#ぶたぼーる新宿西口
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#ぶたぼーる新宿西口 #ハイボール #日曜日 #sunday #whisky #🥃 (Shinjuku) https://www.instagram.com/p/CmS-qJqSl9u/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走った��けでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を���してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている���ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あっ��母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ���れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われ��しまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、��ちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたし��主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃな��て、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた��楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌���やっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のな��で、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度��高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実��んていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういう���のだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に��がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何���綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっ��のこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなく��ゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがある��もしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索し���うと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバ��のような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、��跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤���希、葵わかな
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Storia dei sogni(751)③
スタバへ��動し
お喋り&写メ大会しながら、お茶して
かーらーのー
上野の中華料理屋へ移動し
お喋り&写メ大会しながら、夜ご飯食べて
かーらーのー
東京文化会館へ移動し
彼女やマエストロ,合唱仲間の皆様etc…と合流し
休憩挟みながらリハして
かーらーのー
リハ終了後、居酒屋へ移動し
お喋り&写メ大会しながら飲み・+(*゜∀゜*)+・
ソプラノのメンバー265
「いよいよ明日だね(๑›‿‹๑)」
ソプラノのメンバー266「楽しみだねー( ・ᴗ・ )」
ソプラノのメンバー267
「アゼルバイジャンとアルメニアね(๑◔‿◔๑)」
ソプラノのメンバー268
「アゼルバイジャンやアルメニアって
どんな国なんだっけ( 'ω')?」
ソプラノのメンバー269
「場所的にはトルコとか中東寄りっぽいね」
ソプラノのメンバー270
「ロシアやジョージア,イランの近くね」
ソプラノのメンバー271
「一時期、治安ヤバかったらしいけど
今は、だいぶ落ち着いてるっぽいよ」
ソプラノのメンバー272
「イタリア等と同様に
かっぱらいとか、たくさん居るらしいけど」
ソプラノのメンバー273
「アルメニアも中東寄りっぽいね」
ソプラノのメンバー274
「アゼルバイジャンの隣りだね」
ソプラノのメンバー275
「アルメニアも、かっぱらい系多いみたい」
ソプラノのメンバー276
「あと、銃絡みのやつもあるっぽい」
ソプラノのリーダーA&B「こわっ…」
アルトのリーダー「やばっ…」
アルトのメンバー1「ね、ね、梅ちゃん達」
春梅「はい」
アルトのメンバー2「こないだ大変だったね」
アルトのメンバー3「大丈夫?」
桂姐「はい、大丈夫です^^」
アルトのメンバー4
「リケちゃん達がガラ悪い奴に絡まれた事件が
ニュースになっててビックリしたわ」
アルトのメンバー5
「皆、怪我無くて良かったよ」
秋菊,梨花,雙月「ありがとうございます︎^_^」
アルトのメンバー6
「新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街
池袋西口は特に治安悪いから気をつけないと
あと、上野の飲み屋街も...」
アルトのメンバー7
「特に歌舞伎町ヤバイよ…もうホントに…」
アルトのメンバー8
「歌舞伎町は
ナンパやスカウト,客引き,キャッチの他
半グレや不良,売春婦等も沢山ウロついてるし
どこのスラム街再現してんだよ、って感じだし
それでも外国人に人気なの不思議なぐらいよ」
旦
「あぁ、確かに…
女性に声掛けてる男性たくさんいました」
福真
「あと
ずっとスマホ弄りながら立っている女性も
たくさんいました」
小欒
「学校の友達
その女性達を立ちんぼって言っていました」
アルトのメンバー9「それがそうなのよ」
アルトのメンバー10「あの街は何でも有りよ」
アルトのメンバー11「もう無茶苦茶よ?」
小香「確かに、そうですね…」
アルトのメンバー12
「でも、どうして歌舞伎町に?」
信春
「私達、見たい映画があって
��の見たい映画をやってる映画館が
新宿だと
歌舞伎町の映画館でしかやって無くて…」
葉芳
「渋谷や池袋だと
家から遠い子や乗り換えがある子
乗り換えが何回かある子がいて
その子達の家の最寄り駅からでも近い
新宿にしたのですが…」
アルトのメンバー1「そうだったのね…」
アルトのメンバー2
「でも、まぁ…あの時
京極組の人達が居てくれて良かったよね」
春梅「あの方々には本当に感謝しています」
秋菊「あの方々がいなければ」
梨花「私達どうなっていたか…」
アルトのメンバー3「ホントそうよ…」
飲み会の後
解散し,帰宅し
お風呂やSNSなど、いつも通りの夜を過ごして
かーらーのー
おやすみなさい(。-ω-)zzz
てな感じで
すごく楽しかったです゚*。(・∀・)゚*。
月娘さん達や月娘さん達の知人の方も
東京文化会館等すごく気に入っていたのと
私達と一緒に楽しんでいた.+(´^ω^`)+.
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20240502
釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝くじ以外。)
なんというか釣りもそれと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。
水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。
少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。
小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。
本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。
休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着く���裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。
ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるので��なく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。
天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。
水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。
手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。
さて。
次は食う。
多分。
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2023年 DVDなどで観た映画
2023年にDVDやウェブなどで観た映画のリスト。全69本。 今年は連続ドラマもよく観た(21作)ので、それらシリーズも一緒に記す。
作品タイトル(制作年/制作国/監督名) ★は私の超おすすめ (私は、簡単な鑑賞メモを手帳につけていて、その際、個人的な好みを5点満点で採点してます。★は5点を付けた作品です)
裸の十九才(1970/日本/新藤兼人) わが道(1974/日本/新藤兼人) ある映画監督の生涯(1975/日本/新藤兼人) 竹山ひとり旅(1977/日本/新藤兼人) 落葉樹(1986/日本/新藤兼人) ブラックボード(1986/日本/新藤兼人) さくら隊散る(1988/日本/新藤兼人) 濹東綺譚(1992/日本/新藤兼人) 午後の遺言状(1995/日本/新藤兼人) 生きたい(1999/日本/新藤兼人) 大怪獣のあとしまつ(2022/日本/三木聡) リメンバー・ミー(2017/アメリカ/リー・アンクリッチ)★ 嘘八百(2018/日本/武正晴) スイング・ホテル(1942/アメリカ/マーク・サンドリッチ) コンフィデンスマンJP 英雄編(2022/日本/田中亮) ユーリー・ノルシュテイン傑作選(1968-75/ソ連) ONE PIECE FILM RED(2022/日本/谷口悟朗) くまのプーさん 完全保存版(1977/アメリカ/ウォルフガング・ライザーマン+ジョン・ラウンズ・ベリー) プーと大人になった僕(2018/アメリカ/マーク・フォスター) ドラゴン危機一発(1971/香港/ロー・ウェイ) ドラゴン怒りの鉄拳(1972/香港/ロー・ウェイ) ドラゴンへの道(1972/香港/ブルース・リー) 燃えよドラゴン(1973/香港+アメリカ/ロバート・クローズ) 死亡遊戯(1978/香港+アメリカ/ロバート・クローズ) 劇場版おいしい給食 Final Battle(2020/日本/綾部真弥) 劇場版おいしい給食 卒業(2022/日本/綾部真弥) ケイコ 目を澄ませて(2022/日本/三宅唱) ブレット・トレイン(2022/アメリカ+日本+スペイン/デヴィッド・リーチ) AIR(2023/アメリカ/ベン・アフレック) THE LEGEND & BUTTERFLY(2023/日本/大友啓史) ミナリ(2020/アメリカ/リー・アイザック・チョン) 異動辞令は音楽隊!(2022/日本/内田英治) 三島由紀夫 vs 東大全共闘 〜50年目の真実〜(2020/日本/���島圭介) 騙し絵の牙(2021/日本/吉田大八) 勝手にふるえてろ(2017/日本/大九明子) シン・仮面ライダー(2023/日本/庵野秀明) ラジヲの時間(1997/日本/三谷幸喜) インファナル・アフェア(2002/香港/アンドリュー・ラウ+アラン・マック) 劇場版MOZU(2015/日本/羽住英一郎) クリード 炎の宿敵(2018/アメリカ/スティーブン・ケイプル・ジュニア) クリード 過去の逆襲(2023/アメリカ/マイケル・B・ジョーダン) 水のないプール(1982/日本/若松孝二) 翔んで埼玉(2019/日本/武内英樹) ブルーノート・レコード ジャズを超えて(2018/アメリカ+イギリス+スイス/ソフィー・フーバー) 渇水(2023/日本/高橋正弥) パラダイスの夕暮れ(1986/フィンランド/アキ・カウリスマキ) 劇場版きのう何食べた?(2021/日本/中江和仁) ベイビーわるきゅーれ(2021/日本/坂元裕吾) レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989/フィンランド+スウェーデン/アキ・カウリスマキ) 宇宙人のあいつ(2023/日本/飯塚健) 次元大介(2023/日本/橋本一) 探偵マリコの生涯で一番悲惨な日(2023/日本/内田英治+片山慎三) 暗数殺人(2018/韓国/キム・テギョン) 神々の深き欲望(1968/日本/今村昌平)★ 亡国のイージス(2005/日本/阪本順治) 沈黙のパレード(2022/日本/西谷弘) RONIN(1998/アメリカ/ジョン・フランケンハイマー) 清須会議(2013/日本/三谷幸喜) かぞく(2023/日本/澤寛) グッドフェローズ(1990/アメリカ/マーティン・スコセッシ) みんなのいえ(2001/日本/三谷幸喜) 何者(2016/日本/三浦大輔) 愛怨峡(1937/日本/溝口健二) Red(2020/日本/三島有紀子) short cut(2011/日本/三谷幸喜) 大空港2013(2013/日本/三谷幸喜) ラーゲリより愛を込めて(2022/日本/瀬々敬久) サタデー・ナイト・フィーバー(1977/アメリカ/ジョン・バダム) 白いリボン(2009/オーストリア+ドイツ+フランス+イタリア/ミヒャエル・ハネケ)
【連続ドラマ】 カルテット(全10回/2017/日本) おいしい給食(全10回/2019/日本) おいしい給食 season 2(全10回/2021/日本) うぬぼれ刑事(全11回/2010/日本) 時効警察(全9回/2006/日本) 帰ってきた時効警察(全9回/2007/日本) TRICK(全10回/2000/日本) チーム・バチスタの栄光(全11回/2008/日本) チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋(全12回/2010/日本) ダブル・フェイス(全2回/2012/日本) MOZU Season1 〜百舌の叫ぶ夜〜(全10回/2014/日本) MOZU Season2 〜幻の翼〜(全5回/2014/日本) 大杉探偵事務所(全2回/2015/日本) ハヤブサ消防団(全9回/2023/日本) VIVANT(全10回/2023/日本) きのう何食べた?(全12回/2019/日本) ごめんね青春!(全10回/2014/日本) ゆとりですがなにか(全10回/2016/日本) 最愛(全10回/2021/日本) おいしい給食 season 3(全10回/2023/日本) きのう何食べた? season 2(全12回/2023/日本)
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23.12.28(木)7:42
なんか珍しく早起きをした。カーテンを閉め切りで暖房もつけっぱで米も冷凍できてなくて、今年は肌の乾燥をすごく感じる。4年前に開けたピアス穴がまだぱりぱりする。金属アレルギーが諦めてくれず往生際が悪い。
最近は風邪をひいて、治ったりぶり返したりの合間を縫ってかなり人と会っている。もう治った。土曜日は同期会があって、そのまえに優ちゃんや後輩と老酒舗にいったり、2丁目で始発まで遊んだりした。
12/8 、終電くらいに集まってたくさんお酒を飲んだ。乙葉に教わったミックスバー二つを回る前に、花枝の店の常連に会って絡まれ、みんなでやいやい酒を飲んで踊っていた。懐かしい私のよくわからないDIVA系(系…?)が爆音で流れていて、たしかびっくりするくらい可愛い女の子と手を繋いでステージで跳ねてたのが1番楽しかった。花枝やすばるはバランス感覚がいい。乙葉は飛び抜けているけど、やっぱり場所のバフがかかるか否かがすごくでる街。わたしはちょっと迷う。最後にはずっとそこにいるらしいおばあちゃんに滔々とそこの話をしていた。英語を話せるようになりたい。身体的な、めちゃくちゃ身体的な場所。値踏みする雑な、表面的な感じとか、気安くてたのしくきっと向き不向きがあるだけなんだけど、怖いことがあったとしたら慣れるのはどっちなんだろう。この程度でノンケでそこにいることはあまり関係なさそうだった。
わたしの、知らないとこでもう会わないひととその時だけはしゃぐのが好きなところがすごく合って、本当に楽しくて私のこういうところを軽蔑する人もいるのだろうな、とたまに思う。昔は嫌いだった。継続的な関係ではないひとへのやりやすさ、ざらざら普段人に言えない適当なことを喋ってからピコピコハンマーで殴って全部忘れてもらうことをしたいけど、かなりそれに近い。はまってたかなあ。母が、女の子を好きな時はめちゃくちゃ性格悪かったからよくなかった、と苦そう��言ってたのを唐突に思い出したりした。近い年齢のときにどこかの店に通っていたとか聞いて、その当時の同僚のかたの名前を乙葉から聞いて混乱して笑ってしまったんだった。もう気持ち上食われてはいないけど正直使いやすい。私だけ悪くはないが、ごめんなさい。また行きたい。
その10日後は延期に延期を重ねたサウナ会で、すごく久しぶりにひなちゃんとみゆかに会い優ちゃんとお風呂に入った。鶯谷は変な空気があって、もう3.4回目になる道だけちょっと居心地がいい。病みあがりに体力がなくて、珍しく熱いお湯にぼやーっと浸かっていた。いつもは水分をひたすら抜く感じで温冷浴をするけど、冷静にサウナって身体に悪すぎる、その感じが好きだけど心臓じゃんこれと思ったら気が引けてしまった。それでも300gくらい痩せた。御徒町に行って老酒舗に行く、老酒舗のことが大好きすぎる。あんまりこれといったことは話さずご飯をたくさん食べてプリクラを撮った。ゲームセンターにちらと行くことが最近多い(歌舞伎町ばっかり、バッティングセンターのぷよぷよと有坂さんのジョージと澁谷のサンリオ 他)、発酵白菜が好きすぎて作り方を調べ諦める。優ちゃんとは年に1度くらいプリクラ撮っている気がする。そういえばさっき(12/28朝)優ちゃんの悩み事が解決する夢を見た、実際の出来事とほとんど地続きな夢をよくみて、あれ夢かと落胆すること結構ある。あまり話さないけど優ちゃんはめざとく、から笑いをよくしており、大丈夫であれ、バカ、とよく思っている。
あと同期会がすごく楽しかった。お好み焼きをひっくり返してやいやい言ったり牡蠣を焼いたりして、話すことはなくて居心地がいい。いつも。裕太はいつも何も知らず、智春は写真を撮ったり軽口を叩いたりぶっ倒れたりして忙しく(あたたかくして)、優ちゃんはひっそりと恨めしく帰り(撮ってくれた写真がかなり可愛かった)、最後は澁谷の家に雪崩れ込んで結局朝までだらだら喋っていた。アドベントカレンダーのチョコやらプリンやらを食べて(なんか余ったお菓子をもらう感じが疑似従兄弟感をすごく感じるとこだわ)味覚の話を3時間くらいしていたような気がする、味覚が合わないと糾弾されるのはあたしの方じゃねえ。澁谷は昔の友達と年明けに会うらしく、軽音の教室を見せてくれたり、折田は寝ながらよく喋っていた。ともだちの家から帰る用の路線として、西武新宿線はけっこう好き。でも西武新宿と京王新宿駅は遠すぎてだいたい帰路は朦朧としている。ピューロランドとジブリの森美術館に行きたい。
あとなんだ、クリスマス、パレスチナのことを毎日考えながらひそやかに不買しているけど、ディズニースタバはいい、マックセブンファミマ(notフランチャイズ)、うう、と思う。他にすることをする、ごめんなさい、と思いながらケンタッキーを買う。クリスマスを取り返そうと行った初めての古着屋で店員さんにめちゃくちゃ喋りかけられて勢いでローライズのカーゴを買う。高い! 背の高い、モード寄りのまっくろいスタイリングの店員さんが本当に可愛く、はしゃぎながら「かわいい人にだけですよ」と袋にリボンを巻いてくれた。あとでインスタを見たら19歳の文化の学生で笑ってしまった。なんにもできねー。プレゼントもなく、ピザを買って投げやりなパーティをしてキル・ビルをみた。折田とは自堕落さが近くてありがたい。かわいい服を買ってかわいいと言い合うのがかなり好きだった。キル・ビルは二部作であることを観ながら思い出して、龍子はもろこれじゃんとか、若い高橋一生がチンピラ役で絶叫しているのとか、血のスプレー具合とかがやっぱり好きだった。タランティーノはやかましくて目配せが多くてみんな胡散臭いキャラクターみがあってジャンクで大好き。
そういう感じで遊んでいる。仕事は、雰囲気でやっていて、先輩に作文を直してもらったりレビューし倒してもらったりして取り繕っていたら先方に褒められていたらしい。まだいれるんだ、とずーっと思っている。どこまで詐欺にならないのか試している感触、フライヤー作ったり会社ブログを書いたりなんだりもしている。同期はうっすらとみんな他人事感があって、いいなあと思った。アカデミア界隈がなんなのか、何を考えてる人たちなのか知らないけど、距離感がいい。正月に浮かれている会社としてZIPに出るみたいで、どうなのそれ、というのも案の定言っていて落ち着く〜と思った。1/5のZIPに一瞬出るらしいです。テレビを10年くらいまともに見てなくて怖い。あしたは23になるけど、なんかもう休みたいし、買ったクロノトリガーをやりたいばかりで気付いたら1年が終わる。社会のことよくわかんないが、なんかやりたいことそのままやれてしまうらしくって怖いね。らしくなく、来年やることリストとかを今日は作ってサボろうと思います。よいおとしを。
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映画鑑賞
9月半ばのTOHOシネマズ池袋の山崎貴監督ゴジラシリーズセレクションの「ゴジラ」を皮切りに、先月まで7本の映画を計10回観に行ってました💕
ゴジラ関連では「ゴジラ(初代)」「三大怪獣地球最大の決戦」「ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃」「ゴジラ-1.0」の4本。マイゴジは初日に立川シネマシティの極爆(これは意地でも絶対に外せなかった)と翌週少し落ち着いてから府中でMX4Dの2回。
実はシンゴジの時に4XDを体験してまして、そちらは動く基準がゴジラと自衛隊の両方で座席が作動したので正直映画に集中出来ず、微妙な印象だったんですよ😥
で、今度もあまり期待はしないようにして、でも一度は動く系で観てみたかったし、山崎貴氏と言えば西武園ゆうえんちのゴジラ・ザ・ライドを製作しておられるし……ということで、予約してみたんですね。感想はというと、ぶっちゃけ
すんごく楽しかったです😊💕🎶
もしかすると4XDとMX4Dの違いかもしれませんが、完全に人間側の体験に応じて作動するようになっていて、マイゴジ君への畏怖と絶望をよりいっそう味わえました。まだ西武園ゆうえんちのゴジラライドには行ってないのです��、あちらも早く乗りたいな~。
あ、マイゴジの感想は取りあえず地上波で放送するまでは🤐してますw前情報がない方が楽しいもん(公開1ヶ月も経過してんのに今更💦💦)
最低限のことを話すと、めっちゃ初代とシンゴジを意識してる!!話の持っていき方がどれもほぼ同じ。でもゴジラの描き方が3作品とも全く重ならない。ゴジラという素材に重要な縛りがあるのに、それをものともしないで自分のカラーを出せちゃうのって改めて凄いなと。それだけ魅力的なんですよねぇ、ゴジラという生き物は。
ちなみに山崎貴セレクションのゴジラシリーズ再上映は4本ありまして、あと1本でコンプリだったんですが、それを阻んだのは庵野カントクの「シン・ゴジラ オルソ」😭チケット争奪戦に競り負けました。ちっくしょーめ!!!
