#産直牡蠣と生まぐろかば
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ラーメン忘年会で品川へ✨ 今年からオープンしたゴールデン横丁 9店舗ある集合施設で色々なお酒や料理が食べられてオススメ! 台湾風とろみラーメンの『だんだん麺』が食べられると聞いて来ました😊 レトロ感も漂う素敵な空間でついつい飲みすぎてしまいました! ラーメン好き4人組なので最後のだんだん麺はテンション上がりすぎました🤣ww お酒も料理も最高のハシゴ酒でした✨✨ 楽しすぎました✨ ごちそうさまでした🍜 皆さんもぜひ行ってみてください! 後から見返せるように保存すると便利ですよ🍜✨ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 輝け!品川ゴールデン横丁 〒108-0075
東京都港区港南2-2-13品川フロントビル地下1F @shinagawa_golden 最寄駅:JR各線・京急本線 品川駅 徒歩5分 営業時間 ランチ11:30〜14:00(13:40LAST) ディナー17:00〜23:00(22:30LAST) 定休日: 土日祝 ★一軒目 #産直牡蠣と生まぐろかば 全国のマグロが食べられるマグロ盛り合わせ ビール&サワーをいただきました! 大トロがめちゃ美味しかった♡ ★二軒目 #タイ屋台食堂センディストリート 本場タイの味がめちゃくちゃ美味しい♡ ヤムウンセンとガイヤーンを食べながらシンハーは最高♪ マンゴービールもめちゃ美味しい! ★三軒目 #台湾居酒屋だんだん 人気のだんだん麺を4人でシェア! みんなで楽しく台湾気分でサワーをいただきました!
だんだん麺は3人前を4人でちょうどよかったです✨🍜 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー @k.ramen.csp Ramen☆こばやし 東京のラーメン情報を毎日配信 ぜひフォローしてね♡ #品川ゴールデン横丁 #pr #品川グルメ #品川ディナー #品川飲み #五反田ディナー #五反田グルメ #横丁 #せんべろ #ハシゴ酒 #梯子酒 #ゴールデン横丁 #酒好き #だんだん麺 #忘年会 #ラーメン女子 #ラーメン部 (輝け!品川ゴールデン横丁!) https://www.instagram.com/p/CmizyhUSgiN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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◆報道後も3億円かけ100トン除去 都は、2019年以降も2度にわたって、さらに計17トンのカキを除去。2021年夏の東京五輪は乗り切った。 ただ、カキ問題はこれで終わりではない。 都は、五輪後も4回にわたって計83トンのカキの除去を余儀なくされた。4年前に東京新聞がカキの大量発生を報じた後も、カキの除去に計3億円の経費がかかっていた。 このままだと、またカキが付着してしまう。 海の森水上競技場は、五輪のレガシー(遺産)として、五輪閉幕後も解体せず活用。一般に開放するほか、国際大会や全国大会の誘致を目指していた。 五輪会場の後利用のために、カキ対策は避けては通れなかった。 ◆「カバーに効果」でも20年間で14億円 都は2021年7月から専門家を招き、抜本的な対策を検討し始めた。 候補に挙がったのは、 ①海水を電気分解して貝の付着を抑える次亜塩素酸を発生させる ②装置にカバーを取り付ける ③定期的に装置をワイヤーで吊り上げる ④消波装置を石積みで下から支える の4つの案。 5回にわたる検討会議の結果、消波装置にカバーをかけてカキの付着を防ぐのが最も費用対効果が高いと結論付けた。装置の編み目をビニール製のカバーで覆うことで、稚貝をくっつきにくくする狙いだ。 専門家が「最も経済的な案」と判定したカバー案。それでも消波装置のうち316基に付けるとなると、その費用だけで1億5000万円がかかった。 これでカキ対策も万全と思いきや、「カキの発生を完全には防げない」(施設の運営を担当する東京都スポーツ施設部)というのだ。 カキの幼生は肉眼では見られないほど小さく、カバーの隙間から消波装置に付着する可能性が高い。東京都スポーツ施設部の浅田宗(そう)・前施設整備担当課長(3月当時)は「今後も年に1回は装置を陸に引き揚げて清掃する必要がある」と話す。 すでにカキ対策に6億円を投じている都だが、カバーを設置しても2042年までの20年間で計14億円かかるというのだ。 試算額に、浅田課長は「正直、決して小さな額ではない」と認める。「当初想定しなかったカキの大量発生があった中で、健全な競技環境を整えなければならない。必要最低限の費用で、効果的な対策をとるよう知恵を出して努力している」と理解を求める。 ◆「負の遺産」強化合宿は今も戸田で 「すごい、そんなにお金がかかるとは…」 カキ除去に14年間で20億円かかるとの都の試算に、埼玉県ボート協会の和田卓理事長は一瞬、言葉を詰まらせた。 和田氏は、海の森水上競技場の建設前から「風や波が強く、競技に不向きだ」と疑問を投げかけてきた。 和田氏の指摘に、「波や風の対策を講じるので問題ない」と言い張ってきたのが東京都だった。その結果、五輪が終わっても莫大な維持コストが都民にのしかかることになった。 和田氏は「当時、懸念していたことが、そっくりそのまま現実になった。競技に適さない場所なの���無理やり作ったツケだ」と憤る。 和田氏によると、海の森水上競技場ができた今も、1964年東京五輪のボート会場だった「戸田漕艇場」(埼玉県戸田市)で強化選手の合宿が行われているという。 都は、海の森水上競技場を戸田漕艇場に代わる新たな「ボートの聖地」にしたい考えだ。しかし、五輪後、海の森が一般開放されても、首都圏の大学や社会人の練習拠点は戸田漕艇場に残ったまま。 和田氏は「海の森水上競技場は、海水なので舟が傷みやすいし、消波装置があっても波が高い。使えない上に、たくさんの税金を垂れ流すだけの負の遺産でしかない」と言い切る。 波を防ぐ装置に発生した大量のカキを除去するため、今後も20年間で14億円かかることが判明した海の森水上競技場。一方、波とともに懸念されていた強風対策でも毎年、費用がかかることに。そのコストたるや…。 ◆100年前は東京産が全国トップ カキの産地といえば、広島県や宮城県が有名だが、東京にそのイメージはない。農林水産省の統計では、東京都の養殖カキの収穫量はここ20年ほどゼロが続く。 なぜ大量発生したのか。明確な原因は、都も分からないという。 文献を調べてみると、意外な事実が分かった。 実は古くから、東京湾の台場や葛西、大森周辺には多くの天然ガキがいた。明治期には養殖も盛んになり、昭和初期にかけて、東京都がカキの生産量や金額で全国トップだった時期もあった。 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 東京都漁連内の団体が1971年に発行した「東京都内湾漁業興亡史」によると、東京都は1905(明治38)年に養殖カキの生産量が全国1位。1926(昭和元)年と1931(昭和6)年には、天然カキの販売金額も、それぞれ全国1位だった。 東京都水産課の担当者は、「隅田川や荒川、江戸川、多摩川をはじめ多くの河川から水が流れ込む東京湾は栄養が豊富で、本来は漁場としての生産性が非常に高い。 高度経済成長期に海面を埋め立て、都市開発を優先して漁業権を廃止するまで、東京都はアサリやハマグリ、ノリなども含めて漁業が盛んでした」と説明する。 漁獲されていなかっただけで、これまでずっと東京湾の至る所にカキは存在していた。 海の人工構造物にすみ付きやすいカキにとって、突如出現した海の森の消波装置は表面の編み目がくっつくのにぴったりだった。 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で ◆新しいご当地グルメに? 今回大量発生したのは、カキの中でもマガキと呼ばれる種類。国内で一般的に流通し、生食やフライ、鍋物などでよく食べられている。 予期せぬ事態を逆手にとって、ご当地グルメとして売り出すことはできないのか。 カキの衛生基準に詳しい、日本牡蠣協会オイスターズジャパンの三村大輔代表(41)は、「健康上の懸念から、難しいでしょう」ときっぱり言う。 「東京湾には水質がきれいで現在も漁業が行われているところもある。あくまでも競技場周辺のエリアの話だが、埋め立てで水質が悪化したことに加え、大雨などでオーバーフローした下水が河川を通じて流れ込むことがあります。病原性大腸菌の数が多く、食用には適しません」 味に関しても、評価は厳しい。 「そもそも国内で流通するマガキはほぼ100パーセント養殖物で、味や形を整えるために生産工程が管理されたもの。カキは海中の浮遊物を取り込むので、そのエリアの海のにおいがそのまま食べたときの香りやにおいになる。佃煮にしたらまだごまかせるかもしれませんが…たぶん、おいしくないですよ」
まだ続いていた東京五輪の戦い…相手は「カキ」 東京都が億単位のカネを投じて延命する「負の遺産」:東京新聞 TOKYO Web
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台湾旅行
ちょっと遅めの夏休みと言うことで8/24(土)~8/26(月)で台湾に旅行に行ってきました。 色々あったということで、久しぶりの海外旅行ですね。
■手配とか 台湾のランドマーク的存在である圓山大飯店。 我々夫婦も前回旅行時に見かけて当然気になっておりました。 Youtubeで旅行系の動画よく見ていて、その中でも台湾モノお気に入りだからなのか、 HISさんの台湾旅行のバナーがよく出てくるんですよ。。。 そんな中で、バナー写真が圓山大飯店になっているものが。 え、これHISさんから普通にツアーで申し込めるものなの? 試しにクリックしてみたら普通に2泊3日の航空券付きのプランが。 とは言え初手で出てきたのは窓無しのプラン。 いや、バルコニーみたいのにコレでは。。。と言い訳考えた瞬間に 窓側のプランもサジェストされていることに気が付く。。。 ちょっと高いとは思いつつ、ココに泊まれるならいいかー、って感じでポチっちゃいました。 (そもそもあのホテルの高い安い自体が全く見当付かないという。。。)
■フライト 今回はScootの成田⇔桃園便。 行きが13:00発、帰りが15:00発と言うことでLCC便としては無理なく利用できる時間と言うことでチョイス。 チケット確保しましたと来たものの、便を調べるとシンガポール便が出てきて混乱したりしたのですが、 台湾���経由してシンガポールに行く便なんですね。 これシンガポールまで行く人は台湾では機内で待つのかなとかちょっとワクワクしたのですが、 後でネットで調べたら一度全員降ろされるんですね。。。 乗り過ごしてシンガポールみたいなことが起こらないのかとちょっと期待したのですがw
そういえば成田空港も初だったのですが、行きは速さ重視でスカイライナー、帰りは新宿直行でJRにしました。 JR楽ですけど、やっぱり結構時間かかるのが辛いところですね。 台湾の桃園も初でしたが、MRTだと早くて便利ですね。 ただ、行きに使おうと思うと第一ターミナルからだと座れるのかどうか。。。 立って行っても大丈夫そうな時間ではありますが。
■通信系 楽天モバイルが何気に海外通信も2Gまでであれば国内分と纏めてくれると言う太っ腹。 メインのスマホはありがたく使わせてもらいました。 あと、サブ機用に現地SIMを確保しておくことに。 Redmi Note 12 Turboが残念ながらe-sim非対応なのでSIM利用になりました。 手続きとか楽そうなのでkkdayさんを使ってみました。 受け取り自体はめっちゃスムーズだったのですが、私の前の人が苦戦しているようで結構待たされました。。。
■Tiwan the Lucky Land お馴染みのキャンペーンですね。 事前情報では落ちてくる風船をつつくタイプだったと思うのですが、 夜市にあるようなパチンコをイメージした抽選に代わっていました。 それはさておき抽選の結果、なんと当選。カミさんは残念ですが二人で5000台湾ドルってので十分ありがたい カードも選択すること無く悠遊カードが渡されました。 300台湾ドル残しにはなりましたがお土産やらご飯やら移動やらでありがたく使わせて頂きました。 ちなみに時間帯のおかげか抽選も引き換えも空いていてすぐ対応してもらえました。
■ガイドと両替所と称した怪しいお茶屋 今回空港から街までガイド付きで送迎してくれる&両替所に寄ってくれるみたいなオプションがありまして。 正直団体で移動するのあまり好きでは無いし、待つのも待たされるのもなーと思っていたり。。。 (抽選が当たった後、引き換えに待ち時間があるみたいなことを聞いていたので、 自分含む外れた寂しい人たちが当たりの人たちを待つみたいな悲しい展開が嫌だったのでw) とは言え断る方法もわからなかったのでお世話になることに。 そして両替所は実際にはお茶屋さんにもなっていたようでして。 カミさんが雰囲気にも吞まれつつまんまとお茶を購入することに。 チラッと先に悠遊カード使えそうなのはチェックしてたので、高いと思いつつもいいかなと許可 (最終的な残額考えると英断だったのかも。。。(汗) まぁせっかく買ったお茶なので飲んでみようと思いますw
■圓山大飯店 殆ど旅の目的地と言ってもいいホテル。ほんと素晴らしかったです。 部屋が窓付きにしたおかげもあってか、すごい広いし当たり前に快適でした。 山側ではありましたが景色もいい感じでした♪ ただ、ホテルにコンビニはありますが、街から遠いのはやはりちょっと微妙でしたねー。 ちょっと街歩きしてホテルで休憩とか、近くの店で買いこんでホテルで食べるみたいな動きができない。 (無料バスはあるし、そこまで遠くも無いのですが。。。) 2日目3日目の朝食付きのプランにしていて、3日目は頑張る気になったら街で朝食をとも思ったのですが 朝食ビュッフェも種類も結構あって、中々美味しかったので、結局3日目も朝ホテルで食べてのんびり空港に直行することに。。。 ココを目的地にってことで行く価値はあると思いますが、台北楽しむのであれば都心の便利なホテルの方が。。。w
折角圓山大飯店に泊まることになったので、地下トンネル含むガイドツアーに行ってきました。 てっきり海外の観光客向けのツアーなんだろうと思っていたのですが、 我々が参加した回だけなのか、毎回そうなのかはわからないですが、 我々以外は全員中国語圏のお客さんでした。中国語ツアーの中に放り込まれる形に。。。 もちろんちゃんと案内してくれて、日本語音声ガイダンス機で説明は聞けるのですが、 ガイドさんは中国語で色々説明しているようで、お客さんの反応も相当よさそうで羨ましかったです。 教訓。現地ツアーであたりガイドを引くと、悲しくなる。 いや、ツアー自体はすごいよかったですよ。見どころも多かったし。 トンネル抜けた先が普通に外で、これツアーしてたら有事に回り込まれたりしないかちょっと心配でしたが。。。
ツアーのあと、別館の第一夫人と言うカフェでお昼を。 珈琲が自分でドリップを注ぐ形式でちょっと面白かったです。 見た目オシャレではありますが、珈琲は入れた状態の方がありがたいかな。。。w 来た時にチラッと見たときはケーキとかアイス気になっていたのですが、 ツアーで仕入れた情報をもとに小豆ケーキをチョイス 素朴な生地にあんこの甘さがいい感じでした。
■夜市とか 初日の夜に士林夜市に行ったのですが、地下のフードコートが工事中で入れず。。。 結局牛魔王なるステーキっぽい謎のお店で夕食を食べることに。 美味しかったですが、なぜ台湾で感が。。。と思ったのですが、 台湾風のステーキってB級グルメ的ポジションらしい。帰国してから知りましたw
二日目の夜は寧夏夜市を見に行きました。 ソーセージを薄いパンケーキで焼いた謎のホットドックは外で頂きましたが 落ち着かないということで目に付いたお店に入って牡蠣のお好み焼きと海老チャーハンを頂く。 どちらも中々の美味でした。 と言うか、私もカミさんも外飯は落ち着かないみたいであまり盛り上がらず。 幾つか選んで買って、ホテルでたべるとかのほうがよさそうやな。。。
今回も色々ありつつも楽しい旅行となりました。 パスポート切れる前にもう1回ぐらいどこかへ。。。?
