#関崎灯台
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The destination on that sweltering day I saw the Jetfoil was Jizôzaki and Mihonoseki lighthouse. It's just a 2 km walk from the village, but gosh it was difficult that day! Still, the views of the coastline were, as always, well worth the effort.
The lighthouse itself is a nice little building, built at the end of the 19th century, and nicely kept (if you can spot the ladies raking in front of the entrance in the picture). It's circled by a short walking trail.
The tower doesn't need to be too high as it stands on a cliff, while the former residence now houses a shop and a tea room with a view out to sea.
Like Shionomisaki I covered some time ago, Mihonoseki lighthouse has a "Guardian of Light" character designed for it! This one looks somewhat more confident than the pensive guardian of the South!
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコ���サートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up
海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄
今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。
Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞い��ことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってか��歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違��、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。
7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで��っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#violin#ヴァイオリン#sarah styling#multi instrumentalist#マルチプレイヤー#パイプオルガン#pipe organ#carol of the bells#shchedryk#Youtube
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂��(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりの���る損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つ���木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみた��ころで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.���情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで��それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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今年4~6月にかけて、横浜市と川崎市で白バイが関係する交通事故が発生した。神奈川県警によると、いずれも赤色灯を点灯させて後方から近づく白バイに気付いた乗用車の運転手が、取り締まりに応じようと急に車線変更や減速をして白バイと衝突した可能性があるという。県警は再発防止に取り組むとともに、一般ドライバーに向けて「取り締まりに応じる際は警察の指示・誘導に従い、落ち着いて運転してほしい」と呼びかけている。 神奈川署によると、横浜市神奈川区羽沢町の環状2号で6月11日、白バイが乗用車に追突する事故が起きた。現場は片側2車線で、ともに右車線を走行。白バイが赤色灯を点灯させて乗用車を追尾していたところ、2台がほぼ同時に車線変更し、減速した乗用車の後部に白バイが衝突した。 白バイを運転していた男性巡査部長は、速度超過の疑いがある乗用車の速度を測るために追尾していたところ、乗用車が車線変更したため、合わせて左車線に移ったと説明。乗用車���運転していた男性は「白バイに気付いて驚いた。速度超過の自覚があったので止まろうとして車線変更し、ブレーキをかけた」と話しているという。
白バイ絡む事故相次ぐ 追尾されても冷静に 神奈川県警呼びかけ 隊員へ安全確保徹底も(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容�� が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合��多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することに��るとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人���これ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川���版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナ��に撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残��ているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研���所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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猫の「アイーダ」
フォトジャーナリスト 安田菜津紀さんが東エルサレムで出会った猫・アイーダをモデルに、イラストレーター 坂本千明が紙版画を制作し、2024年1月から2月にかけて、東京 Amleteronにてパレスチナチャリティとしての展示を行いました。展示詳細と寄付報告に関してはこちら↓をご覧ください。
アイーダとの出会いやその背景を、安田さんが副代表を務める認定NPO法人Dialogue for peopleサイトにて、エッセイを綴ってくださっています。こちらもぜひお読みください。 『パレスチナとアイーダ』
*また「アイーダ」と、パレスチナの周知や支援を目的としたポストカードを2枚セットにして販売しています。
①猫の「アイーダ」ポストカード ②ひとりでもパレスチナ応援カード 2枚で1セット 税込¥250
左の1枚はポストカードとして、メッセージを書いて送ったり、部屋に飾ったり。
もう1枚はオモテ面にはイラストと意思表示のための言葉が、ウラ面にはこのwebページと同様に、ごく基本的で、ひとりでもできる支援や行動について、ORコードと共に掲載しています。
購入後、ご自身で5つにカットして
それぞれ「しおり」や「カード」として家族や友人知人に配ったり、スマホケースやアクリルキーボルダーなどに入れたりして、身につけるなど、個人プロテストや周知活動に自由にお使いいただけます。
