字などのタトゥーがいくつも彫られていた。これははじめての経験ではない。むしろ、鉤十字のタトゥーを入れた患者や差別主義者の患者には慣れっこだ。そんなときは毎回震えを覚えるが「この患者には医者が必要で、忌々しいことに自分がその医者なんだ」と自分に言い聞かせてきた。この呪文を心の中で唱えれば、気持ちを切り替えられるからだ。だがこのときばかりは思うように呪文が効かず、自分が限界にきていることを悟った。これが一連のツイートのあらましであり、そのなかには、医療従事者がパンデミック下で感じている恐怖と孤立、そして、コロナなんて作り話だと吹聴し、医療従事者をうそつき呼ばわりする人たちのことについてもつづられていた。
このツイートが示唆しているのは、絶大な負の意味がこめられた象徴は、人の心をくじく最後の一押しになりうるということだ(特に身体を直接傷つけることで施すタトゥーは、その象徴が表す思想を内面化するほど強く信じていることまで物語る)。だが、もしこれが起こりうるならば、その逆、つまり善意の象徴が、限界を感じている心の堤防の決壊を防ぐということだって起こりうるのではないか。わたしは、ベースラインの支援や保障が行きとどくことだけにとらわれすぎていたあまり、それらがあれば、ほかは何も必要ないということにはならない、というほんのちょっとだけ踏み込んだ視点が欠けていたのだ。
手には古来さまざまな意味づけがなされ、歴史を振りかえれば、お守りや愛情の証としてジュエリーのモチーフとして用いられてきた例が多��みられる。ハンドメダルプロジェクトにおける手は善意の象徴であり、人から人へ差しのべられる支援の手・絆・治癒や癒しを表すだけでなく、制作の過程や手仕事の力などへも連想を広げることができる。またこれは、このプロジェクトに関する別の記事を読んで気づかされたことなので借用するようで恐縮だが、手の形は、感染対策としての手洗いの大切さも思い起こさせる。
だが、たとえ善意の象徴が、人に前を向かせる力を持っているとしても、鉤十字のタトゥーが与えうる強烈なインパクトとショックにはかなうまいと思う。大けがを負うには一瞬あれば十分だが、その治癒にはときに途方もない時間がかかる。悪意の象徴と善意の象徴の関係はそれと少し似ている気がする。ハンドメダルプロジェクトではこの力関係の不利を補ううえで、数がポイントになっている。まずは参加者の数が多いこと。そして重要なのは、その数の多さに個々の作り手の存在が埋もれてしまわないよう、彼らを特定できる工夫がなされていること(先に述べた通り、メダルに刻まれた数字をウェブサイトで照合すれば作り手の名前を知ることができる)。
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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)
また、貰い手は、自分のメダルの数字を見ることで、その前後にはそのほか大勢の作り手、つまり医療従事者を称えたいと考えている大勢の人たちが連なっていることを想像することもできる。さらには、神と信者の仲介役というエクスヴォートにおける制作者の役割を、ハンドメダルプロジェクトにも当てはめて考えるならば、このプロジェクトに参加した制作者は、医療従事者と一般大衆との仲介役であると言える。つまり、一人ひとりの制作者が大衆の代弁者なのだと考えると、ひとつのメダルの重みがぐっと増す。
最後に、ジュエリーにたいする既成概念という点にも目を向けておきたい。メダルは、優れた功績を残した人に贈られるものであることは世界的な共通認識である。そのため、典型的なメダルの形式にのっとったハンドメダルを医療従事者がつけていれば、それを見た周囲の人たちは、彼らが称えられるべき何かを成し遂げた人たちであること���すぐに認識できる。これも、感謝を捧げるべき聖人の偉業を広く伝えるというエクスヴォートの役割にも通じる点である。
ジュエリーがなしうることをこうして数え上げてみても、感染症拡大などの大災害における支援としては、ジュエリーの優先順位は低く微力である。だが、それがジュエリーというものなのであり、そうである以上、微力であることを知りながらその微力を出し切り、届く人には届くことを願うしかない。手仕事の力、象徴の力、小さいものが持つ力、ジュエリーならではの特性を駆使しつつ、時にはジュエリーに植えつけられた固定概念すらも賢く利用させてもらいながら。
煎じつめれば、当たり前のことに気づくのに時間がかかりすぎたというだけの話である。だが、ジュエリーの分野にいながら、ジュエリーへの信頼を失いかけてしまった人たちがほかにもいるかもしれないし、あるいはいつか、わたし自身が再びその信頼を失いかけることがあるかもしれない。そんなときに基本を思い出すための小さな手助けになることを願って、自分が思い感じたことをこうして文章にして記録しておくことにした。
また、誤解を防ぐためにひとつつけ足しておくと、自分がいる分野を信頼することは、その分野を盲目的に肯定し、批判的・批評的な思考を失うこととは根本的に異なる。むしろ、批判的思考なくして信頼は成り立たないのではないかと思う。わたしが言いたいのは、置かれた状況において、その分野に何ができるのかという分際をしっかりと見きわめ、そこに注力することが大事だということだ。そして、わたしにそれを改めて思い出させてくれたのが、このハンドメダルプロジェクトなのである。
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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)
ハンドメダルプロジェクト公式情報: https://handmedalproject.com/ (ウェブサイト) https://www.instagram.com/handmedalproject/ (Instagram)
関連記事: "IN YOUR HANDS Join The Hand Medal Project (In English/Spanish)" By Elizabeth Essner: Art Jewelry Forum https://artjewelryforum.org/in-your-hands
"HELPING HANDS (IN ENGLISH/EN ESPAÑOL) An Update On The Global Hand Medal Project" By Elizabeth Essner: Art Jewelry Forum https://artjewelryforum.org/helping-hands-in-englishen-espa%C3%B1ol
EX-VOTOS AND CONTEMPORARY JEWELERS by Jimena Ríos: Art Jewelry Forum https://artjewelryforum.org/ex-votos-and-contemporary-jewelers
最終閲覧日はすべて2021年2月28日
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tsthxh · 4 years ago
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に���の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、      イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、      ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、      トリカブトのアコニチン。
四、      ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、      オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛��告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸にな��意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
 幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を���刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所で���る売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳���を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像��もっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこ��薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、���体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
 私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
 さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、���落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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zxyjp · 6 years ago
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ベネルクス回りたかった🇧🇪Antwerp-Brussels
朝起きてまたパンを食べてゆったり準備をしながらCulemborgと彼にお別れ、ベルギーのAntwerpへ向かう。彼はブリュッセルよりもアントワープの方が好きらしい。彼のおかげでオランダの普通の部分もよく見れて、かなり住みたいと思うようになった。二日間ありがとう!またどこかで会えるといいな。
電車で二時間ぐらいだったのでオランダにいるうちに8割ぐらい残ったスペースケーキを一気に食べる。これがおそらく9時3分ぐらい。
電車でブリュッセルに向かう途中、唐突にふわふわと起きる。眠いからぽわぽわすんのかな~さっき食べたマフィンかな~?とか思って時間を見たら10:07。マフィン食べたのは9時ちょっと。って考えてたらなんかすごく笑えて来てやたらニヤニヤ。ニヤケが止まらなくて顔を隠して一人で震えてる怪しいやつになってしまった。いわゆるハイって僕はハイテンションになることだと思ってたけど、違う。ぽわぽわする、お酒飲んだときというのりは局部麻酔を打ったときみたいな感じ。目の整形したときみたいな感じ。お酒でいうならほろ酔いというレベルじゃなくてかなり酔ってるときの快感?で気持ち悪さがないバージョン。乗り換えの駅で普通に歩くこと出来たし、いやでもまっすぐ歩くのはなんとなく難しかった。電車に乗るときにこけそうになったり。スーツケースがなかったらこけてたかも。早く公園で寝たいっていう気持ちでいっぱいになってる。波みたいなのが段階的に来る、池にある竹でできたアレなんだっけ、水ためてコトンって音鳴らすやつ。あんな感じ多分。それが体の中心にあってそこから波がグワーっと広がる。
上はまさにハイになってるときに書いた文章。ブリュッセルじゃなくてアントワープだけど、基本的に頭がおかしくなるとかそういうことはないけど、なんだかひたすらふわふわ夢心地になるんだな~思ってたのとは全然違ったけどやっぱりひとり旅でやるもんじゃないな、このせいかベルギーはなんだかふわふわしてた思い出しかない。目がしっかり開かないとろんとした感じも目の整形したときと滅茶苦茶似てるわ、あと今考えてみるとアントワープ何してたっけ、って感じだ。多分こういうものは時間のあるときにゆっくり家で楽しむんだろうな。ベルギーの各都市でも誰かが吸ってる匂いはしたけどね。
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とりあえず早く座りたい寝たいぐらいのふわふわ感(マジで局所麻酔打った時と同じ感覚)だったけどスーツケース持って頑張って移動。頑張って移動してた記憶しかないから実際何してたかな、とりあえずひたすら甘いものを食べてた記憶。写真のデータを見ながら書く、やっぱりあんまり記憶がない。Antwerp駅はとにかく綺麗!世界一綺麗な駅らしい。本当かは知らん。とりあえずここでいちご買った。座りたい。甘くて美味しい!多分人工的だけれど満足。
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街は割と普通のヨーロッパな感じ。とりあえずワッフルを買ってみたけど、アイスはふわふわでワッフルはもちもち!お腹いっぱいで苦しかったけど美味しかった。
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お昼はお腹空いてなかったけど、とにかくどこかで座って休みたかったのでビールで煮込んだビーフかなんかを食べる。それなりに美味しいが好みではなかった。あとベルギーってフライドポテトも有名だよね、細めなのでイギリスのよりは僕は好きだよ。
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その後素敵な建造物を見た、大聖堂。近くに行って見たけど建造物を見てこんなにドキドキするの初めてというぐらいドキドキした。ハイ��ったからかもしれないけれど、なんだか私はとても気に入ってた。歴史的な建造物があるエリアは大きくないけれど建物の形が可愛い!なんとなく東欧っぽい何かを感じるのは私だけだろうか、街自体は結構かなり好き。
なんとなくハイも治まって来たかな?と思ったのが3時。効果は6時間ぐらいが目安と書かれていたからまさに切れかけてたんだろう。その足でそのまま電車でブリュッセルに向かう。まだ完全に切れてないのでややふわふわしたし一回こけて気がする(記憶がはっきりしてない)。自分的には周りに変だと思われないぐらいにはちゃんと振舞ってたけどどうだったんだろう。ブリュッセルについたら街が名古屋過ぎてかなり絶望した。ただのビルの街やんけ、全然普通のヨーロッパよりも面白くない。公園とかはしっかりあるからこういうところ日本じゃないな~とは思うけど。
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Chocolate Lineというところでチョコを買う。ベルギーなので🙌お腹いっぱいだったけどまあ普通のチョコ…ざきしには味の違いがわからぬ。
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これもまた教会か何かかな?よくある感じの広場でゆったり歩いたり座ったりして、その後に唯一の観光名所的なManneken Pis(小便小僧)へ向かう。本当に角にちょろっとあるだけで、像はかなり小さい。マーライオンも少しがっかりしたけどそんなレベルじゃない。ハチ公以下レベルのサイズで写真を撮るのにも一苦労。こんなところにも人が少し集まってる感じ、観光名所ではあるんだろうな。
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そこからはあまりに暇だしお腹もいっぱいでやることもなかったので公園で寝た。公園は木があって、芝生があって、ビーチにありそうな形の寝転べるイスがたくさんある。一つ陣取って2355のロンドン行き夜行バスまで待つ。暗くなるのが10時ぐらいと見たので9時半に出て駅の方へ向かう。治安調べてないし充電も切れそうだったのでさっさと向かう。なんとか近くについて安心してたところで充電5%。さすがにあと二時間持たないだろうしモバイルバッテリーがわり()のノートパソコンも充電切れてる。もちろんもう一台のメインスマホは当の昔に死亡。バス停に着いた今インターネットはいらないのだけれど、Eメールに添付されたQRコードが乗車券なのでコレがないと乗れるか不安だ。印刷なんて勿論してないし名前とIDで最悪いけるのかなと考えていたところで天才僕、カメラを持ってることに気づく。ここでカメラを取りだし、スマホの画面をパシャり。首の皮繋がった!と思った5分後に充電が切れたのでなかなかドキドキする体験だった。全てがデジタルに移行した時の怖さの一つだと思う。名前とIDの照合でいけるきはするんだけどね?バスまで二時間ぐらい、スケッチブックに絵を描いてた。そして寝た。
なんやかんやでバスは来て、カメラを見せて、無事に乗車。フランス→ロンドンの国境でパスポートを見せたのだけれど「もう一つIDはあるか?」と言われた。鼻筋まで描かれたしっかりメイクの写真がいけなかったのだろうか。初めてパスポートを拒否された気分。普通に国際免許証を見せて通ったのだけれどちょっとショックだった。今回もトンネルと電車だったのか途中で起こされることなくしっかり寝た。隣でスピーカーでゲームプレイしてる人いてなかなかつらかったけど、夜行バスなんてこんなもんだよ。時間で金を買ってるので帰ったらしっかり寝て今はカフェでゆっくりと書いてました。以上ルクセンブルクを除くベネルクス旅行でした~!