他載せ��れなかった写真とかはこちらにも。ピンボケ等はご愛敬で https://yunshot.tumblr.com/tagged/2024%E5%B9%B48%E6%9C%88%E5%8F%B0%E6%B9%BE
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東京メトロ南北線四谷駅2番出口を出た四谷見附交差近くにある「しんみち通り」を入って直ぐ右側にある 「かつれつ 四谷たけだ」さん 平日休の13:20着 コロナ禍で密を避けていたので数年ぶりの訪店です 店舗前8名 外堀通り沿いの歩道に20名の行列に接続 入店時自分の後ろには10名様です 列に並んでいる時にメニューを渡され、10分後位にメニュー注文を取ります こちらではもちろん一択で 今年は12月から開始になった 季節限定 三陸産生カキ使用 カキバター焼き定食130g 1780円 (大きさにより4〜6粒) 14:10に入店しカウンターに案内されます 卓上装備品は マスタード、塩、ソース、醤油、ゴマドレ、つぼ漬け、冷水ポット、爪楊枝、アルコールスプレーです 座って5分程で着膳です カキバターは カキバター焼き5粒、ベーコン、ポテサラ、パセリが乗った千切りキャベツ、カットレモンのラインナップ お味噌はワカメと葱の具です 1時間近く並び、待ちに待って登場した牡蠣バター 大ぶりな牡蠣がドーンと5粒も盛られています。ぷっくりとした牡蠣は、岩手県の三陸から直送された大粒の生牡蠣のみを使用しています 香ばしくソテーされた大きくジューシーな牡蠣を一口で食べれば、バター醤油の甘辛さ、ぷりぷりしていて旨みたっぷりの牡蠣の風味が口の中いっぱいに広がります 牡蠣好きにはたまらない旨さです バター醤油のタレは、バターの風味の砂糖醤油味に牡蠣の旨味が溶け出て美味しいです 付けあわせとしてさりげなく添えられているソテーされたベーコンも、いい味を出していていました 数年ぶりのカキバター焼き 美味しくご馳走様でした
『冬の超人気メニュー カキバター焼き定食』by macaron0227 : かつれつ四谷たけだ - 四ツ谷/食堂 [食べログ]
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二年前日記47(2021年11/19〜11/25)
11月19日 午前中、美容院へ。ここの美容師さんはみんなパパさんなので、髪を切ってもらいながらいろいろ教えてもらった。「産後もベビーカーで来てもらってもいいですよ」とのこと。ありがたいなぁ。午後からは助産所へ。産後ケアでお世話になろうかと思って、見学させてもらう。「利用されてるかたから話を聞けたほうがいいですよね」と利用されてる人がいる日にセッティングしてくださったが、せっかく休みに来られてるのに申し訳なかったな。運営されてるかたはいい意味で意識高い感じじゃなくて、しんどさを全身で受け入れてくれそうな人だった。とりあえず使えるものは全部使う気満々。「チームわが家」を増やすのだ。夫と待ち合わせして、晩ご飯を食べに行く。焼肉です。これで食べたい物は全部食べたな。悔いなし。
11月20日 夫は仕事。朝、散歩に行って少し丁寧に掃除をする。午後からは読書、メルカリの出品など。すぐに売れたので配送の手配。晩ご飯は肉団子の鍋。夫が帰ってこないなぁと思ったら、どうやら義実家に寄って帰ってるみたい。野菜をたくさんもらってきた。もういつ入院になるかわからないのになぁ。なるべく冷蔵庫も空にしていきたいのだけど。夫からも一応そう言ってくれたみたいだけど、うちの親もそうだけど、なかなかわかってもらえない世代というか何というか。世話を焼くことはいいことだと疑わないよな。困ったときはお互い様で生きてきた人たち。もっと甘えろと言われるけど、産後はひっそり落ち着きたい。何でみんな当たり前のように世話をするんだろう。一人になりたいと思ったりすることはないんだろうか。昨日言ってることと矛盾してる気がするのだけど、ケアしてもらうのは知らない人のほうがいい。
11月21日 夫は美容院へ。なかなか帰ってこないなぁと思っていたら洗濯機の写真が送られてきた。忙しくなるし乾燥までできるやつがあったほうがいいのかなぁと私がポロッと言ったことから、洗濯機探しが始まり結局縦型の乾燥なしタイプで今よりも容量が多いのにすることにしたのだけど、それがアウトレットのヤマダ電機で安かったみたい。今買わなくってもいいのではとも思うが、考え出したら止まらない人なので止められない。配送の日が私が鍼に行く日で、車で送ってもらう約束をしていた日にしてきたので、変えてもらった。昨日義実家から野菜をいっぱいもらってきて、洗ったりいろいろしていたら疲れてしまっていたのもあって、ちょっと怒ってしまった。とりあえず赤ちゃんには洗濯機が届くまでは待ってもらいたい。午前中にMさんとFさんが訪ねてきてくれる。この間もやっとしたことは、認識の違いだったことがわかった。帰ってきた夫とお昼を食べて、昼寝をし実家へ。黒豆寒天とマカロニサラダを持って行く。餃子の皮がずっとあるらしくて、私に持って帰らそうと餃子を作ろうとしていたが、どうやら手順が今いちわからないっぽい。また一緒に作れたらいいな。「暗くなってくる前に帰るわね」と言って帰ることにした。父が焼いたパンを持たせてくれる。晩ご飯は、鯵焼いたの、マカロニサラダ、かぼちゃ煮、味噌汁。夫が来年に受ける資格試験で三角関数をめっちゃ使っているので、ちょっと教えてもらうが全然わからない。何とか公式丸暗記で乗り切ってきたが、数学って道具だったんだな。
11月22日 朝、検診へ。今日は雨。ひと雨ごとに寒くなるというが、この雨は三回分の雨に匹敵するぐらい寒くなると朝のニュースで言っていた。今までがあったかすぎたんだと思うけど。今日はエコーなし。血圧が高めで測り直しが続いていたので、家でも測ってくださいねと言われる。血圧計買わないと。妊婦だし、まぁそんなもんだろうと思っていたけど、だんだん怖くなってきた。もっと早く気をつけておけばよかったなとちょっと反省する。子宮口はまだ開く気配はないみたい。来週中ぐらいには出てきてくれないかなぁ。そのためにはどんどん歩かねば。お昼は病院の食堂で焼肉定食。病院の食堂なのに結構味が濃かった。行きはバスに乗ったが帰りは歩く。途中イオンで休憩する。入った喫茶店でお客さんとお店の人が話をしていて、どうやら不妊治療の話だった。わたしも少し前までそちら側のひとだったのだが、この人にはどう見えてるんだろうな。そんな気持ちもすっかり忘れてしまう。晩ご飯は、ヒレカツ、ごぼうの唐揚げ、温野菜サラダ、きゅうりとわかめの酢の物、芋がらの佃煮、味噌汁(えのき、なす、豆腐)。暇になってきたし、野菜ももりもりあるのでご飯作りを頑張るぞ。夫が早速、血圧計を買ってきてくれた。
11月23日 勤労感謝の日。Mさんに連絡したら会えることになった。魚が美味しいお店に行く。ボリュームがすごくて、なにを頼んだら良��のやらという感じ。私は、ざるそばと茶碗蒸し、Mさんは天ぷらうどん、二人で蒸し牡蠣とウニのお寿司を頼む。前祝いということで、ご馳走になってしまった。お茶をして、2時ごろには解散。これで誰かとご飯に行くのも最後にしよう。子どもと一緒だとこんな風にはな���なか会えなくなるのかなぁ。夕方まで昼寝。そのあと足りないものを買いに、買い物に行った。晩ご飯は、ほうれん草のカレー、りんごと春菊のサラダ。やっぱり血圧は高いみたい。何ができるだろうか。早く産むのが一番良さそうだから難しい。これ以上体重を増やさない。こまめに水分をとってトイレに行く。よく歩く。安静にする時間もつくる。塩分を控える。ちょこちょこ食べをする。りんごを食べる。思いつくのはこれぐらいかなぁ。元気に産まれてくれるなら何でもいいやと思っていたけど、ここまできたらできたら下から産みたいものだなぁ。句会の投句もした。ちょっと先まで二回分。
11月24日 午前中に、ヘルパーさんが来てくれる。産後にお願いしようと思っていて産前から来てもらってたほうがスムーズと聞いたのでそうすることに。ヘルパーさんは元気いっぱいで、「さぁ、どこから攻めましょうか」と楽しそう。毎日ざっとは掃除しているし、あんまりしてもらうことないなぁ。と思っていたら、全然そんなことはなくこびりついていたほこりなんかをすっきりこそげ落としてくれたりしていた。すごーい。これ、身内だったら責められてる感じがして嫌だと思うな。やっぱりケアは有償のほうがお互い気楽なんだと思う。お掃除テクニックを教えてもらうお金だとすればとても安いなぁ。「ゆっくりしててね」と言われたけれど、ちょっとずつ教えてもらおう。午後からは歩いて近くのドラッグストアへ。ウォーキング目的なので、全列を丁寧に見て回った。そんなこと今までしたことなかったので、なかなか面白い体験。赤ちゃんグッズのある場所もわかった。ひととおりのものがコンパクトにまとまっている感じ。コンビニでノンカフェインのカフェオレを頼もうとしたらそのお店にはないとのことだった。産直スーパーでお花を買って帰宅。晩ご飯は、里芋と鶏肉を蒸したの、おからサラダ、水菜とトマトのサラダ、味噌汁。
11月25日 ざっと掃除してから朝のうちに買い物へ行く。帰ってきて少し横になる。お昼を食べて本を読みながらまた少し寝る。元気になったので料理フェス。全粒粉のビスケットも作った。最初、計量を間違えて全然まとまらなかったが、思い切ってイチからやり直したらなかなか上手くいった。夕方の散歩に行き、お風呂に入る。夕方夫から連絡があり、FAX設置のために義実家に行くとのこと。鰤を焼こうと思っていたが、明日に回すことにする。晩ご飯は、おから煮、トマトとキノコマリネのサラダ、もずく、味噌汁。日記をアップして、年賀状の準備を少し進めた。
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月23日(水) #先負(庚辰) #労感謝の日 旧暦 10/30 月齢 28.7 年始から327日目(閏年では328日目)にあたり、年末まであと38日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 最近は、こんな成句はあまり聞か ない気がする「腹八分目」っての がありますけど💦今更じゃないが 確かに(´ー`*)ウンウンって思う😅💦 ってか空腹の方が眠気もしないし 頭が冴えるってか、神経が鋭敏に なって思考能力も鋭くなり殺気💢 立って人間の能力を最大限に引き 出すんじゃないかと🤣😆🤣って事 . で、昨日の業務は、いつもの4倍 ぐらい倍速で片付けてしまったの で、定時には帰れる調子だったけ ど、廻りに悪いのでプチ残業2H半で 早々に.タイサン((((((っ・ω・)っ ブーン 「腹が減っては戦ができぬ」👈コレ 私には、嘘かも知れませんね😅💦 さて、今日は天候も良くなくジムも 休みなんで、家でゆっくりです✋ . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌�� . . ■今日は何の日■. #よしもとカレーの日. 大阪府大阪市に本社を置き、お笑い芸人のマネジメントや劇場の運営などを手がける吉本興業ホールディングス株式会社が制定。 「#よしもとカレー」は吉本興業東京本部の社員食堂「Munch Lunch(マンチ ランチ)」で最も人気の高かったオリジナルメニュー。 社員や芸人から「あの味を自宅でも気軽に食べたい」との声が多く寄せられ、2021年11月23日の勤労感謝の日に 限定的にレトルト食品で発売。 2022年も再び同日に発売されることからこの日を記念日とした。 勤労感謝の日の趣旨に則り、日頃の頑張りを一緒に働く人達と感謝することが目的。 . https://wowma.jp/user/63736757/shopcategory/1500194359 . #勤労感謝の日. 1948(昭和23)年に制定された日本の国民の祝日の一つである。 昭和時代(昭和23年以降)および令和時代においては1年で最後の祝日となります。 戦前はこの日を新嘗祭と呼び、宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えました。 . 勤労感謝の日 何を祝う? 勤労感謝の日は、祝日法によると「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」と制定されています。 「尊ぶ」とは、労働に励むことを敬うという意味です。 その起源は、五穀豊穣を祝う「新嘗祭」にあるとされています。 新嘗祭とは、農作物の恵みに感謝する伝統的な宮中行事のひとつです。 . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う). 「先負日」の略。 陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。 「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。 午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . . #Thanks life day.#表彰で感謝を伝える日.#筆手書き文字の日. #いい夫妻の日(イイフサイノヒ).#ねぎらいの日.#AGAスキンクリニック・フサフサの日. #風船おじさん旅立つ.#キンカンの日.#キンレイ感謝の日.#牡蠣の日. . #ハートケアの日.#いいふみの日.#いい兄さんの日.#いい夫妻の日. #いい家族の日.#外食の日.#ゲームの日.#小ねぎ記念日.#ストレスオフの日. #フードバンクの日. . ●オコメールの日.●お赤飯の日.●コメニケーションの日. ●東条川疏水の日.●産業カウンセラーの日. . ●生命保険に感謝する日.●ワークライフバランスの日.●手袋の日. ●分散投資の日.●珍味の日.●ゆず記念日「いい風味の日」. ●いい入札の日.●ラク家事の日.●農林水産祭.●Jリーグの日. . . ●ダブルソフトでワンダブル月間.●乳酸菌の日(毎月23日). ●不眠の日(毎月23日).●国産小ねぎ消費拡大の日(毎月23日). ●生命保険見直し月間(1日から30日). . . ●日本の日(中華民国(台湾)・台南市). ●聖ゲオルギオスの日(ジョージア). ●リトアニア国軍の日(Lietuvos kariuomenės diena). ●ルドルフ・マイ��ターの日(スロベニア). . . ■本日の成句■. #忙中閑あり(ボウチュウカンアリ). 【意味】 忙しい中にも、僅かな暇はあるものである。 . . 1993(平成5)年11月23日(火)先勝. #林田岬優 (#はやしだみゆ) 【ファッションモデル・女優】 〔愛知県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/ClR8MryyUfu1IItPL0fh7VMSg_9UsAOKdk2lBU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先負#労感謝の日#よしもとカレーの日#よしもとカレー#勤労感謝の日#thanks#表彰で感謝を伝える日#筆手書き文字の日#いい夫妻の日#ねぎらいの日#agaスキンクリニック・フサフサの日#風船おじさん旅立つ#キンカンの日#キンレイ感謝の日#牡蠣の日#ハートケアの日#いいふみの日#いい兄さんの日#いい家族の日#外食の日#ゲームの日#小ねぎ記念日#ストレスオフの日#フードバンクの日#忙中閑あり#林田岬優#はやしだみゆ
