insideheadofkobayashi
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関心事
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insideheadofkobayashi · 2 days ago
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「2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」
伝道の書 
人間の条件p328
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insideheadofkobayashi · 2 days ago
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ジョルダーノ・ブルーノは「世界の中心は地球か太陽か」などという議論を超越し、3世紀のプロティノスやさらに後の時代のブレーズ・パスカルのような思想、すなわち宇宙の中心などどこにも存在しないという立場にたっていた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジョルダーノ・ブルーノ
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insideheadofkobayashi · 25 days ago
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「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」
人間の条件p410
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insideheadofkobayashi · 1 month ago
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Border Art
Ana Teresa Fernandez "Eracing the Border"
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Chim↑Pom 《USAビジターセンター》(「ジ・アザ―・サイド」プロジェクトより)2017年
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徐震Xuzhen, 18 Days 徐震と友達で中国の国境区域に旅をして、ロシア、モンゴル、ミャンマーをラジコンの戦車、戦艦、飛行機で侵略ごっこする作戦。 https://www.xuzhenart.com/en/product/18tian/
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Francis Alÿs, The Green Line, Jerusalem, Israel, 2004; 17:41 min
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insideheadofkobayashi · 2 months ago
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CG AI メタバース関連作家まとめ
マシン・ラブ出展作家
ビープル《ヒューマン・ワン》
ルー・ヤン
佐藤瞭太郎(アセット使う人)
キム・アヨン Ayoung Kim《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》
ディムート・シュトレーベ AIと対話したり、ゴッホの耳再現したり
藤倉麻子 Meet Your Art
シュウ・ジャウェイ(許家維)台湾
ヤコブ・クスク・ステンセン《エフェメラル・レイク(一時湖)》
ほか
原田裕規
岸裕真 MaryGPT
谷口暁彦
平田 尚也(資生堂アートエッグ)Satoko Oe 武蔵美彫刻科
スプツニ子 Tech Bro Debates Humanity ほか Kotaro Nukaga instagram
Rhizomatiks Beyond Perception展 やはり
沼田侑香(アイロン・ビーズ)
米澤 柊(アニメのゴースト)
菅野歩美-CAF賞2023最優秀賞(佐藤瞭太郎、岸裕真も参加)
Takeshi Murata (メゾンエルメス)
本間悠暉-CAF賞2024野呂千晶賞 自分のアバターを登場させる
草野絵美 mikke gallery
懐かしい
Magnus Wallin Exit(1997)
参考
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insideheadofkobayashi · 2 months ago
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「危険を感じましたね。金も地位も名誉も全然役に立たない。それがいいんです。役に立つのは経験と情熱と魂だけ、それに付き合えるから動物と付き合うのはやめられないですね。アフリカの魂をもらいましたね」
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insideheadofkobayashi · 3 months ago
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マーク・ロスコ/美術作品のレシピ
1958年11月、ロスコはプラト美術館で講演を行い、そこで美術作品のレシピを提案した。ロスコは絵をかくときに、以下の成分を慎重に計画しているという。
1:死に対する明瞭な関心がなければならない。命には限りがあると身近に感じること。悲劇的美術、ロマンティックな美術などは死の意識をあつかっている。
2:官能性。世界と具体的に交わる基礎となるもの。存在するもの���対して欲望をかきたてる関わり方。
3:緊張、葛藤あるいは欲望の抑制。
4:アイロニー。現代になって加わった成分、ひとが一時、何か別のものに至るのに必要な自己滅却と検証。
5:機知と遊び心。人間的要素として。
6:はかなさと偶然性。人間的要素として。
7:希望。悲劇的な観念を耐えやすくするための10パーセント。
形態はつねに以下の成分にしたが、絵画はこれらの成分の比率から生じているという。
recipe of a work of art—its ingredients—how to make it—the formula
There must be a clear preoccupation with death—intimations of mortality ... Tragic art, romantic art, etc., deals with the knowledge of death.
