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現場品質3:【インチキ工務店】欠陥住宅で裁判を起こされる事例 15分
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議会は政府資金の2つの期限に急速に近づいており、部分閉鎖の可能性まで残り1週間を切っており、議員らは それを回避するための明確な計画もなく行き詰まりに陥っている。 文書を発表することを望んでいたため、政府機関閉鎖の可能性は日に日に高まっている 特に議員らは日曜日の夕方に超党派の支出合意 。 しかし、政策問題をめぐる意見の相違が続いたため、その公開は遅れた。 チャック・シューマー上院院内総務は日曜午後、「親愛なる同僚へ」の書簡で政府機関閉鎖の影響について警告した。 女性と子供への食糧支援、農家への重要な融資、退役軍人支援事務所と支援、連邦住宅ローン支援、航空管制官の雇用と訓練はすべて影響を受ける可能性があると同氏は述べた。 Ad Feedback 連邦政府は金曜日、潜在的な閉鎖に備えるプロセスを正式に開始し、3月1日の資金提供期限に先立って政府機関に閉鎖ガイダンスを発表するという必須ではあるが標準的なプロセスに参加した。 つまり、最初の期限の影響を受ける連邦省庁は閉鎖計画を更新し、見���す必要がある。 これに見覚えがあるとすれば、それは議員らが資金調達の期限に迫り、9月、11月、そして1月に政府の運営を維持するために再度法案を間一髪で可決したのは9月以来4回目だからだ。 1月、議員らは3月1日と3月8日に新たな期限を設定する2段階の短期資金調達延長案を可決した。広範な資金調達策や短期の応急処置について数日以内に合意が得られない場合は、 「継続決議」として知られるこの法案では、連邦政府の約20%を占める一部の省が金曜日の終わりには資金が不足することになる。 Ad Feedback 1月に可決された2段階の計画では、軍事建設、退役軍人省、農業、住宅・都市開発、運輸、エネルギーの各省を含む連邦政府の一部への資金提供が3月1日まで延長される。 政府の残りの部分(最初のステップでカバーされないもの)には、3 月 8 日まで資金が提供されます。 超党派の二院協議が続いている一方で、下院共和党は政府の開放を維持するための最良の道について依然として意見が分かれており、民主党が毒薬とみなした保守系政策の特約をめぐって収用者らが値切り交渉を行っており、これらすべてがマイク・ジョンソン下院議長 とその僅差の過半数にとって新たな複雑な試練を設定している。 それまでの間、部分的な閉鎖に向けた準備という舞台裏の作業がまだ行われなければなりません。 不要不急の政府機能を停止するための手順を定めた標準手順は、3月1日の期限に影響を受ける連邦政府省庁だけでなく、すべての連邦政府省庁を対象に今週後半に開始されると政府当局者がCNNに語った。 「歳出法案の期限切れの 1 週間前に、歳出法案の制定が差し迫っているように見えるかどうかに関係なく、OMB は政府機関の幹部と連絡を取り、秩序ある閉鎖計画を見直し、更新する責任を政府機関に思い出させ、コミュニケーションテンプレートの草案を共有する予定です。支出の状況を従業員に通知する」と ホワイトハウス管理予算局の文書には 記載されている。 この標準的なガイダンスは、部分的な閉鎖が発生する可能性がある7日前の金曜日に配布された。 どの部門や機関にも独自の 計画と手順が あります。 このガイダンスには、何人の従業員が一時帰休になるのか、どの従業員が不可欠で無給で働くのか、閉鎖前の数時間で業務を縮小するのにどれくら��の時間がかかるのか、どの活動が停止するのかなどの情報が含まれている。 これらの計画は、シャットダウンごとに異なる場合があります。 影響を受ける各部門の計画の最新版に詳しく記載されている、部分的シャットダウンの潜在的な影響の一部を以下に示します。これらは変更される可能性があります。 退役軍人問題 政府機関の方針によると、今週後半に政府機関が閉鎖されたとしても、退役軍人省は「退役軍人の医療には影響しない」と明言している 1月に更新された 。 「補償、年金、教育、住宅手当を含む」退役軍人手当も閉鎖中も継続される。 同省は、サービスを提供する人々への影響を最小限に抑えるよう努めてきたと述べ、退役軍人省職員の96%は「資金が全額支給されるか、閉鎖中は例外的な職務を遂行する必要がある」と推定している。 それでも、同部門の多くの機能が停止する可能性はある。 退役軍人省長官のデニス・マクドノー氏は月曜の記者会見で、「公的対応の地方事務所は閉鎖され、キャリアカウンセリング、移行支援、墓地の敷地管理などの通常業務の多くが利用できなくなる」と警告した。 退役軍人が教育や訓練に関する質問に対するサポートを求めることができるGI法案ホットラインは、閉鎖中は停止される。 また、軍人やその家族が軍人生活から民間生活へ移行するのを支援する移行支援プログラムも、政府機関閉鎖中は停止されることになる。 マクドノー氏はまた、兵役中に有毒な火傷にさらされた退役軍人への給付金を拡大する2022年可決法案であるPACT法に基づき、新たに退役軍人医療を受ける資格を得た退役軍人に行き渡ることについて懸念を表明した。 「私たちは彼らに連絡を取り、彼らが得たものを確実に活用できるようにしたいと考えています」とマクドノー氏は語った。 交通機関 運輸省とその関連機関の業務の多くは 閉鎖中も継続される 、航空管制、特定の安全検査、交通機関全体の事故調査など、 。 しかし、航空管制官は無給で働いているため、旅行に混乱が生じる可能性は依然としてある。 閉鎖はまた、まだ勤務資格を持っていない新しい航空管制官の訓練を遅らせ、航空や鉄道の規則制定を中止し、パイプライン・危険物安全局による危険物の特別調査も中止することになる。 住宅と都市開発 家賃や住宅ローンの支払いを住宅都市開発省に依存している米国人は、政府機関が閉鎖された場合に大きな影響を受ける可能性がある。 同省は、「HUDの公正な住宅活動のほぼすべてが失効中に中止されるだろう」と警告した。 同省のガイダンスによると、政府の資金不足により、公営住宅運営補助金、住宅選択バウチャー補助金、集合住宅補助契約などのプログラムが資金不足になるリスクが生じるという 9月に最後に更新された 。 同庁には9月時点で約8,600人の従業員がいたが、閉鎖になればそのほとんどが一時帰休となる。 ホームレス向けの緊急住宅を含む、HUD の年間助成プログラムの大部分など、助成金の拠出がすでに義務付けられている一部の活動は継続されます。 しかし、人員が限られているため、連邦住宅局が保証するローンの処理や完了が遅れる可能性があります。 HUDは緊急時対応計画の中で、閉鎖が長引けば長引くほど、その影響はより深刻になると指摘している。 農業 農務省の主要な栄養支援プログラムのうち2つは、農務省の資金が3月初旬に失効しても、当面は運営を継続すると農務省の広報担当者がCNNに語った。 補足栄養支援プログラム(SNAP)に登録している人は、 フードスタンプの給付金を受け取ることになる 例年通り3月に 。 また、妊婦、新米ママ、乳児、幼児は3月も引き続きWIC給付金を受け取ることになる。 (WIC は正式には、女性、幼児、および子供のための特別補足栄養プログラムとして知られています。) これは、10月に政府機関が閉鎖されていた場合に起こっていたこととは異なります。 USDAは当時、閉鎖から数日を超えて通常のWIC運営をサポートするのに十分な資金がないと述べたが、個々の州にはプログラムを継続するための追加資金があった可能性がある。 全体として、政府機関は2023年9月のガイダンスによると、閉鎖に伴い約9万7000人の職員の59%を一時帰休させると予想している。 食品安全・検査サービスの従業員のほぼ全員が仕事を続けるほか、動植物の健康検査サービスのスタッフの半数強も仕事を続けることになる。 しかし、緊急目的を除いて、裁量資金による新たな農村開発融資や補助金は行われない。 エネルギー エネルギー省は、潜在的な政府機関閉鎖中に何が継続し、何が停止するのかについて広範な定義を提供しています。 には、「生命や財産の保護に関係のない活動 指針 、大統領の憲法上の権限の行使に不必要な活動、年次支出以外の資金で資金提供されていない活動、または法律で明示的に許可されていない活動は停止される」と記載されている。 ガイダンスでは、5日以内の短期間の閉鎖のみであれば、エネルギー省の業務に「混乱は生じない」と予想されると述べている。
連邦政府、部分的閉鎖に向けた準備の正式プロセスを再び開始 | CNN 政治
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.8)=((No.7)からの続き) 2010(H.22)年 H.22.1.21.水撒き人W氏はマタゾロ自室(501号室)のベランダに大量の汚水を撒き、お陰で階下401号室(私共宅)の☆➂現場は、その漏水シャワーをマトモに受けて、惨憺たる有様、枝管クランク部から漏水が引っ切り無しに滴り落ち、而も床面は霧吹き器で吹いたような細かい粒状のシブキ跡が無数に見られ、これ等が集まって大きいシミ跡が出来て居た。「もう少し早く(せめて10分くらいか?)私共が現場を訪れて居たら、今度こそ漏水シャワーその物(決定的証拠)を動画撮影できたのだが!」これは私共にとっては(マンション管理日誌によれば) H.21.4.15.の第1回目の漏水シャワーに続く、今回が第2回目の漏水シャワーであった。
当日(H.22.1.21.)は木曜日で、岩井昭雄・マンション管理人はお休み、従って私共は此の第2回目漏水シャワーをスグに同管理人に報告出来なかった。だが、売主S氏・近鉄不動産㈱仲介人武内聖介氏・水撒き人W氏および妹君・S子氏、弁護士諸先生方、更に奈良地裁・大阪高裁の裁判官諸氏は、これ等の惨状現場の写真を見ても、なおも『水漏れはたった1回だけ』『生活には何らの不都合は無い』『売買契約を撤回する理由にはならない』と断言されるか?これ等の写真は全てが大判(A4)で(他の写真と一緒に)いずれも奈良地裁に提出済みであったが、宮本初美裁判官は「売主S氏は『漏水は実質1回だけ』と言って居る」「生活には何ら不都合は無い」として、これ等の証拠写真には一切言及せず徹底的に無視・握り潰し、更に原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言は全て不要として不許可、そして宮本初美裁判官自身は、結局、一度も現場検証・確認に来る事は無かった。これでは私共は全く手の打ちようが無い。これは最早とても裁判ではない。
H.22.2.3.K先生は、私共が収集・提出した資料(写真・イラスト・情報など)を、その都度、チャッカリと取捨選択・適宜活用しては下さるが(=これでは単なるパッチワーク?)、K先生ご自身は殆ど何らの調査もなさらず、資料も収集なさらない事に焦りを感じた私共は『当マンション管理組合』から『501号室のW氏』宛に送付された『改善のお願い』のコピーをK先生にお渡しした。K先生は驚いて「あらッ!この書類、一体、どうしたの?」と尋ねられたので、私共は仕方なく正直に「実はK先生に御相談する 前に、当ビル内の隣室・福井英之弁護士先生に御相談して居りまして、これ等は福井先生が取得して下さった資料です。福井先生は『確定的ではないが、売買契約の白紙撤回は難しいかも知れない』と言われたので、私共はK先生に御相談に来た次第です」と話すと共に、福井先生が既に収集して下さって居た資料をK先生にお渡しした。K先生は、その中から上記の『改善の御願い』など(御自分が利用できる資料を)その侭チャッカリと今後の裁判に活用して下さる事になった。
H.22.2.5.K先生が提出された準備書面より抜粋「売主S氏が上記の第1準備書面で主張して居る事、特にベランダに出て身を乗り出して上を見たところ、上階501号室の住民(W氏)がバケツで大量に水を撒いていた、との主張は大ウソである」と一々(私共が撮影・作成した)写真・スケッチ・実測図をチャッカリ利用して説明された。85歳の高齢者(S氏)がベランダから身を乗り出して上階のベランダ内を覗く事など、絶対に不可能、また(私共が予め調査して置いた)ヤモリの習性・糞についても触れ、アルミホイルが「ヤモリを防ぐ為」ではなく、「まさしく漏水防止の為だった」事も主張された。そして漏水被害が未だに続いて居る事実を、数多の証拠写真等で立証された。同時にK先生は近鉄不動産㈱が作成した売買契約書に「漏水被害:無」「浸水被害:無」との記載ある事実も指摘された。だが奈良地裁の宮本初美裁判官は、これ等の記述・事実にも(意図的に?)全く言及せず、徹底的に無視し、最後まで「こんな物は信用できない」として、S氏・証人等の出廷・尋問・証言をも全て不許可にした。勿論、同裁判官は現場検証・確認には一度も来なかった。これではK先生も私共も全く手の打ちようが無い。どうしようもない。これは最早とても裁判ではない。 H.22.2.10.第4回裁判でK先生は「ヤモリ糞の写真」「糞をバラ撒いた犯人の足跡写真」を遂に公開された。K先生は「今日はサスガに(S氏の弁護人である)藤本先生も大人しくして居ましたね」と言われた。本日以前には、ヤモリ糞をバラ撒いた犯人が複数回、現場に不法侵入してコウモリ糞を適宜に増量・撒き足した形跡が見られたが、本日以後はサスガに誰かが401号室へ複数回不法侵入した形跡はパッタリと見られなくなってしまった。然し、宮本初美裁判官は、「漏水被害」「ヤモリ糞(=実はコウモリ糞)」「足跡」などの数多の写真類には一切目も呉れず、「上階のW氏の行動が問題なのですね?」「マンションに物理的欠陥はあるのですか?」などと、ワザと全く関係無い事ばかりに拘って私共に長時間を空費させ、私共の期待する「漏水被害を隠した侭で当マンションを売り付けた事による売買契約の白紙撤回」にまでサッパリ話が進まなかった。挙句の果てに宮本初美裁判官は傍聴席の私共に向かって「貴方は当マンションには居住して居ないのですね?それならサッサと転売したら如何ですか?」などと持ち掛けた。K先生は「原告B(私共)は漏水被害を全く知らされずに当マンションを購入したのです。然し、漏水被害が表沙汰になってしまった以上、原告Bが今ここで転売すれば多額の転売差損を蒙る事になります。だからこそ契約の白紙撤回を求めて訴訟して居るのです」と解説して下さって、漸く宮本初美裁判官は事情を理解できた振り(?)をして見せた。後刻、K先生と私共が打ち合わせた際、私共は「あの宮本初美裁判官はバカですか?私共が、一体、何の為に訴訟して居るのか、その事情を(K先生に解説して貰うまで)全く理解して居なかった。そんな簡単な事も分からないで(あるいはワザと分からない振りをして(?))、私共に向かって『サッサと転売したら如何ですか?』などと持ち掛���るなんて!裁判官ともなると、余りにもエリートであり過ぎて、私共シモジモの生活感覚が全く分からないのですかねェ!」と言うと、K先生は「あの宮本初美裁判官は別にエリートでも何でもありませんよ。私達、奈良市内の弁護士の間でも、とかく『問題ある裁判官』として有名なんですよ。私は(宮本初美裁判官の扱う事件では)未だ一度も負けた事が無いけれど、あの『問題ある(宮本初美)裁判官』のお蔭で迷惑を蒙った弁護士が幾人も居るのですよ」と解説して下さった。K先生は更に「あの宮本初美裁判官は、当方から提出した証拠書類などはチットも読んで呉れて居ないようですね」とも付け加えられた(実は同裁判官はワザと読まない・読みたくないのだろう?)私共は「こんな『常識の無い』『証拠書類・資料をチットも読まない』『弁護士諸先生方に迷惑ばかり掛け続けて居る』『問題ある事で有名な(宮本初美)裁判官』が私共の事件を裁くのか?これじゃあ、いくら証拠写真・書類などを取り揃えて提出しても、どうせ握り潰されてしまって、ロクな判決が出ないだろうな!」と憂慮した。そして、その半年後には私共の憂慮・不安が現実のものとなってしまった。なお同日、K先生より奈良地裁宛に「送付嘱託申立書」が提出された。①近鉄住宅管理㈱のH.19.4.1.~H.21.4.30.までの当マンションの管理日誌、②当マンション管理組合のH.21.4月および5月の管理組合理事会議事録etc.で、これ等はいずれも漏水被害を立証する上で重要証拠書類であるが、宮本初美裁判官は此の申し立てを悉く全て不許可にした。こんな重要書類を裁判に持ち出されてしまっては、宮本初美裁判官のメンツは丸潰れ、赤っ恥を掻く事は必定、『これは何が何でも絶対に阻止せねば!』と必死になって[K先生および私共]の妨害・邪魔をする訳だ!これではK先生も私共も全く手の打ちようが無い。これは最早とても裁判ではない。なお(私共からの要請により)、K先生は下記業者にも「弁護士照会」を提出された。
H.22.2.2.(不二建設㈱)、H.22.2.8.(美和ロック㈱、 H.22.2.24.(不二建設㈱)、 H.22.3.10.(㈱アイ・フラッツ)、 H.22.3.10.(再び美和ロック㈱)の各社に対してK先生より、「弁護士法第23条の2第1項に基づく照会」を提出されたが、それ等のやり取りは全て添付DVDに収容されて居る。但し「法廷でウソの証言をした時は、偽証罪に問われる」が、此の弁護士照会に対しては「たとえウソの回答をしても、何ら罰を受ける事は無い」との事。 H.22.2.18.K先生からの弁護士照会に対して不二建設㈱からの回答の抜粋「W氏宅のトイレの詰まりを確認した処、便器内に『スルメ』『箸』『昆布』が詰まって居り、廊下まで汚水が溢れて居た」「通常とは少し違う感覚をお持ちの方と思いました」との回答あり。W氏の病的に異常な言動が、此処でも明らかである。なお同社からの無責任な回答に対する、私共の反論は前述した通り。 H.22.2.20.現場にバラ撒かれて居たヤモリ糞(実はコウモリ糞)を分析して貰う為、私共は害虫・害獣駆除専門業者「ダスキンターミニクス奈良北店」のセールスマネージャー西久保氏明男に現場へ来て貰った。同氏は現場の糞を一目見ただけで「これはヤモリ糞ではなく、コウモリ糞だ」と断定した。同氏は素手で現場の糞を拾い上げ、掌に載せて私共に示しながら「素人目にはヤモリ糞とコウモリ糞は良く似て居て、区別が付き難いが、ヤモリ糞には表面に白い尿石があるから、スグに分かります」そして同氏は「ヤモリ糞は入手が難しいが、コウモリ糞なら比較的簡単に入手できます」との事だった。そして「裁判での証拠書類として利用したいのなら、矢張り正規の分析機関で分析し、正式に検査結果報告書を書いて貰いましょう」とアドヴァイスして呉れ、サンプル糞を自社へ持ち帰った。
