#しののめ窯
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papatomom · 8 months ago
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2024.06.30(日)
茅の輪をくぐり身を清め、今年もあと半分、家族共々無事にすごせるように祈願してきた。
その後福井駅前の「芝寿し」で「夏の野菜たっぷり弁当」を購入し、越前古窯博物館 旧水野家住宅へ出向いてお弁当を食し、陶ふうりんに癒されたそんな梅雨の一日。
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Sean bienvenidos, japonsistasarqueológicos, a una nueva entrega arqueológica, en esta ocasión nos vamos a la ciudad de Kameoka una vez dicho esto, pónganse cómodos que empezamos. - La ciudad de Kameoka, se localiza en la prefectura de Kioto, en la región de Kansai, nos vamos a trasladar a los hornos de Shino que se denominan así oficialmente :Sitios de producción de cerámica de Shino, Kioto alguna vez se llamó provincia de Tanba. A Continuación os pondré imágenes de dichas cerámicas, desde 1976 hasta 1986, con el fin de construir una carretera de peaje llamada Kyoto Jukanmichi, Shinogama fue excavada y supervisada continuamente. - Datan del periodo Nara entre los siglos VIII y IX, dicha área cubre un área amplia, desde la prefectura de Aomori en el norte hasta la prefectura de Miyazaki en el sur, el horno Otani No. 3, que investigó la Universidad de Osaka, también era un horno que producía cerámica vidriada en verde durante ese período. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones que pasen una buena semana. - 日本の考古学者たちよ、ようこそ!今回は亀岡市です。 それでは、ごゆっくりお過ごしください。 - 関西の京都府にある亀岡市、これから移動して、志野窯、正式には志野焼生産地といいます、京都はかつて丹波国と呼ばれていました。この窯元の写真を紹介します。1976年から1986年まで、京都縦貫道という有料道路を作るために、篠窯は発掘され、継続的に監視されました。 - 8世紀から9世紀の奈良時代のもので、北は青森県から南は宮崎県までの広い範囲にあり、大阪大学が研究している大谷3号窯も、その時代に緑釉陶器を生産していた窯である。 - 私はあなたがそれを好きで、将来の記事であなたを参照してください願っています素敵な週を持っています。
Welcome, Japanese archaeologists, to a new archaeological instalment, this time we are going to the city of Kameoka. Having said that, make yourselves comfortable and let's get started.
The city of Kameoka, located in Kyoto prefecture, in the Kansai region, we are going to move to the Shino kilns which are officially called Shino pottery production sites, Kyoto was once called Tanba province. Here are some pictures of these potteries. From 1976 to 1986, in order to build a toll road called Kyoto Jukanmichi, Shinogama was excavated and continuously monitored.
Dating from the Nara period between the 8th and 9th centuries, this area covers a wide area from Aomori prefecture in the north to Miyazaki prefecture in the south, the Otani No. 3 kiln, which was researched by Osaka University, was also a kiln that produced green-glazed pottery during this period.
I hope you liked it and see you in future posts have a nice week.
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foucault · 4 months ago
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新入荷品より、小代焼ふもと窯・ごはん茶碗。
窯を訪ね、今回の窯出しのものを見ていた時に、ふと気がついて、あれ、形変えた?と井上尚之さんに聞いたところ、それ、亮我のです!とのことでした。こうやって窯の仕事は受け継がれつつ変化しつつ続くんだなとあらためて思います。
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midoriyamadadays · 9 months ago
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明日5月22日22時より、案山子窯ネットショップ(https://kakasigama-net.shop-pro.jp/)にて猫絵付けまめ皿25点の販売をはじめます。 時間になりましたら商品がショップに表示される予定です。 割高な送料となってしまい恐縮ですが、もしも、お気に入りのものがございましたら、ご購入いただけましたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
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shodoshima-camera · 8 months ago
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しいたけは、採れたての新鮮がとにかく美味しい。 焼いてちょっと塩をして、そのまま椎茸の旨みを味わう。 しいたけ農園さんのおすすめは、玉ねぎとマヨネーズをトッピングして窯焼き。 チーズトッピング焼きも最高!
