#鈍色幻視行
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彼のいるスペースだけがみっちりとして、色彩も輪郭も強い。全く辺りのことなど目に入らないかのように、手の中の本に集中している。 この人は自足している、と梢は思った。 ゆったりと足を組み、いっしんに本を読んでいる雅春はとても幸福そうに見え、それが彼女に僻みっぽい妄想を喚起させた。
— 恩田陸著『鈍色幻視行』(2023年5月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは��かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、���刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村��長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
��然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメに���れ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺり��た顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした���で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れる���うにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆���果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダ��――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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【お仕事】
恩田陸先生最新作「鈍色幻視行」(集英社)の広告イラストレーションを担当いたしました。
朝日新聞広告、POP、A4パネル、小冊子などたくさん展開して頂いております。何卒です。
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ふと山に登りたくなった。無性に登らないといけないと気持ちが急いた。今はツアーに向けてリハーサルに追われている最中であり、登山なんてしてる場合ではないのに。もしも足を捻ったら…頭には過ってもそれを押し流すほどに急かされる。
あとから考えた時、これは神からの思し召しだったのかもしれない。
目的の山に到着するまでにエゴサをしようとしてふと気になったネットニュース『ヘイ七イジャンフ゜K.Oが抜けてから7人体制の初ツアー!』デカデカとした見出しでアピール性は抜群だ。圭人が抜けたことで七ブンがR.Y・Y.C・Y.Nの3人、ヘ"ストがD.A・K.I・Y.T・K.Yの4人でこれからを駆け抜けていくことになったのがどこか遠い昔のように感じていた。……何かずっと違和感が拭えないのはいつものことで、気のせいだと気にするのももうやめた。
幸いにも何事もなく山頂までたどり着いたが、あの急かされる思いはなんだったのだろう?……ふと視線をズラすと古びれた石階段があることに気がつく。その横には石像も。
「……いや、なんでオレ」
その石像は自分だった、しかも少し前の若かりし頃の。補足をすると石像を造られるような偉業を成し遂げてはいないし、趣味で造るような物好きな知人もいない。不思議に思いながらも下に降りてみようと誘われるように足が進む。
石像こそ一体だけでそれからは普通の階段だった。普通と呼ぶには少し異質か。どこを見てもナニカ描かれていた。蹴込み部分に器用にみっちりと。それも下に進むにつれ独創的な……言葉を濁さず言うと正気を疑う絵ばかり。絵のせいか、空気が悪いのか頭がやけに痛い。ズキズキとは違う拍動のようにドッドッと鈍く重く、その痛みでこちらの気が狂いそうだ。それなのに下に降りないと、その気持ちは全く揺るがずただ下へ、下へ。
そして、青褪めながら到着した最下段……吐いた。
気付けば『ソレ』に背を向けて胃の中すべてを地面へとぶち撒けていた。そこにあったのは手足があり得ない方向へと曲がり、血塗れで、一目で命が絶えているとわかる──H.Yの姿。
走り出し��、見たものから逃げるように。そうだ、なんで忘れていたんだ。オレたちは7人じゃない、もう1人、オレのシンメで、大切な…!今までなかったことになっていたのは何故。全員が、世界が彼の存在をなかったことにしているなんて。
H.Yは*年前に行方不明となり、どれだけ捜索しても見つからなかった。その時から存在自体が消された…?謎は多い。
一瞬しか見れなかったが先程見た彼の姿は当時のままだったように思う。つまり行方不明になったあの時にはすでに死亡していた、と。……見間違いの可能性だって捨てられない、そんな小さな希望を胸にまた最下段まで戻ると摩訶不思議なことが。
人間だったものがあるのは寸分違わず同じ、けれど、そこにあったのは血塗れの存在ではなく綺麗に腐敗が進んだ白骨だったのだ。意味が分からない。幻か?幻にしては随分とリアルな…。白骨の近くに座り込み、思考を巡らせているとふと自分以外の気配を感じた。振り返ると階段の隅に小さく丸まって座っている誰か。またも悲鳴をあげそうになったがすぐにそれは呑み、目を見開く。だって、それは、光だ。ちょっと体の向こうが透けていたり、チラリと見える肌も生気がないがその人は光だった。
「……光?」
出そうとして出た声は相手に届き、のっそりと顔をあげこちらを見る彼は間違いようもない彼で。幻のような見るも無惨な姿ではなく当時の若さのまま。
「ひかる…………ぁ、…やぶ?」
がらんどうだった瞳に色が宿り、名前を呼ぶ声も喋り方も、忘れもしない彼のもの。
「逃げてごめん。まさか光とは思わなくて」
「…いいよ。俺も薮に呼ばれるまで自分が誰か忘れてた」
人の名前は個として成立するために必要だとどこかで聞いたことがある。強��間違いではないらしい。
「死んだばかりの時は全部覚えてたんだけど……だんだん薄れていくのが自分でも分かって、忘れないように描いてたんだ」
そう口にして見上げたのは山頂からここまで続く石階段。あの絵は全部光が…つーかやっぱり死んでんだな……。だとしてもあの石像はないだろ。
って夢を見た。
文章にするのにほんの少し綺麗に整えてたりはするけどこんな感じ。多分山がテーマだったのこの間見たドラマが関係してるなぁ、だって手足の曲がり具合がまんまそれ。
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夢
最終更新:2024/11/10
橋から人が落ちていくのに誰もそれに気を止めずに各々の時間を過ごしている空間だった。 インターネットの友人と遊園地へ行った帰り、という場面から始まる夢。楽しかったね、って語らいながら分岐点まで���いていって、橋の上で名残惜しさから他愛もない話で時間も心も埋めていくのだけれど、そんな一場面の遠くで橋の軋む音、その後に鈍い音がする。感覚的には遠いのだけれど実際のところ、すぐ横で人が湧いてきて落ちてを繰り返していた。表情は見えなくて、だからそれが誰か、何なのかも分からなくて、僕らはその横でずっと話していて。橋の下は川が流れていて、すぐ近くに平面的かつ立体的な山があった。その山の前に川岸をつなぐように電線が渡っていて、電柱のような木のようなものに、やけに大きな白い何かが止まっていた。僕はそれを鳥と認識した。概念的な生命体だった。 ある程度時間がすぎて、友人に別れを告げてひとりになったので僕は橋の下に降りてみた。所謂戦隊ものの格好をした5人組が何かをしていた。何をしていたかは思い出せないのだけれど。好奇心にかられた僕は彼らに近寄って何かをした。その間も人が橋から落ちてくる。最後に僕は崖の途中付近にいて、僕もその後同様落ちた。正式には落とされた。戦隊ものの格好をした人はにこにこしていた。僕もにこにこしていた。
起きていても寝ていても臓物を引き出す夢を見る。ずっと前から。きっと何かに影響されたものの派生かなと思うけれども何もない空間にいて、知らない手が胃腸だったり心臓だったりを掴んで体から取り出してしまったり、肺を力強く押してみたりする。 偶に自分の手が自分の意志とは関係なく動いてみせることもある。痛いというよりも塞がっていた水道がとおるような、すっきりとした感覚になるようなので悪い気分はしないけれど、目を覚ましたとき鈍器が体内にあるような気持ちになっていつもよりなんだか重たく感じる。 血が透明な何かに入れ替えられる時もある。
2024/09/13 寝れないなと思いながらただだるい体を少しでも楽にするために良い体制を探していた。最終的に平たい長座布団の上に寝そべっていた僕の上半身前面がやけに涼しくて、少しヒリヒリするような脳の認識を感じて視線を下ろしたらむき出しの臓物とも取り難いそれ、が見えた。臓器に対する知識の上での解像度が低いから臓物もどきに変換されたのだろうなと思うのだけれども。 ただどうすることもできなくて、どうしてか動けなくて薄暗がりで鈍く輝く臓物もどきを眺めることしかできなかった。ずっと見ていたら不規則に動く心臓のようなものや腸がだんだん膨張していっているように見えてきて、飲まれてしまう、と思ったら目が覚めた。04:23だった。短い時間だったのに大変不思議な夢だった。 膿んだ傷口が風に当てられて痛む感覚の延長みたいなものをずっと感じていた。
2024/08/22 気がついたら僕は、知らない家庭の団らんというものに混ざっていて、見知った顔を持ったヒトと世界を旅���ていた。それらしい彼等の風貌をしていて内面は少し違っていて、戸惑いながらも地球にある国々を巡って、世界の様々な人に出会った。様々な文化に触れた。どうしてか各国が地続きの世界で、さいごに見たのはさっきまでともに旅をしていたヒトたちの笑顔と片手に握った金魚が泳ぐビニール袋だった。 この世界はずっとどこかずれていた。例えば、F国では銀色の箸を使って食事をしていたし、最期に行ったA国では、なぜか室内でJ国のお祭りを行っていた。屋台で出される食事はまるで配給や給食のような出し方だった。知っているようで異質なお祭りの空気をどこか遠くで眺めているような気持ちで屋台を見回ったりして、屋台のヒトと何気ない談笑を交わして。 それなりにお祭りを謳歌したあと、お祭りの熱を冷まそうと散歩をしていると眼の前に両手ではとても覆いきれないくらいに広い青が目の前に広がった。 溶けてしまいそうな曖昧な水平線に心を惹かれ半ば引きずられるように、操られるようにそちらへ歩いていく。急に視界の下の方にあったはずの地面を見失った。さっと緊張で滲む手汗を握り、足元を見ると崖だった。間一髪で落ちることなく地を踏みしめた私は眼の前に広がる初めて見る光景を見つめていた。自分の知っている海ではなく怖いくらいに鮮やかな海だった。 ずっと見ていたら呼ばれてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいにそこの見えない海と、曖昧な空のどことなく低いのに確かに届かない雲の流れを目で追っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。迫りくる明るい声がする方に目を向けると、旅をともにしていた人たちだった。 『良かったね、見つけられたね。』何かを祝福するふうにそう言いながら笑顔で近づいてくる。まるでこの旅の終着点にたどり着いた、みたいな終わりの空気を手のひらに感じながら戸惑っていると急に全身に空気を感じた。紐で縛られたりしていない金魚の入った袋の口が手から離れる。 最期に見たのは離れていく彼らの笑顔と、空を泳ぐ金魚と落ちてくる空だった。 普通に人生の終点だった。
2024/07/27 真昼。僕は確かにさっきまで友人とピクニックをしていたように思う。あちらの世界では遊歩道ではない場所がこちらの世界では何故か遊歩道になっており、そこになんの違和感も抱かなかったくらいには楽しいピクニックだったのだろう。そんな優雅なひとときなど一瞬だった。 「火災発生 火災発生 外出中の方は直ちにお近くの避難所へ___」 突然目も覚めるくらいけたたましいアラートとともに防災行政無線から“乾燥による火災の大量発生”を知らせる声が聞こえてきた。それを聞いても何故かのんきだった僕らはすぐには動かなかったのだが、ふと香ばしい香りが漂ってきた。そちらの方に目をやると一本の生まれたての煙柱が見えた。��規模の森と言いたくなるほど鬱蒼と生えた川岸の草が例によって火を起こしてしまったらしい。 真横で火災が起きている。 事態に気がついた僕達2人は鞄を抱えてあちらの世界には存在しないエメラルドグリーンと白の可愛らしい建築デザインの避難所へ駆け込んだ。何故か裏口から。 避難所の中は学校のように机が規則正しく並んでおり、床も机も一目でわかるくらいには木製だった。すぐに不安な気持ちでふと窓の外に目をやるとそこそこ離れた小学校の方から大きな煙がたっているのが見えた。そちらの方に住んでいる知人らに思いを馳せながら避難所の中を一周する。幼少の頃の日本国外にいるはずの友人や、既にもうこの世にいないはずの人が普通に生きて不安��うな表情を浮かべながら雑談をしている。そんな彼らに懐かしさを覚えて僕は思わず声をかけたが、一瞥すらくれなかった。僕が幻覚をみているのか、僕が幻覚なのか彼らに気がついてもらえることはなかった。 出かける際に持ってきたカバンのほか何も持っていなかった僕らはまだ火災の起きていない方に位置するスーパーに向かおうと避難所の外へ出た。 しっかりとした避難所の冷たい扉を開けいざ出発と思い左右に視線をやると、ちょっと先にある小学校の頃の同級生の家が燃えていた。緑色の芝生も雰囲気のある重い扉も面影がないくらい火の塊だった。 遊園地もブランコの周りに生えていた公園の木々も山も赤く染まっていた。 この世界の終わりを突きつけられた気持ちで即座に避難所へ引き返し、窓の外にまた目をやると避難所の真横の空き地が燃えていた。逃げ場などどこにもなかった。
2024/07/XX ⚠微グロ “目が覚めたら”真っ暗な世界にいた。真っ暗で周りには何も見えないのに自分の手足や足元は目視できた。 不思議に思いしばらくぼーっと周りを“眺めて”いたら極僅かな小さな小さな何かが這いずるような音がした。 音のした足元に目をやると白っぽいグレーっぽい、発光したような細長い何かが蠢いていた。(以下ミミズと称する) あまりのおぞましさに暫く嘔吐いていると足元にミミズが落ちてきた。動揺が引き金となって必死にせき止めていた何かが溢れ出すように吐いた、はずだった。でてきたのは想定とは異なる吐瀉物だった。胃液ですらない。ひたすらミミズが溢れてくる。自分でもわかるくらいに青ざめて真っ白になっていく床に膝をつく。潰れるミミズの体液は真っ青だった。この生物が何なのか自分から溢れてくるのは何故なのかぐるぐる考えながら、一度壊れた堤防からあふれるミミズをただひたすらに吐き続ける。長い時間休まることなく吐き出される苦しさに涙が浮かぶはずなの���が体内には彼らしか詰まっていないのかミミズしか流れてこなかった。自分の手足が次第に骨と皮になってもなお体からでてくるのはそれだけだった。 長く感じられた時間の末空っぽになった体は次第に真っ白な海に近づいていく。薄れる意識の中で最後に見たのは何だったのだろう、僕は目を覚ましてしまった。 とても冷たい世界だった。
僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。 どれくらいの時間が過ぎただろうか、突然固いはずのスマートフォンの画面がゆがむ。あまりの突然さと俊敏さに半ば寝たような脳みそを起こすまもなく液晶に飲まれる。体に纏わりつくスマートフォンの熱を感じながら意識を手放した。 意識を取り戻すと三人称視点になっていた。 僕の先程まで座っていた窓枠付近には持ち主を失ったスマートフォンが落ちていた。そのスマートフォンにおそらく僕らしき人がドロドロした液晶に飲まれていくその光景をどうすることもできずにただ見守っていた。見守ることしかできなかった。 無機質なはずの板が生命を帯びたかのように、確実に僕を飲み込もうとしている意思をもったかのようにさえ見える飲み込まれ方。 何故か無抵抗に飲まれていく僕の体。 黒っぽい液体にじわじわと飲まれ、見えなくなっていく体。 三人称視点にも関わらずリンクする“息苦しい”という感覚。 体に纏わりつくスマートフォンの熱。 普段のような苦しさはないが多少の焦りを感じた。そこにいる僕が飲み込まれきったらそこはどんな世界なのだろう、薄ぼんやりと眺めては三人称視点の僕もどうにか動こうと試してみるが壁になってしまったかの如くびくともしなかった。 暫くして髪の毛1本まで飲まれてしまった僕はその後何時間見つめてもでてくることはなかったし、三人称視点の僕もまた、どれだけ動こうとしても動けなかった。 ただどこまでも底へ引きずり込まれる感覚を最後に僕は目を覚ましてしまった。 先程まで生命を宿していた冷たいスマートフォンの時計は05:22。夢の中で最後に見た時刻だった。 今思えばもしかしたら三人称視点だと思っていた方の僕自身も飲み込まれている最中だったのではないか、などと思うが、一度中断してしまった世界である以上真相はスマートフォンの暗闇の中だった。そんな考察でもしながら僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。
へんな養護施設に化け物と天災が来て、必死に逃げるも、もう選択肢 はないと思い下水管から逃げ、へんな科学者みたいなおじさんに拾わ れる。電波関連の管理や下水の管理、変な生き物の研究をしているお じさんのもとで助手として生活していたがある日、お使いがてら養護 施設を見に行くことに。そこであった少年を抱えてまたもや起きた化 け物と天災から同じ方法で少年を逃がし、自分は飛行して逃げたが少 年がなかなか見つからない。下水管の入口のようなもの?を転々とし て脱出口を探す少年をやっと見つけ出し局所的な天災と化け物の出現 の原因解明をする話。
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吉本隆明「悲劇の解読」 序——批評について——
批評のいちばんの悩み、口にするのが耻かしいためひそかに握りしめている悩みは、作品になることを永久に禁じられていることだ。そこで批評はいつも身の振り方についておもいめぐらしている。先蹤はあるのだ。小説家か学者がそれだ。とるに足りない作品をえらんでも、また誰も��古典として尊重する作品をえらんでも、作品を対象とすること自体は作品から遠ざかることである。作品には骨格や脊髄とおなじように肉体や雰囲気がいるのに、作品を論じながらじぶんを作品にしてしまうのは、それ自体が背理としてしか実現されない。批評が批評として終りをまっとうすることは作品にならない言葉を、酒の酔いや幻覚など一切かりずに綴りつづけることを意味する。近代批評は、やっとひとりの批評家をのぞいて終りをまっとうしていない。
批評が批評であることは苛立たしい索漠でありつづけること、言葉の砂を口に押しこまれるような体験に身をおくことにちがいない。けれどこの体験を持続してゆく歳月のうちに、対象への視線が微妙に変容してゆくことがわかる。ここでいう変容の意味は〈立場〉とか〈理念〉とかの変容ということではない。対象である作品にたいする臨み方の変化のようなものをさしている。かつては作品は驚くべき明確な手触り、鮮やかな光線が、陰影や輪廓に沿った情操と一緒にあったのに、次第に骨ばかりに崩れて、どんな肯定的な空間形式も、延長性もない廃墟のようにおもわれてくる。ついには空虚そのもののように手ごたえもなくなり、ただ言葉だけを祭礼の寄付金のように募りつづけるようになる。それでも批評は持続されなければならない。何のために? それでどうするつもりなのだ? それともこんなことをしていても仕方のないことを批評はしているのか?