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seserinomaruyaki · 7 years ago
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12. December. 2017
今日は退寮の日。17時までに鍵を返さなければいけなかったから、そのために朝から布団の洗濯と最後のパッキングと掃除をするつもりだった。なのに留学生で写真とろーとか言い始めたメキシコ人のせいで、朝10時から全体写真を撮りに港に行くことになってしまった(オランダ人が行くやろ?って聞くし、まあ最後やし全員で撮りたいと言う要望ぐらい叶えるかーってなった)。
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港はちょっと凍ってる部分があった。
行きしな歩いて行く間にオランダ人とたくさん話して、全体写真撮ってその後メキシコ人とのツーショット大会に巻き込まれて、最後にオランダ人と二人で撮ろうってなったら、普通の写真と唐突なお姫様抱っこの写真になった。あんまりに急だったのと、オランダ人の力持ちさにびっくりした。こっちの人好きなのかな、お姫様抱っこ。
その後帰って急いで片付けしたら荷物が多すぎて一人で持っていけなくなったことが判明した。だからあおいちゃんに泣きついて運ぶのと掃除を手伝ってもらった。何も生活用品買ってないし、逆に消費していると思ってたけど大量の日本の食料品と絵本とかの本で荷物が圧迫されて大変だった。どうしてこんなに増えるのかと愕然として落ち込んだ。帰るときはたくさん食べてしっかり減らす。
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右が南ちゃんとこに持ってった荷物で、左は来期の人に売るやつ。買ったものはヨガマットと洗剤と玄関マットだけだけど、たくさんのものに囲まれて生活してることに気づいた。 何とか手伝ってもらって大雪の中引っ越しをして、鍵を返してその後忘れ物をもう一回mukkulaに取りに行くついでにオランダ人と会って最後のバイバイを言って(なんか変に感動的だった)、引っ越しが完了した。
夜はホストマザーのライラとご飯を食べる約束をしていたから、南ちゃんと買い物に行って豆乳鍋といなり寿司を作った。久しぶりの日本食三昧でとても心が満たされて、二人ですごい量食べてしまった。ライラの口にはいなり寿司のいなり部分が甘すぎたらしかったけど、豆乳鍋��美味しいって言ってくれた(野菜好きだし美味しいっていう理由だったけど)。ライラは見た目がみませのおばあちゃんみたいな人で、おしゃべり好きでいろんな話ができて楽しかった。食べ終わった後にライラがデザートを持ってきてくれた。料理を作るのは嫌いらしいけど、ベリーが好きでベリーのジャムみたいな何かを作るのは好きでしょっちゅう作ってるみたいだった。
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材料:
いろんなベリー
砂糖
コーンスターチ
作り方:
ベリーを鍋に入れて砂糖を入れて煮る(ベリーはちょっと潰してみたりして水分をだす)
水とコーンスターチを混ぜて鍋に入れる
完成
ライラいわく5分でできる簡単さで、できたてが美味しいらしい(置いといても美味しいけど)。スーパーでも売っているらしいけど、ライラのは甘さ控えめでとても爽やかな感じだった。食べ方は、あっさりしたミルクに浸して食べたりアイスにかけたり色々らしい。ヨーグルトとかもいいねって南ちゃんがいうたら、したことないって言ってた。いや、結構思いつきそうやでって思ったけど黙っといた。
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umedanakazaki · 2 years ago
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こども支援のNPOが発信した投稿がきっかけでご来店されたご家族さん。仲良くなりSNSを交換したらカバー写真が龍と富士山だった。見たことが有ると思ったら、OPEN前にインスピレーションを受けた作家の作品だった。事務所や店内に飾っているその作家の作品を見せながらお互い感動!ありがとございます! 人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。森信三 さて、本日の日替わり弁当です。 #1月7日 #日替り弁当 冬の魚の定番 #ぶり #寒ブリ #脂乗りもいいかんじ #甘辛くオランダ煮に #海老の芝煮もつけてます しっとりとした食感で食べやすい ご飯の上に #まぐろのつくね 照焼き風に 副菜は #ホタテの旨煮 #白菜と揚げさん炊いたん ちょっと豪華に 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #早すぎず #遅すぎず #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CnFGzHvSjqc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kuroda-kanbee · 7 years ago
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数年分のコピペ013
6月 17, 2017 左翼が嫌われる原因、本質的には「日本人を見下す」から。「日本人がまた侵略戦争を始めるかもしれない!」と日本人を信用しない一方で、「中国が日本を侵略するわけがない」「北朝鮮が日本に核ミサイルを打つわけがない」と近隣諸国は信用する。これで日本���から支持されるわけがない。 田山たかしさんのツイート (via irregular-expression) (元記事: twitter.com (tumbujから)) 370 リアクション 6月 17, 2017 まぁ韓国が意図的に朝鮮併合(韓国併合)と第二次世界大戦を混同させるよう誘導しているのは事実だな   まず李承晩政権の正当性を確立する為に���日本に対して抵抗活動をしていたと嘘をついた その結果、韓国独立軍が日本軍に虐殺されただの 韓国は独立戦争に勝った戦勝国だの ありもしない嘘と妄想がつみあげられていったが いざ、まともな歴史検証をすると第二次世界大戦当時の朝鮮半島は ほぼ蚊帳の外 むしろ逆に中国やアメリカに対し謝罪する立場 そこで”第二次世界大戦の被害者”を吹聴するために従軍慰安婦や強制連行を捏造する必要があった 笑 韓 ブログ : ”壮大な誤解〟 韓国こそ「ドイツに学べ」(ソウル=黒田勝弘) (via chikuri) (元記事: wara2ch.com (nashi-kyoから))
6月 16, 2017 しかしフィリピンのミンダナオ島で20万人が住む大都市がISとその支持者に軍事制圧されて住民は人間の盾にされ、大統領が全ての外遊をキャンセル、隣のインドネシアなんかも警戒レベル最高になってるというのに日本は呑気だなとTVを見て思う。 まずその事実を一向に報道しないのが不思議。 Twitter / JET00jyuubangai (via dontrblgme404) (元記事: twitter.com (kinsyuuから))
6月 16, 2017 日本の公共放送NHKは世界で唯一、外国籍の正社員を大量採用している公共放送であり、その外国籍社員の大半は日本国籍を持たない在日鮮人たち。 彼らがニュースの原稿を書き、ドラマの演出をし、ドキュメンタリーを制作して各種番組を編成している。まさに異常事態。 欧米の公共放送は多民族の社員からなる多様な社会を形成しているが、社員は全てその国の国籍保有者。 自国の国籍を有していることがBBCにしろ民放のアメリカ3大ネットワークにしろ採用の条件であり、外国籍の人間を正社員に採用するなどあり得ない話。 NHKの在日鮮人社員らはグループを形成して社内人事にまで口を出し、在日鮮人を芋蔓式にどんどん新規採用している。 我国の放送法・電波法では、放送が外国の宣伝工作機関に陥らないために外国資本の出資を厳しく制限している。 しかしながら重要なのは放送局の職員を外国人に支配されないことの方であり、野党時代に散々偏向報道で煮え湯を呑まされた自民党は速やかに放送法を改正して外国籍社員を排除し、かつ、条文の受信料を視聴料に変更して放送のスクランブル化を図るべし。 そうすればシナチョンに資する売国偏向報道は無くなり、90歳の老女から1年分の衛星受信料先落としなどの悪行も出来なくなる。 日本の公共放送NHKは世界で唯一外国籍の正社員を大量採用しており、その外国籍社員の大半は日本国籍を持たない在日韓国人である!!! NHK役員「外国籍の社員数は【 把握していない 】」 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via man-nona) (元記事: news-us.jp (rita7788から))
6月 16, 2017 反日マスコミ、左翼野党、民進党の言い換え 賛成多数→強行採決 テロ等準備罪→共謀罪 野党の審議拒否→審議時間が足りない 獣医師会が新規参入を一学部に絞らせる圧力→安倍政権の圧力 文科省の判断→安倍政権に忖度 切り貼りした捏造文書→文書が複数存在 買春官僚→貧困調査 https://twitter.com/shinjihi/status/875274128571326464 (via shinjihi)(gojohから)
6月 16, 2017 海外メディアが日本を批判している、という権威付けにニューヨーク・タイムズを使うのはもう止めてくれませんか? 普通のアメリカ人記者が書いたならともかく、ノリミツ・オオニシ記者でしょう? NYタイムズのノリミツ大西記者がF2戦闘機のグアム爆撃演習を批判 : 週刊オブイェクト (via katoyuu, katoyuu) (via yaruo, yaruo)
6月 16, 2017 快楽天ファンの皆様から「え?AERAって快楽天より発行部数少ないの?」という驚きの声が上がっていますが、二倍以上の開きがあります。 いざとなったらエロマンガファンの方が大きな声が出るので自信を持って快楽天を応援して下さい。(笑) ジョンお姉さんさんのツイート: “快楽天ファンの皆様から「え?AERAって快楽天より発行部数少ないの?」という驚きの声が上がっていますが、二倍以上の開きがあります。 いざとなったらエロマンガファンの方が大きな声が出るので自信を持って快楽天を応援して下さい。(笑)” (via hkdmz) (元記事: twitter.com (tumuginから))
6月 16, 2017 作品が犯罪に影響する云々の度に over-sleep: 津川雅彦さん 「影響はあるけど、影響を受ける奴は救いようのないバカ」 ビートたけしさん 「じゃあ、なんでお涙頂戴の良い話だらけだなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」 フランク・ザッパさん 「今おれはデンタルフロスの歌を歌ったんだが、お前の歯は奇麗になったか?」 松本人志さん 「百歩譲って、オレの番組が子供に悪影響だったとしよう。 でも、それなら親であるあなた方が、 『マネしてはいけませんよ』と言えばいい。 たかだか1時間の番組の、ほんの数分間の一コーナーの影響力に、あなたたち親の影響力は劣っているのか?」 ー 参照ツィート アクノス所長=リンさんのツイート shamuonさんのツイート hideさんのツイート (shiro-10banから)
6月 14, 2017 【1】「民主主義」とは、意見の違う相手の立場を尊重することです。
ですから「平和安全法案」を勝手に「戦争法案」と呼ぶような人達は民主主義の敵です。 与党の人達は、万が一心の中で思っていたとしても、国会の議場で民主党や共産党、社民党の人達を「売国奴」とは呼びませんし、山本太郎氏を「低能」とも呼びません。少なくとも、国会は民主主義の実現を目指す場だと心得ているからです。
【2】「民主主義」とは、いきなり自分の考えを押し付けるのではなく、相手との妥協点を探ることです。
ですから、国会で多数派を占める与党を基盤にする政府法案を、気に入らないかといって妥協点を見いだす努力もせず「廃案!廃案!」と叫ぶ人達は民主主義の敵です。 与党の人達は、「次世代の党」「日本を元気にする会」「新党改革」の人達の主張を付帯決議に取り入れるという形で妥協を図りました。これが民主主義です。また、「次世代の党」他の人達もイデオロギーを超えて、修正案を練り上げました。これが民主主義です。 SEALDsの皆さんが「帰ったらご飯を造って待ってくれているお母さんがいる平和を守りたい」と訴えた時に、その訴えがフェミニズムの立場から気に入らないと批判した上野さんとかいうおばさんがいたでしょう。ほんのささやかな違いが許せない。そういう人が民主主義の敵です。 ちなみに、平和安全法制は、そういう皆さんが願う平和を未来に向かって守るために造られたのです。 【3】「民主主義」とは、妥協点を見いだせなかった時には多数決で全体の意見を決めることです。
人間ですから、いくら話し合っても妥協点を見いだせないこともあるでしょう。そういう時には、人の値打ちは皆平等ですから、全員が平等に同じ1票を持って多数決で意見を決める。それが民主主義です。 100時間も話し合ったのに、暴力で多数決(国会では採決といいます)を妨害した人や、自分達が通路を通せんぼしているのに、それを退けようとしたら「セクハラ、セクハラ」と叫んだおばさん達がいたでしょう。あれが民主主義の敵です。 【4】「民主主義」とは、多数決で決まった意見に皆が従うことです。
中東でデモをして選挙が行われた時に「アラブの春」と喜んでいた人がいたでしょう。だけどデモによって選挙を実現した人は、自分の気に入らない選挙結果に従わず暴力で抵抗しました。そして、今アラブ世界から大勢の難民がヨーロッパに押し寄せています。 皆さんと一緒にデモをしたおじさんおばさんが、もし「こんな国会議決に従えない」と叫んだとしたら、その人達が民主主義の敵です。 もちろん、日本は民主主義の国であると同時に立憲主義の国でもありますから、裁判で平和安全法制の違憲を争うことは問題ありません。しかし、万一、自己判断で違憲だから従う必要がないと言い出したら、その人達は民主主義だけでなく立憲主義の敵でもあります。 太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう - ザ・ニュー・スタンダード (via irregular-expression) (元記事: newstandard.jp.net (gojohから))
6月 14, 2017 最近イスラムのコーランとハディース読んでるけど「豚肉を食うな」以外にも「三人でいる時二人にしか通じないネタを話さない」「なんとなく飯をおごったりしろ」「旅はいいぞ」「ぼっちは仲間に入れてけ」みたいな話ばっかりで普通に最高の宗教だと思った もりそば���明神さんのツイート (via mug-g)(元記事: twitter.com (zaq1234から))
6月 14, 2017 昔カウンセリングの勉強をしてるときに「真に人格的で情緒が安定していて愛情深く他者に優しい人は、そうでない人からは冷たい人に見える」という事実を学んで、驚いたことを思い出すなあ。 はてなブックマーク - 優しい人ほど他者に期待しない - 指揮者だって人間だ (via hepton-rk)(hisuixから)
6月 13, 2017 会社でいわゆる「飲み込みが早い人」をずっと観察していたことがある。そうすると、なんとなくではあるが、飲み込みが早い人と普通の人に違いがあることがわかってきた。 例えば、何か新しい知識を習うことになったとする。普通の人は、教えてもらったことを1つでも多く覚えようと努力する。一方で、飲み込みが早い人はなるべく覚えるものを少なくしようと努力する。枝葉を徹底的にそぎ落とし、これを覚えてないともうどうしようもないという部分を抽出してそこの部分の学習に集中する。そういった取捨選択を、自然にやっている。 言い換えると、「上手に枝葉を捨てられる人」が「飲み込みが早い人」になっているようだった。実際、「飲み込みが早い人」にあまり重要でないマイナーな事項について質問をすると、全然答えられない(一方で、飲み込みがあまりよくない人だと、こういう質問にも案外答えられたりする)。でも、それでいいのである。重要度が低いことは、必要になった時に覚えれば現実にはそれでまず問題ない。最初の段階で枝葉にこだわりすぎると学習は迷走��、いつまでたっても「分かってない人」に見えてしまう。 結局のところ、「飲み込みが早い人」の多くは頭の回転が人の3倍早いとか、人より記憶力が10倍いいとかそういうことではなくて、力の配分に優れているということなのだ。効率よく何かを学習しようと思ったら大事なことから順番にやるのはあたりまえだが、それができている人は案外少ない。何を学び、何を学ばないかを決めることで、勝負のほとんどは決まってしまう。 何かを学ぶ際には、枝葉で時間を無駄にしすぎないように、気をつけたい。 「飲み込みが早い人」は何が違うのか - 脱社畜ブログ (via ishizue)(元記事: dennou-kurage.hatenablog.com (akr64oから))
6月 13, 2017 学生諸君。勉強しよう。世界の学生は必死にしてる。する奴としない奴には差がでる。俺たちは勉強してなかったが大丈夫とか言うオヤジたちを信じてはいけない。証拠に今の日本は大丈夫じゃない。日本の学校が世界の水準から落伍してることを僕らも受け止めて必死に改善の努力してる。一緒に突破しよう Twitter / jirok (via dorelax) バブル世代の罪深さ (via scsa)(元記事: twitter.com (mysamplingsから))
6月 13, 2017 昨日、都内某私大の教授をしていた人とご飯食べたけど 「あのね世の中でちゃんと活躍している人って、結局中学の教科書をちゃんと理解している人なんだと思いますよ。」 って言ってた。 Twitter / kissaka (via ashitatsu)(mysamplingsから)
6月 13, 2017 流行った痕跡のない「日本死ね」の言葉は流行語のトップ10に入った。審査員のどなたがそう願っているだけの話ではないのか。「中国死ね」「韓国死ね」と叫べば確実にヘイトだと非難されるが、「日本死ね」は大丈夫だ。結局この日本で、日本に対するヘイトだけは、いつでも大手を振って罷り通るのだ。 Twitter / liyonyon (via re-nise3kawan)(元記事: twitter.com (dojiahol735から))
6月 13, 2017 ペリーが浦賀に来る前に石垣島で騒ぎがあった。 米奴隷船ロバートバウン号に積まれた苦力が暴動を起こし、船長を殺してこの島に逃げ込んだのだ。 ペリーは戦艦サラトガを差し向けて苦力を狩り出し、白人に抵抗した見せしめにその場で吊るした。 暴動の原因は洋上に出たところで400人の支那人を裸にし、辮髪を切り落とし、キューバやペルーなど売り払い先ごとにCやPの焼き鏝を胸に押し当てた。 売り物にならない病気持ちはその場で海に突き落として鮫に食わせた。 季節労務の募集だと思っていた支那人たちは奴隷にされたことを知って暴動を起こした。 この顛末はパーカー米公使が石垣島から連れ戻された苦力を船員殺しの実行犯として告訴したときの厦門の裁判記録による。 維新前夜、日本の周辺にうごめく欧米列強はこんな無茶をやっていた。 そんな中で日本は国を開いて近代化を果たし、支那朝鮮の目覚めも促した。 結局は支那を取り込んだ欧米に潰されたが、そこまで健気な日本を加藤登紀子は「日本と聞くだけで腐臭がする」といい、大江健三郎���下手な文章と下手な嘘で日本を蔑んで喜ぶ。 日教組も欧米に倣い「明治維新は市民革命じゃあない」とヘンな貶め方をしてきた。 彼らの言う市民革命はフランス革命のように支配階層を片端からギロチンにかけるのが形だ。この革命では60万人が殺された。 ロシア革命も立派な市民革命で、レーニンは皇帝一家皆殺しにし「富農を毎日100人ずつ」吊るさせた。革命の犠牲者は900万に上った。 支配階層の殺戮が市民革命の要件なら、毛沢東もポルポトももっと高く評価されていいことになる。 明治維新は足軽、小者という最下層市民が支配階層の武士を排除した。 形は市民革命的だが、処分は殺戮ではなく秩禄処分、つまり解雇だけだった。 革命後の国体も天皇を戴く構造はそのまま。足軽上がりの伊藤博文らが側近に上がり、天皇の親政を輔弼するが如く振る舞った。 伊藤はルイ王朝のリシュリューで井上馨がコルベールのつもりだったか。 それが世間に厳しく批判され、明治天皇が望まれた「万機公論に決する」民選議院設立が急がれた。 明治5年に鉄道を走らせ、明治16年には発電所も作ったのに国会開設が一番遅れて明治23年というところに伊藤ら足軽たちの権力への拘りが窺われる。 大量殺戮のない明治維新のもう一つの特徴が、旧弊に飽きていた市民の生活革命だった。 まず髷だ。朝起きると月代を剃り、髷を結う。女は鬢付け油で固める。 寝るときも髷を結ったままだから、箱枕という固い箱を首筋にあてて寝る。 寝相の悪い人には拷問だっただろう。 髪洗いも毎日とはいかないから虱も湧く。柘植の櫛が好まれたのは虱の卵取りに効果があったからだ。 女は嫁ぐと眉を剃り、歯を黒く染めた。そんなヘンな習慣が平安の昔から人々を縛ってきた。 面倒な着物も髷もお歯黒もやめたい。それを維新に便乗して全部やめた。 日本に倣ってトルコ近代化を目指したケマルパシャはトルコ帽をやめさせるのに何百人も死刑にした。 支那人は辮髪に拘り、切り落とされただけで暴動を起こしたことは前述した。 米国人は今もヤードポンドを変えられない。世にも不思議な45メートルプールで泳いでいる。散切り頭を叩いてみれば、と唄う日本人とは大違いだ。 日本人はまた維新を機に儒学もやめた。儒学に囚われたままの支那朝鮮に挨拶することもやめた。 血も流さず、寝床から思想まで古い殻をきっぱり捨てた維新はむしろ市民革命のお手本と言っていい。 あれから1世紀半。平和憲法とか朝日新聞とか、つまらぬ澱が溜まって、支那朝鮮に挨拶まで始めた。 今、維新という。維新に策は要らない。もう一度どぶ浚いすればいい。 維新を考える:変見自在 高山正之 週刊新潮 2012.9.20号 (via nandato)(元記事: nandato-blog (gpx250r-ninjaから))
6月 13, 2017 【在日ヤクザ分裂】米メディア「在日系vs部落系の争い」とマスコミのタブーをあっさり言ってのけるw 1: Ψ 2015/08/31(月) 16:10:14.19 ID:b0jqZI2u0 「根源は韓国・朝鮮系vs被差別部落系の争い」と米メディア フォーチュン誌のランキングでは、山口組は、2位のロシアン・マフィア『ブラトヴァ』(収益85億ドル)を大きく引き離してトップに立っている。同誌は、「中国マフィアなどの東アジアの犯罪グループは、多くは血縁関係で結ばれているが、ヤクザは“入念に作り上げられたヒエラルキー”で結ばれている。メンバーは一度加入すれば、全ての忠誠心を優先的にヤクザ社会に捧げなければならない」と記す。この「世界で最も中央集権化された組織運営」が、群を抜いた収益を上げる鍵だ��している。 山口組の分裂は、この中央集権化されたピラミッドの一角が崩れることを意味する。警察や政府が抗争の一般市民への影響を懸念すると同時に、組織弱体化の千載一遇のチャンスと見るのはそのためだ。組側もそれを十分に認識していると見える。 山口組は1980年代にも分裂の危機を迎え、30人以上の死者を出す抗争に発展した。その際には組員を呼び戻すために高額の“退職金”を用意するなどの“年金プラン”を導入し組員の離反を防いだという(『Daily Beast』)。今回も何らかの懐柔策が取られるかもしれない。 ただし、対立の根はもっと根深い所にあるようだ。『Daily Beast』は、国内メディアがあまり触れない、ヤクザの出自に関する“タブー”に触れている。同メディアは、日本のヤクザの多くは、帰化した韓国・朝鮮系(または在日韓国・朝鮮人)と、かつての被差別部落出身者だと指摘する。そして、「山口組(山健組・関西派)には被差別部落出身のメンバーが多く、『弘道会』は韓国(・朝鮮)系の割合が高い。これが2つの派閥の緊張を作り出している」と記している。 [NewSphere 2015.8.31]http://newsphere.jp/national/20150831-1/ 2: Ψ 2015/08/31(月) 16:12:45.89 ID:mRk0jTlb0 そうだったのか わかりやすい 【直球ワロタw】山口組分裂:海外メディア「在日系vs部落系の争い」とあっさり言ってのけるwwwwwwwwww (via hizayamasan)(gpx250r-ninjaから)
6月 12, 2017 明治維新も大東亜戦争もどちらも世界史的な偉業だと思う 明治維新は日本国内の内政的なものだけど 大東亜戦争はアジアやアフリカなど世界中の白人植民地支配を終焉させたという世界史的な意味で永久に記念されるべきもの (via shinjihi) 今はまだ白人世界なので、まだ日本は敵認識されてますが、あとちょっとですよ。あとちょっと。 (via a-ne-go)(a-ne-goから)
6月 12, 2017 ・韓国が北朝鮮の分まで戦時賠償をもらって使い込みしてることも知らない ・日韓併合で、当時一国が買えるほどの金額の朝鮮のロシアに対する借金を日本が肩代わりしたことも知らない http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-5291.html ちょっとアレなニュース 日韓基本条約、日本は小学生で習うのに韓国は大人でも知らない (via worldwalker2)(zaki123から)
6月 12, 2017 日本にいつまでも反省をしろと問うニューヨークタイムズやワシントンポストに、英国人ジャーナリストがキツイ一撃を食らわす!
