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宇宙は回帰の繰り返し
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pekuto · 27 days ago
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あけましておめでとうございました
この年越し連休は結構ギターを練習しました。おかげでギターを弾く身体が大分戻ってきた感じはありますが、でも若い頃の弾き倒していた頃の感覚は流石に戻りません。まあ、弾き倒していたのはもう25年以上も前の話なので、1ヶ月やそこらで戻るはずもなく。
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練習はやっぱりコピーです。スケール練習的な事も少しはやりますが、なんと言っても YouTube 動画のコピー。海外のヴィンテージギターショップが楽器のデモ演奏を地元の達人を使ってアップしているのが、これが手がまるまる見える素晴らしい教材な訳です。音もくっきりはっきり聞こえますし、これを真似しない手はないという。
アメリカのローカルカントリープレイヤーの演奏がこんな身近で見れるなんて、なんて良い時代になったんだと思います。皆んな、ホント上手いしカッコいいんですよ。若い頃にこれだけ情報量があれば、もっと違った練習ができて、もっと上手になれただろうな〜、なんて思う訳ですが、まあ、仕方ないす。
エレキとアコギと二種類やりましたから、結構な分量で腕と肩がじんじんしてますけども、やっぱり楽しいです。とりあえず、こうやってまとまった時間、ギターを弾けるのも年末年始だけなので。
今年はなんとか自分の曲のギター入れをやれたらと。ギター入れをやるなら、介護期間ですっかりふにゃふにゃになった身体をもう少し戻したいので。今の状態じゃちょっと・・です。普段ギター弾いてない奴がギターを弾いても、コイツ弾いてねーな、て一発で分かりますもん。楽器なんてギターに限らず、全て身体から鳴らせない奴は偽物。あなたも偽物。私も偽物。ああ、そのまま、バレバレのまま。
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pekuto · 30 days ago
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Martin D-41 を買いました
今、自分が作っている音楽は、ざっくり、古いギターの音を今のシンセ音楽に適応させる事がテーマになっているのですが、シンセの音に合わせてアコギの録音をしていますと、どうも最後の最後で自分の思う所に音が収まらず、これまた色々困ってしまうのでした。音楽を復活させた頃はギターは、エレキもアコギも、若い頃に使ってきた物で事足りるだろうと思っていたのですが、やっていくうちに、特にアコギに関してはどうもそうでもなさそうという感じになってしまうのでした。
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その時まで、使っていたアコギは1952年の Gibson J-45、1934年の Martin 0-17 がメインで、それに1928年の Gibson L-3、1971年の Martin D12-20 のイレギュラー系が控えており的なそんな感じ。自分がアコギを買い揃え��30年前は、オルタナギターロック的な方向の音楽がやりたくてこうなったのですが、要するにマホガニー系で揃えてしまっている訳です。マホガニーは音を吸収する性質の材で、低域がホロ馬車風味のほろほろとした柔らかい印象の音になるのが特徴で、自分はこの質感の音を物凄く気に入っていたのですよね。でもその音は、今時のシンセで作るキックの音と合わせる際、結局どちらかの印象を変えていかないと印象の揃った音は作れないということが、段々分かってきたのでした。
キックを今風のぱつぱつした感じにしてしまえば、ヴィンテージ・マホガニーのほろほろした低域の味は、全く印象として残らない混じり方になってしまいますし、逆にマホガニーのほろほろした低域の印象が際立つようにキックの音を作ると、これはもうシンセ音楽にはほぼほぼ聞こえず、普通のマスロック・インスト的な音楽に聞こえてしまうのです(それは本意ではない)。
最初はマイクを変えたり、プリアンプを変えたり、EQ も変えたり、キックの音色を加工してみたり、色々やってみたのですが、結局これはもうマホガニーではないのでは?という感じになってしまったのでした。自分が大好きだったマホガニのほろほろした低域が今風のシンセ音楽とこうまで相性が悪いとは、夢にも思っていませんでしたね。