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1832年の風来坊
パリ、カフェ・ミュザン。 パリっ子なら知らないもののいない人気のカフェのひとつだ。若者が集まり、コーヒーやワイン片手に政治談義に花を咲かせたり、時に恋の鞘当てまでが行われる社交場。 そのうちにひとつ、人類とフランスの未来のために会議を行っている者たちがいた。 それがABC友の会のメンバーたちだ。彼らの多くはパリの学生で、来たるべき世界について話し合ったり、街頭演説を行ったりしていた。 「やはりフランスはすべての人類の下で統合されるべきなのだ。貴族も、男女も、生まれによる差別のない世界で」 熱弁しているのはフイイだ。彼はひとり児であったが、職人たちに育てられ、世界的な視座を持つようになっていた。 「まずはパリからはじめようじゃないか。誰だって石の投げられることのない街にするんだ」 こう語るのはコンブフェール、理想を見上げながらも医学生として現実を知る若者である。 それらを少し離れた場所から見つめているのが首領たるアンジョルラスであった。今は閉じられているくちびるから、時に激しい言葉が発せられるのをABCのメンバーは知っている。 ある日、彼らは常のようにミュザンの奥の部屋で会合を行っていた。 その部屋にはひとつの扉がある。ひとりの青年が扉を開けて入ってくる。 「入ってもいいか?」 ブラウンのコートに青のシャツ、白いズボンを履いた彼の年の頃はおおよそ23,4だろうか。 「おお、新入りか?」 クールフェーラックはアンジョルラスに視線を向ける。アンジョルラスは天青石の瞳を眇めてうなずいた。 青年は帽子を取って壁にかけた後、開口一番こう言う。 「ここのおすすめは」 「牡蠣のリゾット!」 食事途中のレーグルが叫んだ。 「じゃあそれで」 「新参者か?ブルゴーニュを飲んでいけ」 赤色のベストを得意げに身にまとったグランテールが言う。 「それも頼んだ」 かくして青年のテーブルにはリゾットとブルゴーニュ産のワインが並ぶこととなった。 「いただきます」 そう言うやいなやリゾットに手を付け、すぐに平らげてしまう。ワインも見ないうちになくなっていた。それで青年がきょとんとして、まだないのかだなんて言うものだから、周りの若者たちはおもしろくなって彼のテーブルに料理を追加した。 「さて、祭りだ!彼の強靭な胃袋に感謝を捧げよう��ゃないか!」 バオレルが扇動して、青年にはトマトパスタ、貝の三種盛り、りんごと米のデザートなどが供された。それらをおいしそうに食べる青年を見て酔っ払った若者たちは満足した。 プルーヴェールは即席の詩を彼に贈った。ジョリーは食べすぎて健康を害さないか心配していた。グランテールは喧騒の中に身を置くことをよしとした。ABC友の会は未来について語り合う真剣なグループであると同時に若者たちの交流の場であった。 アンジョルラスはどうしたものかとコンブフェールを見る。 「そのうち嵐は去るだろう。もしかしたら彼も同士かも知らぬ」 「そうだな」 皿がいくつ重なったかわからなくなったころ、クールフェーラックは見知らぬ青年に話しかけた。 「豪胆な食べっぷり大変よろしい。僕はクールフェーラック」 「ガイだ」 ガイと名乗った青年は、少しも臆することなく答えた。 「家名を名乗らんとは現代の人間らしくて大変よろしい」 そう言うグランテールを無視して、クールフェーラックはガイに尋ねる。 「さてきみには聞かなきゃいけないことがあるな」 先程までの喧騒からうってかわって、彼の言葉で部屋は静まり返る。 「異国の――いや異星の若者よ、どうやってここに来た?」 クールフェーラックの質問に、ガイはコップを置いてから答える。 「どうやって、って、偶然さ」 「ミュザンの隠し扉は普通の地球人には見つからないようになってる」 ABC友の会はミュザンの隠し部屋で会合を行っていた。この部屋に入れるのは宇宙人だけだ。それと運のいい地球人。 クールフェーラックには、ガイは前者であるとしか思えなかった。 「ってことはあんたは宇宙人だろう」 「宇宙人でなにか問題でもあるのか、お前さんたちもそうだろう」 ガイは部屋のみなを見渡して言う。ヒューマノイド型が多いが、大理石の肌を持つものもいる。ガイの視線に気がついたアンジョルラスは首をかすかにかしげた。 「なにか問題でもあるのか」 「いや」 緊張感のある空気を断ち切るようにコンブフェールが口火を切った。 「敵だったらとっくに行動を起こしているだろう。だからきっときみは敵対的な宇宙人じゃない。でも一応こちらも秘密結社なもんでね、どうしてここに来たかは教えてほしいんだ」 「情報を集めに来た」 「どこかのイヌか?」 噛み付いたバオレルにガイは答える。 「おれは銀河の渡り鳥、どこに落ちるかわからん流れ星だ」 「おお、きみもなかなかの詩人ときた」 プルーヴェールは感嘆の意を示してみせる。ガイにとってそれはただの事実の表明であったのだが。 おれはこういう取り調べみたいなやつは苦手なんだ、と前置きしてからガイは言う。 「単刀直入に言う、ここに怪獣もしくは大量破壊兵器はあるか?」 「いや」 「僕らをテロリストだと?」 「どっちかというと警察の兵力を知りたいよ」 ABCの面々は口々に言う。 「もしくはそういったものに心当たりはないか」 「ナポ��オンが使ったあれのことか?でかくて、街を踏み潰すあれ。ああいうのは、ぼくらは持っていないよ。使うつもりもない」 「そうなのか、じゃあ」 ガイはあの『光』から、捜索対象がパリのどこかにあるとは聞いていたのだが、ここではなかったようだ。ならばもうここに長居する必要もあるまい。立ち去ろうとしたところに、ひとつの声が降った。 アンジョルラスは大理石のくちびるを開く。 「我々は人間の革命を志向している。宇宙人のものでも、地球人のものでもなく、人間の革命を」 それは荘厳な宣言であった。アンジョルラスはほかの人間とは違う無機質な身体を持って生まれた。だからこそ、すべての『人間』がこの国で生きていけるようにしたかったのだ。 コンブフェールは続ける。 「ぼくらはこの街を、パリを、そしてこの国を、フランスを愛している。それに、余計な被害は出したくない。ただでさえ、罪のない子どもたちが飢えに苦しみ、貧乏人はまともな医療にありつけず死んでいく、この世界では」 ガイはなるほど、と言ってしばし沈黙した。かつての自分のことを思い出していたのだ。目の前のひとをとにかく助けていたあのころのこと。大きな力を得て、星々の均衡を守っている今のこと。 かつての自分も彼らのようであっただろうか。 仲間とともに、平和を希求していたころのこと。 立ちすくむガイに対して、クールフェーラックは肩に手を置く。 「なあ、きみはこの組合に入る気はないか。同じ宇宙人として、この世界をよくすることに興味はないか。僕たちは勇気ある若者を常に歓迎している」 「さっきも言ったろ、おれは銀河の渡り鳥、ひとところにはいないもんでね」 ガイは帽子を手に取る。ここでないなら別の場所へ。そしてミッションを果たす。 今の自分はそういった在り方をしている。 「次パリに来た時はコラントの牡蠣も食ってけよ」 グランテールがワインを喉に流し込んでから言う。 そうさせてもらおう、とガイは笑う。 「ああ、それから最後に聞きたいんだが、最近このあたりで怪しい男を見なかったか」 「どんな奴だ」 ジョリーの問いに、少し考えこんでからガイは言った。 「服装はわからんが、刀を振り回したりしてるかもしれないな」 「流石にそんなのがいたら気付くよ」 プルーヴェールはそう答え、確かにそうかもしれない、とガイは苦笑する。帽子を目深にかぶって、彼はドアノブに手をかけた。 「じゃあな」 ガイはAdieuと言ってコラントを去る。 それは1832年4月、ラマルク将軍の葬儀まで2ヶ月のころの出来事であった。
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これは、私が高校3年生の頃に描いた油彩画だ。
この頃、美術の教科書だったと思う。初めて高橋由一の「鮭図」をみて、強烈な印象を受けたのを覚えている。
最初にみた由一の「鮭」は綺麗だと思った。
油絵具による滑らかな筆致、光沢。
一瞬で好きになった。
そして、安直だが、私も「鮭」を描いてみたいと思った。
「鮭」を描くにはどうしたらいいだろう。
幸い、私の地元から程近い街は、歴史的に鮭による産業で栄えた地域で、塩引き鮭や本物の鮭を簡単に見に行くことができた。
そこでみた、古い民家や店の軒先にずらりと並んだ塩引き鮭。
想像よりもはるかに迫力があった。
その表情は鬼気迫るものがあり、怖いくらいであった。
光のない、見開かれた目
乾燥して深く皴の入った、黒光りする平らな鱗の皮膚
大きく開いた口から覗く、ずらりと並んだ鋭い歯
干物は魚のミイラとはよく言ったものだ。
本物の「鮭」は、決して美しいものではなかった。
私は、とにかくたくさん写真を撮った。
彼らの物言わぬ身体から、声が聴こえたのかもしれない。
"取材"の後の部活動で、さっそく下絵を描き始めた。
最初は、鮭の全身を描こうとしたのだが、キャンバスの中に収めることができない。
すると、顧問の先生から、頭だけを描いたらどうだと提案された。それはいい、とすぐに思った。今思えば、私が"鮭のミイラ"で一番衝撃を受けたのは頭部だったのだから、自然な感覚であった。
次に、頭を横に向けて描き始めた。そして、うろ覚えなのだが、木炭で下絵を描いた段階で頭を上に向けることになった。
つまり、横長に使っていたキャンバスを縦向きに変えたのだ。
実際、私が訪ねた鮭の産地では、頭を下にして、尾に紐をくくりつけて鮭を吊るす。どこからが境なのかは知らないが、塩引き鮭は、頭を上に向ける吊るし方(つまり由一の鮭と同じ吊るし方)と、頭を下に向ける吊るし方があるらしい。
私の「鮭」は、由一の鮭と同じ向きになった。少し満足した。
それから、絵具を乗せ始めた。
パレットの上で絵具を混ぜるのが苦手だった。
キャンバスには絞ったばかりの絵具を乗せて、筆やナイフを使って、色と色をその場で混ぜていくのが好きだった。
テレピン等のオイルはほ���んど使わなかったと思う。
そうして描き進めていくと、大きな鮭の表面の上に、いろいろな「色」がみえてきた。
参考に撮って印刷した写真の鮭にも、確かに無数の「色」がみえた。
街で見た本物の鮭たちを思い出す。彼らは乾いてなどいなかった。
一番覚えているのは、エラの近くに、牡蠣の殻の裏側のような、偏光する虹色をみたことだ。
それらの色を絵の中に残したくて、たくさんの色を乗せ続けた。
そのせいだろうか。あまり意識的に混色をした記憶が無いのだ。
あの当時の私は、今よりも確実にたくさんの色を見ることができたと断言する。
「鮭」の中にみた、極彩色の世界。
小宇宙をみたのかもしれない。
生きている鮭(私は資料館を訪ねて、生き生きと泳ぐ鮭やその剥製も見ていた)、死んでいる鮭、食べると美味しいと知っている鮭、食卓の鮭…
鮭とは何だろう。
今私が描いているものは、何だろう。
生と死を考えていたのかもしれない。
子どもの頃に描いた絵だ。
そして、大人の私にはもう描けない絵だ。
今、再び「鮭」を描いたら、描けたら、どんなものになるだろう。
「卒業しても絵を描いてください」
そう言ってくださり、私の絵を評価してくださった展覧会審査員の先生の言葉を思い出す。
絵を描くのは止めてしまった。
自分の選択肢をひとつ、消したのだ。
今、再び「鮭」を描いたら、私が消した私の未来、未知の私、まだ見ぬ宇宙を、今度は私自身の中にみることができるかもしれない。
そんな気がしてならない。
2020.07.08
鮭について
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うにだよ!!!
