#全ての石
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その他大勢の宝石たち
1対1対応に割けるリソースは少ない。
その分価値も高くなってしまう。
欠けやすい宝石は他の宝石とは混ぜられない。
だからこそ、その他大勢の硬い宝石達に感謝を。
まとめて対応しても平気な個性を持つ集団が絶対必要なのだ。没個性的な個性が。
まとめられて、その中でも頑張れる人だってすごいのだと思う。
どの石も光っている。
#日記のようなもの#その他大勢#そうじゃない人#かけられるリソース#限られている#だから#集団に感謝#全ての石#光っている#宝石#人間#例え話#ニューロダイバーシティ#定型発達#ニューロティピカル#ニューロダイバージェント#お互いが必要#かも#普通#普通じゃない#支え合っている#お互いに
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YouTube世界に一つのシルバーアート【gansilverart】
Robot Animation『なんじゃこりゃ?大きな磁石?』
https://youtube.com/shorts/UacI72uSY68?sub_confirmation=1
物知らず..ほんまに無知な
にしても..最後は大袈裟におわる
▽作品に関してはこちら
gansilverart gallery store
https://gansilverart.stores.jp
YouTube世界に一つのシルバーアート【gansilverart】
https://www.youtube.com/@gansilverart01?sub_confirmation=1
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いま届いた。 複素関数論の次は、半年かけて線形代数を勉強する🧐 #石井俊全 #大学の線形代数 #技術評論社 #藤岡敦 #手を動かしてまなぶ線形代数 #裳華房 #linearalgebra https://www.instagram.com/p/CprS3dEyzrp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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葉月 くれあ(はづき くれあ、2003年〈平成15年〉11月19日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、YouTuber、TikToker。
愛称 くーちゃん
生年月日 2003年11月19日
現年齢 20歳
出身地 大阪府
身長 / 体重 153 cm / ― kg
スリーサイズ 84 - 59 - 82 cm
元々TikTokerとして活動を始めた後、2023年にミスマガジンのグランプリを受賞した今森茉耶に注目していたことがミスマガジン応募のきっかけとなった。ちなみにミスマガジン2023の審査員特別賞を受賞した加藤綾乃とは『近代麻雀水着祭』でも共演している。
妹が1人おり、自身のYouTubeにも「妹子」として度々登場する。
得意な料理は和食全般、唐揚げ、オムライス、卵焼き。
オリックス・バファローズファンでもある。横浜DeNAベイスターズのファンでもあり、推しの選手は宮﨑敏郎。
憧れの女優は石原さとみでグラビアアイドルは菊地姫奈。
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20220721(動画撮影は0430です)994日目 u114 #北浜公園 20220722(動画撮影は0430です)995日目 u120 #北浜公園 #石井靖文くん #ただいま別府 #旅人をねんごろにせよ #山は富士海は瀬戸内湯は別府 #別府八湯温泉道 #べっぷ温泉部 #別府温泉名人会 #別府たのしー #大分県たのしー #おんせん県おおいた #いいお湯見つけました #いいゆ #いいゆてぬぐい #いいゆ手ぬぐい #いきなり腕立て伏せ #腕立てたのしー #腕立て伏せ #腕立て伏せチャレンジ #全米ヨガアライアンス #RYT200 #ヨガインストラクター養成講座 受講中 (北浜公園) https://www.instagram.com/p/CnFFfgLv-Bg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#北浜公園#石井靖文くん#ただいま別府#旅人をねんごろにせよ#山は富士海は瀬戸内湯は別府#別府八湯温泉道#べっぷ温泉部#別府温泉名人会#別府たのしー#大分県たのしー#おんせん県おおいた#いいお湯見つけました#いいゆ#いいゆてぬぐい#いいゆ手ぬぐい#いきなり腕立て伏せ#腕立てたのしー#腕立て伏せ#腕立て伏せチャレンジ#全米ヨガアライアンス#ryt200
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変態親父と��日目 – GNT24/365 ーゲイの淫乱セックス体験談ー
ズルチン親父は、約束通り日曜の朝からやって来た。
飲み物を買って部屋に入る。
服脱ぐのも、もどかしいみたいに抱きしめkissして、
お互いを貪り合いギンギンのエロ竿をこすり合わせた。
互いの物からジワァ~っとガマン汁が滲み出す。
キメの用意するのに椅子に座り、
親父にシャクらせながら親父のズルチンを足で弄ぶ。
シャクらせたまま先に自分に針を刺す。
打ち終わると全身に鳥肌がたち、親父に触られてる部位全てが気持ちいい。
鳥肌に気づいた親父が乳首や脇・脚を撫で回しだし、親父の頭を掴み激しく動かした。
親父が咽せて『はっ!』て我に返り、あわてて親父にキメる準備を…。
椅子から立ち上がろうとする俺を座らせ親父が、
『このまま出来るか?』って聞くから、腕を持ち上げたら血の道がベストポジションやったから、
返事もせずに肩口を縛り定位置に針を刺しポンピング!
