#長久手カウンセラー
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自分の在り方
自分自身がどうありたいか。 一番大切な事です。 自身に対するネガティブな感情や第三者に対する憤りも感じることがあるでしょう。 先の道が、見えなくなりそうなとき 自分の在り方を確認したいですね。 感情に振り回されないようにするためには、望む姿をしっかりと自分自身に知ってもらおう。 秋の散歩は、心も身体も緩めてくれそうです。 素敵な週末をおすごしください。 くれたけ心理相談室 田中絵里
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お久しぶりで名古屋市内での#ランチ会 #名古屋 と#長久手 エリアの#カウンセラー (#コンサルタント )が対応いたします。 【日 時】3月20日(月) 12:00~ 【場 所】食堂はじめ。さん 愛知県名古屋市天白区原1-1604 市営地下鉄 原駅 1番出口より徒歩1分 原駅から64m 【参加費】ご自身のお食事代のみ ご用意ください。 【参加資格】どなたさまでも歓迎いたします。話したいカウンセラーがいましたら、お申し込みの際にリクエストくださいませ。隣席にさせていただきます。 ◎参加予定のカウンセラー #濱崎明子 カウンセラー(長久手&名古屋ルーム) #竹内嘉浩 カウンセラー(名古屋ルーム)です。 (Nagoya-shi, Aichi, Japan) https://www.instagram.com/p/CpRIK2OO9D1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別��戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、��んな音楽を聴くかなどを選べるように���思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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金網のかなの部分
その場のメンバーでなくなるということ。その場から消えるということ。今日、勤務が最後にかぶる同僚の子(というか部署で2番目にえらい先輩、19歳)が、なんと、なんと別れの品をくれた。私なんかたべっ子どうぶつしか用意できなかったのにジェラートピケの袋を渡してきて、「たいしたものじゃないんですほんとに!でも見た瞬間まんがんさんだ!て思って…見てもらったらわかると思います!」と言ってくれて…休憩中こっそり開けたら、恐竜柄のタオルハンカチだった。私が冬に恐竜柄のセーターを着まくっていたから、それを覚えていてくれたのだった。なんて…なんていい子なんだろう…。こんな17も年上の新人に優しく根気強く接してくれ、様々な事を導いてくれた先輩、最後にこんな心のこもった贈り物をくださるなんて……。彼女の人生が幸せであふれることを祈って祈って果てがない。本当に優秀な人物なので、こういう人が次代を作っていくのだろうと感じる。それはそれとして私も彼女達の世代に対して少しでもな��か益になれるようなことをし続けていきたいと思った。そして本当に私はこの職場となんの縁もない人間になるんだということがまざまざと実感せられ、急に足元に大きな暗い穴があいたように思った。おぼつかなくなる。新しい職場は決まっているし、きっとそこでもよくしてもらえるだろうという確信があるものの、今まで良くしてくれた人たちのその思いをかけてくださった分の恩を返しきれずに逃亡のごとく退職(と言うか完全に生家からの逃亡ではあるのだが)するというのは、罪悪感もあるし、なにより淋しい。ずっとずっとみんなと働いていたかった。もっと成長したかった。しかし…仕方ない!ここで学んだことをきちんと自分の礎のなかに組み込んで、これからの実務に活かすしかない。次の職場では完全に「経験者であること」が求められているので、まっさらな新人だった今回とは勝手が違う。というか前職の記憶を失いつつあるが大丈夫だろうかと不安になってきた。まあ、今回の職でもやっていることは余り変わらなかったが…(扱う品が違っただけでほぼ同じ)。肉体的な負担は今回かなり少なかったので(何せ商品が本より軽かった)、書店員に戻ったらまたどこまで疲れるのかはちょっと未知数である。この場を去る。生家を去る。そのことも意識されてきた。自分の茶碗(惰性で残されている)、湯のみ(惰性で残されている)、そういうものは、もう半恒久的に、使われることはなく、そこにずっと、置かれたままになるだろう。私は結局、私以外の3人とは、「家族」になることができなかったのかもしれない。さようなら。と思っている。ばあちゃんも認知症で随分前からもう私のことは分からないし、施設に入って会えなくなってしまった。長期休みの度に赤ん坊の頃から面倒を見ていたいとことは、彼女が19の頃に絶縁されてもう関わりもない(今頃新卒二年目だろう)。いとこの母親とは親交が深かったが、その繋がりもさすがになくなると思う。母方の人々とも、この町に帰らなければもう会うこともない。ずいぶん大人になったな、というか、そういう意味でただ歳をとったなと思う。自分を育ててくれた環境と縁が切れてくる。その頃には自分の家庭を持っていたかったものだが、残念ながらそうなっていない。ただ、偏頭痛の対策(注射)や、不眠の回復により、少し安定して働けるようになったことは本当に喜ばしい。良い医師やカウンセラーにも巡り会え、ついてる人生なんだなあと思う。この家で、私以外の3人は死ぬまで静かに楽しく暮らしていくのだろう。それはおおむね私の希望通りなので良かったと思う。本当は、社会的に考えたり、自分個人の考えとしては全然良くないと思うのだが、ただかれらにとって幸福な状態を維持できるというのは、「悪くない��という意味で良かったと思う。もうこれで本当に帰る場所はない。あとは一人でどうにかして、折れずに、やっていくしかない。不安も大きいが、まぁとりあえず、今まで通り何事も、やってみてから決める。やってみてだめだったら考える。とりあえずやる。失うものはほとんどない(私に失うものがあるとしたら、それは友人関係だと思う)。恥もプライドもとりあえず無い。のんきに生きて、できることをやる。やるべきことをやるために生きる。生きる目的があってよかったと本当に思う。生きる目的がとくにないのに、生きるための努力をしなくてはならないことを想像したら、それはとんでもない苦痛だ。
2023.6.9
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NHKスペシャル 山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~
以下、わたくしごとです。過去の経験談
息をするのも辛い 呼吸しているだけで無限の徒労 毎秒毎秒が25mプール、泳ぎきれない
筋力ない、マッスル使えない 波の浮き沈みとともに浮かぶブイみたいに息遣いとともに上下しながら、筋肉の力ではなく自然な自重の重たさとややもすると沈みかかる自然の浮力だけでのこぎりの歯を上下させてなんとか少しずつ木材を切っていくような、仕事として切るように定められた木材を切っていくような
ただただ息をしているだけ
昔から呂宋助左衛門ごっこというのがあって、激務で疲労困憊してる月曜日の朝、波打ち際に横たわりながら、上陸するでもない海に流されて溺れてしまうでもない、どっちともつかないところを疲れ果てて力もなく寄せては返すひねもす波とともに腕の先っちょとか上下しながら、それでも口開けて半眼で「ぁあぁあぁああああぁあぁぁぁぁぁ」と力無く漂うような漂着したまんまの漂流者気分で居続ける
それがもっと永遠に近い長さで、ずっと息しているだけでも辛くてそれでも惰性でずっと倒れているような生き様というのか、そんな時間、いつ終わるともしれない
極度に強い予期不安もあった 親しい人であろうと来訪者があったり、とにかく予定を組まれるともうダメ、本番恐怖症、予定を万全で果たさなきゃという期待に勝手に自分で押しつぶされてえずいて吐き倒して予定をキャンセルして脱走する、まさに本番恐怖・症 飛び込み出来てくれたほうがまだ火事場の馬鹿力で対処できる、ただし30分くらいまで、それも1日にせいぜいひとつだけ
嬉しいことも辛いことも、プラスマイナス関係なく感情の振れ幅の絶対値に応じてしんどい。再婚できた嬉しさでかえって調子悪くなってしまって、妻が自分のせいなのかと悲しげに怒ってきたこともあった
他にもさまざまにままならない強い拒否に突き動かされること多数
①
きっかけはパワハラ
もともとカミソリみたいな男だった。触るな危険。やばいやつ
そんな僕だったからこそ記者発表から何からエースプレゼンテーターとして任されていたし、難しい商品とかになると世に出るか出ないか存亡が私の双肩にかかっていたから、僕がなんとかしなければ文字通り世界が変わらないから、これが刺さる人々が僕を僕が発する声を待ってくれていたから、全宇宙が僕を待っていたから、そう思ってた
でもダブルクリックしたら安定してプレゼンを再生してくれる、みたいな扱いでどんどん「え、それやるんですか?」とエスカレートする職務。無理ですと言うと出来る出来ないじゃない、やれ、という話になり、自分もその通りだそれがプロだと思っているからそれに応じて疑問も抱かず、どんなに疑問があってもプロなんだからと自分を鎮圧軍の戦車みたいに圧殺して頭から特攻
だから予期不安、極度の本番恐怖症
ある日、足元が崩落 まさにプレゼンせんとすという瞬間、足元が崩落、必死で椅子を引っ掴んでそこに尻もち、奈落へと引き摺り込まれかかるのを椅子にしがみついてプレゼン開始、それがまさに氷山がごろんとひっくり返った瞬間、まったく裏返ってしまう自分のキャラ、見たこともない知らない自分が顔を出す。 帰宅途上、音楽という音楽が大嫌いに。なんという傲慢、なんと言う自己顕示欲、なんというマウンティング、その塊にしか聞こえない。
医者からもカウンセラーからも不治の病という診断、一生治りません
そもそも最初はきっと物理的な病気に違いないと思って神経科へ受診したけど先生の表情がどんどん怪訝になっていくので「これって精神科ですか?」って聞いたら「そりゃそうでしょう、だって原因が明らかなんだから」と。
で、行った精神科は予約不要だったけど薬を処方するばかり。とはいえ薬で結構楽になったからまだまだ仕事できると思って服用しながらエースプレゼンテーター続行。自分もそうしたかったし、自分がやるしかないんだ自分しかやれるやつがいないんだ、でもなんで結局いっつも俺一人で世界を牽引してんだよなんで俺一人しかいないんだよ
でも2年たってもある一定の線からどうしても浮上せず頭打ち。埒あかないのでセカンドオピニオンを聴きにいったら、薬とカウンセラーとを併用したほうがいいという診察になり、そっちに鞍替え
仕事もいきなり外される、それがまた衝撃。だから職場の給湯室の隅っこでよく目を両手で覆って頭を抱える。息をするのも辛い日々が始まる。
不安障害
行きつ戻りつ、揺り戻しの日々。生きていくのはなんと辛いことかと
②
一生治らないって言われたのに、結局16年半で治った
せいぜい還暦のころ寛解できてたらいいね、だったのに、寛解どころかもっと手前の年齢で16年半で本当に治った。治った原因は誰にも分からない。人事担当者によると、あれはネモさんだから治ったんだと言う。なんやそれ
徐々に治ったのでもない 最後の1年位かけて急速に浮上してった
そもそもの最初は2、3年かけて急速に悪化。そこから底を這う深海魚みたいに横ばい。時に真っ暗な海溝がぱっくり口を開けてさらに引き摺り込まれてぐんぐん沈没。揺り戻し。あらがいたいけど、あらがうこともできない。電池切れ。生きていくための電池切れ
リハビリがてら地道な仕事していると、仕事を覚えないというので先輩に怒られてさらに沈没 でも私にとって優秀になるということは再び経営陣に叩かれるという恐怖なので、優秀になることを否定しなければ生きていけない
ままならぬ、わがこころをかかえつつ しなやか、したたか、生きてゆきたき
十年近くたったころ、DAWを学んでなんやしらん作品をつくりはじめた。気分を落ち着かせるために写経するみたいな気分。でもそれは静かな生きた証でもあった。なによりもかつてensoniq VFX-SDとRoland VS-1680とで作品を作って以来、すんごく久しぶり。録音してみよう、そのためには今のメソッドとしてDAWを学ぼう、という気になったことそのものが、そもそもの進歩
そのうち経営がおかしくなり、外部からコンサルが来て社員インタビューしたいというので真っ先に僕が選ばれた。おびえて突き動かされながら言いたい放題言ったら「心が不安定かもしれませんが、おっしゃっていることは正しいです」と言われた
その数年後、1年かかって少しずつ力がもどってくるとともに同時に不安も強くなりつつも、徐々に薬を間引き、飲む間隔を伸ばし、最後に飲むのをやめたら、数日のちに坂道を転がり落ちるみたいに調子悪化。それを世間では離脱症状と呼ぶのだと後追いで知った。 やっぱダメかまた薬漬けに戻るのか結局一生これかとがっくりしたが2ヶ月かかってまた良くなってきたので、もっぺん減薬して最後にやめてみたら、今度は本当に治った
治り始めると逆の不安もあった。それまで薬という杖をついて生きてきたわけで、それが突如としてぱぁ〜ん!と取っ払われた気分。おろおろする。で、用心しながら足を踏み締めて歩く
ほんとうに治ってくると、さらに今度は妻が私に追いつけなくなってきた 弱ってる私しか知らなかった妻に対し、私はだんだん口ごたえするようにもなってきたわけだ。妻が知らない私��顔を出そうとしていて、妻は私の変化に追いつけなくなっていた
そんな難しさも逆にあった
ひたすら会話を、対話を続けるしかなかった ここまで来れたのは、妻のおかげなのだから
③
未だに治ったのが嘘じゃないかと思える あんなしんどかったのに。心もままならなかったのに
元のヤバいやつに戻るのではない。一部それを期待してる向きもあったけど、あっさり降りた。新しい自分になる。ドタキャンもできるようになった。セイフティネットが先。無駄な我慢もしなくなった笑。明鏡止水なことが増えた。 そして何よりも妻に感謝して何度も話して何度も食事にも連れてった
自分に必死すぎて16年半の記憶がほぼない。でもそれはそういうもんなんでしょう
もし職場にて「あやつは深淵から生きてかえってきよった」そう思われてるならどうぞ。仕返しはしない。でも、言わんとあかんことは今度こそはっきり言うから
④
LA在住カナディアン上司に笑顔で言ったことがある 「Like "Heaven gave me the second chance"(天は二度目の機会を与えたもうた、みたいな)」 したら笑顔で 「Yeah, and I'm happy to see your phoenix moment.(せやな、ほいであんたの不死鳥モーメントに立ち会えて嬉しいワ)」
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2024年3月19日火曜日
病院の待合室にて13
懺悔室は無くならない
私がいま抱えている悩みを、打ち明けるとしたら誰に対してするだろう?近所に友達は住んでいないから、声を使って打ち明けるなら電話になる。文章では難しい。長くなるし、返事が来るまでにやきもきしてしまう。手紙でもメールでもLINEでも。ノータイムで返事で来ることはない。声だって同じかもしれないけど、ずっと電話を繋いでおける。目を瞑っていても手は繋いでいる時のように、相手がそこにいるのはわかる。
でも携帯を手に持って、例の電話帳を開いて適当な相手を探すことは難しく、適当な相手を見つけても電話を掛けてはいけない。だって電話を掛けたって、悩みを相談することはできないのだから。
もしもし
もしもしー
久しぶりー 元気?
