#たぶんこれまで好きになった男性ユニットで(リアルも含めて)一番好き
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今日の私のすべてが報われた、、、
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良すぎる。
まじで。
良すぎるってぇぇぇぇぇェェ!!!!!!
こやつら、なんでこんな歌うまい!!?
#3skm#北見遊征#魁星#榊ネス#ノーダウト#official髭男dism#歌ってみた#推しの推し曲を推したちが歌い推し絵師がMVを推し上げてきたのでもう推しがゲシュタルト崩壊#ロクロ様ありがとう#このトランプグッズ化して、、、#📿🍔#🗝️🐍#☕🌿#最高の3人#たぶんこれまで好きになった男性ユニットで(リアルも含めて)一番好き#こうなってしまった以上、最後まで推します#Youtube
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2017 BEST ALBUMS OF THE YEAR (11 - 20)
ここから後半の10枚、とある目線のディスコグラフィー。
11. oso oso - the yuahon mixtape
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ニューヨーク州ロング・ビーチ出身、ぴっちではIanにフックされ、'18年にはTriple Crownからリイシューが決まったニュー・スター Jade Dimitriによるパンク/EMOプロジェクトの2ndフル。今年のシーンを名実ともに代表する一枚。くっきりと感じる ‘90s EMOの息吹と、00年代インディのセンスはやっぱり最高。the Promise Ringの「Nothing Feels Good」以降と同じノリの #3 the walk とか、メロディック・パンク的なイントロから気付けばインディ・ポップの門を叩く #11 the plant mouth なんかを聴くとニヤケが止まらない奴は同類。歌詞のリリカルさが抑えきれず爆発するセンスも好き。ベッドルーム・ポップなのか、パンクなのか分からない #5 get there(when you’re here) の「i’ll do anything it takes just to get there(when you’re there). / なんだってやるさ(君に会えるなら)/ just to get there(when you’re here). / ここまで来れるなら(君に会えるなら)」のフレーズは他の曲でも繰り返し表れる感情のキーだと思うし、 #11 out of blue の「but i just cant leave you this way, / やっぱり僕は君を置いてなんかいけない / were too young, its too entrapping to stay, / まだこんなに若いのに、ハマっちゃったら君はきっと捨てきれない」っていう最終盤は「卒業」のラストシーンと同じ気分(良いか悪いかみたいなのは放っといて)って感じ、僕にすれば見事な終わりとはじまり。
12. Otto A. Totland - the lost
The Lost by Otto A Totland
前作『Pinô』もその年のベストに選ばせてもらったノルウェーのOtto A. Totalandの三年ぶり2nd。変わらずのNils Frahm録音、ミックス、マスターだし、前作から引き続きつづきのトーン、メロディー、メランコリー(鎮痛派)のピアノソロ。今作では4分台の曲が加わったことと、鍵盤を弾いたり、細やかな動作から生まれるノイズが若干ヴォリューム増してることでアルバム一枚通しての抑揚はこちらの方が上かな? #2 Vates で明らかなそれらはデリケートな音色とは裏腹に決して穏やかなものじゃなく、中盤の #6 Greiner 〜 #9 Tingél の流れで印象的なシューベルトやシューマンみたいな普遍的に漂い、ふと顔を覗かせる「美」と「終焉」のイメージ。概念にするなら「memento mori」。とはいえ、ギターソロっぽい音色が響く #13 Enola から、走馬灯のような #14 Fox 、二分に満たないものの心音のように絶えない低音部に穏やかさを感じる #15 Before I Leave の流れには力強さがある。決して明るくないけど、何であれ浮かび上がるモノがある、さぁ、クレジットにもあるけど PLAY IT LOUD!
13. Palehound - A Place I’ll Always Go
A Place I’ll Always Go by Palehound
2015年のデビューフル「Dry Food」も刺さりまくったEllen Kempnerによるインディ・ロック・ユニットの二年ぶり2nd。今回も全10曲30分と大仰ではないけど、骨太さを秘めた、おおらかなメロディーには多幸感を存分に振りまく瞬間がある。 #2 Carnations が既に最高なんでコレのヴォーカル、ギター、メロディーに何一つピンと来ないならこのアルバムはあなたが求めているもんじゃないんだ。前半の山場として #4 If You Met Her のロマンティックなメロディーと、ラップに近い声を楽器として使うアレンジにどこか枯れた寂寞と、可愛さが入り混じった歌詞はマジで初期デスキャブみたいな遠くなるほどに美しい景色って感じのキラー・チューン。そこから後半の私小説的な狭さの歌詞とバンドサウンドとして深みを増したアレンジがあの手この手で襲いかかる。アルバムタイトルの「私がきっと向かう場所」というイメージの切り取り方はさすがだし、そのくせ終わりが #10 At Night I’m Alright With You なのが最高にキュート。
14. Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs - Feed the Rats
Feed the Rats by Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs
イギリス・ニューキャッスル出身の5人組 豚x7のデビューフル。ヘヴィ・スラッジ・サイケデリック・ロックンロール!!!!! 焦燥とか怒りとか嫌悪とか吐き気とか、人に浴びせちゃいけないものを抱えて、どデカイ音が鳴る! 鳴る‼︎ 鳴る!‼︎ サバスの系列になるんだろうドゥーミーな空気や、演奏中に血管キレてるんじゃねーかって感じにマジ何言ってるか分からないヴォーカルをはじめ、徹頭徹尾その雰囲気からしてシビれるほどにカッコいい。泥臭いという意味でブルージィでスラッジ、タガを外すということがサイケでロック。揺らせ、ゆらせ! 「All You Need Is Love」だって言うなら、快楽で人を殺すレイピストの話をしてやろうか? ネズミに餌をやれ! 愚かでどうしようもない人生のフロアで踊ろう。
15. Sammy Brue - I Am Nice
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若干15歳の、ローリングストーン誌いわく「the Americana Prodigy」。アルバムのリードトラックでもある #1 I Know との出会いがある意味、僕の2017年の音楽履歴のはじまり。「I want to go down to a land / かえり��い場所があるんだ / And sing this song the best I can / そこで精一杯のうたを歌いたいんだ」とPVの冒頭で何処とも知れぬ場所を歩きながら彼は歌い始める。半径7mくらいの世界、けど景色は移りゆく。彼が曲を書くのは出会ってきたものの中に心を揺さぶられることがあったから。ふと澄ました時に聞こえるのではなく、周りでささやく誰かのお話、それを口にする彼の目線は少し枯れていて、さびしげ。丸さと甘さがそこに同居した歌声は #3 I’m Not Your Man のホコリっぽいラブストーリーなんかを語らせると本性と本音が重なってみえるような不思議な気分。数は少ないけど弾き語りの映像を見るとやはり、語り伝えるというシンガーとしての根っこの太さを感じる。そういう意味ではアルバムにギターやピアノだけの曲が2曲くらい欲しかったかも? とはいえ、コレはきっとこの子のキャリアの始まり、君と僕の世界を通して、世間へとアプローチする彼の物語はどこまで続くんだろうか?
16. the seven fields of aphelion - Keep the Ocean Inside
Keep the Ocean Inside by the seven fields of aphelion
ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の、インディ/エクスペリメンタル・ロック・バンド Black Moth Super Rainbowのメンバーでもある、Maureen “Maux” Boyleのソロ・プロジェクトの2nd。#1 Divining (Naming of the Lost) のメランコリックなピアノ・フレーズが迎えるイントロはびっくりするけど、基本となるのはドローン、シンセサイザー、加工されたヴォーカルなんかを丁寧に折り重ねたシルクのようなアンビエント。もともと流行り廃りからは遠いシーンとは言え、今年のbandcamp best ambientに載るようなアルバムと近しい要素をコラージュの手法で別世界へと誘うチケットに変えるその腕前に聴き惚れるばかり。2分台のトラックが導くファンタジックな前半の締めである組曲っぽい #5 Triptych/Going Under/The Blur/The Way Beyond から、デリケートでメロディアスなアンビエントの極みと言えそうな #9 The Ocean Inside 〜 #10 Sirens, Cerulean Swell の流れは一切のノイジーさを排しているのに、豊かで、溢れんばかりの情感に満ちてる。ソレがあなたの胸のうちに湧く泉なんだ。
17. sinai vessel - Brokenlegged
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ノースカロライナ州出身、過去にはCount Your Lucky StarsからスプリットをリリースしたりもしてるEMOバンドのデビューフル。oso osoの2ndと対を成す、個人的に今年のEMOを象徴する一枚。スリーピースによる歌声を中心に据えたポスト・ハードコア経由のギター・ロック。彼らがすごいのは影響を感じるのに誰にも似てないこと。Pedro the Lionのような告白の歌詞で幕を開ける #1 Looseleaf も、その想いの吐き出し方にEmbraceみたいな潔癖さへの憧れを感じる #4 Down With The Hull も、いろんなものに影響を受けたことを隠しもしないCaleb Cordes(ヴォーカル、ギター)はそれでも自分の言葉で歌い、真っ直ぐなメロディーを鳴らす。このアルバムは佇まいとしてフォークっぽいし、アレンジに顔を出すインディ的な部分も内側への大きな好奇心みたいだ。彼はなにかを嘆いてるんじゃない、ただ語っている。それはKieth Latinenが一人ではじめたことだし、Evan Weissがシカゴの路上で過ごしたことみたいで、Jeremy EnigkがEMOってタグから外れようと外側で歌ったことと根っこは同じだ。全編の歌詞における個人的かつ抽象的な描写はきっと同じような奴が「聴けば分かる」んだろうと思う。SDREで言えば2nd、E! E! の1st以降の数多のEP群、 52 Weeksの苦い過去、どこか悟ったようでいて、きっとまだこれからでしょう?