シンゴジをモノクロに再編集した本編もさることながら、上映前に実施される山崎監督とゲストのトークショーを見たかったんです。その回は司会も庵野カントクで2人だけの濃い内容になったそうです……1回目の樋口監督の時(この回の司会は笠井信輔アナ)も濃かったもんなぁ😅あと、劇場公開時のポスターを元にしたステッカーも欲しかったよぅ。
ゴジラ以外では「宇宙探索編集部」と「BLUE GIANT」が各々2回とCMで気になった「僕らの千年と君が死ぬまでの30日間」を新宿シネマカリテ&吉祥寺のアップリンク、立川シネマシティの極音、新宿バルト9の各シアターで。「宇宙探索編集部」は初回が月刊ムーの編集部とのコラボで三上編集長と辛酸なめ子女史のトークショー付きということで予約したのですが、睡眠不足で疲れていたこともあって導入部から暫くしての平坦な展開に耐えきれず、うっかりうたた寝しちゃった💦💦十数分足らずだったし大方は把握できたものの、そこが後々のどんでん返しに関わる内容だったこともありリベンジ決定👊👽👾🛸(2度めはしっかり全部観ました!!人にもよるとは思いますが、後半胸ワクだったので、📀が出たらもう一回見たいなぁ💗)
「BLUE GIANT」は元々公開された時から気になっていたのに、うっかり見逃しちゃっていたので、リバイバルが決まって2回ともガッツリ楽しみました。LIVEシーンが滅茶苦茶リアルで臨場感が物凄く、劇場で観れて本当に良かったです。📀だけだったら、絶対に足を運ばなかったことを後悔した音響だったもの🎷🎹🥁
逆に、微妙だったのは「僕らの千年と君が死ぬまでの30日間」
何故かというと、メディア展開されていて劇場版だけでなく過去編の舞台版がまず先にあって更にコミカライズもされており、全部把握しておかないと上手く劇場版の人物の感情が掴みきれない。
もちろん、劇場版だけでもある程度はSTORYに振り返りがあるので全く乗り切れなくはないのですが、やっぱり何故主人公2人が過去にそうなったか?の説明が弱いんですよね😥相手に傷を負わせるまでの愛憎と、2人が争うきっかけとなる女の子が双方とも助けようとした心の動きが掴み辛かった。あとメリバだし?それぞれの結論の出し方が結構重かったですね🗿
他にもミニシアター系で観たいのが数本あるんですが、あとひと月の間に観れ……ないうちに上映終了しちゃうだろうなぁ😭
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気付いてしまった、実は無印のカレーは高いことに
絵が、仕上がらなかった時のためのスペア(by iphone)
あ、やべえわ
これは、今日、絵が仕上がらないわ、
ってさっきまでアトリエで新作をあーでもないこーでもないと頑張っていたのだけれど、『 もう無理だわ 』って気付いたので
たった今、速攻でi phone12miniでササっとこれ(上の絵)を描いた
ちょっと間違ってクレヨンモードで描いてしまった
でも、
クレヨンも悪くないね、ってこれスマホだけど
昔、しばらくの間は、実際にオイルパステルで絵を描いていたことがある
普通のパステルとオイルパステルを混ぜて、あと、クレヨンも
だから、一応、持っているんだ画材
今の作品でも、たまーにちょろっとだけ使ってるんだけど、わからないように背景などに、
いや、わかってもいいんだけれど
オイルパステルは、なんか仕上がりがベタベタするから、なんかさ、
スッキリしないっていうか、
ぬまっとするって言うか
「ぬまっ」っていう日本語があるのかどうかもしらんが、言葉で表すならば、「ぬまっ」がいちばん近い
ぬめっ、ではない、 ぬまっ
あのですね、
気付いてしまった、実は無印のカレーは高いことに
おはようございますGoda world のゴーダです。
最近のレトルトカレーの進化ぶりに嬉しくもあり、心躍ったり、たいそう驚いているのですが、我が家はけっこう無印のカレーを何の疑問も持たずにふつうに常備することを当たり前としていた
それは、太陽が東から昇って西に沈むことに何の疑問も持たないように、常に無印のカレーを結構な数量をストックするようにしていたのですが、
が、
いや、おかしい
無印のカレーは本格のインド料理風と謳っているモノもあるものの、一応、インドとネパール、カシミールなどを旅して色々と食べてきた自分からしても、そこまで? でも無いし、
ここ日本でも、インド料理屋などで食べまくっているのでそれと比べても、どう考えても、インド料理屋で食べた方が、実はコストパフォーマンスがいい気がしている
ネットで調べても、無印さまのカレーをディスってる人が見当たらないので、ああ、これは、俺の味覚がおかしいんだろうなあ、とは思うが、
逆張り��『んふーっ!』ってやってるイタイ奴になりたくないので
こっそりと、言う
うん
大したこと無いぞ
何だったら、この西友のPB商品のレトルトカレーのほうが美味い(「みなさまのお墨付き」シリーズ)
しかも、安い(150円くらい)
まあ、ただ、
近くに西友が無いから
無印ならば、イオンに行けばだいたい入っているし
おい
コンビニ各大手たちよ
ここで上手に西友と提携を結んで、CMなどで宣伝すれば、これ、、化けるぞ、なにかと物価高のこの時勢だから(超無責任)
日本ドラマ
知り合いにすんごく薦められていたので観た
アマプラでもうすぐ無料ではなくなるってお知らせが来たので、急いで観た
人気ドラマらしいので、好きな人も多いだろうし、あまり波風立てずに、やわらかい感想をしようとがんばってみる
なんやねんこれ
セリフ回しが、、くどいわ
どこまでも、くどい
くっさ
脚本 坂元裕二
そうかあ、映画「怪物」の脚本はめちゃくちゃ良かったんだけどね
伊藤沙莉のナレーションは、凄くいい、コミカルさもあって
早口でまくしたてるドヤ顔のセリフ回しが、ちょっと苦手なぼくは村上春樹風なキザなセリフが、小説だったらそんなに気にならないのになあ、演技として再生された時に、んーー、なんか、イヤ!って
まあ、ドラマだから、、、
あとは、
一言で言うと、
こんな夫婦は、ねえよ。
子供も出来てる1番目の夫までなら、まあ、あるかな
結局はその二人の話だったとも言えるし(壮大なネタバレ)
子役の「唄ちゃん」が、実は意外と一番リアルだった、かな
グレて育ちそうなところを、そうはならずに変にものわかりがイイ子に育っているところとか
それはただ、娘と同じ年だから感情移入が出来たのかも知れない
以上
波風は立たなかったはずだ
はぁ。
絵は、ぶっ潰しました。
我が家の、3階からの景色
今日は近くの建設工事もおやすみ
なんか、役所の宿舎みたいなのが立つらしいよ
また、建物で向こうが見えんくなるね
タバコを吸っていたころなら、この景色をぼけーっとながめながらゆっくりと煙草をくゆらせて輪っかとか作りながら美味しそうに吸っていただろうなぁ
まあ、
こんなあんなことをすべて経験したくて、来たんだけどさ
Goda world
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2023年4月27日
NAOKIさん「オフィシャル先行です!👍 お、お、俺は出演しないけど💦 H.U.Gの魅力をたくさん感じて下さい!👍👍👍 ベースはMASASHI✨昔からの付き合いだけど、ヤベェェェベース♪弾くから注目だぜ!✌️」https://twitter.com/official_NAOKI/status/1650880056414339073
こもだまり|昭和精吾事務所さん「7/2も手刀!こちらは昭和精吾事務所! 0327 ACM::: 0421 ACM::: 0531 ACM::: 0702 SSJ::: 👈 所属団体で月イチ手刀出場です🔥 https://t.co/EuEEc9IID4」https://twitter.com/mari_air/status/1650885889483227136
【Phobia】 KISUIさん「3曲目終わった! 12時過ぎた、、、 バンドマンみたいだ おやすみなさい」https://twitter.com/KISUIxxx/status/1650886251090948097
nao 首振りDollsさん「弾き語りのライブもしたい。 一人舞台を控えた期間、そして本番。 なんか成長してた気がする。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1650888517009149952
nao 首振りDollsさん「わわ、定例愛ミーティングっていいですね。 ぜひ参加したい。愛の名の下に。 皆様のおかげでMVの延長放映が決まりました。 ありがとう! 私は今、愛を感じてるわん!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1650889994943496192
首振りDollsさん「@NinjaHachi_ ありがとうございます! もっともっと多くの人に観てほしいわん。 https://t.co/QRT15eeR2n」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1650877226752307200
森 翼Tsubasa Mori/MIMIZUQさん「駄菓子屋の一等賞 手にすれば思ったより小さいけど 紛れもなく僕だけの宝物なんだ アスファルトの上そっと影を伸ばす ゴジラにもやらかい場所があった ぼくらとおんなじつくりだった 忘れないで 忘れないで 全てにはじまりがあること https://t.co/A2R97WkvPW」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1650899692459548672
[email protected] grace periodさん「終焉(さいご)まで信じれば いつか救われる? 壊れゆく世界この手伸ばす NEiNの奈落という曲の歌詞の一部 久しぶりに自分の歌詞に心が騒つく 信じる者はバカをみるのか? いや、きっと誰かが見てくれてるよな、例え来世でも。 こんな日はなるべく早く寝て明日も頑張るべ。」https://twitter.com/eisuke_gp/status/1650908738411454464
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「なんか、すごぃ雨降ってきたなぁ💦LIVEなんだけどな…😅あ!!!!!今日は強烈な雨男クンが対バンやぁん。。。そりゃ仕方ないわ。。。そろそろ寝なくちゃ。おやふみー」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1650936577055666176
CNN English Express編集部さん「【CNN ENGLISH EXPRESS 6月号(5月6日発売)に #YOSHIKI 登場】 ロック界のカリスマYOSHIKI @YoshikiOfficial がスタンフォード大学で特別講演を行いました。人生を変えた瞬間や話題の対話型AIのChatGPT、そして音楽や慈善活動を続ける動機などについて語りました。 https://t.co/Bpgz1ZAPyt https://t.co/alLhDpqWxq」https://twitter.com/asahipress_ee/status/1650696383446552576
清春さん「today. 会場先行販売 15時開始予定 #ZeppShinjuku #zepp新宿 #清春」https://twitter.com/ki_spring/status/1650994834134687744
Ryuichi Kawamura officialさん「so happy✨✨ https://t.co/gY2EsBdcjg」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650998964089675776
Ryuichi Kawamura officialさん「Mornin'! 🫶🏻 https://t.co/YFHqT1qu8f」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650999904922394624
映画BUGSバグズ〜BUGSⅡさん「映画BUGS Ⅱ DVD出来上がって参りました‼️ 明日より初回ご予約の方のみ梱包して郵送準備に入らせて頂きます。 お楽しみにお待ち下さい。 この後もご予約お待ちしております❗️ 無くなる前にご予約ください❗️ https://t.co/RCr166BMnZ」https://twitter.com/BUGS70340186/status/1650778118578393088
小美玉たかしさん「演歌歌手の西川ひとみさんのビッグショーにご挨拶しに行ったところ西川さんのご厚意で…急遽、小美玉たかし数曲唄わさせて頂きました†またお客様とのデュエットや西川さんとのコラボショーもしたり…我らが超大物小美玉たかしのアドリブスキルが大爆発でした(笑)♪西川さんに激しく感謝ですm(_ _)m♪ https://t.co/lV5O1aHngE」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1651015509763321857
Köziさん「2023.7.15(sat) 池袋CHOP DISCIPLINE-ディシプリン、戒律、懲罰、規律、懲戒- MADAME EDWARDA E//+Z †13th MOON† DJ: ZIN, +TBA VJ: AZVSA CHAINSAW open/start 17:30 adv/door ¥4000/¥4500(+1d) https://t.co/MD8wXdd62d Twicas ¥2500 https://t.co/S4hMYaR8x1 https://t.co/QOiSknH9Ug」https://twitter.com/Kzi_official/status/1651020284416380930
あおいけいさ��「#何度だっていいあなたの最高傑作見せて 時はゆるやかに、全てを変化させ流れてゆく #油絵 https://t.co/48cnBsycuv」https://twitter.com/Abspko/status/1651011951185760256
マサト(Luck Blue Account)さん「THE SOUND BEE HD「LIVING DEAD」 完売MINI ALBUM3作品をパッケージングした3枚組音源集。徹底したダーク•ゴシック•ロックな世界観を貫くバンド。音源でも世界観の拘りは伝わりますが、空間掌握力には圧倒されるので、是非LIVEに参戦して欲しい次第。ステージの立ち姿だけで最早格好良き存在です😎 https://t.co/UlN8TyfJQD」https://twitter.com/PUGvish/status/1651026024132644864
池袋 手刀さん「◆2023/4/26(水の呼吸)_ネオ東京池袋手刀ドーム ◆「Solar Return Party 2023」 ◆出演(BIG 4); Panda Cake Horoscope. THE SOUND BEE HD ラルン -LA LUNE- gaizao ◆開門 18:31 / 開演 19:00 ◆前売パー券 3,300円(+1d) / 当日パー券 3,900円(+1d) ◎前売パー券予約制↓ https://t.co/C0tbNMGyk2 https://t.co/psRacXWAgk」https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1650824559619350528
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『今日はTHE SOUND BEE HD、手刀でLIVE20:30から❣️』 #アメブロ #THESOUNDBEEHD#池袋手刀 https://t.co/cLP2MuS11t」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1651048954820452353
六本木クラップス(C★LAPS)さん「【ライブ情報】 KOMOHAYA ACOUSTIC SESSION “VOLUME ZERO”【昼夜公演】 2023年6月18日(日) 昼部 開場14:00 開演15:00 出演 葉山拓亮、菰口雄矢 企画 R・K・M・FAMILY ご予約詳細はこちら⇓ https://t.co/lwMq55CLfr 六本木クラップスは、音楽とお食事をお楽しみ頂くライヴレストランです https://t.co/ZaULBTeRWS」https://twitter.com/C_LAPS_RPG/status/1650816939667734530
六本木クラップス(C★LAPS)さん「【ライブ情報】 KOMOHAYA ACOUSTIC SESSION “VOLUME ZERO”【昼夜公演】 2023年6月18日(日) 夜部 開場17:30 開演18:30 出演 葉山拓亮、菰口雄矢 企画 R・K・M・FAMILY ご予約詳細はこちら⇓ https://t.co/LweSkc0Cd1 六本木クラップスは、音楽とお食事をお楽しみ頂くライヴレストランです https://t.co/dEaXigrVWk」https://twitter.com/C_LAPS_RPG/status/1650816933535657985