元気だよー どうしたのー?
んー 元気かなと思って
あとはお互いの近況報告が始まる。「久しぶりに話して楽しかったね、またね、健康に気をつけてね」までの間が、近況と脱線と雑談で埋まるだけ。勿論それだって最高に、ゾクゾクするくらい楽しいのだけど、電話を切った後に振り返ると、悩みがこちらを見て煙草を燻らせている。溜息と一緒に煙が出て来る。「俺、まだここにいるぜ?」私は両手を合わせて目を閉じる。ごめーん!やっぱり切り出せなかった!
やっぱりそういう時は懺悔室しかない。懺悔室で神父に打ち明けるしかない。でも懺悔室なんてどこにあります?見たことがない。教会の中にあるのかもしれない。でもキリスト教徒じゃないから入ったことがない。だから相談相手はAIになる。これからの世の中、相談はAIが聞きます。あと説教はポッドキャストが行います。絶対にある、説教のポッドキャスト。ポッドキャストが無かったとしてもYouTubeチャンネルはある。探してないけどあります。これは確実です。
AIは何でも聞いてくれる。こちらが打ち明けにくいことや、相手が聞いたとしても回答しづらいということ、とにかく何でも、全く聞いてくれないということは無いです。私には分かりません、ということや、全然的外れな回答をすることはあるかもしれない。でも一旦は聞いてくれます。ロード中…みたいな時間があって、考えてくれてるのかな、と思えます。
私の経験上、AIが悩み相談に回答した場合、大体に置いてはアップリフティングな回答が返ってきます。試しにChatGPTに架空の悩みを相談してみます。
相談
弟が陰謀論を信じています。弟に陰謀論を放棄させることが出来ますか?できる場合は方法を教えて下さい。
回答
陰謀論を信じている人に対して、その信念を変えるのは簡単なことではありませんが、いくつかの方法があります。
1. オープンな対話と理性的な議論: 弟と陰謀論についてオープンに対話し、証拠や科学的なデータを提供して、彼の信念が根拠の薄いものであることを示すことができます。
2. 共感と理解: 弟の信念に対して否定的に反応するのではなく、彼の不安や恐れに共感し、なぜそのような信念に至ったのかを理解しようとすることが重要です。
3. 信頼できる情報源の提供: 正確な情報や信頼できる情報源を提供し、彼が事実に基づいた情報を得る手助けをします。
4. プロフェッショナルの支援: 必要であれば、心理学者やカウンセラーといった専門家の支援を求めることも有益です。
5. 時間と忍耐: 信念の変化は時間がかかることがあります。弟との関係を大切にし、忍耐強くサポートし続けることが重要です。
ただし、一部の人は強固な信念を持っており、変化させることが難しい場合もあります。この場合は、無理に変えようとせず、弟の信念を尊重しつつも、彼の安全や福祉を守るためのサポートを提供することが重要です。
ちなみに私に弟はいません(今日現在)。ディテールを詰めてないという段階では完璧な回答ではないでしょうか。本当に困っている人がいて、この回答を見たら、明日からやってみよう!と希望が湧いてくると思います。
ひとつだけ問題があるのは、ChatGPTがどれだけ口が固いのか分からない、ということです。私が相談した内容を他に漏らすのではないでしょうか。例えば、私が犯罪を犯して、どうしようかと困っていたとします。逃げる方法や、犯罪の後始末の方法をChatGPTに訊いたとします。いつものようにアップリフティングな回答をしてくれたので、よし実行だとドアを開けたら、警察がいた。大いにありそうなことです。
だからChatGPTに相談することはできません。どんな些細なことでも、それが私にとって大事なことなら、自分で解決するしかないのです。懺悔室なら、基本的に私のことが誰か、神父には分かりません。匿名が保証されているはずです。声でバレても一応黙っといてくれるはずです。行ったこともない教会の神父にどうして全幅の信頼を置いているかは分かりませんが、そういうものなのです。あと他の人にバレた場合、ルールに違反したのは神父なので、相談の内容がさっきみたいな犯行後の行動��ついてならば私も捕まりますが、ちょっとだけ同情してもらえそうです。結論が出ました。神父は必要です。懺悔室も物置にするには早いようです。まだ使えるようにしておいてください。
私が今の悩みをChatGPTに相談したとしましょう。恐らく帰ってくるのは、自分の感情に正直に、とか、しっかり相手とコミュニケーションを取りましょう、とか、後悔しないように決断して下さい、とかそういった事でしょう。私には分かります。この程度のことを、自分でも分かってることを、誰かに言ってほしい時ってありますよね。いつも答えは簡単で単純なのに、ひとりだとこじらせてしまうのは、ひとりだからなんですよ。
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第5回 西三河ランチ会(in 安城市)
2024年最初の西三河ランチ会は、安城市で開催いたします。 柴田桃子
いつも公式サイトにご訪問いただき、ありがとうございます。 2023年1月から始まった、西三河ランチ会。この度、2024年1月のランチ会で、1年を迎えます。 5回目となる今回は、安城市で開催いたします。 ランチ会詳細 日時:1月19日(金)11時00分~場所:カフェ&ダイニング ヒラソル駐車場:有(15台) *名鉄 新安城駅より送迎可参加費:無料(食事代をご持参ください)【参加予定カウンセラー】・柴田桃子(安城支部)・田中絵里(知多支部)・青柳裕美(浜松支部)・濱崎明子(長久手支部)・竹内嘉浩代表(名古屋本部) 興味のある方、お話したい方など、どなたさまでも参加可能です。2024年最初のくれたけ心理相談室のランチ会、皆さまとご一緒できましたら幸いです。 ※エントリー等につきましては、下記ページをご確認ください。<エントリーの期限は、1月17日(水)です> ⇒西三河ランチ会ご案内
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サモ
メーベルに想いを寄せるバーの主人。登場話数は69話。
2話 ・「ここは…大人の店だからね…。こんなちっぽけなのを雇いたくないんだ…。」
19話 ・「いらっしゃい、ご注文は?」 ・「(ナックルジョーにカービィを注文されて)あいにく今切らしちゃっててねぇ…。今度来る時までに入れとくよ。」
28話 ・「(工場の内装を見て)こりゃすげぇ…。」 ・「(自動的に昼食を食べさせられて)なかなかイケる…。」 ・「ファクトリーで作ったものを貰ったぜ。」
29話 ・「何を食べるとあーなるんだ?」 ・「(ヤケドするほど辛い)それでも美味くてやめられないらしい。」
33話 ・「(拾ったフライパンで餃子を焼くと聞いて)もうカワサキの店で食べるのはよそう…。」
37話 ・「(カービィが犯罪を犯した証拠は)ないだろうけどね…。」 ・「オレもカービィには結構久そうしたなぁ…。」 ・「プププタイムス…?」
41話 ・「そりゃそうさ…彼女は人生経験豊かだからね。いや…その…。」 ・「いや、そうでもない。(メーベルの占いは)ときには驚くほど当たるよ。」 ・「(メーベルは)優れたカウンセラーってとこかな。人生相談だ、みんな未来を知りたいんじゃなく、悩みごとを聞いてもらいたいんだ。オレも、メーベルと話すだけで楽になる…。パブのマスターってのも、客の愚痴を聞くのが仕事でねぇ…ストレスが溜まる。それで彼女と波長が合うの��な~。…喋り過ぎたね。」 ・「アンタは最高の占い師じゃないか。でもメーベル…おかげで皆は満足してる…。今度はデデデを知りたいんだ。」
42話 ・「メーベル…アンタの占いはすごいよ…。それだって…水晶玉を覗くのと同じだよ…。」
47話 ・「おいおいメーベル…縁起でもないよ。」 ・「やっぱり世界の終わりかねぇ…。」
52話 ・「いや、あ、ちょっと…。いや…これは、お客さんに頼まれてね…。(メーベルにチョコカプセルから出てくるのがザコ兵士ばっかだと言われて)え、ホント?じゃあ取り換えてもらってこよ~。」 ・「(チョコカプセルを買い占めるデデデを見て)見境がなくなってる…。」
53話 ・「(ザコファイターたちを)ぶっ潰せ~。」 ・「(ファイター5人を見て)デデデしか持っていなかったんだ。」
54話 ・「やめるんだ爺さん…はた迷惑だよ。」 ・「あたたたたたたたたた…(キハーノに殴られる)。」
55話 ・「当然オレも…。2番…サモ…スナック経営。」
57話 ・「(デデデに対して)滑って転んだらどうする!」 ・「おお…噂をすれば影とやら…。」
61話 ・「うん、(デデデを)最近誰も見ないって噂だねぇ…。」 ・「デブの段階を通り越して…(完全に粗大ゴミだな)。」
62話 ・「ねぇキミたち…今の話詳しく聞かせてくれないか…?」 ・「おかわりは自由だ…好きなだけ飲んでおくれ…。その代わり…とは言っちゃなんだが…(メーベルの)占いが当たるようにイタズラしてくれるね?」 ・「責任はオレが持つ…皆は思う存分イタズラに専念してくれ。」 ・「それは…メーベルを…ちょっと応援したいだけさ…。」 ・「この調子でこれからもどんどん頼むよ…。」 ・「オレ…彼女(メーベル)の悪口を聞くのが辛くてね…。あ…このことは彼女に内緒にして。」 ・「幸せなメーベルが見たい…そんな密かな喜びを胸に抱く男が1人いるだけ…でこれも内緒ね?」 ・「悪いのは全てこのオレだ…でもメーベル…キミの評判はこのまま大切にしよう…。フーム…分かってくれ…皆はメーベルの占いは当たらないと言ってバカにしている…それを変えたいんだ…。」 ・「メーベルも権力が手に入ると変わってしまうのだろうか…。」 ・「彼女は本当に未来が見えるのか…?」 ・「(海が割れる様子を見て)メーベルの奇跡か…。」 ・「じゃ、じゃあこの奇跡は?」 ・「メーベル…心から尊敬するよ…。」
64話 ・「なんでお前(カワサキ)と…メーベルと一緒ならな…。」 ・「うーん、何だったか…(オレ見てないから知らないし…)。」 ・「(コックの)お前が思いだせないんじゃお手上げだぞ…。」 ・「おいおい、簡単じゃないか。」 ・「近いね…料理番組と間違えてない?」 ・「魔獣を呼んでるのはデデデなんだよ?」 ・「ファイアカービィだ!」
70話 ・「(トッコリは)性格ひねている、根性は曲がってる。」 ・「痛いなぁ…(トッコリに屋根を落とされる)。」
72話 ・「良いねぇ…できるバーテンダーの条件は無口なことだよ…(※ワドルディは元から喋れません)。う~ん、でも無生姜糖カクテル(?)、最高…。」
76話 ・「メーベル…恐かったらオレに掴まっていいんだよ…。」 ・「(メーベルの恐竜を見て)あぁ…キミのバージョンは魅力的だけど…。」
77話 ・「(メーベルに対して)キミの方がもっと(キレイだよ)…。」 ・「オレ…(芸術センスが)少しはあるんじゃないかな…?」
80話 ・「それにしたって料金倍はないだろ…。」 ・「(カワサキのカレーを食べて)まず…な、なんかやる気が…!」 ・「へいへい!うちも今後はパワップDカクテルしか出さないよ!」 ・「元気でないね…。パワダウンE…?こんな名前だったっけ?」
82話 ・「今どき…料理のできないヤツは男じゃない…。」 ・「ダメだなぁ…カービィだってコックになれるのに…。」 ・「(ボルン署長に何が作れるのか聞かれて)そ、それは…次のお楽しみ…あはははは。」 ・「(パームに対して)オレからもお願いですよ。」 ・「(できるのは)おつまみだけね。」 ・「(カワサキじゃ)やっぱり無理だねぇ…。」 ・「(料理道具なんて)カワサキだってロクなもん持っていない。」 ・「(料理大会に参加する)資格…?」 ・「(フードプロセッサーの様子を見て)うんうん、良い調子だ…。」