英国人ジャーナリスト「はっきり言って日本はもうとっくの昔に謝罪も賠償もしてるだろ、ニューヨークタイムズやワシントンポストは、いつまでも日本に謝罪を要求するなら、自国がやった戦争犯罪の原爆投下やインディアン虐殺についてもオバマに謝罪しろと言うべきなのでは?」 http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51888314.html 海外反応! I LOVE JAPAN  : 英国人ジャーナリスト「ニューヨークタイムズは頭おかしい!」 (via worldwalker2)(b-m-graphixから)
6月 12, 2017 ①廃止:やめられないか? ②削減:削れないか?粗くしてもよいものか? ③容易化:もっと早く、もっと簡単にできないか? ④標準化:ルール化、マニュアル化できないか? ⑤計画化:いつ、何をするか先読みできないか? ⑥分業分担:分業化・集中化・外注できないか? ⑦同期化:手待ち・督促・調整をなくせないか? ⑧機械化:手書きをやめられないか?自動化できないか? この8原則を、上から順番に検討していくことで、業務改善が図られるというものです。 明日から使える業務改善!0仕事を減らす8原則0 - やっちゃえ先生ブログ (via nokoto55) (元記事: yacchaesensei.hatenablog.com (tra249から))
6月 11, 2017  「ヒマラヤの氷河が2035年までにみな解けてしまうという予測には根拠がなかった」  「アフリカの農業生産は20年までに半減するという予測も間違いだった」  「アマゾンの熱帯雨林はこのままだと40%以上が危機に直面するという記述にも科学的根拠はなかった」  「オランダの国土は地球温暖化のためにすでに55%が海抜ゼロ以下になったという発表もミスで、実際にはまだ26%だった」
 こんな事実が次々と判明し、米国では地球温暖化への疑念がどっとぶつけられるようになった。 まとめたニュース:温暖化「ぜんぶウソでした」 国連の科学的報告書に途方もないミスがあったらしい (via 719043, 719043) (via zaq1234, zaq1234)
6月 11, 2017 酒呑んでるときに「アクサのCMではなぜドイツ車ばかり事故るのか」とお題を出したら、元保険屋の友人が「フランスの会社だから」と言って、全員がガッテンガッテンガッテン Twitter / Takuri_east (via 719043)(元記事: twitter.com (zaq1234から))
6月 11, 2017 人の話の聴き方が上手い人には共通する特徴があって、それは列記するとこのようなことだと思う。  1.人の話をおもしろがって聞く。  2.なにか広がりそうなところがあると、そこを聞いてみる。  3.相手がなにを話しても、攻撃的にならず、たしなめ方が上手い。  4.自分の話もするのだけど、それはあくまで対比としてする。  5.自分の話をするときは、たいてい、一歩下がった位置でおもしろおかしい失敗譚が多い。  6.相手が話したがりそうなところを見つけるのが上手い。  7.話し手を全肯定する。  8.ちょっとぐらい矛盾があってもつっこまない。  9.相手の話を否定しない。  etc……  これってなんなのだろうと考えると、ホスト・ホステスの話の聴き方に近い。  ひとことで言えば、話し手を主役にするのが上手い人なのだと気付いた。 (via footwork) (via ssbt) (via aya-brea-har)
嫌われ易い人は、他人の話に乗っかって”俺なんか…”“私なんて…”で突っ走り、自分の事を聞いて欲しい香りをぷんぷんさせる人。(via iiithurboiii) (via hayami) (via subdub) (via kimrash) (via tinyreminder) (via mdnlvs)
6月 9, 2017 帰り、全然話したことのない無口な人と一緒になって、一人で「キラキラした道路ってあるじゃないですか、あれなにか入ってるんですかね0ぼくあの道路大好きです」ってベラベラ話してたら、分かれ道で「あれはカレットってガラスを砕いたやつを混ぜてる」と、さよならも言わず去っていったのが良かった ぱぱんたさんのツイート (via quotation2)(元記事: twitter.com (kobazoから))
6月 9, 2017 韓国人夫婦が台湾に旅行に来ていたそうだ。台湾のレストランに入り、漬物やつまみなど冷菜5皿を頼んだそうだ。しかし、会計になって「冷菜代は払わない。だって韓国ではキムチは無料だから!」とゴネて、代金を踏み倒した。確かに、韓国ではキムチやナムルはサービスでついてくることが多い。しかし、夫婦が訪れたのは台湾。自己中心的なひどい振る舞いが問題視されている。 事件が起きたのは台北市だ。店名は明かされていないが、わりと名の通った牛肉麺の店だという。そこに1組の韓国人夫婦が現れた。 夫婦は牛肉麺の他に、漬物やおつまみなど5品・320台湾ドル(約840円)をオーダー。しかし、会計になってこの5品分の代金は払わないとゴネだしたのだ。理由は「韓国ではキムチなどの漬物は無料だから払う必要はない」というのである。 全く筋が通っていない。確かに韓国ではキムチやナムルはサービスでついてくることが多い。しかし、ここは台湾、しかも台湾名物・牛肉麺の店である。店のオーナーは「彼らはかなり怒った様子で“なんで払わないといけないんだ!”と言いました」と振り返る。 オーナーがどんなに説明しても韓国人夫婦は「why!? why!?」と繰り返すばかり。全く聞き入れる様子はない。全くらちがあかず、オーナーも「もういい」と言うほかなかった。結局、夫婦は冷菜分の代金を払わずに出て行ったそうだ。このやりとりを見ていたほかの客が、ネットに一部始終を書き込み。事が明るみになったという。   外国に行けば、現地の習慣が自分の “常識” と異なることは多い。しかし「郷に入れば郷に従え」という言葉があるように、基本的には現地の習慣を尊重すべきではないだろうか。この韓国人夫婦の振る舞いは自己中心的だと言えよう。店主は 「今度からメニューに韓国語で “冷菜は有料です” と書こうと思います」と話しているそうだ。 【これはヒドイ】韓国人が台湾のレストランで代金を踏み倒す 漬物など冷菜5品を注文 → 「韓国ではキムチは無料ニダ!!」【まさに土人】 | 速報☆東亜政経 (`・ω・´) なにしろ「声闘ソント」の国の人ですから。大声で罵りあい、黙ったら負け。最後まであきらめずに騒いだ方が正しい。そこに理屈はありません。従軍慰安婦の構図とか、アメリカ軍はなぜ韓国人取扱い要領「相手にするな、どうせ大したことは言っていない」と記したか、などと合せて考えると見えるものがある���思います。 (via gasarak)(元記事: sqiz (fortyniner045から))
6月 9, 2017 ちょっと興味深い話 http://masubuti.exblog.jp/18962569/ 沖縄が返還される前、尖閣諸島周辺に群がるシナや台湾の漁船を危惧した昭和天皇が、 当時総務長官だった山中貞則さんに尋ねた。 「山中、尖閣諸島には蘇鉄は生えているのか」。 山中さんは「申し訳ありません、存じません」と答えたのだが、 昭和天皇は独白のように「沖縄に蘇鉄はあるが、台湾にはない」と答えられたそうだ。 植物学の学者でもある昭和天皇らしい話だが、これはすごく的を射ていて、 当時の我々の先遣隊が魚釣島に上陸した際、帰還した学生たちに聞くと、 「そこら中、蘇鉄だらけでした」と。 人間の行き来が植物の種を土地から土地へ運んで行くわけで、 これは昔から沖縄から尖閣諸島への人々の���来が頻繁にあった確固たる証しなのだ。 第一、シナが尖閣諸島を自国の領土だと主張する理由に挙げる、 大陸棚の延長線なんてものはばかばかしい話で、海上での波風や、潮の流れなどを考えると、 沖縄から尖閣諸島に渡るよりも、シナから渡ることははるかに難しいこと。 事実として、昔から尖閣諸島は間違いなく日本の文化圏にある。
6月 8, 2017 おまえら、よく覚えとけ NHKは特殊法人だから 法人税、1円も払ってないからな NHK 「受信料値下げしたので、利益ゼロになりました」…でも”NHK職員、平均年収1000万円超” (via norick)(元記事: norick (bbk0524から))
6月 8, 2017 そうそう!就活で人事権のある異性にプライベートな会食に誘われたり家を訪問したいと言われたら、絶対「父か母も呼んでいいですか!」とか「その日は兄がいるのでご挨拶させてください!」とか言うべき。わたしはそれで人事(のちに私に片想いしていたことが判明)の家庭訪問を避けることができた。 椿さんのツイート (via gkojax)(bbk0524から)
6月 8, 2017 こないだ戦時アメリカでの日系人の苦悩を書いた本読んだが如何にアメリカに誠意をたてるかに全力を注ぎそれでも強制収容され財産没収され戦地では最前線の盾にされなをかつアメリカに忠誠を示そうと尽力する涙ぐましい移民の姿があった弱点の立場を最大限利用し法制をねじ曲げ悪用し 日本の揚げ足取りに奔走し義務を果たさず権利を声高にのみ要求する現代の在日コリアンとはてんで真逆の哀しいほどひたむきな移民が存在したというのに驚愕した 652 名無しさん@13周年 2012/09/09(日) 11:45:51.03 ID:SJhRGVds0 ≫629ネットで第442連隊戦闘団の話を初めて見た時、なんでこういう歴史を教えないんだろうと思ったよ http://www.tanken.com/442.html まあ、鮮人にとって都合悪すぎるのは分かる
6月 8, 2017 1.犯罪者はわりと動物に近い 2.動物の前で餌をちらつかせたら襲われる だから頭の良い金持ちは金をチラつかせないし、頭の良い女は肌をチラつかせない。チラつかせるのは頭が悪くて「すべての人間に等しく知性がある」と勘違いしているバカだけ。 砂鉄さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (newtonblueから))
6月 7, 2017 頭が良い人は打算的で冷たいと思ってる人が多いんだな。 私の知る世界では逆だ。 頭の良い人は優しい。 頭の悪い人はすぐ切れたり、誤解して絡んできたり、縄張り意識で敵対したり、仲良くなっても、ちょっとした事で「裏切った」とか因縁つけてくる。短絡的で妄想的で暴力的で、優しくなんかない。 Twitter / takuramix(via hutaba) 2014-03-04 (via my-precious-legacy) これなー。ヤンキー信仰ってやつだよな。(via yoosee)(元記事: twitter.com (quote-over100notes-jpから))
6月 7, 2017 北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もある。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとした。19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。 天然痘 - Wikipedia (via otsune)(元記事: Wikipedia (hallowoから))
6月 4, 2017 アメリカが金融制裁をやってる。 北朝鮮系のヤクザの銀行口座やクレジットカードが次々凍結されてて。 韓国から日本への送金も滞ってんの。 サヨクとかリベラルを名乗ってるマスコミへの工作資金でもある。 ちなみにアダルトサイトの摘発やAV女優への人権侵害も。 最近になって急に行われるようになった。 台湾ルートでの送金や身代わりが増えたのでそっちも捕まってるよ。 覚醒剤だとモロに違法。 金塊なら運び出す時点では違法ではない。 バレないように持ち込めたら換金は容易。 宝石類だと出処がわからないと買い叩かれるが、金塊は潰してしまえばわからない。 北朝鮮有事で金相場が高騰してることと、日本では売買の税率が低いことも影響してる。 韓国ルートだよ。
6月 3, 2017 この詐欺グループのポイントは、メンバー全員が首都圏の「名門校の生徒」であること。そして全員が違う学校の生徒であることだ。また被害者役の子は、いかにも大人しそうな顔をした女の子が担う。髪はもちろん黒髪だ。ちなみに当時はガングロなる女子も巷にはびこっていて、女子高生といえば日サロで焼いた黒い肌に茶髪、ルーズソックスが定番だった。そんな時代に、名門校の制服を着た、しかも黒髪の少女が、まさか詐欺グループの一員だとは誰も思わない。そして、全員が違う制服を着た女子高生たちが、実はグルであることも分からない。たまたま現場に居合わせた義侠心のある女子高生にしか見えないからだ。  もちろん、駅員室に行って駅員や警察官から学校名や名前を聞かれても、堂々と生徒手帳を見せる。これで大人はすっかり女子高生たちの言うことを信じてしまう。大人は名門校の女子生徒には甘いのだ。そして警察も検察も裁判官も、そんな大人の信頼厚い女子高生たちが言うことを、「信頼できる第三者の証言」として取り扱う。餌食にされた男性からすれば、どこの誰とも知れない女子高生たちがグルであることを立証するなど、まず不可能だ。  かくして冤罪詐欺事件は成立する。駅員室に行く前に示談が成立すればセーフだが、駅員室まで行くことになっても駅員も警察官も女子高生の言うことをすっかり信用するから、男性は起訴まで持って行かれる。起訴されたら実刑がつくことが怖いので、裁判で有利になるようにほとんどの被疑者は示談交渉してくる。また、逮捕・拘留されても、起訴される前に示談できれば起訴猶予の可能性もある。いずれにせよ、被疑者は結局示談を持ちかける。これで女子高生たちは何がしかの金品を、ターゲット男性から巻き上げることになる。 名門女子高生「痴漢冤罪詐欺」グループ、中年男を狙う巧妙な手口 | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン (via otsune)(元記事: diamond.jp (yaruoから))
6月 3, 2017 多くの弁護士が、極力簡裁を避けて地裁に提訴しようとするのはなぜか。 その理由はいろいろあるが、最も大きいのは裁判官の質の違いだ。 簡裁判事の質は、通常の判事に比べると平均的に低い上にバラつきも大きい。したがって、簡裁に訴訟提起するとおかしな判断をされるリスクが高いからだ。 「簡裁判事」という用語は、単に「簡裁に所属する判事」という意味ではない。法律上、判事とは別の「簡易裁判所判事」という特殊な職名があるのだ。 実は簡裁判事は、司法試験に合格しなくてもなることができる。 一般の方はたいていこれを知らないから、言うといつも驚かれる。 弁護士が簡易裁判所を避ける理由 - 弁護士三浦義隆のブログ (via otsune)(元記事: miurayoshitaka.hatenablog.com (yaruoから)) 6月 3, 2017 事業仕分けの恐ろしいかったところはやはり「高度な知識と技術の研究開発のために研究者たちが金策にも苦労していたものを、その内容を理解できない者、理解する気のない者が『税金の無駄』という一言で切り捨てにかかった」という、うっかり文化大革命のプチ再現になりかけたことじゃないかなと。 鷹斗さんはTwitterを使っています (via ashzashwash)(元記事: twitter.com (impossiblemodelfactoryから))
6月 3, 2017 以前、なにかの本で 「女というのは、自分にいつかシンデレラの奇跡が起きると信じている、イジ��ルな継姉たちである。だから彼女らは、自分の身近で起きたシンデレラストーリーを、自らの機会損失だと勘違いして、嫉妬に狂う」 って文章を目にした事がある。
修羅場とか武勇伝とか (via gkojax) よく考えたら、男も同じだよな。(via sus503) (元記事: shuraba.seesaa.net (flashno1から))
6月 1, 2017 中国や朝鮮というのは、「死者に鞭うつ文化」なんだけれど、日本人の文化というのは、「死人のことは悪く言わない」。この文化的違いが、反日帰化人政党は理解できないから、「民進党が、自民党批判をすればするほど、なぜか自民党の支持率があがるんですよ。自民党のスキャンダルでも」。林雄介さんのツイート (via gkojax)(lovecakeから)
5月 30, 2017 カーペットに液体こぼした時、零した場所にタオル(液体を吸い取らせたい布)をあててその上から掃除機で吸うとほぼ跡形もなくキレイにタオルに液体を吸い取らせられる…というライフハックは試してみたら本当にその通りで家事系ライフハックでここ一番感動したので心からオススメしたい。 原 点 回 帰 @サカグチ(@sakaguchixxx)さん | Twitter (via bibidebabideboo)(元記事: twitter.com (etau0422から))
