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#1970年代後半から80年代
ari0921 · 1 year
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この儘では米国の核の傘は破れるか
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          櫻井よしこ
今月18日、ワシントン郊外の大統領山荘、キャンプ・デービッドでの会見で、バイデン大統領はこう切り出した。
「もし私が幸せそうに見えるなら、それは私が幸せだからだよ。すばらしい、すばらしい会談だった」
左右の岸田文雄首相、尹錫悦大統領を見ながら、バイデン氏は満足そうだった。「ワシントン・ポスト」紙は日米韓三首脳による会談の意義は計り知れない、と論評した。
会談では中国についても論じられたが、キャンプ・デービッド会談は中国を念頭に置いたものではないとバイデン氏は取り繕った。しかし、首脳三人が集結したのは、まさに中国の脅威に単独では対処しきれないと考える米国が日韓両国にコミットさせるためだったはずだ。
「歴史的」な首脳会談では、日米韓の安全保障協力を新たな高みへ引き上げ、自衛隊と米韓両軍の共同訓練を毎年実施し、今年末までにミサイル警戒データのリアルタイム共有を開始し、経済的威圧に対抗するサプライチェーンを強化するなど多くの目標が並び、地域的脅威には日米韓の連携で当たる体制となった。
米国の切望する、軍事面を筆頭とした日韓の幅広い協力体制の形が、一応整った。米国には日韓双方を何としてでも協力させなければならない事情がある。一言でいえば、米国による拡大抑止、核の傘はこのままでは破綻しかねないのだ。防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が8月11日、「言論テレビ」で語った。
「米国が圧倒的な力を持っていた時代が終わりつつある。中国は2035年には1500発規模の核を持つ。米国の力が相対化され、米中間にMAD(相互確証破壊)と言われる状況が生まれたら、米国の核の傘の下にある同盟国はやや心配になる。これは1970年代に欧州の同盟国が感じたのと同じ不安です」
高橋氏はそもそもバイデン政権の安全保障の論理がおかしいと指摘する。22年10月にバイデン政権は核戦略文書、「核態勢の見直し」を公表した。安全保障環境はどの分野でも悪化していると分析しながら、核兵器の役割は減らすとしたのだ。
核弾頭の寿命は30年
「核抑止の専門家から見ると、米国内も含めて、大丈夫かという不安が拭えないのです」と高橋氏。
米国の核弾頭はいずれもかなり古く、一番新しいものでも1989年製、つまり34年前のものだ。ベルリンの壁が崩れ、冷戦が終わった後は新しい弾頭を作る理由はなかったからだという。だが、核弾頭の寿命は30年と言われている。
「ブッシュ政権のときに、それが大問題になった。で、オバマ政権以降、ピットという起爆装置など、部品の改修・更新を進めました。結果、弾頭の老朽化は今、それ程気にする必要はなくなった。むしろ問題は運搬手段です」と高橋氏は話す。
核戦力は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と、戦略爆撃機の3つから成る。米国のICBM、ミニットマン3は70年代前半に配備が始まった年代物だ。SLBMのトライデントは80年代、戦略爆撃機で一番古いのはB52、60年代の飛行機だ。
米国は今、ICBM、SLBM或いは潜水艦の近代化を進めているが、完成は2040年の予定である。他方、ロシアの一連の近代化計画は26年の完成を目指す。ロシアが新START(新戦略兵器削減条約)の期限が切れる26年を目指してきたのに対し、米国が遅れをとったのだ。さらに、前述のピットという起爆装置の生産能力が今の米国は非常に小さい。弾頭を増やそうとしても増やせない状況が生じている。
参院議員の佐藤正久氏も語った。
「米国保有の核弾頭は基本的に戦略核です。米国は戦術核を持っていない。だから中国の戦術核に対応するために潜水艦から発射する低出力の核、つまり戦術核を持つべきだという議論が起きて、トランプ政権下で作り始めた。それをバイデン政権は凍結してしまったのです」
ロシアと中国の核に対峙できない状況に米国は立たされている。このような状況がなぜ生まれたのか。欧州ではかつて旧ソ連の通常戦力が圧倒的に強かった。米欧諸国はこれに対抗できないために集団安全保障体制の北大西洋条約機構(NATO)を創り、通常戦力の弱さをカバーするために米国の核を導入した。
他方、今、ロシアが核を使うのではないかと恐れられている。ロシアはウクライナ戦で通常戦力をかなり消耗し、それをカバーするために核に頼ろうと考えかねないのだ。こうして見ると通常戦力で劣勢に立たされた側に、核を使う動機がより強く生まれがちなのが見てとれる。
戦後の極東、日本周辺はどうだったか。米国の海空戦力、つまり通常戦力は圧倒的に強かった。それに中国はどう対処したか。中国が対前年度比二桁の軍事費増額を実践し始めたのは、ベルリンの壁崩壊以降だ。ソ連邦の解体で中国は旧ソ連に遠慮することなく通常戦力の増強に邁進できた。中国は当時すでに米国と国交を樹立し、米国は中国を敵視せず、逆に大いに援助した。
民主党政権は核を使わない
結果、中国は極東における通常戦力で圧倒的優位を築いた。そしてここに来て中国は核戦力も大増産中だ。
ということは軍事バランスの構造上、極東の戦域で台湾有事、日本有事が起きれば、核の使用を考えざるを得ないのは、中国よりもむしろ米国ではないのか。
だが、民主党政権は「絶対に」核を使わないと、高橋氏は断言する。
「すでにウクライナのように、友好国が戦場になっていても、核であれ、通常戦力であれ、(ロシア本土への)攻撃を米国はためらっています。その場合、自分たちでやるしかないですね、ということになります。それは僕たちの側から見れば、見捨てられるということですね」
佐藤氏が付け加えた。
「同盟イコール自動参戦ではありません。フォークランド紛争の時、同盟国のイギリスが米国に軍隊派遣の支援を求めましたが、米国は拒否しています。自分の国は自分で守るということに尽きます」
日本は戦後78年間、ひたすら現行憲法の悪しき平和主義の夢に浸ってきた。どんな時も米国に守ってもらえると考えてきた。いま状況は大きく変わりつつある。その中で、米国の対日観も大きく変化し始めている。日本も安全保障において自立し、米国にとって強い味方であり、支える力になってほしいという姿勢への変化だ。米国は戦後一貫して軍事的に日本の頭を押さえ続けてきた。その米国の日本を見る目が本質的に変わったいま、わが国は米国の意図を正しく把握し、如何にして共に守り合うかを考える時だ。憲法改正は固(もと)より、
安全保障で力強く自立するための方策を、核の共有や戦略的配備を含めてタブーなく議論し、真っ当な勇気ある民主主義国になる時だ。
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kennak · 11 months
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近視の子どもの数が増えている。2016年に学術誌「Ophthalmology」に発表された研究によれば、2050年には世界人口の約50%が近視になると予測されている。  米国では1970年代には人口の25%が近視だったが、わずか30年後には42%にまで増加した。一部の近視には遺伝的要因もあるものの、現在では生活環境も重要な要因と考えられている(編注:2021年に学術誌「Ophthalmology」に発表された、日本の34~80歳の成人9850人を調査した研究によれば、近視の人の割合は約50%、60歳未満では約70%だった。また、日本の文部科学省の学校保健統計調査でも「裸眼視力1.0未満の者」の割合は増加傾向にある)。  近視が急増している原因を解明して、子どもの近視の進行を抑えたり視力を回復させたりする方法を見つけようとする取り組みが始まっている。近視は、子どもたちの生活の質と将来の失明のリスクに重要な影響を及ぼすからだ。 「近視の子どもたちの割合は、かつてない速さで増えています」と、米アラバマ大学バーミンガム校の検眼医、ニック・オンケン氏は言う。「この急速な増加は遺伝だけでは説明できません」 「近視が重度である人ほど、のちに網膜剥離、緑内障、黄斑変性症、白内障などで失明するリスクが高いことは、数十年前から知られています」と氏は説明する。 近視の目には何が起きているのか  近視は、子どもの頃に始まるケースが多い。「近視の症状は、眼球の奥行き(眼軸長)が長すぎることが原因です」と、米ニューヨーク州パーチェスの眼科医、キャロライン・レダーマン氏は説明する。眼球が過剰に長��なると、遠くのものを見たとき、焦点が網膜より前の部分に合ってしまうので、ぼやけて見えるのだ。(参考記事:「宇宙飛行士の視覚障害の謎解明か、障害は不可避?」)  将来的に視力がどこまで低下するかを予測するカギとなるのは、近視が始まった年齢だ。 「近視の進行を予測する最大の判断材料は、近視の発症時期です」と、米オハイオ州立大学検眼学部の研究担当副学部長であるジェフリー・ウォライン氏は話す。氏の説明によれば、近視になった年齢が低いほど、眼球が成長して伸びる期間が長いので、将来の視力も低くなる。多くの子どもの場合、視力は10代後半で安定するが、少数ながら20代半ばまで安定しないケースもある。