H.22.2.24.検査機関・㈱ビアブルの検査結果報告書が完成、ベランダにバラ撒かれて居た糞は矢張り「ヤモリ糞」ではなく、「コウモリ糞」だった。検査結果報告書を参照されたい。
H.22.3.18.私共は岩井昭雄管理人に会ったが、同氏は「私は本日付で当マンション管理人を退職し、後任��佐藤秀司氏が引き継ぎます」と話した。更に岩井昭雄管理人は私共との[固い約束]を反故にして「私は勤務先(近鉄住宅管理㈱)から『裁判では漏水についての証言などする必要は無い!』『証言するな!』と厳命されて居るので(?)、証言は致しません」と私共に証言拒否を申し出て来た。同氏は形式上は「自主退職」となって居る由だが、近鉄側が(漏水被害の事実を知悉して居る)岩井昭雄管理人のようなヤバイ存在は早めに切り捨ててしまおう!」との魂胆がミエミエ。因みに岩井昭雄氏は、外国語(特に英語)に堪能な能力を生かして、現在は京都府内の某私立大学(同志社?立命館?)の非常勤講師をして居る由(現在の佐藤秀司・新管理人より聞いた話)。斯んな「(恐らくはハシタ金(?)で)S氏に簡単に買収されてしまって、『水漏れが有ったのは、たった1回だけですよ』『実際にヤモリが出たんですよ』『ヤモリを防ぐ為にS氏はアルミホイルを詰め込んだのですよ』などと大ウソを吐き、挙句の果てには『会社から厳命されて居るので(?)、私は裁判では証言致しません』などと、私共との[固い約束]をアッサリと反古にしてしまった卑劣な男(=裏切者)が、事もあろうに大学の先生になるなんて!此の世の中(=日本)は一体どうなって居るのだ?私共は全く呆れてしまった。 H.22.3.25.第5回裁判では宮本初美裁判官は、相変わらず私共が提出した証拠書類には一切言及せず、「物理的瑕疵」「環境的瑕疵」などについてK先生に長々と説明させ、長時間を空費させた。これでは一体、何の為に態々裁判を開催したのか?全く時間の無駄だった。 H.22.3.27.私共が信頼して居た岩井昭雄・前管理人の裏切り行為(=前言を翻して「水漏れはタッタ1回だけですよ」「実際にヤモリが出たんですよ」などと大ウソを言い出したり、私共との[固い約束]を反故にして「証言は致しません」などと証言拒否したり)に私共は大いに失望し、苦し紛れに当マンションの全28所帯の内、(501号室(W氏宅)と401号室(私共宅)とを除く)26所帯に聞き取り調査(そして後にはアンケート調査も)を実施する事を思い付き、アンケート調査票(原案)を作成して、これをK先生に校閲して貰った。後述の如く、私共が苦し紛れに行った此の『聞き取り・アンケート調査』は、後々、幾度も私共の役にたった。
H.22.4.21.当日付でK先生から「当マンション住民に対するアンケート票」を各住人諸氏宛てに発送して貰うと共に、私共は約1ケ月掛けて聞き取り調査・アンケート調査を終えた。(但し、アンケート調査票の回答回収は一部だけ)。その結果、「(上階からの)漏水被害を受けて居るのは、W氏宅(501号室)の真下にある私共宅(401号室)だけ」と言う事実が判明���た。それで私共は「此の漏水被害は(元々、当マンションの排水パイプの腐食などの)物理的瑕疵などに因る物ではなく、また外界からの風雨の吹込み等による結果でもなく、正に501号室の住人(W氏)自身がベランダの排水口・排水溝へ「大量のゴミ類を捨て」て枝管内をビッシリと詰まらせて置いて、その状態で更にベランダへ「大量の汚水を撒いた」為の環境的瑕疵である」事を此処に確認した。即ち、私共は「当マンションは、元々、物理的に何ら問題無いマンションだ」と分かった。なお当初、私共は「聞き取り調査」だけを行って居たが、後になって「言った」「言わない」などとトラブルになっては困るので、「聞取り調査」が一先ず終了した時点で、今度は更にまた同趣旨の「アンケート調査」をも実施する事にした。然し、アンケート調査票を回収するに当たり、私共は幾度も各戸を訪問したが、多くの所帯からは『マタゾロ押し売りジイサン・バアサンがシツコクやって来た』と勘違いされたらしく、門前払いを食わされる事も屡々で、調査票の回収は予想外に難しく、中には日時を替えて8回も訪問したが、結局、完全無視されて、アンケート調査票を回収できなかった所帯もあった。なおK先生は当マンションの某主婦から電話で「買主B夫婦(私共)は、聞き取り調査を終えたばかりなのに���今度はマタゾロ同趣旨のアンケート調査票を回収しようとして、各所帯をウロツキ回って居る!」「ウルサイ事だ!」との苦情を受けられたのであろう?私共に「今後は御自分達だけで調査票を回収したりせぬように!」とアドヴァイスをして下さった。然し、私共は「(旧売主S氏は元々大ウソつきだが)ズッと私共が信頼し続けて来た岩井昭雄・前管理人にまで、ものの見事に裏切られてしまったからには、止むを得ず、何が何でも自分達が行う『聞き取り・アンケート調査票』を出来るだけ多く回収して、これ等をK先生に提供し、裁判で役立てて戴こう」と思った。だがアンケート調査票を回収すべく各所帯を訪問して居た時、ある主婦は私共に「現管理人(=佐藤秀司・新管理人)から『余計な事は書くな!』『喋るな!』と箝口令が敷かれて居ますよ」と打ち明けて呉れたので、私共はアンケート調査票の全票回収作業を途中で断念した。箝口令が敷かれた後では、「いくらアンケート調査票を回収しても、結局は当マンション住人諸氏の本音は聞けない」と判断したからである。但し、聞き取り調査だけは、それよりも以前に既に完了して居たのは救いだった。念の為に其の調査内容を書きに一覧表示します。
H.22.4.30.売主S氏の弁護人・藤本先生からの第2準備書面の抜粋「夜間、窓にヤモリが張り付いて居るのに気付き、気味が悪かったので、パイプにアルミホイルを詰めたら出て来なくなるだろう、と思ってそうしただけだ」(最初、S氏は「水漏れなど全く知らなかった」→「水漏れなどは全く無かった」→私共が「それでは仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)、マンション管理人(岩井昭雄氏)の両人に、裁判で漏水被害の事実を正直に証言して貰いますよ」と言うと、慌てたS氏は一転して急遽「水漏れは確かにあったが、それはたった1回だけで、生活には何ら不都合は無かった」→「アルミホイルを詰めたのは、ヤモリが上階501号室から排水枝管☆②の外周を伝って這い降りて来るのを防ぐ為だった」→「アルミホイルは水漏れとは全く関係ない」→私共が「ヤモリは粘着���ある四肢で何処でも自由に動けるから、排水枝管外周とベランダ天井との円形(環状)隙間にアルミホイルを詰めても、ヤモリを防ぐ事は出来ませんよ」と反論すると→今度はS氏は更に一転して「窓にヤモリが貼り付いて居て気味が悪かったから、天井とパイプの隙間にアルミホイルを詰めたのだ」などと言い出した。窓に張り付いて居るヤモリを防ぐのに、何故、全く無関係の天井と枝管との隙間(A)(B)にアルミホイルを詰める必要があるのか?私共の聞き取り・アンケート調査の結果、当マンションの住民で「ヤモリが出た」などと答えた所帯は皆無だった。 また岩井昭雄・前管理人も当初(H.21.6.5.)には私共に対して「ハハハ、S氏は『ヤモリが出た』などと話して居るのですか?そんな話など私は一度も聞いていませんよ」と私共に(笑いながら)話して呉れて居たのだ。(但し、岩井昭雄氏は、後日、売主S氏に(ハシタ金でも掴まされて?)スッカリ丸め込まれて『ヤモリが出たのですよ』『ヤモリを防ぐ為にS氏はアルミホイルを詰めたのですよ」などとウソを言い出したり、会社からの厳命(?)で「法廷での証言は致しません」と証言拒否を申し出て来るなど、甚だしい裏切り行為で私共をスッカリ失望させた)。だが、当マンション管理日誌にも「ヤモリが出た」との記載は一行も無い。而もベランダにバラ撒かれた糞は(ヤモリ糞ではなく)コウモリ糞だった事も既に判明して居る。売主S氏も岩井昭雄管理人も(2人とも)全くの大ウソつきだ。 このように売主S氏の主張は正にウソ八百、二転・三転・四転、五転、支離滅裂、無茶苦茶である。宮本初美裁判官は、こんなS氏を何故出廷させず、本人尋問をさせないのだろうか?これでは私共は全く手の打ちようが無い。藤本先生は、こんなS氏の『度重なる大ウソの大連発』と『稚拙・卑劣でウソがバレバレのヤモリ糞の捏造工作』とを十分に承知の上で、S氏を弁護する準備書面をマコトシヤカに書き上げられたのであろうか?確かに「弁護士は何が何でも依頼人を弁護すると共に、何が何でも訴訟相手を遣り込めるのが弁護士本来の仕事である」かも知れないが、これはチト酷過ぎる! H.22.5.7.近鉄不動産㈱からの準備書面(2)の抜粋「説明義務違反は無い」と反論。
H.22.5.14.K先生からの「ご連絡」によれば、「本件訴訟で送付嘱託(管理日誌・理事会議事録)について採用して貰いたい」と奈良地裁に申請したが、宮本初美裁判官から「裁判所としては、その必要は無い、またS氏の尋問も必要ないと考えている」と、K先生の抗議にも態度を変えなかった由。「宮本初美裁判官は、原告(私共)が確認した水漏れは1回だけであり、後はパイプの錆やベランダの水跡などで、水漏れがあったと推測しているだけ」と言い、「その後水漏れがあった確証はない」と言わんばかりの口ぶりで、当方にとって非常に不利益な状況となって居るように思います」との連絡だった。
然るに、K先生からの送付嘱託に対して、頑として『不許可』を喰らわせて来た宮本初美裁判官の『メンツを丸潰れ』にするような事態が、後日、起きてしまった。即ち、後日(H.22.6.18.)にK先生が私共の弁護を放り出した(=逃げ出した?)後で、私共の弁護を引き受けて下さった松村安之・南陽輔両弁護士先生によって、此のマンション管理日誌(のコピー)が(奈良地裁の許可など無くても)H.22.10.14.にヤスヤスと入手出来てしまい(これを『ダメ押し証拠No.1』とする)、次回以降の裁判にスンナリと提出される事になったのである。だが、此の事は宮本初美裁判官、その後を引き継いた担当裁判官諸氏の『メンツ丸潰れ』『プライドを著しく傷付ける』結果となってしまった。(然し、松村・南両先生にはモトより『宮本初美裁判官、その後を引き継いだ担当裁判官諸氏のメンツを潰してやろう』などという意図も魂胆も、勿論、全く無かった。ただ「本件裁判では、是非とも必要だったから取得した」だけなのだ)。松村・南両先生は、予めFax送信・電話連絡等によって、当マンション管理組合理事長の事前許可を取得した上で、H.22.10.14.に両先生2人とも遥々大阪から奈良市内の当マンションへ来訪され、管理人室で近鉄住宅管理㈱の重役2氏および佐藤秀司・現管理人、私共B夫婦(合計7人)が立会いの下に(当マンション竣工時(H.19.2.23.)から前日(H.22.10.13.)までの全管理日誌・全議事録を閲覧・精読され、同時に管理日誌(の必要部分のコピー16枚)をも取得されたのであり、そのお蔭で私共は此の「経過報告書」の随所に「管理日誌」の該当箇所を組み入れる事が出来たのである。なお両先生は同時に議事録も閲覧されたが、これは「管理日誌」に比べると、それほど裁判には効果的と認められる記述・材料が無かったので、そのコピーは取得されなかった。 なお松村・南両先生は、更なる『ダメ押し証拠No.2』として、奈良市水道局から「水撒き人W氏の水道使用量証明書」の送付嘱託をも申請されたが、(これ以上、メンツが潰れる事を恐れた?)裁判所は「此の上、更なる『ダメ押し証拠No.2』まで許してなるものか!何が何でも阻止せよ!」とばかり、懸命になって(?)これを不許可にした。松村・南両先生は幾度も私共に「奈良市水道局からの『W氏の水道使用量証明書』は『W氏が如何に無茶苦茶に大量の水を撒き散らして居たか』が数字の上で立証できる、これは『重要な証拠』だよ。此の取得を、何故、裁判所は許可して呉れないのかな?これを許可して呉れればなァ!」と頻りに残念がって居られた。ところが此の『ダメ押し証拠No.2』も、実は全く思い掛けない事態・理由から、奈良地裁は松村・南両先生に許可せざるを得なくなってしまい、その結果、両先生はH.24.9.7.に「W氏の水道使用量証明書」を首尾良く奈良市水道局から取得されたのである。これを『ダメ押し証拠No.2』とする。そのお蔭で私共は『W氏の各月の異常な水道使用量』の該当部分をも、此の「経過報告書」の随所に組み入れる事が出来、同時に『W氏の異常な水撒き癖』を数字上でも立証する事が出来たのである。だが、これ等の[ダメ押し証拠No.1][ダメ押し証拠No.2]が「天下のエリート」(=裁判官諸氏等)のメンツを潰し、心証を一層悪くしてしまったのであろうか?裁判官諸氏等は、以後の裁判では、これ等の[ダメ押し証拠No.1][No.2]を完全無視、「大量の水を使ったからと言って、漏水被害が有ったという事にはならない!」(正に『アア言えばコウ言う』という屁理屈だ)と決め付けた。(それじゃぁW氏は、一体、何の為に、それ程の大量水を使用したのか?)、従前通りの不当判決(=インチキ判決)が下されたのである。いくら松村・南両先生が[動かぬ証拠=ダメ押し証拠No.1およびNo.2]を首尾よく取得して、これ等を裁判に提出されても、肝心の裁判官諸氏等が、これ等すべての証拠類を、意図的に(?)あるいは必死に(?)なって完全無視すれば、これ等は、結局、裁判では全く無価値である。これ等について詳しくは後述する。本来ならば、これで私共がW氏から蒙った(そして現在も蒙り続けて居る)漏水被害は、下記(1)(2)(3)(4)(5)によって十分に立証できた(筈だ?)と思った。 (1)私共から裁判所に提出済みの数多の『漏水被害現場の大判(A4)証拠写真』、当マンションの外観『イラスト』『スケッチ』『(ヤモリ糞などの)インチキ証拠写真』『犯人のマヌケな足跡写真』、 (2)当マンションの住人および近隣住人諸氏等の証言、および当マンション管理人(岩井昭雄・佐藤秀司両氏)、近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏の証言(但し、岩井昭雄・武内聖介の両氏には、後日、見事に裏切られてしまったが…)、
(3)松村・南両先生が当マンション管理組合から取得して下さった『ダメ押し証拠No.1』=マンション管理日誌16ページ分、 (4)松村・南両先生が奈良市水道局から取得して下さった『ダメ押し証拠No.2』=W氏の各月の水道使用量証明書、 (5)最重要事項��して、裁判所が本人等(原告・被告・証人等)を出廷・証言させ、而も裁判官諸氏ご自身も現場検証・確認に来られる事、などである。
然し、結局、裁判所には上記(1)(2)(3)(4)(5)を全て完全無視されてしまって、私共が全裁判で実質的全敗した事、既述の通りである。
以下、(No.9)へ続く
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2024年9月23日
「中国製太陽光パネルの世界シェアと注意すべきリスク」
太陽光パネルの製造は、日本、欧州、米国から中国へ移行しており、世界の製造段階における中国のシェアは現在95%を超えている。中国のトップ10太陽光パネルメーカーと注意すべきリスクをみる。
① ジンコソーラー(浙江省)2006年設立
② トリナ・ソーラ―(江蘇省)1997年設立
③ JAソーラー(河北省)2005年設立
④ ロンジソーラー(陝西省)2000年設立
⑤ サンテックパリー(江蘇省)2001年設立
⑥ カナディアン・ソーラ―(蘇州)2001年設立
⑦ ライゼンエナジー(浙江省)2002年設立
⑧ テイルサンソーラー(江蘇州)2010年設立
⑨ GCLシステムイングレーション(江蘇州)1990年設立
⑩ BYDソーラー(深セン)2008年設立
2013年5月28日のニューヨークタイムズの報道によるとアメリカ国内で中国製太陽光パネルの耐用年数が20~25年とされるが、設置後数年で故障や火災が発生し使用不能になっているものがある。欠陥がみつかっても守秘義務契約を課していてメーカー名が伏せられ全体像を把握することが困難と指摘している。 中国の太陽光パネル製造会社は、2000年以降に設立された会社が多く、価格競争力はあるが品質が低下する傾向にあり、メーカーの主張を検証するは難しい。
更に問題なのは、中国製パネルには製造工程で透明度を上げるため人体に猛毒のヒ素などが含まれており、日本には無制限に輸入され設置されていることだ。
秋保再エネ問題連絡会
会長 安藤哲夫からのメッセージ
宮城県仙台市秋保地区に600ヘクタール、東京ドーム127個分のメガソーラーが設置されようとしています。これは日本で最大級の大規模メガソーラーです。
秋保は仙台市民の水源地となっており、この水は仙台市、名取市、閖上、多賀城市、塩釜市まで流れていきます。メガソーラーのガラスが割れると鉛、ヒ素、カドミウム、セレンなど人体に有害な物質が流れ出ます。これらは私達に癌、腎機能障害、肝機能障害、肺機能障害を起こす物質です。
私達は仙台市民108万人の生命、財産、綺麗な緑と水、安全な住宅環境を守る為に署名活動を始めました。
大規模な自然破壊、景観破壊、土砂崩れ、山林火災が発生します!
