#飛びだす冒険映画 赤影
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Promotional poster for the Toei Manga Festival, July 1969
#toei manga festival#東映まんがまつり#Tobidasu Boken Eiga: Akakage#飛びだす冒険映画 赤影#himitsu no akko-chan#ひみつのアッコちゃん#moretsu ataro#もーれつア太郎#Toei Company Ltd#東映株式会社#morinaga#森永製菓#chocoball#チョコボール#1969#anime#promotional poster#空飛ぶゆうれい船#flying phantom ship
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地元が60年前にロケ地になっていたので行ってきた
どうも、推しが地元に来ていたことに気づき、後世に残さなくてはと4年ぶりに記事を書いためぐめです。
そうなんです、推しが地元に来ていたんです。 まぁ60年前のことなんですが。
でも、推しを通じて「60年前と現在」とで、その土地を比べることができました。 60年の歳月で変わるものと、変わらないもの……そのどちらもあって非常に感慨深かったです。
私が大興奮したそれを、皆さんにもぜひご覧いただきたいです。
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まず初めに簡単なご紹介から。
『隠密剣士』とは、1962年10月から1965年3月までテレビ放映された、30分枠のヒーロー時代劇です。 当時の忍者ブームの火付け役とも言われるほどヒットしたテレビ番組で、オーストラリアなど海外でも根強い人気がありました。
どれくらい日本で人気だったかというと……みなさんは『忍者』を思い浮かべた時、どのようなイメージを想像するでしょうか。逆手で刀を持ち、逆手で斬るイメージをもたれた方もいると思いますが、その“忍者の逆手斬り”の発祥が、この『隠密剣士』だと言われています。 もちろん諸説ありですが、人々に当たり前のように浸透している『概念』の発祥、源流に位置していると考えると、すごい番組だと思いませんか?
すごいですよね? そう、すごいんですよ。
そんな『隠密剣士』ですが、私の大好きな俳優、牧冬吉おじさんが演じる「霧の遁兵衛」を拝むために眺めていたところ、私の地元��馬県で撮影されていたことに気がつきました。 京都での撮影が多かった推しが地元に来ていたというのはもはや事件です。聖地が目と鼻の先にあるなら行くしかありませんよね。
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今回、群馬県での撮影があったことに気づいたのは、第四部「忍法闇法師」です。
隠密剣士の撮影は、多くは東京都内、またその近郊が多いですが、今回の舞台は尾張とそれにつながる中山道でした。そのため、実際に中山道沿いにあるいくつかのランドマークで撮影していたようです。
敢えて上信越自動車道を交えながら例えると、以下の感じになります。
第七話……松井田妙義IC~碓氷軽井沢IC(ラストに高岩のカットあり)
第八話……碓氷軽井沢IC~浅間山北東部(当ブログでロケ地を解説)
第九話……浅間山南部~長野県内(冒頭が浅間山南部のカット。これ以降はまだ観てないです)
第七話ラストシーンと碓氷軽井沢IC付近から見た高岩。
さて、当記事で詳しくとり上げるのは第八話「霞の忍者」での浅間山です。
この第八話は1963年8月25日に放映されました。私が浅間山に行った日が2023年6月18日ですので、撮影時期を考慮するとちょうど60年ということになります。
それも踏まえつつ、早速いってみましょう。
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最初は、浅間山北部で撮られたシーンについてです。
▼ストーリー 浅間山の山腹に甲賀忍者の狼煙が上がった。 遁兵衛が調査に向かうも、遁兵衛を敵と勘違いした侍が襲ってきた。和解はしたが、秋草一行を付け狙う忍者「水口幻��」がその様子を陰から見張っていた……。
まず、群馬県民ならこのゴツゴツとした岩場がどこか、すぐにピンとくるでしょう。 そうです、「浅間のいたずら鬼の押し出し」ですね。
厳密には「鬼押出し園」という公園です。 浅間山の噴火により形成された岩々を鑑賞することができる園ですが、撮影当時から営業していました。
そして、詳細な撮影場所は下記園内マップの赤丸の部分です。
参照:鬼押し出し園 園内マップ https://www.princehotels.co.jp/amuse/onioshidashi/map/
表参道を入ってすぐの場所ですが、道の両サイドで、視点を変えながら撮っていたようです。
左を向くと浅間山。右を向くと、遁兵衛が狼煙の火薬を確認していた岩場を見ることができます。
また、遁兵衛と侍が戦う場所がもろ参道なところに注目です。
さすがに岩場の上ではアクションはできないでしょうからね……となると、60年前の当時からこの歩道が、整備されて存在していた可能性があるのではないでしょうか。
そして、彼らが歩道にいるということは、カメラマンは足元が不安定な岩場から撮っていたということにもなります。
それにしても、実際に行ってみるとこの鬼押出しという冷えた溶岩の岩場は、本当に危ない場所だと感じました。
歩道は綺麗に整備されていて歩きやすいのですが、それ以外は鋭く切り立った岩だらけ。岩の隙間に足を取られようものなら、骨折は免れないでしょう。高低差もありますし、転落したら最悪死ぬスポットはそこら中にあります。 霧の遁兵衛は忍者なので、そんな危険な岩場もひょいひょいっと飛び移っています。演じている牧冬吉おじさん流石だなぁと嬉しくなる半面、こんな危ない場所で俳優もスタッフも撮影していたことに、ゾッとする思いもありますね……。
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続いては浅間山東部です。 ここは撮影外の写真も撮られているため、かなり貴重な発見です。
▼ストーリー 遁兵衛は、侍たちお役人に危険が迫っていると知った。先に中山道を下った秋草を呼び戻すため荒野を駆ける遁兵衛だったが、水口幻斉に襲われ気を��ってしまう……。
こちらですが、軽井沢方面から鬼押出し園へ向かう途中にある有料道路「鬼押ハイウェー」沿いにある、「浅間 六里ヶ原休憩所」付近と思われる場所です。
現在はキャンプ場もあるような開けた場所ですが、当時の撮影隊はこの開けた場所に待機していた可能性もあるな、など妄想が尽きません。
画面奥から遁兵衛が走ってくる場所は荒野ですが、ここが昔そういった土地だったことは、休憩所の案内板にも書かれています。今では考えられないほど草木が覆い茂っています。
また、地形から察するに、遁兵衛と水口幻斉が戦うこの街道は、今でいう「鬼押ハイウェー」である可能性もあります。
ただ、後述する写真のほうがより鬼押ハイウェーっぽいです。この場面の道は一本別の道か、あるいは少し離れたところで撮られたのかな、と思います(とはいえ、ここ以外の道は森の中になってしまうので、一番可能性が高いのは鬼押ハイウェーなのです)。
こちらの記念写真も浅間山東部で撮られています。
この写真は、中央に���っている少年、大森俊介さん(馬場周作役)が所蔵していたものです。 撮影時期は不明ですが、大瀬康一さん(主人公、秋草新太郎役)の服装がこの第八話のものに近いので、もしかするとその撮影の合間に撮られたものかもしれません。
こちらの写真も同様です。
一見どこだかわからないのですが、背景の山々の形がかなり似ています。撮影時期は不明ですし、先ほどの記念写真との関連性すらわかりませんが、しかし状況が「可能性大」を表しています。 少なくとも、大瀬康一さんが立っているこの通りは今でいう「鬼押ハイウェー」であると考えられます。しかしながら、前述した「遁兵衛と水口幻斉が戦う道」は舗装されていません。 やはり、それぞれの関連性ははっきりはしませんし、詳細な地点についても結局断言できないとは思います。
なんであれ、まったく詳細が解説されていない舞台裏の写真の、大まかな場所だけでも自力で特定できたのは、すごく嬉しいことです。
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というわけで、今回発見してきたものは以上となります。
まさか、60年も前の地元をテレビドラマで知ることになるとは思いませんでした。 何十年と言う年月では街並みが変わるのは当然で、お寺などでないと残らないだろうという朧げな考えはあったのですが、今回「山の形はそうそう変わらない」と思い知りました。
ロケ地の中には、「ダム開発により今は一帯が水の中に沈んでいる」というものもあります。
浅間山も一応活火山で、噴火によって変形する可能性もなくはないです。今回発見できたのは運が良かったのかな、なんて思います。
最後に、今回は探索しなかった浅間山南部(第九話)の場面を紹介して終わりにさせていただきます。
隠密剣士は全編モノクロの作品ですが、空気感が伝わってくる場面がいくつもあります。 このシーンも、青空が広がる中、秋草新太郎と周作少年が手をつないで歩いている、情緒のある映像ですごく好きなんですよね。
……あれ? 左の浅間山は確かに南部、軽井沢付近から見た風景で間違いありませんが、右の次のシーンの秋草と周作少年のシーンはどう見ても北部の映像ですね。岩がゴツゴツしてますからこれは鬼押出しでしょうが……これは具体的にどの地点なんでしょう……
冬吉おじさんのいた場所さえわかればよかったとはいえ、なんだか気になってしまいます。
次回行くことがあればまた探してみようと思います。
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おまけ。
ところどころに載せました撮影当時の写真は、書籍「蘇る! 伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事・完全版」に掲載されているものです。
2014年に発売された「伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事」の改訂版で、新規収録のインタビューの掲載や一部資料の差し替え、加筆など、大幅にパワーアップしている書籍です。
作品の話だけでなく、俳優やスタッフの話までバランス良くまとまっているので、ファンの方でまだお持ちでない方はぜひ購入すべきです。 個人的には、オリジナル版を既にお持ちでも損はないと思います。
蘇る! 伝説の昭和特撮ヒーロー (COSMIC MOOK) https://amzn.asia/d/j9w18OH
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♦エリザベッタ フランキ 御問合せ受付けます 3/27まで♦ 弊社はエリザベッタ フランキの正規取り扱い店です。 エリザベッタ フランキの2023年秋冬ランウェイ画像を御覧になって頂いて、 御購入御希望の商品があれば、御問合せ下さい。 3/27(月)まで店頭にて承ります。スタッフまでお申し付け下さい。 エリザベッタ・フランキはそのクラフトマン溢れる精巧でエレガントなイタリアンメイドの作品のみが評価されているデザイナーではありません。 経営者、母、妻、権利活動家としての側面も彼女の大きな魅力となり、それは作品にも投影されています。 そんな彼女がしばしば、コレクションのテーマとしてチョイスするのが、「女性が目標、理想とする女性」です。 2022年の春夏コレクションはデンマーク貴族にして作家のカレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke)でした。 カレン・ブリクセンが18年間にわたりナイロビの農園主として過ごした出来事を描いた「アフリカの日々(Out of Africa)」はフォトグラファー、ピーター・ベアード(Peter Beard)らに強く影響を与え、多くのアーティスト��アフリカへ誘われました。 映画化されたその作品『���と哀しみの果て(Out of Africa)』はアカデミー作品賞を受賞しました。 そして、エリザベッタ ・フランキの2023年秋冬のコレクションのインスピレーションとなったのは、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)とその時代、アールデコ期のゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルド(Zelda Sayre Fitzgerald)に代表される女性達です。 アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は1897年生まれのアメリカ人飛行士です。 女性で史上初めて西洋単独横断飛行を行い、一躍有名になりました。 長身で美しい金髪をボーイッシュにショートカットにし、澄んだブルーの瞳で常に笑顔の彼女はアイコニックな存在でした。 赤道上世界一周飛行に挑戦し、南太平洋上で消息を絶った彼女はまだ39歳でした。 彼女はその冒険を通して、女性の可能性を広げ、その地位向上の為に社会活動を行いました。 カナダのシンガーソングライターのジョニ・ミッチェル (Joni Mitchell)は「アメリア (Amelia)」という曲を作り、空と冒険に憑りつかれたイアハートの生き方に自分自身を重ねました。 その生涯は本になり、それを読んだ少女達の背中を押しました。 その一人は後にアメリカ初の連邦最高裁判事となったルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)でした。 ルースはイアハートに影響を受けたことを公言していて、それがバタフライエフェクトとして現代の女性の社会進出へと繋がって行きます。 一方のゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルドはアメリカの最も成功した作家スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)の妻として知られています。 彼女は夫から「アメリカで最初のフラッパー」と呼ばれました。 フラッパーとは、以前までの女性に求められてきた社会的、性的規範を無視し、自由奔放な生き方を実践した当時の若い女性達を意味するスラングでした。 スコット・フィッツジェラルドは彼女を崇拝し、作中ではあからさまに彼女をモデルにした登場人物を描きました。 彼女は明らかにセレブリティでスキャンダラスなファッションリーダーでした。 エリザベッタ・フランキの2023~24年秋冬コレクションはこれらをクロスオーバーさせた構成になっています。 ショーの舞台の壁はフィッツジェラルドの原作とする映画「華麗なるギャツビー」のパーティーシーンの様に電飾によって派手にアールデコ調のパターンが浮かび上がっています。 その中央にはブランドのロゴマーク、彼女のイニシャルが刻まれたメタリックゴールドの回転扉が据付けられています。 まるでニューヨークの摩天楼のエントランスの様に。 そこから登場するモデルたちのドレスには、サテンにレース、スパンコールやビーズが煌びやかに刺繍が施されています。 それらは裾に到達すると、フリンジとなって垂れ下がり、歩く度に軽やかに揺れ動きます。 空調が不完全であった当時の飛行士の防寒着、重厚なアビエイタージャケットにこれらフラッパースタイルの華奢なドレスを合わせたコーディネートはハードとエレガンスの究極のフュージョンとして完成されました。 イアハート自身もしばしば、飛行士としてのフル装備を拒み、あえてシャツにパンツ姿で愛機に乗り込み、空の身近さや、女性の可能性を訴えていました。 エリザベッタ・フランキの作品は1920年代の服の再現にとどまらず、現代らしいアレンジがディテールに至るまで施されています。 飛行士のジャンプスーツはグラマラスなサテンでパーティーウェアに、束となったパールのネックレスは長く延長されドレスに一体化されています。 ハンドバッグのキルティングは直線で構成されたアールデコの柄になっています。 ブラックとカーキとゴールドのメインカラーに彼女は閃きで鮮やかなグリーンを差し込みました。 ポケットを増やしたネオングリーンワイドカーゴパンツはミュールに合わせ、そのトップスはタイトなクロップド丈でコーディネートし極端なシルエットへと表現しています。 正に1920年代から2023年のY2Kスタイルへの飛躍。 どちらも当時としてはジェンダーレスのスタイルと見なされていてエリザベッタ・フランキはその共通点を作品へと昇華し、メッセージを発信しています。 ジェンダーレスが単なるボーイッシュ、マスキュリンではなく同時にフェミニン、セクシーであることを示しているのは彼女らしい特徴です。 一世紀にもわたる女性の在り方のストーリーを力強く、美しく表現された世界観に是非この機会にお触れ下さい。 スタッフ一同、お待ちしております。 Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1F 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】3月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I【
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書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話(三日目)
「書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話(一日目)」からの続きです。この記事で旅の記録はおしまいです。
今回は、
・犬と街灯(庄内)
・toi books(本町)
を訪ねた際のことと、旅の総括的なことを書きました。
おまけの番外編として、
・つまずく本屋 ホォル
のこともちょこっとだけ書いています。
―――
【犬と街灯】
最終日は、リトルプレスで賑わう「犬と街灯」へ。
楽しいことがすきなひとが楽しいことをやっていたら楽しいことをやりたいひとが集まってきた、そんな空気がガラス張りの店内から外の通りにまで漂っており、もしも私がこのお店を知らなかったとしても、前を通りかかったら足を止めずにいられないだろうと思った。
「個人書店って、店主さんの人柄が出ますねえ……」と、ここ最近の個人/独立系書店通いのなかで感じていたことを何の気なしにつぶやいていたのだが、お店を営んでいらっしゃる方に向かってくちにするには不躾なせりふであることに気づき、ひぇーとなった。谷脇さんはなんだか実感のこもった調子で「あー、出ます、出ますねえ」とにこやかに頷いてくれて、ほっとした。
自分も参加させてもらったアンソロジー『貝楼諸島より/へ』の原画が大集合しているのを見られたのも幸せだった。
(ご存じない方のために説明すると、こちらの絵はすべて店主の谷脇さんが描かれたものなのです。『貝楼諸島より/へ』の装画と装丁を手がけられたのも、というかそもそもこのアンソロジーの発起人からして、ぜんぶ谷脇さんなんですよ。いやはやびっくりだね)
やはり原画はよい。筆づかいや、ぬりかさねられた絵の具の厚みをじかに味わうことができて、陶然となった。写真撮影の許可をいただいたものの寄りで撮ることはなんとなくためらわれ、斜めから雰囲気だけ撮ってきた。
『貝楼諸島より』と『貝楼諸島へ』の通販はこちらからどうぞ。
糸川の短編が掲載されているのは、緑色の表紙の『より』のほう。鳥が出てくるお話なので、この本の表紙に鳥がいることを、ちょっと嬉しいな〜と思っている。
とつぜんの告白なのだが、私には、児童文学を書いて本にしたい、その装画を谷脇さんにお願いしたい、という野望がある。ジャンル的に文フリなどでの頒布には不向きだろうから、この野望を叶えるには商業出版で単著を出すしかない。がんばれ。(装画をお願いする方を決めるのは作家ではなく編集者だろうとか、そういうことはいったん脇に置いておく)
〈購入したもの〉
前々から「これは買えるうちに買っておくべきなのだろうな(ものすごく評判がいいので)」と思いつつなんとなく手を出せずにいた本と、その場で目が合った本、あと友人へのお土産用の推し本を買った。
●谷じゃこ『鯖のいる情景』:こだわりぬかれたかわいすぎる装丁と鯖への偏愛にひとめ惚れした。一冊まるまる鯖の短歌と川柳なんだよ。購入後に数えてみたら76首あったよ。(数え間違えている可能性もあり)それだけでも恐れ入ってしまうが、奥付に「2022年9月25日発行(気持ち的には3月8日発行)」とあったのをみつけたときは降参!大好き!と心のなかで叫んだ。さばのひ!偏愛バンザイ!
●谷脇栗太『ペテロと犬たち』:推し本。中身も��側もたまらなくよい。
●暴力と破滅の運び手『ブラームスの乳首』:運び手さんはやばい。なんとなくそうなのだろうなと思ってはいたけど、それ以上にやばい方だった。そりゃ人気なわけだ。最高。
ーーー
【toi books】
最後に訪ねたのはtoi books。
敷地面積だけみれば決して広くはないが、棚が宇宙だった。宇宙のひろがりを感じる棚だった。何周もぐるぐるした。もろもろの事情がゆるすならば何時間でも眺めていたかった。
客が自分ひとりしかいない時間が長くつづくと店内に変な緊張感が漂ってしまうことがある。toi booksさんではそれが一切起こらず、店主さんの気配の消しかたに感動した。おかげで目の前の本棚以外のことは頭から消え、心ゆくまで回遊できた。
その道のプロなのかと思うぐらい見事に気配を消されていた店主さんだったが、会計時にはお声かけくださり、それも嬉しかった。赤染晶子さんの『じゃむパンの日』について、この本を迎えられることが嬉しくてならないというような会話をし、温かな余韻とともに帰路についた。
〈購入したもの〉
●赤染晶子『じゃむパンの日』:言わずと知れた。また会えて、このような形で手にとることができて、幸せだ。
●いしいしんじ『書こうとしない「かく」教室』:他のお店で目が合ってもたぶんすぐには手がのびなかった。toi booksで出会ったという文脈が、この本を選ばせた。
●福永信『星座から見た地球』:いわゆるジャケ買いというやつ。表紙と帯とタイトルとぱらぱらめくってみた本文の白黒のバランスなんかに、ぴんとくるものを感じた。ままごとの『わが星』っぽいのを想像しているのだけれど、どうだろうな。そうだと嬉しい。そうでなくても嬉しい。
●町屋良平『ほんのこども』:いつか読まねばと思いつつ、向き合うのが怖くて、目が合うたびに逸しつづけてきた本。ついにわが家の敷居をまたがせてしまった。怖い。
ーーー
以上��「書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話」はおしまいです。
最後に、今回の書店めぐりを通じて感じたことなどを少しだけ書いておきます。
ーーー
どのお店も「誰のために」と「なんのために」が明確で(あるように私には感じられた)そこがとても格好良かった。
誰のために。なんのために。
お話を書く際にも、それから読む際にも、忘れずにいたい問いだ。
つい最近、とある作品を読んだ際に、それが誰かにとって大切な物語なのだと想像することを怠った結果、ひどい過ちを犯してしまった。そんなことを思いだしたりもした。
そんなこんなで、たくさん本を買った。
お財布はすっからかんだ。旅行中はほとんど飲食店に入らず食費を節約していたのだが、焼け石に水だった。
(コンビニのおにぎりをホテルの冷蔵庫に入れておくとひとばんでカチンコチンになるのだという知見を得た)
(知見を得たのに翌日もまったく同じ失敗を繰り返し、二日続けて予定していた時間にホテルを出ることに失敗した)
今回の旅のために確保していたお金は使い切り、ほかのことに使うはずだったお金まで飛んでゆき、もともと天井を突き破っていた積読の山がさらに高くなり、そのぶんだけ罪悪感が募った。でも悔いはない。お金を貯めて積読の山を低くしてから、またこういう旅がしたい。
大阪から戻ったあと、久々に実家に帰った。
駅前の風景に違和感をおぼえ、その正体について考え、長いあいだ駅前でがんばっていた書店がドラッグストアになっていることに気がついた。
自覚していた以上に、私は本屋さんがすきみたいだ。
本屋さんを、とりわけ街の本屋さんや個人の営む本屋さんを、じぶんにできる形で応援してゆきたい。
ーーー
おまけの番外編
【つまずく本屋 ホォル】
大阪から帰ったあと、川越市の霞ヶ関にある「つまずく本屋 ホォル」に行ってきた。ほしおさなえさんや伊東なむあひさんのツイートで存在を知り、長らく気になっていたお店だ。
店主の深澤さんがとてもお話のしやすい方で、最近発売されたアンソロジーのこと(『なまものの方舟』には私も乗りたかったのだけれど、乗組員を志願してよいのかわからずまごまごしているうちに船が出港してしまったのです、など)や共通の推し作家のことなどを、わりと長めにおしゃべりさせていただいてしまった。一月に開催される「星々の集い」でまたおめにかかれるとのことで、今から楽しみだ。
ホォルさんの棚、迷路みたいですごく楽しかった。新しい本と古い本がわけへだてなく並んでいるところや、おなじ本がいろんな棚にいるところが、のびやかで風変わりで、すきだった。深澤さんは「意図してそうしているところと、結果的にそうなってしまっ��いるところがあるんですよね」と仰っていたけれど、そのありようこみで、とても好もしく感じた。
〈購入したもの〉
●小津夜景『花と夜盗』:小津夜景さんの存在を知ることができたのは、今年特によかったことのひとつだ。教えてくださった方にとても感謝している。
●せんだいメディアテーク『ナラティブの修復』:いま一番関心のあるテーマについての本なので買うしかなかった。
●野村日魚子『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』:訪問のきっかけをくださった伊藤なむあひさんへのリスペクトをこめて、伊藤さんの推し作家さんの本をお迎えした。(というのもあるけれど、単純に野村日魚子さんの歌集がほしかった)
●橋本輝幸『鹿が店を発見する』:橋本さんのお店レポが好きなので。一冊にまとまって嬉しい。
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COMMENT
8/28(金)より全国順次公開の映画『ようこそ映画音響の世界へ』へ寄せられた、超豪華推奨コメントをご紹介!
(敬称略/順不同)
LiLiCo(映画コメンテーター)
萌えたぁ!職人の気持ちに感動しっぱなし!
彼らの頑張りを体感したらあなたも映画をもっと愛してしまう!
これは観なきゃ損!
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樋口真嗣(映画監督)
視覚と違って聴覚は任意に遮断する方法がないので、目を閉じても耳から映画はとめどなく入ってくる。
だから映画にとって耳から入る情報は、映像以上に作り手の意図を挿し入れることができる。
現実にない映像の説得力は、その映像のクオリティよりも音響によって決まるのだ。
歴史の節目にあらわれる革命の数々———
そこに関わる関係者の言葉は音響に対する自信と愛情と信頼が溢れている。
とてつもなく嬉しいことばかりで彩られている素晴らしい映画だ。
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押井守(映画監督)
セルジオ・レオーネの傍らにエンニオ・モリコーネがいたように、不肖この私にも川井憲次と若林和弘がいましたし、
いまも一緒に仕事をしています。なぜかと言えば「映画の半分は音響」だからなのです。
彼らの存在なくして映画を語ることはできません。彼らの存在なくして映画監督の仕事も成立しません。
その当たり前の事実を、この映画はたいへん面白く伝えています。映画の正体に興味のある人には、お薦めの一本です。
それにしても、苦悩するカントクに較べて音響スタッフたちの楽しそうなこと!あれが「映画に魂を吹き込む」人間たちの顔なのです。
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阪本順治(映画監督)
映像と音響、このふたつが“同等”に相まって映画はできている。が、鑑賞時、聴覚にあまり意識が行かぬことも。
『ようこそ映画音響の世界へ』を観れば、音響のマジックを知ることとなる。地道すぎる作業と、その種明��しにもびっくりだろう。
耳を澄ませれば、銀幕には違う世界が広がる。そんなことをこの作品は教えてくれる。本作を観た後と前では、映画の楽しみ方が
変わるに違いない。映画を愛するひとは、もうひとつの愛し方を見つけてくれるだろう。是非、劇場へ!
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鶴田法男(映画監督)
『トップガン』の戦闘機の爆音はライオンや猿の声で迫力増量。『スパルタカス』の兵士の鎧の音は車のキーの束の音。
デジタル全盛の時代に、いまだ創意と工夫のアナログ魂が息づいているのが映画音響の現場。本作を見終わったとき、
あなたは耳でも映画を観ることが出来るようになり、あなたの好きな映画がもっともっと愛おしくなる。必見!!
