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介護の備忘録 3
父は、東京の西のかなり西の方の有料老人ホームに、3年前にはいりました。老人ホーム自体はちゃんとやってくれて、それは良かったのですが、医療体制がやっぱり都心部とは文化がかなり違う・・という感想は持ってしまいました。

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一言で言えば、やっぱり東京の西は社会主義で回っているエリアなんです。だからありとあらゆる医療行為に関して、家族が自分で考える事をしないケースがとても多いのだと思われ、医者の対応もそれに合わせて最大公約数的な部分の対応で全てを完結させるシステムで回っているのでした。
そもそも、医者の判断には仮説に基づくケースも多々あり、その仮説が外れてしまう可能性も当然あり、常に100%、処方が上手く行く訳でもありませんので、外れたらその都度対応していくしかない部分がどうしたってある訳です。
ただ、大資本の分厚い雇用に守られて人生の中年期までを過ごしてしまった系の人たちにとっては、その都度、状況にあわせた対応を自己責任でやっていく、というやり方は物凄い負担になってしまうようで、例えばお父さんお母さんの容態が一般的な症例から外れて一般的な処方ができなくて、仕方なしに一般的ではない処方を試さざる��ない状況で一般的な処方ではない処方をやって、それが上手く行かないと、もう後悔の念に押し潰されて「人の命をなんだと思っているのぉぉぉ!」的に取り乱してしまう、そんな感じ。
結局、皆んなと一緒の診療をしてくれたら後悔はないですと。余計なことするなと。それでダメなら諦めも付きますというルールで、全ての医療行為を回していかざる得ないんだろうと。例え一般的な処方ではない処方の方が可能性が広がったとしても、それを選択肢に入れる事そのものが東京西部の人たちにはナシのようで、それよりはまず皆んなと一緒を望み、それをあなたも私も幸せと感じましょうと。
患者家族の方がそれを望むと、受け入れる医療現場の方もそれに自分たちの仕事を最適化させてしまい、一般的な症例から外れた患者がやってくると、現場で働く人たちの方で嫌がれている感じの対応をされてしまうケースも、まあ、散見されます。自分ら都心部で暮らす側からすれば椅子から転げ落ちるほどにびっくりしてしまうしかありませんけども、東京の西のエリアでは、それを受け入れてやっていくしかない部分は、あったりするのでした。

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東京西部のその社会主義的な思想の根本には、様々な対応をできるようにする事を容認するから、制度に隙が生まれてそこで抜け駆けをする奴が出て真面目にやっている人が損をするんでしょ!皆んな一律にしか対応しないシステムにすれば、抜け駆けなんてできなくなるでしょ!というのがあったりします。自分も東京西部ではそれが支配的な空気なのはそれなりに知ってはいましたが、医療体制までもがこうまで社会主義になっているところまでは分かっていませんでした。そこの部分に限って言えば、失敗したな・・ということは思っています。
自分は2016年に、今の都心5区の隅っこに引っ越してきましたが、���っ越し先を決める時、郊外に出ようか、或いはもっと地方都市(長野とか富山とか)まで引っ込もうか、それとも狭くて薄暗い都心部の隅っこにしようか、凄い考えました。年齢的にも、おそらく人生最後の引っ越しになるだろう、というのもありましたし、音楽を再開するにあたって、という部分も大きな比重を占めていましたので、まあ、ホント色々考えましたよ。
今の所に決めた理由は、もちろん一つではありませんけども、やっぱり自分は競争をするために音楽を再開する訳ですから、社会主義で回っているエネルギーを日常で浴びるのはマイナスでしかないというのも、一つの大きな理由でした。父の東京西部の医療体制のスタンダードな対応を経験してしまうと、尚更あの時の自分の選択は間違いではなかったという。まあ、今の住処は狭くて薄暗い所ですけど、ここに決めて良かったですよ。東京西部の郊外文化は、自分には合いません。
もっとも、老人ホームの居心地そのものに父は大変満足しており、まあ、自分が医療機関とやり取りをする時にその都度、戦わないといけないのが難点、というだけで、それ以外は万事塞翁が馬的な事なのかな、という気もしていますけども。
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70s のエコー 4
PCM81 が自分の音楽にハマるのかハマっていないのか、もうなんだか分からないですよという感じで悶々とした状況が続いている頃、たまたまマーク・ノップラーのサイトに立ち寄ってみた時、マークノップラーの昔のラックに MicMix の XL-305 というスプリング・リバーブが入っている写真を見つけたのです。XL-305 は、AudioScape というメーカーから��プリカが出ており、YouTube でその音を前から知っていたのですが、これは中々綺麗でオーガニックな鳴り方をするリバーブではあります。ただ、ちょっと綺麗過ぎな所もあって、それが 70s の文脈に紐づけられる音になるのか的な所で、どうしようかなー、くらいで止まっていましたが、その時はオリジナルを手に入れてみようとまでは思っていませんでした。ただ、我らが陰キャ系スーパーヒーロー、マーク・ノップラーが使っているとなると、話は別。
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で、色々調べてみると、XL-305 の発売は1979年で、分類とするなら early 80s の時代の物なのでした。まあ、やっぱりステレオ音像のエコーで78年以前の物を望むのは、無理があるんだろうと。ただ、YouTube に上がっている数少ないオリジナル XL-305 のデモ動画の音を聞くと、ちょっとプレート味のある音で、音の質感そのものは十分 70s の質感を持っていそうで、これは PCM81 よりイケるかも・・と思ってしまった訳です。
PCM81 で確信が持てない以上、他に何かを見つけるしかありませんので、XL-305 がそんなにお高い物じゃないなら賭けてみるのはありかもしれない、と。で、またまた楽器検索サイトで検索��してみますと、とある信頼できるショップから、そのショップで整備した物がお手頃な価格で出品されており、これは買ってみるしかないだろうと。
数週間後に届いて自分の曲で鳴らしてみた所、とても 70s でクリーミーな音が鳴るには鳴るのですが、自分はこの XL-305 の音を直ぐには受け止めきれないのでした。一口に 70s とは言っても、自分でも把握していないニュアンスがまだまだ沢山あったという事なのですよね。

ヴィンテージ・シンセの回でもありましたが、結局、各トラックの EQ を当てる場所を、XL-305 の音と音の重心が揃うようにちょっとずらしていくと、自分のトラックが以前より芯で 70s の質感を捉まえている感じにどんどんなっていくという。自分、70s に人格形成期を迎えてますから、70s 的なニュアンスなら実体験としてかなり深い所まで知ってるはず、なんてとんだ思い上がりでしたね。自分は 70s の質感を、完全には捉えられていなかったのでした。こうなると XL-305 を買っておいて本当に良かった、と言うしかない訳です。
この音の重心を PCM81 を使って気が付けるようになれと言われても、自分は無理ですよ。XL-305 を鳴らしながら探すから見つかるんです。結局、XL-305 でハマる EQ の当て方が見つかった後、その EQ で PCM81 を鳴らしても相当ピントの外れた印象の音になってしまうので、こういう所の差に凡人が丸腰で気が付けるようになれよ、機材じゃねーんだよ的な話って、実は才能ある人たちの呪いなんじゃないでしょうかね。
それはともかくも。オリジナルの XL-305 はウチの環��ですと、voltampere の GPC-TQ から電源を取るとかなりプレートちっくなニュアンスで鳴らせてウキウキな気分になれますので、今はそうしています。voltampere の GPC-TQ は、中々難しい電源で、ウチでは基本、ヴィンテージのアウトボードはここから取らないようにしているのですが、XL-305 を GPC-TQ から取っても、70s 風味が薄れてしまうこともなく、むしろ持ち前の 70s 風味を今の環境に適応させやすくなる印象になります。

voltampere の GPC-TQ は光城精工の生産なので、KOJO の音に近いニュアンスで鳴ってしまうと思うのです。低域がやたら野太くモダンな印象で鳴る、的な。結局、低域に量感がありますから、高域の繊細さが聞こえずらい面があって、それがヴィンテージのカラッとしたニュアンスを鳴らしたい場合に、結構邪魔かなという。あとはやっぱりノイズが少なすぎると、せっかくのヴィンテージ・プリアンプが、なんだかモダンな印象で鳴ってしまうというのもあります。ただ、XL-305 を使う分にはそれら GPC-TQ の特徴が欠点にはならず、むしろ今風の低域の作り方を取り入れたトラックとの相性を良くしてくれる感じです。この辺りは良い悪いとかではなく、単純に 70s のニュアンスが欲しいなら、という前提あっての感想ではあります。
という訳で、1745m、EP-2 に加えてこの XL-305 でかなり芯を食った感じで 70s な音作りができるようになりましたが、XL-305 はリバーブタイムが一切変えられませんので、そこが非常に不便です。短めのスプリングリバーブをもう一台買うのか、それとも何か別の手立てがあるのか・・的な所の悩みは、結局残ってしまうのですけども。
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70s のエコー その3
実は EP-2 を押入れから出している時、若い頃に買った PCM81 も出てきたのですが、PCM81 はずっと今自分のやっている事には合わないと思っていましたから使うつもりはありませんでしたが、あの動画を見た後、じゃ使ってみるかと。PCM81 に入っている Hall や Chamber は由緒正しき 224 から引き継がれたアルゴリズムが移植されているはずなので、せっかく持っているんだから試してみようと。