①. 秋保、作並は世界的に有名な観光地です。秋保大滝へ行く右側の斜面が黒色ガラスで覆われ異様な光景が出現すれば観光に大打撃となります。
②. ゴルフ場6個分もの森林を伐採すると地面の保水力は失われ、土砂流出、土砂崩れが発生し、名取川、広瀬川は魚も住めない川に成ってしまいます。
③. 森林を追われた熊、猪、たぬき、イタチな��の野生動物が町中に食糧を探して出てきます。
④. 2024年4月15日、西仙台ゴルフ場のメガソーラーで火災が発生しましたが、感電の恐れから昼は消防が鎮火出来ませんでした。これからは全国各地でメガソーラーによる山火事が頻発します。
メガソーラーの事業会社は怪しい合同会社!
①. 合同会社は資本金以上の責任を負う必要が有りません。仙台市水道の水源地、大蔵ダム上流にある合同会社は資本金3万円でレンタルオフィスの会社です。事故が起こっても、倒産して放置されても、この合同会社は最大3万円しか責任を負いません。
②. これらの発電事業者のメガソーラー設置費用と利益は、私達が毎月支払う電気料金の再エネ賦課金で賄われています。再エネ賦課金は4人家族で年間約2万円、2024年4月より50%値上げで年間約3万円にもなります。
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韓国政府の公共支援民間賃貸事業、政府支援と言いながら土地確保の融資もままならず許認可特例もなく中止も譲渡もできず
住宅都市保証公社(HUG)の「公共支援民間賃貸」公募に選ばれたA施行会社は最近、事業推進も売却も困難な状況に陥った。地方自治団体の過度な公共貢献要求で許認可手続が遅れたうえ、公共機関の保証はブリジロン段階(土地費融資)という理由で拒否され、金融負担だけが大きくなっている。事業場を譲渡すれば、新しい事業者が許認可手続きを最初から再開しなければならず、買収者を見つけることも難しい。会社関係者は「約束した統合審議や支援はなく、売却すら難しい」と訴えた。
公共支援民間賃貸事業が不動産景気低迷などの影響で座礁危機を迎えている。政府は昨年から公共支援民間賃貸活性化のための各種支援策を出したが、現場では実効性を感じていない。業界では難しい事業場に対する優先買取や再構造化支援策を通じて出口を設けなければならないと強調する。
10年以上賃貸として運用する条件で計画、造成された民間の物件に自治体や政府が資金援助し、借り主は相場の95%で入居できる制度に申し込んだ業者が、なかなか進まない許認可、その間の原材料費高騰や高金利に苦しんでも十分な融資を受けられずに事業継続が難しく、譲渡しようにも新規の事業者もまた同じ悩みを抱えているので買い手がいないという。
実際、民間活用というおためごかしで制度は急ぎ創るものの、実際の運用面のサポートやフォローへの対応が抜けているので、現場が混乱するという韓国らしいいつものパターン。
施行社は資本が小さなところが多いので土地を確保するにも融資でほぼ賄うことになるけれど、これが高金利の短期借り入れのブリッジローン。土地を確保して時間が長引けばそれだけ金利の支払いの負担が重くのしかかる。不動産景気が良い時ならすぐに事業計画が立てられて、その計画そのものに金を貸すPF(プロジェクト・ファイナンス)に借り換えて凌ぐというのがパターンだったんだけど、公共機関の支援も絡むので許認可が煩雑で遅いっての最初の関門だったんでしょうね。
借り換えしたくても許認可下りてない状態で民間金融機関のPFも審査通らず公共の支援も土地だけじゃダメとかそりゃ辛い(笑)
事業を諦めて譲渡しようにも、新たな施行社になったら最初から許認可審査が始まって同じかそれ以上の時間がかかるのが必至。その間に高金利の支払いがのしかかるんだから誰も買わない。住宅公社に売却したくても、土地公示価格じゃないと買わないから借金より相当に少ない。借金、金利丸損。
政府の支援で金を…と、思っても韓国政府は税収の大幅な欠損があって金がない。だから、開発も融資も民間で自治体にちょっと補助をさせるなんてやり方だから、借金の返済で苦しむ業者への支援なんてとても無理なんですよね。どんどん、事業から撤退する業者が増えて着工する物件が伸びない。
ハードルが高くて誰もクリアできないと、クリアする支援をするんじゃなくてハードルを低くしてごまかすのが韓国流なので、施工業者資格を直近3年間500戸の実績から5年間500戸に下げたりしてるけど、中小建設業者が増えたところで資本体力も小さく技術力や事業継続力も少ないところが増えたらむしろ破綻する事業が増えるだけでしょうが(笑)なんだけど、やるのが韓国政府。
韓国政府が国民の住宅供給を増やし安い賃貸で家計債務を減らしつつ建設業界を救う公共事業的な目的のための事業なんだから、許認可スピードアップや簡略化、資金支援も土地確保からしろよ!と民間は言ってますけどねぇ。そうしたら土地転がすのも出てくるだろうから…って慎重になる自治体の予想は案外と正しい。
韓国政府に金がないのが一番問題なんですけどね。
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「裏は見えないからいいでしょう」ではない
「裏は見えないからいいでしょう」ではなく、裏もきちんと補強や処理をすること。 見えないところまで処理をすることで品質が上がります。しかし、こだわりすぎや、無駄なところの処理は省くこと。 今日のお話は見えないところも手を抜かないこと 見えないところで手を抜いて命取りするところが欠陥住宅だったりするわけです。これって中国がマンション建設でやることですよね。いわゆる、豆腐建築で中身スカスカの欠陥住宅 そもそも中国の不動産バブルの本質は中抜きでそれを、元の無制限融資によって誤魔化して来て、今、崩壊しているわけで、その投資がドルで貨幣価値が変動してしまうのを避けるために、不変のデジタル人民元でカバーしてしようと言われてます。 要するに見えないところの手抜きでどれだけ被害がデカくなるかって話です。 逆をいうとこだわり過ぎないことも大切なんです。過剰包装みたいな状態にしなくてもいいだろう。…
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小野 正裕-日本の急速な高齢化社会への挑戦
少子高齢化時代、日本はどこへ向かうのか? 少子高齢化はますます深刻化し、資源や財政の負担は増大しています。
日本は世界で最も長寿の国の一つです。 最新の統計によると、2016年の男性の平均寿命は80.98歳、女性の平均寿命は87.14歳でした。 しかし、世界各国の高齢化率と比較すると、日本も最も高齢化が進んでいます。 高齢化は、日本における労働力不足、消費低迷、デフレ、地域不況、その他の結果を引き起こすだけでなく、社会資源と財政資源がますます逼迫する原因となります。 2025年 急速に進む超高齢化社会
日本政府の政策と社会保障制度では、65 歳以上を高齢者人口、75 歳以上を後期高齢者人口と呼んでいます。 当初60歳で退職できる年金制度は段階的に後退され、2025年までにすべての高齢者が社会保障年金を受け取るには65歳に達する必要がある。 厚生労働省の統計によると、日本の65歳以上の高齢者人口は2010年に3,000万人、後期高齢者人口は1,419万人で、2025年には高齢者人口は3,500万人に増加します。後期高齢者人口は2,179万人となり、現在の1.54倍に相当します。 これは、2016年に27.3%に達した人口の高齢化率が2025年までに3分の1を超え、人口の5分の1が高齢化になることを意味します。 総務省の人口動態統計・人口推計によると、1990年には65歳以上の国民1人を20~64歳の勤労者5.1人が支えていたが、2010年には2.6人に減少し、今後もさらに減少するだろう。 2025 年には 1.8 人に減り、2060 年には、高齢者を支える年間労働者数は 1.2 人に減ります。 少し前に、日本老年医学会は社会全体の意識や概念を変えることを目的として、高齢者の定義を現在の65歳から75歳に引き上げることを提案しました。
1980年代以降、日本の出生率は急激に低下し、人口比では逆ピラミッド構造となった。 日本の厚生労働省の人口動態推計によると、2017年の出生数はわずか94万1千人で、1899年の統計制度創設以来最低となった。 1970年代には毎年200万人以上が新たに生まれていたのに比べ、出生率は非常に低い。 同年の死亡者数は134万4,000人で、これは40万人以上の人口の自然減少に相当する。 したがって、少子高齢化は日本の「国難」と呼ばれています。 関連データによると、15~64歳の生産年齢人口は1995年には8,700万人だったが、20年間で1,000万人減少した。 労働力不足を補うため、日本政府は女性や高齢者の雇用誘致に重点を置いた「働き方改革」という新たな政策を打ち出した。 我が国の総人口は減少を続けていますが、国民皆医療保険制度の普及、医療水準の向上、食生活の最適化などにより、国民の平均寿命は大幅に延びています。 しかし、今や「長寿と幸福」は日本の財政にとって大きな負担となっている。 世界各国の高齢化率と比較すると、日本は最も高齢化が進んでいます。 1970年には日本の65歳人口は7%だったが、24年後の1994年には14%に達した。 他の国がこの比率に達するまでには、ドイツ 42 年、イギリス 46 年、イタリア 55 年、アメリカ 69 年、スウェーデン 82 年、フランス 114 年かかります。 それは日本社会の急速な高齢化からも明らかです。 対応: 国民皆保険と社会的ケアの組み合わせ 病院業界最大の団体である日本病院協会の会長で、長野県の相沢病院院長でもある相沢隆雄氏は、日本の医療保険と社会保険制度について紹介した。 同氏によると、日本では1961年に国民皆保険制度が普及し始めた。保険の種類は、個人やフリーランス向けの国民健康保険、業界団体向けの社会保険、企業保険など大きく分けられる。 個人は所得に応じて保険料を支払い、医療保険制度を受けられます。 現在、国民健康保険の控除率は個人所得の9.7%、保険料が保険収入の約6割を占め、残りは国と地方公共団体が公費で負担しています。 病院で理学療法費を請求する場合、個人は自己負担分のみを請求し、残りは医療保険機関と直接清算することになります。 1970年代から1980年代初頭にかけて、日本は高度経済成長と豊かな財政を背景に、1973年に制定された「老人福祉法」により、高齢者の医療費無料化が定められました。 現在の医療費負担率は、一般は自己負担3割、未就学児と70歳以上の高齢者は自己負担2割、75歳以上の高齢者は自己負担1割となっています。 日本では、高齢者の不便を解決するために、2000年から介護保険制度が導入されました。 高齢化の進展に伴い、要介護者の数は年々増加する一方、寿命の延長により介護期間も長期化しています。 一方で、出生率の低下や家族の労働力不足により、子どもが高齢者の介護義務を十分に担うことが困難となっていることから、時代の要請に応じて社会的養護の仕組みが登場しました。 この制度は、40歳以上の人が強制的に介護保険に加入し、高齢で虚弱で身の回りのことが困難になったときに、審査の上、段階に応じた介護サービスを受けることができ、その費用が国から支給される制度です。介護保険のこと。 保険機関の財源は当該保険料が半分を占め、残りは国、都道府県、市町村が折半して出資しています。 その後、各自治体の指定・資格を持った老人ホームがデイケアや高齢者向けアパートを開設するようになり、試験に合格して介護資格を取得した人が介護サービスを提供するようになりました。 日本の国民医療保険制度が国民の健康増進と寿命の延長に重要な役割を果たしていることは事実です。 誰もが治療費を心配する必要はありません。 同時に、地域診療所、地方病院、中央病院などの階層型医療システムも、さまざまな病気の医療ニーズをより適切に解決できるようになりました。 しかし、国の自由居住は一部の患者を都市部の大病院に集中させることにもつながり、都市部の医療資源をさらに逼迫させています。 高齢化に伴う慢性疾患や成人病の治療費は増大し、医療保険制度が耐えられなくなり、国の財政状況も悪化しています。 現在、社会化された高齢者介護制度を導入している国は世界的には多くなく、ヨーロッパではドイツとオランダが社会保険という市場志向型の運営を行っているほか、スウェーデンとイギリスが地方自治体を通じて社会サービスを提供している程度です。 日本の介護保険制度は、補助額が高いだけでなく、評価内容がより具体的で、介護職員に対する資格や能力の要件もより高く設定されています。 高齢者が審査を受け、介護サービスを受けることができると判断された場合、高齢者向けアパートに住む人向けの保険代理店から直接アパートに支払いが振り込まれ、在宅高齢者は介護職員に連絡して、住宅内の戸別訪問サービスの提供を受けることができます。保険基準の範囲、介護施設がある地域では、高齢者に入浴や家事などの介護サービスを提供する介護サービス車が毎週定期的に訪れているのをよく見かけます。 制度としては優れていますが、経済的な負担は大きいです。 もともとこの介護保険は、自分の身の回りのことができず、家族も介護できない高齢者に提供される生活サービスでしたが、施行の過程で、一部の高齢者から頻繁に電話がかかってくることが判明しました。子どもが介護できるのに介護職員が訪問サービスを利用するのは、保険料を払っても使わなければ損だという心理があるからです。 このままでは介護保険の財源も厳しくなっていきます。 日本の介護費用は2016年に10兆円を超え、2025年以降には高齢者にかかる費用は21兆円を超えると予想されています。
挑戦: リソースとシステムが課題に直面しています。 朝日新聞社の上級記者でライフプロジェクト室長の佐藤洋氏は、日本各地の高齢化問題を長年取材し、高齢化によってもたらされる医療、財政、管理システムの課題について徹底した調査を行ってきました。 佐藤陽氏は、高齢化社会の到来に伴い、医療・介護の資源や制度が厳しい課題に直面していると考えています。 一方で、成人病や慢性疾患の患者による長期にわたる病床��有により、医療機関のベッドリソースが不足し、一部の救急患者や救急患者がベッドを待つ状況に陥っています。 同時に、過剰な医療行為という現象も比較的一般的であり、倫理や制度上の規範に関する規則や規制が欠如しているため、病院では、生命を維持するために人工呼吸器や鼻腔栄養剤に依存している患者の数が増えています。年々増加しており、多額の医療資源と財政資源を占めています。 一方で、老人ホームは規模が小さい。 2025年には「保育園待機高齢者」が52万人になると予測されています。 高齢者の移動困難により多くの介護職員が必要とされていますが、国家資格試験が必要なだけでなく、低賃金・長時間労働・労働集約度の高い業界のため、希望者は多くありません。介護職員の不足は2025年には約38万人になると予想されています。 一方で、国や地方自治体の財政負担も課題に直面しています。 日本ではいち早く国民医療保険や介護保険制度が普及しましたが、個人負担は保険制度の半分に過ぎず、残りの半分は国や地方自治体からの財政補助に依存しています。 近年、日本の医療費や介護費は年々増加しています。 統計によると、45~64歳の中高年の平均年間医療費は27万7,000円に達しますが、75歳以上の年間医療費は89万2,000円に達し、中年の3倍に相当します。 このため���2016年の日本の国民医療費は37.9兆円で、2025年には54兆円に達すると予想されています。 また、我が国の財政制度は市町村独立採算制であるため、人口が少なく財源が乏しい地方の村や町では都市に比べて財源問題が深刻であり、医療資源が都市部で占有されるというジレンマを抱えています。それだけでなく、地域によって高齢者に対する重要視や対応も微妙に異なり、地域間の不均衡も生じています。 もちろん、高齢者全員が社会のお荷物というわけではありません。 日本の厚生労働省の調査によると、2016年に働く高齢者の数は770万人に達し、10年間で50%増加した。 2017年1月から7月までに新たに雇用契約を結んだり、時間給などの臨時の仕事に参加した65歳以上の人は65万人で、そのうち正社員が30%、無期契約社員が24%、有期契約社員が43%となっています。 業種的にはタクシーなどの運送業、警備や清掃などのサービス業が大半を占めています。 現在、都内には企業・個人合わせて4万5,300台のタクシーが運行しており、一般タクシー会社の運転手の定年は67歳ですが、健康診断に合格し違反歴のない優秀な運転手は適切に定年延長が可能です。 メディアの統計によると、東京のタクシー運転手は75~79歳で2,522人、80歳以上のタクシー運転手は442人。 優秀なドライバーの中には、退職後に個人タクシーの運転を始める人もいます。 家族を養うための収入を得たり、年金のために貯蓄したりする人もいますが、より多くの人が老後を楽しみ、自分の人生をより充実した価値あるものにしているようです。 記者は何度も銀髪ドライバーのタクシー��乗り、ベテランドライバーの話を聞いたが、まるで生きた地図であると同時に、日本の歴史や社会についての生き字引のように感じた。 ���テランドライバーが社会と触れ合うことで仕事の楽しさや生きがいを実感しているのは明らかだ。
