Tumgik
#だて歴史の杜
elle-p · 9 months
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
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月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうで��ょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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kennak · 4 months
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け出し社会人の頃にHTML書くのにすっごいお世話になったサイトさんだけど、とほほさんって何者なんだろうってなってた。こことteacup、kentweb、ジオシティーズがなかったら日本のネット史はだいぶ違ったと思う。
[B! 歴史] PC-8801mkIISRで「漢字BASIC」を制作、大学の研究室ではApple IIを使用… 杜甫々氏が「とほほのWWW入門」を開設するまで
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hangorin · 8 months
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2023反五輪重大ニュース!
毎年、年末に段ボールで制作しているその年の反五輪重大ニュース。今年は年明けから1か月以上も過ぎてしまいましたが、ブログで発表したいと思います。
1 札幌30年34年不招致決定!
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札幌の人たちの大勝利!札幌市長のしつこい招致活動に対して、とことん冷水を浴びせつづけました。
札幌市とJOCは10月11日、2030年招致を断念し2034年招致に照準を合わせると会見。しかし、その2日後の13日、IOCは2030年と2034年の開催都市を同時決定する方針を発表。11月29日のIOC理事会で、2030年大会の候補地を仏・アルプス地方に、2034年大会の候補地を米・ソルトレークシティに一本化することを決定した。また、2038年大会についてはスイスと「優先的対話」を進めるという。
札幌不招致が確定したことは喜ばしいが、他の立候補都市でも五輪による破壊が起こることは目に見えている。既にフレンチ・アルプスでは「Non aux J.O dans les Alpes(アルプスでのオリンピックに反対)」というグループが立ち上がり、反対活動を活発化させている。彼らのスローガンは「Ni ici, ni ailleurs !(ここでもNO!どこでもNO!)」で、私たちが掲げてきたNOlympicsAnywhere(オリンピックはどこにも要らない)と共通する。
2 東京オリンピック、嘘とワイロの記録更新中!
2022年に発覚した東京五輪汚職事件では、元組織委員会理事・高橋治之はじめAOKI、KADOKAWA、ADK、サンアロー、大広の社長や重役ら15人が受託収賄や贈賄の罪で逮捕・起訴。2023年には15人中11人が執行猶予付きの有罪判決を受けた。しかし、高橋治之は2024年1月31日の公判で「賄賂ではなくビジネス」と主張。まだまだ記録は伸びそうな気配である。
一方、2023年2月には組織委員会が発注した各競技のテスト大会や本大会における総額437億円の事業を対象に談合が行われていたことが発覚。電通グループ、博報堂、東急エージェンシー、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、セイムトゥーの6社と、組織委員会大会���営局元次長森泰夫ら7人が起訴された。12月12日には森泰夫に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が出されている。
3 2013年招致時、官房機密費でIOCに高額贈答品疑惑。石川県知事・馳浩。
2013年当時、自民党の「招致推進本部」本部長であり、現・石川県知事の馳浩が、東京大会招致活動の中で「官房機密費使って、IOC委員全員105名に、選手時代の写真をまとめたアルバム、一冊20万円を送った」と11月17日の講演会で語った。のちに説明なく撤回(事実だから、黙らされた)。
本人のブログ(2013年4月1日) https://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11503851369.html
4 明治公園国賠一審不当判決、控訴審へ
2016年、新国立競技場建設のために明治公園の野宿者を強制執行により暴力的に排除した不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟。2月28日、ついに第一審判決が下された。しかし「原告野宿当事者2名の訴えを棄却・4団体の訴えは却下」の不当判決!許せない!闘いは東京高裁・控訴審へ!高裁では、不当な強制執行の様子を終始記録していた白いヘルメットの集団が誰なのか、その動画を誰が所持しているのか、明らかにするよう指示が出た。闘いはこれからだ。
5 10月31日、新・明治公園開園
2016年1月27日、新国立競技場建設のために廃園になった明治公園が、2023年10月31日、かつて都営霞ヶ丘アパートのあった場所にリニューアルオープンした。公園内にはカフェやレストラン、アウトドアショップなどの商業施設が立ち並び、およそ公共の公園とは呼び難い様相。公園や木々を破壊し、野宿者を排除し、都営住宅住民を立ち退かせた歴史を覆い隠すように、公園の各所に「希望の広場」「インクルーシブ広場」「誇りの杜」などと名付けられていた。
さらに、日本テレビ「鉄腕DASH」という番組で、元社長による性暴力問題が取りざたされてきたジャニーズ事務所のタレントたちによって明治公園の「100年続く森づくりのお手伝い」なる企画が進行。都営霞ヶ丘アパートがあった場所を「50年間コンクリートだった」と蔑む発言などに非難が湧きおこった。
6 東京の公教育、オリパラ教育が「学校2020レガシー」として継続中。
ある都立学校では、2020大会前と比べて、外部講師招聘など外部のオリパラ関係者等との交流は少なくなり、校内の教員向け研修も大会前はオリパラ教育が主要テーマだったが、大会終了後は学習指導や進路指導など通常の内容に戻った。しかし、「総合的な探求の時間」では「パラスポーツ」のボッチャなど「障害者」スポーツが依然として主要な取組内容であり、校内ボッチャ大会や区主催など外部との試合参加など、かなりの比重を占めている。
また、冬季オリパラ招致を進めてきた札幌市は、2016年に2020大会を主な目標としてオリパラ教育を推進、冬季大会招致と歩を一にするように実施校は増え続け、昨年度の実施校は100校近くにのぼっている。札幌市は一旦はオリパラ招致撤退を表明したが、今後、学校でのオリパラ教育がどのようになっていくのか、注目していく必要がある。
招致レース参加が現実味を帯びる可能性のある2042年には、現在小学校高学年の子どもはアラサーとなる。
都教委サイト(都立/市町村区別で各校の2020レガシーの内容の一覧ファイルも) https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/2020legacy.html
札幌市のオリパラ教育
7 パリでも汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊
パリでも2024年夏季五輪開催が迫っており、東京大会と同様の問題が次々と起こっている。
パリでも組織委本部やスポーツ代理店が汚職の疑いで捜索。このスポーツ代理店が、2016~21年の間、電通子会社だったこともわかった。電通汚職はパリにまで!
3月にはパリ五輪に向け人工知能(AI)を搭載した監視カメラの街頭での設置を認める法案が議会を通過。AIによる大規模監視カメラの導入が法的に認められることに。また、フランス軍15,000人、数万人の警察官と民間警備員を投入した大規模警備体制が敷かれることが明らかになった。
ホームレスの人々に対する立ち退き、セーヌ川沿いの古書店に対する立ち退き、学生たちに対する立ち退きも起こっている。
また、パリ五輪のサーフィン会場はなんとパリから1万5000キロも離れたタヒチ。地元住民の反対にも関わらず競技判定用タワーが建設され、サンゴが破壊されているという。
汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊、オリンピックは世界中で同じ災厄をもたらし続けている!廃止だ廃止!
8 パリ、フレンチアルプスで活発化する抗議行動
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2024年夏季五輪が迫るパリ、2030年冬季五輪の最優先候補都市とされてしまったフレンチ・アルプスでは、2023年、活発な抗議行動が取り組まれてきた。
12月2日にはフランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。
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9 2026年冬季五輪開催都市ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも反対運動。ボブスレートラック建設阻止?