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宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)
映画館で映画を観る最大の理由は、音響にある。本作を観れば、それがどうしてかがわかるだろう。
「映画の音は錯覚のアートだ」という言葉に込められた映画の本質。そのいかがわしさに魅せられた、すべての人へ。
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春日太一(映画史・時代劇研究家)
本作には、名作映画にたずさわってきた音響スタッフたちが登場します。
彼らの語る創意工夫の数々を聞いていると、映画は監督だけが作っているものではないこと、
映画は映像だけではなく音も重要なファクターであること……がよく理解できます。
映画の奥深さに触れることができ、既に観た映画もまた改めて見たくなる。そんな作品です。
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荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)
レストランで食事をする時、一皿一皿の伝統、食材、産地など心得ていると、いっそう食事の楽しみが深まる。
映画の楽しみ方もまだまだ未開拓。そのことを『ようこそ映画音響の世界へ』は雄弁に教えてくれる。
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樋口泰人(映画・音楽評論家)
今後映画を観るときにほんのちょっとだけ耳を澄ましてみるといい。
たったそれだけのことでわれわれの視界は鮮明になりどこまでも広がっていくはずだ。
そしてわれわれはいくつもの新しい人生を生きることになる。出会いと驚きは映画の中で無限に生まれ続けているのである。
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小沼純一(音楽・文芸批評家)著書:「映画に耳を 聴覚からはじめる新しい映画の話」
歴史的な軸、個別の切り口(声・環境音・効果音・音楽、等など)で語られる「映画音響の世界」を体験すると、
映画にむかったときのあなたの耳は、以前とはべつのものになっている。
映画音響の歴史はさほど長くないから、生き��人の声がきこえるのもうれしい。
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泉哲也(オーディオビジュアル総合サイト StereoSound ONLINE)
映画の感動の半分は音にあった! そんな単純だけど大切なことに、改めて気づかせてくれる必見作。
映画音響スタッフの努力を知ってからお気に入りの作品を見返したら、これまで以上の感動に出会えること間違いなし。
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長門洋平(映画音響研究)著書:「映画音響論――溝口健二映画を聴く」
聞こえているけど聴いてはいない「映画音響の世界」への最良のガイド。
映画の音というものがどれだけ「不自然」なのかということがよく分かる。
この作品をとおして映画の聴き方、というか見方がまた変わりました。
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吉田俊太郎(翻訳家)翻訳:「映画の瞬き[新装版] 映像編集という仕事」、「映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話」
真に人を虜にしてきた映画作品のほとんどが音響を単なる付属物として扱わずに芸術の核として中心に据えていたんだなぁと
改めて実感。音響デザイナーたちのそれぞれ独創的でイマジネーション豊かな創作過程を垣間見れるのもとても楽しい。
映画制作の舞台裏に興味のある方にはもちろん、クリエイティブな日常を過ごしたい万人に勧めたくなる、
創作脳がビリビリ刺激される映画でした。
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賀来タクト(映画&映画音楽関連文筆家)
ウォルター・マーチがいなければ『地獄の黙示録』のヘリも飛ぶことはなかった。
ベン・バートがいなければ『スター・ウォーズ』も嘘くさい親子チャンバラだった。
ゲイリー・ライドストロームがいなければ『トイ・ストーリー』もただのおもちゃごっこだった。
音で映画を本物にした音響三銃士の活躍がここに!
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岩代太郎(作曲家)代表作:『Fukushima 50』(20)、『新聞記者』(19)、『レッドクリフ』シリーズ、『殺人の追憶』(03)
父の命が終わりを告げようとした時、主治医が私に「聴力は最後まで残っていますから話しかけて下さい」と囁いた。
人生は「音」に始まり「音」に終わる。映画も又、同様だと気づかせてくれる貴重な作品だと思う。
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川井憲次(作曲家)代表作:『イップ・マン』シリーズ、『機動警察パトレイバー THE MOVIE』シリーズ
当たり前ですが、映画は映像と音でできています。
音とは、セリフ、効果音、音楽ですが、それらを丁寧に説明してくれるこの作品は素晴らしかったです。
映画を支える���ウンドチームはそれぞれ役割が異なるものの、それらが一つのサウンドトラックになっていく課程は、
今まであまり紹介されていなかったと思います。
特にフォーリーと呼ばれる現実音でも、実際にはない音を工夫して効果的に作られていたりして、実に興味深かったです。
実際にない音を入れるのは音楽も同じで、実は正解がありません。ただ監督やプロデューサー、そして作曲家の好みや勘で作られているんです。私は作るたび、これでいいのかなあ・・・と毎回超不安になりますが、きっとこの映画に出てくる人もみんなそんな気持ちで作っているのかも・・・と自分に言い聞かせることにしました。
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菅野祐悟(作曲家)代表作:『太陽は動かない』(20)、『カイジ ファイナルゲーム』(20)、『マチネの終わりに』(19)
この映画を観ると、これから映画を観る時の楽しみ方に、新しい視点が一つ加わるのではないかと思います。
僕はこれから映画音響チームの一員として、より一層、映画音楽の作曲に真剣に向き合い、味わい尽くしたいと思います。
そう思わせてくれる映画でした。
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世武裕子(映画音楽作曲家)代表作:『星の子』(20)、『風の電話』(18)、『日々是好日』(18)、『生きてるだけで、愛』(18)
大事なこと全部詰まってる!
映画館行ったことない人にも、映画を愛する人にも等しくワクワクさせてくれるドキュメンタリー映画。
普段は映画の音楽だけを作っていますが、映画の「音」の秘密は実はもっと深くて壮大◎
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岩浪美和(音響監督)代表作:『ガールズ&パンツアー 劇場版』(15)、『劇場版 ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール』(17)
音を知れば映画はもっと楽しくなる!映画音響をめぐる冒険者たちの挑戦が数々の名作と共に語られます。
この偉大なる冒険譚をぜひ劇場の音響で体験してください!
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えびなやすのり(音響監督)代表作:『プロメア』(19)、『劇場版 NARUTO-ナルト- 疾風伝』(07)など
まず僕たちがいる業界に入ってきた人に見てほしい。
あなた達がこれからどんな仕事をするのか、今やっている事がどんな意味を持っているのかわかる事でしょう。
次にこの業界に携わる音響以外の関係者に見てほしい。
音を革新的に良くすることは音響の情熱だけでは如何ともしがたいことに気づいて欲しい。
「音?モノでいいじゃん」この台詞を何度言われたことだろう。
是非良い音響の映画館で見て欲しい。サラウンドの何たるかが分かるでしょう。
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鶴岡陽太(音響監督)代表作:『映画 聲の形』(16)
80年代から私のアイドルであったゲイリー・ライドストロームに触れられて、感無量でした。
とは言え、如何にして今に至るかを知る恰好の教材として、若い方にこそ、是非見ていただきたい映画だと思います。
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山田陽(音響監督/音響技術)代表作:『天気の子』(19)、『君の名は。』(16)、『シン・ゴジラ』(16) 、『巨神兵東京に現わる 劇場版』(12)
日本とハリウッド。音響制作の現場には大きな違いがあり、細かく役割を分けて制作できる環境は正直うらやましい。
ただ、音響技術者たちの“音”に対するこだわり、想いは国や環境など関係ないものだと分かり嬉しかった。
ベン・バートも私と同じで機械いじりが好きな少年だったのだ。“音”は観客が意識することなく、自然に聞こえるようにするのが理想。
一方で映画の盛り上がりに“音”は欠かすことができない。
映画を影で支える音響技術者たちの活躍を知ることができる素晴らしい作品だ。
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赤澤勇二(音響効果)代表作:『とんかつDJアゲ太郎』(20)、『犬鳴村』(20)
多くの方に見て欲しい映画だと思いました。映画の見方に新しい視点が加わり、より楽しめるようになると思います。
改めて音の可能性を感じました。
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勝亦さくら(音響効果)代表作:『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)
映画の中の音が目に見えないけれど観る人の感情を如何様にも動かすものだということを改めて思いました。
映画が好きな人、映画づくりに携わる人、映画づくりを目指す人、色んな人が楽しめる映画だと思います。
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松浦大樹(音響効果)代表作:『ステップ』(20)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)
邦題のとおり、観客にとっては映画の音がどのように作られているのかを知ることができる貴重な作品。沢山の驚きと発見があります。
また映画制作に従事している者にとっては、映画音響史を学ぶに最良の教材。沢山のアイデアとヒントであふれています。
この映画は、私たち映画技術者に初心に返るきっかけを与えてくれる作品です。日本映画の実際はともかく、
この映画で描かれているような仕事がしたい。少なくとも自分は、いつもそう思っています。そして、ウォルター・マーチ最高。
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井上奈津子(音響効果/フォーリーアーティスト)代表作:『君が世界のはじまり』(20)、『惡の華』(19)
本当に胸がいっぱいになってしまった。効果音は爆発や銃声、魔法やアクションなど派手なものが注目されがちだが、
「プライベート・ライアン」のゲイリー・ライドストロームが「画面の外の音が大切だ」と言ったことに凄く共感した。
目に見えなく尚且つ画面の外にある空間を演出することでその世界に匂いや質感を与えることができるのではないかと思う。
台詞にしてもガヤにしても、一音一音にその音を扱う人の意思や演出があり、それを監督が演出していく、
それをこの作品では丁寧に描いていて感動した。
日本にいるとハリウッドや世界の映像音響との技術の隔たりを感じて悔しく思うこともたくさんある。
ですが、この作品に登場する全ての技術者は私たちとあまり変わらない音の変態なのだと、
劣等感を勝手に感じていないでもっと楽しめよと言われている気がした。
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北田雅也(効果音/フォーリーアーティスト)代表作:『映画ドラえもん のび太と新恐竜』(20)、『ザ・ファブル』(19)
雲をつかむような…という慣用表現があるのだけれど、
音の仕事というのは再現性の少なさや音の受け取りかたが個人の体験に依存すること、
空気の振動が消えた瞬間に存在そのものが消えることなど確固たるものが何もない雲をつかむような職業と言えると思う。
雲をつかむことに夢中になった人と雲をつかんで映像に魔法の息吹を吹き込みたい演出家の物語でもあるし、
人々が雲をつかめるようになった歴史の話でもある。映像に対する音響の作り方を体系的に理解することもできる。
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小山吾郎(フォーリーアーティスト)代表作:『クリード 炎の宿敵』(18)、『ブレードランナー2049』(17)、『グレイテスト・ショーマン』(17)
ピューピュー、パタパタ、びゅっ、ドカーン、カキン!、ザバーッ、ぶぉん、ちゅんちゅん、ジャジャーン、パカパカ、ガオーッ!、てくてく。
ワクワク、ドキドキ、素晴らしき音いっぱいの、音の映画! (拍手)
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笠松広司(sound designer/re-recording mixer)代表作:『きみと、波にのれたら』(19)、『海獣の子供』(18)、 『風立ちぬ』(13)
映画は総合芸術という事を再認識。”ある瞬間”の為に、やってダメな事もないし、やらなきゃイケない事もない。
作る側の音響技術者にも、観る側の映画好きなオーディエンスにもきっと刺激になる。
”その瞬間”『ハマった時の爽快感は病みつきになる』
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柴崎憲治(音響効果/サウンドデザイナー)代表作:『Fukushima 50』(20)、『海猿 ウミザル』(04)、『リング』(98)
コレから音響の世界を目指す人たちにとって、教科書の様な映画です。
foley は人の動きや物音を表現して人間たちの存在感を増して、fxは画に奥行きを与えて、立体感を作る。
backgroundは、frameの、内・外の映画の世界観を作る、それにより どうゆう場所なのか、どういう空間なのかを説明する。
画に対する柔軟な創造・想像力・アイデアが、音響技師達の感性とセンスによって画を引き立たせ、
当たり前の様にそんな音がするんじゃ無いかと、錯覚させる世界観を創り出す遊び心と情熱と創意工夫が描かれています。
とても魅力的な映画です。
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高木創(録音/整音/音響デザイン)代表作:『ゲド戦記』(06)、『機動戦士Zガンダム A New Translation Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(05,06)、『攻殻機動隊 SAC_2045』(20)など
映像作品の半分は音響で成立している。この映画ではそれが国境を越えた共通認識である事を示している。
そして各時代の同時期に映画音響制作をしている日本の大先輩達にも想いを馳せた。
この映画に登場する敬愛するレジェンドな先輩方の証言をスクリーンで目の当たりにしながら「なんてこった」とつい呟く。
スピリットは国は変われど何ら変わらなかったのだ。
素晴らしい映画では音響は寧ろ意識されない。只々ワクワク感が掻き立てられるが、
そのワクワク感を紐解いてゆくと「音響」そのものだったという『ようこそ映画音響の世界へ』。とても良い映画だ。
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山本タカアキ(録音技師/サウンドデザイナー)代表作:『風の電話』(20)、『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『モリのいる場所』 (18)
映画業界において音の分野はコストであったりスケジュールであったり色々と冷遇されていると日頃から思っているのですが、
優れた監督たちの音表現への信頼の言葉やこだわり続けて映画音響の歴史を作ってきた先駆者の姿を見て勇気をもらいました。個人的には作品作りで心が折れそうになった時、行き詰まった時に見返したい作品になりました。
それとやはり!映画を志す人たちには是非見てもらいたいです。たくさんの名作を通じて映画音響のあれこれがわかります。
映画音響を志す人は勿論ですが、監督、プロデューサーを目指す人たちにも見て欲しい!
音の表現力を知っている映画人が増えて日本映画がステップアップすることを望みます!!
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浦田和治(映画録音技師)代表作:『孤狼の血』(18)、『ノルウェイの森』(10)、『ジョゼと虎と魚たち』(03)
映像と音という二つのものが、同化したり、異化したり、対立したりして映画は出来上がっていくのでしょうね。
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木原広滋(録音技師)代表作:『よこがお』(19)
監督やプロデューサー等、プリプロダクション(撮影の前段階)から映像制作に関わる方々に是非観ていただきたいです。
作ろうとしている映像に本当に必要な音は、もしかすると『同録』ではなく『アフレコ』の音かも知れないですし、
はたまた『効果音』だけで殆ど表現できてしまうのかも知れません。
そういった事を再認識できる作品だと思いました。
またそれによって、新しい撮影のやり方や、新しいバジェットの使い方が見えてくる。そんな可能性も感じます。
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根本飛鳥(録音技師)代表作:『許された子どもたち』(20)、『愛がなんだ』(19)
まだ見ぬ風景を思い描き、あるかも分からないその景色を見るため、そこに眠る財宝を探して旅をする、映画音響の仕事とは
まるで開拓時代の冒険者の様だ。このドキュメンタリーに登場する人物達は超一流の冒険者であり、探求者である。
「その音」にたど��着いた彼等の眼差しの慎ましく美しいことよ。たかが空気の振動とあなどるなかれ。
冒険者達が掴んだ「その音」は私たちの心まで震わせてくるのだから。
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弥栄裕樹(サウンドデザイナー/録音技師)代表作:『ファンシー』(19)、『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』(19)『ソワレ』(20)
正直こんなに感情が動かされるとは思ってなかったです。声・感情・空間・夢・時間・ソング….。
鑑賞中はユリイカと焦燥感の連続でした。映画音響は重要性とは裏腹に、あまり表に出てこない世界。
そこがクールだけども、もったいないとも思ってました。時代を作ってきた人たちの言葉やスタンスが、
この映画を通じていろんな人に伝われば、もっと豊かな作品が増えると信じています。この映画に関わるすべての人に感謝です!
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佐藤敦紀 (予告編演出/編集/VFXスーパーバイザー) 代表作:『シン・ゴジラ』 (16)
1970年代以降、音響技術の世界で革新を成し遂げたウォルター・マーチ、ベン・バート、ゲイリー・ライドストロームら
レジェンドの姿に胸アツ。そしてラストのベン・バートの言葉に深く感動。
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議長、副大統領、議員の皆さん、ファーストレディー、米国民の皆さん、我々は今夜、限りない可能性の瞬間に立ち会っている。新しい議会の始まりにあたり、私は全ての米国民のため、歴史的な大躍進を達成するため皆さんと協力する気持ちでここにいる。
何百万もの米国民が今、この偉大なる議場に集まった我々を見ており、二つの政党としてではなく、一つの国家として統治することを望んでいる。
私が今夜示す計画は、共和党の計画でも民主党の計画でもない。米国民の計画だ。
我々の多くが中核となる同じ約束のために運動してきた。それは、米国の労働者のために米国の雇用を守り、公平な貿易を要求することだ。国のインフラ(社会基盤)を再建し、再活性化させることだ。保健医療と処方薬の価格を引き下げることだ。適法で近代的で安全な移民制度を作り上げることだ。米国の利益を第一にする外交政策を追求することだ。
米国政治には新たな機会がある。それをつかみとる勇気さえあればいいのだ。勝利とは、自分の政党を勝たせることではない。国民のために勝つことだ。
今年、米国の使命の荘厳さと米国人の誇りの力を確認する二つの大事な記念日を迎える。
6月には、アイゼンハワー将軍が大いなる聖戦と呼んだ、連合国軍による欧州解放作戦の開始から75年を迎える。ノルマンディー上陸作戦の決行日の「Dデー」、つまり1944年6月6日、我々の文明を暴政から救うため1万5000人の米国の青年たちが空から、6万人以上が海から強襲した。
そのときの信じられないほど素晴らしい英雄3人が今夜、我々と共にここにいる。ジョゼフ・レイリー1等兵、アービング・ロッカー2等軍曹、ハーマン・ゼイトチク軍曹だ。敬意を表したい。
2019年に我々はまた、月面に米国旗を立てるため勇敢な若い飛行士たちが宇宙を約25万マイル飛んで以来50年となることを祝う。半世紀後(の今)、旗を立てたアポロ11号の宇宙飛行士の1人が(ここに)参加している。バズ・オルドリン氏だ。今年、米国の宇宙飛行士は米国のロケットで宇宙に戻る。
米国は20世紀、自由を守り、中流階級のありようを一変させた。皆さんが本腰を入れれば、世界の中で米国と競争できるところはない。我々は今、大胆に勇気を持って米国の偉大な冒険の次の章に進まなくてはならない。21世紀にふさわしい新たな生活水準に一新しなければならない。すべての市民が素晴らしい生活の質をもう少しで手に入れられる。
我々はかつてないほど地域を安全にし、家族を強固にし、文化を豊かにし、信仰を深めるとともに、中流階級をより大きく、より豊かにすることができる。
そのために我々は復讐(ふくしゅう)や抵抗、報復の政治を拒絶し、協力と妥協、公益の限りない潜在力を追求するべきだ。
我々は、何十年も続く政治的な行き詰まり状態を共に打開することができる。昔からの分断に橋をかけ、古い傷を癒やし、新しい連立を築き、素晴らしい米国の未来を切り開くことができる。決断は我々にかかっている。
偉大さか停滞か、成果か抵抗か、未来か復讐か、途方もない進歩か無駄な破壊か、選ばなくてはならない。
今夜、皆さんに偉大さを選択するよう求める。
この2年間、私の政権は、何十年にもわたり両党の指導者が放置してきた問題に立ち向かうため、切迫感をもって歴史的なスピードで行動した。大統領選からたった2年���りで、我々は空前の好景気をもたらした。かつてないほどの好景気だ。530万の新規雇用を生み出した。製造業で60万の新規雇用を創ったのは特筆できる。誰もがそんなことはできないと言っていた。事実は、これはまだ始まりということだ。
賃金はこの何十年で最速のペースで増え、私が身を挺(てい)して支援すると約束したブルーカラー労働者で一番伸びている。500万人近い米国人が低所得者向け食料品購入券「フードスタンプ」の支給対象から外れた。米国経済は私が就任した時に比べ、ほぼ2倍の速さで成長している。米国経済は、世界のどこと比べても圧倒的な差をつけて活況だといわれている。
失業率は半世紀で最も低い。アフリカ系米国人、ヒスパニック系米国人、アジア系米国人の失業率も、史上最低水準だ。障害を持つ米国人の失業率も史上最も低い。歴史的に最多の1億5700万人が今、就労している。
我々は就労世帯に大規模な減税を行い、児童扶養控除を倍にした。小規模の企業や牧場、家族経営の農場にかかる不動産税や相続税を実質的に廃止した。
とても不人気だった医療保険制度オバマケアの加入義務違反に対する罰金を廃止した。重病患者が救命治療を受けられるようにした。未承認薬を使えるようにする法案を通過させた。
私の政権はほかのどの政権が任期中に達成したよりも多くの規制撤廃を短期間で実現した。歴史的な減税と規制緩和の結果、多数の企業が米国に戻ってきている。
米国でエネルギー革命を起こした。米国は今、世界一の石油と天然ガスの産出国だ。今や、約65年ぶりにエネルギーの純輸出国となる。
24か月の急速な発展��経て、我々の経済は世界の羨望の的だ。軍は地球上で最強だ。米国は日々、勝利している。議員の皆さん、米国は強力である。我が国は活気にあふれ、経済はかつてないほど繁栄している。
1日には、今年1月だけで雇用が30万4000人増えたとの発表があった。予想のほぼ2倍だった。米国で経済の奇跡が起きている。唯一それを止めるものがあるとしたら、おろかな戦争か政治、あるいは、ばかげた党派的な捜査だろう。
平和と法律があるところには、戦争も捜査もあるはずがない。そんなことにはならないものだ。
我々は国外の敵を打ち負かすため、国内で団結しなければならない。
この新たな協力の時代は、連邦機関のポストにふさわしい高い能力を有する300人以上の候補者の指名承認で幕を開けられる。手続きは今も上院で止まっており、中には何年も待たされている者がいる。上院は行動を怠っており、これでは候補者だけでなく国に対して不公正だ。
今こそ超党派の行動が求められる。信じるか信じないかわからないが、それが可能であることを我々はすでに証明している。
前の議会で、両党は力を合わせ、鎮痛剤オピオイド乱用問題に対処するため前例のない法案を通過させた。包括的な新農業法案、退役軍人省の改革を通した。さらに40年否決され続けた、退役軍人省の説明責任法案を可決した。これにより、素晴らしい退役軍人に対するひどい扱いをようやくなくせる。
そしてほんの数週間前、両党は画期的な刑事司法改革に向けて団結した。昨年、私は友人からアリス・ジョンソンの話を聞いた。私は深く心を動かされた。
1997年、アリスは麻薬を巡る違法行為で終身刑を言い渡された。初犯で暴力に手を染めたわけでもなかったのにだ。
その後20年以上、彼女は刑務所の牧師となり、他の受刑者により良い道を選ぶよう励ましてきた。刑務所の受刑者に大きな影響を与えた。影響はそこだけにとどまらなかった。
アリスのケースは、判決の不平等や不公平を明確に示している。この不公正を是正する必要がある。彼女はほぼ22年間受刑し、残りの人生を刑務所で過ごすことになっていた。
私は6月、アリスを減刑した。彼女は今夜ここにいる。アリス、ありがとう。我々にはいつだって自身の運命を決める力があることを思い出させてくれた。
アリスのすてきな家族が刑務所の門で彼女を迎え、抱きしめ、キスを交わし、泣き、笑うのを見たとき、私は正しいことをしたと実感した。
アリスのような話をきっかけに、私の政権はファースト・ステップ法の成立に向けて、両党の議員と緊密に連携した。この法は、アフリカ系米国人の権利を誤ったやり方で過剰に損なってきた刑法を改革するものだ。
ファースト・ステップ法は、暴力を伴わない犯罪者が生産的で法を順守する市民として社会復帰する機会を与える。今、国中の州が続こうとしている。米国は罪が償えることを信じる国だ。
