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2人のフォルム
この秋、2年前にサンディエゴで出会った2組のパフォーマーと日本で再会しました。
音楽家でも演劇人でも舞台に立つパフォーマーという人たちにカメラを向けると、もう別種の存在だと感じることがあります。理由は色々あるけど、そのひとつは彼らが長年かけて築き、鍛え上げてきた技術が、そのフォルムの中に美しさとなって現れ出るからだと思う(まぁ、背後を想像しちゃうから、より美しく感じるのかもしれないけど)。
ともあれ、技術を磨き上げる中で、無駄なものが排除されたフォルムには、パフォーマーの費やした全てが結晶化していて、魅了されてしまう。
そして気づいたのだけど、美しいフォルムって、美しくあればあるほど引きで撮りたくなる。画面の片隅にあるフォルムが大部分の余白に決して負けない、それどころか人によっては他を圧して王様のように画面を支配するところを撮りたくなる。
そんなわけで、木津川市棚倉の『上狛キャッツフォーエバー』の舞台でエアリアルを披露したTravisにカメラを向ける前から、これは“引き”だなと思った。
エアリアルが、そもそもアクションやポーズ、鍛え上げた肉体で観客を魅了する“見せる”パフォーマンスだからというのはもちろんある。もちろんあるけれど、Travisのエアリアルのフォルムの美しさの中には、一線を越えた美しさがあるんじゃないかと思った。
ストーリーとパフォーマンスが共振し、パフォーマー個人の感情がパフォーマンスの中に込められているように見えた。そして、この時は知らなかったのだけれど、実は重い決意も込められていたんだって、後で知ることにもなる。
上狛キャッツっていうのは、木津川市で2年間、劇団ガンボさんと市民協働の舞台プロジェクト。
かつて木津川の川港の上狛にお茶問屋街があり、上流から集められたお茶は、木津川を下り神戸を通じて世界中へと売られたという地域の歴史と、お茶にまつわる世界史上の事件をストーリーの背景に取り入れてきた。これまでは香港の役者と共演したこともあり、紅茶戦争とも呼ばれたアヘン戦争と香港割譲を、今回はアメリカから来たTravisとの共演とあって、アメリカ誕生のきっかけとなったボストン茶会事件が取り上げられている。
ストーリーが巧みだったのは、この事件を踏み台にして、終わらない戦争を続ける国アメリカの精神は「戦いの肯定」だと喝破し「戦うことは生きること」とストーリーの一方の軸になる思想として設定したことでしょう。
実際の歴史でも、イギリスの理不尽な圧力をはねのけて建国したアメリカは、その後、領土拡大をマニフェストディスティニー(明白な天命)と称し、戦いを肯定し続けてきた。今回のお芝居では、その侵略の槍の突端として上狛に姿を現したのがTravisたちが演じるコーヒー猫たちというわけだ。
一方で、戦争のきっかけにもなる「お茶」だけれど、上狛キャッツでは「お茶」は「自分1人で飲むものではない。いれてあげたり、いれてもらったりして飲むもの」と、分かち合いのシンボルにも位置付けられている。
「戦うことは生きること」と「お茶は分かち合うもの」という2つの思想の対立が、このストーリーの骨子なのだけれど、両勢力を代表するキャラクター同士の恋愛が補助線として引かれる。相容れぬ2つの思想が出会いひかれあえば、その未来には破綻しかない。だから、それはロミオとジュリエットのような、悲劇(トラジェディ)の種を孕んで展開するのだけれど、Travisのエアリアルは対立する2人の愛が高まるシーンで演じられる。
このラヴシーンはそれだけの含みがあるシーンとして演じられなければならないし、また観客に印象付けるエンターテイメントとしても最も美しく演じられなければならない。このシーンが美しければ美しいほど、悲劇が落差として観客に突き付けられるからだ。このシーンは愛の喜びによって天に駆け上がりながら、愛の残酷さに果てしなく落ちていくシーンでもある。
だからTravisの演技は、体操競技的に技を表現するだけでなく、2人のキャラクター性や背後の対立する思想から避けられない悲劇の予感までも表現する必要があった。
Travisは持てる技術の全てを尽くして、それを表現してくれたと思う。シルクを掴む腕だけでかけのぼり、美しいシルエットで空中を旋回する。不意の落下、しかし地面に激突することなく体重は支えられる。重力は失われ、時は止まる。彼は上昇しながら降下しているのだ。
Travis が積み重ねて磨き上げた技術のフォルムは、Travisの人生そのものの形、魂の形でもあったのではないか。感傷的に、そんな風に思ってしまう。
今、感傷が更に深まっているのは、ひとつ理由があって、実はTravisにとってこのショーの演技が最後のパフォーマンスになるかもしれないものだったと、彼の帰国後に教えてもらったからかもしれない。
エアリアルのパフォーマーの宿命なのか、Travisは故障を抱えていて、帰国後手術するのだとか。ひょっとしたら人生最後になるかもしれないショーを日本で。どれだけの覚悟が、あのパフォーマンスに籠っていたのかな。
どうしても、Travisと入れ違いになったメキシコのKomorebiのことも思い出す。KomorebiのDoraも大きな病を抱えて来日していた。日に日に病状は悪化し、目に見えて体のシルエットも変化するなか、パフォーマンスはいよいよ研ぎ澄まされていった。
TravisもDoraも、フォルムの中に、それまでの人生、魂の形が込められていた。すべてがフォルムの中に注ぎ込まれていた
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香港歴史博物館(2017年12月18日)
昨年行きそこねて、今年行きたいと思っていたのが、香港歴史博物館。何が見たかったかというと、”Black Cristmas"から始まる通称”3年8か月"こと、日本帝国による香港侵略と占領の展示でした。
宿から徒歩10分程度の所にある博物館はこれまた超巨大(390ミリオン香港ドルかけたって、600億円ぐらいか?)で、お向かいには科学博物館もありました。当日は小学校の社会見学もあってなかなか賑やかでした。特別展としてシルクロード展やってて「綿亙萬里~Miles upon Miles」ってタイトル、超しびれるんですが見たいのは常設展だったのでそちらへ。 ちなみに常設展は「Free(無料だよ)」って窓口で言われちゃった。
1階は、香港の自然、先史時代、秦代から清代、民俗、この各セクションも結構面白くて、日本の歴史も中国と周辺国の関係の中で成り立っているので、アジア史として教えた方が面白いんじゃないかと思ったり。
2階に、アヘン戦争と香港割譲(林則徐像がカッコいい)、そして日本占領。スペース的にはアヘン~の方が広いんだけど、日本占領の方は時代的に動画資料が充実していてかなり見ごたえあり。 香港陥落にいたる経緯、日本の占領政策、抵抗運動、日本降伏と香港復興といった流れがまずあって、占領政策一つとっても、日本語教育、東亜学院、金融、食糧事情etc.と多角的に浮彫にしてくれる。
ただ、いずれも淡々と解説されている感じなので、ここからもっと事実を深堀していったり、当時の人たちの感情なんかは知っていく必要��あるかな。
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深セン
香港に接する深センにもちょっといってみたので、忘れないうちに印象などメモしておく。
・中国本土に行くのは20数年ぶり。陸路国境(一応)を超えた経験もなかったので行ってみたかった。 ・台湾フリンジに行った時に、深センフリンジのプロデューサーが来てた。パフォーマンスの独立芸術祭=フリンジがあるまちには興味がある。
・香港のイミグレーション、中国のイミグレーションを連続してくぐったので違いに気づく。香港には、整理要員がいて列整理とかをしてうまく回してくれるのだけど、中国側はそういった人員が配置されていない。税関に入国カードが切れてて僕は最後の一枚を見つけられたんだけど、次の人が困ってた。結局パスポートチェックとかしてる職員に言ってカードをもらっていた。基本中国はほったらかし。とはいえ、特に職員の人当たりに差があるとかはない。