北海道のえりもうに祭りが中止になったとのことで格安で販売されていたため購入、今日クール便を受け取りました。うに8個1800円…!!送料より本体代が安い!!殻付きの生うにを処理するのは初めてだったけれど、表裏を確認して→殻に包丁を突き刺してぐるり、で簡単に割れた。殻は硬いものの、包丁さえぶっ刺してしまえばあとは楽。牡蠣の処理よりかはシンプルな気がする。
味はもちろん最高に美味しい。新鮮なうにの味がする…!来年は襟裳岬でお祭りが無事に開催されたらいいな。通販があればまた頼みたいなー。
…
2019年末は私の家で友達が牡蠣を剥いてくれたし、今日は一人でうにを処理したし、海産物処理のレベルがててーんと上がっているような気がする(牡蠣は、私はまじでなんもしてないけど)。
こちらのツイートもいいなあ!と思ったけどおまかせセットでこれだけの量が届くならば我が家の冷蔵庫ではたぶんキャパ超えなので、コロナが落ち着いたら実家や友達とシェアしてみたい。魚捌く練習せねば…。
…
明日からの出勤がつらくてめちゃ濃ゆのハイボール作ったら酔ってしまった。ちゃんと午前に起きて日光も浴びてるし、頭皮を念入りにマ��サージしてるし、鬼ころしと塩を入れて入浴しているのに眠れないんだよなあ。
明日で4月は終わり、手書きの日記はひと月続いたことになる。昼に何食べたとか今日何したとかそんなことしか書いてないけど、今日この日が無かったことにならないような気がするから日記はいいものだなあと思う。
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兵庫県の斎藤元彦知事や側近によるパワハラやたかり、公金不正使用などの疑惑が次々と発覚するなか、県議会の調査委員会(百条委員会)が県職員に行ったアンケートの中間報告の全容がわかった。企業に面と向かって商品をせびり、県庁内では「知事の言うことが聞けんのか」と怒鳴り倒してパソコンを投げつける――。今まで断片が伝えられてきた斎藤知事のふるまいだが、部下職員たちの直接証言は想像を超えるひどさだった。 高額商品でもためらいなくおねだり 「その靴ほしいです。白い靴がほしいです」 斎藤知事が“CO2排出量が世界最少になる靴”を開発したメーカーに対しそう言ったという面談記録を読んだ県職員は、「恥ずかしく感じた」とアンケートに記した。 百条委のアンケートは約9700人の県の全職員を対象に行われ、69%にあたる6725人が回答した。このなかで斎藤知事が贈答品を受け取っていることについて、実際に見たり、聞いたとの回答は946に上った。 「知事が播磨の牡蠣が食べたいと要望しているとの連絡があり、R4.3.12に食事会をセッテイングした。知事は食事後、トロ箱に入った牡蠣を土産として持ち帰った。なお、食事代、土産代はお支払いになっていません」 「昨年度、レゴ展のレクの際に、知事から世界遺産登録30周年記念で発売された『姫路城のレゴブロック』を飾りたいので用意できないかとの発言があった。後日、秘書課に届いているのを実際見た」 昨年6月、姫路城がレゴになったと宣伝する斎藤知事(本人Xより) 昨年6月、姫路城がレゴになったと宣伝する斎藤知事(本人Xより) すべての画像を見る 「皮革製品の現場視察で40万円相当の革ジャンを試着して『これはいい。もらえないか』と知事がおねだり。あまりにも高額な品のため、結果、無償提供はできないと結論づけられたと聞いた」 2021年の知事選当選直後から頻繁な県内出張を繰り返した斎藤知事。だが、その目的も、行政運営のためだったのか疑わしいと思わせる証言も続いた。 「視察先は、何が食べれるか、もらえるかで決めていると聞いた。実際に、R5は視察先の赤穂で牡蠣を食べている」 「知事が視察に行くことを『遠足』、視察時に持ち帰る物品を『お土産』と揶揄し、『遠足が好きやから』『お土産必須やから(困るわ)』と県職員があきれた感じで話すのを聞いたことがある」 職員が受取りを固辞したものまで独り占め 行く先々で、狙ったものを必ずゲットしようとする熱意もすさまじい。 「『ください』と言葉にはしないが『ほしい』オーラがすごかったとのこと」 「+Nukumoriマルシェ(障害福祉事業所で作った授産商品のセレクトショップ)で関係者が自費で購入する隣で、無償でもらえるのをひたすら待ち、しびれを切らせた関係者が自身の財布から授産品を知事のために購入しているのを現認しました」 カニ、玉ねぎ、養殖ノリ、黒枝豆、ゆるキャラ抱き枕、ジャケット、シューズ、自転車、播磨織ネクタイ、法被、バースデーケーキ、日本酒…。知事がもらっていったと県職員が挙げるものは枚挙にいとまがない。 昨年9月、ズワイガニの加工工場視察をXで宣伝した斎藤知事(本人Xより) 昨年9月、ズワイガニの加工工場視察をXで宣伝した斎藤知事(本人Xより) 「使わない物でも、とりあえず何でももらう、ほしがると職員から聞いた」 「農家から大量の野菜をもらったり、牡蠣の養殖業者から大缶の牡蠣をもらった際も、独り占めして全部自宅に運ばせる。知事家族では食べ切れないほど大量の生鮮食品をどうしているのか、との疑問もある」 回答者の一人は「県職員は県民・事業者との応対時に贈答品はすべて受け取らない対応をしている」と、公務員としての当然の心がけを職員は実践していると指摘しながら「にもかかわらず知事は積極的に求めている」と続け、県トップだけが公職者の倫理を破り続けてきたことを嘆いた。 醜いのは、随行職員が受け取りを固辞したものまでガメて持ち帰る姿だ。 「冬の��馬へ出張に行ったときカニをお土産に用意されたようだが、随行者が受け取りをお断りしたら、断った随行者の分も含めて、知事が独り占めして持って帰ったと聞いた」 斎藤氏はこうしたたかり疑惑について、8月22日、出張先の鳥取県で「賞味するものについては、個人で食べさせていただくことはあったが、あくまで県としての受領だ」と珍妙な主張を記者団に開陳した。だが「県として」飲み食いした後、何を還元したのか。 「まったくPRしてくれない。飲んだことも忘れている、と聞いた」 「(カニ業界の)関係者が、知事が何回も来てその都度、カニなどを持って帰ってもらっているが、それを目当てに来るので、もう来ないでほしいと言っているとのこと」 パワハラで県政の停滞を招くほど じつは、こうした憤激を隠し切れなくなった県職員の中には、知事のタカリ行脚の尻ぬぐいに回っている人が少なくないこともアンケートから浮かび上がった。 「知事はお土産必須で、各普及センターの所長のポケットマネーからお土産代を捻出していると人づてに聞いたことがある」 「視察時にお土産がもらえると知事の機嫌がよくなるので、視察の担当者が視察先にお土産を渡してくれるように事前に依頼したり、自腹で会計しておいて、知事にはお土産という体(てい)を取ったりしていると複数人から聞いた」 驚くべきおねだりの実態が明かされている(兵庫県職員アンケート中間報告より) 驚くべきおねだりの実態が明かされている(兵庫県職員アンケート中間報告より) 兵庫県の受難はもちろんこれだけではない。これまで漏れ聞こえてきた斎藤知事の県職員へのパワハラは、県政の停滞を招くほどのものであることも見えてきた。 「令和5年4月11日に知事レク(定例記者会見の項目説明)に陪席した際、レク開始早々に知事は『聞いてない』と発言、持っていたペンを机上に放り投げ、場の空気が凍りつきました。 その日は当該案件について一切説明を聞いてもらえず、後日改めて個別レクに入るための日程調整等からやり直すこととなったため、約1ヶ月間、記者発表(=事業開始)が遅れました」 「自分の知らないことが報道で出ると激怒すると聞いた。例えば、淡路のサイクリングロードのモニュメントの除幕式を知らずに激怒したことで、その後の二つ目の着工は止められ完成が遅れている」 「打ち合わせで,知事の思いと少し違う意見を述べたところ、君の意見は聞きたくないと激怒された。知事室に呼ばれて待っていると、長い時間待たせた挙句、一人で知事室にいるにもかかわらず、気分が乗らないと言われて面談はキャンセルされた」 「人間として扱ってほしい」と漏らす秘書課職員 見えてくるのは、感情の赴くままに行政の方向を決めたり、施策を止めたりする“独裁”ともいえる姿だ。 「メモ用の鉛筆の��がとがりすぎていた」「会議室の温度が低い」「机の配置が気に入らない」「ペンのインクが出にくい」。 信じられないほど些細な理由で機嫌を損ねる斎藤知事が、職員を「お前」「こいつら」と呼んでいたとの証言も複数ある。 協議などで自分の意見が通らないと「腹立つわ」と8回以上繰り返したとの証言や、「土木部の人を机をたたきながら『ボクは知事なんだぞ。知事の言うことが聞けないのか』と叱責」したとの記述もアンケートにはある。 知事は日常的にパワハラを行なっていたようだ(兵庫県職員アンケート中間報告より) 知事は日常的にパワハラを行なっていたようだ(兵庫県職員アンケート中間報告より) まともなコミュニケーションが成立していたのか疑わしい県庁内。斎藤知事らの問題行動を記した告発文書をメディアなどに送った元西播磨県民局長のAさん(60)(7月に自死)が県民局長職を更迭された直後の今年4月1日、知事との協議では「ICレコーダー等機材の持ち込みは現に慎むこと」とする要綱が秘書課などから出されたと、回答者の一人は記した。 知事との協議の記録は政策立案段階では当然だとするこの回答者は、録音の禁止は知事のパワハラ発言の証拠公開をけん制する狙いだろうと指摘している。 知事の意向を他の部局に下ろす秘書課は今や県庁内で怨嗟の的にもなっていることをうかがわせる回答もあった。だが、ある職員は「秘書課の職員が『人間として扱ってほしい』と言ってました」とも書き込んだ。県庁全体が負のスパイラルに陥っているかのようだ。 「知事からパソコンを投げつけられたことがある」 アンケート回答の中には、そんな被害を直接当人から聞いたとの記述もあった。パソコンを投げつけられた当人は、百条委員会の証人尋問で証言するつもりがあるとも話していたという。 その証人尋問は8月23日、非公開で最初の6人に対して行われた。斎藤知事に対しては8月30日、公開で行われる。 足元からこれだけの非難の声が噴き出すなかで、斎藤知事はどう弁解するつもりなのか。 ※「集英社オンライン」では、今回の問題について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(旧Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(旧Twitter) @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
<兵庫県職員アンケート全容入手>「ボクは知事なんだぞ!」カニ、靴、革ジャン、姫路城のレゴ…“おねだり知事”のあきれたタカリ癖「視察先は何がもらえるかで決めている」パソコンを投げつけられた職員も | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
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2020.01.24
23日の最終電車で羽田空港へ。いつも使っているLCCのpeach5:55発台湾桃園空港行きの便に乗るために。6回目の台湾。今回は過去1寝れなくて一緒にいた友人とずっとお喋りしてしまった。申し訳ない。前々回の台湾旅行で私が甘栗をあげたのを覚えていたらしく、お返しに甘栗もらった。甘栗は裏切らない、美味しい。それとその友人はつい先日までアメリカ留学していたのでそのお土産ももらった。真夜中にバクバク食べた。写真はもらった甘栗。
今回の旅行で初めてマクラを忘れた(機内とかで使う首に巻くタイプのアレ)。当然機内でも寝れず、さらには過去1飛行機が揺れて死を覚悟した。乗り物揺れに弱いので当然グロッキーに。さらには降りてからも気圧で耳がおかしいまま治らず。さらのさらには今回の旅行前から徹夜続きで風邪も引いていたので旅行としては過去最悪の体調。でも大好きな台湾に降り立てば治ると思った(ガチで)。結果的には治らなかったけど。
桃園空港に着いたら早速新幹線で台南へ。今回の旅行、何が特殊って旧正月とだだ被りした。まさか1月で旧正月と被るなんて1mmも思ってなくてろくに調べなかった結果がこれ。実はこの期間が旧正月だと気付いたのは、この旅行の4日前の渋谷のライブハウスだったんだけれど、またその話はいつか書く。
ということで、旧正月の新幹線は座れないくらい混んでいた。行儀が悪いけれど、新幹線の通路に座ってコンビニで買った台湾っぽいおにぎりを食べた。何味かは忘れた。いつもはkkdayというサイトで新幹線の予約をしているんだけれど、今回は台北ナビというサイトで3日間周遊パスを買った。1人7,480円。今回はkkdayよりちょっとだけ安かったんだと思う。
13:30くらいに新幹線の高鉄台南駅に着いて、市内の台南駅についたのが14:00過ぎとか。タクシーでホテルへ。今回は「U.I.J HOTEL&HOSTEL」に泊まりました。いつも使っているホテル予約サイトのagodaで評価が良かったのと、POPEYEに載っていたので。
タクシーの運転手さんに住所見せて連れて行ってもらったんだけど、めちゃくちゃ綺麗な建物の前で降ろされて「ここじゃない」と直感的に思い、付近をウロウロ(普段ドミトリーしか泊まらないし、今回もドミトリーを予約したので)。ウロウロした結果、タクシーの運転手さんが連れてきてくれたところで合っていた。信用しなくてごめんね、運転手さん。
このホテル、ルームキーと一緒に台湾に関する本(観光本だったり、雑貨の本だったり)を貸してくれる。これがめっちゃ良い!私は川島小鳥さんが書いた台南の本を渡された。タイミングよく、私が欲しい本だったので最高だと思った。ドミトリー自体もめっちゃ綺麗だし、シャワールームのアメニティも充実している。確かドミトリーで1泊2500円とかだった気がする。最高。
ロビー綺麗すぎて「ここなわけないよね、ハハ」って言ってた(多分)
テーブル、椅子もシンプルでおしゃれ。欲しい。あとこの仕切りの布が学生カバンとか作っている台南のお店の布だったのもテンション上がった。ちょっと硬い布。みんな好きなタイプの(知らないけど)。「合成帆布行」というお店の布です。
共有スペース。綺麗すぎて1人でウロウロした。
ドミトリーに���物を置いたら街へ繰り出す。U.I.Jの真裏に「台南市立美術館二館」があって、私が大好きな建物の1つ。坂茂という日本の建築家が設計した美術館。初めて行った時は1人で感動しちゃったし、多分2時間くらいいた。坂茂が好きになったきっかけの建物。今回は中には入らず、外のテラスだけぐるぐるした。ここからは台南の街並みが一望できて最高なの!