今夜、ここにテネシー州からマシュー・チャールズも来ている。1996年、マシューは30歳のとき、違法薬物販売などの罪で35年の刑を言い渡された。その後20年にわたり、30以上の聖書の講義を修了し、法務書記となり、受刑者たちの良き助言者となった。彼は今、ファースト・ステップ法のもとで出所した最初の元受刑者となった。ありがとう、マシュー。
今、共和党と民主党は、差し迫った国家の危機に立ち向かうために再び力を合わせなければならない。
国土を守り、南部国境を厳重に警備する予算案を通すために、議会には10日の期間が残っている。
今こそ、米国が不法移民をなくし、密入国を手引きする冷酷な一味や組織、麻薬密売人や人身売買組織を壊滅するために取り組んでいることを、議会は世界に示すときだ。
今こう話している最中も、中米からの移民集団の大規模な隊列が米国を目指している。メキシコの複数の市当局が、不法移民を地域から排除するために、バスやトラックに彼らを乗せ、我が国の国境警備が手薄な場所に送り込んでいるそうだ。このとんでもない猛襲に対処するため、南部国境に3750人の部隊派遣を命じたところだ。
これは倫理問題だ。南部国境の無法状態は、すべての米国民の安全、治安、金銭的安定に対する脅威だ。我々は、国民の暮らしと雇用を守る入国管理体制を作り出す義務がある。
これには、規則を守り、法令を順守している、今ここに暮らす何百万人もの移民に対する我々の責任も含まれる。合法な移民は、様々な形で我が国を豊かにし、社会を強くする。私は我々の国に、かつてないほど多くの人々に来てほしい。しかし、それは合法的でなければならない。
不法移民ほど我が国の政治的、階級的な分断を明示する問題はない。豊かな政治家や献金者は、壁と門と警備に守られながら、国境の開放を求めている。一方で、米国の労働者たちは、雇用の減少、低賃金、教育の負担、社会保障の衰退といった大規模な不法移民の代償を払っている。
不法移民への寛容は思いやりではない。現実は非常にひどいものだ。(米国を目指し)北上する女性の3人に1人が性的暴行を受けている。密売人たちは、我々の法律を悪用し、我々の国に入国するために移民の子供を人質として利用する。
人身売買業者たちは、何千人もの少女や成人女性を米国に密入国させ、彼女らを売春に従事させるため、我々の通関施設間の広い地域をたくみに利用している。
何万人もの善良な人々が、我々の暮らす街に国境を越えて流入した覚醒剤、ヘロイン、コカインなどの危険な薬物によって死んでいる。
悪質なギャング組織「MS―13」が少なくとも20州で活動している。彼らのほとんどは南部国境を越えて入ってくる。ちょうど昨日、メンバーの一人がニューヨークの地下鉄ホームでの射殺容疑で拘束された。我々はこのようなギャングのメンバーを排除しているが、国境の安全が保証されるまで、彼らは逆流し続ける。
年を追うごとに、犯罪的な不法外国人によって殺害される米国人は数え切れない。
私は多くの素晴らしい「天使の母たち、父たち、家族ら」を知るようになった。誰も、彼らが耐えなければならなかったようなひどい心痛に苦しむべきではない。
今夜ここに、デボラ・ビッセルが来ている。3週間前、デボラの両親ジェラルドとシャロンはネバダ州リノの自宅で強盗に入った不法な外国人に撃たれて亡くなった。2人は80歳代で、4人の子供と11人の孫、20人のひ孫がいた。ここには、その孫娘のヘザーとひ孫のマディソンも来ている。
ほとんどの人はあなたたちの痛みを理解できない。ありがとう、ここにいてくれてありがとう。本当にありがとう。私は決して忘れないし、ジェラルドとシャロンのために、このようなことが二度と起こらないように闘う。
危険な国境の管理を怠り、もうこれ以上、米国人の生命が奪われることがあってはならない。
米移民・関税執行局(ICE)は、この2年間で、26万6000人の不法な外国人を拘束した。この中には、性犯罪にかかわった3万人や、殺人事件に関与した4000人が含まれる。
こうした法執行の英雄の一人がここに来ている。ICE特別捜査官のエルビン・ヘルナンデスだ。エルビンと彼の家族はドミニカ共和国から合法的に米国に移住してきた。8歳の時、エルビンは父親に捜査官になりたいと言った。彼は今、国際的な性的人身売買を取り締まる捜査を指揮している。エルビンは言う。「もしこれらの若い少女たちが確実に正義を得られるならば、私は本当に自分の仕事をしたことになる」。彼と彼の同僚のおかげで、昨年、300人以上の女性らが恐怖から救われ、1500人以上の残虐な人身売買業者らが投獄された。
我々はいつも、法執行に関わる勇敢な男女を支持する。私は今夜、ICEの英雄を滅ぼすことはないと誓おう。ありがとう。
我が政権は、南部国境の危機を終わらせるため、良識ある提案を議会にしてきた。それは、人道支援や更なる法執行、入国時の薬物探知、子供の人身売買を可能にする抜け穴を封じること、国境の物理的な壁を含む。過去には、ここにいるほとんどの人が壁に賛成票を投じたが、壁は適切に建設されていない。私はそれを建設する。
これはスマートで戦略的で向こうが見通せる鋼鉄の障壁であり、ただのコンクリート壁ではない。これは、国境警備隊によって必要性があると確認された場所に設置されるだろう。壁がつくられたところでは不法入国は激減すると国境警備隊は言うはずだ。
サンディエゴ(カリフォルニア州)は、米国で最も多くの不法入国があった。サンディエゴ住民や政治指導者の要求に応じて、頑丈な壁が導入された。この頑丈な壁は不法入国をほぼ完全に収束させた。
メキシコとの国境都市であるテキサス州エルパソは、かつて、米国内で凶悪犯罪率が最も高い都市の一つで、最も危険な都市の一つと考えられていた。今は強力な壁のおかげで、エルパソは最も安全な都市の一つになっている。端的に言えば、壁は機能し、壁は人命を救う。
だから、協力し、歩み寄り、真に米国を安全にする取引を成立させよう。
我々は国民の安全を守るために働いている。経済の回復を速いペースで進めなければならない。
昨年に創出された新規雇用の58%を占めた女性たちほど、私たちの発展する経済から恩恵を受けた人々はいない。すべての国民は、これまで以上に多くの女性が働けることを誇りに思うだろう。女性に参政権を与える憲法修正が議会で可決されてからちょうど1世紀、これまでで最も多くの女性が議会で活躍している。素晴らしい。おめでとう。
あらゆる場面で女性の活躍する機会を改善する取り組みの一環として、我々は途上国の女性の経済的自立に焦点を絞った政府初の事業も始める。
驚異的な経済の成功を築くためには、最優先事項として、数十年にわたる悲惨な貿易政策を転換させることだ。
我々は中国に対し、長年にわたって米国の産業を狙い、知的財産を盗んできた今、雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい。
我が国は最近、約2500億ドル(約27兆4000億円)の中国製品に関税を��した。財務省は今、中国から何十億ドルも受け取っている。しかし、我々を利用したと、中国を非難するつもりはない。私は、この茶番を許した我が国の過去の指導者と議員たちを非難する。私は習シー(近平ジンピン)国家主席をとても尊敬している。
我々は今、中国との新しい貿易協定に取り組んでいる。しかしその新たな協定には、不公正な貿易慣行を終わらせ、慢性的な貿易赤字を減らし、米国の雇用を守るために、実質的で構造的な改革が含まれなければならない。
もう一つの歴史的な貿易の大失敗は、北米自由貿易協定(NAFTA)として知られる大惨事だ。
私はNAFTAによって夢を砕かれたミシガンやオハイオ、ペンシルベニア、インディアナ、ニューハンプシャー、さらに多くの州で男女に会った。何年もの間、政治家はより良い協定を交渉すると公約してきた。しかし、今まで誰も実行を試みなかった。
我々の新しい「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」は、NAFTAに取って代わり、米国の労働者のために役割を果たすだろう。それによって、米国の製造業に雇用を取り戻し、米国の農業を拡大させ、知的財産を保護し、より多くの車に「メイド・イン・ザ・USA」の美しい四つの単語を誇らしげに刻印することを保証できる。
私は今夜、相互貿易法を議会で通過させることを求めたい。他国が不当な関税を米国の製品に課したら、我々も彼らが売りたい同様の製品に全く同じ関税を課せるようにするためだ。
両党は、米国のボロボロのインフラ再建という偉大な仕事のため団結できるはずだ。
私は、議会がインフラ整備法案を通すことに意欲を持っているのを知っている。私は、未来の最先端産業のための投資を含めた、新しくて重要なインフラ投資を実行するための法整備で、あなたたちと一緒に働きたくてたまらない。これは選択の問題ではない。必要不可欠なものだ。
私だけでなく、私たち全員にとって次の大きな優先事項は、医療と処方薬の費用を減らし、既往症のある患者を守ることだ。
私の政権の努力の結果として、既に薬の価格は2018年に、46年間で最大の下げ幅を経験した。
しかし、我々はもっとやらなければならない。米国人が、たいてい全く同じ場所で作られている全く同じ薬のために、他国の人より非常に高い金額を支払わされるのを受け入れることはできない。こんなことは間違っており不公平だ。力を合わせ速やかにやめさせたい。
私は、医薬品開発費の負担が世界的に不公正になっている問題にようやく取り組み、米国の患者にとって公平性と価格の透明性を提供する法律を通すことを求めている。製薬会社や保険会社、病院に対し、競争を促し、価格を下げるために実際の価格を開示することも要求すべきだ。
歴史上、米国の自由ほどの力を持って、人々の境遇を進歩させたものはほかにない。ここ数年で我々は、HIV(エイズウイルス)との闘いで目を見張る進展を遂げた。科学の飛躍的進歩は、遠い夢を手の届く距離に引き寄せた。私は、10年以内に米国でHIVの流行を確実になくすために必要な予算を民主党と共和党に求めたい。一緒に米国のエイズに打ち勝とう。
今夜、私は全ての米国人が支持できる別の闘いに参加することも求めている。それは小児がんとの闘いだ。
観客の中で今晩メラニアと一緒にいるのは、とても勇敢な10歳の女の子、グレイス・イラインだ。やあグレイス。彼女は4歳の時から誕生日のたびに、セントジュード小児研究病院への寄付を友人に呼びかけていた。彼女は自身が、患者になる日が来るとは思わなかった。それが起こった。昨年、グレイスは脳のがんと診断された。すぐに彼女は放射線治療を始めた。同時に地域に呼びかけ、がんとの闘いのために4万ドル以上を集めた。彼女が昨秋、治療を終えた際、「化学療法の最終日」というポスターを掲げると、彼女の医師や看護師が目に涙をためて喜んだ。ありがとうグレイス、あなたはこの部屋にいる全員の励みだ。
多くの小児がんは新しい治療法が見つかっていない。私は、命を救う重要な研究のため5億ドルの予算を議会に求めている。
共働きの親を助けるため、米国の子供たちのための公立学校選択制を通す時が来た。私は、有給の家族休暇を全国的に導入する計画を予算案に含める最初の大統領となることを誇りに思う。親がみな、生まれたばかりの子供と親密な絆を結べるようにするためだ。
母親が幼児を抱く美しい映像と比べ、我々の国で最近流れた身も凍るような映像ほど、大きなコントラストを示すものはない。
ニューヨークの議員は、生まれる寸前の赤ちゃんを中絶できるようにする法案の通過を喜んだ。こうした赤ちゃんは、生きていて感覚を備える美しい存在なのに、この世の愛も夢も決して触れられない。バージニア州の知事に至っては、その発言で、出産後に赤ちゃんを処刑する意図まで示した。
全ての人の尊厳を守るため、私は、母親の胎内で子供が痛みを感じることができる妊娠後期の中絶を禁止する法案を通過させるよう求めている。
無垢(むく)の生命を大事にする文化を共に築こう。根本の真実を再確認しよう。生まれた子もこれから生まれる子も、神の神聖な御姿をかたどったものだ。
私の計画の最後は米国の安全保障についてだ。
ここ2年以上、昨年は7000億ドル、今年は7160億ドルをかけて、我々は米軍を全面的に立て直すことに着手してきた。我々は他の国々に対して公平な分担をさせている。やっとだ。長年の間、米国は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国である友好国から非常に不公平に扱われてきた。しかし、この2、3年でNATOの同盟国による1000億ドルを超える防衛支出の増額を確保した。彼らができないと言っていたものだ。
軍増強の一環として、米国は最新式のミサイル防衛システムを開発している。
私の政権下では、米国の利益を促進したことを巡って我々が謝ることは決してない。
例えば、数十年前、米国はロシアとミサイル能力を制限し、縮小する条約を締結した。我々が合意とルールを誠実に守る一方、ロシアは長年、繰り返し取り決めを破ってきた。それが、私が中距離核戦力(INF)全廃条約から正式に離脱することを発表した理由だ。それ以外に選択肢がない。
おそらく我々は中国やその他を加えて異なる合意を交渉できる。もしできなければ、我々は、ほかのどの国もはるかにしのぐ費用をかけて技術革新を行い優位に立つ。
大胆で新しい外交の一環として、我々は朝鮮半島での平和のために歴史的な努力を続けている。我々の人質は帰国した。核実験は止まった。ミサイル発射は15か月間、行われてこなかった。私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の考えでは、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっていただろう。多くの仕事が残っているが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と私の関係はよいものだ。金委員長と私は2月27、28日にベトナムで再び会う。
2週間前、米国は正統なベネズエラ政府および新しい大統領、フアン・グアイド氏を正式に承認した。ベネズエラの人々の高貴な自由の追求を支持する。マドゥロ政権の残忍性を非難する。彼らの社会主義政策は、南米で最も裕福だった国を、みじめな貧困と絶望の国に転落させたた。
ここ米国で、我々の国に社会主義を採用しようという新たな要求を警戒している。米国は、政府の強制でも支配でも統制でもなく、自由と独立の上に築かれた。我々は生まれながらに自由で、自由であり続ける。今夜、米国が決して社会主義国にならないという決意を再確認する。
我々が長年にわたって直面する試練の中でもとりわけ複雑なものの一つは、中東にある。
我々の取り組みは、原則にのっとる現実主義に基づいている。何十年も進展がなかった信用できない理論ではない。だからこそ我々の政権は、イスラエルの真の首都を認め、誇りを持ってエルサレムに大使館を開いた。
我々の勇敢な兵士は今、ほぼ19年間にわたって中東で戦ってきた。アフガニスタンとイラクでは7000人近い米国人の英雄が命をささげた。5万2000人以上の米国人が重傷を負った。我々は7兆ドル以上を中東での戦闘で費やしてきた。
大統領候補として、私は新しい取り組みを声高に約束した。偉大な国は、終わりなき戦争はしない。
私が就任した時、イスラム過激派組織「イスラム国」はイラクとシリアの2万平方マイル以上を支配していた。今日、血に飢えた怪物の支配から、我々は実質的に全領土を解放した。
「イスラム国」の残党を壊滅するため、同盟国と連携して取り組んでいる今、我々のシリアにいる勇敢な戦士に温かい「お帰りなさい」を贈る時だ。
私はまた、アフガニスタンで政治的解決を、可能なら実現させるための交渉を加速させてきた。敵対勢力もまた、交渉が行われていることをとてもうれしく思っている。我々の軍は比類なき勇猛さで戦ってきた。そして、彼らの勇気のおかげで、我々は今、この長く血を見るような紛争の政治的解決となりうることに取り組むことができる。
アフガニスタンで私の政権は、(旧支配勢力)タリ��ンを含む数多くの勢力と建設的な対話を行っている。これらの交渉が進展すれば、我々の軍の駐留部隊を減らし、テロ対策に集中することができるだろう。我々は実際にテロ対策に集中する。(和平)合意を実現できるかどうかはわからない。しかし、20年に及ぶ戦争を経て、少なくとも和平達成に向けて努力する時が来たことを我々はわかっている。相手も同じことをしたいと思っている。その時だ。
敵味方の区別なく何より重要なのは、国民を守ろうとするこの国の力と意思を疑ってはならないことだ。18年前、テロリストたちは米駆逐艦「コール」を襲撃した。そして先月、米軍はこの襲撃の首謀者の一人を殺害した。
我々は今夜、トム・ウィバリーが参加してくれたことを光栄に思う。彼の息子で海軍上等兵のクレイグ・ウィバリーは、我々が悲劇的に失った17人の乗組員の1人だった。トム、我々はいつでも、駆逐艦コールの英雄たちを記憶にとどめると誓う。ありがとう、トム。
私の政権は、世界で有数のテロ支援国家であるイランの急進的な政権に立ち向かうため、断固とした態度で行動してきた。急進的な政権だ。彼らは本当に悪いことをする。
この邪悪な独裁政権が核兵器を決して保有しないことを確実にするため、私は破滅的なイラン核合意から米国を撤退させた。そして我々は昨年秋、米国が一国に科すものとしては最も厳しい制裁を発動させた。
我々は、米国に対して死を唱え、ユダヤの人々に対して集団虐殺を行うと脅す政権から目をそらさない。反ユダヤ主義という卑劣な害毒、その悪意に満ちた信念を広める人々を、決して無視してはならない。我々は一致団結し、こうした憎しみがいかなる場所で生じたとしても、立ち向かわなければならない。
わずか数か月前のことだが、(東部)ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)「生命の木」で、ユダヤ系米国人11人が反ユダヤ主義の襲撃によって残忍な形で殺害された。SWAT(警察特殊部隊)のティモシー・マットソン隊員は銃撃のさなかに突入し、7回撃たれながらも犯人を追跡した。そして非常に成功した。ティモシーは12回目の手術を受けたばかりで、さらに多くの手術を受ける。しかし、今夜、我々と共にここにいるために駆けつけた。マットソン隊員、ありがとう。我々は、永遠に感謝する。本当にありがとう。
今夜、ピッツバーグの事件の生存者ジュダ・サメットも参加している。彼は、虐殺が始まった時にシナゴーグに到着した。しかし、彼は昨秋、死を免れただけではない。70年以上前、ナチスの強制収容所でも辛うじて生き残ったのだ。今日はジュダの81歳の誕生日だ(拍手。誕生日を祝う歌が歌われる)。彼らは私のためにそうしてくれないよ、ジュダ。ジュダは、約75年前、強制収容所で10か月間過ごした後、家族と列車に乗せられ、別の収容所に行くと言われたまさにその時を、今でも思い出すことができると言う。突然、列車がキーッと音を立てて止まった。1人の兵士が現れた。ジュダの家族は最悪の事態を覚悟した。そのとき、彼の父親は大きな喜びの声を上げた。「米国人だ、米国人だ」と。
今夜ここにいる、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き抜いた2人目の人物のジョシュア・カウフマンは、ダッハウ強制収容所の捕虜だった。彼は、家畜運搬車の壁の穴をのぞき、米兵が戦車で続々とやって来るのを見たことを覚えている。ジョシュアは「私にとって、米兵は神が存在するという証しであり、彼らは空から下りてきた。彼らは天国から下りてきた」と回想する。
今晩、私はまず、第2次世界大戦中の「Dデー」(ノルマンディー上陸作戦の決行日)に戦った兵士3人を称賛することから始めた。そのうちの1人がハーマン・ゼイトチクだった。
だが、ハーマンの物語はもっとある。ハーマンはノルマンディー海岸を急襲した1年後、ダッハウ(強制収容所)の解放を手助けした米兵の1人だった。彼は、この世の地獄からジョシュアの救出を支援した米国人の1人だった。75年近くがたち、ハーマンとジョシュアは今夜、ギャラリーの中に共にいる。米国の自由発祥の地であるこの場に、隣り合って座っている。ハーマンとジョシュア。あなたたちが今晩ここにいることにとても感謝している。
1944年、Dデーの早い時間帯、英仏海峡の暗い空の下で米兵が作戦に着手した時、彼らは18、19歳のただの若者だった。不安定な上陸用舟艇で、戦争の歴史の中で最も重要な戦闘へと突き進んでいったのだ。
彼らは、その時を生き残れるのかわからなかった。年を重ねられるのかもわからなかった。しかし彼らは、米国が優勢でなければならないことはわかっていた。この国家、そして、まだ生まれていない世代(のために戦うこと)が彼らの大義だった。
なぜ彼らはそうしたのか。米国のため、私たちのためにそうしたのだ。
共産主義への勝利、科学と発見の大いなる飛躍、他の追随を許さない平等と正義への前進――。全てが、先人の血と涙と勇気、先見の明のおかげなのだ。
この議事堂に思いをはせよう。あなたたちより前に(ここにいた)議員たちが、奴隷制に終止符を打ち、鉄道や高速道路を建設し、ファシズムを打ち倒し、公民権を獲得し、悪の帝国を屈服させるために投票を行った、まさにこの議場に思いをはせよう。
今夜ここには、この壮大な共和国の各地から来た議員たちがいる。メーン州の岩石の多い海岸やハワイ州の火山の峰々から。ウィスコンシン州の雪深い森やアリゾナ州の赤い砂漠から。ケンタッキー州の青々とした農地やカリフォルニア州の黄金の砂浜から。我々は共に、歴史上最も類いまれな国家の議員を務めている。
我々はこの瞬間、何をしようとしているのだろうか。我々はどのように記憶に残るのだろうか。私はこの議会の男女に求める。目の前にある機会を見よ! 最も感動させる偉業が、まだこの先にある。最も刺激的な��が、まだこの先に待ち受けている。我々の最大の勝利はまだ先のことだ。我々の夢はまだ始まっていない。
我々は、不一致によって規定されてしまうのか、勇気を持って違いを乗り越えていくのか、選ばなくてはならない。
我々は、受け継いできたものを無駄遣いするつもりなのか、あるいは、米国人だと誇らしげに宣言するつもりなのかを選ばなければならない。我々は信じられないようなことをする。我々は不可能なことに挑む。我々は未知なるものに打ち勝つ。
今こそ米国の想像力を再び燃え上がらせる時だ。最も高い頂を目指し、何よりも輝く星を目指して目標を設定する時だ。我々を市民として、隣人として、愛国者として結びつける愛と忠誠、そして記憶の絆をよみがえらせる時だ。
これが我々の未来であり、運命であり、選ぶ道だ。私はあなたたちに偉大さを選ぶよう求めている。
どんな困難に直面しようと、どんな難問が降りかかってこようと、我々は共に前進しなければならない。
我々は、心の中に「米国第一」を掲げなければならない。魂の中に自由を息づかせなければならない。そして、神のみもとにある一つの国として世界各国の希望であり、期待であり、光であり、名誉であるべきだ――という米国の運命にいつでも信念を持ち続けなければならない。
ありがとう。みなさんに、そして米国に神のご加護がありますように。そして、おやすみなさい。
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高校生探偵 小江戸タケシの冒険
1. 「アクション!」 カチンコが鳴った。 ブレザージャケットの制服を着た少年を黒ずくめの女性軍団が取り囲んだ。 少年は高校生探偵の小江戸タケシ。軍団は悪の組織『ZZ』の戦闘員である。 女戦闘員は歌舞伎の隈取のような化粧をしているので顔立ちは分かりにくいが、身体の方は超ハイレグレオタード、網タイツとブーツを着用して全員が相当なナイスバディである。 「へっ」 タケシは親指で鼻の下を擦ると、ジャケットを脱ぎ捨てワイシャツ姿になり空手の構えをとった。 彼はあらゆるスポーツ格闘技が得意なのだ。 「かかりなさい!」 組織の女幹部ミゼラブルが合図をすると、全員が一斉に襲い掛かってきた。 一斉にといっても一人ずつ順番に挑んでくるのがヒーローもの戦闘シーンのお約束である。 最初の戦闘員を正拳で倒し、次の戦闘員に回し蹴りを放つ。三人目はジャンプしてかわし、四人目にデコピンをかまして倒した。 女が相手だからといって悪の組織に容赦はしないのだ。 10人以上いた戦闘員が倒されるまで3分もかからなかった。 「へっ」再び鼻の下を親指で擦るタケシ。 そのとき物影から見ていた女子高生が叫んだ。 「タケシっ、後ろ!」 タケシと同じ高校の同級生である彼女は、名前を神木ユウという。 ユウがどうしてタケシを呼び捨てにするかというと、二人は近所に住む幼馴染なのであった。 「!?」 タケシが振り返ったその瞬間、ミゼラブルが巨大な棍棒を振り下ろした。 彼女は伊達に悪の組織の幹部に上り詰めた訳ではない、超セクシーな美女なのである。 101-59-92(公式)のダイナマイトボディの肌を覆うのは肩アーマーと乳爪の生えたブラ、Tバックボトム。あとは真っ赤なレザーの手袋と膝上丈のピンヒールブーツのみ。 ブラは左右に分かれてドッジボールのような乳房を両側から支えている。戦闘アクションの際はこの胸が大きく揺れて相手の目を錯乱するのである。 さらにピンヒールは高さ20センチ。バレリーナのような姿勢を強要されるので歩けるようになるまで1週間かかったと着用している本人がブログで告白したほどである。 説明が長くなったが、このように恐ろしい敵にタケシは背中を攻撃されたのである。 「ぐわ!」ダメージを受けて膝をつくタケシ。 「ほぉー、ほっ、ほっ」 ミゼラブルは高笑いしながら逃げようとするユウを捕まえた。 「さあ、可愛い彼女を無事に生かしておきたければ、いさぎよく組織の捕虜になりなさい!」 ユウの腕を後ろに捻り上げる、 「ああ、タケシっ。助けて・・」 絶体絶命である。 ヒーローものにおいて、時にヒロインはあまりに軽々しく敵に捕まりヒーローを困らせるのだ。 「卑怯だぞ!」 膝をついたままタケシは悔しがる。 と、何かを思い出したようにズボンのポケットから小さな包みを出した。 それはユウが探偵稼業の安全を願ってタケシにプレゼントした伏目稲荷大社のお守りであった。 「これだ!」 目にも止まらない速さでお守りを投げるタケシ。 それは輝く光線となってミゼラブルの胸に突き刺さった。 「ぎゃあ~っ」 ミゼラブルのブラが乳爪ごとはじけ飛んだ。 一瞬、ぶるんと揺れる巨乳が見える。 ちなみにブラをはじけ飛ばしたシーンはCG合成ではない。 マニアの熱い声に応え、ワイヤーワークを駆使してミゼラブルの胸から本当にブラを飛ばしているのである。 技術チームが執念で実現した特殊アクションなのだ。 「やったわね! おぼえておきなさい!!」 ミゼラブルは谷間を強調するように両手で巨乳を押さえ、くねくねと身を捩らせた。 その姿は次第に薄くなり。やがて背後の景色に溶けて消える。 後には、ユウ、タケシ、そして地面に転がったままの女戦闘員たちが残された。 「よぉ・・、お前を守ったぜ、ユウ」 タケシは力尽きてその場に倒れこんだ。 「タケシ!!」駆け寄るユウ。 「死なないでっ、タケシ!」 この程度のダメージでヒーローが死ぬ筈はないが、それでもユウは涙をこぼしながらタケシに覆いかぶさる。 「へっへっ・・。お、お前のこと、」 タケシはいいところまでセリフを言って���識を無くした。 「タケシぃ~!!」 ユウがタケシに抱きついた。 そのまま顔を近づけ、唇をタケシの口に押し付ける。 2. 「はい、カット!! OKです!」 「ぷは~っ!!」 ユウ役の少女は唇を離して大きく息をついた。 「由布子ちゃん、キスシーンでぷは~はないんじゃない?」 タケシ役の俳優が不満気に言った。 「だっていつまでもカットがかからないんだもん。息が苦しくて」 由布子と呼ばれた少女が返事をした。 ここは先週クランクインした映画『大転換! ~高校生探偵 小江戸タケシの冒険~』のロケ現場だった。 タケシを演じるのは玉木翔一19歳。変身ヒーロードラマでお母さんたちの熱い視線を集める長身イケメン俳優である そしてユウを演じるのは人気絶頂のアイドル羽村由布子17歳であった。 「じゃあ、皆さんそのままで。シーン #022 行きますよー!!」 「はぁ~いっ」 地面に転がったままの女戦闘員たちが返事をした。 続くシーンでも彼女たちはそのまま倒れて背景を務めるのである。 玉木が立ち上がり、替わりにやってきた少女が同じ場所に横たわった。 