この問いにおいて批評は、はじめて何かをしているらしいのだ。何か歴史的な事象のようなものに、ただ言葉の予感、それも必然的に衰弱の表象をともなった予感によって、参画しているらしいのだ。それはただ対象になった作品を、批評が枯死させていることで識知される。じぶんを枯死させている言葉だけが、作品を枯死させることができる。批評は死につつある言葉、しかも自覚的に死につつある言葉だ。
批評は作品の言葉が行方不明でまったく消息を絶ったり、思いもかけぬ他所で人知れず横死していることなど、ありえないのをすでに熟知している。時代が言葉を囲んでいてその囲いの外へ言葉はとび出すことはできない。ただ粘土細工のような言葉の地表を、起伏に沿ってなぞっているだけだ。作品が生きているのにそれを書いた作家が自殺してしまったとき、作家は言葉の地表にじぶんで穴を掘って埋もれてしまったことになるのか、それとも地表の亀裂に墜ちこんで消えてしまったことになるのか。これは自然死とどこがちがっているのか。というのは自然死した作家もまた、地表に穴を掘って埋められるか、亀裂のあいだに身を横たえて眠るかすることにかわりないからだ。言葉の地表、時代的な囲いという概念、作品が彷徨できる時代的な範囲という概念を信じるかぎり、作家は自殺することも自然死することもできないで、ただ悲劇を演じることができるだけだ。
批評は悲劇を演じることができない。その力量がないといってもおなじだ。批評では悲劇はただ意識され解読されてしまうだけだからだ。どんなに逆説的に響いても、悲劇を演じることができるものは、幾分か幸福な存在たちである。いま作品が幸福な存在だとして、その幸福はどこに潜むことができるか、どこに棲みつくことができるかは明瞭である。言葉の時代的な地表を微かな足音で歩いている足どり、地表を踏むときの響き、かかとの裏側、その接地の仕方といったようなものがあれば、そこにだけ作品の幸福が潜んでいる余地がある。それを文体と呼ぶべきか形式と呼ぶべきかは不定だが、意味を排除したときの価値がありうるとすれば、そのことを指している。批評が説明し解釈せずに、作品のそのエロスの場所を浮彫りにできれば、その瞬間だけは批評もまた作品でありうるだろう。だがつぎの瞬間には作品のエロスは匿されてしまう。
ここで批評は悩みのほかに困惑と焦燥感をもいだいている。これは近代批評の古典時代には感じなくてよかったものだ。この困惑と焦燥は、批評の(ように使われる)言葉が粉砕機にかけてどんなに微粉化しても、なお粒子状であることをやめないという比喩でいうことができる。これで作品をしゃくりとろうとすれば、どんな理想的な状態を考えてみても、作品はいたるところ孔の開いた多孔質のものに変貌している。再現そのことは批評にとってたんに前提にすぎないし、その前提にしても志向された前提だけれど、まず批評の言葉の水準に作品がもたらされなければ、批評という行為が成り立たない。この前提のところで批評の言葉は、粗密と濃淡だけではなく亀裂と空孔、誇張と強調とで、作品をぼろぼろな布地に変形させてしまう。そして批評は現在でも作品の誇張や強調点と、批評の言葉の誇張や強調点とが織りあげる網目によって、原型とは似ても似つかない表情にされてしまうのを免れない。
わたしたちは生と死のあいだにはさまれて存在している。存在している現前の姿勢は、生のなかに死を調合し、その匙加減の難しさをいつも背負っていることを意味している。このあいだに批評の言葉はすこしずつ培養されているのだ。この言葉が倫理、理念、歴史のようなものの影と重力を背負わないということはありえないし、また遊戯や休息を惹きいれないということも嘘になるだろう。批評が知的な謎解き(究極にはその謎を解いたときの快感)になってゆき、その競合いの競技になってゆくのは、きわめて現在的な課題であるとともに、それが世界の水源から流れてくるとき、なによりも歴史の停滞を象徴しているのだ。批評の言葉が倫理、理念、歴史の重力をうけているとすれば、その重力を場とか雰囲気とかではなく素的な粒子としてとりだし、意味をもつ実体のように現前させるのは、これからの課題に属している。批評はいまのところ無意識に倫理、理念、歴史を包みこんでいるにすぎない。批評が倫理、理念、歴史を意図しているようにみえるとき、また露骨にその意図をむき出しにしているとき、ほんとうの倫理、理念、歴史は、その意図された言葉の個所でいちばん隠蔽されているのだ。
ある種の作品があり、その作品が言葉で感覚の��の動きを再現しようとしているばあい、批評の言葉はいちばん困惑にさらされるようにおもわれる。何かを解析しようとすると、作品は水のなかを潜りぬけているように頼りなく、また批評の言葉とその網目を透過して、直接自我に届いたり消散したりしてしまう。けれどこれは作品そのものであるような作品なのだ。感覚そのものが言葉と出遇い、言葉そのものが過不足なく時代の透明度になっている。批評はそのような作品に遭遇したときには、言葉を使わないでいるか、あるいは作品の水のような透明度を再現するために、言葉を無限に微細な粉末のように行使するのを余儀なくされる。けれど水のような作品を捉えるために言葉は無効であるようにおもわれる。言葉には網状の手かせ足かせがともなっているから。
批評の言葉はいま停滞する時代の厚い層のなかを通過し���いる。そのために幾つかの装身具、以前ならば瞬間的に通過してしまうために、まったく必要なかった種類のあいまいな装身具が必要になっている。批評が現在当面しているのは究極的につづめてしまえばそれだけだ。裸でがむしゃらに通過できるとおもっていた批評は、ただ時代の空気だとみなしてきたものが意外にも重さや息苦しさになりうることを実感している。この厚い層はとりとめもないかわりに、離脱するのに無限の潜行時間がいるようにおもわれてくる。だれもその果てを指すことができないし、それを終らせることもできないように感じられてくる。装身具が必要だとして薄くても長い潜行時間に耐えるものでなければならないし、また耐えていくうちに鈍磨してゆく皮膚の感覚を恢復できなくてはならない。
批評の言葉は時代のこの空気のような、あるいは水ガラスのような層の厚さを変えることはできない。その層の厚さは現在の所与の総体で決められるもので、批評の言葉はそれに関与することはほとんどない。言葉は現実の所与の関係だが言葉の方から現在的な所与に遡行することは禁じられている。言葉はただ表現される。そして表現はその仕方自体によって、あるいは跳躍する距り(実現された言葉、あるいは言葉の実現までの距り)によって価値を測られるだけだ。この考え方が批評についての考え方としてどんなにペシミスティクにみえようとも、わたしたちは現在ふたつの方向(それがほとんどすべての方向なのだが)を禁じられている。ひとつは作品の価値を測るのに政治的な色わけを使うこと、もうひとつはいままで倫理的な独白だったものを知的な探偵術、通俗的な知的な稠密さの競りあいに変えてしまうことだ。そんなことは政治的教会か受験学生を相手にやってもらいたい。そこでは教儀にたいして如何に修行がたりないか、いかに戒律を犯した自己を鞭打つかが問題になりうるし、また陥し穴のような奇抜なワナを仕掛けたり、それを見破ったりすることが優劣につながるからだ。
批評の最初の体験はだれにでも思いあたるふしがある。作品の共感する個所、場面、修辞法をとりあげて熱心に語りあったこと。もし自分と同一の個所を同一に感じる相手に出遇ったとしたときのうれしさ。やがてそれは��意に変わる。自分は書くことができないのに読むかぎりは作品を馬鹿にできるという体験。けれどもこの辺りから批評は決定的に錯誤してゆく。批評の言葉が作品となりえないことの根源はこのあたりに存在している。これは批評の言葉が高度になっていっても、いつまでもつき纏ってくるに相異ない。むしろ批評は作品ではなく、また作品について周囲からとやかくいうことでもなく、ただ世界に基準などのようなものが存在しないことの普遍的な態度の宣明のように考えられてくる。
批評の言葉が決定されるのは現実の社会の真ん中においてだ。けれどもこれをとりだすのはどんな音も聴こえない内部のふところの奥からのようにおもえる。凍っているのに冷たくはない、そして冷たくはないのに物音ひとつしないあの世界��らしか言葉はやってこないような気がする。このことのなかに言葉の現在における運命のようなものがあるのではなかろうか。映像、イメージ、音響がすさまじい速さと規模で空間形式を埋めてゆく。言葉はじぶんを時間化してゆくよりほかなくなっている。言葉は坐したまま歴史に参加するのだが、その音声は嗄れている。
言葉というものの正体は、ほんとうは不明の部分があまりにおおすぎる。ただ批評は意味に惹かれて正体不明のまま言葉を使っているのだ。言葉を使っているとき、言葉は道具にならない前から使われ、道具になった後からも使われている、というように使っている。それは内的な軌跡であって軌跡でありつづけるようにしか使われえない。
言葉を使うべきだ、言葉を使う以前だ、言葉を使うことができない、こういう言葉にまつわる状態の全体のうち、もっとも困難にみえる極端なばあいはつぎのようにあらわされる。
何も思考を開始しないまえの集中の状態が息をつめたところにこしらえているようにみえる領域、その記述
それと、
人間より大きなあらゆる素材から成立っているかのように思考するとき出現する世界、そこに人間の影がないことからくる平等のようにおもわれる世界、その記述
このことで何をいいたいのかは明瞭であろう。批評の言葉はいつも作品のなかに作品の概念をささえているようにみえるこの極端を、網目にすくいとれないのではないかと危惧しているのだ。批評の言葉はいつもどんなにしても作品より真面目すぎる。忠実に作品を追いすぎるために作品を追越し変形させ色を塗りつけてしまうのだ。作品のでたらめさが現実の出来ごとのでたらめさと等しいとすれば、批評も作品のでたらめさと等しいでたらめさをもっていいはずである。だが批評はいつも作品より生真面目で直線的になる。この批評の悲劇は作品が悲劇であるときだけ辛うじて釣合っているようにみえる。
わたしたちのあいだで優れた〈作品〉はことごとく悲劇的にあらわれてくることは自明である。このばあいの〈作品〉はあくまでも具象的なものを指すので、作品という普遍性を指しているのではない。もっと厳密にいえば世界の屋根がどこにあるかを絶えず意識に計上しつつ形成される〈作品〉といってもいい。喜劇的な〈作品〉、機智をにぎやかにする〈作品〉、細密な細工のような〈作品〉、その他膨大な〈作品〉の群れ、それらはすべて〈作品〉である。だがそれらはまだ(あるいは永続的に)悲劇に到達しない〈作品〉なのだ。悲劇を介してだけ〈作品〉は普遍的に作品に到達するという公理系の発見こそは、ここで主題となっているそのことである。それを発見した途端に(あるいはその発見を発見するやいなや)読者もまた悲劇のなかに存在するはずである。なぜならばそれこそが公理が公理であるゆえんだからだ。 作品はいつも解読されることを待ちつづけている言葉であり、解読に着手されただけ遠のいてゆく言葉である。悲劇は作品と作者とを結びつけているとともに、作者よりも深いところでまだ意識されていない。もし批評がこれを意識させてしまえば作品はその作品以外のものとなってしまうが、批評はそれをそっともとにもどしておくことができる。はじめから作品といえるほどのものは可塑性と一緒に弾性ももっているからこのことが可能なのだ。
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「鈍色幻視行」読了
2024/7/6
恩田陸「鈍色幻視行」集英社
つまらなかった。
飯合梓(恩田陸)の「夜果つるところ」の後編という位置付けだと思ったので読んだけど、読んでいる間何を読まされているのかわからなくてすごく苦痛だった。
これは結論なのか、答え合わせなのか、舞台の書き割りなのか、恩田陸のネタバレ小説なのか。
長大な小説で、498ページまで実につまらない。
そこから少しじわじわと面白くはなるんだけど、最後の締めがどうにも中途半端。重い旅客機がじわじわと高度を上げて飛んだらよく見たらプラモデルだったみたいな感じ。
もう一度「夜果つるところ」を読んだらあるいはもっと理解が深まるかもしれないが、こんなごつい本、別に再読しなくてもいいような気がする。
恩田陸は、ホラーが面白い。これはホラーにもなり切れてなくて、ダメだった。
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G1 航空参謀
白い肌を汚すように伝い落ちていく一筋の赤には見覚えがあった。涙の跡が残る頬、乱れたままの髪、苦悶に歪んだ唇から漏れ出す意味のない音の羅列。それらに酔い痴れながら、蕩けそうなほどの柔らかさと灼け付くような熱さに溺れていたあの時、目にしたものとよく似ている。
あてもなく基地をぶらついているうちに、気が付けば彼女の部屋に辿り着いていた。無意識のうちに足を運んでしまうほど、その存在が自分の中に根を張っているということなのか。それとも単に酒のせいで思考回路が鈍っているのか。いずれにせよ、あまり良い傾向とは言えないだろう。スタースクリームは小さく嗤うと、扉のロックを解除して室内へと踏み込���だ。 薄闇に包まれた部屋の中はしんと静まり返っていた。空調の微かな駆動音だけが静かに響き渡る。いつもならばまだ起きている時間のはずだが、今日は随分と早寝をしたようだ。 持て余すほど広い寝台の上に目を向けると、シーツの海に埋もれるようにして眠る少女がいた。胎児のように体を丸め、穏やかな呼吸を繰り返すその姿はひどく無防備だ。そっと歩み寄り覗き込むように身を屈める。すると気配を感じたのか、ふるりと睫毛が震えた。ゆっくりと持ち上がった瞼から現れた瞳がぼんやりと宙を彷徨ったあと、こちらの姿を���えて焦点を結ぶ。目の前にいる相手が誰かを認識するなり、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせてみせた。 「……スタースクリーム」 どこか舌足らずな響きを伴う声が、自分の名を呼ぶ。そのことに奇妙な充足感を覚えながら、スタースクリームは寝台の上に投げ出されたままの白い腕を掴むとそのままぐいと引き寄せた。まだ意識がはっきりしないのか抵抗なく倒れ込んできた小さな身体を抱き留め、膝の上に座らせるようにして向かい合えば、絡み合った視線の先、赤い双眼に映り込んだ己の姿が見える。劣情に塗れて獣じみた表情を浮かべる、ろくでもない男の顔がそこにあった。 「……どうしたの? 眠れない?」 だというのにこの女ときたら、まるで警戒の色を見せようとしないのだ。それどころか幼子でもあやすかのように手を繋がれ、優しげに微笑まれてしまう始末である。まったくもってたちが悪い。その愚行も、無知も、純真さも。なにもかもが忌々しく、そして愛おしかった。 「お前なぁ……俺がどういうつもりでここに来たと思ってんだ」腹立ち紛れに組み敷いて、痩せっぽちの肩口に歯を立てた。嗅覚センサーを刺激する甘ったるいばかりの芳香も、所有印のつもりで刻んだ噛み跡から滲む鉄臭さも、先程まで煽っていた安酒などより遥かに酔わせてくれる。「痛いよ、スタースクリーム」咎めるような言葉とは裏腹に、その声色はどこまでも穏やかだ。怯えや拒絶といった感情は欠片も見受けられず、むしろ愉悦すら孕んでいるように思えてならない。口内に拡がっていく錆びた味を堪能しながら、もっと寄越せとばかりに深く探れば、くすぐったそうに身を捩って笑われた。その生意気な口を塞いでやろうと顔を上げたところで、不意に伸びてきた手が頬に触れる。そのままゆっくりと降りていった指先が喉を撫ぜて、悪戯にそこを弄んだ。幼子の次は猫扱いときたか。 「……それで誘ってるつもりかよ」 「うん」 辛うじて絞り出した悪態にさえ躊躇いなく肯定されては��の句も継げない。呆気に取られているスタースクリームのことなどお構いなしに、少女は心底幸せそうな笑みを浮かべて囁く。 「いいよ。好きなだけ食べても」 このうえなく完璧な誘惑だった。抗うことなどできやしない。こんな誘い文句を一体どこで覚えてきたというのか。健気なまでの献身ぶりがいっそ憎らしいほどだ。 「後悔しても知らねえぞ」我ながらなんとも陳腐な脅し文句だと思いつつ、それでも口にせずにはいられない。けれど彼女はその言葉を耳にして、ますます楽しげに笑みを深めるだけだ。 ふと、酒精に侵されて口走った戯言を思い出す。惚れた腫れたなんてものは所詮、馬鹿げた幻想に過ぎないと思っていた。ましてやそれが自分自身に降りかかる日が来るなどと想像したこともなかった。だが、どうだ。自分は今まさにこうして、滑稽極まりないごっこ遊びに興じようとしているではないか。愚かしいまでに純粋な想いに囚われ、身動きひとつ取れぬまま溺れ続けている。まったくもって度し難い。 「しないよ」 ──だから、最後までちゃんとたべてね。 無垢な天使の歌声のようでも、あるいは淫靡な悪魔の囁きのようでもあるその言葉に誘われるがまま喉元へ喰らいつけば、頭上から満足げな吐息が零れ落ちる。喰われているのは果たしてどちらなのか。そんな益体もない考えは、やがて訪れる快楽の波に呆気なく呑み込まれていった。
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雨濡れ色のペトル残響 雨請い 期待
大変換のときのジーナ・チャイカについて
水溜りだらけのコンクリートの上で、仰向けに寝そべりながらも、ジーナ・チャイカは空を見つめていた。
雨が降り続ける。なんの変哲もない日常が溶け出していく。それを見たジーナは、小声で歌を歌った。幼い頃に離婚し、顔も覚えていない父親が酔っ払ったときに歌っていたものだ。歌詞の一部しか覚えていないそれは、父の故郷での流行ったものだと母から聞いている。
ジーナが歌うたびに母は嫌な顔をしていたが、それでもこの無秩序を生み出し、混沌を飲み込み、静謐を降り注ぐ雨に対して、父が残した歌は合った。
罪を背負った男が、愛した女のために戦場へ向かう。帰ってきたら結婚しようと将来を約束し、そして二人の夢だけが遺された。そんな陳腐なラブストーリーの主題歌だった、とジーナの母親は歌の由来を教えた。酷評する母親は、その映画のタイトルさえも思い出せず、ジーナがインターネットの海からありきたりな映画を探し出す労力は多大だ。だから、諦めたし、いつかに期待した。
この歌は、期待だ。
困難に立ち向かうとき、理不尽が襲いかかったとき、夢だけを頼りにしなさいと教えてくれる期待の歌。
濡れた制服は肌にまとわりつき、雫が顔の肌を伝い、地面へと垂れる。泥水を吸った髪は乱雑に広がり、溺れるほどに雨はふり続けた。
ジーナの視界に映る有象無象は、徐々に姿を無くしていく。
学校の一角が、逃げ遅れた人々の姿が、消え去ったところで、彼女は起き上がった。
カシャンと手に持っていたメガネが滑り落ちる。慌てて拾い上げた彼女は、その丸いレンズに着いた水滴を払うと、顔にかけた。
ダサイ、ダサイと散々言われていたワンピース型の制服は、紺色から真っ黒に染まり、同じように真っ白だったブラウスもまた黒になっている。唯一の色は、襟元にあるリボンくらいだ。それは、とても美しい青色をしていた。宝石のように輝く色に、ジーナは嬉しくなって、二度三度とリボンを撫でる。
喜ぶジーナの口から漏れ出た笑いを打ち消すように、女の悲鳴が上がった。
せっかくの気分が台無しだと思いながらも、ジーナは振り向く。そこにいたのは、彼女を凝視する生徒や教師たちだった。
彼らの前にいるジーナの周囲は、文字の山ができていた。先ほどまで阿鼻叫喚の悲鳴を上げて、もがき、苦しみ、死にたくないと嘆き、助けを求めた多くの生徒たちの成れの果て。避難場所は限りがあり、その限りからあぶれた者たちの末路。勝手に価値を決められて、力任せに外に出されたそれらの中で、ジーナだけが立ち続けていた。
「なに……あんた、なんなの?」
怯えた女子生徒が、ジーナを指差して呟く。
「なんで、生きているの」
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、の大合唱が、ジーナのクラスメイトや教師たちから発せられる。それは聞くに耐えない、醜く、不恰好な合唱だった。
「……うるさいわ」
耳を塞ぎ、顔をしかめ、ジーナは不快感を露わにする。
「なんで? そんなの分からないわ。でも、これだけは言える。私は勝ち得たの。選ばれたとも言うわね」
睨みつけるように、彼女が宣言すれば、不協和音に近い合唱は止んだ。そして、次に彼らがやったのは、自分もまた雨に勝つかもしれないという幻想への度胸試しだった。
学年でも有名なお調子者が、その指先を外に出す。けれど、あっという間に文字と化していき、彼は悲鳴とともに中へと逃げて行った。二人、三人、四人……見える範囲で、次々と試し、次々とその結末が文字であることが共有される。
誰もがジーナを見下して、誰もがジーナだけが生きている事実を不平等だとなじり、誰もがジーナごときが選ばれる理由を貶めた。それだけジーナ・チャイカは、彼らにとって取るに足らない、見下す対象なのだ。
彼女は引っ込み思案で、強くものが言えない性格もあり、面倒ごとを押し付けられてしまう貧乏くじを引くタイプだった。
運動は苦手、トップとまではいかないが学年内では上位の成績を収めているため、教師からの評価はいい子。ただ、周囲が活動的なタイプを是とする環境だったために、これまで日の目をみることはほとんどなかった。
唯一彼女らしい彼女の特徴は、本好きであること。しかし本にのめり込みすぎて、少しクラスでは浮いていた存在。
それがジーナ・チャイカという、小さな田舎町に住む、閉ざされた学校環境で貼られた彼女の評価だった。
��び、なんでの大合唱が起きるかと思いきや、今度は嘲笑が起きた。さざなみのように広がる嘲りが、徐々に崩れかけた校舎全体に広がる。それは、無機物が生きているような錯覚をさせた。
校舎内の腹わたに巣食う人間たちが、まるで一つの生物のようにジーナを見下す。
風が彼女の髪を揺らした。
雨が彼女の頬に当たった。
曇天の暗闇が彼女を覆う。
それでも嘲笑は止まなかった。
ただ独りで立ち続ける彼女を、その場で人間という種を代表する彼らは、魔女裁判で火炙りを求めるように、罰を口にし始めた。ついでに雨で文字化されない彼女をどうやって利用するかの審議が始まった。
その瞬間、ジーナは彼らへの期待をやめた。原因不明の、大災害とも言えるほどの、この奇妙な豪雨において、何も変わらない彼らへの期待を彼女はやめた。
そうして、天啓のように、この雨はこうして醜い人間たちを消すために存在しているのだと悟った。悟りといいながらも、ほぼ確信であった。
だから、彼女は等しく彼らも雨の下にいるべきだと思ったのだった。全身が雨に濡れて、選別は完了する。それに、まだ試していない生徒や教師たちも多い。もしかしたら、ジーナのように文字にならない人もいるのかもしれない。そうしたら、きっと変わるだろう。こんなくだらない審議も、侮蔑も、レッテルも存在しない世界に足を踏み出すべきなのだ。
変化を望むジーナはそうして期待を胸に、彼らの手を掴みに向かったのだった。
一人目は、うっかり掴んだ手のひらを砕いてしまったようだった。
突如掴まれた手が鈍い音を立てて、悲鳴をあげようとしたら彼は気がついたら雨の下にいた。
二人目は、足を掴んでしまったので頭を打ちつけてしまったようだ。雨の下に放り出されたときには、すでに動かなくなっていた。
三人目で、握力が強くなっていることに気がついたジーナは、手加減をしたが、勢いをつけすぎて失敗してしまった。手首ではなく、からぶった手は相手の肩を叩き、左腕が吹っ飛んだ。血が雨のように降り注いで、そこで周囲は事態をようやく認識したようだった。
ジーナから逃げ惑う人々が、サメが魚の群れに突っ込んだときに、側からみるとぽっかり穴があくような動きをした。
ジーナが一歩動けば、虚無の円は一歩分ズレた。
四人目はジーナに友達を作れといった教師だった。
五人目は隣のクラスで人気者の男子だった。
六人目は生徒会長の推薦文を読んだ生徒だったはずだ。
七人目は本ばかり読むジーナを根暗と言った女子生徒だった。
八人目は憧れの人の彼女だった。
九人目は下の学年を示すバッヂをつけた男子生徒だった。
十人目はクラスで有名な不良だった。
「ああ、これは面倒だわ」