上から
フォントもかわいい。間違って白黒フィルムで撮っていたので前回の台南旅行で撮ったカラー写真も載せます。
そのあとは「林百貨」でお菓子を買った。丸くて周りがパリパリで中が空洞で赤字で林って書いてあるやつ。名前はわからない。ちなみに林百貨も建物最高なの…日本人が創立したデパートで建築家も日本人(梅澤捨次郎)。鉄筋コンクリのレトロ感が素晴らしいです。推しはエレベーターです。めっちゃ混んでるけど。結構歩いて疲れたので2階(3階かも)のカフェで休憩。パイナップルケーキを食べた気がする。(曖昧)
そのあとは街をブラブラして珍煮丹のタピオカを飲んだ。前のバイト先の人にオススメされたていたんだけど、やはり美味しかった。
あとは私が行きたい雑貨屋さんがあったので着いてきてもらった。実は前回も行こうと思ったお店なんだけれど、あまりに立地がわからなさすぎて諦めてしまったので今回こそは、と。これもPOPEYEに載ってた「香蘭デジタルパーマ」というお店。今回も迷った!なんかアパート(マンション?)の一室みたいなところにあって、暗いしちょっとわかりにくい。でも置いてあるものはどストライクに可愛かった。キーホルダー2つとTシャツ買いました。シール5枚くらいくれた。あとこのお店猫いる。かわいい。無理。また来る。
お店のあるアパートはこんな感じ。普通に家。
そのあとは大東夜市に。旧正月だから屋台が1/4くらいしかない。スカスカ。
満足できず夜市はしご。小北新成功夜市へ。ここでは牡蠣オムレツ食べました。美味しい。台南は海鮮料理がたくさんで美味しい!
このあと揚げ物も食べたけど写真がない。
帰宅して即寝た。22:00とかだった気がする。
全然関係ないけど、この記事は踊ってばかりの国のアルバム「君のために生きていくね」をBGMに書きました。
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作り手と食べ手の「在り方」(贅沢者のアンカーはどこへ走る?)
薪焼きレストラン Bb9
自家製パン、イタリアの水牛の燻製バター、オーストラリアの冬の黒トリュフ。南半球は冬なのだ。毛布のような黒トリュフのテクスチャと燻製バターの香りは強力すぎる��だった。これにはもう心を開くしかないってかこじ開けられる。この時点で完全にあちら側のスペースに入り、美味による意識の支配が始まることを覚悟…。
薪で低音で焼いたトマトは水分が抜けて煮詰まった固形のトマトソースになる。小籠包みたいに熱く口の中に充満する濃厚なそれは酸と糖のバランスが絶妙。
舞鶴のアジはサッと温めた程度で、アクセントにミョウガ、少しのビネガー。ほぼ生のアジは少し薪の匂いがして、柔らかい印象になる。
海を食べた。
天草の牡蠣にオカワカメ。まったく塩をせず、味付けは牡蠣の持つ海塩由来の塩分のみ。牡蠣はぬるく温度管理されていて、食べた時に真夏の海水の温度を思い出した。純粋な海の味が一纏めになったような牡蠣と、湿っぽい潮風のようなオカワカメ。私の脳は夏の海に浮かんでるのか?どんな再現性?情景が無限に湧くVR的食体験。現実の夢………。
薪で真っ黒にしたあと切ってまた薪でとことん焼いて、とろとろになって甘みが出たパプリカ。コントラストに、切り立てのフレッシュなじたまねぎとディル。青森の本マグロは温まる程度の火入れ。
これで言葉を失いました。魚の脂が、噛んだ時にしゃりしゃり鳴るの。どんな火入れでこの繊細な食感になるんだよ!そして名脇役に前記の野菜達……ソースも胡椒も要らない。作り手のプロフェッショナルに、食材の美味に惨敗。もう世界一でいいよ、、
焼いて覚ました賀茂なすと、ミョウバン未処理の無添加ウニ 、冷たいトマト水。キンキンにクーラー効いた部屋みたいな爽やかさに、雲丹の純なミルク感が乗っかってるこのバランス感覚。天才。
津居山ののどぐろとのどぐろの骨で炊いたお米
「恐ろしいものが出てきた……」と呟くとソムリエの方が笑ってた。この方のワイン、料理のプレゼンが熱すぎて素敵だったから私もあんな感じで研究発表しよかな。のどぐろ食べる→微笑みながら死んだ。幸せすぎると人間こうなるんだなあ。のどぐろの上品な脂が硬めのお米に溶け込み大変なことになっている。
10日間熟成したクエの薪焼き。のどぐろ→クエのコンボは殺しにかかってるのか?程よく締まったクエ様の身ははピルピルを纏って色気マシマシ。スペインのピルピルはマヨネーズ的なものだけど卵と油ではなく、魚のゼラチン質とオリーブオイルで乳化させたソース。
1時間焼いた子豚、丸焼きポルチーニ
小細工無し、直球勝負の意思。センスとスキルで食材を頂点に連れていき、潜在脳を最大解放。この能力やばすぎるからシェフは国の宝として守ろう
40日ドライエイジングした熊本の赤牛、焼ナスのピュレにフランスのサマートリュフ。北半球は夏なのだ。こちらの火入れも芸術的だった。しっかり焼かれた表面と、ぎゅっと引き締まった内部。咀嚼でジュワァと溢れる肉汁に、アミノ酸の濃密な旨みを感じた。昔食品機能学で習った屠殺後の筋肉のIMP産生の図思い出したよね。相乗するのは焼きナスの透き通った甘味、白トリュフの香り。なにこの危うい快楽…
調味料をほぼ使わない、「焼く」のみで食材の潜在脳を最大限に引き出した料理は私の既知から想像までを軽々と超えてしまっていた。こんなの知らない!新ジャンルだ!と思ったが、「人類が1番最初に試した調理法じゃないですか」と言われて震えた。あの人たちの視点は我々の盲点なのかもしれない。
Bb9は完全予約制。その日の予約人数分の薪は料理の提供時間に合わせて朝からくべており、全ての料理はその薪の熾火で調理している。コース内容は日によって異なる。食材庫、冷蔵庫、熟成庫におけるその日の一番状態の良い食材メンバーから考えて構成される。そんな食材達は一次生産者、仲卸業者の方々が繋いできたリレーのバトンのようなもので、シェフの渾身の炎がそれらを花開かせる。(自分の命をつなぐため、他の命を食らう。料理人として、その事実に向き合った時命に対する最大のリスペクトとして薪を熱源として命に火を入れています。それはその命を最大限に生かすため。/Bb9ホームページより)こうやって渡ってきた魂のようなバトンを受け取ることができるBb9の食べ手は少々贅沢すぎるような気もする。
しかし、贅沢者のアンカー達に課せられたのはバトンをただ消化することではなく、一生懸命繋いでゴールに走るという使命なんだろう。このバトンは「全力で生きなさい」っていうメッセージなのかもしれない。
ひたすらに真理を突き詰める唯一無二の思考と技術にシビレまくった。完全にファンだ。夏のBb9は最高だったが、冬のBb9にも興味津々。
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かため号��物誌②
ある真冬の朝、店の後片づけをうっちゃってそのまま眠ってしまい、昼前に目を覚ますと、先輩のE氏とM氏も同じようにイスを三つ並べて眠っていた。身じろぎして身体を伸ばすと、イスがギイイと鳴り、その微かな音でふたりとも目を覚ました、地獄の底からの呻き声のような悲痛な叫びを発しながら。三人が三人とも二日酔いに参っていた、ここにゾンビ三人衆の誕生である。昨夜のラストナンバーはいったい何であったか、まさかマイケル・ジャクソンのスリラーではあるまいな。そう思いターンテーブルを確かめに行くと、その上にはゆらゆら帝国のひとりぼっちの人工衛星が乗っている。ずいぶんとしっぽりしたムードで〆たんだなあ、もはや何にも憶えていない、記憶のヒトカケラも残っていない。人工衛星のスイッチを押すと、世界の終焉を側から眺めやるような寂しげで、幽遠で、でもちょっとだけ優しさのあるような音楽が流れはじめる。が、しかし、世界が終ろうが何だろうが腹は減る。かつて先輩O氏が言ったように、どんなに満腹になっても数時間後にはまた腹が減るのである。
寂しげな音楽など意にも介さず、E氏とM氏はさっそく飯の話をはじめている。さすがは食通のE氏と、E氏の師匠格にあたるM氏である。これは最期の晩餐の日の朝ごはんを夢想するような類いの話ではなく、いま現実的にこれから何を食すかについての緊急を要する話し合いである。数々の店名が挙げ連ねられ、そのなかから隣駅のラーメンG店のすじが濃厚になった。G店は日曜日限定で、店主が力を思う存分に奮った採算度外視のスペシャルラーメンを提供しているのだ。そこで今日のラーメンはいかに、とネットで調べてみると、パパイヤとドラゴンフルーツから出汁をとったラーメンと書いてある。こ、これが、噂の......。スペシャルラーメンはもっぱら牡蠣とかズワイガニとか伊勢エビとか、いかにもスペシャル感のある具材で出汁をとるのだが、稀にスペシャルの方向性をまちがえて、かのような珍妙なフルーツから出汁をとることもあるようで、そんな日はお世辞にも美味しいとは言えないのだそうだ。さて、どうしたものか。とはいえ、私たちの腹はすでにスペシャルラーメンを求めている。不味いのを承知でスペシャルを食すか、それとも妥協して他のお店にするか。しかし、我々の辞書には妥協という文字は存在せぬ、とくに師匠のM氏たるや。そんな豪傑なM氏から怖ろしい提案がなされた。それならば、最近オープンしたばかりのラーメンJ郎の栃G店に行こうと言うのである。い、いったい何時間かかるのか、そもそも帰って来られるのか。これなら不味いのを承知でパパイヤとドラゴンフルーツのラーメンを食べたほうが幾分かマシであろう。が、私たちはM氏に妥協案を勧めるどころか、ヨイヨイと電車での行き方を調べはじめ、昼の営業時間にはどうにか間に合うだろうことが知れた。昨夜の酔いの勢いがまだ残っており、マトモな人間としての判断力を失調していたのである。
雑居ビル地下一階の店から出ると、外では冷たい雨がしとしとと降っている。列車に乗り込んでまもなく、雨は霙へと変わり、霙は雪へと変わった。さすがに二日酔いの勢いは尻すぼみに後退していき、それに代わって頭痛がじんじんと酔いの跡地を占拠する。降車駅でドアの開くたびに冷たい風が車内に吹きつける。M氏は雪などには目もくれず、西部劇のガンマンがそうするように帽子の位置をすこし前にずらしてうなだれた。E氏は靴を脱いで膝を抱えている。雪は延々と茫漠として窓ガラスを幾重にも過ぎてゆく。ひとりぼっちの人工衛星がふたたび頭のなかでリピートした。
さて、目的の駅について、私たちは呆気にとられた。横なぶりの吹雪もさることながら、雪をさえぎる建物が四方見渡してもどこにもないのである。駅前のロータリーを離れると、そこには果てしのない田園地帯とそれを貫いて真っ直ぐの道路がどこまでも続いていた。コンビニエンスストア? そんなものはごく限られた文明世界の産物であろう。私たち三人はおたがいを風避けにしながら進んだ。まるでエルサレムを追放されたユダヤ人の放浪の民のように。そして、私たちはJ郎の黄色い看板をこの目におさめて、さらに愕然とするのだった。この吹雪のなか、店の前には何十人という行列ができているのである。我々はもはや聖地を追放された流浪の民ではなく、聖地を巡礼する旅人のひとりになっていた。だが、しかし、流浪の民でいたほうがどんなに気楽であったことだろう。聖地巡礼とはまた、殉教をすら厭わないものなのだから。
トボトボと列の最後尾につくと、さっそく一番うしろの兄ちゃん衆から断りが入った。
「今日はこれで終わりだってさ。もう何人も諦めて帰ってたよ」
私たちは膝から崩れ落ちた。
「残念だったな。でもよぉ、お前さんたち見かけない顔だなあ。どっから来たんだい」
T京からだと応えると、
「そいつはお気の毒さまだな。まあ、でも、俺たちだって店の親父から頼まれてんだ、もうこれ以上の客は断ってくれってな、恨みっこなしだぜ」
すると、兄ちゃん衆のなかで一番小柄なやつが、
「なあ、兄貴ぃ、ここは譲ってやろうよ。俺たち、もう一週間も連続で食べてるんだぜ。それに、いつだって来れるし、今日はまだ並び始めたばっかじゃんか」
「お、おう、それもそうだな。お前たまにはいいこと言うじゃねえか。いいか、お前らぁ! 」
「ウィッス! 」
「と、いうことだからよぉ、譲ってやる。感謝ならこいつに言ってくれな。その代わり、後から来た客は丁重にお断りしてくれよな、約束を破ったんじゃ店主に顔向けできねえからよう」
私たちはこの日をもって田舎者をバカにするのは一切やめにしたという。さらに兄ちゃん衆は帰り際に、達者でなぁと言い残して、車の窓からホッカイロを投げてくれた。まったく、偽りだらけのこの世界にも素晴らしき出会いはあるものだ。が、はたして彼らの良心は鶴のひと声だったのか、それとも悪魔の囁きだったのか。この吹雪のなか、この行列に並ぶぐらいなら、いそいそと退散したほうが幾分かマシというものであろう。吹雪はますます強まっていた。私たちは極度の空腹だった。そして何より眠くて眠くて仕方なかった。寒い、眠い、ひもじい、三密ならぬ、三いの条件が見事に整ってしまっている。三いとはすなわち凍死のための条件である。見たところ、この行列では一時間半から二時間はかかるだろうか。さっそく膝がガクガクと震えてくる。そこで苦肉の策として、店の向かい側にあるビニールハウスで暖をとりつつ仮眠をとることとなった、ひとりずつ三十分交代でビニールハウスに避難する。本来であれば、列から離れるのはマナー違反であるが、幸いにも列の一番最後尾だし、しのごの言っている場合ではなかった、我々は三い状態をすみやかに回避しなければならなかったのだ。
正直、その日のラーメンの味はよく憶えていない。ただただ、しんどかった思い出として脳裏に刻まれている。