真矢さん「よろしくお願いいたします😊」https://twitter.com/331shinya/status/1651053959539486720
https://twitter.com/331shinya/status/1651053959539486720
【Phobia】 KISUIさん「Phobia/abyssの集い https://t.co/m7VYONvsTK」https://twitter.com/KISUIxxx/status/1651056694649307137
NAOKIさん「是非会員になって観て下さい〜〜〜♪✨🐤✨」https://twitter.com/official_NAOKI/status/1651060298072326144
タカツキさん「どうやら昨日で5年経ったようですね。 『イージーライダー』/ 首振りDolls https://t.co/JxayD4nhht」https://twitter.com/attsu_of_death/status/1651027151322505216
WeROCK/ロッキンfさん「本日4月26日、KISAKIさんのアルバム『Providence』がリリースされます。 これは、KISAKIさんの音楽活動30周年を記念して3ヵ月連続で発表されるアルバムの第1弾で、多彩なゲスト・ミュージシャンにも注目の作品です。 https://t.co/bHPeyv7lth WeROCK 094掲載の、KISAKIさん×SYUさん対談もチェック! https://t.co/ySmP5HvTGi」https://twitter.com/werock_magazine/status/1651057976114024448
T.O.P.S incさん「😈ライブ情報😈 4月29日(土)@大分clubSPOT 開場 17:30 首振りDolls Presents @KubihuriDolls 『Rock’n’Doll Syndrome Tour』-大分編- 🎟前売 ¥3,500(+1D) https://t.co/kSb0ukL3lz https://t.co/KrN2CKsSo1」https://twitter.com/tops_inc/status/1651063801557688321
INORAN_OFFICIALさん「本日締切!!!! 🔥🔥🔥」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1651075919690477568
INORAN_OFFICIALさん「ニコ生も、今夜20:00〜生放送!!!!」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1651076524928557057
魚住 英里奈(独唱)さん「モスクの色使いとタイル使い光の取り入れ方、全て完璧に美しい。 https://t.co/GOQkDKQFiv」https://twitter.com/erina_chas/status/1651092141849075714
ANONYMOUS公式さん「2023.4.25 release event. https://t.co/eQMKMeZ0Ax」https://twitter.com/ANONYMOUS_NTIK/status/1651090336389668865
忍者ハチ@渋谷愛8さん「@kubihuri_nao はじまりは… 1通の愛メッセージだわん❤ そこで知った 首振りDolls naoわんがリプくれたわん すぐにMV見まくった…。 そこで出会った サボテン MVを渋谷愛ビジョンで放映したいと思った その願いが実現 素敵な愛曲 渋谷から世界中へ 紡いでいくわんわん naoわん https://t.co/sSokHAbx45」https://twitter.com/NinjaHachi_/status/1650905144966660096
ジョニーダイアモンド首振りDollsさん「一年前はショーンホラーショーのコスプレをしてたのですね https://t.co/lRxaEd9l72」https://twitter.com/Tracisixteen/status/1651095527541596160
nao 首振りDollsさん「すんごい夜にする。誰もが羨むようなね!!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1651096247200260097
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「予約特典の画像 今やってるから待ってねー (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1651097678997250048
Drum 篤人さん「【今日は】 2023年4月26日(水) 荻窪Rooster ・タイトル 楽しい事しましょ vol.25 ・出演 Gt.Vo.夢時 Key.Vo.TERO Ba.YUCHI Dr.篤人 ・ゲスト Vn.Jumpei ・詳細 https://t.co/9yPIUF6n5B ※当日券あります。」https://twitter.com/atsuto0107/status/1651103080799440896
ANONYMOUS公式さん「【通販 information】 本日22:00よりANONYMOUS通販にて NEW single「KILL FINGERMAN」 NEW goods各種 販売開始します。 https://t.co/iCArShXN80 https://t.co/BwSWNXNbxV」https://twitter.com/ANONYMOUS_NTIK/status/1651103591804071936
Ivy darknessさん「きましたきましたきましたありがとうございますよろしくおねがいします初めてのシングルです何年目やねん https://t.co/eLzl3Pv4lJ https://t.co/1bDZPNtx1j」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1651105175833284608
leaya(бвб)さん「大阪で待ってる(°_°) 2023年5月14日(日)寺田町Fireloop 箱庭劇場presents 『爆発寸前COPY GIG2~破滅に向かって…』 ■購入ページURL https://t.co/QZU2tbnT48 出演 ・暴飲 Vo.はるひ(ex.Ove) Gu.聖詩(ex.D≒SIRE) Ba.leaya(覇叉羅、L.I.S.K) Dr.ツトム(ex.Kill=slayd・bastard) https://t.co/5T5xqoIsc4」https://twitter.com/leaya_bass/status/1651126648404848648
咲さん「「LIVE to LIVE」開催まであと22日‼︎ 昨日のLOFTはメンテナンスDAYでした。普段毎日のようにライブがあるので、各部署ここぞとばかりにメンテと大掃除‼︎ 見た目全然変わってないけどLOFT綺麗になってます! 🎫チケット発売中‼︎ https://t.co/8HnswabTjr #KiNGONS #THEBOHEMIANS #首振りDolls https://t.co/ugTRAsBrFC」https://twitter.com/saki2023_05_18/status/1651111532145831936
石井麻木さん「4/26🌹清春さん live2023 alive 『下劣』 at 東京 Zepp Shinjuku📸 https://t.co/DdSRHMFP0u」https://twitter.com/ishii_maki/status/1651095201174405120
N'sGuitarMaintenanceさん「6月に開催されるNEiN主催ライヴのチケットが絶賛予約受付中となっています。 早め早めのご予約がとてもオススメ&とても嬉しいです。 是非とも!! #NEiN https://t.co/CjuBGRZDQL」https://twitter.com/NsGuitar2016/status/1651097482145968129
KINGRYOさん「皆様お疲れ様です✨ とある月曜日にガチャガチャしたライブ 宜しければどうぞ〜🦁♬ https://t.co/RAPbpS5oMo」https://twitter.com/kingryoworld/status/1651140888993878017
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「電話派のひとに「電話はほぼ出(られ)ないのでメールとかにしてください」と伝えても「OK!また電話する!」に着地するの何で???????????」https://twitter.com/lucy_peter/status/1651141851058163712
Rayflower_Officialさん「【本日出演❗️】 都啓一&Sakuraの2人で「居酒屋はくえい」<第48回>に出演いたします。 ぜひお聞きください。 放送日:4月26日(水)20時〜 ゲスト:都啓一(SOPHIA,Rayflower)&Sakura(Rayflower,ZIGZO,gibkiy gibkiy gibkiy) 番組:https://t.co/4L7bliiDuM #Rayflower #HAKUEI」https://twitter.com/RayflowerSTAFF/status/1651058517963427842
Hydeさん「[STAFF] HYDEのモバイルサイト「HYDERoom」にて"STAFF DIARY"をアップしました! 会員の方は是非チェックして下さい! https://t.co/f990BBZyYC #HYDE」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1651149219162619904
seekさん「seek Fan Club「魚ノ眼」発足三周年記念アクセサリー 3月中にご注文頂いた方の元へ 本日発送させて頂きました。 年に一度、思い出に残るアクセサリーです。 wood drop necklace 各色 全種名前入り直筆メッセージカード付き ご注文は4月30日までとなります。 https://t.co/pfL8LVXiK2 https://t.co/KOB9iYyKLa」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1651153902623129603
ギロちんさん「ギロちんも九州に行きたいちん。」https://twitter.com/girochin_/status/1651154682222616577
絶望リフレインさん「5/3名古屋MUSIC FARM公演にて販売するチェキの予約を承ります。 予約限定となりますので、ご希望の方は必ず当アカウントまでDMにてお申し込み下さい。 当日は物販1会計5000円以上で撮影会も開催します。(チェキ含む) 皆様のご予約をお待ちしております。 https://t.co/0t1gwI7Sb7」https://twitter.com/zetsubou_ref/status/1651163546242383874
koumei_Lucifer's undergroundさん「配布シングルご希望で会場に来られない方はチェキ3枚を通販して頂ければCDも一緒に送ります! オフィシャルアカウントまでDMにてお申し込み下さい!」https://twitter.com/KoumeiLucifer/status/1651164293298270209
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ザ・ファイター
インシディアス
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プレデター
ジュラシック・パークIII
激突!
アメリカン・グラフィティ
ダーティハリー
タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
THE 4TH KIND フォース・カインド
AVP エイリアンVS.プレデター
スパイキッズ3-D:ゲームオーバー
デッド・サイレンス
独裁者
市民ケーン
イーグル・アイ
テキサス・チェーンソー
ゴーストシップ
マン・オン・ザ・ムーン
ワイルドバンチ
地獄の黙示録
アンヴィル!夢を諦めきれない男たち
くまのプーさん (2011)
エイリアン2
ボラット:栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
ハロウィン(ロブ・ゾンビ版)
ポセイドン
プレデター2
リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い
トレジャー・プラネット
ピンクパンサー (2006)
ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀
ライオン・キング3/ハクナ・マタタ
ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!
ショーン・オブ・ザ・デッド
ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!
バイオハザード II アポカリプス
ディセント
ウォレスとグルミット、危機一髪!
ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!
崖の上のポニョ
容疑者Xの献身
リアル 完全なる首長竜の日
ポテチ
歩いても 歩いても
ゴジラ
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
ワンダフルライフ
仁義なき戦い
機動警察パトレイバー2 the Movie
機動警察パトレイバー THE MOVIE
ホーホケキョ となりの山田くん
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
殺人の追憶
少林サッカー
コーヒーをめぐる冒険
カポーティ
MUD -マッド-
トゥモロー・ワールド
96時間
現金に体を張れ
フォックスキャッチャー
はじまりのうた
クロニクル
ミッキーのクリスマス・キャロル
シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア
奇跡
ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
狼の死刑宣告
ブギーナイツ
アメリカン・スナイパー
ワイルド・スピード EURO MISSION
イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
22ジャンプストリート
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん
ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー
セッション
インヒアレント・ヴァイス
素晴らしき哉、人生!
プールサイド・デイズ
ザ・レイド
ザ・レイドGOKUDO
キッズ・リターン
そして父になる
アウトレイジ ビヨンド
3-4x10月
十三人の刺客
シンデレラ
バック・トゥ・ザ・フューチャー
エターナル・サンシャイン
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
マッドマックス 怒りのデス・ロード
インサイド・ヘッド
ナイトクローラー
ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE2
フロム・ダスク・ティル・ドーン
アントマン
続・荒野の用心棒
ゾンビ
ミーン・ストリート
悪の法則
茄子 アンダルシアの夏
バクマン。
野いちご
ヴィジット
食人族
グリーン・インフェルノ
ダイ・ハード
007 カジノ・ロワイヤル
007 慰めの報酬
007 スカイフォー��
知らない、ふたり
イントゥ・ザ・ワイルド
サイコ
残穢 -住んではいけない部屋-
サウルの息子
鬼談百景
オデッセイ
スティーブ・ジョブズ
恋人たち
ババドック 暗闇の魔物
ヘイトフル・エイト
デスプルーフ in グラインドハウス
横道世之介
冷たい熱帯魚
メガマインド
ビースト・オブ・ノー・ネーション
イコライザー
ドライヴ
[リミット]
マジカル・ガール
スポットライト 世紀のスクープ
ボーダーライン
バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生
ズートピア
モヒカン故郷に帰る
ブロンソン
レヴェナント 蘇えりし者
ハロウィン(オリジナル)
ヘイル,シーザー!
アイアムアヒーロー
ディストラクション・ベイビーズ
ヒメアノ~ル
海よりもまだ深く
晩春
クリーピー 偽りの隣人
FAKE
10クローバーフィールド・レーン
エクス・マキナ
死霊館 エンフィールド事件
用心棒
シン・ゴジラ
もらとりあむタマ子
シング・ストリート 未来へのうた
ジャングル・ブック
スキャナー・ダークリー
エンド・オブ・ウォッチ
ナイスガイズ!