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おはようございます。 畑田の家|愛知県名古屋市 2017年に竣工した延べ床面積26.6坪のシアタールームを持つ家です。 2枚目の写真は5年後に近くを通りかかって撮った写真。 【クライアントの声】 Q1.青木昌則建築研究所に依頼した決め手は? A.家の造りが自分の好みだった事もありますが、一番の決め手は「しっかり監理してもらえそう」と思えた事です。 家を建てるって素人の私にはなかなか思い切りが必要な事で、同僚や友人が手抜き工事らしき目にあった話を聞いていたり、TV番組で欠陥住宅の放送を観たりすると、自分がそういったケースに当たったらどうしようとか心配になるんですよね。 工務店さんや他の設計事務所さんも調べてお話を伺いに行ったりもしましたが、青木さんの過去のブログを拝見して、細かいところまで気を遣って仕事を進められていると感じたり、OBのクライアントさん達と今も良い関係が続いているのを見て、信頼できると感じました。 Q2.家づくりにおいてこだわったところは? A.やっぱり木を感じられる家が良いというところとシアタールームですね。 シアタールームを手掛けられるのは青木さんも初めてとの事だったのですが、色々と調べていただいて十分なものに仕上がっていると思います。 竣工:2017年 施工:丸長ホーム 棟梁:田口棟梁 写真:山下茂春 設計監理:青木昌則建築研究所 #シアタールームのある家 #クライアントの声 #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家#建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/CnQEyTWyO6J/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ワクチン配布数に異常なバラつきがある問題で、基礎自治体の接種体制に大混乱が生じている。その事態改善と収拾に地方行政が奔走しているため現況を報告したい。にわかには信じがたい状況で、接種予約が絶望的に無理な自治体と、接種対象たる高齢者の人数以上の配布を受けた自治体もある。 人口密集地である政令市や感染者数が激増している自治体に大きくカバーして欲しいところだが、隣接自治体でも三倍の格差��ある。自治体の接種体制は、大混乱に陥ってしまい、この混乱はさらに激しくなる危険が否定できない。
例えば、人口6,764人の吉富町には、2925回分が配布。同町の高齢者は2,124人であり、つまり希望者は100%接種できる。というか余ってしまう。 隣接する上毛町は人口7,619人(高齢者は2,648人)で吉富より規模が大きいが、975回分のみ。当選確率は約37%。上毛町と吉富町は互いに隣接するのだが、この倍率差は異常だろう。 さらに、豊前市の人口は25,341人(高齢者9,097人)は、吉富町と同数の2925回分に留まる。当選確率は約32%。 築上町は、18,119人(高齢者6,569人)、配布数は1950回分。当選確率は最低の約29%である。
便宜的に用いた当選確率とは、全高齢者が接種を希望したと仮定し、かつ今回のロットから次回の配布が遅延したという条件で計算した。 問題は、「豊前市・吉富町・上毛町・築上町」は、広域連携で合同で接種していく点。それぞれの会場で互いの住民が鉢合わせるわけだが、一自治体は100%の接種で、隣接自治体は3割以下だ。同じ医師会から支援を受け、なんと予約に要するコールセンターも統合されている。配布数が不十分な自治体は第一回接種の予約を受け付けている中で、充分に有する自治体は第二回接種を求める。コールセンターは、二つの業務が混在してしまい、また接種にあたる医師も対応が難しい。
行橋市73,317人(高齢者21,562人)は、2925回分(3箱)。高齢者数が10倍も違う吉富町と同数だ。当選確率は、13%。 本市に隣接するみやこ町は、人口19,512人(高齢者7,721人)に対し、なぜか行橋市よりも多い3900回分(4箱)を配布。当選確率は約50%。 みやこ町には、医師はほとんどおらず、結果的に行橋市の医師もサポートしていく可能性もある。(行橋みやこ医師会) 隣接自治体において、ここまでの当選確率の差は、住民に説明ができない。行橋市においても感染者は出ている。
飯塚市128,184人(高齢者40,121人)も2925回分(3箱)。高齢者数が20倍近く違う吉富町と同数だ。当選確率は、7%に過ぎない。県が調整した結果だが、飯塚市が悪いわけではない。 ここで行橋市と飯塚市について述べさせて頂きたいが、自治体単独での接種能力を一般に有する自治体である。町村の場合は広域連携などで合同接種などを行っており、当然ながら「飯塚市・行橋市は、打つ能力」を持っている。銃はあれども弾がないという状態。
町村を優先配布した可能性は否定できないという声もあるだろう。 しかし、那珂川市50,323人(高齢者11,545)には13箱、実に12675回分が配布。高齢者数よりも多いため、当選確率は100%だ。
地域差なのかと言えばそうではない。遠賀川周辺の3町の例。 65歳以上人口が8780人の水巻町に3箱、9828人の岡垣町に9箱、5800人の遠賀町に6箱と人口規模に応じていない。
当然、地方行政は大混乱に陥った。 最悪の事態としては、かなりの量を破棄せざるを得ない危険性も指摘されていた。理由は本稿で詳述するが、1箱が975回分のため高齢者数が2000とか3000の小規模自治体で中途半端な人数で開封してしまうと、かなりの量を破棄せざるを得ないため。それを抑止するための広域連携だったのだが、バラツキが大きすぎて同時接種は絶望的だ。
また、接種能力を有する中規模自治体で、近隣の町村のサポートを行う市は、自らが守るべき市民の接種が終わってない中で、ワクチンのみ持っている町村の支援を行うのは住民感情からも難しい。接種支援に周れずデッドストック化するリスクもあった。
これらワクチンの配布偏在ですが、本日の状況を報告します。
(プレス対応) 昨日が祝日であったため、(配布箱数のデータについて)メディア側が裏取りできませんでした。公式の資料ではありますが非公開であったため、プレスが扱うにあたっては事実確認が必要だったのです。ほぼ徹夜のまま(早朝4時ぐらいまで)複数の電話会議・オンライン会議を行っており、朝一で対応を開始。 朝より対応。無事に裏取りを完了させ、首長のコメントも用意できました。 明日の朝、一紙ですが掲載できます。web版でありますが、すでに記事はアップされています。取材を経ての、正規の報道です。
次に、地方公共6団体。 動いたのは、市長会です。ここからは御礼になるのですが、谷畑英吾・前湖南市長(全国の副会長など要職を歴任)が一緒に動いてくださいました。一昨日のBlogを拡散してくださり、動きがありました。 私の住む行橋市の田中市長より電話を頂き、本庄市(埼玉県)の吉田信解市長(市長会の委員長)より架電があったとのこと。当市市長からの伝聞にはなりますが「全国市長会会長の立谷会長が、本日たまたま河野大臣に要請書を持って行くところだったので、本問題について共有している。」とのことでした。谷畑市長には行橋市と豊前市の偏在について報告していたため、本庄市長からは行橋・豊前に連絡を入れてくれたと谷畑市長からお伺いしました。当市市長からのお礼をお伝えしました。
私は市長職は有しておりませんので断片情報にはなりますが、市長会トップからは(恐らく自治体名は伏せて)配布数の偏在について報告がなされた模様です。谷畑市長を経由し、前述の自治体情報については逐一調査するとともに、私の信頼する敏腕記者たちが徹底的に数字の洗い出しを行っていきました。皆、徹夜の連続でした。プレスの動きを淡々と報告しつつ、数字の積み上げ作業を行っていきました。
自治体へのワクチン配布は、厚労省から総務省に移管されていました。総務大臣の記者会見において、本件が反映されたことを確認。各所にお礼の連絡を入れていったのは夕刻でした。目の前の偏在の問題は未解決も、2陣以降の効率化の向上に期待。 ここは総務マターのため、これより都道府県に指導を入れて頂くにあたって、その資料作成を行っておりました。
そうしたところ、これら偏在を解消するためでしょうか、国からさらなる次の便が実数が突然の公開。川の大臣の会見です。各地の市長・町長の動き、メディアの動きが奏功した可能性もあります。
私もその前線で戦っていたのですが、GW直前ゆえ平日が一日しかありません。裏取りを短期決戦で完了させる必要があったため、かなりの手続きを簡素化(詠唱破棄)してしまいました。近隣町長には非常に申し訳なく思っておりましたところ、上毛町の坪根町長が同行してくださり、一部の町長への報告が叶いました。築上町の新川町長にお会いし状況報告をしたのは19時を回っており、ご迷惑にも自宅までお邪魔してしまいました。
とりあえず、大臣まで公式団体名にて情報があがったと想定されるため、第一次の動きとしては良しとします。私は市議でありますので、これが職責の果たし方。 明日、明後日までは過負荷かかる見込み。
さて、これら動きの中で、今後の課題や混乱が想定される箇所が洗い出されてきましたので報告します。 国の新たな発表により、偏在の多くは解消されると期待いたしますが、地方行政における混乱は継続する可能性があり、それを早期に事前想定することにより「接種の混乱抑止、および事態解決」を期待して本稿を記します。
すでに本日の記事がネットには公開されておりますので併せて紹介します。
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報道の紹介明日の朝刊にも掲載されることでしょう。
コロナワクチン、福岡県内の自治体配分数に格差 調整不足を指摘する声も
新型コロナウイルスのワクチン確保をめぐり、福岡県内の自治体間で格差が生じている。5月以降、各自治体で順次、接種を進めていく中、初期段階では人口規模が同程度の自治体間で確保数が大きく異なるケースがみられ、場合によっては規模との逆転現象も生じた。自治体からは必要数をまとめる県の調整不足を指摘する声が上がる。
福岡県内には6月末までに2456箱(6回接種で約287万3千回分)が届く。このうち、5月10日からの2週間に各自治体に届けられるワクチンは567箱で、最多の144箱を受け取る福岡市をはじめ、県内60市町村で高齢者向けへの接種準備が進む。
ただ、複数の県内自治体から「人口規模や接種体制の実情と食い違う配分だ」との指摘が相次ぐ。
県西部では、65歳以上人口(平成27年国勢調査)で約10倍の差がある行橋市(1万9835人)と吉富町(1989人)で、配分数はともに3箱だった。遠賀川周辺の3町でも、65歳以上人口(同)が8780人の水巻町に3箱、9828人の岡垣町に9箱、5800人の遠賀町に6箱と人口規模に応じていない。
自治体のワクチン確保担当者は「自前の接種体制をもとに2週間で可能な量を申請した」との声がある一方、「供給体制が不確実な中、75歳以上の2回接種に必要な量を確保しようとした」との説明もあり、考え方の違いが浮き彫りに。この違いが格差が生じた原因とみられる。
自治体の申請を取りまとめる県は「市町村には2週間分で接種可能な量を申請するよう通知している」とするが、マンパワー不足や、時間の制約から「各自治体から上がってきた申請を信頼するしかない」(県担当者)という。
ワクチンをめぐっては、必要数は確保される一定の見込みが立ち、今後の配分によって自治体間の偏在は解消していくとみられる。
ただ、ある県西部の自治体首長は「都市部で封じ込めを進めるための優先供給は理解できるが、郡部で格差が生じるのは住民に説明ができず、理解に苦しむ(配分数の)増減もあった。現状のままでは不信を招く」と憤りを隠さない。
産経ニュースコロナワクチン、福岡県内の自治体配分数に格差 調整不足を指摘する声もhttps://www.sankei.com/region/news/210430/rgn2104300003-n2.html自治体の申請を取りまとめる県は「市町村には2週間分で接種可能な量を申請するよう通知している」とするが、マンパワー不足や、時間の制約から「各自治体から上がってきた…
ワクチン配布の考え方(私見)まずもって私見であることは冒頭で述べておきます。
ワクチンそのものが危険という意見がネット上にはあるのは重々承知しておりますが、特に高齢者の中には熱望している方もおり、「国費で購入した資材」に対する「入手難易度」の機会平等の観点は述べられるべきだと考えております。
その上で、人口密集地である政令指定都市や大規模自治体には集中投資して頂いて全く構わないと(少なくとも私個人は)考えています。これは各自治体ごとに考えがありましょうし、接種希望者の気持ちを考えれば「あくまで私見」と述べるに留めさせて頂きたい���
感染者が増えている自治体やまんぼう、ワクチン接種の傾斜配分は全くもって否定する立場ではありません。 むしろ傾斜配分がなされていなければ、それは逆の問題も指摘されるでしょう。単に人口比で割ればいいとは思っておりません。
しかし、明らかに人口比が異なり、10倍とか20倍という差があるのは問題です。各自治体は、接種体制を構築してきており、体制構築(銃を用意)するも弾は来ない、これでは何のために地方行政が準備をしてきたのか全く意味が分からない。
また、多く取り過ぎた自治体も果たして接種可能なのか?という話がでてくる。同時に接種できる人数には、施設規模なども影響してくるわけで、ワクチンさえあれば一気に終わるというものでもない。著しくバランスを欠くことは凄まじい問題を生じてしまう。
特に広域連携の話は、別項で詳述させて頂きますが、「偏在」は接種体制そのものを破壊してしまうのです。この点は強く主張したい。
高齢者への接種を進めるのであれば、対応にあたる医師・看護師への接種を事前に完了させたうえで、まずは人口比(より正確には高齢者数の比率)で基準値を作成する。その上で政令市や人口密集地に加配、ここは大きく加配すべきでしょう。さらに政令市と交流人口の多い自治体に傾斜配分をかけます。
当然ながら感染者数が激増している自治体やまんぼうによる加配も行います。 さらに、接種体制が充分に整っている、つまり銃の多い自治体にもプラスαを行う。 これがスタンダードな考え方ではないでしょうか。
基準値を設け、これをベースに置いたのは地方自治体が接種にあたるためです。 当選倍率に著しい差が出てしまえば、恐ろしいまでの不満を住民に与えることになる。地方の首長は、あくまで地域住民に選ばれているのであり、守るべき住民がおります。行橋市長は行橋市民に選ばれ、そして行橋市民が雇っているのです。行橋市の職員を養っているのは、行橋市民です。
いずれの自治体も、自分の市民を守りたい!という思いは当然に出てくるわけであり、郡部や隣接自治体において高齢化率や感染者数に違いはないものの、何倍もの当選確率の差が出た場合には「地方行政は、住民に説明できない」のです。
その不平不満の中で、市職員らが現場に立てるかと言えば答えはノーです。 基礎自治体には振った以上は、最低限の格差是正はなされていなければ【接種はできません。】というのが私の考えです。
よって最低条件をクリアした上で、つまり一定の公平性は担保しつつも、人口密集地や感染数の多い地域に集中投資する。ここはセンスなのでしょうが、私ならば人口比を5割、傾斜配分用に5割です。傾斜の比率が高いように感じるかもしれませんが、政令市と一般市の人口差は凄まじいものがあり、これぐらいの比率を設けなければ「有意な差」は得られないと考える為です。あくまで私見にはなりますけれども。
一般市側からのクレームはあるかと思いますが、「感染抑制」という考えに立ちかれば、人と人が接する可能性の高いところから集中運用するよりなく、ゆえに準備が整っている自治体にも若干の加配を行うことを条件に交渉します。
