#たまに精神年齢が幼くなります
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足立区でケースワーカーやってるけど、まだギリギリ20代だし基本情報技術者試験受かったから保守運用系の底辺エンジニアに転職しようと思っている。 多少給料が下がってもいいからもう生活保護受給者や路上生活者と関わりたくない。 人間性の底辺に触れ続けて完全に疲弊した。根本的な価値観の壊れた人間とこれ以上関わり合いたくない。 知的障がい者、ひとり親、高齢単身女性はまだ許せる。 まず、知的障がい者は素直な方が多い。 知的ハンディに善性を見出すのは健常者の傲慢かも知れない。それでも窓口や電話で延々とゴネてくる人間が(少なくとも自分が関わってきた人間の中では)いないという点だけで本当に感謝したい。 彼らは余計な知識に基づく邪念がない。問題を起こさず粛々と生活を営んでくれる。就労継続支援(いわゆる作業所)を通じて自分なりに社会に貢献しようとしている。本当にそれだけでありがたい ひとり親世帯はDVやモラハラで弱りきった女性が多い。 DVの被害に遭う女性は幼少期からの虐待や性犯罪によって自己肯定感を健全に育めなかった女性が多い。 そんな脆弱な立場にいる女性が懸命に子どもを育てているわけで。 倫理的にも心情的にも、そしてこの方たちが育てている子どもの内包する将来的な生産性を考えても、この方たちが最も優先して保護されるべき存在だと個人的に思う。 高齢単身女性は善良な方が多い。 専業主婦・パートタイム労働者として夫を通じて地域社会を支えてきた女性が夫に先立たれて経済的に困窮するというパターン。 一番話が通じるのはこの方々。ボランティアへの参加率も高い。阪神淡路大震災で高齢単身女性の死亡率が高かったことが悔やまれる。 逆に助けたくないのは、暴対法によって仕事を失ったヤクザ、生育歴がグチャグチャで頭おかしくなった元受刑者、発達や精神に障がいを抱えた男 X(旧Twitter)では常に男女が権益と正邪を巡って論争しているが、少なくとも女性は底値が高く基本的に最低限の常識と良心を持っているという点で女性の方が正しいと思う。それほどまでに底辺の男は酷い。 そして、そんな底辺の異常な男に路上やネットで絡まれて削られているであろう女性の苦労を思うと男から見ても苦しく思う。 なぜ底辺の女は結���できて底辺の男は結婚できないか?なぜ電車やゲーセンやカラオケは女性専用エリアを設けてるか?なぜ女性を保護する施策や団体はあって男性を救済する施策や団体はないのか? 答えは簡単。男の底辺は男から見ても想像を絶するほど底が抜けているから。この国で男が弱者になるのは自業自得としか言いようがないから。 暴対法の施行によって食いっぱぐれたヤクザが、子飼いのフィリピーナを利用して、生活保護を受給する、窓口で職員を恫喝、時には暴力を振るう、集団で押し寄せて開庁から閉庁まで延々と文句を言う。 ヤクザが死に絶えるまでの過渡期だとは分かっているが、一番マンパワーを削られるのはこいつらへの対応。 そしてこいつらは生活保護の受給によって得た余暇で、街宣車に乗って駅前や繁華街で街宣車を止めてスピーカーで大音量を鳴らして市民に迷惑をかけている。 「暴対法に反対してください。家族や友達にヤクザがいるだけで貴方も暴力団の関係者として罰せられる可能性があります」 お前らがヤクザから足洗えば済む話だろ、被害者ぶるなと言いたい。 生育歴で頭がバグって犯罪を犯した元受刑者はもう野獣としか言いようがない。 家庭訪問をすると暴言で済めばまだマシ。普通に手や足、場合によっては凶器が出てくる。 そしてこいつらが暇な時間で公営住宅や近所を徘徊して、ネグレクトで放置されている女児にわいせつ行為やグルーミングを行い、メンヘラを生産し、その女児が母親となり虐待に繋がって暴力の連鎖となる。 ここ数年で増えてきて、個人的に最も不愉快なのが、発達や精神、人格に障がいを抱えた男。 弱者男性(笑)を慰撫する言説によって、大した境遇でもないのに被害者意識を膨らませ、弱者男性を相手にしたビジネスを通じて得たライフハックを通じて福祉を利用している。 こいつらは暇な時間を如何に相手を言い負かすかの理論武装に時間を費やしているからとにかく気力と時間を削られる 少し強い態度で挑めば怯むチー牛であることだけが救い。 自閉症スペクトラム症+二次障がいで生活保護を受給していた男性が、ネット上で女性に対するヘイトスピーチを繰り返して過去の発言が身元を探られて福祉事務所に通報が入ったケースもある。 福祉に携わる人間として言いたい。弱者男性を無責任に甘やかすのは社会悪。 と、こういう経緯で福祉職に疲れ果て、現在エン転職に��録してゆるゆると就活している。 どれほど助けたくなる姿をしていない弱者であっても血の涙を流しながら救済するのが使命。自分は福祉の最前線にいる。基本的人権の守護者。 そんな信念だけを糧に苦難と不条理に耐えていた時期もあった。それはもう遠い昔の話 自分一人が消えたところてメサイアコンプレックを持った人間は続々と生まれては福祉に携わっていく。 俺はもう疲れた。
弱者と福祉に対する失望
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耳の聞こえない10歳の少女、会話が見えるメガネを初めてかけた瞬間の驚きと感動!
著者D・パルモ
公開:2025-02-06・更新:2025-02-06
最新のテクノロジーが10歳の少女の世界を一変させた。この字幕メガネをかけた瞬間、彼女は初めて「話し言葉」をリアルタイムで見ることができたのだ。
生まれつき聴覚障がいを持つケンディル・プールさんは、今まで人とのコミュニケーションに手話を使ってきた。
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だが、ちょうど10歳の誕生日を迎えたその日、生涯忘れられない出来事が起きた。母親のプレゼントのメガネをかけた彼女は驚嘆し、そして笑顔になった。
視界に、今そこにいる母の言葉だけでなく、自分が発した言葉まで字幕のように流れてくることに感動したのだ。
10歳の誕生日に「字幕メガネ」を受け取った聴覚障がいの少女
アメリカ・コロラド州に住むケンディル・プールさんは、10歳の誕生日となる1月31日に生涯忘れられないプレゼントを受け取った。
それはなんと、ただのメガネではなく、周囲の音声をリアルタイムで視覚化する「HearView」と��うスマートグラス。いわゆるAI使用のハイテク字幕メガネだ。
ケンディルさんは生まれつき聴覚がいがあり、幼少期からアメリカ手話(ASL)でコミュニケーションを取ってきた。しかし、このメガネとの出会いが彼女の世界を一変させた。
初めての視界に驚きと感動
ケンディルさんの母親のブリアンさんは、このメガネをTikTokで見つけて、娘へのサプライズプレゼントとして購入。
初めてこのメガネをかけた時のケンディルさんは、驚きの表情に!