87話 ・「最近…カラスを見なくなったろ?メーベル…。」 ・「オレたちが追い払ったんだ…平和のために。」 ・「あ、メーベル…大丈夫?(ボートから落下する)」 ・「(ヤブイに対して)ハチじゃなくてスズメ!」 ・「スズメ!こう…いきなり襲ったんですよ…。」
89話 ・「メーベル…まさか…キミ…。」 ・「思い出すなぁ…。アニメ作りは結構…(楽しかったなぁ)。」 ・「アニメの作り方を…(叩き込んでやるか)。」 ・「1番サモ~。作りたいアニメはハードボイルド・メロドラマ。」 ・「恋する男と女がいる…。女はほかの男を好きになる…。男は寂しく去る…。」 ・「女は男の真心を知って波止場に駆けつける…。だが、船は出ていく…。」
90話 ・「(ボルン署長に対して)あーゆーのは逮捕しないんだ!」 ・「(暴走族の排除は)…陛下に頼もう。」 ・「メーベル…オレも戦うよ。」 ・「貯金はたいてマシンを作ったよ。勝負だ。」 ・「(ガスがいないとオレたちだけじゃ)勝てそうもない…。」
94話 ・「オレたちの未来は…。」 ・「メーベル…当たったね。」 ・「(ファンファンは)さすらいの旅かな…。」
98話 ・「メーベル…(寝言)。」 ・「カービィさえいなければ…(オレたちもひどい目に遭わなかった)。」 ・「メタナイト���…そもそも(なんでオレたちを呼んだんだ?)。」 ・「戦闘員!?」 ・「(ダ���ーニョに対して)アンタ誰…?」 ・「ちょっと戦うったって…。」
99話 ・「(レトルトだから)オレも安心して食える…ありがとう。」
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「田中絵里カウンセラーってどんな人ですか?」(くれたけ#208)
くれたけ心理相談室からカウンセラーへの今月のお題の一つ目にお答えします。 【お題】「田中絵里カウンセラーってどんな人ですか?」 田中絵里カウンセラーは、愛知県の知多・名古屋・長久手でご活躍されている私と同世代のカウンセラーさんです。 この人…、本当に…、化け物です!!笑 まず、神出鬼没! どこにでも現れます。 おそらく捕まえたくても捕まらない。 そして、彼女そのものが元気玉! いつもパワフルでエネル���ッシュ。 そのエネルギーはどこからくるの? あ、答えは分かっています。おいしい食事ですね。 とにかくグルメです。いつも美味しそうなものを食べていますね。 もちろん、カウンセラーとしても化け物です。 多忙な中、公認心理師の資格を取得されています。 本当に尊敬します。 そんなくれたけ心理相談室のドン、田中絵里カウンセラーが私は大好きです。 化け物のカウンセリング、ぜひ受け…
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くれたけ心理相談室(知多支部)ご挨拶
2023年もお世話になり誠にありがとうございました。 素敵なことも、少し、くいしばり奮闘したことも、これからのご自身にとりまして いつか凛とした花を咲かせる栄養となることと信じています。 2024年新しい年を、穏やかな気持ちで迎えられますよう願っております。 今後共精進してまいります。 くれたけ心理相談室 田中絵里
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#カウンセラー#カウンセリング#くれたけ心理相談室名古屋本部#くれたけ心理相談室知多支部#くれたけ心理相談室知多田中絵里#くれたけ心理相談室長久手作田ルーム#半田市#常滑市#愛知県カウンセリング#東海市#相談員#知多市#長久手市
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田中絵里カウンセラー(くれたけ心理相談室 知多支部 愛知県)ってどんな人?(#208)
田中絵里カウンセラーと(くれたけ心理相談室 名古屋ルームにて) Counselor’s Question:「田中絵里カウンセラーって、どんな感じの方ですか?」 思慮深くてとっても真面目な方です。そして、一緒にいると明るくて楽しい方です。 田中絵里カウンセラー(通称 エリツィン)は、愛知県知多市の新舞子にあるカウンセリングルームを拠点に、名古屋ルームや、長久手作田ルームにて心理カウンセリングの対応をしています。 また、福祉介護系専門学校の教員として、高齢者介護や障害福祉、心理分野、国家資格取得に向けた授業や、学生相談(���路、プライベート)や自己分析、社会交流に関する研修を担当しています。 そして、公認心理師として、医療連携、地域連携、家族支援、発達課題の不安のあるお子様のご相談、発達課題のあるご家族様のご相談などにご協力させていただいております。…
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#お釣りはいりません そんな言葉・・・ #昭和 以来だぁー。 にて、本来は、500円の鑑定なのにーーー。 #頑張ってたらいいことある ねー。 #長久手温泉 #ござらっせ♨️ にて。 #他とは違う本当のタロット占い は、メッセージから! 1500円より #占い #占いカウンセラー #占い師募集 #占いスクール受講生募集中 #占い瀬戸 #新瀬戸 #新瀬戸駅前 #瀬戸市役所前 #藤が丘#占い尾張旭#電話鑑定やってます #浮気 #ダメ男に復讐する方法 #恋愛相談室 #不倫#復縁#忘れられない#片思い#転職#家族#子育て#悩み#悩み解決 (長久手温泉ござらっせ) https://www.instagram.com/p/Ccpg_vKpYoR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【TikTokデビュー♪】 《くら寿司🍣えび11皿🍤》 本日もネタが盛りだくさんの1日! 朝5時に起床。 1時間湯船で整う🛁 7時からホテルで顧問先は オンラインコンサル。 朝の合間時間に 17LIVEのリスナー活動をしようとしたら、 間違えて知らない人のガーディアンになってしまいました! これも何かのご縁なので、 応援したいと思います♪ ガーディアンになった方はハロウィン仮装をしていたミュージックライバーの @yosseyuchino さん🎸♬ ハロウィン気分になれて楽しかったです! 僕もハロウィンパーティーの時は何の仮装をしようか考えておきます🤵 打ち合わせのラウンジへ ホテルから徒歩5分だけ移動。 朝9時半から閉店まで 渋谷エスタシオンカフェでミーティング🤵 ↓ •ビルの火災保険調査会社経営者 ビルの持ち主はコメントください! •心理カウンセラーの重田さん いつもありがとうございます! •哲学者の @minoru_akakura41 さん 舩津さんご紹介ありがとうございます。 •元防衛省、元外務省の@ambassadorkiyo さん モテモテ良いですね💝 •シンガーソングライターの @riryyyy25 さん🎶ジャスミン似合う✨ •営業代行の鈴木健さん。お互いより時間持ちになっていこう! •ヴィーガン&グルテンフリーのタルト屋さんの @arktera さん 紹介したパティシエさんをよろしくお願いします🧁 •TikTokアドバイザーの 藤原こうすけさん!TikTokデビュー応援よろしく♪ •明るくフットワーク軽い会社員の柴﨑さん フットワークの軽さは素晴らしいです🏃♂️ カフェが閉店する21時頃までミーティング。 本日も個性豊かで、 素晴らしい方々と打ち合わせが出来ました! ミーティング中にTikTokデビューしました! 藤原さんに教えてもらって、編集頑張りました! 『ryosuke shimizu minimalist』 というアカウントです! 皆さん!TikTokアプリのダウンロード&アカウントフォローお願いします🎵 打ち合わせ後、、夕飯はどうしようと、、、17LIVEをしながら悩んでました、、 ふと目の前に、くら寿司があったので ここに決定! 視聴者さんの要望通りえび11皿を注文しました🦐 甘エビを11皿にしようと思ったのですが、 4皿注文した段階で、 甘エビが売り切れてしまいました🥲 ということで他のエビにすることに🍤 甘エビ 生エビ エビを注文🍤 9名でグルコのLIVE配信をしながらひたすらエビを食べました! 9名の配信なのにエビ11皿に注目が集まりました🦐 ワサビ好きなので、ワサビをたくさん乗せちゃいます。 刺激的な食事は最高に幸せです。 その後、 間違えて予約してしまったホテルへ宿泊することに! 昨日久しぶりにお酒を飲んだから酔ってしまったのか、、、 前日に間違えて予約してしまった東急REIホテルに泊まることになりました。 昨日と同じホテル🏨 キャンセルはできたのですが、ホテル暮らしなので、まぁ、いいか。 ホテルに到着。 ホテル暮らしのミニマリストは 毎回、ホテルマンに何を注文しているのでしょうか? ↓ ↓ •電波と景色が良い部屋をお願いします。 •iPhone充電器、延長コード、ズボンプレッサー、アイロン、ヘアストレートアイロンを貸してください。 •洗濯機と乾燥機はどこですか? こんな感じでホテルを上手く活用しています! ホテルマンへ質問してみると案外、要望に応えてくれることもあります。 ホテル暮らしの潔癖症が 部屋に到着して まずなにをやるでしょうか? ↓ 『お風呂へGO🛀』 その後湯船1時間以上♨️ 本日は3時間♨️ お部屋は毎日掃除されていて綺麗なので、 絶対に綺麗にしておきたいです。 特に床とベッド。 衛生的なお部屋の方が快適ですよね? お風呂を出て、部屋の壁に映し出しされたAmazon prime鑑賞をしながら就寝💤 おやすみなさい🌙 次回! 『歯医者さんとのMTGで影響されてオフィスホワイトニングデビュー🦷✨』 #日本一周 #手ぶらで日本一周 #スーツで日本一周 #スーツ #TikTok #ティックトック #tiktokデビュー #tiktok初配信 #初配信 #sns #sns初心者 #くら寿司 #回転寿司 #寿司 #鮨 #渋谷グルメ #エビ #えび #🦐 #🍤 #早起き #朝型 #朝型人間 #世界遺産 #ジャイアンツコーズウェイ #イギリス #uk #アイルランド #北アイルランド #northernireland (渋谷駅 渋谷周辺) https://www.instagram.com/p/CViBfkgvdDR/?utm_medium=tumblr
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【小説】The day I say good-bye (3/4)【再録】
(2/4)はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/647000556094849024/)
「あー、もー、やんなっちゃうよなー」
河野帆高はシャーペンをノートの上に投げ出しながらそう言って、後ろに大きく伸びをした。
「だいたいさー、宿題とか課題って意味がわからないんだよねー。勉強って自分のためにするもんじゃーん。先生に提出するためじゃないじゃーん。ちゃんと勉強してれば宿題なんて出さなくてもいいじゃーん」
「いや、よくないと思う」
「つーか何この問題集。分厚いくせにわかりにくい問題ばっか載せてさー。勉強すんのは俺らなんだから、問題集くらい選ばせてくれたっていーじゃんね」
「そんなこと言われても……」
僕の前には一冊の問題集があった。
夏休みの宿題として課されていたものだ。その大半は解答欄が未だ空白のまま。言うまでもないが、僕のものではない。帆高のものだ。どういう訳か僕は、やつの問題集を解いている。
その帆高はというと、また別の問題集をさっきまでせっせと解いていた。そっちは先日のテストが終わったら提出するはずだったものだ。毎回、テスト範囲だったページの問題を全て解いて、テスト後に提出するのが決まりなのだ。帆高はかかとを踏み潰して上履きを履いている両足をばたつかせ、子供みたいに駄々をこねている。