※しおりを挟んでいるのは「それでもパレスチナに木を植える」 高橋美香 著・写真(未來社)。アクリルキーホルダーは百円ショップなどで5cm正方形が入るものがピッタリなようです。
もちろんカットせず、そのまま友人や知人、家族などに配ったりしても。
経費などを除いた売り上げをパレスチナへ支援のための寄付といたします。販売にご協力頂いているお店の情報はこちらに随時更新していきますので、ぜひお近くのお店で、通販でお求め頂けたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
《5/30 販売店情報更新》 お近くの店頭、または通販にてお求め下さい。
【青森】ネコ曜日 店頭・通販
【岩手】ひめくり 店頭
【秋田】かぎしっぽ 店頭・通販
【長野】本・中川 店頭・通販
【富山】巣巣 店頭販売中
【仙台】パレスチナ・オリーブ イベントなどで販売
book cafe 火星の庭 店頭
【群馬】灯り屋 6/20発送済
【埼玉】ねこのみち 店頭・通販
ベイクショップ ミリ秒 店頭
【東京】Ameleteron 店頭・通販(メールにて受付)
URESICA 店頭・通販
キャッツミャウブックス 店頭・通販
今野書店 店頭販売中
カフェ潮の路 毎週木曜12~15時 品切中
necoya books 店頭・通販
ひるねこBOOKS 店頭
MOMO 店頭・通販(パレスチナ支援につながる「オリーブの枝葉をくわえた鳩のクッキー」も販売中)
【神奈川】ポルベニールブックストア 店頭・通販
鎌倉ねこの間 店頭(来店予約制)
【静岡】書肆猫に縁側 店頭・通販販売中
お菓子と絵本ちびねこ 店頭
【京都】 nowaki 店頭
【奈良】とほん 店頭・通販
猫雑貨さんちこ 店頭・通販
【兵庫】毎日食堂 店頭・通販
【松山】 erimaki 店頭・通販
【熊本】長崎次郎書店 ※残念ながら6月いっぱいで休業されましたが、長崎書店さんにて引き続き販売中です。
長崎書店 店頭
【沖縄】CONTE 店頭
またありがたいことに、バイコットでご協力頂いた架け箸さん、APLAさんもイベント出店などで販売して頂けることになりました。APLAさんのオンラインショップでも販売中です。
お近くのお店店頭で、または通販で、「アイーダ」を見かけましたら、どうぞよろしくよろしくお願いします。
これまでの「アイーダ」ポストカードセットの寄付報告はこちらに。
「アイーダ」©chiaki sakamoto2024
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)5月19日(金曜日)参
通巻第7753号
台湾有事となれば米国は500機の戦闘機を十日で届ける
米英独仏チェコ等に続きスウェーデンも議員団が台湾訪問
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5月17日、スウェーデン国会のウィマークが国会議員団を率いて台湾を訪問した。
蔡英文総統はウェイマーク議員らと総統府で面会し、「台湾��スウェーデンは、昨年の二国間貿易額が17億米ドルを超え、多くの分野での協力で進歩を遂げてきた」と述べた。
蔡英文総統は、「国際社会では台湾がキーワードとなっている。ますます多くの国や国民が台湾問題に関心を持ち、台湾海峡を越えた平和を支持している。スウェーデン議会は4月に決議を可決した」とした。
2022年10月にスウェーデンのクリスターソン首相が施政方針演説で台湾に対する中国の軍事的脅威に懸念を表明し、台湾海峡の平和と安定への支持を強調した。
ワイマーク議員は、台湾とスウェーデンには「平和、自由、民主主義を信じ、普遍的な人権、正義、法の支配を守るなど多くの共通の価値観があり、多くの民主主義諸国も台湾を非常に重要なパートナーとみなしている」と指摘した。
そのうえで「台湾が国際機関から排除されている現実は容認できない。台湾が世界保健機関などの国際機関に参加すべきである」と強調し、そのために「自由世界のパートナーが協力しなければならない」と発言した。
同日、台湾訪問中だったリズ・トラス元英国首相は「台湾は自由と民主主義を求める闘争の最前線にあり、西側諸国は自由な台湾を守り、具体的な措置で支援することに尽力しなければならない」と強調した。
経済面では中国に対処するため「経済NATO」の設立を求め、安全保障面では同盟国が連携を強化し、台湾が政策立案に参加し自主性を確保できるようにすべきだと主張した。
「自由と民主主義がなければ、私たちには何もありません。あなたの未来は私たちの未来です」と激励したトラス元首相は、付け加えて、「台湾は自由と民主主義の灯台であり、その好景気は全世界に影響を与えている。中国は台湾の存在が中国共産党への挑戦であるため、台湾を脅している。中国共産党は台湾が現在の形で存続することを望んでいない」とし、次を続けた。
「戦車が天安門広場に突入したとき、香港で���家安全維持法が施行されたとき、そして新疆でウイグル人が迫害されたとき、自由の剥奪がもたらした結果を目の当たりにしてきたが、同じことが台湾で再び起こるはずはない。中国共産党はロシア、イラン、北朝鮮と手を組んで世界を支配しようとしている。「冷戦の再来は望まない」と主張する人もいるが、中国は「紛争を抑止するために行動することが唯一の選択肢だ」とした。
トラス元首相はさらに踏み込んで、「西側諸国には連帯責任があり、台湾のような自由民主主義国家を支援し、中国の行動の責任を追及するために全力を尽くす必要がある」と強調した。
5月18日、トラスは民進党を訪問し、頼清徳副主席と語った。
頼清徳は「台湾と英国が貿易パートナーシップを強化し、特に国家協力のための2つの基盤を確立すること」を提案した。
トラス元首相はG7に対し繰り返し台湾支援を呼び掛け、台湾は自国を守ることができるはずだと信じ、インド太平洋地域の平和と安定を維持し、台湾の危機を防ぐために民主陣営の団結と協力を呼び掛けたことに感謝の意を表した。
また、英国は最近、環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進協定(CPTPP)に参加したと述べ、台湾も参加し、自由の価値を守るために英国とより緊密な関係を築くことを非常に望んでいると述べた。
▲米国は500機の戦闘機を十日で届ける必要がある
さて同様な動きが韓国でもある。
『朝鮮日報』(5月17日)に拠れば、ソウルで開催された「アジアリーダーシップ会議(ALC)の「米国外交政策と2024年総選挙フォーラム」で、エドウィン・フェルナー(ヘリテージ財団創設者)が演説し、「国際社会が本当に警戒すべきは、サプライチェーンやその他の経済産業問題ではなく、中国の拡大し続ける軍事的脅威だ。中国が台湾に侵攻し、在韓米軍が参戦した場合、そうすれば、米国と韓国も大きな決断を下すことになるだろう。」
戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長も、「ここ数カ月、台湾に関連した問題が引き続き生じている。我々は台湾で戦争が起こるかどうか考えるべきだ」と述べ、「台湾海峡は朝鮮半島での戦争に発展するだろう。もし台湾海峡で戦争が勃発すれば、10日以内に500機の米軍機が台湾海峡に飛来するだろう。米軍機は韓国と日本からも離陸する可能性がある」と深刻な状況を警告した。
ヘリティジ財団もCSISもワシントンの政策決定に強力な影響力をもつシンクタンクである。
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台湾修学旅行(1日目①)
「冬季到台北来看雨🎶〜」(冬は台北に雨を見に来てください)という歌にもあるように、秋から冬にかけて台北は雨が多いと言われています。今日も雨模様のようですが、これから4日間、その台北での修学旅行へ8クラスが2グループに分かれて関西空港を出発します。
前団の2クラスでは関空での集合時に生徒代表による挨拶があり、全員が大きな声で呼応しました。
さて、1日目の今日は、台北に到着後、九份を観光します。九份は19世紀末から20世紀初頭にかけて金鉱の町として栄えた歴史を持つ、風情ある山間の町です。金鉱が閉山して以降急速に廃れていきましたが、映画「悲情城市」の舞台となったことで一躍有名になり、再び脚光を浴びました。また、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠」のワンシーンを思い出させる風景で日本からの観光客が多い街なのです。細い坂道や階段、赤い提灯など、特に夕暮れ時には、町全体が幻想的な光に包まれるはずです。
では行ってきま〜す!
