#どうとんぼり神座新宿店
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shntr · 2 years ago
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#小チャーシュー煮玉子ラーメン #どうとんぼり神座 #どうとんぼり神座新宿店 #ラーメン #noodles #麺スタグラム #ramen #新宿 #shinjuku (どうとんぼり神座���舞伎町店) https://www.instagram.com/p/Cl52_9sSLei/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ojisdontcry · 1 year ago
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ラーメン店でのトッピング直飲みは何で?オジ(おじさん)は思う、今のマナーは崩壊していると。店側もすぐに注意してくれ。
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kinemekoudon · 19 days ago
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はじめて大麻を吸ったときのレポ
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―――小学校からの幼馴染である“しのはる a.k.a. BUDDHA ON SHROOM”(以下“しのはる”)が、当時留学していたカリフォルニアから日本にいる僕に電話をかけてきては、大麻の使用の煽り・唆しをしてきていた。 
彼の話を聞いているうちに、僕は大麻を吸ってみたくて仕方がなくなっていたので、大麻の使用を目的として、しのはるが住んでいるカリフォルニアの家に居候しに行くことにした。 
そうして日本を離れ、しのはるの家に到着するなり、しのはるは「初めての人は吸い方が悪いのか、効いてるかわからないって人が多いから、肺に死ぬほど煙を溜め込むイメージで吸って、少し息を止めてから吐くといいよ」などと僕に忠告をすると、「景気づけにいっちゃってください」とか言いながら、早速ジョイントを渡してきた。 
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僕は少し不安を抱えながらも、不慣れな手つきでジョイントの先に火をつけ、忠告通りに大量の煙を肺に溜め込んでみたのだが、急に肺に苦しさを覚えたために、息を止める間もなく強烈に咳き込んでしまった。 
咳き込みすぎてもはや吐きそう��なりながら過呼吸的な浅い呼吸を繰り返している僕を見ながら、しのはるはニヤニヤと可笑しそうに「うわー吸ったねーこれ絶対ハイになるやつじゃん」などと言いながら、残りのジョイントをゆっくりと吸っていた。 
5分ほど経ってようやく肺が楽になってきた頃、僕は座禅を組みながら、大麻の効果が効いてくるのを神妙に待っていたのだが、さらに15分ほど経過してもとくに変化がなかったので、「全然効いてる感じしないなー」などと言って残念がっていた。
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しかし、気づくとなぜか上半身が右に傾いていたのだ。僕は上半身が倒れそうになったところでハッとして姿勢を直したのが、それでもまた徐々に上半身が右に傾いてしまっていた。僕のその様子を見ていたしのはるは、「時計の秒針みたい」などと何の気なく僕を茶化してきていたのだが、僕はその言葉を受けると、まるで暗示にかかってしまったように、1秒ごとに1秒分の角度で小刻みに上半身が右に傾いていってしまった。 
僕は秒針になるのをやめるために立ち上がってみたのだが、今度は沼地に立っているかのように足がカーペットに沈んでいく感じがしてきた。その感覚はとても愉快で、僕は幼児のようにはしゃぎながら左右交互に足踏みをしていたのだが、次第に足踏みをするのを止められなくなってしまい、しかもその途中で、“ただのカーペットの上で成人男性が足踏みをしてはしゃいでいる”という状況の可笑しさに気づいてしまったので、止められない足踏みをしながら腹を抱えて笑っていた。 
すると、壊れたおもちゃのようになってしまった僕を見ていたしのはるも、まるで伝染したかのように笑い転げ出したので、���れにつられて僕もさらに笑いが��まらなくなった。何が面白くて笑っているのか、もはや途中で忘れてしまっていたのだが、なにが面白くて笑っているのか分からないのに笑っていることがもはや可笑しくて、ヒステリックに笑い狂っていた。 
そうして大麻のハイの愉快さを知ると、僕は毎日のように大麻を喫煙したくなり、2週間ほど滞在していたカリフォルニアでは、ほぼ毎日大麻を喫煙する生活を送っていた。 
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―――しかし帰国してから2年間ほどは、大麻とは無縁の生活を送っていた。旅行に行った時などには大麻を吸いたくなることもあったが、わざわざ日本でリスクを犯してまで吸おうとは思わなかったし、当時は周囲の交友関係の中に大麻を嗜む人がいなかったのもあって、大麻のない生活に特に支障を感じていなかった。 
そんな中、しのはるが日本に帰ってきた。しのはるは、「間違えてポッケにTHCグミを入れたまま飛行機に乗ってたみたいで、図らずも密輸入しちゃった」などというメッセージと共に、トリッピーなデザインをしているグミの写真を送ってきて、その数時間後には、「もう食べちゃったんだけど、日本でハイになるの色んな意味でおもしろいわ」などと羨ましくなることを言ってきた。 
しのはるのせいで大麻を吸いたくてうずうずしていると、数日後にしのはるから電話がかかってきて、「あのグミはもう食べちゃったんだけど、weed調達できたから、今日一緒に吸わない?」などと誘ってくれたのだが、僕はそのありがたさはさておいて、ツテがなくても日本で大麻を入手できることと、彼がひとりでに行動に移していたことに仰天した。 
当時はまだ珍しかったのだが、Twitterで「都内 大麻 手押し」などと検索をして出てきたプッシャーとDMでコンタクトを取って、新宿駅の構内で落ち合って引いてきたらしい。 
僕は意図的に法の外に出る経験は実質初めてだったので、少し不安に思ってもいたのだが、再び大麻の感覚を味わえることを想うと、多少のリスクを冒してでも大麻を吸いたいと思ったし、日本で吸ったらどういう感覚や気持ちになるか興味があったので、ありがたくいただくことにした。 
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そうして、僕は少し緊張しながらも集合先の公園で待っていると、しのはるはニヤついた顔でやってきて、早速ポケットからパケに入った大麻を取り出しては、「こちらが乾燥大麻らしき植物片です」などと言いながら、なんの悪びれもなく大麻を僕に見せつけてきた。 
日本で大麻を見ること自体もそうだが、しのはるが違法行為である“大麻所持”をしていることの非日常性というか異常性が可笑しくて、僕はなんだか精神が昂った。 
それから早速、その大麻で作ったジョイントを一緒にまわしたのだが、2年ぶりということもあってか、「本当にこれは大麻なのか?」と勘繰るほどにサイケデリックなトビ方をした。 
あとでその時の僕の様子をしのはるに聞いたら、ついに頭がバグってしまったんじゃないかと不安になったくらいには、様子がおかしかったらしい。 
実際、せっかくだから日本ならではの食事をしようということでくら寿司に行ったのだが、なぜか店内でインド風のBGMが流れていて、僕はその要因だけでインドのくら寿司にいると思っていたし、普段は割と苦手なとろサーモンを口に入れたら、脳細胞の多くが死滅したのではないかと思うほどに、2分くらい「美味い」ということしか考えられなくなっていて、店を後にする頃には、美味すぎたことによって心身ともに疲弊しきっていた。 
アメリカでハイになるのとはちがって、馴染みのある環境でハイになると、“シラフのときとハイのときとでは感覚や情報の捉え方が違う”ということがよりハッキリと分かったし、法律で禁止されている日本でハイになるというのは、背徳感がスパイスされた解放感があった。 
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それから、僕は大学を卒業して東映株式会社に入社し、寮生活の元に社会人として初めての労働を行っていた。ただ、ゆっくりと大麻を嗜む生活とは無縁だったために、(寮でこっそり吸っていたこともあったけど)苦しくなってしまい、あっさりと会社を辞めて、もう少しゆるい会社に転職した。 
時間に余裕を持てるようになると、僕としのはるは頻繁に大麻を吸って遊ぶようになり、僕は一人でも大麻を引きに行くようになった。そうして、しのはるとプッシャーの情報を共有し合ったり、一緒に引きに行ったりする中で、僕らにはお気に入りのプッシャーができた。 
そのプッシャーはLSDなるものも持っていて、LSDのことを「大麻��8倍くらい凄いヤツ」とかいうテキトーな説明をしていたのだが、僕らはそれを聞いて、俄然やってみたくなっていた。 
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つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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kennak · 1 year ago
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、��あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いもの��入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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recipe-cookingclass · 26 days ago
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金目鯛の粕漬けを仕込んでいただくごはん。
我が家は魚料理も多種多様に楽しみます。
もっぱら主人と私が楽しみますが。
年間の行事でもお魚を色々楽しむ。
この時期ですと生ホッケなどもございますし
鮭なども美味しいですよね。
ブリは年間、出回っており食べ方、調理や味付けもさまざま楽しめます。
日本の四季折々を感じつつ
食卓へあげるとほっとする。
料理というものは教養の一つだと
常々祖母の代から教えられております。
私の母方の家系は、食を通して楽しむ文化を持っておりましたし
父も大変、食にうるさい人間でしたので美味しいものを
たくさんいただいてきました。
お肉やお魚一つも豆腐一つも、お漬物だって練り物であっても上手に
市場で買っておりましたのを思い出します。パン屋も今考えてもとても美味しいお店ばかりでした。
お魚ですと太刀魚やタコや鯛やと。豆腐も水に浮かぶプカプカ豆腐を手ですくいあげて
詰めてもらって。その間は新鮮で美味しいと豆乳を飲んで。
そんな食への思い出が私を日常で影響を及ぼしているのでしょう。
お魚の楽しみ方も。
粕漬けにおいても大好きな酒粕を使います。
小さな頃から仕出し弁当に入る『奈良漬、甲南漬け』が大好物でしたし、
粕汁なども大変好きで。酒粕の入ったお饅頭などもありますね。
そうやって小さな頃から好みの味を育てているのだと思います。
味噌にしろ、お出汁にしろそうですね。
玄米は私は、20歳の時においしさを知り、それ以来、��行錯誤し、私自身の主催する
料理教室でも教えて参りました。
健康が美味しい。
これは日々の暮らしの幸せの一つです。
おいしいは暮らしの知恵。
料理は匙加減。
料理研究家 指宿さゆり
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usono-musuko · 2 months ago
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2024年8月31日
「四半世紀前のギャルゲーなんてもう時代劇ですよね。スマホもないし。『ToHeart』は名作にしたいとかは全然考えてなくて、少女漫画の読み切り的なものを制作期間内に詰め込んだ感じです。」
「「あいつらの分のパイを削れば俺たちに廻って来る」じゃなくて「もっと大きいパイを焼こう」であって欲しいし、そんな小さいパイしか焼かれないのは何が悪いんだ? ってことを見通せるようになりたいしなって欲しいのだ」
「宿題が計画通りに進んでいない時、「進捗遅れを報告したら怒られた」ではなく「進捗遅れを報告したら、ちゃんと計画の見直しを一緒にしてもらえて上手く進んだ」という成功体験を積んでおけた方が将来的に有益だと思うんだ」
「昨日五輪の影響で急にランニングシューズ変えた方が良いんじゃないかと思って見に行ってなんと影響されやすい愚かな己であろうかと店員さんにこぼしたら「頑張っている人を見て頑張ろうと思わなくなったらもうおしまいですよ」とただのミーハーが受け止めるにはあまりに重い金言を頂戴した(笑)」
「>誰々は俺の嫁!ってのも聞かなくなったな 推し呼びが一般的になっても好きだけど推してはいないな…ってなってなんか言いにくい面倒くさいオタクになった」
「ラノベの新人賞選考手伝ったときは「応募者はお客様だから審査は厳しくコメントは優しく」で頼まれたな…」
「家族の数が多ければ多いほど生活保護費は増えるので子供が100人いれば400万」