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こうなるともうシンセの低域に合うギターの低域はローズの低域なんだろうと。ローズは音を跳ね返す性質を持った材なので、輪郭の滲まない音に特徴があるのですが、それにエボニーのブリッジと指板とを組み合わせて使うと良い感じに低域に厚みが加わって、それが今風のキックの音に合いそうだと。ローズのサイド・バックでエボニーのブリッジ、指板のギターは何と言っても D-28 です。28 かぁ、と。
D-28 は、ヴィンテージの物を買おうとすると高いんですよ。30年前ですら60年代の物でも70万円近いお値段でした���で、令和の時代にはそれは余裕で180万円です。90年代〜00年代の D-28 は買える��値段で自分も持ってはいるのですが、ダメな楽器ではありませんが、1934年や52年のギブソンと一緒に使うには微妙で、何のかんので使わないのです。なのでとりあえず買えそうな感じの良いローズのアコギを別で探してみることにして調べてみると、20年前からちょこちょこ買い物をしていたお茶の水の某ギター屋さんに、トップ板の穴空き補修、膨らみ補修、その他数多の補修歴のあるダメージ系1973年の Martin D-41 が、なんと自分の買えるお値段で出ているではありませんか。D-41 は、そういえばそれまで自分はちゃんと弾いたことがなく、これは一回弾いてみようということで日曜日にお店に出向いて弾きました。
Martin の40番台は、個人的には若い頃に成金趣味の大人たちが好き好んで使っている楽器という先入観があって、ほぼほぼ食わず嫌いでこの歳まできてしまっていたのですが、弾いてみれば、なんとこれはそんな食わず嫌いで避けて良い系の楽器では全くありませんのでした。所謂 D-28 の音とも全く別の重厚感で鳴っており、どうも自分は無意識にこの楽器の音を追い求めてずっとギターを弾いていたのでは?というくらい、これは自分の人格形成期に深く刷り込まれたアコギの音そのものなのでした。もう、びっくりしました。自分は40番台の本当の音を知らずにここまで過ごしてきてしまっていたのですが、若い頃の先入観は、本当ダメですね。
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こうなるとこれは買わないで人生終わる訳にはいきませんので、その D-41 を買って帰ってきて、自分のイメージするアコギの音が鳴るように今までの弾き方を変えながらその D-41 を鳴らす訳ですが、そうすると J-45、0-17 の弾き方も自然と変わって行きました。指の当て位置、角度、弾く強さ、楽器の抱え方、全て��微妙な弾き方を自分は今までやってきたのが、そこではっきり分かったのです。Gibson らしい、とはなんぞやと。オールマホガニーの Martin の癖はここにあるぞと。自分は結局ドレッドノートの音が好きなんだ、などなど、ありとあらゆるアコギに関しての自分の足りない要素が一気に炙り出されて、もろもろ解決の方向に向かうのでした。
なるほどー、これは人生のもっと早い季節に知りたかったですよーと思ってしまうと、普段あまり人生を振り返えらないのに自分の人生を振り返ってしまい、そういえば今まで出会った人は自分に何も言ってくれなかったな・・と思ってしまいました。自分の言われにくいキャラもあるのですが、結局、自分は人との出会い運が「からっきし」なんだということを、ここでも思い知らされてしまいましたね。自分はここでもまた機材に成長させてもらったという。そもそも他人が「お前の星回りならお前は機材を買え、がしがし買え」とはアドバイスできませんし、自分の星回りは自分で理解して自分に合ったやり方を見つけていくことでしか人生は回っていきませんよということなんだと思います。
D-41 を使って、それを弾いていればアコギの弾き方も徐々にですが改善され、その弾き方で今風のキックの音をあつらえたトラックに D-41 の音を録音してみますと、ローズの低域は目論見通りで、自分の意図したバランスでトラックに馴染んでくれるのでした。
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pekuto · 1 month ago
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ヴィンテージ・シンセに鞍替えした話