10月23日
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グランピング
2024・10・16
グランピング。これはグラマラス(豪華な)とキャンピングを組み合わせた造語で、キャンプ初心者でも気軽に快適なアウトドアを体験出来、テントやキャンプ道具を揃える必要がなく、ホテル並のサービスも提供される施設が最近増えているのだとか
ホテルの部屋から見える沢山の建物、これは大型トレーラーを改造したキャンピング施設で家族連れや若者の団体がバーベキューしたり風呂に入ったり、と気ままに過ごせる工夫がされている。その為にホテルの宿泊者は直接海岸には出られない仕組み
ロビーから一般道路へ出て暫く歩かないと海へは行けない
遊歩道は気持ちがいいけど、グランピングの前を通るので何となく気がひける。向こうに見えるのは日本最古の洋式灯台の観音岬灯台
途中に少し広いテラスがあるのが「観音崎テラス」の名前の由来かも知れないけどまあ此処まで歩いて来る人はあまりいないと思う
それより何より不便なのが風呂!部屋から物凄く遠く、一度外へ出て隣の建物へ行く、までは我慢するとして、ショックなのは殺風景な露天風呂以外は全て温泉では無い!サウナは温度が低いスチームサウナで水風呂は無し。岩盤浴は風呂から一度出て男性と同じ場所!当然私は入らない。部屋に戻って夕方の海を眺めようとベランダに出るとグランピングの若者の賑やかな笑い声が聞こえる
ホテルの印象もさる事ながら、帰りの高速道路がまた大変!ナビが古いせいもあって間違った方向に誘導され、何処もかも渋滞で景色はビルしか見えない。やっぱりドライブなら千葉より北!
まあ今回の教訓としては、あらかじめホテルのあれやこれやをちゃんと下調べをする事、特に食事に関しては予約時にしっかり嫌いな物を伝える事。せっかく腕を奮ってくれたシェフには申し訳ない事でした。ゴメンナサイ🙏
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夏休みの宿題
七里長浜は、今日も変わり映えのしない景色が広がっている。どこまで行っても砂、砂、砂。寄せては引く、波、波、この繰り返し。祖母の家からほとんど毎日、浜へ遊びに出掛けた。泳ぐわけでもなく、ただ漠然と浜風に当たった。海はどこまでも海だった。水平線の右手に、ぽちりと小島が浮かんでいる。500メートル先には灯台があって、その背後に権現崎が見えている。遠く左手の彼方には、岩木山がとんがっていた。あとは空と海、他に何もない。
夏休みの自由研究なんかよくやってくるもんだと、毎年思っていた。K藤M子は県境に住んでいるのをいいことに、交通量と他県ナンバーの割合を調べて発表していた。道路端に椅子など置いて、正の字でも書きながら一日中座っていたのならたいしたものだ。M尾Y久はプラナリアの研究を発表した。ナメクジを平らにつぶしたような水中生物を飼い、切ったり貼ったりして再生能力に関する実験結果をまとめていた。とても同級生の発想とは思えない。
不意に足元を見る。貝殻や砂利とは違う、鮮やかな赤が目に留まる。親指の爪ほどの大きさのそれは、プラスチックなどでは決してなく、確かに石ころなのだった。目を凝らすと、ラムネ色のガラス、貝殻の欠片も見える。もとは鋭くとんがっていたものが波に現れ流されるうち、まあるくなった。角がとれたそれらは、手のひらの窪みに収まってなんだか優しい。そんな欠片を集めて標本につくった。わたしの自由研究なんてその程度だ。
提出物が苦手だった。通信簿に書かれても直らなかった。反省も努力もしないくせに、出来るやつがうらめしかった。要領のいい奴はきっと、はじめに片づけるんだ。計画的な奴は、ページ数を日数で割って最終日でやり終えるように計算するんだろう。やり残すことなどひとつもない。あるのは達成感と高評価だ。後悔は、やらない連中のためにある。その証拠に、夏休みの宿題をやり残した気持ちに襲われることが、未だにある。
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2024白化の記録(9)・9/11
全記録はこちら
水温
29度台。この10日は28度に下がることもなく、30度後半に上がることもなく、安定して29度後半くらいです。
もう9月なので水温は下がります。これは温暖化とか関係なく地軸の傾きの問題なので下がります。
海面水温の30度ラインは一時期北朝鮮&伊豆まで上がっていましたが(◎_◎;) 今は奄美大島まで下がっています。
もう今から30度後半にはならないでしょう。
しかし台風が来なければ緩やかに下がるため、29度以上が9月末まで続いてしまいます。それではサンゴの死亡率が上がるなぁ
やっぱり台風・・・。
概要
水温が29度台では、もう劇的に白化が進行しません。
現在元気なサンゴ、薄色があまり進んでいないサンゴは、高水温に強い白化しにくいサンゴ、または、水温が上がりにくい場所のサンゴです。これらはもう大丈夫です。9月だし、もう逃げ切り決定です。
白化しやすいサンゴ(トゲサンゴやハマサンゴ被覆型のサンゴ)、白化が進み薄色が進んでいるすでに弱っているサンゴは29度でも白化が緩やかに進行しています。
29度では褐虫藻が帰ってくる温度ではありません。すでに白いサンゴは、絶食状態です、その期間が長くなります。すぐ死なないサンゴでもだんだん限界を迎えてきています。
今後29度以上が1日長くなれば、サンゴの死亡率は少し上がります。
8月に起きたようにミドリイシが面で一気に白くなるようなことはもう起きませんが、弱ったサンゴが地味に少しづつ死んでいく状態です。
台風・秋で水温28度になるまでは続くでしょう。
詳細
最も白化しやすい場所、新田などの水深1mのリーフは98%死亡済み。もう白はありません。藻が付き緑か黒。でもこんなところでもなぜか少数生きてるんだよなぁ~。
白化しやすく弱い種、トゲサンゴは。白化しやすい場所は99.9%死亡済み。5m以内は全域で、80~90%死亡済み。5m以上の場所も50%は死にそう。10m以上は生き残っているものが多いが、今そのゾーンが緩やかにまだ白化進行している状態。
今僕が心配なのはショウガサンゴです。薄色になりながら多量には死んでいなかったのですが、ここにきて藻が生えてきました、耐えられなかったのでしょう。大量死はしないで欲しいけど、今からの10日が勝負かも?