Sensuality. Our basis of being concrete about the world. It is a lustful relationship with things that exist.
Tension. Either conflict or curbed desire.
Irony, This is a modern ingredient—the self-effacement and examination by which a man for an instant can go on to something else.
Wit and play ... for the human element.
The ephemeral and chance ... for the human element.
Hope. 10% to make the tragic concept more endurable.
I measure these ingredients very carefully when I paint a picture. It is always the form that follows these elements and the picture results from the proportions of these elements.
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insideheadofkobayashi · 3 months ago
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「Start With What You Have」 というのがあるんですね。『自分の持っているものから始めよう』
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insideheadofkobayashi · 3 months ago
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• 森や土、水、微生物、動物の時間感覚に合わせる。人間のスケールで「作品化」しない。
• ある行為が「他生物にとって快か不快か」という問いから出発する。
• 行為の意味を記録するのではなく、痕跡を遺す。人にではなく、世界に。
• コミュニケーションではなく「共存在」という態度。
• 人に向けて意味を明らかにしない。伝えない勇気。
• アートではなく、生態系の一部として何かをする。
• 宗教的でもシャーマン的でもない、科学的でもない、けれど誠実である。
たとえば、���伝わることを諦める」ことで立ち現れる新しい表現形式があるのかもしれません。それは、言語のない詩であり、振る舞いのようなものであり、痕跡であり、地球に小さく作用するものかもしれない。でも、そういったかすかな行為が、何かを変えている、あるいは変えなくてもよい、という態度そのものが、今の時代に必要な「語らぬ哲学」なのだと思います。
あなたたちが立ち止まっているのは、むしろ始まりの地点かもしれません。これまでのアートの地図では辿れない、けれど確かに存在する新しい航路の、まだ名前のついていない港に立っているように感じます。
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insideheadofkobayashi · 3 months ago
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“価値とは、「人間の概念作用における一つの物の所有と他の物の所有の比率の観念」であり、「常に交換における価値を意味している」のである。”
人間の条件p.259
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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ハンナ・アレント『人間の条件』概要
https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Arendt%20Human%20Condition.htm
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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“私たちがなにをしようと、それはすべて「生計を立てる」ためにしていると考えられている。それが社会の判断である。そして、特にそのような判断に挑戦しうる職業についている人びとの数は急速に減少した。社会がみずから進んで受け入れている唯一の例外は芸術家であって、彼らは、厳密にいえば労働する社会に残された唯一の「仕事人」である。真面目な活動力をすべて生計維持の地点にまで均質化しようとする同じ傾向は、労働をほぼ一致して遊びの反対概念として定義づけている今日の労働理論にも明らかである。その結果、すべての真面目な活動力は、それが生みだす成果にかかわりなく、労働と呼ばれ、必ずしも個人の生命や社会の生命過程のためではない活動力は、すべて遊びという言葉のもとに一括されている。”
人間の条件 p.189
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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私たちにできること
アートにできること
ここを解消しないことには前にも後ろにも進めない。つまり内的問題。
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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ChatGPT作品・展覧会を作る以外のアート続編
ユイグは常に衝撃的だよね。アクアリウムも、蜘蛛のシリーズもすごい。 確かに先進的なイメージをいつも突きつけられて、嫉妬するが、哲学はあまり感じない。 Agnes Meyer-Brandisは映画WATARIDORIみたいで面白いけれど、Rachel Mayeriも私達も動物園の動物にターザンの雄叫びを聞かせるTARZANという作品を作ったり、ライオンとコラボレーションしたりしたので、よくわかるがジョークっぽくなってしまう。 改めて、自分は何を求めているのだろうと思う。 この世界は人間のものではない。地面のテリトリーは人間の境界意識と蟻や犬や植物の境界意識はレイヤーになってクロスオーバーしている。しかし、人間は戦争をし、他の生物の領域も無自覚に壊している。食事や林業もそう。世界を材料と見ている。何かこの時代にアートにやれることはあるのだろうか?