クラス委員、よく隣のクラスから来ていた子、女子に騒がれていた男子、学年主任に目をつけられていたギャル、大きな派閥の中心核、大会で表彰されていたはずの人、先輩の学年カラーを身につけた人、名前も知らない、見た��えのない同じ学校に通っていた人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、生徒、人、人、人、人、人、ひとだ、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、ひと、人、人、人、人、人、人、人、人、よく通学路で見かけた、人、人、人、人、人、人、校門で立っていた、人、人、人、人、人、ヒト、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、爽やかだった人、人、人、人、人、人、貧乏人、人、人、人、人、人、人、人、人、ブランド物が好きだったはず、人、人、人、教頭、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人間、人、人、ヤンキー、人、人、人、人、男、人、人、人、人、人、人、人人、人、人、修学旅行で教師に怒られていた人、人、人、人、人、人、泣いている人、人、人、人、人、人、人、人、男子、人、、人、人、人、人、人、人、頭でっかち、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、名前もしらない人、人、人、人、人、人、人、どこにでもいる存在、人、人、人、人、人、人、人、人、親身になってくれた友人、人、、人、人、生徒、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人人、人、人、きつい性格で有名だった、人、人、馬鹿、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、どこかの誰か、人、人、人、人、人、将来を期待されていた優等生、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、教師、人、人、人、友人、人、人、人、人、女、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、誰だろう、人、人、人、人、人、漫画を貸し借りしていた人、人、、ひと、人、人、ブス、人、人、人、人、人、人、人、人、人、どうでもいい人間、人、ギャル、人、人、人、人、人、人、ひと、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、お金持ち、人、人、人、人、デブ、人、人、人、人、人、人、誰か、人、人、人、人、パンを食べていた人、人、人、人、笑い声が大きかった人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、女子、人、人、人、人、美人、人、人、馬鹿にしてきた人、人、人、人、人、人、人気者、人、人、人、人、人、人、人、人、よく注意してきた人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、お調子者、人、人、人、人、人、人、数学教師、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人……。
最後の二人になったとき、ジーナはやっと終わると思っていた。
校舎の一角。彼女の前に怯え切った少女が座り込んで、嫌と泣き叫ぶ。許してと言われても、ジーナは彼女の何を許せばいいのか分からない。
これは儀式なのだ。
ここに避難したとしても、校舎は刻々と文字になり、崩れている。彼女が外に出した人々以外にも、結局雨に打たれざるを得ない人々はいた。そう、最初から生き延びるためには、文字にならないことが絶対条件だったのだ。そんなことも、ここの生徒や教師たちは気づかなかった。
ジーナは呆れ、指摘した。
「じゃあ、どうやってこの雨から逃れるの? どうしたって、時間とともに校舎は崩れるわ。そうしたら、同じことよ。私だって、仲間が欲しかっただけだわ」
文字になるのなら引導を、ならないのならば仲間を、の言葉に、少女は食ってかかる。
「もっと別の道があったかもしれないじゃない! 少しでも、助かる道があったかもしれないじゃない! あんたがやったのは、ただの虐殺よ」
その言葉に、ジーナは薄く笑う。その笑い方は、最初に校舎内で響いた嘲笑とよく似ていた。だが、彼女は似ていることに気づかない。
「子供ね、とても。あなたは子供でしかないわ。期待を胸にしたのは、あなただけではないわ。私だって、そう。……それに、最初に私たちを外--雨の下に出したのは、あなたたちだったじゃない」
自業自得よ、と呟いたジーナは、少女の腕を掴む。嫌だと暴れる彼女を無視して、その場を動こうとした時、天井が崩れた。
「……あ」
静かに驚いた声をあげたのは、少女か、それともジーナか。
文字が少女の上に落ちていく。奇しくも、少女の腕だけが文字化を逃れ、ジーナの手元に残った。
「……あーあ。結局誰一人として同じ人はいなかったのね」
ポイッと残った腕を雨の中に放り投げて、ジーナはその場を後にした。
「とりあえず、家に帰って……家まだあるかな。荷物作って、足りなかったら適当に他の家を探せばいいか。お母さんは、仕事中だったはず。ああ、携帯が文字化したのは面倒だなぁ。……うん、とりあえず、お母さんの職場に行って、お母さんの無事を確かめて……あとは」
つらつらと、この後の段取りを決めていくジーナは、清々しい表情を浮かべていた。先ほどまで大変面倒な作業を終えて、疲れはしたが達成感に溢れているらしい。
「そうだ、都会にいくいい理由になるよね、これ。私と同じ人が、きっと都会だったらいっぱいいるかもしれないし」
服これで大丈夫かなぁ、と心配する彼女は、足を自宅へと向ける。
「きっと私と同じ選ばれた人なら、こんな面倒で怠惰でくだらないことをしないはずだよね」
ジーナは、昼の夏空のように染まった瞳に期待を乗せていた。
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自分の精神疾患と向き合う ~単極性傾向大うつ病というもの~
私は精神疾患、単極性傾向大うつ病にかかっている。
表向きでは新卒で入った会社のセクハラ、パワハラ、過労が原因だと言っているが、実は、医者からはうつ病にかかった理由は「原因不明」だと言われている。
そも、うつ病という診断自体が、「原因不明」とセットで名付けられる症状なのだ。(原因がはっきりしている場合は適応障害という)
私「原因不明……え?だってこんなに思い当たる節があるのに……?」
医者「はい。原因のある適応障害だったら、その環境から離れた途端に持ち直す事が多いものですが」
私「(そりゃそうだな……)」
医者「ですが、貴女の場合、その最悪な支社から離れて、本社に戻ってしばらく落ち着いたというのに、うつ病の症状が止まないんですよね」
私「そうなんですよ……それが不思議で不思議で……」
医者「なので、それが直接的な原因ではないと判断しました。セクハラ・パワハラはあくまできっかけとしか言えないと思います。そして、今までの証言を見る限り、貴女はそれ以前にも、高校生時代にも軽いうつ病にかかっていた可能性が高いとも見えました」
私「え……!?」
医者「貴女は実は、高校生の時から病的のまま過ごしてきたのです。そして社会人でのストレスがきっかけとなって遂に重い症状が現れ、今までの我慢が爛れ爛れて、適応障害をも越える症状を起こしてしまったのでしょう。しかし一方で、私の経験を見る限り、高校生時の悩み(進路の不安、先生への不満)では、うつ病に罹る直接的な原因としては足りない様な気がします」
私「え、ええ。憂鬱だったのはむしろ小、中学生時代ですし、高校の時は自分の努力不足だと……だから、うつ病に罹っていたとも、夢にも思っていなかったのですが……」
医者「そう、そこでも時期がズレている。しかし、要因がなくとも、貴女が当時起こった症状の羅列は間違いなく軽いうつの症状なのです。要因がないのにうつになった、不思議ですよね。じゃあ、そこから辻褄を合わせると、貴女はそれ以前よりもうつに罹りやすい因子を持っていたとも言えるのです。貴女のうつ病の「原因」はそこにある。おそらく、貴女の生まれた時からあるずっとずっと根本的な「何か」。本来、それ程のものでないと、「原因」だと断言する事は出来ないのですよ」
今思えば、仕事と縁の引きは凄く悪かったものの、医者の引きは凄く良かった様に思える。(皮肉すぎる)
案の定、先生は凄く評判の良いおじいちゃんで、寛解した後は、あっという間に予約も一杯になり、今ではもう診察をお願いする事が出来なくなってしまった。
ちなみに、私が高校時からうつ病と指摘された症状は、軽い順に並べて以下の通りである。
①素ではあまり元気がない(でもそれが一番リラックスしている状態)
②美味しいというあまり気持ちが分からない(だから食事シーンや場面に他の人と比べてあまり興味がわかない、ご飯ツイートも滅多にしない)
③生まれたくなかったと常に思う、自分の誕生日が大嫌い(Twitterを始めた11年前からある)
④すごく落とし物、無くし物が多い(何度駅や会社に電話かけたか分からない)
⑤自責の念、罪悪感、
⑥それの反動による怒り、憎悪の蓄積
⑦頭痛
⑧倦怠感、疲労感、
⑨判断力の低下、語彙力の不足、パニック
⑩過眠(よく不眠がうつ症状の症状とされるが過眠も実は症状の一つである)
⑪食欲減退(②の重いver、ちなみに過食もうつ病の症状である)
⑫無感情(どんなグロ画像を見ても何も思わない位)
⑬セルフネグレクト、自傷行為(こめかみを無理くり引っ搔いて血を流した事がある)
⑭希死念慮
⑮自殺未遂
その中でも①~⑦は高校生の時から慢性的に、⑧、⑨はストレスがかかる度に起こり、⑩~⑮は症状が重くなった時に起こる。しかし一方で、更に強いストレスがかかると、色んな過程すっ飛ばして⑬、⑭、⑮だけが突発的に表れる事もままある。それは、うつ病と診断された後の寛解後に始まった事だ。私は一度重いうつ病に罹ってから、実は結構取返しのつかない所まで行ってしまったらしい。(高校生の時、きちんと治療を受けていればこういう事にはならなかったんだろうな……)
一方④は「性格の問題では……?」とは思ったが、先生曰く、それでは他の検査結果との辻褄が合わないから、うつの症状と捉えるのが妥当との事。さいですか。
私の場合、生まれつき持っているうつ病の直接的原因である「何か」を持ち(心の中にある風船)、それがネガティブ、几帳面、完璧主義、HSP(非常に感受性が強く敏感な気質)と呼応して膨張し(空気)、それがストレス(仕事、プライベート)(針)のために爆発し、それにビックリして心が止まる、また共に破裂すると言うのだろう。それを薬やカウンセリングで空気を抜き、針の先を丸め、萎ませ続けているのが今の状況という訳である。しかし、風船は何度でも表れて死ぬまで消える事はない。つまり、永遠に治る事はない病気なのだ。
以上をふまえ、私の精神疾患は「単極性傾向大うつ病」と見なされている。「傾向」とあるのは、単極性なのは有りえない!全てのうつは双極性だ!という見方もあるんだそうから。(それ位、精神疾患の形は曖昧で、まだまだ研究の余地があるのだ)
単極性傾向というので、私はいわゆる躁状態( 極端に調子がよくなって活発になる時期)を経験した事はない。人からよく「変わらないね」と言われる通り、ホントマジで、性根は一年中いつも疲れている、いつも悩んでいる。いつも憂鬱でいる。 それは年齢も関係ない。高校生の時からずっとそうだった。
頑張っている時は「ああ、頑張ってんな」と自覚して、それが終わった後はきっちり疲れて寝込むし、テンション上がり続けるのも3日(1日の前後もなく)が限界。
妹が、友だちが、誰かと外に出て遊び、また恋を育んで将来への道を歩み続けている間、私はずっと醒めない夢を見続けていた。起きれない。どうしても、起きれなかったのだ。
一度でも良い、どんなに後からどんなに後悔しても苦しくても良い、クスリでもキメて起き上がって、外に出れる時が欲しかった。この時初めて薬物に手を出す人の気持ちが分かった。しかし、皮肉にもそう願う時は、死を願う時と同じ様に、それがどうしても出来ない、動けない時に限ってしまう。
願っても願っても、それでも目を覚ます度に気づくのは、鉛の様に重たくて動かない身体、食べる気の起きないへこんだお腹。
私には終ぞ「その時」は来なかった。今も来ない。きっと永遠に来ない。これからも私には、元気のない日々が続くのだ。
しかし一方で、月経と関係がないのもまた、私のうつの不思議な傾向である。私にはPMS症状は皆無で、月経痛は初日のみ(薬を飲めば必ず収まる)、腰痛は2、3日目(こちらもシップを貼れば何ともない)までと比較的安定している。仕事の日はともかく、休みの日だった場合は心情的に何も変化は起こらない。生理よりはやはり仕事が私にとって一番のストレスらしい。(そらそうか)
そして、統合失調症の症状でもある幻聴は経験した事はない。「お前は死ぬべきだ」という言葉の反復が頭に響く事はあるが、声ではない事は断言でき、自分の心の声である事は自覚している。それも幻聴の一つと言えるのだろうか。
また、幻視や感覚過敏も経験がない。���しろ鈍感になって景色はいつも霞んで暗がっているし、感覚もまるで夢を見ている様にぼんやりとしている。(しかし、健康診断で一切異常がないのホント不思議、やっぱメンタルなんだな)特に味に対して実感が湧かない傾向がある。
この通り、うつ病といっても様々な症状の隔たりがある、そも、うつ病の原因が分かっていないのだから、そうした波があるのも無理はなかろう。こうして、この不思議で不可解で不気味な自分の症状と向き合い、少しずつ形を明らかにしていきたい。
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08170519
夏が、窓の外で始まり、そして終わっていく様を見ていた。昼夜問わずガラスを揺らすほど鳴いていた蝉は、いつの日からか段々と数を減らし、今ではもう夕暮れにヒグラシが数匹、名残惜しそうにキキキキ...と鳴くばかりになった。
窓の外が見えるよう置いてくれたベッドからは、天色の空から降り注ぐ眩しい��光を身体いっぱいに浴び、青々と生い茂る常盤色の木々、そして、木々の奥に広がる瑠璃紺色の海がよく見えた。壁際の時計は、午前9時を10分ほど過ぎた時刻を示している。
眠る前に放り投げていたスマートフォンで1枚、今の己の目に映る景色を切り取った。同じ構図の写真を何度撮ったか分からないが、それでも、まだ健全な指はシャッターを何度か押した。乾いた音が鳴る。
うん、綺麗に撮れた。白いシーツにぱさり、スマートフォンを投げれば、じゃり、と耳障りな音がしたが、もう慣れたものだと気に留めることもなくなった。
窓から目を逸らし、部屋の反対側へと顔を向けた。待ってて、と言って飛び出した割にきちんと閉じられた白い扉は、君の几帳面な性格を表しているようだ。呼び寄せられたのか、程なくして扉が静かに開かれ、お盆を持った君が顔を覗かせた。
「お待たせ。」
ベッド脇のテーブルへ盆を置いた君はお気に入りのウッドチェアーに腰掛けて、俺を見下ろし投げ出したままだった手をそっと握った。心地の良い、三十六度を感じる。
「食べられそう?」
「うん。食べたい。」
「じゃあ特別に、あーんしてあげる。」
「お言葉に甘えようかな。」
毎日のように訪れる君の特別、に甘えようと握られた手を親指でそっとなぞれば、君の頬には微かに朱が差す。君は繋がれていない左手で、持ってきた皿の上、綺麗に剥かれ小さく切られた林檎にフォークを刺して、口元へと差し出した。
「あーん。」
「...ん、美味しい。瑞々しいね。」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ、多分。」
「多分じゃ困る。」
「次、俺の番ね。」
君の手から奪い取ったフォークは生温い。几帳面に並んだ林檎を一つ、君の口元へと運ぶ。ハムスターみたく丸い目を嬉しそうに細めた君は林檎を咀嚼し、聞かずともわかる美味しさ溢れる表情で飲み込んだ。俺の手からフォークを取り戻した君はサクサクと林檎達を口内へ運びながら、俺も君も見飽きるほど見た窓の外を眺めていた。
「一つ、頼んでもいいかな。」
「何?」
「手袋が欲しい。」
「...手袋?どうして?」
「ざらつきが気になる。お前に触れる時、それを忘れたい。」
「分かった。頼んでおくよ。久しぶりに、海へ行く?」
「いや、読書したいな。お前の好きな本、貸してくれない?」
「おっけ、選んでくる。」
摩る俺の手を暫し見て、ニコ、と笑顔を見せた君は空になった皿をお盆に置き、自室へと一旦戻っていった。お気に入りのティーセットも持ってきているあたり、君は俺がどう答えても一緒にいるつもりだったみたいだ。心配性が過ぎる、と言いたいが、最早この状態では聞いてはもらえないだろう。
「持ってきたよ。」
「今日は...へぇ、外国作家の本?」
「そう。ツルゲーネフの、初恋。昔からずっと好きな本で、読むたびに、胸がきゅって締め付けられる、切ない初めての恋の話。」
「ありがとう、読むよ。」
「...そばにいても、いい?」
「勿論。」
君はベッドの横に腰掛けて、ティーポットで蒸らしたお気に入りのアールグレイをカップに注いだ。今日はどうやら、レモンティーにして飲みたい気分らしい。飴色に近い紅茶に薄いレモンの輪切りを浮かべた瞬間、とぱあず色の香気がふわり、部屋に広がった。君の手が、傍に置かれた砂時計をひっくり返す。
「.........何か、隠してない?」
「まさか。」
「今更、隠せると思ってる?」
「案外、お前は鈍いから。」
「酷い。」
俺の左、ベッドの脇に座って、自身も持ち込んだらしい古書の、挟んでいたしおりを引き抜いてページを開く君は、部屋に漂うレモンの香りにご満悦らしかった。機嫌が良い。
いつだって俺の左にいたがる君に、なぜ左に固執するのか、一度聞いてみたことがある。君は、何を当然のことを聞いているのかと長い睫毛をぱちくりさせた後、ふわり、嫌味なく笑って、「だって、右利きだもん。」と言った。いつでも右手で抱き寄せられるように、と、笑っていた君に呆気に取られている隙に、自由な右手で引き寄せられキスをしたことが昨日のことのようだ。
「砂時計の進捗は。」
「あまり増えてないよ。」
「寂しい?嬉しい?」
「嬉しい。」
「じゃあ、今から少し、悲しませてしまうかもしれない。」
君の目から色が失せていくのは、何度見ても心苦しい。が、隠し立ては出来ない。勝手に捨ててしまうのは、あまりにも君を信用していない。
左手でそっとめくった布団の下、昨日まであったはずの左足は、膝から下が砂と化していた。
この国では、人間が呼吸する頻度で、奇病が発生する。それは、過去にこの国の首領が引き起こした愚かな核戦争のせいでもあり、進み過ぎた技術に人間が敗北した結果でもあり、一つの星がが滅びゆく末路に用意された、覆すことの出来ない答えでもあった。
幻覚が見え続けるもの、身体の一部が肥大化するもの、幸せな夢の中で息絶えるもの。生き物はそれぞれの末路を、手に負えないことを知りながら皆迎えていった。
あるものは花になり、あるものは石になり、あるものは砂糖になり、あるものは塩になった。
メディアはもっぱら、緩和療法や安楽死の宣伝ばかりになった。医療は衰退した。皆が浅ましく人として生き残ることを諦め、奇病を、自然に伸びる爪や髪のように、老衰で逝く時のように、ただ受け入れた。
踏んでいる地面が地面なのか、人だったものの死骸なのか、もう誰にも分からない。死と生の境目も曖昧なこの国で、俺は、砂になっていく。毎日、少しずつ体表が削れて、どこかしらが砂になって、時折内臓にもガタが来ているのか、吐き出して、俺が砂になるのか、それとも砂に戻るのか、よく分からない。
夜、たわいもない触れ合いをしていた俺の肌を撫でた瞬間、ばらばらと崩れ落ちていった皮膚片が、真夏の太陽に焼かれた真っ白な砂浜の砂のような流砂だったのを見た君は、さぞ驚いただろう。
その時が来たのか、と落ち着く俺を前にして、君は、シーツに散らばった砂を必死にかき集めていた。その顔が今でも忘れられない。大事にしていたティーカップを割って、破片を集めながら申し訳なさに泣いてしまうような、そんな君に、恋人の身体のカケラを集めさせるなんて、鬼畜の所業だと。分かっているはずなのに、俺は今日も、君がシーツの上、足の形に盛り上がった砂を掻き集める姿をただじっと見ていた。
「...ごめん。」
「砂時計、いくつ作れるかな。大きい型、買っておけば、よかった。小さいのしかないから、取っとかないと。」
砂浜に撒いてくれ、そういうと怒るんだろうな。と思うと、向かいの部屋に無数に並ぶ砂時計を、責める気持ちになれない。形に固執する君は、ただの砂も、俺だった砂も、あまり違いがないんじゃないかと、少しだけ思う。
「やっぱり今日からここで寝る。」
「ダメだよ。お前、絶対寝ないでしょ。」
「寝るもん。」
「お前寝相悪いから、蹴られて崩れるかもよ。俺。」
「その冗談、今言うのはタチ悪いよ。」
「知ってる。」
手袋があれば、君に見せないように隠した、崩れかけの右手の人差し指も隠して触れ合えるような気がした。君は案外鈍いけど、俺のことに関しては鋭いから、舐めちゃいけないことを俺はすぐ忘れてしまう。いつまでも出会ったときの、子供のような無邪気さを忘れられない。
「砂時計ってのは、上手いアイデアだと未だに思うよ。」
「そうでしょ。そのために、ガラス細工覚えたんだから。愛情の為せる技。」
「砂に意識はない。感覚もない。庭の砂利と混ぜたら何も分からなくなる。けど、君のそばで時を刻めるのは、気分が良い。」
「時間の共有、人が信頼する過程において最も難しくて、最も有効なもの。そう言ったのは出会った頃の貴方だよ。」
「そんな堅苦しい自論、若気の至りだ、忘れてくれ。」
「忘れてやるもんか。」
ザッ、ザッ、と砂の擦れる音が心地よく、君との軽口の応酬のBGMには丁度いい。君が折角進めてくれた初恋の物語は、語り部の男が過去を振り返り手帳を開いたところで止まったまま、目は文字の羅列をただの記号としか捉えてくれない。滑る目が視界の端に捉えたのは、かき集めた砂の中に手を入れたまま、俯く君の姿だった。
「手を、握ってくれないかな。」
「......うん。」
君がそっと砂山から手を引き抜いて、俺の側に腰掛ける。差し出された細い手には砂粒が付いていて、気にせず指を絡め握れば君の瞳に一瞬、不安の色が映った。
「大丈夫。崩れないから。」
「うん。」
「少し、話してもいい?」
「うん。」
君は大人なのに、時々迷子の子供のように、世界の真ん中で立ち止まることがあった。それは決して他人には��えない、俺だけが見える場所で、俺がいることを分かっていて、立ち止まる。不安げな顔をして、キョロキョロと世界を見回して、疑心暗鬼になって、そしてまた、笑顔を貼り付けて進んでいく。
それがとてつもなく嫌だった。甘えられる場所があるから無理をする、というのは、自由主義の俺から見ればどうにも不器用で、非効率的だった。
「お前が弱くしたんだよ、こんなはずじゃなかった。」そう君は言った。人が人を愛するということが何なのか、俺よりもよっぽど、君が理解していた。
「また、迷子になってる。大丈夫だよ、お前は迷ってない。」
「そんなこと��い。迷う。一人で進んでる振りしてても、ふとした時に、迷う。」
「暗示をかけるのは良くないよ。砂時計があるだろ?迷わないよう、そばにいるって思えるから作った、って言ってたじゃんか。」
「そうやって、突き放す。どうして?」
「突き放してないよ。ただ、お前の時間を止めたくないだけだ。」
「分かんないよ。」
「いくら砂時計と遊んでも、時計の針は進まない。」
君の眼から落ちる雫がシーツの色を変えて、ぽつりぽたりと彩っていく。触れれば少しは身体も固まるか、なんて砂ジョーク、言ったら目を見開いて怒るんだろうな。
「変わらない時間の中で、過去達を抱いて、好きでい続けることは悪いことなの?」
「......悪くは、ない、けど、哀しいよ。」
「それは、自分で決める。」
「お前は、俺が最後に好きになった人だよ。それ以上でも、それ以下でもない。」
「お前はいつも、人の話を聞かない。」
「聞いてるさ。お前の言葉も、声も、全部聞いてるはずだよ。」
君の手の甲を撫でると、ざらり、とした感触の合間に、つるりと滑らかな君の肌の感覚がまだ伝わってくる。愛、とは。分からない。辞書を引いて出てくる意味で合っているし、間違ってもいる。世間にとっての愛、よりも、俺と君の間にある愛は、限定的で、自由で、救えない。
「心の全てを、お前が占めてる。それは、他を蔑ろにしてるわけじゃなく、無理やり埋め込んだ訳でもなく、元からそこに嵌るはずだったピースに出会えたような感覚だよ。」
「知ってる。」
花になる人間が、花を愛していたわけじゃない。氷になる人間が、冷徹な人間だったわけでもない。死因に、生前との因果関係は認められていない。ただ、素人ながら、俺はきっと砂になって死ぬべきだったのだと、そう思う。君に愛されながら、それでも乾き続けた報いを受けたのだと、そう思う。
「今、お前の目の前にいる俺を、好きでいて。」
「好きだよ。」
「過去も、未来も、今には勝てない。今この刹那を、愛してほしい。」
「愛してる。」
「泣かないで。ねぇ、お前はいつも俺のストレートな言葉に弱いね。」
「弱くない。」
「弱くないね。そう、お前は強くなった。それなのに、手の届くところにいてくれてありがとう。」
今思うことを吐き出しても、君には遺言のように聞こえてしまう今を、俺は愛せているんだろうか。
わからない。分からないから、いつまで経っても俺は隠した砂を使えずに、明日もまたこのベッドで目を覚まして、君におはようと言うんだろう。
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【脈輪詳解】根輪——擺脫幻想
根輪在脊椎的底部。梵文中Mulladhara 的意思是"生命的根源"。Mula 的意思是"根",而adhara 的意思是"基本"。
幻想和不切實際的期待會使根輪緊閉。人若能停止幻想而面對現實,根輪則會開啟。
根輪和性,幻想及期待有關。
性,是人最常有的念頭,最常為人討論,也是最常見的寫作題材, 但也最為人誤解,最令人迷惑!人們不是避而不談,就是沉溺其中。性雖深植於潛意識中,卻一直無人能幫助人們了解性的真諦。人們需要重新建立對性的認識。
人們對性的理解如此有限,像是人走在暗夜森林中,而森林某處有陷阱。人對性避而不談,如同不知道陷阱設在何處,無法避開;人沉溺於性,好比明知前有陷阱,卻毫不考慮的跳進去。這兩種情形都不是明智之舉,那人們該如何是好?找出陷阱,繞其道而行才是上策。
性,一直是個禁忌的話題,只能私下討論。父母親從不跟孩子討論性,主要原因是父母自己也不了解。所有的問題,人們都需要尋求專家的意見,否則得到錯誤解答,而徒生誤解。
一則小故事:
媽媽收到兒子學校老師寄來的一封信。老師信裡寫到,孩子看不清楚黑板上的字,而常寫錯。媽媽馬上帶兒子去看眼科醫生。醫生幫小孩檢查過後,寫下處方——剪頭髮!
