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ブログ再開 (改訂版)
と言う訳で、ずっと気がついていませんでしたが、なんと最後の投稿に反応があり、それならブログを続けてみようか的な気分になりましたので、再開してみました。
再開するでも、過去の記事は反応のあったやつだけを残して、あとはリセットしてやる方が気分良くやれそうなので、そうしました。ただし自分、音楽にブランクがあってそれを本格的に復活させたのが2018年という時��列が抜けてしまうとアレなので、そこら辺だけ書き加えておきます。
単純に人生も40代終盤に差し掛かると、いよいよ最後の活動の季節を迎える自覚というか、自分が終わりに向かっていく感覚が日常になっていくのですよね。40歳になってしばらくした頃、既に自分は音楽に関しては4~5年も何もしておらず、だからと言ってそのまま自分が音楽をやらずに過ごしていくことに言うほど抵抗があった訳でもなく、このまま何者にもなれなかった凡人として天寿を全うするんだなあ、くらいの感覚で過ごしていました。でも2011年の大震災を契機として、あそこから人々の生活が想像以上に大きく変わっていっていることが次第に分かってきた辺りで、もう今までの社会は持続しない、今まで社会に適応できてたやり方でやってても自分は社会から切り離される、という感覚を強く持ち始めるようになって、そこで自分は音楽をまたやろうと思ったのでした。
結局インターネットというインフラは、どうあっても人間の本能に仕組まれた「競争スイッチ」を入れてしまう仕組みを持っているということなんだと思います。インターネットというインフラが必須な社会環境では、どんなに凡人であろうが才能ある人たちと横一線で競争をさせられてしまうという、無才の凡人にとっては過酷な世界なのです。本来ならば。
その過酷な世界で皆んなこれをどーするんだろ?と思って見ていたら、普通の人たちは才能ある人しかできないことを評価基準から外して、才能のない人でもできることだけを評価するルールで競争する事をやり始めて、それが日本では、例えばニコニコ動画、コミケ、という所で花が開いていったでしょうか。普通の人が才能ある人たちの目指す「美しい」「正しい」に、厳密に従ってても永遠に競争には勝てませんので、ゴールを才能がない人に合わせて競争をするようになるのは、でもこれは一般企業の社内政治でもよく見られる手法なので、結局のところ、これは自然の摂理なんだと、自分はその時納得しましたよ。
ただ、競争社会をやるでも、それでそこそこ平和にやっていくには競争に参加しない人に市民権を与えることしか方法はないはずなのですが、社会はそれを許さないという方向に動いていってしまったのは、個人的には愚かな選択をしたなあ、という感想。社会の大多数は凡庸などんぐりの背比べの人どうしでしかない以上、そこで誰でも努力すれば競争に勝てるんです的な世界にするということは、皆で些細などーでも良い事を殊更大きな違いであるかのようにアピールしていくしか、凡人が他との差別化なんてできませんので、もうそうするしかないですよ、そりゃ。結局、社会が今のような感じになっていくのも、これまた自然の摂理と言うしかなく。その昔、キリスト教でピューリタンという流派が出てきた時、大多数の凡庸は凡庸どうしで我先に「アタシの方が教義に忠実よ!」と似た者どうしで微々たる欠点を突き合うばかりで、結局ピューリタンはキリスト教の中で主流になることもなく、まあ、歴史は繰り返すという感じ。
あの時、社会がそっちに舵を切ってしまった以上、競争に勝てない奴は努力不足、甘え、非国民、の社会がいずれやってくるのは、もう火を見るよりも明らかだったと思います。一定数の競争に参加しない人に「俺は才能ないから」というアリバイを与えて市民権を持たせるのは、それなりに意味があったとは思うのですが。とりあえず、もう自分も何かで競争に、最低でも参加するしかないんだ・・と。自分は今の年齢になった頃には平凡でも穏和に暮らしていけたらくらいに思っていたんですが、人生は予定通りにいきませんね。
自分が今から若い人と、そして才能ある人たちと横一線で競争をさせられて、辛うじてでも競争の体を成す所まで持っていけそうな事を考えてみると、音楽は、一応そうかもと。もちろん、自分は職業音楽家としてやっていける才能はありませんので、勝機は薄いです。それでもやるし���ないのかなと。勝機は薄いとは言え、自分、音楽をムキになってやっていたので。若いって素晴らしいですよ。まあ、どーせやるなら、せめてあのムキになってやれたエネルギーで戦おうと思った訳です。
ここで、音楽は競争ではない、的な話もあろうかとは思いますが、あれはほぼほぼ才能ある人たちの呪いなので、その呪いにかかったら才能ある人たちの思う壺ですよ。
そんな訳で、自分は2014年にそれまでの生活を断ち切る事にして準備を始め、50代に足を突っ込んだ2016年に引っ越し��決めて、2017年の秋くらいから音楽を再開できる環境がぼちぼち整って、2018年の2月から今の IDM 的な方向性に決めて今に至る、です。合言葉は「一番とそれ以外」です。凡人なら眩いばかりの光り輝く世界はとっとと諦めて、凡人でも一番になれそうな土俵を見つけて、そこで一番になるという正攻法をつべこべ言わずに実行していきましょう、です。一番になれなければ「その他大勢」として扱われるまで。35歳まで社会は下駄を履かせてくれますが、35歳を過ぎても「その他大勢」のままなら下請けとして元請けの手足となって奴隷労働あるのみ。それが嫌なら、いくつであろうと大学の教員であろうと誰であろうと、何かで一番になるしかありませんと。年功序列の崩壊した世界は、もうそれで回っていくしかありませんので。
いざ再開してみたら、覚悟はしていましたけど、ホント浦島太郎です。今も相変わらず太郎くんは居座っており、太郎くん、困ったもんだと思っておりますが。
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あまり流れを作れなかったのは心残りではありましたが、単純に時間切れになったので仕方なくこのまま応募しました。
結局こういうアレンジが物足りない場合の引き出しの少なさが出てしまった感じで、残念は残念なミックスではあります。もっとも自分の曲ならアレンジをちゃんとやるのが前提なので、ここで頑張るのもちょっと違うかなという。ミックスを専門にやる人はここで頑張らないといけないんだとは思いますが。
あと、合唱パートが歪んでるのは録音でバリバリ歪んで���、Lynxでは許容範囲かな?と思ってほとんど修正しませんでしたけど、あとでアポジーDUETで再生したら歪みがかなり気になりましたね。IOでこうも違って聞こえるんだ・・というのは他人の録音をやって初めて分かったことなので、これも経験でしょうか。これを修正するとそれなりにボヤっとした音になってしまうのを嫌って修正しない方を選びましたが、これじゃダメですよね。
もう一つ、ドラムのスネアもアポジーのDUETで再生すると思ったより地味に聞こえてしまい、これも課題。
他人のミックスは難しいすね。自分の曲だけやってると、結構気がつかないままで色々過ごしてしまっていることに気が付けるので、これからも時々コンテストには参加してみなければ、と思いました。
まあでも、ちょっとずつですが、やりたい事に近づけてる実感もあるので細かい事を順次こなせるようにして、自分の曲で致命的なミスをしてしまう確率を一つ一つ潰して、もう少し頑張ろうと思います。
またコンテストに参加した
またコンテストに参加したので、一応ファイルのリンクをここに残しておきます。
コンテストMIX
マスタリング禁止のルールなので真面目に2mixを書き出したやつをそのまま。
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