#かっぱ寿司 水主町店
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あくまでも京都駅を起点で考えた場合。大阪発の場合だと、東方向は+30分、西方向は-30分で考えればいいかな。知らんけど。 ■高松片道4時間。自分的には香川県は青春18きっぷを買ったときに必ず行く場所。瀬戸大橋を超えるときのテンションの高さと、やたらとガタンガタンいう音が旅情を誘う。高松駅前の時点で、うどん屋が多くあるなら、うどんだけ食いたいなら、そこだけで満足できる。時間かあるなら栗林公園まで行ったり、瓦町の方まで行ってもいい。瓦町FLAGの変わり方を年々眺める楽しみもある。ちなみにうどんだけ食いたいなら、坂出で降りても良いかも。 ■琴平片道4時間半。坂出での接続があまり良くないので、高松に行くより時間は掛かる。こんぴらさんこと金刀比羅宮の観光が主になる。ここも香川なのでうどん屋も多い。なお、こんぴらさんは奥社まで行く根性はなかったので、御本宮までしか行ったことがない。 ■尾��片道4時間半。さすがにしまなみ海道に行く時間はないので、尾道での観光がメインになる。行きか帰りかのどちらかはロープウェイを使わずに歩き回ってみるのも一興。尾道ラーメンも食おう。 ■鳥取片道5時間。山陰線経由は接続が悪いので、智頭急行経由が基本になる。18きっぷシーズンは智頭急行のフリーパスが発売されてるので、往復で使えればかなり得。一応、行きは山陰線、帰りは智頭急行というルートの大回りならダイヤ上は割と可能。鳥取と言えばやっぱり砂丘か。駅からはそこそこ離れてるので、バスの時刻表を要確認。砂の博物館もセットで行こう。あと、生きたイカをその場で刺身にしてくれる店が好き。 ■城崎温泉片道4時間。時間があるなら、少し西にある餘部で降りて鉄橋を見て行ってもいいかも。外湯巡りのフリーパスがあるので、できれば替えの下着を何枚か持っていて、色んな温泉に入るのも楽しい。今の時期だと、すぐに汗をかくから、温泉に入る度に下着は変えた方がいいと思うぞ。ちなみに山陰線オンリーで行くのと、京都線~神戸線~播但線経由は、距離が1.5倍くらい違うのに時間は10分くらいしか変わらないから、気まぐれで使い分けるのもあり。 ■下呂温泉片道4~5時間(時間帯によってかなり変わる)上の城崎温泉と行き帰りの時間は似たような感じ。こっちは温泉には行った後、辺りをブラブラする感じになるか。とりあえず鰻を食う。 ■名古屋片道2時間半。京都から意外と近い。時間帯によっては米原での乗換だけで行けるし、18きっぷ初心者にはおすすめ。一応都会なので、目的なくうろついても充分楽しめる。東海道本線で日帰りで行けるところまで行こうと思うと、静岡辺りが限界か。乗り換えで降りたことはあっても、観光で行ったことはないけど。 ■松本片道6時間始発、終電で行けば4時間くらい滞在できる。松本城に行ったり、街中をぶらつくくらいは全然大丈夫。まあ、一泊して下の安曇野とセットで旅行した方が良いと思うけどな。 ■穂高片道7時間水の綺麗さで有名な安曇野の中心駅。大丈夫、始発と終電で行けば、2時間半滞在できるから、大王わさび農園くらいなら充分行ける。わさびを買おう。わさび定食を食おう。ちなみにVAIOの本社も安曇野にあるので、せっかくだから見物に行っても良いかも。 ■敦賀片道2時間。新快速の最果て地点で、乗り換えなしで行ける。もうすぐ新幹線ができるから、駅前がスゲー綺麗になってる。敦賀と言えば原発だけど、美浜原発PRセンターに行くには時間が掛かる���、何よりバスの本数も少ない……。やっぱり日本海さかな��で海鮮を食うのと、氣比神宮に行くか。 ■西舞鶴、東舞鶴片道2時間~4時間スムーズに行ければ2時間くらいなんだけど、舞鶴線はとにかく本数が少ないから、計画を立てていかないと最悪4時間以上も掛かることになる。西舞鶴で降りて、とれとれ市場に行って海鮮を食って、東舞鶴で観光する感じか。なお、東舞鶴にある赤レンガパークと引き揚げ記念館では、戦争に対する空気が違いすぎて笑う。 ■福井片道3時間。福井と言えば恐竜。ただし、恐竜博物館は勝山市にあるから福井駅から私鉄とバスを乗り継いで一時間以上掛かる。東尋坊は、恐竜博物館と真逆の位置だから、日帰りで両方を回るのは無理だな。だから恐竜博物館のコースと、東尋坊→芦原温泉のコースのどちらを選択する感じ。福井駅の駅そばは結構好き。 ■九頭竜湖片道4時間半。福井にある盲腸線の九頭竜線の終点。名前はカッコいいが、何もない。駅前にファミマと道の駅はあるが……。そしてこんな駅名だけど、肝心の九頭竜湖は結構遠い。九頭竜線は途中の越前大野で降りた方が楽しめそう。 ■金沢片道4時間半。観光地が固まってるので、兼六園・金沢城公園→ひがし茶屋街→近江市場のコースは日帰りでも余裕で回れる。なんなら全部駅から歩いて回れる。ただし、今年は暑いからずっと外にいるのは勘弁したい。とりあえず着いたらチャンピオンカレーでも食って、海鮮は帰りにするか。帰路は福井で40分くらい接続待ちがあるから、8番ラーメンでも食おう。 ■紀伊半島大回り京都→大阪→和歌山→紀伊田辺→新宮→多気→亀山→柘植→草津→京都 で一周合計15時間43分。紀伊田辺で1時間半接続待ちがあるから、お昼はそこで。乗り換えアプリで見ると多気で1時間の接続待ちがあるけど、到着後に少し待てば名古屋行きの快速みえが来るから、それで津まで行って、そこで晩御飯を食べた方がいい。紀伊半島の南の方になると、海岸線スレスレを走ってるから、ようこんなとこに線路が引いてあるなと思う。なお、白浜の日帰りはどう考えても無理だから、パンダが見たいなら泊まるか特急にしとけ。 ■高山本線大回り京都→敦賀→金沢→富山→猪谷→美濃太田→岐阜→米原→京都 で一周合計13時間57分。金沢から富山は三セクを通るから1290円払う必要があるのをお忘れなく。18切符の特例は高岡から富山までだから、金沢からだと適用されないぞ。全体的に余裕がない乗り換えなので、1時間ほど早く出発すれば���富山で1時間の乗り換え待ちが発生するから、そこでお昼を食べよう。寿司が旨いぞ。高山本線は猪谷で一度乗り換えがあるだけで、美濃太田まで乗りっぱなしが続くし車内は空いてるから、弁当を買って車内で食うのもいいかも。鱒寿司を食おうや。
京都発 青春18きっぷの日帰り旅行
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母と岐阜高山の古い町並みを散策してきました!父は今回はお留守番。初めて母子で電車旅です。
今までの私の旅は、旅程を組むのが上手いしっかりした人とばかり行っていました。今回は似たようなぽやぽやだけでする旅行。不安と楽しみでドキドキの当日朝。電車出発2分前になって母が言うんですよ。
「どうしよう、ジパング倶楽部の会員証(※)忘れてきちゃった…」
※諸々の条件を満たせば旅行運賃が割引される便利アイテム
幸先悪いよ!!!
出オチから始まりましたが、特急ひだの車窓から見る景色がとても綺麗でした✨川の水が透き通っていて飛び込みたかった~。危ないからめったに川に潜るなんてできないけど、透明な水の中を泳ぐのは気持ちいいだろうなぁ。
高山駅に到着して、お昼ご飯を「麵屋しらかわ」で頂きました。
中華そば並盛味玉子付き~!醤油味濃い目。
その後は小鯛焼食べて~、スムージー飲んで~、みたらし団子と牛串と牛寿司食べて~、舩坂酒造店でお猪口ガチャして日本酒の試飲して~🤤🍶食べてばっかりだよ!!その分歩いたからゼロカロリーってことでいいスか?
お宿は駅から少し離れた温泉宿に素泊まり。温泉で温まった後、テレビを見ながらお弁当をつつきました。自由…!!こんなこと言っちゃアレなんだけど、今回は父がいないので、気を遣う必要がなくて…あまりにも自由…!!20時には母は眠りに就いてしまい、私も適当な時間に寝るか~なんて思っていたら、LINEに着信。
父「今夜は絶対に負けられないチームバトル戦があるから母を起こして!」
旅行先でスマホゲームのバトルに参加しろと要請してくる父。ハァーーーー…(虚無顔)ちゃんと起こしました。時間まで1人ですることもなく、退屈しながら起きてましたよ。
次の日は組紐づくり体験をしました!『君の名は。』で主人公の女の子��作っていたアレですね。編む順番を忘れそうで集中して取り組んだので、ノーミスで完成させることができました。楽しかった~。
2日間歩き回って自分の体力のなさを痛感しました。ベンチや椅子をセーブポイントと呼び、見かけるたびに「あたしんだよォ!」と我先に腰を掛けていました。『ハウルの動く城』荒れ地の魔女のごとし。運動しないと旅ができなくなっちゃうな、まだ若い(?)のに。高山は美味しいものがいっぱいで食べきれない!今だけ胃の容量100GBくらいに拡張できないかな?そういうサブスクあったらいいのにな。そんな食べてるから体が重くなって歩けないんじゃ(それ以上言ってはいけない)
そしてこの旅で1番びっくりしたのは、
岐阜の山アリでっっっか!!!!
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。��か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なの��った。
ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる��年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いて��れたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いま��きのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。 作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店���探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲��が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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年始からいろいろ大変だった1月(2024年1月の日記)
■2024/1/1 元日の月曜日。はじまりましたね2024年。奥さんの実家へ向かうためまぁまぁ早起き。ここで現在のInstagramのポスト数をメモしておきましょう。いま2370ですね。2024年が終わったときにこの数を引けば一年間に見た映画のトータルが簡単にわかるはず。便利。家族で奥さんの実家である流山へ。今年は電車なので移動しながら『孤独のグルメ』の大晦日SPを見たり。奥さんの実家へ新年の挨拶。お寿司や唐揚げをご馳走になる。お腹いっぱい。午後、サッカーの代表戦が見たいけど、僕にチャンネルの選択権はありません。帰りの電車では録画しておいた『魔改造の夜』を見たり。ドラマがありますよねぇ毎回。石川県で大きな地震。こういう時、無駄な発信はしない。帰宅してからWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E5を見る。U-NEXT『Bico』を見る。WOWOWオンデマンド『SMILE/スマイル』を見る。
■2024/1/2 まだまだ正月休みな火曜日。娘は冬期講習が再開。お疲れ様です。僕はのんびり起床し渋谷へ向かう。移動しながらWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E6を見る。ヒュートラ渋谷にて、A24の知られざる映画たち『ゴッズ・クリーチャー』と『アース・ママ』観賞。これでこの特集をトータル3本観たのでA24グッズをGET。新宿へ移動。新宿の会場で冬期講習 正月特訓を受けている娘と娘の塾友達をピックアップ。ぎりぎりで拝島ライナーに間に合ったのでそれに乗って最寄り駅まで帰宅。勉強して疲れてるだろうに2人は電車で楽しそうに話していた。夜はNetflix『チキンラン: ナゲット大作戦』を見る。U-NEXT『Valimo』を見る。
■2024/1/3 まだ正月休みの水曜日。娘は今日まで正月特訓で新宿へ。僕は朝食に餅を食べはじめる。うまいですよね、餅。U-NEXTにて、カウリスマキの短編映画の『ロッキーⅥ』を見る。そしてシネコン集中映画観賞をするために昭島へ。MOVIX昭島にて『サンクスギビング』観賞。こうゆう作品の字幕もやる松浦美奈さん。続いて『PERFECT DAYS』観賞。ラストカットのアイデアが昨日観た『ゴッズ・クリーチャー』に似てる。そしてこの映画観終わってからタイムフリーで先週のジミソラジオを聴いてたらAl Greenの「Perfect Day」カバーが流れました。鹿島さんこれって?スピってますね。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E7を見る。そしてMOVIX昭島でもう1本『宝くじの不時着 1等当選くじが飛んでいきました』観賞。小雨の中帰宅。家でU-NEXT『さらば映画の友よ インディアンサマー』を見る。バカリズムのドラマ『侵入者たちの晩餐』も見る。やや早めに寝る。
■2024/1/4 まだ休みの木曜日。娘、正月特訓は終わったけど、冬期講習は7日まであるとのこと。大変だ。U-NEXT『Oo Aina Ihminen』を見る。立川へ。シネマシティで午前十時の映画祭13『カサンドラ・クロス』鑑賞。fスタ極上音響上映で。移動しながらWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E8を見る。帰宅してからAmazon Prime Video『87分の1の人生』を見る。U-NEXT『ブルービートル』を見る。Netflix『ブラザーズ・サン』E1を見る。明日は仕事かー。ちょっと早めに寝る。
■2024/1/5 出勤の金曜日。めんどくせー。通勤しながらU-NEXT『俺らのペンギン・ブーツ』を見る。意外とみんな出社しているな。1週間近く休んでいたわりにはメールは少ない。��ぁ海外もけっこう休みですからね。会社の先輩に娘の描いた年賀状のイラストを誉められた。これは娘に伝えてあげよう。お昼は丸亀製麺にて、かに玉あんかけうどん。今年もよろしくたのみます、丸亀。会社の近所のサイゼリヤが昨年末で閉店してしまったので、僕のランチは丸亀とマクドナルドとOKのローテーションになるでしょう。あとたまにココイチ。Apple TV+『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』E9を見る。17時半で仕事を切り上げようとしたら、ぎりぎりで席まできていろいろ聞いてくる人がいて大変困りましたがなんとか帰りました。昭島へ。MOVIX昭島にて『レザボア・ドッグス デジタルリマスター版』鑑賞。これでタランティーノの長編映画10作すべてを劇場観賞達成。いやー嬉しい。急いで帰宅。風呂に入ってからClubhouseにてU-NEXT『犬神家の一族』同時視聴に参加。10年以上ぶりに見ましたけど、想像以上に『ゲゲゲの謎』でしたね。
■2024/1/6 土曜日。ここから3連休だ、ありがたい。娘と同じ時間に家を出て、娘は塾へ、僕は映画鑑賞へ。すまん。錦糸町へ向かう。移動中にWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E9を見る。『シャクラ』観賞@ TOHOシネマズ錦糸町楽天地。上映後トークにアクション監督の谷垣健治さん、ギンティ小林さんが登壇。映画秘宝で最初に読むのが谷垣さんの連載だったぐらいなので谷垣のトークは大好き。ドニーの話、最高です。せっかく錦糸町まできたので前から行ってみたかった町中華のお店に行ってみたけどがっつり行列ができていたのであきらめ。14時ぐらいだったんですけど。マクドナルドにて、スモーキーペッパーチキンを食べる。渋谷へ移動。『彼方のうた』観賞@シネクイント。上映後舞台挨拶には、杉⽥協⼠監督、⼩川あんさん、中村優⼦さん、眞島秀和さん、荒木知佳さん、Kayaさんが登壇。やはりトークの内容がそれぞれ面白い。うっかり荒木さんが話した内容は、前からそうなのかなぁと思っていたことだった(公にしていないようなので秘密ですが)。Q&Aの時間もあったので気になっていたことを聞けました。帰りにロビーにいた杉田監督が僕に気づいてくれたので一言だけ挨拶する。帰宅してからWOWOWオンデマンド『彼女が好きなものは』を見る。WOWOWの配信が終わってしまうからあわてて見たのですが、Netflixにあるんですね。まぁいいか。
■2024/1/7 3連休の日曜日。娘は冬期講習最終日、がんばれー。僕は日比谷へ。移動中にWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E10を見る。これで完走。いやー、最後は大変なことになっちゃったな。ちなみに本日はジェレミー・レナーの誕生日のようですね。日比谷公園のベンチに座りながらU-NEXT『悲しき天使』を見る。野外で味わうカウリスマキ短編。kataru最終回「Poster Strangelove(ポスターストレンジラブ)」@日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール。POSTER-MAN小野里徹さんと、宇多丸さんが実際の映画ポスターを見ながら映画と映画ポスターについて語るトークイベント。これは面白かった。僕はkataruの前身である「語る会」の「オールタイムベスト映画」回に参加したんですけど、あれがもう2016年。主催であるりかさんは僕らがやっているMCTTにきてくれたこともあった。りかさんが前節しているときに、久しぶりだなぁと思っていたら、りかさんが僕の方を向いて「お久しぶりですね」と云うもんだからドキッとしてしまった。覚えていただいていて恐縮です。ポスターの話を中心にがっつり映画のトークとなっていて、宇多丸さんも何のポスターが出てくるかわからない、という構成が抜群に良かったです。紹介された作品で唯一僕が未見であったのは『重犯罪特捜班ザ・セブン・アップス』。見てみようと思います。近くの席で見ていたまるゆさん、さっちゃんさんと感想を話しながら会場を出る。二人とは近々オンラインで再会するでしょう。帰る前にちょっと銀座へ。長野のアンテナショップにてアトロク2で紹介されていた「すんき」という漬物を購入。実家へ。明日使う車を借りる。実家にもすんきをお土産にあげる。夜遅くからClobhouseにて、同時視聴仲間の2023年年間ベスト映画を聴く会に参加。僕は自分のベストについては一切話さず、みなさんのベスト1にこれをおくのがオススメです、という映画を紹介する謎の役割。面白かったです。
■2024/1/8 祝日の月曜日。3連休ありがたい。車に乗って家族で昭島のモールへ。娘のブーツをGUで購入。僕もここぞとばかりに靴下を買ってもらう。深刻な靴下不足におちいっていたのだ。かわいい靴下をGETしたぞ。娘と僕はさらに図書館へ。娘の本を借りたり返したり。そのまま実家へ行ってのんびり過ごす。娘はずっと冬期講習だったのでやっとだらだらできる1日なのです。お昼には中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを聴く。WOWOWオンデマンドにて『長ぐつをはいたネコと9つの命』を見る。これは娘もいっしょに見てた。U-NEXT『ワイヤーを通して』を見る。Amazon Prime Video『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』を見る。これも娘といっしょに見る。夜は娘のリクエストにより手巻き寿司。いやーお腹いっぱい食べました。ご馳走さまでした。帰宅してからWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E2を見る。夜遅い時間から、clubhouseにて同時視聴仲間の2023年映画ベストを聴く会に参加。昨夜に続き僕は一切自分のベストについては話さず、これをベスト1にするといいですよ、というオススメを話すという謎の役割で参加。あとゲストで出たPodcast「Talking Square」の良い感想を聴けたので嬉しかったです。