18. Vagabon - Infinite World
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カメルーン生まれ、移民、ニューヨーク在住、Lætitia TamkoことVagabon。ライブ会場で見たときの驚くような小柄さとその身体から響き渡るかすれを含んだ伸びやかでシルキーな歌声、自分の存在を確認しようと鳴らし、広がるメロディー。全8曲30分にも満たないこのアルバムの最高の価値は今年最大のキーポイントである彼女が作った、ということ。 #1 The Ember や、Audiotreeのライブ映像で僕の心を掴んだ #7 Cold Apartment のバンドサウンドとしての強かさ��、唯一のフランス語歌詞(カメルーンはフランス語/英語の二重母語の国)の #4 Mal à L'aise のドリーミーなベッドルーム・ポップも彼女の内からこぼれでた宝石のようなキラキラで、願い。ぴっちにはインディ・シーンの「ゲームチェンジャー」なんて呼ばれてるけど、彼女自身は冒頭の歌詞で語るように「Lætitia is a small fish. / レティシアはちっちゃい魚(The Ember )」なんだろう、時折ナイーブにすぎる歌詞も、はたまたこちらを振り回すバンドアレンジも自分にできることを一つずつ確かめているようでとってもキュート。「I don’t care it’s okay, let’s keep weird」っていうつぶやくようなライブでのMCがすごく印象的。
19. the world is a beautiful place & I am no longer afraid to die - Always Foreign
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2015年リリースの傑作『Harmlessness』以来となる3rd。初期の中心的メンバーの何人かが脱退し、David F. Belloの存在感が増した今となっては初期の彼らとは別の、それこそIan Cohenが前作に付けたようにpost-emoとして見るのが正しいのかもしれない。「2017」年と言う時代を「先進国の若者」として過ごせなかった人間にとってはある意味、一生かかっても手繰り寄せられない立ち位置にいるコレはーーそういう話の上でならもうすでに名盤。そして、ここ2、3年に限っていいなら彼らは比較しづらいくらいにポリティカルだった。Bello(プエルト・リコ、レバノンの両親を持つ移民)と、平均的にリベラルであるインディのこのシーンはアンチ・パトリオティシズムだ。「悪魔にだってどっちが正しいか分かるさ、お前の身の程を知るがいい(#3 Hilltopper)」「Call me “a-rab.” / A-rabって呼んでみろよ / Call me “spic.” / Spicって呼んでみろよ / I can’t wait I see you die. / お前が死んだ後どうなるのか待ちきれないぜ(#10 Fuzz Mirror)」。きっとthe Smithsの時代ならポップ・ソングだったシュプレヒコールがこんなにも刺さって聞こえるのはなぜだろう? Always Foreginーーいつも仲間ハズ��、っていうこの上なくEMOいタイトルはもはやWhite Trashへの共感にもならず、都市部で暮らせるヒスパニックにも似合わずーーそう、つまり #9 Marine Tiger のテーマだ、「新しく移り住んだ場所を歩いてみても / こころはどうしても落ち着かない / 何か夢が転がってるわけでもなくて / 似たような部屋に収まる(Marine Tiger)」。この歌詞が印象的なのは、ダブるところを突くからだ。誰にも理解されない。ミレニアル世代というWWWの世界においても「孤独」が拭えない僕らは、乱暴にくくっていうなら「ここ」に来た移民だ。「Harmlessness」で1st EP「Formlessness」から持って来た歌詞を歌ったのは、それが今でも光るからだ。「I keep holding on to, I keep begging myself / 僕は手放さない、いつだって僕に誓う / Today we are superhero but tonight we’ll just be tired / 今日の僕ならなんでも出来る、きっと夜には疲れ果ててしまうけど / I keep holding on to, I keep begging myself / 僕は願ってる、僕は諦めたくないんだ(Eyjafjallajokulk Dance/Ra Patera Dance)」。あまりにも露骨なメタファーと、明確に敵をあぶり出す歌詞でもって彼らは僕らに迫る。それはアメリカという国のリアルなのかもしれない。「全部の州がバラバラになっても、君はここをアメリカ(合衆国)だって言える? / 他人から何かを奪うだけだってのに、君はそれを仕事だって言える?」そうじゃねぇだろ? と、少なくともBelloは言う。序盤の2曲、あまりにも出来過ぎにクライマックスへと駆け上った先で、彼らはこの更地を改めて僕らに突きつける。そこはもう、君と僕の世界ではない。「この世界と僕」。#11 Infinite Steve で迎えるラストは残酷で、それは間違いなくアメリカの日常のシーンだ。でも、膝をつくな。そこは既に通ったはずだ。「There’s nothing wrong with kindness / やさしさに間違いなんかない / There’s nothng wrong with knowing / 知ることに罪なんかない / We’re here, I told you so. / 僕らはここにいる、そう言っただろ?」。Ianが言いたかったpost-emoとは何か? それは遂に来た、「この世界と僕(と君)」の話だ。
そして、2016年リリースのアルバムから一枚。
20. Keaton Henson - Kindly Now
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UK・ロンドン出身のSSW/詩人、アルバムとしては5枚目の最新作。以前特集にしたMahogany Sessionでその存在を知った一人。また、同じように語るけど繊細さからは一番遠い場所でグロテスクなラブソングとして響く #2 Alright のそれでも情景とリズムを束ねてのぼるコーラスが痛々しくて、素晴らしい。「If it’s in the city / この街で / You and I are monsters / 君と僕だけ仲間ハズレ / We’ll not find another / 誰かと触れ合えたらいいのに / Cannot be together / 結局、ふたり噛み付きあって / Lest we eat each other / 互いの心臓をエサにする(Alright)」なんてささやいていた男が、中盤ではユーモアも交え、「Who needs comfortable love? / お手軽な愛が欲しい? / I’m in bad love / 僕の愛は報われそうにない / Don’t be sad, love / 辛そうな顔をしないでくれ(#7 Comfortabke Love)」と口にする。アルバム一枚通して別に明確な光を描くわけでもなく、最後までKeaton Hensonの言葉は虚空へと鳴り響く。互いが愛し合っているということを信じるしかないっていう厄介な話を彼は真正面から歌うことにした。「I think I love you / Baby please don’t be afraid of me」と繰り返す #11 Holy Lover はコレがアルバムの前半にあったら気持ち悪くなりそうなほどメランコリーだし、アルバムの最後で恋人たちは本当に終わってしまう。喪失が本当に二度と戻りはしないことだと確信をこめて歌うラブソングはやっぱり悲劇的だ。でも、それを口にするからこそ僕は彼の「愛」を信じてみたい。
・最後にーー
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「音楽」から社会を除くことは可能だろうか?
政治的(Political)な問題に、音でもって「ことば」を発するのは、ただいい曲、美しいメロディー、ポップという綺麗なところだけを集めたセカイ etc. を求める���スナーにとって不親切なんじゃないか? SNSで思い出したように何度も盛り上がるこの話題は、僕からすればピントがズレてる。
僕が、今年もそんなリストになったけど、聴きたいのは個人的な話だ。誰かの話、昨日のこと、オリジナリティという結果。音楽を聴くという行為は、君が耳を傾けたときに最小公倍数が決まるーー「君と僕のセカイ」だ。再生された音楽と君の間にあるものが全てで、それ以外は註釈に過ぎない。だが、言葉にしないと分からないことが多いのも確かで、この世の無限に近いソレらを纏められるものを「社会」と言う。この入れ子構造の中で有り無しは註釈の一つとして添えられて、それを受けて生み出されるサウンドがある。つまり、先の理論は循環論法になる。
音楽という文化に一定の制限を設けようという声は、個々の表現のワクを超えた「政治的」な問いだ。僕の言うズレてるポイントは表現とはそもそも「自分」の為のものであって、あなたの為ではないということ。
知るというステップを踏まずして、理解はない。僕のBEST ALBUMSはどれも理解を必要とする「彼ら」の表現だ。
感情的で、感傷的で、メランコリーで、アイロニックなものが愛おしい。悲劇で満ち溢れた場所を正しく描いたときにハッピーエンドはほとんどの人に似合わないと思う。一人ひとりのバイオグラフィーがいつか消えるってコト以上の悲劇を僕は知らない。それぞれに追悼を捧げていたら文字数足りないくらいに2017年も故人が増えた。2018年も早々にJóhann Jóhannssonがそのリストに加わった。せめて、一人でも多く、一分一秒でも長く、この世のある限り、好きだということを示したい。好きなものを伝えたい、クソみたいな物も悪くないけど、まずはいずれ捨てなきゃいけないものを君に放り投げよう。知ってしまえば、僕が好きだった個人的だから個性的なものは「EMO」という色分けをしなくてもそこら辺にあった。だから、2017年でもってEMOリバイバルというシーンの切り取り方はやめようかと思う。
最後の終わりに、僕は君と音楽の話がしたくて書いてる。クソったれスローなブログはまだ続けます。
Thank you for reading it.
How was your year of 2017? I think these albums partly could tell you how was mine. Something changed, something still didn’t yet.
This world have been looking cruel and dirt, there are war, school shooting, sexual harassment and death. Yeah, I’m sure everyone know how bad we feel in the days. It’s as like twiabp said “I’ll make everything look like it’s rad,” political seems to be slightly move, our life rapidtly slipp away. I will keep to write it down here that how was my year and sounds around my ears, that because I believe music can be a part of the society and have the power that kick your ass and make looking forward.
Happy Music Life.
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NGT48「青春時計」インタビュー|16人の個性を刻む「青春時計」 (1/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
NGT48が4月12日にアリオラジャパンよりシングル「青春時計」でメジャーデビューを果たす。2015年にAKB48の国内5組目の姉妹グループとして新潟県に誕生したNGT48。彼女たちは「地域密着・地元貢献」というテーマのもと新潟市にある専用劇場「NGT48劇場」を中心に活動を展開しており、ほかの48グループとは異なる成長を遂げつつある。
音楽ナタリーでは、残念ながら今回欠席となった柏木由紀を除く選抜メンバー15人にインタビューを実施。キャプテンの北原里英や表題曲「青春時計」でセンターを務める中井りかを中心に、NGT48の持つ個性やシングルの収録曲について話を聞いた。
取材・文 / 古川朋久、近藤隼人 撮影 / 塚原孝顕
個性がかぶってる子がいない
──皆さんは音楽ナタリーのインタビュー初登場ということで、簡単に自己紹介からお願いできますでしょうか。
加藤美南 “かとみな”こと加藤美南です。特技はアクロバットと小学校3年生から習っていたバトントワリングです。
北原里英 “きたりえ”こと北原里英です。特技は声マネですかね。今日は特別に“声が遅れて聞こえてくる”やつをやってみたいと思います! あれ? 声が、遅れて、聞こえて、くるよ。
一同 すごーい!
──すごいんですけど、文章にするとまったく伝わらないのが残念です。
中井りか “りかちゃん”こと中井りかです。握手会に来てくれた人を虜にしちゃう“釣り師”とファンの皆さんから言われているので、“握手会の女王”を目指してます。
高倉萌香 “おかっぱ”こと高倉萌香です。私の特技は、長いことやってるのに全然うまく弾けないピアノです。いまだに楽譜にドレミを書かないと弾けません!
小熊倫実 “つぐみん”こと小熊倫実です。特技は、小学生の頃に太鼓をやっていたんですけど、その影響からか叩く力がとても強いことです。
北原 太鼓じゃないんかーい!
一同 あはははは(笑)。
本間日陽 “ひなたん”こと本間日陽です。最近ハマってることは“1人〇〇”です。カラオケやラーメン屋に1人で行くことにハマっていて、次は焼き肉に行きたいと考えてます!
村雲颯香 “もふちゃん”こと村雲颯香です。私の特技はリボン結びです。実演しましょうか?(※隣の太野彩香の衣装のリボンをほどいてささっと結び直す)
北原 比較対象がないからなんとも言えないけど、うまいな!