近視の子どもが急増中、なぜ? 進行を遅らせる治療法も | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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nemosynth · 2 years
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episode 2 - CASIO CZ-101
史上初の民生機デジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の 挑戦者として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。
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創業者たち、その名も“樫尾さん”という苗字の四兄弟に由来するメーカー“CASIO”。1970年代からハイテクな電 子計算機やコンピューターを開発製造販売し、そしてG-SHOCKなど腕時計関連で名機を輩出させたことで有名。
1979年あたり、既にYAMAHAは小型でプリセット音色のみを搭載した電子楽器“ポータブル・キーボード”を発 売予定であることをNAMM Showでアナウンスしていた。ご家庭向けにエレクトーンを小型化したような文脈で考 えていたらしく、むろん販路は正しく楽器屋さん。その予告通り初代ポータサウンドことPS-1(鍵盤Fスケール2 オクターブ半)、PS-2(同3オクターブ)、PS-3(同3オクターブ半)の三羽ガラスが発売されたのが 1980年。 だがその出鼻をくじくかのように、CASIOは初代カシオトーン“CT-201 Casiotone”を、同年1月に発売したの である。しかも販路は電気屋さん! はなから楽器を相手にしていないエンタメ志向。
世の中アナログ・シンセしかなく、ましてや翌年にその王者ROLAND Jupiter-8が出るなんて誰も知らなかった 1980年1月、なんとCT-201は既にデジタル音源を搭載。計算機メーカーが楽器を作るだなんて無謀なことをと誰もが笑ったというが、なにしろ“デジタルはカシオ”(というCMが当時ありました)。デジタル・テクノロジーが可 能にせしなんぴとたりとも追いつけない価格破壊と優れた仕様と楽しい性能で、あっというまに低価格のご家庭用 お楽しみ電子楽器ファミリー向けプリセット型キーボードという世界を築き上げ、ゲーム・チェンジャーとなった ことは周知の通り。
1980年にして既にデジタル・シンセシスを搭載したCT-201。8音ポリ4オクターブ49鍵、ベロシティには対応 せず音色エディットも不可。その代わりプリセット29音色(YAMAHA初代ポータサウンドは4音色のみ)。スピー カーを内蔵しているので音も出る自己完結型の電子鍵盤楽器。9万7千円は高いと思われるであろうが、当時のシ ンセはアナログ・シンセばっかでポリシンセと言えば何十万円、モノシンセでも10万円前後というときに、ホー ム・マーケットへ向けて電子ピアノでもオルガンでもシンセサイザーでもない8ボイス・キーボードが、しかも飛 びきりの安価で殴り込んでくるとは誰も予想だにしなかったのである。
「電卓屋」とバカにされたCASIOには、だからこそ大きな武器があった。デジタル技術と生産技術である。
当時CASIOのデジタル技術は、YAMAHAよりも5年は先をゆくものであったという。そして絶対に売れるものを徹底的に量産する。それも安定してクオリティをキープしつつ、ありえない低価格で桁外れな数で大量生産。ここで忘れていけないのは、“数撃ちゃ当たる”とよく言われるが、“数撃ちゃハズレはもっと増える”のである。ハズレ撲滅! 花形の設計開発エンジニアたちがヒーロー・インタビューに応える影で、撃って撃って撃ちまくれの檄 (ゲキ) が飛ぶ中、ハズレ撲滅のためいかに製造/資材調達/品質管理の現場の皆さんが頑張っておられるか、それは美しきにっぽんのものづくり。不良率低減の5文字こそが工業立国メイド・イン・ジャパンの生命線。卓越したプロダクション・テクノロジー、イギリス英語ではインダストリアル・テクノロジー。廉価版デジ タル音源キーボードをしかも圧倒的な台数で作るというのは、実は電卓屋CASIOが電子楽器をして量産品にまで押 し上げし歴史的メルクマールですらあった。
庶民の味方カシオトーンはあっという間に新しい市場を開き、すぐさま自動伴奏機能が付いてファミリー向けの 定番となり、光ナビゲーションはもちろん、バーコードを楽譜の代わりに読み込むバーコード・リーダー搭載モデ ルまで出現、この痛快なる常識破りっぷりが大ウケ。音色やリズム・パターンのバリエーション急拡大。YAMAHA ポータサウンドと一騎打ち。
そして“子音母音方式”とも呼ばれたカシオトーンの音源方式は、その名の通り子音と母音、つまりアタック・ト ランジェントと持続音部分という2つの音色をまさに部分音合成するものであった。カシオトーンはその後のデジ タル・シンセのあり方すらをも予見させる迫力に満ちた先駆者でもあったのである。ROMに言わばエンジニア様直 筆の手描き波形まで仕込んだらしいから、すごいねぇ。
そのCASIOが家庭用キーボードからさらに一歩踏み出し、プロ用シンセを手掛ける初めとなった、いわばパイロ ット・モデルのような機種がようやくここで紹介するCZ-101。ときに1984年11月。
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MIDIが誕生すると同時にYAMAHA DX7が発売され、あっという間にアナログ・シンセが過去の遺物として片付 けられてしまってから1年。カシオが突如として発売した同社初のシンセCZ-101。それはDXへの最初のチャレン ジャー、デジタル・シンセ対抗馬、YAMAHAにしてみれば“またお前か!”と言いたかったやも。ミニ鍵49鍵とい うかわいいフォーマット。エンド・ピンも付いてダサかっこいい肩掛けもできる。そのポップで直線的な80'sデザ インは立花ハジメによるもの。のちのポップなカラーリングになった上位機種たちに比べれば、CZ-101のそれはま だまだ地味。だが既にDXとは全くテイストの異なる外観に、CASIOがYAMAHAの対抗馬となる片鱗が見えてい た。
だがいくらカシオトーンで成功していたとはいえ、さらにそこからいきなりヲタでニッチなデジタル・シンセへ と跳躍するには、持ち前の大量生産技術だけにとどまらないCASIOなりの勝算があったはずである。
まず計算機メーカーだったカシオは、その中枢となるデジタル演算を行うICチップなんぞいくらでもNECや日立 などから買うことができる大口の大得意様であった。というのも電子楽器のために特化したICを作るとなると、仕 様が特殊であるだけでなく計算機などと比べても圧倒的に販売台数が少なく採算割れするため、作ってすらもらえ ない。だが電卓屋カシオは既にチップ・メーカーからすれば御大尽さまご贔屓さま、むしろどんどんチップ・メー カーの方からさまざまな売り込みがあったはず。事実CZ-101には他社に作ってもらったICがたくさん搭載され、そ れでもって音源回路となした。電卓屋カシオ面目躍如!
