#、世界観、宗教観、仏教観、浄土真宗観
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報正寺住職 城山大賢 講話 2023年10月29日
どんな、思想や、宗教を、持とうが、持つまいが、この人生の、諸苦悩、絶望など、どう、切り開いてゆくか? 本来、「非」意味、「非」目的に思える、この、大宇宙、生命、人類、この私の存在に、生きる「意味」は? 経典等を、一から、たどりつつ、考えてみる。
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中村氏は新型コロナのさまざまな問題点について、1時間40分ほど語った。21年6月24日の「新型コロナワクチンの接種中止を求める嘆願書」提出以来の自身の活動について「当時は風当たりが強かった」と振り返った。読売新聞の連載『虚実のはざま』やNHKの番組『フェイク・バスターズ』などで自身の言説が「デマ」とされたことに触れ、「今は違う。多くの人が少しず��気づき始めている。これから多分、もっと研究されていくだろう」と展望した。
主催が宗教団体であることについて「初めて。皆さんにお伝えしたいことがあった。マスクや社会的距離の確保に対して、宗教家の人に立ち上がってほしかった」と吐露した。「旧約聖書では病気イコール汚れと捉え、病人は隔離すべき対象だった。新約聖書では病人も神の愛に生きている人と解釈した。これは宗教家として理想の姿」と評じた。
しかし、「オンライン礼拝」や「洗礼水鉄砲」などの奇行が実施されていたことを紹介し、「公衆衛生上の対策に宗教界の権威が一方的な考えを表明することは信者に大きな影響及ぼす」と警告。ローマ法王が「コロナワクチンは道徳上の義務」と宣告したことや、ロシア正教会も「ワクチンを打たないことは罪」と発言したことを問題視。ただし、「ワクチンは悪魔」との観念が根強く、接種率は低いまま。「信徒は偉かった」とたたえた。
「病気の流行とプロテスタントの発生は密接な関係がある」と切り出し、「14世紀にペスト(黒死病)が猛威を振るった欧州では、人口の3分の1が亡くなった。マルティン・ルターは避難を拒否し、街の病人や教会員のケアに奔走した。プロテスタントにもこうあってほしい」と希望した。
12~17歳のアフリカ系米国人の40%以上が未接種であることを伝える記事を示し、「黒人は秘密裏に梅毒の人体実験をさせられた苦い経験もあり、だまされにくいのだろう」と分析した。お寺や教会をワクチンの接種会場に使わせた例を挙げながら首をかしげ、「奈良の大仏は祈りで病気を退散させるため、国家事業として造った。祇園祭は病気払いの祭り。コロナで中止したのは本末転倒」と嘆いた。
「オンライン法要」の写真を映すと、会場からどっと笑いが起こる。ダライ・ラマが「ワクチンを打て」とチベット仏教徒に促したことを取り上げ、「こうして政治の片棒を担いでいる。本性が透けて見える」と指弾した。
イスラム教については、大事な金曜礼拝やメッカへの巡礼「ハッジ」を禁止しながらも、イラクやイラン、サウジアラビア、パレスチナ、マレーシアなどでは接種率が低かったことを挙げ、「比���的頑張った」と評価。一方で、イスラム教徒が体に入れてもよいとするハラル認証を「味の素」が受けながら、豚から抽出した酵素を使用していたことが発覚して問題になった「味の素事件」のように、「コロナワクチンがハラルかハラム(摂取してはいけないもの)かの考察があったのか」と問い掛けた。
ワクチンの権威、ポール・オフィット博士は「ワクチンには��絶時の細胞が含まれている」と明言していることを紹介。「中絶を禁止しているカトリック教会のトップがワクチンを推進していることを問題視しなくていいのか」と提起した。コロナワクチンでも、ジョンソン・エンド・ジョンソンやファイザー社、モデルナ社が中絶した胎児細胞を入れているとするナショナル・ジオグラフィックの記事を示した。
天台宗は信徒向けの教化紙に「通常ならば使用可能になるまで何十年もかかるワクチンが1年足らずで使用できるようになったことに不安を覚えるのは無理もない」といぶかりながらも、「コロナ禍収束のためには1人でも多くの方の接種が望ましいのではないか」とつづり、接種を促していることを紹介。
浄土真宗本願寺派は信徒向けの新聞で、「危険性と予防効果を考えて、打つかどうかを個人でも判断する必要があります」と自己判断を促す。
大本教は、薬剤師でもある出口紅(くれない)教主が「長期の影響への不安が拭えない」と懸念を示し、「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」と教示している。中村氏は「正しい。宗教家はこうあるべき」と絶賛した。
幸福の科学は、故大川隆法総裁が「法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃墜する力がある」と法話で説き、「コロナワクチンは当てにならない」「信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかり」と締めくくっている。「正しい。こうあるべき。これが宗教の意義」と中村氏はたたえながらも、「ただし、大川氏は亡くなった。打っていないと思うが、タイミングや『急死』というのは怪しい」と疑問視した。
この後中村氏は、接種すればするほど新型コロナにかかりやすくなっていることや、マスクに何ら感染予防効果がなく、心身共に弊害をもたらし、服従の印でしかないことを膨大な資料を基に、実証的に説明。大きな拍手を浴びた。
中村医師がチャペルで講演、「(コロナ下で)宗教家たちに立ち上がってほしかった」 2023/07/17
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「ほとけの国の美術」展
府中市美術館で「ほとけの国の美術」の前期展示を見る。毎年恒例の「春の江戸絵画まつり」の企画展である。神も仏も信仰しない無宗教者で抹香臭いのも嫌いだが、「春の江戸絵画まつり」は大好きで毎回なるべく行くようにしているし、府中市美術館が単に抹香臭いだけの展示をするわけがない、と思って今年も足を運んだ。前期と後期で大幅な展示替えがある。
第1章、浄土と地獄。まずひときわ目を引かれるのは京都・二尊院の「二十五菩薩来迎図」。金がふんだんに使われていて豪奢だが、描写が繊細なためか品がある。この時点ですでに「抹香臭いのはイヤだな」などと思っていたことをすっかり忘れて、絵に見入ってしまった。二尊院では、2体の本尊(釈迦如来と阿弥陀如来)を中央に、右は太陽を先頭に、左は月を先頭に、その他の菩薩の皆さんがずらりと並ぶように掛けられる。展示室では、たとえば掛軸の配置や掛軸をかける高さ、掛軸の背後の襖(たぶん実物?)など、可能なかぎり本来の形に近づける工夫がなされていて、最大限のリスペクトを感じた。また、ロビーではこの来迎図の修復の模様が映像で流れており、来迎図自体と同じぐらい興味深かった。修復から院外貸出に至るまでの経緯もちょっとしたドラマになりそうな気がする。
前期のみ展示の「観経変相曼荼羅図」には、ランク別の往生が図示してあっておもしろかった。最上級の往生である上品上生では仏教界のえらいひとたちに恭しく迎えてもらえるが、最低ランクの下品下生だと蓮の台のみのお迎え。しかしなんといっても蓮は仏教では特別な植物なのだし、粗末なものではなさそうである。往生が叶うというのはたとえ下品下生でもすごいことのように思える。
同じく前期のみの「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、基本的な来迎図のお約束にのっとりつつも、��わった点もあるとのこと。たとえば、地上の光景の描写が具体的で充実している(たぶん一般的な来迎図では地上の様子を詳しく描いたりしない)。そして、来迎図の菩薩たちはふつう楽器を演奏しているが、この来迎図では楽器を持っていない。しかしよく見ると、描き表装の中に楽器が描かれている! この凝り方はなかなか心憎い。
通期展示の「十王図」もとてもおもしろかった。地獄の審判である十王を描いたもので、現在は6幅が伝わっている。派手な朱色の色遣いが大津絵を彷彿とさせる。地獄で働く鬼たちの描写がどこかコミカルで、地獄に落ちてきたワルいやつらを相手に鬼がまじめに働いているのかと想像すると、思わず笑みがこぼれてしまった。
第2章、禅が教えてくれること。ここでは禅画やそれに類する作品が展示されている。禅画にはやはり少し抹香臭いというか説教臭さを感じてしまうが、仙厓の「三福神図」は、福神を好んで描いた仙厓らしい作品。また、甫雪等禅「叭々鳥図」はかわいいながらもキリッとしていて魅力的だった。
第3章、古典美としての仏画。美術の世界では「仏画が美術として魅力的だったのは平安・鎌倉時代まで」と言われていることを引きつつ、江戸時代の仏教絵画を紹介するコーナー。狩野探幽「文殊菩薩騎獅像」は、墨の濃淡を基調とした中に赤や青などの色が部分的に施されているのが美しい典雅な作品だった。文殊菩薩がお経と花を持って獅子に乗るという定番モチーフを知らなかったので、その点でも勉強になった。
第4章、ほとけの国の人気キャラ。府中市美術館が本領を発揮しそうなコーナー。ここで取り上げられた「キャラ」は、考えてみると、布袋さん、阿弥陀さま、大仏さま、などと親しげに呼ばれる存在ばかりで、納得がいく。
第5章、円空の仏像。このコーナーのみ木彫の展示である。円空の仏像を見るのはたぶん初めて。あえて作り込まない感じの作風でゆるさがあるが、真似しようとしてもできない雰囲気を持っている。
第6章、涅槃図と動物絵画の時代。仏画の中では涅槃図がいちばん好きなので、このコーナーもとても楽しめた。
一般的な涅槃図に加えて変わり種もあり、上田公長「芭蕉涅槃図」が特に気に入った。芭蕉の死の床の周りに弟子たちが、さらに芭蕉の句に詠まれた動物たちも集まっている。猿が蓑を着ていたり(「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」)、馬が花をくわえていたり(花はおそらく「���のべの木槿は馬にくはれけり」のムクゲ)、ちゃんと句の内容を踏まえているところもよい。
動物絵画については、動物にも仏性があるという仏教の教えの影響があった、という解釈、位置付けが新鮮に感じられた。
なお、入場時にクイズが載ったリーフレットを渡される。クイズに答えると帰りにポストカードを1枚もらえるということで、せっかくなので答えて1枚いただいてきた。
冷泉為恭「童子読書図」敦賀市立博物館所蔵。
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神《Age Of God》
神とは?