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nao-san-no-kagoshima-love · 6 months ago
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2024年9月2日 9:43
鹿児島市内から朝食を求めて姶良市のパン屋さんに到着
@石窯パン工房 シーゲル
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今朝は控えめに
そして、野菜も摂っている
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場所を移して
姶良市重富の桜島が見える公園へ
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@なぎさ公園あいら
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midoriyamadainformation · 9 months ago
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猫絵まめ皿、本日22時より販売予定です。
猫絵まめ皿、本日22時より案山子窯ネットショップ(https://kakasigama-net.shop-pro.jp)にて販売予定です。 どうぞよろしくお願いいたします。
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お買い上げくださった方に、ポストカードと猫絵のカードをランダムでお付けいたします。
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bizenwakakusa · 10 months ago
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抹茶金時蒸しまんじゅう
窯変皿 QuietHouse ー抹茶金時蒸しまんじゅうー
  曇り空の岡山です。
今日は蒸し暑いですね。
  さて、今日のおやつは蒸し饅頭を買ってきました。
抹茶金時の蒸しまんじゅう。
  いただく前に備前焼へ。
  クワイエットハウスさんの窯変皿。
  見込みに炎が走った跡が景色になっています。
  シンプルな造形で日常使いとしておすすめ、
また非常にきれいな景色ですので飾り皿としても良いですね。
  クワイエットハウスさんのオフィシャルサイトでは販売していないアイテムですので
この機会にいかがでしょうか。
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harawata44 · 5 days ago
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鹿児島銘菓“ボンタンアメ100周年”「懐かしい味」「安心する」日本中から長く愛されてきた理由は - ライブドアニュース
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以下引用
鹿児島の銘菓「ボンタンアメ」は今年、誕生から100年を迎えました。戦争や水害を乗り越えて、長年、愛されてきたわけを取材しました。 ポケットサイズのレトロなパッケージでおなじみの「ボンタンアメ」。オブラートにくるまれたもちもちとした食感が人気の鹿児島生まれの菓子です。
街のみなさんにとっても慣れ親しんた味のようです。 (親子)「大好きです。息子は食べたことない。娘が好きでよく食べている。娘が『ちょうだい』というのであげたら『おいしい』ってなって」 (高校生)「工場にいった、小学校の工場見学。安心する」 愛知から旅行で来た2人も。 (愛知県から)「このまま丸ごとですよね。懐かしい味、子どもの頃の味がする」 離島の口永良部島出身という女性は。 (口永良部島出身)「鹿児島に修学旅行できたときは買って帰った」
100年のロングセラーとなった商品「ボンタンアメ」の誕生のきっかけは、従業員が遊ぶ姿でした。
ボンタンアメ誕生のきっかけは
発売から今年で100年。全国で親しまれるボンタンアメ誕生のきっかけは何だったのか?製造するセイカ食品の玉川浩一郎社長に聞きました。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「もともとお菓子の材料問屋だった。水あめもつくっていた」 セイカ食品の創業は明治36年。もともとは菓子問屋でした。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「商売が厳しくなっていた時に、取り扱っている水あめで熊本の朝鮮飴をまねしてつくり、社員が遊んでいるのを見た初代が参考にして、鹿児島の特産であるボンタンの味をつけてお菓子として売り出そうとしたと聞いている」 ボンタンアメが生まれたきっかけは、従業員たちの「遊ぶ姿」でした。
長い歴史ゆえのエピソードも
その後、工場が空襲で焼けたり、8・6水害で浸水したりと、災難に見舞われたこともあったこの100年。 長い歴史の中で、ボンタンアメが誕生した「年」を巡って、こんなエピソードも…。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「最初は大正15年(発売)と聞いていた、いろんな人の話をきき大正13年と訂正したが、当時の決算��などを見ると大正13年ごろでもないなと」 おととし、発売を大正13年から大正14年の西暦1925年に訂正。長い歴史があるからこそ起こった出来事です。
ボンタンアメの工場を見学