スタンダードな考え方ではないでしょうか。 (あくまで私見にはなります。)
大事なことは、ワクチンを熱望する高齢者がいずれの自治体にもおり、現場で対応する市職員が「住民にちゃんと説明できる」だけのロジックとなっている必要があるという点です。そこが満たせるのであれば、どのような方法でも構わない。
後段においては、私個人の考えであるとさらに断ったうえで、高齢者への接種の優先順位にも言及させて頂きたい。
高齢者のみへの接種という国の方針に反発するわけではありませんが、私は「政令市・人口密集地の”高齢者以外の層”」にも早期に接種して良かったのではないかと思っています。難しい政治判断になるとは思いますが、外に出て、かつ人と会う者にこそ接種を急ぐべきです。
果たして若者が接種を希望するかは分かりませんし(ネット上には危険論があることは承知していると断ったうえで)希望する若者にも接種して行った方が、最終的には感染を沈静化させる近道だと思えてならないのです。
郡部、いわゆる田舎においては、都心部から持ち込まれる事例が多いのは事実です。 まずは都心部を抑えなければ、郡部の自治体は守れない。医療体制も貧弱であり、ここはクラスターが発生、重症者が大量に出た場合には本当に対処不可能なのです。
だからこそ、地方議員としては「都市部の感染抑止を最優先」することは方策としてはアリだと思っており、高齢者のみに限定しての接種ではなく、もう一歩踏み込んだ対策があってもよかったのではないかと考えています。
※ しかし、熱望する高齢者が大量に存在する中で、この政策決定を(自分自身がその立場にあったと仮定して)私ができるかと言えば、強く自信を持つこともできないことは正直に述べておきます。
広域連携とワクチンの破棄
冒頭において、豊前市・上毛町・吉富町・築上町の事例を述べました。 これは県内の各所でも起きていることかと思いますが、連携して接種にあたります。
豊前は市政にはなりますが、人口は2万人代であり潤沢な市職員を有するわけではありません。また近隣の3町は独自の接種体制を構築するのは難しいでしょう。そもそも医師会が全ての自治体にあるわけではないのです。
メディアは大規模自治体の事例ばかりを取り上げますが、郡部には郡部の難しさがあるのです。
1市3町で連携し、共通のコールセンター、同じ医師会で対処する。 事例で言えば、Aチーム(豊前町・上毛町)、Bチーム(築上町・吉富町)を編成し、日付けをずらして同じ医師たちが対応する。 これなら効率的です。
事務局は上毛町が受け、コールセンターは築上町が担っています。
冒頭の事例で、私が「破棄の危険」まで述べた理由がここにあるのですが、吉富町は”第一回接種”の100%持っているため、医者側の協力が得られたならば早い段階で①接種が完了します。
しかし、豊前・上毛・築上町は高齢者の3割しか接種が完了しません。弾が足りないからです。 単に不公平感だけではなく、業務がまわらない。
同じコールセンターにおいて、吉富の「2回目接種の予約」と、豊前・築上・上毛の「1回目接種の積み残し」の対応を行うことは無理です。そもそも第一回接種が完了していない築上町の町長・職員が、吉富の2回目接種に負荷を割くことは(地方自治の観点から言えば)異常です。
コールセンターが機能を停止すれば、接種予約そのものができません。
「緊急だから」とのことで、国からの御下命ではありますが、地方自治体には「通常の業務」も併行して行われているのです。介護保険を止めていいのか、課税業務を止めていいのか。
すでに小規模自治体の行政力は、コロナ以前から相当に弱体化しています。市町村合併とパソコンの導入により、かつてと比較すると地方公務員の数は激減しているのです。効率化を高めていった結果、コスト削減はできましたが、マンパワーは減少しており有事への対処能力は減少していたのです。
「ワクチン予約の電話がつながらない」という抗議とか意見も、役場にはかかってきます。 行橋市(人口7万人)ぐらいの規模であれば、それなりの職員数はおります。うまく編成すれば一時的な負荷分散は可能で、他部門からも応援も見込めます。
けれども町村単位になると全量を投入しても限りがある。 そのための広域連携でした。
「つながらない予約電話」「それに対する抗議」が混在し、職員がボロボロの状態で。。。
【1回目の接種】と【2回目の接種】の予約処理を行うのは不可能です。どうやっても無理なんだ。
では、なぜ広域連携なのかと言えば、ワクチンの有効活用のため、その側面もあったのです。 1箱をあければ975回。これは町村からすると大きすぎるロットなのです。
例えば吉富町の高齢者は2,124人、上毛町は高齢者は2,648人です。 975回とは、接種対象者の半数にあたるわけですが、解凍したワクチン通りの人数が来るでしょうか? では、1100人の接種希望者が来てしまった場合には、2箱目を開けるのか。3週間を空けるため、中途半端に開けてしまった箱の残分を破棄することになっても。
豊前市の人口は25,341人(高齢者9,097人)築上町は、18,119人(高齢者6,569人)。 だから、豊前市と上毛がセット、築上と上毛がセットなのではないでしょうか。私はこの1市3町の議員ではありませんので、この広域化の発端や議論には詳しくありませんが、「ワクチンの破棄分を抑える」効果を期待しての連携であったと考えるのは自然なことだと思います。 (当たりくじは各自治体で管理するも、会場においては同じ箱から出していき順次開梱すれば破棄は極小化できる。)
県が、謎の配分を行った結果どうなったか。 吉富が3箱、豊前が3箱、上毛は1箱、築上は2箱。 吉富は100%、築上29%。
これらのボトムがあわなければ、合同での連携しての接種業務は破綻する。 ならば吉富は3箱を「好きなタイミングでどんどん開ける」と、その分の残分は、場合によっては破棄していかねばならない。
実は、築上町長には話を通さずに動いていたため、先ほどお会いしていたのですが、やはり自らの町民を守らねばならないという観点や、第一回接種・第二回接種の予約作業の混在は「難しいだろう」という考えでしたので、場合によってはコールセンターの統合を解除する可能性だってすでに出ています。 (豊前・上毛・築上は共に高齢者の約3割のため、今後も連携できると思います。)
吉富だけ出て行く形になった場合、吉富町は今から早急に専決処分で予算を通し、スタッフを雇用して体制構築から行わねばなりません。 そして大量のワクチン破棄を行いながら、自前で町民に接種していくよりない。広域で確保した意思を(フリーライドするような形で)残る1市2町が使うことを許したり、築上町のコールセンターが機能するかは分からない。
これは、この1市3町の連携のみの話ではありません。
人口規模の小さな自治体は、恐らく類似の工夫を担当者間で締結していると想定され、この無作為なバラバラのワクチン配布は、構築していた自治体間連携を破壊してしまった可能性が高い。少なくとも前述の4自治体については致命的なヒビが入ったと当職は認識する。
(県は、自治体からの申請数を基準にしたと述べているため、1市3町で申請中の共同歩調をとる予定であったにも関わらず、吉富町が協調を破棄して多く申請したことが発覚しているため。県が止めるべきだったと思う。)
また、築上町町長・上毛町長は頭を抱えており、「じゃ仕方ないかぁ」と笑って許すような表情ではなかった。少なくとも私の見る限りは。
市町村は、それぞれ持ちうる予算も職員数もギリギリの中、一年に渡る「緊急」を延々とこなしてきました。もう、兵隊はいないんです、いないんだ。政令指定都市や都庁とは違うんです。交代要員もいない。
その限られた人的資源を紡ぎ合わせて、それでもゲームチェンジャーとされ、地域住民が期待するワクチン接種に「ギリギリの調整」を組み上げていたんです。こんな乱暴な配布方法は、それを全て破壊する行為だった。
みんなカリカリしている、とても平和的に行こうという空気ではない。 貧すれば鈍するという言葉もあるが、つらい現状があれば「減らされたらどうしよう」と過大に申請した自治体だって出てくるだろう。けれども、それを県が容認してしまえば、全体の破綻を招いてしまう。
実際に、私の目の前で壊れかけている。
これは、県内の各所で生じた「ヒビ」だと思う。 ワクチンは来ても、接種することができるかは分からない。
謝辞
昨日は過去記事を流し込んだのみとなり、少し手を抜かせて頂きました。 その間、命懸けで事務作業をしていた次第です。それは私のことではありません。
何より時間がなかった。 問題発覚が水曜日の昼、ここで各自治体の配布差の問題を知る。 問題は木曜日が祝日であり、平日の金曜日を逃せばGWに突入してしまう。
行政機関の公式の窓口は止まってしまうため、資料の裏取りや首長のコメントはとれなくなる。
与えられた時間は、48時間。
実際に動けるのは金曜日のみ、朝8時から17時まで、実質9時間が勝負。
それまでに必要な資料を準備し(ないから作る)、すべての人間が同時に動かねばならない。
まず、谷畑市長にお礼を書きたい。 相当な多方面に連絡を入れてくださったと思います。 どことどこに連絡というのは教えてくれませんが、行橋市長に、本庄市の吉田信解市長(市長会の委員長)から連絡を頂いています。豊前市にも連絡を入れてくださったと伺いました。
また(本庄市長経由し)市長会の立谷会長(相馬市長)が河野大臣にお伝え頂いたであろうことも。
これを、祝日の一日だけで完了させるというのは、どういう負荷を背負ったのか筆舌に尽くしがたい。 谷畑市長が有する、積み重ねた人間関係、その財産に甘えてしまったというのが実態だ。
私にはできない。
本来は、様々な手続きがある。 私は市長ではないので、ある意味では越権行為だとは思うが、市長会を動かしてくれと要望することは本当は筋違いなのだ。また、谷畑市長は、先日勇退しており現職ではない。物凄く無理をさせてしまったと思う、それでも「頼みます」とお願いしました。
福岡の市長会は、私はアクセスできません。 田中市長に報告しつつ勝手に動きました。その他の市長達には、一部ではありましょうが、上毛町長が連絡を入れてくれました。
そもそも記者は、金曜日の朝一に裏取り(前述の記事の資料は、当時は公開されていなかった)をするため、貫徹で準備をしていました。凄まじい数の自治体に取材をあてていって、それで記事が間に合った。
たった一日の平日、ここに全ての照準をあわせて全処理能力を投入。
正規ルートはとれておらず、あらゆるものをすっ飛ばして対応。 これは本来ならば、行儀の悪い行為であって、仁義をきれたとは言えない。
アニメでいうところの詠唱破棄。 これが許されるのは、事態の緊急性と、日ごろのお付き合い。 (許されてないかもしれませんが。)
豊前市長には市長会から連絡が行っており事態を把握していると推定しますが、1市3町を事例としつつも築上町の新川久三町長には、まったく報告ができていません。 携帯番号を知らなかったから、祝日に連絡をつけることができなかったからです。まったく知らぬ中で、記事だけ出る(築上の名前は出ずとも)のは失礼です。
(平均よりも多い自治体は良いでしょうが、そうではないところには情報共有をしておかないとトップが知らないというのは恥をかかせてしまいます。)
(本来は中間報告を入れつつ動くのが筋です。)
ある程度の目処がついたのは夕刻。
紙面化がほぼ確定の報告を坪根町長にしたところ 「何かして欲しいことはあるか」と言われたので、ワガママを言いました。
上毛町長から築上町長にアポをとってもらったのが18時半頃。当然、庁舎にはおりません。 【いまから行きますから】と押し切ってくれて、新川町長の自宅についたのは19時過ぎでした。
私は、隣接する自治体とはいえ、ただの市議の身分に過ぎないのでありますが、夜中に自宅まで押しかけてお時間を頂きました。まずもって感謝いたします。
報告が遅れたこと、仁義をきってなかったことをお詫びし、現在持ちうる情報を報告しました。
新川町長からは、そこまで君らが粘ったとはと深くお礼を言われ、玄関まで見送ってくれました。
新川町長の携帯番号をゲットした。 今度、町長室も遊びに行っていいって。 やったZE☆
他、各地の地方議会の正副議長級が奔走し、全国の都道府県の配布状況をボトムから逆ハック。 凄い人数が、数日、寝ていない。
一部ではありますが、僭越ながら陣頭指揮をとらせて頂いたことを誇りに思います。 私に賭けてくれたこと、地方行政の矜持を示せたこと、感謝します。
残48時間からスタートし、実際に大臣までつながったこと。 「君だったら間に合うかもしれない、名前は貸すから行きなさい!」って言ってくれたのは嬉しかった。
共に戦ってくれたこと、駆け抜けてくれたこと、 読者の皆様の拡散支援も含め、深く感謝いたします。
ワクチン配布 国、明言ここのニュースは大きく触れる必要はないでしょう。
河野大臣から、PF06、PF07、PF08が示されました。
現在の配布は、PF01~05まで。 PF01~04は少量でトライアルなどに用いられたものです。
本Blogで取り上げた「偏在」は、PF05になります。 ここが高齢者用の大規模納入の開始。
私たちは、PF06において不足自治体との調整、および広域対応をしている自治体の調整を要望する構えでありました。これは都道府県で決定されるものと考えていました。
しかし、PF06~PF08までを国が策定、配布計画として「国が決定」したのです。 昨晩のニュースの中身であります。
実はもうその資料も持っておるのですが、かなりの部分の偏在は解消できるものと期待しています。 最初から国が強権発動できるのであれば、そうしたほうが良かったのかな、とも。
ただ弊害もありまして、都道府県単位で「ここ!」という個所付けができなくなったという課題も残ります。 一気にPF06~PF08まで決めてしまうと、感染爆発などが生じた場合の対応ができません。
とは言え、都道府県単位に(総務省から)取りまとめさせ、基礎自治体に申請させる方式は実際に事故を起こしています。これは大事故と言っていい。
ならば国が早期に乗り出すのも理解はできますし、万が一の大幅不足(地域単位での感染激増)の場合は、何がしかの対処を講じて行けばよい。 どこもかしこも「少しでもワクチンを」となっている以上、それぞれが利害関係者みたいな状況ですから、協議をまとめろというのは無理だったのかもしれません。
下手に余地を残さず、一気に06~08を発表してしまうのは正解かもしれません。
私は、「市」の議員でありますが、他府県の地方議員には申し訳ない思いもあり、ここまでの供給の謎配分は恐らく福岡だけのようです。まだ全県データは見ておりませんが、実は福岡県行政のみが起こした事故という可能性が否定できず、スタートした時点では全貌が見えませんでしたので(また今も把握できていない)ごめんなさい。
公平に、かつ迅速に対応できていた都道府県からすれば、一気にPF08まで固定されてしまったことには弊害もあるかもしれません。
しかし、「いつ、どれだけ入る」という数を、具体的に国が示したことで 「この接種体制で、どこに何人の人員配置」という、純粋な接種体制の構築に集中していけることでしょう。
その計画が立案できるようになったことは、私はやはり喜ぶべきことだと考えております。
スペシャルサンクス 中野区の吉田康一郎議員からは「プリンと羊羹があったら、プリンから先に食べるものだ。物事には優先順位がある。君はいまワクチン偏在問題に特化すべきだ!」という、一瞬、意味が分からない例え話で激励しれくれました。ヘトヘトに疲れていて頭が回っていなくて愚痴ったときです。
私はわけも分からず「プリンも食べたい、羊羹も食べる」と答えたら、「いやプリンのほうが早く痛むから」と言われたので「今度、買ってくれるなら、もう少し頑張る」と答えました。今度、羊羹もプリンも食べさせてくれると信じております。
国希研の同志議員へ。 数日、不在にして申し訳ありません。職権代行を受けてくださった笠間議員に感謝します。
併せて、ウイグルを応援する全国地方議員の会においては幹事長の職を頂いているにも関わらず、他執行部メンバー、代表理事・議員会員の皆様にご迷惑をおかけしました。
もう一両日中には戦線復帰いたします。
↓ウイグル問題の啓発支援にご協力頂ける方は、下記もお願いいたします。↓
ウイグル応援グッズ
保守基金ウイグル応援グッズ | 保守基金https://hosyukikin.jp/category/item/itemgenre/org/uyghur/<strong>ウイグル証言集会</strong><strong> </strong>「ウイグルを応援する全国地方議員の会」が主催し、日本ウイグル協会の共催で実施しています。実際に迫害にあっている方に登壇して頂き、地方議員が同席のもと被害実態を訴えてきまし...