使ってみると、これがまた一発でダメ、と決めてしまうにはあまりにももったいない系の見事なまでの妖艶な Lexicon サウンドが鳴るので、これでイケるでしょとなってしまいそうになるのですが、それでもこれはどうあってもコテコテの 90s 節な訳です。90s は平成文化絶頂期の時代で、平たく言えばお気楽極楽な世界。70s の不安定で野蛮な世相の残った時代とは、大分違いますよね。
話は少し外れますが、自分は音楽を社会の文脈に紐付ける事を第一に考えています。なので、所謂感覚一発だけのやり方で音楽を作るつもりがないのです。もちろん、ある種の界隈で「考えるな!感じるんだ!」と言われているのは知っていますけども。
自分の理解では、人類は文脈を発掘、共有することで生存たらしめてきた種ではありまあせんかと。医学も何にもない太古の昔におなかが痛くなりました、と。痛い痛い痛いよ、っていう状況で「考えるな!感じるんだ!」で生存できますか?と。おなかが痛くなる理由なんて、当時は誰も分からない訳ですから、そこで文脈を発掘しようと、原因を無理くりにでもひね���出そうと、そういう頭の回り方をする種が生存に有利だったということなんですよ、人類は。
感じたら考えろ、ですよ。それができない種は滅んで、出鱈目であろうと皆んなに共感してもらえる文脈をあみ出せる種と、それに共感できる種が共に生き残ったのが人間ではありませんか。自分が音楽で生存しようと思うなら、同じ事をやるしかないと、個人の感想ですけども。

音楽は社会の中で生存するから意味があるとするなら、音から連想される時代背景と文脈を無視して音を選ぶのには、それが機材であれ、フレーズであれ、果ては自分のキャラからくる要素も含めて、自分は抵抗があるのです。自分の出す音を社会で共有された文脈と紐づけられるようになるためには、もちろん教養が何より大切ですから、自分は座学の部分もちゃんと準備してやっていこうと。そもそも自分には才能がありませんから、余計にそこを頑張らないと生存競争の土俵にすら上がれないと思うのです。
もちろん、それが中途半端なもので終わってしまえば自分の負け。1ミリ足りなかろうが50センチ足りなかろうが3メートル足りなかろうが、足りないなら全部一緒。惜しい、じゃダメなんですよ。凡人なら準備をして、また準備をして、更に準備をして、準備し過ぎることはないです。歌のないインストなら、そこは歌のある音楽よりシビアにやらないとダメだと思います。
70s をテーマにしているんだから 90s は違うでしょ、というのも、確かに細かすぎるのかなと思わないではありませんが、そこは凡人の自分が疎かにして良いことではないのではないかと。才能がある人のことは、知りませんよ。
で。頭ではそれが分かっていても、Lexicon のこの不思議な中毒性のような音が、心を掴んで離さないのです。街灯に吸い寄せられる虫になってしまう自分が、そこにいるのです。困ったもんですよ。

ここで諦めないとするなら、可能性があるとすればアルゴリズムの拡張カードの音に期待してみるのはありかもと。PCM80 の拡張カードは楽器検索サイトで検索するとぽつぽつ出てきますので、そこで個人ではなくストアから出品されているカードを取り寄せてみるかと。取り寄せた物が届いて、それを挿して鳴らしてみると、まあ、そうっすね・・という。90s 節が軽減される面もありますが、それがスッキリなくなる訳でもないという。
まー、難しいっすよ。結論が出ないです。
最近、ちょっと考えているのが、Chase Bliss のモジュレーション・ペダルを何か買ってきて PCM81 のモジュレーションと置き換えて鳴らしてみようかと。そうすると中途半端な 90s な空気感が薄れるかもと。90s は NG でも「今」なら文脈上は問題なくなりますので、時間ができたらその方向でやってみようかと。時代に取り残されてもおかしくない老人が軽やかに今の文化に適応できてたら、それはカッコ良いじゃないですか。
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70s のエコー その2
1745m がそんな感じでどハマりしてしまいましたので、色々欲が出てきてしまい、とりあえず、ずっと押し入れに眠ったままにしてある Echoplex EP-2(1970年)も使ってみようかと。

テープディレイはですね、所有している人なら分かると思いますが、あれはヘヴィーなんですよ。物理的な部分ももちろんそうなんですけど、何より精神的な負担が大きくて、あの音を維持していく上での気持ちの重さたるや、あれは中々に中々なものなのですね。自分も一時はテープエコー熱にうなされて買ってしまったのですが、メンテナンスの手間と実機テープディレイ的な音がポピュラー音楽の最前線から消えてしまっている現実の前に、社会性の発動こそステイタス的な季節を過ごす凡人にとって、実機 EP-2 の魅力は便利なデジタル物の前になす術もなく、長らく押入れの肥やしにしてしまっておりましたが。
時代が下り、改めて実機テープエコーの音を聞くと、TOP100とかの音楽をやるでない限り、自分の音楽に合わないのがはっきりしているなら、プラグインも含めて、便利な物で満足した気分になるのも違うんだろうな、という感想を持つしかありませんでした。やっぱり実機の EP-2 の音は全然違いました。
もちろん、自分の EP-2 はメンテナンスを入れないとダメな音になっていましたから、真空管を入れ替えて、テープも交換して、それでもダメだったので、ひょっとしたらもう元には戻らないかもしれないと思いつつ、 Echo Fix から販売されている新品の再生、録音ヘッドを取り寄せて、それをプロオーディオのメンテナンスを専門にやってくれる業者に持ち込んで(テープデッキのノウハウを豊富に持っている所が良いと思います)、ヘッドの交換とその他メンテナンスをお願いしてみました。そうしたらダメになっていたコンデンサーは一つしかなく、後はヘッドの交換をするだけで、これが文句なしで使える音に復活してくれて、これはテンション上がりましたよ。