「銀座和光は楽しいぞ 高校生上がったばかりの子どもが親に連れられて七桁くらいする時計選んだりしてるの見て格差社会実感できる」
「どんな男もよく知っていくと「なんか子供みたいな人だな」に印象が収束するし、どんな女もよく知っていくと「意外と面倒だなこいつ」に印象が収束する」
「「こんなに謝ってるのに?」と言ってくる人を許すとマジでろくなことがない。」
「姉や兄の話といいどうしてわざわざ暴露するの…ノンケのサディストなの…」
「新しい家に引っ越した当日の晩に、これから「最寄りのスーパー」になるであろう、初めての店で買った惣菜を、家具のない部屋の床に広げて食べてるときの、あのワクワク感には中毒性がある」
「小説ってミクロな人間関係を切り取ってクローズアップするものだから、マクロな視点で全体から見下ろすとなにいってだこいつってなるのはどの作品においても共通することかもしれない」
「地元の祭りは三日間かけてやるんだけどその日だけは中学生も一升瓶ラッパ飲みとかしても許��れる 警察も見て見ぬ振り 昔は夜になったら茂みでお盛んだったけど今はどうなってるんだろうか」
「「人と人は基本的に理解し合えない」という前提の元でたまに理解し合える人と出会えるとラッキーという価値観で生活しているんだけど、「人と人は基本的に理解し合える」という前提の人と出会うとOSが違いすぎてバグった挙動を示してしまう。」
「アラン・ドロンさんの訃報に接し、「ハンサム」「二枚目」「美男子」という言葉がほぼ滅びたことにも想いを馳せる。 「イケメン」は違うんだよ。」
「強いオスが自分にだけ優しいとメスは好きになってしまうのだ」
「限りなく実在の友人をトレースしたキャラを出したら「人間味がない」と言われたことがあるので、思いの外世の中にはアンドロイドが潜伏しているっぽい。」
「オリエント工業。SONYのアイボの時みたく、ドールに対して本当の家族のような愛情を抱いているユーザーがメーカー消滅後にどうやってメンテナンスや修理をするのかちょっと気になる(なんとなく某ゲームのメイドロボなどを重ね合わせながら)」
「うまくいかなかった昨日の経験よ、血肉になれ、もしくはなかったことになれ。」
「最近、マ・ドンソクさんなどが出演されている韓国のヤクザ映画などが好きになってしまい、いろいろ観ているんだけど、おおむねお話の筋なんかは同じで、マ・ドンソクさんが拳で何もかも解決してしまうわけだが、飽きさせることもなく楽しくて、言ってみれば「殴る寅さん」みたいな安定感がありますね。」
「そいつを主役にしても物語が作れる悪役がベスト、みたいなことが創作指南本に書いてあったな」
「いつの間にか消え失せた夏祭りのざわめき。 虫の音だけが静かに響く、月明かりの境内。
幼馴染と恐る恐る、手さぐりのように初めての愛を交わした――
ことのあるエロゲ主人公は全員、礼拝所不敬罪に問われるということをたったいま知りましたですなう!」
「「人生で一度も滑ったことのない一発ギャグ"おしっこを限界まで我慢したHONDAアシモ"」を実際にこの目で見たい」
「いろんな事例をウォッチしてきた経験で考えると、プロジェクトが破綻する理由のほとんどが「決して合理的な判断とは言えないが、精神的な余裕がなくなって嫌気がさしたので他人の意見を聞きたくない」というモチベーション枯渇やパニック状態が原因になってた。(これは投資に失敗する人も同じ。ビビる
どんな過酷な状況でも平気な顔をして淡々と合理的な判断と最適解をするのが「強い」んだけど、人間味のある人はビビってしまうのでなんでそんなことをするんだ?!という破滅的な行動をやり出してしまい破綻していた(急に打ち合わせの場に来なくなるとか、全部を御破算にするとか)」
「仕事や芸術に高いレベルで打ち込んでいる人が「家族いらない」っていうのは感覚として全然理解できるのだよね。だけど、元ツイのような「学生時代や若手社会人時代の楽しみ」みたいなものでずっと幸せを感じ続けられるのは本当に才能。
これ自体は批判したり腹を立てるようなことはなくて、こうやって自分への投資や娯楽だけで生きていけるのは天賦の才のようなもので、通常凡人は「自分のためだけに生きていく」ということにはどこかで限界ができてしまい、家族の存在はその救いだったりもする」
「そういや以前「被虐願望のある未亡人とずっとその女に惚れてた加虐趣味の男」のロマンス小説読んだんだけど、両思いになるのは一瞬だったのに、エロに入る前に今後のプレイ内容確認・ルールの取り決め等合意形成のための理性的な話し合いが全体の40%超延々と続き「役所かお前は」と放り投げたことある」
「これは本当にそうで、人生学校も仕事も「俺はダメだ」と思わせられることの繰り返しで、その中で「能力を伸ばす方法はないか考えて実行する」「今の自分のできることを探してやりきる」「他の場所に可能性がないか探す」という選択肢を続けることが大切なんだなと思います。」
「イース1のTHE MORNING GROW、一旦闘いに決着はつくけれど、(ゆっくりパンナップしていくあのグラフィックと共に)次へと想いを馳せる感じが凄く好きなのです。メガゾーン23の負けて立ち上がるラストの「淋しくて眠れない」が一番好きなのと同じような感じというか。伝わるかしら…。」
「人間は自分のために犠牲になってくれる存在を「泣き」で消費する文化がある」
「ネガティブ極めてる人って、自販機の飲み物程度の額でも固辞するクセに、一緒に遊びに行った後に「楽しくなかったですよね?スミマセン」みたいに、こっちが相手を楽しませるために準備してた気持ちとかは平気でゴミ箱にダンクシュートかますんだよ。 そういうところが付き合っててしんどくなる。」
「高校の山月記の授業のとき、クラスの他の人が「李徴はプライドとか捨てて人と関わるべきだったんじゃないかと」みたいな穏当な感想を発表したら、国語の先生が「しかしプライドがない人はほんとうにクズになりやすいんですよ」と言って教室の空気が冷えたの良かったな」
「魂を削れば自動的にいい絵が描けるのならば、実はそんなに楽なことはなくて、芸術は単なる努力賞ではないからこそおそろしい。」
「「曲の作られ方」の話としての当方の説。かつてビデオゲームにおいて曲の作者というのは、同時に「内蔵音源の奏者」でもあった…それが「録音した曲を再生する」という形になった時点で喪われた。当方はこれを「ゲームミュージックは1995年くらいで一度死んだ」と以前から唱えている」
以上。
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hegotthesun · 3 months ago
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縄文時代
縄文時代の始期に関しては1万6000±850年前と考えられます。
終期は弥生文化の登場を契機としますが、地域差があり、紀元前数世紀~紀元前10世紀頃まで多くの議論があります。
東北の北部から北海道では、弥生文化が伝来した後も、縄文時代の生活様式が継承されました。それを続縄文時代と呼びます。
縄文人は体に刺青を掘る風習がありました。その刺青によって、どこの集落の出身か区別していたようです。
また、集落ごとにアクセサリーの流行もあり、身に着けている装飾品によっても部族の見分けがなされたようです。
縄文時代からファッションの流行があったとは驚きを隠しきれません。
◆竪穴住居の作り方|富山市公式ウェブサイト
◆竪穴式住居模型を作っている木材|文化財課
このように縄文人は地べたに座ります。
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赤坂駅周辺の飲食店が立ち並ぶ雰囲気は、神戸三宮の生田新道と少し似通っております。これで北に山が見えれば神戸市内。
東京の都市開発は、まず山を平らに切り崩して整地し、その土砂で海を埋め立てて面積を増やしてから、地面をアスファルトで固めました。
一方の長崎や神戸などの西日本は、海から山までの平地の範囲が狭く、坂道をそのままアスファルトで固めたため、坂と階段の多い高齢者にとって住みにくい環境になってしまいました。
ヨーロッパの街並みはラウンドアバウト(環状交差点)を中心に、円形状に建物が整列され、一方のアメリカは地図を見て四角形に区分けしてビルディングが整列されました。
東京は江戸からの道幅や建物の向きに影響を受けて、建築物は大雑把な方向に並びます。また車道は幅が狭く少ないので、慢性的に交通渋滞が発生します。ここまで車が普及するとは、当時は誰も想像できなかったのでしょう。
新宿アルタ前の液晶画面は、ニューヨーク州のタイムズスクエアを参考に作られました。
神田川の流域は、井の頭公園まで縄文遺跡が多く残っています。井の頭の奥はもともと湧き水があり、そこを中心に縄文人の集落がありました。
実は東京の適当にも見える建物の配置は、この縄文遺跡や集落の痕跡が影響を及ぼしています。
いわば縄文時代から時を超えて構築された世界最大級の「縄文式都市」が東京の街並みと呼べるでしょう。
東京には八幡神社(神功皇后と応神天皇を祀る神社)が多いのですが、これは縄文時代からあった信仰の拠り所を経て、弥生時代につくられた社の名残りとされます。都市開発でも神社や寺院は簡単に移動できないので今も残り続けたのです。
明治時代に��きた慶応や早稲田、青山などの大学は、未開発の土地を利用して建設されました。その中で東京大学の敷地内にて弥生式土器が初めて発掘されました。
このように東京は、縄文遺跡や弥生遺跡を多く残す由緒ある土地でもあります。
◆ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。1 ◆ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。2
ジャズに並び縄文時代はタモリさんの方が詳しいのでバトンタッチ。
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◆山手線の路線図は太極図|都市伝説
日本人のルーツ|DNAと言語
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現代の日本語は、縄文人の言語が土台とされます。
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日本語の単語は「キ(木)」「テ(手)」「イネ(稲)」など、母音と子音の組み合わせがシンプルで一つの単語が短いのが特徴です。
これは南方系・ポリネシア語に語感が近いとされます。
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ポリネシア人の先祖は、東南アジアのインドネシア諸島に住んでいました。インドネシア諸島は氷河期の頃までまとまった巨大な半島でした。ところが氷河期の終わりに、インドネシアは標高の高い所以外は水没しました。
人々はフィリピンや台湾、グアムやポリネシア諸島、日本列島など各地に散らばりました。
▼インドネシア・ジャワ島の馬形土器(1970年)
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▼馬形埴輪(古墳時代)
一方で日本語の文法は北方系だとされます。同じ文法の言語に「モンゴル語」「トルコ語」「韓国語」「満州語」などがあります。また近年の言語研究で、古代メソポタミア文明の「シュメール語」とも同じ文法だと判明しました。
つまり日本語は「単語は南方系、文法は北方系」という他の東アジアと比較して特異な言語体系と言えるでしょう。
縄文人と渡来人の混血比率|東アジア人の分岐と混血の歴史
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サムネイルは日本人と同じY染色体を持つアンダマン諸島オンゲ族の島民。日本人のDNAに含まれるY染色体(ハプログループD)は、縄文人に由来します。
縄文人と同じY染色体を持っているのは、日本列島全土に住む大和民族、北海道のアイヌ民族、沖縄の琉球民族、海外はチベット民族、アンダマン諸島の民族だけとのことです。
▼ハプログループの変遷
A アフリカ南部 B アフリカ南部~中部 C 西アジア、東南アジア、ユーラシア大陸から北米 [D] 日本列島、アフリカ北東部、西アジア、東南アジア E アフリカ、中東、南ヨーロッパ G ヨーロッパ、中東、北アフリカ H インド I ヨーロッパ・北欧 J 北アフリカ~アラビア半島、南ヨーロッパ L 中東、インド、地中海 N 北アジア、ヨーロッパ北東部・ロシア O 中国、東アジア~東南アジア P フィリピン、東南アジア Q 西南アジア、南北アメリカ先住民 R ヨーロッパ、中央アジア、インド
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縄文人と同じY染色体が日本やチベットにしか残らなかった理由は、高山に囲まれたチベット高原や、海に囲まれた日本列島は、他の部族の侵略を受けにくく民族交代が起こらなかったからだと指摘されています。
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↑Y染色体の分布図
国内で縄文人の遺伝子が最も多く残っているのは、北海道のアイヌ民族、次いで沖縄→東京→青森と並んでいることが分かります。
GoogleMapで紐解く古代日本人の起源|小名木善行
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▽内容の箇条書き ・日本人(縄文人)は海洋民族だった ・日本人の遺伝子の54%はフィリピン・マレーシア系
▽2万年前の海面は今より140m高い ・北海道と樺太~ロシア、九州と朝鮮半島、九州から沖縄にかけて陸続きだった ・東シナ海一帯は東東亜平野という広大な平原だった ・宝の原=高天原