また徹底してコスト・ダウンすべく鍵盤におもりやスプリングなど付けることもなく、鍵盤下に敷いたゴム・ス イッチそのものにいきなり鍵盤を載っけて直接支えさせ、ぷにゅぷにゅ言わすことで鍵盤の反発力を生じさせてい る! すなわちYAMAHAのように楽器屋さんとしてのプライドと歴史からタッチ・センスにこだわるのではなく、 逆転の発想でタッチ・センスを省くことでしがらみから解放され、画期的にコスト・ダウンして斬り込んできたの である。しかも打鍵の強弱に左右されないおかげで、誰が弾いても一定のクオリティとなるを担保。旧態依然とし た楽器にとらわれない、計算機メーカーならではの自由な発想であろう。
さらにカシオトーンに欠かせない自動伴奏機能からヒントを得たのであろう、マルチ音源化。そしてお得意のミニ鍵でもって設計リスクの小さなパイロット機種となし、かくしてCZ-101はCASIO初の量産型シンセとして、しかもアナログ・シンセではなくいきなりのデジタル・シンセとして飛び出した。
「Xの次はZだ!」
デジタルYAMAHAへの挑戦状を最初にたたきつけた思わぬ伏兵、CASIO CZシリーズ。ラインナップ急拡大。しかもヤマハDX9の失敗を見て、19万8千円がタッチ・センスなし機種として許される上限価格と見極めたのであろう、フラッグシップ・モデルCZ-5000とCZ-1とが、共に19万8千円で誕生。楽曲制作かプレイヤー志向かの二者 択一。史上2番目の民生機デジタルは、だがタッチ・センス無きビンテージ・アナログの戦略を踏襲しつつ、それ を画期的にデジタルで換骨奪胎して提示してみせた知恵者であった。
同じことは、カシオ独自のPD音源(Phase Distortion Synthesis)にも言える。FM音源と同じく位相変調方式 であり、サイン波の代わりにコサイン波を使うことでYAMAHAにシバかれた音源方式。だが、傍目にはただのデジ タル化された減算方式にしか見えぬ。DCO→DCW→DCAというフローに隠されたモジュレーターとキャリア。 DCWに至ってはDigital Controlled Waveという名の謎のモジュール。計33種類に達する音源波形なるものがもた らす音の多彩さは、とてもアナログ・シンセの比でない。レゾナント波形もあるばかりか、パルス波1波/サイン 波1波/ノコギリ波1波の3つが交互に出現するという、キテレツな波形もある。
そればかりでない。CASIOの鋭さは、アナログであればカットオフとEGデプスに分化しているパラメーターを一 つにまとめた合理化センスにもある。前例主義や様式美なお作法に対し、ちゃんと注意を払って革新しているので ある。トドメはYAMAHAですら採用しなかった8ステップのエンベロープ・ジェネレーターを、しかも音程、音色、音量の3ブロック個別に持つことで、アタック・トランジェントすらをもEGで自作できるというぜいたくさと 柔軟さを誇ったこと。すなわちトランペットを吹くときに唇が震えるリップ・ノイズ、撥弦楽器の弦のビビリなど など、のちのサンプルのような鏡写しでは無いにしても、キッチュながらリアルな独自のキャラを持つに至った。 アナログな音も、デジタルな音も、サンプラーのような音までもが出る万能シンセ! それがこんなちっちゃいボ ディで乾電池で駆動までできる! シンセ界のスイス・アーミー・ナイフのような機種、それが驚きの隠し玉CZ- 101。
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かくして音創りしやすい減算方式にしか見えないのに、新しい音がするところにデジタルが切り拓く未来があっ た。しかもサンプラーではなくシンセであり、PCMでもないが故、かえって自由に音創りできたところはシンセの 本分をよくとらえている。リング変調やノイズ変調まであり、CZシリーズ上位機種に至ってはぜいたくな三相コー ラスを備えるなど、画期的コスパも発揮。
なお、DCOという言葉が使われているが、本来DCOとはピッチのみをデジタル制御させたアナログ・オシレータ ーを意味する。だがCASIOが言うDCOとは実はDCOではなく、フル・デジタル・オシレーターであり、すなわち DOとも言うべきもの。この混同が、他のDCOシンセをしてVCO原理主義者アナログ・シンセ警察から“音が薄 い”などと因縁を付けられる要因になったやも。よもやクラブ・ミュージックにおいてCZの音が“デジタルなのにあ ったかい”などと重宝されることになろうとは、一体誰が思い描けたことであろう。
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一連のCZシリーズを展開する傍ら、CASIOは史上初の16ビット・サンプリング・シンセFZ-1、高橋幸宏のタイ コの音を搭載した言わばシグネチャー・モデルみたいなサンプリング・リズムマシンRZ-1、同じく幸宏が開発にか かわったデジタル・ドラム・セットDZ、音符マークが付いたボタンまで搭載し分かりやすい単体シーケンサーSZ- 1、なんとMIDIスルー・ボックスTB-1に至るまで、一気に電子楽器ラインナップを広げた。CZ-101から4年後には 次世代モデル、それもフルモジュラーなiPD音源(interactive Phase Distortion Synthesis)搭載デジタル・シ ンセVZ-1や、同音源を搭載したギター・シンセPGシリーズまで投入。
さらにはアドバイザーだった冨田勲のために和製Synclavier的な巨大ワークステーション・システム“Cosmo Synthesizer”も制作している。これはCZ-101に先行する極めて大規模な実験機種であり、MS-DOSマシンを中核 とし、PD音源モジュール8基、サンプラー音源モジュール2基が組み込まれたラック・タワーがそびえ、波形も音 色もシーケンスも専用PCエディターで編集し制御するのであった。それを冨田勲さんはメディアアート・イベン ト“アルス・エレクトロニカ”の一環としてオーストリアはリンツのドナウ河畔で開かれた超巨大立体音響野外コン サートに使った。CZシリーズが別名“コスモ・シンセサイザー”と称されるのは、これに由来する。
最初にMIDI規格を立ち上げたときにはかんでいなかったCASIOが、さりげなくCZを4パート・マルチティ���バ ー仕様にしてきたことも先を見越した鋭さであろう。MIDI制定にカシオは関与してこなかったのに、それでいてそ の本質を見抜いた慧眼(けいがん)はやはり初めからデジタルに強いメーカーならでは。先述のCZ-5000はマルチ 音源であることを利用し、KORG M1に先駆けたワークステーション・シンセとなった。このマルチティンバーを生 かした進化形には SD音源(Spectrum Dynamics Synthesis)を搭載したシンセHZシリーズからHTシリーズへ と進化した“自動伴奏シンセ”まであった。
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史上初のデジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の挑戦者 として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。YAMAHAに挑み、その好敵 手となったのは実は門外漢だったはずのCASIOであった。
得意のデジタル・テクノロジーでもってシンセ界に殴り込んできたカシオ。他社がデジタル化に乗り遅れうろた えているときに、逆にしょっぱなからデジタルで斬り込んできたCASIO。楽しく音楽するためには、必ずしもシン セは楽器でなくてもいいと見抜いていたCASIO。楽器たるしがらみにこだわったYAMAHAとは真逆に、楽器メーカ ーでは無いからこそお気楽に楽しめる別な楽器の世界があると知っていたCASIO。優れたプロダクション・テクノ ロジーでもって親しみやすさ分かりやすさを命題としたCASIO。お高くとまった楽器にきっついブローをかました CASIOは、その実フレンドリーな庶民の味方であった。
外様だったはずのCASIOが暗に掲げたのは、楽器の民主化であった。いや、外様だったからこそ楽器の民主化を 掲げたのであろう。CASIOが実現したのは既存メーカーがなし得なかった価格破壊だけでない。CZを踏まえて登場 した自動伴奏シンセを、だっさいなどと思うことなかれ。弾くのがややこしい伴奏もノー・プロブレム、マルチテ ィンバー音源とマルチトラック・シーケンサーとの組み合わせでもって、そうとは感じさせることなく機械が人間 を自然にアシスト。
人と機械との親密でフレンドリーで幸せな関係、それを理屈抜きで分かりやすく提示する。アトムやドラえもん がいる日本ならではの、機械が人間と共存する理想的な関係。いずれたどりつくであろうその未来はAI vs 人間で はない。AI が勝つのでも人間が勝つのでも無い。ポジティブな“ウィズ AI”。そんな未来に至ることになろう一歩 二歩を、エンタメ楽器ならではの切り口で分かりやすく平べったく描いたのが、市民感覚CASIOの楽器であった。 つまりそれは、楽器であることを棄ててもまだ楽器、おつむのおカタい楽器に一石を投じる新しい楽器の産声であ った。
CASIOは、えらい!
