#たまに精神年齢が幼くなります
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から���一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないう��に(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、��立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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体の反応と被害感情の処理ができない、情報もない藤森:また、男性の場合には多いと思うんですが、子どもであっても性器を触られたり、いじられたりすると、やっぱり興奮をする、勃起をする、気持ちがいいと感じてしまうこともあります。もうちょっと年齢がいくと、そのことによって射精してしまう。射精そのものは快感なので、自分は快感を持ってしまっているのだからNOではないんじゃないかと思い込んでしまう。本当に嫌だったら、そんなこと起きないんじゃないかと。体の中で快感が走ったとなると罪悪感として残ることで自分が被害者だと言っていいのかどうか悩んでしまいます。石川:体の反応があるからそこを判断基準にしてしまうっていうことですね。藤森:はい。女性の場合でも、性交、レイプされた時に性器がぬれてきたとか、声を上げたとかっていうのは、快感を感じたから同意なのだと裁判で争われたことがあります。体が快感を感じて射精してしまう、オルガスムスを感じるっていうことと、同意をしていないセックスをしたことは全く別問題なんだ、といったことを多くの人が知らないし、誤解を与えやすいのだろうと思います。特に幼いお子さんたちだったら、そう思ってしまう可能性はあります。今回のことは裁判にはなっていないので、どういう被害を受けたか詳細にはわかりません。報道されている被害内容は僕のと違う、僕の体験はここまでなんだけど、どうなんだろう、と悩んでらっしゃる方も実はいるのではないでしょうか。石川:曖昧だから余計によくわからず、1人で抱え込んでしまう。重要なのにわからないから憶測が流れてしまう。お話を聞いていると、やはりきちんとした被害実態の調査こそが救済につながると感じます。グルーミングは被害認識を持ちにくい石川:先ほど「支配と服従」についての話がありました。BBCの報道では、「グルーミング」という言葉が使われていました。似ているのでしょうか。藤森:似ていますがやや違います。対等な関係じゃない形で支配をする、精神的に縛ってしまっているという意味では同じです。グルーミングは毛繕いという意味が語源ですから、世話好き、ケアをするイメージで優しいアプローチです。よしよしをするとか、プレゼントをするとか、美辞麗句を言う、おいしい話をしていく。被害者の方たちの弱み、��えている子を目が��て使うのでとても効果があります。支配されている側はとても優しい言葉を言われるので、私を愛しているんだ、好きなんだ、目をかけてくれているんだ、と思うのです。性被害というと、無理やり衣服を引き剥がされて、押し倒されて、けがをするようなレイプっていうのを想像しがちですけれどもそれとは異なります。服従と支配の中には、支配側が脅す、他に言うよ、親に言うよ、このことをばらすと君はもうここにはいられないよ、といった形になります。石川:グルーミングは、支配と服従の関係よりも被害意識を持ちにくいということですね。藤森:そうですね。なかなかそこから目が覚めないので、裁判でも、子どもはその人のことを好きだとか、愛しているとか、嫌じゃなかったと言う場合も往々にしてあります。法律では13歳以上になっていないから駄目なんだよ*2、と言っても、被害者意識がなかなか湧いてこない。裁判が終わって1年以上過ぎてから、やっぱりすごくあれは変だったとか、嫌だったっていうのがわかってきたりします。石川:元ジャニーズの方々は、事務所を出てから10年以上経っているのに、今も好きだとか感謝していると言っています。グルーミング効果が続いているのでしょうか。あるいは被害よりも得たメリットが大きいからなのでしょうか。藤森:かもしれないですし、あるいは、嫌だった、気持ち悪かった、屈辱的だった、何も知らなかった無垢(むく)な子ども時代を返してほしい、そういう気持ちを持っていいんだ、ということが保証されていないから言えないのかもしれません。ジャニーさんが嫌じゃなかった、感謝していると語っている報道を聞くと、余計に言いづらいのかもしれません。もしくは、さっき言ったように快感を持ってしまっていた自分をどう処理していいかわからない、嫌だっていうことを言っていいのかどうか今も悩んでいるかもしれません。本当に整理できているかどうかはわからない気がします。性被害の問題って死ぬまで抱えてらっしゃる方が多いので。人生の後半になって出てくることも珍しくはないのです。今は症状や気持ちが揺れたり、増悪したり。押し込めているかもしれないですよね。石川:被害を安心して語れる場を用意することが重要になるのですね。相談窓口を用意して待っているだけでは足らないように感じます。積極的に調査をする必要がありそうです。
ジャニーズ性加害事件の背景と被害者支援 「子どもへの性暴力」著者が語る(石川慶子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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University entrance from affiliated Primary school without exam competition (essay)
Keio Primary school
There are examples of people going from primary school to university without taking any exams, and without having to experience any competitive entrance exams. In Japan, Keio University is an example, and there are people who advance from Keio Primary School to Keio University.
One of my past blogging friends was someone like that, and we dated for about 10 years, but I got angry at his lack of education, especially his rudeness, so we stopped dating. He once said, ``It was very good for me that I didn't have to experience competition for entrance exams.'' - Is that true?
He had no science background at all. - Because he was able to get promoted even though he couldn't do math or science. There are things in life that you have to do in a way that is appropriate for your age. Learning how to look at things mathematically is one of them. Otherwise, you won't be able to see the world correctly. Since it was unnecessary to advance to the next grade, studying in that field was sloppy. Oh, poor you.
He also rejected boxing fights and certain social cartoons, calling them ``scary.'' With such a weak mental structure, one would faint just by reading a book such as 20th-century history. However, he specialized in the fields of sociology and economics. Well, even in this field, one can only have ``shallow analysis'' and ``shallow understanding.'' This kind of timid spirit is probably a characteristic of integrated schools, where there is no competition and the students are immersed in lukewarm water. I think competition for entrance exams is necessary unless you become a boneless person.
Rei Morishita
付属小学校からの大学入学と受験競争
受験競争を一切経験せず、小学校から大学まで無試験で進むという例がある。日本では慶応大学がその例で、慶応幼稚舎から慶応大学まで進める人がいる。
私の過去のブログ友に、そんな人がいて、かれこれ10年は付き合ったが、彼の不勉強さ、とくに無礼さに怒って付き合いを止めた。以前彼が言っていたが「受験競争を経験しなかったことが、自分にとって非常に良かった。」――そうなのだろうか?