では、ボンタンアメは、どのようにつくられているのか、工場を見学させてもらいました。 (記者)「ボンタンアメの原料が入った窯、この段階でボンタンの良い香りマスク越しでもわかる」 原料は、もち米・水あめ・砂糖、そして阿久根産のボンタンから抽出したオイルなどです。 100度に熱してどろどろになった飴。窯の底をあけると…下にある冷却板に落ちて、冷やされていきます。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「重力はただで利用できる、コンベヤーいらず」 飴は冷やしながら形を整えられ、オブラートに包んでいきます。 Q.なぜオブラートで包む? (製菓部業務課 東龍吾係長)「キャラメルのように包装紙で包むともち米なのでくっついてしまう。オブラートだと形を保ったまま食べられる」 柔らかいため、手作業で箱詰めし、完成です。1日で製造するボンタンアメは57万粒。小さな一粒に長年の工夫が詰まっています。
キャッチコピーに込めた思いとは
そして、ボンタンアメといえば…キャッチコピー「ときどき、ずっと。」に込めた思いとは。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「先代の社長からも言われているが、お菓子は主食とは違っていつもいつも食べてもらえるものではない、そのなかで人それぞれの食のサイクルがあると思う、できればボンタンアメも入れていただきたい」 「1年に1個でも5年に1個でも10年に1個でもいいから、ときどきでいいからずっと」 ふるさとのお菓子として、親しまれて100年。ほっとする懐かしい味をこれからも届けます。
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catonoire · 3 months ago
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はにわ展
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東京国立博物館ではにわ展を見る。「挂甲の武人」(上のチラシ画像のメインビジュアル)の国宝指定50周年を記念した特別展である。埴輪以外の出土品も展示されている。
つかみ��修復後初お目見えの「踊る人々」。最近では、踊っているのではなく馬の手綱を持って馬を引いているのでは、という説が有力になってきているらしい。
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修理の模様を収めた動画がとてもおもしろかったのでリンクしておく。(この動画は会場では流れていなかった)
踊る人々の次は、国宝ばかりを集めた展示、および2メートル超の高さを誇る円筒埴輪を含む展示。撮影禁止だったり見学者多数でうまく撮れなかったりしたのでここに載せられる写真はないが、埴輪だけでなく大刀(金の象嵌)、沓(金銅製)、耳飾り(金製)、甲冑など状態の良い出土品も並んでいて、ヤマト王権の威勢を見せつけるかのような展示室だった。
以降の展示室では、埴輪を造形で分類して紹介する流れがわかりやすかった。まず基本の円筒埴輪とそのバリエーション。壺のように見えるものも埴輪で、そのまま壺形埴輪と呼ばれている。
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船形埴輪。
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武具の形をした埴輪。
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そのほか見学者の写り込み多数でここには写真をアップできないが、盾形埴輪、靫形埴輪、椅子形埴輪などがあった。靫(ゆぎ)は矢を入れる道具。
土ではない素材で作られた埴輪様のものが古墳に置かれることもあったのだそうで、例として武装石人(下の写真)、大刀の形をした木製品、靫の形の木製品が紹介されていた。
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このあと群馬県太田市の窯で焼かれた「挂甲の武人」埴輪5体が揃い踏みする室へと向かう。展示のしかたがやたら凝っていて、戦隊モノのヒーローをキャラづけして紹介するようなノリだった。たとえば下の写真は国立歴史民俗博物館所蔵のもので、台が黄色、そして展示ケースの背面に埴輪の上半身がぼうっと浮かび上がるように見えている。埴輪ごとに台の色が異なり(キャラごとに色が違うのは戦隊モノのお約束)、ケース背面もそれぞれ同様にデザインされている。
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おもしろかったが、埴輪そのものをつぶさに見るというより展示方法に注意が向いてしまったので、個人的にはもっと淡々と見たかった。出来の良いよく似た埴輪が5体揃ったというだけでじゅうぶん派手なのだから、見せ方まで派手にしなくとも……と思ったり、しかし埴輪を作った人がこうして華やかに展示されたのを見たら喜ぶかもしれないな……と思ったり。
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埴輪は赤、白、灰色、黒の顔料で彩色されることもあったのだそう。上のチラシ画像のメインビジュアルの挂甲の武人が当時彩色されていたらこんな感じかも?という復元が下の画像。
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次の3枚は、挂甲の武人が着ているのと同じタイプの冑、挂甲、籠手。こういうものも現物がちゃんと出土してるのか!と驚いた。
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造形別埴輪紹介に戻る。人の形の埴輪がたくさんあったが見学者の写り込みも多数でやはり写真は載せられない。モチーフとしては、盾や杯や何かを持った男子や女子、座った男子や女子、力士などが挙げられる。
家形埴輪はとても神聖なものなのだそうで、これも多数展示されていた。下の写真は作りかけのままの家形埴輪。埴輪工房が焼失した状態で発見されたとのことで、気の毒ながらたいへん興味深い。
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導水施設形埴輪。導水施設。意外すぎてキャプションを二度見三度見してしまった。聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられている由。