(2021年9月21日Sound&Recording公式サイト初出)
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gaebage · 8 months
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『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』
 興味深く面白く観た。70年代後半は新しく生み出された概念である”アイドル”が歌謡曲の世界を席巻・制圧した時代だったのだなと改めて思った。これが80年代になるとアイドルが一つのジャンルとして独立して存在、猛烈な勢いでその形を変えていく。それと軌を一にするように歌謡曲というジャンルが消えていく。
 自分はこの時代には掠った程度だが、当時現場でそれらを作っていた人々はひりつくような日々を過ごしていたのだろうなと想像するに難くない。
 そういえば作中でピンクレディーのケイちゃんが『スター誕生!』にフォークの曲で出たのは戦略だった、てのは数年前になんかのラジオで聴いたっけな。あと静岡のローカル番組にはすでに出てたとも云ってたっけ。
 ただちょっと気になったのは「テレビ東京で……」というセリフがあったが当時は東京12チャンネルではなかったかな。なんかそういう、ん? と思うような部分がいくつかあった。
 いまから10年ほど前か、吹越満氏が阿久悠大人を演じたドラマがやはりNHKで放送されたと思うがそれと併せて観られればなおのこと良いと思う。
2024/02/07 NHKBS録画
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gallerynamba · 9 months
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◆Gallery年始の80ブランドセール、なんばCITYビッグバーゲン参加◆
開催期間:2024年1/2(火)~31(水)まで(1/2(火)のみ9:30スタート) 開催場所:Gallery なんばCITY本館1階店
上記期間、Galleryは、なんばCITYビッグバーゲンに参加致します。 80ブランド以上5000点の商品をセールで販売。内容は全て業界から厳選された珠玉の商品です。2023年秋冬最新ウェアが30%OFF等。アーカイヴ作品は最大70%OFF。
★ヴィヴィアン ウエストウッドマン2023年秋冬最新作
★その他のブランド2023年秋冬最新作 モスキーノ、モスキーノクチュール、モスキーノジーンズ、ピンコ、フォルテ フォルテ、セミクチュール、8PM、ブラスト-オフ、ペセリコ、オルドス、アリジ、コルマー等
★その他のウェアアーカイヴ商品 ニナリッチ、ヴィヴィアン ウエストウッド、ヴィヴィアン ウエストウッド マン、アングロマニア、アレキサンダー マックイーン、モスキーノ、モスキーノクチュール、ブティックモスキーノ、ラブモスキーノ、ブルマリン、ブルーガール、エルマノ シェルビーノ、ペセリコ、レコパン、アニオナ、セブンティ、1970、バリー、カラス、ドロシー シューマッハ、ヴェイユ、マルタンマルジェラ、ミッソーニ、ジョン ガリアーノ、Chloé他
パーティドレス、カクテルドレス、コート、スーツ、レザーウェア(ライダース・スーツ・コート・スカート・パンツ)、ダウンジャケット、ワンピース、ニット、カーディガン、ブラウス、カットソー、スカート、パンツ、シューズ、BAG等、約5000点の圧倒的な品数です。
★BAG、革小物アーカイヴ商品 ジャンポール ゴルチェ、アレキサンダー マックイーン、モスキーノ、アリジ他
★靴のブランド 2STAR、ドクター マーチン、ゲッタグリップ、ジョージ コックス、イレギュラーチョイス
★ジャンポール ゴルチェ 世界最後の正規取扱。当店保有のゴルチェが最終在庫。
プレタ、オンワード時代のライセンス品、メンズ、レディス、ウェア、あらゆる雑貨等フルアイテム、約300点。最大約70%OFFで放出。
★ジュニアゴルチェ パリコレゴルチェのデザインを用いたティーンエイジャーライン。 レディスの5号、7号、9号サイズ。メンズのXS、S、M、L、相当サイズは当店による半別注の為、世界的に希少。 一部セール。
★アルセラピィ(BAG,財布類のブランド) 1/2(火)から1/31(水)までアルセラピィの全商品10%OFF優待イベントを開催。 店頭ではアルセラピィのセールのみ招待状の御提示が必要です。 その半数が今後生産されることの無い廃盤モデルです。
SALE対象品国内最多。 ラスト1点の商品も多数ございます。 国内最大のアルセラピィ売り場面積と最多取り扱い。 弊社がデザインプロデュースの主軸を担っています。
★ALYSI2024秋冬プレコレクション展示受注会開催 1/3(水)までALYSIの展示受注会を開催。 御自身のサイズでオーダー可能。 オーダーした商品は世界に一着のスペシャルな作品に成り得ます。 サンプルは約100点以上を御用意。 サンプル御試着可能です。
是非この機会にGalleryに御来店下さい。 スタッフ一同、心よりお待ちしております。
Gallery なんばCITY本館1階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1F 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】12月無休 31日のみ18時 1月1日 休館 1月2日 9:30より営業 1月3日より平常営業 【PHONE】06-6644-2526 【MAIL】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/
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thetaizuru · 1 year
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 1977年から1987年の大衆文化を、「リヴィジョニズムの時代」だったとする解釈がある。  1977年というのは映画『スターウォーズ』が公開された年であり、この映画が巻き起こした世界的な社会現象は、前年の1976年に建国200年を迎えたアメリカが、新しい文化の時代を築き始めたことの象徴であるかのように受け止められた。  1987年というのは、末尾の数字を合わせた表現であるものの、いくつかの象徴的な出来事がある。  サブカルチャーにおいては、1986年から1987年にかけてリミテッドシリーズとして刊行されたアラン ムーア原作のコミックス��ウォッチメン』が1巻の単行本として出版された年である。この作品は、その後のサブカルチャーに多大な影響を与えたと評される。  ポップアートにおいては、ポップアートというジャンルを超えてアメリカの一時代を象徴した存在でもあるアンディ ウォーホルが亡くなった年でもある。  そして、1987年にロシア革命70周年を迎えたソ連は、ペレストロイカ(「再構築」)とグラスノスチ(「情報公開」)を進めていた。これを指導したゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したものの、1988年のエストニアの国家主権宣言、1989年の東欧革命、そして1991年のソ連崩壊に繋がっていく。
 21世紀になって、アラン ムーアの作風を評する際に「リヴィジョニズム」という言葉が用いられたが、これを1977年から1987年頃まで、あるいは1980年代の文化的な状況について言い表すために、拡大解釈的に用いたものが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。  ここで言う「フィクションにおけるリヴィジョニズム」とは、既存の作品やジャンルを改作し、原典の持つ意味や隠れたイデオロギーを批評的に描き出すことで、新しい読み方を提示することだと説明され、これは「脱構築」という哲学的な思考法を手法として昇華させたものだとも説明される。  また、これにはニュアンスとして「ヴィジョナリー」という意味が含まれる。「先見の明がある人」や「幻視者」などと訳されるこの語は、斬新なものの見方や未来像を提示する作家などを評する際に、特に第二次大戦後から1960年代頃までは好意的に用いられた。1982年公開の映画『ブレードランナー』を評する際にも、監督のリドリー スコット、デザイナーのシド ミード、原作である小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を書いたフィリップ K ディックが「ヴィジョナリー」と呼ばれ賞賛された。『ブレードランナー』は公開時の興行成績が振るわず、暗く退廃的な未来観に対する酷評も多かったが、一部の賞賛は衰えることなく、1985年以降に「サイバーパンク」と呼ばれSFのサブジャンルの一つとして定着する世界観に多大な影響を与え、21世紀になってからますます評価を高めたという経緯があり、これも先見性のひとつの側面を表すものとして語られる。ただ、「ビジョナリー」という言葉は、1970年代以降、好意的な意味で使われることは少なくなっていき、『ブレードランナー』を賞賛する際に用いられた頃をほぼ最後に、ほとんど使われない表現になっていく。この言葉に含まれる、スピリチュアル的あるいはオカルト的なニュアンスへの忌避感は強まっていく。  「リヴィジョニズム」という語も、第二次大戦後、「歴史修正主義」と訳され、批判的な意味で使われる。特に1960年代以降は、非難する対象に貼るレッテルのような使われ方が増えていく。「オカルト的」あるいは「カルト的」、「陰謀論的」という言葉とほぼ同義に用いられる。  歴史改変SFでもある『ウォッチメン』を評する際に用いられた「リヴィジョニズム」は、あくまで「フィクションにおけるリヴィジョニズム」という手法を言い表すために用いられたものだが、これが、レッテル貼りのように用いられるようになってしまった「リヴィジョニズム」という語の、この語が使われ始めた20世紀初頭の「時代によって変化する価値観や社会を再解釈することで、出来事や作品を評価し直そうとすること」というもともとの意味を思い出させることになった。いわば「リヴィジョニズム」という言葉自体を再解釈あるいは脱構築して捉えることで、時代解釈の定説や主流とされる考え方とは違ったものの見方を提示するという、本来フィクションに求められていた「ヴィジョナリー」としての役割を、1977年から1987年頃までのフィクションやポップアートなどが取り戻していたと再解釈するのが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。