・地下鉄はどっちもほぼ同じシステム。券売機もほぼ同じだけど、出てくるチケットが香港はカードで中国はコイン。どっちも磁気読み取りでリユースする。紙の使い捨て切符の日本よりは優れていると思う。(ICカードの方が香港では一般的。中国はどうだったかチェックしそこねた) ・中国では地下鉄乗る時も手荷物のX線スキャンがある! めんどくさっと思ったけど、結構流れはスムース。
・駅の広告。掲示物が香港とがらっとかわった。スタイル的に変わるわけじゃなくて、動画広告もある。それどころか香港では見なかった走行中の壁面で動画が電車についてくる奴もあるぐらい。ただ中国国内産の広告オンリー。香港ではハリウッド映画やヨーロッパのファッションブランド、日本の化���品・美容電化製品(去年はSK2の綾瀬はるかとローラ、今年はパナソニックの水原希子が目に付いた)も多い。 ・でもムーミンはいた。 ・解放軍のデフォルメキャラとかもおる。 ・ファッションは香港と差を感じない。おしゃれな人も多い。地下鉄に乗った時に目にとまった女性は今回一番のおしゃれ女子かも。シンプルに白いジャケットに黒いインナーだけど、チェーンと幾何学形を組み合わせた金のピアスだけが派手で凝っていて印象的な人だった。 ・でも、どっちむいてもモンゴロイド(中国人)しかいない。人種民族の坩堝みたいな香港からくると、異様に感じるぐらい。
・国境の福田ってところから、市民中央という市役所とかあるところに行ってみた。丁度、国際マラソンやってた。派手はウェア着る人、「中国加油」の鉢巻きを巻く人、(企業関係とかか)旗を振る人、さほど日本と変わらぬ感じ。
・ともかく建物が巨大! 超巨大。香港も高層ビルだらけだけど、縦も横も奥も全部がデカイ。道も幅広い。官庁街的な所とはいえ、巨人のまちのようなスケール感。
・市役所と一体化していた博物館にいってみた。当然のように無料。これがまた巨大。 ・企画展の観音展も思いの外面白かった。 ・常設展がこれまためっちゃ金かかっている。展示物と内装が一体化している展示。ショーケースにいれてればいいという展示ではない。実物を見せるというよりは、教育効果を高めるためにエンタメ性を高めている印象。 ・アヘン戦争後のイギリスの香港支配や深セン侵略(の失敗)に力が入れられていた。これは見てよかった。香港からの視線と違う、深センからの視線で香港を見た時にどうなるか。そこは奪われた地でもあり、侵略の橋頭保でもあるのだ。領土的にも文化的にも取り戻したい、危険を除去したく思うだろう。 ・日帝関係の展示もあり。しかし翌日いった香港歴史博物館ほどの力のいれようはない感じ。 ・現代深センの発展コーナー。植樹する鄧小平の銅像とか、鄧小平がとまったホテルの部屋とかまで展示してる! ・博物館から町へ出ると、日曜の官庁街とあってか閑散としている。みんな噂のシェア自転車乗ってる。スマホでアプリダウ��ロードしてQRコード読み取る奴。
・地下鉄の食堂街で食事したけど、みんなレジでスマホで金払ってた。僕が現金出すと、ああ現金かみたいな感じで、レジからじゃなくて、手持ちの現金袋(ポーチ)からお釣りを出してくれた。 ・若い店員さんも英語はあんまり得意じゃない感じ。(僕が下手なのかもしれませんが) ・店員さんの接客態度。日本風の過剰な/マニュアル的な態度ではなくて、自然にフレンドリーな態度。20数年前の中国だと、窓口ではノースマイルがデフォだったけど、そういうのでも無くなったのかも。
・福田に戻る。駅前には高層のパブリックハウジング(団地)で、建て替えも進んでいた。古いパブリックハウジングなんだけど、デザインがすごく可愛い。外装がいちいちめちゃ凝ってる。建て替えた最新型も悪くないけど、パーツの規格化が進んでて、ディテールの味わいが薄れてる印象。いずこも同じ現代のつまらなさ。 ・一階がずっと個人店舗になってるの、すぐれてると思うんだけど。日本の団地もこの商業施設と合体させるシステムの方が良かったんじゃないのかなぁ。香港のパブリックハウジングも同じ構造で最初一階は個人商店の商店街だったのが、次の世代でフランチャイズ店の商業施設になって、最新世代は巨大モールとか図書館も入るようになってる。 ・駅との陸橋でずっと泣いている物乞いのおばさんがいたので、札を渡した。おばさんは結構現金を握りしめていた。ここでもこういう時は現金の出番のようだ。キャッシュレスワールドが更にすすんだらどうなるんだろうな。
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牛棚芸術村(香港2017年12月17日)
NatureとZacの結婚式で知り合った演出家のchokuiさんがオススメしてくれたお芝居を見に行きました。元牛の屠殺場だった場所が現在芸術村になっている牛棚芸術村で、演目は『北京猿人』。 広東語が一言も理解できないので、ディテールはわかりませんが、何を言いたいのかはよく分かった(と思います)。
舞台は1937−38年と2021年の二つの時代のシーンが交互に繰り返される(パンフレットに幕の時代が列記されていたのでわかる)。それぞれの時代の男女ペアの話と、時代をつなぐエッセンスとして、重要なガジェット(小道具)とこの世ならざる存在が一人、そして2021年側にしか出てこないのだけれど、メッセージを伝える重要なキャラクターが一人。
1937−8年は、何の年かというと日中戦争の年。場所は古生物研究所で、多分人類の祖先を発掘してるんだと思われる。男は役者さんが中井貴一そっくりで、もう貴一が目の前にいるとしか思えない。で、研究者なのでしょう。相方の女性は派手な容貌だけど上品なルーシーさん。キャラクター名の由来は、発掘された最古の人類”ルーシー”からきてるのでしょう。この人だけ英語名なのも、意味ありげ。(この二人の美男美女でお芝居はうまいけど、空間を支配する感じじゃなくて、いぶし銀な印象)
2021年は、何の年かというと中国共産党100周年にあたり、香港の一国二制度に大きな変化が訪れるかもしれない年。女性はカフェの店員。女性の前に幽霊(多分彼女のおばあちゃんとか)現れる。おばあちゃんは、両時代をつなぐ存在で、閻魔女王というか冥府のものでもある。この辺死者に語らせる能楽的な構造。男性は若いアーティスト(彫刻家なのかゲームorVR系なのか)で、カフェの店員と知り合う。彼の前に音楽家兼プロデューサー的な人が後半から登場する。この人、なんだろうと思ったけど直接的にメッセージを伝える、補強する役回りでした。
中国/香港人にとって、アイデンティティが危機に直面する二つの時代を行きつ戻りつ話は進行する。二つの時代をつなぐものとして、おばあさんともう一つ人間の頭部のようなガジェットが登場する。これは過去においては北京猿人の頭骨で、未来においてはアート作品を表している。このガジェットを挟んで両時代の物語が展開する。
前半はほ��会話劇で、言語がわからないのが辛い。おばあさんに向ける手製の十字架とか、ちょっとした小道具で関係性を推測する。1937−8の男女は芝居が細やかで表情や仕草から、二人のすれ違い葛藤が見て取れる。構造から推測するに、男女の物語としても成立してる裏に、中国とイギリスの関係が暗示されていたりするんじゃないかと思うんだけど、どうだろうなぁ。
2021の女子は、愛嬌のある猿のような動きが魅力的なんだけど、役者さんは受けの芝居が苦手なのかもしれない。おばあさんと対峙するシーンで、相手の芝居に対してフリーズする瞬間が結構あった(後半持ち直したけど)。見てる方としては流れが読めずに困った。
前半のクライマックス。おばあさんが巨大な黒い旗を振り、黒い垂れ幕が登場。幕には「自己先祖自己掘」とあって、「自分のルーツ、自分は何者かは自分で決めるのだ」というメッセージがど直球で提示される。ギターが唐突にかき鳴らされ、音楽家がようやく登場し、10分間の休憩。