一部ではありますが、僭越ながら陣頭指揮をとらせて頂いたことを誇りに思います。
私に賭けてくれたこと、感謝いたします。
残48時間からスタートし、実際に大臣までつながったこと。
中一日は祝日、分の悪い戦いだった。
「乗った」という声、
「君だったら間に合うかもしれない、名前は貸すから行きなさい!」って言ってくれたこと、
共に地方行政の矜持を示せたこと、戦ってくれたこと、駆け抜けてくれたこと、感謝します。
読者の皆様の拡散支援も含め、深く感謝いたします。
さて、残りの残務を片付けよう。
よう頑張ったという方は、FBのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
※ 恐らく表示される人数が極少数になると思うので、とりあえず「見えた」人はイイネをお願いします。一定数がないと、タイムラインにあがらないと思う。私のアカウントの場合は特に。
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JR九州など3社が販売したマンション「ベルヴィ香椎六番館(福岡市東区)」は、施工不良を理由に築25年で丸ごと建て替えられたことで大きな話題を呼んだ。同時に、不動産業界には激震が走った。住民と管理組合の執念が、施工会社や販売会社の「逃げ得」を許さなかったからである。同物件は1995年に竣工、引き渡しが行われた分譲マンションだが、2年も経たないうちに、外壁のひび割れや玄関扉の枠のゆがみなどが発生した。1997年10月、管理組合として販売側へ問題提起したものの、施工会社と販売会社は構造物の瑕疵を否定した。 管理組合はその後も不具合を訴え続け、マンションの傾斜を問題視したのが2016年だ。建物の傾斜により最大10.1cmの高低差が生じ、部屋の壁と天井には「隙間」があった。夜、明かりを消すと隣から光が漏れてきたという。2020年4月、日本建築検査研究所(東京都渋谷区)の調査により建物を支える基礎杭が支持層に届いていないことが判明し、当初施工不良を認めなかった販売3社は同年7月、社長が謝罪した。販売3社は「杭の補修」「建て替え」「販売価格での買い取り」の3案を管理組合に提示した。管理組合は同年11月の臨時総会で全面建て替えを決め、21年4月から建て替え工事が始まった。そして、ついに今年5月、工事と引き渡しが終わった。 自治体は精緻な地盤調査をしてくれない そもそも、このような欠陥マンションが建設された原因は何なのか。姫屋不動産コンサルティング代表の姫野秀喜氏はこう話す。 「このベルヴィというマンションは8棟で構成されているので、どうして六番館だけミスしたのか、かなり不思議な気がする。例えば、現場調査する人が、単純に納期���迫っていて適当に計算したとか、机上で計算したとか、そういう人為的ミスだったのか。だから、本当に人災なのだろう。しかし、めったに起きるものではない」 一般消費者はJR九州のような大手企業が販売元だと安心して購入しがちだ。とくに地方では、JRや電力会社のブランドへの信用は高い。この福岡の件は、基礎杭が支持層に届いていないことによる傾きが原因で、さまざまな不具合が表面化したわけだが、大手の物件でも、このレベルの欠陥マンションは、よくあることなのか。 「まず、大手だから安心とはいえないことは確か。不動産は一つひとつ、すべて別ものだ。地盤もそう。地盤に関して今は科学的にかなり正確に調査できる。自治体によっては精緻な地盤調査を行い、住民に地盤についての情報を開示してくれるところもある。ただ、多くの自治体では、あえてそういう地盤調査は行わない。というのも。一つは高額な費用がかかるということ。もう一つは、地盤調査をやって、ある部分だけ地盤が緩いというようなことが何か判明すると、その部分の地価の下落を招く恐れがあるからだろう」(姫野氏) しかし、この福岡の事例は、紆余曲折はあったにせよ、結果的に大手だから建て替えができたともいえる。 「施工・販売が大手だから、数十年後でも会社が存続していて責任を取れる体力があった。だから、建て替えもできた。そういう意味では、大手のほうが安心というのは、本当にその通りだ。地方の建設・不動産会社は中小も多く、タイミング次第で資金繰りがうまくいかなければ倒産してしまう。30年後に存在していない会社だってあるので、何か瑕疵が見つかったときに、施主は訴える先がないということが起こり得る。振り上げた拳の持って行きどころがなくなる。そういう意味で、JR九州が入っていたのは良かったのではないか」(姫野氏) 瑕疵を認めさせることと管理組合での意見調整 建て替えまでにはいくつか大きなハードルがあった。まずJR九州などの施工・販売会社に瑕疵を認めさせること、そして、管理組合のなかで建て替えの承認を得ることだった。一般的に、分譲マンションは区分所有者の意見調整が難しい。瑕疵を認めさせる決め手となったのは日本建築検査研究所の調査レポートだが、そうしたボーリング調査費用にも数百万円がかかる。大規模改修の積立金から支出することになるが、もし結果が出なかったときは無駄になるかもしれないからだ。 建て替えの決定をする際も、実は傾いた六番館の住民の賛成5分の4だけでなく、他の棟を含めたマンション全体で4分の3の承認も必要だったという。他の棟の住民が「うちには関係ない」と考えたとしても不思議ではない。 3つ目のハードルとして時効の問題もあった。欠陥に対する損害賠償請求には期限がある。不法行為に基づく損害賠償請求権には除斥期間があり、20年と定められている。つまり、20年経つと損賠請求できなくなってしまうのだ。さらに住宅の瑕疵については、瑕疵担保責任を追及することができるが、責任の存続期間は、鉄筋コンクリートの建物では引き渡しから10年だ。販売元が長年にわたって、頑なに瑕疵を認めなかった理由はここにある。引き渡しから一定期間が過ぎれば法的には責任追及されないのだ。 相手の姑息な口車には乗らないこと もし、分譲マンションを購入して、不��にも欠陥が多い物件だった場合、どのようなアクションを取るべきなのか。姫野氏はこうアドバイスする。 「戸建てもマンションでも、基本的に新築物件には契約不適合責任(瑕疵担保責任)が適用される。施工業者や販売業者に対して、不具合や欠陥を指摘して無料で補修や修理を要求する権利がある。ただ、たいていの場合は引き渡しから2年という期限があるので、2年以内に要求することが一番重要だ」 もし、相手側が瑕疵を認めなくても、期間内であれば、弁護士に相談するというのも手段の一つだ。 「業者は最初に小手先のことをやろうとする。例えば、ドアが歪んでいるとなればドアを交換するとか。しかし、小手先の修理で直らないことがわかれば、2年以内にしっかりと何回もチェックすべき。土台が傾いているとか根本的な原因の可能性もある。戸建ての場合、建物全体が均等に沈むのではなく、キッチンの左端だけちょっと床が傾いているみたいな例が多いので、土台の傾きはパッと見てわかりにくい。そして、瑕疵担保といいながらも、住めないほどではないので、建て替えではなく補修になる」(姫野氏) この福岡の事例では、販売側はのらりくらりと瑕疵を認めず、さらには「お見舞金」として300万円を渡そうとしてきた。口封じ目的の裏金ということか。しかし、住民たちはこのお金を突き返した。 「昔、友人宅の近隣で工事があったとき、ドシンドシンとすごい振動を日々受けたせいで、その周辺の家の外壁にちょっとひび割れが起きた。地盤を叩いたせいで、全体的に少し地盤が動いたのではないかというような壊れ方だった。友人らは補修費用として、ペンキ代程度のお見舞い金を受け取ってしまった。ケースバイケースだが、相手がお金を払ってきたら注意すべきだ。ごまかそうとしているのではないかと疑ったほうがよい」(姫野氏)
傾斜マンション、JR九州など販売元は20年間、施工不良を否定→全面建て替え | ビジネスジャーナル
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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅳ
マーク・ラムザイヤーの論文は、間違いが異常に多い。読んでいて、いちいちひっかかる。それを逐一指摘していたら、一向に前に進まない。漫才でたとえるなら、次々とボケを連発するため、その都度ツッコミを入れなければならない。これではまるで、すべてを言い間違え、それに訂正を入れるナイツの漫才ではないか(当然、ラムザイヤーが塙、私が土屋である)。
当連載では、昨年に発表された『On the Invention of Identity Polotics : The Buraku Outcast in Japan』の結論を読みながら、本文に分け入り、その内容を検証することにしている。論文は部落の起源から始まり、近代の共同体の特徴、反差別運動の勃興、補助金の略奪、同和対策事業を経た現在の部落の実態へと続く。
これまで部落の起源と近代のムラの特徴を見てきたが、まだ論文の三分の一ほどを消化したに過ぎない。数回で連載を終えるつもりだったのだが、けっこうもたついている。引用文を検証していたら、あまりにも齟齬が多く、看過できなくなったのである。「もうええわ!」とツッコミを入れずに、最後までお付き合い願いたい。
※ ※ ※
1922年(大正11)に全国水平社が結成されるまでに、ラムザイヤーはどうしても触れたい項目があった。米騒動である。ここでも全国の部落民は、目立った行動を見せているという。
<1918年、多くの府県にまたがる部落民は、暴力的な犯罪で耳目を集める。米価は1年で3倍になり、暴力的な群集の先頭には部落民がいた。もしそれ以前に、誰かが部落民と犯罪を結びつけていなかったとしても、1918年に新聞はそれを報じた>
米騒動は、同年7月~9月、米価の暴騰のため、生活難にあえいでいた大衆が、米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件である。富山県から始まり、全国に波及した。労働者・農民を主力とする未曾有の大民衆暴動に発展し、軍隊が鎮圧に出動し、寺内正毅内閣が倒れた(広辞苑)。
ラムザイヤーは、官憲側の資料を使い、解説している。
<検察側は8200人を取調べ、4200人が有罪判決を受けた。不法侵入と放火が猛威を振るい、場合によっては死者が出たにもかかわらず、裁判官は比較的寛大な刑罰を与えた。死刑判決はなく、3件の無期懲役があっただけだった>
確かに、後に検事によってめとめられた『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局、1939年)には、そう書いてある。だが、後世の研究では、<第一審では死刑二名、無期懲役一二名、一〇年以上の有期刑五九名>を数えている(『日本史大事典』平凡社、1993年)。少なくとも死刑は確定しているので、平仄に合わない。なぜ、わざわざ80年前の当局の資料だけから引用するのだろうか。
体制側の資料を重宝するラムザイヤーの本領は、ここから発揮される。
<暴徒は商店や倉庫、富豪から略奪し、焼き討ちした。暴動を主導したのは部落民だった。当時のジャーナリストや警察は、部落民をそう位置づけ、現代の研究者たちはその役割を追認している(Takayama 2005,p.66-69)。警察は大阪だけで9300人以上の部落民が米騒動に参加していると報告した。京都、大阪、兵庫、そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した(Mitani 1985,p.82)。当時のジャーナリストや警察は、暴徒の中で部落民が最も暴力的であると位置づけた>
米騒動で検事処分を受けた8000人余りのうち、部落出身者はその1割を超える900人弱にのぼる。前掲の『日本史大事典』には、<とくに被差別部落民はねらいうちに検挙され、総人口の二㌫を占めるにすぎない部落民が検事処分者の一〇㌫を超えるという差別裁判を受けた。大審院で死刑を宣告された二名も部落民であった>と記載されている。
”ねらいうち”にされたのか、それともそもそも”暴力的”だったのか? 見る者の視点が問われよう。ラムザイヤーの論文には、部落民が暴力的であった背景については、述べられていない。ただ、それが言いたかっただけなのだろう。
※ ※ ※
ラムザイヤーが断罪するように、果たして当時のジャーナリストや警察は、<暴徒の中で部落民が最も暴力的>だと位置づけたのだろうか?
少なくない部落大衆が、米騒動に参加したのは事実である。当時の内政・治安担当者には、部落民���導説を唱える者がいた。『中央新聞』は「某内務当局談」として、以下の談話を伝えている。『米騒動と被差別部落』(雄山閣、1988年)所収の藤野豊による「米騒動における被差別部落主導論の成立」から引用する。
<最初に起つた富山県の暴動は特種部落民には関係なきも京都、大阪、神戸及び岡山、三重県等に於ける暴動は何れも特殊部落民にて其他の群集は単に是等特殊部落民に雷同したるに過ぎざるが如くである・・・彼等は常に一般の人民より穢多として軽蔑さるヽを憤慨して居れば偶今回の米価暴騰を機として平常の鬱憤勃発して斯かる暴動をやつたのであらうと思はれる>
部落民が中心であったとし、その背景についても述べている。
部落民主導説を唱える者もいれば、それに否定的な官僚や治安担当者もいた。たとえば内務省の天野藤男は、和歌山・熊本・京都・埼玉などで、部落の青年が米騒動の防止に活躍したことを挙げ、部落民が参加したケースでも「普通都会にある良民が不穏な行動をしたのと何の異なる��はない」と喝破している(前掲の藤野論文)。
暴動が起こる際、それなりの社会的背景があるのは、洋の東西、過去現在を問わない。現在よりはるかに差別が厳しかった時代に、仮に部落民が暴動を主導したとして、それに部落外の人々が従っただろうか。
要は京都市内のように、地域によっては部落民が大きな役割を果たしたところもあるが、全国的に見て、一概にそうは言えないということであろう。
ところがこれまでの研究をまったく無視するかのように、ラムザイヤーは<暴動を主導したのは部落民>と断じ、<現代の研究者たちはその役割を追認している>と書いている。
引用した論文中の” Takayama 2005,p.66-69”は、ラムザイヤーが参照すべき資料として挙げた、高山文彦著の『水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年』(新潮社、2005年)である。ページ数は、米騒動と部落民について叙述されている箇所だ。
ノンフィクション作家の高山は、同書で<米騒動に多数参加したのは、もっとも貧しい生活を強いられた部落民であった>と述べたうえで、ふたりの部落民の死刑判決に関し、次のように書いている。
<これは見せしめのためにおこなわれた判決としか考えようがない。というのも、米騒動に加わった部落民は、これまで露骨な差別を自分たちにおこなってきた豪農や米屋を、焼き討ちや打ち込みといったはげしいやり方で襲撃した。同じ部落内のボス層を襲った者もいる。しかし、なにも部落民だけがそのようなことをしたのではなく、一般農村の小作人が積年の恨みを晴らそうと地主を襲ったり、高利貸しを兼ねる遊郭を焼き討ちしたりしている。部落出身の侠客も、それに加わった。
そうした人びとのエネルギーが、社会主義者と結びついて反体制運動へと盛り上がらぬよう、民衆を分断し騒動の鎮静化をはかろうとの目的で部落民を騒動の首謀者に仕立て、見せしめにたたいておけという判断が政府内にあったものと思われる>
明確に、部落民主導説を否定している。原文の文意を無視し、自論の援軍とするのは、ラムザイヤーの常套手段である。
※ ※ ※
高山は、権力側の部落民主導論に追随したマスコミも批判している。
<たまりにたまった鬱憤を部落民が晴らそうとして暴動にいたったという政府筋の観測は、ほとんど確信といってよい角度でジャーナリズムにも伝搬した。たとえば『やまと新聞』(八月二十五日)は「京都、神戸、大阪、名古屋等に於ける特種部落人の暴行は、最も凶悪残忍にして、掠奪強姦に及べるもあり、蓋し三百年来彼等が社会的に圧迫されし深刻なる復讐心の手伝えるなるべきも、凶険の度の甚だしきは、彼等特性の然らしむ所に外ならざるべし」と書き、『中外商業日報』(八月二十六日)は「(部落の)住民の中には、生活上の余裕無く、称して細民と云うべきもの亦甚だ多し。殊に牛馬等の屠殺を業とする者少からず。其生活状態の細民にして、屠殺を業とする者は、自然其性質は粗暴に動(やや)もすれば残忍に陥るの弊あり」として、部落民の職業や生活ぶりが彼らに凶暴な性質をあたえ、それによって暴動が引き起こされたのだと断定的にしるした。
こうした論説はジャーナリズムのあるべき姿から程遠く、冷静な分析や取材の労を欠いた差別意識まるだしの悪質な宣伝にすぎなかった。雑誌ジャーナリズムも同じ論調をとり、いかにも米騒動の首謀者は部落民であるかのような記事を連発した>
ここでも部落民主導説を否定し、差別意識に沿ったマスコミを批難している。<現代の研究者たちはその役割を追認している >などとよく書けたものだ。ラムザイヤーこそ、暴徒と呼ぶべきであろう。
※ ※ ※
<京都、大阪、兵庫そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した>というラムザイヤーの記述(引用)についても、疑義を呈しておく。
