#東日本大震災12周年
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけ��ん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う��などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程���よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しか���75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫��(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったの��はないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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2025.2.9 抗議集会「こんないヤバい大阪・関西万博 ーメガイベントの暴力を考える」
大阪・関西万博、開催が近づくにつれボロボロな状況が隠せない中で、それでも中止しない。やめられない。これは私たちがTokyo2020オリパラで経験したものそのままです。バベルの塔のようにそびえる新国立競技場のすぐそば、千駄ヶ谷社会教育館は小さいが街の暮らしに身近なかんじ。ここに、関西を拠点に活動するバビロン解体企画のかたをお呼びして、一緒に万博及びメガイベントの問題を考え、抗議する集会を開きました。
前半では、大阪・関西で現在とこれまでなにがやられた、やられているのかを、釜ヶ崎を中心に活動する研究者原口剛さんに話していただき、休憩をはさんで後半、昨年12月1日に行われた釜ヶ崎強制執行について、現地で共同炊事に参加している方にお話を伺いました。そのあと質疑応答で議論を深めました。
第一部 大阪・関西万博でなにが起きているのか 原口剛さん
1)なぜ、いまさら「万博」なのか
・高度経済成長期の「64年五輪→70年万博」の反復により現実から目を背ける。
・維新のプロパガンダ。カジノ誘致のためといえば難しい公的投資を「万博のため」で正当化。
・80年代以降のイベント中毒都市。堺屋太一「イベントオリエンテッドポリシー」を維新が継続。「大阪都構想」など、さらに強権的に開発を進めたがっている。
2)性暴力とハラスメントの祭典
・アンバサダーに、宝塚歌劇団やダウンタウン、テーマ事業プロデューサーに河瀨直美が名を連ねる。(※ダウンタウンは25年3月31日にアンバサダーを退任)
3)こんなにヤバい「人災の島」
・2024年3月には万博会場の一部でメタンガスに引火した爆発事故発生。廃棄物処分の埋め立て地である人工島、夢洲。
・2024年7月5日、海外パビリオンの建設現場で車両から鋼材(長さ10メートル、厚さ5ミリ)を吊り上げて運び出す際、誤って鋼材を落下。幸いけが人はいなかった。
・2024年9月9日、会場建設現場で、労働者が階段から転落、2~3メートルの高さから落下。頭から出血し病院に搬送。
・2024年11月1日、海外パビリオン建設に従事していた労働者が約3メートルの高さから落下、腕の骨を折る重傷。
工期の遅れを取り戻すべく強行される突貫工事。
・島には北の橋と南の地下トンネルしか出口がない中、台風や地震の際、逃げ場がない。
4)自然の支配と「採掘」
・夢洲は誰も住んでいない。2008年オリパラ誘致した際、舞洲を会場、夢洲を選手村にする計画だったが、北京に負けた。
・淀川左岸線工事。もともと進められていた建設プロジェクトだが、万博関連事業として推し進められる。新大阪駅と会場を結ぶシャトルバス専用道路として暫定利用の予定。大深度地下を使った高速道路。
・リニア中央新幹線建設プロジェクト。「万博開催やIRの実現を契機に大阪・関西への訪問客の増加が見込まれる」として全線開通の前倒し(2045年→2037年)を、大阪、三重、奈良が国とJR東海に要望(2025年1月21日)
5)こんなにヤバい、膨らむ費用
・会場建設費 1250億円(2017年当初)→1850億円(2020年12月)→2350億円(2023年11月)
・会場運営費 809億円(2019年12月)→1160億円(2023年12月)
・インフラ整備 約9兆7000億円、アクションプラン 約2兆8000億円、など間接的費用も。
6)内ゲバ、自己崩壊、責任のなすりつけ
・売れないチケット、進まぬ建設。
・維新 対 政府(自民)、吉村 対 万博協会…。
7)こんなにヤバい、「気運醸成」と参加の強制
・メディアと学校をつうじた動員。学校の修学旅行、遠足、すでに3つの市町村が拒否宣言。
8)こんなにヤバい、都市全域を舞台とした<社会実験>と浄化の暴力
・維新の都市開発の目玉は、「カジノ」「万博」そして「うめきた」※(都市再生緊急整備計画地域)。
※旧国鉄車庫あと。立ってる文字「GRAND GREEN OSAKA」のところで原口さんが学生たちに解説していたら、警備員が飛んできた。
・大阪メトロによる「顔認証を用いた次世代改札の社会実験」
・大阪市内全域での路上喫煙禁止と罰金。
・東洋ショー弾圧、太融寺ホテル街※の「浄化実験」(言説というもうひとつの闘いの領域)。
※「立ちんぼ」が居づら���なるように、地元住民と大阪府警曽根崎署が連携して道路を目立つ黄色に塗装。「警視庁科学警察研究所からアドバイスを受け、目立つ場所を嫌がる人間の心理を利用し、」「自発的により良い選択に導く行動経済学の理論「ナッジ理論」に基づき」「府警はこの一年で約30人を売春防止法違反容疑で摘発している。」(産経新聞)
・釜ヶ崎、2024年12月1日、強制排除。
■万博への問いと抗い
・2025年万博を批判する声ですら70年万博を神話化していないか。帝国主義・植民地主義の原点である「第五回内国勧業博」(1903年)を忘れ去っていないか。
・現在、なんら熱狂を呼び起こすことなく、冷笑や揶揄や無関心が広がっている。万博に踊らされていないという事実は重要、けれども、いやいやながら黙認していることになりかねない。このまま黙認し続ければ都市は連中の好き放題に開発され、公園からは<居場所>が根こそぎ奪われ、警察暴力や監視テクノロジーが我がもの顔で街を支配するだろう。あちこちに現れる万博宣伝ロゴを圧倒するほどの、反万博の声を!
・万博を「自己崩壊」にまかせるのではなく、私たちの手で葬り去ること。メガイベントに繰り返しNOを突き付けてきた、国内外人びとの声とともに!
質疑応答
・開催費用などについて、五輪では、IOCが出す部分もあったり、一方、都と国、二重に取られてる感じがあったりしたが、万博では費用負担はどうなっているか?
間接的費用についてはもう少し調べないとい��ないが、会場建設費と運営費は、国と自治体(大阪市)と経済界が三分の一ずつ出すことになっている。IOCにあたる組織はない。建設費がこれ以上になってももう国は出さないと言っているので、そうなれば大阪市が負担することになるだろう。
・大阪・関西万博という名称、「関西」、関西広域連合(鳥取や徳島も含む)も地域おこしってかんじでかんでるのか?と思うが。
万博協会の理事は、理事長はもちろん経団連会長、理事には経済界の会頭や、大学の学長、それが京都の大学とか、大阪だけじゃないいろんなところから集まってる。「空飛ぶ車」の実験を神戸港でやるとかいう話などおいしいとこを絡みたいということは関西中に広がっている。
・五輪では、自衛隊が出てくるとかハードな警備と監視のシステムがすごかった。大阪では、大阪メトロの顔認証システムなど、警備より監視のほうかな、と思うんですが。
今、僕が感じているのは、情報テクノロジーを使った監視が、いま、どれくらいいけるのか試み、実験したがってる、「社会実験」の名のもとにいろんなことがやられている。五輪でも社会実験はやられていたと思うが万博、関西ではこれが目に付く。その一つが顔認証改札。すぐに実用というよりは、一回実験でデータを取ってどのくらいうまくいくのかをこの機会にやってみる。データを集めることをやる。ガタイのいい警官が出てくるのではなく、情報をいかに吸い取るかという仕掛けが街中いろんなところに増えている。チケットも、実験。実験は評判悪くて失敗しているが、狙いが重要。デジタルチケット、登録するのに万博IDを取得しなければならず、そのためにいろんな個人情報を入力しなければならない。どれだけ自発的に情報を出させることができるかを実験している。たぶん国レベルだとマイナンバーカードでどれくらい情報をコントロールできるか、できれば口座まで握りたいのが本音で、その実験を万博チケット販売のデジタル化という名目で行われている。ただ、みんなが万博行きたくてチケットに殺到してるなら成功するが、そうじゃないので紙のチケットも作りますと言っている。でもすでに100万人くらいのデータを取ったはずです。
・(大阪メトロで顔認証改札を見てきた人から)メトロの職員さんは顔認証改札を通っていたので、登録させれているのじゃないかと思います。
第二部 フリートーク
・釜ヶ崎、センター周辺で暮らしている野宿の人たちに対する強制執行 釜ヶ崎で共同炊事に参加している方
5年くらい、釜ヶ崎センター前で、毎週月曜日に共同炊事と寄り合いを一緒にやっているものです。5年間、ニュースになったりしていないけれど生活している人にはすごく困った大きな排除もありました。まず、今の形でセンターまわりでひとが軒下で住んだり寝たりするようになったのと、私たちが共同炊事と寄り合いを始めたのは2019年3月31日、あいりん総合センターが閉鎖されかけた日でした。もちろんその以前から続いていることもありますが、ひとつの始まりがその時で、閉鎖が阻止されて24日間占拠、私もそこに住んでいました。当時100人くらいの人が寝泊まりしていて共同炊事もするようになりました。4月24日に急にセンターの中から追い出しがあり、シャッターを閉められてからは軒下で寝るようになりました。団結小屋も建って、そこから共同炊事を毎週月曜日にするようになりました。その後2020年4月に、大阪府が、市もおカネを出していますが、府が寝ている人たちと団結小屋を追い出すための立ち退き訴訟を提訴しました。一審、二審、そして2024年5月に最高裁判決が出ましたが、毎回、判決前に追い出しできる、仮執行はつかなかったのが、画期的でした。
2022年、みんなが体洗ったり、共同炊事に使っている、近くの公園のトイレの水道、それが工事で改修されて、蛇口が3個から1個に、ひねる式がプッシュ式ですぐ止まっちゃうやつにかえられて、それはとても困ったので区役所の担当課に電話で抗議したんですが、今もプッシュ式のままで。
あと、仮庁舎の横の高架下でけっこう寝てる人がいたんですけど2022年8月に急に追い出しがあって、それまでちょっとした門があったのが背が高くてがっしりした門に作り替えられ夜間施錠されるようになりました。抗議して交渉したのですが、その後開けられることはなくずっと夜間寝られない状態になりました。夏の暑さや冬の風をしのげる貴重な場所でした。
2022年にそのようなことが続きました。センターの解体、建て替えが市や府の想定より4年遅れているそうです。裁判があったから。センターに手を出せないのでそれ以外の場所で排除を進めていたと思います。
昨年12月1日に追い出されてしまい、今は鋼板が張られてその場所では寝られないし共同炊事していた場所もないので、道路にはみ出して毎週月曜日に寄り合いと共同炊事をやっています。毎週警察が来��、「道路を不正使用」メジャーで測って、「何センチはみ出してる」「2回警告しました」と言ってくる。別の場所で共同炊事をやると次の週「ここで炊き出しやらないでください」と張り紙される、行く先々で追い出そうとして来るなと思っています。
あと、西側の山王では、友達が地上げ屋にあって立ち退かされたりしています。五輪の時の霞ヶ丘アパートと同じように、ここも高齢の方が多く、近所の関係、コミュニティがしっかりあって、死ぬまでここで住みたいと思っていたかたがいます。
・会場から質問、感想と応答
〇地上げは釜ヶ崎や山王だけじゃなく大阪全体で起きているのか?
●原口さん 家賃が払えなくて立ち退かされることは大阪中で起きていると思うが、更新の時に大家が変わって、それだけでなく家賃を挙げるというケースは僕は山王でしか聞いていない。今、釜ヶ崎の周りの状況がどうなっているかと言うと、環状線が走ってて天王寺と新今宮駅がメインストリート、ここから南にかけて安い家賃の家があるんです。小さな店がまだたくさん残ってたのが一掃され2010年代にあべのハルカスができて、一気に地価が上がり、天王寺公園は近鉄不動産に管理が売り払われてPPFです。ここ一帯、ショッピングモールとかタリーズコーヒーとか。やばい公園には必ずスタバかタリーズコーヒーが出てくる。子どもの遊ぶのも有料で、ちょっと不審だったりするとプライベートセキュリティが飛んでくる場所になってしまった。もともと空き地だった場所を大阪市が売り払って星野リゾートがドーンと進出してきて、労働者の街だったところが一部激変した。今、ここは万博の宣伝広告をやっているのを見せられた。山王町はドヤ街だけど、築50年とか当たり前な木造の家がならんでいて、家賃がメチャクチャ安くて、デベロッパーから見たらこんなおいしい場所はない、しかも隣の天王寺は地価がどんどん上がっている。オーナーったタイミングで家賃値上げします、というアプローチでプレッシャーかけてくるのは山王ならでは。
〇五輪では選手村の名目で晴海の都有地を9割引きで払い下げました。大阪府の財政状況は全都道府県の中で最悪ですが、万博をやることにより借金が増えます。財政の問題、我々の税金の無駄な使い方の問題だと言うのが私の意見です。
●原口さん 税金の問題は大問題です。万博をやることで市民一人当たり2万円の負担、とすでに報じられていて、大阪で生活する人が万博に冷淡になっている背景のひとつになっています。もっと追及していかないといけない問題であることは間違いないです。しかし一方で、財政の問題として語られすぎると、財政分析のできる専門家が話してみんながそれを聴いて学ぶという関係にどうしてもなってしまう。もっとそれだけじゃないところでも問いを広げ声を上げることが僕の問題関心なんです。たとえば、公園、にぎやかに見えるけれどおカネを持ってる人だけが使える公園、おカネを持ってないとおことわりの公園って、公園なの?大学で言うと儲かる大学にならないといけないという、企業的論理でいかに財政を回復させるかにフォーカスを当ててしまっているところが、ぼくらが万博に対してNOと言えなさになっているところが僕の問題意識としてあります。
〇学校では財政や税金の授業をやらないが、私たちが払わないと罰せられるのに使い方については何兆円という会計の中身が明らかにされていない。50年前と同じ考え方で見てもダメ。新しい見方で税金、財政の問題を見ていくことで全体が見えてくるんです。
●原口さん 税金の問題も確かに重要です、その視点をありがとうございます。ぼくとしては路上で声を上げるとか政治のいろんな可能性もあると。
〇私は釜ヶ崎には行ったこともあって大阪でちょっとだけ育ったこともあるのですが、今は東京に住んでいて、このあたりの風景自体がだいぶ変わったなと。そこでもう少し詳しく聞きたいのは、センターが労働者にとっての顔だとおっしゃっていましたが、一つの公共の場所であった。そこでどういうことができて、何をする生活する中でどれだけ必要だったかを教えてください。あと、民間じゃなく公的な場所をみんなで作っていく、みんながどう使いやすい場所にしていくかの実践、それを教えてください。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加してる方 ありがとうございます。それすごく大事なお話です。あいりんセンターは70年にできました。70年万博で労働者を集めることと関係してできたと思います。まず、一階の広い場所で日雇い労働者が仕事を求める、探す場所でもあり、行かなかった人あぶれた人が日中を過ごしたり、人と会ってしゃべったり、しゃべらなかったり、将棋指したり、娯楽室もあって居場所だったり。水場もたくさん蛇口があって、シャワー室もあって。いい写真ですね(写真見る)。私自身は閉鎖される前はそんなにたくさん過ごしていたわけじゃないので。でもシャッターが閉められなくなってそこからみんながそこで寝るようになった時の空間もすごく良くて。すごく広いこの場所でみんなそれぞれの場所で布団を敷いて寝たり、私も寝てましたけど、人と集まれるし、屋根があって雨がしのげるし、風もしのげるし、そういう場所ってまちなかにメチャクチャ少ないです。もちろんセンター開いてた頃は夜間閉められていたんですけど。この場所を壊さないでまた開けてほしいなと思うんです。寝るのにいい場所だったなって。追い出されて以降はそこで寝ていた人の何人かは生活保護を申請した後に入る施設に行った人もいるんですけど、ここに入っちゃうともう会えないんです、会いに行っても会わせてもらえない。今も近くで野宿を続けている人もいます、ほんとうに雨の人か困るなと思います。今まではあまり人が寝ていなかったセンターの向かい側の高架下で布団敷いて、3、4人、道の端、駐車場の南側のところに布団敷いて寝てるけど、ギリギリで車が通るし、職安も全部高架下なんですけど、高架下でみんななんとか寝る場所を探して今も野宿していて、なくてもなんとかはするんですけど、やっぱり雨がしのげるああいうセンターみたいな場所は絶対必要。水が自由に使える場所も少なくて、足が悪い人はちょっと離れた公園に行くのもたいへんだし、トイレもそう。あと、ここに行ったら人と会ったりできる場所。今もセンターの前やセンター向かいの仮センターの駐車場とかで会えるし、毎週月曜に寄り合いにもなんとなく来たらいっぱいしゃべれるけど、やっぱりセンターみたいななんとなく人と会えるかなという場所は絶対必要。壊してほしくないな。鋼板も、外してほしくて、鋼板があると狭くて本当に嫌ですね。
●原口さん これは中から撮った写真ですけど、シャッターが閉められて、広大な空間が、今文字通りのデッドスペース、誰も使えない空間になっている。猫が大量にいるという説もありますが、ほんとうかどうか。2019年にあったのは、3月31日にシャッターが下ろされようとして、下ろさせまいと、みんながシャッターの下に体を横たえて阻止した。阻止できちゃった。あの当時みんなこういう感覚だったと思うんですが、阻止できちゃった、どうしようってなった時に、みんな思い思いにやり始めた。ある人は図書館を作り始めたり、ある人はスクリーンを用意していろんな映画を上映できるスペースを作ったり、この空間でいろんな人が集まって、もちろん共同炊事もそうですし、食や本や映画を共有するようなコミューン状態が40日間続いたんです。その場所を奪うな、というのが一番気持ちの中心、思いの中心。今、釜ヶ崎の運動は大きく二つに分かたれてしまって。それは、橋下徹が市長になった時に、西成特区構想というプロジェクトを始めた。これからは西成、この場合釜ヶ崎なんですが、ここへの政策を付ける、えこひいきする、と言いだした。下からの声、現場から出てきたアイデアにカネを付けると。そのあと中身については何も言わず沈黙を作った。その沈黙って、NPOがこれまで実現しなかった政策、案を熱心に作るグループと、まず不当なことに関して声をあげるグループが、それまで距離はありながらもいろんな行動を共にしていたのが、くっきりラインが入ってしまって現在に至るんです。今、争点となっているのは、まちづくり、政策のテーブルに乗ったグループの主張は、「センターという場所を残すのじゃなく、機能を残すのだ。」場所を残せと言うのと機能を残せと言うのは全然違ってくる。機能というのは職業紹介、あるいは雇用保険を受給する、そういう窓口さえ作れば、たとえば40階建ての高層ビルで13、14、15階にそういう窓口を作ったという形になったら、機能は残ったといえるかもしれないけれど、場所は潰されてしまっているわけですよね。そこが大きな論点になっている。僕は、僕の仲間も、場を奪うな、を重視している。この���真、いろんなひとたちにとって、釜ヶ崎の労働者にとっても、今生活保護を受けて暮らしている人びと、あるいは支援という形でかかわった人たちにとっても多分こういった風景は原風景��と思う。基本的に労働市場、いちば、築地の市場と同じように天井がムチャクチャ高いという構造をしていてたくさんの人が集まれる、実際にたくさん集まって、一人一人見ていくと新聞読んでる人もいれば、立ち話してる人もいる、こういう状態が1970年以降続いてきた。この写真の中に職業紹介の窓口機能とか、雇用保険の受付機能とか、一つも映っていない。「機能を残せ」というスローガンだと、この、人が集まってるスペースというのは必ずしも必要じゃない、なくされてもいい、という話になってしまうんです。今、都市開発、ジェントリフィケーションの中で奪われようとしているもの、今センターが閉められてしまってそのまわりですごく窮屈にさせられてしまったたけれど、しつこく続けているものが守っている、こういった集まれる場所を釜ヶ崎からなくさせないことだと、僕は思っています。これって釜ヶ崎だけじゃなくていろんな都市の中で自由に集まれる場所、特に雨の日なんかに、公園に行っても雨をしのげる場所って、ここ十年二十年で大阪ではメチャクチャ少なくなった、実はあるんだけど、たとえばタリーズコーヒーとかコーヒー買わないと雨すらしのげない。大きな屋根があるってどれほど重要かという話だと思うんです。それともうひとつは、70年万博が決まって、働き手、労働者が足りないという時に全国から若い単身の労働者をギュウギュウに集めて、結果できたのが今の釜ヶ崎です。70年万博のために作られたと言っても過言ではない街が、今「2025年。70年万博よ、もう一度」とかいう時、「アンタラ価値のある場所を勝手に占拠している、わがままな人たちだ」と言わんばかりに立ち退かされるというのはあまりにひどい、必要な時には働いてね、もう必要なくなったから出ていけ、というのがまかり通っている。この50年スパンで見るとよりクリアに見えると思います。
○今回の万博では、万博関連の仕事があったわけではない、ということですか?東京五輪の時、日雇いの人たちの中に、仕事が増えるんじゃないか、インバウンドで観光客が来て、とか税金使う分、リターンもあるんじゃないかという、オリンピック側も喧伝していたし、長い不況の時代を経て一発逆転、復興五輪というのを期待した人も一定数いたと思うんですが、ふたを開けてみたら結局インバウンドも建設の仕事も大企業が吸い取っていくわけですね。湯水のようにスポンサーが税金を使って、リターンもスポンサーや電通みたいなプロモーターにたまっていく仕組みが明らかになった。労働者の街をつぶしていくってことは、もう初めから仕事はないぞってことかと思って、ふざけんな、としか言いようがない。
○このまえ読んだ本では1929年朝鮮の博覧会の時から、同じで、近隣だけじゃなく遠くの人まで「儲かる」「行くといいことがある」とすごく言われて、行ってみたが、儲けたのは帝国のひとだけ、ということが書いてありました。それと、水道の話、蛇口が3つから一個に、プッシュ式になって不便という話、神宮通公園のトイレもセンサーで水が出る仕組みでやかんに水が汲みづらい。テクノロジーによるいじめ、使い方を限��している。駅の自動改札もそう、改札機能だけでカチカチいわせないから耳の不自由な人には不便。
○そうですね、明治公園も元の明治公園とは似ても似つかない、四季の庭には木がいっぱいあった、広くて、デモ、集会、フリーマーケットもあって、野宿の人もいた、有機的な。今はスターバックスがあって、「インクルーシブ広場」では子どもを遊ばせてくださいね、ここではイベントの趣旨に従って遊んでくださいね、と管理者の想定した使い方しかできない広場になってしまった。機能じゃなくて場所が大事なんだということがすごい重要だと。釜ヶ崎センターも自然環境に例えると、一つの動物がいなくなるとどんどん生態系が崩れるじゃないですか、微生物がいて肉食動物がいて、木から落ち葉が落ちたり、そうやって有機的に成り立っているもんだと思うんですけど、センターもそんな感じがしていて、雇用保険の窓口とかそういうことだけじゃなく、寝る場所があり、人と出会う場所であり、食堂があり、仕事を求めて集まったり、有機的につながって成り立っていた場所をつぶすのは許せない、築地もそうで、ただ市場じゃなく有機的な場所だった、という話で。私たちにとってほんとうに価値の高い場所だけど、資本だとか行政にとって経済的に価値のないものに見えるからメガイベントを引き金にして潰していく。メガイベントは暴力だと強く感じました。