最初のうちは何のためのメガネなのかもわからなかったケンディルさん。
でもその場で母親が言ってることが文字になり、自分の音声も視界に表示されてることに気づいた瞬間、驚愕して笑顔になり、あとで感動して泣いていたそう。
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娘はこのメガネの存在も知らなかったので、私が話し始めた時に本当に衝撃を受けたんです (ブリアンさん)
音声をリアルタイムで文字に変換
HearViewは、Bluetoothでスマートフォンと接続し、音声認識技術を使うことで音声をリアルタイムで文字に変換する。
レンズに表示される文字に慣れたケンディルさんは、前よりも会話をスムーズに理解できるようになった。
さらにこのメガネは、過去の会話もアプリに保存できる。授業内容や医師からの指示も後で見返すことができるという。
自信を取り戻すきっかけに
実は一家の中で聴覚に障がいを持つのはケンディルさんだけで、彼女は家の中でも孤独を感じる時があった。
だが、このメガネのおかげで、自信を取り戻し、今までためらっていた社会活動にも積極的に参加できるようになった。
そして彼女になにより役立ってるのが、発音を確認できる機能だ。
このメガネなら、自分が発した言葉とその字幕が確認できる。もし言ったことと字幕が一致してないのなら、発音がどこかおかしいことになる。
それを自分自身でチェックでき、アプリで見返せば復習することもできる。苦手だった発声練習にも手ごたえを感じるようになった。
今までテレビやデバイスの字幕は少し違ってるところがあったり、表示が遅いこともありましたが、このメガネは瞬時でとても正確なんです。
このメガネは交流を広げる大きな一歩になります。自然な会話にリアルタイムで追いつくなんて本当に画期的です (ブリアンさん)
価格23万円でスムーズな会話の理解をサポート
ちなみにHearViewの仕様はこんな感じ。
価格: 1,499.00 ドル(約23万円) 音声認識精度: 95% 言語: 英語(アメリカ、イギリス、カナダ)、スペイン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、日本語、韓国語、ロシア語など、30以上の言語に対応 リアルタイム字幕: Bluetoothでスマートフォンと接続し、音声をリアルタイムで文字に変換する。同様に翻訳も可能で、通知も表示する 保存機能: 過去の会話をアプリに保存、後で読み返せる ノイズキャンセリ��グ: 音声認識の精度を高める機能 動作時間:1回の充電で約7時間
このスマートメガネの特長は、騒がしい場所でも余計な雑音を拾わず、スムーズな会話の理解をサポートする点だそう。ケンディルさんのように、聴覚障がいをもつ人の日常生活や、学校での円滑なコミュニケーションにとても役立つという。
気になる定価は約23万円とお高めだが、今は7%OFFで21万7000円ほどになってるもよう(2025年2月5日現在)。
日本を含む各国発送可とのことなので気になる人はHearview公式をチェックだ。
AI技術を使ったアクセシビリティ製品に期待
こうしたメガネは耳が遠くなった高齢者にも便利かもしれない。
加齢により聴力低下が起き始めると、それまで社交的だった人も、人との会話が嫌になって家にこもりがちになるケースがよくあるそう。
その原因は、ただ聴こえにくくて面倒だからというのもあるが、補聴器が合わなかったり、つけること自体が恥ずかしいとか、聴き間違えで失敗して気まずい思いをしたり、相手に何度も聴き返すことに気が引けてしまうといった理由もあるとか。
あとこのメガネで思い出すのが、色覚障がいの少年が初めて付けた特別なメガネのエピソードかな。今後はこの手のAI技術を使ったアクセシビリティ製品が次々出てくるのかも。
車の運転をするときや、外であちこち動くときとかには向いてなさそうだけど、さりげなく翻訳もできて、後で読み返せるところも便利そうでいいな。
References: Goodnewsnetwork / Trending.upworthy.com / Tiktok / Abc27.com / Hearview
本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。
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(耳の聞こえない10歳の少女、会話が見えるメガネを初めてかけた瞬間の驚きと感動! | カラパイアから)
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終���の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだ��いう話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも��らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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253 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:09:26.14 ID:WxBFzUnQ0 [1/8] >「15歳といっても、お母さん的な性格の子だし、僕よりも精神的に大人。年齢差があっても支配的な感じではない」として、「対等な付き合い」を強調する。 きっもっwwwwwwwwwww 272 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:13:51.53 ID:KVGIU8ds0 [2/9] >>253 なんでこのおじさんは自分が 精神的に未熟なのだと思わないのだろう 大人びた子供なんて 大人ぶらなければならないだけの きつい事情や心の闇があるものなのに それに全体重かけて甘えようとするとは あまりにも幼稚だ 279 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:14:55.73 ID:WxBFzUnQ0 [3/8] >>272 なぜ思えないのか? 勿論、精神的に未熟だからさ!w つか、知恵遅れなんでしょ普通に 297 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:18:50.58 ID:KVGIU8ds0 [3/9] >>279 言動が理解できなさすぎて何しでかすかわからん怖さよな なんかもうある種の妖怪の類に思えるわ 308 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:21:25.31 ID:WxBFzUnQ0 [4/8] >>297 までもさ LGBTQ太郎の思想からすると これらも認めないといけないよね! 俺は認めんがw 286 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:16:21.82 ID:yeWThOth0 15歳の方が精神年齢上なことに何も思わないのか… 302 名前:ウィズコロナの名無しさん[] 投稿日:2023/07/03(月) 22:19:56.31 ID:VCK7hgOU0 てか女ってマジで中学生ぐらいで 精神年齢大人と変わらないからなぁ 芦田愛菜とか見ればわかるけど 女の方が若くても落ち着いてて精神年齢高い子が多いんだよ 328 名前:ウィズコロナの名無しさん[] 投稿日:2023/07/03(月) 22:25:12.41 ID:QAMu0OSQ0 >>302 20過ぎると逆に減っていくとか法則があったような 349 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:29:20.18 ID:KVGIU8ds0 [6/9] >>302 同性である母親の真似が上手いだけだよ 明らかに意識を 癒着か同期してるような仲の母娘っている そういう娘はコミュニケーション能力特化して 演じるのが上手い そしてそういう子ほど闇が多い 362 名前:ウィズコロナの名無しさん[] 投稿日:2023/07/03(月) 22:32:46.08 ID:NRakUtzk0 [5/10] >>349 闇っつーか、典型的な アダルトチルドレンのナースタイプだ。 この手のは他人を世話する事に依存する。 自分がそうして欲しい事を相手にしてやる事で、 相手が自分にそうしてくれる事を期待している。 406 名前:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/07/03(月) 22:43:35.55 ID:KVGIU8ds0 [7/9] >>362 お世話役ね、確かに 幼稚な父親の横暴に振り回されてる子供と同じだ この子が目を覚ました時が恐ろしいよ、狂っちゃうかもな
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おつむの良い子は長居しない 第12回/高嶋政伸 12 インティマシーコーディネーター 昨年はハードな役が続きました。何人もの愛人を囲い、人を殺めることもためらわない詐欺師。歯向かう者は消し、臓器ブローカーに死体を売り払う男。ショットガンで人を撃ち、手をナタで切り落とすサイコパスの連続殺人鬼。 中でも一番ハードだったのは、自分の娘に幼い頃から性的暴行を加え続けている父親の役。そう、NHKドラマ「大奥」で演じた徳川家慶です。放送後、大きな反響をいただきました。 この作品は、まず台本を読んだ段階でストーリーがとても独創的なのが気に入りました。が、僕にとっても娘役の俳優さんにとっても心身ともにハードな現場になるのは明らかでしたので、お受けするにあたって僕は必ず「インティマシーコーディネーター」さんを付けてください、とお願いしました。制作サイドも最初からそのつもりでいらしたというので、それならばと、この難しい役に臨むことにしたのです。 インティマシーコーディネーターとは、2022年のユーキャン新語・流行語大賞にもノミネートされた、映画やドラマの撮影現場で性的なシーンやヌードシーン(インティマシーシーン)を演じる俳優の身体や精神の尊厳を守りつつ、監督の求める描写も尊重し、現場を円滑に進めるサポートをする方たちのこと。例えば、台本に裸になるシーンが書かれていたとしたら、撮影前に監督と俳優の間に入って、どこまで肌を露出できるか俳優に聞き、それを監督に伝え、互いに納得できる着地点へ導く。あるいはベッドシーンなどの絡みをどう撮っていくか、撮っていけるのかを俳優や演出家と細かく打ち合わせ、安全安心に撮影を進められるように考えて下さいます。 アメリカでは、インティマシーシーンへの配慮はかなり前から行われています。1980年製作のホラー映画の傑作「シャイニング」では、主演のジャック・ニコルソンが自分の子どもに斧を振りかざして殺害しようとするシーンがありますが、ニコルソンと子役が同じ画面で絡む以外のカットは全て別撮りし、楽屋も遠く離して顔を合わせないようにし、かつ、出来上がった作品は、その子役が20歳になるまで見せてはいけない、という徹底した措置が取られていました。子役俳優が���人する前に見ると、トラウマになる可能性があると制作サイドが判断した訳です。 今回の僕の役では、自分の娘に暴行する場面が2回あり、中でも13歳時の娘に暴行するシーンはアメリカでは絶対にありえない前代未聞の場面。アメリカで学んでいらしたインティマシーコーディネーターの浅田智穂さんも初めて経験するという難しい撮影です。しかもその暴行が行われるのは、物質的にも精神的にも「密室」。なんらかの「叫び」がある時には必ず閉ざされた「密室」がある。その「密室」は人間の心の中にもあります。僕の役は、「密室」を作ることができる権力を持っており、その密室から漏れてくる「叫び」は、公然の秘密になっています。この設定を、どうすれば生身の人間である役者で撮れるのか。 