2026年冬季五輪開催予定都市、ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも五輪反対運動が活発化している。8月には、ボブスレートラック建設のために自然破壊が行われることに対して抗議行動が取り組まれた。樹齢数十年のカラマツ、モミ、マツの木300本以上が伐採されるという。
しかし、コルティナでのボブスレートラック建設にはIOCが建設費の問題などで難色を示しており、国外での競技実施の可能性があるとのこと。
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10 続くガザ虐殺。「平和の祭典」の欺瞞。
イスラエルのガザ攻撃を止められない中、国連総会で、パリ大会中の「休戦の呼びかけ」が決議された。「平和に貢献するオリパラ」を演出するだけの茶番は、真の解決への努力をバカにしているかのようだ。
<番外編>
・オリンピックは終っても、まだまだ続くメガイベント
2030年・34年札幌五輪招致は阻止されたが、日本国内だけでも今後数多くのメガイベントが予定されている。メガイベントの際は、五輪のとき同様、公費の無駄遣い、汚職や談合、立ち退き、監視強化、自然破壊、ナショナリズムの称揚など様々な問題が起こる。
・2025年4~10日 大阪・関西万博(大阪)
→署名活動など反対の声が湧きおこっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/289081
・2025年8~9月 世界陸上(東京)
・2025年11月 デフリンピック(東京)
・2026年9~10月 アジア競技大会(名古屋)
・2027年3月~9日 横浜国際園芸博覧会(神奈川)
→計画の見直しを求める署名が呼びかけられている。https://chng.it/gBgrBwzLGX
※このほかにIOCが2026年オリンピックeスポーツ競技大会の開発を発表し、日本に開催を打診しているとの報あり。https://t.co/zRMtA6INWw
・世界中で続くオリンピック災害 2036年夏季五輪
現在、夏季五輪は2024年パリ(仏)、2028年LA(米)、2032年ブリズベン(豪)が開催予定都市として決定しており、反対運動も取り組まれている(ブリズベンは未確認)。そして、東京の惨状を目の当たりにした私たちにはとても信じがたいことだが、2036年夏季五輪招致を目指す国々も既に多々ある。一日も早い五輪廃絶を実現するためにも、各都市の人々と連帯しともに反対の声を挙げていきたい。
招致活動を表明した国
・エジプト 
・ポーランド 
・トルコ 
・インドネシア 
・インド 
関心を寄せている国
・ドイツ 
・カタール 
・中国 
・韓国
・イギリス(ロンドン) 
※メキシコは招致を目指していたが断念。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/303267
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(75)
『強靭な国家』を造る(12)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その2)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
 
プーチン大統領は、ウクライナ侵攻という本当に
“重大な過失”を犯したものと改めて考えてしまい
ます。本人は強気のように見えますが、内心は相当
悔やんでいることでしょう。
このたびのNATO首脳会議において、さすがに紛
争当事国のウクライナの加盟時期の決定は見送られ
たようですが、スウェーデンが加盟し、4月のフィ
ンランドの加盟と合わせれば、バルト海正面の出口
はすべてNATO諸国にふさがれてしまいました。
NATOへの新規加盟は全加盟国の賛同が必要です
が、スウェーデン加盟の最終決断は、これまでロシ
アと友好関係を保持していたトルコでした。トルコ
も大きく舵を切ったとみてよいと考えますが、これ
により、黒海から地中海への出口もふさがれたこと
になります。
そして、ロシアからみた欧州正面は、バッファゾー
ンはベラルーシのみとなり、NATOに今すぐにで
も入りたいとするウクライナを含めると、すべてN
ATO諸国に包囲される形になりました。ウクライ
ナ侵攻に踏み切った理由について、ロシア側の言い
分は確かにあることでしょう。しかし、このような
状態を招いた原因を、プーチン大統領率いるロシア
側の“読み違い”や“過失”は全くなく、NATO
側に全責任があるとすることに無理があるのは明ら
かです。やはりロシアの“身から出た錆”は否めな
く、冷静に考えれば、”他の手段“はあったはずな
のです。
かつてナチスを葬った時のロシアの役割を今さら取
り上げてみても、それぞれの国、特に欧州列国は、
時代時代に“非情にも”相手を変えながら合従連衡
を繰り返し、それぞれが生き残ってきたという歴史
を有しているわけですから、まさに英国宰相パーマ
ストンの名言「永遠の同盟も永遠の敵も存在しない。
あるのは永遠の国益のみ」が、今も生きているもの
と考えます。
この結果に喜んでばかりはおれません。何度も繰り
返してきたように、このような情勢の中で、ロシア
が“乾坤一擲の手段”を使う可能性がより増大した
ことを警戒する必要があるでしょうし、ウクライナ
戦争がどのように決着するかまだまだ見通しが立ち
ませんが、ウクライナ戦争後、「南下政策」として
過去に何度も繰り返したように、ロシアが「再び極
東へ」との動きを加速する可能性もあることです。
中国は、今回のNATOの決定に対して「冷戦思考
だ」と反論したようですが、「明日は我が身」との
懸念が増大したとも言えるでしょう。NATOの東
京事務所設置については、フランスなどの反対で決
定までには至らなかったようですが、ニュージーラ
ンドやオーストラリアなども中国に対する警戒心か
らNATOと新たな枠組みを造りたいとする動きが
出ているからです。
NATOが東アジア正面に拡大し、それに我が国も
参加するような枠組みについて、現憲法下の現在の
安全保障政策の範囲の中で可能なのでしょうか。当
然ながら、「集団自衛権の行使」のような、これま
での制約を超えた様々な活動が必要になってくるこ
とでしょうから、今のうちに真剣に議論する必要が
あると私は考えます。
最後に、ウクライナの反撃について、あえて感想を
言わせていただければ、「攻撃は防御の3倍の戦力
が必要」というのは軍事作戦の常識中の常識です。
宇宙やサイバーなど戦争の領域が拡大し、装備が近
代化されても、この常識は変わらないようです。
当然ながら、ウクライナ軍にも優秀な将校たちが存
在し、様々な「見積り」や「分析」をした後に「作
戦計画」を策定し、反撃開始のゴーサインを出した
とは想像しますが、政治的な思惑から急かされたり、
ロシアの防御力を低く見積ったり、ウクライナ兵士
が外国製の兵器に慣熟する期間が短かったなどを含
めて、当初の計画通りに進まないのはそれなりの理
由があるのだと推測します。それこそが古今東西、
変わらぬ“戦場の実相”なのでしょう。現役の自衛
官諸氏もしっかり学んでほしいと願っています。
国際社会はいよいよ「分裂の時代」に突入したこと
を覚悟する必要があるでしょう。それは、“過去の
常識が未来の常識ではなくなる”ことを意味するの
でしょうが、“決定的な対立”を避けるために、
「人類の叡智」が問われる時代になったとも言える
と考えます。
▼数々の「我が国の未来を予言する書」に出会う
 
前回の最後に、外的・内的要因の克服をめざす“国
家の強靭化に向けた処方箋、いや荒治療”について
考えたいと述べましたが、さてどこから手を付ける
べきか。それ自体が途方もないチャレンジであると
改めて考えてしまいます。ただ、そうはいってもメ
ルマガなので、私自身は、引き続き、気楽にあれこ
れ思いつくままに発信させていただこうと思ってお
ります。
さて、『世界で最初に飢えるのは日本』(鈴木宣弘
著)や『2040年の日本』(野口悠紀雄著)のよ
うに、その一部はすでに本メルマガでも紹介しまし
たが、世の中には、我が国の国防、人口、食料、エ
ネルギー、経済などそれぞれの分野において、将来
を憂い、警鐘を鳴らしている書籍は山ほどあります。
中には、イーロン・マスクのように「日本はいずれ
存在しなくなるだろう」(2022年5月��日)と
断言している人もいます。
私自身は、有識者たちが日本のどのような部分に
“着目”しているかを知りたくて、迷うことなく手
に取った書籍はたくさんあります。古くは、三島由
紀夫氏や石原慎太郎氏などは独特の嗅覚で訴え、か
つ行動しました。最近では、『捨てられる日本』
(ジム・ロジャーズ著)とか『日本が消失する』
(ケント・ギルバード著)のように“危機の時代”
が眼前に迫っており、これまでの“やりかた”では
対処できないと警告している書籍もかなりあります。
『日本の死活問題』(色麻力夫著)は、一言で言え
ば、戦後の怠慢が今日の状態を招いたとして、この
ままの我が国の未来について、特に国防の面から心
配しています。そのような中で、『誰が国家を殺す
のか』(塩野七海著)は、「民主制は、民主主義を
自認する人々によって壊される」と、塩野氏自らが
振り返ってきた、ローマなどの歴史的真実を踏まえ
て「民主主義を自認する人々」の“危うさ”を警告
しています。
前回、小室氏が「平和主義者が戦争を引き起こした」
と解説していることを紹介しましたが、これらはす
べて、日本の“現在の常識”では対処できないこと
を物語っているのであり、これらの指摘はまさに慧
眼であろうと考えます。
ではどうすればよいのでしょうか? 小室氏も“歩
き出す”重要性を強調しただけで、具体的な提案は
なかったことも紹介しましたが、『国の死に方』
(片山杜秀著)も、「日本人は何を間違えたか」と
今日に至る歴史的経緯を縷々解説し、最後は「そん
なに国を死なせたいのか」とまとめていますが、そ
うならないため、つまり生き抜くための“処方箋”
については触れないまま終わっています。
このように、「我が国が国家として未来に生き残る
ために、そして現状の様々な問題を改善するために、
いかに“荒治療”するか」については、有識者とい
えども、「成案」を持っている人は少なく、当然な
がら、簡単ではないということなのだろうと考えま
す。
ところで、読者の皆様は、“これまでの人類の歴史
の中でいくつの国が消えてなくなったか”ご存知で
しょうか? このような事実は、教科書などには載
らないために通常、誰も知りません。それを知る貴
重な書籍が『世界滅亡国家史』(ギデオン・デフォ
ー著)です。消滅の理由は様々ですが、なんと48
カ国もあるようです。
少し紹介しますと、「サラワク王国」「バイエルン
王国」「リフレッシュメント諸島」「コルシカ王国」
「マスコギー国」「ソノラ共和国」など名前さえ知
らない国が多いですが、「満州国」「テキサス共和
国」(アメリカに入りたくてメキシコから独立)
「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」「ユーゴスラビ
ア」なども含まれています。
オックスフォード大学で考古学や人類学を学んだギ
デオン氏は、「国家は滅亡する」として、「悲しい
最期を迎えた国々の物語には、命知らず、レイシス
ト(人種差別主義者)、詐欺師、常軌を逸した人、
脱税者、または勘違い、嘘、非常識な計画、その他
『バカげた失敗』と言っていい数々の愚行が登場す
る」と、滅亡に至る内的要因について解説していま
す。歴史的事実しての国家の滅亡の原因は、内部崩
壊か、外からの侵略に大別されますが、ここにある
ような内的要因が相当の部分を占めることも事実な
のです。
確かに、長い人類の歴史の中では、いくつもの国家
の「興亡」がありましたが、ここに列挙したような
内的要因が原因となった「亡」と、これらとは真逆
の要因が鍵となって「亡」を逃れ、再び「興」に至
った国々も数多くありました。
そのような中で、我が国の未来の“光明”について
多くを語る書籍もかなりあります。代表的なものと
して、『見えない資産の大国・日本』(大塚文雄著)
では日本の強みに「インタンジブルス」を掲げます。
この定義は専門的ですが、「目に見える」「可視の」
「明らかな」などという意味の「ビジブル」の逆で、
「漠然とした」「不可解な」「無形の」「実体のな
い」という意味で使われ、日本人の「よいところ」、