これで帰ってしまった人がいたんだけど、後半ぐーっ���面白くなってきたので損したと思うな。絵的にも面白いシーンは後半に集中して、写真撮りたくなったぐらい。 後半のスタートは音楽家のギターのシーンから、でも音楽家の服装がラフなTシャツにジーンズみたいな格好から、真っ青でビビッドなスーツ、派手なアクセサリーに変わっている。業界人っぽい。2021年のアーティスト青年と打ち合わせで、ガンガンワインを飲ませている。「お前の作品売れるよ」とか「売ってやるよ」とか「売れなきゃだめだぜ」とかそんな話をしている感じ。 これは背景に香港の芸術シーンに政府が投資している現実の話があるのだろう。まさに政府による芸術の政治利用だ。この後音楽家がまた登場し(一人二役と考えるのが自然かも)、若者に芸術について語るシーンがある。ここは英語が使われていたので少しわかったんだけど、もしやと云う歴史的フレーズが使われた。 彼はギターをさして、「This machine kills democracy」と言ったのだ。これはウッディ・ガスリーWoody Guthrie が自らのギターにペイントした「This machine kills fascists」を踏まえ、裏返したものだろう。今では、日本のANTIFAの人がハンドマイクに「This machine kills fascists」と書いたりするわけだけど、当然そのマシーンが何を殺すのかは持ち手次第だ。
アーティストはこの問いに苦悩する。 1937−8の男女のドラマと2021のドラマの境界線が曖昧になり、重なり合い融合するシーンを交え��つクライマックスへ。 アーティストは、人間の頭部のようなガジェット(作品/猿人の骨)を砂に埋め、自らも共に眠りにつく。追い詰められ、何も選ぶことができず、自死/自爆してしまったのだ。埋められた先祖の骨、作品、それはアイデンティティとか、デモクラシーとか自分を自分たらしめる大切なもの。
アーティストの骸を前に、勢ぞろいしたキャラクターたちに向けておばあさんが演説する。そのカーキ色の服の袖にはダビデの星のワッペン(ストレートにユダヤ人をさしているのか?)。ここで消灯しお芝居は終わりかと思いきや、再び明かりがつく。 音楽家がラジオをつけると、かすれるように流れてきたのは、Bob Dylanの「激しい雨が降る( A Hard Rain’s a-Gonna Fall)」。音楽家はラジオをつけたまま去っていく。 「激しい、激しい、激しい雨が降る」、それはベトナムの人たちに落とされた爆弾でもあるし、中国人に対して日本軍によって落とされた爆弾でもあるし、未来の香港人に降り注ぐ何かかもしれない。ざらざらと割れた歌が響く中、2021年の女子は、突如若いアーティストを砂の中から必死になって引きずり出す。死ぬな、起きろ、起きろ、と揺り動かす。若者はついに目覚め、半身を起こしたところで終劇。
この時、エンディングの展開を引き込まれるように見ながら、一方で「起きる」所は描かずに目覚める手前で止める……ようは観客にその後どうなったか委ねるような終わり方の方がいいのではないか? と思っていた。結果、わずかに目覚めた所で終わったのだけど、そこに作家の強いメッセージを感じた。この劇が比喩している厳しい状況下にある香港や中国本土の知り合いたち、それだけじゃなくて日々抑圧が増す日本でも苦しめられている人のあらがう人たちの顔が浮かんできて、「起きてくれ」「死なないでくれ」というメッセージの切実さと力強さに泣けてきた。 メッセージとしては直接すぎるとはやはり思うのだけど、それでもこの一歩踏み込んだシーンが、このお芝居の肝だし、価値だ。寒い中震えてキャンセル待ちをしたかいはあってあってお釣りがくる。苦しい状況にある人たちにパワーを付与してくれる、そんなお話だった。
寒いしお腹は減ってたけど、高揚した気分で芸術村を出ることが出来た。
(書き損ねたこと/疑問点メモ) ・2021年の女の子が最初来ていた白い長衣は、すぐにおばあさんに渡され、最後にまた女の子に渡された。伝統的な何かの継承の暗喩か? ・女の子の猿風の演技。猿人��呼応させているのか、あるいは孫悟空とかなのか? ・細かな演出。2021年でアーティストとプロデューサーが飲んでいたワインを、シーンチェンジしてそのまま1937-8の女性が飲む。2021年の音楽家が歌っていた恋の歌を、1937-8の女性が聞いている。後半は時代の境界が曖昧になる演出がされている。 ・過去と未来がいきつもどりつというよりは、時間の循環という思想かも。アーティストの作品が埋められる→猿人の頭骨発掘といったような。 ・1937-8は西欧/日本帝国に侵略される中国本土、2021は中国政府(香港政府)に抑圧される香港市民。時代が行きつ戻りつすること、循環することで、ひとり香港市民だけの問題ではなく、中国政府/市民にも「あなたたちもそうだったでしょ」とメッセージを再照射していたのでは。 ・ルーツの話→アイデンティティの話とあって、デモクラシーの話→アートの話→生き方の話。
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SDFRING17 劇団GUMBOの軌跡
2017年。劇団ガンボは、再びサンディエゴの地を踏みました。 サンディエゴインターナショナルフリンジフェスティバル2017に出演するためです。昨年は、最優秀コメディとフリンジ・オブ・フリンジの二つ賞を受賞した劇団ガンボは、今年もサンディエゴの市民やアーティストに喜んでもらえるパフォーマンスを届けようと強い意気込みで渡米しました。その10日間の記録をここに残します。
6月26日(月)。
今日は会場となるLyceumシアターは開いておらず、昨年の会場だったスプレックルズシアターのバックヤードを借りて準備作業。 歴史あるスプレックルズの劇場ディレクターの Gmork Marz と再会し、「うちの劇場でやってくれると待ってたのに」「ごめん、ここで希望を出したんだけど」と、嬉しい再会で Gmork がやたら楽しそうでした。
伝統あるスプレックルズは怪人が出そうな素晴らしい劇場ですが、ガンボは去年アワードを二つ獲ったので話題が高くて、客席数が倍のところに回されたのでしょう。
オフィスに挨拶に行くと、ゴミ箱の前で代表の Kevin Charles Patterson に遭遇。ひとしきりドクターペッパー片手に盛り上がった上に、Tシャツやら何やらプレゼントされたり、ショップで売ってる被り物をめっちゃ安くしてもらったりと至れり尽くせりでした。
6月27日(火)。
「Are you lovin' it?」初日。 公演直前まで妥協を許さない稽古が続く。急遽稽古場として確保したのは、劇場内の美しいロビーで事務所前。激しい稽古が響き渡るも、通常業務を行う劇場スタッフは文句をいうどころか、こちらの邪魔にならないよう、息をひそめるようにしている。アーティストへの敬意の表れだろう。
そして19時半、いよいよ本公演。 昨年100組のアーティストの中で、二つの最優秀アワードを獲得したガンボとあって、お客様が押し寄せ満員状態。そしてショーに先立って突如フリンジ代表のKevin Charles Patterson から心のこもったスピーチがありました。遠く日本から来たガンボへの期待の高さが伺えます。
期待されれば応えるのがガンボ。 リハーサルでの課題も嘘のよう、本番の舞台で突如芝居は完成したかのようでした。客席は常に爆笑で、途中全観客を巻き込んでの大合唱もおきました。 そして嬉しいことに終演後にお客様、特に同じアーティストからは「メッセージが素晴らしかった」との感想が多く寄せられました。エンターテインメントコメディに込めた社会的問題に対するアイロニーに満ちたメッセージはしっかり届いていたようです。
作品を見た多くのアーティストから、「ガンボと一緒にやりたい。オーディションを受けさせて」といった申し出が何件もありました。来年あたり、アーティストの来日が増えそうな予感がしますね。 また、昨年演じたスプレックルズシアターの劇場ディレクターのグモークは、「来年はうちでやってくれ。席数が少ないなら後ろの客席を使ってもいいじゃないか(フリンジ期間中、巨大すぎるスプレックルズは舞台上に臨時に客席を作った小さな劇場にしている)。もう僕からkevinには伝えたから頼むよ」とまで言ってくれました。 後ろの座席を開放したら座席数がとてつもなく跳ね上がるんですが、100年の歴史あるシアタースタッフからそこまで言われるなんて、本当に名誉なこと。グモークは素晴らしい照明家でもあって、仕事に誇りを持ったアーティストでもあります。アーティストとして、ガンボに共鳴した面もあるようです。
6月28日(水)。
オフ。 劇団ガンボがサンディエゴインターナショナルフリンジフェスティバルにきて初めてのオフ日。夕方まで寝て休養となりました。