彼は理科系の教養がまるでなかった。――数学や理科ができなくても進級できたからだ。人生��は年齢相応にやっておかなくてはならないことがある。数学的な物の見方の習得もその一つだ。さもないと、世界を正しく見られない。進級に必要ないから、その分野の勉強はいい加減だったわけだ。可哀想に。
また彼はボク��ングの殴り合いとか、ある種の社会的マンガとかを「怖い」と言って排斥していた。そんな弱い精神構造では、20世紀の歴史など、本を紐解いただけで卒倒するだろう。もっとも彼は社会学とか経済学の分野が専門だった。まあ、この分野でも「浅い分析」「浅い認識」しか持てないだろう。このような臆病で怯懦な精神も、競争のない、ぬるま湯に浸かった、一貫校の特性なのだろう。私は、受験競争は必要だと考える。骨なし人間になりたくなければ。
#Keio University#慶応大学#Keio primary school#慶応幼稚舎#exam competition#science background#lukewarm water#timid spirit#rei morishita#essay
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可���ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。 感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。 これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って���応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分かりやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。 このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。 大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
なし
*能力
前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。 現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。 何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。 ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る
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障害者は必ずしも弱者ではない
去年の夏、二日間だけ知的障害、精神障害の方を対象としたデイサービスで働いたことがある。2日しか働かなかったのはそれ以上続けることはできないと判断したからだ。私は精神障害、知的障害のある人が怖い。これは幼少期からの感じていることである。理由はわからないけど何となく怖かった、彼等は突然叫び出すし、意味のわからない行動を取るからだろう。そんな私が何を血迷ったのか、昨年障害者デイサービスに看護師として就労することを決めた。理由はとっても簡単。家から通える距離で、運転免許が不要で、年間休日が多くて、給料が担保されているからだった。そんな好条件を聞きつけて来た私のウキウキした気持ちは1日で崩れ落ちることになる。自分の思うように相手が行動してくれなければ甲高い声で泣き叫び、そして手を出すおばさん。若いのに寝たきりで管を繋がれてる女。恐ろしいほど綿密に作られた機械から出る空気を吸って呼吸をしているおじさん。小学生ぐらいの知能、感性で生きているであろう同世代の男の人、そしてその男性に対し小学生の子供に取るような態度をとっている看護師。衛生観念の狂った環境。その全てが私には過度なストレスだった。極め付けはそこに通っている4.50代のおじさんに言われた「抜いて」だった。一瞬意味がわからなくて「え?」と聞き返すと「抜いて」と繰り返した。おじさんの目線はおじさんの股間に移動していた。意味がわからず固まっていると「もうええわ」と一言投げ捨てるように言われた。気味が悪かった。限界だった。同じ人間だとは到底思えなかった。その人はどうやら知的障害を持った方だったらしい。でも、知的障害の中では比較的軽度だったらしい。軽度ということは物事の分別ぐらいはつくはずだろう。単純作業などの簡単な内容の就労であればできるかもしれない。そんな働き盛りの年齢のおじさんがうら若き乙女にそんなことを言うなんて正気の沙汰じゃない。"障害者には優しくしなさい。 障害者なんだから優遇されて当然" 私が何となくこの言葉を嫌っていたのは、無意識のうちに違和感を覚えていたからかもしれない。
もっと煮���めた発言をしてしまうと、私は人間は動物としては失敗作だろうなと思っている。多くの動物は生き残り戦争に負けた種類、または個体は淘汰されていくのが常。そこに倫理は介入しない。負けたら終わり。勝ったら生き残れる。それが世の理だと思う。でも人間は違う。基本的人権、尊厳などなど、こんな言葉があるから私が生きているのは当たり前でしょ!!今は何の役に立てなくても私は生きているだけで価値があるの!!私のこと大事にしなさい!!ってみんなそう思い込んでしまう。そんな傲慢な態度を取ってしまう。(本当は生きてるだけでお荷物かもしれないのに)そんなことも考えず生きている。こんな尖りまくった言葉を認めてしまうと、障害者をお荷物だと言いたいのか!!!けしからん!!!なんてポリコレにイニシアチブを取られた今の世の中では総バッシング食らっちゃいそうだけど、そうじゃないのよ。今の環境に胡座をかかず、感謝を忘れず、慎ましやかに生きていこうね。って話なのよ。私の目には慎ましやかな生き方をしていない人が多く写ってしまっている。特に少数派の方々の中に多く。私は息の根が止まるその時まで慎ましやかに生きていきたい。大和撫子として。
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前の仕事を辞めてから早3ヶ月。ここ数ヶ月の不摂生は本当にひどかった。しかも今回は散々なトラブルののち、後先考えずに辞めてしまったから、猛烈に不安が襲ってきた。定職がなくなった途端に迫る恐怖心。このままじゃ死ぬ!と悟り、仕事探しを開始した。お世話になっている近所のケーキ屋さんでお手伝いをしながら、トライやるウィークのつもりで派遣に登録した。某百貨店での包装作業、衣料品の仕分け、家具や教科書の荷積みなどほとんどが力作業。15キロの荷物を棚に上げたり、パレットに積んでいったり…。男も女も年齢も関係ない。全員が同じ作業をこなしていく。これまでの職場にはなかった、ある意味平等な環境に感動した。鈍った神経と使ったことのない筋肉をフル活用し、毎日2万歩以上歩いた。信じられないほどの汗、水分摂取量。湿布くさい夜を何度も過ごした。初日は面食らってこのままじゃ(やっぱり)死ぬ!と思ったのだが、体を疲れさせることによって以前よりも健康体になった。布団に入ってから無意識のうちに眠れるようになり湯船が気持ち良いと感じられるようになった。ご飯をたくさん、いつもよりも美味しく食べられるようになった。不眠体質・風呂嫌いの改善、食欲の増加、減酒・減煙に成功。単発の仕事なのでストレスも少ない。いけずな人がいたとしてもその日限りの関係にもできるし、会社にいた頃のストレスに比べたら全く気にもならない。そして…また書く仕事に戻ることになった。もう7年ずっとこれやってる。過労働、賃金の問題、ハラスメント事情、ヘイトスピーチの横行、、、出版・マスコミ業界の厳しさをこれでもかというほど見て聞い��感じてきた。それなのにまたしても「でもやるんだよ」精神で乗り切ろうともがいてしまう。自分でも何がしたいのかもはや分からない。ただ幼い頃から持ち続けている、あらゆる分野に生きる人々への関心や本づくり、紙媒体への好奇心、段組やレイアウトを考える楽しさを「仕事」としていきたいと今も思い続けているのかもしれない。組織に属するかどうかという問題は別として。社会に貢献、とかではなくて(結果的にそうなれば嬉しい)自分の興味関心に従って生きていたいだけなのだが…なかなか難しい。勤労ステージ4th season。どうなるのかな。
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【Heartlands】曲解説
Heartland というアルバムタイトルを考えていたのですが、複数形だとしっくり来ました。まあ、全部解説してしまうとつまらないので、理由は各自感じ取っていただければと…(遠藤)
以下、作曲者による曲解説です
2.Tetetete(原)
海外のボーイ・バンドの曲をイメージして作りました。スーパーボールのハーフタイムショーのような会場で、途中からドラムラインが出てくるような壮大な妄想のもと、、笑
自作の中では一番ポップな曲になったような?気がします。
アコーディオンが刻む「てててて」の響きが好きなので、タイトルもそのまま「tetetete」に。
3. 足の裏(遠藤)
斉藤友秋さんのイベントで遠藤里美ソロをやる際に作った曲。この時は、ライブまで時間的(&精神的)な余裕がないため、演奏するのが容易かつ、しっかりした構造にするために「曲の構造から作曲する」というスタイルをとりました。
当時は変なコード進行する曲ばかり作っていたので、世の曲って結構ワンコード…と思い作った曲。
当初はトリオ編成(Sax × 2, Bass)のために作ったので非常にシンプルでしたが、バンド用に少しゴージャスにアレンジしなおしました(FlとObのカウンターメロディーなどを追加)。構造は2管のユニゾンの対決、その後全員ユニゾン、というシンプルな流れになってます。