つまり「礼儀正しい」「弱者をいたわる」「他人に
迷惑をかけない」「他人の悪口を言わない」「自分
の功を誇らない」「あまり神がかったことは言わな
い」「何かをあるときに精魂をつくす」など、日本
人の「道徳」とか「心」を指した言葉と定義されて
います。
最近の社会現象などをみるに、このような「道徳心」
が失いかけていると心配する一方で、世界がうらや
む「見えない資産」がまだ残っており、これらを大
事する限り、日本は復活すると提案しています。そ
の意味では、日本はまさに現時点がその「岐路」に
差しかかっているのかも知れません。また、『日本
の真価』(藤原正彦著)では、「この国は再生でき
る」として、「美意識」と「武士道精神の復活」を
強調します。これらの細部については後述すること
にしましょう。
現憲法前文には、「国際社会における『名誉ある地
位』を占めたい」旨のことが書き込まれています。
それは単に、戦前のように「国際社会への『挑戦者』
とならないこと」(私自身はこのような表現自体に
も違和感を持つ一人ではありますが)を誓っただけ
なのでしょうか。いま現在は、すでに「名誉ある地
位」を占めているのでしょうか。仮にそうであった
として、その地位は今後、永遠に続くのでしょうか。
以上のような現状認識と問題意識も持ちながら、次
のステップに進んでいきたいと考えます。
▼「強靭な国家」の基本は「国力」にあり
私は、いろいろ考えた結果として、「強靭な国家」
造りの基本は「国力」という言葉に集約されると考
えるに至りました。「国力」とは、一般には「国際
関係において、ある国家がもつ様々な力の総体」と
定義され、これらの要素は、国民・政治・経済・軍
事・科学・技術・文化・情報などの能力と影響力を
指しています。
そしてこれらの相対的な位置づけによって、一般に
は「超大国」「大国」「地域大国」「中級国家」な
どとランク分けされています。他方で、「国力」自
体の定義と相対的な位置づけを数値で表す方法は多
種多様で、結構複雑です。何を強調するかについて
は、「国力」を論じた人によっても見方が分かれま
す。本メルマガの本旨から少し外れるかもしれませ
んが、長らく論争の対象になっていた「国力」の定
義や構成要素の差異の中にこそ、「国力」の本質と
我が国の未来に対する“ヒント”があるような気が
しますので、代表的なものを紹介しましょう。
その定義で最も有名なのは、「国益は国力によって
支持されなければならない」との明言を残したドイ
ツの国際政治学者ハンス・モーゲンソーだったと考
えます。モーゲンソーは、「国力」の要因を(1)地
理的要因、(2)天然資源、(3)工業力、(4)軍事
力、(5)人口、(6)国民性、(7)国民の士気、
(8)外交の質、(9)政府の質と9つ挙げています。
このうち、(1)から(5)までの地理的要因、天然
資源、工業力、軍事力、人口は、ある程度数量化す
ることができる「ハード・パワー」として換言でき、
(6)から(9)までの国民性、国民の士気、外交の
質、政府の質などは、数量化することが難しい「ソ
フト・パワー」として換言できるとされています。
この「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の関
係を違った形で、「国力」の要素として定義したの
が、米国CIAの情報担当次官として名をはしたレ
イ・クラインでした。クラインは、キューバ危機時
の情報分析の第一人者としての自らの経験をもとに、
当時、様々な書籍を上梓していました。日本語に訳
されたもので有名なものは『世界の「軍事力」「経
済力」の比較』(1981年)で、冷戦さながらの
各国の「国力」などを見事に比較分析していました。
私は当時また1等陸尉の若い幹部でしたが、関心を
持ってこのような書籍に目を通していたことをよく
覚えています。
クラインは、数値による「国力」を次のような方程
式で表しました。
P=(C+E+M)×(S+W)
ここでいうP=国力、C=人口+領土、E=経済力、
M=軍事力、S=国家戦略目標、W=国家意思を示
します。
つまり、「国力」は、人口、領土、経済力、軍事力
のような「ハード・パワー」と国家戦略目標や国家
意思のような「ソフト・パワー」が“掛け算された
総合力”であると定義しました。それでも当時は、
その骨幹となるのは、「ハード・パワー」である経
済力や軍事力であることが国際社会の常識となって
おりましたので、クラインの定義は、「ソフト・パ
ワー」の要素も無視できない“くらい”のニュアン
スだったと記憶しています。
その後、アメリカの元国防次官補ジョセフ・ナイが
2004年に『ソフト・パワー』を上梓し、軍事力
や経済力以外の新しい概念として「ソフト・パワー」
をより強調し、「ハード・パワー」と相互に駆使す
ることによって、国際社会の支持を獲得する有効な
手段であるとして一世を風靡(ふうび)しました。
クラインの定義によるハードとソフトの主従関係が
逆転したとの印象を受けました。
ナイ氏の「ソフト・パワー」を構成する3つの要素
は、“その地域を魅力的に見せるような”「文化」、
“国内外の人々の期待に応える”「政治的価値観」、
“他の人や国から正当かつ道徳的な権威があると見
なされる”「外交政策」を挙げています。これらか
ら、若干のニュアンスの違いはありますが、他を強
制し得る「ハード・パワー」に比して、「弾力性」
とか「しなやかさ」を(つまり「強靭さ」)有する
パワーが「ソフト・パワー」であるとも解釈できる
と考えます。
一方、私自身は最近まで知らないままでしたが、経
済学界でも論争になっていたらしく、アメリカの経
済学者のコックスとジャコブソンも「国力指数」の
再定義に取り組みました。彼らは、「国力指数」を
GDPに基づくものではなく、以下の10の要素か
ら構成される複合指数として定義したのです。つま
り、(1)軍事力、(2)政治力、(3)人的資源、
(4)天然資源、(5)貿易、(6)財政、(7)通貨
安定、(8)技術、(9)市場の大きさ、(10)国際
的な役割です。いかにも経済学者らしい分析ですが、
これにより、「国力指数」は単に経済力を測定する
ものではなく、より包括的な指標となりました。
そして、彼らはこれらをまとめるような形で、「国
力」を次のような式で指標化しました。
「国力」=GNP+1人当たりのGNP+人口+核
戦力+国際的威信
です。「ハード・パワー」に相当する経済力をさら
に細分化し、軍事力も特に核戦力に着目したことは
極めて“現実的”と言えるでしょう。この中の「国
際的威信」は、その定義が難しいとは考えますが、
この部分が「ソフト・パワー」に該当すると考えら
れます。
これらから、「国力」の定義は一様でないことがわ
かりましたが、このような定義を当てはめながら、
我が国の「国力」をどのように分析・評価すればよ
いかについては次号で取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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ss0014 · 1 year
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先月、10年ぶりくらい?に山梨に行った。
宿泊したのは初めてのことやった。
忍野八海で富士山の雪解け水を飲んだが、体の中になにかがさささっと駆け抜けていくような感じがした。
なにかとはなにか、
なんだろうか。
ぼっと灯った光のエネルギーがあたりさわりなくじゅわわわと体を駆け抜けて行った感じがした。
初めて山梨県北杜市へ。
山道を車で登っていく。
夜は霧が濃くて少し怖かったけどでも好きな雰囲気やった。
海がすぐそばにある場所で生まれ育ったからか、海が好きだと思い込んでいた。
でもここ数年は海よりも山の方が心地よく興味深い。
比べるもんじゃないと思うけど。
眠りについて目が覚める少し前に夢を見ていた。
目の前にいるメジロに向かって、「メジロは目の周りが白くてかわいいなぁ」なんて言っていたら目が覚めた。
外で鳥の鳴き声がしていた。
心の中ですごく思ってることや気にしてることが夢におもしろいくらいにわかりやすく反映されることが増えた。
今日は鳥の声に影響されて夢に出てきた。
早朝に目が覚めて散歩。
川を眺める。大きな石を見る。民家で飼われてる大きなワンさんと目が合う。
吠える。声は遠くまで届く。
山の中の空気もとても心地がよかった。
地図が書いてある看板を見たら、
北杜市は秩父多摩甲斐国立公園の一部であった。
2年前に奥秩父に行った際に居心地がよかったことを思い出す。
今年の初めに行った奥多摩も心地がよくてすぐにまた行った。
秩父多摩甲斐国立公園のあたりは居心地がよくて好き。
居心地がいい場所って理由がある。
その土地が持ってる歴史やエネルギーと自分の持ってるものの相性もあるなぁと思う。
実際に足を運んで感じて、知りたい。
今年は久しぶりに大好きな青森へ。
あとはずっと行きたかった沖縄の久高島へ行こうと思います。
旅は続いてるみたい。
旅のお話よかったらしましょうね。
今日はずっと気だるく眠ってた。
お酒をもう少し飲んで眠ろう。
2023.4.25 0:16 
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poddyshobbies · 2 years
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花立地蔵(首切り地蔵)
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「新片江橋そばの四石仏」の前の道を挟んで、大通りに近い方にある階段を登ったその先です。周囲は竹林や建物に囲まれ異空間に感じました。
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ここは南片江ですが、近くの七隈周辺には熊本の菊池氏にまつわる歴史・史跡が残ります。この地蔵堂もその一つです。鎌倉時代の戦乱で敗走した菊池氏の武将がこの地で切腹し、その武将を哀れんだ地元の人たちが地蔵堂を立てて供養してきたそうです。また、首のない仏像が出土したため「首切り地蔵」とも呼ばれるようになったそうです。
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石造物が多数(詳細は不明)。
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花立地蔵尊(はなたてじぞうそん)
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堂内の絵馬
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ニャンの巡回場所 ~ イタチのような?動物も見えました。
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「保存樹」の看板 ~ 無いみたいでした。
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↓ 道路方向
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路の繁多l側の小さな杜が阿弥陀堂(四石仏)
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↓ 阿弥陀堂前 ~ 間違えて降りてしまった階段 (新片江橋のガードレールと電柱の間) 。
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こちらではありませんでした ~ 引き返しました。
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付近に駐車できる場所はありません。
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(2023.2.1)
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sangokushi7 · 3 months
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杜牧の仮説詩!もし曹操が[赤壁]で勝っていたら?