こうした撮影を行うのに大事なことは、僕の立場から申しますと、第一に俳優同士の信頼関係の構築です。ここで皆さん、ご自分を10代の女優さんであると想像してみてください。襲うのは56歳のおっさん俳優、政伸。テレビなどで見たことはあるけれど、実際はどんな人なのか分からない。芝居に入ると役にのめり込んで無茶苦茶をする役者バカ……どころか、ガチのバカ役者かもしれない。心の中に不安と恐怖が広がるはずです。 もう一つ大事なことは、その作品の監督に最大限の敬意を持って接すること。監督になった方は、そこに到達するまでに厳しい下積みを経ています。台本が俳優に渡される遥か前から作品の企画にたずさわり、台本をペラ(本になる前の紙に書かれたストーリー)から構築し、登場人物を深く掘り下げ、美術、小道具なども何が適しているかまで考え抜く。そこまで努力して、やっと撮影の日を迎える監督に対しては、しっかりリスペクトをして差し上げたい。これは基本です。 では、この「大奥」ではどのように撮影を進めたか。まず浅田さんが監督から、台本に書かれたシーンをどのように撮りたいかを細かく聞き取ります。父役の僕が娘の部屋に静かに入ってくるワンカット目から、助けを求めて逃げようとする娘を父親が捕まえ、手で口を塞ぐ。そのまま娘を押し倒して馬乗りになり、娘の目を見つめる。父と娘の顔の寄りのカットバック(2人の顔を交互に入れ込む描写法)。そして、ゆっくりと少女に覆い被さる父のワンショット。娘の瞳のアップ、その黒目に映る父の顔。娘と覆い被さった父を入れ込んで暴行が行われる「密室」を客観的に撮る引きの画え。以上が監督の希望するカットです。 「監督がお撮りになりたいカット割りについて、高嶋さんから監督にお伝えしたいことがあれば、おっしゃってください」と、浅田さんが聞いてくださいました。そこで僕は、撮影は流れで撮るのではなく、ワンカットずつ撮って欲しいと伝えました。流れで撮ると、本番スタートを聞いてアドレナリンが上がった役者は、想定以上に力が入って��まったり、段取りより動きが速くなったりして、双方ともに思わぬケガやショックを負うおそれがあるからです。僕も以前の作品で犯人を激しく取り調べるシーンで、勢いあまって窓ガラスを粉々に割ってしまったことがあり、そんな経験もお話ししました。 そのうえで、抱きつくカットはどの方向から撮るか、どうすればケガをさせることなく暴行しているように抱きしめられるかなどを役者とスタッフみんなで話し合います。さらに、僕が1人で映るカットは、できるなら相手を同席させず僕だけで撮ってほしい、とお願いしました。僕は(というか役者は)、相手が目の前にいなくても実際にいるように演じられます。撮影現場ではカメラのポジションによっては2人で会話するシーンでも、目線の先に相手役がいない時があります。そんな時は、助監督さんが掲げてくれる拳を相手役に見立てて演技します。「ゴジラ」の撮影では、丸い板を先端に付けた長い棒を助監督さんが空中高く掲げ、その丸い板をゴジラだと思って驚いたり、セリフを言ったりしました。そういった演技を数え切れないほど演やってきたので、目の前に俳優さんがおられなくても演じることはいくらでもできます。ワンショットのカットは、ぜひ1人でやらせてくださいと、お願いしました。 僕はこんな感じで希望を述べましたが、全ての俳優は考え方や性格、演技の流儀が違います。僕がワンショットで別個に撮って欲しいという意見を持っていても、ご一緒する娘役の俳優さんの意見もしっかり聞いて、皆で擦り合わせていくやり方がベターだと思います。年齢に関係なく、完璧に「演技」を武器に世間と戦っておられる俳優さんはたくさんおられますので。 さて、本番2日前にもう一度、浅田さんとの打ち合わせがあります。そこで「本番当日は、暴行、乱暴、レイプなどの言葉は、たとえ娘役の俳優さんがそこにいらっしゃらなくても、現場では一切、口にしないようにしましょう」と言われました。これは本当に大切なことです。娘役の方に撮影前の現場で、大人たちの「これから暴行するシーンだな。さあ、どうなるかねえ」なんて声が聞こえてきたら、やはり嫌な、不安な気分になるはず。これらの危険ワードは、当日朝からマネージャーと共に一切使わないよう徹底します。 さらに僕は撮影前日に独自の準備を始めます。逃げようとする娘の口を手で押さえる場面があるので、手を清潔に保つため、除菌剤入りのウェットティッシュを買いに行きました。常に手を清潔にしていることを相手役の俳優さんにアピールして安心してもらうには箱入りのものがベスト。 ところがドラッグストアのウェットティッシュの棚にいきますと様々な種類の商品が並んでおり、すっかり悩んでしまいました。近くにいた店員さんを呼び止め、とっさに「明日、ちょっと人の口を手で塞ぐんですが、その方に失礼のないように、できれば、清潔な香りがするような除菌剤入りウェットティッシュが欲しいのです」と言ってしまいました。すると店員さんは「そうですか、手で口を塞ぐなら、アルコール入りのものだと距離が近すぎて目が痛くなります。アルコールの入っていない、カテキン系の除菌剤がいいですね」と、一番左の緑色の箱をおすすめしてくださいました。こうして緑茶効果のカテキン除菌ウェットティッシュというベストなものを入手。こんな非日常的なオーダーにも戸惑うことなく的確な商品を紹介してくださった店員さん、まさにプロです。 箱型ウェットティッシュを早速写真に撮り、現場担当の新人マネージャー武富くんに送りました。すぐに「大事に現場で携帯致します」と返事がきました。この阿吽の呼吸は、現場でとても重要です。武富くんは、口臭予防のキシリトールガムと噛んだ後にゴミを入れる専用のコンビニ袋を常に腰にぶら下げておきますと言ってくれました。 必要なものはすべて揃い、その日は帰って台本を読み込み、このひとでなしの父親の心に寄り添って自分の中に役を落とし込んでいきます。きつい作業ですが、ここは絶対に妥協してはいけない。役者として、その人物の最良の理解者であり、友人であり、最終的にはその人物そのものにならなければいけない。「好感度」の「こ」の字も頭に浮かべません。この鬼畜を完全に演じ切ることが、娘役を演じる俳優さんへの最低限の礼儀であり、少しでも世間に理解を求めるエクスキューズを含めたら、このシーンは台無しになってしまうのです。安心安全を担保しながら、徹底的に「悪」に徹します。 翌朝は7時半に現場に入り、約1時間半かけて準備します。ここまでは偶然なのか、娘役の俳優さんと顔を合わせることはありませんでした。そして、「高嶋さん、お願いします」の声でセットへ向かいました。ここで初めて娘役の俳優さんがセットに入っていかれる後ろ姿が見えました。 この瞬間は、今でも、忘れられません。 そこにいたのは、綺麗なおべべを着て、可愛い簪をいくつも差した、まだあどけない「少女」でした。リアルな現実の手触りを感じて、僕の時間は止まりました。そして、こう感じてしまいました。正直に書きます。 僕に娘がいたら、とても演じられない。 その言葉が浮かぶと同時に、彼女にこれから起こることが頭を駆け巡り、不意に涙が出そうになりました。現実世界でこのようなことは決してあってはならないと、胸が苦しくなり、そしてこの時に改めて、インティマシーコーディネーターという存在の意義、大切さを、身をもって理解しました。作品に関わる全ての人間の心に寄り添い、人間の尊厳を守りながら、この異常なシチュエーションをベストに撮影するためには絶対になくてはならない存在です。 その日の僕は朝5時に起きて、横で静かに寝ている我が子の寝顔を見て幸せを感じました。そして撮影が終わって我が家に戻れば、家族の賑やかな暮らしが、日常が、僕を待っていてくれる。しかし、僕は今から、自分の職業に誇りを持ちながら、鬼畜になる。自分の娘を、何の疑問も持たず、これが父親としての一番の愛情だと思い込んで「密室」に閉じ込め、性的暴行を振るう。これまで世界各地で起こっているニュースとして見てきた悲劇の加害者に、今日、僕はなる。家に戻っても息子たちに、今日、お父さんはこんなアクティングをしてきたよー、と笑顔で話すことは決してできない。 因果な稼業だな、役者は。 こんな気持ちが、その「少女」の後ろ姿を見た瞬間に、心身を駆け巡りました。この気持ちは、これからの僕の人生で忘れることはありません。 撮影は、必要最低限の人員だけを現場に入れ、スタジオの中と外にあるモニターも、許可されているもの以外は全て消し、ワンカットずつ慎重に撮っていきました。撮影時間は予定を大幅に上回り、約4時間かかりましたが、娘役の俳優さんの好演も光り、最終カットのOKが出ると彼女はとても満足そうな笑顔を見せました。それはプロとして役を演じ切ったゆえの笑顔だと思いました。もちろん、そうであってほしい。 何もかもがうまくいったか、それは分かりません。しかし、楽しそうに笑う娘役の俳優さんを見ながら、世界的に見ても前代未聞のシーンの撮影に参加し、得難い経験をしたことで、俳優という「心」を扱う職業の面白さを、いつか胸を張って息子たちに話せるだろうと思えます。 現在、インティマシーコーディネーターのライセンスは米国でのみ取得可能で、取得者は日本にまだ2人しかいらっしゃいません。この日の帰り際に浅田さんは、「もっともっと日本でこの職業が認知され、正しく機能するように頑張ります」とおっしゃり、実際にこの3月から日本でのトレーニングを始めるそうです。その言葉は本当に尊く、力強く、この方もたくさんの困難と戦っているんだなと感じ、同志として嬉しくなりました。 ホッとしたらお腹が急にぐうぐう鳴ってきました。あぁ、そうだ、まだお昼ごはんを食べてなかった。現場マネージャーの武富くん、そして、チーフマネージャーとして現場を見守ってくれた秋元さん、本当にありがとう。 さあ、何を食べて帰ろうか。
波:2024年4月号 | 新潮社
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月日は流れ、秋になった。県芸術祭に出展した大畠の作品が「佳作」となり、新聞の地方欄にも掲載された。
この話を一番喜んだのは仁志だった。モデルを務めたこともあるが、やはり大畠の精神的な支えにもなったことが彼の創作意欲にひと役買ったのが、この上ない喜びだった。
その作品を大樹や佐伯も観に行った。スーラの様に「点」で、淡い色調で物憂げにうつむく短髪の青年が描かれたその下には、「Sa jeunesse」とあった。
「『青春』か…」
大学時代に第二外国語で仏語を履修していた佐伯は、この単語に大畠の仁志に対する愛情の様なものを感じた。一方、英語しか知らない大樹は、
「英語じゃないよね?」
と聞いた。
「『青春』って意味だよ、仏語で」
「『青春』か…」
自分の幼なじみが、まさかこの様なかたちで描かれるとはと、大樹は仁志を羨ましく思った。大畠の眼には、恐らく仁志がこんな風に見えるのだろう。
その後、休日に今度は勇人が光代を連れて訪れた。光代は、彼女が知っている仁志と雰囲気が違っていることに、
「仁志に似てるけど、何か違うわね」
と言葉をもらした。この言葉に、
「大畠先生と言う、仁志にとってかけがえのない男(ひと)と出会ったからだろうね」
と言った。すると、光代はもしかしたら仁志も同性に目覚めたのかと、
「それって、つまりあの子も…」
と尋ねた。この言葉に勇人は、
「まァ、オレと川嶋みたいな感じだな」
と苦笑した。
「嗚呼、そんなところまで似なくてもイイのに…」
と、光代は溜め息をついた。
私立S高校では、この作品について大畠に対して仁志とはどの様な関係か問い詰める生徒や教師もいたが、そのことについて宇佐見が、
「かの有名なピカソだって、複数の女性と関係を持つ毎に作風も変わったンだ! 愛は芸術を生むんだ! 大畠先生と武田君の間に何かあっても、こんな素晴らしい作品が生まれたンだ! どうでもイイじゃないか!」
と強気に出ると、おのずと消滅していった。もし関係を知られたらと怖気づいていた大畠は、
「宇佐見先生。噂も消えてホッとはしてますが、そんな『愛』なんて…」
と話したが、
「だって、セックスしてたンでしょ!? 幸福(しあわせ)なンでしょ!? だったらイイじゃん! オレなんて『セフレ』もいなくて淋しいのに!」
と、タコの様に唇を尖らせた。