■2024/1/9 火曜日。あぁ出勤ですか。今日から本格的に仕事ですね。午後のMeetingに使う資料の作成が間に合うかどうか。ランチに外に出てる余裕はないと判断してお昼ご飯はコンビニで買っていく。さみしい。急ぎの仕事に対応したり、別のMeetingには出つつひたすら資料を作り続けなんとか間に合う。新年早々ががんばったがんばった。仕事終わりで昭島へ。松屋にて、“炙り”十勝豚丼。うまい。そして肉が多い。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E3を見る。MOVIX昭島にて『エクスペンダブルズ ニューブラッド』鑑賞。すごいスタローン大好き人間みたいな鑑賞になってしまった。帰宅してからU-NEXT『Melrose: Rich Little Bitch』を見る。そして寝る前に録画したテレビとかを限界まで見るぞー、と思っていたのに最初の番組見てる途中で寝落ち。疲れていたんですかね。。
■2024/1/10 水曜日。あースマホ用のモバイルバッテリーを家に忘れて出てきてしまった。ちょっと不安になりますよね。お昼はマクドナルドにてバタースコッチパイを食べる。帰宅してからDisney+『エコー』E1を見る。Amazon Prime Video『女王陛下の007』を見る。やっと(映画観賞的)余裕ができて007を再開。僕モテメルマガに画伯が復帰。これは嬉しい。ラロッカさんとDiggin' Netflixを収録。今年もよろしくお願いします。
■2024/1/11 木曜日。立川への病院へ行くので午前半休。時間が早い。つらい。いつもの血液検査と、年一でやってる骨密度検査。骨密度はまぁ良くもなっていないけど悪くもなっていない感じ。2年ぐらい前に骨粗しょう症レベルの値からは脱しているけど、通常レベルまではもう戻らないんだろうなぁ。しょうがない。病院はまぁまぁ早く終わったけど薬局が時間かかってしまった。やはり午前中の出社はムリか。お昼ははミスドで、misdo meets GODIVA プレミアムショコラコレクションのガレット・デ・ロワ ショコラを食べてみる。さすがゴディバ。さすが高いだけはある。Disney+『エコー』E2を見る。U-NEXT『ハロー!?ゴースト』を見る。午後から出社して仕事。仕事終わりで昭島へ。配信のはじまった『テッド』のドラマのやつを見ようかと思ったけど、後から吹替がくるみたいなのでそれを待つことにする。MOVIX昭島にて『コンクリート・ユートピア』鑑賞。お客さんは僕を入れて2人。さみしい。しかも客席がかなり寒くて僕はコートを着ながら映画を観ていた。だがこれが映画の内容的に合っていたんですよね。そういうサービスですかね(絶対違う)。コヨイチの『女王陛下の007』回を見る。豆知識と小ボケの量がすごい。Lukeさんのボケをラフランスさんがまだひろいきれていないところがありますね。帰宅して遅い夕飯を食べたけどもう眠い。朝早かったからなぁ。
■2024/1/12 金曜日。寒くなってきて朝ベッドでだらだらとそろそろ起きるべきか否か、を迷っている時間が至福。朝ウォーキング時にはだいたいradikoでラジオを聴いていますが、昨年末あたりから深刻にこの視聴タイミングが遅れている。今朝も聴いていたのは先週の土曜のラジオ番組。radikoタイムフリーの視聴期限は1週間なのでかなりギリギリである。どっかで挽回しないとまずいですね。お昼はマクドナルドでハッピーセットを食べてすみっコぐらしのおまけをもらう。2024年はマクドナルドの新商品のリリースの勢いがすごい。とにかく新商品食べたい人間としては大変である。Apple tv+『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』E10を見る。これで完走。ちょっと途中間延びした感じもありましたが面白かったですね。つっこみどころを作ってる感じもいい。帰宅してからDisney+『エコー』E3を見る。音源を1本編集。けっこう遅い時間からイシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。深夜まですいません。
■2024/1/13 土曜日。のんびりできる土曜日。何も予定がないと思っていた娘は試験があるらしい。お疲れ様です。朝から途中まで見ていたWOWOWオンデマンド『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』を見る。昭島図書館に行って娘の本を借りたり返したり。Disney+『エコー』E4を見る。音源を1本編集。午後からMOVIX昭島へ行き『アクアマン/失われた王国』鑑賞。映画観終わって映画館を出るとがっつり雪。いや、降るという予報は見てたんですけどまさかここまでとは。自転車できてしまったのでがんばって帰る。ゴーグルがほしい感じでした。夜はオンラインで僕モテメルマガ読者仲間が集まって2023年の年間ベスト映画を語る読者サミットに参加。たぶん映画鑑賞に対する考え方とかがとても近い人たちの集いで、半年に1回加減なしで映画の話をできる感じで、今回も参加できて嬉しかったです。
■2024/1/14 日曜日。娘は今日もなんかの試験を受けに行くそうです。試験ばっかだな。僕のんびり起きてスーパーへ。豚肉とキャベツを買ってきて、Instagramでよく流れてくる手抜きとん平焼きみたいのを作ってみた。けっこう美味しくできましたがお好み焼きソースがほしかったなぁ。中濃ソースだとちょっと違うんだなぁ。昼からMOVIX昭島へ行き『カラオケ行こ!』観賞。帰宅してからDisney+『エコー』E5を見る。これで完走。かなりフィスクについても掘り下げるドラマでした。音源を1本編集。Netflix『マエストロ その音楽と愛と』を見る。DAZNでサッカーアジア杯の初戦、日本×ベトナム戦を見る。予想以上に面白い試合。U-NEXTで「円都LIVE」を見る。ひかえめな歌詞字幕がいい。寒いので布団をかぶってごろんとしていると早めに寝てしまう。しょうがない。
■2024/1/15 月曜日。先週合併号だったので今週はジャンプがありませんよ。キン肉マンは更新されていますので要チェックです。通勤途中でU-NEXT『破局』を見る。お昼はOKのロースかつ重を食べる。いやぁ美味しいですよね。週一ぐらいで食べたいぐらい。安いし。仕事終わりで立川へ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E4を見る。悪性リンパ腫のキャラクターが出てきたんですけど、スタローン作品でやたらこの病気出てくる気が。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『ビヨンド・ユートピア 脱北』鑑賞。帰宅して寝る前に録画したアニメやドラマを見進めようとするが、予定の半分も見れずに寝落ち。
■2024/1/16 火曜日。なんだか昨夜座った状態でかなりの時間寝落ちしてしまったようで身体が痛い。お昼は中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。キリエの曲を歌っていた。仕事終わりで新宿へ。移動しながらWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E5を見る。テイラー・シェリダンにしてはほのぼのした話かと思っていたけど、やはり不穏な感じ���なってきた。U-NEXT『絶好調』を見る。テアトル新宿にて『市子』を見る。帰宅してから録画していたアニメなどを見る。観る映画の予定を立てるために各劇場のスケジュールをチェック。とにかく旧作上映が怒涛の勢いでくるのでどれを観るか考えないと。閉館する吉祥寺プラザで『もののけ姫』を観たいけど、何時ぐらいにチケット買いに行けばいいのか、何時ぐらいから並べばいいのかがまったく予想できない。でもこれに行ければ、整理番号もない自由席の劇場で映画を観るという体験が、もしかしたら最後になるのかもしれない。できれば行きたいなぁ、ヤックルにのって。
■2024/1/17 水曜日。午前中にミーティングが集中していてぐったり。マクドナルドにて、スパイシーチキンマックナゲット 黒胡椒ガーリック カマンベール&パルメザンチーズソースとキャラメルミルクティーフラッペ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E6を見る。U-NEXT『幸福な結婚記念日』を見る。帰宅してからU-NEXT『アリバイ・ドット・コム カンヌの不倫旅行がヒャッハー!な大騒動になった件』を見る。音源を1本編集。録画したドラマやアニメを見る。僕は自宅にあるトルネで録画したテレビ番組をスマホアプリにWi-FiでDLして見る、という方法で基本的にテレビ番組を見ているのですが、どうやらそのDL待ちをしている間に寝落ちしたらしい。そんなに疲れている感覚はないのに、どうにも寝落ちしてしまうんですよねここ数日。
■2024/1/18 木曜日。7時間以上、たっぷり寝たはずなのに朝はだらだらしてしまう。まぁ寒いからでしょう。最近、朝ウォーキング中に鷺パイセンを見てない気がするな。今年は病院の待ち時間以外にも読書をする時間を作りたいと思っていたのですが、どうやったらその時間を作れるのか。すでにいま見ているものや、聴いているもので日々の時間はぎりぎりな気がしています。お昼は丸亀製麺にて、かけ並とかしわ天。うどん札10枚までリーチ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E7を見る。なんかいいところまできたけど明日からは『ストレンジ・ニュー・ワールド』S2を見てしまうなぁ。帰宅してからU-NEXT『ぼくの伯父さん』を見る。音源を1本編集。寒いから布団をかぶる。暖かい。寝ちゃう。しょうがない。
■2024/1/19 金曜日。軽く寝坊。眠すぎる。朝ウォーキング中に白鷺を見かけてテンション上がる。拝島駅構内の書店でミュージックマガジン購入。ZAZENBOYS特集だ。お昼休みにWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E1を見る。どうやらこのシーズン2は毎週金曜日に1エピソード配信されていくようです。気になるのはクリスティンの発言。一度エンタープライズを離れるのかな。このシリーズで一番好きなキャラクターなんですけど。17時を過ぎてから「遅い時間にすいません」という前書きの、つまり「今日中に対応してくれよな」というメールががんがんくる。大きな顧客の契約更新が佳境なのだろう。集中して対応。サッカーまでには帰るぞ。なんとか仕事を切り替え、帰宅して夕飯食べてからDAZNでサッカーアジア杯 日本VSイラク戦。負けたなー。うまくいかなかったなー。ぜんぜん攻撃がはまらず。残念。U-NEXTにてMyFFF『ジャンヌと七面鳥』を見る。
■2024/1/20 土曜日。ちょっと寝坊、したが僕が一番早きじゃないか。朝ごはん食べてからWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E8を見る。雨が降らないうちに自転車で昭島図書館へ。昼は武蔵野館の舞台挨拶回チケ取り。こんな時間の発売なのに、がっつりアクセス集中。繋がる(復旧する)のに30分以上かかってしまったけどなんとかチケット確保。WOWOWオンデマンド『ブラックライト』を見る。天気が微妙、歩いてMOVIX昭島へ。『ゴールデンカムイ』鑑賞。YouTubeで短編映画『AI Detective 探偵をインストールしました』を見る。Netflix『ハロー!?ゴースト』を見る。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。今年もよろしく。
■2024/1/21 日曜日。うーむ、予報通りの雨ですね。でも行く行くしかないな。とゆうわけで朝から吉祥寺へ。まずおにやん��にて、かけ並とホタテ天を食べる。そしていざ吉祥寺プラザへ。たぶん『野球少女』観たとき以来かな。閉館上映となる『もののけ姫』のチケット発売に並ぶ。チケット買ってすぐロビーへ入る。もう入場したら退場はできないがもう入ってしまう。先にチケットを買った人が100人ぐらいいたと思うのだけど、意外にも誰も入場していない。みなさんシステムを理解しているのだろうか。僕は入場してロビーの椅子に座って待機。人が集まってきたら列を作るらしい。整理番号ですらない映画観賞なんて、これが本当に最後かもしれない。昔はこれが普通だったし、シネマシティですら初期はこのシステムだったんですよね。いまでは信じられないけど、映画館が指定席化されていくのに対しけっこう反対の声すらあった。楽なのに。ロビーで椅子に座って待つこと30分ぐらい、観る回の上映開始まではまだ1時間半ほどあるけど、入場列が作られはじめた。列を作りはじめる時、映画館のスタッフさんが一番乗りでロビーに入っていた僕に声をかけてくれて、入場列の先頭に並ぶことに。なんか気合いが入っている人みたいで恥ずかしいが、嬉しい対応ですね。劇場内からは朝一で上映がされている『君たちはどう生きるか』の音が漏れ聴こえてくる。そしていよいよ入場開始。列の先頭にいたのでもちろん好みの席で、予告編なしでの『もののけ姫』鑑賞。97年に試写と一般公開で観て以来となるスクリーン鑑賞。たまに子供の話す声や、お菓子のがさがさ音のある満席の客席。鑑賞環境まで当時のようで大変良かったです。ありがとう吉祥寺プラザ。閉館する映画館の上映に人が集まることに批判的な人もいるのはわかりますが、人が集まらないより集まった方が劇場側にとっても嬉しい気はするんですけどね。せっかくの吉祥寺なので「さとう」のコロッケを買って帰る。移動中にWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E9を見る。これで完走。近作の映画がイマイチなスタローンですがこれは面白かったと思います。帰宅してから音源を1本編集。BSSTO『よき仕事』を見る。Disnery+『アントマン&ワスプ クアントマニア』を見る。録画したアニメとかドラマとかをできるだけ見て寝る。
■2024/1/22 月曜日。昨日買ってきた「さとう」のコロッケでサンドイッチをつくる。これが本日のランチ。これがうまいんですよ。お昼休みにU-NEXT『特��作戦部隊:ライオネス』E1を見る。またもテイラー・シェリダンのドラマ。しかもE1の監督はジョン・ヒルコート!仕事はMeetingの連続。通常の仕事をする時間が削られる。仕事終わりで新宿へ。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『私に触れた手』を見る。WOWOWオンデマンド『事故物件 歪んだ家』を見る。シネマート新宿にて『悪魔のシスター デジタルリマスター版』鑑賞。シネマート新宿の小さい方のスクリーン、久々だったな。録画していた「世界!ニッポン行きたい人応援団」を見たらすごいおでんが食べたくなってしまった。
■2024/1/23 火曜日。通勤しながらU-NEXT、MyFFFの短編『2匹は友だち』を見る。オチが途中でよめたけど、楽しい短編だ。出勤してから強烈な偏頭痛。なんか久々。一応カロナールを飲んでおく。お昼は丸亀製麺にて、かけ並とほっけ天。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E2を見る。急ぎの、とてもめんどくさい依頼に対応。えらいぞ自分。仕事終わりで高田馬場へ。松屋にて、カットステーキのハッシュドビーフを食べる。早稲田松竹にて『グッドフェローズ』鑑賞。劇場でははじめて観れた。あまりに旧作上映、リバイバルのラインナップが魅力的なので、油断すると旧作鑑賞ばかりになってしまいそう。新作、しっかり観ていかないとな。U-NEXT『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』を見る。僕が月一の007と寅さんを見れているときは、自宅映画鑑賞スケジュールに余裕があるときです。日付が変わってZAZENBOYSの新譜『らんど』がリリースされた。前作から12年。この12年の間に音楽を聴く環境はすっかり変わってしまい、この『らんど』もリリースされた瞬間にSpotifyで聴いている。聴きこんでLIVEに行きたいな。
■2024/1/24 水曜日。通勤しながらU-NEXT、MyFFF短編『ふたりは姉妹』を見る。この短編アニメもいいアイデアでした。お昼はマクドナルドにてマックチキンのセット。ドリンクはキャラメルラテで。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E3を見る。マーティン・ドノヴァン出てきた。ちなみにこのお昼休みに会社の周辺でGoogle mapの撮影車とすれ違った。そのうちmapで僕の姿が確認できるだろうか。DAZN(docomo)の強烈な値上げのお知らせがきてしまった。これはさすがに解約だなぁ。僕はFC東京の試合のために契約してたんですけど月4試合ぐらいのために3000円は出せないよ。帰宅してからそのDAZNでサッカーアジア杯 日本×インドネシア戦を見る。ワクワクするスタメンでしたがそれほどうまくいかず。決勝トーナメントで持ち直してほしい。音源を1本編集。日付変更と同時にジョニー・トー監督の舞台挨拶回チケ取り。これが意外にもあっさり取れた。キャパが大きいからかな。まぁ良かった。寒いので布団をかぶって録画の『相棒』を見ようとしたけど5分ぐらいで寝てた。もう横になった時点で寝ちゃう。
■2024/1/25 木曜日。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編アニメ『ダンスの中に』を見る。お昼はCoCo壱にてグランド・マザー・カレー(一辛)。久々のグラマ。スプーンのくじはハズレ。12時半に発売となったジョニー・トーのもう1作品も問題なくGET。土曜はジョニー・トー映画のハシゴだ。仕事終わって帰宅してからU-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E4を見る。そしてMCTOS『マエストロ:その音楽と愛と』回に参加。いやぁ散歩しながらMCTOSには寒い季節になってきましたね。平塚さんの知識が凄すぎるのでnoteに書いていただけると嬉しいです。Netflix『エレクション 黒社会』を見る。徐々に香港映画モードに突入。
■2024/1/26 金曜日。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『女と犬』を見る。午前中はMeetingで終わる。お昼はマクドナルド。そろそろ販売が終わりそうなゴジラバーガーなので肉厚ビーフ&ザク切りポテトを食べようとしたらこれだけもう販売が終わっていた。不覚。。しょうがないのでまだ試していなかった焦がしにんにく醤油ソースでナゲットを食べる。これはガツンとくるソースだ。仕事終わりで新宿へ。移動しながらApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E1を見る。昔ながら『〜ジ・エアー』って表記だったでしょうね。武蔵野館で『白日青春-生きてこそ-』観賞。上映前舞台挨拶にアンソニー・ウォン!また武蔵野館にきてくれて嬉しい。香港映画好きおばさん達にまぎれてかけつけました。きっとジョニー・トーも東京にきてるだろうから一緒に飲みに行ったのかな。帰宅してやや頭痛があったので早めに寝る。