杜牧の仮説詩!もし曹操が[赤壁]で勝っていたら? #杜牧 #赤壁 #三国志 #はじめての三国志
  歴史に「if」は無いとは言いますが、やっぱりああだったら、こうだったらと考えずにはいられませんよね。特に『三国志』に関しては、そんな妄想を繰り広げずにはいられません。実は、唐代にも「『三国志』たられば」を詠んだ詩人がいたのでした。     「小杜」と称された杜牧   唐王朝も斜陽(しゃよう)に差し掛かっていた頃、杜牧(とぼく)という詩人が誕生しました。王朝末期ということで、暗くて何だかか細い雰囲気の詩が世にはびこる中、彼は豪快でわかりやすく、奔放な詩を生み出し続けました。特に七言絶句に長けた杜牧は、杜甫(とほ)が「老杜(ろうと)」と称されるのに対し、「小杜(しょうと)」と称されるようになります。   杜甫の詩は安史の乱に巻き込まれた激動の社会を描き切ったものが多いことから、その詩自体が歴史を描いているとして「詩史」と呼ばれていますが、杜牧の詩は「もし~だったら」と過去の歴史に自由に思…
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sumiekawakami-blog · 3 months
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金峰山稜線を楽しむ:南アルプスの景色と五丈岩の信仰の歴史
金峰山(標高2,599m)山頂にそびえる五丈岩は遠目からみても堂々として、一目でわかる存在感がある。山梨県に住んでいる私にとっては日々慣れ親しんだ日常の風景だ。でも、地元・北杜市サイドから登るとなると全行程で一〇キロ、標準コースタイムでも九時間ちょっとと、それなりに心の準備が必要で、より手ごろに行ける瑞牆山ですませてしまうか、どうせ丸一日かかるならと、より標高の高い赤岳に行ってしまうことが多い。だが今回、7月のある日、瑞垣山荘から日帰りに挑戦してみて、南アルプスを横目に上る金峰山の稜線がなぜ古(いにしえ)の昔から人の心をとらえてきたのか、改めて実感することになった。*ちなみに長野では「きんぷ」ではなく「きんぽうさん」と呼ばれるらしい。 *地図とコースタイムは山と渓谷より引用 瑞牆山荘の近くの県営無料駐車場から出発   瑞牆山への登山口でもある瑞牆山荘の近くの県営無料駐車場から出発。…
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blanchehinaco · 6 months
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昨日は長野県諏訪市でBLANCの原料に採用しています黒曜石を学ぶツアーに販売店の皆さんと共に参加しました
先ずは矢の根や館長宮坂さん(ブラタモリで黒曜石の説明をされた方)から黒曜石と縄文の歴史を大変わかりやすく教えていただきました
この写真は日本遺産に認定された星ヶ塔黒曜石採掘原寸大ジオラマ
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実はこの採掘している人々はだれかというと
山梨県北杜市から山を越えて下諏訪まで来ていたそう
山で寝泊まりしながら黒曜石を採掘して、加工して、村に帰る
そしてその黒曜石を様々な場所に運び交易を行っていたのだとか
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星のマークで採掘された黒曜石がなんと北海道まで運ばれていたとは(赤い点が運ばれた場所)
海を丸木舟で流れながらなんて浪漫を感じます
幼い頃見たアニメはじめ人間ギャートルズのイメージでは、棲家の周りで狩をしながら暮らしている感があったけど
実際の縄文人はもっとアクティブな冒険者だったんだ‼︎
そして物々交換する過程で人との交流を楽しんでいたのですね
そういえば私も甲州人でありながら、信州の黒曜石を用いて商売をさせていただき、全国のお客様と繋がりを持たせていただいている
黒曜石と人との関わりのルーツを知ることで、時空を超えた重なりに勝手に感動を覚えた次第です
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次は黒曜石が採掘されていた場所へ
黒曜石岩盤のこの神聖な場は澄み切った空気がなんとも心地よくて‥
こちらは黒曜石とシルクと光触媒を融合させたトリニティ発祥の地でもあります
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そして、最後は諏訪大社上社へ
丁度お祭りをしていて行列を見ることができました
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黒曜石の杜から切り倒される御柱の木を4本立て結界を作るということ
山や石や木を御神体とし畏怖畏敬してきた歴史を教わりました
諏訪は丁度桜が満開でとっても美しかった
改めて大いなる自然への畏敬の念が一層高められました
こんな素敵な地とご縁をいただけていることに感謝する最良な1日となりました。
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usono-musuko · 9 months
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2023年12月31日
「私は18歳くらいの頃から、親からずっと言われていたことがある。「20歳になったら自分を再教育しなさい。親は完全な人間ではなく、ゆがみがある。そのひずみをお前は受け継いでいるかもしれない。また、ここでお前にこうしてやりたい、と思ってもできなかったことがたくさんある。」」
「斎藤由香さんが高校生のときに父親(北杜夫)に連れられて埴谷雄高に会ったとき、埴谷のあまりの博識さおもしろさに圧倒されて高卒で就職するつもりだったのが勉強して大学入ることに決めた、って話が大好きなんですよ。 若い人間にとってまわりにオモロい大人がいることがどれだけ重要か。」
「人間は安定した自己を持つために3つの「自己対象」を持つ必要がある。
・鏡自己対象(自分を褒めて認めてくれる存在) ・理想化自己対象(そのまんま理想となる存在。アドバイスとかを受けたいと思う存在。) ・双子自己対象(同好の士。等身大で話せる相手)」
「当たり前なのだが、上記の3つは基本的には同時に成立しない。同時にすべてを受け入れてくれる人などいない
「自分の憧れの存在が、自分を認めて自分をヨシヨシしてくれて、それでいてなんか気楽に話せる」みたいな欲望がいかにありえないかは考えなくてもわかるはずだ。
これがわからないのであれば、自分がいかに欲張りであるかを全く自覚できていないということである。それは他人にとってむちゃくちゃ迷惑である。
これらの欲望を抱くこと自体が悪いのではない。
これらの欲望をすべて一人か二人のの人間に受け止めてもらおうとすることが不可能であることを理解しないことが罪深いのだ。」
「「勇気がある」を言い換えると「計算で動いていない」ということではないかと思っていて、ようは「勝てるかどうかわからなくても、戦わなきゃいけないと思ったら戦いはじめる」のが勇者、だから導き手や支え手の余地がある。みたいな…。」
「「誰もそんな細かいとこ見てないから手ェ抜けよ」って自分と 「誰も見てなくても私が見えてんだよ」っていう自分が常に殴り合ってるのが創作」
「オタクが指す意味が人種から文化に変わったよね」
「性癖こそが読者が読みたいものなのでは? と最近のPVやブクマ見て気がついた」
「(スケルトンダブル) よどみくんのぶっ殺してえ衝動は父親の死に対する怒りが発端なんだから ぶつけ先が向こうからサンバを踊って列を成してや���てきたような状況だぜ 行っちゃうよ? 行っちゃっていいの?って心持ちだよ」
「学校の休み時間と図書室のラノベの相性が抜群なんだよ…」
「 初めて本格的に触れてのぼせた作品を中心に頭が回る人はいつの世にも」
「先輩にライカのレンズを「自分の意思で」買った事を話したら 「そう、それが超望遠単焦点への入り口だ。ライカのレンズを買い続ける事で国産レンズの値段を安く感じ更に一歩先の領域へ足を進める事が出来る。俺は結婚しその領域には行けなかったがお前なら…」と言われて
めっちゃ複雑な気分になった」
「モチベの軸足。いかに「声をかけられやすい」場所に居座るか。自分でやりたい事探すより「こいつにあれをやらせたい」と誰かから思われ続けること���その体験通じ「自分という人間の巧い使い方」を学び、改めて自分で自分に命令してみること。自分よりも自分を動かすのが巧い人からコマンド学ぶ」
「才ある人間の隣には才能を引き出す才能持つ人間の存在がある。自分独りで自分のフルスペック引き出す方法見つけられる人間はほぼいない。だからまずはあなたよりもあなたを使うのが巧い人に使われたらいい。後々揉める事になろうとまずはそれが加速の第一歩でしょう」
「自分ルールで「ラーメンは一ヶ月に1回まで」と決めているんだが、これはハズレの店を引いてしまった時のダメージが大きくなる。そのため家系チェーンみたいな"約束された80点"を狙いに行ってしまう。
要は何が言いたいかというと、制約というのは試行回数を減らして世界を狭めることに繋がるんだよ?」
「NTRとは女を取られた男の喪失感や怒り悲しみといった負の感情を フィクションという媒体を通して疑似体験する事にあるんだよ 現実では絶対にノゥだけど作り話でならってね ホラーやサスペンスと同じなんだよ」
「日本一周するのは精々20代半ばくらいまでみたいな風潮ってもちろん時間と体力の問題が一番だろうが、それはそれとして日本一周が偉業と思える感性の賞味期限は意外と短いという要素もあることがわかってきた」
「亡くなったオタ友人が3人いるが、いずれも告別式やお別れの会で親御さんが故人の同人誌や所蔵してい��オタグッズを配っていた。お一人などはご家族が未発表原稿をかき集めて新刊本を作りコミケにまで出ていた。 親とはそういうものなんだ。そういうものなんだよ。」
「わたくしの茶ヲタ時代に、会社の先輩が「酒ヲタは破産しないが、茶ヲタは破産するので気を付けろ(酒は財が尽きる前に体を壊してしぬが、茶は長生きの薬なので寿命より先に財が尽きる)」と言っていたのを唐突に思い出すなど。」
「暴論なんだろうけど芸術はゲーム音楽と同じって言われて割と納得した いわゆる名シーンで流れた名曲を名シーン知らない人に聞かせても全然名曲って感じないのと一緒だよって」
「チャップリンがライムライトで「人生に意味はない。あるのは情熱だけだ」と言い放ったのを見た時に、私は人生の意味から解放されました。」
「私の恩師は「君たちに無限の可能性などない、君たちには無限の可能性がある!と言った方がカッコイイかもしれないが現実にはない」と言った。親に話したら憤慨してたが私自身は正直な信頼に足る大人だな、と思った。」
「この歳のヲタクになると、30年間ともにリアルタイムで追い続けたコンテンツそれなりにあって、長期間追い続けることによってのみ得られる楽しみがある。
マウントを取りたい話では無く、今の10代20代のヲタク達には是非そういった人生の宝となるコンテンツを見つけて欲しいという祈りに近い。」