5月 30, 2017 人生の質はつねに喜ぶことのできる能力に比例している。喜ぶことのできる能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる贈り物なのだ。 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 / ジュリア・キャメロン (via ebook-q)(we-will-winから)
5月 30, 2017 つまりね、左翼ってのは国民の不幸を必要としているんだ。だから経済政策をしない。公共事業を批判する。発展はもう良いじゃないかと言う。国民の貧困が左翼の力になるからな。不安のない快適な暮らしがしたければ、お前の貧困を望む連中に力を貸すのを止めろ砂鉄さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (we-will-winから))
5月 30, 2017 まず最初になぜ、フランスがこんなにまで国を挙げて三陸かきを応援してくれるのかについて説明したい。 フランスにとってカキは、国民食といってもいいほど重要な食材なのである。 ほとんどの場合、殻つきで生で食べる。 あまり生食文化のないフランスであるが、カキだけは例外。 その理由は、古代ローマ時代にまでさかのぼる。 兵士の食糧として、沿岸部でカキの養殖を行いながら進軍し、英気を養った。 そのため、いまでもカキだけはそのまま生で食べる習慣があるのだといわれている。 そして、さらにはフランス人にとってクリスマスのご馳走といえば、誰しもが七面鳥よりもカキと答える。 とにかく国民すべてがカキを愛しているのである。 そんなフランスにおいて、1970年代にカキに病気が蔓延し、壊滅的な被害が発生した。 その際に、日本から宮城種(マガキ)が提供され、その宮城種は、病気をものともせず成長し、危機を救ったのである。 現在では、フランスの市場に流通しているカキの90%が、この宮城種の子孫となった。 (宮城種が入ってくるまでは、ヨーロッパヒラガキ(ブラン種)など薄いカキが中心だった。) このため、フランスのカキの関係者はみなこの事実を知っており、 「1970年に日本が助けてくれなかったら、いまのフランスのカキ業界はない。だからできることはなんでもする。」と口ぐちに言ってくれるのだ。 1970年代以降も、フランスおいては、ほぼ10年ごとのペースで、なにかしらの病気が発生し、そのたびに日本は水産庁を通して、フランスに宮城種を提供してきた経緯がある。 そして、現在も2008年ごろから、またフランスにおいて種牡蠣(カキの赤ちゃん)が死滅する病気がではじめ、あらためて宮城種の導入を検討、2011年の3月には、その実験のための第1便(約5000個)が、フランス国立海洋研究所(イフレメール:Ifremer) に提供される予定であった。 そのための事前調査も昨年より行われていた。 が、いざ開始となるそのわずか数日前に、震災がおき、提供は当然のごとく中断、その後も放射能の影響などが危惧され、フランスは別の候補を探さねばならなくなった。 以上の経緯から、宮城種の救援復興を国を挙げて応援してくれているのである。 フランスからの三陸かき支援についてのレポート|東日本カキ産地救援復興対策会議|ROC|主管:日本オイスター協会 (via clione)(元記事: ameblo.jp (sejiijesから))
5月 30, 2017 私「イギリスってどこの国にも負けたことないもんね」 英「馬鹿か!日本に負けただろうが!」 私「え、いつ?」 英「薩摩如きに負けただろうが!大量のSATHUMA(みかん)輸入させただろうが!」 私「知らん」 英「お前の国の歴史の授業は何を教えてるんだ!」 怒られた。 あの佐々岡さんはTwitterを使っています (via windsock)(元記事: twitter.com (sejiijesから))
5月 29, 2017 読めそうで読めない漢字ランキング   1位 具に(つぶさに) 2位 論う(あげつらう) 3位 挙って(こぞって) 4位 準える(なぞらえる) 5位 穿る(ほじる) 6位 漸く(ようやく) 7位 弁える(わきまえる) 8位 与する(くみする) 9位 目眩く(めくるめく) 10位 然も(さも)
5月 29, 2017 天皇というものには、「世界で最高峰の権威」があり、「最古にして最後の皇帝」で、「独裁者防止機能」や「権力のバックアップ機能」があり、「軍事力としての抑止力」がある。個人個人においても、外交能力や人格も良好。 で、どれだけこの皇室や宮内庁に税金を使っているかというと、年間、国民一人当たり「200円」月々なら17円弱。安いか高いかと見るかは個人の主観だけども、決して金では買えないもので、しかも世界に誇れるものだということは覚えておいて欲しいですな。っつーか、教科書で教えろ。日本人が知らない天皇の価値と役割 (via ken1ymd) (via dannnao) (via gkojax-text) (via daisydiary2) (via precall) (via slay-t) (via waclips) (via
5月 29, 2017 最初はノルウェーにも抗議してたんだよなシーシェパード でもノルウェーは軍艦出してきて砲撃してシーシェパードの船沈めた上に その場でグルグル旋回して渦作って海に投げ出された奴らは���に飲まれて皆殺し 以来ノルウェーにはだんまり シーシェパード「捕鯨国の日本許さん!」→ぶっちぎりでノルウェーが世界一の捕鯨大国にwwwwwwwwwww (via ashzashwash)(元記事: girlsvip-matome.com (mitsuhayashiから))
5月 29, 2017 パトラッシュ…僕はもうシカ肉の生食が危ないって言い続けるのに疲れたんだ… だからもうFacebookで、シカ肉の刺身やたたきの投稿に沢山いいねが付いて、「美味しそうですね!」ってコメントで盛り上がっている時に、E型肝炎や寄生虫のリスクの話をして、場をシラケさせたりなんかしないよ…桔梗屋さんのツイート (via gkojax)(tra249から)
5月 29, 2017 デンマークでは、飲酒運転で捕まるとその場で車を没収される法律ができた。結果、飲酒運転による死亡事故が半分に減ったそうだ。没収した車はオークションにかけられ、売り上げは国庫に入るという。素敵やん。(via eternityscape)(元記事: twitter.com (nakawankumaから))
5月 29, 2017 癌告知を受けたら老齢年金を受け取れること 950: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/16(水) 21:47:33.04 ID:2MJnAGnh >>947 障害年金では? 951: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/17(木) 03:48:12.08 ID:AIH4AQLO >>950 老齢だよ 死んで貰い損ねないように、という前だしの救済措置みたいなもんだが、お上は口が避けても言わない 952: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/17(木) 03:58:58.28 ID:ghAG2bhp >>950 全く知られていないと思うけど、ダブル受給も可能だぜよ。 知らない人は損してるなあと思うこと。『クレジットカードを拾ったら発行会社に連絡で謝礼が貰える』:哲学ニュースnwk (via 719043)(元記事: blog.livedoor.jp (tra249から))
5月 26, 2017 これが日テレの忖度かw→ 玉木の親は香川県獣医師会の副会長 玉木の弟は獣医師 玉木の秘書は元日テレプロデューサー 玉木の秘書の夫は日テレ報道番組制作会社の会長 獣医師会は玉木に100万円の献金 玉木は父親に1000万円の借金(無利子のため実質的な献金の疑い) 獣医師会は加計学園の獣医学部新設に反対 玉木は獣医師会の会合で獣医学部新設は潰すと発言 怪文書の出所は今以て不明だが、持ってきたのは玉木 怪文書を真っ先に本物だと肯定した北村元議員は現獣医師会顧問 玉木と獣医師会の関係が明るみになっても日テレの報道番組では不自然な安倍叩き (via shinjihi)(toutiku-m44から)
5月 25, 2017 6人の研究者たちがこの本を書こうと思い立ったのは、ヒトラーもスターリンもやったことは同じというところにある。 この中で、共産党が戦争以外で殺した人の数、つまり粛清やテロや強制収容所などで虐殺した人の数を調べて以下のように列挙している。
 ソ連(ロシア):2000万人  支那:6500万人  ベトナム:100万人  北朝鮮:200万人  カンボジア:200万人  東欧:100万人  ラテンアメリカ:15万人  アフリカ:170万人  アフガニスタン:150万人  国際共産主義運動(コミンテルン)と政権についていない共産党によって殺害された人:約1万人  総計:約1億人
ナチスのユダヤ人虐殺はどんなに多く見積もっても共産党が殺した数の4分の1にすぎない。 これほどの残虐行為を行なった共産主義は、これまで一度も裁かれていない。 共産主義黒書 (via ginzuna)(元記事: geocities.co.jp (ginzunaから))
5月 25, 2017 ネット上にこんなのがあった。「玉音放送を現代語訳してみた」 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」このフレーズは何度も耳にした。 そして、これが玉音放送で唯一理解出来る箇所でもあった。 何を言ってたのか、全文理解してみようなんて思った事なかった。 そして、これが現代語訳だそうです。 あの時代、国民はどんな想いでこの放送を聞いていたんだろうか、。 世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。 私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。 そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。 最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。 けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。 その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争 を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。 そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。 私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。 この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども 私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。 私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。 感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。 何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて 総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよく よく理解してもらいたい。 玉音放送を現代語訳 HF -BLOG-|.fatale|fatale.honeyee.com (via pipco)(元記事: takudeath (hiyoko72から))
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5月 22, 2017 その場にいない人を褒める
5月 22, 2017 山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば,人は動かじ。」には続きがある。 「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」 と続く。 #意外と知られてないこと Twitter / hassotoilet: 山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほ … (via eternityscape)
5月 20, 2017 日本は自分たちがしたことについて、まったく自覚がない 日本がパリ講和会議で出した人種差別撤廃案。それがいかに欧米諸国を困らせたか。日本人は全然理解していない。 アメリカがハワイを併合した。その時、日本は強く抗議した。また日本は、アメリカが長く望んだ支那への進出の大きな障壁となった。アメリカは日本を強く憎んだ。日本人は全然理解していないが、その憎しみは、国際法を無視した通商破壊や無差別爆撃、原爆の投下を見れば明らかである。 ロシアは、日露戦争で満洲や朝鮮への野望を、日本に打ち砕かれた。さらにロシア革命の後、日本はシベリア出兵で革命に干渉した。ロシアがどれだけ日本を憎んだか。日本は自覚していないが、その憎しみは一九四五年の終戦時、満洲で日本人の女性や子供まで虐殺されるほどであった。 ノモンハン事件で、日本は一万九千人もの戦傷病者を出した。しかし、一九九一年のソ連崩壊後に公表された資料によれば、ソ連の戦傷病者数は二万四千人である。さらに、一九四一年に関東軍特殊演習に結集された七十万の日本軍による圧力に、スターリンは恐怖した。終戦間際の弱体化した日本軍に対して、スターリンは百七十四万の軍勢を満洲国境に展開した。 日本人は、日本が世界を大きく変えてしまったことを自覚していない。ロシアやアメリカがどれだけ日本の力を恐れていたかを自覚していない。 日本はあまり搾取もせず、条約も遵守し、国際法規にも触れなかった。それでもアメリカは覇権を求めた。その戦争でアメリカは、日本を叩きすぎた。そのせいで、その後、支那を失い、朝鮮半島やベトナムで戦争をしなければならなくなった。ソ連が強大なライバルになり、長引く冷戦に耐えなければならなくなったのも、そのためである。 さらに、無差別空襲に原爆の投下、日本人を虐殺しまくったその戦争を正当化するために、戦前の日本に‘異常な軍国主義国家’の汚名を着せた。そうまでしなければ、日米戦におけるアメリカの正統性は説明できないものだった。利害が一致する限りにおいて、ソ連の北方領土占領、南京大虐殺や従軍慰安婦の捏造も受け入れた。今も、受け入れつつある。 なぜ、彼らはそこまで日本を憎んだのか。それは日本が、白人支配に対する唯一の抵抗者であったからに他ならない。だからこそ、徹底的にやられた。特攻や硫黄島・沖縄といった命がけの戦いがなければ、また冷戦の萌芽がなければ、日本は地球上から消え去ることになったのではないだろうか。 世界の、日本に対する恐怖は消えたわけではない。だから、事あるごとに日本は苦しめられる。彼らのルールで頑張っても、追いつき追い越そうとする頃には、理不尽なまでにルールを変更される。日本への恐怖は、今でも健在だ。明治以降の積み重ねは、現代日本人の意識以上に私たちに対する大きな評価につながっている。それを理解した途端、日本人は元気になる。日本の歴史の本当の姿が分かれば、それだけで将来は開ける。 めんどくせぇことばかり なぜ歴史を学ぶのか 世界への影響力を日本人は自覚していなかった 『真実の満洲史【1894-1956】』 (via ittm) (元記事: jhfk1413.blog.fc2.com (nakatoshi0610から))
5月 20, 2017 皆さんは写真の見出しの%を信じているのではないかな?しかし余りに有名なフレーズのため訂正はしない。正確には全国の米軍施設の沖縄の割合は22.6%である。横田、横須賀、岩国、佐世保は自衛隊共有と言う理由から75%の数字から省かれてい… https://t.co/OJj0MZwfqk 美ら海・沖縄さんのツイート (via gkojax) (hiroakisから)