高山の『水平記』と同様に、引用資料として挙げているのは『火の鎖』(三谷秀治、草土文化、1885年)である。同書は、大阪の水平運動の活動家・和島為太郎を描いた小説だ。
該当するページには、<米騒動による検挙者は・・・そのほぼ一割が部落の住民だった。部落の多い京都、大阪、兵庫、奈良などは、三割から四割にのぼった>とある。著者の三谷は”三割から四割”という数字の典拠を記していない。それに三、四割は、検挙された部落民であって、参加者ではない。
ラムザイヤーは、こういった手口をよく使う。賀川豊彦が自著『貧民心理の研究』(警醒社、1920年)の中で、和歌山県の部落民の犯罪は部落外の3倍にのぼると書いている、と引用したが、賀川が引いた原典は書かれていない。賀川がそう書いている、というだけである。これでは、〇〇がそう言っていた、という噂話に等しい。まともな研究者の論文とは、とうてい言えない(そもそも賀川がまともだったのか、という疑問はぬぐえないのだが)。
ちなみに『火の鎖』の著者の三谷は、共産党公認の大阪府議、衆議院議員を長らく務めた。同書では、米騒動において社会改革を求めて闘った部落民を<組織的で機動性に富>み<痛苦の深さと連帯意識の強さを示していた>と褒め称えている。そのエールが、”三割から四割”という根拠なき数字へと押し上げたのだろう。
この数字は、ウィキペディアの「米騒動」の項目にも引用されている(ただし参加者ではなく、刑事処分者)。ハーバード大学教授はそれを見て、誤って引き写したのかもしれない。
※ ※ ※
ラムザイヤーは、米騒動における部落民の横暴を前掲の資料『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局)を読み込んだうえで、次のようにまとめている。
<基本的に米騒動は抗議ではなく、略奪と強奪が目的だった。暴徒は米の仲買人や商家、富豪をしばしば標的にした。彼らは現金の引き出しや米価の値引きを求め、それに応じない場合は放火をほのめかして脅した。もし攻撃目標が、躊躇もしくは固辞した場合、家中から強奪し、家屋に油をかけて火を放った。観察者がいうところの ” 窃盗団 ” の一味である女子供たちは、暴徒に付き従い、貴重品を持ち去り、暴徒が夜に焼き討ちした翌早朝には、焼け残った貴重品を持ち帰った>
この文章で、ラムザイヤーが引用・参照したのは、前掲資料で計5点(5カ所)。うち騒動の主体が部落民ではないのが3カ所もある。部落に該当するふたつのうちひとつは、<特殊部落民多数を混じたる暴徒>で、部落外も含まれる。
該当する、もうひとつ<神戸市騒擾に対し特殊部落民の参加したる状況>には、以下の記述がある。読みやすいよう句読点を付した。
<元来彼等の特性は、事変に乗じ、窃盗又は恐喝を為すに長ずるも、騒擾の主動者たるか如きは敢て為さゞるが如し。特殊民中或は仲仕と為り、又は鍛冶職工と為りて普通民と相伍する者は、騒擾に当りても亦夫等の者と行動を共にせる者無きに非ず。然れども是極めて少数にして騒擾の為、警察の力及ばざるに乗じ、不正を働きたる者最も多数とす>
部落民は騒擾の主導者とは言えない、部落民で参加した者はきわめて少数と明記している。ラムザイヤーの自論である部落民主導説と、参照した文献の内容が、まったく逆ではないか。
ラムザイヤーは、論文の米騒動の項目を次の文章でしめくくっている。
<暴徒の放火や略奪などの暴力は、全国にまたがった。時には火災現場に到着した消防士が襲われた。福井県では市長と警察署長の家宅が破壊され、警察署は焼き討ちされた。神戸では27ヶ所の鈴木商店の建物が放火された。福岡では暴徒はダイナマイトを投げ、銃で出動した軍隊を蹴散らした。最も大規模な暴動は大阪府で起こった。暴徒はときどき金庫を強奪して2万円を奪取し、建物に火をつけた>
もうおわかりであろう。インパクトがある事件を並べ立ててはいるものの、記述のほとんどが部落とは関係がない。そもそもダイナマイト云々は軍部のデマだし、2万円強奪は私が調べた限りでは、1200円だった。
そうしたいい加減な情報もさることながら、米騒動と部落民をテーマにした項目で、部落民以外の事件を取り上げるのは、倫理的にも学術的にも問題である。
ラムザイヤーは、なにか部落に恨みでもあるのだろうか。いちど本人に、直接といただしてみたい。<2020・6・29>
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[翻訳] ブラック・ライヴズ・マター運動から考えるインドのマイノリティ問題(1)
ブラック・ライヴズ・マター運動から見たインド
――インドも構造的差別や警察の暴力という深刻な問題に早急に対処する必要があることは明らか
2020年6月9日
ディヴヤ・チェリヤン(プリンストン大学歴史学部助教)
アメリカが揺れている。
建国の理想「生命、自由及び幸福追求」の選択的適用がまたぞろ前面に現れた。警察による非武装の黒人市民の殺害と、コロナウイルスが黒人コミュニティに与えた不釣り合いなインパクトは、アメリカが黒人の命を軽視し、そのくせ黒人の身体からは労働力を搾取していることを浮き彫りにしている。
インドとの共通点がある。それは、既に抑圧されている人々とその支援者を悪意をもって叩きのめす警察、憲法と法律に基づく権利を尊重しない警察、そして、少数派や反対勢力に敵対的な国家指導者である。
どちらの社会においても、これらの不正義は歴史に深く根づいている。アメリカの建国の理想はアフリカ人奴隷やその子孫には及ばなかった。彼らは1861年の南北戦争勃発までに約400万人を数え、無給労働でアメリカの繁栄に貢献したにもかかわらずである。
公的な差別は数十年前に終わったが、黒人のアメリカ人は他の人々よりも大きな経済的・社会的障壁に直面しつづけている。ダリット〔旧不可触民〕、アーディヴァーシー〔先住部族民〕、ムスリムに対するインドの構造的差別、極度の経済的不平等、そして、既にカースト・階級秩序の被害者である人々に対する警察の暴力的でしばしば違法な弾圧を考えると、アメリカでの抗議行動はインドを悩ませている多くの問題にも通じる。
アメリカの抗議活動という鏡の中のインドを見れば、インドも構造的差別と警察の暴力という深刻な問題に早急に取り組む必要があることが明らかになる。また、インドがそのような変化のための戦いからはほど遠いことも明らかになる。
背景
ジョージ・フロイド殺害は最後の引き金を引いた。
近年、携帯電話カメラの普及により、警察による黒人男女殺人事件を記録することが可能になった。これらの記録により、非武装の黒人男女がジョギングや運転、自宅にいたなどの「犯罪」のために、どのように銃で撃たれたり、首を絞められたりしていたかが明らかになっている。それらは警察が事件についての公式見解でいかに露骨な嘘をつくことができるかも明らかにした。
黒人コミュニティでは数十年前から警察の手によるこの不当で違法な黒人の死のパターンが認識されていたが、これらの携帯電話記録によってアメリカの他の人々も見て見ぬ振りをすることが難しくなっていった。2014年に黒人少年マイケル・ブラウンが警察に殺害されて以来、怒りは繰り返し街頭での抗議行動に発展し、時には暴力を伴った。まさにその怒りこそが、警察官のボディカメラ義務化から人種偏見トレーニングの導入まで、全米の当局に改革への努力を促してきたのである。
一方、コロナウイルスは有色人種コミュニティに非常に大きな被害を与えている。黒人はコロナウイルスに感染し、またそれによって死亡する率が不釣り合いに高い。また、黒人は低賃金ではあるが必要不可欠な仕事に就いている割合がはるかに高く、裕福な人々が自宅で仕事ができるようにするため毎日命を危険に晒している。
コロナウイルスはまた、給料ぎりぎりで生活している何百万人もの人々の失業により、大規模な経済的苦痛をもたらした。多くの人が家族を養ったり、家賃や住宅ローンの支払いをしたりするのに苦労している。政府の緊急財政支援プログラムが助けになっているが、何百万人もの人々が依然として極度の財政難と不確実性に直面している。
しかし、最近の事件は、警察が黒人をどう扱うかについて重要な点ではほとんど変わっていないことを浮き立たせた。
2月には、ジョージア州の小さな町にある白人が多い地区をジョギングしていた黒人男性アーモード・アーバリーが白人父子2人組に追い回されて射殺された。
3月には、ケンタッキー州ルイヴィルの警察が、自宅にいた黒人女性ブレオナ・テイラーを別人の捜索中に殺害した。
5月のフロイド殺害事件の数日前には、白人女性エイミー・クーパーが黒人男性について警察に虚偽の告訴をしている様子を伝えるニューヨーク市発の動画が表に出た。この女性は公園の一角の管理規則に従って犬をつなぐように言った男性に仕返ししようとしたのである。クーパーが自分の個人的な復讐の道具として手軽に警察の暴力を呼び込もうとしたことは、広範な怒りと非難を呼び起こした。
「警察予算を打ち切れ」
しかし、今アメリカは岐路にあるように思われる。
黒人コミュニティと、より公正な社会を求める人々は、法執行機関の手で黒人の男女が殺害されつづけることにうんざりしている。今まさに抗議活動から生じている最も緊急の要求は警察予算の打ち切りである。
現下の定式化においては、これは警察予算と警察活動を大幅に削減せよという要求である。それは、犯罪の根本的な原因に対処し、また、可能なかぎり多くの状況について、信頼関係によって状況を鎮めることができるコミュニティ組織を通じて対応せよという叫びである。
それは、これらのより全体的なアプローチを支える方向に可能な限り大きな額を振り向けよという要求である。
改革に向けた努力にもかかわらず警察の手による黒人の死が続いていることに鑑みて、活動家たちは警官隊の監視や再訓練のような措置が黒人に対する警察の差別と暴力を防ぐのに役立っていないと主張している。抗議者の一部は今、アメリカと警察との関係を再考するよう要求している。
彼らの指摘によれば、過去数十年の間にアメリカでは社会問題が治安問題として捉えられるようになった。ホームレスのような問題を処理するために警察が派遣されている。社会経済的な根をもつさまざまな問題が犯罪としてのみ扱われ、その犯罪の背景にあるかもしれない貧困、薬物乱用、精神衛生上の問題を緩和するために注意が払われたり投資がな��れたりすることはほとんど、あるいはまったくない。
このような警察への過度の依存と、警察の権限と業務の範囲の拡大が事態をここまで悪化させた大きな要因である。
それに加え、アメリカが海外で戦っている戦争が本国に持ち帰られてきている。アメリカの都市警察は装甲車やさまざまな重火器に投資し、ますます軍事化している。SWAT(特殊武装・戦術)チームはますます軍の強襲部隊のようになっている。アメリカは今、自国社会の一部に対して、戦線の向こうの「敵」にするのと同じように接している。
以上は、その多くが人種的マイノリティである都市部貧困層が「他者化」されていることを示唆している。
最後に、評論家らが指摘しているように、ますます不平等になる社会の中で、アメリカの政治指導者のアプローチは緊縮財政に傾いている。民主・共和両党いずれのエスタブリッシュメントも、アメリカには福祉的な解決策をとる余裕がないと主張している。それにもかかわらず、警察予算は富裕層の銀行口座や企業の利益率と同じく膨張しているのだ。
抗議活動自体は平和的ながら活気のある集会から、公共や私有の財産を標的にした暴力的なものまで多岐にわたっている。大都市だけでなく、小さな町でも抗議集会が行われてきた。
暴力に発展した一部がニュースの見出しを飾ったとはいえ、ほとんどの抗議行動は平和的であった。アメリカ全土の抗議集会に共通しているのは参加者の多様性である。人種や年齢を超えた人々が、パンデミックの真っ只中で、黒人に対する非常に不平等で人種差別的な暴力に立ち向かうため、大きな個人的リスクを冒して外に出てきたのだ。
コンセンサスが形成されたことで、数日のうちに警察予算の打ち切り要求が主流となった。ロサンゼルス市当局は、警察予算を最大1億5000万ドル削減することを検討している。フロイドが殺害され、抗議行動が始まったミネアポリスの市議会は、市警を解体し、コミュニティ主導の安全という代替モデルを模索することを決議した。
南アジア系(Desi)の少年少女
この激動の中で、インド系アメリカ人はさまざまな役割を果たしてきた。多くの人が自ら人種差別に苦しんできた経験を持ち、反人種主義的な動機に共感を示している。
ワシントンDCのラーフル・ドゥベーのように、抗議者を支援するために、それ以上のことをしてきた人もいる。より広く南アジア系アメリカ人コミュニティの中には、個人的に大きな犠牲を払ってでもブラック・ライヴズ・マター運動を支持している人もいる。バングラデシュ系アメリカ人のある家族は、経営するミネアポリスのレストランが抗議活動中に全焼したにもかかわらず、運動を断固として支持したことでニュースになった。多くのインド系アメリカ人、特に若い人たちが抗議行動に参加し、行進し、プラカードを持ち、コールを唱和している。
そのほかに、ドナルド・トランプの忠実な支持者であり、アメリカの右派とイスラム恐怖症で手を結んでいるインド系アメリカ人の少数派もいる。
南アジア系アメリカ人の多くは、トランプ支持者であろうとなかろうと反黒人的であり、その世界観は彼らが米国に一緒に持ち込んだカーストや肌色差別に一部由来するものである。このコミュニティの多くの人は、たとえドナルド・トランプを軽蔑し、人種的正義を擁護していたとしても、自分の子供が黒人と結婚するとなったら大いに動揺するだろう。
多くの南アジア系リベラル派の人々は、本国インドでのムスリムやダリットに対する迫害の高まりに目をつぶっており、家族やコミュニティの中で横行しているイスラム恐怖症やカースト主義的な態度にもあえて異議を唱えない。このグループは、アメリカにおける平等と正義を熱烈に支持する一方で、インドおよびインド人ディアスポラ内部における差別に無関心、あるいは差別を支持さえしているということに皮肉を感じていない。
悲しむべきことに、ほとんどの南アジア人は、彼らが19世紀後半に初めてアメリカに移住したとき、彼らを庇護し、友情や結婚による結びつきの中に入れてくれたのは黒人やヒスパニック系の隣人たちであったことを忘れてしまっている。黒人の公民権闘争の成功は、1965年まで南アジア人も排除していた人種差別政策を打ち倒す役割を果たしたのである。
それ以降、インド系アメリカ人がアメリカで生活や事業の基盤を築いていく中で、アジア人はアメリカで成功するために必要な「正しい」労働倫理と家族の絆を授けられているとする「模範的マイノリティ」神話を多くの人が信じ込んでしまった。
多くのインド人は、このようなステレオタイプと結びつけられていることに何の問題もないと考えている。しかし、すべてのステレオタイプと同様に、アジア人=模範的マイノリティという考え方は、アメリカにおけるインド人の歴史的経験の多様性を消し去ってしまう。また、もしも黒人が十分勤勉に働き、「正しい」価値観をもっていれば、自分たちが置かれている社会経済的条件に苦しむことはないだろうと示唆することで、反黒人的立場を正当化する働きもしている。
模範的マイノリティという枠組みを受け入れることで、アメリカにおける黒人の苦しみの根本原因である構造的・人種的な非対称性を却下することができる。南アジア系アメリカ人コミュニティの進歩的な人々は、模範的マイノリティ・パラダイムを拒否し、インド人ディアスポラに対して黒人の兄弟姉妹とともに立ち上がって意味のある変化を要求するよう訴えている。
インドと黒人の命
マイノリティに対する警察の暴力の問題は、インドの状況と共鳴している。インド警察は「交戦殺害(encounter killing)」〔被疑者の抵抗を受けた警察側の正当防衛を建前とする超法規的殺害〕などの手法を用いており、その標的は主にムスリムや低カーストの男性である。インドでは警察拘禁下の死亡や拷問がはびこっている。
コロナウイルスは警察の暴力を激化させたとしか思えない。インドの警察官が、自分たちの村まで徒歩で困難な旅をしている貧しい、しばしば飢えた出稼ぎ労働者たちを容赦なく殴りつけたという報告が多数ある。
警察は多様性の欠如が顕著で、留保枠があるにもかかわらず、指定カースト・指定部族からの採用は立ち遅れている。これは、留保された職位の多くが空席のままで許されているためである。インドの警察ではムスリムも十分代表されていない。
したがって、インドの警察官の間に反ムスリムの偏見やカースト主義的な態度がはびこっていることが研究で明らかになっているのは驚くべきことではないだろう。現場の警察はムスリムやダリット、あるいはより公正な社会を求めて抗議する人々を鎮圧すべきものと認識し、党派的な態度をとることがある。
アメリカにおける抗議運動は、インドが自国の警察問題について真剣に話し合うときが来たことを痛感させる。
アメリカに住むインド人として私が強い印象を受けたのは、今この瞬間との共通点だけでなく相違点にでもある。インドでは、米国と同様に、携帯電話の普及により不当な死や暴力を記録することが可能になった。
しかし、インドでは通常、関係者や無力な傍観者はこうした記録をしない。むしろ動画は一般的に、血塗られたスポーツのトロフィーとして記念し、回覧しようとする楽しげな参加者によって記録されている。