「結局どんな手法もできない人にはできないので、これなら才能ない俺でもできそうだな、と感じる時点で才能が発揮されている」
「同僚に「今、子供に人気のキャラってどうやったら分かりますか?」と聞かれたので「スーパーのふりかけ売り場に行けばわかる」と伝えた」
「自分以外の誰も彼もが馬鹿にみえてきたら、自分がいろいろやばくなっていると思わないといけないですよ。」
「読解を「見えないものを見出す行為」と思っている人は多い気がしてて、実際のところ「自分の知ってる事を細かく書いていく行為」をするだけで他人はそれを読解や考察と捉えてくれる気がしてる。細かく書けば書くほど「他人の気づいてないこと」を見出す可能性は増えるから。」
「自分が作品の感想や読解をする際「自分の知っていること」「わかっていること」を書き連ねていたら自然と「自分が気づいていなかった、自分自身の読解」に気づく瞬間が一番楽しいです。人と会話してて「え、俺こんな感想持ってたんだ」って驚くこと結構あるもん。」
「何かあると、 「そういう人間行動って、原理的には大昔から同じですよ。Webによって可視化されただけですよ!」と、だから状況変化でも何でもないみたく言いたがる人が多いけど、実際には 「Webによって可視化された」ことによる影響がでかいことが問題の核心なので、状況変化の話なんだよなやはり。」
「>現代オタクの基本装備はユニクロパーカーとかだろうか 俺は格ゲーの民で定期的に色んなタイトルで会議室借りたりゲーセンの一角を時間で借りる大会に参加したりしたんだけど 参加者の半数が全身真っ黒な不審者のようなコーデなの なので全身真っ黒チームvsまともな服着てるチームで紅白戦何度かやった」
「そもそもキリスト教にマリア信仰なんて概念存在しないのに いつの間にか凄い人気出てなんならイエス凌ぐ勢いで信仰集めるようになって教会本気で頭抱えたって歴史案件 「原作にちょっとしか出番ないお母さんキャラがめっちゃ同人描かれるやつやん」 って言われててクソ笑った」
「歴史って「特に有能でもないんだけど英雄のそばにずっといて、その人がいなくなった途端にその英雄の豪運が暴落する」という人がいて面白い。」
「「こんなに馬鹿になってしまって、どうもすみません」と私に謝る母の姿、その切なさを、私は一生、忘れないでありましょう。」
「他人が自分好みの行動してないとイラつく人が本当に多いんだよねネット…」
「ゼロ年代では「俺はまだ本気出してないだけ」がダメなやつの遠吠えでギャグになっていたけど、令和ではシンプルに、本当に本気を出してないということがエンタメになってるんだな…」
「ブルーグラビティは青バラと思えないぐらい育てやすいから結構いいよ ただ香りはあんまない」
「地質学ベースの現代判定やめろ」
「世の中には、あらゆる競争に負けすぎて、 「自分だってせめてこれだけは!」という祈りの一線が、 よくわからないものになってしまっている人々が、みんなが思ってるよりけっこうたくさん意外なぐらい、存在します。」
「御存知の通り、本を読む人は本を読む人の口から自分の好きな本のタイトルがでてくると、途端相手に好感を持つのである。」
「めちゃくちゃ売れてる作品の作者、自分がこれからも躓かずに面白いものをガンガン描き続けるという前提で偉い大人やデカい金が猛スピードで動いてるの怖いだろうな」
「「反物質太郎」ってハンドルネームのフォロワーが文学部生から「たんものしち太郎」だと思われてたって話すき」
以上。
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猿の演劇論特別編@無為フェス/BUoY#2
#2 「アガンベンの錯乱−監獄から収容所へ、で、その先は・・・」
『ホモ・サケル』から、コロナ禍での論考まで哲学者ジョルジョ・アガンベンの思想に寄り添いながら、「収容所の愉楽」とこれからの演劇について考えます。
下記は、講義の概要をまとめたものです。
ー 
今回の講義の「アガンベンの錯乱−監獄から収容所へ、で、その先は・・・」というタイトルは、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンのコロナ禍での発言が問題視されたことからきていると鴻さんは言います。
コロナ禍におけるアガンベンの思想
鴻さんは、杜撰な言い方をすると、前置きしつつ、アガンベンはコロナなんて大したことないのだから、こんなふうに規制をするのはおかしい、こんな規制をされるくらいなら死んだ方がマシだというようなことを書いたのだと説明します。それに対して、とんでもないことを言う思想家だということで、発言が炎上するわけです。アガンベンはそれに応戦しますが、アガンベン批判の方が圧倒的多数でアガンベンの発言がだんだんと消えていく。その問題の発言は2020年2月26日に発表されたものです。その後は、ちょっと言い過ぎたのではないか、とか、考え方は変わりましたか?とか、あの時言った事は間違っていたというふうに言ってくれませんか?と、インタビューを受けたりします。そうした一連のアガンベンの言説が一冊にまとめられたものが、『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』という本になっていて、そのなかでのアガンベンの最後の発言が2020年7月13日です。
鴻さんは、この本が出た時に読み、半信半疑という形でちゃんとした検討はしていなかったと言います。しかし、その後にコロナの感染状況はさらにひどくなり、事態は悪化していく。そうした中で、アガンベンの発言を探したけれども、見つからなかった。アガンベンの専門家に来てもらって話を聞きたいと思っていたけれど、それもできなかった。今回はまだ検討が終わっているわけではないけれど、鴻さんの考えるアガンベンの発言の解釈を話したいと言います。
この本の翻訳者の高桑和巳さんは、タイトルについて、日本語訳を「私たちはどこにいるのか?」としたことに関して、イタリア語原文の「A che punto siamo?」は、私たちは歴史的な展開過程のどの点にいるのか、つまり、展開に対する調査、認識を踏まえ、今こういうところにいるのであれば、その後どこへ展開するのか、それは間違っているのではないか、こうした方が良いのではないのか、という展開過程においてどの地点にいるのか、という意味があると説明しています。つまり、歴史と地理を考え、ある地点を特定し、その場の意味について自覚させられるような事がコロナにおいて起こった、それに対する自覚がないことが問題なのではないか、ということです。アガンベンはコロナによって顕在化してきた出来事は耐えがたいと言っている、ことに鴻さんは共感を持ってこの本を読みました。
そして、今回の講義タイトル「アガンベンの錯乱」は、このことに由来すると言います。この耐えがたい状態、それは、権力が私たちに馴染ませてきた例外状態が通常のあり方になったということをエピデミックが明らかに示したということ。コロナ禍において日本ではニューノーマルという言葉が盛んに使われました。コロナ禍において私たちは新しい日常、ニューノーマルを生きなくてはいけない、それに対して、多くの人たちが「わかりました」という構図になった。2020年から世界で、日本で起きている状態をニューノーマルと呼んだメディアや提案した人の問題ではなく、それを大多数の人たちが受け入れたことに問題があったと鴻さんは言います。
「ニューノーマル」という実験
この異常事態にどう対応するかという提案ならば、それを一緒に考えようということになるけれども、それを異常事態ではなく、ニューノーマルというふうに名付けて大多数の人が受け入れてしまう、そういうことが現実に起こり、これ対して、鴻さんは大きな拒否の態度を取り続ける必要があると思いながら、それが具体的にうまくできないままこの3年が過ぎてしまったと振り返ります。アガンベンも、皆がニューノーマルと言い始めた事はおかしい、それに対して抵抗しなくてはいけない、と書いています。パンデミックによって、世界の移動が禁止される、感染して死亡したものの葬儀の場に立ち会うことができない、こうした事は異常事態だけれど、この蔓延している例外状態がニューノーマルとして認定され、我々が受け入れること、それは、今の世界の監視社会の性格そのものを受け入れていくということが起きているのだ。このことをアガンベンは何度も言っている。この発言において、アガンベンが言っている事はそんなにひどいことではない。より深刻なパンデミックは過去にもあったが、今回の��うに私たちの移動まで阻止することまで考えた者は今までいなかった。監視と規律、移動の禁止など様々な禁止がこれほど容易にできた社会は今まで存在しなかった。私たちは永続する緊急事態を生きることに、これほどまでに慣れてしまった。自分の生が純全とある生物的なあり方へと縮減され、社会的、政治的な次元のみならず、人間的、情感的な次元の全てを失った。例えば、死者を前にしてそこに供えに行って悲しんではいけない、それを耐え忍ばなければならない。ニューノーマルという言葉を使うことで、そうしたことを受け入れる人たちは、自分たちが人間的、情感的な次元の全てを失ったということに気づいてすらいない。ニューノーマルという言葉が普通に使われることに対する危機意識を表そうともしなかった。そういう事態がどのように展開しているのかというのが、この2020年以降の世界の姿を見るなかで、いろんな形で検証できる。そして、実は、ここで展開されているのはシミュレーションなのではないか。ニューノーマルを実験として考察している人たちがいて、しかし、その人たちが何を考えているのかに対する分析を我々はすることさえしていない、そのために、思想家は思想家としての役割を意図的ではないにしろ、放棄しているに等しいのではないか。
アガンベンの収容所論
この事は、前回のエドワード・サイードの「帝国の愉楽」と似ています。例えば、大英帝国の人たちは、インドの社会システムに対するちゃんとした知識を持っていて、カースト制度を利用する事で最も安易な形で手をかけない形でインド全体を統治できる。それを持続させるために、イギリス人の子供たちにそうした知識を学ばせた。インドで生まれた少年キムは、まずインドで教育され、ある段階で、ロンドンに留学し、再びインドに帰ってきて、ラホールの博物館に滞在し、インドとはどういうところなのかを知る。インドを調査する喜びを感じながら、その喜びとともに統治する能力を身につけていく。これが帝国主義の喜びです。この喜びを知らないで戦っても勝てない。
サイードはパレスチナ人なので、自分たちを支配している帝国主義者、あるいはユダヤ人、について考える。イスラエルという国にユダヤ人を住まわせる事で、欧米が湾岸地区の石油を自在に収奪できるようになる。そのためにイスラエル建国が必要とされているという事は知っておかないといけない。帝国主義の愉楽というものを知る事なくして、植民地の独立運動はあり得ないというのが、サイードの考えです。
では、アガンベンがコロナ禍になぜこのような考えに至ったのか。鴻さんは、アガンベンの考察した20世紀の社会そのものがそう言った方向性を持っていて、このような発言に至った。つまりアガンベンの収容所論と関係があるのではないか、と説明します。