這是個有趣的例子。現實生活中,如果一開始就找對人問問題, 會得到正確解答;如果只是盲目聽從所謂的"權威",其建議毫無用途,只是浪費時間。更糟的是,人們把這些"權威"建議, 傳承給下一代。多年以來,人們以奉其為圭臬,打破傳承幾乎是不可能的事。
跟隨大師學習時,大師做的第一件事,就是先去除人們心中既有的定見,惟有如此,大師的教誨才能深入人心,帶領人們認識真正的自己。這是項艱鉅的任務,因為人們已十分熟悉既有的模式, 不覺得有何不妥。
回到我們的主題:什麼是性?性是一種極具創造力的能量,是一種冥想的能量。因為性,世界因而存在。
印度愛經(Kama Sutra)- 是本有關性技巧的書,它的作者瓦司雅那是個僧人,他終生獨身。瓦司雅那悟道之後,某天回家探望母親。母親問他,如果他真的悟道,應該對世間所有的事都能有所見地。瓦司雅那同意母親所說,問母親想知道什麼?母親說:"你一出生,我就知道你會終生獨身。你不可能有性經驗。你能告訴我你對性的看法嗎?"瓦司雅那笑了笑,對母親講解愛經。
有人曾問瓦司雅那,是否跟權威人士談論過性的議題。有這樣的疑問是很自然的事。我想你們之中有很多人私下對我也有過相同的疑問。我舉一個現代的例子,來說明瓦司雅那的立場。
有個電工清楚你家裡每個房間電源開關,也熟悉牆壁裡的電路。如果電路發生問題,他能判斷問題可能出在哪,輕鬆解決問題。因為他了解電的原理。然而,你每天可能開關電源50 次以上,卻對電路一無所知。我說的對嗎?
我們大多數的人都只懂得開燈關燈,所以有時候會不小心觸電。即使我們已經為人父母,甚至是祖父母,對性可能還是一無所知。我們長期受荷爾蒙的影響,不管是電視或是其它媒體,都以各種方式呈現慾望。我們看了這些節目,覺得自己徹底了解愛跟性。
只有真正了解性的人,才能傳授人們性的技巧。
多年以來,印度因土地富庶遼闊而幾經掠奪,但都沒有造成太大的損傷,社會秩序終究能恢復。但是印度舊時的導師制度(Gurukul system)廢除之後,導師不得傳授愛經給小孩,這對印度社會才是真正的打擊。人們因不了解性的真義,而追逐慾望。
你們有沒有看過人下棋?只是在一旁看人下棋,往往能看出真正的勝著,但下棋的人卻看不清。有人有過這樣的經驗嗎?你們覺得原因為何?因為觀棋者未陷於棋局之中!
沒有錯!觀棋者無關勝負。壓力只會讓人的心變得魯鈍。惟有局外人,才能給出最忠實的建議。上師是全知的,對所有的事情都能有見地。
所以,性到底是什麼?
生物學上已經證實,沒有所謂百分百的男���或女人。男人有49% 的女性特質,而女人也有49%的男性特質,兩性之間真正的差異只有2%。
人的出生,是由父母的根輪結合而來,所以沒有人是全然的女性或男性,而是同時具有兩性的特質。這也是為什麼濕婆神半男半女的形態。不管我們接受與否,人因同時兼具兩性的特質而完整。為了要有完整的人格,人們必須接受並適時的表現出自己個性中陽剛或陰柔的一面。但這可能嗎?人們真的可以表現自我?
譚崔瑜珈中對於性有很完整的解釋。在譚崔的經典裡記載了濕婆神對帕瓦蒂提出的一段有關於性的對話。祂們的見解雖然是在五千多年以前提出,但是仍然適用於今天的生物學。
人一出生,就被社會歸類成男性或女性,並期待表現出的行為合乎性別。因為社會規範,男孩子不能表現出溫柔的一面,女孩子也不應該有陽剛氣。所以人從小有一半個性中是受壓抑的。
七歲之前,社會規範對人的影響還不算深,因為小孩子還沒有性別的意識,而保有完整個性。小孩多以自我為中心,無憂無慮。小孩子真是美好,一看到小孩,人們就會高興起來。
到了七歲左右,小孩子慢慢感受到社會約束。男孩子不准玩洋娃娃或辦家家酒,女孩子不准玩賽車或火箭。即使在衣著打扮及個人用品上,男孩子多是藍色的,而女孩則是粉紅色,我說的對嗎?
在過去父母的責任只是養育子女。孩子到了四歲左右,父母會把孩子交給導師(Guru)教導。孩子7 歲時,導師會先敎孩子印度經典作為啟蒙。如果在十四歲之前,有人有靈性上的經驗,導師會傳授他們婆羅經,這是世界上最偉大的哲學書。此外,還會傳授愛經中的性學相關知識,人們以此能學習家庭生活。在二十一歲前能悟道的人可以體驗當僧人,其餘的人則開始學習瑜珈經典。小孩子在導師的愛跟帶領之下成長。
今日在社會的嚴格要求下,小孩壓抑不為社會接受的那一半性格,天性受到損傷。去了另一半的性格,小孩忽然覺得無所適從, 開始向外尋找失落的另一半。尋求自我滿足是人們與生俱來的天性。男性不知不覺開始尋找自己失落或壓抑的女性特質,希望尋得替代品,以取代自己失落的另一半。男孩和女孩相互尋找,性就是這樣開始的。
七歲到十四歲,是孩子跟父母最親近的時候。從父母身上,小孩建立起理想異性的典範。對小男孩而言,受壓抑的天性由母親取代,而小女孩則是由父親取代。
所以父母親是孩子心中的英雄/女英雄,這幾乎相沿成習!這樣執著的追尋,為佛洛伊德心理學上所說的戀母及戀父情結的基礎。男孩期望自己的妻子能像母親一樣照顧他,而女孩則期望先生能像父親一樣給她安全感,因為父母留給子女最初也是最深的印象。即使成年後與父母親的意見相背,還是無法抹去父母在心中的印象。
到了十四歲,小孩的身體日漸成熟成為青少年,社會規範不容許跟父母親像兒時般親密,活動也多了起來,不像小時候花那麼多的時間跟父母相處。青少年開始向外繼續找尋自己的另一半。現今可能早於十四歲,因為他們從小看電視或上網變得早熟。
小孩以外界及媒體上的形象為基準尋找另一半,媒體因為深知這一點,所有的廣告都充滿了性暗示,採用極具吸引力的男人或女人為產品代言,即使產品與其毫無關聯。幾乎所有的摩托車廣告中都會出現女性- 事實上有幾個女人會騎摩托車?不管是什麼產品,總有個面帶微笑的女士大力推薦;去買東西時,人們不假思索的挑上推薦產品,卻沒有想到這位微笑的女士可不隨產品附贈!媒體從人們壓抑的慾望中獲利。
所有的媒體都只是在販賣夢想。人們收集所有的夢想,在腦子裡想了又想,希望藉此滿足自己的慾望,但這就像吃鹽止渴一樣, 到頭來只是更渴,不是嗎?如果人們了解這一點,廣告就毫無立即或無形的吸引力。當然人們還是會看看廣告,了解一下市場上最新的訊息,不過不會上當。
媒體帶給人夢想,但另一方面社會又不停的壓抑人們。社會愈壓制,人的夢想跟慾望越強烈。社會能壓制的只是表面,卻沒有徹底解決問題。好比修剪樹枝卻仍保留樹根,樹只會長的更茂密!拜各類媒體所賜,人們在心中建立完美異性的形象。人們從不同人身上擷取精華的部位,鼻子、眼睛、個性等,建立心中的完美形象。我們都會在計算機裡剪剪貼貼,不是嗎?
到了二十或二十一歲左右,對媒體的認同感逐漸消褪,但是完美異性的觀念已經深植內心。在現實生活中滿懷期望的找尋理想對象,覺得對方"會是"什麼長相,"應該"具備哪些條件。接下來的幾年裡,人們不停尋找理想人選,談了一次次戀愛,最後卻都以失敗告終。少數聰明的人終於覺悟,知道夢想不能成真,但大多數的人仍不停尋尋覓覓。
一則小故事:
一個90 歲的老人從早到晚坐在海邊看人。有人問老人為什麼每天都坐在海邊。老人回答說:"我想找個老伴!" 問話的人頗為意外,接著問說:"怎麼年輕時不找呢?" 老人回答說:"我從30 歲開始找到現在。" 問話的人吃驚的說:"你想找什麼樣的女人?"老人說:"我要找個完美的女人。""你一直都沒找到?"這人接著問。"我遇過一個女人,她各方面都符合我的期望,不過我們處不來。"老人說。
這人問為什麼。老人回說:"她也想找個完美的男人。"
事實上,人們希望對方在各方面都能符合自己期望。尋尋覓覓多年,忽然遇到一個人,遠觀好像各項條件都符合:心裡的理想人選要喜歡綠色,這個人身上穿的衣服好像是綠色的。再仔細一看, 他穿的果真是綠的,終於找到完美的人選!
墜入愛河就是如此。人們總說“墜入愛河“,不說“由愛河升起"。其實一切不過是荷爾蒙作祟,人們卻以為這就是愛。事實上, 人們將心裡強烈的渴望投射在他人身上,卻只選擇自己想看的部份。墜入愛河的人覺得世界綠蔭處處,仙樂飄飄。生活像首詩, 多年的尋覓終得告終,人們開始寫詩,為對方作畫………
只要彼此保持距離,一切都很美好,對彼此投以無盡的想像。但距離慢慢拉近,發現對方穿的其實是淺綠色,但你不以為意的繼續過日子,最後終於發現對方其實喜歡黃色,從沒穿過綠色衣服。人們無法接受幻想破滅,開始編織一個個藉口,自我安慰說:" 生活本就不盡如人意。"
人要有極大的勇氣和智慧才能面對現實,無法面對時總是用藉口逃避現實。最後彼此面對面時,發現對方穿的竟是白色衣裳而不是黃色。想找喜歡綠色的人,但怎麼對方喜歡的是白色!這就是幻想與現實的差距!
一則小故事:
某人從三樓滾了下來,一直滾到馬路上。路人趕緊跑過來,關心的問:"你一定摔的很疼。"某人回答說:"摔的時候不疼,停下來才疼!"
人們若對戀愛不是太認真,保持距離還會心存幻想,不需面對現實。只有在想安定下來拉近彼此距離,把戀情維持久一點時,問題才會發生。人的幻想越多,需要更久的時間才能覺悟,而受的傷害也愈大;幻想越少,愈不會貨比三家,麻煩也愈少。如果不心存幻想,人們會較容易遇到自己的心靈伴侶。結婚的對象就是自己的心靈伴侶。
要了解沒有人能符合自己心中的完美形象,因為那並不切實際。完美形像不過是拼湊得來,現實生活中並不存在,到頭來那隻是個幻想。由周遭的人尋找靈感,建立心中的完美形象,其實並無不妥;但是如果只從媒體找靈感,媒體本身都已受慾望所害,如何能給予人指引或安慰?這樣的愛終將以痛苦收場。人們覺得受騙上當,直覺反應是把發生的事怪到別人頭上。能夠怪罪別人嗎?錯還是在自己身上,因為自己滿懷期望,而把期望加諸在他人之上,所以誰該負責?
有��例外情形是因為對方行為反常,以致必須決定是否繼續跟對方一起生活。我所說的理論,並不適用於這樣的例外狀況。我所說的是很多人家中的實際情形,夫妻雙方都很正常卻家庭不睦。雙方都不願正視問題,解決問題,只會將問題巧妙的隱藏起來, 自欺欺人。受傷時應該是馬上處理傷口,但人們卻用金碧輝煌的外衣包裹傷口,告訴自己並沒有受傷。這真是再愚蠢不過!如果你們了解我所說的,就該停止幻想,面對現實。
一則小故事:
某人送朋友一隻小狗當結婚禮物。三個月後,他在街上遇到朋友。"新婚生活愉快嗎?"他關心的問。
"還不錯,只是有點小小的改變。"朋友回答說。"什麼樣的改變?"他好奇的問。"一開始,你送我的狗對我狂吠,而我太太會幫我拿報紙。現在狂吠的是我老婆,狗會幫我拿報紙!"朋友淡淡的說。
蜜月期後就天地變色?難怪只有蜜月,而沒有"蜜年"的說法。不到兩星期,結婚喜悅就消退,即使娶的是名模,只要半個月就看膩了,因為人又開始有其它的幻想。本該追求的是內在的滿足, 但人們卻對此毫無所悉,不停追求外在的假象。
一則小故事:
有個媽媽傳授女兒婚姻之道:"女兒,聽我說,愛一個人就該終生不渝,這才是真愛。"女兒認真聽著。媽媽接著說:"聽我的勸,我是經驗之談,畢竟我結了三次婚!"
人們擅長給別人建議,卻不善於接受建議。每個人對愛、想像, 幻想都有一堆道理可講,但是自己還是不停的幻想。如果人們能學會接受現實,那也還好,但人們真能就此罷手?人們總試著想改造對方,以符合自己心中的形象,這對感情是最大的傷害。佔有對方,改造對方,像改造其它東西一樣,人們畢生致力於此, 永無止境。
一則小故事:
有個油漆工有天跟朋友談起工作上的事。"有一天,有個女孩帶著一張藍黑相間的色卡來,要我依照這個顏色,粉刷樣品屋。
我憑著多年經驗,拼命想要調出她要的顏色, 她卻怎麼都不滿意。"朋友問說:"最後調出來了嗎?"油漆工回答說:"我運氣好,趁著她講手機時,把她的色卡顏色給改了!"
如果仔細觀察每一對夫妻,會發現他們都想改造對方。建議你們結婚的時候,可以送對方鑿子跟槌子當結婚禮物,不用準備婚戒!
另一則小故事:
某人跟朋友有天晚上一起喝茶。他跟朋友說:"我想跟我太太離婚。她已經六個月不跟我講一句話了。"朋友勸他說:"我建議你三思而後行。你再也找不到這樣的老婆了!"
人們一直想在現實生活中,找到一個符合自己心中形象的伴侶。這樣的理想人選並不存在。只要拋開心中的想像,人們有無限的機會。
如果你還單身,停止幻想,你會找到人生伴侶,而不是夢中情人。挑選對象時謹記在心,你是要跟對方過一生,而不是幾個月。不要一時衝動,這是一輩子的事。就像你現在很想買黑色牛仔褲或藍色T 卹,但要知道頂多半年它們就不再流行了!
如果你已婚,也請你停止幻想,才能跟另一半建立真正的感情。如果總是想要改變對方,則無法建立真正的感情。如果開始改造對方,你以為已經改造成功,但是你的想像力又往前推進,還要繼續修修補補!改造工程永不停歇!