〔荘厳なのか?〕
〔光に満ちてるか?〕
〔慈愛なのか?〕
ふと、思う。
神とは、もっとラフなもんじゃないかと。
愛とは、身近で、柔和なんじゃないかと。
私達が荘厳を考えるなら、畏怖しかなくなる…
じゃあ私達は、何のために生まれた?
畏怖し、萎縮し、こそこそ隠れて、だらしなさを、出す…
…意味ないやんw
だらしない時も、しょうもない時もあるのは、神も、人も、同じだろう、確信する。
グローバリストの言う神は、理想論であり、今までも、未来も、どこにも存在しない神を、崇めてる気がしてならない。。
イスラムの神は厳しすぎ、それが怒りに変換されるから、戦いばかりしてるんじゃないの?
中国は、毛沢東が神を否定し、金が神になったんじゃないの?
世界は、神を待ってる、それは、皆が神である事実を受け入れた時、出現し、皆が神を認識するまで、神は出現しない。
オナるし、食うし、ぐうたらもするが、透明で、まっすぐで、世界を愛している、それが神ではないだろうか?
そして、もっと、“浮遊感”のある存在じゃないだろうか?
では、私達が“神”と考えてきた存在は?
〚それは、神の家臣(神官、or ルシファー)、だよ。〛
神に仕え、真面目すぎるあまり、崇拝してしまい、価値以上の無駄な価値観を付与する。
つまり、興奮のあまり、大袈裟に神を表現したり、神の言ってない事まで、人々に強いて来た…
誰が結婚するなと言った?
誰が、罪を犯すな、罰すると言った?
誰が、何も食うなと言った?🤣
神の家臣の、誇大表現、軍隊調の服從の人々への強要、そんなもんが、神の実像を捻じ曲げて来た…
役小角が、正面から神に対峙した。
法然は、
「人々には、他力でしか救済出来ない人種がいる。だから現世で徳を積み、死後、西の極楽浄土へ行けるよう、南無阿弥陀仏と祈れ。」
これはさ、冷静に捉えたら、
選民思想そのものなんじゃない?🤣
「おまえらは一生馬鹿なんだから、馬鹿なりに大人しく生きろ。」
、そう言われてんのと、同じだわなw🤣
教育機関もない室町、鎌倉時代、武士にもなれない、鍛えたくない、そんな人らに、逃げ道を作った、しかも、かなり上から目線でw🤣
浄土宗、浄土真宗、そんな匂いがある…
だからこそ、
日蓮
という、アンチテーゼが生まれたんじゃないかな。
「ふざけんな!我ら庶民は馬鹿じゃねーし、現世で救われるんだ!」
で、法華経の流れになったんじゃないか?
警察官の息子、そこそこ裕福、法然。
ハーフの村、貧しい育ちの、日蓮。
貧しさを知らない人間は、庶民を理解出来ない。
同じ過ちを繰り返す理由は、貧し過ぎて、新しい一歩すら踏み出せないが故。
決して庶民は、救いようない馬鹿ではない。
だからこそ、強烈なアンチテーゼが、巻き起こった、南無妙法蓮華経。
皆は、役小角のようになりたい。
でも、自分には無理だと、最初から決めてかかり、最初から諦めてる。
だから、「宗教」の力に、ねじ伏せられる。
親鸞。
肉も食いたい、女も抱きたい、徳は積めないから、南無阿弥陀仏w🤣
…諦め過ぎだよなw🤣🤣🤣
織田信長は、田中角栄よろしく、ヒーローだったが、暗殺される…
再び、へりくだり過ぎの秀吉の時代、そして江戸時代の、“鎖国、カースト”へと流れる。
つまり、“人は、他力でしか変われない”ならば、最初から身分を固定化、溜まったガスは、穢多非人をいじめ、憂さを晴らせと。。
これは、〔停止〕してるだけ。
庶民は解せない中、
〔どうせ俺は、こんな生まれ〕
、強烈な諦め、強烈な停止。
嫌な凪ではあるが、言い方変えれば、
〚天下泰平〛
、そこにある、大いなる諦め。
浦賀湾、ペリー黒船(蒸気機関)
開国をせまられ、見た事ない新しい物を、目にする。。
〔新しい時代は、上手くすれば恵まれた地位につけるかも知れない〕
下級武士たちの不満爆発、明治維新へ向かう。
見た事ない高い文明、自信に満ち溢れた、アメリカ。
〔もしかしたら、今度こそチャンスを掴む〕
そして日露戦争、日本は原���爆弾までずっと、皆が幸せや富を掴むチャンスを、望んでいた。
----- 敗戦 -----
玉音放送。
気がつけば、街は死体の海…
Nothing Remain …
一億玉砕、日本人は絶滅を覚悟した、だから神風特攻隊は成立した。
でも、支配されてしまった…
じゃあ僕らの、次なるスタンダードは?
三島由紀夫
浅間山荘
日本赤軍
安田講堂
革命を呼び掛けた三島由紀夫に、誰も賛同せず、自殺。
次の3つは、“マルクス主義”、つまり占領された日本、おかしな首相、戦争に勝てないなら、共産主義で革命を起こそうと。
安田講堂は、天安門事件と何ら変わらない…
結局、国家が無理くり、”力”で鎮圧したんだ。。
中国から資源を引っ張ろうとした田中角栄は潰され、以降、政治家はアメリカの傀儡…
今に至っても。
庶民が目指すべきは、芸能人なのか?🤣
ジャニーズ腐敗暴露、松本某裁判、結局、極端な形の自己主張には、腐敗しか無かった。
YouTuberか?🤣
グローバリスト、つまり選民思想らが運営してるから、言論統制、人権無視、話にならない偏ったメディア…
そう、
打破せねば、ならない。
自己表現を自由にするには?
Domainを取ればいい。
自分で運営するサーバーに、規制など、無いw🤣
金ばかり考えてたら、グローバリストに飲み込まれるだけ。
自己表現は、した方がいい、というか、
自己表現はしなきゃだめw🙂✨✌️
働く。
企業、もはやブラック企業か、グローバリスト企業ばかり、自由な考えなんて、持てない…
SDGsという呪文をとなえ、まっしぐらに、我々は奴隷化に向かう…w🤣
個人事業主しかない。
もはや、会社員は、諦めた方がいいw😎
馬鹿馬鹿しい忖度、規制、そんなもんから、抜けられる、ただし、自己責任だ🤣
もう一度、キリストの言葉を思い出して欲しい。
あなた方一人一人が、神々なんです。
天上天下唯我独尊😎✌️✨
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東日本大震災の発生から12年が経ちました。国立図書館によるアーカイブ『ひなぎく』によると、亡くなった方の中で未だ53人の身元が確認されていないそうです。ここからオンラインで献花ができます。
また以下の通り、オンラインによる法要・礼拝・シンポジウム等が開催されます。
3月11日(土)
高野山金剛峯寺 14:30頃〜 https://www.koyasan.or.jp/news/2023/03/09/7773/ 築地本願寺 14:46梵鐘〜 https://tsukijihongwanji.jp/news/7347/
立命館大学 災害復興支援室 13:00~ https://ritsumei-ac-jp.zoom.us/j/98417459135 上智大学 東日本大震災と心のケア 15:00~ https://eipro.jp/sophia/events/view/IIC20230311OL
3月12日(日)
日本基督教団 14:30頃〜 https://www.youtube.com/watch?v=XG1mfKKI1i0
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先日、根津美術館で開催中の『仏具の世界 信仰と美のかたち』展に行って参りました(写真)。広大なお庭とおしゃれなカフェを併設している、南青山の真ん中にあるオアシスを満喫して来ました。
古今東西、人々が神と繋がるために祈りを捧げる、という信仰なしには、美術品や工芸品は生まれて来なかったでしょう。��の民族も宗派も神に近づく為、その存在に限りなく近い完璧で美しいモノを丹精込めて作り上げ、それを神に供え、捧げてきたのです。このブログで何度も言及していますが、私にとって神や霊は決して怖い存在でも禍々しいものでもなく、美しくて完璧な存在です。そして、それと同じものを私たちは皆、持っています。
グラフィックデザインの仕事で、壁紙やラッピングペーパーのような続き柄パターンをデザインすることがあります。上下左右に永遠に続いていく美しい完璧なパターン、図案、幾何学模様です。始まりとなる基礎の部分に収まる図案が放射状に広がってゆき、何の矛盾も変化も起こすことがない世界。それは、私たちの内なる神と大いなる大神霊とが、同じ完璧な図案を内包していることを連想させます。
お目当ての弘法大師の名書『崔子玉座右銘』もじっくり鑑賞して来ました。他にも女性の信仰に焦点をあてた展示や、焼き物の展示が充実しています。会期は3月31日までです。
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2月26日に開催したサンデーサービスの中で行ったサーモンをご紹介します。読みやすいように後から編集しています。
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今、目の前に梅の花が見えてきました。白や赤、ピンクの可憐な梅が春の訪れを告げています。最近少しずつ、春の気配を感じるようになりました。皆さんも、季節の微細な変化に気づいているのではないでしょうか。
気配という言葉は、はっきりとは目に見えないけれど、なんとなく漠然と感じるという意味です。周囲の微妙な様子や変化、雰囲気または兆候を私たちは日常的に、意識的または無意識に感じ取っています。
気配という言葉の最初の文字の『気』という字は、他にも色々な言葉の中に使われています。私たちの周りにある空気、天気の他にも勇気や元気、あるいは雰囲気、景気など、固定されず、常に変化し、とどまらないものです。
今日はこれから『気』について少しお話ししたいと思います。
『気』とは、エネルギーのことです。インドではプラーナ、中国ではチィ、日本では気と呼びます。『気』は波動です。高い波動から低い波動までバラエティに富んださまざまなレベルがあります。
気持ちという言葉は、心の中で起こるさまざまな種類のエネルギーが心のスクリーンに映った状態を指します。気づく、気が利く、という言葉にも気という文字が使われていますが、それは周りのエネルギーの状態に目を向け、それを理解し、そのエネルギーを有効に使い、隅々まで行き届かせる、という意味があります。
『気』と呼ばれるエネルギーは、オーラの色やシンボリックな図形となって私たちの肉体を包んでいます。それを肉眼や第三の目を使って見ることができます。人の姿をじっと観察していると周りに光の輪郭が見えることがありますが、それがその人の放つ気、エネルギーの状態です。
