#あと1ヶ月で仕上げていこー
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オープン戦スタート⚾️ いよいよ朝早ーい週末が始まります。 楽しみしかない✨ #まだまだ動けてないけど #あと1ヶ月で仕上げていこー #一球一球の準備を大切に #オールドレンズ #canon300mm #sonya7s #sony #3月は野球三昧 https://www.instagram.com/p/Co8MLmwSQCu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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私の経験 私がマンションを購入したのは、コロナ禍が始まった直後でした。当時、未曾有の状況下ですから、多くの物件が安値で売りに出されていました。様々個人的な事情も重なり、このタイミングでの購入を決意しました。投資目的ではない実需でしたが、結果的にコロナ収束後の今回の売却では成約ベースで約1500万円の価格上昇がありました。それはそれとして。 不動産業者の問題点 買い叩き:売りやすい物件は、業者が安く仕入れてリフォーム後に高値で売る「買取再販」の対象になりやすい。 囲い込み:不動産屋としては両手仲介(売主・買主両方から手数料をもらいたい)ので「囲い込み」を画策します。私のケースでは、業者間の不動産DBである「REINS」へ不正確な情報を登録して、物件検索に情報がヒットしないように小細工をされました。他にも良く聞くケースでは問い合わせが来ても他の業者には紹介しない事も多々あるそうです。当然、売主には、売却機会の損失が発生します。このように自己利益を優先し、顧客の利益を軽視する姿勢が見られます。 行政の対応 ちなみに、当時、東京都住宅政策本部(https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/) に相談をしましたが、以下の回答でした: 「REINSの情報を作為して正常な売買を機会を邪魔したことは悪質だが違反とは言えない」 業者への指導や調査結果は守秘義務により当事者(被害者)にも教えられない。進捗の共有も出来ない。 被害の損害回収については民事訴訟で自分でやってください。 つまり囲い込みをしても業者にはペナルティはありません。東京都住宅政策本部は電話の1つもしません。 行政機関は怒った人のガス抜き程度の相談窓口で、実効性のある対策を取っていないことが分かります。 法的対応の限界 弁護士に相談したところ、不動産業者の行為は悪質だが、損害の因果関係を法的に立証するのは困難だとの見解でした。 つまり、不動産業者が売主の契約を蔑ろにして、売買を邪魔しても何もペナルティはないのです。 以上の通り「囲い込み」には実質的な法的制裁も行政処分もないのが現状なのです。 これでは、業者の悪質な行為の抑止にはなりません。 自衛手段・・・。 大手も中小も業者はどこも信頼出来ない。 また一見親身な「任意売却の相談窓口」的なウェブサイトにも注意が必要 身内や親戚など、信頼できる人を頼るのも良いかも知れません。 こうなったら自身で宅地建物取引士の資格を取得してやるしかない?次回試験は10月です。無理だ。 余談 当時、もう少しネットで直接売買出来るサービスは無いのか?と調べてみました。そうすると、過去にYahooとソニー不動産が事業をしていました。不動産売買のメルカリのようなもので「セルフ売却」という、所有者が一括査定や人工知能(AI)技術による査定を参考に値付けをし、不動産会社を通さずに、物件を販売できるというものでした。 しかし、このサービスは少し前に不動業界の圧力で潰されていました。「このようなサービスをするなら、Yahooにはもう広告や物件情報を出さない」と、不動業界の団体が圧力をかけたせいで事業が解散していました。これもとんでもない話だと思います。 現在も、その事業に関わった方達が起業して、類似サービスをしているそうです。 ただ、それは私は利用していないのでなんとも言えません。 不動産業界の倫理観のなさには驚きました。 弱っている人間の足元を見てさらに買い叩いて金にする。 恐ろしい人たちだと感じました。 皆さんもくれぐれも注意して下さい。 当然、行政も、法律も助けてくれませんのです。 救いのない話やね。 ーーーー本文ーーーー これから分譲マンションを売却しようと考えている方、または現在売却中の方へ。 私は、個人売主として絶望的な体験をしました。その経験を皆さんと共有したいです。 最近、不動産系YouTuberが増えていますが、彼らの話はあくまで業者側の立場からのものです。 今日は、業界に利害関係のない私の体験をお話しします。 身を切った痛み、、ぜってえ読んでくれよな! 2023年末、私はタワーマンションを売却することになりました。 事情はお恥ずかしながらコロナの影響で体調を崩し、仕事が減り、ローン返済が厳しくなったためです。 そこで、「任意売却」をすることにしました。さっそく住宅債権管理回収機構とARUHI(銀行)に 相談し、「任意売却」をスタートさせました。 幸い私のマンションは査定の段階で1500万円近くも値上がりしていました。 駅近くの好立地、眺望の良い高層階、程よいサイズと、需要はかなり見込めるタワーマンションです。 これならうまくいけば2ヶ月程度でも売却完了できると思っていました。 ここから地獄の日々が始まるとは知らず...。 ■専任媒介契約の罠 日本の不動産売却で問題になっているのが「囲い込み」です。これは、業者が売り手と買い手の両方から手数料を得ようとする行為です。 本来なら片方の味方をするべきなのに、日本では両方やることが許されているんです。 海外では不動産エージェントは片方の味方しかしません。両方につくのは利益相反行為ですからね。 日本は異常なんです。私はこれは基礎知識として知っていたので、ARUHIに「一般媒介契約で広く競争させたほうがいい」と提案しました。 しかし、彼らは「専任媒介契約でないと許可できない」と譲りませんでした。 ■3社の悪夢 1社目の業者は、マンガ「正○不○産」にも関わったという会社です。なるほど、あのマンガに関わっているなら多少は信用できるのかな?と思いましたが、、、、結論を言えば、この業者は囲い込みの前に、とにかく業者間で「安く買い取り」で済ませようとしてきました。 私は一般市場で広く売って、なるべく高く売りたいのですが。専任媒介契約後は、担当者の態度は豹変して、私物化するような言動が見られました。ともかく物凄い安値で買い叩く!それに集中していました。これでは、たまったものではないので、業者を変更しました。 2社目の業者は、大手N不動産です。大手なら問題ないだろうと思った矢先、偶然でしょうか・・・。 店舗���打合せ中、他のお客さんが来て、窓口で何やら揉めていました。 大声で「うちのマンションの売却を依頼したのに、2ヶ月経つがまったく問合せが来ない!おかしいじゃないか」とお怒りでした。 私は、まさか!と思いましたが、、、一旦は依頼をしてしまいました。 しかし、残念ながらこのN不動産も、まったく販売活動をせず、買い取りばかりを勧めてきました。 問い合わせも来ないので、囲い込みです。「これNにきいてみよー♪」じゃねえよ!安心して聞けねえよ!! 面倒ですが、すぐに変更をしました。 懲りずに3社目は、地場の不動産屋に相談してみました。最近不動YouTuberが良く言ってますよね。 更新番号の多い歴史のある会社がいいと。そこで頼んだのは歴史が長くなんと地場で40年近い業歴のある会社です。 愛想の良い年配の営業マンで「心配しないでください。囲い込みなどしません。地元で恥になりますからね。頑張ります」と熱心でした。 これで、ようやく任せられると安心しました。 しかし、、、それから3ヶ月間。まったく問い合わせの動きがありません。おかしいな?と思いました。 そこで懲りずに「囲い込みをしない」と謳っている某不動産会社に調査を相談しました。 地場の不動産屋は、なんと、業者間の物件DB「REINS(レインズ)」への登録証を私にメールで渡した後に、レインズから物件情報を一部消していたのです!なんということでしょう!匠の技により、検索にヒットしない加工をされたのです。これでは、ほかの業者は物件を見つけることも、問合せも出来ないのです。地場の不動産屋はどうにかして自分だけで儲けたかったです。 怒って真っ向から指摘すると「登録ミスで、悪気はないんです!」など苦しい言い訳をしてきました。 どこの世界にレインズの登録ミスする不動産業者がいるんでしょう!往生際が悪い! ■経済的ダメージ 販売は予定から6ヶ月も遅れてしまいました。この期間、金融機関は「遅延損害金」を借り入れたお金の総額に対してどんどん加算してきます。なんと、毎月70万円もの借金が加算されていました。半年間で約420万円もの借金が増えてしまったのです。当然、これは私が売却価格から支払うことになります。誰も責任をとらず、逃げています。最後の業者も逃げています。全て騙された私が悪いのでしょう。 しかし、正確には冒頭のとおり「このような結末になる」と最初に私はARUHIに伝えていたのです。。。 不幸中の幸い、最終的に依頼した会社は、ようやく「囲い込み」をやめてREINSにも正常に登録されました。全国の不動産屋会社が広告活動をしてくれます。半年かかって正常な売却活動がスタートしました。そして、なんとたった2日たらずで内見希望が来ました。そして売却は1ヶ月もかからず査定額とほぼ乖離せず完了しました。この半年間はいったいなんだったのでしょう。420万円・・・。 ■最後に 不動産業界は、有名な大企業でも、地場の長い歴史の業者でも、このような違法な「囲い込み」を平気でやってきます。 残念ですが、まったく信用できない業界なのです。皆さんも「囲い込み」をされないように注意をしてください。 具体的には、よほどの理由がない限りは「専任媒介契約」はしないこと(普通はあまりしません) REINSの登録証明証に記載されているIDとパスワードで定期的に掲載情報の抜き打ちチェックをしましょう。 また、場合によっては、業者を装って業者には伝えていない電話番号から問い合わせをして「適当不動産です。物件確認お願いします。SUUMOに記載されている○○の物件まだご紹介可能ですか」と物件確認電話をして「紹介可能です」と返答するか確認するのも良いかも知れません。(囲い込みされている場合は「もう決まりました」「もう申込みが入っています」などと嘘の返答をされます) そして私からのメッセージは、分譲マンションなんて買うもんじゃないことですね! 不動産投資を考えている方、甘くないです!それは「不動産が正常に売却出来た場合」のお話ですよ!売れないのではどうにもなりません。 私は最終結果は売却益はプラスになりましたが、クソめんどくさいです!!マンションは賃貸でおk!!