「ちゃんと期限までにこつこつやっていればこんなことには……」
「しぬー」
「…………」
つい三十分前のことだ。放課後、さっさと帰ろうと教室で荷物をまとめていた僕のところに、帆高は解答欄が真っ白なままの問題集を七冊も抱えてやってきた。激しく嫌な予感がしたが、僕は逃げきれずやつに捕らえられてしまった。さすが、毎日バスケに勤しんでいる人間は、同じ昼休みを昼寝で過ごす僕とは俊敏さが違う。
帆高は夏休みの課題を何ひとつやっていなかった。テスト後に提出する課題も、だ。そのことを教師に叱責され、全ての課題を提出するまで、昼休みのバスケ禁止令と来月の文化祭参加禁止令が出されたのだという。
それに困った帆高はようやく課題に着手しようと決意したらしいが、僕はそこに巻き込まれたという訳だ。一体どうして僕なのだろうか。そんな帆高だが、この間のテストでは学年三位の成績だというので、教師が激怒するのもわかるような気がする。
「…………どうして、保健室で勉強してるの」
ベッドを覆うカーテンの隙間から頭の先を覗かせてそう訊いてきたのは、河野ミナモだった。帆高とは同じ屋根の下で暮らすはとこ同士だというが、先程から全くやつの方を見ようとしていない。
そう、ここは保健室だ。養護教諭は今日も席を外している。並んだベッドで休んでいるのは保健室登校児のミナモだけだ。
「教室は文化祭の準備で忙しくて追い出されてさ。あ、ミナモ、俺にも夏休みの絵、描いてよ。なんでもいいからさ」
帆高は鞄からひしゃげて折れ曲がった白紙の画用紙を取り出すと、ミナモへ手渡す。ミナモはしばらく黙っていたが、やがて帆高の方を見もしないまま、画用紙をひったくるように取るとカーテンの内側へと消えた。
帆高が僕の耳元で囁く。
「こないだ、あんたと仲良くなったって話をしたら、少しは俺と向き合ってくれるようになったんだ。ミナモ、あんたのことは結構信頼してるんだな」
へぇ、そうだったのか。僕がベッドへ目を向けた時、ミナモは既にカーテンを閉め切ってその中に閉じこもってしまっていた。耳を澄ませれば鉛筆を走らせる音が微かに聞こえてくる。
「そう言えば、あんたのクラスは文化祭で何やんのー?」
「なんだったかな……確か、男女逆転メイド・執事喫茶?」
「はー? まじでー?」
帆高はけらけらと笑った。
「男女逆転ってことは、あんたもメイド服とか着る訳?」
「……そういうことなんじゃない?」
「うひゃー、そりゃ見物だなーっ!」
「あんたのとこは?」
「俺のとこはお化け屋敷」
それはまた無難なところだな。こいつはお化けの恰好が似合いそうだ、と考えていると、
「そういやさ、クラスで思い出したんだけど、」
と帆高は言った。
「あんたのとこ、クラスでいじめとかあったりする?」
「さぁ、どう��ろ……。僕はよく知らないけど」
いじめ、と聞いて思い出すのは、あーちゃんのこと、ひーちゃんのこと。
「な��か三組やばいみたいでさー。クラスメイト全員から無視されてる子がいるんだってさ」
「ふうん」
「興味なさそうだなー」
「興味ないなぁ」
他人の心配をする余裕が、僕にはないのだから仕方ない。
そうだ、僕はいつだって、自分のことで精いっぱいだった。
「透明人間になったこと、ある?」
あの最後の冬、あーちゃんはそう僕に尋ねた。
あーちゃんは部屋の窓から、遠い空を見上げていた。ここじゃないどこかを見つめていた。どこか遠くを、見つめていた。蛍光灯の光が眼鏡のレンズに反射して、その目元は見えなかったけれど、彼はあの時、泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
僕はその時、彼が発した言葉の意味がわからなかった。わかろうともしなかった。その言葉の本当の意味を知ったのは、あーちゃんが死んだ後のことだ。
僕は考えなかったのだ。声を上げて笑うことも、大きな声で怒ることも、人前で泣くこともなかった、口数の少ない、いつも無表情の、僕の大事な友人が、何を考え、何を思っていたのか、考えようともしなかった。
透明人間という、あの言葉が、あーちゃんが最後に、僕へ伸ばした手だった。
あーちゃんの、誰にも理解されない寂しさだった。
「――くん? 鉛筆止まってますよ?」
名前を呼ばれた気がして、はっとした。
いけない、やつの前で物思いにふけってしまった。
「ぼーっとして、どした? その問題わかんないなら、飛ばしてもいいよ」
いつの間にか帆高は問題集を解く作業を再開していた。流れるような筆致で数式が解き明かされていく。さすが、学年三位の優等生だ。問題を解くスピードが僕とは全然違う。
「……この問題集、あんたのなんだけどね」
僕がそう言うと帆高はまたけらけらと笑ったので、僕は溜め息をついてみせた。
「最近はどうだい? 少年」
相談室の椅子にふんぞり返るように腰を降ろし、長い脚を大胆に組んで、日褄先生は僕を見ていた。
「担任の先生に聞いたよ」
彼女はにやりと笑った。
「少年のクラス、文化祭で男がメイド服を着るんだろう?」
「…………」
僕は担任の顔を思い浮かべ、どうして一番知られてはいけない人間にこの話をしたのだろうかと呪った。
「少年ももちろん着るんだろ? メイド服」
「…………」
「最近の中学生は面白いこと考えるなぁ。男女逆転メイド・執事喫茶って」
「…………」
「ちゃんとカメラ用意しないとなー」
「…………先生、」
「せんせーって呼ぶなっつってんだろ」
「カウンセリングして下さい」
「なに、なんか話したいことあるの?」
「いや、ないですけど」
「じゃあ、いーじゃん」
「真面目に仕事して下さい」
そもそも、今日は日褄先生の方から、カウンセリングに来いと呼び出してきたのだ。てっきり何か僕に話したいことがあるのかと思っていたのに、ただの雑談の相手が欲しかっただけなんだろ���か。
「昨日は市野谷んち行ってきた」
「そうですか」
「久しぶりに会ったよ、あの子に」
僕は床を見つめていた目線を、日褄先生に向けた。彼女は真剣な表情をしている。
「……会ったんですか、ひーちゃんに」
日褄先生のことを嫌い、その名を耳にすることも口にすること嫌い、会うことを拒み続けていた、あのひーちゃんに。
「なーんであの子はあたしを見ると花瓶やら皿やら投げつけてくるのかねぇ」
不思議だ不思議だ、とちっとも不思議に思っていなそうな声で言う。
「あの子は、変わらないね」
ありとあらゆるものが破壊され、時が止まったままの部屋で、二度と帰ってくることのない人を待ち続けているひーちゃん。
「あの子はまるで変わらない。小さい子供と同じだよ。自分の玩具を取り上げられてすねて泣いているのと同じだ」
「……ひーちゃんをそういう風に言わないで下さい」
「どうしてあの子をかばうんだい、少年」
「ひーちゃんにとって、あーちゃんは全てだったんですよ。そのあーちゃんが死んだんです。ショックを受けるのは、当然でしょう」
「違うね」
それは即答だった。ぴしゃりとした声音。
暖かい空気が遮断されたように。ガラス戸が閉められたように。
世界が遮断されたかのように。
世界が否定されたかのように。
「少年はそう思っているのかもしれないが、それは違う。あの子にとって、直正はそんなに大きな存在ではない」
「そんな訳、ないじゃないですか!」
「少年だって、本当はわかっているんだろ?」
「わかりません、そんなこと僕には――」
僕を見る日褄先生の目は、冷たかった。
そうだ。彼女はそうなのだ。相変わらずだ。彼女はカウンセラーには不向きだと思うほど、優しく、そして乱暴だ。
「少年はわかっているはずだ、直正がどうして死んだのか」
「…………先生、」
「せんせーって呼ぶなって」
「僕は、どうすればよかったんですか?」
「少年はよく頑張ったよ」
「そんな言葉で誤魔化さないで下さい、僕はどうすれば、ひーちゃんをあんな風にしなくても、済んだんですか」
忘れられない。いつ会っても空っぽのひーちゃんの表情。彼女が以前のように笑ったり泣いたりするには、どうしても必要な彼はもういない。
「後悔してるの? 直正は死んでないって、嘘をついたこと」
「…………」
「でもね少年、あの子はこれから変わるつもりみたいだよ」
「え……?」
ひーちゃんが、変わる?
「どういう、ことですか……?」
「市野谷が、学校に行くって言い出したんだよ」
「え?」
ひーちゃんが、学校に来る?
あーちゃんが帰って来ないのにどうして学校に通えるの、と尋ねていたひーちゃんが、あーちゃんがいない毎日に怯えていたひーちゃんが、学校に来る?
あーちゃんが死んだこの学校に?
あーちゃんはもう、いないのに?
「今すぐって訳じゃない。入学式さえ来なかったような不登校児がいきなり登校するって言っても、まずは受け入れる体勢を整えてやらないといけない。カウンセラーをもうひとり導入するとかね」
「でも、一体どうして……」
「それはあたしにもわからない。本当に唐突だったからね」
「そんな……」
待つんじゃなかったのか。
あーちゃんが帰って来るまで、ずっと。
ずっとそこで。去年のあの日で。
「あたしは、それがどんな理由であろうとも、あの子にとって良いことになればそれでいいと思うんだよ」
日褄先生はまっすぐ僕を見ていた。脚を組み替えながら、言う。
「少年は、どう思う?」
僕の腕時計の針が止まったのは、半月後に文化祭が迫ってきていた、九月も終わりの頃だった。そしてそれに気��いたのは、僕ではなく、帆高だった。
「ありゃ、時計止まってるじゃん、それ」
「え?」
帆高の課題は未だに終わっておらず、その日も保健室で問題集を広げて向き合っていた。何気なく僕の解答を覗き込んだ帆高が、そう指摘したのだ。
言われて見てみれば、今は放課後だというのに、時計の針は昼休みの時間で止まっていた。ただいつ止まったのかはわからない。僕は普段、その時計の文字盤に注意を向けることがほとんどないのだ。
「電池切れかな」
「そーじゃん? ちょっと貸してみ」
帆高がシャープペンシルを置いて手を差し出してきたので、僕はそっと時計のベルトを外し、その手に乗せる。時計を外した手首の内側がやつに見えないように気を付ける。
黒い、プラスチックの四角い僕の時計。
僕の左手首の傷を隠すための道具。
帆高はペンケースから細いドライバーを取り出すと、文字盤の裏の小さなネジをくるくると器用に外していた。それにしてもどうして、こんな細いドライバーを持ち歩いているんだろうか、こいつは。
「あれ?」
問題集のページの上に転がったネジを、なくさないように消しゴムとシャーペンの間に並べていると、文字盤裏のカバーを外した帆高が妙な声を上げる。
そちらに目をやると、ちょうど何かが宙を舞っているところだった。それは小さな白いものだった。重力に逆らえるはずもなく、ひらひらと落下していく。帆高の手から逃れたそれは、机の上に落ちた。
「なんだこれ」
それは紙切れだった。ほんとうに小さな紙切れだ。時計のカバーの内側に貼り付いていたものらしい。僕はそれを中指で摘まんだ。摘まんで、
「…………え?」
摘まんで、ゴミかと思っていた僕はそれを捨てようと思って、そしてそれに気が付いた。その小さな紙切れには、もっと小さな文字が記されている。
図書室 日本の野生のラン
「……図書室?」
どくん、と。
突然、自分の心臓の鼓動がやけに耳に響いた。なぜか急に息苦しい気分になる。嫌な胸騒ぎがした。
――うーくん、
誰かが僕の名を呼んでいる。
「どうした?」
僕の異変に気付いた帆高が身を乗り出して、僕の指先の紙を見やる。
「……日本の野生のラン?」
――うーくん、
僕のことを呼んでいる。
「なんだこれ? なんかの暗号?」
暗号?
違う、これは暗号じゃない。
これは。
――うーくん、
僕を呼んでいるのは、一体誰だ?
「日本の野生のラン、図書室……」
考えろ。
考えろ考えろ考えろ。
これは一体、どういうことだ?
――うーくん、
知っている。わかっている。これは、恐らく……。
「図書室……」
今になって?
今日になって?