村雲 世界で100番目くらいにうまいと思ってます!
太野彩香 “アヤカニ”こと太野彩香です。特技は“あぶりカルビゲーム”です。10回連続で噛まずに“あぶりカルビ”って言えます!(※実際に“あぶりカルビ”と噛まずに10回言い切る)
一同 すごい!
荻野由佳 あ、ある、あるびかぶり、あびるかぶり……。
山口真帆 “まほほん”こと山口真帆です。私はファッション誌を月に何冊も読むので、美容に関する知識は誰にも負けないです。“おしゃれ番長”ではなく“美容番長”ですかね。スタイル維持にも気を付けています!
菅原りこ “りったん”こと菅原りこです。私の特技はI字バランスと大きな声だったんですけど、とある企画で特技ではないことになってしまったので……。
北原 でもI字バランスは特技と言ってもいいと思うよ?
菅原 じゃあ、特技はI字バランスということでお願いします!
佐藤杏樹 “あんじゅ”こと佐藤杏樹です。私はしゃべることが大好きなので、メンバーをいじることにハマってます。あと顔が大人っぽいって言われるんですけど実際は15歳なんです。
──なんかバブル時代のOLっぽいですね。
北原 そうそう。特に前髪がね。
山田野絵 “のえピー”こと山田野絵です。私は部活動ごとの走り方の違いを表現することができます。(※野球部、サッカー部、卓球部、陸上部の走り方のマネをしてメンバー大爆笑)
一同 すごい! 似てる! 最高!
山田 まだまだバスケ部とかあるんですけど好評でよかったです。
長谷川玲奈 “れなぽん”こと長谷川玲奈です。私の特技は6年間やっていた野球です。
北原 彼女は普通に男の子に混ざって小学校、中学校と野球をやっていたんですよ。
長谷川 中学のときは野球部に女子は私1人でしたね。だから根性だけは誰にも負けません! スポーツはなんでも得意です!
西潟茉莉奈 “がたねぇ”こと西潟茉莉奈です。私の特技は料理です。よく荻野由佳ちゃんにごはんを食べさせてます。
荻野 タコライスがおいしいです。
佐藤 肉団子のスープもめっちゃおいしかった!
荻野 みんな食べたことないと思うけど、たらことクリームのパスタ。めっちゃおいしいよ。最新作!
──では最後は荻野さん、お願いします!
荻野 “おぎゆか”こと荻野由佳といいます。私の特技は汗をかくことで、最近の趣味は握手会のときにレーンに飾りを作ることです。皆さんの反応を見るのが好きなんです。以上です!
──この個性豊かな皆さんと柏木由紀さんを加えた総勢16人が選抜メンバーということで、メジャーデビューシングル表題曲の「青春時計」を歌唱しています。
北原 このメンバーに研究生を加えてNGT48には今26人在籍(取材当時。3月末で研究生の水澤彩佳が卒業し、現在は25人)しているんですけど、1人として個性がかぶってる子がいないんです。私も昔は個性がなくて悩んでたこともあるんですけど、みんなはそういう悩みがなさそうでうらやましい(笑)。
まだ感動して涙を流せるんだ、私
──NGT48が結成されて1年以上経ちましたが、キャプテンとして北原さんは彼女たちをどう導いていこうと思いましたか? そういうことはHKT48の指原莉乃さんに相談したり?
北原 あまり具体的な相談を(指原)莉乃ちゃんにしたことはないですね。でも彼女のことをすごく頼りにしてるし尊敬もしているので、莉乃ちゃんのやり方を見ていろいろと感じ取ったりはしてます。ただNGT48は新しいグループですし、やっぱりHKT48で彼女がやってきたこととかぶりたくはないので、いいところを盗んで違う形にしていきたいなとは思ってました。
──なるほど。あまり過度に意識してはいなかったということですね。そんな北原キャプテンのことを皆さんはどう思ってますか?
西潟 すごく優しいです。
加藤 これだけすごい先輩なのに、私たち1期生と同じ立場でいろいろとやってくれるんです。それに私たちが活動しやすい環境を作ってくださって。
中井 北原さんが居てくれるだけで「今日は大丈夫!」って思えるんです。とても安心できる存在です。
加藤 あと���れ女……というか天候を操れるんです!
北原 天気を扱うのがけっこう得意で(笑)。
──そんな話、AKB48のときからありましたっけ?
北原 もともと1人の仕事のときはわりと天気には恵まれてるほうだなとは思っていたんですけど、新潟の天候との相性がすごくよくて。新潟って1年を通してほぼ曇りなんですけど、私が行くとだいたい晴れてしまうという。「AKB48選抜総選挙」を新潟で開催したときも晴れてすごく暑かったですし、「青春時計」のミュージックビデオの撮影の日も天気がよくて。
荻野 あと、何より北原さんは話しやすいです。なんかあったときはすぐにごはんに誘ってくれて話を聞いてくれるし、話も面白い。褒めるとドヤ顔をするところも面白いですね。
北原 今まであまり褒められてこなかった人生だったから、ちょっと慣れてなくてドヤってしまうんですかね(笑)。
中井 周りをよく見てくれていて、元気がないメンバーがいるとすぐに気が付くんです。みんなが楽しいときは話題を膨らませてくれるし。気配り上手な方だと思います。
北原 なるほど。ほかに何かありますか? 山田さん?
山田 ありますね。きたりえさんって昔からアイドルをやってるし、私たちとはキャリアも違うのにメンバーの話にすごく共感してくれるんです。そのときのきたりえさんのテンションが「うわああああああっ!!!!」って感じですごくて(笑)。
一同 あはははは(笑)。
──新潟に来て、いろいろと心境の変化もあったかと思いますが、いかがです?
北原 みんなと過ごすようになって初心を思い出しました。長い間活動していましたし、いろんなことがあったから1つひとつの出来事に一喜一憂する気持ちを失ってたんですよね。でも今回、メジャーデビューシングルのリリースがサプライズで発表されて、今までも私はAKB48、SKE48、Not yetに参加してCDをたくさん出してきてるのに、CDをリリースすることに対してこんなに感動できる気持ちがまだあったんだって。自分でもびっくりしましたよ。それこそNGT48の劇場オープンのときも感動しましたし、今年の「AKB48リクエストアワー セットリストベスト100」でNGT48の「Maxとき315号」が1位を獲得したときも感動しました。「まだ『リクアワ』で感動できるんだ、私」って思いましたもん。こういう感動の涙が流せるんだなって思ったら本当にここに来てよかったなって思いました。
劇場でのMCはレベルが高い
──昨年1月に劇場がオープンして1年が経ちました。この1年で印象に残ってることはありますか?
北原 りこちゃん、何かあるんじゃない?
菅原 はい! 個人的には交通安全大使の仕事がありまして。
北原 めっちゃ個人仕事!
菅原 そのときのMCで「交通安全は危険です!」って言っちゃったんです。倒れてくれるメンバーもいなくてどうしようと思って……。
北原 あ、倒れるっていうのは、普段は彼女がボケると新喜劇みたいにメンバーがコケてくれるんですよ。そのときは仲間がいなくて。
菅原 なのでまたやりたいです!
山田 NGT48劇場が始まって何カ月か経ったときにメンバーが何人か体調不良でダウンしちゃったことがあって。本当��16人で出ないといけないのに14人だけで公演を乗り切って、そのときに絆を感じました。
北原 いい話。日常に潜んでるんですね、ドラマっていうのは。
──AKB48グループ対抗の運動会でもNGT48が1位を獲得しましたね。
北原 まほほんとのえピーが活躍してました。
山口 メンバーがみんなガチでやってました。アイドルだからってかわい子ぶったりしないで。
本間 しかも優勝賞品が高級焼き肉の食べ放題だったんですよ。だからみんな本気度がすごくて。
──劇場は「PARTYが始まるよ」で公演がスタートしました。そして現在は「パジャマドライブ」公演を行ってます。北原さんにとっても思い入れの深い公演ですね。
北原 はい。私は「パジャマドライブ」公演の「純情主義」のバックダンサーとして劇場デビューしているので。9年前と同じことを今新潟でやっていると思うと震えますね(笑)。ユニット曲も「パジャマドライブ」を担当していましたよ。
一同 えー! 知らなかった!
北原 そのときはセンターを渡辺麻友が務めてましたね。
──劇場公演を1年やってきてメンバーの成長を感じているんじゃないかと思うのですが、いかがです?
北原 ものすごく感じてますね。MCが一番上達したと思います。歌もダンスももちろんですけど、トーク力がすごい。MCレベルは高いと思いますよ。
──ちなみにMCが得意という人は?
佐藤 はい! 自分からガンガンしゃべっちゃいますね。北原さんがいるときはすごく安心してしゃべれるというか、突っ込んでも対応してくれるのでやりやすいんです。
北原 だから皆さん、劇場に観に来てほしいんですよ。MCが心配な子はいないです。いや、心配……な子はいるんですけど(笑)。
菅原 え、私?
北原 彼女は天然だけどちゃんと落とせるからうらやましいです。だって彼女はホームランを打てるけど、私は2塁打止まりなので。
それぞれが主人公になれる「青春時計」
──メジャーデビュー曲「青春時計」とカップリング曲「暗闇求む」は3月14日に東京・代々木第一体育館で行われた「COUNTDOWN TV GIRLS FES 2017」のステージで初披露されました(参照:NGT48は新曲初披露!「CDTV FES」でゆきりん、リトグリ、あーりんら豪華7組が熱演)。ライブを終えてみての感想は?
長谷川 お披露目ということで不安もあったんですけど、いい形で発表できたなって思いました。当日の会場には私たちのことを知らない方もたくさんいたと思うんですが、皆さん笑顔で楽しそうな表情だったので、それを見てこれからもがんばっていけるなって思いました。
──シングル曲は公演曲とは違ってやっぱり特別感がありますよね。北原さんはどうでしたか?
北原 完全にホームな状態ではないところでの初披露だったので、ある意味リアルな反応だったなと。その中でも「青春時計」はいい反応だったので、自信を持ってお届けできるなと確信しました。
──デビュー曲だからアップテンポでノリやすい曲を勝手に想像してたんですけど、いい意味で裏切られたというか。スローテンポなんですけど冒頭からラップ調で畳みかけてきて、意外性がありますね。
中井 私は「青春時計」でセンターを務めさせていただくことになって、ラップっぽい冒頭のパートも担当することになりました。SHOWROOMでよく自己流のラップを披露してたので私がやることになったのかな(笑)。この曲はAKB48グループの楽曲の中でも今までにない感じが出ててすごくいいなって思いました。サビに向けての盛り上がりが私は好きで、どこを聴いていても飽きないんです。
──シングルの表題曲のセンターに任命されたとき、どう思いました?