「こ、声がデカい!」
と、大畠は宇佐見のあまりに率直すぎる発言に冷や汗をかいた。
すっかり校内の「有名人」となってしまった仁志は、休みの日にモデルをしに大畠の家に来た際、こう言った。
「僕、これ以上モデルを務めると先生に迷惑をかけると思う」
内心は、大畠に対する思いは変わらず、できればずっと続けたいと願っていた。仁志は彼を愛していた。その言葉に対し、
「気にすることないよ。オレは仁志をもっと描きたい」
と大畠は言った。
絵筆を置けば、二人はベッドの上で愛し合った。仁志は身体の諸部位を愛撫サれると喘ぎ、両腕で大畠を求めた。肉体同士が重なれば乳房は隆起し、肉棒はますます反り返った。羞恥心を垣間見せるも大胆に開脚すると、大畠はその間に入り込んだ。
「…仁志、君はなんて卑猥なンだ」
孤島に押し寄せる波の様に、大畠は仁志の下半身の穴に肉棒を挿入(い)れ、抱き寄せた。
「あッ、ああん!」
この様な情事を二人は続けた。
その後も、大畠の作品はあちこちの公募展に出展し、入賞した。気付くと、季節は春になっていた。梅の花が咲き乱れる二月中旬、彼は母校であるT大学芸術学群の大学院で学ぶ為、三月いっぱいで私立S高校を退職することになった。そのことを聞いた仁志は、
「…先生、嫌だ! 辞めないで! 遠くに行かないで!」
と泣きじゃくった。大畠も涙を流しながら、
「…申し訳ない。でも、夢を追いたいンだ」
と頭を垂れた。人気ない美術室で大畠���仁志を堅く抱擁し、接吻した。込み上げてくる思いを抑えきれなかった。彼は、
「…愛してる。仁志なしでは生きられない」
と告白した。
すると、突然ドアが開く音がした。途端に二人は平然を装ったが、現れたのは宇佐見だった。彼はいつもの調子で、
「大畠先生も武田君も、君たちの愛ってそんな軟なもンなの!? 別に外国へ行っちゃうンじゃないンだし…。いつだって会えるじゃん!」
と苦笑した。
「う、宇佐見先生! 声がデカい…」
と、大畠はドアの方を気にしながら注意した。宇佐見は仁志にハンカチを渡しながら、
「武田君、愛してるンでしょ? だったら遠距離恋愛すりゃイイじゃん。つくばなら、土浦まで常磐線で行けば路線バスでちょっとだよ。泣くほどじゃないよ!」
と両肩を叩いた。
「宇佐見先生…」
「先生は、二人の愛を応援するよ!」
仁志は、これまで宇佐見を煩わしく思っていたが、実は表裏がなく気持ちが良い先生なのだなと見直した。一方、大畠は赤面していた。あまりに仁志のことが頭から離れず、自分の近くにいて当然だと思っていたのだ。よく考えてみれば、確かに茨城県内なのだし、土日祝日は茨城町に帰ればイイではないか。そんな彼を目前に、宇佐見は仁志に話した。
「武田君。『恋は盲目』の状態になるほど、大畠先生は君を愛しているンだよ」
「『Love is blind』か…。そうかもしれない」
宇佐見が話した言葉を、大畠は認めざるを得なかった。
同じ頃、嶋田は池野辺に案内されるまま、茨城町に近いカトリック教会の納骨堂へ行った。晩秋だったが、この日は小春日和で、墓参りをするには丁度良かった。
池野辺はすでに免許を返還していたので、運転は嶋田が行った。当時はニュータウンは整備されておらず、未だ雑木林のまま放置されているところが多かった。途中、とうもろこし畑と思われる耕地があちこちあり、随分寂しい場所に納骨堂があるなと嶋田は思った。
カトリック教会の納骨堂に着くと、池野辺は「墓誌」の様な御影石に指をさした。そこには、洗礼名に加えて「谷田部大輔」と刻まれてあった。彼は言った。
「大輔、嶋田君がお参りに来てくれたよ」
名前で呼んでいるのを聞き、池野辺が谷田部と切っても切れない絆に結ばれている関係になっていたと、嶋田は思った。花束を捧げ、彼は両手を合わせて黙想した。心の中で、
『谷田部先生、まさかオレが悪態をついた後、惨めな思いをされていたとは。もっと早くあなたに会って和解したかった。でも、池野辺先生があなた���愛してくれて安心しました。今、この場をもってあなたに謝罪します。申し訳ありませんでした』
と、嶋田は言葉をかけた。
背後で見ていた池野辺は、うっすらと涙を浮かべていた。彼は、元気だった谷田部との日々を思い巡らしている様だった。その場に座り込み、彼は語りかけた。
「…大輔。お前の過ちは罪であったが、その報いを再三受けてきた。でも、嶋田君もお前と同じ教師となり、今、幸福(しあわせ)に生きている。彼も赦しているし、安らかに眠ってくれ…」
隣で黙想をする池野辺が、嶋田には淋しく思えた。昔は日活スターの様に凛々しく、校内でも人気があった教師だった。しかし、齢のせいもあるかと思うが、随分小さくなった気がした。まァ、オレもそうかと思い返した。
その後、寄り道をせずに嶋田は池野辺を家まで送って行った。玄関に着くと、妻の梓が迎えてくれていた。彼女は、
「お忙しいのに、どうもすみません」
と笑顔で会釈した。
恐らく、池野辺とはもう会わないだろうと、嶋田は予感していた。梓の方は年相応に齢を重ねている様に見えたが、彼の方は老け込んで見えたからだ。谷田部と直接ではないが和解したから、これで役目を果たした感があった。
数日後、その池野辺が亡くなった。新聞の「おくやみ」欄で知り、嶋田は電話で梓に確認した。すると、
「本当、急にあの世へ逝ってしまって…。これまで大病もなく元気でしたので、枯れる様に…」
と彼女は話した。
受話器を置くと、嶋田はその場に泣き崩れた。両肩を抱えながら嗚咽を上げた。嗚呼、オレの予感は的中したと、彼は思った。池野辺と過ごした日々が流れる様に思い出される。この夜は独りプライベートバーで、再会した時に飲んだシングルモルトを片手にボトルを空けた。
告別式に嶋田はカトリック教会を訪れた。何十年ぶりかに着た礼服に袖を通し、讃美歌が聞こえてくる中、彼は頭を垂れていた。予め、妻・梓からは基督教での葬儀は仏教と違い、神の懐に還る祝福であり喜ぶべきものであると聞いていたが、内心はそう簡単にいかないと思っていた。別離は別離に変わりはない。教壇に立つ時以外は、ふと涙が出てしまっていた。
それは大樹が目前にいても同様だった。嶋田の方から声をかけ、家に招いて共に食事をした後、ベッドの上で大樹を求めた。唇を重ね、身体の諸部位に接吻しながら、時折堅く抱きしめ、
「…大樹。淋しい」
と込み上げてくる感情を露にした。大樹はそんな嶋田に応えるべく求め、慰めようと努めた。
情事の後、大樹は嶋田に尋ねた。
「池野辺って先生、そんな好きだったの?」
「あぁ、オレの恩人だった」
「でも、谷田部って先生と一緒になったンでしょ?」
「あぁ」
「…何だか複雑だなァ。好きだったのに一緒になれなかったなんて」
恐らく、自由にあちこちの男(ひと)と関係が持てる大樹には、オレに対する池野辺の思いなんて解らないだろう。嶋田は、淋しさを拭い切れないことに��立っていた。しかし、何度思ってもそれはもはや叶わぬものだった。池野辺はすでにあの世へ逝ってしまったのだから…。
棺桶の中に横たわる池野辺の亡骸は、これまでになく穏やかな表情をしていた。カサブランカの花弁が顔の周りに覆われ、嶋田は枯れた筈の涙を流した。彼は卒業間近に告白をした時、眼鏡を外して微笑んだ、あの笑顔を思い出した。これで谷田部のいる天国(パラダイス)へ行けるのだと、心の中で己に言い聞かせた。
妻の梓によれば、池野辺が洗礼を受けると話したのは谷田部が亡くなった数日後らしかった。彼は、初めて自分がバイであったことを告白した。彼女は特に驚かなかったと言う。逆に、
「最初から、谷田部さんを愛してたことなんて判ってましたよ。あんな熱心に職を探してあげたり、住む場所も見つけてくれたり…。なんで話してくれないのかなって、かえって思ってましたよ」
と笑ったと、話していた。意外と理解があったのだなと、嶋田は思った。
告別式が終わると、火葬する為に斎場へ向かう梓は会釈をし、
「これまで主人によくしてくださり、本当にありがとうございました」
と言った。嶋田は、
「いいえ、奥様もお身体に気を付けて」
と言葉を返した。
礼拝堂の中央にあるマリア、ヨセフ、イエスの聖家族を描いたステンドグラスが、石畳に淡い色彩で照らされていた。
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University entrance from affiliated Primary school without exam competition (essay)

Keio Primary school
There are examples of people going from primary school to university without taking any exams, and without having to experience any competitive entrance exams. In Japan, Keio University is an example, and there are people who advance from Keio Primary School to Keio University.
One of my past blogging friends was someone like that, and we dated for about 10 years, but I got angry at his lack of education, especially his rudeness, so we stopped dating. He once said, ``It was very good for me that I didn't have to experience competition for entrance exams.'' - Is that true?
He had no science background at all. - Because he was able to get promoted even though he couldn't do math or science. There are things in life that you have to do in a way that is appropriate for your age. Learning how to look at things mathematically is one of them. Otherwise, you won't be able to see the world correctly. Since it was unnecessary to advance to the next grade, studying in that field was sloppy. Oh, poor you.
He also rejected boxing fights and certain social cartoons, calling them ``scary.'' With such a weak mental structure, one would faint just by reading a book such as 20th-century history. However, he specialized in the fields of sociology and economics. Well, even in this field, one can only have ``shallow analysis'' and ``shallow understanding.'' This kind of timid spirit is probably a characteristic of integrated schools, where there is no competition and the students are immersed in lukewarm water. I think competition for entrance exams is necessary unless you become a boneless person.