クソ不動産業界の闇 マンション売却で500万損しないための警告
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2024年まとめ
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今年は水彩作品の制作をがんばりました。昨年「来年展示やりたいな」と思ったので実行したというのもありますが、いまだにスタイルの確立ができとらんな~と思っており、試行錯誤があります。
というか静物画と植物画のスタイルは自分の中で確実に手応えがあるのでそれはいいんですが(私のイラストレーションの得意分野はモノ・植物です)、もうちょっとなんとかならんかなと思っているのは漫画絵に寄った人間を描くときのスタイルです。昨年第五人格のファンアートを描いて「キャラクターのスタイルこういう感じならいけるかも」という方向性がうっすらつかめた感じがするのですが、第五人格は根本的にキャラデ��が死ぬほどうまいので自分の力じゃないんですよね。というわけで、今年は「月に1作は自主制作水彩絵を描く」を実行しました。イラストはこちらのポートフォリオにまとめています。
11月はキャンドルのシリーズを描いていましたがそれ以外は人間・キャラクター絵を描くという方向でやっていました。振り返ってみて思うのは、やっぱり物語が明確にあるものは一枚絵だとしても作品になりやすいという感触で、アリス展合わせで描いたものは「漫画絵寄りで且つまとまりがうまくいったのでは」と思っています。正方形だったのでバランスのとりやすさもあった。習作で描いた他の正方形の絵も人物にフォーカスする時はかなりいい形式だなと感じました。
構図は、迷ったらメイン人物をセンター正面+背景を物尽くしにするor世界観の表象を入れる、と決めているのでまあまあの割合でそういう絵になっています。これは数年前からやっているので「この構図前にも見たな」ってなると思いますが、ワンパターンだとしても全く問題ないなと感じています。
7月の水彩月間では毎日風景スケッチを描くのを一ヶ月完走したのもいい思い出です。風景うまくなりたいね。
水彩画の展示は大阪・京都・東京の企画展に参加しましたので、おおざっぱすぎる区分ですが西日本と東日本とで展示ができてよかったです。これは有言実行できてよかった。水彩紙や額装マットのメーカーであるオリオンさん主催の展覧会(メインはオンライン)に参加して、原画ではなくプリント展示でしたが銀座の月光荘で自分の絵を展示してもらえたのはめちゃめちゃ嬉しかったです(水彩の制作を再開する時、道具をそろえたのが月光荘だったので)。
今年描いた絵で言えば、制作してはいるけどまだ発表はしていない水彩画のシリーズもあるので、来年はこのあたりをまとめて出したいなと思います。
自主制作以外だと、skebのほか、今年も装画をご依頼いただけたり、毎年恒例の定期案件があるのですがそれで絵を描いたり色々できて楽しかったです。
アリス展に参加したことで、イギリス文芸題材の絵を描くテーマに着手できたのでよかったなと思っています。というか長年ぶつぶつと唱えている、ビクトリアン・パークというレトロゲームの元ネタになっているイギリス文芸作品の絵を描く、というテーマ、思い入れがありすぎると逆になにも手につかない的な感じなので展覧会に参加してほんとによかった。覚悟が決まる���残るはブラム・ストーカー「ドラキュラ」、スティーブンスン「宝島」、あとビクトリアン・パークの内容本体ではないけどキャラデザでかすっているのでメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」です。小説自体は何度も読んでいるのだけど、ほんと絵にするとき「どうやって……!?」というのと「自分の絵で自分の中の小説のイメージが固定するの結構嫌だな……!」という気持ちがめちゃある。でもなんらかの形にはしていきたいですね。自分の趣味趣向のかなり強めの影響もとなので。
来年のイラストレーション制作の目標も人物系のスタイルの確立、文芸題材のイラストレーション制作、というここ数年変わらない内容ですが引き続きこれでやっていこうと思います。
漫画に関しては、『せんせいとぼくと世界の涯』がマグカンの漫画賞でノミネートに入ったので編集の方がついてただくことになり、成り行きで演劇の話で盛り上がってシェイクスピア戯曲題材で漫画のネームが出来上がったが100ページ超えたので「これはこれとしてとりあえずいったん別の短いの描くか」ということで留保になったという愉快な出来事があります。別途描いてるネームは私が仕事&生活優先にしているため���しくてあまり進めておらず、今からがんばりますという感じなのでどうなるかわからないですが来年なんらかの読み切り漫画は出来上がると思うのでそのうち発表すると思います。
今年発表した漫画は『ギャスケル夫人の庭』のみでした。同人誌も発行しました。この作品は自分の創作の棚卸案件だと思っているのですが、これもほぼ2023年に描いていたものを今年仕上げて発表した形です。私の制作スパンが長めというか描かない(漫画描いてる暇がない)時期をはさむので変に間があくんだよな。
ともあれ9年ぶりに同人誌のイベントに直接参加したので、「ああーそうだこんな感じだったなー」となりました。
なんだかんだで忙しかったため、逢断は進められなかったのが心残りです。収入にならんものごとの優先順位が下がってしまうの、仕方ないけどほんと悔しいな。春までに数話分ネーム作ってあともう淡々と描くだけを一年やるとかにしたらいけるのかも。
今年は意識的に作品制作に時間を割いたので、例年と比べて舞台や展覧会を見る量が明らかに減りました。そう、土日を制作にあてると鑑賞機会がかなり減る。平日も動ける身なのだから平日にねじ込めばいいんですがあんまり��まくいかんのよね。とはいっても色々見に行きまして、今年は特に節分会の芸能行脚をしたこと(コロナ禍前に始めたのですがコロナ禍で中断したので久々の再開でした)が収穫でした。あまりピンとこないひとのほうが多いかと思うので説明すると、正月より節分のほうが季節行事としては強めの節目という文化形態に日本の芸能はなっていて、節分の日に社寺で行われる各種の芸能を見て回る趣味というのが民俗芸能というか郷土芸能というかそういう方面の趣味者にはあるのですね。追儺式と呼ばれたりします。ただし節分の日の行事なので節分の日にまわるしかなく、一人の人間が一日で回り切れる量ではないため「今年はあそこへこれを見に行くか……でもそうするとこっちは行けないな……」となったりするので年単位で行脚したりするのです。私は大念仏踊り、念仏踊りの類をできるだけ見たいと思っておりまして、これは節分に限ったものではないんですが、まー全然見れてないけど可能な範囲でがんばりたいんですよね。見るのを。 他には、建築と写真関係の企画や展覧会を巡ったりベケット映画祭で耐久戦のように上映を見たり、スペインへ行ったので建築がっつり見れたのよかったしプラド美術館も行って「時間が無限に足りない」になったりしました。
作品制作は毎日ちょっとずつやり続ける以外の正解は存在しないのですが、それにしたって時間が有限すぎるなあと感じます。「何をやらないか」を判断するというの、歳を食ったことでやりやすくなった部分はあるかなという気もするので鑑賞も制作も生活も、うまいことやっていきたいところです。
来年は世界が今よりよりよくなりますように。
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1番はもらったあああああ
ーーと書きたかったあずです。この題名にしようと秋公から決めていたので変えませんでした。
よーし、書くぞ~~!!