ベースラインはほとんど同じ音型のまま進行して強固にキープ(そのせいで弦の演奏者は指が異常に疲れる)その上でメロディーがユニゾンするというものです。
単純な構造ではありますが、「ナチュラルではないリズムやメロディーを2人以上で完璧にユニゾンすればなぜかユーモアが生まれる」というプログレ的なねらいもあります。
曲の情景としては、さまざまな地面の形状や景色に対応する、足の裏から見た世界を描いてます。
中尾さんへの演奏指示としては「歩きながらオナラをする感じでお願いします」と言ったところ、一瞬で理解していました。
リスナー側から見た音楽の面白さや快感とはどういうところにあるのだろう?と考えた時、反復や、リスナー側のメモリーと一致した感触なのかなと思うこともあり(初めて曲を聴いた時の喜びはまた別のものでもありますが)反復と、反復への裏切りに関しては、作曲する上で考えるポイントです。
4. abandon obsession(原)
執着を捨てるという意味のこの曲。
日々窮屈さを感じている時に、ビオパタにファンクなダンスナンバーを…と何故か思いたち、うまれました。
色々捨て去って、兎にも角にも踊ろうぜ!踊っとけばなんとかなる!という、普段あんまり思わない事を、逆にかたちにしたような曲です。
6. かめめぱやし(古池)
この曲は、単音の楽器が(当時は)6本もいるビオパタのために、
6声で、変拍子で、絡みつくようなフレーズの曲が書いてみたいなぁと思って作った曲です。
曲名は特に考えてなくて、初めて合わせた後にメンバーそれぞれに一文字づつ言ってもらって、それを繋げてタイトルにしました。
自分で演奏しようと思ってもなかなかに厄介な曲を、見事に形にしてくれました。
とても嬉しいし、聴いててとても楽しいです。どうもありがとう。
7. 草原境(遠藤)
実家で飼っていた犬の「ゆきちゃん」が亡くなった時にできた曲。身近な命がなくなると、曲ができてしまいます(以前作曲した「五十嵐川」は祖母が亡くなった時の曲)。犬のゆきちゃんは雑種で自由な女の子でした。動物たちが、周りからの視線を気にすることなく生きている様は、癒やされるということを通り越して元気づけられます。
進んでいるようで進んでいない、同じところをずっと回っていながらも景色は少しずつ変わっていく感じを出したかったので、それほどドラマティックな展開はありませんが、ユニゾンのメロディーは自然に出てきたもので、意外に気に入っています。
曲の全体のイメージとしては、まったく悲壮感のなかった、あっけらかんとした「ゆきちゃん」という存在を表せたのではと思います。
8. 消失(遠藤)
円盤から発行されていた雑誌「Comicミツザワ」のために作曲した曲。
1ページに納めたので短い曲です。また演奏にチャレンジしやすいようにとても単純で美しい曲を作ったつもり。
コード進行重視で作った曲です。シンプルながら楽譜から音が立ち上がった時、不思議な響きになったりギャップがあるのは個人的に嬉しいものです。
(読者が演奏してくれるのを期待しましたが、そういう交流は生まれなかったですね)
9. 雲間(原)
隙間というものが気になるのに、暮らしの中でちょっとした隙間(ドアがちょっと空いてたり、棚が少し開いてたり)を生み出しがちです。
その隙間から何かに見られてるような気がしてつい目がいってしまう。同じ様に、雲の間から見える月にもつい目がいってしまいます。でも、ずっと見てるわけではなくて、チラチラみて、違う事考え出したら忘れてしまう。そういう感覚を曲にしてみました。
10. 村の掟(遠藤)
2020年に、某バンドで演奏するために作曲した曲。
簡単で楽しい曲を作るというミッションのもと、15曲くらい作ったうちの一つをビオパタ用にアレンジしました。後から適当にタイトルをつけたのですがなかなか他と毛色の違う良い曲になった気がします。
自分としては、メロが単純すぎるので無意識に何かのパクリみたいになっていそうなのが気になっています。
一度加藤休ミさんの絵本ライブで「かんなじじおどり」という本にBGMとしてつけたのですが、何だか合っているようでした。
「日本人しか作れない曲」というのは確かにあると思うので、日本人らしさを作曲に活かせれば良いなと思ったりします。
11. 深更、雪(遠藤)
円盤から発行されていた「Comicミツザワ」のために作曲した曲。
少しだけアレンジを付け足し、さらに深夜感を出しました。雪国育ちなので、「夜中に大量に雪が降っていて、朝妙に静かだなーと思ったら雪に埋もれていた」感じを表現しました。雪の降る音を聞くのは難しいですが、人間の見ていない場所に静かに雪が積もっていくイメージです。
「分断されたメロディーを自然に繋げる」が裏テーマ。とにかく1拍三連が昔から好きなのです。ドラクエ3のエンディング「そして伝説へ」で目覚めました。
12. Empty Tango(遠藤)
biobiopatataは2012年の円盤によるタンゴ企画がきっかけで誕生したバンドですが、2017年3月に再度タンゴ企画が企画され、ビオパタも懲りずに招致されました。それに合わせ作曲しました。
初演は会場は入谷なってるハウスで、対バン「LimaTango!!」には当時のなってるハウス店長のリマ哲さんがいました。なってるハウスを退職される直前とのことで、新店長・小林さんと新旧店長アドリブソロ対決をお願いしたく、ビオパタでは珍しくアドリブソロの部分を作りました。(録音では遠藤ソロになっている)
イントロは、管楽器のメロディーだけでタンゴを表現できるか?をテーマとしてバラバラに聞こえるけどお互いが支え合ってグルーヴを作ることを目指しました。タンゴはもともとドラムが入ることが少ないようなのですが、リズム楽器無しでメロディでグルーヴを作ることでタンゴらしさを少しずつ作りだしていきます。
本編はダンスミュージックとしてのタンゴを意識しました。テンポが微妙に変わったりするのも、もしダンス作品としてストーリーがある振り付けがあったら素敵だな、という妄想のもとです。
曲のイメージは、引っ越しが終わった後、空になった部屋に思い出だけが浮遊しているイメージといいますか。
13. 山2(山本)
楽譜にしたときに音の横の流れが美しいのがいいなと思い、どのパートもなるべくきれいな旋律に感じられるよう心がけました。意図したわけではないのですが、結果的にその旋律が山々の稜線を描くような曲になったように思います。
15. BBK(遠藤)
初めはどういう経緯か忘れましたが、絵本作家の加藤休ミさんの絵本「ぼーるとぼくとくも」にBGMをつけるというミッションのもと作曲した曲。
ぜひ、絵本「ぼーるとぼくとくも」をご購入の上、一緒にお聞きください(休ミさんにはこのアルバムのジャケットも担当していただいています)。
絵本にBGMをつけるというのは初めての体験だったのですが、古い友人である休ミさんのことも自分なりに理解した上で、絵本を読み解いて音をつける作業は全く違和感なくスムーズに行うことができました。
ある年齢までしか見えない幻、トトロ的なものを感じて、楽しさ、奇妙さ、ワクワク感、不安定さなどを表現したつもりです。
主人公の少年の性格が垣間見られる冒頭、まだ別の世界へ飛び立っていない時点からなんとなく不穏な空気を漂わせています。
テンポが移り変わり、浮遊感のある景色が広がります。ひとしきり空で遊んだ後は、余韻のある状態で元の場所に戻ってきます。夢だったのかもしれないけど、それは確かに彼の血肉となって残るのです。私は幼少時、外で独りでいる時に数分気を失った記憶があり、その時の体験を思い出したりしました。あれは何だったんだろうとたまに思います…。
��ロディーの上下で浮遊感を表しておりますが、譜面で見ると音型は雲のようにも少年の軌跡のようにも見えて視覚的にも浮遊感があります。
ライブでは加藤休ミさんが絵本の読み聞かせをしているのですが、その時の状況次第で場面の尺が変わるため、要所要所でリピート回数の指示をアイコンタクトで行います。(ちなみに、加藤休ミさんの読み聞��せの入ったバージョンの音源も存在しますが、録音しながらなぜか感動のあまり泣いてしまったという。)
録音自体は2017年に行っており、全員での一発録音となっております(アコーディオンだけオーバーダブだったと思います)。伴瀬朝彦さんにギターを演奏していただいています。
この曲と「足の裏」はベーシックは全員で録音を行なっています。その他の曲は各メンバーが個々に録音したものをミックスしています。
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが��正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾って���らってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めてい��たい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中��料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを���屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、��からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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私の熱いtimelesz論文を読んでくれ
-2024.11.13
ーお砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい。全部混ぜると��っちゃかわいい女の子ができる!…は、はずだった。だけどユートニウム博士は間違って余計なものも入れちゃった!…ケミカルX。