夜前、まずはオフィスに。Kevin Charles Patterson と遭遇。昨日のお礼に始まり、素晴らしいサンディエゴのフリンジの将来のことについて有意義な会話も。またフェスティバルを支えてくれるスタッフへの感謝を込めて、ホスト宅で作ったお好み焼きをプレゼント。 オフィスであったアーティスト、スタッフ、お客さんからは、口々に昨日のガンボのショーを讃えられます。 劇場ディレクターの Gmork Marz に「あなたの一番気に入ったショーは何?」と聞くと「あなたたちのだよ」「え、グモーク見てないやん!」「いや、会う人会う人みんなガンボが素晴らしいって言うんだよ」 これは街で噂になった去年以上の盛り上がりかもしれませんね。
その後、ショーの観劇に。 Joseph Dasilva Travis Ti (The CIRCUS COLLECTIVE OF SAN DIEGO)のSPECIFIC GRAVITY へ! もう、この素晴らしすぎるショーに言葉を失いました。難民問題をテーマとしたサーカスショー。そこには個人のストーリーと社会問題がダイレクトにつながり、ショーのストーリーに昇華され、超人的な肉体と技を持ったアクロバットで表現される。込められたメッセージ、美しいヴィジュアル、そしてアメリカで難民を受け入れ学費を支援しようという社会運動へとつながる。個人の思い、芸術、社会がひと連なりになったものでした。
ひとしきりの興奮の余韻を抱えたまま、衣装を着替えたガンボ一行が向かったのはフリンジフェススタッフが主催のダンスパーティー。おしゃれーなゲイクラブですが、客の少ない平日水曜日はめちゃ安いということで、フリンジ関係者はチャージも無料。 アーティストやスタッフ、居合わせたお客さんと仲良くなって皆で深夜まで騒ぎました。 いろんな人が出会う、まさにBLEND IS BEAUTIFUL
オフなのに長い1日でした。
6月29日(木)。
「Are you lovin' it?」2回目。 ちょっとしたビッグニュース。TV番組「America's got talent」(スーザン・ボイルを輩出した番組のアメリカ版)からコンタクトがありました。まだなんとも言えませんが、ガンボのアートは国境を越え、メジャーからもチェックされるクオリティを持っていることが証明されたと思います。さてガンボはアメリカのスターへの道を歩み始めるのか!?
百戦錬磨のガンボは一回目の舞台を修正し、第二回もバッチリ盛り上げました。今回は、やや年齢層が高いお客様層でしたが、最後にはまたもスタンディングオベーション! 今回のテーマの一つに盛り込まれた「育児ノイローゼ」の事は年配のご婦人方から「わかるわー」と共感の渦。育児のしんどさは万国共通のようです。
また、他のアーティストのショーの観劇もしているのですが、サンディエゴインターナショナルフリンジフェスティバルでは、アーティスト��席が開いていれば観劇はオールフリー。ボランティアは仕事時間に応じてフリー、ホストファミリーはVIPでフリーになります。 町の人がアートに関与することでアートを気軽に楽しむことができるし、アーティスト同士も刺激を受けることができる。そしてフェスティバルを町を盛り上げていく。本当に素晴らしいシステムだと思います。
それと余談ですが、お世話になっているホスト2家とも、キッカ(Carissa Z McMasters )は ジョン( Jon Ray )と登山に、ルーシーも用事があって週末は泊りがけでいなくなってしまうとか。「好きにしててね」って感じで、どんだけ信頼されているのか、もともとそういう気質の人たちなのか、結構びっくりしました。
6月30日(金)。
「Are you lovin' it?」 3公演目 。 「from Como to Homo」のアーティストLynne Jassem から、「知り合いのハリウッド関係者に、ガンボの舞台を薦めて、今日見に来るから、頑張って!」と嬉しい応援。こうやってアーティスト同士が応援しあうのもフリンジのいい所ですね。昨日はTVショー、今日はハリウッド。まだ何にもなってませんが、話が振られるだけでも、認められた感があります。
嬉しいといえば、ボックスオフィスのグッズ販売コーナー担当のアーティスト Sabrina Ingalls さんが、なんとガンボの缶バッヂを作ってくださいました!
舞台も三日目となって、研ぎ澄まされてきました。無駄が省かれたり、客いじりが進化したりと舞台は生き物ですね。
そして、この日は Gmork Marz が技術スタッフをするスペックルズ劇場で、ミッドナイトキャバレーなるイベント。アーティストが1人2分の持ち時間でショー(というか一芸披露)。MCは大道芸の名コンビ A Little Bit Off の2人。ガンボはスモーレスラーダンスで、ニンジャVSゲイシャVSスモーレスラーを披露。
そして我らがMr SKAは、なんだかよくわからないギター芸で客席を巻き込み舞台を席巻。そしてフリンジ代表の Kevin Charles Patterson も女装で登場! 芸達者ぶりを見せつけます。他にもマジックあり、スタンダップコメディあり、歌ありで、楽しい時間が過ぎました。
このイベント自体は、フリンジへのドネーションを求めたもので、 レインボーの傘には支援者からの寄付が集まりました。サンディエゴフリンジの大スポンサーで場所もスタッフも提供してくれているスペックルズ劇場への恩返しの意味もあるようにも思いました。ガンボも微力ながら貢献できたことでしょう。
7月1日(土)。 劇団ガンボの公演も4日目。 目まぐるしい日々、多くの人に会いましたが、ある種衝撃的なお話を教えてもらいました。それは行政の芸術支援に詳しいかたで、 「知ってましたか、日本の芸術支援の予算は、パレスチナの芸術支援の予算より少ないんですよ」
まじか!? あの戦乱の国、少ない領土を今も絶えずイスラエルから侵略され続けている国よりも、経済大国(若干過去形ですが)の日本の方が低いの!?
思い当たる節としては、ガンボの芝居への反応があります。ガンボのお芝居は非常に重いテーマを扱い、テーマが重ければ重いほどコメディ色を強くして笑いに包んで伝えます。 サンディエゴのお客様は、その笑いの面白さを讃えた上で、さらにメッセージが素晴らしいとそれ以上に讃え、共感できると興奮するのです。「一体どうやって、作っているの?」と尋ねられることが、アーティストからだけでなく一般のお客様からもあります。これは残念ながら、日本ではまずないことです。 それには理由があって、やはり日頃から芸術に親しんでいる環境がなければ、そんな審美眼は育たず、実のある質問も出てこないのです。市民が日常的に芸術に親しむ環境を作るのはアーティストの仕事ではなく行政の仕事でしょう。そして行政も予算がわずかなものでは、如何ともし難いはずです。これは日本全体の問題です。
そんなこんなで4回目の公演。この日は夜遅い公演なので、先立って昨年知り合った若きジェイコブがスクリプトを書いて評判が高い「The BANZA」と、なんとアーティスト4名のうち2名がイミグレーションで入国を許可されずに大変なことになってしまった南アフリカから来た「LUNCH」を見ました。「The BANZA」の若々しさと「LUNCH」のとてつもない重さ。
この日は、一度見たお客様が、お友達を引っ張ってまた見に来てくれた姿も目立ちました。フリンジはどのお芝居も1000円で見ることができるのでこんなこともできます。 ノリのわかったお客様に、一回目以上の興奮を与えるべくガンボは奮闘。ガンボのお芝居は生き物で毎回違う魅力が生まれるので、満足していただけたのではないかと思います。
終演後、ボックスオフィスで Kevin Charles Patterson と語らい、その後フリンジクラブへ。クラブでは、スタッフの女性のリードで突然ダンスパーティーが始まりました。最初は、皆遠慮がちでしたが、ならばとガンボが参戦。のの(Nono)との日米セクシークイーン対決に、ニッシー、Ryuto Adamson も加わると、クラブはダンスフロアになりました。
長い夜でしたが締めくくりは、いつものようにスプレックルズの技術ディレクターグ Gmork Marz と1日の終わりの語らい。これはガンボにとっても、そして彼にとっても大切な時間。この時間も明日で終わりです。
ガンボと、サンディエゴフリンジも残すところあと1日。果たしてガンボに今年のアワードは輝くのでしょうか?