EP-2 はさすが 60s 発祥の物だけに、1745 の音にばっちりハマってくれます。この音のハマり方を聞いてしまうと、それまで自分の中では 70s の分類だった SDE-2000 と E1005 の音が、early 80s の音に聞こえてしまうという副作用をもたらし、まあ、こうなるとまるで終わりが見えてこない感じになってしまい、更に困ってしまうのですが。
考えてみれば、60s を引き継いだ early 70s、73年以降の本格的な 70s、78年以降の early 80s 的な雰囲気の三つは、それぞれ別の雰囲気を持っているんですよね。そうなると、ウチの純然たる 70s のエコーは 1745 と EP-2 の2台という事になる訳で、でもそこから 70s を増やすなら 70s ど真ん中の RE-201 だろうとは思うのですが、テープエコーを2台も使うの?というのもありしますし、そもそもステレオ音像のエコーを作りたいのに、モノラルを増やすの?というのもあります。
まあ、ステレオね・・と。ここで本格的にステレオ音像のリバーブで音を作り込む手法が普及し出す時期を考えると、1978年の Lexicon 224 以降なので、自分は変に 70s に潔癖になるより early 80s 的な音に目指した方が目的を達せるのかも?と。そんな風に考えていた頃、YouTube にとある 224 の動画がアップされており、これは持っていかれましたね。その動画を見ると、いや、これは買わなければ・・と、相当頭に血が上りました。ただ、運が良いのか悪いのか、その時に楽器検索サイトで検索しても、224 はもう市場に出ていなかったのでした。もちろん、怪しい物ならなくはなかったですけども、関わってはいけない系の人に機材の希少性だけで関わって良いことはない、という経験則が自分にはありますし、細かくは書きませんが、その後色々あって、最終的にはこの流れならこれはもう縁がない、という感じで諦める感じになりました。ひょっとしたら自分がその動画で持っていかれているのは 224 の音ではなく、P5rev.2 の音の方なのかもしれませんしね。
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また、224 が使われている当時のレ��ードを漁ってみても、当時は 224 の擬似ステレオ音像が不自然と捉えられていたフシもあり、224を思いっきり派手に鳴らすようなミックスが全くされていなかったのも、諦める決断を後押ししてくれました。
結局、70s をテーマにしつつも今風の音楽でよく聞かれる系の派手なステレオ音像のエコーを鳴らすなら、無理に当時物にこだわらなくても良さそうだと。逆に今の物を、文脈そのものを工夫する事で混ぜ込む方が目的に合うのでは?と。
そんなこんなで無事に 224 熱から生還するも、Lexicon の音って、ほんと妖しいんですよ。街灯に吸い寄せられる虫の如く、自分も吸い寄せられていくのが、はっきり自覚できたりします。こんな効果を自分の音楽にもたらしてくれるなら、是非、自分の音楽で使いたいと思ってしまうのですけども。
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70s のエコー その1
今自分が作っている音楽は、自分の人格形成期と正面から向き合うことをテーマの一つに掲げてやっていますので、結局使う楽器にしても録音機材にしても 70s の当時物でやるのがメインにはなっています。ただ、エコーに関してだけを言えば、70s で当時物のエコーと言われると、はてさてこれはどうしたものか的な事になって、色々迷走してしまうのです。

70s のポピュラー音楽の録音は、結局「デッドな音がかっこいい」とされた時代なのでエコーはほぼほぼ部分効果の一つとしての使われ方が普通で、70s の音楽で今の音楽の見られるような通奏されるステレオ音像のエコーを求めるのは、そもそも違うというのはあります。じゃ、自分はそのままデッドな音でやれば良いかと言われると話はそんなに単純ではなく、イヤホンで街中の雑踏に塗れた音を聞くのがスタンダードな環境の中、エコーなしのデッドな音像が果たして世間にとっての印象に残る音になるのでしょうかと。無邪気にデッドな音でトラックを仕上げてしまうのには、まあまあハードルの高いものがありますよ。で、他の人たちはそこら辺、どう解釈しているんだろうと観察していると、オーガニックな音を作りたい人たちは、部屋鳴りをステレオセットのマイクで拾って、という方向にどんどん向かって行き、方やプラグインエコーを駆使する系の人たちはプラグインエコーをこれでもか、というほど挿しまくる方向に向かい、もはやエコーで作るステレオ音像なしで作られる音楽は、もう極々一部を除いては、ないも同然なのでした。
もう一点、70s のデッドな音がカッコ良く鳴るのはアナログテープの音を使って、プラグインEQの一切を使わないミキサー卓でミックスするしか、ああいうカッコ良さの音は鳴らせないという事も、やっていく内にどんどん分かってきてしまうと、まあ、自分はなんとかステレオ音像のエコーを使っても 70s 的な雰囲気を出せるようにやっていくしかないんだろうと。
なので、一昨年くらいまではプラグインの IR リバーブを使ってそれっぽい事をやっていたのですが、ある時ネットオークションで Roland の古いディレイ、SDE-2000 を深夜のハイな気分で冷やかし入札をしてましたら自分に落ちてしまい、仕方なく引き取って自分の曲で使ってみたら、これが異次元のディレイ音でハードとプラグインってこんなに別の物なの?という。それまで自分は実機エコーとプラグインエコーが、こうまで違うとは思っていませんでしたから、割と衝撃。こうなるともう IR とか使っている場合じゃないとなってしまい、結局そこからエコーもハードにする道を歩み始めてしまうのですけども。

とは言っても、ハードで70年代のレコードで使われているステレオなリバーブマシンを探そうとすると、鉄板 140 かスプリングの BX-20 くらいしかない訳で、さあどうしましょうという感じ。そもそも 140 は基本 60s でアイコニックな音とされる系なのではない���しょうかね?と思ったりもしており、70s でステレオ音像のエコー・・というこの無理難題。
どうしたらいいのか分かっていない状況で、ここで少し視野を広げてみますと、70s のシンセ音楽にクラウト・ロックと呼ばれるジャンルがあるのですが、そこでスラップバックディレイ的な音作りがなされる事が多く、言われてみるとディレイマシンのショートディレイの音をパンで振ってステレオ音像を作るのは 70s をやるならアリなんでは?と思い、70s 的なディレイマシンを探す事に。
リバーブで 70s は選択肢が殆どありませんが、ディレイマシンなら結構色んな物があり、そこで目に止まったのが Eventide 1745m。1745m はクラフトワークや、KISS の Love Gun などで使用されたディレイで、これは 70s のアイコニックな音と言える範疇の音なのでは?という事で色々調べてみることに。
そうしたら、1745m は発売が1975年、デジタルディレイ最初期の頃の機種なのでフィードバック機能が搭載されておらず、ディレイモジュールが3機入って入れば、それで3回遅れた音が鳴らせるだけの仕組みで、用途とすればショート・ディレイか、プレートリバーブのプリディレイしかない、という物でした。ただ、YouTube に上がっている試奏動画では、かなり自分が思う 70s の音が鳴っており、更にはジャイケルマクソン君のスリラーで Bruce Swedien が2台も使っているのを写真で見たりしてミーハー根性が爆発したりと、これは買うしかないでしょという流れに。

さっそく楽器検索サイトで 1745m を検索をすると、丁度自身の工房で整備した物を販売している業者さんから Bruce Swedien が使っている3機モジュール仕様の物が比較的安価で出ていましたので、即お取り寄せ。届いた物で音を鳴らしたら、もう素晴らしいクラウトロック的な音像が鳴らせてしまい、大満足なのでした。
もはや今、自分がやっている曲でエコーの基準は 1745m です。ここに揃わない音は全て却下しています。やったじゃん、70s なエコーの基準ができたよ、と思って、これでガンガン行けるぞ〜、と思っていたら、1745m と揃う音が鳴るエコーが他にそもそも少ないという現実にぶち当たってしまうのですけれども。
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介護の備忘録 2
母は3年前に小脳出血で倒れ、救急搬送されたもののコロナで手術室が空かず、手術を受けたのが8時間後という、まあ、実質手遅れな状態で、もう手術をしないでも良かったのでは?的な状況でした。ただ、手術待ちの病院に親戚一同集まっている中、「発症後3時間以上経過しており手術をしても社会復帰はまず不可能、このまま手術をせず看取ります」とは言えないので、仕方なく手術をやった訳ですが、案の定、脳は壊れてしまっており、母は半分以上の記憶をなくし、全く別の人格になって戻ってきました。

まあ、それは良いんです。社会的な拘束力から「手術しません」とは絶対��言えませんでしたので、社会の一員である以上、その拘束力に従うのは薮坂ではありませんので。
問題はその後です。
社会復帰のできない人間を面倒見るのは医療ではなく、介護の分野ですから、段階的に母を医療から介護の現場に引き継いで行く訳ですが、まあ、言うとアレですけども、母の暮らす行政区は某宗教団体の影響力が経済にまで及んでいるであろう系の行政区で、病院から次の施設に移る過程で、特定宗教の経済圏に囲い込みに逢ってしまい、移る施設の選択に物凄い苦労をさせられてしまうのでした。
病院からリハビリ病院に転院する際は、手術をしてもらった病院が運悪くその特定宗教の経営する病院でしたから(救急搬送なので選べません)、結局そういう系の施設以外への転院手続きを思いっきり煩雑なものにされて、なら宗教経済圏内のリハビリ病院にしましょう♪ 的な案内しかして貰えないのでした。リハビリ病院そのものが都内でもそんなに多くはないので仕方がない面はあるにせよ、ちょっと嫌な感じでしたね。とりあえずウチもその系列のリハビリ病院でリハビリをする訳ですが、社会復帰は当然できませんから、その後、有料老人ホームに行くのか特養に行くのか、の選択で特養は入所待ちになりますから有料老人ホームしかありませんよ〜的な説明をして、こっちが聞かなければ「老健」の説明を省いて物事を進めようとするのは、いかがなものかと。
母のようなケースで特養の入所待ちをする場合、老健という施設が一時的に入所待ち期間中の面倒を見る機能を、厳密には老健はそういう施設ではないという位置付けなのですが、請け負ってくれるケースもあるのです。なので、老健という選択肢も最初から有料老人ホームと併せて説明するのが筋だと思いますが、母が入った特定宗教経済圏のリハビリ病院はそうはせず、在宅介護か有料老人ホームですと、そして提示してきた有料老人ホームはその特定宗教経済圏のグループ企業と思われる某チェーン店方式の、一般的には「料金が高い」と評判のホームばかりでした。