少女の髪は肩までぎりぎり届くセミショート。 顔立ちは玉木に似ているが、身長は150センチほどしかない。 それでいて身長180センチの玉木と同じサイズの男子制服を着ているからだぶだぶである。 胸だけは大きく育っていてワイシャツを内側から大きく盛り上げていた。 スタイリストが走り寄って彼女のシャツのボタンを上から三つ外し、肩と胸の谷間をでろんと露出させる。 少女はノーブラであった。 「OKですーっ」 待機していた由布子が覆いかぶさり、さっき玉木に抱きついたのと同じポーズで少女と唇を合わせた。 「シーン #022 行きますっ。・・3、2、1、キュー!!」 少女は目を見開いて、素っ頓狂な声で叫んだ。 「うへ?」 ユウを突き飛ばして立ち上がる。 ガニマタで立ち尽くして自分の身体をあちこち叩く。 「うお~!! 何じゃあ、これは~!!!」 「え? 何? どうなってるの・・?」 隣で尻をついたユウも驚いて少女を見上げている。 カメラがぐっと引いて、画面の中央に少女とユウの後ろ姿、そして背景に倒れている女戦闘員たちを映した。 だぶだぶのズボンが少女の腰から落ちた。いわゆる裸ワイシャツである。 カメラが回り込んで少女を正面から映した。 せっかくの裸ワイシャツがいまいち色気に欠けるのは、彼女が男性用の縦縞ガラパンを穿いているからであろう。 少女は自分のシャツの胸元を覗き込み、それからガラパンの中に手を入れ、股間を大げさに擦って確かめた。 「な、ない~!!」 素っ頓狂な叫び声が荒地に響き、彼女は両手で自分の頭を抱えた。 そのままカメラが再び後方に回り込む。 びゅうっと風が吹き、ユウの髪と少女のシャツが揺れた。 風の中でガラパンがずり落ち、ぷりんとしたお尻が輝くのであった。 さて、もうお判りであろう。 タケシはユウとキスすることによって美少女に変身(性変換)したのである。 なぜ、このような事態が生じたのか? それはかつてタケシが悪の組織に潜入して捕まったときに飲まされた薬のためだった。 変身に要する時間はわずか0.5秒。 タケシは女性とキスすると一瞬で女体化する体質になってしまったのである。 元の男の体に戻るためには、今度は男性とキス、ではなく同じ女性ともう一度キス、でもなかった。 もちろん某有名アニメのように熱湯をかぶることでもなかった。 その方法が判らず、タケシはこの先続くドラマの中で苦悶することになる。 3. この日の撮影が終了した。 「葵ちゃ~ん♥」 女体化したタケシを演じた少女をユウ役の羽村由布子が追いかけた。 少女は玉木葵。中学3年生15才で玉木翔一の実の妹である。 男性のタケシとよく似た顔立ち、小柄でキュート、さらにはおっぱいも大きいという理想のキャスティングは血の繋がった妹ならではといえよう。 葵は今までドラマや舞台の子役が長くその演技力は高く評価されているが、兄の翔一ほどの知名度はなかった。 兄妹揃ってのダブル主演となるこの映画。 所属事務所としては絶対に成功させて、葵をブレークさせたいところである。 「葵ちゃん、お芝居上手ねぇ~」 「ありがとうございます」 「葵ちゃんとキスできて幸せだったよー」 「私も羽村さんと一緒にできて嬉しかったです」 「由布子ちゃんって呼んで欲しいなぁ」 「年上の人にそれはちょっと」 「あたしは全然気にしないよー。・・ね、今夜一緒にお風呂入らない?」 葵に猛チャージする由布子である。 彼女が男性よりも女性に嗜好があることはアイドル界では有名である。 「葵ちゃんっ、本当に可愛い! おっぱい触りたい! エッチしたい!!」 人目もはばからず大声で叫ぶ由布子に、周囲のスタッフは「またか」という顔をする。 今や女の子好きを公言する女性アイドルは珍しくないが、由布子はそれに加えてやたら下ネタを口走るのだった。 「ねっ。何じゃこれは~っ、のところ、もう一回やってくれない?」「はい?」 「お願い! あのシーンで葵ちゃんのこと本当にすごいって思ったんだもん」 「じゃ一回だけ、」「うん!」 葵は両足を肩幅に開けて立った。いたって無表情である。 大きく深呼吸すると、やおら大声で叫んだ。 「何じゃあっ、これは~!!!」 ガニマタになり、落ち着きなく自分の身体を触って確かめる。 「お、お、お、」 シャツを引っ張って胸元を覗く。その場でズボンを下ろし下着の中に手を入れて股間をまさぐる。 「な、ない~っ!!!」 両手で頭をかきむしった。 「・・本当はここでお尻を出しますが、それは許してください」 葵は静かに言って、ぺこりと頭を下げた。 ぱちぱちぱちっ。 いつの間にか集まっていたスタッフが拍手をした。 この子、やっぱりすごい! 兄貴よりスゴイんじゃないか。 ・・あれ、由布子ちゃんは? 由布子は興奮のあまり地面に転がって悶絶していた。 4. 『高校生探偵』の撮影は佳境を迎えていた。 この日はユウとタケシ(♀)の最大のピンチシーンである。 薄暗がりの廃工場。 「ほぉー、ほっ、ほっ」 悪の組織の女幹部ミゼラブルが高笑いした。 相も変わらず肌を見せまくる露出狂的コスチュームである。 前回、タケシ(♂)の攻撃によって吹き飛ばされた乳爪ブラはより進化していた。 乳爪は一回り大きくなって先端から怪光線を発射可能である。 この光線を浴びた一般市民は男も女も悪の組織『ZZ』の戦闘員に変身してしまうのだ。 そして最大の目玉は『たゆんぱー』と呼ばれる新ギミックである。 小型の油圧機構によって戦闘中でなくても自動的にブラを振動させ巨乳を「たゆゆん」と揺らすのだ。 もちろんスタッフが離れたところからリモートで動かすことも可能である。 意図せず突然胸が「たゆゆん」するので腰が立たなくなり、慣れるまで1週間かかったと着用している本人がブログで告白したほどである。 説明が長くなったが、このようにパワーアップした敵によってユウとタケシ(♀)は捕られの身になっていた。 ユウは縄で後ろ手に縛られ、クレーンで高さ3メートルに吊られていた。 衣装は水色のミニスカワンピ。 空中で必死にもがくその姿をカメラがパンチラしない絶妙な角度で映している。 ちなみにユウ役の羽村由布子は衣装の下に着けたボディハーネスにワイヤーを掛けて吊られている。 両腕は縛られているが、体重はハーネスで受けるので苦痛はまったくないのだ。 「ユウを開放しろ!!」 タケシ(♀)が叫んだ。 衣装はユウから借りたという設定のジーンズとボーダー柄のTシャツである。 彼女は頭の上で縛られた手首を高く吊られ、爪先だけが床に届く状態で立っていた。 なおこの拘束にトリックはなかった。 スタッフからはハーネス使用の提案があったものの、タケシ(♀)役の玉木葵はガチで吊られることを希望したのである、 「ほぉー、ほっ、ほっ、・・はぅっ」 再び笑うミゼラブルの声が途中で途絶えた。 彼女の巨乳が突然「たゆゆん たゆゆん」といささか不自然に揺れたためである。 どうして不自然だったかというと、それは左右の乳房が逆の方向に揺れたからである。 どうでもいいことだがこれを乳房振動の位相が逆転しているいう。 まったく驚くべき『たゆんぱー』の能力であった。 ミゼラブルは眉間にシワを寄せながら、揺れまくる自らの乳房に何とか耐えた。 「はぁ、はぁ、高校生探偵もこれで終わりね」 「俺は絶対に負けないっ」 「女になったあなたに何ができるのかしら?」 タケシ(♀)のジーンズが地面に落ちた。 ミゼラブルが脱がせたのである。再びの裸ワイシャツならぬ裸Tシャツ! 「うふふ♥ 猫みたいに可愛いわ」 ミゼラブルはタケシ(♀)のシャツの裾を両手で掴んだ。 びりびり!! シャツが左右に裂けて開き、胸の谷間と下乳が現れた! 例によってタケシ(♀)はノーブラだった。 さあ、いよいよタケシ(♀)の被虐シーン。この映画一番の見せ場である。 哀れな少年いや少女を魔の手が襲う! ちなみに後日配信された動画では、この瞬間の一時停止率が98%に達した。 皆がタケシ(♂)いや葵の乳房を凝視したことはデータから明白である。 しかし破れたシャツとミゼラブルの手の位置が絶妙で、いくら目をこらして見ても乳首はおろかピンク色の片鱗すら分からないのであった。 わずか数秒のおっぱいシーン編集のために数十人のスタッフが心血を注いだという事実。 ああ、またどうでもよいことを説明してしまった。 タケシ(♀)の被虐シーンに戻ろう。 ミゼラブルはにやぁ~っと笑った。 ・・ごめんね葵ちゃん。 小さな声で謝ると両手でタケシ(♀)いや葵の胸を鷲掴みにした。 柔らかい乳房に食い込む指が大写しになる。 「ひ」 一瞬恐怖の表情を浮かべるタケシ(♀)。 構わずミゼラブルはその胸を揉み上げた!! 「うわああああっ」 小さな身体が跳ねた。 ショーツ1枚の下半身が暴れ、2本の足が宙を蹴る。 完全に両手吊りの状態である。 10秒、20秒。 ミゼラブルの攻撃は止まらない。 葵は苦悶の表情で叫びながら、罠に掛かった小動物のように激しく暴れ続けた。 手首に食い込む縄が痛々しい。 誰もが息をのむ迫真の演技だった。 5. 「カーットォ!!」 「映像チェックしますっ。そのまま待機して」 葵が動きを止めた。膝を折ってぐったりと縄に体重を預けた。 その身体をミゼラブルが抱きしめる。 「はい、OK!! 休憩に入りまーすっ」 スタッフが駆け寄って縄を解いた。 床に座り込んだ葵を毛布で包み、同時に医療スタッフが手首の状態を確認する。 「あたしも葵ちゃんを抱きたーい!」 由布子が空中で叫んでいるが構う者はいない。 次のシーンでもユウの拘束は続くので、由布子は休憩中も縛られたままで置かれるのだ。 「玉木翔一さん、入りまーす」 スタンバイしていた翔一が入って来た。 楽屋に下がる葵の頭をぽんと叩いて労う。 ここから先はタケシ(♂)が華麗に活躍するシーンである。 葵が責められていた場所に今度は翔一が立った。 その手にスタッフが縄を掛ける。 「オッケーでーす!」 「シーン #257 行きまーす。・・3、2、1、キュー!!」 ミゼラブルは目をむいた。 タケシの身長が伸びて20センチヒールの自分と並んでいた。 「あ、あなた、いったい・・」 「へへっ、覚悟しろよ」 タケシ(♂)は腕に力を込めて手首の縄を引きちぎった。 破れたシャツを脱ぎ捨てると、両手を広げてジムで鍛え上げた筋肉を見せつける。 完全に男性の肉体であった。 さて、もうお判りであろう。 女体化したタケシが男に戻る手段は胸を揉まれることであった。 それも軽く触る程度では効果なく、ぐいぐいと激しく揉み込むことが必要なのである。 なお、この設定は主人公の肉体を復元する最も効果的な手段として、原作者と構成作家が議論を重ねた結果決められたものである。 安直過ぎるとの批判があることは承知しているが、決して手抜きではないのである。 まして葵ちゃんのおっぱいを見たいとか揉みたいとか、そのような願望を抱いたことは断じてないと強調しておきたい。 タケシはミゼラブルに背を向けて地面に落ちたジーンズに足を通した。 ここでどうしてジーンズを穿くかというと、男が女モノのショーツ1枚で立ち回ると変態に見えるためである。 その辺りはミゼラブルもよく理解していて、彼の着替えの間に攻撃するような無粋なマネはしないのであった。 「へっ。待たせたな」 準備が整うと、タケシは空手の構えを取ってミゼラブルに向き合った。 上半身裸で下半身はジーンズ。 小柄な葵が穿いていたジーンズのはずなのに何故か長身の彼にぴったりなのは、気がついてはいけないお約束である。 「今度こそ決着をつけてあげるわ!」 ミゼラブルが手に持ったムチをぴしりと打ちながら言った。 タケシとミゼラブルの戦闘シーンが始まった。 ミゼラブルがムチを振るうとタケシは得意のバク転でかわした。 タケシがキックを放つとミゼラブルはしなやかに上半身を反らしてかわす。 ヒーロードラマでお馴染み、別撮りのジャンプ映像もふんだんに挿入される。 高く飛んで前転するタケシ。 180度開脚しながらコマのように回転するミゼラブル。 セクシーな肉体を見せつけように繰り出すミゼラブルの柔軟ポーズが光っていた。 さすがは悪の組織の女幹部。 映画を見る観客は彼女がただのお色気キャラではないことを知るのだ。 戦う二人の背後に高く吊られたユウが映る。 華麗な戦闘の背景に囚われの美少女。これもまたヒーローものにおけるお約束の構図といえよう。 「負けないでっ、タケシ!」 ユウが叫んだ。 任せろっといわんばかりに笑みを返すタケシ。 ミゼラブルの目が光った。隙あり! 彼女がムチを打とうと振りかぶったその瞬間、タケシが地面ぎりぎりに旋風キックを放った。 タケシはわざと隙を作って誘ったのである。 軸足を蹴られてバランスを崩すミゼラブル。 すかさずタケシが落ちたムチを拾う。それはするすると伸びてミゼラブルの身体に巻き付いた! 一瞬の神業だった。 タケシの手に渡った瞬間、ムチが長く伸びたのである。 いったいどんな技なのか。その詳細が語られることは永遠になかった。 説明を考えるのが面倒くさかったからである。 「へへっ」 全身に鞭が巻き付いて転がったミゼラブルの尻に足を乗ると、タケシは親指で鼻の下を擦った。 「お仕置きは受けてもらうぞ」 悪人のようにほくそ笑むタケシであった。 ・・フォン、フォン、フォン。 クライマックスのお約束、警察の到着シーン。 撮影費を節約するためパトカーの絵は省略され、駆け込んでくるエキストラの警官だけが映し出された。 そこにタケシとユウの姿はなく、一人ミゼラブルが縄でがんじがらめに縛られ天井から吊られて喘いでいた。 「ん、んんっ、んあぁっ・・!!」 聞く者をぞくぞくさせる声が響いている。 とても高校生によるとは思えないマニアックな緊縛であった。 実はこの緊縛はプロによる作品である。 わざわざ招いた超有名縄師がミゼラブル役の女優を3時間以上も掛けて徹底的に縛り上げた大作なのだ。 上半身は肩甲骨の後ろで高手小手縛り。 胸縄と右の太ももだけで吊られる女体は、口に噛ませた縄と右足首がわずか20センチの距離で連結されている。 よく見ると右のブーツの先端が後頭部に突き当たっていて、彼女はその足をわずかに動かすこともできないのだった。 左足は膝で折った状態で縛られ、その膝頭から伸びる縄は床に置いたコンクリートブロックに強い張力で繋がっていた。 彼女を縛るのは身動きの自由を奪う縄だけではない。 股縄、亀甲縄、乳房絞り縄と肌に食い込む細工がまるで工芸品のように女体を覆っているのだった。 悪の組織の女幹部の緊縛作品。 正にファン垂涎の逸品である。 そのあまりの美しさに、スタッフや他の出演者も驚愕し全員で記念写真を撮ったのは映画公開後に明かされたエピソードだった。 6. 映画『大転換! ~高校生探偵 小江戸タケシの冒険~』はこの後若干の後日談が描かれる。 タケシの女体化は日常の出来事になり、その度にユウが胸を揉んで男性に戻すのであった。 大好きな葵の乳房を揉めると知って由布子が狂喜乱舞したのは言うまでもない。 7. [おまけ・その後のミゼラブル様] 映画は全年齢対象で公開され、初日だけで観客30万人を動員した。 公開後に最も注目を集めたのは、玉木翔一でも妹の葵でもなくミゼラブルを演じた女優24歳だった。 そのセクシーな肉体と美貌が人目を引くが、実は空手の有段者で趣味はボルダリングと水泳という彼女。 器械体操とダンスも得意で、ミゼラブル役のオーディションではスタンフルツイフト(ひねりをつけた助走なしバク転)をやってのけたスポーツウーマンなのである。 女優としてはアクションだけでなくヌードもベッドシーンもOK。 16のとき、某サブカルホラー映画で生きたまま胴体を切断される女子高生を演じたのはコアなマニアの間では有名である。 インタビューで「あぁっはっはっ」と豪快に笑う姿や、天然トーク(得意な料理は「腕まくり」、大阪城を「あれお寺���ゃないんですか」などと発言)も話題になった。 緊縛シーンの感想を問われたときは「切ないです。女ですから」と言い切り、男性ファンだけでなく女性ファンの共感も得て一気にブレークしたのだった。 ネットでは『ミゼラブル様』と呼ばれ、ドラマやコマーシャルの出演オファーも殺到。 ついには高校生探偵のスピンアウト映画『ミゼラブルの修行の日々』の製作が決定し、主演女優の座を射止めたのであった。 「・・ヘアヌードを撮ったぁ!?」 彼女のマネージャーが叫んだ。 「はい♥、週間〇△さんのグラビアで。ダメでしたか?」 「ダメに決まってるだろ、事務所の知らないところでヘアヌードなんて」 「わたしは全然構わないんですけど。どんなお仕事も断らないって方針だし」 「苦節5年やっとブレークしたんだぞ? そんな方針は当然撤回だよっ」 「じゃ、あれもまずかったかな?」 「まだ何かやったの!?」 「はい。Takenoko さんのモデルを」 Takenoko とは映画で彼女を緊縛した超有名縄師である。 「緊縛モデル? まさか全裸で!?」 「はい、そのまさかですよー。責め縄っていうの受けました。ほら三角木馬ってあるでしょ? あれ本当にお股の間で受けるんですよ。もうマジに裂けそうで、あっはっは」 マネージャーは頭を抱えた。彼女のプロモート計画が台無しである。 「その週刊誌っていつ発売?」 「今週の木曜日。あ、明日ですね!」 「・・緊縛は」 「Takenoko さんのサイトで本日公開。ちょっとバズってるみたい」 「げ」 慌てて SNS を開く。トレンドに『ミゼラブル様責め縄』が上がっていた。 「うわぁ~っ!!!」 「いやぁ、わたしもびっくりです。あぁっはっはっ」
~登場人物紹介~ 玉木翔一(たまきしょういち):19歳 映画『高校生探偵』小江戸タケシ(男)役。 玉木葵 (たまきあおい):15歳 翔一の妹。小江戸タケシ(女)役。 羽村由布子(はむらゆうこ): 17歳 神木ユウ役。葵のこと��好き。 ミゼラブル役の女優さん: 24歳 スポーツ万能で天然なお姉さん。 放置メモのレスキュー第3弾。 男性ヒーローが女体化してしまう実写ドラマを、男性と女性の俳優がダブルキャストで演じるお話です。(ややこしい) 元々は映画ではなく、中学生縄師のようなテレビドラマを2~3話やるつもりで書き始めていました。 ヒーローは何度も女体化し、その度にピンチに陥ります。酷い目に合うのはもちろん女体化役の女優さんで、裸にされたり縛られたり、敵の女幹部から胸を揉まれたり^^。 ちなみに女体化したヒーローが男に戻る方法は胸を揉まれることではなく○○二ーすることでした。 しょうもない設定はいろいろ考えましたが、案の定続けることができず中断して放置。 このレスキュー版ではミゼラブル(とミゼラブル役の女優さん)に頼って強引に完結させました。 最後の章で、この女優さんの天然トークは綾〇はるかさんのトークを取り込ませてもらいました。 イラストはフリーのポーズ集に頼って描きました。ミゼラブル様のおっぱい、まだまだ大きさが足りないと反省。 さてこれで放置メモのレスキュー版シリーズは終わりです。 他にも放置中のメモはごまんとありますので再びレスキューするかもしません。 なお次回の更新ではレスキュー版ではなく、完全新作を投稿できるように頑張ります。 これからも程々にお付き合いくだされば幸いです。 ありがとうございました。 [2023.8.10 追記] こちら(Pixiv の小説ページ)に本話の掲載案内を載せました。 Twitter 以外にここからもコメント入力できますのでご利用ください。(ただしR18閲覧可能な Pixiv アカウント必要)
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映画:バーフバリ見ながら全部メモ 1
見ながら、それぞれのシーンのざっとした情景(あらすじ……よりももう少しこまかい)、ふと思うこととかツッコミとかを書き連ねていくある意味 実況的なネタバレ全開感想&所感(๑•̀ㅂ•́)و✧
【伝説誕生】
《冒頭》
どこか哀調を帯びた歌声と共に始まる物語。 メインの舞台であるマヒシュマティ王国から、川を下るほどに、クンタラ王国や盗賊の砦、そしてクンタラの潜伏地なる地名が映し出される。初見ではなんのこっちゃ分からないが見ていると、やがて地図の南端は滝に変わり、流れ落ちるその滝の一隅、滝の飛沫に濡れ樹木の茂った暗がりの岩壁に、炎の明かりが映る。 そして現れるのは、背に矢傷を受け、赤子を抱いた一人の壮年~初老くらいの女性だ。彼女は傷もあって疲弊しきっているが、それでも懸命に赤子を抱いて進む。手傷を追った彼女は何者かに追われ、必死に逃げているところだ。 賢い女性らしく、血のついた自分の足跡に気づくと、そっとそれを踏みながら後戻りする。 そこへ同じ洞窟から現れるのは、二人の兵士である。彼等は洞窟の出口に落ちている血から、この血を辿ればいいと察する。そうして川の畔にやってくるのだが、足跡は途中で途切れていた。どこへ行ったのか、と見回す兵士の後ろに、先ほどの女性が現れて不意を突き、見事な手際で二人を倒す。 そして再び赤子を抱いたまま逃げようとするのだが、兵士たちを倒したことで精も根も尽き果てたかのように、体はふらついている。歩いて渡るには激しい流れの中で足を滑らせ、彼女は川に流されてしまう。赤ん坊を水につけないようにと気遣いつつも、なんとか掴まれるものを探して足掻くが、ついに観念して空へと叫んだ。 「シヴァ神よ、命がほしいなら私のものを捧げる。けれどこの子は生かせ。帰りを待つ母のもとへ帰るため、そして、マヒシュマティ王国の王となるために!」 そして彼女は、右手にたかだかと赤子を掲げたまま、川面に飲まれ沈んでいく……。
最初からクライマックスだぜぇ! という今となっては懐かしい台詞が、なんの誇張でもなく冒頭5分ばかりでこうして訪れるから凄い。 普通なら、もう少し物語が進んで話に入り込み、キャラに感情移入した頃に来て「ぐおぉぉぉぉっ」となるだろう場面を、開幕3分で見せてくる。 そのくせ、「は? わけ分からん(ㅍ_ㅍ)」とは感じない。それは、高貴な装いのこの女性の力強さ、真剣さ、必死さが伝わってくるからだろう。理由は分からないが、自分の命を投げうってでも「王となるべき赤子」を助ける。自己犠牲の尊さに、素直に打たれることができる。 ここまでのシーンで「上手いな」と思ったのは、地形だ。見せられる地図で、マヒシュマティ王国はこの地方の北、少し小高い場所に位置していると分かる。であればこそ、(滝の大きさ・高さを考えると無茶はあるが)、追われているこの女性が振り返ったとき、はるか彼方に燃えて見える町(王宮) は、「あの高いところにあった国かな」と分かるのだ。
「王の凱旋」まで見ていると、この女性―――国母シヴァガミ(シヴァ神の妃という意味がある名だそうな。名前でなく”国母”みたいな代名詞みたいなもの??)が、いったいどんな思いで赤ん坊マヘンドラ=バーフバリを抱えて逃げているのか、自分の命を捨てようとも救おうとするのか、その必死さも想像できるようになる。 この赤ん坊は自分の孫、というよりも、”最愛の息子の子供”である。奸計にかかったとはいえ、自らの命令で殺めてしまった愛する息子の忘れ形見だ。そして、実母を陥れてでも国を奪おうとする悪逆な王、もう一人の息子に対抗できる唯一の光明、正当な王であり、また、シヴァガミの愚かさゆえに夫を失ってしまった嫁デーヴァセーナにとっての希望でもある。 なにがなんでも救わねばならない、こんな顛末になったのも自分の過ちのせいなのだから、この命などなくなっても構わない。彼女に命を惜しむ様子がまったくないのも道理だ。 その一念で、彼女は川面の上に赤子をさし上げたままで、しばし流れるか、あるいは水中に没したままとど��ることになる。(流れているのかどうかまでは見ただけではちょっと分からない)
《滝下の村人たち》
場面が切り替わると、そこに素朴な装いの男たちと、やや小綺麗な衣類を身につけた貫禄のある女性が現れる。 赤ん坊の泣き声を耳にした彼等が見つけたのは、水面に差し上げられた手に支えられ、泣いている赤子だった。 驚いた人々は急いで赤ん坊を助けることにする。一人の男が腰に縄をまいて川に飛び込み、赤ん坊のところに泳ぎ着いて受け取った。すると、もう命はないはずの女性の手がゆっくりと、川上、滝を指差した。ついそれを見やって視線を戻すともうそこに手はなく、ただ水面下に、鮮やかな衣装をまとった死者が流れていくのが見えるだけだった。 男は赤ん坊を抱えて岸に泳ぎ戻り、女性に渡す。高価な装飾品を身につけた女性の手は、最後に滝の上を指差したことを伝えていると、他の人々が近くに兵士の死体と洞窟を見つけた。この赤ん坊はきっと滝の上から、この洞窟の抜け道を通って連れられてきたのだろうと察し、届けようと言い出す男がいるが、赤ん坊を抱いた女性は、「乳飲み子を殺そうと追って来るような場所に戻せるものか。この子は、子供のいない私に川の神が授けてくれたものだ」と言い、洞窟を岩で閉じてしまうよう命じた。
川に沈んでもなお、赤ん坊を支えた手は微動だにしない……ん な 馬 鹿 な wwwwwという光景ではあるけれど、そんなリアリティとは決別しよう。これはそういうリアリティを重んじる物語ではなく、どっちかと言��ば神話なのだから。なんとしてでも救わねばならないという国母の一念が、奇跡を起こしたのだ。それとも、王になるべくして生まれた子であるという、運命ゆえか。 川辺に現れる村人たちは、私の目にはどことなくわざとらしく見える。演技として自然ではないというか、個人的には、舞台劇を見ているような大げささ、”型”のようなものを感じる。ごく自然に、本当にそうであるようにとリアリティ重視で現実的に演じるのではなく、むかしむかしあるところに、と語られるような物語として演じる。そんな感じだ。 それにしても、洞窟を閉じろ、この子は私の子にする! と言う女・サンガは、「逆らったら殺す!」である。初見では「どんだけ強いんだこの人wwww」となった。それともインド(の昔話)ではそれくらい女性の権力が強いのが普通なのかな、と。男たち誰も逆らわないし。 ここでサンガがマヘンドラを届けなかったことは、子のない女の身勝手で、誘拐も同然ではあるんだけれど、結果的にこれが赤ん坊の命を救うことになったのは間違いない。届けていたら100%殺されてるだろうから。 川にはまって溺れ死んだ女が支えていた子供と、川べりで死んでる兵士から、「この兵士はこの子を殺そうとしてたんだ」と決めつけるのは短絡的ではあるけれど、事実を言い当ててもいる。サンガがそう決めつけてマヘンドラを我が子にすると決めたことも、ある意味、神話的な運命というものなのかもしれない。
この冒頭を見るだけでも、これが「貴種流離譚」と呼ばれる典型であることは分かる。いわゆる「本当は尊い血筋の王子様とかなのに、赤ん坊の頃にわけあって故国や親元、城を離れ、市井の一般人として育つが、やがて自分の出生を知り、本来つくべき王座を目指していく」とか「世界を救う」とか。 日本人がよく知ってそうな例でいくと、ドラクエ5のメインの主人公もそうだ。パパスは本当は王だった。けれど彼は息子を連れて王座を離れ、息子はそのことを知らず、父もそれを知らせず育てる。そして冒険の末、実はパパスは王だった、自分は王子だったと知り、王の座へと戻る。 キシュリューリタン、なんていう呼び方は知らなくても、多くの人がいつかどこかで味わっている物語パターンである。
《育っていくマヘンドラ=シヴドゥ》
サンガの子となった赤ん坊はすくすくと育ち、少年になっている。彼は滝の傍に座り、滝を見上げ、あの上にはなにがあるのと、迎えに来た母に言う。 本来は滝の上にいた子、そこから来た子なので、サンガはせっかく授かった可愛い息子が、滝の上へ戻って行くことを恐れ、「子供を食べる悪魔がいるのよ」と言う。 しかしそれでも少年シヴドゥの、滝の上への強い関心は少しも薄れることなく、もう少し大きくなると滝を登ろうとしはじめてしまった。それを見つかって母親に叱られるも、それでも彼は諦めず挑戦しつづけ、少しずつ少しずつ、幼い頃よりは登れるようになっていき―――。 ついに"現在"になる。25歳の青年になったシヴドゥは、それでもまだ滝の上を目指していた。 同年代の友達たちは、呆れつつも面白がり、それを眺めている。昔よりはかなり高く登れるようになり、素晴らしい身体能力も見せつけてくれるシヴドゥだが、滝は険しくまた失敗してしまう。どうしても「対岸」に飛び渡らないといけないのだが、幅は広く、届かず落ちてしまう。 そして母サンガは、滝の上を目指し、自分のもとからいなくなってしまいそうな息子シヴドゥに滝登りを諦めさせるため、1016回、川から汲んだ水をご神体に注ぐという、「潅頂(かんじょう)」なる荒行を始めていた。 仲間がそれをシヴドゥに告げに来る。母親がそんな無茶なことをしていると知って、シヴドゥはやめるよう頼むのだが、「私の言うことは聞いてくれないのに?」と母親は取り合わない。母は大切だが、滝の上へ行きたいという切実な思いもどうしても譲れないのだ。 そんなシヴドゥがとった方法とは?