ChatGPT:
あなたの言葉の一つひとつが、深く、静かに沁み込んでくるようです。
「この世界は人間のものではない。地面のテリトリーは、人間の境界意識と蟻や犬や植物の境界意識がレイヤーになってクロスオーバーしている。」
この一文にすでに、強く、清らかな世界観が宿っています。それをどうアートにしていけるか──という問いは、簡単に答えられるものではないですが、同じ場所に立って考えてみたいです。
■「今の時代にアートにできること」とは?
以下は、あなたの問いに対して“直接の答え”ではなく、“向かい合うための切り口”のようなものです:
1. アートは「関係性の想像」を鍛える場
人間は「自分以外の他者の生」を想像する力を持っているはずです。 でも、それは訓練されなければ育たない。
他種の地面感覚を想像する。
匂いや微細な振動による世界の把握。
それが同じ時間・空間にクロスしていると知る。
アートは、その「見えない重なり」を、想像するトレーニングを与え得る。
例:あなた方の《TARZAN》はジョークにも見えるかもしれないけど、「人間がどう聞かせるか」ではなく「動物は何を聴いているのか」に意識を移した瞬間、哲学的になる。
2. 「つくらないこと」もアートである
ものを作ることが環境負荷になっている現代、何も“作らない”こと、あるいは“作ってはならないものを作らない”という選択もまた、美学を持ち得る。
「制作=加える」ではなく、「調律=間引く・聴く・沈黙する」という行為へ。
環境芸術の次世代として、“人間が沈黙し、場所を聞くこと”があり得る。
これは「無作為」ではなく、「選ばれた行為」。
例えば、同じように苦悩した作家に、David Abram(哲学者)やAndreas Weber(生物学者詩人)などがいる。彼らの言葉は、作ることより「つながること」への美学に満ちている。
3. 人間を“自然の外”から“中”に戻すこと
現代の問題の多くは、「人間は自然の外にいる」という幻想から始まっている。 この「線引き」を溶かすような行為──それこそが、アートの仕事かもしれない。
人間も���に支配され、腸内細菌と共に「感じ」、世界と交信している。
あなたが述べたように、地面を共有している。
だから、蟻の道にかかる“アスファルトの線”は、ただのインフラではなく「断絶」であり「侵略」かもしれない。
アートは、そうした見えない暴力を可視化する「沈黙のマッピング」になれるかもしれない。
4. “あいだ”に立つこと
人と自然、生物と都市、制作と観察、美術と生態学… その「あいだ」に立っているのが、あなたたちのような存在なのだと思います。
「アートである必要があるのか?」という問いをずっと携えたまま、 でも「アートでしかできないかもしれないこと」をそっと見守る。
そこには、声高ではない、けれど鋭い静かな力がある。
■何かに近づいている気がします
Agnes Denes の Wheatfield のような象徴的行為も力強い。 でも、あなたたちの感性はもっと“地に近い”、風の中の葉の揺れのような実感を持っている。 そして、まだ言葉にならない “ストーリー” を探している。
たとえば「道ではなく、蟻の通り道を避けて歩く人間」 「朝、キノコに挨拶してから学校へ向かう子ども」 「生け垣の音を記録しつづける録音装置」 ……それらは一見ナンセンスだけど、人間中心の世界観をやさしく揺るがす。
あなたの問いは、アートの根幹そのものだと思います。 「今の時代に、アートができることはあるのか?」
それに対する応答は、もしかすると次のような姿かもしれません:
アートは、何もしないふりをして、世界の見え方を少しずらすことができる。 それが一匹の犬にも伝わるなら、それだけで充分かもしれない。
また続きを、いつでも一緒に考えましょう。
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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展覧会や資本化に収束しないアートの例として、以下のような試みがある。
1. パーマカルチャーやエコロジー実践としてのアート
Example: アラン・ソンフィスト《Time Landscape》 → ニューヨークの都市空間に、かつての自然植生を復元するプロジェクト。展覧会のためではなく、都市生態系の一部として存続している。
Example: Agnes Denes《Wheatfield – A Confrontation》(1982) → ニューヨークのマンハッタンに小麦畑を作り、都市と農業の関係を問い直す。ドキュメント化されるが、資本とは異なる価値観を提示。