白化しやすいけど強い種、ハマサンゴや被覆型のサンゴ、ハマサンゴは青いけどまぁ余り死なない。被覆型サンゴで���くなりながら生きていたものが絶食期間が長くなり、浅場を中心に死に出しています。かなり増えてきました。心配ですが死亡率はまだ不明。藻が付かないと生き返るか死ぬのかわからないので10月にならないと死亡率ははっきりしません。
アナサンゴモドキが白化がひどく大量死です。浅場は全域でほとんど死にそう。ウフタマは白化が進んでいる場所なので水深10mでも80%以上死にそう。アダン前はまだ色が残ってたりするので50%くらい死ぬあたりで止まってほしいな。
イソギンチャクも一気に白化しました。白化しても死なないけど。
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今の焦点は、水深3~5mのミドリイシ、ハナヤサイサンゴなどが死ぬかどうかです。ここはサンゴのボリュームゾーンですし、レジャー的にも目立つゾーンです。
29度でこの種はもう劇的に白化は進行しません。
今元気なものはもう大丈夫です。
弱ったもの、その中でもチリメンハナヤサイサンゴや枝状のミドリイシが緩やかに白化進行しました。
白化の進行の速い場所、灯台下、シル東、ウフタマ、新田の洞窟などはこのゾーンもミドリイシ・ハナヤサイサンゴ。8月後半から29度なので水深1mゾーンのようには全面純白にまでは進行しませんでした。全滅はしません。良かった良かった~~でも50%以上は死ぬでしょう。割合は、今からの状況次第。
他の場所、アダン前、イボイボサンゴ、阿真ビーチ、宇論の崎、嘉比前などは・・・弱ったものが徐々に死んでいってます。8月中、薄色化は進んでいるが頑張っているからまだまだ死なない~と言っていた奴らが徐々に死んでいってます。
死亡率20%程度で収まるんじゃないかと期待してましたが、台風来ないので、30%になりそうです。それでも大半は大丈夫ですけどね。
一気に純白になって劇的に死んでいくのではなく、薄色が長く続き、その薄色のまま、端っこから、下から、藻に覆われて少しづつ死んでいきます。
Acropora verweyサンゴの産卵でも使うサンゴです。薄色になりながら頑張ってるなぁと見ていたら今、薄色のままどんどん藻に覆われていきます。半分死んじゃった・・・。こういうのが今多いですね。
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展望
9/10、もう水温下がります。今粘って29度キープ状態ですが、もうすぐです。
28度になれば、もう進行はしません。
その後は弱ったものが死んでしまうか、復活するかに分かれます。白化したサンゴはいずれ死ぬか復活するかで白化したままの物などありません。
それがはっきりするのは10月以降ですね。
1mの浅場や白化の進行が早い場所は、かなりひどいなぁと思います。皆さんが次潜っても、「あら、変わっちゃったなぁ~」とすぐわかると思います。新田の洞窟part2はもうポイントではなくなりました。シル東も最後に遊ぶ浅場がだめですアカネダルマが住む場所がありません、使いにくくなりました。
座間味の内海は、まぁ大半のミドリイシは生き残る訳でそこまで激変はしません。皆さんは来年見ても気づかないかも?トゲサンゴが大半なくなり、今ショウガサンゴが減りつつあります。ガイドの仕方は変わっちゃいますね。
もちろん10m以上のミドリイシやハナヤサイサンゴはほとんど生き残ります。阿真牛瀬などはトゲサンゴ以外は90%健全のままです。佐久原漁礁の10mのサンゴも白化したハマサンゴが目立ちますが大きく変わらないでしょう。
まぁ1998年を超えると言われてる白化としては、そして台風が少なかったことを加味すれば・・・かなり頑張ったんじゃないかなぁと思います。
他の地域の情報を見る限りましな方なのかなぁ?とは思います。
現在、座間味はステージ3と4の境目です。まぁ実際はそんなにひどくありませんが、計測データではこうなっています。これはいずれ現実になります。
座間味は運よく1998年以来の白化です。
石垣は1998,2016,2022,2024と4回目の大規模白化です。この10年で3回です。すでに常態化しています。
今の石垣は明日の座間味です。
僕も残りのダイビング人生は短くなりました。でも、またこのような白化に会うんだろうなぁと思います。数年以内にね・・・。
そしていずれ、34度になったシミラン諸島や去年のフロリダのような白化が起きるんだと思います。
34度後のシミラン諸島にはいきました。今沖縄で起きているサンゴの白化はあくまで弱い所、弱い種が中心です。まぁ死に方のレベルが違いました。強い種キクメイシ、ユビエダハマサンゴでさえ深場まで全域ですべてが全滅してました。何も残っていません、イソバナだけ残ってたな。いずれ、そういうのも来ちゃいます。
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溜まったやつは全放出!
これで最後だ&追加ネタだ!! 写真は後ほど追加します!!!!!!!!
・下北半島一周の話 ・バイクのヘルメットの話 ・水筒の話 ・竜飛岬の補足(階段国道とか) ・ようやく複利投資を始めた話 ・弘前城の桜を見た話 ・青森の日本海側をちょびっと行った話 ←これ ・クレカのポイント特典がしょぼくなった話
というわけでようやく溜めてたやつを全部消化。 まぁ書けてないネタはまだあるので、そっちもいずれ……
よし、最後またバイクで青森県内うろうろした話!!
◯青森の日本海側をちょびっと行った話
青森県に来てから半年以上経ちましたが、バイクでちょくちょく観光には回ってるけど、日本海側ってほとんど行ってないんですよね。じゃあ太平洋側行ってるのかっていうとそうでもないんだけど。。。とりあえず、日本海側は全然行ってなかったので、行ってきました。4月と5月にとりあえず1回ずつ。行ったのは、十三湖と千畳敷です。ちなみに十二湖もあります。白神山地の近くまずは4月。十三湖は汽水湖だったかな。しじみが有名なでっかい湖です。昔はもっと湖が大きかったらしいですが。この日はバイクで行ったんですが、ちょうど花粉全盛期に行ったせいで死にかけてました。花粉やばすぎ。道の駅でしじみラーメン食べようとしてたのに、花粉の症状が全く改善しなかったので泣く泣く諦めました。で、そのあとは近くをバイクでぶらぶらしつつそのまま南下。近く、でもないけど比較的近傍にあった高山稲荷神社に行きました。ここは千本鳥居があります。ちなみに京都生まれ京都育ちのくせに伏見稲荷には行ったことがないので、比較はできません。まぁとりあえず、こんな感じかーって体験がてら行きました。ぼちぼち人がいたけど、そこまで沢山じゃなかったので助かりました。やっぱこのくらいよな……。 次に5月。どこらへん行こうかなーって職場で話してると千畳敷の話が出てきたので、せっかくだし行ってみるかってことで向かいました。全く潮の満ち引きのこと調べてなかったけど、比較的潮が引いてるタイミングだったのでいい感じ��見れました。飯もついでに食べたので、2時間近くいたけど、だんだん潮が満ちてきて行こうと思ってたところがいけなくなったりはしたけど、とりあえず楽しみました。ただ、ちょっと見た目のインパクトには欠けるかなーって感じ。今の所、見た目のインパクトは仏ヶ浦が一番です。恐山もいい感じだったけど。この日は千畳敷以外はいってないですね。ちなみに千畳敷へ向かう途中に日本一のイチョウの木がありました。秋はすごいらしいですね。まぁ木は大きかった。またその時期に行こうかな。大人だと何気なくいっても経験として楽しめるけど、子供の頃にここ連れられても記憶に残るかなとちょっと思いつつも、まぁそんなの俺には関係ないや!と思ったくらいです。 終わり!