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・琉球は「りゅうぐう」が由来 ・鎌倉時代中期に琉球王国が建国(古墳~飛鳥時代からすでに大和から沖縄に移住する倭人も居た) ・薩摩藩(鹿児島)の大隅国に国司がないのは、神武天皇の出生地=聖地だから。政策として聖地を治める国司はいないとされた。
動画を観た感じだと小名木氏は「高天原=沖縄説」支持派でしょうか。
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DNA解析の結果は、韓国と沖縄の中間が現代の本土日本人。「高天原=大陸説」も「高天原=沖縄説」も理に適っていると慮る次第です。
日本美術史①縄文土器
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▲縄文時代前期・中期・後期における縄文土器の変遷
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古代メソポタミア文明
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人類最古の文明とされる古代メソポタミア文明は紀元前4,000年頃に誕生しました。重要都市はイラク南部の都市ウルク。
暦は太陰太陽暦が使用され、紀元前3,000年紀に太陰太陽暦では1年が約11日短くなることが判明し、調整のために閏月が採用されました。六十進法は、メソポタミアで生まれ、現在も時間の単位に用いられます。
一週間を七日間としたのはシュメール時代からで、暦とともに占星術(後の天文学)も発達し、「カルデア人の智恵」と呼ばれました。
紀元前8,000年紀から西アジア一帯で簿記のための印として使われたトークンと呼ばれる道具が印章に変化し、さらに手で書いて絵文字化することで、紀元前3,200年頃にウルク市において最古の文字とされるウルク古拙文字が誕生しました。
このウルク古拙文字は、黄河文明の漢字や古代エジプトの壁画文字と���じく象形文字ですが、紀元前2,500年頃にこれを発展させた楔形文字が誕生。周辺諸民族も楔形文字を表音文字として借用し、紀元後1世紀頃まで西アジア諸国の言語を表すのに利用されました。
初期メソポタミアでは、南部のシュメール人たちは言語系統不明のシュメール語を使用し、北部のアッカド人はセム語族のアッカド語を使用していました。
『メソポタミア神話』
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ギルガメッシュは、古代メソポタミア文明シュメール初期王朝時代(紀元前2,600年頃)の王。多くの物語から構成される『メソポタミア神話』の中でも、とりわけ有名な英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』の主人公として描かれました。
「全てのものを国の果てまで見通した」「全てを味わい全てを知った」「知恵を極めた」「深淵を覗き見た人」といった表現が文中でなされています。ウルク第一王朝の王ルガルバンダを父に、女神リマト・ニンスンを母に持ち、シュメールの最高神アヌ、主神エンリル、水と知恵の神エア(エンキ)から知恵を授かりました。その体は3分の2が神、3分の1が人間の半神半人。ギルガメッシュ王の時代より、神代から人間が主権を握る時代へ移り変わったとされます。
ギルガメッシュ王にとっての唯一無二の親友がエルキドゥです。ギルガメッシュ王が若かりし頃は、暴君として民を悩ませていました。そうして救いを求める民の声に応え、神が王を戒めるために遣わせたのがエルキドゥでした。
人の子に神の力を注がれたギルガメッシュと違い、エルキドゥは創造の女神アルルが粘土から生み出した存在。エルキドゥという名は、知恵の神エンキに由来しています。当初のエルキドゥは造られた命であり、人間らしい感情を持ち合わせていませんでした。生まれたばかりのエルキドゥは、人の感情や知性を持たない野獣的な性質で、姿形も全身に毛の生えた動物のようなものだったようです。
始めの頃は荒野や森で動物たちと共に寝起きする獣のような生活を送りながら、そこで動物たちを狩人から守っていたために、エルキドゥの噂はやがてギルガメッシュ王にまで届き、彼の存在に関心を寄せるようになりました。そこで王がエルキドゥのもとに向かわせたのが神聖娼婦のシャムハトという女性でした。
古代においては、人間の理性を妨げる欲求を解消する娼婦の役割は重要視され、神職としての娼婦という職もありました。彼女もまたその一人でした。
シャムハトはエルキドゥと共に過ごし、彼を慰めるのと同時に人間として必要な知識や振舞い方を教えました。二人が7日7���を共に過ごした頃には、エルキドゥは見違えるほどに人間らしさを備えるようになりました。彼の外見は中性的な容姿ですが、これは恩人であるシャムハトの姿。粘土から生み出された性質から持つ変容の力で、彼女に似せた姿を取っているとされています。シャムハトはエルキドゥと過ごす中で、ギルガメッシュ王のことを彼に教え、エルキドゥも王に興味を惹かれていきます。
相手を強く勇敢な戦士と聞き及んでいた二人は、出会う前から互いに良き仲間になれるだろうという予感を抱き、出会いを心待ちにします。そしてエルキドゥの教育が終わる頃に、ギルガメッシュ王は彼を迎えるための宴を開くことにしました。シャムハトに導かれてエルキドゥは、初めてギルガメッシュの治める都市国家ウルクの地を踏み、王との出会いを果たします。
しかし、実際対面した王の第一印象は最悪のものでした。その暴君ぶりまでは聞かされていなかったエルキドゥは、自由気ままに権力をふるうギルガメッシュの姿に憤慨するあまり、その場で戦いとなってしまいます。神の祝福を受けた王ギルガメッシュと、神の力を注がれて造られたエルキドゥ。人外の力を持つ二人による凄まじい戦いが繰り広げられましたが、両者の力は拮抗しており、結局決着はつきませんでした。
誰も自分に敵うものはいないと思っていたギルガメッシュは、初めて自分と対等に渡り合えるエルキドゥを立派な戦士と讃え、エルキドゥもまた王の強さを認めました。全力をかけた戦いの末、二人の間には互いを認め合う深い友情が生まれたのです。
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■『Fate/Grand Order』ギルガメッシュ&エルキドゥ
女神イシュタル
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『メソポタミア神話』に登場する女神イシュタルは、太陽神シャマシュの妹で、愛と美の女神とされます。
世界の秩序を定める神エアは、それぞれの神に役割を与えましたが、イシュタルには何も与えませんでした。イシュタルは泣いてエアに懇願し、「女性としての美しさ」「滅亡させなくてもいいものを滅亡させる力」「創造しなくていいものを創造する力」を与えられました。これらの神性によりイシュタルは気まぐれで移り気のはげしい自由奔放な性格になりました。
イシュタルは欲しいものを手に入れるために手段を選ばず、馬を長距離走らせ泥水を飲ませたり、子供を生贄にする残忍な資質もありました。また、性愛の神でもあるイシュタルは、夫がいながら120人の愛人がおり、途切れることなく交代に愛人たちと性交渉を繰り広げることもありました。さらに自身と関係を断った男には酷い仕打ちを繰り返しました。
イシュタルはギルガメッシュにも惚れて求愛します。そうして多くの贈呈品を送りましたが、イシュタルと関係を持った男たちが悲運な最期を迎えると知っていたギルガメッシュはその誘いを断りました。それが原因になり、イシュタルはギルガメッシュに対して復讐を決行した話もあります。
冥府の女神エレシュキガル
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エレシュキガルは冥界の女神。前述のイシュタルの姉。
ある日、妹のイシュタルは思いつきでおめかしをして冥界に向かいましたが、事前に姉のエレシュキガルは冥界の前に七つの門を用意していました。イシュタルは通行の許可を得るために服を脱ぐ必要があると聞き、少しずつ服を脱ぎ捨てながら進み、七つの門を通過した頃には全裸になりました。
もともとイシュタルは、姉のエレシュキガルと非常に仲が悪く、そのまま怒りを買い一時的に冥界に幽閉されたエピソ��ドがあります。
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ちなみにイシュタルに力を与えた神エア(エンキ)は『メソポタミア神話』に伝わる水・知恵・生命・魔術などを司る神。また、『バビロニア神話』では都市エリドゥの守護神。
1964年にイタリアの考古学者チームが紀元前3千年紀の都市エブラの一連の発掘調査を行い、大量の文書資料を発掘。さらにフランスの歴史学者により、エブラ人が『カナン神話』の主神エールの名を「イア(Ia)」に置き換えて呼ぶ傾向が発見されました。
語尾の「イア("Ia")」は「エア("Ea")」=アッカド語のエンキを西セム語的に発音したもの。セム語族の衰退とともに神イアフ("Iahu")も消えましたが、これは後に『旧約聖書』の唯一神「ヤハウェ」となった可能性が指摘されました。
ゴッドとアッラー
アラビア語の「アッラー」とは、英語の「ゴッド」に該当し、どちらも《ユダヤ教》『旧約聖書』の唯一神ヤハウェのことを指します。つまり《イスラム教》と《キリスト教》の信仰する神は同一なのです。
ではなぜ《イスラム教》と《キリスト教》が対立したのかというと、『旧約聖書』に記された「いつの日か人類を導くために現れる救世主・預言者」が《キリスト教》の教祖イエス・キリストか、はたまたキリスト没600年後に現れた《イスラム教》の教祖ムハンマドかで意見���わかれることに起因します。
イスラエルにある都市エルサレムは、上記の唯一神を信仰する《ユダヤ教》《キリスト教》《イスラム教》の聖地です。過去にこの聖地エルサレムを巡り、3つの宗派による戦が何度も繰り広げられました。
『新約聖書』におけるルシファーとは、「明けの明星」を指すラテン語であり、「光を掲げる者」という意味をもつ悪魔・堕天使の名。
《キリスト教》特に西方教会カトリック教やプロテスタントにおいて堕天使の長"サタン"の別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称。人類の祖先アダムとイヴを、蛇の姿をかりて騙した張本人でもあり、人間を創造したともされます。
サタンの由来はヘブライ語の「satan」で、これは「敵対者」「反対」を意味し、アラビア圏では「シャイターン(悪魔)」と呼ばれています。
西洋でサタンは高位の悪魔の名称とされることもありますが、元々ルシファーは最高位の天使で、神に次ぐ二番目の存在だったとされます。神から最も愛された天使であり、唯一神の玉座の左側にいることが許されていました。しかし、ルシファーは神の座を欲し、自身のカリスマ性を利用して、賛同する天使達を集めてクーデター(謀叛)を企てます。そうしてルシファーの率いる反乱軍と、神の率いる大天使ミカエル軍との戦いが始まりました。
長期戦が続きましたが最終的にルシファーが敗北し、ルシファーと天使の三分の一は天から地獄に落とされ、ルシファーは悪魔の王「魔王サタン」になったとされます。
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▲ルシファーを成敗する天使ミカエル
ミカエルは《ユダヤ教》《キリスト教》《イスラム教》の天使。『 旧約聖書』ではイスラエルの守護天使とされ、『新約聖書:ヨハネの黙示録』ではルシファーとの闘いを指揮する高位の天使。
《キリスト教グノーシス主義》では「世界の創造神は悪」と断じるので、それに歯向い人類に知恵を与えたサタンは救世主として扱われます。知恵の実がもたらす「知恵」とは「善悪の知恵」であるとされます。「何が正義で、何が悪かを自分で定める能力」と考えられます。
ルシファーは『旧約聖書』にも��場する単語ですが、この時点では悪魔ではありません。上述の通り「光をもたらす者」の意で、聖書の「明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」の「明けの明星」にあたる言葉です。
この節はバビロニア王国(現イラク周辺)の王が倒れたことの比喩です。《キリスト教》と《ユダヤ教》にとってバビロニアは聖地エルサレムの神殿を破壊し、大量のユダヤ人を強制移住させた怨敵なので、自然と「ルシファー=バビロニア王=神に背く悪魔」という解釈がなされました。
ちなみにイラクはアラビア語を公用語とするスンニ派アラブ人の住むイスラム教の国で、隣接するイランは白人の祖先シーア派のペルシャ人も住む中近東の国です。「アラビア語を公用語とするイスラム教徒の国」がアラブの定義なので、公用語がペルシア語のイランや、ヘブライ語のイスラエルは、精確にはアラブではなく中近東に区分されます。
《キリスト教》では、「神の真名(ヤハウェ)は口にするだけでも失礼にあたる」とされており、それゆえにゴッド(ゲルマン語のGott〈神〉に由来)と呼ばれます。
一方の神道では「神の名を口にするのは、言霊的に考えても良いことなので、積極的に心で念じたり声に発すべき」とされます。
古代日本と一神教では、プライバシーやデリカシー、及びハラスメントの考え方に大きな相違があるのでしょう。
『旧約聖書』
「降って止まない蛙」とは、『旧約聖書』出エジプト記8章2節モーゼの十災。奴隷としてイスラエル発祥のユダヤ人を迫害したエジプト王に、天罰として天からカエルを含めた十の災難を神が降らせたエピソード。カエルは罪と贖いの象徴でもあります。
まず始めにギリシア語で書かれたキリスト教『新約聖書』の前身となるユダヤ教『旧約聖書』はヘブライ語で書かれました。ユダヤ教徒は園児ほどの年齢から聖書で読み書きを覚えていたのだとか。
