Catoonist/illustratorメンタルヘルスや日々の発見について絵や漫画を描いています。I create pictures and comics About mental health and everyday discoveries.Other SNS and contact→ https://lit.link/tokin
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looking forward to… 喜んでくれるかな。
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準備はできたかな💭 Are you ready for a certain important day?
#christmas#christmastime#xmas#merrychristmas#christmasmood#angel#tokinpict#illustration#happy holidays
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🎄🕺✨
She can’t wait until Christmas night✨
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walking on no eternity
In the past few days, I've experienced something very happy and something very sad.(後半に日本語文があります)
Two days after I woke up thinking, ``Such a wonderful thing could come into my life,'' I woke up thinking, ``Maybe that sad story was just a dream,'' and I was in a daze for a while.
I realized that events, body, and mind are all separate.
At first I couldn't believe what had happened. But in my head, I think of reasons and stories that make sense to me. However, when I feel dazed or feel unwell, I finally realize that ``Oh, this feels like happiness!'' or ``This is so sad that I can't accept it.''
The story I wrote at the beginning, both happy and sad, is about a person who has had a long-standing relationship with me from the past. Regarding both stories,I thought that the distance between me and them would not change, so I was surprised to find out, ``is life be updated?''
Until now, I believed that I was the one to forge my own path.
But lately, I've started to feel that I'm not the only one who decides how I want to live my life.
The presence of the people who support me and the people I meet sometimes determine the direction of my life.
What we take for granted and what we perceive as normal are actually made up of small miracles. That's why when you're sad, cry, and when you're happy, let's dance and have fun.
Life isn't always okay, nor is it always bad.
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ここ一週間で、夢みたいに嬉しいことと、夢だったらと思うほど悲しいことがあって、「あんな素晴らしい事が私の人生にやってくるのか」と思って目覚めた朝の2日後に「あんな悲しい話は夢だったのでは」と目が覚めることになり、しばらくボーっとしていました。
実際の出来事と体と心は全部別々なんですね。
最初はにわかに信じられなくて、でも頭の中では自分が納得する理由やストーリーを考えて。とはいえなんとなくアタマがいつも通りじゃなくなって、ようやく「ああ、これは嬉しいって感覚だ!」とか「受け入れないほどの悲しさだ」という気持ちに気づく。
先述の嬉しい事も悲しい事も、過去からずっと続いてた関係の人の話なんですが、どちらももう距離は変わらないだろうと思っていたので「ああ、人生っていうのは更新されるものなんだなあ」とかぼんやり感じています。
20代の頃までは、自分の道を切り拓くのは自分だ!と真っ直ぐに思っていました。
でも、その切り拓き方を決めてるのは私だけじゃないんだ、と最近よく感じます。
〇〇さんが見ているから頑張ろうとか、××さんがいるのにこんなこと言ってらんないな、とか。「自分で」というより、その方向に切り拓くことを選択せざるを得なくなる。
それを他者依存と言うのかポジティブなモチベーションとも言うのかはよくわかりません。ただ、頑なに、私が私を生きるぞ、と思わなくても、そういった流れに自然に乗っても大丈夫なんじゃないか、あるいはこれまでもそうだったのかも、と思うようになってきました。それもまた、他者によって「思わざるを得なくなる」ようになった結果でもあります。
当たり前も、普通も、いつも通りも、本当は小さな奇跡みたいなもので出来上がっている。だからこそ、悲しい時は泣いて、嬉しいときは踊るみたいに浮かれよう。
人生はいつも大丈夫なわけじゃないし、ずっとダメなわけでもないのだ。
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I used to think that as I get older, I become more tolerant of pain. But in reality,
I realized that instead of becoming more tolerant of pain, I learned to live with it.
Sometimes I find myself understanding the incomprehensible feelings I've had toward other people by realizing, ``That's how that person felt at that time.''
歳を重ねるにつれて、痛みに強くなるのかと思ってたけど、痛みに強くなるというより、痛みとともに生きる事を覚えるのだな〜。
他人に対して抱いて来た「なんじゃそりゃ?」っていう感覚を「ああ、あの時のあの人はこんな気持ちだったんだな」とわかったりして、なるほど、そうだったのか!とわかったりする。
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Being able to live a normal daily life is not always normal. There are many small coincidences hidden in our peaceful days.
Thank you, well done, Congratulations on your surviving today. let's do tomorrow after we finish today. We can't solve everything every day, but let's keep moving forward.
「いつも通り」はいつもじゃないし、「そのうち」は来ないし、「当たり前」は当たり前じゃないし、いつも「普通」であることは普通じゃない。 ありがとー、お疲れ様、今日を終えたら明日をやろう。どうにでもとは行かない毎日を、しかし粛々と歩こうな。
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View from the invisible side
When talking about history, there is often the opinion that ``if it is not talked about, it will be lost.'' (後半に日本語文があります)
I used to think that as long as I had information, it would never disappear, but recently I have come to realize that this is not the case. Even if information remains, if fewer people are willing to talk about it, that information will fade out.