とするのはアレなので、そのままバイクでいろいろ行った話ね。追加というか日記
◯久々にバイクに乗った話+α
上の千畳敷行ったのち、2ヶ月ぶりにバイクに乗りました。5月に乗ってから、いろいろあって乗ってませんでした。単純に休日に動くのが面倒だっただけなんですけどね。6月はまーまじでなんもしてねえ。7月になってからさすがにそろそろ一回くらい乗らないとなって危機感もって適当に目的決めて走りました。まぁ暑かったけど結果的には正解でしょ!で、目的。とりあえずそこまでしっかり決めてた訳じゃないんだけど、夏泊半島行こうかなと。どこだよって話ですよね! 青森の真ん中で湾に向かってちょこっともっこりしてるところです!まぁ何かがあるって訳じゃないんですけどね。家からちょうどいい距離だったから行ってみた、くらいです。行った結果、まじで特に何かある訳じゃなかった! もう少し調べてからいってもよかったかな! で、次。実は青森県には知られざる有名なB級スポットがあるの知ってますか?知られざる、なのに有名ってなんだよって話ですが。そう、キリストの墓ですね。知ってる人はあぁ……、ってなる、知らない人は、は?ってなる、実にいい具合のB級スポットです。行った結果、うーん、B級感はんぱねぇ〜! 絶妙なこの感じサイコ〜!!って感じです。ただ伝承館という名前の資料館が500円もするのはちょっとあれだったな。半額でしょあれは… で、だいたいやること終わったしいいかなと思って帰路。ほんとはキリストの墓関連でパワースポットにも行こうかなと思ったんだけど、思いのほか暑くて疲れてたから諦めました。スマホに自宅までのルート設定して帰ってる中で途中で気づきました。ここ八甲田のアレのルートじゃね!?とという訳で来ました八甲田旧陸軍の八甲田演習の話は聞いたことある人も多いのかなと思います。ちなみにこっちは300円しなかった。値段設定逆でしょ! むしろこっち500円くらいとれよ!! このあと一度通り過ぎて後藤伍長の像まで行きました。ぐるりと周りみて思ったのは、ここ冬で閉ざされた時に歩くの無理っしょ!って感想。ぜったい吹雪いて死ぬ・・・としか思えんかったね その日の分はおわり!で、一度バイク乗るとまた乗りたくなるんですよね。という訳で8月に入っても速攻バイク乗りました。場所はどこへ? 下北半島の端っこです。そう、下北半島で行けてなかった尻屋崎に行ってきました。みちのく有料道路という有料道路も去年の暮れにETC対応したし、バイクに優しい(路面を除く)有料道路になったので、せっかくだしこれに乗って行くか!と。この有料道路自体は去年も乗ってるんだけどね…。小銭出すのに手間取って渋滞を作りだす男!いえーい で、尻屋崎へ。青森市からはそれなりに時間かかります。暑いのも相まって、休憩多めにしないとなぁと思いつつ移動。結局途中休憩一回、コンビニで休憩したくらいだけど、こういう時のファミマのフラッペは最高です。ちなみに尻屋崎って何があるの?って話なんですけど。何があると思いますか?何もないんですけどね。馬がいるくらいしか事前情報取ってなかったので特に何も気にすることなく行きました。尻屋崎に向かってる途中。え、ここって採石場あんの!? って感じのでっかい工場が登場。写真撮りたかったなぁ…… と言ってる側から馬がいるエリアに到着。馬を逃がさないようにするためにゲートで管理しています。ゲートを通って間もないうちに馬エリア到着。ちなみに灯台もありました。灯台あったんだ…初耳……ところでここ、灯台の手前にトイレと駐車場があるんだけど、これ以降に車とか停めるとこがないかと思って停めちゃってたけど、普通に駐車場あります。灯台とちょっとしたお店用のが。 まぁその辺みて終わり。たいして感動はなかったな……。一番驚いたのが採石場あった事実だし……
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星辰選集
花鳥誌 令和6年2月号
令和5年11月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
人心の萎え青山の風死せり 藤枝 昌文 炎帝は茂吉の墓に居座れり 加納 佑天 天近き牧牛の背や雲の峰 古川 時江 夏蝶の影夏蝶の見当たらず 栗原 和子 夕立の沖を見てゐる海人ひとり 続木 一雄 獣臭少し黒部の草いきれ 馬場 省吾 縁日やうすものゝ母追ひ越さず 天野 かおり
虚ろてふ同じ形の蟬の殻 田丸 千種 一本の扇子に偲ぶ大女将 赤川 誓城 滝しぶき刹那刹那をつなぎゆく 平山 邦子 みんみんが鳴けば縁日近づき来 竹内 はるか 土壁の昏きへくぐる夏暖簾 緒方 愛 振り向かず何も語らず黒日傘 渡辺 炳子 思ひの外長く連れ添ひ夕端居 久保 光子
迷界の灯蛾喧噪に見失ふ 田中 惠介 哀惜を問へば紅なるダリア 岡田 順子 炎帝にまとひつかれし絵画館 崎島 六甲 星影の密なる遠さ長崎忌 佐藤 ゆう子 しやがみ込む金魚すくひの子の背中 平出 紀花 奔放で供花ともならず猫じやらし 藤森 荘吉 海猫帰るための汽笛の流れゆく 大江 三郎
空蟬や土の記憶を抱いてをり 田上 喜和 露座仏の肩にどしりと盆の月 鈴木 月惑 くの字に寝大の字に寝て宿浴衣 奥 清女 シャンデリア墜ちてはじまる夏舞台 古賀 睦子 さびしきは杭の河鵜にある序列 杉原 久美子 隅田川祭りの翳を流しをり 高山 八草 灯籠に火を入れる母衣を正す 野田 勝利