明るくポジティブな人は、そのエネルギーが周りに大きく広がっていると言われています。明るいエネルギーをもつ人がいるだけで、瞬時に雰囲気が良くなったり、ポジティブな人がその影響力で周りに活力を与えるのも、繊細で美しい気、エネルギーをその人が放っているからです。
旅立つ人や出かける人に対して、気をつけてね、元気でね、と言って送り出しますが、その言葉には気を身につけることで自分を守ってね、という意味合いがあります。また、お互いの気が調和して穏やかな状態になると、気心が知れたりします。
それとは反対に、気というエネルギーの状態が減っている、つまりオーラの広がりが少ないと短気、つまり、気が短くなったり、気が進まなかったり、気が散ったりします。
こんなふうに、私たちは日常的に意識しなくても、たくさんの『気』に囲まれています。そして無意識に影響を受けています。けれどどの気も、どのエネルギーも、一過性のものです。現れては消え、また現れては消える、その繰り返しを永遠に続けています。
それらの『気』エネルギーは、宇宙エネルギーと繋がっています。気は生命エネルギーです。宇宙の意識と情報と、叡智をすべて含んだ波動なのです。そうした宇宙の波動が、私たちの生活全般に影響しています。生活面だけでなく、人間の精神面、肉体面と密接に関係しています。また、人間だけでなく、地球上の自然界の全て現象に影響しています。
私たちは見えないそのエネルギーをオーラと呼んだりします。霊性開花が進むと、その色や大きさが見えるようになったりしますが、私たちにとって一番大切なのは、エネルギーを見ることではなく、その気をどう役に立てていくか、なのです。 私たちは日常的に『気』を感じ、それを活かす経験をたくさん与えられています。寂しそうな人がいたら声をかける、助けて欲しそうな人がいたら手を差し伸べる、くじけそうな人がいたら励まし、悲しみに暮れている人がいたら肩を貸す。そんな時にあなたの勇気、元気、覇気を使ってください。
また、病気というネガティブに思える言葉にも、『気』という字が使われています。なぜかというと、病を経験して初めて気づくことがあるからです。私たちは元々、肉体を持たない魂ですが、あえて肉体を持ち、その肉体という制限の中で病だけでなく疲労や肉体的な限界、老いというものを経験します。
人間の視点から見ると、それらは全て悪いことのように感じますが、病や老いなど、それら自分の意思だけではどうにもならない、思い通りに行かない現象にどのように立ち向かい、それを受け入れ、それらネガティブなものを全て感謝に変えて行くことが求められます。それらの不都合でネガティブに感じられる気、エネルギーもまた同じ宇宙エネルギーから私たちに与えられるものです。元々は同じところから来ているのです。同じ意味を持つのです。
つまり、全てのエネルギーは善も悪もなく、可も不可もなく、私たちを正しい方向へと導き、私たち一人ひとりを尊いものとして支え、強くしなやかに育んでゆくものなのです。こうした全てのエネルギーが、私たちにもたらされた私たちの魂の成長に必要なメッセージなのです。
そのことに気づいたら、深い呼吸をしてください。するとすぐに、宇宙からの無条件の愛が、その呼吸を通して私たちの魂に染み渡ってゆきます。大宇宙と一体となります。清々しい慈愛に満ちた、純粋なエネルギーと一つになり、繋がりましょう。深い呼吸には浄化の力がみなぎっています。雑念を追い払ってくれます。集中し、心が落ち着いてきます。
それが、私たちの本当の姿なのです。
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3月25日(土)より、夏学期クラスのお申込受付を開始いたします。
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今後のイベント・ワークショップ
・4/9 アイイス・スプリングフェスティバル(一口500円からの寄付金を受け付けています)
https://us02web.zoom.us/j/85445747688
ミーティングID: 854 4574 7688
・4/21, 22, 24 プラクティカル・ミディアムシップ お申し込みはこちらまで
・4/27 アイイス・ドロップイン・ナイト お申し込みはこちらまで
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なぜ私が、批判的精神、批判的思考であるのか。(真理とはあると同時に無いのである)
まず人間が真理に少しでも近づ��うとする時、 一番重要な事は、 疑う事、懐疑的である事である。 具体的な事例で言えば。 「私は存在する。」 貴方がこの文章を読んでいて、 「私は存在する。」ということに対して、 そこに疑う余地はあるだろうか? 普通はそこに一切の疑いの余地はないであろう。 何故ならば、 現に「私は存在する。」からである。 しかしその様に自明性の様に思い込んでいる、 その様なあらゆる概念や意味、現象や存在。 その様なものこそ「疑い」「懐疑的」に思考する。 それが私の言う「批判的精神」「批判的思考」である。 そして私がこの様に日々綴っている言説は、 そのほとんどが「批判的精神」「批判的思考」、 それに基づいて言説している。 私は「趣味趣向」や「感情論」で批判している訳ではない。 それはある一定の知的次元や知的作法、 において共有可能なものである。 その共有が多数の方々とできている事は、 私は理解しているし実感している。 しかしまた別にある一定数、 私の本位とは異なる次元において、 私の批判を受け止めている方々が居る。 またその様な事実もある事を、 私は十二分に理解している。 この様な次元の違いによる、 ある種「大衆」とのコミュニケーション不全は、 どの様な時代にもあるものであり、 現代にもその様な問題を私は多数散見し、 私自身もその解決を模索する一人である。 私がこの様なある種のコミュニケーション不全を、 何故解決しようとするのか、 それはそのコミュニケーションの当事者同士はもとより、 社会全体にとっての損失であると考えるからである。 特に近代から現代に渡り、 あらゆるものが「民主化」される中での、 あらゆるものの「大衆化」が、 より一層「大衆の低次元化」を進め、 その「大衆の低次元化」による、 資本や権力の集中、 さらに知性や情報の集中が加速し、 社会に表層されない、 ある意味における「次元の格差」を、 産み出しいてる。 その意味において、 「民主的な連続性を創造する」という模索は、 現代において非常に重要なテーゼである。 その様な「連続性」を模索していると、 私が考えている著名な人々を例にし、 「民主的な連続性」を諦めず、 いかに創造していくのかを言説していきたい。 まず現代から過去へと、 その実践者を上げていくことにする。 それは例えば現代で言えば、 哲学者の東浩紀、 アーティストの村上隆である。 この二人に関しては、 まさにリアルタイムで、 「民主的大衆性」との「連続性」を、 いかに創造するかという模索を行い、 またその非常に難しい行為と、 真摯に向き合っている。 さらに世界的に言えば、 バンクシー、 そして過去から言えば、 アンディウォホールなど。 その痕跡を見出す事ができる。 この様に上げた人物たちの共通点として、 「民主的大衆性」との「連続性」の「創造」、 それが共通点としていえる。 しかしこの行為の危険性として、 その「連続性」が成功しても、 ある種「大衆化」する事で、 本来の「連続性」との分離が生じ。 「連続性」が無くなることで、 それがただ単��る、 「シンボル」や「スローガン」に、 「低次元化」してしまう事である。 しかしこれは正に「人間の真理」であり、 それは哲学者の西田幾多郎の言葉、 「絶対矛盾的自己同一」として集約できる。 つまり「人間の真理」とは「矛盾」である。 それは相対性において、 一つの極を「真理」とした時、 ���端にその対極が「真理」となる。 しかし人間はその事は認知できない。 つまり「人間は真理にたどり着かない」のである。 「真理にたどり着かないという真理」、 正にそれに気づくことこそ、 「批判的精神」「批判的思考」なのである。 何故ならば「民主的大衆性」とは、 一つの真理に基づき、 それが「大衆化」され、 それが「自明性」を持つ。 その自明性こそが「フィクション」である。 そのフィクションに「自明性」が無いことを、 気づかせる事のできる存在が、 哲学者や美術家なのである。 私はこの様な、 「批判的精神」「批判的思考」の論理の中で、 より優れた「連続性」を創造した人物として、 大乗仏教における親鸞だと考えている。 例えば現在世界的に、 仏教における「禅」などが取りざたされている。 しかし例えば禅宗である曹洞宗などで考えてみても、 「覚り」に到達することを目指し、 自らの修行を行う事を前提としている。 しかし親鸞などの教えをベースにする、 例えば浄土真宗などは、 「南無阿弥陀仏」の念仏や、 「他力本願」など、 「真理」を簡素化しながらも、 「連続性」を持って実現している。 しかしここでも、 「他力本願」というものが、 現代では「他人任せ」などと認識され、 その「連続性」が「大衆化」によって、 分離されている現実もある。 ここまで「真理」と、 その「大衆化」が産み出す、 「連続性」からの「分離」、 そして「分離」後の、 「シンボル化」「スローガン化」。 つまり「他力本願」という、 概念的「次元の劣化」。 ではこの様な今まで述べてきた言説から、 私は何を言いたいのか。 それは、 常に「真理」は「大衆」には存在しない、 という事である。 その時に「真理」を指し示す方法として、 哲学者や美術家は、 「大衆」とは対極に立ち、 自明性を批判する事で、 仏教的な「中観」という認知や、 アウトラインを表出させるのである。 この様な考察から、 哲学者や美術家は、 「大衆」から観た「他力本願」でなければならない。 つまり覚りを体験したものでなければならない。 批判的であり得るという事は、 「大衆」が「スコトーマ」になっている、 その「真理」を「表出」させる、 という事であり、 その作法であり、 その思考である。 だからこそ、 私は大衆、 つまり「社会」とは対極に立ち、 その「社会」を批判的に捉え、 「中観」をこれからも、 アートを通して「表出」させていくのです。 美学者母