シンセですが、以前の状況からはガラッと変わり、現状はヴィンテージシンセと Random Source Serge 4U をメインにやっております。4年前までは自分がヴィンテージ・シンセやモジュラーをやることはないだろうと思っていたのですが、結局それまで使っていた A4mk2 や Hydrasynth などの現行シンセでは自分が上手く音を決めることができずに、その後Moog Grandmother などを買い足してみたり色々やってはみたものの、出来上がったトラックを3ヶ月後に聞くと「やっぱり違う」という感じになってしまい、そこで困ってしまった訳です。
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楽器のせいというよりは自分のウデなんだろうなというのを分かりつつも、自分としては当時の自分の力でやれる事はやり切っている感覚はあり、となると自分がまだ気がついていない感覚があるんだろうと。そうなると自分が気がついていない事にどうやって気がつけるようになるのかという話でしかなく、こうなるともう機材に頼るのが一番という感じなので、そうすることに。
もちろん他にも色々な方法はあるでしょうが、単純に自分のような「つまんない奴」は、例えばインナーサークル的なコミュニティーに所属して情報を得たりのようなことはとても難しく、仮に運良くインナーサークルに所属できたとしても、そこで必要な情報を得られるようには物事が進まず、結局最後は一人で頑張るしかなくなってしまうのです。
若い頃ですが、インナーサークル的な人間関係の中でいじられキャラを一生懸命演じても自分がいじられキャラになり切れずに人間関係で損ばかりしていた頃、「可愛がられる才能のない奴は飛び抜けるしかない」と自分にアドバイスをくれた友人がいました。要するに自分にインナーサークル村社会の中でいじられキャラをやっていく資質がないのは自他ともに認める所で、そこを克服することは、結局自分には叶わなかったのです。もっとも自分に飛び抜けられる才能があるとも全く思えませんでしたが、どちらかしか道がないなら、自分は飛び抜けられるようにやっていくしかないのか?という。男社会は残酷だなあとその時、思いましたけども。
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それはそれとして。自分は今気が付けていない事に一人で気が付けるようになるしかありませんので、とりあえず突破口を求めて YouTube で、例えばシンセのデモ動画も漁ってみる訳です。そしたら偶然 Korg の Polysix のデモ演奏の動画を見つけ、それに妙に自分が引っぱられてしまうのでした。自分、ヴィンテージシンセやるの?という躊躇が全くなかった訳ではありませんでしたが、それでも何かが引っ掛かるのです。なので少し調べたら、丁度原宿のお店に中古が出ているので、これは行って実物の音を聞いてみるしかないでしょ、という事でお正月休み期間でしたので、翌日開店と同時にお店に行きました。音を聞いた瞬間、もうこれですよこれ的な音が鳴るので、音作りの幅は狭そうだなと思いつつ、当時はまだお手頃なお値段でもあり、とりあえずこれで一度作ってみようとその場で買いました。
3ヵ月後、Polysix の整備が完了したとお店から連絡が入り、受け取りに行って、平日の夜でしたから帰って部屋にセットして電源を入れて音を聞いてウットリして、その日はそれだけで終わりましたけど、やっぱりワクワクする音なんですよね。そして週末にいよいよ自分の曲で Polysix を鳴らしてみるのですが、鳴らしたらなんと自分のアレンジに全然合わないのです。愕然としてしまう訳ですが、そこでミキサーの solo ボタンをクリックして Polysix だけを鳴らすと、これがまたウットリするような音が鳴る訳です。ああ、そうかと。そういう事かと。
結局、今まで自分が作ってきたシンセの音が全て自分が思う所とは別の重心で鳴っていた訳です。自分はシンセの音に関して「にわか」ですから、その微妙な違いに気が付けていませんでした。アコギの EQ も、そもそも録音の際のマイクの立て方すらも、その別の方向を向いたシンセの音に合わせてしまっている以上、ウットリする Polysix の音と揃うはずもなく。そこで、アコギの音を EQ で Polysix の重心に揃うように仮で位相をズラして、エコーも同じように位相を回してみたら、もうこれが自分の作りたかった音ですよ的な仕上がりの方向性が広がるのです。この時点で今まで2年��けて作ってきた3曲、全部シンセの差し替え、ギターの録り直しが決定してしまう訳ですけども。