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これは埴輪棺。このように古墳を飾るためではない埴輪もあったとのこと。
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みんなの人気者、動物埴輪の皆さん。
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少なくとも四つ足の動物のお尻にはたいてい穴が空いているように見えた。鳥のお尻にも空いていることがある。
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下の写真の中央は鵜形埴輪。ここで鵜が出てくるとは想像できなかった。
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魚形埴輪。鵜がいるなら魚もいて不思議ではない。
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最後は近現代における埴輪の受容のされかたに関する展示。内容的にはごくあっさりしているので、この分野については東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」を見るべきだろう。
東京タワー近くの芝公園から出土した男女の埴輪。これが出土したときの調査が郷土研究のきっかけになったとのこと。
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三船敏郎が所持していたらしい、ひよこ形埴輪。
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版画家の斎藤清が下の写真の埴輪をモチーフにした作品を作っている。
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次の埴輪は、映画『男はつらいよ』主演の渥美清に似ていると話題になったそうだが、別に似て��いよね……?と思ったら、葛飾柴又の古墳から出土したものだそうで、まあ納得。
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群馬県が開催したHANI-1グランプリで優勝した埴輪。満面の笑みが勝因か。
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下の3体は明治天皇の陵に奉献された埴輪と同じ形で作った模型。吉田白嶺の作。このあたりのヤマト民族らしいきな臭さなどは上述の「ハニワと土偶の近代」の守備範囲。
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おまけ。展示室の壁の装飾。
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kakasigama · 9 months ago
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明日5月22日22時より、案山子窯ネットショップ(https://kakasigama-net.shop-pro.jp/)にて猫絵付けまめ皿25点の販売をはじめます。 時間になりましたら商品がショップに表示される予定です。
割高な送料となってしまい恐縮ですが、もしもお気に入りのものがございましたら、ご購入いただけましたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
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nigebanigenige · 1 month ago
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2025/01/11
松江で行った器やさんが外苑前でポップアップをやるという告知を見たので午後から出かける。毎時神宮前からHAYの店舗、MoMAのショップデセール品をみながらでる。表参道の歩道橋を渡ると、きらきらとおしゃれした男女に紛れて作業服の男性が端に向かって何か作業していた 白昼堂々落書きか!?と思ったら橋の塗装を直しているようだった。ごめんなさい
小原さんの唐揚げ弁当〜をよむためにJCOOKに入った。蓮見さんが大絶賛していたから読み始めたけど、意外と、そうでもなかった。わたしでもかけるかもな、とちょっと思ってしまった→最後まで読み切って舐めすぎ反省 構成がすごく良かった 
objectのポップアップに行き、お財布と相談した結果ぐっとこらえて湯町窯の小皿を買う。ほんとはさけのせる細長い皿が欲しかったけどちょうど良いサイズ感がなくて断念。お店で接客してくれたお姉さんもいた。現地のお店がすてきで湯町窯のボウルがお気に入りで毎日使ってて どうしても来たかったです、と伝えられずに出た
ワタリウム美術館、青山ブックセンターに寄り道 表参道からブックセンターの流れかなりいいな 途中の古本屋もよかった 入った瞬間にあらゆることは今起こる、が目に入ってきてびっくりした 次に見かけたら買おうと思ってたから でも結局文藝が日記特集だったのでそれを買った デザイナーのまとめ本みて、こういうの載りたいなあとちょっとだけおもう ちょっとだけ
SPIRALが通り道にあることを思い出して寄り道する。ずっと素敵だと思っていたテキスタイルデザイナーの靴下があったので即決する。いつもなら派手な色を買うけどたまにはいいかなとブラウンを買ってみた。かわいい。足元にお花を掲げて歩ける
foxcoご本人がいらっしゃった 美しかった
どうしてもDiorのコンシーラーかコンデジが欲しくていったん中野のカメラ屋に行くことにする うわさのGRの前のバージョンが売っていたがなんとなく踏み切れずやめる。滞在十分程で中野から移動 新宿伊勢丹のDiorまで行くも、強めのお姉さんたちが並んでいてビビってしまう。裏にあるトンカツや思い出してご飯にする。ぶあついトンカツと辛すぎないカレー おいしい しあわせ 文藝が面白い。物欲と食欲にまみれていてだめかも。三丁目の方にいたのにまたJRの方に戻り、BERGでカフェラテを注文 小原晩さんの唐揚げ弁当の残り2篇を読み切った なんというか、ところどころで人を巻き込む愛嬌を発揮する場面があり 羨ましくなった 