ハドソン川の奇跡
怒り
真夏の方程式
永い言い訳
オーバー・フェンス
SCOOP!
ソーセージ・パーティー
アウトロー
ぼくのおじさん
プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命
最後の追跡
葛城事件
ダゲレオタイプの女
淵に立つ
無垢の祈り
CURE
GO
回路
ソドムの市
エブリバド・ウォンツ・サム!!
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
ロッキー
ロッキー2
ロッキー3
ロッキー・ザ・ファイナル
アメリカン・スリープオーバー
将軍様、あなたのために映画を撮り���す
ミラーズ・クロッシング
アンジェラの灰
トーキョードリフター
アンタッチャブル
パッチギ!
沈黙ーサイレンスー
はなればなれに
くもりときどきミートボール
クリード チャンプを継ぐ男
福福荘の福ちゃん
お嬢さん
鉄男 TETSUO
その男、凶暴につき
アシュラ
哭声/コクソン
ダンボ
ピノキオ
ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日
キングコング:髑髏島の巨神
SING/シング
ムーンライト
牯嶺街少年殺人事件
64 -ロクヨン-
T2 トレインスポッティング
夜は短し歩けよ乙女
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.2
映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ
マンチェスター・バイ・ザ・シー
美女と野獣
NINIFUNI
スプリット
昼顔
ラースとその彼女
リング
ヴィンセントが教えてくれたこと
パーソナル・ショッパー
岸辺の旅
ジョン・ウィック:チャプター2
キング・オブ・コメディ
ハウルの動く城
戦争のはらわた
ワンダーウーマン
イップ・マン 序章
はじまりへの旅
仁義なき戦い 広島死闘編
マングラー
20センチュリー・ウーマン
人生タクシー
ミラクル7号
人魚姫
カンフー・ハッスル
西遊記~はじまりのはじまり~
私はゾンビと歩いた!
マイティ・ソー/バトルロイヤル
IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
彼女がその名を知らない鳥たち
スリー・ビルボード
青春の殺人者
ノッティングヒルの恋人
霊的ボリシェヴィキ
聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
ぼくの名前はズッキーニ
羊の木
シェイプ・オブ・ウォーター
先生を流産させる会
おかえり
どこまでもいこう
誰も知らない
ノクターナル・アニマルズ
蛇の道
タイタニック
ゲット・アウト
レディ・プレイヤー1
予兆 散歩する侵略者
旧支配者のキャロル
ちはやふる3部作
泳ぎすぎた夜
君の名前で僕を呼んで
幼な子われらに生まれ
太陽がいっぱい
Wの悲劇
ゲティ家の身代金
ピーターラビット
デッドプール2
フロリダ・プロジェクト
緑色の部屋
HYSTERIC
雷魚
デトロイト
ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー
ファントム・スレッド
海を駆ける
レディ・バード
やくたたず
ウインド・リバー
赤ちゃん泥棒
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
ミッション:インポッシブル/フォールアウト
検察側の罪人
きみの鳥はうたえる
寝ても覚めても
ラッキー
パリ、テキサス
イレイザーヘッド
エレファントマン
インランド・エンパイア
ゼイリブ
大いなる幻影
アンダー・ザ・シルバーレイク
灰とダイヤモンド
ザ・マスター
1987、ある闘いの真実
教誨師
遊星からの物体X
パリの恋人たち
893愚連隊
仕立て屋の恋
奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール
アレクサンダーの、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日
マンディ 地獄のロード・ウォリアー
blue
新宿乱れ街 いくまで待って!
A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー
ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ
鉄西区
それから
白夜
ヘレディタリー/継承
ジャイアンツ
恐怖の報酬(フリードキン)
スウィートホーム
バムソム海賊団、ソウル・インフェルノ
蜘蛛の巣を払う女
ストライキ
女優霊
叫
サスペリア
ランボー
NAGAHAMA/八月八日
ファースト・マン
ちいさな独裁者
女王陛下のお気に入り
悪夢の香り
バーニング 劇場版
メリー・ポピンズ
アクアマン
わらの犬
大統領の陰謀
グリーンブック
運び屋
スパイダーマン:スパイダーバース
ウィッカーマン
ラブホテル
水で書かれた物語
手をつなぐ子ら
キャプテン・マーベル
暗殺の森
八つ墓村
Seventh Code
13回の新月のある年に
マルタ
ブラック・クランズマン
ドゥ・ザ・ライト・シング
ウォルト・ディズニーの約束
ダンボ(ティム・バートン)
生きてるだけで、愛。
赤い暴行
ワイルドツアー
E.T.
アベンジャーズ/エンドゲーム
北野武、神出鬼没
不滅の女
ヨーロッパ横断特急
THE COCKPIT
囚われの美女
麻雀放浪記2020
トウキョウソナタ
Guava Island
任侠ヘルパー
LOFT
日日是好日
ドッペルゲンガー
ローズマリーの赤ちゃん
リング2
回転
男と女 人生最良の日々
セインツ -約束の果て-
きみと、波にのれたら
ハウス・ジャック・ビルト
ニンゲン合格
スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム
アンダルシア 女神の報復
蜘蛛の瞳
さらば愛しきアウトロー
シークレット・サンシャイン
ブルース・ブラザース
ブンミおじさんの森
生気の光
アルキメデスの大戦
絞殺魔
リュミエール!
デス・レース2000年
スイス・アーミー・マン
さらば、わが愛 覇王別姫
ベニスに死す
渚のシンドバッド
ドント・ウォーリー
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト
未知との遭遇
あの店長
ミッドナイト・トラベラー
インディアナ州モンロヴィア
クロール -凶暴領域-
サタンタンゴ
イエスタデイ
ノスタルジア
サクリファイス
ガリーボーイ
ポリス・ストーリー 香港国際警察
救いの接吻
象は静かに座っている
ワイルドライフ
ルナシー
幸福なラザロ
COLD WAR あの歌、2つの心
アイリッシュマン
ゾンビランド:ダブルタップ
コマンドー(日本語吹替版)
突然炎のごとく
ブラザー・ベア
こおろぎ
女の中にいる他人
雪の断章ー情熱ー
哀しき獣
裸の町
マリッジ・ストーリー
暴力行為
罠
6アンダーグラウンド
静かについて来い
この世界の(さらにいくつもの)片隅に
クレイマー、クレイマー
卒業
その女を殺せ
女が階段を上る時
フォードvsフェラーリ
書を捨てよ町へ出よう
続・激突!カージャック
グエムル -漢江の怪物-
動くな、死ね、甦れ!
初恋
山の焚火
ピクニック
かくも長き不在
炎628
私はモスクワを歩く
凪待ち
火口のふたり
50/50 フィフティ・フィフティ
FRANK -フランク-
ロスト・エモーション
仮面/ペル��ナ
パディントン
ドニー・ダーコ
第三の男
ミッション:インポッシブル
海炭市叙景
女は女である
フライト
スプリング・ブレイカーズ
スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団
ソナチネ
ハクソー・リッジ
幻の光
ビトウィーン・トゥ・ファーンズ:ザ・ムービー
ゲームの規則
冬冬の夏休み
��をゆく人々
デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!
吸血鬼(カール・ドライヤー)
ようこそ、革命シネマへ
戦場のメリークリスマス
フレンチ・コネクション
フランケンシュタイン
ビッグ・フィッシュ
ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語
死霊のえじき
許された子どもたち
グッド・ボーイズ
キートンの大列車追跡
CLIMAX クライマックス
四季~ユートピアノ
自転車泥棒
透明人間(リー・ワネル)
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
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マトリックス
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コロッサル・ユース
レ・ミゼラブル(ラジ・リ)
何も変えてはならない
外套と短剣
ある女優の不在
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オープニング・ナイト
海辺のポーリーヌ
満月の夜
緑の光線
友だちの恋人
ひかりの歌
欲望の翼
ペイン&ゲイン
デンジャラス・プリズンー牢獄の処刑人ー
ブルータル・ジャスティス
鉱 ARAGANE
ヘンリー
フリークス
エヴァの匂い
5時から7時までのクレオ
鵞鳥湖の夜
マリアンヌ
ロシュフォールの恋人たち
PERFECT BLUE
トマホーク ガンマンvs食人族
セノーテ
ヴィタリナ
御用牙 かみそり半蔵地獄責め
暖流
アンダー・ザ・スキン 種の捕食
悪人伝
しとやかな獣
アニエスによるヴァルダ
幸福(しあわせ)
ジャック・ドゥミの少年期
ムクシン
日子
グッド・タイム
アナトリア・トリップ
楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家
女体
ノー・データ・プラン
サッド ヴァケイション
サンダーロード
アンセイン 狂気の真実
アニエスv.によるジェーンb.
ユリイカ
ロケーション
血を吸うカメラ
喜劇 女は度胸
喜劇 男は愛嬌
オフィシャル・シークレット
TOURISM
ゲンセンカン主人
オン・ザ・ロック
ブックスマート
ワンダーウーマン1984
リバー・オブ・グラス
続ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画
シカゴ7裁判
マザーレス・ブルックリン
ペイン・アンド・グローリー
マーティン・エデン
ウェンディ&ルーシー
風の中の牝鶏
1917 命をかけた伝令
秋刀魚の味
小早川家の秋
ザ・ライダー
赤ひげ
椿三十郎
酔いどれ天使
JSA
ロスト・イン・ラマンチャ
mid90s
息を殺して
KIDS
新しき世界
細い目
ナイト・スリーパーズ
アーリーマン
シチリアーノ 裏切りの美学
ほえる犬は噛まない
子猫をお願い
幸せへのまわり道
花束みたいな恋をした
トキワ荘の青春
はちどり
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米津玄師の歌声知らずにどれだけ過ごせるかチャレンジをしてたんだけどそれが破られてしまったので書く
米津玄師についてはハチ時代にいくつか動画を見たけどハマれず、でなんか気づいたら5,6年前ぐらいからメジャーデビューして売れてるっぽくて話題であるが、米津玄師の歌を全く聞いたことがない。よってメロディーも歌声も知らない(嫌いとかでなく、興味がなかった)。
私はここ数年、音楽に対してはスピッツの新譜出たら絶対買う、CD屋には全く行かない、ついでに映画館にも行かないって感じ。(これでも10代の頃はCSの音楽チャンネルを毎日見て、福岡に行くとタワレコHMVに長時間居座り、ライヴにもしょっちゅう行っていた人間だ)(いますごい昔の癖で綺麗にライブじゃなくライヴって打った)ちなみに最後に行ったライヴはメジャーデビュー前の大森靖子の絶対少女ツアー福岡公演(2014)。
東京に来てからしばらく経ったある日、渋谷に行くと米津玄師のでっかい広告がばんばん街を彩っていた。私は感動した。それは、私が今まで漫画やアニメで目にした、「今売れてるアイドルや芸能人、ミュージシャンの人気を象徴する光景」だったから。すっげえ、現実だー!って興奮した。
私のいまの生活は、10年ぐらいテレビ見てない(見る機会があるの病院の待合室ぐらい)、触れる情報媒体はだいたいネット、しかも動画サイトほとんど見ないというもので、しかし東京に来てから渋谷なり新宿に繰り出すと街頭モニターなんかがある。それでも、米津玄師の歌声を聴く機会がなかった。
そこで私は、いまこんだけ売れてるアーティストの歌をどこまで聴かずに過ごせるかなんとなく挑戦したくなった。私の初米津玄師遭遇イベントはどこで起きるのか。ネットでは Lemon やらパプリカやらめちゃくちゃ目にするけどいっこうに自然に音源に遭遇しない。米津玄師の歌声とはいったいどんなものか。
東京へ来て3年くらい経つようなある日、つまりつい先日、あっけなくこの挑戦が失敗した。私のこのしょぼい挑戦をいとも簡単に打ち破ってきたのは、ヨドバシカメラだった。ヨドバシカメラの、なんか色々あるフロアの、CDとか売ってるコーナー。米津玄師のニューアルバムの販促でなんかの曲が流れていた。ゲームコントローラーを買いに来たついでにヨドバシをうろついていた私は、ああついに聴いてしまった、これが、これは間違いなく米津玄師の歌声なんだ、曲だ、ああ知ってしまったと落胆した。ヨドバシカメラごときに。いやヨドバシカメラだからこそ。やっぱヨドバシカメラなんだなあ。地元にはねえもん、ヨドバシカメラ。新宿西口駅前にマルチメディアの店がある。伊達じゃない。
ちなみに同じくちょっと前から流行しているあいみょんの歌については、マリーゴールドが昔のスピッツっぽいというので YouTube で自主的に聴いた。そう、この気になって自主的に YouTube なりAmazon Music で聴くかっていうのが個人的にでかい壁なのだ。まじでテレビ見ない、ラジオ聴かないと流行の歌を聴く機会がない。あとは有線流れてるお店ぐらいか。でも私が行く有線流れてる店、だいたい90年代〜00年代のヒット曲チャンネルを流してるとこが多いので世代としては嬉しいけど、やっぱり最新のヒットチャートがわからない。Official髭男dism と King Gnu も未遭遇。
漫画はいま流行のものとかなろう系も食わず嫌いはよくないだろうと色々読んでるけどなんか音楽はどうしても昔の聴いちゃう。好き嫌いが激しいせいもあるけど、もっと気楽になりたい。とりあえず Amazon Music が一番手軽なので新しい音楽もいろいろ聴いていきたい。けどたぶんこんな半端で曖昧な気持ちはヨドバシカメラには勝てない。
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『心射方位図の赤道で待ってる』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が、2019年の第二十九回文学フリマ東京にて発表した第四小説誌『心射方位図の赤道で待ってる』について、文学フリマでの発表を前に同人メンバーにて実施した読書会のレジュメを公開するものである。メンバーは、事前に共有編集状態のレジュメに自由に感想や意見を書き込み合った上で読書会を実施した。読書会当日の熱気は残念ながらお伝えできないものの、レジュメには各作品を楽しむための観点がちりばめられているように思われる。『心射方位図の赤道で待ってる』読者の方に少しでもお楽しみいただけたならば幸いである。
『心射方位図の赤道で待ってる』についてはこちら
神の裁きと訣別するため
一言感想
実質まちカドまぞく
岸部露伴とジャンケン小僧的な
サウダージを感じる
むらしっと文体はミクロとマクロをシームレスに語るのに向いている、というか何を書いても神話っぽい感じがする。神待ちという地獄に誘う詩人ウェルギリウス的なポジとして冒頭に置かれているのがとてもいい。読者は思わず一切の望みを捨ててしまうだろう
いつもよりむずかしくなくて(?)そのぶんむらしっと文体の魅力に意識を割いて読めた
一読した印象として、古川日出男っぽいなというのがあった
完全なグー まったき真球〜チョキまでのくだり、かっこよさの最大瞬間風速
細部
箇条書きって進むポイントというか切れ目が明確? みたいな感じはあって、ノベルゲー(いや別にノベルゲーでなくても良い。ゲームで)で次のテキストに進むために決定ボタンを押すじゃないですか。なんかそういう感覚がある。箇条書きが一つ一つ切れていることが。
連打していく感じになる
それが後半で長いのがでてきたときに効いてくる
あとなんか連打のだるさみたいなのがあるじゃないですか? 別に箇条書きじゃなくてつながってるのと負荷変わってないはずなのに。ゲームもつながった文章を読むのと変わらんはずだが決定ボタンを押すリズムがこう負荷を作ってるよな。
上記は箇条書きがあげている効果について書いたんだけれども、そもそもどうしてこの作品は箇条書きなんだろうか? その意図というか、狙ったことがあるんだろうか? そこまでないにしてもなぜ箇条書きにしようと思ったんだろうか?