中井 私で大丈夫かなって思いました。普段は自信の塊なんですけど、センターというポジションをデビューシングルで務めることになって、周りのメンバーの悔しい気持ちというのもわかっていたし「私でいいのかな?」って考えてしまったんです。でも自信を持ってセンターとしてステージに立たなきゃいけないと思い直して。初披露のときにセンターで見た景色はキラキラしていて、またここに立ちたい、今を楽しみたいなと思いました。
──完成したミュージックビデオを拝見しました。皆さんの劇場がある万代の街の中で撮影されたんですね。エキストラの皆さんも地元の方ということで地元愛に満ちた作品になっていると思いました。
中井 エキストラの方々も一緒に振りを踊ってくれてるんですよ。だからこの曲のときはファンの皆さんも一緒に時計の針を表現したダンスを踊ってほしいですね。
──歌詞の中で好きなフレーズはありますか?
北原 私は大サビの「こんなに好きになっちゃうなんて 僕も今日まで想像しなかった」ってところがもう好き過ぎて。レコーディングのときも感情が入っちゃって泣きそうになりました。片思いする切ない気持ちを歌った曲ではあるんですけど、何にでも当てはめられるので、このフレーズだけでも心に刺さって。確かに何事に対しても「こんなに好きになるとは思わなかった」という気持ちから始まってると思うので、ファンの皆さんにとってNGT48も「まさかそんなに好きになるとは」というところから始まって、大事な存在になれたらと思います。「青春時計」はそれぞれが主人公になれる曲だと思います。
新潟の皆さんに愛されるグループに
──そしてカップリング曲「暗闇求む」では加藤さんと高倉さんがダブルセンターを務めてます。この楽曲は研究生を含む総勢26人で歌唱してるんですね。
加藤 そうです。NGT48のメンバー全員で歌ってます。
──表題曲とは対照的に楽曲としてはもの悲しいイメージがありますが、加藤さんと高倉さんはどんなことを想像しながらこの楽曲に向き合ってますか?
加藤 人間って誰しも闇を抱えていると思うんです。そんな人間の心の中にある闇の部分を隠しながら歌っています。わらべ歌をモチーフにしたダンスもあって、ちょっとミステリアスな印象を抱く方はいるんじゃないかと。
高倉 私は自分の心情に「暗闇求む」の歌詞の意味を重ねて歌うようにしてます。表情とかもフレーズごとに考えながら表現してますね。
加藤 初披露は緊張しましたけど、うれしさのほうが勝っていましたね。「やっと出せるときが来たな」という感じでした。
──同じくカップリング曲の「出陣」は荻野さんがセンターを務めてます。この楽曲では戦場へと向かう決意が歌われていますね。
荻野 この曲には今ま��たくさんオーディションを受けて挫折してきた子だったり、研究生でもセンターでがんばってる子だったりと、挫折を経験しながらも頼もしくNGT48として活動してるメンバーがそろっているんです。デビューシングルのカップリングにふさわしい楽曲になったなと。
佐藤 歌ってるときも目つきが変わりますね。歌詞も戦いを連想させるものが多いので気合いが入りますね。
──そして「純情よろしく」では本間さんがセンターです。この楽曲では恋する気持ちをストレートに歌ってますね。
本間 純情な気持ちが歌詞にストレートに出ています。このユニットはダンスメンバーが選出されているのでダンスにも注目してもらいたいですね。フォーメーションが目まぐるしく変わっていく面白い振り付けになっていると思います。
──北原さんとしては、NGT48のダンスパフォーマンスのレベルはどう見てます?
北原 今、すごいレベルが高いと思います。最初のうちは心配してたところもあったんですけど、単独コンサートでダンス選抜でのパフォーマンスを観て感動しちゃって。「みんな、私を超えていったな」と思いましたよ。
──北原さんはダンスに定評のあるSKE48にも在籍してましたが、彼女たちと比べても今のNGT48のダンスレベルは遜色ないくらいにはなってますか?
北原 負けず劣らずがんばっているので、今後SKE48の誰かと一緒の曲になったときにちゃんと付いていけるくらいのレベルにはなってると思います。一度SKE48と新潟で握手会が一緒になってライブをやったときに、彼女たちがすごいダンスナンバーをやっててメンバーが刺激をもらってました。だからいつか難易度の高いSKE48の曲にも挑戦してもらいたいですね。私は参加しませんけど(笑)。
──シングルでは中井さん、加藤さん、高倉さん、北原さん、柏木さんの5人で「空き缶パンク」という楽曲を歌っています。
加藤 このカップリング曲だけ全タイプのCDに収録されるんです。
中井 曲調がロックなのでレコーディングのときも「もう少し思い切って!」とか「大きな声を出して!」と言われて。すがすがしいくらいに勢いを感じられる楽曲ですね。
加藤 私たち後輩3人が先輩2人の背中を見ながらがんばる、みたいなイメージの曲なんです。
中井 思いきりの強いフレーズが特徴ですね。
北原 私は中井、加藤、高倉の3人には常に頼もしさを感じてます。
加藤 よっしゃ!
──あとは研究生による「下の名で呼べたのは…」が収録されていて、最初のシングルから盛りだくさんな内容ですね。
北原 MVもたくさん撮ったし、ソロでも特典映像を撮りました。1人ひとり監督さんも違うし、メンバーの個性を引き出すものになってます。
中井 メンバーのことを知るには、ソロの特典映像を見てもらったらいいと思います。
──ここからがNGT48の新たなスタートかと思うのですが、グループとして目指す目標は定まってる感じですか?
北原 結成当初から、新潟県と一緒に寄り添いながら成長していきたいと思っているので、今回メジャーデビューするにあたって全国区を目指していきたいんですが、まずは新潟の皆さんに知ってもらいつつ愛してもらって、同時に新潟の素晴らしさを伝えるお手伝いができればなと。具体的な目標としては欅坂46がデビュー1年目で「NHK紅白歌合戦」に��演していることもあるので、私たちもCDを出すからには紅白に単独で出演したいです。私たちのイメージカラーが赤と白なんでぴったりじゃないですか(笑)。
──年末が楽しみです。
北原 気が早いですけど、また年内にCDも出したいですし「青春時計」でいい結果を出して次につなげていきたいですね。
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【アンケート企画】「2016年の3本」その2
年末年始にかけて募集しましたWL年末回顧アンケート「2016年の3本」の後編です。16人の方の印象深かった観劇をご紹介します。
その1はこちらからご覧いただけます。
西村 俊彦 (俳優・ナレーター) ・劇団きらら『ガムガムファイター』(王子スタジオ1) ・劇団だるめしあん『魔法処女☆えるざ(30)』(花まる学習会王子小劇場) ・阿佐ヶ谷スパイダース『はたらくおとこ』(本多劇場) 印象に残った三本は、どれも、今と戦ってる感がありました。 自分の身近な「今」に深く迫ってくる『魔法処女☆えるざ(30)』 社会の「今」を、おじさんを通して描く『はたらくおとこ』 そこに団体の今が重なってきた『ガムガムファイター』 演劇の今日性はジャーナリズムにある、というのもよく聞く話ですが、僕は、むしろ普段光の当たらない「今」だったり、毎日の中であまり意識しない「今」をふと意識させてくれるものが好きだなと、思ったりしました。どの作品も、「どこにも行けない」ような人たちが、どこかに行こうともがいている様を、丁寧に描いていたように思います。劇場を出た後、ほんの少し、世界の見方が変わる、そんな3本を選びました。 (年間観劇本数:55本)
りいちろ (会社員) ・FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』(吉祥寺シアター) ・あやめ十八番『雑種 花月夜』(花まる学習会王子小劇場) ・風琴工房『4センチメートル』(ザ・スズナリ) 音楽劇の当たり年でした。その中から特に心に残った3本を。全作品は観ることができませんでしたが伊藤靖浩「一人芝居ミュージカル短編集vol.1」なども圧巻。どの作品も、ストレートプレイでは表現しえない作意を新たな感覚として渡すオリジナル楽曲の力があり、その世界のふくらみに心を満たされました。 今年一番強い印象が残ったのは座・高円寺1での「残花-1945 さくら隊 園井恵子-」、丁寧に描かれた時間とそれが滅失する一瞬の光と静けさ。舞台から訪れた静謐で抱えきれない衝撃は忘れ得ないものでした。 優れた中・短編にも巡り合えた一���、劇団競泳水着のリーディング公演「ある盗聴」 /「復讐と美味しい料理は後を引く」、第27班番外公演「どこまでも行けるのさ」(短編2本×3の上演)、チタキヨ「ショーツ」、日本のラジオ「ムーア」など、戯曲の企みがこれまでにない味わいで観る側を虜にする作品が数多くありました。 (年間観劇本数:300本強)
かいらくえんなつき (演劇ウォッチャー) ・ハイバイ『おとこたち』(三重県文化会館、ロームシアター京都) ・木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』(愛知県芸術劇場 小ホール) ・追手門学院高等学校『あゆみ』(大阪市立芸術創造館) 若者と言えなくなりつつある年のせいなのか、はたまた、そこまでの作品に出会えなかったのか、不感症といってもいいぐらいに心を動かされることが少なかった今年、それでも心を動かされてたまらなくなった3本を選んだら、いずれもリメイク・再演作品になりました。 保守的な人間になんかなりたくない!新しく、刺激のある、心震わさられる作品に来年はもっともっと出会いたいです。 (年間観劇本数:たぶん150本くらい。)
須川 渡 (研究者) ・維新派『アマハラ』(奈良 平城宮跡) ・シャンカル・ヴェンカテーシュワラン/シアター ルーツ&ウィングス『水の駅』(京都芸術劇場 春秋座) ・大阪芸術大学舞台芸術学科『真田風雲録』(兵庫県立芸術文化センター) そのほとんどは関西で観劇した作品でした。 惜しまれつつも最終公演となった維新派『アマハラ』はこれまでの維新派作品を反芻しながらの観劇となりました。屋台村もいい思い出です。 『水の駅』は、太田省吾氏の沈黙劇がインドの社会や文化的背景と見事に調和していたという驚きも含めて。海外との共同制作という意味では、鳥の劇場で行われた『麦克白!맥베스!!マクベス!!!』も印象に残りました。 今年は実践系の大学の公演を観る機会が多く、その中でも面白かったのは大阪芸大が行った『真田風雲録』。内藤裕敬氏の演出と学生のエネルギー、客席に若い人が多かったこともあって、活気のある舞台でした。かつての関西演劇の熱気とはこのような雰囲気だったのだろうか、と思わせてくれました。 (年間観劇本数:98本)