親父は、根本までガッツリくわえたまま動かなくなったが、
ズルチンからは、漏らしたって勘違いする位ガマン汁が出まくっている!
親父の頭を引き剥がしてベットに押し倒しズルチンのガマン汁を吸い出すようにシャブり付き、
唾と混ぜながら親父に口移しすると舌が千切れるか思う位に吸いつかれた。
何度かやってる内に我慢出来なくなり、
唾ガマン汁の混ざった奴をケツマンに塗り騎乗位で一気に串刺しにされた。
親父に乳首激しく姦れながら腰を振りまくった。親父が、小袋の中からRを取り出した。
親父が手にした奴は新のRだった。
動きを抑え親父がラベルを剥くのを待った。
蓋を開け親父は、自分より先に俺に吸わせてくれた。
深呼吸後思い切り吸い込んだ。
古い物と違い新だけあって最初は刺激臭も無く吸えたんかな、って思いながら、
親父が吸うのを小刻みに動きながら見てたら、一気に効きだして来た。
親父に『来た来た♪』『凄っげぇ~♪』と言いながら親父の胸を力任せに掴みあげた。
俺の激変に親父も急いで爆吸し腰を掴み下から突き上げてきた。
乳首を責めようと親父が乳首に触れた途端に、
全身がキュ~っと引き締まったようになり、
ケツマンの中にあるズルチンの形が分かる位に絡みつき、
ガマン汁が親父の首筋まで飛び散った。
親父が、『締め付けながら絡み付いて来るエロマンコやな!』
��チンポがマジで溶ける位熱々やでぇ!』と言いながら起き上がり、乳首を甘噛みしてきた。
Rをまた吸わしてもらい、出来るだけ息を止め限界点で吸えるだけの息を吸込んだ。
乳首とケツマンを中心に全身性感帯になったみたいで何されてもOK状態に…。
つながったまま押し倒され正上位になり親父がガン掘りしてきた。
親父の首に巻き付きキメ汗を舐めてはkiss舐めてはkissを繰り返した。
二人の腹の間でガマン汁を吐きまくってる俺のキメチンをそろそろ親父に突っ込みたくなり、
『掘りたくなった!』って言うやいなや脚を絡ませ親父をひっくり返し、
親父のケツマンにキメチンを突き立てた。
亀頭が半分入った所で親父がRを手にしたから吸い上げるのを待った。
ケツマンが緩んだのを見計らって一気に押し込んだ。
ケツ慣れしてない親父やから前回の時は痛がったのに流石に新のRは違う。
自分で膝を抱え『もっと奥まで…』とせがんでくる。
キメ汗とガマン汁でドロドロヌルヌルの身体は、掴んでも掴んでも掴みきれず、
それと親父の要望が面倒になり、口に俺のローライズを詰込み。
タオルで猿轡と目隠しをして、
更に温泉浴衣の帯二本で手首足首を縛り、
達磨さん状態なるぐらい身体を丸め首の後ろで結び固定した。
親父にRを吸わせ自分も爆吸して、身動き取れない親父をガンガン掘りだした。
ほぼ初釜に近い親父のケツは、キメチンが千切れる位に締め付けて来るが、
中は、キメとRのお陰で熱々トロトロですっげぇ~気持ちがいい。
いい気になって1時間以上ガン掘りしてたら、
加減もせずに縛った親父の手首足首がフト気になり、
慌てて猿轡を外し親父に調子に乗りすぎた事を謝りながら、目隠しと帯を弛め外してあげた。
親父は息を切らしながら『気持ち良かった♪』と抱きつきkissしてくれた。
身動き取れない親父をガン掘りしてる時、流し放しのエロDVDの中に入り込んで、
ガッチリのバリタチに背後から乳首を姦られながら、
3連結で掘られてる真ん中の奴の感覚にトリプった事を話すと、
親父は興味津々であれこれ聞いて来た。
話してる間にチョイ萎えはじめ親父のケツ圧に押し出された。
お互いに一度、ドロドロを流し休憩する事にし、親父・俺の順に汗を流した。
部屋に戻ると親父はズルチンに電マを当てギンギンにしながら目を閉じていた。
掴んだ手からはみ出ている亀頭からはガマン汁が溢れてた。
俺は、親父の亀頭を舐めながら、ガマン汁を亀頭に塗り広げながらくわえたり、
舌を尖らせ尿道に差し込んだりしてガマン汁を喉を鳴らして飲み続けた。
親父が電マとズルチンを離し、乳首を姦りだしたから腰に巻き付き、
根本までくわえたり亀頭だ��吸いまくったりして結局休憩するはずが、そのまま二回戦突入に。
ヌルヌルのズルチンに乗っかろうとした時、親父から追加の提案!