5月 17, 2017 人権運動家、平和運動家、反原発運動家、基地反対派の正体は? & 反日、売国奴、在日韓国人、 中国���韓国、北朝鮮=特亜3国の工作機関・工作員 Mi2 on Twitter 9:20 AM - 14 May 2017
5月 11, 2017 驚異的な識字率 当時の日本国民の識字率は75%前後と欧米諸国より遥かに高かった。識字率の高さは、「自己ノ氏名ヲ書シ得ザル者」は兵役に就くことを不可能とすることができ、複雑な兵器の取り扱い方法が紙の説明書による伝達で可能であったため、訓練の効率化をもたらした。 一方のロシア側は、日露戦争で捕虜となったロシア人の中で自分の名前すらも書くことのできない者が過半数はいる状況であった。これは、貴族への教育制度しかない当時の欧米の識字率の低さ(20%前後)がもたらした当然の結果であった。このため、日本各地のロシア人捕虜収容所では、あまりに気の毒な惨状から、ロシア語の読み書き教育が行われた。 また、捕虜となった日本兵の書いた論文が欧米の新聞に紹介されると、一兵卒すら論文が書ける日本の実力に、欧米の識者は驚愕し、貴族中心の教育制度から、庶民を含めた教育制度への社会改革をもたらした。 日本海海戦 - Wikipedia (via toronei)(元記事: Wikipedia (zaki123から))
5月 10, 2017 人から謗られたり、あられもないことを言われると、憤るのが人情であるが、たとえ怒っても、その心のどこか奥に、「イヤこういうことも、実は自分を反省し、錬磨する契機になる。そこで自分という人聞ができてゆくのだ。結構、ありがたいことだ」と思うことです。(安岡正篤)
5月 9, 2017 仕事でフランスに行った時の話し。 地元の名士みたいなおっさんが既得権益持ってて、このおっさんと話しをつけないと行けなかった。 このおっさんが何かにつけては、フランス自慢したくてしょうがない人で、 東洋の猿に香り高いおフランスの文化を嗅がせてもらえるだけでも有難いと思え臭がプンプン。 仕事上、しょうがないから相槌打ってたけど、地元���教会自慢された時に、あまりにウザイので 「え?あの教会?いつできたの?18世紀?新しいね」って言ってもうた。 「新しい?」って食いついてくるので「オレが結婚式した地元の神社は11世紀からある。 日本じゃ、そんなのゴロゴロある」って言ったら、おっさんシュンとなって、オレの前では自慢しなくなった。 それに仕事の交渉もしやすくなった。
別のフランス人とのやりとり。 俺は英語しか喋れないし相手も英語喋れるので英語で話していた。 ある日不具合発生。期限を過ぎているのにアナウンスされるべき事項がなしの礫だから文句を言いに行った。 そしたら、そいつは「全部書類に書いてある」と言い張る。 俺は書類を引っ張りだして 「ここを見ろ。書類にはディレクターが1時までに決定すると書いてあるぞ。 ディレクターはお前だろ。もう1時過ぎてるぞ。今すぐ決めろ」 って言うと、突然、そいつは、フランス語で何かをわめいて自分の部屋に引っ込んだ。 余りにも腹がたったのでドアをガンガンノックしながら 「舐めとったらシバきまわすぞ。アホンダラァ!!」 俺は大阪弁でまくしたてた。 そうしたら、そいつの上司登場。 俺が何を言ってるかは分からなかったけど、俺が本気で怒ってることは分かったらしい。 その上司に事情を説明したら、「それはおかしい。アイツに即決めさせる」と言って処理してくれた。
どうやら奴らの行動原理は、自分のほうが格上って言うことを示してお前は格下だから言うことを聞けって言うことみたいだな。 だから、自分が格上の根拠を否定されると急に弱気になる。 なんか、めっちゃヤンキー文化。 あれ以来、フランス人と交渉するときは、こっちも上から目線でちょうど良いと思ってる。 欧州人は紳士ぶってるけど、やること結構えげつないもんな - 2chコピペ保存道場 (via darylfranz) (元記事: 2chcopipe.com (quote-over1000notes-jpから))
5月 9, 2017 ■ 公衆電話の番号を知る裏技
  ■用意■
  用意するものは2点、   1:0度数のテレカ(残数なしのテレカ)   2:録音できるテープレコーダー(980円の再生専用でなく録音可能     のもの。MDでもOK)      上記が用意できたらいざ!出陣
  ■やり方■
  1:緑(MCシリーズ)公衆電話の受話器をあげて、0度数のテレカを     入れます。   2:0度数の為すぐテレカが戻ってきますが、テレカの排出口と挿入口     を指で押さえてテレカが排出されないようにします。   3:しばらく押え続けた後で手で受話器のフックを下げる   4:発信音(ツー)が聞こえた後でDTMFの音が聞こえてくるので、     すかさずテープレコーダーでDTMF音を録音する。   5:音が聞こえなくなったらテープを止め巻きも戻しておく。   6:今度は灰色のISDN電話の所に行き、受話器をあげテレカ(度数     があるもの)を挿入する。   7:先ほど録音したテープを灰色電話の送話部に大音量で流す。   8:灰色電話の液晶部分に数字が表示される。   9:その数字の下10桁(市外局番+局番+番号の9~10桁)をメモる。   10:そのメモった番号が先ほどの緑電話の電話番号だ。
  ■注意■
   緑のMCシリーズでも一部シリーズで使用できません。   結構目立つので夜にすることをお勧めします   緑電話で録音したテープを灰色電話で大音量で流す事が必須。
305 :水先案名無い人:2010/09/21(火) 23:23:36 ID:QKA3vWAq0 ≫268 なんという壮大な無駄知識 ヒロイモノ中毒 公衆電話の番号を知る裏技 (via darylfranz) (tempest0256から)
5月 4, 2017 戦前、アメリカがスペインと戦争した時に宣戦布告したのは、戦争が始まって1週間後です。 国際法では、宣戦布告はしてもしなくても良いとされてます。 因みに戦後、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争等で宣戦布告してません。 米政府のプロパガンダだった「リメンバー・パールハーバー」 : 大艦巨砲主義! (via 774rider)(元記事: military38.com (rintaro210から))
5月 4, 2017 日本の戦後、多くの子女がGHQの米兵にレイプされる事件が頻発したため、GHQの為に慰安婦を募集して、慰安所を儲けた。「女の防波堤」と呼ばれた。この話はぜんぜん出てこないし、クリントンも知らないのかな? 2ちゃん的韓国ニュース : 【慰安婦】 「お金をもらっていたら被害者ではないのか。『強制』させられることだけが被害なのか」 市民団体がシンポジウム (via mcsgsym)(tanakakanata314から)
5月 4, 2017 こういうのをお花畑お花畑いうけど、ほんとにお花畑だったら世界中の国に同じこと呼びかける筈でしょ。でもこの手の人の9割9分は日本の軍備だけを強烈に敵視するでしょ。つまりお花畑装った別のものだよ。 はてなブックマーク - 井筒監督「他国が攻めてきたら日本国民は無抵抗で降伏すればいい。そこから政府が交渉すればいい」 - 痛いニュース(ノ∀`) : ライブドアブログ スターが200超えててすごい。(via kom)(元記事: b.hatena.ne.jp (yuzieから))
5月 1, 2017 ヨーロッパ人が、300年にわたって、アジアで、アジア人を家畜同然に扱って金もうけした。  ↓ 日本がこれを追い払おうとした。  ↓ 欧米が中国の後ろから武器や物資を運んでこれに抵抗。  ↓ これを日本が撃退。・・・←中国人はこれを日本の侵略だ、とか言ってる。  ↓ 裏に隠れてる欧米に対して、日本軍がボコりに出た。  ↓ アメリカ以外のすべてを、日本が駆逐した。  ↓ アメリカには負けた。  ↓ なぜか日本が全世界に負けてアジアに迷惑をかけたことにされてる。  ↓ 戦後70年以上も、日本の学校では「日本が悪い」と教育されてきた。  ↓ 最近、これはおかしい。真実を見よう、という風潮になってきた。 http://military38.com/archives/40956071.html 「太平洋戦争は自衛のための戦争だった」「アジア解放のための戦争だった」←これマジ? : 大艦巨砲主義! (via worldwalker2) (mc2-eから)
5月 1, 2017 Testosteroneさんのツイート: “悪口陰口嫌がらせ、全部暇人のやる事だから気にすんな。プライベートも仕事も絶好調で超ハッピーな人がわざわざ他人の事チェックしてケチつけねーだろ?自分がうまくいってなくて不幸で暇な奴が悪口陰口嫌がらせなんてするんだよ。「おう暇人!お疲れ!」って思っときゃいい。相手しても損するだけだ。” (via vhodnk) (元記事: twitter.com (uechinから))
5月 1, 2017 カルト教団を識別するチェックポイント 1.教団名を秘匿して勧誘する 2. 従来の人間関係との絶縁を迫る 3.カルトの教えのみを善とする 4.思考力を奪う 5. 危機感を煽る 6.退会が困難 balance-meter:
5月 1, 2017 この10カ条って 教育や指導する場面だけじゃなくて 営業や提案でも使えるんじゃない? http://bit.ly/1iz5NYW 教え方のルール10カ条
熱意よりも何をどうすればいいのか具体的な指示を 「教えた」かどうかは「学ぶ側が学んだかどうか」で考える 結果が思わしくないのは,すべて教える側の責任 上手に教えたいのならコミュニケーション上手になる 教えるときは相手をよく観察して相手の状況をつかむ 相手にとってちょうどいい知識を与える 相手に教えたことを練習させて結果をフィードバックする 相手にできるようになってほしい具体的なゴールを決める 相手の「心」は変えられないが「行動」は変えられる ゴールは必ず行動として設定する (via drhaniwa)(元記事: haniwa.blog3.fc2.com (trinityworks-interestから))
5月 1, 2017 三河の一向一揆もようやく収まった頃、一揆に加わった家臣たちも、宗旨替えを条件に 帰参する事になった。ところが、小栗又市という男のみ、どう言っても改宗しない。 家康は又市を呼びつけ 「どうして宗旨を改めぬのだ!?改めねば、この場でその首を斬り放つぞ!」 又市「例え素っ首斬りおとされようとも、宗旨は改めませぬ!」 家康が脅しても、どう説得しても、又市はうんと言わない。あまりの頑固さに呆れた家康は 「もうよい。命はとらぬ、何処へでも行け。」と、召し放った。 すると又市、その場でがばとひれ伏し、こう叫んだ 「小栗又市、ただ今から宗旨を改めます!」 家康はさらに呆れて、 「たった今首を斬られても改宗せぬと言ったではないか。どうしていきなりその気になったのだ?」 「武士たる者、首を斬ると脅されての改宗など出来るものですか! しかしたった今私は、殿によって一命を救われました。 であれば、そのご恩に報いないといけません。なので、改宗いたします。」 三河武士は面倒くさいのだ。 面倒くさい 続・妄想的日常 (via mcsgsym)2008-10-25
4月 29, 2017 戦争ってなんですかと人に訊かれた時には、「国際紛争解決の最高にして最後の手段。」と答えるようにしている。残念ながら、人類は戦争に代わるような有効な国際紛争の解決手段を持っていない。>RT Twitter / keenedge1999 (via netinago99) (元記事: twitter.com (manatu-manatuから))
4月 29, 2017 インド vs パキスタン 「日本にはコリアンタウンがある?すごい仲が良いんだな、パキスタンにインド人街ができたら3秒で灰になってるよ」 というジョークがある 日本と韓国より仲が悪い隣国一覧はこちらwwwwwwwwww : 【2ch】ニュー速クオリティ (via himmelkei) (元記事: news4vip.livedoor.biz (manatu-manatuから))
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letterboxfrom · 7 years ago
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オスロ(ノルウェー)の旅、4日目
オスロの街は空気がとても綺麗です。
水道水は美味しく飲めるしもちろん赤ちゃんが飲んでも安全とのこと。
フランスの水道水は一応飲むこともできるのですが、石灰質を多く含む硬水のため若干飲みにくい気がします。なのでBonちゃんのミルクや離乳食、飲み水は毎度軟水のペットボトルを買って使っています。
国によって水道水の質が違うので赤ちゃん連れで旅に行く前はそのあたりもチェックしておくといいかもしれません。
さてオスロに来て4日目の今日は日曜日。
ヨーロッパ全般、日曜日はほとんどのショップが営業していないようです。
たまに観光地のお土産やさんなどは開いていますが、ごくわずかです。
美術館や博物館は日曜日もやっています。その代わり他の曜日が休みだったりすることもあるので事前調べが必要です。
なのでヨーロッパ方面の旅行の際、買い物デーは日曜日は避けて、美術館・博物館・自然めぐりなどの計画を立てると良いかと思います。
観光で一番困るのは予約制のところ。一部の人気観光スポットは事前にチケットを購入しておかないと入れなかったりするので、こちらも事前に調べておく方が良いかもしれません。
例えばアムステルダム(オランダ)にあるアンネの家や、ドイツのノイヴ���ンシュタイン城、スペインのアルハンブラ宮殿など。
事前にチケットを予約しておかなくても入場できる手段はあるのですが、長時間並ぶ可能性がありロスタイムとなってしまうのであまりおすすめできません。
すっかり話が逸れてしまいましたが、日曜日は朝から雨。雨の中赤ちゃん連れでウロウロするのは大変なので予報を見つつ、午前中は家でゆっくり過ごしました。
お昼前には雨もあがり晴れ間が広がりました。
しかし芝生は濡れているため、ランチはピクニックではなくレストランでノルウェー料理を食べに行くことにしました。
日曜日も開店していて街の中心にあって美味しいノルウェー料理が食べられるレストラン。。。
ありました! KAFFISTOVA
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迷わずここに入りました。
注文したのは、ミートボールとじゃがいもと潰した豆プレート、
”Reinsdyrkarbonad Med Poteter Og Soppsavs”
名前長っ。
このプレートに甘〜いフルーツのジャムをかけて食べるのです。
おお・・・。
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そうそうオスロは物価がとても高いです。
この一皿でお値段185NOK(ノルウェー・クローネ)。
日本円で約2400円。これに25パーセントの消費税がつくので合計3000円します。
たったこの一皿で、ですよ。笑えてきます。
というわけで、イネスさんが毎回サンドイッチを持参するのにも納得がいきます。
ただ旅行者としてはせっかくノルウェーに来たのでその地の料理も食べてみたいと。
ちょうど私たちがランチをしていると日本人の団体客がどわっと入ってきました。きっと日本のツアー客が入るくらい日本人の口に合うお店なのでしょう。
久しぶりに日本語を聞いて嬉しかったのでした。
��してランチを食べたあとは、てくてく歩いて”王宮”へ。
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こちらは、現ノルウェー国王ハーラル5世と王妃が住んでいるのですが、夏季限定でガイドツアー(英語のみ)で内部を見学することができます。
住居部は入ることはできませんが、会議室や客間などが見られます。
こちらの王宮は予約制ですので、あらかじめネットでチケットを予約し印刷して持っていかなければなりませんので要注意です。
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王宮のお庭も素敵でしたよ。こちらは無料で誰でも入れます。
国民の憩いの場となっているようです。
王宮ツアーのあとは、イネスさん一家は日曜礼拝のためにカトリック教会へ。
(彼女たちは敬虔なクリスチャン)
そして私たち一家は”ノルウェー国立美術館”へ足を運びました。
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この美術館にはあの有名な絵があるのです!