 1968年アメリカ大統領選でのニクソンの勝利は、ベトナム反戦運動に沸いたカウンターカルチャーの敗北を意味し、1974年にウォーターゲート疑惑によりニクソン大統領が辞任したことは、カウンターカルチャーへのカウンターという保守または中道にも失望感と敗北感を残した。多くの人々が一挙に政治的な運動からも、文化的な運動からも退却していく。多くの人が、何も考えないでいられるコンテンツだけを需要するようになっていき、それまで政治的なメッセージや哲学的思考、文化であったものは、その形式だけをある程度模倣しただけのものになっていく。  ソファーに寝そべったまま動かずにテレビを見て長時間を過ごす人を、「ソファー(カウチ)の上に転がっているジャガイモ」に喩えて揶揄または自嘲した「カウチポテト」という俗語表現は1976年に生まれ、1987年には週刊誌などが当時の若者文化の傾向を「カウチポテト時代」と呼んだ。  1987年以降に「カウチポテト」という表現が日本にも伝わった際に、「ソファでポテトチップスを食べながら」リラックスした時間を過ごすというニュアンスで、半ばあえて意図的にポジティブな意味合いに誤訳するのと同様な捉え方を、この俗語が生まれた直後から、この語を使う人たちはしてもいた。半分は自嘲で、もう半分に、メディアに何が正しいかを説かれたくない、何かを考えさせられた挙句に変な運動へと煽られたくないという消極的な反抗が込められてもいた。
 1980年代の文化を「カウチポテト時代」の文化として、何も考えずに需要できるエンターテインメント消費が始まった時代と捉える解釈のほうが主流であり、「リヴィジョニズムの時代」というのはやや誇張でもある。  アメリカのベトナム反戦運動は、1968年大統領選挙の期間に、当初の純粋さではなくニクソン嫌いという感情を原動力にしたものに変化し、ベトナム戦争からの「名誉ある撤退」と米ソ間の緊張緩和を公約に掲げたニクソンを攻撃するといういびつな運動になり、内部崩壊していく。ニクソン嫌いの感情はいびつなまま、多くの人の中に残った。イギリスの作家であるアラン ムーアは、サッチャー嫌いを1980年代の創作動機のひとつにしていたことを後に認めてもいる。ニクソン嫌いの感情を持った人がニクソンによってアメリカが警察国家あるいはファシスト国家になるという考えと同じく、ムーアはサッチャーによってイギリスが警察国家になると考え、それを『Vフォー ヴェンデッタ』(1982-1989)などの作品に反映させた。『ウォッチメン』では、ベトナム戦争でアメリカが勝利し、ウォーターゲート事件も発覚せず、ニクソンが1985年になってもまだ大統領を務め、米ソ間の緊張が第三次世界大戦勃発の危機的状況までに高まっているアメリカを、作品舞台としている。  1980年代のSFやサイバーパンクの作品は、大抵はその作品の執筆開始直後の80年代か90年代に第三次世界大戦が起きていて、環境破壊によって酸性雨が降り続けているなどの、共通したイメージを世界各地で同時多発的に描いている。ビジュアル的にも設定的にも相互に影響を与えている面も多少はあるものの多様で、未来像だけが共通している。これはおそらく、カウンターカルチャーの終わりのニクソン嫌いが生んだイメージだろうと考えるのが「リヴィジョニズムの時代」解釈である。  「リヴィジョニズムの時代」解釈においては、「フィクションにおけるリヴィジョニズム」が果たした役割は、このニクソン嫌いからいびつな形で生まれてきた終末イメージを、結果として、解体したことでもある。  ただ、その後の文化がニクソン嫌いやサッチャー嫌いのようなものを乗り越えたようには見えないし、そうした感情と、政治や経済、あるいは作品を分けて考えられるようになっているようにも見えない。90%以上の科学者が言うにはあと5年で世界が崩壊するという説を20年以上、ハードコアなバージョンだと60年近くかそれ以上、信奉するスタイルは現在も結構活発だし、ニクソン嫌いやサッチャー嫌いに似た感情を煽られた人たちが、自分たち以外全部ヘイトだと叫ぶスタイルも活発で、いびつさは増しているようにも見える。公衆衛生プロパガンダに煽られたり、別に最初から嘘だってわかってたけど周りに合わせただけだし要望があったから解説してあげただけみたいなこと言い出してる人たちが、もともとの専門分野とかのことを真剣に語っても、聞いてる人たちごとバカに見える。
 「フィクションにおけるリヴィジョニズム」などのように「脱構築」を手法化しようとするときの問題は、その後に続いてくる虚無感である。誤解や矛盾が生んだ感情であっても、それを無理に破壊した後の虚無感は、意味の生成を阻害する。何を見ても無意味に思えてくるし、新しいものや考えが視界に入ったとしても見えない状態にまでなってしまう。そうなる前に心理的なブレーキを踏んだとしても、次の作品に向かうために必要な、疑問や発見などの感情や感動が沸き上がる状態とは程遠くなってしまう。作品として上手くいったとしても一回性は免れず、後続の作品も自分自身までも、その作品のエピゴーネン(模倣者、亜流、二番煎じ)になってしまう。そうなった後の感情の回復には、ユーモアなどが助けになるとも言われるが、無理に笑おうとしても辛いだけだし、カウチポテトでもして時間の経過を待つしかない。  アラン ムーアも90年代になってすぐ同様の悩みに直面し、半ばユーモアで、魔術師になると宣言し、魔術とオカルトの研究を始める。ムーアは、「理詰めの創作についての理解の限界の先に進むためには、理性を超える一歩が必要に思え、その一歩の足場となってくれる唯一の領域が魔術だった」と語っている。
 「リヴィジョニズム(修正主義)」という語は、マルクス主義運動においては、マルクス主義の原則とされるものに対して重大な「修正」を加える意見や思想に対して使われる用語であり、ほとんどの場合、批判や蔑称として使われ、その「修正」や「修正主義者」はマルクス主義を放棄したもの、あるいは異端であるとみなされた。1960年代前半、「平和共存」と呼ばれる米ソ緊張緩和を実行したソ連を、中国は「修正主義」であるとして非難し、一方のソ連は中国のそのような姿勢を「教条主義」として非難した。
 知らずに模倣を繰り返しいびつな感情を育むことへの消極的反抗もまた、繰り返されているように思える。
2023年9月 ドラウト メイ トリガー アウトオブシーズン ブルーミング
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774 · 1 year
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欧米やアジアなど諸外国の出生率も低下傾向にある。結婚や出産に対する価値観の変化、避妊の普及、子育て費用の増加などが背景にある。欧米では保育政策を手厚くするなどして、1990年ごろから出生率が回復する国も見られるようになっている。 内閣府の調べによると、フランスや米国、スウェーデンなど欧米諸国の出生率は60年代までは全ての国が2.0以上だったが、70〜80年ごろにかけて低下した。フランスでは90年代以降、子育てと就労の両立支援を強める政策を進め、2000年代後半には2.0前後まで上昇した。足元はやや低下傾向で20年は1.82だった。 アジアの国・地域は出生率の低下が目立つ。シンガポールや台湾、香港、韓国の推移をみると、1970年時点ではいずれも日本を上回っていたが、2020年にはいずれも日本を下回った。アジアでは婚外出産が少ないことや、未婚化・晩婚化の進行が指摘されている。公的資金の教育費投資が少なく、個人の教育費負担が大きいことも出生率低下の一因といわれている。
日本の出生率1.26は危機的水準 政府目標「1.8」遠く - 日本経済新聞
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toshimasa-kobayashi · 2 years
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ともあれ、わたしはひとりの本人である
老人は感覚が愚鈍だ。年齢とともに血中のドーパミンが減じていく。ドーパミンでなくセロトニンだろうか。なんにせよその減少を実感できるのが虚しい。ひとは老人になるのではない。老人へとすり減っていくのだ。すり減った者は「いまこの時」に熱狂することがない。老人にとって「いまこの時」は、通時的な歴史の風景に過ぎない。博物館で遺物を眺めるようにして老人は自らの生活を眺める。
古いレコードを聞いていた。Martin Dennyが1957年に発表した『Exotica』。好景気に沸く戦勝国アメリカ。そこで彼は東洋音楽を偽装した作風で一世を風靡する。いまなら文化盗用に当たるだろうか。往時の合衆国でデタラメな異国風情が大量生産された。潤沢な予算。ハイエンドな録音スタジオ。彼らは極東に思いを馳せたのか、あるいは軽いジョークだったのか。それが記録されたレコードを手にして、あらためて感心してしまった。
音楽は記録だ。老人はそのように音楽を受け取る。UKのThis Heatのレコードについて。彼らは1970年代後半から80年代にかけて、いわゆる「ポスト・パンク(パンク以降)」と呼ばれる時代にいくつかの作品を残した。あらためて聞いてみると、彼らの音楽はパンクともポスト・パンクともほとんど関係ないことがわかる。演奏はパンクよりもプログレッシヴ・ロックに近い。彼らのアートはポスト・パンクというよりダダに近しい。そんな解釈を頭の中でスケッチしながらレコードを聞いているうち、年月は過ぎていき、ついにわたしは自らの生活もそうやって眺めるようになった。古いレコードを偏愛するように、人生に感嘆している。
いつでも歴史が問題になる。いまここで塩や砂糖を舐めたとして、それがしょっぱいにせよ甘いにせよ、もはや熱狂することはない。塩や砂糖への渇望もない。享楽を失い、パースに狂いはなく、勘違いに身を投じたりもしない。感情には若干の歪みがあるにせよ、もはや破綻するほどの熱がない。これは老人を支配するドグマといっていい。
だんだん減じていく老人の享楽が、最後に放出されるのが認知症の発症かもしれない。文字通り自我が崩壊するその享楽は、飛躍の減じた老人による最後の飛躍なのかもしれない。
ともあれ、わたしはひとりの他人ではない。ひとりの本人であり、先々の健康を願っている善意の存在でしかない。
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diaries-shop · 6 years
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)6月15日(水曜日)弐
    通巻第7369号  
 プーチンの戦争観の根っこに「チェチェン戦争」の影が
  パトルシェフとプーチンは「西側の陰謀論」が共通認識。
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 ロシア安全保障会議の書記ニコライ・パトルシェフとプーチン大統領との緊密な関係を無視できない。
 パトルシェフは陰湿な陰謀論を展開するパラノイア的な発想を得意とする。ウクライナ軍は「ネオ・ナチ」だとか、政治宣伝にしても短絡的な印象操作がプーチン大統領に影響を与えている。
 ふたりに共通する認識は、ソビエト連邦の終焉を悲劇だ���たと嘆き、それは西側の陰謀だったとする論理の組み立てにある。パトルシェフはプーチン政権内部で「タカ派のなかのタカ派」と呼ばれる。かれがプーチンを操っている側面がある。
 パトルシェフは、「ウクライナから逃げた犯罪者コミュニティ」とマフィアと軍を同一視しており、西側が「ウクライナに武器を供給し続け、ネオ・ナチを支援しているのだ」と総括し、西側を「嘘の帝国」と呼ぶ。
 プーチンとパトルシェフは1970年以来、半世紀を超える関係で、ともにサンクトペテルブルク出身でKGB仲間である。
1999年8月9日にエリツィンがプーチン首相代理を任命したとき、パトルシェフがプーチンに代わってFSBの局長に就任した。
1999年から2009年の10年に及んだ第二次チェチェン戦争によってプーチンの権力基盤がかたまった。チェチェンはロシア側から見れば、テロリズムとの闘いだったことになる。