『K君の体験談みたいに掘られながら…』って希望されたんで、
親父にシャブらせガチガチになったのをぶち込み親父の血の道に針を刺した。
途中からRを吸い出しポンピング終わる頃には、エロマンコ親父が出来上がっていた。
ケツの気持ち良さにズルチンは萎えたままガマン汁を吐き出していた。
それを乳首に塗り舐めるを繰り返すと、
一昨日は『乳首感じへんねん』と言っていたのに、
『乳首が感じる!』『気持ちいい♪』と言いながら乳首が起ってきた。
優しく噛んだり摘んだりして責めると、ケツマンがヒクヒクしながら絡み付いてくる。
二・三分程激しく突き上げ、親父自身に乳首を弄ぶように指示しながら俺も追加をキメた。
後始末をして親父を掘り出したが、萎えだしケツ圧で押し出された。
ガマン汁まみれの親父の腹を舐めまくり、69でシャブり合いをしながら、
ガチガチになったら親父が乗るってやってたが、中々挿入する事が出来ずにお互い断念。
俺は、仰向けになりベットから頭を垂らし、
膝立ちになった親父のズルチンをシャブりながらキメチンをシゴキ始めた。
親父は、乳首を舐めたり亀頭を舐めたりしながら弄んでくる。
お互いユックリ勃起し始めるが、
クチから引き抜いたりシゴクのを止めると萎えてしまいつながる事が出来ない。
仕方なく、お互い中出しでは無く、手コキでイク事にして、
先に親父のズルチンをシャブりながら一発目を自分の腹や胸にまき散らした。
親父が腹や手についたキメ種を舐めとりながら種だらけのキメチンをシャブってくれた。
一度起つと長時間寸止め状態だったから、
ぶっ放しても萎えないから親父に『今なら入るかも!』と言いながら正上位で挿入!
なんとか親父の中に入ったけど萎えるのが早く押し出されてout。
ズルチンと裏筋合わせで二本同時にシゴいたり、電マで刺激したりしてる内に、
ズルチンがガチガチになったんで今度は俺が乗っかった。
ケツマンに生チンが入ったっ感覚だけで俺のキメチンはガチガチになり出した。
根っからの掘られ好きなんやと自覚し、親父にこのままシゴいてぶっ放すと伝え、
腰振りながらシゴきまくり、
頭を持ち上げて見ていた親父の顔面を直撃しながら胸・腹に二発目をぶっ放した。
顔シャ食らった親父はビックリしながらも、
垂れてきたキメ種を舐めながら腹胸の種を寄せ集め掬って舐めだした。
俺はまだパワーのある内にと思い親父の脚の間に入りぶち込んで掘り出した。
暫くガッツリ掘ったがやっぱ押し出され敢え無く撃沈。
ズルチンをシャブりながら前立腺責めをしてやり、
親父はガマン汁を出しまくりながらたまに全身を突っ張らせ、
『イク~!』と叫ぶけど滲み出るって感じ。
親父自身も派手にぶっ放したくて仕方がないけどイケないらしい。
何度目かの時親父が叫んでもシゴくのを止めずに前立腺を責めながらシゴキ続けたら、
ズルチンがガチガチになり亀頭がパ��パンになった。
前立腺を押さえながらケツを持ち上げ、
なんとか亀頭半分位をくわえたり舐めたりしながらシゴキ続けたら、
『グワっ!』って叫び親父がぶっ放しはじめた。
第一段・二段をクチで受けたけど、背中が痛くなり残りは親父の腹にぶちまける事に…。
俺のが水ぽいのに比べ、親父のは濃く手指や親父の腹毛に絡み付いて羨ましかった。
俺は、親父がしてくれたようにキメ種を舐めとり、
親父と種kissをして暫く抱き合って親父のバクバクを胸で感じていた。
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おすすめの漫画の紹介:『ヒマチの嬢王』(茅原クレセ)
ここは鳥取県米子市朝日町。 都会の喧噪に嫌気がさし、実家でグウタラ生活を送る歌舞伎町"元"NO.1キャバ嬢・アヤネ。 母の一喝により、実家の「スナック」をしぶしぶ手伝うことになるが、流石は元No.1。 圧倒的な活躍を見せ、店内は飲めや歌えの大騒ぎ。 そんな中、元彼を名乗る同級生ジュンが現れて… 「夜の街」での二人の出会いは、朝日町を、米子市を、ひいては鳥取全体を活性化させる事になる。
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472 名前:ボーイズタウン・ギャング[sage] 投稿日:2024/09/11(水) 14:20:21.38 ID:AUP4RUyU 中国のすべての太平洋戦争で日本を降伏させたと教えるが 日本はそもそも中国に負けたなんて誰も思ってない ロシア人も日露戦争自体認めてないし日本に負けたなんて これっぽっちも学校で教えてない こういうのが認識のずれに繋がる
474 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2024/09/11(水) 14:55:22.46 ID:ck6El9hm [2/2] >>472
おめーわかってないな 日本はたしかに中国戦線で中国軍には負けてない だが中国に負けてないと思ってるなら大間違いだ
中国人は数千年にわたり周辺異民族の侵入をうけてきた 中国兵は弱くヘッタレ、蛮族の兵は勇猛 だから戦場で負けても戦略で勝つ方法を数千年練ってきたのが中国
アメリカを引き込んで日本と戦わせたのは蒋介石の策略よ 蒋介石の日記にそう書いてある 日本は世界を舞台にした碁の一局で 中国という碁盤の隅では常に勝った かえって全体を見ず、全体の勝負を失ったヘボ碁打ちである 日本は世界国家だった経験がなく 日本人は世界戦略を持ってない 日本人の民族的弱点だ