2010年代には、コロナウィルスによるパンデミックなど全く予測できなかった。その頃に書いた『ホモ・サケル』では、私たちが収容所化する世界という例外状態にいる、その危機において私たちは抵抗しなければならないと書いていた。この当時、アガンベンはその例外状態が新しい日常になり、コロナのパンデミックによってそのことが検証されるとは思っていなかっただろうと言います。
アガンベンの代表作『ホモ・サケル』が出版されたのは1995年、その翻訳が日本で出版されたのは2003年です。翻訳に時間がかかった理由はわかりませんが、あまりアガンベンが知られていなかったことがあったのかもしれません。
この収容所論における、収容所とはアウシュビッツ、ソ連の強制労働収容所が2つの重要な参照例です。1995年に近代的なノモスとしての収容所と書いたときに、アガンベンは西洋近代の社会構造の本質は結局アウシュビッツのような場所で展開された収容所に帰結する、我々の社会がそこへ向かって修練していく、そうならないための努力をどのようにすれば良いのかというのが問題であると書いている。そのときは、我々はそういう危険性に包囲されているけれども、それとの抵抗のなかで人間の生は存在していると考えているわけです。
これとほとんど同じようなことが、20年前にあたる1975年にミシェル・フーコーによって書かれています。この年に『監獄の誕生』を書くわけです。近代的なものの生政治的判例としての監獄というような形で書いています。
監獄が誕生するのは、ヨーロッパにおいては、1800年から1850年くらいの間にほぼ全ての国で監獄のシステムが出来上がる。フーコーは、近代社会の本質は監獄にある、その本質は規律訓練であると言う。監視と処罰において規律訓練を生み出し、そして従順な身体を作り上げていくというのが、監獄の役割であり、このシステムは近代社会の決定的なモデルであって、これは教育、労働などの社会システムが監獄のシステムを踏襲する形で世界が確立していく。ここからいかに脱出するのかということが、『監獄の誕生』のテーマです。
このフーコーの監獄の誕生に対して、アガンベンが収容所の誕生を『ホモ・サケル』と言う本の中で書いた。
ビオス・ポリティコスを考察する
アウシュビッツが参照例とされる、近代的なノモスとしての収容所。その収容所的な世界観からいかにして脱出するのか、いかにしてそういうシステムを壊し、人間が新しい共同体なり、姿なりを作り出していくのかということが問われている。その事例として、ギリシャのビオス・ポリティコスという言葉をアガンベンは幾度も使います。ビオス・ポリティコスとは、ポリスにおける生き方を意味します。ビオスとは人間の生という意味です。それは、古代ギリシャにおける何らかの新しい人間のより良い生のあり方として取り上げられている。しかし、ギリシャのポリスにおける人間の生のあり方が実際にどうであったのかという事は簡単にはわかりません。それを調べるための1つの非常に重要な事例が演劇です。古代ギリシャの演劇を観ることによって、ビオス・ポリティコスというものがどういうものであったのかがある程度推測できるわけです。
ギリシャ演劇、例えば『アンティゴネ』が初演されたのは、紀元前441年です。アンティゴネが生きていたのは、推定で紀元前1220年頃です。つまり、紀元前441年に上演された演劇の物語は、それから7-800年前くらいに起きたとされる出来事の伝説が芝居になっている。物語として、叙事詩として伝わってきているけれど、テーバイ伝説を聞いている人たちはその場にいたわけではないし、その辺りのことを必ずしも知らないのになぜ聞くことができるのか。それは、800年前の出来事なのに、聞いた人たちがわかるように物語が組み立てられているからです。だから、我々が今ギリシャ演劇を観て何が何だかさっぱりわからないとはならない。元々がある出来事の伝説を800年後の人が聞いている。さらに、2500年後の我々が見ても納得できる。芝居を観て、その時代の人たちの間で何が問題になっているのかがわかる。ポリスの生、ビオス・ポリティコスがどういうものであったのかが分かるのです。アンティゴネを死へと追いやったクレオンのような振舞いをする専制君主に対して、ポリスの民衆たちが何を考えたのか、ということを研究していくと、古代ギリシャのポリスにおける生の形態というのを我々はいろんな形で考察できる。
ビオス・ポリティコスを英語に訳すると、Political lifeです。ナチス・ドイツがユダヤ人を収容所に送っていくその最中に暮らしている人たちのPolitical life、これが1943年のドイツのビオス・ポリティコスであり、スターリン時代のソ連で『収容所群島』で描かれているような実態がビオス・ポリティコスである。ポリス的な生のあり方がどういうふうに展開していったのか、それが歴史というものなのです。
ゾーエー「剥き出しの生」のあり方
一方で、ビオスに対して、ゾーエーがあります。「剥き出しの生」と翻訳されています。ビオス・ポリティコスは、ポリスがあるからこそ可能にしている生の形態です。そうではなく、いわゆる社会的だとか、人間的だとかいうものと関係なく「剥き出しの生」はただ生きているだけです。ここで、もう1つ、「ホモ・サケル」という言葉があります。文字通り訳すると「聖なる存在」。古代ローマにホモ・サケルと呼ばれる人たちがいて、聖なる存在で、人を殺しても殺人罪に問われない、そういう社会規範において例外的な存在がいたのです。アガンベンは、このホモ・サケルを「剥き出しの生」とつなげています。
ところが、今回のパンデミックにおいて、埋葬したい人がいても埋葬をしたいという感情を一切剥奪され埋葬はできないとか、旅行したいと言ってもウィルスを撒き散らすかもしれないから移動してはいけないとか、全てを剥奪されて、いわゆる人間として社会的活動とか、感情的・情緒的な活動を含めた一切が剥奪されてしまった、そうした人間をアガンベンは「剥き出しの生」としている。ここで、鴻さんは、アガンベンのこれまでの主張とズレを感じると話します。
収容所化した世界が、ビオス・ポリティコスの新しい形式の1つだとすると、そのビオスの中に「ただ生きている」よりもひどい形式というものがあって、つまり、悪き生へ負の連鎖の中に入ったときのビオス・ポリティコスに対して、ゾーエーは、いわばそうした社会の価値基準か離脱した存在そのものとして、潜在力を持つものとして考えられると以前は書いていたように思う。ビオスが壊れるとビオスの下に潜在力としての存在のゾーエーがある。ゾーエーは何者でもないけれども、何かになる存在、それに対して、何者かになってしまった、それは不完全で魅力的でもないかもしれないし、あるいは魅力的だったりするかもしれないビオス・ポリティコスをいかに、より良いものにしていくのかということを考える。コロナ禍におけるニューノーマルを受け入れた人たちは、そのことが、ビオス・ポリティコスのあり方を、潜勢的なゾーエーというものから生み出された1つの形式を、さらに悪い方向へ向けていく、世界を収容所化していくそういう形なのだと考えることで、『ホモ・サケル』を読み直すことで、アガンベンの言おうとしている真意を読み解いていく必要があるのではないかと、今鴻さんは考えています。
身振りについてー収容所化する身体への抵抗
また、鴻さんが『ホモ・サケル』を読むきっかけになったのは、2000年に翻訳がでた『人権の彼方に』を先に読んでいたことでした。『人権の彼方に』収められている「身振りについての覚え書き」という章において、アガンベンは、西洋ブルジョワジーは19世紀の終わりから20世紀の初めに身振りを失ったと書きます。要するに、監獄という社会の中で、監視と処罰のシステムの中で、行動を規制され、従順なる身体へと移行していったという考え方からすると、そうした従順な身体は身振りを奪われたと言うのです。しかし、20世紀初頭の演劇ほど身振りを再発見したものはないのです。セリフ劇ではなく空間と身体の動きによって生み出された演劇は19世紀末から20世紀初めに起こるわけです。アガンベンは、続けます。社会的に身振りが失われたそういう人たちの中から抵抗として身振りを蘇らせるような活動をしていた人たちが芸術家であったと言うのです。例えば、ロシア・アバンギャルドの演出家フセヴォロド・メイエルホリドは、コメディアデラルテに学び、舞台上で跳躍するような垂直的な動きを取り入れて空間をダイナミックにしました。20世紀初頭に映画が登場した初期の頃のサイレント映画は身振りによって表現されます。しかし、ロシア・アヴァンギャルドが社会主義リアリズムへと移行していくとき、身振りの演劇がリアリズムの言語的な演劇に回収されていく。そうした動きが世界の収容所化です。一方でさらに、1960年になると、それに抵抗する新たな演劇の動きが出てきます。パリの五月革命なども身振りの復権への動きかもしれないし、その身振りの復権こそが収容所化する身体への抵抗であるとアガンベンは書いています。
20世紀の芸術、その問題性を収容所論から解き明かす
こうしたアガンベンの翻訳を鴻さんが読んでいた2000年から2005年にかけては世界的にも演劇はダイナミックでした。2001年から鴻さんがアフリカ・アジア・南アメリカを転々としながら演劇を観ていました。抵抗の姿勢としての演劇についての考察を唆すような言説が溢れていた。収容���化した空間に対する抵抗としての演劇、人間の新たなるより良き生を目指すためのビジョンについて考えるための事例として収容所についてアガンベンは語っていました。ところが、そう言う戦いそのものが2015年くらいに敗北に終わるのです。サイードの悲しみでは、1993年から2003年の10年間の経緯の中での悲しみがどんどん深くなっていくことを話しました。今のパレスチナの状態を予感しながら、絶望的な文章を『オスロからイラクへ』で綴っています。ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクは、2007年にポストコロニアル批評は失効したと言います。アガンベンは2020年の前までは、20世紀の非常に重要な核としての収容所という言い方をしながら、しかし、世界の収容所化をいかに防ぐか、これに対する提案をしながら書いています。それが、『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』では、収容所化したということを確認するためのシュミレーションモデルが作られ、それが実行され、実験が終わって、収容所化していたということがわかったと書いているのです。