その他、遠征の思い出としてはK都に夜行バスで行った折り、第一Aと新福S館が隣同士に店を構えているのには感動した。いざ目的の地に辿り着いてみると、知ってはいたが、待ちに望んだ食べたいラーメン店が目の前にふたつもあるなんて! これほどまでに美しくも残酷な光景が他にあるだろうか! アダムとイブは知識のリンゴを食べたため、地上の楽園から追放されたというが、隣同士のラーメンはまさしく善悪のリンゴそのものであった。善悪の知識を得る代わりに我々は楽園から追放されるのだ。事実、私はここで善悪を知ってしまい、第一A派の人間になり下がり、地上の楽園からは永久に追放された。もはや隣同士に店を構える二店をみても、迷い悩むことも、それ故に心がときめくこともなくなったのである。何故なら私はリンゴを食べて善悪を知ってしまったのだから。
行列の思い出としては、T田B場の川沿いにあったBN店の最終日であろう。ひと月ほどまえに閉店がアナウンスがされてからは大変な行列になっていると聞いていたが、都合のついたのがこともあろうに最終日だった。始発でT田B場に駆けつけると、すでに川沿いにはとんでもない行列が出来ていた。あまりにも長いので行列は橋を渡り、川を挟んだ店の向かい側にまで伸びていた。マジか......噂は聞いていたがこれほどとは......と思ったが、私にはどうやらそういった悪運があるらしく、列に加わろうか加わるまいかというところで店員が人数を数えにきて、ちょうど私のところで足切りとなった(ということはつまり、後から来る客に断りを入れる役を任されてしまったのである)。これでは帰るに帰れない。そもそもの問題として、始発で来たのだから、店が開くまであと五時間以上もある。さらにこの行列が捌けるのにいったい何時間かかるのか。さらにさらに悪運の強いことに予報外の小雨までが降ってくる。複数人で並んでいるひとは、ひとりに傘を買いに行かせ、買い出しに走ったひとは傘のみならず酒なんぞも買ってきて、あちらこちらの傘の下で酒盛りが開催される。私はといえば、ひとりであったから、列を離れることもできず、乏しい電話帳のなかから助けに来てくれそうなひとに片っ端から連絡してみる。時間も時間なのでもちろん誰からも応答はない。雨は徐々に強まってくる。諦めかけていたそのとき、なんとK氏から応答が、さすがは真の友である。曰く、T田B場でバイトをしているT氏の知人がちょうど仕事をあがったところだという。いやぁ、いくらなんでも、そんな見ず知らずの他人に、とも思ったが、雨はますます強まるばかりなので、よこしてくれ! とK氏に言づけた。
さて、傘をさしてやって来たのは、ギャ、ギャ、ギャ、ギャルのような風貌の女子である。しかも、もういっぽうの手にはコンビニのビニル袋をぶら下げており、缶ビールなんぞが入っている。少しの離れたところから目が合うと、トントントーンと駆け寄ってくる。
「どうも〜、デリバリーアンブレラ〜で〜す。ついでにビールで〜す」
軽い。いかにも軽い。まるでヘリウムガスのような軽さだ。私にはその第一声がそれこそヘリウムガスで声をボヤかしたように聞こえた。ただでさえ、人付き合いが苦手なのに、こんなギャルとどうやって話したらいいのか見当もつきやしない。しかも、先方はビール等数種のアルコールまで持参して、この場に滞在する気マンマンである。とりあえず、傘はおろか、こんなにたくさんの差し入れまで、と謝意を述べる。いや〜、助かった、ほんとうに助かりました〜、と過去形を最大限に強調する。なんとしても現在進行形にだけはしてはならない。どうにかしてお引きとりして���かなければならないのだ。ところが先方は、いえいえ〜、と。
「こちらこそ助かっちゃいました。連勤の最終日なんです。こんな日はパーッと飲みたいじゃないですか。でも、こんな時間だし付き合ってくれるひともいなくて。お店もやってないし、家でひとりで飲むのも寂しいし」
「で、でも、こんな雨のなかで」
「え〜、いいじゃないですか〜、風情があって。花見ならぬ川見ですよ。あ〜、外で飲むのって久しぶり! 」
こんなドブ川で、と思った。今でこそドブ川でもなんでも川には目がないが、当時はまだ川なんて見えていなかったのである。
「う〜、もう限界、顔が窒息しそう」
そりゃあ、そんな厚化粧じゃ無理もあるまいと思った。
「ちょっとこの傘持っててください、化粧を落としちゃいます」
ところがどっこい、化粧を落として振り返った彼女の顔はギャルの風貌とは程遠い、別人と見間違えるほどの、親しみをおぼえるほどの���朴な顔立ちだったのである。
「わたし居酒屋のバイトなんですけど、同僚がギャルな子ばっかりで、溶け込むために仕方なく濃いめのメイクしてるんですよ」
そのひと言をきいて、私の彼女に対する印象は、ヘリウムはヘリウムでも気球か風船のように牧歌的な気軽さに変わっていた。開口一番の声の調子も居酒屋バイトの気分をまだ引きずっていたのだろう。私と彼女は雨の降りつのる傘の下で、ごく自然に打ち解けあった。旧知の仲の友人と喋っているのだと錯覚しそうになるほどだった。あるいは雨の日の気分がそう感じさせるのだろうか。雨の日は透明だ。だからこそ平時より浸透度がうんと高い。
昼前になり、とうとう店の入口に暖簾が掲げられた。行列の前のほうから順々にその震動が後方へと伝播してゆく。そんな変化の兆しが、行列にいまひとつの変化をもたらす。実はしばらくまえから雨はあがっていたのだ。誰しもが、またいつ降りはじめるやもしれない雨に惰性で傘をさし続けていた。あちらこちらで傘が畳まれはじめた。
ふぁあああ〜、と彼女は大あくびをした。昨日からずっと起きっぱなしなのだ、無理もあるまい。
「雨もあがったし、そろそろ帰って寝ようかなあ。付き合ってくれてありがとう、とっても楽しかった! 」
何を言っているのか。助けてもらったうえに、付き合ってもらったうえに、楽しい時間を過ごさせてもらったのはこっちのほうなのに。彼女は畳んだ傘を振っておやすみなさいの挨拶をしながら遠ざかっていった。あまりに自然に慣れ親しんでいたせいで、連絡先の交換もしていなかった。
さて、ようやく行列が動きはじめた。列に付いてからすでに五時間が経過していた。もう五時間も経ったのかと呆気にとられた。楽しい会話は時間を忘れさせるとはよく言ったものである。だが、ここからはたったひとりでの闘いである。彼女はもう夢のなかにいるのだろうか。
それからさらに四時間あまりが経ち、とうとう私は最後の客としてカウンター席に着いた。L字のカウンターに座る私たちは、身動ぎもせず、またたきもせず、店主の手さばきをこの目に焼き付けていた。まもなく最後のロットが茹で上がり、カウンターの上に湯気を吹いたラーメンの丼が並んだ。店主は全ての行程を終了すると、冷蔵庫から瓶ビールを出して王冠を外した。そして、
「おつかれ様でした! 」
と、カウンター越しの私たちに大きく乾杯をした。みんな、麺を啜るのも忘れて拍手した。あまりにも美しい光景に、涙がはらはらと頰をつたい、スープのなかに溶けていった。
後日、K氏に感謝を述べるというのはまったくの口実で、例の彼女の連絡先を聞き出そうとした。するとK氏は、そんなひとは知らないし、そんなことをした憶えはないと言う。またまた〜、担ごうとしたって無駄だぞ〜、と言い返しても、どうしたんだ、頭でも打ったのか、と真面目な顔で言い返される。これはもしかするとK氏の策謀なのかもしれん、と思い直し、これ以上突っ込むことはやめにした。
ところが私は意外なかたちで彼女と再会することになる。それはK氏の通夜の日のことだった(天国にて安らかに眠れ)。御焼香をすませて外に出ると、ちょうど雨が降りはじめたのだった。出入口にわだかまっていた一群がボフボフッと傘をさしはじめる。私はそのなかに彼女の姿をみとめた。目が合うと、あの日のようにトントントーンと駆け寄ってくる。
「また傘がないんですか? あ、どうも〜、デリバリーアンブレラ〜で〜す」
目のまえに現れた彼女を見、私はたまげて尻もちをつきかけた。なんというか様子がおかしいのである。なんていうか、こう、半透明というか、しかも足が無いのである。
「ど、ど、どうしたんだい、その姿は」
「あ、これですかー。今日はお通夜なんで、それらしくしようと思いまして。まあ、これが本来の姿なんですけどね。隠してたつもりじゃなかったんですけど。あ、驚かしちゃいました? 」
なんということか、軽いは軽いでも、彼女の軽さはヘリウムガスの軽さではなく幽霊の軽さだったのだ。以来、私は、お出かけの際に天気予報を気にしなくても済むようになった。むしろ積極的に傘を持つことをしなくなった。雨が降ると、デリバリーアンブレラ〜が来てくれるのだから。私と彼女はいまでもとても仲の良い友人同士である
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私は衛兵
ベネルクス三国を網羅したこのガイドブックには、何故か蚤の市の開催場所が載っていることが多い。ニッチな需要を満たすために、小さな街でもどんどん目次に入れるというのが、このシリーズのコンセプト。観光地や食事処を書き尽くしてしまって、他にもう書くことがなくなったら「蚤の市」というのが編者の定番になっているのかもしれない。 私がその朝、ジュ・ド・バルの広場に出かけることにしたのも、ブリュッセル滞在五日目にして、粗方有名な観光地は見て回ってしまったからである。三国だけで使える時間はあと十日程あるが、到着したばかりはいつも時間が短い気がして、何かと急ぎ足にやってしまうものだ。まだ食べていないビスケットとチョコレートは山ほどあったけれど、一日にお腹に入れていい量も、帰りの便の荷物の重さも制限がある。 本当はグラン・サプロン広場のアンティーク市に行きたかった。豪華なの。お土産にできるものがなくても、見て回るだけで楽しいはずよと、この二週間の拠点にしているアパートメントに、清掃にやって来た管理人が今朝、私に教えてくれたのだ。 だけどカフェで朝食を済ませて、カードの読み取り機を持ってやって来た店員に「グラン・サプロンの広場はどっち?」と訊くと、「店を出て左に真っ直ぐ。でも、この時間じゃもう屋台はないよ」との答え。おかしいな、ガイドブックには夕方までと書いてあったのだけどと残念そうな顔をしていると、「ジュ・ド・バルの市場はどう?」と彼。「中古品市場でしょう?」「でも、悪くないよ。僕はよく行く」私は彼を信じることにした。 ヴェネチアングラスが欲しかった。本当にヴェネツィアに行ったときは、お店があまりに多くて選びきれなかったのだ。地面に直接敷かれたビニールシートの上で、不安定に揺れるカラフルなグラスを真剣に見つめ、これだ!という色を選ぶ。私は指差し、シートの真ん中に胡座をかく男に尋ねた。 「これ一つでいくら?」 「それはセットだよ。四脚で一つなんだ」 じゃあ四脚ならいくらなの、と更に尋ねようと思ったけれど、やめた。四脚でならきっと買わない。私はロンドンの古着市に行ったとき、一度試着しただけで、他の店を見ているときもずっと、その店の主人に付きまとわれたのを思い出してやめた。どちらかというとこの男は観光客の冷やかしだと思って、あまり真面目に答えていないようだったけれど、ならばそのまま冷やかしのまま去ろう、と私は膝を伸ばして立ち上がった。 一度そういう風に諦めてしまうと、他にいいものを見つけても、声をかける気になれなかった。広場の角に、背の高いテーブルがいくつか並び、立飲みしている人たちの手元を覗くと、生牡蠣の皿があった。 朝食を摂ってからほとんど時間も経っていなかったけど、このまま宿に戻るのも悔しくて、私は屋台の前で財布を開いた。牡蠣はフランス産とオランダ産があって、お酒はシャンパンと白ワインがある。私はどちらも安い方を選んで、飲み物とレシートを受け取ると空いているテーブルを探した。一つは既に出来上がった現地の男たちの集団、一つは家族連れの観光客で埋まっていて、残す一つは、屋台の店主と同じエプロンを付けて、休憩中と見える若い男と、彼とたどたどしい英語で談笑しているアジア人の青年がいるテーブルだったが、私はここには行きたくなかった。 しかし私がワイングラスを持ってキョロキョロ辺りを見回していると、親切な店主が「そっちのテーブルが空いてるよ」と大声で示したので、青年は私のために少し左に詰めた。 「ブリュッセルにはいつ着いたんですか?」 「五日前。フランスからユーロスターで来たの」 「リッチですね」 青年は東京の学生だった。ロンドンの語学学校に留学していて、休みの間にベルギーを観光しに来たらしい。 「学校の奴ら、みんなフランス行っちゃって。週末あと一回しかないから、これは一人でも行っとくしかないなと思って」 「ベルギーが好きなの?」 「まあなんか、まわりに行った奴いないから、自慢できるかなと思って」 あ、ちゃんと見たいものもありますよ。と何故か青年は慌てて添える。私が特に表情を変えずにいると、「なんでベルギーなんですか?」と彼は同じ質問を投げ返してきた。 私は正直に答える。 「まだ来たことがなかったから」 「いろいろ回ってるんですね」 感心した様子で、瞳を大きく開く青年。私はそのまま尊敬の目で見させておくか、本当のことを話して失望させておくか迷った末、結局いつものように後者を選んだ。 「毎年、一ヶ月だけ、世界のどこでも好きなところに旅行できるんです」 「いいな。お休みとれるんですか?」 「これが仕事みたいなものだから」 青年は益々瞳を輝かせた。「そんな仕事があるなら自分もやりたい」といったところだろうか。本当に、私もこの仕事は好きだ。 四年前、セクシャルマイノリティのための相談所に行って、ゲイの男と結婚した。