パワーパフガールズのオープニング冒頭のナレーションである。
幼少期はカートゥーンネットワークばっかり見て育ったので、オープニングの口上は空で言える。これに続く口上(リーダーのブロッサム!キュートなバブルス!そしてタフだぜ、バターカップ!…)も余裕で言える。最後まで言える。もし道で急に「パワーパフガールズのオープニングお願いします」って頼まれても余裕で言える。(年一くらいで復習はしています)
パワーパフガールズを作るための材料は、お砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい、そして間違って入ってしまうケミカルX。ガールズたちは3人とも同じ材料で作られているけど、性格や持っているパワーが違う。きっと、材料の分配がちょっとずつ違っているのだ。この材料の分配は、人の性格診断や、アイドル分析に使えるんじゃなかろうかと思いついた。というわけで、この「パワーパフガールズを作る材料」をもとに、最近ハマっているtimeleszプロジェクトのオーディションを考察してみたい。
私は、性格診断や行動分析をするのが昔から好きで、コントのキャスティングや、ダンスの立ち位置の割振りが得意だ。この人がどんなポジションで、どのタイミングで登場すると面白いか、どうすればその人の魅力を活かせるか、そういうことを考えるとわくわくする。
最近、Netflixで配信されているtimeleszの新メンバーオーディションにハマっている。ものすごくハマっている。オーディション番組ってどうしてこんなに面白いんだろう。やっぱり、人は人を好きになること自体が好きだし、人に何かを見出すことが好きなのかもしれない。
オーディションはいま3次審査を配信中だ。3次審査は、36人の候補生たちが9人×4チームに分かれ、3日間で課題曲を1曲仕上げて発表するという形で審査される。timeleszの新メンバーという、同じ目的で選ばれた36人でも、全員違う魅力がある。そして、timeleszの3人が新メンバーに何を求めているのか、審査している3人を見るのも面白い。
パワーパフガールズを作る材料を、タレントに必要な要素と重ねてみる。性格や雰囲気の甘さ辛さを「お砂糖」と「スパイス」の分量で決めるとしたら、「素敵なもの」は、その人の背景や文化資本に当てはまりそうだ。そして「ケミカルX」は、言葉にできない魅力とか、「光るもの」ってやつかもしれない。「荒削りだが君には光るものがある」って人がよく言うのは、ケミカルXのことを言ってたんだな。間違って入ってしまう毒が、ガールズたちのスーパーパワーの源なのだ。人の魅力も、神様が間違って入れたのかもしれない。
オーディションの最新話では緑チームがフォーカスされた。緑チームは全体的に容姿端麗でクールな人が多く、華があると評価されていたが、他チームに比べて会話が少なく、まとまりのなさを問題視されていた。前配信でフォーカスされた青チームが、ぶつかり合い助け合いながら成長した様子を見ているので、それに比べると緑チームは明らかにおとなしくて一歩引きがちな人ばかり集まっていた。松島くんも緑チームの会話不足を指摘し、2日目以降は、ダンス経験者を中心に少しずつ会話したりチームとしてまとまろうとする様子が見られた。
松島くんが新メンバーに求めているもの
松島くんは、面接方式の2次審査時から一貫して、候補生の背景や過程を大切にしている。面接では、どうしてこのオーディションを受けようと思ったのか、timeleszのことをどのくらい知っているのかをよく質問していたし、緑チームにも、前回の青チームにも、とにかくコミュニケーションをとるようにアドバイスしていた。松島くんが新メンバーに求めているのは本当にずっと一貫して協調性で、チームの中で自分の個性を出し入れできること、そして、出し入れできるくらい引き出しが多いこと、に思える。松島くんは、ケミカルXの分量より、素敵なものいっぱいな人に惹かれるんじゃないかと思う。
勝利くんが求めているもの
2日目の中間発表で、勝利くんは緑チームに「良くも悪くもまとまった」「チャレンジしていない」と言った。分かる。チームとしてまとまらないといけないけど、70%のところでまとまっても意味がない。チーム一体となることはあくまで大前提であって、作品をつくるということは、そこに積み上げるものだからだ。
まったく知らん立場で言うが、勝利くん自身、ルックスだけで評価されることにコンプレックスがあるのだろうし、「ルックスだけ」と言われることを払拭するための努力をしてきた人なのだと思う。だからこそ、華があると言われる緑チームに求めるものも大きくなる。華があるだけじゃダメだからだ。
風磨くんも、候補生たちにもっと感情を見せろとアドバイスする。「ずっとクールなんだよ。クールなだけだとお客さんが飽きちゃう」。風磨くんの言う「感情」や、勝利くんの言う「チャレンジ」、それが緑チームの抱える課題である。
緑チームの最終発表、風磨くんと松島くんは高評価だったのに対して、勝利くんの評価はやや辛めだった。勝利くんの評価が、ダンス未経験者の多い青チームの方が好印象だったように見えたのは、発表としての完成度は低くても、枠からはみ出そうとする精神が青チームに見られたからで、それが勝利くんの言う「チャレンジ」だったのかもしれない。材料の分配が適切でも、適切すぎるとつまらなくなる。勝利くんは、緑チームにもっと、間違って入ってしまった毒をはみ出すくらい見せて欲しかったんじゃないだろうか。
風磨くんが求めているもの
風磨くんはというと、最終発表後、特に目をかけていた候補生の橋本くんに「出せたな、感情」「嬉しかったよ、俺は」と言った。たしかに最終発表では、もっと感情を出せと言われていたクールな橋本くんが小さく笑う場面があった(あれはとても良かったです)。
風磨くんも勝利くんと同じく、毒を見せることができるか、を見ていると思う。でもそれは勝利くんが求めるような、荒削りでもはみ出してくる力とはちょっと違っていて、もう少し洗練された���魅力を形にして表に出せる力のことで、たぶんそれが、アイドルにいちばん必要な力なのだ。魅力を持っているだけじゃダメ、下手にはみ出しすぎてもダメ、ちゃんと表現として形にするスキル。風磨くんが求めているのはきっと、そういう力なんだと思う。
ケミカルXの定義がちょっと曖昧になっちゃったが、やっぱり、人に間違って注がれた魅力っていうのがしっくりくる。間違って、というのが良い。「お前行くなら行く〜」って言われるやつが持ってる魅力も、たぶんケミカルX。「この人がテレビ出てるとなんかつい見ちゃうんだよね」ってのも、たぶんケミカルX。色気、とも言えそうだけどちょっと言い足りない。うまく言葉にできないんだけど、そういう魅力が人には多かれ少なかれあって、それを見出そうとするから、オーディション番組って面白いんですね。いやぁ〜。ケミカルXだったんですね〜。
私の主張は以上です。ご清聴ありがとうございました。あとはもう、伝わる人だけ残ってください。
余談その1
ひとつのグループを推しているわけじゃないけど、私も立派なジャニオタだと、最近気付きつつある。私はきっと、グループの中で誰がどのポジションにいるのかを考えることも込みで人が好きなのだ。で、もうひとつ私がアイドルを好きになる時に非常に大切にしている価値基準が、「従兄弟の兄ちゃんぽさ」である。親戚で集まった時にだけ会える、ちょっと歳上のお兄さんの雰囲気。私はこれもケミカルX的魅力のひとつだと思っている。timeleszの中では、風磨くんがいちばん従兄弟の兄ちゃんっぽい。SixTONES、全員従兄弟の兄ちゃんっぽい。SnowMan、ラウールくん以外、全員従兄弟の兄ちゃんっぽい。(ラウールくんは兄の結婚式にギリ出席してそうではある。)WEST.はマジで全員揃って従兄弟になってほしい。言っておくが、従兄弟の兄ちゃんは最強なのだぞ。従兄弟の兄ちゃんという存在がどんなに魅力的か。現実にいるのはせいぜい、親戚の面白くて禿げてないおっちゃん止まりだぞ。従兄弟の兄ちゃんが持っている、付かず離れずな距離感、親しみやすさとあこがれの絶妙なバランス。いいですか。従兄弟の兄ちゃんは、自分のことを「少年」と呼ぶ近所のお姉さんと同じくらい最強なんですよ。この話は伝わる人にだけ伝わればそれで良いです。
余談その2
timeleszオーディションでは課題曲にSMAPのSHAKEが使われているのだけど、曲を聴きながらふと、自分が曲より歳上になってしまったことに気づいて、ものすごく切なくなってしまった。
曲より歳上って、歌っている内容に自分の年齢が追いつき、追い越していくような感覚のことだ。私はSHAKEのことをずっと、大人の歌だと思っていた。「明日は休みだ、仕事もない」「早起きなんかしなくても良い」「君と昼まで眠れそう」。別にアダルトな歌詞じゃないけど、会社勤めしている僕が久しぶりに彼女と過ごす休日というのが、どこか自分とは遠い大人の話のように感じていた。でも気づけばそれは全然自分の身近で起こる話になっていて、そして気づいたら、そういう出来事が自分から遠ざかっている。切ない。超、切ない。
余談長くね…?
ケミカルXがめっちゃ入ってるのが中島健人で、素敵なものがめっちゃ入ってるのが、マリウス葉だったんだと思うんだよなぁ。timeleszの3人はバランスが良いから、新メンバーには、そういう、どこか突出した人が来てくれたら、そしてあわよくば従兄弟の兄ちゃんっぽい人が、入ってくれたら良いなあ。そして次の配信が早く見たい。
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを��行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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夢