どうしてあの日じゃないんだ。
どうしてあの時じゃないんだ。
これはそう、きっと最後の……。
――うーくん、この時計あげるよ。
「ああ……」
耳鳴り。世界が止まる音。夏のサイレン。蝉しぐれ。揺れる青色は空の色。記憶と思考の回路が全て繋がる。
「あーちゃんだ…………」
「英語の課題をするのに辞書を借りたいので、図書室を利用したいんですけど、鍵を借りていってもいいですかー?」
帆高がそう言うと、職員室にいた教師はたやすく図書室の鍵を貸してくれた。
「そういえば河野くん、��だ宿題提出してないんだって? 担任の先生怒ってたわよ」
通りすがりの他の教師がそう帆高に声をかける。やつは笑って答えなかった。
「じゃー、失礼しましたー」
けらけら笑いながら職員室を出てくると、入口の前で待っていた僕に、「じゃあ行こうぜ」と声をかけて歩き出す。僕はそれを追うように歩く。
「ほんとにそうな訳?」
階段を上りながら、振り返りもせずに帆高が問いかけてくる。
「なにが?」
「ほんとにさっきのメモ、あんたの自殺した友達が書いたもんなの?」
「…………恐らくは」
僕が頷くと、信じられないという声で帆高は言う。
「にしても、なんだよ、『野生の日本のラン』って」
「『日本の野生のラン』だよ」
「どっちも同じだろー」
放課後の校内は文化祭の準備で忙しい。廊下にせり出した各クラスの出し物の準備物やら、ダンボールでできた看板やらを踏まないようにして図書室へと急ぐ。途中、紙とビニール袋で作られたタコの着ぐるみを着た生徒とすれ違った。帆高がそのタコに仲良さげに声をかけているところを見ると、こいつの知り合いらしい。こいつにはタコの友人もいるのか。
この時期の廊下は毎年混沌としている。文化祭の開催時期がハロウィンに近いせいか、クラスの出し物等もハロウィンに感化されている。まるで仮装行列だ。そんな僕も文化祭当日にはクラスの女子が作ってくれたメイド服が待っている。まだタコの方がましだった。
がちゃがちゃ、と乱暴に鍵を回して帆高は図書室の扉を開けてくれた。
閉め切られた図書室の、生ぬるい空気が顔に触れる。埃のにおいがする。それはあーちゃんのにおいに似ていると思った。
「『日本の野生のラン』って、たぶん植物図鑑だろ? 図鑑ならこっちだぜ」
普段あまり図書室を利用しない僕を帆高がひょいひょいと手招きをした。
植物図鑑が並ぶ棚を見る。植物図鑑、野山の樹、雑草図鑑、遊べる草花、四季折々の庭の花、誕生花と花言葉……。
「あっ…………た」
日本の野生のラン。
色褪せてぼろぼろになっている、背表紙の消えかかった題字が僕の目に止まった。恐る恐る取り出す。小口の上に埃が積もっていた。色褪せていたのは日に晒されていた背表紙だけのようで、両側を園芸関係の本に挟まれていた表紙と裏表紙には、名前も知らないランの花の写真が鮮やかな色味のままだった。ぱらぱらとページをめくると、日本に自生しているランが写真付きで紹介されている本。古い本のようだ。ページの端の方が茶色くなっている。
「それがなんだっつーんだ?」
帆高が脇から覗き込む。
「普通の本じゃん」
「うん……」
最初から最後まで何度もページをめくってみるが、特に何かが挟まっていたり、ページに落書きされているようなこともない。本当に普通の本だ。
「なんか挟まっていたとしても、もう抜き取られている可能性もあるぜ」
「うん……」
「にしても、この本がなんなんだ?」
腕時計。止まったままの秒針。切れた電池。小さな紙。残された言葉は、図書室 日本の野生のラン。書いたのはきっと���あーちゃんだ。
――うーくん、この時計あげるよ。
この時計をくれたのはあーちゃんだった。もともとは彼の弟、あっくんのものだったが、彼が気に入らなかったというのであーちゃんが僕に譲ってくれたものだ。
その時彼は言ったのだ、
「使いかけだから、電池はすぐなくなるかもしれない。でもそうしたら、僕が電池を交換してあげる」
と。
恐らくあーちゃんは、僕にこの時計をくれる前、時計の蓋を開け、紙を入れたのだ。こんなところに紙を仕込める人は、彼しかいない。
にしてもどういうことだろう、図書室 日本の野生のラン。この本がなんだと言うのだろう。
てっきりこの本に何か細工でもしてあるのかと思ったけれど、見たところそんな部位もなさそうだ。そもそも、本を大切にしていたあのあーちゃんが、図書室の本にそんなことをするとは思えない。でもどうして、わざわざ図書室の本のことを記したのだろう。図書室……。
「あ……」
図書室と言えば。
「貸出カード……」
本の一番後ろのページを開く。案の定そこには、貸出カードを仕舞うための、紙でできた小さなポケットが付いている。
中にはいかにも古そうな貸出カードが頭を覗かせている。それをそっと手に取って見てみると、そこには貸出記録ではない文字が記してあった。
資料準備室 右上 大学ノート
「……今度は資料準備室ねぇ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、帆高は面倒そうに言う。
「一体、なんだって言うんだよ」
「……さぁ」
「行ってみる?」
「…………うん」
僕は本を棚に戻す。元通り鍵を閉め、僕らは図書室を後にした。
図書室の鍵は後で返せばいいだろ、という帆高の発言に僕も素直に頷いて、職員室には寄らずに、資料準備室へ向かうことにした。
またもや廊下でタコとすれ違った。しかも今度は歩くパイナップルと一緒だ。なんなんだ一体。映画の撮影のためにその恰好をしているらしいが、どんな映画になるのだろう。「戦え! パイナップルマン」と書かれたたすきをかけて、ビデオカメラを持った人たちがタコとパイナップルを追いかけるように速足で移動していった。
「そういえばさ、」
僕は彼らから帆高へ目線を移しながら尋ねた。
「資料準備室、鍵、いるんじゃない?」
「あー」
「借りて来なくていいの?」
「貸して下さいって言って、貸してくれるような場所じゃないだろ」
資料準備室の中には地球儀やら巨大な世界地図やら、あとはなんだかよくわからないものがいろいろ入っている。生徒が利用することはない。教師が利用することもあまりない。半分はただの物置になっているはずだ。そんな部屋に用事があると言ったところで、怪しまれるだけで貸してはくれないだろう。いや、この時期だし、文化祭の準備だと言えば、なんとかなるかもしれないけれど。
「じゃ、どうする気?」
「あんたの友達は、どうやってその部屋に入ったと思う?」
そう言われてみればそうだ。あーちゃんはそんな部屋に、一体何を隠したというのだ。そして、どうやって?
「良いこと教えてやるよ、――くん」
「……なに?」
帆高は僕の名を呼んだのだと思うが、聞き取れなかった。
やつは唇の端を吊り上げて、にやりと笑う。
「資料準備室って、窓の鍵壊れてるんだよ」
「はぁ……」
「だから窓から入れるの」
「資料準備室って、三階……」
「ベランダあんだろ、ベランダ」
三階の廊下、帆高は非常用と書かれた扉を開け��。それは避難訓練の時に利用する、三階の全ての教室のベランダと繋がっている通路に続くドアだ。もちろん、普段は生徒の使用は禁止されている。と思う、たぶん。
「行こうぜ」
帆高が先を行く。僕がそれを追う。
日が傾いてきたこともあり、風が涼しかった。空気の中に、校庭の木に咲いている花のにおいがする。空は赤と青の絵具をパレットでぐちゃぐちゃにしたような色だった。あちこちの教室から、がやがやと文化祭の準備で騒がしい声が聞こえてくる。ベランダを歩いていると、なんだか僕らだけ、違う世界にいるみたいだ。
「よいっ、しょっと」
がたんがたんと立て付きの悪い窓をやや乱暴に開けて、帆高がひょいと資料準備室の中へと入る。僕も窓から侵入する。
「窓、閉めるなよ。万が一開かなくなったらやばいからな」
「わかった」
「さて、資料準備室、右上、大学ノート、だったっけ? 右上、ねぇ……」
資料準備室の中は、物が所せましと置かれていた。大きなスチールの棚から溢れ出した物が床に積み上げられ、壊れた机や椅子が無造作に置かれ、僕らの通り道を邪魔している。どんな物にも等しく埃が降り積もっていて、蜘蛛の巣が縦横無尽に走っている。
「右上っちゃー、なんのことだろうな」
ズボンに埃が付かないか気にしながら、帆高が並べられた机の間を器用にすり抜けた。僕は部屋の中を見回していると、ふと、棚の中に大量のノートらしき物が並べられているのを見つけた。
僕はその棚に苦労して近付き、手を伸ばしてノートを一冊取り出してみる。
「……昭和六十三年度生徒会活動記録」
表紙に油性ペンで書かれた文字を僕が読み上げると、帆高が、
「生徒会の産物か」
と言った。
「右上って、この棚の右上ってことじゃないかな」
「ああ。どうだろうな、ちょっと待ってろ」
帆高は頷くと、一番下の段に足をかけて棚によじ登ると、最上段の右側に置いてあるノートを無造作に二十冊ほど掴んで降ろしてくれた。それを机の上に置くと、埃が空気に舞い上がる。ノートを一冊一冊見ていくと、一冊だけ、表紙に文字の記されていないノートがあった。
「それじゃね?」
棚からぴょんと飛び降りた帆高が言う。
僕はそのノートを手に取り、表紙をめくった。
うーくんへ
たったそれだけの、鉛筆で書かれた、薄い文字。
「……これだ」
次のページをめくる。
うーくんへ
きみがこれを読む頃には、とっくに僕は死んでいるんだろうね。
きみがこのノートを手に取ってくれたということは、僕がきみの時計の中に隠したあのメモを見てくれたということだろう? そして、あの図書室の本を、ちゃんと見つけてくれたということだろう?
きみがメモを見つけた時、どこか遠いところに引っ越していたり、中学校を既に卒業していたらどうしようかと、これを書きながら考えているけれど、それはそれで良いと思う。図書室の本がなくなっていたり、このノートが捨てられてしまったりしていたらどうしようかとも思う。たとえ、今これを読んでいるきみがうーくんではなかったとしても、僕はかまわない。
これでも考えたんだ。他の誰でもなく、きみだけが、このノートを手に取る方法を。
これは僕が生きていたことを確かに証明するノートであり、これから綴るのは僕が残す最後の物語なのだから。
これは、僕のもうひとつの遺書だ。
「もうひとつの、遺書……」
声が震えた。
知らなかった。
あーちゃんがこんなものを残しているなんて知らなかった。
あーちゃんがこんなものを書いているなんて知らなかった。
彼が死んだ時、僕はまだ小学校を卒業したばかりだった。
あーちゃんは僕にメモを仕込んだ腕時計をくれ、それを使い続け、電池が切れたら交換すると信じていた。僕が自分と同じこの中学校に通って、メモを見て図書室を訪れると信じていた。あの古い本が破棄されることなく残っていて、貸出カードの文字がそのままであると信じていた。この部屋が片付けられることなく、窓が壊れたままで、ノートが残っていることを信じていた。
なによりも、僕がまだ、この世界に存在していることを信じていた。
たくさんの未来を信じていたのだ。自分はもう、いない未来を。
「目的の物は、それでいーんだろ?」
帆高の目は、笑っていなかった。
「じゃ、ひとまず帰ろうぜ。俺の英語の課題、まだ終わってない」
それに図書室の鍵も、返さなくちゃいけないし。そう付け加えるように言う。
「それは後でゆっくり読めよ。な?」
「……そうだね」
僕は頷いて、ノートを閉じた。
うーくんへ
きみがこれを読む頃には、とっくに僕は死んでいるんだろうね。
そんな出だしで始まったあーちゃんの遺書は、僕の机の上でその役目を終えている。
僕は自分の部屋のベッドに仰向けに寝転がって、天井ばかりを眺めていた。ついさっきまで、ノートのページをめくり���あーちゃんが残した言葉を読んでいたというのに、今は眠気に支配されている。
ついさっきまで、僕はその言葉を読んで泣いていたというのに。ページをめくる度、心が八つ裂きにされたかのような痛みを、繰り返し繰り返し、感じていたというのに。
ノートを閉じてしまえばなんてことはない、それはただの大学ノートで、そこに並ぶのはただの筆圧の弱い文字だった。それだけだ。そう、それだけ。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ「それだけ」であるという事実だけが、淡々と横たわっている。
事実。現実。本当のこと。本当に起こったこと。もう昔のこと。以前のこと。過去のこと。思い出の中のこと。
あーちゃんはもういない。
どこにもいない。これを書いたあーちゃんはもういない。歴史の教科書に出てくる人たちと同じだ。全部全部、昔のことだ。彼はここにいない。どこにもいない。過去のこと。過去のひと。過去のもの。過去。過去そのもの。もはやただの虚像。幻。夢。嘘。僕がついた、嘘。僕がひーちゃんについた、嘘。あーちゃんは、いない。いない。いないいないいない。
ただそれだけの、事実。
あーちゃんのノートには、生まれ育った故郷の話から始まっていた。
彼が生まれたのは、冬は雪に閉ざされる、北国の田舎。そこに東京から越してきた夫婦の元に生まれた彼は、生まれつき身体が弱かったこともあり、近所の子供たちとは馴染めなかった。
虫捕りも魚釣りもできない生活。外を楽しそうに駆け回るクラスメイトを羨望の眼差しで部屋から見送る毎日。本屋も図書館もない田舎で、外出できないあーちゃんの唯一の救いは、小学校の図書室と父親が買ってくれた図鑑一式。
あーちゃんは昔、ぼろぼろの、表紙が取れかけた図鑑をいつも膝の上に乗せて熱心に眺めていた。破けたページに丁寧に貼られていたテープを思い出す。
学校で友達はできなかった。あーちゃんはいつもひとりで本を読んで過ごした。小学校に上がる以前、入退院を繰り返していた彼は、同年代との付き合い方がわかっていなかった。
きっかけは小さなことだった。
ひとりの活発なクラスメイトの男の子が、ある日あーちゃんに声をかけてきた。
サッカーをする人数が足りず、教室で読書をしていた彼に一緒に遊ばないかと声をかけてきたのだ。
クラスメイトに声をかけられたのは、その時が初めてだった。あーちゃんはなんて言えばいいのかわからず黙っていた。その子は黙り込んでしまったあーちゃんを半ば強引に、外に連れ出そうとした。意地悪をした訳ではない。その子は純粋に、彼と遊びたかっただけだ。