一方の日本は、江戸時代まで人口の5%だけしかいなかった公家・武家などの神道の上層部や商人しか読み書きを教わる機会が少なかったようです。
《隠れキリシタン》
隠れキリシタンとは、長崎において19世紀に禁教令が撤廃された後も、本来のカトリック教に復帰せず、独特の信仰形態を継承した人々のことです。
学術的には禁教期に仏教徒に見せかけ、ひそかにキリスト教を信仰した人々を潜伏キリシタンと呼び、明治時代に禁教が解けた後も信仰を続けた人々が隠れキリシタンとされます。
本来とは異なり、習俗にも影響された独自の信仰文化を形成し、その信仰は仏教や神道と同居していたようです。
長崎市の市章は、陰陽師の安部晴明や《ユダヤ教》のシンボルとして馴染み深い五芒星です。これは長崎が江戸時代から貿易を開始した5つの港の内のひとつであること���表しています。
平安時代の最先端科学だった《陰陽道》における五芒星は、陰陽師・安部晴明の紋。《陰陽道》の思想として、森羅万象は「陰」と「陽」の二気から生じ、木・火・土・金・水の五行から成り立つとされました。
「陰陽五行」は風水や東洋医学をはじめ、漢方・お灸・針・按摩や指圧などの手技療法・薬草茶などで病気を改善させる自然治癒を目的とした養成法にも用いられます。
陰陽師は、その陰陽と五行の変化を観察し、災厄を予期して人間界の吉凶を占い、地相風水を判断し、天体観測・占星・暦の作成をおこなう人々であり、律令制における中務省陰陽寮の官職でした。
陰陽説
この世の万物を陰と陽でとらえる陰陽説では、「太陽/月」「男/女」「奇数/偶数」「心/体」など対になるものが共存するとされます。そうしてこの陰陽のバランスを保つことが大事だと説かれています。
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▲太極図
陰と陽に優劣や善悪はありませんが、バランスが片方に偏るのは良くないとされます。
▽陰の気が強まりすぎると ・動きや発言が鈍り、心身ともに冷えて停滞 ・優柔不断になり自分で物事を決められない ・依存体質になる ・消極的で言いたいことを言えない ・泣き上戸で落ち込みやすい ・心配症で会話や行動のスピードが遅い ・冷え性、低血圧、貧血気味、寝起きが悪い
▽陽の気が強まりすぎると ・頭に血がのぼり、イライラしがち ・頑固で自己中心的になる ・協調性がなく、和を乱しがち ・イライラしやすく暴力的 ・快楽��追求 ・口数が多く、早口になる ・心拍数が高い、高血圧、のぼせやすい
《儒教》では「中庸」のバランスが理想とされます。中庸は陰にも陽にも偏らない状態とされ、孔子の著書『論語』の中に「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と書かれています。「考えが一つの立場に偏らず、過不足もなく、適当なバランスで行動できることは、最高の人徳である」という意味です。
『日本神話』では、女神アマテラスは太陽神(陽)で、その弟のツクヨミは夜を統べる月神(陰)ですが、本来の陰陽思想に基づくと「太陽=陽=男」「月=陰=女」になります。
これでは陰陽的に性別が反転していることになるので「実は天照大神は男神ではないのか」という説もありますが、太古は女性優位社会だった日本では最高神が女神でもふしぎではないのでしょう。
ヨーロッパの神話では、最高神は男神・父神になりますが、『日本神話』では「父神の娘(アマテラス)」や「父神の娘の旦那(オオクニヌシ)」になります。
これを解りやすいように『サザエさん』で例えると、父の"波平"ではなく、娘の"サザエさん"か、その旦那の"マスオさん"が世帯主になることを意味します。
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《カードキャプターさくら》に登場する"李小狼"(リ・シャオラン)の式服や、使用する羅針盤にも太極図が描かれています。
作中の重要人物クロウ・リードのモデルとなったのは、実在するイギリス人の近代魔術師兼占い師のアレイスター・クロウリーです。
彼は『稀代の魔術師』とも呼ばれ、父親はイギリス人、母親は中国人で、その影響により西洋魔術と東洋魔術の融合がなされました。
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後継者の"木之本桜"が使用する魔術の魔封陣に、英語と漢字が混在するのはそのためです。
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『北欧神話』
『北欧神話』主な登場神とアイテム ・オーディン - 主神、創造神の一柱で隻眼 ・グングニル - 主神オーディンの持つ槍 ・ヴァルキュリャ - 主神オーディンに仕える戦乙女 ・フレイ - 豊穣の神、数多い豊穣神の中で最も重要 ・ロキ - 奸計・悪意の神、オーディンの義兄弟 ・フェンリル - ロキの息子の巨大な狼
『北欧神話』の世界は、9つの世界が「世界樹ユグドラシル」により繋がる構造です。さらに3つの魔法の泉「ミーミルの泉」「ウルズの泉」「フヴェルゲルミル」に根を張りそこから水を汲み上げています。その一番下では「嘲笑する虐殺者」の黒竜ニーズヘッグがユグドラシルの3番目の根を齧っています。
▼第1層 ⑴ アース神族の世界「アースガルド」 ⑵ ヴァン神族の世界「ヴァナヘイム」 ⑶ エルフの世界「アルフヘイム」
▼第2層 ⑴ ドワーフや小人の世界「ニダヴェリール」 ⑵ 黒エルフの世界「スヴァルトアルフヘイム」 ⑶ 人間たちの世界「ミッドガルド」 ⑷ 巨人の世界「ヨトゥンヘイム」
▼第3層 ⑴ 炎の巨人スルトの住む灼熱の世界「ムスペルヘイム」 ⑵ 氷の巨人たちの世界「ニヴルヘイム(ヘルヘイム)」
『北欧神話』では、世界の終末が巫女の予言という形で書き記されています。フィンブルの冬と呼ばれる厳しい冬が訪れ、夏がなくなり3度の冬季が続き、人心は荒廃して各地で戦乱が頻発します。さらに光の神バルドルの死を契機に、神族と巨人族の間で最終戦争ラグナロクが勃発します。
ドイツや英国にあった『ゲルマン神話』の多くは、民話などに残滓を残すだけで文書化されることなく消滅しました。しかし北欧ではキリスト教化を受けながらも、9~12世紀に口承の詩という形で神話が保存されました。これが13世紀に詩集『サガ集』として書き起こされ、『北欧神話』の基礎となったのです。
『北欧神話』に登場するユグドラシルとは、世界を体現する世界樹のことです。アースガルズ、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヘルヘイムなどの「九つの世界」を内包する存在とされます。ロマン派歌劇の頂点ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』の冒頭では、運命の女神ノルンがワルキューレの岩の上で「一人の神が泉にやって来て、永遠の叡智を得た代償に片方の目を差し出しました。世界樹トネリコの木から枝を一本折り、その枝から槍の柄を作りました――」と歌います。
曜日のTuesdayは戦いの神テュールの日。Wednesdayは主神オーディンの日。Thursdayは雷(thunder)神トールの日。Fridayは愛と豊穣の女神フレイヤ(Freyja)の日。出典は『北欧神話』です。
これらの『北欧神話』は、ノース人の信仰に基づく神話であり『ゲルマン神話』の一種。ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランド、及びフェロー諸島に伝わっていた神話の総称です。しかしながら『フィンランド神話』とは別の系統だとされます。
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▲『ヴァルキリープロファイル(1999年)』~死の先を往く者たち��贈る福音書~
狛犬と狐と獅子とシーサーとスフィンクスと
狛犬の起源はペルシャやインドのライオンを象った像で、古代エジプトやメソポタミアでの神域を守護するライオンの像もその源流とされ、古代オリエント諸国では神や王位の守護神としてライオンを用いる流行があり、その好例がスフィンクス像です。
今も沖縄の民家にはシーサー(獅子)が対で置かれますが、公私混同ながらも民家自体が神社の構造になる発想に驚愕であります。沖縄人は本土人と同じく縄文人の子孫であり、古代エジプト文明や古代マヤ文明と同様に《太陽信仰》などの共通項も多いので、ただの偶然ではないと慮るしだいです。
農耕民族にとって《太陽信仰》は最も原初的な宗教の一つです。
《神道》になぞらえて《琉球神道》とも呼ばれる沖縄の信仰は、本州と共通項が多いことで知られます。
◆最高神 神道:アマテラス(最高神・太陽神・女神) 琉球神道:アマミキヨ(最高神・太陽神・女神)
◆天界の概念 神道:高天原 琉球神道:ニライカナイ
◆神職 神道:巫女、神主 琉球神道:巫女、ノロ、ユタ
ノロやユタは、東北の"イタコ"のような存在。ノロは血筋で任命される公務の巫女で、おもに長女が任命され、結婚も許されません。ユタは霊感が強いと名乗る民間による口寄せの巫女です。
《琉球神道》と《神道》の共通項が多いのは、本州と同じく縄文人の子孫であり、飛鳥時代に沖縄へ渡来した大和民族の支流だからと考えられます。
ハワイのラニカイ〈Lani(天国)-kai(海)〉
ハワイの高級住宅地カイルアに「ラニカイ」という美しいビーチがあります。地名の語源はハワイ語の「天国のような海〈Lani(天国)-Kai(海)〉」です。
このビーチ名は一帯をリゾート開発した米国の業者が「ハワイ語で『天国のように美しい海』と命名したい」と希望したことが発端ですが、ハワイ語の正しい文法では「Kai(海)-lani(天国)」なのに語順を誤り「Lani-kai」になったまま定着したとのことです。
古代エジプト文明
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紀元前3000年の古代エジプトでは、毎年起こるナイル川の氾濫を予測するために天文観測が行われ、太陽暦が作成されました。川の氾濫が収まった後、農地を元通り配分するため測量術、幾何学、天文学が発達しました。
古代エジプトでは元号と同じように「『王の名前』の統治何年」と歴史を記録しました。西暦に置き換えた際は学者によりずれが生じます。
"ファラオ"とは、神権を行使しエジプトを支配した皇帝を指す言葉で「太陽神ラーの子」を意味します。王を神格化するために名前の一部に神の名が含まれます。貴族階級は人口の1%ほどで土地を支配し、残りの99%は平民でした。
貴族の教育制度については、どの文献にも明確な記載はありませんが、数学・医学・建築などの体系的な教育システムが必要な分野が発展していたため、教育体制が整備されていたと考えられています。
文献から古代エジプトの教育内容に関する知識が垣間見れます。授業内容は学校の目的によって異なり、神殿付属校では宗教儀礼、宗教文学、葬祭の経典、経典の注解、神話物語などが授業内容で、一方の政府学校では、算数、幾何学、測量術、簿記、官庁の書類作成などが授業内容だったと推測されています。
古代エジプトの象形文字「ヒエログリフ」から派生した「原カナン文字」は、アラビア文字、ギリシア文字、ヘブライ文字、ラテン文字、キリル文字、ティフナグ文字、モンゴル文字、一説によるとパスパ文字を経由してハングルにいたるまで、世界で使用されるほとんどのアルファベットの起源とされます。
ヒエログリフは句読点がなく読みづらい言語の一つですが、横書き・縦書き・左右どちらからでも書けます。横書きの場合は、人が向いている方向と反対側から読みます。
𓁚𓅇𓆃𓆥𓈷𓍦𓀓𓀞𓀥𓀡𓀒𓃬𓍯 →
たとえば上記の場合は人物が左を向いているので左から右に読みます。
ヒエログリフは19世紀にようやく解読されました。ナポレオンのエジプト遠征で発見されたロゼッタストーンという3つの言語で同じ内容が併記された石碑が、古代エジプト言語の解読作業に劇的な進歩をもたらしたのです。
1日を24時間としたのも古代エジプトという説があり、数学は社会に応用するための実学とされ、課税調査や生産物の貯蔵と配分、現物支給の報酬の計算などに単位分数の計算「エジプト式分数」が多く用いられました。また、幾何学は耕地の測量や建設、天文学など理工学の発展にも寄与しました。
「0の概念」などの実社会と関連が薄い分野は発達せず、0の記号もなく偏りがあったようです。しかし「0の概念」は数学に影響を及ぼすので、実社会と関連性がないとは言い切れないと思います。
古代エジプトでも現代と同じく十進法を用いましたが、古代シュメールの影響により、時間のみ十二進法が利用されたことから24時間制(AM12時間・PM12時間)になりました。
「一日25時間あればいいのに」と言う人がいます。
24時間=1440分を25等分にすると、1時間=57分36秒の一日25時間制が成立します。
1440 ÷ 25 = 57.6
古代エジプトの音楽についての研究は、考古学者と音楽研究者の間に交流がなく未だ研究が進まないものの、銀製のトランペットに似た楽器やフルートのような楽器が出土しています。現代の西洋音楽の基礎となったという見解もあります。音階は掛け算・割り算・分数で割り出せるので、数学が発達していたなら音楽も発達していたと推測できます。
エジプト文明と並ぶ農耕文明のメソポタミア文明が、異民族の侵入を被り支配民族が移り変わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的治安が安定していました。
モンゴル帝国がアフリカまで侵略できなかった理由は、待ち受けていたエジプト軍に惨敗したからです。蒙古軍はそれまでに何度も強襲を繰り返していたので、その戦法が知れ渡っていたことや、騎馬による突撃は平原では通用したものの市街地戦では本領を発揮できなかったこと。また、上述の通り地理的に蒙古軍がエジプトの北東から攻めて来ることが分かっていたために侵略できなかったのでしょう。