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そもそも老人ホームには入る人との相性がある訳です。老人ホームの紹介センター的な所で色々話を聞けば、民間の老人ホームは数多あり、その特徴や風土にも様々なものがありますのでご家族と一緒に相性の良い所を慎重にお選びください、と案内される訳なので、提携企業のチェーン店方式のホームと、一つだけパッとしないホームを間に挟んだだけ、という仕事をした時点でその人には何も任せられないですよ。
その後、色々頑張りましてとりあえずその特定宗教経済圏からは脱出できたと思いますが、選んだ老健はあまり良い施設ではなく、正直、失敗したな・・とは思いました。コロナで内部を見学させて貰えなかったので、そこが母に合わない所だとは、外からは分かりませんでした。だからと言って、特定宗教経済圏に止まる選択肢もありませんので、これ���もう運が悪かったという理解で納得しました。
その後、まあ、更に色々ありましたが(なんと在宅介護になってしまった)、諸々省略。脱力です。
最終的には、母は長年暮らした行政区の特養に無事に入所でき、今、人生のアディショナルタイムを無駄に浪費している感じですが、でもこうするしか仕方ありませんでしたので、後悔とかはありません。母が今の特養に入ったのが良かったのか悪かったのかは、正直分からないです。頭が壊れていない状態の母なら「嫌」と言ったはずの施設を「ここは良い所よ〜」と言っている姿を見ると、周りで一生懸命考えてやってあげても、もう物事はなるようにしか回っていかないんだな、という感じです。実は特養も、頭が壊れていない母ならここが好きそうという所を一生懸命選んで、ショートステイを申し込んで、母が馴染めるように、職員の方々にも覚えて貰えるように、こちらでやれることは全部やりましたが、結局そういう所への入所は一切叶わず。あんまり良い所じゃないな・・と思っていた所に、導かれるように決まり、本人はそこを「ここは良いとこよ〜」と大変気に入ってしまうのでした。まあ、周りがどんなに一生懸命やっても、結局その人の星回りには誰も逆らえないという、そういう学びを得たんだと思います。
追記:リハビリテーション病院の在宅復帰相談員の人が提携企業のチェーン店方式の老人ホームばかり紹介してきた、というのも、そういう対応をされて満足してしまう家族が、結局多いんだろうと。皆んなと一緒になれてアタシ達幸せです、という人が圧倒的に多いからああいう仕事が成り立つんだろうと、後から理解したものはあったかもしれません。
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ChatGPTと白雪姫
対話型AIが登場してしばらく経ちましたが、これは革新的だ、と思った人が意外と少なかったようで、あとは少し気になったこともありましたのでブログにしておこうかと。
そもそも対話型AIの仕組みを皆さん、あまり良く理解されていらっしゃらないのかもと思い、ざっくりその仕組みを書きます。
以下の話はこちらの書籍から参照していますので、ちゃんと理解したい方はこちらの書籍を読まれる事を強くお勧めします
対話型AIは、簡単に言えば人の会話を言葉と言葉の連鎖の中で使われる組み合わせの確率を割り出して、その確率の高い連鎖を何パターンか出力してみる、という仕組みなのだそうです。例えば私、猫、好、という単語を使った組み合わせは「私は猫が好き」であったり「私が猫に好まれる」であったり、はたまた「私に猫と好み」のようなものまで様々なパターンが想定される訳ですが、その中から前後で使われる言葉の種類から、私、猫、好、の組み合わせとして確率の高い言葉の組み合わせを出力する、という仕組みなのです。つまり、対話型AIで、言葉の意味を分かっているという状態では全くなく、単なる言葉の組み合わせの確率論がそこにあるだけなのだそうです。
ということは、ここで一つ大きな問題が生じてしまう訳ですが、例えばある質問の中で使われた言葉の組み合わせから、何を選べば次へ続く言葉の組み合わせとして「正解」になるのかを確率だけで出力してしまえば、例えばEU反対派の人たちが良く使う言葉の羅列の次に選ばれる言葉の組み合わせの次に続く言葉としては、「EUは解体していく可能性がある」系に自然となっていってしまうと。逆にEU賛成派の人たちが良く使う言葉の羅列から選ばれる、次に続く言葉の組み合わせとしては「EUが解体される可能性は低い」系になっていく訳なので、これはつまり、SNSの利用で見られる「同質の意見どうしを強化し合ってしまうエコーチェンバー現象」の増長になっていませんか?という懸念が生じる訳です。
例えば、欧州の若者、就職先、働く国、多様性、メリット、という単語の組み合わせと、ロシアの安価な天然ガスの入手、ドイツ、グリーンディールの実現性、インフレ、現実的、移民問題、という二通りの言葉の組み合わせを、EUの未来を予想して欲しい旨のプロンプトでそれぞれを対話型AIに入力してみてみると、それぞれ対照的なニュアンスの回答が返ってくるはずです。(もちろん、一方の言葉を反対の意味になるように入力すれば、両方同じニュアンスの回答が出力されます)
EUの将来程度の話なら、現状では全く予想ができませんので、どちらのニュアンスで出力されようがあまり大きな問題にはなりませんけども、それが例えば美しい音楽が生き残るのは必然か?や、音楽のプロとは何か?のような、人それぞれの立場や都合の占める割合の多い、そして感情論にもなりやすいテーマでこの言葉の選択方法を用いてしまうと、これは対話型AIを使う人を、かえって孤立化させてしまわないですかね?という。
同質の意見で強化された決して客観的ではない意見を、客観的のお墨付きを得た意見なのにぃ!的な、心の闇が個人の中で蓄積されていきませんか?と。これは白雪姫のストーリーの中に出てくる魔女の鏡と一緒の現象ですよ?と。最後は、「鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番美しい人は誰~れ?」と聞かれて「白雪姫です」などと答えてたら、魔女さまはブチ切れてしまうんですよ?
と、思っていたら、対話型AIを利用する人はとても少なく、2025年2月現在で、全体の1割未満である的な話を聞いて、まあ、それならまだ救いがありますよね・・という感じにはなったのですけども。
対話型AIを利用する人が少ないのは、結局その出力精度がオタクの需要にマッチしないからなのではないかと、個人的には考えたりしています。生成AIは、ニッチなジャンルの知識量ではオタクには敵いませんので(当たり前です、AIはそういうものです)、そこでオタクが「俺の方が凄い」と見下して終わってしまっているのかもと。新しい技術は、オタクが最初に熱をあげて、それから一般にドミノ倒しのように普及していく(by 秋元康)性質のものなので、オタクが使わないと一般には普及しないのかもしれないと。
そういう意味では、今の普及率のままなら対話型AIはサービス停止に追い込まれる可能性は高く、対話型AIを提供するベンダーは何としても一般への普及を成功させないといけませんので、それは今のような形ではもう難しいという結論が出ていそうな気はします。色んな事を多角的に推論できる機能なんて、一般の人たちは使わないんですよ。そんな事より一般の人たちは日常業務で「楽ができる」「俺は凄い」の方が大事で、それは結局、事務仕事のショートカットを生成する、くらいしか使い道を思いつかない、ということなのではないでしょうか。
なので、ブレーンストーミング用のツールとしての使い方なんて、生成AIとしては近い将来衰退していき、対話型AIは、事務仕事のショートカットが誰でも簡単にできます!とかいうアプリケーションに特化した形での利用に制約されていくのでは?と予想する訳ですけども。なんか、あまりにも勿体ないですけども。もっとも、対話型AIが心の闇の増長ツールとして普及してしまうよりは、ここでオタクに「俺の方が凄い」と思われて衰退していく方が、人類の為なのかもしれませんが。分かりませんけども。
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介護の備忘録 1
介護の現場を、介護される側の家族として一通り経験したので、備忘録として経験を残しておこうかと。