■2024/1/27 土曜日。僕だけ早起きしていざ新宿へ。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『アトミックチキン』を見る。ジョニー・トー 漢の絆セレクション『エグザイル/絆』と『エレクション-死の報復-』鑑賞@シネマート新宿。それぞれにジョニー・トー監督の舞台挨拶付き。生ジョニー・トーに感動してしまった。ジョニー・トー監督の映画をいつから観てるだろうか。たぶん2003年のフィルメックスで『PTU』を観てから東京で観れる作品はできるだけ観ようと追い続けている気がするんですけど、やっと生のジョニー・トーの姿を見られてとても嬉しかったです。帰りの電車でAmazon Prime Video『エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E1を見る。なんとこれも香港の話だった。帰宅してからU-NEXT『あくなき挑戦 ジョニー・トーが見た映画の世界』を見る。U-NEXT『シャンドライの恋』を見る。もう僕モテメルマガの情報コーナーを仕上げてしまう。仕事が早いな、自分。録画してたドラマとかドキュメント72時間とかを見れるだけ見て寝る。
■2024/1/28 日曜日。娘は朝早めの時間から塾の試験に向かったようだ。僕はのんびり起きる。BSSTO『励ましの言葉』を見る。今年は積極的に短編映画も見ようとしているので無料で見れる短編はありがたい。自転車で昭島図書館へ行き本を借りたり返したり。ATMでお金をおろす。お昼を食べてから渋谷へ。移動中にApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E2を見る。なるべく通りたくない渋谷駅前スクランブル経由してタワレコへ。もうタワレコに行くのが久々ですけどZAZENBOYSが掲載されているbounceをもらう。ヒュートラ渋谷へ。未体験ゾーンの映画たち2024『アリバイ・ドット・コム2 ウェディング・ミッション』と『犬人間』鑑賞。未体験ゾーン作品は短いのでハシゴしても余裕ですね。帰宅してからWOWOWオンデマンド『ONODA 一万夜を超えて』を見る。Netflix『バッドランド・ハンターズ』を見る。
■2024/1/29 月曜日。娘は本日学校が休みとのこと。まぁゆっくり休んでください。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『フェアプレー』を見る。お昼は丸亀製麺のかけ並とコロッケ。Amazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E2を見る。仕事終わりで昭島へ。しまった、常備しているバタピーの補充を忘れてしまっていた。しょうがないのでセブンイレブンで高級なバタピーを購入。グラム価格で云えばヤオコーのバタピーの倍��らいしますよ。MOVIX昭島にて『哀れなるものたち』鑑賞。帰宅してからWOWOWオンデマンド『プアン/友だちと呼ばせて』を見る。
■2024/1/30 火曜日。基本的に耳が空いてる時間はだいたいradikoを聴いているんですが、今朝から急にバックグラウンド再生ができなくなったようだ。ちょっと調べてみたらアプリの位置情報を「常に許可」にしていないとバックグラウンド再生できなくなったらしい。云ってくれよ。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『新凱旋門』を見る。お昼は丸亀製麺にて、牡蠣たまあんかけうどん並。仕事終わり、夕飯にからやまにて、カレーからあげのカレーうどん定食を食べる。カレーからあげが普通にうまい。あきらかに提供順間違えて待たされていたと思うけど許します。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E2を見る。法廷もののすごい良いエピソードだ。U-NEXT『捜索者』を見る。日付変更と同時にル・シネマのバス・ドゥヴォス映画のチケ取り。チケット取れてホッとしたらもう眠い。冬は活動限界がすぐにきてしまう。バッテリーと同じであります。
■2024/1/31 水曜日。朝ウォーキング時に鴨をたくさん見れて嬉しい。体調不良で2日ほど仕事を休んでいた会社の先輩が在宅勤務で復帰。コロナもインフルも陰性で高熱だったらしい。なんかこういうのよく聞きますね。お昼はマクドナルドにてアイコンチキン ソルト&レモン。U-NEXT、MyFFFの短編『スピード』を見る。やや遅め時間になった中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。帰宅してからU-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E5を見る。DAZNでサッカーアジア杯のベスト16 日本×バーレーン戦を見る。ついに三苫登場。本調子じゃなくても違いを見せつけてくれた。そして久々にコヨイチの収録に参加。編集大変そうですが。配信お楽しみに。とゆうわけで1月も終わりなのですが、タランティーノ10作コンプ、『彼方のうた』杉田監督にQ&Aで質問できた、Poster Strangelove、『もののけ姫』、アンソニー・ウォン&ジョニー・トー、と映画関係のトピックがいきなり充実の1ヵ月でした。
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイ��ードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。こ��時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバラ��スが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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名古屋市中村区名駅南5丁目のかっぱ寿司水主町店で、朝食メニューの、朝の海鮮丼セット海苔入りうどん付き、539円也。
Seafoods sushi rice bowl and Nori, sea weed, udon noodles soup morning meals set at the Kakomachi branch of Kappa\sushi in Nagoya city.
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伊藤詩織氏が告発した山口敬之氏の独占手記
「詩織」と名乗る女性の勇気ある告発!
2017年5月29日、「詩織」と名乗る女性が、東京・霞が関の司法記者クラブで、たくさんの記者とテレビカメラを前に、私から性的暴行の被害を受けたと主張した。
「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」ということで、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱った。この女性は自らの主張を詳細に説明するとともに、2016年7月の検察の不起訴処分について検察審査会に不服申請を行った、と述べた。
この問題は、この会見に先立つ5月中旬、なぜか『週刊新潮』が「安倍総理べったり記者の準強姦逮捕状」というセンセーショナルなタイトルで報じていた。
私は、週刊誌報道の段階から一貫して疑惑を全否定し続けた。しかしメディアの大半は、「勇気ある告発をした」として女性に寄り添い、私を犯罪者と断定するかのような報道が少なくなかった。
また、複数の野党議員が国会の内外で、女性側に寄り添い、事実認識を誤った質問を繰り返した。そしてなぜか、これら野党の主張に共鳴する集団も、ネット上で女性の主張を鵜みにして私を糾弾し、私や私の家族には「死ね」などという誹謗中傷のメールが殺到した。
事実と異なるあなたの主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負いました。私は虚偽の訴えに強い憤りを感じました。
しかし4カ月あまりの審理の末、検察審査会は9月21日、「不起訴処分は妥当」との最終結論を出した。「犯罪行為があった」という女性の主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した。
この間、私は様々な判断から基本的に沈黙を守ってきた。しかし、女性が民事訴訟を提起したことで状況が変わった。これまでの沈黙の理由も含め、私は自らの見解を「当該女性への書簡」という形で申し述べることにした。
いままで私が、沈黙を守ってきた理由
詩織さん、
あなたは性犯罪被害者ではありません。そして、自分が性犯罪被害者でない可能性があるということを、あなたは知っています。
検察審査会は、一般国民から無作為に抽出された11人のメンバーによって構成されます。
そして、あなたの「犯罪行為があった」という主張と、私の「犯罪行為はなかった」という主張、さらに当局が収集した膨大な客観的な物証に基づく4カ月あまりの審査の結果、検察審査会は「不起訴処分は妥当であった」という結論に達しました。
これにより、刑事裁判によって私に犯罪者という汚名を着せようというあなたの企ては、最終的に失敗したわけです。
もしあなたが民事訴訟に打って出なければ、私はこれ以上の議論をしないつもりでいました。それは、これまで沈黙を守ってきた判断と同様に、傷ついているように見えるあなたがさらに傷つく危険性があると判断したからです。
しかし、あなたがあえて「不法行為があった」との主張を民事訴訟の場で繰り返すのであれば、無関係な他者を巻き込んで騒動を継続しようとするならば、私は自らの主張の中身を公表せざるを得ません。
それは「あなたの主張が事実と異なっている」ことを示すことを一義的な目的としますが、そのために「全く根拠がないことを事実だと思い込むあなた特有の傾向」まで指摘することになります。
残念ですが、あなたが選んだ道ですから、冷静かつ論理的に、私の主張の一部をここに示すこととします。
あなたの主張は、要約すれば「2015年4月3日の夜、抗拒不能な状態で意に反して性行為をされた」ということになります。そしてそれは、「飲食店のトイレから翌朝5時まで継続して意識を失っていた」というあなたの認識に立脚しています。
それは全く事実ではありません。また、あなたは自らの主張が正しいと立証することが絶対にできません。このことは、実は捜査段階ですでに明確に示されていました。
だからこそ検察官は不起訴処分という結論に達し、検察審査会もその判断が妥当という最終結論に至ったのです。私はこれから、その詳細を5つの事象に分けて説明します。
①「デートレイプドラッグ」
②「ブラックアウト」(アルコール性健忘)
③詩織���特有の性質
④あとから作られた「魂の殺人」
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
①「デートレイプドラッグ」――間違った主張のはじまり
あなたの「犯罪被害に遭った」という主張は、「私はお酒ですっぽり記憶を失くした経験はない」から、「山口氏にデートレイプドラッグを混入されたと思っている」という点からスタートしています。
私はそれを聞いて本当に驚きました。私はそもそも、デートレイプドラッグというもの自体を知らなかったからです。しかも、当夜の状況を見れば、私があなたのグラスにいかなる薬物も混入させることなどできなかったことは明白です。
2015年4月3日、我々は東京・恵比寿の2軒の店で飲食しました。1軒目は庶民的な串焼き店、2軒目はカウンターの寿司店。2軒とも、10数人も座ればいっぱいになる、小さいけれども明るいオープンカウンターの店で、客は店主と向き合って座ります。
1軒目の串焼き店はほぼ満席で、我々の両サイドにお客さんが座っていました。2軒目の寿司店もたくさんのお客さんで賑わっており、ほぼ満席でした。
当地で生まれ育った私にとって、両店は20年以上通う行きつけのお店です。あなたも記憶していると希望しますが、私はどちらの店でも、馴染みの店主やその奥さんと親しく談笑しました。
あの夜、あなたはいろいろな種類の酒を飲みましたね。1軒目の店に座ってほどなく、私はあなたの飲むペースが非常に早く、かなり強いお酒をぐいぐいと一気飲みのように飲むことに気が付きました。
少し心配になり、
「大丈夫ですか?」
と訊きました。するとあなたは、
「喉が渇いているので。お酒は強いほうだから大丈夫です」
と答え、その後もハイペースで飲み続けました。
私は少し驚きながらも、いい大人なのだからと、それ以上は警告をしませんでした。もちろん、私があなたに飲酒を強要したことは一切ないこともお認めになりますね?
結局、あなたは2軒の店でビール、サワー、ワイン、日本酒を飲んだ。そして2軒目の寿司店で、当夜1回目のトイレに立って、そこで酔いつぶれた。あなたは記憶を失ったのは2回目だったと主張しています。
しかし、あなたが寿司店でトイレの場所を私に訊いてから席を立ち、その後、戻ってこなかったので私はよく覚えているのです。酔いつぶれてしまった女性が、直前のトイレの回数を正確に覚えているというのも不思議な話です。
あえて2回目と主張しているのは、そう主張することで私に薬を入れる機会があったと主張するためではありませんか?
要するに、あの夜、あなたが飲んだ全てのアルコールのグラスは、ずっとあなたの目の前にあったのです。
百歩譲って、あなたがつぶれたのが2回目のトイレだとしても、ほぼ満席の客でごった返す明るいカウンター席の店で、顔馴染みの店主や従業員のいる前で、女性のグラスに薬品を入れることなどできるはずもありません。
「山口に違法ドラッグを飲まされた」
しかも驚くべきことに、あなたは薬を入れているところを見たわけでも、その後、目撃証言を得たわけでもなく、「私は酒に強いはずなのに、急に酔いが回ったから、山口に薬を盛られたに違いない」と言うのです。
失礼千万な話です。
あなたの言う「デートレイプドラッグ」は、その後、調べてみたところ、町の薬局で手に入るものではなく、ほとんどがインターネットを通じた取引だということですね。
私は所有していたすべてのパソコン、携帯電話、タブレットなど、ありとあらゆる物を警察に提供しましたが、違法薬物の購入や使用に繋がる物証は一切ありませんでした。
もし私が違法薬物を入手したり使用したりしたのであれば、日本の優秀な警察機構は何らかの手掛かりを見つけたはずですが、あなたの主張を聞いたにもかかわらず、そんなものはなかった。
串焼き店、寿司店でも捜査員が証言を集めに回ったことが確認されていますが、そこでも薬物混入を示す証言は一切なかったのです。
当たり前です。繰り返しますが、私はあなたの言う「デートレイプドラッグ」などというものは、聞いたことも見たこともないのです。
あなたはただ、「自分の酒量を過信して飲みすぎた」だけなのです。それはよくあることで、そのこと自体を強く責める気はしません。
しかし恐るべきは、その後のあなたの見解です。自分の飲みすぎを認めないばかりか、何の証拠もなく、「山口に違法ドラッグを飲まされた」という前提で主張のすべてを組み立てている。
記者会見で、デートレイプドラッグを盛られたという主張をした際に、あなたは「他に思い当たる節もある」と述べました。それは何を指しますか? 明確に示して下さい。
そんなものはあるはずがない。あなたの勘違いと思い込みなのだから。ありもしない証拠や傍証を、あたかも存在するかのように記者会見の場で匂わせるのは、卑怯なやり方です。
②ブラックアウト(アルコール性健忘)
繰り返しますが、あなたはいかなる薬物も混入されていません。ただ、飲みすぎただけです。
その一方で、あなたは記者会見で「私は酒に強く、泥酔したり酔いつぶれたりしたことはない」と主張しました。ということは、あのように泥酔してしまったのは人生で初めての経験ということになりますね。
それならば、あなたは酒の過剰摂取の影響下で、自分がどう行動するか、そして、その行動をどこまで記憶しているか、経験がないから類推できない。これが、今回の問題の核心部分です。
寿司屋でトイレに入ったあなたは、長い間出てこなかった。心配になった店の方に促されて、ようやく出てきたあなたは、見るからに酔っぱらっていました。驚いた私は、やむなく急いで会計を済ませました。
店を出たのは22時半から23時頃だったと思います。店を出る段階で、あなたは足元が覚束なかった。そして、店の入り口左手にあった荷物置きの棚から、あなたは自分のショルダーバッグに加えて、他のお客さんのカバンも持って出てしまったことが、あとになってわかっています。
誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態でした。
しかし、私は当時、TBS報道局のワシントン支局長を務めていたので、ワシントン時間の午前中、すなわち日本時間の23時過ぎまでに済ませなければならない作業(メール確認やパソコンでの調査・連絡)を複数抱えていました。
神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わ��ない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。
「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」
あなたはタクシー運転手の証言を元に、「『駅で降ろしてください』と言ったのにホテルに連れて行かれた。だからその段階で犯意があったのだ」というストーリーを作ろうとしているが、とんでもないことです。
そもそもあなたは、「寿司店のトイレ以降、記憶がない」と主張しています。あなたが相当程度酔っていたことは、あなたも認めているのです。
実際、あなたはそのタクシーのなかで嘔吐したではありませんか。嘔吐し、朦朧とした泥酔者が「駅で降ろしてください」と言ったからといって、本当に駅に放置すべきだと思いますか?
私が宿泊していた白金高輪のシェラトン都ホテルに到着すると、私は泥酔しているあなたがタクシーから降りるのを手伝いました。あなたはタクシーのなかで嘔吐したこともあって、傍目には少し回復したように見えました。
そして、千鳥足ではありますが、自分の足で歩きました。
このホテルでの移動について、あなたは「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」と主張していますが、それはあなたが何と言おうと物理的に全く不可能です。ホテルの1階ロビーは、車寄せからエレベーターホールまで100メートルほどあります。
もしあなたの主張どおり、全く意識がない状態だったとしたら、私はあなたを抱えて、どうやって100メートルも移動したというのでしょうか?
衆人環視のなか、正体不明の大人の女性を荷物のように背負ったり、引きずって歩いたりしたとでもいうのでしょうか?
あのホテルは、車寄せから入り口を入ると、まずドアマンや荷物係が待機しており、正面には24時まで営業している大規模なラウンジ、そして右手に曲がるとホテルフロントがあり、レセプションの人やコンシェルジェ、案内係がズラリと並んでいます。
意識を失っている、あるいは意に反して無理矢理移動させられている女性がいたとして、一流ホテルの訓練された接客のプロたち全員が、それを見逃すということがありうるでしょうか?