手を引かれ、引きずられるようにして教室から連れ出される。廊下ですれ違った担任の先生は、「あら、今日は鈴木くんもお外で遊ぶの?」なんて声をかける。あーちゃんは抵抗しようと首を横に振る。なんとかして、自分は嫌なことをされているのだと伝えようとする。だけれどあーちゃんの手を引くそのクラスメイトは、にっこり笑って言った。
「きょうはおれたちといっしょにサッカーするんだ!」
ただ楽しそうに。悪意のない笑顔。害意のない笑顔。敵意のない笑顔。純粋で、率直で、自然で、だから、だからこそ、最も忌むべき笑顔で。
あーちゃんの頭の中に言葉が溢れる。
ぼくはそとであそびたくありません。むりやりやらされようとしているんです。やめてっていいたいんです。たすけてください。
しかしその言葉が声になるよりも早く、先生はにっこり笑う。
「そう。良かったわ。休み時間はお外で遊んだ方がいいのよ。本は、おうちでも読めるでしょう?」
そうして背を向けて、先生は行ってしまう。あーちゃんの腕を引く力は同い年とは思えないほどずっと力強く、彼の身体は廊下を引きずられていく。
子供たちの笑い声。休み時間の喧騒。掻き消されていく。届かない。口にできない言葉。消えていく。途絶えていく。まるで、死んでいくように。
あーちゃんは、自分の気持ちをどうやって他者に伝えればいいのか、わかっていなかった。彼に今まで接してきた大人たちは、皆、幼いあーちゃんの声に耳を傾けてくれる人たちばかりだった。両親、病院の医師や看護師。小さい声でぼそぼそと喋るあーちゃんの言葉を、辛抱強く聞いてくれた。
自分で言わなければ他人に伝わらないということも、幼いあーちゃんは理解していなかった。どうすれば他人に伝えればいいのか、その方法を知らなかった。彼は他人との関わり方がわからなかった。
だからあーちゃんは、持っていた本で、さっきまで自分が机で読んでいた本で、ずっと手に持ったままだったその分厚い本で、父親に買ってもらった恐竜の図鑑で、その子の頭を殴りつけた。
一緒に遊ぼう、と誘ってくれた、初めて自分に話しかけてくれたクラスメイトを。
まるで自然に、そうなることが最初から決まっていたかのように、力いっぱい腕を振り上げ、渾身の力で、その子を殴った。
あーちゃんを引っ張っていた手が力を失って離れていく。まるで糸が切れた人形のように、その子が倒れていく。形相を変えて駆け寄って来る先生。目撃した児童が悲鳴を上げる。何をやっているの、そう先生が怒鳴る。誰かに怒鳴られたのは、初めてだった。
倒れたその子は動かなかった。
たった一撃だった。そんなつもりではなかった。あーちゃんはただ伝えたいだけだった。言葉にできなかった自分の気持ちを、知ってほしいだけだった。
その一撃で、あーちゃんの世界は木っ端微塵に破壊された。
彼の想いは、誰にも届くことはなかった。
その子の怪我はたいしたことはなく、少しの間意識を失っていたけれど、すぐに起き上がれるようになった。病院の検査でも異常は見つからなかった。
あーちゃんの両親は学校に呼び出され、その子の親にも頭を下げて謝った。
あーちゃんはもう、口を開こうとはしなかった。届かなかった想いをもう口にしようとはしなかった。彼はこの時に諦めてしまったのだ。誰かにわかってもらうということも、そのために自分が努力をするということも。
そうしてこの時から、彼は透明人間になった。
「ママがね、『すずきくんとはあそんじゃだめよ』って言うの」
「うちのママも言ってた」
「あいつ暗いよなー、いっつも本読んでてさ」
「しゃべってもぼそぼそしてて聞きとれないし」
「『ヨソモノにろくなやつはいない』ってじーちゃん言ってた」
「ヨソモノって?」
「なかまじゃないってことでしょ」
あーちゃんが人の輪から外れたのか、それとも人が離れていったのか。
あーちゃんはクラスの中で浮くようになり、そうしてそれは嫌がらせへと変わっていった。
眼鏡。根暗。ガイジン。国に帰れよ。ばーか。
投げつけられる言葉をあーちゃんは無視した。まるで聞こえていないかのように。
あーちゃんは何も言わなかった。嫌だと口にすることはしなかった。けれど、彼の足は確実に学校から遠ざかっていった。小学二年生に進級した春がまだ終わり切らないうちに、あーちゃんは学校へ行けなくなった。
そしてその一年後に、あーちゃんは僕の住む団地へとやって来た。
笑うことも、泣くことも、怒ることもなく。ただ何よりも深い絶望だけを、その瞳に映して。ハサミで乱暴に傷つけられた、ぼろぼろのランドセルを背負って。
彼のことを、僕が「あーちゃん」と呼んでいるのはどうしてなんだろう。
彼の名前は、鈴木直正。「あーちゃん」となるべき要素はひとつもない。
あーちゃんの弟のあっくんの名前は、鈴木篤人。「あつひと」だから、「あっくん」。
「あっくん」のお兄さんだから、「あーちゃん」。
自分でそう呼び始めたのに、僕はそんなことまでも忘れていた。
思い出させてくれたのは、あーちゃんのノート。彼が残した、もうひとつの遺書。
あーちゃんたち一家がこの団地に引っ越して来た時、僕と最初に親しくなったのはあーちゃんではなく、弟のあっくんの方だった。
あっくんはあーちゃんの三つ年下の弟で、小柄ながらも活発で、虫捕り網を片手に外を駆け回っているような子だった。あーちゃんとはまるで正反対だ。だけれど、あっくんはひとりで遊ぶのが好きだった。僕が一緒に遊ぼうとついて行ってもまるで相手にされないか、置いて行かれることばかりだった。ひとりきりが好きなところは、兄弟の共通点だったのかもしれない。
あっくんと遊ぼうと思って家を訪ねると、彼はとっくに出掛けてしまっていて、大人しく部屋で本を読んでいるあーちゃんのところに辿り着くのだ。
「いらっしゃい」
あーちゃんはいつも、クッションの上に膝を丸めるようにして座り、壁にもたれかかるようにして分厚い本を読んでいた。僕が訪れる時は大抵そこから始まって、僕の来訪を確認��るためにちらりとこちらを見るのだ。開け放たれた窓からの逆光で、あーちゃんの表情はよく見えない。かけている銀縁眼鏡がぎらりと光を反射して、それからやっと、少し笑った彼の瞳が覗く。今思えば、それはいつだって作り笑いみたいな笑顔だった。
最初のうちはそれで終わりだった。
あーちゃんは僕がいないかのようにそのまま本を読み続けていた。僕が何か言うと、迷惑そうに、うざったそうに、返事だけはしてくれた。それもそうだ。僕はあーちゃんからしてみれば、弟の友達であったのだから。
だけれどだんだんあーちゃんは、渋々、僕を受け入れてくれるようになった。本や玩具を貸してくれたり、プラモデルを触らせてくれたり。折り紙も教えてもらった。ペーパークラフトも。彼は器用だった。細くて白い彼の指が作り出すものは、ある種の美しさを持っていた。不器用で丸々とした、子供じみた手をしていた僕は、いつもそれが羨ましかった。
ぽつりぽつりと会話も交わした。
あーちゃんの言葉は、簡単な単語の組み合わせだというのに、まるで詩のように抽象的で、現実味がなく、掴みどころがなかった。それがあーちゃんの存在そのものを表しているかのように。
僕はいつの頃からか彼を「あーちゃん」と呼んで、彼は僕を「うーくん」と呼ぶようになった。
うーくんと仲良くできたことは、僕の人生において最も喜ばしいことだった。
それはとても幸福なことだった。
うーくんはいつも僕の声に、耳を傾けようとしてくれたね。僕はそれが懐かしくて、嬉しかった。僕の気持ちをなんとか汲み取ろうとしてくれて、本当に嬉しかった。
僕の言葉はいつも拙くて、恐らくほとんど意味は通じなかったんじゃないかと思う。けれど、それでも聞いてくれてありがとう。耳を塞がないでいてくれて、ありがとう。
ノートに記された「ありがとう」の文字が、痛いほど僕の胸を打つ。せめてその言葉を一度でも、生きている時に言ってくれれば、どれだけ良かったことだろう。
そうして、僕とあーちゃんは親しくなり、そこにあの夏がやって来て、ひーちゃんが加わった。ひーちゃんにとってあーちゃんが特別な存在であったように、あーちゃんからしてもひーちゃんは、特別な存在だった。
僕とあーちゃんとひーちゃん。僕らはいつも三人でいたけれど、三角形なんて初めから存在しなかった。僕がそう信じていたかっただけで、そこに最初から、僕の居場所なんかなかった。僕は「にかっけい」なんかじゃなくて、ただの点にしか過ぎなかった。
僕が死んだことで、きっとひーちゃんは傷ついただろうね。
傷ついてほしい、とすら感じる僕を、うーくんは許してくれるかな。きっときみも、傷ついただろう? もしかしたら、うーくんがこのノートを見つけた時、きみは既に僕の死の痛みから立ち直っているかもしれない。そもそも僕の死に心を痛めなかったかもしれないけれどね。
こんな形できみにメッセージを残したことで、きみは再び僕の死に向き合わなくてはいけなくなったかもしれない。どうか僕を許してほしい。このノートのことを誰かに知られることは避けたかった。このノートはきみだけに読んでほしかった。
きみが今どうしているのか、僕には当然わからないけれど、どうか、きみには生きてほしい。できるなら笑っていてほしい。ひーちゃんのそばにいてほしい。僕は裏切ってしまったから。あの子との約束を、破ってしまったから。
「約束」という文字が、僅かに震えていた。
約束?
あーちゃんとひーちゃんは、何か約束していたのだろうか。あのふたりだから、約束のひとつやふたつ、していたっておかしくはない。僕の知らないところで。
うーくん。
今まできみが僕と仲良くしてくれたことは本当に嬉しかった。きみが僕にもたらしてくれたものは大きい。きみと出会ってからの数年間は、僕が思っていたよりもずっと楽しかった。うーくんがどう思っているのかはわからないけれどね。
ひーちゃんも、よくやってくれたと思ってる。僕が今まで生きてこられたのは、ふたりのおかげでもあると思ってるんだ。
けれど僕は、どうしようもないくらい弱い人間だ。弱くて弱くて、きみやひーちゃんがそばにいてくれたというのに、僕は些細な出来事がきっかけで、きみたちと過ごした時間を全てなかったことにしてしまうんだ。
気が付くと、自分がたったひとりになっているような気分になる。うーくんもひーちゃんも、本当は嫌々僕と一緒にいるのであって、僕のことなんか本当はどうでもいい存在だと思っている、なんて考えてしまう。きみは、「そうじゃない」と言ってくれるかもしれないが、僕の心の中に生まれた水溜まりは、どんどん大きくなっていくんだ。
どうせ僕は交換可能な人間で、僕がいなくなってもまた次の代用品がやってきて、僕の代わりをする。僕の居た場所には他人が平気な顔をして居座る。そして僕が次に座る場所も、誰か他人が出て行った後の場所であって、僕もまた誰かの代用品なんだ、と考えてしまう。
よく考えるんだ。あの時どうすれば良かったんだろうって。僕はどこで間違えてしまったんだろうって。
カウンセラーの日褄先生は、僕に「いくらでもやり直しはできるんだ」って言う。でもそんなことはない。やり直すことなんかできない。だって、僕は生きてしまった。もう十四年間も生きてしまったんだ。積み上げてきてしまったものを、最初からまた崩すなんてことはできない。間違って積んでしまった積み木は、その年月は、組み直すことなんかできない。僕は僕でしかない。鈴木直正でしかない。過去を清算することも、変更することもできない。僕は、僕であるしかないんだ。そして僕は、こんな自分が大嫌いなんだ。
こんなにも弱く、こんなにも卑怯で、こんなにも卑屈な、ひねまがった僕が大嫌いだ。
でもどうしようもない。ひねまがってしまった僕は、ひねまがったまま、また積み上げていくしかない。ひねまがったままの土台に、ひねまがったまま、また積み上げていくしか。どんなに新しく積み上げても、それはやっぱりひねまがっているんだ。
僕はもう嫌なんだ。間違いを修正したい。修正することができないのなら、いっそなかったことにしたい。僕の今までの人生なんてなかったことにしたい。僕にはもう何もできない。何もかもがなくなればいい。そう思ってしまう。そう思ってしまった。泣きたくなるぐらい、死にたくなるぐらい、そう思ったんだ。
うーくん。
やっぱり僕は、間違っているんだろうと思う。
もう最後にするよ。うーくん、どうもありがとう。このノートはいらなくなったら捨ててほしい。間違っても僕の両親や、篤人、それからひーちゃんの目に晒さないでほしい。きみだけに、知ってほしかった。
きみだけには、僕のようになってほしくなかったから。
誰かの代わりになんて、なる必要ないんだ。
世界が僕のことを笑っているように、僕も世界を笑っているんだ。
そこで、あーちゃんの文字は止まっていた。
最後に「サヨナラ」の文字が、一度書いて消した痕が残っていた。
あーちゃんが僕に残したノートの裏表紙には、油性ペンで日付が書いてあった。
あーちゃんが空を飛んだ日の日付。恐らく死ぬ前に、これを書いたのだろう。そして屋上に登る前にこのノートを資料室の棚の中へと隠した。その前に図書室の本に細工し、それ以前にメモを忍ばせた時計を僕に譲ってくれた。一体いつから、あーちゃんは死のうとしていたんだろう。僕が思っているよりも、きっとずっと以前からなんだろう。
涙が。
涙が出そうだ。
どうして僕は、気付かなかったんだろう。
どうして僕は、気付いてあげられなかったんだろう。
一番側にいたのに。
一番一緒にいたのに。
一番僕が、彼のことをわかったつもりになっていて、それでいて、あーちゃんが何を思っていたのか、肝心なことは何もわかっていなかった。
僕は何を見ていたんだろう。何を聞いていたんだろう。何を考えていたのだろう。何を感じていたのだろう。
僕は何を、していたのだろう。
何をして生きていたんだろう。
あーちゃん。
あーちゃんあーちゃんあーちゃん。
僕は彼のたったひとりの友達��ったというのに。
言えばよかった。言ってあげればよかった。言いたかった。
あーちゃんはひねまがってなんかないって。
あーちゃんはひとりなんかじゃないって。
あーちゃんは、透明人間なんかじゃ、ないんだって。
今さらだ。ほんとうに今さらだ。
僕は知らなかった。わからなかった。気付いてあげられなかった。最後まで。本当に最後まで。何もかも。
わかっていなかった。何ひとつ。
ずっと一緒にいたのに。
僕があーちゃんをちゃんと見ていなかったから、僕があーちゃんを透明にして、彼の見る世界を透明にしたのだ。
僕が彼の心に触れることができていたならば、あーちゃんはこんなもの書かなくても済んだのだ。わざわざ人目につかないところに隠して、こんなものを、こんなものを僕に読ませなくても済んだのだ。
僕は、こんなものを読まなくても済んだのに!