箏(支配人)
36期で1番好きな役者さんは?と聞かれたら、間違いなくルーベを挙げます。オムニから1番好きです。ルーベの演技を見ると、私はいつも何故か目が引き寄せられて、離せなくなります。舞台上にルーベがいると、そのシーンがパッと鮮やかになる。ただそこにいるだけで、ルーベを目で追っちゃう。その空気感が作れるのは、ルーベ自身の温かさに普段からのコツコツ努力が合わさっているからだと思います。今回の役、心から尊敬しているし、色んな人にルーベの魅力を自慢したいです。一緒に頑張ろうね。
森々仙入(ミライ1)
36期のお兄さん的役割を見事に果たしていると思います。普段はわちゃわちゃしたり、中心で笑わせてくれたりしますが、ふとした時に大人びていて、同期を見守っている感じがします。ラムダの演技は元気が出ます。他の人には出せないエネルギーを纏っていて、それをお客さんに届ける力が���いです。誰かがしないといけないことを、誰かが気づく前にやっていて、それが出来るのは普段から周りを良く見ている証拠だな、と思ったりもします。一緒に頑張ろうね。
月銀蓮(ミライ2)
我らが幕チの役者姿が見られて本当に嬉しいです。普段は落ち着いた雰囲気なのに、舞台上で弾けます。あのふり幅はどこから出てくるのでしょうか。心に秘めているのでしょうか。アネモネのツッコミは面白さと他の人にはない着眼点をもっていて、「そこからくるのか!」といつも驚きます。今回の役、本当にハマってます。アネモネ以外のミライ2は考えられないし、アネモネだからミライ2は舞台上で輝いているんだろうなと思います。一緒に頑張ろうね。
白(ミライ3)
最初の印象は、同じ西の人。けんけんけんけん言っても意味が通じる人。今?今は違う世界の人です。ぶらんだけ並行世界にいます。でもそれがぶらんの魅力だと思います。他の人には思いつかないアイディアだったり、考えだったりが次から次へと溢れてくるので、話していると面白いです。ミライ3、めっちゃ良いです。新しいぶらんが見れて、こんな役も出来るの!って、あのシーンが来る前はいつもわくわくしています。一緒に頑張ろうね。
埖麦(ミライ4)
たぶんすごく優しくて、よく周りを見てる人。そんな気がします。でもそれを表に出さないから、皆むぎと話しやすいし、自分の気遣いを誰かに押し付けることがないのもむぎの良さだなと思います。シーンの空気感をつくったり、動きや感情のコントロールが天才的に上手いです。しょーもない話を真剣に聞いてくれて、爆笑してくれるのが嬉しいです。ミライ4は36期でむぎしか出来ないと思っています。自分を大事にしてね。一緒に頑張ろうね。
叶イブ(通行人)
ふぃーちゃん。可愛い可愛いべびちゃんです。でも舞台上に上がると一気に雰囲気を変えて、ふぃあにしか出せない声でふぃあにしか出せない雰囲気をつくり出します。体験稽古・鯛焼きと一緒になれて、仲良くなれて、話していると謎の安心感が生まれて、ずっと側にいたくなります。普段から一人でコツコツ努力する姿を稽古場で見て、本当に努力家な子だなと尊敬するし、そんなふぃあが大好きです。荒通しで初めて通行人を見たときの衝撃は忘れられないです。早くあの衝撃をお客さんに味わってほしいな。ほんまに大好きなんです。一緒に頑張ろうね。
ポンにゃ(バンド仲間A、妹)
なびを見るとハートが溢れてきます。会話の中で裏表を感じさせなくて、思ったことを隠さず言ってくれるので、話していると凄く凄く安心します。私は人の”声”が好きなので、オムニの読み合わせで初めてなびの声を聞いて、この子と絶対仲良くなりたいと思ったし、鯛焼きで一緒だと分かった時はめちゃめちゃ舞い上がってました。なびはよく人を褒めてくれます。私もその1人で、どんなに嫌なこととかブルーなことがあっても、なびの言葉で吹っ飛ぶのは、なびがよく人を見ているからだと思います。本当に凄い力です。一緒に頑張ろうね。
雨々単元気(バンド仲間B、友達)
てにと話すと、本当に優しい人なんだなと感じます。相手の言葉をちゃんと受け止めて、表情や仕草を見てくれて、その上で相手とテンポの良い会話が出来るのが凄いです。あ、でもなつめと話すと少し雰囲気が変わるので、そこも見ていて楽しいです。てにの演技は記憶から離れません。一度見たら忘れられない、そんな演技ができること、本当に尊敬しています。今回の役もてにの良さが前面に押し出されていて、舞台上で活き活きしているてにを見るとこっちまでわくわくします。一緒に頑張ろうね。
紫苑(バンド仲間C)
新人で沢山の新しいなつめに出会いました。そんなこともできるのって、なつめの秘めたるパワー全開なあの場面がめっちゃ好きです。いつもニコニコしてくれるので、なつめと話すと自然と口角が上がっています。みんなを笑顔にできることは、なつめの凄いところです。バンド仲間Cはなつめだから成り立ってて、なつめがいてこそのあのバンドなんだろうなと思います。なつめの力でお客さんもニコニコにしてね。一緒に頑張ろうね。
暁レミエル(元カノ、母親)
この新人期間で1番びっくりさせられた役者さんです。成長速度が凄まじい。兼役という難しい役割を簡単そうにこなせるのは、えるの毎日の努力の成果だと思います。凄いです。前も言ったことあるけど、えるは聞き上手です。えるに向けて話していると、真剣に話を聞いてくれて同調してくれていることがよく伝わります。だから話しやすいし、ついついボケてしまいます。へへっ。えるがちゃうかにいてくれて良かったな、宣美チで良かったな、と制作チとして思うことも沢山あります。一緒に頑張ろうね。
熊吉(父親)
ちゃうか楽しいって熊ちゃんが言ってくれる度に心の中で小躍りしてます。分かる、楽しいよね。今回の役、ハマるハマる。熊ちゃんにしか出来ない動きや空気感で舞台が明るくなります。熊ちゃんもちゃうか努力家メンバーの一人です。たくさん書き込まれた台本を見た時に、公演への熱意が伝わってきて、尊敬が止まりませんでした。真面目な人でもあります。でもきっと、これからどんどんちゃうかに染まっていくんだ〜〜〜楽しみ。一緒に頑張ろうね。
張潤玲(店員)
日本語のうまさは他の人が書いてくれているので、敢えて別の話したいな。マモは優しい人です。そしてお姉ちゃんです。マモの前だと私は気を張らずに、どーでも良いことをペラペラ喋ることが出来ます。思い返したら、私たち最近ご飯の話しかしてないかも。昨日もマック食べたよ。ご飯大事だもんね(笑)マモがあず〜って近寄ってきてくれたり、名前を呼んでくれる度にすごくすごく嬉しくなって、妹感ましましの笑顔になってしまいます。それが出来るのはマモがとにかく優しくて、受け止めてくれるからです。一緒に頑張ろうね。
和來(今カノ)
なこちゃん。きなこちゃん。体験稽古に行った時、合宿で一緒に弾けた時、落ち葉でハート作った時、全部きなこと一緒だったから楽しかったし幸��でした。可愛いところは勿論だけど、私はきなこの意思がはっきりしている所が凄く好きです。ふわふわな中に芯があるので、話していてとても心地良いです。きなこは舞台上で化けるタイプです。アドリブ力も高くて、きなこから学ぶことが沢山あります。いつも仲良くしてくれて、本当に嬉しいしもっともっと大好きになります。一緒に頑張ろうね。
鞠凸二郎(おじさん)
はぜを見るとお疲れ様ですって言いたくなります。常に大量のタスクをこなしています。お願いだからパンクする前に人に振ってください。人に振れるっていうのは中心に立つ人でしか出来ない仕事です。おじさん、良いです。はぜにしか出来ないです、だから色々言っちゃうこともあったんです。だって出来るじゃん、てか今出来てんじゃん。36期ではぜにしか出来ない役を、お客さんに見せつけて欲しいです。相変わらず周りをよく見てます。是非、推しをつくりましょう。きっとはぜの癒しになるよ。映像過去一カッコいいです。一緒に頑張ろうね。
東愛莉(アサ)
今日も息しててえらい。ありがとう!
ちゃうか選んだの大正解だよ。
錫蘭リーフ(ヨル)
実は、意外とちゃんと話したことがなかったので今回たくさん話せて本当に嬉しいです。セイロンは感情の受け取りが上手だなと思います。日常でも舞台上でもそう。誰かが発した言葉や行動をうまーく受け取ってくれるので、つい頼ってしまいます。セイロンの優しさだね。ヨルがセイロンで良かったと心から思うし、セイロンだから私は自信を持ってアサが出来ます。演技は言わずもがな、動きがすごく分かりやすくて新人でセイロンからたくさん勉強しました。最近可愛いです。一緒に頑張ろうね。
海月(演出・照明オペ)
スミには最大級の感謝をしても足りないくらいのありがとうを伝えたいです。稽古場が楽しかったのも、誰一人欠けることなく公演が打てるのも、笑顔で本番を迎えられるのも、全部全部スミのお陰です。スミは『みんな』を1番に考えてくれます。だから私たちみんなは、スミについていきたくなります。『この椅子どけて』の1部となれたことを誇りに思います。スミの良さが溢れ出た稽古で、宝物な1ヶ月間をくれて本当に本当にありがとう。新人が終わったらたくさん好きなことしてね、自分を労ってね。一緒に頑張ろうね。
大良ルナ(映像オペ)
らいちゃんの頑張りを自慢したいです。本当に凄いんです。どれだけ自分が大変でも、お家にいたくても、ちゃうかのことを1番に考えてくれます。それって中々できることじゃないです。いつもありがとう。今回は演技指導もしてくれて、らいらに助けられた人が沢山いると思います。らいちゃんと話していると、どうでも良い話も真面目な話も全部落ち着けている自分がいます。私はその時の自分が結構好きです。まだまだ開拓したいお店沢山あるもんね、お家近い者同士これからも色んなところ行こう。一緒に頑張ろうね。
城戸大夢(音響オペ)
まだまだ知らない所が沢山ある人です。でも、オームの周りからは優しいオー��が溢れ出ているなといつも思います。話していると、こちらが話し終えるのを待ってくれていることが伝わってきて、マシンガントークしやすいです。勉強を教えることがうまい、と聞きました。相手のことを1番に考えている証拠だと思います。そして音響のセンスがとても良いです。どうやって見つけるのかまた教えてね。オペありがとう。一緒に頑張ろうね。
色々書いちゃいました、いいよね新人だから。昨日の深夜に投稿しようと思ったら気づいたらアサが来ていました。
36期のメンバーが皆で良かったって心から思います。こんなにも息がしやすくて居心地の良い空間をつくってくれて、ありがとう。
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Heaps of cake