嫌な感じの夢を見たから書く。起きてからも、気持ちの整理をするためにこれを書いている今も、かなり気分が悪い。タイトルに※閲覧注意とかって書いておいた方がいい?ま、誰も読まないでしょうから別にいいか。
それで、夢の中のわたしは三十代後半くらいの男性で、かなり太ってる人だった。ものすごく散らかった足の踏み場もみつからないような小さくて汚いアパートに高齢の母親と二人暮しをしていたらしい。起きてから思うと母親も自分も全く見覚えのない外見をしていたので、改めて不思議な気持ちになっている。自分が男性になっている夢(自分が男性として生まれ育った人��して何も違和感を覚えなかった)を見るのは初めてだ。記憶に残らないだけでそういう夢を見たことはたくさんあるのかもしれないけれども。
夢の中のわたしはクワガタやカブトムシなどの採集に熱をあげていたらしく、虫を持って帰宅するところからシーンが再生されていたような、その前から続いていたような。少なくともそれより前に見ていた夢のことを思い出せないから、きっと別の夢なのだと思う 3本立てくらいで色々な夢を見た気がしている
まあいいや、それで、部屋の壁に採集してきたカブトムシだかクワガタムシだかを貼り付けて「母さんメシなに」なんて言って、虫の鳴き声がよく部屋に響いていたことは覚えている(起きて考えてみたらクワガタもカブトもあまり鳴かないね)。部屋は嫌にじめっとしていて、玄関のドアが異常に汚かった
夢の中の母親にご飯の時間だから虫を一度どこかに仕舞ってほしい と頼まれたわたしは、さもいつもしている行動のように部屋に放っていた6匹くらいの色々なクワガタムシとカブトムシを、冷凍庫の中に入れた。おもちゃ箱におもちゃをしまう様な軽快さだった。きっとそれで虫が死ぬ事を知らなかったのだろう、と思う。それで、ご飯を食べて、アイスでも食べよう と冷凍庫を開けると中で虫が死んでいて、母が殺したと思ったわたしは癇癪を起こした。酷く醜い話だ。そしてそこで、1匹死骸が見つからないことに気がつく。不思議に思って流し台を見てみると、1本だけもげて落ちたであろう脚と、まっくろになっているすり鉢を見つけた。母親を問い詰めると、今まで食べてきたご飯には全部わたしが採集してきた虫が隠し味として使われていたことが判明する、というところで目が覚めた。
その人はなにが悪いのかわからないような、きょとんとした顔で、困ったように微笑んでいた。
穏やかそうでいてどこか少し様子のおかしい高齢の母親と自立も成長もできていない精神年齢が幼い中年の男性が汚くて狭くて小さいアパートでお互いの狂気を披露し合う夢って、夢占いだとなにになるんでしょうか。清潔感のかけらもなくてずっと気持ち悪かった どんな精神状態だったらこんな夢を見るんだ 現実のわたしは虫が嫌いで 触ることはおろか視界に入れることすら蛇蝎のように唾棄しているのに、夢って不思議だ
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長年アメリカで暮らしてきたが、何の主義主張もないゲイにとってあそこで生きるのが年々厳しくなっているハリウッド作品にLGBTが取り入れられまくっても、欧米の同性愛へのオープンさが持て囃されていても、キリスト教系の同性愛嫌悪が激しすぎるのと、政治と深く関わりすぎて実態はそんなに素晴らしいものじゃないという話をしたいスペック↓30代子なしゲイパートナーはアメリカ人結婚はしていない生まれはアメリカだけど人生半分くらい日本にも住んだ少し前から日本企業で働いて行き来してる欧米ではゲイは昔から富裕層の娯楽的な側面もある。そういうインフルエンサーやセレブリティの発信する視点から観たら違うので、夢を壊したら申し訳ないが、市中の話で言えばことアメリカでは同性愛者はもっぱら政治の道具であり、一般市民の敵であることが前提の危うい存在だこの感覚は日本からだと分かりづらいと思うが、良い悪いではなく現実として、アメリカは貧富の差と教育の格差が激しい知識が乏しくて精神的に幼い大人が少なくないし、宗教の教えに自分の考えが依存している人も多い。日本で推定ゲイカップル(男同士で電車に乗っただけ)に突然殴りかかる人間はおそらくいないだろうが、アメリカではこれが普通に起きるなぜなら、「うわ!なんか知らんが男同士で仲良いのきもいから殴ったろ!」を理性で止められない層がかなりの人数存在するからだだからこの国で制度を活用してゲイとして生きるためには、わかりやすいテンプレートの「私は無害でかわいそうなゲイです!」という姿で一般市民にお伺いを立てる必要があり、特定政党を支持して「差別反対!」と週末になんらかの活動に勤しんで虹色を身につけていないと訝しがられるのだあと独身に異常に厳しく、ゲイノンケ関わらず成人したら家族を持たないと人権がない国だから、養子を取らないゲイカップルは信用度が足りずに家が借りられないことが多いし、実力主義と言いつつ仕事でも出世もしづくなる。同性愛者だろうがノンケの不妊だろうがアメリカ的なテンプレートの家族(人種がバラバラならなお良し)の姿を見せなければ、社会で一人前とは認めてもらえないのだ都会でも田舎でもある程度の年齢のゲイカップルが子供も育てず、ノンケ夫婦がまったくやらないような子供関連のボランティアに参加しないでいると地域であからさまに差別されるだろう。ゲイへの期待値が高すぎる「自分は国のことを考え、ノンケのみなさんにご迷惑をかけず、仲間の権利を全力で主張し、安全で子供を愛する真っ当なゲイです」と証明し続けなければいけない社会は、ただの呑気なゲイには重荷なのだここまで書いてきた内容で伝わるといいんだが、結婚が認められているからといって同性愛者に寛容な国だとかまったくそんなことはない。そもそもゲイはあまり結婚したがらないアメリカでの同性愛をめぐる仕組みや運動は、一見魅力的に見えても、宗教の隙間をぬって一般市民に無害なゲイであると証明し、暴力だとかとんでもない差別をしないでくださいと懇願し、受け入れてもらうための土台でしかない人種問題についてもそうだが、傷害事件や殺人に発展する規模の差別があるからこそ、守るための制度が育っただけにすぎないのだそしてその制度をまだ認めたくない人々が多いのも事実だその人たちの宗教観や嫌悪感だけを悪者にしてきた歪みも向こう50年くらいは解消はされないだろう。共存しつつ無関心、という具合が落とし所として理想的だと思ってはいても、この国では既にそれは難しいアメリカ社会でまっとうな人間として生きようとした時、恋人とただのんびり暮らしたり、その場限りの相手と楽しむだけの気楽なゲイではいられない。アメリカは同性愛者に寛容なんて本当に夢見ない方がいい、そんなの英語わからんか、その発信で金を稼いでる活動家か、現地の日本人コミュニティに引きこもっているやつらの愉快な妄想だろうあんなに寛容だオープンだと周りが持ち上げても、今現地のゲイの一部ではノンケに見えるように偽造するのが流行ってるのだ
吾輩はゲイである
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241025 STRETCH
14時台に作業進捗投げて職場���出た
スーパーで大葉とフルーツ買う
作家は後ろ向きに生きても全然よい。鬼のような生産性が維持されているのであれば
生産性乏しい(自称)善人は生まれて来た事に対し感謝ができない。そして感謝ができないという事は「ヘイトと他罰にまみれた生き方になる」という事である。そんな人間が善サイドであるわけがない
Xを観る。またヘイトボールが飛び交っている。それはそれで楽しい暇つぶし。追い詰められていない側だけ���転がせる辟易とダメ出し
ガチでどん詰まってる側は金にならず家族の生活維持に役立たない「意地悪コミュニケーション」に精出してる暇はない
愛がなく義務感だけで渋々生きてるなら別
仕事がすげー詰まってしまった。安請け合いしたから
けど最近少し単価高い仕事もらえてるんで嬉しい。有名なアニメやったお陰だよ、うん
現代アートで稼ぐの目標としてた頃と比べりゃ1/1000くらいの報酬ハードルだけどな…
凡人時空の努力物語
そういうのも、いいじゃない
いや、よくない。耄碌(もうろく)諦観ジジィイズム発揮すな
作家は嘘でも若い意識保て
けど、もらうオーダーはとことん70年代焼き増し文化みたいなやつばっかだ
昔からそう。自分は10代の頃から15歳以上年上の人間達から好かれやすかった
そもそも感性が老けてるんだろうな
それが凄く嫌だしコンプレックスだが、いまだそれで食えてるのだから有難いと言わざるを得ない
歳の割には感性老けてる。歳の割には精神が幼い
そのパラメータが加齢に合わせ穏当にスライドしているだけ。途中で何かが反転したりはしていない
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CoC「礼讃」KPC ロアンナ・ハーパー
「ほとんど……皆さん夫の仕事の関係者ですわ。夫は天涯孤独ですし、私もこれといって身寄りがいないもので……」 「…………いえ、私は……大丈夫です……。ミアは……」 「あの子はきっと、父親が死んだなんて……わかっていないでしょうけど」 「夫がいなくなって、一人で…………ミアのためにお金を稼いだりすることは、辛くてもきっと耐えられます」 「でも呪いや魔術なんて、そんなものとどう戦えばいいの?」 「主よ、私たちの祈りを聞いてください。私たちにどうか忍耐と知恵を与えてください。困難の中にあっても勇気と希望を持ち、あなたの恵みが私たちを高めてくださるよう祈ります。アーメン」
◆ロアンナ身上調査書