Rei Morishita
付属小学校からの大学入学と受験競争
受験競争を一切経験せず、小学校から大学まで無試験で進むという例がある。日本では慶応大学がその例で、慶応幼稚舎から慶応大学まで進める人がいる。
私の過去のブログ友に、そんな人がいて、かれこれ10年は付き合ったが、彼の不勉強さ、とくに無礼さに怒って付き合いを止めた。以前彼が言っていたが「受験競争を経験しなかったことが、自分にとって非常に良かった。」――そうなのだろうか?
彼は理科系の教養がまるでなかった。――数学や理科ができなくても進級できたからだ。人生には年齢相応にやっておかなくてはならないことがある。数学的な物の見方の習得もその一つだ。さもないと、世界を正しく見られない。進級に必要ないから、その分野の勉強はいい加減だったわけだ。可哀想に。
また彼はボクシングの殴り合いとか、ある種の社会的マンガとかを「怖い」と言って排斥していた。そんな弱い精神構造では、20世紀の歴史など、本を紐解いただけで卒倒するだろう。もっとも彼は社会学とか経済学の分野が専門だった。まあ、この分野でも「浅い分析」「浅い認識」しか持てないだろう。このような臆病で怯懦な精神も、競争のない、ぬるま湯に浸かった、一貫校の特性なのだろう。私は、受験競争は必要だと考える。骨なし人間になりたくなければ。
#Keio University#慶応大学#Keio primary school#慶応幼稚舎#exam competition#science background#lukewarm water#timid spirit#rei morishita#essay
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可(ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。 感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。 これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って呼応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分かりやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。 このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。 大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
なし
*能力
前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。 現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。 何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。 ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る
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障害者は必ずしも弱者ではない
去年の夏、二日間だけ知的障害、精神障害の方を対象としたデイサービスで働いたことがある。2日しか働かなかったのはそれ以上続けることはできないと判断したからだ。私は精神障害、知的障害のある人が怖い。これは幼少期からの感じていることである。理由はわからないけど何となく怖かった、彼等は突然叫び出すし、意味のわからない行動を取るからだろう。そんな私が何を血迷ったのか、昨年障害者デイサービスに看護師として就労することを決めた。理由はとっても簡単。家から通える距離で、運転免許が不要で、年間休日が多くて、給料が担保されているからだった。そんな好条件を聞きつけて来た私のウキウキした気持ちは1日で崩れ落ちることになる。自分の思うように相手が行動してくれなければ甲高い声で泣き叫び、そして手を出すおばさん。若いのに寝たきりで管を繋がれてる女。恐ろしいほど綿密に作られた機械から出る空気を吸って呼吸をしているおじさん。小学生ぐらいの知能、感性で生きているであろう同世代の男の人、そしてその男性に対し小学生の子供に取るような態度をとっている看護師。衛生観念の狂った環境。その全てが私には過度なストレスだった。極め付けはそこに通っている4.50代のおじさんに言われた「抜いて」だった。一瞬意味がわからなくて「え?」と聞き返すと「抜いて」と繰り返した。おじさんの目線はおじさんの股間に移動していた。意味がわからず固まっていると「もうええわ」と一言投げ捨てるように言われた。気味が悪かった。限界だった。同じ人間だとは到底思えなかった。その人はどうやら知的障害を持った方だったらしい。でも、知的障害の中では比較的軽度だったらしい。軽度ということは物事の分別ぐらいはつくはずだろう。単純作業などの簡単な内容の就労であればできるかもしれない。そんな働き盛りの年齢のおじさんがうら若き乙女にそんなことを言うなんて正気の沙汰じゃない。"障害者には優しくしなさい。 障害者なんだから優遇されて当然" 私が何となくこの言葉を嫌っていたのは、無意識のうちに違和感を覚えていたからかもしれない。
もっと煮詰めた発言をしてしまうと、私は人間は動物としては失敗作だろうなと思っている。多くの動物は生き残り戦争に負けた種類、または個体は淘汰されていくのが常。そこに倫理は介入しない。負けたら終わり。勝ったら生き残れる。それが世の理だと思う。でも人間は違う。基本的人権、尊厳などなど、こんな言葉があるから私が生きているのは当たり前でしょ!!今は何の役に立てなくても私は生きているだけで価値があるの!!私のこと大事にしなさい!!ってみんなそう思い込んでしまう。そんな傲慢な態度を取ってしまう。(本当は生きてるだけでお荷物かもしれないのに)そんなことも考えず生きている。こんな尖りまくった言葉を認めてしまうと、障害者をお荷物だと言いたいのか!!!けしからん!!!なんてポリコレにイニシアチブを取られた今の世の中では総バッシング食らっちゃいそうだけど、そうじゃないのよ。今の環境に胡座をかかず、感謝を忘れず、慎ましやかに生きていこうね。って話なのよ。私の目には慎ましやかな生き方をしていない人が多く写ってしまっている。特に少数派の方々の中に多く。私は息の根が止まるその時まで慎ましやかに生きていきたい。大和撫子として。
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前の仕事を辞めてから早3ヶ月。ここ数ヶ月の不摂生は本当にひどかった。しかも今回は散々なトラブルののち、後先考えずに辞めてしまったから、猛烈に不安が襲ってきた。定職がなくなった途端に迫る恐怖心。このままじゃ死ぬ!と悟り、仕事探しを開始した。お世話になっている近所のケーキ屋さんでお手伝いをしながら、トライやるウィークのつもりで派遣に登録した。某百貨店での包装作業、衣料品の仕分け、家具や教���書の荷積みなどほとんどが力作業。15キロの荷物を棚に上げたり、パレットに積んでいったり…。男も女も年齢も関係ない。全員が同じ作業をこなしていく。これまでの職場にはなかった、ある意味平等な環境に感動した。鈍った神経と使ったことのない筋肉をフル活用し、毎日2万歩以上歩いた。信じられないほどの汗、水分摂取量。湿布くさい夜を何度も過ごした。初日は面食らってこのままじゃ(やっぱり)死ぬ!と思ったのだが、体を疲れさせることによって以前よりも健康体になった。布団に入ってから無意識のうちに眠れるようになり湯船が気持ち良いと感じられるようになった。ご飯をたくさん、いつもよりも美味しく食べられるようになった。不眠体質・風呂嫌いの改善、食欲の増加、減酒・減煙に成功。単発の仕事なのでストレスも少ない。いけずな人がいたとしてもその日限りの関係にもできるし、会社にいた頃のストレスに比べたら全く気にもならない。そして…また書く仕事に戻ることになった。もう7年ずっとこれやってる。過労働、賃金の問題、ハラスメント事情、ヘイトスピーチの横行、、、出版・マスコミ業界の厳しさをこれでもかというほど見て聞いて感じてきた。それなのにまたしても「でもやるんだよ」精神で乗り切ろうともがいてしまう。自分でも何がしたいのかもはや分からない。ただ幼い頃から持ち続けている、あらゆる分野に生きる人々への関心や本づくり、紙媒体への好奇心、段組やレイアウトを考える楽しさを「仕事」としていきたいと今も思い続けているのかもしれない。組織に属するかどうかという問題は別として。社会に貢献、とかではなくて(結果的にそうなれば嬉しい)自分の興味関心に従って生きていたいだけなのだが…なかなか難しい。勤労ステージ4th season。どうなるのかな。
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【Heartlands】曲解説

Heartland というアルバムタイトルを考えていたのですが、複数形だとしっくり来ました。まあ、全部解説してしまうとつまらないので、理由は各自感じ取っていただければと…(遠藤)
以下、作曲者による曲解説です
2.Tetetete(原)
海外のボーイ・バンドの曲をイメージして作りました。スーパーボールのハーフタイムショーのような会場で、途中からドラムラインが出てくるような壮大な妄想のもと、、笑
自作の中では一番ポップな曲になったような?気がします。
アコーディオンが刻む「てててて」の響きが好きなので、タイトルもそのまま「tetetete」に。
3. 足の裏(遠藤)
斉藤友秋さんのイベントで遠藤里美ソロをやる際に作った曲。この時は、ライブまで時間的(&精神的)な余裕がないため、演奏するのが容易かつ、しっかりした構造にするために「曲の構造から作曲する」というスタイルをとりました。
当時は変なコード進行する曲ばかり作っていたので、世の曲って結構ワンコード…と思い作った曲。
当初はトリオ編成(Sax × 2, Bass)のために作ったので非常にシンプルでしたが、バンド用に少しゴージャスにアレンジしなおしました(FlとObのカウンターメロディーなどを追加)。構造は2管のユニゾンの対決、その後全員ユニゾン、というシンプルな流れになってます。
ベースラインはほとんど同じ音型のまま進行して強固にキープ(そのせいで弦の演奏者は指が異常に疲れる)その上でメロディーがユニゾンするというものです。
単純な構造ではありますが、「ナチュラルではないリズムやメロディーを2人以上で完璧にユニゾンすればなぜかユーモアが生まれる」というプログレ的なねらいもあります。
曲の情景としては、さまざまな地面の形状や景色に対応する、足の裏から見た世界を描い��ます。
中尾さんへの演奏指示としては「歩きながらオナラをする感じでお願いします」と言ったところ、一瞬で理解していました。