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結局、昔のシンセはコンボ編成のギターバンドと揃う音の重心を出せない限り、当時の軽音楽で使ってもらえる事はなかったんだろうと推測できますし、なので昔のシンセで作れる音の重心は、そもそもギターバンド形態の音楽に、新しいシンセよりも適性があるのだろうと。自分の作ろうとしているシンセの音は、その古き良きコンボ形式のギターバンド編成にある重心に揃う音だった訳です。
今の新しいシンセで同じような古い時代のコンボ形式のバンド編成的な重心を出せないのかと言われると、自分はそれができる程シンセの達人ではありません、としか答えられません。シンセの達人ならできるのかもしれませんが。今のシンセを70年代の古いプリアンプを通して音作りをしても、80年代の古いコンプを通してみても、こと音の重心、編成の中で音の座る位置に関して、ヴィンテージシンセと同じ佇まいを作ることは自分には無理でした。
Polysix のおかげで自分の方向性に確信が持ててきたのと、シンセの音作りにもちょっと自信が持てるようになったのもあり、そこから Chroma Polaris、Jupiter6、CS15 と一気に昔のシンセを買い足して、今は後に買った Jupiter6、CS15、Polysix の3台と、その後に買う Random Source の Serge 4U を中心にやっていくようになりました。
古いシンセは今のシンセで当たり前にできる事ができない場面が多々ありますので、道具としての物足りなさはそれなりにあります。でも、とにかくヴィンテージのアコギと音の重心が揃えられる音の佇まいが、自分の音楽には絶対必要なのです。
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おかげさまで制作もそこそこ進捗し、自分の作りたい音楽が徐々に形になってきた所で、両親が二人同時に要介護認定を受けて自分が介護しなければならない状況になってしまい、諸々進捗が滞る期間が3年近くも続いてしまいましたが、最近やっと元の生活が戻りつつあり、良かったなと。介護は、まあ、ハードでしたよ。控えめに言って、物凄いハードです。
介護でストレスが爆発したのもあったでしょうか、そこから何を思ったか Random Source の Serge 4U でモジュラーシンセも初めてしまった訳ですが、その話はまた別の機会に。 
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pekuto · 1 month ago
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パッシブ・モニターのパワーアンプ
音楽を復活させてから、何から機材を揃えて良いかあまり分かっておらずでしたが、とりあえずモニターは大事だ大事だとプロの方々が散々口を酸っぱくして言われておられるのをネットで眺めていると、そうなのか~、という気分にはなりますよね。で、前使っていた物が2020年に壊れたタイミングで変えることにしたのです。その時、パワーアンプにピュアオーディオのMarantz PM-12 を買って、それを今も使っています。
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その時はプロオーディオの製品でこれは、というものが大体は予算オーバーで(ATC SCM20ASL Pro MK2 etc.)、となるとそれまで使っていたPMCをそのまま活かす方がまだマシだろうなと。Genelecも、買えない奴なら良いな~と思いましたが買えるのを聞くとやっぱり好きにはなれなくて、Focalはパス、ADAMも自分の環境で上手に鳴らせる自信もなく。
やっぱりPMC好きなんですよ。こういう系統の音にどうしても反応してしまうので、ATCはホント素晴らしいなと思ったんですが、諸々の事情で、あの時その60万が出せず。なのでPMCをそのまま活かしてパワーアンプだけ新調するかと。
で、そのパワーアンプは、実はD級にこだわってみたのです。前のアンプが壊れた時に代替えで使ったアンプが、安物ではありつつ実はD級で、その低域の素直さに感心してしまい、安物でもこんな低域出るの、D級凄いなとびっくりしたのがそもそもの始まり。その素直さのおかげで20〜30Hzの超低域の「向き」が見えて、それが自分にとってのミックス開眼をもたらしてくれた訳です。「向き」を揃えられると自分でミックスした音源をYouTubeにアップした時に、パソコンで再生した時とほぼ同じ印象で再生させられるようになり、そこで自分がそれまでの暗中模索の状態から一気に霧が晴れた感覚になれたのでした。その感覚でこんなに上手くいくなら、全て「その感覚」でいじりたい訳ですよ。元々D級は位相が動かない故の音のストレートさが、オーディオマニアには「面白みがない」と評される傾向があるくらい素直な位相を鳴らずアンプで、観賞用には欠点でもモニター用にはひょっとして最高なのでは?と。