○みなさんにとって1964年東京五輪はどういうモノとしてとらえていますか?私は小学生でしたが高速道路ができてインフラ整備、あと学校にプールができた。
○私が調べた中に、64年オリンピックでブルーのポリバケツ、ごみを入れる容器を普及させ、街をきれいにするキャンペーン、あとお花いっぱいにするキャンペーンが学校と町内会の呼びかけによってなされたというのが出てきます。そこの延長に書かれていたのは、浮浪者、障がい者、街でフラフラしている人を収容するものが必要だということで、大きな精神病院が作られた。郊外に巨大な収容施設がオリンピックのために安心安全を守るために作られた。街にいると困る人を収容するために作られたという64年五輪のレガシーです。今回のオリンピックでも宮下公園がオリンピックを迎えるのにふさわしい公園、安心安全ということで、公共の場がここのみちを歩いてください、ここではトイレに行ってください、ここではちゃんと座ってください、寝ないで座ってください、ここでフットサルをしてください、用途が確定していて、誰もがウチャッと居られる場所はなくしていった。それは安心安全、秩序を守るためにやっている。釜ヶ崎の排除も、そういった治安を守るとかそういうニュアンスがあるんじゃないかと心配があります。釜ヶ崎が男性が多いということもターゲットにされやすいかもしれません。あと、70年万博を調べても、立ちんぼの検挙がものすごい、あったんですよね。それと釜ヶ崎の排除と、別々だったけど、同時に起こったんですよね。釜ヶ崎の人は隣の風俗街に行ってたし、風俗街の人たちもお客さんとそこで賄ってたんだけど、そこで運動がつながれなかったのか、どういうことなのかな、と思っています。今回もストリップ劇場とか立ちんぼの人、が検挙されたり、コロナ中も100人くらい立ちんぼが検挙されてるんですが、安心安全とか、見栄えとか…。この写真(かつてのセンターの中の風景)美しいと思うんですけど、こういったものをこわいという人もいるんだろうな。昨日行ったフィールドワーク、整然とした、高層ビルとか、オリンピック跡地のほうがはるかに恐ろしいと思って気分が悪くなってしまうんですが、向こう側が言う、危ない、コワい、恐怖をあおってくる、そういう教育。道徳教育にオリンピックが組み込まれていってあれを正しいもの、と、正義のようにされていくのとつながっていると思うんです。釜ヶ崎、あんな怖いところはなくすべきだ、と、学校で教育されるんじゃないか、少なくともオリンピック教育は年間36時間されてしまった、かなり大きな罪があるんじゃないかと思うんです。しかも今回は東京からも修学旅行で万博行くと聞いたんですが、釜ヶ崎の排除とか見に行くんじゃないですよね、何が危険とか、何が心地よいか、大きく人びとに影響してくるのを感じます。同時に釜ヶ崎って男性の人が多いんだけれども男性以外のジェンダーの人たちが居られるようにどういうふうに考えるのかっていうのは一方で重要な問題で、それは大阪府とか橋下、吉村にそういった場所を作ってほしいと言うのじゃなく、ちゃんとトランスの人とか女の人が居られる場所を考えていくというのを小さな規模で釜ヶ崎の中で考えていくとか、そういった場を邪魔しないということが重要なんですけど、これが安心安全なんだとトップダウンで上から押さえつけていく装置が万博、オリンピックなんだなあと思います。
○私は64年オリンピックで高速道路、インフラが整備されたという話を聴いて、インフラや高速輸送手段というのは、「通過」だということを本で読んだんですが、通過してしまう、そこの間にある人々の暮らしというのは雑音でしかなくなる、必要なものを必要な時に必要なだけ調達するのに都合のいいシステムを整えるだけで、人びとの積み重ねてきた歴史と暮らしを無視して通過していくものとして思っていて、どんどん通過したり、用途を規定するとか、そういう価値観が進んでいく、前のオリンピックからずっと連綿として、そういう捉え方をしています。
○大阪都構想って何だったのか、どういうふうに開発と結びついているのか、万博とどうつながっているのか。今回釜ヶ崎の排除があった時、西成区役所とか大阪市、大阪府に抗議の電話をしたんですが、僕の住んでいる渋谷区と東京都との役所間の関係とちがう、西成区は上からの府や市に動員掛けられたから出向した、言われたからやっただけ、みたいな、渋谷区と東京都だとそれなりに独自性、自立性ががあって、都に言われたからって区が出向することはあり得ない。都構想は行政間の形をどう変えようとしたのか?それと万博や開発とどう絡んでいるのかを教えてください。
●原口さん 大阪都構想は住民投票で否決されたんです。この十年間で数少ないよかったことの一つです。よく言われるのは「大阪市を守れ」「「大阪市がつぶされる」という理解なんですが、実際、権力の作動の仕方がどう変わってくるかというと、より重要なのは一つは開発を強烈に進めるということなんです。今までは大阪市が大阪府がそれぞれに開発をする。ある場合には連携しなければならない、調整が必要になって��る。もちろん市長や府知事が勝手にやれるわけではない、大阪市議会、大阪府議会にかけなければならない。特定の開発を進めるためにいくつもの調整とプロセスが必要だったんだけど、維新、橋下徹が、「あまりに不合理なシステムだ、動きが遅すぎる」と糾弾してのし上がってきた。都構想になるとふたつの枠組みが一つになるのでトップが決断して議会にかける、今まで承認を得て、調整をしてという合意を取り付けるプロセスのいろいろな段階が取っ払われる、そこがみそだと思うんです。都市にかかわる政策決定っていろいろあると思うんですが、維新というのは旧来の自民党より土建的な、極右的、権威的建物を建てたがる。都構想は2度否決されているのでまだこのシステムは完成していない。あと、維新政治の特徴は、「街が安心安全、明るくなった」、雑然としていたところを「明るくした」、「街が良くなった」と成果にするんです。「昔は暗かった天王寺公園を明るくした」とアピールする。明るくすることが良いことだと単純化された思考が加速されています。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方 子育て世代、子どもや女性の安心安全が口実に使われる。センター前を区役所の人がうろうろしてたので話してみたら、「ここを通学路にするために安全を確保しないといけない」とか言われて、イメージ付けしてくるな、と思ったことがありました。あと、釜ヶ崎は男性の立場の人が多い街で、自分も性加害がほかの場所と比べて多いのかなという偏見をもっていた。性加害は他の場所でもあり、釜ヶ崎がほかの場所と違うということはない。嫌な思いをすることはあるけれど、それは他の場所と変わらない。嫌な思いをする人をできるだけ減らせるよう、みんなで環境を作っていくことを考えている、うまくいっているかわからないけれど、それはどこでもやるべきことだと思っています。
〇僕が釜ヶ崎にいたころは先ほどの写真の頃ほど活気はなかったけれど、多くの人がそこで寝転がったり丁半博打打ったり、荒っぽい人もいて、それも含めて楽しかったんですが、ゼロ年代すでに日雇いの街から福祉の街に変革する時期で2008年最後の暴動が一つの契機になったと思うんです。以前は南海線のガード下にいた手配師、手配師の存在というのは、今では失われた風景になっているのでしょうか?
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方 強制執行の前まではセンターの敷地で早朝、手配師が来て軒下に居たんですが、あそこが鋼板でおおわれてから、向かいの仮センター駐車スペースがその役割として、最大25台くらいしか止められないので、半減でしょうか、正確には言えないですが。今もいると思うんですが圧倒的に少なくなってると思います。
〇今回の万博とそれに付随する事業で、釜ヶ崎に経済的恩恵みたいなものって生まれているんでしょうか?例えば星野リゾートができた、それにより地域に雇用が生まれたとかも含めて。
●原口さん 僕の知る限りでお答えします。前提として70年万博が釜ヶ崎を潤したというのは違う。むしろ大局的に見れば、労働者を全国から集める��け集���て、そのあと放置しちゃった。ギュウギュウに集めすぎたのでドヤがのちのカプセルホテルのように寝るだけの部屋になった。部屋に部屋を重ねて高層化して、その中で家事が何回も起こった。ひとたび火事になるとあっという間に全体を燃やす、火事一つとってもそれで命を落とす労働者が何人もいたんです。地域に利益があったかと言うことですが、たとえば、星野リゾートを考えるとわかりやすいと思います。ある人に聞けば利益があるというし、ある人にとってはもう追い出されてばかり、ということになる。星野リゾートが来たら、土地を所有している人にとっては地価が上がって直接メリットになりますが、家を借りている立場だと真逆になります。家賃が高くなりますから。経済的恩恵っていうのは地域にあまねく回ると言うより、特定の誰かにはメリットあっても、誰かには全く関係ない、あるいは誰かにとってはとてつもない抑圧やデメリットになる。
〇星野リゾートができたところはもとは市の土地だったわけですよね。公共用地の私有化、どちらかというと私たち搾取されて取られちゃって、たぶん高くない値段で売られた。私の住んでる神奈川でも横浜市役所が移転して旧市役所も星野リゾートに売ったんですけどムチャクチャ安い値段で売って、住民訴訟も起きているんですけど、私たちに還元されなければいけない財産を再開発の名目で搾取されて、今日の話では、釜ヶ崎という街を解体していくわけだから、新しいものにしたとしても私たちの財産は私たちには還元されず、体よく奪われていくということがわかりました。
参加者は多くなかったものの、熱のこもった議論が交わされ、学びの多い集会となりました。オリパラ、万博、もうたくさん。これ以上間違った道を突き進むのは止めないといけないと思いました。
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2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とそれに伴う東京電力福島第一原発事故により、原発近くの地域から他県や福島県の他地域に避難した人が、周囲からいじめ・嫌がらせ・差別などを受ける被害が報告された問題。 大人に対するいじめ・差別の事案も多数報告されているが、ここでは主に避難した児童・生徒が転入先の学校でいじめ・差別を受けた、ないしはその疑いが強いとされた事例について取り上げる。 2011年の発災直後から発生 震災いじめ・原発避難いじめと思われるものは、2011年の発災直後から報告され、新聞報道されていた。 千葉県船橋市 千葉県船橋市では2011年3月末、福島県南相馬市から船橋市の親族宅に避難し、4月から現地の小学校に転校・入学予定だった、新5年と新1年のきょうだいが、船橋市の地元の児童から���がらせを受ける事件が起きた。 きょうだいは公園で遊んでいた。きょうだいが福島県の方言で話していたことを聞きつけた地元の児童数人がきょうだいに対し「どこから来たの」と尋ねた。きょうだいが「福島から」と答えると、地元の児童らは「放射能が移る」「わー」などと叫びながら逃げていったという。きょうだいと家族はこの事件にショックを受け、船橋市の小学校への転校・入学を取りやめ、4月からは福島市に再避難した。 新潟県長岡市立小学校 新潟県長岡市の小学校では2011年4月、新年度から6年として転入した福島県からの避難者の男子児童が、転入直後からいじめを受けたと訴えた。この男子児童は2011年4月、同級生の女子児童から腹を殴られるなどして一時入院するケガを負った。 一方で当該校は、震災・原発避難といじめとの因果関係は薄いと判断したとしている。 2016年秋に社会問題化 2016年11月、横浜市での「原発避難いじめ」が大きく報じられた。報道された2016年当時中学校2年だった男子生徒は、横浜市立小学校2年として転入した2011年当時から「菌」と呼ばれるなどのいじめを受け、小学校5年時の2014年には「原発事故の補償金をもらっているんだろう」などと言いがかりを付けられ、現金を恐喝されるなどのいじめを受けた。 新潟市立小学校 新潟市立小学校では、2016年当時小学校4年だった避難者の児童が同級生から「菌」と呼ばれるなどしたと訴えた。さらに当該事案では担任教諭も当該児童を「菌」呼ばわりして不登校に追い込んだとして問題になった。 新潟県・公立中学校 新潟県下越地域の公立中学校で2016年、当時1年だった女子生徒が、福島県からの避難で同地の公立小学校に転入した直後からいじめを受け続け、中学校進学後もいじめが続いていたと訴えていたことが発覚した。当該生徒は2016年6月、国語の作文の課題でいじめ被害をを訴えたものの、担当教員が「小学生時代の過去の経験」と誤認したとして見落とし対処されていなかったことも明らかになった。 川崎市立中学校 原発事故を受けて2011年に福島県から川崎市に自主避難し、2012年~15年3月に川崎市立中学校に通っていた生徒が、「近づくな」と避けられたり、「福島県民は奴隷だ」などと暴言を受けて暴力を振るわれたりするいじめを受けたと訴えていたことが、2016年12月に報じられた。 神奈川県集団訴訟 避難者が国と東京電力を相手取って訴えた原発事故神奈川県集団訴訟の原告団は2016年12月、神奈川県内に避難した避難者の子どもが避難先でいじめを受けた事例が少なくとも9人確認されたと発表した。弁護団が確認した事例には、先述の川崎市立中学校での事例も含まれている。また別の2人の児童生徒も不登校に追い込まれていた。「福島へ帰れ」と暴言を受けた児童生徒もいた。 千葉県集団訴訟 原発事故千葉県集団訴訟の原告団は2016年12月、千葉県内に避難した避難者の子どもが避難先でいじめを受けた事例が少なくとも3人確認したと発表した。「なんで福島から来るんだ」「福島のやつの意見は聞かない」などと暴言を吐かれて転校に追い込まれた事例や、「放射能が来た」などと言われた事例があったという。 東京都集団訴訟 原発事故東京都集団訴訟の原告は2017年1月11日の訴訟の口頭弁論で、「子どもが転入先でいじめを受けた」と訴えた。 最初に転校した都内の公立小学校では「福島から来た子は汚い」などと言われたり、「病気ですぐに死んでしまうのだ��ら」と階段から突き落とされたりなどの暴行を受け、別の学校への転校を余儀なくされた。子どもは千代田区立中学校に進学したが、そこでも同級生からいじめを受けた。などと訴えた。 群馬県集団訴訟 原発事故群馬県集団訴訟では2017年3月17日、国と東電の責任を認め損害賠償を命じる判決が前橋地裁で出た。判決では、原告家庭の子ども数人について、転入先の学校でいじめを受け精神的苦痛を受けたことに言及した。 ▼女子児童が、「気持ち悪い。近づくな、吐き気がする」というメモをかばんに入れられた。▼男子児童が、転入先の小学校で「福島君」などと呼ばれた。▼一度群馬県に避難したのちに福島県に戻った男子生徒が、「避難してきたのにまた戻ってきたのか」「逃げて行ったんだろう」と暴言を受けた。――といったケースをいじめだと認定したという。うち2人の児童生徒について、東電や国に慰謝料支払いを命じた。残りの児童生徒については、被害算定がすでに別途支払っている賠償金や慰謝料の額を超えないと判断し、それらの賠償金等と相殺する形で慰謝料を認めなかった。 千葉県・公立小学校> 福島県から千葉県に家族で避難した女性とその父親は2017年3月、マスコミ取材に応じ、転校先の学校でいじめを受けたことを訴えた。 2011年、当時小学校6年だった女性が千葉県の小学校に転入した際、▼学校行事で同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と暴言を受ける。▼同級生から「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被曝者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も暴言を受ける。▼授業参観の時、当時小学校3年だったきょうだいが授業中に発言すると、ほかの保護者1人がきょうだいに対して「福島に帰れ。何しに来たんだ」と大声で暴言を浴びせる。授業中の教師や居合わせた保護者は誰も暴言を止めなかった。――といった被害があり、別の学校に転校したと訴えた。 文部科学省の調査 文部科学省は2016年度、震災・原発事故で福島県から避難した児童生徒へのいじめに関する統計調査をおこなった。 都道府県教育委員会を通じて2017年3月時点で集計したところ、避難児童生徒へのいじめは2016年度に全国で129件あったことを確認した。 うち、震災や原発事故が原因であると認定したのはこの時点では4件にとどまり、残りは「確認できない」とされた。 また文部科学省は、2016年度の認知件数とは別に、震災発生から2015年度の過年度についても、70件の避難者へのいじめがあったこともあわせて確認した。うち9件が震災・原発関連だとした。
「原発避難いじめ」問題 - きょういくブログ
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝���~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出��れ、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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桜林美佐の「美佐日記」(252)
「地震予知」から建築物・インフラの強靭化へ
桜林美佐(防衛問題研究家)
──────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、252回目となりま
す。
前回、お休みし、時間が空きましたが、柳澤真一さ
んについてご感想を頂戴しました。「柳澤さんは、
陰徳を励行する方だったのですね。人は、よいこと
をすると、ついつい、言いふらしたくなりますが、
それではよいことをしたことにはならないと、私も
考えています。私も、引き続き、柳澤さんをお手本
にして、できる限り、陰徳を積んでいきたいと思い
ます」
同感です。ありがとうございました。
先週は台湾で大地震が発生し、沖縄にも津波警報
が発令されました。自衛隊ではまだ能登半島地震の
災害派遣が続いており、恐れているのは、このよう
に複合的に災害が発生する事態です。
もはや現在進行中の災害派遣は報じられなくなっ
てしまっていますが、ファストイン・ファストアウ
トが鉄則のはずの自衛隊をここまで長期間にわたり
使うというのは、やはり問題があると思います。水
道などインフラのダメージが大きいことは承知して
いますが、派遣が長期間に及ばないよう国や自治体
は全力で努力してもらいたいです。
そうした中、地震学者である島村英紀さんと対談す
る機会がありました。内容は私にとっては目から鱗
が落ちる話ばかりでした。
島村先生は東大理学部物理学科で博士課程を修了
し、北海道大学教授、国立極地研究所所長も務めた
方で、海底地震観測を世界中で実施し、研究のため
の海外渡航歴は76回、船上で地球12周を過ごしたと
いう、まさに地震研究のエキスパートと言っていい
方。
その先生から出た日本の地震研究に関する言葉は
衝撃的でした。結論から言うと「地震は予測できな
い」というのです。
震度7を記録した能登半島地震は、政府機関である
地震調査研究推進本部では「能登半島が今後30年
間で震度6以上の揺れに見舞われる確率」は、わず
か「0.1%未満」だったといいます。
なぜ、こんなに大ハズシをしたのか?を問うと
「地震予測はできない」とひと言。そもそも「マグ
ニチュード」という言葉を考案した地震学者のチャ
ールズ・リヒター氏もこんな言葉を残しています。
「地震を予知できるのは、愚か者とウソつきとイカ
サマ師だけである」と。
それなのに、日本では「地震予知は可能」という前
提で、1978年に「大規模地震対策特別措置法」
(大震法)が制定されました。予測の信頼性がない
ことから「見直すべき」との声が上がっているもの
の、依然としてこれが有効になっていることに先生
は警鐘を鳴らしています。
これには、地震学会に属する3000人の会員の
抵抗があるようです。国費で維持されている地震研
究だけに、これを止めてもらっては困るというわけ
です。
しかし、数々の地震予測をあざ笑うかのように、
悉くノーマークの場所で大地震が発生してきたとい
います。
2016年の熊本地震の時は、発生前に「今後30
年以内の地震発生確率はほぼ0%から0.9%」と評
価されたそうで、これが安心情報になったことが、
油断を招き、被害を大きくした可能性も指摘されて
います。
では、緊急地震速報は何なのか、と思いますが、
これは地震予知ではないので誤解してはいけないと
いいます。
この原理は単純で、全国に設置されている地震計
のいずれかで揺れを感じたら震源を計算して、まだ
揺れが届いていない場所に警報を送るという仕組み
で、直下地震には対応困難なのだそうです。
地震予知研究は始まって以来、1兆円近い国費と
数百人の公務員が増員され、それも大学だけではな
く、気象庁や国土地理院をはじめとする数々の省庁
に資金が投入されてきたといいます。
これだけの巨額な投資が容認されてきたのは、私
たち日本人にとって、難しいとは分かっていても地
震予測は悲願だったからでしょう。
天気予報が可能なのは、大気の運動方程式がすで
に分かっているからだそうです。しかし、地震や火
山の噴火は同じような方程式がまだ分かっていない
のです。
余震などの前兆を観測していれば何らかの規則性
が見いだせるのではないかという期待に基づき研究
は進められてきたものの、残念ながら、前兆に規則
性や共通性はなく、前兆のない大地震も数多く起き
ているといいます。
世界には地震の起きない国もあるようですが、4
つのプレートがせめぎ合う日本では、現在言われて
いる南海トラフや首都直下などだけでなく、いつで
もどこでも「起こり得る」というのが答えのようで
す。
一体、どうすればいいのか、と思いますが、島村
先生は何より建築物の強靭化や木造住宅密集の解消
など「あらゆる地域で」インフラを強くすることを
優先すべきだと説きます。
問題はそこに国費を注ぐと、地震研究に充てる資
金が減りかねず反発が起こるという、大いなる矛盾
です。
また「地震が起きない地域」を謳って企業誘致を
したり、逆に地震の可能性のあるなしで不動産価格
も左右するなど、影響は他にもあることでしょう。
しかし「ここでは地震が起きない」という安心情報
によって被害を広げているとしたら、これは見過ご
せません。
私たちは今、宇宙への進出やAIなどの先進技術
を目の当たりにし、科学の進歩を実感しているとこ
ろです。しかし、地震研究も長くて千年単位のデー
タでしかなく、何万年のスパンでの調査はできてい
ません。海底調査も数キロの範囲で、宇宙に進出す
るよりも困難です。AIといっても、存在する情報
を使用しているにすぎません。
結局、まだまだ人間の力ではどうにもできないこ
とがあるようです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話に基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
ー
7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間��、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
ー
12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子の味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。