リスナー側から見た音楽の面白さや快感とはどういうところにあるのだろう?と考えた時、反復や、リスナー側のメモリーと一致した感触なのかなと思うこともあり(初めて曲を聴いた時の喜びはまた別のものでもありますが)反復と、反復への裏切りに関しては、作曲する上で考えるポイントです。
4. abandon obsession(原)
執着を捨てるという意味のこの曲。
日々窮屈さを感じている時に、ビオパタにファンクなダンスナンバーを…と何故か思いたち、うまれました。
色々捨て去って、兎にも角にも踊ろうぜ!踊っとけばなんとかなる!という、普段あんまり思わない事を、逆にかたちにしたような曲です。
6. かめめぱやし(古池)
この曲は、単音の楽器が(当時は)6本もいるビオパタのために、
6声で、変拍子で、絡みつくようなフレーズの曲が書いてみたいなぁと思って作った曲です。
曲名は特に考えてなくて、初めて合わせた後にメンバーそれぞれに一文字づつ言ってもらって、それを繋げてタイトルにしました。
自分で演奏しようと思ってもなかなかに厄介な曲を、見事に形にしてくれました。
とても嬉しいし、聴いててとても楽しいです。どうもありがとう。
7. 草原境(遠藤)
実家で飼っていた犬の「ゆきちゃん」が亡くなった時にできた曲。身近な命がなくなると、曲ができてしまいます(以前作曲した「五十嵐川」は祖母が亡くなった時の曲)。犬のゆきちゃんは雑種で自由な女の子でした。動物たちが、周りからの視線を気にすることなく生きている様は、癒やされるということを通り越して元気づけられます。
進んでいるようで進んでいない、同じところをずっと回っていながらも景色は少しずつ変わっていく感じを出したかったので、それほどドラマティックな展開はありませんが、ユニゾンのメロディーは自然に出てきたもので、意外に気に入っています。
曲の全体のイメージとしては、まったく悲壮感のなかった、あっけらかんとした「ゆきちゃん」という存在を表せたのではと思います。
8. 消失(遠藤)
円盤から発行されていた雑誌「Comicミツザワ」のために作曲した曲。
1ページに納めたので短い曲です。また演奏にチャレンジしやすいようにとても単純で美しい曲を作ったつもり。
コード進行重視で作った曲です。シンプルながら楽譜から音が立ち上がった時、不思議な響きになったりギャップがあるのは個人的に嬉しいものです。
(読者が演奏してくれるのを期待しましたが、そういう交流は生まれなかったですね)
9. 雲間(原)
隙間というものが気になるのに、暮らしの中でちょっとした隙間(ドアがちょっと空いてたり、棚が少し開いてたり)を生み出しがちです。
その隙間から何かに見られてるような気がしてつい目がいってしまう。同じ様に、雲の間から見える月にもつい目がいってしまいます。でも、ずっと見てるわけではなくて、チラチラみて、違う事考え出したら忘れてしまう。そういう感覚を曲にしてみました。
10. 村の掟(遠藤)
2020年に、某バンドで演奏するために作曲した曲。
簡単で楽しい曲を作るというミッションのもと、15曲くらい作ったうちの一つをビオパタ用にアレンジしました。後から適当にタイトルをつけたのですがなかなか他と毛色の違う良い曲になった気がします。
自分としては、メロが単純すぎるので無意識に何かのパクリみたいになっていそうなのが気になっています。
一度加藤休ミさんの絵本ライブで「かんなじじおどり」という本にBGMとしてつけたのですが、何だか合っているようでした。
「日本人しか作れない曲」というのは確かにあると思うので、日本人らしさを作曲に活かせれば良いなと思ったりします。
11. 深更、雪(遠藤)
円盤から発行されていた「Comicミツザワ」のために作曲した曲。
少しだけアレンジを付け足し、さらに深夜感を出しました。雪国育ちなので、「夜中に大量に雪が降っていて、朝妙に静かだなーと思ったら雪に埋もれていた」感じを表現しました。雪の降る音を聞くのは難しいですが、人間の見ていない場所に静かに雪が積もっていくイメージです。
「分断されたメロディーを自然に繋げる」が裏テーマ。とにかく1拍三連が昔から好きなのです。ドラクエ3のエンディング「そして伝説へ」で目覚めました。
12. Empty Tango(遠藤)
biobiopatataは2012年の円盤によるタンゴ企画がきっかけで誕生したバンドですが、2017年3月に再度タンゴ企画が企画され、ビオパタも懲りずに招致されました。それに合わせ作曲しました。
初演は会場は入谷なってるハウスで、対バン「LimaTango!!」には当時のなってるハウス店長のリマ哲さんがいました。なってるハウスを退職される直前とのことで、新店長・小林さんと新旧店長アドリブソロ対決をお願いしたく、ビオパタでは珍しくアドリブソロの部分を作りました。(録音では遠藤ソロになっている)
イントロは、管楽器のメロディーだけでタンゴを表現できるか?をテーマとしてバラバラに聞こえるけどお互いが支え合ってグルーヴを作ることを目指しました。タンゴはもともとドラムが入ることが少ないようなのですが、リズム楽器無しでメロディでグルーヴを作ることでタンゴらしさを少しずつ作りだしていきます。
本編はダンスミュージックとしてのタンゴを意識しました。テンポが微妙に変わったりするのも、もしダンス作品としてストーリーがある振り付けがあったら素敵だな、という妄想のもとです。
曲のイメージは、引っ越しが終わった後、空になった部屋に思い出だけが浮遊しているイメージといいますか。
13. 山2(山本)
楽譜にしたときに音の横の流れが美しいのがいいなと思い、どのパートもなるべくきれいな旋律に感じられるよう心がけました。意図したわけではないのですが、結果的にその旋律が山々の稜線を描くような曲になったように思います。
15. BBK(遠藤)
初めはどう��う経緯か忘れましたが、絵本作家の加藤休ミさんの絵本「ぼーるとぼくとくも」にBGMをつけるというミッションのもと作曲した曲。
ぜひ、絵本「ぼーるとぼくとくも」をご購入の上、一緒にお聞きください(休ミさんにはこのアルバムのジャケットも担当していただいています)。
絵本にBGMをつけるというのは初めての体験だったのですが、古い友人である休ミさんのことも自分なりに理解した上で、絵本を読み解いて音をつける作業は全く違和感なくスムーズに行うことができました。
ある年齢までしか見えない幻、トトロ的なものを感じて、楽しさ、奇妙さ、ワクワク感、不安定さなどを表現したつもりです。
主人公の少年の性格が垣間見られる冒頭、まだ別の世界へ飛び立っていない時点からなんとなく不穏な空気を漂わせています。
テンポが移り変わり、浮遊感のある景色が広がります。ひとしきり空で遊んだ後は、余韻のある状態で元の場所に戻ってきます。夢だったのかもしれないけど、それは確かに彼の血肉となって残るのです。私は幼少時、外で独りでいる時に数分気を失った記憶があり、その時の体験を思い出したりしました。あれは何だったんだろうとたまに思います…。
メロディーの上下で浮遊感を表しておりますが、譜面で見ると音型は雲のようにも少年の軌跡のようにも見えて視覚的にも浮遊感があります。
ライブでは加藤休ミさんが絵本の読み聞かせをしているのですが、その時の状況次第で場面の尺が変わるため、要所要所でリピート回数の指示をアイコンタクトで行います。(ちなみに、加藤休ミさんの読み聞かせの入ったバージョンの音源も存在しますが、録音しながらなぜか感動のあまり泣いてしまったという。)
録音自体は2017年に行っており、全員での一発録音となっております(アコーディオンだけオーバーダブだったと思います)。伴瀬朝彦さんにギターを演奏していただいています。
この曲と「足の裏」はベーシックは全員で録音を行なっています。その他の曲は各メンバーが個々に録音したものをミックスしています。
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(CNN) 米国内で市販されている異なるブランド100以上の米のサンプルを調べたところ、危険な水準のヒ素とカドミウムが含まれていることが分かった。CNNに最初に公開された新たな報告で明らかになった。 「低い水準でさえ、ヒ素もカドミウムも深刻な健康被害と関連している。糖尿病や発達の遅れ、生殖毒性、心臓病などだ」。報告の共著者で、子どもの有毒化学物質への暴露低減に取り組む団体、ヘルシー・ベビーズ・ブライト・フューチャーズの調査責任者を務めるジェーン・フーリハン氏はそう述べた。今回の報告は同団体が作成した。 「幼い子どもの重金属汚染には特に懸念がある。発達初期の暴露は知能指数(IQ)の低下や広範囲にわたる認知及び行動障害と関係するからだ」(フーリハン氏) 全米の食料品店や小売店で購入した米のサンプルのうち、4分の1は米食品医薬品局(FDA)が2021年に設定した乳児用米シリアルの無機ヒ素の基準を上回っていた。当該の報告は15日に公表された。 フーリハン氏によれば、FDAが乳児用米シリアルの無機ヒ素の規制値を100ppbに定めて以降、これらのシリアルに含まれる無機ヒ素の水準は45%低下した。しかしFDAは、調理のため購入される米の無機ヒ素の基準については対処してこなかったという。 0~2歳児にとっては米シリアルよりも米そのものが無機ヒ素の重要な暴露源だということが明らかになったと、フーリハン氏は述べた。 ヒ素は土壌や水、空気から検出される天然元素で、無機のものは最も毒性が高い。ここでの「無機」とは化学用語であり、農法とは無関係。 ヒ素は発がん性物質でもあり、妊娠中を含め発達初期の暴露は特に危険だ。流産や死産、早産につながる恐れがある他、生まれてから神経発達症にかかる場合もあると、米小児科学会は述べている。 米生産者を代表する全米ライス連合会は電子メールでCNNの取材に答え、米国で生産される米に含まれる無機ヒ素の水準は世界最低レベルだと説明。広報並びに戦略開発担当幹部のマイケル・クレイン氏は、「米に含まれる微量のヒ素の結果、健康上の問題が生じるとの見方には同意しないが、我々は引き続きFDAと連携し、米国内で出回る米があらゆる基準を確実に満たすよう取り組んでいく」と述べた。 その上で、米国人が食生活で摂取するヒ素の割合は青果と果物ジュースが42%で最も高く、米は17%だと付け加えた。 一方、前出のフーリハン氏は、青果が数十種類で42%なのに対し、米はそれのみで17%を占めていると指摘。単一の食材として米国人の食生活の中でヒ素の最大の摂取源となっている公算が大きいと述べた。 「平均すると、0~2歳の全乳児にとって、米はヒ素に暴露する割合の7.5%を占める。これは他のどの固形食よりも高い」と、フーリハン氏。また同年齢のヒスパニック系、アジア系の子どもだと、このレベルはそれぞれ14%、30.5%に上昇すると付け加えた。 今回の報告では、米のブランド145のサンプルについて重金属の含まれる量を分析した。製品の生産国はインド、イタリア、タイ、米国で、いずれも米国内で市販されている。 