The other day, I researched the history of manga, and found that there was an overwhelming difference in the amount of previous books written by Osamu Tezuka and later books. I felt that even the chance of being seen changes depending on the number of times and amount of things being talked about.
The other day, a Nobel Peace Prize winner from Japan Japan Council of Atomic and Hydrogen Bombs Victims Organizations spoke about his own experience with radiation exposure in a speech. In addition, there are increasing opportunities to hear about various movements by minorities.
I thought I was consciously watching these movements, but that's why I realized that I hadn't really paid attention to the feelings of those who couldn't see them.
Continuing to talk about past history is not easy. There will be many voices of opposition. There's not much I can do, but I decided once again to listen to those voices as much as possible.
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歴史の話をする時よく「語られないとなくなってしまう」みたいな話があります。 私はこれまで、情報があれば“なくなってしまう”ことはないだろうと思っていたんですが、最近どうやらそうでもないというのがわかってきました…。 情報として残っていても、それを語っていこうとする人が減っていけば、情報はフェイドアウトしてしまうんですよね。
というのも「漫画の歴史を調べるぜ!」と思っても、圧倒的に手塚治虫以降の以前の本と以降の本は量が違うのです。確かに手塚先生はレジェンドだけど、その前だってあるわけで… 語られる回数や量によって、見られる機会すら変わってしまうんだなと露骨に感じて、むむむ…となってしまいました。
先日、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の方がスピーチの中で、ご自身の被曝体験について話されていました。また、マイノリティの方によるいろいろな当事者運動も見聞きする機会が増えています。
そういった動きを自分は意識的に見ているつもりでした。しかし、その分、 「見てほしい」という気持ちばかりで、見えない側からの景色やその理由をあまり意識したことがなかったように思います。
過去をきちんと繋げていくこと、語り続けること��簡単ではありません。反発の声だって多く上がります。自分に出来ることは多くはありませんが、せめてそういう声にできる限り耳を澄ませていこう、と改めて思ったのでした。
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ウキウキする音が私の中から溢れてくる!
The sound of excitement overflows from inside me
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小さい力を愛しているのだ
(There is English text in the second half)
あちこちの政治が揺れていますが、先日の韓国の戒厳令の宣言にはビックリしました。あまりにもすごいスピードで、理解にだいぶ時間がかかりました😮
あちこちの政治が揺れていますが、先日の韓国の戒厳令の宣言にはビックリしました。 こういう時に上りがちなのが、その権力者たちを茶化したりミーム化する声。私は、この声がすごい謎なんですよね。
市民の生活が脅かされたり軽んじられたりするって、本来は憤るトピックのはず。それを笑ってしまうという感覚の正体って何なんだろう。 「いちいち怒っても仕方ない」「怒ったところで変わらない」みたいな感じなのかな。
前、社会運動に積極的な友人にそのモチベーションなのかと問うたところ「自分を諦めたくないから」と返されたことがありました。 その「諦めたくない」という感覚の真逆に当たるのが、先述の「怒っても意味ない」なのかもしれません。 「怒っても意味ない、それで何か変わるとは思えない。自分を含む市民には力がない」。その延長にあるのが、冷笑や、抵抗する人を揶揄する感覚なんだとしたら、なんとなくわかる気がします。肯定こそしたくないけど、私もそういうところがあるから。
ただ、それでも、私が何か行動を起こしたいと感じるのは、自分や近しい人の行動で人に変化があった経験があるから!知り合いの言葉に「そんなことがあるとは知らなかった」とハッとさせられたり、自分が言ったことで「この間あなたが言ってたのをきっかけに本を読んでみたんだ」と言われたり。 それは社会構造の変革…なんて大きいものではないけど、小さな変化がたくさんあったら大きい変化になるから、それであまり、諦めずにすんでいるかもしれません。
で、「誰かと意見を交えることは大事だな!」と感じ、しかし直接論戦を交わすコミュ力も度胸もあまりないので、“トロい人間なりの一人デモ(?!)”みたいな感じで、こうして何か書いたり本を作ったりしているわけです…。 微々たることでもしないよりマシだ!少しの変化を少し��つ歩く、亀の歩みの力を信じたい! 🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢
Politics is in turmoil here and there, and the recent martial law in South Korea was a surprise. At times like these, voices arise that mock those in power or turn them into memes. I find these voices questionable.
When the lives of citizens are threatened or disregarded, it should be a topic of indignation, but what kind of feelings do those who make fun of it feel?