14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては心地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
ー
16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。


最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を流していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらない飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
ー
その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消防団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- ���取愛 40 山ト波 @opantoc
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2023年9月1日、関東大震災から100年、虐殺から100年
東京都/小池百合子による7年に渡る追悼拒否に加え、都の“人権部”が虐殺の歴史に関わる作品を検閲/弾圧し始めた……という最悪な所業。
今年はそこに更に、東京都がヘイト団体にお墨付きを与え、日本政府/岸田政権そのものが虐殺の歴史と記録を否定しだした。公権力による、歴史修正/公文書否認が、ゼノフォビアが、より一層、悪化している。
大手メディアも、今起きている“公人”“公権力”による差別扇動と歴史否定については……はっきり報じない/批判的に触れない媒体ばかりであるのが(きちんと報じているメディアもあるが、やはり少数派で、WEBのみに留まったりする傾向がある)ゾッとする。その不均衡に、沈黙に、怒りしかない。しんどい。
大震災から100年、虐殺から100年。記事や動画、展覧会や書籍の情報などを、Tumblrでも共有/記録。
・TBS報道特集「朝鮮人虐殺はなぜ起きた」(23/09/09)
youtube
23.09.18にこの特集全編のURLを追記。
・関東大震災100年 流言による惨事は"過去のこと"か |NHK解説員室(2023/08/21)
「1923年9月1日に発生した関東大震災は激しい揺れに加え、大火災が東京東部や横浜の市街地の大半を焼きつくし、死者10万5000人という未曽有の災害になりました。その混乱のなか多くの朝鮮半島出身者が殺害されました。きっかけは地震の直後から流れた流言、いわゆるデマでした。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「2000人の朝鮮人が武器を持って襲ってくる」など根拠のないうその情報が広がりました。」
「殺害された人数はわかっていませんが、国の中央防災会議がまとめた報告書は「千人から数千人に上る」と推定しています。この中には中国人や朝鮮半島出身者と間違えられた日本人も含まれています。」
「コロナ禍でも外国人などへの攻撃がネットなどで横行したことがわかっています。」
ここ数年内に日本国内で起きているヘイトクライム、排外主義とゼノフォビアも取り上げている記事です。
・Radio Dialogue 125 ゲスト:飯山由貴さん「関東大震災から100年」(2023/8/30)
・ヘイト団体があえて朝鮮人虐殺追悼碑の前で「慰霊」集会を開く構え 政府、���京都は見て見ぬふりのナゾ(2023/09/01)
「1923年の関東大震災時のデマにより殺害された朝鮮人犠牲者の追悼碑がある横網町公園(東京都墨田区)で、3年前に都にヘイトスピーチ発言を認定された団体が、きょう9月1日にこの碑の前で集会を行うと公表した。
ヘイトが起きる恐れがあるとして、公園の利用制限を求める抗議声明も相次ぐが、都の対応は鈍い。国や行政が虐殺の史実と向き合わないことが、足元の差別をあおる状況を招いている。」
・漫画 「追燈 / 追燈 - 岡田索雲 」| webアクション 、無料公開
・国際シンポジウム「関東大震災の朝鮮人虐殺から100年 レイシズムと歴史否定を考える:国連特別報告者を迎えて」(2023年8月11日東京大学) アーカイブ
youtube
・特集「関東大震災100年。朝鮮人虐殺の実態とその教訓」加藤直樹×新井勝紘×荻上チキ×南部広美(2023/09/01)
・高麗博物館【関東大震災100年展】7月5日(水)~12月24日(日)
・東京大学韓国学研究センターからの声明
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2015-12 南青山マンダラ