あーちゃんがたとえ、ひねまがっていても、ひとりぼっちだったとしても、透明だったとしても、それがあーちゃんだったのに。あーちゃんはあーちゃんだったのに。あーちゃんの代わりなんて、どこにもいないというのに。
ひーちゃんは今も、あーちゃんのことを待っているというのに。
あーちゃんはもういないのに。全部嘘なのに。僕がついた嘘なのに。あんなに笑って、でも少しも楽しそうじゃない。空っぽのひーちゃん。世界は暗くて、壊れていて、終了していて、破綻していて、もうどうしようもないぐらい完璧に、歪んでしまっているというのに。それでも僕の嘘を信じて、あーちゃんは生きていると信じて、生きているというのに。
僕はずっと勘違いをしていた。
あーちゃんが遺書に書き残した、「僕の分まで生きて」という言葉。
僕はあーちゃんの分まで生きたら、僕があーちゃんの代わりに生きたら、幸せになるような気がしていたんだ。あーちゃんの言葉を守っていれば、ご褒美がもらえるような、そんな風に思っていたんだ。
あーちゃんはもういない。
だから、誰も褒美なんかくれない。誰も褒めてなんてくれない。褒めてくれるはずのあーちゃんは、もういないのだから。
本当の意味で、あーちゃんの死を理解していなかったのはひーちゃんではなく、僕だ。
ひーちゃんはあーちゃんの死後、生きることを拒んだのだから。彼女はわかっていたのだ。生きていたって、褒美なんかないってことを。
それでも僕が選ばせた。選ばせてしまった。彼女に生きていくことを。
あーちゃんの分まで生きることを。
褒美もなければ褒めてくれる人ももういない。
それでも。
でもそれでも、生きていこうと。生きようと。この世界で。
あーちゃんのいない、この世界で。
いつだってそうだ。
ひーちゃんが正しくて、僕が間違っている。
ひーちゃんが本当で、僕は嘘なんだ。
「最低だな……僕は」
あーちゃんにもひーちゃんにも、何もしてあげられなかった。
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
廊下どころか学校じゅうにまで聞こえそうな大絶叫を上げて、帆高が大きく伸びをした。
物思いにふけっていた僕は、その声にぎょっとしてしまった。
「終わったあああああああああああああああーっ!」
「うるさいよ……」
僕が一応注意しておいたけれど、帆高に聞こえているかは謎だ。
「終わった終わった終わったーっ!」
ひゃっほぉ! なんて言いながら、やつは思い切り保健室のベッドにダイブしている。舞い上がった埃が電灯に照らされている。
「帆高、気持ちはわかるけど……」
「終わったー! 俺は自由だああああああああーっ!」
「…………」
全く聞いている様子がない。あまりにうるさいので、このままでは教師に怒られてしまうかもしれない。そう、ここはいつもの通り、保健室だ。帆高のこの様子を見るに、夏休みの課題がやっと終わったところなのだろう。確かにやつの手元の問題集へ目をやると、最後の問題を解き終わったようだ。
喜ぶ気持ちはわかるが、はしゃぎすぎだ。どうしようかと思っていると、思わぬ人物が動いた。
すぱーんという小気味良い音がして、帆高は頭を抱えてベッドの上にうずくまった。やつの背後には愛用のスケッチブックを抱えた河野ミナモが立っている。隣のベッドから出てきたのだ。長い前髪でその表情はほとんど隠れてしまっているが、それでも彼女が怒っているということが伝わる剣幕だった。
「静かに、して」
僕が知る限り、ミナモはまだ帆高とろくに会話を交わしたことがない。これが僕の知る限り初めてふたりが言葉を交わしたのを見た瞬間だった。それにしてはあまりにもひどい。
ミナモはそれだけ言うとまたベッドへと戻り、カーテンを閉ざしてしまう。
「……にてしても、良かったね。夏休みの宿題が終わって」
「おー…………」
ミナモの一撃がそんなに痛かったのだろうか、帆高は未だにうずくまっているままだ。僕はそんなやつを見て、そっと苦笑した。
僕は選んだのだ。
あーちゃんのいないこの世界で、それでも、生きることを。
※(4/4)へ続く→https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/649989835014258688/
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『おいしい話には気を付けろ!!!!!!!!』・・・体験からのメッセージ
このタイトルの言葉は、私が経験した事、習った事、本当の意味で次の世代に伝えるべき事、世の中の事について皆様の心に訴えていきたいと思います。
これは、私が『ガチョーン!!!!!!!!!』と、騙され、一瞬にして血の気が引いて、『絶望感』に浸った時の教訓ですので、今回は申し訳ございませんが精神障害者向けの文章ではございません。一般市民用に向けた文章にしたいと思われます。何故かと申しますと、私がまだ精神科にかかる前の話であり、(勿論ですが『ブチ』と3回切れた経験の後ですが)当時学生相談室(カウンセリング)に通室時代で、大学院を目指してた1987~1988年の自粛ムードで最低ブームの事ですので、精神障害者の方々にとってこの文章を書く事をお許しください。
私が大学3年生の時1987年12月に行われた英語劇祭(大会)で、特別(大道具ーー私の担当ーー)賞が取れて、次の日学校内で各部署課に、受賞報告に行きその年度最後のミーティングを開き、部長兼主幹の座を後輩に譲り引き継いだ後の事です。やっと上役の肩の荷が降りて気分が少し楽になり、学校の単位とアルバイトと大学院受験勉強のみだ、と思ってました。今までその年の後期、授業に出席出来たのは、演習(研究指導・ゼミナール)と英語5の出席必修だけでした。標準として1年に6回(70%)(前期3回・後期3回)だけでしか休めませんでした。又公欠も認められませんでした。私が履修した英語5の先生は、悲惨な先生で1年間いじめられて鍛えられました。この先生は、前期1回、後期1回しか欠席できませんでした。教室では、学生が国会か都道府県か市区町村かわからないが、議員みたいに立て看板毎回毎回必須の先生でした。部活が忙しい時の確か9月ぐらいに先生ともう一人の先生が、食堂の隣の喫茶コーナーにおられたので、直接先生に「先生、部活が忙しいので授業にあまり出られないのですが。⁉」と言いに行くと、先生は『部長を呼んで来い。!!!!!!!」と言われ、私がそのまま立っていると、『お前が部長か???❕」と言われ、「単位(今年のこの科目)は諦めろ!!!」と言われ、粘って立っていると、もう一人の先生が「この部活動って去年優勝したそうですよ!!!!!!!」助言が入り、先生は「何、お前達が優勝した?????」そして「よし1回だけ休ませてやる!!!!!!!それ以外はダ���❕」という事で、その場を去った。私も大道具作りに忙しく授業に出たのは、火曜日の3時限目は仕方なく出席、木曜日の4時限目は時々欠席(1年間に6回まで)、学生相談室(カウンセリング)は、大体覚えている時、ぐらいでアルバイトしてる暇もなかった。私の一日の時間割は、夕方5時から朝の5時まで大道具作り、5時から11時ぐらいまで毛布1枚持参して部室で就寝、11時に目が覚めたら学食で朝昼兼用の食事、12時半から授業等以外は、あるホームセンターまで買い出しに公共交通機関で一人で行く。バスも乗り換えないとホームセンターに着けないし、途中で降車しないと金が下せない。時には紙屋や布屋までに行くのに都心部まで買い出しに行った。お風呂だの歯みがきだの更衣だのしている暇は無い。ひたすら大道具作りに必死だった。フェスティバル(大会)まで間に合わせる事で必死だった。一通り出来上がったのは、約1週間前だった。それまでは、一人の先輩だけ時々手伝って下さったが、出来上がってから、色々な先輩方が修正を手伝って下さった。完全に出来上がったのは、公演前の前日であった。その日は一睡もする余裕がなかった。それでも他人は、私を健常者扱いされた。唯一幸運な事だったのは、天気が殆ど晴れていて尚且つ、1987年は秋から冬にかけて暖冬だった事だけだ。運搬費は全て私持ちで先輩方が運転してくれた。全然段取りもさっぱり解らず、行動が静止したり頭も働かなかったので、事実上先輩達に、おんぶにだっこになってしまった。ある県の僻地の山の上から、都心部の会場まで運ぶ事については、全く想像できなかった。先輩に「ここの扉の鍵締めといてな~。」と言われ、そこだけ施錠し、会場に向かった。3往復するはずのトラックが、2往復目で中々着かなかった。土曜日の夜に劇場搬入の予定だったが、一部しか搬入出来ず、公演出来るかどうか崖っぷちの窮地に追い詰められた。主催者の大道具担当の方が、「やっ��り心配してた通りになった。どうなるのかなあ。」定刻になったので、私達のメンバーは外に追い出された。ひたすらトラックを待っていた。それまでに全員分のほか弁買い出しに行き、30分ぐらい待って、自腹切って買って(去年のフェスティバルの時は先輩方が自腹を切ったので)トラックを待っていた。やっと着いたと思ったら、『ガチョーン!!!!!!!』「バカヤロー」と、大声と名指しで度が過ぎる程怒られた。何故怒られたかというと、『ガチョーン!!!!!!!』大道具作りした場所の、電気の消灯も場所の鍵も施錠も忘れていたのだ。私が悪いとしか言いようがないのだ。『ガチョーン!!!!!!!』としか言いようがないのであった。寺の合宿所に行き、度が過ぎる程コテンパに夜中まで怒られた。次の日、6時頃目が覚めて、後片付けして、寺に宿泊代金を納めて会場に急いだ。会場に着いて、委員会はもう扉を開けてくれないかなと思ったら、9時5分ぐらいに裏の扉を開けてくれたので、大道具を何とか搬入出来た。本番公演までギリギリ設置出来たので、公演そのものは、成立したのだが、出演者とっては、『ガチョーン!!!!!!!!』大変申し訳ない事をしてしまった。大道具入りは、彼らにとってぶっつけ本番をさせてしまった。当部長としては『ガチョーン!!!!!!!!』ごめんなさい。!!!!!!!!公演終わり、搬出し、ロビーに行くと、休部してた部員が来てくれた。合同夏合宿のメンバーの女子から花束をくれた。ただ私は、「有難う。❕だけど今、滅茶苦茶忙しいので、後で頂くよ。今ちょっとごめんね。」と言って、ロビーを後にして、慌ててトラックに乗り込み、大道具を積んで僻地の山の上学校まで戻った。そして出来る限り解体作業をした。解体出来ない壁は、部室近くの廊下に置かさせてもらい、後日、管財課に頼んで、倉庫に保管させてもらうように考えた。そして1日飲まず食わずで、トラックに乗り込み、閉会式の会場に向かった。『ガチョーン!!!!!!!!』トラックの中で思い出した。会計担当から預かったお金入り財布(何万円何千円単位)の入った手提げバッグを舞台の下手に置き忘れたままだ、と気付き先輩に言わずに会場に着いた。着いたら着いたで、また別の事で『ガチョーン!!!!!!!!』先程述べた合同夏合宿のメンバーの部長から「あの子泣いてるよ!!!!!!!!貴方が逃げて別の女の人から花束をもらい会場から逃げたのではないか???」と、言われ私は、「後で行ってちゃんと話す」と、部長同士約束した。これは、『ダブルガチョーン!!!!!!!!』を私は、食らった。でもまず自分の手提げバッグを探しに、舞台の下手に公演の邪魔にならない様にして公演と公演の間を狙って、下手に行った。私の手提げバッグは、下手の床に放ってあった。私は、それを拾い上手に行き、そして財布があるかどうか確かめた。序に中身も確かめた。結果1円も盗られていなかった。先ずは『ホッ!!!!!!!』。確認出来たらあの子のところまで探して行った。そしてあの子に「今朝はごめんね。!!!!!!!貴女の部長様から聞いたよ。あれから学校に帰って大道具を潰して片付けていたの!!!!!!!別に貴女の気持ちを踏み躙った訳ではないよ。ごめんね。誤解しないで欲しい。」と、言うと「こちらこそごめんね。」と言われたので、「では私は、自分の学校の仲間の戻るよ。本当にごめんね。」と言って、学校の仲間の席に行き着席した。密かに『ホッ!!!!!!!」と、してたらある先輩が、「今年は寂しいな~賞も何も来ないのか~」「おい❕お前の時代だけだぞ~賞も何もないのは~」と、別の先輩は言った。閉会式が、始まる。その前に客席で、連盟長に堂々と睨まれた。無視して客席に行き着席してた。入賞(優勝、準優勝、3位、特別賞、大衆賞、最優秀男優(女優)賞)の受賞の対象で、去年からノミネート制だったが、今年は、特別賞と大衆賞は、ノミネートせずに発表された。その特別賞のうち、審査員の一人の方が、「この賞の理由は壁が良かった学校にこれらの特別賞の一つを与えます。」と英語で言われ、私達の作品名と学校名が英語で告げられた。受賞つまり入賞したのであった。どの学校も入賞したら大きく喜んでいたのだが、私の学校はタイミング的には、絶句状態であった。私も『マジか???疲れた❕』と思い、審査員もびっくりしたが、すぐ演出担当が「やったー!』