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新譜「叙情 - Lyric Suite」、The Walker’s のレビュー 収録曲全部のレビューをよく短い文にまとめたものだと感心。今回のアルバムは、しっかりとしたコンセプトがあるので、(例えば、クラシカルなサウンドにジャジーなアプローチ)自身の思い描いたプレゼンと、かなりシンクロしているわ。元コピーの「創り奏でる」と言う文を「描き奏でる」としたところは、流石だ。 商品詳細です。 ジャズマンヒロオガワが創り奏る、クラシカルな作曲作品集。 タイトル「叙情 – Lyric Suite」 アーティスト「ヒロオガワ」 2024年9月25日(水)発売 レーベル:サウンドデザインワークス 発売元:Hiro Music & Arts 定価¥2.200-(+税込) 品番:HMA-9852 形式:CD(全12曲収録) 取り扱い:全国のCDショップ(お取り寄せ、新星堂を除く) Amazon、HMV、タワレコ 、楽天ブックス等オンラインショップ 音楽配信:iTunes(Apple Music)、Spotify、Deezer、d-ミュージック、my sound レコチョク、mora 等、 Review of the new album "Lyric Suite" by The Walker's I'm impressed with how well you've summarized all the reviews of the songs in such a short sentence. This album has a solid concept (for example, a jazzy approach to classical sounds), so it's quite synchronized with the presentation you envisioned. I think it's impressive that you changed the original copy's "create and play" to "draw and play."
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石丸氏、典型的な厨二タイプで質問について回答前にうすら笑みで嘲笑したうえで優位な立場に見せて、回答せずに質問内容の揚げ足を取る事で論破とすり替えるやり方、全くひろゆきと同じやり方で、そりゃ厨二真っ只中の10代にはきらりと光って見えるのはわかるよね
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色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。 日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった���丸伸二さんと初めて話しました。中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。 全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。 たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。都道府県知事というのは「行政の長」です。一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。 だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは、「転職」といってもいいくらい違う仕事の話なんです。だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。 具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。仮に現在は意思がなく、仮定の話だったとしても、です。てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。 たとえば僕は国会議員になりたい気持ちは全くないですが、たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。その時は具体的に、作りたい、修正したい法律の話をします。曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。 だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます) あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。 だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。 今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。 もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。 石丸さんって、YouTubeやTikTokなど、自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。いい部分だけを見せてきた。これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。極力、トークやバラエティ番組には出ない。出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。 そういう戦略でやってきたんだったら、「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。 あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。 もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。 政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)何にせよ民主主義は風前の灯火かも