姓名:ロアンナ・ハーパー 年齢:34歳(礼讃時点で32歳) 性別:女 血液型:A型 誕生日:7月22日 星座:蟹座 身長:170cm 体重:52kg 髪色:色の薄いブロンド 瞳の色:グレー 視力:左右0.8 きき腕:右 声の質:優しく囁くような張りのない声 手術経験や虫歯、病気:風邪を引きやすいがこれといった病気はしたことがない 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):肌が青白く血色があまり良くない。手首が折れそうなほど細身。 セックス体験、恋愛、結婚観:若い頃に夫とすぐ結婚したため恋愛経験がほとんどない。男性経験は夫とマーティのみ。 尊敬する人:特になし 恨んでる人:特になし 出身:アイダホ州ボイシ 職業:仕立て屋、刺繍職人見習い 将来の夢:仕事で認められること 恐怖:他人に支配されること 癖:目線を逸らす 酒癖:あまり強くない 眠気がくる
一人称:私 二人称:あなた 呼び方:名字+さん、親しい人は名前呼び捨て
*概要
ハドソンバレーに住む子持ちの未亡人。夫のエイドリアン・ハーパーが亡くなり、マーティ・ロックとはその葬式で出会った。得体の知れないものに巻き込まれながらも生還し、今は娘と暮らす生計を立てるため就職した仕立て屋でまだまだ下働きの身。
*CoC「礼讃」あらすじ
このところ夫の様子がおかしく、毎月犬を連れて行っていたハンティングにも出かけないで家に籠るようになった。「蛇を殺した」「二人で遠くでやり直そう」などと口走る夫に不穏なものを感じ、ロアンナは手を触れるのを禁止されていた書斎の資料を調べることにした。しかし調べ物が得意でない彼女の調査は難航する。 その矢先に夫が奇妙な急性腎不全で亡くなり、混乱しているロアンナの元に怪しい男たちが現れる。蛇のような肌を持った異様な姿の彼らはイグという蛇神の信徒を名乗り、「エイドリアンもイグの信者であったが神を裏切り、神の蛇を殺したために殺された」「このままでは残された家族も仲間であった我々も呪われて殺される」と迫り、ロアンナに儀式に参加するよう脅してくる。 ロアンナはその話に違和感を覚える。しかし今まで調べていた内容と符合する部分もあり、さらに娘もイグに狙われると脅され、男たちに目の前で得体の知れない魔術を見せられたロアンナは精神的に追い詰められていった。
そして迎えた葬儀当日、夫の仕事仲間だというマーティ・ロック・スミスが参列する。彼は会場に紛れ込んだ爬虫類じみた人物がハーパー邸に侵入したことに気付き、単身家の中へと入っていく。その中でロアンナが一人調べたことや、故エイドリアンの残した暗号や書籍を解読し、ハーパー邸に隠された冒涜的な真実を紐解いていくこととなる。 彼が翻訳したページの内容を読み、ロアンナはようやく理解した。夫は邪神を信仰し、誤って蛇を殺してしまったが故に呪いを恐れ、別の神に鞍替えしようとしていた。そして自分たちの娘ミアをツァトゥグアという新たな神に捧げることでイグの怒りから身を守ろうとしていたことを。 首を突っ込んだせいでそのまま蛇人間たちの魔術的儀式に巻き込まれててしまったマーティ・ロックに、ロアンナは夫の計画を使い、自分たちがツァトゥグアを召喚しこの男たちを捧げて退けるという悍ましい計画を持ちかける。だがロアンナ��らの話を聞いて蛇人間たちの正体を怪しみ、なにより神への信仰を裏切るのは気が進まないとマーティはロアンナを説得し、自ら彼らに立ち向かうことに決めたのだった。
イグの信徒を名乗る男たちは、その実イグに呪われ見放されたモグリの魔術師たちだった。すでにボロボロの体で魔術を行使しようとするも、ほとんどは失敗し、自滅するような形で戦いは幕を閉じる。 ロアンナは邪な神を信仰し裏切った末路を見て青ざめ、巻き込まれたにも関わらず、取り返しのつかないことになる前に助けてくれたマーティに心から感謝するのだった。
*性格
気弱そうな見た目どおり、流されやすく自己主張が苦手な性格。あまり感情を表に出すタイプではない。本来そうだったわけではなく、支配的な夫との長い結婚生活の中で培われた癖のようなものである。物静かで思慮深く繊細な感性の持ち主。他人の感情の機微にも敏感で、細やかな気遣いのできる女性。 自分の考えや能力に自信がなく、人に提示された道に従おうとするが、愛する娘のこととなると話は別で断固として娘の利益になるものを選ぼうとする。正直な働き者で新しいことを学ぶのが好き。慣れた相手ならおしゃべり好き。極端に依存心が強い面もあるが、自分の意思でそれをなるべく律している。ときに冷静で現実的な判断を下すことができる。
*人間関係
夫が亡くなるまで行動を制限されていたためかなり閉じた人間関係の中で暮らしており、友達や知り合いもほとんどいなかった。その閉塞した環境のなかで冷たい夫への恐れは強くなり、可愛い娘への依存心が高まっていた。 礼讃以降は仕事をするようになり徐々にではあるが交友関係が広まってきている。話の中心になるようなことはないが、持ち前の優しさと思いやりでうまくやっていけているようだ。 マーティ・ロックとはただの友人とは言い難い関係だが、前の結婚が大きな失敗だったこともあり、男性に精神的・経済的に依存することを恐れてなかなか前に進めないでいる。自分に気持ちがあるのと、娘のミアと飼い犬のニュールがマーティにとても懐いているのもあり、遠ざけたりもできない様子。
*家族関係、幼少期体験
アイダホ州ボイシのさらに郊外で自然豊かなロッジのような家で育つ。幼少期は貧しいながらに穏やかに過ごしたが、17歳の頃に両親が詐欺の被害に遭い廃業、苦しい借金を抱えることとなる。そこにエイドリアン・ハーパーが現れ、ロアンナと結婚させてくれるなら借金を肩代わりすると両親に持ちかけ、半ば売られるような形で20歳も年上のエイドリアンと結婚し、ハドソンバレーにやってきた。 両親は金を持ってすぐに消息がわからなくなり、孤独な娘時代を過ごす。その中でエイドリアンに対する恐怖と依存心を高めていった。
エイドリアン・ハーパーは芸術家だが知識を求める魔術師でもあり、生まれながらのハンターでもある。欲しいものがあればどんな汚い手でも使う男が目をつけたのが田舎町の若い娘だった。みずから苦労して手に入れたもののみに執着し、副産物的に生まれた娘には愛着がなかったのだろう。
*能力
若い頃に結婚し、大学にも行かず外出も制限されていたため、基礎的な学力が低い。文字を読むのも苦手である。代わりに手先は器用で、料理や針仕事など家でできることはほとんど完璧にこなすことができる。とりわけ針と糸の扱いには非��に長けており、唯一の特技と言ってよいのが刺繍。気の遠くなるような細かい図案でも時間をかけて完成させることができる集中力と忍耐力を有している。 色彩感覚とコーディネートセンスにも優れており、それらを活かして仕立て屋の下働きとして雇われ日々修練を積んでいる。まだまだ給料も低いが、仕事が丁寧なので評判は悪くない。
*好きなもの 食べ物:サーモン、じゃがいも 得意料理:サーモンのタルタルケーキ、じゃがいものパイ、彩りの良いサラダ、鶏のグリル 飲み物:カフェオレ、ルイボスティー 季節:春 色:白、黒、ネイビー→ライラック、サーモンピンクなど明るくて柔らかい色 香り:優しいダウニーの香り 書籍:あまり読まない 動物:犬 ファッション:保守的で飾り気のない服→柔らかい素材のワンピースやスカート 場所:新しい家、窓のある仕事場 愛用:手編みのロザリオブレスレット 趣味:裁縫、子供服のデザイン、手芸、犬の散歩
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まこ
「まこ」という名前の意味は漢字で書いて真っさらな子供です。
それは私が小説が書けなくなった時期に子供の代わりにと妻が授けた名前でした。この物語は、妻と私が寝入る前のわずかな時間に共に紡いでいったものです。書き出しは妻からでした。いささか長いお話しですので要約してお話しします。
「まこ」はこの物語の主人公です。出張中に大きなあんこうに攫われてしまった唯一の肉親である叔父さんを助けるために、彼女は海を冒険します。まこは幼い頃に両親や兄妹を洪水で失っており、頼れる肉親は叔父だけでした。まこは家族を奪った水が恐ろしく、海を見るだけでトラウマで身のすくむ思いでしたが幼馴染の妖精のシーに励まされて奮起し、彼女と手を取り大切な叔父のためあんこうの影を追って出航します。まことシーはあんこうを追い諸島を巡り、臆病な木彫りの牛のホリィや勇敢なおたまじゃくしのジェムといった仲間たちと出会い、冒険を通して友情を育み成長します。最初は恐怖だった海も、様々な出会いや美しい冒険を経験するにつれ、まこにとって愛すべきものへと変わっていきました。
すみません、まこの出自を思い出すとどうしてもいつも涙が止まらなくて…妻ですか?妻は度々癇癪を起こす私に疲れ果て手紙を置き出ていってしまいました。情けない話ですが、「いずれこうなる」と私は結婚をして、いや、婚約を結んだ幸せのピークと呼べる時期においても喜ぶ妻を後目に心の片隅でいつも考えていましたので、あまりショックではありませんでした。なんてことはない、私という人間は所詮平凡で酷薄な男なのだということを痛感します。せめてアップダイクのウサギのように走ることができたならば実存に張りが出て仕事くらいはうまくいきそうなものなのですが、かなしいことに私のこの脚は老いた酔っ払いの使い物にならない脚へと枯れていくばかりです。物語に戻りましょう。
まことその仲間たちは島を巡るうちにやがて、なぜ自分が冒険に出たのかを忘れてしまいます。それはなぜかと言うと、溌剌として勇猛果敢でかわいいまこに恋心を抱いた海の亡霊が、密かにまことシーとホリィとジェムに取り憑いて叔父に関する記憶を食べてしまっていたからです。亡霊は海の亡霊なので、まこが叔父を見つけて海から離れたまこの故郷に帰ってほしくなかったのです。亡霊は臆病で極度の寂しがり屋でした。そんな亡霊の思惑通りに、まこは叔父をすっかり忘れ、魅力的な海を愛し、やがて冒険の経験を活かして島を巡る航海士として貿易船に乗り、航海で生計を立て暮らし始めました。