実はパワーアンプだけを新調するか、或いはパワードの方に移行するかと迷っていた時、パワードでD級を採用しているreProducer AudioのEpic-5なんか良さげじゃないですか、と思ってEpic5を渋谷の某店舗に視聴しに行ったりしたのですよね。そしたらそのEpic5は肝心の20〜30Hzの音の位相が回転しているように聞こえてしまい、これじゃ「あの感覚」が使えない・・と思って帰ってからフッ○アップのサポートにメールをしたのです。その時、あちらが分かりやすいようにと、オーディオマニアが読むwebの記事を添付して、D級の位相特性がカップリングコンデンサなどにより意図的に動かされているのか、それとも単にパッシブウーハーが下向きだからなのかを質問してみたのです。そしたら「面倒臭い奴」��思われたのか、フッ○アップからの返答は「お疲れ様ですー、こちらも勉強になりましたー」でおしまい。まあ、こちらと無才の凡人老人なのでこういう扱いはいつもの事。相手がプロのミュージシャンなら別の対応をするんだと思いますが。
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気を取り直して、そこから海外サイトも沢山当たってみたのですが、何と当時Epic5を取り扱う小売店があまりにも少なくて(というかほぼゼロ)びっくり。あの頃の海外のモニター事情は、圧倒的にATCかBarefoot Soundで、あとはちょろちょろという感じ。Epic5が本当に良いなら、BarefootやATCの半値以上安いEpic5は海外でも絶賛されつつ使われるはずなんだがうーん、という感じになってしまいました。フッ○アップからの最悪の気分にさせてくれた返信も手伝って、結局ちゃんとしたパワードは50万は見ないとダメかと(当時)。ならパワーアンプだけを新調するのもアリだなとなって、それのD級を当たってみようとなりました。
で、今、国内でD級に力を入れているオーディオメーカーの最右翼がMarantzなのですよね。そのMarantzのフラッグシップより一つグレードの下のアンプPM-12が、丁度モデルの切り替え期で旧モデルの在庫分が安く買えるので、とりあえずCDを持ってPM-12の置いてあるお店を結構回って試聴してきました。そしたらそれが思っていた感じの音。これはイケる、という感じになって帰って、まあ、Marantzにもメールをしてみましたよ。低域の位相はどうなっているの?と。そしたら、Marantzはさすがピュアオーディオのメーカーだけあって面倒臭いジジイの扱いは圧倒的に手慣れており、何者にもなれなかったしょーもない凡人ジジイの長いメールにも、実に分かりやすい簡潔な返信が帰ってくるのでした。「PM-12で採用されているスイッチングアンプでは、低域の位相回転を発生することはございません。弊社設計のおけるカップリングコンデンサーによる低域の位相回転につきましては、実��否定できませんが、カップリングコンデンサーで発生する低域の位相回転は超低域であり(1Hz以下)、音質に影響するものではございません」という完璧なご回答。フッ○アップでめちゃくちゃ気分の悪い対応をされた後だけに、これだけでもう気分はアゲアゲです。
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PM-12を買って、設置したあとは電源ノイズやら壁の反射やら、前のアンプじゃ気にならなかった事が色々と気になりだし、コンセントの取り方やら吸音材やら、色々やるハメに。そこから普通にDAWを開ける状態に戻るまで2ヶ月以上はかかってしまいましたよ。
そしてある程度納得できる状態になったこのモニター環境でそれまでやってきた自分の作業を聞くと、ほぼ全部が失敗していることに気が付くのでした。例えばOzone9のEQなんかでも当てる場所、幅を間違えているのでフェイザーがかかってしまう感じに聞こえてしまっていたり、など。仕方がないので、コンマ01単位で手で数字を打ち込みながらフェイザー状態を回避したり。そうやってプラグインの違和感から手直ししただけでもモニターから聞こえてくる音とミキサーに刺したヘッドホンから聞こえてくる音の印象が揃ってくる感じになり、なーるほどー、という。