7月2日(日)。
劇団ガンボもサンディエゴフリンジも最終日。
この日は、お昼からの公演。親しくなったアーティストの公演を見られるだけなんとか見ようということもあって、忙しい合間を縫い手分けして見に行きました。特に今回のサンディエゴの旅で僕らに一番笑いをくれたかもしれないドラァグクィーンalfe、本人も可愛らしい人だけど、そのショーは想像をはるかに超えて素敵なものでした。彼は骨と美学のあるアーティストですね。
そしてガンボの公演。最終公演はいつも疲労がピークで、どこか苦しみを抱えてしまいます。皆切れそうになるところを、最後まで集中力を持って演じ切りました。ライブ感覚で、舞台が咄嗟に変化するところがさすがです。
さて、アワード。 今年は豊作でどうなるか、少なくとも一つはアワード取れても、昨年二冠で今年も二冠は図々しいかと内心思っていました。 まずは「最優秀コメディ賞」を受賞。来るとは思ってましたが、強敵ぞろいだったし、さすがに嬉しい。また、周囲の反応がすごかった。ガンボを讃えるアーティスト、スタッフ、関係者が、一斉に舞台の劇中歌を歌い出したのです。これにはまいりました。もうこれだけでお腹いっぱいです。
そのまま夢見心地で、他の部門のアワード受賞で、次々と旧知のアーティストが受賞される様を見て、喜び続けました。いよいよ最後に、全アーティスト100組のウィナーは誰か。 「are you lovin' it?」 再びその名前が告げられた時の感動、そして再び劇中歌の大合唱。どれほどガンボ、そしてガンボのアートが愛されたのかがわかります。受賞したのは「アーティストピック賞」つまり、アーティストが選んだ最優秀作品です。彼らはアーティスト。どれだけガンボが好きでもアートがダメだと選ばないはず。そんな中で選ばれた賞です。
受賞後ガンボメンバーにはおめでとうの言葉やハグの嵐に加えて、いろんなオファーもあった模様ですが、また忙しくなるかもしれませんね。
実は、スケジュール的に来年来ることは難しいのではないか、そんな話もずっとしていたのですが、どうにか来年も来たいとガンボの面々も思ったようでした。 ありがとうサンディエゴ!
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SDFRING2017 「BIG KITCHEN-A COUNTER CULTURAL CABARET TAKE2」
BIG KITCHEN-THE MUSICAL presents
開始時間に15分も遅れて途中から観劇。なので、いつも以上に推測混じりでお届けします。
おそらくお話はこうだ。そこは秘密の食堂「BIG KITCHEN」。そこは様々な背景を背負った者たちが流れつく場所。待っているのは、美味しい食事と、じぶんが自分と認められる場と、オーナーのジェリー。ジュリーなのかジェリーなのか、よく聞き取れなかったのだけど、やっぱりジェリーかな。なんせ、後ろからジェリー・ガルシア(の等身大パネル)が見守っているんだもの。
ヒッピー文化と共にあった「グレイトフルデッド」のリーダーまたはスポークスマンであるジェリー・ガルシアが見守る「BIG KITCHEN」は、つまるところジェリー・ガルシアの死後20年以上たった現在の多様の人々のためのアジール(asyl=避難所)なのだ。
(BIG KITCHENの)ジェリーは、NO NUKESでNO WAR、女性やマイノリティの権利は大切だと語る。だが、神秘的な救いの女神ではなく、集まった人たちと同じような等身大の傷つきやすい1人の人間として描かれる。「客」とボーイフレンドの話したら、同一人物だとわかったりして、冴えないことも起こる。
ところで、このお芝居はミュージカル形式。 集まった「客」が順番に1人ずつ前に出て、ジェリーとのやりとりをするうちに、その人の持つドラマが表に現れ出る。やりとりは会話と、もちろん歌だ。
こういうお芝居って、舞台と客席の熱が共振してこそだと思うのだけど、このシアターの観客のノリはばっちり。(丁度座った席の後ろのお客さんの反応がかなり熱くて、特にその熱にあてられたってこともあるだろうけど。)
1時間弱のランタイムでシークエンスはテンポよく切り替わるし、盛り上がるシーンがあったかと思えば、HIV患者の死を見送る悲劇的な回想シーンなども登場し、観客は感情の起伏の波に飲み込まれていく。
そして物語の終焉もテンポ良く訪れる。食事が終わり「客」は去��ていく。去りゆく1人は、「ジェリー。私は死にゆくところ。私はガンなの」とも。ジェリーは「皆旅を続けていくんだ」と呟く。 アジールである「BIG KITCHEN」は、仮初の避難所であり、旅の途中の人々がほんのひと時交錯するだけのこと。傷つき駆け込んだ避難所で、 「食べ」「歌う」「人から認められる」という生きる喜びを味わい力を付与されて、再び扉をあけて歩み出る。 ガンやHIVで死が目前であったとしても旅は続く。 人生とはそのようなものだ……というのも、この作品のメッセージだろう。
※最初から見てると観客はコーヒーケーキをもらえたみたいで、食い損ねました。残念。
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Photo
2017_sandiergo_sketch by TETSUYA FUCHIGAMI
2017年サンディエゴの風景ショット。ぼちぼちと継ぎ足して半分の日程分で42枚。
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SDFRINGE2017 「LUNCH」
Sakihisizwe Edutainment presents
南アフリカから来た作品。入国の際に色々トラブルがあったようで、4人の予定が2人しか入国できずに2人が追い返されたとか、到着が一回目の公演に間に合わずにキャンセルになったとか。そんな話を聞いていたので、応援の気持ちも有って必ず見たいと思っていた舞台。
そして、入国の困難さが当たり前、あるいは生ぬるいと思えるような、南アフリカの社会が直面している問題を見せつけてくれる舞台だった。
歌と語りとドラマの構成。
「南アフリカはとても美しい国」。その自然や文化を語るのだけど、同時に一つの言葉を教えてくれた。それは窃盗を意味するような言葉。路上で使っているスマホをいきなり奪って走り去るような行為。そして、壁を飛び越えて逃げるを意味する言葉。
では、なぜそんなことになっているのかーー
物語の主人公は、鉱山で働く2人。
お昼を食べて、エレベータに乗って地中深い底の坑道の職場へ向かう。いつ崩壊するか、ガスや���が噴き出すかしれない危険な職場。劣悪な環境で、トイレがちゃんと用意されていない。
食べれば出さなければならない。トイレがなければ出すものも出せない。 「クソさせろ!」 権利闘争が始まる。そんな話だったんじゃないかと思う。
パンフを見ると「市民と非市民が直面している社会問題」の話。南アフリカはナイジャリアなどからの移民労働者がいる。そうしたことがこの話の背景にはある。
終わったはずのアパルトヘイトが形を変えて終わっていない。
権利闘争の果てに待っていたものは失業であり、路上に若者が放り出されることになる。非市民で社会保障が整備されていない失業した若者がどういう運命をたどることになるのかといえば、それは自明のことだ。
美しい南アフリカを、犯罪の巣窟にしているのは誰なんだろうか。
そして、遠い国の人権の抑圧された国の関係ない話だろうか、これは? 日本の夜の町のコンビニで、工場や倉庫で働いているのは誰だろうか。
(2017年7月1日)
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SDFRING2017 「The BANZA」
Ellipsoid players presents
昨年はハムレットを独自演出した「hateful hands」で人気を得て、今年はシアターをステップアップした「The BANZA」も高い評価を得ている。
大学生活を始めたばかりの男女の甘酸っぱい青春ドラマかと思いきや、そこに伝説の学校のモンスター「The BANZA」が絡んでくるというお話のミュージカル。
http://thebanza.com/
気難しい高校の元クラスメートとルームメイトになったオープンマインドなちょっとオタクな男2人でルームシェアしている部屋にガンガン入ってくるボーイッシュエロ女子。そらまぁ、なんか起こるやろうという結構ベタな青春ラブストーリー。
そこになんだかよくわからないアコーディオン弾きのクラスメートが「怪物探しに行こうぜ!」と引っ掻き回す。
先生。1944年の日本がどうのと言ってたんですが、英語よくわからず。キャラ配置としてはミスリーティング用キャラで、セリフでテーマを暗示させるような役柄だろうと思う。
フレッシュな面々の作品でした。
今年スクリプトを書いたジェイコブ。気のいい若者です。
ガンボがロビーでラストシーンを再現。後ろに、超厳格な劇場スタッフのおじいさんがいたので、ちょっとヒヤヒヤしました。
(2017年7月1日)
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SDFRING2017「The Complete HISTORY of THEATRE」
Enterprise Theater presents
コメディで送る「完全版演劇の歴史」。ある劇場の歴史とかなのかと思いきや、ギリシヤ悲劇に始まって、ローマから現代劇に至るまでの歴史をコントでお届けするショーでした。
歴史的な位置の紹介や、それぞれの演劇の特徴をかいつまんで解説し、それをたった4人の役者でコントでお届けするというスタイル。日本の歌舞伎も紹介。
演劇学校なんかでは習うんじゃないかと思うんだけど、演劇の6要素を紹介し、その後後半は怒涛の「一瞬で紹介する名作劇場」の始まり!