Is it a feeling that "There's no point in getting angry about small things" or that "Even if I get angry, nothing will change"?
I once asked a friend who is involved in social movements what was them motivation, and their answer was "I don't want to give up on myself."
The exact opposite of the feeling of "I don't want to give up" that they are talking about may be the aforementioned feeling of "There's no point in getting angry."
"I don't think anything will change. The people, including myself, have no power."If, as an extension of that feeling, there is a sense of ridicule toward those who resist, I think I can understand it somehow.Because I have a little bit of that feeling.
Still, the reason I take action is because I have personally experienced how people change through my actions and those of people close to me. I get happy when The voices of people you know can change the way my think. or when I say something and they say, "I read the book because you mentioned it the other day."
It's not a big enough achievement to be called social reform, but small changes add up to big changes, so I don't feel like giving up.
So, although I think "it's important to exchange opinions with someone!", but I don't have the communication skills or courage to debate directly… so I make some works,write texts and make books, with the feel of a “one-man little demo.” Even small things are better than nothing! Walk little by little, make small changes, and believe in the power of small things!
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お前はゆっくりに耐えられるか
「Xをやめる」と書きつつ、スッとログインしては、DMやリプなどだけ見て離れる…という日々です。
しかし、少し見るのを減らしただけで入ってくる情報がグッと減りました。速報性のある話はほとんど入って来ませんが、まあ、このくらいでいいんだろうな〜と思います。 そんな何でもかんでも急いで知る必要もないしね…。
というわけで、空いた時間でのらくろの研究をしており、先日、古書店の通販で本を買いました。 しかしこれが、Amazonや楽天のペース感とは全然違う。 まず、購入からメールの返信が来るまで2日かかり、「振り込み確認は2〜3営業日ほどかかります」とのこと。確認から発送までも数日かかるらしく、バッチリ土日はお休みであり、もはやいつ届くのかよくわかりません。
しかし、先述のネットの情報しかり、世の中のペースなんてこのくらいでいいとも思います。 人手不足のこのご時世、急いでないのに「即日配送!」とかさ、申し訳ないし…。
とはいえ、これは今、心に余裕があるから言えることでしょう。もしこれで、ようやく届いた本の状態が悪かったりしたら私は突如血相を変え「やっぱ対応が悪い店は碌な事がない」とブチギレ祭りを開催してしまうかもしれません。 そうならないよう、今から心を落ち着け、思いがけずヤベー状態の本が届く事などを覚悟し、到着を待とうと思います。来るのかな。
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戦争とマンガと引力(のらくろの話)
病気や生きづらさをテーマに据えた仕事が増える中「これまで、漫画はどのように社会問題に触れてきたか?」と考える機会が増えるようになりました。そこでいま、私ががぜん気になっているのは「のらくろ」です!!
のらくろの漫画は昔からときどき読んでいたんですが、ある時アニメをみていてふと「これは子どもにはどう映っていたんだろう」と気になりだしたのです。
youtube
自分の世代は当然「戦争は恐ろしいものだ」と教えられて育ってきており、戦争を描いた作品に触れることがあっても、反戦の意を込めて作られたものがほとんど。 しかし「のらくろ」は子ども向け作品でありなが��思いっきり戦争を描いており、相手を滅ぼし、それで大喜びしたりしています。 戦時中という特殊な状況の中、これはどのような視点で送り出され、受け止められたんだろう。 そんなことを考えて、借りられるものは図書館で借りたり、手頃なものを見つけてメルカリで買ったり、いろいろ掘っています。
しかし、私は大前提として…のらくろが好きなんですよね…。 軍隊に入って喜ぶところ、悲しいとしばしば泣い���しまうところ、おっちょこちょいなところ、ふかふかの手足…もう全てが愛らしい。
だからこそ!! 最初のフニャフニャな新人兵から、昇進していくごとに「国の名誉なのだ」と戦火に飛び込んでいったり、満身創痍となりつつも上官から「よくやった」と褒められて笑顔になったり、敵軍を全滅させて喜んだりする場面が増えるのがしんどい…。 ほとんどが素朴な日常回なんですが、話が進むにつれて(地位が上がるにつれて?)戦意高揚を煽っているのだな…というシーンが増えるのです。 作者である田河水泡先生は、どういった思いでこれを書いていたのか?これだけ戦争の描写がありつつ、愛されて続けているのはなぜなのか?