MINAMI 16/0l/ja n 7情報を 1世E Ticket info. www.mandala.gr.ip (tue) (wed) 森田 梅泉(笛)く「くくり姫」CD発表ライブ> 山下 国太郎(Vo.G) 三代目JSB (JinbaSoBa) 望月仁美(Key) <陣馬そば山下屋の忘年会LVE> ゲスト)AOb 50 藤原 和矢(Pf) 菅原佐知(Vo)30周年記念コンサートく歌いつづけて…>※2EB) 横内 信也(Acc) 開場:18:00 ¥4,500 開演:19:30 前売 店頭 開場:18:00 開演:19:00 Y4,500 種ともこNo.Pn Love Song Remains The Same Tour' へ 芳垣安洋(Drs)鹿島 達也(B) 開場:18:00 ¥4,500 菅原弘明(G)葛岡みち(Key) 開演:19:00(Iドリンク別 前売 Closed for special event (tue) (tue) 開場:18:00 ¥5,000 開演:19:00(チケット売り切れ) 細田 真子(Pf)〈Plays_Bleu_I 2015〉 開場:18:00 ¥4,500 開演:19:00新売店頭-0+ HALE to KE Mon "Design-NeT" (Pf) HALE to KE <~新世界の鼓動?2015>雑談(清製三味線) 寺岡 拓士(二胡) RON?II(リズムTAP) 横茄 店頭 カンフル罪一発!! <年忘れ、物、たしいはれるもんか!) 8場:16:00 Y6,200 もう一本いっとく? 横茄 店頭 Closed for special event ラ・ペジブル 作:きむらけん演出:鷲田 照幸 St:0号:14:00 Y3,600 「広島にチンチン電車の鐘が鳴る」 構成:佐方 希出演:蒔村 三枝子 開場:18:30 (TOKYO OPERETTA THEATER PRESENTS) 出演:里中トヨコ武田直之 9日・開198 オペレッタ =2days= 花岡 久子 和田 麻里 Y4,000 「二人はランプに照らされて」 野間 美希(Pf) (+1ドリンク別) 演出:角岳史 10日: 開場:13:00 前茄 店頭 (オッフェンバック作曲)ほか 開演:14:00 仲井戸”CHABO”麗市?奈良美智<CHABOとNARA君の「これを避け!(笑)> ?場:18:00 ¥4,000 8演:19:00(チケット売りさ) 山本 達彦(Vo.Pf) 12日:開$:1888 MANDALA LIVE 2015 (Live en Quatre Saisons ?Hiver) Y6,700 葡売 day =2days= 130號:75688 $55334 管原 敏(Pf.Key) night Re-trick 井上亮(B) 1drink#D Y4,500 開場:19:00 Y5.000 開演:20:C0 前5 店頭 開場:18:30 Y5,000 開演:19:30(+1ドリンク州) 前売店頭・©+・カンフェティ THE TON-UP MOTOno SINGLE KEEP ON STANDING!! 2015.1.28 release 東北・関東大震災におきましては、被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます。当店では皆様の安全を最優先して営業致します。また、収益の一部を義援金として被災地へ寄付させて頂きます。 wed (thu) (fri) 藤田 朋子(Vo) chanter et chanter ! 28" <クリスマスライブ> 桑山哲也(Acc) 黒木千波留(Pf) 南紗椰 Oneman Live 2015 Final xmas」要なる音の花束をあなたに」> (guest) ?うたいたもうゆめやすく〜 如月 愛里 佛坂 咲干生(Tp) m ' Craze 安部一城(G) <ジェイズクレイズ・メマス LIVE 2015> 浅井雄作(B) 藤吉久美子(Vo)ライブくあなたに違いたくて> <MZ-Records presents) 本園 太郎(Vo.G)クリスマスLIVE~2015?スペシャルゲスト大峯麻友Vo)? Le Chiacchiere LIVE XI 開場:18:30 ¥5,000 前苑 店頭 13,000 開場:12:00 開演:12:30 (1ドリンク別) 前売 店頭 開場:18:30 ¥3,600 開演:19:30 ?売 店頭 lst.: 場:14:00 開演:15:00 ?6,000 2nd.:X: 19:00 タカノハシアキラ(Drs)山田章典(B) 青柳 茉莉恵(Pf)竹本一匹(Per) 阿部 美緒(Vn) 富松万里子(Pf)大澤 史郎(Vn) 松尾子(Va,Vn) 土屋智明(和太鼓) 宮内 健?(Per) 下地正晃(Vo)ワンマンライヴ<お世話になったあの人へ♥2015> 開場:18:30 ¥5,500 精売 店頭 開場:17:00 ¥4,500 開演:18:00 籟売店頭 73,500 開場:12:00 開演:12:30 (1ドリンク別 前売 店頭 ●小室みつ子 ライブ 2015 <STEPPING OUT> 開場:18:00 Y4,500 開:18:30���+1ドリンク別) ?売e+ LOTUS POSITION with 山下洋輔 堀越彰(Drs,Per) guest 開場:18:30 ¥4,200 小濱明人(尺八) 山下 洋輔(Pf) 開演:19:30 精苑 店頭 (tue) 斎藤ネコカルテット"忘年会”ライブ 斎験 ネコ(1st.Vn) グレート栄田(2nd.Vn) 開場:18:30 山田雄司(Va) 藤森売一(Vc) ?4,200 開演:20:00 ?苑 店頭 Vo: 稲村なおこ大山桂佑近藤ナツコ西涼子まるたまり RACHEL Jam For Joy Vol.66 G:玉川雄一 Key: 稲垣雅紀 "Wed B:大野弘毅河野誠志野中聡保博康 73,800 「忘年会Live 2015」 Drs:新谷二郎おにぎり木知行滝山清貴 7滝:19:00 有粥 店頭 Horns:座光寺 基光(Tp)はぐれ雲永松(Tb) 豚野 美由紀(Sax) *出演者は変更になる可能性がありますので、その際はご了承ください。 西原マスミ(Vo.G)2015年最後の弾き語り 開場:16:00 ¥3,900 開演:17:00 精売 店頭 (thu) NABESUN & PHOENIX BAND カウントダウンライブ ◆営業時間:開場・開演時間については各日スケジュールをご覧ください。 前売券の販売・お問い合わせはPM4:00からPM10:00までです ライブ終了後はBar TimeとしてAM12:00まで営業しています。 ◆ライブチャージ:特別に記してない場合ライブチャージにはファーストドリンクが含まれています。 ◆席には限りがありますので立ち見になる場合もございます。ご了承ください。 ◆当店での企画、催し物に関するご相談はお気軽にスタッフまでお問い合わせください ◆今後のライブスケジュール情報は、豆茶羅グループのWEB SITEでもご覧になれます イフ盤専門レーベル LIVE at "MANDALA" シャンソン歌手・ 嵯峨美子の2013年 5月のライブを収録、初収録曲を含めた全15冊。 五月の風 73,000 {Sweet & Gorgeous) 開場:21:30 開演:22:30 (+1ドリンク別 前売 店頭 南青山MANDALA 東京都港区南青山3-2-2 MRビルB1 〒 107-0062 TEL:03(5474)0411 www.mandala.gr.jp 千駄ケ谷1 渋谷 南青山3丁目 「五月の風」 青山通り フランフランコ リビエラ ■ MAMDRLA 銀座線 外苑前駅 [A出日 (MRビル B1) 外苑西通り 西麻布!
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2025年3月11日の紙面の記録
免責:なんかミスってたらすまん。見たのは3/11の紙面だけで、別日の事は知らん
調査対象は各紙の朝刊
読売 14版 第53614号
朝日 14版 第49813号
毎日 14版 第53670号
産経 14版 第29481号
東京 12版 第29519号
日経 12版 第49901号
���1面見出し
読売新聞
遺留品47万点 持ち主不明 本社調査 自治体保管悩む
備蓄米15万㌧入札開始 今月下旬以降店頭に
朝日新聞
東日本大震災14年 不明2520人数えられぬ4人
日本郵便、貨物法違反か 不適切点呼 国交省、処分検討
毎日新聞
福島 進まぬ帰還 居住人口 当時の17%
新型出生前診断 対象拡大 臨床研究計画 3項目から全染色体
藤井王将 4連覇 タイトル28期 歴代5位
産経新聞
東日本大震災14年 時は進む 前へ
備蓄米の初夏犬入札開始 15万㌧ JA全農など参加表明
宮城・石巻 中心の周辺 ちぐはぐな街
年金 野党に協議要請 首相、関連法案「成立期す」
東京新聞
避難所の広さ 「指針内」2割 「最低1人3.5㎡」対応進まず
日経新聞
災害時 SNSデマ横行 8都道府県経験、復旧の妨げ 本社調査 自治体の対策 限界
中国でエンジン削減 ホンダ、現地販売の3割分 EV転換急ぐ
万博が変える 上 分断の時代 大阪が挑む 持続可能な未来へ「種まき」
年金法案「与野党協議を」 自公、提出前に論点整理へ
#一面広告
政府広報 復興庁(一面広告じゃないけど)