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はわゆ ごぶさたしてしまいました。 ここ最近はバイトで色々理不尽な目にあい病みかけておりましたが 開き直って働きながら職探しをしております。 最低賃金以下で収録かと思う仕事量! オーナーはほぼ毎週誰かをクビにするし。油断なりません。 しかし、いまオーストラリアの留学生の数は過去最高。 2ヶ月職探しをしても1つも採用されず帰国を考える人が出てくるほどなんで、やすやす辞められません。 なんとか布巾を投げつけてこない職場を探したい笑 足元を見られている、くそー 心がすさみそうになり、ひさびさにカフェでケーキを食べてみたら、おいしすぎて涙でそうでした。糖分の効果たるや! ケーキありますか? と聞いたら Oh, we've got heaps!! と答えてくれたときのうれしさよ heaps of cakeがひつようです。 メルボルンはすっかり寒くなってきて、テラスには暖房もついてきました。 曇りの日が増えてきたので、 晴れた日は公園の芝生に思い切り転がって本を読むのがつかのまのしあわせ。 みんな転がってるからこわくない。日本もこうなってくれ。 カポーティを原書で読み、ケーキでチャージして持ち直すのよ。 寝転がって本を読んでると、 ユーカリの木がさわさわ揺れて、これは流行りのmeditationというやつでは?と思いました。 紅葉が始まって、大好きだった青空と木々のコントラストが見れないのかと不安だったけど 友達が、ユーカリの木は冬でも葉っぱが落ちないと教えてくれた。 たのむぜユーカリ。 2ヶ月半ぐらい経って、学校も、友達づくりも、いったん慣れて あたらしい向き合い方を考えるときに来てるきがします。 棚卸しして、やっていこー
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これを第二のリビングとしたい。
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カミナリみたいなごつごつした枝のユーカリ (見上げたときの図)
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こういう野暮ったいケーキを後ろにいるおじいちゃんの隣で食べるのも好き
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疲れると海きがち。
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信号待ちの車の前でジャグリングをする男。謎すぎた
Thank you. まけへんで〜
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【生育日記】稲刈り日和(あきたこまち)
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↑秋田駒ヶ岳と稲刈りとじじとばば。そしてお隣の田んぼでは蕎麦の収穫。
今日も元気に稲刈りデー。昨日に引き続き、3回目のあきたこまち収穫です。残すところあと1回。
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↑雄大な秋田駒ヶ岳。
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↑ここの田んぼも泥が深くて作業が大変でした。
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↑収穫したお米は乾燥機で仕上げます。
今年の秋田黒猫屋あきたこまちの傾向は、くず米が例年の3分の1、変色米多め、全体の収量やや少なめといった感じです。(採れ高や品質の詳細は仕上げの工程を経ないとまだ分かりません。)
今年は秋田県全体では一等米の割合が9月28日時点で1.4%にとどまる等、記録的な猛暑の影響が厳しい結果をもたらしているようです。
俺の黒猫米…成果はいかに。
■■■おまけ■■■
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↑刈り取りを終えた蕎麦畑で、稲刈りを見守るばばとくまちゃん。
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↑なでなで。
くまちゃんは機械のでっかい音が怖いので、ソーシャルディスタンスを確保しています。
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↑さ、いくよ。よそ見をしていて置いてかれそうになるくまちゃん。
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↑くまちゃんどーこだ。
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↑くまちゃんこーこだ。
水が流れていない空の水路に避難するくまちゃん。
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↑くまちゃん「ばば来たです!」
ばばに駆け寄るくまちゃん。
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↑くまちゃん「あまえんぼしちゃお。」
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↑すりんすりん。
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映画『生きる』
��U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円っ��今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
あ、ここでまず歌うんだ。
このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長���何か作ったらどうですか」と言います。
でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
ちょっと見るのが怖い気がします。
追記: 志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。 え? 47歳? とてもそうは見えません。 もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。 今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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ちょっと前に『文明交錯』を読んだ
日記と銘打っているが最後に更新したのは1年前である。
ひと月くらい前に読んだ『文明交錯』(著:ローラン・ビネ、訳:橘明美、出版:東京創元社)のことを、まだよく思い出している。その間に「古代メキシコ展」へいったからかもしれない。フランシスコ・ピサロたちコンキスタドールに滅ぼされたインカ帝国が、逆にスペイン、ひいては西欧を征服してゆく架空の歴史小説。ページをめくる手がずっととめられず、溺れるように読んだなあという歓びがあって、前にそういう読み方をしたのは『テスカトリポカ』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』あたり。2023年の上半期でいちばんよかった作品としてまっさきに挙げるし、たぶん下半期でこれを超える作品に出会わないだろうという予感もある。
まさしくそのテーマについて書いていた本を思い出して、大学生の頃に一読した『銃・病原菌・鉄』(著:ジャレド・ダイアモンド、訳:倉骨彰、出版:草思社)を読み直した。1部3章「スペイン人とインカ帝国の激突」で、コンキスタドールがインカ帝国に比べて少数にも関わらず滅亡に追い込めた直接的要因に銃器・鉄製の武器、騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、航海技術、集権的な政治機構、文字を持っていたことを挙げている。『文明交錯』はどの地点での歯車がずれたらそれらの要因が排除されて史実の結末が変わってゆくか、そしてその結果がどうなってゆくかを4幕構成で描く。バタフライ効果の鍵は10世紀のアイスランド。
ヨーロッパで初めてグリーンランドに入植した赤毛のエイリーク、その息子の幸運なるレイフがアメリカ大陸に到達したとされる「グリーンランド人のサガ」をもとにして、レイフの妹であるフレイディースを中心に据えた1幕が始まる。富と名誉を求めてヴィンランド(かつて存在した北アメリカの土地)を目指したフレイディースは「グリーンランド人のサガ」によれば旅のあとでグリーンランドに戻ってくるが、作品内ではアメリカ大陸を陸沿いに役畜を伴ってどんどん南下する。ニューイングランドあたりから出発し、後年インカ帝国が勃興するペルーまで多くのスクレリングたちと交流しては製鉄技術や有輪鋤についての知識を与えたり、トウモロコシの知識やココアを与えられたりするが、彼らは必ず伝染病によって亡くなってゆく。そのたびルーン文字で墓標を刻み、置き土産として何頭かのつがいの家畜を各地で残す。それが結果的に、スクレリングの子孫たちが馬にまたがり鉄の武器をたずさえ疫病に免疫を持つこととなり、その約500年後の2幕でキューバへやってきたコロンブス撃退につながる。捕虜としたコロンブスからカスティーリャ語や「外の世界」への航海地図、そして胸で十字を切る〈磔にされた神〉のことが伝わり、そうやって舞台が整備されたところで(史実では)インカ帝国最後の皇帝アタワルパが登場する3幕がはじまる。ここまでのところで全体の5分の1くらい。
全4幕は順に、サガ、コロンブス航海記、年代記、セルバンテス風の小説と書きざまも登場人物も視点も変わっているのでぜんぜん飽きない。史実との絡め方も非常に巧みで、16世紀ヨーロッパといえばルターの起こした宗教改革の時期。アタワルパたちの信仰は太陽教と呼ばれるようになるが、ヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚するためにイングランド国教会ではなく太陽教への改宗を進めたり、ドイツ農民戦争で掲げられた農民の12ヶ条要求を太陽教はどう呑んだかなどおもしろかった。
恥ずかしながら国際情勢に疎い。職場��はずっとラジオが流れているのでそのたぐいのニュースを耳にしない日はないのだが、なんらかが話題に挙がればその場でちょっと調べ、なんとなくわかった気になりすぐに忘れるをくり返している。あるとき、これじゃよくないよなと衝動的に思って、西欧を中心に歴史とか文化や技術の流れについての書籍を読むようになった。去年の今ぐらいの時期から始めたのでもう1年くらいになる。知識をどかどか詰め込みたいタイプの性格なので、どうやらけっこう向いているっぽい。こちらの視点ではああだし逆側からだとこうだしとか、ぜんぜん関係ないと思っていた事柄が、とある地点で急につながると昂ぶったりする。ほとんど電子書籍で買っているので、いざ開いてみて難しいから今じゃないというタイトルもたくさんあり、いろいろ回り道をしてから戻るとすんなり文章が入ってくることもある。その瞬間がいちばん楽しいかもしれない。そういうようにして、ここ1年で読んできた諸々の、現時点で出された中間テスト的な作品が『文明交錯』だったんだと思って嬉しくなったりもする。でもなー、電子書籍のよくないところってページ数と行数がわからないんだよな、仕方ないんだけどそこだけが難点だ。