運命なので。 シヴドゥが滝の上に行きたがることに理屈なんかないのである。彼は王国に帰らねばならない。そうしないと映画にもならないし(マテ)。 それにしても、25歳シヴドゥの、顔を出して満面の笑みでバッサアァァァと水をふるい落とすのにはつい笑ってしまったw 少なくともこの瞬間には、演じるプラバースさんもちょっとふくよかなのか、小太りにも見える顔をしている。決して、日本人が一般的に「美男」という顔ではない。その顔でバッサアァァァである。いやまあ顔に関係なく、こんなバッサアァァァやられたら、その俳優が誰でも笑うわ。 で、5分に一回クライマックスがある、なんて言われるこの映画、またしてもむやみに盛り上がるシーンに突入する。 母に無茶な願掛けをやめてほしいが、滝登りをやめると約束もできない以上、さてどうするか。 シヴドゥは、「だったらご神体を水のあるとこへ持っていけばいーじゃん!」と閃いてしまうのだ。 で、シヴドゥはなんとご神体の根本をかち割り、石でできたクッソ重たいそれを担ぎ上げ、運びだすのである。 ここで、リズミカルな歌が入る。ドラムンベース系の、軽くはないが軽快な曲だ。その音楽とともに、シヴドゥは笑顔でご神体を担ぎ、滝の下まで運んでいく。そして常に水が降り注ぐそこにご神体を下ろすと、「これで神にはいつでも水が降り注ぐぞ」、だから母さんが体を酷使して無理な願掛けなんかしなくても、お願いは叶うようになるよ、というわけだ。
個人的に面白いのが、ここの導師である。なんか胡散臭い嘘つき導師みたいな雰囲気も漂っているのだが、サンガから「これをやれば、息子は私の言うことに従いますか?」と問われ、「子は必ず正しき道に導かれる」と言う。サンガの言うとおりになるとは言っていない。そしてこの胡散臭い導師の台詞は、リアルタイム5時間後に真実となるのだ。 また、この胡散臭い導師だけれど、シヴドゥがご神体の根本を壊し、なにかしようとしたとき、男(サンガの夫である村長)が止めようとすると、導師は彼を制止する。突拍子もないが、なにか偉大なことをやろうとしている、と感じればではないだろうか。そのあたりに、胡散臭くはあるけれど、本物の導師っぽさも漂うのである。
またこのシーンでは、実際には血の繋がらない母子が、互いを思い合っていることもちゃんと描かれている。可愛い息子に、「滝の上」という元の居所に戻ってほしくない、ずっと私のシヴドゥでいてほしいと願い、そのために苦行も厭わないサンガ。 シヴドゥは、(サンガを養母と知っているのかどうかはさておき)「それなら母さんの代わりに俺が運ぶよ」、それでは願いが叶わないと言われ、「じゃあ母さんを運ぶから、母さんは水を注いで」てサンガを抱え上げてしまう。母の体を労り、そのためなら自分が苦労するのはちっとも構わない。シヴドゥの人柄が描かれる。
自分が滝の上に行こうとするがゆえの母の願掛けではあるけれど、それでも、願いの成就と引き換えに荒行を強いるシヴァ神、そのご神体を、シヴドゥは強く睨みつける。その後でガツンガツンとつつき始めるのだから、「腹が立って壊そうとしているのか」と一瞬思うが、そうではない。 根本にぐるりとヒビが入ると、シヴドゥはバッサアァァァと威勢よく上着を脱ぎ捨ててセクシーな上半身裸となるw そして曲がかかっていよいよご神体を持ち上げようというとき、シヴドゥはどことなく不敵にも見える、けれど愛嬌のある笑顔でご神体を見る。「神様、じゃあこんなのはどうだ?」とでも言うように、私には見えた。 で、膨張した筋肉で上腕にまいていた木の実を連ねたような飾りはぱっつーんとはじけ飛び、シヴドゥはついに肩の上にご神体を担ぎあげる。 ここで私は、うええぇぇぇぇなんかかっこいいんですけどおぉぉぉ!? となったw ちなみにここで���る歌の歌詞はシヴァ神を描写して讃えるもので、つまりはシヴドゥがあたかもシヴァ神のごとき、あるいは神に選ばれた存在だということを表しているのだろう、たぶん。 で、村人たちはシヴドゥの怪力に驚きつつ、なにやら尊く感じてしまうのか、ほぼ拝んどきモードにw 彼等に見送られ……というよりも、自然と彼等を従えて滝の下まで辿り着いたシヴドゥは、流れ落ちる滝の真下にご神体を据えて、「母さん、これでもう未来永劫ずっと水は降り注ぐよ」、だから無茶な願掛けなんかもうしなくていいのだと、と笑顔で呼びかけるのである。
ところでパパフバリも今フバリも、母・妻にかなり忠実だ。ここで描かれるのは今フバリと養母で、母の願いを叶えるため、シヴドゥは自分が苦労を買って出ている。 そんな親孝行で優しい息子たちだが、それでも譲れないものがあり、そのために今フバリは滝を登って養母のもとを離れ、パパフバリは妻を選ぶのである。
《仮面》
ご神体を滝の下まで運んできて、母も(なし崩しにというか勢いで)納得したそのとき、滝の上からシヴドゥの足元へと流れ落ちてきたものがあった。それは、木製の素朴な仮面だった。 それから数日くらい経過したのか、翌日くらいなのか、ともかくサンガは導師を我が家に招き、食事でもてなしていた。「導師の予言どおり、あれからシヴドゥはもう滝を見上げなくなりました」と。導師はそれも神の御力じゃて、みたいなこと言いつつぱくぱく食べてて、やはり胡散臭いw しかしその代わりシヴドゥは、拾った仮面に夢中になっていた。滝の代わりにその仮面―――美しい女性のようにも見える仮面ばかり眺めているのである。 導師は、「神のご意志は神のみぞ知る」と答える。そして村長が、「ご神体を運んだのは息子だが、では妻と息子、どちらの願いが叶うのか」と尋ねると、「神はご意志を貫かれる」とだけ言って導師は出ていってしまう。 さて、シヴドゥがどれだけ眺めていても仮面は仮面だし、持ち主のことはなにも分からない。やがて彼は砂地の上に仮面を置き、なにげなくその上に手をついて立ち上がった。そして仮面を取り上げると、砂の上には仮面の内側、そのオウトツにそった顔が刻まれていた―――。
サンガは「シヴドゥは私のところにいるのが正しいの」と思い願をかけた。「正しき道」と導師に言われ、きっと、「そうよ、息子は母親のもとにいるべきなのよ、これが正しい道よ」と思えばこそ、導師の予言は当たったのだと感じている。 おそらくシヴドゥは、「滝の上に行きたいなぁ」んて思いながらご神体を運んではいない。じゃあなにを考えていたのかといえば、「今から水の降り注ぐところにつれていくから、それで母さんや皆の願いを叶えてくれよ」とか、あるいは、願掛けとしてはほぼ無心に近い、「これ運んじゃえばいいんだよ、そーさそーさ」くらいだったかもしれない。 どちらにせよ、彼等の思惑は導師の言うとおり、まさに「神のご意志」の前では大して意味はない。シヴドゥはまさしく、「神のご意志」により「正しき道」へと導かれることになる。ともすると、サンガの願いは違った形で叶えられたのかもしれない。「息子は母のもとに戻る」。養母ではなく、実母のもとになるのだが。 どちらにせよ、「神のご意志」である。王たるべき者は王に。そういう単純な、そして絶対の運命のことかもしれない。 シヴドゥが「正しき道」、「母のもと」へと踏み出すそのきっかけが、美女を思わせる仮面、である。
木彫の仮面に美女の面影って無理ないか!? と思ったりしてはいけない。というか、そもそも仮面がその持ち主の顔形に似ているなんて保証はどこにもない、なんて言ってもいけない。 仮面はあくまでもきっかけだ。「なんか綺麗な女の人っぽい仮面だなぁ。つけてた人も美人なのかなぁ。なんかすっごい好みだなぁ。もしこんな人が滝の上にいるなら会いたいなぁ」くらいだと思う。だからシヴドゥは、仮面を手に入れても何日もただ仮面を眺めるだけでいたのではないだろうか。この時点ではいくらシヴドゥでも、「こいつの持ち主は俺好みの美女だぜぇ」なんて思ってはいなかったと思う。持ち主が女の人とは限らないよなぁ、といった常識的な思考もあったんじゃないだろうか。 けれど砂地に転写された顔が、木彫の仮面で見ているよりも美人に見えて、髪とかも砂地に描いてみたら、ますます好みだった。それで、「よし、実際どうなのかは知らないし、いるかどうかも分からないけど、もしいるかもしれないなら、この人に絶対会いたい!!」になったんじゃないだろうか。 そのへんにもきっと、神のご意志と運命は絡んでいると見てもいい。 あるいは、運命ゆえに、理屈なんか一切無視して「これが俺の運命の人だガビーン!!」となった、それでもいいじゃない? なんにせよ、それまでは「わけもなく」とか「なんとなく、だけどどうしても」だった、滝の上の世界に行きたいという”理由のない望み”は、「この人に会いたい!」という一つのはっきりとした理由、目的を見出した。 そしてシヴドゥは、再び滝の上を目指すのである。
《滝登り》
仮面の主に会うために、再び滝に登り始めたシヴドゥ。 冒頭で失敗した「対岸へのジャンプ」のところまで来ると、鮮やかな青い蝶がいた。何匹もの青い蝶をまとって現れたのは、白い衣の美女。 もちろん彼女は実在しない。インド映画独自の、歌と踊りと異世界トリップである。もう少し身と蓋のある言い方をすれば、ここに現れる美女はシヴドゥの心象風景だ。身も蓋もなく言えば、空想、妄想、幻想である。 仮面の主がこんな美女だと決まったわけではなくても、「こんな素敵な人だったりして(´ω`*) で、もしかしたらこれって運命で、彼女も俺を待っててくれてるかもしんないしぃ。だったらがんばらなきゃ!!」みたいな感じ? これで仮面の主がごっついおっさんだったりしたら笑える��だが、それはさておき。 いくら超人的な身体能力のシヴドゥでも、落ちたら命はないほどの高さにまで登ってきたし、危ない目にも遭う。じりじりと狭い足場を進んでいくようなリアルな場面があったかと思えば、「あくまでもイメージです」みたいなシーンも挟んだりしつつ、「彼は前進と達成のみを知る男だ」という歌に合わせて、ひたすらシヴドゥは登っていく。時折現れ、誘うように、逃げるように先へ先へと、進むべき道を行く美女を追う。 そうして最後。もうどうしても掴まって登れそうもない崖っぷちで、彼はそこにあった竹や蔓から手製の弓を作り、それでてっぺんの木にロープを引っ掛けることに成功し、ついに滝の上の世界に辿り着くのであった。
私の場合インド映画は、多分に漏れず「ムトゥ 踊るマハラジャ」で初めて見て、それ以来特にチェックもしていなかった。それはたぶん、ムトゥが合わなかったから、というのもある。「唐突に始まる歌と踊り」が面白いとか素敵だとかでなくて、退屈だったのだ。映画自体はなかなか面白く見たけれど、もう一度見ようとは思わなかった。 だからバーフバリも、どんなに絶賛されていてもその懸念はあった。 しかし幸いにもバーフバリの歌・ダンスのシーンは、物語の進行を邪魔しない。 最初の「歌」であるシヴドゥがご神体を運ぶシーンは短めだし、彼が運んでいく姿を並行して映し出しているから、「ちょっと大げさな感じの移動に、歌がついている」という感じである。 そして滝登りのシーンでは、シヴドゥ自身は飛んだりはねたり走ったりじわじわしたり、基本的に「滝を登る」という行為を続けるだけだ。歌(と美女の踊り)はやはり、「危険な滝登り」というアクションシーンのBGMである。 ただまあ、いきなりいかにもCGな青い蝶が出てきて、美女が出てきてで、それがあくまでもシヴドゥの妄想でしかないのであるから、途端にアブナい奴になってしまうがw
ところで、インド南部のテルグ語映画というのつは、男がたいていストーカーらしいw もちろんそこには、「思いを寄せる男は、ストーカー的ではあるけど、一途で誠実で、本当に相手を愛している」という前提があるし、「女のほうも満更ではない」という前提もある。これがどっちが崩れてたら、ただの犯罪者である。 ともあれ観客は、シヴドゥのヘヘヘヘ(´ω`*)な妄想を垣間見つつ、一緒に滝の上の世界へと進むのだ。んな馬鹿なwwwwなところもあるが、コミック的だと言えばそれで済む。漫画でなら当たり前にやってるような程度でしかない。 落下したら足にツタが絡まって、とか、普通なら股関節抜けるだろそれ!? みたいなのもあったりするが、漫画とかならありうるシーンだし、実際に描かれて来てもいる。ドラゴンボールとか、そーゆーあれ。普通死ぬ。だが普通じゃないから平気なのである。よし。
どうでもいい話だけれど、私はこのシーンでの美女さんは、特にどうとも思わなかった。もちろん美人だが、女優さんなんだから美人なのは珍しくもなんともない。「うおぉぉすげぇ美人じゃーん!」とは思わなかった。 むしろ、この後にシヴドゥが出会う「仮面の主」、アヴァンティカの女戦士としての凛々しさと美しさのほうが「おっ」と思ったし、ストーカー男に巧みに着替えさせられたときのほうが、「うひょ~びっじーん!!」と思ったのであったw
《アヴァンティカ》
ついに滝の上に来たシヴドゥは、林の中を逃げる女性を見かける。兵士たちに追われている彼女はどうやら、あの仮面の面影によく似た女性である。もちろんシヴドゥは助けなければと思うのだが、逃げて行く先、追い詰められたかに見えた彼女の号令で、一斉に矢が放たれた。 樹上に隠れていた男たちと合流し、彼女は果敢に戦う。男のような身なりで女らしい装いもないが、それでも彼女は美しく、しかも強かった。 助けはいらないらしいと見て取ったシヴドゥがこっそり見守っていると、娘は最後の一人の兵士の身にアミュレットらしきものを見つけ、「これはどうした」と奪いとった。��殺した相手が持っていた」と言われ、兵士を殺し、彼女たちは引き上げていく。 その先には、薄汚れた身なりの者が隠れるように集まっていた。娘は兵士から奪い返したものを長らしき男に差し出し、元の持ち主の死を告げる。つい泣き出す少年を、長は厳しく叱りつけた。「デーヴァセーナ様を助け出すまでは、目には涙ではなく、怒りの炎を灯すのだ」と。 シヴドゥに詳しいことは分からないが、彼女たちはレジスタンスのようである。であればこそ皆、実用性第一の戦闘服であるし、宝飾品も、贅沢なものもなにもない。そして、デーヴフセーナ妃と呼ばれる人物を救い出すことに命を賭けているようだ。 そしてシヴドゥが見つけた仮面は、彼らが顔を隠すために使っているものだったと知る。(つまり全然、美女の顔をかたどってるわけではないw) ともあれ、ここまでついてきて見届けたついでに(?)シヴドゥはそのままストーカーを続行するのであった。
アヴァンティカという、仮面によく似た面差しのその女戦士は、あるとき、湖のほとりで片手を水につけたままうたた寝してしまう。手をついばむ小魚たちのいたずらが心地よかったのかもしれない。 シヴドゥは水中をこっそり近づいて、小魚たちのついばみにまぎれて、彼女の手にあざやかな孔雀の羽のタトゥーを描いた。アヴァンティカはそのことにまったく気付かないまま、やがてアジトである洞窟に帰っていった。 そして長から、デーヴァセーナ救出の大役を任される。その証としてアミュレットを授けてもらうのだが、彼女が出した手には鮮やかなタトゥーがあり、見つけた長は「化粧にうつつをぬかすような奴には任せられん」と怒ってしまう。アヴァンティカ自身には身に覚えのないことである。驚いた彼女は、任せてもらえない悔しさで泣きながら、「この涙は怒りの涙です。見ていただければお分かりになるはず」と長を説得する。 そしてそれから、友人である女性を囮にし、このにっくき悪戯者をこらしめることにした。こんな不覚をとったとしたら あのときだけだと、アヴァンティカは友人に自分の身代わりをさせ、同じように泉のほとりに寝そべらせる。そして自分は、その姿が見える樹上に隠れて、近づいてくる者を弓を狙うことにした。 ところがシヴドゥは一枚上手だった。弓を構える彼女の後ろの枝にねそべって、捕まえてきた小さな蛇を彼女の肩へと這わせる。そして今度は、その蛇の感触でごまかしながら、ちょいちょいとまたタトゥーを描きあげてしまった。
タトゥーと言っても、描いているだけのものでしょう。針でさしてたらさすがに気付かないはずもありません。だとしても、相手の体に勝手にお絵かきとはヤバい奴w このへんはもう、自分がフラれること、相手がそれをマジで嫌がることなんて考えてもいないし、そしてそれが正しいというテルグ的ご都合主義、と言ってもいいかと思います。 気づかないアヴァンティカもアヴァンティカです。二度目の肩に描かれるものは自分では見えにくいので、友人に「それなに?」と言われないと見つられないのも仕方ないでしょう。 しかし一度目のは手ですよ? 手の甲というか、そのへん。なんで気付かんのだ。 それに、うたた寝してたときはともかく、弓を引いて狙ってたときなら、小蛇の感触とそれ以外と、分からないものでしょうか? と、冷静な頭はツッコミますが、いいんです。気づかないんです。そういうオヤクソクなんです。んな馬鹿なwwwwと思っても、白けない。おいおいと思いながら楽しんでしまう魅力があります。
あと、こまかいところはこまかい、それが映画としての面白さを支えてる、というところもあるように思います。 バトルシップとかもそうですけど、大味で大雑把に見えて、設定が地味に活きてるとか、こまかいところがあったり、オイシイ伏線をきっちり拾うとかみたいに、なにもかもが大味なわけではない。 初めて滝の上に来たシヴドゥは、感動の面持ちで雪をかぶった枝を見ていたりします。たぶん雪なんてもの初めて見たのかもしれない。「ついに、ずっと行きたかった滝の上に来た!!」という感動がちらっと描かれる。 そして、追わせれてたか弱い女性のふりのアヴァンティカが、本来の強い女戦士に戻る直前に、一つ深い呼吸の音が入る。力を込めるひとときです。こういうのがちゃんとあったりする。 しかもその間もテンポもいい。嬉しそうに滝の上の世界を見るシヴドゥ、女性の悲鳴、走るシヴドゥがただそれだけなのに何故かスローモーwwwでちゃんと草も生やせる、逃げる女性、それが深呼吸一つを境に、「剣を!」という一言とともに一変する。 だから飽きずに、笑いながら、そしてつい惹きこまれながら、見てしまうのではないかなと思います。
なお、一回目に見たときには、まだ固有名詞も覚えていないのがピンと来ませんが、このシーンの後、冒頭で出てきた地図が現れ、そこが「クンタラの潜伏地」だと分かります。 ほんと、初見では記憶に残らないのですけどw クンタラ王国とかデーヴァセーナ妃とか、固有名詞はこのへんあたりでは完全にスルーです、わたくし。 しかし「王の凱旋」まで見終わって戻ってくると、冒頭の地図で「そうか、ここが彼らのいたところで、だからクンタラの潜伏地なんだな」と分かるし、このシーンの切り替えの場面でも「クンタラノ潜伏地から、さて一方その頃、マヒシュマティ王国の武器工場では」としっかり分かります。
この続きは、いつになるか分かりませんが、また次回! いよいよカッタッパ登場ですよ!!