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いわんかな#24-1 / 2019/06/12 に公開 2019年5月ウイグルを訪問した福島香織の写真レポート!文化&民族浄化を行う中国共産党のスーパー監視社会と再教育施設の実態。 https://youtu.be/4iP48ywliDM
中共のスーパー監視社会
<目次的な!> ・今回の議題は3段構え ①ウイグル土産話 by 福島香織 ②習近平と中国共産党の現在 ③天安門事件から丁度三十年、振り返って見る ・新著『習近平の敗北 - 紅い帝国・中国の危機』福島香織(ワニブックス 2019年6月5日発売) ・新著『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源���現在』福島香織 (PHP新書 2019年6月15日発売) ・ウイグル地図 ・福島さんは5月上旬にウイグルに“観光”で訪れたとのこと ・ウイグルの現在→監視付テーマパーク ・羊と共に暮らしているウイグル族 ・3割漢族、7割ウイグル族 ・20年ぶりに訪れたが、中国化が進行中 ・中国語が蔓延、テーマパーク化した嘘くさい街 ・文化クレンジング、ウイグル文化の中国化 ・ウイグル人の顔は中国人というよりペルシャ系(日本人にも近い?) ・ウイグル人に間違えられた福島さん ・言葉もペルシャ語が通じるしイランとの交流は昔からある ・鮮卑(せんぴ) 中国北部の遊牧騎馬民族 隋と唐は鮮卑族、当時漢人に対しては鮮卑化政策を行ったという ・ウイグル人の独立宣言 1933年?34年、1944年?46年の2度に渡り「東トルキスタン共和国」が樹立している 1949年 毛沢東率いる中国共産党がウイグルを統合 ・独立後ソ連が守らずに、中国に引き渡してしまった面がある ・文化浄化、民族浄化の弾圧が行われている ・レアメタル、石油などの天然資源が中国共産党に狙われている ・搾取と貧富の差が広がるウイグル ・ウイグル騒乱(2009年7月5日) 大規模デモに参加していたウイグル人が武装警察の鎮圧により、約1500人が射殺された事件 首府ウルムチで発生 ・【9の厄災】= 政変・動乱・紛争が起こる年 1949年中国建国 1959年チベット動乱 1969年中ソ国境紛争 1979年中越紛争 1989年天安門事件 1999年法輪功弾圧 2009年ウイグル騒乱 2019年・・・? ・ウイグルの再教育施設(2014年設置) 100万人以上が収容されている“強制収容所” 民族同化のための洗脳教育や拷問を行なっている ・日本に留学しているウイグル人の家族は、ほぼ全てがこの収容所に入れられている ・※福島さんは今回取材ではなくあくまで“観光”でウイグルを訪れた ・取材すると取材対象が収容所に送られるから、接触は避けた ・今は平時ではない、戦争状態といえる ・監視カメラで徹底的に監視され個人情報が晒される街(ウイグルならずとも中国全土) ・パノプティコン 全展望監視システム または 全ての方向から監視されているという監獄建築のこと ・監視社会では小さなマナー違反がなくなる ・綺麗な街、みんな笑顔、中国の悪口は言わない、タクシー内でも監視、落としたお金も戻ってくる ・もはや中国ではない・・・ ・社会スコアの点数表を披露(マイナス点が増えると再教育施設行き) ・イスラム圏の���国に留学したり、貯金が多めにあったりすると再教育施設行き etc… ・ウパールの農村の玄関の写真、ドアには個人情報が貼り付けられている ・ウイグル家庭訪問(ビデオを皆で見たりして共産党教育が行われる) ・餃子の肉が何の肉か気にするイスラム教徒は普通だが、中共からはNGとされる ・ウイグル人の女性は漢族の男と強制的に結婚させられている ・香妃(こうひ / 1734年 - 1761年) 清朝(乾隆帝)時代の伝説的美女 ウイグル族 身体から麗しい香気を漂わせていたという ・円明園(北京)清代に築かれた離宮の遺構 アロー戦争(第二次アヘン戦争 / 1856年)でイギリス軍に破壊された ・イスラム教を恐れる中共(チベット仏教、キリスト教なども潰そうとしている) ・宗教の中国化。宗教施設は中国の国旗が掲載させられる ・ウイグルのモスク(イスラム教の礼拝堂)は潰されるか世俗化させられている ・モスクの隣にこれ見よがしに習近平オーロラビジョン ・アザーン イスラム教における礼拝前の呼び掛け声、拡声器で流れる場合が多い 1日5回 ・イスラム教徒に豚肉を勧めることは、いじめ虐待に近い ・中華人は自分が中心(真ん中の華) ・監視スコア、日本でも国会に入れたほうがいい(笑) ・大学教授や教師などの学識者や知識人は次々と逮捕されている ・知識人迫害・抹殺は中国全土的に動きあり ・ウルムチ事件(ウイグル騒乱 / 2009年7月5日)死亡者数 世界ウイグル会議発表 → 1500人?3000人 中国共産党発表 → 184人(そのうち漢族が137人) ・工場で漢族がウルムチ人をリンチ・殺害したことが事件の発端 ・最初は広場の学生による平和デモだったが、警察隊が発砲した ・行方不明となった人も約10000人いると言われる ・ウイグル側と中共側の言い分に大きな食い違いがある ・死者数などの詳細がまったくわからないのは、天安門事件と似ている ・中国の不動産バブルのせいで、企業の負債が600兆元(9600兆円)となっている中国!続きは後編で! ・こんなにやばいぞ中国!と言う話をする内部の中国人知識人が現れて来たのがいよいよヤバイ! #ウイグル #超監視社会 #中国共産党の文化クレンジング
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報正寺住職 城山大賢 講話 2023年6月8日
どんな、思想や、宗教を、持とうが、持つまいが、この人生の、諸苦悩、絶望など、どう、切り開いてゆくか? 本来、「非」意味、「非」目的に思える、この、大宇宙、生命、人類、この私の存在に、生きる「意味」は? 経典等を、一から、たどりつつ、考えてみる。
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全国のお寺に集まる“おそなえ”をひとり親家庭のもとへ。NPO法人「おてらおやつクラブ」から広がる”お寺というセーフティネット”の可能性
greez
お寺にお参りして、ご本尊(仏さま)に向かい合うとき。 仏前に供えられた、お菓子やくだものなどの「おそなえもの」を見たことはありませんか?
「おそなえもの」は、もちろん仏さまが食べるわけではありません。ご住職がお勤め(読経や礼拝など)したのち「おさがり」としていただき、住職の家族やお寺にお参りする人たちに「おすそわけ」されるのが慣例でした。
「でも、私たちよりもおすそわけを必要としている人たちがいるのでは?」。
そんな、お寺・お坊さんたちの思いからはじまったのが、「おてらおやつクラブ」の活動。2014年1月、奈良・安養寺の住職 松島靖朗さんが発起人となりスタートしました。
現在では、母子家庭支援団体や子ども食堂、児童養護施設、社会福祉協議会、DVシェルターなど、約350の団体と提携しながら、817の寺院からの「おすそわけ」を、全国の約9000人の子どもたちのもとへ届けています(2018年4月現在)。
2017年5月にはNPO法人化。事務局とお坊さんを中心とするメンバーのチームワークも強化され、より大きな活動に成長していこうとしています。前回のインタビューから2年、あらためて松島さんにお話を伺いました。
▲松島靖朗(まつしま・せいろう) 安養寺住職。金戒光明寺布教師。NPO法人おてらおやつクラブ代表。1975年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、新卒で入社した株式会社NTTデータで投資育成事業を担当。投資先でもあった株式会社アイスタイルへ転職しベンチャー経営とWEBプロデュースに従事。上京して十数年の家出生活から一念発起して実家に戻り、現在は出家(とは程遠い…)生活を送る。座右の銘は「笑いのある人生」。
「何かしなければ」とうずく気持ちにスイッチを入れた新聞記事
「おてらおやつクラブ」誕生のきっかけは松島さんが愛読する「日本経済新聞」。2013年7月27日付の朝刊記事で、同年5月に起きた「大阪天満母子死亡事件」をきっかけに支援団体を立ち上げた女性が紹介されているのを見て、松島さんの行動力にスイッチが入りました。
実は、松島さん自身もひとり親家庭で育った子どもでした。「母子が餓死状態で見つかった」という報道に、「何かしなければ」という気持ちがうずいたのです。「すがるような思い」で記事で紹介されていた団体に連絡をとりました。
まずは、その支援団体の活動に参加しながら、「お寺にできることは何か」を考えはじめた松島さん。試行錯誤の末、お寺に集まる「おそなえもの」をシングルマザー家庭に「おすそわけ」することを思いつきます。インターネットを通じて呼びかけたところ、全国の寺院が賛同を表明。あっという間に、全国47都道府県の寺院が参加する活動に成長しました。
▲おそなえが子どもたちに届くまでの仕組みを表した図。活動に賛同したお寺と支援団体をマッチングするのが、「おてらおやつクラブ」事務局の大切な役割です
「おてらおやつクラブ」の活動の特徴は、「ひとり親家庭を支援する枠組みをサポート」する“後方支援”として行われていることです。
僕たちには当初から、「おすそわけ」を届ける活動を「貧困支援」と言ってしまうことに違和感がありました。問題を解決するための知識や方法をご存知であり、その経験を持っているのはあくまで支援団体さん。僕たちは、既存の団体さんをサポートすることに徹しようと考えました。
活動スタートから4年が経ち、参加寺院数は814か寺、提携する支援団体さんの数も350団体にまで増えました(2018年4月現在)。春と秋のお彼岸、夏のお盆、年末年始など、お寺にお参りする人が多い時期には、たくさんのお供えものが集まるため、「おすそわけ」もたくさん、全国へと送られていきます。
▲事務局の坂下佳織さんと、お寺で英会話を教えるなどのチャレンジをしている岡本くん(18歳)。「おてらおやつクラブ」をきっかけに安養寺にも新しい風が吹いています
ところが、活動の広がりを「喜んでばかりいられない現実もある」と松島さんは言います。活動の広がりと共に、今はどんなことを課題として感じられているのでしょうか?