しかも、4月3日は金曜日で、ロビー階では多くの宿泊客やレストランの利用客が往来していました。あなたの主張がいかにありえないかは、金曜日の夜11時に、都ホテルに行ってみればすぐにわかります。
実際のあなたは、2つのカバンを自分で持って、自分の足でヨタヨタと歩いたのです。もちろん、千鳥足ではありましたから、私はあなたが転ばないように注意はしましたが、移動を無理強いしたり、あるいは担いだり引きずったりは一切していません。
防犯カメラに映っているのも、「意識のないあなた」ではなく、「酔っぱらっているけれども何とか自力で歩けるあなた」です。
要するにあなたは、犯罪行為が行われたという主張の根幹をなす「意識のない状態が朝まで続いた」という認識の一環として、「ホテル到着時も意識がなかった」との立場をとっていますが、あなたの主張は物理的にありえないのです。
私の部屋がある階でエレベーターを降りたあとも、あなたは自分の足で普通に歩きました。私が部屋の鍵を開けると、あなたは私を押しのけて先に部屋のなかに入り、小走りに窓際に向かいました。そして、いきなり嘔吐しました。
あなたは、いびきをかいて、寝ていた
私は翌朝、アメリカに帰ることになっていたので、パッキング前の荷物を窓際にまとめて置いていましたが、その上にも吐瀉物が飛び散りました。
自分の荷物を汚されて少なからず驚いていると、あなたは今度は踵を返して、無言でトイレに駆け込みました。あなたの吐瀉物をタオルで拭いておりますと、トイレのなかから嘔吐する大きな音が2度しました。
正直に言って、本当に迷惑でした。やらなきゃならない仕事を抱えて、翌日の移動のためにパッキングもしなければならないのに、荷物をゲロまみれにされたうえにトイレを占領されている。
しかし、早く済ませなければならない作業が複数あったので、私はやむなくパソコンに向かいました。仕事が一段落してもあなたがトイレから出てこないので、私は心配になってドアをノックしました。
すると、なかからかすかな声が聞こえたのでドアノブを回すと、ドアは施錠されていなかったため、ドアを開けてなかを見ると、あなたは尻もちをついて、トイレとバスタブの間に座り込んでいました。ブラウスとスラックスは、大量の吐瀉物で汚れていました。
私は吐瀉物が苦手なので自分も吐きそうになりましたが、このまま放置すると喉に物を詰まらせて事故を起こす可能性もあったので、やむなくなかに入って吐瀉物をタオルで拭い、あなたを起こそうと努力しました。
あなたは謝罪ともうめき声ともつかない声を上げながら、なんとか自ら起き上がりました。そしてゲロまみれのブラウスを脱ぎ、部屋に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまったのです。
私はあなたのあまりの痴態に怒���呆れましたが、翌日着るものがないとかわいそうだと思い、トイレに放置されたあなたのブラウスのゲロを拭って浴室に干しました。
また、バスルームの床面もゲロまみれだったので、シャワーで洗い流すなどして部屋に戻ると、あなたはいびきをかいて寝ていました。
部屋はツインで、シングルベッドが2つありました。前日まで私が寝ていたベッドはあなたに占領され、もう1つのベッドは、ベッドメイキングを壊さないままパッキング前の衣類などを並べていました。
私が全ての仕事を終えても、あなたは相変わらずいびきをかいて眠りこけていたので、私は荷物置き場にしていたベッドの、わずかに空いたスペースに身を横たえました。
下着姿でミネラルウォーターをごくごく。そして――
部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。
私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました。
「喉が渇いたのですが、飲み物をもらってもいいですか?」と言って、あなたがホテルの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、自分でキャップをひねって開けて直接飲みました。
下着姿であることを全く気にしていないのには少し驚きましたが、外国生活が長いせいかなと類推したのを覚えています。
そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。
面食らった私は、ひとまずいままであなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。
ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです。
はっきり言えるのは、私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反する行動は一切していないということです。
もし、あなたが覚えていることがあり、自分で差し支えないと考えるなら遠慮なく言って下さい。
誰も証明できない「密室」での出来事
もうひとつ強調したいのは、トイレから戻ったあとのあなたは、立ち居振る舞いもしゃべり方も正常で、すっかり酔いから醒めたように見えたということです。
それまでに複数回にわたって大量に嘔吐したあと熟睡したので、それで楽になったのかなと思いました。その後しばらくして、あなたはまた眠りに落ちました。
要するに、あなたは「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠ったのです。
あなたはこのことを覚えていないのかもしれない。あるいは覚えていたが忘れてしまったのかもしれない。あるいは覚えているのに黙っているのかもしれない。
それは私にはわからない。密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない。
しかし、1つだけ客観的な事実を示すことができます。私は一時帰国の期間中、1度もホテルの冷蔵庫の飲み物を消費していません。室内のミニバーの飲料はどれも高価で、好みのものもなかったので、飲み物はコンビニで買って持ち込んでいました。
だから、7日間の滞在で、唯一の冷蔵庫の出費こそが、あなたが飲んだミネラルウォーターだったのです。
このことは、ホテルの領収書によって簡単に証明できます。あなたは、未明に自分で起きて、トイレに行ったあと、自ら冷蔵庫を開け、自分の力でペットボトルのふたを開け、飲んだ。
これはあなたの「朝まで全く意識がなかった」という主張とは完全に矛盾します。
その後、あなたが被害届を出して、私は警察の聴取に全面的に協力しました。そのなかで、深夜のあなたの覚醒と再睡眠について何度も質問されました。
ペットボトルのことも含め、私は覚えていることを繰り返し詳細に話しました。おそらく捜査員は私から聞いたことを踏まえてあなたに確認し、その答えを踏まえてまた私に聞き直すということを繰り返したのでしょう。
何回か聴取が繰り返されたあと、捜査員は私にこう言いました。
「あなたの供述は何度聞いても詳細で矛盾がない。他方、詩織さんは朝まで記憶がなかったと言っている。双方の主張は一見矛盾しているようだが、2人ともウソをついていない可能性が1つある。それは『ブラックアウト』だ」
英語でブラックアウトと言えば、真っ先に浮かぶのは停電です。しかし、捜査員の言うブラックアウトは違いました。アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象のことをいうらしい。
たしかに、酒を飲みすぎてどうやって家に帰ったか覚えていないという話は珍しいものではありません。自力で歩き、自分でカギを開け、部屋まで辿り着いて寝たが、ただその経過の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。
それでも、最初に捜査員にブラックアウトの可能性を指摘された時には、私はにわかには信じられませんでした。
というのは、トイレから戻って再び眠るまでのあなたの行動は所作も会話も全く正常で、のちに記憶を失うような泥酔した状態とは到底思えなかったからです。そのことも捜査員に指摘しました。
しかし、医学的に「アルコール性健忘」といわれるこの現象は、アルコールの過剰摂取によって、脳内で記憶を司る「海馬」という組織の機能だけが低下することによって起きるため、傍から見ると当人の行動は、まったく酔っていないように見えるといいます。
普通に歩き、しゃべり、飲食をしているが、その状況を記憶として脳に保存することだけができない。もし当夜、そういう状況にあったのであれば、「朝まで記憶がなかった」とあなたが主張したとしても、辻褄が合うのです。
(つづく)
(初出:月刊『Hanada』2017年12月号)
【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」
③詩織氏特有の性質――「盗撮されたに違いない」
捜査員が示した可能性は、簡単に言えば「飲みすぎて記憶が飛んでしまった」という、酒飲みにとってはよくあるありふれた話です。
しかし、しかしです。私と同じく、あなたも捜査員からブラックアウトの可能性について説明を受けたはずだ。そして、あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にできない。
しかも、あの夜は人生で初めて自分の酒量の限度を超えて飲んでしまったのだから、なおさらです。
それまでの人生でアルコール性健忘の経験がなかったからといって、その現象が自分には絶対に起こりえないと断定するのは、少し独り善がりが過ぎませんか?
そして、「自分が飲みすぎたはずはない」という無理な論理を補強するために、根拠もないのに「デートレイプドラッグ」などという違法薬物の話を思いついたのではありませんか?
そこで、私が指摘せざるを得ないのが、あなた特有の思考傾向です。
たとえば、あなたは朝起きてテーブルの上に私のパソコンがあるのを見て、咄嗟に「盗撮されたに違いない」と思ったと述べていますね。そしてそれが、警察が強制捜査に着手するきっかけになったとも言っています。
私のような仕事をしている人間は、例外なくパソコンを使っている。部屋にパソコンがあるからといって、自分が盗撮されたと思い込むというのは、あまり普通の思考回路ではない。
実際、そのパソコンは警察に提出され、盗撮映像など一切出てきませんでした。当たり前です。私は盗撮などしていないからです。
それから、あなたは「独自調査の結果、得られた新しい証拠を検察審査会に提出した」とも述べました。そこで例示したのがタクシー運転手の証言でした。しかし警察は、そのタクシー運転手から早い段階で聴取を行っていました。
その証言に基づいて、私は捜査員から何度も質問されている。そのことはあなたも知っている。その証言も踏まえた捜査が行われ、検察官は不起訴という判断を下したのです。
「自分は酒に強いから薬物を盛られたに違いない」
「ブラックアウトは、自分には起こり得ない」
「パソコンがあるなら盗撮されたに違いない」
「自分は初めて聞いたから、新証拠だ」
あなたの思考パターンには、まず強い自意識があって、自分を被害者、私を悪意ある犯罪者と思い込むことによって、全ての事象をそのストーリーにはめ込もうとしているのではないか。
その結果、冷静な判断ができなくなり、結果として事実ではないことや根拠のないことを、自ら信じ込んでしまっているのではないか。そう考えざるを得ないのです。
④あとから作られた「魂の殺人」――「レイプは魂の殺人です」
ここまでは、「~に違いない」というあなた特有の思考パターンから、私を犯罪者と思い込むに至った流れを類推しました。
しかしこれから述べることは、アルコールという外的要因によって起きた、いわば不可抗力的なものではありません。事後、あなたの心の内部で時間の経過とともに深まっていった、不可解な「後付けの被害者意識」についてです。
あなたは記者会見で、「私はレイプされました」 「内側から殺されました」 「レイプは魂の殺人です」と、非常にエモーショナルに訴えた。
しかし、その激しい怒りと憎悪は、最初から一貫したものではなかったことを証明します。それは、事後のあなたの行動と発言を精査することによって、はっきりと浮かび上がります。
あなたは「給水タンクに寄りかかってから朝まで意識がなかった」という前提の下で、自分がレイプされたと朝の段階で確信し、口論の末に逃げるように部屋を出たと主張している。
しかし、あなたの翌朝の行動は、明らかにあなたの主張と矛盾しています。まずは翌朝のあなたの様子について、私の覚えている限り記述します。
1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。途中、1回だけ英語で少し大きな声を出しました。
「I fucked without contraceptives.」(避妊しないでやっちゃったわ)
急に英語で大声を出し、しかもfucked というあまり上品でない単語を使ったので、私は違和感を覚えましたが、あなたがすぐに日本語に戻ったので、特に気にしませんでした。
日本語の会話は、通常の音量で平穏な口調で、その日の予定や今後の連絡の取り方など、差し障りのない雑談でした。「口論の末逃げ帰った」というあなたの主張は、事実とかけ離れています。
なぜ「レイプ犯」のTシャツを着て帰ったのか?
しかし、もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない。
まず、絶対にしないはずの行動について説明しましょう。
朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」
あなたのブラウスは化繊の薄手のもので、朝までに相当程度乾いていたため、濡れて着用できない状況ではないように見えました。
しかし、私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。
あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの1つを選び、その場で素肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。
レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?
私はこのTシャツの末についても、捜査員に伝えました。そして、できれば返してほしいとお願いした。
しかし捜査員は、
「いまはまだ捜査の途中だから、物品の返却についてはもう少しあとで考えましょう」
と言われ��した。
結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?
あなたは記者会見で、自分が受けたと主張する「被害」について、「レイプという行為は私を内側から殺しました。レイプは魂の殺人です」とまで表現しました。
そこまで言うのであれば、いまのあなたは、私のTシャツを素肌に身に着けることなど、おぞましくて決してできないでしょう。
それならば、「あの朝のあなた」と「いまのあなた」の感情は、全く種類が異なっていることは明らかです。すなわち、あなたの強い被害者意識は最初からあったのではなく、あとから時間をかけて醸成されたものだということになります。
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか?
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続け��のだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島���人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに���軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建��墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実と��て記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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2020年8月2日日曜日、いい場所に引っ越してきたな〜
2020年8月2日日曜日、いい場所に引っ越してきたな〜 #出前迅速 #ウーバーイーツ配達員 #ウーバーイーツバッグ #自転車に乗ろうよ #自転車で運ぼう #CarryOn #sdgsnagoya #sdgs #肉体労働
マクドナルド 栄広小路店
今住んでいるマンションは基本分譲マンションだからか、とても管理が良く、古い建物だけど綺麗で規律がしっかりしている。 これはかなり嬉しい。 そして何よりも繁華街に近い、というか繁華街なので、ウーバーイーツ配達員にとってはこの上ない物件なのです。 ですが、上の階の足音がやたらと響いてくる。 何をそんなにドカドカと踏みつけて歩く必要があるのかわからないけど、時折うるさく感じるわけだ。 管理人さんには前もって言われていたが、もう飽き飽きしているのか、中国人の家族が住んでいるのでクレームは直接言ってくれと言われた。 ん〜、めんどい。 でも、どんな部屋か見てみたいし行ってみよう! ということでご挨拶に行って参りました(笑)。 ピンポン押したら子供が出てきた。 そういうことね・・・。 ま、適度に挨拶をして、よろしくお願いしますとだけ言ってきた。 多分…
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夏の疲れが今ごろに!
なんか 抜け毛がひどいぞ!!
鳥取県 三朝温泉湯治旅行!
兵庫県豊岡 床瀬そば
貝塚市水間 新築 リフォーム 坂口建設
頭洗ったら いっぱい毛抜ける!!
夏の紫外線が 頭皮に降り注ぎ、それが今になって 、
こりゃ ちょっと リフレッシュせなな!
、と言うわけでもないが、
建築業界は 物価の高騰に 建築素材の欠品が 慢性化して、うまく現場がまわらない。
( ;∀;)
そんなときは 無駄に抗わずに 、身をまかせよう。
そんなこんなで、突然の連休になったので
湯治に出掛けるの巻!
いつもながらの 思いつきで、
コロナ前から1度行ってみたかった、
三朝温泉に!
レッツラゴー!!
なんか 無料の抗体検査をして、陰性証明をもらって 旅館に行くと
宿泊代1人 5000円の割引に、もれなく3000円の買い物クーポンがもらえるらしいので、
検査をして ゲット!
いつもは 高い旅館になんて泊まらず 、現地で宿を探して素泊まり、からの近くの居酒屋で一杯ひっかける旅行だが
今回は違う!
ええ旅館やでぇー!
ジュディーよ( ;∀;)
こんなん 旅行はいつぶりや( ;∀;)
お口が ビックリしとるで~(^∀^)
なぜ、三朝温泉なの?
ってことですが、三朝温泉は
天然ラドン温泉なのよね~!
よくいう ラジウム!
体の芯まで 熱を伝えて 、がん細胞まで死滅させてしまう 、凄いお湯!
勿論 旅館にも お風呂はあるが、
お目当てはここ!!
三朝温泉発祥の湯元
それは約850年の歴史
「湯株」
ここは350円ではいれるし
お湯も飲める!!
嬉しそうに ひと口飲んでると、地元のおっちゃん!
「にいちゃん、あんまり飲みすぎたらあかんよ、350CCくらいまでにしときな」
(^_^;)
いざ、浴場へと お金はらって 中に入ると、
「貸し切り~♪」
ということで、 中の写真を!!
カシャ!
すでに 雰囲気が 身体に良さそうでしょ!
さすが 湯元、
チビるくらい お湯熱かった(^_^;)
なんか元気なってきたぞーー!
と、人間単純が良薬!
有名温泉地も、 さすがに インバウンドもなく、観光客は 温泉目当ての じいさんバァさん がまばらですが、
B級グルメの 牛骨ラーメンも旨し!
懐かしの遊技場もあり、エエとこでした。
(^∀^)
帰りは、 日本海の 白兎海岸を通り、
山猿 は 海見たら テンション上がる!
そして今回の もう 1つのお目当て、
兵庫県豊岡の山奥にある
「床瀬そば」!!
なぜ、また こんな山奥のそば屋??
ですね。
ここを知ったのは、これも3年前の話になる。
コロナ前に ジュディーと 城崎温泉に!
いつものルーティーンで
素泊まりして 、
近所の居酒屋で お腹を満たし旅館に帰ろうと 歩いていると、
たまたまあった、 スナックに吸いこまれるように というか、千鳥足でよろついて入ったが正しいかな (^∀^)!
それがまた
そこのママさん、とっても気のいい おばあちゃまでして。
意気投合して、城崎のいろんな話を教えてもらい、
楽しく会話をしているなかで、
僕が蕎麦が好きで 、今回も出石に新蕎麦を食べに来たついでに 城崎に足を伸ばしたと はなすと、
私も蕎麦好きなんやけど、それなら 是非一度 豊岡の 床瀬そばを食べに行っておいで、なかなかの山奥やけど とにかく 美味しいのだと教えてくれた。
そして それが今回 実現!!
旅館で 朝夕 食事を 上げ膳据え膳もいいが、
これが、素泊まりからの 居酒屋、スナックに行くと、
ネットや ガイドブックにない、地元ならでわの 生情報をゲットできるのが、 たまらく楽しい~♪
ちなみに城崎の冬は 地元でしか食べれない、ハタハタ鍋が絶品らしい。
BY スナックのおばあちゃん。
そえそう、蕎麦屋ね!
凄い店構え!
中に入ると 囲炉裏があって 、なかなかの雰囲気!
大盛りそばを 注文すると
キターー!!