心中仍存有幻想,不會有一段真正的感情,即使跟對方二十四小時都待在同一個房子裡,因為自己仍活在幻想中,而無法直視對方,無法跟對方一起生活。這一切都是因為自己心裡存有幻想, 卻覺得老天在懲罰自己。
如果你還未婚,停止心中的幻想,你的心會平息下來,不再受荷爾蒙的影響。如果失去另一半,也請停止想像,你將不會因寂寞而苦。
盡量不要讓孩子看電視。如果只是欣賞裡面的音樂跟舞蹈,這倒還好;但是小孩會把看到的記在腦子裡,內容,情緒等等。短時間不會有問題,但是這些記憶都會儲存在根輪— 它是性能量的中心。再細微的暗示,根輪都能接收到。過多的期望會干擾根輪,讓根輪緊閉,會希望他人或是電視節目中的人物來滿足自己的期望,或將自己的期望及想像投射在他人身上。
根輪緊閉,跟外在環境無關,也跟單身與否無關,而是跟內心完整與否有關。追求自我實現,才會停止向外尋求內在被壓抑的另一半。能自我實現,與有沒有異性一起生活並不重要;如果無法自我實現,即使已婚,還是會繼續受荷爾蒙的影響。這一切只不過是告訴各位,人應該由內尋求人生圓滿,而不假外求。
能自我實現,不管是已婚未婚,心都能保持平靜。在婚姻生活中, 仍能保有自己,這才是真正的獨身主義。但是人們多反其道而行, 脫離現實生活而刻意獨身,結果只是讓自己更壓抑,更神經質。
但是上師,我們並不知道自己心裡有完美形象……
那是因為你們很少內觀。人們造訪世界各地,卻從不拜訪自己的心。你們知道人大約80%的能量都被鎖在根輪裡。其實人不需要刻意增加脈輪的能量,只需重啟脈輪,體內能量的流動就能足以改變生活。
如果靜觀自己,會發現痛苦的原因,是所見與心中所願不盡相符。心中所願就是自己希望擁有的完美形象。至少從現在起,試著帶著自覺內觀,看自己如何解讀所見的事物。對所見之事,先試著接受它的原貌,不要先做任何的判斷。你會發現,你的心巧妙且不著痕蹟的影響了你對事情的見解,所以你覺得所看到的每一件事都不夠完美。
梵文中有兩句話,教導我們現實的真意:Dhrishti Shrishti和Shrishti Dhrishti。Dhrishti Shrishti的意思是看見世界的原貌,接受並擁抱它原有的模樣。Shrishti Dhrishti的意思是以你喜歡的方式看世界,你可以為它上色,或投以無盡的想像。前一種方式能帶給人們平靜的生活,而後一種方式只會讓人痛苦。
某人跟我說:"家裡只有我跟我太太兩個人,卻還是不得安寧!"我告訴他:"誰說你們家裡只有兩個人?其實有四個人"這人呆住了。
我向他解釋:"你自己,你心中的完美女人,你太太,還有她心中的完美男人,加起來不就是四個人!只要你們彼此都不再想心中的完美女人或男人,看會有什麼改變?"這人聽完,安靜的離開。
上師,我們在其他的人際關係上也遇到障礙,比如說父母跟子女之間………
是的。所有的人際關係中都存有期望,沒有例外。父母想雕琢子女,而子女想改變父母。父母希望子女實現自己未完成的夢想, 希望子女能成為醫生或工程師。為什麼不去了解並幫助孩子實現真正的願望?這對孩子有莫大的幫助。孩子跟你頂嘴時,表示他已經是個大人了。要好好跟孩子相處,花時間陪他,跟他聊天, 當他的好朋友,發掘他的志向,給他最深的愛跟信任。把孩子的雄心視為理所當然,幫他達成。
很多小孩告訴我:"我爸爸要我當醫生"或是"我爸爸要我當律師"。如果小孩自己無法決定,問父母該怎麼辦,父母可以觀察孩子有哪些天份以及能力,提出建議,但不要強迫孩子接受。父母也要給孩子足夠的空間,相信孩子已經成熟到可以做出決定, 並清楚的告訴孩子,做了決定就不能歸咎他人。孩子需要清楚知道自己該負的責任。
人隨時準備要改造他人, 不管是親戚、朋友、甚至陌生人,來滿足自己的期望。身邊的人也是如此!人們彼此可算暴力相向!
今天回家的功課,我要你們寫下來,理想中的完美先生、太太、父親、母親、孩子,朋友……應該是什麼樣子。任選跟自己切身相關的五種人,寫下理想中他們的形象應是如何。對自己誠實以對,我保證,你們會發現,不知不覺中你們的想法都受到媒體的影響。看電視節目時,喜歡上里面某一個角色,這個角色對你來說如此真實,不知不覺期望現實生活中周圍的人,也能像劇中人一樣。
你們知道嗎?人們甚至覺得"理想導師"也該符合特定的形象?理想導師通常應該是個滿頭白髮,留鬍子的老人,就跟書里或電視影集裡看到的一樣!所以他們看到我,無法接受所謂的大師居然是個年輕人!所以我跟你們面臨相同的問題,我要先改變人們對導師的刻板印象,才能為人接受!
可是大師,有時候我們必須糾正對方……比如說在管理員工的時候。我們該怎麼辦?
如果必須改變對方,要保持理性,清楚知道自己在做什麼,就不會過了頭。想清楚自己對員工的要求是否合理,是否有替代方案。只有在絕對必要的時候,才糾正對方。不管手中的權力有多大, 都要小心行使。所有的能量都是上天所賜,即使是自己的��氣或貪欲,如果能心存敬意就不會濫用。
你們會亂花錢嗎?你們不會,因為知道得來不易。如果請人做事, 要花十個盧比,你會多付一個盧比嗎?但是盛怒之下,人們常常過度反應。如果有人犯錯,讓你損失十個盧布,但你大發雷霆的程度,好像自己損失了五十個盧布?為什麼會這樣?因為未經思考就發脾氣。如果經過思考,人不會反應過度,事後也不會有罪惡感。我可以向你們保證。人們不應該因為發脾氣而不安。如果感到不安,表示自己未經過理智思考,而讓怒氣沖昏頭。人們可以藉此衡量自己是否能控制脾氣。
一則小故事:
一次,一個浪跡天涯的苦行僧,經過一個村子,村民向他訴苦, 說村里有蟒蛇出沒,弄得大家雞犬不寧。
這個苦行僧以跟動物溝通著名。所以村民懇求他勸蟒蛇放過村民。
苦行僧苦勸蟒蛇,蟒蛇也答應不再傷害村民。幾個月後,苦行僧經過同一個村子,看到蟒蛇渾身是傷奄奄一息。"發生了什麼事?你怎麼受的傷?"苦行僧問道。
蟒蛇邊哭邊答:"大師,我答應你不再傷害村民,一直到今天我都信守對你的承諾。可是原先怕我的村民,看我變溫和不咬人了, 就趁機攻擊我,每天折磨我!你看他們把我整成什麼樣子!"
苦行僧答道:"我的傻朋友!我只勸你不要咬人,並沒有說你不能嚇嚇他們?"如果脾氣發對地方,次數恰到好處,成效非凡!知道自己為何發脾氣,就能控制自己的脾氣!
很多人跟我說:"大師,我很愛我太太!我是因為愛她,為了她好才要她改變!因為這樣,我們才會吵架!"
我的回答是:"你其實愛的不是你太太,而是你自己心中的理想形象。"你愛自己心中的假象,而不是你太太,所以只有在太太符合期望時,才會愛她。如果真的愛你太太,她在你心中就是完美的;如果愛的是心中的假象,你會想改變對方,以符合自己的期望。
事實上,人們大多愛上的是自己心中的假象,而這是夫妻失和的原因,也是親密戰爭的開始。你和你的愛人像是最親密的敵人,形影不離卻隨時保持警戒,常常想要支配對方。兩人敵意極深,卻覺得這是親密的表示。真正的親密,是在對方面前能完全放鬆。
上師,你的意思是,我們應該完全接受對方,包括他犯的錯?
不是這樣。接受這個字眼,聽起來有譴責的意味。你說接受對方犯的錯,聽來像是在抱怨。好像是說:"還能怎麼辦,只能照單全收。"不!我的意思是,欣然接受對方的原貌,這跟勉強接受不同。勉強接受對方,只是一種妥協;欣然接受則是無條件的打開自己的心,而不抱任何期望。
要知道自己的另一半,是上天賜的禮物,要帶著感恩及謙卑的心接受。如果能做得到這一點,會啟動根輪中所蘊含的極大的能量。喚醒根輪,就像是觸動了你內在一股源源不斷的能量。這股能量,原本因為自己有太多的想像,期望和貪欲而閉鎖,重新啟動,對創意的產生、事業、生活等有莫大的助益。
不僅如此,家庭會更和睦。家庭本該是美德之居,卻被紛爭所據!我說的對嗎?家庭常有紛爭,是因為我們想改變彼此。如果你雕琢的是一塊木頭,或許能雕出美麗的模樣或家具。但如果雕琢的是人心,只會帶給對方創傷。
一則小故事:
有個人,請我為他的離婚祝福。我告訴他,我只為婚姻祝福,不為離婚祝福。
我問他為什麼要離婚,希望能幫忙排解。他告訴我:"上師,今天早上我叫我太太端杯咖啡給我。她卻潑了我一身。"我有點吃驚,跟他說不值得為這樣的小事離婚。
他繼續說:"上師,你有所不知。她今天潑倒的是咖啡,明天可能是強酸。"我嚇了一跳,告訴他說:"阿亞,你怎麼會這麼想呢?你太太只是一時又急又氣,才打翻了咖啡。到頭來洗衣服的人還是她!"
他回答說:"上師,我們結婚時,按照習俗,新人要從三桶水里找到預先藏好一隻戒指。那時候,她的指甲刮傷了我的手!"印度的婚禮習俗,為了讓新人更親近,會玩這些小遊戲。這個人居然記恨十年前的一件小事。我跟他說:"阿亞,你這麼會記仇, 沒有人能跟你一起生活!"
人們常做以下兩件事:把吵架的經過告訴別人,要別人評理;分不出誰是誰非,就繼續吵,證明自己是對的。人們99%的爭吵, 都是為了證明自己是對的。所以如果認為自己的太太是個愚婦, 怎麼看都覺得她愚不可及;如果覺得做什麼事,你的先生都要過問,不管你先生做什麼,你都認為他是在干涉你。如果已心存成見,就無法真的了解另一半。
人只看自己願意看的部份,這就好比肚子餓的時候,只想找餐廳吃飯;殺狗前得先告訴別人這是只瘋狗才下得了手。改變自己的態度,如此一來對身邊的人、事、物都會有不同的看法。
一則小故事:
有個人走進警察局,抱怨他老婆已經三個小時不見人影。警察問他:"你能否提供你太太的基本資料,如身高體重等。"
這個人回答說:"這些我都不清楚。"警察接著問:"你記得她離開家時穿什麼衣服嗎?"這個人回答說:"這我沒注意,不過她把狗帶出門,這我倒記得。" 警察問說:"你們養的是什麼狗?"這人回答說:"我們養的是大麥町,牠的斑點是灰色的,不是黑的。大概50 磅重,尾巴是純白的,上面一點斑點都沒有。脖子上帶著棕色的項圈,上面有條銀鍊。狗的名字叫斑斑。"
警察回答說:"這就行了。我們會連狗帶人一起找回來!"
夫妻之間相處,剛結婚的前幾個月可能還有新鮮感。剛開始的幾個月,忙著幫對方打分數,之後彼此疏遠。其實並不了解對方, 但是手頭上有這些分數就夠了。夫妻之間相處,就靠著手上的這些分數,但是這些分數跟實際並不相符。原來的兩人之家,變成四人之家。
誠實的問自己,有多久沒有看著自己另一半的眼睛,跟對方說話?應該很久了吧。婚姻生活剛開始時,一切都很美好;慢慢的,日子變的平淡無奇,這都是因為自己的態度。因為你沒有給對方進步的空間。你急著改造對方,而不想多認識對方。
事實上,結婚幾年後,夫妻雙方就對彼此視若無睹,而只對心中的假象感興趣。結果呢?就像前一個報案的人一樣,對自己太太的一切毫無頭緒!這還只是表面的問題,更嚴重的問題是,你對一起生活的伴侶全然不了解,你心裡想的,只有你的理想伴侶。
在接下來的一天,要下定決心,重新認識自己的伴侶,就像兩人初次見面一樣。對於對方的所言所行,都要有全新的見解,但不要驟下結論。充滿愛意對待對方,即使對方說了一些話,惹自己生氣,也要帶著愛意,專心聆聽,冷靜回應,而不是像以前一樣爭吵。這麼做會為彼此開啟了一種新的相處模式。你會赫然發現都是因為自己原先的態度,才把事情弄得一團糟。你當然可以說對方也有錯,但是你有能力改變彼此。只要改變自己的心態,你能做的其實更多,對方自然也會跟著改變。
一則小故事:
有個人走過墓園,聽見裡面傳出很大的哭聲。他覺得應該停下來一下,看是否幫的上忙。他走進墓園,看見一個人對著一個墓碑大哭不止。這個人不停的哭喊:"你為什麼要死?你為什麼要死?"路過的人見他哭的傷心,也覺得很難過,走近問說:"先生,我很替你難過。去世的是你的夫人嗎?"哭墳的人回答說:"不是。死的是她第一任老公。"
因為心中的幻想與現實不盡相符,感情才會造成創傷。更糟的是, 人們一次次的戀愛,幻想著下一個人能滿足他們的想像。交往一段時間後,如果發現對方不如想像中完美,就換個人交往。從來沒有想過,也許不是對方不夠完美,而是自己的想像出了問題。人們沉溺於自己的想像中,覺得現實生活才是虛假的。所有的問題都是如此。惟有活在當下,人們才能感受喜樂,才能了解原來自己一直活在幻想裡。
現在的年輕人,愈來愈不願容忍彼此,而輕言放棄婚姻,這多麼可惜。社會需要深層的覺醒。人們在感情中已經習慣互相指責, 卻忘了一個巴掌是拍不響。先別管別人是否需要改變,改變自己, 可以幫助自己還有其他的人。
如果熟讀愛情故事,你會發現無法長相廝守的人,才會過著所謂幸福快樂的生活。
一則故事
關於一對永遠的愛侶。故事中的男女主角決定要分住恒河的兩岸才能永遠相愛。每個星期他們划船相會,之後各自返回。他們決定這麼做是希望見面的時候雙方心平氣和。因為他們只能相聚幾個小時,每次見面都充滿新鮮感,而相聚的每一刻都是如此珍貴。
所有永遠的愛侶,不管是羅密歐與茱麗葉、牛郎或織女,他們從未一起生活。如果他們一起生活,這些愛情故事只怕要改寫了。問題在於現實生活並不像電視裡的愛情故事一樣,有著背景音樂,很容易讓人進入幻想的世界。音樂有種魔力,能融化人心, 讓人變得脆弱易感。電視裡所有的場景,特別是愛情故事的場景, 都有背景音樂,讓你沉醉其中,你全然被電視情節所迷惑。
現實生活沒有背景音樂!用想像力寫詩和用生活體驗寫詩是完全不同的。前者只需要想像力。但後者卻需要有實際生活體驗。記得一件事:另一半是上天所賜。心中的假象,怎麼能跟上天的傑作相提並論!上天的傑作必然勝出。
今天的社會,充斥著大量的色情刊物、不切實際的幻想,以及無盡的墮落。人們以各類劣等的替代品,滿足自己的幻想。色情刊物並不能滿足人們的性生活,只會讓人有更多的幻想,更墮落。但人們卻難以抵擋幻想。要了解:只有意志薄弱,沒有無力抵擋;如果有足夠的智慧,人可以抗拒任何誘惑。
上師,你說人要忠於自己。但實際生活中我們怎能隨心所欲,我們需要為家人跟社會而改變。
實際生活中每個人都有相同的問題。你說:"上師,我必須配合他人。"那我問你:"為什麼不讓其他人來配合你?"沒錯,現實生活中人們彼此依賴,沒有例外,但要知道極限在哪裡。人們即使相互依靠,也要有獨立個性!意思是:了解彼此需要空間。在不干擾對方的情形下,努力充實自己的生活。
我沒有什麼絕妙好計……如果我能靠唸咒,解決所有的夫妻問題,我該是世界上最受歡迎的人!
上師,為什麼我們不能幫其他人開啟根輪,幫助他人擺脫心中的期望?
你打算怎麼做?能做的,是確定自己拋開心中的期望,如此一來,"四人之家"至少可以減為三人!如何改變對方……有的婚姻諮詢師甚至建議用催眠的方式!我覺得這樣會干涉對方的自由,這是不對的。
有天我讀到一個醫學案例,有個女人想要讓她先生的脾氣變好, 你們可能也讀過這個案例:芝加哥大學正在進行一些實驗,在人腦中植入電極,藉此完全控制人的脾氣。他們當時徵求自願者參與實驗,有上百個女人強迫他們的先生參加。
實驗後有72 個女人回頭要求校方說:"請把電極移除。我要我先生回復原來的樣子。這些女士異口同聲說:"生活無趣極了!以前我們至少還會吵架,還算有交集;現在他完全不注意我!"
每個人都需要他人的關注。行為心理學家說,正常的人,沒有吃東西可以捱過90 天,可是缺少他人的關注,撐不過14 天,就會發瘋!"事實上,人們忘瞭如何彼此相愛,彼此關懷。愛為人所遺忘!彼此唯一的交流就是爭吵!我想即使你今天坐在這裡,抱怨自己的另一半毫無感情。如果另一半變的感性起來,你又會回頭抱怨,要他們回復原來的樣子。
根輪最大的功用在於一旦開啟,能解決人們一半的問題。連簽名或摘花的方式都不一樣!有一首關於坦米爾聖人的歌,歌裡頭提到,他們從樹上摘花,樹一點都不覺得痛苦。意思是當根輪開啟,脈輪裡的能量換轉換成愛,人會變的敏感而充滿愛心,樹亦能感受得到這份愛。
性愛如果像碳,真愛就像是鑽石。性愛像污泥一般,而真愛是出污泥而不染的蓮花。性與愛兩者本質相同,唯一的差別在於,人們知道如何昇華自己的愛。只要放下自己的期望,就能釋出極大的能量!
我希望你們今天回家後都能試著做以下的練習:
坐下來,把注意力集中在根輪上。你會發現自己的根輪是緊繃的。
接下來的5 分鐘,心裡默想,如果你的另一半曾經冒犯了自己, 不要怪罪對方,完全原諒對方。全然接受對方,給對方最深的愛。
只要5 分鐘,你會發現根輪完全放鬆。如果能徹底改變自己心態, 你能想像會有如何的轉變!你會感到內在能量源源不絕。
你現在的生活方式,就好像自己有十萬盧比,卻有九萬塊鎖了起來,用僅剩的一萬塊生活,難怪你覺得自己一無所有!人們的能量因為用錯地方—— 用來生氣,用於性愛……,以致脈輪閉鎖, 而沒有足夠的能量應付每日生活所需!
只要能打開自己的根輪,生活會更充實,思考會更清楚,對事情了解更深入,計劃更周詳。你能感覺到內在能量持續運行,進入一個從未體驗過的境界。會發現其實自己的另一半以及周圍的人,其實是充滿感情!
要知道:天堂跟地獄並不真實存在。在地圖上也找不到,而是存乎己心。身在天堂還是地獄,全憑自己是否願意改變生活方式。心中滿是期待,猶如身處煉獄!不管到哪裡,都承受重擔,逃脫無門。兩個人相處時,只是衝突倍增,無法協調。
為什麼要背負如此的重擔?放下它。想想自己把所有的精力都浪費在改造他人,以符合心裡的期望。放棄改造別人不是比較容易些?即使只用10%的精力來冥想,生活都會因此變的更加真實。
生活應該是自覺而自在。每個人都能更有自覺。一切存乎一心!
上師,我們如何拋開慾望,讓愛滋生?