インダス川文明
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。 『平家物語』
▽『平家物語』現代語訳 祇園精舎の鐘の音には諸行無常、すなわちこの世の総ての現象は絶えず変化して行くものという響きがある。沙羅双樹の花の色は、どれだけ勢いが盛んな者も必ず衰えるという道理を表す。世に栄え得意になる者も、その繁栄は永久に続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んな猛き者もいつか滅び去り、まるで風に吹かれる塵と同じようである。
千年、続きますように
『君が代』の原文は藤原定家らが編纂《へんさん》した『古今和歌集第7巻(912年以前)』に記載されています。
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
現代語に訳すと「あなたは千代も八千代も長生きしてください。小さな砂利が悠久の年月を経て巌となり、さらにそれに苔が生えるほどまでも」という意味になります。
「わが君」とは、皇帝を指すだけではなく広義の意味も含むとされ、主君、両親、親族、配偶者、友人にも当てはまり、敬愛する人に向けた長寿を祝福する歌とされています。
日本では古来より《仏教》のように人は生まれ変わるものだと信じられていました。肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。つまり「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味として捉えられます。
忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となるという点です。ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力で団結したら、それは大きな「巌」となります。
つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束で生まれる子供らや、新たに親戚となる者たち、その総ての人々が固く協力し合うことの象徴でもあります。
そうして最後に『君が代』は、「苔のむすまで」と締めます。苔は冷えきったり、乾燥したところには生えません。濡れていて、水はけの良いところに生育します。
濡れたものと固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。また、「苔のむす」のむすを漢字で書くと「生す」と書きます。
生すとは子供を養い育てると言う意味合いがあり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり、徐々に広がりを見せるという子孫の繁栄を示しているというのです。
《神道》の中心にあるのは「生む」ことではなく、「育てる」ということ。「苔の生すまで」とは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て繁栄させましょうという意味合いなのです。
すなわち「苔」とは、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって互いに協力し合い、時には笑い涙を流し、長い年月をかけて生育する。
男女の慈しみと協力を意味します。
「きみ」=成長した男女が 「代」=時代を超えて 「千代に八千代に」=千年も万年も、生まれ変わっても 「さざれ石の巌となりて」=結束して協力し合い 「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結び付こう
以上のように『君が代』とは、人類の持ち得る愛情を高らかに謳い上げた「祝辞の歌」だと慮る次第であります。
釈迦
紀元前5世紀前後の北インドで釈迦(シャカ)族の王子として生まれた“釈迦”(後の仏陀)は、子供の頃に城下町で老い・病み・死にゆく者たちを見てこの世の無常を覚ったのだとか。
それ以来、思い悩み塞ぎ込むようになってしまった釈迦の将来を案じた国王は、釈迦が16歳になる頃に隣国の姫と結婚させた。
そうしてしばらくの間は平穏を取り戻したかのように見えた釈迦だったが、19歳の頃に息子が生まれてからまた何かを思い詰めたように表情に影が差し始めたのだった。
「人は老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見て考え込んでは嫌悪した。そう考える自分もまた老いゆくもので、その宿命は免れない。私はこのように『病』『死』を観察して、健康時における健康の意気はまったく消え失せてしまった。そうして生存時における生存の意気もまったく消え失せてしまった」 (中村元『ブッダ 釈尊の生涯』中村元選集第 11 巻、春秋社)
この世の総てのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する。目に映るもの、形創られたもの《色》は、実体として存在せずに時々刻々と変化するものであり、不変なる実体は存在しない《空》。仏教の根本的考えは因果性《縁起》であり、その原因《因果》が失われたら、たちまち現象《色》は消え失せる。それが「色即是空」である。
《此》が有れば《彼》が有り、《此》が無ければ《彼》が無く、《此》が生ずれば《彼》が生じ、《此》が滅すれば《彼》が滅す。《見られる人》がいなければ《見る人》はなく、《読む人》がいなければ《書く人》はいない。
諸行無常、すなわちこの世の総ては移り変わるもので何一つ確かなものはなく、富や名声、愛する人の命も永久には続かない。
釈迦は29歳の頃に安逸な生活に留まらず、人生の真実を追求するために王子の地位を捨てて出家したのだった――
カルマ(業)
インド哲学《仏教》におけるカルマ(業)とは、行為や所作、意志による身心の活動や意志による生活を意味する語。仏教、及びインド発祥の宗教では、善悪の業を作ると因果の道理によってそれ相応の苦楽の報い、果報が発生するとされます。
インドには宗教と哲学の境界線がなく、またこれを東洋哲学とも呼びます。仏教はすべての結果について「偶然��よる事物の発生」「原因なく事物が突然、生じること」「神による創造を否定」し、その因果応報を説きます。
カルマの思想はインド発祥の宗教と道教において輪廻転生(生まれ変わり)と強く結びつく概念で、これらの説では善因善果、悪因悪果をもたらすとされます。
馬の耳に念仏
「馬の耳に念仏」とは、馬に念仏(お経)を唱えても馬の頭では理解に及ばないという意味合いの諺ですが、そもそも人間に生まれたところで坊さんに読経されたとしても、ほとんどの人類にとって理解不能なのが念仏なので「人類の知能は馬に等しい」という意味合いにも受け取れてしまうのではないでしょうか。
人類史において真っ先に文明が発展した国々の共通項として、"馬"を活用していたことが挙げられます。車のない時代では馬が車の役割を果たしていたからです。荷車を数頭の馬に牽引させれば馬車になり、それを戦場で応用すれば戦車にもなりました。つまり当時は車・電車・貨物車・戦車として馬は必須だったのです。
ちなみに日本では4世紀末頃に中国大陸より騎馬の風習が伝わって6世紀には広まり、武芸の一つとして「弓馬の術」が、鎌倉時代・室町時代以降に盛んになり諸流派を生��ました。しかしながら、戦国時代・関ヶ原の戦いを経て江戸時代には戦のない世になり、数百年後には黒船が到来し、明治時代に政府は兵制の改革を行い、日本式馬術は採用せず洋式馬術が取り入れられました。
これにより古来より日本にあった馬術はほぼ廃れ、現在は一部の研究家が実践するに留まっており、時代劇や大河ドラマなどの乗馬シーンのほとんどは、🇬🇧ブリティッシュ(イギリス式)馬術か🇺🇸ウエスタン馬術が用いられます。
■暴れん坊将軍 第一話[公式]|YouTube
『暴れん坊将軍』は東映制作の時代劇シリーズ。江戸幕府の第八代将軍“徳川吉宗”が、身分を偽り貧乏旗本の三男坊“徳田 新之助”を名乗り、江戸庶民の暮らしに紛れ、交流を図りつつも、世にはびこる悪を斬る勧善懲悪ものです。
頭頂部の髪を抜き上げる「月代(さかやき)」は、本来はお武家様の髪型であり、江戸町民の男性全員が手入れの面倒な月代なのは不自然だと思われますが、現在の普及する時代劇はほとんどこの状態です。誰が本当にお武家様なのか第一印象ではよく判らない状況下にあると言えるでしょう。
ちなみに時代劇や大河ドラマで騎乗される大型馬のサラブレッドは、江戸時代までの日本に本来おらず、実際はポニーほどの大きさの馬に乗っていたようです。「丁髷」は韓国から渡来した髷の結い方とされますが、本当に韓国の貴族がこの髷の結い方だったのか疑問です。いずれにしても「辮髪(べんぱつ)」が原案なことは想像できます。また、多くの時代劇のチャンバラシーンで流れるBGMは西部劇風の曲ですが、当時の江戸にはヨーロッパ製の弦楽器やトランペットはありませんでした。
16進数
Google、Microsoft、Adobe等など世界を牽引する著名なIT企業におけるCEO(代表取締役社長)はインド系アメリカ人の方が多いようです。筆者の認識では「0の概念」や仏教発祥の地がインドであり、その他にも義務教育(算数)の学習が4歳から始まり、小学二年生の段階で20×20までの暗算を覚え、小学校を卒業するまでに三桁の掛け算の暗算を会得すると聞き及んでいます。インド人は関節のしわを用いて、片手で16まで数えられますが、それが16進数の礎になったようです。
16進数とは、0から9までの10個の数字と、AからFまでの6個のアルファベットを使って数値を表現する方法。16進数では一つの桁において0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、A、B、C、D、E、Fと並ぶ16個の数値を扱うことが可能で「A」が10進数における「10」に相当し、「F」は同じく10進数の「15」に相当。「F」の次は位取りをして1桁上がり「10」となります。
日常生活では0から9までの10個の数字を使った10進数が主に使われますが、コンピュータでは2進数と並んで16進数を扱うことが多く、ASCIIコードや日本語の文字コード、色を示すカラーコード等は16進数を使用します。
16進数の3F7Bを10進数に変換すると4096×3+256×15+16×7+1×11=16251になります。また、10進数の12345を16進数に変換するには次のように計算します。
12345=4096×3(余り57) 57=256×0(余り57) 57=16×3(余り9) 9=1×9(余り0)
10進数の12345は、16進数では3039になりますが、わざわざこのような計算をしなくてもweb上には10進数と16進数の相互変換サイトがそこら辺に転がっているので、異なる進数間での変換が必要な際はそちらを利用すればいいでしょう。
■2進数、8進数、10進数、16進数相互変換ツール
その数値が16進数であることを示すために、3F7B(16)や0x3F7B、3F7Bh、&h3F7B、$3F7Bのように記述することもあります。なお、AからFまでの6個のアルファベットは小文字で表記してもいいとのこと。
プログラムや遺伝子は「1《有/優性遺伝子》」「0《無/劣性遺伝子》」の二進数で表記されることが往々にしてあります。インドが「0の概念」を発見していなければ、コンピュータのプログラム表記は今と大きく勝手が違っていたのかも知れません。
ちなみに世界中の人類が使用する数字(1, 2, 3)は、インド数学に起源を持つ「アラビア数字」です。
黄河文明
漢字は、古代四大文明の発祥で唯一現存する象形文字(古代エジプトの壁画文字等)であると同時に世界で最も数の多い字。日本の新聞や公共放送で使用される漢字の種類は約2,300字。香港の常用字は4,759字。台湾の義務教育(12年間)で習う常用国字標準字体表は4,808字。漢字は約75,000種類ほどあり、常用されない漢字を含むと10万種類以上はあるとされます。
漢字の字体一覧
簡体字 ◆使用地域:本土(北京・上海・四川)、シンガポール、マレーシア ◆例文:欢迎来到日本
1950年代の「文字改革」より制定された新しい字体で、これまで使われてきた「繁体字」をもとに偏や旁が簡略化され画数を減らした字体。北京や上海などの本土やシンガポールやマレーシアでも使用されます。
繁体字 ◆使用地域:香港、台湾 ◆例文:歡迎來到日本
本来の画数の多い字体で、日本の「旧字体」と同じつくりの字体。 民主主義・特別行政区の香港と台湾で使用されます。
旧字体
「學」「國」「爲」「屬」「鐵」「體」など、昭和初期まで使われた画数の多い漢字で、元々は上記の「繁体字」と同じつくりの字体です。
新字体
「学」「国」「為」「属」「鉄」「体」など、「旧字体(繁体字)」の画数を簡略化した漢字で今現在の日本で使用される字体。昭和24(1949)年に内閣が告示しました。
◇参考資料:当用漢字字体表|文化庁
日常的に新聞や公共放送などで使用する漢字は約2,300種類ほどにしぼられましたが、それ以外の漢字は「常用外漢字」として殊更に今も小説や詩などでは自由気儘に使用されます。
古代エジプトの壁画文字や黄河文明の漢字などの象形文字は「概念や物の数だけ字がある」ことになります。日本はG7(主要先進国)で唯一、お米が主食で生魚も食べますが、もし寿司職人になるために「鮭」「鯛」「鮪」「鯵」「鰹」「鮃」「魬」「鱒」「鯊」と寿司のネタを全て漢字で書く必要があるとなると多くの人が寿司職人の道を諦めてしてしまうのではないでしょうか。
いくら文化的な希少価値があるとは言え、ヒエログリフを使って授業内容をノートに写したり、ビジネスメールを書くとなると、非効率的で経済にも大打撃を与えかねません。
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▲古代エジプトの壁画文字「ヒエログリフ」