●のシーン。ナツキ(本田圭佑)が導入されてじゃんけんの話をしてこの時点でギミックと言うか、じゃんけん強いというのが、すでに引き込む力がある。じゃんけんからの視点の飛躍、特に蝉が木から落ちる下りで「次の年」っていきなりなるのは良いなと思った。
池袋西口、昔のおとぎ話、宇宙、キムチチャーハン、みたいな、遠近が入り乱れている世界観に特色がある気がする
★の家族のところが印象強くて、いたりいなかったりする兄とか、石を食べて予言をする姉っていうのが、マジックリアリズムな感じもありつつ、グラース家的なイメージも感じたりした。
▲のところで、つまり地の文のまなざしは父性だったということになるんだけど(実質)、それが変質していくというか、悪夢が変形する感じがちょっとあって。おとぎ話はグイグイ来て良い。
じゃんけんに関する要素が入れ子みたいになっている
完全なグー、外界を寄せ付けない孤独の象徴
P16「完全なグーについて」「ナツキの孤独について」で、ナツキがじゃんけんに絶対に勝ってしまい疎まれることが語られる。孤独。
●の部分がグー��いうことなんだろうけど、ここでナンパの男にじゃんけんで勝ち続けて気味悪がられるナツキの孤独が語られている
完全なパー、記録すなわち過去の象徴
P18「完全なパーについて」「ナツキの記憶について」で、ナツキ(というより、「ぼく」)のナツキのはじめてのじゃんけんの記憶が語られる。
★の部分が(この完全なグーチョキパーを語っているところを含めて)ナツキの過去を語っており全体が記録、過去になっている
完全なチョキ、繋がりを切断する、他者との関係の象徴
P21「完全なチョキについて」ここはグーとパーと異なり「ナツキの●●について」という言葉は続かないんだけど、他者との関係、そしてそのつながりの切断についてということになるんだろう。家族のことが語られる
▲の部分が、逆に★の部分で語られなかった相手である「ぼく」、父親との関係とその断絶になっている
P21ではじめてのじゃんけんでナツキに無意識に出された手が、完全なチョキであったことの意味を噛みしめてる感
我が子に関係を「切断」されたということを否定したくて(その完全性を壊したくて)、躍起になったのかな
ところどころナツキが負けたがっていることを知っている描写があり、自分がナツキの完全性を否定することが彼女の救いになることもわかっているはずだ
でもなんか挑発的だし、やっぱり負けたのがすごく悔しかったのかもしれない
官吏(仮)も天体望遠鏡の順番決めでじゃんけんをしていた。むしろじゃんけんのほうをたのしみにしているようにも読める(P14)。
父もナツキに負けたことで、宇宙をいくつかまわって再び勝負をしかけるくらい入れ込んでいた。
父も実はじゃんけん自信ニキだった?
本田圭佑vs本田圭佑
全然関係ないが、じゃんけんする人の国民的ポジションを一瞬で本田圭佑がサザエさんから奪い去ったのすごいな
自信ニキにしてはパー(過去)を出すのにも「失敗したキムチチャーハン」で負けるあたり、舐めていたのか、地力が低かったのか、ナツキが強すぎたのか。
父は抱きしめてやるべきだったんだよこれ。
おとぎ話、これなんなんだ?
最強の手「グーチョキパー」と、官吏が囚人とのじゃんけんで出した手が官吏にしか分からない(グーとチョキとパーいずれかを事後報告できる)ということは、似ている
並行宇宙の話をしてたから、つまり重ね合わせの状態の手を出しているということか(???)
どの宇宙でも勝つように収束する
やけに星がよく見える池袋でナツキたちのちょうど反対側にいた男の故郷(この国でいっとう星がよく見える土地)と、官吏の故郷(星がいっとうよく見える土地というのがこの世界にはある。おれの故郷はそんな場所の一つだ)の類似
わからん。もう少し考えたい
それはちょっと意識してるのかなーとおもったけど、おもったけど、その先がわからなかったな
よく側を通り過ぎている女二人は官吏の妻と、彼女と密会していた女っぽい(P33)?
あの二人はなんか意味はありそうなんだけど、そうなんですかね? なんか手がかりある?
そもそも官吏の妻が密会していた女っていうのがよくわからん。p33「隣の独り身の女と、三日にいっぺんは会っていた」も最初は読み方がわからないというか、男の誤記か、会っていたの主語は官吏の方かとか考えてしまったから、でもここでその目立つ書き方をしているってことは、通り過ぎている女二人なのかもしれないな、必然性があるはずだと考えるならば。
「~しあわせな結末が待っている/そのまえにすこしだけの試練~(P12)」「おれの女房が、じつはおれのことを好いていない~(P33)」
同性愛で、片方には少なくとも家庭があり云々っていう話で素朴に読んでました。おとぎ話と「現実」が地続きなことを示唆する描写っぽいけど、地続きだとしてどういうことになるのかはまだよくわかりません。
反対側に官吏(仮)がいるので、当然彼女たちのことも見かけているはずだけど、そういうところには踏み込んでいない。
「塔のまわりをぐるぐる回るわたしにまとわりついて、しゃべりはじめた(P30, L9)」
ナツキの父の一人称は「わたし」じゃなくて「ぼく」
ここの「わたし」が「ぼく」の誤りだったら、「実は父の回想でした」筋が通る気がするんだけど
だとしたら反対側にいる男がおとぎ話の官吏で、囚人がナツキの父親なら、ふたりともここにいる/そこにいないのはどういうことかってなるし
おとぎ話パートに一人称が出てきてもなんらおかしくないという当たり前の結論に達した
これがただのおとぎ話だとしたらやっぱり、上記の類似はなに?ってなるな
「官吏のいかさま/それを覆す方法」のどちらかが、ナツキに「勝てる方法(P30, L2)」と対応する?
「つまらない方法」でも「教訓がない」と強調されている
P16で完全なグーチョキパーと「昨日見た夢」が並列に扱われている
おとぎ話との関係ありそうか?
最後のじゃんけんのところ
「親指をひろげて」「人差し指をひろげて」「中指をひろげて」「薬指をとじて」「小指をとじて」なんかじゃんけんの最強の裏の手みたいなやつか?
『ラッキーマン』で勝利マンがじゃんけんで出す最強の手「グーチョキパー」の印象が強かったので読みながらウフフとなった
指を家族にたとえる歌「おはなしゆびさん」
「中指をひろげて おにいさんゆび」って言ってるけどこの宇宙には、もうおにいさんは「すでにいない(P22)」はず
ナツキはおにいさんが「すでにいない」ことを知らないのか
「だからおおむね、いるのだといっていいのだろう(P22)」で解決か
小指=あかちゃんゆび=ナツキ自身
「わたしはもういなくなるから」の意味とは?
めっちゃかっこいいんだが、なんで勝つと神の不在を証明できるんだ?
自分を負かす存在を待っている→やってきた男に勝つ、という構図で、テーマが神待ちだから?
(1)完全性の自覚を打ち砕いてくれるくらい完全なもの(神)に出会いたい→満を持して史上最も期待できそうなやつ(父)が現れるが、勝ってしまう→神の不在に感じ入る
(2)「勝てる方法」を使用してくる父に勝つには「最強の手」を使うしかない→勝つために「最強の手」を使った自分は完全ではなくなった→「じゃんけんの神」であるナツキはいなくなった。(※「最強の手」には完全性が宿らないという前提)
後者だと「わたしはもういなくなるから」に若干繋がりそうな気配があるが……。
「気に入らない男だけれど、負けるのはほんとうらしい(P30)」
実は勝ってないけど負けることによって勝利しているとかそういう話の可能性は、ないか。
なにもわからなくなってきた。
最後のビュレットがないことの意図
ここまでの文が全部、ナツキが最後に出した「最強の手」の動線ってことなのか。
山の神さん
一言感想
広瀬の(声 - 小野大輔)感
笹さんは本当にエッチな男だなあ
広瀬の絶妙なすけべ感がすごいいいんだよな
舞台が大正時代なのもあって、なんとなく森見登美彦風味も感じた
実質ヤマノススメ
過去と未来、機械と人が「重なって」ゆき止揚される様がいい。
私は毎回打倒笹さんを目指してカワイイ女の子を描こうと四苦八苦しているのだが、そんな私の苦闘を尻目に笹さんは毎回さらりと可憐な少女を書いてしまう。私がシャミ子なら笹さんはさながらちよももといえるのではないか? この観点からね群とまちカドまぞくの類似点について指摘したい。
ね群とまちカドまぞくの類似点について指摘するのはやめろ
おもしろい小説を書くのってむずかしい(今回なぜかとくに思った)んだけど(隙自語)笹さんはすごいよ
時代は姉SF
対比的な文体芸が楽しい
ちゃんとそれぞれの文体の思考法でおのおのの結論に至るという意味での必然性もあり
短文が素打ちされていき、隙間にとぼけた感じが挟まれるこの手の文章が自分は好きなんだよなと思った。というか、思えるくらいに自然でうまいというのがある
p58で一瞬ネタにして明示してくれるの親切というか、やっぱりそうなんだ!っていううれしさがあり、かといってそれ以上しつこくネタにしない慎み深さがある
「機械の身体」にたいする各々の対照的な考えが、登山という身体性をともなう行為によって止揚される云々!テーマの消化のしかたがきれい
おれは登山をしたことはほとんどないが……
とまれ、こういう短いキャッチフレーズにまとめられるくらいの主題があるのは大事だよなあといつも思うんですよね……
会話が四コマ漫画を連想させてまんがタイムきららだろ、これ。
意識して読んだらマジでまんがタイムきららが脳内展開された。
ドキドキビジュアルコミックス
SF的な設定について
ものすごく複雑なことをしてるわけでもないと思うんだけど、人間と機械のきょうだいってのはちょっといろいろ考えがいがありそうなんだよな
血縁がないにもかかわらず姉妹を擬制するというのはひとつの伝統なので……
義姉妹の約を結んだのか……
単純にスペア的な存在のような気が(名前が神籬だし)
医王山登りたいな
プロットで動機や結末などを「重すぎず、軽すぎず」っていう思案してたっぽいけど、それがちゃんと活かされててよいな。
細部
大正15年、大正デモクラシーの流れで前年に男子普通選挙法、昭和が目前、世界恐慌前だしそんな世情はギスギス���てない感じだろうか。張作霖爆殺が昭和3年とかなので徐々に種が撒かれてた感もあるか
舞台は金沢らしい。旧制高校のエリートである
転移時の文章のくずれのかっこよさ、これなにか書くコツとかあるのかな……
実質パプリカ(映画)なんだよな
今敏監督で映画化だ
p52で先を歩かせてるときにスカートがちらちらするのぜったい気にしとるやろがそれを明らかにせず別の理由をつけるあたりのむっつり感
「まったく許しがたいことだ」じゃあないんだよ
p.72「広瀬は次に登る山のことを考え始めた」の爽快感がすごくよかった。
でもじつは神籬のことをめっちゃ考えてたんだけど、私小説的な照れ隠しでこの書きっぷりだった可能性もあるな
エピローグ(p.72の※以降)で広瀬たちと神籬の後日談があることが最高の読後感を提供してくるんだよな
囚獄啓き
一言感想
夜ごと街を走って体力を高めるの草
え、なんで妻は罪を犯したの?
愛だ。小林さんは愛の輪郭線をたどることで愛を浮かびあがらせるのが巧い。直江兼続の兜を想起させる。そして銀河犬が気になる。
いつもよりギュッとしてる
ぼくも同じ印象を持って、最初は漢字のとじひらきがかなり過剰に閉じ寄りになってるからかなと思ったんだけど、むしろいつもより地の文が多く、強めの短文を連打してるからなのかな
どこかに魚が出てくるかなと思ったけど、なかった
ところどころに小林さんの昏い性癖が出てる気がします
冒頭にある「地獄とは心の在り方ではないか」がポイントなんすかね
平等な地獄を作ったはずの主人公が、また別の、その人固有でしかありえない、妻の不在という地獄に……という、やっぱ愛か……
刑罰ってのがそもそも歴史がありその意義などいろいろな話があり現代に照らし返せるものの多い、したがって近未来の世界の「当たり前」がどうなっているかを描くまっとうなSFに向くテーマで、そのへんを上記の愛の話のもう片手として簡潔にまとめてるので、SF!って感じがするのだよな
理屈づけのおもしろさで魅せてく鴻上さんのとか、未来ならではの思索で魅せてく笹さんやばななさんのとあわせて、SFらしさのバリエーションがでてると思う
初読時には時系列というかエピソード間の間隔のことあんま意識して読んでなかったんだけど、妻が事件を起こしてから刑を執行されるまでにけっこう時間が経ってるのがわかって、なかなか大変やなというきもちになった
と言いつつ実はちょっとわかってないんですが、二人称で語られる断章は(多少その前な箇所もあるとして、おおむね)妻が捕まって以降の話ということでいいのかな?p85の妻への言及とかも相まって自信がないんですが
そもそもそのへんの語り全体が妻の見ている地獄という解釈もあるんだろうけど……(でないとなんで語り手がこんな詳らかに知ってるのかが説明できないというのもあり)
「牛乳を含んだ雑巾」みたいな独特の比喩から小林節を感じる。
SFってガジェット自体の新規性や利便性から話の筋を作るというのもあるんだけど、そういう未来を描くことで(かえってその迂回が)現在に通用する倫理とか問題意識を切実にさせる側面もあるんじゃないか、みたいなこと考えることがあり、これはすごくそれよりな感じがします(感の想)。時代によらず共感しうるものだったり、いま揺れている倫理に地続きの問いだったりが中心に据えられている。んじゃなかろうか。
「あなた」の作る地獄(への道)を「無関心」で舗装していたのは、むしろ妻のほうか(P79の後ろからL5、あるいは全体に漂うフラットな語り口から)? 舗装、とは言い得て妙かもしれない。その下に押しつぶされているもののほうをこそ俺はなんとなく想像してしまう。
妻の犯した過ちには子供の死と、ひょっとしたら、球獄とそれを取り巻く感情が関係している。いる?