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1.電力 石川県で、約23,000戸の停電が発生。余震の影響により新たな停電箇所も発生。現在の停電は、送電線や変電所によるものはなく、配電設備の損傷によるもの。北陸エリアでの供給力は確保できている状況。 北陸電力では、災害対策本部を設置し、3600人体制で、情報収集及び復旧に向けた作業を実施しており、特に、中能登町以北において、他社応援部隊(関西、中部、東京、東北)を含め、現在、人員約960人、作業車両(電源車、高所作業車等)約580台で対応。 志賀町、七尾市は進入困難箇所を除き、復旧済み。能登町、���水町は、復旧工事が一定程度進展。一方、輪島市、珠洲市は、配電設備の被害が甚大であり、道路損壊により作業が難航。このため、停電の続く避難所を優先して、配電線復旧重点工事に加え、電源車での代替供給を開始済。また、現場のニーズを踏まえて対応していくため、輪島市、珠洲市、能登町、穴水町と北陸電力、当省との電力供給ミーティングを立ち上げ。 北陸電力管内の七尾大田火力発電所(石炭、1号50万kW・2号70万kW)では、地震により稼働中であった1号・2号が停止。富山新港発電所(石炭、25万kW×2)の1号・2号の出力が50万kWから30万kWへ低下しているが、30万kWの運転を継続中。 ○東北電力管内 停電解消済 ○北陸電力管内 石川県23,200戸(輪島市 約9,800戸、珠洲市 約7,400戸、能登町 約3,200戸、穴水町 約2,600戸、七尾市 約120戸 他) 2.ガス 都市ガスについて、ガス製造事業者、一般ガス導管事業の被害・供給支障については解消。 ・INPEX直江津LNG基地の安全確認作業を完了し送ガスを再開済。 ・日本海ガス(富山県、27件)について供給再開済。 ・金沢エナジーにおいて、石川県金沢市内の121戸について供給再開済。 ガス小売事業(簡易ガス)の被害状況は以下のとおり。 ◆供給再開済 ・石川県河北郡津幡町1か所(245戸) ・同金沢市1か所(36戸)※土砂崩れによる立入禁止場所の住宅を除く。 ・同河北郡内灘町1か所(72戸) ・同羽咋郡志賀町1か所(20戸) ・同羽咋郡宝達志水町1カ所(24戸) ・同珠洲市1カ所(66戸) ◆地盤が悪いことが判明したため復旧作業停止中 ・石川県鳳珠郡能登町1カ所(40戸) 熱供給事業については、現時点で、供給支障はなく、被害情報もなし。 LPガスについて、福井県あわら市で、1か所埋設供給配管が損傷しガスが漏えいしたが、処置を行い漏えいは止まっている。 3.高圧ガス・火薬類 高圧法及び石災法に係る設備について、現時点で、大きな被害情報なし。(LPガス・アンモニア等の高圧ガスの漏えい等が5件(富山県1件、石川県4件)、原油の微量漏洩が2件(新潟県2件)発生したが対処済み、コンビナート地域において小規模な火災が1件(新潟県1件)発生したが鎮火済み。いずれも人的被害及び場外への影響は生じていない。) 現時点で、鉱山及び火薬関係での被害情報なし。 4.製油所・油槽所、SS 油槽所については陸上出荷を再開済み。出荷再開の目処が立っていない油槽所1カ所について、近隣油槽所からの応援配送を実施。 SSについて、現時点で確認されている情報は以下の通り。 (新潟県、富山県、石川県、福井県 ※震度5強以上の地域) ◆営業可能(給油・配送可能):973件(うち石川県129件) ◆営業停止(給油・配送不可): 31件(うち石川県16件) ◆通常営業時間外のため状況確認中: 131件(うち石川県29件) ※営業停止には、定休日・避難指示によるものを含む。 5.物資 物資供給について、関係事業者・業界団体と連携し、現地に向け輸送を実施。 物資例:毛布、トイレットペーパー、携帯・簡易・仮設トイレ、消毒液、段ボールベッド、石油ストーブ、灯油 他 6.工業用水 富山県の工業用水道事業において、漏水により 供給支障(受水企業1社)が発生しており、復旧検討中。 7.製造業、中小企業 石川県を中心とした北陸三県に加え新潟県などの幅広い地域における産業の主要な生産拠点を持つ企業と地場の企業、それらから影響を受けうるセットメーカーなどに対し被害情報等を収集。建物や設備の損傷等の被害が多数発生しているが、情報収集を行った企業のうち約8割は再開又は順次生産活動を再開する見込み。残り2割は被害の詳細を確認中、あるいは復旧に向けた準備を進めている段階。 災害救助法の適用を受けた新潟県、富山県、石川県及び福井県の県又は適用地域(47市町村)に対し、1月4日(木曜日)までに、 (1)中小企業関係団体等による特別相談窓口の開設 (2)災害復旧貸付の実施 (3)セーフティネット保証4号の適用 (4)既往債務の返済条件緩和等への柔軟な対応の要請 (5)小規模企業共済災害貸付の適用等の初動措置を発動。 <災害救助法の適用地域>(1月4日16時00分時点) ・新潟県(14市町村) 新潟市、長岡市、三条市、柏崎市、加茂市、見附市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、佐渡市、南魚沼市、三島郡出雲崎町 ・富山県(13市町村) 富山市、高岡市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、南砺市、射水市、中新川郡舟橋村、中新川郡上市町、中新川郡立山町、下新川郡朝日町 ・石川県(17市町村) 金沢市、七尾市、小松市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市、河北郡津幡町、河北郡内灘町、羽咋郡志賀町、羽咋郡宝達志水町、鹿島郡中能登町、鳳珠郡穴水町、鳳珠郡能登町 ・福井県(3市町村) 福井市、あわら市、坂井市 8.その他 経済産業省では、1月1日(月曜日)16:10に災害連絡室を設置。 1月1日(月曜日)23:22に経済産業省非常災害対策本部を設置。 1月2日(火曜日)9:58に第1回経済産業省非常災害対策本部会議を実施。 1月2日(火曜日)早朝より、中部近畿産業保安監督部北陸産業保安監督署の職員1名及び中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局の職員1名を北陸電力対策本部に派遣済み。また、中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局の職員2名を石川県庁へ派遣済み。 