オペラ座の怪人とCATSがこんな感じ。一体、何十本紹介したんだろう。演劇ファンなら、きっと爆笑というか、くすくす笑いが続く感じだったんじゃないだろうか。 演劇界あるある的な楽しみも。
最後にはクライマックスを三択からお客さんに投票して選んでもらう。「シェイクスビア」「悲劇」もう一つはなんだったかな。この回は「悲劇」が選択されて、全員死んで、紋切り型悲劇セリフで終わり。
ともかく半端じゃないセリフの量と猫の目のように変わる演技をこなしきった役者さんたちがすごい。一体どれだけの練習量だったんだろう。そんなところにも感心したのでした。
(2017年6月30日)
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SDFRINGE2017 「BEAU & AERO:CRASH LANDING」
Little Bit Off presents
昨年はメイドをテーマにした舞台で好評を博したLittle Bit Off 今年はステップアップしてLyceum 劇場のメイン会場へ。
http://alittlebitoff.us/
Little Bit Off は男女ペアの大道芸人コンビで、コント的にキャラと状況設定をしてそこに大道芸を織り込んでくるというスタイル。今回は、墜落した2人の飛行機乗りのお話。日本風に言うと、amica 演じるおとぼけ飛行士がボケ役で、david演じる上役飛行士がツッコミ役でしょうか。 ともかくamicaのキュートさ全開で、それを引き立てるdavidの息の合ったコンビが見事。昨年はフィジカルなアクロバットが際立つ感じでしたが、今回は客席を巻き込んだコント要素が強化され、風船芸など2人の様々なスキルが堪能できる構成。もちろんアクロバット芸も健在ではあったのだけど。
世界中を大道芸で回っている2人だけあって、どこの国でも対応できるようなほぼセリフのないコントで、非英語話者でも100%楽しめるショーでした。この回は大風船がアクシデントで割れてしまって、ショーのあと2人はしょげていたみたいですが、それも舞台。失敗しても舞台は続く。やりきって、1時間たっぷり笑わせてくれた2人に感謝です。
2人はアーティスト主導のミッドナイトキャバレーを企画してフリンジにドネーションするなどもして、舞台外でも活躍。
舞台外のコンビとしてはamicaの方がしっかりきっちりしていて、davidの方がいい加減で真反対の性格だとか。
世界のどこかでLittle Bit Offのショーを見る機会があったら、迷わずにチケットを買うべきでしょう。
(2017年6月29日)
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SDFRINGE2017 「THE LIONESS」
bkSOUL presents
昨年のベストアクトの一つだと個人的には思っていたので、今年も楽しみだったbkSOUL。
https://www.facebook.com/bkSOULarts/
音楽と詩、ダンスのコラボレーション。15年間続けている活動の一環というのは昨年と同じ。形式としてもほぼ同じだけど、今年はタイトルが『The LIONESS」ということで、やはり「女性」に焦点を絞った演目になっていた。
アフリカ系やマイノリティの、その中でも女性の歴史。彼女と彼らの母たちの物語が語り、歌い、踊られる。彼女らもまた誰かの母なので、母の話でもあるし、自分��ちの話でもある。
400年間、このアメリカの大地に染みた先祖の血、土に還った骸。その大地を踏みしめて立っている人々。それはただ暮らしていただけでなく「ヒューマンライツ(人権)」を獲得するために流した血、倒れた人々の骸の上に築かれた「語り」だ。
写真の前の方で横たわっているのは、観客から募集されたボランティア。(「誰かボランティアを」と言うと、すぐに手が挙がるのが日本とは違うところだなと感じた瞬間)。この演出は、一曲目「Bitter Land」の演出で、苦い大地を観客と繋ぐためのものだったかもしれない。
相変わらず笑いが起きた時に、何が起こっているのか理解できないのが、ちと悲しいのですが、今年も素晴らしいパフォーマンスでした。
そして、この日はちょっと特別なこともあったようです。
彼らにとって特別な存在の方が来ていて、バラかカーネション(?)を捧げられていました。母的な存在だったのかな。
bkSOULの舞台は、これで一つの完成形何だろうと思う。個々の技量のレベルアップとか演出をどう変えるとか、ディテールは詰めていくにせよ。 (2017年6月29日)
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SDFRINGE2017 「DR.SVETLANA WITH THON VEGH」
Thom Vegh presents
スペックルズシアターの二つの劇場のどちらのショーを見るか入り口で悩んでいて、こちらに決めると、入り口のボランティアから「いい選択だね。オススメだ」とのこと。
入り口で、あらかじめ名前を書かれたシールを胸に貼られます。どうも客席とやり取りをする系らしい。
https://www.facebook.com/DrSvetlanaWow/
さて、ショーはビートたけしの滑り芸よろしく転げながら登場した女医さんが、次々お客を患者にして診断していくもの。多分精神科医なんだろう。
英語がよくわからない人間としてはギャグがわからないのが辛い。うっすらとなんか楽しそうという状態です。当てられたらかなわんなぁとどぎまぎするのですが、多分この人は当てるべき人とそうでない人がちゃんとわかっている。その辺はちょっと信頼していた。
カルテを読み上げて、次に名前を呼んで舞台にあげる。診断の中身はお下劣なものもあって、多分ギャグにしながら、人間の仮面と本性をむき出しにしていくような狙いがあったんだと思う。役者が女装をしていることと、ストッキングがビリビリなところも、たけし風の滑り芸登場も理由あってのことだろう。本当は、この女医が患者なんじゃない? ってドグラマグラ的な疑心暗鬼になる。
素人にとっては、舞台に上がるという経験も異化効果につながること。そう思うには一つ伏線があって、この役者さんは前日にガンボの芝居を見に来ていて、ボックスオフィスで話しかけてきた。
彼はガンボの芝居は自分の芝居とすごく似ている。どこで学んだのかといった話を聞いてきたらしい。フランスのルコックシステムだというと驚いて、自分もルコックの影響を受けていると。「同じ母から生まれたんだ」と驚き、喜んでいた。
ガンボの芝居を見慣れている人間にとっては、それはよくわかる話だった。やろうとしていることが、とてもガンボと似ていると思った。演劇を通じて、なに��特別な物を観客に届けようとしているのだ。自分の芸を見せたいタイプのアーティストとはそこが違う。
わからないことも多かったのですが、メタ視的に楽しめるところは多い舞台でした。
(2017年6月29日)
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SDFRING2017 「SPECIFIC GRAVITY」
2016年のサンディエゴフリンジでは、ギャングの抗争のストーリー仕立てのサーカスショーを見せてくれたThe CIRCUS COLLECTIVE OF THE COLLECTIVE 。その後、ネットでアメリカに来た難民の学業支援のプロジェクトを立ち上げたと聞いていたのですが、この日のショーもプロジェクトの一環でした。
http://www.circuscollectivesd.com/specific-gravity/
期待のショーとあって、フリンジから用意されたシアターも、昨年工事してリニューアルしたばかりの新しく客席数も大きなもの。