平等であるというのは、ある意味残酷なことだ。だからこそふさわしいのだろう。意思が介入せず、全くぶれない罰を与える球獄だからこそ、罪の清算(救済)が可能である。それがどんなに償い難い罪だろうと、いやむしろ償い難いものであるほどそう感じられるのかもしれない。「あなた」による偏執的な研究の日々の傍で失われていったものがあるならば、それらの重さは球獄という完全性への期待に加担する。その信仰は、妻の中にも「あなた」の中にも、いつからかあるはずだ。
「神待ち」に関して
これから堕ちる地獄(世界)の創造主(=神)に「そこで待っている」という発言をしたことが、テーマに沿っている気がしたんだけど、どうなんだろう。
こういう発言にも妻の「あなた」への共犯意識が垣間見れるし、なんかやっぱり妻の罪の動機と球獄の製作って関わってるよね。そこをあえてすっぽり省いてる気がして。
脳波の逆位相を……という発想がよく考えたみたらどういうことだってところではあるんだけど、とくに瑕疵にらなないのはいいなというのがある
性的快感の逆位相=性的快感以外のすべてがある
妻がいない世界に生きる「あなた」=妻以外のすべてがある世界に生きる「あなた」
ということで、妻の地獄と、それ以降の「あなた」の生活は相似しており、このことがp.90「僕たちは二人並んで閻魔様に裁かれて、それから長い長い地獄に落ちるんだ」に繋がるところがうまいと思った。
細部
終盤で語り手が妻だとわかるみたいな仕掛けはやっぱりグッときちゃうんだよな
p80 パパ活やってて喫茶店のスティックシュガーパクる?と思って笑ってしまった
p81 京文線、なぜか印象に残る。急に架空の(だよな?)固有名詞が差し込まれるのが異質っぽいのかな?(ワイン、とか、省、とか、固有名詞が割と排除されている空気の中で)
「顔が見えていても私はいいんだけどね」「また来ても良い?」普通は、三倍払うと言われてそれに釣られてやってきた女は、こんな好意的な反応を返さないだろうから、そこに都合の良さというか、あるいは記録者による逆のバイアスがあるのかなとか思ったりする
p82「再び端末のキーを押下」エンジニアしぐさ
p84「君の身勝手な自棄で何人の未来を奪ったんだ」なにやらかしたの?
p.86「銀河犬」「(おばあちゃん��その辺で見ませんでしたか?」の台詞がすごく好き。小林さんは一作目からこの手のシュールさを志向している印象がある
記録の語り手が妻っていうのはなるほどねと思った
p.85「それから数年にわたって女はあなたの研究室に通い続けた」以降は、妻が罪を犯した後?
p.88「語りが過ぎた。ここで記録は結ばれ、以降は記録ではなく〜」記録3の後の最後の断章は、妻が地獄執行される場面であり、妻はその場面の記録を執筆できないということを意味している
p.89「私の心は現在どのレイヤーにあるのだろうか。」レイヤー?わからなかった
杞憂
一言感想
中盤からの加速感
これ絶対あれだろと思って読んでたのにやられた
デジタルタトゥーとかそういう意味じゃないけどわかる単語がずるいよな
インディアンのネーミングについて調べてしまった(おもしろい)
この手の一般名詞(?)をそのまま訳して名前として表すやつがなんか知らんが妙に好きなんだよな
ナツメもライチも中国原産っぽい?
原産というか縁がありそう
両方とも滋養強壮できるらしい
ちゃんと資料にあたり、ネイティブアメリカンの習俗とかJKリフレの店内の様子とかそういう細かいところをしっかりさせてて、小説の足腰ができている、見習いたいんだ……おれは……神は細部に……
SF的な理屈をいかに飽きさせずに読ませるかってところで、JKリフレとの強引な対応関係をつくる手つきがすげえ上手いんだよな
馴染みのある語彙に変な言葉を紛れさせて地の文で展開する、みたいな
オーバーロードが中年男性に……(さらにはそれがエルクに……)っていう絵面的なおもしろさと設定的な必然性を両立してるのとか、漫��っぽいプレイの流れのなかでちゃんと話進めるところとか
文化盗用とかアーミッシュへの皮肉っぽい視線みたいなのは前回の感動ポルノに通じるところあるよな
バトルシーンの手の込みようとおっぱいで窒息するくだらなさの融合だけで“勝ち”なんだよな……
もしかしてこれをやりたいがためにここまでの全部を作り込んできてないか!?!?!?
古事成語オチをつけてなんかやっぱネイティブアメリカンの伝承の話だった?みたいにするふざけかたも好き
あ、ここから怒涛のあれが来るんだって予感でわくわくしてやはり来て、凄かった。
SF的な設定、未来の世界での娯楽・趣味的的な観点がけっこうよくて
意図されたであろう魅力が初読で存分に伝わるつくりで、かつ細部に注目する部分がたくさん残されているのがめちゃくちゃつよい。
人物やガジェットのネーミング、その他取り扱われている文化へのリスペクトなど。
細部
p97「俺たちの世界の理にして〜」、読み返してみると、焼き脛は序盤からちゃんとわかって言ってんだな……
侍ミーて
「ひょっとするとお忍びで欲望を満たしにきた元老院議員の可能性さえある。」ここクソ笑うんだよな。千と千尋のあれかよ。
「あれこれ無駄な心配をする痴れ者をさして杞憂と呼ぶ習慣」これ文脈的に杞憂じゃなくてマウンティングベアって呼ばれるんじゃないの??
なんか笑った
略されて使用されていくうちに逸れていく、みたいな、なんかそういう言葉いくつかある気がする。いまは思いつかないけど
用語について調べて/考えてみる
赫の終端(レッドコーダ):ハンドラ族の長
赫は赤いこと、勢いが盛んであること。コーダは音楽で終わるあれ。なので日本語とルビは直訳的に対応しているっぽい。レッドコーダーだと、競技プログラミングのあれになる。プログラミング力が高いから長なのか?
ポアソンの分霊獣
ポアソン:名前。有名どころだと数学者? ポアソン分布の。
分霊獣:分霊は分け御霊。獣?
分霊という言葉のもともとの意味は、分け御霊ということで、コピーして増えるという意味の分けるなんだけど、作中でこの獣の動きとしては、流れを分ける、分配するという意味の様子。
っていうかロードバランサだよな? だからポアソン分布なのか! 待ち行列だから神待ちなんだ!(今更気づいたの俺だけか?)
待ち行列SFらしいということは垣間みえていたんですけど、まさかこんなん出てくると思わんやろ
杞憂(キユー)
杞憂は空が落ちてくることを心配した故事成語。カタカナでキユウではなくキユーなのはなにか意味あるのかな。待ち行列のキュー?
あー!なんで杞憂なのかと思ってたら、そうか、queueか!気づかなかった……
キューとかレッドコーダーみたいな二重の意味、他のやつにもそういうのあるんじゃないかと思ったけどわからんな
キノコジュース
一言感想
光――
初手「ふざけるなよ」と感想を書こうとしていたんですが、本人がふざけているつもりないとしたらめちゃくちゃ失礼になってしまうな、と口をつぐんでいました。やはりふざけるなよでよさそうです。
そういう意味では、我々としてはかなり楽しく読めるんですが、どこまで本気でやってるのか測れない距離の読者からすれば、読んでいて不安になる可能性もあるのかもですね
購入者の感想がたのしみです(なんなら自分の作品よりも)
ふざけどころの緩急がすき
ナンセンス漫画ってやっぱ絵があるからこそギリギリ成り立つもんなのかなあと思っていたところ、それを小説で成り立たせてる腕力がすごい
理路のつながらなさをゲーム的な世界観と苦しむ顔がかわいい女を好きな思い込みの激しい男とでギリギリもたせている感じというか、一般のナンセンス文学の退屈さを補う怒涛のクリシェというか
ほかの人のはそれぞれに「自分もこういうのできるようになりたい」という部分があり、その一方で「だけど本当にそれが書けるようになることを自分は求めてるのか?」という立ち止まりもあるなかで、国戸さんのは心情的に共感みがすごいんだよな。「これをやりたいし、これをやればおれのやりたいことができるのか!」みたいな
好き。酒呑みながらブコウスキー読んだときとおんなじ仕合わせな気持ちになる作品。
実際完敗した感じはあるんだよな。旋風こよりを前にした上矢あがりみたいな。
国戸さんの料理好きな部分が出てるのか。登場する食べ物飲み物が気になる。苔とか。
笑えすぎて本当にずるい
細部
すべてが細部なので読みながら挙げていきます(正直一文一文挙げてきたいところはあるんだが……)
そもそも冒頭の大剣のくだりからしていきなりバカにしてて、そこから「エロい体」の「悪魔系の魔物」が出てきて(系ってなんだよ)、ハートがパチン、そして光——の畳み掛けで完全に引き込まれちゃうんだよな
本当に最初の3行ですごいじわじわきたところに「セクシーで人間と同じ形状をしたエロい体の悪魔系の魔物」でトドメ刺されるんだよな。笑えすぎる。
くっそお、俺はこいつが好きだ
「大型魔物」、「の」を入れないのが良い
最強の二人のもう片方、だれだっけて
双剣を捨てる言い訳から店主を攻撃して半殺しってところまで一文一文笑いどころしかない
全体的にそうだという気もするんだけど、とくに「ルシエは用心棒で〜」からのくだり、なんか妙にサガフロ2を思い出したんだよな
キノコジュースのくだり正直まったく不要で、リアリティを増すための習俗の描写を馬鹿にしまくってる感がある
そういう意味ではその前の鴻上さんの緻密さと対比的でおもしろいな
「戦闘で、全力でしゃべってるんだと感じた」突然詩的になるな+ペンダントのくだりの思い込みの激しさ
いきなり世界が壊れだしてから第三世界の長井みがこれまでにも増して、ちゃんとゲームの世界なんですよという無用の目配せに笑ってしまうんだよな
素直に強く反省する主人公
p136の唐突な暴力描写の投げやりっぷり
「まさか点滅して消えるだなんて」ほんと好き
「その勢いは凄まじく、まるで矢のような勢いで飛び込んで来たのだ。」ここも好き
ひかりごけをいきなり食って、しかも飢えた人間へと連想をつなげるのをやめろ
もうこのあたり完全にゾーン入ってるんだよな、一文一文が常に笑える
「強い恐怖は、それまで持っていた弱い恐怖を克服する」の決め台詞感に至るまでの思考回路がくだらなすぎる
玉ねぎの連想から無理やり涙につなげて、象徴にもなってない象徴を引っ張り出したうえで「確かに」と結論づけさせるのすごすぎる
「過去の出来事が現在の状況を暗示している」みたいなありがちなアレをばかにしてる
いきなり寝ている、いきなり寝るな
「すると〜」からの段落の描写の雑さが主人公の現実認識の雑さを象徴しててめちゃくちゃいいんだよな
ダグラスの登場あたりからやにわに話が盛り上がるのだが(そもそもこれで盛り上がってる感がちゃんと出てるのがまずすごい)、インベントリがいっぱいなことを心配したり速い虫の話をしたりさらには親の回想がはじまったりしてこいつ集中力がなさすぎないか?
とても速いなにかしらの虫ってなんなんだよ、ほんとに。何回読んでも笑ってしまう
でもなんかちょっとかっこいいんだよな
p140からのなんかいいこと言ってる感の空虚さがすごいし、そもそもなんでダグラス現出してんだよだし、それらすべてが学校の机でガタンの恥ずかしさとなんかしらんが妙にリンクしてる感じがして凄みがすごい
「あれ、これだいぶ前にもやらなかったか?」で突然我に返って、読んでる方も一瞬我に返り、ページをめくると最終ページの登場である
「苦しそうな顔が〜」で最後までふざけて、ロケットが開くのもなんか勢いで、それから光——ではないんだよ
まさしく腕力
リュシー (Lucie)は、フランス語の女性名。 ラテン語の男性名ルキウス(Lucius)に対応した女性名ルキア(Lucia)に由来し、『光』を意味する。
蟹と待ち合わせ
一言感想
マァンドリン
わりと文章が硬質なんだけど擬音語擬態語とか、こういう音声的な話を印象的に使ってくる印象がばななさんにあったけど今回それが強まっている気がする
いつもより書いてて楽しそうな印象をうけた
どこかでも書いたがばななさんの導入いつもよいと思う(導入以外が、という話ではなく)
今作はわりとエキゾチックなんだよな。キャノンビーチの鳥居を蟹がくぐる光景がエモい。
全体的にアルカイックなのは意識の誕生以前の世界への回帰だからか。
おなじ文献に着想を得てるのに杞憂との落差よ。
御神体フェチ
毎回SFギミックがハードコアではあるのだけど今回もそうで、そのうえ↓の書き手の感想にあるとおり、実際書き方がより挑戦的になってる
んだけど、それなのに!夏の島のバカンスの雰囲気に包まれててめちゃくちゃさわやかなんだよな、なんなんだよ
そう、すごくさわやかなんだよな……本当に
ずっと空と海を描いていて、そのうつくしさは質感としては憧憬に近いんだけど、ラストで急にその突き抜ける青さが手元に戻ってきて調和するのがすきなんだ
人類補完でなにが起こるかのところにこの回答持ってきたのは(↓で書いた情報の出し方のおかげもきっとあるんだけど、個人的な考えとしても)個人的にはめちゃくちゃ納得感がある
収録作のなかでもアジテーション的で、わりと全体通してゆっくりアジってくるので「たしかにそうだよな……」みたいな納得感がある。あるよな?
「鯨」で強めの主張をしてからの「石球」での転調、そこからラストの「蟹」で落とす流れがきれい
というか、全体的に情報の出し方のコントロールという基本��がうまいんだよな。我慢できなくて設定語りしちゃわない?おれは我慢汁出ちゃう!
細部
ちょっと入り組んでいるので整理を試みます(みなさん適宜修正してくれ):
人類
全体と言語野を共有している
読む限り電脳である以外、形としては「普通の人間」でよさそう?
現代から100年後が舞台であること(そう遠くなく、まだ最後の電脳化が終わって間もない)、人間の肉体として考えて不自然な描写が出てこないこと
もし「異形」であるなら、相応の描写があっていいはず
自然な人間の形であるからこそ「四本足」や「七つの目」という描写が活きているんじゃないかと思って
しかし、なんでもいいというのも、この話の主題のひとつだ
「アラスカやシベリアの軍事拠点と並び、地球上で全住民の接続を完了した最後の地のうちの一つだった(P152)」
語り手たちはまだ完全に統合しておらず「人間らしい」雑念に溢れている(ように語っている、が)
笠木
御神体「ヘイスタック・ロック」
「キャノンビーチ」
笠木グループ:腕が各2本、脚が各2本の3体か
彼らの姿を想像することにあまり意味はなさそうだがいちおう
肉体(?)の数と一人称複数形のバリエーションの数は一致しない
p146で「三つの肉体」とあるから上記の解釈をしたんだと思うけど、最初読んだときそう読み取っていなかったのでなるほどと思った。何故かはよくわからないが、6本腕(兼ねる、脚)がある物理的には1つの塊を最初イメージした。p145で「七つの瞳」(3では割り切れない)とか、「三つの声、四つの声」とか書いてあるのを読んで、あまり整合的にわかりやすい体の形をしたものが何体かいるみたいな状況じゃないんだろうなと思ってしまったので。
でも油圧ショベルを操縦してるから、人間みたいな形をしているのだろうか(人間向けの油圧ショベルなのかどうかは定かではないが)
瞳のひとつは「対流圏から熱圏にいたる範囲を巡航する種々の飛行撮影機と衛星によって構成された視線(P163)」とのこと
なるほど!!