Xユーザーの古市憲寿さ��
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高市早苗氏をなぜ中国が警戒するのか?それだけ高市氏が脅威だからだ。高市早苗チャンネルを見れば、いかに中国が“困るか”分る。今年だけでも ●2024/6/22 外国製の監視カメラへの深刻な懸念。激増するサイバー攻撃にどう対応するのか ●2024/6/15 中国企業のデータセンター建設増加によるリスクは1つだけではない ●2024/3/30 “中国から守る”国立研究開発法人や大学からの情報流出を防ぐ ●2024/3/26 中国企業ロゴ問題 経済安全保障の懸念 ●2024/2/24 中国からシェアを取り戻す新技術〇〇磁石!? ●2024/2/17 人命と民主主義が危機!? ●2024/2/10 中国によって台湾を“第2の香港”にしてはいけない ……媚中政治家の政権たらい回しか、国民の命と平��を守り、日本を守る毅然たる政治家か。自民岩���支持層の保守・現実派の人気の理由が分る
門田隆将 / X
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「米軍最強の海兵隊を全滅させた男」 を知っていますか? 彼の名前は、 陸軍中将・中川州男(なかがわ くにお) 太平洋戦争において 最大の被害を米軍に与えたと言われる 「ペリリュー島の戦い」を指揮しました。 日本兵1万に対して、 上陸してくるアメリカ兵は4万8000という 圧倒的な兵力差。 この圧倒的に不利な状況で アメリカ軍を追い詰めた作戦とは、、、 ==== ペリリュー島の戦いは アメリカ軍にとって、 隠したくなるほど不名誉で 甚大な被害を出した戦いだった、、、 1944年3月 ペリリュー島に派遣された中川州男 彼はこの時すでに、 絶対的な守備力不足を痛感していました。 「米軍と正面から ぶつかっても勝ち目はない…」 そう考えた中川は ある戦略を実行しました。 それは、、、 島内の中央部に「地下壕」を張り巡らせる というものでした。 ペリリュー島独自の特徴である 天然の洞窟や鉱石の採掘場 の存在に着目し、 大規模な地下陣地を 構築したのです。 日本兵たちは地下陣地を作り、 約5ヶ月という歳月をかけて 入念に準備をしました。 1944年9月、 完全に要塞化されたペリリュー島に 何も知らない米軍が上陸したのです。 まず中川は 米軍が上陸するであろうビーチに 砲撃を降らせました。 そして 米軍を島の内陸に追い込み、 日本兵の姿が見えなくなった と思わせたところで、 地下陣地で待機していた日本兵たちの 容赦ない攻撃が始まったのです。 兵器、兵士の数で 5〜6倍以上の差があったため アメリカ軍の計画では 島を4日で攻略する予定だったと言われています。 それにも関わらず、 最終的に2ヶ月半を要することとなり、 アメリカ軍の作戦計画を 大きく狂わせることとなったのです。 また中川は、 勝利だけにこだわったのではなく 島民への疎開指示を行いました。 そして 島が歪むほどの戦いと表現された ペリリュー島での戦いで 住民の犠牲者は1人も出さなかったのです。 このように中川州男は 圧倒的不利な状況の中でも 冷静に状況判断を行い、 一般市民や部下たち を守りながら 準備周���で アメリカ軍を迎え撃ちました。 そして「米軍最強」と言われた、 アメリカ海兵隊の第 1 海兵師団を 全滅へと導いたのです。 現在でも中川州男は アメリカで称賛されるほど有名ですが 日本では ほとんど知られていません、、、 このように 日本人には知られていない歴史が まだまだ存在します。 教科書では数ページで 終わってしまう近現代の歴史、、、 そこには 全く描かれていないような出来事の中にも 確かに日本人の歩みがあり 先人たちの葛藤や苦悩、 ドラマが詰まっています。 一人一人の軍人たちの生涯と 各局面での意思決定を追っていくと 今まで負けたことだけを クローズアップされていた 戦争の真実が 見えくるかもしれません、、、
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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合はオタク��たまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセックス中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが常時ストックされ���いる。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。潔癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっている他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺��にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね」と答えている。
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The least movement is of importance to all nature. The entire ocean is affected by a pebble.
最も小さい動きでも全ての自然にとっては重要である。海洋全体も小石の影響を受けている。
Blaise Pascal ブレーズ・パスカル