開演前、舞台のスクリーンには、ミュージシャンのPVが流されていましたが、これも難民や戦争をテーマにしたもので、ショーの世界観へ入ってくプレ導入の役割を果たしていました。
ショーは、アクターたちが超人的なアクロバティックの技を披露しながら、世界中で現在進行形の難民がどれだけいるのかを紹介していくイントロダクションから。合計6530万人。その途轍も無い数の中には、日本が自衛隊を派遣した南スーダンもあれば、この2017年に発生したヴェネゼエラの難民も含まれていたました。これは、家を、居場所を失った6350万人の人々の物語。
今回のプロジェクトの発起人Joseph Dasilvaはそのヴェネゼエラの出身。彼が子供の頃に遊んだ思い出のボールがキーとなります。ボールを片手に現れたjosephの語りから始まって、ボールを渡されたアクタ��のアクロバティックのパフォーマンスが挿入される。
シーンはテーマごとに構成される。「Xenophobia(外国人嫌悪)」のテーマでは、ボールはアラビアのスカーフをかぶった男の手に。空港の入国チェックで、彼だけが止められる。入国管理官に暴力的に扱われ、スカーフとボールが剥ぎ取られる。その流れで2人のパフォーマンスへ。
アクロバティックのパフォーマンスももちろん魅了される。 二本の足で地面に立つしかない私たちと違い、極限まで鍛えた肉体を持つ彼らは、両���で時には片手で自分の全体重を支えロープや��ングに預けて空中に保持する。まるで重力などこの世に存在しないかのようだ。
空中に浮かぶアクターのシルエットが刻まれるスクリーンからは、過去から現在の苦しみと戦いの歴史も映される。キング牧師やマルコムX、ローザ・パークス、ネルソン・マンデラ、ハーヴェイ・ミルク(政治家・アメリカで初めて同性愛者であることを公開して選挙戦を戦い当選。その後暗殺される)、ダライ・ラマ。シンボリックな人物と、現在難民としてアメリカに逃れてきた若者のステートメント。難民発生の背景には、無数の偏見と差別がある。
1人の個人の思いが、社会問題に繋がり、ストーリーへと昇華され、技術の粋を尽くした美しいパフォーマンスで表現される。 社会問題はどこか他人事として考えてしまいがちな私たちです。でも、ボール遊びをした少年のストーリーから始まるこのショーは、とってつけたようなものではなく、切実に心に訴えかけてくるものでした。
哀しさ、美しさ、苦しさ。重力に逆らって生きるように、私たちはあらがい生きていく。その姿は、時に美しい。
ショーの後には、プロジェクトへのドネーションも行われました。Josephの持つバケツには、多くのドネーションが寄せられました。
そして、シアターを出たロビーのところで、何かひっくり返っているご婦人が。 どうやら、ショーに魅了されてあの無重力パフォーマンスにチャレンジしていたようです。その気持ちわかる! 見ているうちに、自分も出来るんじゃないかとつい思ってしまう。 劇団ガンボの面々も一緒にSPECIFIC GRAVITYにチャレンジ!
個人の思いと、芸術、社会問題がひと連なりになり、最後にまた社会に還元される。芸術が人と社会を媒介して、現実的なパワーとなるいい一例といえるでしょう。
日本に少なからずいる「芸術と政治を切り離せ」としょっちゅういいたがる人たちの考えってくだらないものだと、改めて思わせてくれたショーでもありました。
web:
http://www.circuscollectivesd.com/
(2017年6月28日)
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SDFRINGE2017 「The POLITICS OF SKA」
Steve Sanders presents
サンディエゴインターナショナルフリンジフェスティバル2017。最初の観劇は、Steve Sandersさんの「The POLITICS OF SKA」となりました。
これには伏線があって、劇団ガンボがお芝居に使うためのテーブルを探していたところ、この日のお昼に地元アーティストのSteveが快く貸してくださるだけでなく、劇場まで持ってきてくれたのです。その時に、「Steveのショーはいつ?」「今晩だよ」「じゃあ行くね!」といったやりとりがあったんです。
そんな超いい人Steveのショーはミュージカル&政治風刺劇で「スカの政見」とでも言えばいいのでしょうか、「我がスカ(ミュージック)党に投票せよ!」と言う政見放送の1人劇でした。実際に劇中で客席から投票してもらう(ただし芝居の進行に投票結果が左右されたりはしない)
この時点ですでになんでやねんと言いたくなるわけですが、この御芝居は1人劇というだけでなく、制作関係も全部自分1人。ストーリー・作詞・作曲・歌唱・イラストもぜーんぶ1人。
一時間の公演を水も飲まずに1人でやりきりました。「スカ党の政見放送、後半のはラップぽくなかった?」という疑念もありましたが、それもご愛嬌でSteveの熱演が光ります。「俺がスカといえばスカ!」みたいな。
英語がよくわかってない僕にとっては、何言ってるのかぼんやりとしかわからないので笑いのツボや、アイロニーが理解できなかったのですが、それでも楽しく過ごせたように思います。 少なくとも、他の観客以上に、ガンボの面々には大受けでした。 (2017年6月27日)
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KYOTO GRAPHIE 2017
4月25日、京都へ。
2015年は現代アートの芸術祭パラソフィアと同時開催されていて併せてみたけど、パラソフィアがなくなって今回はKYOTO GRAPHIEのみ。とはいえ、膨大過ぎる会場数はとても一日で回り切れないので、あらかじめ絞っていくことにした。
■DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展(立命館大学国際平和ミュージアム)
といいつつ、最初は関連展のDAYS JAPANから。うかつにも大学に向かう学生さんでごったがえしてバスに簡単に乗れなかったのだけど。
振り返ってみれば、ここが一番いわゆる写真展らしい写真展だったかもしれない。様々ある写真の持つ力の中でも、王道的な現代の瞬間を切り取る力で、現在進行形で今起こっている何かを私たちに伝えてくれる作品がそろっていた。
戦争と難民の二大イシュー。病院の中で、無表情に立ち尽くす幼女の粉塵にまみれた顔に流れる涙の轍。晴れた空から降り注ぐ炎の雨から逃げる人々、見上げる表情。 日本からは、福島に残された生きた牛と死んだ牛の写真が一点。処分されるペットたちの瞳を写した写真も。すべて、今この地球の上で起こっていること。少女の前に、炎の雨の下に、動物たちの生と死のはざまに、私たちは立っているわけではないけれど、写真を通じてわが身に引き寄せたい……そんな力があった。
※ソウルフラワーファンならおなじみのピース写真も展示。大判プリントでじっくりと。 ※正面の干上がった川に倒れるキリンの写真。照明の加減で自分の影が作品に入るのが気になった。 ※平日朝でほぼ人がいなかった。後から騒がしい声が響いて子供かと思ったら、学生らしきカップルだった。悲惨な写真に怖がって奥に入らず入り口��けで引き返していった。有料なのにもったいない。なんだろうレポート課題だったんだろうか。そんなあなたたちにこそよく見てほしかった。
■土の唄/山城知佳子(堀川御池ギャラリー)
先に無名舎に行こうかと思ったけど、バス中に予定変更。二条城はスルーしてこちらへ。 三つの展示室で、四作品の展示。