どうも彼らは記録をしているらしいことがわかる
マンドリングループ(たぶん)とは異なる一人称複数的な主体を維持しており、(一方的であれ)独立性を保てるらしいことがわかる
性交は非対称的な行為であること
「私たちは背中が三つある獣(P147)」すごいな
マンドリン
御神体「鯨→海自体へのイメージ」(仮)
マンドリングループ:腕が計6本、脚は計4本
……とあるけれど、海岸を歩んでいない2本があったりするかもしれないか
人類全体の意識(というべきではないかもしれないが)が共有されており、各々の肉体は物理的な入出力器官として位置付けられている、入れ替わることもあるていど自由っぽいことがわかる
「四本の足(P150)」という表現、ひとりはかならず共用スペースで開発をこなしているという描写(ここすき)
「肉体と精神の求めに応じて」とあるので海岸を散策する肉体も実際に交代してそうな雰囲気がある
「巨大な一つの意思たる海、それを身に纏う美しい惑星(P154)」(『ソラリス』だ)に自分たちの集合知としての存在を重ねる
パレイドリアがそれなり大事そうな概念として導入される
大戦があったこと、舞台が太平洋の群島であることなど、若干の歴史や場所の情報
環礁・核実験・地形などの情報からビキニ環礁だと思われる
鯨
鯨グループ:7つの眼
あとの「蟹」を読むかぎりでは笠木グループと同一であると思われるが……
パレイドリアの話の続きとして:自他の境界がない(このへんが神々の沈黙っぽい)→パターンを形作ることができず、生の感覚(?)としてしか受容できないみたいな話になってくる(現代的に見れば統合の失調ではある)
人間の意識(?)が完全に同一化するまでの過渡期らしいことがわかる
石球
御神体「石球」
「2121年9月のアラスカ」と明確に述べられている
時系列的にはちょっと前のように見えるが、正直よくわかってない
夢:イリアスっぽい描写
このへんも神々の沈黙で、ゆうたら「自他の境界がない、昔バージョン」の話
「開いた」球
視覚的な描写ができない、よね?
蟹
笠木グループっぽい
7つのうちのひとつの瞳が別の夢を見たらしい
俯瞰することの話ふただび
ここまでときどき出てくる語りのアップロードなどなどの話から徐々に彼らの生態の全体像が見えてくる形になってる
小さなボートのなかに女
「人類すべての言語野がつながったのが、いまからちょうど半年前(P152)」で七つ目の瞳は「一年以上にわたって(P160)」漂流していた女を見ていた(という夢を見ていた?)
P158で大地が揺れたことと関係がありそうなんだけど
鳥居をくぐる。今まで、あえて鳥居をくぐることはしなかった(P161)
純粋な観測者であるはずの7つ目の瞳が女をとらえて震える
「間近で見た御神体の岩肌は、海鳥の糞にまみれて白く汚れていた(P164)」は単純に美醜の描写を行ったり来たりすることで対象の存在感が強まるという効果もあるんだけど、もしかしたら「岩→女」への神性の移行ともとれる
女は一人称単数でしゃべる
濃い日焼け、脇毛ぼうぼう、乳に蟹
その前の段落の「あたしはようやく目を覚ます」の主体がちょっとあいまいで、おそらくこの女なのだけど、どうもここまでの一人称複数であった人間たちのうちの一個体のようにも読める……読めない?
むずかしい……最後の台詞の読解にかかっている気がする
ここで個としての人間が復活しているらしく、たしかにしているっぽいのだが
システムの「手足」に回収されつつある在りかたを、独立した「動物」のほうに引き戻してくれたらということなんだろうけど、この言いかただとそういう流れは止まらないと展望している
しかし七つ目の瞳のほうは、純粋な観測者としてあるまじき挙動をしていて……
もはや個を剥奪された端末になりつつある人間から全体への、人間性の逆流? といえばいいのか?
鳥居(文脈から切り離された木一般の意味が異邦で再構築される)というのが、いや鳥居に限らず漂着物の再構築などが(マンドリンもそうだ)、女の登場と構造的に対応しているように思う
単純な近似ではなく、その異質さを強調するための
イリアスパートの「怒り」は、システムに回収されつつある生の叫び(全体的な語りから読み取れる)に沿っている気がする(捕らわれたクリューセーイスの奪還と、漂着した「女」の物語的な関係やいかに。未読なので詳しくはわかりません)
鯨も同様、またソラリスの話も寓意に富む
女、オフラインなのかな(最後の台詞からははっきりと推測できない)
書こうか迷ったが、もしかしたら「正体」があるんじゃないか
P150の環礁・核実験・軍艦というワード(七つ目の瞳では観測できない海底)
ビキニ環礁のクロスロード作戦
鳥居への祈りから、日本の軍艦を連想
クロスロード作戦で沈没した日本艦は長門・酒匂
軍艦の擬人化と言えば艦これ・アズレン
双方のキャラクターの特性に照らす
「あたし」という一人称と「ささや��な乳房」という情報
「酒匂」ちゃん??
艦これの話か?
なんかこうもっとロジカルに導きたいんだけど、まだひらめきに近い
でもこう読むとすっと入ってくる描写とかある気がするんだよ
海への柔らかい執着とか���肉体の話とか
深海棲艦説としか思えなくなってきた
あー、なんかそっちっぽい!
最後の台詞がわかった気がする
元の肉体(艦)が(七つ目の瞳以外に)憧憬?をもって観測されつづけたことによって顕現できた、みたいなことか?
どうなんや
元あたし(傍点)じゃん?
いくつもあった「すれ違う」描写、しかし最後に「越境」して交わり、岐路に立つ!
つまり女の漂着は人類にとっての“クロスロード”だったんだよ!!!(キバヤシ)
ブロックバスター
一言感想
コインを振る。裏。←かっこいい
まったくわからないんだけど、いつもよりわかるよな
Cの盛り上がりがBとDのクライマックスと呼応していく感じが好き
読後感すごくいいからやっぱりこれ最後配置で正解なんだよな
津浦さんの作品一番難解なんだけど、なんか童話的な柔らかさがあるんだよな
ポリフォニック(ね群メンバーの作品は全体的にそうかもだけど)
こーしーもう一杯
王の祈る姿が比例して増えた←感謝の正拳突きしそう
細かな表現のかっこよさはもはや言うに及ばずなんだよな
Aの語りに出てくるモチーフの��置の伸縮自在さとか
あと「その大きさはもはや比喩の範疇を超えて唯一だった」がめっちゃ好き
挙げてくとキリがないのでやめます
細部
こっちもまずは整理してみる(修正求む)構成:4幕。
(1) p.168「「世界」という言葉がきらいだった」
(2) p.171「「世界」という言葉は、ずっと昔のあいまいな約束だった」
(3) p.174「「世界」という言葉は、その実なにも説明できていない」
(4) p.177「「世界」という言葉が薄い殻から芽吹くとき、その平熱の期待を逃してはならない」
語りの種類:5種類。
A:ほかと同じ明朝体のやつ
各挿話の最初に置かれ、「「世界」という言葉」からはじまる
p.168は病院に行く(お見舞い?)シーン?
p173「恋人の手」と「犬のクソ」は素晴らしいものと価値のないものを表しておりそれらを混同しないとみんな言いはるんだけど実際には紙一重だ、みたいなことを言っているように読み取れる、一方でp174では「生きている私たち」の強調によって、両者はいずれも生命を示しているというふうにも止揚されてくる
p.177「意味のある対象が〜
B:丸ゴシックのやつ
母を知らず、物語を作るハルと、魚から這い出したところを見つかった、八つ目の毛玉のキャット
八つ目!魚から!Cの「ものども」あるいは王だ!
母を知らないっていう宣言的な言い方がDとの関係というか、そういうものを感じる
p171「私は無垢を演じているのではないかと~」からも、直截的にはそういう読み方が誘発されると思った。Dの母との問題を無視した空想の世界。p171の描写は作り物感を補強している。p172「自身のスペアを要請」
世界の果てでコインを投げる
世界の果てが出てきて殻を破るって実質ウテナじゃん
p.180「あるいは誰かのその前駆が私と私の世界を作ったのだとしたら〜」エフェメラルな雰囲気がする
最後に揺れて、そのあと魚、でもって「彼」は(世界の)棘を持つ、(Cの)大亀だわな…
C:教科書体(?)のやつ←例のクレー
彷徨し、「世界の棘」を持つ大亀、王とものども
p.183より、ものども(たぶん王も)八つ目である
最後、魚がめっちゃとんできて世界の殻が壊れる
p.183Bによれば、Bにおける「物語」が世界と同一視できそうではある
D:薄めの丸ゴシックのやつ
現代劇っぽさのあるわたし(空想が好き、大学は文学部、就職に困る)と母。二人は折り合いが悪い
p178「世界に目を向けて」という母親の言葉とそれに従わずに目を閉じる私。「世界」という言葉への反発はAにつながっているように思う。
目を閉じて以降、空に魚が出現し母が消えるので、ここで世界に背を向けたように感じられる。というかp182のBにシーン的には合流しているように読める。丸ゴシック繋がりもあり。
ふと思ったがここの「わたし」が神待ち行為を行なっていた可能性があるぞ!!!!(ないです)
最後、やっぱ空に魚(バラクーダ!)が出現する。母はいなくな
E:薄めの明朝体のやつ
わたしと「彼女」(母性を感じはする)、あやとり
p.174「わたしは彼女の暇潰しの相手に過ぎない」が、その前のp.173B「気晴らし」につながらなくはなくて、そうなると物語自体ってことになるのか?
p.183「名づけたのは他でもない、わたしだ」。「世界」を?「世界の棘」を?
「ふだん浮遊している〜彼の棘はもたらす」らしいぞ!(だいじそう)
ストーリー性は希薄で、間投される語り
p.183、やっぱ魚は大亀の斥候なんだよな
あ、ここに寝室(Dの末尾の舞台)出てくんじゃん
あえて階層構造を仮定するなら、基底から順にD→B(Dのわたしの空想あるいは物語)→C(Bのハルの物語)で、大亀による崩壊がC→B→Dと還流してるように読めなくはない気はするんだけども……(BとDは……つーか、いうたら全部上下がなく並列でもいけるか)。で、それで世界がつながるのはわかる。じゃあ「その外に残された」の外って?(火じたいは王の演説にも出てくる)
レイヤーを想定しちゃうのは悪い癖だな。読み返してたらあんま上下関係ない説の方が強まってきた
自分だったらレイヤーを想定して書くのだろうが、多分作風的にはレイヤーとかじゃないんだと思う。しかし相互の関係性とかが変奏していく感じがあって良いんだよな
テーマについて
神待ち
神の裁きと訣別するため:自分を負かす誰かを待っている→勝って神の不在を証明
山の神さん:神待ちアプリ
囚獄啓き: 「地獄とは神の不在なり」なので、不在なんじゃないかな
杞憂:中年男性(世界を維持するための計算資源→神?)待ち、待ち行列理論
キノコジュース:ルシエが宮殿で完全性を持つであろう存在を待っていたこと
蟹と待ち合わせ:蟹待ち
ブロックバスター:亀待ち
むりやりまとめると、神待ちの「神」を、原義側に寄せた、圧倒的なものとか完全なものとかでとって書いたのが多数派、という感じだろうか
とどのつまりは祈りだ。
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長野市「丸亀製麺 長野店」旅とざるのうどんと 場所 長野県長野市小島110-1 電話 026-244-7320 ジャンル うどん バリアフリー ◯ 駐車場 あり URL https://www.marugame-seimen.com 基本的に外出を好まない。嫌いなわけでないが、計画するのが面倒でならないのだ。1日くらいの工程ならなんとかなるが、それ以上はダメダメなのだ。かといって行き当たりばったりというのも嫌な小心者でもある。 そんな私だが、正真正銘行き当たりばったりの旅に出たことがある。小学4年の8月のある朝、突然思い立って姫路まで行ってきたのだ。兵庫県姫路市といえば、当時伯母家族(母の妹)が転勤で住んでおり、その前年、前々年と2度ばかり家族で訪れた事があったのだ。 行ったことがあるとはいうものの、行程はすべて父の運転する自動車でのこと。新幹線でなど行った事がある筈もない。ただ前年姫路城を訪れたときに、伯母宅から姫路駅までほぼ直線の広い街道を車で20分くらいか。路線バスでもおそらく乗り換えなし30〜40分くらいの簡単な道のりだろう。日ごろからバスだの電車だのには乗りなれている。父親の「話す言葉と聴く耳と真剣に伺う態度があれば誰でも教えてくれるし、どこにでも行ける」の言葉を胸にいざ出発。東京駅でチケットを買ってもらい新幹線へ。 当時東京、姫路間は新幹線でどれほどかかったのであろうか。4時間くらい?よくは覚えていないが、車内ではよほど目立ったのであろう。ランニングに半ズボン、おかっぱアタマでぱつんぱつんに肥えた男の子が1人でいるのだ。周囲の大人たちが心配してくれる。ぼくどうした?お父さんお母さんは?私も現在よりも現在以上におしゃべりだったし、500億倍は愛想がよかったから身の上から事情までペラペラ話していたと思う。 なにゆえ、突然こんな事を書き出したかといえば、暑い日に冷たいうどんをたぐると、条件反射的にこの思い出がフラッシュバックするのだ。たしか姫路駅の立ち食いコーナーで、大人がざるのうどんを食べていたのが印象に残っていたからだ。ああ西ではこんな食べ方をするのか、という感想をもったのだが知らないだけで、東京にもざるうどんくらいあったかもしれない。 「丸亀製麺 長野店」 という事でうどんならこちらであろう。関西のうどんと讃岐のそれとはだいぶ違うだろうが、まぁよしとしてくれたまえ。 「ざる 並」300円 様々な理由もあり並盛りとした。何より安いのがよい。極太のしゃっきりモチモチとしたうどんは、噛み締めるといった風情なのがよい。東京のふやふやうどんとはわけが違う。ただつゆの濃度が高く塩からい。これは店側の判断だから文句のありようもないので、つけ方を気をつけながらいただく。水で薄めてからというのもよいかもしれない。あまり行儀はよくないが。 「いなり」110円 つゆが濃くて塩からくてどーのといいながら、このような強甘辛のいなりは大好きなのだ。そもそもつゆだくのアゲがよい。酢飯がほぐれてしまうほどなのも可。気をつけながら口にしないと、いなりが崩壊してしまう。 「まいたけ」140円 「チーズちくわ磯辺」170円 「かしわ天」150円 天ぷら各種。通常ならなす天は外さないのだが、たまたま売り切れ!申告すれば揚げてくれるとは思うが、他の方に迷惑をかけそうなので断念。しかし、プリプリのまいたけ、濃厚なチーズちくわ、肉汁たっぷりのかしわ天は充分満足させられるものであった。 ずいぶんとたくさんの方にご心配をいただいた。車掌さんはもとより、向かい側の席にいたサラリーマン風のおじさん、隣の席の大学生風のお兄さんは大阪に嫁いだ妹さんに会いに行くと言っていた。彼とは手塚治虫の話題で盛り上がった。「火の鳥」が好きだというと驚いて、では「きりひと讃歌」を読んでご覧と勧めてくれた。姫路駅でどのバスに乗ったらよいかとふらふらしていた時に声をかけてくれた女子大生風のお姉さん。一緒に行く先のバスを探してくれた上に待ち時間に従姉妹へのお土産を選んでくれた。バスの運転手さんに住所みせたら丁度よいバス停を教えてくれたはよいが、それは間違いでひとつ前で降ろされてしまい、折り悪しく雨が降ってきてしまいずぶ濡れでトボトボ歩いていたら近所のおばちゃんが雨宿りさせてくれた上に伯母宅まで連れて行ってくれた。よい時代だった。大人が子どもに声をかけてもなにかあるわけもない。まぁそれだけ私が可愛らしかったという事であろう。もちろん現在でも可愛いのだが。 #長野 #長野県 #長野市 #長野グルメ #うどん #うどん県 #うどん部 #うどん好き #うどん屋 #うどん巡り #うどん好きな人と繋がりたい #うどんスタグラム #うどん大好き #うどんインスタグラマー #丸亀製麺 #丸亀製麺うどん #兵庫 #兵庫県 #姫路 #天ぷら #天ぷらうどん #いなり寿司 #食べるの好きな人と繋がりたい #飯 #飯スタグラム #飯テロ #美味しい #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 (丸亀製麺 長野店) https://www.instagram.com/p/CCUBVScAlZG/?igshid=mhh5ul1or18q
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かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられ���言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あ��つさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ���主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。 私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。 短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。 マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語��のだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、���成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。 文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。 すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。 逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから���
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか��という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』���鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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toshinose.