高野 竜 (劇作家・演出家) ・劇団石(トル)『在日バイタルチェック』(在日大韓基督教川崎教会) ・日立一高演劇部『白紙提出』(同校旧定時制給食室) ・多摩南中等教育学校演劇部『幕があれへん』(同校特別講義室) 演劇のための安定した演劇でなく、それぞれの内的必然と社会における立場とを咀嚼しアピールする方法として手法から見直して再構築した演劇のスタイルに到達している3本。幾世代にもわたる在日朝鮮人生活者の生の言葉、性同一性嗜好のカミングアウトに関する懊悩、悪意と退廃にまみれたネットスラング世界を演芸として身体に落とす方法、がそれぞれのテーマだった。いずれも愛を表明し、同時代性に充ち、かつホームシアターと客層を確保している。メタ演出にも借景演劇にも堕さない、見事な空間の立ち上がりを見せていた。 (年間観劇本数:31本)
山城 秀之 (活動写真弁士・紙芝居屋) ・パンダジョッキー+ドリルチョコレート『奴らの影踏む千葉』(シアター711) ・日本のラジオ『ゼロゼロゼロ』(スタジオ空洞 ) ・有末剛緊縛夜話『魔法少女 喪失篇』(ザムザ阿佐ヶ谷) 1本目は今頃なんで克美しげる? と思ったが途中からそんなことどうでもよくなったくらい面白かった。 2本目、劇場の無機質な佇まいごと世界を作り上げていて唸った。 3本目、生緊縛に尽きる。 今年の演劇の動向は、私ごときにはまったくわかりません。見えてもきません。 (年間観劇本数:37本)
片山 幹生 (WLスタッフ) ・国分寺大人倶楽部『ラストダンス』(シアター711) ・村田女子高校演劇部『MORE』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・京都造形芸術大学『繻子の靴』 (京都芸術劇場 春秋座) ベスト3というより、一年の観劇生活を振り返ってみて自分の記憶に強く残る作品を3本選んだ。国分寺大人倶楽部はこの公演で解散となった。生きることに付随するみっともなさに向き合い、だらしない日常を執拗に描き出しつつ、その生活のゴミ溜めの向こう側にこそ確認することができるような愛と希望を提示し続けたこの劇団の芝居が私は大好きだった。村田女子高校の『MORE』は高校演劇東京都大会で見た作品。彼女たちは自分たちの「女子高生」性を分析し、濃縮し、それを演劇的なかたちで見事に再構成していた。京都造形芸術大学の『繻子の靴』の全曲公演は、フランス演劇の研究者・翻訳者でもあり、演出家でもある渡辺守章の演劇人生の集大成となる公演だった。朗読を交えた上演形式となったこと、翻訳の難解さなどの問題点はあったけれど、20世紀フランス演劇の金字塔であるクローデルの大作がこうして日本語で公演��れたことの意義は極めて大きい。 (年間観劇本数:126本)
なかむら なおき (会社員) ・飴屋法水×本谷有希子 『 』 (VACANT) ・月刊「根本宗子」『バー公演じゃないです。』 (劇場HOPE) ・ディレクターグ『女優の魂、続女優の魂』 (アトリエ春風舎) 作り手の気持ちがとても伝わったものとすぐ浮かんだ3作を選んでみた。 2016年も色々な作品を楽しむことができました。それだけでなく芸術公社の座学やゲンロンでの対談、F/Tのサポーターによる発表、など公演でなく演劇を感じる機会も多かったなと。さて2017年はどのような劇的な体験ができるのか、それがとても楽しみである。 (年間観劇本数:100本くらい)
でんない いっこう (自由業) ・ロべール・ルパージュ『887』 (東京芸術劇場 プレイハウス) ・ハイバイ『夫婦』 (東京芸術劇場 シアターイースト) ・鄭義信『焼肉ドラゴン』 (新国立劇場 小劇場) ①題名がいい。詩の朗唱の依頼を受けた俳優が練習しながら過去の自分へと記憶を辿る。美しいアパートの模型。映像で知らせるリアル。家族や友人との会話。切り離せない社会現象。形作られるバックボーンを様々な手法で魅せる。 ②実に面白い会話劇。アルアルアルっていう密着感。夫の進めてきた体に優しい腹腔鏡の手術を受けその傷跡を息子に見せる母親。母親役の山内圭哉のラストが何とも言えず可笑しい。 ③底に流れる脚本と俳優陣に暖かいものが満ちている。だから、末っ子が屋根から姿が消えるのが引き裂かれるように切ない。 他に『エダニク』『ゴド―を待ちながら』『ヘンリー四世』 (年間観劇本数:51本)
中西 理 (シアターアーツ編集委員) ・青年団リンク キュイ『止まらない子供たちが轢かれていく』『不眠普及』(アトリエ春風舎) ・マレビトの会『福島を上演する』(にしすがも創造舎) ・青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』(こまばアゴラ劇場) 平田オリザの青年団所属の若手による公演が上位を占めたのは単なる偶然ではなく、現在、現代演劇の最前線の動きの中核にあるのが、彼らであると考えているからだ。 現代演劇の新たな才能を輩出してきた青年団周辺で次の世代を担う才能を感じさせたのが綾門優季(青年団リンク キュイ)と山田百次(青年団リンク ホエイ)だった。綾門による「止まらない子供たちが轢かれていく」「不眠普及」(2本立て公演)、山田の「麦とクシャミ」にはいずれも刺激的な舞台で今後の彼らの活躍が期待されるものだった。 一方、松田正隆の「福島を上演する」はまだ試行の途上であるとも思われ福島���対するアプローチの手法も賛否両論を引き起こしたが、平田オリザとは異なるアプローチの新たな会話劇を模索するもので私は大いに評価したい。 (年間観劇本数:250本)
KEIKO TAKAHASHI (会社員) ・劇団☆新感線『乱鶯』(梅田芸術劇場) ・シアターコクーン オンレパートリー『元禄港歌』(シアターBRAVA!) ・劇団壱劇屋『シャドウ・トラフィック』(ABCホール) 今年観た舞台は57本。ほとんどはミュージカルなのですが、ストレートプレイから、今もアリアリと場面が思い出せる3本を選びました。 劇団☆新感線の「乱鶯」は救いようのない悲劇だったけれど、終幕で、全ての黒幕だった男を待ち受ける主人公と、何も気づかずに(或いは全て心得て?)スイカを下げてぶらぶらと彼のもとへ向かう男の佇まい、劇場に満ちる緊迫感に痺れました。 「元禄港歌」は、猿之助丈の凄さに尽きます。。。 「シャドウ・トラフィック」は関西の「劇団壱劇屋」の作品。身体能力が高い集団で、明滅する照明、トランス系の音楽、異様な世界観・・・スタイリッシュな作品でした!(年間観劇本数:57本)
吉植 荘一郎 (舞台俳優) ・ワジディ・ムアワッド「火傷するほど独り」(静岡芸術劇場) ・重力/Note『かもめ』 (テルプシコール) ・京都造形芸術大学『繻子の靴』 (京都芸術劇場 春秋座) ・火傷するほど独り…「炎 アンサンディ」や「沿岸 頼むから静かに死んでくれ」の作者は、俳優としても恐るべき人だった! ・かもめ…俳優が力をつけてきて、演出家の意図を具現化できるようになってきた期待のユニット。前年の「イワーノフ」の方が純粋に楽しめたかも。 ・繻子の靴…リーディング公演みたいになっていたのは意外だったけど、こんな巨大な戯曲があったのかと驚いた。いつか全貌を見てみたい。 (年間観劇本数: たぶん20本程度…。 )
平井 寛人 (学生) ・FUKAIPRODUCE羽衣『愛いっぱいの愛を』(パルテノン多摩 きらめきの池ステージ) ・シラカン『悠然とそびえる』(多摩美術大学) ・ロ字ック『荒川、神キラーチェーン』(東京芸術劇場 シアターウエスト) どれも、この時代におけるそれぞれの一つのピークを示していた。それは作家にとって、描き出す事、制作に成功した事であると私は思う。独我的でありながら、私たちが置いてけぼりを食わないような快作。客として、そうした成功作に立ち会え、この三作から感動を覚えたので選出する。 (年間観劇本数:15本)
しば まさよ (アルバイト、演劇の勉強をしています。) ・チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』(ロームシアター京都 ノースホール) ・鄭義信『焼肉ドラゴン』(兵庫県立芸術文化センター) ・鈴木忠志『世界の果てからこんに��は』(利賀芸術公園野外劇場) 2016年は様々な国の作品を観ることができました。選んだのは印象に残った作品ですが、後から見返すと国や文化的背景を感じるもので、記憶に残って離れない作品、観終わってから却ってしんしんと迫ってくる作品です。こんな力が演劇にあるとは思わなかった、そんな作品がたくさんあり発見の年になりました。 お客さんもそれぞれに特徴があって、客席や待合で聞こえてくる会話、幕開けを待つ間の数分に客席を満たす雰囲気などもコッソリ楽しませて頂きました。 もっと演劇作品を多くの人に観てもらいたいなと感じています。 (年間観劇本数:45本(能・歌舞伎含む) )
望月 正人 (観劇人) ・On7『ま○この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス』(KAAT) ・FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』(吉祥寺シアター) ・パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE羽衣『愛いっぱいの愛を』(パルテノン多摩 きらめきの池ステージ) 2016年はジェンダーにまつわる芝居に数多く接した。その代表として選んだのが、On7の『ま○この話』。自らの体験も交えながら赤裸々な表現に挑んだ7人の女優。そして生々しい話をスタイリッシュにまとめた谷賢一の演出と、美術や照明などのスタッフワークが光る。ジェンダー絡みの作品では、世田谷パブリックシアターの地域の物語『生と性をめぐるささやかな冒険〈女性編〉』も、参加者の圧倒的リアリティに打ちのめされる、素晴らしい公演だった。 FUKAIPRODUCE羽衣の『イトイーランド』は、羽衣の集大成的な大作。文句無しに楽しい祝祭的妙ージカル。 『イトイーランド』が円熟の作品なら、オーディションで選ばれた初参加メンバーが半分以上を占めた『愛いっぱいの愛を』は、巧拙を超えたヒリヒリするような生のリアリティに満ちた作品。とりわけ「茜色水路」の壮絶な美しさは、この年最も魂を揺さぶられたパフォーマンスだった。 (年間観劇本数: 数え方にもよるが延べで112本)
小泉 うめ (観劇人・WLスタッフ) ・TCアルププロジェクト『人間ども集まれ!』(まつもと市民芸術館) ・泥棒対策ライト『日々ルルル』(三鷹市芸術文化センター 星のホール ) ・ウミ下着『いつか みんな なかったことに』(KAIKA) 全体的にはベテラン陣の活躍が目立った。戯曲、演出、演技ともにその貫録を感じる作品が多く、そのおかげで安定感のある一年だったと思う。 若手・中堅陣からは「どうしてこれが初演時に各戯曲賞の候補にあがらなかったのか」とあらためて思うような優れた作品の再演が多かった。新作戯曲については現在準備の進んでいる話を聞いているものに楽しみなものが多く、2017年に大いに期待したい。個人的にはドラマへの回帰、もしくはポスト・ポストドラマ的な作品の出現を待っている。 3本については多くの観客に知って欲しいという思いで選んだ。2016年という今を象徴するような作品であったとも思う。ウミ下着は関東に、泥棒対策ライトは関西に、TCアルプは東西に紹介したい。それを求めて現地に向かう観客のフットワークと彼らがツアー公演できるような環境の充実を希望している。 (年間観劇本数: 366本)