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2022年4月28日
漫画「ゴールデンカムイ」連載終了 世界にアイヌ文化広めた8年(毎日新聞)
単行本29巻で累計発行部数1900万部を突破した野田サトルさん原作の人気漫画「ゴールデンカムイ」(集英社)が、28日発売の週刊ヤングジャンプ22・23合併号で約8年間にわたる連載に終止符を打つ。魅力的なキャラクターによる冒険活劇が先住民アイヌへの関心を高めた功績は、各方面で評価されている。
高い画力 スリルとアクション
連載は2014年8月に始まり、明治末期の北海道や樺太(サハリン)が舞台。日露戦争の帰還兵である「不死身の杉元」こと杉元佐一とアイヌの少女「アシㇼパ」が、敵対勢力と戦いながら金塊を探し求めるストーリーだ。書店員など漫画ファンの投票で決まる16年の「マンガ大賞2016」で1位に輝いて一層人気が高まり、アニメ化にとどまらず、実写映画化も発表された。
高い画力で描かれた個性的な登場人物が織りなす、息もつかせぬスリルとアクション。躍動感ある展開はファンを増やし、アイヌが主題ではないにもかかわらず、コメディー要素を織り交ぜながらアイヌの風習やグルメ、言葉などを随所にちりばめたことで、振興が課題となっているアイヌ文化への関心を飛躍的に高めた。作品に登場する土地などを巡るスタンプラリーが実施されたこともあり、アイヌや作品ゆかりの地を巡る「聖地巡礼」が読者の間で広まった。
ふらり訪れた男性、「野田サトル」のサイン
アイヌ文化を受け継ぎ、文化施設などが点在する北海道平取町二風谷(にぶたに)も聖地の一つ。伝統的な技法や文様を取り入れて斬新な作品を生む木彫家、貝澤徹さん(63)の「北の工房つとむ」にも全国からファンが訪れる。貝澤さんは「漫画の影響で若い人や家族連れのお客さんが多くなった。ゴールデンカムイに携われてうれしかった」と話し、作品との縁に思い出を巡らせた。
15年6月、野球帽にリュックを背負った男性が、タクシーでふらりと工房を訪れた。聞くとアイヌが登場する漫画を描いていると言い、彼らの暮らしに欠かせない細かな文様の入った木彫のマキリ(小刀)を「作ってください」と依頼された。「サインを送ってくれたらね」と気さくに返すと、注文書に「野田サトル」のサインを書いて、立ち去った。
後日、改めてサインを添えたイラストがすぐに届いた。貝澤さんがお返しに彫ったマキリは、ゴールデンカムイの登場人物の所持品として作中で描かれ、単行本の表紙にもなった。野田さんからは礼状が届き、その後は「同じ物を」と注文するファンが続いた。反響は大きかった。
アシㇼパ、ロンドンに立つ
アイヌ文化の発信で、貝澤さんには忘れられない光景がある。英国・ロンドンの大英博物館で「マンガ展」が19年に開かれ、貝澤さんも野田さんに誘われて現地を訪れた。荘厳な建物の正面に、展覧会の象徴に選ばれた巨大なアシㇼパのイラストが飾られていた。マキリを腰に下げ、装束をまとうアシㇼパの姿を見て、「このマンガがアイヌ文化を世界中に広めることになった」と心が震えた。
大英博物館には貝澤さんの木彫も収蔵されており、二重の喜びだった。「野田さんは『命を削って描いている』と言っていた。僕は木を削るが命は削っていない。漫画の世界や力は本当にすごいと感じた」。サイン色紙やグッズが並んだ工房で、目を細めた。
専門家「正確な描写、魅力的なキャラクター」
アイヌ文化に詳しく、ゴールデンカムイの監修を担当した千葉大名誉教授の中川裕さん(66)もこれまでになかった波及効果に目を見張る。アイヌに対する差別や偏見の歴史を背景に「映画もテレビも漫画も、批判を浴びる可能性などからアイヌを真っ向から扱うのを危ぶむ傾向があった」と指摘しつつ、連載を契機にアイヌ書籍の出版や特集番組の放送などが相次いだ点に触れ「エンターテインメントでアイヌの存在を意識したことがない人たちに興味を抱かせ、身近なものに引き寄せた」と評価する。
中川さんは連載開始直前の14年6月に野田さんから監修を依頼された。第1話の原稿を読み、「アシㇼパの絵を見たらアイヌの描写が正確だった。こんなに魅力的なキャラクターが登場するのは喜ばしいし面白そうだから、ぜひ一役買いたい」と快諾。言葉や生活様式などに助言し、登場人物の名前のアイデアも出した。中川さんは「ものすごい量の情報を選別して作品に仕上げていた。それを8年間、週刊連載で続けたのは大変だったと思う。普通の人はできない」と、野田さんや編集者をたたえた。
大学での授業や講演会などで、作品の人気とともにアイヌへの関心が高まる様子を肌で感じた中川さん。アイヌの文化振興や権利保護に向け「関心を持った人をこれからどう引っ張っていくか。アイヌに関わる全員が考える必要がある。私自身も情報を発信し続けたい」と話した。【谷口拓未】
インド警察、いけにえの少女救出 「秘宝」ほしさに父親ら計画(AFPBB)
【4月28日 AFP】インド西部マハラシュトラ(Maharashtra)州で、娘(18)をいけにえとして生き埋めにすれば秘宝が見つかると信じて実行しようとした男が逮捕された。警察が27日、明らかにした。
同州ヤバトマール(Yavatmal)地区警察のディリップ・ブジュバル・パティル(Dilip Bhujbal Patil)署長によると、警察はこの少女の友人から通報を受け、男がヒンズー教の僧侶1人を含む共犯者8人と儀式を行っている現場に急行。すんでのところで少女を救出し、9人を現行犯逮捕した。
パティル氏によると、少女は儀式が始まる1時間前に男が計画について話しているのを耳にし、殺害される恐れがあると友人に伝えた。男は儀式の前日、少女を生き埋めにするための穴を自宅の庭に掘っていた。
9人には殺人未遂の容疑が掛けられている。男はさらに、別の娘に対する性的暴行の疑いでも捜査対象となっている。
インドにおける人間のいけにえに関する公式統計はないが、同様の儀式で毎年多数の子どもが殺害されている。
【本日 (4/28)の広島県内の感染状況】(広島県)
GW来客大幅増に期待と懸念 厳島神社の宮島で予約満室「今年こそ」(朝日新聞)
最長10連��のゴールデンウィーク(GW)が29日から始まる。行動制限がかからないGWは3年ぶりだ。広島でも多くの旅行・帰省客が見込まれ、観光関係者の期待は膨らむが、連休明けの感染再拡大のリスクも懸念されている。
「大型連休は、楽しんでお過ごしください」
26日夜。広島県の湯崎英彦知事��記者会見でこう書かれたフリップを掲げた。「『県��に出ないで下さい』とか『県外から来ないで下さい』と言う必要はいまはない」との認識を示した。
実際に県外往来は大幅に増えそうだ。コロナ禍前の水準には回復していないが、GW期間中の山陽新幹線の指定席予約数(25日現在)は前年同期比で328%。広島空港発着の羽田便の予約数(22日時点)も全日空が同138%、日本航空が同239%に達した。
広島市中心部で5月3~5日に開かれる「ひろしまフラワーフェスティバル」は3年ぶりに観客を入れたステージイベントを実施。平和記念資料館もイベント期間中、閉館時間を午後8時まで2時間延長する。
県外客の多い観光地・宮島も盛況だ。旅館「錦水館」とホテル「宮島別荘」を営む会社によると、一昨年は緊急事態宣言で休館、昨年は約85%の客室稼働率だったが、今年は29日~5月4日、予約で満室という。総支配人の志熊聡さん(59)は「今年こそ頑張ろうという思いだ。夏から秋にもお客に来てもらう糸口ができれば」と意気込む。
世界遺産・厳島神社の参道で、もみじまんじゅうなどを販売する「菓子処きむら」の店主木村力さん(76)も「これまで売り上げが(コロナ禍前の)5割を切る月も多かったが、花見の時期から人は増えてきた。GWもそのままの勢いで行ってほしい」と言う。
しかし、往来の増加が「第7波」につながるとの懸念もある。昨年はGW後に新規感染者数が急増し、5月16日から県内に緊急事態宣言が発令された。今年に入り、感染力が強いとされる「BA.2」への置き換わりも進んでいる。
県は観光の割引キャンペーン「やっぱ広島じゃ割」の期限を4月下旬から5月末まで延長すると決めたが、29日~5月8日はGW期間中の感染拡大を抑えるという国の方針に従って対象外とした。ワクチン接種やPCR検査の会場は大型連休中も開設する方針だ。湯崎知事は「大型連休後に少し感染が増えてしまうことはやむを得ない。大きな波にして医療逼迫を起こさないためにしっかりと感染対策をお願いしたい」と話した。
北海道・知床半島沖で観光船が行方不明になった事故を受け、中国運輸局などは27日、広島県内の旅客船の緊急点検を行った。瀬戸内海の多島美で知られる広島では船による観光が人気で、運航会社が多数ある。
この日は担当官5人が宮島を周遊する小型旅客船「もみじ」(定員72人)で救命胴衣や運航前の点検記録、非常時の連絡手順などに問題がないことを見て回った。運航会社長の沖本広重さん(43)は「他人ごとじゃない。身が引き締まる思い」と語った。
海保の拠点から距離のある知床では、救助ヘリの到着に時間を要した。第6管区海上保安本部(広島市)によると、瀬戸内海では広島航空基地からヘリで潜水士を派遣し、福岡県の北九州航空基地などからも機動救難士を出動させる段取りだ。天候や機材状況で変動するが、救助ヘリが「おおむね1時間以内」(担当者)に到着できる態勢を取っているという。(松尾葉奈、大久保貴裕)
東京都 新型コロナ 新たに5394人感染確認 先週より1300人余減(NHKニュース)
健保組合7割赤字 全体赤字額2770億円 来年度以降急激な悪化か(NHKニュース)
大企業の従業員らが加入する健康保険組合の今年度の収支は、前の年度から2000億円余り改善するものの、全体で3000億円近くの赤字となる見通しです。健保連は、来年度以降は、高齢者の医療費を賄うための拠出金の増加に伴い、急激な財政悪化が予想されるとしています。
全国およそ1400の健康保険組合で作る健保連=健康保険組合連合会は、各組合の今年度予算を集計し、その結果を公表しました。
それによりますと、全体のおよそ7割に当たる963の組合が赤字となる見通しで、組合全体の収支は2770億円の赤字となると推計しています。
昨年度予算と比べると、2259億円収支が改善する見込みで、健保連は、新型コロナの感染拡大による受診控えの影響で、高齢者の医療費を賄うための拠出金が2080億円減ったためなどと説明しています。
一方、来年度以降は、高齢化が一層進展することに加え、受診控えの反動で拠出金が再び増加する可能性もあり、急激な財政悪化が予想されるとしています。
健保連の佐野雅宏副会長は記者会見で「まさに一時的かつ極めて異例な拠出金の減少だ。いったん減った拠出金のリバウンドを含めてどうなっていくか、新型コロナの感染状況なども合わせて見ていく必要がある」と述べました。
オミクロン株の新たな変異ウイルス、国内初確認 海外未報告(毎日新聞)
仙台市は28日、新型コロナウイルス変異株「オミクロン株」の新たな変異ウイルスを確認したと発表した。第6波の主流の「BA・1」とその派生型「BA・2」で遺伝子情報の組み換えが起こっており、国内で初めて見つかった。4月11日に空港検疫で見つかった両者の組み換えの「XE」とは異なるという。
市によると、感染者は3月下旬に発熱で受診し、既に療養を終えた。年齢や性別は明らかにしていない。海外への渡航歴はなかった。市や国立感染症研究所(感染研)でのゲノム(遺伝情報)解析で、新たな組み換えウイルスと判明した。市は同時期の陽性者についてもゲノム解析したが、同様の事例は検出されなかった。市は今回見つかった組み換えウイルスについて「市中感染を疑わせるものはない」としている。
組み換えは、遺伝子配列が異なるウイルスが人の体に同時に感染して起こる。世界ではBA・1とBA・2や、アルファ株とデルタ株などによる組み換えが複数報告されている。XEは感染者が増えるスピードが約1割早いとの報告が英国である。
国立感染症研究所によると、今回見つかったのは、XEなどで確認されている組み換え場所とは異なり、感染の足がかりとなるスパイクたんぱく質で組み換えが起こっている。国際的な研究者のネットワークではまだ報告されておらず、感染力や病原性への影響も不明だという。
現在、日本ではBA・1からBA・2への置き換わりが進んでいる。感染研の斎藤智也・感染症危機管理研究センター長は「異なる系統のウイルスが同時に流行している時には組み換えが起きやすい。国内で組み換えが起きても全く不思議ではないが、国内で起きたか海外から持ち込まれたかは判断がつかない」と指摘した。【金秀蓮、小川祐希】
オミクロン株の新たな派生型、ワクチンすり抜ける公算大-南ア研究者(ブルームバーグ 4月29日)
新型コロナウイルスのオミクロン変異株で、南アフリカの科学者が今月発見した新たな派生型はワクチンや以前の感染で獲得した免疫をすり抜ける能力を持っている可能性が高い。この派生型に関するリポートを発表した遺伝子配列解析チームのトップが語った。
南アのクワズールー・ナタール大学とステレンボッシュ大学の複数の研究所から成るチームのトップを務めるトゥーリオ・デオリベイラ教授は、新たな派生型「BA.4」と「BA.5」は、先に見つかった「BA.2」よりも感染力が強い様子だと説明。「BA.2」も従来のオミクロン株に比べ強い感染力を持つ。
南ア市民のほぼ全員が、ワクチンを接種済みか過去に感染歴がある。それにもかかわらず感染者数が現在増えているのは、これらの派生型が単により強い感染力を持つだけでなく、免疫を突破する能力があるためだと考えられると、デオリベイラ氏は指摘した。
デオリベイラ氏は「この派生型には免疫のすり抜けを可能にする変異」があるとの考えを表明。「この派生型は再感染を引き起こ��恐れがあり、一部のワクチンを突破する能力を持つとみている。人口の90%以上が一定の免疫保護を得ていると考えられる南アで、感染が広がるのはそれ以外に説明が付かない」と述べた。
同氏はまたツイッターでの投稿で、現在の南アの新規感染ではこの派生型が約7割を占めると明らかにし、「『BA.4』と『BA.5』で感染件数は増えているが、入院者数と死者数の大規模な発生にはつながっていない。それがこの派生型に関するわれわれの中心シナリオだ」と見方を示した。
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2021/10/10 瓶を投げ割ると、瞬木隼人は笑っていた|それいけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき(1)
誰かに花瓶を投げつけたことはあるだろうか。私はある。 だから、途中でくだらない話もさせてもらう。 こんな映画がある。 「それいけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき」(1999年) 早起き、勉強、イベントに招待されては挨拶、挨拶、挨拶……繰り返しのような毎日に飽き飽きしているキラキラ星に暮らす姫、きらら。 ひょんなことから城に飛んできたドキンちゃんと姫の立場を交換し、自由な一人の少女となって宇宙に飛び出す。途端、飛来した隕石が彼女を襲うが、パトロールに来ていたアンパンマンが助けてくれたのだった。ああ、まるで空を駆ける王子様のように——。 彼に連れられアンパンマンワールドに降り立ったきららが、「本当の勇気」を知る物語。 5月末に視聴した。例によって幼少期に観て深く印象に残っていた話で、好きな映画を挙げろと言われたら正直一番と言ってもいいのではないか、と見返して思ったほどだ。なんなら冒頭で歌われる「きらきら星」で泣いてるし。 小さい子が見ても飽きないように50分強に収まった映画なのだが、1時間弱とは思えない情報量がテンポ良く詰め込まれている。中でも、「嫉妬」の描き方に衝撃を受ける作品だ。 また映画を一緒に見に来た親や、大きくなった人たち向け要素なのか、映画タイトルの出し方・いつものように敵として登場するばいきんまんの姿がスター●ォー●をリスペクトしたものになっており、不意に笑えてしまう。こんな風に成長して見て気づかされる要素があったので、小さい頃見た・もしくは見たことがない方々にも一度見て欲しい作品だ。 後は特に好きなシーンをピックアップし、2回に分け自由に語っていこうと思う。これを感想と言って良いのか正直わからないので、タイトルからは省かせていただいた。 (以下、ネタバレを含む)
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今回は中盤に挟まる「嫉妬」と「勇気の花の入った花瓶」にまつわる話。 〜〜〜 パン工場で暮らし、少しずつ輪に入り出すきらら。けれど、一番気になるのは自分を助けてくれるアンパンマンのこと。 ある日、街のこどもたちと遊ぶものの気が合わず逃げ出すが、途中で雨に降られてしまう。怒るように鳴る雷に悲鳴を上げながら近場の洞窟に飛び込んだ。「助けてよ、アンパンマン……」声を聞いて、彼は助けに来てくれる。雨顔が濡れると飛べなくなってしまうから、大きな葉っぱの傘を持って。 「僕を呼んだでしょ」「……来るのが、遅すぎます」 きららは雨を知らない。「空はただ吸い込まれそうなほど真っ暗で、静かなだけ」二人で話しているうちに、彼女はこんなことを聞く。 「アンパンマン、わたしのこと……好き?」 「えっ……」 流れる濁流。 「(顔をあげて)好きだよ。」「ほんと?」「うん。(頷く)とっても」「(だんだん顔を赤らめる)…………わたしも、アンパンマンのことが、好きです」「ほんと?ありがとう!」
所作まで記録したメモなので情景が見えるのではないだろうか。 濁流を挟んだ後の彼の答え。しかも「とっても」の顔は映されておらず、きららしか知らないのだ。彼女だけに見せてくれた彼の顔を思うだけで胸がいっぱいになる。これがアンパンマンだと思うと衝撃的なシーンかもしれない。だが、まだいい。問題はこのあと。 雨が止み、虹とともに空が晴れる。アンパンマンが空を飛び、抱きかかえられながらこどもたちと合流するきらら。パトロールを終えたアンパンマンと遊びたがる子供達に、ムッとした顔で「アンパンマンは私のことが好きなの、邪魔をしないで」と反発する。こどもたちとアンパンマンの取り合い言い合いをする中で、一言。
「きららちゃん」「なあに? アンパンマンマン?」「ぼくはみんな大好きだよ」
……こんなの、何も言えなくなってしまう。その瞬間、彼女は宇宙のような闇に放り込まれ、荒い息遣いが流れる。そうして諦めたような、悟ったような笑みの後に目を瞑って。 「アンパンマンの嘘つき!!」「きららちゃん!!」 きらら姫の涙を映す代わりかのように、ひまわりに雨の雫がついている。 水たまりに映った、逆さまのまま消えていく虹。無人のアンパンマン工場まで逃げた彼女は、アンパンマンの顔に練り込む勇気のエキスの詰まった「勇気の花の瓶」を手に持ち、床に落として割ってしまう。割れた破片には、どうしようもないきららの顔が映りこんでいた。 〜〜〜 きららの感��の過程を知って欲しく冗長になってしまったが、瓶を割る際に掛かる迫真のBGM・SEはぜひ観て味わって欲しい。 そう、私が言いたいのは瓶を割るシーン。 私は今まで後半で書く話が記憶に残っていたのだが、大きくなって見たことでここに強い感情を抱いてしまった。序盤から彼女がアンパンマンに惹かれるシーンがある上での告白、彼の返し、からのすれ違い(と見える描写)……。やなせ先生が所謂子供だましの表現が好きではないというのは「アンパンマンのマーチ」を聞くだけでお分かりだろうが、それを象徴するような場面だ。 含まれた意味や感情について、映画を見てから何度も想いを馳せている。嫉妬の象徴。失恋したきららの砕けた心。試し行動…………。 そうして今日はふと、「もし彼女がこの瓶をアンパンマンに直接投げつけていたら」と思ったのだった。今頃感想を書いているのもこのせいである。 *** 突然だが、私が瞬木隼人に嫉妬の花瓶をぶつけた話をしよう。 瞬木は超次元サッカーアニメ(ゲーム)「イナズマイレブンGOギャラクシー」に登場するキャラクターの一人だ。 彼は小学生のころ友達に裏切られた経験から人間不信になり、みんなに良い人を演じては裏で他人をなんとでも詰る自身を「悪人」だと思っていた。 冒険の途中の試合、他人の心が見える宇宙人に自身の醜さをチームメンバーの前で指摘され、晒されてしまう。 「オレはそういうヤツなんだ!だからなんだ!!悪いのか!!」 吐露する瞬木。それに対し、チームのキャプテンである主人公・松風天馬は、もともと彼の本性に感づいていた上で「いいところも悪いところもひっくるめて瞬木隼人だ」と彼を肯定するのだ。 「…マジで言ってんのか?」 不敵に笑うと、彼は自身を解放しシュートを決め、それか今までの人の良さそうな姿から一変し、チームメイトの前で本音を言うようになる。 過去シリーズでいえば、不動や狩屋と似たようなポジションだ。 そんな瞬木隼人に、正直のところかなり嫉妬に近い感情を抱いていた。というか嫉妬とも呼びたくなかった(それすら悔しくて)。 私も子供のころ友達に裏切られた経験があり、自身の人格形成に大きく影響を与えていると認識している。色々な人と関わったり考えたりして大人になってどうにかこうにかやってきたのに、それなのに、それなのに、瞬木は中学二年にして恩人に出会って救われているのだ! 一言で表せば「そんなのずるくて許せなかった」が近い。 実際中高生の時に見ていたら嫌いになる程憎んだと思うが、大学生で視聴した私が抱いたのはあまりにも大きすぎる感情である。どうにか言語化すると、嫉妬に近い気持ちと、解放したのち描かれる彼への憧れと、「瞬木が当時抱いた感情なんて、瞬木のかっこよさなんて、私だけが知っていれば良いのに」という独占欲。そんなわけで、あまり公にSNSで彼を語ることもなかったのだ。
こんなデッカい気持ちを抱えてはや四年半のタイミングで視聴したのが「勇気の花がひらくとき」。件の瓶を割るシーンを考えているうち、急に思ってしまったのだ。「瞬木隼人に瓶をぶつけてやりたい」と。知らないところで割るより直接ぶつけてやりたかったのだろう。 大きな瓶を抱え、目の前に立ったあいつに投げつける。 刺さったガラスの破片で血を流しながらも、瞬木隼人は不敵に笑っていた。 その情景が思い浮かんた瞬間、セラピーを受けたような穏やかな心地になって、今まで瞬木に抱えていた大きすぎる塊が萎んでいったのだ。当時はよく分からなかったけれど、たぶん私はただ自分の思った通り感情を素直にぶつけて直接言ってやりたかったのだ。 「おまえはムカつくやつだよ」 この情景を思い出すたび内側にいる瞬木隼人が笑う。うーん、やっぱりこういうところは私だけ知っていればいい。まあ、今回は特別に教えてあげよう。 *** こんなことをしたから思うのだ。あのとき、きららがアンパンマンに直接気持ちをぶつけていたら、と。だけど、
七色ちさと@tisato_go もしきららちゃんがアンパンマンに向かってゆうきの花の瓶を投げ割ったとしても、アンパンマンは怒らずに少し濡れてふやけた顔のまま「……きららちゃん、どうしたの? でも、いいよ。これから一緒にゆうきの花を取りにいってくれないかな?」って許してくれるんだろうなと思って朝から泣いています 午前9:34 · 2021年10月10日
こうなのだろう、アンパンマンは。 なお、映画本編で彼女自身の口から花瓶を割った話を打ち明ける場面もあるが、それでも考えてしまった。花瓶を破ろうとした時の彼女の感情を、そのままアンパンマンにぶつけたときのことを。まあ全部オタクの妄想でしかないのだが。 そんなわけで、きららが抱く感情に私は大分心を打たれたのだった。 嫉妬に近い感情を抱いて、直接本人に言うなんてどうかしているかもしれないし、だいたい認めたくない。そんなふうに思ってしまうし、実際醜い形かもしれない。だけど、私はどんな形であれ嫉妬の存在を肯定したい。松風天馬だって人間の良いところも悪いところも肯定してくれたし。 人にぶつけても床にぶつけても、割れた花瓶から溢れる本音に気づいてくれる相手がいるかもしれないのだ。 --- きららの大きな感情は救われるのか。その後、街を襲うばいきんまんに立ち向かう元気を失ったアンパンマンの見せてくれる勇気などについては、第二回の後半に続く。(多分)
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♦エリザベッタ フランキ 御問合せ受付けます 3/27まで♦ 弊社はエリザベッタ フランキの正規取り扱い店です。 エリザベッタ フランキの2023年秋冬ランウェイ画像を御覧になって頂いて、御購入御希望の商品があれば、御問合せ下さい。 3/27(月)まで店頭にて承ります。スタッフまでお申し付け下さい。 エリザベッタ・フランキはそのクラフトマン溢れる精巧でエレガントなイタリアンメイドの作品のみが評価されているデザイナーではありません。 経営者、母、妻、権利活動家としての側面も彼女の大きな魅力となり、それは作品にも投影されています。 そんな彼女がしばしば、コレクションのテーマとしてチョイスするのが、「女性が目標、理想とする女性」です。 2022年の春夏コレクションはデンマーク貴族にして作家のカレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke)でした。 カレン・ブリクセンが18年間にわたりナイロビの農園主として過ごした出来事を描いた「アフリカの日々(Out of Africa)」はフォトグラファー、ピーター・ベアード(Peter Beard)らに強く影響を与え、多くのアーティストがアフリカへ誘われました。 映画化されたその作品『愛と哀しみの果て(Out of Africa)』はアカデミー作品賞を受賞しました。 そして、エリザベッタ ・フランキの2023年秋冬のコレクションのインスピレーションとなったのは、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)とその時代、アールデコ期のゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルド(Zelda Sayre Fitzgerald)に代表される女性達です。 アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は1897年生まれのアメリカ人飛行士です。 女性で史上初めて西洋単独横断飛行を行い、一躍有名になりました。 長身で美しい金髪をボーイッシュにショートカットにし、澄んだブルーの瞳で常に笑顔の彼女はアイコニックな存在でした。 赤道上世界一周飛行に挑戦し、南太平洋上で消息を絶った彼女はまだ39歳でした。 彼女はその冒険を通して、女性の可能性を広げ、その地位向上の為に社会活動を行いました。 カナダのシンガーソングライターのジョニ・ミッチェル (Joni Mitchell)は「アメリア (Amelia)」という曲を作り、空と冒険に憑りつかれたイアハートの生き方に自分自身を重ねました。 その生涯は本になり、それを読んだ少女達の背中を押しました。 その一人は後にアメリカ初の連邦最高裁判事となったルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)でした。 ルースはイアハートに影響を受けたことを公言していて、それがバタフライエフェクトとして現代の女性の社会進出へと繋がって行きます。 一方のゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルドはアメリカの最も成功した作家スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)の妻として知られています。 彼女は夫から「アメリカで最初のフラッパー」と呼ばれました。 フラッパーとは、以前までの女性に求められてきた社会的、性的規範を無視し、自由奔放な生き方を実践した当時の若い女性達を意味するスラングでした。 スコット・フィッツジェラルドは彼女を崇拝し、作中ではあからさまに彼女をモデルにした登場人物を描きました。 彼女は明らかにセレブリティでスキャンダラスなファッションリーダーでした。 エリザベッタ・フランキの2023~24年秋冬コレクションはこれらをクロスオーバーさせた構成になっています。 ショーの舞台の壁はフィッツジェラルドの原作とする映画「華麗なるギャツビー」のパーティーシーンの様に電飾によって派手にアールデコ調のパターンが浮かび上がっています。 その中央にはブランドのロゴマーク、彼女のイニシャルが刻まれたメタリックゴールドの回転扉が据付けられています。 まるでニューヨークの摩天楼のエントランスの様に。 そこから登場するモデルたちのドレスには、サテンにレース、スパンコールやビーズが煌びやかに刺繍が施されています。 それらは裾に到達すると、フリンジとなって垂れ下がり、歩く度に軽やかに揺れ動きます。 空調が不完全であった当時の飛行士の防寒着、重厚なアビエイタージャケットにこれらフラッパースタイルの華奢なドレスを合わせたコーディネートはハードとエレガンスの究極のフュージョンとして完成されました。 イアハート自身もしばしば、飛行士としてのフル装備を拒み、あえてシャツにパンツ姿で愛機に乗り込み、空の身近さや、女性の可能性を訴えていました。 エリザベッタ・フランキの作品は1920年代の服の再現にとどまらず、現代らしいアレンジがディテールに至るまで施されています。 飛行士のジャンプスーツはグラマラスなサテンでパーティーウェアに、束となったパールのネックレスは長く延長されドレスに一体化されています。 ハンドバッグのキルティングは直線で構成されたアールデコの柄になっています。 ブラックとカーキとゴールドのメインカラーに彼女は閃きで鮮やかなグリーンを差し込みました。 ポケットを増やしたネオングリーンワイドカーゴパンツはミュールに合わせ、そのトップスはタイトなクロップド丈でコーディネートし極端なシルエットへと表現しています。 正に1920年代から2023年のY2Kスタイルへの飛躍。 どちらも当時としてはジェンダーレスのスタイルと見なされていてエリザベッタ・フランキはその共通点を作品へと昇華し、メッセージを発信しています。 ジェンダーレスが単なるボーイッシュ、マスキュリンではなく同時にフェミニン、セクシーであることを示しているのは彼女らしい特徴です。 一世紀にもわたる女性の在り方のストーリーを力強く、美しく表現された世界観に是非この機会にお触れ下さい。 スタッフ一同、お待ちしております。 Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1F 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】3月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I
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2021/4/25
朝、日差しで目が覚める。今日は隣町の親分にご飯をご馳走になるから、早めに支度をして、散策がてら隣町まで歩くことにする。今日も鈴の鳴りがいい。玄関から外に出ると、三軒となりのSさんが玄関先で何かしているのが見える、長髪がゆっさゆっさ揺れているのが遠目からも見える。歩いていくと、Sさんはカメのお世話をしている。目が合ったものだから、つい「こんちわ~」と挨拶してみると、無言で会釈だけ返してくれる。音を察知して、鈴に視線の動くのがわかる。
暗渠づたいに隣町まで。この暗渠通りには民家の玄関先の花や、雑草の花が点々と続く。いつも花摘みに行く公園とはちがう種類の花がたくさんあって押し花たましいをくすぐられる。いまは無人になっていて、建て壊しにもならず、もうすぐで廃墟になる寸前の木造家屋がある、庭には井戸もある。石造りの旧土手から小さな階段がのびていて、すぐに樹に遮られて行き止まり。階段のひび割れからは雑草が繁っていて、相当の年月を思わせる。もしかすると、ここが小川だった時分から階段はここにあって、小川に下りていくための道だったのかもしれない。いったん暗渠がひらけて、複数の団地とそのさなかに慎ましやかな緑の公園がある。公園は雑草がぼうぼうで黄色い花がたくさん咲いている。ここを秘密の花園と名付ける。秘密の花園の奥に暗渠はさらに続いてゆく。暗渠はやがて川に突き当たり、その対面に待ち合わせの駅がある。待ち合わせの時間には少し余裕があるから、しばらく川沿いを歩く。鳥や亀や昆虫をかたどった銅板が柵の上に立てられていて、くり貫かれたほうの空洞の銅板も柵に張り付けられている。川が二つに枝分かれるところまで歩いて、駅に引き返して親分を待つ。スーツケースをもった女のひとも誰かを待っている。改札のほうを見ていると、後ろからチリンチリンと自転車の呼び鈴、女のひとがスーツケースをほっぽって自転車の男のひとに駆け寄る。男のひとが「あれ、カゴに乗せてく?」と言う。自転車のカゴにスーツケースが収まるはずもなくて、斜め向きにほとんどはみ出たスーツケースを女のひとが支えながら、男のひとは自転車を押してゆく。親分がニコニコ微笑んで登場、春らしい薄いベージュのジャケットを羽織っている、おじいさんのくせに洒落てるなぁと思う。これ、やるよ、と紙袋をもらう。受け取るとその紙袋はずっしり重たくて、なかには大量のさつまいもが入っている、安納芋と紅はるかだという。せっかくご飯をご馳走になりにきたのに、ほんとうにどこのお店もお酒は提供していないようで、親分がまえから行きたがっていた(行きたいけど行列に並ぶのがイヤで行けなかった)人気のラーメン屋に並ぶことにする。親分は時間に対して几帳面なひとで、こんな行列に並ぶなんて普段ならあり得ないな、でも、今日は仕方がないし、せっかくだから並んでやるか、なんて言いながら、けっこうウキウキで店内の様子を覗いている。この町が地元の親分から、この町の昔のはなしを聞く。並びはじめて40分ほどでようやくラーメンにありつく。ラーメン全部のせ。美味しい! チャーシューの下から大好きなほうれん草が出てきてうれしい。ふたりともスープを底まで飲み干して店をあとにする。親分にホームセンターまで案内してもらって、また明日。
でかめのゴミ箱と、観葉植物のチェック。ゴミ箱はちょうどいいのがない。それにしてもこのさつまいもをどうしよう。もらったはいいものの、ぜったいに食べないだろうなって思っていたら、ふと、いも好きのNさんことが思い浮かぶ。ヨシッと連絡しようとしたら、なんともちょうどよくNさんからほうからもリプの通知がきている。いもの件を伝えると、なんと、いまから取りに来てくれるという。うちのほうに帰りながら、去年のことを思い出している。親分の地元からうちのほうは長くゆるやかな坂道になっていて、坂道が段々にずっと続いている。去年の暑くなってきた季節、その日も親分からご飯をご馳走になった帰り道で、Nさんにもらった歌詞を見ながら、続いてく坂道って歌っていたのを思い出している。親分とNさんには不思議な縁があるらしい。
公園を通過して駅の公園口に着くと、ちょうど道路を挟んだ駅の対面に手を振るNさんの姿! 路線バスが通って姿が見えなくなる、バスが過ぎ去って、Nさんはさっきよりも大きく手を振っている、信号が青になって駆け足ぎみで合流、このあいだTさんもこの横断歩道をひらひら渡ってきたっけなってことを思い出しながら。もらったさつまいもをそのまま渡す、青いイヤリングがいいね! そのままなし崩し的に散歩へ。昨日、Rくんから連絡をもらったことをはなしつつ、はるか遠くの海へ送り出してしまったことをかなり後悔しつつ、Tさんも呼ぼうよって言ったら、さすが準備のいいNさんはすでに誘っている。じぶんのなかではRくんはRくんなんだけど、Rくんのことを呼ぶとき、なんか恥ずかしくて、Oくんって苗字のほうに言い直してしまう。
Sさんの家の前まで行ってカメ(顔がSさんに似ているような気がする)を見る。またしても、じぶんの声が聞こえる現象。でも、それ以上によく響いている鈴の音。Nさん、猫を散歩させてるみたいって言う。近所の暗渠からスタート、道端のたんぽぽに反応するNさん、そういえばとたんぽぽの綿毛のリースのはなしになって、たんぽぽの綿毛の不思議とたんぽぽリースの作り方を学び、たんぽぽだらけで大変なことになったNさんの部屋のことを知る。押し花のはなしにも。色黒のモヒカンのひとが今日もいる。イチゴミルクみたいな白と赤の花からいい匂いが漂ってくる。階段のところで大通りに突き当たり、見晴らしのいいマンションにのぼることにする。今日はいつものマンションではなくて、その近くのマンションにチャレンジしてみる。エレベーターの中に騒音注意の張り紙、そこに描かれた騒音に苦しむひとのイラストをNさんがかわいいって。耳を塞ぐひとの左右に騒音のパチパチがあって、その色が赤や黄色の危険色ではなく、なぜか青と緑という優しそうな色をしている。最上階に着いて、ドアが開くと、そこがいきなり家のなかというか事務所みたいになっていて、大慌ててドアの閉じるボタンを連打する。ひとつ下の階におりる。このマンションは外側に面しているのが吹き抜けの螺旋階段だけで、しかも、けっこう老朽化していて錆びなんかが目立ち、急に底が抜けたらと思うと足が震える。Nさんは普通に平気そうで、柵から顔を乗り出して、遠くのほうや真下をのぞいている。スマホで写真も撮る。スマホは完全に柵のそとに出ていて、落とすんじゃないかととても心配になる。落とすな、落とすな、落とすな、と念じるとほんとうに落ちちゃいそうだから、落とせ、落とせ、落とせ、と念じる。Nさんが遠景を指差すのにつられて、じぶんも知らずしらず柵のそとに顔を乗り出している、ハッとそのことに気がついて、こわっと身を引っ込める。今日は晴れつつも雲が盛大にひろがっていて、雲の隙間から巨大なカーテンのような光の帯が注いでいる。Nさん、これちょうど今日買ったんです、とフクロウのかばんから出てくるのは雲の図鑑。Nさんのかばんから毎回なにかが出てくるなぁ、ほんとうに四次元に繋がっているのかもしれないと感心する。図鑑のなかから今日の雲を探す。隙間から注ぐ光の帯は、天使の梯子というらしい。いつか花火の日の夕暮れにみたケルビンヘルムホルツ雲の写真も図鑑にちゃんと載っている。NさんがUFO見たことある? って言うから、見たことあるよって答える。遠景にくっきりと白い線を伸ばす、あの給水塔を目指して歩いてみることにする。さらっと口にしたし、さらっと書いてもいるけれど、心の中では胸の高鳴りが大変なことになっていた! 冒険は唐突にはじまる! 小学生の夏休みの午後、テレビで観ていらいの『鉄塔 武蔵野線』のことを思い出している。どこかの映画館でかかれー!