まこが航海士として名を馳せるさなかあんこうの下でどれいとしてこき使われているまこの叔父は、ずたぼろになり疲れ果て病気をし、もはやあんこうにとって使い物にならなくなりました。用済みになった叔父はあんこうに生きたまま平らげられたのち、どろどろに消化され、糞として排出され海中の微生物に分解されて、未練の深いその魂は消え去ることができずにこの世に繋がれ、永遠にだれにも見つけられない暗い海底を亡霊として彷徨う定めを負いました。
海の亡霊はまこと一緒にいられて嬉しい反面、みんなの記憶を食べた罪悪感にひどく苦しみました。叔父はすでに死んでいるに違いありません。
亡霊はまこのことを強く愛しているにもかかわらず、ホリィやジェムやシーと同じようにまことお話しすることはできません。海に繋がれた亡霊がまこに取り憑くことができるのも、まこが海にいる時だけです。だからたまに船内の椅子を転かしたり、船で仮眠するまこの夢枕に立って、亡霊はまこの気を引きます。
私は妻と籍を入れてから突如不能となりました。妻とセックスをしようとすると吐き気が込み上げ、どうしても勃起することができませんでした。私は幼少期に、親から性的虐待を受けていたのでそれによるPTSDだと精神科医に診断されました。妻と結婚する前はほどほどにセックスができたのですが、結婚して家族として構成員を増やすための営みとそれを意識した途端、事に及ぶ際に生理的な嫌悪感が身体中を駆け巡るようになり、とても勃起できるような状態ではありませんでした。それに伴いメンタルも崩れ、原稿もボツを連発し、そのうち執筆するのも億劫になりました。
両親は私の前でセックスをすることにより興奮するたちでした。両親はたびたび眠っている私を起こして目の前で情交にふけりました。むせかえる温気立ち込める部屋の暗闇からギロリと私を覗く四つ目のキマイラ、その怪物が放つ悍ましい慟哭。思い出すと悍ましくて吐き気が込み上げてきます。私にはそれが耐えられないのでそのことを忘れようと努めました。本当の私はいなくて、ここにいる私は別の私なのだと思うように努め、私は私を殺しました。その時から私は私の殻の外から私を見る私となりました。私が高校に進学したころ、母は私の弟を身籠りました。しかし高齢で身籠ったこともあり、その子は流産してしまいました。両親はそれから不仲となり離婚してしまいました。それから私は母の実家にひきとられました。その日からだったと思うのですがたびたび同じパターンの夢を見ます。それは弟が生きていて私と話す夢です。私が虐待されていたことの詳細を弟にうちあけ、弟が黙り込んで考え込むという内容です。夢に現れる弟の姿は様々でした。働き盛りの市役所の職員の時も有れば、白髪の老人の時もあり、小学生の姿で現れることもありました。夢の内容はワンパターンで、私と弟はいつも何もない白い部屋で椅子に座り膝を突き合わせ、ただただ黙り込んでいます。
私は精神科やカウンセリングに通うようになり、妻はそんな私を励ましとても気遣ってくれました。
当時のことを思い出すと、今でも感謝と申し訳ない気持ちが溢れ、涙が出そうになります。
そして妻が深く気を使ってくれているのにも関わらず、私の心はどんどん憎悪で満たされていきました。その憎悪は、仕事や生殖が上手くいかない事に対して際限なく湧き上がる行き場のないヘドロのようなもので、それは大層厄介なものでした。惨めさと言うのは一個の人格をたやすく破壊するものなのだと今にして思います。妻が「まこ」を産み出したのはちょうどこの頃でした。子供がいれば少し違ったのかもしれないねと私が話すとじゃあ作りましょうと妻がまこを産んでくれました。そんな妻の愛をも裏切り、私は今まで飲まなかった酒を1日中飲んでは心配する妻を罵倒し、時には手を上げることさえありました。私は妻を憎悪した。惨めな私を受容し優しい言葉をかけ続ける妻は哀れな私を見下しているのだと思い込んでいました。酒浸りの虚な頭で原稿に向かっては数行で投げ出し泣きながら当て所なく外を歩き回り、酒を飲んで帰宅して夜は靄が掛かった頭で妻と「まこ」を冒険させる。そんな日々がしばらく続きました。時間の感覚が麻痺し終わることのない夜のぬかるみの中を歩いているかのような、そんな心地がしました。私と妻は救いのないひんやりとしたまさに地獄と呼ぶべき世界に居ました。歩くたびに苦痛を伴い、何処へも進めない。最早手詰まりといった状態でした。そしてとうとう妻は、手紙と離婚届と指輪を置いて、実家へと帰って行きました。私は当然だと受け入れ離婚届に署名をしました。それから妻とのやり取りはずっと義両親を通して行っています。これは義両親の発案で妻はそれに合意したということでした。私は妻が出て行ってから一度も話していないので、実のところ彼女が生きているのか死んでいるのかもわからない状態なのです。私は妻が居なくなっても一人地獄の中で「まこ」の物語を書き続けました。
まこは貿易船で勤めたキャリアを活用して王国お抱えの冒険家へと出世しました。そして王の命により資源を求め航海し、続々と新しい島々を発見しました。まこの開いた航路は王国の輝かしい繁栄の礎となり、まこはまさに伝説の冒険家となりました。何もしなくても3回の人生を送れるほどの褒賞を与えられた晩年のまこは家族も作らず人目を避け、灯台守として隠居しながら、愛する海の側でこれまでの交友関係や冒険をまるでお気に入りの本を読み返すように何度も思い出し噛み締め、そして十分に満足しながら穏やかにこの世を去りました。最期まで叔父のことを思い出すことはなく、充実した生をまこは全うしたのです。そしてそれゆえにまこは亡霊になりませんでした。その魂は肉体を離れると忽ち風に散り散りに飛ばされていきました。まこの魂のかけらたちは、追い縋る海の亡霊が伸ばした手をすり抜け夕空の遥か彼方へと消えて行きました。煌めきだけを僅かに空に残して…そしてその煌めきは滲んで亡霊の瞳から溢れ落ちました。
ホリィやジェムやシーもすでに死んでしまっていて、亡霊だけがただ1人取り残されてしまいました。老いることができず、記憶の忘却という機能を持たない不死の呪われた亡霊は、永遠にまこへの恋心を忘れることができません。あのときもし、まこの記憶を食べずかつ叔父を助けることも失敗して、まこに悔いが残ればまこも死後亡霊になり、亡霊どうし触れ合いお話しをして一緒に過ごせる可能性があったのではないか。
そんな想像が、不幸になったまこすら願ってしまう自分の存在が、亡霊をたまらなく苦しませます。しかしそんな亡霊の深くて巨大な苦しみは誰にも届きません。
氷に触れても冷たくなく、火に飛び込んでも熱くない。そんな亡霊のなかに、まこへの恋や後悔や自己嫌悪をはじめとした様々な苦しみが溶けて混ざり合いヘドロのようなどろどろになり、どろどろはさらに新たな苦痛を取り込んで際限なく膨らんでいきます。
ひとりぼっちの海の亡霊の苦しみを誰が知ることができるだろう。理解されることのないその苦しみは発散されることなく、海の上で永遠に膨らみ続けます。それは風が吹くと波が立つくらい当然のことでした。
亡霊の苦しみは消して浄化されません。ところでもう一杯如何ですか。
俺は胡乱な廃人に進められるがままジャックダニエルをグラスに注いでもらう。ボトルを持つ廃人のしわくちゃで乾燥した手はぶるぶる震え、ジャックダニエルがグラスから溢れる。
今日たまたま横の席になり知り合ったばかりなのに、自分語りしすぎているこのよれよれの廃人のことが俺は怖かった。
その気持ちをはぐらかすようにぐいとロックを流し込み窓の外を眺めた。まだ日は沈み切っておらず、うつむいて駅に向かって歩くサラリーマンたちは皆、大体がすでに退勤してるであろうになんだかせわしない風だ。
酔いが回ってきたところでちょっと強気になってきた。そして俺はこの店から出るタイミングを測り始めた。逡巡しているうちに手元の空のグラスにジャックダニエルがまた注がれていく。
俺はそれを一気に飲み干してすぐ会計を済まし、席を立って廃人に礼も言わず速足で店を出た。
話されたことを全て忘れたかった。振り返ると窓の磨りガラス越しに、あの廃人が見える。
廃人のぼやけたシルエットはこの世に滲んでこびりついた「しみ」のようで、まさに亡霊だった。
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TEDにて
アレグザンダー・シアラス:受胎から誕生までを可視化する
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アレグザンダー・シアラスが、受胎から誕生までの人の成長を一例として、非常に強力な医療分野の可視化技術をご覧にいれます。(現実に沿っているため、画像に十分ご注意ください)
男脳と女脳は、構造上、別物なので、自分と同じようにふるまうことをお互いに無意識のうちに相手に期待し、共感しようという思い込みが不幸を招き寄せてしまいます。
なので、極論お互い別の生き物と思えばいい。さらに、共感できる範囲が唯一食べ物や赤ん坊、子供くらいとお互いに狭いことが原因かもしれません。
男と女は違うみたいで、どちらが優れている?劣っている?ということではなくただ違う!両者に共通しているのは、種が同じということだけです。見ている世界も違えば、価値観も役割も違うそうです。
自分の尺度で相手を測ろうとしても、自分と同じ考え方、感覚を求めても必ず男女間の不満は爆発してしまうものと認めてしまえばいいかもしれません。このような前提で、お互いに歩み寄っても不満は無くなりませんが最小限にできる可能性があります。
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?極端な場合は保護が必要ということを前提にしても問題がある。男女平等が社会システム内では功利主義的には有効?混乱を産み出し憎しみの連鎖を起動させてるだけで果たしてそうなのか?国の歴史によっても異なるし、上記の事例に関しては、法の下の平等は万能ではない!道理に反するということでもあります。