演劇においては、タデウシュ・カントルが『I shall never return』という作品で収容所的な世界を書いています。この言葉を言って連れて行かれるのはガス室です。自分が殺されることを知っている。明日は仲間か、自分かもしれないと思いながら、この言葉を言って見送る。そういった人たちが、舞台上にいるカントルを前に「どうしてくれるんだ」となどと言うのです。彼らの言葉が耳からこびりついて離れない。カントルはポーランドのクラクフで活動をしていましたが、そこはアウシュビッツから車で1時間ほどの都市です。その場所で生まれて学生時代を過ごし、アウシュビッツのことを思いながら作品を作ってきた。そのときに「Nothing ahead」と頻繁にカントルは口にしていた。「先には何もない」、でもその言葉を呟きながら私の心は明るい軽い気持ちだった、肝心なのは断念しないことだ、とカントルは言っています。アウシュビッツで「私はもう帰らない」と言った、そうして殺された人たちが舞台に死者として出てくるような作品を作り続けていくときに、断念しない。そうした新しい世界像へ向けての死との直面の仕方であるというカントルが言うときに、鴻さんはゾーエーとビオスのことを考えていました。それを文章にしたものが、2006年の現代思想に掲載された『死と身振り』という鴻さんの論考です。アガンベンの『身振りについての覚え書き』を引用しながら書きました。
アガンベンは、以前は収容所について問題にするときは、世界は収容所化に向かっているけれども、そうなってはいけないという警告として書いていました。しかし、コロナ禍で世界は収容所化してしまったと書いた。そこで、アガンベンの錯乱なのです。収容所化してしまったことをアガンベンは許せない。監獄に入れられた人は監獄からの脱出を願う。収容所に入れられた人は収容所からの脱出を願うわけです。ところが、収容所の愉楽から、今や収容所的世界にいることに喜びを感じているという形に移行しているということが、コロナ禍において我々に突きつけられたことなのです。そのことをアガンベンは様々な言い方でした後で消えてしまった。戦い続けているとしたら戦っている姿が見えない。世界の収容所化について、収容所分析をすることは、収容所化への抵抗であった。それが、もうそうなってしまったとい言い方になった。それは嫌だと最初は言ったけれど、そこで諦めて沈黙してしまった。この姿勢は批評家として問題ではないかと鴻さんは感じています。収容所を問題にすることは、それを掘り起こしてくることで人間存在の本質に迫ることであって、受け入れることではない。20世紀の芸術、その歴史を掘り起こそうとするとき、その問題性に迫り、より良い展開を可能にするにはどうすれば良かったのかを考える。存在の意味をゾーエーさえもが思考する。ビオスは良い、ゾーエー(剥き出しの生)は良くないという言い方をする人たちも多いが、ビオスに問題がある場合もある。ビオスがゾーエーを不可能にしている。完全な監禁状態において、スラヴォイ・ジジェクがいうところの「監視と処罰ですか?はい、お願いします。(Surveillance and punishment? Yes Please.)」が、今の収容所の愉楽におけるキャッチフレーズのようであると鴻さんは言います。
『カラマーゾフの兄弟』でイヴァン・カラマーゾフの話す大審問官の伝説では、スペインの広場で治癒能力を持った青年が現れ、病気を治したり、死者を蘇らせたり、様々な奇跡を起こします。それを大審問官が困るから捕まえてこい、という。なぜか? 人々は皆幸せに生きていて、こんなに幸せな世界はないと思いながら従順に暮らしている。それにも関わらず、奇跡を起こすことで、何か違った夢をみたり、夢が実現しなくて今までに感じなかった苦痛を感じて、世界が混乱するかもしれない。そのような存在はいないほうが良いと言う。そうすると、その青年は大審問官のそばに立って、ひざまずいて、口づけをすると静かに立ち去っていく。つまり、収容所の愉楽をかき乱すことはやってはいけません。こうした統治論の1つの例がドストエフスキーによって与えられている。こうしたモデルを色々と知った上でアガンベンのように収容所論というのを厳密に解き明かしていく作業が必要だろうと鴻さんは言います。
フーコーもまた、『監獄の誕生』を1968年のパリ学生反乱の敗北とその反省として書きました。なぜ敗北したのか?それは統治システムの巧妙な仕組みについて考えていなかったのだと言います。近代という構造に対する批判的な分析とそれに対する戦いの方法がなかった。そのことに、68年の敗北の後に気づいた。フーコーは1984年に亡くなります。そこから10年して1995年にアガンベンが『ホモ・サケル』を書きます。
芸術の世界では、ピナ・バウシュもまた収容所的世界を描いています。ピナ・バウシュはゾーリンゲンという小さな街で生まれ育った。そこで生まれ育ったもう1人の有名人はナチス・ドイツのアドルフ・アイヒマンです。そして、自分がダンスの勉強をし始めた1960年にアイヒマン裁判が始まり、その報告記事がニューヨークタイムズに掲載されます。そうした事態の経緯がピナ・バウシュには大きく影響している。1986年に作った『ヴィクトール』という作品は、全体が大きな墓穴になっている。墓穴の底には人がいて終始踊っている。一番上の地面では、スコップで泥を使って墓穴を埋めている。それは死の舞踏であり、アウシュビッツの収容所で生き埋めにされた人たちを表現している。そうした状況でさえも、ゾーエーさえもが、ビオスというものを捨てない、という動きが展開されていく作品です。自伝的な作品『カフェ・ミュラー』では、アウシュビッツのような歴史の最中に投げ込まれて、それについて何も語ることができない少女が舞台に登場します。盲目で、目を瞑ったまま現れ、去っていく中で、幻のように頭に浮かんだ光景が舞台で展開される。この作品ではアウシュビッツの記憶がピナ・バウシュにのしかかっている、しかし、そのような中でも生というものが、いかに可能かが舞台化されている。カントルもピナ・バウシュもアガンベンの収容所論の前にこうした作品を作っている。20世紀の現実を踏まえながら作られた作品を見るときに、アガンベンの収容所論は意味を持ちます。鴻さんが『死と身振り』を2006年に書いた時は、アガンベンを読みながら、世界の収容所化とそれに抗する演劇について議論し、分析することが可能でした。それが現在どうなっているのかということに関して問題が複雑化している、ビオス・ポリティコスとゾーエーに関するアガンベンのポジションについて確認しなければならない、と鴻さんは考えています。
文/椙山由香
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kennak · 9 months
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(……)「男は黙って御名御璽」。岩倉も伊藤も安心できる落としどころであった。 大日本帝国憲法は、表向きには天皇に大権を集中する。だが解釈と運用で、天皇本人をなるたけ黙らせておく。維新政府の戦略であった。でも、なお心配が残る。たとえば天皇が、裁量できることの少なさに退屈して退位を望み、世間が、現政権への天皇自身の不満がそこに込められていると信じたとする。明治国家はたちまち正統性を疑われる。  また、退く天皇が、後継ぎをどの皇子にしたいと選り好みしたとする。反対勢力があれば、南北朝時代の再現になりかねない。対策は、天皇の自由意思では退位や後継ぎの指名をできなくすることだ。  崩御するまで辞めさせない。皇位継承順も法で決める。皇室典範が、伊藤の主導で作られた所以である。  岩倉と伊藤の思想は、敗戦を超えて延命してきたと思う。「象徴天皇も黙って御名御璽」。だが、革命は起きた。今回の代替わりはとてつもなく新しい。日本はきっと大きく変わる。吉と出るか、凶と出るか。(2019/05/16)
片山杜秀『歴史は予言する』を読む - mmpoloの日記
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takachan · 11 months
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Google Arts and Culture 、安藤忠雄の特集ページ「The Self Taught Architect」を公開
Google Arts & Culture は、日本人建築家の安藤忠雄氏を特集するページ「The Self Taught Architect」を本日 10 月 2 日に公開しました。現役の建築家としても日本人建築家としても初の特集ページとなる本ページは安藤忠雄氏、及び安藤忠雄建築研究所のご協力の元、数年の歳月をかけ作り上げました。 本特集では、安藤氏のこれまでの経歴や建築を志したきっかけはもちろんのこと、その建築における哲学と功績、与えた影響について触れながら、長きにわたって同氏が取り組んできた社会活動にも焦点をあて、安藤忠雄という人物を包括的に紹介します。初期作品である住吉の長屋から、世界各地の美術館、住宅プロジェクトの3Dイメージなどをストーリーや高解像度の画像、ストリートビューなどを通して、安藤忠雄氏だけでなく日本の建築について深く学ぶことができます。(対応言語:日本語、英語) 本特集ページ公開にあたり、安藤忠雄氏からコメントをいただいています。 今、私たちは極めて変化の激しい不安定な時代を生きています。 そして皆、「この世界がどこに向かおうとしているのか」と、答えを必死で探しています。 しかし、こんな時だからこそ、考えるべきは、変わりゆく世界の中でも変わらない、あるいは、変わるべきではない、人間文化の本質、原点ではないでしょうか。 時代の潮流を読むばかりでなく、ときには自ら流れをつくり、路を切り拓いていく覚悟と勇気が必要です。 若い人たちには、とにかく今を精一杯生きろ!そうして、その緊張感を、人生の最期まで保ち続けるべき、内なる力を養え!とエールを送りたい。未来はあなた達が創るのです。 若くない人もそれを眺めているだけでは駄目ですよ。年を重ねても、心は青いまま、目標をもって、希望の光を追う限り、「青春」を生きられるのですから。 老いも若きも変わりません。 目指すはいつまでも熟することなく、挑戦の日々を生き続ける「青リンゴ」の人生です! 安藤 忠雄 2023 年 10 月 2 日 「The Self Taught Architect」 の主な内容 始まり * 建築家安藤忠雄の誕生 * 世界的な建築家でもある安藤忠雄氏ですが、彼は建築を学校で学んだわけではありません。職人の仕事を見ながら育ち、プロボクサーを経て、世界の建築を巡る旅に出ます。このストーリーでは彼がいかにして建築を志したかを紹介します。 * 住吉の長屋:都市に埋め込まれた個の砦 * 安藤忠雄氏の実質のデビュー作である住吉の長屋、都市環境の悪化が深刻化する時代にあって、住環境をコンクリートの壁によって都市から切断し、その内部に自己完結した空間をつくり出す、安藤氏がたどり着いた発想の過程を紹介します。 Row House Sumiyoshi, Tadao Ando, 1976 祈りの空間、自然と建築 * 人々の想いを励まし、寄り添う「祈りの空間」 * 都市に埋め込まれた小さな住宅から自然の中で伸びやかに展開する公共建築まで、安藤氏が手掛けてきた規模も環境も様々な建築の中から、教会や寺院などの祈りの空間に焦点をあて、近代建築が発展させた幾何学的な空間構成を継承しつつ、自然といかに共生するかという安藤氏の目指す建築観を紹介します。 Church of the Water, Tadao Ando, 1988, Photo by Mitsumasa Fujitsuka 安藤建築に住んでみる * 六甲の集合住宅―急斜面に展開する現代の集落 * 急勾配の山の斜面に沿って建てられた、六甲の集合住宅を例に、どのように地形の特性を読み解き、周囲の自然と一体的な環境を生み出してきたのかを紹介します。 