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■欅坂46全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」についての在宅の感想
▼9月10日放送「欅って書けない?」は、欅坂46の夏の全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」のライブ特集だった。
▼いわゆる「在宅」の自分にとっては貴重なライブ映像(の一部)が観られ満足だった。けれど、同時に、いろいろ考えさせられ、いろいろと書きたくなってしまった。「現場に行ってないヤツは黙っとこう」と思っていたが…やっぱり欅ちゃんの表現をみると書きたくなってしまう…
▼いや、在宅にとってもこの8月は毎日、心が休まらない状態だった…
▼「今日は、てちは出るのか?」「出たとして完走できるのか?」「TIF観てらんない…」「福岡のサプライズ抱きつきからの、ロッキン復活!ドラマかよ!」「と、思ったらなんで名古屋は……もうワケわからん!」
▼まとめサイトなどを観る度、一喜一憂、激落ち激上がりだった…
▼それと当時に、「このツアーをどうとらえたらいいのか?」「彼女たちの表現をどうとらえたらいいのか?」と、8月が終わってからも頭がグルグルグルグルと回っていた…。
▼それにツアー後のメンバーからの熱いブログを読んで心が揺さぶられることも多かった。
▼いや、表現というが、自分が体験しているのは「表現」なのか?もはや「呪い」や「オカルト」の類ではないのか?そんなことすら思っていた…
▼「このツアーをどうとらえたらいいのか?」。少なくとも4つくらいの観点があると思っている。どこから見るかで評価も変わるだろうと思う。
①「ライブ間の格差をどう考えるか?」
②「プロとしてどうか?」
③「不測の事態にどうするのがベターだったか?」
④「表現として刺激されたか?」
▼①について。ネット上でも、「平手不在の名古屋公演と、特別な演出の幕張千秋楽とでは、あまりにも格差が大きすぎないか?」という声があった。
▼これについては「正しい」か「正しくない」かで言えば「正しい」とは思う
▼だから「振替公演が欲しい」と思う人は、声を上げてみたらいいだろう。
▼とはいえ、自分的には「格差だ!」「不満だ!」と言うよりも「欅ちゃんのピンチは俺らが盛り上げて8000円分の空間���作ってやるぜ!」くらいの気概が持てないかよ、と思う。逆に「アイツらが盛り上げたから幕張があるんだぜ!」と評価されれば、幕張に行った人だって「ありがとう!」って感謝するだろうに、と思う。もちろん気概を持ったファンも多かったのだろうけど。
▼②について。「プロなら完成形を見せろ!見せられないならプロじゃない!金を返せ!」という考えはある。それは一般論ではそうなんだろう。しかし、アイドルには「未完成から完成へと育って行く様を一緒に応援しながら楽しむ商品」という側面もある。「そこに納得できないならアイドルファンは向いてないんじゃないの」と思ったりもする。
▼とはいえ、これは実は結構面倒な問題だ。というのも、アイドル本人が「ウチらは不完全なんだからプロプロ言わないでよね!」と開き直るわけにはいかない。だから本気でやる(実際、メンバーの何人かも「プロ失格でした」とツアー後のブログで書いている)。しかし、不完全なのだから無理が出てくる。だから疲弊する。病んでしまう…この構造を本質的に抱えた存在をどう考えるのか?という所にぶち当たる。
▼これについて考え始めたら長くなるので、別のところで考える。さしあたっては市場原理に任せる。「こんな不完全すぎるヤツらはもう応援できないよ!」という人が多ければ動員数は減る。逆に「大丈夫!全然応援するよ!」という人が多ければ動員数は落ちない。この結果を見ながら考えたらいいだろう。
▼③について。ツアー中、ネット上ではいろんな意見が飛び交った。それを読みながら、自分も、ああでもない、こうでもないと考えさせられた。
▼今回のツアーの不測の事態はセンター平手友梨奈の体調不良から始まった。
▼ではこの「体調不良」とはどんな状態なのか?これについては発表がないので何ともいえない。しかしながら、失礼を承知で妄想する(ごめんなさい)。
・8/13 OA NHKラジオのSEKAI NO OWARI×平手友梨奈対談で「4月6日のアニバーサリーライブのアンコールの際、過呼吸状態となり死んだ顔で歌っていた」と平手はコメント。
…などの発言から推測すると、おそらく緊張すると過呼吸のような状態になり、息苦しくなって、体が思うように動かなくなる…というようなことなんじゃないかと思う。
▼だとすれば「数日休めば体力回復」という訳にはいかない。いつそうなるか分からないので「今日はライブに出られるか?」は直前まで分からないし、ライブに出られたとして「完走」できるかも分からない。
▼この条件の中で、どうするのがよったのか?ざっとあげても…
A:平手は出られるところまで出し、リタイアしたらセンターを空けて表現。
B:平手は出られるところまで出し、リタイアしたらセンターを誰かが代理。
C:平手は出られるところまで出し、リタイアしたらセンター持ち回りで代理
D:平手は出さずに、センターを空けて表現。
E:平手は出さずに、センターを誰かが代理。
F:平手は出さずに、センターを持ち回りで代理。
G:ライブ中止→平手回復後、後日振替公演
▼これだけある中で、どうすればよかったのか?誰にも「正解」は言えないだろう。個人的にはCがいいのかなあとは思った。「ピンチはチャンス」の論理でいけば、メンバーがセンターにチャレンジできる貴重な機会でもあったのだから。後の成長にもつながるし。
▼しかし、実際にはどうだったのか?経緯が分かりそうな発言を抜き出すと…
・8月16日、名古屋1日目公演MCでの菅井友香MCでの発言。「今ここにいない平手ですが最後の幕張まで一緒に走り抜けたいと私たちと話しています。」
・8月18日の菅井ブログ。「てちはツアー期間中、必死に自分と向き合ってリハーサルを続けてくれています。私たちメンバーのことをいつも思ってくれているんだと感じている。」のコメント。
・9月5日の齋藤冬優花ブログ「平手がいなかった名古屋初日を終えて私も何度も考えました。明日の名古屋2日目も平手が出演できないのならば、今日と同じセンターのポジションを空けてパフォーマンスをするのか それとも誰かがセンターを務めるのか。(中略)…でも結論はでなくて。みんなで平手の元に向かいました。」のコメント。
▼これらから考えて…
・平手はメンバーたちとツアーを最後までやりきりたかった。
・だからリハーサルにも出続けた(なので「ふてくされ説」は違うと思う)
・それをみて、少なくともD以下の選択肢はないと、メンバーたちは思った。
・しかし、名古屋初日に平手は出られなかった。
・この時、平手は「こんな体で、みんなとツアーをやりきると言い続けることは迷惑なんじゃないか」と考えるようになった(のか?)。
・しかし、メンバーたちと相談するうち「迷惑ではない。むしろ出られるだけセンターで出てほしい。全力でフォローする」という話になった(のか?)。
・実際、コンサート中は、平手にちょっかいを出して笑わせ、緊張をほぐすなどメンバーたちも工夫に工夫を重ね、センターの彼女をフォローし続けたようだ。
▼結局、「平手が出られなかった時はどうするつもりだったのか?」についての合意はないままだったようだ。「運よく平手が出られたからなんとかなった」ともとれる。
▼これに対して、「お前ら違うよ!」とは自分は言えない。今は「みんながそう思ったんならそれでいいよ」という気持ちしかない。しかし現場で観た人からすると違う意見もあるかもしれない。それはそれで耳を傾けてみたい。
▼ちなみに、「欅坂は選抜制にしてないから層が薄くなっていた。だからこういう時にボロが出る」「平手一強体制のリスクが明るみになった」みたいな意見も多かった。
▼し���し、「それを今言われてもなあ…」と思っていた。(注1)
▼④について。いや、このことがメインで書きたかった!「刺激を受けたか?」といえば、刺激を受けまくった!!こんなクレイジーな表現をするグループは今の日本じゃどこにもいないだろう。いや、これは表現ではない。何ととらえてよいかすらもわからない。もう何なんだ、これは!?
▼これについて書くには、こちらもクレイジーにならなくてはならない。クレイジー全開でいく。
▼ツアーだけではない。この4月からの欅坂は一体、どうなっているのか?と思わされることの連続だった。
▼もともと、欅坂の表現は「現実をフィクションに引きずり込んでいく」ところがある。
▼たとえば、あの独特のデザインの制服。あれは学校のものというよりも、ライトノベルや、ロボットアニメに出てくるものに近い(「エヴァンゲリオン」「ガンダムSEED」など…)。
▼あれを着ることで、生身のアイドルはいわば半分だけ「キャラ化」する。キャラというフィクションの世界にリアルのアイドルが引きずり込まれる。
▼いわば「2.5次元舞台」が、コスプレなどを駆使し、2次元のキャラクターを3次元化する表現だとすれば、欅は「逆2.5次元」的だ。3次元のアイドルを2次元のキャラにするのだから。(注2)
▼また、センター平手友梨奈のたたずまいも「キャラ的」だ。「漫画の主人公っぽい」「リアル綾波レイ」などと言われることも多いし、実際「HUNTER×HUNTER」のキャラにもなってしまったw
▼ちなみにドラマ「残酷な観客たち」も「逆2.5次元的リアリティ」で描かれた作品だとしてとらえると読み解けるような気がしている。
▼こうしてリアルのアイドルが「キャラ化」されるからこそ「大人たちに支配されるな!」「軍門に下るのか!」などの芝居がかったセリフを歌っていても聴けてしまう。
▼ちなみに欅に関し「大人たちへの反抗を歌ってるけど、本人たちはそんなこと思ってないんだろう。言わされてるんだろう。」という批判がある。だが、「キャラ化」した彼女たちは、握手会で会えるリアルな彼女たちとは「違う存在」になっていると思えば、この矛盾も解消するだろう。
▼それだからというべきか。この4月以降は、まさに「現実がフィクションに引きずり込まれていく」展開の連続だった。今回のツアーに関し、「生身のアイドルの疲弊を物語化することには慎重であるべし」という、それはそれで「ごもっとも」な批評も出ていたが、事態はそれよりはるかに複雑怪奇だ!