親からの目線や、友人からの質問をはぐらかすのに疲れていた私、資産家の叔父に見離されないまま、自分の私生活も守りたかった彼。ニーズの合致といえば聞こえはいいが、要するに契約結婚だ。私は彼の会社を手伝っているということになっているが、これもほとんど給料泥棒状態。彼が男を連れ込むに不都合なので、表向きは二人で暮らしているということになっている一軒家にはほとんど寄り付かず、マンションを借りて暮らしている。給料以上のお金はもらっていないので、豪華絢爛とはいかず、また秘密を守るためにあまり人とも会えないが、読みたい本や映画はいくらでも取り寄せられる。それは小さな頃から私が憧れていた暮らしだった。誰にも邪魔をされない、私のお城を持つこと。彼の夢は、世界を放浪することだった。一年に一度、一ヶ月。向こうの方は連れ添いがいたりいなかったり。夫婦旅行ということにして、日本を出る。懺悔室で告解をするように私は下を向いたまま淡々と話した。嬉しそうに話すよう努力をしていた頃もあった。しかし相手の顔に浮かぶ憐れみの表情の前では、心からの笑顔も虚飾に変えられてしまう。これだから私はせっかくの旅先で日本人と話すのが嫌だった。何故か英語だと、私は嘘をついても、それは自分が後ろめたく思っているからだということをグルグル考えずに済んだ。単純に、こんな複雑な事情を上手く外国語で説明できる自信がないからだ。そういう風に処理できたからかもしれない。 全てを聞いた後でも彼は「いいな」と言った。 「最高の仕事じゃないですか」 私は一拍置いて、彼の顔に社交辞令だとか、空気を読んだ嘘を言っている人間特有の皺(私は長い時間をかけてこれを完全に見抜く術を身につけた)がないことを確認すると、やっと、「そうなの」と力を込めて同意した。 「最高なのよ」 「俺もやりたい」 「あなたは無理よ。男だから」 「女が好きな女の人に需要があるかも」 「そういう人はさっき言ったみたいな相談所に行くから、私の結婚相手みたいな人がもらっていくの」 「ああ〜上手くできてるな〜」 そう、上手くできている。それだけのことなのだ。私は賢い青年に微笑んだ。知恵を罪だと言った神よ、くたばれ。 一頻り、私のこれまで後ろめたいとされてきた秘密について、ブリュッセルの真昼の太陽の下語った後、私のワイングラスが空になったのを見て、彼はポケットからスマートフォンを取り出し、ホームボタンを一度押した。 時間を見ているのだろうと、私は「この後は何を見る予定?」と訊いた。 「まあ無難に、小便小僧とか行っとこうかと」 言いながら彼は、手を長く伸ばして、もうモードをインカメラに切り替えてから「すみません、写真いいすか」と許可��求めた。 「私と?」 「フェイスブック上げたりはしないんで。誰と何話したかって覚えておくために、旅先で話した人とは写真撮るようにしてるんですよ」 私は「いいよ」と言って、少しぎこちなくレンズを見つめた。音もなくシャッターが切られ、彼が画面を確認している間に、私もポシェットから自分のスマートフォンを取り出した。 「私のカメラでも、いいかな」 カメラを趣味にしたことはなかったし、旅行先の写真を見せる相手はいない。お土産は全て、お城の装飾品だ。SNSもやっていない。私は旅先で写真を撮ったことがなかった。 「いいすよ」と了承した彼と撮影を終えると、訊かれるまでもなく私は理由を明かした。 「浮気写真として夫に目撃させます。その方が彼も気が楽になると思うから」 彼はその行為が持つ意味があまりよく理解できなかったらしい、きょとんとした顔をしていた。あるいはもっと単純に、引いたのかもしれない。 たまに会う彼の、あの申し訳なさそうな顔が嫌なのだ。その後一週間くらい、会わなくても忘れられないくらい嫌なのだ。私は城の主人であり、姫であり、衛兵。この平和を乱すものは許さない。 「道はわかる? 大通りまで送っていきましょうか」 「や、多分何とかなります。ありがとうございました」 「こちらこそ」 私は酔っ払っているせいもあったのか、必要以上に深々と頭を下げ、現地の人に何度かされたように、右手を出して握手さえ求めた。彼は語学学校での生活の中で慣れていたのだろうか、これには驚かず応えた。手が離れたとき、私は生まれて初めて人との別れを惜しんでいる自分に気付いた。 結局私も帰りはメトロで楽をしたかったので、目抜き通りまで一緒に歩いた。グラン・プラスを背に手を振る彼に軽く微笑み会釈した後、地下鉄の階段を降りて、上がって、アパートメントまであと徒歩十分。私は迷った末、スマートフォンをポシェットから再び取り出して、最新の写真データを消した。 私は衛兵。 エブリスタにて掲載中▶︎ https://estar.jp/_novel_view?w=24927527
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パツクァロの嗤う骸骨と、微笑まない死の貴婦人
11月1日 メキシコ モレリア、パツクァロ、ハニツィオ
今回の旅行期間がメキシコのとりわけ盛大な祝祭である「死者の日」に重なっていたことは単純に幸運によるもので、それに気づいたのは渡墨の直前だったと思う。事前の情報収集不足を補うため出発後にいろいろ調べていると、メキシコの中でも死者の日の風習が本格的に残る地というものが二つあり、ひとつはメキシコ南東部のオアハカと、もうひとつはグアナファトから200kmほど南に行ったところにある「Patzcuaroパツクァロ」という名の街であるという。パツクァロなら、グアナファトの次に向かえばちょうど死者の日の期間である11月1日前後に当たる、という点もさらなる幸運だった。僕は旅行計画を変更し、パツクァロの街への日帰りが可能な範囲でかつ安宿のある、モレリアという街に滞在することにした。
モレリアはミチョアカン州の州都で、どことなく斜陽の地方都市めいた停滞がそこかしこに感じられるものの、大聖堂を中心としたコロニアルな歴史的建造物の立ち並ぶセントロ(街の中心)は世界遺産にも登録されており、国内外の観光客で溢れている。くすみを帯びた煉瓦が街並みの色調を統一しており、それがカトリック圏の歴史地区としては没個性的であるとも指摘できるが、これとは対照的なグアナファトの色彩に寄生する喧騒から逃れてきた身には心落ち着くものがあり、街外れのバスターミナルから8ペソのコレクティーボ――乗合のマイクロバス。セントロへの路線番号はローハ・ウーノ(赤の1番)だ――に乗ってこの街に辿り着いた僕は不思議な開放感に包まれた。訪れる街の印象は、そこに至るコンテクストに多くを依存するものだ。
The Only Backpackersという、部屋や設備は狭いが宿の主は親切で感じのよい安宿にドミトリーのベッドをとり、食事は近所のサン・フアン市場とその周辺で済ませる。ブランチならトルタス・デ・ハモン(ハムのバゲットサンド。ライム・ジュース付きで30ペソ≒180円)やエンチラーダ(トルティーヤでチーズや肉、豆を巻き、ソースをかけた料理。26ペソ)がちょうどよい。
早めの夕食に市場前の二階にあるマリスコス屋台で。何があるの?と店の親父に訊くと、”まずこれを食べてみろ”とばかりに、トルティーヤ・チップの上に二種類のセビーチェを載せて突き出してきた。これがたいへん美味いので、続いてソパを所望する。
カニが入って旨味の強いソパ。タコや、牡蠣形の小さな貝が大量に沈んでいる。根菜類も入って家庭的だ。これで50ペソ(≒300円)だというから驚く。
宿に戻れば、客のひとりがホーム・ブルーしたというプルケを振る舞われる。テキーラの原料になる竜舌蘭の樹液からつくった無濾過微発泡の醸造酒で、ビールよりやや弱い程度の度数があった。僕は喜んでいただいたが、世界各地にあるどぶろく文化に共通の、乳酸と酢酸に由来するギリギリ感のある味わいは好悪が分かれるだろう。
モレリアが腰を落ち着ける場所にふさわしい街であることがわかったところで、そろそろ話を本筋に戻す。そもそもメキシコの死者の日とは、日本の盆にもなぞらえられる風習であり、死者の魂が生者の世界に戻ってくる期間とされる。故人を偲ぶ期間であり、祖霊信仰の一種の現れといえるが、死と明るく向き合い、死から影を取り払って華やかに祝い、ポップとさえ表現しうるほどにこの祝祭を愉しむのがメキシコ流死者の日といえる。モレリア到着早々、メインストリートでこんな人びとのパレードに行き会った。
倒錯した死のエレガンスとしての骸骨。骸骨はCaraveraカラベラと呼ばれ、還ってくる死者の表象として恐怖とは対極のポップ・イコンと化す。
頭骸骨の砂糖菓子が、街の露天に大量に並べられる。この他、骸骨の人形(小物から等身大まで)や頭蓋骨の置物、絵画、切り絵、マグネット、スマホケースといったありとあらゆる骸骨グッズがそこかしこで売られる。陽気な骸骨がこの祝祭の顔なのだ。
11月1日、バスターミナルからパツクァロへ移動。この街のセントロは、死者の日とは関係なく他のメキシコの街とは明確に異なる独特のムードを持つ。コロニアルと沖縄と中国の折衷とでもいったような建築様式の民家が続く。
花屋の露天が立ち、マリーゴールドの花が大量に売られる。祝祭のもうひとつの顔、それがマリーゴールドの花だ。紫の花はケイトウだという。
墓地はそれらの花で鮮やかに飾られる。
街の広場には、���オフレンダ」と呼ばれる祭壇が設えられる。故人の遺影があるが、街の有力者か誰かのものだろうか。花の他に供えられるのはオレンジ、スイカ、バナナ、トウモロコシ、そしてパンだ。パンは「死者のパン」という、これまた骸骨と骨を象って焼き上げたもの。あとは酒や煙草といった故人の好きだったもの等々。
パツクァロ湖という大きな湖があり、そこに浮かぶ島Janitzioハニツィオは、パツクァロ一帯でも特に古来から伝わる死者の日の風習がひときわ色濃く残される場所であるという。そこへ渡る。
ハニツィオの墓地もまたマリーゴールドを飾り付ける人びと、それを見守る観光客とで賑わっている。
教会の内部にもオフレンダが設えられていた。
ハニツィオは普段から観光客で細々と賑わう寒村であり、港から頂上のモニュメントまでの道沿いは土産屋とレストランとで埋め尽くされていて大した面白みはない。この日ばかりは観光客でごった返す表通りを逸れ、島を一周できる小径へと足を踏み入れれば、そこには地元民の平穏な生活の場が広がっている。パツクァロと同様の日に焼けたオレンジ色の瓦屋根が続き、窓には洗濯物がはためいていて、路地ではボールを蹴って遊んでいた子どもたちが、闖入者の僕をはにかみながらじっと見つめている。
彼らのオフレンダは各家のたいてい玄関を入ってすぐのところに飾り付けられていて、表からちょっと覗くと仔細に観察できる。木材を縦横斜めに組み、雛壇とともにマリーゴールドで飾り付けられたそれは、簡素かつ自由ながら、何がしかの儀礼細則に沿っているようにも見える。その傍らで、細い路地にテーブルを持ち出して、ビールを片手に大勢で食事をする家族も見られた。一見してその風景は、年に一度の祝祭に浮かれ騒ぐでもなく、かといってことさら厳粛に死と向き合う風でもなく、ごく平穏な日常の延長にあったと思う。まるでハロウィン・パーティーの延長にあるような外の世界の祝祭とは異なる死者の日の姿がそこにあるかのようだ。
そもそも死者の日という祭事の源流は何だろう。アステカ族には冥府の女神ミクトランシワトルに捧げる祝祭があり、一方で祖先の骸骨は死と再生双方のシンボルであり、身近に飾る風習があったという。ミクトランシワトルの祝祭はこちらでの収穫期にあたる8月前半に行われていたが、スペイン侵略後、カトリックの影響で諸聖人の日と融合し、「死者の日」として現在の期間に定着したと云われる。さらに云えば、アステカ期にはこれに生贄の儀礼が含まれており、取り出された心臓はアマランサスとともに煮て、それを皆で食べるものだったが、スペイン人によってその風習が止めさせられ、その代替が「死者のパン」なのだという。
フレイザー『金枝篇』を読み終えたばかりの身には、死と再生、収穫期の祝祭、そして生贄などと聞くと瞬時に”すわ神殺しか!”と反応してしまう。同書では、キリスト教以前のヨーロッパ各地に「死神の追放」と呼ばれる風習が存在し、穀物の生育を司る神を儀礼的に殺して、次なる春の到来を祈る儀礼が存在したとされるし、時代を遡ればヨーロッパにも生贄の儀式が存在したことも仄めかされている。類似した儀礼はヨーロッパだけでなく形を変えて世界各地に見られることから、メキシコの死者の日もこの神殺しとつながるのではないだろうかと考えたが、思うようにソースが見当たらない。ヨーロッパの「死神の追放」における死神が恐怖の対象としてよりも死を笑い飛ばす対象だったという点も、メキシコの死者の日と通じるニュアンスがあるし、もうすこし突っ込んで比較してみたかったのだが...。これまでの旅で何度か試みたことだが、こういう素人人類学はやってて本当に面白い(念のため付け加えるが議論の妥当性は保証しない)。まったくの余談だが、ミクトランシワトルについて調べようとするとFF15とロード・オブ・ヴァーミリオンの記事しかヒットせず断念を余儀なくされる。昨今のファンタジー系ゲーム界における神格マニアック化インフレには感心を通り越してもはや疲労を覚える。
さて、段々と日が暮れてきた。死者の日の祝祭はこれからが本番で、墓地にろうそくの明かりが灯され、そこに家族が集ってパーティーをしたり、場所によってはバンドの演奏があったりするそうなのだが、バスの時間もあるし、そろそろこの島を離れなければならない。さいわい、パツクァロの墓地だったらすこし寄れるだけの時間がありそうだから、ちょっとだけ覗いてみよう...