ファッロなどの古代穀物から検出される重金属は、市販の米よりも大幅に少ない/bhofack2/iStockphoto/Getty Images ファッロなどの古代穀物から検出される重金属は、市販の米よりも大幅に少ない/bhofack2/iStockphoto/Getty Images またアマランスや大麦、蕎麦(そば)、ブルグル、クスクス、ファッロ、黍(きび)など9種の古代穀物を使用した66のサンプルも同様に調べた。 その結果、市販の米には古代穀物の28倍のヒ素が含まれていることが分かった。古代穀物には米より1.5倍多くカドミウムが含まれていたが、それでも全体的な重金属の水準は9種の古代穀物の方が市販の米よりも3倍低かった。 市販の米のサンプルは、米国南東部産の玄米の重金属濃度が151ppb。このうちヒ素は129ppbだった。主にリゾットに使用されるイタリア産アルボリオ米は全体の重金属濃度142ppb中、ヒ素が101ppb。米国南東部産の精白米は全体の重金属濃度118ppbに対し、ヒ素が95ppbだった。 インド産のバスマティ米、タイ産のジャスミン米、カリフォルニア米のカルローズの重金属濃度は、FDAが乳児用米シリアルに設定した100ppbと同じか、これを下回った。 カドミウムの濃度は、イタリア産アルボリオ米とインド産バスマティ米で特に高い数値が検出された。 全体の重金属濃度はカリフォルニア米がヒ素55ppbを含む65ppbと最も低く、全般的に暴露を低減する上で優れた選択肢になると、フーリハン氏は語った。 米を一晩水につけ、調理前に水を切ればヒ素の水準を大幅に低減できる この他にも報告では、米を調理する際、パスタのように米1カップに対して水6~10カップで茹(ゆ)で、食べる前に余分な湯を切れば米に含まれるヒ素を最大60%取り除けるとしている。調理前の洗米だけではそうした効果は得られないという。 さらに多くのヒ素を取り除くには米を30分、もしくは一晩水につけ、調理前に水を切る方法もあるという。 またビタミンBやカルシウム、亜鉛、ビタミンCなどの栄養素は、混入物質の体への吸収を抑え、迅速な排出に寄与すると報告は指摘。赤身肉やヨーグルト、チーズ、葉物野菜、ブロッコリー、豆類、柑橘(かんきつ)類などにそうした栄養素が含まれているとした。
危険水準のヒ素とカドミウム、市販の米から検出との報告 米健康団体 - CNN.co.jp
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熱中症予防ガイドライン:
熱中症予防ガイドライン: 熱中症を予防するためには、暑さを避け、こまめに水分と塩分、糖質を補給し、適切な服装を心がけることが重要です
2025年 06月 16日
熱中症予防ガイドライン:
熱中症を予防するためには、暑さを避け、こまめに水分と塩分、糖質を補給し、適切な服装を心がけることが重要です。
6月から9月の4ヶ月間 ピークは8月よりも7月になることが多い
11時から16時は暑いので注意しましょう。
2020年以降の熱中症による死傷者数は午後15時台に最も多く、次いで午前11時台がピーク
11時台が23人と最も多く なっており、次いで15時台の16人、13時台、16時台
朝涼しいうちに運動するか、夜運動するか、室内でエアコンをつけて運動するのがおすすめ
また、暑さに体を慣らす「暑熱順化」も効果的です。
具体的な予防方法:
暑さを避ける:
• 外出を避ける、または日中の暑い時間帯を避ける。
• 日傘や帽子を着用し、直射日光を避ける。
• 室内では、エアコンや扇風機を適切に使用し、室温を調整する。
• すだれやカーテンで日差しを遮る。
• 通気性の良い、吸湿性・速乾性のある服装を心がける。
水分の補給:
• こまめに水分を補給する。
糖質の補給:
飴でも可能
適度な糖質を含む飲料:
運動時など、大量に汗をかいた場合は、適度な糖質と電解質を含むスポーツドリンクが有効です。
糖質濃度に注意:
スポーツドリンクの糖質濃度は4~8%程度が推奨されています。
塩分のの補給::
飴でも可能
• 経口補水液やスポーツドリンクが効果的。
• 汗をかいた場合は、水分だけでなく塩分も補給する。
適切な塩分補給は、経口補水液やスポーツドリンク、塩飴、梅干しなどで行えます。
ただし、過剰な塩分摂取は高血圧などの原因になるため、注意が必要
目安として、1ℓの水に対して1~2gの食塩を加えます。 さらに、長時間のスポーツなどで失われた糖分を補い、エネルギーを補給するために砂糖などを加えると、水分や塩分の吸収が良くなる上に、疲労回復にもつながるのでより効果的
暑熱順化:
• ウォーキングなどで、徐々に体を暑さに慣らす。
• 入浴も効果的。
その他:
• 体調が悪いときは、無理をしない。
• 周囲の人にも気を配り、声をかけあう。
• 熱中症警戒アラートが出ている日は、特に注意する。
特に注意が必要な人:
熱中症になりやすい人:高齢者、乳幼児、体調が悪い人、暑さに慣れていない人、
運動習慣がない人、肥満の人、筋量が少ない人 ·
自律神経に作用する薬剤を内服している人 順化していない人
持病(糖尿病、心臓病、精神疾患等)のある人 糖尿病、高血圧症、心疾患、腎不全、精神神経系の疾患、広範囲の皮膚疾患で治療を受けている人
など
これらの予防策を参考に、熱中症にならないように注意しましょう
ーー
夏に脳梗塞、心筋梗塞が増える主な原因は、脱水による水分不足
脱水症状が進むと、血液が濃縮されてドロドロになり、血栓ができやすくなります。 これは心筋梗塞や脳梗塞に繋がることがあるため、危険
夏に脳梗塞が増える主な原因は、脱水による水分不足です。
汗をたくさんかくことで血液がドロドロになり、血栓ができやすくなるため、血管が詰まりやすくなります。
特に、ラクナ梗塞やアテローム血栓性脳梗塞は脱水との関係が強いとされています。
夏に脳梗塞が増える理由
脱水:
暑い夏は汗をたくさんかくため、水分補給が不足すると脱水状態になりやすいです。
脱水になると血液が濃縮され、血流が悪くなり、血栓ができやすくなります。
血栓ができやすい:
脱水状態では血液がドロドロになり、血栓ができやすくなります。
特に、高齢者や基礎疾患のある方は、体温調節機能が低下しているため、脱水による影響を受けやすく、脳梗塞のリスクが高まります。
夜間の血圧低下:
夏は夜間に血圧が下がりやすく、血流が滞りやすいため、血管が詰まりやすくなります。
飲酒:
飲酒は利尿作用があるため、脱水の原因になります。
特に、就寝前の飲酒は、脱水と血圧低下が重なり、夜間の脳梗塞のリスクを高めます。
エアコンによる温度変化:
エアコンの効いた部屋と外との温度差は、血圧の変動を引き起こし、血管に負担をかけることがあります。
脳梗塞の予防策
こまめな水分補給:
のどが渇く前に、こまめに水分を補給しましょう。
特に、高齢者や基礎疾患のある方は、水分補給のタイミングを意識することが大切です。
就寝前、起床時の水分補給:
寝ている間にも汗をかくため、就寝前と起床時にコップ一杯程度の水分を補給しましょう。
飲酒を控える:
飲酒は利尿作用があるため、脱水の原因になります。
特に、就寝前の飲酒は控えましょう。
生活習慣病の管理:
高血圧、糖尿病、脂質異常症などの生活習慣病は、動脈硬化を進行させ、脳梗塞のリスクを高めます。
これらの病気の適切な管理も重要です。
暑さを我慢しない:
暑い時は無理せず、エアコンを適切に使用しましょう。
節電を意識しすぎるあまり、熱中症にならないように注意しましょう。
ーー
夏の心筋梗塞は、暑さによる脱水や血液の粘度上昇が原因で起こりやすくなります。
汗をたくさんかくことで体内の水分が減少し、血液がドロドロになり、血栓ができやすくなるためです。
特に、高齢者や持病のある方は注意が必要です。
夏の心筋梗塞の原因と対策
暑さによる脱水:
汗をかくことで体内の水分が失われ、血液が濃縮されてドロドロになり、血栓ができやすくなります。
血液の粘度上昇:
水分不足により血液の粘度が増し、血栓ができやすくなります。
高齢者や持病のある方:
基礎疾患のある方は、心筋梗塞のリスクが高いため、特に注意が必要です。
対策
こまめな水分補給: 喉が渇く前にこまめに水分を補給しましょう。
塩分も適度に補給: 汗で失われる塩分も補給しましょう。
直射日光を避ける: 炎天下での活動は控え、室内で過ごすようにしましょう。
激しい運動は控える: 暑い時間帯の運動は避け、水分補給をしっかり行いましょう。
睡眠不足を避ける: 睡眠不足は体調を崩しやすく、心臓にも負担がかかります。
バランスの取れた食事: 栄養バランスの取れた食事を心がけ、肥満を解消しましょう。
禁煙: タバコは血管を収縮させ、心臓に負担をかけます。
定期的な健康診断: 早期発見、早期治療が大切です。
その他
夏の夜に心筋梗塞が増えるという研究結果もあります。
心房細動がある方は、脱水によって血栓ができやすくなるため、特に注意が必要です。
心臓に負担をかけないように、生活習慣を見直しましょう。
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベル���のニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したま��ここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人��ど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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(2024/12/27 01:46:14)
クリスマス当日の日について書く。恋人のことか大好きだと実感した日。私の勘違いでクリスマス当日に飲み会に行ってしまったと思い寂しくなってしまった。高校の友人らへの連絡も既読がつかなくて一気に孤独を感じてしまい、耐えられなかったのでコンビニでお酒買いに行くことにした。その時は気分が限界で、鬱による自己否定が止まらず涙が出てしまった。ちょうどコンビニで煙草ふかしてる時に、恋人から何してるのって連絡が来て、コンビニで酒を買ってると言うと心配して電話をかけてくれた。不安だったことを素直に伝えて気持ちを話して、受��止めて貰えてちょっと涙が出た。家に帰ると高校の友人らからLINEが来て嬉しかった。味方がいるって思えた。クリスマスはりさと過ごした土日で終わった、世の中のクリスマスは平日の今かもしれないがそれは知らんって言ってくれて。心が満たされるってこういう感覚なんだと胸があたたかくなった。この日のことを大事にする。電話越しに伝った大好きな人との電話。嬉しかったし大事にする。そしてこのうれしい気持ちをちゃんと伝えたい。
(2024/12/23 21:50:29)