1月2日(火曜日)夕方に、経済産業省より職員3名を石川県庁へ派遣。3日(水曜日)より12名を、4日(木曜日)より2名を石川県庁及び県内被災自治体へ追加派遣。さらに5日(金曜日)より12名を交代要員として石川県内被災自治会へ派遣。 1月3日(水曜日)に第2回経済産業省非常災害対策本部会議を実施。 1月4日(木曜日)に第3回経済産業省非常災害対策本部会議を実施。 1月5日(金曜日)に第4回経済産業省非常災害対策本部会議を実施。 1月6日(土曜日)に第5回経済産業省非常災害対策本部会議を実施。 担当 大臣官房広報室長 加賀 担当:栗原、山岡、小西、佐々木、隈江 電話:03-3501-1511(内線 2276) メール:bzl-kokunai-houdou★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。
令和6年能登半島地震に伴う被害について(1月6日(土曜日)14:00時点) (METI/経済産業省)
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過去日記「Novel」からのメッセージ
Wednesday 22 January 2014
坐禅会に行く時間と学校に行く時間はほぼ同じ早朝5時。昨年3月坐禅を始める時にハルオは、考えた。坐禅も良し、そして坐禅を習慣付けて夜型生活を朝型生活に切り替えようと。学校の授業をもっと大切に組んで行こうと。それまでのハルオは、長年夜型生活をしていた。深夜2時、3時は当たり前だった。東京の学校の授業スタートは、朝9:20から。その時間に間に合う為には、御殿場から出発する高速バスを朝6:20の始発に乗らなければならなかった。
今朝は、昨日と同じく禅寺の都合で坐禅会は、お休み。今年に入って増々坐禅修行に取組もうと決意したハルオは、のっぴきならない理由がない限り坐禅会に毎朝参加することを義務づける様にしていた。しかし今日は、坐禅会も休みで学校もあった。茶畑庵から車に乗って御殿場まで進むと雪舞っていた。裾野と御殿場間では、断然御殿場の方が標高高いので雪が降り易い。ハルオは、慎重にドライブをした。道路が凍結したり雪で視界が覆われたりするからだ。
ハルオは、5:50の高速バスに乗った。昨年秋頃からダイヤ改正があり始発は、6:20から30分繰り上げられていた。余裕を持って東京に行かないといつ何時東名高速内で事故や渋滞に巻き込まれ予定時間を狂わされるのを防ぐ為だった。今朝は順調に進みバスは、7:30すぎに新宿に到着した。ハルオは、時間つぶしにマクドナルドに入ってコーヒーとソーセージマフィンを注文し喫煙席を選んでカウンター席に座った。窓の外は、左右に忙しなく人々が歩いていた。この時ハルオは、気付いた。ポケットWIFIの電源部を忘れたことを。それがないとリチャージが出来ないからバッテリーが1日持たない。いつもならインターネットをして時間を潰すハルオだったがWIFIの電源を切って読書に切り替えた。今ハルオが読んでいる本は、「参禅入門」大森曹玄著。1964年、ハルオが生まれた年に出版されたこの本は、読書が苦手なハルオにも読み易い本だった。
新宿駅から市ヶ谷駅まで総武線を使って市ヶ谷の学校まで、電車はいつも混んではいない。学校に着くとジャックダニエルのウィスキーをパロッた音楽イベントの張り紙がエレベーターの横に見た。ハルオは、以前レギュラーで仕事をしていた雑誌を思い出した。今日の授業は、いつもと違い合同プレゼンテーションの日だった。卒業制作を終えた生徒の作品を生徒1人1人プレゼンして行く。プレゼンテーションの会場となる教室に入ると生徒の数は少ない印象を受けた。ハルオは、中央の一番奥の席に座った。それには理由があった。自分の生徒がプレゼンをしたら記録として動画を録りたかったからだ。用意してあった三脚をキャリーバッグから取り出しカメラをセットしようとするとハルオは、又やってしまったと後悔した。三脚のクイックシューを忘れてしまった。静岡と東京の行き来を5年間続けているハルオだがいつも何かしら忘れ物をする自分が嫌だった。にも拘らずまたその過ちを犯してしまった。ただ過ちと言っても旅にトラブルは付き物でそのトラブルをどう知恵を働かせるというのも大事だなと1人納得して済ますハルオもいる。今回は、三脚の上にカメラを置いて手で落下を押さえる様にすることにした。16人の生徒が次々と指名されプレゼンテーションを行った。同世代の女性のポートレイト、卒業後移住する母島の生活のドキュメント、台湾からの留学生は、台湾の古い町並みを撮り、宮崎県の口蹄疫問題で29万頭の牛や豚が殺傷された地元を撮った生徒、巨大物が怖いとその巨大物たる建築物を撮った作品、、、、、様々な作品が紹介された。このプレゼンを真摯に受け止めプレゼン内容の紙に書いて来てる生徒もいれば行き当たりばったりでプレゼンする生徒もいる。後者の方が多く感じた。ハルオは、少しばかりそれで気分が悪かった。そしてハルオにも生徒から意見を求められてハルオは、答えた。「考えること、感じること、その意識を忘れないこと」ハルオは、そうメッセージを送った。メッセージを送っても生徒に受信機がなければ受信ことが出来ない。受信機がなくても時にはメッセージを送り続けることは大切だとハルオは、過去の経験から知っていた。ただハルオは、自分にその資格があるのだろうか?とも自問しながら。
学校が終ると急いでハルオは、市ヶ谷駅に小走りで向かった。今日は、Uさんのお母さんの告別式だった。告別式の会場は、大森駅からタクシーで10分ほどの臨海���場だった。ハルオは、急ぐとろくなことがなかった。電車に乗り次は飯田橋駅と知った瞬間「あれれ逆方向?」と乗る方向を間違えたと勘違いをして飯田橋駅で下車。そして逆方向の電車にまた乗った。そしてまた実は間違えていなかったと気付き四谷駅で降りてまた最初の方向の電車に乗車。それは、自分が水道橋駅から乗っていると思ったからだった。水道橋駅には、ハルオのオフィスがありその習慣が仇となった。御陰で臨海斎場までの道のりは遠のいた。大森駅に着いたらまずはバスに乗ろうと考えていたがこのタイムロスとバスの時刻表をネットで見たらバスがこの時間運行していないと知る。タクシーしか手段はないと悟りタクシーに急いで乗り込む。