めちゃくちゃ眠いのでなんか適当な考え事をして脳をたたき起こそうという文章です。
ねむすぎる
いや、こう、もういよいよ無理が立たなくなってきて、疲れが2週間くらい休まないと抜けないんですよね。困ったなあ。もうとにかくひたすら眠い。今日は渋谷に買い物に行きたかったんだけど、天気も悪いしやめようかなあ
あーダメだ今日までのやつあるから今日いかないと。午後には家出たい。でるぞー
何にも考えないで書いてるので何にも考えてない文章になってる。まあいいか。
なんだっけな、そう。こないだ「音楽偏差値」といわれてしまったんだよな。
音楽偏差値!!!、!」1
音楽偏差値かあ
もやーっとうっすら生活の何処かでもやーっと考えてて。音楽偏差値、なー。うーん
昔から偏差値嫌いなんだよな。(すきなひといる?いなくない???)でもなあーうーんそうなあー…
そもそも、なんかやった時にも思ったけど、根本的にどうも僕は「へんなもの」が好きらしい、というのは実際あるにはあるんだろうなあみたいなのはあって。何言ってんのかわからんな。ちゃうねん今めちゃめちゃ眠くてあたまがあったかい感じなので…
で、なんだっけ。ああそう昔からたぶん「へんなもの」が好きなんだよな。変わってるという訳じゃないけど、構造としてよくわからないもの、どうしてこうなってるのかわかんないもの、みたいなのが好きで、というか別にそもそもでいくと好きって訳でもないんだけど。んー
なんかこう、子供の頃ってわかんないものいっぱいあるじゃないですか。で、僕はわかんないことあると「えっなんで?」となって、それがどうしてそうなのかを何度も繰り返し確認しながら延々考えてるような子供だったんですね。「わかんねえ…」っていいながら無限にやってた。数学とかちょうこうふんするじゃん。あの、なんか全然訳わかんない問題とかを色々こねくり回しながらねりねりやってると、突然まったく関係ないようなところからビカーってひらめきみたいなのが降ってきて、全部ぱちっとはまって瞬間パズルが完成してる、みたいなあの感じ。あれがなーあれがすごいんだ。めがちかちかする。
突然数学の話をするな。
で、だからなのかどうなのかではあるんだけど、基本的にわかんないものに対してかじりつきに行ってしまう、みたいな習性がどうも昔から僕には在るっぽくて、結果、そのわかんないものに触れてる時間がすごく長くなる。そうするとやっぱりというか単純接触効果というの?当初の目的とは違ったところから、それの良さみたいなのが見えてきて。そうするとそれそのものも好きになってくる。僕の場合のなにかを好きになる過程って、何に対してもこういうところが少なからずあったような気がする。
音楽とかもやっぱりそうで。田舎者だから子供の頃はTVでやってるようなのしか知らなかった(知る術がなかった)んだけど、そのうちインターネットが使えるようになって色々見聞きするようになると、まあ世界にはほんとうにびっくりするほど色んな音楽があることがわかってきて。それでなんかそういうのばっかり追いかけまわす人間に、気づいたらなっていたんだよなあ
そういえばそうそう、同人とかもね。近しい人には話したことある気がするけど、僕の同人は実は本からじゃないんです。同人って本以外にも音楽とか動画とかゲームとかだいたい思いつくもの全部あるんだけど、僕が突っ込んだのは音楽からなんですよ。高校の頃めちゃめちゃ好きな作家さんがいてねえ。bermei.inazawaさんっていうんですけど、いやーこの人はほんとうに天才なんじゃないかと思うような(今でも思ってるけど)、あ、分かり易そうなところでいうとこの方はanNinaでやったひぐらしの主題歌とか、みーまーのイメージアルバムとか、やなぎさんのヨルムンガンドのやつとか、悠木さんの移籍する前のアルバムとかの辺に携わっている方なんですけど、素人耳にもはっきり分かる緻密な音楽をじっくり丁寧にやる方で、すごいんですよ。すごいの。僕の中には音楽の神様と呼びたい人が3人いるんですけど、べるさんはその中の圧倒的なひとりです。このひとがいなかったらその後の僕の人生ぜんぶ全然違うものになってたもんなあ。
(あとのふたりは前にも書いたbud powell大々大先生と、あとはひみつ)
当時の同人音楽の世界は、ゲームのアレンジ音楽が主流を占めながら、そのなかにぽつぽつとオリジナルみたいなのもある、みたいな世界観で。それがちょっとずつ変わっていったのはたぶん東方みたいなオリジナルゲームの隆盛とか、その後のボーカロイドのヒットあたりが大きな変わり目になっていったのかなと思うんだけど、ちょうど一昔前の同人音楽の中で、そういうちょっと変わった、オリジナルなものをやってる人たちのことが僕はすごく好きだった。あのころべるさんのCDを買うには有明まで行くしかなかったので、バイト代半年分にぎりしめて、前夜の新幹線でさいたまの友達ん家いって、翌日始発で並んでぷるぷるしてたっけ。登山用のクソでかリュック背負って開場2時間で100サークルくらいまわるの。よくできてたよなあ…おじさんもう年寄りだからあんな無茶できねえっぴ……
まじでなんの話してるのかわかんなくなってきたな。
ああそう、で、結局そんな感じなんすよね。偏差値と言われてしまうと難しそう、みたいなイメージ僕もあるんだけど、僕の中ではあんまりそんなことないというか、わかんないんだけど、わかんないことが楽しいというか、うーん違うか、そういうものを通して、自分なりの、例えば音楽とか、例えば本とか、あとはまあアニメドラマ映画、絵、なんでもいいけど、そういう相手の中にあるものを自分なりの理解の形としてみつけてくことが好きというか、そんな感じなのかなあ
あっやば
こーひーこぼした
コーヒーってさあ。眠気覚ましっていうけどなんか状態というか摂り方?によってはめっちゃねむくなるというかリラックス効果もあったりするらしいんだよな。お前どっちやねんという感じだ。
んーと、んーそうそう。相変わらず予習しない人間なのでアレなんですけど、来週サンドリオンさんのライブにお誘いされてて行くんですよ。半休もとれた。やったね
で、ちょうど諸事情でアルバム2枚お借りしてて。『わ』っていうのと、『WANDERLAND』っていうの。そのうち『わ』の方はある程度きちんと聴いたんだけど、いろいろ余裕なくなってしまって『WANDERLAND』の方だけ手付かずで残ってる状態なんですよね。
んーmmむ。これはどうしたもんか…。
WANDERのほうは1曲目のさわりだけ聴いて「ぜんぜん違うじゃん!」と心のみおみおが絶叫してしまったというのはあるんだけど、そこまで。基本予習しないタイプだけど、このどうにも中途半端な感じもめちゃめちゃ座りが悪くてですね。どうしたもんかなあ…うーん…
そもそもライブに行く為の予習がなんでやなのかなと考えたときに、んー。
やっぱりその、「体験」みたいなのを大事にしたくて。
知ってても知らなくてもその時間って同じ2時間なら2時間の、時間じゃないですか。受け取り方が変わるだけで。それで、知らないという状態は非可逆なわけだから、知らずにそこに居られる時間って、たぶん1度きりだろうと僕は思ってて。そこを変に前知識入れてしまうと折角いちどきりの「知らない」の体験がなくなっちゃって、なんかもったいないなあって思っちゃうんですよね。うわ発想が貧困だ。
知らないで触れても、たぶんいいものはいい、と思えるんじゃないかと僕は思ってて、だったら変にいろいろ詰め込まなくても、そのままでそこに居ればいいんじゃないかなと思う、のかなあ
ああそう、そういう意味ではこないだ行ってきたライブがとてもよくて。フィロソフィーのダンスさんっていう、なんかぱちさんが日々おっぱいがおっぱいがって言ってるアイドルさんの、ツアー?なのかな、新木場のコーストであって、なんか見たら当券あるっていうし、たまたま職場からそんなに遠くもなくて、会社出て調べたらなんか間に合わなくもないっぽいなみたいな感じだったので、ぷらぷら行ってきて。それがすごい良かったんですよね。
前知識ゼロでいった(曲も知らないし誰が誰かすら知らない)(さすがにそんな状態で行くな)もんだから、なんかこう、手拍子入れたり声出したりみたいなとこの感覚はもちろんわかんなくて、「へー」とか「ほー」とか言いながら控えめに真似したりしてたんだけど、この「へー」とか「ほー」が自分的にはけっこう大事で面白い感じなんだな。なんか、「ダンス」ってなってるからもっとみんなめちゃめちゃ振りコピとかなのかなそれだったらどうしようかなって思ってたんだけど、全然そんなことなくてなんかみんな割と好きにしてる感じで、それがよかった。みんな好きにしてるのがいいよね。
ほんで、楽曲的にはとにかくkbがよかった。いやあれは知らなくたって出音一発でわかるでしょぜったいこのひとうまいひとでしょ誰なんだ…と思ってたらやっぱりなんかすごいひとだったらしい…すごい…
元々インスト畑のひとなので、どうしてもバンド側に目が行ってしまうという悪い癖があるんだよな。やあでもブラスの方達もなんか面白い感じでねえ。前出てきて鳴らしながら一緒に踊ってるのとか「スカパラか?」と思った。いやスカパラのライブはいったことないけど。適当な想像でモノを言うな。あ、でも終盤の曲なんだっけな、たぶんいちばん終わりのほうの、シスターとかかな?saxの方がフルートに持ち替えたりしてる場面も見てて、あ、地力のしっかりした方達なんだなって思った。
音楽的には、んーそうだな、「ダンス」ってくらいだから基本4つ打ちの分かり易さが前面に出てる音楽だなと思ったんだけど、さっきのkbの話にもどるとkbがそのリズムをちょっと崩してるとこがあるんですね。あの感じは僕がよく聴いてたジャズ畑に通じるやつで、そういうところが個人的に「何処か知ってる感じ」にも繋がってて入り易かったなと思う。あと4つ打ちだけど基本裏拍なとことか、ブラスは基本ビ���グバンドのそれで、なんか聴いててどことなくThe Phil Collins Big Bandとか思い出すとこもあったかな。どうだろ?
メンバーの中にショートで金髪の、なんかマリリンモンローさんみたいな方がいて、その方の歌がめちゃめちゃソウルフルでうまくて「えっマリリンモンローじゃん…」と思いながらみていた。あれはすごいなあ。でも喋り出したらなんかお笑いの人みたいなので「えっお笑いマリリンモンローじゃん」となる場面もあった。
おくつさんは、僕の中の唯一の事前情報により「おっぱいのひと」と思ってみたら腹筋が���キバキのすごいことになっており、秒で僕の脳内が「えっ腹筋の人じゃん」で満たされてしまった…ええ…腹筋じゃん……
おっぱいずっとみてるのと腹筋ずっとみてるのとだったらどっちの方がセーフなんだろうか。(どっちもアウトっぽい)
あと、おくつさんでいうと一番印象的だったのは「よく笑う人だな」ということだった。なんか、4人共通の感想なんだけど、しゃべりだすとなんかこう、ちょっと違う感じなんですね。へー
歌を演奏というと、演奏中はめちゃめちゃすごいんだけど、しゃべりだすともうちょっとこう、普通というか、「あっふつうっぽいひとだ」となるというか。うーん、なんかうまく言葉が見つからないけど。
いやいや普通とは?感性だけで文字を書くな。
いやでもね、おくつさんはよく笑うとこがいちばんよかったと思いました。なんだっけな、twitterかな、「ひとりで来てもひとりにしないよ!」みたいな話されてたのが頭に残ってたのだけど、それってこういうこと、を体現してるみたいな笑顔だなーって思った。あのかんじはなんかちょっとはるちゃん思い出すな。
んで、リボンのショートの方がこう、「リボンで黒髪ショートだしクールな方なのかな?」と思ってたら完全にオチ担当の方だったな…。なんか、話が飾らないというか「思った事全部言っちゃう」みたいな感じで、ああいう話って意外と聴いてて落ち着くというかほっとするんだな。よかったですね。あと声質がちょっと特徴あって、もうちょっと僕の想像する「アイドル」みたいな感じで、なんだけどそれが逆にユニットとしてのフィロソフィーの歌のいいアクセントになってるっぽい。普通っぽいのが逆にちょっと変わった立ち位置になってるっていうのが面白いと思う。
んーと、さいご。ロングの真ん中わけの方。この方についてはケイスケさんがすごいことになったらしいのでそちらをどうぞ。
https://gkeisuke.tumblr.com/post/189737898183/
僕の感想としては髪が真ん中分けで長くてさらっとしてて細い感じで「え、おでこさんじゃん」という感想が真っ先に口から飛び出してしまったんだよな。いや…おでこさんじゃん……
でもよくみてたらこの方も腹筋がすごくて、もしかしてあれなのか?「フィロソフィー」には「ふっきん」というルビが振られているのか…?などと考えた。でも踊る上でももちろんだけど歌を歌う事についても腹筋はめちゃめちゃ使うので、いいことだと思う。もしかしたらそのうちおでこさんにも腹筋をめちゃめちゃやる回とかが出てくるのかもしれないし。いやそれはどうよ。
笑顔のやさしそーなひとで、なんというかな、キャラの強弱というよりは、それが前に出てくるかどうかの違い、みたいな印象がある。関西っぽさというかなんというか。んーあーそうだなあ…あっそうか、けいおんで言うむぎちゃんみたいな感じに近い印象があるのかな。いつもニコニコやさしいんだけど、よくよく話聞いてると「ん…、このひともめちゃめちゃキャラ濃いな…?」ってなるみたいな感じ。そういうとこがまた他とは違っててユニットとしての面白さにもなってるのかなーと思う。そうな…おじさんも腹筋などをしなければならないんだよな…
で、なんだっけ、こんな話してた?
ああそう。全然予習しないで(急に決めたからその余裕なかったというのもあるけど)いったんだけど、それでもこのくらいのことは見てたらいろいろ感じられる訳で、そういうのが僕は面白いなーって思っているんだな。知らなくてもやっぱりいいライブはいいライブだし、なんか適当にいったらいいんですよ。
適当にすぐ適当とかいうな。
そうだなあ。意外といろいろあっちこっち見てるけど、いいとこってやっぱりみてたら分かると思うんですよね。事前の知識じゃなくて、ちゃんとそこで観て聴いて、その上で自分で「こうなのかな」を見つけるのが好きなんでしょうね。だから予習はしないけど復習はよくするんです。いやーヒューリスティックシティーいいですよね。入りが完全に僕の知ってるジャズなのでめちゃめちゃ安心するしやっぱりkbがいいですよね。kb好きなんだよなあ(結局演奏の話になる)
逆に、みたいな感じだけど、そういう風に僕はしていきたいんだろうなあ。なんかこう、構えないというか。日常の生活と地続きでライブに触れたいし、そこで捉えたものをまた日常に持ち帰ってあれこれしてると、生活の側がちょっと色を増すじゃないですか。一瞬の特別な時間ももちろん大事なんだけど、なんかこう、そこで宿題として持ち帰ることのできる「わかんないもの」を新発見したいんでしょうね、僕は。
なんかとりとめもないけど、微妙に起きてきた気もするので(コーヒーはこぼしたが)おしまい。お風呂入って午後はおでかけです。
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