太古からの厳しい自然淘汰を生き抜く上で多少の児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?が良い作用を与えていたのも事実であって数万年かけて培われた本能的な児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?は、犯罪者扱いするんじゃなくて隔離して教育してもいいし、国家が対策マニュアルをオープンソースで公開して男女の特性子供の特性として共有すれば?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
それを社会システム内で最適化させて一千年単位のスパンで少しずつ改善するほうがいいし、マスメディアも慎重に吟味してセンセーショナルな報道をしないことだ。本当に殺しては社会システム内ではダメだからテレビ的にはタレント生命、テレビ、ラジオ出演者生命や広告代理店関係者、芸人芸能人生命、俳優生命など。是非、不幸をあおるやつらを殺してほしい
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?たった数十年の現代版社会システム内では善かもしれないが、数万年単位の大自然内では場合によっては最適かもしれない。強制的に洗脳報道繰り返すマスメディアは潰れたほうがみんなのためにもなる?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
女性は、腹が立つ相手に恋をするし、「感性が真逆の相手に発情する」という特性は、脳科学上の真実
対策として、ケンカになった際は言い募るのではなく「悲しい気持ち」をありのままに伝え感情を共感しましょう。
男性が一日に発信する情報は7000語くらいで、女性は約三倍。この差は、テクノロジーやコンピューター、人工知能を活用しないと絶対に勝てないレベルです。コミュニケーションツールとして女性脳は認識しているためでもあります。女性の特性上、サポートするような仕事は、太古からの自然淘汰の中で培われたため相性が良いかもしません。
対策として、何気無い言葉でのメールやチャット、メッセンジャーも良いかもしれません。
つまり、女性はもともと本能レベルで備わってるので機械が使えないのではなく、使う必要性がないから、そんな役に立たないの使わないし興味がないだけです!だって、自分で無料で瞬時にできるのに、わざわざ遅くなる手間とお金かけないでしょ。
「今日は何してたの?」は禁止ワード。具体的に時間がかかろうが一つ一つ90分くらいは1日にかける覚悟は必要です。「言ってくれればやったのに」は禁止ワード。まず、ごめんね。と言って感情を共感してから手伝うこと。
「おかず。これだけ?」は禁止ワード。次に食べたい食べ物を要望して会話のキッカケにすること。足りない場合は自分で買って後で食べればいいだけです。
マスメディア側の専門的な知識や経験のない勝手な先入観で広告料金をもらうだけのために勝手な報道を垂れ流し、離婚させるよう誘導、偏向報道し、その報道のために児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?と視聴者に誤解させても責任をとらない?潰れたほうがいい。
自らが権力者であることを発信せず視聴者を混乱させ、それに便乗して権力乱用する日本の民法テレビ局。同じことを繰り返さないようにみんなでチェックし見守っていくことだ。
日本で、恋愛結婚が普及したのは、サルトルとボーヴォワールが来日した時に一気に拡大した可能性もあるかもしれない。それ以前は、お見合い結婚が主流でした。
前提条件として、恋愛結婚はサルトル、ボーヴォワールみたいな有名人であること。創作活動が成功していて多額の資金を保有し裕福層であること。
それ以外では、まず不可能。良い結果にはならないことを追加しておきます。日本の高度経済成長インフレ時代には合っていたけど、デフレ経済下に入ってしまうと厳しく破綻しやすくなります。
または
女性特有の支離滅裂な言語。例えば、キモいなど擬態語共感は男性には理解できない。
だから、言葉の定義を決めない場合、リアルタイムに真似して、同じしぐさで中和か、法律で正当防衛的な暴力を情状酌量可能にすれば言葉の表現方法を考えるきっかけになるかもしれない。
大前提として、理想の男性はこの世にいない!本能に任せて男を追い求めるくせに、母親が、幼い男性にもっと小さい頃から女性の善い面や悪い面を覚えさせることが最善。
さらに、将来までのサポートをしない責任もある!女性は、年齢的に心と身体形態を最低三回くらい変えていくエヴァンゲリオンの使徒みたいな特徴もあるから!
後始末しづらい精神分裂者と男性には感じられることが多々ある。
以上の前提条件から考えると
女性は子供を創る天才。男女平等じゃないのに男女雇用機会均等法を誤解したまま流布した政治家、マスメディア関係者をすべての女性は恨みな!
結局女性弱者にツケが回る仕組みなんだよね。お金を分配して償えば?邪悪な悪女が構築?
小池百合子が主犯と見ている
言葉の定義を決めよう!ジェンダー平等の定義は?そもそもの起源は?多神教や一神教。男と女。違いは必ずある!
価値観を数値化できないと定義も決まらない倫理観が欠落することになり権力者に悪用され基本的人権侵害に直結する危険性大
ジェンダー平等?真の男女平等な第二次大戦で社会実験結果がでたでしょ!男が勝利!平等はないと!
だから基本的人権が社会システム内に創られた!外に出たら結果は明白でシステム内の法律で押し付けるといずれ災厄が吹き出すぞ警告だ
女性活躍女性が強い?これは裕福女性がテレビで流布したプロパガンダだから女性弱者はこいつらを恨め!真実は第二次大戦で男性勝利で決着がついてる!
女性の末路は悲惨なものだった!死人に口無しって知って���?
実務のできない女性を上役にしても混乱するだけ公約を果たさず再選した小池百合子が悪い見本
男女平等と誤認させるなら権力者であるテレビ局に出演する女性の旧姓と結婚後の名前を表示しろ!それで対等だ!
同じ種だが役割が違う!男が勝つのは先の大戦で結果がでた!こうして基本的人権が創設。
だから、男女平等ではなく男女対等。誤訳?平等なら男子女子と分けずに一緒にするよ
男女平等は誤り、男女対等と言え!
トップに立つには、それ相応の女性の良い見本を示すことが重要。
ジェンダーの定義は、古フランス語から共通の特性を持つ集まり、血統が語源。
この後に「平等」が付くと概念上は医療をフラットに提供するための原点に似ている?
二元性が存在できないプラスサム、共感やワンネスに近い?
参考概念としては、個人の基本的人権や法人の競争に頻繁に登場します。
知ってるつもりで思い違いしてること!で、公平概念というのは「ハンデをつけて上限を公平に!」と言葉であえて説明する。
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じです。
これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
個人の基本的人権とは真逆なため、法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
時間をかけて諭していたが・・・
過酷な真実を言わなければ、女性の腑に落ちないから言うけど・・・
男女平等な第二次大戦で男が勝っているのに、東日本大震災、新型コロナ、ミレニアム以降の日本全体に災厄が降り注ぐのは
女人禁制の経験則に男女対等じゃなく、誤った男女平等を持ち込んだからかもしれない。
悲しいことに、ジェンダー平等や女性活躍主張する女性ほど独身、離婚者が多いのはなぜ?
結婚してる女性は幸せだから、慎ましく将来の息子の出世に響くため、そんなこと言わない傾向がある矛盾があるから統計を取るといいかも。
よく考えても見ろ!
自分の息子の将来を現時点で独身女性、離婚者女性が奪うのは、ジェンダー平等かな?
続いて
美人は初見だけで飽きるの根拠さ。
最近の研究によると、男と違い顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!
芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで女優を透明化する特別法で罰することも正当化できそうだ。
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明。
はっきりとファクトチェックもしないで弱者を不審者に仕立てる警察内部とマスメディア内部こそが不審な腐敗組織だ!
不審の定義は「はっきりしない点があって疑わしく思う事」
よく概念の少ない若い女性が、意味も話の脈絡もなく気持ち悪いと言う場面があるが・・・
概念が未熟な自分のことを気持ち悪いと言ってるだけで男性に対してではない意味合いがほとんど!
自身が気持ち悪いだけだから男性の慈愛を消化できないだけ。
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!
この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。
実は、プロセスがあって、まず君主政の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。
つまり、悪女を批判できなくなり君主が暴走する。
立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため、回避できるメカニズムがある。
これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
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