そこで韓国は早々に漢字を撤廃して「ハングル」を考案し、日本は平安時代に世界一画数の少ない漢字体系「ひらがな」を考案しました。
ひらがな
「ひらがな」は漢字の字体を簡略化したもので、「カタカナ」は漢字の字体を崩したものが多くなります。
〈ひらがな〉 安 → あ 以 → い 宇 → う 衣 → え 於 → お
カタカナ
〈カタカナ〉 阿 → ア(阿の左部分) 伊 → イ(伊の左部分) 宇 → ウ(宇の上の部分) 江 → エ(江の右部分) 於 → オ(於の左部分)
ハングル
「ハングルはひらがなのようなもの」とよく言われますが、精確にはローマ字に近い文字体系だと思われます。ひらがなは漢字と同じく当て字なので、字の作りで発音までは分かりませんが、ハングルはローマ字と同じく発音記号の組み合わせなので、字の作りから発音が分かるのでしょう。
日本語の活字やWeb記事が読みにくくなる原因は「スペースがない」ことに起因します。ブラウザ上の英文は「一つのスペル」を日本語の文章でいう「一文字」のように認識するので、二字~四字熟語の「右端折り返し」で頻発するような誤読の心配もありません。
英文の世界では、改行・段落が多いと目の左右の動きが増えて疲れやすくなる上に、活字ではページが増え、ブラウザ上では���クロールが多くなるのであまり好まれないとのこと。しかしながら一行ごとの改行・段落が好まれない英文脈でも、単語ごとのスペースがなければ、どう読めばいいのか解せないただの記号の配列に見えてしまいます。
試しに、日本の活字やWeb記事のように、英文をスペースなしで書くと以下のようになります。
INTHEBEGINNINGWASTHEWORD,ANDTHEWORDWASWITHGOD.HEWASWITHGODINTHEBEGINNING.THROU GHHIMALLTHINGSWEREMADE;WITHOUTHIMNOTHINGWASMADETHATHASBEENMADE.INHIMWASLIFE,AND THATLIFEWASTHELIGHTOFALLMANKIND.THELIGHTSHINESINTHEDARKNESS,ANDTHEDARKNESSHASN OTOVERCOMEIT.THEREWASAMANSENTFROMGODWHOSENAMEWASJOHN.HECAMEASAWITHNESSTOTESTIF YCONCERNINGTHATLIGHT,SOTHATTHROUGHHIMALLMIGHTBELIEVE.HEHIMSELFWASNOTTHELIGHT; HECAMEONLYASAWITHNESSTOTHELIGHT.THETRUELIGHTTHATGIVESLIGHTTOEVERYONEWASCOMINGIN TOTHEWORLD.THETRUELIGHTTHATGIVESLIGHTTOEVERYONEWASCOMINGINTOTHEWORLD.HEWASINTH EWORLD,ANDTHOUGHTHEWORLDWASMADETHROUGHHIM,THEORLDDIDNOTRECOGNIZEHIM.HECAMETOT HATWHICHWASHISOWN,BUTHISOWNDIDNOTRECEIVEHIM.YETTOALLWHODIDRECEIVEHIM,TOTHOSEWHO BELIEVEDINHISNAME,HEGAVETHERIGHTTOBECOMECHILDRENOFGODCHILDRENBORNNOTOFNATURALD ESCENT,NOROFHUMANDECISIONORAHUSBAND'SWILL,BUTBORNOFGOD. BOOK43JOHN
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの���ぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。 (紫式部『源氏物語』)
たのもしき カミの しもべよ わが きょうかいに どんな ごようじゃな? (『ドラゴンクエスト』神父)
ひらがな・カタカナだけでも、ハングルのようにスペースと改行を使用すると劇的に文章が読みやすくなります。どうやら一行ごとに改行する文化は『芸能人の携帯向けブログ』が普及してからのようです。
ところで世界で最も普及している音楽配信サービスのBandcampでは、数年前まで日本語タイトルの曲をDLして解凍するとすべて文字化けする謎の現象が起こりました。IT技術者の「いい加減に文字化けした漢文じゃなくて英語タイトルをつけてくれ」という意図が込められているような気がしますが、今は日本語タイトルにも対応してくれたようです。国産の音楽専門SNSや販売サイトは普及しないので、海外のWebサービスを利用するしかありません。ちなみにBandcampに含まれる単語の頭文字から二文字をローマ字読みすると……。
縺ィゅ縺薙縺ァ莉ぅ蜑阪ゅぅソア縺ァ髻ウ讌スアウ驟堺ソ。繧オ繝シ繝薙ひ縺ョ律譛ャ隱槭ち繧、繝医Ν縺ョ譖イ繧奪L縺励※隗」蜃阪☆繧九→縺吶∋縺ヲ譁ぅヲマ?ュ怜喧縺代☆繧玖ュャ弱?迴セ雎。縺後≠アミ繧翫∪縺励◆縲ミズらアウ蝗スIT謚?陦楢???縲後>縺?刈貂帙↓譁?ュ怜喧縺代@縺滓シ「譁?ァr菴ラバソ繧上★闍ア隱槭ちガ繧ソバ、繝医Ν繧偵▽縺代※縺上l縲阪→縺?≧諢丞峙ミ縺瑚セシ繧√i繧後※縺?k繧医≧縺ェ豌励′縺励∪縺吶′縲∽サ翫?譌・ャ隱槭ち繧、繝医Ν縺ォ繧ょッセ蠢懊@縺ヲ縺上l縺溘 (文字化け)
まとめ
「陰/女性的/ひらがな/和歌/古今集/古事記」 「陽/男性的/漢字/漢詩/万葉集/日本書紀」
日本語は漢字で書いてもひらがなで書いても声に発すると同じ発音になります。
つまりわたしたちはほんしつてきにひらがなだけでいしそつうしているのです。
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▲縄文時代の暮らし
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考古学的な知見に立つと、壁画を描き、象形文字を創り、歴史と文藝を書き、数学で十二平均律や物理を演算し、さらに歌って踊れる文化的な動物は人類だけだと気付かされます。
識者によると、教会や神殿などの宗教施設の建築技術や『神話体系』の完成度で、その国の文化的なレベルが分かるのだとか。
まず文明が芽生え、文字が創られて書くのは国の歴史書と、王族のルーツや世界のはじまりについて、つまり『神話』になります。
それらを祀る神殿も、その時代の叡智や高級資材をフル導入するので、技術的な妥協が一切ないというわけです。
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kachoushi · 3 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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text-huruhota · 5 months ago
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春寒(蛇道初瀬)
※CoCシナリオ「死体は話さない」のネタバレを含みます。
 重量のあるドアを少し力を入れて開くと、からんからんとやや大きめのドアベルが鳴った。いらっしゃいませ、何名さまですか。 「一名で、後からもう一人来ます」  どこでも空いている席にどうぞ。返ってくる声に軽く会釈して店内を見回す。二人掛けのテーブルも空いてはいたが、荷物のことを考えると少し狭いだろう。昼間から集まって盛り上がる近所の老人たちの背後、通路を塞ぎ気味な��子の背にボストンバッグをぶつけないようやや気を張ってすり抜けて、窓際のボックス席に滑り込んだ。  昼下がりの喫茶店アカツキは、満席でこそないもののそこそこに繁盛している。最初に東海林や蓮実と来たときには少し気遅れしたドアベルの音の大きさに驚くこともなくなって、店内BGMの落ち着いたジャズもすっかり耳慣れたものになった。加えて今日はFRIENDSの作業着でもないから、他の客からじろじろと見られることもない。もっとも作業着を着ていたところで、この店の中で因縁をつけられることはもうないだろうと思うけれど。  天井にぶらさがったランプの光が、テーブルの木目を柔らかく照らしている。そういえばこの席には、最初にあいつらと来店したときにも座��た。斜め前に東海林がいて、正面には蓮実がいた。本当はそういえばでなく意識的に選んだのかもしれなかった。  注文を終えて、料理を待つ間、窓の外をぼんやりと眺めていた。
 あれほど深く積もっていた雪はこの数週間ですっかり溶けてしまって、俺はこの道路沿いの歩道のタイルが、レンガのような赤茶色をしていたことを初めて知った。数年前に一部だけ舗装し直したらしく、思ったよりもはっきりした色だ。元々はこれが普通だったのだろうが、雪かきをしてもすぐに薄く白がかかる乙保しか知らない俺にとっては、未だに目が慣れない道なりだった。  人が踏みしめて歩く場所はもうすっかり春の様相だから、街路樹の根本に溶け残る雪を見ると少し安心した。上手く説明はつかないが、俺にとってはそのわずかな氷が、記憶にあるとおりの冬の街と今の接点なのだろう。
 一昨日、菊池が動かなくなった。  その一週間前には俺や黒鉄のことがよくわからなくなって、自分のこともあまり覚えていないような様子だった。そのあとは段々言葉がうまく出てこなくなって、やがて体が動かなくなった。  菊池を見送ったこの数日のことは。もっと言えば、この街に来てからのすべてのことは、全部鮮明に覚えてはいるけれど未だ整理がついていなくて、というより整理を――理屈をつけて飲み込んで何かしらの教訓にしたり、何もなかったように消化して元に戻らないといけないようなことだとするのも嫌で、どうとも形を変えられないまま、ただ現物そのままが頭の中に横たわっている。  岸さんがまだ復帰できないこともあって、株式会社FRIENDSはしばらく休業に入るらしい。小田原さんは宣言通りに菌を処分し、死者を蘇らせることをやめてしまったから、アルバイトの人員はもう必要ない。別にここを出たところで俺には帰る場所も職も宿もないのだが、この市に留まり続ける理由がなくなってしまったから、俺は明日、黒鉄と同じ便で東京へ戻る。まあ、しばらくは小田原さんから貰った金でどうにか生きていけるはずだ。  最寄りのターミナル駅から出る新幹線の便は明日の朝。午後から小田原さんが留守にするので、長らく職場兼宿として世話になっていた会社には先程挨拶を終えて、今夜は二人とも高速バスの駅に近いホテルに泊まることになっている。実質、今日が乙保市で過ごす最終日だった。  豪雪の解消により運行を再開した市内の路線バス(それでも数時間に一本)を待つついでに、喫茶店で遅めの昼食を取ろうということになっていたが、黒鉄が出かけ間際に忘れものに気付いたため置いて先に出てきた。別に社内で待っていても良かったのだが、散々別れの挨拶をした後では若干手持ち無沙汰だったのだ。   「たらこスパゲッティです、どうぞ」  明るく、少し張りのある声が左上から降った。聞き覚えを感じてそちらを見る。店主の堂本沙紀さんだった。差し出されたスパゲッティの皿に軽く頭を下げると、彼女は俺の視線に気付いたように軽く付け足した。 「今日が最後なんだってね、お疲れさま」  小田原さんから俺達が帰ることを聞いていたのだろう。堂本さんはにこりと微笑んでカウンターへと戻っていく。その笑顔がやややつれて見えたのは、単に俺の穿ちすぎなのかもしれない。俺は堂本さんと深く話したこともないし、彼女のことをよく知らないから、本当の所で彼女が何を考えているのかはわからなかった。けれど俺は最近、彼女がもう一度母親を亡くしたことは知っている。  堂本さんはカウンターの向こうで、同じ色のエプロンをした店員に何事か声をかけている。少し前にこの喫茶店は数週間ほど休業し、その後からは、あのカウンターで堂本さんに似た老年の女性を見ることはなくなった。店の外側から目に見えてわかる変化といえばそのくらいだ。俺達の方もきっと、何も知らない人間から見たらその程度なんだろう。アルバイトに来ていた、騒がしい若者集団の人数がそういえば何人か減ったかもしれない。ただそれだけ。  お母さんのことも、菊池のことも蓮実のことも。堂本さんや俺にはとっては絶対にそんな小さなことではなくとも。  テーブルを見下ろす。出来立てのたらこスパゲッティはまだ軽く湯気を立てている。近くの席で談笑する老人たちの笑い声が遠く聞こえた。腹は減っているはずなのに、食欲よりも思考ばかりがぐるぐると回って頭の中を散らかしていくようだった。  フォークを入れる。家族が亡くなるというのは、どんな風だろう。スパゲッティを巻きとる。その想像は今の自分にはとても身近に感じられて、そう思ったこと自体に胃の辺りが粘つくような焦燥感があった。 『死体は話さないだろ。生きてくれなきゃ、困るんだよ』  少し固めの麺を口に運んで噛みしめながら、いつかの岸さんが嗚咽する声が頭の中でずっと反響する。俺も、俺だってそう思う。  死んだ人間はもう何も話せないなんて、もう何もできもしないだなんてことは、本当に恐ろしいことだ。
 食べだすと思ったより腹が空いていなかったとか、明日からの宿はどうしようだとか、目の前のことに振り回されて生活を続ける合間でたまに想像してしまう。  もう半年以上行方のわからない弟は、三笠は今どこにいるんだろう。もし姿をくらましたのがあいつ本人の意思ではなくて、今もどこか冷たい場所に転がされていたら、誰かに殴られていたら。弟が悲鳴を上げたり助けを求める所なんて想像ができないけれど、もし万一そんなことになっていたらと思うと、目の前にあることが急に色褪せて、今すぐにでもどこかに向かわなければならないような気がしてくる。  もしも死んでいたら、どうしよう。何を喋ったかもあまり定かでない、適当に打ち捨ててしまったあの瞬間が人生であいつと話せる最後だったら。