Rokko Housing Ⅱ, Tadao Ando, 1993, Photo by Mitsuo Matsuoka 世界各地の安藤建築 * フォートワース美術館 * ガラスに包まれたコンクリートの箱が水庭に面して連続する現代アートのための美術館であるフォートワース美術館をテーマに、20世紀を代表する素材である鉄・ガラス・コンクリートを用いて、いかに現代にふさわしい新たな建築表現を実現したのかを紹介します。 Modern Art Museum of Fort Worth, Tadao Ando, 2002, Photo by Mitsuo Matsuoka 建築を超えて * 未来への贈り物 * 世界的な建築家であると同時に、積極的に社会と接点を持ち、災害によって困難な状況にある子どもたちを支援する震災遺児育英基金の設立や、子ども図書館の建設など、未来に向けた活動を続けてきた安藤氏の活動を紹介します。なかでも、「建築も森づくりも、同じく環境に働きかけ、新しい価値を場所にもたらす」という本人の言葉にもあるように、植樹をとおした環境づくりはライフワークと呼べるほど長年にわたって各地で進められてきました。 SAKURA GARDEN, Tadao Ando, 2006 3D モデル * 城戸崎邸 / 小篠邸 * 安藤忠雄の住宅プロジェクトより、2プロジェクトを 3D化し初公開。360 度、様々なアングルからご覧いただけます。 正式名称 Google Arts & Culture「The Self Taught Architect」 パートナー 3 パートナー:安藤忠雄建築研究所、上野文化の杜、プンタ・デラ・ドガー(五十音順) 展示について * 画像 340 点以上 * 20 以上のオンライン展示 対応言語 日本語、英語 公開日 日本時間: 2023 年 10 月 2 日(月) URL goo.gle/tadaoando ( ※ ブラウザにそのまま記入いただくことでアクセスできます。 ) Google Arts & Culture について Google Arts & Culture は、3,000 を超える世界各地の美術館や博物館(日本においては 100 以上)等が所蔵する作品や文化遺産を鑑賞できるサービスです。2011 年に提供を開始し、ウェブサイトや iOS または Android アプリからアクセスすることで、ゴッホの星月夜、伊藤若冲の樹花鳥獣図屏風、広島平和記念資料館など、700 万点を超える芸術作品や歴史的資料にアクセスすることができます。Google Arts & Culture では、世界各地の美術館や博物館等とパートナーシップを結び、人類の多様な文化遺産に世界中のユーザーがインターネットを通じて簡単にアクセスできるサービスやツールの開発・提供に取り組んでいます。 Posted by Elisabeth Callot, Google Arts & Culture http://japan.googleblog.com/2023/10/google-arts-and-culture-self-taught.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr Google Japan Blog
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lastscenecom · 1 year
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唐の詩人、杜甫が「人生七十古来稀(まれ)なり」と詠んだように、70年生きる人は稀であるとして古希といわれた。 劉備は63歳、曹操は66歳で亡くなったが、孫権71歳、司馬懿73歳、顧雍76歳、賈詡77歳などは、まさに古希だった。
「60代、70代で現役」も当たり前!? 長生きすぎる『三国志』の人々(歴史人) - Yahoo!ニュース
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.9.24sun_yamanashi
目が覚めてベランダから甲府盆地を眺める。 夏の間ずっと雲に覆われて見えなかった富士山が久々に全景を現し、夏が終わってしまったことを実感する。 朝の日課としているここからの富士山定点観察。 今日も寝ぼけたままiPhoneのシャッターを切り、インスタのストーリーへと投げる。
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台所へ行くと山積みになった食器たちが、昨晩の宴が現実であることを知らせてくれた。
先月の誕生日に送られてきたLINE。長らく疎遠となっていた後輩からのお祝いだった。 この歳になると誕生日はありがたみもないが、ふとこんな連絡が生まれるのは有難い。 きっかけさえあればすぐに当時の関係性に戻り、あっという間に東京から甲府に遊びに来ることが決まった。 長らく会えていない共通の後輩にも連絡すると、こちらもあっという間に前橋から遊びに来ることとなった。 後輩2人が会うのは12年ぶりという。
山梨に来る機会がない2人を「最高」の瞬間風速の記録を更新し続けている北杜市を1日かけて案内(sun.days.food→Gallery Trax→大滝湧水公園→wajiajia→夢宇谷→ひまわり市場→百番珈琲) して、我が家で再会の宴を行った。 会えていない間に堰き止められた長い時間が、洪水のように溢れかえりあっという間に宴は終わった。
そんな時間を振り返りながら丁寧に珈琲を点てる。ネルをそろそろ張り替えないとなぁ。 ご近所のミュージシャンに美味しい湧水を教えてもらい最近はその水を使っていてなんだか気持ちが良い。
今日も遊びたいと残った後輩の1人も目を覚まし、2人で濃いめの珈琲をすする。 sun.days.foodのブリオッシュをつまみながら、今日の予定を考える。
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昨晩友人から松本の『りんご音楽祭』に誘われて、後輩と2人で行くのも考えたが今日はゆっくりと日常を過ごすことに決めた。
レコード棚に手を伸ばし、ASPIDISTRAFLYの『A Little Fable』に針を落とす。 後輩が本棚を漁り始めたので、買って満足して開封してなかった画集や写真集を開封しながら読み進めていく。中でもソールライターの『THE UNSEEN』は全ての写真に声をあげてしまうくらい素晴らしかった。
フジビューStageでは、 ASPIDISTRAFLYに続きDry Cleaning、Big Thiefとあまり音楽に明るくない後輩でも聴きやすい比較的若いバンドが続いていく。
Big Thiefが『CUT MY HAIR』を演奏し終えるとフジビューStageを離れ温泉へと向かった。 甲府にきて驚いたことに、東京では水道水が当たり前の銭湯でも甲府では全て温泉だということ。
近くの馴染みの温泉でもよかったが、後輩と初めてを共有するのも面白いかと行ったことがなかったトータス温泉へ。
道中荒川の河川敷でモルックを2セット。 先輩らしく2セットとも勝利をいただくが、接戦でとてもスリリングな試合であった。
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トータス温泉の受付には、コンビニのガムのように烏骨鶏の卵が1つ50円で置かれていた。
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まさか浴場に熱い源泉が湧き出すところがあり、温泉たまごにして食べるのかと思い聞いてみたら 受付のお姉さんに笑われた。
浴場の扉を開けると、綺麗な浴場と奥に抜けるように露天風呂が見えとても気持ちが良い。 温泉の色は黄褐色で、40度と43度という微妙に温度が違う二つの湯船。 銭湯の多くは露天風呂といっても申し訳ない程度の大きさのものが多いが、ここは広くとても気持が良い。教えてくれた文文さんありがとう。
気持ちが良すぎて、長風呂してしまい急いで気になっていたお店へと向かう車内にはTortoiseの『TNT』が爆音で流れる。
13:45という ランチには危うい時間に、『千里』さんという町中華に到着。激しぶの歴史のある外観。 予感は的中し、ラストオーダー13:30でありつけず。
気を取り直して遅くまでランチをやっている大好きな『カレー食堂ビリヤタ』さんへ。 店内は満席で、15分ほど待つ。 悩みながら3種のカレーを選択し、睡魔に襲われながらカレーを待つ。 見た目、味ともに素晴らしいクオリティのカレーに舌鼓をうち眠気もぶっ飛ぶ。サービスでラッシーもいただき、こんなお店があるのが有難い。
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器を欲しがっていた後輩を山梨の作り手展をやっている『やまいち』さんへと連れていく。 住宅街のアパートの2階というロケーションが激責めている、1人で喫茶も切り盛りしている甲府にはとても貴重なお店。 店主と東京の共通の店主の話を交わしてるうちに 後輩も良いお皿が見つかり、甲府駅へ向かう。
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散歩がてらに人が歩いていない昼間の甲府の飲み屋街を路上観察。相変わらず甲府のこのエリアは60年代の渋い建築が現役で残っていて面白い。
甲府土産はいつも迷うが、今回は澤田屋さんの黒玉をチョイス。
3日にわたる後輩との時間もあっという間に終了。 些細なことで疎遠になっていたが、お腹いっぱいとは言わずに、また近いうちにおかわりしたいと言ってくれた。
こんな日が巡って来ることを楽しみに、 また深く息を吸い日常に潜る。
-プロフィール- こまつざきあつし 山梨県甲府市 診療放射線技師/路上観察家 https://www.instagram.com/attu19/
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お酒に含まれる美肌成分アミノ酸がたっぷり☆ 天然の保湿成分グリセリンも多く含む、優しくしっとりとした洗い上がりの「酒せっけん」
ー 2023年7月28日 ほんのりとしたヒノキの香りでお酒の匂いはしない純米大吟醸が配合された石鹸です☆ 260年の歴史がある老舗酒蔵 神戸酒心館のこだわりが光る♪ ( ´∀`) お酒を造る杜氏さんの手が白くてすべすべしているのはお酒の中のアミノ酸が美肌成分のおかげだそうです〜
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何度もリピート購入していて、一年中使っていますが、いよいよ乾燥の季節。 この石鹸の保湿力が、より感じられます。泡立ちも良いので、泡で優しく気持ちよく洗顔できます。 (楽天みんなのレビュー)
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