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実���のある都内某区の状況を言えば、既に逼迫している様子は十分に伺えます。もっとも、某世田谷区は既に実家の行政区より更に逼迫しており、母はとある事情で某世田谷区の介護施設に一時的にお世話になったことがあったのですが、ケアマネジャーを筆頭とした介護職員の皆様方は常時イライラされ、介護される側が不慣れであっても(こっちは介護なんて初めての経験ですが)、介護される側の不備などを容赦無く叱責して来られる状態でした。まあ、社会には色んな方々がおられますから、とにかく自分の都合、自分の都合を言って何が悪いの?アンタたち介護の仕事でしょ!というタイプの方々が、世田谷区は多いんでしょう・・というのは、もちろんご理解差し上げます。大変ですね。実家の方もこれから団塊の世代の大量の看取りを迎える都内最大級のベッドタウンの一つには違いなく、世田谷まではいかなくとも、今のままでは済まなくなる可能性は十分にあるとは思いました。
実家の行政区が無策のまま団塊の世代の看取りの季節を迎えるというのも考え難く、おそらく何らかの準備をしているであろうということは、もちろんこちらの憶測でしかありませんけども、まあまあ散見されるのかなと。
単純に、特養施設は入所者の回転率を上げるしか、諸々回らないでしょうから、それを今から少しづつ実行しているのは、可能性としてはあっても驚きはありません。実家の行政区では区の HP で特養施設の入所申し込み状況を公開しており、パッと見れば人気の施設と不人気の施設、という感じで、そこに掲載されている表を理解することができるとは思いますが、実際に施設に見学に行けば、不人気の施設は、まあ、そういう機能を任されているんだろうな・・というのが推測できる感じでしょうか。
申し込み待機人数が他と比べてかなり少なく空き床数も多い所は、おそらく回転数を上げる役割の施設なんだろうと、実際に見学に行けば “そういう” 臭いを感じることができたりするのでした。施設内の雰囲気、衛生管理、食事の内容、などなど。個人の感想です。なので、数字的な偏りは、そういうことの表れであろうと。例えば高齢者は食事の匙加減一つであっという間に衰えて行きますから、ベッドの回転数の調整は、そういう所でも普通に可能であることは、自分の在宅介護2年半の経験から、実感としてあります。

(本文には関係のないイメージです)
ベッドの回転数を意図的に調整する事の倫理観は、正直、もう言っていられる状況ではないだろうな、と。例えば認知症が進行してしまい、もう特養では面倒見れません、となれば次はグループホームでの相互監視の生活が始まりますし、それでも手に負えなくなれば、もうどうするの?という。それが団塊の世代の看取り季節が本格化すれば、ドッと増える訳です。介護の費用も国持ちになりますので、それは色々どうなんだろうと。
実家の行政区では “そういう” 役割の施設と、そうでない施設に分かれている、ともちろん断言はしませんが、入所の相談をする際、平均的な入所期間を「5年」と説明される施設と「2〜3年」と説明される施設と、あとは見るからに環境の悪い所とに分かれます。個人の感想です。2〜3年のアディショナルタイムなら、十分倫理問題もクリアしていると、個人的には思ったりはします。
残酷系の話はこれくらいにしときますが、もう一つ、在宅介護をどこでやるのかという所で施設への入所の判断がそこそこ左右されるということは、あまり知られていないかもなので、それも書いておきます。
母の在宅介護は僕が今暮らしている行政区でやって、母の住民票は実家に残し、実家の行政区の介護保険を使って母の介護をやった訳ですが、実家の方の施設は「息子の行政区に行け」という圧をかけてくる感じでしたね。なのでこっちの施設やケアマネージャーに相談すると「こっちに来るな、実家の方に残れ」という話になってしまい(そりゃそうですよ、こっちの行政区だって介護の人数を増やしたくない訳ですから)、母の特養への入所は、割と延び延びにされてしまった経緯が、ウチの場合はありました。実家の方の施設は「そっちの行政区はまだ余裕があるだろ、そっちで面倒見ろ」的なことな訳ですが、母は実家大好きな人ですからこっちに住民票を移すのは無しで、息子はとても困りましたよ。最終的には実家の方の施設に入りましたが、母は在住50年以上ですから(それだけそこに納税してきた)、当然ですよという事しか自分は思っていません。実家の行政区の施設何やってるんすか?という事は印象として、強く残りましたね。
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あけましておめでとうございました
この年越し連休は結構ギターを練習しました。おかげでギターを弾く身体が大分戻ってきた感じはありますが、でも若い頃の弾き倒していた頃の感覚は流石に戻りません。まあ、弾き倒していたのはもう25年以上も前の話なので、1ヶ月やそこらで戻るはずもなく。
練習はやっぱりコピーです。スケール練習的な事も少しはやりますが、なんと言っても YouTube 動画のコピー。海外のヴィンテージギターショップが楽器のデモ演奏を地元の達人を使ってアップしているのが、これが手がまるまる見える素晴らしい教材な訳です。音もくっきりはっきり聞こえますし、これを真似しない手はないという。
アメリカのローカルカントリープレイヤーの演奏がこんな身近で見れるなんて、なんて良い時代になったんだと思います。皆んな、ホント上手いしカッコいいんですよ。若い頃にこれだけ情報量があれば、もっと違った練習ができて、もっと上手になれただろうな〜、なんて思う訳ですが、まあ、仕方ないす。
エレキとアコギと二種類やりましたから、結構な分量で腕と肩がじんじんしてますけども、やっぱり楽しいです。とりあえず、こうやってまとまった時間、ギターを弾けるのも年末年始だけなので。
今年はなんとか自分の曲のギター入れをやれたらと。ギター入れをやるなら、介護期間ですっかりふにゃふにゃになった身体をもう少し戻したいので。今の状態じゃちょっと・・です。普段ギター弾いてない奴がギターを弾いても、コイツ弾いてねーな、て一発で分かりますもん。楽器なんてギターに限らず、全て身体から鳴らせない奴は偽物。あなたも偽物。私も偽物。ああ、そのまま、バレバレのまま。
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Martin D-41 を買いました
今、自分が作っている音楽は、ざっくり、古いギターの音を今のシンセ音楽に適応させる事がテーマになっているのですが、シンセの音に合わせてアコギの録音をしていますと、どうも最後の最後で自分の思う所に音が収まらず、これまた色々困ってしまうのでした。音楽を復活させた頃はギターは、エレキもアコギも、若い頃に使ってきた物で事足りるだろうと思っていたのですが、やっていくうちに、特にアコギに関してはどうもそうでもなさそうという感じになってしまうのでした。
その時まで、使っていたアコギは1952年の Gibson J-45、1934年の Martin 0-17 がメインで、それに1928年の Gibson L-3、1971年の Martin D12-20 のイレギュラー系が控えており的なそんな感じ。自分がアコギを買い揃えた30年前は、オルタナギターロック的な方向の音楽がやりたくてこうなったのですが、要するにマホガニー系で揃えてしまっている訳です。マホガニーは音を吸収する性質の材で、低域がホロ馬車風味のほろほろとした柔らかい印象の音になるのが特徴で、自分はこの質感の音を物凄く気に入っていたのですよね。でもその音は、今時のシンセで作るキックの音と合わせる際、結局どちらかの印象を変えていかないと印象の揃った音は作れないということが、段々分かってきたのでした。
キックを今風のぱつぱつした感じにしてしまえば、ヴィンテージ・マホガニーのほろほろした低域の味は、全く印象として残らない混じり方になってしまいますし、逆にマホガニーのほろほろした低域の印象が際立つようにキックの音を作ると、これはもうシンセ音楽にはほぼほぼ聞こえず、普通のマスロック・インスト的な音楽に聞こえてしまうのです(それは本意ではない)。
最初はマイクを変えたり、プリアンプを変えたり、EQ も変えたり、キックの音色を加工してみたり、色々やってみたのですが、結局これはもうマホガニーではないのでは?という感じになってしまったのでした。自分が大好きだったマホガニのほろほろした低域が今風のシンセ音楽とこうまで相性が悪いとは、夢にも思っていませんでしたね。
こうなるともうシンセの低域に合うギターの低域はローズの低域なんだろうと。ローズは音を跳ね返す性質を持った材なので、輪郭の滲まない音に特徴があるのですが、それにエボニーのブリッジと指板とを組み合わせて使うと良い感じに低域に厚みが加わって、それが今風のキックの音に合いそうだと。ローズのサイド・バックでエボニーのブリッジ、指板のギターは何と言っても D-28 です。28 かぁ、と。
D-28 は、ヴィンテージの物を買おうとすると高いんですよ。30年前ですら60年代の物でも70万円近いお値段でしたので、令和の時代にはそれは余裕で180万円です。90年代〜00年代の D-28 は買えるお値段で自分も持ってはいるのですが、ダメな楽器ではありませんが、1934年や52年のギブソンと一緒に使うには微妙で、何のかんので使わないのです。なのでとりあえず買えそうな感じの良いローズのアコギを別で探してみることにして調べてみると、20年前からちょこちょこ買い物をしていたお茶の水の某ギター屋さんに、トップ板の穴空き補修、膨らみ補修、その他数多の補修歴のあるダメージ系1973年の Martin D-41 が、なんと自分の買えるお値段で出ているではありませんか。D-41 は、そういえばそれまで自分はちゃんと弾いたことがなく、これは一回弾いてみようということで日曜日にお店に出向いて弾きました。
Martin の40番台は、個人的には若い頃に成金趣味の大人たちが好き好んで使っている楽器という先入観があって、ほぼほぼ食わず嫌いでこの歳まできてしまっていたのですが、弾いてみれば、なんとこれはそんな食わず嫌いで避けて良い系の楽器では全くありませんのでした。所謂 D-28 の音とも全く別の重厚感で鳴っており、どうも自分は無意識にこの楽器の音を追い求めてずっとギターを弾いていたのでは?というくらい、これは自分の人格形成期に深く刷り込まれたアコギの音そのものなのでした。もう、びっくりしました。自分は40番台の本当の音を知らずにここまで過ごしてきてしまっていたのですが、若い頃の先入観は、本当ダメですね。
こうなるとこれは買わないで人生終わる訳にはいきませんので、その D-41 を買って帰ってきて、自分のイメージするアコギの音が鳴るように今までの弾き方を変えながらその D-41 を鳴らす訳ですが、そうすると J-45、0-17 の弾き方も自然と変わって行きました。指の当て位置、角度、弾く強さ、楽器の抱え方、全てが微妙な弾き方を自分は今までやってきたのが、そこではっきり分かったのです。Gibson らしい、とはなんぞやと。オールマホガニーの Martin の癖はここにあるぞと。自分は結局ドレッドノートの音が好きなんだ、などなど、ありとあらゆるアコギに関しての自分の足りない要素が一気に炙り出されて、もろもろ解決の方向に向かうのでした。
なるほどー、これは人生のもっと早い季節に知りたかったですよーと思ってしまうと、普段あまり人生を振り返えらないのに自分の人生を振り返ってしまい、そういえば今まで出会った人は自分に何も言ってくれなかったな・・と思ってしまいました。自分の言われにくいキャラもあるのですが、結局、自分は人との出会い運が「からっきし」なんだということを、ここでも思い知らされてしまいましたね。自分はここでもまた機材に成長させてもらったという。そもそも他人が「お前の星回りならお前は機材を買え、がしがし買え」とはアドバイスできませんし、自分の星回りは自分で理解して自分に合ったやり方を見つけていくことでしか人生は回っていきませんよということなんだと思います。
D-41 を使って、それを弾いていればアコギの弾き方も徐々にですが改善され、その弾き方で今風のキックの音をあつらえたトラックに D-41 の音を録音してみますと、ローズの低域は目論見通りで、自分の意図したバランスでトラックに馴染んでくれるのでした。
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ヴィンテージ・シンセに鞍替えした話
シンセですが、以前の状況からはガラッと変わり、現状はヴィンテージシンセと Random Source Serge 4U をメインにやっております。4年前までは自分がヴィンテージ・シンセやモジュラーをやることはないだろうと思っていたのですが、結局それまで使っていた A4mk2 や Hydrasynth などの現行シンセでは自分が上手く音を決めることができずに、その後Moog Grandmother などを買い足してみたり色々やってはみたものの、出来上がったトラックを3ヶ月後に聞くと「やっぱり違う」という感じになってしまい、そこで困ってしまった訳です。