 弟と最後に会ったのは、ちょうど一年前くらいだろうか。課題に必要だったとかで、彼が実家まで本を取りに来たときだ。当時の俺は一番酷い時期で、ほとんど毎日自分の部屋に籠りきり、父に怒鳴りつけられた時以外はそこから一歩も出なかった。三笠は多分俺と顔を合わせたくはなかっただろうが、うちの家は子供部屋が共用だから仕方がなかったのだ。  渋々といった様子で部屋をノックしてきた三笠に、あの時の俺はなんと返したんだったか。当時の自分の精神状態からして、絶対にあまり良い言葉ではなかったことは確かだった。情けなくて目は合わせられなかったが、俺に構わずさっさと目当ての本を手にした三笠は多分、呆れ切ったような、冷めた顔をしてこちらを見ていたのだと思う。二言三言だけ何か話して、バタンとドアが閉まった。  じっくり顔を見ることなんてしなかったから、記憶に残っている弟の最後の姿は、振り返らずに部屋を出ていく背中、それからドアノブを握る手だ。  三笠はいつも、ドアをきっちり最後まで手で閉めてから出ていく。  それは昔、俺がたまにドアを半開きにするのを父に叱られていたのを見たからだと聞いたような気がした。    生き物が死んだ後にどこへ行くのか、俺は知らない。この世の誰もきっと知らない。じゃあ蓮実は、菊池は、我先にと井戸に落ちていった動物たちは、どこへ行ってしまったというんだろう。  黒鉄と退散させたあの納骨堂の神様とやらのところなのか、それとも。自分が死んだことも、水槽のなかでぐるぐるとかき回されていたことも、生き返らされたことも、何も覚えていないまま彼らが帰ってきていたのなら、あいつらが一度行って帰ってきてまた向かった先のところには本当は何もなくて、無いんだろうか。『無い』って何だ? もしもそうだとしたら、あいつらはこの先本当に何にもできないってことか。  考えれば���えるほど、取返しのつきそうなことが何もなくて怖かった。でもそれを忘れてしまうのはもっと嫌だった。
「初瀬さん」
 左上から、今度はもっと硬質な男の声が降った。黒いバッグを肩に掛けた黒鉄が、長い体を折り畳むようにして向かいの席に腰掛ける。 「あったか? イヤホン」 「まあ」  菊池先輩に貸してたの忘れてて、そっちの荷物に紛れてました。そう返事が来たところで一瞬言葉が途切れ、黒鉄は何やらもの言いたげな顔で俺の顔と、四分の一程進んだスパゲッティの皿とを交互に見た。 「何だよ」 「……、や、別にいいんですけど、普通こういうときって、飲み物だけ頼んで待ったりしません?」  もう食ってるし、と続けざまに突っ込みが入る。特にそこに考えが及んでいなかったけれど、まだ飲み物を別で頼むほどの金の余裕はないし。どうせ食べる速度は俺より黒鉄の方が速いこともこの二か月弱でわかっていた。���に改めて一緒に食事をしようという場でもないし、先に始めておいた方がバスの時間に焦らなくて済むだろうと思う。 「? 分けるわけでもないし、お前はお前で頼むんだからいいだろ」  メニューを渡すと、「そういうことじゃなくて」と「まあいいか」がほぼ同時に発される。言いたいことがあるならはっきり言え。 「すみません、注文いいですか」  多分こいつは肉だろうな。片手を上げて店員を呼ぶ黒鉄の横顔から、もう一度窓の外に視線を移す。予想通り「石焼ハンバーグで」と頼む声を片耳で聞きながら、俺は東京に戻ってからのことを考えていた。
 帰ったらまず、三笠を探そう。警察が調べてわからないものをどうにかできると思っているわけではないが、何か行動を起こさないとどうにも胸の据わりが悪くて仕方がなかった。そうだ、小田原さんとも話していたけど、菊池の両親と連絡も取らないといけない。連絡先を知っていそうな同級生を探すかどうにかして。何の本当と嘘をどう伝えるべきなのかも整理がついていないが、息子の遺品の一つも手に渡らないのはいくらなんでも酷すぎるから。  遺体は小田原さんが丁重に葬ってくれると言っていたけど、その内乙保市に墓でも建てることになるんだろうか。一時アルバイトで留まるだけのつもりだったこの冬の街から、あいつはもう永遠に離れられなくなってしまった。街路の雪に染みた血痕が脳裏に蘇る。一応は見送ったはずなのに、結局はまた置いていくようで息が苦しい。  でももう、ここも随分と暖かくなってしまった。   「あそこ、あんな風になってたんだ」
 注文を終え窓の外を眺めた黒鉄が、何かに気付いたようにぼそりと呟く。  視線の先にはあのタイルがあった。 「……明るいよな」  反射的に相槌を打つと、反応されるとは思っていなかったのか、黒鉄は意図を汲みかねたような顔でこちらを見た。 「色。思ったより。もっと地味だと思ってた」 「ああ。そうっすね、確かに」  あそこだけ新しいのかも、と黒鉄は言って、歩道の話題はそこで途切れる。喫茶店周辺の歩道の舗装状況なんかはよそ者の俺達には関係がなく、今の数十秒全部が特に意味のない言葉の往復だった。けれど頭の中のスイッチを切り替える拍子にはなったのか、いつのまにか視覚・聴覚の焦点は賑やかな喫茶店の中へと戻っていく。
 隣のテーブルから軽く笑い声が上がる。何をそこまで盛り上がることがあるのか、来店時に見た老人たちは未だ飽きずにお喋りに興じていた。  気が付けばスパゲッティはもう半分冷めていて、俺は同時に、帰ったらまず仕事と部屋も探さなければいけないのだと思い出した。そういえば前に東海林から来た電話で、東京に戻ったときは連絡しろと言われていたような気がする。飲み会だったか、飲み会? 俺と? よくよく考えると社交辞令の可能性も若干あったが、もしもそうだったら東海林なら上手く断るだろう。それだったら蜂須賀にも、菊池の件について何か報告しておくべきだろうか。唐突にそれだけ連絡されても返事に困るか? 別に文字だけであれば既読で放置してくれても構わないのだが、俺は蜂須賀のその辺りの温度感がいまいち掴めていない。  まあいい、その辺の塩梅は黒鉄の方に訊こう。どうせ明日の新幹線までは同じところにいるのだから。    お待たせしました、と運ばれてきた石焼きハンバーグの皿から、じゅうじゅ��と焦げた匂いが漂ってくる。  湯気の立つその皿にいただきますと行儀よく手を揃えてから、黒鉄はこちらの皿と俺を同時に見やった。 「あの、冷めますよ」  ていうか多分冷めてます。口を挟むタイミングを伺っていたような台詞に、わかってるとだけ返して食事を再開する。  
 すっかり硬くなったスパゲッティはそれでも、最初に咀嚼したときより少しだけ味がした。
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oisiihito · 6 months ago
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野から銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てにしていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から浅草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅館の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わなかったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく喫煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれてから銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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mazelnakiken-1 · 7 months ago
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"初めての創作音楽講座「青い鳥」”🐦
講座では、超人化し人を超えた存在を講師に迎え、 何もかもを学べます 見学、体験を希望の方は下記を確認下さい
日程:5月7日火曜
会場:杉並区内 多目的ホール「無力無善寺」
杉並区高円寺南3-67-1 
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お話・念力・超能力アドバイザー:謎の超能力者戸田先生
ゲスト:歌い手(あいうえお順)
「aBiSyEikAh⊆(アビシェイカー)」 「木下拓也」 「佐野麻呂梨王・和水(kazumi)・ゐ忌レ」 「終末亭厄丁」  「ZOYO」 「大河もん土」 「野田伊佐也&葉山稲江」 「ルッコラ」
=お時間配分の予定===
18:00開場 18:15~「野田伊佐也&葉山稲江」  18:45〜転換 18:50〜謎の超能力者戸田」  19:20~転換 19:25 ~「木下拓也」 19:45~転換 19:50~「終末亭厄丁」  20:10~転換 20:20~「ルッコラ」  20:40~転換 20:45~「ZOYO」 21:05~転換 21:15~「aBiSyEikAh⊆(アビシェイカー)」  21:40~転換 21:45~「佐野麻呂梨王・和水・ゐ忌レ」  22:05~転換 22:10~「大河もん土」
==人物紹介===
18:15〜「野田伊佐也&葉山稲江」
管楽器系地下アイドル。22歳の時に父親を亡くし、母親・大学生の弟と3人暮らし。スクエニを中心にコスプレをして管楽器を操ります。ダンスや演技も導入。
Jre山手線破壊をしたい前科者#威力業務妨害#器物損壊#火炎瓶5/3自主企画イナパラ③ブッキング希望は当アカウントにDMで。若干名募集。ユニットでもソロでもお仕事承ります。ナマポ受給中。都営住宅。自治会役員。ギタリスト。ボーカリスト。MC。ドラマー。
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18:45~転換
18:50~「謎の超能力者戸田」 「謎の超能力者戸田さん(ヒーラー)のプロフィール | ココナラ」 https://coconala.com/users/701489
"謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。
催眠、気功、伝授できます。「催眠サークル人間失格」の代表”
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 19:20~転換
19:25 ~「木下拓也」
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6/23 19:00〜新宿御苑前RUTOにてワンマンライブ
和水さんの推薦人物!「声がすごく良い」by加藤順一(天獄から来た加藤)
 19:45~転換
19:50~「終末亭厄丁」
テレフォンドール @TelephoneDoll )Gt
シ作/アマチュア占術師。四柱推命、姓名判断、タロット等...
鑑定の御依頼はDMにて承ります。
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20:10~転換
20:20~「ルッコラ」
ダブの世界で遊んでいる自給自足農民。野菜をつくったり、読書したり、たま〜にライブをしたり、山間の田舎で静かな生活を送っています。ほぼRepost。
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20:40~転換
20:45~「ZOYO」
𝓛𝓘𝓥𝓘𝓝𝓖 𝓘𝓝 𝓞𝓛𝓓 𝓘𝓝𝓣𝓔𝓡𝓝𝓔𝓣♡2003✩.*˚ Uᴖ ·̫ ᴖU白塗りデジタル娘.:✉️ [email protected]
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21:05~転換
21:15~「aBiSyEikAh⊆(アビシェイカー)」
アビシェイカー aBiSyEikAh⊆ 元・猟奇趣味的激烈音楽集団、現・極上音楽。OMEGA POINTのエレクトロニクス担当(現在潜伏編集作業中)。鰤コラージュ(チャーハン・ノイズ)。主に自宅にてエフェクター、シンセサイザー、ギター、コンピューター等を使い曲を作っています。ライブや曲提供のご依頼はDMでお願いします。
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21:40~転換
21:45〜「佐野麻呂梨王・和水(kazumi)・ゐ忌レ」
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佐野麻呂梨王
日本将棋連盟甲州支部のあくまで、支配人ですから。小仏。虫酸王。具。ハンガクハンター。デュエプレ。”
和水(kazumi)
和水ソロ,和水と魔ゼルな規犬,the部族,幻想曲,LIFE,nossa casa アイヌ沖縄の歌も歌う心眼ソングライター 牛チラハンター 祈り 
太鼓&卓球パーカッション、踊り 水関連”
ゐ忌レ
https://twitter.com/tatumihijikata1 ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
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 22:05〜転換
22:10~「大河もん土」
昭和歌謡、シャンソン、明治大正の流行歌など  主に日本の古い歌を歌います 早稲田大学文構三年  O2(新宿ゴールデン街)金曜日どうぞご贔屓に!
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*・゜゚・*:.すぎなみ市民フォーラム 〜名曲の贈り物コンサートのお知らせ.。.:*・゜゚・* ”
〜どうなる私たちの資産〜 が 来たる5/7火いよいよ開催!