「ある人々は雷神トールの娘で太陽神によって遣わされたという〈赤毛の女王〉の古い伝説を思い出し、思わず太陽に向かって礼拝した。」 「タイノもインカも、数多の神々の一人としてトール神を崇めていて、しかもどちらもこの神の起源を知らなかった。」
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2023 pt.2
3月。
の前に2月末。かつての職場の先輩を飲みに行った。
彼は大手企業に勤めていたが、数年前に退職してしばらく無職でDead by Dayliteをやる生活をした後、夜職に就いた。
しかし夜職の理不尽さに嫌気が差して退職し、また無職になったというタイミングだった。
俺は酒に強いタイプではないが飲むのは好きで、その先輩は同い年だったという事もあり会うと数軒ははしごしてあれこれ話すのが楽しかった。
いつも飲みの誘いは先輩からだったので、たまには俺から誘おうと思って3月にLINEしたが返信は無かった。
退職した事による生活環境の変化が原因だったのか、それとも他に原因があったのかは分からないが、ともかく友人を一人失ったように感じた。
3月中旬、彼女に連絡して1時間ほど通話をした。
冷静になってよりを戻す提案をしたが、断られた。
私物だけでも返したいのと俺の家の合鍵を返してほしいから日程を合わせたいと言うと、忙しいから5月以降に、との事だった。
その翌日、大学時代の同期に長文のLINEを送った。
大学時代の同期と言っても関わりがあるのは彼ひとりしかいない。
俺が2021年だったかにマチアプをやってる事を彼に教えたら彼もマチアプを始め、数ヶ月で相手を見つけて1年間交際の後に結婚、子供も生まれたし家も建ったし高い車も買ったとの事だった。
それらの出来事を素直に喜べなかった。
これは核心に迫る話というか…本来あまり他人にするような話ではないのかもしれないが、ここはこういう話こそ書く価値があると考えているので書く。
人生において「先を行かれてしまった」ように感じた。
だから素直に喜べなかった。自分はまだ独身で彼女とも別れた。家なんて当然建っていない。
そこに「差」ができたように感じた。
また、彼とは20年近い付き合いがあったが、それまであまり下ネタ系の話はしてこなかった。
それが俺が下ネタの話を最初に振ったのがいけないんだけど、それ以降下ネタの話題が増えてしまい、彼の方��らそういう話題を出すことが日常化した。
特に嫁とのそういう話が多く、それを聞いていてうんざりしていたのもある。
いつも連絡するのはこっちだったので、もっと気軽にLINEしてこいよ、と言ったら生まれたばかりの子供の画像やら俺からしたらどうでもいいLINEが毎日のように来る。
それが「自分今こんなに幸せです!」とアピールされているようでかなりうざく感じた。
そもそも彼は昔から自分語りをすると止まらないという悪癖があった。
大学1年の頃、彼の下宿先に遊びに行った際にこんな事があった。
彼は車が好きで、車の絵を描いていると言って色々な絵を見せてもらった。
最初、上手く描けてると思って感心したがよく見るとその絵が描かれている紙はトレーシングペーパーだった。
上手いと思った絵は、車の広告にトレーシングペーパーを重ねて描いただけのものだった。
それらのトレス絵をファイルしたものを数冊見せられ、車についてのマシンガントークを聞かせられた。相槌を打つしかなかったが、その相槌すら無視して自分の話したいことを話している自分に酔っているかのような状態だった。
だからそんな彼と遊んだ日は、心から楽しいとは言えなかったなと思いながら帰ることも度々あった。
今までにも何度か自分の事ばかり話しすぎだとか、そういう事を指摘したことはあった。
そしてこの2023年3月にもLINEのテキストメッセージではあったが、自分語りしすぎだという事を書いて送った。
返信は無かった。
自分の事はいくらでも送ってきたのに、これに対する返事は無しか、と思った。
1週間、返事を待ってみたが返事は無く、これを以って関係を絶った。
3月も下旬に入ってだいぶ暖かくなったなと感じつつ、同時にリアルの人間関係、壊滅したなと思った。
リアルで繋がってる人はいるけど、住んでる場所が遠かったり忙しくて会えない人しかいない。
4月。
この月はそれまで長く乗ってきた車から新しい車に乗り換えた。
嬉しくて一泊で伊豆半島一周ドライブなどをした。
5月。
ドライブなどをして過ごす。
6月。
2022年末にアカウントを取得し、Quest単機でたまに遊んでいたVRChatに本格参入することを決めた。
そのためにBTOのゲーミングPCを導入することにした。
7月。
月初めにゲーミングPCが完成し、受け取り。
PCVR化したことで使えるアバター・行けるワールドが大幅に増えた。
PCVR化してすぐにフレンドの方とVRで会い、色々教えてもらう。
新しい世界の扉が開いたように感じた。
一方、リアルの方では色々な問題が起こっていた。
6月末くらいからか、身の回りの様々なことに対して強い憤りを感じるようになった。
身の回りの事…本当に些細なことにも怒っていた。
車で通勤している際、急いでいるのか横着な運転をする人だったり、偉そうに大きい車に乗ってる人だったり、その時住んでたアパートの隣の部屋に住んでる人だったり。
当時住んでたアパートは部屋から駐車場が見え���ようになっており、俺の隣の部屋のカーテンは夜でも数十センチほど空いていた。
俺が夜に駐車場に車を停めると、そのカーテンの隙間から隣人がこちらを覗いており、その目線に気づいてカーテンの隙間を見るとすぐにカーテンを閉める、という事がこの頃から増え始めていた。
それ以前からその隣人は家でアコースティックギターを弾いたり、夜中に勢いよく窓のシャッターを閉めたりして迷惑だと感じていたので管理会社に連絡を入れていた。
あとわざわざ管理会社に連絡しなかったけど、隣人は時間を問わず「あー!!」みたいな短い叫び声を上げる事がありこいつ頭おかしいんじゃないか、とも思ってた。
また、この月の中旬に元彼女と会って私物の返却を行った。
このファミレスまで来てほしい、と言われてたのでそこへ行くと店内にいると言われ、入店して1時間ほど話した。
俺は返すものだけ返して早く解散したかったんだけどね。
元彼女はまるで付き合っていた頃と変わらないテンションで嬉しそうに最近あった事などを話していた。
一方、俺は聞き役に徹して、弟が結婚した事を話したぐらいだった。
仏頂面をしていた訳ではないけど割と淡々とした感じで話を聞き、最後にお互いの私物を返して解散。
また会っても良さそうな感じだった。
空は清々しく晴れていたのを覚えている。
だが、帰宅してから連絡先を削除した。返すものは返したし。
良いのか悪いのか、自分にはこういうところがある。
職場では直属の上司が変わって以来ずっと気を遣いつづけており、職場ではビクビクしていた。その反動か職場以外ではかなり気が立っていた。
しかしVRChatでは優しいフレンドの方と一緒に過ごして我ながら別人のようだった。
というか、今考えると目まぐるしく感情が変わる毎日を過ごしていたんだなと思う。精神衛生上よろしくない気がする…。
ちなみにこの頃、それまで仲が良かった母に対しても一言で言い表せない憎しみのような感情が発生していた。
理由のひとつとして、母の旧姓を存続させるために弟を祖母の養子にして改姓すること、改姓のタイミングは2023年8月に弟が結婚する時にすることがあった。
事前に弟の結婚と改姓について母から同意するか聞かれ、反対する理由がなかったので同意した。
同意はしたが、勝手なことしやがってと当時の自分は苛立っていた。
8月。
母や弟から来るLINEは全て無視していた。
心配した母が家まで訪ねてきた事があったが、「構わないでほしい」と追い返した。
夏季休暇があったが当然実家へは帰らなかった。
石川県までドライブに出掛けた。スーパー銭湯に入った後、道の駅へ向かって運転してたら地元の車に煽られてムカついた記憶がある。
9月。
仕事はとてもよくできるが性格のキツそうな先輩がチームに加入。
俺の住んでいる場所など、プライベートの事についてあれこれ質問��てくるのがうざく感じた。今思えば距離を縮めたかったのかもしれない。
でもこちらが質問するとあまり答えず、人の事を詮索したがるくせに自分の事は言わない人間だと感じた。嫌いになった。今も仲は悪い。
というか、この人物が直属の上司に加えて新たなストレス源となった。
自分より圧倒的に仕事を知っているので、こちらが反論することはほぼできず、さらに突然怒り出したりするので完全に苦手意識を持っている。
10月。
正社員登用された。
直属の上司、先輩との関係は良いとは言えず、常に気を遣っている状態でありそのことがストレスとしてのしかかっている状態は変わらず。
他の先輩との関係は悪くない。
登用試験の合否が出た日、帰りがけにステーキ肉を買って帰った。
帰宅後すぐにVRChat(以後VRC)に入り、フレンドの方と一緒にお酒を飲みながらイベントに参加して楽しく話したり笑ったりしたことを今も覚えてる。
隣人の件もあり、転居を検討する。
この街に引っ越してきたときに見つけた物件で、築浅で広くて家賃安めの神物件があったんだけど当時は予算的に入居できなかった物件があった。
それがこの時たまたま空きがあったので即契約。
正社員登用の関係で親族のハンコが必要だったため渋々実家に帰ってハンコを貰う。
11月。
引っ越しとそれに伴うネットの契約の関係でこの月はVRCに入れず。休日等を利用して荷物を運ぶなどした。
12月。
月初めに母と弟夫婦と俺の4人で食事会。
俺の提案で俺の家の近くにある良さげな焼肉店に行った。
焼肉だけでなくサイドメニューも全て美味しかったが母からは「疲れているように見える」と言われた。
事実、上司と先輩に気を遣っていて疲れている。というかずっと疲れている。
会社の忘年会があったが、申し訳ないが当日キャンセルした。
年末は家からほとんど出ず、自身最長の4日間風呂キャン(風呂に入らないこと)をした。
VRCのフレンドたちと四六時中Discordで通話してUnity触ったりVRCで遊んだりしてた。
疲れながら無理に無理を重ねて今日までやってきているが、最近はメンブレの日が近づいているのを感じる。
今日はこれから夜勤だけど、休もうかなとも考えてる。昼から仮眠せずにずっとこれを書いているので最早出勤する気あんまり無い。
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③(今日は①〜③まであります)
今年ラストのブログ
・
今年の目標はなんだったっけ?と思い返しても、全然思い出せないので、自分のこのブログで遡ってみました。
(目標を思い出せんってことは、全然意識しずに1年が過ぎちゃったってことやね🙃)
今年の年始に書いた目標↓
・
うわー、全然達成できてない💦
今年は、私、何してたんだろ…。
・
まずは息子が中学生になり、
生活が一変し、そこに照準を合わせるまでに苦戦したな。
春はとにかく生活リズムを作れず
夏は早起きばかりで疲れ果て…
秋、そう、あの9月に体調を崩してから、もうこの4ヶ月は、あっという間すぎて、記憶なし…
・
そんな日々の中で
私の軸は、やはりこのお店で
嫌な時も辛い時も、仕事のおかげで、お客様のおかげで、乗り切れた気がします。
先日、お客様へ送信させていただいたひなたの公式ラインに