一階のロビーで住人とすれちがう、Nさん、こんにちはーと住人のフリをする。地上にもどってくると、あんなに高くそびえていた給水塔はどこにも見られない。歩道橋を渡って大通りの向こう側へ。歩道橋からも給水塔は見えない。ふだんは歩道橋にのぼるだけで高いところにいるような気がするけれど、もっと遥かに高いところについさっきまでいた今にかぎっては、ずいぶんと低いところにいるような気がするってことを言うと、Nさんも同じことを思っていたみたい。いも、重いだろうなぁ、交代で持とうよって持ち掛けようとしたら、Nさんはいもを全部かばんの中に入れて背負ってしまう。いま思えば、途中で鈴の付いた軽いかばんと交換してあげれば��かったなぁと反省! 反省してます! 給水塔は見えないから方角とカンを頼りにそっちのほうを目指す。また鳴りはじめる鈴の音にNさんが猫を散歩させてるみたい。曲がりくねる墓場道のカーブの向こうから自転車に乗った家族がやってくる、音でそのことがわかって、カーブの先に顔を覗かせると、いきなり自転車が目の前にあってわっとびっくり。おぼろげながら記憶にのこる一軒家のわちゃわちゃした玄関先。コンビニでお茶割りの茶割り、我ながらこれは天才的な発明である。お寺に寄る。葬式か法事帰りの黒い服の一族がいて、中学生くらいの女の子が小脇に故人の額縁写真を抱えている。お堂の裏手の杜、Nさんでもきいたことのない鳥の鳴き声、たまに絵馬たちの風に揺れる音をききにくるところ、絵馬に書かれた目がこわいとNさん、たまに来るのに目のことには気づかなくて、この社には眼病に御利益のある目の神様が祀られているらしい。おたがい目には疲れを感じているから参拝する。賽銭箱に投げ入れられるNさんの五円玉がきんきらきん。墓場をぐるっと一周して入口にもどる、峠のだんご屋さんのような休憩所。
方角とカンを頼りに給水塔を目指す。学校がある。前にもいちど、この学校に出くわした記憶がある、そのときは体育館からバスケットシューズのキュッキュッと鳴る音と、審判の笛の音と、応援の音がきこえていたような気がする。学校のなかも探検してみたいと思ったけれど、そんなことを喋っていたら校門の守衛さんとばっちり目が合ってしまい断念。犬に唐突に吠えられてからだが宙に浮いたのはいつだっけ? ベランダから飼い主さんがごめんなさいって。暗渠を捕まえる、階段のキケン、キケン、キケン。どうやら、このあいだTさんと歩いた暗渠のようで、Tさんが歓喜して写真を撮っていた子どもの絵がある。給水塔は行方不明で、でも、とりあえずこの暗渠をつたっていけば川に辿り着けることがわかって安堵する、給水塔があるのはきっと川の近くにちがいないから。観葉植物の育て方の秘訣、Nさんの元気いっぱいなアクションがおもしろすぎる。
暗渠を抜けたところにカラスがいて立ち止まる。のどのところに変な膨らみのあるカラスで、どうやらカラスのほうもこっちの存在を認知しているようで、顔を頻りに動かして両の目で���っちを見ようとしているようにみえる。こんな至近距離でカラスと対面するのは生まれて初めてのことで、それはやっぱりNさんが隣にいるからなのか、手を伸ばせば触れそう、クチバシのカーブがかっこいい。落ち葉がしゃくしゃく。はじめてNさんに会ったときに見た額縁から飛び出すキリンがこんなところにもある、キリンだけではなくパンダのバージョンもあって、パンダは逆に額縁の世界に入ろうとしている。ポップコーンのマシーンでポップコーンをつくる子どもたち、マシーンの愉快な声、兄弟みたいな二人が出来上がりを待っていて、じぶんたちもわくわくで出来上がりを待っていて、いちばん年上のクールな感じの女の子もやれやれって感じで遠巻きに兄弟と出来上がりを待っている。ようやく完成、そしたら遠くから見ていた女の子がスッと兄弟のなかに割って入って、まるで横取りしたかのようにポップコーンのカップを手に持っている。Nさんとふたり、あの子がとるの?! ってツッコむ。カラスの鳴き声がきこえる、道角を曲がると、その主はカラスそっくりの鳴き真似をする女の子、顔を空に向けて鳴いている。川の橋を渡って、工事現場の迂回路を歩く。やたらと険しい山道のような迂回路で、急勾配な丸太の階段をのぼったところに緑に囲われた変な空き地(兼迂回路の続き)がある。木肌の模様がおじいさんの顔になってもごもごと喋り出しそうな樹がある。いい場所だなぁ~とNさん。丸太の階段を下るところで、おたがいに何か喋りはじめようとして声がかぶさる、Nさんが声をとどめる。同じことがほかにも何度かあった。川沿いにもどってくる、きのう映画で観たような川沿いに群生する菜の花たち。広い球技場があって、そこなら風景がひらけて給水塔が見えるかもしれないと立ち止まって辺りを見渡してみる。ないな~と諦めかけたそのとき、Nさんが給水塔を発見! かなり近くまで来ている! でも、ここからが意外と遠くて、近づいて行こうすればするほど、給水塔のほうも場所を変えて遠ざかっているように思える。さっきまでは鉄塔と鉄塔のあいだにあったはずの給水塔が、鉄塔の近くまで来てみると何故かもっと遠くにある。急に強い風が吹きはじめる。夕方、雨の降り始める合図のような。一軒家の軒下にしゃがんでいる女の子のところから何かが風に飛ばされてくる、絵具の筆入れのようなそれをNさんが追いかけて女の子に渡してあげる。満月に限りなく近い、白い透明な月が見える、うさぎの餅つきがくっきりと。
大通りに突き当たり、ついに目と鼻の先に給水塔の半身が見える。給水塔の背後にはさざ波のような雲が暮れの陽光を薄っすらと反射させている。雨が降るという予報だったけれど、雲を散りばめながらも空は淡い水色をしていて、歩いてきた方向に振り返ると、なんと、なんと、なんとまあ、あの夏の輪郭と陰翳のある入道雲が夕陽に照り輝いている! あの入道雲の下はもしかすると大雨かもしれなくて、どうやら給水塔を目指して歩いているうちに雨雲が逃げていたらしい。雨が降りそうなときは給水塔を目指して歩けばいいんですねっとNさん。
ついに、とうとう、給水塔の真下に辿り着く。もっともっと延々と遠ざかってくれたらよかったのにって想いがすこしありながら、真下から望む給水塔のあまりの凄さに感動して写真を撮りまくる。淡い水色の空に真っ直ぐ伸びる白い給水塔、高すぎて写真にも納まりきらない、給水塔の下で風に揺らいでいる樹の緑の陰翳がなおのことよい。いよいよ日が暮れてきて、白く点滅していた給水塔の光が赤色に点滅するようになる。
隣接する区営の施設に行ってみる。大きな窓の前でダンスの練習をする二人組。なかには銭湯と温水プールがあって、プールと銭湯の混ざったようないい匂いがする。温水プールを上から展望できる小さなデッキがある。歓喜して泳ぎの様子を眺める。沈みかけながら泳いでいるおじいさん、おじいさん頑張れ、おじいさん頑張れ、おじいさん頑張れ、あとちょっと、もうすこし! 数いるスイマーのなかでも推進力がいちばん素晴らしく、ひときわ目を引く女のひと、とくにバタフライでの泳ぎがイルカの泳いでいるように美しい。外にもどると、すっかり日の暮れた濃紺の空、給水塔のすぐ隣に月光がひかっている。カメラを向けてみたけれど、月のほうは上手く映らない。
たくさん歩いてお腹が空いたから、お弁当を買って、川沿いのベンチで食べることにする。川の上を一匹のコウモリがずっと右往左往している。あのコウモリは何を食べて生きているんだろうなぁと考えていたら、Nさんがぼそりと同じことを口にして、まったく同じこと考えてたって言う。その川は数時間まえに枝分かれを見た川の延長線上。橋から川を覗くと、トサカみたいのがあるペンギンみたいな水鳥が暗渠から水の流れ出る合流地点で水の流れをじっと見つめている、魚が流れ出てくるのを待っているんだろうか。歩道橋、そのすぐ向かいが駅のホームになっていて、電車を待っているひとがいるのが何か不思議な感じ、電車がきてホームのひとたちが見えなくなる、電車が走り去ると、ホーム上にいたひとたちがひとりもいなくなっている、当たり前のことなんだけど、そのことにふたりで驚いている。ずっと足を動かしていたから足がじっとしてくれなくて、川沿いのベンチで足をバタバタさせながら色んなはなしをする。時おり、川沿いを電車が走り過ぎる。窓のなかに映る人影。過ぎ去る電車の数だけ帰りの時間が差し迫っていることを知らせる。この電車の行き先は二人の帰り道の乗換駅で、この川の行きつく先もどうやら同じ場所らしくて、それならいっそのこと川沿いを歩いていきたいと思うけども……。
どちらでもなくバスで帰ることにする。路線バス大好き。けっこう時間が経ったのに謎の水鳥はまだ同じところにいる。バスのなかでMさんの「天使に消された分��記憶を取り戻したい」のはなし。この毎日の日記も「天使に消された分の記憶を取り戻したい」と思いながら書いている。駅に着く。お別れのときはいつもしょんぼりしてしまうけれど、Hさんの必殺技を見習って元気よく! 元気よく! ふと、唐突に思い出す、それは何年もむかしのこと、生理のこないAさんのはなしを聞いていた夜、その明け方にくる、朝のS駅でAさんを見送りながら大声で叫んでいる「Aさ~ん! 無事に生理きてよかったね~!」これから出勤するひとたちが声の内容にびっくりして驚いている。べろべろんに酔っぱらっていて、そんな声を上げたことは憶えていなかったけれど、後日Aさんにあれはほんとうにすごい嬉しかった、通りすがりのひとたちの驚きも痛快で最高だったって言われたことは何となく憶えていて、へええ、そうなのって何となくよかったなぁって思っていたときの、失っていたほうの記憶がふっと唐突によみがえる。色んなことをはなして、やっぱりさいごに思い浮かぶのは、このあいだの帰りのとき、Tさんとじぶんが時の止まったようにまったくおなじような表情をしていたということと、それを見ていたNさんのこと。そんなことになっていたなんて全く気付かなったし、あのときは、ただただしょんぼりしているじぶんがそこにいて、その様子をNさんの目を借りて俯瞰してみると、ちょっとあまりにも可笑しすぎてニコニコしてしまう。たまにはしょんぼりし��顔もしてみるもんだね。
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アカデミー賞のない3月(2021年3月の日記)
■2021/3/1 月曜日。金曜に仕事を休んだので急ぎの対応をしているだけで大変。ぜんぜん時間が足りない。TIFFとフィルメックスの開催期間が発表されたけど去年に続き同時期開催。むむむ。しかし去年と違う点はTIFF側もオンライン上映をやりそうですな。僕は良いと思います。1ヵ月以上ゲームを禁止されていたうちの娘ですが本日より解禁。1日1時間のマインクラフトの楽しそうにやっている。また禁止にされないと良いね。夜、WOWOWオンデマンドで『108 海馬五郎の復讐と冒険』を観る。
■2021/3/2 火曜日。ミーティングの準備で疲れ、ミーティングの発表で疲れ。夜は映画を見ながら寝落ち。たぶん30分ぐらいのところで寝た。
■2021/3/3 水曜日。もうぜんぜん映画観れないので午前半休を取って吉祥寺へ。UPLINK吉祥寺で『春江水暖~しゅんこうすいだん』を観る。観て良かった。せっかくの吉祥寺だがコロッケを買う時間もなくすぐ帰宅。午後からは在宅仕事。どうやら東京の緊急事態宣言はさらに2週間延長になりそう。はー。試合は見れなかったけどヤング東京で挑んだルヴァン杯の初戦は勝ったようだ。夜、Netflixで『星の王子ニューヨークへ行く』を見る。
■2021/3/4 木曜日。かなり集中して仕事した感。シネマシティの『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のスケジュールがやっと出た。初回は7時!早い。しかしこれを観れればなんと午前半休を使わずに映画を観に行ける。娘の朝の支度が最後までできなくなりそうだが、まぁそれはチケットを取ってから考えよう。とゆうわけで今日だけは寝落ちするわけにはいかない。Netflixで『ユ・ヨルの音楽アルバム』を見る。「京浜ネバーランド」を聴いたり、光岡先生がゲストのラジオを聴いたりしながら24時を待つ。日付変更と同時に『エヴァ』のチケ取り。本当は最後列を狙いたかったが取れず。それでも後方通路側が取れたので良かった良かった。映画のチケ取りでこんなに気合を入れたのは久々だ。
■2021/3/5 金曜日。Disney+の『ワンダヴィジョン』E9を見る。ついに完走。いやー毎週楽しかった。夜、鳴瀬聖人監督のClubhouseを聴いていたらいつの間にか寝てしまった。成瀬監督の新作観たい。
■2021/3/6 土曜日。早起きしてNetflix『同級生マイナス』を見る。本日は月一の土曜登校日ってことで娘は学校へ。これは映画鑑賞チャンス。MOVIX昭島で『あのこは貴族』鑑賞。午後はDAZNでFC東京×セレッソの試合を見る。逆転勝利嬉しい。夜はAKIRA君たちがゲスト出演の札幌のラジオを聴く。楽しそう札幌。あと今泉監督がインスタLIVEで『あのこは貴族』について話すというので見る。これが超面白かった。ナイスタイミング。
■2021/3/7 日曜日。娘と実家へ遊びに行く。のんびり。Amazon Prime Videoで『グッド・ストライプス』と『そこにいた男』を見る。夕飯までご馳走になってから帰宅。夜はシネマクティフ東京支部の音声配信を収録。久々にmatsuさん、まるゆさんと3人で。『あのこは貴族』についてがっつり。エヴァの配信イベントで『シン・エヴァ』の冒頭12分を見てから寝る。明日は早起きだ。
■2021/3/8 月曜日。もう4時半ぐらいに起床。いろいろ準備して、娘にもいつもより早い5時に起きてもらい朝の英会話勉強とか朝ごはんとか。ごめんよ。娘の支度も無事終わり6時には家を出て立川シネマシティへ。シネマツーの開場が遅くて焦ったけど『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』aスタ極上��音上映で鑑賞。いやー集中して観たな。グッズなど見る余裕もなく即帰宅。10時半前には帰ってこれた。休暇を使わずすんで嬉しい。11時にはもうミーティングに出てました。夜はオンライン試写で『サンドラの小さな家』を視聴。24時に宇多田ヒカルのMVがプレミア公開だったがその前に寝てしまった。
■2021/3/9 火曜日。一年前の今の時期は手術のために休職していた。4月で復帰後1年となるので、それを前に産業医の先生とオンラインでミーティング。うちの娘の英検3級、無事に二次(面接)も合格していたとのこと。しかも結果に対しておおよその順位が出るんですけど「東京都内の受験者の上位8%」となっていた。幼稚園から英会話を真面目にやっていると小2でこんな感じでできるんですよね。しかも筆記の方とか知らない単語がたくさんあるんですようちの娘。文脈とかで意味を把握して解けているらしい。英語がんばってるもんな。お父さんは羨ましいよ。大変だろうけど。シネマクティフ東京支部の音声配信『あのこは貴族』のミニMCT回を配信。感想とかいただけて嬉しい。夜はラロッカさんとDiggin' Netflix収録。このラロッカさんと月一でNetflix作品の話をするのはペース的にちょうど良い感じ。
■2021/3/10 水曜日。札幌のAKIRA君から届いたスガラムルディなどを読む。いやー良い活動だ。夜はDAZNでFC東京×神戸戦。負けた。。Netflixで『モキシー ~私たちのムーブメント』を見る。MCTOSお題作品。
■2021/3/11 木曜日。思わず10年前の自分のツイートとかを検索してしまった。まだ高尾に住んでいたころで、電車が動かず会社の先輩に自転車を借りて帰ったのを思い出した。都心で働いていた妻は夜中に帰ってきたんだっけな。まだ子供が生まれてなかった頃だけど、不安だったな。夜はオンライン試写で『水を抱く女』を視聴。
■2021/3/12 金曜日。早起きできたのでU-NEXTで『東京原発』を見る。僕モテメルマガで伯周さんが取り上げていた作品だけど、これもっと注目されて良かったのでは?という映画。『ワンダヴィジョン』のない金曜ではあるが、見るものは山ほどある。夜中に映画パンフは宇宙だ!のClubhouseがある���のことでいくつかアリ・アスターの短編を見直す。楽しみにClubhouseの開始を待っていたらなかなかはじまらない。まだかなぁと待っていたらいつの間にか寝てしまった。。無念。
■2021/3/13 土曜日。朝から娘を習い事に送り、僕は映画を1本観れるチャンス。UPLINK吉祥寺にて『DAU.ナターシャ』を観る。電車移動中、落雷による信号機故障ってことで中央線が長時間停車。いろいろ買い物とかしたかったんだけどな。娘を迎えに行くのには間に合って良かった。帰りに立川の伊勢丹による。娘にホワイトデーのお返しを買う。バビと『鬼滅の刃』コラボのやつ。本来娘が欲しかった時透無一郎はもうなかったんですけど、不死川実弥で許してくれた。夜、オンライン開催の「ええじゃないかとよはし映画祭2021」のコンペ作を見はじめる。これは見切れないやつだな。
■2021/3/14 日曜日。予定では映画を2本観れる予定でそれはそれは楽しみにしていて、何を観るかもかなり迷って決めていたのですがそれがゼロとなってしまった。いろいろ我慢と努力を重ねて、こういうチャンスを楽しみにしているだけにかなり落胆。本来であれば『夏時間』と『ビバリウム』を観ているはずだったんですがね。あーしんどい。風邪ぎみの娘と家で過ごす。鼻水は出てるけど熱が上がらないのがありがたい。食事ももりもり食べれるようなのしっかり食べさせる。娘と家で二人で過ごすのは楽しい。家から出れなくてかわいそうなので図書館でたくさん本を借りてくる。いっしょにDAZNでJリーグを見たりもできるようになった。引き続きとよはし映画祭のコンペ作を見れるだけ見る。夜、Amazon Prime Videoで『星の王子ニューヨークへ行く2』を見る。鈴木敏夫のClubhouseは『あのこは貴族』回。なかなか面白かったが内容は書けない。まるゆさんがツイートしてた春本雄二郎監督、藤元明緒監督のYouTube番組を見る。なかなか面白い。シネマクティフの名前も挙げていただき恐縮です。
■2021/3/15 月曜日。娘は鼻水が出てるけど発熱がないので学校へ。自分は今日も在宅仕事ですが、メインで使っているアプリケーションの不具合でまぁまぁ仕事にならない。TIFFとフィルメックスについていろいろ発表される。これはどうなるんだろうな。まったくわからない。市山さんは信頼しているけど、矢田部さんのTIFFも好きだったんだよな。そして市山さんが去ったフィルメックスはどうなるのか。そしてメインエリアが日比谷・銀座へ。かつての渋谷から六本木に移り、すっかりTIFFのイメージは六本木になっていた。カレー食べたりおでん食べたりするの楽しかったんだけどなぁ。しかもTOHO日比谷とかピカデリーは使わないのかな。いろいろ変わりますね。夜、娘とひと悶着あり疲弊する。娘を寝かしつけながら矢田部さんが去るTIFFのことを考えていたらじわじわきてしまった。矢田部さんのTIFFコンペ、楽しかったな。感謝の気持ちでいっぱい。
■2021/3/16 火曜日。3月ももう半分か。朝、時間があったのでApple TV+『チェリー』を見る。口ひげありのトム・ホランドはベグビーのときのロバート・カーライルに似ている。夜、入江監督と大川編集長の書評対談をYouTubeで見る。こっそり『ネメシス』情報も話しているから櫻井翔ファンもチェックした方が良い。限定配信されている『僕の帰る場所』を見る。移民申請か。
■2021/3/17 水曜日。朝、時間があったのでWOWOWオンデマンドで『劇場版 おいしい給食 Final Battle』を見る。AKIRA君の2020年ベストだったので気になっていた映画だが面白かった。市原隼人ベスト作品かもしれない。夕飯はピザ。うまいうまいと食べていたらFC東京戦がはじまっていたのに気づかず。18時キックオフだと忘れちゃう。後半だけ見る。逆転勝ちやったぜ。シネマクティフ東京支部のメンバーとグループDMでいろいろ話す。あまり映画を観に行けなくても、できることはいろいろありますね。夜、けんす君と東京支部の音声配信をリモート収録。新企画「Diggin' Amazon Prime Video」だ。収録終わってから近況もちょっと話す。僕も映画はあまり観れていないが、けんす君はもっと観れていないようだ。楽しく話してSkype切って、気分が上がったからこりゃすぐに寝れないかもな、と思いながら横になったら即寝た。
■2021/3/18 木曜日。朝から昨夜収録した音源を編集、配信準備。お昼にはもう配信しちゃう。夜、藤元明緒監督が参加したClubhouseを途中まで聴く。娘が寝てからMCTOS『モキシー』回に参加。僕が今回あまり作品を掘り下げられていなかった(自覚してます)ので他の方の感想を聴いていてなるほど、と。終わって横になったらそのまま寝てしまった。
■2021/3/19 金曜日。あまり仕事の問い合わせがこないので嬉しい。普段時間がなくてできないことがいろいろ進められます。Disney+にて『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』S1E1を見る。『ワンダヴィジョン』が超変化球だったのに対し今度はストレート。この幅。でも時間に余裕がある分、ヒーローのプライベートをじっくり描く。本来であればこっちがドラマの1作目になるはずだったのも納得。オンライン試写にて『騙し絵の牙』視聴。夜、vimeoで『灼熱のドッジボール』視聴。Clubhouseで知人の多い部屋があったので楽しく聴いていたけど、途中から手を挙げてしまい結局まぁまぁ喋ってしまった。Clubhouseは短時間で見たい映画やドラマが増えるから危険。
■2021/3/20 土曜日。久々に映画を観れる時間ができたので渋谷へ。ユーロスペースで『夏時間』鑑賞。観て良かった。食事する時間もなく吉祥寺へ移動。吉祥寺プラザにて『野球少女』鑑賞。吉祥寺プラザに行ったのが久々すぎる。たぶん10年以上ぶりだったはず。WOWOWオンデマンド『リズム・セクション』視聴。春本監督らのゆるっと雑談YouTubeの前半をLIVEで見る。今週も面白い。トークイベントやるのかー。行きたいなぁ。MCTGM『野球少女』回に参加。少人数回だったけど僕以外が野球に詳しい。完全に『野球狂の詩』プレゼン回と化していた。ゆるっと雑談YouTubeの後半を聴きながら寝てしまった。
■2021/3/21 日曜日。娘と実家へ遊びに行く。DAZNでFC東京×仙台戦を見る。本当に1点取られるまで本気にならない今年のFC東京。逆転勝ち。夕飯までご馳走になってから帰宅。うまいキムチをお土産にもらって嬉しい。夜、鈴木敏夫のClubhouseを今週も聴く。さらにシネマクティフ東京支部の3人で音声配信をリモート収録。僕の思いつきでの企画回だったけでmatsuさんもまるゆさんもすぐにのってくれてありがたい。ついにApple TV+にて『ディキンスン』S1E1を見る。ついに。
■2021/3/22 月曜日。ミーティングの連続で忙しい。夜、「プロフェッショナル」の庵野秀明回を録画で見る。面白かった。Apple TV+『ディキンスン』S1E2を見る。前野健太の配信ライブも見たかったけどうっかりClubhouseでしゃべってしまい。。
■2021/3/23 火曜日。朝一で僕モテの情報コーナーを仕上げ、お昼は集中して仕事。午後、娘が下校。転校しちゃう子と最後に公園で遊びから行きたいという。仕事が暇なら送ってやりたいがちょうど自分もしゃべるミーティングがあり家を出れない。キッズ携帯を持たせ行かせたがまぁまぁ不安である。しかも電話してもすぐに出ないし。ハラハラしたがミーティングの途中で帰ってきてくれてホッとする。僕のミーティングもうまくいってさらにホッとする。娘はもうすぐ春休みである。Apple TV+『ディキンスン』S1E3を見る。順調。がしかし娘を寝かしつけながら寝てしまった。映画1本は見ておきたかった。
■2021/3/24 水曜日。早寝したのにいつもの起床時間まで寝てしまった。娘はついに2年生の終業式である。『ブラック・ウィドウ』の公開日が延期。元のスケジュールだと『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』S1最終エピソードの翌週というあがる感じの公開日だったんですけどね。今度のスケジュールは配信も同時(追加料金あり)と発表されてるからもう���るんだろうな。NYなどの映画館も再開しはじめたからもう5月の映画は公開してくれるかと思っていたけどまだダメなのか。『ブラック・ウィドウ』の公開は大きな指針だと思うので、他の(ディズニー以外の)ハリウッド作品公開にも影響あるだろうな。ピクサー作品の劇場公開なし、についてはもうある程度仕方ないと思っている。これは自分が今、あまり映画館に行けない状態からなのかもしれない。最低限これだけは観たい、という映画すらも観に行けない状態だと、はっきり云って配信してもらった方が良いのです。これは環境とか住んでいる場所のよっても違うのでしょうけどね。娘の春休み突入、ということで義母がきてくれた。しばらく泊まってくれるという。昼間、娘の相手をしてくれるのでありがたいです。僕は家にいるんですが仕事なのでずっと娘を見ていられないんすよ。Apple TV+『ディキンスン』S1E4を見る。Disney+『エージェント・オブ・シールド』S7E2を見る。WOWOWオンデマンドにて『サイキッカー 超人大戦』を見る。オンライン試写にて『パーム・スプリングス』視聴。アーカイブにて、前野健太第三回無観客生配信ライブ【歌のぶん回し】を堪能。その配信ライブを見てる途中、ある方から嬉しい報告のメールを受信。めでたい!