さてなんの絵でしょーか・・・。
おっと、なにやらBGMが流れてきました♪
ん?どうやらクリスタルキングのあの名曲が・・・
「チャンチャンチャン チャンチャンチャン〜(中略)ダダダダダッ」
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「あー あ〜〜〜 はってっしっない〜っ・・・」
・・・ムンクの「叫び」です。
エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)は、19世紀-20世紀のノルウェー出身の画家だそうです。
まさか人生においてこの絵を見る機会があるとは、夢にも思ってもいなかったので感動です。
クリスタルキングの「大都会」とこの絵はなんの関係もないのですが、なぜかムンクの「叫び」を見るとあのメロディーが流れてきます。
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頭がM字になっているBonちゃんを「叫び」の前にあるソファーに座らせつつ、しばらく一緒にこの絵を鑑賞していました。
途中いろんな観光客の方がBonちゃんと遊んでくれました。みんな優しいのねぇ〜。
他にもピカソやモネなどの有名な画家の絵が飾ってあり、十分見応えのある美術館です。
「叫び」をしっかり目に焼き付けた後は、ちょっとだけ中心地をぶらぶら。
風を感じられそうな観覧車を発見。
この日は風が強い上に冷たくて誰も乗っていませんでした。
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そして帰り道に北欧デザインっぽい素敵なお家をパシャパシャ撮らせてもらいました。
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帰宅後、今夜はイネスさんがクレープを作ってくれました。
日本だとクレープってスイーツ、またはおやつのイメージなのですがこちらでは立派な食事のようです。
フランスではガレット(またはクレープ)のレストランがあちこちあるほどです。
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最初はチーズ、ハム、卵のクレープ。
そして次に3種類のチーズのクレープ。
デザートとしてジャムやフルーツを挟みながら食べました。
クレープ祭りだね〜。
写真に写っているマシーン。ずっと気になっていたのでイネスさんに尋ねると、この1台で蒸す、煮込む、混ぜる、カットする、スープやジュースもできるというフランスでは1家に1台あるという万能調理器具だそうです。
おお、なんて便利な。
つづく。
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jimichinikasegu · 8 years ago
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ケーララ、お互いさまが彼岸
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谷崎潤一郎は、あこがれがMAXレベルにまで高まっていた中国の地を踏んだ時に「アレ?思ってたところと違うゾ?」という幻滅を覚えないでいられなかったはずだけれど、谷崎特有の現実肯定力、というか現実変容力を発揮して、かの地がこれ以上ないほどすばらしいところだと「信じ切って」、こころから楽しみ切って最高の思い出にした、それに比べて芥川の中国旅行記の暗さはどうだろうと野崎歓が書いていて、それは多分、人の資質によるところによるのが大きいのでしょうけど、どう��ならどのような現実を前にしてもそれを良い方に、自分にとって価値のある尊いものだという風に感じられるならもうけものでしょう。
それが旅する前の心構えみたいなものでした。(旅人K)
ケーララ、その魅惑的響きにするどく反応するようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。ケーララという響きを頭のなかで何度も転がしていた。ある夕方、駅前にとれたて野菜ととれたて果実を販売する屋台が立っていた。ダンボールに大きく、マジックで値段が書き込まれてある。手ぬぐいを頭に巻き付けた青年が立っていた。そこを通り過ぎた時にかすかに感じた芳香によってすら南国行きの切符を��像してしまったぼくは、そのとき、ケーララ・ランドに行くしかないことを受け入れていた。
青果店の軒先の熱帯の芳香に 南国行き切符を夢みる
地名は光でできていると大岡信はその卓越した詩「地名論」で語っている。ケーララという響きに魅了されたのなら、そこに行ってみるだけの正当な理由になる。「ぼくたちは清らかな光の発見を志す身」(ランボー)なのだから。覚悟を決めたらあとは簡単。一週間休暇を取り、一路インドへ。
✈✈✈
成田→北京→ムンバイ→トリヴァンドラム。まともに寝ていない。でもトリヴァンドラム空港に降りた時の開放感はどうだろう。冷凍都市から一気に南国の真ん中。ジェットエアウェイズの紺色の翼が太陽の光で輝いているのを背にぼくはトリヴァンドラム空港に入り、トイレでTシャツに着替えた。これはすべては南インドのグロリアス・サンの下における話。かれはすべての魔法を知っている/アンダー・ザ・サン。
空港を出て、トリ市駅前までとりあえずオートで向かう。うれしさしかない。オートの揺れ、ドライバーのハンドルの捌き方。ドアのない車の開放感。色あせた壁。看板。見える風景のひとつひとつが全部いい。青空に映える花々もいいし年代物のバスの群れもいい。駅までで降り、ふしぎなイン��ィアンコーヒーショップでチャーイを飲んで休みながら、周囲の人たちの話す音を聞くのもいい。ガラスを必要としない窓からいい風が入ってくる。「いいぞ、いいぞ」と日本語でつぶやいては笑みを浮かべるぼくはすこし間が抜けていたはずだった。気分はすっかり高揚していて、疲れを感じない。
そのノリでカニャークマリまで行くことにする。最南端の近くまで来て、そこまで行かない手はないから。行かざるをえないといってもよかった。
ポリネシアは三角形なんだって? だったらそれぞれの頂点には行かざるをえないね。これは愚考だ、否定できない。地図を見たり、どこかで見かけた一枚の写真にとりつかれたり、何かの文章の一節が妙に気にかかったりして、無根拠に出発する愚者の一部族。ぼくはそのひとりだった。 管啓次郎『斜線の旅』
ぼくもそのひとりだった。列車を待つ間、駅ナカの軽食屋でサモサとチャーイをボウイに注文する。これが10年ぶりのインド。べっこう縁のメガネを掛けた初老のおじさんが、さりげなく僕の前に座り、僕たちは英語で話した。僕のまえに座る前から僕は彼を認めていた。リラックスの仕方が尋常じゃないというか、ストレスから完全に切り離されて独存しているような印象を受けていた。軽みをマスターした身のこなし。オランダ人だという。働かなくていいんですか?と聞くと、そうだ、もう働かなくていいんだという返事だった。各国の子どもの遊びを取材して、それをホームページに載せているということだった(kidsplaybook.comというもので、帰国してから見てみたらとてもよかった)。日本の子どもの遊びも取材したいんだけどね、と彼は言った。東京では子どもたちは外で遊んでいるかね?さあ、昨今は遊びが掌に収まり、片手間で消費されるようになってますからね。そんな彼らをこそ取材したらどうですか。まったく、それはもうどこの国も同じだよ。まったくクレイジーなことに。
プラットフォームでアナウンスする女性の声も変わっていないようだった。これはふしぎなことではないだろうか。案内に従い、車内に乗り込む。パックパックひとつ、肩から降ろし、空席に座るとまもなく動き始めた。全開の窓からいい風が入ってくる重厚な鉄の塊は誇らしげに汽笛をあげながら走る。すべて初めて目にする風景を通過していく。真っ白な画用紙の上に鉛筆でするりと一本線を引く、その線のあたらしさを、この列車は体現していた。鬱蒼と茂るヤシの木などからなるケーララの植生が全開で生きていた。ごろりと寝転ぶ青年のスマホからは軽快なヒンディー・ポップが流れていて、それが車内の暑さと完璧に調和していた。みんな穏やかに談笑している。幼女の着ている白いワンピースの赤い水玉模様が、薄暗い車内に差し込むあかるい光を受けてひときわ映えていた。すっかりリラックスした僕はサンダルを脱ぎ、裸足で前の席に足を載せる。そして窓枠に肘を載せて風に吹かれている。この自由さ。京葉線での通勤の日々が遠くにかすみ、すぐに消失した。まるでそんなことは始めからなかったかのような、あっさりとした消失。風景は鮮やかに彩られ、列車は力いっぱい加速している。その速度。あらゆる窓、あらゆる出入り口が世界に向かって開け放たれ、天井に据えられた無数のファンが唸っている。このオープンネスの比類なさ。鬱屈した島国だけに居たら一生感じることのできない経験だと断言できる。いろいろなものをじっとみるのが僕の仕事だという認識はずっと持っている。
インドの駅の表示版は、黄色に黒の文字。その書体はどう形容したらいいのか、とにかくインドの雰囲気に合う、普遍的で超時代的なフォント。英語、ヒンディー語、それから南インドの言葉が併記されてる。エラニエルという駅名が妙にふしぎな、インドっぽくない響きがした。プラットフォームのベンチに座ったままじっとしている人たちが、ひとつの腰掛けにひとりくらいの割合でいて、乗客や木陰の模様を眺めるともなしに眺めていた、そのもてあまされた時間そのものも、パンクチュアリティに統率された東京の電車時間や、何十分も遅れた上、バス停と遠く離れたところに雑に停車したバスに向かって殺到する北京のバス時間とも等質な時間なのだった。そしてそれを列車の窓から見つめる僕の目も、その時間とともにあった。僕もその人の隣にさりげなく座り同じ時間を共有したかったが、僕たちがお互いに話し合うことがあったとしても、そもそもお互いが触れ合うことのできない彼岸として存在しているだけなのかもしれなかった。それぞれがもつ自分という思いは此岸として感じられるが相手にとっては彼岸。その間にはガンガーがゆっくりと流れていて、川岸の風景は似ているけれど両岸は動けないので、お互いに手を振ることだけが精一杯なのだった。
平行線の二本だが、手を振るくらいは(中村一義)
カニャークマリが終点。それ以上南はないのだから。下車した時、すでにかすかに潮の匂いがしていた。駅から歩いて海に向かう。年代物の車があちこちを走っていたのは、カルカッタのようだった。そしてサダルストリートの安宿の屋上で瓶詰めのマンゴージュースを飲んで涼んでいた日々を思いだすのだった。でも今は初めての町にいて、サンダルつっかけてまっすぐ海まで歩いている。途中日陰でコーラを飲む。家々の塗装の色彩感覚が鮮やかで、そのどれもが強烈な日差しの中、充足していて調和しているように見えた。そんな光景の向こうから、着飾った少女たちがはしゃぎながら通り過ぎていったとき、自分はいま、亜大陸の最南端で一人いることに、ふしぎな気がした。
ふしぎな気がした、なんて言ってるけど、ここに来てみたくて、チケットやらなにから手配した自分が自分を連れてきただけじゃないか!
細い路地の先に海が見えた時の高揚感、あれはまるで初めてガンガーを、まるで迷路のように入り組んだ細い路地の彼方から認めた時の高揚感と少し似ていた。まっすぐ進み、サンダルを穿いたまま、ジーンズの裾をまくり上げ、砂浜に立ち、そのまま波打際で波に浸る。風は強いし波もある。しかしその風はいつまでも受けていたいと思わせるような温暖な風だった。砂礫は荒めで、素足での感触は日本の渚で感じるそれとは異なり、足の裏をチクチク刺した。海の色がなにかこう見たことのないような緑。午後二時の光を受けて、そんな光り方をしていた。そこにはただ、別の海があっただけだ。同じ空間に違うものが存在できないのだから当然だ。
木造の船、とすら言えないような、靴の型のような、船の中身。船の形を保つために不使用時に入れておく用なのかと思われた木型の上に座り(拝借します・・・)、風、スリランカ、そのはるか南に広がる広漠としたインド洋を通ってやってきた風を感じながら、足を乾かしていた。はるか洋上を見やりつつ(はじめて使ったことばだ!)、その足を乾かす間の時間、聞こえるのは風と波の音だけ。成田から一息に、インドの最南端というダイナミックな移動ができて満足していた。
よる八時の食堂でアールゴービー(じゃがいもとカリフラワーのカレー)とチャパティを食す。カレーがとてもスパイシーでホットであったが、認めないわけにはいくまい。今まで食べてきたカレー��中で最もうまかった。何が違うのか。北インド(といってもそんな大雑把な捉え方はどうなのだろうか)のやさしい味わいに比して、ここのカレーはぎっしりしている。ダイナミックに炒められスパイスともどもぐつぐつ煮込まれた刻み玉ねぎが主役級の活躍を果たしつつ、過激なスパイスのいろいろが身体を突き抜けてたとき、いまぼくは最もうまいカレーを食べていることに気づいていた。卓球玉より小さい、かわいいじゃがいもの旨さ、辛味を緩和しつつ、そのものの味もカレーのハーモニーに参加している。そしてカリフラワー。赤い衣で揚げてあり、そいつがあたかも唐揚げの衣のように味がついていて、ぱくつくと中のカリフラワーが迎える。まったく予期しない幸運の一皿。あまりに辛いため、チャーイ2杯、ミネラルウォーター1本なしでは食べ切れなかったのだけれど。上野の「デリー」のコルマカレーに近い味といえば伝わるだろうか。それを本場にした味。その後なにげなくPOLOを買い求め、舌先で転がしながら部屋に戻り、そうしてやっとぐっすり眠ったのである。
朝4時からお寺の拡声器からお経なのかなんなのか、ひたすら大音量で声が響く。ぼくはインド最南端のお寺、
トリ市に戻り、今度はシヴァナンダ・アーシュラムに向かう。まずバスターミナルでNeyyar Damに行くバスを探す。どのバスもタミル文字かなんかで書かれていて読めない。しかしNeyyar Damという文字だけは英語表記だったのは、そこを目指す旅人が多いからだろう。その、必要最小限の親切心がありがたかったし、どう見てもなれない旅人という風情を察知したのか座りやすい一人がけの椅子を勧めてくれた料金回収人のカインドネスもありがたく受け取った。ぼくは、これから山奥のアーシュラムでリトリートするのだ。たった3日間のつもりなんだけど。
アーシュラムにたどり着き、チェックインする時のフロントのイギリス女性(発音のしかたでなんとなく推測)が、なんともまぶしいウインクを交えながら施設の説明をしてくれていた。すでにここのやりかたに従い、受け入れるつもりでいる。なにか収穫があればいいと思うけど、ただまったく何も考えずtranquilityを楽しめたら気分転換にもなるだろう。枕や布団や蚊帳を渡され、ドミトリーの空いているベッドを探し、周りのひとにハイなんて挨拶する。みんな笑顔。笑顔を保つのがルールなのかっていうくらいみんな笑顔。
ベーシック・アーシュラム・スケジュールとはこういうもの。
05.20 AM Wake-up Bell 06.00 AM Satsang (Group Meditation, Chanting, Talk) 07.30 AM Tea Time 08.00 AM Asana Class (Beginners & Intermediate) 10.00 AM Vegetarian Meal 11.00 AM Karma Yoga 12.30 PM Coaching Class (Optional) 01.30 PM Tea Time 02.00 PM Lecture 03.30 PM Asana Class (Beginners & Intermediate) 06.00 PM Vegetarian Meal 08.00 PM Satsan (Group Meditation, Chanting, Talk) 10.30 PM Lights Out
ヨーガの先生になる人たちのコースは別にあって、上のはヨーガ・バケーションのコース。ヨーガ・バケーションは予約しないで直接行ってチェックインする。詳しくはシヴァナンダアーシュラムのHP参照。カルマ・ヨーガというのは、食事の準備とか宿舎の掃除とかそういったことの手伝い。アーサナクラスは、頭立ちのポーズができるくらいならいきなり中級クラスから初めていいと思った。初級、中級ともに、講師は日本人のときもあったりインド人のときもあった。中級だからといって頭立ちできなくても身体が固くてうまくアーサナができなくても何も言われないし、むしろできるように手伝ってくれる。あんたは初級でしばらくやってなさいなんて冷たいこと言うような雰囲気はなかった。生徒はみんなおだやかな気分を保つことに集中しているようだった。
毎日朝と晩に瞑想およびレクチャーの時間がある。瞑想に入る前にマントラみたいなものを太鼓やタンバリンやオルガンのメロディーと共に歌う。それが意外と楽しい。そのあと瞑想が始まり、時たま香炉を下げて講堂全体にすがすがしい柑橘系のお香の香りを撒いてくれる方がいて、その香りがたまらなくよかった。レクチャーはいろいろと話してくれたけれどなにぶんインドなまりがあってイマイチ聞き取れなかったが、欧米人は普通に理解できていて、ジョークがあれば笑っていた。通じるか通じないかは発音がすべてというわけではなくて、おそらくその話し方とか論理の持って行き方みたいなところ?が大切なんだろうか。
ヨーガが唯一だと思わないほうがいい、スキーも乗馬も楽しめばいいし、好きなスポーツチームを応援したっていい。実際、スワミ・ヴィシュヌ・デーワナンダはそうしていたし、飛行機を操縦するなどしてアクティブだったのだから。スポーツには相手がいるが、ヨーガにはいらない。スポーツには一定の筋肉の緊張を必要とするがヨーガ求めるのはフレキシブルなマッスル。ヨーガは内なるコームネスを追求するだけで競争やストレスとは無縁。セルフ・リアライゼーションを実現するために長く生きるのを目的としてヨーガはある。なんてところはメモった。
この美しいシヴァナンダアーシュラムはインドのヨーガアーシュラムを紹介する本(Yoga in India, kindle edition)で見つけて、その紹介文にパーフェクトなヨーガのイントロダクションとかって書いていたので調べていくうちに一度はこういうところで過ごしてみたいという気になったの。シヴァナンダヨーガは、12の基本アーサナを集中的に練習する。これは難しいアーサナを追求する苦行的なヨーガとは対照的に、初心者でもすんなりヨーガを実習していける、そして日常生活のちょっとした時間に実践できる、いわば開かれた形のヨーガだろう。その12のベーシックアーサナとは、大事に参照している伊藤武のヨーガ本で紹介されているアーサナとかなり重複して��感できた。頭立ち、肩立ち、犂、魚、前屈、コブラ、イナゴ、弓、ねじり、カラスまたはクジャク、立ち前屈、三角形。シヴァナンダのHPにわかりやすい紹介があります。特に、頭立ち(シールシャーサナ)の練習を推奨された。頭立ち、それはケルアックの『ザ・ダルマ・バムス』The Dharma Bumsに出てくる元海兵隊のニュージャージー州出身のホーボーが実践する健康法でもある。ケルアックはその男にLAで列車を待っているときに出会った。ディーガ・ニカーヤ(長部経典)のことばが書かれた紙の切れ端を大事に持っている理想家肌のホーボーだった。役に立てばいいなと思うので、唐突だけどケルアックから長めの引用。