プラグインの手直しだけもそういう感じなので、当然今までのモニターの音で作ったシンセの音も全然違う位相で聞こえてしまう訳で、つまり今までやったアレンジが全部ちゃぶ台返しになってしまうという、ここは結構凹みましたね・・。ただ、今まで作業した分の音が、ネットに上げた時の「なんか違う」「ああ、これじゃ伝わらない」という感覚そのまんまで聞こえている訳で、この新しくしたモニター環境を信用して音を作れば、少しはいろんな人たちに聞いてもらえる音が作れるかも的な道筋は見えたのは、良かったですよ。
その後、今年に入ってついに念願の SCM20P Pro Mk2 を買って更に絶好調な訳ですが、それはまた別の機会に。
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pekuto · 3 months ago
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ブログ再開 (改訂版)
と言う訳で、ずっと気がついていませんでしたが、なんと最後の投稿に反応があり、それならブログを続けてみようか的な気分になりましたので、再開してみました。
再開するでも、過去の記事は反応のあったやつだけを残して、あとはリセットしてやる方が気分良くやれそうなので、そうしました。ただし自分、音楽にブランクがあってそれを本格的に復活させたのが2018年という時系列が抜けてしまうとアレなので、そこら辺だけ書き加えておきます。
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単純に人生も40代終盤に差し掛かると、いよいよ最後の活動の季節を迎える自覚というか、自分が終わりに向かっていく感覚が日常になっていくのですよね。40歳になってしばらくした頃、既に自分は音楽に関しては4~5年も何もしておらず、だからと言ってそのまま自分が音楽をやらずに過ごしていくことに言うほど抵抗があった訳でもなく、このまま何者にもなれなかった凡人として天寿を全うするんだなあ、くらいの感覚で過ごしていました。でも2011年の大震災を契機として、あそこから人々の生活が想像以上に大きく変わっていっていることが次第に分かってきた辺りで、もう今までの社会は持続しない、今まで社会に適応できてたやり方でやってても自分は社会から切り離される、という感覚を強く持ち始めるようになって、そこで自分は音楽をまたやろうと思ったのでした。
結局インターネットというインフラは、どうあっても人間の本能に組み込まれた競争心を��激してしまう仕組みを持っているんだろうと。インターネットが不可欠な社会では、どんなに平凡な人でも、才能ある人たちと同じ土俵で競争させられる環境が生まれてしまう訳です。本来なら、それは才能のない普通の人にとって非常に厳しい世界のはずです。本来なら。
そんな過酷な環境で皆さんどう生きていくんだろう?と思って見ていると、普通の人たちはなんと、才能ある人にしかできないことを評価基準から外し、才能のない人でもできることだけを評価するようにルールを作り変え、それがあたかも絶対真理であるかの如く、何食わぬ顔で単なる凡庸レベルを最高レベルと評価する環境を作り上げていったのでした。日本では、例えば娯楽の世界では、ニコニコ動画やコミケといった場所で、そういった仕組みが花開いていったでしょうか。才能ある人が当たり前にこなす「美しい」「正しい」に厳密に従っていても才能のない人たちがその競争に勝つのは不可能なので、そこでゴールを普通の人に合わせて競争を行うようにすると。もっとも、この手法は一般企業の社内政治でも、昭和の時代から細々と存在した手法ではありますので、それがインターネット環境の登場でブーストされるようになったとして、それも自然なことなんだろうと、自分はその時に納得し��のでした。
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ただし、競争社会を成り立たせつつもある程度は皆んなで平和にやっていくためには、競争に参加しない人にも一定の尊厳や権利を認めることが必要だと思うのですが、社会がその方向には進まず、凡人全てに競争を強いるような流れにしてしまったのは、個人的には愚かな選択をしたなあと。社会の大多数は凡庸などんぐりの背比べの人どうしでしかない以上、そこで誰でも努力すれば競争に勝てるんです的な世界にするということは、皆で些細など���でも良い事を殊更大きな違いであるかのようにアピールしていくしか、凡人が他との差別化なんてできませんので、もうそうするしかないですよ、そりゃ。結局、社会が今のような感じになっていくのも、これまた自然の摂理と言うしかなく。その昔、キリスト教でピューリタンという流派が出てきた時、大多数の凡庸は凡庸どうしで我先に「アタシの方が教義に忠実よ!」と似た者どうしで微々たる欠点を突き合うばかりで、結局ピューリタンはキリスト教の中で主流になることもなく、まあ、歴史は繰り返すという感じ。