斎場に到着した時は、告別式の全ての行事が終わっていた。ハルオは、遺影の前で手を合わせて故人のご冥福を祈った。その遺影は、ハルオが撮影した写真だった。昨年Uさんの姪っ子さんが結婚をされた時ハルオは撮影を担当した。その結婚式にUさんのお母さんも参列していた。向き合ってのポートレイトではなくあくまでもスナップショットだったので目線は横を向いていたが遺影の写真として評判が良かった。やはり昨年ハルオの友人のお父上が亡くなりその時も以前ハルオが撮った写真が遺影に使われ、その友人から「ハルオ君は、遺影写真家になれる」と言われていた。奇しくもその機会がまたやって来てしまった。ハルオは、自分が撮影した写真が人の役に立つのなら本望と心の中で思っていた。斎場を後にしUさんとそのお姉さんと3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へと移動する。
UさんとUさんのお姉さんとハルオの3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へ移動した。蒲田駅から近いその家に入ると窓の外には、地元の高校が見えた。ハルオとUさんの交流は、20年近くになるがUさんの家には初めて訪れた。つい先日まで故人が使っていた4.5畳の和室には、仏壇があった。斎場の係員が僕らの後から間もなくやって来てお骨と遺影が棚台の上に置かれた。ハルオは、再度故人の冥福を祈った。Uさんは、読書家で本棚にはハルオには縁のなさそうな本がぎっしり並べられていた。UさんもUさんのお姉さんもいつも変わりない表情で告別式の後始末をしていた。僕は、告別式の参列者に用意されたお弁当をソファに座りながら頂いた。この家には、ニーチェという名の雄猫がいる。この猫の話もUさんから何度となく聞いていた。ニーチェは、来客であるハルオを警戒してかあまり姿を見せなかった。コーヒーを飲みながら故人を偲んで思い出話をしたりUさんの少年、学生時代の古いフォトアルバムを見せてもらった。Uさんの大学時代の写真は見た事があったがその前のUさんの在りし日の姿を見たのも初めてだった。ハルオは、もしもUさんが同級生だったらどんな関係になっていたのだろうかと想像していた。悪ガキでもなく、優等生という雰囲気でもなく、生意気そうでもなかった。同じソファに座っていたUさんがニーチェをあやしているとハルオは、ニーチェを自分の膝に引き寄せてみると意外と大人しくしていた。そのニーチェにUさんは驚きiPhoneで写真を何枚か撮った。夕方5時になりハルオは、次の予定、歯医者に行けなければならなかった。Uさんは、ハルオを鎌田駅まで見送ってくれた。
ハルオは、京浜東北線で鎌田駅から品川駅まで移動した。川崎駅は、ハルオが昔付き合っていた女の子との思い出がある駅だった。あの子は、どうしているのだろうか?会いたいなと思った。そして山手線に乗り換え渋谷駅に行き、更に井の頭線に乗り換え三鷹台駅まで移動した。ハルオは、静岡に移住してからもこの三鷹台にある歯医者に通っている。ハルオは、その歯医者と信頼していた。今回あの治療は、右の奥歯の詰め物が外れてしまったからだった。治療はすぐに���ってしまい時間の予約をして新宿へと向かう。8時発の高速バスになんとか間に合いハルオは、いつもの様に後ろの方の席に落ち着いた。このバスは、超特急便で通常の特急便よりも殆どのバス停を飛ばすので時間が若干乗車時間が短く今夜のバスは順調に東名御殿場バス停に着いた。
バスから降りて駐車場まで移動したハルオは、いつもの「Today's Fashion」の撮影をすることにした。ストロボを使わずに駐車場の灯りと高感度ISOの組み合わせで撮る。カメラは、駐車場に駐輪してあった誰かの自転車のサドルの上に設置しセルフタイマーを使って10秒後に3枚が撮れる設定にして3回繰り返した。ハルオの愛車のアーティ21スペシャルのフロントガラスは、凍り付いていた。間スプレーの解氷剤を窓に吹き付け、暫くして車を走らせた。
茶畑庵��着く前にスーパーマーケットに寄りタイムオーバーで半額になった焼き鳥や刺身を夕食に買う。茶畑庵も冷えきっていた。ハルオは、1週間前Uさんから分けてもらっていた遺影用の写真をフォトフレームに入れてあったので仏壇の横に置き鈴を鳴らしてもう一度手を合わせて故人の冥福を祈った。
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今日ものんびりと
2023.11.29 「いい肉の日」。 全く関係ございません。。。
ってことで、2年ぶり登場のリピーター様と 朝のんびり気味で3ダイビング。
まずは、うねりの程度が気になった 「喜屋武岬灯台下」。 案の定、うねりが入り込んでいましたが 潜ってしまえばなんてことなく
良好な透明度の中、安定の幻想的の光景を大いに堪能!
最後は
ハマクマノミ団地にも訪れちゃいました♪
そして、午後最初は「トコマサリ礁東」にてドリフト。 が、流れが弱めで静か~に経過していましたが 終盤近くに
アオウミガメさん一個体。 この後に、どでかいハタやオニカマス(バラクーダ)の単体 と連ちゃんで登場(証拠画像はありません)。 もちろん、お約束の
イソバナ&サンゴ群もしっかりと望み、 最後は「潮崎コーラルガーデンNo.4」の 砂地を中心にま~~ったりと過ごして終了となりました。
変化に富んだ水中光景を 今日もしっかりと楽しんでいただきました。
ありがとうございます~。 また、遊びに来てくださいね。
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