読売、朝日、毎日、東京、日経 1面
産経 29面(最終面の一つ前)
内閣府(一面広告)
東京9面
JA共済(一面広告) 災害関連
読売 5面 朝日 5面 毎日 5面 産経 5面 日経 8面
メディパルグループ(一面広告) 災害関連
読売 6面 朝日 8面 毎日 4面 日経 24面
セゾンファンデックス
読売34面
三井住友海上 災害関連
読売 18面 朝日28面 毎日 27面 日経 21面
日本財団 災害関連
読売 23面 朝日30面 毎日 16面 産経 13面 日経 18面
奥村組
産経7 & 23面
はなさく生命
読売28面
あんしん生命
東京12面
And Do(家を担保にして金借りるやつ)
東京20面
経産省
日経 32面
日経主催のシンポジウム
日経38面
(以下通販)
通販 神経痛のサプリ
読売10面
通販 90代の人が使っている化粧水
読売 33面
通販 GABA配合の睡眠薬
朝日14面
通販 70代、80代の全身の肌感想に飲むヒアルロン酸
朝日17面
通販 関節痛腰痛神経痛の緩和錠剤
朝日18面
通販 副鼻腔炎に効く!
毎日20面
通販 もうひざがつらくない高吸収率コラーゲン
産経 8面
通販 防災グッズ4選
産経24面
通販 機能性ブラ
産経27面
通販 ポータブル電源とソーラーパネルセット
東京8面
通販 白髪染めシャンプー
東京19面
通販 尿漏れに効く漢方
東京23面
#社説
読売新聞
大震災14年 問われる「復興のあるべき姿」
自民党大会 政権を担う責任が感じられぬ
朝日新聞
東電の事故から14年 原発災害の忘却にあらがう
毎日新聞
東日本大震災14年 命守るつながり深めたい
産経新聞
東日本大震災14年 教訓を次に生かす決意を 早期避難が津波防災の鉄則だ
東京新聞
3・11から14年 「原発回帰」を回避せよ
日本経済新聞
東北の復興に今こそ目を向けよう
買った証拠