終於有人提這個問題……慾望跟憤怒一樣都具有很大的能量。事實上,不了解什麼是慾望,又如何轉化?人做什麼事都是以慾望為出發點,即使只是撿起一支筆,或拍拍小孩的頭。性跟慾望因為媒體的不良影響過度被渲染誇大,而人們對性與慾望的壓抑也讓爆發後的結果加劇。當自己的慾望不為他人接受而遷怒對方, 報上才會讀到年輕男孩求愛遭拒,憤而對女孩潑酸這樣的新聞。
首先要了解的是,社會將人分成不同層次。但人並無貴賤高低, 差別在於內在能量能否提升。設下種種道德規範的人,其實都是假道學,心裡都隱藏了許多慾望。因為不敢或羞於面對自己的感覺,而以道德家自居。設下各類道德規範,人因此分高低貴賤, 社會因此不安。如果總覺得自己不如人,無法擺脫這樣的感覺, 就無法提升自己。
所有的事愈是抵抗,阻力愈強。其實只需要提升自覺,情形自會有所轉變。不要過度分析,這只會讓自己人格分裂,內在衝突不斷。分析的技巧應該運用於科學研究,而不是心靈成長。人們習慣分析所有的事,無法停止。如果有人想評斷你優劣與否,你只需記得人都是萬物的一份子,並無優劣之分。只有在忘卻此一真理時,對人才會有差別之心。
只有愛是真實的,慾望的產生是因為無知。慾望可昇華為愛,就像煉金術可化銅為金。人原始的慾望,也可以昇華為崇高的愛, 這是最極致的修煉。
我跟各位說一個我在喜馬拉雅山區遊歷時,發生的真實故事:
我在喜馬拉雅山時,習慣隨意行走。那段時間我遇過不少修行的人。
有一次我遇到一位衣衫襤褸修士,帶著一堆糾結的鎖,面容兇惡。他是那卡派的修士。不知為何我受他吸引,向他走去。我跟他一起走了幾天。他每天都抽著水煙,我看著他抽,覺得很好奇。
他把兩個銅幣丟進水煙壺,抽了一會兒,把煙筒倒乾淨,倒出兩個金幣!他到市場上把金幣換成更多的銅幣,重複之前的過程。我問他是怎麼做到的。他沒有回答,只是把水煙壺遞給我。
我從來不喜歡煙味跟酒味,倒退幾步。我跟他說:我到喜馬拉雅山是為了學習冥想及悟道,我對抽菸跟金幣毫無興趣。他看了我ㄧ眼後說道:"本心開悟,就能煉銅成金“。我當下無言。他開玩笑的在我臉上噴了幾口菸。接下來的三天我都感受到極深的喜樂。
煉金術旨在煉銅成金。煉銅成金到底是怎麼一回事?首先去除掉金屬裡的雜質,加入催化劑,加快製程,原本的破銅爛鐵,成了價格不斐的貴重金屬。而人們內在的修煉,是為了將原始的能量, 轉化成較高層次的靈性的力量。如果熟悉內在的修煉,煉金術只是小事一件,像小孩的把戲。
我告訴你們我的故事是希望你們了解內在修煉的意義,而不是要你們學習煉金術!外在世界的煉金術並無特別之處,內心的修煉才能真正的成就自己。
人必須將原始的慾望轉化。人的原始慾望是動物的本能;但動物之間的慾望十分單純,與外在世界無關。但是人類的慾望卻不單純,而且帶有罪惡感。過去的經歷,不是使人羞愧而慾望大減,就是讓人們慾望倍增而沉溺其中,到頭來只會讓人更有罪惡感。這是一個惡性循環,讓原本單純的慾望不再純粹。
你們會發現滿足自己的想像會有罪惡感。所以性讓人���罪惡感。小時候家人最先灌輸的概念是罪惡感,所以人長大後習慣替自己安罪名。人們如果想要控制對方,會先讓對方有罪惡感,讓對方覺得在某方面不如人,然後對方就會按照自己的話去做。人們在成長時應運用智慧,逐漸建立自己的人格,罪惡感自然會遠離。但是多數人盲從規矩,而錯誤也代代相傳—— 父傳子,子傳孫。
所有的美容產品,都不停的傳達一個訊息:你不夠完美。人們開始以自己的外表為恥,於是買了一堆美容產品來使用,而被廠商所控制。人們用美容產品,會有罪惡感-"我費盡心力,就只是為了這些?"每次完成某件事,人們最先有的是罪惡感。
我們回來探討人的慾望。幻想讓人沉浸在毫無意義的生活。電視、網絡、書本等等……讓人們產生許多幻想,在腦中根深蒂固。人若生活在幻想中,即使結婚了,也還是滿腦子幻想,而不關心真正生活中的伴侶,因為對方只是幻想的替代品。人們原本單純的慾望受到污染。
人沉溺於自己的幻想中會陷入一種惡性循環:人們不敢深入探索自己的慾望,總在最後關頭放棄,卻又一再回頭,而且渴望得到更多。如果勇於深入探索,終究能擺脫慾望而使自我成長。
早年人們在四十歲之前,就能不為慾望所擾。人們心中沒有復雜的假象,與自己的伴侶十分親近。所以年紀雖輕,卻能以成熟的態度看待自己的慾望。能深入探索慾望,而不為慾望所擾。不需刻意擺脫慾望,慾望自然遠離。
印度的婚禮中,新人會當眾唸一段美麗的詩文。妻子對丈夫說:
"願你成為我第十一子。"丈夫對妻子說:"願你成為我第十一女。"真正的意思是,他們結婚十一年後將視對方如子女般。看著自己的孩子,心中總是有無比的喜悅。跟自己的另一半之間的關係,必定經過無數的轉折,才能在彼此相對時覺得像看著自己的小孩般喜悅。
人們的痛苦,在於不了解心中妄念何來。惟有了解原因才能擺脫。生活能不為妄念所苦,已接近靈性的生活;如果不懂如何擺脫妄念,過的只是物質的生活。世上有兩種生活方式- 有自覺的生活,以及沒有自覺的生活;得道之人的生活,以及愚人的生活。
人為內心的慾望幻想所惑,不管身在何處都不會快樂。這就好比人一心想坐在椅子上,所以不論坐在地板上或墊子上都不高興;有人給了自己一把椅子,又想坐國王的寶座;坐在寶座上,還是覺得不夠享受。你們了解我的意思嗎?
如果自己有的只是單純的慾望,當深入探索慾望時,不帶有任何的罪惡感或過多的想像,人們終能擺脫慾望。如果心中夾雜太多的幻想,終將無法擺脫。拋開心中根深蒂固的妄念,好好愛惜及欣賞自己跟他人的身體。人的身體本該充滿喜樂,只因執著於自己的妄念而無從感受。修煉的第一步,要先拋開對自己及他人身體的妄念,除去慾望中的雜念。
懂得欣賞自己的身體,福氣自會降臨。所有皮膚的疾病,大多是因為厭惡自己的身體,或缺乏自信所致。但人們並不了解原因為何而遍尋良方。問題的根本其實就是心裡多年累積下來的偏見。人們總是羨慕別人的身體,想要跟別人一樣。如果能愛惜自己, 欣賞自己的身體,人會內外皆美。
早年人們的想法十分簡單,因此心中幾乎沒有成見。從外界接受越多的假象,心中的成見就會越深。若能擺脫這些假象,就能夠愛惜自己及他人的身體。而愛惜之心在個人修煉中,如同催化劑, 能將慾望昇華成愛。
圖西達斯所寫的史詩羅摩耶那中記載,西達公主走進父親傑那卡的宮廷中,宮廷中所有人,包括偉大的聖哲瓦西塔都起身向她致意,因為她散發出一種清新脫俗的優雅。
譚崔派別有一種修煉的技巧。每天早上醒來,以愛惜的心輕撫全身,使心靈與肉身合而為一。
要記得:暴力不是解決的方法。我們常常談到社會中或國家之間的暴力情形,卻鮮少談到家中的暴力,以及對自己身體及心靈施暴。我可以這麼說:家庭是暴力的起源。
你可能會說:"上師,我們在生活中從不使用暴力。"你們覺得自己很友善不粗暴,但我所謂的友善跟你的定義不同。可以試著觀察自己:走在街上或在自家的花園裡,是否無意中會攀折樹木花草,踢著腳下的石頭,拉扯藤蔓等等。這些都是暴力的行為。想想看:自己是無意中攀折花葉,還是有意?你能分辨兩者的差別嗎?告訴我,你是真的對萬事萬物和善嗎?
試試在走進花園時,充滿敬畏及愛意的仔細觀察一朵花,全新感受它的美以及與它的生命連結,像照顧新生寶寶般呵護它,感受內在湧現的情緒。不管看待任何事,都要保持覺知。人因為靠潛意識行事,對周圍的事暴力相向而不自知。如果能保持覺知,能看出萬物有無限的美,便能愛護萬物。
人們如此虐待自己的身體:暴飲暴食,造成消化系統的負擔。極需休息,卻熬夜折磨自己的身體;明知抽菸喝酒對身體有害,卻照做不誤。這難道就是愛護自己的方式?人們一定不喜歡自己的某部份,才會虐待身體。停止談論外界的暴力,開始重視自己內在的暴力,外在的暴力自然會平息。人們隨時能指出他人的缺失。但自己有數不清的缺點,該如何自處?
某人對我談起他的家人。他太太是個律師。我問他:"你太太需要出庭辯護嗎?"他答說:"不需要,她在家裡有的是機會!"
人們隨時指責他人,為自己辯解。其實只要消除心中的雜念,自然不再需要辯解。牢記對自己或他人有所助益的話。對他人的身體及心靈表示和善,這是最實用的修行。修行不是只有定時敲鐘, 對著財神爺祈禱發財,而是能隨時保持善念,財富自然降臨。
人們以為需要舉行各種儀式,才能得心中所求,其實不然。就算一天念"阿彌陀佛"念了一千次,卻無心改變自己,這跟念"可口可樂"一千次的效果是一樣的!儀式的目的,主要是能深入了解自己,藉以改變自己,物質方面的收穫自然降臨。如果能對他人和善,有耐心並堅持轉變,終能體會愛,而他人也會因為你的轉變而改變跟你的互動模式。你的內心將充滿喜樂,冥想算是大功告成。
人的本質是愛,而性是兩人深層的結合。問題在於,真愛長久以來為慾望所掩蓋,真心無法結合,結合的只是肉體。人際關係多半只是表面功夫,膚淺的事極易動搖,除非有深入的根基。這道理再簡單不過。
慾望使人盲目,讓人慢性中毒。愛也算是一種慢性中毒,卻能帶領人們到深層的自覺,那是至美的境地。愛和慾,像是兩個極端。只要能讓人進入深層自覺的經歷,都是一種冥想。如果只能讓人停留在下意識,則不具任何意義。人可以藉此判斷目前的經歷是否對自己有益。
還有一件事:如果愛得夠深,不會起忌妒之心。忌妒是因為擔心自己的愛不夠深,終會消逝。如果愛的夠深,何須忌妒,何須恐懼?你們了解我的意思嗎?對自己的伴侶不信任,是因為彼此的關係只是表面,是建立在幻想跟慾望上。如果只對一個人只有浪漫情懷,這並不真實。生活本就是浪漫的,萬物都有浪漫情懷, 全看自己是否能感受。
用理智表達自己,是一種智慧;用心表達自己,是一種慈悲;用身體表達自己,是一種能量;雖然無法表達自己,卻能真切感受自己的內心,是一種福分。
能達到這種境地,人們不需仰賴外力才能得到喜樂,而是隨時都能感受到內心喜悅的共鳴。如果能跟他人分享,喜悅更是倍增。如果覺得跟某人特別親近,不一定要真的接觸對方,只要跟對方感到契合,就會感到喜悅滿足。
這種契合的感覺,不會因為分離而稍減。真正的感情,是彼此深深的契合。不了解這層道理,而想盡辦法跟對方綁在一起,以為這就是感情,這樣的感情基礎其實極不穩固。即使用盡心力維持, 最終只是彼此折磨。
有人告訴我:"上師,我想住在靜心會所裡,我在家裡一點都不快樂。"我常說,在自己的"四口之家"都不快活,跟一百個人住在聚會所裡會更不快樂。你們把聚會所當成翹家者的庇護所嗎?
要了解:回家與否跟外界無關。不論外在環境如何,如果能時時保持喜樂,隨時都有回家的感覺;如果不��解這一點,不管到哪裡都一樣。我曾經待在八尺見方的圈地裡,當時的喜樂與今日坐在講壇上並無二致。這種隨遇而安的能力,在於自己能否了解:快樂跟外在環境毫無關聯。
狗不停啃著骨頭,啃到嘴裡流出血來,還以為血是從骨頭里冒出來的,而啃的更賣力,不停舔著血水。再啃下去,這隻狗一定會覺得痛。人也是如此,以為是外在的世界讓自己痛苦或快樂。沉溺於這樣的想法只會越來越悲慘。大家了解我的意思嗎?
上師,我們要如何保護孩子,不讓他們面臨類似的問題呢?
坦白說,人無法掌控所有,也不可能控制孩子跟社會的互動,不過有些事在家裡可以做。誠如我之前所說,不要壓抑孩子另一半天性。讓孩子以各種方式充分錶達並親身體驗,不要太在乎性別的差異。讓孩子保有自己的天性,給予適當的機會探索自己。小孩還沒有受到社會規範的限制時,在自己的世界裡十分自在。
你可能注意過小嬰兒會玩自己的生殖器,或把大腳趾塞進嘴巴這一類的事。這只是表示,小嬰兒在自己的世界裡十分自在,而且充滿了愛,他們在自我探索,樂在其中。可是我們卻予以阻止, 說做這些事是不對的。其實應該讓孩子自己探索。
小孩盡量穿一件式的衣服,而不要穿上下分開的兩件式。兩件式的衣服容易讓孩子意識到身體分成上下兩部份。一段時間後,會慢慢忽略自己下半身。如果要描述自己的長相,通常都只說得出上半身,而完全忽略下半身。
即使可能要冒點風險,還是要讓小孩保有自己的天性,自由探索。小孩能完整表達自己,不要壓抑他們。孩子不懂做表面文章或偽善的事,不像大人都精於此道,心中有諸多顧忌。大人從來不曾完整的表達自己。
讓小孩自由的使用雙手。我們常不准小孩使用左手。為什麼不讓小孩使用雙手?這並沒有錯。此外你們可能注意過小孩子都喜歡轉圈圈,這是他們集中精力的一種方式。人只有在臍輪清淨時, 才能自在的轉圈圈。
小孩如此天真無憂,所以轉起圈來毫不費力。可是我們讓孩子自在的轉圈嗎?看著小孩轉圈,自己也開始頭昏起來,趕緊叫他們停下來,告誡小孩說:"趕緊坐下!這樣轉圈對身體不好。"聽我的建議,讓孩子自在的轉圈圈,只要墊張毯子,讓他們跌倒時不會摔傷。
還有一件事:不要灌輸孩子任何的恐懼,讓孩子自由自在,爬高爬低,摔個幾次也無妨。如果常常阻止小孩,將來孩子可能會有多種恐懼,例如懼高,怕黑…等等。久而久之就會不敢面臨挑戰或嘗試未知的事。
上師,你說世上沒有完美的伴侶。那為什麼結婚前要算命合八字呢?
我所說的,可能會推翻所有的算命的理論。算命本身並沒有問題, 而是人們運用的方式既愚蠢又毫無意義!要知道:生命掌握在自己手中,自己應該最清楚箇中好壞,但是人們卻對自己的生命一無所知,轉而請教他人,人的智慧何在!將生命交到陌生人手中, 任由其決定自己的人生,這表示人們不知道如何過自己的人生。人應該為自己的生命負責。
人們如果問我未來會如何,我會告訴他們—不要叫我預測你們未來。除非需要有人幫忙計劃未來,才來找我。意志不堅的人, 才會需要預言。
古代的算命是一種純科學,其中有很多道理。讓我告訴你們,算命是如何演進。在過去的導師制度下,小孩子跟著導師學習,導師會利用算命來判斷小孩子的性格,態度以及才能,而決定學習的方向。早期的階級劃分,並不是以出身為依據,而是以人的個性以及天份為基準。
導師指導小孩之前,會先看小孩有什麼天份。有智慧的孩子,有成為婆羅門的潛力,將學習吠陀經典。如果個性勇敢,孔武有力, 將學習武術。如果有多重技能,則學習做生意的技巧。如果樂於從事固定工作,將學習為民服務。這四類工作同等重要,同樣受人尊重。
古代算命是作為判斷人的依據。你們周圍的人幾乎都未盡其才。有醫生天份的人,成了工程師;該當工程師的人,卻從事僕役, 所以社會才會一團混亂。一個適合從商的人卻從事靈修,結果把靈修當成一門生意來做!
所以古代算命,是一門經過驗證的科學嗎?上師?
我最怕人們問到這個問題。我一說是,人們會瘋狂迷戀算命。明天早上就會有一長串人,拿著自己的八字在我面前排隊,要求我幫他們預測未來。不要太在意算命的結果。有人問予耶克有關算命的問題,他的回答相當合宜:"吃好,睡好,多運動。身心都健康,就不需要擔心占星的結果!"只有意志薄弱的人,才會仰賴算命。
上師,所以相信算命的人,都是意志薄弱的嗎?
雖不能一概而論,不過大多數是如此。即使平日再聰明不過的人, 也可能一時誤信。有人問我:"上師,如果我戴上各類寶石,會因此運氣變好嗎?"人們怎麼會相信寶石帶給你好運!人不只具有意識,而且具有神性!我無法相信我傳授人們的學問,足以讓人主宰自己的人生,而人們只關心要戴什麼寶石!
你們可能聽過耶堤大師。他是一位真正偉大的導師,一個真正的悟道者。他第一次出國旅行,出發的時刻,根據行星的位置推算, 是所謂的大凶之時。有人問他:"上師,你為什麼挑這個時辰出發?"他回答說:"你們何等愚昧!我的能量足以影響行星的運轉,行星的方位又怎麼會影響我呢?"他的勇氣令人敬佩。惟有大徹大悟的人,才有如此的勇氣。
我傳授給你們的學問足以影響你們周遭一切,而你們又何須在意行星的位置會對你造成任何影響。只要學習冥想,就不會受任何事影響。
但算命已經是我們價值觀的一部分,上師……
所謂的價值觀和意識其實是同一件事。如果意識清醒,知道自己在做什麼,不需要價值觀來指引,不需要刻意遵守任何規則。所有的美德、紀律、精神層面都以意識為準,精神層次自然能提升。
人們聽到意識或心靈提升這一類字眼時,常常在沒有嘗試過任何冥想技巧,或其他提升自我意識的方法時,就會認為這一切與自己無關。人們要先排除"心靈提升大不易"的想法。
心靈提升是如此容易, 追求財富,需要努力, 追求名聲,更須努力,追求自我實現,只需要活在當下!
如果能讓自己進入一種幾近沉靜的狀態,就能進入至善至美之境!我所說的沉靜,不是一般所說的身體的懶散,而是一種心理上的放鬆,人能全然放鬆,就能真正進入心靈層面。進入心靈層面,說不上難或簡單,只是一種概念。難易與否全憑自己的感覺。活在當下,需要特別做什麼嗎?只要內觀,對自己的精神層面有信心,適度的冥想,這就夠了!能放棄原先的思維,進入心靈層面不是件難事,你會有信心的跟自己說:"我做得到!我也是有意識的。"不需刻意擺脫,原有的價值觀自會遠離。
人們不敢拋開現有的價值觀,是因為無所依歸。一旦放棄現有的價值觀,就是像打開潘朵拉的盒子,壓抑已久的慾望一下傾巢而出,結果只是大亂!人們在潛意識裡有所顧慮,而這正是問題所在。如果持續練習冥想,潛意識會淨空,屆時即使打開"潘朵拉的盒子",也不會有任何慾望,心將如明鏡一般。
—— 本文摘自尼希亞南達上師
著作《Guaranteed Solutions》第五章
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Sacrament
作品解説
周囲の視線のシガラミ
この作品では“彼女”と“少女”が存在する。 本作で村上さんは演者揃っての演出指導はなかった。二人同時に演出することで意識的に相手とのタイミングを図り予定調和に合わせてしまうためそれぞれ個々に指導した。脚本は 3 ページ。セリフは削って必要最低限に。言葉を使わず視線や目線だけでどう伝えるか。そして、共在ではなく“彼女”と“少女”それぞれが存在するということが重要だったという。 作中では、朝昼の屋外でないと光を取り込まないトイカメラで撮った写真がある。夢の中での幻想、意識の中を漂っている浮遊感、目眩や立ちくらみの中に映る白昼夜を想起させる“彼女”と“少女”の写真だ。その写真の中で“彼女”がひとり鮮明に映ってこっちを見ている写真があ った。“少女”から見た“彼女”と“彼女”から見た“少女”の違いというものを感じた。 “少女”と会っていないときの“彼女”はまるで人形のようだった。体内には血液が流れているはずなのに体外は死んでいるような、何かに制御され息苦しそうな“彼女”がいた。人間は心臓で血液が作られる。その血液は身体のあちこちに栄養を運び血液は再び心臓へ帰ってくる。生物は血液に生かされている。血液の巡らない身体はただの肉の塊になる。脈が打つたびに生きることの無力さを感じてしまう。そんな無力さを感じさせる彼女の体内を巡る血液が速度を上げて心臓に帰 ってきたとき体外は一体何をしているのだろうか。体外が誰かに見られているとき体内の血液は一体どのように巡って行くのだろうか。 “彼女”と“少女”が存在している音に耳を傾け、見ている方々が二人にとっての“誰か”となり“彼女”と“少女”の存在を目で追って欲しい。
キュレーター 山本 和Commentary
Chains of the surrounding gaze. In this piece, there is a "she" and a "girl". Murakami avoided instructing the actors together as a group. She was afraid by directing two or more actors at once, they might try to synchronize their acting. The script was only three pages long. She kept it to the minimum. Challenging how to carry the message through the eyes and looks alone, with least words. Murakami said it was essential that "she" and the "girl" not rely on each other, but stay independent. A photograph is shown in the film, taken with a toy camera that can only capture light in the daytime outdoors. Photo of "she" and the "girl" evokes the illusion of a dream, a floating awareness, and daydreams within the dazzles. There was a photo of "she" surely looking this way. I understood the difference between the way "she" looked at the "girl" and the way the "girl" looked at "her". While "she" isn't in front of the "girl", she is like a doll. Blood inside her body should be flowing, but the way she looks from outside, she is lifeless, having a suffocated look of being controlled by someone. Blood carries nutrients from the heart to parts of the body and back to the heart. All living things depend on blood. A body without blood circulation is just a lump of flesh. With every pulse, we feel the helplessness of life. What are the inner desires of "she" and the "girl", dressed like dolls? While blood circulates through their bodies from their hearts and back again? What does their skin touch? Please don't miss their presence and the moments they are living.