▼以下、4月以降の展開を順を追って書いていく。
▼4月5日。シングルデビューから2年目を迎える中、4thシングル「不協和音」リリースされる。MVやステージ上のパフォーマンスからみて、おおよそ以下のことが描かれていた。
・「忖度政治が蔓延し、同調圧力に支配された世の中にモノ申すアイドル」として颯爽と登場した欅坂46は、その特異なスタイルから、アイドル界の(いや、今の日本にとっての)「不協和音」的存在となった。
・それゆえに目新しさに注目が集まるとともに「だまっとけ厨二病が!」「大人に言わされてるやつが支配されるな!とか笑わせるぜ!」など賛否両論にさらされることとなった。
・特にグループの一番目立つ位置にいる平手には賛も否も含めて多くの意見が集まるようになった。それゆえのプレッシャーも大きくなった(だろう)。
・だが、そうやって世間から撃たれ、倒れながらも、メンバーは団結し、ディフェンスしながら前へ前へと進んでいく。「自分を主張しろ!」と胸を突き出しながら進んでいく。
・それでも集団のメンバーは、24時間同じ意見ではいられない。だから団結した集団の中でも意見の分裂がある。
・しかし、それでも不協和音をおそれず意見をぶつけ合い「人はそれぞれバラバラだ」を認め合えた時、集団は再団結できる。その時にこそ、暗闇に包まれていた「閉じた空間からの脱出」が成功する。
・それは既存のアイドル界からの脱出であるとともに、今の「悪い空気が支配する」日本社会からの脱出でもあるだろう。
▼倒れ→仲間の力で起き上がり→また倒れ→再団結し起き上がる…そんな姿が強い歌詞と、心をザワつかせる不穏な音楽で表現されていた。
▼だがその後、不協和音での表現をなぞるように、平手友梨奈は突如、声が出なくなり活動が制限されてしまう(倒れ)。5月13日の握手会で、声が出なくなっていることが知らされた。
▼それでも、6月22日、TOKYOFMのラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!(神回!)」にてメンバーたち(志田愛佳、柿崎芽実)の団結力により彼女は「声を取り戻す」(仲間の力での起き上がり)。
▼しかし…6月24日、ラジオから2日後の握手会にて、彼女を狙う男により「あと3mで…」という命の危険にさらられる(再度の倒れ)。いわゆる「悪夢の握手会発煙筒事件」。「自分の思う彼女の理想像から、今の彼女が変わっていくのが見ていられなかった。彼女を救いたかった」といったような理由だった…。
▼それと同時期である7月10日。ファーストアルバムのリード曲「月曜日の朝、スカートを切られた」がラジオ番組にてOA.そして18日には、同曲のMVが発表される。おおよそ以下の内容だ。
・オリンピックのお祭り感(60年代)、セゾングループらが仕掛けた広告都市のお祭り感(80年代)、ストリートからブームを生み出すギャルたちのお祭り感(90年代)…渋谷の街はいつも「輝き」と共にあった。
・しかし、2010年代を生きる女の子たちにとって、そこは「祭りの後の残骸」にしかみえない。自分たちとは関係のない、誰が誰のために行っているのか分からない再開発が続く街にしかみえていない。大人は一体、何を「開発」しているんだろうか?
・そんな場所で生きていても何の実感も湧かない。東京五輪のための街の再開発でできた渋谷川のほとりを歩いても、ストリートの遊び場であるクラブに行っても…「つまんないね」という気持ちしか湧いてこない。
・にもかかわらず大人達は「友達を作りなさい」、「努力は報われますよ」、この世界は生きる価値がありますよ、と女の子たちに言って来る。
・しかし、そう言っている自分達が、自分達の言っていることに耐えられなくなり、ストレスをため込んでしまう。そして、「この世界は生きる価値がありますよと言ってるじゃないか!なのになぜお前らはそのように振舞わない!?なぜそんなに無気力なんだ!」と、怒りを爆発させてスカートを切ってくる。まるで自分の言っていることに耐えられなくなった「もう1人の自分」を切りつけるように。
・なぜ自分達の思うイメージどおりに振舞わないとそんなに怒るんだ。そのイメージはリアルな自分らと違う。自分はここにいる。あんたは私の何を知る!
・もうスカートを切ってくる大人だけの問題じゃない。もう全てがおかしい!この全部を覆す!かつてこの場所に「輝き」があったというなら覆して取り戻す(新たに作る)!こうして、女の子(たち)は革命服に身をまとい社会全体へのレジスタンスに乗り出すのだった…
▼「自分のイメージどおりに振舞わないから」と、ストレスをため込んでか斬りつけてくる大人がいる…
▼明らかに6/24の事件を連想させる曲だ。しかも「あんたは私の何を知る!」というアンサーまで用意されている!それゆえ「スキャンダラスだ」という印象を持った人も多かっただろう。だからというべきか、曲の発表後、過去にスカートを切られる被害に遭った女性から「この曲は不謹慎ではないか?」という問題提起の署名運動も起きた(それへの自分の意見は別記事に書いた)。
▼しかし、実態はどうか。おそらく6/24の時点で「月スカ」はすでに完成していたはずだ。でないと7/19のアルバムリリースに間に合わないだろう。
▼とすれば、事件が起きたから、それを「取りこんで曲を作った」のではなく、「曲をなぞるように事件が起きた」と言うべきではないか。逆に言えば「現実がフィクションの世界に引きずり込まれた」というべきではないか。
※この事件のことをこういう文脈で書くのはいいことではないとは思う。けれども避けて通るのもおかしいと思った。いうまでもなく事件については最悪だと思うし、ファンとして腹が立っていることはいうまでもない。
▼また、これと前後して7月1日、SHOWROOMにてメンバーの菅井友香、長濱ねる、佐藤詩織、齋藤冬優花のトークが配信された。その際、長濱が菅井の話をスルーし続けたことや、「22歳なのにそんなアイドルポーズしてヤバくない?」などと発言したこともあり、「長濱は菅井をいじめている」として「炎上騒ぎ」が起きた(それへの意見も別記事に書いた)。
▼彼女への怒りのコメントは、ちょうど同時期の7/5日にアップされた4thのカップリング曲「エキセントリック」のMVのコメント欄に集中投下された(曲自体は4/5にリリースされている)。ホントにひどい言葉が山のように書かれている。
▼なお、その「エキセントリック」で歌われていたのは…
・「あいつがああだと言っていた」という根拠のない噂が広まることで、「本人も知らない僕」ができあがる世の中に、今自分は生きている。
・そんな世の中では、「違うんだよ」と訂正したところで、また別の憶測に基づく「��の自分」が、再度生み出されるだけ。
「もうそういうのうんざりなんだよ」…
・それならば僕はもう心を閉ざして交わらない。「変わり者」と言いたいなら言ってくれ。…という内容。(※より詳しくは別の記事に書いた)
▼SHOWROOMの配信そのものよりも、その後にアップされた、一部のシーンを切り取り編集してある動画の方が、炎上への影響力は大きかったと思われる。その動画は「【炎上?】長濱ねるが菅井友香をいじめているという問題の動画」と中立を装うタイトルがついているが、火を煽っているのは、むしろこの動画だろう。
https://www.youtube.com/watch?v=lfF-yUoiUlU
▼そして「一部」をみて「全体を知った気になった」ネットユーザーたちは、誹謗中傷の嵐をMVのコメ���ト欄にぶつけることとなった。
▼なお、当の本人たちは、オフには一緒に食事にも行き、古着屋巡りもするなど、姉と妹のような関係を築いている……。
▼これも「フィクションの世界に現実が引きずり込まれた」一例だろう。
▼そして7月22日、23日には、初のワンマン野外ライブ「欅共和国」開催。
▼「伝説」とも言われる神がかり的なステージを展開した。
▼しかし…その直後から、事態は急展開をみせる。「倒れ→仲間の力で起き上がり→また倒れ…」という不協和音のパフォーマンスをなぞるように、平手が体調不良となってしまうのだった。
▼8月2日、ツアー初日開始。場所は神戸。だが、初日から事件は起きる。
アンコール前に平手が体調不良により倒れてしまった。突然のことにメンバーも顔面蒼白となってしまう。泣き出す者も。そして、キャプテン菅井が舞台裏で発した「てち、ヤバいかも」の声が、マイクを伝って観客に漏れ聞こえてしまうというパプニングも…結局、センター不在のまま「サイレントマジョリティ」が披露された…
▼8月3日、ツアー2日目。平手はなんとかステージに上がったが、体調は明らかに悪そう。皆に心配されながら、アンコールにも登場ぜす…という状態。
▼8月5日、「世界最大規模のアイドルフェスw」であるTIF2017(トーキョーアイドルフェスティバル)に出演。パフォーマンスの模様はTVでも中継されたが、そこでも、あきらかに体調の悪そうな平手の姿が。このことはネットニュースなどでも話題にされ、彼女の容体や運営の体質などを巡り、憶測や批判の声があがった。
▼8月9日、福岡公演。この日も、アンコールには登場せず。
▼8月10日、福岡2日目。この日も途中まで、体調の回復はみられなかったが、ライブ途中��メンバーが一斉に平手に「大好きだよ!」と抱き着くというサプライズ演出が。これにより、笑顔を取り戻す平手。
▼8月12日、日本最大のロックフェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」に出場。5万人以上が詰めかけるという「グラスステージ」を任されるが、福岡で絆を再確認し、復活を遂げた平手と欅メンバーは、9曲をパフォーマンス。欅坂のことを知らない観客も多い「アウェー」なステージを見事に乗り切った。
▼だが…8月16日、名古屋公演初日。復活を果たしたはずの平手が急きょ欠席…センターポジションを空けたまま、ステージが展開した。なお、前出の齋藤ブログによれば、この日の夜、「明日以降をどうするか?」について、平手も交え、メンバー全員で議論。大人を入れずメンバーだけでの長時間の話し合いの末、「平手には行けるところまで行ってもらう。その間、メンバー全力でサポートする。」という合意が出たよう。ただ、平手がリタイアした時にどうするつもりだったかは不明…
▼なお、この平手欠席は、ネットニュースなどでも報じられ、またも賛否の意見がネット上で飛び交うことに…
▼8月17日、名古屋公演2日目。平手登場でステージ。この頃から、平手にメンバーがちょっかいを出し、緊張を和らげるなど、工夫も見られだすように。
▼その後、19日のロックフェス「SUMMER SONIC 2017」、22/23日・仙台、、24日・女性限定のファションイベント「Seventeen夏の学園祭2017」のミニライブ、25日・新潟…とライブを展開していく。この間、平手リタイアは、仙台初日のラストの一部を除き、なくなっていく。