「皆様の優しさに包まれた1年でした」と文字にしたように、
今年は、本当に皆様のおかげでここまでこれた気がしています。
体調が悪い時も、皆さんの温かい言葉に励まされ、ひなたに良い「気」が流れてくれていた気がします。
だんだん、私も年齢を重ねてきたこともあって、思うように動けなかったり、いつも元気なわけでもなくなってきて、あと何年仕事ができるんだろ、なんて考えた日も多くありました。
・
来年は、そんな優しさ、温かさいっぱいの皆様に恩返しができるようにしたいなぁと思います。
美容師生活 約30年。
まだまだ、もっともっと、仕事をしてたいな。
来年も、こんな私とひなたをよろしくお願い申し上げます。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ✨
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自転車
自転車を買った! 2024年11月4日、自転車を買った。Claigslistというアメリカの、メルカリのようなやつで。自転車を買ってから今(11/9)までいろんな出来事があって、全部楽し愛おしい。
11月4日はNY生活の5日目。1日目にアパートからセントラルパークまで歩いて、セントラルパークの大きさに参り、半分くらい歩き回っただけで、帰宅したら4,5時間歩き回っていたことになり、とにかく自転車が欲しいと思った。Citi Bikeがどこにでもあるから!と行く前に職場の元ニューヨーカーが教えてくれていたけれど、地元民たちからはあんな高いの無駄すぎる、と言われた。元々ニューヨーク計画が立った頃は自転車を持って行こうかと思っていたのだけれど、ヨセミテの話が出てきて登山グッズを持っていくことになったので諦めたのだった。そしてシアトルの乗り換えの時に荷物を一回全部受け取って、入国審査があって、それから国内線への乗り換え、しかも1時間以内、という状況に立ち会った時、“あぁ、自転車なんてとても運べなかったな”と、持ってくることは不可能だった、と諦めがついた。ついたはずだったのに、1日目にしてもう悔しかった、自転車がないここでの生活は勿体無すぎる!と。地下鉄は1回2.9ドルでとてもお得なので乗りまくれるんだけど、気づけば日本円のレートで冷静に考えたら500円弱なので、乗りまくっていると結構嵩む。かといって歩きまくっているのも時間がねぇ。
そんなわけで、中古自転車を買おう、と毎日思うようになった。Claigslistというところでただ同然でボロバイクが出されているのを見始める。 過去に自転車盗難に遭い、あらゆる転売サイトで検索した経験���あるので、安すぎて盗難車を捌いている売人に当たるのが嫌だなぁと思いながらも、この切り詰め生活では安いものにばかり目が行く。一件、もうすぐ引っ越すので自転車が不要になった、という良さげな投稿を見つけてとりあえずメッセージを送って返事が来ないので寝た。
翌朝、まだメッセージの返事が来ていなかったので、もう2件ほど気になる投稿にメッセージを送って朝ごはんを食べていたら、1件からすぐに返事が来た。良いよ、何時にする?と。過去にClaigslistで車を買ったことのある大家(友達)によれば、Claigslistには本物もいれば、危険もある、という恐ろしい例を聞く。変なところに呼び出されて銃出されてお金だけ取っていかれるという例がたくさんあるそうだ。大家の友達はそれで大変な目にあっただとか。 ビクビクしはじめる。でも待ち合わせ場所は人通りの多い場所だし、昼間だし、きっと大丈夫だろうと大家が言う。地図を見て、もしやばくなったらマクドナルドか地下鉄に逃げ込もう。シューズはランシュを履いて逃げれる準備万端にして出かける。メッセージが来てから1時間と経たずに出かけた。 住んでるアパートはアッパーウェストサイドで、待ち合わせはマンハッタンの結構下の方で、40,50分かかる。その間中ドキドキしながら向かった。Delancey St-Essex Stという駅に待ち合わせの15分前くらいに到着し、対岸の銀行で80ドルを下ろす。
待ち合わせの角に行く。こちらが先に待ち合わせ場所にいるのはちょっと怖かったので、歩道の反対側に立って待った。あの人かな、この人かな、と対岸の角を行き交う人間を観察するのは、アクション映画に入り込んだみたいな気がしてちょっと楽しい。反対側からでもマクドナルドのWi-Fiが入ったのでネットもあってグッド。11時の待ち合わせ時間になっても現れず、「自転車持ってくるんだよね?」とメッセージを送ったら直後に、おじさんが自転車に乗ってきた。中華系の大きなおじさんが自転車を待ち合わせ場所に停めたので後ろから声をかけるとにこやかであまり危険オーラは感じない。待て待て、とジェスチャーしながら携帯電話で電話をかけ、突き出してくる。電話を取ると陽気な男の声が聞こえて、「どう?気に入った?」と。「おう、はい、やー」的な返事をして、まずは乗らせてくれ、と言おうと思っていたら間髪入れずに「まぁまずは乗ってみてよ」と言われる。「そう言おうと思ってたんだサンクス、乗ってみる」と言って電話をリン(林)という男に戻して乗ってみる。
座高が高すぎる。座れない。買っちゃいけないかなとも思うけど、とりあえず動作に問題はなさそうだし、写真で見ていた以上に見た目が気に入った。座高は高くても乗れなく���ないし、3ヶ月だけだし、とにかくこの売買の状況がおっかないし、ということで戻って、「買うわ」と言っておじさんに80ドルを手渡した。サンキューサンキューと言い合ってとっとと別れた。
さて、マップが自転車用ルート���示してくれるあたりで既に予感があったのだが、マンハッタンあるいはニューヨークは、ものすごい自転車大国だと思う。自転車用の道が古くから整備されていて、車より自転車が優先されている。道の整備のされ方は本当に自転車乗りにとって理想的な幅と道筋だし、車にとっても歩行者にとっても自転車道と自転車の存在が当たり前のこととして存在している。自転車マークの信号もある。座高高くてずっと立ち漕ぎであっという間に汗だくだけれど、気分は高揚していた。セントラルパークを走る際に降り坂で何もせずに自転車が進んで行き、これまで乗っていたどんな自転車よりも大きくてタイヤ幅もあるため安定感抜群で両手離しができる、もう最高の気分だった。 結局1時間以上かけて帰宅し、アパート前の何台か括り付けられている木の囲いの鉄格子に括り付けて部屋に戻った。
その日の午後は大家がカフェワークということで私も一緒にカフェに。嬉しくて子供みたいにとりあえず自転車をひいていく。カフェの中からも見える位置のバス停のポールに自転車を括り付け、美味しく大きなチャイラテでカフェワークタイム@Plowshares Coffee Roasters.
カフェからの帰り道の出来事である。ハーレムをチャリで走って、大きな交差点で信号待ちをしている時、黒人さんから写真撮っても良い?ときかれる。「私の写真?」と驚いた感じで答えると、そう、と言ってカメラを指差していた。もちろん、と答えて何枚か撮られる。ハーレムでチャリにまたがるアジア人、という構図だろうか?振り返ると確かに背景はニューヨークのそれで、黄昏時刻のトラフィックを背景に私が映った写真だった。貰えばよかった、あの直後からずっとそれを後悔している。この悔しさが胸に艶やかに残っていることそのものも楽しんでいる。
そうやって自転車を買った1日がいろんな感情を味わわせてくれて終わった。
翌日、day6 of NY life。この日はPublic Libraryで仕事やいろんな片付けをすることにした。もちろん自転車でBryant Parkに向かう。走り出して間も無く、タイヤが凹む。昨日は必死に漕いで帰って気にしなかったけれどまぁまぁ凹んでいた。でも今朝になって一段と凹んだ気がする。気分も凹んでくる。やっぱり咬まされたか〜。これ以上ない安物買いの銭失い過ぎる〜と、大層気持ちの良いハドソン川沿いの自転車道を走りながら大汗かいて悲しみながらもただただ気持ちよくて、気分がごちゃ混ぜ。とりあえず図書館行って自転車屋調べて持っていこう、と漕いでいった。6日目になるまで一度もタイムズスクエアに行こうとよぎりもしなかったけれど、ガッツリ通過した。昨日も通過したけど中央道ではなかったので、今日は本当にガッツリ通過した。自転車で通過するくらいがちょうど良いのではないかなとか変な感想を抱いた。竹下通りを通る時のあの感覚だね。
まだまだ慣れない路駐という常識。ちなみにアパートの前に路駐して一晩明けたら鍵にガッツリ切ろうとした形跡が残っていた。怖過ぎるでしょ。一晩目なのにもう切り跡が!でも道路の至る所に自転車停めのポールがある。凄いよなぁ。日本には無いなぁ。というか日本は道が狭過ぎるか。とまぁポールに行こうと横着をして階段を数段、持ち上げないで自転車をガタガタと降ろしたら早速チェーンが外れた。横着な自分が嫌になりながら、仕方あるまいと手を汚す覚悟でチェーンを嵌めようとしたら、どうにもこうにもハマらない。これまでにない大きな自転車で、スタンドがなくて、基本的にオンボロで。格闘していたら、「Yo!」と黒人のお兄ちゃんがやってきて、あっさりと助けてくれた。通りかかったら何や大変そうじゃん、と思ってさ、ということだった。ありがとうが過ぎるっす!と固い握手をお互いチェーン触った汚れた手で交わして別れた。あったけぇなぁと思った。自転車じゃなかったら出会わなかった暖かな兄さんに出会えたのか、とか思いながらPublic Libraryに入っていってテンション爆上がりした。何じゃこりゃ。もう毎日ここで仕事しよう、そう思った。でもちょっと寒い、天井がやたらと高いので。明日から暖かいもの持って来よう。
調べた近所の自転車屋さんに持っていき、きっとチューブがダメだと思うんだ、と言ったら、そう?問題なさそうだけど?とちょっと強面なヒスパニック兄さんがシュパシュパと力強く空気を入れてくれて万事休す。 最高の気分で帰宅した。何と言ってもやはりセントラルパークの坂を駆け抜けるのは最高に気分がよくて、もうこのライドだけで80ドルの元は回収できたわ〜などという気分。
そしてday7、今日も今日とて図書館へ。と思いきや今度はチェーンが噛み合わない。経験したことのない噛み合わなさで、日本語ですら説明できない状況に陥った。図書館など行っている場合ではなく、昨日空気を入れてくれた自転車屋さんに駆け込んだ。昨日と同じ強面な兄さんは、これはお手上げだわ、ということでうちじゃなんもできねぇ、こっち行ってみて、と別店舗を案内してくれた。やっぱりダメだったか〜ポンコツ車、そんな気分で案内された別店舗に行ったら、なるほど本格的な自転車屋さんだった。置いてある備品全てなかなかの高級品がズラリ。やってくる客も結構ちゃんとしたロードバイクばかり。日本語でも説明できない状況を英語で話したってなんら伝わらない。タチの悪いことに、一見なんの問題もないのだ。でも漕ぐと、なぜかチェーンがハマらない。受付のお相撲さんみたいに大きなおじさんが、なんやこの子、言ってること分からん、って感じで立ち上がり、「マエストロォ!」と奥に向かって叫ぶ。ついてこいというのでついて行ったら、マエストロと呼ばれる髪の毛はペっっっとりとポマードで撫で付けられた小柄なおじさんがむしゃむしゃとサンドウィッチを食べているところだった。お相撲さんが私の言ったことをスペイン語で繰り返し、サンドウィッチを咀嚼しながらうむうむと頷いたマエストロは、「食い終わったら見るからちょい待て」と合図してくる。どうなることやら、という気持ちで、ゆっくり食べてくだされ、と言って店内物色。