「貧困家庭なんてあるんですか?」 なかなか理解されない“現実”
テレビや新聞など、メディアの露出が増えたおかげで、今では「おてらおやつクラブに」と食品を送ってくれる人もいます。また、松島さんはあちこちで「おやつのお坊さんですね」と声をかけられるようにもなりました。
一方で、講演などの機会に「貧困家庭なんて本当にあるんですか?」というご質問をいただいて愕然とすることがあります。一番何を知られていないかというと、身近なところに困窮するシングルマザー家庭がいて、食べることにも困っている子どもたちがいること。そこが伝わっていないのが一番の課題だと思いますし、しっかりお伝えしていくことが大事だと今は感じています。
7人に1人の子どもが貧困状態にあること、約120万世帯のシングルマザー家庭があり、そのうち約4割が年収133万円以下の不安定な就労状態で暮らしている……というデータだけでもすごいインパクトです(厚生労働省「平成23年全国母子世帯等調査」)。
▲7人に1人の子どもが貧困状態。また、ひとり親世帯の相対的貧困率は50.8%で、2人に1人が貧困状態にある(厚生労働省「平成29年 国民生活基礎調査」)
でも、やっぱり、数字だけでは現実の姿を捉えることは難しい。
一人ひとりの子どもは何に絶望し、どんな希望を探しているのか。お母さんたちは何に追い詰められ、どんな助けを求めているのか。行動によって「貧困問題」という言葉をひらいてはじめて、よりくっきりした“現実”の姿が見えてきます。
去年、ある看護学校の講演に呼んでいただいたときに、先生から「困窮する世帯で育ち、手に職をつけようと看護師を目指す学生は少なくない」と教えていただきました。
講演後の質疑応答でも「私は、おてらおやつクラブが『おすそわけ』を届ける家庭よりも、しんどい思いをして今ここにいます。何かできることがあったらすぐに行きます」と涙ながらに話してくれた学生の方もいました。
障がい者を支援する施設では、障がいを抱える子どもを育てる世帯の約半数が、ひとり親家庭で困窮していると知りました。子育てがしんどくて離婚され、お母さんが引き取られてひとりでがんばっておられる。毎日のように、想像もしなかったところにいろんな苦しみがあるのを感じています。
正直言って、誰だって人の苦しみに向き合うのはしんどいです。
でも、仏教は「人は必ず死ぬんだよ」「この世のすべては苦しみだよ(一切皆苦)」と説いています。「おてらおやつクラブ」のお坊さんたちは、自らその苦しみに出会いながら、その活動を通して仏教が説くことを体感し、伝えようとしているのです。
仏さまのセーフティネットは「すべての人を救う」
メディアによる露出は、「おてらおやつクラブ」の活動に変化ももたらしています。たとえば、2016年11月、フジテレビ系の情報番組『Mr.サンデー』に取り上げられたときは、「おてらおやつクラブ」���ェブサイトのアクセスが急増し、多くのメールが寄せられました。
「求職活動中でしんどい時期なので……」「パートで働いているけれど食べるものに困っています」というお母さんからのメールもあれば、「お母さんが体調を崩していてどうにもできないから、何か送ってくれませんか」という娘さんからのお問いわせもあったそうです。
▲事務局のある「安養寺」には、お檀家さんだけでなく、全国のお寺や個人、企業からも「おそなえもの」が送られてくる
▲ 現在、事務局から発送している「おすそわけ」。共通のカバーレターにメッセージを書いて同封する
しかし、先述したとおり、「おてらおやつクラブ」の活動目的は、「ひとり親家庭を支援する枠組みをサポートする」こと。まずは最寄りの支援団体を紹介することに努めましたが、近隣に支援団体がないケースも……。
かといって、「団体さんにつなげられないからムリ」とこのまま手を離していいのだろうか?「おてらおやつクラブ」事務局内の議論は白熱しました。
社会福祉の現場では、課題解決の方法として「自助」「公助」「共助」の3つを掲げています。
僕たちは僧侶ですから、3つの「助」からもこぼれ落ちてしまう人を救いとれるのは仏さましかいないと思い、それを「仏助」と呼んできました。「今まさに、3つの『助』からこぼれ落ちた人の声を聞いているのだから、『仏助』として応えるべきじゃないか」というメンバーもいました。
一方で「僕たちは支援団体の後方支援に徹するべきだ」という意見もあり、それはそれで正しい。議論の末、「団体さんにおつなぎできるまで」というスタンスで、事務局から「おすそわけ」を直接送ることに踏み切りました。
今は、「おてらおやつクラブ」事務局を置く「安養寺」から3か月に1度のペースで、お母さんたちに「おすそわけ」を送っています。「おすそわけ」を送らない月はお手紙を届け、お母さんたちがヘルプのサインを出しやすいように配慮します。
3つの「助」からこぼれ落ちる人は本当にたくさんいて、パターンも一様ではありません。たとえば、母子家庭でぎりぎりの生活をされていたら、お母さんが病気になったらアウト。娘さんがインフルエンザに罹り、仕事を休まなければいけなくなってもアウトなのです。
誰に助けを求めていいかわからないときに、藁にもすがる思いで綴られたメッセージは、今もときどき事務局に届きます。「おてらおやつクラブ」から直接「おすそわけ」を送る家庭の数は増え続け、ついに100件を超えました。「対応できる間はがんばる」という松島さんのセリフは、事務局メンバーの存在に支えられています。
法人化したことで、事務局メンバーは以前よりもさまざまな意見を出し合い、議論を交わし合ってくれるようになりました。僕が提案するアイデアよりすばらしいことも多く、それがとてもうれしくもあり、心強くもあり。「がんばる」という気持ちが沸き起こってくるのです。
数万の“ふつうのお寺”が動けば、絶対に問題は解決に向かう
今、日本には約7万5000か寺のお寺があります。
お寺は全国どの地域にもあり、コミュニティの教育や福祉を担ってきた歴史があります。今もなおコミュニティの精神的な支柱となっており、東日本大震災などの災害時には、自然に人が集まり避難所となるケースが見られています。
「おてらおやつクラブ」の活動もまた、お坊さんだけでなく、お寺を守ってきた檀家さん(特定のお寺のサポート会員)や地域の人たちによる“お寺コミュニティ”の力によって支えられています。「おてらおやつクラブ」の参加寺院の多くは、有名な観光寺院ではなく、地域にあるごくふつうのお寺です。
たくさんの「おすそわけ」をできるのは、地域のお寺のご本尊にお供えをしてくださる方がいるから。なんでもない、ふつうのお寺のなかにある信仰の姿が注目され、知られていくことが大切だなと思っていて。そういうお寺の動きが大きな力になっていくことを発信していきたいです。
▲200か寺に設置されている募金箱。「おてらおやつクラブ」の年間活動資金の3割を支える大きな力になっている
▲全国のお寺の掲示板をジャックできたら広報効果は絶大!おてらおやつクラブの「寄付つき伝道ポスター」を持つ、事務局の野田芳樹さん
各宗派の本山も、「おてらおやつクラブ」の活動に賛同。「お寺がこれから取り組むべき活動」として取り上げられる流れも生まれています。2017年11月には、東京・築地本願寺で開催された「仏教×SDGs 次世代リーダーズサミット」のシンポジウム『誰一人取り残さない』に、松島さんもパネリストとして登壇。浄土真宗本願寺派に「教団として推奨する活動」と認められました。
このシンポジウムへの登壇がきっかけとなり、本願寺派の寺院から講演のご依頼や、「おてらおやつクラブ」説明会開催のご相談が増えていて、とてもありがたいです。浄土宗でも、全寺院に配布する「宗報」で「浄土宗が推奨する活動」としてページを割いてご紹介いただきました。日蓮宗、仏教伝道協会からは、助成金というかたちで応援いただいています。
新聞を手に「何かしなければ」という気持ちをうずかせていたときから、5年。 今の松島さんは、どんな苦しみを前にしても落ち着いて対処しているように見えます。そう伝えると、松島さんはこんなふうに応えてくれました。
「おてらおやつクラブ」の活動を通して、あらためて「すべての人を必ず救う」という阿弥陀さまの本願のすごさを強烈に感じました。
阿弥陀さまは「この人はハンディキャップが大きすぎるからムリ」というのはなくて、絶対に救う。自分の信仰上、阿弥陀さまの宮仕えとしてやっているから、「必ずなんとかなる」と絶対にあきらめないで考えることができます。
苦しみに出会えば出会うほどに強烈に揺さぶられるし、信仰に触れている自分がありますね。
「SDGs(持続可能な開発目標)」が掲げる「誰一人取り残さない」というメッセージも、阿弥陀仏の「すべての人を必ず救う」という本願も、あきらめずに現実に向き合い続けるために必要な言葉です。
「おてらおやつクラブ」の賛同寺院にお供えをする人たち、募金箱にコインを入れる人たち、支援団体の人たち、支援団体に手を伸ばしたお母さんたち、そしてお寺とお坊さんたち。「誰一人取り残さない」「すべての人を必ず救う」という言葉に息を吹き込むのは、数えきれないほどの人々の思いと行動の積み重なりだと思います。
特別な才能や力がなくても、この世界を良き方向へと導く力は、私たち自身の手のなかにある。そう信じることから、「誰一人取り残さない」あるいは「すべての人を必ず救う」という世界はつくられていく。「おてらおやつクラブ」の取材を重ねながら、その思いは強くなるばかりです。