あの時、社会がそっちに舵を切ってしまった以上、競争に勝てない奴は努力不足、甘え、非国民、の社会がいずれやってくるのは、もう火を見るよりも明らかだったと思います。一定数の競争に参加しない人に「俺は才能ないから」というアリバイを与えて市民権を持たせるのは、それなりに意味があったとは思うのですが。とりあえず、もう自分も何かで競争に、最低でも参加するしかないんだ・・と。自分は今の年齢になった頃には平凡でも穏和に暮らしていけたらくらいに思っていたんですが、人生は予定通りにいきませんね。
自分が今から若い人と、そして才能ある人たちと横一線で競争をさせられて、辛うじてでも競争の体を成す所まで持っていけそうな事を考えてみると、音楽は、一応そうかもと。もちろん、自分は職業音楽家としてやっていける才能はありませんので、勝機は薄いです。それでもやるしかないのかなと。勝機は薄いとは言え、自分、音楽をムキになってやっていたので。若いって素晴らしいですよ。まあ、どーせやるなら、せめてあのムキになってやれたエネルギーで戦おうと思った訳です。
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ここで、音楽は競争ではない、的な話もあろうかとは思いますが、あれはほぼほぼ才能ある人たちの呪いなので、その呪いにかかったら才能ある人たちの思う壺ですよ。
そんな訳で、自分は2014年にそれまでの生活を断ち切る事にして準備を始め、50代に足を突っ込んだ2016年に引っ越しを決めて、2017年の秋くらいから音楽を再開できる環境がぼちぼち整って、2018年の2月から今の IDM 的な方向性に決めて今に至る、です。合言葉は「一番とそれ以外」です。凡人なら眩いばかりの光り輝く世界はとっとと諦めて、凡人でも一番になれそうな土俵を見つけて、そこで一番になるという正攻法をつべこべ言わずに実行していきましょう、です。一番になれなければ「その他大勢」として扱われるまで。35歳まで社会は下駄を履かせてくれますが、35歳を過ぎても「その他大勢」のままなら下請けとして元請けの手足となって奴隷労働あるのみ。それが嫌なら、いくつであろうと大学の教員であろうと誰であろうと、何かで一番になるしかありませんと。年功序列の崩壊した世界は、もうそれで回っていくしかありませんので。
いざ再開してみたら、覚悟はしていましたけど、ホント浦島太郎です。今も相変わらず太郎くんは居座っており、太郎くん、困ったもんだと思っておりますが。
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pekuto · 4 years ago
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あまり流れを作れなかったのは心残りではありましたが、単純に時間切れになったので仕方なくこのまま応募しました。
結局こういうアレンジが物足りない場合の引き出しの少なさが出てしまった感じで、残念は残念なミックスではあります。もっとも自分の曲ならアレンジをちゃんとやるのが前提なので、ここで頑張るのもちょっと違うかなという。ミックスを専門にやる人はここで頑張らないといけないんだとは思いますが。
あと、合唱パートが歪んでるのは録音でバリバリ歪んでて、Lynxでは許容範囲かな?と思ってほとんど修正しませんでしたけど、あとでアポジーDUETで再生したら歪みがかなり気になりましたね。IOでこうも違って聞こえるんだ・・というのは他人の録音をやって初めて分かったことなので、これも経験でしょうか。これを修正するとそれなりにボヤっとした音になってしまうのを嫌って修正しない方を選びましたが、これじゃダメですよね。
もう一つ、ドラムのスネアもアポジーのDUETで再生すると思ったより地味に聞こえてしまい、これも課題。
他人のミックスは難しいすね。自分の曲だけやってると、結構気がつかないままで色々過ごしてしまっていることに気が付けるので、これからも時々コンテストには参加してみなければ、と思いました。
まあでも、ちょっとずつですが、やりたい事に近づけてる実感もあるので細かい事を順次こなせるようにして、自分の曲で致命的なミスをしてしまう確率を一つ一つ潰して、もう少し頑張ろうと思います。
またコンテストに参加した
またコンテストに参加したので、一応ファイルのリンクをここに残しておきます。
コンテストMIX
マスタリング禁止のルールなので真面目に2mixを書き出したやつをそのまま。
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