親戚や知り合いの家族を誘って来てみてね
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aarc2017 · 8 months ago
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
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ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
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ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起��るという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
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地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
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なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は���作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
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ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
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カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
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助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使���の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。  作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったの��けど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
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なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんか���話した。
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食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さん��きた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
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帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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shigerunakano · 11 months ago
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満天の朝焼け
カントにおけるほど強力にロマン主義が表現されたことは、それまで一度もなかった。超越論的なものの必要性、あらゆるかたちでの無媒介的なものの不可能性、存在がその理解力と行動において示す活力に満ちたあらゆる形象を厄介払いすること―これが、カント哲学のライトモチーフなのである。このような視座からすると、アルトゥール・ショーペンハウアーを、カント主義とそのロマン主義的身振りをもっとも明瞭に見抜いた読者とみなすべきであるかもしれない。〔ショーペンハウアーは、カントを次のように読み解いたのだった。すなわち、〕事物の仮象と物自体を再結合することが不可能ではないにしても困難であるということは、苦と窮乏に満ちたこの世の災いのもとである。また、それゆえに、高貴かつ高尚な力が繁栄しうるようには、この世界はできていない、と。言葉を換えるなら、ショーペンハウアーは、人文主義的革命を決定的な仕方で清算するものとして、カント主義を理解したのである。-アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート「〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号 特許庁総合庁舎7階〇〇課〇〇室
知っているな、と思った真司はウーバーイーツの配達車両に乗り込んだ。三年前に新品で買ったヤマハのトリシティ155である。彼はこれを愛着を持って使っており、北関東に遠出することもある。ちょっとした小旅行と呼ぶべきものではあるが、一流と呼ばれるような場所に泊まったこともある。すなわち一泊三万円を越えるような宿泊プランであった。
ここ、ピーザラ神田店から霞が関までは15分で着くだろう。多くの国内の者が想像するほど国の中核たる千代田区は交通量が多くなく、スクーターの運転はスイスイと終えることができる。そこらの県庁所在地よりは空いているほどである。それに彼は霞が関の省庁が立ち並ぶ雄大な眺めを愛してもいたので、上機嫌になってくるほどであった。天気は昨日から曇りが続く。
スクーターに乗る彼は動きやすい格好に黒の薄手のジャンパーである。そもそもこの国で��私服の配送業者が目を引くことになる。
信号が赤になったので、スクーターを停める。右側の歩道を眺める。50代ぐらいの中年女性が歩いており、しかめ面を浮かべている。彼女とすれ違う作業服姿の40代ぐらいの先ほどよりは明らかに若い男性。すれ違った。こういう時に当該の人物群に何も起きなかったことを真司はときどき意識することになる。彼らは道端でぶつかりもし��かった。それは一つの可能性である。そして、一つの不可能性でもある。通り魔で実刑判決を受けた人物が、囚人が、一度は思い浮かべるであろう不可能性のことだ。
うかうかしてはいられないので、前を向く。信号は赤のままだ。機械は大人しくプログラムをこなしてくれる。さながらたまたますれ違った二人に何事も起きないように。現在配達するピザは汁物のようにこぼれたりする心配が少なく、彼はほっとしていた。
霞が関、特許庁前。省庁の中には入ることもできるが受付の許可を得たうえで、持ち物検査を義務付けられるので、受付までで、配達業務を終えることにしている。こういう時に自己判断と現場の様子で仕事を終えられるのが、ウーバーであり、自由の国アメリカらしさといったところだろうか。
受付に近づく。
「こんにちはぁ、ウーバーイーツですがぁ」
少しフレンドリーに振舞ってみたつもりだ。
「どちらの階にお届けでしょうか」
女性の声が応じる。
「七階の、えぇ」
スマホの情報を確認する。
「〇〇課〇〇室の~さん宛ですね」
「はい、いいですよ」
女性の声がうなずく。
終わりか、と思い、配達物を置き、引き返すことにする。
「毎度、ありがとうございます」
建物を出て、腕時計を確認する。十一時五十五分。このまま、三件は回れそうだが、先に昼食にすることにする。麺類が食べたい。
家についてシャワーから出ると、もう午後六時だった。テレビを付けて、スマホの電源を入れる。テレビのボリュームを下げた。
スマホにメールが来ている。
「件名:ご質問です。」
件名に。(句点)を付けるのか、と真司はふと思った。
「個人的な悩みにお付き合いしてもらうことは可能でしょうか」
個人的な悩みか、何だろうと彼は思う。ところでこの女性は誰だたっか……。彼はこの女性の名前をした人物のことをよく覚えていないし、姿かたちもさだかではないのだ。名前は流川愛美(るかわまなみ)である。やはり、知らない人である。勢いで悩みに付き合ってやろうかとも思ったが思いとどまった。スパムメッセージの可能性もある。
テレビを五分ほどぼーっと眺めていたら、やはりあの時か、と思い当たる節があった。大学のシェイクスピア研究会の白井が紹介してくれた在学生の会員の内の一人であった。何度思い直してもそうである。
ならば、と思いメールに返信することにした。
「なんのごようでしょうか。シェイクスピア研究会の在学生ですよね」
数分後返信が来た。自由にスマホを操作できる状態なのだ。
「件名:枕詞が古臭くてちょっと笑ってしまいました(笑) 知り合いには相談しづらいことなのであなたに相談した次第なのですが、現在交際している男性のことです。厄介ごとに足を踏み入れたくなければお断りしていただいて構いません。シェイクスピア研究会所属でOBの白井さんの知り合いです」
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2023.9.21thu_yokyo
朝9時に目が覚め、二度寝。10時くらいに目覚めるが、昨日今日と雨が降ったり気圧が安定しなくて、朝がシャッキリしない。それまでは夏の明るさで8時に起きれていたのに(私の中ではものすごく早起き)習慣化する前に秋めいて来てしまった。布団の中で、SNSのメッセージやメールを確認。気になっている案件があり、それについてのメールが返ってきているか、何度もgmailをリロードしてみるも、来てない。多分、この件も昨日今日と朝起きれない理由に関わっている。ウワ~~~~~。
のっそりと上体を起こして11時、とはいえすぐソファへ移動。ジャンプ+を体育座りでチェックし、次にやっと半分まで…は来てないけれど、2/5は過ぎた『鵼の碑』(著:京極夏彦)を読み進めるが、そんなに気分が乗らずレンガみたいな本をソファへ放置。朝昼ごはんとして、冷蔵庫にあった塩焼きそばをつくる。冷蔵庫にあったじゃがいもと萎びたごぼう、卵を溶いていれる。根菜ばっかり、久しぶりに野菜室が空っぽになってる。野菜買わなきゃ。
仕事をしたり、しなかったりしながら2時半。途中でネコとおもちゃで遊ぶ。いろんなおもちゃを買ったけれど、結局ドンキで400円くらいの虫を模したビニールとフェルトのおもちゃが一番らしい。しかしここ連日、朝夜とネコの運動に使っているからか、すでにおもちゃはボロボロ。一杯のコーヒーとほぼ変わらないなら、毎日買ってあげてもいいよなと思うけれど、ネコが飽きるまで使い倒そうとしちゃうのは貧乏性なんだろうか。
今日は18:30から池袋演芸場で柳家小里ん師匠の会があるので、少し早く移動。身だしなみを整えると少し気持ちがシャキッとする。ここ三日間ずっと着ていたTシャツを床に叩きつけ、髪をひっつめ、ドラッグストアで衝動的に買ったアイシャドウを瞼に乗せる。めっちゃオレンジだしキラキラだ!チャリで最寄り駅まで行き、池袋へ。車内で『鵼の碑』を読み進めるも、やっぱり低気圧でもんやりして眠ってしまった。
16:00に到着、駅前のコメダコーヒーはなぜか満員だったから、開演までスタバで作業。メールを確認すると、朝から胃を痛めていた件で返信があった。恐る恐る開き、良いお返事でひとまず安堵…。急いで各位へメールやらメッセージを送りまくる。イヤホンから流していたのは昨日からずっと聴いている、音沙汰の新アルバム『Musicalism』。一曲目の真夏さんとありりさんの歌声に励まされまくる。二人が出会った20年がド頭から全開になっていて、マジで震える。生きる中で、歳を取れば取るほど格差を感じたり、人生設計の難しさや先例のなさに呆然とすることが多いけれど、この二人が20周年を迎えている現実そのものが勇気。最高はこれからだぜ、ヤッホーーイ。諸々の返信を終え、昨日がFOOD COURTの締め切りだったから、残り時間でバババッとエッセイを書く。今回のテーマは『給食』、私は給食を3年弱しか食べていない…的な書き始めから、気付いたら最後はワカメごはんの話に着地していた。2200字くらい…さくまま、毎回文字数多くてごめんよ。
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さて、18:00過ぎ。いよいよ池袋演芸場へ。開演10分前に入場、前から4番目の舞台から向かって右端の2席目に座る。今日の電車内で聴いていたポッドキャスト『OVER THE SUN』の「私がこれを好きな理由」というテーマに、カフェの音が好きというお便りが寄せられていた。それでいうと、私は寄席の開演前の音が好きかもしれない。右後ろで交わされるハゼ釣りと汽水域の話に半分耳を傾けながら、この居心地の良さを噛み締める。二世代以上は先輩のお客さまたちで埋まった会場は、それだけで小里ん師匠の歴史を感じる。歴7-8年そこらの私なんかはあまちゃんでしかない、人生をかけて芸を見てきたのであろう人たち。自分の趣味はなんて先が長くて、豊かなのだろうと開演前から胸がいっぱいだ。
小もんさんの『辰巳の辻占』良かった~~~。間の取り方と、目線の動かし方がすごく好きなんだ…そんで、女性の所作も良いんだよな。すごい人だよほんと。見ながらニヤニヤせざるを得ない。そして、私はやっぱり小里ん師匠が演じるすっとぼけた町人たちが大好きだ。寄席に通い始めたころ、それまでは頑張って聴いていたのに、小里ん師匠の『長短』はスッと頭と感情に馴染んで気付いたら大笑いしていた。それからずっと、雛鳥が最初に見たものを親鳥だと思うように、理由なんか考える必要もなく小里ん師匠がイッチバン大好きで仕方のない落語家さんなのだけれど、今日の小里んの会はその時の気持ちがブワ~とよみがえる感じがあった。『ろくろ首』に出てくる松公のゆっくりした表情、そして、「所帯を持ちたい」と言い淀んでいるときの、序盤の目の真っ黒さ!本当に真っ黒でギョッとしたら「目が据わってるじゃねえか!」と隠居が突っ込みを入れ爆笑。その後の、結婚相手への挨拶のくだりもゲラゲラ笑ってしまった。とにかくずっと楽しくて、ワクワクしながら師匠を見つめていた。小里ん師匠がつくる緩急が本当に大好きだ。
『三兄弟』の三男の荒々しさも良かった。兄達が抜け出したあとの布団へ、荒っぽい三男が自分の妄想をずっとつらつらと語る場面。噺の登場人物がまるで落語のように話をしている、という入れ子構造。観客も思わず聞き入ってるけど「あれ?こいつの妄想だよな?」とたまに思い出しニヤニヤする。体調優れないようで、2本目のネタが急遽変更になっていたけれど、私は小里ん師匠の「三兄弟」が聞けて本当に嬉しかった。やる予定だったネタは次回になるようなので、またその時に行けばいいのだ。とにかく健康でいてほしい。来年の一門会も絶対に行くんだ、誕生日に近い日程なのが勝手に嬉しくて、勝手に喜んでいる。勝手に誕生日プレゼントとしよう。
さて終演後は、流れるように新珍味へ。入店するときマスターがちょうどレジにいて、覚えてるかな~と顔をじっと見たら、気付いてくれた。うれし~。かつてここにいた友達の近況や、別の友達の子どもの話(今年で何歳だっけ?トーク)などをする。注文はウーロンハイと水餃子。水餃子の写真、湯気でもやもやだ。味はもちろんウマすぎ。タレのニンニク感も健在だった。
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そして最後に迷って、半ターロー。久しぶりに食べるターローメンは一口目からスープの最後までずっと美味しくて、食べ進めるほどに体が火照る。汗だくだく、ニンニクモリモリ、麺もちもち、スープとろとろ。「ターローメン食べれば風邪が治る」と友達が言っていたのを思い出す。マジで、大体の不調は治ると思う。あちいあちいと言っていたら、マスターが上からうちわを持ってきてくれた。マスターはいつも優しいなあ。帰り際、「よろしく伝えて!」と友達への言伝を預かる。またみんなで食べにくるね、と言いながら退店。いつ来ても、嬉しい気持ちになる店。
池袋から新宿まで戻り、お気に入りのエクセルシオールで閉店まで作業。ターローメンのニンニクが口内から香り、汗が引かない。完全に元気になった感じがする。自律神経がうまくいってない感じがここのところあったけれど、池袋の寄席で笑いまくって帰りにターローメン食べれば大体のこと解決するな。閉店10分前にエクセルを出て、帰路に着く。帰りの電車内で本を開いたら、朝よりもぐんぐん頭に入ってきて、このまま終点まで乗り続けちゃおうかなと思ったりしたけれど、実際お財布の中身が20円しかなかったので、大人しく帰宅。宵越しの金を持たなすぎ。帰りの自転車で少し雨が降ってきたけど、なんかいやじゃなかったな。日記を書き終わったら、風呂に入って、寝ることにする。とりあえず歯磨きは終えたけど、まだ少しだけターローメンの味が鼻の奥と舌の奥から香っている。もうすぐ深夜1時だけど、寝ながら『鵼の碑』を読み進めよう。すぐ寝ちゃう気がするけど。
-プロフィール- ヤマグチナナコ 29歳 東京都 三鷹市 編集・イラストレーター https://www.instagram.com/nnk0107/
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recipe-cookingclass · 3 months ago
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おうちであるもので『子供と主人が喜ぶ手作りステーキ弁当』
ママ美味しいね!って声が上がる。
暑い日の中に、お弁当をと思いパパッと作りました。自家製ステーキのお弁当にはオニオン&パイナップルジャポネソース仕立て
そして味噌ソースを味変に。
暑いのですが、やはり我が家の白ごはんは特に美味しい。
外食先でも残念だなと思うごはんの味など、グルメの指標になりますね。
白ごはんが美味しくないお店は増えてはいますが。
それはさておき
◉ステーキごはん 炊き立て オニオン&パイナップルジャポネソース
◉フライドガーリック
◉国産野菜のバターソテー
◉鶉の自家製ネギ塩和え
◉万願寺とうがらしの手作り味噌炒め
◉ポテトベーコン
◉かぼちゃの炙り焼き
◉畑のミニトマト
◉ちくわとニラのソース風味
◉一口厚揚げと卵のさっと煮
◉たたききゅうりの甘酢和え
◉口直しの香味薬味
◉国産オクラのスパイスソテー
◉自家製ネギ味噌
◉季節のフルーツ2種
などなど。
美味しいねという言葉で嬉しいですよね。
ステーキのソースは、フルーツを使ったソースに仕上げてみました。
我が家の男子群はとてもよく食べるので、作り甲斐がございまして
子供は、兄が来ると張り切って、またよく食べるのも面白い。
ちゃんと『ママ、今日はありがとう。本当においしかったよ』
と言ってくれる。主人に『うまいうまい』という声。
誰かに喜んでもらえる料理は、美味しくなくてはと思います。
美味しさに栄養に、消化も考えての我が家ごはん。
料理研究家 指宿さゆり
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kachoushi · 8 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすが���眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文  暦売る神となりし日遠くして 慶月  極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子  楽団の喧騒を待つポインセチア 順子  幔幕のうちは見せざり年用意 千種  聖夜待つランプの中の空青し 和子  悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  旧華族らしき猫背を外套に 順子  二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月  寒鯉の鐚一文も動かざる 千種  凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子  数へ日の水あをいろに神の池 要  外套のポケットに怒りを握る 和子  冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子  上野は勝つてゐるか像の極月 慶月  歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子  聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか  冬眠の蛇を諾ふ��庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼  初対面黄色のマフラーして彼女 政江  花柊零るる坂の神父館 要  未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子  聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天  裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹  なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子  十字架に鳩の休息クリスマス 要  鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹  窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江  年逝くや素木の鳥居乾くまま 要  擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子  大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか  きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか  数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子  サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹  風冷た悲しくなけれども涙 政江  二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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