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キングダムハーツの一作目は私自身が深く関わった作品です。「ディズニーにとっても画期的かつ実験的プロジェクトだとおもいます。大げさかもしれませんが、ディズニー史に残るプロジェクトになるんじゃないかな」というこインタビューのコメントが、第一作目が発売される時にファミ通のインタビューに掲載されています。 当時、私はディズニーに在籍しており、日本を含むアジアのゲーム部門を見ていましたが、このプロジェクトが一番記憶に残りかつ成功したプロジェクトとなりました。ディズニーサイドのプロデューサーを務めたわけですが、この作品、幾つもの奇跡が重なり大ヒットに繋がり、ファミ通に引用されたコメントがあながち外れていなかった事になりました。今だから言える、キングダムハーツ一作目の舞台裏を、ディズニーの中での様子や、ビジネス面にスポットを当てながら今から振り返って見たいと思います 私がディズニーに入った時、米国のメンバーから実験的なプロジェクトが動いているという事は聞いていました。ただ、全くディズニー社内でオーソライズはされておらず、実験をしているという名目でした。ところが、私がディズニーにはいってしばらくたっても、契約は存在せずに、実験のはずが現場ではどんどん開発を始めていきます。スクエアエニックス(以降スクエニ)では開発ディレクターの野村哲也氏の想いがあり、非常に前のめりに開発を続けたいという意志が固く、一方で、ディズニーはイエスともノーとも言わないで、頑張りましょうという曖昧な返事を繰り返していました。先ずは、何とかプロジェクトをオフィシャルにしなくてはいけません。 そもそも、『キングダムハーツProject』は、承認を得るには大きな問題がたくさん含まれていました。それは内容に関するクリエイティブのチャレンジが原因と��っています。普通のライセンス契約は、すでにあるイメージを利用して商品を作るもの、ゲームのライセンスもすでにある映画やキャラクターの世界観を使ったゲーム制作がそのベースとなっていました。ところが、キングダムハーツは例外事項のオンパレードでした。 ・米国の外で、少なくとも日本では、全く新たな世界観を持ったディズニーのライセンスが認められた事はなかった。 ・当時、まだ3D のミッキーのモデルが公に存在していなかった。 ・ディズニーの違った世界観、例えばターザンとピノキオとミッキーを一つの作品の中に入れる事ができるのはディズニーランドだけであった。 皆さんも想像できると思うのですが、ディズニーという会社は非常にアメリカ的な会社です。アメリカ、ハリウッドが中心で、ここで作られたクリエイティブを日本を含めた世界に流すのがビジネスモデルです。ある意味、ハリウッドのクリエイティブを頂点にライセンスのビジネスモデルが完成されているのです。ディズニーの財産は、ディズニーの世界観である事が徹底されていて、ディズニーの世界観を守るため、とても細かいライセンスのガイドラインが設けられ、世界にその指示が渡っていました。ブランドを守るグループの力は強く、社内での隠語でPolice(警察)と呼ぶ人もいました。
日本においてのライセンスグループは、ミッキーの新しいイラスト一枚を米国に認めてもらうために四苦八苦するのが実情でした。その様な状況で、上の様な問題?を持ったゲームが認められるはずがないというのが社内の空気だったのです。
皆さん、ご存知ですか?ミッキーの耳はいつでも正面を向いている事を。2Dイラストのミッキーはたとえ横を向いている時でも、その耳はまん丸で正面を向いているのです。それが3Dになったらどうするんだ、そもそも3Dのミッキーなんて米国が認めないし、他の膨大なキャラクターの3Dデータ、個々のアニメーションデータをどう承認してもらうのだというのです。
日本のディズニーでは、日本初のジャパンクリエイティブ作品を是非押して行こうと言う掛け声はあったものの、ディズニーの日本のベテラン社員の方が、「事が大きくならないうちにダメならダメと言ってあげるのがクライアントに対する本当のサービスだよ」という忠告をしてくれました。
当時のディズニーゲーム部門のプレジデントはディズニーストアの店員からのし上がって行った女性でした。とてもガッツがあり、野心があり社内政治的にも一目置かれており、彼女もこのプロジェクトにかけていました。ディズニーでは、業績だけでなく、新たなプロパティ、クリエイティブを生み出せるという事が、高い評価となるからです。プロジェクトは挑戦的でクリエイティブだし、部門トップもやりたいと言う事で、そういう意味では、ゲーム部門には米国も含めて何とかこのプロジェクトを通したいと気持ちが行き渡っていました。
日本のディズニーブランドグループのアドバイスは当然NGです。ただ、あまりに彼等の評価基準からは、かけ外れすぎているので、あえて判断出来ないと言うのが、彼らの立場でした。米国では常にブランドとゲーム部門の交渉が行われていましたが、私も良く呼び出されました。ついていた事に、タイミングは悪くありませんでした。
当時のディズニーのブランド部門のトップの悩みは、ディズニーのキャラクターが女性にしか受けず、対象年齢も下がりすぎており、何か新しい動きが欲しいと思っていたのです。話してみると、ブランドのトップの人はディズニーの世界観のエッジがなくなって行くのを危惧していたのです。当時の私は、前職がセガの(コンスーマー)開発のトップでしたので、クリエイティブの匂いを感じてくれたのでしょう、非常に長い時間ディズニーのブランド論やキャラクターの見せ方について語り合いました。如何にビデオゲームという舞台が、当時のディズニーにかけているお客さんに上手くアピールしうるメディアであるかといった話もしました。