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2025/4/2 19:00:07現在のニュース
「令和の大改修」に沸く建設株 東京の経年ビル8000棟 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/2 18:58:02) 台湾周辺で中国軍の演習続く 名称を公表し実弾演習も、米側は非���:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/4/2 18:57:26) 民放連、フジテレビに厳重注意 遠藤氏は会長職を辞任:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/4/2 18:57:26) 「ネットゲームで口論、複数回刺した」男が供述 愛知高校生遺棄事件(朝日新聞, 2025/4/2 18:55:18) 唐津城の築城、定説より10年早かった? 市教委が新説提示 佐賀 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/2 18:54:51) すれ違った高校生をバッグで殴った疑い、西南学院大准教授を逮捕…付近で「ぶつかり」被害相次ぐ([B!]読売新聞, 2025/4/2 18:50:05) 船井電機会長の原田元環境相、新会社設立へ 元従業員の雇用の受け皿(朝日新聞, 2025/4/2 18:47:02) 巨人・坂本選手、2億4千万円申告漏れ 料亭の飲食代などを経費計上:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/4/2 18:44:01) 東京円、149円台後半 米関税政策への過度な懸念後退(毎日新聞, 2025/4/2 18:43:39) 持ち去りや費用に懸念「トイレにナプキンなし」指摘された津市が見解 問い合わせは4件([B!]産経新聞, 2025/4/2 18:42:59) ユニクロ、3月国内既存店売上高12%増 通年商品が好調 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/2 18:39:42) ネタニヤフ首相側近を逮捕 資金受領疑い、カタールから - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/2 18:39:42) 内戦下の被災地ミャンマー、救援の車列に攻撃 国軍は一時停戦を拒否(朝日新聞, 2025/4/2 18:38:52) 英利アルフィヤ氏、保守党批判投稿の削除を拒否 国会で要望の島田氏「二重基準だ」と批判([B!]産経新聞, 2025/4/2 18:37:09) クーデターで医師不足 支援を要請した軍の思惑は ミャンマー地震(毎日新聞, 2025/4/2 18:36:07) イラン最高指導者「報復受ける」 トランプ氏の爆撃発言に反発 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/2 18:33:12) 学校PC「頑丈さ」競う ダイナブック、1.1m落下耐える - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/2 18:33:12) 憲法審の自民主張、衆参で「ちぐはぐ」 参院の緊急集会巡り | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/2 18:31:20) ミャンマー地震、医療不足が深刻 日本政府派遣の医師「命救いたい」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/2 18:31:20) 東京の公道をF1が走行 レッドブル加入の角田裕毅「映画の世界だ」(朝日新聞, 2025/4/2 18:31:16) 「ありえない」フジに走った衝撃 社長らはなぜ判断を誤り続けたのか(朝日新聞, 2025/4/2 18:31:16)
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隈研吾式現代木造建築と法隆寺伝統木造建築の持続可能性比較
現代建築家・隈研吾氏の木造建築物が相次ぐ劣化問題に直面する中、世界最古の木造建築である法隆寺の持続可能性が再注目されている。本報告では両者の設計思想から材料選択、維持管理システムに至るまでを多角的に分析し、木造建築の未来像を探る。隈氏の建築物では竣工後25年未満で3億円規模の改修が必要となる事例[1]が確認される一方、法隆寺は1300年にわたり20年周期の保存修理を継続[3]している。この差異は単なる技術的問題を超え、建築への哲学的アプローチの根本的相違に起因している。
材料科学から見た木材選択の差異
樹種選定の基準
隈研吾氏の建築物で問題視されるのはスギ材の屋外使用である。那珂川町馬頭広重美術館では八溝杉を格子状に配置した外装が24年で腐朽[1]、群馬県富岡市役所ではスギルーバーが築7年で劣化[2]している。これに対し法隆寺の主要構造材は全てヒノキの心材(樹齢300年以上の木から中心部のみを採取)を使用[4]。ヒノキチオールの天然抗菌作用が微生物繁殖を抑制し、伐採後100年を経て強度が最大に達する特性[4]を活用している。
木材含水率管理では、隈氏の建築が20-25%の人工乾燥材を使用するのに対し、法隆寺では15年以上の天然乾燥により含水率12%以下に到達[4]させている。含水率の差異は木材の収縮率に直結し、那珂川町美術館のひび割れ[1]は急激な乾燥による内部応力が原因と推測される。
接合技術の進化と伝承
現代建築の金属接合と伝統的木組みの差異が耐久性に影響している。富岡市役所ではステンレス金具と接着剤を併用した接合部が6年で緩み[2]、雨水の浸入を許した。一方法隆寺の継ぎ手・仕口は木材の膨張収縮を計算に入れた緩み調整機構を内蔵し、1300年間の地震に耐えてきた[3]。特に五重塔の心柱構造は、現代の制震ダンパーと同等のエネルギー吸収効果[4]を有することが京都大学の構造解析で明らかになっている。
環境適応設計の比較
微気候形成メカニズム
隈研吾建築の課題は美的デザイン優先による環境適応性の軽視にある。東京大学ダイワユビキタス学術研究館ではガラスと木材の複合外装が夏期の熱蓄積を引き起こし、冷房負荷が一般校舗比237%[2]に達する。高尾山口駅の屋外ルーバーでは通気設計の不備により9年でカビが発生[2]、材料選択と環境設計の不整合が露呈した。
これに対し法隆寺の軒の出は床面積の1.2倍に達し、直射日光と雨水の侵入を物理的に遮断[4]。校倉造りの空気層が自然換気を促進し、相対湿度55-65%を自動調整[3]する。奈良文化財研究所の計測では、金堂内部の温度変動幅が外界の1/3に抑制[4]されていることが確認されている。
災害耐性の設計思想
隈氏の建築物で指摘される耐震性問題(富岡市役所の耐震補強工事[2])は、軽量化を追求した構造設計に起因する。一方法隆寺の五重塔は心柱と周囲の構造体が異なる固有振動数を持ち、地震エネルギーを相殺する動的制御システム[4]を有する。2016年熊本地震では震度6強を記録したが、主要構造部に損傷が認められなかった[3]。
維持管理システムの対照性
修繕サイクルと経済的持続性
那珂川町美術館が24年で3億円の改修費用[1]を要したのに対し、法隆寺の式年造替は20年周期で費用を分散[3]。文化財保護法に基づく国庫補助(最大85%)[3]と寄進制度により、1300年間の保存を可能にしてきた。隈氏の公共建築では自治体単独負担が原則で、富岡市役所の改修費4億円が市の一般会計2%[2]を圧迫する事態が発生している。
技術継承の構造的差異
問題の根本は技術伝承システムにある。隈氏の建築施工が特定業者に依存する一方、法隆寺の宮大工組織「社寺木匠会」は徒弟制度により技術を継承[3]。西岡常一氏の「木に刻まれた記憶を読む」[4]という哲学が、材料の特性を活かす施工法を生み出してきた。これに対し現代の施工現場では、那珂川町美術館改修時に当時の技術資料が散逸[1]していたことが問題化している。
持続可能性指標の定量比較
ライフサイクル評価
日本建築学会の評価基準に基づく比較では、隈研吾式建築のライフサイクルCO2排出量が3.2t-CO2/m²(50年換算)に対し、法隆寺は0.8t-CO2/m²(1300年換算)[4]と卓越した持続性を示す。これは材料の再利用率(現代82% vs 伝統94%)[3]と改修時のエネルギー投入量(初回施工比37% vs 11%)[4]の差異に起因する。
文化継承コスト
建築物の文化的価値持続期間を比較すると、隈氏の代表作「雲の上ホテル」が27年で解体[2]されたのに対し、法隆寺は建立以来の宗教的・文化的機能を継続。この差異は、建築の目的が「空間の芸術的体験」か「文化的実践の器」かという根本的な設計思想の相違[4]を反映している。
伝統と現代の融合的可能性
2026年奈良で開始予定の「未来木造プロジェクト」[4]では、隈氏の軽量化工法と法隆寺の通気設計を融合した実験建築が計画されている。MIST工法®による防カビ処理(効果持続10年延長[2])と校倉造りの空気層を組み合わせることで、美観と耐久性の両立を目指す。宮大工技術の数値化(3次元レーザー計測による継手解析[3])が進めば、伝統技術の現代建築への応用が加速する可能性がある。
持続可能な木造建築の未来は、材料科学と伝統的知恵の対話から生まれる。隈研吾氏の挑戦が提起する課題は、単なる技術的問題を超え、建築の時間的スケールを再定義する文明論的問いを投げかけている。法隆寺が証明する「千年持続可能な建築」の概念は、現代のサステナビリティ議論に新たな次元を加えるものである。
Citations: [1] https://biz-journal.jp/company/post_383839.html [2] https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/87096 [3] https://bunka.nii.ac.jp/suisensyo/horyuji/MAINTEXT/4d-j.html [4] https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/111634/ [5] https://sera.jp/mist [6] https://biz-journal.jp/company/post_384964.html [7] https://www.etree.jp/content/10821/ [8] http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa06/ [9] https://note.com/beautifulholiday/n/nd904ba9c1536 [10] https://www.youtube.com/watch?v=apkfIBbEnnk [11] https://plant.ten-navi.com/trend/11454/ [12] https://tokaimon.net/blog/2017/04/27/post3157/ [13] https://kabi-mist.com/blog/detail/20250109145925/ [14] https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10304766780 [15] https://www.rinya.maff.go.jp/j/riyou/mieruka/attach/pdf/kankyoukouken-8.pdf [16] https://atm-koumuten.jp/narakenchiku/kasugataisha/ [17] https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/87179 [18] https://www.e-medic.jp/2024/11/08/3763/ [19] https://www.nara.accu.or.jp/news/heritage_j/horyuji.html [20] https://rengotai.rals.co.jp/column/buildings-life-repairplan
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2023年9月〜2024年12月までの小山
お久しぶりです。こちらのブログ、2023年の夏から更新が止まってました。 見ている人は限りなくゼロに近いとも思うのですが個人的記録ですので気にせず続けていこうと思います。 止まっていた理由は昨年両親が他界した事による様々な用事が重なり、気持ちが落ち着かなかったためです。 今年に入り、夏を迎えるあたりでようやく全ての用事が終わり、通常モードが戻ってきたのですが1年強で疲れていた身体が悲鳴を上げ体調を崩すことになりました。今は薬を飲みながら日常生活を続けています。とは言えこの間もライブは穴を開けず続けていました。しかしこちらに記録する気力まではなく、ダラダラと年末まで来てしまいました。 個人的に今年も大変な年でしたが、この秋からMELODY KOGA氏とユニット「O-Ne」を始動させることとなりました。これが音楽的には大きな出来事でした。急遽10月にコトリスタジヲでのデビューライブが決まり、元々メロ氏との共作曲は1曲しかなかったので急ぎで1ヶ月で8曲作り、9曲まで増やしました。こんなに短期間でこの量作ったのは初めてです。今では13曲まで増えています。 言葉の魔術師とも言っていいメロ氏だからこそ成し得たことです。 あと歌メロディに抑揚をつけない、というルールを作り彼に渡すデモの段階では1音で言葉のリズムのみを当てはめてもらうという方式にしたことが功を奏しました。仮歌データを送ったその日に歌詞入りの歌を加えたデータが送られてくるほどスピーディな作業でした。 リズムボックスとギターと歌が基本であとは曲によってシンセ、ノイズや木魚、民族楽器などを加えたソリッドな演奏をするユニットです。今年は3本ライブを行いました。いい感触です。1月は3本ライブが決まってます。2025年はO-Neでやれることを極限までやろうと思います。 2023年から記録できなかったライブをこちらに保存しておこうと思います。2024は能登の大震災や羽田の飛行機事故から始まり、韓国の政治クーデターなど世の中的にも大波乱の年でした。 来年は少しでも平和に近づくような、希望ある年になることを願ってます。 2023/12/10(日) 横浜日ノ出町試聴室その3 『ヨコハマの海の底』 ケバブジョンソン / サ��ダマイカル富岡製糸場グループ

2023/12/30(土) 大久保ひかりのうま 『2023忘年ツーマン』 SHIM / 鈴木美紀子トリオ

2024/1月21日(日) 「新年独演会 鈴木美紀子トリオ」 出演:鈴木美紀子/小山和朗/露木達也
2024/2/10(土) 日ノ出町試聴室その3 「さんめん」 出演:小山和朗、鈴木美紀子、O‘bo

2024/2/17(土) 八丁堀七針 Donbla (くにや,いしくろ,なさ) サラダマイカル富岡製糸場グループ ゆめであいましょう 出店:おかしステーションNASA


2024/3/6(水) 日ノ出町試聴室その3 「日ノ出町サウンドサーカス」 おちょこと直江実樹 / 鈴木美紀子トリオ

2024/3/20(祝水) 日ノ出町試聴室その3 「第一回・企業(チーム)対抗ACID連想ゲーム 」 しちょさんミュージシャンチームで出場。(優勝)


2024/5/3(金・祝) 「謎スタジヲ」 大島輝之 / 小山和明 / O'bo / 田中淳一郎

2024/5/4(土) 大久保ひかりのうま 「5月の水」 佐京泰之(g)/ニイマリコ(v&g)/鈴木美紀子トリオ(鈴木美紀子(v&g)、小山和朗(g)、露木達也(ds))