パツクァロの墓地。昼間はあんなに人がいたのに、夜はちょっと寂しい。ろうそくこそあったがそれほど本数もない。やっぱり本場はハニツィオ島だったか。残念。そう思ってバスターミナルへ足を向けた。ちょうど市場の脇を通り過ぎる辺りだったか、ふと気がつくと前方から小さな歌声が聞こえた。それはゆっくりとこちらの方角へ近づいてきて、見るとそれはある一組の家族のようだった。歌っているのはどうやら賛美歌のようで、先頭の母親は遺影を掲げており、その足取りは、時間の都合で後を追わなかったので正確にはわからないが、墓地を目指していたと思う。さらに見れば、同じような家族の一団は他にも何組か見えて、皆同じように遺影と賛美歌を共にし、神妙な面持ちで静々と歩いている。ああ、これが、この土地の死者の日か。細々とした歌声でゆっくりと前へ進む彼らを、僕は何とも云えない気持ちで見送った。写真は撮らなかった。彼らは見世物ではないから、声をかけて許可を取ることもはばかられた。僕はこうして、旅を終えるまでのもうしばらくの間も、旅先で地元の人びとのなかに臆面もなくずけずけと割って入るような真似をし続けると思うが、その瞬間を何としても写真に収めようという意識はだいぶ弱くなってしまった(だから、というか前からだから本質的に、だが、僕のブログは文章が多い)。関連して付け加えれば、今回の旅行では実は一眼レフを持参していない。写真はすべてiPhone7による撮影である。
一方、パツクァロのセントロはそれなりに盛り上がっていた。一角では素人のど自慢大会のようなものが開かれ、その隣の会場は大オフレンダ品評会とでも云うべき壮観な眺め。ろうそくの灯だけなので、雰囲気は抜群だが写真撮影には向かない。なので文章で説明しよう。死者の日で特に人気のある骸骨のモチーフは「カトリーナ」と呼ばれる骸骨の貴婦人であるのだが、この会場のカトリーナ・コスのみなさんは全員ものすごく気位が高い設定のようで、撮影しようとすると、わざとそっぽを向いて一向にカメラ目線をくれない。明らかにわざとである。結論:カトリーナはツン属性がデフォルトだったよ! 最後までデレるフラグを立��られず撃沈。
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青の祓魔師 展開予想2
今回は気になったキャラクターごとに考察していきます。 ※単行本24巻(2019年11月1日発売)までのネタバレを含みます。
1.ルーイン・ライト 雪男に施したモリナスの契約書で一発逆転を狙う、正十字騎士団きっての策謀家。メフィストはじめ、多くの人物から曲者扱いされていますが、彼の正体は一体なんなのでしょう。最初、名前をRuin Light と勘違いして、「光を破滅させる」ってことはルシフェルを倒す役割を担っているのかと思いましたが、免許証にはRiteって書いてあったので、どうやらはずれたようです。ちなみにriteは「儀式」という意味なので、本名を無理やり読むなら、型破りって意味になるんでしょうかね。詠唱を省略しまくる彼らしい名前でした。 なんにしても、彼の出自は気になります。アザゼルを「爺ちゃん」と呼んでいることから巨人なのかと考えましたが、『アザゼルの巨人は何百年も前に血筋が途絶えた(19巻)』とライトニングは言っていますので、この線はないのかも。お得意の冗談って可能性もありますけど。 私のぶっ飛んだ予想だと、ライトニングは異世界人じゃないかと思っています。異世界というか、アザゼルの血筋がまだあった何百年も前からやってきた過去の人。つまり、れっきとした「アザゼルの巨人」ではないかと思うのです。 じゃあ、どうやって来たんだよって話ですが、時空を越えられる人物が作中に一人だけいますよね。そう、メフィストです。もしかしたら、彼の時間旅行に巻き込まれた(もしくは、ちゃっかり着いてきた)のかもしれません。 ただそうなると、元の時代に帰ろうとしないのはなぜか、とか別の疑問が生まれてしまうんですよね。メフィストに対するライトニングの態度にも矛盾が出てきますし。とにかく、アザゼルとの関係は今後のストーリーで大きな意味を持ちそうです。 2.霧隠シュラ 八郎太の呪縛から解き放たれて心機一転、婚活をはじめたシュラ。私はこれが、最終的に誰かとくっつくためのフラグではないかなと思っています。今まで関わりのあった異性からすると、雪男・メフィスト・エンジェルあたりですが、ネットでも「美しすぎる爆乳祓魔師」として話題になってるし、そっち方面で出会いがあるかもしれません。 3.イゴール・ネイガウス 華々しい再登場を遂げたネイガウス先生。メフィストがタメ口を利く数少ない人物です。八侯王(身内)に関係している人なのかと思いましたが、『悪魔の犬に成り下がったこのオレ(祓魔師)を嗤っているのか(2巻)』って言ってることから、どうやら悪魔ではなく人間のようです。 デビル☆バニッシャーを完成させ、『私は約束を守った(22巻)』とメフィストに告げていますので、何らかの契約を結んでいる可能性はありますね。ゲーテの『ファウスト』っぽく、魂を抵当に入れてしまったとか。そして、その場合の見返りは十中八九、死んだ奥さんを生き返らせて、とかでしょう。 この『ファウスト』説が当てはまるとしたら、おそらく宝ねむも同じような状況と考えられそうですね。何を賭けたかはさておき、メフィスト直属の手駒として動いてるのは契約で縛られているからと解釈できそうです。 4.志摩廉造 殉職フラグが出ていますが、彼は大丈夫なんでしょうか。今のところ健在ですけど、ライトニングからは『きみ、まさかスパイなんてものに足を突っ込んでおいて、安らかに死ねるとでも思ってるのか?(18巻)』って言われてるし、これからその彼が境界の主に乗り込んでくるので、いよいよ暗雲立ち込めてきました。 そして極めつけは、「志摩家の本尊である夜摩徳を使役している人が死ぬと、その次に生まれた志摩の人間に継承権が移る」というきまり。柔造と蝮の間に子どもができたとなると、もう死ねってお膳立てされてるようなものですよ、志摩さん(笑) とはいえ、出産は5月頃なので、現在1月上旬の原作にそれが関わってくるのかは微妙なところです。 5.杜山しえみ 現在、私が一番注目している人物です。しえみの正体がわからないと、原作沿いの夢小説がいつまで経っても書き進められないんや……!(必死) ネット界隈で話題になっていた「シェミハザの巨人説」はどうやら当たりと考えてよさそうですね。そこで気になるのが、賢座庁へ行った彼女の目的です。『シェミハザの儀式(24巻)』なるものがあるらしいので、しえみがやろうとしていることもきっとソレでしょう。アルムマヘルの結晶から聖水や聖銀を作るように、シェミハザの結晶から何かを取り出すのかもしれません。 そして、アマイモンとの関係もどうなることか。メフィストいわく『お前の自由時間もあと僅かということだ(22巻)』そうで、しえみが動いたことにより、アマイモン退場フラグが立った模様です。創造皇と地の王は性質が似ていることからも、何やら深い縁がありそうですね。 お嫁さんフラグのほうは、しえみが燐への恋心を自覚した今、消滅したように思います。というか、そうじゃないと書いてる小説が(以下略) 6.アーサー・A・エンジェル 明言されてはいませんが、彼はルシフェル群の実験体でほぼ間違いなさそうです。たしかに顔とか似てますしね。賢座庁長官のエレミヤ・ウザイによって、エンジェルの過去が少しずつ明らかになっていますが、肝心なところは隠匿されているような印象です。 ウザイという名前は旧約聖書の預言者にもありますが、この新キャラかなり胡散臭いですよね。エンジェルとしえみの記憶が抜け落ちているのは、この人の仕業に思えてなりません。 今後、ルシフェルがエンジェルに憑依することはあり得るのでしょうか。もし実現したら、燐のサタンスラッシュVSエンジェルスラッシュが見られるかも。 7.ルシフェル 雪男の謀反にちょいキレ気味な光の王。真顔で何のモーションもなく力を行使できるとか、さすが八侯王の第一権力者です。 どんなに痛かろうと身体を手放さず、物質界への執着が強いルシフェルですが、結末としては『身体より大事なもの(23巻)』を見つけて、虚無界へ帰るのではないかと思います。サタンにとってのユリみたいに、ルシフェルも最愛の人を見つける日が来るのではないでしょうか。 そう考えると、藤堂誉がそのポジションに来そうですね。馴れ初めとか分からないですけど、ビンタできるぐらいには信頼関係がありそうです。ルシフェルの角と誉の前髪も似通ってますし(たぶん彼女が寄せてるんだろうけど)親密度は高いはず。 あと、地味に生牡蠣をチュルチュルしているのが気になる。 8.奥村燐 24巻は青い夜が始まる寸前でストップしたので、このあと燐がどうなるのかは興味深いです。『俺は生まれるべきじゃなかった(24巻)』のくだりは本当に悲劇。これから上向いてくれるといいのですが。がんばれ、燐! そもそも、燐と雪男の苗字はなぜ「奥村」なのでしょうか。父のサタンでも、母のエギンでもなく、養父の藤本でもない。幼少期にユリを育ててくれた『オクちゃん(22巻)』が奥村だったと仮定して、なぜ彼の名前が付いたかはまだわかりません。アサイラムで「不明」と聞かされたユリのお父さんの可能性もありますが、そうだとしても火事で死んでいるはずなので、彼から名前をとる理由がありません。ただ、元祓魔師が家の火災くらいであっさり死ぬだろうかという疑問も残ります。じつは生きてて、再登場なんてこともあるかも。 そのほか、メフィストは燐を『サタンと戦う武器とするために(4巻)』育てたわけですが、私はそもそも彼に倒すつもりなんて最初からないと考えています。メフィストの目的はあくまで物質界の存続。そのために、ルシフェル兄にキレられては困るわけです。 サタンがどちらの陣営につくかは不確かですが、ユリと過ごしていたときの彼を見る限り、ルシフェルの掲げる『真の平和(12巻)』に同調するとは考えにくいです。むしろ物質界で生きられるなら、ルシフェルが用意した憑依体を手に入れてから、物質界を滅ぼそうとするルシフェルを討つくらいの狡猾さはあってもおかしくない気がします。 となると、メフィストの言う『サタン“と”戦う武器とするために』とは、VSという意味ではなく、withという意味にも聞こえてきます。彼にとって、ルシフェルというキングを取りに行くための 最後の駒 ( チェックメイト ) がサタンなのではないでしょうか。燐に憑依するのか、降魔剣に降ろすのか、はたまた青い炎耐性がある雪男が戦うのかは不明ですが、最後は『青の祓魔師』が活躍して大団円のはず。続きが楽しみです。
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