Hiyori Yamamoto
作者から・・・
周りからの視線を意識するということは今を生きる私にとってごく当たり前のように存在していて、私の周りに生きている人たちも常になにかしらのカメラの前で生活している。スマートフォンの内カメラ、パソコンの内カメラ、今や色々なカメラが街や私たちを���り組んでいる。 街中でカメラを回すことは不思議なことではない。渋谷ではテレビ局のインタヴューワーが街ゆく人々にいろいろなことを聞いて回っているし、駅のホームでは自分たちの自撮り動画と音楽を合わせたアプリを使用して、楽しげに映像をスマートフォンで撮っている女の子がいる。 しかし、その中でも大きな違いが見られる出来事があった。人混みに家庭用のビデオカメラを回す時、目の前に行き交う人々は、気にはするものの何のないように通り過ぎて行くのだ���、撮る機械をスマートフォンに変えた途端、私の存在に気づいたように避けて顔を隠して歩いたり足早になったりする。動画で撮ることが日常となった今、なぜスマートフォンだけ避けられやすいのかと考えた時、私は即時にどこでも投稿できることが理由になっているのだと思う。 そんなカメラに近い存在が“少女”なのだと思う。自らの身体を近くで観察したり、他人から見た自分を自覚したり、映像を通してそんな過程を覗き込んで初めて自己を見つめて行くのだ。
村上 杏
過去作品
ポートレイト・シリーズ (2015-)/ パラノイア・ヘッド (2017)/Lucid Dream(2017)/Meat Murder(2018)/ 空が墜落する (2018)/ 人の顔 (2018)/ 鉱物 館 mineral coffin (2019)/ hipster (2019)
村上 杏(監督)×山本 和(キュレーター) 対談
村上さんが本作の着想を得たのは少女の消費を感じたときだ。
物語や作品の中で幼い少女の裸体がアートとして残される残酷さ、表現の身勝手さ、女性という存在が男性からすると虚像のように捉われる感覚に違和感を感じていた。フェミニズムデモに参加している女性たちは新聞やメディアに取り上げられデモに参加すらしていない悪意ある人たちに外見が批判されてしまう。「ブスのくせにデモやっている」「モテなくてひねくれた女どもの末路」「胸がでかい態度もでかい」など数々の女性を蔑んだ視線。『女の子をそういう目で見て欲しくない』 女性への視線というものが彼女を本作の制作に駆り立てていく。消費されていく自分
杏「やっぱりこう、1秒1秒生きているわけじゃん。肉体として。その中でも自分の自撮りが流れてしまったり、一瞬目に入っただけで消費されていく自分というものが。やっぱり儚い」 和「生きているだけで消費されていくものなのかな、やっぱり人間って」 杏「んー。されかたにもよるけどね。自分をよく見せるために加工したものもどうせインスタに乗せて流れる。それをちゃんと見ている人がいるかもわかない。だけどみんな乗せちゃう。不思議だよね。自分の個人の記録として乗せている意識でやっているけど、全世界に発信にしているわけだから、もはやプライベートってどこにあるのだろう?」 和「うん」 杏「私たちの世代は映画の凝り固まった世界を変えていかなくてはいけないと思うし、女性の身体の表現をどう変えて行くかが大事だと思う。私の作っているものは切り離せない、女性の身体や顔っていうものが」 和「杏さんにとっての女性の身体とは」 杏「んー。難しいな。(笑)でも、突き詰めていくとやっぱり皮膚なのかな」 和「皮膚?」 杏「うん。高校生の時に『生きる肌を纏う』っていう写真集を作ったの。服って着て、肌に触れた時自分の身体の存在が認識できる。自分の体がどこにあるのかって鈍感だけど、衣服が自分の体に触れることで自分の形がわかってくる。逆に何も着ていないと自分の体がどこにあるのかわかんない。」 和「うん」 杏「例えばタオルをかぶることで初めて自分の体がここまであるんだって認識できる。自分の存在がどう自分で認識できるかの始まりが衣服なのかなって思う」
写真集『生きる肌を纏う』 うごめく皮膚
杏「自分の肌が透けて血管が見えるとか痣ができて点々ができているとか」 和「赤い点々とか?」 杏「そうそう。点々ができて痣できてとか、服とか、寝ると服のシワが手に写ったりするのとかを撮っていたりした」
杏「作中の“彼女”も鏡に向かって洗顔する場面で、自分の肌を触らせるのも視覚として触れることで自分の形がわかる。曖昧になった輪郭を触って確かめる。これって自分の肌なのかな?この裏には何があるんだろう?そういう体の観察的なニュアンスもある。」 和「自分の顔って鏡を見ないとわからないから、わたし人と話す時に頭の中で自分の顔を美化しがちなの。その後トイレで鏡を見ると想像の顔と鏡に映る顔が違っていてあれ?って思う時がある」 杏「あるある。だから一番裸な部分は顔なんだよね。隠せないところっていう意味で。だから顔っていいんだよね。人間の顔好き」
サクラメント (英:sacrament 羅:sacramentum)は、キリスト教において神の見えない恩寵を具体的に見える形で表すことである。それはキリスト教における様々な儀式の形で表されている。 日が落ちて真っ暗な夜に見て下さい 街の明かりをカーテンで遮断して下さい 部屋の明かりも付けないで下さい そして、 Sacramentが見えなくなった時目を閉じて自分たちの視線を遮断して下さい 自分がどういう目線で “彼女”と“少女”を見ていたのか 少し考えてみてください
http://dance-media.com/videodance/zokei/project2020/pg622.html
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いた���、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型��連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市��ような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別���場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここ��でたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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第6話「悪(はじまり)夢」
アンナ・グドリャナは夢をみる。
彼女の憎悪の根源、彼女の立ち上がるための燃料であるそれ。多くの人々と出会い、別れ、そしていなくなった人々のために前をむき続け、後ろを振り向かない全ての元凶をみる。
「――ッ」
アンナは声を出そうとして、出せなかった。上に瓦礫が乗った足が燃えるように熱い。煙が視界を曇らせる。
炎が周囲を進行していく。瓦礫と化した列車の金属部分は燃えず、けれどぼろぼろになった座席には火が付いている。
焦げ臭さと同時に鼻へ届く、肉が燃えていく匂い。先程まで助けを求めていた少女の声が聞こえなくなった。身近なところはなくなったが、悲鳴は遠くで響き続ける。
奇怪な形――獅子の体に羽が生えながらも頭部は人間のそれだったり、あるいは極めて太い足で二足歩行しながらも痩せこけた腕がついた巨人だったり――をしたペティノスたちが、爆発音とともに先程まで列車に乗っていた少年少女を殺していく。
逃げ惑う彼ら、彼女ら。倒れていく彼ら、彼女ら。悲鳴と懇願と恨言の合唱。それを動けないアンナは見続けていた。
「おい、大丈夫か⁉︎」
未だ成長途中だと思わせる少年が、金色に輝く猫目をアンナに向ける。頬は煤けていて、爪は割れて血が滲んでいた。アンナと同じような制服に身を包み、同じピンバッジを胸元に留めていた彼は、必死に彼女へ声を掛ける。
「クソッ、足が動かせないのか。……でも、これさえ退ければ動けるよな?」
必死にアンナの足の上にのし掛かる瓦礫をどかそうとする少年。彼は意識を保て、こっちを見ろ、死ぬんじゃない、と何度も言葉をかけ続ける。
ただ待つことしかできない彼女は、足元に広がる灼熱が痛みとなり、そのおかげで何とか意識を保てていた。
「もう少しで」
息切れしつつも、少年が最後の力を込めて瓦礫をどける。アンナの足からは、痛みが続くが重みはなくなった。
「肩を貸す、逃げるぞ」
彼は震える腕を隠すこともできず、それでもアンナの腕をつかみ抱き起こす。その時、炎で鈍く輝く異形が彼らの前に舞い降りた。
それは翼を持つものだった。
それは翼に無数の目があった。
それは少なくともアンナが知っているどのような動物にも似ても似つかぬ、ただの羽の塊であった。その塊の中央に、なんの感情も浮かべていない美しい人間の顔がある。銀色に輝く顔だけがあった。
翼にある複数の目がギョロギョロと蠢き、そのうちの幾つかが少年とアンナに固定される。ヒッとアンナは息を飲んだ。ギリッと少年は歯を食い締めた。
少なくとも少年だけは逃げられる状態であったが、それを彼は選ばずにアンナを強く抱きしめる。そして、彼は「ふざけるな」と小さな声で囁き、ペティノスを睨みつけた。
彼の怒気にもアンナの恐怖にも何も感じないかのようにペティノスは翼を広げ二人へと近づこうとした。その時、上空を黄昏色に染まる機体が飛んだ。
ペティノスは二人から視線を外し、機体――後にそれがイカロスと呼ばれるものだったと彼女らは知る――へと飛びかかる。それまで淡々と人々を殺害し続けた奇妙な造形をしたペティノスたちが、親の仇と言わんばかりに殺意を迸らせ、機体を追い続ける。
十いや百にも達するほどの数のペティノスが、黄昏色のイカロスへ攻撃を仕掛けるが、空を飛ぶ機体はそれらを避けて、避けて、そうして多くの敵を薙ぎ払う。
「助かった……のか?」
呆然としながら、少年とアンナは空を見上げた。
黄昏色に染まった機体が、実は地上で燃え盛る炎の色に染まったのだと知ったのは、それよりも少し後の話だ。
それでもアンナや少年にとって、現見空音とユエン・リエンツォの操縦する銀色のイカロスは、後に幻想の中で出会う最強の存在――大英雄に匹敵するほどの救世主だったのは言うまでもない。
「――」
「目が覚めたか」
瞼を二、三回閉じて、開けてを繰り返すアンナは、ぼやけた天上の中央に少年の面影を残したアレクの姿を認める。
上半身が裸の彼は心配そうにアンナの頬を撫でて「うなされていた」と言った。その際に彼が覗き込んだことでアンナの視界はアレクだけになる。柔らかいベッドの中で下着だけを身につけたアンナは、パートナーの手を両手で取り、大丈夫と口を動かす。彼女の声は悪夢の日から出ない。
「……あの日の夢か」
まるでアンナのことなら全てを見通せると言わんばかりに、アレクが彼女を抱きしめながら耳元で囁いた。それに抱き返すことで答えを告げる。
「今回は、久々の犠牲が出そうだったしな。……毎年毎年、律儀に思い出させてくれる」
アレクの言葉に、アンナは彼を癒したいと願いながらも、優しく頭を撫でて、次に口付けた。あの悪夢から十年以上経っても、消えない傷が常に隣にあることを二人とも痛感している。
ベッドの中で抱きしめ合いながら、互いの存在を確かめるアレクとアンナ。その中で、彼らのサポートAIであるローゲの声が届けられた。
「お二人とも、そろそろ時間です。準備をお願いします」
声だけで全てを済ませるAIの気遣いに、仕方がないなとアレクは笑ってベッドから降りた。アンナも微笑みながらベッドから出ていく。
「行くか」
アレクは手を出し、アンナはその手を取った。
ファロス機関の待機所はそれなりに広い。広いが、無機質な印象を抱かれる。カラフルなベンチも、煌々と光る自販機や、昼夜問わず何かしらの番組が流れるテレビだってある。それでも、無機質なものだと誰もが口を揃えていた。
待機所の中ではいくつものグループが何かを喋っている。互いにパイロットとオペレーターの制服を着て、時にジュースを飲んだり、カードゲームに興じていたりしていた。その誰もが顔色が悪いので、より一層待機所が無機質な印象になっていく。
そこにたどり着いた制服に身を包んだアレクとアンナは、多くの室内にいた人々と挨拶をしながらも中央で待機していたナンバーズ四番のナーフ・レジオとユエン・リエンツォの元へ向かう。
「ご苦労だったな」
アレクがナーフへ声を掛ける。それに無表情のままナーフが頷き、一枚の電子端末を彼に渡した。
「報告はこちらに。今回発生したペティノスは、これまで観測された形状と一致した。ただ攻撃範囲が広いタイプが増えている」
「損害は」
「一機撃墜されたが、パイロットは無事に保護されている。今は処置も終わり療養施設に運ばれたところだ。完治したところで、今後はカウンセリングを受けるだろう」
「そうか」
それは何よりだ、と零したアレクの言葉に同調するかのように待機所にいる面々がホッと息を吐いた。その様子を見ていたユエンは呆れたように言う。
「ははぁ、今晩は二番の同期たちばかり……と思ったらそういうことですかぁ。毎年毎年、君ら律儀だねぇ。おいらはそんな気分になったことないよ」
十年も眠れない夜が続くだなんてかわいそう、とユエン・リエンツォが口にするが、そこには似たような境遇であるはずの彼らへの多大な揶揄が含まれていた。
「そういうあんたも、この時期は多めに任務に入るじゃねぇか」
言い返すつもりでアレクがユエンの任務の数について告げる。
「小生、そろそろ後進に引き継ぎたいところでありますが、現見が許してくれないんだわ。せっかく新しい二番が生まれたってのに、未だに信用できないんかね」
「ユエン、そんなことは」
小馬鹿にするかのような言い回しの彼女に、ナーフは顔をしかめて制止する。だが、それを無視してさらにユエンは話を続けた。
「毎年毎年、この時期になると不安定なやつらが増えるからねぇ。早く悪夢世代のなんて無くした方がいいんじゃない? あの問題児たちも虎視眈々と上を狙ってるようだし。君ら夜勤多いから、下の子たち割と快眠タイプ多いじゃないか。噛み付く元気満々なんだから、そろそろ下克上くらいしでかすんじゃない?」
「余計なお世話だ」
アレクがユエンにきつい口調で告げた。
「少しは羽目を外しなさいよ。同世代のスバル・シクソンの社交性を見習うべきじゃないか」
「あいつは、俺たちの中でも腑抜けたやつだ」
今度はアレクをナーフが制止しようとしたが、それをユエンは止めた。
「ハッ! 笑わせるねぇ。あのスバル・シクソンの死後も、君らが彼の言葉を無視できてないの、我輩が知らないとでも?」
「……ユエンさんよぉ、今夜はやけに突っかかるな」
「なぁに、気が付いたんですわ。あの五番の坊やが、自力で���ちあがったのを見てね。悪夢世代の多くは救って欲しいわけじゃない。ともに地獄にいて欲しいだけ」
その言葉にそれまで黙って聴いていたアンナは、ユエンを叩こうとする。が、呆気なく彼女はその手を避ける。そして、けらけらと何がおかしいのか侮辱を込めて「平々凡々、やることなすこと繰り返しで、飽きたよ」と彼女は言う。
「あんたがそれを言うのか。同期の誰一人助からず、現見さんが戻るまで誰も助けられずにいたあんたが、それを言うのか」
アレクは怒りを滲ませて返す。
「あんたは地獄を見なかったのか。あの怒りも、嫌悪も感じなかったのか。俺たちが救われたいと本気で思わなかったとでも」
「その共感を求める言葉は、呪い以外の何者でもないだろうよ。少なくとも、スバル・シクソンは悪夢世代という共同体から旅立った」
その結果が五番という地位だろう、と告げたユエン。彼女は、そこで口調を変えた。
「あいつの素晴らしく、そして恐ろしいところは、あの視野の広さだ。オペレーターとしての実力だけでなく、よく人間を見て、観察して、そして洞察力で持って最適解を出せるほどの頭の良さがあった。もしも倒れなかったら、間違いなく私たち四番を超えていっただろうし、二番の君たちも脅威を覚えたはずだ」
滅多に人を褒めないユエンの賛辞に、隣にいたナーフが呆然とした表情を浮かべた。
「あの双子たちは、パイロットとしては私たちを超えているよ。恐怖でも、憎悪でもなく、君たちのような大義も掲げず、ただ互いへの競争心と闘争心だけでペティノスを撃破し続けている彼らの存在は、新しい時代が来たとファロス機関に知らしめた。スバル・シクソンはそれを敏感に感じ取り、そして彼らを導いている」
その言葉にアレクは皮肉を込めて「違うだろ、過去形だ」と言い返す。だが、ユエンは首を横に振った。
「いいや、現在進行形だ。現に、あの坊やは次のオペレーターを見つけてきた。あの大英雄のプログラムを損傷できるほどの能力を持った新人を」
「まぐれだ」
「それが成り立たない存在なのは、お前たちだってよく知っているだろう」
冷徹な指摘にあの勝負を見た誰もが口を紡ぐ。
先日の裁定勝負のことを知らなかった幾人かが、話を知っている面々から小声で詳細を聞き、その顔を驚愕に染めた。嘘だろう、とこぼれ落ちた本音が全てを物語っていた。
それらの反応を見たユエンは、最後の言葉を紡ぐ。
「時代は変わっていくんだ。否応にも、人間という種は未来を求める。その先が地獄でも構わない言わんばかりに、彼らは前へ行く。いつまでもその場に突っ立ってるだけじゃ、何も成せない」
「……説教か」
「吾輩ごときが、らしくないことを言ってるのは百も承知だ。が、毎年の恒例行事に嫌気が差したのも事実だよ。お前たち悪夢世代は、少しは外を見るべきだ」
そこまで言って、ユエンは部屋から出ていく。ナーフがアレクたちを気にしながらも彼女の後を追って行った。
沈黙が室内を満たした。誰も彼もが思い当たる節がある。誰だって今のままでいいとは思っていなかった。それでも悪夢世代と呼ばれる彼らは立ち上がり、アレクとアンナの元に集まる。
彼らは顔色が悪く、常時寝不足のために隈がくっきりとしていることが多い。
誰かがアレクの名前を呼んだ。
誰かがアンナの名前を呼んだ。
それに呼応するかのように、アレクとアンナは手を繋ぎ、同期たちを見る。
「みなさん、そんなに不安に思わないでください」
唐突に落とされた言葉。ハッとしたアレクが、自分の腕につけていた端末を掲げれば、現れたのは彼ら二番のナビゲートAIであるローゲのホログラム。微笑みを浮かべ、頼りない印象を持たれそうなほど細いというのに、その口調だけは自信に満ちていた。
「あの臆病者の言葉を真に受けないでください。彼女が何を言ったところで、あなたたちが救われないのは事実でしょう」
ローゲの指摘にアレクは視線を逸らせ、アンナは鋭く睨む。だが、かのAIはそれらを気にせず更に言葉を重ねる。
「悪夢をみない日はどれほどありましたか? 笑うたびに、願うたびに、望むたびに罪悪感に苛まれたのは幾日ありましたか? 空に恐怖を抱き、出撃するたびに死を思い、震える手を押さえつけ、太陽��下にいる違和感を抱えて生きていたあなたたちの心境を、あの人は本当に理解していると思いますか?」
彼女の言葉は何の意味も持たない戯言ですよ、とローゲは告げる。
静かに「そうだ」「ああ」「そうだったな」「あいつらは分からない」「そうよ」「あの悪夢をみたことがないから」「そうだわ」と同意する言葉が投げられた。
アレクがそれらをまとめ上げる。
「そうだな。今夜もペティノスが現れるまで、話そう。どうやってやつらを殲滅するか。なに、夜は長い」
誰もが救われなかった過去を糧に、怨敵を屠る夢想を口にした。敵を貪りたいという言葉ばかりが先行し、それよりも先の未来を願う言葉が出てこない歪さを誰一人自覚していなかった。
***
ゆらめく炎を前にして、ゆらぎとイナ、そしてルナの三人は困惑していた。
ここは都市ファロスの外れにある墓地であり、そして多くの戦争従事者たちの意識が眠る場所。つまり肉体の死を受け入れ、新しい精神の目覚め――擬似人格の起動を行う施設でもあるため、人々が『送り火の塔』と呼ぶ場所であった。
擬似人格とは常に記録された行動記録から思考をコピーした存在だ。永遠の命の代わりに、永遠の知識と記憶の保管が行われるようになったのは、ペティノス襲来当時からだと言われる。地球全体を統括しているマザーコンピューターはその当時の人々の擬似人格から成り立っているのは、クーニャで教わる内容だ。
しかし擬似人格は思考のコピーであって、本人そのものではないために、起動直後はたいてい死んだことを受け入れきれずにいる。
擬似人格が擬似人格として、自分の存在と死を受け入れる期間がしばらく存在するのだが――特に都市ファロスはペティノスとの最前線に位置するため、その死者たちは多大な苦痛を伴って亡くなっている場合が多い――その際のフォローを行うのがこの施設の役割であった。