まだまだ、「おてらおやつクラブ」の活動はより多くのお寺に広がっていくと思います。もし、近くのお寺で「おてらおやつクラブ」のポスターや募金箱を見かけたら、ぜひご住職に話しかけてみてください。「知っていますよ」と伝えることも応援になります。
きっと、そのひとことから変わるあなたの世界もあるはずです。
杉本 恭子 シニアライター
大阪生まれ、京都在住のフリーライター。お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めていくようなインタビューに取り組んでいます。移住メディア、仏教系の雑誌・Webでも連載中。ときどき編集学校を開きます。
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<飛鳥時代> 1 大 化 645 大化の改新 2 白 雉 663 白村江の戦い 3 朱 鳥 672 壬申の乱 4 大 宝 694 藤原京に遷都 5 慶 雲 701 大宝律令制定 <奈良時代> 6 和 銅 710 平城京に遷都 7 霊 亀 712 古事記が完成 8 養 老 720 日本書紀完成 9 神 亀 723 三世一身の法 10 天 平 729 光明子が皇后に 11 天平感宝 741 国分寺建立の詔 12 天平勝宝 743 墾田永年私財法 13 天平宝字 752 東大寺大仏開眼 14 天平神護 754 唐から鑑真来日 15 神護景雲 ― 「万葉集」成立 16 宝 亀 781 桓武天皇が即位 17 天 応 784 長岡京に遷都 <平安時代> 18 延 暦 794 平安京に遷都 19 大 同 802 坂上田村麻呂東征 20 弘 仁 804 最澄、空海が唐へ 21 天 長 806 最澄、天台宗開く 22 承 和 810 唐招提寺五重塔 23 嘉 祥 816 検非違使を設置 24 仁 寿 823 空海、真言宗開く 25 斉 衡 860 石清水八幡宮創建 26 天 安 866 応天門の変 27 貞 観 869 貞観の大地震 28 元 慶 878 元慶の乱 29 仁 和 888 仁和寺金堂建立 30 寛 平 894 遣唐使を廃止 31 昌 泰 ― 平仮名が現れる 32 延 喜 901 菅原道真が失脚 33 延 長 905 古今和歌集編纂 34 承 平 935 平将門の乱 35 天 慶 939 藤原純友の乱 36 天 暦 947 北野天満宮建立 37 天 徳 949 村上天皇の親政 38 応 和 955 後撰和歌集成立 39 康 保 968 東大寺?興福寺 40 安 和 969 安和の変 41 天 禄 ― 浄土教が流行 42 天 延 974 道綱の母「蜻蛉日記」 43 貞 元 ― 日宋貿易始まる 44 天 元 984 最古医術書「医心方」 45 永 観 985 源信「往生要集」 46 寛 和 ― 「日本往生極楽記」 47 永 延 987 宋の商人が来日 48 永 祚 988 尾張国郡司百姓等解 49 正 暦 990 藤原道隆摂政に 50 長 徳 ― 清少納言「枕草子」 51 長 保 ― 紫式部「源氏物語」 52 寛 弘 ― 「和泉式部日記」 53 長 和 ― 拾遺和歌集成立 54 寛 仁 1016 藤原道長摂政に 55 治 安 1019 刀伊の入寇 56 万 寿 1027 藤原道長が死去 57 長 元 1028 平忠常の乱 58 長 暦 1036 後朱雀天皇即位 59 長 久 1040 長久の荘園整理令 60 寛 徳 1047 浄瑠璃寺が創建 61 永 承 1051 前九年の合戦 62 天 喜 1053 平等院鳳凰堂完成 63 康 平 1063 源頼義鎌倉に八幡宮 64 治 暦 ― 孝標の女「更級日記」 65 延 久 1069 延久の荘園��理令 66 承 保 1075 延暦寺?円城寺 67 承 暦 ― 末法思想の流行 68 永 保 1083 後三年の合戦 69 応 徳 1086 白河上皇の院政 70 寛 治 ― 熊野信仰が盛んに 71 嘉 保 1095 北面の武士設置 72 永 長 1105 平泉に中尊寺建立 73 承 徳 1107 源義親の乱 74 康 和 ― 今昔物語集 75 長 治 ― 源氏物語絵巻 76 嘉 承 77 天 仁 78 天 永 79 永 久 80 元 永 81 保 安 82 天 治 83 大 治 84 天 承 85 長 承 86 保 延 87 永 治 88 康 治 89 天 養 90 久 安 91 仁 平 92 久 寿 93 保 元 94 平 治 95 永 暦 1152 平清盛厳島神社修復 96 応 保 1156 保元の乱 97 長 寛 1159 平治の乱 98 永 万 1160 源頼朝伊豆配流 99 仁 安 1167 平清盛が太政大臣 100 嘉 応 1169 後白河上皇が出家 101 承 安 1171 清盛の娘徳子入内 102 安 元 1175 法然が浄土宗開く 103 治 承 1180 源頼朝伊豆で挙兵 104 養 和 1181 清盛が熱病で死去 105 寿 永 1183 倶利伽羅峠の戦い 106 元 暦 1185 壇ノ浦で平氏滅亡 107 文 治 1189 源義経討たれる 108 建 久 1192 頼朝鎌倉に幕府 <鎌倉時代> 109 正 治 1195 東大寺大仏再建 110 建 仁 1199 頼朝53歳で死す 111 元 久 1202 源頼家が征夷大将軍 112 建 永 1203 北条時政執権就任 113 承 元 1204 頼家が暗殺される 114 建 暦 1205 新古今和歌集完成 115 健 保 1212 鴨長明「方丈記」 116 承 久 1213 源実朝「金槐和歌集」 117 貞 応 1219 実朝暗殺、源氏断絶 118 元 仁 1221 承久の乱 119 嘉 禄 1224 親鸞、浄土真宗開く 120 安 貞 1227 道元、曹洞宗伝える 121 寛 喜 1231 寛喜の大飢饉 122 貞 永 1232 御成敗式目制定 123 天 福 ― 京都で猿楽流行 124 文 暦 1235 小倉百人一首 125 嘉 禎 1235 霧島連峰が大噴火 126 暦 仁 1239 人身売買を禁止 127 延 応 1242 「東関紀行」完成 128 仁 治 1244 越前に永平寺建立 129 寛 元 ― 琵琶法師「平家物語」 130 宝 治 1247 宝治合戦 131 建 長 1253 日蓮、日蓮宗開く 132 康 元 1255 東福寺創建される 133 正 嘉 1259 正嘉の大飢饉 134 正 元 1261 日蓮が伊豆に配流 135 文 応 1268 北条時宗執権就任 136 弘 長 1269 モンゴル使者来着 137 文 永 1274 文永の役 138 建 治 1276 博多湾岸に防塁設置 139 弘 安 1281 弘安の役 140 正 応 1285 霜月騒動 141 永 仁 1293 鎮西探題を設置 142 正 安 1297 永仁の徳政令 143 乾 元 144 嘉 元 145 徳 治 146 延 慶 147 応 長 148 正 和 149 文 保 150 元 応 151 元 享 1321 院政を廃止 152 正 中 1324 正中の変 153 嘉 暦 1324 大徳寺創建される 154 元 徳 1330 兼好法師、徒然草 <南北朝時代> 南 元 弘 1331 楠木正成が挙兵 南 建 武 1332 後醍醐天皇流刑 南 延 元 1333 鎌倉幕府が滅亡 南 興 国 1336 湊川の戦い 南 正 平 1338 足利尊氏が征夷大将軍 南 建 徳 1339 後醍醐天皇が没す 南 文 中 1368 足利義満が3代将軍 南 天 授 ― 太平記 南 弘 和 ― 義経記 南 元 中 1391 明徳の乱 北 正 慶 北 暦 応 北 康 永 北 貞 和 北 観 応 北 文 和 北 延 文 北 康 安 北 貞 治 北 応 安 北 永 和 北 康 暦 北 永 徳 北 至 徳 北 嘉 慶 北 康 応 <室町~戦国時代> 181 明 徳 1392 南北朝が合体 182 応 永 1397 金閣寺造営 183 正 長 1399 応永の乱 184 永 享 1419 応永の外寇 185 嘉 吉 1428 正長の徳政一揆 186 文 安 1438 永享の乱 187 宝 徳 1441 足利義教殺害 188 享 徳 1454 ��徳の乱 189 康 正 1456 応仁の乱 190 長 禄 1482 銀閣寺造営 191 寛 正 1488 加賀で一向一揆 192 文 正 1493 明応の政変 193 応 仁 1543 鉄砲伝来 194 文 明 1549 ザビエル布教 195 長 享 1553 川中島の戦い 196 延 徳 1560 桶狭間の戦い 197 明 応 1568 織田信長が入京 198 文 亀 1573 室町幕府滅亡 199 永 正 200 大 永 201 享 禄 202 天 文 203 弘 治 204 永 禄 205 元 亀 <安土桃山時代> 206 天 正 1582 本能寺の変 207 文 禄 1600 関ヶ原の戦い <江戸時代> 208 慶 長 1603 徳川家康江戸幕府開く 209 元 和 1614 大阪冬の陣 210 寛 永 1615 大阪夏の陣 211 正 保 1633 鎖国が始まる 212 慶 安 1635 参勤交代制 213 承 応 1636 長崎に出島完成 214 明 暦 1637 島原・天草一揆 215 万 治 1651 由井正雪の乱 216 寛 文 1685 生類憐れみの令 217 延 宝 1702 赤穂事件 218 天 和 1732 享保の飢饉 219 貞 享 1774 解体新書出版 220 元 禄 1782 天明の飢饉 221 宝 永 1783 浅間山大噴火 222 正 徳 1787 天明の打ち壊し 223 享 保 1825 異国船打払令 224 元 文 1828 シーボルト事件 225 寛 保 1833 天保の飢饉 226 延 享 東海道五十三次完成 227 寛 延 1837 大塩の乱 228 宝 暦 1841 天保の改革 229 明 和 1853 ペリー浦賀来航 230 安 永 1854 日米和親条約 231 天 明 1858 日米修好通商条約 232 寛 永 安政の大獄 233 享 和 1860 桜田門外の変 234 文 化 1864 禁門の変 235 文 政 1866 薩長同盟の密約 236 天 保 237 弘 化 238 嘉 永 239 安 政 240 万 延 1867 坂本龍馬暗殺 241 文 久 大政奉還 242 元 治 1868 鳥羽伏見の戦い 243 慶 応 江戸城無血開城 <近現代> 244 明 治 1904 日露戦争 245 大 正 1914 第1次世界大戦 246 昭 和 1945 太平洋戦争終戦 247 平 成 2011 東日本大震災