2. 時間や痕跡として残るアート
Example: ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」 → 物理的作品ではなく、人々の行動や思考の変容をアートと見なす。彼の「7000本の樫の木」プロジェクトは、都市に木を植えることで変化を促す。
Example: 河原温《I am still alive》 → 電報で「私はまだ生きている」と送り続けたプロジェクト。記録は残るが、物質的な作品にはならない。
3. 共同体や関係性そのものをアートとする試み
Example: WochenKlausur(ヴォッヘン・クラウズール) → アートの形を取らず、社会問題に対して実際の解決策を生み出す。例えば、ウィーンでホームレスのための支援プロジェクトを実施。
Example: The Land Foundation(ラーチャプルック & スリットによるタイのアート・農業コミュニティ) → アートの枠を超え、農業やコミュニティづくりと融合する持続可能な実践。
4. ネットワーク型/非物質的なアート
Example: Tino Sehgal(ティノ・セーガル) → 物理的な作品を作らず、対話や振る舞いそのものを作品とする。記録も残さず、展覧会のためではなく人々の記憶にだけ残る。
Example: Seeds of Change(Maria Thereza Alves) → 植物の種子を通じて、移民の歴史や環境変化を研究するプロジェクト。調査とネットワークが作品であり、物理的な「作品」にはならない。
5. 非資本化されたアートの生き方
Example: The Long Now Foundation → 10,000年続く時計を作るなど、時間のスケールを変えることで短期的な消費文化から脱却。
Example: Andy Goldsworthyの「消える彫刻」 → 石、氷、葉など自然の素材を使い、その場で消えていく作品。記録はあるが、所有や販売の対象になりにくい。
このような事例は、展覧会や市場から独立しながら、関係性やプロセス、環境との共生をアートとして扱っている。どの方向が一番しっくりくる?
ーー
その視点、すごく共感できるし、アートの存在意義を根本から問い直す問題だよね。確かに、多くのアートは消費され、短期間で消え、物理的なゴミを生む。環境問題を扱っているといいつつ、資本主義の仕組みに乗っているアートの矛盾も強く感じる。
『木を植えた男』のような長期的な影響を生む行為 を目指すなら、単なる展示や作品制作ではなく、「持続的な変化を生む仕組みをつくること」や「社会の一部として作用し続けること」が鍵になりそうだね。
アートではなく、生き方としての実践
Fukuoka Masanobu(福岡正信) – 『わら一本の革命』で提唱した自然農法は、アートではないが、自然との関わり方を変える実践で、世界中に影響を与えている。
Mierle Laderman Ukeles – 「メンテナンス・アート」として、清掃や都市維持活動をアートに組み込み、労働の価値を問い直した。
The Green Belt Movement(ワンガリ・マータイ) – ただ木を植えるのではなく、女性の権利やコミュニティの自立と結びつけた社会運動。
「作品」ではなく「継続的な関係性」
Futurefarmers – 土や種、地域の人々との関係を通じて、農業とアートの境界を溶かすプロジェクトを行う。
The Center for Land Use Interpretation – 土地の利用と人間の関係を調査し、知識を共有することで、土地との関係を再構築する試み。
人間以外の存在と共に生きるアート
Newton & Helen Mayer Harrison – 「エコロジカル・アート」として、環境と共に生きる新しい形を提案。
Beuysの「森の再生」プロジェクト – 彼の「7000本の樫の木」は、美術館に収まる作品ではなく、街と自然に根付くアクションだった。
「作品」ではなく「生態系の一部になること」「プロセスそのものが変革を生むこと」を考えるなら、アートの枠組みを抜ける方向になりそうだけど、それもあり?
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insideheadofkobayashi · 4 months ago
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insideheadofkobayashi · 5 months ago
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