これね 旨いって言われて食べてるから 3倍増しとか思うかわからんけど、
私、結構いろんな 蕎麦食ってます。
マジで旨いです。
近所にあったらな~( ;∀;)
欲を言えば、和歌山の海南くらいの距離にあってほしいな~www
あっ、心配しなくても 、ここの店主さんも、もちろん私もそうですが、、
まずは なにも付けずに麺からどうぞとか、
先に 出汁を味わって
なんて言いませんからw
ゆっくり 最後の蕎麦湯まで 美味しくいただきました。
もし行こうと思われた方、床瀬そばを少し降りると アップかんなべのスキー場があるので、これからの季節は 調べて行ってくださいね。
ということで、
まだまだ 21世紀ナシ記念館や、鳥取県やのに 回転寿司 「北海道」が めちゃ 旨かったり、
また機会があれば お伝えしまーす。
今週も皆さん、お疲れさまでした。
貝塚市 岸和田市 熊取町 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市
天然素材スイス漆喰 カルクウォール
リボス自然健康塗料自然健康塗料取扱店
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3/3
連日寝不足なので爆睡できた夜行バスで横浜駅に到着するとまだ六時も回っていなかった。とりあえずコインロッカーに大きい方の鞄を預けた、集合時間の十時までできれば喫茶店で時間を潰したいが、どこも開いていないのでしばらくは外をウロウロしていないといけないのだ。せっかくだから海の方へいこう、とみなとみらいとか赤レンガ倉庫とかそういう景色を想像して横浜駅の東口から歩き始めたのだが、Google Mapも見ずになんとなくで道を決めたのでどうやら方向を間違えたらしく、でっけえ工場が立ち並ぶ散歩道にはつまんなすぎる空間に迷い込んでしまい、コスモワールドの観覧車を見つけたころにはとっくのとうにスタバとか開いていた。
それで三人と合流したときにはもう二時間くらいは普通に歩いていたのだが、結局ここからさらに三倍は歩く日になった。みんないちおうはじめて顔を合わせる相手ではあるんだけど何回も通話していたし三人が一緒に遊んだ話とかも聞いていたので主観的には普通に馴染んだ。JR小田急線に乗って藤沢まで向かう。戸塚くらいまで来ると建物の配置もまばらになり、だんだん大きなマンションやオフィスなどのビルが減りきれいな一軒家が増えていく感じ。横の鯖さんとしゃべっていたがずっと景色を見ていて声だけ聞こえてきたのでほぼ通話だ。早く寝るのに睡眠剤を飲んだらめちゃくちゃ悪夢を見たらしい。みんないつも夜更かしなのに早くから来てくれてありがたいことだと思った。
藤沢駅自体には見向きもせず江ノ電��乗る。藤沢-江ノ島間はあんまり町の真ん中を走らないしわりあいすぐなので江ノ電らしい楽しみは少なめだが、それでも江ノ電に乗っているなあということだけでじゅうぶんに嬉しい気持ちになった。くる途中に「プレーンソング」読んできたんですよねえと庶民さんが言う。そういえばこうして、まあ各々離れてではあるが家でだらだら喋ってきた人たちと急に足を伸ばして海辺まで行くって、結構プレーンソングの最後のほうっぽいなあと言ったらそこまで読んでないかったらしい。保坂和志のネタバレについて、どれくらい本気で謝ればいいか不明だ。
江ノ島駅に着いたら改札のところに「ご卒業おめでとうございます」と横断幕がかかっている。そういえば横浜駅で袴姿の女性とすれ違ったな。昼食をどうしようか相談しながら海へ向かう。さっきから家が近いsatooさんがだいたい案内してくれている。背の低い建物が思い思いに「西海岸っぽさ」「ハワイっぽさ」「鎌倉=京都っぽさ」などを主張する通りを抜け、海に出ると思わず声が漏れた。
海はいい! 水辺っていいからな。なかでも海は一番でかいから一番いい。砂浜は見えないが島へと架かる橋の端っこには砂が溜まっていたりして、マスクで鼻の効かないなかでも潮の気配が感じられる。あっ、とsatooさんだか庶民さんが声を上げた、──海掘ってる! 見ると海の中に浮かぶ小さな浮島みたいなところに陣取ったショベルカーが、海にショベルを突っ込んで動かしていた。あれ独断でやってたらすごいですね。ウケると思ってやったら引かれちゃったんだろうな。そうなったらもう降りられない人っていますからね。
江ノ島に来ることになったのは、僕が江ノ電に乗りたいと言っていたら庶民さんが江ノ島に行ったことがないらしいのでそうなった。ほか二人はそこまで積極的ではなかった、僕も前に一度来たことがあったが、そのときは島に入ってからいろんな土産屋を抜けて神社まで来たあたりでその導線のわざとらしい感じにさめて途中で帰っちゃったりしたのだ。それでもわざわざ約束まで取り付けて来たのだから僕も案外江ノ島に何かしらを期待しているのかも知れない。名前といいロケーションといい、大したことないと半ばわかっていつつも、もし少しでもよかったらすごくいいだろうなあと思わずにはいられなくて来てしまうのだろうと思う。
そういうネガティヴなイメージを共有していたおかげか、上陸してみると立ち並ぶ店々の商売っけマンマンな感じに対してそれほど辟易するでもなかった。上機嫌でひとつ道を逸れて岩場に抜ける。岩に囲まれてるせいか波は穏やかで、まだ海という感じも薄い。
良いパック寿司の醤油皿みたいなのが落ちていた。
メインストリートへ戻ってくると雰囲気に飲まれてイカ串と一緒にたっけえビールを買った。無敵状態だ! 両手をそれでふさいでガンガン階段を上っていった。しかし最初の展望台みたいなスポットまで来て気づくのだが本当に全く酒が効いていない。年下でまだお酒に慣れていないsatooさん庶民さんもチューハイを買っていたのだがやっぱり普通にしていて、有料で入れる庭の手前の広場まで来たときにはみんな完全にニュートラルなテンションで椅子に納まり、クレミアを食べている鯖さんを見ていた。広場では大道芸人が爆音で音楽を流しながら、僕たちが来たときにはまだ準備体操をしていて、あのまま夜まで準備体操し続けていたらすごい、と言ったのが誰だったか分からない。
ニュートラルなテンションで黙々と階段を上るのはしんどい。なんなら通常より下がりそうになっていたところで海の見えるスポットにさしかかる。ごつごつした岩場へ降りていくと足もとにすぐ波が来ていて、見上げると白い岩の崖があり、やっと背景でない目の前の出来事として海を感じることができた。白波が足下まで打ち上げてくる。金沢ではじめて海に行ったとき、この水平線の向こうに韓国や中国やロシアがあってそこでも、また違った様式の、でも同じようなふだんの生活が営まれているんだという、月並みの感慨が鮮やかに戻ってきたことを感じた。太平洋側だとそうはいかない。どっちにしろ向こう岸なんか見えないのだが、おそらく日本海側からユーラシア大陸までの二倍ではきかない距離を思うと、その果てしない広さがひたすら水で満たされているのだという果てしなさが迫ってきて、ゼリーのようにひとかたまりの海が目の前にあった。
東映だ〜、といってはしゃいだ。
蒸しパンのやつも落ちていた。
蟹もいた。
岩場から上がっていくと導線の先には洞窟があるらしい。しかも金取るらしい。でも今更引き返すのもあれなので頓着のスイッチを切ってチケット代を払い、ズンドコ進んでいく。天井が低くて怖いなか進んでいくと、最奥は紫色のライトで照らされている。近づいてみると、作り物の竜が待ちかまえていた。一同、うわ〜、やりすぎやりすぎ、いらね〜、とはしゃいだ。
洞窟から出ると、さっき崖の下の水面に浮かんでいた果物がまだあった。楕円形でだいだい色と黄色がグラデーションになっていたので、ぼくはマンゴー説を推した。satooさんは柑橘系説を譲らなかった。釣りするときの浮きなんじゃないか、みたいなことをぼくが言ったが、夢がないので忘れた。
どうやらここまで下ってきた階段を登って大道芸人のいた広場まで戻らなければならないらしい。マジか。いやすれ違うひとが割といたから薄々分かってはいたけど。とくに鯖さんは心配になるくらいイヤになっていて、おかげでほかの三人は比較的元気を保てていた感じがあった。とにかく広場までひいひい言いながら戻ってきて、商店の立ち並ぶ坂を通り過ぎ、橋の手前で十分くらいは座っていた。すごく大きな犬、たぶんセントバーナード? が通ってちょっと湧いた。来るときにいた大きな犬(トイでないプードルなど)の話をして、それもとぎれるとみんな疲れに任せて意識をTwitterへ沈めていった。 ひとしきりじっとしてから、よしっ!と庶民さんが柏手を鳴らした。行きましょう。いい区切りつけてくれましたね、とsatooさんが感謝して、立ち上がった。
とにかくみんなおなかが空いてきたので、鎌倉まで行って何か食べましょうという話になる。庶民さんが、江ノ島って、と総括らしき感想を口にした。来てる人みんなちょっとずつ垢抜けてない感じがいいですよね、──垢抜けてないだったか間が抜けてるだったかなんて言ったかよく覚えていない。ドッチラケなこと言うなあ! とぼくやsatooさんが大きめに驚いてみせると、いやほめてるんですよ、いいとこだと思います、などと言った。なんかでもわかったかも。さっき書いた淡い期待が、なんとなく来る人みんなをぽやっとさせてしまうのかもしれない。
駅へ戻ってホームへ入る。鯖さんが自販機で買った飲み物をすごい無感情に飲みきった。なんかむしゃくしゃしてお金が使いたかったから買っただけだったらしい。そんあことある?
江ノ電の続きに乗る。ここからは鎌倉高校前とか、「季節の記憶」の舞台の稲村ヶ崎あたりとか(鯖さんがわりと最近「季節の記憶」を読んでいたので、案外ホットな話題だった)、見所のある箇所だ。江ノ島駅を出てすぐは特に、お寺とかも見える古い町並みの中を通っていくのでおもしろい。二時くらいを回り、比較的早く帰る制服姿なんかもいてそれなりに混んでいる。真ん中あたりの、別荘みたいな綺麗な家が立ち並んでいる感じが好きだ。生活感がない静けさが、降りて歩いていても簡単に親しめず、ひどく遠くに来た感じが強くする。
鎌倉駅で下車。駅前でマクドナルドを見つけてしまい、マックでいいじゃん! と固まりかけるが、satooさんに導かれて一応小町通りをみて行く。しかしどれもこれも観光客価格で鼻につくし、ぼく以外はみんなちゃんと昼食代に頓着しているのでちょうど良いところがない。結局引き返してマックを食べた。しばらく足を休めている間に、satooさんが古本屋に行くことを提案し、鯖さんが場所を調べてくれる。
アトリエを改装したらしい古本屋は可愛らしく古びた一軒家で、小さいながらもおもしろそうな本が並んでいた。庶民さんが前から気になっていたという吉田健一の「舌鼓ところどころ」を見つけた。ぼくはヴァージニアウルフの自伝的な文章を集めた絶版本を三千円で買った。わりと勇気が要ったが、たぶん復刊されるにしても今年や来年の話じゃないだろうし、かなり良い買い物になったと思う。
店を出てからコンビニへ行った。アイスが食べたいと言っていた庶民さんと半分こする約束でチョコモナカジャンボを買って出た。そこで待っていたsatooさんはジュースを買っていたのだが、鯖さんが棒アイスを手に戻ってきたのを見るや、みんなアイス買うなら言ってくださいよ! と自らの買い物を悔やんでいた。
ぼくの荷物を回収しに、いったん横浜駅へ戻る。みんな疲れてぼんやりしていた。橙色の斜陽が雲の形を立体的に照らしていて、鯖さんがそれを庶民さんに教えてあげていた。こんなに広い空みたの久々かもしれません、と庶民さんがつぶやく。東京に来て以来、時節柄外もたいして出ないのでそういうことになるらしい。
ついでに駅の近くのブックオフへ寄る。庶民さんがどうやら良い買い物らしい漫画を含めたかなりの大荷物をもって出てきたのも驚いたが、satooさんが解説目当てに何冊目か分からん「風立ちぬ」を買っていたのに驚いた。そんなに好きだったのか。フォローしてからも日が浅いから当たり前だけど、知らないもんだな。ぼくは、俺が買わなかったら誰も買わんだろといういいわけと共にフェルナンド・ペソアを買った。
帰りの電車は果てしなく混んでいた。これが本当に正しいことなの〜〜!? 「よつばと」で東京の満員電車に乗ったときのよつばの台詞を口にすると、「よつばと」の話になったりした。
今日は庶民さんちに泊まる予定だ。庶民さんたちの会話以外で聞かない駅名で下車し、お酒や食べ物などを買って庶民さんちへ向かった。本棚とベッド、机で八割埋まったワンルームにみんなして詰まって、鯖さん以外はお酒を飲み始めた。satooさんがすごい勢いで酔っぱらい、庶民さんもそれに続いた。ぼくは許可を得て換気扇をつけたキッチンでタバコを吸いながら、たぶん弱いとかじゃなくて酔っぱらってる状態に慣れてないだけだよ、と説明した。調理場は玄関上がってすぐのところにあったから、立って喫煙しているぼくが奥で座って飲み食べしている三人をみる形だ。なんか年上っぽい年上をやっているなあという自覚があった。三人とも僕より色々みて読んでいるしそう軽率なことを無自覚に言ったりしたりもしないので普段は年齢の上下を強く意識しないが、飲酒のこととなるとさすがにこうもなるか。酒飲むとイキりみたいになるのが嫌なんですよね、と庶民さんが言った。色んな味のものがあるから楽しみたいだけなのに。たしかに、ぼくも数年前なんとなく思ってたけど言葉にしてなかったことだ。
庶民さんが吸ってみたいというので途中のたばこをあげたが、二回とも咳き込んで水を飲む羽目になっていた。こんなもんなんで平気になったのか、まだ常喫するようになってから一ヶ月くらいのはずなのにもうわからない。
ぼくもべつに強くはないので何杯か飲んでそれなりにぼやっとしてきたころから、音楽を聞くターンになる。satooさんが教えてくれたタルトタタンというバンドが良かった。めちゃくちゃ同じフレーズを繰り返すボーカルが曖昧な意識にうまいことハマった感じがあった。庶民さんはゆらゆら帝国の「昆虫ロック」を自分の曲だと感じるらしい。おれの曲はなんだろ。飲んでないのもあって(べつに飲んでも良いだろと思ったのだが、ほかの二人がなんか執拗に止めるのでずっとコーラとか飲んでいた)鯖さんは常にやや蚊帳の外で、ヤケクソなんだか正常な判断なんだかしらないが、どっちにしてもすごいが、途中��ら性的なMMDの動画を流したりしていた。踊るキャラクターの局部を隠すモザイクがどんどん小さくなっていくのを見た。すごい文化だ。
たいして飲みもしなかったが場酔いもあってなんやかんやわやくちゃになり、かなり良くない話や良くない言動をしたあといつの間にか寝ていた。起きると飲んでいた二人ももう起きていて、飲んでいなかった鯖さんは始発で帰ったらしかった。たらたら支度していたら庶民さんが友達と会う約束の時間になっていて、ちょっとあわただしく出発した。駅でsatooさんと別れると、ぼくは京都で見逃した映画を見に、下北沢に向かう電車に乗り込んだ。
案外道中が長い。東京って狭いからどこからどこへも三十分圏内だと思ってた。江ノ島を出て橋を渡っている途中、鯖さんが言っていたことを思い出したりする。この辺に住んでる人って、みんなここが好きだからわざわざ住んでるんですよね、と言った。たしかに湘南くらいになるとそうだろう。こういう言い方をしてみると別に取り立てて好きでもない場所にあれこれの事情で住んでいることが妙なことにも思われる。僕は京都に好きで住んでいる、それを環境が許してくれている。ありがたいことだ、と思った。
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インドの神様めぐり 妻沼聖天山歓喜院
地図更新しました。
妻沼聖天山歓喜院 訪問日 2018/08/15 高野山真言宗
久し振りにお寺行ってきました。 今年めでたく暑い町日本一になった埼玉県の熊谷駅からバスで460円分。 国宝指定された本堂は、埼玉の日光と呼ばれて地元の皆さんに愛されています。 小西美術工藝社さんのページなんですが、修繕の過程とパノラマ写真が見られます。…修繕の熱い思いが短い文章でつづられ、無事修繕された美しい本堂が見られるので、こっち見てるよりぜひ。
地理的には、バスで終点まで行ったら群馬県太田市。 バス乗る前の熊谷は秩父鉄道の始点。 率直に言うと何にもない所に、急に町並みが現れて、由緒ある極彩色のお寺に到着、というのは、なかなか来るものがあります。
ご本尊は御正躰錫杖頭。錫杖の頭部分です。秘仏なので拝観はできませんが、お守りとしてレプリカが販売されていました。 で、ご本尊が聖天様。十一面観音様も昔から祀られているのですが、天部がご本尊のところはちょっと珍しいのでは。
正面が本殿、左に十一面観音様の本坊本堂、それから、寺の敷地だけど塀の外の滝に、軍荼利明王様。
…ほー
聖天様はガネーシャ、象頭のシヴァ神の息子神が元なので、聖天様のお寺に行くたびに象さんモチーフ探すのですが、まあはっきりとはないですよね。 代わりに好物とされる大根(二股)がフィーチャーされてることが多いのですが、これもあんまり見つからず。でも、妻沼のゆるキャラえんむちゃんは、二股大根が絡み合った形が頭という思い切ったデザインでした。
境内には縁結びの木があり、縁結びのお寺で有名な様子。
そういえば周りのお店で「縁結びメニューあります」とアピールされてました。
だがさりげなくこのお寺は象さん大好きなのです。
象の像とかね。象さん噴水とかね。あと、サイトのアイコンが象さん。
参道の両脇にいくつかお店があり、そこの聖天寿しさんで購入した聖天寿司。 大変甘くきゅっと酸っぱくそしてでかかった…一人分一合くらいあったんですが、クーラーボックスも保冷材もなしに持ち歩くのは嫌だったので頑張っておなかに納めました。 ええ、ガネーシャ様のおなかを満たすくらいの量がありましたぜ。
帰りは高崎近くの新町まで行き、於菊稲荷神社に立ち寄りました。 於菊稲荷神社 瑞龍寺で戴いた御朱印帳がいっぱいになったので、御朱印帳欲しいなー高崎あたりにないかなーとググったら行き当たったくらいの御縁です。参拝理由ゆるい。 新町駅から15分ほど歩いたところ。 建て替えたばかりの立派な神殿でした。
そして御朱印帳。可愛い。御朱印も大変可愛らしいのです。 絵心のある方が手書きで書いてくださるようで。
わんわんベンチ。そしてわんわん絵馬。
熊谷から新町まで、よい夏の旅でありました。(意訳:ウルトラ暑い)