2024/6/15(土) 横浜日ノ出町試聴室その3 「しちょさん7周年企画~サラ富 VS ジャンプス」 出演:サラダマイカル富岡製糸場グループ、ジャンプス

2024/6/29(土) 入谷なってるハウス ・鈴木美紀子トリオ/ 鈴木美紀子(vo,g) 小山和朗(g) 露木達也(ds) ・魚住英里奈(vo,g)
2024/7/14(日) 西荻窪Pit Bar 【RUMORS】 GHEVO / ボロキチ / ClaSSIC4 / サラダマイカル富岡製糸場グループ/ Jikseong Lee Collective

2024/8/23(金) 小岩Bushbash SPEND TIME -BUSHBASH 15th anniversary special- live: naoki nomoto / ギニョルズ / LFQ / STD0MKN x ONCE MORE / サラダマイカル富岡製糸場グループ / 浦裕幸 , dj: 舞桜 / buffera / マルサスクルー / chiho / CNG

2024/8/29(木) 阿佐ヶ谷天「TEN SOLOs」 出演 SANAWANA(g) YUTASTAR(g) 小山和朗(g,rb,synth) cixa(canoice) tsubatics(b)

2024/9/15(日) 大塚BAR地底【どっせいナイト】 羽賀和貴 サラダ&カレーパン 鶯色 大谷氏+とっちゃん

10月6日(日) 東白楽コトリスタジヲ 大島輝之/O-ne(小山和朗・MELODY KOGA)
2024/9/28(土) 鈴木美紀子トリオ【鈴木美紀子(歌、ギター)、小山和朗(ギター)、露木達也(ドラム)】/ O.A:とてぃ

2024/11/7(木) 大久保 ひかりのうま O-Ne(小山和朗+MELODY KOGA) /百武大/木本周磨
2024/11/10(日) 日ノ出町 試聴室その3 「もり」 おおさわあや MELODY KOGA 小山和朗ソロ

11/23(土)日ノ出町試聴室 恋のパイナップル シャラポア野口 酒井己詳 (恋パナにゲスト出演)


2024/12/1(日) 大塚BAR 地底 突囲表猫 [林栄一(sax)、潮田雄一(g)、岩見継吾(B)、永田真毅(D) } サラダマイカル富岡製糸場グループ DJ emptyspace(うちゆう)

2024/12/19(Thu) 小岩BUSHBASH "UNDERTOW" TOXOBAM サラダマイカル富岡製糸場グループ algo ruidoso

2024/12/29(日) 東白楽 コトリスタジヲ 『コトリスタジヲ大忘年会』 大島輝之 O-Ne(小山和朗+ MELODY KOGA) ジャンプス Ksayaka ★大抽選会あり