そこで先日、訪ねたのが江東区森下にある、「田河水泡・のらくろ館」です。
展示やインタビューで田河先生の思いや、当時の読者からの反響などを知ると、作品を見る感慨もひとしお。 今の目���で見れば、恐ろしい“戦時下”という時代でも、実際はその只中に日々の生活があり、遊ぶ子どもがおり、おもちゃやマンガがあったのよね。良し悪しや歴史の意味だけではない、ささやかで、個人的な“暮らし”が…。 そして、作品や歴史と同じくらい印象的だったのが、そこに来ていた人たちの姿でした。 「昔読んだんですか?かわいいですよね」と言いながら、漫画のページをめくる30代くらいの、おそらくヘルパーさんと思しき人。その人がめくる本を「懐かしい。おもしろかったね」と言いながら眺める、おじいさん、おばあさん。 分厚い「のらくろ漫画全集」を黙々と読む小学生。館内で上映されていたアニメを見て大笑いする子ども。
時代背景を超え、漫画としての魅力が強烈だからこそ、このように元・子どものおじいさんにも、今の子どもにも、私のような一介の漫画好きにも、響き続けるんですよね。作品が持つ引力を目の当たりにして胸を打たれました。
作品がどういう背景で生まれたのか、支持された(あるいは消えていった)のかを知るのってすごく面白いし、勉強になる。 そして残る作品には、やはり理由があるのだな〜。 まだしばらく、のらくろの足跡を追う探検は続きそう。続きそうで、あります。
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面倒な話は不要な話ではないのだ(SNSのこと)
💭A troublesome story is not an unnecessary story (about SNS)💭 (English text is posted after Japanese text)
長らく怪しまれていたXですが、いよいよ完全に怪しくなったので、Xからblueskyに引っ越すことにしました。
ぜひフォローよろしくお願いします! (https://bsky.app/profile/tokin0528.bsky.social)
Xが昔よりもなんか嫌な感じになって、「いつも細かい喧嘩ばかりしてる」「すぐ怒られる」「行きすぎた正義」とかいう声が出るようになりました。でも、一見共感できないような声を大雑把に“面倒くさいトピック”として投げ出す傾向は、なんか危ないなあ、という気もしています。
そりゃ面倒臭いんだけど、本来、社会課題って小さなことを一つ一つ話して考えて進めるのが必要なはず。ネットやSNSの台頭で、ようやくマイノリティが声を挙げられるようになったのに「正義の暴走」とか言って十把一絡げにして無視するようなことがないようにしたいです。
しかし、今のXで意味のある話し合いができるとも思えないので、まあ、そこなんだろうという気はしますが…!
Xについて、解離性障害のアカウントは、ひとまず本の出版までは継続します。 メインアカウントは、頻度は減ると思いますが見ているので、リプなどは大歓迎です〜! noteやInstagram、tumblrで生息しているのでちょうど良い感じに付き合ってもらえたら嬉しいです。諸々のリンクはこちらにまとめています。 というか「Xから離れられますように…」と思うくらい依存気味の私ですよ…。更新頻度が減ったら「元気でやってるんだな」と思ってください。
The atmosphere at X has become more unpleasant than it used to be, and people have started to make comments like, They always have small fights in that place,''They get angry easily,'' and "excessive justice.'' However, I think there is a danger in the tendency to simply throw out voices that we cannot relate to at first glance astroublesome topics''.
Originally, it would be necessary to talk about and think about each small issue one by one when dealing with social issues. With the rise of the internet and social media, minorities have finally been able to raise their voices, so I want to make sure that we don't just ignore them all together, calling them "excessive justice.''
My SNS contacts are listed here.
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SNSの怖さについて… About the fear of SNS
共感出来るポストにいいねをしてたら、同じ意見のツイートばっかり出て来るようになってゾッとしてしまった。認識の偏りが生まれ育つのを見た気分。 みんなが自分と同じ事を考えているような錯覚に陥る。寂しければ寂しいほど満たされると思う。
I was liking posts on Twitter that I could relate to regarding the results of the recent House of Representatives election. Then, I started to see so many tweets with the same opinion that I was horrified.
I felt like I was witnessing the birth and growth of cognitive biases. They fall into the illusion that everyone is thinking the same things as them. I think the lonelier you are, the more fulfilled you will be.
政治の話だから、偏りがわかりやすかった。 この偏りの精度だってメディアはコントロール出来ちゃうんだからヤバい!気分が良ければ良いほど気づかないだろうな。気づきたくなくなるだろうし。気���確かに!
Since it was about politics, it was easy to see that the posts displayed were biased.
The accuracy of this bias is dangerous because the media can control it! The better you feel, the less you'll notice. You won't want to notice it. Be careful!
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Pieces of the Season❄️
#art#digitalart#digitalartist#illustration#digitalillustration#doodles#procreate#procreateart#snow#winter#lineless art#animated gif#tokinpict#anime gif
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❤️🔥🔥‼️湧き出でよ!!権利‼️🔥🗳️🏃♂️💨 6月27日は #衆院選2024 ですよ〜〜!!! ところで「期日前投票」って、期日“ぜん”投票だって知ってました?私はずっと期日“まえ”だと思ってました。
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