「自分の居心地のために、お膝元をインド気温にするとは許せぬ!人々の切なる願いを受け、この韋駄天、悪事を働く兄を倒す!」 入ってくるなり大音声で呼ばわったのは韋駄天スカンダ。 はいはい、と、歓喜天ガネーシャは熊谷名産渋団扇であおいでやる。 「僕気温いじるような力ないから」 「嵐神の倅が情けない」 俺もだけどねー、と、スカンダは畳の上に寝転んで存分にあおがれる。 「あちい。インドよりあちい」 「気温的には大したことないんだよ、ほんの41℃くらい」 ふふんと嬉しげなガネーシャを、スカンダは寝返りを打ってひっぱたく。 「お膝元日本一暑くて嬉しいんじゃないかー」 「やっぱりね、自分ちが日本一連呼されるとね」 世界一は目指さないよ、目指したくても僕そんな力ないしね、と、ガネーシャは不穏なことを言い、スカンダは団扇を取り上げて自分であおぐ。 「かき氷食べにいこ」 「僕お勤め中だから雪くま抹茶白玉あずきお供えして」 雪くまは熊谷の名物かき氷。 熊谷市民が一斉にかき氷をかいて食すことにより、かろうじて生活できる気温になると言われている。 妻沼聖天の参道にも味自慢の店がいくつもあるのだ。 だが天界一の瞬足、お使い神韋駄天スカンダは起き上がる気配も見せない。 「溶かさないで持って帰る自信ない」 「ちょっとくらい溶けてもいいよ」 「溶けたかき氷持ち帰るとか、お兄さんが許しても俺が許さない。いこ」 「だから、僕留守にできないし、留守にできる時間にはかき氷屋さん営業終了なんだよ」 がば、と、スカンダは腹筋だけで起き上がる。 正面から十一面観音と軍荼利明王が覗き込んで手を振っていた。 「お先。ゆっくりしておいでよ」 ガネーシャが、軍荼利とスカンダを何度も見比べる。 「あれ?」 「説明してもいいけどその前に売り切れるよ」 行ってきますー、と、スカンダはガネーシャを引きずるように参道に出て行った。
スペシャル雪くま抹茶白玉あずき練乳かけと、雪くま苺を目の前にしたシヴァ家の兄弟は、無言で氷をかきこみ、お稲荷さんを貪り食いもう一度それぞれに氷を頼み、やっと一息。 「町行って���う一杯食べる?」 「いや留守お願いしてるんだから戻るよ。僕シフトの関係であんまり一人歩きできなくて、かき氷もお店で食べたことなかったなあ」 ふふんとスカンダが薄めシロップになった氷を飲み干す。 「パラヴァニがオーバーヒートだったから、軍荼利姐さんの滝で冷やしてもらって、その間姐さんと十一面観音さんで氷食べてもらって、交代要員出来てから、俺がお兄さんのお供する約束で連れ出したの」 「…別に供廻りとかいらないし」 ガネーシャは盛大に拗ねて見せるが、強大な力を持つとされる歓喜天は、常に他の神仏に抑え込まれているのが常で、勝手に動けないのだ。 水まで全部飲み干してから、ガネーシャは立ち上がる。 「さて、帰りますか。君は泊まるの?」 「パラヴァニの様子見てから」 軍荼利明王の滝で冷やされてるパラヴァニは、孔雀でスカンダの乗騎。 普段はご無体な主を運ぶため、青いバイクに姿を変えて、交通法と航空法の隙間を縫うように走り回っている。 「インドから無給油で日本まで飛ばされても平気孔雀がばてるほど暑かったかなあ」 「んー、滝につっこんで冷ましてやったら、羽根濡れたのが気に入らなくて怒ってどっか行っただけだから、多分平気」 「…仲良くしなよ」 「すげー仲いいよ?」 三千年くらい兄弟やってるガネーシャとスカンダは、とりとめのない話をしながら、まだ全然気温の下がらない参道をぷらぷら歩いていた。
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(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月16日(火) #大安(乙未) 旧暦 1/5 月齢 4.3 年始から47日目にあたり、年末まであと318日(閏年では319日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に行き💪夜を感謝に眠ろう😪💤 夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦 睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 日の出時刻が早くなりましたね✋今朝の千駄ヶ谷の 日の出時刻は6時27分です。なので到着する頃には もう明るくなって居て夜明け前の微妙な空の色を 撮影できなくなりました😅💦あの色具合が本当に 奇麗なんですよね✋しかし、これ以上は早く起きれ ませんよ。。。_| ̄|○...って事で8週目の火曜です。 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛なさって❤️ お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない!ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #日本初の天気図. 1883年(明治16年)2月16日に東京気象台が日本初の天気図を作成。 日本で初めて天気図が作られた日で「日本の天気図記念日」とも呼べる日です。 当時の東京気象台(現在の気象庁)で初めて天気図が作成されると共に、それは「気象電報」の始まりでもありました。 各測候所で定時に観測を行い、その観測情報が1日1回電報で知らされるようになったのです。 配布は同年の3月1日午前6時の天気図が正式に発行・印刷されるようになり、この3月1日からは天気図が毎日配布されるようになりました。 . #天気図記念日. 1833(明治16)年のこの日、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピングの指導により、日本初の天気図が作成されました。 同年3月1日からは印刷して毎日発行されるようになりました。 . #寒天の日. 長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定。 2005(平成17)年のこの日、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、寒天が大ブームとなったことを記念。 . #全国狩猟禁止の日. 11月15日の解禁日まで北海道以外の全国で狩猟禁止となっています。 北海道は2月1日~9月30日。 . #日蓮大聖人御誕生会(日蓮宗各派). 日蓮の貞応元年2月16日(旧暦。新暦では1222年3月30日)の誕生を記念したもの。 . #似合う色の日. 兵庫県神戸市に事務局を置き、「グラデーションカラースケール®」で、一人ひとりに本当に似合うパーソナルカラー診断を提供している一般社団法人日本パーソナルファッションカラーリスト協会(JPFCA)が制定。 「グラデーションカラースケール®」の認知度を高めるとともに、カラーリストのス��ルの向上が目的。 似合う色を身につけることで「心豊かに人生を満喫できるように」との願いが込められている。 日付は2と16で「似(2)合う色(16)」の語呂合わせから。 . #トロの日(毎月16日). 神奈川県横浜市に本社を置き、全国で「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイト株式会社が制定。 同社の人気食材である美味しい「トロ」のネタでお客様に喜んでもらい、各店舗ならびに業界を活気づけることが目的。 日付は16を「トロ」と読む語呂合わせから毎月16日に。 . #十六茶の日(毎月16日). いくつもの人気ブランド飲料を製造・販売するアサヒ飲料株式会社が制定。 同社が手がける健康16素材をブレンドして作られた「十六茶」を飲んで、自分の身体や大切な人を思いやる日にとの願いが込められている。 日付は1年を通じて飲んでもらいたいとの思いと「十六茶」の名前から毎月16日に。 健康16素材とは、たんぽぽの根、エゴマの葉、発芽大麦、ナツメ、玄米、大麦、昆布、ハブ茶、桑の葉、びわの葉、きび、カワラケツメイ、ハトムギ、とうもろこし、黒豆(大豆)、あわ。 . #リトアニア国家再建記念日. 1918年のこの日、ポーランド・リトアニア分割でロシア帝国領となっていたリトアニアが独立を宣言した。 . #ニコライ祭(#日本ハリストス正教会). 聖ニコライが1912年2月16日に亡くなったことを記念したもの。 . #光明星節(#朝鮮民主主義人民共和国). 1942年のこの日、金正日総書記が誕生したことを記念したもので、朝鮮民主主義人民共和国の祝日。 . . ■今日のつぶやき■. #上手の手から水が漏る(ジョウズノテカラミズガモル) 【解説】 「上手」とは、そのことに巧みである人の意で、江戸時代、囲碁将棋の世界では七段の免状を持つ者を「上手」、九段の免状を持つ者を「名人」と称した。 名人と言われるほどの人でも、時には思わぬ失敗をすると云う事。 . . 1975年(昭和50年)2月16日 #中村俊介 (#なかむらしゅんすけ) 【俳優】 〔群馬県吾妻郡草津町〕 . . (副都心線 北参道駅近辺) https://www.instagram.com/p/CLVIyZsFd-bIhOTzR8g3gk1RM8btXtpm-NZdRs0/?igshid=1oou5usa4bu1s
#大安#日本初の天気図#天気図記念日#寒天の日#全国狩猟禁止の日#日蓮大聖人御誕生会#似合う色の日#トロの日#十六茶の日#リトアニア国家再建記念日#ニコライ祭#日本ハリストス正教会#光明星節#朝鮮民主主義人民共和国#上手の手から水が漏る#中村俊介#なかむらしゅんすけ
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ヤンヨグ鮭卓ログ #3 遭遇!神話級のヤベーヤツ!~あの終業ベルを鳴らすのはあなた
!ご注意! このログには、裁定ミス、吟遊プレイ、内輪ノリなどが大量に含まれます。 どんとこいガハハ!な方のみ、お酒でも飲みながらのんべんだらりとお楽しみください。
ちなみに文中で使用しているナイスな各種シートは公式サイト(http://www.bouken.jp/pd/yy/)からDLできるぞ! るるぶを購入したら、今日から君もヤンキーだ!!
GM : では、うろつきフェイズ、2サイクル目です! 劔 理一(PL) : じゃあ、私はとりあえずまた情報収集スキルを使おう… GM : はーい!判定どうぞ! 劔 理一 : !roll 2d6 ダイスボット : @リヒト rolled 2. (1+1=2) 劔 理一(PL) : アッ GM : 寿司屋のおっちゃんに話を聞いてみましたが、「悪い、どうにも記憶があいまいでよ…」と 稲原 アギト(PL) : 大丈夫大丈夫 もうバッドヤンキーの場所は分かっている 事故はそうそうないだろう…… 劔 理一(PL) : 仕方ないね…
※実はここ、GMの裁定ミスです。今回配置されている「お祭り舞台」は、2サイクル目に必ずバッドヤンキーが立ち寄る【ナワバリ効果】があるため、この効果を発揮させるためには1サイクル目でPCがこの施設をナワバリにしている必要があります。メンゴメンゴ。…それはそれとして、リヒトくん、おなかいっぱいでちょっと眠くて頭が働かなかった説ありませんか。
GM : 2サイクル目で取れる行動は、「行きたい施設を宣言」か、「他のPCに同行」、「その場で待機」です。 GM : 先ほどと同じく、「いっせーの、せ」で、「行先の施設の番号」、「〇〇に同行」、「待機」のどれかを宣言してください。 稲原 アギト(PL) : あ、さっきと隣接したところにしかいけないんでしたっけ! GM : です! 稲原 アギト(PL) : オーケーです!悩む必要なかった 劔 理一(PL) : 私もOKですー GM : はーい!ではいきますよー GM : いっせーの、せ
GM : では順番に! GM : ドワーフの洞窟。さっき格闘家ヤンキーが置いてった書類が山積みになってます GM : 皆さん死んだ目で名前を書いたり金額を書いたりハンコを押したりしてます 劔 理一(PL) : ドワーフたちが過酷な事務仕事を… GM : 手をおさえて倒れる人もいますね 劔 理一 : じゃあ、もともとは美しい珊瑚の洞窟だったであろうそこに踏み入れて 「なんだこのザマはよ、せっかく上等なモン作る腕があンのに、役にも立たねえ紙切れの山に苦戦しやがって」 と、おもむろに書類の山の一つに歩み寄っていってその山をバッサーと GM : では黄金の炎がボンッと 劔 理一 : 「おいテメェら! その手は何のためにあンのかもう一度思い出しやがれ!」 劔 理一(PL) : みたいな? GM : 次々に書類が消滅していきます GM : その喝に、ドワーフたちの目に徐々に光が戻っていきます 「そうじゃ…ワシらの手は…」 「このようなもの��かけるためのものでは…無かったはずじゃ…!」 稲原 アギト(PL) : 書類仕事をするドワーフがかなり面白くて面白さが勝ってしまう 劔 理一(PL) : 絵面は最高に面白いんですけどね…絵面は… GM : ちっさいしかくいとこにハンコを押すドワーフ 稲原 アギト(PL) : そのはんこを彫るときとかはちょっとマシな仕事になるんだろうな…… GM : ドワーフたちが声のした方に目をやると、入り口から差し込む陽光を背負ったリヒトさんがいるわけです 劔 理一(PL) : かがやけるヤンキー GM : 「ヤンキー様!!」「おお!伝説のとおりじゃ!!ヤンキー様じゃ!!」 GM : 皆さん涙を流しながら手を合わせますよ 劔 理一(PL) : ありがたいかんじになっている! GM : 1サイクル目でもひどい目にあってたからね! 稲原 アギト(PL) : あとできっと彫られるんだろうな 稲原 アギト(PL) : 腹いせのようにすごい量彫られそう GM : 掘られますね 伝説のヤンキーリヒト像 GM : めっちゃ掘られてお土産屋さんに並ぶ 稲原 アギト(PL) : 後光が差しててすごいかっこいいやつ 劔 理一 : 「チッ…そんな死んだ爺さん拝むみてえなのはやめろよな…」と鼻を擦りつつ しかしまんざらでもない 人の役に立つのは嫌いではないのだ GM : 仏像みたいな 稲原 アギト(PL) : リヒトまんじゅうとかも開発していこう GM : いいですね 劔 理一(PL) : 味にうるさい本人がちゃんと監修しよう 稲原 アギト(PL) : 「本人監修!」ってちっちゃく丸い絵を乗っけよう ※充実していくコーラルキングダム土産物会議 GM : 「ありがとうございますじゃ、必ずやヤンキー様のご活躍を後世に伝えるといたしましょう…!」「おお、インスピレーションが滾ってきたぞ…!!」 GM : もう後ろの方では彫り始め��ます 劔 理一 : 話が早い! GM : お土産用リヒト珊瑚像 稲原 アギト(PL) : さいごには買って帰りたいね 稲原 アギト(PL) : 「う、あれは……夢だったのか……」 稲原 アギト(PL) : 「これは……リヒト像」 GM : 「お礼にこちらを。武器の扱いが記された、ワシら秘蔵のリーフレットですじゃ」 稲原 アギト(PL) : そういう!!!方向性!!! 稲原 アギト(PL) : 書類に紛れて隠してきたんだろうなあ GM : 「お仲間様のぶんも、ささ」 劔 理一 : 「おう、悪いな。武器つっても俺は竹刀ぐらいしか解らねえが、あいつらなら色々使えるんだろ」 GM : リーフレットの在庫をみかん箱に入れてたのでバレずに済みました 劔 理一 : リーフレットをありがたく受け取っておきましょう 劔 理一(PL) : そのへんのチェックがわりと甘いな!? GM : ドワーフだもの
※A4フルカラー中折り16P。観光案内所とかにも置いてる。
GM : ということで、ドワーフの洞窟がPCのナワバリになりました! 稲原 アギト : おれは拳だからハルが喜びそうだ GM : ハル「きゃっきゃっ」 稲原 アギト(PL) : さすがだリヒトさん!
GM : そして城では… GM : 先ほどのヤンキードワーフが「おう、追加の書類回収してきたぜぇ」イワン「ウワーッ!!!!」 稲原 アギト(PL) : まだ定時が遠いな GM : イワン君の目が濁っていきます 稲原 アギト(PL) : シンデレライワンくん GM : ガラスの靴は書類に埋もれて取り出せないし GM : カボチャの馬車も納期が遅れてるの 稲原 アギト(PL) : 12時の魔法はでろっでろに溶けちゃうし 劔 理一 : つらい 稲原 アギト : しんどい
GM : 寿司屋さん。客足が戻ってきたようです 劔 理一(PL) : よかったよかった 稲原 アギト(PL) : 回復したところも描写あるんだ! GM : 店主のお寿司を食べた人たちが、「俺たちは何を…」「家にある書類、本当に書く必要あるか…?」ざわ…ざわ… 稲原 アギト : 書類しんじつに気がつき始めたようだな
GM : お祭り舞台。画定が追加のお仕事を持ってきて皆さん目と心が死にました 稲原 アギト(PL) : わんこそばのように追加される書類 GM : 「皆さん、期限は待ってくれませんよ?さぁさぁ手を動かして。レシートは全部ありますか?領収書は?」 稲原 アギト(PL) : すごいまっとうなきがしてくるのはどうしてだろうか 劔 理一(PL) : うん…大事なことだよね… 劔 理一(PL) : (実家が自営業感) GM : バッドヤンキー本人は苦しむ人たちを眺めてニコニコしてます 劔 理一(PL) : やはりじゃあくだった
GM : では人魚の村。サーモン漁と冷凍サーモンの出荷が再開されました GM : 皆さん「ヤンキー様のご恩に報いるためにも、俺たちもしっかりしないと!」と GM : 活き活きと働いていますね 稲原 アギト : 「タフだな……。おれはもうすこし休んでもいいとおもうが」 GM : あ、すみません処理一個忘れてました GM : 喧嘩上等に勝利したので、アギトとハルのテンションが一段階上昇します 稲原 アギト(PL) : わーーーい!!! 稲原 アギト(PL) : ホカホカしてます GM : ハルもサーモン美味かったっすねーってホクホクしてます 稲原 アギト : おれはほめられてホクホクしているのは内緒だ GM : かわいい 劔 理一 : かわいい 稲原 アギト : 一段階だとテンアゲくらいですかね? GM : ですね、今テンアゲです GM : みんなテンアゲ 稲原 アギト : おっとサマリーがあったわ!ありがとうございます!