一通り自転車を点検したマエストロは、何が問題なの?と。色々がたついているところ微調整したから乗ってきてみて、ということで、おそらく問題解決していないだろうと思いながらちょいと乗り回し、やはり解決していないので戻った。熱心に台に乗せて再度チェックしていたマエストロは、「一体何年乗っているんだね?この自転車は」と聞いてきたので、「んー、1日」とつまらんジョークのような返事になった。「一昨日見知らぬ男から買ったんだ」「いくらで?」「80ドル」「80ドルか」 マエストロの目から見て80ドルが高いのか安いのかは分からなかったけど、マエストロは私が貧乏人であることはちゃんと分かったのだと思う。 ここもここもあれもこれも、もう変えなきゃダメなんだよね、ルーズなんだ全部、そう言う。「ルーズ?」「ルーズ、緩んでいるんだよ全部」「あぁlooseね」まぁ驚かないね。「でも全部変えたら、もうすごい値段になっちまう」「だろうねぇ」いくらになる?とは聞かないし、マエストロもいくらくらい、なんてことは言ってこない。10年以上ロードバイクに乗っているからよーく分かる。備品ひとつ変えるだけだって偉い出費なのに、この為替で、そんなに何箇所も変えるなんてできっこない。「どうにもならんかねぇ」と言っても仕方のないコメントをした。
良いなぁ、と思ったのは、日本の自転車屋さんだったらこんなオンボロ車鼻から相手にしてくれない状況で、マエストロはしっかり向き合ってくれていると言うこと。良いなぁ、と思った。日本だったら、こんなにまで古くなる前にオーバーホールか買い替え、とすぐ言われちゃう。だから、無理に交換を進めてくるわけでもなく、油差したりネジ締めたり調整してくれる姿が良いなと思った。 「よし、ちょっと俺に試させてくれ。どうにかならんか試してくる。」マエストはそう言って、自転車を持って消えた。と言うか道路に出て漕いでどこかに行った。しばらく帰ってこなかった。その間にも立派な自転車を持ち込んでくる今にでもレースに出れそうなガチな格好の男たちがよく店にきた。マエストロは忙しいだろうに、こんなオンボロ車に時間使ってくれて〜と言う気持ち。 戻ってきたマエストロが吉報を告げる。「この段とこの段のギアチェンジはするな。こことここはまだ使える。でもこっちの段にしちゃううと飛んじゃってダメだ。分かったか?この段とこの段だ」と。 アンティーク車のギアチェンジは怖すぎてしてこなかった。1回でも試みて2度と戻らないなんてことが容易に想像できたので、ギアは触ってこなかった。マエストロは前後の全段試してきてくれたという。ありがとうマエストロ!!! まだなんとか乗れそうで、とってもありがたい。結局たったの8ドルと言うお会計だった。
良いなぁ良いなぁ、と言う気分でこの日は走った。こんなオンボロ車でもまだ乗れる策を考え出してくれる、自転車屋さん自体が。そんな自転車カルチャーがとても良いなぁと思いながら、まだ2日しか付き合っていないのに早くも愛着が湧き出していることに気がついた。
翌朝アパートのエレベーターから自転車を出すところを手助けしてくれたお父さんが、「なんだってそんな大きな自転車乗っているんだい?世の中にはもっと小さくて良い自転車がたくさんあるよ!俺は自転車屋で働いているんだ。」と話しかけてきた。良いの良いの、あたいはとりあえずこいつで良いのです。
マエストロに見てもらってからはなんの問題もない。問題ないどころか、コーニーアイランドにも行ったし、フェリーにも乗った。買い出しもピクニックもカフェも本屋も、それからイーストに住んでいる友達の家にも、全部全部自転車で走り回っている。もう地図を確かめることも無くなった。片道20km超えのブッシュウィックまでも、マンハッタン中を走り続けてブルックリンブリッジ渡って漕いで行った。自転車のないNY生活はやっぱり全然考えられないし自転車だから出会えたあれこれが全部楽しい。嬉しい。
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X(旧ツイッター)を更新し、4月末で俳優業を休業することを発表した。 竹中は「ご報告 私、竹中隼人は2024年4月末日を持ちまして俳優業を休業する事をご報告致します」とコメント。「昨年2023年10月下旬に脳梗塞を発症し回復期の6ヶ月間リハビリに努めましたが右半身の麻痺(まひ)が回復せずこの度の決断に至りました」と説明し、「16歳~41歳まで、25年間の役者人生で出会えた全てのご縁に感謝しております」とつづった。 また「俳優業休業のお知らせ」と題した長文を掲載。「中学を卒業後、地元大阪で1年間芝居を学び16歳で単身上京。有限会社銀プロダクションで3年間お世話になり、師匠の故松尾銀三から『役者とは、人とは、男とは、』様々な事を教わりました。息子の様に可愛がって頂きました」と回顧。「教えを胸にその後フリーランスで約15年演劇界に身を置き舞台、主に小劇場で芝居をして参りました。その後、縁あって映像の世界に飛び込み様々な景色を見る事が出来ました」とした。 「入院中のベッドで色々と考えました。数年前から毎回これが遺作になるかもなと思って芝居をしていた事、遺作になっても悔いの無いよう覚悟を持って演じていた事、遺作では無いけど演じる事が最後になった作品の事。まだ出来るかな、いや止めた方がいいかな、グルグルグルグル毎秒毎分毎時間毎日毎週ずーっと頭から離れませんでした。いや、現在も。今も好きだから。好きで好きで仕様がなくて。ゲロ吐くほど好きだから。だから離れる事に決めました」と葛藤を吐露。 「このままだと同じ事を繰り返す。舞台公演が終わる度に、何日も寝込む。ひどい時は入院。血尿血便吐血。何日も寝れない。食べれない」とし、「人は一人で生きている訳では無い。生かされている。勿論言葉は知っていました。感謝もしています。自分が生き死にの狭間に立って初めて見えたモノがありました」とつづった。 「今回のご報告にあたり『廃業』という言葉を書いては消しを繰り返しました。25年間愛してきたモノを辞めると伝えるのは想像以上にくるものがあり、何より嘘は吐けないなと。辞めると言っても辞めないだろうなと。俺にとって役者とは俳優とは職業ではなく生き方なので。なので『廃業』ではなく『休業』とさせて頂きました」と明かし、「今後の事は何も決まっておりません。ゆっくりと整理し、前を向いて生きたいと思います。ご縁を頂けた皆様、改めて心より御礼申し上げます。誠に有難う御座居ました」と結んだ。 竹中はテレビ朝日系「仮面ライダーゼロワン」やWOWOWドラマ「TOKYO VICE」などに出演した。昨年8月にX(旧ツイッタ-)で「41歳になりました。怖っ!」と報告していた。
竹中隼人、俳優業を休業 41歳で脳梗塞を発症「右半身の麻痺が回復せず」仮面ライダーゼロワンなど出演 - スポーツ報知
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ミツビシテツロウダイエット日記 Part3
4/10 74kg 23% ちょっと減った。 ケトジェニック開始してから10日。前回のケト(2月)は食物繊維もゼロにした結果、ものすごい便秘になった。 今回から難消化デキストリンを30g/dayブチこむことに。1日10gってパッケージには書いてあるがまぁいいだろ、俺は食物繊維を摂る男。摂る男ったら摂る男。 3月から開始してたTENRINとGiltyxGiltyさんバックバンド現場終わり。次は松浦くん現場です。
4/15 72kg 22% おおーーーーー2kg減!1%減!!! こう見ると結構ちゃんと減るんだなケトジェニック。 金はかかるし、管理難しいしで簡単に手を出さない方がいい上に絶対身体に良くないのでマジでおすすめしません。 ローファットから始めてください。マジで。 松浦くん現場で遠征が増えてしまう。コンビニで炭水化物の入ってない食事探すの上手になってきました。
4/30 71kg 22% うーん、筋肉も落ちてんのかな????1kg落ちていや1%減るってことはないか。 GW突入前に思い切り風邪をひく。昨日のmizuirono_inuライブでsashiさんに何か伝染させられたっぽい。 タスクいくつか終わらせてなるべく横になる。
5/7 70kg 22% 落ちてまーす!!!!体重、おちてーまーーーす!!! ついに70kg切りが見えてきた。体調は明らかに最悪。要因は風邪。 ダイエット期間中のログ見ると10月-2月で20kg,2月-5月の3ヶ月で10kg落としてる。やっぱ後半になるにつれ落ちが悪くなってくるね。。。。 次の3ヶ月 5月-8月で5kg落として、8月-10月で3kg落とせばゴール。やーーーーマジで一年かかるかも。 せっかくなので服を新調。昔の服全部捨てる。3XLは卒業だ!
5/15 68kg 22% 落ちてまーーーーす!!!!!!実際にはツアー中で食事をしっかりとる暇がないというのがデカいかも。 運動量は落とさないようになんとかがんばっているけど・・・・ 福岡の日をチートとすることにより意識を保つ。。。 ツアーメンバーに会うたびに痩せすぎて怖いって言われるようになる。
5/25 66kg 21% 松浦航大ツアー 福岡公演 待望のチートデー@福岡 2kg減ってんだぜ。ツアー。大変だぜ。 もうどうしようもないくらいテンションが上がる。居酒屋も爆ウマ。ラーメンもすっごい美味い。東京で食べられないタイプの味。 いやあるのかもしれないけど、すっごい並んだりするのかも。とにかく美味しい。 居酒屋メニュー制覇して、ラーメン〆に1杯スープ完飲。その後もう一件ラーメン。大量のカロリー摂取。
5/26 67kg 21% ポップしなないで@リキッドルーム 痩せすぎてみんな怖がってる。ってかわむらさんに言われる。昨日のチートが効いている。しっかり1kg増えてる。 ライブ中の動きが少なかったので帰ってからトレーニング。もうちょい運動量増やした方がいいのかもしらんけど やりたくないこと一個でもやるとダイエットが嫌になりそうなので、したいことだけしていこう。
6/1 66kg 20% やっと20%!!!!!! しかし減りが悪くなってきたな・・・今月で松浦航大ツアー終わり。 ツアーが終われば食生活もなんとかなるはず。というか4−6月忙しすぎてヤバい。移動中も曲作ってるレベル。過去一とは言わないけど、過去5位くらいにはなってる。過去一は2020年。思い出したくない。3ヶ月で100曲くらい作ってた。納品まで一人でやって100曲は泣きそう。Mixまでやってんやぞ。。。
6/25 66kg 20% 所用によりチートを敢行。 しかも三日間行うことに。 今回でなんとかなるといいなぁ
6/28 67kg 21% 増やすのはこんなに簡単なのに、減らすのは本当に難しいもんですね。 ツアー終わり!!!! 打ち上げなし!!!!
7/1 66kg 20% すぐ戻せたな?いいぞいいぞ ツアー中に受けた小さめ案件片付けようとしたらめちゃくちゃなスケジュールになった。 今月30曲納品だ。やれんのか!