248番目の新元号発表 大化から平成まで一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
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総本山仁和寺で開催する展覧会参加の嬉しいお話を頂き、 約2ヶ月をかけて準備をし、2021年秋の美しい季節に展示をいたしました。 制作期間が短くあたれる書籍は少なかったのですが、時間が許す限り制作と研究を同時並行しました。 黒書院という有形文化財の建物一棟を、一人で使わせて頂けることになり、 総数21点を用意し、日本に本帰国してから初めての大規模な展示となりました。 制作が始まる前に、御寺を丁寧にご案内いただき、その完成され調和している境内の空間、 そして堂本印象の襖絵もある黒書院という場に大変感激しました。 特別に観せていただいた五重塔内部や、金堂内部・背面の板絵も素晴らしかったです。 そこで (1)真言宗御室派・総本山"仁和寺(黑書院)”という歴史ある特別な場にふさわしい作品にすること (2)宝珠や孔雀など御寺にとって重要なモチーフを描かせていただくこと (3)美しい空間の調和を乱すことなく、現代の美意識を反映させること (4)作品は全て仏前に捧げるという気持ちで、これまでの半生も繕うことなく織り交ぜ、 真摯に向き合いながら描くこと、 という4点を意識して制作しました。 父方は浄土真宗、母方は神道、家族はクリスチャンと周囲の背景は様々で、 自身には特定の信仰も所属もありませんが、
このような機会に真言宗・密教について学び、かつ すぐに制作に反映したことは、深く勉強になりました。 またこの制作をきっかけに「紙仏(しふつ)」という仏画のシリーズが、 自身の新しい作品の様式に加わったことも、とても大きな変化でした。 気持ちの良い季節となった展示会期中には、多くの方にご来場いただき、 また最終的に3点を御奉納させていただく機会も頂戴し、 1000年後にも残るようにと準備をして、とても充実した本帰国後の制作となりました。 せっかく京都に参りましたので、いつか寺社仏閣で展示をと思っていましたが、 こんなにも早く実りあるご縁を頂けて、心から嬉しかったです。 関係者の皆様、ご覧下さった皆様に心より感謝いたします。 <参考書籍> 令和に守り伝えたい仁和寺の祈り 瀬川大秀 仁和寺と御室派のみほとけ 東京国立博物館図録 もっと知りたい 仁和寺の歴史 久保智康,朝川美幸 即身成仏義 空海,加藤精一 声字実相義 空海,加藤精一 吽字義 空海,加藤精一 三教指帰 空海,加藤純隆,加藤精一 秘蔵宝鑰 空海,加藤純隆,加藤精一 般若心経秘鍵 空海,加藤純隆,加藤精一 密教入門 西村公朝 佛教の文様 池 修 曼荼羅入門 小峰彌彦 空海の哲学 竹村牧男 梵字必携 児玉義隆 祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層 スティーブン トレンソン 日本の美術 No.508 孔雀明王像 原色図典 日本美術史年表 密教美術大観 1ー4巻 朝日新聞社 聖なる珠の物語 空海・聖地・如意宝珠 藤巻和宏 弘法大師の世界 別冊太陽 国家興亡の方程式 ピーター・ターチン,水原文
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考えてみたら、法華宗の事ばかり書いていて、ランボゥの事書いてないし、それなら、別にカワサキ空冷4発を合わせることもないのだ。んでもって、ランボゥに話題を引き戻す前に、東本昌平氏の「キリン」の事について少し、と思い、今回は刀。 非常に稚拙な、という修飾語はつくが、プチ宗教論争、プチ思想哲学論争なんて、20代の時、げっぷが出るほどやったのだ。それもこれもすべてはマウントとるためなんだが、夜の酒を飲みながらのそれに備えて、昼間のうちに書籍でにわか知識の詰め込みなんかもやったりしたものさ。今更、同僚で顕正の彼女を、以降、ここでは姫と呼称するが、姫とは多分直接的な論争になることはないだろう。姫の同級生の方か、顕正会のもう少し上位の人が、こんなオレを、それでも、折伏弘通しようというなら、多少はあるのかもしれない。まぁ、オレが彼らの立場なら、こんな奴はごめんだがね。 ざっくり整理するならば、妙法蓮華経と勤行の良さは充分理解できた。それだけで価値があることは分かった。しかし、顕正会の主張方針とは相いれることができず、会員として活動することもできない、ということだ。 心が決まって、改めて思うのは妙法蓮華経の経文としての端正さである。そう感じるというのは一体どういうことなのか、生まれて初めて、じゃないわ、前に鈴木大拙氏の「歎異抄」を読んだことがあるんだった。臨済宗門徒の氏が、親鸞の教えが浄土宗門徒の間で変質することを嘆いた、なんていう、言ってみれば愚痴本だ。名著とは言われているが。仏教関係の書籍を買うのは、その「歎異抄」に次いで、ということになる。それが今回、3冊ほど仏教研究書籍、他に何冊か、まとめてお買い上げだ。 法華経関連書籍が4冊と、佐藤優氏が母校の、氏は神学部であったから、多分その神学部で講義したその内容らしい、という本と、ガダリやデリダと並んで、オレが若い時スターだったドゥルーズの、これ、入門書みたいな内容らしい。 ホントは土木の技術書買って読めばいいのだが、ついつい手が出るのは、単車とかクルマの本じゃなければこのあたりだったりする。GWとその後の2週間の出張の夜、コロナだし遊びに行けないので夜の御供として。 若いころというと、美術部の後輩に、一時期幸福の科学に偉く傾倒した奴と、バイト仲間の他の大学の学生(っていうか百万遍のかの国立大学の奴)でオウム真理教に入信しちゃった奴がいた。それぞれから、結構熱心に勧誘されたりした。 って思いだしたよ。なんか、オレ、勧誘しやすいのか、原理研の勧誘こそなかったけど、前に書いた通り、英会話の教材やら、高校の時新宿駅で自衛隊の勧誘を受けたし、渋谷から青山通り、表参道と歩いただけで2回、厚化粧のオバちゃんお姉さんに、シルクスクリーンやらリトグラフやら売りつけられそうになった。以来、クリズチャン・ラッセンが特に嫌いになったんだがな。 そう思うと、オレって、そんな隙だらけに見える? って、少し落ち込んでしまう。 そのあたりから、思ってたのさ。新宗教、新興宗教なんていうのは、組織として不安定な分、教祖が「烏の色は白」といってもそれに従わなければならないようなところがある。そうしないと組織を維持できない。壺とか怪しげなもの売られる以前に、そういうのが我慢できない。 こうやって、オレは、良いと思ったりとか興味を持ったりしたら、その話の裏も取り、そのうえで受け入れるかどうか決める、なんて言うやり方をいつの間にかとるようになった。法華経との出会いはきっと悪くないものであるという予感がある。それをもたらしてくれた姫には感謝だ。心から。 まぁ、しかし、特に顕正会のような立ち位置の新宗教、そこの支部長あたりが仮に折伏にくるのだとしたら、そのような本では何も日蓮大聖人様の教えなどわからない、とか、間違いだ、とか言うのだろう。まぁ、それならお互い何が分かってるのか? って話なんだが、お互い何もわからないんだよ。なんて、少々乱暴か。主観も客観も必ず正しいことなんてない。一般に客観が正しいみたいな思われ方をしているが、そういうのはただ、外から見る分には、以上の意味はないから、中の事は分からないし、内側にこもっては外からの評価がわからない。信心が、他所の評価も気にならない。自分の信心で目いっぱいで、他人様の信心などどうでもいい、という立場を取らない、あくまで折伏にこだわるなら正しいものはまるで見えていないということになる。ただ、自分が絶対正しい、という料簡こそ、実は真っ先に間違いであると断ぜられるべきものであると思っている。その辺からして多分決して分かり合えない。 まぁ、オレが思ってることだって正しいとはほぼ思っていない。特に万人にとっては。間違っているから常に正しいものを探すのだけど、正しいものを手に入れた瞬間に間違ったものになってしまうのだから、きりがない。しかし、そういうことの面白みが、何となくわかってきていたりしてな。 