 チェチェン独立を求める武装グループが、テロをしかけたので、その元凶を根絶するために軍を派遣したとする。
限りないテロ事件が起こり、おびただしい値の犠牲がでた。実際にはチェチェン独立派か、ロシアの謀略機関か、あるいは後者にそそのかされたチェチェンの親露武装集団の仕業かは不明である。 
1999年にロシア高層アパート連続爆破事件があって、ロシアの世論が軍派遣を是認する。
2002年のモスクワ劇場占拠事件では 169人死亡し、チェチェンの首都グロズヌイの政府庁舎爆破では 72人が死亡。2003年、チェチェン共和国北西部の行政庁舎爆破で 60人以上が犠牲となり、モスクワ野外コンサート会場爆破で15人が死亡した。
2004年、モスクワ地下鉄爆破(41人死亡)。同年、グロズヌイの対独戦勝記念式典爆破 テロでは「チェチェン共和国」大統領アフマド・カディロフなど30人が死亡。イングーシ共和国内務省襲撃で90人死亡。モスクワ発旅客機同時爆破で 80人以上が死亡。
2007年モスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破事件、2009年には、またモスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破事件。2010年にモスクワ地下鉄爆破事件。2011年、ドモジェドヴォ空港爆破事件がおこり、2015年にボリス・ネムツォフ暗殺事件が起きた。ネムツォフ暗殺はチェチェン部隊がかかわった。
このように血みどろの歴史をたどるのも、チェチェン人がイスラムのスーフィズム(神秘主義)を信奉し、何代におよんでも必ず血の復習をやりとげるからである。
 ここでウクライナ侵攻とチェチェンの凶暴な戦闘集団との闇の奥が連結する。ロシアのウクライナ侵攻開始直前に、ゼレンスキー大統領暗殺部隊がキエフは秘密裏に派遣された。チェチェンのカディロフ「大統領」が率いる部隊は1200名だったと推定され、事前から宣伝されたように「残虐無比の凶暴部隊」ゆえ、キエフ市民はおののく筈だった。カディロフ「大統領」の父はロシア傀儡の「チェチェン共和国」初代���統領���
独立記念式典で爆弾テロの犠牲となり、プーチンは息子のラムザン・カディロフにロシア軍少将を与えた。カディロフはプーチン傀儡政権二代目である。
 暗殺に失敗し、チェチェン部隊司令官は戦死し、チェチェン部隊はさんざんな目に遭った。一般的に戦場では突撃隊の前衛は犠牲が多く出るが、以後、チェチェン軍は部隊の再編をしている模様である。
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kennak · 2 years
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出生率が80万人を切った2023年ある若者と老人が駅で会話をしていました。 老人「やあやあ、君はどこへ行くのかね」 若者「これから東京で学会に行くのです」 老人「私は東京に買い物をしにいくよ、君は買い物はしないのかい」 若者「私は貧しい家なので買い物はできません。新幹線は学割で行きます」 老人「高齢者も”ジパング倶楽部”で新幹線のチケットが30%offで買えるよ。でも学割のほうが安いんでしょうね」 若者「学割は13-14%しか割引されません」 老人「冗談でしょう。私が若い時は新幹線なんてなかったんだから贅沢を言ってはいけないよ」 若者「あなたは何年生まれですか」 老人「1948年だよ」 若者「東京では移動が多いので、東京メトロの24時間券を使うんです。600円でお得です」 老人「私もそれを買う予定だけど、老人は500円で買えるんだよ」 若者「羨ましいなあ。駅まではどうやって来たんですか?」 老人「MKタクシーだよ。敬老割引で1割引になるんだよ」 若者「学割は?」 老人「ないよ」 若者「そういえば、トップガンみました?学割で1900円が1500円で観れました」 老人「老人割引でTOHOシネマズで1200円で観たよ。余ったお金でポップコーン買ったよ」 若者「いいなあ。そういえば花粉の時期なんで近所のスギ薬局でアレグラ買いました」 老人「スギ薬局はよくクーポン送ってくれるよね」 若者「なんですかそれ?」 老人「スギ薬局アプリ使ってないの?毎月15日頃に5%offクーポン送ってくれるよ」 若者「私もアプリ使ってるけど来ないです。老人っていいなあ」 老人「イトーヨーカドーやイオンでも爺婆割引の日は5%offだよ」 若者「え、ぼく明日食べるものも苦しいのに…」 老人「そういえば君はどこの大学の学生さんなのかい」 若者「京都大学です」 老人「国立なら学費は安いから親孝行者だねえ。年5万円くらいかい?」 若者「初年度81万円、次年度以降53万円です」 老人「嘘言っちゃいけないよ。老人を馬鹿にするんじゃないよ!そんな高いわけないだろう!」 若者「!?」 老人「私は1970年に卒業したけど年間1.2万円だったよ。今は物価は当時の4倍位だから5万円くらいでしょう」 若者「だから何度も言うけど、53万円ですよ」 老人「本当?だとしても今は親からの仕送りが多いからでしょう」 若者「親からの仕送りは過去最低を更新したらしいですよ」 老人「さっきから老人だと思って、新幹線の学割が13%offだとか、学費が53万だとか、仕送りが少ないとか嘘ばかりついて!馬鹿にしてるんだろ!私達の世代の苦労を知らないで!」 若者「そんなぁ…」 青年「どうしたんですか、揉め事ですか」 老人「この若者が老人だからと馬鹿にする!」 若者「助けて」 青年「若い世代は苦労をしてますよ。高齢者は年金もたくさん貰ってるでしょう」 老人「何いってんだ、自分が払ったものを受け取って何が悪い」 青年「その年金、貴方が積み立ててきたものじゃないんですよ」 老人「なんだそれ?」 青年「若い世代が賦課方式で今の高齢者の分を払ってるんです」 老人「そんなわけないだろ」 青年「しかも払った金額より遥かに多い金額を受け取れてるんですよあなたは」 老人「足りないよ、もっと贅沢したいもん」 青年「若い世代は負担が多いんですよ」 老人「出産手当?も42万から50万に増えたらしいじゃないか。50万もあればホクホクでしょう」 青年「50万じゃ出産できないんですよ」 老人「何いってんだ、出産なんて10万円くらいだろう」 青年「地方でも50万じゃ足りないですよ。東京ならもっと」 老人「50万なんてスイートルームで産むのかい?」 青年「普通の安い部屋ですよ」 老人「信じられないよ。ところであんた収入はどのくらい?」 青年「額面2500万です。1日16時間働いています」 老人「お大臣かい?それじゃあ手取りは2300万くらいかい?」 青年「手取りは1500万ですよ」 老人「1000万消えてるじゃない」 青年「所得税500万、住民税200万、社会保険料150万など消えます」 老人「役人がせしめてんだなあ」 青年「あなたたちですよ」 老人「俺たち?何いってんだ、国会議員と役人がせしめてんだよ」 青年「国の医療費は44兆円です。その大半が高齢者が使ってるんですよ」 老人「何いってんだ、窓口でちゃんとお金払ってるよ」 青年「あなた達は1割負担なんですよ。9割は他の人が払ってくれてます。概ね若い世代ですよ」 老人「防衛費が増えるって聞いたし、ソッチのほうがでかいんじゃないの」 青年「社会保障給付費だけで日本は毎年140兆円使ってるんです」 老人「貰ってるやつがいるんだなあ。そういえばあんた子どもいるの?」 青年「男の子が1人。保育所いってます」 老人「保育所って無料?」 青年「有料ですよ」 老人「政府が少子化対策やってるって言ってたぞ。保育所なんて月8000円くらいだろ?」 青年「10倍の80000円ですよ。延長入れて」 老人「老人騙すのもいい加減にしなさい」 青年「年収増えると保育所の費用も何故か上がるんですよ」 老人「累進課税で取られてるんじゃないの?」 青年「累進課税で額面2500万が手取り1500万になります。さらに保育所も累進価格なんですよ」 老人「二重課税じゃないか」 青年「働き損ですよ。あなたは医療費負担が1割ということは75歳以上なのですか」 老人「そうだよ」 青年「1割ということは、収入は少ないはずですが、高そうな服を着ていまね」 老人「私は親から貰った土地と不動産が上がってね、現金もある。資産は20億あるんだよ。でも”収入”は少ないからね」 青年「ずるいなあ」 若者「ぼくですら医療費3割負担ですよ。貧乏学生なのに」 老人「我々の世代が戦後の復興を支えたんだからいいじゃない」 若者「何年生まれですか?」 老人「1948年だよ」 若者「ん?戦後の復興って、もっと上の世代じゃないの?」 老人「細かいことを言うんじゃないよ」 車掌「まもなく、東京です」 老人「じゃ若者青年諸君、頑張って勉強して働くんだよ。老人に嘘をつくもんじゃないよ」 (終)
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roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「特攻野郎Aチーム THE MOVIE (2010)」
戦後の混乱が続くイラク、アメリカの秘密特殊部隊Aチームの四人は、米ドル札偽造事件に絡む陰謀に巻き込まれ収監される。難なく脱獄し、自分たちを陥れた黒幕たちに逆襲するために四人は起死回生の作戦を企てるのだが…
1980年代のオリジナルTVシリーズは殆ど見ていなかったが、「スパイ大作戦」を「コマンドー」のようなド派手なアクションで演じる単純さが人気だった(らしい)。この時代に他にどんな海外TVシリーズがあったかというと、「マイアミ・バイス」や「ナイト・ライダー」、「スタスキー&ハッチ」などがあり、いずれもリメイク映画化されている。そんな中、満を持して登場した本作、本国ではコアなファンも多いらしく大ヒットとなった。 チームの頭脳ハンニバル(リーアム・ニーソン)、アクションとロマンス担当のフェイス(ブラッドリー・クーパー)、メカに強いモヒカン刈りの黒人BAバラカス(クレイトン・ジャクソン)、腕利きだがクレイジーなパイロット・マードック(シャールト・コプリー)の4人組は性格分けがはっきりしており、彼らのやることは無茶苦茶だがお約束なので安心して見ていることができる。彼らは仲間を裏切らないし、死ぬ恐れもないのだ。高層ビルから落ちても、コンテナが雨あられと降って来ても、銃弾の嵐の中でも、決して彼らが歩みを止めることはない。いかにもアメリカらしい、底抜けアクションコメディで、しかも監督が「スモーキン・エース(2006)」で空前の銃弾を消費したジョー・カーナハンなのだから、徹底している。チームにからむ国防総省のソーサ(ジェシカ・ビール)は、あのトンデモ戦争アクション映画「ステルス(2005)」と同じく、凛々しい制服姿を披露してくれるが、本作品ではアクションはお預け。 ハンニバルを演じるリーアム・ニーソンは「96時間(2008)」で年を取ってもアクションをこなせることを証明し、本作品でも走る・跳ぶ・殴る・撃つに挑んでいる。後半、そのアクションが減速気味になるのにあわせて、ヒーローキャラのフェイスが前面に出てくる事に少し違和感を感じたが、まあそんな細かいことはどうでも良い映画なんだろうね。 ちなみに1980年代のTVシリーズ、タイトルをいくら見ても思い出には上がって来ない。「バイオニック・ジェミー」は1970年代後半、「ツインピークス」は90年代初頭なのね。80年代っていったい何をしていたんだろう?