「どうやって神経痛をなおしたのか知りたいね。実は、おれも、血栓症の気があっていけねえんだ」 「そうか、あんたもか。いや、きっとこいつは、あんたのやつにも利くにちげえねえ。なに、わきゃないよ。毎日三分ずつ、頭を地べたにつけて逆立ちをやりゃいいんだ。いや、五分の方がいいかな。おれはね、毎朝起抜けに、河原にいようが、ゴットンゴットン走ってる貨車の上にいようが、小さいマットを敷いて、逆立ちをして五百数えることにしてるんだ。それで、大体三分の勘定になるだろ、な、なるだろ」男は五百まで数えりゃ三分の勘定になるかどうかということをやけに気にしていた。へんな野郎だ。大方、小学校で、算数ができなかったので、自信がなかったにちがいあるまい。 「まあ、そんな見当だね」 「ともかく、こいつを毎日やってみろよ。おれの神経痛がなおったんだから、あんたの血栓症もきっとなおっちまうよ。おれは、今��四十になるんだぜ。ああ、それからね、毎晩寝る前に、あったかいミルクにハチミツを入れて飲むといいよ。おれは、いつもハチミツをビンに入れて持ってるんだ(彼は、そいつをズダ袋の中から引っぱり出してみせた)。まず、ミルクを空きカンに入れて、それからハチミツを入れて、温めて、飲むわけさ。まあ、この二つだな」 「オーケー」
ジャック・ケルアック『ザ・ダルマ・バムス』
ケルアックはその助言を実践して、三ヶ月後には病気がすっかり治り、再発することもなくなったと書いている。そしてあの元海兵隊ホーボーがブッダだったのだと確信するのだった。頭立ちは確かにすばらしい。ここに来るまでは壁の補助がないとできなかったけれど、肘を肩幅と同じくらい、つまり両手で双方の肘を掴んだ時の幅で、肘をその間隔に保ち、三角形の底辺を形成し、頭頂をその頂点に据え、遼の手のひらでそれをサポートする。うまく説明できない!画像を見るのが一番手っ取り早いね。とにかくぼくも壁なしで容易にできるようになった。勢い良く地面を蹴って逆立ちするのではなくて、少しずつ腹筋で上げていくほうがコントロールし易いってこと。
それから、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽崇拝)も重点的に実習する。12セットを毎回必ずきちっとやり��る。これが意外としんどい。関節が悲鳴をあげるようだけど、気持ちよくもある。慣れてくると身体も柔らかくなってどんどん楽しくなる。そうして熱中しているあいだ、ふと会社の様子を思い出したり、電車通勤のあの雰囲気を思い出したりするのだけれど、今ここにいることとあまり関係ないことのように思えた。リラ~ックス、コンプリートリー・・・と講師がやさしくくりかえす。 アーシュラム内はサンダルか裸足で歩く。慣れているひとは裸足が普通のようだった。足の裏がやわなぼくはサンダルなしじゃ痛い。犬がひだまりで眠っている。瞑想時に猫がぼくの膝下でくつろぐ。動物たちまでまったくリラックスしているのはすこし驚きだった。なんの警戒心も持っていなくて、そこにいる人たちも驚かせたりからかったりすることはなく、大事に接していた。自分が敵意を捨てたら相手も敵意を捨てるというようなことが『ヨーガ・スートラ』に書いてあったっけ。
アーシュラムには何も持っていかなくていいんですよ。お店があって、ヨーガマットからなにからなにまで買えるから。現金のやり取りはない。電子マネーみたいな、チャージ式のカードを使って購入する。水は、自由に飲めるしペットボトルに詰めることもできる。そしてこの水がたまらなくうまかった。なぜかわからないが、たぶんそこの雰囲気とかも影響しているんだろう。コーラなんて飲みたいとも思わなかったのは、そこが資本主義のイコンとも言えるコカ・コーラすら及ばない聖域なのかもしれなかった。食事もまた最高においしい。そのようにして、規則正しい生活を3日続けた。その短さに驚かれることもあったが、東京で仕事が待ってるんですよ、ぼくには。そのことが、幸せなのか不幸なのか、はっきり断定できなかった。仕事があるだけいいじゃないかと思う。働くことと好きなことをやることの間の広がりはいまだ測定できた例がない。
東京の会社員も年に一度、3日だけでもいいので来たらいいのにと思う(でもまた元の生活に戻ったらそうした感覚ってぜんぶわすれちゃうもんだな…)。時間も株価も為替もどうでもいい。会社は、あんたがいなくてもそれまで通り運営されていくことだろう。ぼくたちはあまりに自分を重要視していないか。迂回は逃避ではない、実践だ。会社員・・・、ぼくはそういう働き方を否定しない。そんなふうに思わないでくださいね。ここのやりかたが一番いいなんて言うつもりはないし。どちらもお互いぜったいに代わってあげることができない。だけどアーシュラム生活のほうが健康にはいい。
太宰治は、怒るときに怒らないと人間をやっている甲斐がありませんと書いていて、このあたりにぼくは太宰の文学的グルーヴを感じるわけだが、ぼくとしてはタゴールの「怒らないことによって怒りに打ち勝て」という考えに寄り添って生きていきたい。なんでって単純なことさ。怒りは健康にわるいから。おそらく日本の、世界の未来を想像すると、以下に気持ちよく生きていくかということにシフトしていきそうな気がする。この、健康にいいかどうかというのが重大な判断基準になる。たとえば世間一般的には当然怒るべき場面で怒らない。いらいらやもどかしさや欲求不満や面子や承認欲求を脇において、怒りは体に悪いということのみによって怒りをスルーすること。それは本人の健康にもいいことだけれど、同時に怒りの連鎖を止めることを意味する。怒る事になっている主体が、自主的にその「社会的役割」を捨てて、怒りをスルーする。『7つの習慣』にあるように、反応は自主的に選べるのだから。それは世界に対する貢献とすら言っていい。怒りの連鎖を止めることは並大抵のことではない。それにはおそらく修練が必要だけれど、試してみる価値はあるんじゃない? 「怒らないことによって怒りに打ち勝て」とベンガルの大詩人タゴールが言った。これほど深いことばも鮮い。そういうことができる文化で暮らしたかったね、できるかな、これから。
矛盾を受け入れ健康になる (YO-KING)
カルマ・ヨーガという行為について説明があった。それはバガヴァッド・ギーターでクリシュナがアルジュナに説く重要な教えのひとつである。仕事に精を出している無私の状態がそのままヨーガであるという。知識として知らなかったわけではない。それではわざわざ南インドの山奥にまで来ることもなかったのかもしれないが、これも僕のカルマなんだろう。そこまでしないとわからないなんて。日本でも周りを見渡せばそこらじゅうに見つかるはずだ、無私でやっている崇高な人々が。ヨーガということばの広がりかたに、あらためて念を深めたことでした。
少ない荷物をまとめてアーシュラムを辞すまえにもう一度お寺に行ってしばらく佇んでみる。おそらくここにはぎっしりと物語が詰まっているが、人生に意味を求めること自体ナンセンスなのか、人生は意味の外にあるのだとしたら?その人生を物語として理解するようにこの世の中はできているのだとしたら、意味は生の中にしかなく、生そのものを意味づけできるわけではない。人生の中身には意味があるが、人生そのものには意味はない、意味づけできない。そうならこの生は何なのか。ストップ・メイキング・センス。意味を求めないこと、ただあることで満ち足りるべきだ。そなことをなめらかな石の腰掛けに座って風を感じていたときに思った。その時は「エウレカ!」ばりにはっとしたくらいだが、今こうして書いていてもその時のエウレカ感は蘇らないようだ。日本で生活しているうちに消えてしまうような思念は、始めからなくてもいいものなのか?
無意味であることが救い。そう思ってみた。どんな宗教を持っていようと、その人の具体的生自体、意味を越えているのだとしたら、たとえばヨーガを修めない人たちもそうでない人たちも同等であって、意味のないということそのものによってすでに全員救われている。意味を求めるから苦しくなる。ぼくたちは何かを得たい、充実感や肯定感を得たい。そのような希求こそが苦の根源であるとブッダは説く。どんな神様や宗教を信じようと尊重します。でも意味を蒸発させる、自己すら否定するという宗教こそ、「そんなんじゃなしにほんとうにたったひとりの神さま」の教えなのかと、ものすごく心細い思考が、欠けた湯呑みの縁にそっと触れるように、かろうじて到達した。アーシュラムのお寺にはいろいろな聖人の絵が掛けられていて、パット見なにがすごいのかわからないのだが、そこには一遍上人のような聖性を生きた人たちばかりなのだろう。空港や機内で読んでいたこの本に導かれたのだろうか。ノートにメモった箇所はこんなとこ。
「誰もぼくの生を代わって死んでくれることができないのは、誰もぼくの生を代わって生きてくれることができないからなんだよ。とって代わってくれないっていう点では、死はちっとも特別なものじゃないさ」
「人生に意味を求める人が多いんだけど、あれは、まちがいだよ。人生の内側には、もちろんたくさんの意味付けができるし、生きがいはあるさ。でも、人生の全体を、つまりそれが存在したってことを、まるごと外から意味づけるものなんて、ありえないのさ。そんなものがありえないってことこそが、それをほんものの奇跡にしているんだからね」 永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
タクシーとバスでトリバンドラムに戻る。Tranquilityの極地から、すぐに雑踏と喧騒と排気ガスの只中へ。この落差。早いとここの落差に対応すべく早速コーラを買い求めごくごく飲むありさま。トリ市のバスターミナルの混雑のなか、コーチン(エルナクラム)行きのバスを探す。普通の市内バスみたいなバスにその目的地が書いてあったけれど、こんなので6時間ガタゴト揺られるのはちょっと勘弁だな、と思いながらそのバスはやりすごす。リムジンバスがあり、非常に快適そうなバスがあり、乗り込む気が満々だったけれど、それは完全予約制のバスであった。俺達は違うみたいな雰囲気のエリートっぽい青年たちがスマホ片手に乗り込んでいった。そして、ついに中級かなっていうレベルのバスがやってきて、鼻息荒く一番乗りで乗り込んだのである。そしていちばん前の席に座っていたら、代金回収人から一番前は女性用なんだよと言われて、オーソーリーなんつってその後ろの席に移ったんだよ。
インドのバスはケイオスなロードを突き進む。ホーンを鳴らし、道を切り開く。道中、車が市街地でつっかえて停止中に、鼻先を干魚の匂いが突き抜け、その懐かしい海辺を思わせる匂いの突然の到来に驚く。見ると、道端で各種干物を新聞の上に広げて商いをしている。干された魚たちの姿をなにげなく見つめていた時、売り主のおじさんと目が合う。おじさんは僕に向かって干物片手に「ほれ、ほれ」とでも言わんばかりに干物を手向けていたのだった。まさかバスを停めて買いに降りてくるとでも思っているのか?冗談でやっているのか?でも、バスが再び進むまでの間の10秒足らずの時間、おじさんの表情は陽気でありながらあくまでもまじめそうだった。ぼくが買いに降りてくると信じている風でもあったのかもしれなかった。バスの高みから、スプライトを飲んでいるという優雅な旅人である僕も、そのとき運転手に「停めて!干物買うの!」と懇願することを、もっともっとアクチュアルに考えてもよかったのではなったか?他の乗客を気にせずに。なんて真面目ぶらなくてもいいんだけどさ。そんなおじさんの仕草に、ぼくはその時苦笑を見せながら、やり過ごすことしかできなかった。かれが遠ざかってもしばらくその時の印象は残った。ちなみに生の魚は氷の上に載せられて、日に��らされながら売られている。ダイキンの次はホシザキの出番なのではないか。インドのあらゆる魚屋がホシザキの業務用冷凍庫を保有する日をぼくは幻視した。
大きめなバス停でしばらく停まる。そこをウロウロしていた開襟シャツ、丈の短いスラックス、へらへらしたソールのサンダルという出で立ち、いわば南インドのデフォルトスタイルといっていいようなおじさんが、見たこともない黄緑色した、食べかけの果��をさりげなく手にしながら、けだるそうにきょろきょろしていた。新聞売りが近づいてきた時、いかにも慣れきった仕草で1部買い求めた。買うという行為が完結するまでが長かった!片手に持っていた果物を咀嚼するペースを早めることも遅くすることもせず、ポケットの中の小銭を実にマイペースで探し、それが代金に足りないことが分かっても焦る素振りはまったく見せず、今度は後ろのポケットにある財布を取り出し、改めて小銭を探し、まるでこれくらいの小銭は当然あるし、別に惜しくもなんともない、だからおれのポケットのどこに小銭があるのか知らないんだよ、でもあんたはその小銭が欲しくて仕方がないんだろう?という仕草で、小銭を少年の手に渡す。その行程におよそ4分はかかっていて、その間新聞売りは神妙な表情で律儀に待っていた。そこにぼくたちはカジュアルな悠久と普遍的な経済原理を垣間見ていたのかもしれなかった。
Varkara、Kollam、 Amrithapuri、 Kayamkulam、 Harippad、 Alleppeyなど、時間があれば一つ一つ寄ってみたい地を通過していった。すぐに見えなくなったけれど、そこに行った気にさせて、納得してみた。そ熱帯雨林とバックウォーターの感じもバスの車窓から一瞥できた。時間があればバックウォーターの旅したかったなあ。
エルナクラム(コーチンの中心地。旅行者に人気のあるヒストリックなフォート・コーチンはそこからちょっと離れたところにある一区画)に着く直前の30分位はハイウェイが整備されていて非常にスムーズに進んだ。このハイウェイも将来ずっと南の方まで延ばすとの由。バスを降りたらすぐにフォートコチに向かうべく動く。ぼくの計画ではフェリー乗り場までオートで行き、そこからフェリーで向こう岸まで渡り、歩いてアゴダで予約してた宿まで行くというもの。でも流しのオートリキシャが、フェリーは故障しているので今日は出ない、だからぐるっと下から廻るルートで行くしかない、お代は300ルピーでよいと言う。つぎつぎと現れるオート運転手たちも同じことを言う。20年前の自分なら簡単に信じていたのではなかったか。そんなことあるかと思いながらウロウロしていたら、プリペイドのオート乗り場に出くわし、フェリーターミナルまで30ルピーとあっさり決まる。まったく気が抜けない。
船は8時半が最終のようだった、チケットを買えたのが8時28分、図らずもギリギリ間に合った格好。波でわずかに揺れている小さな船に座り、出発を待っていた。港湾都市特有の雰囲気というものはある。前方の若者連がSNSのメッセージ機能を使って盛り上がっている。好きな女の子にメッセージでも送っているのだろうか。薄暗い船内でかすかに揺れを感じながらだまって座っている。船の漕ぎ手が乗船してきたなと思っていたら、いつのまにか船はするりと進み始めていた。それはあまりにもさりげなかった。汽笛もなにも鳴らさずに。出入り口の扉は無造作に空いたまま。その空いた扉からゆったりとした夜の水がナトリウムランプのオレンジの光を受けて揺れていた。ぼくたちの乗った小さな船が巨大な船の船体の近くをするりと通り過ぎていく時、巨大な船の甲板の明るい光が遠く感じられた。
フォートの雰囲気は良かった。洗練されていたと言っても良かった。欧米人の姿が非常に多く、ここが一種のわりと快適な滞在場所として一定の人気があることを伺わせた。ニセコや青島や大理のような雰囲気にも似ていた。ぼくが泊まった安宿ですら、洗練された内装、親しげなスタッフを擁し、快適だった。そのスタッフはまだ少年のようだったけれど、ぼくなんかがロビーを通り過ぎるときすら、必ず立ち上がりにっと微笑んでくれる。ドアも先回りして開けてくれるのだった。
市内観光で見るべきところはたくさんあったけれど、これが見れたらそれでいいというのがあった。それはマッタンチェリーのユダヤ人街にある400年の歴史を誇るシナゴーグの床を埋める広東から舶来された青タイル(”It features an ornate gold pulpit and elaborate hand-painted, willow-pattern floor tiles from Canto, China, which were added in 1762.” Lonely Planet, South India & Kerala) 。この青タイルを見たいという気持ちはすごくあったのだが、あろうことか行ったときにはクローズしていた。シナゴーグの基礎知識として金曜の午後から月曜まで閉まるということすら調べていなかった自分がわるい。コーチンが舞台の小説、ルシュディの『ムーア人の最後のため息』に、ここの青タイルが登場するのだった。その美しい青タイルから物語がつぎつぎと立ち現れる、そんな魅惑的なお話。次回ここにくることはあるのかと思いながらユダヤ人街を散策した。そういえばカタカリダンスもインド武術もバックウォーターも観れなかったなあ。オートの運転手はサイナゴーグと発音したので、僕の中でいつの間にかサイナゴーグになっていた。アイランドはイズランドで、ナンバーワンはナンバルワン、サンキューベリーマッチはタンキューベルリマッチ(というかそもそもカタカナ発音の英語とインド風アクセントの英語はどちらがましなのか?)。そうやって、異国の響きに分け入っていくときの新鮮な驚き。そしてぼくの発音もまぎれもなく、彼らにとっては異質であるわけで、その異なる響きが交差することのおもしろさ。ぼくが突飛な思いつきをしてここに来ない限り決して発生しなかったこと。それはほとんど旅の経験の根幹をなすものだと思う。翌日、ビエンナーレという、まちなかや歴史的建物の中に現代アートを展示するイベントが開催されていて、そいつを見ながら、街を散策する。そしてフロントのお兄さんにウーバルことUBERで車を呼んでもらってコーチン国際空港へ向かった。特に結論のない旅だけど、結論のある旅なんてない。いつか必ず付せられる最後の句点があるだけ。だけど、連鎖を続けてゆくこと、とぎれさせないこと、最終ヴァージョンの存在を許さないこと(管啓次郎)、そのための旅。
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onemile-blog · 8 years ago
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遂に完成!5回目の試食で納得の鯵に、瀬戸内海の鱧・蛸・しらすを使った夏のご膳
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2017年3月10日(金)今日は、端午の節句や父の日にちなんで、お盆までの間に販売する計画の瀬戸内で獲れた旬の鱧・蛸・しらす干しを使った主食はちらし寿司(蛸・しらす・蓮根・椎茸・人参・手焼きの錦糸玉子)、主菜天ぷら(鱧と蛸)、焼き物(鱧の照焼)、蒸し物(アスパラととうもろこし)、酢の物(わかめと蛸)、和え物(小松菜としらす)、椀物(湯葉しんじょうのあんかけ)、お浸し(おくらのオランダ煮)、計8品の詰合せ料理セットです。
京都の有名料亭の宅配仕出し料理や百貨店で売られる折詰ご膳の調理を受託されている神戸のシステムフードさんにお願いして作ってもらいました。野菜などすべて国産食材使用、手作りした料理を急速冷凍しています。前日の夜から常温で自然解凍、当日中にお召し上がりください。急速冷凍でも美味しく食べていただく為に5回も試食を繰り返し、ようやく納得いく味になりました! 1980円税込価格で全国へお届けします。・・・ぜひ父の日のプレゼントや誕生日などお祝いにお召し上がりください!