■2021/3/25 木曜日。数は少ないが難題な感じの仕事ばかり。どうしよう。家庭でもどうしたらいいのかわからないことがありなかなかに困っている。Apple TV+『ディキンスン』S1E5を見る。Disney+『エージェント・オブ・シールド』S7E3を見る。オンライン試写で『BLUE/ブルー』を見る。TIFF Studioの冒頭だけ見る。矢田部さん、冒頭で自分の退任を発表していた。なかなかにしんどいだろうな。3月末でTIFFの仕事を離れるということで、TIFF Studioはもう1回あるとのこと。最後、どんな配信になるのだろうか。Apple TV+『ディキンスン』S1E5を見る。Disney+『エージェント・オブ・シールド』S7E3を見る。
■2021/3/26 金曜日。午前半休で病院へ。とりあえず9月頃までは月一の通院が続くようだ。病院終わって丸亀製麺でランチ。うまい。午後から会社へ。まともに出勤するのは今年はじめてだ。いやーオフィスで仕事すると集中できるな。��んかいろいろ家のことが心配で早めに帰宅。U24のアルゼンチン戦を見たり、映画『僕の帰る場所』のYouTube LIVEトークを見たり。オンライン試写にて『ブータン 山の教室』を見る。Apple TV+『ディキンスン』S1E6を見る。Disney+『エージェント・オブ・シールド』S7E4を見る。
■2021/3/27 土曜日。朝から娘を習い事へ送る。束の間の自由時間。映画観るぞ。ランチを食べる時間がないので立川の一蘭で朝9時台からラーメンを食べてしまう。シネマシティで『モンスターハンター』を極爆で鑑賞。すぐに移動。TOHO立川立飛にて『ノマドランド』鑑賞。すぐに娘を迎えに行く。Apple TV+『ディキンスン』S1E7を見る。Disney+『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』S1E2を見る。
■2021/3/28 日曜日。朝から家族で立川市役所へ。マイナンバーカードを発行してもらう手続き。めんど���さいですね。立川周辺は桜が綺麗だ。娘と実家へ。お昼はスシローへ。娘は寿司を9皿も食べた。過去最多。むらがあるけどよく食べるようになったなぁ。午後は娘を両親に見ていてもらいキンザザの収録にリモート参加。今まで誰とも話せなかった『シンエヴァ』の話をできて満足です。夜、鈴木敏夫のClubhouse『ミナリ』回、若手国際映画監督たちが21時からゆるっと雑談YouTube、che bunbunさんのClubhouse、と映画話の配信をハシゴ。Netflix『赤い光点』を見る。さらに何か見ようと思ったが眠くて寝てしまった。しまった、『ディキンスン』を見ていない。。
■2021/3/29 月曜日。朝から「キン肉マン」の最新回を読む。マンモスマンの戦う姿をもっと見たかったけど数年ぶりにあの超人が復活しそう。夜、U24のアルゼンチン戦を見たり、根矢涼香さんのラジオを聴いたり。Netflix『バーシティ・ブルース作戦:裏口入学スキャンダル』を見る。Apple TV+『ディキンスン』S1E8とE9を見る。
■2021/3/30 火曜日。午前中は集中して仕事。午後はとある理由で病院へ。いろいろしんどい。夜は久々のW杯予選を見る。WOWOWオンデマンド『国家が破産する日』を見る。『野球少女』のお母さんがここにも出てた。やはり金の心配をしていた。Apple TV+『ディキンスン』S1E10を見る。これでS1完走。すぐにS2を見るぞ。
■2021/3/31 水曜日。もう3月も終わりとは。。夕方、退職する2名の大先輩の送別会をオンラインで。送別会もオンラインとは切ないが、オンライン上でも顔を見れて、声が聞けて良かったと思うことにする。Apple TV+『ディキンスン』S2E1を見る。Amazon Prime Video『タイム』を見る。録画しているTV番組もたまっている気がするが追いつかない。そんなこんなで3月も終わり。
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2020.11.07
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ある程度(という「お塩少々」並に判然としない曖昧模糊で主観的な判断基準ではあるけれど、蓋し国際規格の一般論——莫迦捨て山こと治外法権市区町村のひとつである、ファベーラ・オカザキでは浸透し得ない、論旨になり得ない論理から大きく逸れはしないであろう度合い)の品性すら持ち合わせない人間(666の刻印持ちの正しく獣が如き)に対し、途方もない倦み疲れを覚えると、憫殺を決め込むことが最良の選択だったのだと気づく機会になります。節操のない、説法の甲斐もない母国語すら危うい輩は、一体全体どうして「ファック」という言葉を呆気なくあけらかんと、片仮名の発音で吐くのでしょうか。 僕自身がこのゲットーに住まう、ぽんこつ且つちゃんがらな存在であることが何よりの証明となることでしょう。 嗚呼、岡崎市。市長が謳った市民への給付金、一律五万円。財源も碌に足らんままに豪語したマニフェスト。低脳地区代表の僕にはそれの是非については杳としてわかりませんが、誰用か知れない駅前の繁華化開発と、該当地までの公共交通機関は不整備のままに、滅多矢鱈な護岸工事や歩道に重点を置いたインフラ整備ばかりが目立ちます。岡崎市という街のどこがOKなのか分からないので、NGAZAKI市と呼びたくなる愛すべき郷里です。状況的にはザキというよりもザラキですか? クリフト的にはオールOKですか? 演繹的に考えれば、この街が魅力の詰まった汲み取り式の厠であると誰もが気づくことでしょう。 一度はお越しになって、サイボーグ城を眺めてから、銘菓『手風琴』を手土産にそそくさとお帰りいただければ僥倖です。
どうも、皆さんこんばんみ。御器齧宜しくに中々しぶとく無駄生きし、厭世家風を吹かすキッチュの顕現体こと僕です。世捨て人って何だかデカダンで格好よさげだけど、結局二の足踏み抜いて俗世人のまま死んでいくんだろうなぁ。僕です。 先日、夢を見ました。ディテールやイメージに関しての記憶はごっそりと抜け落ちておりますが、なんだかやけに馬の合う女性とそれはもういい雰囲気でした。ただそれだけです。
やって参りました、自己陶酔の頃合いです。 どうせ世の中、四面楚歌てなもんでして。僕にとっての仇敵がわんさかと、えっさほいさと、娑婆中で跳梁跋扈だか横行闊歩だかしているのだから、僕くらいは僕という豆もやしを褒めそやし、肥え腐らせていかないでどうするのでしょう? そうでしょう、そうでしょう。どうでしょう。 自己陶酔というより、自己憐憫? はたまた自己愛恤? そんなこたぁどうだっていいですね。恥部の露呈に忙しなかったジャン=ジャックと何ら差異がないんですから。 変態の所業ですよ、こりゃあ。 兎角、どんな些細なものでありましても、感想をいただければ快哉を叫びながら、ご近所に平身低頭謝罪行脚を回覧板とともにお配りします用意はできております。奮ってご参加ください。
古錆びた要らぬ敷衍ばかりの冗長なアバンを持ち味にして、殊更に冗長で支離滅裂な本編へ参ります。 前回の更新で、『色覚異常』、『現代日本縮図』の楽曲について諸々の所感をさらりと書かせていただきました。今回は僕自身への感想なので、一瀉千里に書き殴り、超絶怒涛の仔細があります。まずは『SUCKER PUNCH 2 : FATALITY』を聴いてみてください。以下は読まなくても大丈夫です。 フォロー・ミー!
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01. Vice Is Beautiful
SUCKER PUNCH 2:FATALITY by ベス・クーパーに
“Vice Is Beautiful”などと、大仰も大仰に「悪徳こそ素晴らしい!」と闇属性に憧憬をする中学生並みの痛々しい題名を読み上げると、今になって顔から火が出る思��で、同時に一斗缶満ち満ち請け合いの汗顔が迅速な消火活動に当たる思いでもあります。当たり前ですが、ピカレスクはピカレスクであるから素晴らしく、すべからく遏悪揚善すべきであろう、そう考えております。悪人正機でいうところの「悪人」の範疇がどうとかはこの際度外視で、僕という歩く超偏見型色眼鏡刑法書野郎の視点に於ける「悪人」は普く極刑であり、地獄に落ちることさえ生温いと思う訳です。願わくばファラリスの雄牛の中でモウモウと喚き続けていただければ有り難いとか云々カンヌン……。ただ僕は不可知論が信条ですので、地獄というのは表現の一環です。しかしながら途方もない腹痛に苦しめられている時だけは、神仏に縋ろうとするオポチュニストである自身の軽薄さに忸怩ってしまうところですが、正直なところどうでもいいなぁとも考えてしまいます。こういった僕のような人間を英語でなんて呼ぶかご存知でしょうか? “Japanese”です。横道に逸れ過ぎました。 閑話休題。 この曲、通称「VIB」。今からそう呼びます。ジャン=クロード・ヴァン・ダムを「JCVD」と呼んだり、マイケル・ジェイ・ホワイトを「MJW」と呼んだりのアノ感じが粋だと思うからです。 ジャンルはJ-POPです。僕は常にポップでありたいのです。アンディ・ウォーホルとか好きですし。付け焼き刃な例示なので、何が好きとかはないです。MJが“King of Pop”なら、YGは“Pawn of Pop”です。ほら、POPじゃないですか? じゃ、ないですか。 キーは知りません。BPMは196。曲展開は「イントロ1→イントロ2→A1→A2→B→C→間奏1→D→E→間奏2(ギター・ソロ)→C2→C3→F」となっております。 イントロ1でEなんたらのコード・バッキングからぬるり始まります。音作りに難航、してはおりませんが迷走しており、僕の三文鼓膜ではヨシアシが今でもわかっておりません。困るとドラムをズンドコと氷川きよしさせておけば何とかなると思っている節が聴き取れます。 A1、2共にコード・チェンジが忙しないです。Gなんとかとかいうコードとか、F#うんちゃらとかいうコードとか、後は6,5弦を弾いていないのでルート音とかもわからないのとか。「3x443x xx222x xx233x 2x233x 5x56xx 6x56xx」とかの流れで弾きましたが、どうかコード名教えてください。リフ・プレイも忙しないです。作曲に重要なのは引き算だと、偉い人が仰っておりました。全くもってその通りだと思います。その後のBがなんか転調してませんか? あんまりそういうのわからないんですけれど、元々のコード進行に引き戻せなくて懊悩した記憶があります。 C1は僕の悪い癖が出に出まくっています。4小節毎に変化するんですけれど、如何に多種多様なリフを生み出せるか(パイオニアだか傾奇者だか気取りたいという気持ちを汲み取っていただきたいです)に妄執しています。三回し目のリフが弦飛びしてて難しかったです。二度と弾きたくない。 奇天烈風を装いたくて3/4のDをぶち込み、曲中最ポップなEです。こちらのベース・ラインが気に入っております。もっと目立てる演奏力や音作り、ミックス技量があればと自身の矮小さに辟易としながら、開き直っております。 ギター・ソロでは似非速弾きが聴きどころです。 再び再帰するC2。前述の通り悪い癖が出ております。ネタ切れか、はたまた単に引き出しが少ないだけか、同一のフレーズを弾いております。C3ではてんやわんやの大盛り上がりです。頭打ちのドラムになり、ベース・ラインは「デデ↑デデ↓デデ↑デデ↓」と動きます。強迫観念なのかそういうフレーズを弾かざるを得ない体に、ゾル大佐によって生物改造人間にされています。 最終Fでは5/4があったりと僕なりの冒険心で取り組んだ努力が見て取れました。8分の〜とかになると対応できません。ギター・リフが格好よくないですか? 僕的には満足なんですけれど……。 全体的に楽器は何を弾いていたかわかりません。大抵が朦朧とした意識の中で録音していたので、記憶からずるり抜け落ちています。俯瞰から幽体離脱した状態で、白眼ひん剥いて必死に爪弾いていた僕を見ていたような気がします。 ここから僕のモニャモニャとした歌詞です。 全編通して日影者としての卑屈さがドバドバと分泌されておりましょう。本領発揮です。僕のようなペシミスト崩れがこうやって憂さを晴らすことでしか、自身の瓦解を防げないのです。本当に嫌な奴ですね。友達いなさそう。 可能な限り似た語感や韻、掛詞を意識しております。とどの詰まり、これは和歌です。と言いたいところですが、秀句と比べるにはあまりにも稚拙でございます。何せあの頃の修辞技術といったらオーパーツですし、即興性すら兼ね備えていると来ました。そして、何より読み人は貴族貴族貴族、もうひとつ貴族。僕なんて教養のない賎民でございますから、足りない頭を捏ねくり回して、やっとこと拵えた艱難辛苦の産物です。しかしながら、乾坤一擲の気概で綴った言詞たちではございますから、どうか冷ややかに、僕の一世一代ギャグを解説する様をお楽しみください。 冒頭のAのブロックでは押韻の意識を強くしております。各ブロックで頭韻を揃えながら、「掃射か/お釈迦」「淫靡で性〜/インヴィテイション」と中核を作ったつもりです。開口一番から延々と悪態塗れの陰気なアンチクショーです。鷸蚌を狙う気概、そんなものがあればよかったのに、という感傷的なシーンでございます。 Bでは掛詞が光ります。「擒奸」とはアルカホ���の別称だそうで、「酩酊した奸物が容易く擒えられた」的なお話が漢文だかなんだかであるそうでございます。詳しくは知りませんが。「さ丹、体を蝕めば〜」では、アセトアルデヒドの影響で皮膚が変色する様と同時に、「“sanity”を蝕めば〜」と読めば身体、精神ともに変貌していくことを示唆していることに気づきます。 所謂サビの様相のCですが、可能な限り同じことを綴らないようにしております。繰り返し縷述する程に伝えたい内容がないのですが、言いたいことは四方山積みにあります。お喋りに飢えております。そんなC1は愛する岡崎市の縮図と現状、原風景とも呼べる花鳥風月が流れ去るドブ川のような薄汚い景観美の言及に心血を注いでおります。諸兄諸姉がご存知かはわかりませんが、徳川家康という征夷大将軍が400年ちょっと前におられたそうでして。その家康公(a.k.a 竹千代)が生まれた岡崎の一等デカいバラックから西に下ったところ、以前は『やんちゃ貴族』なる逆さ海月の助平御用達ホテルがありました。そして城下の北には『アミューズメント茶屋 徳川』なる股座用の射的場があるそうです。「城下、公卿の遊技場」というフレーズに秘められた情感ぷりたつの景観が想起されるのではないでしょうか。因む訳ではありませんが、『アミューズメント茶屋 徳川』の隣には『亀屋』という喫茶店があります。粋で鯔背ですよね。 Dでは、何処となくサンチマンタリスムが滲んでおります。何もなせないままに過ぎ去る今日という日の重圧と、それから逃げようとする怯懦心の肥大があります。 Eに入ると気が触れたのか、資本主義の礼賛です。情緒不安定です。そして麻雀用語でお茶を濁しております。 再びのC2です。自身の滑稽さが爆笑の旋風を吹き荒らします。非常にシンプルな隠喩表現があります。続くC3では、家康公の馬印からの引用をしております。C1では自身の有用性のなさ、無力さを嗟嘆。C2では開き直るも、C3で再び打ち拉がれるという情緒がひっちゃかめっちゃかです。 最終、Fでは曲の終わりと共に事切れる姿が描かれております。衒学者でも意味がわかるようにとても平易な内容だと、締め括られます。 始め、僕の全身全霊の圧縮保存の「Vice Is Beautiful.zip」を紐解く予定でしたが、既にご存知の通り冗長どころか蛇足々々々くらいのヒュドラ状態です。僕の意識下で綴られた拙筆なる修辞技法のアレソレコレドレは毎行に置き捨てたので、よろしければお探しください。全て見つけられる御仁がおられましたら、最早僕ではなく、そちらが八木です。
続けて次へと進みたいのですが、長過ぎませんか? 擱筆した方がいいですか? 次回にしましょうか。いや、このまま行きましょう。友達がいないので語り足りません。 最早、末筆なのではと自分自身に問いかけたいくらいにダバダバとした作文をしております。僕は頑張ったんだよって、僕が僕を認めるために。これくらいの自己愛やらナルシシズムがなきゃ曲なんか拵えないですよ。「誰かに届け!」とかそんな思いは毛頭ないです。申し訳ないです。 はてさて、世に蔓延るウェブログの弥終で管を巻き続けること数千文字ですが、続きます。
06. Catch You If I Can
SUCKER PUNCH 2:FATALITY by ベス・クーパーに
Manoさんが「90秒の覚醒剤」と評していただきました。嬉しかったです。 こちらの捩りは何ンク・某グネイル氏の半生を描いたアレです。美しき相貌のドデカ・プリオの演技が光ります。“Catch You If I Can”と題名の通りですが、実のところ僕はヴィジランテです。私刑を執行すべく、尻を蹴り上げるか、ガイ・フォークスの面を着けるか、視界を遮り棍棒を装備したりと、日中日夜イマジナリー・エネミーとの戦いに明け暮れております。クロエ・グレース・モレッツやナタリー・ポートマンやエロディ・ユンが側にいないところ以外は一緒です。僕自身が阿羅漢ぶった言い分ではございますが、僕もタブラ・ラサでイノセントな存在であると、大口で宣える程の聖人君子ではないです。「罪のない者だけが石を投げよ」なんて言葉もありますので、僕は持ち前の当て勘で截拳道由来の全力ストレート・リードを打ち込みます。己やれ! こちら『SUCKER PUNCH 2 : FATALITY』のラスト・ナンバーを飾らせていただきました。締め切りを延ばしていただき、さらにその締め切りの後に提出しました。その件につきましては謝罪のしようもございません。 駆け抜ける清涼感、爽やかでポップでラブ&ピースな楽曲に仕上がったと思いますが、いかがでしょう? ジャンルは勿論、J-POPです。理由は前述の通りでございます。キーは勿論、知りません。ドレミファソラシドってどれがどれなんですかね。『おジャ魔女どれみ』世代なんで、ファ以降を知らないです。BPMは232です。曲展開は「イントロ→A1→A2→B→C1→C2→D→アウトロ」となっております。僕は映画でいうCパートが好物でして、そう言った部分を作ろうとしています。嘘です、たまたまです。勢い任せの一方通行な展開ですね。まるで乙川のようです。 イントロからハイ・テンションですね。押っ取り刀にサッカー・パンチ。今回カポタストを装着し、1音半上げでやっていきました。バッキング・パートは「x3x400 x3x200 x2x000 x2x200 | (1~3)x01000 x1x200(4)x222xx」と16分刻みで弾いてみてください。容易く弾けます。リフは知らないです。 A1はカッティングが効いてます。効いてます? 右手のフレーズが活き活きしています。悪態に拍車を掛けておりますし、ベースがブリブリと弾けたのも満足です。A2で困った時のお助けアイテム、三連符でコータローばりに罷り通っていこうとします。 Bがお気に入りでして。メロディと共にふんわりモコモコなドリーム・ポップ風です。サンバ・チックなリズムがよいアクセントではないでしょうか。ドラム・ソロを挟み加速度は自重で二乗といった気分です。BPMは変わりませんけれど。 C1は「C→B→E」ルートですが、ちょこちょこと変な音足してるので詳しくはわかりません。TAB譜作ったら貰ってくれる人いるのかしら? 要らないかしら? 自分用に作ろうかしら? ふた回し目にあるパワー・コードの「E→G→A#→B」みたいものを使いがちです。ギター・リフは半ばこんがりウンチ<©︎ダ・サイダー(CV.矢尾一樹)>——自棄くそ——気味で愉快ですね。0:47辺りに左前方で鳴る「ピョロロロー!」というお間抜けハッピー・サウンドですが、ワーミー踏みました。C2ではハーフ・テンポで落ちサビを作り、J-POPの体裁を取り繕うことに挑戦しております。リフはプリング・アンド・プリングです。プリプリですね。『Diamonds』のB面が『M』って知ってました? 度肝抜かれました。世界でいちばん寒い部屋で、心拍止まりそうです。頭抜けのブレイクが大好きです。演奏する時に思わずギターを振り上げてしまいたくなりますよね。 最終Dでは、バッキングのコードがなんか違った気がします。ここで浮遊感というか、シンガロングな雰囲気が作りたかったんですけれど、どうでしょう。ここを沢山の人々と合唱したいです。 続いて歌詞について掘り下げるようなそうでもないようなことをしていきます。筆がノリノリでして、一日で書けました。普段は、数日くらいあーでもないこーでもないと懊悩煩悶七転八倒五体投地に考えるんですけれど、勢いってありますよね。 青っ白い顔をした雀子宜しくの矮小存在が、邪魔者扱いされ、どうにも魔が差して刺傷でも企てそうな、風雲急を告げるといった面持ちのAです。三連符の誹謗で締めます。 掛詞の中傷で抽象な街を少しでも掘り下げるBですが、綴りたい文句が有り過ぎて並列表記してしまいました。お好きな方でご理解ください。「治水」は深読みしてください。 C1ではギリギリガールズに愛を込めたアレゴリーに着目していただければ嬉しいです。それ以外は珍しくストレートな歌詞ですね。読み返して恥ずかしくなっちゃいました。赤顔の余り、赤シートで消えそうです。「イエス・グッド」とはNGの対義語です。「やる気ゼロゼロコブラ」と共に流行らせたい言葉です。C2、「陰嚢の〜」の下りは語呂がお気に入っております。僕にとってのマリリン・モンローは現れるのでしょうか。 締め括りにDで僕のヴィジランテ精神を書き綴っております。「足りない」のはきっと音域です。 他にも修辞表現がございますので、お探しください。ウォーリーよりは簡単に見つかると思います。 全体的にムッツリ助平をひた隠すために労力を注ぎましたが、通しで読み返すとそれなりに一本の流れがあるように感じます。芥川龍之介すらもまともに読んだことありませんが、努力をせずに文豪になりたい、そう思っております。一人ぼっち善がりなエチュード・ソング、そう解釈してください。
カモン緞帳!
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くぅ疲。
もしも、僕のウェブログを眺め、「こいつは何を言っているんだ、気持ち悪い」と論旨について一考する間もなく、脳味噌無回転に匙の投擲大会に興じたとすれば、それは人としての思考力の欠如に他ならず、僕としてはしたり顔をするより他がない訳です。 僕も読み返してみたところ、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。思考力など何の役にも立たないのです。重要なのは大事な時に熱り勃てるかどうかなのです。 フィグ・サインを掲げていきましょう。 ファック!
追啓 この度、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に入信することと相成りました。
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、 イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、 ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、 トリカブトのアコニチン。
四、 ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、 オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺル��モのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこ��われる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という���方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃��脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプ���ディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができ���。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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