▼そして29/30日、千葉幕張にてラスト2daysを迎えることとなる。
▼ライブの内容はどんなものだったか?「けやかけ」でライブの一部を観た感想としては、あいかわらずのカッコよさや、各ユニットのバラエティ感、今泉登場サプライズなど、盛りだくさんでまぶしかった。
▼今回のアルバム曲を聴くと「かつて輝き(真っ白なもの)があった。だが、今、目の前にその輝きはもうない。そのうえでこれから先をどう歩いていくか?」というモチーフを持つものが多い。※これについては補足記事でもう少し書く。
▼だが、ライブは輝いていた。「かつて輝きがあった」…もしそうなら、「今ここ」にだって作れるだろう!と言わんばかりの輝いたステージだったように思う。���ブルアンコール前までは…
▼そう、ダブルアンコール以降のパフォーマンスは、それまでのステージとは打って変わったクレイジーな展開となった。
▼自分も、ネットで実況をみている時点では「何が何やら……」という感じだった。ただ、ものすごく狂ったことが起きていることだけは感じ取ることができた。
▼その後、いろんな情報に触れるにつれ、その大まかな流れは理解できた。
▼ダブルアンコール後…ステージにはフードを被って顔を隠した黒いパーカーに白いギターの人物が。平手友梨奈だった。
▼平手は手にしたギターを弾き始める。曲は「自分の棺」。
▼かつて「輝いた時」を共に過ごした男に捨てられ、絶望する女の子がいる。彼女は「輝き」など信じたことが罪だったと言う。そして、そんな自分への罰として、「自分など業火に焼かれ灰になればいい」と願い始める…「なにも、そこまで思いつめなくてもいいんじゃないか?」と思うくらい壮絶な歌だ。
▼その壮絶な歌を、あぐらをかき、ギターを破壊し、そして舞台中央に並べられた松明に囲まれて、熱唱する平手。
▼そして歌い終えた後、彼女は文字どおり、松明の炎に焼かれ、死んだようになり「灰」になる。
▼すると、舞台そでからは、同じく絶望し、フラフラと力なく歩くメンバーたちの姿が。
▼「不協和音」のピアノ伴奏が物悲しく鳴り響く中、彼女たちは、「燃え尽きた平手の灰」をつかんで互いにぶつけ合いながら、それまでライブで着ていた「真っ白なものは汚したくなるTシャツ」をビリビリと破り始める。(我らがしーちゃんは破れず…ww)
▼「輝かしい時」などもう消えたのだ。灰になったのだ。それを再び取り戻そうとする「革命」など、センターの死とともに消えたのだ。だから、「真っ白なものをあえて自らの手で汚すこと」=「自らの選択で汚すという“自由”を手にすること」=「輝きを取り戻すこと」など、切り裂いてしまうしかないのだ…。
▼そんな絶望的な争いの光景が展開する中、それを止めようとしてか、死んだはずの平手はフラフラと起き上がり、舞台に設置された階段をよろよろと上っていく。「争いはやめよ!」「まだ自由は…」とでも上から叫ぶつもりだったのか…
▼だが、のぼり切った瞬間、突然銃声が!平手は撃たれて、またも崩れ落ちてしまう…。
▼今度こそ「輝かしい時」は、「自由」は、消えてしまったのか…
▼と、その瞬間…「不協和音」の前奏が鳴り響く。すると、最後の力をふりしぼりメンバー全員が立ち上がる。そして団結力で、自由が消えそうになっている世界に立ち向かうべく全力で歌い、舞い、踊る。
▼さらに、声を振り絞り叫ぶ「僕は嫌だ!!!」
▼そしてラスト…中央のモニター画面には、顔中血まみれになりながら、狂気の笑みを浮かべる平手友梨奈の顔が大きく映し出され、唐突にショーは終了する…
▼奮闘しつつも燃え尽きて灰になる平手→センターを失って進む方向が分からなくなるメンバーたち→それを食い止めようとなんとか立ち上がる平手→そんな彼女たちをみて「このグループは大丈夫か!?」と非難の銃を打ち込むネット社会→そんな外の声を吹き飛ばすように再び団結し全力で舞い→「お前らの批判ぐらいじゃ欅は死なないぜ!」とばかりに血まみれで笑う…
▼まさに、これまでのツアー全体をなぞるかのようなパフォーマンスだ。本当に8月以降の展開にインスパイアされてできたショーのようにみえる。
▼しかし、実態はどうか?ツアーが始まる時点で、このパフォーマンスはすでに完成されていたはずだ。これだけの規模のライブツアーが「ラストはおいおい考えますよ」というノリで始まるわけがない。
▼だとすれば、やはりここでも「現実がフィクションに引きずり込まれた」というしかない(それゆえ、あの体調不良は演出だったのでは?「社会実験」だったのでは?…という人も出てきている。もちろん「レトリック」だろうが)。
▼現実にインスパイアされフィクションができるのではなく、フィクションをなぞるように現実が起こる。「現実を物語にする」のではなく「物語が現実になる」…これは、一体何なのか?表現なのか?呪いなのか?オカルトか何かか?
▼もちろん、「お前がバラバラに起きた出来事をそれらしくつなげているだけだろう」と言われればそうだ。しかし、4月以降の欅の表現にスキャンダラスな何かを感じる人も少なくないと思う。それはやはり現実とフィクションをつなげて見たくなってしまうからだろう。
▼ただ、何度も言うがスキャンダラスにみえるのは「現実に起きたことを思い出させるようにフィクションを作っている」と考えるからだ。だが、実態は「逆」だ。フィクションが作られてから現実が起きているのだから。
▼では、なぜこんなことが起きるのか?いや、起きているように見えるのか?
▼それは、「時代の無意識」「社会の無意識」と「チーム欅のクリエーション」とが激しく共振しているからだろうと思う。
▼今を生きる人たちが何を望んでいるか、何をしたがっているか、何を見たがっているか…それを言い当てることは「一手先の未来」を言い当てることと同じだ。
▼望んでいること、したがっていること、見たがっていることが、現象や行動となって一手先の未来に現れ出るのだから。
▼だとすれば「時代の無意識」を正確につかみとって、フィクションで表現することは、「一手先の未来」を表現することと同じだ。
▼欅坂の表現はその「時代の無意識」=「一手先の未来」とかなり正確に共振している。それだから、フィクションで表現したことが、実際に一手先の未来に起きるようにみえる(みたくなる)のではないか。
▼これだって十分に「オカルト的」な言い方だ。けれど、他によい言い方が分からないのでこう書く。
▼ただ、「それにしたって体調不良まで当てるって何なんだよ!もう怖いよ!」とは思うけど。。。
▼では、その「時代の無意識」とはどんな形をしているのか?もちろん凡人の自分にはそんなものは分からない。ただ、ツアータイトルでもある「真っ白なものは汚したくなる」から少し考えてみたい。
▼「真っ白なものは汚したくなる」とは言い得て妙だと思う。
▼「真っ白なものは汚したくなる」と聞けば、潔癖症の米さんならずともw、なんだか「悪いこと」のような気がする。しかし「汚れてしまう」ではなく「自らの手で汚す」とするなら、そこには自分の意志、自由がある。
▼かつて「自由」は目指されるべき「耀き」を持ったものだった。だからこそ戦後社会を引っ張る原動力ともなった。けれど、今、自由は、泥にまみれること、業火に焼かれること、血まみれになることと共にあるように感じる。自由すぎるとすぐさま炎上��てしまう世の中であり、だからこそ、そうならないための「忖度」なのだから。
▼自由は手にしてみたいが、泥まみれ、火まみれ、血まみれと背中合わせになっている。しかし、それを諦めるならば、今度はアルバムのリード曲にもあるように「ストレスをため込み、憂さ晴らしに何かを切って」しまいたくなる。だからこそ自由は血まみれと対になってしまう…
▼「時代の無意識」は今そんな形をしているのではないか?そして、それを可視化したものが、切られ、焼かれ、撃たれ、血まみれになりながら狂ったように笑う平手の表情なのではないか?
▼ともあれ、この4月以降の展開には巨大な刺激を受けている。こんなヤバいグループは他にはいないと、マジで思うし、今後も目が離せない。
▼なお、衝撃を受けまくって書き忘れていたが…ライブお疲れ様でした!
(注1)
■かつて「選抜を通じた競争のAKB」VS「団結のももクロ」という時代があった。けれど、これからは「競争」か「団結」かではなく「団結A(欅坂)」と「団結B(けやき坂)」の「競争」…に進化すればいいと思っている。
■だから自分は「欅/けやき 分離独立・交換留学派」のスタンス。いや、「派」っていっても俺しかいないが。つまり…
①「欅坂」と「けやき坂」は別グループとして活動(普段仲良しなのはいい)
②CDもリリース日をズラして双方出す。
③「欅坂」:タイプA~C、「けやき坂」:タイプA~C。各4、5曲ほど。
④そのうえで定期的に「交換留学」を行う。つまり欅から3名程度→けやきへ。けやきから3名程度→欅へ、メンバーを送り出す。送り出したメンバーは、次のシングルまでには元のグループに戻ってくる。だから「交換留学」。
⑤これは同じメンバーであることの緊張のゆるみや、マンネリ感を減らす効果をねらう。
⑥それと同時に、たとえば「欅」から平手+2人を「けやき」に送ると、欅のセンターポジションが空く。ここで実験ができる!というメリットもある。
■W・KEYAKIZAKAの第二章はこの仕組みでどうか…と思う。秋元先生は大変になるけれどもね。。
(注2)
■声優アイドルとアニメキャラで構成されたユニット「22/7」は、この「逆2・5次元化」に近いことをしたいのかな、と思っている。声優アイドルという3次元の存在を文字通り「キャラ」へと2次元化させるという意味で。だったら声優とキャラは同じ名前にしなきゃいけないのになあ、とは思うけども。
■話はややズレるが、ポスト「会いにいけるアイドル」の時代は、「会える/会えない」の境界線をかく乱するアイドルの時代になるだろう。たとえばshowroomを考える。あそこではユーザーがアバターになり、キャラになりきることでアイドルに認知してもらえる。3次元のアイドルに会うのに自分が2次元になってしまったら普通は「会える」ことから遠ざかるような気がするが、SRでは、逆に2次元化すればするほど(キャラになりきってダルマやタワーを投げれば投げるほど)、3次元のアイドルに覚えてもらえる。ある意味、「数秒間の出会い」だけの握手会以上に。
■この時��アイドルとアバターは「会っている」のか?何なのか?
■また、握手会では3次元のアイドルに会えるが、「逆2・5次元化」した状態の彼女たちは画面やステージを通じてしか見ることができない。この時「会う」とは何なのか?
■このようにして「会う/会わない」の境界線がかく乱される所に、アイドル界の次のイノベーションが生まれるだろう。
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