楽器のせいというよりは自分のウデなんだろうなというのを分かりつつも、自分としては当時の自分の力でやれる事はやり切っている感覚はあり、となると自分がまだ気がついていない感覚があるんだろうと。そうなると自分が気がついていない事にどうやって気がつけるようになるのかという話でしかなく、こうなるともう機材に頼るのが一番という感じなので、そうすることに。
もちろん他にも色々な方法はあるでしょうが、単純に自分のような「つまんない奴」は、例えばインナーサークル的なコミュニティーに所属して情報を得たりのようなことはとても難しく、仮に運良くインナーサークルに所属できたとしても、そこで必要な情報を得られるようには物事が進まず、結局最後は一人で頑張るしかなくなってしまうのです。
若い頃ですが、インナーサークル的な人間関係の中でいじられキャラを一生懸命���じても自分がいじられキャラになり切れずに人間関係で損ばかりしていた頃、「可愛がられる才能のない奴は飛び抜けるしかない」と自分にアドバイスをくれた友人がいました。要するに自分にインナーサークル村社会の中でいじられキャラをやっていく資質がない���は自他ともに認める所で、そこを克服することは、結局自分には叶わなかったのです。もっとも自分に飛び抜けられる才能があるとも全く思えませんでしたが、どちらかしか道がないなら、自分は飛び抜けられるようにやっていくしかないのか?という。男社会は残酷だなあとその時、思いましたけども。

それはそれとして。自分は今気が付けていない事に一人で気が付けるようになるしかありませんので、とりあえず突破口を求めて YouTube で、例えばシンセのデモ動画も漁ってみる訳です。そしたら偶然 Korg の Polysix のデモ演奏の動画を見つけ、それに妙に自分が引っぱられてしまうのでした。自分、ヴィンテージシンセやるの?という躊躇が全くなかった訳ではありませんでしたが、それでも何かが引っ掛かるのです。なので少し調べたら、丁度原宿のお店に中古が出ているので、これは行って実物の音を聞いてみるしかないでしょ、という事でお正月休み期間でしたので、翌日開店と同時にお店に行きました。音を聞いた瞬間、もうこれですよこれ的な音が鳴るので、音作りの幅は狭そうだなと思いつつ、当時はまだお手頃なお値段でもあり、とりあえずこれで一度作ってみようとその場で買いました。
3ヵ月後、Polysix の整備が完了したとお店から連絡が入り、受け取りに行って、平日の夜でしたから帰って部屋にセットして電源を入れて音を聞いてウットリして、その日はそれだけで終わりましたけど、やっぱりワクワクする音なんですよね。そして週末にいよいよ自分の曲で Polysix を鳴らしてみるのですが、鳴らしたらなんと自分のアレンジに全然合わないのです。愕然としてしまう訳ですが、そこでミキサーの solo ボタンをクリックして Polysix ��けを鳴らすと、これがまたウットリするような音が鳴る訳です。ああ、そうかと。そういう事かと。
結局、今まで自分が作ってきたシンセの音が全て自分が思う所とは別の重心で鳴っていた訳です。自分はシンセの音に関して「にわか」ですから、その微妙な違いに気が付けていませんでした。アコギの EQ も、そもそも録音の際のマイクの立て方すらも、その別の方向を向いたシンセの音に合わせてしまっている以上、ウットリする Polysix の音と揃うはずもなく。そこで、アコギの音を EQ で Polysix の重心に揃うように仮で位相をズラして、エコーも同じように位相を回してみたら、もうこれが自分の作りたかった音ですよ的な仕上がりの方向性が広がるのです。この時点で今まで2年かけて作ってきた3曲、全部シンセの差し替え、ギターの録り直しが決定してしまう訳ですけども。