と叫び、やっと自分も「やった!やった!やったー!」と言えて、「行こ!行こ!行こう!!!!!!!」誘い叫んで、舞台の上で5人ぐらいいて、私が「やった!やった!やったー!」と舞台の上で叫んでいると、舞台下手の委員長と副委員長3人の4人に睨み付けられ、この委員長が「持って行けー!!!!!!!!」と怒鳴っていたのだ。こんな委員長はいらない、と、無視して上手の審査員は、拍手してた。私は、特別賞の小さなトロフィーを受け取り、他のメンバーは、賞状や、副賞を受け取った。嬉しかったけど、疲れの方が大きかった。先輩から「おめでとう❕。お前の賞や~」たり、他校の部長様や部員様からも「おめでとう❕」「おめでとうございます。❕」と言われたりしたけれど、私は、あまりにも疲れてたので、頭は何とか下げたが、「有難う。」の声が出なかった。外に出て打ち上げコンパの企画を、前部長がしてくれたので、彼が「おい、お前明日の夜の定時にどこそこな。報告会しておけよ。」と言われ、私は、「明日の昼の定時に部室集合!!!!!!!!」と言った。次の日昼の定時に部室集合して、大道具作りしたホールを皆で掃除したり、預り金から1年生優先で領収書と現金を引き換えたりしてました。前部長もおられたと思います。「報告会は、お前らでやってこい。夜の定時にどこそこな。」と言って去られ、̰私達のグループは、学長室から学部長室から学生課、教務課、入試課、管財課、図書館、等ありとあらゆる学内組織に報告の挨拶に行き周りました。最後は、部室の中で本年度の終了の言葉を述べて、新部長の指名任命をして、私の部長兼(学内)主幹の任務を終えました。正直『ホッ!!!!!!!!』としていたら、夜の打ち上げコンパに行き帰る時に、『ガチョーン!!!!!!!!』先輩からまたお叱りを、受けました。せっかく終わったと思ったら、説教された。理由は、『席の配置が悪い』と怒られました。この先輩は、一生付きまとうだろう。と思えました。私がこの学校を卒業が1989年3月ですが、30年経った2019年でもK市Y区M駅の3番出口の車の中から、見張ってました。コンビニ横から府道(旧国道1号線)に曲がるとすぐM駅なので、そこに車が止まっていて、運転手と私の目が合ってしまってお互い「あっ❕」とあの先輩に私だ、っと完全に分かってしまいました。「ガチョーン!!!!!!!!」こんな人はほっといて、1987年12月下旬やっと、部長兼主幹職を終え、後期試験やレポート提出に取り組んでいて、又アルバイトも探していく予定ですし、色々忙しい年末でした。K市の実家に帰ったのが、年末30日でした。アルバイトも学校の掲示板を見て、ある会社が時給1000円交通費1日500円までと書いてあったので、試験やレポートが終われば応募しました。それと並行に大学院受験勉強も開始しました。研究指導(ゼミナール)の先生が、何十冊も本を借りて頂き、最低限この本とこの英語本は、読みなさいよ。と、指導を受け、勉学の世界にのめり込みました。又アルバイトの面接も入って来ましたので、行きました。応募理由を聞かれ、はっきりと時給1000円という事が書いてあった、と告げると、はっきり告げられました。うちの仕事は、最初研修から始まって研修中の時給300円��す。と、『ガチョーン!!!!!!!!』の気分でした。最後まで話を聞いてました。能力給制で、仕事内容は、主に結婚式のビデオ撮影でした。式と披露宴に分かれて報酬が違い、式は1本20分ぐらいで600円ぐらい、披露宴はランク制で、A、B、C、と基本分かれていて、Cランクから始まるけれど、基本二つのカメラを操作するのが、補助付きだとか不十分判定だとCランク、十分出来て一人で操作出来たらBランク、三つのカメラを一人で出来たらAランク、とのことです。披露宴は、標準2時間20分であり、Aが1本3000円、Bが1本2500円、Cが1本2000円です。結婚式に行った事があるか?と質問されると、無い。と、ゲーム機の経験は?と聞かれると、無い。と、アルバイトニュースは買っているか?と聞かれると、無い。と答えると、「3拍子揃っているね。」と言われ、お互いに『ガチョーン!!!!!!!!』の気分なのに、1か月後アルバイト採用をしてもらえました。私のスケジュールが土、日、祝日が 開いていたからです。その時の面接上司に、言われましたよ。『❕おいしい話には、気を付けろ❕』と、『❕これは、社会の常識だぞ❕』『❕これは、君が生きていくために忠告しとくよ❕』「嫌だったらもういいよ!!!!!!!!」と言われたけれど、私が「よろしくお願いします。」と言いました。1988年2月に仕事を始めて9ヵ月、11月には中断してしまいました。もうカウンセリングの世界を超えてしまっているとカウンセラーが判断し、学生課を通じて親を呼び出し、強制的に実家に返されました。
ここからは精神障害者には面白くない話です。私が言うのも変だけど、O都構想に幻想を持ってませんか???❕おいしい話には気を付けろ❕と、忠告します。経済とは、ご存知の通り経世済民の事です。働ける人が税金を納めなくしてどうやって社会サービス(社会保障)を受け取るつもりでしょうか???O市という政令指定都市を潰して、二重行政解消してO府(法律上)にしてOが良くなるとでも思われるのでしょうか。???余計に低税低福祉になるだけで、社会サービスは悪くなる一方です。社会保障として皆さんに返ってきません。やり手策では良くなるどころか悪くなる一方です。何故なら失業者も増えます。路上生活者が増えるだけではありませんか。格差は拡大され、貧民窟が増える一方だけです。本当にOを良くしたいのなら、地道に生活するしかありません。O府一本化したら、払った税金は府民全体にいきわたらないといけないので、社会保障や社会サービスは悪くなるだけで、府民に返って来ません。❕おいしい話には気を付けろ❕❕社会の常識です。❕❕O市民のために忠告しておきます❕当然多くの公務員が失業します。路上生活者が増えます。元々から、元O市長が公務員が嫌いだったではないですか!!!!!!!!。弁護士と政治家は噓つきでないとやっていけない職業です。彼らは、最初から独裁政権を狙っています。税金だけ取って後返さないのが、彼らの狙いです。O市民の事はO市民で守っていかなければならないのです。彼らに取られては、ならないのです。❕❕おいしい話には気を付けろ❕❕これが私からのメッセージなのです。
久郷克己、拝、
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カウンセリングとかコーチングは、そんな簡単なものでは無い。(心屋認定のカウンセラーと名乗っていた人が、急に心屋を名乗らなくなったので、ちょっとそれは無責任すぎやしないか。)
ちょうど一年前位にこんな記事を書きました。 「心理カウンセリング(心屋仁之助)とか 自己啓発とか、各種セミナーでの トートロジーの悪用と洗脳の関係について (P またはPではない)」 https://www.machromatic.net/column_0324.html まぁ簡単にアウトラインを説明すると。 僕が知っている方が、 心屋仁之助という方が行なっている、 心理カウンセラーの「マスターコース」という、 50万円もする講座を受けて、 「心屋認定心理カウンセラー」なんて名乗っていたので。 まぁたまたまYoutubeでその人の動画を見て、 これはトートロジーを使った「洗脳商法」だな。 という流れが、 一年前の2019年5月21日(火曜日)執筆の文章です。 まぁこの手の「商法」は世の中には沢山ありますし、 まぁ騙される人も多いわけです。 そして僕的には「注意喚起」という意味で、 社会的使命感に基づいて書いたわけです。 僕的に心屋仁之助という方の、 心理カウンセリングには興味も無いですし、 この方のベースはNLPなので、 NLPを学びたければ、 もっと良い本があります。 唯一心配だったのが、 私の知っている方が、 変な方向へ進んでいかないのかと、 まぁこれも余計なお世話ですが。 それでここから本題です。 今日かなり久しぶりにその方のブログを見て、 「あれっ?」「んっ?」、 なんか様子が違うぞぉ〜と直感したわけです。 それで少し色々過去のものも含めて、 見てみたのですが。 今年に入ってから「心屋」の文字が、 消えているわけです。 それで僕は、 あーなんかあったのなぁ〜。 と理解して、 「心屋」でググってみたら、 やっぱり去年末に「炎上」してるみたいなんですねwww なるほどと。 僕はその件については、 全く興味が無いのでふれませんが、 興味がある人はググッてくださいwww この様な前置きの上でです。 私は非常に問題があると考えているわけです。 それは、 心屋仁之助という人間を信仰するのは自由です。 また現時点において「心理カウンセラー」と、 名乗ることも「自由」です。 私が「アーティスト」と名乗ることが「自由」、 である事と同じです。 もう少し「心理」領域、 というものの肩書きについて述べると、 「心理」領域の肩書きにおいて国家資格があります。 それは「公認心理師」です。 名称独占資格として規定されている上に、 「公認心理師」以外は、 「心理師」という名称の使用は法律で禁止されている。 しかし、 現時点で民間資格の「心理士」や「心理カウンセラー」の、 使用禁止までには至っていないのが現状である。 その上で、 この文章を読んでいる方が、 もし「心理相談」などを行う場合は、 適切な「公認心理師」に相談する事を、 お勧めします。 ではなぜ、 私が「公認心理師」を勧めるのか、 それは「公認心理師」が国家資格だから、 という側面以上に、 重要な側面があります。 それはその様な肩書きを引き受ける。 その様なもっとも、 「重要」で「原理的」な態度です。 私も「アート」というある種の「認知」、 という領域を「専門」にしています。 それはいわゆる「心」の問題でもあります。 だからこそ、 その「重要性」を知っているからです。 さらに「自分」という、 「自己」の「心理」ではなく。 「他人」という「他者」の「心理」を扱う事は、 非常に「責任」が伴うものであり、 「倫理」や「人格」、 「知性」や「教養」、 様々に高度な能力や技術、 また「精神性」が求められるものです。 だからこそ非常に「ストレス」を感じ、 自らの「心理」の「不調」さえ起こり、 その自らの「心理」さえも、 コントロールする「能力」を求められる。 その様な非常にセンシティブな、 「専門領域」なのです。 では今回の「心屋」の、 私の知っている方の事例を振り返ります。 ある一定の期間に「心屋」に心酔していました。 それは、 50万円のマスターコースを受けて、 「心屋認定心理カウンセラー」と名乗っていた。 その様な事実があり自明で、 ブログなどでも、 散々「心屋仁之助」を称賛していたわけです。 しかし、 その「心屋仁之助」が「炎上」した途端に、 今年に入ってからです。 「心屋」の文字は消えて、 「心屋認定カウンセラー」という、 肩書きも無くなり、 その経緯も、 私がみた限り全くふれられていません。 「考えが変わる」事が問題ではありません。 誰でも「考えは変わる」ものです。 しかしそれまで、 「心屋」という名称を使って、 「心理カウンセリング」などをして、 「他人」にコミットし、 「対価」として「お金」を、 貰っていたわけですから。 少なくとも、 ブログなどを通して、 「なぜ考えが変わったのか」という、 説明責任があるはずなのです。 つまり、 「心理士」や「心理カウンセラー」と、 名乗るという事は、 それを引き受けるという事であり、 それを引き受けるという事は、 責任を果たすという事である。 その様な、 責任を果たせない人間が、 また一年や二年で、 自分の「考えが変わる」様なレベル、 であるならば、 初めから、 名乗ることを止めるべきです。 「心を操作する行為」というものは、 非常に難しいものです。 また「自分の人生」も「他人の人生」も、 大きく変えてしまいます。 だからこそ、 私は「アート」というものに対し、 20年以上「真摯」に向き合ってきました。 今回の「心屋」の言説で、 私が皆様に理解していただきたいのは、 「心理士」であろうが、 「心理カウンセラー」だろうが、 「アーティスト」でも。 もっと言えば、 「誰もが」自分自身に批判的であり、 真摯に向き合い、 反省する。 その様な作法の無い所に、 人間としての「成長」は無いし、 ましてや「心理相談」など以ての外です。 今回は知り合いの方のブログで、 しらっと「心屋」の名前が消えて、 さらに「心理カウンセラー」を続けようとしている。 その様な「無責任」なものを目の当たりにし、 この様な言説をするに至りました。 皆さんも、 自らを「批判的」に、 また自分自身と「真摯に向き合い」、 素直に「反省」する。 その様なシンプルな作法の実践を、 ぜひお勧めします!!! 美学者母
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