また、擬似人格が安定した後に自分が電子の存在であり、データの取扱い方を覚えていった先に生まれるのがAIでもある。これは都市ファロスに来てからゆらぎたちも知ったことなのだが、エイト・エイトを筆頭に人間味のあふれるナビゲートAIたちは、その多くが対ペティノスで亡くなった歴代のイカロス搭乗者たちだった。そして、あれでも戦闘に影響がでないよう、感情にストッパーが課せられているらしい。
そのAIへの進化や感情への制御機能がつけられるのも、『送り火の塔』があるからであった。
そして『送り火の塔』の入り口、玄関ホールの中央に聳え立つのは、天井まで届く透明の筒の中に閉じ込められた巨大な青い炎だった。
地下都市クーニャでは街の安全のために炎がない。火という存在をホログラムでしか知らない彼ら三人は、教科書に載っている触れてはいけない危ないものというだけの情報しか持っておらず、ただただ初めて見るそれに魅了されていた。
「おや、そのご様子ですと、初めて火を見たようですね」
三人とは違う声が掛けられる。
ふわふわとした淡い白金の髪を結いだ青年が、建物の奥から歩いてきた。彼の姿は白に統一されており、腰元に飾られた赤い紐飾りだけがアクセントになっている。彼はゆらぎたちの前にやってくると、同じように炎を見つめた。
「この火は、送り火の塔の象徴的存在でもあります。肉体の終焉をもたらすもの、あるいは精神の形の仮初の姿、人間が築いた文明の象徴であり、夜闇を照らす存在として、ここで燃え続けています」
男の説明にイナが尋ねる。
「しかし、クーニャでは火は存在しなかった。人々を危険に晒すためのものとして……なのに何故ここでは」
「地下世界の安全のためでもあります。火は恐ろしいものですので、できる限り排除されたと聴いています。ですが……ここ都市ファロスでは、火は身近なものです。対ペティノス戦において、火を見ないことはないでしょう。燃やされるものも様々です」
あなた方も、いずれ見ることになりますよ、と三人を見て男は微笑む。
「初めまして、新しく都市ファロスに来た人たちですね。私は自動人形『杏花』シリーズの一体、福来真宵といいます。ここの送り火の塔の管理人として稼働しておりますが、今日はどのようなご用件でしょうか」
ゆるりと笑う線の細い青年は、どこをどうみても人間にしかみえないと言うのに、己を自動人形と告げた。
「自動人形? こんなにも人間みたいなのに?」
その存在に、ゆらぎは戸惑いを覚える。感情的なAI、執念を込めて人間に似せられたプログラム、そして人間そっくりな機械と、ここまで人間以外の存在を立て続けに見てきたからこそ、いよいよこの都市は人間がこんなにも少ないのかと驚いていたのかもしれない。
「もしかして、ゆらっち自動人形見たことないんじゃない?」
その戸惑いを感じ取ったルナが指摘する。それに対しイナも「そうか」と何かに気づいたようだった。
「獅子夜は始めからナンバーズ用宿舎にいたからな。僕ら学生寮の統括は自動人形だ。ナビゲートAIが与えられるのは正規操縦者になってからだし、それまでの日常生活のサポートは自動人形たちが行っているんだ」
ここ都市ファロスでは珍しい存在ではない、と続くイナの説明にゆらぎはほっと詰めていた息を吐く。
「……そうなんだ」
「そうなんよ」
ゆらっちは特殊だもんねぇ、と笑って慰めるルナの言葉に、イナもまた頷く。
「私のことを納得していただけましたか?」
苦笑混じりに真宵が声を掛けてくる。ゆらぎは小さな声で「すみませんでした」と謝罪した。
「いえ、お話を聞く限り随分と珍しい立場のようです。都市ファロスに来たばかりでありながら、すでにナンバーズとは……まるで」
「まるで?」
ルナの相槌に真宵はハッとしたように首を横に振る。その動きは滑らかで、やはり機械とは思えないほどに人間味があった。
「……いえ、何でもありません。それで、どのような用件でしょうか」
「あ、そやった。あんな、うちら大英雄について調べに来たんよ」
ルナが告げた大英雄の言葉に、真宵の顔がこわばったのが、イナとゆらぎにも分かった。
「なぜ、来て間もないあなたたちが大英雄のことを」
疑問と不審の感情が乗せられた視線を三人は向けられる。やはり、ここが正解なのだと全員が確信した。
大英雄と呼ばれる存在について、三人が調べた限りわかったのは、あの銀色のイカロスに乗っていたパイロットとオペレーターであること。そして、空中楼閣攻略を人類史上初めて成し遂げ、三十年前の大敗のときに命を落とした存在であること。そこまでは、学園内の資料や右近、左近たちから聞き出せた。
だが、とここで不可思議なことに気づく。彼ら大英雄の名前も、写真も、どのような人物であったか、どのような交友関係があったのか分からなかったのだ。
ナンバーズ権限を使っても同様、セキュリティに引っ掛かり情報の開示ができないことが殆ど。他のナンバーズからの話――主にあの双子のパイロットからだが――では、三番のパイロット現見が嫌っているらしい、ユタカ長官が彼らの後輩であった、くらいの情報しかなかった。
これは故意に情報が隠されていると感じ取った三人は、他に何とか情報を得られないかと手を尽くしたのだ。
結果、ここ『送り火の塔』という存在を知ることになる。あの謎のAIが告げた、正攻法では情報に辿り着けないの言葉通り、ここの擬似人格に大英雄に関連した人がいるのではないかと三人は考えたのだ。
丁度、右近と左近、彼の相棒のオペレーター、そして先日裁定勝負を仕掛けてきた兎成姉妹たちは、あの銀のイカロスについての調査があるということでファロス機関本部への呼び出しがあった。その隙を狙ってゆらぎたちは送り火の塔へとやってきたのだ。
「先日、彼――獅子夜ゆらぎが受けた裁定勝負のときに、仮想現実で銀のイカロスが現れました。なぜ現れたのかは謎ですが、それでも」
「大英雄と呼ばれる彼らをおれたちは……知りたいんです。あの電脳のコックピットにいた二人が、一体どんな人たちだったのか。執念染みたあのプログラムが」
先日の銀のイカロス戦について説明するイナ。それを引き継ぎ、ゆらぎもまた、正直に気持ちを吐露する。その二人の説明に真宵は目を見開いた。
「……そんな、君たちはあれを――彼らを見たのですか? まさか、そんな日が来るなんて」
驚きと戸惑いを隠しもせずに、視線を左右にゆらす真宵。
「見たのは獅子夜だけです。でも、あの銀のイカロスの中にいる人が正直どんな人だったのか、僕だって気になります」
「とっても優しそうな人やった、てゆらっちは言っとった。擬似人格は残らなかったってことやから、たぶん一から作り上げたんやろ? そんなにも遺したかったお人たちなんやろうな、てうちは感じる」
「お願いします、福来さん。おれたちに、大英雄のことを教えてもらえませんか? もしくは、大英雄を知っている擬似人格を」
「知ってどうするのですか?」
それまでの揺らぎが嘘のように、真宵の声は冷たかった。いや、意識的に冷たくしているのだろう。
「大英雄を知ってどうするのですか。彼らは既に過去の人です。この戦局を変えるような存在ではありませんよ」
その真宵の言葉に反論したのはイナだ。
「なぜ、そんなにも大英雄と呼ばれる人々が隠されるのですか。名前すら見つからず、功績だけが噂されるだけの存在にされて」
「彼らは罪を犯したのです」
痛ましい罪です、と真宵は続ける。その言葉に、今度はゆらぎたちが戸惑う。
「大英雄が死んだことで、多くの人々が擬似人格を残さずに自殺しました。戦いへの絶望、未来への絶望、自分が立つべき場所を失った人々は、その命を手放しました。それは罪です。私は……あの光景を記録として知っています。あの地獄の底のような怨嗟を知っているのです」
ですから、と彼は話を���ける。
「大英雄は隠されたのです。これ以上、彼らがいない現実を受け止められない人々を増やさないように」
その説明に納得できなかったのはルナだ。
「おかしいやん。確かに人類が負けたことに絶望した人がいたかもしれへん。でも、それが大英雄のせいなん? 違うやろ、全部受け入れられなかった側の問題やねん。そんなんで、その人らが隠される理由にならへんわ」
それに、と彼女は小さな声で尋ねる。
「名前まで隠して……おらん人のことを思い出すのも、罪なん?」
ルナの言葉に真宵は複雑な表情を浮かべる。彼もまた必死に何かに耐えるようにして言葉を紡ごうとしていた。
「彼らは……海下涼と高城綾春は」
大英雄の名前が出された時、第三者が現れた。
「珍しいな、自動人形のお前がそこまで口を滑らすなんて」
低い大人の男の声だった。その声でハッとしたような表情をうかべる真宵は、何かを断ち切るかのように「なんでもないです」と言ったきり無言となった。
一体誰が、と思ったゆらぎたちは、振り向いて固まる。そこにいたのは、随分とガタイのいい男と、無表情の美しい女性であったからだ。
「……アレク、それからアンナ。ああ、そんな時期でしたね。二人ともいつものですか?」
男女の名前を真宵が呼ぶ。そして、簡略化した問い掛けを彼がすれば、やってきたばかりの二人は頷いた。その仕草に真宵は了承の意味で頷き返し「少し準備をしてきます」と告げてその場を離れる。
置いていかれた三人に向かって、やってきた二人組が近づいた。
男は筋肉質で、身長は百八十を超えていた。身体つきだけならばエイト・エイトと似たようなタイプだが、刈り上げた黒髪と金色の鋭い猫目が相まって、威圧感がある。
対し女はゆらぎよりも少し大きい、ややまるみのある身体つきだった。もしかしたら全身を覆う服装なのでそう見えるだけかもしれない。ゆるく結われた白髪が腰を超えており、右目を隠すかのような髪型。出された紫色の目は丸く、無表情でありながらも美人だというのはよく分かった。
「……獅子夜ゆらぎだな」
男がゆらぎを見て、その名前を当てる。ゆらぎもまた、この男女に見覚えがあった。
「そうです。ええと、あなたたちは」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はアレク・リーベルト。ナンバーズの二番パイロットだ。こっちが、パートナーのアンナ・グドリャナだ」
そこでアンナは両手を動かして何かを伝えようとした。
「よろしく、だとさ。……悪いが、アンナはこの都市ファロスに来るときの事故で、声が出せねぇんだ。耳は聞こえるから、挨拶は声で問題ない」
「そうですか。改めまして、五番のオペレーターになりました獅子夜ゆらぎです。こっちの二人はおれの友達の」
「イナ・イタライだ。オペレーター候補で、相棒予定がこちらの」
「早瀬ルナです。イナっちと組む予定のパイロット候補です」
それぞれが挨拶すれば、アンナがおもしろそうに笑って何か手を動かした。
「あの?」
「ああ、お前たちが随分と礼儀正しいからあの馬鹿どもには苦労させられそうだな、とさ。俺も同意見だ」
問題児どもに迷惑掛けられたら、さっさと他のナンバーズに言えよ、と続くアレクの言葉に、ゆらぎたちは曖昧な表情を浮かべる。その問題児たち以外に現状出会ってないのだ、彼らは。
困った現実を知ってか知らぬか、いや興味もないのか、話が元に戻される。
「……真宵に大英雄のことを聞きにきたのか」
唐突なアレクからの問いかけに、頷く三人。
「あいつがあそこまで大英雄の話をしないのは、仕方がないんだ。大敗の記録はあっても、記憶はない」
「え」
「自動人形は稼働年月に明確に決まっている。それで同一素体――あいつのは場合は杏花シリーズだな――に記録を書き込んで目覚めるんだが、真宵は不完全な起動だった。三十年前の大敗の記録はあるが、先代の感情は一切受け継がれず、目覚めたばかりの身で理不尽な現実と向き合うことになった」
淡々と告げられる説明に当時を思い出したアンナはそっと目を逸ららす。彼女の肩をアレクが抱き寄せた。
「大英雄を失った地獄で目覚めたんだ。そこからずっと大英雄という存在を恨んでいる。俺たちもこの都市に来る洗礼で取り乱したが、それ以上だったよ、真宵は」
その優しい目とともに吐き出される残酷な言葉に、ゆらぎはなんて言えばいいのか分からなかった。
「長いお付き合いなんね」
代わりにルナが返せば、アンナが何か告げようとした。それをアレクが訳す。
「長いさ。あいつの起動と俺たちがファロスに来たのは一緒だった。同じ地獄を見たんだ。俺たちのことなんかさっさと割り切ればいいのに、あいつは律儀だ。だから、未だに大英雄のことを口にするのを躊躇う」
そこまで説明されてしまえば、ゆらぎたちはこれ以上の追求を諦めるしかない。しかし、大英雄である二人の名前は分かったのだから、少しは収穫があったと言えるだろう。
「そう言えば、先程いつもの時期と」
イナの疑問にアレクは「墓参りだよ」と返す。それにアンナも頷いた。
「誰のだ?」
「お前たちが尊い犠牲にならないように頑張った連中」
その瞬間、ゆらぎたち三人は顔を硬らせた。
自分たちが無事に都市ファロスへ到着していたから忘れかかっていたが、あの時列車の中で見た画像には、ペティノスの猛攻を受けたイカロスたちが確かにいたのだ。
「忘れるなよ……犠牲は常に出る」
アレクの言葉に続くように、アンナもまた頷く。彼らはそれだけの犠牲を見続けたのか、とゆらぎが思った矢先に「かと言って、悪夢世代の俺たちのようにはなるなよ」と苦笑混じりに告げられる。
聞き覚えのない単語に、ゆらぎだけでなくイナやルナも首を傾げた。その様子に、アンナが呆れた表情を浮かべ、何か伝えようとしている。
「呆れた、何も言ってないのかあいつらは、だと」
ほぼそう言う意味だろうな、という予感が三人ともあったが、やはりそうだったらしい。
「あー、悪夢世代ってのは」
「十五年近く前の、ナンバーズ復活から犠牲を出しながらも生き残ったパイロットとオペレーターたちの世代のことですよ」
唐突にアレクとアンナの前に小さなホログラムが現れた。病的に痩せた男で、顔は整っているが整いすぎている印象を抱く。真っ白な髪と真っ白な肌、そして全身を隠すかのような衣服。垂れ目でありながらも、その緑の目だけが爛々と生命を主張していた。
「ローゲ」
アレクがホログラムの正体を告げる。
「初めまして、新しくやってきた地下世界の人類さん。俺はローゲ。この二人――二番のナビゲートAIです。以後お見知りおきを」
にっこりと笑い、丁寧に会釈をしたローゲというAIはそのまま悪夢世代について大仰に説明する。
「まずは簡単な歴史です。三十年前の大敗の後、ファロス機関は一度壊滅しました。ですが、その際生き残った現司令官、ユタカ・マーティンとその仲間たちは大敗で重傷となった現見空音をサイボーグ化してパイロットへ復活させ、ファロス機関を蘇らせました」
ゆらぎの脳裏に初めて会ったときのユタカの表情が思い出される。絶望的であった光景をあの人は直接見ていたのだ。
「この現見復活が大敗からおおよそ十年ほど経過しているのですが、その時の都市ファロスへやってくる新人の生存率はほぼゼロだったようです。現在四番のオペレーター、ユエン・リエンツォ以外の生存者はいません」
ヒュッと息を呑んだのはルナだった。イナは表情も変えずに、ローゲの説明を聴き続ける。
「現見復活と何とか生き残れたオペレーターであるユエンの二人が初めて新人を助けられたのが、ここにいるアレクとアンナだったのです。……とはいえ、たった一体のイカロスでどうにかなるほど戦場は甘くないのですから、彼らの同期の半分以上は犠牲になりましたがね」
苦々しい表情を隠しもせず、アレクがローゲの説明を引き継ぐ。
「……戦力が整い、完全に無傷で新人を輸送できたのは、お前の相棒の神楽右近たちの代からだ。それまでは、必ず犠牲が出ていた。その世代のことを」
「悪夢世代、と呼ぶのですよ」
さらに被せるようにローゲが結論をつける。にっこりと先ほどと何ら変わらぬ笑みを浮かべて、彼はゆらぎたちを見つめていた。
「神楽右近さん、神楽左近さんの両者ともに、悪夢世代については知っていたはずですよ。なにせ、右近さんの前のオペレーターは悪夢世代の一人でしたから」
前の人のことくらい教えてもいいでしょうに、と続くローゲの言葉に、ゆらぎは背筋が震える。
彼が暮らす部屋は、かつての主の日用品が残されていた。いや、正確には適当な箱に詰め込まれて部屋の片隅に置かれていたのだが、それが誰だったのかを教えてもらったことはない。右近に尋ねてもはぐらかされるし、左近に尋ねたところで邪魔なら引き取るとだけ返された。それだけで彼らの持ち物ではないのは明白だ。だが、処分するには躊躇う何かがあったようだ。
「あの」
ローゲに向かってゆらぎが質問しようとしたとき、真宵が「お待たせしました」と彼らの間に割って入る。
「準備ができましたよ」
「ああ、そうか。ローゲ、端末に戻れ」
アレクの呼びかけに、すんなりとローゲはその場から消える。そして彼らは真宵がやってきた方向に歩き出そうとした。が、そこで何か思い出したのか、アレクがゆらぎに声を掛ける。
「そうだ、獅子夜。神楽右近に伝えておいてくれ。前を向いたんなら、いい加減に元相棒の墓参りくらいしろってな」
それだけを告げて、アレクもアンナもあっさりと去っていった。
呆然としたまま、ゆらぎはその場に立ち尽くす。
「少し話が途切れてしまいましたが、私は大英雄については」
戻ってきた真宵は先程の話の続きをしようとしたが、それはイナもルナも首を横に振って止めた。いない間にアレクたちが何か言ったのを察したのか、真宵は「そうですか」と安堵の表情を浮かべる。
話はそれで終わりになるはずだった。だが、
「あの……ナンバーズで五番のオペレーターだった方をご存知ですか?」
ゆらぎが真宵に全く違う話を振った。
「亡くなった五番のオペレーター、ですか」
「おれの前に、神楽右近と組んでいた人です」
その言葉で、ゆらぎのポジションが分かったのだろう。真宵は「ああ、あなたが新しい五番のオペレーターだったのですね」と納得の表情を浮かべる。
「確かに、五番の前オペレーターである���バル・シクソンとは交流がありました。それに彼は自分の死後の擬似人格の起動に関して、遺言がありましたから」
自殺や死ぬ直前に擬似人格を残さない意思表示がされた場合は、このデータが残らないのもゆらぎたちは知っていた。が、まさか起動にまで条件をつけられるとは思っていなかった。
だが、それよりも先に彼が気になったのは。
「名前……スバル・シクソンと言うんですね」
「そこから、ですか」
「何度か聴いたかもしれませんが、直接教えられたことはおれにはありません」
「……スバル・シクソンはとても優れた人でした。それ以上は私からは告げられませんが、彼の擬似人格の起動には特別な条件が付けられています。未だこの条件は達成できていないため、私からあなたにスバル・シクソンの擬似人格へ対面させることはできません。申し訳ないのですが、故人の権利としてこれを破ることは、ここの管理を任されている自動人形の私には不可能です」
もしも、擬似人格が起動したら是非お話してください、と真宵はゆらぎを慰める。
「新しいオペレーターのあなたと話せば、彼もより早くナビゲートAIになれると思いますが、まずは……神楽右近に来ていただかないと話が進まないですね」
そう残念そうに告げる真宵に対し、ゆらぎは弱々しい声で「伝えておきます」と返した。
そして彼は真宵から離れ、送り火の塔から出ていく。通り過ぎる際の弱々しさと、浮かべる複雑そうな表情に、イナとルナは不安を抱いた。
「獅子夜」
「ゆらっち」
後を追った二人がゆらぎの名前を呼ぶ。そして、両者ともにとっさに手を伸ばした。友人たちの様子に気づいたゆらぎは伸ばされた手を握り、微笑む。
「大丈夫」
優しい友人たちを安心させるように、ゆらぎはしかたがないんだと口にする。
「たぶん右近さんたちは、まだ前を向いただけなんだ。歩けるほど割り切ってはないし、未練がましく後ろが気になってしょうがないんだよ。きっと、それくらいに、スバル・シクソンという人が大きな存在だったんだ」
そこまで言って、ゆらぎは深呼吸した。そして、今度は力強く宣言する。
「そんな人におれも会いたいよ。会って、話して、ついでに右近さんと左近さんの弱みを握れたら握りたい。できれば恥ずかしい話で」
その真っ直ぐなゆらぎの思いに嘘偽りはなかった。
途端にイナは吹き出し、ルナは声をあげて笑う。
「ええな、それ。ゆらっち、散々振り回されてるわけやし、うちもあのお二人の話気になるわぁ」
「それだったら僕も協力しよう」
三人が三人ともあはははと笑い、握っていた手を話したと思えば肩を組んだ。
「獅子夜、無理はするな。お前は何も悪くない」
「そうそう、ゆらっちは正真正銘ナンバーズのオペレーターなんよ。どんだけ前のオペレーターがすごいお人でも、ゆらっちだってすごいんだからね」
その優しい思いやりに、ゆらぎは二人を力強く抱きしめる。
「……うん、ありがとう……二人がいてくれて、本当によかったよ。おれは未熟だけど、確かにナンバーズの五番のオペレーターで、神楽右近の相棒なんだ。慢心もしないし、怯みもしない」
――おれは、イカロスであの人と一緒に飛ぶんだ
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