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lampmusic · 5 years
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Trip to 70's in Brazil on Spotify
以前、Spotifyに1980年代ブラジルのプレイリスト「Melancolic Nostalgic 80s MPB」を公開しましたが、 今回は1970年代に絞った選曲でプレイリストを公開します。
プレイリスト on Spotify 「Trip to 70's in Brazil」
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1.Gonzaguinha「Vai Meu Povo」1978 このアルバムはSpotifyで初めて聴きました。 作曲者がゴンザギーニャになってますが、曲調的におそらくイヴァン・リンスが半分以上関わっているような形だと思います。 ネットでこのアルバムのクレジットを検索したところ、演奏者がミナス系ミュージシャン大勢とイヴァン・リンス、ジルソン・ペランゼッタ等個人的にかなりやばいメンツでした。フィジカルで持っていたい1枚ですね。 特にこの曲が良かったんですが、アルバム自体もエフェクティブで、ミナスっぽい(ミルトン的な)暗さ&怪しさもあり、良いです。
2.Jorge Ben「Apareceu Aparecida」1970 ジョルジ・ベンの最高傑作からの1曲。アルバム全体良いので、どの曲にするか迷いました。 このアルバムの演奏はトリオ・モコトーとのことで、グルーヴ感がたまりません。
3.Gilberto Gil「Retiros Espirituais」1975 ジルベルト・ジルの傑作バラード。カエターノのような旋律ですね。 こういう昔のクリック(メトロノーム)を使わないで段々テンポがはやくなっていっちゃう演奏、良いなぁと思います。 途中で出てくるマイナーメジャーセブンスはこの曲の肝だと思うのですが、「さち子」で使わせてもらいました。 最後に1オクターブ高くなるところがこの曲のハイライトです。
4.Edson Frederico「Bobeira」1975 ひたすらフェンダーローズ+リズム隊のグルーヴが気持ち良い曲ですね。 プレイリスト後半に出てくるオルランヂーヴォという人の曲です。
5.Lo Borges「Clube Da Esquina Nº 2」1979 このブログではもう何度も紹介しているロー・ボルジェスの超名盤の超名曲です。 音楽の魔法。 人生で1番好きなアルバムなので、これを入れないわけにはいきません。
6.Antonio Carlos E Jocafi「Glorioso Santo Antonio」1973 呪文的なイントロからのグルーヴィーな演奏のギャップ、そして、微妙に怪しいピッチ感、全てのバランスが最高です。 バスドラとハイハットがすごく気持ちいい。 コード感が少ないとこれくらいピッチ(もしくはチューニング?)がずれていても気持ちよく聴けちゃうんだなぁ。
7.Edu Lobo「Zanzibar」1970 エドゥ・ロボって不思議な名曲多いんですよ。 「Casa Forte」とか「Upa Neguinho」とか、カバーされまくってます。 このアルバムはエルメート・パスコアルやアイアート・モレイラ等のQuarteto Novoが演奏しています。 エンディングのエルメートのウーリーのソロが熱いです。
8.Toninho Horta E Orquestra Fantasma「Diana」1979 ミナス系アーティストの代表的な存在、トニーニョ・オルタの、難解で不思議で、けど美しく、そして切ない曲。 ローズとアープが効果的な1曲です。 これが流れている間、ただただ音楽に浸っていたい。そんな曲です。
9.Beto Guedes「Feira Moderna」1978 ベト・ゲヂスはいろんな楽器を演奏するミナスのマルチ・プレイヤーです。 昔の曲ってほとんどSpotifyにないんですよね。 ここでは西欧的なロックの8ビートにベトの切ない曲が乗る代表曲を選びました。 ファズ・ギターのソロはベト本人によるもの。 「誰も知らない」なんかはこの感じに影響を受けました。
10.Sergio Mendes「Aquelas Coisas Todas」1979 セルジオ・メンデスによるトニーニョ・オルタの名曲カバー。 女性のダブル・ヴォーカルで、本人のヴァージョンよりポップな印象です。
11.Zizi Possi「Luz E Misterio」1979 ジジ・ポッシによるベト・ゲヂスの名曲カバー。 原曲が滅茶苦茶いいので、誰がやっても素晴らしい出来になりますね。 このアルバムはSpotifyで初めて聴きました。というか、ジジ・ポッシ自体そんなに持ってないです。 色んな人の作品に参加しているようで、本人の作品はそんなに聴かずとも声は色んなところで聴いてきました。
12.Simone「Valsa Rancho」1977 シモーネによるフランシス・ハイミの名曲カバー。 本人のヴァージョンも好きですが、ミナス臭の強いこっちのヴァージョンの方がもっと好きかもしれません。
13.Ivan Lins「Velas Icadas」1979 イヴァン・リンスも名曲が多すぎてどれにするかかなり迷いました。 この時期、ジルソン・ペランゼッタ(この曲ではエレピ担当)とイヴァン・リンスのコンビで名曲・名演を沢山残しました。
14.Carlos Lyra「Canaa」1975 ボサノヴァ期が有名なカルロス・リラですが、このアルバムが一番好きです。 シンセの音色が時代感を醸し出していて最高です。 落ち着く1曲。
15.Joao Donato「Acalanto Para Enganar Regina」1978 最近出たジョアン・ドナートの70年代の未発表音源集からの1曲です。 僕は4枚組ボックスで聴いたわけではありませんが、このアルバム自体は、ジョアン・ドナートが、ミルトン・ナシメントとかノヴェリみたいな雰囲気の音楽をやっているという、とても意外で珍しい音源集でした。 何度も繰り返し聴いています。 この曲の女声はクアルテート・エン・シーに聴こえますが、誰でしょう。 地味ながらも流していると沁みる一曲です。
16.Francis Hime「Luisa」1977 長い間、一緒にやっていたフランシス・ハイミとシコ・ブアルキのデュエット曲。 鳥肌無しには聴けません。 初めて聴く人には二人の声が区別が付かないと思いますが、出だしがシコ・ブアルキ、次のフレーズがフランシス・ハイミです(2番は逆になってます)。 ピアノとフルートだけのシンプルな演奏ですが、とても感動的な曲です。
17.Teti「Passaras, Passaras, Passaras」1979 テチが同じセアラ―のアーティスト、ファギネルとデュエットしている曲です。 ギターやアレンジを担当しているのはトニーニョ・オルタ。 この曲はちょっと日本の演歌のようなものを感じる部分もありますね。 最後の二人のハーモニーにいつも鳥肌が立ちます。
18.Milton Nascimento「Paixao E Fe」1978 ミナスのアーティストで最も有名なミルトン・ナシメント、どの曲にするかすごく悩みました。 これは同じミナスのアーティスト、タヴィーニョ・モウラの曲のカバーです。 演奏も、タヴィーニョ・モウラ本人の他、ネルソン・アンジェロ、ノヴェリ(ベース)、ベト・ゲヂス(バンドリン)等々、ミナス勢が多数参加しています。
19.Djavan「Serrado」1978 ジャヴァンはこの曲でも感じられるように、分かりやすくも洗練された楽曲を得意としていて、また、日本人の我々にとってもブラジル音楽に入っていきやすいきっかけになるアーティストの一人かなと思います。 いつの時代の作品を聴いてもジャヴァンらしいオリジナリティ、すなわち音楽的な意欲が感じられます。 今回は70年代縛りなので、この2ndアルバムの代表曲でもあり、個人的にも大好きな曲を選びました。シンプルにかっこいい曲ですね。
20.Quarteto Em Cy「Cavalo-Ferro」1972 女性4人姉妹のコーラスグループ。このアルバムが一番人気があるような気がします。 僕もこのアルバムが一番好きです。 ちょっと暗さがあって良いんです。 この曲は、メロディーの所為かもしれませんが、ブラジル北東部のノリに少し西欧的なリズムが混じっているように聞こえて面白いです。