先方は、ミッキーが最初に出て来た時には少しやんちゃな部分があったのに、今はお利口さんすぎてエッジがなくなっていると言う事も正直に話してくれるのです。ある意味、それにどう答えるのかもテストであったと思うのですが、ディズニーのブランドをどうしたらあげていけるのかというアイデアや考え方も私なりの意見を述べました。セガの時代に、ソニックの再生プロジェクトに関わっていたのも役立ちました。また、ブランドトップの彼には、時々途中経過を流したり、事前にちょっとした事を相談する様にしました。いわゆる、根回しをして信頼を得る作戦を取ったのです(これが出来たのは、当然、絶対的に当時のスクエアの制作能力が高かった事が挙げられます。最初に彼らの作ったいくつかのキャラクターの3Dデータ、アニメーションの審査の時に、ディズニーのスタジオの人たちがその品質に驚いた程でした)。
ディズニーにとって、当時ゲーム部門は主流の部門ではありませんでした。あくまで、映画、テレビ、パークがメディアの中心で、ゲームはライセンス部門の一部でした。(因みに今では、ゲームとインターネット部門が一つになり、ディズニーの独立部署かつ戦略部署と位置づけされています。) ディズニーがあまり強くない領域であまり強くないターゲット層に向けて、他人のお金で(スクエア)実験的な施策を打つのは会社に取っても悪くないと言う空気になっていきました。しかも品質は高く、ゲームで定評のあるパートナーなのです。ただ、それでもブランドグループもなかなかオフィシャルにGOを出しません。 我々にとってもう一つの追い風は、当時他国が落ち込んでいる中、日本のディズニーが全体で絶好調だった事です。東京ディズニーランドに加えディズニーシーがまさにオープン準備中でしたし、i-modeへの対応でモバイル部門も立ち上がっていました。ライセンス部門も他国が落ち込んでいる中好調を維持し、ジブリ作品のビデオ流通も当たっていました。
そこで、長年ディズニーでCEO(当時)として君臨をしていたアイズナー氏が、久しぶりに日本を訪問する事になったのです。この時の彼への権力の集中は凄まじく、彼の日本出張時に、何や感やで米国から100人以上の人が同時に日本にやって来ました。この様な中、日本での活動報告をアイズナー氏にする事にな���、私もプレゼンをする事になったのです。
我々ゲーム部門の目的は、何とか此処で『キングダムハーツ』をオフィシャルにすることでした。数日かけて、ゲーム部門社長やディズニージャパン社長とプレゼン内容を相談し、当日に挑みました。アイズナー氏は流石にちょっと尊大とも言えるくらい威厳があり、カジュアルなセッティングにもかかわらず、場には緊張感が走ります。ストレートで厳しい質問もどんどん投げかけます。
私の順番になり、ゲーム業界の様子やいくつかのプロジェクトを説明したあと、『キングダムハーツ』の説明をはじめます。このプロジェクトが如何にクオリティが高くディズニーにメリットがあるか自分が説明するのを、横からゲーム部門社長が援護説明を入れます。とても助かったのは、アイズナー氏の内容に関する質問に対し、ブランドのトップが如何にディズニーのブランドにとってメリットがあるか援護射撃をしてくれたことです。
アイズナー氏は気軽に、「おー、そうか。頑張ってくれ」と励ましの言葉をくれましたが、この時が本当に『キングダムハーツ』がオフィシャルにディズニー内でGOになった瞬間でした。プレゼンが終わった後には、皆が祝福の握手に来てくれて、ブランドトップは祝福のハグまでしてくれました。この時まで、中立だった人たちがサポートに回ったのです。
何で、こんなに大袈裟なのかと思うのですが、ディズニーのクリエイティブに対する想いと、当時の組織の膠着が重なり合ったことが背景となっているのでしょう。あの時、アイズナー氏がちょっとでもネガティブな事を言っていたら、あのプロジェクトは飛んでいたかもしれません。
余談となりますが、当時一応、ブランドのトップは創始者ディズニーの甥 Roy Disney だったのですが、彼は保守的な立場の人でしたが、アイズナー氏との折り合いは悪く、彼は会議には出ていませんでした。彼がいたらここも一悶着あったかもしれません。
これは、言ってしまえば社内ポリティクスの苦労話です。そこには、普遍的な事もあるし、ある意味ディズニーという特殊な問題もあるでしょう。普遍的なことを言えば、どんな会社も形は違えどもなんらかの根回し、プロトコルがあるのだということです。よく、アメリカの会社には根回しがないという言葉を聞きますが、少なくともディズニーには全くその言葉は当てはまりません。ただ、日本の根回しとは少し違った感じはします。有力者にとにかく頭を下げてお願いするというよりは、一応こういう正義と言うか正しい気持ちとそこに伴うコミットメントが込められているかという説得はついていました。まあ、サプライズをビジネスマンは好まないという意味では同じなのかもしれません。また、どんな企業もトップが傲慢になりすぎると、決めるプロセスで苦労するというのも普遍的かもしれません。
ディズニーの特殊な面で言うと、クリエイティブに対する考え方、決め方、こだわりもこの件を通じてよく理解出来ました。あるところではビジネスを追求しているのですが、クリエイティブに対して尊敬しなければいけないとする問題意識は共有されています。ライセンスのガイドラインの作り方、ビジネスの作り方も見事なものです。コンテンツやIPをビジネスにする仕組みを積み上げているのです。
現在、日本ではサンリオが非常に上手いグローバルライセンス展開をしていますが、一方で集英社プロパティを中心に勿体無いコンテンツが沢山あります。世間で、ジャパンクールとはいうものの、その広がりを見せている様には思いませんが、コンテンツやライセンスのプロデュース、事業化能力をあげることも、コンテンツ、IPビジネスにおいてクリエイティブにも劣ることなく必要なことであるということはディズニーから学べるところです。
では、このライセンス商品を、ディズニーとしてどうプロデュースし盛り上げたかという施策を紹介します。ひとつが音楽に関する取引と、もう一つがプロモーション施策です。音楽に関して言うと、スクエアのクリエイターでディレクターを務めた野村哲也さんは、出来れば当時人気絶頂であった宇多田ヒカルさんを起用したいと言って来ました。ディズニーのゲームライセンスの契約で(とんでもない)社内ルールは、基本ディズニー作品に使われた曲はディズニーのものになるというものでした。