恋人とクリスマスを21.22で過ごした。この日が土日だったから。次の日の今日記を書いている。今日は本屋に行きたくて仙台に行った。アエルで本を2冊購入したけど、すれ違う人に対しての警戒心が未だに解けない。今日もピリピリしていた状態で外に出かけてしまったせいか、なんだか疲れてしまい今、布団に潜り日記を書いてる。泊まりで恋人と会い、その際いつもの発作が出ないよう心がけたことへの疲労感からなのか今日は心が落ち着かない。呼吸が浅くて息を吸っても体に入っていかない感覚がした。調べてみたら鬱の人は自律神経が乱れて呼吸が浅くなることがあるのだとか。それに該当しているかもしれない。とにかく、今日は心が落ち着かない。芹那の双極性障害についてのインタビュー動画を見たこと、韓国の本「あなたは正しい」を読み心が動いたことも起因している。と、同時にこんなに毎日毎日泣きたくて、涙が出て自己否定が脳内に溢れて苦しくて、呼吸が乱れて、こんなに辛いならいっそ死んで楽になってしまいたいと、そう思ってしまった。自殺なんて天国にいけないよな、って思うけど一人で泣いて自分の気持ちを一人で共感して、自分で自分を抱きしめるのが辛くて辛くて。幼少期の頃からずっと誰かに肯定されたい、慰めてもらいたいという欲求がある。この歳になってしまったらもう自立できないみっともない大人だと自覚している。でも心がずっと泣いていて自分でもどうしたらいいのかわからないんだ。人といる時は暗い自分を見せないように笑っている努力はしているけど、本当は泣きたくて肯定されたいし、こんな自分でも受け入れてもらいたいと願ってる。でもそれは無理だから笑顔の自分でいる。また呼吸が浅くなってきた。病院の予約をしよう。また1ヶ月待つのかな。
(2024/12/13 )
会社をやめて1ヶ月ほど経ったけど、いまだに心がボロボロである。一人になると泣いてしまう。けど泣いてる人間って煩わしいのかな。昔からなんで泣くの?とか言われるのがいやでたまらなかった。こっちだって生理現象で勝手に涙が出てくるのが嫌なのに、泣くと負け認定してくるし。今日はしぬチャンスがありましたがものにできませんでした。でも車がつっこんできた瞬間、怖かったなあ。もうずっと地獄の中にいる。どうしたらいいかわからない。だれかにがんばったねって言われたい。肯定されたい。
(2024/12/08 - 2024/12/13 )
12月8日日曜日。恋人とキャ���プに行く。星が見えるキャンプ場いわきオートキャンプ場 DAN~煖~に行ってきた。キャンプ自体10年以上行ってなかったから楽しみだった。私が人と会う時、一番楽しみにしているのはご飯の時間。恋人とスーパーで買い出しをする時間とか、鍋でぐつぐつ煮込んでるのを見るのが好き。その日は星がよく見えた。曇ってて見えないかもねって話をしていたから、上を見上げて空いっぱいの星が見えて嬉しかった。オリオン座がよく見えた。星座をきちんとみたのは初めてかもしれない。冬の寒空の下で見上げたいっぱいの星空にすこし心が暖かくなる。次の灯油ストーブが燃えた。これが車移動中とか。悪いタイミングじゃなくてよかったと思った。もっと自分用のキャンプグッズがほしいな。一人でも完結できるような。
今日はハローワークに行って失業保険の説明会に行った。就職について考えなきゃなあと思う反面、働くことに対しての恐怖心がある。人が怖いと思う感情も強い。今日も相模大野、町田、相模原と3駅あるいて人の多さに精神が擦り切れそうだった。特に相模大野が相模女子大の学生が多くて、おちついてのんびり歩けない。宮城と違うのは何も考えずにぼーっと歩けないところ。すれ違う人の動向を意識してぶちかならいように歩いたりするのが、どうも、脳の嫌なところを使っている感覚がある。将来は田舎に住みたいけど、せめて本屋が近くにないといやだな、と思ったりしている。住民税の支払い額が高額すぎて無職なのにこんな額を払うのか…これでハイブランドもの買えるなあと虚しくなった。5万円だってさ。やばくない?5万も自分の人生の足しにもならない額を支払って嫌になる。自分のために働いているのに、よくわからない額を国に納めて私の生活全然良くならないじゃん。あーあ、嫌になる。腹がたつ。前の会社も税金も嫌い。あんな思いして働いたのに給料安くて住民税バカ高くて。欲しいもの買えなくて。今日は高齢者の車が突っ込んできて危機一髪、死なずに済んだ。運が悪ければ今日が人生で最後の日だった。ハロワに行く日が人生最後ってほんと”人生”って感じがしてムカつく。高齢ドライバーはいい加減免許を返納しろ(命令形)という気持ち。恋人からの連絡頻度一気に減ったなあ。もやもやする。こいつ無職だし適当でいいと思われているのだろうか。なら付き合う初めからその頻度であれよと思う。結局慣れてきてりさへの扱い雑でいいって思われているのかな。私だったらそう思われないように、意識的にきちんと返事するし、忙しい人ほど返事が早いことも知ってるからこそちゃんと連絡したいと思うけど、人に求めても無駄だもんね。人に求めても、自分が傷つくだけで相手は変わらないし受け入れられなかったらこっちから離れるしかないと思う。やっぱ高齢ドライバーのつっこんできた運転にはねられてしねばよかったかな。自分の人生ずっとずっと虚しいのななんでだろう。幼少期にほめてもらえなかったからかなあ。りさのこと見てくれる大人がいなかったからかなあ。寂しいときピヨピーしかいてくれなかったからかな。今後の人生でダメをだいじょうぶにしていける手応えが一切ない。会社やめて1ヶ月ぐらいたったのかな。まだ全然だいじょうぶにできなくて焦っている。
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バートランド・ラッセルの言葉366_画像版 n.3135j (June 1, 2025)
文明の発展のある段階で,並外れた先見の明を持ったある人物(注:ニュアンスとしては「ある男」)に次のような考えが生じたに違いない。(即ち)自分の子どもがまだ幼いうちに、彼らの心に自分が年老いたときにも生かしておこうと思わせる精神状態を植えつけておくことができるのではないか、と。恐らくその人物(男)は、すでに自分の両親を処分されていたであろう。(注:その男によって処分されたのではないかと想像される。)
At some stage in the development of civilization, it must have occurred to some man of unusual forethought that he could, while his children were still young, produce in them a state of mind which would lead them to keep him alive in old age; presumably he was a man whose own parents were already disposed of. Source: Bertrand Russell: Power, 1938. More info.: https://russell-j.com/beginner/POWER15_030.HTM
<寸言> 科学技術が発達しておらず、自然災害に十分に対処できなかった時代には、飢饉によって多くの人々が餓死しました。そうした時代でも、多くの人々が高齢になる前に亡くなっていたため、たとえ長生きする人がいても、彼らが「邪魔者」扱いされることはそれほどありませんでした。 しかし、乳児死亡率が低下し、長生きをする人が増えると、飢饉の際には老人は「無駄飯食らい」 という視線で見られ、肩身が狭い思いをしました。そういった時代背景のもとで、「姨捨山伝説」が生まれたと考えられます。 自民党所属の元衆議院議員の杉田水脈(すぎた・みお)氏は、かつて雑誌『新潮45』に「『LGBT支援の度が過ぎる」というタイトルの論文を寄稿し、子どもを産まない女性は「生産性がない」と表現したことで、世間の非難をあびました(ただし、杉田氏は一部の「切り取り」であり、全文を読んでほしいと抗議しています)。 そうであれば、水田氏は、(男女を問わず)高齢者についても「生産性がない」と考えそうです。もちろん、杉田氏自身は歳をとっても「(自分は)生産性がある」と思うのでしょうが・・・。
In times when science and technology were underdeveloped and natural disasters could not be adequately dealt with, many people died of starvation during famines. Even in such eras, most people died before reaching old age, so even if some lived long lives, they were not often regarded as a burden. However, as infant mortality rates declined and more people began to live longer, the elderly came to be seen, especially during famines, as "useless eaters," looked upon with a sense of disdain and made to feel unwelcome. It is believed that the legend of Obasute-yama (the mountain where old women were abandoned) was born out of such historical circumstances. Mio Sugita, a former member of the House of Representatives from the Liberal Democratic Party, once contributed an essay to the magazine Shincho 45 titled "Support for LGBT Has Gone Too Far." In it, she described women who do not bear children as "lacking productivity," which drew widespread public criticism. (Sugita later protested that her remarks had been quoted out of context and urged people to read the full article.) Given that, it would not be surprising if Ms. Sugita also considered elderly people, regardless of gender, as "unproductive." Of course, she would probably still think of herself as "productive," even when she grows old…
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