結局、昔のシンセはコンボ編成のギターバンドと揃う音の重心を出せない限り、当時の軽音楽で使ってもらえる事はなかったんだろうと推測できますし、なので昔のシンセで作れる音の重心は、そもそもギターバンド形態の音楽に、新しいシンセよりも適性があるのだろうと。自分の作ろうとしているシンセの音は、その古き良きコンボ形式のギターバンド編成にある重心に揃う音だった訳です。
今の新しいシンセで同じような古い時代のコンボ形式のバンド編成的な重心を出せないのかと言われると、自分はそれができる程シンセの達人ではありません、としか答えられません。シンセの達人ならできるのかもしれませんが。今のシンセを70年代の古いプリアンプを通して音作りをしても、80年代の古いコンプを通してみても、こと音の重心、編成の中で音の座る位置に関して、ヴィンテージシンセと同じ佇まいを作ることは自分には無理でした。
Polysix のおかげで自分の方向性に確信が持ててきたのと、シンセの音作りにもちょっと自信が持てるようになったのもあり、そこから Chroma Polaris、Jupiter6、CS15 と一気に昔のシンセを買い足して、今は後に買った Jupiter6、CS15、Polysix の3台と、その後に買う Random Source の Serge 4U を中心にやっていくようになりました。
古いシンセは今のシンセで当たり前にできる事ができない場面が多々ありますので、道具としての物足りなさはそれなりにあります。でも、とにかくヴィンテージのアコギと音の重心が揃えられる音の佇まいが、自分の音楽には絶対必要なのです。

おかげさまで制作もそこそこ進捗し、自分の作りたい音楽が徐々に形になってきた所で、両親が二人同時に要介護認定を受けて自分が介護しなければならない状況になってしまい、諸々進捗が滞る期間が3年近くも続いてしまいましたが、最近やっと元の生活が戻りつつあり、良かったなと。介護は、まあ、ハードでしたよ。控えめに言って、物凄いハードです。
介護でストレスが爆発したのもあったでしょうか、そこから何を思ったか Random Source の Serge 4U でモジュラーシンセも初めてしまった訳ですが、その話はまた別の機会に。
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パッシブ・モニターのパワーアンプ
音楽を復活させてから、何から機材を揃えて良いかあまり分かっておらずでしたが、とりあえずモニターは大事だ大事だとプロの方々が散々口を酸っぱくして言われておられるのをネットで眺めていると、そうなのか~、という気分にはなりますよね。で、前使っていた物が2020年に壊れたタイミングで変えることにしたのです。その時、パワーアンプにピュアオーディオのMarantz PM-12 を買って、それを今も使っています。

その時はプロオーディオの製品でこれは、というものが大体は予算オーバーで(ATC SCM20ASL Pro MK2 etc.)、となるとそれまで使っていたPMCをそのまま活かす方がまだマシだろうなと。Genelecも、買えない奴なら良いな~と思いましたが買えるのを聞くとやっぱり好きにはなれなくて、Focalはパス、ADAMも自分の環境で上手に鳴らせる自信もなく。
やっぱりPMC好きなんですよ。こういう系統の音にどうしても反応してしまうので、ATCはホント素晴らしいなと思ったんですが、諸々の事情で、あの時その60万が出せず。なのでPMCをそのまま活かしてパワーアンプだけ新調するかと。
で、そのパワーアンプは、実はD級にこだわってみたのです。前のアンプが壊れた時に代替えで使ったアンプが、安物ではありつつ実はD級で、その低域の素直さに感心してしまい、安物でもこんな低域出るの、D級凄いなとびっくりしたのがそもそもの始まり。その素直さのおかげで20〜30Hzの超低域の「向き」が見えて、それが自分にとってのミックス開眼をもたらしてくれた訳です。「向き」を揃えられると自分でミックスした音源をYouTubeにアップした時に、パソコンで再生した時とほぼ同じ印象で再生させられるようになり、そこで自分がそれまでの暗中模索の状態から一気に霧が晴れた感覚になれたのでした。その感覚でこんなに上手くいくなら、全て「その感覚」でいじりたい訳ですよ。元々D級は位相が動かない故の音のストレートさが、オーディオマニアには「面白みがない」と評される傾向があるくらい素直な位相を鳴らずアンプで、観賞用には欠点でもモニター用にはひょっとして最高なのでは?と。
実はパワーアンプだけを新調するか、或いはパワードの方に移行するかと迷っていた時、パワードでD級を採用しているreProducer AudioのEpic-5なんか良さげじゃないですか、と思ってEpic5を渋谷の某店舗に視聴しに行ったりしたのですよね。そしたらそのEpic5は肝心の20〜30Hzの音の位相が回転しているように聞こえてしまい、これじゃ「あの感覚」が使えない・・と思って帰ってからフッ○アップのサポートにメールを���たのです。その時、あちらが分かりやすいようにと、オーディオマニアが読むwebの記事を添付して、D級の位相特性がカップリングコンデンサなどにより意図的に動かされているのか、それとも単にパッシブウーハーが下向きだからなのかを質問してみたのです。そしたら「面倒臭い奴」と思われたのか、フッ○アップからの返答は「お疲れ様ですー、こちらも勉強になりましたー」でおしまい。まあ、こちらと無才の凡人老人なのでこういう扱いはいつもの事。相手がプロのミュージシャンなら別の対応をするんだと思いますが。

気を取り直して、そこから海外サイトも沢山当たってみたのですが、何と当時Epic5を取り扱う小売店があまりにも少なくて(というかほぼゼロ)びっくり。あの頃の海外のモニター事情は、圧倒的にATCかBarefoot Soundで、あとはちょろちょろという感じ。Epic5が本当に良いなら、BarefootやATCの半値以上安いEpic5は海外でも絶賛されつつ使われるはずなんだがうーん、という感じになってしまいました。フッ○アップからの最悪の気分にさせてくれた返信も手伝って、結局ちゃんとしたパワードは50万は見ないとダメかと(当時)。ならパワーアンプだけを新調するのもアリだなとなって、それのD級を当たってみようとなりました。
で、今、国内でD級に力を入れているオーディオメーカーの最右翼がMarantzなのですよね。そのMarantzのフラッグシップより一つグレードの下のアンプPM-12が、丁度モデルの切り替え期で旧モデルの在庫分が安く買えるので、とりあえずCDを持ってPM-12の置いてあるお店を結構回って試聴してきました。そしたらそれが思っていた感じの音。これはイケる、という感じになって帰って、まあ、Marantzにもメールをしてみましたよ。低域の位相はどうなっているの?と。そしたら、Marantzはさすがピュアオーディオのメーカーだけあって面倒臭いジジイの扱いは圧倒的に手慣れており、何者にもなれなかったしょーもない凡人ジジイの長いメールにも、実に分かりやすい簡潔な返信が帰ってくるのでした。「PM-12で採用されているスイッチングアンプでは、低域の位相回転を発生することはございません。弊社設計のおけるカップリングコンデンサーによる低域の位相回転につきましては、実質否定できませんが、カップリングコンデンサーで発生する低域の位相回転は超低域であり(1Hz以下)、音質に影響するものではございません」という完璧なご回答。フッ○アップでめちゃくちゃ気分の悪い対応をされた後だけに、これだけでもう気分はアゲアゲです。

PM-12を買って、設置したあとは電源ノイズやら壁の反射やら、前のアンプじゃ気にならなかった事が色々と気になりだし、コンセントの取り方やら吸音材やら、色々やるハメに。そこから普通にDAWを開ける状態に戻るまで2ヶ月以上はかかってしまいましたよ。
そしてある程度納得できる状態になったこのモニター環境でそれまでやってきた自分の作業を聞くと、ほぼ全部が失敗していることに気が付くのでした。例えばOzone9のEQなんかでも当てる場所、幅を間違えているのでフェイザーがかかってしまう感じに聞こえてしまっていたり、など。仕方がないので、コンマ01単位で手で数字を打ち込みながらフェイザー状態を回避したり。そうやってプラグインの違和感から手直ししただけでもモニターから聞こえてくる音とミキサーに刺したヘッドホンから聞こえてくる音の印象が揃ってくる感じになり、なーるほどー、という。
プラグインの手直しだけもそういう感じなので、当然今までのモニターの音で作ったシンセの音も全然違う位相で聞こえてしまう訳で、つまり今までやったアレンジが全部ちゃぶ台返しになってしまうという、ここは結構凹みましたね・・。ただ、今まで作業した分の音が、ネットに上げた時の「なんか違う」「ああ、これじゃ伝わらない」という感覚そのまんまで聞こえている訳で、この新しくしたモニター環境を信用して音を作れば、少しはいろんな人たちに聞いてもらえる音が作れるかも的な道筋は見えたのは、良かったですよ。
その後、今年に入ってついに念願の SCM20P Pro Mk2 を買って更に絶好調な訳ですが、それはまた別の機会に。
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ブログ再開 (改訂版)
と言う訳で、ずっと気がついていませんでしたが、なんと最後の投稿に反応があり、それならブログを続けてみようか的な気分になりましたので、再開してみました。
再開するでも、過去の記事は反応のあったやつだけを残して、あとはリセットしてやる方が気分良くやれそうなので、そうしました。ただし自分、音楽にブランクがあってそれを本格的に復活させたのが2018年という時系列が抜けてしまうとアレなので、そこら辺だけ書き加えておきます。