7/5 65kg 20% 筋肉落ちたか!?!?!?どうした俺。。。。 ただ初65kgは嬉しいマジで。
7/10 66kg 19% 遂に訪れた体脂肪率20パー切り!!!!! おめでとうございます。BMI、体脂肪率どちらも肥満ではなくなりました。 体脂肪率がどのくらい正確かって話は一旦置いとこう。 ウェストサイズは85cmから変わってないけどな・・・・皮のあまりが物凄いことになっている。 まぁ30年以上太ってたわけだし。それは仕方のないことよ。 あいも変わらずケトジェニック。1日の炭水化物量を1割とかいう可変から20gというハードコア仕様へ。 もうすぐ誕生日なので前後は一回普通の食事へ戻します。 その後一回低脂質やろかなーーーケト戻そうかなーーーどうしようかなーーー あと2.5kgでゴールなのでゴールまでケトジェニック続けてもいいかも。 その後は低脂質で体脂肪率落とせるところまで頑張るという感じで・・・
7/21 66kg 19% 大して変わらず。 そして年齢は35歳へ。ここから年齢を巻き戻すことにしたので来年からは34歳で、再来年は49歳ってことにしてもいいかもしれんなとかどーでもいいことを考えてたら出かける時間に。 カタカナの久しぶりのライブが誕生日とはね!といそいそとライブハウスへ向かう。EmilyLikesTennisのみんなと、SlowWolvesClubのみんなに誰だかわからないと言われ、遠隔で早瀬さんに痩せたらつまらないと言われる。そんなこと言われても・・・ ちょっと飲酒。明日から通常食。
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流れ星並みの速度で7ヶ月。おめすぎおめ。なのに酔い散らかして、まともな会話出来ん人間でしたね、昨晩はね。ごめんよ。日々を共にしている時間が長くなると不安にさせることもあって、そんな瞬間が増えてる気がしてバッド極め男子になる夜もあるけど大丈夫そ???毎度の如く感謝しまくりの日々っす。俺の分かりにくすぎる感情に寄り添いまくってくれている君に、感謝感謝。ほんとにありがとうね。この1ヶ月でも、まあ、色々あって。最近も、どうしようもねえ事で落ちてる俺の話をただ聞いてくれたよね。マジ助かった。出会った日も、だけど、今も相も変わらず、かっけーとこがあってヒーローみたいな君です。たまに俺より男前か??みたいな時あるんで、やめれる???いつの間にか、どうしようもなく落ちて仕方ねえ時間も和らいで、「声が元気そう。」って俺のメンタル変化に秒で気付けるのマジすげー、となったよ。吉田の達人やん。エギィて。愛感じた。𝑳𝑶𝑽𝑬。たまに塩きかせてツーン!!な日もあるけど、言葉の端々に愛が絶対あって、それに触れるたび、すげえあったけー気持ちにしてもらってます。ありがとう。毎日何かしら言葉やったり、気持ちを交わしてる俺らだけど、ほんと仲良いよね。勿論、不穏な夜もあるけど、それ以上に仲良くて。どんな時間も大切で。そんな気持ちだったり心を常に教えてくれてありがとう。幸せやなー、ってしてくれてありがとうね。一緒に居て、楽しそうなきみが傍に居ることが幸せ。好きで好きで、まだまだ興味津々っす。もっと知りてえ、独り占めしてえで忙しくしてます。今も、傍で静かに寝てんの、愛しすぎて。また明日も、そんな時間を約束出来るのは幸せでしかないね。7ヶ月、ありがとう、おめでとう。そして、これからもよろしく。
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会社やめたっっ笑笑サイコー
げつよーが最後の働く日でこれから5月いっぱいは有給使うー
本当は有給ないっていわれてたんだよっでもおかしいでしょお〜って思ってなんでないのって聞いたらもらえたっよかったっ
何するのこれから?ってね
何も決めてないね、ちょっと1ヶ月くらいふらつきたいな〜
フツーに疲れた!メルボルンから帰ってきて、すぐ会社で働いて、いい人もいたかもしれないけど、大体はあんまり好きじゃなかったなあ
でも割と自由だったからセクハラなかったらステイしてたかもね、仕事は好きじゃなかったけど、全然
何が嫌で辞めたのかって言われたら、たくさん嫌なことはあったんだけど、1番嫌だったのは
セクハラされてオフィス行きたくないって言ってるのに会社のルールだからって言ってボスが私をオフィスに行かせようとしてたこと。
まあ結局そんなのしたくないし、ボスもあんまりこのこと真剣に考えてない感じしたのがむかついちゃってあとリモートだからすれ違い多いし、
私やってて言われたこと終わってるのに2人がエクセル違うの使ってて仕事してないじゃんって言われたり、やめる1週間前はずっとファイトしてた笑
自分も言われっぱなしなのやだからね、言い返してたけど笑
日本の会社じゃなくて、働いてる人も日本人じゃないからこんなことできてたのかな。
でもまあいい経験だったって思うようにしてる、最悪だったけど、自分はこうゆうこと興味ないし、好きじゃないんだってよくわかった。
好きじゃないけど、生活するためにやらなきゃいけないこともあるじゃん〜でも私本当に自分の好きだったことしか今まで続いたことないな〜って
メルボルンいた時は家賃とか生きてくために働かないといけなくて、でもそれは自分の好きな仕事だったし働いてる人も好きだったから毎日のように本当に休みなしで働いてたけど全然嫌じゃなかった、遊びすぎてきつうううううって時はあったけど、
それでも行ってたし、ちゃんとやるぞーーーーって感じで働いてた、靴売るぞおおって笑笑
で、日本帰ってこの仕事決まってて、前みたいに働く時のやる気見たいのほんとゼロ、誰のためにやってる仕事なのって感じだったし、自分は何ができてて何が出来てないのかもわかんなかったし、初めての仕事だったから。
でもやめるって決める2週間前くらいにオーストラリアからボスのボスが来てて、その人に聞いたの、私のことなんで採用してなんで今もまだキープしてるの?って笑、私のどこが良くて悪いか教えてって
そしたらNanaはフランクな感じがよくて、悪いとこは時間を守れないとこって言われた〜これ聞いてそれだけ?みたいなね笑
時間はね、守れないわけじゃなかったのかもね
他の仕事しててあんまり遅刻したことない、メルボルンいた時は毎回15分以内くらい遅刻してたけどそれは遅刻に入らないでしょおって
でもこの仕事の時は本当に9時半に始まるのに11時くらいに起きちゃったりしたことあった笑
でも全然焦らないの、もう嫌すぎて普通に、この日働くのや��ようかなみたいな気持ちになっちゃう。
いつもだったらさ、遅刻やばいからそれ挽回しよーっていつも以上に頑張ったりするんだけど、ぜーんぜんそんな気分になんない笑
こんな感じだったから、毎日毎日ストレスだったし、辞めてよかった〜本当
甘えてるのかなあこれ、働かないと生きてけないとかじゃないんだよね、
でもね働きたいの、働きたいわけじゃないけど何かはしてたい、
入ってくるものがゼロだと使う気が起きないんだよね〜お金あっても置いとくだけだったら増えたりもしないし
あと早く働いて家から出たいな本当にいい加減ね笑
実家に帰ってきちゃって半年も経っちゃう、はやすぎ〜
仕事辞めてさ、次の日に言われたの仕事何するの?見���かった?次があるから辞めたの?知り合いの会社に聞いてみれば?
って辞めたばっかなのになんかすごくない?
これ毎日言われるんだよね、毎日って言うか家で人に会うたびにね、仕事は?って仕事ばっかりね、気にしてるの、心配してくれてるのはわかる、私がこんな感じだし、
でもさすがにやだな〜これ言われてばっかり、だから家にいたくないなーって、まあほとんど家に誰もいないんだけどね〜
ほーんとーどうしよこれから、メルボルンに戻るのめっちゃありなんだよね〜学生にならないといけないからめっちゃお金貯めないとだけど、
それかヨーロッパ住みたい、でもなんか今危ないらしいね、国が
とりあえず6月はアメリカ行ってくるからそれから帰ってきたら本気で何するか決めたいな、てかアメリカにいる間に決めてきて日本帰ってきたらそれ始めるくらいがいいな
目標は誕生日までになんか始めとくこと〜がんばろお
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【生育日記】でゃご大豊作
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↑田んぼ1枚分まるまる大根畑。今年は種まきの時期や気象条件がうまくいったのか、きれいでりっぱな大根が収穫できています。昨年は酷暑・大雨長雨のせいでキスジノミハ(強敵害虫)が異常発生して、大根の表面が傷だらけにされ、大苦労したのでした。それを思えば今年は超がつく大豊作です。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/b2095663d72d4ead47bf2a5771e6aa83/2aed6f06982e0e98-59/s540x810/4192540ee8c989b6d248d0a1aebe18f1beb5c7c3.jpg)
↑今日も今日とてでゃご掘り!こがね漬けにちょうどよいサイズの大根だけをチョイスして掘り上げたのですが、運ぶのにも漬けるのにも苦労する超ビッグバン大根ばかりで、嬉しいやら大変やらです。
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↑とったどー!
これから大根達をきれいに洗ってすぐに漬け込みます。ばば特製のこがね漬け、んめえんだなこれが。
商品名は「こがね漬け」なのですが、なぜかお客様の中には「金色」の印象が強いのか、「黄金(おうごん)漬けください!」といっておかわり購入しに来てくださるかたが多々いらっしゃいます。ピカピカ金色に輝くイメージがついちゃうほど美味しかったってことかな!ありがたや!
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↑カブの間引きをするばば。本当はもっと早めに間引かなくちゃいけなかったの��すが、ばば忙しすぎて遅くなりました。でもこれでカブも育ちやすくなったはず。
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↑こちらはいぶりがっこ燻製の準備です。何をしているのかというと、火加減を調節するための重要アイテム、トタン板がボロになってしまったので、ドラム缶を加工して新調しているところです。まずは真っ二つに切って、開閉しやすいように持ち手も付けます。
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↑ててーん!完成やで。燻製中に火加減が強すぎず弱すぎず、かついい感じに煙が出るようにドラム缶を加工して、火にかぶせるカバーを作りました。これで今年のいぶり作業がひとつ楽になるはず。
楽になると言っても、いぶり作業が始まると、丸1ヶ月間は昼も夜も数時間置きに火の番をしなければならないので、いぶりがっこ作りはとても大変なお仕事です。美味しいいぶりがっこをお届けできるよう、秋田黒猫屋総出でがんばるでぃー!
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