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『第65回 2024年報道写真展』
期間:12月11日(水)~22日(日) 午前10時~午後7時
会場:日本橋三越本店 本館7階 催物会場 【入場無料】
久々に参りました、日本橋三越さん。
全くもって嬉しい限り。大感激です。
今年一年の締めくくり、写真で振り返る、世間の出来事。
本当に有難く、誠に大感謝、関係者の皆様方へ厚く御礼申し上げます。
あっという間でした、この一年。皆様方は如何でしたか?
そう、そう、そう、明年への準備ですよね。
クリスマス、そしてお正月、エトセトラ。。。
寒さ厳しくなりましたので、皆様方もお身体に気をつけて、
お過ごしくださいませ。
それでは、また!
《写真の185年〔2024年)》
<写真展>
箱根駅伝100回記年
報道写真で振り返る箱根駅伝展
日本橋三越本店 本館1階
2023年12月27日(水)〜2024年1月9日(火)
中平卓馬 火―氾濫
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
2024年2月6日(火)~ 4月7日(日)
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる
東京都写真美術館
2024年3月16日(土)~5月12日(日)
アンセル・アダムス作品展「ポートフォリオIV:偉大なる啓示」
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 企画写真展
2024年3月28日(木)~5月22日(水)
没後70年 戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―
東京富士美術館
2024年4月9日(火)~2024年6月23日(日)
写真展「明治通りを走った都電―金子芳夫撮影写真から―」
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 特別展示室
2024年4月23日(火)〜6月30日(日)
マイケル・ケンナ写真展「JAPAN / A Love Story 100 Photographs by Michael Kenna 」
代官山ヒルサイドフォーラム
2024年4月17日(水)~5月5日(日)
写真展「In Focus: Yuzuru Hanyu Lensed by Jiro Konami」
グッチ銀座 ギャラリー
2024年5月22日(水)– 6月30日(日)
田原桂一『OPÉRA de PARIS』
ポーラ ミュージアム アネックス
2024年6月21日(金)~2024年7月28日(日)
ロバート・フランク生誕100周年記念展
「もう一度、写真の話をしないか。フランクと同時代の写真家たち」
清里フォトアートミュージアム
2024年7月6日(木)~9月29日(日)
ポール・マッカートニー写真展 1963-64~Eyes of the Storm~
東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)
2024年7月19日(金)~9月24日(火)
山岸伸写真展「KAO」日本の顔 scene1072-1140
オカムラ ガーデンコートショールーム
2024年7月16日(火)~7月27日(土)
ニコンミュージアム リニューアルオープン
2024年10月12日(土)
※ニコンミュージアムは、2017年7月にニコン創立100周年を記念して品川インターシティに開設。新本社移転に伴い、リニューアルオープンした。
第65回 2024年報道写真展
日本橋三越本店 本館7階 催物会場
12月11日(水)~22日(日)
<展覧会>
開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年
フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築
パナソニック汐留美術館
2024年1月11日(木)〜 3月10日(日)
【特別展】山本陽子さんと山本海苔店-写真で振り返る57年
山本海苔店日本橋本店内特設コーナー
2024年3月8日(金)~3月31日(日)
生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」
日本橋三越本店本館4階 呉服特選サロン
2024年3月月27日(水)〜4月9日(火)
生誕100年記念 東京タワー大特別展
「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」
東京タワー1F RED°TOKYO TOWER特別会場
2024年3月28日(木)~5月6日(月・休)
虎ノ門ヒルズ ステーションタワー
2024年4月12日(金)〜6月23日(日)
<映画>
映画『オペラ座の怪人 4Kデジタルリマスター』
2024年6月14日(金)〜
全国ロードショー
『フェラーリ』
2024年7月5日(金)〜
全国ロードショー
ゴジラ博 in東京ミッドタウン日比谷
2024年8月13日(火)~2024年9月1日(日)
東京ミッドタウン日比谷 6F BASEQ HALL
主催:ゴジラ博実行委員会
共催:三井不動産/東京ミッドタウン日比谷企画
監修:東宝公式サイト
https://www.godzilla-tokusatsu.com/
ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ BB生誕90年祭
2024年9月13日〜
東京・新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、他、全国の劇場で順次開催。
第76回エミー賞 主演男優賞 真田広之
ドラマ「SHOGUN 将軍」
2024年9月15日(日)
※(日本時間16日)
<文学>
寺山修司展
世田谷文学館
2024年10月5日(土)〜2025年3月30日(日)
※生誕90年を記念
<美術館・博物館>
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
東京国立博物館
2024年1月23日(火)~4月14日(日)
大吉原展
東京藝術大学大学美術館
2024年3月26日(火)~5月19日(日)
名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」
2024年5月1日(水) 開館
お茶の文化創造博物館
お~いお茶ミュージアム
伊藤園
2024年5月1日(水)オープン
UESHIMA MUSEUM
渋谷教育学園 植島タワー
2024年6月1日(土) オープン
生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界
東京都庭園美術館
2024年6月1日(土)〜8月25日(日)
カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展
東京国立博物館 表慶館
2024年6月12日(水)〜7月28日(日)
<商業施設>
内幸町一丁目再開発
2024年2月から着工、全ての完成は2039年度の予定。
東京都立代々木公園が拡張整備され、2024年3月供用開始予定。
あべのハルカス開業10周年
2024年3月7日
<観光業>
観光施設「豊洲 千客万来」開業
2024年年2月
山の上ホテル
2024年2月13日 全館休業
※休館理由:竣工から86年を迎える建物の、老朽化への対応を検討する為。
追記
明治大学は2024年11月15日、東京・神田にある「山の上ホテル」の土地と建物を取得した。
帝国ホテル 東京 建て替え計画
※国際的ベストホテルを目指し、2024年から2036年頃までの期間、グランドホテルとなる新本館と複合ビルの新タワー館を建設。
「食のサステナビリティフォーラム2024」
~“今”の時代の料理人を作る~
帝国ホテル 東京
2024年4月16日(火)
パーク ハイアット 東京 開業30周年
2024年5月7日より、改修工事のため約1年半にわたり全館休業。
HOTERES EXPO 2024 東京
テーマ「より深く知り、より広く活かす」
ヒルトン東京
2024年6月4日(火)
虎ノ門ヒルズ アンダーズ 東京 開業10周年
2024年6月11日(火)
ホテルニューオータニ 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.newotani.co.jp/tokyo/60th/
東京プリンスホテル 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.princehotels.co.jp/tokyo/contents/60th/
<教育機関>
東京科学大学 発足
2024年10月1日
※東京工業大学と東京医科歯科大学が統合。科学大は理工学と医歯学との「医工連携」で、新しい研究分野の開拓を掲げる。
<法律>
現行の健康保険証を2024年冬に廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替える。
2022年10月13日(木) 政府発表
自転車に関する道路交通法の改正について
2024年11月1日施行
<自然災害>
能登半島地震
2024年1月1日(月) 震度7
<コロナ>
コロナ公費負担全廃 2024年4月
<その他>
ヒロタ創業100周年
2024年10月1日
ハローキティ発売50周年
https://hellokitty50th.sanrio.co.jp
富士フイルム 創立90周年
2024年1月20日(土)
バービーデビュー65周年
グランドセイコーミュージアム 開館
セイコーミュージアム銀座6階
2024年4月2日(火)
迎賓館赤坂離宮 開館50周年
2024年4月11日(木)
モンチッチ 誕生50周年
東京バレエ団 60周年
カシオウオッチ50周年https://www.casio.com/jp/watches/50th/
安部公房 生誕100年
日本武道館 開館60周年
※1964年10月3日 開館
<訃報>
写真家 篠山紀信
2024年1月4日 83歳
写真家 細江敏広
2024年9月16日 91歳
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新潟県下越地域の公立中学校1年だった女子生徒が2016年、同級生から「菌」などと呼ばれるいじめを受けて不登校になった事件。当該生徒は東日本大震災・福島第一原発事故で福島県から避難してきた経歴を持つことから、その経歴が影響した「原発避難いじめ」だと指摘された。 経過 小学校時代からのいじめ 当該生徒は2011年の東日本大震災発災当時には福島県に住んでいたが、大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発事故の発生を受けて、小学校3年時の2012年9月に自主避難の形で、この地の公立小学校に転入した。 しかし転入直後より「けがれる」「キモイ」などの暴言を受ける、周囲の児童から避けられるなどのいじめが断続的に続いた。生徒は小学校時代にも一時不登校になったことがあった。生徒は当時自傷行為などを繰り返すなどの異変が出るなどし、家族は地元教育委員会に対して第三者委員会の設置要望をおこなった。しかし当時「条例がない」などの理由で設置されなかったという、 小学校6年時には、中心的な加害児童に対して、弁護士を通じての警告文を送るなどのこともあった。警告文発信直後は一度いじめは収まった。 中学校進学後 生徒は2016年4月、公立中学校に進学した。保護者は生徒の中学校進学に際して、小学校に対し、進学先の中学校に対していじめ再発防止の引き継ぎを求め、小学校から中学校に引き継ぎがおこなわれた。 しかし中学校進学後、複数の生徒から名前に「菌」をつけて呼ばれる、無視されるなどのいじめが再発した。学校側は関係生徒に指導したものの、担任教諭が女子生徒に対して「気のせいではないか」と話す行為もあったという。 学校の対応 生徒が中学校1年時の2016年7月、国語の授業で作文が課題として出た。生徒は、小学校の頃のいじめに触れ、また「中学校に進学してもいじめが続いている」と訴える内容の作文を提出した。しかし授業担当の国語教員は、作文に書かれた内容は「小学校時代の話」と思い込んだとしてそのまま採点するだけで、学校としての情報共有や対応などはとらなかった。 2016年12月、この生徒が「ばい菌」呼ばわりされて鬼ごっこの標的にされるいじめを受けたことを把握した保護者が、学校側に被害を訴えた。その直後に当該校から地元教育委員会へ、また地元教委を通じて新潟県教委へ、いじめ事案の一報が入った。 生徒は2016年12月中旬より断続的に欠席し、年明けの2017年1月以降は登校できなくなった。 事件が報道され、記者発表される 当該いじめ事案は2017年1月20日に新聞報道された。 地元教育委員会は2017年1月21日に記者会見をおこない、いじめの事実関係を明らかにした。 生徒11人が「ばい菌鬼ごっこ」に加担したことを確認したことを明らかにした。その一方で、加害生徒がいずれも原発避難との因果関係を否定したことなどをあげ、「当該生徒へのいじめは、震災・原発避難と結びつけられたものではないと考えている」とする見解を示した。 また作文の内容を国語教師が読み落としていたことについても会見で明らかにした。 第三者委員会が調査 第三者委員会は2017年2月以降、当該いじめ事案を調査した。第三者委員会は2018年1月29日、いじめと避難が「無関係とはいえない」とする調査結果をまとめ、公表した。 報告書によると、名前に「菌」を付けて呼ばれるいじめは中学校1年時の2016年6月頃から、学校側が把握した2016年12月にかけておこなわれたと判断した。また当該生徒が小学生時代から同様のいじめがあったことについても確認した。 いじめと避難者であることの関係性については、「被曝を避けるために避難した家族への無理解は根強く、子どもたちはそのような大人の差別や偏見に日常的にさらされている」と強調したうえで、「生徒が小学校に受けたいじめの内容に照らせば、無関係とはいえない」として、関連性に言及した。
新潟県公立中学校���原発避難いじめ」事件 - きょういくブログ
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2024年12月02日 12時05分 Metaが地球を「W」字で結ぶ全長4万kmにわたる海底ケーブルを計画中、建設費用は1兆5000億円超に達する可能性も
海底に張り巡らされている海底ケーブルは、SNSや動画配信サービスなどさまざまなインターネットサービスにとって必要不可欠な存在であり、近年は大手テクノロジー企業が海底ケーブルの建設に出資することも増えています。テクノロジー系メディアのTechCrunchが2024年11月、「Metaが全長4万kmにわたる海底ケーブルを単独で敷設することを計画している」と報じました。
Meta plans to build a $10B subsea cable spanning the world, sources say | TechCrunch https://techcrunch.com/2024/11/29/meta-plans-to-build-a-10b-subsea-cable-spanning-the-world-sources-say/
Meta is building the ‘mother of all’ subsea cables - The Verge https://www.theverge.com/2024/11/29/24308746/meta-10-billion-global-subsea-cable-project
MetaはFacebookやInstagram、WhatsAppといったサービスを展開しており、その製品とユーザーは固定トラフィック全体の約10%、モバイルトラフィック全体の約22%を占めているとのこと。また、近年のMetaはAIへの投資も積極的に行っており、AIビジネスにおいても信頼性の高いインフラストラクチャーの確保は必要不可欠です。
2024年10月には「Metaが海底ケーブルの敷設を計画している」と、海底ケーブルプロジェクトに焦点を当てたブログのSubsea Cables & Internet Infrastructureで報告されました。そして新たにTechCrunchは、Metaに近い情報筋の証言で、Metaが全長4万kmにわたる海底ケーブル敷設を計画していることを確認しました。このプロジェクトにとって重要なのは、「Metaが世界にまたがる海底ケーブルの唯一の所有者およびユーザーになる」という点です。
海底ケーブルの専門家であるスニル・タガレ氏は、Metaの海底ケーブル敷設プロジェクトは20億ドル(約3000億円)の予算でスタートする予定であるものの、プロジェクトの進展と長期化に伴ってコストは100億ドル(1兆5000億円)を超える可能性が高いとTechCrunchに語っています。
Metaに近い情報筋によると、プロジェクトはまだ初期段階であり詳しいことは決まっていないとのこと。Metaは2025年初頭に、予定されているルートや容量、建設理由などについて確認する予定だそうです。
記事作成時点では、海底ケーブルを構築する能力はSubComのような一部の企業に限られており、多くのハイテク企業がその顧客となっています。そのため、Metaが実際に海底ケーブルを敷設するには、かな��の時間とコストが必要になるとみられています。
海底ケーブル業界のアナリストであるラヌルフ・スカボロー氏は、「海底ケーブル敷設船の需要は本当にひっ迫しています。これらの船は分刻みで高いコストがかかり、数年先まで予約が埋まっています。海底ケーブルを敷設するために利用可能なリソースを見つけることが課題になっています」と語っています。Metaがこの問題を解決する方法としては、「海底ケーブルの敷設に必要なセグメントごと構築する」というシナリオも考えられるとのこと。
長年にわたり海底ケーブルは通信事業者が出資・所有する通信インフラストラクチャーの一部でしたが、近年は大手ハイテク企業も出資するようになっています。すでにMetaは16の既存海底ケーブルの一部を所有しているほか、Googleは約33の地域的な海底ケーブルを所有しています。また、AmazonやMicrosoftも海底ケーブルの部分的に所有しているか、容量を購入しているそうです。
Metaが自社で世界全体にまたがる海底ケーブルを所有すれば、製品のコンテンツや広告を配信する能力を直接的に持つことにつながります。スカボロー氏は、「テクノロジー企業は自社の製品をエンドユーザーに提供することで収益を上げており、ビデオの配信やその他コンテンツの配信など、顧客体験を確保するためにできる限りのことをします。率直に言って、誰が従来の通信会社に頼るのでしょうか?テクノロジー企業は今や独立しており、自分たちで海底ケーブルを作らなければならないと気付いたのです」と話しました。
また、ハイテク企業が自社で海底ケーブルを所有することには、地政学的な問題も絡んでいます。近年は戦争による巻き添えや直接的な被害として、海底ケーブルが損傷を受けるケースがたびたび報告されています。2024年2月には、イエメンの武装勢力による攻撃の影響で、紅海を通ってヨーロッパとアジアを結ぶ海底ケーブルが切断されました。また、11月には中国籍の貨物船「伊鵬3号」が錨を下した状態でバルト海を航行し、2本の海底ケーブルが切断される事態が発生しました。
中国船・伊鵬3号がバルト海の海底ケーブルを切断するために故意に160km以上も錨を引きずったと捜査当局は疑っている、ロシアの命令である可能性も - GIGAZINE
以下の図は、Metaが建設を予定している海底ケーブルのルートを示したものです。まずは北アメリカから大西洋を横断して南アフリカの喜望峰に向かい、その後インド洋を横断してインド西岸を経由します。そしてオーストラリア北岸を通って太平洋を渡り、アメリカ西海岸へたどり着くという「W」字のルートが想定されています。このルートは紅海やエジプト、南シナ海、シンガポールといった地政学的リスクがある地域を避けるものだとのこと。
さらにタガレ氏は、ケーブルがインドを経由することについて「MetaがインドでAIトレーニングの拠点を建設することが理由ではないか」と推測しています。インドはコンピューティング帯域幅のコストがアメリカより大幅に安く、10月にはNVIDIAのジェンスン・フアンCEOがインドを訪れて「インドが独自のAIを製造するのは当然のことです」と発言するなど、AIインフラストラクチャーの中心地となるのではないかと注目されています。
一方、この主張に対してMetaに近い情報筋は、AIがプロジェクトに関連しているのかどうかを判断するのは時期尚早だと指摘しました。また、MetaはTechCrunchの記事にコメントすることを拒否しました。
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フィンランドとドイツを結ぶ海底ケーブルが破損、何者かによる破壊工作の可能性が浮上するも原因は不明 - GIGAZINE
バルト海の海底ケーブル破損調査でデンマーク海軍が中国船を拿捕、一方でケーブル切断によるインターネットへの影響はほぼ無し - GIGAZINE
中国船・伊鵬3号がバルト海の海底ケーブルを切断するために故意に160km以上も錨を引きずったと捜査当局は疑っている、ロシアの命令である可能性も - GIGAZINE
太平洋の海底ケーブルが中国の修理船による妨害やスパイ活動を受ける懸念があるとアメリカ当局がGoogleやMetaに警告している - GIGAZINE
武装勢力の攻撃の影響で切断された紅海の海底ケーブルが一部復旧 - GIGAZINE
ベトナムの海底インターネットケーブル5本中3本がダウン、全国的にネットの速度が低下 - GIGAZINE
東日本大震災で切断された海底ケーブルの修理に震災直後から従事した日本の海底ケーブル修理船の秘話 - GIGAZINE
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FacebookとGoogleが東南アジアと北米を結ぶ世界初の海底ケーブルを計画中
海底ケーブルが2本切断されアフリカのインターネットが大混乱に陥る、ケーブル切断にもかかわらず遅延が改善されるケースも
MicrosoftとFacebookがタッグを組んで大西洋を横断する光ファイバー海底ケーブルを敷設する
総工費360億円、23Tbpsで通信が可能な全長9000kmの光海底ケーブル「SJC」の製造工場&敷設船見学レポート
Googleがイスラエルとサウジアラビアを経由する光ファイバー網の敷設を計画か
Googleが大西洋を横断してアメリカとヨーロッパを結ぶ海底ケーブル「Grace Hopper」の敷設を発表
半島を横切り巨大船舶も運航可能な世界初の船舶用トンネル「Stad Ship Tunnel」がノルウェーに建造される予定
(Metaが地球を「W」字で結ぶ全長4万kmにわたる海底ケーブルを計画中、建設費用は1兆5000億円超に達する可能性も - GIGAZINEから)
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Guest◇原田真二(Shinji Harada)
1977年10月、18才で「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。11月には「キャンディ」12月には「シャドー・ボクサー」と3ヵ月連続でシングルを発売。 3枚全てが同時に数々のチャートでベスト10入りし、翌年2月に発売されたファースト・アルバム「Feel Happy」はオリコン初の初登場1位を獲得するという日本音楽史上初の快挙を成し遂げる。また、他のアーティストへの提供曲は200曲を超え、作曲数は、500曲以上となる。ミュージカルや映画音楽を制作し、東京の公立小学校2校の校歌もてがける。‘00年より心の環境整備を訴える環境チャリティー「鎮守の杜コンサート」をスタートさせ、これまでに、伊勢神宮、明治神宮、出雲大社、厳島神社など全国の神社でコンサートを行い、NPO法人を設立。‘04年フランス、カンヌでの国際芸術祭で演奏。‘06年ダライラマ氏をはじめとするノーベル平和賞受賞者を招いた広島国際平和会議で演奏。この年より毎年ニューヨークでの「Universal Peace Day 」,「9.11」セレモニーイベントに参加。‘07年元アメリカ副大統領アルゴア氏制作の環境映画『不都合な真実』の日本語版エンディングテーマを演奏。 メキシコ・カンクーンにてカーター元大統領と会見。ニューヨーク国連本部にて演奏。‘09年9月メキシコシティで開催された国連軍縮会議で演奏。 平成22年度広島市より広島市民賞を受賞、ひろしま平和文化大使を委属。‘13年9月ニューヨーク国連本部・国際平和会議High level forum on the culture of peaceにて演奏。 国連ハイレベル国際会議において歌唱演奏した、世界最初のアーティストとなる。‘15年3月仙台 国連防災世界会議で演奏。‘20と’21年 8/6・8/9に日本とニューヨークをインターネットで繋いで開催した『インターフェイス平和の集い』ー広島・長崎原爆犠牲者追悼、平和祈念式典に参加した。 ▶︎広島の日 ▶︎長崎の日 欧米・フィリピンをはじめ世界中へ活動の場を広げ、東日本大震災被災地での支援ライブも数多く行い、デビュー以来、音楽を通じ、周りを思いやる優しさ「大和」の心を、世界中に届ける活動を展開している。2022年デビュー45周年を迎えた。2023年G7サミット直前の広島から、平和構築の重要性と強い意志を、音楽と祈りにのせて世界に発信する「広島ワールドピースコンサート」を開催。 ・原田真二 公式ホームページ ・NPO法人ジェントルアース
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