GM : で、港です GM : 港は、海と町との玄関口になっています GM : ちょっとした屋台やお店、船乗りたちを癒す酒場、船舶管理事務所なんかもあったりします GM : 海面が近いので、町の上よりも多数の珊瑚で構成されています。見渡せば色とりどりの珊瑚の建造物が立ち並んでいますが… GM : やはりここでも、誰もが書類を無言で書いています GM : 酒場の戸口には無常な「CLOSED」奥では客も店主もカリカリ...ポン...船着き場では船員も船長も木箱の上でカリカリ... 稲原 アギト : 「このままほうっておけば書類に埋もれて何一つ成せないままのたれじぬことになるな」 稲原 アギト : おれはCLOSEDのふだをひっくり返して入っていこう 劔 理一(PL) : シーンが完全に西部劇 GM : 「違いないっすねぇ。気が狂いそうですよぉ…いや、もう狂ってるンすかね。ここの連中。」アギトについていきます GM : カラン... GM : ではあの西部劇の扉を開けると、「何か」が店主の目の前に新しい書類を置いたところでした GM : それは、あなた方のほうをギロリと睨みつけます 稲原 アギト : では構わず書類を崩しながら「注文をいいか? おれはドキュメントのスペッスをむげんにうめるつもりはない」 GM : ではそれは、鉤爪でガッとアギトの肩をつかみますね。少し描写します
GM : その腹部と触覚と鉤爪はまるで昆虫のようでもあり、その皮膚と目はまるで人間のようでもあり、背に生えた翼は蝙蝠のようでもあり…
GM : 腐乱した死体のような臭気を発する異形の生物が、あなた方の前に姿を現します。
GM : 人の世の理から外れたこの異形を目の当たりにした探索者は、全員(1/1D6)の正気度ロールを行ってください。
稲原 アギト(PL) : あ、強いやつだ 劔 理一(PL) : そういえばビヤーキーだった GM : ですが、あなた方はヤンキーなのでしなくていいです。なんかキモいのがいます。 劔 理一(PL) : つよい 稲原 アギト(PL) : めんじょされた GM : いじょうです
※なんかキモいの。探索者は死ぬ。
稲原 アギト(PL) : 一瞬どの能力値だ!?ってキャラシを参照しにいくところだった GM : ビヤーキーくんが顎をカチカチ言わせてますね 稲原 アギト : 「おれがようがあるのはヘンな虫でもスペッスでもないな」 稲原 アギト : プイプイ拳を構えますね GM : 「ビヤー!!!キー!!!!」「なんか怒ってないっすかぁこいつぅ」 GM : 「喧嘩上等」です! GM : ではPC側からどうぞ! 稲原 アギト(PL) : わーい!できることふえたかな?一応武器攻撃はできるんだけど~ GM : はーい!武器攻撃もできますよー! GM : 今ならテンアゲで攻撃力がさらに+1だドン! 稲原 アギト(PL) : 武器って持ってるモノですか?あとはなんだ ベイブを呼んでマジギレになってコークスクリューという手もありそうだけど 稲原 アギト(PL) : でもボス戦でやりたい気もするな~ GM : 武器の攻撃力はこちらをご覧ください(※公式の武器データ表のリンクを貼るGM) GM : 「扱いにくさ」ぶ��達成値がマイナスされます 稲原 アギト(PL) : マグロってGMのおふざけじゃないんですか???? GM : 公式ですが??????? 劔 理一(PL) : 冒企だからね…
※公式ですが??????????????
稲原 アギト(PL) : マグロ2d6+6か 扱いにくさ2だけどいいな GM : サーモンなら扱いにくさ1ですよ GM : プレイシートのすみにこっそりデータ作っておきましたよ 稲原 アギト(PL) : 1d6+6だ! GM : マグロより小さいから1d6でいいかなという安直なデータ 稲原 アギト(PL) : 9出さないとマグロは振れないのかな 目標値いくつでしたっけ GM : アギトくんは修行で振るなら目標値7ですね 稲原 アギト(PL) : ありがとうございます!マグロを振りたいです 大きいので GM : はーい!ではカウンターの手頃な場所に解凍中の冷凍マグロがありました! 稲原 アギト : !roll 2d6 ダイスボット : @アギト rolled 5. (1+4=5) GM : ンッ 稲原 アギト(PL) : だめだ すっぱぬけてしまった! 稲原 アギト : 「おまえのまねをして武器を使ってみたが、あつかいが難しい……てほんを見せてくれ」 GM : どうします?ハルから友情修正出します? GM : 一度使うと使えなくなりますけど
※修正などに用いた友情度には「リスペクト」欄にチェックが入り、チェックが外れるまで使えなくなります。
稲原 アギト(PL) : 決戦までとっておきましょう 稲原 アギト(PL) : マグロは冷凍します GM : らじゃです! GM : ではマグロは明後日の方向に飛んでいき GM : ヤンキーオーラに導かれて開いた冷凍庫にホールインワンしました GM : パタン 劔 理一(PL) : タベモノダイジニ! 稲原 アギト(PL) : ふぃーと汗を拭う GM : えらい GM : ハル「おもしれーことするじゃねーっすかセンパイ!…ところで俺ェ、さっき波止場で変わったモン見つけて来たんスよォ」 稲原 アギト : 「めざといな。真の男はチャンスを逃さない……」 GM : 魔法の爆弾 出目次第では仕留めきれないことに気付いた GM : うー うー
※魔法の爆弾の威力は7D6-13。GMの中の人は出目運が悪い傾向があるが、せっかくなので使ってみたい欲望と円滑に進行させたい気持ちで揺れている。
稲原 アギト(PL) : 1回で倒さないとダメでしたっけ! GM : しとめたい!! GM : メインフェイズの戦闘は1ラウンドきりなので!! 稲原 アギト(PL) : そうだったのか!あっそうかシノビガミとかそうだ! 稲原 アギト(PL) : とととととりあえず昆虫の居所を抜いて…… ※アギトPLは こんらんしている!!! 稲原 アギト(PL) : 攻撃食らったら病院いく?院卒になれるかもしれない 稲原 アギト(PL) : ギプスになんか硬派な一文を書いてもらおう。 稲原 アギト(PL) : 占拠で武器攻撃の威力があがってたりしません? GM : 病院送りはないですが、クライマックスに兵士を残したくないきもち GM : じゃあこうしよう、ごとっと取り出した魔法の爆弾に怯えて逃げ出したビヤーキーに GM : サーモンを投擲しましょう GM : 突然サーモンが突き刺さって死ぬかもしれない 劔 理一(PL) : 軟弱だなビヤーキー!
※おろかな探索者を*すぞーと息巻いて現れたら、こっちを見て怯みもしない奴らがマグロだの爆弾だの持って襲い掛かってくるビヤーキーの身にもなってほしい。
稲原 アギト(PL) : GMの温情温泉が湧いた GM : でもGMなので一人芝居なんだ ごめんよ 稲原 アギト(PL) : この温泉はダイスに効くんですね GM : ふらぐやめて やめて 劔 理一(PL) : 効能:ファンブル、いちたりない 稲原 アギト(PL) : すまない どうしてもマグロを振り回したくて…… 稲原 アギト : この機会を逃したらもう一生TRPGでマグロを振る機会は訪れないんじゃないかなと思うとつい GM : わかる>マグロ
※君のスタイルが「喧嘩殺法」なら「しこみ武器」の武器を「マグロ」ということにしても良い(要GM許可)。
GM : 【サーモン】で【武器攻撃】します!目標値はさっき説明しました5! GM : !roll 2d6 ダイスボット : @GM rolled 8. (3+5=8) GM : (サーモンが)刺さったー!! 稲原 アギト : 当ててくなあ~ GM : ダメージ GM : 1d6 GM : !roll 1d6 ダイスボット : @GM rolled 1. 稲原 アギト(PL) : フフッ 劔 理一(PL) : ウン…
※GMの中の人は(同)
GM : 1+6+戦闘スタイル2+二つ名修正1+テンアゲ1 稲原 アギト(PL) : あと施設効果の+2はいりませんか! 稲原 アギト(PL) : 同時だと入らないかな 劔 理一(PL) : あっでも結構補正が入るぞ! GM : ありますね!! 稲原 アギト(PL) : イマジナリーリヒトが伝えてくれるはずだ GM : なので合計で~13! GM : 施設なくても11! GM : たまたま吊るされてた荒巻鮭がビヤーキーを粉砕しました GM : なんだこの字面 稲原 アギト(PL) : ビヤーキー不運すぎない??? 稲原 アギト(PL) : お祓いとか行った方が良い 劔 理一(PL) : こんな異世界に喚び出されておきながら荒巻鮭に粉砕されるなんて 稲原 アギト(PL) : でもPCはそんなことしらないのでハイタッチします GM : では皆さんハッと顔をあげて…アギトさんの目の前の店主も書類を持つ手が震えていて… 稲原 アギト : 「あの角度、あの位置、あの鮭……おまえはすべてを計算しつくしていたのか……」 GM : 「たまたまっすよぉ、たまたまぁ」ヘラヘラ 稲原 アギト : 「この鮭をハル鮭と呼ぼう」 GM : 「それはやめてください」 劔 理一(PL) : 正直なのはよいことだハルくん 稲原 アギト : 鮭をダンッと床の上に刺して伝説の鮭にします 劔 理一(PL) : 真の男だけが引き抜くことのできる伝説の鮭だ!
※リヒト像、伝説の鮭。確実に異世界に爪痕を残していくヤンキー。
稲原 アギト : 「謙虚なことだ。それでこそ真の男というわけか……」 GM : では刺したとこにたまたま書類が落ちてたことにして GM : 書類が黄金の炎を上げて燃え尽きます GM : 港中で同じ現象が起きたのでしょう、港は大歓声に包まれます 稲原 アギト : 鮭のうろこが炎を反射してキラキラと輝いたことでしょう GM : 美しい GM : あ、もちろんハルはパイセンとハイタッチしますいえーい GM : 「なんだ今のは!」「そういえばさっき通りかかったのってヤンキー様じゃないのか!?」 稲原 アギト : 「今回のたて役者はハルだったな……おれはしかと見ていた」嫌そうじゃなかったら港の人に交じってたくさん胴上げしよう GM : 人々が酒場の周りに押し寄せますね。鳴りやまぬヤンキーコール GM : じゃあハルは胴上げされますね。「うっひょー!」とか喜んでる 稲原 アギト(PL) : マグロもサーモンもきっとびちびちはねている GM : イカもタコも、すべての水揚げ品がヤンキー達を祝福している 劔 理一(PL) : もうエンドロール入ってもいいような光景
※ワーッショイ!!ワーッショイ!! ビチビチ......ビチビチ.........(流れるクレジット)
稲原 アギト : 「おれはこの感動を末永くリヒトにも語り継いでいかないとならない使命にかられている」 GM : アギトくんももれなくベイブといっしょに胴上げされます GM : 「何かあったら絶対駆け付けるからな!!」「この町を頼んだぜヤンキー!!」 稲原 アギト : 「おれはなにもしていないのだが胴上げをしたいというのならかまわない(ちょっと嬉しそう)」 劔 理一(PL) : ベイブもちゃんと胴上げしてくれるのやさしいなあ GM : 港がPCのナワバリになりました!異世界の人々からの友情度を1点獲得します 稲原 アギト : 「なんてことだ。連中ははたらくことしか頭にないのか……?」 GM : 「まあまあ。協力するっつってんだからいいじゃないっすか。」 GM : 「ここの人らの世界なんだし、ちーったぁ働いてもらいましょうって」 稲原 アギト : 「それもそうだな。ベイブもプイプイいっているようだから良い方向に進んでいるんだろう」 GM : ベイブ「プイ!」
GM : では2サイクル目が終了したところで GM : 「襲撃シーン」が発生します! 劔 理一(PL) : いよいよですな GM : 各々の思いを胸に皆さんが施設から出てくると、無数の木っ端ビヤーキーが家という家、施設という施設のドアを開けて出てきます。 GM : 皆、手には大量の書類を持っています。あれがイワンの元に集まったら…… 劔 理一(PL) : ヒエッ 劔 理一(PL) : 心が折れてしまう 稲原 アギト(PL) : 笑い事じゃないんだけど律儀に書類でSANを削ってるのがすごい笑ってしまう GM : 提出書類を運ぶ神話生物 GM : ではリヒトさん。ドワーフの洞窟から…���こかへ向かう途中ですかね。イワンくんがいるお城ですかね 劔 理一(PL) : まあ寿司屋に戻る理由もないですしお城行きですかねえ 劔 理一(PL) : その途中で名状しがたい光景に遭遇すると GM : そこで、道を塞ぐほどにあふれかえる木っ端ビヤーキーの群れに遭遇するわけです GM : そうそう 稲原 アギト(PL) : PDFをプリントしてはんこ押してスキャンしてPDFにして提出する仕事が待っている 劔 理一(PL) : グワーッ生々しい! GM : ファックスをエクセル形式に直す仕事が GM : クソガ 稲原 アギト(PL) : そこには……おびただしいエクセルの非表示セルが…… GM : ハルとアギトの方も同様ですね、お城に向かう道を書類配達ビヤーキーがわさわさと GM : 「これ…イワンの奴、ヤバくないっすか!?」 稲原 アギト : 「!まずい!定時までに間に合うか……?」 稲原 アギト : 「かんがえるのは真の男らしくなかったな。急いでから考えることとしよう」 稲原 アギト : スッタカター 劔 理一 : 量が多いから単に喧嘩挑んでも無理っぽいかな…? GM : ですが道をビヤーキーが塞いでいて通れない!そこに… GM : リヒトのほうは、背後から銃声がしますね 劔 理一 : !? GM : 振り返ると、先ほどのドワーフたちが(現代人目線では)古い銃を手に、ビヤーキーの群れに立ち向かいます
※フリントロック式とかのなんかいいかんじのやつ。
GM : 寿司屋のおっちゃんもいますね GM : マグロふりまわしてます 劔 理一 : おお…! GM : アギトのほうは、槍を持った人魚たちが頑張って陸にあがってきてビヤーキーに立ち向かいます GM : あと港の方々もいます GM : 人々の健闘により、城までの道が開かれます! 劔 理一 : 「なんだオッサンたち、無茶すんじゃねえよ! テメェらは自分の持ち場に戻りやがれ!」 と言いつつもちょっと頼もしいのである GM : 「アンタのおかげで目が覚めたんだ!これくらいはやらせてくれよな!!」「城にいるあのヒョロくさいエルフの坊主を頼んだぞ!!」 劔 理一 : 「…おう! とっとと終わらせて戻ってくるからそれまでヘバるんじゃねえぞ!」と城へ急ごう 稲原 アギト : 「おびただしい真の男たちの群れ……! 今がぜっこうのチャンスだ。おれはこのチャンスをみすみすのがすほど節穴ではない。ダイブするしかないだろうな」 GM : あ、リヒトくんのところには、あの老人が姿を現しますね GM : 「ヤンキー様!ワシです!先ほどお会いした、この町の町長ですじゃ!!」 GM : 「皆様のおかげで、この町の絶望の気配は薄れ…町人たちの気付けのおかげで、ワシもこうして正気を取り戻せました!」 劔 理一(PL) : あああやっぱりそうだったのか! GM : 「どうかイワンを!イワンを助けてやってくだされ!!」 劔 理一 : 「! てめェか、もうゴミ拾いなんざする必要はねえ! 後は俺らに任せな!」 劔 理一 : こうなったら何がなんでもやるしかないモードである 稲原 アギト : 「おれの計算によると勝率はせいぜい9割ごぶってところだろうな……」(弱気のつもり) 稲原 アギト : 「だが行くしか選択肢はない」 劔 理一 : まさか別行動の二人がマグロと荒巻鮭で敵を粉砕していたとは思ってもみないのである ※思ってたら狂人だと思います。 GM : お城には木っ端ビヤーキーたちが書類を手に手に集まっています。イワン君は今にも書類に押しつぶされそうです。どうぞお好きに暴れRPしてください。 GM : イワンくんを助けてしまってください GM : 本丸はその後です 劔 理一(PL) : じゃあ、とりあえずどっかで適当に合流したことにしましょうか 稲原 アギト(PL) : いいですね LINEしますか? GM : ライーン 劔 理一 : こう、「特攻(ブッコミ)」みたいなスタンプが GM : やってやんぞと 稲原 アギト : 「断る 理由は ないな」 みたいな筆字スタンポがタイムラインを流れていく
GM : では、ハルが物珍しそうにアギトのスマホをのぞき込んだりしてましたが GM : 皆さん問題無く合流して…いえ、せっかくだから木っ端ビヤーキーをちぎっては投げしながら合流したことにしましょうか 劔 理一(PL) : そうそう ちぎっては投げちぎっては投げ 稲原 アギト : 「こうか、だんだんコツがつかめてきた」 GM : マグロですか サーモンですか 稲原 アギト : ハルのまねをして武器を使ってみたりなどするRPをする 稲原 アギト : あ、じゃあサーモンで 稲原 アギト : 取り回しがいいので 稲原 アギト : マグロは懲りました 劔 理一 : そのへんに落ちてた棒を竹刀か木刀に見立てて振り回したりしつつ GM : ではサーモン一振りで 劔 理一 : 何故かサーモンを振り回しているアギトに気付いて疑問符が無限湧きしたり GM : !roll 1d20 ダイスボット : @GM rolled 5. GM : 5体くらいビヤーキーがふっとびました 劔 理一 : 普通に無双している GM : デーンデデデデーンデン(※三國無双のBGMを表現しようとしている) 稲原 アギト : 初期刀サーモン 稲原 アギト : こっちはリヒトを見つけて「!」が沸いてる GM : 後ろではマグロを振り回すハルもいます「スジ良いっすねぇパイセン!!」 GM : あ、そうだ GM : ハルとアギト、喧嘩上等で勝利したので友情度+1、テンション+1です
稲原 アギト : じゃあ今回はリヒトを見かけてテンションが上がった 劔 理一 : 順調に殴り合いで友情を深めている…! 稲原 アギト : 知らない異世界 ちょっと心細い そんなところに知った顔を見つけてじゃっかん嬉しかった……かもしれない 稲原 アギト : わーいわーい GM : 「リヒトさん、こっちっすー!!」 GM : マグロぶーんぶーん サーモンぶーんぶーん 劔 理一 : こっちも湧き出す疑問符をとりあえずどっかにやって「おう、二人ともキレてるみてえだな!」 GM : ビヤーキーぐしゃーぐしゃー 劔 理一 : それでも抑えきれない疑問はあるけれど 他に何かなかったのかっていうのはあるけど 稲原 アギト : さすがにビヤーキーに疲れてきたのでサーモンをちょっと囓る GM : おいしいです 稲原 アギト : そして何事もなかったかのように戦いを再開する 劔 理一(PL) : 生食可能な新鮮さ! 稲原 アギト(PL) : 一度冷凍してあるから寄生虫のしんぱいもないのだ GM : そして執務室!邪悪な書類に包まれてグッタリしているイワン!おおブッダ! 劔 理一 : じゃあくなしょるいをガッサーとかき分けて掘り出してあげよう GM : イワンはうわごとのように「仕事…しなきゃ…仕事…」とつぶやいています 稲原 アギト : 「フレックス!!!!!!」という呪文を唱えながら書類をなぎ倒そう 稲原 アギト : フレックスだと永遠に労働しそうだな…… 稲原 アギト : 裁量労働制(定価働き放題) GM : かわいそう GM : でも助けようとする心意気はサーモンを黄金のサーモンへと変えました 劔 理一 : なんて???? 稲原 アギト : サーモン+1 GM : サーモンから黄金の炎がほとばしり、書類が燃え上がって消滅します! GM : 本当に必要なのであろう数枚の書類だけを残し、執務室は綺麗になりました。イワンがハッとした表情でリヒトを見ます 稲原 アギト(PL) : あっクエストアイテムだ GM : サーモンは役目を果たしたと言わんばかりに普通のサーモンに戻りました 稲原 アギト(PL) : この世界詰み防止システムはいってる GM : クエスト属性です 劔 理一(PL) : 重要NPCには不死属性がついてるタイプのオープンワールドRPGだ…
※何ダー何ロールズなんだ…
GM : 「皆さん…あれ…仕事は……?あんなに山積みだったのに……」 劔 理一 : 「おい、モヤシ野郎。そろそろ定時だ、退勤の準備でもしとけ」 劔 理一 : 「残業するのは俺たちだけで十分だ」 GM : カッチョイイ GM : 「私は…ああ、帰れる…帰れるんですね…!?定時で…!定時で…!!」ぽろぽろ
※定時で………!!!!!