牛を傷つけたとされたためであったり、あるいは「ジャイ・シュリー・ラーム〔ラーマ様万歳〕」と唱えるように迫られながら行われたりするダリットやムスリムのリンチはありふれたことになっている。しかし、その種の事件の最初、2015年にダードリー〔ウッタル・プラデーシュ州〕でムハンマド・アクラークが群衆にリンチされたときでさえ、広範な怒りを呼び起こすことはなかった。
カシミール地方や北東部でのインド軍による人権侵害については、たとえ記録があったとしても、一般的にインドの主流派の評論家たちは非難しない。インドのほとんどの人々にとって、ショックを受けたり恥じたりして自分たちの命令による残忍な不正義に対して立ち上がるに値することは何もないようだ。
インド人やインド系アメリカ人の中にはジョージ・フロイド殺害に激怒している人もいるが、彼らはそう、ペヘルー・カーンが殴り殺されたときにはまったく動じなかった〔2017年のリンチ殺人事件〕。最近のアメリカにおけるブラック・ライヴズ・マター運動への多くの公的な支持表明と同じように、インドの機関や公人、産業界のトップがムスリムやダリットのリンチ事件に対して悲嘆と連帯の声明を出すことは想像しがたい。参考までに、米国の大企業、有名人、そして共和党の指導者(ミット・ロムニー)までもが抗議者への支持を公然と表明している。インドではエスタブリッシュメントによって抑圧されている人々を支持するこのような立場は想像しがたい。
アメリカとインドのもう一つの相違点は、少なくともこれまでのところ、抗議活動の性質である。
アメリカでの最近の抗議活動はコロナウイルスがもたらした苦難によって増幅されているように見える。インドでは対照的に、コロナウイルス対応における州の不手際によって被害を受けた何百万もの人々から抗議の声が上がっていないことが目立っている。
飢えて都市部に足止めされている、村からの出稼ぎ労働者たちがいる。別の出稼ぎ労働者たちは実家に帰ってほんの少しでもましな状況に戻ろうと何百キロも歩いていった。失業した都市生活者もいる。破綻寸前の零細事業者もある。
これらは既にデマネタイゼーション〔2016年の高額紙幣廃止〕と物品サービス税の導入〔2017年〕によって引き起こされた大規模なショックと経済減速に苦しんできたのと同じグループである。
インドの歴史には、飢饉や過酷な税制が引き金となった、農民が苦境に陥ったときの反乱の例が数多くある。インド国内の経済格差が拡大し、少数のエリートがドル価表示のコーヒーやルイ・ヴィトンの店舗、広大なバンガローにアクセスするなかで残る問い、それはインドの貧困層はどれだけ我慢すればいいのか? である。
インドのエリートが貧困層をいかに追い詰めているかを考えれば、これは全国民が知りたがっていることだろう。
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫��が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声���聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へ���移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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2019.12.07 感が動くと思考がとまる。そしてDQウォーク
このところ、趣味の激辛料理摂取をやめている。うどんに七味、パスタにタバスコくらいは軽くエンジョイするものの、人体に戦いを挑んでくる種の凶暴なチャレンジメニュー=大好物とは距離をおくよう心がけている。
というのも、酒と激辛の大量摂取のおかげさまで順当に罹った逆流性食道炎が、悪化傾向にあるからだ。刺激物を摂ると、明らかにみぞおちと背中が痛む。酒も飲みすぎると、塩に触れたかすり傷のごとく内臓がひりひりする。
長年飼っている胆石が悪暴れしている可能性も否めない。みぞおちの痛みはまさしくその症状のひとつ。胆石の中には投薬治療できる種もあるらしいが、私の子らには薬は効かず、いよいよ暴れた場合は入院手術が必要となる。
その胆石や生活習慣の影響を監視すべく、毎年胃カメラとエコーの検査を欠かさずおこなっている。小心者の大酒飲みの激辛愛好家ゆえに、いつまでも容赦のない刺激を受け続けるための健康チェックには余念がない。
余談だが、血液検査と尿検査は毎月おこなう。その都度、逆流性食道炎とか食後血糖値症とか自律神経失調症とか頚椎椎間板ヘルニアとか貧血とか、いろいろな不備が発見される。そう羅列するといかにも体調不良のオンパレードだが、最近思うのだ。私、お医者さんに行き過ぎなのではないかと。
もう中年なのだからまったくの健康体であるはずがない。内臓にダメージを食らわせる生活習慣にも心当たりがあり過ぎる。加えてそう頻繁に病院に出向いていたら、何かしらの不備が見つかるに決まっている。
健康診断を受けずに、突然大病を患い、こまめに受けておけばよかったと後悔したという話をよく聞く。それを避けたい一心でこまめにチェックしているわけだが、そもそも病気の原因となる生活習慣を改善する気がさっぱりないのはどういうつもりなのだろうか。
しかしそう鷹揚に構えているわけにもいかなくなった。今年は内視鏡等の診断結果が悪く、いよいよ明確に食道ガン予備軍と宣告されてしまった。さすがに反省し、先々月はとり急ぎ1週間アルコールをぬき、激辛とカフェインも控えた。
結果、食道の調子はすこぶる良くなった。が、困ったことに、頭がまったく働かない。集中力が低下し、原稿が書けない。単語は出てきても、文脈がまとまらない。6時間かけてなんとか記した文章は、たったの2行だ。
数年前までは、蒙古タンメン中本の北極10倍辛を汁まで食らって平らげた後、日中はコーヒーを、夜は焼酎をがぶ飲みながら1晩で2万字書いてた。それが一転、ひたすらに脳がもじゃもじゃして2行しか書けないのだから、廃業まっしぐらだ。
2年半前に煙草をやめたときもそうだった。煙草を吸いながら原稿を書く習慣がセットになってしまっていたせいで、片方を禁じたらさっぱり書けなくなってしまった。禁煙直後は、それまで2日で終えていた文章量の執筆に2ヶ月かかった。
それはい���ゆるニコチン依存症の離脱症状で、ニコチンによって脳内に日常的に大量分泌されていた快楽物質ドーパミンが欠乏することにより、イライラしたり、怠くなったり、無気力になったり、眠くなったり、集中力が低下したり、抑うつ状態に陥ったりする。
アルコールもドーパミンをじゃんじゃん分泌させる。激辛のカプサイシンは脳内麻薬エンドルフィンをじゃんじゃん誘発する。疲労や眠気の受容を邪魔するカフェインも含め、様々に多幸感溢れる脳内分泌物によって散々鼓舞され、覚醒し続けた我が脳は、今、ドーピングを失い、すっかり鈍化した。
それまで酷使してきた疲労も蓄積されているのだろう。自ら動く力が弱まっている。我が脳は、いうなれば脳内麻薬の人参がなければ走れない馬。私は脳の持ち主のはずなのに、その分泌物に行動を制限されるとは情けない。
諸々の依存は、人間の意志や思考を無視して人間を支配する。身体にもダメージを与える。私は煙草の吸いすぎによって肺気腫になったし、酒と激辛の摂りすぎによって逆流性食道炎になった。なんとわかりやすい構造だろうか。わかっているのになぜ先にやめないのか。
呆れ果てながらも、身体からのダメだしを受けて、なんとか生活習慣の改善を試みる。禁煙を続け、激辛を避け、なるべく消化の良い食べ物を摂取する。コーヒーも常飲をやめ、外食ランチのときに1杯だけ飲んでいいご馳走方向へと切り替えた。
ところが、酒だけがやめられない。強敵。我慢できても、がんばって1週間。その後はご褒美とばかりにまた飲み出す。もっぱら焼酎の緑茶割りを飲んでいるのだが、緑茶もカフェインを含むわけだからコーヒーのみご馳走扱いしても意味がない。
さらに困ったことには、頭がクリアになってしまうのだ。依存のメカニズム上、本当は鈍重化を促進させているのだが、頭が軽くなり、気も晴れるような錯覚が生成され、調子がいいぞと脳が騙される。主治医曰く「酒はうつ症状の素。陽気になるのは脳が騙されてるだけ」とのこと。
アルコール依存の仕組みはひととおり理解している。支配されているだけで、心身ともに良いことなどないと承知のうえである。しかしながら酒を飲むとするする文章が書けてしまう。まじでただのドーピング、ヒロポンさながら。
コーヒーを飲むと、如実に頭が冴える。錆びて動かない思考の歯車が回転し始める。カプサイシンを摂ると急に霞のかかった脳内がクリアになる。気力活力ともに大充実。しかし食道は痛む。再び2、3日、それらを抜いて調子を整える。
ノンカフェイン、ノンアルコール、ノンカプサイシンの日々は憂鬱で、脳のひだというひだに灰が詰まったみたいに頭が重い。それも偏にカフェイン、アルコール、カプサイシン、かつてはニコチンがもたらした後遺症に他ならないのだから、ただの因果応報だ。
最も困るのは、私の意志や思考の許可なく、動きだしてしまう「感」である。脳内麻薬も、私の人体内の活動であるにも関わらず当の私の許可なく私を支配するが、感情や感覚もまた、私の意志や思考を無視して勝手に反応するのでうんざりする。
テレビで見かけた、親子の断絶とお涙頂戴の仲直りのような予定調和を斜めに見ながら、まじでくそくだらないと心底軽蔑している最中、なぜか、号泣している。頭は、感動ポルノなんか消滅してしまえと思考しているのに、身体はそれを無視して嗚咽を漏らしている。
Netflixで延々と映画やドラマを見続けて、頭では分かりきっているフィクションの設定に対し、脊髄反射的に激怒し、大笑いする。お笑い芸人さんにガチ恋してYouTubeを漁るうちに、おまえ本当にガチ恋してるけど大丈夫か、と自問自答することさえ忘れ、ただひたすらに漁り続ける。
買い物に行けば、すれ違った幼い子供を見て、子供を産まなかった自分の人生を、がらにもなく逡巡し始める。その選択には意味があった。理由もあった。何より意志がある。しかしそうした私の思考は棚上げされた状態で、感が動き、メランコリー質の戸惑いに心をとらわれる。
レジの長い列や混雑している病院の待合室で、公共のルールを守ってきちんと並んで順番を待とう、社会は自分の都合の良いようにできていないと考える一方で、なぜそんなにと理由を問いただしたくなるくらい激怒し、地団駄を踏みたくなる。ちょっとしたことで意味もなく喚き散らしたくなる。
他方、ふらっと立ち寄った手芸店で可愛らしいくるみのボタンを見つけたときには、本当は可愛らしいものが好きなのに照れて意識的に隠し、粗野な男みたいに凶暴に振る舞うペルソナを社会で機能させたわけだが、そんな設定どうでもいいくらい超可愛いなにこれ大好きと、激しいテンションで少女のごとく嬉々とする。ちなみに、後日見ると全然可愛くない。
ある日は、犬を見て泣いた。完全に情緒不安定である。これはおそらく、無情の灰の塊のように固まった脳に、私なのか、無意識なのか、脳自らなのかわからないが、何かが、刺激を与えて動かすべく、感情を故意に昂ぶらせにかかっているのではないかと推測する。
ならば、気に入らない。脳内分泌物質に支配され、思考が鈍った。その隙に感情がつけ入り、いよいよ思考が止まった。そして、感情に支配される。私の人体が、脳内物質と感情に乗っ取られている。そこには、私がいない。私の言動に、私の自己決定が反映されていない。その私とは、果たして誰だろうか。
脳内物質が分泌されるきっかけを作ったのは、私の嗜好であり、摂取したのは私の選択である以上、その不足による不調は自己責任の範疇にある。人体の一部に滲み出る脳内物質の分際で私を支配するのは気に入らないが、自分の言動の結果として理解はしている。
だが、感情は、私の所有物ではない。自分の心に湧き上がる感情や、外部の刺激を察知する感覚は、私と、他者や社会や外界との摩擦によって生成されるただの反射反応である。私サイドには、私に与えられた環境や経験より培った価値観や思想があり、それが様々なひと・こと・ものと遭遇し、ある感情がどこからともなく現れたり、五感の感覚が生まれたりする。
その感じ方には、個体差がある。私にとって嬉しいことを、悲しいと捉える人がいる。誰かにとって美味しいものも、不味いと思う人がいる。よって、こと・ものを主語に据えた形で、「そのことは嬉しい」「そのものは美味しい」という事実はこの世には存在しない。ひとを主語に、「そのひとは、そのことが嬉しい」「そのひとは、そのものが美味しい」が正解である。
時に、他者と同様であるとは証明し得ない自分の感情や感覚を、無自覚的に全世界の事実と取り違えたり、「感じ方」を根拠に自分とは異なる「感じ方」の持ち主を人非人として断罪したり、そうした「感じ方」「お気持ち」を故意に引き合いに出してファクトを捻じ曲げたりする人を見かけるが、そういう方々は自分と「感」と他者と世界の境界線が有耶無耶になっていると「感じる」。
私は境界線に意識的でありたい。感情は反射・反応でしかない。それを感じる素養や肉体は私のものであっても、相対するものがなければ発生しない以上、すべて私が所有するとは言い難い。
両者の接触より発生する性質を鑑みると、作用とでもいうべきか。翻って私の意志や思考や決定権は、私の所有物だ。それが正しかろうが間違っていようが知ったことではない。それらは私だけのものなのだ。
その大切な私の所有物が、ただの反射反応の作用である感情によって、ねじ伏せられている。無意味、無思考、無許可のまま、漫然と犬を見ただけでメランコリーに陥り、泣いてしまうようなことがあっていいのか。
ノンアルコール、ノンカフェイン、ノンカプサイシンの、ないない尽くしの毎日をぼうっとやり過ごして、それでいいというのか己よ。嫌だろうよ。
とはいえ、ここにきて感情がのさばっている状況にも因果はある。私には、物心ついた時から感情を「ただの反射反応」と小馬鹿にし、思考と理由と意志を執拗に言語化して愛でる癖がある。
子供の頃、感情が怖かった。うちは親の教育が厳しかったので、親の意向に沿わない感情、つまり自我が芽生えると、「なにこの感情、勝手に生成されちゃってるけどすごい罪悪感。これを自由にさせておくとまた叱られる。迷惑」などと考えて、ありのままの自分を受容せず、感情を抑圧した。
親や先生の求める理想像になるべく、頭を使って演技した。それが結果的にのちの自分を苦しめた。その抑圧に対する仕返しが、今さらの感情のでしゃばりを誘発しているのではないか。
あるいは、私には感情の解放こそ必要であるとも考えられる。そういえば、思考を黙らせ、感情的な動物になるための装置として、大酒を食らっていたような節もある。
そして脳と身体、思考と感情などと、対立構造を煽って客観視する風情で、全部自分事という得意の独り相撲を楽しむ最中において、脳も身体も思考も感情もほどほどに仲良くするためには、どうすればいいのだろうかと、重たい脳で考える。
そういえば、昔主治医に「鬱々としたときは、有酸素運動を20分以上続けると、脳内麻薬βエンドルフィンが分泌され、スッキリするからやってみて」と言われ、それから週に2回、ジムの��レッドミルで早歩きウォーキングをおこなっていたのだった。
走るのは、嫌いなうえに頚椎ヘルニアのおかげさまで無理なので、早歩きで。普段も万歩計アプリを覗きながら、極力歩くように心がけた。ところが夏にジムが潰れてしまい、外出自体もあまりしなくなり、明らかに運動不足に陥っていた。
そうだ、歩こう。脳も喜ぶし、身体にも良い。脳が喜ぶと身体が悲鳴をあげ、身体を労ると脳が鈍化するこの状況を打開する策として、もってこいだ。好きな美術館や古着屋を巡ったり、都内近郊の海辺を散歩したりするのも良い。少し趣味に寄せてアレンジすると手放しに楽しいうえに、確かに頭もスッキリする。
しかし手軽な近所の散歩となると、飽きる。うちの周りは国道と住宅街と公園と団地と坂しかないので、行きたい場所がない。そうだ、あれだ、スマホの歩行ゲーム。ゲームを取り入れたら退屈せずに歩けるかもしれない。今、話題のやつなんだっけ。そうそうDQウォーク。
というわけで、ドラゴンクエストウォークに嵌る。ゲームも楽しいのだが、近隣を散策していると、思わぬところに美味しい豆腐店や絶景スポットを発見。周辺を地図アプリで検索すると、また知らないお店などが出てくるので、スマホ片手にせっせとレベルをあげながら右往左往している次第。
ただ一点、スマホを見おろす姿勢には難儀する。いわゆるスマホ首は、頚椎ヘルニアには大打撃なので、極力顔の前に画面を持ってきて操作し、歩き、立ち止まって操作し、を繰り返す。完全に不審者だ。しかもその歩き方ではウォーキングの効果も激減である。スカウターはまだか。
最後に、DQウォークしながら立ち寄った本屋で、酒がやめられない私のために神が遣わせた聖書を入手した。町田康先生の新書「しらふで生きる」。完全に天のお導き。勉強させていただきます。
というわけで、読み始める前に、アルコールとニコチンとカプサイシンとカフェインを摂れば半日もかからなかったであろうこの内容も目的も意味もないペラペラの雑記を書くために、しらふで3日もかかったため、これを労い、今日は酒を飲んで良いことにする。作戦は「いのちだいじ」で、ほどほどに。
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