Diorの列にならべなかった
となりのお兄さんのスマホの待ち受けがゴールドジムの外観だった
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norie123 · 4 months ago
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foucault · 7 months ago
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本日9日より、「日野明子の仕事・13」はじまります。本日は日野さん、すず竹細工の村上素子さんが在店します。店内、盛り盛りに各地の新鮮な仕事が届いています。どうぞご覧下さい。
さて、日野さんの会恒例、日野さんによる作り手の一言紹介。最初は愛媛の兵頭さんからです(写真も)。
兵頭侑亀(愛媛)
砥部焼の産地、愛媛県の砥部の陶芸家で古物も扱う池本惣一さんの工房に遊びに行った時のこと。「骨董かしら?」と気になった器を見ていたところ、「腕はあるのに、仕事を始めないから僕が売り込もうと思って」と紹介されたのが兵頭さんでした。陶芸を始めてまだ4年とは思えぬ出来栄えに驚きます。「小さい頃、おばあちゃんと一緒に書をしていた」ことが���の滑らかさにつながっているようです。(現時点では)白磁と絵付けとが同じ価格なのも、「筆で描くのが好き」な、兵頭さんの気持ちの表れでしょう。経歴は?と聞いたところ、「あまり書くことがないんですが」と送ってきてくれたのが、以下のシンプルな経歴です。モノの出来に、経歴は関係ないな、と思わずにはいられません。
1990年 愛媛県松山市に生まれる
2020年 砥部にてやきものを学び始める
2022年 砥部にて共同の作業場を借りて作陶を始める。まだ、窯も借りもの。
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kennak · 9 months ago
Quote
滋賀県文化財保護協会は、近江八幡市の日野川の中で見つかった江頭南遺跡が、5世紀後半~6世紀前半の古墳時代の前方後円墳だったと発表した。川の中で古墳が見つかるのは全国的にも珍しく、同協会は「川や谷に埋没した遺跡の存在を物語り、古墳の築造工程を知る重要な資料」としている。(矢野彰)  江頭南遺跡は2019年、バードウォッチング中の住民が川の中の埴輪を見つけたのをきっかけに調査が行われ、円筒埴輪が6点、川の中州に一列に並んでいるのを発見。古墳の存在が明らかになった。  古墳時代の琵琶湖の水位は今より低く、陸地にあった古墳が川の流れで運ばれた土砂に埋もれていたが、近年の豪雨や河川改修の影響で再び現れたとみられる。県が行う日野川の河川改修工事に伴い、同協会が22、23年度に発掘調査していた。  今回は、前回埴輪が見つかった近くの土が盛り上がった場所など約450平方メートルを調査。土の中を調べると、整地した後に盛り土され、粘土を含んだ強固な構造となっていることがわかり、古墳の墳丘の一部と判断した。  また、19年に見つかった埴輪の南側に、一列に配置された13点の円筒形の埴輪が新たに見つかり、埴輪が「ハの字」に並んでいることが判明。埴輪は古墳の形に合わせて並べられることが多く、前方部の両側の埴輪列にあたると考えられることから、前方後円墳の前方部と推定したという。  後円部の大半や古墳の裾にあたる部分は川の流れで浸食され、古墳の正確な大きさは不明だが、少なくとも高さは1・5メートル以上に及んだとみられる。前方部の形や須恵器窯で焼かれた埴輪の特徴から築造年代を絞り込んだ。  京都橘大の中久保辰夫准教授(考古学)は「約1500年前に造られた前方後円墳が一部でも川の中から見つかるのは奇跡だ。当時の築造技術の高さを示している」と説明。「有力者がいる地域だと示すランドマークの役割もあったのではないか」と推測している。  調査地の立ち入りが危険なことから、現地説明会や一般公開は行われず、すでに古墳は埋め戻されている。
川の中で発見の前方後円墳、識者「奇跡だ」…ハの字に並ぶ埴輪も見つかる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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momokuri-sannen · 5 months ago
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昨夜は娘が飲みの帰りに来たので、今朝はそのまま職場に送る。
弁当は急なことなので用意できず、おにぎりだけを渡す。
職場といってもウチからだと都内を横断するような所なので朝7時の出発。
娘には弱い父である。
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帰り道にドトールのミラノサンドA。
旨いよなァ、これ。
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た昼飯は家人と買い出しのついでに駅ビルにできた「いしがまやハンバーグ」に。
ぼくはダブルハンバーグで紅芯だいこん(初めて聞いた)トッピング。
店にある石窯で焼き上げるとのことで、中はふんわりして本当に柔らかい。
じゅわじゅわしているのをハフハフ食う(オノマトペ)
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晩飯は家人による。
昼飯をガッツリやったので夜は軽くということでたぬきやっこ。あとは娘が広島土産に買ってきた穴子めし。名古屋人なので赤だし。
しかしいつまでも暑いね。
ごちそうさん。
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