稲原 アギト : 「よくきたな、イワン。残念だがおれは必要いじょうにはたらいてやる気はない……すぐにけりをつけることになる」 GM : 「ま、ここまでやったんだし。俺も最後まで付き合いますよぉ。」ハルは相変わらずヘラヘラしてます GM : 「ありがとうございます…!ありがとうございます…!!」 稲原 アギト : 「そう時間はとらせないはずだ」 稲原 アギト(PL) : ハルくんここで戦ってくれるのやさしみ やさしみ温泉が湧いている 稲原 アギト(PL) : やさしさ源泉かけながしだ~~~ GM : 「バッドヤンキーは…画定は、お祭り舞台にいるはずです。」 GM : 「及ばずながら私も、皆さんについて行きます。皆さんのヤンキー伝説を、最後まで見届けさせてください…!」 GM : イワンの大切な夢を守ったことにより、PC全員のテンションが一段階上昇します!
※これにより、アギトとハルがテンション最大値「怒りMAX」に突入します。ダメージボーナスはなんと2D6!! 劔 理一(PL) : ヤッター!!! 稲原 アギト(PL) : わーいわーい しかし定時退社して仕事を見に来るってワーカーホリックだなあ 稲原 アギト(PL) : 帰らなくて良いのかい……?いや、明日から毎日定時で帰れるんだ…… 稲原 アギト(PL) : 週休も完全週休二日になるんだ 劔 理一(PL) : わりとこうなる前から社畜体質だったのかもしれませんねこの世界の人々… 稲原 アギト(PL) : 逆に仕事をとりあげたら発狂して死ぬかもしれないな…… GM : 珊瑚彫刻ももしかしたら副業かもしれない 稲原 アギト(PL) : はいほーはいほーしごとがすきー GM : 城の外に出ると、「異世界の人々」もいますね。皆PCについてきます。 稲原 アギト : (あまりチームを組むことがないからちょっとむずむずするな……) GM : では「決闘フェイズ」に移ります!
TO BE CONTINUED...
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“ 多くの韓国人は空気が読めない(KY)という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ■1.「空気を読めない」大統領 文在寅大統領はどうしてこんな子供じみた真似をするのだろう、と不思議に思った。ペンス米副大統領が北代表団と鉢合わせしないよう求めていたのに、9日の各国首脳を招いたレセプションで、北朝鮮代表と同じテーブルに座らせようとした。多少でも言葉を交わせば、米朝対話を実現した「手柄」になるとでも思ったのか。 ペンス副大統領は安倍首相とともに、遅れて会場に入り、冒頭の集合写真で北代表と一緒に映ることを拒否した。それも文在寅大統領のスピーチが終わってから会場に入り、数人の各国首脳と立ち話をした後、5分ほどで立ち去った。北代表とは握手すらしなかった。米側の意向を踏みにじって強引に米朝対話の場を作ろうとした文在寅大統領の意向は完全に無視されたのである。 こんなだまし討ちのような真似をされて怒らない人物はいない。それほど相手の気持ちを読めていないとは、日本人のみならず欧米人でもシナ人でも、あきれてしまうだろう。こういう人間をKY、「空気を読めない」人と言う。 ■2.世界を怒らせた韓国のKYぶり KYぶりは文大統領の個人的な性格の問題ではなく、韓国全体としての傾向だろう。その極端な例が、平成14(2002)年の日韓共催のサッカーワールドカップだった。 韓国に有利な疑惑の判定が相次ぎ、国際サッカー連盟のまとめたワールドカップ百年の歴史における「重大誤審疑惑」10例のうち、実に4件がこの日韓ワールドカップで起こった。それも韓国チームが16強戦(対イタリア)と8強戦(対スペイン)に勝ち抜いた山場の二試合に集中している。 被害を受けたイタリア、スペインは言うまでもないが、それ以外の国でも次のような報道がなされた。 __________ ・ イギリス デイリーテレグラフ紙: 茶番判定で汚れた韓国の奇跡 ・ アルゼンチン ラ・ナシオン紙: W杯を中止に ・ オーストリア クリア紙: W杯に正義はなくなった  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ インターネットの世界も炎上した。たとえばアメリカのYahoo! 掲示板では次のような具合である。 __________ ・ No more dirty tricks, Koreans! (13,106 発言)韓国人よ! 汚いトリックはもう沢山だ! ・ I hope Korea loses (2,047) 韓国、負けろ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ こんなあからさまな「誤審疑惑」を行って、国際社会がどれほど怒るか、それが自国の名誉にどれほどダメージを与えるのか、まったく考えてもいないようなのだ。 観客の方もKYぶりでは負けてはいない。対ドイツ戦では「ヒトラーの息子たちは去れ」というプラカードを掲げ、中心選手の写真を黒枠で囲って遺影のように示したりと、国際社会を唖然とさせるような行動を平気でとった。 ■3.東大博士課程留学生のKY 韓国人のKYぶりは、大統領の晩餐会や、ワールドカップなどの特別な場合だけではなく、日常生活でも発揮さ���ている。韓国から帰化した呉善花さんはこんな経験をした。日本で講演した時の事、質疑応答で韓国人の男性が真っ先に手を上げて、こう発言した。 __________ 皆さん、私は東京大学の博士課程でいま勉強しています。しかし呉さんは東京外大の修士課程でしょう。そんな人の話を信じられますか? なぜそんな人の話を聞いて盛り上がっているんですか、私には理解できません。 私はソウルの出身で父は学校の校長をしていたし母も教師をしていました。私はそういう教育者の家庭で育ちましたが、呉さんは済州島の田舎の出身で、新宿の歌舞伎町でホステスたちを相手にする仕事〔日本語教師〕をしていました。そんな女の人なんですよ。 そんな女の人が、なぜ日本と韓国の国際関係という大事なことを論じるんですか。なぜみなさんはそれを信じて盛り上がっているんですか。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 当然ながら、会場のあちこちから「失礼なことを言うな」「出ていけ!」といった言葉が浴びせられたのだが、その韓国人は「えっ? 失礼なのはあなた方じゃないですか」と、なぜ自分が失礼と言われなくてはならないのか、まるで納得いかないという顔をするばかりだった。[1, p99] 文化摩擦といえばどこにでもあるが、ここで注目すべきは、この韓国人男性は東大の博士課程で学び、これだけ日本語が達者なら、日本社会に住んだ期間も長いはず、という点だ。それなのに、こんな言い方をしたら日本社会では非難を浴びせられる、ということが全く分かっていない。 人並みに周囲の空気を読める人間なら、外国社会では、こんな言い方、振る舞い方をしたら相手の気分を害する、ということを学んでいくものだ。それが文化摩擦を減らしていく道なのだが、この韓国人男性は、まさに「空気を読む」態度がまったくないがために、日本人から見れば唖然とするような主張を平気でしているのである。 ■4.「ウリジナル」もKYから 多くの韓国人は空気を読まない、という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。たとえば、なんでもかんでも韓国が起源だとする韓国起源説、別名「ウリジナル」説。Wikipediaでは次のように紹介している。 __________ 韓国起源説の対象は、侍、日本刀、剣道、空手といった武術・武道関連、歌舞伎や折り紙といった伝統文化、寿司や沢庵といった日本料理、「わっしょい」等の様々な日本語の語源、東洲斎写楽や天皇などの著名人物、熊本城や日本庭園や勾玉といった有形文化財、ソメイヨシノや秋田犬のような動植物、 旭日旗のような日本の国旗に至るまで、分野や有形無形を問わず、日本の象徴とである様々なものに対して主張されている。[2]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ これは反日思考の一種と捉えることも出来そうだが、相手は日本だけではない。対象はシナにも及び、シナ浙江省の新聞「新快報」は連載記事「文化をめぐる中韓の戦い」で、次のように伝えているそうだ。 __________ 「近年、韓国では『中国文化が実は韓国起源だ』との主張が相次いで発表されている。儒教の始祖である孔子や古代の美女・西施、中国医学の名著『本草綱目』の著者・李自珍はみな朝鮮人で、そればかりか漢方・風水などの中国文化も半島起源だという。 これらの韓国起源説はたんなる主張で終わらず、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産として登録しようとする動きも見せていると中国では警戒されている。実際、韓国の『江陵端午祭」が世界無形文化遺産に登録されたことは中国に大きな衝撃を与えた。[1, p55]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ あるものを自国が起源だと主張する「お国自慢」はどの国にもあるが、韓国のように、相手国を怒らせてまで根拠不明の自国起源説をなんでもかんでも、しかも堂々と主張する国は他にない。これも、韓国人の周囲の空気を読もうとしないKYの現れだと考えれば、納得がいく。 ■5.グローバルに摩擦を起こしている韓国人のKY グローバル化の時代となり、外国人が韓国にやってきたり、韓国人が国外に出るようになって、必然的にそのKYぶりが国際的な摩擦を引き起こすようになった。呉善花さんの著書[1]では多くの事例が挙げられているが、そのごく一部を紹介しよう。 台湾の少年野球チームが2006年8月に韓国から招待されて、韓国の少年野球大会に参加した。そのチームがベスト8まで進出した所、突然、韓国側から「試合禁止」を言い渡された。理由として「優勝旗は国内(韓国)のためにあるから」と台湾チームの監督は告げられたという。 メキシコシティの韓国人移民のコミュニティについて、メキシコの有力日刊紙「レフォルマ」が2001年に全面特集記事を組んだ。その中には次のような一節があった。 __________ 「韓国人が主に住んでいるメキシコシティのフアレス区域は、五十年ほど前までは様々な国からの移民が仲良く共存する地域だったが、韓国人が移住してから、隣人同士の情が薄れた代わり、不満がいっぱいの状態だ。現地の法を破った韓国人が、メキシコ人と多くのいざこざを起こしている[1, p211」  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 1992年のロサンゼルス暴動も、白人だけでなく、韓国系移民の黒人差別行為が一因となっていた。焼き討ちの被害額の半分は韓国系商店だったと言われる。暴動後のアメリカ黒人学生のアンケートでは「最も距離を置きたい民族」に韓国人が選ばれた。 さらに、アルゼンチンで追放したい民族第一位に韓国人が選ばれた(2002年)。フィリピン当局が韓国人による人身売買事件の多発から、自国女性に「韓国人警戒令」を出した(2005年)。ネパールのシェルパ組合が、韓国人はささいなことですぐ殴るからと「韓国人登山客の道案内はしない」と公式表明した、等々。 航空機内や空港で、ちょっとした事から集団で騒動を起こす韓国人たちの問題には、韓国の外交通商部も手を焼き、2006年4月から、「海外で醜態をさらして摘発された『醜い韓国人(Ugly Korean)』に一定期間のパスポートの発給を禁止」する「醜い韓国人総合対策」をとった。 外国人が、文化の違いから知らずに現地社会に対して失礼な振る舞いをしてしまうのはグローバル時代にはよくある事だが、本人が現地に気を使っている限りは、多くの国々は寛容である。しかし、その外国人が現地の文化もマナーも一切無視して、KYで振る舞ったら、現地の人々も我慢できなくなる。 多くの韓国人のKYぶりはこういう意味で世界でも突出しており、各国で摩擦を引き起こしているのである。 ■6.「韓国伝統の集団利己主義」を生んだ「党争」 民族性は歴史を通じて形成されていく。したがって、韓国人のKYの原因は、その歴史の中に見つかるはずだ。呉善花さんは著書で、「韓国伝統の集団利己主義」を指摘している。これは「身内=自分の属する血縁一族とその血統」は絶対的な善であり、その繁栄を侵す者は絶対的な悪と見なす考え方である。[1, p21] 韓国の少年野球で台湾チームを呼んだのは、自国の大会に国際色を添えたいというだけなのに、優勝まで狙おうというのは「身内」の利益を侵す。ワールドカップは「身内」の晴れ舞台なのだから、多少の「重大誤審疑惑」くらいよそ者は目をつぶるべきだ、等々。 自分たちの「身内」だけの利益しか考えないから、よそ者は敵か、利用すべきその他大勢でしかない。だから「身内」以外の空気なぞ読む必要はないのである。 この「集団利己主義」を呉善花は「韓国伝統の」と形容する。その理由は、こう説明されている。 __________ その歴史的な典型を李氏朝鮮王朝の高級官僚たちにみることができる。彼らは、有力な血縁一族(氏族)を中心に徒党を組んで政権争いにしのぎをけずり合った。ある党派が政権を握ると、他の党派はそれに協力して政治を行なうのではなく、次の政権奪取を狙ってさまざまな手を打つことに終始した。[1, p22]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 党争の典型例が、1659年、第17代の孝宗が死去した時、その継母の慈懿(じい)大妃の服喪期間をどうするか、に関して起きた論争だ。1年を主張する西人党と、3年を正しいとする南人党が十数年も論争した。 最終的には国王の鶴の一声で西人党の勝利に終わったが、負けた南人党を待っていたのは、「邪説」を述べた敗者として賜死(自殺を命ずる刑罰)、杖死(杖で殴り殺す刑罰)、流刑、蟄居、罷免などであった。 こうした党争の歴史を分析した韓国の学者の論文では、223件もの党争のうち、政策に関するものはわずか3件であり、他の大部分は、職務上の過失・腐敗・怠慢、人品上の欠陥、儀礼上の過ちにより、政敵を攻撃してその職を奪おう、というものだったという。[3,p136] ■7.空気を読み過ぎる日本人の苦難 韓国がまさに「党争」の如くにわが国を攻撃している「従軍慰安婦」問題では、その原作者はシナであると言われている[4]。米国内に慰安婦像を建ててアメリカや韓国の反日意識を盛り上げれば、最も利益を得るのはシナだからだ。 しかし、そのシナリオを演ずる韓国は、現地での摩擦や日本での反感などを全く気にしない、実にぴったりの役者なのである。 空気を読めない韓国人と違って、シナ人は空気を読むだけ��なく、自分の有利なように空気を変えてしまう天才である。これまた数千年も大陸での異民族間で権謀術数の戦いを繰り広げてきた歴史が作りだしたシナ人の特性である。 これに比べれば、『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[a]で説いたように、皇室という利他心の源泉を国家の中枢に抱いて、2千年の間のほとんどの期間を「集団的利他心」で平和と安寧のうちに過ごしてきた日本人は、逆に空気を読みすぎるきらいがある。 空気を読み過ぎる我々日本人にとっては、空気をまったく読めない韓国人と、空気を自在に変えてしまうシナ人を隣人に持つとは、なんとも難しい宿命ではある。 (文責 伊勢雅臣)”
―No.1050 空気が読めない韓国人
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