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おかずセットも前年対比で2倍以上売れて服部さん1社ではパンク状態なのでシステムフードさんにもお願いして、週に1セットを作ってもらいます。
大阪泉州4Hクラブが作った泉州キャベツを使った豚肉の味噌炒めセット、野菜のミートローフセットと2回目の試食です。まだ甘い感じがします。おかずにすると上品な味付けなので、もう少しおかずらしく作って欲しいとお願いしました。
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それと本日午前中に淡路島で唯一の養豚場を経営され精肉卸、創業は昭和35年の株式会社嶋本食品の嶋本社長が営業の宮本様と来社いただきサンプルをいただきました。嶋本食品さんとは先日東京で開催された全国都道府県のご当地グルメフェアで見つけ、営業の宮本様に一度サンプルを送って欲しいとお願いしました。まさか社長様みずからご来社いただけるとはびっくりです。淡路島ポークは鹿児島の黒豚と地元の猪を掛け合わせた猪豚で遺伝子組み換えをしていないトウモロコシと大豆に淡路島産の米、酒粕を与え、生後6ケ月以降は抗生物質は一切与えず、通常の2倍の12月間飼育してします。その為動脈硬化や脳梗塞の予防に良く血中の悪玉コレステロールを減少しさせ、血液をサラサラにするオレイン酸が豊富に含まれています。和牛と同じくゆっくり育てることで、きめ細かい柔らかい肉質になります。
早速試食してみましたが、肩ロースでも僕がサーロインと勘違いしたぐらいとろける肉質で驚きました! 鉄板や炭の上で「焼きしゃぶ」が最高だと思いまた。わんまいるでご提供するなら生肉販売の許認可がない為、しょうがや味噌漬にして、またはだしで野菜と一緒に炊合せすると袋の中で豚の甘みがだしに混ざり合い絶妙な美味しさになるのは間違い無いと思うので「絶品つゆだく豚丼の具」として開発してみます。 生ハムは生肉のような食感で好きな方には癖になると思うのですが一般受けはしないでしょう、ベーコンももっと燻製させれば絶品になると思いました。ウインナーとソーセージは作り方が雑のように感じました。僕ならこの豚の特性を生かしてハンバーグやミートローフ、ミンチカツなんか抜群に美味しいと思いました! いやーびっくりしました!早速淡路島にお伺いしたいと思いました!
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tsukasutagram-blog · 8 years ago
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7日間の体調不良が招いた食欲不振と、約束ドタキャンと、ギリギリスケジュールと、ハーフ疑惑、1日取り戻した活力が招くpassengerとの喧嘩が、魅力的な私の8日間、みんな大好きメルシー
8日間のバスターズヨーロッパ旅行の感想
2/26 
オランダにて乗り継ぎのはずが、飛行機の機材トラブルによって、オランダで一泊を過ごす羽目に。この日、前日まで38度越えの私は機内食もまともに食えるわけもなく、鬼の体調不良により、割りかし体調悪めの状態で入国。
ちなみになつきもスーツケース逝かれてしまってたし、
やな感じの初日。
2/27
早朝にイギリス、ロンドンに入国。
朝は移動してまず、ウェストミンスター大寺院とビッグ・ベンを遠目に眺める。「ああ、綺麗」ぐらいの感想しか持てないくらい時間に追われてた。
その後、大英博物館に移動するも時間なさすぎるから30分くらいしか見れず。
ミイラがなかなか���アルで焦った。もう、忙しすぎるから、それくらいしか感想ない。
そして、昼食にローストビーフ挟む。これはギリ食えた。けど日本のローストビーフ想像して食ったら、肉の筋が多いし、硬いし、ローストビーフっていうか、質の悪い焼肉屋で食う普通の肉って感じだった、でも。食えるレベルってだけで、ご褒美だったって帰国してから、申し訳なさを感じた。
午後は、ハリポタの撮影スタジオ。
これもう、何年仕込みの作品だよってレベルの観光客の多さ。
ただ本当に時間がなくて、3時間でギリギリ全部見きれなかったかな、
そのくせに4000円近く払って魔法のホウキとか乗ってもうて、優先順位ミスりすぎて、後悔してる。ただ、大好きな映画だし、いろんな国の人が各々の作品と共に眠る思い出に浸って、笑いあう光景に、ほっと嬉しい気持ちになった。こんな作品ってある?ってシンプルにびびらされた。
夕食はフィッシュアンドチップスだったけど、食えるわけがない。安い油でからっと揚げましたみたいな、疲れた体にほんと胃が死んだ。空っぽの胃に、使い古した油流し込まれたから、お米想像して、泣きたくなった。
2/28
朝からロンドン市内にお出かけ。
キングス・クロス駅行くけど、人がまだゴミ溜まり状態だから、記念写真すら出来ずに退散。そのまま、ナショナルギャラリーに移動。目的はゴッホ。ゴッホのひまわり見たさに、行くんやけど、想像の4分の1くらいしか、ゴッホに群れてなくて、ラッセン説があるのか、気になりすぎて、永野が頭からしばらく離れんかったくらいしか、感想ない。
次にコヴェントガーデンに移動して、買い物勝ちこもうって移動。
ロンドンのブランドらしいオリジナルアクセサリーを勝ちこんで、そのまま昼食、ようやくさ、お腹に嬉しいご飯に出会えた。イタリアン。安心安全のパスタとピザ。本当に美味しかった、ここに来て初めての完食。
午後は、アフタヌーンティーしばきに、Fortnum and Mason ここで茶葉勝ちこみ。8000円近く茶葉に費やした。そのまま5000円近く払って、アフタヌーンティー。次々、お湯流し込みに来てくれるし、スコーン運んで来てくれるし、残したら、ジャムとか全部持ってけって手土産くれるし、貴族はええのう、って感じの扱い。ただ午後の紅茶のボリュームはんぱないから、これ夕食と化した。
夜は大本命のLes Misérablesのミュージカル鑑賞
泣いた。初めから最後まで映像が生身で感じられて狂おしく泣き狂った。不思議と英語は全部理解できたし、歌も踊りも演技もすっと体に入り込んできて心地が良かった。もし、自分に子供ができたら、Les Misérablesを肌で感じて「連れてきてくれてありがとうママ」って言ってくれるような、優しい感情が持てる子供に育てたいと思った。この悲しい歴史があっての現世。貧困にも、戦争にも悩まされずに生きる私は幸せなんだと。旅のいちばんの思い出これかな。
3/1
朝、ロンドンからパリまでフェリーで移動。
まあ、退屈。ろくにこの日は飯も食ってないから、本当に、移動してまーすってだけの日。ちなみに午後、パリに着く予定で、たまたま元彼がパリにいるから、会おってなったんだけど、食欲不振・天候不良で気分乗らなかったから、ドタキャンしてもうた。日本で「たまには女子とクラブいきたい」って言ってたから、パリで「ほな、いこや、よろしく」とか言ってたからさ、申し訳なさと、やっぱ絶対楽しかったやんなって後悔80%くらいしてるから、どっかの国で次回リベンジさせたい。
全ては体調不良がなんか色々後悔させてる旅行ってそろそろ伝わる?
で、パリでは、一丁前にエッフェル塔見たら、シャンゼリゼ通り見たり、凱旋門見たり、観光客満喫しました。夕食は牛肉の赤ワイン煮込みと、臭い野菜スープと、普通のプリン。臭い野菜スープで食欲0に引き下げられた後に、しっかり味が薄い牛肉でてきて、本当に食えなかった、だから普通のプリンに「うまい、世界一うまい」とか言うてたけど、まあ普通のプリン。
3/2
フランスきたからには、パリのディズニー。
スタジオの方にいって、タワテラ乗る。日本とは、ふわふわ度が違いすぎる。酔いかけた。その次はよくわからん、ロックンロールのアトラクション乗ったけど、こいつがやばかった。出だし3秒で一回転するわ、爆音ロックンロールで回転しまくるわで、と���かく頭とか首とかガンガン打ちまくって、痛かった。荷物がアトラクション内で散乱してて、ポテチがカバンから、フライアウェイしてて引いた。それから、トイストーリエリア見て「かわいい」だけ言い残して、レミーのアトラクション乗った、時短のためシングルライダーにした。ネズミサイズになってネズミについていく、日本のプーのアトラクションちっくな感じだったけど、可愛かった。
で、本命のランドに移動。
乗ったアトラクション、ホーンテッドマンション、ビッグサンダーマウンテン、インディジョーンズ。日本とほぼ変わらなかったけど、ショーとか歌とかは、なんかリアルだった、英語やからかな。噂で聞いてた汚さはなかった。ミッキーにも会えたし最高、ハンバーガーも普通に美味しかった、ただ土産とか帽子とかは少なかったし、クルーはアルバイト感否めないし、やっぱ、私は日本産のネズミーランドがいい。この日は、体調がいちばん悪かった。
3/3
早起きしてヴェルサイユ宮殿に向かう。宮殿は広かった。中も外もキラキラしてて、生れて初めて高貴な場所にきたって実感した。ただ質の悪い中華人が多かった。ヒィヒィ言ってた、中華人いない観光地といる観光地では、観光地の質すら変わってしまうのかってくらい、相変わらず、どけどけオラオラ人種だった。そして市内に移動して、ノートルダムの鐘を聞きにいく、ここでフランスのおばちゃんに「ここ、スラれるから、自撮りしなさんな、気いつけなはれ」的なこと言われた。あの人、お節介おばさんとか言われてそうだな。
セーヌ川「汚ね」って言いながら、ルーヴル美術館に移動。モナリザとミロのヴィーナス目的。ここで、嬉しい出来事、アメリカ人に英語話せるハーフだと思われたらしく「お前は英語少しくらい話せるか?この英語はどういう意味なんや」って質問される。「少しな、少しな理解してまる」って、適当に答えたら、適当に「aha センキュー」って適当に感謝されたけど、たまらん嬉しい、英語勉強したいって過去一、感じた。ネイティブと英会話レッスンしたい気持ち理解した。気持ちは高揚しまくってたから、ルーヴルはほんまに楽しかった。
ルーヴルでたら、パン食べながら移動したいねってなって、パン勝ちこんでたら、ジブシーに囲まれた。「サインしてや」って言われたけど「無理バイバイ」って感じで追い払ったけど、ずっと私の財布を見つめながら必死で、次来たらきついこと言おうって思ってたけど、子供だし、なんかパン買いながら、切ない気持ちになった、この子らはパンすら食えない。日本でこの光景に遭遇したら、どう思うんだろうってなった。パンは秒で完食したし、その後、シャンゼリゼ通りで2000円のパスタ食べた私に軽く失望した。しかも、パスタ残してもうたし。でもまあ気にせず、シャンゼリゼを一通り、ぶらりと店を見て、移動。
ラドゥレの本店にいきました。紅茶とマカロン食べた。美味しかった〜。マカロンがすっごく甘かった。人生相談とパリのオヤツで友達っていいなってほっこりした状態で、百貨店に免税パーリーしに行った。miumiu買ったり、化粧品買ったり、とにかく買った。はやくお金クレジットに免税されてほしいです。
その後、日本人のフレンチ食べにいこうとしたんだけど、華金でどこも満席。どこの国でも華金は華金なんだね、ってわけで、中華人がやる日本食食いにいった。普通に美味しかったけど、なんかラストナイトには申し訳なかった。
3/4
パリからオランダに移動して、帰国する日。
この頃、体調がようやく完治。この日がいちばん体調良かった。
機内食も全部食べたし、オランダで味噌ラーメンも食べたし、モアナとか君の名見たりして、この日は気分が良かった。高揚したら、人と喧嘩するタチが悪いから、機内で前の客と喧嘩したのも、今になりゃいいコミュニケーション。have a nice trip bay アドューって、いい感じに暇つぶせて、日が変わって、日本まではあっと言う間でした。
以上、
動画では伝わりきらない���体調不良と私の性格直せ問題といい友達といい出会いとまずい食にメルシー
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umedanakazaki · 2 years ago
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やっぱり店はお客様によって作られている。想定をはるかに超える来客で、ミスが有ったり提供に遅れが出たのにお客様が笑って気持ちよく過ごしてくれた。締め作業の時に大量のグラスをひとつひとつ手洗いしながら、この1杯を飲む時の笑顔に支えられているんだなーと思い返した。ありがとうございます! 得意澹然(とくいたんぜん) 失意泰然(しついたいぜん) 得意なときは淡々と、失意のときはゆったりと。 六然訓より #5月21日 #日替り弁当 焼肉といえばやっぱりカルビ #牛カルビタレ焼き #淡路玉ねぎと一緒に #タレが旨い ご飯が進むこと間違い無し ご飯の上には #まぐろのオランダ煮 #一度揚げてから煮付ける 副菜は #きんぴらごぼう #鶏皮ポン酢 お腹いっぱい 税込み550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #六然訓 #お客様のおかげ #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #イーデリ #支援者募集中 #セキュリテ #ファンド募集中 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CdzAgESvTJ4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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