限界超克の姿こそ男にはふさわしい それは一種永続的な闘争であるが その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい 若さは性急に結論を欲し 問題を切断しようとする 自身の有限を自覚しながらも 再び立ち上がり走り出さなければならない 初めてアクセルを握った時から 何も変わってはいないのだ そらで覚えているのを書き出してみた。それぐらい若い時のオレには重要な一節だった。「キリン」が最初にMr.Bikeに連載されていた時に、東本氏によって、作中と、漫画とは別のページに書いてあったのを合わせて、こんな感じだったと思う。 こめかみとその奥の脳髄の芯が随分と疲れたような感覚は取れなかったけれど、これはこれからこういうものだし、男ってこんなもんだ、なんて妙に腑に落ち、何か世界が変わったような気がした、これを読んだときは。 因みに、「男には」なんて、「男」を振り回すなんて、随分昭和だが、しかしこの場合の男はつまり、例えば戦場で、恋人の写真を持参して「戦争が終わったらこのコと結婚するんです」なんて妙なフラグを立てることもなければ、そもそも、持って歩く写真に写す恋人などいないのに、いざ始まってしまえば、真っ先にヘルメットごと頭を撃ち抜かれてしまうような男、意を決して女性に愛の告白をして「君のためならなんだってできる」といったら、即座に「じゃぁ、私のために、私の前から今すぐ消えて」と言われてしまうような男である。いくら男女平等とはいえ、そういうのはごめんだろう、多分、女性の方々も。 モチベーションが低いわけではないが、妙に疲れ果てた感覚があるし、それでいて変に覚醒していて、寄り添ってくれる人もなく脚に力は入りきらないのだが、寄り添ってくれる人がいなければ、前に行かないのか? 違うだろ? と、ゴーストが囁いてくれちゃったりなんかして、一度、丹田に力を込め、歯をほんの少しだけ食いしばり、食いしばりすぎると俺みたいに奥歯ボロボロになりますので。まぁ、そういう自己イメージだ。そうやってよろよろ前に進みだす。 どこかの教えにおすがりすれば、それは間違いであると断じられ、なにか即席のお救いをあてがわれるのだろうが、そういうことは選ばない。 で、自己陶酔と揶揄されるから人には言わないけれど、案外とこれが、居直ってしまえば楽しいと思えなくもない。そんな感じ。 キリンが、何十年越しにポルシェに挑みかかるきっかけは若い女性だった。こちらも若い女性であることは変わりないが、あちらはイケオジで女性と懇ろになったりしていたが、こちらは、そういうことはほぼあり得ない。でも、な~んか (´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ、とか、思ってしまった。 ランボゥの詩というのは、そういうのが、そんな珍しくはないことで、ちょっとばかりしんどいかもしれないが、特別絶望的な孤独感を感じるほどの事もない、と、いい具合に教えてくれる。 ような気がする。知らんけど。 というようなところを、顕正会の件は、ブログでは、一応のまとめとしておく。新しい展開があって、それが面白いと思えば書くことにする。
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春休みこども寺子屋①
徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~江戸城・増上寺編
今般、子供たちの春休み中、社会科見学に行って参りました。
「歴史を学ぶ」を意識すると必ず過去を遡れば、資料集は神社仏閣や仏像が関わってきます。
間違いなく、朝鮮半島からの仏教伝来から江戸時代まで日本という国は仏教大国です。
その年数たるや1200年という長い歴史を文化として数々の国宝を残しております。
日本の伝統文化・神社仏閣を学ぶことは、世界の人に向けて自己表現として学ぶことに最適な現存する活きた教材かと改めて思います。
神社仏閣を巡ることで、必ずそこには教科書だけでは感じ取れないドラマがあって、その時代背景や人物、様々な風習、風土、建造物への思い、宗門の在り方、神秘的な厳かさなど多くのことを学べると思います。
子供たちに事前学習として徳川家は江戸時代ですから、時代区分や徳川各将軍をアルプス一万尺の歌で覚え、生い立ち、生涯、出来事、政治政策、文化、どの神社仏閣に墓所があるかを深堀りしてきました。
サッカーや野球でよく言う「サムライジャパン」と現代の人は使います。
じゃあ、その「サムライ【侍】」=「武士の道」とは何なのか?
どういうものなのか?どういう精神なのか?
新渡戸稲造さんの書をもとにタイムスリップした気持ちで学んできました。
①江戸城
どう攻めるのだろう?
どう守るのだろう?
圧倒的な高さのお堀を目の前に将軍や大名になりきって思案していきます。
広大な敷地に入って天守閣の高台から東京の景色を眺めてまいります。
桜田門や国会議事堂も車窓からですが見学してきました。
北桔橋門(きたはねばしもん)から入ります。
②科学技術館
日本武道館と江戸城の真ん中に挟まれて所在する場所になります。
ここはサイエンスを楽しく見て触って体験するテーマパークです。
光・機械・自然災害・自動車・自転車・建設・原子力・情報・薬などの様々な分野のしくみや実験があり、とても2時間で回り切れる場所ではございません。
まだまだ午後も学び滞在したいところでした。
地震発生装置です。
東日本大震災の時の地震の揺れを体験です。
みんな生まれてないですね。
③増上寺
浄土宗の大本山、増上寺です。
山内はちょうど桜の季節でたくさんの観光客の方が参拝されておりました。
ここに2代将軍秀忠、5代将軍兄弟の綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍の他、
女性では将軍正室として2代秀忠夫人崇源院、6代家宣夫人天英院、11代家斉夫人広大院、13代家定夫人天親院、14代家茂夫人静寛院(和宮)の5人、
将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代家宣の月光院など5人、
その他、将軍の子女を含む計38人の墓所があります。
東京タワーをバックにいい景観ですね。
桜も満開でお出迎えです。
ご本尊の阿弥陀如来さま参拝です。
実際にお墓を目の前にすると、ものすごく大きいことがわかります。
この石は東の横綱、神奈川県真鶴市の小松石を使っており、
現在でこの大きさのお墓を立てると
家一軒分、立てられるぐらいの費用なのです。
帰りは記念にご朱印とお守りを購入してきました。
④東京タワー
増上寺のお隣、東京タワー登頂です。
600段の階段をみんなでトライ!
声を掛け合いながら元気にクリアしました。
高所恐怖症の子たちも見事ゴールです。
帰りの下りもチャレンジです。
自分の力で協力して成し遂げた強みを忘れず、
今後に活かしてもらいたいですね。
東京タワーから眺めた増上寺。
春休みこども寺子屋② 徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~上野 寛永寺編につづく
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よく生き、よい死を迎えるために
このテーマは今から10年前に、品川区荏原における医師・内野滋雄先生の主催したシンポジウムのテーマであり、私は三人の発言者の一人に選ばれた。発言者の一人、香山リカ先生(精神科医)は言われた。苦難に陥って苦しんでいる人に対しては、専門家はあれもせよ、これもせよと説きたがるが、精神科医の仕事は、あれもせよ、これもせよではなくて、逆にこれも���ない、あれもしないというふうに出来るかである。精神科医のテーマは、どうやって介入し過ぎずに、苦しんでいる人をサポートできるかにかかっていると。
石飛幸三(特養蘆花ホーム医師)は、病院において医師は患者に対して胃ろうをつけたがる。胃ろうが延命処置として一番手っ取り速いのであるから。ところが一生懸命食べさせて、それがあだとなって、肺炎を起こすことが多いのである。今までの医学は生かし続けることしかしなかった。強制的に入れるという、とんでもないことをし始めた。本当に本人の為にはどうしてあげるのが必要かを考えなければならないのではなかろうか。
仏教者としての私の発言:上の両先生の立場は現世的・科学的世界観の立場にたっておられる。仏教者はこのような科学的世界観から、浄土仏教的世界観に転入せよと説きます。仏教的世界観とは、一方において阿弥陀如来の本願のお呼び声(南無阿弥陀仏)があり、他方において私が曠劫以来、流転輪廻してきたという事態の自覚があります。この本願を念仏と共に信受した時が「いのちのおわり」であり、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」と説かれます。
ところで以上のような信心決定を健康な時に得た人はよいが、不信心の人が不治の病にかかった場合はどうするか。この終末期医療に対しては「緩和ケア医療」「ホスピス・ケア」ということが古代から現代に至るまで、諸宗教において行われております。浄土真宗におきましても、ビハーラ運動が最初に東本願寺派の方で長岡西病院で始まり、西本願寺においても昭和62年に始められております。更に平成20年には、京都府城陽市奈島の平安高校グラウンドに、特別養護老人ホーム「ビハーラ本願寺」が開設されました。
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