21.Raimundo Fagner「Cebola Cortada」1977 ファギネルというダミ声のシンガーです。 最初はいまいち歌声に馴染めなかったんですが、聴いている内にむしろこの声を求めるようになっていました。 このアルバムはエルメート・パスコアルが参加しており、かなり混沌とした仕上がりになっています。
22.Gal Costa「De Onde Vem O Baiao」1978 同じバイーアのジルベルト・ジルの曲を歌うガル・コスタ。 バックにトニーニョ・オルタやヴァギネル・チゾ等のミナス系のアーティストが参加しているというのが個人的なポイントです。 パウリーニョ・ブラガのドラム(特にバスドラ)とシヴーカのアコーディオンが効果的な1曲です。
23.Novos Baianos「Misterio Do Planeta」1972 こちらもバイーア出身のアーティスト、ノヴォス・バイアノスの傑作2ndアルバムです。 ガット・ギターと歌だけのところからバンドが加わるアレンジを得意としていて、この曲もそこがすごく気持ちいいです。
24.Caetano Veloso「Julia / Moreno」1973 バイーア出身のアーティストで一番有名なカエターノ・ヴェローゾ、良い曲が多すぎてどれにするか迷いました。 個人的にカエターノは70年代前半よりも70年代後半、更に70年代後半よりも80年代の方が好きな曲が多いのですが、ここでは73年のアルバムよりちょっと変わった、そしてカエターノらしい1曲を選んでみました。 1フレーズ毎に音符が足されていく構成が面白いですね。
25.Vinicius De Moraes Con Maria Creuza Y Toquinho「Que Maravilha」1970 ヴィニシウスとトッキーニョのコンビがマリア・クレウザを迎えたアルゼンチンでのライブ盤です。 僕はアゴゴ(金属の打楽器)が大好きなのですが、アゴゴが入った曲というと一番初めにこれが思い浮かびます。
26.Elis & Tom「So Tinha De Ser Com Voce」 地味ながらもジョビンの作曲の面白さが際立つ1曲。 エレス・レジーナの力みのない歌と、セザール・カマルゴ・マリアーノのローズが心地良いですね。
27.Orlandivo「Onde Anda O Meu Amor」 アレンジや鍵盤でジョアン・ドナートが参加すると、とにかくグルーヴィーになります。 (Spotifyにはオリジナル・アルバムがなかったんですが)このアルバムを聴いてもらえると、それがよく分かると思います。
28.Tania Maria「Samba De Orly」1975 タニア・マリアによるカバーで、作曲者はトッキーニョだそう。 原曲にはこのヘンテコなメロディーのイントロがなかったので、このイントロはタニア・マリアのアイディアなのかもしれません。 このヴァージョンを聴いて、こういうヘンテコなイントロの曲が作りたい!と感化された僕は「ムード・ロマンティカ」という曲を作りました。
29.Doris Monteiro「Maita」1976 ドリス・モンテイロは印象が地味であんまり聴いているわけではないんですが、この曲はリズム・アレンジが印象的な爽やかなで好きな1曲です。 最後、歌の譜割を変えるアイディアが面白かったのか?よく分かりませんが歌いながら笑っちゃってます。こういう余裕欲しいなと思いました。
30.Anamaria E Mauricio「Fatal Fatal」1972 ソフト・ロックっぽいお洒落さのある曲です。彼らの1stアルバムは、よりポップで結構聴きました。 この2ndで一番好きな曲を選びました。 二人の歯切れの良い歌声とオルガンが印象的な曲。
31.Chico Buarque「Sinal Fechado」1974 シコ・ブアルキのカバー曲集から。 この暗さと緊張感がすごく好きで、選びました。
32.Antonio Carlos Jobim「Boto」1976 アントニオ・カルロス・ジョビンの70年代の作風をよく表している一曲だと思います。 こういった曲調は50~60年代のボサノヴァ期のジョビンの印象からはちょっと想像付きません。 ビリンバウの音で始まり、そこからバンドが入ってくる感じが溜まりません。 エドゥ・ロボの音楽なんかもそうなんですが、この不協和音を楽しめるようになるとブラジル音楽を聴く楽しみが一気に広がります。
33.Dory Caymmi「Nosso Homem Em Tres Pontas」1972 ミナス系のミュージシャンと作ったドリ・カイミの1stアルバムのラストを締める暗く重たくも壮大な1曲です。 歌詞はなく、スキャットで歌っているところが神々しいですね。 ヴァギネル・チゾのロータリーを使用していないオルガンも良い感じです。
34.Milton Nascimento & Lo Borges「Um Gosto De Sol」1972 後半の感じもものすごく好きなんですが、 この前半の「悟り」的な雰囲気はなんなんでしょう。 聴いていると涙が溢れ、違う時空に誘われるような、特別な一曲だと思います。
35.Sidney Miller「Línguas De Fogo」1974 ミナス系がバックの演奏をやっているといわれている一枚です。 詳しくは分かりませんが、音を聴いて、同時期のミナス系の作品にすごく似ていると思いました。
36.O Terco「Ponto Final」1975 ヴィニシウス・カントゥアリアやフラヴィオ・ヴェントゥリーニが在籍していたことで有名なロック・バンド。 プログレっぽさを感じる1曲です。
37.14 Bis「Tres Ranchos」1979 こちらもフラヴィオ・ヴェントゥリーニが在籍していたロック・バンドです。この曲を歌っているのはフラヴィオですね。 曲はタヴィーニョ・モウラとの共作曲のようです。
38.Guilherme Arantes「Estrelas」1979 プレイリストの最後は「僕たちの人生良かったね」って雰囲気?の、ギレルメ・アランチスの切ないバラードにしました。
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gallerynamba · 9 months
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mondayrocknsoul · 4 years
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#104 God/John Lennon
前回に続きジョンレノン。生誕80年記念、IMAGINEを観た。ほとんどの映像フッテージはすでに観ているので特に驚きはなかった。そしてヨーコさんらしい現代アート的な感覚の編集でストーリーはない。なんじゃこりゃ?って感じた人もいただろう。しかし音は良かった。やっぱ大音量で聴くべきなんだね。あらためてこのGodにジーンと来た。この映画に限ったことではなく、おそらくこの曲が持つ切なさの所為だろう。日本語に訳す必要もない衝撃的な歌詞・メッセージより前に、切ない気持ちがドーンと心にぶつかってくる。リリースはビートルズ解散の半年後のこと。ぼくにはすべてがジョン自身にたちはだかる「現実」として思えてしまうのだ。
1970年
#mrs 104th
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kurashinoshop · 4 years
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秋の行楽シーズン計画が楽しみな、そんな季節になりました。 1970年代後半から80年代に実際に使われていた、給食プレートのご紹介です。 あ、懐かしい、と思われた方は年齢がバレてしまいますね。
今は希少な18-8ステンレス、日本製。 現在主流の18-0ステンレス食器に比べてニッケル配合率が多い分、錆びにくく艶があるのが特徴です。 もう30年以上前のプレートですが、さすが丈夫なステンレス素材。 大きな変形も無く、きれいに隙間になく重なります。
ご自宅の食卓でアウトドアシーンで。 またプレートとしてだけではなく、アクセサリー置きにしたり、調味料などの食材置きにも。
もう生産されていない古いものですので数に限りがございます。 気になる方は是非お早めに。
いつもご来店、誠にありがとうございます。 本日もよろしくお願い致します。 高橋 https://www.instagram.com/p/CFx_0npD_tE/?igshid=1su8af05doj8n
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