単純に人生も40代終盤に差し掛かると、いよいよ最後の活動の季節を迎える自覚というか、自分が終わりに向かっていく感覚が日常になっていくのですよね。40歳になってしばらくした頃、既に自分は音楽に関しては4~5年も何もしておらず、だからと言ってそのまま自分が音楽をやらずに過ごしていくことに言うほど抵抗があった訳でもなく、このまま何者にもなれなかった凡人として天寿を全うするんだなあ、くらいの感覚で過ごしていました。でも2011年の大震災を契機として、あそこから人々の生活が想像以上に大きく変わっていっていることが次第に分かってきた辺りで、もう今までの社会は持続しない、今まで社会に適応できてたやり方でやってても自分は社会から切り離される、という感覚を強く持ち始めるようになって、そこで自分は音楽をまたやろうと思ったのでした。
結局���ンターネットというインフラは、どうあっても人間の本能に組み込まれた競争心を刺激してしまう仕組みを持っているんだろうと。インターネットが不可欠な社会では、どんなに平凡な人でも、才能ある人たちと同じ土俵で競争させられる環境が生まれてしまう訳です。本来なら、それは才能のない普通の人にとって非常に厳しい世界のはずです。本来なら。
そんな過酷な環境で皆さんどう生きていくんだろう?と思って見ていると、普通の人たちはなんと、才能ある人にしかできないことを評価基準から外し、才能のない人でもできることだけを評価するようにルールを作り変え、それがあたかも絶対真理であるかの如く、何食わぬ顔で単なる凡庸レベルを最高レベルと評価する環境を作り上げていったのでした。日本では、例えば娯楽の世界では、ニコニコ動画やコミケといった場所で、そういった仕組みが花開いていったでしょうか。才能ある人が当たり前にこなす「美しい」「正しい」に厳密に従っていても才能のない人たちがその競争に勝つのは不可能なので、そこでゴールを普通の人に合わせて競争を行うようにすると。もっとも、この手法は一般企業の社内政治でも、昭和の時代から細々と存在した手法ではありますので、それがインターネット環境の登場でブーストされるようになったとして、それも自然なことなんだろうと、自分はその時に納得したのでした。

ただし、競争社会を成り立たせつつもある程度は皆んなで平和にやっていくためには、競争に参加しない人にも一定の尊厳や権利を認めることが必要だと思うのですが、社会がその方向には進まず、凡人全てに競争を強いるような流れにしてしまったのは、個人的には愚かな選択をしたなあと。社会の大多数は凡庸などんぐりの背比べの人どうしでしかない以上、そこで誰でも努力すれば競争に勝てるん��す的な世界にするということは、皆で些細などーでも良い事を殊更大きな違いであるかのようにアピールしていくしか、凡人が他との差別化なんてできませんので、もうそうするしかないですよ、そりゃ。結局、社会が今のような感じになっていくのも、これまた自然の摂理と言うしかなく。その昔、キリスト教でピューリタンという流派が出てきた時、大多数の凡庸は凡庸どうしで我先に「アタシの方が教義に忠実よ!」と似た者どうしで微々たる欠点を突き合うばかりで、結局ピューリタンはキリスト教の中で主流になることもなく、まあ、歴史は繰り返すという感じ。
あの時、社会がそっちに舵を切ってしまった以上、競争に勝てない��は努力不足、甘え、非国民、の社会がいずれやってくるのは、もう火を見るよりも明らかだったと思います。一定数の競争に参加しない人に「俺は才能ないから」というアリバイを与えて市民権を持たせるのは、それなりに意味があったとは思うのですが。とりあえず、もう自分も何かで競争に、最低でも参加するしかないんだ・・と。自分は今の年齢になった頃には平凡でも穏和に暮らしていけたらくらいに思っていたんですが、人生は予定通りにいきませんね。
自分が今から若い人と、そして才能ある人たちと横一線で競争をさせられて、辛うじてでも競争の体を成す所まで持っていけそうな事を考えてみると、音楽は、一応そうかもと。もちろん、自分は職業音楽家としてやっていける才能はありませんので、勝機は薄いです。それでもやるしかないのかなと。勝機は薄いとは言え、自分、音楽をムキになってやっていたので。若いって素晴らしいですよ。まあ、どーせやるなら、せめてあのムキになってやれたエネルギーで戦おうと思った訳です。

ここで、音楽は競争ではない、的な話もあろうかとは思いますが、あれはほぼほぼ才能ある人たちの呪いなので、その呪いにかかったら才能ある人たちの思う壺ですよ。
そんな訳で���自分は2014年にそれまでの生活を断ち切る事にして準備を始め、50代に足を突っ込んだ2016年に引っ越しを決めて、2017年の秋くらいから音楽を再開できる環境がぼちぼち整って、2018年の2月から今の IDM 的な方向性に決めて今に至る、です。合言葉は「一番とそれ以外」です。凡人なら眩いばかりの光り輝く世界はとっとと諦めて、凡人でも一番になれそうな土俵を見つけて、そこで一番になるという正攻法をつべこべ言わずに実行していきましょう、です。一番になれなければ「その他大勢」として扱われるまで。35歳まで社会は下駄を履かせてくれますが、35歳を過ぎても「その他大勢」のままなら下請けとして元請けの手足となって奴隷労働あるのみ。それが嫌なら、いくつであろうと大学の教員であろうと誰であろうと、何かで一番になるしかありませんと。年功序列の崩壊した世界は、もうそれで回っていくしかありませんので。
いざ再開してみたら、覚悟はしていましたけど、ホント浦島太郎です。今も相変わらず太郎くんは居座っており、太郎くん、困ったもんだと思っておりますが。
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あまり流れを作れなかったのは心残りではありましたが、単純に時間切れになったので仕方なくこのまま応募しました。
結局こういうアレンジが物足りない場合の引き出しの少なさが出てしまった感じで、残念は残念なミックスではあります。もっとも自分の曲ならアレンジをちゃんとやるのが前提なので、ここで頑張るのもちょっと違うかなという。ミックスを専門にやる人はここで頑張らないといけないんだとは思いますが。
あと、合唱パートが歪んでるのは録音でバリバリ歪んでて、Lynxでは許容範囲かな?と思ってほとんど修正しませんでしたけど、あとでアポジーDUETで再生したら歪みがかなり気になりましたね。IOでこうも違って聞こえるんだ・・というのは他人の録音をやって初めて分かったことなので、これも経験でしょうか。これを修正するとそれなりにボヤっとした音になってしまうのを嫌って修正しない方を選びましたが、これじゃダメですよね。
もう一つ、ドラムのスネアもアポジーのDUETで再生すると思ったより地味に聞こえてしまい、これも課題。
他人のミックスは難しいすね。自分の曲だけやってると、結構気がつかないままで色々過ごして��まっていることに気が付けるので、これからも時々コンテストには参加してみなければ、と思いました。
まあでも、ちょっとずつですが、やりたい事に近づけてる実感もあるので細かい事を順次こなせるようにして、自分の曲で致命的なミスをしてしまう確率を一つ一つ潰して、もう少し頑張ろうと思います。
またコンテストに参加した
またコンテストに参加したので、一応ファイルのリンクをここに残しておきます。
コンテストMIX
マスタリング禁止のルールなので真面目に2mixを書き出したやつをそのまま。
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