凄いアーティストと組んでゲームを作るという発想が、もともとなかったのです。ディズニーのリーガルと宇多田ヒカルさんの事務所、レコード会社と交渉しますが、此処でディズニーマジックが起こります。宇多田ヒカルさんがディズニーの大ファンで世界的に曲が広まるのであればと嬉しいと、日本語と英語版の楽曲提供を基本合意してくれたのです。然も、ディズニーの条件である、音楽のパブリッシング窓口がディズニーとなる事も納得してくれたのです。
キングダムハーツの主題歌「光」は、テクニカルには、宇多田ヒカルさん初の海外版になっているのです。ちょっと、蛇足ですが、この「光」という素晴らしい曲ですが、出来上がるのに時間がかかりました。丁度、彼女の病気と結婚の時期とかぶってしまったのです。この曲が素晴らしいものであったにもかかわらず、プロモーションビデオがとても地味な(失礼)出来になっているのは、病気が大きく影響していた様です。この曲は発売以来3週連続のオリコン1位を獲得します。人気絶頂だった宇多田ヒカルさんの曲とゲームのプロモーションを上手くリンクさせる下地が出来上がったのです。
私は、『キングダムハーツ』の問題として(今でこそとても当たり前に自然に見えているかもしれませんが)、スクエニのキャラクターとディズニーのキャラクターが並んだ時の違和感を感じていました。これを払拭するには、その世界観をあまり見せないか(ミステリーにして口コミに頼る)か、目一杯メディア露出をするかだとおもいました。前者は何もしないに等しいことなので、せっかくディズニーも絡んだ大型作品なのでどう露出するか考えました。スクエニに広告費露出を頼もうにも、先方は開発費が予算を大幅に越えており、その枠にも限界があることはわかっていました。
ディズニーには、新しい映画を世間に出すときに、他の企業と組んでプロモーションをするというco-promotion という仕組みが出来上がっていました。例えば、トイストーリーの映画封切に合わせて、マクドナルドがハッピーセットを出してその告知をメディア広告(主にテレビ)するという類のものです。ゲームではこのモデルを使ったことがないけれど、何とか出来ないものかということで、幾つも営業に回りました。その甲���あって三井ホーム社、日清社そしてアサヒ飲料社とco-promotion 契約を結べました。
特に、アサヒ飲料社とはゲーム業界史上最大規模となるco-promotionが成立します。内容は、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーを対象に、キングダムハーツのボトルキャップとデザイン缶キャンペーンを実行し、さらに大々的にキングダムハーツのイメージと宇多田ヒカルさんの「光」を使い、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーをテレビ広告を中心としたメディア広告を展開するというものです。ブランドを二つに分けたのには実は裏の事情があります。ディズニーはグローバルにコカコーラ社とキャラクターライセンス契約をしていました。そのため、炭酸飲料についてはミッキーとその仲間たち、ディズニーでいうところのスタンダードキャラクターに関しては使えませんでした。そこで、どうしてもスタンダードキャラクターも使いたいアサヒ飲料社の要望に答えるべく、バイヤリスオレンジにスタンダードキャラクターをあてがい、本当に推したい三ツ矢サイダーにはその他のキャラクターをあてがうことにしたのです(ちなみにすべて『キングダムハーツ』に出ているキャラクターでないといけない)。
結果デザイン缶は10パターン作ることになります。こちらにとって結果的によかったのは、アサヒ飲料社が2つのメインブランドを推すキャンペーンになったためプロモーション規模が結果的に大きくなるおまけもついて来たのです。ここであえて追加すると、日本の他のディズニー部隊の協力は素晴らしいもの���した。当然、コカコーラ社を担当している部門や当時のディズニージャパンの星野社長(現在ジブリ社長)の協力が無ければ到底出来ない内容でした。
このキャンペーン規模、テレビ広告の規模全国2500GRP以上という凄まじいものでした。どれくらいすごいかと言うと、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下SCE)とスクエニがキングダムハーツにかけた広告を足したものの倍近くあったのです。また、ボトルキャップとデザイン缶を併せた『キングダムハーツ』仕様のドリンクは3000万缶近く作られ、コンビニでも『キングダムハーツ』のイメージが一気にばらまかれました。
キャンペーンタイミングも奇跡的にピッタリ合わせることが出来、今から考えても信じられないくらい上手く連動が出来たと想います。ゲームとの相性バッチリのアサヒ飲料のテレビ広告(YouTubeで捜しましたが見つかりませんでした。残念)は、ゲームの発売1週間前から集中投下され、この広告が始まるや、コンビニでのゲーム予約が8倍に跳ねました。ゲームも初回発注から、週末を待たず追加発注がなされ、何と1週目にスーパーロボット大戦の発売があったにもかかわらず、1位を獲得、大ヒットダイトルヘと成長をして行きます。海外では、『キングダムハーツ』はファイナルファンタジーを凌ぐビジネスとなっています。 当然、この『キングダムハーツ』に関しては、ゲームの力やクリエイターの執念、またパブリッシャーの努力が第一義的に成功の要因です。彼等の更なる努力により、キングダムハーツが10周年を迎え、さらに大きなIPに育っていることを本当に嬉しく思います。おめでとうございます。
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