1「あなたの声はわたしの喉を通った」:戦争体験者の声と映像が作者と二重映しになる作品。シンプルに深く突き刺してくる作品。作者にリードされ、「わたしの喉」は鑑賞者の「喉」になる。 2「土の人」:分割した三画面で構成された映像作品。ループで流されている最終盤から見てしまって、しまった感じ。想像力を喚起するファンタジックなシーンに辺野古の基地阻止現場のシーン、「カフカノート」からの言葉などが差し込まれ、強烈で膨大なメッセージが流れ込んでくる。この人は映像作家というよりは、アーティストとして映像を使う映像アーティストなのだと思った。 3「コロスの唄」「黙認のからだ」:併せて一つのインスタレーションになっている。二つの映像作品を見た後だったので、ちょっと落ち着いた気分に。映像作品は、どうしても「時間」が作者から一方的に与えられるので、良し悪しと関係なしに疲れてしまう。その後に、作者のメッセージを自分の時間でかみ砕けるインスタレーションは、じっくりと対峙できてほっとした。 あふれる緑の中に若い女の「美しさ」が萌えて横たわり、老人が寄り添う。同列に並べ捉えられた鍾乳洞の岩と人体。一見アンビバレントなものを統合する力強さ、その力がこの人にはある。ただ置いちゃうだけの��と違う、強い個性、意志、能力。この人の次の作品が見たい。
※今回見た全展示の中で、日本人、本土人は必見の作品群と思う。この社会で生きる中で、何から目をそらしているのか、何の上に自分たちは立っているのかを体感する。 ※三つ見終わった後は、どれかひとつというなら3かなぁ、と思った。それは映像疲れをしていたからかもしれない。作家の個性としても3が一番しっくりくるようには思うけど、今時間がたって一番心に残っているのは1。 ※2の映像で一部の衣装(キャップとか化繊ぽい服の質感)が目にひっかかった。3で花のカットが綺麗なだけに過剰で不要な気がした。
■休憩 昼パスタ
商店街の中のイタリアン。 隣の席で若い男の子ふたりがにぎやかにおしゃべりをしていた。なんとはなしに聞いていると、二人は料理人で、片方は堺出身で三国ヶ丘に店を出したところらしい。郷土愛やインターナショナルな夢を語る二人。がんばりやーと思った。
パスタ美味しかった。
■光と闇のはざまに/ヤン・カレン(無名舎)
山城さんのに続き、ヤンさんのを見終わって、これは写真祭のふりをした現代アート祭なんだなと思った。地域に入り込み、地霊を掘り起こし対話するリレーショナル(関係性)のアートを、写真というツールと表現形態を使っておこなっている。作品展示もインスタレーション(空間展示)になっている。
光と闇のはざまにあるものは何か。それは世代を超えて受け継がれた人々の歴史。作者が慎重に切り抜くようにして捉えたのは、伝統的な道具のシェープ。古い道具にもそれぞれ固有の時間が経ているのだけど、道具が道具としてその形にたどり着くまでには、膨大なホモサピエンスとしての、それこそ木から降りたサルが最初に形を整えて作り出した道具からの、試行錯誤の叡智と歴史が昇華されて詰まっている。
作家は光と闇、ポジとネガの中に見事に「形」を刻んだ。
道具は、それにまつわる文化の消失と共に消え去る。写し取られた道具の中には、絶滅危惧種もいるだろう。化石となったものもいるだろう。ホモギガントスがイエティとなったように伝説の中に消えたり、ネアンデルタール人のように密かに遺伝子が今の道具たちの中に紛れ込んだものもいるかもしれない。そんなことも思った。作者のまなざしは、道具を通して、道具を必要とする、道具から生まれる、文化と生活にまで到達していたからだろう。
もうひとつ。 作品は古い町家のあちこちに仕掛けるようにインスタレーションされている。この家には世代を経た生活の動線がある。作品を鑑賞しながら、わたしたちは過去に生きた人たちが何度も踏みしめた、目に見えない動線の軌跡をなぞってもいるのだ。
危険ではないアートだけど、興味深いとは思った。 ※作者が在廊されていたけど、同じ中国圏から来られた方を案内されてたので、お話することはできなかった。 ※一階の魔鏡を使った作品を二人のスタッフ(英語&日本語)の方が解説してくれた。ほどよいスタッフのホスピタリティって大切だと実感。 ※逆に身に着けてた安全ピンのアクセサリーについて解説を求められる。もともと意味のあるものではなかったが、最近見出した意義について語った。
■ロバート メイルソープ写真展 ピーター マリーノ コレクション(誉田屋源兵衛 竹院の間)
■Falling Leaves/吉田亮人(元・新風館)
作者が年下の従兄とその祖母の生活を撮った作品。 もう、この二人がこの世にいないということに愕然とする。 不意に孫が姿を消した一年、森の中で彼の遺体が見つかり、自分の命が消える翌年までの間、祖母はどんな時間を過ごしたのだろうか。展示されている二人の姿が睦まじいほどに、全身を針で突きされたような痛みを感じる。 あのおばあちゃんのほっぺたをむにーって引っ張っている写真なんか反則だ。可愛くて、おかしくて、笑って、泣くよ。
展示の中心にデザインされた、落ち葉のインスタレーションのスペースを作品として喉が詰まったようになんとも飲み込めないのだけれど、そのスペースの天井に空いた空間から差し込む光が救いのようにも感じた。
来るんじゃなかった。来るべきだった。来てよかった。全部同時に思った。
■元・新風館 関連展など
■休憩 cafe
へとへとだったので、燃料補給しないでは耐えられないと思って、FORUM KYOTOの一階で。ストロベリーパフェとエスプレッソ。パフェの瓶は、「さしあげますよ」というので、もらって帰る。
■黒き雌ライオン、万歳/ザネリ・ムホリ(FORUM KYOTO)
もう、これだろうと思って個人的に最大期待値だった作品。 期待にたがわぬ、期待以上ってやつ。圧倒的。
���アフリカ共和国をベースに活動し、レズビアンをカミングアウトしているヴィジュアルアクティビストのセルフポートレート作品群。それ以上の情報をあまりいれないようにして見た。
最初のセルフポートレートに魅入られながら、三つのレイヤーで作品を楽しむことが出来ると思った。
一つ目は写真作品として。 同一人物によるセルフポートレート作品でベースの素材が同じだけに、純粋に写真としての魅力を比較しながら楽しむことが出来たように思う。同じモデルなのに、一枚、一枚がまるで違ったものを訴えかけてくる作品群。 写真家として、この作者はどういう絵を作りたいと思ったのか。そんなことをずっと探り続けながら、鑑賞を楽しんていく。
二つ目はパフォーマーの作品として。 では、この人は被写体として、どうパフォーマンスしているのだろう。視線や唇、表情筋を使い、意志、感情をこの人はどうコントロールして、何を表現しているのか。ヴィジュアルアクティビストが、自分をどうヴィジュアルにしているんだろうか。へアドレスとして、彼女の頭部を飾る様々なアイテム……洗濯バサミや、スニーカーやサングラス、バッグのなどのビジュアルの不思議さを含めて。
三つ目はアーティストの作品として。 ザネリの作品はとても雄弁で、隠しようもない強いメッセージが押し寄せてくる。彼女が作品で何を語ろうとしているのか。あの不思議なヘッドドレスは、彼女の母や祖母たちが、ずっとハウスキーパーとして家事に従事していたこと、アフリカが経済的植民地として スニーカーやサングラス を作る低賃金労働に従事していたこと……。そんな背景が見えてくる。
もちろん、三つのレイヤーは分かつことは出来るものじゃなくて、一体となって作品を形成している。レイヤーと言ったけど、切り口とか言った方がいいのかもしれない。津波のように迫ってくる作品を、三つの切り口を手掛かりに、感じ、読み解き、向き合う。どれだけ時間があっても足りないような、豊穣な体験を味わった。
(以後続く)
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